横野真史によって体型的に語られた仮想宗教・仮想学問のリスト

※2016年12月中に作成されたページ(主要な変更は2017年中まで)

この「仮想宗教・仮想学問」には私の本意のものと、皮肉を込めたものとがある。
人には人の数だけ宗教性や哲学性といった、人の心のために持たれる信念・理論・価値観があるわけで、実際の宗教や思想を否定しても本質的には同根であると知らねばならない。
それこそが真実に哲学的な見方であろう。
私は哲学の思想に造詣が深くないが、色々な人・物事を見るならば、誰しもが蓋然的に気付く道理であろう。
特に私は、色々な在り方を体系的に述べることで、そのものと成立させられる説得力を持つ。



●本意のもの

インターネット考古学 (学問性を論証して具体的なスキルやツールも示す)
http://lesbophilia.blogspot.com/2014/12/blog-post_7.html (学問性のまとめ部分)

萌え法門 (三萌義を展開して大乗仏教・法華経の理解に合わせる。萌相の方便修行も)
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/kwan-myau-shi-ki.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2017/01/dualism-of-truth.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2017/06/moe-wasan-commentary.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2017/06/moetry.html

鋼道・メタル神と子羊らい○ちゃん (ネタの線が強いが宗教理解の参考までに)
http://lesbophilia.blogspot.com/2014/10/blog-post_13.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/01/blog-post_5.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/01/blog-post_5.html

ネイティブニートによる研鑽の道
http://masashi.doorblog.jp/archives/40633597.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2014/11/blog-post_5.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/10/blog-post_17.html

閑居求道者の哲学・信仰・生活法
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_29.html
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/09/blog-post-20.html
┗真の健康法
  http://lesbophilia.blogspot.com/2016/07/the-way-of-true-health-is-within-us.html

これらを学んで理解し、興味を抱く者は、私の知識に匹敵するのみならず、超すこともできよう。
萌え法門も真の健康も、「真(シン・まこと)なるもの・真理・真実」は、執着の心で見えることが無いという言外の意のもとに展開されているので、既存の世俗的認識を包括してなおかつ否定することになる。
深い仏教理解の上に、あえて自己主張や便宜を図る目的で「一つの答え」を定めて言うならば、それは一応の真理(自説・2つの真理のうち主観的真理)であろう。
釈尊はそうして時機を鑑みて種々に説法されたわけである。
どう言葉と論理を尽くしても、真理は言語(ごんご)・心行(しんぎょう)の中には有り得ないのだから、「尊重・寛容」の精神で肯定的に取れば、どう語られた言葉も真理であることになる。
世間にある「真の~」という接頭語は、俗語的用法として可である、なぜならば哲学的思索を念頭に置いていないで用いられた言葉であるから。



■皮肉を込めたもの

現代中華思想・唯物教 (社会主義・反宗教という極端な性質がかえって宗教と同質化する道理・・・どのマルクス主義国家も偶像崇拝が多い)
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/blog-post_21.html

音楽ジャンル派閥 (特にメタルはセクト主義が強いながらに日本仏教のようなジャンル枝分かれ・習合と、復古神道のような純粋メタル偏重という点が特徴的)
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/05/musica-et-religio.html

商業主義的アニメ・キャラクターコンテンツ信者 (拝金主義・資本主義に隷属する敬虔な人々)
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/05/idol-and-idea.html

日本原始仏教復古・日本宗純粋仏教派・一向テーラワーダ宗 (純粋・本来を気取る紛い物で信仰を否定して在家の身に修行する気のない無道心・戯論・知的遊戯の徒も少々)
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/09/theravada-saddha.html

世界人道教 (人権という概念が人類の歴史・宗教の至宝として崇拝される。自由主義的全体主義の現代文明の共通認識である。金銭・物資を布施する慈悲の実践が行われる。西洋文明・キリスト教文明の残酷な歴史に対する恣意的な反省の所産であり課題も多い。高尚な人格者の精神修養には適しているが大多数の愚民には不都合ばかりで上下万民不調和の元凶となっている)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11160521056
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/08/brahmavihara.html

親神様信仰 (親=絶対神だから必然的に子=下僕。"親勝子劣しんしょうしれつ"が判断基準の絶対的原則。俚諺の仏教的解釈によってその蒙を啓く)
http://testing-design.techblog.jp/archives/47593167.html#more
http://masashi.doorblog.jp/archives/47723867.html

「皮肉を込めたもの」としての仮想宗教については、実際の宗教と大いに異なる部分がある。
例えば世界人道教(人権思想)は、国連・EU・各国政府・自治体・王室・カトリック(ローマ法王・教皇)・チベット仏教(ダライラマ法王猊下)など多くの人々が信仰していても、世界人道教としての聖典というべき理論書や信仰の言葉が無かったりする。
私の仮想宗教は、みな実在の教団や学派が無いから、聖典を編纂する必要も無いようである。
理論や理念や信念を唱えている著書の存在で精一杯であろう。
具体的な聖典が無い上、教義の歴史・伝統(個人の一生・100年にも満たない)も無いから、たまたま現状から仮称を付けられるに過ぎない、文字通り「仮想」の宗教である。
仮想の故に私が仮名を付けて仮説を述べる必要があった。
これらの仮想宗教は、多くの人が無意識的に信頼していて自然に理論が構築され、体系が組まれているから、改めて文字・言語によって示している。
私の仮想宗教説により、人間だれしも己の感情や価値観や人生経験を基とした信念を持っているが、往々にして迷信に陥っていると気付き、須らく仏道を志してもらうべく願っている。



▲良き道具

智慧の聖典・法具のリンク集
http://lesbophilia.blogspot.com/p/blog-page_6.html



私のような生い立ちで私のように苦しむ若者へのメッセージではなかろうか。
私が仏教を深く学んで理解する以前から、勉強・音楽制作・お絵描きを続け、しかも衆目に曝すように投稿している本意が伝わるであろう。
苦しみから抜け出す手段とは、ともすると自殺か資本主義社会下での成功かという両極になっている現代にあって、私はどちらも人の道として正しいものと思わない中、私のような者(現代・若者・インターネットネイティブ)にとって適合する道を見出した。
暗中模索であったが、点々として希望の灯火を残してきたわけだから、今や道筋が明瞭である。
私のような者が須らく進むべき道として整った。
正系の教説も反系の教説も、みな私の理解に通じ、真理ならざる真理の近道となっている。
※「私のような者」と形容される人でなくとも学び取ることはできよう。仏教徒は何事からも学び取る力があるわけで、優れた人間もまた同様である。

さて、後は、辿る「志」があるか、諸君に問う。
信仰の精神の重要性は常々説いてきた通り、真理を求めること、真理に導く人を敬うこと、真理に導く教えが得られることなど、多く我が身を利するものである。
そのような翼というか杖というか、これを得ないでは真理に近づきがたく、道に障礙が多すぎて進まなくなろう。
今、私の心が理解できずとも、これらの記事を読み進めること(熟読玩味=咀嚼吟味反芻)で、可能な限り私の理解と通じる。
信仰の精神は、真理ならざる真理を説く人に虚心坦懐の心で理解を促進させてくれる。

そうして、勉強・音楽制作・お絵描きを見習い、自ら可能な限りの実践も行うならば、私の継承者ともなろう。
私はインターネットで様々な「断片的に優れた人」を見てきて私自身が良い部分を見習った。
彼らの道は仏法の真実に到底適わないが、誰からも学ぶポイントを見出せる私が、彼らの精神を継承した。
そして、今までは、「『私のように高尚な者』が現代社会においているはずもなく過去にもいなかった」という否定的見解を捨て、中道のために、過去、恐らくはいたであろうと信じている。
仏となられた釈尊は「無師独悟」と考えられても、過去七仏および諸仏を説くことがあったよう、決して自分だけが至った境地ではないことを他人に説き、自身でもそう信じて中道を確立した。
私もまた、過去の覚者の存在(観念偶像か?信念である)を仰ぎながら、客観的に孤独や孤陋とみなされても何ら妨げとならない崇高な道を得る。





2018年からは数学・自然科学に基づく合理性を重んじた言語・音楽・美術・生活の研究を強めつつある。
他には、認知科学の要素も濃い。
その成果は以下に見られる。

2016年2月15日投稿記事『二次元・三次元の相貌の相対的な互換性に関する理論』の追記②欄
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/02/2ji-3ji-gokan.html#ps2

2018年11月4日投稿記事『半母音、響音(鳴音・共鳴音) YとWに関する考察 (やわらかさ)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/11/sonorants-semi-vowels.html

2019年4月6日投稿記事『母音の広狭と音高の上下に関する実験の意図で作詞した ~ 楽語共調理論 入門』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/04/symphonedy-vowel-pitch.html

2019年8月10日投稿記事『言語における科学性の多面的な説明』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/08/linguistic-science.html
;更に、「硬口蓋化指数」などのモデリング。

2019年12月7日投稿記事『民間療法・対症療法としての舞踊・武術の開発のための筋道』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/12/physical-fitness.html

2020年2月5日投稿記事『音楽における「和風」議論 ~ 短音階第六音を抜くことの多寡』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/08/linguistic-science.html
;更に、「アイザック・ニュートンの七色ドリア旋法」から「音高を色で表す合理的な方法」などのモデリング。2021年、別の経緯で似たようなカラーリングのモデルを示した。「音楽対数の視覚化、対数螺旋 logarithmic spiral」画像

2020年4月5日投稿記事『「二次・三次相対互換の理論」に対する新しい解明と説明』
https://lesbophilia.blogspot.com/2020/04/2ji-3-ji-relativity.html

2020年9月7日投稿記事『「メタファッション」の概要』
https://lesbophilia.blogspot.com/2020/08/metafashion-metamode.html

2021年5月2日投稿記事『構成音半音移動進行の諸相 (chromatic descending/ascending bassline/progression)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2021/01/chromatically-moving-bassline-progression.html



人文科学や社会科学が中心である場合も、独特で先進的なものがある。

2020年1月7日投稿記事『ジェンダー研究の例示(宗教学・社会言語学・美学・文化研究から)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2020/01/gender-studies.html



他には、「特定マイノリティ書誌学 (certain/special minority bibliography/webography, 研究 studies)」と称することのできる、インターネットで通常「キチガイ」と扱われたり、様々な事情で本人または身近な他人たちが一般の社会人として扱わない傾向にある人の個人情報や、活動に関して研究していることも考えられる。
私は、インターネットで確認可能な当事者投稿動画や文書の保管と整理を行い、私自身の家族構成員たちの問題点をまとめるなどして「特定マイノリティ」に相当する個々の事例を検分している。
範囲はあまりにも広いが、他人たちから「こいつ仕事してない」とか「ニート」とか「糖質(統合失調症)」とかと一方的に決めつけられる、特定個人が多い。
匿名でそう言っている人たち (好例では 2ch/5ch, Twitter, YouTubeコメント欄など) を含めて非難の言辞が互いにブーメランの傾向を呈しているが、あくまでも判断材料が求められる限りに、中立的な立場を望んで考察の対象にする。
結局、私の興味対象になる特定個人 (certain individuals) が指示対象である。
釘をさすが、アドラー心理学=個人心理学 (individual psychology) とは何の関係もない(悪趣味な心理学"does not mean to focus on the individual. Adler said one must take into account the patient's whole environment, including the people the patient associates with."を真似する気もないが、研究成果を利用したり関連させたい方はご自由に)。
一部には「動画撮影型精神疾患(動画記録行為依存症、証拠撮り症候群)」として精神病理学や精神医学で題材にしてもらうこともできる個人 (individuals) の例がある。
成果に関しては、題材が題材のため、Plan1906限定公開処置になったり、そもそも情報公開をしないことも多い。
この方向に関するいくらかの私の活動は、「横野真史」というレーベルで行わないで他のレーベルで行うなど、「隔離」措置をとっている場合も多い。
しっかりと、社会には孤独対策(個人主義の強い国家では近年ほどによく進められている政策分野)であるとか、問題として焦点に当てるだけの理解が得られるようになってほしいと私は思っている。

結果:
2021年7月11日投稿記事『未分類マイノリティの考察、動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)と動画撮影障害』
https://lesbophilia.blogspot.com/2021/06/uncategorized-minority-webography-studies.html

そして、同月以降:
2021年7月22日投稿記事『著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済』
https://lesbophilia.blogspot.com/2021/07/book-price-copyright.html




「仮想宗教・仮想学問」から外れる場合、「仮想芸術」もしくは「独創芸術」もある。
既に挙げた記事の中に「二次・三次相対互換の理論」や「楽語共調理論」などがあるが、他にもある。

「音楽イメージ絵」、「音楽日記」、「(学術、論文)動画レポート」、「SS動画」、「A440調性格、現代ポピュラー音楽キーの印象」など。






音楽、医学など多くの領域で、独特な解析モデルやデータサイエンスを示すこともしている。

2019年2月17日投稿記事『引きこもり生活に関する医学的な報告 ~ 栄養学・病理学・精神医学・薬学など』を先行研究として、最終的には「個人病理学 (individual pathology)」、「コーパス臨床研究 (clinical studies with corpora)」、「コーパス疫学 (corpus epidemiology)」というものを以下の記事で提唱した。

2022年6月15日投稿記事『ICDに掲載できる新・精神障害2つと、精神医学会の怠慢への叱責と皮肉』
https://lesbophilia.blogspot.com/2022/06/new-mental-disorders-for-icd-12-and-dsm.html
音楽における考えが先行しているが、おおもとは「コーパス言語学」から来ている。
以下の記事では、「コーパス音楽学」、「比較和声学」として言及している。

2021年5月2日投稿記事『構成音半音移動進行の諸相 (chromatic descending/ascending bassline/progression)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2021/01/chromatically-moving-bassline-progression.html

下書きだが、その学問領域のモデルを示した記事:
2022年2月27日投稿記事『Draft: 2021-09-22 and 2021-11-06 (IUPAC, Open-Chordコーパス音楽学モデル、有機的な脳トレ)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2022/02/draft-corpus-musicology.html



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しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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