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2019年11月22日金曜日

母が私に買い与える物の一部について

まず母親に2019年5月26日と2019年9月12日の写真の添付とその簡単な写真の説明を書いたメールを送信する。
次に以下のような(=ネットでの公開と別に修正を加える)長文のメールを送る。

以下、メールの文章の案である。

基本的に母へ物の要望をしない私であるが、過度な場合について問題性を指摘することはある。
「私の我慢の限界の程度」は、時期によって異なるが、2013年から、私がそのようにしている。
2013年6月には2015年時点の未使用品があるという基準で計算して1度で1万円以上の無駄遣いが行われた。
タンスの肥やし(箪笥の肥やし)が蓄積する一方である。

2013年10月19日に当時16歳の私は以下のメールを母親に送った。
抜粋する:(全文は本家2013-10-22記事に載る)
今年6月頃に俺に買い与えた服も、正に夏に着るために買ってきたようなものの上、酷いセンスのデザインだから夏にすら着る気も起きない。
お前の持ってる服はそんなにおかしな服でもないのに、俺には小学生が着るようなものばかり与えるから呆れてるし、俺をダサイ見た目にして笑いの対象にでも仕立てあげる気なのかと疑うほどだ。

前回の衝撃的な一件のその日の内に試算したが、使わない大量の安物に計一万円以上も使っていたと発覚した。
「安物買いの銭失い」という言葉を知っているだろ。
着ずに虫が湧くのが落ちではないか、虫が湧けば家の問題になる。
たとえ量こそ少なかれど、俺が気に入ったものを数点に一万円を使うほうが遥かに有意義だ。

とりあえず、お前のセンスは信用できないから、ネットで一通り買い揃えられるほどの金を用意してもらい、その金で服を購入する。
(中略)
俺がまだイオンに行けた今年6月に俺に相談して金を渡して購入させれば希望はあったのに、お前は勝手に何も言わずにゴミだけ買ってしまった。
ここまで来たらネットで購入するしか術はない。
実際に、去年9月はどうにか一人でイオンに行け、服を買えたのだが。(以前も話した)

こういう文章を書いていると本当に気分が悪いし、善人の俺がまるで悪人に思えてくる。
生活必需品の購入にあてる資金くらいスッと出してくれないと、以前少ししか出資してくれなかった、だから去年9月はユニクロで2点しか購入できなかった。
(中略)
わかったら、これからは簡単な要求くらい素直に飲み込め。俺の気を悪くしないうちに。

以上は2013年10月19日のメールからの抜粋である。
これに対する母親の返信は「あなたが外出しないことが私の困ることにはならない」というメッセージを含めたものであったと記憶するが、母親からの返信については記録を失っている。



当時に持っていた知識とその行動における反映は、後年の記録からうかがうことも可能である。



2015年7月12日
押し入れ下段にはタンス(チェスト)があり、その最上段には小5(小6?)の時から所持している部屋着・寝巻き用の上下セットが収納される。購入時の身長・体重には長袖として適正なサイズであり、"150cm"と思いきや、"M"と書いてあるのみ。バスト79~87cmという表示があるが、何にせよ今でもさほど窮屈な感じはなく着られ、これを着て撮った写真は中3・当地の自室にて全身を写したものと、2012年6月28日に撮った2枚の計3点しかない。

これを着るに問題あらば、時期的な経緯も含めて母親に次回木曜日の買い物で新しい夏物の部屋着を買うように頼む必要が出てくる。高学年から20歳まで同じ服を着続ける人は、なかなか見つからないと思う。それはともかく、他にも買う際に数点添える事項があるだろう。

一に長袖であること。既に「私の相談なく母親の独断で買われた」半袖の衣類がいくつもあり、タンスの肥やしとなっていて、仮に母親や下の弟に渡そうとも、各々が別々の意味で着られる代物ではないが、前者ならせめて「私(母)が着たくないものは○○(息子の私)も着ないだろう」という気持ちから、独断で買うにもしっかり品定めをしてもらいたい。

二に繊維は化学繊維、中でもポリエステルが好ましいこと。部屋で着る際に着やすさ・着心地だとか機動性であるとかは肝要であり、前がボタンで開閉されない服は綿の場合、新品は腕を通しづらいことが多く、このスウェットも最初そうだった。ポリエステルは他にも丈夫・万能であって、件の部屋着もポリエステルが主体で織られる。綿などはファッション、だけど7月10日の日記メモに触れたお気に入りの黒いシャツも、綿とポリエステルが半々なんだよね。三にカラーであるとか、その他の指定。

結局、私が小5から今まで捨てずに留めているこの部屋着自体が長袖であり、長袖を求める気持ちは今でも変わらない。中3となった下の弟が今でも上半身裸で過ごすこととは気持ちが異質なのに、その心を知り難い母親には、言葉で言うしかないが、それでも伝わらないことが多い。メールでの要望は、もちろん当メモのような長文でなく、要点のみの簡潔なものとするが、寧ろこの方が平易で要旨のみは堅実に伝わろう。

最後に、今着ているスウェットと合わせて一点書くが、やはり夏場には件のポリエステル的なものが合うだろう。通気性は言うまでもない。冬物のスウェットを常時着続けて、綿の生地を汗や湿気でくたくたにして、いざ再び冬を迎えるとき、衣が薄くては過ごし難いではないか。よって、夏には夏に合わせた衣類を調える必要性がある。

注釈: この2015年7月12日の記述ではポリエステルを高評価するが、あくまでもそのような織られ方である場合に限られる。2019年8月22日に母が私に渡した「上(トップス)1点ポリエステル100%の半袖ポロシャツ」は手触りザラザラ+胴体の表皮にチクチク感+静電気で夏の部屋着に適していない。他の肌着併用で外出に適するかも不明である。いずれにせよ、私自身で着る物を選ぶ方が家計にも地球環境にも好ましい。




2019年5月26日
16時台、「2013年6月に母親が勝手に私へ買い与えた衣類・カバン類のうちの一つである手提げ・トートバッグ風のカバン・鞄」は、合成皮革素材の部分が風化していた。いわゆるポリウレタンの加水分解の類である。未だに外での使用を経験しないこのカバンは、このような状態となっており、母親が無駄な投資ばかりをする傾向に、改めて呆れる。中学生のころから「目的性による物の良し悪し」の分別ができている、精神的・知能的に自立した子供との相性が悪い、母親である。



2019年8月22日に母が夏の衣類として私に渡した靴下3点・上下短い服1点ずつについての補足事項※
上(トップス)1点はポリエステル100%の半袖ポロシャツであり、ザラザラ感がすさまじく・肌着として着た際の胴体の表皮にチクチク感がある(私は外出しないのだから部屋着として実用性が確保されるべき。用いる当人の目的をわきまえないで母親は買い与える)上に、残暑の9月11日(湿度は少なくとも低くないと思う)に試しに着た際には静電気のバチバチとした音を聴いた。靴下3点は1色の地に2色のドット(水玉模様)が伴う柄物である。柄物の一部は、履く際に指に引っかかるか、耐久性の欠陥を伴うなどで、実用性に欠ける。8月・9月10日以前に一度試しに履いて問題があった。9月12日には水玉の位置に対応した皮膚への陥没が確認できた。母親は、自分が着ない素材・デザインの衣服を息子に与えたがる。2012年から問題視していて、まともな言葉を理解できない人に対しては「黒一色のものを買えばいい」とだけ言うしかない。母親は長い説明に理解を示さないか、空虚な返事だけで守ろうとしないからである。それでさえも比較的長い時間の経過で、破られる。もし2012年から、私が「外出して適宜に自分で衣服を選んで購入する」という話を母親承諾していれば、ポリウレタン部品多き未使用バッグの加水分解現象などで無駄な出費が発生することもない。引きこもり傾向にあった私の外出頻度も多少は高くなったろうが、その旨を私が2013年にメールで主張すると、母親は「あなたが外出しないことが私の困ることにはならない」などと、精神的に親とは思えない最低な反発・非難をしていた。




2019年9月12日12時59分に上掲の写真を撮った。
これは、水玉、ドット柄のステッチ stitch, stitches のある靴下によって足の皮膚に跡がつく現象を示す。
前述「水玉の位置に対応した皮膚への陥没が確認できた」。
母親自身の使用としては買わないであろう代物を、私に対しては買い与える矛盾に憤りを覚えている。



2019年10月28日15時39分の母親へのメール「2019年10月28日14時20分ころの出来事について」には、以下の記述がある。
追伸だが、機会があれば「頼まれずに買い与えて無駄遣い&安物買いの銭失い&タンスの肥やし&で未使用品の経年劣化 (e.g. ポリウレタン加水分解 ファッション大好き中学生の時でさえ私は警戒する頭がある)」に関しても詳細に伝えようと思う。機会が無い場合は、私のために私がする作業がされ、あなたに言う事柄はない。






起草日: 20190912 ?
結局のところ、実生活のうち外出に関するものについても検討するときがあろうから、ここで現状から算出される結論を書く。

他人よりも買い替え頻度の低い=経済活動機会の少ない私は、自然災害・襲撃犯罪などの非常時に困らない道具がよい。
材質のよい・丈夫な作りのものを選ぶとよい。
最低限ポリウレタンは避ける。
ポリウレタンはその合成皮革やフェイクレザー以外にも、衣服のゴム状の部分(リブ)など、様々な利用があり、劣化に緩急の差もあるので、全部避けよと私は言うつもりでない。

カバン・かばん・鞄・バッグを買う時は、用途によって材質を考える。
もし買い物の頻度が高ければ荷物を入れるために用いるバッグは、綿かポリエステルで100%を占めるようなものを選ぶ(荷物の大きさの割に重量のあるものに対する強度などは織り方など他の構造を見て感覚ではかればよい)。
他はショルダーバッグでもトートバッグでも何でもそう。

いわゆるエナメルバッグという「エナメル」は、特定の動物由来の革や植物由来の繊維や化学的な合成素材(合成樹脂、合成ゴム)の名称でない。
土で焼いて作る土器-セラミック-セラミックス–陶磁器(陶器と磁器 pottery and porcelain)の光沢を付ける加工法に用いられるガラス質の部分に由来するもので、詳細には"vitreous enamel", "porcelain enamel" などと英語で呼ぶ。
日本語では琺瑯-ホーローと呼び(日英とも狭義には後述の金属の焼き物に限るそう)、加工法 (overglaze enamelling) では釉薬 (glaze) という珪石などガラス質の物質 (vitreous substance) を含んだ材料(日本語の琺瑯は結果と原因のどちらを指すかWikipediaもコトバンク所収百科事典類も不明瞭な点が悩ましい;英語も実は同じ?辞書サイトでも注釈があるわけでないし)を高温で加熱して融かすプロセスから出来上がる (cf. グレイズ glaze, ガラス glass, 光を放つ-自動詞 glow, 輝き・光沢・ツヤ gloss, 光沢ある・艶やかな glossy)。
七宝焼きという金属の焼き物 (cloisonné) に関しても釉薬によるエナメル部分がある(琺瑯とエナメルは金属に限るという本来の意味では結果にも原因にも同じ言葉が指すことになり、釉薬とグレイズも陶磁器を対象にした結果にも原因にも同じ言葉が指すという紛らわしい語句のようで混沌–カオスである;産業関係者が明瞭に説明せよ)。
それらの工芸分野から、革製品のための光沢加工の用語にも派生した(エナメル革 patent leather, enamelled leather は本革の加工に限って呼ばれる。加工や歴史経緯はここで説明しない)。
革は500度も無い温度で焦げて炭化するように、革の光沢加工に用いる何らかの物質も焦げると思われるが、釉薬の方は500度以上で融けるような実際のガラス–珪素などの物質が用いられるので、これらエナメルは指示対象の物質が大いに異なる。
現代日本ではPVC (polyvinyl chloride ポリ塩化ビニル) やポリウレタンを材料としたバッグの光沢のあるものを指して「エナメルバッグ」と呼んでいる(運動部の学生は他の通学カバンと区別して「エナメル」とも呼ぶ)ことになる。
つまり、その種類も実際の製品について検分して選ぶ方がよい。

靴・シューズ・ブーツなどでもこの考えが適用される。
布類によるスニーカーなどは綿でも麻でもよいがソール部分(sole: アウトソール outsoleなど)でポリウレタンが用いられるものが多いことに注意する。
ソール部分の古風な例としては木製(木底)が浮かぶ。
印象の良いものとして古風な革靴(タイプ不問。実際に靴職人お手製で本革・・・動物の皮革素材となるとドコドコ産のお高いものになる)がある。

ベルト(2点以上の買い替えを希望)でもこの考えが適用される。

服に関しては、髪の長い私にとっての着脱の容易さが求められる。
2012年以降に母親が買い与えてきた半袖Tシャツ風トップス服(無標の複数形)は、後年ほどに首回りの開き具合が狭まっている。
狭まってきた後年の新品が、しかもその問題性を補えるだけの伸縮性を持っていない。
こうなると、髪をタオルでまとめた膨らみのある状態においてその服の系統を不注意に着ると、タオルの状態が崩れるか、髪の根元が引っ張られて抜けるおそれがある。
つまり、風呂上がりで肌着の代わりにそれらを着るが、ものによっては単純にタンクトップのようなノースリーブのトップスやボタンで留めるパジャマなどが1点も無いことも疑問である。
どちらにせよ、父親と二人暮らしの時を含む中学生のころから自分の当面の目的に合致する行動ができる自立的人間に、他者が衣類を選択することがあらゆる面での不都合しか生じないこと(金の浪費を伴ってまで当人の抑圧を実現したいか?)は、当記事本文に引用する2013年のメール文章に明らかである。


2018年8月26日日曜日

類聚 (8) ~ 「知的障害をもつ弟の豹変 & 服薬の記録」

*横野要文類聚 第八篇・前節*
末代凡夫、誰か是れ親なるべき?我が説に親子不二(おやこふに)と云ふ。
慈父・良醫・藥師の德、佛は之を顯すこと無量なり。
我が母は「藥劑師(やくざいし)」と號すれども、狂子(をうし)が如くに顛倒せり。
人の身と心とに毒藥を施して苦を與ふるなり。
悲しい哉、我が弟は如是等を服して其の苦を未だ知らず。
臨終までも其の苦及ぶべし。はかなしはかなし。
※「説」字について、繁体字の「說」を用いたく思うも、環境依存文字なので普段使用に迷う。今回は繁体字の「說」を用いなかった。「親」を「をや」とする仮名遣いが文献に見られることもあるが、それはア行・ヤ行・ワ行の字が混用された時代のものであろう。漢語の「親」が"parent"の意味で用いられるのは、上古漢語以来に中国でいつからか?



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「知的障害をもつ弟の豹変 & 服薬の記録」である。
このように長いタイトルで話題・対象時期を制約してある。
まず、「知的障害をもつ弟」は、私の2人いる弟のうち下の子である。
2人の弟に関する簡単な説明は2013年5月21日の動画(https://www.youtube.com/watch?v=EXpcOMUZ1ss)など、多くの動画説明文やブログ記事に記されている。
今回の類聚話題の中心人物はその弟=「知的障害をもつ弟」である。
以下、事情があってコメントアウト

2015年9月18日金曜日

類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇

*横野要文類聚 第三篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史が実父は慈父にてやあるらん、慈父にてやあらざるらん。
覺えざりしかば、暫く物を思ひて要文を示さん、云々。
斯くて此處(こゝ)に明文(みやうもん)聚まりぬ。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」と、書きたい放題の題である。
例えば2007年4月の頭に母との別居が始まった頃から暫く経って、父親は毎朝早くから料理して朝食を用意するなど、この辺りはどういった決心からか、真面目であった。
毎日しっかりとした朝食を取って学校に行けることは一つの喜びでもあり、何でもないように思うかもしれないが、同じ朝を迎えるという点では、不登校の予防の一助になっていたかもしれない。
※母親の頃は不登校期間含め小4までシリアル、小5別居まではスープやトーストが多かった。

今回聚められる要文の中には、私の物心が付く前の父親の態度について母親が語ったことも含まれ、その口述内容が仮に事実とすれば、その時から大きく子育ての意識を変えようとしたことは見て取れるが、やはり次第に疑心暗鬼など、修復・橋渡しをする弟2人も2008年末の姫路訪問以降埼玉への帰還を拒んでいるため、およそ私にとって人生相談の相手にならない父親、父親にとっても教育相談の相手(打ち解けた同僚や知り合いやご近所さん、友人や親戚など)が誰もいないという、互いに孤立無援の状況に陥ってしまった。
疑心暗鬼の要因としても、私が寡黙で朴訥だから、何かの必要性の訴えや相談などを、仕事も家事こなす父親に話しづらい面が強かったからであり、それが互いの不満を増長させたようで、初めていじめの相談をした2010年春休み頃は、ほぼ無関心のようであったから、その後も全く相談をする機会など無かった。
互いに寡黙であるばかりか、大事な局面でも言葉が足らず、摩擦を生むだけ。

それからも不和が進み、同年10月の家庭内別居、同年12月から始まる人生最後の不登校など、社会的には悲劇が続くこととなり、私にとって唯一の頼みであった戸籍上家族でない母・弟2人(姫路訪問以来顔を合わせず)を求め、2011年4月18日の豊橋母宅への小旅行もとい家出に畢った。
父が単身で住まうはずの住居には、2012年8月に豊橋追放となった弟が住み始める。





(前略) 母親からこういう情報が告げられた。私が物心のつかない小さな頃のこと、鴨川(父方)の祖父母宅へ父親が独断で私を連れていき、一週間ほど置いていったそうだ。私が鴨川より返送された折、父親は母にこう話したらしい「自分(父)は幼い頃いい子で利口だったらしいが、この孫(私)は悪い子で育てられないと母さんたち(父方の祖父母)が言っていた」。確証のない話で、当然両親の名前すら知らないような幼少の昔話など、俄かには信じ難い。
この他、あの父親がとんでもなく子供(私)を除け者にしていた、父親として失格であったなどの例を母親から多く挙げられたが、全ての例が生まれる前・物心のつかない時のことである。私が産まれる時の産婦人科において、間もなく何かが済むという時に待ちきれず、一人そばのコンビニに移動して飲み物を買ったりタバコを吸っていたりしたそうだ。私が社会的な判断能力を備えた年頃(小5別居以降)に父親を見ても、そのような様子は一度も無かったのだが、それぞれの時期では状況がどう違うのだろうか…2015/06/26記事における07/03追記

Mくんのお父さんは毎年の4月に誕生日を向かえます。ある年のこと、その4月になりましたが、Mくんの記憶では肝心の日付が曖昧で、「4日だったかなぁ?5日かも、6日?」と自分では答えが掴めませんでした。自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました。思いもよらない返答に、Mくんは困ってしまい、「そっか」とだけ言い淀んで、それ以上聞き返す気力も失ってしまいました。Mくんとしては、世間の浅い即物的な親孝行なんて考えていませんので、見当違いな返答が心残りのまま誕生日の解答も心得ずして、その1年後の4月に家を出てしまい、今日まで二度とお父さんの家に帰ることはありませんでした。…2015/06/26

某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。そのカウンセリングも、私が小3の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれ (中略) 父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、数度のみ(多く見積もって4度)の受診となった。最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21"年度"末のようなものだ。その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど…2015/06/10

父親と二人暮らしになって、父親という者は私に放任の度が過ぎていた。こと、PCという高価なおもちゃに際しての指導が皆無な点は驚きである。日本生命勤務で、IT関連だかの役職ではないのか?部屋には立派にOracleだかの資格認定証らしきものが飾られていたはずである。本棚にも、Windows云々とある大判の本が並んでいたと記憶する。斯様な人間が私のPC利用にまで無関心とは、父親としての意識どころか、その職に携わる人間としての気質さえ欠いてないか?母親もそうだが、職業というものは金儲けの道具に過ぎないようである。遣り甲斐だとか、本心には仕事の楽しみなど微塵も持ちえてないと見える。小5の時に父親に (諸例記述等中略) 何にせよ、両親とも放任が過ぎて放棄とさえ言える状態で、当時の私も父親に関わられたくない気持ちの反面、何か拍子抜けした面もあった。プライバシーには触れず、趣味には全面的に協力する(やらせすぎて堕落させるのは別問題)か、自分が詳しいならば助言をするなどの采配が親として肝要だ。両親、まして悪妻娶りし父親は別居に伴う父子生活をも想定して、もっと子育ての信念を婚前、否、求婚期より持っておくべきだった。 (後略)…2015/04/27



(父に)捨てられても(父を)妄信した私


自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました…2015/06/26

冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める…2014/08/07



(弟に)捨てられても(弟を)偏愛した父


注釈: 例えば家の玄関先の壁や、キッチン空間(リビングじゃない、ダイニング?)対面の壁に、弟2人の児童養護施設・通学先における思い出だか作品(絵や書など)をベタベタ貼っていた。まあ当時の私としても自分の創作物だとか貼られても困るのだろうが、時折、何となしに疎外感さえ覚えていた。姫路遠征時に自分を捨てた人間を愛し続け、姫路遠征でも傍に居続けると誓った人間を等閑にすることは、本末の顛倒と言わずして何と言う。父の顛倒ぶりは、傍に居れば随所に感じられよう。果たしてその偏愛は虚妄に終わらず、2012年8月に上の弟との再会が叶った。その末路が、以下のメールなどである。

父親もあの弟への偏愛故に金銭感覚が崩壊してるに違いありません。2012年8月の弟の追放以来、父親はあの弟にPC一台買い与えたが弟は壊し、スマホ一台買い与えればすぐに無くしたとも同メール内に書いてありました。そして「どうしたものだろうか」と当惑の色を表しています。一方の私は成績優秀でもあまり愛されなかった上に、いじめの相談は忙しい父親相手に我慢し続け、ある日思い切って話しても関心を示さなかったり、差がありすぎます。故に、偏愛と呼んでいるのです。PCは2011年7月買った物を、携帯は2010年7月に買った物を今でも大事に使い続ける私とあの弟では歴然とした違いがあります。全然進歩しないあの弟じゃ無駄金注いでも何もいいことはないはずですが。父親も為すすべなく求められるがまま従うという典型的クズ親でしょう。逆に母親もあの弟の悪行を私に問われれば毎回感情論で言い逃れしてばかりで、なぜ両親共にあんな弟を庇うのか、気が知れません…2014/10/02



付録 - 父親の放言メールと私の諫言メール
引用元・一言一句への感想は右記リンク先http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html

題:転入届 - 母宛 - 2014年10月1日22時28分

今日出しました

○○(上の弟の名前)には聞いてないけど、豊橋に戻りたいとは言ってないので、このままでいいんじゃないかなぁ

そちらはお母さんの面倒も見ないといけないし

そもそも、一方的に転出届を出したり、国保脱退させたりしたのはそちらだし

ニキビのことは、こっちに来た当初は気にしてて、薬を買って欲しいと言ったので、何回か買ってあげたんだ

顔をしげしげと見たわけじゃないから良くなったかどうか分からないけど、ここ一年くらいは何も言わなくなったので気にしてないんじゃないかなぁ

そのかわり、金が欲しいからバイトしたいとか、もう一度パソコン買ってくれとは言ってるけどね

バイト先はコンビニか本屋がいいと言ってる

金は週に三千円渡してるけどね

学校にも行ってなかったので、勤まるもんだろうか?

パソコンは過去二台壊したし、スマホ一台買ってあげたけど、すぐ無くしたんだ

だから、これもどうしたもんだろうか?




題:諫言 - 母携帯機より送信 - 2014年10月2日3時 (15年6月編)

バイトなんて今まで甘ったれて性根の腐った自堕落な彼に勤まるはずもなきこと、赫々明々だ。
そして彼自身、そんな過去の例と今の自分を鑑みてないからこそ、そんな無責任な欲望からくる「バイトしたい」発言などが口を衝いて出てくるのである。
母親も甘やかして、父親も週に三千円を渡すような麻痺状態そのものの感覚なら、自分にも非があることを自覚し、改心せねばならないが、もはや彼には手遅れだ。
今まで適切な教育を怠ったことを両親は猛省し、子供に甘やかしの限りを尽くさせる方がいいほど。
金銭的に理不尽な要求をされても快諾し続けてしまおう。

次いで、前言撤回のようだが彼にPCは不要だろう。テレビや他の娯楽でも足りよう。
スマホにしても、彼は2011年中にXperiaを大破させる凶行に至っている。
PCにしてもスマホにしてもただゲームやネット閲覧などの用途に終始するので、高価な玩具に過ぎない。
高度な使い方は一切体得していない。
いわんや短時間で破壊することをや。然もありなん。

何より自分の子供の非常事態だし、案ずる前に然るべき対応もあった。
両親による過去の愚策は枚挙に遑なきもので、一つでも挙げるに躊躇う。
十数年分の過ちは、未来永劫に取り戻せない。
私からアドバイスできることは今のところこれで限界だ。



その他 (母親に関しても含む)

・父親は私を「あの人(母)と似ているよ」と言ったり、母親も私に「パパとおんなじこと言うね」と稀に放言する。親として、互いの嫌いな人間に子供を重ねるというのはどうなのであろうか、ましてや私から見れば二人とも肉親であり、両親同士はただの他人同士ではない。困ったら、嫌いな人の存在により子供へレッテルを貼る。各々の発言をプラスに取ろうと思えば取れなくもないが、やはり両親ともそんな意図は微塵も無く言っているのだから、プラス思考は歪曲・逃避思考であり、取り違えになる。親としての見識や言葉の含蓄など絶無である両親に千子何人が尊敬しよう。私は諫言を続ける。

・母親にしても、当記事に見る父親にしても、当人らが社会的にどうであっても、子供は3人悉く社会的な能力が欠如してしまった。これは広く世間を見て、そんな親子の絶対的対象など起こり得ない。特に、上記2014年10月メールで話題の上の弟を思えば、見るに堪えない惨状である。その中で私は、戸籍上の他人である実母の家に居候しながら、子供を蕩かすダメ親("ダメ"という言葉は使わないようにしているがここでは伝わりやすく使う)の影響を受けないように求道と修行に生きている。上の弟は今もゲームライフに生きているのか。親は子に不満を持ち、子は親に不満を持ち、夫婦もまた互いに反発することを見れば、親子も夫婦も而二不二とはこのことである。

・私は中2の一学期の中間テストで著しく順位が落ち、31位だったと記憶する。それ以前は学年に110~130人いる内の20位前後であったところ、30位以下は一度もなかった。ショックだったので、何となく父親に「中2に上がってから勉強量を増やしたのに落ちた」という旨を強調しつつ尋ねてみると、当ての外れた答えが返ってきた。「みんなもっと勉強してるから」などと、無知をひけらかしてきた。「勉強量を増やした」の一言を、絶対と相対の二義を弁えない父は逆で取ったのである。現代の理屈が強い子供にそんな言葉は通用しないし、仮に子供に対する教育的方便でそう言うにも、子供の機・根を知らない無知の不徳(子供への慈悲なきが為の精神的指導力の欠如)をかえって証明している。第一に、父の言う「みんな」も、何を見て「みんな」という偶像が生まれるか。教育現場か、テレビ画面か、創作文学か、脳内の形成か。それに、勉強しろと遠回しに促すだけで、実質性に欠く。私は「相対的に多く勉強」した結果を述べたというのに。もちろん勉強量が成績上昇の絶対条件ではないからこそ、懐疑せざるを得ない。なぐさめてもらうか良い形で励ましてもらうことを内心で期待したろう当時の私は、ただ幻滅し、どこにも心の頼りや助けが無いと絶望したろう。



不徹底を徹底するから、父親に人生相談だとかということは、何ら期待ができなかったと今までの要文などに書かれる。完璧な答えでなくとも、子供を知らないために子供の心に通じない言葉しか発せられぬ父親に親の徳も資格もない。いじめ・人間関係のほか、勉強・塾に関連するあらゆる子供の思考など、父親は興味もなければ、話しても碌な答えを返さず。仕事一辺倒で、休日は友人なき楽器趣味に耽っているボ○親父もまた、母親と等しく親として失格であろうし、私ほど賢い子供また、彼らの子に相応しくない。こんな両親にお似合いな子供は、煎じ詰めてもあの上の弟くらいであるが、彼であっても母との争いは絶えなかった。

過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている。


2015年9月13日日曜日

類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇

*横野要文類聚「母の普遍的な精神状態」篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史は能(よ)く己が母を憐愍(れんみん)せられ、好き慈子にあらせらる。
故に能く母を諌めて、甚だ繁(しげ)く記録を留めたり。
かゝる慈悲を最も知らざるは、母に外ならず。
加之(しかのみならず)、誤り・過ち・失(とが)をも自ら知ることなし。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

シリーズの趣旨などは第1回目の記事に記した。
今回2回目の記事のテーマは「母の普遍的な精神状態」であり、これは長い目で見ても、あの母親に共通する・・・即ち私の幼少から現在までの母親に一致する性格・人格などが見て取れる記述を聚めることとする。
そこで、今回は記述を大量に引用すると途方もない文字数となることが想定されるため、単一から複数が聚まって注釈でもつけるなどがほどよいと思う。
また、「母の普遍的な精神状態」に関する要文のみ引用しているため、どういう背景があるかは、日付のリンク先のページを参照し、日記メモである場合はその日付のメモを見ること。
文脈って大事だからね、やっぱり要点だけでは疑問が残る場合があるから、疑問が残る場合、それを解消すべく、大体の背景を引用元のページで確認できる。





忘却された暴力性

以下、事情があってコメントアウト

2015年7月6日月曜日

6月30日夜の会話 (と7月2日午前1時半の会話)

6月30日、母親から唐突に「私が入院したとき、自分で歩いて買い物行ける?」と問いかけられた。
今月にわかに動き始めた「心理カウンセラー(6月10日の日記メモ)」の講座との関係性は定かでないが、母親が今まで自分に不利な話になると「ガン」を持ち出すことがあっても、「入院」の語が聞かれることはなかった為、寝耳に水の言葉に訝しさばかりを感じていた。

この話題は、言わば「もしも」のことであり、会話の大筋としては、私が徒歩を前提に少し歩いたところのスーパーに通って買い物できるかという内容である。
毎日学校に通う下の弟に対して、自分にこそ買い物をしてもらう必要があるとのことだ。
「もしも」を真面目に付き合うのは気恥ずかしいところもあるが、その気持ちを断続的に口にしながら真面目に取り合った。
炊事(炊飯)・洗濯など日常の他の行動を加味して、一口ではこの話を済ませられないことを問うてから、それらの疑問については消化された。

毎度徒歩で少し離れのスーパーに通う問題性については、「自転車」等の単語を互いに出さず、当然のことだが、母親から車で時間を掛けずにイオン等へ通えることについて話されたが、私としてもバイクや車の免許を取る意思は毛頭ない(自転車ばかりは半ば欲しげ)。
家に食品を配達するサービスについては尋ねると、やや方向のそれた返答があったので、正しいことを告げると、某業者を例に話された。
結局この路線はナシとして、ネットでの購入を例に取り、クレジットカードの貸与について話された。

クレジットカードについては、ネットでの買い物をしたがった中3の時に一度尋ねたが、断られた経緯があることを示すと、「当時は14・15ほどだから」として、「今なら18歳になっているし」と別に問題は無いと答えられた。
思えば16歳ほどまでは、ネットを介して商品を購入する欲望が強かったものだ。
今ではその方向の知識も廃れていって、改めて考えると知識の穴を感じる。
また、貸与に関して「横領」等の違法性について聞いたところ、母の名が記載されたカードを男性の私が利用して店頭で本人かどうかを尋ねられ、拒否されることがあるとしても、法律的な問題は無いだろうとのことだった。
まあそんなところなのだ、とすぐに受け入れられた。



話の途中で私は、「まだ50歳にもいかない年齢(実際は49)から『入院』などと弱気でいることが問題」と言うと、「ガンを持ってる人に年齢、20代でもいくつでも関係はない」とされた。
ガンのことは、毎度のように診断の概要も伝えられないし、通院・検診なども不明で、投薬・服薬などもなく、無関係の栄養補助食品だとかならいくらでもあるなど、客観的に見ればこの程度である。
ガンのことだけ強弁されても、せいぜい子供騙しだが、その私が初めて「乳ガン」と聞いた小5の時(北海道・紋別遠征時)には、レーザーでの治療の予定など、まだ詳しく聞かされた。
子供が成長するに連れて、親の方が稚拙になってしまっては、まともなやり取りなど叶いもしない。少し飛ばしたところで「私が80まで生きたらあなたも50になる」と返された。

この話になる前にも、近頃私の耳に若くして亡くなる一般人の話が及んでくることを告げていたが、ここでも再度その点について念を押した。
私とそう違わない年、もちろん肉親・親戚だとかの眷属に多く囲まれた年で逝く人たちの中には、私の茨城系の従兄とされる「かずき」さんが25・6歳かそこらで亡くなったことをここでも告げた。
そのように子が親に先立つ「老少不定」の境は近年顕然としており、厭世的にもなろうことは、この辺に聡くない母親にとって知ることもなければ、示されたところで歯牙にもかけないだろう。
具体的な現実で、「かずき」さんのことなどは母親こそ熟知しているのに。

この時にかつての「大成駅(鉄道博物館駅)」付近の診療所に寄った折、母親に聞かされた「左軸偏位」について質問したが、まず返ってきた答えが、私が左軸偏位について言葉しか知らない思い込んで、その感情よりいい加減な説明を始めたので、釘を刺した。
私は「そんな病気の概要なんて知っているから、私の体や大成駅と同関係があるか、私個人の危険性の有無などを教えてもらいたい」と話した。
「心臓にも個性があって」と、私の場合ただ左に寄り気味なだけで、問題はないとのことで、このことから私の思考も「だから幼少の頃に一度きりの言葉だったのかな」と思うようにした。

その他、「親に寄生、パラサイト」などと得意満面で言われたのだが、心外であることを然も的を射たように言われると甚だ心地が悪いものだろう。
だがここで、6月23日の日記メモにも書いた、「親≒神」の考えを元に「親は子を庇護する義務がある」と前置きをせずして、単に「出来る内はこの家に住まい、叶わない時は父親の家を訪ね、父親や上の弟への恐怖心から敷居が高い場合は、どこかの山に登って命の灯火尽きるまで過ごす」とのみ主張した。

この間には曲解からくる放言が聞かれたが、一々には憶えがたい。
私の発言から取り上げるとすれば、「先月・先々月の小遣いは無くてもいい態度でいた(8日の日記メモ)のだから、それが私の金への執着を切り離しつつある証左となるけど、来月(7月)は流石に欲しい」。
この話題で言いそびれたことは「今夏は飲み水で過ごすから、去年と比べてあなたにペットボトル飲料を頼むことも無い」という旨であろうし、他の話題でも多々後悔あり。
少し前まで私を苛んだ欲望を抑えつつあることが伝わりがたい。
故に「それが寄生だよ~」との放言が聞かれたのである。




以上の今回の会話は、全体で15分ほどであったが、終始両脚を開きながらふすまの水平方向に寄り添って引き手に左手を伸ばした姿勢を維持したが、左手・腕の血流は乱れて赤みを帯び、下肢も動き始めの数秒以内は不自由さを感じた。
母親も話の終わった直後に、体について一言漏らしていた。

2015年7月2日の真夜中、午前1時半前にヒョイと始まった一時間半に渡る会話があったが、具体的な内容をはらんだ概況を書くのも躊躇う。
姿勢や事後の身体違和については、先の一件を教訓にしてしばしば変えたりストレッチを心がけたことで、疲れ以外の問題は無かった。
藪から棒に始まった会話で予期できなかったが、元々予定されていた3時以降の外出(ゴミ出し・自販機通い)にはどうにか3時20分前より実行できた。


2015年5月29日金曜日

5月17日と5月21日に見た夢

2015年5月17日の出来事を即日綴ったのが以下である。
日記メモでやるか、当メモ帳ブログでやるかは迷ったが、文字数的にはこちらが適していると判断した。
話題としては、学術性に欠け他愛ない日記のようなものだ。

過去の夢記事→http://lesbophilia.blogspot.com/2014/09/blog-post_24.html



夢を見た、始まりは・・・あの車の後部座席の真ん中に、中2の頃の自分とよく似た少年。
その位置ではシートベルトも着けられないが、両脇にはきっちりシートベルトが着いている、その時の外見だと思われる二人の弟。
だが、現実には中1・中2期に二人の弟と会ったことなど一度もない。
運転席の父親と助手席の母親の表情は悪くなさそうだが、この車の向かう先は住んでいた埼玉県内からどこか広い道路(首都高?)を通って都内へ進んでいる。
夢の景色が変わり、都内のような場所に出たときには、高速道路沿いの幹線道路に出ていたが、その渋滞から後部座席より不満の声が出て、少年も「確かに渋滞無かったらどのくらい進んでいるかな」と内心で思っていた。
父親が「じゃあここから降りて(夢ではこう発言しているが、意味としては"折り返して"である)帰るか?」と言い、戸惑う後部座席だったが、少年は「こちらを試す冗談か?」と内心で感じ取る。
程なくして父親も、冗談である旨を一言明かした。
次の場面では同じ道路の蛇行した箇所(高速道路の高架下で暗い)で唐突に車が止まり、母親が車を降りてその近くに立つ女性に道を聞いていたっぽいが、その女性が立っていたところは歩道でもなく、蛇行車道の車線間スペースにオレンジ色の線が引かれていた踊り場的なスペースだ。

夢特有のおかしな状況に見ている私が眩惑されそうだが、ここで私の目が覚める。
すると土曜日昼、13時半の母・下の弟の会話が聞こえる。
母親がテレビを見ている間は夢のように笑い声をあげていても、不満げな声は次第に、休日ならではの二人の険悪な遣り取りに変わってしまう。



なぜこんな夢を見ていたか、現実の聴覚が何か彼らの会話を捉えた影響とも言えなくはないが、奇妙な展開以外で思ったことといえば、このような家庭の構造が2015年にも再現されていたら、ということだ。
夢の中の少年が中2、その年に対応した外見の他4人の年齢時であっても、バラバラな家庭であり荒唐無稽のようだが、欺瞞的にもこの夢に似た家庭環境は小2のあたりまで確かにあった。
私自身は一寸先の闇など露知らず、何の憂いもなくいられたのだった。
このような一件、家族5人で平穏とした様子が今でも続いているというなどは考えもしない。
それを鮮烈とまで言わないが、実感してみた。

実は、この夢の本当の始まりと記事冒頭の場面に至るまでのシーンを、文章を打っている間に何となく思い出せた。
家族5人でいるシーンに関しては、どこかトンネル内で父親が嫌いそうというより目を丸くしそうなジャンルの音楽が流れたり、車に乗っていないシーンにおいては2006年7月に引っ越した都市に隣接する自治体の市役所最寄り駅前が閑散としている曇り空の場所でチラチラ人が。
最寄り駅のその光景は過去に数度夢に出ていたが、それ自体は久々に夢に出たことになる。
夢に幾度と出る場所は屋内外問わず、押し並べて曇っている気がする。

家族系以外では、本家ブログのUUがちょうど1,000に達している夢と、薄暗い林の中の開かれた空間で大聖人と対話する夢を見たような。





2015年5月21日は朝8時~18時までの間に短時間睡眠を連続で繰り返したりもしたが、その2度目の起床あたりかに戦慄のグロい夢を見た。
ストーリーとしては、何か脱線事故の後のような線路(複数の複線路線の線路)上で車両などが横転して著しく損傷している。
しかもそこら中に血糊が散っていて、凄惨なショーが展開されていた。
70年代某革命派的な若い男性らが周囲に笑われながら首を刎ねられたり、その眼を。
とまあその夢では見た範囲に渡って終始首のオンパレードであったが、当然この夢を見ている途中で意識が活発になって目覚めてしまおう。

見た後からこの夢の背景を考察するに、革命男性衆は在来線の車両をジャックしたか或いは最初から出発地より多く乗り込んで別の地域へ行動しに行く最中、対立勢力の策に嵌ってしまい、乗り組む車両を横転・脱線させられ、一部はその衝撃で即死・気絶して、残りは負傷したり再起しづらい間に対立勢力の奇襲を食らって、事故車両から引き摺りだされた男達が抵抗できずに血祭りに上げられたと見る。
書いていて思い出したことは、処刑されている彼らの声はあまり聞こえなかった。



2015年5月20日水曜日

普通のメールに見えるが、その深くして量り難い真義

2015年5月19日0時38分に母親に送信したメール。
食料に関する要望の旨のメールだが、私が真に問いたいのは母親の人間性についてである。
叔母さんYなどには些細な日本語の誤用(とも言い難い)に関してくどい指摘("ご苦労様は目上の人(姉である母自身)に使わない"、"誰も教えてくれなかったんだね可哀想"と一人で言いたい放題)をしたり、学校の教員などには何かのイベントの日程や情報に関して「微に入り細に入り("細に穿ち"の誤用、あなたも誤用しているじゃん!)詳細に伝えてくれないと誰も分かりませんよ」などと頻繁に指摘することがあるが、その割に自分こそ不明瞭な発言ばかりである。
人には理不尽に当たるところが、人間関係に摩擦を起こし、現に父親と喧嘩し続けた日々を偲べば、誰にとってもあの母親と長く住まうことは、正気を保てないことであると言える(この種の話題では毎度この情報を書かねばならない)。

そんな母親の人間性を受け継ぎ、今でも肌身に触れる私(2007年~2011年まで別居していたが)も世間に聞く、愚にもつかない「血液型」なるもので人間性を判断するそれに準じてA型(母)とB型(父・私・弟二人)の差はあれども、似たような人格は形成されたようである。
「人間性を問う」意思を暗示された、含みのある「5月19日0時38分メール」は以下の通りだ。



シリアルが写真の通り4袋、内容量換算でも3袋分余っている。牛乳の量を増やすか、シリアルを週に1度に減らす等の対策が必要。そもそも以前はシリアル週1度だったが、週2度の買い物で毎度買っているから、○○(下の弟の名前)がバカ食いしても私には供給過多となる。○○には私と同じシリアルの量に対し、私より多くの牛乳を与えている。その上で先週は2LのDAKARAや1.5Lの炭酸飲料を与えていた。荷物の重みで指の肉がちぎれないだろうか。私のシリアルは牛乳無くして食べられないが、○○の水分補給は水で足りるし、一週間に3.5Lの清涼飲料水や私以上の多量の菓子摂取で、○○の糖尿病発症も必至か。
要望としては、牛乳を増やすか、シリアルを週1度にして菓子を増やすかだが、体力・金銭負担や買い物時の記憶整理の観点であなたが楽だと思う方でよい。シリアルの余りが過ぎたら○○に1袋分けるかもしれない。」

余ったシリアル

注釈をするならば「私以上の多量の菓子摂取」という記述だ。
このメールは先に記した通り、母親に宛てたものであり、母親自身が下の弟の菓子摂取状況は把握しているため、同メール内に縷々と記す必要も無かった。
当記事では読者のために一応その状況について書く。
私は母親から買い与えられた少量の菓子に留めているが、あの弟の場合は前の土曜日にもイオンで菓子を多めに買い足していた。
チョコ系然り、スナック菓子然りである。

炭酸飲料と清涼飲料水の話も加味するが、私も暑くなりゆくこの時期にあって、お茶・炭酸飲料の買い足し頻度は強まっている。
確かに菓子も飲み物も、私が今の下の弟と同じくらいの頃にはどれほど貪っていたことか。
このような回想は雑念そのものだと思う。



注釈ということで、冒頭の「学校側に対して細かく情報を尋ねる」行為について過去の例と現在の対応について記録する。
「微に入り~」云々は、寒気がした記憶である。
というのも、母親自身の声で聞かれたものではなく、電話の事前に書かれたメモを見たからであるが、「微に入り~以下誤用」の表現を口頭で発したいが為に電話の事前にそのような台本を作っているところが、気持ち悪さに輪をかけている行為だと思えよう。
他にも、学校の公式ブログの何かの予定に関する告知記事に、本名のフルネームをローマ字に換えた名前で「具体的に案内して、こう書いて、でないとどうしたらいいのか全然分からない(要約、元の文字数は約260)」とコメントしていたのだが、当該公式ブログでそんな殺伐としたコメントを、しかも本名で以てコメントする人間は過去に一人もいない。
殺伐としたコメントも、フルネームを使用したコメントも、片方に該当するコメントすら誰もしていないことを、あの母親だけが成し遂げた。
誇れもしない武勇伝を次々に作り上げる母親に、息子として感服する思いである。

当の学校の教職員の間では、「特別支援学級の○○(下の弟の名前)君のママさん怖い人ですよね、給食の懇談会では誰とも話さず俯いたまま(写真アリ)食事し続けて、○○君のお兄さんは二人とも不登校のようでした」などと噂になっているに違いない。
特別支援学級の担任、大○先生はこんな母親の理不尽な要望ばかりでも、真面目に対応している人だ。
あの母親だけに詳細な日程を記したプリントを作成するなど、特別な処置を行っている。

教師とはそもそも自己犠牲の職業であるべきで、この先生は弟が去年の5月に同級生とのトラブルでズル休みした2日目に我が家まで訪問したが、私が最後の不登校になった○川市立中学校の新任男性担任教師Hには一度も無かった。
まさに自己犠牲を美徳とすべき、この先生は教師の鑑であろうと傍目に感じられた。
ただ一点思うのは、特別支援学級という特殊な少人数クラスでは、少人数でなくとも負担が軽く、問題児に個別に当たりやすいのではないかという上から、弟の問題にも親身に当たる事が出来たのではないかとも見られる。

そういえば、母親の気持ち悪い性癖に関して、類似の例が最近もあったので軽く記録。
稀に家の近辺の診療所から郵便物が届くが、2015年4月頃にも同診療所からいつも通りの封筒が届いていた。
母親がその封筒を返送するらしく、表に「何年も我慢しています、不条理("理不尽"と混同?)だとしか思えません」などと書きなぐっていたが、「非常識」ならまだしも、「不条理」とは仰々しい形容だ。
勝手に送られる郵便物を返送するにも、不穏な文言を書きなぐれることは正気でなく、もっと穏便に停止する手続きなどがあるし、その方法を採ろうと思わなかったのだろうか。
この母親に汚された封筒の実物(当然この後ポストに投函されただろう)を見れば、誰もがあの母親の異常人格に驚愕することは無理もないはずだ。
不穏な文言の書かれた封筒を見て時間が経った頃、診療所担当部位を模したキャラクターのイラストと「不条理」の単語が不調和で、思い出し笑いが絶えないものだった。





以下、当メールとは全く関係ないが、ついでに日記メモ欄とする。
5月19日19時前から19時半頃まで母親と一悶着あった。
同メール送信よりこの時間に至っても、一度もメールの件について返信や返答はないので、内容は一応承知したと見える。
喧嘩自体についてどういった原因があるかなどは、長くなる為ここには書かない。
ただ、タイミングとしては18時半頃(まだ日没前)に夕方の勤行を遅れて始めて十如是・寿量品長行を終え、自我偈の中腹に至った時であった。

意味不明なタイミングで唐突に、ある問題(本当に何故このタイミングでそんな遠い時間の話題が出るのか)に関して焦るような口調(遠い時間のことをあたかも今起きたかのような臨場感)で話され、誰でも聞いていて心地よくないし、腹を立てることも仕方が無いものだ。
相変わらず理不尽で、出来事に対する感情の変化が非合理的で煩わしい。
その「遠い時間」にとても近い時(19日朝5時台)に一度話しかけられたことがあったが、その時にその不満を私に投げかければまだ正気の内であると看做せる。
20時頃にもまたおかしな問いがあったが、母親からは万事に渡って理解の乏しさを感じられる。



1ヶ月ほどは、この種の衝突はなかったが(4月26日の件は数分程度)、この件のせいで最近続けている勤行を退転したくなってしまった。
真面目に勤行していて邪魔な干渉というのは、法難か、はたまた罰か判断し難い。
ここで一つ思うのは、他の家庭も含め、個人的な勤行が世間の家庭不和の原因になることもあろう(この程度の衝突は、数年前、飛んで小3・4期じゃ日常茶飯事だが)。

「隠れ題目」として、読経・唱題は観念で行じる、というのも可能だろうか。
「懈怠するより殊勝だろう」として、以降全てを観念行にしてしまうのは「凡夫の浅識・驕慢」で、謗法となるのだろうか。
いずれにせよ、仏界というものの涌現やそれが強盛になるだとかは、思い込みはあっても、確かな実感は無い。

うちの母親には、法華経の価値も「馬の耳に何とやら」であるし、逆に法華経の信行というものが反発される要素にもならず(論理的な怨嫉もないということ)。
また、法門を一分と知らずして知る気もない者に、仮に認められるなら「第一のはぢ」だ。
法義上から諫暁することが仏法の行いかもしれないが、無理ね。



仏法のそれについても度し難いが、それは今の濁世の普遍的な問題で、人格面では人並みはずれて相容れがたい。
ある動作をする度に、あるいは過去にも似たような理由の口論(何年も続いていることに"ず~っと"不満があったかのような言い方で不服を唱えていたが、これも理不尽な物言いだ)もあったが、それに関する動作の度にもこれらの衝突がフラッシュバックする。
当記事の本文で取り上げた諸々の奇怪な文言も、日記メモ欄の話題の出来事も、偏に母親の異常人格が元凶であるが、この異常性は日毎に強まっていることを実感する。

更年期障害だとか痴呆症だとか、特定の病名を取り上げてレッテル貼りをすることは避けている私だが、どうにもこれらの枠に嵌めたくなってしまう。
病気といえば、先の口論でもまた通院の実態が不明な「ガン治療」や、「もう閉経した」だとか、思い出せぬ何か病気に触れて「自分は病弱だから」との理由で語っていたが、そう、みな病気で子の代になるほど寿命が短く、私も40歳までに若年性認知症になり、下の弟はそもそも先天的に知的障害があることを書くといつものように長くなる。
口先だけのガン治療強弁はうんざりするが、母が言うガン治療を認める傍証があるとすれば、健康食品を買いあさっているあたりだろうか?
ブルーベリー系やコエンザイム系のサプリメントは継続している方だが、それ以外の普通の食品(粉末系)は何十日分だろうと少し試してあまり使用しなくなってしまうのに、次々新しく買うのは無節操さの発露にしか見えない。

とにかくあの母親がエセ患者を名乗る内は厄介であるが、暴力性については幼少期の体罰がなくなった分、この点を恐れる必要がないのは救いがある。
また母親は、他人との関わりが酷く薄いが、最低限の人間関係は今でも維持している上で、必要以上に関わられると父親と似たような不幸に陥る点もある分、多くの人々にとっては救いだ。
あの母親が若かりしばあさんを「悪口ばかり・厄介者の性悪女(原文ママ)」と形容したそれが、今までの母自身の半世紀をも包含していることに推して知るべきだろう。

子供の教育上、「しかる」行為についても合理性が問われるが、その観点であんまり時と場所を選ばないような「しかり」は、その子供にも非合理性が定着しかねない。
私の場合、母親と離れた小5以降、一人の時間が極度に増えたり、学校では色んな空気(排気ガス・光化学スモッグ的な毒気)に触れたことで、母親譲りの不整合が矯正された。
それでも、母親の毒気に触れられている今はまた、冒頭に書いたように別の点で「似たような人格は形成された」のである。
少なくとも、母親の無神経さや論理矛盾・感情の不整合に関しては、理性で何とか抑えて、母親と同じ轍を踏むような状態にならない心掛けをしている。


2015年4月27日月曜日

母親(49)の通知表から見る母親の幼少期

4月24日、メモ帳にて両親の学歴・職歴の調査・記録記事を投稿した。
当記事では、帝京大学薬学部卒・母親の小中期の通知表を4月17日深夜(リビング模様替え関連)に見つけたことに伴い、断片的にその幼少期を垣間見たい。
※私の通知表など学校関連の記録は前の家にのみ残っている以上、確固たる情報なきままに記事を作るわけにはいかないので今後も当面の間は予定ナシ。

過去にも触れた2014年4月26日、牛久の祖母アパートの物や母の思い出の品々が再婚間もない叔母さん夫婦により届けられた折に、これがもたらされたのだろう。
叔母さんらは当然、勝手に処分するのは申し訳ない気持ちであったのだ。
母親本人にすれば嫌いな自分史の記録で、厭っていた物だろうが・・・



製薬会社関連の真新しい業務用封筒内に入れており、中には阿見小1~3学年、土浦小4学年、土浦一中3年間の計7つであったが、小学校卒業間際の5・6年こそ見たかった。
3年生までの間「阿見町立阿見小学校」に在籍していたようだが、これは新事実である。
しかももう一点言えることは、1学年9月まで更に別の学校にいたようである旨がメモされている。

また、阿見小・土浦小とも「通信票(原題ママ)」のデザイン・レイアウトが一緒であり、校名は印字されておらず各々学校側が押印しているようで、どれほどの広域が同じ作りの「通信票」を採用していたのか、実に興味深いものである。
土浦小4学年のみ裏面の「修了証」の校名・校長の人名が押印でなく印字なのはなぜだか不明。

まず4学年までの通知表を見ると、5段階評価だというのに全科目・学年で押しなべて2と3のみが並ぶ状況に唖然とした。
戸惑った私は、「これは本当に5段階評価か」と疑ったが、中学校の通知表には俄かに4と5(保健体育・美術)が増え、やはり中間の小5・6こそ如何なるものか拝見したいものだ。
生活に関する評価の欄はABC評価の内、小学校1~4は全てBのみが連なるも、同じく中学ではAが増えだすという状態だ。
結局は評価する教師の判断に依る面もあるだろうが、まあ「としこおばさん」の教育の眼光も中学より鋭敏さを増したという見解もできる。

そして、「出欠の状況」もまた興味深いもので、4学年まで見ると欠席の頻度が高い。
例えば小4は二学期以降11月に欠席1のみだが、1学期中は5月・5回、6月・15回、7月・13回と欠席日数に異様な偏りが見られる。
忌引きでは到底有り得ないことだろう、何があったというのか。
数ヶ月丸休みでもなく、違和感のある休み方である。
要するに数ヶ月丸休みならば入院した・不登校などの状態が考えられるし、この異常を平たく言えば「今日は行く、今日は行かない」といった気分でないとこれは有り得ないのだ。

いつだか私に、熾烈ないじめ被害(上履きに犬の糞だか虫の死骸だかを入れられる等)の学校生活を母親が自白したこともあったが、熾烈さについては誇張表現とみなすとしても、いじめの事実については疑いようもない。
何らかのトラブルなどが窺い知れるが、それらの件に関して担任教師は、敢えてコメントで触れないようにしてると峻烈に感じられる。

土浦中2年も、一・二学期が10月の欠席1のほか無欠席なのに、3学期に入り俄かに3ヶ月間で16回欠席している。
数ヶ月に渡って疎らに欠席頻度が高まるような休み方は、上述の忌引き等ならぬことは判然としているが、やはりいじめに起因するのだろうか?
4つの「通信票」、3つの「通知表」の内、最も欠席が少ないのは中1の計5回。
私の学校生活で不登校期間の全くない小5~中1までの頃と同水準である。
※いつも書いてるが、私の不登校脱却期間は小4二学期(始業式)~中2二学期(12月3日)である。



ここまで色々記録と私の考察を連ねた。
過去の「熾烈ないじめ告白」の真偽はともかく、いじめ被害の事実は濃厚となる。

当時の母親自身の性格などについて、教師の所見の欄では、小1は「素直だが消極的」、小2は「素直で誰とでも仲良し」などと書かれているが、小3で「意志表示(原文ママ)をはっきりと、友達と元気に遊ぶよう、進んで仲間に加わるよう(筆者補足: にしてください)」と少し辛めな評価がある。
小4評価は「真面目、熱心、真面目」と続いていた。
中学校における評価だが、生活に関する意見など記入欄がなく、専ら勉強の姿勢等への言及のみであった。



なお、各学校の生徒数に関する見解も記したい。
在学時の土浦小学校は1学年に6クラスあり、クラスあたり約40人いるようだった。
母親自身、阿見小学校ではある年に6組に属していたことから最低6クラス以上あると見られ、土浦一中もある年に8組で、同様に8クラス以上あると見られる。
ご存知の人も多いだろうが、この時代は生徒数が今以上に肥大化していた傾向があり、団塊世代の小学校時代より一層、小学校が窮屈になる特殊事情がある。
昭和らしい発展する地方都市の市街地にあって、その事情によるマンモス校化といえるが、他の要因としては日本国が普遍的に今より児童人口の割合が高かったなどが言える。

クラス数に関しては私が小1三学期で転校した学校が1学年3クラスあったが、2学年に進級すると4クラスに増えた、県内屈指の教育地域と人口増加地区の相乗効果で、年度始に転入する児童が多いことが一因に数えられるが、これはよそでも有り得るのだろうか。
否、小4二学期に転校した学校では小5年度始に1人転入があったのみで、中学では中2年度始を以ていつの間にか3人の名前が学校から消えてしまって(3人転出)、この小中学校でクラス数が増えることは当然なかった。
その件については過去記事で詳述したが、例の如く見当たらず、徒労に終わる。

一方で私が中2の12月から不登校になっても、家出は翌4月18日だから、中3時のクラス名簿には当然私の名があり、担任教師も中2に続いて新任若手男性教師Hのまま。
中学時、同学年で不登校になった者は、先述の中2の年度始で消えた3人の内の一人で、元々強い被害妄想(私の小4転校時、些事を発端にいつも泣いてばかりだった彼にはただただ驚いた)により中1二学期始からいじめられずして登校しなくなった例くらい。
時の担任教師は別の若手男性教師Nであったが、この人物はその年度を以て他校へ異動しており、私が中学に進学する前も別の学校にいたと見られる。
若手には、各地で多くの児童を前に経験を積ませる方針があるようだから、本来はこの教師Nのように1年間を以て異動になろう新任教師Hも、私の持続した不登校に伴い、同校に留まることになったとしか思えない。

教師N時代より私に与え続けられた苦難の結果ではあったが、新任教師Hは生徒の責任を勝手に取らされ、取らせたのは勝手に私ということになるのだ。
私がその執権を持つというならば、責任なるものを別しては不良生徒ら、総じては同学年の全生徒に取らせる。
新任教師Hもまあ、私や学級の顕然とした異常事態に適切な対処を為しえなかった人間ではあるが、私が最も報いを受けるべきと思う者は別であった。

教師の異動に関する話は他に、中学では1・2年の学年主任が当時50前後の男性で、中3の時はすぐ家出しちゃうから知らないが、平成26年度も在任していることをHP上の学校便りで確認、最低でも21年度からいる。
小5・6年の担任教師は例の(?)ケバい中年女性教師であった。
小4転校時に既にいたことは確かで、中1の時も登校中の通学路の信号待ちに、小学校方面に向かう車を運転していたその女性教師に挨拶されたことがあった点から分かるとおり、私の卒業後も同小学校に在任している。
・・・このことを引き合いに出した理由が思い出せない。



ちなみに、4月27日になると、私が見つけ出した場所から、例の製薬会社封筒はなくなっている。
この製薬会社封筒は実は2つあって、もう片方は土浦小学校の卒業アルバムだ。
各種通知表の入った封筒であっても、同梱されていたものが通知表のみならず、例えば松蔭神社?松陰神社なるところの絵馬(何も書かれていない、まあ書いていたら奉納するのが普通だし)や、東京大学医学部(?)合格祈願の何かが入っていたが、願掛けしても潰えたね、ご愁傷様。
松陰神社は世田谷区内だが、茨城・土浦駅から行く場合、私の地理感では恐らく土浦→上野→渋谷→最寄の何とか駅(東急何とか線でしょ?)が真っ当なルートか。