2014年8月25日月曜日

ブログ執筆者とブログ読者のレベルに大きな差異が生じる

今回提起する事象は過去に本家ブログに於いても度々取り沙汰したことだ。
本家ブログの記事内にリンクを貼付するが、結果的にそのリンク先へのアクセス数乃至リンク先動画の再生回数が記事から影響をまるで受けないことに疑問を呈す。

単にリンク先のアクセス数や再生回数を稼ぎたいなどという虚栄心からの意図ではなく、これらの数字は記事の内容を理解できたか指数であるとして、数字が増えないならそれ相応に記事もまともに理解されていないということを表してるとみている。
読者が理解できたかの可視化、理解から伴う副産物の数字。
だから、記事自体のアクセス数は伸びるのに、記事のリンク先のアクセス数等が変わらない状態が続くと私を苛立たせるのだ。
私がとても真面目に文章を書いたところで、読者が理解するレベルに達してない場合、どんな素晴らしい内容でも読まれないのだろうと。

私は、学歴などの薄っぺらな肩書きで全てが決まるのでなく、実質を伴う人材を増やしたい、私が誰かから知識を授かったように私からも知識を共有したい
そんな思いからこのように衒学的なブログを続けるのだが、読者にそんな意欲もなく、ただキチガイの私がキチガイの活動をして壊れる様を見たい、それだけだからこんな豊かな語彙を用いた文言を投稿してもパッと見で済ませるだろう。
まあ知識の共有のみならず、脳が高尚な語句を忘却しないようにここに書き出し、記憶に留めておきたいという利己的側面もあるがね。

とりあえず小難しい文章を書いて、私は読者をふるいにかけるのだが、容易く全てか殆どは落とされている現状を見ると悲しい。
私のレベルに敵う相手とは、軽く本気を出すといないということ。別に戦意はないけど。
私が記事内にリンクを貼るのは見てもらう必要があるから貼っている。
読者はその意思に応えはしない。

ここにリンクを貼る。リンク先には私の投稿動画がある。
YouTubeなので当然、客観視できる再生回数が表示されている。
https://www.youtube.com/user/SundarknessMusics/videos

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