2016年8月18日木曜日

各宗の修行はみな解脱の正道である場合、日蓮大聖人のご教示をどう受け止めるか

西洋のことわざに「全ての道はローマに通ず」があり、日本でも比較的知られよう。
仏教・仏道の「解脱(成仏・往生・涅槃などを総括)」もまた然り、と考えられなくはない。

例えば、江戸時代のとある僧侶は、「正法」という宗派ごとに相容れない概念について円満にする見解を示している。
即ち、座禅にせよ念仏にせよ唱題にせよ真言にせよ、各宗の修行は名聞利養(世間の名誉・利益)などを眼中に入れず、専心に修行すれば、みな解脱の正法となる、と。
無心に専心に物事に取り組めば、目標とするところに行き着くであろう、とは、誰でも一度は思ったことがあろう(勇躍の足、自ずから長安に到る・略、自作の漢詩)。
その目標を叶える結果を強く望んでもよいが、望みすぎるままでもよくなく、真面目に直向きに質実に今を生き抜けばよい(反面に仏道で無心なのではこれもよくない)。
同じ目標のためでも、ただ私やあなたの良いと思う手段"Way"を選べばよく、私が他人の選択"Way"を批判してする権限が無ければ、他人に私の手段"Way"を嘲笑される筋合いも無い、とまでお考えのようである(背景として江戸時代などは仏教各宗の論争"宗論"が多かった)。
そのように仏道修行を広い視野・・・宗教多元主義的に見れば、「一切修行・皆是正道」とも言えようが、やはり各宗は多少の排他的主体性も無ければ宗派の尊厳も無くなる。

※この江戸時代の僧侶(慈雲尊者・飲光)も、ああ述べた本意は「戒律(特に四分律など二百五十戒)を持つ修行」へ導くためであった。超宗派的ながらに、彼のこだわりが表れている。あの当時、多くの僧侶が小乗の戒から大乗の戒まで持とうとしておらず、宗論に交わる者はそこそこいる程度で葬式仏教化が進んでいた。結局、仏道に入らねばみな六道輪廻を繰り返すか、逆として真面目に仏道を進めばみな後生善処や解脱に至るわけで、単に超宗派的では仏教不要・修行不要の邪見に陥りかねないから独自のこだわりは必要か。俗に「鰯の頭も信心から」と言っても、永遠にそれではならない。仮に敬虔なキリスト教徒がいて異性や富裕に興味を持たず信仰・修道を熱心に続けても、彼に解脱はできない。無心で滅私奉公する軍人、または労働者でも、当然解脱はできないことと同じで、須らく仏智に依るべきか。そういう時、この僧侶であれば、仏道修行の中でも戒律を重視するわけである。私の漢詩で言えば「勇躍の足」のみならず、仏法の智も満足している必要がある。セクト主義も、排除しきってはならない。



私の信奉は何であろうか?私の選択"Way"である。
私は様々な経緯によって日蓮宗的な信心を選び、日々に修行(2015年末から毎日に朝夕の勤行を上げるなど)を続け、教学の中心も法華経や御書(日蓮遺文・御妙判)としている(元々雑駁な研鑽の中でも最近は中観派きどり)。
その信心と修行が、諸道の中の「最第一」にして「成仏の直道」であると信じるところである。
祖師にあらせられる日蓮大聖人は、宗教に詳しい日本の人々・仏教諸宗の人々ならばご存知の「四箇の格言」に代表される排他性の印象を持たれている。
先の記事で私は、その一面を取り上げつつ、「中道・和」を感じさせる教学の在り方(日蓮大聖人の法門を諸宗の亜流であると言うつもりはない)も示した。

日蓮大聖人の法門には、まず「五重の相対」という教義の判断基準があるが、そのうち「大小相対」・「実権相対」の上から見れば、先ほどの僧侶のような宗教多元主義もとい超宗派的な「正法」観は、邪義に当たる。
「大小相対」という大乗教・小乗教の区別は、大聖人御在世において問題とならないが、やはり「実権相対」において権大乗の経典と教理「爾前権教」やそれに依る宗派「権宗」については当時非常に多かったので、そういった「権宗」へ、大聖人は個々に破折されたのであった。
特に他宗派色の強い経典(浄土三部経・大日経など)は、大聖人の教説の根拠とならない場合が多い(法華経以外で主要な引用経典は大乗の大般涅槃経が有力)。このように、法華経(および大乗の大般涅槃経)を「実経・実教」とし、五時教判で法華経以前(已前)とされた大乗経典を「権経・権教」として明確に分別をし、末法では「実」の教理しか有効でないとする大聖人の法門(究極は「今末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し・ただ南無妙法蓮華経なるべし」)においては「権」のものに執着すると謗法であり、罪障を積んでしまうらしい。

ここでもう一点を付け加えると、日蓮大聖人がご教示の修行法に正確に随わねばならず、一分なりとも信心を欠かせば地獄に落ちてしまうという教説である。
「正直に方便を捨て(法華経方便品の引用)」
「但大乗経典を受持することを楽うて乃至余経の一偈をも受けざれ(法華経譬喩品の引用)」
「我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し(顕立正意抄・末文)」
「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし、何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄に堕つべし(曾谷殿御返事)」

こういった言葉を、私としては、その実際に地獄に落ちるかどうか自体を云々していると思わない。
つまり、「それほどに純粋な心(信心・求道心)で用心して挑まないと、邪心が生じて道を外れたり、折角の位を退転しちゃうよ」という「教戒(教誡・教訓)」であると私は受け止めている。
無論、そう理解した時、好き勝手に心を移ろわせてもよいわけではない。
日蓮大聖人のこういったご教示も、完璧にはこなせないかもしれないし、色々な紆余曲折や邪心もあるかもしれない中に、完璧にやり遂げようという気概は第一に尊いと思う。
完璧主義のために、少しの失敗や邪心があるごとに大きな罪悪感や背徳感を起こしてしまう潔癖症みたいな思考に陥らないよう、バランスをも保てばよい。
何事にもこういった理解や姿勢は、継続の肝心となるのではないか。
ただ、こう私が語るメンタル面の話は、管見の限り、大聖人のお言葉では未見である。



私のこうした理解も、例えば日蓮正宗・創価学会・顕正会では邪道・邪義とみなされようか。
これらの大聖人のご教示が単なる理屈や観念論ではなく、文字通りの「不惜身命」や「身軽法重・死身弘法」や「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」であるとし、その実践=折伏(彼らのいう破折屈伏・摧破調伏の意)を訴えている。
先の顕立正意抄にも「四悉檀(大智度論巻第一に言う説法の形式の4種類、悉檀"siddhānta"の原意は"成就・達成")」が挙げられ、このうちの「対治悉檀(3番目・薬が病原菌を撃退する勢いで相手の非を責める説法の形式)」のように強烈な折伏が、末法の世界で有効な手段であるそう。
それらは、哀れなる邪宗・無宗教の人々を「慈悲」によって救う精神で行うとする。
彼らの主張にも一理あるが、やはりそれは彼らの手段"Way"であり、機根低くして才覚にも乏しい私には至極困難であり、彼らを遠目に応援するだけとしておこう。

仮にも彼らと接触するだけで「勧誘される」とか「強引に入信させられる」とか「集団ストーカー被害者になる」とか「殺されちゃう」と思ってしまう人もいるであろうが、私はこの際、どうでもよく思っている。
いつも、禍福を結果論と思っているが、仏罰厳然たれば強く慚愧せねばならない。
いや、何事にも苦しみを覚え続ける私は常に自覚して反省し、改善への努力を続けねばならない。
個人的には、真諦から見た全ての現象には必ず原因があると思うも、俗諦から見れば原因は特別に挙げられないいわゆる「不条理」な現象・物事の方が断然多いため、「結果論」と思っておくことが一往は最善であるが、再往は真諦(十二因縁など)から見て全て悪しき我が生・業の果報と思う。
この真諦を踏まえて常に自覚して反省し、改善への努力を続ける姿勢は大事である。
無論、俗諦での原因も、単なる「結果論」として一顧だにしないという「思考放棄」を意味しない。
真諦の面も俗隊の面のどちらとも、しっかりと見つめて考えつつ、精神衛生上は気にしないことが修行者の道心を乱さないであろう、と言いたい。

さて、日蓮大聖人の法門は、きっと忠実に実践すれば、日蓮大聖人がご教示の果報、つまり即身成仏や一生成仏が得られるという。
まさに「如説修行」によってこそ、説の如くに果報が得られるのであろう。
ここまで引用したような多くの教説を根拠とした「如説修行」を、彼ら教団の信者は絶対的信心・急進的思想より、潔い「折伏」として展開しているであろう。
その急進的思想で革命的な布教活動・折伏闘争をする中に怨嫉や大難をも恐れず、勇猛精進をされている彼ら教団の中の信心深い人々は逞しい。
一方の私は、漸進主義を標榜し、これからも様々な思惟の中で実践の道筋が正され、いつの日かその果報に向かうことを仄かに願い続ける。

最後に、佐渡御書の「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし、我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし。」というお言葉は、こんな漸進主義で「やはらかに法華経を弘」めんとする"ヤワ"な自分を戒めた言葉であることを耳に痛く思うと同時に、そういった彼ら教団の信者のような豪胆さも尊敬できる心情を表明したく思う。
進んで入会する意思は毛頭ないが・・・。
個人主義の現代文明にあって宗教・教団のしがらみを厭う、ヤワな現代人の特にヤワな人種に属する私は、もっと彼らに見習うべき一面を覚えてならない。



起草日: 20160727 「皆正法道抄」?

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