2015年6月29日月曜日

6月24日の日記メモとその後の出来事の記録

日記メモまとめ記事は毎月のはじめを予定しているが、5月中のまとめ記事は5月31日と、早とちりになっていた。
その月末投稿の理由が思い出せなかった私には「早とちり」で結論がついたが、月末投稿の理由、動機を思い出した。
5月中の学術的メモ帳の記事投稿数が4月中と同じ「9本」と、数字が揃うようにしたかったからだ。
もちろん6月中の日記メモは、月が変わるまでに急いて投稿するような思考は無いため、7月の初め、3日ごろの反映を予定している。
そんな日記メモまとめ記事で載せる予定の"6月24日"の日記メモに関して注釈する事項がどうにも多く膨らんでしまったため、今回の記事で別個にまとめている。
・・・メモ帳投稿ペースを維持する上で、当記事を以て水増ししたい意図もある。

そういうわけで、以下、通常の日記メモまとめ記事と同様の方式で掲載する。
なお、来月の初めに投稿する日記メモまとめ記事では、当該メモ関連ではメモ本体を載せた後に、当記事に誘導するよう注記する。



2015/06/24


6月24日、思えば5月下旬と比べて6月は始めから涼しい日が多かったことだが、たまに日も出て日中汗ばむ温かい日もある。今日はまさにそういう日なので、本来の私は燦然たる陽気の下に洗濯魂を燃やしたことだろうが、今年3月の母退職から日々失せていっている。当人が一日中家にいるため、私が思い切ったことはその退職以降とても実行しづらい。洗濯・炊事・掃除のほか、外出にも間接的に関わっている。

今日は朝8時前からシャワシャンしたのだが、本来の私ならその衣類を午前中に洗濯して干すことを考え付くはずだが、洗濯という行為そのものに関しては「明日の母買出し中に寝具の洗濯でもしようか」と、明日のことだけを考えていたほど。洗濯日和の今日という日に洗濯をする考えが起こらなかったのも「洗濯魂が日々失せていく」ことに関連している。

13時半から1階に居座っていた母親が15時半になり2階へ戻ったためリビングに繰り出ると、洗濯機を回している音が聞こえる。もともと今日の母は朝方に普段じゃありえない食器洗いと別の洗濯を済ませて、私が浴室から出て一連の作業を済ませた頃までに惰眠を始めたようであった。その朝方に済んだ洗濯を思うとき、今洗濯されているのはどこからか出た新しい洗濯物で、私のスウェット含む衣類ではなかった。私の衣類は洗濯カゴに取り残されたままである。

母親は夜中より朝方の変な時間まで起きた後、この天気の中に正午過ぎまで惰眠を貪った挙句、遅れて始めた洗濯は私の衣類でなかった。あの母親の洗濯では、近頃スウェットが生乾き・生臭く、日光に当てた干し方でないことが明確に感じられる。この期に及んで謎の新参洗濯物がポッと出てくる不思議にまた悩みが増えた。この際なので、今後の方針を決めることにした。

シャワシャンについても過去に理不尽な不満を押し付けられ、それを飲み込んで自分の身を削るようにしていたため、この件も含め新しい方針を母親にメールをもって知らせた。愚鈍な人間性からくる種々の邪難に、ただ受身でいるだけだと、ますます不健全に進んでしまうため、正当な道理をして改善しようと思う。

俗に「老人の痴呆に付き合っていられない」と言うが、更年期障害に輪をかけた痴呆症のはじまりが如実に伝わる母親の理不尽な行為・欺瞞の邪誑に付き合うと身がもたない。ただでさえ自由を束縛された身で、これ以上縄をかけられるのは御免蒙りたいものだ。

あなたの低劣な「クサイクサイ」という口癖は、もう少し自己を顧みて改められたい。自他もろとも冷静に精査できる人は、もっと色々なところに問題を生まず、否母親は、自分が問題を作っていたり、そもそも問題を抱えていることを気付きさえもしていない呑気な人だ。この新しい方針を実行するにもまた気負う点が大きいのだから、母親の「カフェ関連」なる動機での退職などなければ、全て順風満帆であったことと思わずにはいられない。

追記1: 17時30分台、外からおかしな声がゴソゴソ聞こえるので「おかしな声」とつぶやいていたところ、突然インターホンが鳴った。1度目に障子の隙間より様子を窺うと、インターホンを鳴らす位置より離れて立つ、声の主か知らないが手ぶらの若い男性が家の2階の方を見上げていた。二度目を鳴らして何事もなく去っていったようだが、今後も警戒すべきだろう。母親は2階にいながら終始動かなかった。似た先例としては、2012年10月頃にも、疑わしいバイク男性と同一人物か不明の男性がインターホンを鳴らすことがあった。

何だかまたおかしなことが続いているようだが、私が悩みの種を増やさないためには、独り言など一切の言葉を封じ、行為も自重するところにある。無駄な考えも止めて、食って寝るだけの日々を過ごせばいい。運の悪さ極まれば、この他に生き延びる術が現代日本では無くなってしまうようだ。それでは生きる意味など、残りもしない。

今回の出来事は、今回の日記メモへのあてつけがましくて吐き気がする。上述のみならず、私に「もし一人きりだと酷いことされる」という憂慮を起こさせようとしているのだ。2012年10月の不審人物も、件の記録の通り弟がタイミングよく帰宅したから命拾い(?)した。「母親が復職して家にだれもいなくなれば殺される」などという気を植えつけたがる陰謀だ。先例のバイク男はそれまでも1週間ほど出没していた男だが、今回の男は初めて見るし、いつも良いこと悪いこと儚い一過性で、先例の男もいつの間にやら一度も姿を見せなくなったため、こいつも何でもないことを望む。

追記2: 18時過ぎになり、母親は突如として車を走らせた。帰ってきたのは19時半頃で、買出しに行っていたようだがその動機は「弟の靴の買い替え」らしい。弟は中1の時に超オーバーな28cmの靴を2足(通学用とオフ用)買い揃えられたが、中1の私なら24.5cmでも少し余るほど。中2の始めには26.5cmという今の私の適正サイズほどの靴に買い換えたことからも分かるとおり、やはり学年屈指のデカい弟とて中1で28cmは過分だろう。しかも1年かそこらで何足も買い換えているが、私が中学校進学前に買ってもらった2足は共に24.5cm、片方は数字が同じでも中3でキツさの余り処分し、もう片方は2013年以降滑りやすさから辟易しつつ同年11月23日19時の外出の帰りに踏み切りで滑って転んだため、やむを得ず処分を決めた。

ところでまあ、先の方針メールでは木曜日の買出しを見据えた要望を冒頭に「今回は味噌ラーメン1」と綴ったが、当然これを見ずして性急な買い物をしたことになるため、買われた食品が肉・野菜・牛乳・納豆と、冷蔵庫の品は普段どおりに充実するが、他は和菓子1個きりである。普通の運びを想定して計画・行動する(木曜日の寝具洗濯も危うい)私をまたも阻害したが、本日はまことに融通が悪いようだ。2日ペースで買い物したなら、次の月曜までに金曜日も買い物に行くべきだろう。
蓋し今回の原因は、短期間の内に靴をブッ壊し続ける弟だろうが、こんなに1日でおかしなことが続くこと自体異常だろう。



当記事注1: 翌日6月25日=噂の木曜日に洗濯できたのかといえば、悪い予感のままに出来なかった。ただ出来ない理由としては想像し得ないもので、朝10時過ぎに良好な天気を確認してから、洗濯を始めようと掛け布団のカバーを外した後に洗濯機の蓋を開けると、そこには先客がいた。弟の体育着等の一晩漬け置きである。結局布団の中身を再度カバーに収めるという骨を折る作業だけ追わされたのであった。かくして今後当面の間は寝具洗濯計画は進まないのであろう。梅雨の合間を縫って機会を見つけようとするのは性急なのだろうか。11時1分に複数の情報を記載したメールを送信したが、24日のメールを含む実際に読んでからの返答は15時を過ぎた頃であり、いつも通りふざけながら「確と読まざるを読みたりと謂ふ」様で、放言づくし、話が噛み合わない。

当記事注2: この6月24日の買い物品の受け取り時には洗面所に置かれた歯磨き粉の話も合ったが、これは私が、同日昼頃に歯磨き粉がなくなる寸前であることを母に示し、処分を決めてもらうためであったが、やはりここでも要領を得ていない答えばかりで気が滅入った。結果的に、洗面所収納スペースに保管されている新しい歯磨き粉を用意したが、即日私が使うことはなかった。翌日もまたしかりだが、どうもこの話し合いに参加していない弟は、翌日の6月25日にせよ翌々日の26日朝にせよ、食後におニューの歯磨き粉を使って歯磨きしているようだ。なくなりかけのものは使いたがらなかった人が、堂々と新品は使いたがるというところが都合が良い。靴はすぐボロボロにするところなど、身の程を知ってもらいたいものだ。

当記事注3: 6月24日の変な男性は6月25・26日など、姿を見せることはなかったが、変わって26日19時過ぎには子供用スケートボードもどき(2010年前から普及してきた、ブレイブボード?キャスターボード?ウェーブボード?Essボード?リップスティック?)にうまく乗れない金よりの茶髪の160cmほどの男性を見た。6月26日には雨の中、片手で傘を差して後ろに人を乗せた曲芸みたいな自転車もいたが、二人乗り自体ほとんど見かけないのに何故こんなキチガイが。スケボーもどきに乗れない男性に対して曲芸が得意のキチガイなど、他にも変わった人ばかり。やる気が俄かに沸いたとき、いきなりクラクションの音が短くならされ、萎えた。何もいないのにクラクションを鳴らすキチガイも稀にいるが、一日で5人以上ものキチガイが別々に出ることは無い。また、住宅街の通りにあって、アナウンス多き救急車・PTAカー、夜には青ランプのパトカーも。6月27日は朝~正午までに幾度となく「甘くておいしい」を喧伝する車が家の近く(家の前の通りには来ない)を通るが、それに続くセリフが肝心なのに一分も伝わらない。音が近づいたり遠ざかったり、車の動きが狂っているのか音響が狂っているのか。それと、同じセリフの伝わらないPTAカーでも、即座に家の前を通過するのと違って、近くを低速で移動しているらしく鬱陶しい。聞こえもしないセリフで、自他共に何の意味も無いどころか、騒音で他の心を惑わせるキチガイだ。


2015年6月24日水曜日

有名なフレーズ・引用する文・故事は典拠を探して原文を確認する

先日の拙論文では、後書きにてその論文の題名の由来が有名なフレーズをもじったもので、更にそのフレーズの原文も引用して少々説明を行った。
そのフレーズ自体が本来の原文を漢字五文字に短縮した略語であるため、該当箇所の適切な範囲を正しく引用しておいた。
"当記事の頭で「社会即宗教論」と号したが、これは天台大師の摩訶止観の一節「若深識世法即是佛法(若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり)」を略した「世法即仏法」を由来とする。"

思えば、元々仏教関係自体、経文などの「文証」を示す決まりがあるのだが、今のネットを見ると情報が一人歩きしており、ましてやその原文が如何なるものか、探しもしないのではないか。
すなわち、誰かの投稿に引用されたフレーズを我が物に孫引きしているように見える。
私の場合それに留まらず、しっかり原典より原文を探して、それと思しき箇所を確認したところで納得がつくものだ。
故に、先の拙論文においても、日本のネットではあまり引用されない長めの原文を示した。
ついでにいうと、この拙論文ではドイツの学者の言葉も引用しているが、それはなお有名であるから、Wikipedia記事やWikisource原典を探して確認して、URLリンク付きで引用した。

仏教以外の書=中国などの外典や、西洋や近代日本の論文など、Wikisourceをはじめ、真面目に探すと原文が見つかることも多い。
それでは仏教関連の場合に私はどうしているかというと、まず大聖人の御書なら創価学会の検索システムが便利であり、続いて御書以外の経・論・釈ならば大蔵経(大正蔵)DBを利用する。
どちらも知らない人には難しそうで、私もいずれのサービスの存在を知った当初には難しく見え、利用には消極的だったが、検索したいワードを検索欄のあるページで打ち、検索すればよい。

特に大蔵経DBは、新字体や簡体字・繁体字などの原版(旧字体)と異なった表記で検索しても、指すところの同じ漢字が引っかかる仕組みも備えている。
例えば、「経」や「釈」は旧字体・繁体字だと「經」や「釋」であり、多くの書のデータがこの旧字体・繁体字の字形を多く採用しているが、こういった違いで検索結果ゼロになることもない。
漢字が主体の世界において、これは稀に見る親切設計だと評価したい。
※私が大聖人御書を引用する際は、校正がしっかりとした日蓮正宗版を用いることもある。



それでは、今月中に「あの格言・あの譬喩」の原典が何か、或いは訓読文の典拠が示されるだけで原文の漢文が如何なるものかなど、探した答えをまとめようと思う。
聞いたものが訓読文の場合に大蔵経DBで経・論・釈を探す時は、元の漢文を推定してから検索することも多い。
その他、訓読者や引用者の表記ゆれなど、適宜加味して検索ワードを考慮する必要もある。



大石寺第六十八世日如上人猊下が「第二祖日興上人御生誕七百七十年 奉祝大法要の砌」において撰時抄の一節の講義をされたそうだ。
上リンク先ページの最初の閲覧が2015年6月8日、この時から6月21日まで「非想非非想天の欝の頭」と「飛ぶ狸」のことが印象に残り続けていた。
6月21日にその逸話について色々と調べたのだが、典拠と思しきものはなかったものの、新たに知ったことが「鬱頭羅弗」の「羅」は「藍」の方が一般的、サンスクリット名の「ウドラカ・ラーマプトラ(パーリ語でウッダカ・ラーマプッタ)」の音写には、一般的な「欝頭藍弗」の他に「舎利弗→舎利子」となるに同じく「欝頭藍子」という表記もあり、「弗」は漢訳すると「子」を意味し、片親の名前に付けて作られた苗字で、アメリカ等の「父姓・父称姓"son"」にも似たものである。
蛇足だが、プトラ名はサンスクリット語でプッタ名はパーリ語という表記と、プッタ名もサンスクリット語だという説明がWikipedia内でバラバラなのだが、合理的な根拠はあるのだろうか。
その他、「欝頭藍弗」が三界の最上・非想非非想天=有頂天の悟りを出家間もない釈尊に示したところ、釈尊はそれを即座に体得してみせたが、それでも真の悟りではないと覚って満足しなかったという、某漫画的な話(私の主観)も見られた。

6月22日になり、再度典拠を探してみたところ、経の中では「佛本行集經 (闍那崛多訳)」に「優陀羅迦羅摩子」として欝頭藍弗が登場しており、それらしいストーリーも見られた。
続いて有名な「大智度論 (龍樹造 鳩摩羅什訳)」では、特に日如さんの言葉とそっくりな形で見つかった。
「久しくして定を得て非想非非想天に生まれた」という表現が「此人久後思惟得定。生非有想非無想處」と類似している。
「下生すると、飛狸、飛ぶ狸となって諸々の鳥や魚を殺し、無量の罪を作って三悪道に堕ちた」と「下生作飛狸。殺諸魚鳥作無量罪墮三惡道」もそれであるため、日如さんは恐らく大智度論を典拠にこのことを話したと思われる。
逐語的な話し方では初心者に難解の説法となろうが、おかげで私などの中級者には原典を参照しやすく、良い一面もある。



「誑惑の正本堂 崩壊す!!(還御を寿ぎ奉る - 魔の殿堂 正本堂 音を立てて崩れる)」の「大聖人の御遺命 耳朶を打つ」にて御書より「滝泉寺申状・撰時抄・立正安国論」を引用している箇所がある。
いずれも本来は経文か釈書の訓読文で、数ヶ月以上前から「どれかが涅槃経由来」という認識があったが、曖昧であるためこの際、明確な典拠を探した。

「若善比丘見壞法者。置不驅遣呵責擧處。當知是人佛法中怨 (大般涅槃經 - 曇無讖 訳、慧嚴さんのものは後の修正版=添品妙法蓮華経みたいなもの)」
「寧喪身命不匿教者身輕法重死身弘法 (大般涅槃經疏 - 章安大師灌頂 撰)」
「若有正法欲滅盡時應當如是受持擁護 (大般涅槃經 - 曇無讖 訳)」



有名な四箇の格言のうちの「禅天魔」の説明では「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」が言われ、御書では「蓮盛抄」のみに引用される。
「蓮盛抄」は、禅宗の根本教義を厳しく呵責し、木端微塵に破折し尽くす内容である。

この引用文の典拠・涅槃経には多く「魔の所説に随順する者が魔の眷属」と書かれており、粘ってようやく「仏の所説に随わない者が魔の眷属」という文章を見つけた。
すなわち「若有不隨佛所説者是魔眷屬」という箇所か「是佛所説。若有不能隨順是者是魔眷屬」という箇所になる。
前者には「当に知るべし」と「是の○は是れ」などの対訳がなく、後者にはその二点の対訳あれど、新しい表現が増えている。
私の浅学では、どちらが「蓮盛抄」の当該箇所であるか判定不能で、また他にもっと当該箇所にそっくりなものがあるかも見つけられない。

他に印象的な「願ひて心の師と作るとも、心を師とせざれ」という涅槃経の一文も調べたが、「願作」で「寶積部・涅槃部」を検索すると「願作心師不師於心」が出てきた。
実に涅槃経の出番が多いことを実感するところである。



法華経の正義を示す無量義経の有名なフレーズ「四十余年未顕真実」は、大蔵経DB (大正蔵)において「四十餘年未曾顯實」となっている(新旧字体の違いに機転を利かせて)。
「未顕真実」と「未曾顕実」では意味は大して変わらないが、使われ方は当然前者の方が一般化しており、実際に天台大師・伝教大師はもちろん、日蓮大聖人も多く引用された。
ある者は「異訳本があるのだろうか?」と見ているが、どうだろうか。

大蔵経DBの当該ページの冒頭に訳者の曇摩伽陀耶舍の言葉が述べられ、そこでは「復云(またいわく)未顯眞實」とあり、「未顕真実」の語を用いている。
「四十余年未顕真実」の語が抜きん出て有名でも、このことは未だ知られ難いようだが、人々はやはり原文を見ずして探さずして、好き放題に「○○経には~」と言っていそうだ。
件の大蔵経DBと私が称している元は、高麗大蔵経といって日本と異なる地域の経巻を参照しているらしく、日本では「未顕真実」という文字列の経巻のみが伝わったか?

※7月1日になり、このようなページ(リンク先)を見たが、ここに「未曾顯實」について触れてあり、真偽のほどは判断しがたいが、参考にはなった。こちらでは、その序文が「荊州隱士 劉虬(りゅうきゅう・るく)」の説だと書いてあり、私が「訳者の曇摩伽陀耶舍の言葉」と上で書いたのは誤解で、確かに大蔵経DB当該ページにその「劉虬」作と表記されている。



でもまあ、少し考えてみると、小難しい原典や原文を随所に書かれては馴染みの無い人にとり、難解に思えてしまうだろう。
日蓮系仏教関連では、大聖人の御書・経文などから直接引用することが多いが、経文なら訓読文・そして現代語訳(通解・意訳)を載せることも多い。
私はこれらからも原理主義ならぬ原典主義として、多少の難度はあれど原文を重視していきたいが、場所によっては手段を選んだ方がよいこともあろう。



追記: 2017年中
本文中の「知道寺ホームページ」さんのページのリンクを、同サイトのコンテンツを全て引き継いだ(法水瀉瓶)「聞仏寺ホームページ」さんのページのリンクに差し替えた。
旧 http://tidouji.la.coocan.jp/gosinann/housyuku770.html
新 http://monnbutuji.la.coocan.jp/gosinann/housyuku770.html

2015年6月21日日曜日

超・社会派は共産党・共産主義=まさに社会主義!社会人は共産党を支持しよう!

☆社会即宗教論☆ 


世界共産主義の総本山は中華人民共和国であり、共産党の親玉が中国共産党(中共)である。
俗悪な情報を検閲し、更に政府や公権力に有害な情報を統制することで、民心の統一を図り、より国家の生産性(労働・農耕など)の維持のために計らっている。
中国では、難解な漢字を平易にする「簡体字」を採用して、国民レベルの教育を広げる。
一部、中国国内の学者が「伝統破壊」と嫌っていても、それはもはや、中国の一般人民に受け入れ難いだろうか。
金銭的・時間的に教育の余裕が狭い庶民、ことに地方の農村などでも、最低限の教育水準に達するよう、高官が教育改革に腐心している。

中国大陸は古く世界に誇る技術・伝統などを有しているが、現代の中国では、芸術・娯楽・宗教が「民心を蕩かす、耽溺すると堕落する」として、敬遠されやすくなりつつある。
労働一辺倒で大量生産などを国是とする上で、それらは労働に背く雑念を生みかねない。
日本国内に、韓国や台湾や香港の芸能などが伝わりやすくとも、中国本土は芸能のイメージが希薄である点は、ここら辺の認識から互いに異なっているし、そういった中国の価値観が相容れないからこそ香港は「イギリス返還」をされてからも、独自の自治能力を保つようにしている。



このような現代の中国を見ると、社会の生産性のために全てが最適化されており、「社会性」が極まった姿、まさに究極体なのだと惚れ惚れしてしまう。
「共産党」が標榜する「社会主義」とは宜なるかな、と感嘆する。
日本国内で「社会的」ということを誇張する人の生温きことよ、と洛中の人が島猿を嗤いき。
日本の誇り高き「シャカイジン」様の一切が中国に永住し、粉骨砕身されることを推奨する。

中国とは、人口十数億人を抱える、地球上最大規模の国家であり、今は相対的な指数(人口密度、一人当たりGDP等)が劣れるとも、いずれは飛ぶ取り落とす勢いでうなぎ上りか。
そのような中国の経済などが良くなることは、取りも直さず世界の経済なども良くなることを意味し、とりわけ中国と交流が深い地域ではその度合いが顕著となろう。
中国は本土は元より、世界中の国と地域に「華僑」と呼ばれる在外中国人が多く住まい、大都市には「チャイナタウン」等の社会集団を形成している。
中国という国家を源として、その恵みが華僑を伝って他国にも流れるのだ。

日本国内の中華街などは、地域振興に一役買う観光資源・都市シンボルの程度で、本来の在日中国人の交流拠点としての性質がほぼ失せて、その見地によれば形骸化している。
今の日本においては場所を選ばずとも、生活に苦労しないのかもしれないが、これはやはり政府主導のグローバル化の浸透によるところだろうか。

日本に生まれ育ち、国籍も先祖も現代的政治構造が成立して以来日本人である人々が「在日華僑」となるには無理がある。
そのためそのまま中国本土に永住し、共産主義の本国にして世界の大黒柱の支柱としての使命を胸に刻み、重労働に邁進する。
これこそ、名実共に現代の中国人たるべき人材に異ならず。



社会という巨大宗教において最大の聖訓が「働かざる者食うべからず(エリート田吾作の座右の銘)」であり、これを肝に銘じて滅私奉公の戦いに勤しむのがその構成員である。
その宗教に尊ばれるものは「八百万」にも似た、数多の金持ち・高収入・高官である。
みなが社会活動・労働に精を出せば、お金という即物的なご利益を受けるという道理だ。
果てに、財産を貯めて名声を馳せ、既にいる他の金持ち=神と肩を並べ、誰でも大衆を前に神としての顔を見せつけ、またそれを拝む者も眼前の神を尊び自らも神を食い破らんと野心を起こす。
体には真っ赤な血潮が流れ、胸にはいつでも赤い旗が靡いている。

その超社会派・共産党の共産主義=社会主義=マルクス経済主義=唯物教の教祖とも言うべき「カール・マルクス」が、宗教は麻薬などと同様のものだと唾棄している。
「民衆のアヘン"Die Religion ist (中略) das Opium des Volkes."」という発言であるが、これの解釈について後世の人が種々論じており、ことにJCPは保身的に糊塗するものの、やはりそういった人物の言葉を巡る論議は付き物かもしれないし、マルクス自身の真意は現に排・基督だろう。
ともあれ、かの時代にあって、かかるアンチクライスト・アイコノクラストの暴言は、聖職者からの罵声を浴び、敬虔な信者からの瓦石を被ること免れ難き所業ではないか。
だが、これほどの破天荒にあることも、思想の確立に必要不可欠なのだ。
主義推進する者達は、彼のような気概を労働に回し、空想に現を抜かすことは断じて禁ずべし。

この宗教の信条は「社会主義」であり、余事に対する思考など、詮無き空理空論に尽きる。
「社会主義」等の他に、健全にして強固な文明など築けようも無いのだろう。
教祖マルクスが大成した理論上の社会主義を、長久且つ大規模で実現してみせたのは大中華人民共和国のみであり、ソ連は退転した腰抜けであるから、大中華に従って行くべきだ。
そして、他の主義思想を掲げる政党など不要で、中国共産党の独裁政権・寡占支配でのみ太平天国が実現される。

既成宗教と全く相反している「共産主義」も、その先の願望は既成宗教と同じように、人民の幸福、国土の安泰、世界の平和、これら諸々の繁栄がある。
下々の民はみな押しなべて無心に労働する、さながらロボットとなり、不穏な思想を惹起して不穏分子を増やさぬよう計らわれる。
社会主義の下で、自分が生まれ死にいくことさえ考えてはならず、ただ現世に奉仕し続け、死はその結果論でしかなく、寧ろ身命を喪うとも骨を砕いての殉死が悦びなのだろう。
何のために人類を繁栄させるか、それは果てしなき野望か、限界を知らぬ追求か。
もはやそんな思考さえ不毛で、沸くことさえもなくなるまでに地球人類の意思の統一が完遂されることは、まだ一つの関門を突破したに過ぎず、見据える先には星の外、銀河の果て・・・
まずは至高の共産主義国家・中国で、みなが躍起になるところこそ第一ステップなのだ。



これら文言に満ち溢れる中国や共産主義の魅力と将来性を刮目して尚も、永住の決断に逡巡する日本の「シャカイジン」様に残された救いの道は、「共産党支持」のほか断じて無し。
自分の代は日本で共産党を支持しておき、日本で子供を殖やして少子化を改善。
最高の社会に向け、思想統一が大前提なのだから、往々にして殖やされた子供が「中国で重労働したい」という将来の夢を持つよう育てるべきで、その他は雑念に過ぎない。

ここまで文章を書いた私自身、共産主義を支持する立場かといえば、その逆である。
また、こうした思想から社会をより良くしようだとか、社会に貢献したいという気も一切ない。
更に言えば、特定の政治思想や政党を支持する立場でもない、ただの18歳である。

私への自己分析は「反社会的」といわずとも、「脱・社会人」と看做している。
その「脱社会的」な生活にして「脱社会的」な思想を根本とし、今やその「脱社会性」が自身の生命に刻まれているのは、生を受けて以来のことだとも考えている。
過去記事に「世俗の名利とは無縁の境涯」という言葉を称することで全て決着が付く。

「脱社会性」とは、未だ分明ならざるもので、多義性を含む。
犯罪など主だった反社会的行動がなくとも、社会より隔絶される者達を指す言葉として私は捉えているが、今後は社会学者連中がもう少し議論して、判然とすべきでなかろうか。
同じく私が提唱した「ネイティブニート」という語も、言葉を脳内で浮かべた人の領域でしかないから、何か闡明すべきものがあろう。





あとがき

当記事の頭で「社会即宗教論」と号したが、これは天台大師の摩訶止観の一節「若深識世法即是佛法(若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり)」を略した「世法即仏法」を由来とする。
私の浅学だが、「世法は即ち仏法なり」、「社会は即ち宗教なり」と読み下ろせる。
それぞれ概ねの意味はだいぶ異なることを留意されたい。

当論文で語った社会主義について、同じく仏教的に個人的な意見を申し述べると「色心二法というものがあり、色(しき)とは物質・肉体など、心(しん)とは精神などで、それらは一体にして不二である。この意(こころ)を知れば、唯物論も唯心論も極論であり、双方の色と心は中和されていることが本質。私は特定の教団に属さない者だが、そもそも現代社会自体が即物的思考にも似てきて、宗教にも無関心で、少し知った気になるとやれカルトだ、そういった言葉しか世間からは聞かれないことが誠に遺憾だ。もちろん法を知らざる形だけの信徒や檀家なども愚昧である」。

日記メモにも触れた6月15日の母との会話の中で、「外に出ない」ことを「反社会的」と、笑いを含んで軽口に言われたが、その時に私は「『反』とは多分だ。脱社会的と言う方がいい」との旨のみを即答した。
このような会話内容は当初の話題とそれた無駄な戯れで、母からいつものように移行された。

私の母は仮初めにも日本共産党支持者である。
だが、未だその政党の真髄の片鱗さえ知らずに購読を始めたしんぶん赤旗が、アレルギーだったようで3ヶ月ばかりで解約した。
この記事で全貌を説いて明かさんとしても、そもそも「社会」という言葉から反吐が出るという価値観があり、それを耐えながら矢継ぎ早なる速度で文章をしたためた。
皮相的な与党批判・安倍政権批判に対する不満が一致しただけで支持するという動機などは軽佻浮薄であり、共産党支持者でありながら真実を毛ほども知っていないと判ずるが故に、予て思っていたことを論文にも似た調子でエクレアを食べるように急いで書き上げた。
その執筆開始が6月17日朝6時頃のことで、1時間半もすると2,000文字を超したが、私の文章能力のみならず、予て思っていたことを素直のままに書き上げたからであろう。

「社会性」を論じる、まして母親という、子の模範であるべき人が不純な「カフェ関連」の動機か知らずとも退職し(実体不明のガン治療に託けて退職したこともある)、退職後の生活が不規則的な就寝・起床時間などを見るに「脱社会派」にも似ている。
定年退職後の人が毎朝ウォーキングなど習慣づけていることとは全く異なる。
生まれてよりこの年に至るまで人間関係も希薄で、数少ない関係者・学校教師などへの不穏当な当たり方は枚挙に遑なく、もはや「反社会的」ではないか。
是の如き輩が自身の非を顧みずして、人のことを安易な牽強付会であげつらい、「反社会的」と軽口に唱えるなど、魯鈍もここに極まれりといったところか。

母も「脱社会人」という区切りに入りそうだが、それは中途半端な程度でしかない。
私が理想とする脱社会派の鑑は、古く人里を離れ山林に閑居した求道者たち。
彼らは世間の家業などを手放した反面、徒らに他人へ危害を加えたり干渉はしない。
母親は暇さえあると人を振り回しているその実態は、日記メモほか記事に詳らか。
是の如く観ずれば、「脱」の文字にも、母の如き「放逸・逸脱」型と、私の望む「解脱」型の2種を区別し得る。

ネットで言論をなせる私は未だ生半可の領域にとどまるも、それにも及ばない母は、他の鑑定、自己の分析にすら迷える者だ。
結局、としこおばさんに始まり、流されて生きているに過ぎず、今は自由というより自堕落に寄ってきているのだろう、元々悪質だったものに磨きがかかる。
テレビの芸能番組などでケラケラ、時には奇声を上げることもあるそれは、思考を停止したが故の盲目さ、あるいは虚勢でしかない。
孝子の慈悲による諫言・啓蒙は、生来頑迷固陋の人に通じ難いようで、毎度徒労に終わるように見えるとも、今後も続けて参りたい。

民主主義の上から、このような拙論文をしたためたが、いずれにせよ、共産党員の方々へはお騒がせ致したことと思う。


2015年6月16日火曜日

B H V W、準じてF Pの互換性 & Vから派生したU W

日本語では「は」の濁音"ば"、半濁音"ぱ"、仮名遣い"わ"に共通される。
「破」の音読みは「は」とされるが、古くは仮名遣いで「わ」となり、今も化石的に残る「不破(ふわ)」もあれば、「は」の連濁で「看破(かんぱ)・喝破(かっぱ)」など半濁音となることもある。
WとVは、例えばドイツ語のWが英語のVの発音をなすことは、少し外国語をかじり始めた2012年の頃の私でも知っていた。
ギリシャ文字の"β(ベータ)"は、英語でいうVの発音に似た単語例が多いと同時に、ウィキペディア→Βικιπαίδειαで、英語のWの代わりを担っている。

キリル文字の"в(ヴェー)"は、英語でいうと"V"の発音になり、典型的なVの発音の例で真っ先に浮かぶのはтверь(トヴェリ)だ。вск(フスク)やмосква(モスクワ)などは、カタカナ表記でロシア口語発音に近いものとなっている。
フスクの地名の例が思いの外「ハバロフスク」の他になく、フスキーなどの形なら人名などに多い(接尾辞-ийは所有格や形容詞を作るっぽい)。
本題と無関係な蛇足で、「ウラジオストク」のウとオにあたる箇所もвが綴られるが、実際の発音は「ヴ」系統(ヴラヂヴァストーク)。
なお、英語でいう"B"の発音は、キリル文字だと"б(ベー)"がそれにあたる。

トヴェリを意識したきっかけが、日本語で転載されたロシアの事故動画を2013年未明に初めて見て、同年別の時期あるいは翌年中に日本転載以前の動画を探したところ、ロシア語で撮影場所の都市名と大通りの名前が書かれた動画(6nNfAmHrDX8)があり、その通り沿いに動画内より商業施設が接していることを確認して、都市内各地の通り沿いを航空写真で分析し、ストリートビューで確証を得た。



6月14日の日記メモに、上述の勉強内容に関する経緯が語られている。
同日の軽い勉強では、記事にするボリュームに足らない感覚があった。
同メモ内で「仮に材料が豊富でも、それを整列して平易にするには週単位で時間がかかることは、過去の同様の記事の通り」とも吐露した。
6月15日の勉強もたまたま14日のものと疎通するため、記事のボリュームに富む。

6月15日は普段どおり仏教宗派の勉強として、古文献のデータを読み漁っていた。
その中の一つ、室町時代のもので、やや仏法と離れた方向で興味が惹かれる既述が多々あったが、色々考えさせられる日本の古い地名と氏族を思った時、たまたまラテン語使用の古地図の一つをWikipediaで眺めることとなった。
すると、様々な発見があったが、中でも"H"の発音が現在のドイツ語ラテン語"J"と同様に、現在の英語の"Y"に相当するものであることは興味深い。
"Hizu"なら伊豆、"Hizumi"なら和泉であり、これは一見して気付き難い。
まあ日本の地名を口頭でのやりとりで音を捉え、一つ一つラテン語表記にしたと思えば、必ずしも全て同じく適用される法則だとはいえないため、"Hietchu"は越中と同じ法則でも、"Hitchu"は備中(この場合の"H"は英語の"H"相当?で濁音化?)として異なる。

同地図で他に強いて興味深い一例を挙げるなら、先述の「B H V Wの互換性」にも強く通じるものにしよう。
この旧ラテン語の古地図では"V"が母音を持つ場合、英語の"W"に相当し、"V"が母音を持たない場合、英語の"U"に相当していることが見て取れる。
前者の例として、出羽が"Deva"であり、安房・阿波が"Ava"である。
後者の例として、島="Insula"の語形変化(複数主格とか)である"Insulae"が"INSVLAE"と表記されている。
同時代の別の地図(TYPVS ORBIS TERRARVM)であっても"AVSTRALIS"などに見られる("長いS"表記の"Russia"や"Cuba"などは一応"u"と書かれるが後述するように小文字の時のみ"u"形だったため未だ"U"自体は誕生していない)。

思うに、この当時は"U"や"W"が未だ存在しなかったか、あるいは多くの言語で未だ普及していなかったかと思う。
少なくとも、この地図での"V"の使用法は、後の"U"と"W"が、"V"より派生したのではないかという仮説を生じさせてくれる。
いやまあ、それをもう少し検索などで調査すると解決できるのだがね。
でも既に上がった日本語地名の表記の例で、普通のローマ字のごとく"U"が振られていることの方が多いため、この"INSVLAE"は擬古の表現、あるいは"U"と"V"の未分の時代を示すか。
もしかしたら、これら"V"の表記は全て大文字であるから、小文字"u"の大文字があたかも"V"の形状をしているだけで、文字としては同じなのかもしれない。

英語版Wiktionaryを漁ってみたが、期待通りではなかったため、続いて日本語版Wikipediaを探すと、期待に沿った答えが出た。
すなわち、「V」の記事には、仮説の概意と同旨の一文が記述される。
「この表記は当初は大文字は下のとがったV、小文字は早く書くために下の丸いuだった。」
本当に一文のみ引用しておいたが、この他にも同記事で仮説の答えが出ている。
ウプシロン"Y"を原型としているアルファベットは多くあるが、ウプシロン本来の発音の一つが"ウ"であることを思うとき、キリル文字の"у"も"ウ"と発音されることを思い起こす。
ロシア人に"PY"を読ませると、「ル」と発音するのではないか、とおかしくなる。

また、TERRARUM地図では隣接し合うノルウェー・スウェーデンが"Noruegia" "Suedia"と、"U"が"W"の音をなしていることがよくわかる。
"Ava(阿波・安房)"や"Deva(出羽)"の前例では"V"こそが"W"の代用であった。
面白い例で"Vuoqui"があるが、これもヲクィと発音して「隠岐」である("Foquy"で伯耆を示すのはなぜ?)。
無論この"V"も、"Ava"等と同じ"W"の音をなしていることとなる。



当記事は6月14日・15日に気の急かれるがまま書き上げ、16日4時44分に反映した。
件の日記メモでも、「助動詞『る』」の記事について触れたが、この記事のような数週間に渡る吟味などを経て投稿した状況と異なるため、内容が不足する反面、煩雑かもしれない。
とはいえ当該記事でも、一生懸命練り上げた用例等の順番の整理が不完全ではある。



追記: 6月26日
日本語の発音、ことに漢字などの音の変化の原因を知りたい場合、中国方面のみならず、時には西洋の言語もかじってゆく必要があることは当記事の流れの通り。
同様のブログは中々見つからないものだが、例えば本日の調査ではとあるブログを見つけ、当記事のようにキリル文字やギリシャ文字を引き合いに出した記事を探し出した。
勝手にリンク→http://blogs.yahoo.co.jp/itouk_khanczy/39542564.html
また、同ブログの既述にあるこちらの検索フォームも、諸漢字圏の発音調査に便利で、今までWiktionary一辺倒だった私に一つ希望が、でも「ジョク」の発音検索で「濁」が出ないの残念。

たまたま別件で調べていたところから、このような(リンク参照)Wikipedia記事を見ると、ページ最下部に「Template:子音」が視界に飛びつく。
ここに当記事の疑問の根本を解く答えが内在している。
発音時の唇や舌や気流の動きが、その音を作る特徴になっていること、普段は意識しないだろう。
この観点から言うと、なんと当記事で指すところの"B H V W (F P)"等は、ほとんどが「両唇音」にカテゴライズされ、"V"のみは「唇歯音」とされているそうだ(両唇音系の類似形含む)。
故に全てが、諸言語において密接であるとも言えるのである。
また、この他にアルファベット等で結びつきの見られる子音にも、発音の仕方に疎通する点があることも見て取れ、今後はこちらの面でも重視して学びたい。

なお、冒頭に『「破」の音読みは「は」とされるが、古くは仮名遣いで「わ」となり、今も化石的に残る「不破(ふわ)」もあれば、「は」の連濁で「看破(かんぱ)・喝破(かっぱ)」など半濁音となることもある。』と書いてあるが、後で学び直して少し間違いに気づいたので、以下のように修正したい。
『「破」の音読みは「は」とされるが、ハ行転呼という現象によって過去に仮名遣いで「わ」となり、今も地名に「不破(ふわ)」として残る。「は」の連濁で「看破(かんぱ)・喝破(かっぱ)」など半濁音となることもある(言語学的には本来の「は」が半濁音とされていて看破・喝破という語に現れる半濁音は条件的に本来の音が残ったものともいえる)。』


2015年6月10日水曜日

己心空間のトポニム問答

我が故郷・埼玉の地名について少しだけ考えていた。
記事タイトルの「トポニム"Toponym"」とは、ギリシャ語根分解で「場所"Top-"+名前"-onym"」を意味する英単語である。

問ふ、につくわうかいだうの彼の鄙びたる地、何ぞ粕壁と称さるや*。
答ふ、都より来(きた)る人、彼の地に下りらるれど、そこに家(やかた)ひとむねも無きなり。其の土を栄えん*と欲し、やうやく粕にて壁をこしらへたり。故に粕壁と名づくるなり。

問ふ、去(いぬ)る平成二十一年より、三百尺の高楼聳ゆれど、これまた粕にてこしらへたるか。
答ふ、かかる"タワーマンション"は、鉄筋コンクリートにて建立せられり。勿憂。

※「称さるや」は当初「呼ばれんや」としたかったが、どちらにしてもネット上にまともな用例が無い。助動詞「ぞ」で「何ぞ」と用いたいときは係助詞であることを念頭に「何ぞ粕壁と称する(連体形)」か「いかにぞ粕壁と名づくるor称せらるる(連体形)」がよいか。また、「栄(は)え」の原型は「栄ゆ」であるため、「栄へ」という仮名遣いは無いと見る。「栄(さか)へ」はあろうが。他動詞のように用いることに違和感もある。



上記の私が書いた文章、その前半はとんだ法螺吹きであるけれど、実際に私の予想としては「"粕壁"が先で、後に縁起の良さそうな"春日"を当てた」というものだった。
現在、字(あざな)に残る「粕壁」は葬り去りたい忌み名だとか、と邪推していた。

正しくは、「粕壁」が後(江戸時代)であり、"カスカベ"の名が始めに定まった時(南北朝時代)から「春日部」という漢字で、その由来が、この地を領地とした士族の姓「春日部氏」であるという。
今の都市名は、この原点が1944年4月1日の合併で再興したものということになる。
・・・・・・では、その士族の姓「春日部氏」の由来とは、出自とは何か。
初出は不明瞭なところがあり、経緯が掴み難い。

埼玉県内の士族といえば、秩父氏・河越氏をはじめ、熊谷氏や比企氏も有力、熊谷は歴史的に栄えていた都市(同時に、地方都市然としている宿命と広域合併で県内屈指の人口減も)で、比企郡は今尚多くの自治体=町村を残しており、市として独立したのは旧松山町=東松山市くらい。
私の日々の勉強で、日蓮系の教学があるが、その歴史背景を知る上で「比企」の名は稀に見られると感じている。
この場合「比企谷」という名が登場するが、鎌倉市内の寺院と関連している。
氏族の繋がりとしては、埼玉の比企郡と共通している。

比企のほかは、いずれも県内に誇れる栄えある地名となっているのも、歴史的経緯からして必然的なものが感じ取れる。
埼玉県内の地名、ことに現行の市区町村なら、2013年に地理と共に全て把握していた。
サイタモニム(ギリシャ語根より類推"Σαϊτάμὄνυμον, Σαιταμονυμον")に興味あって強記だったという。



以下、個人的な昔話 (記録活動)


生まれてより埼玉県内に住んでいた14年間で、川越は一度も行っていない。
秩父も一度も行っていない(中2課外授業を拒否しなければ行っていたことになっているかもしれないが、その授業の行き先が"山間の河川敷"という曖昧な記憶なため、定かでない)。
春日部なら、小3の頃に千葉県野田市の清水公園に行く途中、大宮で乗車した東武野田線で通過しているはずだ。
車窓の風景に「あれがしんちゃんの家か!?」と、目を鋭くしていた。

熊谷はバイパス(国道17号支線)利用で頻繁に通過、駅自体の下車が2008年に一度ある。
当時、北海道紋別市か兵庫県姫路市のどちらかに住んでいた母親が県内に遊びに来た際、児童養護施設の弟2人を連れて熊谷市郊外のリゾートホテルに2泊ほどする際に下車した。
帰りにまた駅前でカラオケ店に入ったそれが、人生最後のカラオケとなった・・・。

比企郡および東松山市は、森林公園あたりや、あるいは某クリニックだかに小6~中2手前の期間には度々訪れていたと記憶する。
某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。
そのカウンセリングも、私が小4の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。
担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれに、不覚にも気味の悪さを覚えて、事実上最後となった回では「気持ち悪いですよ」と主語も無い言葉で単刀直入に言ってしまったほどだ。
決して容貌に対して言っているのではない、といった意思も告げることはかなわない。
女性の返事は「よく言われるよ」と、どんな感情から出るか、とぼける程度に済んでいた。

父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、上述のように数度(多く見積もって4度)のみの受診となった。
最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21年度末のようなものだ。
その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。
父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。
教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど。
このクリニックの件も、塾の件も、過去にどこかで書いたのに、例の如く探しても徒労に終わった。



追記: 2015年8月19日

埼玉ひいては関東地方一体が、数千年前は広く海に沈んでいたことは2012・13年頃より知るところで、本家2013年5月6日の記事画像にもそれは描かれている。
同時に、「海無し県に浦和がある」理由も、私はその関連性を結び付けていた。
12・3年頃から、さいたま市をはじめとした荒川以東江戸川以西の低地は、23区よりも水位5m上昇で水没しやすいことについて非常に悩ましく思ってもいた。
23区よりも海から離れた埼玉南東部の低地が23区よりも水没しやすい道理はあるのか、と。

当時の見解として、見沼に見られるような歴史的経緯であり、今は見沼田んぼと少数の住宅地などがあるが、地盤は弱い方で、保全地域でない場所でも宅地開発は芳しくない。
地盤が弱いことによる問題は、大地震などの有事に建物倒壊・液状化の危険性があり、本家2013年3月18日の記事で転載した3.11関東液状化地域の画像では、海から離れた箇所は埼玉でも千葉茨城でも利根川流域で被害があったことが分かる。
また、県内の荒川河川敷は多くの公園・ゴルフ場のみならず彩湖をも造成し得る広さであり、桜区・西区などには田園も広がる。
一方の都内では、河口に近づくにつれて同じ荒川河川敷とは思えないほど狭まるのも、平気を見込んでのことか、開発上やむを得ず危険な場所にも都市開発を続けたことか。
どちらにせよ、都市部としては広大な河川敷を備え、その先にも田園などが広がるところ、現在の桜区西区流域付近は、明治期以前から人が住みたがらなかったほど地盤が弱いか、氾濫しやすいと思っていた。
名実共に「荒川」として、近世より現代までその立場は崩れていない。

この度、かなり有力なPDFファイルの論文を拝見し、川口市付近などもそういった縄文時代前期~後期までのかつてには荒川(入間川説)の河口と見られたということを学んだ。
12・3年頃から今なお曖昧な認識として、荒川・元荒川の1000年以内の歴史の問題があり、流路であるとか川の存在自体だとかが疑問視されているのだが、この機会にはっきりさせたく思い調べてみると、元々の荒川は元々の利根川に合流して東京湾に流れていた(縄文海進、画像検索をして参照)が、中世・近世に入って色々と流路がいじられた説が一般的のようである。
今から約1000年前であれば、縄文期の高い水位が退く=海退して、川の水路もはっきりしたわけで、その頃までは入間川も利根川も東京湾に流れた川だった。

同PDFファイルでは、そもそも全国に現存する浦和の地名自体が、開拓以降に付いた北海道の2箇所を除くと、愛知県西尾市東幡豆町と鹿児島県いちき串木野市にしか無いそうだ。
地名の由来は地形などからいくらか推量できるが、埼玉平野部の地名の場合は、より古来を地質学的に掘り下げねば解明できないほど奥深い。
我が故郷・浦和の最も貫禄・趣きがある事実となっているが、あまり宣揚されないし、当の行政は軽佻浮薄にも、キャラクター戦略ばかり2000年代後半から進めている(ヌ○とかう○ことか)。
埼玉県内のマスコットキャラクターは、コバトンとアッピーだけでよい、2009年以降ゆるキャラ・ご当地キャラが流行りだすあたりからのジャスティス。(さいたま市内ネタならレッズとアルディージャのキャラだけでよい)



「さきたまの うらわのみよを たどるなら ちよやちよなる すめらぎにすぎ」
その土地の歴史を知りたい時、物的な調査だけでは解明できない含蓄を持つ地名が無視されるのであれば、灯台下暗し、である。
殊に埼玉県内の地名であれば、史料に初めて名が載るのがやや遅れる場合も多いため、地名から古来を知ることが肝要であろう・・・極論じみている。

あらあら追記事項が住んでからも色々サイトを眺めていたが、江戸川の古い呼称に「太日川(ふとひがわ)」というものがあるそうで、気になって調べてまた興味深い画像を見つけた。
それを眺めていると、関東平野が今以上に水びたしであって、夥しい血管のようだ。
霞ヶ浦から印旛沼まで繋がっており、見沼も見える。
東海道・鎌倉・相模の国などの西・南方を経て埼玉・群馬・栃木・千葉・茨城方面に行くにも、川が多くて幾度も舟渡しを頼まなくてはならない苦労が偲ばれる。
しかも荒川・利根川などの河川の流路を変える事業を行った先人の判断と気概は恐るべし。
新しい都に水害が起きることを防ごう(?)と、早くから手を着けておいたのだ。


2015年6月7日日曜日

私が散歩に出ることによる致死的な危険性

6月6日15時、空は晴れ渡り、さほど暑くはないが、風は強い。
当地・豊橋では6月2日以降、ヤケに涼しい日が続き、強い雨の日が2度あった。
5月下旬であれば「夏はもう近い」と感じさせられる暑さが続いていたのに。
4月中にしっかりとした外出の用を済ませた以上、5月には簡単な自販機通い以外に目的もなく、何となく「散歩した方がいい」程度の義務感だけがあったものの、何もせず過ぎてしまった。
※預金外出以降の主な散歩は、4月30日に公園内、5月23日は田んぼルート



今日は風が吹いていなければ散歩日和かもな、と思っていた。
確かに、誰にとっても強風は歩行に不自由を来たす面があるが、私は余人の比ではないまでの問題が付きまとうものだ。
髪の長さが80cmを超す私が強風を顧みず外に出ると、風に靡くどころか攫われたり、或いは何かに触れて汚れるか、最悪は蜘蛛の巣に・・・

人目に付くのも少し気に障るところがあるし、「変な女」だと思われる懸念は気にしすぎか。
2014年11月16日の記事に綴ったように、「傍らに人無きが若く毅然と歩め」ばよい。
容貌が不審者じみたかのように他から見られるとも、歩みに何の礙があろうか。
でも、家の出入りでは人目を憚りたいな、と思う。

上画像: 無言でも門が開かれる(=前無礙・傍若無人)シーン。この後、背後より強襲(=致死的な危険性)され、死に際に至る。 ・・・ 「シナナイ」より抜粋して編集

自販機通いにおいては、時折タオルを頭に巻いて出ることもある。
自販機通いを敢えて昼間に行って危険を冒す必要もないので、大概は夜~早朝の内に済ます。
だが、暑い時期の昼間にタオルを頭に巻いて外に出るとどうなるか。
強風のことは言わずとも知れる結果が予想され、巻いたタオルを庇いながら歩くのは煩わしい。

脳内の温度は、熱い箇所で40度以上ある(典拠ナシの曖昧な記憶)。
それはともかく、このタオルに巻かれた髪で頭皮は蒸れそうで、しかも熱に脳がやられて、家から遠い道端で意識朦朧として、気絶さえ危惧される。
いやまあ、そこは臨機応変に休憩を取ってタオルを外すことで回復を図ればよいだろう。



そうなると、冬であればあまり問題がないかといえば、風や歩行による髪の乱れは、耳あてや帽子の使用で軽減される。
ところが、髪とは別の問題が大きく、先の本家記事で体重の話題をした通り、男性としては脂肪も筋肉も少ない華奢な私が、どうして寒い中に歩けようか。
夏にせよ冬にせよ、年中目的がはっきりとした外出の必要性がない上で、どんな決死の覚悟をもって寒空の下に身を窶すことがあろうか。
去年中は、今以上に好奇心が募っていたために、虫の恐怖と隣り合わせにも片目をつぶって決行していたのだろう。
よって、散歩を控えるようになる6月にあっても、去年はあちらへ・・・

冬の寒さに関しては、2011年の時から外出時の服装に悩む面もあった。
その冬の内=中3の時に、ネットからコートを購入した。
前の家では、屋内外を問わずダウンジャケット(綿)を着続けていた。

今、このコートを些細な外出で頻繁に着て、劣化を早めたり徒に汚すのも惜しいことだから、2012後期冬以降は滅多に着られず、2014年中だと1度か2度着る程度となった。
部屋のふすまにずっとハンガーで吊るして飾りのまま時間が過ぎていく。
まだ、コンビニ通いを週数度以上行っていた時代の冬期であれば、その都度着ていたと思う。
コートを購入するあたりの頃=中3の当時には、その時の必要性に加え、その数年以上の先を見据えて多く着ることを想定していた。
汚すにしても、前の家で制服のブレザーをクリーニングに出していた経験と同じ要領で、こちらでも同じ事を考えていたが、これら視野に入れた一切に対し、現実が逆行した。



今日(6月6日)の話に戻るが、下の弟は午前中に1回外に出ていたが、16時前にまたフラリフラリ。
その時の服装はオレンジ色で、サッカー選手のユニフォームに似ていた。

それから帰ってきたのは17時前後(時間を確認していない)のことで、家の前をウロウロしているときに通行人のおばさん(外見は70前後、顔見知りのようだ)に話しかけられて、少し喋っていた。
弟は学校帰りに、その年頃のおばさんと話しながら帰ってくるときがあった。
外出の最中に、どこかしらで誰か高齢者と話しながら歩くこともあると思われる。
高ぶった婆思いが受け止められないと、虐待性的倒錯へ達してしまう。


2015年6月3日水曜日

「理と事」の概念に基づく整然とした思考を (事と理)

「理」とは理論・理屈のことで、「事」とは事象・事実のことである。
「理と事」の概念は、主に仏教を学んでいる過程で思考に浸透して備わった。
というと、「理同事勝」や「理の一年三千・事の一念三千」といった日蓮系の研鑽の中で覚えたものだが、これは後半に詳述する。



「理と事」の例を挙げると、例えば誰かの理に適った思考があるとして、その人がその内容を事細かに言葉で表せないとしても、確信を持っていれば要点だけ「私はしっかり論"理"的に考えた末、"事"実としてはこうなると断言できる」と話せるのだ。
その弁が理に適った答えであるかは、実際に起きることを確認すれば明らかとなる。
私が理を噛み砕いて説明をする中で、仮に思考が錯乱して言葉が詰まるような状態となったとしても、平静を取り戻して「事実確認」の旨を頼めばよい。
事実に符合する理論であるなら、その正当性が事実に反映される。
「事実確認」に念を押すことが実は、最も理を噛み砕いた表現になるのだ。

例えば、3000年前に天才の人が「我々の住む土地は丸い星なんだ!球体なんだ!」といきなり悟った事実を話しても、当時の人類には到底理解できない。
現代でこそ星の外から地球を見返すことはできても、当時では実質不可能である。
せいぜい、「空に浮かぶ星と我々の住む土地は同じ性質なんだよ」とその事実を理屈として、演繹的に話す手段しかない。
航海技術が進んだ500年以上前になってようやく「西洋から西に船を進めて東洋に至る」という仮説を実証できるようになった程度である。
航空技術や軍事技術も成長した末に、星の外まで飛べるようになった現代、「この目」で住む土地の丸さを見て、球体であることは反論なく証明された。
「百聞(理)は一見(事)に如かず」という有名なことわざに、「理と事」の差がよく表れる。
※無論、科学では「目で見た」ということが、それだけでは客観的な物の性質や状態に対する証明にならない。ただし、当記事の話題に合わせれば、近代までに様々な科学的・数学的な理論の提唱と実証がされてきた結果に星の外から俯瞰して球体だと視覚的に認識し得るという事実認識も、証明の手段となるし、科学で一般には事実として承認されている。そうでないと、地球が球体であるという前提による天文学などあらゆる分野での研究ができなくなってしまう。

正しい理論の場合は如実に事実の形として出るが、稀にどんな理を尽くした計算をしても、事実の形、結果が異なる場合があることもある。
例えばオーディオファイルの".mp3"や".wav"のサイズは、ビットレートと再生時間で算出されていることは、理論に基づいた事実の形である。
オーディオデータの内容が無音であっても会話音声であっても激しい音楽であっても、同じ長さと同じビットレートでは同じサイズが算出される。
一方動画ファイルの".mp4"や"wmv"などはビットレートと再生時間、フレームレートなどの数字に出た情報のみでファイルサイズが算出されるわけではない。
中身が無地・黒地のみのデータや静止画ならば、同じビットレート・再生時間・フレームレートの映像に動きがある動画ファイルと比べて、ファイルサイズが大差で縮む。
動画ファイルについては、この他に圧縮などの関係も含めて話すべきだが、ここでは割愛する。
いずれにしても、オーディオファイルが公式理論に密接な数字を出すことに対し、動画ファイルでは必ずしも理に即した事の数字となるわけではないとわかる。



5月24日2時に考えていたことも、この「理と事」に区切られる。
隣のI家の夜間における車の出入りに関する推量をしていた。
その推量自体は「理と事」に無関係だが、軽く記録に取ると「土曜22時~27時くらいに女性1・2名ほどがI家の老年女性に会いに来るが、5月23日は22時半にやって来た。そして女性の車が敷地の外に出た途端に入れ替わるが如く中年男性の車が帰ってきた」という状態であった。
翌24日2時の状態に戻すと、そのI家の男性の車が無いように見えたが、これはどうも暗いためそのように見えただけで、車はある。
これに伴うその思索の全貌を、遂に話すことが出来る。

「夜中に車で出かける用事」があるとすればどんな用事であるか、次に徒歩なら怪しくないのか、次に自転車の方が普通ではないか、次に車・徒歩・自転車ならどれが安全であるかと進んでいく。
夜中は静かであるため、音や姿かたちで存在を示せる点で、車はいくらか安全かもしれない。
その上で、夜中の街の明るさについてだが、夜と同様に街灯が点いているため問題ではない。
夜中0時~3時の歩行者というと本来滅多に見かけず、いるとしても、この近所では私みたいに昼間外へ出られない人間か、あるいは遊び中・帰りの人ばかりではないか。
その時間帯に外に出ることが割合としては多々ある私が言うのだから、この近所では粗方そんなところだ。
極稀に気を失った人間が徘徊していれば、歩道が確保されていない通り道の場合、ドライバーにとって危険だろう。

ともあれ、色々考えるうちに思ったことが「夜20時~23時台と、夜中の0時~3時台ではどちらが交通事故が多いのか」という点で、これが本題だ。
夜中は、既に上げた種々の状況には夜との大きな差が見られない上に、そもそも絶対数として車の通行量も歩行者数も少ない点で、夜より安全であると"理"論上の説明が行く。
よって、夜中の方が断然、対歩行者の交通事故は少なく、通行量に対する割合でも普通の夜に優る見方も出来る。
ここにその「理」に対して「事」の要因を示すと、必ずしもそうであると言えない考えが浮上する。

上の思考において、夜中は「極稀に気を失った人間が徘徊している」可能性を示唆した。
この他にも、その道を行き交う人間の状態まで含めると「事」が浮き彫りになる。
例えば、夜中のドライバー側が「遊び中・帰りの人」であると、飲酒運転をしていることも考えられる。
そうなれば危険度は必然的に上がってしまい、そこに幸いが歩行者や自転車の人がおらずとも、運転を誤ってガードレールや電柱、建物の柵や塀などにぶつけたりする事故も起こりやすい。
対歩行者の交通事故という点では、依然として起こりづらい見方が出来るものの、その他多くの交通事故の点で夜中の交通安全性を怪しく思う。
※3時以降に新聞配達のバイクが多く現れ、バイク同士ですれ違うこともあるだろうが、自動車・歩行者などよりもバイクが危ういかもしれない。

街灯だとかの「理」として挙げた要因が、「事」に扱っている人間の状態等の要因と比べてどう違っているかというと、「理」は全体に渡る普遍的で、変化しづらい要因であるといえる。
飲酒運転のドライバーとの遭遇は不規則的であり、街灯が点かない・故障したなどはよほどの気まぐれで、こういった運によるものは固定的な「理」に混ぜがたい。
夜中の通行量についても、俄かに暴走族の集団が現れることだって毎日あるものでもなければ、近所の幹線道路に月1度あるかないかだと見られる。
こういった確定的でなく不規則的な要因というのは、固定的な「理」に混ぜない。



時間帯別の交通事故発生数について、推理される「理」とデータに取られる「事」があり、そこで連想される判断材料にも、「理と事」が判然と存在していることがわかる。
このように理論上は完璧であっても、事実と向き合ってから予期しない問題が起きる場合もある。
「理と事」の勝劣は、事に軍配が上がる。

多岐にわたる例によって、「理と事」の関係性が掴めただろうか。
この他にも、食品の賞味期限の日付というものが「理」で、実際の保存環境によって左右され、時間と共に落ちてゆく食品の味や食感は「事」であると言える。
言葉・文法の誤用の理由(理)と実例(事)や、法律の条文(理)と判例(事)もそれだ。
理だけの説明が話すも聞くも難しい場合、平易な事の例をあげることは互いに簡単に話がつくこともある。
或いは、事の例を先に挙げ、その後に理でも説明をすると理解が深まる。





ここで、仏教的な話に入ろうと思う。
冒頭で名を挙げた二例の後者、「一念三千」について簡潔に説明すると「一念には、宇宙の十界×十界×十如是×三世間=三千の法が具わっている」という真理だ(実質全ての物事を算数で仮定して三千という数字で表している)。
それぞれの用語の意義は、興味あらばネット上の他サイトに任す。

一念三千における「理と事」の相違点は、「理の一念三千」が智顗(ギ)、いわゆる中国の天台・智者大師が意義を説いたもので、これに基づいた日蓮大聖人の教えが「事の一念三千」である。
大聖人いわく、この「事」の方が勝るそうで、天台の一念三千は古い時代(像法)のものだから、末法の現在ではこれに従った修行は理解が難しく、功徳も少ないということだ。
理解=論理的な教えであり、事の一念三千の修行は「理解」が出来なくても、一念三千を顕す御本尊に向かい「南無妙法蓮華経」を唱えるだけで"理"と同等以上の功徳があるとしている。



続いて、前半で紹介した俗な解釈を仏教的な言葉に置き換えてみる。
仏教を専心に学び、説く立場にあるような人々、というと僧侶・お坊さんになるが、彼らが語る論理に対して実証・実践が伴うものであるかを考える。
現代においては僧侶が「坊主」と半ば軽蔑気味に称されることもあるが、それは「スケベ・エロ・煩悩まみれ」、「外車・豪邸・豪勢に豪遊」、「修行を怠ける・サボる」と見られている場合が多い。
そういった僧侶がいる事実があるならば、即ち少欲知足や煩悩断尽、或いは修行による功徳で仏性が強まることなどを口で説いても、論者にその実体がないということになってしまう。
仏教・仏法とは、現世で修行を実践する宗教である。
「理と事」の概念は、こういった方向にも指すことが出来る。





ところで、最近になり牛久祖母問題の真相が見えてきた。
茨城の親戚中が悩んでも解決せず、愛知に移されても母親が手を焼いていた。
あの祖母の2014年8月老健入所をいかにして実現できたかといえば、知的障害を持つ弟の堂々たる虐待によるところが大きい。
母から「バカ」扱いされる頭でも強情な祖母は、牛久(茨城)にいた当時に「ヘルパーさん」をも追い出したと言われる。
つまり、牛久では訪問介護呼びだろうと福祉施設入りだろうと拒絶・・・もとい介護される必要性を誤魔化してきた経験があったようである。

ところが、仮の宿の豊橋の家であの弟に叩きのめされると、日に日に衰え、家の中の徘徊行為も激減して声も弱くなった。
当然、虐待が始まって最初の1ヶ月は大きめの声で「やめてよ」、更に窓の外へ「誰か助けてぇ」と声を張ることもあったが、それさえ無くなったのだ。
7月から始まったデイサービスにより、施設の快適さに安らぎを覚え、虐待による心労も快方に向かって、声の大きさが元に戻ると同時に母親にまた迷惑かけるようになった。
8月中ごろに祖母の老健入所が完了したのだが、祖母はもう拒まなかっただろう。

茨城の親戚中がどう小賢しく知恵を巡らしても、解決などありようもない。
時には虐待じみた体罰をかましたいと考えたこともあったのではないかと思えるが、他の発覚を恐れ法的に、何より良心の呵責が当然起こり得る。
偏に、弟の行動力が短期間での解決に至らしめたことは明白だ。
まあ母親が家にいるときは虐待をしなかったが、やりたい気持ちのまま素直に虐待した奔放さが、結果的には茨城・愛知の大人がいくら考えても時間が流れるだけの問題を終結させた。



ここに、難しく正しい「理」に至る苦悩よりも、素直な実践による「事」が何倍以上に優れていることが強く現れている。
これは昔話にも、無邪気な子供であるとか、一見くだらないような物が幸福を招いたり、解決のきっかけを作ったりすることが散見されている。
「馬鹿には見えない服」を着た王様に諂う自己欺瞞の大人と、素直にその恥を嗤う子供。
旱魃による不作に酷く悩み続ける農民と、3年寝続けた小便で大河をもたらした怠け者。
古今東西、伝承・創作、多くの昔話の構図を思うに、凄く「理と事」の差が浮き彫りとなっている。

斯く言う私も、前者のような「論理性が高くも消極的」な人間の最たるものだが、同時に論理性が高まって真理を見抜き、このようなブログで啓発を行うことはそれにも優る「事」であると自負する。
思考の奥底には「理と事」の概念があるのに、埋もれたままの人々、この記事を読んでいくうちにその輪郭が浮かび上がっていく。

先述の通り大聖人も、仏法の理を極めて「事の一念三千」による本尊を顕した。
「理」が極まれば自ずと「事」に達することも事実であると言いたい。
大聖人も、理を極めるまで様々な難があったが、佐渡に在す時、文永8年に始めて「事」の形として本尊を顕された。
あるいは無始無終の御本仏、久遠元初の自受用報身如来だから元々知っていたのだろうか?
まだ浅学なので、どちらなのかは分からない。



追記: 2015年6月9日

物事の判断基準には、当記事の「理と事」のほかにも、私が重用するものもある。
「理と事」では物事の将来の推測などに、前例から見る普遍的な法則(理)と、前例にある稀な特殊事例(事)など兼ねて利用できる。
ではその他の整然とした思考のための概念といえば、「絶対と相対」、「名と実」だ。

「絶対と相対」とは、数量や度合いを判断するときに利用する。
"絶対数"はただの個数などで、"相対数"は全体から見た個数などが占める割合を指す。
これは小6~中1期から意識するようになったものの、今みたいな言語能力が希薄で、当時の私の思考が理路整然たるものでも、人に伝えるのは難しいようだった。
「絶対と相対」を弁えていない場合、割合で見た数値などが絶対数と混同され、正誤に錯綜する。
また、「絶対と相対」が当てはまる事物は、数値の範疇にとどまらないことも知られたい。
同・小6~中1期には「先天的・後天的」という口癖があった。

「名と実」は、人物や組織体などの名前に対する実際の中身や影響力を判断するときに利用する。
何々を成し遂げた、ということで人物が有名になっても、虚構や空言の時がある。
あるいは名ばかり広まって、その人物の行為・功績自体の影響力が無いのも"実"に欠く。
"名"は名声や名聞のことで、"実"は実体や実情を指す。
名実共に、有名無実、名目・実質GDP、などの表現にこの概念がハッキリと見られる。

「名と実」の"実"の方は、「理と事」の"事"にも似たものがある、というより、「理と事」の解説をする中で、"事"の説明に「事実」だとか「実際・実現・如実」等と用いている。
意味合いとしては非常に密接だが、「理と事」の解説では"実"について触れなかったのも、どこか違う感覚があったからだ。
そうして温存した甲斐があって、ここでの「名と実」の説明に持ち越せた。

他に、「主観と客観」などもある。


追記: 2015年6月20日

演繹」と「帰納」という考え方・推論の方法があり、「理と事」に通じる。
簡単に説明しよう、まず「演繹」とは、普遍的な"理"から個別の"事"を推量する思考で、「帰納」とは、個別の"事"が単数~複数あるところから普遍的な"理"を推量する思考である。
各Wikipedia記事を眺めて、どうにか上記のような説明が出来る。
Wikipediaでは一部学問の記事が、多くの門外漢に取り難解なことも多く、知る人の為にあるような場合も多いが、この「演繹」と「帰納」なる既成概念は、私の思考に符合するところも多かったのでどうにか理解に及んだ。
これにも優劣、利点と欠点などが各々存している。
ついては、当メモ帳記事や当該Wikipedia記事を熟読し、判断されたい。


追記: 2015年7月26日

この数日ほど意識するものに「根幹と枝葉」がある。
"根幹"の特に"根"は、植物の根であって、幹を含めれば蓋し樹木の根となり、根本的などというように、重要なものや大本、「本末転倒」の"本"を指す。
"枝葉"とは文字通り枝と葉のことで、根や幹から派生した程度の多くありふれたもの、言い換えると重要でなく瑣末で、「本末転倒」の"末"を指す。

概ねの意味としてはこんなところで、多くの物事にあてやすい二分概念ではあるものの、個人的な疑問としては"花"や"果実(種子)"という存在がどう介在するかである。
樹木には、桜や梅などの華やかに親しまれるものから、松や杉などの花粉を撒き散らすと敬遠されものもあり、しかもそれら高木の小ぶりな花が地上から肉眼で見えづらいこともある。
一部の樹木や品種改良では花が付かないこともあろうが、私はその辺の知識に明るくないため「花無き木」は知らないし、それは置いておくとして、"花"や"果実(種子)"は何だろうか。
"花"は自分でも、根幹や枝葉に対して中庸であるとか、あるいはそれらを超越した希少で最上、あるいは全く別次元として見るべきか、あるいは関係ないので介在すべきでないものか、と色々考えたが、あてはめられる例が浮かばないので捨てた。
"果実(種子)"については、やはりこれ無くして新たな芽が息吹くことは無い、と思いつつもそれは「卵ニワトリ論争」と大差が無くて、私の浅慮の及ぶところではないようだ。
この"花"と"果実(種子)"についての疑問は、それこそが"枝葉"の議論なので、忘れてよい。



追記: 2015年8月28日

思考の対極概念と、対比や分別に便利な概念は、この他「広義と狭義」などがあり、これを弁えなければ話し手も聞き手も、異なる意義を持って同じ単語を認識している場合、議論に齟齬が出る(そういうやり取りが2ch系の掲示板でよく見られる)。
互いが「広義の何々、狭義の何々」を知らなければ、参考として出した一つの単語でさえ、大きな亀裂を生みかねない。
例えば「首都圏に一極集中している」とAが話すが、Aのいう首都圏は「埼玉・千葉・東京・神奈川の一都三県」という広義の首都圏であり、それをBが「関東地方+山梨の一都七県」という狭義の首都圏を取り違えて「北関東や山梨はどうなんだ」反論をする。
こうして、一つの言葉をの定義を正しく伝えないだけで相互に亀裂が生じてしまう、という悲惨な光景を多くの掲示板で見てきた。

余談だが、地方の区切りは、南関東でさえ政治面では「千葉・神奈川・山梨(東京)」という場合と「埼玉・千葉・東京・神奈川」の場合もあり、北関東でも埼玉が入るか否か昔から議論が分かれる。
これは私の住む愛知県であっても西か東か、近畿(関西)・中部(東海)地方であれば三重は入るか否か、歴史的経緯や風習と現在の制度上などから論議される。

なお、某宗系教団の論理においては「一往は・再往は(言葉の表では・裏では、建前では・本音では)」、「別しては・総じては」という分別法が見られ、これは某宗教学関連のサイトで見てから、検索した時に某宗系がメインなのだと分かった。
二つの義をしっかり分別する説明であり、某宗系教学以外の話ではあまり使用を推奨しないものの、とりあえずここで分別法の一種として記録する。



追記: 2015年10月17日

偉い師匠が亡くなる前に「私はもう先が長くない。この理論を留めて遺す。これを事実の上で再現することは大いなる偉業だ」と遺言し、弟子に託し(遺命する)、これを誰かが実現する。
当記事中段にて説明した理事の一念三千において、"理"を遺したのが釈尊であり天台大師であり、"事"を遂げたのが日蓮大聖人ということになる。
9月14日の本家ブログにも載っている、ある創作家が、9月6日に新作ゲームのアイデアを披露して以降、ブログ更新や創作関連の掲示板交流などが全て途絶えた。
これは新作の"理"を遺し、ゲームとして"事"を遂げてくれる人を求めてのことであったのか。

彼は自分のリアルや素性などをほぼ触れないでいたモラルある創作者だが、この失踪前までもどういう事情があっていなくなるかを一言も書いていない。
ただ、「私のアイデア、もしよかったら使ってあげて」とのみ仄めかしていた。
含蓄ある遺言は印象深いものだが、この意思を汲み取れる者がどれほどいようか。
サイトには遊びに来る、と言っても、そう発言した8月30日の一週間後には失踪が始まったわけだから、とあるゲーム作者の2013年頃も含め、みな山奥に修行へ行ったのではないか、と私はその都度思っている。

それからというもの、当該掲示板やサイト関係は冷え切っている。
無論、彼のアイデアを基とした後継者の存在も依然として現れない。
音楽勢であり、門外漢である私は遠慮しておく・・・。



追記: 2015年12月10日

本文中「百聞(理)は一見(事)に如かず」の手前に、一例を加筆した。
12月以降、理事の例として浮かんだものである。
ほか、既存の文脈をいじったり、あるいは校正などを行った。

「理を極むれば即ち事を為す(極理即為事)」とは自分でよく唱えるけれど、この言葉はどういうことかといえば、例えばコンピューターは一元、二元、多元、とどんどんその法則・パターンなどの"理"を含めていき、そこから答えなどを導き出す。
それはどこまでもどこまでも飽くなきまでに"理"を吸収すれば、たとえ多くの事例の予測などを弾き出すことができる。
しかし、それはあくまでも100%とは言わない。
多元性が低ければ"理"のレベルも低い。
言い換えれば、際限なく10%, 20%, 50%, 90%, 99%, 99.999%とどこまでも追究でき、そうなればそれはもう"事"と違わないかもしれないが、絶対100%とはならないので、詮ずる所「百聞(理)は一見(事)に如かず」となり、"理"の範疇でしかない。
多くの"理"を追究しても、やはり"事"に敵うことはないのであろう。

歴史の事実だとか歴史の真実だとかという議論は多いが、現代、教育機関で教わるものも、現代人が誰も目にしない領域であるから、事実・真実とされる話も90~99%程度の「蓋然性」があるのみで、この「蓋然性」を信頼した上で教育が成立している。
歴史上の人物(近現代を含む)の名言だとか、宗教の教祖の教えにしても、実際にその人物が口でしゃべったものがどの程度あり、その中でも論理的文献学的推論で煎じ詰めたものがあっても、やはり90~99%程度の「蓋然性」に留まり、100%とは言えない。
なぜならば誰も耳にしていない言葉であるからである。
無論、現代の誰かがタイムマシンか何かで直接、本人の言葉を聞いたり、口の動きを見たり、書物を編集する場面を見ても、他人から伝えられたことは真に事実であると保証できない。
情報の認識は、自己本位(自己の中にも頭が冴えた自分や意識が絶えた自分など優劣は著しく自分が自分であると言えないものも多いが)のみである。

これも、結局は人間の感情が伴った判断で「信頼」してこそ、事実・真実として人間界に認められるようになる。
歴史に限らず、ごく現代の災害や事件や事故など、テレビやネットの映像・情報は、「実際に自身が見た光景」ではない場合も、誰もが「実際に起きた物事」として捉えて疑わないのである。
多くのメディアや現地在住とされる人物などが伝えている情報だから、その映像や情報の信憑性を疑う発想すらないではないか。
自分が事実として見ない・聞かない・経験しないで知識として得た「事実」は90~99%程度の「蓋然性」に過ぎないが、それを心によって「信頼」することで「客観的事実」たりえる。
もし、テレビで報道される映像が「この目で見た事実のものに相違しない」と思うならば、既に「信頼」の前提を超えて定着した認識・判断となっていることになる。
人によっては、自分の目も耳も信頼できない場合があるし、全ては程度の差であり、「絶対的事実」であるかどうかは、「信頼の前提を超えた定着」のラインによるであろう。

「理」・「事」の差異や、絶対的「事」の希少性と、「事」の必然性の確立が自己本位であること、そして、蓋然的「事」を信頼する人間の心の重要性はお分かりいただけたか。