2015年9月28日月曜日

2015年以降、特に配慮する文法

一字一句を推敲する。
文法で今年のいつからか非常に気にするようになっているのは「している・していない」という現在進行形の「い」抜きや、一文中(文節)で「は・では・には・のは」等で助詞の重複がないようにするところである。
前者の「い抜き言葉」に関しては一般的に誰も問題視していないし、私も他人が使うだけなら問題視しないが、自分の文章はここらへんもキッチリさせたく思う、というより、今では「い」が入ることが自然に当然のセンスとなっている。
後者の「助詞重複表現」に関しては、例えば長い一文で重複助詞が離れていれば一見違和感が無いのだが、それを意味が変わらない程度に重複助詞を近づけると、誰の目にも息苦しい助詞の重複と感じられるから、このように位置を整然とすることで助詞の重複という状態を見分けられる。
適度に句点(ピリオド)を打って文章を終わらせる工夫は必要だろう。

これは自分で記述訓練をしてこそ得られる感覚だから、文例を挙げての説明は野暮だと思ったが、一応の例を挙げておく。
慣用句的な「一概にこうとは言えない・一概にはこうと言えない」のどちらかが適切な文脈において「一概に"は"こうと"は"言えない」と、助詞の"は"が2回使われることが助詞の重複である。
「この場合に"は"それ"は"しないでね」という一文も重複であり、否定形が続くものが多い。
助詞"は"の同系の助詞として仮定などの意味がある接続助詞"ば"であり("こういう場合は"と"これならば"という語は文章によって同義である)、例として「そういうことなら"ば"(同義表現: そういう場合"は")、これ"は"いらない」という一文が挙げられる。
助詞の重複は、助詞全般に対して有り得るものであるから、「が」の系統など、色々ある。
曲がりなりにも文章に関する仕事で収入を得ているプロは、一応、この点にも念を入れる。
※今の一文の「曲がりなり"にも"」と「この点"にも"」は重複表現の範疇でない。
"は"の重複表現は、現代人好みの曖昧な印象を付けるようであり、発言者の心の自信の無さや、何となく中途半端に表現したい意図が表れている(曖昧な表現を好んでいる自分に気付いてこれを退治する努力が必要に思う)。



ここでもう一点思い出したことは、名詞的な助詞である「の」や助詞的な名詞である「こと・もの・ところ(蛇足:とき・ころ等)」を多用しすぎない表現であろう。
前者は名詞的=体言のような性質を有することで「準体言助詞(準体助詞)」と呼ばれ、後者は「形式名詞」と呼ばれる。
「こと」に関しては、中学生の頃、自分の言いたいことを海外サイトに英語の長文で書き込もうとした際に、客観的に見て使わない英単語"Thing"が、自分の知識で直訳するとあまりにも繁多になっていて、ウンザリした経験がある。
一方、英語の"Thing"も「こと・もの・ところ」同様に、何らかの事象に当てる表現として"Everything, Anything"等の英熟語がある点で日本語と類似する。

現代の日本語の表現は、曖昧にしたがるきらいが備わる(まあ英語も"This is it"みたく前後の文脈を知らないと意味不明な文章が多いが)。
それを覆して、「こと・もの・ところ」などは、全て具体的な名詞にすればよいのである。
例えば「驚いたことがある」という一文では、「驚いたこと」が何らかの過去の経験を指すのか、何らかの本で読んだ記述を指すのか、あるいはその他なのか、曖昧である。
「驚いた経験がある、驚いた記述がある」と、一つの単語を差し替えるだけで、いくらか具体性を持った想像が可能となる。
こうして、極力「こと・もの・ところ」という、どんな文脈も嫌わない中性的すぎる単語を、具体的な単語に差し替える"こと"="思考・努力"が重要であり、常に心がけている。
そうすれば、自分の言葉を英訳したいときも、垢抜けない雰囲気が一掃されるかもしれない。

助詞的な名詞(こと・もの・ところ、とき・ころ、なに等)は、ある程度漢字にしない方がいい理由として、当てる漢字の意味(字義)が含まれないところにある。
好例が「もの」であり、人物などを指す「者」や、物質・物体などを指す「物」のほか、「こと」のように事象を指す場面もあるが、これはどちらに変換するのも好ましくない。
無闇に漢字にしてはいけないのが、助動詞「いる・みる」や「ない」等であり、「してみる」の「みる」は視覚的に見るのでなく、「試みる」ことであるから、当然「見る」と綴らない。
「しない」の「ない」も否定形の助動詞という上では本来「せず」いい、漢文なら「不」の字を当てたように「無」よりも「不」の字義が通じ、助動詞「ない」は存在の有無などを意味しないから、「しない」の「ない」は「無」と綴らない。
有無の「無」と異なって、新参助動詞だから「綴らない」を「綴らなし」と文語体形容詞同様の終止形にすることなどは禁物。
上代から現代にかけての日本語の変遷を見ては、自ずと感覚を得られる。
「ない」という形容詞的な助動詞・「もの」という助詞的な名詞などは、音がたまたま一緒で意味も類似するだけであり、正体は別物と考える必要がある。

※「ない」の語は、既述するように「存在の有無=○○が無い」と、「行わない=不」に加え、「性質の否定=非・不」いうのがあり、「ではない」なら「あらず=非ず」が対応する。「ではないが」という表現は「あらねども」等と古文に変えられるよう、実は対応がしっかり出来る。



漢字の変換についても「など・等」を使い分けるのは、実際に脳内で「等」の時は"とう"として言葉が紡がれているので、これに従う。
私は文脈により「など」か「等(とう)」を選んでいるわけだが、見る人にはこのニュアンスの違いが汲み取れないかもしれないというジレンマがあって、私としては方針を変えたい部分もある。
こういう私は、他にも「ほか・とき」を漢字にするかしないか、迷う経験が多い。
そもそも、「ほか・とき」とも漢字の変換が複数ある(とき=刻というのはデフォルトIMEで出来ない)。
今の一文に出た「とも=共、できる=出来る」といったものも多く選ぶ時間を取るし、そういった変換するかしないか迷いやすい漢字には枚挙に遑が無い。
ここで、適宜その可読性を考慮するか、あるいはその時の裁量など、必ずマニュアル通りの文法を持つ必要が無いという帰結もある。
もちろん、私自身そんなマニュアルありきの執筆活動ではないのだが、伊達に書いているわけではないからいくらか自分の流儀が定まりつつあるのは当然である。



最後に、文法や文字主体の話と少し異なることだが、近頃の傾向をここに記録する。
日々脳内の思考や、口に出す独り言では、反射的に古い発音であるとか、浮かび上がった言葉の文字列は古い仮名遣いなどに置き換えられてしまう。
簡単に言えば、FPS・TPS等の暴力ゲームや、テトリス等のパズルゲームにはまった時に自覚する中毒症状と似ている。
前者は視界がさながらゲーム内の空間であって自分は主人公のつもりで他の歩く人間が殺害対象などに捉えられたり、後者はあらゆる物体などの形状が積まれたテトリミノのように見えてしまうというもので、どちらも過去に体験している。

今の私という者は、ちょっとした言葉もおかしな発音に置き換えたり、あるいは普通の人が「してる(い抜き言葉)」と言うところ、「してる→している(正統)→しておる(古風・老人)→してをる(旧仮名遣い)」のように変化して、独り言では実際にそう口に出すことが特に多い(「してをる"Shi-te-wo-ru"」の発音は少し自然に"Shi-tweo-ru"というくらいが近い)。
少し考えただけでもこうして即座に、普通では奇異と見える表現に置き換わる。
英語の学習に徹すると、日本語の単語が勝手に英訳される人もいるし、これも経験があり、今でも日本語や漢語の音韻が勝手に英語・ラテン語・ギリシャ語・ドイツ語等に変わることもある。
異言語などが干渉するという状態は、普通の人だと一過性の流行語にはまってポンポン出すようなもので、私の場合も勉強の成果といえども、いずれは元に戻るのではないか、あるいは「個室即地域」の方言のように定着するのではないか。
方言というものは、本来日本全国で同じように(蝦夷は不明、アイヌは漢字系と異文化)時代差はあれ、現代で言う古語が話されていて、近代に至るまで江戸時代の封権(??)で地域ごとに独自に進んだ大衆文化の中で成熟した。
各国の領域下やもう少し広い地域で、産業も政治も収まった(それまでは中央集権と、他の地方の作物・鉱物取立てで統治)わけで、大名だかの頭以外の民衆は遠く他所行きする必要も無い。
今の私も封建(??)的に過ごしているわけだから、方言的な独自の語りも生まれように、これは今に限らず幼少期も単語レベルなら造語を生んではいた。





後年の追記①
「動詞連用形+て」という形の後に句点を打つと、文脈が乱れやすい。
ただし、「よって・したがって」や、「○○を以て」や、「○○に於いて」などの副詞的用法の表現には句点を付けた方が文章の整理がつく場合があるため、便宜を図って句点を付ける。



2015年9月22日火曜日

2015年・秋季散歩計画の策定

涼しい季節となってきた。
まあ、連日の雨の影響でもあるかもしれないが、いずれは必ず寒くなる。
年の後半の涼しい時期、すなわち秋季の散歩シーズンについて考え始めておきたい。

私が散歩する日を選ぶ上で、自身の体調はもちろん、気温や天候のみならず、散歩後の風呂や洗濯をも視野に入れる必要がある。
2015年3月30日にも「散歩の計画は風呂というものも包含している。みだりに放蕩して汚して、剰え洗濯・風呂が叶わないというわけにはいくまい。」と記述している。

例えば、午前中に散歩に出て帰宅し、間もなく衣服を洗濯機にかけ、自分も風呂に入り、出てからは洗濯物を干しださねばならない。
夜や早朝などに行うゴミ出しや自販機通いなら、部屋着でササっと済ませて、長くても1週間経つまでに洗濯される。
私は頻繁に外出するわけではないから、一度着て外で長時間歩いたために汗を少しでも吸った衣服は速やかに洗濯する必要があると考えているし、母親などに頼るわけにはいかない事情もある。
母子家庭にあって母親は・・・いつもの事情を話すと長くなるが、2015年3月から当面休職でいるため、本来なら母に任せてよいのだが、家事の積極性に欠いていて思い通りにはならない。

やはり、散歩する最中は汗かきを厭わずやっていきたいので、事後には風呂などその日の内に入っておきたいわけだが、風呂についても入りたければ入れるものではない。
これも上述のものと似たような事情があることは、多くの過去記事・日記メモに見るところ。
なお、いつもの注意点となるが、浴槽という狭義の風呂は2010~11年より一度も入っていない(故に日記メモでは「シャワシャン」の注釈を頻繁に付けている)し、どんな散歩になろうとも入浴は当面有り得ない。



普通の人が気軽に外へフラつくのと異なり、自分はこうした面で躊躇している。
同じ自分を振り返ると、確かに豊橋に来てから1年以内は風呂や洗濯などを一切意に介さず、奔放な面も多かった。
例えば2週間風呂に入らないことがあるとして、その間に何度もコンビニ通いをするなど、かなり不潔に思うかもしれないし、どちら(コンビニ通いも風呂2週間超拒むことも)にしても、今の価値観では真似したいと思わない。
散歩の判断に迷っている今の状態も愚かしく感じるが、欲が先行して外出し過剰な消費活動(ほぼ毎日浪費気味のコンビニ通い)を続けることは猶愚昧に思う。
コンビニ通いが実質不可能となったり、コンビニ店員への恐怖が強まって入店しなくなった2012年9月からも、自販機に通う頻度は今の5~10倍ほどあっただろう。
幾らか経済的な束縛が外的に強められた結果であるとはいえ、今の状態は清らかで慎ましやかに感じるから、幸甚の思いだが、同時に散歩の決断力に欠いてしまうのは副作用であった。
だが、条件がそろって散歩を即決する日は、2014年秋季にも2015年春季にもあった、これが救いであるから、10月以降も条件がそろえばこうしてまたどこかへ行けると良い。



散歩の計画であるから、目的地やルートなども考えねばならない。
詳細なルートはこの記事では示さないが、過去の散歩記事では便宜上どこかの駅を起点として地図にルートを描いている。

目的地の案としては、とある急勾配の場所(川の流域が低地だから川に対して傾斜がある)に設けられた長い階段を歩きに行くとか、2014年11月の大量下血の日に歩いた幹線道路沿いの商店を再度映しなおしに行くとか、愛知県道2号沿いとか405号沿いとか、色々ある。
弟ほどの体力を持っているか、前の家のように自転車を所持していれば、外出自体の頻度もあがり、より遠くの場所にさえも行けるようになろう。
その場合は今年度開校の特別支援学校であるとか新しい図書館(分館)であるとか、あるいは弟のように頻繁に中央図書館に行ってみる(弟はビデオをレンタル出来ても本は借りられない)など、選択肢が大いに増えることだろう。
それも、自転車という当たり前の道具にさえ恵まれない自分には夢想でしかないことに気付けば、慎ましい隠棲が大事。
ただし、散歩の意思を放棄するものではないから、今後もじっくりと案を練っていきたい。

→記事投稿の翌日である9月23日(メモ参照)に、一つの案の練習散歩を実行した。
1日限りの行動にならぬよう、今後も12月まで出来る範囲で検討する。


2015年9月18日金曜日

類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇

*横野要文類聚 第三篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史が実父は慈父にてやあるらん、慈父にてやあらざるらん。
覺えざりしかば、暫く物を思ひて要文を示さん、云々。
斯くて此處(こゝ)に明文(みやうもん)聚まりぬ。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」と、書きたい放題の題である。
例えば2007年4月の頭に母との別居が始まった頃から暫く経って、父親は毎朝早くから料理して朝食を用意するなど、この辺りはどういった決心からか、真面目であった。
毎日しっかりとした朝食を取って学校に行けることは一つの喜びでもあり、何でもないように思うかもしれないが、同じ朝を迎えるという点では、不登校の予防の一助になっていたかもしれない。
※母親の頃は不登校期間含め小4までシリアル、小5別居まではスープやトーストが多かった。

今回聚められる要文の中には、私の物心が付く前の父親の態度について母親が語ったことも含まれ、その口述内容が仮に事実とすれば、その時から大きく子育ての意識を変えようとしたことは見て取れるが、やはり次第に疑心暗鬼など、修復・橋渡しをする弟2人も2008年末の姫路訪問以降埼玉への帰還を拒んでいるため、およそ私にとって人生相談の相手にならない父親、父親にとっても教育相談の相手(打ち解けた同僚や知り合いやご近所さん、友人や親戚など)が誰もいないという、互いに孤立無援の状況に陥ってしまった。
疑心暗鬼の要因としても、私が寡黙で朴訥だから、何かの必要性の訴えや相談などを、仕事も家事こなす父親に話しづらい面が強かったからであり、それが互いの不満を増長させたようで、初めていじめの相談をした2010年春休み頃は、ほぼ無関心のようであったから、その後も全く相談をする機会など無かった。
互いに寡黙であるばかりか、大事な局面でも言葉が足らず、摩擦を生むだけ。

それからも不和が進み、同年10月の家庭内別居、同年12月から始まる人生最後の不登校など、社会的には悲劇が続くこととなり、私にとって唯一の頼みであった戸籍上家族でない母・弟2人(姫路訪問以来顔を合わせず)を求め、2011年4月18日の豊橋母宅への小旅行もとい家出に畢った。
父が単身で住まうはずの住居には、2012年8月に豊橋追放となった弟が住み始める。





(前略) 母親からこういう情報が告げられた。私が物心のつかない小さな頃のこと、鴨川(父方)の祖父母宅へ父親が独断で私を連れていき、一週間ほど置いていったそうだ。私が鴨川より返送された折、父親は母にこう話したらしい「自分(父)は幼い頃いい子で利口だったらしいが、この孫(私)は悪い子で育てられないと母さんたち(父方の祖父母)が言っていた」。確証のない話で、当然両親の名前すら知らないような幼少の昔話など、俄かには信じ難い。
この他、あの父親がとんでもなく子供(私)を除け者にしていた、父親として失格であったなどの例を母親から多く挙げられたが、全ての例が生まれる前・物心のつかない時のことである。私が産まれる時の産婦人科において、間もなく何かが済むという時に待ちきれず、一人そばのコンビニに移動して飲み物を買ったりタバコを吸っていたりしたそうだ。私が社会的な判断能力を備えた年頃(小5別居以降)に父親を見ても、そのような様子は一度も無かったのだが、それぞれの時期では状況がどう違うのだろうか…2015/06/26記事における07/03追記

Mくんのお父さんは毎年の4月に誕生日を向かえます。ある年のこと、その4月になりましたが、Mくんの記憶では肝心の日付が曖昧で、「4日だったかなぁ?5日かも、6日?」と自分では答えが掴めませんでした。自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました。思いもよらない返答に、Mくんは困ってしまい、「そっか」とだけ言い淀んで、それ以上聞き返す気力も失ってしまいました。Mくんとしては、世間の浅い即物的な親孝行なんて考えていませんので、見当違いな返答が心残りのまま誕生日の解答も心得ずして、その1年後の4月に家を出てしまい、今日まで二度とお父さんの家に帰ることはありませんでした。…2015/06/26

某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。そのカウンセリングも、私が小3の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれ (中略) 父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、数度のみ(多く見積もって4度)の受診となった。最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21"年度"末のようなものだ。その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど…2015/06/10

父親と二人暮らしになって、父親という者は私に放任の度が過ぎていた。こと、PCという高価なおもちゃに際しての指導が皆無な点は驚きである。日本生命勤務で、IT関連だかの役職ではないのか?部屋には立派にOracleだかの資格認定証らしきものが飾られていたはずである。本棚にも、Windows云々とある大判の本が並んでいたと記憶する。斯様な人間が私のPC利用にまで無関心とは、父親としての意識どころか、その職に携わる人間としての気質さえ欠いてないか?母親もそうだが、職業というものは金儲けの道具に過ぎないようである。遣り甲斐だとか、本心には仕事の楽しみなど微塵も持ちえてないと見える。小5の時に父親に (諸例記述等中略) 何にせよ、両親とも放任が過ぎて放棄とさえ言える状態で、当時の私も父親に関わられたくない気持ちの反面、何か拍子抜けした面もあった。プライバシーには触れず、趣味には全面的に協力する(やらせすぎて堕落させるのは別問題)か、自分が詳しいならば助言をするなどの采配が親として肝要だ。両親、まして悪妻娶りし父親は別居に伴う父子生活をも想定して、もっと子育ての信念を婚前、否、求婚期より持っておくべきだった。 (後略)…2015/04/27



(父に)捨てられても(父を)妄信した私


自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました…2015/06/26

冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める…2014/08/07



(弟に)捨てられても(弟を)偏愛した父


注釈: 例えば家の玄関先の壁や、キッチン空間(リビングじゃない、ダイニング?)対面の壁に、弟2人の児童養護施設・通学先における思い出だか作品(絵や書など)をベタベタ貼っていた。まあ当時の私としても自分の創作物だとか貼られても困るのだろうが、時折、何となしに疎外感さえ覚えていた。姫路遠征時に自分を捨てた人間を愛し続け、姫路遠征でも傍に居続けると誓った人間を等閑にすることは、本末の顛倒と言わずして何と言う。父の顛倒ぶりは、傍に居れば随所に感じられよう。果たしてその偏愛は虚妄に終わらず、2012年8月に上の弟との再会が叶った。その末路が、以下のメールなどである。

父親もあの弟への偏愛故に金銭感覚が崩壊してるに違いありません。2012年8月の弟の追放以来、父親はあの弟にPC一台買い与えたが弟は壊し、スマホ一台買い与えればすぐに無くしたとも同メール内に書いてありました。そして「どうしたものだろうか」と当惑の色を表しています。一方の私は成績優秀でもあまり愛されなかった上に、いじめの相談は忙しい父親相手に我慢し続け、ある日思い切って話しても関心を示さなかったり、差がありすぎます。故に、偏愛と呼んでいるのです。PCは2011年7月買った物を、携帯は2010年7月に買った物を今でも大事に使い続ける私とあの弟では歴然とした違いがあります。全然進歩しないあの弟じゃ無駄金注いでも何もいいことはないはずですが。父親も為すすべなく求められるがまま従うという典型的クズ親でしょう。逆に母親もあの弟の悪行を私に問われれば毎回感情論で言い逃れしてばかりで、なぜ両親共にあんな弟を庇うのか、気が知れません…2014/10/02



付録 - 父親の放言メールと私の諫言メール
引用元・一言一句への感想は右記リンク先http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html

題:転入届 - 母宛 - 2014年10月1日22時28分

今日出しました

○○(上の弟の名前)には聞いてないけど、豊橋に戻りたいとは言ってないので、このままでいいんじゃないかなぁ

そちらはお母さんの面倒も見ないといけないし

そもそも、一方的に転出届を出したり、国保脱退させたりしたのはそちらだし

ニキビのことは、こっちに来た当初は気にしてて、薬を買って欲しいと言ったので、何回か買ってあげたんだ

顔をしげしげと見たわけじゃないから良くなったかどうか分からないけど、ここ一年くらいは何も言わなくなったので気にしてないんじゃないかなぁ

そのかわり、金が欲しいからバイトしたいとか、もう一度パソコン買ってくれとは言ってるけどね

バイト先はコンビニか本屋がいいと言ってる

金は週に三千円渡してるけどね

学校にも行ってなかったので、勤まるもんだろうか?

パソコンは過去二台壊したし、スマホ一台買ってあげたけど、すぐ無くしたんだ

だから、これもどうしたもんだろうか?




題:諫言 - 母携帯機より送信 - 2014年10月2日3時 (15年6月編)

バイトなんて今まで甘ったれて性根の腐った自堕落な彼に勤まるはずもなきこと、赫々明々だ。
そして彼自身、そんな過去の例と今の自分を鑑みてないからこそ、そんな無責任な欲望からくる「バイトしたい」発言などが口を衝いて出てくるのである。
母親も甘やかして、父親も週に三千円を渡すような麻痺状態そのものの感覚なら、自分にも非があることを自覚し、改心せねばならないが、もはや彼には手遅れだ。
今まで適切な教育を怠ったことを両親は猛省し、子供に甘やかしの限りを尽くさせる方がいいほど。
金銭的に理不尽な要求をされても快諾し続けてしまおう。

次いで、前言撤回のようだが彼にPCは不要だろう。テレビや他の娯楽でも足りよう。
スマホにしても、彼は2011年中にXperiaを大破させる凶行に至っている。
PCにしてもスマホにしてもただゲームやネット閲覧などの用途に終始するので、高価な玩具に過ぎない。
高度な使い方は一切体得していない。
いわんや短時間で破壊することをや。然もありなん。

何より自分の子供の非常事態だし、案ずる前に然るべき対応もあった。
両親による過去の愚策は枚挙に遑なきもので、一つでも挙げるに躊躇う。
十数年分の過ちは、未来永劫に取り戻せない。
私からアドバイスできることは今のところこれで限界だ。



その他 (母親に関しても含む)

・父親は私を「あの人(母)と似ているよ」と言ったり、母親も私に「パパとおんなじこと言うね」と稀に放言する。親として、互いの嫌いな人間に子供を重ねるというのはどうなのであろうか、ましてや私から見れば二人とも肉親であり、両親同士はただの他人同士ではない。困ったら、嫌いな人の存在により子供へレッテルを貼る。各々の発言をプラスに取ろうと思えば取れなくもないが、やはり両親ともそんな意図は微塵も無く言っているのだから、プラス思考は歪曲・逃避思考であり、取り違えになる。親としての見識や言葉の含蓄など絶無である両親に千子何人が尊敬しよう。私は諫言を続ける。

・母親にしても、当記事に見る父親にしても、当人らが社会的にどうであっても、子供は3人悉く社会的な能力が欠如してしまった。これは広く世間を見て、そんな親子の絶対的対象など起こり得ない。特に、上記2014年10月メールで話題の上の弟を思えば、見るに堪えない惨状である。その中で私は、戸籍上の他人である実母の家に居候しながら、子供を蕩かすダメ親("ダメ"という言葉は使わないようにしているがここでは伝わりやすく使う)の影響を受けないように求道と修行に生きている。上の弟は今もゲームライフに生きているのか。親は子に不満を持ち、子は親に不満を持ち、夫婦もまた互いに反発することを見れば、親子も夫婦も而二不二とはこのことである。

・私は中2の一学期の中間テストで著しく順位が落ち、31位だったと記憶する。それ以前は学年に110~130人いる内の20位前後であったところ、30位以下は一度もなかった。ショックだったので、何となく父親に「中2に上がってから勉強量を増やしたのに落ちた」という旨を強調しつつ尋ねてみると、当ての外れた答えが返ってきた。「みんなもっと勉強してるから」などと、無知をひけらかしてきた。「勉強量を増やした」の一言を、絶対と相対の二義を弁えない父は逆で取ったのである。現代の理屈が強い子供にそんな言葉は通用しないし、仮に子供に対する教育的方便でそう言うにも、子供の機・根を知らない無知の不徳(子供への慈悲なきが為の精神的指導力の欠如)をかえって証明している。第一に、父の言う「みんな」も、何を見て「みんな」という偶像が生まれるか。教育現場か、テレビ画面か、創作文学か、脳内の形成か。それに、勉強しろと遠回しに促すだけで、実質性に欠く。私は「相対的に多く勉強」した結果を述べたというのに。もちろん勉強量が成績上昇の絶対条件ではないからこそ、懐疑せざるを得ない。なぐさめてもらうか良い形で励ましてもらうことを内心で期待したろう当時の私は、ただ幻滅し、どこにも心の頼りや助けが無いと絶望したろう。



不徹底を徹底するから、父親に人生相談だとかということは、何ら期待ができなかったと今までの要文などに書かれる。完璧な答えでなくとも、子供を知らないために子供の心に通じない言葉しか発せられぬ父親に親の徳も資格もない。いじめ・人間関係のほか、勉強・塾に関連するあらゆる子供の思考など、父親は興味もなければ、話しても碌な答えを返さず。仕事一辺倒で、休日は友人なき楽器趣味に耽っているボ○親父もまた、母親と等しく親として失格であろうし、私ほど賢い子供また、彼らの子に相応しくない。こんな両親にお似合いな子供は、煎じ詰めてもあの上の弟くらいであるが、彼であっても母との争いは絶えなかった。

過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている。


2015年9月13日日曜日

類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇

*横野要文類聚「母の普遍的な精神状態」篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史は能(よ)く己が母を憐愍(れんみん)せられ、好き慈子にあらせらる。
故に能く母を諌めて、甚だ繁(しげ)く記録を留めたり。
かゝる慈悲を最も知らざるは、母に外ならず。
加之(しかのみならず)、誤り・過ち・失(とが)をも自ら知ることなし。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

シリーズの趣旨などは第1回目の記事に記した。
今回2回目の記事のテーマは「母の普遍的な精神状態」であり、これは長い目で見ても、あの母親に共通する・・・即ち私の幼少から現在までの母親に一致する性格・人格などが見て取れる記述を聚めることとする。
そこで、今回は記述を大量に引用すると途方もない文字数となることが想定されるため、単一から複数が聚まって注釈でもつけるなどがほどよいと思う。
また、「母の普遍的な精神状態」に関する要文のみ引用しているため、どういう背景があるかは、日付のリンク先のページを参照し、日記メモである場合はその日付のメモを見ること。
文脈って大事だからね、やっぱり要点だけでは疑問が残る場合があるから、疑問が残る場合、それを解消すべく、大体の背景を引用元のページで確認できる。





忘却された暴力性

以下、事情があってコメントアウト

2015年9月7日月曜日

呉音では濁音となる漢字・鼻音の後でも連濁しない漢字(天など)

「神道」は"しんとう"と読む。「仏道」は"ぶつどう"と読む。
この二者の違いは「○道」が濁音であるか否か、の違いだ。

前者の「神=しん・道=とう」はどちらも清音であり、また漢音である。
漢音は清音の場合が多い。
「神社」は"しんしゃ"と読まず、"じんじゃ"と読むとおりである。
「道=とう」という読み方は一般的でないのだが、これを敢えて漢音清音統一として取り入れており、筋が通った反骨精神を感じる。
この読みが語の成立当初から今に流れているなら、成立時期も背景も何となく分かってしまう(古い仮名遣いが"しんたう"であることは措いていただきたい)。

後者の「仏=ぶつ・道=どう」はどちらも濁音であり、また呉音である。
呉音は濁音の場合が多い。
「仏」を"ふつ"と読む漢音の例もまた一般的ではないが、「仏領インドシナ」あたりが著名だ。
フランスの音写「仏蘭西」自体、「仏(ふつ)」の読みを踏襲している(中国ではフランスの音写が「法蘭西」と、「仏法」の違いがある)。
仏教用語は呉音の傾向が強く、これは時の王朝が隋の時代に伝えられたところによる(遣唐使以降は鈴=リンなど、一部唐音が増える)。
呉音というのは不規則的な傾向があると言われるが、これはより正確に言って「時の中国(のとある地域)から伝えられた音(上古音・中古音に近い)を慣れない日本人が記録したり、流入してきた音も同時期に多様であった」ことが真実だろう。

例えば「樂(楽)」という字は、同じ経文を同じ流儀*1で読んでも「伎楽(きがく)・遊楽(ゆうらく)・信楽(しんぎょう)」と、何故か三通りも存在している(自我偈には全てが具わる)。
これは日本に伝えた当時の中国大陸のどこかの地域で読み方により意味を複数に分けた例*2の最たるもので、それでもその当時は現在の「ガク=音楽、ラク=楽しい」という意味に相当するものしか確認されない。
信楽・愛楽・楽着など"ぎょう"に相当する音は、中古音とされる中に"ŋau = ngau"があり*3、もしこれを当時の日本人が聴いたのであれば"がう"と仮名遣い・・・仮名も無き時に仮名遣いとは表音漢字だろうか、ともあれ"がう・ぎやう"と聞き取ったことは想像に難くなくて、それを現代流に置き換えると"ごう・ぎょう"となる。
それが日本で特異な語句にこの音が当てられたようであるが、中国大陸で学んだ僧がそう教わってそう呼んだのか、日本で便宜上こうしたのか、詳細は未だ掴めずにいる。

1年以上前にメモ帳記事などで「漢音で"ei"の発音があるものは"you"となる」と語ったりしたが、特にこの記事に通じるものとしては「成・静=じょう」という呉音である。
前者は「成道(じょうどう)」があり、後者は「静脈(じょうみゃく)」がごく一般的な用例だ。
「成功(せいこう)」には、上記呉音の例に加え、「功(こう)」という漢音を鼻音"う"*4に連濁させて"じょうごう"という読ませ方を当方のIMEでは変換できる。
「定(てい)」にしても呉音は"tei→tyou→dyou→jou=じょう"と逆に辿れ(これには時系列的に語弊があるが説明は省く)て、こちらの"じょうごう"は変換できないが「定業(じょうごう)」や「入定」と、仏教用語には「定(じょう)」という呉音は多い。
漢音"てい"が呉音だと"ちょう"という漢字なら「丁(丁寧・一丁)」などが好例だが、「定」のように"じょう(旧仮名:ぢやう = dyau)"として濁音を伴う傾向があることをここで留意されたい。



続いて、記事タイトルにある「鼻音(ウ・ン)の後でも連濁しない漢字」について触れる。
このような漢字は漢音と呉音で読みが一致することも多い。
それは「天」や「開・海・戒・改」などである。
後者の"かい"という漢音がある場合、呉音では「会・回」のように"え (ゑ)"と読む例から、「悔」が"け"、「解」が"げ"と読むなど、漢音→呉音を辿ると枝分かれが見られる*5
もちろん時間的にはその逆で、いくつかある川の上流が下流で合流するもの、と言える。
「カイ川・エ川・ケ川・ゲ川」が下流で多くが「カイ川」に合流していく、と。

そもそも連濁というのは当記事で「成功(じょうごう)」と既に触れているよう、音読みの熟語の場合は鼻音の後が濁音になるという法則がある。
「成功(じょうごう)」を例に取ると紛らわしいが、これは「成」が呉音で「功」が漢音と、複合状態である上に、「功」が「成(じょう)」の2モーラ目"う"の鼻音に呼応して濁音となっている。
「功」が「功徳(くどく)」のように呉音"く"なら"じょうぐ"と読める。
「功徳(くどく)」は、「功(く)」が鼻音でないのに連濁しており、これまで解説するとややこしくなる。
・・・例えば、「諸有修功徳」という自我偈の一句は"しょー・うー・しゅー・くー・どく"と5拍子で読むのだが、"くーどく"となれば、"くー"が鼻音連濁を起こさないともいえないので、他の経文も同じように1モーラの音を伸ばして読むことから、そのまま鼻音のない状態でも連濁したと見る。
いいや、この「功(こう・く)」は元々ピンインでいう"gong"という2モーラ目が軟口蓋鼻音であったが、千数百年以上前の日本では2モーラ目"ng = う"が省かれては「ごう・こう」であるべきところ、「ごう・こう」でない「く」という1モーラのみの清音が普及したと考えてよい。
読経において元々1モーラ相当の音*6が2モーラに伸ばされただけだと、通常は連濁しない・・・だから知らない人にはややこしくなってしまう話となる。
「呉音"く・ぐ"+連濁」で似ているのは「弘通(ぐずう)」などがあるが、「通」という字*7は経文を伝統的に「神通力(じんずうりき)」と読む場合と、一般的に「神通力(じんつうりき)」と読む場合がある。



冗長な話をここで終えて、鼻音でも連濁しない漢字の例について書く。
まず「天」については、「寒天・昇天」から、仏教系だと「梵天・有頂天」などがある。
いずれも前の漢字の2モーラ目にある鼻音"ウ・ン"の後で連濁が発生していない。
連濁の法則が仏教系に多いとしても、「梵天・有頂天」までが"ぼんでん・うちょうでん"となっていないところ、伝来当時の中国などで実際に、濁音が生じない漢字であったのだろう。
そうでなくとも、やはり普遍的な法則に見える仏語における連濁も、例外があるようだ。
ここに理と事の思考が活かされよう。

これは「点」にしても同じく「難点・盲点」など、"ウ・ン"の後で濁音となっていない。
一方、"てん"の発音があるものでは「典」あたりが連濁し、一般では連濁せずとも、仏教系で「経典」は"きょうでん"と読む宗派も多い。
なお蛇足となるが、「法典・聖典」などは"はってん・しょうでん"と心の中で風変わりな読み方をしているが、これについては多く勉強されるとどういう言語的法則が根底にあるか知られよう。
"しょうでん"を変換すると「聖天」なるものが!「天」が連濁しておる・・・
不安なので「梵天」についても調べると"ぼんでん"と呼ぶ例が散見された。
この辺りの考古学的な調査は不可能なので、「そういうこともある」と思うこととしよう。

続いて、「開・海・戒・改」について、単語例は枚挙に遑がないためこれを省く。
簡単に説明できるものは、「信(しん)」が連濁せず、「進(しん)」が連濁するところであろう。
"しょうしん"と清音で読める単語に「正信」と「精進」があるが、前者は"しょうしん"であり、後者は"しょうじん"である差が分かる(正は正法"しょうぼう"とかというように正も精も2モーラ目が"ng"鼻音で連濁させる作用がある)。
私が「仏語」を強調するよう、仏語では多く連濁する漢字も、一般的には鼻音連濁の法則が薄いせいで清音のままというものが多い。
だからこそ、鼻音連濁の多い仏語において鼻音連濁をせず清音のものを探す必要がある。
"しん"の発音なら、「心」も「用心・信心」など、仏教系では鼻音連濁するが、"しょうしん"の変換では「傷心・小心・焦心」など清音で多く出る。
なお、冒頭にあるよう「神」という字は漢音"しん"と呉音"じん"であるから、鼻音連濁の限りでなく、「深」にしても呉音が"じん"であるために「甚深」を"じんじん"と読み、これも鼻音連濁とは異なる。




最後に、漢字の音読みと関係の無い和語の話をする。
「涙」を"なだ"、「喉」を"のんど"と読む場合を見かけないだろうか。
「涙(なだ)」は、"なみた(?)→なんた→なんだ→なだ"と、"み"が"ん"に撥音化されてこれが無音化した("なみだ"という一般的な発音は"なみた"の異流か)。
「喉(のんど)」は、一般的に"のど"というが、これ自体も涙と同様、本来"のみと(飲み門)"と、日本の医療が進んだ時代からか出来たようで、"のみと→のんと→のんど→のど"と、撥音便・無音便(造語)を踏んできている。
ここで注目してもらいたいのは"のみと→のんと→のんど"の箇所である。
"のん"の後の"と"が発音しやすく連濁して"のんど"となった。

和語には、こういった経緯を踏まえる動詞がとても多くあり、源流を辿ると似たような例が散見される。
これは「涙・喉」のような名詞に限らず、多くの動詞にもあるが、これについては勉強してその様相を探ってもらいたい。
案外、重なった言語感覚から手に取るように得られる。

もったいぶってみたが、一個だけとりあえず動詞の例を示す。
「重んじる」とは「重む」という動詞の連用形「重み」に「する」というサ変動詞をつけて「重みする→おもんする→おもんずる→おもんじる」となった。
この法則に気付くと、頭で勝手に「辛んじる」などとポンポン動詞を生んでいる(類推・逆成)。
※「辛うじて」の混同だろうか、「辛(かろ)うじて」とは「辛(から)くする→(ウ音便・字音変化)辛(かろ)うする→(う濁音)辛うずる→(連用形+て)辛うじて」として出来たのだろう。

サ変動詞が「鼻音連濁+じる」と変化するのは「感じる・講じる」など、動詞音読みのものに多くある。
「存(ぞん)じる」「存(そん)する」は、同じ漢字であるが、漢字の読みに清音・濁音の差があれば、サ変動詞も"じる"変化が生じていない。
生じない、変じない。
サ変動詞で連濁し、"じる"変化が起こっているもので、鼻音ではないものは「命じる」等あり、これも"メーじる"という長音だから"じる"変化があると思えばいい・
もちろん、「存(そん)する」のように「呈する」が一般的な"エー"系サ変動詞もあるし、そもそも文語体・古いものは「汝に命ず・肝に銘ぜよ」等書いてしまえば、"じる"変化はごく現代的・慣用的で、必ずしも絶対的な文法では無いことが分かる。
「○○する」というのは、正統終止形で「○○す」となり、古書を紐解くと「○○する」は本来連体形の用例のみであることは判然としていて・・・
これについては過去記事で縷々と語っているので参照されたい。



脚注

*1・・・例えば、異なる宗派と地域では、同じ経文でも連声・・・「成仏已来」と唱えるとき「じょう・ぶっ・ちー・らい」と読む場合と、連声せず「じょう・ぶつ・いー・らい」と読む場合とがある。元々連声するのが正統であるとか、あるいは正統気取りで連声をしはじめたとかは、考古学者ではないから知る術がない。二分・多分に分かれた読みは、宗派や地域などによっていずれかが慣用的な読みに変えたり、後世へ正統派の読みが忘却・不相伝などは確実に考えられる。

*2・・・例えば、顕著なものとして「易」という字が挙げられる。「貿易」等に見る"えき"は、交換や変化などを意味する。「平易」等に見る"い"は、難易のやさしさを意味する。これは、中古音に"yek"と"ye"という違いに現れ、それ以前の上古音では意味の違いによる発音の著しい差が生じていない。他は、「惡(悪)」も、状態や行為などの悪さ(悪化・悪行・悪魔)を"あく"といい、憎悪・嫌悪(悪寒は?)などを"お"と言うが、中古音では同じく"ʔak"と"ʔu"という違いがある。"ʔ"という環境依存文字は「声門破裂音」の記号で、有るようで無いような子音だと思えばよい。

*3・・・環境依存文字"ŋ"は、普通のアルファベットでは"ng"と書き、「軟口蓋鼻音」という。ここで過去の釈明をしよう。「日本以外の漢字文化圏や東南アジア・インドネシアの地名などをGoogle地図で見れば"ng"の綴りが甚だ多い」という現象について、2011年から最近まではこの"ng"の綴りを「nの後に発音しないg」と思い込み、原因を「東南アジアなどにとって中国がローマナイゼーションの師匠だから」等と考えていた。それは私の誤解である。誤解が晴れたきっかけは、このように"ng"が語尾ではなく、母音を伴っているピンインを見たところにあり、自分が思うnとはまた異なる鼻音"ng = ŋ"があると知り、その音を以て具体的な違いを知った。だからこそこのことを論った記事では、確然としていない知識からの見解に「信憑性の薄い話」と自ら不信を唱えていた。

*4・・・日本の漢字音読みにおける"う"の音は、歴史的仮名遣いや字音仮名遣いというものでも"ウ"とされる場合、中古音・上古音では"ng"の音がある場合が多い。この"ng"とは脚注2にあるとおり「軟口蓋鼻音"ŋ"」である。日本語の"ウ"は本来「狭母音」の一種であって、鼻音ではないのだが、連濁の法則上は伝来当初の"ng"音が守られているのかもしれない。ほか、"う"の読みのある漢字でも、例えば小や好などは"ng"音による"ウ"でない。合や法の場合はいわゆる入声音の"p"が字音仮名の"フ"、現代では"ウ"となっており、当然軟口蓋鼻音ではないから、連濁は通常せず(した場合は類推か)「合掌」を"ごうじょう"とは読まず"がっしょう"と読む。

*5・・・「会・回」と「悔」と「解」というのは、それぞれ古い仮名遣いでは異なりがある。現在では全てが漢音において一様に"カイ"であるが、古くは「会・回」は"クワイ"、「悔」も"クワイ"、「解」は"カイ"であった。厳密にこういった違いが中古音など、時の中国では分別があったものの、日本語の口頭では境界が曖昧で、現代までに誰も意識しなくなった。こちらで確認できる中古音を現代カナに置き換えると「会 = kwajH =クヮイ」、「回 = hwoj = フォイ」、「悔 = xwojX = クォイ"」が近いだろうか。中古音などの表音で、大文字のXやHが末尾に付くことでの相違点は不明。拗音ォは、便宜上こうしたが、自分の口頭では小さいヲが近い。なお、普通は母音"a e i o u"が付かない"j"は珍しいだろうが、これの本質はドイツ語・ラテン語学習者ならご存知の通り、"i"の音に相当する(更に言えば英語の"y"に相当する)。"i"と"j"の字の形状にもその点が表れていよう。本来は"iapan = japan"のように、"j"は"i"の亜流であった。よってここでは"イ"とした。

*6・・・日本で読経する際、漢字1文字2モーラとなってテンポの良いリズムを作る。だが、稀に音写された固有名詞などでは1文字1モーラで連続することがある。「釈迦牟尼仏」を"しゃー・かー・むー・にー・ぶつ"と読まず"しゃか・むに・ぶつ"と続けざまに読む。「舎利弗」も"しゃー・りー・ほつ"ではなく"しゃり・ほつ"と読むが、中国では"しゃー・りー・ふぉー"と1文字2モーラ式だ。

*7・・・"つう"という読み方は、一般的には「通・痛」の2字がある。日本Wiktionaryは「」の"つう"を慣用音として、「」の"つう"を呉音として載せているが、根拠が薄い。堅物の日本ウィクショナリストは「どこどこの辞書にそう載っているからいじるな」と言って譲らないものだが、中古音を元に考えると、「通・痛」の2字とも"thuwng"であり、特に脚注3等でも示されるよう、"ng"は伝来当時の日本で多く"ウ"と扱われ、「通」だけ慣用音だとか、そんなことはあり得ない。経文読めば、慣用音でのみあるということは全くないし、仮にどこぞの辞書がそう載せているならば、その辞書の編纂者という一個人の見解であろう。辞書へ絶対的に依存する堅物である。真実を見ない。辞書の説が真実と思うならば何らかの合理的根拠が要る。なお、ほとんど慣用音とされる読みで有名なものは"すう (数・崇・枢・趨など)"であり、これについては一理あって、経文でも「数(數)」は「無数(むー・しゅー)」等、"しゅ"と読み、一般では何故か濁音の「数珠(じゅず)」が好例。「数(數)」については数数見擯出(さくさくけんひんずい)という変わった読みがあるが、これも上古・中古音や現代でも各種方言に似た発音が多々あって(上: srok 中: sræwk 閩南・広東: sok)、「数字」などとは異なる意味を表す際の音である。



以下、脚注6・7を追記する前に「脚注5で記事が終わる」と想定して書かれた末文だから、脚注6・7を意に介さず読んでね。
せっかく綺麗に記事を締めくくれそうなのに日本ウィクソが調和を乱して、文脈破壊追記をさせる。

↓ ↓ (脚注5・母音に似た"j, i, y"字の音の類似性と歴史的関係性を受けて)

こういった文字を、(勉強の中でたまたま)歴史や多言語の上から研究していると、発音の本質を容易に覚ることができる。
よく取り沙汰される"L"と"R"の違いも、過去記事にあるよう古いラテン語や現在でもフランス語に"lla=ヤ"、"lle=ユ"という発音を見ることができ、トルティーヤやミルフィーユといった名が分かりやすい。
英語の"All"のみならず、"al"の綴りが単語の頭でも中でも尾でも、"オゥ"や"ォオ"のような発音をするのは、9月7日調べると「ダークL」というそうだ。
ミゥク、アーポゥ、ヴェイォオって何だ。エニモゥ(発音動画)
私一人の覚ったことではもったいないので、こうして文章に表し、自分で覚れない人の為にこの文理(もんり、文のことわり)を説く。

なお、当記事は9月6日22時頃、俄かに記事の案として発想し執筆を始めて、ダラダラやったつもりが9月7日14時頃に5,000文字を超した。
今回のテーマ「連濁」について、私としては記事で例を挙げきれないほど知り尽くしたつもりだが、一応「覚れない人」びとの為を思い、勉強に役立てようと、こうして記事にまとめて投稿する。
学術的メモ帳であるから、自分の知識などを形に留める目的でもある。
そういうつもりで今まで作成した記事は、当時まだ知識不足・誤認識があったり、調査不足の面もあったことは、後々気付くこととなる。
だからこそ、「知り尽くしたつもり」の更新をするため、その都度、記事に作って成長過程を判明させねばならない。