2022年4月17日日曜日

主体の認知性質が客体の亜属性に同化する現象とレイシズム、エイブリズム差別構造



もし「アジア(特に東アジア)の文字はみんな同じに見える」と言う英語話者がいるとすれば、そのように、彼らの認知の性質が、「アジア(特に東アジア)の各地で続けられている全体主義」に同化するものとなる。
そういう言説は、先にアジア各地域や人種の歴史と現代の習慣に見られる全体主義を多かれ少なかれ知っている上で、「文字」の僅かな個々の事例から全体化しているからである。
そのように、こういった人種差別(レイシズム racism)や、障害者差別(エイブリズム ableism)の傾向が認知主体に発生する現象がある。
※東アジアの文字は漢字から大きく影響を受けたものが多いが、時代や地理を広げると、モンゴル系やブラーフミー系も強い。どういう文字体系 (script or writing system) とそのうちの個別の文字 (an individual letter, individual letters) をそれら英語話者が見たかは、その人自身が必ずも明確でない時点で、そう言われる。それこそ、客体をすでにアジアとして同質化しているので、不確かな言説を出発点に調査することは限界がある。また、東アジアの人種にルーツを持つ英語ネイティブスピーカーのアメリカ国民がいた場合、その人が東アジアの人種の顔をどう知覚するか?いわゆる白人は同じ客体をどう知覚するか?いわゆる黒人(アフリカ系)は同じ客体をどう知覚するか?もし「アジア人(特に東アジア人種、いわゆる黄色人種を指す)の顔はみんな同じに見える」と言う英語話者がいるとすれば?

任意の認知主体 S が、任意の認知客体 Oa という属性で認知した後の亜属性 b に同化してしまう(もしくは主体自身に移したがってしまう)、という現象は、世間で広く見られる。
亜属性 b が、主体 S にとって良い印象であれ、悪い印象であれ、何かしらその Sb に同化する。
当記事では、特に b が悪い印象であるものが、人々にとって無意識であるばかりか、多く発生しやすいものとして私は例示する。
これは主体側の人々の、認知バイアス (cognitive bias)、防衛機制 (defense/defence mechanism) からの攻撃性として、言動に発露する。
そこから、文明と社会の差別構造を解明し、教育の目線から人権状況の改善を図ろうと私は模索する。



例1.1: 日本の新潟県長岡市 "Nagaoka" が、名古屋 "Nagoya" になる。
According to Bloomberg, its largest shareholder is the founder Tsai Eng-Meng, and second largest is Iwatsuka Confectionery, based in Nagoya.
英語版Wikipedia - "Want Want China" oldid 972834726, 959826202 版間の比較
;台湾創業、中国企業についての説明で、創業者と縁が深い長岡の岩塚製菓についての説明で「名古屋所在 "based in Nagoya"」とされた。典拠とされるBloombergのページでは、"Nagaoka"であり、英語圏のウィキペディアンがその理解の誤りを犯したろう。

例1.2: 日本の愛知県豊橋市 "Toyohashi"が、 東京 "Tokyo" になる。
Shaxware is a company located in Tokyo, Japan. They created a Proof of Concept, fashioning the Japanese National ID Card (My Number Card) into a FIDO roaming authenticator. They proposed to extend WebAuthn by using the external IC card as a primary digital certificate.
"2021 FIDO Developer Challenge: Outcomes and Winners". November 8, 2021

FIDOアライアンスからFIDOデベロッパー・チャレンジに関するアナウンスがありました。記事の中で弊社のことが触れられております。(ToyohashiではなくTokyoと間違って紹介されているのが残念)
Shaxware の Facebook ページ. 2021年11月17日.

綴りが似ていると思われた同国内の他の地名に、英語話者の脳内で認識が変換されるという例である。
韓国の平昌 "Pyeongchang" が、北朝鮮の平壌 "Pyongyang" になることも、類例である。
※韓国語と朝鮮語は pluricentric language の関係にあるが、綴り(正書法)に関しても、漢字に対するものに明らかな違いがあり、特に母音 ㅓ に対する /eo/ の綴りは韓国語の方法だと分かるものなので、こういうところも、個別の特徴を学んだ人であれば、一目で地名に対する国家的な違いが分かる。

既知の通り、名古屋市と東京(東京都または23区、旧・東京市)は日本国の中でも指折りの大都市であり、英語圏の編集者にとっては長岡と豊橋に対するもの以上に、認知度がある。
普通に見ると、この現象は「同一国の内でも多くの企業が所在する有名な大都市」に単純化されている。
綴りが一緒の別の都市 (e.g., cities named Miyoshi: Miyoshi, Aichi and Miyoshi, Tokushima) ならば多少は譲歩できる話だが、長岡と豊橋に対する認知的な誤謬の例では、綴りが異なるために、Googleなどで検索すれば全く異なる都市であると分かるものである。
「時間が無いから」といい加減に扱った、チェックを怠った、どころではなく、アジアの全体主義を知る人たちの認知構造がそれ自身に客体の亜属性を移入させた結果だとしか思えない。
彼らの深層心理が「どうせナガオカとナゴヤは同じニッポンだから "So the cities Nagaoka and Nagoya are the same as in their country Japan, anyway"」とささやいたはずである。

記号で整理しよう:
認知主体 S = 誰か英語を用いた人の認知機能(知能と精神)
認知客体 O = 1 ナガオカ, 2 トヨハシ
属性 a = ニッポン(大都市:1 ナゴヤと2 トーキョーを有する)
亜属性 b = 全体主義、反西洋の秩序、画一性

そんなにも、ナガオカとナゴヤ、トヨハシとトーキョーが似ているのか?
白人や黒人やネイティブアメリカンなどを差別したいのではないし、逆に東アジア人種を差別するつもりもないが、彼ら西側の認知構造がオリエンタルなものを見ると、東側の認知構造に一時的に変容するということを私は長年、感じている。
それなので、韓国人が作成したデータをもとに2012年に私は、以下の動画を投稿した。

『どの子が一番可愛い? Who is the cutest Asian?』




例2.1, 2.2, 2.3: 「ニート、ひきこもり」に関して、国際派の日本人と日系人3名:宗教家「メーダーみちか "Medha Michika"」、政治家志望の芸能人「谷山雄二朗 (Yujiro Taniyama)」、芸術家「マコト・フジムラ "Makoto Fujimura"」がインターネット上で発言した内容。
2019年に言っていた内容の引用、もしくは過去記事2019-07-15の例示。

Fujimura ツイートについて2019年に私が記録した例

彼ら主体にとっての客体 O は、「理想的なダメ人間」、「大多数の日本人たち」、「留学を拒む日本の学生たちとその国、日本」がある。
それら客体に、「ニート」や「ひきこもり」といった無関係の属性 a が彼らの中に想起されたのであろう。
フジムラ氏のみ生まれがアメリカ合衆国であり、父親が日本生まれの音声学者でも、日本語ができるとみなされないが、彼ら3人とも英語を理解して他の言語にも理解があるはずである。
メーダー女史はサンスクリットについて英語で説明する教科書を作り、谷山氏は日本について英語で紹介する著書を作っていた。
しかし、これらの発言には、英語の個人主義(定冠詞と不定冠詞と無冠詞の峻別=定性 definiteness)と合理主義と科学に関する歴史が適用されていない。
発言をした彼らも彼らなりの「ニート、ひきこもり」ステレオタイプを持っていて負の属性もとい亜属性 b が「無能」、「視野狭窄」、「口先だけで行動できない」、「夢が無い」、「将来性が無い」、「寄生虫」、「怠惰」、「大きな子供 (kidult)」、「鎖国(サコク sakoku)」などといったものであると、亜属性 b に同化し、こういう言論になる。
これにも「どうせ... "..., anyway"」という深層心理があるはずである。
個人主義をどう評価しようとも、彼らがまともなシャカイジン様であれば、なんだかんだで同じ人間、ヒト Homo sapiens sapiens として十人十色の特徴が想像できるのに、こういう認知的な異常さが出ている。

嫌っているものについて言及し、あまつさえ真似を無意識にするとは…、よもや「ツンデレ」であろうか?
こういう人たち(特に30代以上)には、すでに教育の力で基本的な倫理を得させるのも難しい、と長年、私は思っている。
学びそこないなのか、一時的な狂気なのか。
前回記事で「つける薬とは、個人の心理現象よりも社会全体に対するものだ」と記したこと(社会病理の意味、真意)が、当記事でも私は言える。
私は社会的な道理を、学問、芸術などへの意欲を通して学んだのでよいが、彼ら宗教家、政治家、芸術家のシャカイジンたち(会社員や準エッセンシャルワーカーである我が両親も同様)が普通に大卒学士号などの学歴であっても、その種類の学びに関係は無い。
彼らは病気が強すぎるのでないし、彼らに病気を想定しても有効な薬は無い。
病気の想定された社会に対するものとしては、存分に、薬がある。
私から社会に対しては、0.01 ppb くらいの濃度しか与えられない…、何たるポストモダンじみたナンセンスの言説であろうか?

現代日本の穢多非人、不可触民 (untouchable)であり、カースト差別と非人間化 (dehumanization) の被害者の代表格が、ニートとひきこもりになっている現状と、インターネット上の悪人 (troll) は誰でもニートとひきこもりであるように証拠の無い認定を行う行為に関する誤謬は、以下の記事にまとめられている。
2020年3月25日投稿『ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54300497.html

私が10代の時にどういう発言をした、ということも、あえて消さずに公開し続けるのは、当然、そういった社会の害毒を私も受けていてその結果でどういう発言をした、というのが分かりやすいように公開している。
たとえ恥ずかしくとも、汚らわしくとも、隠すことの理由としない。
宗教家、政治家、芸術家のみならず、TVタレント、有名人と著名人 (celebrity), お笑いなどの芸能人 (comedian) でさえも、人の心の幸福と平安、夢と希望と将来性、および社会の豊かさを壊す者が多い。
そのようなことを2014年の時点で私は気づいていた。
それでも、彼ら一人一人は、「世間の幸福を壊す悪の組織」(比喩であり、陰謀論でない)の下っ端(カモ)にすぎない。
彼らを含めた多くの人々を社会正義に一気に目覚めるための有効な手段が何であるか?
私は前回記事に、こう記した:
「心理の生理的な現象」自体をつぶそうとせず、確かな教育を老若男女に全てにゆきわたらせて原因を解消する、地道な努力しか、有効な手立てはない。
「見知らぬ人への攻撃という凶悪犯罪(うち宗教的な心情に基づくテロを含まない)」を無くするにも、急進的なものは何ら解決のすべではなく、ただ、同じように「地道な努力」のみが有効である。

2019年5月、外交官も殺されるような通り魔殺人事件が神奈川県川崎市多摩区で発生し、2021年12月、院長も犠牲になるようなビル放火殺人事件が大阪府大阪市北区で発生し、2022年1月、訪問医が犠牲になるような憎悪の殺人事件が埼玉県ふじみ野市で発生した。
そういう加害者も被害者も、日本国の退治されづらい「悪」の二次的な被害者にかわりない。
それら犠牲者が、どうお仕事ができてもできなくても、「非業の死(という名の社会的な連帯責任)」で殺された。
まず自身の心の悪を抑制することが「善」である。
そうして心を安定させないと、社会のための積極的な善はありえない。
私は幼少期から日本国で虐げられ、心の安定を失わされている。
誰もが意思で互いの福利厚生に資する行動ができるようになるには、心の安定を失わせるような社会の「悪」が排除される必要がある。





この「同化」仮説の問題点
・彼らの一時的な精神状態に関する脳科学、神経科学的な証明ができない。
;脳神経に関連する脳電図、脳波の方法。

・筆者の責任の所在が不明な場合や、匿名性が高い場合は、いわゆるその人種の推定さえできない。
;人種アイデンティティは当事者の自認でも構わない。



人権状況の改善、埋没した人権問題の発掘などを行うには、細かな例を見ていくことは大事だが、解決には学際的な作業が必要になる。
私は心理学を好んでいないが、心理学や認知科学全般に、この役割の一部分を担ってもらいたい。

こういった諸問題を日本国や大韓民国や台湾や香港など東アジア規模で解決しなければ、いつまでも「白人サマ、黒人サマ、人種を問わない英語話者サマがた」は「アジア人=東アジア人」、「そのアジア人はどれも○○なんだ」と深層心理で認知し続けるであろう。
私が一見して一般人でもネガティブに認知される属性を持っている立場であり、それを隠さず、はっきりと伝えよう。

SDGs「誰ひとり取り残さない」("No one left behind", "No one will be left behind" or "Leave No One Behind" LNOB)とある。
ひろゆき「無敵の人」(2008年、秋葉原通り魔殺人事件の加藤智大がきっかけの概念)と言われる。
どういうことについてであれ、誰かが「取り残された」と思い、「無敵の人」となって凶悪犯罪を起こすことが無いように、誰もが自由と責任を健全に行うことのできる社会の維持に努めてもらいたい。
文明全体、もしくは日本国に限る場合でも、その土地の人々が不幸な傾向があるのに、誰かが抜け駆けしたり、地方どうしの人口の争奪戦に勝者が出ても、そんなことでは共倒れに繋がるだけであり、SDGsでもなんでもない。
「誰ひとり取り残さない」人権状況の改善をして誰もが各々の立場を尊重して活躍できるようにしないと、地獄への特急列車に人々は相乗りして一人残さず堕獄する。

中学生のころから、私は何かにつけて自分の対外的な立場を改善したい、あわよくば抜け駆けしたい、と努力していたが、後に、それは菩薩の道でないと分かった。
そこで、人々の不幸なうちは私も決して幸福にならない、と認識を改めた。
私がもし評価されて金銭の寄付を受ければ、中国の土着信仰「布袋さん」みたく裕福になるとしても、それはそういうものなのであって何も「罪」でない。
富裕自体は、ただちに道徳的な悪や罪でないということが分かる。
しかし、それさえ私には無いのであろう。

さまざまな言語話者(ここでは主に英語)の持つレイシズム (racism)、エイブリズム (ableism) のから、文明と社会の差別構造を解明し、解決策を学齢期の教育に求めたい。
そうでないと、働く能力の高い人たちの能力が落ちたり、不慮の事故による負傷と労働災害や非業の死を更に多く招くことになる。
その教育のできる社会では、若い世代、新しい世代が自身の「他人の自由を過度に蹂躙しない程度の自由」で夢を追いかけ、スキルアップにつなげるし、自身に直結するミクロとマクロの社会の問題を真面目に考えることもできる。
私が実際に幼少期から、どれほど他人たちから虐げられようと、各種障害者、マイノリティについて我が身のように考え、健常者としてできる努力をしていたが、今の日本国、文明全体では、そんな素晴らしいことが実現されるとは誰もが夢にも思わない。





備考:亜属性 b が良い印象である場合の例

任意の認知主体 S が、任意の認知客体 Oa という属性で認知した後の亜属性 b に同化してしまう(もしくは主体自身に移したがってしまう)、という現象で、良い効果があるのかについても考えてみたい。
仏像(菩薩を含む悟りの人の肖像)を見て「心が洗われる」などとする意見。
視覚的な客体は単に有形物の側面でしかないが、そこからの精神作用は、関連する知識に由来する。
ほとんど仏の人格について知っているからそういう意見になるので、その人格の属性 aを知っていて尊いことに関する亜属性 b に主体が同化する。
当然、「三学(戒定慧)」の前提を除いたにわか作りの悟りというものは無いし(意味が似ている「頓悟」は三学があってこそ;本覚思想などもそういう経緯から言えるもの)、実際に仮の体験さえしているかも疑わしいのだが、それは人による。
「仏道修行をしたい」と一念発起するかも人による。
両萌相応などの件、リンク@。

本文での「同化」は、認知性質が知的怠慢を欲しているような神経生理的現象のようにも思える点で、「良い印象」プラスの効果というものは、かなり知的エネルギーの消費があるか、一時的な安心感などといった方向にある。
そのため、同列に語ることは困難である。





起草日:2022年2月15日
しかたなく、「亜属性(あぞくせい)」という造語を設けた。
これを英語で表現すると "subproperty"(sub- + property), "sub-property", "supproperty" になる。
ラテン語であれば "supproprietas" になる。
他に英語で表現する候補に attribute を用いたものを考えたいが、at- 部分は接頭辞 ad- であり、それを残して "subattribute" とすべきか、"subtribute" とすべきか、疑問である。
多言語辞書 Wiktrionary の英語版では、"subproperty" と "subattribute" の記事が見られる。
「下属性(かぞくせい、または、げぞくせい)」と訳することもできる。

当記事は、最初の1日に大部分が記され、2月16日からはずっと編集&加筆したことがない状態である。
ほぼ、下書きの状態で、当メモ帳の投稿周期(締切)を迎えた。
そのとき、「下書きと開き直って公開するにしても、不足がある」と思い、4月16日と4月17日に補強した。


2022年4月9日土曜日

心理のロリコンと、文明や社会全体のエイジズム、ルッキズム、セクシズム

心理学や精神分析学における「幼児退行 (regression)」の亜種としてのロリコンについて考える。
本人の人格の心理的傾向が指示対象である。
「幼女になりたい」、「わたしは女の子」、「永遠の15歳」などと。
キャラクタライズされたものでは「~でしゅ」、「~ですぅ」、「~でちゅ」、「~でつ」という語尾の役割語で連想させる場合(りぼんちゃんや翠星石は…)がある。
疫学的に、ある種の社会的弱者(低所得者を含む)に、この傾向が強いと思われる。
たとえ今が社会的弱者でない人であっても、背景にそういう過去があったり、人格形成期に負の影響が大きいことがある。
地域として、世界的な単語の「ロリコン」(lolicon, ただし hentai と同じく日本語での意味と異なる指示対象) の起源である日本国に限らず、近縁の大衆文化とポップカルチャーのファンであれば諸外国にも点在しているであろう。
SNSのプロフィール画像にその種のキャラクターの肖像を採用することに関しては、対外的なイメージ向上の意図に基づく場合と、ここでいうような心理的傾向に基づく場合とがある、と私は見ている。
同一人物のSNS投稿内容の傾向から、どちらの場合であるかを察することが可能である(私が当事者に質問して回答を得たわけでない)。



筆者による何らかの音楽イメージ絵、未完成 (ドキュメント20210728, scenery3; 20220409 edition)

どうせ「防衛機制」ならば、「昇華」に昇華し、私のようにロリっ子の絵を描きましょう…健全な。
「絵本に手加減して!」 by Nさん



目次



埼玉県越谷市在住1999年生の男性Aさん、自ら「性同一性障害 (gender identity disorder, GID; DSM-IVまで有効の診断名、アラビア数字に変わったDSM-5からは性別違和 gender dysphoria, GD とする)」と表明している (MtFとも表明している) (エストロゲン製剤、抗アンドロゲン剤などを2014年8月から飲んでいるそう)その人物は、「幼女になりたい」というフレーズを常用する。
Aさんは、自殺未遂で精神科の医療保護入院を受けた経験(2019年11月)がある。
アイコン使用例は、『ご注文はうさぎですか?』(ごちうさ)初回登場時で中学生のキャラクター(後で高校生)である。
Aさんの膀胱炎に関しては、女性に多い種類よりも、LGBTに多い種類(外出先でのトイレ利用の困難さに起因するもの)として、発症した可能性がある。
※英語で"transgender", "dysuria", "bladder"などのキーワードによる完全一致検索をかけても、日本語と比べて関連する情報が出てこないのは、結局、英語圏でそんなにトイレ事情が進歩している、ということなのか?
身体的性が男性で、トランスジェンダー女性であるAさんは、そういう意味で「同性の幼年、幼児」としての幼女を挙げるというよりは、とりわけこだわって幼女の特性を挙げていると思われる。
無論、特定ごちうさキャラ(ただし他のアイコン使用例もある)を「ザ・幼女」と称してそのキャラになりたい、ということでもなかろう。
※"I wanna be the guy"というのは、定冠詞があることで特定の"the guy"(ザ・ガイ) が想定されているのであって無冠詞"guy"とはなっていないようなものを意味している。有名なゲームの作品名としては実際に誰を指すのかあずかり知らない。日本語で同じ意味を表現する場合、定冠詞の語彙が無いか、有っても話者が常用しないので、このあたりは不明瞭になる。その人物は「ザ・幼女」を指定しているよりも、「誰かしら幼女」を想像して「幼女になりたい」というフレーズを常用すると私は思うものの、同時に特定ごちうさキャラを好いていることも投稿物から見られる。

他にも、「ロリータ系のエッチな漫画」を買った経験を話すこと(記録不明)などで半ば「いわゆるロリコン」であることを表明しているNさんは、女児のような話し方(ものまね以外)をすることもある。
私はその動画を傍証としたいわけでないが、参考までに例示する。
彼には精神科の措置入院を受けた経験(2012年3月など)がある。
男性向けアダルトものでなく、女児まんが(小中学生向け少女漫画)雑誌『りぼん』を2019年11月6日に購入していたことも、目的(主に説教か)が何であれ、傍証である。
上掲の動画は、彼がパンダの姿でいてたまたま女児が多く集まったという例である。
2019年11月24日の滋賀県大津市民が彼に向かって「ロリコン」と呼んだり、警察官が彼を念頭に置いて「ロリコン」と言ったりしたのも、彼が動画や写真で撮影した対象の演奏会参加者がたまたま未成年女性だった上で「(演奏者のうち最初に見た人物の)背が高いから子供だって分かんない」「後で音楽を聴きたくて補聴器だと音割れするから動画で録音した」「相手が子どもをおとりに使って自分をハメた証拠のために静止画を撮った」と話している。
典型的な精神分析学用語における退行の例は、2012年1月18日15時17分の動画0分6秒における「(複数の警察官らに対して)知りませーん(それまでとそのあとのどちらも敬語は使っていない)」が真っ先に連想されるものの、他に当てはまる例は過度に多いわけでない。
2019年11月24日の滋賀県警からの「ここは幼稚園でも小学校でもないよ」という指摘から、彼と口頭で話した人たちも、「精神年齢」に関する推察が露呈される。


参考までにNさんがどう、成人女性(外見と声の特徴)を相手にして話をするかだが、特に相手が女でも男でも変わりはないと思われる。
上掲の動画の原作 20180829-1635.wmv 14分のフルバージョンでは、「すっごい乱暴につかんだよね、補聴器。言葉の裏腹にはすっごい態度荒いね。〇×交流館とかそういうとこ、表面的にはすっごい言葉遣いよくても、内面的には…。『私にコレ、マイクを向けた』ってみたいな感じで」などと聞かれ、成人女性、成人女性、成人男性と別の関係者が出てきても特に態度の変化は見られなかった。
この件とまるで同じようなことが 20120308-1354.wmv 札幌市青少年科学館でも行われていた。
これと関係は無いが、「綺麗な女性(京都市にそれが多いのは醜い人を排除しているから、という陰謀論を語る)」ということの価値判断も分かるようである。

彼らは行政的に逸脱行動と思われることによって警察沙汰となったり、精神科の入院を受けることが経験されているので、「幼児退行」、「低い精神年齢 (low mental age or IQ)」が心理学や精神分析学や精神医学の観点では言われうる。
それらの分野がそういう立論でやってきた歴史経緯を私は知っているが、最新の知見がもしそうでなければこの限りでない、とだけ付言する。
彼らは解離性人格障害、解離性同一性障害 (dissociative identity disorder, DID) とまで至らずとも、未成年女児になりたい願望が多かれ少なかれある、と私は感じている。
色々な人がいて顔写真と本名を公開している者も、そうでない者もいるが、いずれも正直な話や心情(正確には:当事者に可能な言語表現の行使)であると見てよい。

たとえ精神科の措置入院を経験しない人であっても、行動の特徴で幼児退行が見られるうえで、同じような心理学的ロリコン現象が発生していることもある。
某サイト投稿者で、2012年8月まで激しいパンク系の楽曲を作っていたMさんが、2018年に別のコミュニティで再び見られた時には幼女外見キャラクターのアイコンを使っていて2019年には別の少女外見キャラクター、2020年にはオリジナル幼女外見キャラクター自作ドット絵(SD)をアイコンにしていた。
Mさんがリアルでどうかを詮索するにも材料は少ないが、2022年現在に33歳以上(根拠:2008年6月時点に18歳以上であることが確定している)の年齢で親の家に住んでおり、インターネット文化にひたっていてもパソコンを持っていないことは確かであり、どう譲歩しても「高所得でない」という特徴が想像される。
他にもアマチュア、同人、インディーズの音楽 (doujin, dōjin and indie music) 関係者で、素性を隠しながらもそういう種類のアイコンやアルバムアートを採用する人が、同様の印象で映る。
無論、「対外的なイメージ向上の意図に基づく場合(主に商業的コンセプト)」に関してはこの限りでない。



すでに「大柄な男(およびそれに付随する負の属性)」(少なくとも男女を問わず成人相当の外見)と客観的に(共同の主観性で)見られたり、自覚がある人が、かえって真逆の属性である「幼女」になりたいということは、これも結局、コンプレックスの一種であろう。
そういうわけで、すでに普及している語形から「ロリータ・コンプレックス (Lolita complex)」だと仮に呼ぶ。
無論、アリス・シンドローム (Alice syndrome), ピーターパン症候群 (Peter Pan syndrome) みたいな他の名称でもよいので、変更可能である。

もし社会的弱者に相当する人であれば、どうにも「(肉体とは別の意味で)弱いですぅ、私のことを守ってください~、庇護してください~」といった意図に重ねられる。
直感的に、そういうものとしては年齢差別 (ageism), 性差別 (sexism) に相当する。
個人主義の社会性(および自由主義の社会責任)を理解している私は、極力、自制している。
一般にいうロリコンの性愛を当事者の経緯で持つ場合は、ただその性的対象に近づく手段として「イケメンよりもロリ自身のほうになりたい」という考えを出発点にする個人もいるのであろう。
これには大衆文化における「ロリ百合」のようなジャンルの作品からの影響も考えられる。

心理学的ロリコンを学術的に見れば、認知的な幼女ないし少女の理想像のための「客体化 (objectification)」が挙げられる。
つまり、「心理学的ロリコン現象」までに、「幼女ないし少女」について理想像の材料を無意識で選び抜いて把握する過程が考えられる。
客体化のために、理想像における負の要素は、理想的に切除されている。
ただし、負の要素であっても、ギャップ萌えみたく、「大男をひねりつぶせる、最強で冷徹な『ぅゎょぅι゙ょっょぃ』」というものがある。
それもまた理想像に当たるのだが、「心理学的ロリコン現象」ではそういった負の要素が認知的に切除されている。
見ようには、任意の文化および文明全体に共有された「ステレオタイプ」に相当する。
ただし、私だって「永遠の14歳(人生がそこで止まっている)」だとかと言いたくもなるし、少女というか乙女じみたことをやりたくもなる。





「つける薬」とは、個人の心理現象よりも社会全体に対するもの

心理で彼ら個人たちがそうなること自体は「心理の生理的な現象」であり、いたしかたがない。
この社会が、言語でも文化でも「年齢差別 (ageism, エイジズム)」、「性差別 (sexism, セクシズム)」、「外見差別 (lookism, ルッキズム)」、「障害者差別 (ableism, ablism, エイブリズム;接頭辞 -ism の別の意味から健常主義とも訳される;直訳は能力差別でよいのでは?)」、「人種差別 (racism, レイシズム)」を内包していることに、原因がある。
日々の言葉遣い、風習、文化的な力のある作品(古典、宗教聖典)などで、我々は絶え間なくそういう影響を受けている。
その解放を企図していない人は、誰でも、社会正義としての議論を行えない。

「心理の生理的な現象」自体をつぶそうとせず、確かな教育を老若男女に全てにゆきわたらせて原因を解消する、地道な努力しか、有効な手立てはない。
「見知らぬ人への攻撃という凶悪犯罪(うち宗教的な心情に基づくテロを含まない)」を無くするにも、急進的なものは何ら解決のすべではなく、ただ、同じように「地道な努力」のみが有効である。
もろもろの当事者へ、経済的に支援や救済することおよび社会的地位を向上させることというのは、二の次である。

私は何か?
幼女の客体化は芸術的に行い、私の自由として、まだ文明で許されているため、「心理の生理的な現象」として行っている。
だから私は社会正義に背かないし、非難される余地は無い。
結局、教訓童話や仏教経典と同じで、そういうふうに仕向けないと、何の芸術でも悪の媒体でしかなくなる。

それについて私は注意しているが、諸賢からのご指摘を過去に一度もいただいていない。
主に日本語で活動しているため、日本国に社会正義を果敢に行う者がいないのだ…、と判断しておこう。
前にも「立正安国論」ということで、その正義の薬を文明全体(一閻浮提)の万民に施そう、という立場を表明している。
急進的なことをするつもりは無い。

社会病理とは、「個人の社会的領域に関する病理」ではなく、その原因である「任意の想定された社会全体が一個人=一個体であるときの病理」であらねば、何ら解決策を打つことはできない。
換言すれば、ひきこもり個人が社会病理なのではなく、ひきこもらせる社会全体に治療すべき病理がある。
なお、"social pathologies"が「社会病理」という訳語の原語とされるが、その意味するところは、任意の社会における特定の逸脱行為または行動 (deviant behavior and/or action, 主に自殺や種々の犯罪、詳細は英語版Wikipedia - "Deviance" oldid=1069286625を参照)であったので、文字通りに考えると誤解を招く。
また、この概念の名称は、日本語(歴史上の、および現代的な意味のどちらも)以外であまり普及しているように見えない。
フランスの社会学者、エミール・デュルケーム (Émile Durkheim) は、やはり個人の逸脱、特に自殺については、個人それ自身の意識よりも社会のほうにこそ原因がある、という仮説を立てることで、逸脱と社会病理の研究で先行していたそうである。
ここで、それがどういう立論であるのかを説明することは、煩瑣になるので、しない。
自殺の細分化(武士の切腹、ハラキリなどを含む)のことからも、ひきこもり行為をただちに精神病理と同質化して考えることはできない、と誰でも理解できる。
参考:2015年8月17日投稿『「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について』
https://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html

「ニート」や「ひきこもり(学会での改名案:社会的距離症候群)」の名称は、障害者の名称以上に愚弄されているし、エイブリズム以上に社会全体で真面目に考慮されていない。
次のように、ネガティブな表現における「引きこもる」という動詞の使用も、エイブリズム思想や障碍者差別感情の発露では?
引用:
「○○な考え方に引きこもって」という表現を母親が受けた某講座の冊子(6/10日記メモ)から見取ったのだが、こういったネガティブな表現にいちいち「引きこもり」の語を持ち出す理由が不可解だ。
悪しく用いたりするが、心理云々の講座の割に、配慮が何も感じられない。
どのような者が執筆し、誰の校正を受け、誰の許しを通してこんな低劣な講座の冊子が印刷され、流布してゆくのか非常に疑わしいものがあるが、当の母親も、その冊子に落書きで苦言を綴っていたりするなど、不適切な記述・謬見まみれの紛い物講座だと思えてならない。
—上掲、2015年8月17日記事 ※「心理云々の講座」とは、任意の通信教育業者による心理カウンセラーの講座の教材(冊子)を指す。これを受講した本人は、三日坊主(この慣用的表現は仏教僧侶への文化的宗教的差別用語でない)であり、他人の心理をいっこうに理解できることはなかった。なぜならば、本人自身が悪を自覚し、反省し、努力するという姿勢を欠いているから;灯台下暗し。大学の薬学部出身という学歴も、何ら、精神的な高尚さや向学心の高さに関連しない。下の弟が2022年1月9日に「心理カウンセラー」になりたいということを言っていたが、同じく、口先だけであって努力の姿勢が見られない。私は心理学界隈に無批判の憧れを懐いたことなど、2012年以来、一度も無い。

私は個人主義の保守性と革新性(順法と脱法の両立)を改めて主張している。
私は総合的に判断し、やりたいことをやるし、自省でも自制でもすべきことをする。
いつもの話になるが、「精神の死生観、苦楽の輪廻(1秒=一生)」とセットである。



筆者自身の感情を表現した2020年4月26日の絵 (元の掲載ページ)
人物は、2019年2月26日の絵の「話し手だった人物」であり、自画像でない。


筆者自身の感情を表現した2020年8月30日、8月31日、9月6日の絵 (元の掲載ページ)
人物は、2019年2月26日の絵の「話し手だった人物」であり、自画像でない。





反対の仮想、反例:他の「~になりたい」

・「ねこになりたい」などと動物になることの願望を言う人。
;発言者にとって、その「なりたい」対象が、性的対象としての様態を兼ね備えていない可能性が高い。発言者にとって「お気楽に見える」のであれば、お気楽に生きたい、という意思の投影として一時的にそう発言することもありうる。
;例えば猫の気持ちを理解したいから猫になりたい、と比喩で言うことは可能である。また、猫と仲良くなる手段で猫になりたい、と本気で思う人がいれば、病的にも、ほほえましくも見え、個人の例や経緯(発言の文脈)を見ないとただちに判断可能な心理は無い。

・緑ランドセルのお兄さんとして私を記憶している芽生ちゃんが2019年の高校卒業のタイミングに「引きこもりになりたい」とツイートしたこと。
;若い女性の一部に見られる自殺願望と似た種類?この場合は行為としての「引きこもり」に相当する。
;客体化された幼女と同じく「弱者」が理想化されている例?この場合は肩書としての「ひきこもり人物」に相当する。

発言に基づいて鑑定する場合も、結局は言語的な問題(冠詞の種類と有無)から発言経緯の問題まで色々と横たわっており、簡単に断定できるわけでない。





備考:男性の少年愛者、ショタコンの中の心理のショタコン

昔の自分に重ねて(自己投影して)少年に執着心を持つ人もいる。
同じく、「心理のショタコン」と便宜的に呼びたい。
ただし、単にかわいい子ども全般を性的対象とする小児性愛の人が、たまたま男性である子ども(慰めてもらった経緯がある特定の人または似た外見や声の人とか、髪が長いか中性的な外見である人など)を好んだ場合、この限りでない。
男性の少年愛がある人は、両性愛(バイ)というか性的対象が女性であることに加えて少年を性的対象にすることもできるという程度の場合が多い。
心理のロリコンが「いわゆるロリコン」の程度を強く持っているわけでないように、心理のショタコンも「いわゆるショタコン」の程度を強く持っているわけでない。
昔の自分に重ねて(自己投影して)少年に執着心を持つ傾向も、疫学的に、ある種の社会的弱者(およびその経緯がある)に多い、と私は見ている。
当記事では、男性における心理のロリコン(いわゆるロリコンと半分同じで半分異なる)について示したが、男性における心理のショタコン(いわゆるロリコンと半分同じで半分異なる)というのもいることを忘れないでもらいたい。

簡素に例を挙げる:
・先のNさんは2007年に2ch掲示板スレッドで「少年兵」を指定難病「二分脊椎症」など複数の障害を抱える自分よりも残酷だ(不幸だ)と憐れむ書き込みを行い、2008年に紛争地域の少年兵をテーマにした歌詞を作って歌っていた。更に、Nさんは2019年に別人格Tの状態で歌詞を「何もできないままの少年に…」と作り、自分自身の人生を歌っていた。
・三重県菰野町在住のKさんは2012年に「忍者の少年、ショタが主人公の『ナルト』という漫画があるんだよ」と発言した。同年、Kさんは「8歳の変態少年hm君」という題名の自分自身を映した動画を投稿していた。
;2名は、俗に言うナルシストの振舞いをせずとも、心理学や精神分析学におけるナルシシスト (narcissist) とみなされる面がある。そういう心理から、外でトラブルを頻発させるなどしなければ、ただちに有害でない。
・東京都在住のW. T.さんは2016年から彼の趣味をテーマとしたブログで、本題の趣味とは別に少年愛、特に子役の男子の話題をしていた。その後も、彼自身の肖像は隠す上で、幼少期の本人の写真を頻繁に素材として用いるなどもしている。とはいえ、彼には異性愛(ただし昔の女優など…、「おばあちゃん」のことも好き)もある。ずっと実家に住んでいるようである。

踏み込んだことは言いづらいが、身体的性が女性の人の場合も、これは互いの性が逆転する形で通用するはずである。
とはいえ、以前もフランス語のフェミニズム界隈、ポストモダン心理学界隈を見たように、母性とか、女性に特権化された特徴を踏襲すると、必ずしも精神構造や脳の機能が男性と一様でない、という仮説から、同じく、「男性における心理のロリコンと男性における心理のショタコン」が女性にあるなどと考えることは難しい。
男性ホルモンが異様に多い女性であるとか、産んだ子を守ろうと思わない(どういう事情であれ、すぐ捨てるどころか神戸市大学生のように手ずから殺すこともある)女性とか、新しい交際相手や内縁関係の夫と一緒に児童虐待をする女性とか、色々あるわけだから、私も最初からひとまとめにする気は無い。
ただ単に、焦点は「心理のロリコン」または「心理のショタコン」の属性を持つ人に当てておきたい。

Nさんだから「ノンバイナリー (non-binary)」、Aさんだから「アロマンティック・アセクシャル/アセクシュアル (aromantic asexual, aromanticism)」と頭文字で遊んで言うには、無理があろう。





備考:接尾辞 -ism の多義性

当記事では「接尾辞 -ism の多義性」を詳述しないでつもりでいたが、折角なので簡単に説明したい。
究極的には古代ギリシャ語 -ισμός (-ismós) に繋がるとしても、18世紀以降の学問の中で、色々な意味に使われ、日本の西周(にし・あまね)が、何かしらの必要性によって「~主義」と翻訳したことが、漢字文化圏では定着している。
e.g., 「フェミニズム」"feminism" に対する中国語圏での「女性主義 (Simplified Chinese: 女性主义)」.
しかし、意味によって単一の訳にこだわる必要性が無いことは、翻訳行為に詳しい人ならば誰でもわかる。
「自閉症」"autism" (auto- + -ism) のことを誰も「自分主義、自己主義、自動主義」などと翻訳しないようなものである。
同様に「リウマチ」"rheumatism"のことも「ロイマ主義(ギリシャ語 ῥεῦμα のドイツ語読みを採用)」などと誰も翻訳しない。
たとえそう翻訳されていた例があっても、普及していないか、今の人は誰も知らない。
「~差別」と翻訳しうる例は、その単語とその用法の多さから、私が説明するまでもないし、辞書サイトの一例でもその定義を示した項目がある。
これらで、多義性は証明されている。

接尾辞 -ism の話と異なるが、中国共産党(中略)
「ナニナニ主義 (-shugi)」という表現は、漢字文化圏独特のものとして理解しておくと、その中での交流には向いている。







起草日:2022年1月7日

出典に乏しくなるとしても、特定分野での仮説としては大いに有意義だと私は思っているので、とりあえず起草した。
これも憲法の個人主義について人々が考える上での材料になればよい、という気持ちで書かれている。

他の参考:
女々しい印象、女性的な外見に関する用語: Effeminacy
Kkonminam (韓国語/朝鮮語 Korean: 꽃미남)
Niang pao (中国語 Chinese: 娘炮)

韓国や中国の大衆文化で、日本の文化性が反映された例でもある。
前者は、漫画 (1992年)「花より男子(はなよりだんご、花男)」(Boys Over Flowers) の韓国語名称(現地のドラマ版でもある)「꽃보다 남자」から取られた、ということが一目でわかる。
後者は、「娘」という、本来、その漢字の意味として中国大陸に無かった「ムスメ=若い女子」の日本での字義を借用して以後の同じ漢字が使われている。
いずれにしても、日本と比べると全体主義の強い国々であり、中国では特に"effeminate man"の K-pop などが規制対象になりやすいことから、必ずしも良い意味で通じるとは限らない、と留意されたい。
憲法の個人主義をどう進めても、中国共産党 (CCP) の社会主義をどう進めても、"effeminate men"のような傾向は、実社会の中で強まるに違いない。
ファッションの新しいスタンダードとしてであればともかく、「去勢された社会的弱者」のような人における心理学的ロリコン現象と同様の原因による場合については、軽く見たり、弾圧したりすることは望ましくない。

なお、心理学的ロリコン現象を発現した男性が、後で女性と結婚したり、既婚であったりする例もあるかもしれないが、かなり少数であろうし、一時的な演技やモノマネの場合もありうる。
本気で心理学的ロリコン現象であった場合、結婚後にどうなったか、ということは別途、考察対象にできるが、実在性はいかがなものか?

オトメになりたかったオトコたち。
性別を問わないと、アダルトチルドレン (adult child, adult children; キダルト kidult, kidults; バルナブル/バルネラブル・アダルト vulnerable adult, vulnerable adults) が近い概念になる。
サナトクマーラ"Sanatkumāra"は「永遠の子供」と直訳できる、純潔さを表したサンスクリットやパーリなどインド言語での神格の名前(典拠:チャーンドーギヤ・ウパニシャッド7章ほか;神智学は無視してよい。文献のまとめられた過去記事は2018-02-10)ではあるが、同じ意味のラテン語"puer aertenus", "puella aeterna"などと言うと、指示対象が変わる(近代の心理学界隈がそうである反面、2000年前のローマでは Ἴακχος という神の呼び名で使った例がある点はインドの例に近い)。
トランスヒューマニズム (transhumanism) と、十界互具(じっかいごぐ)…、Nさん流に言えば「ト=十(とお)、ジュッカイゴグ」。

2013年ころ、学術的な作業の以前に私は色々とジェンダーの話題をしていたが、当記事に関連性が高いものには以下がある。
2013年7月31日『ああ、女になりたい』
https://masashi.doorblog.jp/archives/30152616.html
これはこれで「学者、研究者」自身とは異なる立場として研究対象にすることが可能である。
今でも、都合によってトランスジェンダー女性のレズビアンであるという「ジェンダーのアイデンティティおよび恋愛対象」を私は言っている。

ジェンダー論(男女平等、LGBTQ+社会的包摂)以外で、当記事に関連性が高いものには以下がある。
2021年7月11日『未分類マイノリティの考察、動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)と動画撮影障害』
https://lesbophilia.blogspot.com/2021/06/uncategorized-minority-webography-studies.html
トランスジェンダー女性のAさんも、結局は、「動画撮影型精神疾患」の岩間さんや、ライブ配信者(ライバー)たちを見ており(Twitterで岩間さんの最新のアカウントをフォローする行為を含む)、その人には、彼らの影響で行っていたと思われるいくつかの要素がある。
ちなみに、この記事を起草して20日後の1月27日、Aさんの住む埼玉県越谷市で、ライバー女性がリスナー男性(茨城県牛久市)によって殺害される事件が発生した。
ドロドロたる痴情のもつれと、盛大なる逆アンカリングと(越谷市ライバーつながり、かつ理論的ロマンス記事 2021-11-04で示唆された犯罪の現実化)に辟易する。



今回の記事を、2015年から繰り返されている心理学への風刺やジョークと見るかどうかは、諸君に任せよう。
次回の記事も、心理面の詮索が含まれたものである。
何を題材にしても、西洋文明が追及する社会正義の視座(科学の批判的思考と人権平等と普遍的価値)で私は執筆している。

投稿日の翌日:Nさん誕生日おめでとう。

殺人などの凶悪事件、凶悪犯罪心理学へのアクセスを示そう。
推察としては、「可愛さ余って憎さ百倍!」のネコ殺しを含めて「ぬこ、猫コンプレックス、ネココンプレックス、ネコンプレックス」や、「犯罪心理のロリコン」がある。
神戸市須磨区酒鬼薔薇聖斗事件、東京埼玉連続幼女殺人事件、狭山事件などが考えられる。
これこそ「エディプスコンプレックス」に執着するジークムント・フロイト狂信者が切望した、血みどろコンプレックス(コンフリクト)理論の現代版である。
複合語解釈「オイディプースが抱いたコンプレックス(属格の依主釈)」の意味であれば「酒鬼薔薇コンプレックス」か?


2022年4月3日日曜日

2022年3月中の日記メモ

2020年4月から続き)本文をコメントアウトで公開します。
ソースからご覧ください
ご不便をおかけします。

●口上
日記メモは学問・宗教・生活のトリレンマである(2019年以前の文言、復活!)。日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。

●私感
措置の例外として公開する当月の日記メモ:14, 28, 29, 30, 31日。

写真や動画を色々と撮っていることを私は常にしており、気まぐれでこの部分に載せてみよう。

2022年3月30日10時49分 撮影、色調補正


メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
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ソース公開措置の例外、3月14, 28, 29, 30, 31日の日記メモのみ通常公開
2022/03/14

本日3月14日は前日22時0分にPCをシャットダウンして就寝し、0時10分に夢精で目覚めて起床し、最低限の処理をしてから0時22分に再び就寝し、2時2分に喉のイガイガ不快感と痰の溜まった感覚から目覚めて起床し、その処理をしてから再び就寝し、5時53分に起床した。寒い時期には、とくに1週間前までは、アラームで覚醒してから1時間近く横臥している状況があったが、暖かくなってからは、こういう質の悪い睡眠のもとでも比較的早い段階で起床するようになった。本日の第一アラームは5:37であった。最近、多少の痛みはつらい気持ちになるものの、実用上は酷使しても何でもないような感じがしてさほど気にしなくなった。9時台、名刺がわりに「LINE ID & QRコードカード」、「LINE ID & QRと本名カード」、「LINE ID & QRと活動名カード」をデジタル作成した。印刷対象になるそのデータを眺めて「オマエ何十人ナンパするつもりだよww」と自分で感じた。その段階で「オタク系の人ってみんなDiscord (ディスコード) を使っているご時世だな」と思った。やはりそうですか、じゃあ。そのアプリをスマートフォンにインストールして設定してから、改めて印刷対象データの編集をした。11時18分に一段落した…、と思ったが、まだ補足事項があることを思いだしたり、字体の修正などの必要性に気づくなどした。11時28分に一段落した。13時28分、郵便物を取ろうと屋外に出ると、右手側から人が走ってくる感じがしたが、気にせずに身を乗り出すと、ジャージ姿のポニーテール女子中学生1名であると分かった。彼女はこちらを見ていったん走るのをやめたが、再び走り、私が郵便物を取ってから彼女の方を見ると、左手側に移っている彼女がこちらを見ていた。髪の長い一見美人で口ヒゲの生えている半袖姿の私のことが気になるか?13時37分、同様の外見ポニテJC 2名が、その先のポニテJCが進んだ方向から歩いてきた。学校指定鞄も背負っている。何か私の行動を真似している手ぶりで談笑していた。

13時38分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、16時12分に自室へ帰った。18時40分台、家の他人2人がまたしても鍵の件でもめた。結果、平日に先に帰宅する人が低い能力であるために、後に帰宅する人は、普段から鍵を日常的に使う、ということで今更ながら譲歩した;というよりは、普通の人ができることをこのクズ2人はできないようだったので、少し普通の段階に接近した、ということである。


2022/03/28

本日3月28日は前日22時19分にPCをシャットダウンして就寝し、2時12分に「ドコドコとやかましいので耳栓を外すと、1階に弟がいてさらには2階に母親が移動するなどしていたようである」と記録される出来事で目覚めて再び眠り、5時42分に起床した。最近「金華、金花」の逆アンカリングが多い。今月16日の最大震度6強地震によって脱線した東北新幹線の事故現場で、走行中の新青森行き車両は北にある白石蔵王駅に向かう途中で脱線し、物理的慣性で進んだ後、最終的に全ての車両が「金華山神社」のトンネルを抜け出た地点の宮城県白石市大平中目 (1, 2) で停車した。それ以降、「金華さば」(スーパーの商品)とか「金花茶あめ」(家の他人の注文した商品のおまけ)とか、逆アンカリングがリアルで目についている。他にもインターネットで見た地名にもあった。3月14日に閲覧した「きんいろモザイク」、「金髪」が根源かもしれない。桜よりも金の花(菜の花、ウクライナ国花?ひまわり)を見ろということか?『きんいろモザイク』(漫画、原作)だって作中に、「桜が咲く頃に」始まって終わることが触れられている。「花金」は、「花のような金髪少女」。11時43分から外出し、13時2分に帰宅した。近所の桜の樹々は5分咲き以上である。14時22分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、16時18分に自室へ帰った。19時6分、18時40分台に帰宅して2階にいるはずの母親が私の部屋のドアをノックして私が返答すると「昨日の洗濯物出して」と意味不明のことを言って2階に戻った。これの意味は後で理解できたので、さておく。2階で母親はイオンネットスーパーの関係者に苦情の電話を入れていた。「さっき電話した時は高校生か大学生みたいな男のオペレーターが『上司にかわります』と言ってからブチッと切りやがった」とか「最悪のお店だよ」とか「5分くらい保留の音が鳴るじゃん」云々と言っていた。なお、以前に1度思ったが、母親は静岡県湖西市の職場で「じゃん」「じゃんね」という言い方が定着して伝染したみたいである。上の弟の埼玉県上里町、本庄市での群馬なまり伝染みたいな具合である。「伝染」に差別の意味はありません。本日の外出中にも店舗内で高齢者たちが「108円じゃんね」などと言っていた。



2022/03/29

本日3月29日は前日22時55分にPCをシャットダウンして就寝し、5時34分に起床した。6時20分台、1階洗面所にある「次亜塩素酸塩、水酸化ナトリウム」が主成分である洗濯槽クリーナーを使った。らくちんズボラ系の商品は、まずそれを使用する前に、使用対象に対して手動で最低限の可能な清掃をするのが礼儀である。この場合、洗濯槽に取り付けられたフィルターのようなものにたまったゴミの除去を意味する。10時56分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、12時51分に自室へ帰った。
追記:当の洗濯槽クリーナーが注意書きの通りに使われた結果は、大したものでもない。多くの人が望むほどの洗浄効果は無かろう。家の他人が買ったものである。当然、私は過炭酸ナトリウム100%のものを適量使うほうが効果的である、と思っていた。それであっても、事前と事後の「礼儀」というプロセスが伴うと思う。




2022/03/30

本日3月30日は前日22時33分にPCをシャットダウンして就寝し、5時11分に起床した。6時25分から便意のためにトイレへ入り、コロッ糞を排出した。7時33分から便意のためにトイレへ入り、4個の小サイズのものを排出した。前日「これほど野菜、肉の料理や、果物入りヨーグルトを食べたのに『神経生理的反射、プラセボ』の便意が皆無であるとは」と愕然として「どうせ明日の朝、予定で早めに外出するつもりなのに、便意がすごいんだろう」と思った。また現実になった。おかしな体である。8時3分から外出するも、マスク忘れ、グレージュのトートバッグをまさぐり、「他のバッグ類にはマスクの備えがあるのに、なぜこのバッグにはマスクの備えをしなかったのか」と愕然とした。一旦帰還したいが、母が去るまで待つことに。なぜか普段は8時5分までに発車する母が、8時10分になって家を出る遅さ。一時帰宅してから、マスクの備えを含む準備をし、弟の外出さえも待った。8時50分に私は再び外出した。ハローワーク豊橋での職業相談が目的である。合同庁舎(ハロワ)→名古屋地方裁判所豊橋支部→徳田家具→emCampus (まちなか図書館、駅前窓口センター)→大国ビル→芸術劇場Plat→駅カルミア→ファミマ(なんとセルフレジ)→14時15分の一時帰宅→近所の桜の様子見→14時34分の帰宅となった。案内された16番窓口でいただいた情報:「求職登録が無効になった場合、マイページで有効にできる」(1月12日にもらった紙のうち1枚と同じものの改訂版が渡され、これは1月12日のものと違ってその内容が追加されている);いただいた提案:「長い文章を話すことに抵抗がある場合、紙に書いて(こちらの解釈:印刷して)見せる方法がある」、「ここで精神保健福祉士・看護師などのカウンセリングを受けることができる」。桜は近所以外に、市街地の「白山比咩神社 吉田天満宮」でも見た。県議補選で当選した竹上さんの「竹上豆腐店」(近所のスーパー1軒やドラッグストア1軒に取扱なし、駅ビルのスーパーには陳列される)はそのすぐ向かい側にある。ハロワの求人票で取った2個「あおやま」と「イッティー」は、『ごちうさ』のキャラクター2名「青山翠(愛称:ブルマ)」と「ティッピー」みたいに見える。カルミア地下1階、さすがはアニメイトそばのガチャガチャ。そこでは『ウマ娘』を求めるぽっちゃり女子と、『転スラ』を求める青い小太り男性(無関係、カップルではない)という、なかなかのお似合いな光景が見られた。下りエレベーター2機のうち上りエレベーターと対になっている1機のそばに、色々と広告があったが、例の『きんモザ』劇場版"Thank You"のBD & DVD広告が見られた。ガチャエリアに隣接するプリクラのコーナーも大盛況。ドラッグストアも美容関係を目当てに来る人が多い。なお、このカルミア地下1階には以前に3回(12月11日、不明の日〈1月12日は寒い夕方に体力を取られたのでありえず、2月4日は市街地でバッテリー不足に気づいてから電車まで急いだのでありえず、2月9日は立ち寄った印象が無い〉、3月8日)来ている。1回めと2回めのどちらか、および3回めに『東方LostWord』のガチャガチャが見られ、いずれも第何弾の数字(絵柄は前者が古明地姉妹、後者がプリズムリバー三姉妹)が異なっていたし、設置の位置も全く違っていた。3回めには最も北の最下段にあり、ジャージ+短パンの女子中学生みたいな人物がしゃがんで見つめている様子もあったが、今回はどこにも見当たらなかった。結構、入れ替わりが早いという印象である。

16時21分に母親の車が家の前に着いた。水曜日はパートでなくフルタイムのはずである。行きは遅くて帰りは早いという異常なことで、こちらの行動計画の妨害がされた。19時2分、豊橋市役所ホームページを見ると、『大好評の「豊橋まちなかモノ語りマップVol.1(水上ビル)」の改訂版を発行しました!』という3月29日付の見出しがあったが、「豊橋まちなかモノ語りマップVol.1(水上ビル)」というのは、たまたま本日の芸術劇場Plat訪問で手に取った実物である。これも逆アンカリングの一種「逆逆アンカリング」(一般公開の情報としては私の施行よりも先であるという一類型)である。実物の裏面ケツにも「令和4年3月改訂版」とある。1階リビングTVラック前で、「2022年度 クリーンカレンダー」5枚がこれ見よがしに飾られていた。私はクリーンカレンダーを emCampus で取得しているので、当然、私はその5枚を必要としない。



2022/03/31

本日3月31日は前日22時58分にPCをシャットダウンして就寝し、5時53分に起床した。2週間ほど前から「右耳たぶ付け根の裏の同じ部位における慢性的なニキビ様の腫れ(にきび、吹き出物、粉瘤腫、表皮嚢胞、アテローマ、アテローム、毛嚢炎、尋常性痤瘡)」が感じられていた。4日前をピークに(裏だけでなく表にも影響が出た)、漸次、腫れが薄くなり、本日7時台にはほとんど治った様子である。1度や2度、少量の排膿(血が混ざる)をしていたものの、前年11月3日に撮影されたときのケース比べれば、極めて少ない。出血が続くようなことは全く無かった。とはいえ、比較的近い首筋に新しい腫れが感じられる。9時9分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、11時17分に自室へ帰った。19時台、NHK News Webに『大切な道、ふさいでいませんか?~「点ブロスマホ」の危険~』という見出しの記事が載っているのを私は見たが、前日にちょうど、そのような光景を外で見ていて「万が一もあるからこういうのはアカン」と思っていたところである。これも逆アンカリングである。それとは別に、杖を持った高齢者が点字ブロックの無いところで色々と顔の向きを変えながら歩いている様子も見ていた。この人が私には視覚障害があるように見えたので、実際に視覚障害のある人が表で歩いている、とも外出中に感じられていた。逆逆アンカリングでは、「高知市にある高知競馬場で29日に行われたレースの直後、コース上にたぬきが現れて話題を集めています」という31日付けのニュースが、「ウマ娘(競走馬ゲーム)ガチャガチャをする、たぬき風のぽっちゃり女子、高知ではなく高校生?」という前日現実に見られた現象を指し…、ルッキズム、セクシズムとか言われそう。そういう話題の記事の原案を1月に起草している。





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