2020年4月5日日曜日

「二次・三次相対互換の理論」に対する新しい解明と説明

「二次・三次相対互換の理論"theory of relativity between 2-ji and 3-ji; the relative similarity theory"」の先行研究は以下である。
2016年2月15日投稿『二次元・三次元の相貌の相対的な互換性に関する理論の体得』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/02/2ji-3ji-gokan.html

導入として「三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていることは反対の例・『絶対的な相似』であり、二次元側に比較するならば違和感ばかりを覚えてしまう」といった考えもある。
当該記事では、内在理論の具体例に関して、主観性と客観性を混ぜながら説明した。
他に絵に関する私の複数の記事でも、この研究が紹介される。

2019年以降、幾何学的な見地での検証・解明と、認知科学での説明とを構想するようになった。
第一段階に、数学(最低でも中等教育レベル全体)の学習と、3DCGのソフトウェアの操作の習得とを志した。

用語の簡易な注釈:スラング的な日本語の「二次元–2次元 (nijigen, 2-jigen; from two-dimensional)」と「三次元–3次元 (sanjigen, 3-jigen; from three-dimensional)」を容認している前提である。加えて、当記事では 2-ji, 3-ji と表記する場合がある。「相対互換」の意味合いは「三次元→二次元」のみならず「二次元→三次元」とも想定され、当記事では途中やあとがき欄などで過去記事の例示とともに説明する;新しい解明と説明によせて、変更案も挙がる。



「幾何学的な見地での検証・解明」と、「認知科学での説明」の前に、二次イラストと三次写真(または擬したイラスト)とを選定する必要がある。
それらのうち、何でも表情があれば動的なものとして扱い、先に、健康な状態の時の平穏な表情(健全な無表情)を静的なもの/基盤とする。
二次のうちでも、私が描く萌え系イラストは一つの類型 (illustration style or type) であり、私が検証に用いる。
それと実在人物の相貌との中間的な相貌の類型もあるので、それごとに相対互換を検証することも可能である。
これを概念的想像図にすれば、それらが正当に相対互換である場合、座標上の直線 (line) または放物線 (parabola) に重なるもの(比例 proportional 相似 similar)と考えられるからである。
Aさんの顔つき、Bさんのさんの顔つき(Cさんの…, D…, E…)などがそれらの線になり、イラスト・写真の類型ごとの点が線に重なると想定する。
一次元的には、異なる画風=イラスト類型でスペクトル (spectrum, fr: spectre) が形成される。
ケースに応じた数(1ないし無数)の直線が多方向に放射状に展開されることを考えたが、実際には2つの極点の間でケースに応じた数の立体的な曲線 (curve) があることになる。

modeling modelling longitude lines meridians
概念的な『顔つきの線』モデル (原案: 2019年9月28日)

2つの極点 (2 poles, 2 extreme points) とは、地球に北極点 northern pole と南極点 southern pole とがあるように、二次極 2-ji extreme point と三次極 3-ji extreme point とがある。
想像上の2つの極点に置かれる類型は判然としないが、二次極までの1/4で単純な図形の組み合わせによる表情の画風、三次極までの1/4で写実的な画風および写真となろう。
二次極に極めて近いものでは「Aさんの顔つきの線」、「Bさんの顔つきの線」などの個人間の差異がほぼ無くなり(顔文字 ・_・ や :( を想像すると分かりやすい)、任意の解像度における「二次極の1歩前」は、正三角形を上下反転した角の位置に点が3つあるようなものとして仮定できる。
今の日本で一般的に見られるような表情の筋肉の反映が顕著で表現しやすい画風は、赤道 (equator) の位置に近いかもしれない。
想像上の二次極・三次極の間には1ないし無数の立体的な曲線(非ユークリッド幾何学の繋がる直線とも)がある。
地球の経線(子午線 meridians)が1本, 2本, 180本, 360本ないしそれ以上が必要に応じて想定されることと同じである。
線は、1ないし無数のイラスト類型の点で構成されるようでもある。

概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は、「幅の無いものとしての線 (ユークリッド原論1-2: Γραμμὴ δὲ μῆκος ἀπλατές)」ではなく幅が広まったり狭まったりする線になるかもしれない。
「Aさんの顔はCさんに似ている」、「Bさんの顔はライオンに似ている」といった比喩が伴う場合や、「Aさんの起きたばかりの顔(むくんでいるなど)」、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」である。
例外事項で「『気絶している状態』などの顔」があり、「表情に関する筋肉の力が入っていない状態」と仮定される「表情」に区分されることに注意する。
「年齢差(幼少期・老齢など)」に至っては同一人物の同一性による基盤から外れる。
「Aさん・Bさんの顔は幻想的だ」と言われそうだが、あくまでも実在人物に仮託した基盤の「予備的なパラレル」として幅が広まったり狭まったりすることの話をする。
この場合(線に1以上の幅を想定する)は地球上で譬えて、単純な標高–海抜0 mに対するプラスやマイナスを想定するなどが可能になる。
パラレル事項は、そのように予備であって根本的でないが、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」という例は、実際に絵を描く人が感じる思考や疑問として伴う場合がある。
概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は疑似的な客観性=共通主観性(共同主観性ともいう)で認知される自然物が基盤であり、パラレル事項は多くの場合に主観的認知の強いものとして許容の範疇に置く。

「二次・三次相対互換の理論」をこのように、地球(真球または楕円体)の形で概念的に・スキーマ的に想像することは、これからの作業の設計図の一部分として受け止める。
相対互換ということ(相似)の要旨でもある。





顔の形質的特徴とその知覚に関する基礎知識から考えられる注意点

  1. 皮膚がどうあるか/骨格がどうあるかに依存して、輪郭の線として抽出される特徴や種々の影の原因となる多くの立体性が問える
  2. 知覚の構造は、形質的に:パーツと、その配置に特徴づけられる (cf. 相貌失認 prosopagnosia, 脳における側頭葉や後頭葉に局在–偏在する機能に関連。重要視されるものは紡錘状回 gyrus fusiformis–BA37の紡錘状顔領域 FFA, fusiform face area で顔のパーツとその配置 configuration of parts に敏感であるという; ただし網膜などの視細胞や視神経や脳神経に本題の理論との関連性は今のところ無い)
  3. 「髪などを除いた相貌のみを認識せよ」と他者からの指示または自己の意思で人が何らかの顔を認識する際に、「任意の個別パーツ」または「全体の配置」または「パーツとも配置とも表現できない漠然とした全体像」のいずれかには、見ている間の時点によって偏り (バイアス bias) がある
  4. 目視において遠近法のようなもので遠距離と近距離とでは正当に比較できないようなパーツの見え方の差異 difference が生じる





幾何学的な見地での検証・解明

「幾何学的な見地での検証・解明」には、2Dでの顔貌(相貌)の特徴抽出 (手段の例: ニ値化、1 px細線化または線画抽出 thresholding, thinning)と、パーツとその関係性の数量化 (quantification; width, height などの value) などがある。
2Dの状態でも色々と求められる事柄はある。
その後、3DのCGのソフトウェアでいわゆる二次元キャラ・三次元ヒトのモデルを作成し (modeling)、比較・対照を行う。



備考:「絶対的な相似」と違和感についての簡易な検証

当記事の冒頭にも載せた2016年当該記事の文は「例えば三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていると、誰しも奇怪に思うであろう。このように『絶対的な相似』では、違和感ばかりを覚えてしまう」として「絶対的な相似」について言及した。
その中で目が例に挙げられるので、このことも含めたいくつかの検証を行う。

上から;写真A, binary-1, 2, 3

写真A 201908080917.jpg は私の顔全体を含む上半身がY軸斜め(鼻尖をX = 0, Y = n, Z = +100% で任意の後頭部1点をX = 0, Y = 鼻尖に等しいn, Z= -100%とした際の両目のXやZが正面顔に比して対称的な数値にならないこと)で写される。
その二値化がされた画像(二値画像 binary image)を3種類に用意した。
私の管理するファイル名で binary-1, binary-2, binary-3 としている。
binary-1は、一ソフトでのエフェクトの後に「しきい値 155 (0-255中)」の方法で二値化して作られたものである。
binary-2は、その方法で二値化してからその人物の繭から頤の範囲に少しの幾何学的矯正 [height 66%] とともに目と眉の形状を保ちながら位置の適正化をし、細部の感性的矯正をして作られた…。
binary-3は、その方法で二値化してからその人物の目の範囲に幾何学的矯正 [width 130%, height 300%] と拡大後エッジの感性的矯正をして作られた…。

これらのうち、binary-3の画像が目に関して、その「絶対的相似」の意図に近いものになっている。
つまり、幾何学的な目の横幅と縦幅の近似値を人物の目に「二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目との絶対的相似」で適用したことになる。
数学–幾何学用語の「相似 (similar, similarity)」からは、私の目とbinary-3矯正後の目とで相似でないものの、近似値として「二次イラスト 2-ji」の特徴に相似であることを企図している。
一方で、binary-2の画像は、目の横幅と縦幅に変更が無いまま、その距離を鼻尖や口に近いものとしてパーツの相対性を重んじたものとしたことになる。
認知の対象におけるどの細部や全体に重点が置かれるかは、認知の行為者=主体の一時的な機能と長期的な経験とによって不確実であるものの、どちらが「二次イラスト 2-ji」の特徴に近いか、行為者自身で吟味する必要がある。
ただ、2016年以降の私の「自明の理」としてbinary-2側であるとされている。

この備考で、反対の仮想–反証または背理法の材料–反例として、こういった検証を提供する。
厳密な数理的方法は、やはりそれができる人に発破をかける意図でも、私が導入するのみである。



備考:前述の「注意点 4」についての検証

任意の3DCG(三次元コンピューターグラフィックス)のビデオゲームから相貌の遠近法 (perspective) の数理モデルの簡単な例示をする。
人物Bryan (身長約1.8 m ≈ 5.9 ft と仮定。実在人物からモデリングされていることを含めて著作権 a copyright や肖像権 a right related privacy or morality, a portrait right 云々の問題を言われそうだが倫理面以外では現状に問題視されない) の顔は:[fov 44] コンソールコマンドで至近距離(約0.2 m が想定される)で撮られたrendering1-a1rendering2-a1 、[S] キーで後退することで離れて(距離にして約10 m と想定)から撮られた rendering1-bfrendering2-bf 、[fov 3.8] コンソールコマンドで同じく撮られた rendering1-b1, rendering2-b1 がある。

rendering2-a1 と rendering2-b1 をGIFアニメーションで交互に表示する。

rendering1-a1に rendering2-a1を50%の濃度で重ねる。

rendering1-bfに rendering2-bfを50%の濃度で重ねる。

rendering1-b1に rendering2-b1を50%の濃度で重ねる。

3DCGの表示の数理モデルや計算的構造が直感的に分かると思うが、遠近法–透視投影 (perspective projection) に関しても再現されていることが分かる。
循環論法に思われそうだが、これは「注意点 4」についての検証と、3DCG利用の実効性に関する両方を同時に示すことである。
ここで使用した3DCGモデルの正確さについては、別の話とする。

注意点:ここでの画像の名は筆者個人管理のファイル名から撮られた。rendering1はワイヤーフレーム wire-frame のレンダリングであり、rendering2はテクスチャ texture を表示するレンダリングである。Bryan の顔の位置をこちらは至近距離a1系の時で僅かに高い位置から見ていたので視線の角度は水平よりも下になる。離れてからb2系も同じ視線の角度にすべくこちらの「カメラ camera」の位置を物理的に上(CGの計算処理としてはY軸のプラスに当たる)にして同じ角度で同じようなBryanの見え方を再現した。[fov] コマンド (field of view, 人間の視野と区別して"angle of view"と呼ぶことがゲーム業界の外では好まれる。コマンドの数値上限は170で視角170度のことだが水平と垂直 horizontal/vertical に関しては水平を基準にしつつ垂直も比例して変化している) は人物の映っている範囲の解像度 (resolution) の向上と統一を目的にしていて、過度な外周付近の縮約–展開(e.g. 北極と南極の展開された平面世界地図、鉄製スプーンの裏側が楕円的なもの=凸面鏡に映る像 cf. 19世紀に著名な学者マッハ Ernst Mach が哲学的な探究から描いた自身の鼻が右に映るような左目の視界を表現した自画像の絵 drawing, これらの間には異なる原因や結果的な焦点と外周の距離感の差異があるが参考までに)が発生しないことを期している。

参考:投影法 projection の立方体による比較
(by Cmglee, from Wikimedia commons)
遠近法について:至近距離a1系で両耳などが見えづらい代わりに鼻の突出の具合が強い。離れてからb2系で両耳がよく見えるように奥まった部分の把握がしやすい。これらは遠近法の有意な差として認めることができる。かつ、計算機=コンピューターの処理に基づいて立体の特徴が計算的に反映されたことになる。人物の相貌以外では、単純に立方体 (cube, さいころ dice などの実物または3Dモデルを指す) を斜め上から見る場合にも、見る「目(裸眼)」または「カメラ(ゲーム用語)」の距離によれば物理的に近いものがそれだけ視覚における映像の中に拡大される。

注意点4の検証は以上のように可能である。
至近距離の画像で見られたような特徴は、「迫力のあるもの」として知覚されるので、驚きや絶望感や威圧の表情に用いることが強みになると思う。
二次・三次相対互換の「幾何学的な見地での検証・解明」で、距離感の近すぎる顔の特徴を用いることは望ましくない。
どのような距離感の顔の特徴を用いるべきかと言えば、「ほどほど中間的」である上で、比較対象が相互に同等である必要がある。
例えば、任意の距離感の2-ji画像にはそれに近似するか等しい距離感の3-ji画像を比較に用いて新たに用意するものも可能な限りでそうすることになる。
「距離感の計測」は、描かれたものである以上、顔の遠近法 perspective を計算的に取ることが困難であるため、目測で構わないが、2つ以上あるものは基盤の一者を決めて、そこから「それに近似するか等しい距離感の画像」を選択する。



備考:その他の考慮事項

顔面の皮膚の「シワ–しわ–皺(wrinkle, rhytide; 年齢に関するものと表情の筋肉に関するものとで呼び分ける場合もある。かなり広い指示対象で見た目によるものは fold とも)」は、まぶた–目蓋–瞼(eyelid, La: palpebra)上部 (palpebra superior) のものが幼少から見られる実在人物が多いものの、それ以外のシワは若年層に多く見られづらいし、ある場合は薄い。
私自身の顔は、いわゆる「平行二重瞼」の傾向(反対に東アジア人などに普遍的で末広二重や奥二重や一重に統計的相関のある蒙古ひだ epicanthic fold も少し考えられる; 英語版Wikipedia oldid=941837871で"up to 90% in some estimations"と記されるようなもの)があるほか、額や眉間に少しだけシワのようなものがあったり、浮かびやすいし、頬のほうれい線も同様である。
シワというよりは影の一種として2015-03-05記事に示すような「ケツアゴ(割れ顎 cleft chin)」もある。
一般的な二次イラスト 2-ji でまぶた上部のシワは他のシワよりも描かれやすいが、形式に関しては、白人(ここでの指示対象はヨーロッパと中近東のコーカソイド)に比して鼻梁に近い位置の3分の1程度が描かれるものと、私がするように全体的に描くものと、全く描かれないものとで分かれてもいる。

「眉毛–まゆ毛(まゆげ eyebrow, La: supercilium)」は前頭骨の眼窩部 (orbital part of frontal bone, La: pars orbitalis ossis frontalis, 前頭骨は os frontale で眼窩は orbita) につく傾向にあるが、位置が高いか低いかの個人差が著しく見られる。
同じ毛色の場合の「視覚的な濃さ」は、毛の太さと長さと密度などで上下する。
人種論的な見解を含めて言うと、白人(先述の指示対象)は東アジア人よりも平均的に位置が低めで、個人間の太さの差が少ない。
東アジア人である私の顔についてはその白人タイプの方に近似する、と分析する。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は画風によって比較的低い年齢の人物の眉の位置を高めにする傾向がある。
私の萌え系イラストでは、他の萌え系イラストよりも実在人物の特徴に近づけ、全体の平均は比較的低い、と分析する。

目の「クマ–くま(目の隈 dark circles under eyes, periorbital dark circles)」が強めの顔には、そのクマの状態によって「彫り(ほり、顔の骨格に依存して立体感が生まれた状態)」が深く見える効果が考えられる。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は一時的変化または人物の属性(どちらでも睡眠不足の記号的表示が好例)を示すために誇張して描かれることがほとんどである。
私の萌え系イラストでは、特に意識してクマが描かれることは無い(反面、彫りを示すような影を眼窩の領域に付けることは多い)。

これら(および同等の考慮事項)を含めて検証したいときは、検証に用いるデータにその成分が出ている場合に、その範囲をラベリングするか注釈する方法がある。
これらを除いた場合のデータも用意して検証することも選択肢に入れる必要がある。





認知科学での説明

「認知科学での説明」には、研究者である私が近似する特徴としての具体例を示すべきであり、最初から断定的である姿勢は望ましくないと思う。
「近似する特徴」という前提で示される具体例は、断定的である場合よりも、例示の余裕があり、量を多くできる。
読者の多様な判断を促すうえで、「近似する特徴」という前提で多めに示そう。

具体例@(記事投稿日現在保留)

2019年9月28日 記憶に基づく実在人物の絵 二次ver. 三次ver.@



学術機関でのそれ(科研費の案件・研究課題)だと、何か社会的な調査を含めるかもしれない。
当の記事の後年の追記②で、「臨床的な手法」という言い方をしたことに当たる。
日本でいう「モニター調査・モニタリング *monitoring」という類があるが、英語圏で一般的にそういう言い方があるか不明である。
他にアンケート (enquête) とも言われる方法 (questionnaire; surveyの一種) がある。
誰か一定数の人々に、1人ずつ、具体例の二次ver.と三次ver.の類似性を尋ねる方法である。
特定の場所に人々を招くか、遠隔で人々に判断させる(類似性の判断に不自然な影響が入っていない必要がある)など、多少の形式の差がある。

手法としては、いわゆる定性的研究=質的調査 qualitative research の一種に入ると思う。
医学的に「エビデンスを取る」という言い回しをすると、それは定性的研究と定量的研究=量的調査 quantitative research とのどちらかは判然としない(英単語survey サーベイはどちらの意味にもなる>アンケート調査 vs. 測量・測定行為)。
混合研究法 (mixed methods research, multimethodology) という言い方がされるものもある。
「臨床的な手法」は、この研究に社会的要請がある場合に行えばよいと思う。





精神的作用からの「相対互換」

「相対互換」という言葉には、三次元ヒトもとい実在人物が二次元キャラの相貌の影響を受けることも含まれている。
これは、実在人物が知能を有している描く主体=見る主体=思う主体であり、その客体である絵を、主体が自ら認知する特徴に意識的でも無意識的でも似せることがあるのみならず、主体が客体である絵の顔つきに似てくることである。
そのような主体と客体との相互関係・互恵関係・相互依存ということを「兩萌相應(新字体:両萌相応)」とも呼ぶが、「兩萌相應」は宗教的な文脈でのみ使用したほうがよい。
絵を描く私が、人物の顔つきについて考察を深める中で、骨格・筋肉などが自身の理想に近似してゆく兆候を感じたことが含まれる。
主体が何を描く・見る・思うかによっては、その思いの対象である=客体である絵に相応した近似があるので、私が求める萌え系に限らず、他の人間・動物(イヌ等)・人間に似た謎の生命体(肌が黄色いアレ等)など、主体のヒトビトが異なって客体に似ることがある。
この趣旨は、2017年3月23日投稿記事『「念」による端正(たんじょう)な顔の利益 ~ 色心の相応』に様々な例示で説明されている。
そこで、私が小学生のころに世間の事物から意識的に感じていた事柄が示されてもいる。

これを定量的に研究するならば、膨大なデータ量とそのための時間とを必要とするであろう。
前提の設け方も色々とあるため、いくつかの説明方法も用意せねばならない。
手早く済ませたいならば、私の中学2・3年生の時の写真と、2016年以降の写真とを比較することで一旦の解決にする。
私の体脂肪率(特に顔面の皮下脂肪)は、それらの期間において恐らく大差なかろう。






起草日: 20190928

科学の後に、一般世間で広く利用できる技術があるとすれば、なおかつ、この研究が科学的であるとすれば、私が描く萌え系のための技術が開発できる。
例えば、似顔絵を描く際の「似ている似顔絵」・「似ていない似顔絵」の客観的な判断基準の設定に役立つ。
実践としては、特徴的な画風の中でのAさん・Bさんなどの顔つきの差異を「NさんよりはAさんっぽい・Bさんっぽい」などの相対性よりも「確実にAさんだ・Bさんだ」などの絶対性に近い判断が得られるような絵画の表現を実現するための補助の理論となる。
実在人物のコミカルな外見の表現でも、髪型や服装だけでなく人間的な特徴のうちで変化しづらい性質のある「顔つき」がそこでの人物の判別のために明確な特徴を発する。
正確にその絵画の技術もとい技法を用いるには、相当の慎重さを伴った丹念な方法が求められて困難であり、速い描画のためには天才的な才能が求められて困難であるとも思う。
コミカルなものなどは、性格に応じた表現(表情・セリフ・人物の外見全体による行動描写)などが人物の特徴として認知されやすく・描く者が意識するので、その方面では「二次・三次相対互換」の「スキーマにおける形式性の追求」は影響を与えづらいかもしれない。

他に、人物の表情を描画しやすく、他者から直観的に判別しやすく開発することを考えよう。
人物の多面的な表現を志向する、一部の漫画やイラストレーションなどのためには応用できる。
単純な図形の組み合わせによる表情の画風は原型たる人物と一時的な表情のヴァリエーションが少ないし、写実的な画風は人物の表情の反映が必ずしも直観的でない。
人工言語というと、音韻や文法に関して聞き取りやすく区別しやすいものや自然の現象を知覚・想起する脳内での主体と客体の関係を示しやすいものを目指す。
子音や母音の種類が少なすぎる (e.g. 10/3) と、実現しないことも多いか単語の音素単位・文字数が多くなる。
子音や母音の種類が多すぎる (e.g. 50/10) と、相互の区別が困難な音素が増える。
文法事項を反映した語形(屈折 inflection によるものなど)が多すぎると、習得が困難だったり日常的な使用に支障の出る人もいる。
過去記事に例示される人工言語エスペラントは、ヨーロッパの言語が基盤である(日本語L1のみで30年以上生きた人にとっては/l/ /r/や/h/ /x/の区別が困難かもしれない)とはいえ、ここら辺のバランスが望ましいし、信奉者が社会的な変化に多少の対応を努力する傾向もある。
言語には、論理性に加え、色々とユニバーサルなことやバリアフリーなことが求められよう。
しかしまた、多様性の観点では、日本語や英語などの自然言語において好まれる特徴も多いので(主要な自然言語は相互に通じやすくすべく合理化された部分・翻訳借用も多いが)、なかなか取り扱いは単純でない。
大衆的な絵も、人物に関しては表情の表現を描画しやすく判別しやすいものを目指すことが可能であるが、どのくらい追求されるべきか?
芸術のうちで限定的な領域であっても、模索したい人が模索することは望ましい。
結果的な反響や利益について、私は特に想定しない。

楽語共調理論 symphonedy theory」など、情報技術の数学的原理・情報理論とさまざまな芸術行為に関する統括的な研究が考案される。
芸術の立場では、認知科学などの知見も取り入れることになる。
一個人である私がマルチに活動するとなると、どうにも疎通の説明が可能な研究が必要となる。
個別分野に関しては、当然、それらのローカルな知識(専門用語)や学問(パラダイム paradigm: "nomenclature, terminology, methodology"に差異がある・"incommensurability"がある)が伴うし、芸術分野も色々と説明がされていて一つの分野(例えば芸術>音楽>ポップス>ロック<器楽などが入れ子構造や二重支配を持ってもどれか一つ)に複数の流儀や解釈や説明がまかり通る。
それらが人間の行為と複数の人間に理解される知識と捉えられ、私は時間がかかっても学び取るだけの知能と精神とが必要になる。

その後、納得のいく検証・解明・説明を私が行おう。
説明には既存の概念に比較しづらいとき、紛らわしくない新たな造語を欲することは、科学哲学で有名な通約不可能性"incommensurability"を念頭に置いている。
例えば、言語学でノーム・チョムスキーさんが言った「言語能力 linguistic competence」という独自の用語・術語 (恐らく1965 Aspects of the Theory of Syntax か 1957 Syntactic Structures) は、文法が言語の基盤である前提にして(生成文法・普遍文法のモデル)言語と文法が生得的な能力である(彼の派閥は他の動物と共通する生物学的カテゴリに置くことを期す)という意味で言われたものの、一般的な形容詞と名詞の組み合わせであることから、社会的な能力 (ability) や経験的な知識 (knowledge) としての差別的な言語能力と解釈されやすく(チョムスキーさんは同時に ability に近い意味で linguistic performance も説明したろう)、人文科学・社会科学における一つの反省点である。
用語の使用と受容の不調和は、既存の主流な研究の妨げになったり、新たな・独特な研究に対する主流派からの容喙が及ぶなどで、相互に問題が起こる。
こうして音楽でも絵画でも、個々の理論を人間の行為の大局的な領域にまとめあげる作業がある。
一応、芸術分野の一つの解釈のために科学的方法論や知識の援用があるのみで、私の研究を科学に属すると立証する意図は無い。
研究の前提に、色々と科学や数学の方法論と知識と歴史とを学ぶ。
日本の大衆的な芸術分野の突破口を見つけ、国際化以上の価値を創出する一助にしたい。
専門分野との関連性は、奥行きや広がりを持たせる。
複数の分野の関係者間における相互理解の一助としても期待がある。



↑(一つ上)の段落は2019年10月2日以前に書かれたものである、と2020年3月7日に確認した。
当記事はそのように起草日から数日以内に大きく書かれて以後は、「必要な準備(数学の学習、学術的方法の検討、画像素材–図表の作成)」と「他のあらゆる作業–活動」のためにあまり加筆されないできた。
2020年2月下旬からは、内容の加筆が再開され、理論の基礎部分の再考を始めたりした。

「相対互換(相対的互換性とも)」という名は2016年当時に学術的な立場をあまり念頭に置かず、便宜的に付与した名称である。
「相互」をほぐしたような語彙として考案されたかもしれない。
現在までにこの理論を指した記述の数例を参照する:
それで、記憶に似つき、相対的互換性理論に適っているかといえば、然程でもないが、実在のS・芽生ちゃんとは別物と思えば、別物として良しと言える。—Ld1. 2016-07-01

女児Sのイメージを、どうにかして絵として完璧に表現できることを望みながら、懲りずに描いた。(中略。なお「S・芽生」と「女児S = Y.S.」は別人物)「二次三次相対互換」の様々な理論や、イメージを表現する際の経験的基準を用いても、技能的な問題が強いためか、なかなか望み通りとならない、と見ている。—Ld1. 2018-05-05

萌え系の人物の相貌に関する「実在の美人の相貌との相対的相似(近似)」を「二次三次相対互換」として2015年から考察を始めた。—Ld1. 2019-08-19

互換性といえば英語で"compatibility"であり、形容詞は"compatible"であるが、行為名詞 (action noun, nomen actionis) や現在分詞と同形の動名詞 (gerund ジェランド) は無いように見える。
元はラテン語で「(誰かとともに苦しむ/憐れみを感じる」という意味の能動態 (active voice/aspect) しか無い自動詞の compatior である。
不定詞 compati  と接尾辞-bilis が合わさったような語彙の派生語として、英語の形容詞"compatible"(「思いやりがありえる/できる」「同情できる」;任意の人物の持つ精神の機能という意味合いで。そこから「両立できる/互換性のある」)があろう。
過去能動分詞 compassus は「同情・哀れみ–憐れみ」のような意味の名詞 compassion の派生がある(いわゆるコンパス compass とは接頭辞con- = com- が共通しても関連性は無い)。
このような観点から「相対互換」という表現は、西洋語を念頭に置くときに扱いが困難である。

「相対互換」という表現の扱いが困難でなかったとしても、この記事の段階で私は「Aさんの顔つきの線」の話にあるような新しい説明の手段を持っている。
想像上の個人と仮定される顔の抽象的な類型区分を設定する方向にある。

変更案のために連想される語彙は何か?:
"facial similarity"…顔の類似性、相似性。曖昧さが強調される。
"graphical face indentity/identifying"…描写的な顔貌同一性/識別。
"individual face taxonomy"…個別顔貌分類法(分類学)。
"prosopoanalysis/prosopanalysis"…顔貌(相貌)分析(分析学)。πρόσωπον (prósōpon) + ἀνάλυσις (análusis) という古代ギリシャ語系の複合語。
"generative face perception"…生成的な顔貌の知覚/生成顔知覚。「考えられる注意点 2」も参照。
"anatomy of the neotenous/baby-faced appearance"…幼児のような外見/童顔の解剖学。この neoteny 語彙は生物学用語から派生した俗語–スラング slang の意味合い。いわゆる「二次元」の萌え系イラストの個別の分析と実験手法の側面に寄せて。
"moe-form/moeriform identification"…萌相識別(顔貌についての表現対象と表現結果との間の同一性の明示)。moeriform は moerus (萌えの典籍からの造語) + -forma (adv. -formis) というラテン語系の複合語。

改めて想起されるものが、2016年に動物を比喩的に萌え系イラストの類型区分に用いたことである。
Ld1. 2016-06-22で2015年12月15日の絵を載せた際の説明、Ld1. 2016-10-11で2016年8月28日から6日の複数の絵を1枚に載せた際の説明、同じく2016年9月4日の絵を載せた際の説明などの後、Bl. 2016-10-10で譬萌條という章に「五萌類『萌相を獣に譬ふ、狗・貓・猴・兔あり、鳥も擧ぐべきか』」が説かれたことを指す。
経線モデルで萌えの帯域にZ軸(海面からのプラスとマイナスの高度に当たる)方向の派生を設けたいならば、分類学的研究とそのMoella属の種または経度Numerus属(numerusは数学 n と同じ仮定なので実際にはラテン語の数詞またはアラビア数字を当てる。赤道からプラスとマイナスを仮定する場合は2-ji属と3-ji属とEquator属とを設ける)のmoerus種(前述のプラスとマイナス仮定ではnumerus種)の亜種か変種といった命名を伴うことが考えられる。
生物学の分類学や系統学を参考にした。
彼らの命名やラベリングは、現在に主流の分子系統学 (molecular phylogenetics) の場合に個体と考えられる個体間における分子的な差が特異でないと種の区分が生じない(属と科と目などについても種に代表される下位の区分の情報の蓄積に依拠している)。
歴史として、いきなりそういう高度なものではなく、先に古典的な形態の特徴の分析の後、難問が露出し、転回–パラダイムシフト paradigm shift が求められ、今も生物学には分子系統学の正しさを追究する努力があるのではないか。

この長くなりつつあるあとがき欄で、はじめに「私が描く萌え系のための技術」が開発できるという展望を示した。
技術開発の観点では、科学的研究もほどほどにして客観的特徴の心理的な決定と実用性を重んじ、既存の二次イラスト(3DCGモデルを含む)や三次写真を解釈して数々の属性 (property, properties) のラベリングを行うであろう。
自身の出力 (output) のための情報を整理して形式的に記述する。
さしずめ <eye size="middle" color="156°, 100%, 78%"> (color属性はここであえてHSL, HSVのようなもので心理的に表現;気に入らない方はRGB: 0, 200, 120; CIELab: 71.33, -60.18, 28.53とも) <eyelid fold="2" length="100%"> などの具合で客観的特徴の心理的な決定を行うが、これは、その実用を望む人自身がイメージについて自覚的である精神的努力の技術が同時に求められるかもしれない。
萌え系の鼻の表現では、鼻梁と鼻尖と鼻孔のいずれをどう強調するかなど、これも <nose> 要素の property または variant, variable または value として考慮できる。
あとは、音楽でいう楽譜からの楽器演奏またはMIDIファイルの再生のように、そのように記述されたものが他者の脳内またはプログラムの組まれた機械で変換されて出力されるなどもある。

2020年4月2日木曜日

2020年3月中の日記メモ

●口上
日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。
2019年9月29日における携帯電話の画面に光が入らなくなる故障から、非パソコンでの簡易なメモ(強い必要性があるものに限り紙・ペン)と自室での時刻確認ができない状況にある。
同じ事由で、撮影写真は多くの場合にその場でのプレビュー参照が行われずに公開の段階に入ることになっているので、ぼやけ(加えてレタッチのシャープなどはデジタル画像処理の観点で「写真に対する使用はごまかし」なので別の理由が無い限り用いない)や被写体の位置が枠を外れる程度についてのご寛恕を願う。

●私感
前月分の日記メモ記事に「欺瞞の男女ラブストーリー」と記されたことは、当月1日メモで記録された弟の「前は嫌いでしたが今は好きですぅ」という発言とその後の彼の態度に実証された。
当月25日には、当月24日に撮影された映像–動画をYouTube日記チャンネルで公開している。
『2020年3月24日 ミカン果実を箸で食べる』と名付けられ、説明文は「2020年3月24日19時28分に、2020年3月19日ころから家にあるミカン–みかん–蜜柑の果実のうち1個の、セグメント3つ分 (3 segments that were divided from one of many mikan/orange fruits in my house) を私が食べている様子を映した」として始められる。



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2020/03/01

本日3月1日は前日18時16分にPCをシャットダウンして就寝し、3時54分に起床した。5時41分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。一度目からして、糞便の排出時に直腸–肛門の粘膜のメリメリと裂けるような感覚が強くあり、排出後のヒリヒリとした感覚を伴った。当然、肛門を拭ったトイレットペーパーに血が付着する現象は起きているし、血の濃度と量は過去の例の中でも多めである(多量下血/大量下血に比べて少ないことは言うまでもない)。粘膜の:粘液の不足とか、弱化とか、乾燥とかが原因であるという所見を私は持っている。何らかの運動または摂食療法(何をどう食べるか)くらいしか改善の策を呈することはできない。長年の私の習慣に、「排便時に痰を出してトイレットペーパーに付けてこれを肛門を拭うために用いる(ただしこの習慣のために口内から糖分などを減らす/漱ぎ落とすための『水を口に含んでから漱いで飲む行為』などが頻繁に行われる)」があり、直腸の免疫機能が「外的なものへの依存を起こすことで弱化するということが「真の健康法理論の世俗面」から考えられる。2016年7月10日公開の記事から引用すれば「外形的な物質に理性から依存を始めると、体もその物質の摂取にばかり機能を依存してしまうから、本来の身体能力(自然治癒力)も損なう」と、である。7時45分から便意のためにトイレへ入り、3個の小サイズのものを排出した。この時も多少の「裂けるような感覚」はあったが、先ほどの強さではないようにされる。

前日=前月29日には14時2分に起き出した母親が、本日には14時17分に起き出した。14時30分台から母親が弟に1階の床のガムテープによる掃除をやらせていると、開始10分後から母親が弟の不手際に対してネチネチとケチを付けていた。15時20分現在もずっと同じような状況である。弟は今のところ逆上していない。敬語を使うようにしていた。これは記録に無いが、前日にも同様の状態があった。前日においては彼が炊飯器のスイッチを入れたタイミングで母親が起き出し、こういう状況の時に炊飯器の動作が完了したため、彼の「彼自身が炊く飯は彼自身が『まずい』と言った→母が『まずい』と言った→いいや彼だ」というエピソードが1月中 (cf. 2020/01/07メモ) があったことの経緯から「母:何合炊いたの?」「弟:2合ですぅ」「母:なんでそんなに、『まずい』んじゃないの?」「弟:いや、お母さんにも食べてもらおうと思って」という会話があった。同じ話題か別の話題か記憶にないが、母親の「(発言者本人に対して弟は)嫌いじゃないの?」という質問で彼は「前は嫌いでしたが今は好きですぅ」とかと言っている。前日でも本日でも、こういう弟に対して母親はひどい詰問や攻撃を加えている。15時43分までの10分ほど母親が2階に上がって洗濯物を干しだす間、弟の1階リビングの掃除が行われて待つように言われた彼がボソクサと「それはお母さんが」云々という独り言をしていた。それから母親が1階に戻ってきても母親は何かと弟を責めたり、弟が「置く(彼らの掃除に用いるガムテープの切れ端)」という指示の後に拾い出したことで母親が狂乱して「オォーークゥッ!」などと大声で「置く」という行為の強調をすることが3度あった。その後もまだ「『お兄ちゃんの部屋の出入り口』の後、『玄関』で掃除をし、使用済みのガムテープを弟の部屋で捨てて風呂の準備をする」という指示を母親が出しても、色々と弟が異なることをしたという話で母親の追求が止まらない。母親の口癖で「血圧が上がる」という慣用句が一度出たが、「血管ぶちぎれそう」とも言っていた。バカ云々と母親は弟に対して罵倒する。母親自身が首を絞める/適切な教育ができないので、そうして知能が劣化することを母親は恐れないものかと思う。16時5分におおよそ彼らの話が終わったが、当然、彼らは各々の不満げな独り言をする。母親は精神的教導をせず、不必要–非生産的な独り言の自省–自制と弟への抑制などをすることは無い(このような話は日記メモに幾度と記された。後者については母親がよほど不機嫌である場合に行われる)。「残念ババア」「暴力マザコン」「親子共にダメ人間」というラベリングを私は控えたいと思うものの、事例ベースではそうできると私は信じる。弟はいちいち母親の言葉に不必要な反論や屁理屈を弄する傾向もあるし、母親もグチグチ小言と同じ方法の悪癖は変わらない。今までに:弟には「妄想性」の独り言が強まり、母親には韓国芸能追っかけが強まるなど、彼らの精神的成長を著しく失わせる現象も懸念される。彼らの感情的非難で、彼ら自身の現実的対処の理性的な方法を逃すであろう。



2020/03/02

本日3月2日は前日18時59分にPCをシャットダウンして就寝し、2時36分に起床した。前日の母親の起床はあまりに遅く、「月曜日=3月2日が弟の作業所に休みがあるかどうかも今まで明らかでなかった上で実際に休みが無い場合は、母親が眠らないで朝に弁当を作るのであろうか」、と思ったが、いずれにしてもこの時点で母親はまだ起きているようである。珍しく、1階キッチンの炊飯器には※飯が炊かれたまま放置されている。4時20分台に弟が1階に降りた際も母親が2階から弟に話し声を上げて彼らが異なる階にいるまま話しているなど、母親は眠らないでいる。案の定、5時20分台から母親が1階に降りてキッチンで何か(十中八九、弁当の準備)を始めた。

例の故障にある携帯電話でメールの着信が前月29日の昼頃と今月1日9時30分と3月1日13時29分にあり、本日6時2分にもある。件名や送り主(メールアドレスまたはSMS電話番号)は当然、例の故障の事由で不明である。もし身近な人物やオーナー(e.g. 前の家にいる父親、docomo窓口関係者)であるとかならば、急な用事でないとしても必要な話は電話で行う選択肢もある。稀に短期間で頻度の高い迷惑メールの送信が行われるという一種である、と考えるしかない。6時21分に排尿のためにトイレへ入る際に、私の影を見てからか足音を聴いてからか「○ちゃん(弟の名前)か?違うのか」と1階キッチンにいる母親が言い出したが、私のドアの開閉音などは知らないようで、自分の息子と思っている人物 (people she recognizes as her sons) の姿や行動特性を把握しきれない「『(自称)親』のクズ」であろう。私がトイレ個室にいる際に母親が急に2階へ行って弟を呼び、私が退出して洗面所などにいる時に弟を1階に降ろそうとし、私が部屋に戻る前に母親が1階に降り、弟が後続する前に私が部屋に急いで戻ったが、血迷った母親が「ストップ!お兄ちゃんが部屋に入るから」などと言い出した。弟も彼が遅いのに10秒ほど階段で立ち止まるなど、母親は他人を困らせたがる。もし「困らせたがっている精神性ではなく良心でやっている」と分析したいならば、母親は「無駄な心配」と、「必要な心配を行わない」ことを兼備する「あべこべの精神性」はいつまでも直らない「残念ババア」であろう。無意味 (nonsense) か悪い/負の効果 (bad or negative effect) しかもたらさない、無駄な声を発したがるババア悪癖も直らない。こういうメモ文章は普段、取らないようにするが、前日の経緯もあるので、連続性から記した。本人の悪癖など直る余地もないし、こういうことを本人に言っても弟がその原因の行動をしたような更年期障害と認知症可能性が増えるだけなので、日記メモの参考の目的でのみ記している。この後の彼らの間では、1階リビングで弟の朝食があり、TVの音が鳴らされる状態に、何らかの原因で弟が母親から叱られ続けている。前日や前々日の弟はおとなしいので、母親の攻勢は浅ましい。30分ほどに及ぶ。他人の目の前では自分の首を絞めることを好み、一人でいる時はTV番組のためにゲラゲラと笑うような、意味不明の生き方を好む母親である。報道を見る限り、豊橋は今のところ新型コロナウイルスの疾患 (COVID-19) の陽性の感染者がおらず、愛知県内でも名古屋市内がほとんどで残りが尾張地方であろうが、7時30分台に近所の小学校の通学班の動きは見られない。弟は7時47分に母親から呼び出された後に作業所へと出かけた。

その後も母親は1回3分未満ばかり2階に行く以外はずっと1階リビングやキッチンに居続け、9時10分までに「水ゲロ吐き–漱ぐ行為」を母親は何度もしていた。13時59分に母親がBS11イレブンというチャンネルでの放送枠の韓国ドラマ(邦題:神との約束)を見ようと1階リビングに降りてきた。10時以降からそれまで、2度のみ2階で動きが有ったり、今までの2時間は際立った物音も無かったので、突如ダダダダッと1階に降りてくることは全体的に呪われていることを思わせる。15時1分にもその状況下の着信あり。



2020/03/03

本日3月3日は前日18時26分にPCをシャットダウンして就寝し、3時54分に起床した。6時40分台から耳栓を着けたまま眠気をこらえるようにして坐る時間(瞑目で坐る。多少の読み物に目を通す時間もある)を続けると、1時間後には「よくある通り」かなり強めの頭痛が起きた。鼻水も出てくるようになり、明らかなほど身体の異常が現れた。免疫力が落ちて風邪–かぜのウイルスなど病原体にでも染められたか?こういう症状に簡単な原因を求めることを好まない私にとって、比較的冷たい飲み物が5時0分ころから多少飲まれていたこと(今冬にあまり飲まれない落差の大きさ)も考えられる。本日の睡眠について:0時以前(推定)に一度目覚めていたり、記録された就寝から起床までの合計時間は約9時間30分である、なども関係させたくなる。

頭痛は、10時までの何らかの短い時間で和らぐことが2度ほどあったが、なおも強まるので、11時51分にPCをスリープ状態にし、窓を開けて換気の状態にしたまま押入れで横になることにした。睡眠状態を経てから15時31分に起床した。頭痛はだいぶ和らいだので、本日中に済ませようと願う作業に戻ることにした。18時1分から弟が1階リビングに来た後の18時58分ころ、母親と弟の「ずっと暮らしたい(聞き取れなかったが弟は母親と?)」「埼玉(上の弟と父親が済み続けていると信じられる家の所在の県)」云々の話題の会話で彼は「お父さんにも会いたい」などと発言していた。なお、それまでの時間に私の部屋の前に3度、食事が置かれた(弟が母親に指示されて行った。内容は順に約200g容器いり赤飯・マカロニきゅうり賞味期限2019年9月マヨネーズ和え・赤系合成着色料ダンゴ2個)。



2020/03/04

自室冷蔵庫の霜による氷が中途半端に融ける異常で氷の一塊が機構から少しの力でやすく取れる。キッチンに移動してから撮影した画像 202003040002

本日3月4日は3時11分にPCをシャットダウンして就寝し、10時3分に起床した。14時51分、母親が部屋のふすまをノックしてから私が返事をすると、私の部屋の前に菓子を置いたと言い、次に、案の定、2月28日の買出しで買われた肉類の話をされた。キッチンの冷凍庫(冷蔵庫冷凍室)にあるうちの2つが私の分であるという報告が今更すぎて呆れる。変なこだわりの強い上で尊敬できるこだわりに乏しい顛倒の人に、何か態度を改めよ、などと言う気にならないし、過去には言っても通用しなかった例が散々示されている。19時50分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものを排出した。昨今の日記メモでは「カフェイン節制」と表現する機会に乏しくあるが、本日はそういう過ごし方の後の18時台に普段の2/3ほどの緑茶を入れて飲んだこと(つまり茶葉が少なめだが飲み終えてもいる)がある。粘膜の問題に関しては、前回の排便以来にほどほど摂食療法(端的には私の食事量のうち糖質–炭水化物の割合を減らすこと)をしてきて、それが奏功したかは不明だが今回は痛みを伴う出血の現象が無かった。



2020/03/05

本日3月5日は2時55分にPCをシャットダウンして就寝し、9時35分に起床した。9時40分台にゴミ出しのために外出をした。前月26日メモで解体工事とされた工事現場を見ると、きれいに更地になっている。12時9分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと1個の小サイズのものを排出した。13時27分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと3個のコロッ糞を排出した。13時台に強風で「彼らの乗らないで買われた自転車」のカバーが外れている(ただし飛ばされないように固定されている)状態を見た。16時3分に弟が家の郵便受け–ポストの開閉後に家の前で30秒ほどウロウロしていた。



2020/03/06

本日3月6日は寝ない状態で日を越して至る。0時28分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、2時56分に自室へ帰った。4時43分にPCをシャットダウンして就寝し、11時59分に起床した。

14時2分、所用で1階の自室の外を移動している間に母親が1階に降りてリビングに入り、それから私が廊下を通って自室に戻ると母親が話しかけてきた。「母:運動してる? 私:(沈黙) 母:してないの? 私:(沈黙、私の手が置かれる部屋側のドアノブのある半開きのドアを母が反対から強制的に閉ざした) 母:してないんだ。してないで気持ち悪くならないの?」などという。いくつかの理由(ここ1週間に渡るものを含む)で私は機嫌がよくない上に、本日中に「ある問題(母や弟も知っているはず)」が発生していたので、それに関する話かと悪い意味で期待していたが、大きく外れた。質問の仕方が下手であり、どのように下手かあの人に伝えても改善しないので、何か反発するだけ徒労に終わるであろう。母親が不誠実であることは、私の何かしらの返答に対して「なに?(聞き取れていない)」と言ったり、この直後に「掃除するから」などと言い出して掃除機を掛け始めたこと(最近の彼らはガムテープによる掃除の行為ばかりであってここ20日以内に恐らく1度も無いこと)で分かる。母親は人間的な立場でまともに話す気が無く、人を狂わせる底意が有るのではないかとさえ私は感じる。こういう話は、思いやりの精神に欠けて行われたか、もし思いやりによる行為ならば「不器用」すぎる。だいたい掃除をしたければ先にそうしていればよい。なぜ私が部屋の外に出ていると母親はこういう奇行に出るか?人権侵害も甚だしい。母親が掃除機を止めた後、前日の私の外出行為について私に聞いてきたので、ゴミ出しのみに私は言及した。

電子レンジ (ハイアール–Haier JM-V16A) 故障の状況説明:2020年3月6日3時30分台、某レトルト食品を冷蔵状態から [600W 3分間] で加熱を始めて2分ほどが過ぎてから十分に熱せられたようなので停止スイッチから止めると、それでも加熱時の音が鳴り続いていた。扉–ドアを開けると、鳴りやむし、私は中身を取り出してから閉めると、再び加熱時の音が鳴り始めた。この状態から止まるまで放置するのに5分ほどかかったが、それで様子を見ると焦げ臭さが周囲にあり、電子レンジ全体の温度はかなり上がっていたようであるが、私はまず警戒して中を見ると何もない皿に点々と焦げが付いていた。慎重に皿を取り出すと、その時で80度ほどあったかもしれない。類似の事象についてのYahoo!知恵袋q1253829122q13145234373に、回答された内容にあるような見解では「ファンが冷却のために回転し続けることもあるのでその音ではないか」とされるが、実際に加熱が続いているからこそ、私の受けた結果になっていると思われる。3時50分台に故障を確信した。電源コンセント挿入状態の時に通常の操作をし、何も反応が無い。爆発などに至らないだけ不幸中の幸いかもしれない。ここで詩「あーなんと ゆーこと かなしみの おとこなの」 中性化の説明としては「近頃、冷凍食品を調理したり母親が家にいる時間が長いなどで電子レンジが高頻度に用いられた結果、マグネトロンの寿命が早く尽きてしまったのではないか」



2020/03/07

本日3月7日は4時45分にPCをシャットダウンして就寝し、10時24分に起床した。15時43分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものを排出した。19時32分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものを排出した。



2020/03/08

本日3月8日は4時22分にPCをシャットダウンして就寝し、10時32分に起床した。



2020/03/09

本日3月9日は5時33分にPCをシャットダウンして就寝し、11時26分に起床した。15時40分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものを排出した。



2020/03/10

本日3月10日は寝ない状態で日を越して至る。1時23分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、下痢と軟便と2個の長サイズのものを排出した。1時46分から便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。2時22分から便意のためにトイレへ入り、先の2度における1回あたり排出量と比べてはるかに少量の下痢を排出した。2時46分から便意のためにトイレへ入り、下血した。「血で便意を催す」としても、もはや勘弁してほしいと願うのみ。3時8分にPCをシャットダウンして就寝し、10時32分に起床した。

12時20分から便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。前日の日中に私が料理中で鍋から目が離せない時に、母親が「明日に外出する、何時からかは分からない、買い物」という趣旨でブツブツと私に話してきたが、2019年7–8月の「雨女(+雨男の弟)」とでも呼ぶべきできごと(令和元年台風6号および10号による「母・弟のツアー会社プラン日帰り旅行」2件と「長野県内で星を見る日帰りバスツアー」キャンセル)のように、本日は午前中からシトシトとザーザーの間の強さの雨が降り続けており、車での実行さえ母親は厭っている。15時0分には、それまでほとんど静かだった母親が猛烈な足音とともに2階から降りて1階リビングでテレビの「ディーライフ字幕のみ韓国ドラマ」を見始めた。「クソダサババア」であろう。わざわざ変な、口先での報告をしてきて実行しないような、知られた「不誠実さ」「怠慢」「傲慢さ」に目をつぶる。車利用でどう雨に濡れようと、即日風呂に入るにもかかわらず、有言不実行である。母親の声や物音と知覚される音声を聞くたびに苛立つような認知プロセスが学習され、世の中への憎悪と鬱憤さえ蓄積されかねないから、本当に母親の私への言動はもっと深慮が必要である。数年前は信仰と精神修養の自助努力を重んじた私も、今は「ネット上の仏教徒を含む多くの宗教信者–指導者 religious people と学者が人間性について尊敬に値しない(ごく一面の努力と知識のみ尊重)」と思うので容易でない。よもや夜遅くに雨が止んで/弱まってから行く気か?と訝るが、14時56分付けのメールに「強雨のため、(改行)今日のお買い物は断念します。(改行2つ)金曜日に行こうと思います^^」と書いてある。私の見る情報で降水確率は水曜日が10%, 木曜日が0%, 金曜日が40% と扱われており、その日まで伸ばす意味も不明である。



2020/03/11

本日3月11日は5時22分にPCをシャットダウンして就寝し、11時54分に起床した。23時1分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、25時26分に自室へ帰った。



2020/03/12

本日3月12日は4時35分にPCをシャットダウンして就寝し、7時30分台に事後状態の夢精で目覚めた。仰向けで横臥したまま処置し、目覚めの4分ほど後である7時42分ころに起床した。8時20分ころから再び横になってみると、30分ほど経ってから眠ったようで、10時40分台に再び夢精で目覚めた。いずれも性的な夢を見たような記憶の無い状況下で目覚め、被害範囲は拡散予防ティッシュペーパーにほぼ収まってパンツや皮膚が僅かに触れる程度である。風呂に入った即日ないし48時間以内には、夢精の頻度が高くなるが、よりにもよって前まで6日間の拡散防止ティッシュペーパーの相性のよいボクサーブリーフ着用から今はそうでないトランクスにしている。

17時20分台、母親は弟に弁当箱に関する指示であるとかの普段の指示を出した。その後、彼が作業所から持ち帰ったものに関する質問を母親はした。これに弟が「じゃがいも(ジャガイモ)が入っている」という回答をしたが、間もなく中身を見た母親は「さつまいも(サツマイモ–さつま芋–薩摩芋)」であると難癖をつけ、1階リビングでテレビ(弟の見るようなBS放送の時代劇が付けられる)を付けながら彼を居させている間、やたらとその話題で弟を責めていた。「じゃがいもだよ、です(敬語がどうこう)」「わけのわからない」「じゃがいもですかって何できくの」などと母親は血迷ったグチグチ小言詰問をしていた。彼らの話の詳細をここに記す必要は無いが、要するに弟の言葉遣いや私がリアルタイムでは聞き取れなかった他の発言などについて、母親はなぜか気にくわない–気に入らないらしい。こういうことの心理を細かく分析する必要も、ここでは、無い。不穏当で気が滅入る。17時54分には母親の怒りが顕著となり、彼に対して「イライラするって」云々と喚き始めた。弟はずっと「彼の敬語」で返事したり、母親にとって苛立つ原因になる発言をするのみで、「何が不満だ?」「頭冷やせ」「同じことをグダグダ垂れて恥ずかしくならないんか?」といった反発などはする頭が無い。18時1分、2月下旬以来と思われる彼らの配達物に関する訪問が有って弟が応答したが、それまでもずっと同じような話題が続けられていた。その後、配達に関する弟の対応で母親が難癖をつけたり、18時8分からイモイモと「イモの話題のいもい難癖」を再開した。弟の勤労意欲を殺ぐ肯定的または否定的な発言を自制できない「残念ババア–精神的ニセ親」であることは、ここでも看取される。



2020/03/13


本日3月13日は寝ない状態で日を越して至る。1時台にゴミ出しのための外出をした。4時7分にPCをシャットダウンして就寝し、11時38分に起床した。13時11分に母親が発車して外出した。間もなく、衣類3点のための洗濯機作動をし、私は風呂場–浴室での水浴びを始め、13時44分に自室へ帰った。14時台にもタオル2点などのための洗濯機作動をした。15時48分に帰宅した弟は、彼の風呂の後の16時50分ころから外出した。18時台に帰宅した彼は、再び20時18分ころから外出した。いずれも、彼が出てゆく直前に玄関で、彼のリュックサックかショルダーバッグ(またはポーチ)か何かのジッパー–チャック–ファスナーが開閉される音が立っていた。今度は20時30分ころに彼が帰宅してから、21時8分から彼が風呂に入り始めた。21時19分に母親の車が家の前に着いた。その際、彼は風呂場を出た直後であり、母親が停車の作業の間に2階に上がった。

母親が屋内へ荷物を移す際に弟の名を2度呼んでいたが、彼は聴こえても聴こえていなくても応答しないので、次に私の名を呼んだ。私が応じる際に母親が「○○(弟の名前)クソヤロウ、部屋の電気を5秒間だけ付けて消しやがった」と言っていた。21時30分現在までに弟が独り言の声や物音らしいものを大きく発生させた様子は無い。彼は怒りか恥ずかしさかのような感情を抱え、寝たふりをするように見える。不貞腐れて不貞寝–ふて寝、という言い方もある。



2020/03/14

本日3月14日は4時54分にPCをシャットダウンして就寝し、11時26分に起床した。



2020/03/15

本日3月15日は5時39分にPCをシャットダウンして就寝し、13時59分に起床した。



2020/03/16

本日3月16日は4時56分にPCをシャットダウンして就寝し、10時13分に起床した。同じ時刻に母親が発車して外出した。前日21時台に母親は「外出がある日の日中と同じように」顔を洗っていた。今の玄関に香水の匂いが残る。メールは送られておらず、特に母親から家事の指示なども出されていないが、どういう外出で何時間家を空けるかはある程度、想像できる。10時47分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、12時3分に自室へ帰った。13時台に母親が帰宅するまでに私は2度の洗濯機作動(前回と異なる衣類2点やタオル2点が対象)をしている。



2020/03/17

本日3月17日は3時9分にPCをシャットダウンして就寝し、9時26分に起床した。12時40分に母親が発車して外出した。14時24分に母親の車が家の前に着いた。その時は家の前にE2家の女性と息子らしい人物がおり、母親が車を降りた際に彼らの会話が40秒ほどあった。



2020/03/18

本日3月18日は3時16分にPCをシャットダウンして就寝し、11時15分に起床した。



2020/03/19

本日3月19日は寝ない状態で日を越して至る。1時0分から便意のためにトイレへ入り、4個のコロッ糞を排出した。6時38分にPCをシャットダウンして就寝し、13時0分に起床した。15時26分から便意のためにトイレへ入り、3個のコロッ糞を排出した。20時33分から便意のためにトイレへ入り、2個のコロッ糞を排出した。



2020/03/20

本日3月20日は4時43分にPCをシャットダウンして就寝し、12時47分に起床した。12時57分から2階で母親が「お手伝い」として弟を呼び、彼らが1階に降りてその行動があり、その後で母親が「1時半(13時半)までに出かける」云々として彼らの予定が話されていた。母親の買出し–買い物の前にされることがされていたので、そうであろう。13時39分に母親が発車して外出した。14時12分に弟が外出した。15時16分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。16時58分に弟が家の近くに来たようで、同じく家の近くを通りがかった人に「こんにちは」とあいさつした声が聴こえた。相手の人物の声が「母親と会うたびに話す高齢女性」と同じようであり、相手の人物と彼との会話が40秒ほどあった。家の中に入った弟は、不明な感情で意味不明の独り言(「チシキことばでしょぉお」など)をグジグジと30秒ほど言っていた。16時21分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。

19時20分台に母親の車が家の前に着いた。買出しから帰宅した日(一時的–個人的な生活上の一日)の母親はなぜか「長時間1階リビングに居座ってテレビを見るなどして過ごす傾向」があり、本日25時2分現在もそのようにその状況にある。翌日が土日(祝祭日はたまに忘れられる)であればそうである限り、平日であればそうである限りに母親はそれだけ、買出しを行っていない日よりもそうである。参考までに、ここ2ヶ月は弟の作業所のための弁当作りの関係で、24–25時台は2階で母親が寝る準備か眠るまでの移行段階か実際に眠っているかという状態である。25時30分台に母親が2階の空き部屋(最近母・弟が仏間とも呼ぶ)に洗濯物を干しだした後、1階に降りて風呂の行為を始めるまでに10分以上も何か1階を移動し続けていたこと(掃除をしている素振りなど)も奇怪である。



2020/03/21

本日3月21日は5時41分にPCをシャットダウンして就寝し、11時4分に起床した。14時2分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。



2020/03/22

本日3月22日は寝ない状態で日を越して至る。0時台や1時台など、2階で母親と弟の動きや彼らの会話などがあったが、その様子を窺いつつ私は1時33分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、3時45分に自室へ帰った。先の時間で母親は弟が寝ないでいる/眠れないでいる状態に関して言及していたにもかかわらず、加えて、前日に長く起きていたにもかかわらず、今が土曜日と日曜日の間の深夜であるにもかかわらず、先に眠って弟は起き続けて1階リビングで何かすることを許した。実際に彼は、キッチンに1杯のマグカップを新たに置いたような何かしら飲食をしていた。私が自室へ帰った時刻の前3分と後1分は彼がずっとトイレにいて、前に1度と後に1度の計2度、水を流すことを彼はしていた。その後も5時までに、トイレと無関係で彼の「1階リビングに降りて手を洗う行為–例の手洗い行為」が4度もあった。5時33分にPCをシャットダウンして就寝し、12時17分に起床した。17時11分から便意のためにトイレへ入り、9個のコロッ糞と2個の小サイズのものを排出した。



2020/03/23

本日3月23日は5時33分にPCをシャットダウンして就寝し、11時15分に起床した。同時に、前日か前々日に母親が弟に話したような母親の外出(弟の抗精神病薬の処方に関連する何らかの行動と新年度のゴミ・ごみもといクリーンカレンダーの入手)のために、母親が発車して外出した。14時17分に母親の車が家の前に着いた。17時10分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものと2個のコロッ糞を排出した。



2020/03/24

本日3月24日は3時52分にPCをシャットダウンして就寝し、9時42分に起床した。15時53分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものと2個のコロッ糞を排出した。



2020/03/25

本日3月25日は4時59分にPCをシャットダウンして就寝し、8時16分以前に夢精で目覚めた。拡散防止ティッシュペーパーはパンツに関して効果的であったが、上半身の肌着の裾には少しかかった。8時17分に起床した。前日に弟の作業所通いは誰の事情であれ休みだった様子であるが、本日は作業所通いに出ている様子であり、例の通り弁当を作っていたと思われる母親は1階リビングでテレビ–TVを見ている。左の句点を入力した5秒後に母親がTVを消した。



2020/03/26

本日3月26日は前日20時31分にPCをシャットダウンして就寝し、1時4分に起床した。1時17分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、2時54分に自室へ帰った。母親が1階リビングでテレビを見ている間の13時10分台に私が手を洗うために部屋を出てそれを終えてからトイレに入ろうとすると、母親が話しかけてきて「後で話がある」と言ってきた。排尿を終えて再び手を洗った私は今も1階リビングにいる母親のために洗面所のドアをノックすると、母親が歯磨きをしながら話してきたことの要旨は「2時半(14時半)ころ出かける。(リビングの絨毯の上を示して)牛乳パックをハサミで開いて(ゴミ処理用に開くことをして)ほしい」である。14時36分に母親が発車して外出した。15時48分に母親の車が家の前に着いた。



2020/03/27

任意の画像処理エラー(画像中に付加された説明参照。シミ虫については本文参照)

本日3月27日は前日17時27分にPCをシャットダウンして就寝し、排尿のために一度起床して再び眠り、0時23分に起床した。本日5時台後半@に、去年8月18日のヤモリ侵入&対策以来の大物の侵入が見られた。全長約2.8 cm (触覚などを除いても1.4 cmほどか)のフナムシのような虫–シミである。これが、自室の「ある方角の窓」の障子の面にいるのを確認し、そのあたりでの表面と裏面の移動を観察した。その窓は前日に開けられていない。自室の別の窓は午前10時台から15時台まで開けられていたので、そこをまず闖入の原因と見立てたい。他に可能な原因では、母親の外出のためのドア開閉の後の自室ドア側からの経路であるが、可能性は低い。8時24分に自室使用済みティッシュペーパーに全長2 mm程度の幼体シミを見た。この成体と幼体の連続性は去年7月10日のケースに似る。10時32分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものを排出した。15時38分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと4個の小サイズのものを排出した。



2020/03/28

本日3月28日は前日19時8分にPCをシャットダウンして就寝し、1時34分に起床した。起床後5分以内に腹痛を自覚し、3時間ほど過ぎたころに治まってきた。8時8分ころから押入れに入って横になり、寝落ちし、9時6分ころに目覚めて退出した。10時6分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。便秘傾向を持つ私として3月19日から異様に排便の頻度(計11度)が高まっているが、例の直腸粘膜出血は確認されていない中で、前日の「2度中の後の1度」では出血せずともそれらしい痛みがあり、今回は痛みと出血とがあった。なお、今回の便の特徴は、トイレットペーパー付着の形態視診で、「何らかの方法で薄められた場合は黄色成分が強く見えるような色調」と「黒い粒子」とが多く見られるため、下痢の時に比較でき、先の腹痛との因果関係を思わせる。

17時26分に母親が発車して外出した。前日に母親は「弟(連日、敬語できる自慢と同時に意味不明の独り言をし続けている。本日の私の起床直後に母親が起きていたにもかかわらず、2時0分ころに母親が眠ったあたりからか起きだした人物)」に「きょう歯医者さん行けなかった、あした行く」云々と話していたので、その歯医者–歯科医もとい歯科の診療所かクリニックか何かにおもむいたと思われる。19時31分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものと2個の中サイズのものを排出した。私がトイレ個室にいる19時37分ころに母親の車が家の前に着いた、と思われ、本人が屋内に入った時刻は19時44分である。ちょうど、「弟(母親の外出までに眠って19時20分ころに起き出して1度手洗い行為の後に再び降りて風呂に入りだした人物)」が洗面所から出た様子である。



2020/03/29

本日3月29日は前日20時17分にPCをシャットダウンして就寝し、4時31分に起床した。9時32分、例の通り意味不明の独り言を続ける弟が、やや本日の雨が引いてきて霧のような状況で傘を差しながら、「最寄り小学校方向」へ歩いて外出した。11時27分に彼が帰宅した際、私の部屋の前に何かを置いて「おみやげ置きました、後で取っておいてください」と言っていた。それから彼が風呂に入っている間はずっとシャワーの音が聴こえ、彼が風呂場を出る4分前に母親が起きだして1階に降りてきた。14時10分台に母親が2階に上がり、一時的に眠っている弟を呼び、彼が起きないので起こした。1階に戻った母親はテレビを消して再び2階に上がり、トイレにいながら彼に階段のガムテープ利用の掃除をするように言いつけた。

その間、母親は弟の「おみやげ」について、レジ袋の扱いや品物の選択について強く批判していた。母いわく「(買われたものの置き方について)汚い」、「私はあんなもの買ってこない」、「宇治抹茶コロネ(商品名)なんてくっそまずい(かつて弟から「お母さんの料理まずい」と言われた報復か。本当にまずい=不味いと思ったとしてもこれは人身攻撃 ad hominem の一種であるしレトリックや躾のはずはない)」、「(母親本人が行う場合)3人とも同じもの買ってくるから」、「もう買ってくんな」と口調が苛烈辛辣である。弟は「バカ承知しました」、「バカていねいに…」、「世界一バカすみません」といった反応のほか、震えた声のときもあったが、例の通り彼は泣かない。彼は怒り半分で震えていない声で「私は忘れやすい」という趣旨の反論を、冗長に言うこともある。母親は弟に対して、「できない」と強く言い、彼のカード(何のカードかは彼らの脳内定冠詞で自明)を「取り上げる(奪いあげて利用不能にすること)」などと去勢的言説(フロイトら精神分析学で去勢不安 castration anxiety という子供側の心理を定義する根拠は不明。彼らは去勢の行為者=親側の心理を言わなかったものか?この行為の内容について親に特化されず、単に前時代的な支配者が被支配者を脅すだけとも理解できる)を繰り返していた。母親が勝手に弟に:指示したり、行動させたり、彼のための謎のプランを立ててろくに実現しなかったりしていながら、非常に身勝手な怒りを発している。なお、「おみやげ」の内容は、彼自身にチョコ系菓子パン2つ(母が言うには明日の朝に彼が食べるための)、母に宇治抹茶コロネ1つ、私にハム&マヨ ロール、となっていた。母親が、「洗濯機の動作の終了後に洗濯物の処理をしたい」という理由で彼のガムテープ掃除作業が早く終わるようにけしかけたこともあるが、肝心の洗濯機の動作が終わった後も10分ほど母親に動きが無いばかりか、弟に謝罪を兼ねた弁解を始めて更に20分ほどが経った。それから、母親が言っていた洗濯物の処理が行われた。18時8分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、多めの軟便を排出した。



2020/03/30

本日3月30日は19時47分にPCをシャットダウンして就寝し、0時57分に起床した。12時50分台に何らかの電話が入った時の母親は、最近の薬剤師の復職に関する話(記録なし。当月26日メモに母発車外出の記録があるがその日の帰りに弟が母親に対して「薬剤師、しごと」という単語を発していた)をしていたが、その中で「脳神経外科の付近のGoogleストリートビューでは居抜きに見える薬局」という趣旨で場所の話題が聞かれた。過去の日記メモに言及される「脳神経外科」1件(主に2016年6月2・7日メモ、後者は処方薬の医療費明細書など関連画像を掲載)は豊橋中心市街地某所にあるが、その「脳神経外科」の付近の薬局1件は2017年以前に更地であって居抜き物件ではない。他の豊橋市と周辺自治体に位置する脳神経外科または脳神経内科を調査しない。母親の発言の正確さを疑うことはできない。

18時9分にPCをシャットダウンして就寝し、就寝前に多めに水分を多めに飲んだ影響の排尿のために19時52分に起床した。PCの起動は21時37分にした。23時18分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、24時56分に自室へ帰った。



2020/03/31

本日3月31日は5時59分にPCをシャットダウンして就寝し、11時36分に起床した。11時38分に母親が発車して外出した。18時26分に母親の車が家の前に着いた。今回も、買出しであって母親が1階リビングでテレビを見る行為は、例に漏れず長く続いて24時10分ほどに至った。その後10分ほど母親は風呂(私に限らないが弟も母親も多くの場合に浴槽を利用しないが私と違う点は彼らが多くの場合に石鹸と風呂タオルで体を洗うこと)の準備をしていたが、母親の風呂の行為は買出しの帰りである日(生活的な日、起床–就寝の間のこと)の例に漏れず1時0分台に出てきた。