2015年9月28日月曜日

2015年以降、特に配慮する文法

一字一句を推敲する。
文法で今年のいつからか非常に気にするようになっているのは「している・していない」という現在進行形の「い」抜きや、一文中(文節)で「は・では・には・のは」等で助詞の重複がないようにするところである。
前者の「い抜き言葉」に関しては一般的に誰も問題視していないし、私も他人が使うだけなら問題視しないが、自分の文章はここらへんもキッチリさせたく思う、というより、今では「い」が入ることが自然に当然のセンスとなっている。
後者の「助詞重複表現」に関しては、例えば長い一文で重複助詞が離れていれば一見違和感が無いのだが、それを意味が変わらない程度に重複助詞を近づけると、誰の目にも息苦しい助詞の重複と感じられるから、このように位置を整然とすることで助詞の重複という状態を見分けられる。
適度に句点(ピリオド)を打って文章を終わらせる工夫は必要だろう。

これは自分で記述訓練をしてこそ得られる感覚だから、文例を挙げての説明は野暮だと思ったが、一応の例を挙げておく。
慣用句的な「一概にこうとは言えない・一概にはこうと言えない」のどちらかが適切な文脈において「一概に"は"こうと"は"言えない」と、助詞の"は"が2回使われることが助詞の重複である。
「この場合に"は"それ"は"しないでね」という一文も重複であり、否定形が続くものが多い。
助詞"は"の同系の助詞として仮定などの意味がある接続助詞"ば"であり("こういう場合は"と"これならば"という語は文章によって同義である)、例として「そういうことなら"ば"(同義表現: そういう場合"は")、これ"は"いらない」という一文が挙げられる。
助詞の重複は、助詞全般に対して有り得るものであるから、「が」の系統など、色々ある。
曲がりなりにも文章に関する仕事で収入を得ているプロは、一応、この点にも念を入れる。
※今の一文の「曲がりなり"にも"」と「この点"にも"」は重複表現の範疇でない。
"は"の重複表現は、現代人好みの曖昧な印象を付けるようであり、発言者の心の自信の無さや、何となく中途半端に表現したい意図が表れている(曖昧な表現を好んでいる自分に気付いてこれを退治する努力が必要に思う)。



ここでもう一点思い出したことは、名詞的な助詞である「の」や助詞的な名詞である「こと・もの・ところ(蛇足:とき・ころ等)」を多用しすぎない表現であろう。
前者は名詞的=体言のような性質を有することで「準体言助詞(準体助詞)」と呼ばれ、後者は「形式名詞」と呼ばれる。
「こと」に関しては、中学生の頃、自分の言いたいことを海外サイトに英語の長文で書き込もうとした際に、客観的に見て使わない英単語"Thing"が、自分の知識で直訳するとあまりにも繁多になっていて、ウンザリした経験がある。
一方、英語の"Thing"も「こと・もの・ところ」同様に、何らかの事象に当てる表現として"Everything, Anything"等の英熟語がある点で日本語と類似する。

現代の日本語の表現は、曖昧にしたがるきらいが備わる(まあ英語も"This is it"みたく前後の文脈を知らないと意味不明な文章が多いが)。
それを覆して、「こと・もの・ところ」などは、全て具体的な名詞にすればよいのである。
例えば「驚いたことがある」という一文では、「驚いたこと」が何らかの過去の経験を指すのか、何らかの本で読んだ記述を指すのか、あるいはその他なのか、曖昧である。
「驚いた経験がある、驚いた記述がある」と、一つの単語を差し替えるだけで、いくらか具体性を持った想像が可能となる。
こうして、極力「こと・もの・ところ」という、どんな文脈も嫌わない中性的すぎる単語を、具体的な単語に差し替える"こと"="思考・努力"が重要であり、常に心がけている。
そうすれば、自分の言葉を英訳したいときも、垢抜けない雰囲気が一掃されるかもしれない。

助詞的な名詞(こと・もの・ところ、とき・ころ、なに等)は、ある程度漢字にしない方がいい理由として、当てる漢字の意味(字義)が含まれないところにある。
好例が「もの」であり、人物などを指す「者」や、物質・物体などを指す「物」のほか、「こと」のように事象を指す場面もあるが、これはどちらに変換するのも好ましくない。
無闇に漢字にしてはいけないのが、助動詞「いる・みる」や「ない」等であり、「してみる」の「みる」は視覚的に見るのでなく、「試みる」ことであるから、当然「見る」と綴らない。
「しない」の「ない」も否定形の助動詞という上では本来「せず」いい、漢文なら「不」の字を当てたように「無」よりも「不」の字義が通じ、助動詞「ない」は存在の有無などを意味しないから、「しない」の「ない」は「無」と綴らない。
有無の「無」と異なって、新参助動詞だから「綴らない」を「綴らなし」と文語体形容詞同様の終止形にすることなどは禁物。
上代から現代にかけての日本語の変遷を見ては、自ずと感覚を得られる。
「ない」という形容詞的な助動詞・「もの」という助詞的な名詞などは、音がたまたま一緒で意味も類似するだけであり、正体は別物と考える必要がある。

※「ない」の語は、既述するように「存在の有無=○○が無い」と、「行わない=不」に加え、「性質の否定=非・不」いうのがあり、「ではない」なら「あらず=非ず」が対応する。「ではないが」という表現は「あらねども」等と古文に変えられるよう、実は対応がしっかり出来る。



漢字の変換についても「など・等」を使い分けるのは、実際に脳内で「等」の時は"とう"として言葉が紡がれているので、これに従う。
私は文脈により「など」か「等(とう)」を選んでいるわけだが、見る人にはこのニュアンスの違いが汲み取れないかもしれないというジレンマがあって、私としては方針を変えたい部分もある。
こういう私は、他にも「ほか・とき」を漢字にするかしないか、迷う経験が多い。
そもそも、「ほか・とき」とも漢字の変換が複数ある(とき=刻というのはデフォルトIMEで出来ない)。
今の一文に出た「とも=共、できる=出来る」といったものも多く選ぶ時間を取るし、そういった変換するかしないか迷いやすい漢字には枚挙に遑が無い。
ここで、適宜その可読性を考慮するか、あるいはその時の裁量など、必ずマニュアル通りの文法を持つ必要が無いという帰結もある。
もちろん、私自身そんなマニュアルありきの執筆活動ではないのだが、伊達に書いているわけではないからいくらか自分の流儀が定まりつつあるのは当然である。



最後に、文法や文字主体の話と少し異なることだが、近頃の傾向をここに記録する。
日々脳内の思考や、口に出す独り言では、反射的に古い発音であるとか、浮かび上がった言葉の文字列は古い仮名遣いなどに置き換えられてしまう。
簡単に言えば、FPS・TPS等の暴力ゲームや、テトリス等のパズルゲームにはまった時に自覚する中毒症状と似ている。
前者は視界がさながらゲーム内の空間であって自分は主人公のつもりで他の歩く人間が殺害対象などに捉えられたり、後者はあらゆる物体などの形状が積まれたテトリミノのように見えてしまうというもので、どちらも過去に体験している。

今の私という者は、ちょっとした言葉もおかしな発音に置き換えたり、あるいは普通の人が「してる(い抜き言葉)」と言うところ、「してる→している(正統)→しておる(古風・老人)→してをる(旧仮名遣い)」のように変化して、独り言では実際にそう口に出すことが特に多い(「してをる"Shi-te-wo-ru"」の発音は少し自然に"Shi-tweo-ru"というくらいが近い)。
少し考えただけでもこうして即座に、普通では奇異と見える表現に置き換わる。
英語の学習に徹すると、日本語の単語が勝手に英訳される人もいるし、これも経験があり、今でも日本語や漢語の音韻が勝手に英語・ラテン語・ギリシャ語・ドイツ語等に変わることもある。
異言語などが干渉するという状態は、普通の人だと一過性の流行語にはまってポンポン出すようなもので、私の場合も勉強の成果といえども、いずれは元に戻るのではないか、あるいは「個室即地域」の方言のように定着するのではないか。
方言というものは、本来日本全国で同じように(蝦夷は不明、アイヌは漢字系と異文化)時代差はあれ、現代で言う古語が話されていて、近代に至るまで江戸時代の封権(??)で地域ごとに独自に進んだ大衆文化の中で成熟した。
各国の領域下やもう少し広い地域で、産業も政治も収まった(それまでは中央集権と、他の地方の作物・鉱物取立てで統治)わけで、大名だかの頭以外の民衆は遠く他所行きする必要も無い。
今の私も封建(??)的に過ごしているわけだから、方言的な独自の語りも生まれように、これは今に限らず幼少期も単語レベルなら造語を生んではいた。





後年の追記①
「動詞連用形+て」という形の後に句点を打つと、文脈が乱れやすい。
ただし、「よって・したがって」や、「○○を以て」や、「○○に於いて」などの副詞的用法の表現には句点を付けた方が文章の整理がつく場合があるため、便宜を図って句点を付ける。



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