別の過去記事にも述べられた、インド言語学由来の「六合釈(ろくがっしゃく 漢音:りくかっしゃく)」による複合語解釈法である。
梵語・サンスクリット文法家パーニニ"Pāṇini"の述作「アシュターディヤーイー"Aṣṭādhyāyī"(および注釈"Kāśikāvṛtti")」に示され、中国・日本では梵語学・悉曇学において伝えられた。
漢語の仏教圏で、梵語訳語としての漢語を理解する際に重宝された解釈法である。
六合釈(六合釋・殺三磨娑)"ṣaṭsamāsa"の6つの用語 (pl=パーリ語名称。パーリ文献のByākaraṇa系の書 - AbhidhānappadīpikāṭīkāやBālāvatāraなどによる)
相違釈・相違釋"dvandva pl: dvanda" 連結複合語 Copulative compound (itaretaraという語の場合は並列複合語 Enumerative compound)
依主釈・依主釋(依士釈・依士釋)"tatpuruṣa pl: tappurisa" 限定複合語 Determinative compound
持業釈・持業釋"karmadhāraya pl: kammadhāraya" 同格限定複合語 Appositionally defined compound
帯数釈・帶數釋"dvigu pl: digu" 数限定複合語 Numeral determinative compound
有財釈・有財釋(多財釈・多財釋)"bahuvrīhi pl: bahubbīhi" 所有複合語 Possessive compound
隣近釈・隣近釋"avyayībhāva pl: avyayībhāva" 副詞的複合語(不変化複合語) Adverbial compound
※何らかの日本語や漢語や英語の複合語に当たった際、多様な解釈ができてしまうことがあるので、文脈を検討しながら、この六合釈に則った判断をするとよい。上から順に検討するとよい。日本語では通念上、「山川」は「山と川」=相違釈"dvandva"に解釈し、「山寺」は「山の寺」=依主釈(依士釈)"tatpuruṣa"に解釈する。ギリシャ語由来のラテン語→英語の複合語"philosophy, haemophilia"なども同様に依主釈で、"phil-"の位置が異なっているが、それによって意味が変わることは無い。ギリシャ語系の複合語はphil-とかlog-のような形態素=結合辞"combining form"が各々定式的に位置を占める傾向にある・その例外もある(英語版Wikipedia - Classical compoundにその記述があるが元はConcise Oxford Companion to the English Language 1998からの転載)。
元の記事では、漢文訓読のために日本語において作られた「互い(+に)」を例に取って副詞と動詞由来名詞の複合語だとする説明した。
当記事では、六合釈に基づいた日本語の複合語解釈を語った部分を抜粋し、校正して投稿する。
日本語では、多くの複合語が並列複合語・相違釈"dvandva"や限定複合語・依主釈(依士釈)"tatpuruṣa"に当たる。
その意義は日本語版Wikipedia - 複合語の記事にも、「並列関係」や「従属関係」として載る。
例として、姓名はその極みである。
英語版Wikipedia - dvandvaで「山川"yamakawa"」という複合語を相違釈の例として挙げてあり、「山の川」という意味ならば「やまがわ"yamagawa"」と連濁するが、「山!川!」のような並列関係=対立=平等の状態では、連濁しないことが通常である。
「山と川」という2つの語句が象徴的に風景全般を表すという(いわゆるメトニミー"metonymy"の一種でありシネクドキ"synecdoche"ともいう)。
慣用的に「善悪(ぜんまく、ぜんあく、善と悪"good and evil 英語と同じヘブライ語 ט֖וֹב לָרַ֛ע ギリシャ語 Acc.καλὸν καὶ πονηρόν)」が道徳観念"morality"全般を表すことと似る。
筆者のペンネーム「横野(よこの Yoko-no)」は、依主釈で「横の野・横にある野・よこしまの(邪悪な)野」と解釈できる(姓名に用いられる野字・埜字は語源的に問うと当て字のようであろうが)。
ちなみに、「動詞: 横切る(切るは当て字っぽい)」は「副詞: 横に + 動詞: きる(撥音便省略連濁: ぎる)(よぎる・すぎる・すごすという動詞も似た語源となる)」という複合動詞である。
※「横切る・よぎる・すごす」は五段活用(現代口語)・四段活用(文語・古語)だが、「すぎる」は昔に「すぐ=過ぐ」という終止形を用いたように上一段活用(現代口語)・上二段活用(文語・古語)であるので、同一視できない問題もある。よって、「似た語源」程度の認識でよい。例えば、腕を大きく動かす動詞は、「薙ぐ・殴る」が五段活用であり、「投げる」が下一段活用(現代口語)であることから類比・類推して容認できよう。往古に同根であったかの根拠は、現代の学問で断定できない面がある。「横切る・よぎる・過ごす」及び「過ぎる」は、みな「通過する(英: pass)」という意味のある同根語が想定できると思えばよい。Proto-Japonic verbal root *kiɾ-
サンスクリット・パーリ語の「接頭辞ati (過ぎて) + 動詞語根√i (行く)」は「よぎる・通過する・超過する」という意味の複合動詞であり、ati √iの過去分詞"atīta अतीत "は「形容詞: 過去の 名詞: 過去・過ぎ去ったこと(英: pastに比較)」を意味する(同格限定複合語・持業釈"karmadhāraya"と思ったが違うか)。
依主釈は、前後の形態素(語根・語幹など)が依存関係にあるものを指す(梵名tatpuruṣa自体が"tat彼の + puruṣa人"=あるじorしもべという意味になるので漢語では依主釈という)。
動詞の連用形の名詞化と、その前に動詞の目的語を付随したものが多くある。
「窓拭き=目的語の名詞: 窓 + 動詞の連用形の名詞化: 吹き」は、「①窓を拭くという行為"deed, act"」と、「②窓拭きの行為者"agent"」と、「③雑巾のような、行為の達成に用いられる道具"instrument"」の3つのいずれにもなる。
もしも別途にそれぞれの意味を明示したければ、「①窓拭き-作業 ②窓拭き-屋さん ③窓拭き-ツール」のように後続の言葉で補う。
梵語でも、行為者や所持者の意味を明示するために「-क -ka」で補うことがある。
また、「人殺し cn: 殺人(①-罪 ②-者 ③-刀など)」"homicide"といった、動詞・目的語"verb-object, VOまたはobject-verb, OV"構造の複合語はみな、依主釈に当たる。
この整然とした・弁別的な複合語解釈は、梵語・サンスクリットは元より、現代の英語にも適用できるので、形式的英語学習者・会話オンリーの人であっても注意深く学べば、一切の言語の学問的道理・発生プロセスに通達する。
こういった複合語の名詞は、様々な意味を持つ場合があり、先述の「窓拭き」の窓は「窓を・・・対格"accusative case"」であるが、「拭き掃除」の拭きは「拭き=拭く行為によって・・・具格"instrumental case"」である。
ほか、「尻拭い」という言葉もまた「窓拭き」と同じ3つの意味を見出せるが、英語で"ass-wipe (尻拭い→トイレットペーパー→クソヤロウ)"という表現が、"bahuvrihi compound"であると英語版Wiktionaryに載っている。
"bahuvrīhi"=所有複合語・有財釈とは、過去記事にも詳述した通り、"bahu-vrīhi"のままでは同格限定複合語・持業釈"karmadhāraya"で「多くの-米」という意味だが、実際にはその所有者「多くの米を持つ者=金持ちの人」を指すことである。
例えば、英語で「ホワイトカラー"white-collar"(白い襟)」という言葉も「白い襟の服を着た者=事務員」という意味となって同様である。
いったん、「多くの米=それが単に存在するのでなく誰かの目的によって所持されている=その人は金持ち」や「白い襟=その服が単に存在するのでなく誰かの目的によって着られている=その人は事務員(オフィスワーカー)」として言葉が成立すると、以後は、金持ちが多量の米穀を財産として保有しない・オフィスに白い襟の服(ワイシャツ)着用者がいない状態でも「ヤツはバフヴリーヒ"bahuvrīhi"だ!"They are white-collars!"」と呼ばれる。
古代インドと同じ言語感覚による複合語が、現代アメリカなどにも発生することは、面白い。
当事者の身体に付随したものの例で、古代ギリシャ語「ὀκτώπους (いわゆるオクトパス)=八つの足-を持つもの=タコ・蛸」や、日本語「ふとっぱら"futoppara"=大盤振る舞いの人」があるが、外的所有物でない点で有財釈と似て非なるものと区別されるべきかと思う。
事務員が「ホワイトカラー・白い襟の服」を着ることも、事務員としての当事者にとって身体そのものである点で、実は、有財釈と似て非なるものか。
それらは「広義の有財釈」として区別してみたい。
※パーニニの述作「アシュターディヤーイー"Aṣṭādhyāyī"」は、「8つの章(数詞aṣṭa=8)を設けて(具格のように用いるべく私が付した)考察する(動詞語根√dhyā)説("-説"とは事物を示すために名詞化接尾辞・準体助詞として私が付した)」と解釈できる。中国の文献においては「八分毘伽羅論(八分=aṣṭaの訳)」と呼ばれた。婆藪槃豆法師傳に「馬鳴菩薩は是れ舍衞國・婆枳多(大正蔵の本の誤植か底本の誤写で正しくは娑枳多・サーケータ"Sāketa"か)の土の人なり。八分毘伽羅論および四皮陀(4つのヴェーダ)・六論(6つのヴェーダーンガ)に通じ、十八部(インド外道学問全般の十八大経で通常4ヴェーダ・6ヴェーダーンガを包括)を解す」とある。また、記事後記のように、毘伽羅論とは、vyākaraṇa ヴィヤーカラナ=インド言語学の名称である。ヴィヤーカラナは多義的な言葉だが、一応、ここではインド言語学・梵語学を指す。パーリ語の蔵外文献でもbyākaraṇa ビヤーカラナの区分に複数の文法書がある。
起草日: 20180206
上記の日付は、元の記事に基づく。
当記事は、その「復習記事」として2018年4月を期して投稿される。
元の記事では、パーニニ文法における複合語(サマーサ"samāsa")解釈と日本語における訓読語との関係性に言及した。
パーニニさんを端緒とした梵語・サンスクリットの文法学は、「声明論・聲明論(しょうみょうろん、毘伽羅論"Vyākaraṇa"、言語学全般の名称、五明 Pañcavidyāという学問総称の一カテゴリとしても用いられる)」として古代日本・上代日本に知られていたと推定できるので、その方面の研究が進むことを期した。
現今の宗教学や言語学で、深く言及されない梵語文法と日本語(和語)文法との関係性であるが、今後は、そういった仏教の文化的影響を鑑みた研究が必要となろうと考える。
歴史的脈絡や蓋然性があることを、私自身が実感しており、宗教学者(仏教学者)をはじめとした人々が証明してゆくべきである。
元の記事の随所に、そういった要素を記した。
「たがいに」造語当時(広く見て7~11世紀)の日本で、おそらく学問の人や僧侶・宗教家といった智者が梵語学(玄奘三蔵門下の法相宗系か密教悉曇系か法道・菩提僊那のような中央アジア・インド系渡来僧の直伝か)の文法概念を学んでいた可能性がある。
パーニニの漢字表記・音写は「波爾尼、波膩尼、波儞尼(はにに"modern: Hanini, ancient: Panini")」がある。
「玄奘三蔵は婆羅覩邏邑(村名・都市名、大正蔵の本の誤植か底本の誤写で正しくは娑羅覩邏・シャラートゥラ"Śalātura"か)に至り、波爾尼仙(パーニニ仙人)の窣堵波(ストゥーパ)を見た」という記録が、大唐西域記などに載る(ちなみに英語版Wikipedia - Salaturaは塔"stūpa"でなく像"statue"だと記しているがそこに引用される1904年の学者による英訳は"tope"と訳していて相互に異なるし一次資料たる漢語原文が載っていない)。
こういった玄奘三蔵の門下には、法相宗開祖の基(き、慈恩大師窺基)などがおり、一切経音義の玄応をはじめとした多くの学僧が梵学に長けていた(同名の書の著者である慧琳は後述の密教関係の人で不空三蔵の弟子とされる)。
玄奘三蔵訳経論や法相宗の釈書などには、先の梵語複合語理解・六合釈の用語が多用されている(個人的に感心したもので成唯識論T31-19bや妙法蓮華経玄賛T34-658cなどがある)。
日本の南都六宗に関する史実が立証されているように、それらの漢語典籍が7世紀以後の日本にも多く伝えられたことは確実である。
その時期以前であっても、中国・朝鮮・インド・中央アジア・南アジア系の僧侶が、梵語知識や文法概念を多かれ少なかれ伝授したろうことは推定できる。
特に中国(漢民族らしい)以西の地域出身者が日本に渡来した可能性について、「波斯・破斯(はし"modern: Hashi, ancient: Pashi or Pachi")」という「ペルシャ"Persia"=現代のイラン付近とされる地域」からの渡来人が奈良時代などに存在したことはよく知られる(正確な事実は学問的に未確定)ので、いわんやインド・中央アジアをやである。
学問的に未決の事象にも敷衍すれば、梁書・巻五十四において「扶桑国」を語った項目に「其國(=扶桑国のこと)有沙門慧深(えじんorけいしん)來至荊州、説云 (中略) 罽賓國嘗有比丘五人、游行至其國(=扶桑国のこと)、流通佛法經像」とあり、この「扶桑国」を日本列島の一部地域と見ても見なくとも、梁(中国)より東の「倭国」よりも更に(梁→倭国→文身国→大漢国という)東に位置する「扶桑国」に「罽賓国(同書で西北諸戎に分類される渴盤陁国・朅盤陀"Khabandha"=現在のタシュクルガン地域の南に接しているとする)」というインド・中央アジアに位置する国より比丘(僧侶)が遊行したと伝承される以上、中間に位置する「倭国」とされる日本列島にインド・中央アジア系の比丘が遊行したという類推も可能である。
※罽賓国は「けいひん」と読まれるが、より正確な呉音では「かいひん*kaipin, kaibin」か「けひん*kepin, kebin」となろう。一般にカシミール"Kashmir, skt: Kaśmīra"の音写だとする。この漢語音写はプラークリット経由と思われ、プラークリット復元形は*kejbirとなろう。硬口蓋系J/SH互換や両唇音系P/B/M互換の法則や「安息(あんそく・あんさく・あるさく)アルサク 𐭀𐭓𐭔𐭊 アルサケス的N/R対応」などによる。
「梁書の扶桑国(地在中國之東…)」に関しては参考までに考慮してほしい。
学問的に未決の事象であって正確性に疑問の持たれた伝承であっても、多少の推定に用いることが可能であると、私は考える。
伝承や学問的事実から、様々な推定・仮定ができた。
しかも、伝教大師最澄・弘法大師空海や、慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然さんなどの時代となれば、言うまでもない。
彼らはもはや、密教が中国に伝えられて以後に入唐したり(前4人はみな入唐僧として名高く他に宗叡などがいるが詳細が不明瞭)、日本で相承された密教を学んだりもしてきており、そういった密教関連の悉曇学においては、当然、パーニニ文法に端を発する梵語学・声明論に関与する。
元の記事と当記事の本題である「(6種類の)複合語解釈=六合釈(ろくがっしゃく、りくがっしゃく)・六離合釈"ṣaṭsamāsa"(殺三磨娑)」や、梵語における「8つの格変化(パーニニ文典では7つ=七例句が示されたので後世に発展したものか)=八転声(八囀声、はってんじょう、はちてんじょう)"vibhakti, kāraka"」など、梵語学習での常識になったと見られる。
上記の用語に関して、相当する概念の説明に必ずしも文字列が完全に一致した状態で用いられないが、細かく分析すれば、中国・日本の法相宗・華厳宗(唐の法蔵さんなど)・真言宗(密教・密宗)の書に多く確認できる。
江戸時代・18世紀に至ると、日本国内で様々な思想・哲学・宗教が相競って合理主義的な学説(大乗非仏説論・古神道・国学など)を主張するようになる。
中でも国学者(本居宣長・その弟子・その他もろもろ)が比較言語論・比較文化論に秀でており、悉曇・梵字・インド音韻学・中国音韻学(インド悉曇に影響を受けたものとしての等韻学など)を理解した上で、日本語の発音の優位性を誇示した(漢字三音考や奈萬之奈などを過去記事でも紹介、民族主義プロパガンダ的な向きが本居宣長さんにも平田篤胤さんにもあったが問題視しない)。
その渦中で仏教徒も慈雲尊者飲光や法幢さんなどが西洋インド学に先駆けた梵語研究や文献研究を示した。
いずれにしても、日本語が外国の文物に触れて発展する途上で訓読語などを整備する際、「7~11世紀ころに生きた学問(学門)の人や僧侶・宗教家などの智者たち」は、パーニニ文法に端を発する梵語学の理解に基づいた造語をした、と私は結論付け、学問的に提案する。
梵語学の理解に基づいて日本語(やまとことば)・中国語(漢語)・サンスクリット(梵語、ほかパーリ語などプラークリット)・ギリシャ語・ラテン語、ひいては英語をはじめとしたあらゆる言語について日本人が研究できるようになるとよい。
サンスクリット詩の連声(連音、サンディ"saṃdhi")には韻律規定(チャンダス"chandas")や歌いやすさを考慮して柔軟な有無が見られ(連声が固定的規則としてあるのでなく歌いやすさの相対性で連声となる)、日本の古代和歌(万葉集など)でも句中の字余り母音重複の単音化について柔軟な有無が見られる(二重母音が合わさって一音・1モーラ=1拍となることも固定的規則としてあるのでなく句の拍数を考慮した読みやすさの相対性で単音となる。この現象は本居宣長さんの字音仮字用格という書にも示される「歌に五もじ七もじの句を一もじ餘して六もじ八もじによむことある、是れ必中に右のアイウオの音のある句に限れること也。古今集より金葉詞花集などまでは此格にはづれたる歌は見えず。 自然のことなる故なり(萬葉以往の歌もよく見れば此格也)」ついでにこれを引用した論文1, 2も参照されたい)。
詩歌の音韻にも、サンスクリット(同様にパーリ語)と日本語の間の共通性について参考にすることができる(インド音声学・音韻論は式叉論・シクシャー"śikṣā"、先の韻律・チャンダスは漢語音写で闡陀論となる)。
過去の歴史的経緯や学問的価値や今後の展開など、様々に沃野の広さが感じられる。
※日本古文の特徴的な語法・文法に「○○(名詞)な(助詞・目的語)××(動詞・連用形、カ変とサ変では未然形)そ=否定要求表現」、「係助詞か・や=疑問形係り結び」といったものがある。それについて、中国語やサンスクリットとの類似性を見出すこともできるが、深く言及しないでおく。また、サンスクリット詩は韻律規定に見合った自由な語順があり、現代日本語で倒置法の一種として受け入れられる語法もよい。SVO型・前置詞の特徴が強い英語よりも、サンスクリット・日本語は基本的なSOV構造に制約されない場合が多く、ヴェーダ詩・古代和歌からも看取できる。私が音楽方面の創作をする際、古代日本語や現代日本語に見られる自由な一面を用いて「メロディを乱さない歌詞」を作りたいと思う。
「式叉論(学論)・六十四能法」の謎の解明
シクシャー शिक्षा "śikṣā"は、古代インドで「6つのヴェーダーンガ(六論・六皮陀分・ヴェーダ関連学問)"vedāṅga"」の1つであり、音声学的な考察や分類の明確さが近代の西洋における言語学に影響を与えた。
日本には平安時代以前から「式叉論(十八大経の一つ。十八大経に四吠陀=4ヴェーダと六論=6ヴェーダーンガと八論=後世ヒンドゥー教でいう4ウパヴェーダと4ウパーンガの18を含む)」の漢語名称で伝わっているが、その名称は悉曇学の流れと関係しない(i.e. 近代インド学が入るまでの日本ではインド音声学がシクシャー=式叉の名で認識されなかった)。
「式叉論」は5世紀ころの中国人・嘉祥大師吉蔵さんの百論疏などや、それらを参照した日本人の諸々の文献に「直訳の意味は学論(英語圏でも"learning, study of skill"などと訳す)、詳細には六十四能法がある」と注釈されているが、「六十四能」の詳細を誰も語らない(DDBなど辞典サイト類もそれを語らない)。
もし語る者がいても、大智度論の巻第二に「言四違陀經中治病法・鬥戰法・星宿法・祠天法・歌舞・論議難問法。如是等六十四種世間伎藝」とあることに結び付けよう。
その「世間伎芸(技芸)」とは、英語版Wikipedia - Shikshaに"Shiksha literally means "instruction, lesson, study, knowledge, learning, study of skill, training in an art"."とあることと同じようにシクシャーという語の原義(√śikṣ 学、便宜的に名詞化接尾辞「論」を付けて「学論」と漢訳された)を示唆していると考えてよい(後で考察し直す)。
今年に入ってから私は当記事のような話題でシクシャーがなぜ「インド音声学」の名であるか、インドのうちの既成事実とその説明のみならば納得できたが、日本・中国における「式叉論」の知名度の低さ(悉曇学が江戸時代の国学者の関心を得ていたことに比して実質0。式叉論を標榜した漢語文献の存在も実質0)や、「六十四能」という語のみで音声学を思わせない説明のされ方に疑問を覚えていた。
それら疑問についてどれほど調べても、インターネットで他人による説明(活字の複製を含む)は見られなかった。
2018年10月13日に筆者は、そういった「不明事項」の解決に至るような検証・推定をした。
まず、シクシャー文献の一つ「パーニニーヤ・シクシャー"Pāṇinīya Śikṣā"」の1930sにおける英語翻訳・注釈を参照する。
引用: That speech-sounds in Prakrit and Sanskrit are sixty-three or sixty-four, according to their origin, has been said by Brahman (Svayambhū) himself. (中略。前翻訳、後注釈) The expression tri-ṣaṣtiś catuḥ-ṣaṣtir vā shows how the author of these spurious verses felt a difficulty over the meaning of the first two couplets of the PŚ. and could not say for certain whether 63 or 64 letters were meant by Panini. - Manomohan Ghosh. 1938. 筆者注: 意味と解釈は後述。太字でハイライトしたように、翻訳文に"That speech-sounds in Prakrit and Sanskrit are sixty-three or sixty-four"、注釈文に"63 or 64 letters"とある。
シクシャー文献に"64 (六十四 catuḥṣaṣti-)"という数詞が載っている証拠を捉えた。
また、漢語「能」は「能作・可作(することができる、せねばならない等の意味)」と関連して原語が"kāra (カーラ、原義は「なすこと」、多様に使用される語句)"であると推定した。
kāraは、例えば"hakāra"でハ音またはハ字・ハ音素 ह を指すように、字や音素の概念を示す。
私はsixty-fourとkāraとを合わせることで、「六十四能」という漢語名称の原語(梵語名称)はあくまでもヴェーダ=古インド・アーリア語の発音に関する意味であると推定した。
「ヴェーダ発音はヴェーダを読む前に正しく学ばれるべきものだ (語根√śikṣ = 学ぶ)」という原義の意味から「学論」ともいう(cf. 英語版Wikipedia - Shikshaに載るタイッティリーヤ・ウパニシャッドの1:2詩 cf. パーニニーヤ・シクシャーの1-2詩 cf. 翻梵語という書に式叉歌羅尼・しきしゃからに*śikṣākaraṇiという梵語が「学・可作」として説明され、これは式叉摩那という女性出家者=五百戒ともいわれる男性よりも厳しい戒律を持つ比丘尼になる前に2年ほど戒律に関して学ぶ・訓練すべき者のことを指す cf. 仏教用語の三学=戒・定・慧は梵語でシクシャー"sa. śikṣā, pi. sikkhā")。
ただし、その"64 letters"とも言われる64の字・音素の内訳は不明である。
参考までに般若経典(注釈書の大智度論にも示される)の四十二字門には、阿字 "a अ "から若字"jña ज्ञ " 乞叉字"kṣa क्ष "までインド言語観念の字・音素が挙げられる。
それが密教や悉曇学に継承される五十字などともいう。
サンスクリット・ヴェーダ語で63や64という計数は、母音(a ā ai i e aḥ ṛ ḷ अ आ ऐ इ ए अः ऋ ऌ など)の他に jña ज्ञ , kṣa क्ष (cf. ラテン文字 X ギリシャ文字 Ξ) のような二重子音字"biconsonantal letters"などの二重音字"digraph"が一字のように扱われるインド言語観念を含ませて達成できそうである。
とりあえず「六十四能」という漢語名称のうち「64」という数詞がインドの典籍にあることと、それがヴェーダーンガのシクシャー文献の扱う主題と同じように「言語発音」を示すことは証明し終えた。
Quod Erat Demonstrandum. (証明せらるべきこと有り、過去にも未来にも)
以下に、別の疑問点について付記しよう。
大智度論の巻第二(放牛の譬喩)に、その翻訳者の鳩摩羅什さんがシクシャーにあたる言葉を「六十四種世間伎藝」としたことは、六論(ヴェーダーンガ)・八論(後世ヒンドゥー教では4ウパヴェーダと4ウパーンガに分かれた)を暗示するヴェーダ学問の脈絡であった。
※大智度論自体の梵語原典は不詳だが、その放牛の譬喩の「牛を飼う者が身につけるべき11の支(アンガ"aṅga")と同じように比丘が身につけるべき11の法(ダンマ"dhamma")がある」という説法の趣旨は鳩摩羅什訳の仏説放牛経(大正蔵0123 V. 02)とパーリ経蔵・中部・33経"Mahāgopālaka Sutta"にも説かれる。しかし、大智度論巻第二で「六十四種世間伎藝」という言葉が載る話の脈絡は、それら経典に見られない。菩薩の「方便」として鳩摩羅什さんか大智度論作者とされる龍樹菩薩が補ったとも考えられる。
しかし、「六十四種世間伎藝」という言葉を用いた彼の思考において、このヴェーダ発音の学問たるシクシャーを示唆するインドの語句(catuḥ-ṣaṣtiḥとkāra)へ理解が不足していたためか、または別の概念を指していたためか、それは証明しようもない。
前者である場合も、鳩摩羅什さんに梵語を教えた人々や彼の出身地・亀茲国とされる地域の慣習に「śikṣāは六十四種ある世間伎芸のこと」という認識が定着していた可能性もある。
先に引用したパーニニーヤ・シクシャーのManomohan Ghoshによる翻訳・注釈にも、「パーニニーヤ・シクシャーの作者(パーニニの理解の如くに説く"pravakṣyāmi pāṇinīyaṃ mataṃ yathā"という人)は63と64のどちらがパーニニさんによって示された字数・音素の数であったか分からなかった」という趣旨が記される(韻律のために言葉を補ったともパーニニさんとされる古の賢人がどちらも説いたとも原文を解釈できるが)。
その63と64という数詞が出る詩節はパーニニーヤ・シクシャー全体のうち第3詩であり、第1-2詩"
Now I shall give out the Śikṣā according to the views of Pāṇini. In pursuance of the traditional lore, one should learn it with reference to the popular and the Vedic languages. Though words and their meaning are well known, yet these are not within the knowledge of persons intellectually deficient, (hence) I shall dwell once more on the rules regarding the pronunciation of words.(第1-2詩の英訳文)"が作者自身にとって難解だったとかと記される。
引用範囲よりも後には、カウティリヤのアルタ・シャーストラ(Artha Śāstra 実利論)を紀元前3世紀ごろとみなした上で、そこに"63 letters"のみを示すと記される。
次にアグニ・プラーナ(Agni Purāṇa, 略号AP.)というプラーナ文献をパーニニーヤ・シクシャーよりも後世の西暦8世紀ごろの作だとみなした上で、そこに"vakṣye śikṣāntriṣaṣṭiḥ syurvarṇā vā caturādhikāḥ (triṣaṣṭiḥは63)"と述べられて先の第1-2詩が難解であるように捉えていたと記される。
1-3詩は他の文献群(pañjikāなど複数の作品群をrecensionsと代名詞的に呼んでいる)にも載っていると Note 2. に記されるが、インターネットにその3詩(IAST表記・校訂本)は何ら検索に掛からない(文献群の各個の校訂本がインターネットに公開されない・論文での引用なども無いか)。
それで「他の文献群がアグニ・プラーナの説を用いたか独自に説いたか分からない」と記されるが、それらの文献のどういう説を指しているのか、私は分からない。
何となく、私は日本語で説明を記したが、自信(私自身の理解への信頼)があまり無いため、英語のできる人はご自身で検証するとよい。
どちらにしても、何らかの文献はインターネットだけでの検証が困難な状況に違いない。
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