2019年9月10日火曜日

言語でノンバイナリー表現を用いる動き(ジェンダーフリー、ジェンダーレス、ジェンダーニュートラル)

表題について、まず私の先行研究を示す。
以下に2019年3月5日投稿記事『英語で混在しつつある西洋式と東洋式の語順 (同格表現に関するもの)』からの引用をするが、それは印での注釈に留まっている。

ヨーロッパ現代語では、ラテン語の格変化"case inflection"と性数格一致"agreement, concord"に相当する文法機能が1000年以上前から失われている場合が多い。
古典ラテン語・古代ギリシャ語(アッティカ方言~コイネー)・梵語(ヴェーダ・サンスクリット・パーリ語を含む)には6~8の格変化があったし、現代語であってもスラヴ語派・一部ゲルマン語派にも5以上(非印欧語のフィンランド語・ハンガリー語・バスク語は10以上)の格変化を持つ言語があるが、英語やロマンス諸語は代名詞にのみ5個以下の格変化があり(例外でロマンス諸語のルーマニア語は名詞にもある)、ドイツ語は代名詞と定冠詞の格変化があるのみである。
その点は注意すべきである。

性"gender (いわゆるジェンダー。梵語・古代インド言語学ではリンガ liṅgaという)"についても現代の英語は中途半端にヨーロッパ古典語の特徴を残している。著名な例として職業名につくような"-man" (梵語manuなどインド・ヨーロッパ言語における同根語はみな男性名詞)という接尾辞は絶対的に男性名詞を作るといい、「女性にもそう呼べば女性差別になる」とか「女性なら"-woman"を使うべきだ」という話が社会的にある。"-man"は漢字文化圏からすれば「人"human being (ラテン語由来のhumanhomo, 地上の生命"earthling"という原義であって英語man ドイツ語Mann 梵語manuと関係が無い語源の言葉であることに注意。とはいえこれらは古典語で男性名詞である。中性は無生物などになりがち)"」ほどの意味でしかなく、「男」とか「女」という性別それ自体に関わる意味で取られようも無い。顔・声などが認知されないながらに文面から実在すると推定された人物についても"he, she, it"のような三人称代名詞は使えないならば、苦肉の策で"that person"のような熟語か、"neutral he"を用いるくらいしかない。これは言語における社会科学の側面で考えられる課題の一つとなる。日本語や中国語はジェンダーレスな言語"genderless languages"である。英語をはじめとしたヨーロッパ現代語には今でもそのような文法の性の男女別異があるため、"gender-neutral language"という立場で表現を中性的にする努力もある。しかし、無生物の単語である「海」を意味するラテン語mareは中性、その子孫イタリア語il mareは男性、フランス語la merは女性であるような特徴が、英語には無い。そもそも英語にはラテン語のような形容詞の男女性変化が無いのだから、職業名のための男女名詞区別はナンセンスである。「"-man"が指すものは男だけだ」という固定観念を捨てて潔くジェンダーレスに切り替わればよいが、日本人の言語感覚では量り難いほどに文法の性の男女別異の根が深いようだ。言語の性差も、日本語や中国語のような必要最低限の程度に、いずれは減らされて東洋式になるかもしれない。

当該記事からの引用は以上である。
繰り返しになるが、印での注釈は原文のうちにある。



表題の通り、ノンバイナリー表現を中心に考察する。
ノンバイナリーとは、英語で"non-binary"(alt. ノンバイナリ) と記し、二極でないこと(梵語advaya, advaita は不二一如系になるがここでは多極を標榜するかもしれない)を意味する。
ジェンダー観・ジェンダー論のうちでも性的少数者に関する分野で用いるので、性別の位置づけとして一般に言われる。
日本では「Xジェンダー」と呼ばれる。
数学やIT関係では「バイナリ binary」という言葉が「0, 1 の二進法」の名詞として知られるが、原義的には「2つから成る or 2つのものを含む binarius」という形容詞であり、「バイ・ビ bi」は2つについての事柄を指す形態 (morph) であり、二極・両極端でもある。
「性別の二極でないこと」を換言すれば、男女の二分法に拘束されない性別である。
人によっては、生物の本能に依存した性別の生理的作用をゼロに帰するような立場であろう。

表題には括弧(カッコ)でジェンダーフリー"gender-free"、ジェンダーレス"genderless"、ジェンダーニュートラル"gender-neutral"と併記されるが、記事注ではノンバイナリーとジェンダーニュートラルの2つを基本的に用いる。
抽象名詞に"gender neutrality (性の中立性)"もある。
言語・現代語において、そのような「動き・運動"movement"」があることについて考察する。

人称代名詞 (personal pronoun) の彼・彼女・それ (英語: he, she, it) は、言語における文法的な性 (grammatical gender 以下"文法性") での男性・女性・中性 (masculine, feminine, neuter) になる。
ノンバイナリーおよび性別不明の生命の個体のための専門的な人称代名詞は、英語に無いとされる。
文法性がある言語で、性別の不明な生命の個体を指したい場合、慣習的には男性の語形を用いる例が多かろう。
自然言語には慣習的な特徴が尊重されるべきであるとすれば、急進的に英語でノンバイナリー表現を普及するには困難さが伴う。
現状は、性の無い複数形の人称代名詞である"they"を単数形で用いることが一般的である。
この用法の"they"は、近代英語初期の英訳聖書であるKJV (King James Version, 欽定訳) にも見られる。

Then shalt thou bring forth that man or that woman, which have committed that wicked thing, unto thy gates, (even) that man or that woman, and shalt stone them with stones, till they die. - Deuteronomy 17:5 (旧約聖書・タナハのうち律法・トーラーにある申命記17:5), KJV

※"they die"はそのまま複数形の方に見える。もし3人称の単数形ならば数の一致で"they dies"になるはず。2人称の代名詞 you が複数形由来であることと同様かもしれない。いちおう単数形 they = singular they は主格・主語である場合に述語の動詞が複数形の語形であることは一般的であると一ページに示されるた例文から判断できる。上記引用について、KJV以前からある中英語ウィクリフ訳 Wycliffe (1384, 1394) では、KJVの"that man or that woman"が"þe man and womman (the man and the womman)"として数量的に複数で取れる名詞句を形成しており、その上で"þei ſhulen be þrowen doun (thei schulen be oppressid with stoonus)"と they にあたる人称代名詞を用いる。あまり関係ないが同じ文のヘブライ語では"and"か"or"かというと、"or (either)"の意味に取れる語句 א֖וֹ が使われる。KJVでの他の例に"If an ox gore a man or a woman, that they die: then the ox shall be surely stoned... - Exodus 21:28 (Wycliffe 1384: If an oxe wiþ þe horn ſmyte a man, or a womman, and þei weren deed... ;die が他動詞「死なす」の意味を含んだ時代に"weren deed"で受動構文にしたか)"がある。

当記事では、人工言語であるエスペラント(エスペラント語)でどうか、見てみよう。
あらゆる個別言語において最も特筆すべき動向・議論があろう。



エスペラントは元々、3人称・単数の人称代名詞の語形のみ、文法的な性によると思しき語形変化=屈折 (inflection, alt. 曲用 declension) を起こす。
すなわち、li (彼 he), ŝi (彼女 she) のみである。
人称代名詞・指示代名詞の語末には、mi, vi, ni, ĝi など規範的に - iが語尾として伴う(cf. 疑問詞・不変化詞 ĉu; 英語やラテン語に同じ用法の無い不変化詞でポーランド語czyから来る, 疑問代名詞=関係代名詞 kiu; 文法的に意味を有する接尾辞-uが付く, ほかwikt. Category: Esperanto pronouns)。
物理的な性別が言語の指示対象にあって名詞が有すると推測される性は、自然の性・自然性 (natural gender) である、との定義もある。

li, ŝi の2つに、その対格 (accusative case) の語形もある。
ラテン語などと違って対格の標識 (marker) である形態は語尾の -n のみである。
単純に実在の事物における性の区別が必要という観点で、鶏のオスとメス(雄鶏・雌鶏)を koko, kokino (接尾辞 -ino で女性の意味を付与) として・父と母を patro, patrino (両親を意味する場合にgepatrojで複数形のみを用いる)として区別するようなことが、この人称代名詞にも反映されたに過ぎないと考えることもできる。

エスペラントの冠詞は定冠詞 (definite article) である la の一つのみである。
英語と違って不定冠詞 (indefinite article) は無い(数詞 unu = 1 を代用する者もいる)。
参考までに、フランス語には冠詞・名詞・形容詞にいずれも文法性や文法数 (grammatical number) があり、それらの一致 (agreement alt. 呼応) があるが、名詞と形容詞には中途半端に思える文法性・数の無い例もある。
性の無い形容詞や名詞を単数形で用いる際には、冠詞が男女区別の話し手の手段・聞き手の判断基準となる。
フランス語のその例に"un enfant espiègle"(「やんちゃな男児」を意味して定冠詞unのみが男性形) と"une enfant espiègle"(「やんちゃな女児」を意味して定冠詞uneのみが女性形) がある。
定冠詞の複数形は文法性で語形が変化しないので、名詞・形容詞に異なった語形がある場合は、それが男女区別の話し手の手段・聞き手の判断基準となる。
フランス語のその例に"les adultes français"(「フランスの成人男性たち」を意味して形容詞françaisのみが男性形) と"les adultes françaises"(「フランスの成人女性たち」を意味して定冠詞françaisesのみが女性形) がある。

要するに、エスペラントには性の一致にあたる文法的な機能が、ラテン語やフランス語と違い、存在しないことになる。
3人称・単数の人称代名詞は適宜に照応 (endophora) で用いられれば、それが日本語にもあるような文法的な機能と少し異なる性の一致になるかもしれない。
それでさえも、性別不明の生命の個体を指す場合・秘匿したい場合・性的少数者(性的マイノリティ)への配慮が必要である場合などのため、ノンバイナリー表現を模索する人々は多い。



ノンバイナリー3人称・単数の人称代名詞のためには、何があるか?
ri が、現状で最も一般的である。
これは新語"neologism"である。
性別不明の生命の個体に用いられることが更に一般的である。
ri の使用は Riism, riismo と呼ばれる。
この一種で、両親を意味する gepatroj という複数形のみの言葉の単数形を設けて gepatro と言ええば、ノンバイナリー(ジェンダーフリー・ジェンダーレス)の立場にある親を意味する。
性別が不明または任意の親である人物を指して"unu gepatro"と言ったりする。

なお、ri を用いるなどを基本としてエスペラントから性差を無くする修正・改革 (reformo) としては La riisma Esperanto があって riismo と別に扱われる。
これには基本の語形に女性の形態が別に用意されるものを、男女別で専用の形態を用いることで語形が基本的にニュートラルであることを示す手段も含まれている。
それは iĉismo と呼ばれ、先の雄鶏・雌鶏は、性別不明の個体が koko であって雄鶏・雌鶏は専用の接尾辞 -iĉo, -ino (表記として -iĉ-, -in- も見られる) を用いて kokiĉo, kokino となる。
ことさらに女か男か(雌雄、メス・オス;畜産の人・酪農家などにとって実用的)を示したい場合の手段が用意された修正案である。

li は男性以外にジェンダーニュートラルの用法が伝統的に有ったともいう。
これは epicinity, male-as-norm のようでもある。
英語版Wiktionary - liでその単語に対する注記"Usage notes"として、「厳密にノンバイナリー(男でも女でもない)である人に排他的すぎる (too exclusive) と批判されることもある」ともいう。
一般的にこの用法は推奨されない。

※ epicinity かどうか不明だが、古典ラテン語には名詞に限って common gender (コモンジェンダー・通性) があるという。冒頭に引用した文に「原則的に生命・生物はインド・ヨーロッパ古典語で男性名詞である。中性では無生物などになるため」と注釈した時の言葉 homo もこの例に当たるとして何らかの辞書に定義がある。何らかの文法書は civis (市民), sacerdos (祭司・巫女), parens (親) などを挙げる。これらが男性・女性の実在人物のいずれにも同じ語形で用いられて形容詞との性一致もあるという。新語としてのエスペラント単語 gepatro を待たずにラテン語でこのような例もあることになる。

li, ŝi を合わせて ŝli (ŝi/li の縮約"contraction"ともいう) とする、ジェンダーニュートラルな表現が作られている。
これは新語"neologism"である。
英語版Wiktionary - ŝliでその単語に対する注記"Usage notes"として、「厳密にノンバイナリー(男でも女でもない)である人に排他的すぎる (too exclusive) と批判されることもある」ともいう。
一般的にこの単語は推奨されない。

tiu (その人・あの人 that person, that one) は本来の用法から拡張してジェンダーニュートラル、ノンバイナリー表現というよりも両性的"epicene"(エピシーン、エピスィーン。抽象名詞は epicinity エピシニティ。両性的 androgynous, androgyny と異なる。男性の欠如) である表現に用いるとされる。
ただし、これは代名詞よりも限定詞 (determiner alt. 指示語・指示詞) や指示代名詞 (demonstrative pronoun) として"tiu homo"(その人・その人物・そいつ)というような用途が主要かもしれない。
これも恐らく、専用の単語でない(代替表現らしい)点で、不満足な層がいる様子である。

ĝi (それ・あれ it)は本来の意味から拡張してジェンダーニュートラル、ノンバイナリー表現というよりも"epicene"である表現に用いるとされる。
それで英語版Wikipedia - Gender reform in Esperanto に「1901年の La Revuo 23号にエスペラントの創始者であるザメンホフが性別の不明な個人のために使うことが可能であるという規定がある(筆者が検証すると1901年にLa Revuoという雑誌が存在していない様子。いくつかのサイトを見て1907年として原文を引用する例を見た)」と記され、L. L. ザメンホフさんが実際に用いた文例が子供を対象とする場合にのみあるとする。
挙げられる文は"La infano ploras, ĉar ĝi volas manĝi"(意味は「子供La infanoが泣いている、その子供ĝiは食べる行為をしたいので」という前方照応) である(典拠はL. L. Zamenhof 1893 "Ekzercaro de la lingvo internacia Esperanto"という)。
"infano"は先のフランス語"enfant"と同じ語源を有する言葉であり、伝統的な文法用語としての"epicene"であると言いたいかもしれない。
英語版Wiktionary - epicene の英単語説明の sense 2 としてその仏単語が例示される。
元のラテン語の infans は辞書の定義に英語の"infant"を挙げ、それがまた辞書の定義に「6か月から2歳程度の子供」とするならば、それほど分詞 fans の元の動詞の意味の「話す」ことが否定辞(欠性辞)-in としてできない年齢の子供であって服装や髪型の外見に性別が特徴づけられない場合、日常生活では性器を直に見ないで実在するその個体の性が判断できない。
なので、古典ラテン語からして分詞 fans が男女で性の形態の無い(これはラテン語文法で男女が共通の語形を有するものと扱う)ために否定辞 -in と合わせて、話すことができない(会話が成り立ちづらい)年齢の子供の一般名詞に用いられたろう。
L. L. ザメンホフさんはこの語源を知っても知らなくても、性別不明の子供"La infano"に対する前方照応 (anaphora) に、"epicene"の代名詞として"ĝi"を用いたという旨が当該Wikipedia記事に記された。
同じく当該Wikipedia記事 (oldid=911895413) に「ĝi が人間に用いられないとする考えは英語ゆずり。他の言語には人称代名詞の中性が人間でも用いられる。 e.g. トルコ語 o, フィンランド語 hän そもそもウラル語族やトゥルク語族は3人称の代名詞に性差が無い」とも記される。

L. L. ザメンホフさんが活動していた時代には、当然、言語とジェンダー観のうちの性的少数者に関する議論がほぼ無い。
ただし、冒頭に過去記事を引用するうちに記されたような近代的なヨーロッパ言語は文法性による語形の区別が古典ラテン語など古語よりも少ない、と多くの言語学者が気づいていたろう。
そこからエスペラント(当初に国際語"Lingvo Internacia"という公称がある)をザメンホフさんは構築した、と私は考える。
既述の通り、3人称・単数の人称代名詞にのみ性の語形変化を起こして li, ŝi の2つ(およびその対格 accusative)のみを得る。
文法性による語形の区別が少ない場合は、表現の能力が低くなるので、少ないくらいならば文法性を無くする方が都合のいい結果も得られると考えられる。
その点でフランス語よりも英語が理想に近いモデルとなる。
エスペラントでは意図的に文法性に関して英語らしくしつつ、職業名につくような"-man, -woman"の対立的な形態は用いないようにしたと私は考える。
件の人称代名詞 li, ŝi の2つ以外に、-ino を付けて女性・メスであることを強調するのみで、エスペラントには文法的な性が皆無と思う。
文法性がある言語で、性別の不明な生命の個体を指したい場合、慣習的には男性の語形を用いる例が多かろう。
フランス語の形容詞に男女の語形が異ならない単語も、多くは男性が原型であったかもしれない。

※当記事の後記を参照。イタリア語・スペイン語の話がある。ロマンス諸語のフランス語もイタリア語もスペイン語も男女の語形が異ならない形容詞が、ラテン語でもそうである場合が多いこと (e.g. 3言語 grande, forte に対するラテン語 grandis, fortis) は、少なくともラテン語がロマンス諸語の3言語と同じ傾向を示していたことになる。梵語(サンスクリットおよびパーリ語 Sanskrit and Pali)では基本的に形容詞・分詞が3つの性別 (m. f. n.) を有する (e.g. sa. nava नव の主格 m. navaḥ, f. navā, n. navam; pa. mahant の主格 m. mahanto, f. mahantī, n. mahantaṃ 用例)。



単語例が多く示されているが、エスペラントでノンバイナリー表現のためには、ri が、現状で最も一般的である。
これが唯一、ノンバイナリー表現たりえる専用の表現・単語であることが大きな理由かと思う。
英語で、そういう新語や造語は、伝統や慣習からして定着しない(する場合は一部のコミュニティにおけるスラング slang の一種)。
どの程度に普及しているかは、特に説明しないでおく。
ノンバイナリー表現の将来性についても、私から意見を述べるものでない。
ただし、自然言語でも、過去から現在までを類推すれば、途中の時代まで自然に弱まってきた事実は既に説明されている。
近代から言語のリテラシーが教育の拡充によって高まっているので、自然に変容することは考えづらいが、変容する場合は、言語・文法における性を認知する人々による運動のような「人為的な力」が加わる結果かもしれない。
社会などのことは現在の未知の事柄はもちろん、1年後・10年後・50年後などそれぞれが未知数だし、これを無理強いに量りたいと私は思わない。
民衆からの変革は急進的な成功が困難であること(特に日本国内規模でそう)のみが考えられる。






起草日: 20190909

社会言語学のうちの語彙など簡単な話題について、詳細に説明を行った。
語彙に関して、現代の言語は大きめの拡張性を持つ。
大概は言語を用いる側が、外的要因に受け身である結果に過ぎないが、当記事では運動にも似た能動的な例を挙げている。
既述の通り、自然言語の各言語やそのうちで最も高い国際的地位を得ている英語よりも、人工言語の一種であるエスペラントは、柔軟かもしれない。
最初の提唱者・創始者というザメンホフさん以来の形式は、ある程度に守られても、エスペランティストのパンク的な精神の側面では、変えたい意思で変えようとすることもあろう。
それが旧時代の否定か、新時代のための要請か、その演出かは不明である。


当記事の起草までの2か月間には、本家ブログにおける絵に関する記事の編集・画像制作などで大いに時間が過ぎた。
今時に行うべき言語関連の話題は無いと思っていたが、9月5日からエスペラントについて少し調査を始め、過去記事に僅かな関連のある話題が見つかったので、このために起草した。
起草日での先の時間に、某所で似たような文の投稿をしていた。
一応それと当記事は、同じ私による投稿である。

ジェンダー関連の話題は本家ブログ2019-08-19記事にも2度記されている。
1度は社会に関する説明(主に男女平等・フェミニズム・LGBT, LGBTQ関連)で、もう1度は言語(近代英語での性一致型の照応)に関する注釈であった。
私の絵と絵画・美術の行為には、大概、社会の話題が直接含まれる余地が無いスタンスであるが、そこではそのように説明するという趣向がある。



古典ラテン語などにおける文法性の区別を、私は割と好むが、情報技術に依存して創作・学習するからこそ、私は煩瑣に思われそうな語形変化の事柄に精神的な余裕を保つ。
古典ラテン語よりはイタリア語がもっとシンプルである。
いずれにも、好ましく感じることは、後舌母音による語形 -o, -us が男性であることを象徴してキャラクタリスティックであることである。
インド系言語のうち、パーリ語も文中で主格の時の一般名詞男性形が -o(長母音かつ音声学的な母音の特徴はheightが低め=広め  かもしれない)であってサンスクリット語の -aḥ からの派生という点で、イタリア語・ラテン語に比較する。
パーリ語で一般名詞女性形は -ā が多く(他の例は割愛)、イタリア語・ラテン語で -a に比較する。

しかし、イタリア語であっても -a が固有名詞 Andrea (アンドレア 由来: Ἀνδρέᾱς Andreas アンドレアス) , Luca (ルカ 由来: Λουκᾶς Lucas ルカス) のように男性形である場合もある。
ラテン語では古代ローマの著者 Seneca(セネカ 位置づけはコグノーメン)も男性名詞で扱われる。
反対に、ラテン語には Venus (女神ビーナス、ヴィーナス、ウェヌス), pinus (松などの樹・植物"pine tree"、生物学ではマツ科"Pinaceae"のマツ属 Pinus) など -us が女性形として扱われる名詞もある。
スペイン語の Venus は惑星を指す場合に男性(ラテン語と比べて他のロマンス語と同じく中性が無い言語なのでノンバイナリー?)であると思う。
例文として"Venus es el segundo planeta del sistema solar en orden de distancia desde el Sol"(スペイン語ウィキペディア - Venusより) を見出すも、どうにも planeta がスペイン語の男性名詞(ラテン語・古代ギリシャ語も同じ)であるから、その前の定冠詞と形容詞(序数 ordinal number)が男性形を取ったに過ぎないようである。
私自身が彼ら言語を近いと思っても、夜空の星々のことではないが、遠い部分があるっぽい。

既存の文例を探す困難さが伴うならば、「Google翻訳」で訳文の例を求める手段もある。
金星と水星と地球を序数の形容詞で求めて平叙文を作ると"Venus es el segundo."(原文:金星は2番目である。), "Mercurio es el primero."(原文:水星は1番目である。), "La tierra es tercera."(原文:地球は3番目である。;定冠詞la含まれず。「太陽系で」と付け加えてLa tierra es la tercera en el sistema solar.という) として男性形の定冠詞や形容詞で訳文が返答された。
参考までに人称代名詞で作ると"El es el segundo.", "Ella es la segunda."として男女性の区別が確認できる。
ただし、Google翻訳は日本語→スペイン語で翻訳するために用いる際、内部で英語を介しているので、女神ビーナス"Venus"まで惑星"Venus"として処理されるから、女神ビーナスについての翻訳では信頼できず、妥協案で"Diosa Venus es la segunda."とするしかない。
そのまま女神ビーナスと金星と水星を形容詞「白い」で求めて平叙文を作ると、今まで男性扱いの金星について"Venus es blanca"(原文:金星は白い。;返答でピリオドが付与されない) と女性として返答された。
つまり、内部の処理で女神ビーナスと金星の混同があるとき、その確率論は不明だが、どっちかの時には男性・女性で異なって処理されるように、"Venus"という語形は意味によって文法性が異なるものと看取される。
自然言語処理 (Natural language processing, NLP) の壁の一つではあるが、この打開には複文で脈絡を演出することが挙げられる。
すると、その発想で女神ビーナスと金星の違いを先に位置付けた複文を作ると"Venus es una diosa y Venus es blanca."(原文:ビーナスは女神であり、ビーナスは白い。;コンマなし), "Venus es un planeta y Venus es blanco."(金星は惑星であり、金星は白い。;コンマなし) として理想的な返答があった。
注記すると、数ある形容詞で「白い (blanco, blanca, blancos, blancas; white)」を選んだことは、「大きい (grande, grandes)・明るい (brillante, brillantes)」などが男女 (masculine and feminine) の区別を有しないためであり、それ以上に筆者の感性を込めたつもりでない。
後で「良い (bueno, buena, buenos, buenas)」が浮かんだので、そちらでもよかったろう。

このように「Google翻訳 (Google Translate)」を使う手段は、語学のための技能であって、当記事本文にあるような言語学研究と峻別されるべきであると思う。
語学でも言語学でも、個別言語を扱う際、例外を掬い取るような優れた辞書や文法書などがあれば、そちらですぐ調べることをおすすめする。

2019年9月9日月曜日

2019年8月中の日記メモ

●口上
ナンダッケ書きたいことワカンネ日記メモは学問・宗教・生活のトリレンマだネ的なことを書きたかった。日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは凡そ「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。

●私感
先月27日長良川中日花火大会)と今月15日とに控えられた母・弟の岐阜県内長良川流域関係の日帰り旅行プランは、相次ぐ台風(令和元年台風6号 = Nari 2019, 令和元年台風10号 = Krosa 2019)によって中止された。
岐阜県内長良川流域といっても、いずれも岐阜市の岐阜駅付近や岐阜市湊町が主要な目的地のようである(個人的な推定)。
後者に至っては鵜飼い観覧船が係留されていた状態から8月16日に4隻流されたという災害報道も見られる状態であった(母が取った旅行プランには「屋形船」という表記があり関連性は不明)。
母親は弟が特別支援学校に通っている時など「学校の都合(世間体とやらか)」であるかのように旅行する理由を、誰かとの電話で話していたが、結局、本人の行楽気分・観光欲求などで行うにすぎないように見える。
それで、長良川関係の2件は、いずれも旅行会社のプランに乗っかって食事つきとかの豪勢なものになりながら、何もなく終わったことになる。

当月31日にも母・弟は、長野県内で星を見る日帰りバスツアーなるものの予定を持っていたが、その前日(30日)の悪天候から中止になったろう。
母・弟は、結果的に「雨女・雨男」として言われよう。
cf. 2014年8月26・27日、長野県阿智村昼神温泉への星を見る旅行。星空ナイト云々の名前からして今回も阿智村の可能性があった。

先月17日などの「出張」も、当時の日記メモに記録されるように観光・行楽・道楽のレベルにしかなかったろう。
ババアの、台風よりも傲慢な人間性には反吐が出る・呆れる。
彼らの旅行プランの紙(参加ご案内状)を見ない方が、精神的に楽であったろう。
元々なかったに等しい夏の陽炎とやらか。

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2019/08/01

本日8月1日は前日23時1分にPCをシャットダウンして就寝し、6時12分に起床した。0時以降から今までに2度目覚めて立って寝床を離れたこともある。7時53分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、9時35分に自室へ帰った。16時42分に手などを洗う目的で洗面所に行く際、15時台から1階リビングに母親がいることは分かっていたし、弟が風呂から出た後に母親が叱っていることも分かっていたが、まさか弟の方が今いると思わなかった。彼は、私の姿を見るなり「○○さん(聞き取れないが私の名前でない)に言っておきますが、お母さんは私よりもひどい人です(alt. 怒る、バカ)」云々と喚きだした。結局(先月分の日記メモまとめ記事を参照)、弟には私の意思など伝わらないことと思う。私は血縁上の兄だが、2017年の件「シネシネ鳥」以来に弟を精神面で監督するような気概が無いし、日常の些事に関して彼から相談を受けるなど、この人生で経験も無いことである。彼が何かを言うことを私が受けても、任意の番犬が見当違いにも遠くの犬の鳴き声に呼応して敵に対するように吠える・叫ぶことと同じと思う。そもそも19歳の彼がたとえ知的障碍者であろうとも愚にもつかない(非建設的な)うらみつらみを言うことは幼少期の方が少ない。彼が特別支援学校高等部を卒業して職業訓練を受けていながら、今更に幼児退行の様相を呈することがあっても、私がその慰めを行う道理・義理は無い。



2019/08/02

本日8月2日は1時58分にPCをシャットダウンして就寝し、5時34分に起床した。13時58分に手を洗う目的で洗面所に行った際、1階キッチンにいる母親が私を呼んだ。明日の6時ころから弟と外出して母親自身の帰宅(買出しなどの通例では弟が先に帰宅する)は20時ころである、という話を私は受けた。22時43分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものを排出した。



2019/08/03

本日8月3日は0時37分にPCをシャットダウンして就寝し、5時30分に起床した。6時49分から母親と弟が徒歩で外出した。10時0分から風呂(シャワシャン)の準備を始


2019/08/04

本日8月4日は前日20時36分にPCをシャットダウンして就寝し、4時25分に起床した。



2019/08/05

本日8月5日は3時52分にPCをシャットダウンして就寝し、8時13分に起床した。



2019/08/06

本日8月6日は0時台にPCをシャットダウンして就寝し、5時59分に起床した。8時30分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、9時44分に自室へ帰った。19時37分から便意のためにトイレへ入り、4個の中サイズのものを排出した。



2019/08/07

本日8月7日は寝ない状態で日を越して至る。1時40分から便意のためにトイレへ入り、3個の小サイズのものを排出した。拭うために用いたトイレットペーパーに血が付着していて先の1度の排便における最後の1度の拭いにおいて痛みが伴ったことと関連するか、何かしらの作業を続けたための肉体的な疲労の発露の一種かと思うが、どうでもよい。1時58分にPCをシャットダウンして就寝し、6時45分に起床した。その前に性的な夢を見ていて、夢の中の私と顕在意識(レム睡眠下)とで同調深度(アレ用語)が高いために、夢の中の私でさえ、性的な光景に出くわしながら夢精に至りそうなことをすぐに察知していて顕在意識ではその対策が続き、射精の直前で目覚めて体を動かし、パンツなどから陰茎を露出させて射精を抑えて微量を安全な場所に発射した。18時30分にPCをシャットダウンして就寝し、23時17分に起床した。



2019/08/08

本日8月8日は寝ない状態で日を越して至る。弟が6時台に朝食を取って後、7時台に何も動向が無く、彼は二度寝による遅刻状態となり、8時5分ころになって母親が彼に声をかけていた。母親は弟の通う職業訓練の関係者に遅刻になるという電話したという。8時31分から弟を連れて母親が発車して外出した。9時1分に母親の車が家の前に着いた。17時3分にPCをシャットダウンして就寝し、22時50分に起床した。



2019/08/09

本日8月9日は寝ない状態で日を越して至る。9時27分からPCをシャットダウンして就寝し、12時16分に起床した。12時36分から母親が発車して外出した。5分以内に母親が忘れ物のためか1度帰宅し、再び去った。その後、自室タオルケット1点のための洗濯機作動や、絵のスキャンなどを行い、13時13分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時0分に自室へ帰った。16時2分に帰宅した弟は風呂に入らずに洗濯機の作動をしたり、それが終わるまで2階で酷い物音をたて続けて洗濯機の動作が終了してからは、屋外に何かを運んだり、屋内に戻したり、その前後や間にも不可解な物音をたて続けるなど、奇行が見られた。彼には20分ほどのの外出もあった。彼が風呂の行為を始めた時は18時10分台である。19時台や21時台に弟は外出したりしたが、当然、母親が未だ帰宅しない間である。次節 grammatical clause できごとまでに弟は帰宅し、21時47分に母親の車が家の前に着いた。



2019/08/10

本日8月10日は寝ない状態で日を越して至る。1時台・2時台であっても、その生活的一日における帰宅後であると母親は、テレビを無意味に付け続ける傾向にある。2時台の場合は、見もしないのに、1階リビングのテレビを無意味に付けて付近を徘徊したり1階と2階の行き来をした後、テレビを消した。さっさと風呂に入ればよかろうものを、あっち行ったりこっち行ったりと煩わしいことこの上もない。それでまた、数分後にはテレビを付ける醜態である。2時22分からPCをシャットダウンして就寝し、7時4分に起床した。このような朝6・7時台時に母親が1階リビングにいたり、弟が風呂に入りだすなど、普段の平日・土日曜日を問わず、ありえない状況がある。



2019/08/11

本日8月11日は前日21時53分にPCをシャットダウンして就寝し、0時1分に起床した。0時10分ころにPCをスリープ状態にして仮眠を取り始め、6時32分に目覚めるということでひどい誤算を得た。作業も家事も、望まれたことはできなくなった。前日睡眠の際に母親が1階リビングにいたので自室冷房作動エアコンは動作を終了させられずに本日0時以降も本日6時以降も動作が続いたことになる。前日に母親の「用量:1日4粒 ブルーベリー系サプリメント」を気まぐれで1か月ぶりに1度に4粒私は飲み、その副作用かはともかく、左目がやたらと痛むし、映りも悪い。それがそのこと(「用量:1日4粒 ブルーベリー系サプリメント」を気まぐれで1か月ぶりに1度に4粒私は飲み)と無関係である可能性としては、左の鼻腔から鼻水・鼻汁がやたらと出やすいことで異常な睡眠による異常な身体の現象があると思う。他にも前日に長時間にわたって絵を描いていたり、冷蔵庫の品物の消費という名目で牛乳1lを飲んだりと、少し無理な行為があったことも考えられるが、このように日記メモには事あるごとに原因らしい事象記述を縷々と連ねればならない。左目・左の鼻腔の異常は、起床から3時間が過ぎても強まる一方である。10時7分からPCをシャットダウンして就寝し、12時32分に起床した。左目・左の鼻腔の異常は和らいだが、後頭部の痛み・頭痛があり、15時台にも続いている。14時48分から便意のためにトイレへ入り、5個のコロッ糞を排出した。



2019/08/12

本日8月12日は寝ない状態で日を越して至る。1時15分から便意のためにトイレへ入り、6個のコロッ糞を排出した。1時49分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、3時11分に自室へ帰った。5時27分からPCをシャットダウンして就寝し、11時21分に起床した。



2019/08/13

本日8月13日は寝ない状態で日を越して至る。1時15分から便意のためにトイレへ入り、4個の小サイズのものを排出した。2時31分から母親(その5分前に1階に降りる更に前には7時間ほど2階にい続けた)は1階リビングで2階の弟を呼び出した。その後に弟のセリフを拾うと「ストレス解消で少し壊した(i.e. 前日に小さな争いのあった弟が母親に対する憂さ晴らしで母親の所有物を壊した)」という。この母親に尊敬がふさわしくなくて利害関係の意識ほどしかありえない。面従腹背がよい程度である。2時55分からPCをシャットダウンして就寝し、6時45分に起床した。8時26分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと1個の小サイズのものを排出した。9時31分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。11時51分から便意のためにトイレへ入り、6個の小サイズのものを排出した。15時25分から便意のためにトイレへ入り、3個のコロッ糞と1個の小サイズのものを排出した。

16時30分台に母親が私に話しかけた。唐突に「朝○ちゃん(弟の名前)と何かしゃべった?」という。弟が母親の知る限り長時間外出したきりで帰宅しないことが、こう私に尋ねた動機である。その後に私は弟の本日の様子(6時台の私の起床時にはすでにシリアルを食べた後の食器が台所に置いてあって外出していた&7時前に1度帰宅した彼はテレビを見ながら何か食事していて彼が2階にいる間に台所を見るとケチャップ付きの食器のみが増えていた&7時台に再び彼が外出して30分ほどで帰宅した&10時までにはもう1度外出して今までに彼が帰宅していない)を話した。他にも、母親が留守である際の弟が風呂を済ませて以後の夕方や夜(長期不在時には夜中を含む)に彼が頻繁に外出することを告げた。会話の最中に母親はリビングのテーブル上の弟の書置きを見て、「よじまでにかえってくる」と読み上げた(これは2019年7月2日付けで書かれた紙だと後で私は確認した)。母親は弟の外出先の可能性として弟が就労支援で与えられた金銭で埼玉に行く(彼の遠い希望または母親に対する虚勢に過ぎないと思うが)とかという話をしていたことを挙げた。思い返すと、私は彼の最後の外出が最寄り駅と反対方向に行く様子を見ていたので、今回も某商業施設での遊び・金銭消費が主な目的ではないかと考えられる。当然、弟はスマートフォンを有していても連絡手段に機能させず、母親も指導をあきらめて久しいので、母親はその手段を使うことができない。ちなみに、母親は9時ころに1度、弟が2階の母部屋の前でぶつくさと零していることを聴いたという。弟は19時17分に帰宅した。その後、母親は令和元年台風10号の話題を含めて弟を責めたてた。



2019/08/14

本日8月14日は前日21時16分にPCをシャットダウンして就寝し、4時39分に起床した。5時2分、朝焼けの光や色彩を強めに感じながら空を見ても、南や東が雲しかないように見え、北の方を見ると割と晴れていると思った。間もなくパラパラと天気雨が降り、同時に東の空を見直すと晴れ間が多く見えた。5時20分台からはもっと強めの天気雨となった。6時31分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、7時30分に自室へ帰った。30分後から、当月11日のような左目・左鼻腔の異常を感知した。今回は起きたまま対処を続けることにする。10時30分に近所のゴミ集積所(ゴミ集積場、公称:ごみステーション)に収集車が来ていたが、10時47分になって母親が「水曜なのにどうしてゴミを出さなかったか」ということを弟に問い、弟にゴミ集積所の様子を見るように指示を出していた。9時台後半に弟が受け取った配達物(母親は表現が分かれて「宅急便の」だとか「郵便物」だとかという)の扱い・置き場について、11時過ぎから母親が激高して弟にしつこく言いつけていた。「これはここでここにおくな!」という指示代名詞などの繰り返しで、母親の言葉の音声だけでは空虚に聞こえる。その場の身振り手振りという行動言語があっても、聞き手である弟は知的障がい者・知的障碍者・知的障害者であるから、彼に不親切であろう。記号法であっても「ここ・そこ」で言い分けたほうが、知的障害を持つ弟に親切ではなかろうか。短気な女・ババアである母親の性質を発露させることは、それ以外に「受け取ってから何時間も・・・」という表現や「1万回以上」という数値の誇張などにある。今回の配達物は例年の栗きんとん(岐阜県内の銘菓)であった。14時43分に部屋の外を見た際、雨が1滴も降る様子が無かったにもかかわらず、14時47分から暴風雨が始まった。



2019/08/15

本日8月15日は前日23時35分にPCをシャットダウンして就寝し、6時8分に起床した。不穏なクソガキババアの前に姿を見せることだけでも危険である。言葉を与えれば、大概、いい結果は無い。言葉を与えずとも、向こうがグチグチと不快な言葉を漏らし続ける。胸の内にしまう能力も無ければ、口を無くするようにしても逆効果であるから、過去にも記したように、生命を殺すほどの手段以外はその達成が無い。よってクソガキに対比してこちらが無脳症児になるしかない。



2019/08/16

本日8月16日は前日21時31分にPCをシャットダウンして就寝し、3時33分に起床した。



2019/08/17

本日8月17日は前日22時9分にPCをシャットダウンして就寝し、5時28分に起床した。



2019/08/18


本日8月18日は前日22時13分にPCをシャットダウンして就寝し、4時10分に起床した。4時27分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時32分に自室へ帰った。6時48分、自室ドアの隅(金具のある方=支点の方)に小さい蜘蛛・くも・クモが主である小さい巣があり、小さい蚊のような羽虫が死んでいる状態を見た。豊橋市での自室の内に作られた蜘蛛の巣に他の虫が掛かっている様子は初めて見る。7時5分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズものと1個の長サイズのものを続けざまに排出した。その後も2個の小サイズのものを排出した。本日の起床時から私は便意を覚えていたが、前日から予定されている風呂(シャワシャン)を優先させた。8時29分からも便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものと3個の中サイズのものを排出した。

同日撮影の動画がある→https://www.youtube.com/watch?v=-YIFDAmpQ8A

8時43分に自室の「或る方角の窓」のための障子を動かしていると、1組2枚の障子の間から「バタバタッ!」と音が聴こえ、単に「私が2018年11月に貼り合わせた障子の紙がこすれた音か(その件は数か月後に修正した記憶もある)」のと思った。その障子2枚を探ると、トカゲのようなものが窓に近い方の1枚の最も右下の領域(1コマ)に張り付いている姿を見た。これを追ってみると影に逃れ続けた。捕まえてトカゲ…、後で調べるとヤモリ(尾を含めて全長10cmほど。ヤモリ属 e.g. Gekko japonicus ニホンヤモリ)と分かるものと判断した。写真1点・動画1点の撮影をしてから外へ逃がした。これの闖入・侵入経路が「ザ・或る方角の窓」からであれば、シミのような虫に加えて色々と危険性(脆弱性)があると思う。網戸には虫よけの黒いブラシ状の部位があるものの、そこ自体が突破されるか別の隙間から侵入しやすいかと推定する。前日の寝る前(22時13分ころ)に猫の鳴き声のようなものが聴こえた際、外から何か動物が窓を介して部屋に侵入することも考えはしたが、まさかヤモリになるとは誰が想像できようか?ヤモリであれトカゲ(蜥蜴・とかげ)であれ、豊橋市に移住してから初めて見る。

10時10分から便意のためにトイレへ入り、3個の中サイズのものを排出した。11時27分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものと下痢を排出した。8時台に母親は「11時になったら散歩いくよ」などと弟(彼は6時台と10時台に外出)に話していたが、11時台の母親は私のトイレ時に1階へ降りて玄関ドアの開閉をするのみで11時50分現在も外出していない。野暮な・気まぐれの散歩の緩慢な行動がある。12時1分から母親が徒歩で外出した。14時17分から便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。16時19分、ヤマト配達員(クール車・男性)による配達があって2階にいる弟が1階に降りて対応したが、ヤマト配達は3日連続であり(前々日は日清カップヌードル、前日は小さめのもの)、弟が連休であることを狙って母親がネット通販をしまくっていると推定する。16時22分には郵便配達員(バイク・男性)による前日「不在」扱いの配達がされたようで、再び弟が2階から降りて対応した。16時38分から便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。16時47分に母親が帰宅した。18時16分から便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。20時55分から便意のためにトイレへ入り、軟便を排出した。



2019/08/19

本日8月19日は2時0分ころにPCをシャットダウンして就寝し、6時40分台に起床した。16時41分から便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。



2019/08/20

本日8月20日は前日21時8分にPCをシャットダウンして就寝し、2時40分に起床した。13時15分から母親が発車して外出した。2分後から、前日に私が失敗したことによる冷蔵庫霜取りと軽度の掃除とを始めた。14時28分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時33分に自室へ帰った。20時55分に母親の車が家の前に着いた。2階にいる弟が呼ばれて荷物の運搬などを彼がするが、母親が終わりの合図を出さないで中断されたことを彼は終わりと誤認した。彼の風呂場にある洗濯物を取り込むなど彼は勝手な行動をし、母親から追及されると、彼は悪態をついたり、口ごたえをしていた。最近の彼は、母親に叱られながら遮るように「うるさいです!うるさいです!」などと低質な反発をしていた(前日や前々日にも発生していた)。



2019/08/21

本日8月21日は前日22時55分にPCをシャットダウンして就寝し、6時16分に起床した。8時0分からゴミ出しのために外出した。16時45分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものと軟便を排出した。



2019/08/22

本日8月22日は前日22時8分にPCをシャットダウンして就寝し、5時34分に起床した。15時42分に母親から呼び出された。その10分前にあった干渉の件(母親にとって不愉快に感じること)の話をされ、次に夏の衣類として靴下3点・上下短い服1点ずつを渡された。17時3分にPCをシャットダウンして就寝し、21時3分に起床した。23時19分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、24時23分に自室へ帰った。

9月12日には水玉の位置に対応した皮膚への陥没が確認できた

当記事注: 上(トップス)1点はポリエステル100%の半袖ポロシャツであり、ザラザラ感がすさまじく・肌着として着た際の胴体の表皮にチクチク感がある(私は外出しないのだから部屋着として実用性が確保されるべき。用いる当人の目的をわきまえないで母親は買い与える)上に、残暑の9月11日(湿度は少なくとも低くないと思う)に試しに着た際には静電気のバチバチとした音を聴いた。靴下3点は1色の地に2色のドット(水玉模様)が伴う柄物である。柄物の一部は、履く際に指に引っかかるか、耐久性の欠陥を伴うなどで、実用性に欠ける。8月・9月10日以前に一度試しに履いて問題があった。9月12日には水玉の位置に対応した皮膚への陥没が確認できた。母親は、自分が着ない素材・デザインの衣服を息子に与えたがる。2012年から問題視していて、まともな言葉を理解できない人に対しては「黒一色のものを買えばいい」とだけ言うしかない。母親は長い説明に理解を示さないか、空虚な返事だけで守ろうとしないからである。それでさえも比較的長い時間の経過で、破られる。もし2012年から、私が「外出して適宜に自分で衣服を選んで購入する」という話を母親承諾していれば、ポリウレタン部品多き未使用バッグの加水分解現象などで無駄な出費が発生することもない。引きこもり傾向にあった私の外出頻度も多少は高くなったろうが、その旨を私が2014年にメールで主張すると、母親は「あなたが外出しないことが私の困ることにはならない」などと、精神的に親とは思えない最低な反発・非難をしていた。



2019/08/23

本日8月23日は前日23時19分からの風呂(シャワシャン)の後の0時23分に自室に帰った経緯がある。2時過ぎから寝落ちして5時33分に起床した。それ以前から弟は外出していたようで、外ではたびたび雨が降ったり止んだりするが、彼は6時58分に帰宅した。10時台にPCをシャットダウンして就寝し、2度ほど目覚めて時刻確認した経緯もあったが最終的な起床は15時19分である。



2019/08/24

本日8月24日は3時16分からPCをシャットダウンして就寝し、8時15分に起床した。12時46分に配達員(ヤマトを名乗る男性)がインターホンの呼び鈴を鳴らし、弟が不在である今は母親が母親自身の配達物を受け取った。それは珍しいことである。その中身と思しきものを13時44分に1階リビングソファの上に見た。箱には"fire tv stick (Amazon Fire TV Stick)"などと書いてあった。また物を買って色々な映像コンテンツの視聴をしたいか、少し使ってやめるというニワカ趣味をしたいか、不可解に思う。彼らが1階リビングに居座る時間が増えつつ騒音の発生が増えでもしたら、恐ろしい。



2019/08/25

本日8月25日は寝ない状態で日を越して至る。0・1時台に母親は夜食としてカレーを食べたとかと、母親が2階に上がる途中に2階の弟の部屋にいる弟に話していた。弟は推定0時台から彼の部屋で音楽を流すか動画を再生するなどしているが、彼は前日23時台から起きていたろう。彼らがおおよそ静かになった3時30分ころにPCをシャットダウンして就寝し、8時58分に起床した。

当記事注: このカレーは翌月8日メモで「某牛丼チェーン店の冷凍カレー(包装はレトルトパウチ)および冷凍ロースカツ」として言及される。当月(8月)23日に家へ配達されたと思う。母親が私に説明してきた日は、当月28日である。



2019/08/26

本日8月26日は前日23時15分にPCをシャットダウンして就寝し、6時5分に起床した。就寝の当時は仮眠のつもりであって2・3時間程度眠れれば良いと思っていたし、2:10, 2:20, 2:40, 2:50, 3:10にアラームを設定していたが、いずれに対しても手動でOFFにするか気づかないかで眠り続ける結果になった。8時25分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、9時12分に自室へ帰った。



2019/08/27

本日8月27日は前日23時20分にPCをシャットダウンして就寝し、4時58分に起床した。既に弟は起きていて2階で女性の声が流れるの動画か何かを再生しているようであり、私は起き続ける気概を失って5時40分ころから寝落ちして8時0分に目覚めた。11時49分から便意のためにトイレへ入り、6個の小サイズのものを排出した。前日も本日(18時0分)も何かしらの配達があって弟が受け取りをした。最近はやたらと母親がネット通販などをしているので2015年の通販浪費期間を思い出す。



2019/08/28

本日8月28日は2時16分にPCをシャットダウンして就寝し、7時15分に起床した。13時58分から母親が発車して外出した。14時4分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時5分に自室へ帰った。19時47分に母親の車が家の前に着いた。



2019/08/29

本日8月29日は前日23時18分からPCをシャットダウンして就寝し、5時5分に起床した。12時24分、左目に2つの目立った内出血、右目に1つの目立った内出血を確認した。本日はいくつかの物理的な問題と精神的な問題があったとはいえ、目の外科的な異常に及ぶ要素が無い。今まで、PCでの作業の中に目の映りの悪さを覚えることがあったので、目を確認した。14時19分から便意のためにトイレへ入り、多めのコロッ糞を排出した。



2019/08/30

本日8月30日は前日23時7分にPCをシャットダウンして就寝し、3時30分ころに1度起床して再び就寝し、5時48分に起床した。10時15分から便意のためにトイレへ入り、4個の小サイズのものを排出した。



2019/08/31

本日8月31日は前日18時31分にPCをシャットダウンして就寝し、2:10, 2:20のアラームに目覚めても直ちに起きず、2時37分に起床した。2時20分の時点では1階リビングに誰もいないのに、その起床直前には誰かがいることを確認し、無理にでも起床した。せっかく真夜中に起きる計画があって実現するのに、いざ私が起きようとするとこのザマである。誰かが2階に上がった時間が2時40分台として、その後に弟は4度以上1階に降りる行為があり、3時21分には雨の可能性があるうちに彼が外出した。