2015年5月29日金曜日

5月17日と5月21日に見た夢

2015年5月17日の出来事を即日綴ったのが以下である。
日記メモでやるか、当メモ帳ブログでやるかは迷ったが、文字数的にはこちらが適していると判断した。
話題としては、学術性に欠け他愛ない日記のようなものだ。

過去の夢記事→http://lesbophilia.blogspot.com/2014/09/blog-post_24.html



夢を見た、始まりは・・・あの車の後部座席の真ん中に、中2の頃の自分とよく似た少年。
その位置ではシートベルトも着けられないが、両脇にはきっちりシートベルトが着いている、その時の外見だと思われる二人の弟。
だが、現実には中1・中2期に二人の弟と会ったことなど一度もない。
運転席の父親と助手席の母親の表情は悪くなさそうだが、この車の向かう先は住んでいた埼玉県内からどこか広い道路(首都高?)を通って都内へ進んでいる。
夢の景色が変わり、都内のような場所に出たときには、高速道路沿いの幹線道路に出ていたが、その渋滞から後部座席より不満の声が出て、少年も「確かに渋滞無かったらどのくらい進んでいるかな」と内心で思っていた。
父親が「じゃあここから降りて(夢ではこう発言しているが、意味としては"折り返して"である)帰るか?」と言い、戸惑う後部座席だったが、少年は「こちらを試す冗談か?」と内心で感じ取る。
程なくして父親も、冗談である旨を一言明かした。
次の場面では同じ道路の蛇行した箇所(高速道路の高架下で暗い)で唐突に車が止まり、母親が車を降りてその近くに立つ女性に道を聞いていたっぽいが、その女性が立っていたところは歩道でもなく、蛇行車道の車線間スペースにオレンジ色の線が引かれていた踊り場的なスペースだ。

夢特有のおかしな状況に見ている私が眩惑されそうだが、ここで私の目が覚める。
すると土曜日昼、13時半の母・下の弟の会話が聞こえる。
母親がテレビを見ている間は夢のように笑い声をあげていても、不満げな声は次第に、休日ならではの二人の険悪な遣り取りに変わってしまう。



なぜこんな夢を見ていたか、現実の聴覚が何か彼らの会話を捉えた影響とも言えなくはないが、奇妙な展開以外で思ったことといえば、このような家庭の構造が2015年にも再現されていたら、ということだ。
夢の中の少年が中2、その年に対応した外見の他4人の年齢時であっても、バラバラな家庭であり荒唐無稽のようだが、欺瞞的にもこの夢に似た家庭環境は小2のあたりまで確かにあった。
私自身は一寸先の闇など露知らず、何の憂いもなくいられたのだった。
このような一件、家族5人で平穏とした様子が今でも続いているというなどは考えもしない。
それを鮮烈とまで言わないが、実感してみた。

実は、この夢の本当の始まりと記事冒頭の場面に至るまでのシーンを、文章を打っている間に何となく思い出せた。
家族5人でいるシーンに関しては、どこかトンネル内で父親が嫌いそうというより目を丸くしそうなジャンルの音楽が流れたり、車に乗っていないシーンにおいては2006年7月に引っ越した都市に隣接する自治体の最寄り駅前が閑散としている曇り空の場所でチラチラ人が。
最寄り駅のその光景は過去に数度夢に出ていたが、それ自体は久々に夢に出たことになる。
夢に幾度と出る場所は屋内外問わず、押し並べて曇っている気がする。

家族系以外では、本家ブログのUUがちょうど1,000に達している夢と、薄暗い林の中の開かれた空間で大聖人と対話する夢を見たような。





2015年5月21日は朝8時~18時までの間に短時間睡眠を連続で繰り返したりもしたが、その2度目の起床あたりかに戦慄のグロい夢を見た。
ストーリーとしては、何か脱線事故の後のような線路(複数の複線路線の線路)上で車両などが横転して著しく損傷している。
しかもそこら中に血糊が散っていて、凄惨なショーが展開されていた。
70年代某革命派的な若い男性らが周囲に笑われながら首を刎ねられたり、その眼を。
とまあその夢では見た範囲に渡って終始首のオンパレードであったが、当然この夢を見ている途中で意識が活発になって目覚めてしまおう。

見た後からこの夢の背景を考察するに、革命男性衆は在来線の車両をジャックしたか或いは最初から出発地より多く乗り込んで別の地域へ行動しに行く最中、対立勢力の策に嵌ってしまい、乗り組む車両を横転・脱線させられ、一部はその衝撃で即死・気絶して、残りは負傷したり再起しづらい間に対立勢力の奇襲を食らって、事故車両から引き摺りだされた男達が抵抗できずに血祭りに上げられたと見る。
書いていて思い出したことは、処刑されている彼らの声はあまり聞こえなかった。



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