2015年3月15日日曜日

特別支援学校 - 児童の保護者と教職員の理想 要領を得ない「自立」

特別支援学校のホームページ等では押しなべて「自立・社会・就職」等の美辞麗句を連ねているのだが、現実は圧倒的に異なる。
それらのホームページ・ブログ等において、在学児童の作業風景の写真などを載せているが、黙々と作業に打ち込める者がどれほどいるか。
在学児童の大多数が、「自力の食事さえ叶わない」という冷徹に打ち付ける現実をも度外視して、極少数、一割に達するかも知り得ない健常者に近似する能力の人間を前面に対外アピールをしても、実態から目を背ける愚鈍さの露呈としか、私には見えない。

以前も、当メモ帳において、特別支援学校高等部の破廉恥を暴露したのだが、やはり、保護者や教育者は「自立」等に視界を奪われていると再認識する。
脳性まひを初めとする、重度知的障害の人は「自力の食事さえ叶わない」のに、何段も飛ばしてやれ自立、やれ就職と、雲をも掴みに行かんとする様相だ。
煌々たる理想に目が眩み、現実的な足元には何の注意も向かない。
※過去に「そういう人にもお給料くれる支援団体がいるだろう」と述べたこともある。

特別支援学校に在学する児童は、視覚・聴覚の片方の障害のみを持つ人間であれば、卒業後に進学か就職の叶う者も多いようだが、在学児童の大半を占める知的障害の場合、少しでも度が強いと大概は福祉施設等に入所するか、就労継続支援の作業所に通所する。
元々、上記記事に語った女児でさえも、保護者が四六時中つきっきりで面倒を見られない当然の事情から、その負担軽減の意図も含んでいるというのである。
玉石混交の特別支援学校の教職員とて、一応プロの専門家でもあるわけだから、保護者の支えのみでは補いきれない部分もしっかり教えてくれるかもしれない。

それでも多くの生徒は心身の劇的な快方を望めず、卒業後は成り行きで施設絡みの生活となるのは保護者にとっても自明の理だろう。
知的障害者で就職が叶うなどということは、私の弟ほど軽度でもない限りほぼいない。



こういった予想を元に、軽く検索をかければ、文部省の公式データがある。
一段目は「中学部」に関する情報なので飛ばして、「高等部」を熟読されたい。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/013.htm

火を見るよりも明らかな政府の統計ではないか。
全国の高等部卒業者は平成24年度に17,707人、内4分の3が知的障害を持っており、更に3分の2が施設入所・通所・・・
即ち、卒業した17,707人の中で「施設入所した、通所中の知的障害者」だけでも9,029人と記載されており、全体の過半数なのだ。
少し意外な点は、知的障害の卒業者の内4分の1が就職していること(基準は卒業前の内定の有無なのか、それとも本人の希望だけで集計されてるのか気になる)だろう。
NPO法人の斡旋による、パンこねやクッキー作りなどの作業もこの範疇なのか。

このデータで残る疑問は「各種障害者の数値は延べ人数か、障害の合併についての扱い」。
例えば、一口に知的障害と言っても、肢体に不自由を生じたりする者もいる。
この場合、一人で両方に加算されるのかが疑問である。

以前も書いたが、小3の頃に「公園で3歳ほどの子供の後姿を見て、顔を拝みたいと思ったらメガネをかけていた」ということでその子供はダウン症ではないかと、その年で以てこの見解に至った。
小3の病理知識はともかく、現実に先天的な弱視と脳の欠陥は相関性が高い。
このような複合型の障害者をどう含めてるか、分別は一本化しているのだろうか。
その如何では、各種障害者の実像が揺れてしまい、確固たる判断が困難となる。
この疑問に関して、下部の3点ある注釈も目を通したが、何も記されてない。



とりあえず、この統計データを踏まえて、改めて特別支援教育現場の人間は改心して、現実を見直してもらいたい。
サイト上で対外的に最も美しい情報を載せて取り繕うとも、今起きてる事実から、将来ますます強まるであろうこの性質を推して知るべし。

確かに、「どうせ施設行き」の大多数の児童より、有能な少数派を尊重したい気持ちもわかるが、学校の実態をあたかも最初からないかのようにネットで情報を載せるのは、印象操作じみているし、私には現実逃避にさえ見えてならない。
学校の取り組みに「自立性を養う・労働の意欲を生む」等と書いても、当事者=在学児童の過半数はそんな意識も生じるはずはない。
彼らは良く言えば「中庸」であり、社会への夢もなければ、憂いもない。
既述のように、新たにその意識を生ませるような変革も起こりえない。
心中を支配するのは空漠たる無と、周期的に強まる目先の欲望ほどか。

あの女児の保護者も「障がい児教育に未来はある」と感情に起因する強弁を構えたが、確かにそれを譲歩することも私はできる。
これから晩産化が進む日本では、仮初めの福祉拡充が進むことだろう。
我が豊橋に新しい特別支援学校が来年度=2015年4月に開校するが、全国でも毎年のように人口増加の芳しくない地域でも開校している。
意味を成すのか不明な線だが、特別支援学校の増加で一部教育者も経済的に潤う。
身近に通える学校が増えるなら、遠方よりバスで揺られる児童も、寮で寂しい日々を過ごす児童も減るだろうが、これまた意味を成すのか私には見当も付かない。

表向き福祉施設や特殊学校が増えることは、当事者にとり喜ばしいことだが、これも刹那的、少子高齢化と同時に進む晩産化で、先天的に障害を持つ新生児ばかり増えて介護職などを志望する者が後にどれだけ増えるか・・・
需要ばかりが高まって仮に箱物や担い手が増えても、他の産業は衰え、税金も福祉事業にばかり拠出され、若年層は「重度障害者・寝たきり老人は無駄な命」という合理的かつ危険な思想を高め、色々と悲惨ではないか(現に介護自殺や被介護者殺害などが増加傾向にある)。
こういう「未来」なるものを憂えているから、現場に問いたい私。



これらの保護者や教育者は具体性に欠ける思考が多いことも、私の過去・今回の記事で誰でも理解できたはずである。
当事者(児童)らはそんな先行きに夢も憂いも重ねず、周囲の人間の思考を意に介さない。
当事者は差し置いても、保護者と教育者は目下の大問題を緩和させることに重点置かねば、ただ特別支援は徒に膨張するだけだと進言したい。
特別支援上がりで「ザ・シャカイジン様」になるなんて、一つまみにも満たないのだから。



追記: 2016年以降
2016年7月に相模原市の大規模障がい者福祉施設で大規模な殺傷事件が発生した。
当該施設の元職員・26歳による犯行であるという。
まさしく、当記事に:

表向き福祉施設や特殊学校が増えることは、当事者にとり喜ばしいことだが、これも刹那的、少子高齢化と同時に進む晩産化で、先天的に障害を持つ新生児ばかり増えて介護職などを志望する者が後にどれだけ増えるか・・・
需要ばかりが高まって仮に箱物や担い手が増えても、他の産業は衰え、税金も福祉事業にばかり拠出され、若年層は「重度障害者・寝たきり老人は無駄な命」という合理的かつ危険な思想を高め、色々と悲惨ではないか(現に介護自殺や被介護者殺害などが増加傾向にある)。
こういう「未来」なるものを憂えているから、現場に問いたい私。

と書かれた懸念に著しく関連する事件である。
当時から、このような事件の発生を予見していたろう。予言であろう。
しかしまあ、その実行においては、理性や社会性と別の憎悪が強いのであろう。
ほか、心理面でどうか定かでないもの、かつ当記事より先に発生して後で発覚したものに、同じ神奈川県の川崎市の「Sアミーユ川崎幸町」も挙げてよい。
以下のブログ記事に筆者の見解が「追記」形式で載る。

http://masashi.doorblog.jp/archives/38384984.html#tsuiki

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