2015年3月30日月曜日

東南アジアの言語のローマ字表記と漢字文化圏の影響

英語版Google地図等で東南アジアのあたりを見るに、2012年頃の私は「中国語同様、"n"の後ろに発音しない"g"(厳密には発音に些細な違いを生む)を付けた地名が多いな」と気付く。
「"n"の後ろに発音しない"g"」の代表例は"Beijing"や"Bangkok"など。
その特徴ある地名が見られた国は朝鮮半島や勿論、一部モンゴルも。
東南アジアはインドシナ3国(漢字の影響が強いベトナムをラオス・カンボジアと同種にみなすのは誤り?)とタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアなどであった。

一度国境を越えインドに渡れば、もはや中国語ピンイン的なスペリングは消える。
一方、我が国・日本は言うまでもなく"n+g"という綴りの地名などはない。
この点において、2012年当時は「日本語もインドの諸言語も、中国の言語的な影響は少ないか、或いは特有の独自性があるから」という見解に至った。
それから暫く、揺るがない通説になって落ち着いていた。
「日本は中国と文化的に異なっているはず」という、感情による後押しも大きい。



ところが最近これを思い返すと、どうも違うと気付く。
この頃は勉強も盛んであるから、当時より知識が著しく増え、違った見方が出やすい。
それは何か、「n+gの綴りが多いのは、西洋が『先に倣え』の如く中国式のローマナイゼーションをまだローマナイズドされてない言語に便宜的に取り入れて、それが浸透した」というものだ。

日本は先に西洋と言語的な交流を作った歴史があり、中国など別のアジアの国の形式とは別にローマ字化がされた為、性質の異なるローマ字表記が多いと見る。
またインドも、ピンインのような先例などない時からイギリスの統治などを受け、言語的な交流も生じ、これまた中国の例と別の表記(サンスクリットIASTなど)が与えられた。
インドが現在も英語に強く圧されず独自の文字を保っていることは傍証か。

タイはインドシナ3国と異なり、西洋の統治もなく中国とも少々異なる方向の国家であった上、言語的には本来文字などがサンスクリット系(いわゆる梵字、専門的にはブラーフミー系とかアブギダ系と言うそう)に疎通する。
にもかかわらず、中国に類似したローマナイゼーション(n+g等)がされたのはなぜかといえば、タイの学者自身が、中国の例を参考に西洋文字の互換を図ったのではないか。

インドネシアに至っては、地理的に中国から言語的影響など歴史上見られなさそうな国家。
まあ、言語の特性というのは何たら語族というのが端的な区分であるか。
これも現地の学者・政治家か、西洋の人が、中国の例からローマナイゼーションを行った。
ところがインドネシア語の"ng"の発音は、どうも"n"ではなく"g"の方が主体らしい。
それでも、私はこの綴りを採用すること自体が、やはり中国式に似せたと見ている。

マレーシア・ミャンマーまで解説するのは、省略しておく。
モンゴル含む"n+g"の綴りがある多くの言語ローマナイゼーションは、既述の言語と同様か。
※ここまでの文面は、信憑性の薄い話に終始してしまった。



続いて、日本語の音読みについての一考である。
当ブログでは去年7月より今まで、幾度と呉音に関する情報を記した。
日本語は漢字の音読みであっても、中国式のローマナイゼーションになることはない。
"ng"形はもちろん、"x"で"sh"のような発音の綴りもありえない。

近頃、仏教関連でサンスクリット等の音写の語句眺めていると、思うことがある。
今の中国語の発音などでは、サンスクリットの本来の発音から転写された漢字列など、原音から遠のいてしまうのではないか。
実例として、「釈迦牟尼」は「シャーキャムニ"Shakyamuni"」というサンスクリットの音写だが、これを今の中国語で素直に読むと「シジャムニ"Shijiamouni"」と、少し離れてしまう。
「仏陀」に至っては「ブッダ"Buddha"」と読まずに、「フォトゥオ"Fotuo"」とかけ離れる。
フォトゥオとブッダでは、母音にも子音にも共通点が何もない(強いて言えば、BとF、DとTなどの変化を、共に濁音でない状態に変化した類似性と看做せる)。
今の中国で、音写などの語句の場合、本来の読みでしっかり読んでくれるのだろうか?
※後日注、マレーシアの動画で中国語マンダリン楽曲がBGMに流れ、フォートゥオ(1:06)とかシ~ジャ~モオニ~フォ~(3:55、南无本师释迦牟尼佛と言っている)とかシジャモニフォー!とかと歌っていた(15年6月頃の記憶を15年9月になって辿っていて探しづらい)

一方、今の日本語の方が原音に近い発音をしているように思う。
日本語では漢字の読みが「漢音・呉音」に分かれているのだが、漢や呉の時代に類似した読み方を今に些細な変化はあれど、受け継がれている。
千数百年以上前にインドの僧侶などが音写した時代の発音と大きな差はなさそうだ。

対する今の中国は、音写された時代の発音を大きく変えたということは、様々な国家や民族の衝突や交流などにより薄れてしまったことを根拠とする。
標準的な中国語といえど、今の中華の言語的な源流は清の頃である。
清に至るまでの間が、様々な王朝などの鬩ぎ合いで異流同士の食い潰しの繰り返し(中国史は詳しくないため、勝手なイメージかもしれない)。
また日本語でも、平安・鎌倉時代までは文化あらば全国的に同等の文語・口語を持っていながら、今では多くの方言に分裂したように、中国語も標準的なものから方言まで分裂し、あの時代の名残は薄れたものと見る。
同時に言えることは、一部方言などは寧ろ発音に面影を残してる可能性もある。
色々と探して、私は広東語あたりが日本の音読みと共通点が多いと感じた。
それでも、目を丸くする読みがある。
朝鮮語などの漢字読みも、まだ日本語よりであった。

一部言語に仏典音写時代の面影は残っているが、中国の標準的なものは中国でありながらかつての中国に遠のいたものだと再確認する。
中国本土の「簡体字」などは、漢字文化破壊だとも評されることがある。
増殖した人民、多様な民族を抱える以上、教育には少しでも平易さが求められるところがあるのかもしれないが、象形・会意などの成り立ちが損なわれるのは確かに疑問だ。





謎のメモ

軟口蓋鼻音 Velar Nasal 鼻濁音 ng, ŋ (IPA表記) 尾子音 韻尾
アジア 地名 Asian place names, Toponym, Toponymy東京 とうきょう トーキョー tokyo, to kyo トンジン トンキン tongjing, tong jing ,donjing, dong jing
上海 シャンハイ shanhai, shan hai じょうかい jokai, jo kai, shanghai, shang hai
拼音 ピン音 Pinyin, ping yin

2015年3月27日金曜日

3月22日に「白癩」について色々と調べたこと

2015年3月8日、呵責謗法滅罪抄を拝読する中、「白癩病」という言葉が書いてあったので、何を指す言葉か調べたが、「ハンセン病」の古い名称とだけ、その時は知った。
同時に「霍乱」という言葉も同書から調べたが、奇しくも同日中に「病草紙」という絵巻も調べていて「霍乱の女」なる絵があることも知った。

過去にこの「病草紙」は、1月中あたりに「尻に穴多き男(痔瘻)」という絵を見て、衝撃を通り越し「非現実的」と印象を持ったのだが、この3月8日に気になってついに検索した。
というのも、慢性的な痔瘻に呆れていた私が、2月16日に痔瘻の構造「肛門小窩から管を通して体表へ繋がっている」ことを知って以降、どうにもこの絵が気になりだしていたからである。
要するに、痔瘻は直腸と繋がった管を通って尻の毛穴より膿が排出される仕組みだが、この「尻に穴多き男」は膿ではなく糞が漏れているのだ。
鎌倉時代初期でも、案外、医学的な根拠はあるのかもしれない。

※私の尻・臀部にある症状を、私は痔瘻だと思っているが、実際のところ、ニキビ的な腫れであり、正しくは「粉瘤」と呼ぶのかもしれない。未詳。



「病草紙」はさておくとして、今回はこの「白癩」と「ハンセン病」について2015年3月22日に調べたことをまとめたい。
3月半ば、とある創価学会員の有志(50代以上の男女数名)によるサイトの付属ブログを閲覧していたが、ハンセン病云々の記述があった。
その記事は、仏法と割と遠い芸能の話メインである。
この時私は「日蓮大聖人の御書で、ハンセン病=白癩がどう扱われているか、彼らはご存知か?」と思う反面、彼らはおろかまず自分自身があまり詳しくない。
この時に起こったこの疑問が、3月22日までずっと引っかかり続けていた。
※当該ブログでは密教由来の「臨兵・・・」について謗法の見地に立たず語っていたり、3.11を「忘れまじ」と言っていたが、動詞の連用形に助動詞"まじ"は文法的に付かないことなどを知らないのにかっこつけて使う。18歳無宗教の私より教学の浅い学会員だという印象を持った(私が浅学なのか?)。例えば密教由来の話を書くことが例え宗教面を含めたものでないとしても、公式に学会員という体裁なのだから、実に不適切な場面であるかを気づいたほうがいい。

3月22日1時過ぎに「國體護持塾」という組織のサイトにいつ以来だかアクセスをし、手始めに、最新のコラムを覗くことにした。
思わぬ人名「忍性」、「日蓮」を見て、体に電流が走るが如く瞠目した。
まさか神道よりの組織で、仏教の、それも鎌倉仏教の話があるとは予想し得ない。

しっかり読み進めると、この忍性さんが当時差別の強かったハンセン病の患者に対して嫌忌せず、数々の救済・奉仕を行ったと書いている。
同時に思い出したことは、「忍性=極楽寺良観が名利のために偽善活動をしていた」という日蓮御書の何かを参考にして書かれた某ページ。
同コラムでは浄土教の聖典「法事讃(中国・善導さんの書)」についても触れていたが、これも真宗大谷派が過去にハンセン病に関する謝罪声明を出していたこと(3月8日Wikipedia「無癩県運動」を見た時に頭の片隅に止めていた)と関係があるか、改めて調べたく思った。



このように私は、色々な前知識を残しながら、様々な因果の絡み合いを一つにまとめた。
軽い冗談で「ハンセン病とは、最近のトレンドなのか?」とも呟きながら。

私を含む若い世代の大半は、こういった古めかしい難病の類に興味を持たない。
教育現場で被差別部落問題などが示されても、あまり現実味がなく、子供の関心は皆無。
上学会員ブログの段でも書いたが、彼らが壮年・婦人部あたりの者であるなど加味して、少なくとも40歳以上の世代から関心が強まるのであろうか。

私は、現代の社会事情を鑑みるに、今時は先天的な知的障害こそ重要視すべきと唱える。
下の弟が当事者で、私が近縁の者だから興味が強いという点もあるが、事実ハンセン病患者の療養所云々は東本願寺の広報(?)にも「加速度的に閉鎖続く」とある(後年これを再確認したが記述がどこか不明なのでリンク先『真宗2014年8月号』を見る必要は無い。真宗という名のハンセン病広報誌か何かはリンク先がインターネットで最後の更新のようで以降の月号は見られない)
一方の特別支援学校は、人口漸減地域や過疎地でも開校は相次いでる。
詳細は多くの過去記事で触れている。
少子化のご時世、世間の不安を尻目に、逆説的な増加を厳然と見せているではないか。
古めかしい難病よりも、晩産化に伴う広義の知的障害児の相対的・絶対的増加などは普遍的且つ深刻な問題だと、古い世代に一喝しておきたい。



余談も早々に切り上げ、調査した経緯について入る。
國體~さんのコラムに法華経の典拠で「普賢菩薩勧発品」がカッコ内に引かれていた。
まず、試しにその経文の有無や、日蓮さんの御書における記述を探した。
確かに普賢菩薩勧発品において「此人現世・得白癩病(此の人は現世に白癩の病を得ん)」という経文を見つけ出すことができた。
御書においても、複数の書に同文が引用されていることを確認。

色々と調べて、仏典や文献などから詳らかであるページはこれ。
   →http://www.geocities.jp/libell8/8byakurai.html
御書での用例も、他の書物の記述も、ページ下段に年表でまとまっている。
後に他に見たページで「題目が白癩病の薬」とあったような?の文証は、「撰時抄」にあった。
大聖人サマ~は、大慈大悲の主師親であるし、例え謗法の果報として発症するとされる病気にも、お題目の力で治さんとされるお心遣いをお持ちになっている。
もう一点留意されたいのは、同ページで「白癩」の多義性に関して重ね重ね綴られている点で、別の症状をハンセン病と混同した例や、何か重病などを単に「白癩」と呼称した例など、細かく分析されている。

続いて、浄土真宗の近年までの確執に関する調査。
このページを軽く目に通した。
   →http://www.mognet.org/hansen/japan/shinshu01.html
2ページ目まで速読していると、「親鸞聖人」や「証如上人」という表現が目に付く。
日蓮も忍性も叡尊も敬称略なのになぜだろうかと、本文の外を確認すると、この文章自体が浄土真宗本願寺派の人による著述だと知る。
また、同ページの記述は、2003年の冊子から引用したものであることも窺い知る。
筆者を別途検索すると、筆者自身のHPの他、「脱カルト協会」という、見覚えのある名前が。
これもつい今月知った機関であるが、学会員ブログを見た日と近い時期のこと。
その時に理事メンバーのページを眺めていて、「日蓮宗(代表者の所属する立正大学も身延派日蓮系の大学)・浄土真宗・キリスト教の人が多く、あるいは教団に入らない各界の専門家も起用しているのだろう」と感想を持った。
再度同ページを見ての通り、本願寺派筆者さんも理事メンバーに名を列ねている。



どうしてか、最近の勉強が一つに繋がってしまう。
俺が知る世界は狭いが、広くもある。
広い世界の真理を悟って、狭さを覚る。
いや俺、勉強のしすぎだよね、それはどうでもいいけど。
勉強して、こういう経験が慢心生んで増上慢たらしめちゃうよ~。

※大聖人サマが忍性(良観上人)を偽善であると非難した所以は、「生ける草をも切るな」と弟子に唆す割に、法華経の正法を弘めた日蓮によって生活が危ぶまれんとすれば他宗と共謀して権力者に讒訴するなどして流罪・死罪に陥れんとした為、と複数の御書から見られる。

他に日蓮系の話で、大石寺9世法主日有上人の癩検証の記事12ある。
真偽の判断は私にはしかねるが、これも最新2015年3月の記事のようなので一応リンクする。
日有上人の下部温泉湯治に関する他の情報はこれくらい。
またも初耳情報で「温泉宿でたくさんの子供を見た上人が一人弟子を取りたく願い入れると、宿主は嘘をつき、自分の子供はこの中の一人で残りは他所の子であると断ったら、その宿主の家系は子供が一人しかできなくなる。子孫の代が困った末に上人の墓参りをして先祖の嘘を懺悔したら、子沢山になった」という昔話が書いてあるが、どの文献が出所か気になる。
この時に申し出を受け入れ、子供を差し出そうとしても子供がみな連行されることを嫌がるか、偽らず正直に断っても堕地獄の業因となるのか。

それと3月26日23時、たまたまイタリア語に御書を翻訳してるブログサイト(SGI系?)を見つけたが、イタリア語をはじめ、英語などの外国語では「白癩」は如何に訳されるか。
そのまま「ハンセン病」と書けば、差別だとの誤解が生まれかねないため、別の言葉に置き換えてることは容易に想像がつくが・・・
調べてみると、英語版御書を掲載してるサイトには、呵責謗法滅罪抄と思しきページの対応する箇所に"White leprosy"とあった。





追記: 2015年5月25日
某学会員ブログの「忘れまじ(〇忘るまじ、現代語で忘れまい)」という文法的におかしな件について触れたが、この「忘れまじ」の起源はどうにもセンセー作詞の会歌か和歌らしいことを学会系怪文書見ているときに気付いた。
センセーは、3代会長就任時も「執り行わさせて頂きます」という言葉を発したが、これも「執り行わせて」でよく、「さ」は不要であったりするが、こっち系では「させて頂く」フレーズが定着しすぎて昭和30年代にも「さ入れ言葉」があったと見受けられる。



2015年3月24日火曜日

怜悧で尊大な小学生による、痛烈な裁きの喝破

G+における3月12、16日メモを原文に起草。

小学生の頃、咳(くしゃみ)や鼻水、腹痛などは割と頻発したものではないか。
殊に私は鼻水がティッシュ一箱300枚(構造上2枚で1組をなしているので150枚とも言う)なら、私一人で3日~1週間以内に使い切った時期もあっただろう。
尚且つ、一枚を余すことなく鼻水塗れにさせるほど使っても・・・

それは余談だが、これらの諸症状は一見、子供の場合取るに足らないものの、大人だと些事には思えないようだ。
嘗ての私も腹痛くらいは食後に稀にあったところで、下痢に至ることはなかった。
それが今では、下痢になる腹痛とならない腹痛の区別が付きやすくなるほどに下痢や便秘に悩み続けている。
多くの大人や今の私も少しばかり、腹痛の発現には当時以上に不安を強める。
「子供の身に起きようものなら上記の諸症状は恐ろしい」と思う大人が多いことも、今時の私から違和感が消えつつある。

教師等から大仰に身を案じられた際、子供の時の感覚に現在の言語的な装飾を加えれば、「これしき物の数ではない。それに子供であれば、幼児期より病原体を自身の防衛機能で御する経験の反復により、後々の免疫力を向上させることにもなる。稀に、反復させてもそれが叶わず、ただ生まれもって病弱のままに育つこともある」と言うのではないか。
その「病弱のまま」という人間は、今の私のことでもある。
咳や鼻水こそ昔の比ではないが、皮膚(ニキビ・痔瘻)や大腸(便秘・下痢)の問題は当時の自分が到底危惧し得ない領域である。

ちなみに鼻水といえば、2月のいつより、下の弟の鼻を啜る音がやたら聞こえるが、さながら豚の啜り泣きである。
あの弟の足音も豚並みで、アレの音も豚同然であるが、何をとっても豚に酷似している。



他に、嘗て返答に窮した類似の状況を思い出したので同様に書いてみる。
小4二学期、転校したての学校で、何かの薬を飲んだ時のこと。
職員室の隣の狭い部屋か、母親と男女教師1名ずつ居合わせていたのだろう。

紙コップに汲まれた水をまず僅かに口に含ませて錠剤を口に放る。
残りの水を口に流して飲み込む。
この一連の動作に男性教師(教頭?)は「変わった飲み方だね」と言う。
母親も、予期しない息子の行動に困った顔をしていたのだろうか。
その時は私も「そうか」という感想を持って、何らかの返答をしたのではないか。
その内容も、思ったような言葉にはならなかったはず。

もし、今の私の思考が介入すれば、こう返答する。
「一口目は、口内を潤す目的だ。確かに普段はこういう飲み方をしないことが多い。母親もそういう教育などは私にしてはおらず、不意に生じた自由意志であるが、私の流儀に余人が指図する権限はない」と怜悧に答えていただろう。
児童の身で教職員らにそんな尊大な対応がなせるのかは別の話。



2015年3月21日土曜日

溶き卵ぶちまけ事件と的確・迅速な処置

3月20日18時台、ラーメンを作らんと肉・野菜等の食材を運ぶ最中、冷蔵庫から取り出した卵ひとつが手から滑り落ちてヒビが入った。
この時に「醜い事象」について考え事をしたが為に、こうなった。

その後も続けざまに厄介事が起きる。
ラーメンに使う卵を予定変更し、急遽溶いてから使うことした(普段だと麺を茹でている最中に割って溶かずに一緒に茹でる)が、これも裏目に出て、溶き卵の入ったお椀が不安定な場所からひっくり返り、黒い絨毯にその3分の2をぶちまけた。
私の手際の良い対応で、零す前より「見た目は」綺麗になった。

乾いた雑巾を軽く当て、綺麗な面でまた当て直す。
すぐに洗面所で大体の汚れをすすいで絞ってまた漬ける。
別途、電気ケトルでお湯を沸かし(5分ほどかかった)、その熱湯をこぼした箇所に流し、すぐタオルで吸水。
タオルとティッシュなどで白く浮き上がった汚れをゴシゴシ削った。
裏の畳に悪影響なく済んだ。
ティッシュ使用時、勢いで人差し指の爪が拉げて痛かったことも凶。
タオルは雑巾と異なり、あまり卵の汚れは問題でなかったので粗方の処理に終える。

雑巾やタオルを洗う際、温水を待つ暇などなく、冷酷な冷水のみに手を焼かねばならない。
その雑巾やタオルの処理を手早く済まさねば、今度はラーメンが悲鳴をあげる。
料理と掃除を迅速に並行させるという難業をこなした。
気を払いつつ極力早く済ませても、火力により吹き零れかけた。
一旦電磁調理器を止めて、機器の加熱面と物の入った鍋の裏の水滴を拭った。
失敗すれば、掃除に焦るか否かの話では済まされない大事になる。

色々と難儀した末、伸びた少しまずい麺を食らうことになった。
家が汚れて困るのは、私よりもお母様なのだが、神は「親を大事にしろ」といいながら、なぜ、実子に親の胃に穴を空けさしめる真似をさせるのだろうか(孝子たる私は、空けさせまいと自ら進んで大掃除して親孝行したが)。
私をここまで困窮に陥れた「醜い事象の考え事」とは、本家ブログ最新記事の本文と関係する。

その考え事の中身なども、当該記事内に詳しく綴っている。
http://masashi.doorblog.jp/archives/43232456.html



2015年3月18日水曜日

親戚(?)の「としこおばさん」とは何者だろうか?

あの母親を育てた実際の人間は実の母よりも、この実像の知れない「としこおばさん」であることは、過去に当メモ帳などで幾度と触れた。
根拠は、母自身の母=母方の祖母に対する発言である。

そもそもとしこおばさん(以下、淑子)とは何者で、あの母親とはどういう位置関係か。
少なくとも、私の父方の親戚とは無縁であることは断定できる。
また、現在生きていないか長年交流がないように思う。
そして私自身が人生において面識がないことは、ここまでの文章で推量してもらえる。



淑子の位置関係についての見解を述べる。
母親の親戚かどうかも定かでなく、知り合いの年増の女性をただ「おばさん」と呼称していた可能性もなくはない。
それでも、母親があの祖母に淑子の存在を、敬称「さん」ではなく、接尾語「おばさん」を付けて強調することから、どうしても親戚、殊にあの祖母の姉妹であるように思考が進む。

実際に、あの母親をあの祖母が養ってくれなかったとすれば、近い親戚以外の人間で誰が養ってくれるのだろうか。
母親の父=祖父の姉妹とするのも、兄弟の娘の面倒など進んで見てやることは、いくら今よりも人情厚い時代とて、考え難い。
この「としこおばさん」は、祖母の姉妹という線がもっとも濃厚である。

それをいうなら、「人に金をねだって贅沢な食事に費やし、化粧品を買い漁る」と評されたあの祖母の、その姉妹がそんな面倒見のよい人間という図式もなりたたないが。
尚且つ母曰く「おばあちゃんのお父さんが一番悪い」というどこで知るのか不明な情報をとってあげれば、その父さんの同じ娘である淑子が愚昧の姉妹と反比例した人間に育つのか。

なお、祖母の名は「友子」である点を加味すると、姉妹が「としこ」は違和感が少ない。
この点を強めれば、相変わらず、祖母の姉妹という構図こそが真実だと思える。
私の入れた情報と、そこからなせる推理では、確信を持てないかもしれないが、所々で実像の輪郭がほんのりと浮かび上がったのではないだろうか。



それはそうと、「呆れ返るあきらちゃん」って誰なのか未だ知る術なし・・・・・・
※冒頭リンクhttp://youtu.be/9LbwVVxUPX4?t=17s、動画0:17。





追記:2020年5月23日

母親の話によれば「利子おばあちゃん」が母方の祖母(友子の母)で存在するという。
件の音声でも「としこおばさん」ではなく「としこおばあちゃん」という発音が確認できた。
今後はそういうことにする。

2015年3月15日日曜日

特別支援学校 - 児童の保護者と教職員の理想 要領を得ない「自立」

特別支援学校のホームページ等では押しなべて「自立・社会・就職」等の美辞麗句を連ねているのだが、現実は圧倒的に異なる。
それらのホームページ・ブログ等において、在学児童の作業風景の写真などを載せているが、黙々と作業に打ち込める者がどれほどいるか。
在学児童の大多数が、「自力の食事さえ叶わない」という冷徹に打ち付ける現実をも度外視して、極少数、一割に達するかも知り得ない健常者に近似する能力の人間を前面に対外アピールをしても、実態から目を背ける愚鈍さの露呈としか、私には見えない。

以前も、当メモ帳において、特別支援学校高等部の破廉恥を暴露したのだが、やはり、保護者や教育者は「自立」等に視界を奪われていると再認識する。
脳性まひを初めとする、重度知的障害の人は「自力の食事さえ叶わない」のに、何段も飛ばしてやれ自立、やれ就職と、雲をも掴みに行かんとする様相だ。
煌々たる理想に目が眩み、現実的な足元には何の注意も向かない。
※過去に「そういう人にもお給料くれる支援団体がいるだろう」と述べたこともある。

特別支援学校に在学する児童は、視覚・聴覚の片方の障害のみを持つ人間であれば、卒業後に進学か就職の叶う者も多いようだが、在学児童の大半を占める知的障害の場合、少しでも度が強いと大概は福祉施設等に入所するか、就労継続支援の作業所に通所する。
元々、上記記事に語った女児でさえも、保護者が四六時中つきっきりで面倒を見られない当然の事情から、その負担軽減の意図も含んでいるというのである。
玉石混交の特別支援学校の教職員とて、一応プロの専門家でもあるわけだから、保護者の支えのみでは補いきれない部分もしっかり教えてくれるかもしれない。

それでも多くの生徒は心身の劇的な快方を望めず、卒業後は成り行きで施設絡みの生活となるのは保護者にとっても自明の理だろう。
知的障害者で就職が叶うなどということは、私の弟ほど軽度でもない限りほぼいない。



こういった予想を元に、軽く検索をかければ、文部省の公式データがある。
一段目は「中学部」に関する情報なので飛ばして、「高等部」を熟読されたい。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/013.htm

火を見るよりも明らかな政府の統計ではないか。
全国の高等部卒業者は平成24年度に17,707人、内4分の3が知的障害を持っており、更に3分の2が施設入所・通所・・・
即ち、卒業した17,707人の中で「施設入所した、通所中の知的障害者」だけでも9,029人と記載されており、全体の過半数なのだ。
少し意外な点は、知的障害の卒業者の内4分の1が就職していること(基準は卒業前の内定の有無なのか、それとも本人の希望だけで集計されてるのか気になる)だろう。
NPO法人の斡旋による、パンこねやクッキー作りなどの作業もこの範疇なのか。

このデータで残る疑問は「各種障害者の数値は延べ人数か、障害の合併についての扱い」。
例えば、一口に知的障害と言っても、肢体に不自由を生じたりする者もいる。
この場合、一人で両方に加算されるのかが疑問である。

以前も書いたが、小3の頃に「公園で3歳ほどの子供の後姿を見て、顔を拝みたいと思ったらメガネをかけていた」ということでその子供はダウン症ではないかと、その年で以てこの見解に至った。
小3の病理知識はともかく、現実に先天的な弱視と脳の欠陥は相関性が高い。
このような複合型の障害者をどう含めてるか、分別は一本化しているのだろうか。
その如何では、各種障害者の実像が揺れてしまい、確固たる判断が困難となる。
この疑問に関して、下部の3点ある注釈も目を通したが、何も記されてない。



とりあえず、この統計データを踏まえて、改めて特別支援教育現場の人間は改心して、現実を見直してもらいたい。
サイト上で対外的に最も美しい情報を載せて取り繕うとも、今起きてる事実から、将来ますます強まるであろうこの性質を推して知るべし。

確かに、「どうせ施設行き」の大多数の児童より、有能な少数派を尊重したい気持ちもわかるが、学校の実態をあたかも最初からないかのようにネットで情報を載せるのは、印象操作じみているし、私には現実逃避にさえ見えてならない。
学校の取り組みに「自立性を養う・労働の意欲を生む」等と書いても、当事者=在学児童の過半数はそんな意識も生じるはずはない。
彼らは良く言えば「中庸」であり、社会への夢もなければ、憂いもない。
既述のように、新たにその意識を生ませるような変革も起こりえない。
心中を支配するのは空漠たる無と、周期的に強まる目先の欲望ほどか。

あの女児の保護者も「障がい児教育に未来はある」と感情に起因する強弁を構えたが、確かにそれを譲歩することも私はできる。
これから晩産化が進む日本では、仮初めの福祉拡充が進むことだろう。
我が豊橋に新しい特別支援学校が来年度=2015年4月に開校するが、全国でも毎年のように人口増加の芳しくない地域でも開校している。
意味を成すのか不明な線だが、特別支援学校の増加で一部教育者も経済的に潤う。
身近に通える学校が増えるなら、遠方よりバスで揺られる児童も、寮で寂しい日々を過ごす児童も減るだろうが、これまた意味を成すのか私には見当も付かない。

表向き福祉施設や特殊学校が増えることは、当事者にとり喜ばしいことだが、これも刹那的、少子高齢化と同時に進む晩産化で、先天的に障害を持つ新生児ばかり増えて介護職などを志望する者が後にどれだけ増えるか・・・
需要ばかりが高まって仮に箱物や担い手が増えても、他の産業は衰え、税金も福祉事業にばかり拠出され、若年層は「重度障害者・寝たきり老人は無駄な命」という合理的かつ危険な思想を高め、色々と悲惨ではないか(現に介護自殺や被介護者殺害などが増加傾向にある)。
こういう「未来」なるものを憂えているから、現場に問いたい私。



これらの保護者や教育者は具体性に欠ける思考が多いことも、私の過去・今回の記事で誰でも理解できたはずである。
当事者(児童)らはそんな先行きに夢も憂いも重ねず、周囲の人間の思考を意に介さない。
当事者は差し置いても、保護者と教育者は目下の大問題を緩和させることに重点置かねば、ただ特別支援は徒に膨張するだけだと進言したい。
特別支援上がりで「ザ・シャカイジン様」になるなんて、一つまみにも満たないのだから。



追記: 2016年以降
2016年7月に相模原市の大規模障がい者福祉施設で大規模な殺傷事件が発生した。
当該施設の元職員・26歳による犯行であるという。
まさしく、当記事に:

表向き福祉施設や特殊学校が増えることは、当事者にとり喜ばしいことだが、これも刹那的、少子高齢化と同時に進む晩産化で、先天的に障害を持つ新生児ばかり増えて介護職などを志望する者が後にどれだけ増えるか・・・
需要ばかりが高まって仮に箱物や担い手が増えても、他の産業は衰え、税金も福祉事業にばかり拠出され、若年層は「重度障害者・寝たきり老人は無駄な命」という合理的かつ危険な思想を高め、色々と悲惨ではないか(現に介護自殺や被介護者殺害などが増加傾向にある)。
こういう「未来」なるものを憂えているから、現場に問いたい私。

と書かれた懸念に著しく関連する事件である。
当時から、このような事件の発生を予見していたろう。予言であろう。
しかしまあ、その実行においては、理性や社会性と別の憎悪が強いのであろう。
ほか、心理面でどうか定かでないもの、かつ当記事より先に発生して後で発覚したものに、同じ神奈川県の川崎市の「Sアミーユ川崎幸町」も挙げてよい。
以下のブログ記事に筆者の見解が「追記」形式で載る。

http://masashi.doorblog.jp/archives/38384984.html#tsuiki

2015年3月12日木曜日

思考に強く介在する「人間への依存」

「ネット」とは人間の為のツールである。
情報の構築や有無は人間の要求や行為による。
機械が自動で更新する情報も多いだろうが、基本的に多くは人間の感情が息衝いている。
「ネット」を重宝する私の思想には、人間の存在が強く絡む。
人間との関係を絶たざるを得ずして久しい私は、未だこの人間への依存を断ち切れずにいる。

勉強も、言語・歴史・宗教などと来ては、いずれも人間達の精神が生きる分野である。
創作関連では、音楽の場合、とあるサイトの楽曲群を作曲者で区切って判別する。
それは楽曲を探したり(検索による)、区別するなどの指針となる。
その上で、作曲者の概念をただの文字列として認識するのみならず、そこに人間性を重ねてしまう。
私の過程を経て、強いキャラクターの意識が築かれるということだ。
絵の練習の方面でも、私が描いてきた絵の多くは「人物」である。

何をしても私には、種々の要因で以て人間への依存が養われる。
どうせ他人、人肌など、触れられずして久しいこの身が、今更それらを希求して好ましく結実すること度、あるわけがない。
こうも冷徹に妄執断尽を、かの主人公の如く為せるものなら。
しかし彼にも、まやかしの過去の残滓が拭いきれぬ一面も多く描写されている。



我、固き褥に臥して思いぬる時。
仄かに中三の頃に多く迷ったことと、同じような話題に当たる。
最近は他にも、別の話題で同様の状況になったが、なぜ今になって頻発したのか。
「考えても詮無いことだ」と、散々過去に出尽くした唯一の答えこそが現実を表す。

良かれ悪かれ、人と直接言葉を交わすことの多かった時間は幸せか。
小1までは、振り返った一年がとても充実されていた感覚であったものの、所詮、母親に毎日頭を殴られ、父親に怯え、戦々恐々とした夫婦関係まで絶えず見せられた時間であれば、当時でも充分にまやかしそのものである。
今振り返る過去の数多ある悦びも、空虚なものでしかないと感じる。
近頃起こる悦びも、全て刹那的にしか思えない。

その諦観に支配された情念で、余生に如何なる希望を持つか。
それを正に今、模索している。
冒頭の話に結びつけると、人肌が密接にある生活こそ多幸感にありつけ、私の本望となるか。
だが、中三の頃にも多く迷った挙句叶わぬことが、今更起こりうるか。
私自身、その当時にさえも気兼ねなく話せるネット上の交流相手はいない。
何かのコメントで一瞬のみやり取りを交わすことであれば、多く経験してる。
結局ネットでさえも泡沫の交流、友好的な文脈は調子が狂う。
リアルの経験であれば、過去にどれだけブログ等で綴ったことか。

人間を求める葛藤は徒労、 断ち切らんとする努力は難儀。
忌々しいだけの人間依存の思考。
これを絶てた時は涅槃である。



ネット利用が私生活の根幹を成している。
故に、情報の構成要素たる「言語」を学ぶことは肝要とも存じている。
言語に準じて、歴史・宗教・・・
ネットが私生活の根幹を成しているという事実があるから、これらを学ぶのではなかろうか。
「これらが人間依存の思考を増長させる」という見解も一理あるが、事実はきっと逆であるのかもしれない。
"逆"というと、ネットに伴う勉強をすることも、「勉強にネットを利用する」という解釈に逆転させられるのではないか。
「どっちが原点か」という命題は、何事にも付随するものだろう。

本題にある「人間」について、私の勉強を混ぜて再考すると、私の家族は形だけ関与があり、その他の有り余る人間ならば、尚更「形骸」の存在である。
私ないし二人の弟は両親からの衣食住の庇護を受けて当然であり、それらが潰えた暁にはより大きな社会たる「国家」が直接の庇護を行うべきである。
そして、世の真理を求め続ける飽くなき研鑽が支えられ続けねばならない。
死期が訪れるその日までに、種々の未練を断ち、死を受け入れられる覚悟を養う。
これが研鑽の究竟目的と思わずにはいられない気が生じた。
何とも小乗仏教的な論調であるが、心の闇が猛ると余人への怨恨が燻ってしまう。
18歳の今から、いつかは新興宗教の教団でも開くのだろうか・・・


2015年3月8日日曜日

「宗祖・教祖の誰に興味があるか」を軽口で述べることは畏れ多い

今日も日蓮大聖人の御書など色々読んでいた。
すると、とある御書に「いぶせく」と、形容詞「いぶせい」の連用形が使われていた。
元々何の意味があるかは知っていても、どの時代に使われていたかなどは「情報が出そうにない」という意識から、それ以上の検索は怠っていたため、この御文を拝して感動した。
改めて検索して、万葉集などに「いぶせくも」と歌に用いられていたそうだ。

大聖人の御書、ひいては宗教関連の書物は今日にも多く伝えられている。
真筆の書や古い写本は少なかれど、近代には印刷技術も進んで多くの人間に元に文字が写された本として残され、現代においてはインターネット等で各サイトに無料で公開されている。
中でも御書を拝読することは、言語訓練にもってこいである、そう唱えたいが、それは信心してる人並びに大聖人様に何とも畏れ多い表現で、聖典を信心と違う方向で尊ぶのは「悪しく敬う」ことにならないだろうか。
よって、今まで本家ブログでも当メモ帳でもこれは推奨してこなかった。



それについて独り思索に耽っていた最中、1ヶ月ほど前にとある書き込みをFacebook上で見たことを連想させた。
東京都70代男性Aと、京都府男性Bのやりとりで、Bさんが「西本願寺は近所だが知らない寺」と言えば、Aさんは「最近は法然と親鸞に興味があります」と返していた。
何ということか、宗祖・開祖と強く仰がれる師について「最近は~興味がある」などと軽口で言えたものか。
このAさんは数年前まで日蓮について学んでいた経緯も含めると、日蓮・法華経にとっての讎敵、念仏の高僧に翻意したことなど、まともに勉強したならば有り得るべきはずもない。
例え相手の言葉に追従する意図であっても、私なら他の表現に置き換えている。

日本の浄土教方面の信者であっても、これには唖然とするのではないか。
安易に「興味の対象」なるものが移ろうことを自ら発露するのは、宗教的に見れば無節操の沙汰。
本気で信心を行う者達には蔑視されるパターンである。
興味が逸れても、本人の心情なので余人に何の関係もないことではあるが、この心境の変化を口に出すのは違う話となる。
相手の話に合わせるために引き合いに出すのもナンセンスということである。
※西本願寺というのも、浄土真宗ことに本願寺派で全国から信者の尊敬を集める総本山だが、それを軽々しくも「近所で知らない」と卑下するようBさんの発言も厚顔無恥。

詮ずる所、私も無宗教であるが、信徒の気質などを存じ上げている者ならば、これは口を憚ることだ。
私自身、日蓮サイドだと主に正宗で、某法華講員や顕正会関連の動画、その他創価学会も含めた諸々の機関紙や信徒のサイト等をネットで読み漁っているわけだが、このような方法は「信者の気質」を知るのに無宗教者では最も簡単な手段である。
何か、そのような現代でも信仰の中心に据えられた人物について、ただの歴史上の偉人と同一視して、どこかの出版社やメディアの巨視的に扱った出版物・サイト等のみで学んだだけだと、信者にどう崇められているかなど知る由もない。

今後、双方の信者は「Aさん、次はどの宗祖に興味が向くの?」と目を光らせることだろう。



ついでに、「崇める」という言葉についても一考の余地あり。
念仏サイドでは、法然・親鸞はあくまでこの「娑婆世界に生きた凡夫」の中でも「聖人」の格を以て信者に尊敬されている人物。
念仏サイドの最上の存在は「阿弥陀如来」であり、「南無阿弥陀仏」の名号を称える。
日蓮サイドでは、日蓮は御在世の頃に「釈尊・法華経」を信じることになっているが、入滅~後の世には「日蓮・南無妙法蓮華経」を「釈尊」より上位か同位に移して信心するようにしている。
朝・夕の勤行で最も一般的な「妙法蓮華経方便品」に対して「如来寿量品」では主に「自我偈」の部分(偈というのは整然とした文字数で区切られた「仏教の歌」)の読経がされているが、この偈の前にも色々書かれている。
この経では釈尊は「世尊」と呼称されている。

それぞれ、宗祖を「崇め」ているのかは私にはよくわからない。
大聖人の御書では、自身や釈尊を「崇む」という意味では用いたことは殆どない。

キリストやムハンマド(マホメット)であっても、神の存在や教えを説いたり、救世主として、或いは預言者としての振る舞いをしたが、信者からの神格化を求めたものではない。
教団によっては、それらの教祖を神と同格かそれ以上に持ち上げる場合もあるが、カルトと看做される場合も多い。



2015年3月6日金曜日

助動詞「む(推量)・ぬ(否定)」が「ん」となり、現代では混同される

有名なものに「求めよ、さらば与えられ」という言葉がある。
キリスト教関連の語句やフレーズは明治~戦前に、神道・仏教の用語を用いたり古典的な文法に訳されてきたが、これは単純明快且つ最も知名度が高いフレーズだろうか。
現代では関西弁などが全国的に認知されたこともあり、助動詞「ん」は否定形として現代人に浸透していることだが、当然「与えられ」の文法においては否定形のニュアンスではない。
それでは何か、端的に言えば「推量(~だろう、の意)」である。

古典的にはこの「ん」とは、本来「推量の助動詞『む』」であったが、日本語の多くの熟語等で鎌倉時代・室町時代などに「む・ぬ」などが「ん」に置き換えられ、発音がされやすい形となった。
否定形のニュアンスを持つ「ん」は無論、「ぬ(打消しの助動詞『ず』の連体形)」が「ん」と変化したことになる。
これらの文字が「ん」に置き換えられる事象を「撥音便」という。
動詞連用形に付く助動詞「ぬ」は完了(俗に言う過去形)を意味して別物なので、混同に注意。

「○○せわ(例:誰も電話に出わ)」という否定文の関西弁があるとする(関東では「誰も電話に出ねーよ」)。
この「せわ」とは、本来「せ(する未然形)・ぬ(助動詞)・わ(終助詞)」という構成である。
「ぬ」とは何度も書いてるよう、否定の助動詞である。
原型としては「○○せぬわ」となる。撥音便とはこういうことである。
もしこれを「○○せむわ」と書けば、推量の古文になるかもしれないが、「せむ」は譲歩しても、ここに「わ」がついては文章が奇怪すぎる。

その点は取り敢えず、関西弁ではこの撥音便が多くあるなどで、関東(いわゆる標準語)となぜ発音の差が大きいかはこの「音便」等の多用がその印象を付けていることを知れたし。
関西弁などの多くの方言は、この発音の簡易性が江戸期以降に追求されてきた。
また、「わ」を「ぞ」などに変えるか、終助詞自体を付けなければ「俺は知ら(知らぞ)」等、関東の口語でも通じるような場合も多い。
※関西弁かてワイは知らで~さいなら~



冒頭の「求めよ、さらば与えられ」について戻す。
これを分解すると「する・ならば・与える・られる(受動態)・む」である。
即ち、「求めなさい、そうすれば(そうならば)与えられるだろう」と現代語訳できる。
『「む」=推量』とここまで書いたとおり、この一文では『「む」=だろう』に訳せる。

この文章を意味そのままに私の知識で以て書き換えてみよう。
「されば与うらむ(与ふ+ら(受動態)+む)」である。
「与える」など、助動詞"eru"が付く動詞は、この種の漢文の訓読だとか1000年位前の和歌なり文献なりを漁れば、"eru"という助動詞が付いてない形が多い。
「与える」の場合も"eru"が取れて「与う」と書かれる場合も多い。
食べる→食ぶ」、「負ける→負く」・・・このあたりは他の例を私が羅列するより、実際に色々と読んでみれば知識として定着する。
もう一点いえることは、この「与える」と同義の変化で"eru"の"e"は要らず、「与うる」のように用いるような場合も、嘗ては多く存在していたことも留意されたい。

「求める」の命令形「求めよ」についても、「求める」が正しい終止形ならば「求めろよ」になるはずだが、これも結局"eru"形の動詞であるため、「求む」というのが正しい終止形となる。
「意見を求む」と「意見を求める」では、前者が堅苦しいかもしれないなどの「受くる印象の差」も生まれるのは、現代に於ける使いどころの相違点。
"eru"形の動詞と同じような性質のある例が"iru"形の動詞で、「飽きる→飽く」、「老いる→老ゆ」など・・・
eruやiruについて書く記事ではないため、そろそろ表題の件に戻す。



このように「求めよ、さらば与えられ」というフレーズだけでも、現代と百数十年前とだけで様々な文法の差異を簡潔に抜き取れることがわかる。
ちなみに、「助動詞『む』の撥音便」は推量の他に「意思」等のニュアンスを含むこともあり、「動詞の未然形+とす」という表現などが、これに該当する。
「逃げとした時→逃げようとした時」、「国滅びとす→国が滅びようとする」と訳せる。
「神の御加護があらことを」というフレーズも、同じニュアンスである(神の加護があろうことを、願う、と言葉が省略される)。
※「とす」も本来「むとす」だが、別に「むず」と推量助動詞で派生する例がある。

これで表題の件における「ん」の謎も解けたであろう。
これから「否定文ではなさそうな場合の『ん』」にまみえることとなれば、おおよそ「推量=だろう形の『ん』」と判断するが宜しい。
一年前の自分だと、明確な答えがわからずに、「そういうもの」程度で思考を止めていたのだろうか。
「ん→む・ぬ」の判別を明確に付けられるようになったのが、つい数ヶ月ほど前。
2014年は11月・12月頃より、もやもやしていた多くの知識のもやを、取り払ったような状態にするべく猛勉強を進めてきた。
飽くまで種々の知識を世俗の名利に連なる野心の武器として使い捨てる気ではなく。
この種の勉強において検索中に、某質問サイトなどの学校教育系の質問が目に余る。
葉は萌ゆれども須臾に萎ゆ。根ぞまた枯るゝ。。。



記事末でいつもの変なネタ話
「む」が撥音化された現代の経緯を遡って「チムコ・マムコ」と言う人もたまにいるよね。
いわゆる、類推というものだと思う。
検索したら「次の検索結果~」とか甚だ見当違いな画面を出された。
だから「葉は萌ゆれども須臾に萎ゆ。根ぞまた枯るゝ。」とさっき言ったのにな。ゴミ。
少しでも巫山戯た話しちゃいかのか(この「いか」も「いかぬ・いけない」である)。

2個も記事を書き上げた2月27日から続いてるが、この勉強はいいことない。お手上げ。
2個目の記事は3月3日反映させたが、この日はまさにこの記事を記している今日であり、記事投稿ペースの調整のため反映させたから入れ替わりでこの記事を13時過ぎより書き始めた。

勉強してても日に日にイライラが募るばかりだ。
最近、とあるアレの雑務(漸次、口が悪くなる)から解放されたと思えば今度はこの有様。
「片時も 休まる遑 無かりせば・・・」不満を書くだけでなく、風流に句も詠む俺。
遑なかりせば本当に、勉強の行く末は灰身滅智の様相と化してしまいそうだ。
何しても身を滅ぼしかねない境涯の私には、それが散々知れていても止められない。

この部分で言いたいことは、「当記事における知識量は暫定的なもので、今後当方の確認で誤りが発覚することもあります」だね。
数ヶ月で著しい進歩があるなら、現時点もまた数ヶ月後に振り返られると未熟さに赤面するのではないか、という。



最後に、まだ書きたいことがある。
韓国語などで「金」は"キム"など(ギムとかクムとか)に読まれるが、昔の日本でも「む撥音便」逆行で"キン"は"キム"と発音されていた可能性も浮上する。
もしそうでないという可能性もあるなら、「金の呉音"コン"」を"コム"と発音したか・・・
漢字の読み方が「なんとなく似てる」どころか、実際はこのように詳しい理由を述べた上で同一性をも指摘できるオレ様。
なお、韓国語でも場合によりキム等にも撥音便が生じるかもしれない。
韓国語のみならず、中国方言やベトナム語などの「南"ナム"」という発音も、かつての日本では同様に"ナム"と発音していたのではないか。
これ見た時には→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%A3%B0#.E5.AE.9F.E4.BE.8B


2015年3月3日火曜日

呉音と漢音の法則、並びに歴史的仮名遣いについて軽く調査

以前も当ブログにて呉音と漢音の区別をざっと述べたが、まだ当時勉強不足が過ぎた(罰「バチ」が呉音だと推理したが慣用音だった)ため、参考にしなくてもよい。
また、歴史的仮名遣いについても過去記事では「醤油」云々で合点がいかなかった。
今回は呉音と漢音の互換の例に漏れている場合について深く追求することにした。

「呉音の母音が"ei"で漢音の母音が"you"という」仮説を立て、小・少は共に"ショウ"で、城などは"セイ、ジョウ"で、将は"ソウ、ショウ"。
『醤油"しやうゆ"という歴史的仮名遣いは「醤」の字が「将」を音符としている為』とされているが、音符に呼応する漢音には謎の反例がある。

例えば「浄」の呉音"ジョウ"に対し、漢音の方は音符「」から"ソウ"と推理するも、なぜか"セイ"であるが、「」を音符とするなら有り得ざること。
事実「」の漢音は"ソウ"であるから、「浄」の漢音も"ソウ"であるべきなのだ。
「醤」は呉音"ソウ"漢音"ショウ"で、「状」は呉音"ジョウ"漢音"ソウ"とあべこべだったりする。



よって、定まった法則などない、が暫定的な結論となった。
勿論未だ若輩の身であるから、これらの考察は私だけの自己完結になってしまいそうだ。
もっと真理を探究したいが、無秩序に氾濫した日本語に固定的な法則はないと、この頃思えてならない。

真理とは何か・・・。
万物は絶えず変化・流転して中には道筋から逸れるものもあり、形なき物であっても総括的な法則などなく、整然とした境界に全てが収まってるという状態はあるはずもない。
これを悟ることだろうが、飽くまで真理の一端に過ぎないのだとも思う。



それでも希望の光明を見たい私。
歴史的仮名遣いについて面白いこと、断片的に見て気付いた程度だからこれが普遍法則になるかは定かではないが、「教育"けういく"」や「微笑"びせう"」は"きょう・しょう"が"きやう・しやう"ではなく"けふ・てふてふ"のように"けう・せう"と書かれる。
これは独自研究になるが「教」の音符が「孝」すなわち"かう"で、「笑」の音符が「夭」すなわち"やう"であるから、音符の音の発音が拗音ではないため"けう・せう"になるのではないか。
今日が"けふ"、蝶が"てふ"とされるのもこの上述の通り各々の音符が・・・
蝶は「枼"やう"」が音符ではあるが、今日は今・日で以て"きょう"になってる。

ここで新しい仮説だが、音符が拗音込みのものが"しやう・きやう"のようになるのであって、その他系=音符が拗音でないものやそれ自体が音符となる「小・少」などは"せう・けう"のようになる。
しかし、それなら「抄」などは「少」を音符としてるのに"せう"であるし、そもそも「少」も「小」が音符ではないのか(さあね)?
それと、「教」は「孝」が音符ではなく、旧字体・繁体字の「敎」であって、本来は「孝」という字と関係がない(新字体からの後付)ため、上の新説はこれまた私の中で論理が破綻した。
「音符がない字」という概念も、その他系に分類すべきなのだろうか?



もはや整理がつかなくなった。
やはり上のほうで簡潔に「真理」を語ったが、現状はこれに帰結するのかもしれない。
最悪、それを避けたくてしっかり結論を出したくても、まだまだ18歳の浅学で以て答えが出るものではないと思うしね。
専門のお偉いさんに聞けるならどれほど簡単に済むことか。

勉強も調査も徒労に終わったか、ただ諦念が増すに過ぎなかったか。
肩凝りをもらった、いいや別にいらないよ。
「醤油と泥鰌とお嬢」の謎を説いて真相に迫りたかっただけなんだ。

この記事は2月27日中にここまで全文書いたが、本日は他にも3000文字超の記事を書いた。
2月中はこのブログの更新が放置気味だった反動なのか。
長文記事2つの原案に加えて音楽のソフトも弄り倒してヘトヘト。
縁覚が灰身滅智するが如く、心の保養がない私もいつしか抜け殻になっちゃう。



最後におまけ、冒頭で「罰をバチと読むのは呉音読み」と誤って類推したことにちなんで、「呉音でツがチに変化する」例を羅列する。
前・後(エチゼン・エチゴ) 脈相承(ケチミャク・・・) 儀(リチギ) 屋(シチヤ)
Wiktionaryで「」や「」などを見ると、呉音の一文字目が濁音化している。

「罰"バチ"」が慣用音に対し、漢音"○ツ"の読みでは「窟・殺・執・立"クツ・サツ・シツ・リツ"」などが慣用音らしい。
死に物狂いで調べ漁っても答えは出ず仕舞いだと思わしめる酷烈さ。
某所での投稿・・・勉強に狂奔して疲労困憊してあんなことを、赦免して~



追記: 2015年8月15日

http://lesbophilia.blogspot.jp/2015/02/blog-post_6.html
こちらの記事で、中古音・上古音に関する2,000文字ほどの追記をした。
半年で、ぐっと識見が向上し知識が増加したことは喜ばしい。
醤油が"しやうゆ"でなくてはならない理由も、はっきりと知り得る。
漢字の発音を考えるには中国(普通および方言)・韓国・ベトナムの発音なども加味すべきである。


雑な記録→、歴史言語学的にも、「神"kami, kamu"」のような単語は「い」と「う」の間の別の狭母音(/ɨ/のようなもの)が古代日本語か日本祖語で用いられていたと考えられているし、後世の漢字発音で入声音や軟口蓋鼻音の閉音節に「-い, -う (e.g.  MC: set → seti, setu 現代語のsechi, setsu お節 o-sechi 節分 setsubun 當・当 MC: tang → tau, tai 現代語のtou, tai 当然 touzen 当麻寺 taima-dera")」の付加音があることなどで二面性を知る