簡潔に現状から記す。
父親は現在確認はとれないが、日本生命に関するオフィスに勤務してるだろう。
母親は断続的に退職を繰り返している折、今は求職中か。
まず父親の学歴だが、私の前の家にいた際(中3家出まで)の調査では、鴨川市内の小中学校、千葉県立長狭高等学校、駒澤大学(学部不明)だと思われる。
駒澤大学の可能性はかなり覚束ないものであるが、前の家で本棚に入っていた駒澤大学の卒業証書のようなものを見たり、幼い頃からほのかに父親の口頭で学校の名を聞いていたことなどが状況的な証拠として挙げられる。
卒業証書が状況証拠なら、長狭高の卒業文集らしきものを見たことさえ証拠たりえなくなる、結局は記憶にしっかりしたものがあるかどうかという私の判断だけが頼り。
また、父親の口頭というと、こういったことで駒沢大がマラソンか駅伝か何かで有名だという認識が小学生の時に付いた。
4月9日、たまたま仏教系の学校について考えていたが、このときにはじめて駒沢大が曹洞宗の方の学校と知った。
仏教要素は微塵も感じていなかったが、父親の実家は日蓮系信徒であり、父方の祖父は真言宗の寺に墓を構えているということを最近の調査で知ったばかりである。
母方の祖父の墓場が曹洞宗の寺院で、仏壇は日蓮系であるが、宗派がごちゃごちゃではないか。
曹洞宗の学校にどんな経緯で入学したか、そしてどの学部なのか、まあ宗教のことは切り離すべきなのだろう。
父親の職歴は、冒頭で「日本生命に関するオフィス」と書いたが、これは前の家で日本生命の社員証らしきものを見たこと、私が小3~4の頃に蒲田にあるアロマスクエアを見に行ったことや、幼い頃に父親の口頭で「新宿の半分は危険な場所」と告げられたことが判断材料となっている。
アロマスクエアとは、お金持ち保険会社の日本生命がオフィスビル不動産事業(明治安田生命なども高層オフィス開発を行っている)で建てたもので、自社のオフィス機能も備えているのか。
同時に口頭で告げられた新宿に勤めていた時代も加味すると、これは同じく日本生命に「新宿NSビル」というものがある(NSのNは"Nihon seimei"で、Sは"Sumitomo"に由来)。
この「新宿NSビル」に勤めていた可能性が高いと見ている。
ちなみに「新宿の半分は危険な場所」という真意は、新宿駅より東側の繁華街、ことに歌舞伎町などを指しているのだろう、と2013年に思った。
いわゆる、独身の、しがないサラリーマン時代に、父親は「JR船橋市場町社宅」(船橋市市場1丁目。最寄り駅は総武線各駅、総武線快速、東武野田線の止まる船橋駅、その近くに京成船橋駅)に住んでいたと思われる。
そこから新宿NSビルへ通勤、ということはあまり想像しづらい。
結婚後、ジャズ好きで友達なしの父親だが、もっと若い頃から23区内のJR中央線や都営大江戸線などの沿線のエリアから新宿に通勤しているほうが、まだ彼は人間的に豊かになれたろう。
続いて母親の学歴について綴る。
2015年3月31日、母親の部屋から履歴書が見つかったが、冒頭や過去記事にも書いたとおり母親が近頃またも退職していたため、求職にあたって作ったと思われる。
そこには、土浦第一中学校、土浦第二高等学校、帝京大学薬学部とあり、昭和何年かも含めると、差し支えなく順調に22歳(何か計算合わない、23歳?)で全過程を修めたものと見る。
「としこおばさん」の技量には私も平伏するばかり。
この中・高については元々微かに察していたものがある。
ある日の口論の中で母親自身の口頭で幼少期の話を聞かされたが、第二高校は当時女子高だったようであり、公式サイト学校案内にも平成6年に共学へ移行した旨が書いてある。
また、帝京大学について、板橋キャンパスの本館高層棟の画像を見た際に「これは近年できた建物だ」と思った。
一般に、大学キャンパスで高さ80m超の高層ビルは大概2000年代以降に竣工したものであり、少し調べるとこれも例に漏れず2008年竣工、2009年開業だと知る。
母親の在学当時で必ずしも板橋キャンパスに同学部があるとは限らない、そう予想した。
Wikipediaの簡単な沿革年表には、「1977年 大学に薬学部薬学科、生物薬学科を設置」とあり、あたかも初めから板橋に薬学部があるかのように思わせるが、私はそれを鵜呑みにしない。
必死に公式ページを探ったところ、「キャンパスの変遷」というページの板橋の項目には「2012 薬学部相模湖キャンパスより移転」とある。
「相模湖キャンパス」の項目には「1977 薬学部設置」とある為、ここであろう。
この「相模湖キャンパス」は2012年の学部移転に伴い建物は解体され、同じ土地で2015年に老人ホームが開設されている。
板橋に初めから同学部があると思えば早計であるが、相模湖キャンパスの所在地も母親の在学時は「神奈川県相模原市」ではなく、「神奈川県津久井郡」である。
この津久井郡とは、平成の大合併で相模原市の政令指定都市を目指す過程において同市に編入されて消滅している。
元々国内の地理が好きだった時期が2012~2014年にあった私は、この事実を既に存じていた。
故に、高層ビル云々から自治体の歴史まで短絡せずに、全てを深く思索した上で調査を進行させられた。
帝京大の話が長引いた。
この履歴書を見る以前は、私が連れていったもらったこともあり、母親の幼少を過ごした土浦に程近く位置する「筑波大学」だと思い込んでいた。
その為、確かな調査結果を出しても尚、相模方面の学校とは得心がいってない。
ほか、東京都世田谷区にある松陰神社の絵馬が家にあって無記載だが、関連する合格祈願の何かに第一志望が東京大学医学部であるようなことを書いていることも知っている(詳細は今に確認しづらい)。
続いて職歴であるが、同履歴書の1枚目から2枚目にも続いている。
平成元年に卒業してすぐ勤めた場所は、やはり地元県内にある、つくば市内の旧通産省の施設である。
某財団法人、某研究所が薬学部卒業とどう関連するかわからない。
同平成元年に薬剤師の資格を取得していることも確認している。
続く平成8年には研究所を退職して埼玉県内の病院に移っているが、これこそまさに父親と結婚するあたりだと断定できよう。
「病棟薬剤師として勤務」ということだが、やはり資格を所持しているはずだ。
未だ詳細が掴めないがこれもスルーしておく。
続く平成18年に退職したとされているが、ここで大きな注意点を挙げる。
どうも職歴とは略歴のようで、あの母親がその病院に10年間勤めているはずもないことは論を俟たないことで、平成18年といえば既に結婚以降より住み続けたさいたま市域(旧浦和・与野市)から離れている上、私が幼くして当然専業主婦となっていることは記憶に明らかだ。
それにその平成18年に北海道の病院に勤め始めたことが書かれているが、これも1年誤りがある。
平成19年=2007年4月、○×市より母親の別居が始まり、ここで初めて北海道に移った。
まあ、埼玉県内に住んでるときから、移るにあたって現地での仕事を未然に探していたとすれば、「平成18年度」内という風にも取ることはできなくない。
続く平成20年に愛知県豊橋市内の病院に移っているが、これもおかしい。
2008年(平成20年)から兵庫県姫路市内に移り住んで、豊橋市内の病院への勤務は翌2009年以降のことであるはずだ。
やはり略歴で、ここまでもここからも、細かい月については就いた月が4月、辞めた月が3月に統一されていて、姫路のことは省かれたのだ。
就職4月辞職3月で統一することは、もはや隠さずして潔い書き方だろう。
平成20年の病院は平成23年に辞めたとされ、以降はどこか薬局の店員・店長で、毎年毎年某大手チェーン(H.23)だとか中堅(H.24)だとか中堅(H.25)だとかとあたりを転々として「平成27年 現在に至る」と終わる。
何月の件をはじめ、その他も便宜的な表記であるだろう。
一見すると、何か大手や中堅の薬局の社員であるかのような書かれ方のそれも、雇う側の者は便宜的な表記であることは理解しているのだろうか。
履歴書とは誰しもがそうして書くものだろうか。
そのことを除いても、近年の母親が職を転々としていることは本人もこう書いている通りで、履歴書を見た者は「どんな事情の人だ」、「この人は長続きするのか」思うことだろうが、この豊橋で容易く就職が叶っている事実。
この件は過去記事に細かく考えているので参照されたし。
→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/02/blog-post_21.html
当記事で日本生命の高層ビルや、2000年代の大学の高層ビルについて触れたが、我が故郷さいたま市はことに大宮区に日本生命が関与した大宮ソニックシティや、2004年開業の大宮法科大学院大学(27年度末をもって桐蔭横浜に吸収される)の校舎ビルなどがある。
明治安田生命が、というのも新都心のランドアクシスタワーを指す。
これについても私の地理に詳しいこと、故郷埼玉を学んでいることがわかるよね。
博識だよね天才だよね凄いよね、大体17歳までに知ったことだよ。
後者のビルなどは、板橋の某ビルの竣工年を推理する上で第一の材料になった。
当記事の大筋を2015年4月9日に書き終えた。
同日中にもう一つの記事で2600文字超書いたわけだが、こうしてたまに1日で6000文字以上も頭で文章を考えながら文字を打つ作業は、手や腕などより、足腰がこたえる。
ずっと座布団の上に座って、頻りに姿勢を変えてはいるが、これは辛い。
関東でも雪が降った4月8日に対して同日も寒く、手先は冷える。
今年の1月に18歳の誕生日を迎え、今や4月、かつての同級生らの大半は大学に進学した頃合ではないか。
世の真理を普く求める私の独りの戦いは果てを知らず続くだろう。
普段なら大学云々の話題自体が空しいものだ。
まして私がドコドコ志望するなど考えもしない。
世渡りは生来不能の身であると独り覚ったのだから、これは不毛のこと。
だが、両親にかこつけて当記事は書こうと思えた。
あくまで、個人的な記録の為なのだから・・・
また、当記事を書くことに罪悪感をも覚えた。
記録とはいえ、両親の学歴や職歴などわざわざネットに載せる必要があるだろうか。
否、罪悪感を覚えることこそおかしいと思えばよい。
純粋に記録の必要が迫られているから、意のままに行ったと。
何か不都合があるとすれば、母親の履歴書の書き方の項目である。
こればかりはネットにその行為について載せるべきかかなり迷った。
悪く言えば職歴の偽装にもなるが、違法性は薄い上に、誰かが当記事見て法律相談したところで対応はされないだろう。
親告罪かどうかは知らないが、少なくとも母と職場以外の第三者が介入できることはないため、突然警察などが事情聴取だとかも、当記事が発端で起きることは普通にない。
すなわち職場、雇用主側が問題視して訴え出ると民事的には・・・
何にしても当記事は不穏分子となりそうだから、忌々しい気持ちが晴れないのだ。
私の順当な見解とは異なる者達が、我が家の偽りの平穏を乱してしまいそうで。
後発の関連記事(家族ラベル記事群にもある):
母親(49)の通知表から見る母親の幼少期 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/49.html
類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju2.html
類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju3.html
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