2021年7月22日木曜日

著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済

デジタルな情報の通信技術が普及した今では、多くの情報が共有され、20世紀よりは、はるかに生産性が向上した。
また、多くのコミュニティもSNSなど少数の大規模なスペースに集約するか、二次的な拠点を置き、同じスペース全体での著者の不明な情報もあることで、信頼性 (reliability) が玉石混交の様相を呈している。
ここら辺の事情が国によってまちまちだが、何よりも私のいる日本国とそのマジョリティの言語である日本語において、より生産性と信頼性とを向上させたいと願う私は、改めて簡単な意見表明をしたい。



「著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済」と題した。
ここで示唆される情報の市場は、その主役である人間たちの欲求と信頼性とを等しい比重にすることを理想とされている。
現今では、本の著者や情報商材の提供者やセミナー講師やサロンなどに金銭が渡る状態を先とし、後でその顧客の感想があることになるが、これでは相手が悪質であるという評判を知らないか、個人的に悪質であると感じる要素がありうるにもかかわらず、知る前にその人の「外付け生命力」である財産が渡ってしまう。
やはり、その人にとって、こういった取引は心の不幸さに繋がるし、その意味で、正しく金が動くことにならず、貧しい人の貧しさを強めるおそれもある。

米国では米国なりの民主主義や自由主義の思想的な影響で私の言うような傾向が見られるし、中国では社会主義の思想的な影響で私の言うような傾向が見られる。
どこからどこまでが「社会全体の共有財産」であろうか?
Twitter: @tottoriloop, 2021-05-13付近のツイート

物理学博士(プリンストン大学 1981)のアラン・ソーカル (Alan Sokal) 教授が彼自身の著作(ただし共著の本)の違法PDFをダウンロードできる (illegal downloadable) と意見相手の人物に紹介している文章も参照されたい。
彼は本の収益と別に実利的な対応を優先したように私は見ている。

ウェブ文書のキャプチャ画像


特許権を含む知的財産権に関して中国共産党は、国際法や異国の法律の立場で年々取り締まりの厳しさを増す姿勢でいるが、やはり中国の成長は、著作物に関するオープンさや平等性に求められる部分もあろうから、日本では「盗用、違法アップロード」と思われることも、中国では過度に違法であるように思われないようである。
違法アップロードでの情報共有は、それも大概、悪ではあろうが、実際に私の言う「著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済」であれば、多少の法改正の後、違法ではなく合法になりうる。
剽窃や著者の詐称は、著作者人格権や"authors' rights"などの観点で、違法で構わない。
著者を隠匿することまたは不明と呼ぶことは、グレーゾーンだが、著作権の関係以外での違法性を言うことができる。
倫理的かどうかは、その通用する範囲内の社会の通念に依拠するので、単純に現今の情報化社会とやらの立場では、私が言う「情報経済」に抵抗が無くなりつつあるであろうし、これからはなおさら、そういう「常に無料アクセス、オープンアクセス」ということが、学術から芸術まで可能である必要を覚える。

報酬を得る人は、運が良ければ今まで以上に得られるかもしれないし、顧客の母数が少なければ収入が減少するか1銭も得られない可能性が上がりもする。
著者も、顧客から「こいつに金を出したくねぇ」という人から先に金を出されて当たり前だと思うのでなく、「相手に金の損をさせたら逆恨みが怖い」と思って金銭を非道徳的に受けたいと思わないくらいの精神性、または、「そういう顧客からの金はもらわなくて結構」という金銭への寛容さが無いと、出版業が社会の平和や幸福を生む商売でないと私は思う。
いくらかの種類の著作物に基づく著者の収入に、「印税」(租税や税制と無関係)という奇怪な語源および語感の用語が日本語にある。
書籍の出版業界や音楽業界は、知的財産の側面に限っても色々と分業が多いことを私は理解している。
「印税」のシステムが色々と言われるが、それに関しても顧客からの感想や評判に依拠した方式も採用できる。
前掲のアラン・ソーカルの例からは、彼が小さな利得よりも相手の立場を思いやった紳士的な気質を私は感じている。
金儲けしている著者の人たちには、『失楽園 (Paradise Lost)』で有名なジョン・ミルトン (John Milton) さんの、彼が言論・出版の自由を訴えて記した書 Areopagitica (1644) を読んでいただきたい。

新型コロナウイルス感染症のコロナ禍で、社会のセーフティネットが注目を強めている今だから言うこともできる。
金満の売文家の人々は、もし私が言う「情報経済」によって収入が激減しても、転職したいと願って実現するまでの間、社会保障として生活保護(時代の想定によってはベーシックインカム)の金銭を受給できる。
日本国が他国から信頼を受ける限り、国の借金、国債、公債(対GDP比)が増えても急な恐慌や財政破綻はありえないし、何かしら人道的な食糧供給などはある、と市民的に「信頼」すれば明日の我が身を絶望する必要は無い。
自分の生活と名誉と日常とが壊れることを嫌うから、細々とした生活に対して絶望する人もいるが、この話は脱線するので、終える。

「持続可能性」という観点でも、マクロ的には地球環境が今の人間文明によって変動していることは多くの人が実感しているであろうから、機械化する労働環境も考慮し、人間は多少の客観性と精神性をどちらも重んじてゆかねばマクロ的な持続可能性を向上することは無理であろう。
蓋然性として、「著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済」は求められることになる。
「炭素税」「カーボンプライシング」とかの環境政策にも、互換性があるものとして仮想できる。
前述の「借金」のアイデアで、「地球への借金」を問題視することは人への借金と同じかそれ以上にできる。
日本国は、ビジネスなどの慣習が全体として保守的であり、他のことも、たとえi-mode携帯電話(デジタル符号化の絵文字 emoji の始祖)、2ch (4chanなど画像掲示板が普及する元の元として決定的), ニコニコ動画(英語圏では中国版YouTubeとして知られるbilibili動画に多くの要素が継承される)などの成長が早くて先進的だったとしても、中途半端な段階で留まっていつの間にか諸外国(中国と韓国を含む)の後塵を拝する状態になっていった。
これらから類推すると、こういった領域でも中国や米国が先んじていくに違いないため、社会主義であれ自由主義であれ、私が言う「情報経済」も後から日本の人が理解できるようになると思われる。



この話では、「リバタリアニズムの国家が存在しないように、そんな『情報経済』も存在しない」と言われそうである。
現今では、確かに存在しないからこそ、可能性の側面を当記事で記した。
他にもあるので、少し紹介したい。

モデルケースおよび類例

・いくらかの PC フリーソフト、Android, IOS スマートフォンアプリ
;ソフトウェアを無償配布する行為、その対象物。それを行うプログラマーやエンジニアの人は、それだけで終える個人もいるであろうが、利用者らの寄付を募る個人もいる。私見だが、利用者らの寄付によって優れた個人が報酬を受けることが理想的であるとする思想の人もいると見られる。
自由ソフトウェア (free software フリーソフトウェア) に一部重なる。ソフトウェアを、コピーレフトであるかどうかを問わず、そのソースコードが誰でも自由に利用できることを基本としている。利用者らの寄付によって優れたプログラマーが報酬を受けることが理想的であるとする思想の標榜、またはそのような事物。その運動または団体の思想や理念からは、結果的に無料になりうる場合が多いのではないか?

・Wikimedia財団の活動、特にWikipedia
;多くのコンテンツは無料で利用できるし、素材の方もクリエイティブ・コモンズ (Creative Commons) やGFDL (GNU Free Documentation License) や独自ライセンス(プロプライエタリなど)やパブリック・ドメインにそうものを使いつつ、言語マジョリティの国の法律に従う形でフェア・ユース (fair use) を採用するかどうかも言語版ごとに異なる方針で運用している (e.g., 日本語版では不採用、英語版では採用)。ウィキメディア財産はボランティアの立場である。ウェブサイトの運用が中心でありながら、広告収入を得ないでおり、寄付が主な資金である。

2020年現在は、フェアユース(米国法107条)と、「日本法46条(屋外に恒常的に設置されている美術著作物)」(Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針を参照)または「Wikipedia:日本で著作権が消滅し、米国で著作権が消滅していない画像の利用方針」の対象」の両方を適用できる場合のみが受け入れ対象となっているため、英語版ウィキペディアのように、映画やアニメーション作品の映像などの多種多様な著作物を受け入れるには至っていません。
Wikipedia:FAQ_画像などのファイル#フェアユースによるファイルのアップロードはできますか oldid=82958192


・ある程度の音楽業界によるフルアルバム (Full Album) 無償配布またはストリーミング動画公開
;レーベル(レコード会社)所属のもの、インディーズ、同人音楽を問わず、各々のいくらかが、異なる程度でこれを行う。また、第三者が好意でアップロードしたそれらコンテンツも海賊版として排除するのではなく、許容している例もある。右記YouTubeプレイリストは、特定のバンドとそのレーベルの方で公式に投稿しているものを公式にまとめているが、第三者(リスナーまたはファンと見られる)が既にアップロードしているものも包摂的に加えている稀な例である。https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mcCde8nBW8sZg-awIT38Aewn5FrtrzHYU 一方、行わない事業者でも行う事業者でも、排除する場合もある。

・いくらかのTV番組
;最新話の任意のTV曲での放映後、1週間以内はインターネット上の何らかの領域で無料視聴できるなど、色々とある。

・私、横野真史の活動
;絵と音楽と論文といった数々のコンテンツを全て無料で閲覧できるようにし、ブログやYouTube動画では(こちら側の意図として)広告も付与していない。

これらの例に関して、少し、分析してみたい。
商業的な領域で取引されている作品などでさえも、いくらかのものは鑑賞に関して無料である場合があることは分かったと思う。
それに関しては無料の無許可または違法アップロードはともかく、有料で売る海賊版のコピー源となりうる可能性はあるので、2000年代にはまだ早く、2010年代からはインターネットのファンの界隈に配慮してか、海賊版の対策が進んだためか、知的財産権に関する問題性の一般認知が普及したためか、これらの複合により、徐々に定着したと思ってよい。
管理する団体および個人の国籍が、米国であろうと欧州であろうと日本であろうと、自発的な経緯または同様の例を見習った経緯から、そうしたろう。
無論、著作物の使用のガイドラインやライセンスということを「情報経済」の話題で私は論じているわけでなく、無料作品でも有料作品でも、ソフトウェアにおけるソースコードと画像と音声などの使用素材や、著書および文書における情報といったものは、無許可で利用されたくないか、営利的な、政治的な活動などで使用されたくないという制限が伴う場合がある。

海賊版に対抗する手段は、その需要が排除しきれないし、包摂の形で、行われてきている。
海賊版の社会的または道徳的な問題は、商業的であってもなくても、他人の著作物を利用した配信の行為が、その掲載サイトの広告収入または有料会員の会費の形で、不法な収益になっている点であろう。
私はそもそも、「最初から著作物が無料で提供され、寄付によって著者が支えられる仕組み」の強化がされることを提案しているので、これが結果的には海賊版の駆逐の手段、もしくは自然淘汰の結果となりうるという考え方もある。



備考:私による顧客側の実例

紙の本 /4476011586 レビュー文案引用、2点の写真

私が「持っておきたい」と思って購入した活字の本がある。
事前にインターネットでどういう中身かを知っている(文章の内容を指すが、扱う対象が複雑なのでどういう配置かといったレイアウトや書式については知らないので気になった)上で、購入した。
私は、しっかりと紙媒体や物理的媒体としての特徴を理解したり、疑問を解決したい、という意識で、そのカテゴリの商品を購入し、過度に多くの量を買うことはない。
顧客各自のミニマルさというアイデアは、当記事の趣旨から外れるが、類例として挙げる。



その他

情報に対する「報酬、謝礼」としての寄付なのか?人間活動への「応援、投資」としての寄付なのか?
これは基本的でない話であり、どちらの立場で行ってもよい、とだけ、ここでは判断する。
「相場の金額」は、寄付したい人の自己判断であるが、実際の本から類推して一定の量ある情報にその分野の本1冊の2021年現在における価格以上とか、その人の感謝の気持ちを数値化して出したい金額を出すなどが考えられる。
感謝の気持ちは定価にできないので、1円でも0円でも100万円でもよいし、本の価格は寄付額に困った場合の参考程度である。
無料で見ることには精神的満足に関連する創作物であれば、なおさら、それが先であり、その後に精神的満足の感謝の料金が払われる期待でよかろう。

「無料」の例から外れるものを考えよう。
私は、ビデオゲームや映画などのエンターテインメント系に関して、ソフトウェアであっても有料であるほうがよいと思う。
これに関しては大きな理由があるわけでなく、単純にそれらが有料であることを望み、ゲームに限っては少数もしくは個人製作の同人ゲーム、インディーズゲーム (indie game, インディーゲーム) or フリーゲーム (free game) があり、今までと同じく競合していればよいと思う。
両者はその相克で成り立っていて問題がない。
ただし、物理的なゲームセンターの利用に比較できるわけでない。
それで無料のものがあれば、当記事の言及対象とは別の善意で、無料で提供されるに過ぎないと私は思う。
任意の種類の障害者に対して無料で利用できるようにする、レジャー施設、遊戯施設、娯楽施設、スポーツ施設があることがその例で、当然、ゲームセンターの利用もみな、私がビデオゲームなどのエンターテインメント系を有料であるようにすることと比較できない。
マンガ、漫画などコミック類や小説など文学作品とその評論などは当然、当記事の言及対象になっている。
コロナ禍で慈善のつもりで、一部のマンガ週刊誌が無料公開したり、特定の作品が全巻を無料公開したり、という限定的な条件ではあるが、こういったものが無料で広い範囲に公開された事例が出てきており、当記事のように恒久的な条件でも無料にできることは希望がある。

インターネット回線、有線や無線のインターネット接続など、情報通信技術そのものは、明らかに著作物(特許を含む)ではなく、物質的である部分が強くあり、有形の産業に相当するものとして、契約によって利用の対価を支払うことが一般的な経済と同じであると私は評価する。
たとえが悪いかもしれないが、公共の場所でのフリーワイファイ、Wi-fi (Wifi) というものは、図書館または知り合いから本を借りることと近い。

こう考えると、ゲームは物理的なハードウェアに対する物理的なソフトウェア中心で売り続けてそれは有料が当然、という目線で、映画館で見る映画とか、多くの映像作品のDVD, BD (Blu-ray) も有料ということで、物理的な媒体もしくは多少の範囲の閲覧方法が有料であることの基準になっているようである。
これらは、小売店や遊技場というサービス業(正確には第三次産業)の利用料金、人件費が含まれる。
あまり、エンターテインメント産業について言及することを当記事の起草当初に私は想定していなかった。
新品の製造でも、活字の本のリサイクルでも、結局はフィジカルな程度が高くあり、環境負荷も大きいわけで、法律にない範疇での「贅沢税」という風に考えて、そういうものは基本的に有料で取引される、という考え方もできる。
コレクターのコレクション程度にそういう物理的な媒体(パッケージや小冊子など付属、ただし映像作品の光学ディスク optical disc 焼きこみの内容はデジタルな情報 cf., DVD = Digital Video Disc or Digital Versatile Disc)は有料にされ、少数の製造であれば、環境保護の観点にも見合う。
ファッション記事でも私が記すような、いつもの「多くの産業(リサイクル産業を含む)のリストラ (restructuring, 和製英語、カタカナ語の意味でも本来の意味でもどちらでも) どころか雇用削減、産業衰退になる」というもう一方の話は、ここでしない。



「論者が誰であるか」という情報への信頼性や責任ということは、私が言う「情報経済」が件の精神性や道徳の理解がひろまっていることを前提にするので、同時に、高めの水準で成り立つと私は思う。
「論者が誰か分かっていれば、たとえ粗末な内容であっても、論者や情報源 (reference; source, ソース) が分からない野良情報よりはマシ」という著者と読者の双方の責任感の低さが甘さである状況は、それ以前の通過点になる。



この議論は、その著作者が著作物や芸術作品や情報に関して無料で閲覧などができることを良心的に拒否できる状態でもよい。
全部、精神的な話であるし、良心とやらが変わる結果で私が言う「情報経済」があると、世間の蓋然性について私は予測してこれを記すし、できればより能動的に推進されることを望んでいる。
法律の改正を原因とするか、結果とするかは本質的な話でなく、やはり常識的に、前掲の「モデルケースおよび類例」が出版業界などで知られることがまず第一歩ではなかろうか?








起草日:2021年5月20日

このような知的財産権、著作権がらみのことは「情報経済学 (information economics)」と呼んでさしつかえない、と自分の言語感覚で思った。
バイナリなどのデジタルな情報を伴う、金銭の取引(株、為替、商品購入)ということではなく、この意味で問題なかろう。
経済学という広範な領域自体、多分野である私にさえ門外漢であるし、題材にすることは勇気がいる。
「情報の非対称性 (information asymmetry)」に関しては、「本の著者や情報商材の提供者やセミナー講師やサロンなどに金銭が渡る状態を先とし、後でその顧客の感想があること」というフレーズを含む段落に示唆されている。
また、私がファッション産業の化学による解析を行った記事 2021-04-02 でも、こういう消費者目線での疑問の解決を図る意図がある。
こういった文章により、自由市場で、不平等であったり、良いものの値打ちが低いといった、結果として順当ながらに不当な状況の解消の一助にしたい。
要は、専門的な「経済学」というよりも、単に社会正義や平等の立場での実践をしたことになる。

当記事のアイデアは社会主義にも自由主義にも通じているので、他方への批判的視線が強いという属性のある党派性の一種が強い人に受け入れられづらいと思う。
何らかの既得権益が強い人にも受け入れられづらいと思う。
情報通信技術の普及した環境で、労働生産性や学問、学術領域の発展を願う場合は、ビジネス書から学術論文までオープンアクセスであるほうが、当然、その点では好ましいが、同時に正しく利益があるようにするには、寄付する精神性の理解の普及も必要になる。
このように、簡単な発想であるから、MIT発想のOCWも類例と私は感じている。
当然、私の年齢的な原因もあり、彼らの方がずっと歴史的に早いし、そういう歴史を学んだ方が、当然、
「人への信頼性」に関しては、クラウドファンディングとかが、即物的な例が多いとはいえ、類例であろう。
他に、「情報への信頼性」や責任ということは、本文に記した通りである。

著作権に関する記事の例、2017年8月10日公開『仏教と著作権・・・「同一性」とは相似性の便宜上の呼称である(法学・法律学)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2017/08/buddhist-dharma-and-social-law.html

何はともあれ、私の「兵器なき戦争」が長く続いていることを感じている。

2021年6月16日に同年6月10日の外出で私が撮ったうちの1本の動画のみを公開し、説明文に当記事の話題をした。
今後に投稿される他の記事の話題がメインであり、よろしければその記事もご覧いただきたい、という意思表示である。
『豊橋市 表浜海岸 伊古部海岸で荒木伸行さんのモノマネ(2021年6月10日)』 https://www.youtube.com/watch?v=X9RPJs-VN64

今後、『未分類マイノリティの考察、動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)と動画撮影障害』という題名で、インターネット上のいくらかの動画投稿者(YouTuberと他人から認定される場合が多い)を含む人物に関しての研究を発表するつもりである。
そこでは:
「未分類マイノリティ」からの新・障害区分「動画撮影障害 (video recording disorder)」の理解から、「こういう人が社会にいてその行為でトラブルを起こしがちだ」と知り、主体性や尊厳を蹂躙する非倫理的な方法以外で「動画撮影障害」を治すことは困難であり、出くわした人間がうまく付き合う必要がある。
撮られたくない人は、その個人たちに遭遇することについて「運が悪いが、撮られた映像は悪用(わいせつ、個人攻撃)をされない」と信じるしかない。
…ということを記している。
これは、同じく今後の発表が予定される『著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済』という記事の趣旨とごく近いもので、個人の権利を個人主義者として私は重んじながらも、社会に対していくらか個人情報と権益などにオープンであることを期待していることが示される。
現実に、多少のトラブルがこの種の個人情報と権益などから発生している。
一方、「侵害される側」の中には「侵害する側」を許している人もまた、当然いる。
トラブルを作る立場とは、どちらであるか?どちらにも原因があるのでは?侵害されて泣き寝入りすることも両極端に相当する。
私権や自由と責任を考え直すきっかけになるであろう。


2021年7月5日に当記事を初公開したが、7月22日に更新するにあたって、「公開日」設定を更新日と時刻とに合わせた。

改めて思うが、著書は通常、無形であり、有形の媒体=メディア、メディウムという中間の存在は有形の様態としてのコストに価値があることになる。
彫像などを著作物とする場合は不可分とも言えるが、結局、CG(computer graphics, コンピューターグラフィックス、コンピュータグラフィックス)の3Dモデルに複製することもできる(複製した人に関する著作権が生じる)。
小山田圭吾という音楽家の過去の雑誌インタビュー内容が炎上し、彼の仕事が剥奪される経過があった。
2020年オリンピックの開会式に関することで組織委員会が特に、社会的責任を問われていた。
2011年にNHK番組がらみから既に問題視されていた雑誌インタビュー内容であったとしても、これはオリンピック反対派が火種となり、大きく炎上したと言える。
この件に始まったことでなく、芸能界には、見る人によってサイコパスのように見える個人が大勢いる。
ギャラだとかと、芸能界の活動は商取引になっている。
作業者の肉体的疲労と顧客の精神的変化以外に客観的な影響の無い作業に金を出す価値を、私は感じない。
信頼できる人柄に、その個人の生きていることへの感謝としてであれば、それはそれで心からの金を出すことが望ましい。
学術における科研費などは税金から出ているとはいえ、私はまともな学問が進むことに関して金銭が拠出されることを承認している。
出演料、仕事への報酬、メディアに移された無形物の価格などというものは、好ましからざる存在であるように、改めてこの記事で主張しておこう。
芸能界とは、個人主義者でも全体主義者でもある私にとって「くにはじ、国賊」を多く有する業界に見える。
文明の悪い部分への依存が強い、しかし左翼じみた人も多い、無反省のゴロツキ集団、という点で、よほどの人以外、金を与えるに値しないと私は感じる。
アニメやマンガにしても私は同種に思っており、信頼できる人物に寄付する精神性が道徳的にもよいのではなかろうか?
本文にも記したように、感謝の気持ちでも応援の気持ちでもよいが、金の行く先の人の気持ちを先とすべきであり、他の物事に釣られて(話題の流行おっかけ、友人関係のつなぎ、興味、物理的媒体の製造過程=労働者への感謝と無関係な特典目当て)金を出すことは文明的「金ドブ」である。
そういう人間性の尊重が無いと、AIの発展や普及が進むにつれて人類は自らの無力さについて克服できないのだから、私は警告する。

是が非でも「無料」「タダ」というキーワードを毛嫌いする「悪い意味で保守的な勢力」のために、別の提案をしよう。
当記事では「寄付」の具体的な金額例を「の分野の本1冊の2021年現在における価格 […] 感謝の気持ちは定価にできないので、1円でも0円でも100万円でもよい」と記しているので、無料ごり押しではないし、なんならば「定価1円または100円での取引」ならば良いとでも表現を変えればよいか?

2021年7月11日日曜日

未分類マイノリティの考察、動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)と動画撮影障害

未分類マイノリティ書誌学 (uncategorized minority bibliography/webography)」と私が2021年5月から呼ぶようになった領域について、当記事で説明する。
この考察対象にある「未分類マイノリティ(その個人) (an uncategorized minority individual/individuals, UMI, UMIs)」とは、研究者が社会的弱者にあると見ることの可能な種々の特定個人 (certain individuals) を指す。
私は、特に身近にそういう人がいない(ただし揉め事を好むかコミュニケーション能力の低い者は私の家族全員)ので、インターネット上から見つけだしている。
「書誌学(bibliography, インターネット書誌学 webography)」と称する所以は、インターネットに当該特定マイノリティ個人自身が情報発信をしていてそれが偽りのない限り、当人への考察を可能にしているためであり、またその収集と整理が重要であるから、と私は考える。
収集される情報とは、たいがい、その個人に帰するものを指すわけで、特に動画や文書(基本はテキスト、紙の画像;どちらもデジタルな情報源)に相当する。
未分類マイノリティ研究 (uncategorized minority studies)」とも私は呼ぶ。



「未分類マイノリティ」の注意点

英語表記に見るように、「未特定」は英語の形容詞 uncategorized である。
詳細な属性や特性に関して、未特定 (unspecified, unidentified) や未分類 (uncategorized) である。
私を含む研究者が、社会的弱者にあると見ることの可能な種々の特定個人 (certain individuals) に関して中立的ながらも非倫理的に思われそうな態度で、意欲から調査する。
大概、社会保障を受けづらい人や、その特殊すぎる個人的な属性(容姿または習慣、および多くの要素の複合=コンプレックス)が他人からは理解されづらいものであるから、法律でもまだそういう点で特定的に扱われづらい。
私は多くの未分類マイノリティに相当する個人の例を見た。
未特定の特定は「その個々の例に個々の希少な属性がある」という意味であり、もし希少な属性が社会生活に支障をきたす「障害」であれば、「ソノヒト障害 (the-person's disorder)」と呼ぶことが可能であり、その「希少な属性」と研究者の興味が向く性質以外に、特定的な定義はない。
属性としてのマイノリティ、マイナーさ、希少性ということは、それが未特定であるとして、 として、 未分類マイナー属性 (uncategorized minor property, uncategorized minority) を持つ、未分類マイノリティ個人 UMI がいる。
「任意のマイノリティを持つ個人が特定的」という点を理解していただきたい。



「未分類マイノリティ」個人たちの中でも多い共通点の一例

一部のインターネット動画投稿者たちに「動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)」というものを想定できるか?
外に出ている人が特に、トラブルの原因になる動画、ビデオ撮影行為を行って警察を呼ばれるなどし、反抗的な態度をとる例が見られる。
または最初から警察の職務質問を受けている状態で反抗的な態度をとる例が見られる。
主にその反抗的な態度をとる例の個人たちは:
・「(警察官を含む)公務員に肖像権は無い」
;一般人が被写体の場合「顔が写っていないからデータは肖像権侵害でない」
・「職務質問を強要すると警職法に違反する;職権乱用」
;類例では「撮影は個人の自由だから警察がカメラのデータを消す指示をすると日本国憲法に違反する;検閲をしてはならない」
ということをよく発言している。

目の前の警察官を下っ端同然にこきおろし、「署長」や「裁判官」といった強い権威に見える存在を引き合いに出して反発する傾向もある。
詮索すると、こういう発言は、強い権威のお墨付きをもらいたいというよりも、その場の警察官を退散させる言い回しとして機能させたいようである。
その他、特定の法律の条文や内容に関する誤解や、そもそもどれほど判例や効力があるかなど、考察が甘い部分を披瀝する傾向もある。
考察が甘いものに関しては、「動画撮影型精神疾患」というよりも、その具体例を見た人が「青二才」さながらにひけらかして他人を侮っているか、愉快犯のように真似したりしているだけの場合もあるので、注意されたい。

その個人たちが私権について主張する一方、他人の私権や心情などを最大限で譲歩する考えに乏しいことが看取される。
この話は、日本国の法律に関わっている。
国際的に、こういう個人たちの例があるのかは、2021年6月3日の起草時点で情報不足である。
その個人たちの一部では、「集団ストーカー、集スト (shūdan sutōkā, conspiracy theories called "gang stalking", especially characterized by anchoring and collision in Japan)」に関する界隈と部分的に重なっている。
ここでは「集団ストーカー」と一般的な陰謀論に関する考察をしない。

いくらか名前を上で記したうち、「証拠どり症候群 (proving syndrome)」とする案の名前の由来は、「ターザン」と名乗っていた群馬県伊勢崎市の個人 super007tarzan が投稿した『●証拠撮りを妨害する公安の手口(前編)●』である。
https://www.youtube.com/watch?v=ShQCxuArL6Y(2008年11月19日ころ投稿、跡地、本人のブログは2020年に消滅していることからこれも本人が同じ時期に消去したと見られる)



「証拠撮り」という綴りでは2014年などにも私が使ったことがある。
愛知県岩倉市の岩間好一さんが2015年10月20日に dailymotion に投稿した「今日もサカイ創建の従業員が夜中に車で帰ってきたので行って、また何されるかわらないと思って撮影したらドアをぶつけられそうになりました」説明文では「江南警察の警官に証拠撮りするといってライトをつけた途端ライトを持っている手をつかまれました」と記される。
同じ人物が2015年11月1日に dailymotion に投稿した「平成27年11月1日カネスエ岩倉八剱店で集団ストーカーに言いがかりをつけられて暴行されました1」2分57秒では、「証拠とっとるんだろう」と本人が言っている。
是が非でも「集団ストーカー」の証拠どりのために彼はカメラを回したい、と意思表示している。



後述のAさんの 20120118-1809.wmv 動画の13:04では、警察署内での居座りと撮影行為を拒む警察官に対してAさんが「(「ずっとここにいる気?」)記録してないからね。だって当たり前じゃん、暴れてなかったら暴れてないって、主張する証拠作んないと」と言っていることでも、「証拠どり」を好む傾向が見られる。

WHO(World Health Organization, 世界保健機関)がひろめた、通称「ゲーム障害(gaming disorder)」は、「ビデオゲームの利用(その依存症 video game addiction)による種々の障害(主に社会的な機能に関する)」という意味で、「英語スペース区切り複合語 (spaced compound in English) +具格のタット・プルシャ (Sa: tatpuruṣa, Pi: tappurisa with instrumental case)」に理解できる。
cf., 摂食障害 eating disorder.
同じように「動画投稿障害 (video posting disorder or vlogging disorder)」とWHOで呼ぶこともできる可能性がある。
説明のように「動画投稿をする際の物理的障害 (physical disability for video posting or vlogging)」という意味で理解されず、「動画投稿をすること(その依存症)による種々の障害(disorder with video posting or vlogging)」という意味である。
日本語では英単語の"disability"と"disorder"を訳語の語形で区別しないので、意味を正しく捉えるだけの言語能力が必要になるが、ここでこの説明をしない。
あるいは、投稿行為よりも、神経質な記録行為に焦点を当て、「動画撮影をすること(その依存症)による種々の障害(disorder with video recording)」という意味での「動画撮影障害 (video recording disorder)」とWHOで呼ぶこともできる可能性がある。
WHO「ゲーム障害」は2022年発効予定のICD-11で承認されている。
実証のための臨床的な例は、そういう行政や医療や学術に任せておけばよい。
その個人たちは製薬業界の闇と既得権益(陰謀論)のようなことを、通説(一部の事実を含む)および彼ら自身の想像で言う場合もあり、結局、関連する業界が彼らをどう扱うかなど、民間人の私には推定できない。

この類型を病理学的に障害として確立し、「動画撮影障害」であるように周知することで、効用があることを見込むから、私はこれを記している。
単純に「反社会性人格障害(反社会性パーソナリティ障害 antisocial personality disorder)」というラベルで言うだけでは足らないし、この名称はそれだけ言っても内容の理解が無い限り文字通りに理解することで攻撃的ニュアンス、社会的排除 (social exclusion) を連想しやすい。
精神病理の構造で「アスペルガー症候群」とか「発達障害」とかに原因部分が共通しても、私はそういう話をしたいわけでない。
現状の世間では、一般的に「統合失調症(schizophrenia, 精神分裂病)」、他者への執着(過剰な自己顕示欲、他人に挑発行為をして反応を見たがる)と極端な行動と衝動性については「境界性人格障害 (borderline personality disorder)」と言われている。
「動画撮影障害」の理解から、「こういう人が社会にいてその行為でトラブルを起こしがちだ」と知り、主体性や尊厳を蹂躙する非倫理的な方法以外で「動画撮影障害」を治すことは困難であり、出くわした人間がうまく付き合う必要がある。

撮られたくない人は、その個人たちに遭遇することについて「運が悪いが、撮られた映像は悪用(わいせつ、個人攻撃)をされない」と信じるしかない。
なおかつ、一般人諸氏には、子供を育てる間、子供自身がそうならず、そのような反面教師となる個人たちに遭遇しても荒げないしつけを意識してもらう。
私が知る「動画撮影障害」の特定個人たちは、大概、「敵意の執着心」が任意の個人に対しては一時的でしかなく(なぜならば集団ストーカーのように多数の個人とトラブルを起こしてきたため常習性や再会などがなければすぐ忘れる)、陰謀のように大規模なものに対しては持続的である。
この点からも、「動画撮影障害」の特定個人に遭遇したからといって、その相手から粘着質なストーカー被害を受けるといったことは無いと安心してもよい。



上掲の動画の埋め込みの投稿者人物Aさん(身体障害、生活保護受給)は、2004年以降、インターネットでスポーツを中心とした動画投稿活動を始め、しだいにそのような警察沙汰になる行動の撮影が増え、カメラ(一般的な一眼レフカメラを含むデジタルカメラであり、携帯電話付属カメラやビデオカメラではない)での記録をしないと生活できないような「依存症、障害」になっているように見られる。
2018年10月2日11時37分ころの記録とされる彼の音声で彼がその趣旨を言っている(他に多数の音声でも)。

カメラ持って映しちゃうっしょ。「やめてくださーい」って。でもやめてもらえない。その後からそれ結局、映したら、警察に通報されて、まあ、ケッ、あの、「肖像権違反だー」、そういう形で「消せ」って、問題になるっしょ。だ、わざと問題になるように人つかってやってたってことさ。
—以下の動画より書き起こしで抜粋



撮影行為を原因とするトラブルがあっても、警察官を相手に彼は、自身がそういう撮影行為の依存症もとい、撮影を含む記録行為を生活習慣にしているような状態であることを、直ちに説明できないようである。
2019年11月24日18時24分ころの記録とされる彼の音声でそれが伝わる。



京都府や滋賀県で目の前の人から「死ね、死んどけ」「気持ち悪い、キモイ」などと彼は罵られることもある。
2019年11月24日のトラブルでは、かなり凄絶さがあり、彼はその5日後のTwitter更新以降、音信不通の状態である。
Aさんがインターネットでも実名を名乗って本人と関わった他人の様子を動画として公開をしている人である、と知っている者は、Aさんと関わった京都府民と滋賀県民を含む関西地方在住者のうちに、(生保ケースワーカーなど行政関係者を除き)いなかったようである。
知っていたらば、カメラを向けられても焦らず、もっと穏便で冷静な対応が(いじめやケンカ、喧嘩を好む人以外は)できたに違いない。
北海道札幌市に住んでいたころは、警察官の一部、さっぽろ健康スポーツ財団の一部にいた。
身体障害をかかえる彼自身がインターネットで言う「障害者権利条約」の第四条 一般的義務 (g), (h) その他にある「新たな機器、支援機器」は、「動画撮影障害」にとって彼が用いたカメラ類を指すことになる。
彼自身、彼独自の「動画撮影障害」ではなく、障害全般の一般論のつもりで、彼が用いたカメラ類が第二十一条 表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会 (a), (b) にある「様式、機器」であるという話もしていた。
個人ページ - 2019年11月の日記. https://sites.google.com/site/muofjp/diary/2019/2019-11

なお、Aさんはその実名を肉体的自己、客観的自己として自ら実名のラベルで呼び、精神的な主人格を名 (given name) の頭文字から取って「のんちゃん」(多くの動画、うち 20181002-2302.wmv および 20191124-1844.wmv)と名乗り、時には「ウィンター先生」 (2019年6月13日19時の2本の動画を参照)、「田心さん」などと自身の別の場面での人格を呼んで自覚的に異なる人格を意識しているようである。
もちろん、記憶が共有されているので、20181002-2302.wmv 動画の8:37から「その都度にAは『お願いだから殺さないで(彼が思う悪人を殺さないように霊的存在に対して頼むこと)』って(その悪人の動きを)止めたら、また言い合いになって警察沙汰でしょ。キリねーなぁって。だから知能低いよって言ってるの。やってることが考え無しに動くからさ」と、客観的自己の存在Aを「のんちゃん」の立場で愚弄することができる。
同じ動画およびインターネット上の文章でAさんは、「のんちゃんはAの肉体から離れる」「のんちゃんは放心状態のAのために救急車を呼んだ。Aを〇×病院に預けて欧州に赴く」という表現を使う(保護所、刑務所、病院などで拘束状態にAさんが置かれている場合)。
これは「動画撮影障害」と関連しないが、「解離性同一性障害 (dissociative identity disorder, DID)」の典型的症状と似ており、なおかつ典型的症状と異なっているとすれば、ある種の「未分類マイノリティ」ではないか?
もし精神科医が彼を診た場合、「解離性同一性障害」だと診断するのか、社会生活に支障が出る症状でないから「正常だ」と診断するのか?

愛知県の岩間好一 aiueo700 さん(2021年6月現在、ニコニコ生放送での言論が中心、飲食店では「料理の写真を撮りたい」として許可を取る)でも、福井県の山下小百合 sayuri19376 さん(2021年6月現在、絵本製作を含む活動全般がフランスで薄い程度に続く: Tumblr, Facebook)でも、彼らが証拠を撮ろうとカメラを回す習慣を続けたところで、我々の目には、それで彼らがトラブルの際に相手よりも優位に立つ機能を一度も発揮させなかったことが見えている。
岩間好一さんに至っては、カメラを回していた2013年10月19日のトラブルは刑事事件となり (検察文書)、有罪判決を下されて刑を受けていた。
岩間さんと先のAさんは、いずれも自転車を操縦しながら片手でビデオ撮影に及んだ経験が多いように見え、交通事故で具体的に傷病を作る原因になりかねない。


動画タイトル+説明文の他者控え 1

彼らが「優位に立てる」と期待しているかを詮索しても意味は無いが、撮影行為は、その効力が基本的に無い。
心理学的に、彼らが「優位に立てる」と期待しているという前提では、かえって、他人を見下すことで劣等感を和らげる願望からトラブルを起こしたがるモラルハザードに走って逆効果しか生まない。
結果は、彼らが不利に追い込まれる証拠になっているように見える。
無用なトラブルを避けたい方は、撮影での記録行為に、写真週刊誌、パパラッチの記者や浮気調査の探偵のようなことを、あまり期待しないほうがよい。
自重しつつ、特定個人からの常習性のある軽犯罪を含む犯罪行為と判断できるものに限って証拠を得ようとすることが普通の人であろう。

やや攻撃的に思われるかもしれないし、長くなったが、このように、未分類マイノリティ個人たちの中でも多い共通点の一例から、新しい精神疾患の区分も想定できる。
どこまで「依存症」と見られるかは、個体差が大きいものの、2021年現在でも過半数の例(super007tarzan以外でこの章に紹介された全員、音信不通のAさんも活動当時は同様)からは、2021年現在でも「任意の方法でデジタルな媒体に記録し、多数はインターネット上で公開する」ことの発想が確立されていると確認できた。

なお、立花孝志(後の反NHK政党の設立者で「国会議員YouTuber」を名乗る)は2012年に「集団ストーカー」について言及していたが、彼が多くの集団ストーカー被害者を名乗る人たちから相談を受けたとし、そのほとんどは被害状況の詳細な説明 (6W2H, 5W1Hを引き合いに出す) をせず、他には「録画、写真」「とる」ことが必要であるという話であった。
その後も彼は、この当時の回想からか、集団ストーカー被害者を名乗る人たちに関して愚弄する言い方をしているそうである(2019年10月20日とするページの例、情報を含んだ動画削除ずみで検証不能)。
当記事で私は先述の通り、日本国内の集団ストーカー陰謀論を論旨にするつもりが無いが、彼の話を信じる場合、2012年当時、集団ストーカー被害者を名乗る人たちのいくらかは、動画撮影行為をそもそもする発想が無かったり、当事者の可能な限りの正確な記録(既に挙げられた個人たちは日時、場所の名前など典型的に可能な限りの正確な記録をする;つまり認知の錯誤などがあれば客観的に誤っている部分もある)をする習慣を持っていないかこころがけていないと見られる。





応用は教育?行政?医療?

「未分類マイノリティ書誌学」または「未分類マイノリティ研究」と私が2021年5月から呼ぶようになった領域は、その社会的応用(効用)として、義務教育や、警察と地方自治体を含む行政や、精神医学を含む医療に可能であると私は思っている。
2011年から私が知っている他人の例に、東京都府中市の関奈津子がおり、この人物について私が知っていることや関わった経緯などを説明しないが、後の風評では、2018年1月に死没しているとされる。
2011年からの他には、身体障害者としての保障や生活保護を受ける北海道札幌市(後に釧路市、京都市)の荒木伸行など数多くいるが、同じく、ここでそれらの人物について私が知っていることや関わった経緯などを説明しない。
彼らの周辺で常に家族や性的関係の人がいる個人もいれば、ずっと孤独に近い状態でいる個人もいる。
名前の挙がった2人は、いずれも精神病の何らかの種類の治療薬について「糖尿病」とか「人体実験」とか、負の属性を言う傾向にあった。
内面はなんであれ、行政がどれほど支援したか、できなかったかということも色々と判断材料が提供されているほど、この研究は行いやすい。

ここが日本国であり、私も日本語で日本国内の個人の例を多く挙げる以上、まず日本国での効用を期待する。
「未分類マイノリティ」の国内の例は、オウム真理教のような犠牲者数の多い「反社会的カルト教団」が同じ国内で生まれた経緯と比較してみても面白い。
教祖個人に限らず、信者の各個人や、組織的な犯罪の実行ということでは、「未分類マイノリティ」と異なる部分も多くあると思われるが、私自身がもし「未分類マイノリティ」であれば、既に一人で宗教も音楽も化学も学んでいるか学ぶ心構えがあるので、同じような布教活動とテロ事件とを一人で実行することもできてしまう。
そういう危険性が僅かでも有る以上、しっかりと研究を進めて人的被害の無いように努めてもらわないと、また京アニ放火事件(京都アニメーション第一スタジオ、放火殺人事件)を含む単独犯の凄惨な事件が起きても、犯人個人のみを責めることなどできない。
青葉容疑者が犯行直前に住んでいたさいたま市見沼区では、この後に、小学生が犠牲になる事件(2019年9月)とか、無理心中(2020年12月)とか、見沼区選出の市議会議員が検査を怠って同市内で人身事故とか、同じ旧・大宮市が基盤の枝野幸男さんが党首を務める立憲民主党 (2017結党) の見沼区選出県議会議員・井上将勝が居住実態がないかつ不倫疑惑を理由に辞職した(前任者がさいたま市長清水隼人)(辞職の2020年5月より前から居住実態の問題発覚)とか、線路自殺(2020年10月、2021年5月)とか、「また見沼区か」と思える現象を私は目にしてきているので、さいたま市の行政と市民とには、しっかりとしていただきたい。
有名な活動家の藤田孝典さん(NHK NEWS WEBなどでもおなじみ)は一般的に、貧困ビジネスで知られるNPO法人「ほっとポット」と「ほっとプラス」を設立した人として知られ(日本語版Wikipedia - 藤田孝典. oldid=84360737. section#貧困ビジネスとの関わり)、後者がさいたま市見沼区に所在し、彼は後者に今も理事(代表理事ではない)として関わっている。
さいたま市は、私の故郷である旧・浦和市の後の自治体でもある。
行政の人間が一番わかっているはずであり、逆に、どうしようもないと考えていそうである。


教育での応用は、道徳や公民(社会科)あたりが相当する。
孤独な個人の場合に、彼らは特に行政の保護(e.g., 生活保護制度)を受けているからこそ、それらの活動が多少に持続できたということで、どういう人でも保護されるだけの人権があるという話になる。
一部の当事者にとり、精神病院に措置入院されて拘束や投薬を受けることが嫌ではあろうが、それ以外で単純に生活保護制度や改名(氏名の変更、特に名の変更; 戸籍法 第十五節 氏名の変更 第百七条と第百七条の二)などがあることは、セーフティネット、セーフティーネットで誰でも社会復帰や更生に関して意思があれば実現できる世の中であると義務教育の間に児童や生徒に教えればよい。
自殺とか、大人になってから「子供は俺の物、恋人はオレのモノ」で一家心中(無理心中)とかをされてしまうことは、退廃的な教育が招いた結果か実証の余地がないものの、中卒ニートひきこもりの私でさえ自分の努力での成長を確認する人生をしているわけだし、巨大災害で政治が機能しないとかでなければ、絶望しないだけの理性が必要である。
自由と責任は相応の知的な能力および教育の経緯があってこそである、という話は、ここでするまでもない。
それだから、特に日本国は昔から技術力が低いわけでもないし、人類全体で問題視される種々の課題(e.g., 地球温暖化を含む気候変動、太陽活動や彗星といった地球外からの周期的な危機)の解決に努力を必要とする間は、いくら国の借金(公債、国債)を増やしても、ただちに通貨の信用が旧ジンバブエドルのようになるというものでないと私は言いたい。
石炭火力発電など脱炭素以外の発電方法が主要な現状に、過剰生産の産業に従事して毎日汗を温水シャワーで流したり、クーラーのガンガンな職場が多いくらいならば、まだ清貧で過ごす人が多いほど、人類文明の問題の速度はスローになる。
一部の人が清貧でいる間、生涯学習に相当する自由意思での学問や「理系人材」に繋がる子育てに注力してもらう方がどれほどエシカルであるかを、理解していただきたい。
私は曲がりなりにもメタラー、仏教徒を称するので、そういう若い間は是非とも多くの人に「理系人材(おおざっぱに数学から情報技術に総合的な環境政策まで)」でいてもらい、彼らには老後に芸術、文化なり宗教なりの方で生き甲斐を見出してもらうと、一般人も健康的に生きられるのではなかろうか?
個人主義の立場に近い私が社会主義や全体主義の野暮な空想を披瀝しているように思われそうであるが、個人の自由なので、私のように若いうちから学問と芸術を自由に行っていることも許される。
未分類マイノリティの生き方を知ることで、色々と教育の中にも反省点が得られる。



私が関連させない事象

釘をさすが、未分類マイノリティの学問は、アドラー心理学=個人心理学 (individual psychology) と何の関係もない。
フロイトらの精神分析学 (psychoanalysis) も、私は採用するつもりでない。
私はその真似をする気もないが、研究成果を利用したり関連させたい方はご自由に。
「おお、いつもの造語症 neurologism じゃなくて neologism だ!こりゃ複数の防衛機制 defence mechanisms, defence mechanism から来ているねえ」などと。
何かしら、実務者が該当する個人たちのカウンセリングなどをし、そちら側の情報も公開されるとよい。
私はあくまでも学術機関に属していないし学士号さえないような立場なので、エビデンスなどの収集方法が倫理面で妥当でない自由研究を行うに過ぎない。

日本における社会学の一部のジャーゴン (jargon) で「ノイジーマイノリティ、ノイマイ」というものがあるが、これは仮想されるネット右翼の勢力に攻撃的な評論家(社会学者など)が、それを指すために設けた用語と見られ、無理に実際の政治学用語「サイレントマジョリティ (silent majority)」に対比させたようである。
英語で実際に普及している対義語は「ボーカルマイノリティ (vocal minority)」、次点で「ラウドマイノリティ (loud minority)」である。
これら社会学系の用語も、未分類マイノリティの学問に無関係である。
特定的である属性 (an/ the identified property) への否定的な言論ではなく、未分類である属性 (unidentified property) を持つ未分類マイノリティ個人 UMI, UMIs をしっかりと見てもらうことを既に述べている。



簡単な来歴

2007年に初めて利用した某ゲーム攻略サイトの付属掲示板では、2009年以降、顔出し動画投稿者が現れたり、2010年に利用者の高校生の本名と高等学校の特定および長期的な晒し上げ(有名な長谷川亮太という人物に比較できる)が発生するなど、かなり危うさが見られた。
その出来事を知る直前の2010年8月に私が初めてYouTubeで顔出し動画を投稿して以来、比較のために色々な顔出し動画投稿者を見るようになった。
2011年からニコニコ動画の、既に廃れていた顔出し動画界隈に希望を見出していたが、主に過去の投稿者の多くの例を学ぶまでであった。
藤崎瑞樹キッズとも言える佐藤百侑子、杉田淳一、ピーチゴなどキリがないほど色々な人がいたが、まともに生きて活動を続ける人は2021年現在、元祖「藤崎信者」であったろう山下伊豆見(山下威豆三)さんなど、数が限られている。
彼らが未分類マイノリティ個人 UMI であるという話ではないが、一部、相当する個人の例があるようだ、と、今なお私は回顧する。
Yahoo!知恵袋に投稿して当時の仕組み「ライフ」が0になるような問題投稿の多い、UMIに相当する人も2011年ころには多く見られ、彼らも結局のところ、顔出ししていようといまいと、UMIの例が多かったろう。
あえて顔出しもしている人物を例示すれば、新潟市江南区のゲッパリラ 佐藤光さん(当記事のために調べると2015年10月ころから音信不通の様子)がいる。
2013年ころから私が未分類マイノリティに相当する個人がそうであることを見抜けるようになったことを、今の私は自負している。
他に細かい話は除いておくが、題材が実在する個人の人物像に近いので、不用意に言及しづらく、ましてや動画で名指しすることを私は滅多にしていない。
特に、2014年以降は投稿される動画でも、ブログ記事でも、横野真史のレーベルでこの方向を意図的に行わないように努めてきた。

2021年5月、過去に私が説明した「未分類マイノリティ」個人1名を冠した動画を投稿した。
音楽作品であり、曲名がその名を冠している。





2021年5月27日に記した、別ページでの紹介のための文案

古い情報を参考までに示す意図で、載せる:
他には、「特定マイノリティ書誌学 (certain/special minority bibliography/webography, 研究 studies)」と称することのできる、インターネットで通常「キチガイ」と扱われたり、様々な事情で本人または身近な他人たちが一般の社会人として扱わない傾向にある人の個人情報や、活動に関して研究していることも考えられる。
私は、インターネットで確認可能な当事者投稿動画や文書の保管と整理を行い、私自身の家族構成員たちの問題点をまとめるなどして「特定マイノリティ」に相当する個々の事例を検分している。
範囲はあまりにも広いが、他人たちから「こいつ仕事してない」とか「ニート」とか「糖質(統合失調症)」とかと一方的に決めつけられる、特定個人が多い。
匿名でそう言っている人たち (好例では 2ch/5ch, Twitter, YouTubeコメント欄など) を含めて非難の言辞が互いにブーメランの傾向を呈しているが、あくまでも判断材料が求められる限りに、中立的な立場を望んで考察の対象にする。
結局、私の興味対象になる特定個人 (certain individuals) が指示対象である。
釘をさすが、アドラー心理学=個人心理学 (individual psychology) とは何の関係もない(悪趣味な心理学"does not mean to focus on the individual. Adler said one must take into account the patient's whole environment, including the people the patient associates with."を真似する気もないが、研究成果を利用したり関連させたい方はご自由に)。
一部には「動画撮影型精神疾患(動画記録行為依存症、証拠撮り症候群)」として精神病理学や精神医学で題材にしてもらうこともできる個人 (individuals) の例がある。
成果に関しては、題材が題材のため、Plan1906限定公開処置になったり、そもそも情報公開をしないことも多い。
この方向に関するいくらかの私の活動は、「横野真史」というレーベルで行わないで他のレーベルで行うなど、「隔離」措置をとっている場合も多い。
しっかりと、社会には孤独対策(個人主義の強い国家では近年ほどによく進められている政策分野)であるとか、問題として焦点に当てるだけの理解が得られるようになってほしいと私は思っている。







起草日:20210603

漢字のリテラシーなどで「動画投稿障碍」、「動画撮影障碍」(障がい、障礙)と綴りたいが、本文ではそうしないでおいた。
漢字表記の話は今更するまでもない(仏教用語「障礙、しょうげ」を語る文章2017-09-11もある)が、2010年代も2020年代もずっと「碍」を常用漢字に入れるかどうかの議論が続いているようである。
2007年、小学5年生の時、Windows vista のPCで「しょうがいしゃ」を変換して「障碍者」が出たことなどは疑問でいたが、マイクロソフトは公式にその字の表記を用いることは「マイクロソフトのアクセシビリティへの取り組み Microsoft accessibility」の「困難別ガイド」の「障碍のある方の就労/雇用について」「障碍 (しょうがい) のある方も、仕事をする際に IT を活用することで、その方の持つ可能性をさらに発揮できることがあります」で確認できた。

当記事は、快楽のために不幸の事例をまとめているものでない。
該当する他人の問題点を知って対応方法を考慮したり、世間がしっかりと研究して成果を各方面に反映したり、読者自身が予備軍である可能性を省察して思い当たるならば反省するなどを私は促したい。
また、該当する個人のために他人がその人を許したり、その人の個性を良い方向で発揮できるようにするというプラスの価値まで見いだされればよい。
私自身、何らかの障害の予備軍であると感じ、また、芸術や学問で様々な努力を行う。
どうも、私が何をしても、個人的な成長の確認のみがあって世間での成功が皆無である。
意思を伴った努力が報われる(主に他人から承認されること、努力家自身にそういう意思がある場合)世の中でないと、私も自他を害する者に変わりかねない。
武術やアイススケート (martial arts and ice skating) を行っていたAさんはそのような人物の先例に当たると私は思うが、AさんはAさんの経緯と変貌とがあり、私に重ねられるものでない。

当記事では埋め込み (embed) プレーヤーを多用しており、元のページが削除または非公開の状態にされても、URL自体は埋め込みHTMLタグに動画IDの形で残されており、HTMLソースを表示することでそれが確認できる。
YouTubeでもDailyMotionでもそのIDで元の動画ページURLを復元できる(跡地が分かるというものであり、通常は視聴不能)。

萌えの典籍「萌集記・街の女人篇・説法十箇の事・九」に「(九) 日本の国民や行政について時々不快に思う街女人へ」という話がある。
それは2018年に書かれた。
街女人・辻さゆりが拾主から「アルメニア」を含む南コーカサスを引き合いに出されて「どこの国に現実で住もうと、心の国(知覚された外界)に結びついた己の言語が清くない限りどこの国も清くないし、他人の心はなおさら清くないのだ=どこの国に住んだって変わらない、まずは言葉を清めよ」という趣旨の説法を受ける。
この件は過去記事『2020年下半期の、私に関係しそうだった国際情勢トピック』にも記した(話の引用もある)。
よもや、リアルさゆり(山下小百合)がフランスでアルメニア人(とされる個人、またはカップルか夫婦)と揉めるとは、夢にも思わなかった。
街女人・辻さゆりは説法を理解できても、リアルさゆりは知らぬままに反対の行動をし、結局「フランスも腐っているので用は無い、Gesaraの金でアフリカ大陸に住みたい(ただしマダガスカルに最も惹かれている様子)」などと言い出しているようである。
残念なことに、こういった人は言葉も汚れつづけるし、人間社会に属するどこの国でも幸福を得るものでない(他人を見下したりするための地位や証拠がほしいらしい)。

2021年6月8日、「特定マイノリティ」の呼称を「未分類マイノリティ」に変更した。
それにより、本文も改稿された。
例えば、今の「『未分類マイノリティ』の注意点」という章の名は、以前に「『特定マイノリティ』の注意点」であったし、内容が大きく変更された。

2021年6月10日の外出で、荒木伸行さんのモノマネをしたことにつき、6月16日にその1本の動画のみ(他にもモノマネをした動画が同日に撮られた)を公開し、説明文に当記事の話題をした。
https://www.youtube.com/watch?v=X9RPJs-VN64 『豊橋市 表浜海岸で荒木伸行さんのモノマネ』

荒木伸行さんに関しては、こちらで調査したことの詳細な情報がある。
以下は、そのうちのQ & Aとして記されたものである:

Q. 彼自身によって示された障害の種類は何?
A. よく言われるもの:・二分脊椎症 ・(脊柱?)側弯症 ・脊髄空洞症 ・人工肛門 ・(話していないが補聴器の出番が20071207_1435.wmvにもあるなど非常に多い)難聴 がある。20120118-1748.wmvでは「ギプスしてる体」と言う。文書2005.12.08 12:30も参照。他にこういうものも「・尿が漏れる  ・尿が逆流する  ・腰の手術痕  ・右の胸筋&肋骨欠損  ・左の腹筋欠損  ・生まれつきの喉の晴れ  ・首の骨の変形  ・背骨  ・左顔麻痺」( https://ameblo.jp/juck/entry-10060617633.html より)、「左顔麻痺 斜視 右目の神経 聴覚障害(両耳) 癲癇歴有り 首の脊椎症 そくあん症 二分脊椎 人工肛門 ポリープ 膀胱機能障害 両手首の感覚障害(軽) 足首の変形 右のアバラの骨の欠陥 左の腹筋の欠陥」( https://ameblo.jp/juck/entry-10056439348.html より)

Q. このての人がよく自称することの多い、知能面は?
A. 以下のように( 43 ± 44 )という独特の知能指数 IQ の表記を彼はしていた他に、「90から110無いと市職員の仕事はできない、荒木伸行がカンニングで受かってもえ?え?ってなっちゃう」などと言っている ( https://www.youtube.com/watch?v=jmxfJPsCpfg ) ので、そのような知能指数として彼は自称する。
「荒木伸行は、薬科大学以前に、湖陵高等学校の定時のテスト問題さえ、『 霊感 』 で、直感的に答えを書いて、ギリギリの進級で、卒業。 知能が低い ( 43 ± 44 ) と助けようにも限界がある。 ま、そういうこと」
https://twitter.com/ipbajp/status/1176775955647324160

Q. 彼の家族構成はどう?
A. 「おばあちゃん」「母親」「叔父」について2chスレのレスbudou/1188557942/274にある。2015年7月16日に札幌市を去る間の20150716-1702.wmv、2016年ころの現存しない動画などで本人の母親らしい声が入る。また、東京都内にいる間の20170830-1749.wmvで「親」「叔父」と言っている。現存しない動画で、2009年ころに彼が札幌市から一時的に釧路市近辺に滞在している間、10歳より低いと見られる男児2名ほどに関わっていることが見られた。それは、十中八九、親戚であろう。

Q. 彼の宗教遍歴はどう?
A. 2017年ころに奈良県天理市の天理教本部の敷地内で撮影している際に職員に「小さいころお参りしていた」かのような発言を彼はしていた。この裏付けは難しいが、文書2007-11-20 21:43:08 https://ameblo.jp/juck/entry-10056426656.html に3歳より後の記憶で「奈良の天理教の大教会に言って、料理長と口けんかしまくった記憶は今でも残っている。」「翌日に大仏さん見に言ったんだよな・・厚岸の天理教の教祖さんのおばあちゃんと・・」と語られることが近い。晩年は幸福の科学に入会する(site/geforjp 2019-11-29時点のトップに「幸福の科学 2019年09月05日 入会した会員」との文字列あり)。彼の絵本の創作を実際に紙で行い(プリンタ購入)、布教活動に利用しようとしていた。最後の動画記録20191124-2022.wmvでは「小さなころから厚岸神社で」云々と彼は言うが、これの裏付けは皆無である。一番に好意的だったものは(エホバの証人を含む異端以外の)キリスト教に見える。札幌市や京都市で教会に通う様子があったが、洗礼を受けた信者ではなかろう。

Q. 20110330-1652.wmvでの「きたえーるのロビーで同じように暴れてた」「3年前」とはいつ?
A. きたえーる=北海道立総合体育センター、動画記録なし。
2008-01-11 08:23:11記事「では、札幌にあるその他の公共施設の何処で問題を起こしたのか?を問えば、きたえ~るが、あげられたな・・ [...] きたえ~るの施設は、使用禁止にも、出入り禁止にもなっていない。豊平警察官らにお願いされて「自分から近づかないだけだ」・・」
https://ameblo.jp/juck/entry-10065125354.html

Q. 精神がらみでの措置入院は、いつ?
A. 2012年3月27日以降の何らかの日から同年4月19日の間に、長野病院。およびその後と思われる不明の時期に、平松記念病院。質問の通り、精神科に関するものでは、この2回。なお、20181002-2030.wmv 457s 「駅裏で数人に待ち伏せされ、デコボコに殴られ、重体、全身打撲」などと言っているのは2010年1月ころの北海道大学病院への入院(骨折との話)と関連しているか不明。

(引用文多数につき割愛、しかしリンクは載せる)
https://twitter.com/ipbajp/status/1158507524238147584
https://twitter.com/arakibco/status/1142913156122996736
https://twitter.com/arakibco/status/1130803864611856384
https://twitter.com/arakibco/status/1055090756522696706
https://twitter.com/arkforjp/status/1098746490124525570
https://twitter.com/arakibco/status/1055092859131416582
https://www.youtube.com/watch?v=PGMJGMg0Tfg
https://www.youtube.com/watch?v=A77A7qzRMus (動画内の発言で入院の話題なし)
FC2『交差点で救急車のサイレンを見せつける手口』の説明文にもあるが、動画内の発言で入院の話題なし。
https://video.fc2.com/content/20181012vmVF6wVt
FC2『" 歩行者 = 女性の衣服 ( ピンク ) + 鞄 ( オレンジ ) " + 自転車のライトの点滅走行』の説明文にもあるが、動画内の発言で入院の話題なし。
https://video.fc2.com/content/20181012PxnXLhDh

Q. 「フェスマーくん」とは?
A. 荒木氏の幼少期に飼われていた猫と関連があると見られるが、実際のペットネームは不明。なお、フェルマーの最終定理とは関係ないが、言及あり。フェスマーくんら荒木氏のしもべたち、結局、彼の思い過ごしの存在で、彼を助ける効果は無い。


改めて思ったが、拒食症、過食症、および過食嘔吐といった摂食障害の一群は多くの場合、馴れ合いのコミュニティを持っていたり、同情しあう関係(シンパシー sympathy, 同病相憐れむ同盟;古代ギリシャ語の接頭辞からしてホメオパシー homeopathy が近いのにそういう意味は無い、意味が違うが区別される単語はエンパシー empathy, いずれも同病同盟が標榜する語彙では無かろうが)がインターネットであれその他であれ築きやすく、また、こういうラベルで理解を促しやすい状態が見られる。
それゆえ、部外者からはラベリングからの誤解や偏見も持たれやすくなるが。
私が未分類マイノリティとして呼びうるものは、その現象のうち、良い側面に当てはまらないことになる。
当記事では詳述していないような日本国内での集団ストーカー陰謀論に関して、これは割合、馴れ合いのコミュニティがあったり、社会運動みたいなことを組織的にしている。
具体例では、2, 3ほどを2015年時点でも私は観測していた。

2021年7月4日日曜日

2021年6月中の日記メモ

(前月に続き)本文をコメントアウトで公開します。ソースからご覧ください。ご不便をおかけします。

●口上
日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。

●私感
当月中から、ある特定の家の他人による1階トイレ利用における、蚊を媒介する行為に関する見解が見られる。
統合失調症患者とインターネット上で目されている他人たちの例は散々、認識している私が、あえて日記メモに同様のことを記している。
これに関して「わざと」という悪意の邪推はしていないので、結局は陰謀論でない。
当月29日に「ある特定の家の他人がする蚊の媒介」について、否定的になったことを30日に記した。
なお、私は「統合失調症患者とインターネット上で目されている他人たち」を診断書なしで糖質認定しないし(ただし任意の目的の下では記号として遠回しに用いる場合がある)、私自身も精神障害の類に関して医師の診断を受けたことなどないので精神疾患に関する自己紹介をしない。
精神医学に関することは、他の記事に詳しい。
『小6~中1期に医学へ関心をもったことの概要』https://lesbophilia.blogspot.com/2014/08/61.html
『「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について』https://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html 『引きこもり生活に関する医学的な報告 ~ 栄養学・病理学・精神医学・薬学など』https://masashi.doorblog.jp/archives/53033021.html
当月10日の外出に関しては、既に2本の動画が投稿されており、今後も何かしら公開したいと思う。
2021年6月16日投稿『豊橋市 表浜海岸で荒木伸行さんのモノマネ』 https://www.youtube.com/watch?v=X9RPJs-VN640



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