2016年12月8日木曜日

各言語・音韻の瞑想 両唇音・唇歯音「B, P, F, W, M (V, H等)サークル」

当記事は後日投稿予定の下書き記事の一部を分割して独立した形で投稿する(12月4日に発案)。

原案の記事はこちら→http://lesbophilia.blogspot.com/2016/12/dharma-sanskrit.html



 音韻に関しては、世界中の言語と漢字の発音に共通項であるとか、アルファベットに付された発音(IPA一部準拠)を関連付ける思考がある。
その音韻論的な世界観の一端を図に表すと以下のようである。
頭子音としての「B, P, F, W, Mサークル(オマケはVでありHを隠す)」を示す。
一部は過去記事(2015年6月)のネタである。

両唇音 唇歯音 兩唇 唇齒

漢字や単語や、それぞれの関連性についての説明は省く。
私ほどに興味を持ちながらに便利なWiktionaryや漢字のサイトを見て学び、より思考を深めてゆけば、いずれは全ての関連性を繋げられよう。一部資料は画像内にURLを掲載しているが、ここにもリンクを掲載する。
http://en.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%94%87%E9%9F%B3

一例のヒントのみを記す。
「無・勿(否定の意味で共通)」
無"wu, mu, bu" ・・・ 勿"wu, motsu, butsu"(中国で入声音・韻尾"-t"欠落)
BM互換 (b/m置換、m/b置換)=日本の漢音・閩南語(ビン南語)に対する中古音・朝鮮語
MW互換 (w/m置換、m/w置換)=日本の呉音に対する一部現代中国普通話

日本の漢字音韻においても「は行の非は行説」があり、これを取り入れてある。
漢字音韻ではなく単なる訓読みも混ぜてあるが、これは自然言語の世界共通性を示すためである。
とはいえ、漢字音韻が時代と地域によって変化する点では、一つの音韻の原点を求め、それに基づいて世界共通性を問わねばならない。
漢字音韻には"Proto-Sino-Tibetan"説(印欧祖語のような言語学的に再構築された祖語)の語根の影響も考える必要が出てくる。
そこに原点を求めると、必ずしも自然言語らしい発音の成立を見出した私の見解とは一致しない可能性もある。

とりあえず、この図によって体型的な音韻理論を自ら導き出す訓練ができるとよい。
仏教でいえば曼荼羅を見て観想・瞑想するようなものであろう。
こうして知識を得て思惟に入ることで、中国漢字の発音と日本の音読みとサンスクリット語とギリシャ・ラテン系の西洋言語とで、意味と発音(子音)が共通する単語が多く見つかろう。

過去にも取り上げたものを含むが、羅列すると

 (フ・プ・ブ・bu, fu=pu, pitṛ, pater, father バブー赤ちゃん用)
 (ボ・モ・をもwomo・mo, ma, mātṛ, mater, mother バブー赤ちゃん用)
 (バ・マ・むまmuma・ma, mare・梵語アシュヴァで該当せず・関連は「《漢ngu梵go英cow》」)
 (トウ・タフ・トフtō=top, stūpa, tower・ガンダーラ語はthuva)
 (P・F・Wの両唇音多し、上掲画像参照・ほか梵語पवन pavana パヴァナも両唇音、拉ventus英windに通じる梵vāyu, vāta)
 (訓・音とも、上掲画像参照・ほか3人称中動態・受動態動詞で梵語पर्दते pardate、古希語πέρδεται pérdetai)
 (キュウ・キフkyū=kip・すふsū, shupu, シュヴァスश्वस्√śvas, スピーローspīrō)
 (キュウ・キフ・ギフgip・上古音*ɡrɯb・およぶoyobu・人 + 又 = つかむtukamu・グラブgrab, ग्रह √grabh √grah・にぎるnigiru・グリップgrip)
 (ホウ・ハウhou=pau, pao・あぶくabuku・ブクブクbukubuku・バブルbubble・बुद्बुद budbuda)
 (ミョウ・メイ・ミン・myō, mei, ming・なna《なまえnamae, なまへnamape》・ナーマनाम nāma・ネームname・オノマὄνομα onoma《アノニマスの一語根》で子音が全て両唇音・鼻音系)
 (ブ・ム・bu, mu・ないnai・NoNot, None・ナनnaマッमतmatメーμή mēで頭子音が全て鼻音・・・特に日本語・西洋諸語・インド系諸語はみな頭子音が"N"であり"L"の類も歯茎音カテゴリで同系か。頭子音"B"の類も"M"と同系である場合が考えられる。また英語の否定接頭辞in- un-なども同系か。否定接頭辞についてギリシャ由来のan- ἀν-は母音が連なる場合にnが介したものであり原型はa-。そのn介音はサンスクリットにも共通する。例は希Anonymous・梵Anātmanなど)

などが、それである。
ある程度の範囲で印欧語根(proto-indo-european印歐語根)・漢蔵語根(proto-sino-tibetan漢藏語根)で定説ともなっているが、こういった点は英語版Wiktionaryなどを参照してほしい。
私にとって未開拓サイトのhttp://starling.rinet.ru/cgi-bin/main.cgi?flags=eygtnnlも利用されたい。
学説・仮説・語根が通じ合わずとも、子音・発音が通じているものはおおよそ人間の感性が通じているものと見てよいので、どちらにせよ、言語の結びつきを知ることになり、私の本意とする。

共通点ということは、無論、「たまたま似たんだろ」と言って一蹴できる問題でもあるが、むしろ、「たまたま」一致するくらいに通底する原因があると考察してもよいではないか?
「似た者同士が結びつく」ことは偶然であって必然でもあろう、と考えてもらいたい、特に人類・人間界のことであれば、根本的な心が通ったものと感じてほしい。
偶然であって必然でもあることとは、不思議であって不思議ではないことである。
大いに考究すべきテーマではなかろうか?
※人類史的には偶然であって国際交流の結果ではなかろうが、だからこそ似た発音には発生経緯が似る理由がある。ある面で偶然・ある面で必然。自然言語なら自然な性質・ダジャレ・オノマトペ・擬音語・擬態語が関わる。あわパオ"pao"、ブクブクあぶく、バブル・ブッブダ"bubble, budbuda"というように(わ・ば・ば=唇の音 labial consonants, 梵語でoṣṭhyaという)。

この道理は、私が小中学生の時、端的に説かれた科学的見解を知った影響によるが、現在までに様々な思惟の中で確かな感触を得ている。
決して妄想の産物ではないし、あくまでもその思惟のみによって物事を断定することはないほどに慎重な思考法をも、私は兼ね備えている(今までの私の文章で実感できよう)。



ああ、また長くなってしまうが、2016年12月2日に「觀萌私記」関係の調査で「もえ=毛延・毛要」を検索していると、「日本語千夜一話」という興味深いサイトを知った。
現在70代ほどの方が運営しており、過去にNHK放送文化研究所(言語・文化関係)所長を経験してから、どこそこの客員教授という肩書を持っているようである。
私の考察の仕方と非常に似たような方法(国語学と中国音韻学と西洋言語学の隔たりを無くした幅広い見地)で、日本語の語源を体系的に説明しており、例えば、上古音の学説を肯定的に採用している。
私は中・英Wiktionary所載のバクスター・サガール式や鄭張式の仮説上古音を参照しているが、彼はそれより前の時代のカールグレン式の再建上古音を書籍から参照しているようである(参考文献の一覧に示される)。

私は、何度も綴っている通り、たまたま似ている・共通している点を羅列して自然言語の成り立ちに思いを馳せ、ついでに人類史・語根説に通じた語源の同一性も確認したい気持ちでこういった記事を書き続けるが、彼の場合は、仮説・再建の上古音を正規の説と信頼し、しかも彼の思考の結果「日本語○○と中国語(時に朝鮮語)××は同源だ」とそのまま事実であると断定されるに至っている。
彼の見解には蓋然性があるかもしれないが、断定は早計にも思うし、異なる言語を無理やり共通させようとする「融和」の意図も感じられる(思想や感情ありきで理論を決定か)。
私は如何なる見解に対しても、安らいだ大海のように寛容かつ慎重な姿勢を取っておきたい。
私は未だ、20年以上前の出来事すら、五感で経験していない青二才である。


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