2017年5月21日日曜日

仮名文字は仮に名付ける為に・・・さ行表記と拗音・破擦音の関係、唐音「茶(ちゃ)」の検証

すす すず 種種 すさう すざう 衆生
「種」、「衆」は現代ピンインで"zhong4"のように古代中国でも破擦音・2モーラ(日本語相当)であった
→日本は1モーラの「しゅ"shu, syu, sju"」として受容し、平仮名・片仮名は江戸時代以前に「す」と綴った


前回記事関連(承前のこと)

仮名(かな・カナ)表記で拗音表記や濁点・半濁点が無かった時代(江戸時代以前か?)、文書に「すす(すゝ、スス)」と平仮名(片仮名)で書いてある場合、人々は文脈に合わせて「しゅじゅ・種々・種種 "Shuju, Syuzyu"」と読んだろう。
私が確認した鎌倉時代の仏教の僧侶の文書・当時の書簡に、そういった仮名表記が見られる(参考: 日蓮聖人真蹟・種々物御消息、ほか日蓮大聖人御書全集 全文検索"すずの")。
僧侶自身は難しい漢字を読み書きできても、紙が不足している状態にあれば筆で緻密に書く際の視認性を考慮して仮名文字で略記するし、識字率の低い時代に読み手が一般庶民・在家信者であれば考慮して仮名文字の表記を用いる。

難しい漢語を仮名表記した例は、「ひるさな(びるしゃな・毘盧遮那)」や「すりはむとく(しゅりはんどく・修利槃特・・・""の字の中古音や韓・粤語発音は韻尾-mではないがあの時代は仮名"ん・ン"の発音と文字表記が普及していないためか)」などである。
鎌倉時代など、仮名表記が本当に「仮」という感覚で用いられた時代には、口の発音に則していない状態ではあったろうが、読み手は「すす」といった便宜的な表記から「しゅじゅ・種々」を連想したと考えてよい。
これら一部の漢字語句カナ表記における「さ=しゃ」、「す=しゅ」といった発音は口伝されて江戸時代辺りにようやく拗音表記が生まれ、現代まで漢字音の拗音読みがもたらされたと考えてよい。
明治時代になっても拗音表記が出来ていない場合、文字を文字通りのまま読む風潮が生まれ、現代にはシャ行発音が口語・俗語・方言以外では命脈を断たれていたであろう。
後述する、本来日本にあった「チ="ti"ティ、ヰ="wi"ウィ」という表記・発音が、外来語の仮名表記ために拗音表記として生み出されることが有り得るくらいであろう。

なお、「種」という字は、記事本文にある「良」のように、軟口蓋鼻音"ng, ŋ"が韻尾の漢字と同じく、2モーラ化していない「しゅ」という読み方で普及した字の一種である。
現代のピンインでは"zhong (チョン、条件によりジョン)"と書かれるよう、本当は日本でも「しょう・しゅう」という2モーラの発音がされるべきであったろう。
「良」の「ら」という読み方は、現代の国語学だとかでは正当な漢字音・呉音・漢音とみなされず、伝統的にも仏教用語などに見られないが、「種」の「しゅ(す)」という読み方は「種々」に見るよう、古い時代から正当な発音として現代まで伝わっている。

その一方、仏教用語の一部には「種子」を一般的な「しゅし」と読まず、「しゅうじ」や、「しゅじ」と読むこともある。
「しゅうじ・しゅじ」とも、軟口蓋鼻音の影響で連濁したもの(鼻音連濁・過去記事)となっている。
「しゅじ」のみならず、「種々・しゅじゅ」については、2モーラ目"う"が残らない字でも「功徳"くどく kong tok, kong dok"・恭敬"くぎょう kong kieng,  kong gieng"」のように「隠れ軟口蓋鼻音」の連濁が発生している。
このように現代では2モーラ目"う"が省かれた字でも、本来は軟口蓋鼻音の韻尾が存在し、そのために連濁したものと分析せねばならない(「何となく連濁した」とか「訛って連濁した」とか「語感をよくするために連濁した」とかという経緯ではないということ)。
※「衆(眾)」という字も、現代のピンインでは「種」と同じく"zhong (チョン、条件によりジョン)"と書かれる文字であり、また呉音も「種」と同じく「しゅ」が多く、「衆生(しゅじょう)」という場合は、やはり軟口蓋鼻音"ng, ŋ"が韻尾である影響で連濁が発生している。衆生は、「すす(現代校正: すず)」表記に則った場合「すさう (すざう、現代校正: すそう・すぞう)」となる。恵信尼消息に見られる

ほか、「ひるさな(ヒルサナ)=毘盧遮那(毘盧舍那・びるしゃな)」を例に取ったが、これについての一考も記す。
毘盧遮那とは、梵語・サンスクリット「ヴァイローチャナ"Vairocana"」の音写語句である。
弘法大師空海さん・慈覚大師円仁さん(ほかに禅僧?)など、中国に渡って中国語や梵語発音を聞いた人は、便宜上「さ」という仮名表記や相当する漢字を用いることがあっても、口頭では臨機応変に「チャ(破擦音系統)」と発音した可能性がある。
真言・陀羅尼・咒といったものの発音は、梵語の発音を知る彼らが梵語に近い発音で唱えないことは考えづらい。
現代、カタカナ表記をカタカナ表記のまま唱えれば光明真言の「ベイロシャノウ(べいろしゃのう・びろさのう・びろしゃな...)」という、「ヴァイローチャナ"Vairocana"」とは全く異なる発音をしかねないが、実際は当時の人々の間で、もっと梵語に近い発音がされていた可能性もあろう(推定: ベイロチャナ)。
後の日本国内で流布したものとしては、既に中国語や梵語といった原語の発音から遠ざかっていたかもしれないが、一部の大寺院の僧侶や、実際に大陸へ渡った僧侶は、奈良・平安・鎌倉時代の日本語にはない「チャ」の発音を「さ」に相当する仮名表記や漢字から発音していたと考えてよい。

※梵語発音の受容については過去記事(2016年12月12日投稿のもの)で「達摩・達磨"Dharma"(だつま・だるま)」を例に挙げた。http://lesbophilia.blogspot.com/2016/12/dharma-sanskrit.html



歯茎音グループの仮名表記における関連性

さ行=歯茎摩擦音 "s, z"
た行=歯茎破裂音 "t, d"
しゃ行(古来仮定さ行)=歯茎硬口蓋摩擦音など "sh (ɕ, ピンイン: x)"
ちゃ行(古来仮定さ行)=歯茎硬口蓋破擦音など "ch (ピンイン: j, q, zh)"
その他・・・つぁ行=歯茎破擦音 "ts"、中国音韻ではちゃ行"ch"の祖である場合がある

文字とは記号であり、仮名"kana"とは読んで字のごとく仮の表記である。
当時においては「文脈や話の脈絡から機敏に異なる発音を選んでいた」と、古人に対する信仰心も相俟っているので、こう推量している私である。
「チャ」の発音について、いくらか古い時代の日本には民間的にされなかった可能性を示唆したが、例えば「」の「ちゃ」という音は、いわゆる唐音(唐宋音)という、中国が唐そのものでなく宋や元である時代以後、日本に伝来したものと見る(日本Wiktionaryの人が閲覧した辞書は慣用音として載せているが編纂者・学者の浅い見解や未完成の学説によるか)。
それ以前の時代の中国に「ちゃ"cha"」発音がある場合は、唐音表記とされる「さ」に通じている。
いいや、この「さ」に相当する仮名表記・表音漢字が古文献に載っているのであり、先述の通り、当時の人々はその表記を頼りに「チャ"cha"」の発音をしていたと理解すべきである。
「ひるさな=毘盧遮那=梵語のヴァイローチャナ"Vairocana"」といった例など、証明する根拠は極めて多い(なにせ仮名の拗音表記が無い時代だもの!)。
「遮断する」の「遮」という字も、現代日本では「しゃ」と発音しているが、中国語・広東語・朝鮮語など、みな"ch"系発音であり、"sh"系発音が全く見られないことから推して知るべきである。

」の字の話に戻すが、「茶」が頭子音"t, d"の発音の時代(現代中国でも閩南語"te"など方言に残る)においては「だ(漢音)・じゃ(呉音・歴史的仮名遣いは"ぢゃ"なので現代的に"でゃ dya, dia"と表記すべき発音である)」として伝来したようである。
英語"tea"の語源としての「茶」は、"cha"でないし、"さ・sa"であるはずは到底有り得ない。
「茶」が頭子音"t, d"の発音の時代はあり、かなり古層であろうが、そこから歯茎破擦音系統"ts・つぁ"および"ch (ピンイン: j, q, zh)・ちゃ"に変化したということが転訛の法則からして理に適う。
後にどう変化しても日本に頭子音"s"発音で伝来することは無いと考えるべきである。
※禅僧などがある時期に中国の一部地域を往来した際、その時その場のみが茶を"s"で発音することも無い。唐宋音、鎌倉時代のものはどうか・どのような文献に記録が有るかは不明である。例えば12世紀に入宋した栄西さんによる「喫茶養生記(通称の読み: きっさようじょうき)」の19世紀の写本に「हूं ウン("hūṃ"吽・フーム)」の梵字・カナ表記などがあっても、「茶」の字音表記は見られない。以後の項目に「一茶名字(一に茶の名字)」として爾雅が引用されるが、言葉や植物の説明が主要であり、反切などの音韻・字音への言及は無い。

」という字が上古音・中古音では"t"行発音であった説が多く、現代日本の「ちゅう"chu"」、現代中国の「チョン"zhong"」、現代韓国の「チュン"jung, chung"」と発音される原型は字音仮名遣い「ちう"tiu = ting, tiŋ"」であり、バクスター・サガール式(以下、BS)でも鄭張式でも王力式でも/*truŋ/, /*tuŋ/, /ȶĭuŋ/として"t"系の字が用いられる通りである(という字も全く同じ頭子音の変化が生じた)。
字音仮名遣い「ちう・チウ」とは、現代のカナ発音を考慮して表記し直すと「ティウ」である。
よって、もし1000年前の日本人が「ロマンチック」や「ビルヂング」という表記と見たらば、小さいツやチの濁点を理解させれば必ず「ロマンティック」や「ビルディング」と英語に近い発音をしたであろうと言える。
「チ"chi, tsi"」、「ヂ"zi, dzi, dji"」、「ツ"tsu"」、「ヅ"zu, dzu"」といった発音は転訛の一種であり、江戸時代~昭和時代に成立したであろうかと思う。
西洋言語で例えると、ラテン語"gratia"が古典発音のグラーティアでなく、俗語・教会発音のグラツィアであるようなものである(教会発音は聖歌Veni Creator Spiritusの音声で聴かれる)。

※"ts, ch"等の歯茎破擦音のさ行表記の例として、「(淸、呉音しょう、漢音せい)」という字は唐音で「しん"shin"」というが、現代中国語では「チン"qing, ching"」であり、これも伝来時の唐音は「しん」と表記したとして実際は"chin"発音だったろう。「日清(にっしん)」とか江戸期前後に禅宗系が伝えた「清規(しんぎ)」なども、"shin"発音や"sin"発音がされるはずは無く、"chin (元はching)"発音である。明治のころに日本に名がはっきりと伝わった「青島(青は清の字の音符)」が"チンタオ"と仮名表記されたことは、近代化によって正しく伝わった点と、た行い段の「ち」が"ti, tsi"から既に大方"chi"に移行したためである。「清」の字もまた上古音・中古音では"t"発音であった説が多く、鄭張式が"s"発音ではあるが、現代中国・朝鮮・ベトナム発音に"s"発音が無い通り、少なくとも唐音は、ツィン・チン"tsin, chin"として伝来して「しん」を仮名に当てたろう。

辞書に載るとされる「さ」という唐音表記は、やはり「記号」として古人がスペリングしたものであり、まさに「仮名(kanaならぬケミョウでもよい・仏教思考と同じで浅い物事を頼りに深い物事ひいては実相を知る)」である。
例えば「小林一茶(こばやしいっさ・1763-1828)」という江戸時代の文人・俳人がいるが、彼が実在した時代に「いっさ"issa"」という発音が実際にされたとは考えづらいし、実際にされたとしても、「茶」という漢字が「さ」と仮名表記されても、そのような発音を伝来して表記を考案した人と周囲の人間・同時代の人々は「チャ」と発音していたと考えられる。
無論、「小林一茶」という人物がいた時代の知識人たちが、「チャ」発音並びに「いっちゃ"iccha, itcha"」という呼び方をしていたかは不明である。
江戸時代中期・後期となっても、そのように正統な「チャ」発音が口伝されていたか、当時の国学などの文献は未検証であり、判断が困難である。
江戸時代中期・後期は「日本語の乱れ」が顕著化してきた時代であるし、「小林一茶」という人物は当時から「いっさ"issa"」と呼ばれてもおかしくなかろうし、かえって「いっちゃ"iccha"」と読むことが「慣用音・転訛・百姓読み」と笑われる可能性が高い。



別件

中古音・上古音・広東語などで鼻濁音・軟口蓋鼻音"ng, ŋ"が頭子音(韻頭)となっている漢字音の受容に関し、当メモ起草の前日である3月10日に少し考えたことがあるので、記したい。
この漢字の例は「我・義・呉(誤)・原(願)・厳・崖・言・吾(語)」などがある。
いずれも、現代中国の普通話・ピンインでは頭子音が"-w"や"-y"に変わり、そもそも頭子音がない例「崖"ai"(癌"ai"という中国の現代医療における発音の由来でもある字)」などもあるように、すっかり別物に変質している。

 = wo (nga)  = yi (ngi)
呉() = wu (ngu, nga)  = yuan (ngan)
厳() = yan (ngam)  = ai (nge, またはngre)
 = yue (ngat)  = ye (ngap)
 = yu (ngrok)  言語 = yan yu (ngien'ngio, またはngan'nga)
※軟口蓋鼻音のIPA記号"ŋ"は環境依存文字である点を考慮して"ng"に置き換えた。介音として用いられる"r"は"i, j, y"系統と同じような作用か、ふるえ音もどきの作用があろう。

これは韓国語・朝鮮語においても同じ現象が見られる(漢字音の伝来時からかは不明)。
ベトナム語は、ローマ字表記を見る限り、いずれの字音もしっかりと鼻濁音が残っている。
一方、日本では、いずれも頭子音が"g"であり、ガ行発音(現代は鼻濁音で発する世代と発しない世代が混在)のみで残っている。
これら頭子音"ng"漢字の伝来当時は、鼻濁音・軟口蓋鼻音(カ゚行・半濁音のカ)が専らに用いられ、カ行の濁音として発声するガ行発音とは区別されたと推定する。
よく言われる、伝来当時と推定される上代・古代の日本語は、特定条件による連濁しか濁音が発声されないためであり、鼻濁音"ng"は漢字音のために使い、連濁由来のガ行発音"g"とは区別していたという理由がある。

そして気付くことは、中古音などで、頭子音を軟口蓋破裂音の類"k, g"と発音し得た漢字が、やはり日本漢字音でも、カ行とガ行の清音・濁音の別が共に発音(仮名表記)されている。
現代のピンインにおいて頭子音が軟口蓋破裂音の類の漢字は、"k, g"のみならず"j, q"といった表記が見られる。
鼻濁音グループの漢字「我・義・呉(誤)・原(願)・厳・崖・言・吾(語)」の発音と、軟口蓋破裂音類グループの漢字の連濁などの条件で濁音化した漢字「(主に仏教)歓喜(かんぎ)・三界(さんがい)」について、現代の日本人は一様に、アナウンサーだとか高齢者と言われる人が鼻濁音"ŋ"で発するか、若い世代と言われる人が有声軟口蓋破裂音"g"で発するだろうが、元の漢字音はかなり別物として区別できる。



また、現代のピンインにおいてガ行・カ行発音でも特殊なグループは「幻・玄・古」などの字である。
なぜ日本語ではガ行・カ行発音となっているか、解明しよう。
「幻」は、現代のピンインにおいて"huan (粤: waan)"など摩擦音の子音(h, w)で綴るが、上古音などでは"g (鄭張: gren)"が頭子音であると推定されている。

「玄」は、頭子音"h"が韓国語"hyeon"やベトナム語"huyen"に見られるのに対し、現代ピンインにおいて"xuan (粤: jyun)"となるよう、"x"が頭子音という謎の変化を遂げている。
上古音などでは、やはり"g (BS: gin, 鄭張: geen)"である。
ピンインで頭子音"x"は、口頭だと"sh"シャ行発音(厳密には歯茎硬口蓋摩擦音)に似るが、本来"hs (ウェード式のローマ字)"という綴りもできたものであり、実際に中国音韻の変化法則からも"sh"よりは"hs"の方が合理的である。
それをピンインで"hs"でも"sh"でもなく"x"と綴っているが、この"h"は軟口蓋摩擦音(日本では声門摩擦音)の流れからして軟口蓋破裂音"k"と親和性があり、「夏(カ)」が現代中国普通話カナ表記で「シア」と呼ばれるピンイン"xia"であるように、"ka→ha→hsa, sha, xa→xia"という音韻変化が想定される。
あるいはX字形の文字としてキリル文字の"Х(ハー)"の音価が"h, f"に通じており、ギリシャ文字"Χ(カイ)"においては"kh (古代にk有気音)"→軟口蓋摩擦音である。
ラテン文字で"x"といえばエックス・エクスな文字であるが、その場合の源流はキリル"Х"・ギリシャ"Χ"ではなく、ギリシャ文字の"Ξ, ξ(グザイ・クサイ・クシー)"であり、音価は"ks"である。
これらの要素により、"ks"を"hs"に変えてピンインでも"x→ks→hs"といった関連付けができる。
話が逸れたが、こういった文字・音韻理論の観点で「夏」に関しては"hsia"と綴るべきであり、"玄"も"xuan"ではなく"hsuan"の方が、「幻"huan"」と同じ頭子音"g"音が由来であると推定しやすくなる。

ピンイン作者(周有光氏は2017年に111歳でお亡くなりになった)は、つくづく、不可解な発想をしたように思う(そもそも"Pinyin"という表記が「拼」という字の并という音符の韻尾"-ng"に相違して"g"を省くという過失がある・今は既成事実化してみな"ping"より"pin"と発されていよう)。
ピンインで頭子音"x"のものは、「玄・シェン"xuan"」のような説明がつけられるものが多いとよいが、先例の「夏"xia"」のみならず「小"xiao"」など、上古音・中古音時代が単なる"s"や"sh (sy, sj, si...)"だったものも多く混ざっており、古い音の想定に不向きで、理に適っていない。
頭子音"x"で"sh"発音とは、外国語圏からしても、奇怪な翻字・転写の手法だと思われよう。
あえて共産主義・合理主義・効率重視のために二重子音を嫌うならば、"zh"という奇怪な二重子音表記も無くして"q (ピンインではchと似た発音)"に統合すべきだったろうに、と思う。
話を戻そう。

「古」は、現代のピンインにおいて"gu, ku"と綴られるが、どういうわけか、これを音符に含めている「」については現代のピンインにおいて"hu (粤: wu)"と綴られるような発音に変化している(これは実際に"h"発音という裏付けが胡徳"Hood"や聖胡安"San Juanサンフアン"という語句にある)。
しかし、上古音で「胡」は言うまでもなく"g (BS・鄭張: ga)"が頭子音であると推定されている。
※「胡」が頭子音"g"と推定するのに「古」の方は"k (BS・鄭張: ka)"が頭子音と推定している。

この形成文字の「胡"hu (粤: wu)"」と音符の「古"gu"」の関係と似ている漢字の例として、会意形成文字の「"han (粤: ham)"」と音符の「今"jin (粤: gam)"」が挙げられる。
頭子音"h"が後の時代の訛りである例を、「胡」と「古」の関係や「含」と「今」の関係に検証した。上古音や中古音の学説を確認する前から、過去記事でも記したように梵語の音写「阿含・アーガマ"āgama"」や「阿那含・アナーガーミ"anāgāmi"」などに見られる通り、いくらか古い時代の中国で頭子音が今の"h (粤語w)"ではなく、"g"や"k"であると想像が付く。

ところで、当該記事に「好・海・韓(漢)」など、日本の呉音・漢音で頭子音"k"(カ行発音)として現代に伝わる漢字の一部は、古くから大陸で"h"であって上代・古代日本にその音韻が無かった学説に対比して記した(今のハ行は中世にファ行とか上代・古代にパ行と言われ、実際に朝鮮語や中古音の"p, b"という両唇破裂音類の漢字がみな現代はハ行・連濁バ行・連濁パ行で発せられている)。
もしかしたらば、これら"h"発音の「好・海・韓(漢)」が伝来した当初の日本人は自分たちに無いながらも漢字音のために"h"発音をしていた可能性もある。
そう仮定すれば、万葉仮名や後のひらがな・カタカナなどが用いられる時代には、「好・海・韓(漢)」などへの"h"発音を再び失っていたと考えられよう。
日本の中では、ごく一部の者が、大陸に渡ったり、大陸の人間と交渉する時のみ発音したろう。
※阿弥陀仏・観音菩薩の種子にキリーク(キリとも)というものがあるが、元の梵字によるラテン文字IASTは"hrīḥ"であり大日経の茶吉尼ダーキニーの真言にも摩訶"mahā"の訶"ha"を用いて「訶唎訶(厳密には訶二合で去声・長音・上声といった発音の特徴が示される)」がある。日本の過去の真言僧はキリークと書いて"hrīḥ"やह्रीः(デーヴァナーガリー表記)相当の発音をしたろうか?弘法大師サマの肉声相承はどこまで続いたか?



起草日: 20170311

当記事は、元々「日本語カナ読みと漢字音韻の雑なメモ」と題して5月10日投稿記事の後書き以後に載せるつもりでいた。
しかし、その記事が投稿される以前の2017年4月9日、内容が充実してきたり、別個の価値を感じられた経緯から、今回の記事として独立させる案を決定した。



後年の追記:拼音、ピンインは音韻的な区別ができるようにしたうえで、英語で用いられる ABC ... WXYZ ラテン文字のみで母音と子音を表記できるようにしており、なおかつダイアクリティカルマークで声調、トーン、四声を示すが、初期のコンピューター文字コードにない環境依存文字になることを回避して数字が代用できるなどしている。



2017年5月10日水曜日

自分で使用を制限するが他者の使用には寛容な文法(慣用性の許容)

世間に言うところの、単語の誤用や誤文法や漢字の誤読について少し思考を深めてみると「必ずしもそうではないのではないか」という違和感が生じる。
その中には、「文法の究極」に近づく過程で「誤りではない」と分析できるものも多い。
それが分かっても、世間での慣用性の観点に頼って自ら用いることはしない私であるが、他者のそういった用法に対しては寛容になろう。

以下から様々な「世間で言われる誤用・誤文法・誤読」の例を挙げて反証してみたい。
「世間で言われる誤用・誤文法・誤読」を気にしないで用いる人も、「世間で言われる誤用・誤文法・誤読」に目くじらを立てる人も、私の、そういった賢愚を超越した理解に通じてもらいたく思う。
また、私自身は表題に「自分で使用を制限する」とある通り、当ブログをはじめとした文章類で用いることは無かろうが、他人が使用することを問題視せずにもいられる。
私自身がブログで用いない文法・表現は2015年にも少し、理論と合わせて説明した経験がある。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/2015.html



1. 「○○い(形容詞)です」、「○○(形容詞の語根)かったです」

近現代の国語の文法において「楽しいです(楽しかったです)」、「無いです(無かったです)」という表現は正当でなくも、「許容する文法」の範疇にあるとされる。
第1期・国語審議会(昭和27年・1952年) 「これからの敬語」
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/01/tosin06/

その文法の判断基準から、上の例を正しく置き換えれば「楽しく思います・楽しう(楽しゅう)ございます」とか、「無い様子です・ありません」と、煩雑なものになる。
また、「楽しい」の語根を取り出して表現を置き換えて「楽しむです(楽しんだです)」とか、「無い」の対義語で「有るです(有ったです)」とすれば、誰しも「何かの冗談か?」、「そういう口調のキャラか?(役割語か?)」と可笑しく感じよう。
しかし、この「楽しいです(楽しかったです)」、「無いです(無かった)」という表現は、古文法から見れば何ら誤りは生じない。
「近現代の国語の文法」とか、近現代の経緯からして新しい表現が「○○い(形容詞)です」であるのであり、より理論的な日本語の文法と精神性とを観察すれば、この問題は「幻影」と分かる。

※ここでは哲学的に「そもそも『誤りだ』云々なんて恣意的な価値判断がそもそも誤謬だ」といった論題から外れる論難は控えておく。自然言語の「性質という名の無性質」から言えば、絶対的な「理論」や「文法」およびそれに伴う「乱れ」は、みな存在しないものだが、一応、現代の合理思考で綺麗に整っている必要のある理論・文法の範疇で考証する。

「無い-」とは、古文・文語文でいえば「無し(終止形)」という形容詞の、連体形「無き-」に「イ音便(ここではk発音の欠落)」が発生した形である。
つまり「無い」とは「無し(文語体終止形)→無き(文語体連体形)→無い(イ音便連体形・現代口語では終止形にもなる)」という変化を伴っている。
「楽しい-」にしても「楽し(終止形)・楽しき-(連体形)」で捉えてもらおう。

古文では「無きなり」という表現があり、現代語に直訳すれば「無いである」とか、敬語では「無いです」となるわけ。
古文として「無いです(無し・にて・あります→無きであります→無きです→無いです)」を捉えると、「無きなり(平安期の敬語"無きにてはべる"・中世以後の敬語"無く御座候")」と同じ構造となる。
この「無きなり」など、形容詞の連体形に「です・である・なり」を後続する際、実は「もの・こと・の・とき・ところ・ころといった「準体助詞」の介在を想定している。
「無いです」であれば、「無い〈の〉です」、「無い〈ところ〉です」、「無き〈もの〉であります!」のように準体助詞を挿入することができる。
また、「準体」という「体言に準ずるもの」は拡大すれば、あらゆる名詞が該当する。
それはすなわち、「(目当ての物事が)無い〈様子〉です」、「(指された物事が)無い〈状態〉です」、「(何らかの物事が)無い〈場所〉です」と表現できる。
この形式が少し乱れた例を挙げれば、「嬉しい〈限り〉です」とか「〈それが〉正しい〈と思い〉ます」のように語句を挿入したり改変する言葉を列ねる。
しかし、口語でこう言っても「無くございます・のうございます」のように冗長な印象があるから、一般人はそう言うべきでないのであろうし、逐一意識する人・念入りな人は稀である。

※煩雑な言葉・冗漫な表現など、効率重視の現代人もとい精神的な余裕に価値を感じない現代にあっては、「無用」として笑われる。まあ、それは、現代の「ある領域」が多く占めているからであり、残りの領域では尊重されているわけだが。「ある領域(この場所であってこの場所でないこの場所)」においては「無用」に尽きようか。しかも、「無いです」などのシンプルな表現は、「賢げな人らしさ」も無くて謙虚である。

「(前の出来事により)楽しい〈気分〉です」とか「(目当ての物事が)無い〈様子〉です」という表現には、具体的な語句が含まれずとも、その人が言葉を発した経緯や前後の文脈などから、具体性が感じ取られるし、言葉とは、その相対性を重んじるものである。
それで、言葉足らずであっても概観や人の心が伝わることも多い。
結局のところ、文法的に正しかろうと誤っていようと、真に賢い人は気にする領域でない。
しかし、真に賢い人だからこそ、こうして分析した結果として「物事の正誤の価値判断」が空虚なものであると知り、執着を離れるのであろう。
仏道・仏教徒もまた、そういった思惟を経て心身に無執着の境地を「得る"わけ"である」。

得るである。得る〈の〉である。得る〈わけ〉である。得る〈道理〉である。
→、→、→、と具体的な言葉の「潜在」を見よう。

「無いです」の話でも、深い思索ができたように、仏教徒は「何事も本当はどうでもよい」と考えるが、その結論のために深く検討してこそ「どうでもよい」という無執着に至ろうとする。
「どうでもよい」という判断は、深い思考の結果・結論である。
「どうでもよい」という見解が努力なくして得られることは、慢心や面倒さという悪い精神に起因しており、仏を仰ぐ存在としての仏教徒の理念とは明らかに異なる(面倒さを体現した怠惰な人生の究極も一つの安楽であって差別すべきでないが仏教徒としては理想的でない)。
一応、いまだ、こういった文法に関する思索を欠いている人は、自分一人のために色々と考え込んで結果を「求めてもらいたく思う」。

(私があなたにそのことを行って)もらいたいです。もらいたきです。もらいたい〈気持ち〉です。
もらいたく思います。もらいとうございます。もろともーわ(究極の関西弁)。



2. 二重表現(重言・重複表現・ほか二重敬語など)

「二重表現」についての話題は過去記事にもある。
2015年9月24日の記事(起草は同月19日)に「助詞"は"」や、「準体助詞(準体言助詞、体言のような作用がある助詞)"の(もの・こと等)"」の重複に気を付けることを語った。
今回は「熟語(漢語としての考察)」の意義から考えてみたい。
以下に、短文の例を示し、煩多な説明によって二重表現の許容を主張しよう。

「その見解は、こういった理由によるものであった」という一文のどこに二重表現が含まれるか?
「理由による」の「よる」とは、どう漢字に変換すべきか?
多くのケースは「依る」が浮かぶであろうが、文脈によっては「因る」と綴る場合もあろう。
「理由に依る、理由に因る」・・・かっこよい表現であろうか?字義から違和感はあろうか?

しかし、「理由」の「由」という漢字そのものが、漢文では「由る」と読み下しをされる場合も多い(例: ○○に由りて××と為す)。
単語情報の多いIMEで「よる」を変換すると、「由る」が出てくる。
「由」の字義としても、現代用いられる熟語に「経由」とか「由来」などがあるよう、上の一文における「よる」の意味合いを含んだ字であると分かる(由緒という意味合いの"よし"という名詞もある)。
つまり、「理由による("理由=理に由ること・理が由ること・理のよし"による)」という表現は、二重表現であると疑われる。
二重表現の恐れを回避する場合、文末表現では「・・・理由がある」と綴るべきであり、文中表現では「・・・理由の、・・・理由で」などし、「よる」を加えなくとも意味は足りよう(慣用性を重んじる場合・聴く者の理解力を考慮する場合は"理由による・理由によって"という表現のままでもよい)。

「理由による」と似た表現は「根拠による」である。
根拠の「拠」とは、証拠の「拠」でもあるが、この字もまた「拠る」などと「よる」の意義と読みとが与えられている。
さて、ここで色々と「○○による」という表現を思索するが、私は面白い表現の例が浮かんだ。
漢文の話を先にしたが、漢語に訳された仏教のお経や論文(漢訳経典)に「因縁による」というような表現が散見される。
これは漢文に戻すと「因因縁(因縁に因る)」の場合は多い(ただし因因縁という文字列自体は別々の分の尾と頭が接しただけで意味が通じず、実際は因此因縁因是因縁というようなものとなる)。
「因縁」とは、「因」も「縁」も、「依・由・拠」といった字のように「よる」と読み下しができる。
そういえば、私の自著である「觀萌私記」には「因る・縁る(緣る)・依る」という3種の「よる」の使い分けがあった。

依る → 末・讃萌語「萌義に依りて能く二三の別を滅す」
因る → 萌義條脚注「因緣所生の萌心に因りて瞋恚の~」
縁る(緣る) → 末・讃萌語「萌色の因・觀萌の緣に緣りて~」

「因縁」という単語自体を読み下すと、動詞としては「縁(えにし・よること)に因る」とか「縁に因(ちな)む」となり、名詞としては「因(よること)と縁」や「因縁」そのままの形などが挙げられる。
もしそういった訓読を行う場合、その意味は、前後の文脈に依存するか、そもそも、そういった訓読自体が前後の文脈に従ってなされるであろう。
例えば「何因縁」という文字列がある場合は「何の縁に因りて~」と読むよりも「なんの(いかなる)因縁ありて~」と「何」の字が「係り結び」のような作用を持って「因縁」は単一の名詞として読まれる。
※「何因縁」という漢語経文に梵語・サンスクリット語の原典がある場合は、"kena hetunā (またはkenā...)"となる。二単語は、いずれも「何"kaḥ"によって~」「因"hetu"によって~」という具格"instrumental case"表現である。"kena hetunā"を日本語でいえば「何の因によって」となるが、それを漢文に戻すならば「縁何因」や「何縁因」となろう。いずれにしても、梵語の観点では、具格の「-によって~ (短縮形: -で~ ※"~において"短縮の"で"は処格と区別される※)」表現と、「因"hetu" (原因)」とが区別し得る。この具格を日本語で置き換える際は「因る・縁る」といった漢字をあてるべきでない。漢文の「由る(主に目的語が付随して"~に由り")」は「~より(漢文では従り)」の意味が強くなりやすく、その場合は具格よりも従格(または奪格と呼ぶ)"ablative case"の意味合いとなる。ほか、以何因縁」というときの「以、-を以て~」も"kena..."具格由来である。

何にせよ、「因因縁(因縁に因る)」というような、名実ともに(字面も意義も)二重表現となっている表現が伝統的に用いられている。
であれば、現代においても二重表現は便宜上用いて可であるという、心の余裕が生まれた。
この事実を知る人々は、自分の中では二重表現を許容して他者へめくじらを立てずに済む。
無論、人に正しい文法とか正しい国語知識を教えてゆきたいという人は、慣用性・寛容などの理解に立って配慮しながら人の誤りを指摘すればよい。

言語学的知識やただの文献考証ではあるが、よく知った情報が、心を解す因子となる。
私の学びは、知的興味や知的欲求の満足のみならず、結果的な心の安楽を望むためでもある。
ただし、物事は知っても知れ切れず、内容を問わなければ無限大に物事があり、取りようには無限大を掛け直したほどの情報が成立する(自分の抜け毛1本を構成する細胞の個数すら数えきれず宇宙の星々は恒星から小惑星まで把握しきれない)。
学べば学ぶほど底なしに限界(視野)が広がっていく道理を、研鑽のみでは確実に覚りきれず、底なし沼のような研鑽が今なおも続いて止まない認識があるので、仏道修行も兼修せねばならない。
誰しも足元の虫に気づかず道を歩くように、情報は取捨選択されるか、そもそも認知されない情報も多く、本来、五感と心とを人間が具有しないならば、万物いかなるものも認知されない。
学問研鑽と仏道修行という、この両翼は、どのような場所へ我が身を運び行くであろうか?

※二重敬語の話は過去記事にあると思って引用したかったが、期待するものが見当たらない。替わりの記事で満足していただきたい。2014年11月30日「慇懃な敬語をエロ方面に用いる試み



3. 呉音と漢音と慣用音(百姓読み)

漢字の音韻・字音に関する話は過去記事で甚だ多く語ってきた(主に当ブログ「国語」カテゴリの記事)ので、今回は必要な情報に絞り込んで記す。

一つ面白い単語の例を挙げると「一反木綿(いったんもめん)」がある。
「一(いっ)」は、「一(いち・いつ)」の促音便である。
「反(たん)」は、「一(いち・いつ・yit)」の影響を受けて「反(はん・ふぁん・pan, phan, han)」が変化した連声の法則を表す(こんにちは→こんにった連声理論だが当時の音韻では"こんにっぱ・いっぱん"の方が正しい気もする)。
「一反(いったん)」をローマ字にすれば、"ittan, it-tan"とするよりも、"itthan, it-than"とする方が理論的であるが、実際に"itthan イッタン(イッㇳハン)"と東南アジア・インド諸語や古代ギリシャ語におけるθ(th) φ(ph) χ(kh)字の「有気音(帯気音)」みたいに発音する日本語話者は、この読みが成立した時代にいたか不明である。
「木(も)」は、「木(もく・mok)」という本来の音のうち、古い中国では「入声音」と呼ばれた音の脱落が現れている(mok→moku→mo -ku)。
「綿(めん・men、中国ではmien, mian)」は、唯一、変化の影響を受けていない。

言語とは、人の口で伝わった歴史が長く、漢字はアルファベット・ブラーフミー(梵字)系などの音素を表す表音文字(音素文字)と比べて音韻が変わりやすい。
漢字に関しては漢や秦の時代以後、「説文解字」などの音韻を示した辞書・韻書が多く著(あらわ)されてきたので、一定の連続性は把握できる(現代中国の普通話と多くの方言は入声音-p, -t, -kを失ったが抑揚に名残がある?)。

日本語の漢字音は、上代や古代では多くの場合に2モーラ目となるべき音を省いた様子がある。
ここでの「モーラ(拍)」という発音の単位は、「仮名(カナ・かな)」の表記法に従って認識する。
地名に「良」という字が「ら」と発音される例が多く見られることは好例である。
良の「ら」という読み方は、伝来当時の中国語でlangやrang (raŋ)の音であって「ラウ・ロウ」という日本呉音読みの元ともなっており、後に/i/が介してliangとかriang (ljang)の音となって日本漢音読みでは「リヤウ・リョウ」と伝わる。

同じように地名にはこういった「2モーラ目となるべき音を省いた読み」が多い。
それらは最初から省いた音として1500年ほど前の当時の日本人が受け取ったのか、何らかの事情や地名表記の便宜上に省いたのか、事実は判然としない。
「2モーラ目となるべき音を省いた読み」の例としては、著名なものが「能登の能"nong (-ng)"("tong"もng省き)」や、「安芸・安房の安"an (n省き)"」や、「安房の房"bō, bou←bau←bang, pang (古代中国) = fang (現代中国)→wang (ng省き)"」である。
呉音を用いる仏教用語にも「功徳・くどく(kong (-ng) tok)」とか「恭敬・くぎょう(kong (-ng) keng)」とか「奉行・ぶぎょう(pong (-ng) giang)」とか「所作・しょさ(sio sak (-k))」と、何らかの字が1モーラ化している(という字は入声音"-k"の有無で意味が変わるタイプの字であり一切の""も同様であり上代日本の1モーラ化法則と異なる)。
これらの漢字が地名表記の読み方で用いられる場合は、古い日本語の音への当て字であり、「良」という字であれば「よい"good"」という意味合いは伴っていない。

ここまでに挙げた単語で省かれた2モーラ目は「良(lang)・能(nong)・功(kong)・恭(kong)」に見る"ng"が多い。
この"ng"とは、過去に幾度と語った軟口蓋鼻音"IPA: ŋ"という子音の一種であり、ここでは韻尾(字音の尾)となって2モーラ目に当たる。
古い地名に用いられた漢字で韻尾が"ng"のものは、「相模の相"sang"」や「武蔵・蔵王の蔵"zang"」がある。
相模の「相」場合は"sang - ng = sa"に助詞"が"を介して「模"mo, 転訛でmi?"」を連ねたというよりも、"sang"の"ng"に別の母音がついて"sanga, saga"となって「模」を連ねて"sagami"というような日本の地名に当て字として用いられたようである。
武蔵の「蔵」の場合は"zang"が不思議な変化をして"sashi"の当て字となったのであろうが、これは略説すると、様々な言語(中国漢字音韻・インド周辺諸言語音韻)に見られる法則を無理やり詰め込んで適用すれば"zang→sang→say→sash→sashi(当時であればsasiとも)"というような関連付けができ、当て字として用いる違和感は薄いと私が思う。
蔵王の「蔵」は先の「良(lang)・能(nong)・功(kong)・恭(kong)」と同様であるため、説明しない。

とりあえず、ここでは漢字の音読みについて、様々な条件で一般認知と変化することが有り得る例を煩瑣ながらにも示しておきたかった。
こういった理解に着けば、思考が慎重となり、人に難癖をつける発想が減ると思われる。
こういった知識を蓄える私は、何事に対しても、例外的な可能性・問題性を排除しない。



1・2・3と、このような説明をした通り、日本語や諸言語に関して様々な疑問と検討と調査と思考とを重ね続ける私が、言葉遣いに関して一応の通俗的な正誤を論じられつつ、真には過度な執着を抑えてもらうことを人々に望んでいる。
いわゆる知ったかぶりの人が、インターネットに跳梁跋扈しているとして、国語学者さんとかがインターネットの知ったかぶりの若者などを「ニワカ知識の未熟者である」と論難しても、お笑い種である。
「未熟者VS学者」という、幼稚な意見の対立を離れ、慎重な検討を心掛ければよい。
どこまでも自己の人格の完成というか、仏道に則り、このような思索を発信してゆく私である。
このような思索は仏道に基づき、仏道に資することとなろうし、人々を仏道に導くであろう。
仏道の信条があってもなくても、私自身が今までの人生を通して自然と行ってきていたし、今は仏法に値遇したから仏の仮設エッセンスを得ている。
今までの人生の中の思考や言動や受動的経験自体が、仏道に自ら導いていたと自覚することは、大きな喜びにほかならない。



起草日: 20170219

当記事では、いくつかの例を挙げることにより、表題のような「自分で使用を制限するが他者の使用には寛容」という精神を示した。
人には自己の執着・我執というもの(仏教でいえば末那識)があり、その我執により、自身の浮かべた言葉にも愛着が生じる。
しかし、整然とした文章を以て他人に伝えたいならば、これを切り離す必要もある。
切り離しすぎては無機質だから、残すべきものは残そう。
種々に検討する時間と心の余裕は必要だが、そんな時間と心の余裕のある人は多くなく・・・、これ以上に話を逸らすべきでない。

とりあえず、自分の文章に厳しく、他人の文章にも厳しくあれば菩薩として勇ましいし、他人に直接、または遠まわしでも教えてゆくべきであろう。
しかし、実際の世間で他人の乱文に目くじらを立て、気を損ねては、自分の心が維持されなくなる。
ここに、他者への寛容性を考慮すべきである。
この寛容性は、文法の場合、深長な考察による妥当性と、普遍的な慣用性とによって成立する。
前者「妥当性」は、1章における「無いです」が古文「無きなり」と同じであるから現代国語と古語とを同一視した際に正当な表現である、とした見解に当たる。
つまり、正当な表現であるという確かな根拠が、深い検討の結果に得られたものを指す。
後者「慣用性」は、2章における「どうでもよい」という見解に当たる。
つまり、深く検討しても妥当な根拠が見当たらないものの、一応、意味が通用するならば問題が無いものを指す。

様々な話をしたが、言葉にも仏教の教理が表れていよう。
どう気付くか、自覚の問題である。
他人の文章から何らかの問題を感じ取り、なおかつ、自分もひとごとではないと自覚・反省する展開が重要である。
思えば、私の人生はいつもこのようであり、仏教が増長した。
「私の人生は~」という表現は、脳裏に他者がを想定しており、私の人生を素晴らしいと思う場合、脳裏に他者の人生を卑下していることとなる。
ああ、「私の人生」という虚妄の我執と、我執が生む所の慢心とを除くべきであろう。
ああ、慢心とはいうが、本当にそれは私の所有物か?言葉はきりが無い。



「日本語カナ読みと漢字音韻の雑なメモ」として、2017年3月11日から記し始めたものは、4月9日に分離独立案を立てた。
そちらの記事は、追って投稿する。

http://lesbophilia.blogspot.com/2017/05/kana-transcripiton.html

以下、一部引用

仮名表記で拗音表記や濁点・半濁点が無かった時代(江戸時代以前か?)、文書に「すす(すゝ、スス)」と平仮名(片仮名)で書いてある場合、人々は文脈に合わせて「しゅじゅ・種々・種種 "Shuju, Syuzyu"」と読んだろう。
私が確認した鎌倉時代の仏教の僧侶の文書・当時の書簡に、そういった仮名表記が見られる(参考: 日蓮聖人真蹟・種々物御消息、ほか日蓮大聖人御書全集 全文検索"すずの")。
僧侶自身は難しい漢字を読み書きできても、紙が不足している状態にあれば筆で緻密に書く際の視認性を考慮して仮名文字で略記するし、識字率の低い時代に読み手が一般庶民・在家信者であれば考慮して仮名文字の表記を用いる。

難しい漢語を仮名表記した例は、「ひるさな(びるしゃな・毘盧遮那)」や「すりはむとく(しゅりはんどく・修利槃特・・・""の字の中古音や韓・粤語発音は韻尾-mではないがあの時代は仮名"ん・ン"の発音と文字表記が普及していないか?または文書をテキスト化して出版した人物の校正の影響か?)」などである。
鎌倉時代など、仮名表記が本当に「仮」という感覚で用いられた時代には、口の発音に則していない状態ではあったろうが、読み手は「すす」といった便宜的な表記から「しゅじゅ・種々」を連想したと考えてよい。
これら一部の漢字語句カナ表記における「さ=しゃ」、「す=しゅ」といった発音は口伝されて江戸時代辺りにようやく拗音表記が生まれ、現代まで漢字音の拗音読みがもたらされたと考えてよい。
明治時代になっても拗音表記が出来ていない場合、文字を文字通りのまま読む風潮が生まれ、現代にはシャ行発音が口語・俗語・方言以外では命脈を断たれていたであろう。
後述する、本来日本にあった「チ="ti"ティ、ヰ="wi"ウィ」という表記・発音が、外来語の仮名表記ために拗音表記として生み出されることが有り得るくらいであろう。



追記: 2017年9月10日

当記事「①(「○○い(形容詞)です」)」に関連する知識を補足しよう。
サンスクリット語(及びパーリ語)の複合語"enwiki: Sanskrit Compound (サマーサ)"を理解する際に6つの解釈法があり、「六合釈"ṣaṭ-samāsa"」という。
これはサンスクリット・梵語(インド系言語)のみならず、漢語でも英語でも通じる考え方となる。

このうち「持業釈(じごっしゃく)"karmadhāraya"」が、形容詞+名詞=名詞「高+山=高い山・深+海=深い海」や、副詞+形容詞=形容詞「甚+少=甚だ少ない・広+長=広くて長い」を指す。
持業釈とされる複合の形容詞でも、実際に言葉が用いられる文脈を鑑みて準体助詞の意義を付加すれば「甚だ少ない=甚だ少ない〈こと・状態〉」や「広くて長い〈もの・場所・状態〉」という名詞になるが、これは「有財釈(うざいしゃく)"bahuvrīhi"」という。
文脈を鑑みるということは、「広長舌(広くて長い舌)」は「舌(名詞)」に「広長」という形容詞が係っていることになり、この時の「広長」は持業釈の形容詞である。
「舌者広長也」とある場合、「広長」はその持業釈の形容詞に準体助詞の意義を含めて「舌は広く長きなり」と訓読されて「舌(名詞)+者=助詞「は」+広くて長い〈もの・場所・状態〉+也=助動詞「なり」終止形)」と翻訳でき、この時の「広長」は有財釈の名詞である。
このように「広長」は、パッと見て「広・長」と区切られた相違釈"dvandva"の名詞「広」・名詞「長」の羅列のようであるが、多くの用例は持業釈の形容詞となり、文脈によって「広くて長い〈もの・場所・状態〉」という有財釈の名詞にもなる。
今は漢語で例を示し、サンスクリット語での例を後に譲る。

当記事①で「無いです」を例に取ってあることに寄せて言うと、「無也」といえば「無い(形容詞)也(名詞)」や「也(ヤ)無し」という持業釈で理解することは有り得ない。
「無也」の「無」は形容詞「無い」に「もの・こと・とき」など準体助詞の意味が付随するであろう、という話である。
「無」は単一の漢語であるから、「六合釈」という複合語の解釈法を適用すべきでないかもしれないが、「無也」の「無」は紛れもなく「無い〈もの・状態〉」という有財釈の名詞に当たる。
ただし、「無いです・無也」という言葉が、必ずしもそのような意味合い・ニュアンスで発せられるとは限らないので、「漢語の一語・複合語の解釈法」には、複雑な仕組みがあることを知ってもらえればよい。
文章を読むときの注意点・留意点であり、可能な限りは念入りにしておきたい。

例題
「"anityaḥ (a-nitya-ḥ)"→無常也」 
これを訓読「無常なり」と訓読する。
この「無常」は「無常(持業釈の名詞)」か?
または「常なること無き(持業釈の形容詞+もの・こと=有財釈の名詞)」か?
よもや「無と常」という相違釈の名詞ではあるまい。

「"aśubhaḥ (a-śubha-ḥ)" 不浄也」 
これを「不浄なり」と訓読する。
この「不浄」は「不浄(持業釈の名詞)」か?
または「浄ならざる(持業釈の形容詞+もの・こと=有財釈の名詞)」や「浄からざる」か?
よもや「不と浄」という相違釈の名詞ではあるまい。

おっと!有財釈、ウザイシャク、と繰り返して今、"bahuvrīhi"の意味が気になってしまった。
バフヴリーヒとは、現代日本語や英語で「所有複合語 "Possessive compound"」と呼ぶ。
語句はbahu-vrīhi と分け、文字通りには「多くの・米」を意味し、持業釈の名詞として取ると「多くの米」となり、有財釈の形容詞として「多くの米を持つ~」となり、改めて有財釈の名詞として「多くの米を持つ者」と解釈する、
ゆえに漢語では米=食糧=財物として「有財(財産を多く持つ者"rich man")」と訳していよう。
なんと!バフヴリーヒそのものが、有財釈・バフヴリーヒの名詞となるようである。

このサンスクリット語で意味を持たない接尾辞-kaを用いて表現する場合がある
有財釈の形容詞を再び名詞化したものであることを示すために接尾辞-kaを用い、これにより名詞の格変化がしやすくなるという特性がある。
aの音で終わらせると、ポピュラーな単語(deva, brahma, ātma, rāja...これら男性名詞を基礎に女性名詞や中性名詞にも変えられるか)に共通するため、インド系言語の話者にとって格変化がしやすいということである。

※なぜ意味の無い"ka"という発音が選ばれるかといえば、日本の仮名文字あいうえお表は梵字・ブラーフミー文字の法則に倣っているために段で「あかさたな」とあるよう、サンスクリットもといインド系言語でも子音は「カ क」の音から始まることが多く、代表的な音韻であるからであろうと見る。日本語の古文や漢文の訓読(文語体)で「(動詞や助動詞や形容詞の連体形) + なり」という表現は「もの・こと・とき」など準体助詞が暗に介在しているということを説明してきたが、このバフヴリーヒに後続する接尾辞-kaは、日本語の準体助詞「もの・こと・とき」などとよく似ている。あるいは、ギリシャ語-ikosやラテン語-icusに比較できる。あるいは、関係代名詞のラテン語qui, 英語who(古英語hwa このhはゲルマン語派で本来常用の軟口蓋摩擦音/x/なので/k/と音が近い)などの関係代名詞としての用法(この場合「~する者」でバフヴリーヒの「~を持つ者」と意味が似る)に比較できる。サンスクリットでは疑問詞を関係詞に用いることが無いものの(人称代名詞が"saḥ"の時に疑問代名詞が"kaḥ"で関係代名詞が"yaḥ")、サンスクリット以前のヴェーダかインド・イラン祖語あたりには有り得たかもしれないし、印欧祖語の時から疑問代名詞が関係代名詞で用いられていた場合は、その用法の化石的な持続として見ることができる。通常、関係代名詞は関係節の頭に来るが、サンスクリット接尾辞-kaは複合語尾に置くという相違点を再び留意したい。



ほか、上の例題では「無常"a-nitya"」や「不浄"a-śubha"」を引き合いに出しており、これらの語句は漢語だと副詞として用いることもある。
「無常にして~(後続が形容詞・動詞の場合)」、「不浄にして~(後続が形容詞・動詞の場合)」といった「にして(であって)」が付加されるが、漢語を更に訓読すれば「常なること無く~」、「浄きこと無く~」となる。
梵語の六合釈においては、その副詞として用いられる場合の複合語を「隣近釈(りんごんじゃく)"avyayībhāva"」と呼ぶ。
日本語では副詞的複合語とも不変化複合語とも呼ぶ。
先例のanityaやaśubhaのような「接頭辞a- (後続の語に否定の意味で修飾する) + 名詞」の複合語を副詞として用いれば、隣近釈と呼べる。

隣近釈は基本的に、接頭辞や副詞や語幹などの「不変化辞」が名詞に付随している形式であり、副詞としての用例上、中性・単数形・対格で用いる。
anityaであればanityam、aśubhaであればaśubhamとなる。
anitya-mやaśubha-mとして、対格にする"m म् "が付随した状態は、日本語で、同じく熟語を副詞として用いる時に「にして(であって)」が付随するようなものである。
対格"accusative case"とは、伝統的悉曇学・梵学で「業聲 (ごっしょう、業声)」というが、この隣近釈と関連して説明した文献を探して大乘法苑義林章師子吼鈔「又隣近釋者。亦業聲或屬聲。」のみが見られた。
加えて、日本語での形状は、いわゆる連用形(-ず、-なく)で「常ならず~、常ならずして~、常ではなくて~ (不常・非常)」といった、色々なものがあろう。

こういった研究は、文献調査・参考書(紙媒体を私は持っていない)による勉強のみならず、日頃の日常会話・独り言(日本語)の中で意識することで修練されて進行がある。
その中に、自ら察知する道理もあろう。
当記事の元々の話題(慣用性の許容)についても、やはり仏教的な学習や理解と、日頃の意識によって実現があると思う。


2017年5月2日火曜日

Google+ 2017年4月中の日記メモ

今回も初めに特記すべきことはないと思うが、1ヶ月間、ほぼ毎朝おかゆ調理を行っており、5時までに少量を食べている。
おかゆ以外のものでも、調理したものは5時までに少量のみを食べている。

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2017/04/01

本日4月1日は、2:10の第一アラーム以後に目覚めた記憶は薄く、起床は2:50の第四アラームの直後である。前日3月31日は19時過ぎに非刺激性便秘薬最低用量3錠を飲み(就寝は20時27分)、本日は6時10分過ぎから便意のためにトイレへ入った。排尿の後、姿勢をゆるく正し、両手を組むか両膝に分けて置くなどして動作を止め、顔の力をゆるめる。呼吸を薄くして整え、身体の内側に念を置いて集中を続けて5分ほどで排便があったが、やはり軟らかいものである。その後も軟らかさゆえに出しづらいもの(肛門が痛む)を20分間で断続的に排出した。寂然とか無為とかという印象の排便、過去の呼称「自然排便法」とか「サマタ・パヴァナ」とか「トイレ禅・便座禅・便座坐禅(2月12日メモおよび最近では3月30日メモ)」など。



2017/04/02

本日4月2日は、目覚めて後の時刻確認が2時4分であった。2:10の第一アラームが鳴るときを待ち、そして2時10分に起床した。



2017/04/03

3月23日メモから引用→携帯電話内蔵カメラ・ナイトモード撮影のため、ブレが顕著である。PCソフトでバックライトなどの色調補正を施してあるため、背後の枝などが確認しやすい。
本日4月3日は、2:10の第一アラームに目覚め、その後10分以内は意識があったが起床せず、2:20の第二アラームなどは記憶になく、そのまま時間が経過した。3時28分の時刻確認で起床が一気に決まった。3時台の起床とは稀である。前日から外出予定を組んでいるにもかかわらず、痛い展開である。図らずも、3月23日メモのごとく「朝飯前」の外出となってしまう。3時35分から自販機通い・公園の桜の様子見を始めた。風は弱く、星はそこそこ見える天候である。前回に園内に足を踏み入れた時は3人程度の往来があったが、今回は前回より短い滞在時間に少し離れたところを歩く高齢者1人しか見かけなかった。桜の開花状況は三分咲きにも達していない。

本日の4時過ぎ、久々の「起床以後の下剤1錠服用」を行った。前回のそれは、1月中であろうか、1月5日・9日・21日などの記録がある。大した便意も腹痛も無いまま、下腹部の違和感は漸次ほのかに現れ、9時台は俄かに2度チョビ漏らしの危険があり、被害は無いが9時20分以降にトイレで少量の下痢の排出をした。12時40分ころから母親が外出に関連して玄関を数度出入りし、12時50分台に発車した。13時25分からもトイレに入り、少し便意に集中して見ると10分以内に排便に至り、小さいものと長めの一本糞を出した。16時42分に母親の車が家に着いたが、エンジンをかけたまま・アイドリングストップ状態で動きが無い。弟が1階に降りて待機すると、2分後にテレビを付け始めた。16時52分から母親が動き出して弟に一旦2階へ戻るよう呼びかけ、代わりに私が呼び出された。

17時台に珍しくそこそこの量の夕食を取った。買い物品に含まれているとある食品を口にした影響であろうか、昨今において稀な「便意を伴う腹痛(糞が出る場合は排便しづらさと糞の状態がケースごとに相似する)」を生じたことで、17時55分にはトイレへ入ってそこそこの量の排便をした。



2017/04/04

本日4月4日は2:10の第一アラームに目覚め、2時16分に起床した。4時30分から、3時台に食べたとある食品の効果(よくいう消化よりも神経的な条件反射・プラシーボ効果の影響が大きい)によって便意が高まったため、トイレへ入って長めのモノから軟便まで多めに排出した。前日から風呂(シャワシャン)予定を何となく組んでいた、ということを5時30分台になって思い出し、5時50分までに開始して6時30分に自室へ帰った。

10時過ぎから母親と弟が、彼らの外出の動向を始め、10時8分から両者は外に出たが、エンジンを掛けずに過ごしていた。私が本日の風呂(シャワシャン)に関連して脱いだ衣類を自分で洗濯しようと2階のバルコニーの様子見をし、1階の洗濯機の前に戻って留まると、やはり母親は準備不足のために車のエンジンがかかった状態で家を2度出入りし、3分ほど2階の部屋に居続ける様子があった。結果的に10時16分に発車した。以後、2度の洗濯を13時までには済ませた(すすぎ・脱水の各1回、1+1*2で計4回のエラーが発生したのみ)。15時9分に何となく洗濯物を取り込もうと思ったタイミングで母親の車が家に着いた。急いで取り込みを行う中で彼らは2人とも家に入ったが、弟は1階のトイレに、母は1階の廊下や洗面所などを移動する状態であったのでタイミングよく洗濯物を抱えて部屋に潜り込んだ。



2017/04/05

本日4月5日は2:10の第一アラームに目覚め、2時14分に起床した。10時40分から母親が外出の動向を1階で始め、2分後には家の外に出たが、車のエンジンを掛ける様子が無く、何度か玄関の出入りを行った。10時47分からは外に出たまま独り言や物音を感じられない状態が10分ほど続いていた。まだ終えていない洗濯機動作の完了を待っている節も考えられる(いい加減な人間についてもっともらしい詮索とかは当たりようもないので馬鹿馬鹿しい話だが)。母親の出勤に関しては年度の始まりなのでまだだろうという推測もあったり、母親の部屋にあるタイムシート(シフト表)は今年度4月分のものがないなど、怪しい印象があった。普段のように「水曜日10時40分ころ」から外出の動向を見せる母親だったが、今はデマカセのようである。



2017/04/06

本日4月6日は、まず1時40分台の時刻確認がされる時間帯に目覚めて再度眠り、続いて2:10の第一アラームに目覚めたかもしれないが、記憶に薄い。起床は2:20の第二アラームに目覚めた1分後の2時21分である。

前日の19時過ぎに非刺激性便秘薬最低用量3錠より1錠少ない量を飲み、本日は4時台・10時台に各コーヒー1杯と或る食品を摂りもしたが、カフェインパワーや食品に対する条件反射・プラシーボ効果なども発生することがない。これら経口摂取したものの複合的作用といえば、本日のおかゆ調理に当たって使った卵2個(内訳は溶き卵1個と普通に投入した卵1個)を摂食したの影響の臭い(いわゆる硫黄の臭さ)を含むガス発生・おなら暴発が異常に増えたのみである。この卵2個の仕様経緯を記録する。9日前(3月28日・火曜日)に母親が卵10個パックを購入した当時にまだ以前の3個が残っており、翌日中にこの3個を弟が一度に使い切ったときに弟が10個パックを開封した。1個も使わないまま前日に至り、ようやく3個が母・弟の食べるお好み焼きに使われた。そして本日に私が2個をおかゆに使った展開である。



2017/04/07

本日4月7日は、まず2時0分ころに目覚めて2時4分に時刻確認をして睡眠に戻り、続いて前日の就寝時(21時前)に2:40を第一アラームとしていたので、このアラームが鳴った1分後の2時41分に起床した。

10時43分、にわかに2階で母親が異常な足音を立てた。アメリカがシリアのアサド政権の軍事施設にミサイルを撃ち込んだ軍事行動の報道の直後のことであるが、ミサイルよりも音が大きい。1分後に1階に降りたが、やはりデマカセであって出勤の動向ではない。本日の母親は弟の登校後から1階リビングに長居して炊飯を含んだ食事をしていたが、母親が職場で食べる弁当をこしらえることはありえなかった。その後、母親に部屋のふすまをノックされ、一度無視し、20秒後に再度ノックされてから返事をしたが、「運動しないの?」と言われた(喧嘩好きな飽き性の人が不穏なニワカ運動を自慢する)。内容に返事せず、今月12日・水曜日・13時半に保健所の人が訪問する旨を告げた。この話題の延長で、母親に仕事関係の質問をし、「今月は行かない」というように返答されたが、当然、詳細な事情や背景は不明のままである。少なくとも、今月12日は出勤の日程が無いと考えられる。12時15分、集団下校をする小学生らの一団が家の前を通過したタイミングで弟が家の前に着いた。



2017/04/08

本日4月8日は2:10の第一アラームに目覚め、2時13分に起床した。前々日の就寝時、本日の起床20分以内にそれぞれ非刺激性便秘薬最低用量3錠より1錠少ない2錠を飲んだが、前日中は大した効果が無く終わり、本日はその後も4時台から6時までにムーミンカップで緑茶2杯と、10時台にコーヒーを1杯を飲んだ。13時過ぎからもコーヒー1杯を淹れて3分の1ほどを飲んでから、それまで感じていた尿意の関係で13時26分にトイレへ入り、今回も念力で出そうとトイレでの排便に集中するようにした。排便の念を保ち、さほど体に無理を掛けずに13分ほど経過してから排便に至った。中サイズ2本程度であった。4月4日の排便から、食物繊維の多そうな食品が多めに摂られてきたし、非刺激性便秘薬の影響も加味されると、あまりに少ない排出量である。

15時40分からもトイレで排尿後、念力で排便を試みた。細めの中サイズ1.5本とでも表現しようか。やはり、どんな食品であれ、日頃節食し、週に1度程度に下剤1錠を飲むことで満足すればよい。少ない食事と排便により、作業への支障も少ないし、下剤の効果の老化も懸念せずに済む。非刺激性便秘薬最低用量3錠は、チョビ漏らしの恐れがあることは過去の記録の通りである。また、今やコーヒーのカフェインパワーによる下剤効果は期待すべきでない。予ての帰結であろうに、何度も自ら背反することで確認をしている。試験的に行い続ける。食物繊維だとかへの期待を何度も蘇らせる。よろしくない。便秘の改善を食事内容に求めることは、なまじ過去に功を奏したから、期待しがちだが、今時の我が身に関係なく、もはや幻想である(真の健康法記事を参照)。



2017/04/09

本日4月9日は2:40の第三アラームの目覚めがはっきりと記憶にあり、2時44分に起床した。前日の就寝に関する携帯電話半角カナ打ちメモを移す。前日19時52分の就寝前から1時間に渡って2階の弟が彼の自室で打撃音を鳴らし続けた。強めの足音のようなものから、怒って物を殴りつけたり倒すような音も断続的に聴こえた。一方の母親は、そんな弟をよそに20時30分頃から1階に降りてテレビを見ながら過ごし始めた。時を同じくして私の大腸が狂った運動をも始め、寝づらさが極悪レベルである。

4時40分ころから風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時30分までに自室へ帰った。7時1分に2階の母親が弟の部屋のドアを叩いて挨拶を行ってトイレに入って後、1階に降りて来た。9時過ぎに2階へ帰った母親だが、テレビを見ながらシリアルを食べたほかは食器洗いしかしなかった様子である。連日雨であって9時0分ころも雨が降っているはずだが、雷鳴のような花火の音が絶えず鳴り続けている。当地・豊橋の向山地域のイベント(さくらまつりというイベントの会場の一つ・最終日?)のために花火が打ち上げられているようであるが、これは11時を回るまで10分の間隔が置かれることなく続く有様であった。なお、母親が9時過ぎに2階に上がってトイレに入った直後、佐川急便の配達が来るという有様であった。有様であった。有様であった。配達物はAmazonの段ボール箱ではなく再生紙の包材であって中身は米5kg袋のように思われる。花火の音は、12時台・15時台・19時台などに再開された。



2017/04/11

本日4月10日は2:10の第一アラームに目覚め、2時14分に起床した。起床以後、4月8日からの予定の外出準備を進めていったが、2時30分に天気予報を見ると怪しいようである。ここ1週間は、本日前後の天気を怪しんできて本日となる10日ばかりは稀な好機であることを4月8日からにらんでいた。また、前日は実際に午後から夕方にかけて晴れてきたにもかかわらず、今は小雨の様子である。仮にこの雨が止んでも、最初から、地面の様子が悪い時は外出しない考えであるし、本日の予定は立ち消えである。

前日の19時0分台に下剤1錠を飲み、本日は4時20分ころから緑茶1杯を淹れて半分ほどを飲んだ5時10分ころから便意のためにトイレへ入った。そこそこの量の「やや硬い~やや軟らかい」ものを排便した。9時59分に母親が発車して外出した。11時37分に母親の車が家に着いた。



2017/04/11

本日4月11日は、前日の就寝が21時過ぎとなった関係で第一~第四アラームをOFFにして3:10の第五アラームを3:40に設定していたので、そこで目覚め、3時41分に起床した。前日も本日も母親は、それぞれ有る事情・無い事情で6時過ぎから1階に居始める経緯があった。9時台、「洗濯物を風呂場に干し出して余りをリビングのテレビの上で乾かす」という指示を出された。すぐに実行する話なので即座に始めて済ませた。前日、本日に母親が市役所ほか行政機関を訪れる予定に関連して私に尋ねる用件があったり、本日は実際に外出するから色々な動向があろう。10時50分から1階に降りた母親がリビングのテレビを付け始めた。先の洗濯物はどうしたのだか。「おしごと外出」に遅れる時に私を使うことはあるが、「忙しい」という空虚な口実で実際は矛盾だらけの指示を出す今回は、意味不明である。11時59分に家の外に出た母親が12時3分に発車した。



2017/04/12


本日4月12日は、アラーム設定が前々日就寝時のままなので何のアラームも鳴らず、3時0分に起床した。12時6分から母親の外出の動向を察知し、それまで話そうと考えていた用件を決断した。母親が一旦外に出て忘れ物に気付いた様子で、家の中に戻って2階に上がり、1階に降りてくるタイミングで「こんにちは」と声を掛け、足止めをさせた。いくつか話そうと考えていた用件があるが、母親に長く足止めさせるべきでないから、一用件に限定する。保健所の人が本日13時半に来ることは先に伝えてあり、母親がどちらに外出していつ頃戻るかを尋ね、13時ころか15時ころで予測不能と答えられた。もし早く済んで家に帰る場合は2階に控えてもらうことを頼んだが、母親はよそで暇をつぶすと告げてきた。12時12分に母親が発車した。

前回3月3日は、予定よりも早い13時19分に保健士2名が着いたものの、今回は13時半を周っても、14時を過ぎても姿を見せない。14時0分、何となく外の様子を見ているとステッカーが貼られた白い乗用車が家の前を通過し、近所の集合住宅の駐車場に停車したが、3分後には発車して場内を去った。彼らは普段、少し離れた某所の駐車場に停車してから歩いて家に来るそうなので、今回に限って気まぐれで集合住宅の駐車場を借りるはずはない。母親が帰宅することが先になりそうに思う。遅れて尋ねるとき、事前に電話でその旨を告げること(11月30日メモ)もあったが、今までにそれもない。13時半を過ぎる前から、実は私が予定を聞き間違えたのではないかなどと考えたりもした。14時24分に保健士2名が到着し、今回はSさんのほか、Uさんから代わってKさんである。いつも通りに1階リビングへ案内したが、数分後に母親の車が家に着いた。彼女らが私の部屋に入ることとなったが、母親に一応の挨拶をしたいそうなので許可した。自室と玄関の間で彼女らは待機し、挨拶を受けた母親はしばらく1階リビングにおり、数分後に2階へ上がった。14時50分に話が終わるまでに母親が再び1階リビングに居始めた。再び母親への挨拶を行った彼女らだが、母親に捕まえられ、母親の話を聞く展開となった。この話は7分、玄関で続いた。母親が彼らを屋外への退出を促し、2階に移動して何かをし、間もなく、母親が屋外に出て彼女らと話を再開した。連日の雨天・強風が明けてなお、風が強く吹く中での話は15時6分に終わった様子である。

19時10分ころに非刺激性便秘薬最低用量3錠を飲み、19時55分から就寝を始め、20時半ころには寝付いたろうが、23時0分台にとある問題に気付いた体が目覚めを促した。不本意な起床に至る。非刺激性便秘薬最低用量3錠を飲み続ける中(12月27日が初の服用)で、このような事態はついぞなかったはずである。端的に言えば、漏らしたというわけだが、被害範囲は限定的である。起床して間もなくトイレに直行し、少量の下痢を排出した。24時台にも先ほどの2倍ほどの下痢を排出した。いずれも、かなり水気が多いが、後者はわずかに固体のようなものも出た感覚がある。



2017/04/13


承前、本日4月13日は3時20分前から公園の桜の様子見と自販機通いの外出を行った。外は、あまり着こんでいない状態だと肌寒いが、風は強くない。本日の公園の桜の様子は、葉っぱがついているように感じられた。満開の状態が終わったかどうか、連日の雨天・強風のために判断しづらい。おおよそ、今年のこの樹は、人々の寵愛を受けずに満開が終わってしまったと考える。自販機については、1月26日に非飲料自販機の撤去された跡を確認したスペースに、サントリーの自販機が設置された。今回は2つの自販機で飲料3本・400円の購入を行った。

本日0時~3時の間には2・3度の下痢排出(だんだんと水分比率が下がる)があったが、5時過ぎからも便意のため、トイレへ入って下痢を排出した。5時10分前からPCをシャットダウンして就寝し、5時30分ころには寝付いたろう。想定よりも遅れた7時41分に目覚め、間もなく起床した。10時20分からトイレへ入り、ようやく通常の硬さの中サイズのものを排便できた。


11時37ころから、今春の計画の一つ、某銀行への1000円札9枚預金を行うため、外出した。本年の預金行為は、先の3月17日に郵便局で行っている。服装として、2~3年ぶりか、2012年9月に某所で自ら購入したカーディガンを着た(同時に購入したチノパンツも3月17日と同様に履いた)。このカーディガンは2014年3月末の桜・春の動画などで私が着ている状態が映る。まずは公園の寄り道である。この公園の桜はさほど葉のついている印象は無いが、帰路の途中の集合住宅の桜は、花弁が散った後の「がく」の残りや葉っぱが目立っていた。ほか、随所でタンポポや、花弁が5つ放射状のものや、鈴型のものなど、黄色い花が多く見られた。公園内・住宅の植え込み・施設の植え込みなどの花も綺麗に見えた。ところどころで立ち止まったりして写真撮影を行い(画像保存に携帯電話内蔵メモリの保存容量の確保に難儀した)、外出中は5枚を保存した。11時56分に家に着いた。13時50分前からもトイレへ入り、少なめの軟便を排出した。15時24分からもトイレへ入り、少なめの軟便を排出した。



2017/04/14

本日4月14日は、前日20時半の就寝時に2:10の第一アラームなどの設定をOFFにしていたが、2時10分ころに目覚めて2時17分に起床した。5時0分ころから風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時40分過ぎに自室へ帰った。本日は断続的に便意を感じていたが、16時35分以前から継続していた便意の高まりにより、トイレへ入って普通の量の排便をした。おおよそ、前々日就寝時の非刺激性便秘薬最低用量3錠の効果の残余と、本日のカフェイン飲料摂取によろうか。



2017/04/15

本日4月15日は、まず2:10の第一アラームに目覚めたが、押入れ内での遊びとも言えない遊びを行ったり、考え事をするなどで2:20の第二アラームにも起床せず、2:40の第三アラームが鳴った際は間もなく起床した。5時32分から便意のためにトイレへ入り、少し硬めでいびつなものを排便した。起床以後の食事量がやや多いことと、少々のカフェイン飲料(前日にいうものも同じウーロン茶)の摂取による。

10時ころから外出して11時40分ころに帰宅した弟は、その20分後から母親との争いが確認された。弟が1階に移動する様子もあったが、以後の2階では荒い物音が断続的になり続けた。母親が注意に入ることもあったが、12時34分に唸り声と共に大きい振動を伴って数秒暴れた際の母親は無視していた。争い始める前後の頃に、彼が抗精神病薬リスパダールを飲んではいたが、中々落ち着く様子でなかった。12時50分には1階に降りてきて母親を「がびょう」で脅したようである。母親とのやりとりで、階段に沿った窓際に掲げられた弟の絵(過去動画のうちサルのものはすでに無くネコ2匹のものの方)を自ら「やぶいた」と話した。



2017/04/16

本日4月16日は、2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラーム以後の2時25分に起床した。6時40分前から、家事をする気のない母親が1階リビングに居座り始めた。テレビを視聴して変な反応をする以外に何もしない母親をよそに、6時50分から弟が狂ったような声を2階の彼の部屋の窓から発し続け、7時前には「チンチン!ババア?」という抑揚のあるフレーズを断続的に4度発しながら「1階に降りて洗面所で手を洗って2階に戻る」様子があった。8時47分、にわかに母親が1階リビングをバタバタと動き出し、テレビの野球報道の内容に「バカじゃないの何でセカンドが…」などと荒げた言動を始めた。ダラダラとテレビを見続けては、この異変であるから、愚癡の羝羊という印象である。母親は9時10分に2階へ上がった際、あの弟に「○ちゃ~んご飯食べないのぉ?」と放言していた。ご飯とは、無論、毎朝のシリアルのことである。2分後に弟が1階に降りてから、母親は何度も1階と2階の上り下りを繰り返した。その後の母親がどう1階にいることがあったか、わざわざ記録しないが、12時50分から外に出て車を動かしてみたり、家の中に戻ってみたりと、独り言を連ねながら玄関の出入りを繰り返すさなかの13時6分、10時台から外出していた弟が帰宅した。



2017/04/17

本日4月17日は1時40分台に目覚めて2:10の第一アラームを待ち、2時11分に起床した。2時20分台から自販機通いの外出を始めた。前日・前々日から天気を睨んでいたが、やはり今はまだ雲が薄い程度の天候である。6時から正午までに雨が降り始めると考えられる。前日の昼は、今年の最高気温となったろう。長袖Tシャツ・保温性のある肌着の格好でも暑かったし、この外出は手袋などの防寒具を付けはするが、服装をそのままに行って寒さは感じなかった。4時20分前から冷蔵庫の霜取り作業を始めた。例の通り、冷蔵庫のコンセントを抜いて庫内の所蔵品を全て取り出し、一部をキッチンの冷蔵庫内へ一時的に移し、少しの間放置する。溶けやすい部分とそうでない部分とがあるので、溶けやすい部分から漸次取り外すように霜取りを行う。冷蔵庫や各種道具などにちょっとした掃除も要する。結果的な終了は4時50分ころとなる。

本日の母親は6時12分に1階へ降りて9時21分まで滞在した。その後も断続的に1階へ降りる母親だったが、10時47分、にわかに私の部屋のふすまをノックし、「きょう買い物いかないよ (私: ハイ) 明日にする」と告げてきた。11時過ぎから雨が一気に強く降り出した(直前までは不明)。11時10分台にキッチンで食材の調達をする折、空きっぱなしの窓が目についた。案の定、雨が室内に吹き込んでおり、母親を哀れむ孝子の心で閉めておいた。大雨になることを知っていて買い物を倦んだ母親だが、この点について不注意であり、今は2階で呑気にバカ笑いをしている。11時23分から母親がにわかに1階へ降りてきてキッチンあたりに移動したが、2階に戻る際に足音を荒くして大声を上げだした。階段の脇の窓が開いていて驚愕したようである。その後も狂った悲鳴を上げながら2階中をドタドタとドタバタと動き回って窓を閉めるなどした。ところで、本当に母親を哀れむ孝子であれば、私も1階のトイレの窓などを確認する配慮をすべきである。私もまた修行の足らない者である。14時15分、家のポストの開閉音が聴こえたが、12時ころの場合は雨の中、誰かが投函したのであり、こちらはすぐに帰宅した弟だと思った。こういう日に限って母親が玄関のドアを施錠していそうだと思ったが、案の定、そうであって弟はドアを開けられない。音に気付いた母親は、わざわざインターホンに回り込んで返事を求めるなど、弟に意地悪をした。普段通りに即座にドアを開ければよいものを。なお、先週の平日5日分は、記憶する限り毎日16時台に帰宅していたので、部活動がないとしても本日の帰宅は早い。



2017/04/18

本日4月18日は、前日の就寝時に飲んだ非刺激性便秘薬最低用量よりも少ない2錠を飲んだが、例の通りの漏らしそうな便意のために1時30分ころという早い時間に目覚めて時刻確認もせずに推定1時33分に起床した。12時16分から母親が発車した。16時28分に母親の車が家に着いた。本日19時現在、例の通り、ムーミンカップ緑茶2杯分だとかインスタントコーヒー1杯分だとかを少量ずつ時間をかけて飲んだりしたが、便意もガス発生もほぼない。夕方に珍しく食事を取った際のシリアル・ヨーグルトの条件反射・プラシーボ効果により、ガス発生が少しあったのみである。起床前のチョビ漏らし(肛門周りを汚す)は何であったか。この不可解な現象(極端な効果の発現と禍根を残さない矛盾性)を以て「例の通り」と表現する。



2017/04/19

本日4月19日は2:40の第三アラームに目覚め、考え事を挟んで2時48分に起床した。4時45分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、風呂場にいる5時27分ころに弟が1階に降り、5時35分に自室へ帰った。5時39分から弟が独り言を兼ねてトイレに入って糞のために5時47分まで入っていた。①最近1週間弟が朝食を取ることはあまりなく、②朝食を取るにも5時台に降りることは有り得ず、③そもそも1階のトイレで大便などしないので、3つの異常(常のことに異すること)が確認された。15時57分に弟の特別支援学校の教員2名(男女各1)が家庭訪問に来たが、母親は強風が吹き荒れる屋外で対話を行った。当初は弟がまだ帰宅していないために弟を待つつもりかとも思ったが、弟が帰宅しても屋外で話を続け、16時20分ころに終了した。



2017/04/20

本日4月20日は2:10の第一アラームに目覚め、2時15分に起床した。前日の就寝20分前に非刺激性便秘薬最低用量3錠より少ない2錠を服し、本日の調理時からゆっくりと多めの飲食にカフェイン飲料などもいくらか(少量のペットボトル緑茶・ムーミンカップ1杯分紅茶)摂っていたことによる便意によって5時40分からトイレへ入った。最初の排便は、こういう場合らしく硬めではあるが、すぐ軟便に似てきて、更に数分後に排出したものは軟便となっていた。12時ころから15時47分まで母親が徒歩で外出していた。



2017/04/21

本日は1時30分台に目覚めて時刻確認をしたが、早すぎる時間なので起床せず、2:10の第一アラームまで薄い意識を保ち、2時11分に起床した。2時33分から自販機通いの外出をしたが、前日の見積もり通り、雨は降っておらず、現地で3分ほど留まって3本・410円の購入を行った。2時40分には帰宅したが、2時45分に家の前をパトカーが通過した。なお、今回も「朝飯前」の外出であり、それは事前におかゆ調理のために電子卓上調理器(IH)を作動する。卓上調理器は自室で用いるものだが、自室でのおかゆ調理には通気性・密閉性の観点から恐怖があるので、2017年1月20日メモにもあるよう、キッチンに持ち運んでいる。

4時50分ころに弟が1階に降りて洗面所を使って2階に上がった数分後、母親と弟の話し声が聴こえた。6時過ぎから母親が、本日の特別支援学校高等部2年の遠足のための弟の弁当を準備した。前日に作り置きをしていたらしいご飯を利用するのでもなく、新しいコメ袋を開封して空の「米びつ(冷蔵庫野菜室のケース転用)」に流し込むよう、弟の指示を出していた(よって炊飯した)。遠足のためか不明だが、部活動の朝練が無くて新年度の連日よりも弟の登校時刻に余裕がある(連日6時40分ころ→本日7時20分台)。10時20分ころから家と異なる装いの母親が、車の出入り・2階の昇降を続けていたが、外出に関連した動向かは不明である。10時28分から母親が駅方面に大股で移動していったが、直後に走って家に戻ってきて20秒後に再度屋外へ出て車の物色などを始めた。14時1分に母親が家に着いて車の傍に移動した。

16時10分過ぎに弟が帰宅した際、彼は3度「ただいま」を発したり、家の奥に進入する際にも「ただいまって聴こえないの?」とリビングの母親に声を掛けたが、母親の返事は無いか、聴こえないほど小さかったろう。数分後、弁当箱を流し台に提出しようと再度リビングに現れた弟が「今日なんで部活なかったの?」と尋ねたが、母親は不機嫌そうに「遠足だから当たり前じゃん」と言った。彼が「ご褒美ない?(中略)今日いっぱい歩いたし」と話しても、母親は不機嫌そうな声であった(単なる学校行事だからご褒美は無い or みんなも歩いたんだから特別にご褒美はしない)。彼もだんだんと不機嫌になった。弁当箱を荒く扱った様子である(その物音と母親の驚く反応の声が聴こえる)。慈母・慈悲ある親ならば「自分の努力として満足すれば最大の御褒美だよ」とくらい言えばよいものを。あるいはデップリ豚野郎の弟を慮って本日の外出時に菓子類を買えばよかったろう。声も態度も行動も、全てが無粋なババアとしか思われない。17時台から18時過ぎまで夕食を取っていた彼らは、何とか遠足の話題などを平穏に続けようとしていたが、ある時の母親はにわかに「小遣いなんてあげないよ」とボヤいた。18時27分からもにわかに2階で母親の険悪な声が聴こえだし、今までと比べて最も怒っている様子である。18時39分にビンタのような音が聴こえ、3分後に2人で1階に降りて来た。話が乱れているが、部活動の話題がぶり返してもいる。※19時前から1階の母親が、一旦2階に戻って20分ほど経った弟を呼び戻して部活動の話題で詰問した。「今日なんで部活なかったの?」は聞き間違いであり、色々と実情が確認されたが、いずれにせよこの件で母親の偏執が凄まじい。



2017/04/22

本日4月22日は2:10の第一アラームに目覚め、2時12分に起床した。3時30分ころから、前日に飲んだ非刺激性便秘薬最低用量3錠よりも少ない1錠の効果でチョビ漏らしの危機があり、トイレで少量の下痢と、ヌルっとしたチビ糞を排出した。これ以前、料理(食器洗いほか作業全般の総括名称)にも手こずって時間を不必要にかけていたのに、糞の災難は御免である。5時10分よりも前、朝の略式勤行最中に弟が1階に降りて来てリビングのテレビを付けるや、1階のトイレに入って大便長居を始めた。それ以前も4時台に2度2階のトイレに入っていた様子があるが、小便だったろうに、なぜまた1階に限って大便か。

10時47分から母親が徒歩で出かけた。洗濯したいものがいくらかあるので処理したかったが、都合が悪くて断念し、母親は11時38分に家の敷地内に戻った。車に寄ってから玄関のドアを開けると、先の時間に出て先の時間に帰宅した弟が再度出る目的で玄関にいたため、両者が鉢合わせした。それからの母親は、何度も玄関のドアを開閉する用事があった。



2017/04/23

本日4月23日は2:10の第一アラームが鳴る数分前から目覚め、そのアラームが鳴って1分以内に起床した。前日の就寝は20時20分であったが、母親は夕食などを作って弟に食わせず、冷凍肉を午前から常温放置したままでいたところ、20時40分ころに1階に降りてくる異常な経緯がある(常温放置の肉は冷凍庫に戻したか)。本日であっても2時30分過ぎに洗濯機の洗濯物を目当てに1階へ降りてきた。洗濯機に関しても面倒な経緯があるが、説明を省く。

排便に乏しい前日から替わって本日は起床3分後に非刺激性便秘薬1錠を服しており、9時以降は21日購入のボトル型缶コーヒー(キャップ付き缶コーヒー)を少量ずつ飲んで130mlほどが無くなったところで、便意が強まり、12時30分からトイレで硬めのもの複数個を排出した。14時50分からも小便のついでに無理をして大便を行った。



2017/04/24


本日4月24日は、まず1時40分過ぎに目覚めて時刻確認をしたが、足(左ふくらはぎ)の痛みを覚えており、せめてアラームまで寝ようと思った。続いて2:10の第一アラームに目覚め、2時13分に起床した。5時0分から、それまで溜まってきた便意のため、トイレに入り、直腸で硬い物を感じて内側が少し切れそうな気もしたが、難なく排便した。量は、普通の人から見てやや少なく、私が薬などを用いないか僅かに用いた量としては程よい。

9時33分から母親が発車した。私は9時44分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、10時40分に自室へ帰った。直後に個人的な洗濯物を始め、例の通りに洗濯機のエラーを挟みながら12時までに2階バルコニーに干し出した。13時20分台に洗濯物の様子見をすると、緑色の小さい虫がバスタオルに止まっていたので羽をつまんで手放そうとしたが、しばらくくっついたままである。母親の部屋に戻るとオレンジ色の全長十数ミリの虫(触覚とフォルムはカミキリムシのよう)がいたので、ティッシュを介してつまみ、外へ逃がそうとしたが、バスタオルに止まってしまった。風が強いとはいえ、虫たちはしがみつきすぎである。去るまで待とうと思う。14時4分に母親の車が家に着いたので、洗濯物の取り込みを先に行って1階に戻り、母親の動きを確認すると母親から購入物の処置に関して指示が降りたので実行した。それから「別の洗濯物」の処置をしたが、あの虫はタオルの同じ場所に止まったままであった(しかたなく追い払う・行き先は不明)。色々バタバタと動く必要があった。母親はしばらく家に入らず、外で車を再発信して敷地内で移動したり、水撒きをしていた。なお、母親の荷物処置か2度目の洗濯物処置の時にクモの糸が、ズボンの右太もも表側箇所にゴミのように絡んでいた。



2017/04/25

本日4月25日は2:10の第一アラームに目覚め、2時14分に起床した。目覚めて押入れ内にいるときと、起床後1時間以内は大腸の唸り声を感じたが、直ちに便意に繋がることは有り得ない。4時台にカフェイン入り炭酸飲料少量を飲み、8時台にカカオ濃度の高いチョコレートを適量(1枚4.8gを2枚)溶かした少量のコーヒー(ムーミンカップ5分の3程度)に3gの砂糖が入った液体を味見したり、シリアル・牛乳を入れて食べたり、再度お湯を加えるなどして飲んだが、漸次便意が感じられるようになり、11時50分からはトイレで硬いものなどを排便した。16時15分に弟が帰宅したことに続き、16時前に玄関の出入りを頻繁に行っていた母親が16時20分に徒歩で外出をした。16時50分から弟が料理を目的に1階へ降り、17時16分に母親が帰宅した。17時44分からもトイレで長めの一本糞をひり出した。下剤・便秘薬を飲まずに24時間以上が経過した時の糞は、前回もそうだが、ほのかに血の付着を感じる。



2017/04/26

本日4月26日はまず0時30分台に目覚めたろう、0時42分に時刻確認をしたが、早すぎるので再び入眠した。続いて2:40の第三アラームに目覚め、直後に起床した。2時50分から外出準備(身支度・ゴミの荷造りなど)を始め、料理の用意も兼ねつつ、3時8分からゴミ出し・自販機通いの外出を始めた。天候について、前々日から、雨降りが最大の懸念であったが、曇っているのみに留まる。ゴミ出し・自販機通い、いずれももたつく場面はあり、帰路は50m以上の間に「荷物をかばいながら一定時間維持できる制約下の疾走」を行った。

起床以後、尿意はあまりなく、5時前から便意が起きたが、別の要因で引っ込んだため、毎朝の略式勤行を行ったが、その後も便意が復活した。身動きがとりづらく、前日投稿した本家ブログ・お絵かき記事の追記作業もできないまま、6時2分に2階で母親が弟へ朝の挨拶をする声が聴こえた。まだ尿意はさほどでもないが、間もなく私はトイレへ入った。そこそこの排便と排尿とをした。10時12分からもトイレへ入り、少なめに排便と排尿とをした。15時50分ころから、下痢の兆候としての腹痛が発生した。そのまま16時12分からトイレへ入り、10分後にピッと少量の普通の硬さのものを排出してから、数分後にクリーム状の軟便を多めに出した。その後も断続的にスープカレー状の下痢などを出して16時45分に自室へ帰った。私がトイレにいる間は、弟が帰宅して風呂を終えるなどしていた。この腹痛+下痢の原因は、特に本日購入のカフェインは入っていない特殊な炭酸飲料であろう。朝方から今までに、冷たい状態・ぬるい状態それぞれ、少量ずつ飲んで1本500mlを14時台に飲み干した経緯がある。



2017/04/27

本日4月27日は2:10の第一アラームに目覚め、2時13分に起床した。



2017/04/28

本日4月28日は0時8分に起床したが、目覚めは前日23時30分ころである。少しでも押入れのふすまが開いていると、1階リビングの母親が視聴するTV音声が強く流れ込んでくるようである。それは半ば有り得ない所見だが、そう思っておく。なお、前日の就寝が19時40分前であり、実際に入眠した時間は20時30分ころかと思うので、3時間程度しか眠っていない。確かなことは、20時前に携帯電話で録音(今後に動画で投稿予定?*)をしていた。4時53分から仮眠を始め、6:40と6:50に設定したアラームの前者を聴いた3分後の6時43分に起床した。



2017/04/29

本日4月29日は、前日が23時40分ころに一度目覚めて再度眠り、本日が2:50の第四アラームに目覚めて間もなく起床した。第一~第三アラームを聴いた記憶がない。4時40分過ぎから風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時30分前に自室へ帰った。

10時23分、母親がふすまをノックして私に話しかけ、これから弟と外出(食事と普段の買い物を兼ねるそう)することと、晴れている本日に洗濯をするよう頼んできた。前日から、本日29日における降雨の懸念を話した。少しややこしい展開はあったが、最終的に、私の衣類(厚いものを含まない)と弟の衣類のどちらも行うという話である。全て洗濯せよ、という話であるかは不明である。10時38分に2人は車で外出した。洗濯の作業は、1度目に私の衣類数点と弟の衣類数点を同時に洗濯し、2度目に弟のほかの衣類や彼が学校などで使ったシャツ・給食着・体育着を同時に洗濯した。今回は洗濯機のエラー反応が無かった。1度目のものは乾いているので、2度目の洗濯機の動作が終了するまでに取り込んである。

13時43分に車が家に着いたが、今回は2人外出の多くの例では弟と母親が別に帰宅するが、今回は一緒に帰ったようである。購入品を家に入れる作業で、2人が少しもめた。なお、13時59分に小耳にはさんだことは、明日も彼らが病院かどこかへ行くということであり、今着ているスウェットほか寝具を洗濯しようと思う。14時ころから窓を開放していると、15時37分から俄かに強風が吹き荒れる様子を感じた。空もみるみるうちに暗くなる。漫画のような凶悪な展開である。15時40分まで1時間半ほど1階リビングに居座っていた母親も、あわただしく動き出して2階の洗濯物を取り込みに行った。外では子供の悲鳴や、親子の風に逆らって駆ける様子が確認される。カオスそのものの様相を呈している。ところで、いつの間にやら弟は外に出ていたようである。15時48分には、10秒以上もの間に雷の音が響き、家も揺れたが、家を揺らしたものは風か雷か判然としない。雨もしとしとと降り始めている。


2017/04/30

本日4月30日は、まず2:10の第一アラームが鳴って目覚め、これを手で停止したが寝たまま、2:20の第二アラームが鳴って手で停止した1分後に起床した。9時10分ころから母・弟の2人が家の外に出て水撒きをしてから9時19分に外出した。その直前から私はマイクロファイバー毛布1枚の洗濯を始めた。前日10時23分の干渉では、家に私が一人でいる際の洗濯に関して配慮しているようにも聞こえたので、堂々と行ってゆこう。9時23分に母親が忘れ物を取りに帰ってきて2分以内に再び発車した。洗濯の作業は、1度目に件の毛布、2度目に着ていた衣類のうち3点とタオル1枚とを実行した。今回もエラー反応が生じなかった。11時46分に車が家に着いた。