2016年6月20日月曜日

「19歳・閑居求道者」的政治観 ~ 仏教徒はどう投票すべきか?

今月22日に公示される第24回参議院選挙では、私のようないわゆる未成年者も、18歳以上であれば投票の権利を有しているから、投票が行えるらしい。
無論、閑居求道者たる私は、投票所へ足を運ぶことが無かろう・・・。
加えて、為政者の思惑が「主権拡充(他の民主国家の水準に合わせる)」か「政治の改善(若者に政治の関心を持たせる)」どちらであるかは不明だが、政治家の愚昧さは小手先の制度改革があったところで変わることも無かろうため、私に投票の意欲は沸かない。
しかし、多くの未成年者や、元より有権者である人々が誰も当記事を熟読しないとしても、一応、私の政治観を披瀝した方が良く思っているため、少々、開陳しておく。

前置きを挟むが、誤解なく捉えていただきたい言葉は「世法即仏法*1」であり、逆に仏法も世法に還元できる「仏法即世法」は、一種の道理である。
第二次大戦後の世界(主体は国際連盟UN)が欺瞞的平和に向けて「人権尊重・民主主義・人道主義」を掲げてきたが、これは仏教の教義にも通じる「中道」や、生命の尊厳を平等に認めるよう、世界中の知的階級の総意が自然と仏教に似てくることから「世法即仏法」の実相が窺えよう。
実際、穏健で平和志向であるから、主に先進国同士の軍事衝突が起きず、70年を過ごしてきた。
無論、そんな「人権尊重・民主主義・人道主義」で「世界平和」となるには不十分である。
また、私のように仏教を学んでいれば、世間の問題や、科学的知識など、一見仏教とは無関係な方面に対しても、的確な判断や、比較的正しい見解ができる現象をもって「仏法即世法」の実相が窺えよう。

「閑居求道者」は、何事にも仏教の中道の思想や自然性・漸進主義といった思考を踏襲する。
「閑居求道者」の思想を無理やり異称で表現すれば「さすらいびと・自由人・冒険者」である。
そのような境地を、現代の議会制民主主義の文明に置き換えてみよう。



【強いて現状を変更せず・善悪を認めて執着せず】

仏教徒は政治について思い煩う必要はないし、いわゆる「無党派」を恥じずともよい。
基本的には、現体制を維持する穏健な立場で、与党(及び擁立の候補者)に投票する。
現体制のままでも、自覚があれば緩やかに状況を改善することは出来る(その理想は何であっても出来るが、程度によって困難な度合いも変わる)。
自分(及び全有権者)にとって問題と思える事態が起きれば、その時に対処すればよいし、そもそもそのような事態は、最初から起こらないものと思えばよい。
仮に問題が有って世間に発覚しない場合でも、単なる一般人が詮索せずともよい。
悪事があればいつかは公に露呈しよう(天網恢恢・疎にして漏らさず)。
広い心・無量の心をもってどの政党が与党であろうと、その善悪を認めよう(ここでいう善悪の定義は個々人の思い思いでよいが無理に定義すれば社会通念上のものを指す)。
時間と空間に渡って普遍であり、分けず隔てず。

どんな人間も政党も、完璧なものはないし、汚点はあるし、仮に今は汚点がない場合も(最初は無垢でも)いつかは汚点を作る(私的なところで既に悪事に手を回している者さえいる)。
与党の政党も野党の政党も、「完璧はない(永遠もない)」という絶対的道理には外れない。
大した善悪がないまま短命に終われば、最初から何も言えない。
正当も不正も、清浄も不浄も必ずあるわけだから、それを認める前提は必要である。
「この政党や思想では絶対にいけない」という安易な軽蔑や、「この政党や思想ならば絶対に正しい・政治や経済を改善してくれる」という過度な期待などは捨てた方がよい。
端的にいえば、潔癖思想(衛生観念)やセクト主義(派閥主義)は捨てた方がよい。

細かい長所や短所を、誇大に取り上げては悪癖となり、己の思考が歪んでしまう。
政治家は自党の宣揚のために自党の政策の長所や、与党ならば野党、野党ならば与党の短所や汚点や過誤を責めるが、それは政争と称する今の彼らの仕事の一環である。
政治家でない多くの民衆・一般人らは、殊更に支持・不支持の論拠を強調せずともよい。

無論、一般国民の間の政治議論も全くの無意味とは言わない。
インターネットでも様々な政治議論があり、ある種の「直接民主制」に通じているが、それは現代社会の一面でしかなく、ましてや仏教徒が政治の些細な問題を論っても空しい。
仏教徒は、誰彼を嫌わず、温かい目で万事、静観していればよく、よほどの事態でもない限りは心を動かさずにいるべきであろう。
例えば、因縁あってカピラ城の釈迦一族を滅ぼそうとしたコーサラ国の毘瑠璃王と軍勢に対し、釈尊が道中に座り込んで引き返す暗示をされたように泰然としつつ、3度の撤退をしてなおも毘瑠璃王の恨みが止まず、釈尊は両者の深い因縁を知ったときに彼らを強いて制止しなかったように「自然」へ随う(ちなみに両族とも釈尊の信者)。
この故事は四分律や増一阿含経など(コーサラ国王の名は琉璃王・流離王などと記載)に見る。

仏教を学んだはずが、「安倍は悪魔・アベ暴走」とかと口走る輩も多い。
そんなに安倍政権が憎く、危険と思うか?政治への不満に怒りを燃やすか?
安倍さんの10%への消費増税は、大規模な災害や金融危機などの不測の事態が起こらない限り、予定通り実行する意向を見せ、一見頑なに見えたが、熊本の大地震やG7の会合を経て再延期が発表されたよう、彼は時局に応じて腹を割る決断もできる(その良し悪しはともかく)。
政局は未だ火急の事態にあらず。



このように理解しながらも、思考放棄に陥らず、事大主義的な投票行為や、惰性の投票行為とはならないほどに思考を維持できる者は、この政治観を踏まえて投票すべきである。
どうしても、その政党の過去の汚点(所属する政治家の不祥事・可決された忌まわしい法案・外交での弱腰による失敗など)が拭いされないという潔癖思想の強い者は、好きに敵対政党を支持すればよい。

中道の境地を志す者には、よい言葉を残す。
私は仏教を信奉して禅宗は嫌うものの、禅宗などで尊ばれる「菜根譚」から紹介する。
風、疎竹に来たるも、風過ぎて竹、声を留めず (風來疎竹、風過而竹不留聲)」と。
また、中阿含経にいわく「愼みて過去を念ずること莫れ、亦た未來を願うこと勿れ。過去の事・已に滅したり、未來も復た未だ至らず (根本分別品・温泉林天經第四・跋地羅帝偈)」と。

このような無為自然・中道の境地を、今すぐでなくともよいので、学んで知らねばならない。
ゆっくりでよい、着実に堅実に、いつかは・・・、「漸進主義」である。
つまづいても虚心坦懐に反省し、努力のため立ち直ればよい(これまた難しかろうが)。

人間は正当も不正も、清浄も不浄も持ち、誤りは絶対ある反面、改善の可能性も有している。
政治家や政党であっても、過去に汚職や失敗などを重ねているが、それを隠さず、それでいて強く悔いず、素直に認めて反省と努力の改善ができるはずではないか。
もっとも、それが出来れば、の話である。

しかし、それが政治家や政党に出来ようと出来まいと過度に期待せず、また、最初から「無理に決まっている」と決めつけず、ほのかに信じてあげればよい。
こういった「甚深微妙・玄妙深絶」の境地において考えられる人々が、日本に2割くらいでもいるならば、残りは愚民のままでもよい。
賢愚の差別を認めて「」を生み出す。
ご覧の「あなた」、そう、「あなた」がまともに思考を維持できる人間であれば、その2割の賢人となるべきである。



みんなが一様に、漸進主義や中道の思想から与党に投票しても、議会制民主主義として成立しづらくなる。
邪悪なる共産党・カルト公明党(と世間に言われる)、これらも強ちに排除する必要はない
かといって盛んに支持する必要もない。
人間の禍福とは個々人の思い思いによるし、人々の中の幸福とも不幸ともいえる結果が訪れようと、もはや結果論であるから、強く原因を責めず、また強く幸福を望んでもならない。
先に引用した「愼みて過去を念ずること莫れ、亦た未來を願うこと勿れ」という中阿含経のフレーズはこの意(こころ)である、と再度説示する。

賢愚の共存は、いつか大いなる調和となって緩やかに改善に向かおうことをほのかに信じる。
そうするうちに、今まで方便として語った「民主主義」なども全て「用済み」となり、世界中に真如の法である仏法が普く流布されようことをほのかに願う。
閑居求道者の願う世界平和とは「天皇陛下の『和』による八紘一宇の政治、人類への仏教広宣流布・受持」に基づいていなくてはならない。

「乃往(そのかみ)の 大和(やまと)の心に 生きつれば 右と左の 隔ても消えつ ("ゲンダイのニホン"に対比して"いにしへのみずほ"とか"そのかみのやまと"と呼べば面白い)」
「イデオロギー上の真正中道・仏法と世法の融即イデオロギー」



ここまでは綺麗な話で続けられたが、ここからは少し細かい事例などに穿って書こうと思う。
当然、与党への投票や、自治体の首長を決める選挙の場合、与党が擁立する候補者ならみな支持すればよいわけではない。
こういった事例は、投票したければしっかりと吟味した方がよい。
それでも、よほど酷い政策や酷い思想が見られない限りは、支持の集まる候補者に投票してよいと考える。
その「酷い政策・酷い思想」の基準は、投票権を行使する者たちの判断に任す。
仏教の思想を踏襲しつつ、世間に関する知識を些かでも有していれば、自分の選んだ候補者が醜態を晒すこともなく、不本意とはならない。
そう確信すべきである。

政党の政策や方針についても、例えば憲法改正*2や外国人参政権など様々な議論がある。
これも、各自で良し悪しを吟味し、更にその政党による実現性の有無も推定して投票の判断を行えばよい。
仏教の思想を踏襲しつつ、世間に関する知識を些かでも有していれば、自分の選んだ候補者が醜態を晒すこともなく、不本意とはならない。
そう確信すべきである。

余談だが、最近、政治資金などの不正という、影の悪行が露呈した舛添都知事は、2014年の都知事選挙がある前から、不適任の印象を私は持っていた。
それが、猪瀬・前都知事の功績である2020年東京オリンピック関連に、様々な問題(ザハ案の新国立競技場撤回・アレ服装盗作・エンブレム盗作・ABCDエンブレム欺瞞選定・出来レース審査)を起こし、最後には自身の馬脚を露すという、稀に見る悲惨な東京都知事であった。
オリンピック競技会場の既存施設活用については良案だったかもしれないが(ザハ案切り捨ては別問題)、自分が豪奢でいるのに都政で倹約を求める(庶民派を気取る?)となれば、実に自己矛盾も甚だしく、認めづらい(舛添さんの政治資金問題の論点は"公私混同"だが)。
政治家は常に、遁走する手段を持って行使できる。
東京の大舞台を自ら汚し、汚職の発覚を問わず、五輪までには任期を終えて跡を濁し得る。

程度の低い話題になったが、ここでは、必ずしも与党やその候補者へ投票すれば適切であるとは言えない例を挙げて念を押したかった。
無論、個々の政党や政治家がどうなろうと、また、それらが何をしてきて政治や経済が少しばかり乱れたところで意に介する問題ではないし、私自身も容喙の意思はない。
今後の選挙などで、自分たちが投票できる候補者などがみな期待しづらい者たちであれば、否みな期待が出来ようと出来まいと、投票したければここまでの原理に倣って「強く軽蔑せず強く期待せず」投票すればよいし、そもそも意欲が沸かなければ、私のように投票しなくてもよい。

大事なことは「あれに投票して後悔した・投票に行かなくて後悔した」というように、己の判断に後悔が生じないことである。
投票を行うも行わないも、権利を行使するも放棄するも、相応の覚悟を持って判断できれば、現代に生きる在家の仏教徒として一番正しい選択であろう。



脚注 (2016年7月8日設置)
*1・・・原文は天台大師の摩訶止観の一節「若深識世法即是佛法(若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり・元は金光明経・原文未見)」であり、これを略した「世法即仏法」の形で広く用いられる。この直後には儒教の五行や五常と、仏教の五戒とを付会し、結論として、世法・外道の教え(世法薬・世間法藥)では一時的な救いしかできないと説く。やはり、後生善処は仏法に依るべきである。

禅宗系の在家信者(70歳以上)がインターネットで、この「世法即仏法」の著しい俗用をしていた。中世の日本にいた禅宗系の僧侶(半臨済・半曹洞?)の教説に倣っているようである。社会での労働が徳を積んだり、執着を断つにふさわしいとする。一理あるかもしれないが、実際にはそんな好青年や労働者など現代社会にいるであろうか?魔訶止観の原文の続きの所説に見る通り、そんな俗事一辺倒で仏道が成るはずはない。俗事一辺倒で徳を積む発想は、共産主義の「唯物教」であり、外道に過ぎる。この方は、天台大師のお言葉であることを隠し、その禅僧を専らに扱っていた。そもそも禅宗系は、戒律に背いて「作務」という農耕や労働を是認している(その作業着を作務衣といいこれも非法不如法で僧侶の衣服でない)。かかる「座禅教」は非仏教の外道に類す。中道の上では、世俗も仏道も完璧には切り離せないが、あの教説は、「正」の道である俗事に、「傍」の教えとして仏法が補助するという、本末転倒に陥っている。

日蓮大聖人が「仏法は体の如し、世間は影の如し。体曲れば影ななめなり(学会御書 992p)」と仰せのように、世法は後の話である。俗人は往々にして「煩悩即菩提」などの不二を表す仏語を俗悪に解釈し、己の三毒を肯定して仏道に背いてゆく。堕於悪道中・堕在泥梨の悪業を生む禽獣である。他の仏教教団でも「シャカイで証明」とか「シャカイがー」といったスタンスで「世法即仏法」の語を悪用する者は、所詮、社会での御利益を仏道に対して望んでいる不純な輩であろう。世法と仏法は通じ合う一面もあるが、完全なイコールではない。而二不二の義を知るべし。また日蓮大聖人は、かかる俗悪禅宗に対して「只だ不二を立てて而二を知らず謂己均仏の大慢を成せり(学会御書 489p)」とも仰せられたのである。禅宗が外道の性質を持っている点も、別の見地から「仏教には経論にはなれたるをば外道と云う(学会御書 152p)」とも仰せであり、これは「不立文字」の教義(およびナンタラ禅師の禅語だとかの語録に偏重している顛倒)を呵責している。禅宗は思い上がりの教義ばかりでまさに「謂己均仏」の増上慢・外道である。

*2・・・※後日別途記事投稿※ 無論、仏教徒には改憲とか護憲の論議自体が無用であるが、少々綴る。まず私は既成事実化している現行の日本国憲法の無理な改正を推進しないが、したい勢力が大勢ならば好きに改憲をすればよい。今の自衛隊の位置づけを正当化する範疇ならば改憲に問題はない(自民党の改正草案の全てを肯定できないため改憲の範囲に更なる議論は必要であろう)。改憲をしたからといってよほどの政権の暴走は民主主義の現代文明下で有り得ないと信じる。「護憲」の語については多義的である。「立憲主義」は都合よく用いられる。護憲とは、現存説や有効論がある大日本帝国憲法への護憲か、現行の日本国憲法への護憲かといえば、大概は後者である上に、専ら「憲法9条 (憲法第九条)」に念頭を置いているところ、偏狭な定義が多いようである。今時の立憲主義は、日本国憲法を以て不磨の大典(貞操観念)とし、なかんずく第九条を金科玉条としている。

現行憲法9条の原義である、自衛隊を含んだ完璧な武力の放棄はどうであろうか?憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは、空虚な観念論である。例えば、密林に猛獣がいないと過信してターザンのような生活を望むも、無防備・軽装のまま猛毒の蛇や蜂などに攻められかねない危険性がある(無論、回避したり彼らの攻撃性を煽らない行動を取ればよいが実際は困難を極めよう)。また、「"平和を愛する諸国民(観念偶像)"を信頼して自存自衛を決意する(取意)」とは、浄土真宗の他力本願とそっくりである。皮肉にも、「他力本願」の俗用を嫌う浄土真宗の一部僧侶が、阿弥陀如来(法蔵菩薩)の四十八願と日本国憲法が共通している、といった妄言を吐いている。こんなことでは「日本の防衛は他力本願ではいけない(取意)」という昔の閣僚の発言に抗議などできなかろう。現行の日本国憲法の立場も浄土真宗の宗旨も「他力本願」が是であろうし。

広宣流布、仏国とならないうちに、観念的な平和憲法は空理空論である。武力の放棄は最終目的であって「いつか」は「今」ではない。坊主・・・仏教徒であれば、真面目に布教し、広宣流布を遂げてから平和憲法の理想を実現すべきである。平和憲法を全否定しないが、安易な肯定もしない。率先した武力放棄による「急進的平和運動」は実現性がない。時宜に随って変化する世俗の法制度の在り方くらいで一国乃至全世界の平和の実現を願うなど、仏教徒の発想ではない。

本文中の釈尊御在世の故事(釈迦族と毘瑠璃王の話)を再度確認されたい。虐殺的な闘争も不可避であったし、いくら慈悲を以て教導しようとも、毘瑠璃王の瞋恚を制御できなかった。世界中の核軍縮はオバマ大統領の鼓舞でさえも進展が見られず(彼は実行力に欠く)、日本国で仏教の教団が形骸化する中、武力や軍備の放棄をすれば、仏法は元より世法においても日本国を根無し草と成さす。修行者の今生は、断ちがたい煩悩との付き合い方が重要な課題である。国家もまた、しばらく荒れている世界に処する上で、軍備と付き合うべきであろう。娑婆に完璧な清浄は有り得ない。過激な平和主義者は、常楽我浄の四顛倒の幻想を捨てられずにいる。

*3・・・インターネットでは様々な憶測が飛び交う。それらの例を、当記事では取らないでいた。詮索はよくない。本文の冒頭「為政者の思惑」にしても、例えば18・19歳という拡大された新有権者らは、インターネットの影響で右傾化があり(SEALDsとかいう茶番団体は虚勢)、その他は事大主義的で無知のため、けだし自民党(連立与党)に投票する、そう現政権が判断している可能性もあるといえる。しかし、そんな邪推を書くわけにはいかない。冒頭にはもっともらしく「民主主義の観点での主権拡充」か「主に若年層の政治への関心の向上」という点のみを取り上げた。

ここであえて話すと、例えば「陰謀論」はよく聞かれる。公明党と創価学会の歴史的経緯や、自民党の主要な閣僚議員が日本会議・神社本庁に所属しているという情報は客観的事実とし、中にはクリスチャン(キリスト教徒)だとかカトリック(キリスト教の一派)だとかフリーメイソン(ユダヤ系)だとかという単語との関連も挙げられている。また、集団的自衛権(安保法制・蔑称で戦争法案など)・秘密保護法・TPP・慰安婦合意などはアメリカの後ろ盾が囁かれる。その一方で、安倍首相を偏執の軍国主義者・ネオナチとも揶揄している人がいる。安倍首相一人に対してすら、特定集団の陰謀とかアメリカの使い魔とか偏執ネオナチとかと相容れない表現が当てられている。また、民主党(民進党)や共産党や社民党が中国共産党や朝鮮総連の言いなり・手先であるとはよく言われる。マスコミ(テレビ・新聞・雑誌)などは金に釣られてあっちこっちに流動していると罵られる。

みなピンキリがあり、ものによって客観的事実であるとしても、それらは基本的に排除して「中道」を考えてもらいたい。しかし、ある程度は加味して「中道」を考えてもらいたい。曖昧かと思われようが、日々に「中道」を思っていれば、理解できる日は遠くなかろう。政治家は畢竟すべて欺瞞的であり、敷衍すれば物事も全て「空」なるものと思う。しかし虚無主義や厭世思想にも陥らず、「諦らかに」物事を判断すべきである。素直な心こそが仏法の中道である。「非有非無」の判断は最も執着が無く、苦しまないながらに有益な思考である。心における無上の処世術であり、それが後生を度する功徳となるから、龍樹菩薩は中論で「若し俗諦に依らずんば第一義を得ず。第一義を得ずんば則ち涅槃をも得ず」と説かれた。



2016年6月13日月曜日

類聚(7) ~ 「詩歌」篇

*横野要文類聚 第七篇・前節*
和と申す意(こゝろ)、この國に具はれり。(開法身)
和の當體は(者)、代を歷(ふ)るところの天皇にして彼が統める國土なり。(開報身)
和の君・土、共にあるを以て、この國の古き歌をば和歌と號するなり。(開應身)
然るに當代、和に於いて心を失ひ、唯だ形ばかり殘りて和食・和服・和風なんど申すばかりあり。
※えっ、漢詩の説明は・・・



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「詩歌」である。
ここでは、形式のはっきりとした(=散文ではない)和歌から漢詩までを聚める。
和歌の形式とは、5・7・5の俳句、5・7・5・7・7の短歌、7・5・7・5・7・5・7・5の今様までが含まれる。
漢詩についても、1句を7文字とする詩や、仏教経典に擬した1句5文字の偈の2種がある。
当類聚においては、掲載要文のクオリティを鑑みて日付の降順で掲載する。






おもしろや あらおもしろや おもしろや 面おもしろや 面白き儂…2016/04/07
当記事注: 臨終において法悦を感じながら、自分の相貌が白くなっている状態に気づく。
この状態を涅槃の相とも成仏の相ともいう、仏法による辞世の句、歌。
人間としての一生に満足し、もう「おもしろ」以外には表現ができなくなった状態でもある。
「おもしろい」という一般的な形容詞と「面(おもて)が白い」という字面の意味を前半と後半で徐々に変えてゆく(発音も単に「おもしろや」ではなく「おも・しろや」という区切りを意識する)。

類聚記事の目的を外れた例は、第一篇の終盤など、すでにある。
上の歌が2016年4月7日に浮かび上がったことにより、同日に類聚7の記事の編聚を発願した。

あきらけく ざえすぐれたる ものなれど まれにあだなる しかもありなむ…2016/01/01

風に乗せらる 年の瀬に 悔いは除こる 行く年の 憂ひも消えて 巡るらむ 年の来たれる 大晦日…2015/12/31

人はみな つね無き身にて 死なむとも 成仏ばかり 尊きはなし…2015/10/25

我が日々の 永かるべきは 黒髪が 筵を撫でて 色抜けるまで…2015/10/05 
当記事注: 12月中の2度においては"我が日々は 久しかるべし 黒髪の 筵を撫でて 色抜くるまで"とあるが、意味は同10月5日の日記メモに述べている通りで同様である。


さきたまの うらわのみよを たどるなら ちよやちよなる すめらぎにすぎ…2015/08/19


ゆめつ國 湯水の如く 消ゆる金 過ぎにし方に 夢また知んぬ…2015/06/08

暮(ゆうべ)には 夢(ゆべ)をみるとも 宜(むべ)ならず…2015/06/08


ハゲアリヌイマノワタシニクラブレバ、アナタハモノノカズニアラザリ…2015/04/09


つまごひの きじのすがたは しげけれど ふけにけるとき いづくにかおはす…2015/02/27

ヤンゴトナシヤチエノモノ カロンジテオシハカリケル オソレハバカレハジシラズ クチニナダシソカレガミナ…2015/02/05

浄土の園に咲きたるは 蓮華・優曇華・曼珠沙華 あな曼陀羅華咲きにけり はるばる西のエウトピア…2015/02/02

こーくぉでおーおたーがも~もとせめぇ~ と~おっくま~みえーしあ~だが~たき~ おぉめおぉめの~がしーてなーるもぉのかぁ~ く~びはーねせっしめぇ~たーてまっつれ~…2015/02/02


虚しかる 我が慈しみ 誰が為ぞ…2015/01/25

いたづらに 命は死なん いづちへと…2015/01/22

のぞみしは ながぬばたまの こいしかみ…2015/01/20

どしがたく かいしがたかる うきよにて もちたるゆめは あぶくのごとし…2015/01/20 (同日記事)

みのらずに からゆわかばは またもゆる つよきみさおを かかえのぶらむ…2015/01/16

すめらぎの よもにあまねし おほみいつ かたきしとねに ふせておもひぬ…2015/01/11

1. 神の力を 仰がたる 時こそまさに 神は笑め 尊き御名を 称えれば 無上の才を 授からん 2. アマデウス殉じ 喜ぶは 神の殺めを 受けし故 アマデウスの死を 弔わば 誓いの心 固まりき 3. 不退転なる 信鋼を 身命惜しまぬ 練鋼を 汝鋼道 本懐たれ 汝鋼道 本懐たれ…2014/12/31

ご威光ぞ ここに普く 輝けり (or輝ける)…2014/12/06

高師の名 普く渥美に 轟けり…2014/12/03
当記事注: 「高師の名」が、なぜ「普く渥美に轟」いていたかは、リンク先の記事の話題の当該記述付近の説明の通りであるが、2016年4月29日は「高師(たかし)」に相当する名前が倭名類聚抄に載っていることを知った。訓読みの漢字表記が「高蘆(たかし、高天原"たかまヶはら"のように"あ"の連続を省くか。後に高足)」で、漢字音写は「多加之(たかし)」である。同書では渥美郡に属す。意外と由緒がある名前であった。「高蘆」を冠する神社もある。当該記述の話題は「高師原」だが、「高蘆原・高芦原」と表記を変えると、付近の「芦原」の地名は「高師」から副次的に生じたものと考えてよいように思った。

召喚詠唱「五濁悪世より離れ、寂光の園を築き給うた主の御稜威ぞ、此處に普く輝きぬ!」 "Veni Creator Spiritus!!"…2014/11/30
当記事注: 日本語として5モーラや7モーラを基準に構成されるが、「五濁悪世」という漢語は2モーラ化して読んでみてもよい。ラテン語"Ve-ni Cre-a-tor Spi-ri-tus"は8音節であり、標準的な西洋古典詩のリズムを構成するが、この一節だけでは歌として不足があるかもしれない。意欲的な詩人は、是非とも日本語とラテン語を融合した詩を考案されたい。

辜の無き 愛子を疎み 飢ゑせしむ…2014/10/16

摘むほど 滴り落ちる 油かな…2014/10/09

須臾にして 欠けたる月を こひねがふ…2014/10/08

謗るまじ 譬へメタルに 飽きたとて 汝メタルに 背かば死なむ・・・2014/10/04





一點之禿在頭頂 (一点之禿在头顶)

熟瞻網有數議場、雜談・諍論・罵詈席。不分長短於彼中、在何処須恐思離。…2016/06/04

当記事注: 2016年5月17日の日記メモの擬古文の意味を七字四句の漢詩で詠んだ。一句に七字で四句詠むことは過去に一度もなかった。七字四句という、フルバージョンの漢詩(七言絶句というそう)を一度でも詠んでおきたかった。なお、件の日記メモにもある通り、インターネットの話題であるから、三文字目の「網」とはインターネット(簡体字: 网)を意味している。ところで、上の詩を読んで間もなく、漢詩は韻を踏まねばならないという認識を持った。近代以降はこの傾向があるらしい。上掲の詩も以下からの詩も、韻を踏むことは何ら考えなかったのでショックである。まあ、やりたいようにやろう。「近代」というからには、古い日本・中国の漢詩はさほど韻を踏んでいない。あと、仏教の偈も。また、「平仄」なるものまで気にすると、制約が凄まじい上に、平仄は1000年以上前の韻と明・清などの韻と現代の韻などで差があり、参考にすべき韻書も定かでない(佩文詩韻が推奨されるか?)。平仄にこだわる人以外は差し置いてよい。

勇躍足自到長安、頓天竺羅馬亦近。(勇躍の足、自ずから長安に到る、頓に天竺へ、亦た羅馬も近し)…2016/03/31

一點之禿在頭頂 (上掲の"求道相"とはその"禿"の箇所を指す)…2016/03/25 (上掲の絵を描いた日と同時に考案)

若有未得人 見如是画像 顕理論画像 速到高次理 (若し未だ得ざる人有って是の如き画像・理論を顕せる画像を見るに、速やかに高次の理に到らん)…2016/02/15

PC即是應身故、願無障礙於我道。(PCは即ち是れ應身の故に、願はくは我が道に於いて障礙無からんことを)…2016/02/11

髙德依機人 柔軟説方便 母両舌翻弄 是如魔惱亂…2015/12/22

豈謂妙髪驟燋燃 (豈、妙髪驟かに燋燃すと謂う)…2015/12/XX (推定時期、肉筆、"燋、ショウ"は環境依存文字)

雖昇天界即歓喜 而或人言非可悦 (天界に昇りて即ち歓喜すと雖も、而も或る人"悦ぶ可きに非ず"と言ふ)…2015/11/XX (推定時期、未完成未公開楽曲の印象フレーズ)

世濁悪強盛 著根本無明 於是如夜永 有人見月星 不得遊戯処 久受大苦悩 而識少真理 則入安穏道…2015/10/17

無因無策無禍根 (因無し策無し禍根無し)…2015/08/22 (日記メモ・過去記事に幾度と引用)

前無礙・傍若無人 (前に礙無く、傍らに人無きが若し)…2015/06/07


不爲實於無根草 我亦如是而自戒…2015/06/10 (この二句版自体は2015/12/19)

当記事注: 母親がどうしようもなく「残念な人」であることを示す際に詠んだ詩であるが、それは父親も同じように「残念な人」である。一応、親や先祖には日本に生まれ育ち命を繋いだ功労・恩恵に感謝をするものの、両親への尊敬など誰ができようか?その末裔であり、子たる私もまた「残念な人」であるに違いなく、夫婦も親子も不二の状態であるという東洋の思想から「我亦如是」と続ける。しかし、その東洋の思想の理解はそこに留まらず、愚物の親あってその子であるからこそ、自戒する心を持って努力しようと謳っている。これこそ、仏教徒の姿勢ではないか。他人がクズならば自分もクズである。その自覚があるからこそ、成仏や往生や涅槃など、いわゆる「解脱」という境地を目指す努力を仏教徒は行う。同じクズ=全人類=凡夫でも、自覚のあるクズは一歩進んでいる。



追記: 2017年8月5日
「萌えの典籍」全般に、和歌(数種類)・漢詩が読まれる。
漢詩の押韻などのこだわりは、「萌え話・萌え歌・萌詩"The Moetries"」の記事に表れる。
六首版の萌え和讃では、語調の良さはもちろん、上代日本語ライクな二重母音省略による字余り回避を用いるというこだわりが見られる。



追記: 2017年11月16日
前節の"※"を受け、漢詩の説明を少し書いた(通俗語源説っぽく書いた)。
漢は是れ大人の義なり、梵語には摩訶"mahat"と爲し、又た毘訶"bṛhat"と爲す。
詩は是れ迦尾也"kāvya"と云はば、漢詩を名づけて摩訶迦毘也"Mahākāvya"と爲す。
梵語・天竺・印度偈は婆羅賀摩"Brahma"化して毘訶迦毘也"Bṛhākāvya (類推)"なるべし。

・・・、私は梵語もといサンスクリットの偈(8音節・4句)を2017年10月25日に1つ作った。
仮のページ(http://testing-design.techblog.jp/archives/29133059.html)に公開してある。
Aprameyā sarvadharmāḥ, kimaṅga punaḥ me muniḥ |
lokāvidyāṃ hi rājati, tasmād anuttara nāmaḥ ||
(ストーリの終盤における偈) 「一切は量る可から不るなり・何に況や我が大聖をや・遍く世の無明なるを照らしたまう・是の故に無上なりと名く」

2016年6月2日木曜日

Google+ 2016年5月中の日記メモ

当月の日記メモの見どころは、弟の風邪(6日メモ)の後に私も似たような体調不良(7日メモ)を起こし、更にキッチンをはじめとした1階で大きいクモが出没(13日メモ)するなど、いずれも5月としては考えづらい現象が1週間のうちに相次いだ期間であろう。
なお、弟の風邪は2014-15年の冬季から、私は慢性的なものと見ていた。
過去記事に「(2015年)2月のいつより (中略) さながら豚の啜り泣き」とあるほか、7月29日メモには夏風邪と生活習慣についても記録している。

鼻詰まりやくしゃみが私よりずっと多い弟であるが、強い体調不良を起こすことはほぼ無かった。
それで当月は、授業日である10日に欠席したり、運動会の振替休日である23日、病院へ診察を受けに行った(後者は処方薬の追加が目的であろう)。
弟の耳鼻科への来訪は、過去の日記メモだと8月1824日9月8日などがある。

メモ記入日の一覧
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2016/05/01

本日1日は2:10の第一アラームで目覚め、2:26の第3アラーム後の2時27分に起床した。朝食は4月25日に購入された鶏卵の1個を使って卵かけごはんとし、炊飯はしない。この卵となり、は10個で1パック前日までキッチンに7個あったものの、昨夕の母の料理であるお好み焼き(弟の4月27日発言関連)に4個が消費された。

3時を過ぎるころには朝食を食べ終わったが、その後の勉強でPCの画面をにらめっこしていると、恥ずかしいことに、ある項目まで読み進めてから両手を後頭部に重ねて寝倒れた。30分ほどして頓に意識を取り戻すも、挟まれた手は痺れ、腕も影響を受けて痺れるのみならず、頼りなく力が抜けた。最近の寝足りない日々によって眠気が蓄積されたとしても、何とか惰眠の睡魔を耐え忍んで勉強や活動関連の作業に徹さねばならない、と反省する。

14時40分、本日9時ころに飲んだ下剤1錠による便意が高まり、腸の内から押される苦しみさえ起き、トイレに入った。前回の排便は一昨日4月28日である。今回はやや軟らかめの段階まで出した。18時47分から、先ほどとは異質の腹痛の強まりと便意のため、トイレに入った。この痛み自体は17時台の食事から続いていた。その食事では酸性の強いスープに後から牛乳を加えて飲んだ。今回の排便は最初に「カパパッ!」と音を立てて普通の糞と同時に多くの下痢水が出た。その後も下痢が出てきた。

当記事注: いきなり汚い話題であるが、日記メモとは、このように忌憚なく生活状況を綴る趣旨がある。それは例月の通りだが、排便に関しては先月に続いて快便な方であり、たまたまこの日は下剤(コーラック系)を使っていたが、当月で後の下剤服用日は5月20日のみである。



2016/05/02


本日は0時10分台に一度目覚め、それから睡眠と覚醒の中間で意識がさまよい続けたが、2:20の第二アラームで正気を取り戻したため、2時24分に起床した。5時過ぎから風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時50分過ぎに自室へ帰った。本日はGWを分断する普通の月曜日であるから、弟は当然登校日であり、これに合わせて機を早めて始め、行為を速めて終えた。どんな状況であれ、最近はあらゆる行為・所作が略式・粗略であるように思っている。結果的に今朝は、先月下旬に相次いだ母親の空回りな起床の早さ(6時台のニュース番組にこだわっていたが理由は不明)もなく、6時49分になって初めて弟が1階へ降りてきた。

9時半前にテレビを見ている母親は「すごい紋別ねぇ、酪農は盛んじゃないよ、カラスが攻撃的でねぇ、紋別ねぇ、紋別ねぇ」と迷い狂ったようにボソボソと呟いていた。放送されている内容への反応だが、その内容は長崎でカラス数羽が傷ついた牛の傷口に攻撃し続ける映像が撮られたとか、同様の被害が各地に見られるとして紋別が引き合いに出されたことがナレーションから聞き取る。2007年4月から2008年半ばまで紋別に住んでいた母親は知りたりげに(事情通ぶって)独り言をした。日記メモでこんな記録をする必要もなければ、母親のテレビに対する反応であっても、より異常な様子でも記録しないことは多い。異常な様子とは、ひどく大笑いしてから間もなくテレビを消すなど極端なものなどがあるが、今回はあえてこのような様子を記録する。

11時50分ころ、どこからともなく「ヘェェシュッ!ヘェェシュッ!」と昭和のヤンキーじみたくしゃみが2連発で聞こえたが、これは聞き覚えがある。更に、今は窓が開いているため音の発生源も特定できた。変な作業所かI家か、よほどデカい場合は或る集合住宅の方向に発生源があろうに、今の時間帯はI家の男性(40代ほど・外見に関しては2012年動画説明文に触れ過去記事にも語る)が車に出入りする。様子を窺うと、やはり1分以内にI家の敷地から車のドアを開閉する音を立ったため、けだしこのI家の男性が発したくしゃみである。あのぶt・・・容姿だと少し想像できない声だが、車の音も比較的新しい割に減速時はキィキィと音が立ったりするし、排気ガスも気になるため、それまで料理や食事の関係で開放していた窓を閉めた。あまり書いては悪いが、汚物に蓋をする思いで疎んじている。

12時16分、前日夕に母が弟へ「明日11時ころ迎えに行く」という旨の言葉が聞かれたが、今は母が外出し、私へ洗濯機の洗濯物を干すよう指示した。今朝の風呂(シャワシャン)も、前日から天気と母の発言を鑑みた計画的な行動である。母親の外出状況次第では自分で洗濯をするつもりでいただけに、今回は母親が、先にやる分をやったようである(乾きづらいスウェットなど)。豊川特別支援学校でPTAを頑張っていると力説する母親だが、今日は弟の防災訓練の日であり、PTAとしてどんな行動をするかは不明である。12時19分に母親の発車を確認したため、早速作業に入ったが、私が風呂(シャワシャン)時に出した靴下のうち、片足しか見当たらない。私が出し損ねることは過去にあったが、今回は母親が別々に洗濯をしていたためであり、2階バルコニーに干し出した際、無事にもう片足が干されている状態を確認した。それから自室の掃除を30分以上に渡って行った。

当記事注: 2016年7月11日、「昭和のヤンキーじみたくしゃみ」が普段と違って家の前に通りから聞こえてきた。見れば、I家の高齢女性らしい装いの低身長の人が歩いていた。くしゃみの正体はI家の高齢女性と見て間違いはない。なお、ここでわざわざ書き直そうと思わないが、車のキィキィ音に関しては6月6日から23日まで車検か何かのため、当該車両がI家に無い期間があった。これでキィキィ音など直ることもなく、7月4日にはI家の男性が、こちらにカッパなような禿頭を向けながら、車の点検らしき作業をしていた。



2016/05/03

本日は4時29分に目覚めの時刻確認をしたが、それ以前の段階でも寝相を変えたり、腕を動かすなどの動作は続けていた。本日の目覚めが遅い理由は、携帯電話のアラーム設定を解除して耳栓を着けて寝ることを試したためであるが、以前には2時台や2時前に起きることもある(2月28日など)。4時32分に起床した。

11時10分ころから微弱な便意でも排便しようと、トイレに入った。それまでは大量のぬるま湯や、ぬるま湯に牛乳を加えた液体を飲むことがあった。トイレでは5分以上かかってから中サイズの硬めの糞を一つひり出した。母親の日々の喜びはTV鑑賞(テレビ視聴)にあり、同時に至上の喜びもまたTV鑑賞にある。母親が趣味とするところもTV鑑賞に最も望んでいるところである。TV画面に映し出され、スピーカーに出力された情報に笑い、嘆き、怒り、考えるなどの感情や行為が母親に生まれる。

15時台、弟と母が衣替え・体温調節に関連して言い争った。前々日の弟は暖かい中で黒いタートルネックの黒い長袖シャツ(前日に私が干し出した洗濯物にも含まれる)を着ていった一方、本日の4時間ほどの外出では涼しい中で半袖を着ていったそうである。この午後はなかなか女児の往来が多く、14時台はコンビニが目的と思われる徒歩女児3人1組(ややペルー人っぽい顔の子・黒髪セミロングの子・茶髪ポニーテルの子)の行き来を見たほか、それより少し学年が上に見える自転車女児2人1組も見たが、「カリンが~」「かりんってあのミヤシタ?宮下ってさぁ」といった会話をしていた。仮に同級生(か同学年)女児に対する話題ならば、苗字で呼び捨てにするとは、少し恐ろしい。この午後は曇ながら明るくも、次第に暗くなっている。前日や前々日から雨の予報は気にかけていたが今から本格化している。風も強まってきた。



2016/05/04

日付が変わるより前から雨風が強いようである。当然私の就寝はいつも通りの時間帯であり、前日は21時までには入眠したと思われる。一度はっきり目覚めた時刻は23時57分だが、あんまり風が強くて音が大きいため、恐らく23時台は意識が薄らと続いたであろう。2時23分に起床した。ふすまの向こうのリビングに見える弟は、ラーメンのどんぶりでご飯を食べている。

5時台と8時10分台にそれぞれ1回ずつ排便トイレをしたが、後者の8時10分台の時には春らしくかすんだ晴天が広がっていた。10時10分台、1階でテレビを付けていた母親が能天気な調子で弟を1階に呼びつけて変な話題を振ったり、2階に場所が移ってから何かの作業を始めて弟に「来ないで!」と突き放すように言い、母親の野暮用に付き合わされた弟は「脚を細くする動画見ていたのに何で邪魔するんだよ!」と激昂して威嚇するなど、その後も2人の口調がいつも通りとげとげしくなり、会話の内容も暴力がどうの小遣いがどうの、と変容した。中断してからの10時30分台に弟は「(母親は)怪獣のエサ・北朝鮮の餌食になって・死刑になって」と言ったほか、2階に1人でいるときは「トルコと日本とブラジルとパラオでキューバとインドを・・・」と呟いていたが、国名の羅列で意味するところは、判断が不能である。

11時30分台に思った、関係ないメモ→母親は直すべきところを指摘されても、それが普通のことだと思い込むから頑なに拒む。普通か否かの価値判断を除いて人に言われた旨を受け入れる寛大さもない。元々、恣意的でご都合主義的な価値判断をする人間にはそんな協調性も無かろうが。だから、賢い者はそんな人間にあえてアレコレと指図しても気苦労を負うに過ぎない結果を覚って口を噤む。私も大人しく母の振る舞いには隠忍自重に徹して賢い者でありたい反面、そのように閉口したままでも仁義に悖るようではないか、と二律背反に悩み続ける。正さるべきの正されむを願うほかない。

13時40分台、便意が微弱ながら、10分ほどのサマタ・パヴァーナ(排便のための精神集中)によって中サイズ一本糞をひり出すに至った。トイレを出た後は母親が2階から1階に降りてきて1階を移動するにも、ドアをガチャーン!と閉め、スリッパを履いた足音をバタバタと立てた。私は母親の猪突猛進を回避した。

4日 当記事注: 弟の発言はいつ聞いても面白いし、空虚なようにも思う。5月5日10時台は2階で2人が少し揉めた後、弟が1階に降りてきて母親の料理に関するいつもの呟きとして「下水道の水・金属味・木くずみたいにダメな味・お茶碗の粘土みたい」と譬えていた。



2016/05/05

本日は2時32分に起床した。2階のトイレに誰かが長居している様子だが、私はリビングに出ると異様な暖かみを覚えた。キッチンの小型の電波時計(母親はなぜか3台も置いている)は温度も湿度も測れるが、これによると25度だという。絶対数として信頼できずとも、普段だと21度ほどなわけだから、相対的には温度変化の参考とできる。実際に普段より暖かいはずだが、私は何となく寒く感じた。これは自室でPCを利用する間に具体的な実感をした。やや震えが発生したが、冬の間でもそう発生しないように思う。冷え・悪寒の類であれば不思議に思う。そして、手を見れば、冷えているときらしい血の巡りの悪さを見取る。薄暗い茶色は、極端に言えば死体のようである。

3時台から2日ぶりのコーヒーを飲み始め、4時台には便意が強まり、水っぽさを含んだ普通の糞をササッと排出した。5時10分台、I家のポストに投函する余所のBBAが我が家の前に停車したが、車は黒い普通車でナンバープレートの情報は「当地 501 は ゾロ目2文字1組」であった。5時半ころから、珍しく大声で歌いまくった。歌詞もない楽曲のフレーズをひたすら声にして叫んだり、楽曲と関係のないグロウルを突っ込んだ。ついでに録音もして既存の音声にミックスすることもした。それまで、空腹状態のために、水を飲むと気持ち悪くなって多くは飲み込みづらかったが、これらの行為で何も食べずとも水を飲み込みやすくなった。

8時0分ころ、小便をしてトイレから出て部屋に戻ったタイミングに、リビングで髪を乾かしながらテレビを見ている母親に呼び出された。用件は、「昨日スパゲティを作って食べたか」との質問であり、あの流し台の状況は母親が作って食わせたものかと思ったが、スパゲティの皿が1つだけしか流し台や乾燥のカゴに出てない状態に違和感を持ったのみである。どうも夜中に弟が一人で調理して食べたようである。私は簡潔に母親の問いに答え続け、必要以上の言葉を慎んで終えた。昨日に続いてこんなメモ→「智者・賢者は口を慎みます。摩擦を起こさぬ処世術であります。しかし聖人は、たとえどんな結果となろうとも正義を貫き給います。しかも大概は良い結果となりますし、悪い結果であっても気高くございます。聖人の御振舞は是の如しと雖も、況や日蓮大聖人は加之(しかのみならず)、生涯に多大なる御事跡をあそばされたのでありまするから、大の字を聖人の頭に著けて固有名詞となりましょう。大聖人と名づくるは日蓮御一人のみでございます」

8時20分に母は突然2階へ上がって弟の部屋ノックし、スパゲティ云々ではなくゴミ袋云々と問うていた。そのゴミ袋云々のせいで目にビニール袋が当たったと言い、不機嫌な経験による怒りを爆発させていた。その中で「○ちゃん(私)に聞いたら×ちゃん(弟)だって言っていたよ!」ととんでもない言い方をしていたが、母親がよくする言い回しで、人の非を責めるときに他人の言葉に自分の怨念を込めて歪めた主張(我田引水)をする。誤解の無きように告げるよう願いたく、悪癖を直されたい。先ほどのメモや昨日のメモを書いた私は、流石に聖人の勇姿を仰いでいるわけだから、言うべきことは言い、知らすべき旨を告げんと奮起した。母親がどう曲解したり反発しようがそれ以上争わず、意味だけ訴える。母親は水を差された思いから、怒りの矛先を私に変えてアレコレ暴言を続けた。

8時28分になって再度不満をぶつけられ、「邪魔ばっか・ややこしくしないで・叱れなかった」と激昂していたが、母親の主張に対して穏便・丁重に反論した。そうして母親が窮してきたころ、本旨とは別件であるゴミ袋の問題を説明したがってきて何度もキッチンに出てくるよう求められたので、応じてあげることにした。弟がスパゲティを調理する際にゴミ袋の扱いに問題があったそうで、これを直す過程で母の目にビニール袋が当たったという。また、今年度より当地が燃やすゴミのみ市の指定ゴミ袋制に変わったことに関連する話もされたが、元々自分で分別し、燃やすゴミは小さい袋だから独自で出さずにキッチンの大きいゴミ袋に混ぜていることを伝えつつ、10Lサイズの指定ゴミ袋を受け取った。聖人の振る舞いを体験した。

10時55分に母が買い出しのため発車した。予定にあったスキャン行為を行うが、方法に3つの案があり、Windows 10機を持ち運んで10機で初のスキャンを行うか、Win7機でいつも通り行うか、スキャナ兼プリンタを自室に持ち運んで10機で初のスキャンを行う、といったものである。実際に2階に手ぶらで行ってプリンタの重さを調べると、運ぶに問題はなかったが、2階の状況はおかしい。弟がトイレに長居しているばかりか、様子を窺うと2度水を流してドアを開けたままトイレを離れない。5分ほどその場に居留まってようやく弟はトイレから離れるも、何を思ったか私がいる母親の部屋に入ってきた。以下は略す。こうして自室にプリンタを持ち運んで10機で初スキャンを行う。

12時30分前に母親が帰宅したが、最初は車の音に気付けなかった。20時台、それまでは勉強したり某所への文章投稿をしたりと続けたが、ここで夕方ころから自室の片手鍋に張ったままの水を処理しようと思った。私はこれを飲み干すことで処理した。まずいといえばまずいが、風味はフルーティである。これが最も不気味な要素である。



2016/05/06

本日は2:10の第一アラームで目が覚めたが、本当はアラームが鳴っても無視して寝続ける気でいた。実際にこの時は耳栓も着けていたが、結局は目覚めるばかりか、再度眠る気にもならない。他のアラームは全て解除し、10分ほど横臥して思考した後に起床した。前日は、当日のメモにも書かれる通りに勉強・執筆作業のほか、それまでは絵の作業が続いていたために疲れと腰痛が重なったが、今朝は少し名残がある程度で、それ以上に筋肉痛などは生じていないし、肉体的な疲労感や倦怠感もない。気持ちだけは、短い睡眠時間に対して気だるく思った。なお、前日は21時30分ころにマイクロファイバーの毛布を畳んで片付け、次の冬ころまでしまっておく。

7時2分に私が、2階の2人の動きのない様子から風呂(シャワシャン)を始めようと思ったところ、途端に初めて2階で母親の動きがあった。部屋の弟に7時である旨を告げていたが、弟は学校を休みたい旨を母に返していた。こういう時、母親は何ら反発したり詰問せずにスンナリと了承する。誰が学校に登校しようとしまいと勝手のことであるが、母親はドア越しの会話のみで信じることは、感受性の低い人間がやれば以心伝心ではなくただの盲信である。弟は1階に降りながら「食事が入んない(喉を通らない)・ゲボが出そう」と言っていた。五月病なのかGW体調崩しなのか、不可解な現象である(5月3日の弟の外出時の服装の件との関連性はどうか)。私の風呂(シャワシャン)予定は明日の5時台に延ばし、先に4時台はコーヒー1杯を飲もうと思う。

10時41分に母親が徒歩で外出した。13時前に母親が帰宅した。弟は母親不在の間もずっと彼の部屋の中で謹慎、正しくは安静の状態でいた。帰宅後の母親は弟に「歯医者に行った」と話した。



2016/05/07

本日はいつ目覚めたか不明だが、1度目覚めてから携帯電話の操作をした感覚がある。意識が整った頃にもう一度携帯電話を開くと2時24分であったが、第一アラーム以外は"OFF"設定、解除状態である。手動で解除したものだと思えばそれで終わる話だが、違和感が払拭できない。2:10の第一アラームが鳴った記憶もないが、とりあえず間もなく起床した。

前日、学校を休んで食事もあまり取らなかった弟が、本日は3時台にトイレ、5時前に1階で何らかの食事か水分を補給をした後、私が朝の勤行を行っている5時10分台から風呂に入り始めた様子である。前日に延期となった私の風呂(シャワシャン)の予定が、また少しだけ先延ばしとなる。5時50分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時40分ころには自室へ帰った。

9時22分、水や調味料などの調達に関連して立ち上がり、ケトルや料理の入った鍋などを手にしたまま自室のドアを開けた途端、何の前触れもなく母親が1階に降りてきてリビングのカーテンだけを開けて2階に上がる。それから1分以内でまた降りてきて間もなくまた2階へ上がる異常な行動が見られた。今まで何の動きも見せなかった人間が私の行動を妨げようと動き出し、それで何時間でも1階に居座ればよいものを、意味のない上り下りを2度繰り返すだけである。

14時過ぎ、母親が2階で弟を1階へ誘った。弟への用件は、弟がいつの間にか食べた納豆(母親の炊いたご飯の余りがありながら納豆のみを食べたそう)の始末に関する注意である。弟は母からの注意が続くごとに怒りを蓄積させ、声を荒げるのみならず、破壊行為に出た様子であり、母親もいつも以上に狂った声を上げた。ガスのパネルだとか水道の蛇口だとかを壊された、と母親が叫んだ(後に調べるもそんな形跡はないから例の誇張・大仰な形容か)。2015年8月27日の草むしり闘争を思い起こした母は「あそこ(風呂の折れ戸の樹脂製の窓)も壊されたの、大工さんが直したんだよ!」と放言していた。関係のない弟の学校の話題を持ち出したり、いつも通り、子供は要らないだのという世迷言が始まる。

まさに親子喧嘩の本質を観ずべし。互いに相手を悪だ、と罪の擦り付けをするが、この種の争い事は表面的に子供が悪くとも、大概は親の教育や人格などに根本的な悪がある。しかし、この一体性を知らない者たちは水掛け論に終始する。常日頃、みな反省と努力を心掛ければ、仮に問題が生じても円満に収まるが、問題において対峙する片方だけにその高尚な精神性が備わっていても不足であるから、そうはなりがたい。ましてや生来悪魔のごとき性質が染みついた母親と、知的障害を抱えた弟には改善が困難である。ことに母親の異常性について類聚2所載の要文などで察しがつこうが、ここで要旨を言うと、自分がどう誤っているか考えないばかりか、そもそも誤りのない指導をする無謬の人格者などという前提が一分だに覆らない。

14時40分前、ピッと下痢を漏らしたようだが、わずかな水分が肛門の周囲に付着したのみで、パンツやスウェットに被害はなかった。トイレで少量の下痢を絞り出した。近頃は、24時間以内に下剤を飲んでいない状態でこのような事態が起きている(4月29日メモ)。今回は3時台に作った味噌がゆ(数度具材を加えて加熱してきた)に腹を壊す原因があったろう。ほのかな腹痛に加え、ガスの発生などの腸の活動が著しかったため、警戒はしていたが、こういった中途半端な問題が生じている。くれぐれも下痢は止してほしい。

17時前から食欲のない状態に気付いた。これも先の軽度な下痢に連なる食中毒の症状であろうか。前日の弟のような風邪(母の説)とは言い難い。17時10分ころから危険な感覚のため、トイレでチョビ下痢を排出してきた。17時20分ころから試しにシリアルを食べた。食べる前は気分が乗ったが、食後は吐き気が強まった。5月5・6日は色々と疲れるような作業(デスクワーク系)に打ち込んできたが、睡眠時間は普段よりも短いままである。5月5日の入眠は21時ころ、5月6日の入眠も21時ころであろうが、起床時間は両日の翌日の日記メモに記録されるとおりであり、疲れに対して5時間程度の睡眠しか取れていない日が重なって免疫力が低下し、悪い食事(煮足りない肉・野菜)の影響が出た、と適当な所見を垂れる。反省と努力である、心身を戒めてこういった現象は予防したい。時間と共に吐き気が強まる中、続けている作業を止めず、リビングに母がいても夕の勤行をあげるなど、安静にせず己に鞭を打つ。寝る時間は例の通り19時以降であるから、それまでは闘うしかない。19時過ぎに下痢の排出に赴いたが、先の2度より多く出た。下痢の排出と同時にもらい吐き(もらい泣きの類推ならば誤用)をしそうであるが、嘔吐行為自体は2012年1月13日の大量下血ですらせずに済んだ以上、今後も平気だと思いたい。



2016/05/08

本日は0時台には意識があったようで、時刻確認をした時は0時36分であった。耳栓をしてアラーム設定を解除して寝たというのに、実際には嫌でも意識がついてしまうから、1時台も2時台も意識がはっきりとあって携帯電話を幾度と覗きつつ、ずっと横臥してきた。尿意を常に感じていた。3時過ぎに起床の決意ができたため、漸く起床に至る。まずPCを起動するにも、座って待つ間が実に苦しい。胴体に筒が埋め込まれたような苦しみがある。サインイン画面でパスワードを入力し終えればトイレに向かうも、立つ・歩く・着座がまた苦しい。ともあれ、寝ている間も起きてからも、苦しみばかりあって一線を越えた被害(嘔吐・下痢・小便漏らしなど)が無く済んでいる点には、一安心という。喉が渇いており、多少の水分を飲む程度は難が無い。

これまでの他の症状として、ほのかな火照り・額の熱・軽度な鼻詰まりがある。5時前まで幾度と雑魚寝をした。勤行は今朝も行ったが、唱題の回数は普段より著しく減らした。読経の息継ぎは多い。読む速さが速くても読み間違えない。軽度な鼻詰まりは問題とならない。6時30分ころから便意のためにトイレへ行き、一本糞とオマケをひり出した。まだ出そうだが、一旦出るとそこで終わりの時も多い。

前日夕のシリアル1杯以降は本日12時まで、専ら水分と微量の菓子のみを取ってきた。一連の異常に関する影響を与えたと思われる要素は、5月7日の風呂(シャワシャン)か、5月7日12時に今年初めて着た黄ばみ肌着か、5月6日の弟の病気(風邪)が少し移ったなどを考えるが、いずれもどう複合しようと大した影響はなかろう。前日メモに味噌がゆ云々とあるが、その記述に加えれば、最初の段階で糸を口内で吸い取った納豆2パック分を使った。この納豆2パックは当日が賞味期限の日であるから、これも原因の一端と言えなくはないが、大した影響はあり得ないと見る。でもまあ、普段ではしないことを複数してきたのだから、やはり複合的要因の結果だと思うしかない。



2016/05/09

本日は2:10の第一アラームで目覚めた・・・このような書き方は久々に思う。携帯電話のアラームであるから、何らかのボタンで停止するものだが、停止した後に画面を伏せるため、終了ボタンを押しても他のあらゆるボタンを押しても、なぜか効かなかった。10秒ほど待って再度押しなおすと、普通に効いた。こういう異常も稀にあるのだろうか。2:20の第二アラームの後、2時22分に起床した。

5月7日の夕以来の病状はほとんど回復してきたようだし、今朝はご飯などを食べても問題がなかろう。そう判断し、前日からの炊飯予定を実行した。前日から確認していた通り、残りの米が3合あるかないか、といった僅かな量である。母親で米といえば、先月は幾度と書いてきたが、米をあまり買いたがらない雰囲気であるばかりか(当該月5日メモに詳述)、スパゲティを買いだめして米なきがままに納豆を買った母自身を自虐したり、粉チーズは切らしたまま、その次の買い物で2本も買い足したりする(当該月11日メモの記録)のだから、いかに顛倒した感覚の人間か知り得よう。それで、今朝は納豆1パックと、保管ご飯0.6合分のうち5分の2程度を食べるに留めた。元々食が細いとはいえ、この少量で一時的な満足はある。だからこそ、少し時間が経つと空腹感がある。

4時10分過ぎからゴミ出し・自販機通いの外出を始めた。ゴミ集積場には既にいくらかゴミ袋が集まっていたものの、例の如くゼリー飲料のパックなど、回収対象とは無関係で小さいゴミをポツンと捨てる不届き者もいた。自販機Aに近づくと、売り切れのマークの妖しげな赤い光が大量に見えてきて異様であったが、脇のゴミ箱も大量にペットボトルや空き缶が溢れている有様で、邪魔な蓋は外されていた。写真を撮りたかったが、あいにく携帯電話を持参していない。隣の自販機Bは別の業者が納入するものだから、人気商品1種が2列分売り切れるのみであったため、予定通りに目当ての品を1つ購入した。自販機Cでも、GWの影響で子供に人気そうな商品は売り切れていたが、目当ての品は無事なので予定通りに購入した。いずれも、出した小銭や紙幣の分はしっかりと小銭が下された。前回、お金を使った日が4月26日とあり、2週間ぶりとなる。



2016/05/10

本日も2:10の第一アラームで目覚めたが、複数のアラームを経て第四アラームの2:40以後である2時44分に起床した。今朝は、前日以来の予定でスパゲティを茹で、まだ残っている豚肉・もやしなどと和えて焼いたりもしたが、料理中やその前後には幾度と弟がトイレの小便をしつつ、彼が部屋にいる時はすっとくしゃみが聞こえてきた。どんな生活か気になる。調理の終えたスパゲティを少しついばんで満腹感を得てからPCを触ると、インターネット接続が停止("インターネットなし、セキュリティ保護あり"という名目)しており、記事の編集ができない。このWin10機もWin7機のような異常は、記録に無いものにも多くあるが、接続まで同レベルに落ちては困る。そこで、同じ無線LAN(?)を用いている母親のタブレット端末を1階リビングで探したが、あいにくリビングに置かれていないから、接続状況の確認ができない。仕方がなくWin7機で調べたが、Win10機と同じ状況であった。時間が経って回復を待つのみである。

5時前から飲んだコーヒー1杯の影響で、6時台に大きめの一本糞をひり出した。前日夜は押入れの中で大腸から鳴る音が激しかった。あの弟は5時台から大人しくなれば、7時半を過ぎても動きが見られない。やはり、あの状況で朝を向かえて眠りについたのであろうが、その顛倒ぶりには憐憫をくれるほかない。その極みは母親である。母親は放任主義という理念はなく、ただ単に面倒で惰眠が強い時は子供の世話を奔放にしつつ、問題が起これば頭ごなしに叱る、場当たり的な畜類の人格である(草むしり闘争も同じ原理)。これは放逸主義とでも呼べばよい。だから、母親も前回4月中旬か下旬の時(4月18日)の弟の遅刻の際も、惰眠を貪ったままであった。今回も同じ結果か、それ以上に不憫な結末に悶える思いとなろう。孝子として、厚兄として嘆かずにはいられない。

8時10分過ぎ、2人の状況を鑑みた上で、意味はなさそうだが無線LANルーターの実機の様子を母親の部屋に確認しに行った。母親は寝ており、実機の様子に違和感はないが、色々といじった後に直す途中で母親が目覚めた(弟も同時にトイレのため起き上がった様子)。「おはよう」と返答して穏便に対応しつつ、部屋に上がった用件を話した。ついでに弟に関して聞くと、今日は病院へ行くそうである。前日の19時ころ、母親が弟に「今飲んだ薬は6時間後にどうのこうの」ということを話していたが、連日の弟の体調不良に関連して病院へ連れていくのであろう。私は思い込まない人間であるから、ここで訂正ができれば、それは良い。母親の部屋に上がる前も上がった後も、依然としてPCの接続が回復しない。8時半になって母親が1階へ降りてきたが、まだ弟の学校に欠席の連絡を入れていないという。マイペースな母親らしく他人を軽視した手ぬるさである。そもそも「普通の人間」はもっと早く起きて・・・という戯論を起こすまでもない。

8時58分、接続に関する件で母親から電話で返答があった。回線を繋ぎなおしてみたとのことで、先ほどまでの"インターネットなし、セキュリティ保護あり"というメッセージから変化があった。通話中に接続が回復したので、礼を述べた。9時31分に彼らは目的の医療機関に向けて徒歩で移動を始めたため、私は風呂(シャワシャン)の準備を始め、10時30分台に部屋へ帰ってきた。2人は10時50分前に家の前へ着いたが、母は予定通りそのまま買い物へと車を走らせた。12時20分に医療機関の関係者(若そうだが40前後に見える女性)が車で訪問して弟に何か返却した様子である。

13時前に母親が帰宅した。珍しく、店頭で米の袋を買ってきた(富山県産コシヒカリは2014年ころに数度の購入を確認)。13時40分台から母が弟を1階に呼んで何か食べ物の話をしていると争いが始まり、弟が暴れたり、母が悲鳴を上げたりしたが、形勢逆転して母が弟を平手打ちするような音を立てた。そのたびに弟は「イテッ、アア”イッテェ」や「お母さんなんてキライだ!」と声を上げていた。昔の私や、上の弟は、事ある毎に母親から拳骨を数発以上も食らっていたが。

Blogger下書き記事をいじったりする折、15時10分ころからBloggerの接続が不能となり、Blogger.comドメイン下(www.や、buzz.も)はどこも"Error 502"とポンコツロボットのイラストが現れる。Twitterを調べると、「落ちた "down"」等との反応が多々見られた。ところで、他の無関係なサイトも一時的な不具合だとか、接続エラーが出てくるが、恐ろしい話である。世界が滅ぶようだ。

当記事注: 2016年6月9日、"buzz.blogger.com"ドメインにアクセスした場合、"blogger.googleblog.com"に転送されるようになったことを確認した。思えば、Google Japan公式ブログも"japan.googleblog.com"という"googleblog"の文字列を含む新しいドメインに変更されていることを同じく2016年6月上旬に確認していた。このドメイン移行が、当メモの日付のアクセス不具合の原因の一種か?中途半端なことに、Google総合公式ブログは"googleblog.blogspot.com"と、従来のblogspotの文字列のままであるが、最近のキチガイプログラマーらしい不徹底ぶりでお笑い種である。

2018年10月12日、上記URL群のうち、"googleblog.blogspot.com"を再アクセスすると、もはやBloggerのシステムでなくなったhttps://blog.google/のページにリダイレクトされた。Googleは今後どれほどBloggerを軽視&放置するか・いつ運用を終了するか、ユーザーは注意を増すべきである。2018年10月、Bloggerを用いる目的性の確認をする記事を投稿した。



2016/05/11

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2:20のアラームは記憶なく、2:26のアラームを停止して間もなく起床した。4時台に、1階で弟が痰の絡んだくしゃみを続けながら食事をしたほか、一旦2階へ上がった後の5時台に2度降りてきて何やらしていた。前日の母の買出し品のポテチ(塩分50%減うすしお味)や、70g味付けヨーグルト2個を食べていた様子である。彼がいなくなってから、同じく前日に買われたインスタントコーヒーの1杯分の素を調達に行くと、瓶の周りのラベル2枚の内、1枚が剥がれている。別に、弟は関係が無い。母親はよくわからないタイミングで最近も別の瓶のラベル2枚を剥がしていたが、今度は買って間もなく1枚である。何がしたいか、タイミングや剥がし方も含めて考えると、皆目見当がつかない。

9時30分台のとある作業後にとある行動をした記録の文章を、喪失した。不条理に関する記録だが、不条理に不条理を重ねた。最初から最後まで苛立たせるのみであり、まあ無駄な記録なのだろうから、この際、わざわざ書かない。締まりが悪いが、諦めの良い私は水に流す。概要は、ささっと行動を終えたいのに予期せぬ邪魔が入って立ち往生し、往生際の悪い人間のせいで長引き、それで憂さ晴らし(じゃねーわ!)の記録でも取ろうとするとそれまた消えるなど、記録を取る時間も無駄となり、最悪を重ね続けた。心が広いので、そんなことにこだわらない。

15時台、母親が電話をしていた。どういう話題かといえば、「引きこもりの相談」という言葉が途中で聞かれた。そのシーンは「相談」の予定に関するやり取りで、電話相手の山本さん(男性)のペースに母親がついていけず、もっと分かりやすく話せ・あなただけ分かったままじゃ通じない云々と、母親特有のネチネチとした揚げ足取りをしていた。5月13日14時を相談の開始予定とし、それまでに母親がどこかの相談室へ出向くか、相談士が家に来るかは不明である。「当事者」とされる私の処遇も不明である。それにしても、未だに中途半端な策謀を止めない様子だと、いかにも死に際の悪い見苦しさを覚える。儚き現実的夢想から速やかに覚ましてやるべきか。

人間、一つの事象に問題視する者ほど問題の当事者なのであり、一番自己の改善を要する。これは東洋思想の一端であり、良いこと(仏教でいえば仏性など)も悪いこと(仏教でいえば罪業など)もまず自身の内から探すが、反対に良いこと(楽しい時間など欲求満足関係)も悪いこと(喧嘩や失敗の原因など)も自身の外や遠い世界にばかり求めることは現代人の性質である。無論、母親は問題視する人への無理解と表面的な知識のために諸々の誤解や邪推を誘発している。母親の方が問題児であることは、無聊を託って落ち着かない猿が木から木へ飛び移る如く行動すれば、不機嫌に当たってしまうところ(電話相手への揚げ足取りなど常時であるし業者への苦情も頻繁に入れる)に顕然としているが、やはり無自覚の極みであり、昔から変わりが無い。邪悪な思想(中途半端な唯物論・合理主義・共産主義・現実主義など)に毒されたまま、認識能力も判断能力も欠如し、常に他人の言動を否定し続ける母親は怪物である。



2016/05/12

本日は何らかのアラームあるいは第一アラーム以前に耳栓を外し、いくつかのアラームを聴いては止め、2:50の第5アラーム直後に起床した。5時50分過ぎにトイレで大きめの一本糞をブッ放した。これまでの食事は3時台に茶碗一杯の半分程度の保管ご飯と冷凍いんげん2本(同時にレンジ加熱)、4時ころから5時台はレンジ加熱ヨーグルトやシリアルなどがある。プレーンのヨーグルトのパックは5月10日に買い与えられた。久々のヨーグルトのパックは本日に開封し、このように乳酸菌の生存だとかを気にしない食べ方を取った。

現代の日本人が信じる神や鬼(偶像や観念)の一つに、菌類や栄養素も含まれよう。科学的に実在が証明され、色々と現代人の生活に寄与しているかもしれないが、私は一種の妄想だと思っている。ヨーグルトは確かに効果的なようだが、今回の排便もとい便意の発生は、ヨーグルトの経口摂取による条件反射であり、普段もヨーグルトやコーヒーを摂取して時間の経たないうちに起きる便意は、体の反射作用の一端とみなす。菌類や栄養素も、期間を長くして量を多く摂れば、次第に彼らの御利益を与らなくなるようだから、ヨーグルトやコーヒーに便秘の改善を期待する場合、コーラック系の下剤と同一視し、頼りすぎないよう自制すべきである。健康食品やサプリメントですら守るべき分量を守ることを推奨している。そう考えると、普段の食事であってもバランス重視、バランス偏重に陥りかねないが、もはや論を俟たない。過度に健康法を悩まずに生きることが最も健全であろう(思考を放棄して放逸に食べることを意味しない)。

10時前に、フツフツ・ムリッと排便した。11時40分台、昨日に続いて今日も電話の様子を確認したが、真っ先に不機嫌そうな口調で聞こえた。今回はE2邸工事関連の不満を施工業者に入れている様子であるが、このような電話が母の言う「仕事」であろう。そして、このような電話をかける以外にプライベート空間で心を満たすことが何もできない。

12時50分台から母親は車にエンジンをかけたまま、玄関の出入り10度もし、わざわざ「○ちゃん出かけます」などと声をかけて(礼儀のつもりならば毎度そうすればよいしそんなことを言われずとも仰々しい出入りとアイドリングでわかるからいちいちせんでよい、行き先を言えばまだ有益である)からどこかへ発車した。本日は快晴であり、今までにスウェットを洗濯籠に出そうか考え、洗濯籠に出さないこととしたが、状況次第で洗濯をする選択もある。早速、タオル2種と上下スウェットを洗濯し始めた。2階の母の部屋に、前日の「相談」関連のメモが見られた。本日14時だとか5月25日だとかの日時と「思春期相談」だかの名称が見られた。



2016/05/13


本日は2:10の第一アラームで目覚めたようだが記憶はなく、2時14分に起床した。いつも通りに起きてからキッチン周辺の様子見に行き、顔を水洗いした後、キッチンを抜け出てふと振り返ると、キッチン側の壁の下方に黒い影を見た。その場で短く声をあげ、ステップで退いた。明らかにクモか何かであろう。見取った全長は6cmほどである。キッチンの棚に、残量がほとんどない殺虫剤があるが、これを手に取って予防の噴射だけをした後に、キッチンを突破し、再度振り返って全容を確認した。そのようなクモがまだ同じ壁に張り付いていた。思えば、過去に母の部屋に現れた巨大グモを含め、彼らは糸を出して巣を張ることはないのか。自室の携帯電話と殺虫剤を取りに行った間にクモは暗い場所に移動し、間もなく姿を消した。隠れられたら、そこでお終いと思うも、しばらくはリビング中央ソファ上の冊子を眺めてクモの出現を待った。ちなみに、私は殺虫剤で殺すことは、あくまでも自衛手段とし、このときは携帯電話のカメラに収めたかった。

クモは窓際のソファ付近に隠れたとして、洗面所のドアなどは元々閉まっている。水を汲むなどは、洗面所の消毒剤まみれの水(目につけると痒くなり沸かすと臭いがすごい)で補える。クモの侵入経路というと、キッチン脇の小窓が網戸状態ながら開けられていた記憶が前日の日中にある。あそこか換気扇くらいしか無い。ほかにもキッチンは謎の液体漏れ(9月17日メモ)の例に見るよう、危ない場所を察知しづらいし、母親が「虫を侵入させる隙間がある」と言うような大窓も開放していれば、可能性となりえる。思えば、前日22時の母親は、最近として珍しく、22時台などに1階でテレビを見ながら笑ったり歓声を上げている様子があった(近の普段は19・20時台に限る)。あのTV=トップバリュ韓国製ビール(発泡酒か不明)を飲んで酔いが回っていると見るが、今はビール開缶状況の様子も確認できない。あの母親はあれから、クモを目撃することはあったろうか。

ところで、虫が家の中に出没した場合、複数の行動パターンがある。大別して1には虫を殺そう(追い出そう・逃がそう)とする者、2には虫を気にせず過ごそうとする者、3には虫がいなくなるか自然に死ぬ(1に当たる者が殺すなど)までその空間を離れる者などがある。虫との遭遇の当初の発想や、しばらくいずれかの状況で過ごしてから別の状態に移行する者もいるので、1~3は互具とも言える(六道輪廻のようなもの)。母親は大概ビビッて弟に殺害を頼むから1の発想で3の行動に当たる。私はできれば2のような共存型を取りたいものの、結局は恐れるから死ぬことを待って他人に遭遇させようと無視を決め込む。私と母ではどちらがよりずるいのであろうか。最初から私自身が手を汚すほうがずっと人間として優れていようが、それでも智者・賢者のなりで忍従に徹する。もしクモが予期しない空間に移動・出没しても結果論であり、その場の対処となる。

4時48分、それまでのヨーグルト摂食の影響による便意でトイレへ行き、中サイズ2本を出した。努力の甲斐もあって最近はこうした快便状況だが、これが定着したらば、いちいちここで記録を取らなくてもよいと思う。過去にも語った通り、「個人的な生活記録・日々の5項目(2015年12月9日メモ上の表現)」があるため、こちらで足りる。5項目はいずれも、それらを最後に行った日付を書き換える。7時前に一度母か誰か、7時台に弟、8時前から母親の出入りが続いた。彼らはクモの存在を知らないから、普通に振る舞っている。クモの居場所が無造作に広がらないよう、私がドアを閉じても、彼らは開けたままにする。元々恐れてはいたが、限界はあるようである。クモが終始ソファ裏などに隠れてくれれば、最初から何でもない。この日中にクモはどれほど動こうか。

母は8時台から10時ころまで1階リビングでテレビを見たり家の周囲の掃除をしていたが、クモに遭遇した様子はない。母が2階に上がってから、私は注意しなが台所の水を汲んだ。10時56分に母から「明日9時から17時までキッチンの修理工事が入る」とメールがあった。15時台から20時過ぎまで勉強が続き、目がひどく乾いて疲れているが、充血はしていない。夕の勤行が19時台となってしまったが、これについては、ふすまの向こうで母(途中弟含む)がずっとテレビを見ていた影響もある。当該時間中、15時台にラーメン、18時台に残るスープと具(豚肉と前日カット人参)を食べた。



2016/05/14

本日は2時24分に起床した。起きて3分後に携帯電話と殺虫剤を携えて恐る恐る自室のドアを開けると、かなり近い距離の床に、あのクモがいた。こう見ると、前日メモでは「黒い影」と表したが、薄い茶色であり、ある意味では金色かもしれない。あんまり近距離で意表を突かれたから、反射的に殺虫剤を噴射してしまう。時間が経ってから所在を確認してもクモはどこかの影に隠れていたようで、もう姿は見られない。神出鬼没である。警戒をしながらリビングで2合炊飯などの料理を行った。

5時過ぎより風呂(シャワシャン)の準備を始めた。元々、洗面所などに何らかの対策を施しており、この準備で十全の体制を整えた。かくして風呂(シャワシャン)は無事に終了し、6時までには自室へと帰った。なお、この風呂(シャワシャン)時に本日最初の排尿を行った。あの廊下スペースにクモの所在を限定しているわけだから、1階トイレや2階への唯一の抜け道は廊下に限るため、しばらくトイレの利用を控えるか、利用の際は最高レベルの警戒を要する。自室保管ペットボトルで用を足すことができても、排便ばかりはトイレとなる。最近はヨーグルトやコーヒーの適度な摂取で快便傾向があるものの、本日はいずれも抑えておこう。私だってトイレ中のクモは恐ろしいし、殺すことは避けたいから、智者・賢者としての隠忍自重に徹するほかない。己の修養にもなるならば、喜ぶべきかもしれない。

6時30分台に私が髪を乾かそうとすると母が2階で小便したり、6時40分に1階へ降りてきて炊飯を始めた。9時0分過ぎ、帝国通りに業者が訪問に来たが、その直前で母親が1階トイレで小便を始めた。母の応答は、実に1分遅れた。業者は男性3人ほどだが、うち2人は以前も2階の空き部屋の修理に2日来た人らのうち2人と同じように見える。10時台、自室保管ペットボトルのうち500ml容量のものに排尿したが、満杯となってしまい、出し切らずに残余を引っ込ませた。やはり600ml容量のペットボトルを惜しまずに使うべきだった。11時20分過ぎにトイレでの排尿をする際、先ほどの尿を排出した。



2016/05/15

本日は2:10などのアラームを聴きはしたが、2:40, 2:50は前々日よりOFFのままであり、滑り止めとならなかったから、3時40分過ぎまで眠り続けた。3時45分に起床した。この朝は、一応あのクモへの警戒を続けたが、流石に前日の工事業者の出入りで家の外に逃れたか、そうでない場合はどこかの物陰で力尽きたと見ている。

9時50分台、出しづらい小サイズの糞をひり出した。母は、車に放水をしたり何らかの動きを経て12時42分に発車した。15時20分台に母が帰宅したが、洗濯物の干し方に関して母が「弟にはできない」という前提で説明をする折、いつも通りに2人の口調が悪くなり、弟は穏やかそうに怒りを見せながら、突然爆発的な物音を立てるなど、全く例の如くであった。元々、時間が無いなどと焦っていた母親が、いつものように己の身を二重で責めた。互いの怒りは徒に繰り返されるのみで、どこまでも有益とならない・2階での争いと身支度を終えて15時50分前に1階へ降りた母は、前回5月10日に買ってまだ残る韓国産発泡酒を開缶した。母親が弟との口論で引き合いに出す同級生女子の名前は小5~6期でK.N. 中学期でM.W. 現在の特別支援学校進学以後は「ナナちゃん」であるが、時々に都合よく取って捨てられている。



2016/05/16

知的障害児 障害児 手紙 絵
http://www.youtube.com/watch?v=svTf4J7xsVk

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2時20分に起床した。キッチンで顔を洗う中、痰に特有の味がし、吐いてみると「青い(緑の)痰」であった。左の鼻腔の詰まりも自覚できた。先の5月7日以降の体調不良といい、厳寒で食料不足の1月よりも体を壊す理由がわからない。しかもクモの遭遇の件など、いわゆる不幸続きである。鼻詰まりは間もなく解消された。

10時40分、母親がどこかに行く様子を見せる直前に私は「5ジフロ」と携帯電話にメモを残し、明日の朝5時に風呂(シャワシャン)を行おうと心の準備をしていた。こういった心の準備をしたときに限り、それが無用の結果となることはよくある。逆のパターンが、たまたま2:40, 2:50の第4・5アラームをOFFのままでいたから起床が普段と比べて1時間遅れた前日の出来事である。でもまあ、風呂(シャワシャン)の予定を本日に繰り上げて実行することは無い。

12時台、久々の小麦粉焼きを作ったが、今回も前回(記録がないが1週間ほど前、記録があるもので4月30日)と同様に片栗粉をミックスした。片栗粉の量は小麦粉を100とした場合の20~30程度である。今回もまた、片手鍋の上で菜種油・砂糖などの材料と共にミックスした。部分的にヨーグルト・チョコレート菓子を配置して焼き、裏返し、整形をして食べると、モチモチ感は強いが、片栗粉の配合はあまりモチモチしなかった前回と大して変わらないはずである。7割ほどを食べ、残りはオーブンで加熱した。こちらはクッキーの風味(2月20日は好例)が強く、食感も同様である。13時0分ころに母親が帰宅した。13時10分に月半ばの小遣い(1000円札)が渡されたが、その封筒を見て、本日の母の行き先が「歯科」であると分かった。10日前である5月6日も弟に口頭で「歯医者」という単語を発していて歯科医院に行ったと伝わっている。

15時10分台にトイレで一本糞をぶち込んで来た。排便自体は困難でないが、やり方に問題があって大腸の負担が強い。



2016/05/17

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2時15分に起床した。「つらつらインターネットを眺むるに、議場、数あり。一に羝羊雑談(たいようぞうだん)の席(むしろ)、二に修羅諍論(しゅらじょうろん)の席、三に禽獣罵詈(きんじゅうめり)の席、これなり。彼らの中に於いて長短をば分けず。いづくなりとも恐るべし、離れんと思すべし。七字の漢詩にて再びこの義を説かん。熟瞻網有數議場、雜談諍論罵詈席。不分長短於彼中、在何処須恐思離。」

4時台にコーヒー1杯(素の割合多め、3gシュガー、多めのミルク入り)を飲み、そのカフェインパワーのため、4時46分からトイレで一本糞を前日のようにぶち込んだ。5時10分台から風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時10分頃に自室へ帰ってきた。7時50分ころに再度排便したが、量はそこそこながら、直腸に近い大腸がゴポゴポと凶悪な音を立てていた。9時台も、キツめに中サイズの糞を出したが、つるっと剥けた茹で卵のようなクソだったらしく、汚れの付着はごく少ない。12時12分に珍しくヤマト(女性Y)の配達があった。



2016/05/18

住友林業関連→http://www.youtube.com/watch?v=zjO2ZmKRL2Q


本日は2:10, 2:20, 2:26のアラームを経て2時28分に起床しようとするも、「起き上がる」という動作など、具体的な手段を全然浮かべず、そのままでいれば1時間近く眠ってしまい、3時20分に起床した。4時20分ころから、前日の予定である、ゴミ出し・自販機通いの外出を始めた。前回は5月9日4時10分過ぎとある。道中ではカラスがところどころで「ガア、ガア」と、早朝特有の不気味なしわがれ声を上げ、帰路の民家の木々のあたりで小鳥の「チュンチュン」というかまびすしい声が聴かれたが、日の出も近かろうか。ゴミ出しと自販機の作業は順当に終えた。今回買った品は1種3個で、今どき、この商品1種を買いだめなんてしても持て余すだけかもしれない。そう思ったが、面白いことに、賞味期限が2017年の2, 3, 4月とそれぞれが異なる月を示していたり、4月の物は製造番号(ロット番号?)が"A1BB"と、ごく初期の文字列を形成している。大概はBかCで始まり、続く数字にも1は見かけない。

母親は午前中から14時ころまで1階に居座った後、家の周りをホウキで掃く掃除を始めた。その最中、E2邸工事関係の軽トラックが家の前に停まり、母は「家の前に停めないでほしい」といちゃもんを付けていた。それから5分ほどしてからも、「車のエンジンを掛け続けることは工事と関係ないからやめてほしい」と叫んだ。肌の色が明るい坊主頭の痩身の男性が、困った笑顔で応答する。15時20分、私がトイレに行こうと思ったところで母親が玄関の出入り(当然それまでも幾度とあった)があり、それから数分以内に自室に異臭が流れてきた。この臭いの正体はすぐに分かった。前日にヤマトから届いた「ネコ忌避・消臭剤」である。過去にも部屋に、刺激的な臭いが流れ込んだ記録(3月17日)がある。この薬品散布がどう奏功し、母はどう捉えているか。



2016/05/19

本日は2時5分に起床した。最近は勉強や執筆関係に注力し、19時を回ったころには体の疲れも多い。午前中ほど眠気が強く、対して夕方までには眠気が無くなる。疲労感と理性的な動機により、19・20時台に押入れに入っても、独り言が続いてしまう。よって、前日は19時50分ころにPCをシャットダウンして21時ころに寝付いた。

今朝も炊飯を辞退するが、この日記メモでは今までに記録を取っていない。今日で炊飯をせずして3日目であるから、ご飯の蓄えは5月15(16?)日のものを最後に増やしていないかと見る。炊飯器が母親のせいで使えないときは、鍋でおかゆを作る時も多いが、この3日、それも行わないできた。本日も日中などに機会が無い上で明日も炊飯器の状況が悪ければ、おかゆを作ろうと思う。だから、本日はまだ僅かなご飯の蓄えや、その他の余している食品でしのぐが、基本的には断食に近い感覚で生活する。

明日20日は弟が通う豊川特別支援学校の高等部の運動会が開催されるものの、元より弁当のおかずの材料に欠ける状態(肉や冷凍野菜が無い)であり、予定を頑固に守れば明日20日に買い物をすることとなる。これだと、弟の弁当は海苔のせご飯におかずは焼き餃子くらいしかないような寂しい内容となるか、コンビニなどで市販の弁当を当日用意することとなる。13時前に母親が買い物のメモや買出しに行く準備などが1階の各所に見られた。14時前に一度車の位置だけ直し、それからは1階に準備されたものはどこか(車内か)へ消えた。その後も普段の恰好のまま1階で冷蔵庫の開閉をするなど、外出の様子はすっかりと失せた。なぜあたかも外出するかのような様子を外出しない本日に突然見せたのか、弟の弁当の観点から今日買出しに行きそうであったのに、肩透かしである。私の計画をも惑わせようとしている。私は別に動じないが。

その後の母親は17時台に工事業者へ難癖を付ける電話を行いながら玄関の出入りを行ったりと、目も当てられなかった。13時台は、頑固の母親でも、今回ばかりは弟の運動会を見据えて時宜に適った行動を執る期待を寄せたが、結局は融通が利かない様子である。2月末~3月頭の時も怠慢のパターンである。



2016/05/20


本日は1時27分に起床した。前日に自室冷蔵庫の霜取りや、おかゆ調理などを予定したため、何としても早めに行動を始めたかったので、自然と早起きである。12月に母親が購入した切り餅3袋のうち、1個をずっと自室冷蔵庫で保管し続けたが、ある時から冷凍スペースに置き続けた。これが今では個包装内部の下に氷が厚めに張っている。掃除の最中、室温で融かしてみると、思った以上に水滴や水たまりはできず、餅の接触面にかなり吸われたようである。

4時22分、久々に下剤1錠を飲んだ。前日に2杯、前々日に1杯のコーヒーを飲んだが、やはり連日のように飲むとカフェインパワーへの抗力が強まるらしいので、便意が増す程度の効能しかなかった。5時前に母親が2階トイレの使用のみの動きがあった。こういう弟の運動会の日に早朝の動向があると、弁当を作りはじめそうに思うも、母は通例から言えば6時以降に作り始めるから、やはりまだ早い。とはいえ極度に遅くても問題である。母は弟の昼食時までに本日の買出しへ行くかも不明であるが、午前中にささっと買い物を済ませて市販弁当か家で弁当を作るか、とも推測できる。もっとも、それができる人ならば推測する蓋然的な結果の可能性もあろう、と消極的に思う。6時台に弟の朝食の動向の後、7時10分台に母親が部屋にいる弟へ「半袖で大丈夫?」という言葉を投げかけていた。


8時過ぎから何となく絵を描き始めたが、今年に入ってから幾度と試してきたとある建築様式の床や柱(とする構造物)の関係である。私の視線よりも手前の柱と奥の柱が端方向に逸れるアングルで、そのA辺から垂直方向に曲がったB辺の柱の位置は、A辺の柱と同じ等間隔で配置する場合、どう配置すれば正しいか?自室のつまようじなどで再現するなどして考えたが、そもそもの間違いがこの絵にあった。それは、B辺A辺に対する垂直でなく、私の視線に対する垂直方向となっていた間違いである。でもまあ、仮定した柱の辺に対する位置は元のままで問題はないと思う。絵に関しては、先のマウス故障状態に変化が無いため、タッチパッドを用いてMSペイントに描く。しかも100%想像・理論という観念に依拠している。

8時台後半に下剤1錠の効果がようやく発現しつつあるが、便意は無い。9時過ぎから母親が発車したが、目的は買い物か弟の運動会であろう。2階の母親の部屋で洗濯の可不可を確認しつつ、運動会関連のプリントを確認した。一応、金曜日ともあって普通の授業日と同様に給食が出るそうである。ただし、明日21日・土曜日は、第2部として小・中学部の運動会が開催され、高等部の生徒は通常授業の合間に応援参加をするようで、この日は弁当の用意が必要である。

9時半から10時50分ころまでPCの前で雑魚寝する仮眠をとった。12時7分にヤマトの配達(女性Y)が来たが、入れ替わりで郵便配達員もポストに投函していった。16時12分に母親の車が家の前に着いたため、1階リビングの窓の鍵を開けた。私の陰徳であり、母親は「(母親自身が)開けといたのかしら」などと放言するに留まる。常々、母親が私の努力などを仮に知ろうとも、空虚にほめるか、悪い状況の場合では全否定するなど、母親の心に通じることは全くあり得ない。母親が1階リビングの窓からいつも通り食品を出し入れし、更にとぼけ発言を2度も連発しながら気にせず品物を取るも、このあたりで弟も帰宅した。2人が2階に上がって間もなく、母親は再度異常な発言をしていたが、まあ日記メモにその詳細を書かない以上、価値のある記録にもならないし、こういう自分は煩わしい。

人から認められようとする努力は無用である上に、そもそも人に奉仕する努力も無用であろう。リアルでもネットでも過去にも現在にも(古今東西という時間・空間の二元下の両極)、そう高尚な理論を持ちつつ、凡俗の人間としての愚昧さは抜けられない私である。ほか、思い立ったら、行動を母親に阻害されたり、母親が退くと弟が入れ替わることもあり、母親の野暮用で不適切な言い方があるなど、私は困らないが、一応その頻発した事実だけ付記する。

先の下剤1錠による排便は、14時台・17時台・18時20分台と3度に渡った。3度目はもっとも量が多く、その初発は長い一本糞をかました。1錠で2度以上の排便があると大概は軟便や下痢に変わることは過去の日記メモに広く通して記録されるが、今回はずっと適度な軟らかさに留まった。下剤の使用が控えられ、良い傾向にある一例である。19時過ぎ、向かいT家で息女とよその母子1組の会話を確認した。




2016/05/21

本日は2時30分に起床した。昨晩は一度23時50分台に目覚めていたようで、23時58分に母が1階に降りる様子を捉えた。前日から、炊飯器は5日ぶりに利用できそうな状況の成立に蓋然性を弟の弁当関連の事象をもって感じていたが、起床後の確認ではやはりそのようであったから2合で炊飯を始めた。まだ炊きあがっていない3時20分台、鈍い腹痛と便意のためにトイレへ行くと下痢が出た。前日にあんな記述もあったが、今に遅れて下痢となる理由には根拠に欠けるものしか見当たらない。

5時過ぎに弟が動き出し、母親の部屋をノックして「かあさーん、ろくじぃ、おべんとう」といった声をかけていたが、その後1階に降りては2階に戻り、「まちがえたぁ、ろくじだったぁ」などと言いながらまた1階で食事を始めた。母親は何ら返答せず寝ていたのであろうか?4時前後に1度、母親はトイレの出入りをしていたが。5時56分に母親が1階へ降りてきたが、6時0分から母の部屋を出所とする目覚まし時計の音が聴こえ続けた。弟は7時10分ころに弁当を携えて登校した。

9時台後半、母親が唐突にして野暮な周期的与太干渉をしてきた。今回の与太干渉は、2016年1月1日の件より頑固でないものの、本質的な問題性は同じであり、当日の日記メモに詳述される。私の行った散歩が微々たる努力だとしても、それを披歴したところで全否定に走る母親に、どう丁寧を尽くして話そうと、徒労でしかないし、母親の主張を容れる価値もない。母親の最終目的は、私の想うところと反するから、その方法論も相容れない。今回は「バスでどっか行く?」とか「こういうビラ、(報酬?)1000円しかもらえないケド」云々と言って私の興味を惹こうとしてきたが、一言の返事も与えない。母は常に空虚な催促や提案しかしないから、母の望む結果にはならないし、逆に私が望む範囲は私自身で今まで行ってきた

急進的思想に毒された愚人である母親の夢想は、地に足が着いておらず、かといって雲をつかみに行くにも頼りない中途半端な痴態である。母自身はそんなアウトドアでもなく、趣味すら持たない癖に。今や私は、その散歩に関する行動や発想も減り、私の座するところを道場とし、寂静を楽って漸進する道にある。そういう誘い方は相手を知らない軽薄な発想で、しかも金額など問題でないから10万だろうが億だろうが私の心は微動だにしない。母の催促や提案は、不定期に吹かれる法螺の一種であるから、心では聞き流すのみである。

12時40分台に排便あり。下痢でも軟便でもない状態に戻った。



2016/05/22



本日は2:10, 2:20を経て2:26の第3アラームが鳴った後の2時27分に起床したが、元々1時台にも目覚めがあった。寝床である押入れから起きる際、床に足を着地した後だったか、ふすまをスライドする端の木製の辺に鼻・口をぶつけた。鼻口とも腫れ・出血などはない。ここ毎日、気が抜けているとか注意に欠いているとかボケている、といった認識を持ち続けているが、このような事態もまた初めてであった。

5時0分ころから風呂(シャワシャン)を始めたが、風呂場の洗濯物を一時的に退けた。仮に母親がこれに気付いても、すでに乾燥しきっているからよほど狂わない限り、問題視はされないであろうが、母親のことすら万が一でしかない。しかるに、出る直前の5時48分ころから2階で弟がトイレを終えて1階の洗面所に来て何やら始めだした。手洗いだけならば普段の彼はトイレ内で行うが、起床後だから洗顔でもしたか?彼が去るあたりで、母親も2階のトイレ利用後に1階へ降りてくるという、前代未聞の事態に至る。何でもない日になぜ入れ替わりで2人が1階へ降りるか。普段通り惰眠を貪っておればよいし、そういうつもりで、彼らとの問題を回避するために私は早朝に風呂(シャワシャン)を行っている。前日の運動会関連の影響が惰眠型ではなく勢いあまりの早起き型に転じたのであろうと見るしかない。洗濯物に関しては、やはり母親は気づいた様子で、無駄な一言を呟いた後に2階へ持ち運んだ様子である。いい年して不規則な生活をする畜生(尤も動物の方が規則的だから人間の邪智に畜生の心を掛け合わせた境地を指して畜生と名付ける)であり、人との問題を起こすことが大好きな修羅である。

11時前から2階で、件の5時台の奇行以来は動きが無かった母が弟に話しかけた。どうも弟の本日の外出に先駆けてポイントカードか何かの話題で弟を責めているようである。弟は買い物をしてもポイントカードを提示しないか、何らかの理由で現金のみを無駄遣いしていると母親から度々叱られている。争いには発展せず、母が2階に先に降りてリビングやキッチンなどに留まり始めてから弟も1階へ降りて外出しようとするが、母が独り言の後に笑い声のようなアクビを放った際、弟が「何で笑ってんの」と呟いた。この一言だけを取って母はヒステリーを起こし、「アクビしただけじゃん、笑ったなんかいないのに、あー怖い怖い因縁つけられて、これで殺されたりしたら大変だよ」などといった同じ趣旨の言葉を10回ほど繰り返し続けた。弟の飛び立ちを前に足を引っ張る親失格の母親である。しかし、弟は折角の外出であるから、こんな言葉を耳にしながら彼の声を怒らせるのみで、ささっと家を出て行った。その後も、母は最近多い無意識的な独り言が出続けたが、こうしたあまり奔放な印象の独り言を、判断基準がない小4ころの私がするならばまだしも、良い年をして増加し続ける母親の場合は、言いたくないが認知症・痴呆の兆候と感じずにはいられない。

弟が帰宅してしばしのち、14時台後半には2人の激しい争いがあり、母親が「割れた・壁壊した」等と喚いた。それからまた5分ほどして母親が再度弟を責めた後に洗濯物云々の指示を出した。それからも断続的に母が陽気な振る舞いを行ったり、弟は怒って脅して母親が無駄に「痛い!(当たっていない)、やめて!」など大声を連発する。ふすまの向こうの騒乱に、勉強の心が乱される。母親はいつも通りにくだらない「出て行ってもらう」等の世迷言を発して弟を鎮めようとする。小遣い云々で私の本意を知らないながら、知った気で「ほしがる」などと思い込んで引き合いに出すが、間抜けな母親の言動のために1月2日に渡す予定だった手紙の妙文は、ついぞ母の目に届くこともなく、未だに世迷言を続けているのだから哀れである。元々小遣いに関する姿勢は2015年から失せていたその片鱗を見せつつ、2015年12月22日以降は加えて母から勝手に「金銭支援(資金援助)」と称して毎月スーパー購入想定の食費などの名目で小遣いを増額しただけであるが、これも過去のメモなどに記録済みである。



2016/05/23



本日は2時31分に起床した。前日の押入れ就寝以後の彼ら「19時前から2階にずっといた母(弟に食事を取らせる間に衝突を回避するため離れていた)は、そういう時間を過ごしてもどうせ21時ころに1階へ降りてこようか、と思ったところ、案の定20時50分頃に1階へ降りてきた。それまで、弟が孤食の際に捨てたゴミの捨て方について母は目くじらを立てて弟を呼びつける。また不穏な様子となり、『ごめんねごめんね、言い方が悪かった、警察呼ばなきゃなんない』などと、弟にどう危害を加えられたか不明だが、珍しい反応を見せた。それからは弟が怒らないよう怒らせないように説明していた。」

4時台や6時台にコーヒーの影響による排便があった。9時20分台、彼らは病院への外出の準備としてまず水まきを始めた。それから徒歩で、前回5月10日と同じであろう目的の医療機関へと徒歩で向かった。本日は先の運動会に関連して弟の特別支援学校は振替休日である。彼らが去って10分後に私はマイクロファイバー毛布の洗濯を始めた。11時14分、例の如く弟が先に帰ってきて母は11時17分である。

12時台後半、母が1階リビングに居る間に洗濯物を取り込みたく思うも、弟が彼の部屋のドアを開放したまま不気味な独り言や大きい物音を立て続けており、近寄り難い。13時前には「おかあさんおかあさーん、いい絵があるよー」と、これまた聞かそうとして聞かれない発言をしていた。絵と言えば、去る5月17日に確認した絵から続いて新作でも描いたか、彼は普段全く絵を描かない。13時10分過ぎから母が2階を上り下りし、弟の絵を見て後、2階のトイレに入り、替わって弟が1階リビングにドアを閉めて居座り始めたため、私はこの間に洗濯物を取り込んだ。時局は速やかに動く。13時25分ころから2人が2階で争いだし、凄まじく破壊的な物音が弟の部屋から、彼の唸り声と共にこの部屋へ届いてきた。ところで、最近は「料理まずい」発言が気にならなくなってきたが、今回は「(前日夕に作られまだ余る)カレーまずいから庭に捨てていい?」と冗談か脅していた。14時0分、5月20日に配達不在となっていた品(弟の学校制服の追加購入?)をヤマトの男性N配達員が運び、母が受け取った。

当記事注: 下の弟が絵を描く機会は、学校の授業の過程にのみあるが、例外的には、母親から何か絵を描くよう促されたこともある。それが2014・15年中に一度あったと記憶する。その時の彼の言葉は「あんま上手くないし」という率直な心境の吐露であった。照れながら言っていたようである。彼はアダルトな画像をインターネットでいくら見ても、絵に描いてみたいという意欲はなく、絵に描き写したいという発想もない。知的障害者に、意欲性などを期待しないほうがよい。頼まれれば引き受けてくれるという性質(知的障害者の方が真面目に労働するという一説もある)はあっても、自発的な行動や能動性は欠如している。否、好き勝手に悪戯をされないよりは良い。頼まれたことに不手際などがあっても、自ら悪戯をしまくらない性質は、彼も同様である。彼の絵が映るほかの動画はhttp://www.youtube.com/watch?v=Lz9XZtqN9hgがある。



2016/05/24

本日は1時57分に起床したが、目覚めの時刻確認は1時46分であった。2時20分ころから、余し飯と昨夕ラーメン残し具材でソース焼き飯を作り、別に2合の炊飯も行った。7時10分台から便意のためトイレに入った。時間をかけて硬めの中サイズを排便した。このような場合の排便では、無理のない程度に押し込みつつ、留める動作を繰り返す。出そうな段階(肛門が糞のために半開状態)まで来たら、留めるように精神を集中し続け、無為自然のままに排便する。時間がかかりそうでも、度が過ぎない程度に終わることを確信してこの方法で行う。

午後に入ってから12時台と15時台にそれぞれ1回ずつオナニーをした。動機としては、掘り出し物が見つかりましてね、と言いたくなるが、そのようなことで1度目はやや衝動的にオナニーをし、これは5月6日以来18日ぶりの射精となる。2度目の場合は、先月以来1度あったと思うが、1日に2度オナニー射精をすることを「試す」意図で行った。最近数日ほど、「蕩けている」ように思うし、1月頃の自分と比べればかなり「道」が遠のいてきている気がする。しかし、1月末から3月まで一時的に料理を楽しむなど、色々と寄り道があり、それは仕方がないと思う反面、しっかり愧じておく。



2016/05/25

本日は2:10, 2:20, 2:26とアラームを聴いて止めてから2時27分に起床した。前日の就寝前は、夜でもやや暑さを感じたため、やや広めに窓を開放した。一方、5月22日に薄いグレーのスウェットを洗濯したかされた際に、耳栓をズボンのポケットに入れたままであったらしく、今は畳まれている当のズボンから取り出した。耳栓ごと誤って洗濯する失敗は過去にあっても、事後の処置として水洗いなどはした。今回はそれもせずに耳栓を着けて寝たが、およそポケットの中で湿った時間が長いとか洗剤成分の残余だとかは問題とならないであろう、そう見たが、実際に問題は無い。耳栓を着ける動機自体は、やはり18時台に母・弟が食事を終えても、例の如く20時台とかになって2人が騒ぎ出したり、母が1階でテレビを見るといった、何とも落ち着きのない様子があったためであるが、本当に夜というものは虫の音・風の音以外は聴こえなくてよかろうに。

朝飯前ともいえる3時過ぎ、前日からの予定である外出をした。ゴミ出し・自販機通いであり、ゴミは順当に出した。自販機までは、虫の鳴き声にせよ、空に薄く広がる雲で月も星も見えない状態にせよ、色々と心を移したが、ある程度進むと市道沿いの集合住宅の方向からドアを閉める音や女性の笑い声が聞こえてきた。自販機では、あいにく目当ての品だけが売り切れていたため、予備の案として別の自販機での購入に切り替えた。買ったことのない130円2点(350ml炭酸缶・500ml紅茶ペットボトル)を買って1000円札をも崩した。帰路、それまでの往来(自転車・新聞配達バイク・通行者)を感じなくなったところで、私は「家の中と同じ気分だ」と思いながら歩き続けた。自他・内外の隔てなく、さながら世界は一つの家宅であるかのように捉える、哲人・超人の境地はこれである。故に神武天皇の発願に曰く「八紘を掩ひて宇(家・宅)と爲す」。しかし、全知全能でもない私が、言った途端に良からぬ事態や不吉な事物に遭遇すれば、たちまちにこの境地を退き、この世界観は瓦解するであろう。

4時40分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時30分前に自室へ帰った。5時47分に弟が2階でトイレをしたり、5時54分からドンドンドンドン!と足音を立てて1階へ食事しに降りてきた。5時58分に家の前に停まって恐らくI家ポストに投函したであろう高齢女性を見たが、最近は連日続いているようである。6時過ぎには母親が2階でトイレの出入りをした。6時台後半、母がわざわざ弟に朝の挨拶と、「朝ごはん食べたか」という質問をしていたが、気になるなら惰眠を貪らず毎日そばで見ればよいし、付きっきりでなくとも毎日そう尋ねればよいが、今日みたいに気まぐれで聞くことしかしない(コミュニケーションだかスキンシップならそれこそ徹底すればよい)。7時台、弟は10分ほどでトイレを3度流した。朝にクソでトイレが長引くことは、彼にとってよくある。いつも思うが、彼は学校でどれほど給食をおかわりしているか。母の料理を「まずい」と反射的に言い出す癖が弟についた当初も、3・4合炊かれたご飯が一晩でなくなることは多かったが、最近はそれほど多くは食べない様子である。

9時30分、母が徒歩でどこかへ出て行った。よく見る姿として、今回もなぜか小走りである(通行人の女性を抜かす)。10時過ぎから、仕込まれたコーンフレークを加熱し始めた。その「仕込み」とは、1時間以上前などにされている。いつものチョコ味コーンフレークを牛乳などで味付けを除き(牛乳はココアの要領で飲む)、やや牛乳などを搾り取って(スプーンで圧すなど)鍋に移し、塩なり油なりを加える。それで今、加熱した後に味の素・・・いわゆる原材料名の「調味料(アミノ酸等)」であるMSGを振りかけて混ぜた。いつも思うが、一般的な加工食品の原材料名に表記された「調味料(アミノ酸等)」としてのMSGは、味の素とどう製法が異なり、誰が作っているのだろうか。この味の素こそを加熱前に振りかけるべきであったが、当初は塩がまず第一である前提で、母親の動向も見て塩・油くらいは入れておけばよいという発想であった。今思えば、部屋に保管しているインスタントラーメンの粉末スープを使ってもよかったろう。

13時40分台に一度母が帰宅し、駅ビル内での購入物を分配してから再度買い物へ出ていくべく、13時52分に発車した。16時19分に車が家に着いた。17時前後に弟が帰宅したが、彼が風呂から出て母は、今朝彼がゴミ出しをせずに登校したことを非難していた(おやつなんてない、と言いながらこの後、駅ビル購入の菓子パン類を普通に食わせる)。18時台から母が弟を呼んだ食事を始めたが、19時過ぎ、俄かに弟が怒り出した。それは「楽しい会話(母説)」が一転して弟が酷く激昂し、異様な大声で威圧して物音を立て続け、不穏な威勢でまくし立てており、母親も戦意を喪失させる悲鳴じみた言葉を放っていたが、まあ母親は当然何の痛みも被ることは無い。親子の過ちは互いに備える以上、「楽しい会話」などと言う雰囲気を仮に作ろうとしても、些細な問題で瓦解する。知的障害の弟に対して健常らしい母は、普段から発言の仕方などに気を遣うべきであろう。



2016/05/26

本日は2時41分に起床した。この睡眠に関するメモがある→「19時50分に押入れ就寝を始めたが、それからは暫く携帯作曲関連の作業を少し行い、20時20分ころから漸く眠ろうとするも、21時20分になっても母は1階リビングでテレビを見続けるため眠りづらく、私は昨晩に続いて耳栓を着けた。その後、まだ第一アラームも鳴らぬ夜中に目覚め、主に左腕に悪い寝相だったため、これを正した。左腕は最初感覚が無く、右手で持ち上げたり触っても、他人の腕や手を引っ張る気分であった。次第に左腕に血が通る感覚を得るが、しばらくは左腕があげられなかった。それから間もなく、耳に着いていない耳栓のありかを求めると、なぜかポケットの中に戻っていた。時刻確認をしてまだ23時30分台と分かった。」

4時台と7時50分台にそれぞれ排便した。ところで、本日の向かいT家息女と見られる女児は、なんと眼鏡をかけていた。似合う・不似合いであるといった意見はない。4月16日の散髪現象にせよ、驚きもしないが、何だか無常にも変化し続けている急速さは言葉にできない。ただ言えば「ショッキング~」の一言である。息女の髪型を取り上げた2014年12月の記事でも、そういった成長という名の悪変を予期してアレコレと綴ってある。「髪の貴公子様がご指針をお示しあそばす」という一節などに私の想いが込められている。「どうせいつかは長い髪を等閑視する」ことは成長期の子供だし想像に難くなかった。T家息女は父親譲りで視力が悪かろうか?女児としてやや高めの身長は母親譲りか?これからも窓の先を遠目で観察するのみである。



2016/05/27

本日は2時27分に起床した。この睡眠に関するメモがある→「0時40分前に目覚めた。母が1階リビングのテレビを付けているが、母自身は憚らずにドアの開閉音や足音を大きく立てる移動が多い。連日の喧嘩といい、傍観している自分が一番憂慮している。それにしても、今のように母が0時以降の夜中に1階で騒ぐことは去年の12月(12月20日くらいしか記録の例が無く他に3月5日)まではもう少し多かったろう。0時52分に私がトイレにいる時、母は2階へ上がっていった。その後、私はキッチンに出ると、母は今までコーヒーを飲んでいたことが流し台の状況や電気ケトルの熱で分かるが、やはり自制心もなくして夜にも飲みたくてカフェインを摂っている。こんなわけだから、たびたび惰眠による問題が起こる。もっとも、一時のみ苦しむか、苦も苦とすら思わない人間にはどうでもよいか。だが物音を立てる異常性にせよ、夜中起き続けるにも、欲を抑えた静かな過ごし方があろうに。」

5時50分台、小さめの中サイズ2本の排便があった。弟がまだ登校を始めない7時25分から11時ころまで母親が1階リビングに居続けた。11時30分ころから再度中サイズ2本の排便があったが、同じく、元々尿意は薄かったながらに、排便の勢いを継ぐとなかなか多めに排尿される。2つの穴からスッポ抜かれる。午後以降にまたもう1度排便があった。



2016/05/28


本日も2時30分ころに起床した。3時台に保管ご飯1杯(0.7合分)の半分ほどを納豆で食べた。残りのご飯は7時前から、卵1個と混ぜ、牛肉(厚めで幅10cmほどに切られたステーキ用を5月25日に買い与えられたがこれをそのまま使うことはなく更に切り分けてある)ともやし(余談だが5月20日買い物で母は母用のもやしを買っていながら5月25日まで使わず当日の買い物でももやしを買ったため母親は狂い笑いしていたが無計画人間らしいと思う)と共に焼いた。先の調味料に醤油・中濃ソース・カラフルな胡椒を適量加えてあるが、加熱が終わってから追って中濃ソース・カラフルな胡椒を追加した。カラフルな胡椒とは、ブラック・ホワイト・ピンク・グリーンのペッパー4種の実であり、これを挽く機構の備わる瓶から掛けた。5月25日にこの実(S&B流通品)を母が買っており、前日27日に袋を開封して瓶に移したようである。もっとも、最初瓶に入っているペッパー類の実を見たときは特にグリーンとピンク(赤い)の正体が不明でパプリカ的にも思っていた。加熱の最中は、多めに掛けたペッパー類により、カレーのような臭いが強かった。追って掛ける前に味見をすれば、あまり刺激的な辛さは無かった。完成品は胡椒がスパイシーで、中濃ソースがフルーティな味わいを創出した。ちなみに、加熱後に追加で掛けた中濃ソースは、酢の力が強くて消化器系に悪い。

12時10分、1階に降りてきた弟が、2階でした話に続けて「ねぇお母さん、ウチにあるお肉、カラスにあげていい?」、「母: ダメに決まってんじゃん」、「お母さんが買ってくるお肉まずいもん!」などと本末転倒な主張をしていた。その後も、料理がまずいとかといつも通りの主張をしていたが、母の買ってくる肉類や加工食品(1月3日メモ)など母の調理が及んでいない食品にまで「観念的な不味」を主張している。彼は外出の直前である。アイスを買うなどといった話も聞かれた。母はいつも肉類を冷凍庫に保管するが、アイスに関連付けているのであろうか。

18時45分、珍しい車と初めて見る配達員の配達を確認した。車がどう珍しいかといえば、荷台の広い乗用車のようであり、トラックやワゴン車(バン)の類ではなかった。配達員は服装からしてヤマトっぽいが、だいぶ古びているように見えた。



2016/05/29

本日は2時14分に起床した。一度、0時ころに目が覚めたとき、母が2階でテレビを見ていた。4時50分過ぎから風呂(シャワシャン)を始め、5時50分に帰室した。



2016/05/30

本日は目覚めた際に携帯電話が寝床の押入れ内になく、起き上がって探す必要があった。十中八九テーブルの上と思われ、これを見つけ、2時1分起床を確認した。2時8分に母親が2階で声を発してトイレに入った。2時半から、前日1.6合炊飯の保管ご飯1杯分(0.6合)を使ってケチャップ納豆きゅうり焼き飯を作った。材料などの説明を省く。もちろん、一度に完成品を食いきることはないものの、今回は普段より多めに短時間で腹に入ったことを悔いている。大食いの悔い。

4時前に注いで毎日の略式勤行(朝の部)を挟んだ5時10分ころから飲んだ、ミルク・シュガー多めのコーヒーのカフェインパワーによる便意が強まり、5時50分ころからトイレに入った。先の食事においても、開栓から10~15日ほど経っている緑茶ペットボトルの最後の100mlほどをお湯で割るなどして飲んでいたり、昨日・一昨日に排便が無くも薄々便意があったりと、複合的な要因もあろう。しかしまあ、コーヒー1杯などのカフェインでこれほど強烈な便意や腹痛が起き、下痢にも至るとは、カフェイン節制の効果とも言えようが、過度な発現となれば2012年1月13日の大量下血同然に至りかねない。自分の体の調子は判断が難しい。思えば、あのような時期にはカフェイン恐怖症・コーヒー恐怖症とも言える状態であったが、下痢に関していえば、前の家の末期では、いわゆる乳糖不耐症か不明だが、特に冷えた牛乳による下剤効果に恐れ、牛乳嫌悪症(便宜名)でもあったが、これは本家記事2014年11月8日の"M1"にも触れてあり、症状が改善されたかシリアルとの摂取など中和状態で発生が抑えられる。

9時24分に母親が発車した。14時前に出しづらい糞の排便を行った。5月24日に書いたような自然性を重んじた方法に依ったものの、最初は覚悟が足らないために途切れさせた。

16時過ぎに弟、16時半に母が帰宅したが、それから10分ほど経ってどうも、通例の如き母と弟の争いが始まった。今朝に弟が出したゴミに関して母が「間違えがある、出すときは相談してほしい」という追及をし、これを端緒に彼らの喧嘩が始まり、断続的に再発し続け、19時前あたりからの夕食でも弟が機嫌を損ねた。弟が2階にいつの間にか上がった19時10分ころには俄かに大きな物音と破裂音が2階から私の部屋にまで轟き、耳に悪い。どうも、食器かコップ類を破壊したとのことであるが、これを聞いた母は特段怒ることもなかった。細かい破片について弟は掃除機を使いたいと言い、母はガムテープでやるよう促していた。それにしても修羅界や畜生界など悪道の本末究竟は恐ろしく思うが、そばで何も忠言を行わない奸智の私も同罪の謗りは免れず、地獄界が増長しかねない。だがまあ、死への覚悟を修行で育てれば、いつかは安楽にも近づこう。



2016/05/31

本日は2:20の第二アラームで目覚め、後に鳴る予定のアラームをオフにするも、それから少し眠りに落ちて3時過ぎに起床した。8時30分ころにトイレで大きめの一本糞をひり出した。9時10分に佐川配達員が来るも、直前までバタバタしていた母は急なトイレのために応答に遅れた。母親らしいの間の悪さであり、壁を隔てた空間に居る私がいつも居心地が悪いが、配達員が配達できずに帰る事態とならなかっただけ、今回はマシであったろう。