2016年11月21日月曜日

2016年8月5日以後の訪問者ら(保健士2名)との対話


http://www.youtube.com/watch?v=vuoh_7FKh3Q

2016年8月5日の対話を発端とした保健士2名の訪問について、「類聚(とくに外伝)」記事の形式でまとめようと発案したが、普通に文章をまとめる記事としての位置づけに変更した。
この保健士2名はいずれも女性であり、名はS(画像奥の左)とU(画像奥の右)である。
Sは最初の訪問で私の話番号のメモを取って私にオフィスの電話番号を告げてきた人物であり、実際にSから掛かる電話の電話番号は異なる。
Uは最初の訪問で私に多く質問してきた人物である(以後2度の訪問はいずれもUが多く質問してきたと言い切れない程度になっている)。



まず、当記事の起草に際して記した11月9日の文章を載せる。
こちらは当日の日記メモに掲載していない。
11月11日反映(起草は10月1日)の記事と思想が共通する(意義の補完がされている)。


保健士が家に来ることを拒まない理由は10月31日メモ(後掲)の記述の通りだが、来てもらいたい理由もある。漠然と来てもらえば「良いことがある」とは思わず、来てもらうことで何らかの手引きをしてもらおうと願いもしない。 寧ろ、他人に手を引いてもらおうなどと思ってはならない。社会復帰云々なども願わない。ただ彼らとの交流によって普段の日常生活・研鑽・修行の日々とは異なる視座より、己の発想・判断・言動を顧みる機会とする。私は今、こうして思い巡らしている通りに、分析して反省して決意に繋げる。

彼らの訪問について、次からは率先してゆくべきである。判断と言動を明瞭にし、積極的に振る舞うべきである。例えば、彼らを家に上げる際、立ち話を長引かせたり終始立ち話となる経過に良心の呵責を覚えるならば、彼らを率先してリビングの席に案内すべきである。相手から奇怪に思われそうであっても、逡巡するくらいであれば、思った通りに、自分の意思に随った行動を自由に行えると良い。その行動によって顧みるべき過失が起きても、行動をしなかったこと自体の後悔があるよりは清々しい。顧みるべき過失が起きたならば、これも改心の種となろう。善良な意思に随った行動が自由にできる徳が無い私ではあるが、こうして反省できるならば、すでに彼らを家に呼ぶ利益を上げられたこととなる。今後、実際の行動に反映することで盤石となろう。であるから、私を成長させる因とは、積極的に求めこそしないが、有るならば拒まずに活用すべきである。無いならばそれまでのことであり、日頃の生活での中で微々たる成長を願うのみである。





以下から日記メモにおける関連する文章を載せてゆくが、記事投稿日以後に情報が増え次第、末尾(クリックでジャンプ)に追加してゆく。



10月31日の日記メモより引用
保健士訪問に関する思考のメモ「もし話が毎度に渡って同様であり、議論が平行線のままならば、訪問を断ってもよい。まず相手に、私の話を聞く必要があると仮定した上で、私から話す必要も生じているが、私から話す必要性が減るならば相手も聞く必要性を失ってゆく。彼らも人間であって感情を持つため、そういう時には受け入れる可能性はある。また、彼らは業務・公務として私などを対象とした無料の家宅訪問を行っているが、あくまでも業務・公務であるならば彼らの意思に適わない。人権を鑑みるべき行政であるから、人権尊重の一環で私などを対象とした訪問を行う。私としても最近の痔など不意に発生する問題、有事の際、誰かに話ができると良い一面はあろう。しかし、基本的に報酬を得ない慈善団体やボランティアの活動とは異なるので、生業として行う彼らの事情に符合しなかろう。こういった観点で、今回ないし数回以内には彼らの訪問を断る可能性もある。」



10月31日
14時の直前に保健士2名が訪問した。痔(のような何か=腫れ)の話をする経緯もあったので、見せることとなった。2012年7月の火傷・病院の時と同様に見せる必要に応じて拒まずに見せるし、勃起もしない。Sさんが患部を触ったり圧したりした。訪問は全体40分程度で終わり、2名が帰った。



10月19日
14時47分、保健所・○○××課のS(いつもの女性)から電話が入り、10月31日14時に例の通りSとUの2名が訪問する予定を聞いた。簡潔に終了する通話であった。



9月26日 関連動画 - http://www.youtube.com/watch?v=xIicDXdGoDc
13時29分に豊橋市保健所の前回と同じ女性2名が訪問した。話を行う場所は自室のつもりでいたが、自室に案内できる雰囲気でもないし、部屋を見る目的は無い確認を取ったため、1階リビングになった。立ち話を5分以上続けていくうちにSがしゃがんでノートにメモを取り、数分後にはUもしゃがんでノートを覗き込み、私も立って見下すわけにはいかないからしゃがんだ。結局、正座するようにもなった。話としては、彼らが知らず、母親にとって知ってもらいたくない昔話が長引いた。今の生活のおさらいもさせられた。最後に次回訪問の都合に関して意見交換を行った。この時間は、45分続いた。細かい内容に関して一つ記すべきことは、彼女らの「お母さんの考え・○○くんの考え」という表現である。要は、両者の考えを尊重すべきであると思っている反面、私の考えに同意するつもりが無いという心境であろう。彼女らは、私が拒否しないか事態が進展しない限りは同じように訪問し、毎度同じような結果に陥ると考えてよい。



9月25日
その前日の就寝時には母親にメールを送信していた(19時47分)。先の9月21日の保健所からの電話に関して疑問を書いてある。本題は「保健所の人が9月26日に私を訪ねる話は聞いたか?」であり、続いてついでに書いた「どうにもあなたは何度も電話を掛けられて一度も出ていないと聞かされた・別の業者(後述のフレッツ光・コミュファ光)からもあなたは電話に出ていないということで確認の書類が送られたようにあなたはどういう状態のために電話を出ないか?」という些末な説明的質問にのみ答えたようで22時33分と22時34分の2度にわたって返信された。1度目に、電話が出られないことについて「電話の調子が悪い・(着信音が)出ていれば出る」というどうでもいい話、2度目に「コミュファ光です。」とのみ私が「フレッツ光」と書き間違えた部分の正誤を示してきた。このような揚げ足取りしかできず、文章をその時その時の取り方(前半部分を無視している)でしか読めない人間には、いつも長文のメールを書く気にならないが、やはり今回もそのようである。これでは、保健所の件を承知したか確認が取れない。一応、肯定的に見るならば、私を訪ねる話は知っても知らなくても気にならないということであろう。全てにおいて信頼もできず、尊敬などできない母親には失意落胆・絶望しか残らない。

: 母親と保健士の電話でのやり取りの状況は、その後の確認がある。10月1日のメモにおいては「17時0分ころ、母親から月頭の小遣いを渡されるにあたって保健所職員の来訪について相談された。色々と母親の理解不足を感じたが、それはよいとして、ここに記録すべきことは、母親が今も保健所職員と連絡しあっていないことである。あの9月26日の来訪以降も母親は通話などしていないのであろう。家の電話と携帯電話と、どちらに着信があるのか不明だが、母親から電話を返すこともなかろうか。ほか、次の来訪までに母親が手紙か何かを書いて私から手渡しをする必要がある考えを話された。」と記録している。その後はというと、10月30日のメモの中で「14時41分には、明日10月31日14時の保健士2名の私への訪問に関して当事者から改めて電話を『この前(1週間以内のことらしい)』受けたという。そこで改めて私に明日の買出しで母が家を抜けるという話をされた。」と記録している。



9月21日
16時37分、俄かに電話の着信があった。外出中の母親かと思いきや、0532の市外局番であった。その番号を見て警戒はしたが、数秒ほどで8月5日の訪問者に記憶が繋がった。名刺を取って番号を照らし合わせると、電話番号の下2桁のみが異なっていた。しかし、無視するわけにもいかず、一か八か、その訪問者である推測に掛けて通話を始めた。結果は、あの訪問者の1人であるSさんである。要約する。次の月曜日(9月26日)の午後1時半に来訪するつもりである。私の母親へ今までに何度か電話を掛けたが出てこない(8月5日以降のどの時期なのか本日より近い内なのか不明、私にはこの電話が初めての着信)。私からは、前回訪問時8月5日の10日以内とは母親の生活状況が異なるため、前回訪問時の理解で来ると問題があるかもしれない懸念を伝えた上で、彼女らの予定を受け入れておいた。ほか、Sさんは「プライバシー」を理由に動画撮影の拒否を願い出ていたが、法的根拠を問わずにこれも快諾した。私が記録をしたければ録音でも構わない。インターネットには「公務員に肖像権はない」云々といって相手の願い出を拒絶する動画撮影者も多く、彼らの反権力姿勢のために必要な革命的行為であろうが、およそ民主主義シャカイの常識人の振る舞いには見えない。



8月5日 (日記メモ引用のもの)
15時40分ころ、客の訪問があった。2階にいる母親はだらだらと応答していた。どうも、相手が家に来るという予定のある訪問らしいが、前日の家庭教師とやらとは別人である。玄関前で母と訪問者2名(?)の話が始まった。まず十数分は母親から相手の対応・今までの電話ややり取りに関して細かく詰問していた。何の話が本題か、全く見えないように自分の不満を話したがる人間である。その中から、かすかに私と関連がある線を感じ取った。母親の詰問が終わってから、ようやく本題が見えてきた。2015年12月22日の出来事に関して警察に通報したとか、その警察が保健所に相談したとかと聞かれる(この件も警察の対応を母親の対応として誤解されたという詰問をして母親の不満が滲み出ていたが)。12月22日の出来事に関しては、私が錯乱してすぐには通報できなかったという母親らしい誤認識が発されていた(途中の場面では黙って母親の愚痴を耐え忍んで聞き続けたほどであるのに)。

今までも2013年12月・翌1月の蒲郡支援者2016年5月11日の山本さんだとか、母親の人格が狂っていて私や弟らが生まれてより何ら母親のエゴに沿わせることもできない教育の無力・無資格の者が、そんな相談をいくら続けたところで母親のエゴイズムの実現など有り得る道理などない。いくら失敗を重ねても学ばないという救いがたい人間である。相手の女性いわく「引きこもりのお子さんについて早急な解決はむずかしい」と、母親は急進主義で愚昧な者だからいつまでも理解できなかろう。母親は認識能力も自覚も全て下劣であるから、いくら自分の肝胆を砕いたところでエゴイズムの満足に達しない。母親の利己的結果に誘導すべく、実子たる私について「病院に行かせようとすると暴れる」といった讒言を重ねて印象操作をするが、相手の女性はずっと穏便で慎重な言い方を続けていた(当たり障りのないような表現や「確かに病院に連れていかれて暴れる方もいらっしゃいますから、もちろんお子さんのことを言っているのではありませんよ」など)。


16時37分、今までの相談相手の人間と異なり、私と実際に話したいとのことであった(2013年ころは一例のみ扉越しの話はあったが)。私としてはまたとない説法の機会となるため、彼らに母親の本性を示すこと、また利益の深い仏法の妙音を、僅か僅かにでも聞かせ入れたく、心で快諾し、口には丁重に迎え入れた。彼らが部屋に上がって最初の5秒ほどは対面しなかったが、それはいけないためしっかりと向き合った。女性2名であるので、以下から彼女らと呼ぶ。彼女らは豊橋市保健所(通称: ほいっぷ)の人間(保健師)であるが、私はその場所の周辺へ2014年10月19日に散歩した経験がある。礼を失するが、話の途中からWebカメラを回して映像記録を取り始めた。ある程度、忌憚なくとは言えないが、伝えたいことを矢継ぎ早に告げた。扉やふすまを隔てた向こうをさまよう母に聞かれ、彼女らが去ってから、雨が降ろうと槍が降ろうと何ら怖じずに話を続けた。この対話は17時2分に終わった。撮った映像の21分15秒や22分39秒など、彼女らが去る様子を見せた時に私は合掌した。母親はこの後「一応はなしができるようにも見えましたが」といったややへそ曲がりな評価をしていた。私は今や、話を聞こうとする相手にはできるだけ話してよい立場であるのに、人々が最初から聞こうとしないだけである。話の最後の方でも「相手から私に聞きたいならば誰でも聞く」という旨を訴えた。今の私は「来る者を拒まず、去る者を追わず」という気質である。彼女らは17時7分に家を去った。



8月5日 (動画説明文のもの)
2016年8月5日15時40分、家に女性2名の訪問があり、16時36分から私への挨拶として訪問客の入室を許して16時39分から記録の動画を撮り始めた。
当日の詳細な経緯は、心ある視聴者の日記メモ閲覧に任す(後日投稿記事に載る→http://masashi.doorblog.jp/archives/48177612.html)。
※当動画の音声はエンコードで音質が劣化した

カメラに背いていたとはいえ、私の声は相手の女性よりも小さく聴こえる場合が多い。
どんな原因であれ、常に自分の声量や滑舌などを意識すべきであろう(無論、大きくしすぎてもいけない)。
話した内容に関しては、あまり難しい方向に引き入れないように配慮しつつ、必要を感じるごとにある程度は伝えるというバランスを重視した。
時折、「難しい」と感じられそうな言葉も引き合いに出す必要がある(言葉の権威に頼るようであるがそうせねばならない時もある)。
そういった考え方がある分野を、ぎこちないながらにも伝えてゆく使命がある。
本当にぎこちなくなっている部分は反省し、今後、誰かと話す機会があろうとなかろうと改善に努めたい。

話の随所で、私の知識であるとか私の生活であるとかは、他人の恩恵であり、感謝しているという旨を伝えている(7:30, 10:50, 18:48)。
1年以上前の自分では、恥ずかしいどころか、その考え方そのものが苦手で到底発言しなかったろう。
そして、そういった智慧や今の道は、愚昧な両親や悪辣な同級生などの存在なくして、得られはしなかったので、そういった憎むべき人々の存在も大いに感謝し得るものと重ねて告げている。
相互依存・共依存とは、「空」である一切の事物に例外なく適用され、私などは「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ」という大聖人のお言葉に見るよう、悪親・誹謗者などさえも師匠であり、また一切の事物ですら師匠のように思えてならない。
無論、中道・平等の見地(真諦)からそう思うのであって、真に師匠や善知識とすべきは日蓮大聖人や釈尊などに限る。
11:50以降に「酷い父親・母親もいましたが」という表現に関して父親からもいじめられたか、と質問された。
動画内では否定しつつ、母親の暴力性に関しての話で終わっているから、改めて過去記事より詳細を示す。
母の非→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju2.html
父の非→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju3.html
母親の偏狭な価値判断と画一性→http://masashi.doorblog.jp/archives/35270784.html

今は「来る者拒まず、去る者追わず」という精神を保つが、むしろ話を聞きたい心のある人は歓迎する私である。
物事の平和的解決を願うならば、邪推を交えない対話あるのみではないか。
母親と言えば、認識能力に重大な欠陥があり、改善も見られない。
母親のように、いくら話したところで微塵の理解も譲歩も無い人間に対しては「三度諫むるに用いずば山林に交われ」となり、一方でそれ以外の人にはまだ話すことは重要である(日蓮大聖人の身延入山以前の折伏と入山以後の摂受という変化に見るが弟子には折伏を訴えていた)。
母親は時折、私に関して電話相談をしたり、相談員を招いては誇張や脚色で私の印象を根も葉もない凶悪なものとしており、人々が母の主張を判断基準とすれば、直ちに私と話せば拒絶されて行き詰るものと思い込む。
幸いにも彼女らは、先にした会話の中で、母親のヒステリー具合(揚げ足取りが多いなど)を感じ取り、その本性を薄々と察していたようで、母親の誇張じみた私の印象を鵜呑みにせず、常に慎重な言葉遣いを続けていた。

母が話す私の印象に「病院に連れて行こうとする(話だけ)と暴れる」とか、「何か話すとすごい錯乱して手が付けられない」といった被害妄想か、入院させる願望を正当化するための卑劣な魂胆か、過度な誇張が多々発露されていた。
2014年10月12日の出来事の場合、私は紙製の棒で小突こうとして逃げられたり、2015年12月22日の出来事の場合、私は母を目覚めさせるべく一発の拳を腕に浴びせただけであるのに、それらは悉く裏目に出て、母こそが怒り狂って物を手に取ったり部屋に押し入ってきたりと、物凄い剣幕で気勢を上げての過剰防衛を行ってきたくらいであり、母の怒りが収まるまで止めようもなかった。
私がやり返せば泥沼となるだけであると認識しているが、そうであれば、やはり私も最初から手を出そうとしてはならない。
だから、当時は大いに己の怒りを戒める決意をした。

しかし、私が自覚したところで、母の慢性的な妄想傾向や誤認識・攻撃的認識などは直されるはずもない。
争いの解決は、相互の自覚と反省に依る努力あるのみと、再三インターネットで訴える。
母親は生来、無慚無愧にして善悪を分断する蒙昧の輩である。
対峙する片方のみが絶対悪であるという善悪二分法・善悪二元論の思考では、解決も平和も有り得ない。
彼女らにも、こういった対立や平和の性質に関して説示しておいた。
一般人には世界悉檀である。
母・弟の喧嘩に触れて詳述した記事→http://masashi.doorblog.jp/archives/47723867.html

電話番号を伝えるくだりについては、少し回りくどかったようだが、一応相手も連絡先を取るという社交辞令のような立場もあるから、こちらも受け答える必要があろうため、私もその立場として電話番号を伝えた。
よく喋ってくる方の女性の名刺は与えられなかった。
その女性は常にハンドタオルを右手に持ち、度々顔に当てていた。
先に母親の相談を受ける折にも鼻をすする音が幾度と聞かれたが、この女性が発した音であろう。
世の中には、一見泣かないようで、実はとても心に思いやりと悲しみを抱えた、人情深いとされる人もいる。
「日蓮は泣かねども涙ひまなし」、私もただ仏法の流布を願って常に歓喜や憂慮を繰り返している。



記事投稿日(2016年11月21日)以後の追加情報

※ここまで日付の降順で載せたが、ここでは昇順で載せる。

11月28日
13時21分、唐突に電話がかかったが、当然、今、1階リビングにいる母親(本日出勤せず?今月は月曜日の出勤らしい動向も見られたし先週水曜日が祝日であったこととは違うにもかかわらず本日は出勤せず?)ではない。けだし保健士Sであろうし実際にそうである。電話ではリビングの母親を気にしたために、ただ小声でハイ、ハイと続けて「11月31日・水曜日・1時半か2時ころ」というはっきりとしない予定が決まった。11月31日・・・そんな日は無い。仮に有っても水曜日にはならない。通話中、わずかに違和感を覚えていたが、ハイ、ハイくらいしか声に出そうとしなかった。ボケ極まりつつある過失が多い。「11月31日」が私の聞き間違えでも、ボケであり、死にたくなる。絶望的である。先の記事(※当記事)で、後悔を恐れない姿勢を綴ってある通り、掛け直すという行為もたまにはすべきであろう。

13時43分、せっかくの機会で決心がついているので掛け直しを行った。Sとは別人のSである同課サイトウさんが応じたが、やはり、不在のようである。私の「やはり」とは、Sが私に電話した経緯は、保健所のオフィスを離れる手前の空き時間であったと推測していたためである。いつごろお戻りになるか、と尋ねれば、夕方ごろという。明日に掛け直す旨を伝えたが、やはり向こうからも私の名を問われて電話の件をS本人に伝えるということであった。私のしゃべり方については、やはりぎこちないながらに悪い勢いも出るようで、上手くいってはいない。



11月29日
本日は8時以降、前日の電話かけ直し予定について考えることもあったが、10時前から決心し、少し案をまとめてイメージトレーニング(リハーサルのようなもの)を行った。前日斎藤さんと通話した後はSさんが電話を掛けた13時ちょうどが望ましいと考えもしたが、就寝前には11時を定めたが、結局、間もなく実行を行う。10時12分から電話を掛けた。まず、同課を名乗る男性が出た。一応、私は苗字「○野」を名乗った(前回の反省)。それからSさんの存在を尋ねたので、男性がSさんを呼び出す保留状態にした。Sさんが出て前日の斎藤さんに関する確認と、その後、要件(11月31日説の実否)を確認した。11月30日・水曜日を改めて聞き出した。通話時間は保留を含めて1分57秒らしい。これにて私の「訓練」は成功裏に終わった。

「訓練」とは何か?大概の人や、私の中の合理主義は「Sさんは水曜日を本意としていたろうし、何月何日でも関係ないからわざわざ再び電話を掛け直す必要は無い」と価値判断をしてしまうであろう。しかし、その他人を犠牲にするという価値判断を前提とすれば、私は極悪人であり、一般人もみな罪人となる。ここで、何らかの犠牲を厭うべきでない。相互依存・苦楽の煩わしい世・娑婆は一定(いちじょう)である。特に私は自己本位の修行・訓練を自覚する。電話を掛ける・・・社会科か?職業訓練か?何でもよいが、私が必要性を自覚するならば意思のままに行えばよい。その言動が否定されるべきではない。その言動のうちに他人を尊重する心があるならば、何をしても大体、問題にならないので、可能な限り「自分磨き」をすべきである。件の記事(※当記事)においても、積極性を重視する考えが綴られる。後悔や反省も大事だが、「行わないことによる後悔」よりも「行ったことですべき後悔・反省」が良い。したことで様々に反省すべき点が増えてくる。今回の場合は大いに行動しておく必要を考えた。ただし、成功した行動であるから、その中に反省のポイントは少ないほどのみある。

(日常的記述・中略) 19時16分、母から電話がかかり、既に明日30日の保健士訪問予定を承知していて明日も10時ころには外出する話をされた。本日の外出でSさんに会って話をしたという。他に母から、「明日Sさんに『ありがとうございましたご迷惑をおかけしました、弟の受診先(心療内科?)見つかりました、お医者さん見つかりました』と伝えてほしい」と指示された(実際の母の切り出し方が唐突で曖昧であったから少し具体的に話してもらうように誘導した)。言葉にする機会の有無次第だが、そういうスタンスで非を言わずに了承した。この通話の時間も1分57秒であった。



11月30日
13時21分、Sさんから電話が入り、どうも今から保健所を出て我が家に赴くそうである。よって14時(午後2時)ころに到着するという。28日の電話で「(午後)1時半か2時ころ」と曖昧に話していた理由は、大体決まっていた予定だが当日の詳しい動向が不明であるためであろうか。29日には「1時半」と話していたが、結果は今の電話の通りである。

13時35分にSさんが来た。Uさんがおらず、どうも事情は、UさんかUさんの子供が風邪だとかとSは話していた。今回は1階リビングに予定通り案内した。主導すればあっという間である。座っての話は20分ほどで終わったが、立ち上がって以後も写真立てがいっぱい並んでいるラックを見て反応したSさん(9月26日訪問時もSやUが反応しており当時は彼女らの調子に合わせた)に、弟がしばしば写真立てを破壊する話をした。この10月か11月にも、一度、金色塗装で大きいオブジェ付の重い鉄製の額縁のもの(浦和区常盤在住時からある)を破壊していた事実を話した。弟と母親の精神的な問題について、家での内実(破壊行為など種々の不和)や外での事象(周囲との不調和)を話し、母と弟の両者に争いが起こる原理を簡単に話した。14時2分にSさんは我が家を後にした。

(日常的記述・中略) 話の内容を少し顧みると、Sさんは自ら「忘れっぽい」と語ることも多く、それは本人が自覚する範囲のものはそうとして、私が気になった点はどうであろうか。私が気になった点とは、以前された質問の繰り返しという点である。毎度、「食事や睡眠は取れているか・体の調子はどうか」と聞かれることに関して聞かれて当然であるとは思うが、「どう料理しているか」という質問については、以前と同じように答えて以前と同じように反応する。ただ気になるのみであり、私は何か鬱陶しいとは思わない。質問は基本的に質問通りに答える精神であるから、回答は怠くないし、吝かでない。人に話す必要があって彼女らを受け入れている、と常に綴る通りである。彼女らも人権擁護の行政の立場で私を訪問する必要があると自身で認識している。


12月26日
9時53分、保健所のSさんから電話が入り、明日に訪問したいという話であった。私はいつ来られても構わない気でいるが、母親のことを思考に介すると、とても翌日に受け入れられる気にはならない。このような迷いや倦怠感によってくぐもったような口ぶりで感情を伝え、翌年の業務再開以降に再度電話がかかる話となった。次回には、「母が恐らく家を空ける曜日」について伝えておく必要がある。今まではたまたま母親が家を空けた月曜日や水曜日が多かったが、この数ヶ月間はほぼ水曜日と金曜日に母が仕事に出ており、月曜日も母親の外出が度々見られる。本日は母が家を空けそうだから本日の予定ならばよかったろう、と思ったが、弟の冬休みもあるわけだから、やはり年明け以後に予定が組み直されるれることは都合がよい。ところで、私のここ数ヶ月の傾向といえば、疲れが重なっているのか、体が衰えているのか、精神的に調子が良いとは言えない。作業にはひたすら向き合っている(前日も音楽作業などを行って未投稿音楽動画の編集も進ませた)、といった姿勢が心身の不調を招いているのかもしれない。更に思う、次回は好調子で臨むであろうと。



○2017年

1月11日
13時9分に保健所のSさんから電話が入り、いつも通り訪問予定の話を受け、かねて告げようと思っていた「水曜日か金曜日」の指定をした。Sさんはもともと1月25日・水曜日のつもりでいたようであり、私は普通に承諾しておいた。水曜日・金曜日は母親や弟が家にいない日であり、気兼ねなく来てもらえる。まあ、急すぎなければ何曜日でも母親に事前の相談が出来て困らないわけで、前回12月の時はそこに問題を大きく感じて断った経緯がある。また、仮に水曜日や金曜日に母・弟が家にいても、そのように予定が急でなければ、十分に準備ができて問題が無い。



1月25日
13時前に1階リビングのエアコンの暖房をつけて保健士訪問までに温め始め、13時半ころに保健士2名が訪問したので1階リビングのエアコンの動作を止めた。14時3分に保健士2名との話が終わって見送った。次回も周期的なもので2月下旬となる予定である。毎度、彼女らとしゃべることで、私の進歩の道のりを顧みている。「観萌行大要」と名付けた文章の中に説明した、「愛憎の妄念」に関する試験でもある。相手は人間であって尊重すべき者であると同時に、自身の思考のある領域には介在させないことで人間でないと思うべき一面も兼ねることで、対等・平等の会話ができる理論を立てている。私の経験と思惟の所産であると同時に仏教的な裏付けがある。ひとまずはこのスタンスで「話すべきこと・行うべきこと」が最も滞りなくでき、それら行為による過ちが発生しても対処が適うと考える。細かいケースまで想定すると物事は滞るので、現状はこれが最善である。保健所職員に関する過去記事(当記事のこと)に載る11月9日の文章でも既に語った。



2月7日
17時17分に保健所のSさんから電話が入り、2月20日・月曜日はどうか、と聞かれ、前回訪問時に伝えた「水曜日か金曜日のどちらかが望ましい」という旨を伝え直した。Sさんは再度予定を調整すると言って電話を終えた。17時27分に再度電話が入り、3月3日・金曜日・(午後)1時半という話になった。ささやくような声で話し続けたため、体調が悪いどうか聞かれて肯定したが、風邪か・熱があるかどうか聞かれた際は否定した。風邪の自覚症状は現在も感じない。これまでの食欲も、2016年5月7日から2日間あったような不振状態ではない。



3月2日
「怪しい人」に対する監視目的もあろうか?私が訪問を受け入れる理由の一つは、身の潔白を証明するというか、怪しい行動や策謀などをしていない事実を誰か他人の目に晒すこともある。ところで、彼らが手帳に何らかのメモを取るような行為も、9月26日の訪問が最後であったように思う。彼らのメモ行為を鑑みてわざわざテーブルの前に設えたソファに誘導する必要もなかろうが、今後も、自然にソファへと案内することは継続する。彼らも形式的な訪問となっているであろう。私はただ正直に生きようとしているだけなのだから、たとえ過誤があろうとも偽りはない。



3月3日
私は本日の13時半に保健士の訪問を受ける予定であるにもかかわらず、悪い睡眠となった。 (中略) 3時19分に保健士2名が来て13時51分に帰っていった。前日のメモ中にある、メモを取る行為が久々に見られた。手帳ではなく、A4サイズで紙を切り離せるノート(ルーズリーフ?)に書いていた。製作中の動画の一定の段階が終わって一度目のエンコードの折、2階の母親の部屋に上がった。既にバルコニーに干し出してある洗濯物の確認をしたついでに、母親の机の上にある書類なを物色し、シフト表(?)の入ったクリアファイルを見つけた。母親の出勤の部分にマーカーが引いてあり、母親が長時間外にいた前日は、引かれていない。



3月28日
本日3月28日は、2:10の第一アラームに目覚めた記憶は無いが、最初の時刻確認が2時10分台となって2:20の第二アラーム直後に起床したので、そこで目覚めたろう。11時1分、保健所のSさんから電話が入り、4月12日の13時半に訪問する予定が決まり、その時は新年度であるからUさんがこの地域の担当を外れるということで、別の人を連れるそうである。※12時10分に再度着信があり、予定時刻を14時半に変更した旨を告げられた。



4月7日
(前略・母親との会話) 今月12日・水曜日・13時半に保健所の人が訪問する旨を告げた。この話題の延長で、母親に仕事関係の質問をし、「今月は行かない」というように返答されたが、当然、詳細な事情や背景は不明のままである。少なくとも、今月12日は出勤の日程が無いと考えられる。



4月12日


12時6分から母親の外出の動向を察知し、それまで話そうと考えていた用件を決断した。母親が一旦外に出て忘れ物に気付いた様子で、家の中に戻って2階に上がり、1階に降りてくるタイミングで「こんにちは」と声を掛け、足止めをさせた。いくつか話そうと考えていた用件があるが、母親に長く足止めさせるべきでないから、一用件に限定する。保健所の人が本日13時半に来ることは先に伝えてあり、母親がどちらに外出していつ頃戻るかを尋ね、13時ころか15時ころで予測不能と答えられた。もし早く済んで家に帰る場合は2階に控えてもらうことを頼んだが、母親はよそで暇をつぶすと告げてきた。12時12分に母親が発車した。

前回3月3日は、予定よりも早い13時19分に保健士2名が着いたものの、今回は13時半を周っても、14時を過ぎても姿を見せない。14時0分、何となく外の様子を見ているとステッカーが貼られた白い乗用車が家の前を通過し、近所の集合住宅の駐車場に停車したが、3分後には発車して場内を去った。彼らは普段、少し離れた某所の駐車場に停車してから歩いて家に来るそうなので、今回に限って気まぐれで集合住宅の駐車場を借りるはずはない。母親が帰宅することが先になりそうに思う。遅れて尋ねるとき、事前に電話でその旨を告げること(11月30日メモ)もあったが、今までにそれもない。13時半を過ぎる前から、実は私が予定を聞き間違えたのではないかなどと考えたりもした。14時24分に保健士2名が到着し、今回はSさんのほか、Uさんから代わってKさんである。いつも通りに1階リビングへ案内したが、数分後に母親の車が家に着いた。彼女らが私の部屋に入ることとなったが、母親に一応の挨拶をしたいそうなので許可した。自室と玄関の間で彼女らは待機し、挨拶を受けた母親はしばらく1階リビングにおり、数分後に2階へ上がった。14時50分に話が終わるまでに母親が再び1階リビングに居始めた。再び母親への挨拶を行った彼女らだが、母親に捕まえられ、母親の話を聞く展開となった。この話は7分、玄関で続いた。母親が彼らを屋外への退出を促し、2階に移動して何かをし、間もなく、母親が屋外に出て彼女らと話を再開した。連日の雨天・強風が明けてなお、風が強く吹く中での話は15時6分に終わった様子である。



13時20分、母親から保健所の人がいつ来るか尋ねられた。今月日記メモに保健士に関する記録が無いよう、前回の訪問以来、未だ連絡は無い。音信不通・音沙汰なし。前日・前々日に、「アレで最後のつもりなら別にいいか」と考えることもあった。



10時17分に保健所の人からの着信があり、相手は前回初めて会ったKさんだった。Sさんの時のようにり「体調はどうか?」と聞いてくるので、特に変わりがないと意思表示をして終えたかったが、本心を優先して痔のような臀部左端の腫れについて話した。過去Sさん・Uさんの訪問時(10月31日)に同様の腫れを見せたことがあり、それが同じ場所で再発したという経緯を説明した。次回の訪問についてKさんは5月31日11時ころ・Hという人物と共にする予定だと話す。



16時12分、母親が自室のふすまをノックし、いきなり「携帯電話を貸せ」と頼んだ。少しずつ、目的などを聞き出しながら携帯電話を渡す準備をした。保健所の人、Sさんであってもなくても保健所の人に「保険」に関して聞きたいとしていた。保険のことは保健所でなく保険の事務所に問えばよいと思うが、4月12日訪問時と連続性のある用件のためにSさん・保健所の人を求めているか?ある時、一旦2階から1階へ降りて口を漱いだ母親であり、再度発信しようとする時に携帯電話の扱いを教えた。2階に戻って電話を再開した母親は16時30分ころに終えて1階に降り、私に携帯電話を返すが、母親に通話内容に関して質問を行った。母親は体力が持続しづらいか立ち話が面倒のようであり、リビングに出て話すことを求めたので、応じた。過去の件(2011年8月以前)など、複雑な経緯について日記メモに記録しないでおく。話す最中の母親はソファの背もたれに体重を預け、片腕を手すりに乗せていた。顔つきは豊橋に来た2014年3・4月当時の牛久祖母(桜写真)にそっくりであり、首まわりの肉などがはっきりと感じられた。この姿勢でも腹部が張っているという様子が分かりやすかった。



8時過ぎに母親から前日の話の続きをされた。とある件に関してしばらくは行わない方針となった。また、保健所の人の訪問について「母親が保健所の人に頼る目的と異なる・現状維持は望んでいない」という話を聞き出し、保健所の人の訪問を当面停止することとなった。私が保健所の人の訪問を受け入れる「いくつかの理由」は過去記事・日記メモに記録する※主に当記事にまとまる※通りである。母親が保健所の人の訪問を拒否する意思を確認し、私から反対する事由が無いので許した。保健所の人の業務が始まると想定される9時から、母親に携帯電話を貸した。母親は明日11時に予定されているK・H 2名の訪問と、今後の訪問を停止する旨を、受話の人に話した。母親が目当てのKさんは会議か何かで出られないそうである。母親は本日10時~15時に家を空ける(買出し)から、保健所の人が折り返し電話をする時は「息子(私)」が応じるという話である。

当記事注: その後、家の電話に何らかの電話が入っても、「とある病院(弟関連)」からである。翌日も1週間後も、電話が折り返し入ることは無かった。



15時47分、保健所のKさんから電話が入った。母親による保健所への直接の通告から、20日が経過した今日のことである。体調はどうか、生活はどうか、といういつも通りの質問(仏教でいえば「少病少悩ですか」)のほか、母親の様子について質問を受けた。母親の心情(母親の目的・理想と相違する事実)、私の保健士訪問に関する姿勢などについて、私が理路整然と説明した。やはり訪問を当面しないでおく替わりに、私への定期的な電話による「生存確認」をするという。


2016年11月11日金曜日

中道修行者・信仰者の在るべき姿勢

脱社会にして順社会
脱宗教にして順宗教
これぞ中道の修行・信仰の在り方

社会に同じて名聞利養を求める姿勢ではなく、社会に反して種々の害を生む姿勢でもない。
宗教に同じてしがらみに囚われる姿勢ではなく、宗教に反して論争に業を煮やす姿勢でもない。
ただいま、このように中道の境地で「二重否定」の論証を行った。
社会にも宗教にも、同ぜず反せずして脱して順じる(脱ぎつつ順う)。

「脱社會而順社會 脱宗敎而順宗敎 此業即中道修行 此念即中道信仰」
「非同社會求名利 非反社會生多害 非同宗敎著團眾 非反宗敎交諍論」

このような姿勢こそ、己の苦しみを除き、他人との争いも生まず、他人に新たな苦しみを与えずして自分に苦しみの因を作らず、真に自他の平和と解脱を生む功徳となる「中道」の姿勢である。
私は仏教を学ぶ以前より「中卒ニート引きこもり」を名乗る脱社会・無宗教の身であるが、それのみを美徳とせず、社会を別物として尊重・協調しながら宗教の価値を肯定する「順社会・順宗教」という立場も得た。
閑居求道者として重要な方針の一端に組み込まれた。
続いて詳説したい。



・「反社会的」とは、一般的にヤクザ・指定暴力団や特定カルト教団などを指す言葉であり、比丘や私などは「脱社会的」な立場として中立・無害である。なまじ社会に関与するから社会に利益をもたらす反面、社会悪を犯す者も当然多い。資産家による脱税だとか租税回避地での架空運営など、経済面では顕著である。そんな慳貪な資産家が、国家の法に対して秘密裏に背いているならば、それこそ反社会的である(一部大企業による業界の独占や脱税も多く、これも反社会的)。また、社会に直接関与せずとも、観念的な部分で執着して苦悩する者がいる。そのように生活は社会から離れていても、心は執着・苦悩して俄かに殺人事件を起こすケースもある。それはともかく、私ほどに理解ある脱社会人だからこそ逆説的に順社会的でもあり、むしろ積極的に社会に順うべき立場が、托鉢・乞食によって生きる比丘"Bhikṣu, Bhikkhu (直訳すると「乞う者・乞食beggar」)"である。これこそ健全なる中道の人々の在り方ではないか。

・中道の在り方により、シャカイジン様ならではの犯罪行為も逸脱社会者ならではの犯罪行為も、共に防げる。また、それら"Crimes"に対して宗教・道徳的な"Sins"も、ある程度は起こさずに済むが、信じる人の信じる立場で自ら認める罪(三毒や七つの大罪と言われるような精神作用)は、残念ながら、我々は日々作って止まらない(それを止めて解脱することが仏道修行の目的)。比丘になる・出家するにあたっても、家族と分断するオウム真理教のような手法は、釈尊在世より実父・浄飯王(音写で輸頭檀那王)の懇願によって禁じられ、出家希望者の親が存命の場合は親の許可が必要となっている(十遮十三難の「父母聴」。由緒は律蔵に見ゆ。四分律では巻三十四を参照)。

・社会や経済というものは、どうしても現代文明に生きているならば関わる必要がある。いや、それは釈尊御在世においても変わらない。故に、社会という煩悩の大海からの出離を願って出家しても、仏教僧としての出家生活は在家の人々から僅かばかりの恵みをもらって(托鉢・乞食して)生きる。相互依存(共依存)や、少なくとも自身が他の存在に現象的・物質的に依存してこそ自尊も自虐もあり、生命維持もできるものと、虚心坦懐に認められなければ、それこそ解脱のための土壌が育まれない。一方、現代人は親元を離れて経済的に自立すれば、それが尊い自立的人生だと思いがちだが、それは資本主義と個人主義による妄執である。他人への物質的依存を排除した自立的な人生など誰にも有り得ないが、そう言うと親元(離婚母なので法律上他人だが)に住み続ける私の屁理屈に思われかねない。この際、完全な白黒もないが、相手がそう認定するならば何でもよいと思う。一応は弁論の余地があるので、私の説明をした。また、他人の世俗的な生き方は、過度でない限り否定する気もない(仏教を学ぶ者はより節度を持つべき)。

・こういった比丘の生き方は、一見利己的で「寄生虫」などと俗世間に思われそうだが、いや、その自覚があってこそ、他人へ敬うように振る舞えるであろう(自己肯定がかえって尊大に振る舞う精神的余裕を生む場合もあるが)。比丘が托鉢・乞食する際は無駄口を叩かないようにするが、私が母から食料を恵んでもらう生活においても、食品の種類や銘柄などの注文は行わないでいる(2016年現在、去年までは注文が多いところから漸次ラーメンの味と購入数のみの注文となった経緯がある)。彼ら比丘の、無駄口を挟まないで表情を変えない、という態度が日本では傲岸不遜に感じられる面もあろうが、上座部仏教圏の民間では逆に尊敬されるそうである(一部、観光客などには気さくに振る舞う者もいるそう)。それはともかく、そういった在家信者などに食料や寺院の寄進といった施しを受けるとともに、釈尊や諸々の比丘は法の施しを行う。しかし、食料や寺院の寄進の対価として法を施すものではない。法施とは、ただ人々に慈悲の教化を行う目的にあり、そうして結果的・副次的に在家信者からの物質的恩恵がある。私もまた可能な限り如法に生きて説法・教化を続けて参り、万象の恩恵に対する感謝を絶やさないことで貪欲さを減衰して精進する。

・社会を厭うにしても、宗教に転がり込んでかえって信者を餌にする俗物にコキを使われてはならないし、そんな俗物になってもならない。事情や魂胆はともかく、宗教の教団もまた金銭に執着している。現今の宗教団体は悉く文明の支配下に生きねばならない上に、新興宗教も伝統宗派も様々な理由で経済苦に喘ぐ教団もあれば、富を貪って利益を追求する教団もある。多くの信者は寄付・布施・供養といって何らかの金銭を恵む。それらは純粋に教団の興隆を願ったり信仰・研鑽ができる生活の感謝したり、といった心からされる寄付もあれば、空想の御利益を求めたり教団幹部を恐れたりするなどの不純な寄付もある。こういったしがらみ(不自由)を厭ってこその仏教であろう。特に出家者はみなそうあらねばならない。無論、前者の寄付を行える立場の在家信者は、そのままそうして教団に従うままでいる方が良い場合もあるし、これは強制するものでもない。元々そうである者に対してそのままで良いと言えるが、元々そうでない私のような教団未所属の者(講義の無宗教者)は、よほど気を許せる理解を得ない限り、教団や宗派や宗教施設に転がり込む必要はない。

・なまじカルト教団に入ったり、なまじ宗教を学んだために、宗教を排除する思想や、宗教を極度に嫌う潔癖思想を持つ人間を見て、私は「脱宗教・順宗教」と説く。感情は人の考えを振子のように動かす。意業は重いからこそ、清浄な仏教の思考によって制御する。現代的で極端な二分思考の弊害が、こういった宗教嫌いor教団所属者(カルト構成員)という二択以外の選択肢を排除する視野狭窄を生んでしまう。観るほどに私は、どこまでも、須らく中道なるべしと思う。近代的合理主義系の思想は左派であり、共産主義は極左と言われ、いずれも宗教に否定的であるが、この際、宗教を嫌う者は中道ならざる極左思考によって宗教廃絶を使命に掲げて生きてほしい(極右・ナショナリズムも既成宗教を邪魔ものとして敬遠する場合があるが民心の統制に利用できる場合は大いに利用する)。中国共産党やマルクス思想入門の手引きとなる私の記事をご覧になりたい(宗教廃絶など空理空論の共産主義革命には不可能だが)。上流気取りの中立思想(国連・EU・西側の民主主義国家などの意向)を重んじたい者は、せめて文化の多様性の観点によって旧来の宗教を尊重する心がけは必要である。

・二分思考の典型例は「我々の宗教を信じれば天国・我々以外の宗教を信じたり我々の宗教を信じなければ地獄」という教義である。社会面も同じことである。「成功・失敗」、「(仏教用語ではない意味の)成功して出世したい・失敗したら自殺する」、といったような二極の選択肢しか許されないならば、人類総ロボット化して超効率化社会を実現するか、いっそのこと絶滅する、二極の選択肢こそが正しい。そのどちらもが現代的な合理主義(かつは資本主義、かつは共産主義、かつは虚無主義)においては幸福の社会であろう。しかし、それは9割方の人間が肯定しない。なぜならば、ごく一部の例外を除き、人間には心がある。故に私は「脱社会・順社会」と説く。こう理解して実践する者は、社会を超越した「超社会(および超宗教)」の境地とも言える。釈尊はまさにそのようなお方である。私のような生い立ちで正気を保っている者こそ、まず社会と宗教を脱しつつ、尊重も行える「超社会・超宗教」の立場となってほしいと考える。そして愚昧なる民衆(自ら迷い苦しんで他人と諍い争う人々)に、二分思考を克服させる説法・教化に生きてもらいたい。

・「社会主義」とは、社会が人々に対して社会の理想を認めさせる立場にあり、これは現代日本に生きている小中学生ならば思い浮かべる「エリートを多く育てて無駄な政党とか政治家を省いたまともな奴が政治家になって支配すればよい」という、少し無理のある思想である。それは全体主義ともいうが、宗教の教団にも、そういった一宗教団体の理想を配下の信者に強制してその通り動かすものがある。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は社会主義(金日成主体思想)の国であるが、彼らは金一族の偶像やマスゲームなどで民衆を鼓舞して統制するように、こういった宗教団体も、何らかの信仰対象を旗印とし、集会で軍歌っぽい教団の歌を流して躍らせたり、大規模な集会でどこか無機質な印象を覚えるショーを行う。この話は仏教の思想とあまり関係のない社会学や社会科学などの学問的な考察となってしまうが、このように社会性を強めるとカルト教団同然となり、宗教を教団の枠組みで鼓舞すると社会主義のような全体主義体制に変わるという、少し考えればすぐ分かるような話を垂れた。「社会即宗教論」では中華人民共和国の共産主義・マルクス主義(正しくは毛沢東思想)を例にとって詳述している。今の日本は、社会主義と逆の立場にある「民主主義」の体制であるが、ともすると今の日本人は社会の妄執を強くして、人権尊重に欠けた思考を大人になるまでに強くしてしまう。それが当たり前の共通認識となっている現代の日本社会は、民主主義や自由主義が転がった、民主型の社会主義となっている。従来の社会主義は、為政者・政府の理想を下層の民衆に認めさせていたのに、今の日本は民主的なために民衆が民衆に社会的理想を強制し、それから逸脱するだけで「異物・異端者」とみなす風潮がある。日本から「和」の思想が死んで同化強制・同調圧力という「同」の悪に生まれ変わろうとしている。そうして日本も世界も滅ぶ。



起草日: 20161001
この記事における「賢者」の立場を補足する目的
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/heretical-dogmas.html

日本の伝統宗派(出家)と日本の新興宗教(在家)の二元対立によって醜い罵り合いや粉飾を行う現象に関して2015年5月10日5時に少々述べた追記欄が過去記事にある。

出家して山に入る行為について、ことに別の宗派を批判する側が「叡山(など)に篭って修行しても侘しい・空しいだけ」、「社会から隔絶された山寺(各宗の本山寺院など)」と嘲ったり、「社会から逃避して修行」とまで蔑んだりもする。一方の出家・寺院・宗派としては、ホームページなどで「社会貢献」を強調することもある。片や出家の反社会性や脱社会性をあげつらい、片や非難された劣等感を糊塗している。

対して、その前者としての立場が強い某在家教団も、一般世間から反社会的カルトと非難される。宗教同士で「アレは邪教だ」と烙印を押しあうことは順当だが、社会性を持ち出す論は詭弁的。意見や立場が異なって対立すると結果的には低劣な争いで同化しちゃう真理だろう。宗教家が「感情」の中の「三毒」や「大罪」に振り回されるとは、色々と失望する。

結局、宗教に社会性を云々するのもアレであるし、真面目に修行をすればよいと思う。れっきとした犯罪行為ともなれば、法治国家のもとにおいて問題視されようとも、その範疇でなければ問うべきでなかろう。ことに「出家」であれば、否、「出家」だからこそ社会の趨勢に敢えて迎合する道理はない。2000年以上前のネパール寄りのインドでは、街を去り山に篭ることが美徳だったはずだ。

仏教とは、社会貢献だとかを強調するわけでなく、反社会的行為をするものでもなければ、利益に執着する俗物宗教などでもなく、先に示したような中道の立場にある。
多少、態度が人々に対して不遜になる面はあっても、先に示した通り、関与する人や全ての事物に感謝をしている(理論上は)。
二元対立の迷妄に喘ぐ彼らは、「いわゆるコンプレックス」と呼ばれる妄執に囚われて解脱に遠い上に、中道の境地からも極めて遠い外道の狂人のように思えてならないが、私がそう非難して良いはずもない。
出家も在家も、本来はそういった「相互依存」とか「お互い様」を理解して共存するものであろうに、今更そんな議論など、それこそ仏教に反していると自覚してほしい。

なまじ社会から逸脱しているという妄執を自分に重ねた宗教者が、そのようにかえって「自分は社会になじんでいて逸脱していない!」という感情を潜ませて社会性を強調する。
それは自尊でも矜持でもなんでもない欺瞞・粉飾・糊塗であり、多くの宗教団体はこの迷妄・苦境に陥っている。
社会からの逸脱であるかどうかなど、宗教(教義)にとって本来は関係が無い上に、それを糊塗するために煩うなどは、それこそ宗教の道を逸脱している。
だから「脱社会しかし順社会」として、共存共生の立場を取りつつも、同化する必要は無いと私は言う(優越感も劣等感も未練も執着も卑しい感情に因り、自他を悩ませる悪業となるから超越・超克せよ、と言う)。

※今は超克した立場によってこのような記事が書ける。今まではくだらない論争に意義を挟むと自分も同化しかねないからこのような話題の記事を避けたり、少し言及する程度に留めていた。今ではさほど気にせず、忌憚なく、こういった記事を書く必要を感じる。

およそ、宗教の教義はあらゆる人々を受け入れて救いの道を示しており、仏教はその最たるものだが、現今の宗教団体はかえって偽善を強調して人々を形だけ集めようとしつつ、大事なところでは門扉を狭めているのではなかろうか。
それで世人や在家教団から、疎ましく思われ、時代錯誤とか封建的とか社会逸脱とか社会隔絶とかとレッテルを貼られ、変な自覚を持つため、そのような欺瞞・粉飾・糊塗に徹している。
現今の宗教団体がどんな体制で社会への迎合を誓おうとも、どう続けられようとも、組織や組織的対立に無縁(広義の無宗教)の私には構わないが、そういった両極の主張「社会貢献 or 社会逸脱」のどちらかが宗教の教義そのものに見られてしまう事態は憂慮せざるを得ない(やはり中道・中立・中庸であってそもそも社会云々を重視することが本末転倒であり、あえていえば脱社会・順社会とするしかない)。
私としては、最も門が開かれた仏教を、特にそういった「コンプレックスなるもの」が強い人々に弘め、是非とも妄執からの解脱を期している。

宗教がらみの論争だと、「在日○○宗教」とか、争い合う相手側の首脳を「在日○○人」だとかとレッテル貼りを行ったり、著名な宗教家に医師免許も無く精神病(精神分裂云々)の診断を行う者も多いが、もはや宗教でも何でもなく、特にネットのものだと最初から宗教当事者を交えないで無宗教の者が好き勝手に言っている場合の方が多い。
そこまで来ると、仏教にも哲学にも暗く、人権思想という世俗の方面にすらも無知な者が、モラル無く悪罵しているような、禽獣か修羅の議場である。

もう一点言いたいことは、その「コンプレックスなるもの」が強い宗教団体が「理想のシャカイ」などと喧伝して挙句、終末思想を自ら具現化する例がある。
宗教団体でない個人的な仏教独学者も、にわかに「(経済的な)理想社会」云々とのたまう
そんなものは「順社会」の姿勢ではなく、その「コンプレックスなるもの」の所業である。
「健やかな布教活動に勤しむ中で社会が清浄になる」という副次的結果を望むならばまだしも、なぜ自ら変革を起こそうと画策するか?
共産主義・独裁主義・全体主義の者の革命思想そのものであり、穏健な仏教徒の発想ではない。
私は、私の説法・教化で「落穂拾い」が一つでも多く叶う結果を、仄かに願うのみである。


2016年11月2日水曜日

Google+ 2016年10月中の日記メモ

当月23日(最初の記録は29日)から発生を確認した臀部・尻肉・ケツの腫れ(痔の一種かは詳しくない)が月末になっても止む気配はなく、この記事を投稿する11月2日においても同様である。
31日のメモには、予定で来訪した保健士2名に見せたり、自分で塗り薬(軟膏)を塗布(貼付)した記録もある。
保健士2名との話では、皮膚科を勧められたり、私も病院での受診を解決策の一つとして考えてはいるが、記事投稿日11月2日現在も診察を受ける意向はない。
慢性的な便秘以外は健康体でいられ、ある意味で平穏な生活を送れると思いたかったが、常に何らかの異常事態に突き当たるようであり、原因不明な不条理ばかりである。
単に座っているだけならば、膿ビュルビュル・ブチュブチュの痔だかなんだかは当然に発生してきたが、今回のような一度も膿を出せずに腫れ続けて大きくなるものは未曽有である。
この種の不条理には、具体的な原因を特定しようとしても無意味である「戯論」と知らねばならない。
適切な処置は、時宜に随って行うので、11月中も日記メモに記録できれば良いと思う。
今後、「痔のような腫れ」の記録写真を集めてスライドショーの動画を投稿しようか。

追記: 2017年5月27日に投稿した動画(うち0:38~0:45)に写真が数点載る→http://www.youtube.com/watch?v=ncbatUTaC8c

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31



2016/10/01

前日9月30日は19時50分ころから就寝したが、母親と弟の争いが一時中断したか再開したあたりであった。彼らは何らかの話題に些細な原因で喧嘩を始めていた起こりであろう。その時、私は耳栓を着けて寝た。この喧嘩との連続性は不明だが、私が寝ている本日1時台にも、母親と弟の争う声や、母親が1階と2階を行き来している音が聴こえてきた。それから2度寝となり、2時台は4種アラームの2:20や2:40などを聴いて経過し、2時44分になって起床した。

2時55分から、前日19時台に飲んだ下剤1錠の効果でトイレに入り、少し時間をかけて中・小サイズのものを1本ずつ出した。4時55分からもトイレに入って軟便・下痢を出した。7時48分からもトイレに入って軟便・下痢を出した。

13時0分、母親から「今日は買い物に行かない」というメールが送られ、続く13時32分に「土日(本日と明日)は○○(弟)がいるから買い物に行けない、パソコンを破壊される恐れがある(倒置法だった)、月曜日に行く予定」と補足された。9月20日の買い物1日遅延から、前日9月30日にも買い物に行かず、本日になってからメールをするのではなく、前日中にメールを送ってほしかったが、今回の10月1日にあったであろう買い物予定がさらに延期された原因は、前日の夕の2人の争いであろうし、この延期自体は前日に予告できない。なので、いや、そうでなくてもどうでもよい(私の言う"どうでもよい"の意味は、あくまでも思考の結論として言うのであって思考していない時点で考える価値を覚えるためわざわざ記録は取っている)。

17時0分ころ、母親から月頭の小遣いを渡されるにあたって保健所職員の来訪について相談された。色々と母親の理解不足を感じたが、それはよいとして、ここに記録すべきことは、母親が今も保健所職員と連絡しあっていないことである。あの9月26日の来訪以降も母親は通話などしていないのであろう。家の電話と携帯電話と、どちらに着信があるのか不明だが、母親から電話を返すこともなかろうか。ほか、次の来訪までに母親が手紙か何かを書いて私から手渡しをする必要がある考えを話された。



2016/10/02

本日は2:24の第二アラーム以後の2時26分に起床した。4時台から料理(小麦粉焼きのみ)に合わせて淹れた2杯分の紅茶を1杯は4分の3を1時間以内にのみ、残りは随時、色々な飲み方をして8時までには無くなったが、8時30分台にトイレで紅茶のカフェインパワーによる軟便を出した。

本日も前日も、先月下旬(最初の記録が9月28日、推定9月25日以降?)から続く母親による掃除機がけがされている。本日は12時27分からであるが、連日、母親の精神崩壊を実感する。自覚もなければ、直接言うと反発する人間には手も足も言葉も向けられない。部屋のふすまをドコドコと掃除機のヘッドで突いてくる今回、夏休み期間中の弟が2週間程度早朝に掃除機をかける習慣があったとき(最初の記録が7月29日・回想が8月23日)に比べてタチが悪い。周期的に異常行動が発生しては止むわけだから、それが1年に渡ろうとも私か母のどちらかが死ぬまで続こうとも、大人しくその場に居て忍従するのみでよい。これが仏教に倣う処世術の一つである。



2016/10/03

海苔巻き のり巻き 紫玉ねぎ 紫タマネギ
3時34分撮影

本日はまず1時0分頃に目覚めたが、母親が1階リビングでテレビを見ていた。前日就寝時(19時50分ころ)は酷く全身が疲れていたため、爆睡か、逆に浅い睡眠が予想されたものの、結果は後者となった。就寝時に着けた耳栓が両耳とも外れていた。再度眠りについて2:10の第一アラームに目覚めたが、母はもういなくなっており、私は2:24の第二アラームから起床に至った。

4時15分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時過ぎに自室へ帰った。12時30分から母親が発車した。キッチンを見ると、私が1度の小麦粉焼きに使う分量(目安)の8倍ほど(目測)の小麦粉が無くなっており、紅茶5杯分くらいの茶葉が生ゴミと化していた。母親の極端な消費には呆れたり、言葉を無くす。元々非難する気などないわけだが、本人はどう自覚しているのか。それも今更、毎度のように繰り返して愚問である。前日にインスタントコーヒーを空にしたと思われる母親が、紅茶に手を伸ばすと、この異様な結末となる。15時40分台に母親が帰宅した。

本日は午前中ににわか雨もあったが、17時前はシトシトとした雨が降る中に小学生の放課後の往来を感じた。小2~4ほどの同学年らしい女児2名が「お風呂でほっぺたスリスリして・・・」、「一緒にお風呂入ると異臭が取れなくなるよ、手袋つけて注意してね」といった会話ではしゃぎながら学校方面に傘を差しながら歩いていた。そのセリフを発し続けた女児も、反応して笑い声をあげる女児も、声のトーンが低い。



2016/10/04

本日は2:24の第二アラームで目覚めていた気もするが、とりあえず2:40の第三アラーム以降はしっかりと意識があり、2時49分に起床した事実には疑いが無い。前日も窓を開放して寝て起床後に窓を閉めたが、涼しい・寒い状態であり、常に服装は半袖の肌着である。3時30分台は爪が紫色に変わりつつある。冬のような感覚だが、こうして最近は寒さをこらえるようにしている。

4時50分台に淹れた少量のインスタントコーヒーを少量飲んだカフェインパワーで漸次便意を強め、6時20分からトイレで長めのU字形のものを排出した。母親の異常行動については逐一記録していないが、一つ、新しいものを挙げれば、16時過ぎに私が自室を出た際、ドアのそばに弟の洗濯物が折りたたまれて置かれていた。洗濯物を渡し間違えるにも、このような間違え方はかつて一度もなかった。そもそも、普段は間違えないでいる。また、最近の私は母親に私の衣類を提出していない。前日の風呂(シャワシャン)で脱いだ衣類・・・むしろ風呂(シャワシャン)に先んじて自ら洗濯した。その日の起床直後に洗濯した衣類である。母親には何も私の衣類を提出していないため、混同するはずもないのに、このような誤りが発生した異常事態である。文字通り、通常と異なっている事態だから異常事態といって過言ではない。そして異常行動が続いている。
もっと読む(24 行)



2016/10/05

本日は2時51分に起床した。前日は4種アラームを全てオフにして就寝した。本日に日付が変わって以降の0時50分台に一度目が覚めた際、母親がブツブツとつぶやきながら1階を動き回り、1時0分にテレビを付け始めていた。なお、前日母親が狂乱して私の部屋の前に置き去りにした洗濯物は、弟が16時台に帰宅しても、母親が弟を呼んで17時台に焼き芋を食べた前後にもどかされなかった。2人が夕食を始めて以後に私が最後の排尿に及んだ19時台にもどかされておらず、この2時51分の起床時にようやく無くなっている確認をした。

前日にPC(Windows 10機)を終了する際に更新プログラムのインストールがあった。本日のPC起動では1時間5分ほどかけてインストール内容の処理がされた。その間は料理なり携帯作曲なりを行った私である。ようやく起動されたものは、色々とおかしい点も見えた。スタート画面(ログイン画面)の変化は単発か?ログインしてみれば、まずデスクトップの壁紙がデフォルトに戻っていた。そんな大胆な更新など未曽有であろう。スタートメニューの左側のデザインが色々と変化し、全てのアプリはクリックの手間を省いて常時表示されている。その中に、アンインストールした「アプリ」が再インストールされていたり、インストールしたことのないアプリもインストール済みである(アンインストール可能)。タスクバーが初期状態(除外したMicrosoft Edgeアイコンがある・エクスプローラーのアイコンの位置がその隣)+後の追加(Google ChromeやIE)というアイコンの配列になっている。更に、wavなどのデータをWMPで開く設定が、初期状態のGrooveミュージックに戻されていた。ほか、問題はないがソフト関連付けアイコンのデザインが変わっているメカニズムが全く不明である。タスクバーの拡張メニュー(便宜上の呼称)にWindows Defenderが追加されており、消せるものではない。タスクバー右端のデスクトップ表示スイッチのすぐそばに通知アイコンが常駐しだしたが、本来は拡張メニューの一アイコンに過ぎなかったものであり、機能の位置づけが強化された。

11時過ぎにふすまを介して部屋の外へ出た際、あの洗濯物がふすまの前に置かれている様子に気付いた。言葉もなく、位置だけそこに変えて置いて何となろうか。私の就寝以降にされたものと思われる。11時14分から母親が荒く掃除機を掛け始めた。ちなみに、この母親は10時台、ただの情報番組のタレントの演出に「マジで!?」という声を上げて反応していた。様々な異常ぶり(かつは沈黙して行動、かつは荒れ狂って行動、かつは酷い反応)が続けざまに起こると、もう耐えがたい。

当記事注: この日、とある新しくインストールされたと見られるアプリ(フィードバックHub)がどういうものか確認する際にMicrosoftアカウントの認証にPCのサインイン(ログイン)に使うローカルアカウントのパヅワードの入力を求められた。翌日10月6日のPC起動時、今度はMicrosoftアカウントのパスワードでWindowsのサインインを求められた。マイクロソフトの暴走は、本当に止まることを知らない。10月7日にもいろいろな弊害を新たに確認していったが、どうも一時ファイルの行き先フォルダに色々な変更が見られた。LocalとかVirtualStoreとかTempとかと色々なフォルダ名が別に変化している。元々のものが"Windows.old"フォルダにバックアップされている。詳述しないが、少々面倒になってくるし、こういった既成事実変更は一般論からして真っ当でない。ただのWindows 10という元あるOSのよくあるアップデート如きにこういった大規模な変更が重なるとは異常である。



2016/10/06

本日はなぜか4種アラームがOFFのまま2時25分起床である。前日ONに戻したであろうに、と思うと2:40のアラームが鳴った。2:24や2:10のものが鳴った記憶はない。対して前日23時は、耳栓を着けて寝ていながらに母親がテレビに反応する声がはっきりと聴こえたため、一時的に目覚めていた。

起床20分以内に飲んだ下剤1錠の効果と、8時台から淹れて少しずつ飲んだ少量のコーヒーの効果により、10時50分台にトイレで軟便を出した。12時20分台にも便意が高まって普通の軟らかさのものを出した。下剤効果が出ている時、軟便→下痢といったように軟らかさが増す変遷が普通のことだが、今回のように軟らかさが正常に戻るパターンは稀である。



2016/10/07

本日は1時58分に起床した。ここ4・5・6日と炊飯できていない状況だが、本日も炊飯ができない様子を確認した。夜中にもかかわらず2階の母親が絶えず物音を立てている中、2時20分から風呂(シャワシャン)の準備を始めた。風呂(シャワシャン)は基本、4時以降に行う自己制約があり、これを破った。3時10分過ぎに自室へ帰った。その20分以内に下腹部の痛みを感じた。便意もあったがこの時は出そうになく、シリアルを食べた20分後の4時20分からトイレで中・長サイズの複数本を排便した。

13時27分から母親が発車した。家を出る前に私に「出かけてくる」という言葉を発していたが、その直前から1階リビングの窓の鍵を開けていたため、おおよそ買い物の外出という予想が立てられた。18時42分に母親の車が着いた。



2016/10/08

本日は1時38分に起床した。朝6時から花火の音が聴こえ、後も断続的に打ち上げられている様子である。10時台から弟の外出に関連する動向が始まり、11時過ぎに外出したようで、11時10分台から毎年10月第二土曜日(去年は10月10日)特有のポコポコとした「手持ち鼓」の音が聴こえてきた。弟の外出は、この地元の祭りに関係していようか。爆竹の音も、鼓の鳴る辺りから聴こえてくる。鼓の音の鳴りが徐々に聴こえるものではなく、最初から一定の音量であったり、随時爆竹やホイッスルの音も鳴らされ出している点から、近所の公園かどこかを起点として神輿の隊列が動いていよう。11時32分、家の呼び鈴が鳴らされたが、去年から2度目のことである。どうも子供らが「募金」を呼び掛けているようであり、母親は1階リビングでペットだかの情報を流している番組を見ているが、動く気配がない。母親の無視は、去年も同様であった。

弟は15時前に帰宅した。16時前に母親と弟の軽い争いがあった。16時20分前から母親が弟を呼びつけたが、落ち着いているであろう弟に対して開口一番に「暴力反対(ぼーりょくはんたい!)」などと発し、これは見当違いであって弟の平静を荒げる一言であろう。その後、私は作業に集中していて何の話題か感心が無かったが、弟が母親に手を出すようになった。どうも、母親が「弟にとって楽しいことは何か」を尋ねていたようだが、話題に反して不穏な流れとなり、母親も実際に痛みを受けているようである。その元の話題は「ほしい本」の話らしい。こんな無理やりな話題で関係修復など、結局は不可能である。「くたびれもうけ」どころではなかろう。弟の言葉を聞くふりをしていた母親も、感情を押し殺すことはできず、弟の暴力や破壊行為をいちいちに追及する。弟には母の処方薬が副作用しか得られないようである。ペーパー薬剤師の母は一生、他人の心に毒薬しか処方できない。※「楽しいこと」について途中から聞いたものが「巨大生物をつかまえる」とかで母親が詳細を聞くうちに無駄な反論を行ったり、「お母さんに暴力する」に変化した様子がある。

時間が経って弟がにわかに「なぜ物を増やすんだ!」と怒声を発した。「クソママ、クソかーさん」云々と罵声を発した後に反応しだした母は、「○ちゃん(弟の名前)が"制服買って"とか"靴買って"っていうんでしょ!」といった水掛け論を浴びせた。「ママの下着を破って○ちゃんが壊すんでしょ」とも言っている。人の非を直接あげつらってばかりで、人格の低劣さ・卑小さが嫌なほど伝わってくる。私はただ記録精神にしたがって記録を取るのみである。作業の気分が減退した。こんな不穏な争いをそばに、誰の作業の意欲が亢進しようか。



2016/10/09

本日は2:10の第一アラームに目覚め、珍しく私は二度寝でも即座の起床でもない押入れでの時間を過ごしてから2時29分に起床した。



2016/10/10

本日は1時10分ころに目覚め、1時28分に起床した。1時20分過ぎは1階で母親が何かをしていたようであるが、それまでのいつから1階にいたか不明である。1時47分から、前日の予定であるゴミ出しと自販機通いを始めた。今も青い部屋着のトップスを着ない生活をしてあり、この外出に当たっても青い部屋着のトップスを着るのみで、スウェットなど暖かい恰好にはしない。一応、防寒のため、手袋は着けておいた。やはり外は、冬の昼間くらいの寒さではある。星と雲が疎らに浮かんでいた。東北東にオリオン座が見えた。

ゴミを出してから目的の自販機に向かうと、近くの集合住宅の前の道路わきにライトを点灯したままの車が止まっており、私が15mほどに接近したところで発車した。後にはしゃがんだ男女1組がいた。彼らの前をスルーして公園の敷地に潜り込んだ。2分以内で再度同じ車が現れてから彼らはどこへ消えたか不明だが、いなくなった様子を確認した。この間、改造マフラーのバイク2台も通るなど、3連休とはいえ夜中なのだから自重してほしい。自販機は売り切れこそ無けれども、硬貨が認識され鵜に釣銭受けのところに流れてしまうので、この自販機を諦めて別の自販機で280円の買い物をして帰路に就く。2時4分に帰宅した。

前日就寝時に飲んだ下剤1錠や、本日10時以降に淹れて飲んだコーヒー1杯(右時刻にも少量残してある)の効果により、11時29分からトイレに入って長めの一本糞を出した。最中、こんな時間になってから起き出した母が、荒い足音を立てて1階や2階を上り下りした。トイレなどの軽い用事で部屋を開けた際に私は自室のドアを半開きにするが、これをわざわざ閉める癖が久々に確認された。取り乱しているならばそのままでいればよいものを、母は人に不快感しか与えられない。そして、洗濯や顔洗いや食器洗いを始めた様子である。



2016/10/11

本日は2:10の第一アラームが鳴る数分前から意識があり、2:24の第二アラーム直後に起床した。2時39分から、前日に不良状態を確認した自販機の調査に出た。前日という当日は、月曜日でも祝日であるから誰かしら自販機に触れていよう。それでも変化が無い様子であれば、次に商品を納入する業者が「一つも売れていない」と気づかない限り、異常の改善は見込めない。自販機の現状は、やはり前日と変わっていなかった。釣銭受けに小銭が流される(過去そういった現象も無く金を認識せずに飲み込んだままの異常もあったが)。この自販機は次に商品を納入する業者が来て異常に気付いてもらえない限り、一つも商品が買われないでいよう。なお、オリオン座に関しては前日に東北東に浮かんでいると記したものの、本日は中央寄りの南西であると正確に見取った。前日の時刻とは1時間程度の差があるが、当時でも東北東は有り得ないと感じる。

4時30分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時20分ころに自室へ帰った。10時半ころから母親が買い出しのため発車した。10分後、掛け布団のカバーの洗濯と、中身の干し出しを始めた。既に先の風呂(シャワシャン)の洗濯物(弟のパンツ・靴下含む)を母が干し出している。15時過ぎに母親の車が帰ってきたので布団カバーのみを取り込んだ。15時14分にラーメンに使う肉・野菜を茹でている最中、母親から洗濯物の取り込みを頼まれ、前回(9月27日?)のおさらい宜しく説明を受けた。速やかにその通り実行してきた。ラーメンを食べている最中の15時35分に母親から呼び出されて菓子類なり総菜類なりを分配された。総菜類は常温放置で明日に食べる。ラーメンは、たまに具材の身を残すことがある通り、残して明日の料理に使うかと思う。15時42分にまたも肉まん類の分配に呼び出された。今回の買い物の品は既にシウマイ・ワンタンという、初めて私に買い与えられたものがあるが、肉まん類は恐らく1年9か月ほど食べていなかったと思われる。

本日はPCの異常が重なったが、18時台からはIMEの変換の候補が出なくなったが、Chromeでの操作の確認のみの判断なのでメモ帳など他のソフトを使用した際にどうであるかは不明である。18時18分にen.wikt: 末の記事で右クリック翻訳を行っているとChromeのブラウザが強制終了した。再度Chromeを立ち上げると、IMEの挙動が元に戻った。まさに「無因無作無殘禍」現象である。



2016/10/12

謎の翅

本日はまず0時20分台に目覚めた。母親が1階リビングでテレビを見ている。私は耳栓を部屋着のポケットに入れておらず、しかも起き上がって取りに行かない。そのまま自重して耐えると、0時40分に母親が2階へ上がった。直前の母はテレビに笑いだしたり、荒くドアの開閉をするなど、夜中に自重しない暴れぶりだった。再度眠ってからは、2:40の第3アラームが2度目に鳴らされた2時45分に起床した。5時58分から、前々日下剤飲用の効果の残余と本日のインスタントコーヒー1杯分のカフェインパワーでトイレに入り、小・中・大のサイズのものを順次排便した。この間にWindows 10のプログラムが「アクティブ時間外に行う」と予告している更新をさせてあげた。

9時44分に母親が発車した。昨日に引き続き、寝具の洗濯を行うべく、まず2階バルコニーの様子見をして案を深めた後、弟の部屋に入ると畳まれたノートPCの上に母の書置きがあった。そこに「20時ころ帰宅する」として、弟に食事や洗濯物に関する指示が記されている。中には、「14時ころに○○(私の名前)が取り込むかも」という根拠の不明な予言が見えた。今のバルコニーの状態はあまり好ましくないので、私が可能な範囲で処置して問題がないと考えた。順次、タオル類や布団カバーの洗濯を行う。

9時54分、部屋の未開封の食品を保管している場所を4か月ぶりにいじってシリアルの袋(16年4月27日製造)を取り出すと、置き直した場所に虫の翅が1つ落ちていた。不気味な印象だが、これを手に取って観察してみた(写真撮影もした)。まず、この翅の横幅は0.7mm程度である。吐息などで吹き飛ばされやすいほどに軽量であるが、荒いつまみ方でも変形せず、羽の骨(?)は折れないほど丈夫である。指先で変によじったりするとテントの骨がはずれたような状態に変化して直らない。

12時45分からトイレで多めに適度な硬さのもの(中サイズ?)を複数本出した。キッチンの床で数時間も足をピクピクさせている1匹の蚊を始末した。13時22分に書置きの「予言」に関連するメールが届いた。弟の洗濯物を代わりに取り込むよう指示された。最初から私に任せるつもりでありながら今まで話さず、しかも私が実行しない場合を考慮して弟に先にあの書置きで17時に取り込むよう記したのであろう。醜さが極まっている。14時前に布団カバーを裏返すついでに弟の洗濯物を取り込んだ。


15時40分から、よくある片手鍋をフライパン替わりにして焼く料理を行った。材料の詳細と追加した経緯を省くが、うち、あんまんの皮にケチャップをかけて焼いたものは牛肉と共に食べるとマクドナルドのハンバーガーそのものの味わいとなった。



2016/10/13

本日はまず1時10分台に目覚め、再度浅い眠りの状態で2:10の第一アラームを聴き、2時11分に起床した。なお、前日は、就寝以後の20時21分に母親の車が帰った。母親は同25分に洗濯物の処置について私に尋ねた後、弟にも洗濯物に関する質問をしていた。

18時前から弟と母の夕食が始まった。色々と会話内容は耳に障った。母から険悪な方向に誘い入れる面もあるからである。彼らの夕食の終わるころ、配達物が本日夜に家へ届けられる話を弟にし、到着次第、受け取るように頼んでいた。前日、母親が外出して直後にヤマトの配達があったものの、後回しとなった経緯がある。19時28分にヤマトの男性配達員が来て弟が応答した。この男性配達員はNかSか他の誰かも不明である。配達員を前に弟は「おいしさを考えられてるかな」という独り言を続け、配達員も色々と返答していた。その後、色々と経過があったが、段ボール箱を開けた母親が19時35分に2階へ上がったため、少し確認すると、定期的に届くレトルトカレーと米10kg袋であった。母が開封時に発した「マジィ!?」とかいう意味不明な感嘆の原因は看取し得ない。



2016/10/14

本日は2:24の第二アラームが鳴る前に目覚め、2:40, 2:50のアラームを経て3時1分に起床した。3時40分からchromeでのドラッグ操作が行えない異常に気付いた。IEなどでは当然できる。chromで行えなくなっているドラッグ操作とは、範囲選択をした文字、単なる画像や、文字や画像のリンクといったページ内に表示している情報のみならず、ブックマークバーのリンクなども操作できない(タブの操作は未確認)。最初は画像リンクで気付いたことから、稀に発生する、そのページを表示したタブ1つのみの異常かと思ったので、タブを消して開き直しても異常が改善されなかった。ブラウザを再起動したり、chromeの最新版があるそうだからこれを更新しても改善されなかった。そこで、4時19分からPCを再起動をした。こうして改善・・・元通りとなったが、時折こんな不条理が起きては何もできない。

7時0分過ぎ、とあるファイル群のバックアップを発案して圧縮作業などを行った。7時5分に某アップローダーサイトへのアップロードを始めたところ、98%までアップロードされてから数字が止まり、chromeブラウザも停止した。この間、IEでのネット接続を行って「アクセスできない」画面が表示された。chromeが停止から立ち上がるとアップロード進捗の100%の表示の直後に12%へ落ち、28%で再度chromeブラウザが停止し、また立ち上がったところで「失敗」に切り替わった。何だこれは、と思う。あのWindows 7機と全く同じ挙動である。2011年6月末に購入され、2011年10月の動画投稿活動の最中にこういった異常が頻発した経緯がある(当時が胚胎でありWin7機は常に頻繁に同じ状態に陥った)。気を取り直してアップロードの手順を取り直して再開すると、低い進捗率のまま同じように停止・フリーズし、特定の操作を行うと、案の定、chromeブラウザが強制終了した。何という体たらくであろうか。たかが二十数メガバイトのファイルである。あのWin7機は1MB未満のファイルもアップロードが中断されることはよくあったが、よく似た以上に呆れてしまう。私に付きまとう不条理は、いつもこんなものであろう。

2011年から始まったWin7機の異常との共通点は、アップロードのための接続でのみ狂いだすという点や、アップロード失敗状態からまもなく別の接続は容易に行える反転という点がある。ただし、Win7機の以上に対して輪をかけて悪い点はブラウザのフリーズを兼ねるところであろう。そればかりはWin7機の2011年には一度もなかった。同機で後年にそういう事態はあったと考えられる。

Win7機と同じく、再起動してもろくに変わるはずはないと思った。2011年当時は色々と身を砕く思いで試行錯誤していたが、どれも役に立つはずはなく、勝手に改善しているか、また勝手に挙動や接続が狂うか、という状態に一喜一憂するしかなかった。このWin10機も蓋然的に推測される。この私には自明の理である。PCを再起動してIEでのアップロードを行っても1%止まりで「失敗」としかならない。最初のchromeの"98%"とは何なのであろうか?一連のアップロード関係の作業や記録には40分以上があっという間に経過した。当然、アップロードできる・できないということは問題でない。緊急性もないから問題ないし焦りもしていない。逐一こんな不条理が発生することを憂えて記録を行う所存である。

先のアップロード問題の対処の途中である7時37分に母親が1階へ降りてきたり、前日の経緯も含めて「仕事」とされる目的で外出すると思われるところが、10時を過ぎても外出の気配が薄い。1階に何度か降りてきたり、謎の水筒とおにぎりがキッチンのテーブルに置かれる程度である。本日実際に外出をするとしてとも、一昨日の「仕事」の時よりはずっと出発が遅い。いつものことである。不安定・不明瞭であり、不愉快にも思うが、無問題である。この事態も、ただ記録精神に則って記録を行う所存である。こう綴った5分後の10時41分に母親が初めて家を出て1分以内に発車した。

3日ほど炊飯ができない状態であった(種々の問題=炊飯器の残り物の有無や自室冷蔵庫の容量など)ため、炊飯準備を行ってから風呂(シャワシャン)の準備を始めた。炊飯準備の折に靴下が濡れるはずのないところで濡れる異常があり、11時6分から始めた風呂(シャワシャン)の準備の折には原因を特定した。自室と部屋の間のドアのあたりが濡れていて数時間前に水を汲んだケトルを運んだ際にこぼしたものと考えてもよいが、実感はない(そんな多量にこぼした経験もないし少量のこぼし方でも気付くものだから)。黒い絨毯をも濡らしているようで厄介だった。畳にどんな影響が残るか恐ろしい。ついでに冷蔵庫の下の部分も異様な濡れ方をしていたため、絨毯をめくり・・・。説明は省略するが、一連の絨毯問題に関連して10分ほど時間を費やした。風呂(シャワシャン)は早く終えて11時43分に自室へ帰った。普段も、1年以上前と比べて早めに終える私だが、今回の所要時間は30分未満であるから際立っている。ところで、本日は酷く不条理続きである。PCの件でも、初めてのWin7機に如く異常事態に憂慮するのに、剰え実生活の方にも異常事態を確認できた。「気付けて幸運」などとは楽観視できない。午前のうちにこういった問題に連続して直面する私だが、ここ数日は日に日にひどい思いをしてきただけに、痛手となる。

風呂(シャワシャン)の間は雑巾を浸け置きしたり、衣類の洗濯も行い、風呂(シャワシャン)を出て以後に2階バルコニーへ干し出したりした。15時50分にこれらを取り込んだ。干している時間の日光はあまり強くない状態が続いた。



2016/10/15

前日いつ母が帰宅したか不明だが、寝ていた23時台に一度目覚めた際、母親の声が聴こえた。弟と何か喋っていた様子だが、それ以前にも一度聴こえた記憶もある。本日は2:50の第四アラームで目覚めたようだが、それ以前もあるのではないか?1分以内に起床したためにそれ以前から意識があったと考えてしまう。もしそうならばその時その時でしっかりと記録を取るか記憶に残すよう心掛けたいが、それはやはり今年の4月頃までは実現していたのではないか。なお、母親はテレビを見ながら独り言をしたり、「イタタタタ・・・」と漏らすなど見苦しい様子を見せた。「ババアさっさと寝とけ」3時28分に母親が2階へ上がった。キッチンには大量の緑茶の茶葉が捨てられ、350mlのビール缶が2本見えた。「疲れている」はずの日にこそこんなカフェイン・アルコールを取りたがる異常者である。にわか酒飲みの母は突然こういう飲み方を行うから気色が悪い。

前日の掃除・・・絨毯の処理に関連してか、本日は起床から2分ほどして目の痛み・充血・涙・鼻づまり(鼻詰まり)を自覚した。あの作業は11時台のみならず、幾度かトイレットペーパーを絨毯と畳の間に挟み込んで吸水・取り換えなどを色々としていた。11時台の絨毯の処理では、後でどうなろうと構わずにドライヤーをふかしたりしていたが、厄介な分子が嗅覚で感じられるのみならず、身体に害が生じているようである。厄介な分子が目に直接的な影響をしているのか、鼻を介して鼻炎の副次的症状で目に間接的な影響をしているのか、不明であるが、この際どうでもよい。

前日、23.3MBのzipファイルアップロードできなかった経緯を思い出したので8時43分に再度同じアップローダーサイトでアップロードを試みた。普通にアップロードされた。言うまでもないが「無因無作無禍根(無殘禍)」の醜態であるが、これが時間をおいて何度も頻発するものがWin7機であった。このWin10機もわけのわからない異常が数えきれないほど発生しては逐一記録を取っていないものの、顕著なものは昨日の日記メモと同様に記録を取っている。

前日19時台に下剤1錠を飲み、本日6時以降にもコーヒー1杯を淹れて2時間ほどで飲み切ったが、9時50分台になってようやく便意が強まってトイレに入った。小サイズ複数と長めの一本糞を出した。

12時台から1階にいる弟に母親が干渉して料理に関する話が始まったものの、険悪な方向に進んでいった。母親は、6月の警察・特別支援学校教員らが訪問した日に男性教師2名が「男性だから料理の仕方がおかしい」とか、「あの人たちは社会でお金がもらえない人」といった発言をしていたが、細かいことを指摘するのも億劫である。ほか、弟が「お前は昭和の人間で時代が違う・今は民主主義で自由・お前は共産主義者だ」という発言をしていた。彼がその意味を理解しているかはともかく、実際に母親が古い常識に囚われている点や、母親はニワカ共産党員であったり、しかも強権的な人間であることは事実である。過去記事・メモに仔細を任す。特別支援学校教員の男性2名への罵倒以外にも、自分以外の医療従事者が間違った人間だとかという趣旨の発言もしていた。自他といった対立概念を善悪で完全に分離してしまう母親は恐ろしい。母親の一言一句が誇張にしても、弟の「母親は戦争の原因だ」という指摘もまた正当である。弟のキレっぽいところは大概にすべきだが。弟の暴力(母への脅迫・絵レプリカ額縁への攻撃)が始まって少し落ち着いたときに母親が「先生や友達を蹴るのはいい・学校の絵を蹴っ飛ばすのはいい・うちでいい子で外で悪い子にしなさい」という、三毒所産の極論中の極論を弄していた。都合に合わせて凄まじい戯言を垂れる発想は天魔というほかない。自他・内外・善悪・利害が分断しまくっている。二分思考・二項対立論は、やはり三毒が産み出すものと仏教徒は俗人の振る舞いから学び取る必要がある。いつまでも変わりない母親の畜生・修羅・地獄の生きざまは須らく反面教師とすべきである。醜悪なる母親の言動に、世間での「人格者・勝利者」などと誰も感じるはずはない。

13時10分台からも中サイズ1・2本程度と長いものを出した。14時40分台からも主に中サイズのものを多く出した。今回は「軟らかくも排便しづらいタイプ」のものである。17時前からも中サイズ複数本を出した。



2016/10/16

本日はまず0時20分台に目覚めた。母親が1階でテレビを見ている。前日は21時前に就寝したため、睡眠時間を短くなろうに、母親が私の睡眠の質を下げてくるし、二度寝に分けると寝過ごしかねない。耳栓を着けて再度眠りについてから実際には2:50の第四アラームで意識がはっきりしたため、2時53分にはすくっと起床できた。

本日は10時台に弟が外出し、母親もいつからか外出をした様子である。15時30分台に弟が帰宅して風呂に入り始め、母親は15時50分前に帰宅したが、どうにも弟の施錠を解いたようである。長年存在が不明だった玄関ドアの鍵を、いつの間にか発見したか、新調したか、といったように考える。18時55分、自室のPCに向き合う側の窓に母親がアレを施した5月以来、久々にその窓から月が見えた。それも満月である。本日10月16日の夜は綺麗な満月である。先月などは不安定な天候であったし、満月であっても無くても見えはしないはずである。なお、この窓から見えた月を写した写真は2015年の9月2728日両メモを参照されたい。



2016/10/17

本日は2:10の第一アラームが鳴る前から漸次意識がついた、という認識であり、そのアラームが鳴る直前につぶやいた一言を覚えるようにしていたが、この日記メモを書いている時点では失念した。2:40の第三アラーム以後の2時42分に起床した。

14時57分に母が発車したが、その手前に家のそばでアイドリングを続けている母親から電話がかかった。弟がいついつに帰ってくるからそれまでにリビング・階段などの掃き掃除を行えという指示であった。ほか、16時過ぎに雨降りがあって母親から弟の洗濯物を取り込むよう電話が入った。18時前に母親が帰宅した。またも私を呼んでリビングの窓が開いているか確認する指示があった。これは事前に確認済みである私が、今すぐ開ける旨を伝えた。いずれも素直に実行した。母親はその後、私の行動におけるいくつかの点について不満をを漏らしていた。

他人のために動くなど無意味である。他人の言うことは聞いてその通りに行動する。しかし、他人の利益のためではなく、自身の心を清らかにする修行として素直に行っている。もし他人も自分と同じくらいに高尚な人間であれば、その人のために動く、という意思を伴ってもよい。なぜならば、相手も同じような意思で行動して相互利益となるからである。そうでない他人などのために利他の意思を持てば、かえって相手の逆撫でするような言動に失望して憎悪を起こす。一方的な愛情で金銭を貢ぐ人間の悲劇は御存知であろう。他人の言うことは聞いても、他人のためと思わない方が素直な行動に終えられる。要するに、他人に使われた姿勢ではなく、自ら仏法の利益を求めた動機である。これが仏教である。仏教だ!!!こういった経験を通して母親は人間のクズであると何度も実感する。相手がクズでも相手への思いやりで行動できるという菩薩には成りづらい。母親の注文以上の行動も行わないが、仮にも私は、リビングの窓の鍵の件など言われる前から確認済みであったように、母親を思いやっている。小乗仏教の修行者にも成れない。

18時30分過ぎにヤマト男性配達員(Nか?)が来た際、いつも通り(逐一記録しない)母親は弟を呼び出して応答させた。届いた品物について母親は、頼んだ覚えがないと言いつつ、箱を開けてから「猫のウンチが多いから猫を殺す・・・、殺すんじゃないや追い払う、自分で頼んだことを思い出せなかった」といった独り言をごちゃごちゃと始めた。弟も無言である。品物は、いつもの猫忌避剤・消臭剤(3月17日メモ)である。あの忌々しいイラストの商品であろう。いちいち独り言を始めてみたり、数分後にも「忘れていた、思い出せるわけないよ」といった独り言を復活する様子であった。18時43分に別の食品を手渡しで受け取る際、母親に不手際があったので一言を挟んでみると、同じような内容をオウム返ししてきた。爪を立てられた。それ以上に論駁すると私が仏教的に負けであるから忍従に徹した。直後の母親は気を紛らわそうとテレビを付け始めた。



2016/10/18

本日は2:10の第一アラームに目覚め、布団と戯れてから2時37分に起床した。5時台、本日は風呂(シャワシャン)を行わないつもりでいるため、下剤1錠を飲んだ。軽はずみかもしれない。飲んで1時間以内に軽度の腹痛が発生した。11時前からコーヒーを飲み、下剤との相乗効果で11時20分以降に30分程度は強めの腹痛に襲われた。それだけで止んだ。13時台に一本糞を出した。14時40分台に軟便を出した。



2016/10/19


本日は4種アラームのうち3つほどは聴いて止めた記憶があるが、いずれもすぐに起床せず、気づけば3時9分の時刻を確認したため、ここで即座に起床した。3時20分台、数日来の予定であるゴミ出しを行うついでに少額の自販機通いも行おうと外出した。自販機では目的の160円の品物は釣銭の都合が悪そうに見え、時間を掛けずに110円の品物1つを買うに留めた。別の料理の途中であるから、終始急いだ。なお、空には真上の南寄りにオリオン座、西南西寄りに欠けつつある月が見えた。4時10分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時前に自室へ帰った。この風呂(シャワシャン)の折、右膝に大きめの痣を確認した。この生活では稀のことであり、恐らく前日にぶつけた経緯に原因があろう。

9時30分前、母親から外出の話を聞き、洗濯物の処理について指示があった。以前の2度(12日・14日)と同じく20時ころに帰るという。9時40分に母が発車した。9時台前半から家の周囲で何らかの工事が始まっていたが、11時にE2邸敷地内に重機などを確認した。14時台は家の前の通りでトラックなり重機なりが物凄い騒音で動作し続けた。E2邸とK邸の敷地の境界に広く溝が掘られた様子である。その場所に、フェンス・柵・塀の類を築くであろう。

14時47分、保健所・○○××課のS(いつもの女性)から電話が入り、10月31日14時に例の通りSとUの2名が訪問する予定を聞いた。簡潔に終了する通話であった。



2016/10/20

本日2:10の第一アラームに目覚め、2:24の第二アラームを経て2時31分に起床した。11時44分に母親から電話が入り、1階の一定の範囲の髪の毛の掃除を支持された。本日、母はまだ1階に降りていないはずであるからこの電話に奇怪な印象を覚えたが、弟の外出前に弟の質問に応じて1階で歯磨き粉を取り出す様子があったため、この際に確認した可能性は考えられる(合理的な擁護をしてあげる場合の話)。電話の途中で母親が頻繁に掃除機をかける(周期的な気まぐれで全然行わない時期もある)行為の理由を尋ねた。絨毯のホコリが主な要因であるという。ともかく、別の作業を済ませた2分後に掃除を行った。仏教徒を自負する私は、頼まれたらば相手の心情を推量しつつ、肯定的に受け取り、掃除であれば綺麗にして喜ばせるとまで言わずとも、可能な限り綺麗にする心掛けが必要であろう。私にとり、本心から相手を思いやるとか同調するということは難しい。しかし、この発想を持つことができるので、徳が養われている証である。知的なボクちゃんが、本心からそう行動できるとき、己の不満を起こさず、掃除の結果もおよそ満足できるものと、自然になろう。これですら観念的理想論かもしれないが。あの母親が相手である場合は特に・・・。



2016/10/21

本日は3時3分に起床した。3時12分に下剤1錠を飲んだ。下剤の効果を感じられないまま、前日からの予定である仮眠の実行のため、8時10分ころから押入れに就き、9時14分に起き上がった。先週の金曜日と同じように弟の登校直後である7時30分台には1階リビングに居始め、この時は7時50分まで続いた。その母親は10時40分に家を出て間もなく発車した。先週金曜日と同じような動向となっている。今週水曜日と先週水曜日の両者の間も発車した時刻が近い。

12時台からインスタントコーヒー1杯分のカフェインが私の体に取り込まれた。先の下剤1錠と合わせて漸次腹の違和感が強まり、痛みを伴って動きづらくなる。15時17分から、下剤1錠とインスタントコーヒー1杯分の効果の便意で、トイレに入り、主に長めのモノを複数本出した。



2016/10/22

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2:50の第四アラームの直後に起床した。前日の私は20時前にPCを終了したが、その後は音楽を聴きながら独り言をしたり、21時前から起き上がって絵を描くこともあった。そのような中、21時20分に母親が帰宅した。何らかの買い物をしていたが、弟や私の動きが気に障ったらしく、かなりの動揺と怒りを伴って弟に愚痴を続けた。弟が2階に戻ってからもグチグチ小言を続けるなど、疲れがかえって気を乱しているようで、有り余った力を最大限に業を煮やす母であった。私の憐憫の言葉も怒りの声と歪曲して受け取られた。元々認識が歪んでいる者とはいえ、今回は自他の精神を破壊しようとする悪魔の性質が強すぎる。母親がしばらく2階にいる間、弟が巨大な物音を立てることもあった。また22時ころ、母親が再度1階に降りるとテレビを付け始め、音量を大きくしていた。母の心は自他を苦しめるものと、気づきもしていない。私は耳栓を着ければ何ともない。私はいつも他人への思いやり、同情の精神でもってこう書いている。ああいう人間は、そういった心の理解さえもできはしない。自他に苦しみを作りたがる四悪道の人生である。

排便に関する記録の記述を消失した。4時台だったか、前日の下剤の残余と本日のヨーグルトの効果による軟便がそこそこ出た。ヨーグルトは時間経過の乳酸菌の作用よりも、その知識による条件反射的な短時間での作用の方にこそ便意の期待がかかるという話もある。本年5月12日メモにも似たような話が綴られている。

午後以降は、弟が2時間ほど漫然と1階リビングでテレビを見ていたり、16時台に母親と弟の争いがあったり、18時ころから変な声で母親を恨む独り言を続けながら弟が一人で取る夕食の準備を行う様子があった。元々慢性鼻炎のような弟が、常に酷い鼻声と酷い鼻すすりなどを続けていた。前日の弟は朝4時台からスパゲティの調理をしていた中で鼻炎を理由に学校を休もうとしていたこともあった。過去記事には『過去記事に「(2015年)2月のいつより (中略) さながら豚の啜り泣き」とあるほか、7月29日メモには夏風邪と生活習慣についても記録している。」』と書いた。なんだそれ。すすりなき。すする。すすって。豚みたいに。へぇそう。啜るって。

19時38分に私を狂わせる悪魔が私を狂わせた直後に2階へ上がった。やはり悪魔でしかない。私に色々と言わせて卑しい人間に仕立て上げる邪魔邪鬼がそこら中を跋扈している。私に悪の三業を生ませるだけ生ませている。それを生まないよう禅定・精進しているというのに。そうさ所詮は独り言だが背徳感や罪悪感を誰よりも感じる。真摯な修行者だから当然である。もちろん適当な理解によって水に流すスキルもある。私の徳はかなり高い。また、仏教徒なので当然、今までに弟のそういった豚声・豚音を聴いて今の病気と今までの人生への憐憫・同情という慈悲は持てるが、豚声・豚音を長時間、私のいる部屋のふすまを隔てたそばの空間で垂れ流すことは別問題である。



2016/10/23

本日はまず1時50分台に目覚めたが、1階に誰かがいてテレビをつけたまま電子レンジを操作していた。4種アラームを全てOFFにしてから眠りにつくと3:59の別件のアラームが鳴った際に目覚めた。これは急いだほうがよいため、即座に起床した。この間も1階か2階で足音が聴こえ、数分後には2階トイレの流される音が聴こえた。一連の動きは、前日の夕食を一人で取った弟の経緯から、深夜の時間を1階で好き勝手に過ごす母親ではないかと考えてよい。逆に、母親が夕食を過ごすと弟が深夜の時間に1階を占めることが多く、そのために想像が付きやすい。ところで、前日の就寝時は尿意を多少残した状態であったが、この尿意によってもしもの事態でも眠りすぎずに済む可能性を期したが、結局はこうして二度寝が2時間に渡った。本日最初の排尿も6時30分過ぎであり、残した尿意がなんであろうかと思う。



2016/10/24


本日は2時44分に起床した。前日の就寝時にも尿意を残しておいたが、これは前々日の就寝時より強めのものである。4時半前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時14分に自室へ帰った。5日前の風呂(シャワシャン)以来に右膝の痣を見る。少し引いた程度であり、黄色系への変色も見られた。

13時30分、母親が私に15時ころの洗濯物の取り込みを指示してから「散歩」と称する外出を始め、14時20分ころに一旦家に戻ってからは水撒きをしてから買出しに発車した。本日の風呂(シャワシャン)に当たっては午後以降に晴れる可能性を期していたが、母親の発車までには日光が感じられてきた。17時過ぎに母親が帰宅した。



2016/10/25


本日は2:10の第一アラームに目覚め、2時37分に起床した。9時台、PCのアダプターのコードなどが集まった空間にクモの巣を確認した。全長5mm程度の子グモが作ったようである。今月上旬から確認されている、自室の窓の外に張られた立体的で複雑な巣(綺麗な網目ではない)を営む中サイズのクモの子が、その窓の網戸を介して部屋に闖入し、ここに巣を作ったものと思われる。倶巣の特徴がそっくりで、糸も細い印象があり、同種のクモの子グモと見て問題ない。思わず、一定範囲をティッシュに取り上げて観察した。脱皮した後の皮も確認できた。営巣は前日か本日のどちらかと見るが、その間に脱皮もあったというのか。このクモは私に指を近付けられても避けてティッシュの上を逃げ回る。子グモやコバエなどは、指先の熱気など目に見えないモノに敏感だと思われる。部屋の中に放してもどうせ獲物は無かろうし、網戸から逃がしてもまた闖入が起こりそうなため、6月19日のクモと同じよう、玄関から外に逃がしてやろうとも思ったが、色々と悪い考えを起こすため、やむなく殺めておいた。

9時51分に母が何らかの用事で発車した。12時23分に車が家に着いて10分程度は母が車内から出なかった。18時13分、俄かにPCのネットアクセス障害・接続不良が発生した。5分以内に母親が1階に降りてきたので、母親の部屋に上がって無線LANルーターだかモデムだかをいじり、部屋のPCを確認するとすぐに復活していた。



2016/10/26

ガムテープ 髪の毛 髪
1年前の10月17日にも化学繊維のガムテープによる髪の毛掃除の写真を撮った

本日は3時0分、開いたままの携帯電話で時刻確認をした直後に起床した。それまでに4種アラームの一つでも聴いた記憶がない。しかし、携帯電話が開いたままということは、4種アラームの一つでも聴いたはずである。ただ、この3時0分までは意識があったという記憶がある。

9時34分、外出前の母親に話しかけられ、(午後)2時か3時に洗濯物を取り込むよう、前回26日と同じ指示が出た。母親の発車から数分以内に洗濯や掃除を行う発想をしたので行動を始めた。2階バルコニーの様子見や洗濯するものの確認などを行った。1度目の洗濯として長年畳んだままの布団を覆っている茶色の毛布を選んだ。畳んだままの布団に掛けた敷布団カバーも洗おうか考えるが、毛布を洗濯に出す前に、この毛布と敷布団カバーに付着した髪の毛を部屋で落とし、別の場所で毛布をはたいた。部屋に落ちている髪の毛は1階リビングにある紙製ガムテープ(度々場所が変わる)でまとめる。最初の1切れでもすさまじい量(延長メートル換算)の髪の毛が取れた。ガムテープ4切れを使った時点の写真を撮った。敷布団カバーの上に置いている。2回目の洗濯として敷布団カバーと夏場のセット部屋着(衣替えを想定)を洗った。

前日の就寝時に下剤1錠、本日の7時以降に分量の異なるコーヒー2杯を飲んだが、便意は微妙なままである。コーヒー2杯のうち1杯は掃除をしている中に飲み干した。11時過ぎには強い立ちくらみが発生し、手の先は一瞬の間、血の気が引く感覚も発生した。12時20分から風呂(シャワシャン)を始め、13時0分に自室へ戻った。その後もコーヒー1杯分を飲んだ。14時30分台、多少の便意がようやく形となったのでトイレに入り、長い一本糞をひり出した。これまでに幾度と2階バルコニーの出入りを行い、適宜、洗濯物の出し入れをしたが、15時10分台に残る敷布団カバーとセット部屋着を取り込んだ。今まで私の頭髪を焼き付けるような日照りはすでに隠れてしまい、晴れ間が点々と見える程度の空模様に変わっていた。なお、本日1度目の干し出し作業が10時台であり、この時に見られた大きめのクモの死骸と周りの水分は枯渇した。ハエや大きい虫や鳥がこのクモの死骸に気付いて食べたことは無いが、いずれは食べられる運命ではないかと思う。



2016/10/27

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経た2時23分に起床した。前日は21時台後半になっても寝付けていなかったが、なぜ本日はまともな目覚め方であろうか、結局はそういった簡単な要因・反発の要因を並べても足し算・引き算のように単純な結果に事実がなるわけではないと、常々実感する。また、普通の努力をした日に努力通りの報いなどは、そう得られるものでないともわかる。努力とは、不条理の報いばかり起きるならば、不条理を無視できるほど強い精神で挑まないと努力による望ましい報いはそう得られないことになるので、その傾向自体が不条理である。



2016/10/28

本日も2:10の第一アラームなどに目覚めたはずであるが、実際の起床は、おそらく3:59のアラームに影響されたであろう4時3分である。前日は色々と目などを労する作業を続けたため、この悪影響かと思われる。多少、悪影響を想像できていた前日だが、4時を過ぎて起床することは稀であるから驚くしかない。

10時38分、先週の金曜日と同じような時刻に母親が発車した。毎朝4時に行う作業と3:59のアラームの関連性を調査していて過去の日記メモに少なくとも1度は記録したはずの記述が見当たらない。つくづく記録の日々を無駄・無意味・無意義に思う。当たり前である。「その記述を探す目的」という視点からすれば日記メモなど、無意味な存在であり、悪い執着の産物でしかない。人間の心である。物事の基準に色々あって当たり前である。私の感情を誰にも否定はできない。日記メモの存在は全否定しない。なぜならばその目的の視点・基準からそういうのみであるからである。



2016/10/29

本日も2:10の第一アラームに目覚め、2時18分に起きた。1階リビングにいる母親が付けているテレビの音がやたらと聴こえてくる。母親の独り言や物音は全く聴こえない。ふすまを僅かに開けることで、ただ絨毯の端にスリッパが置かれる様子を確認するのみで母親がいると判断できた。さしづめ帰宅後にアルコールを摂ったところか?前日の押入れ就寝(19時30分台)・半角カナ打ちメモを校正して載せる。「(10月28日)20時40分過ぎに母が帰宅したところで私は眠りから一度目覚めた。母親に呼び出された弟の言葉に対して『日本語がおかしい』と言い出した。同時に弟の怒りを嫌うように煩わしい言い方をもしたため、かえって弟が怒り出し、何らかの物体を投げつけて壊すような物音を立てた。その後の喧嘩の声から取るにハンドクリームの容器らしい」

2時47分、母親の独り言も物音も何もなく、疲労+アルコールによる睡眠の仮説を立てたので、改めて様子見をすると、ソファの上で毛布を掛けて寝ていた。1階リビングを豆電球の明るさにしてからリモコンでテレビを消した。1分後に「あれぇ?」などと言い出して起きたようである。軽い睡眠のつもりならば最初からどうにかできなかったものか。しばらく母親から物音が鳴り続け、3時3分に2回苦しくせき込み、3時5分に2階へ上がっていった。

10月23日にから気になり始めた左臀部・尻肉・ケツの痔は10月24日の風呂(シャワシャン)を機に膨張を始めた。本日においては手の平サイズに大きくなっている。痔瘻だか粉瘤だか名称は知らないが、この腫れは、今までの腫れと違って膿を出さないでいる。まるで圧し潰しても割れない風船のようである。今までの腫れの中でも大きかったものと共通する点は、一部分が窪んでいる点である。私の、痔を生まない座り方(擬似円座・蹲踞など踵への負担が強いもの)を行う日々にあってこのような異常事態は未曽有である。そういった座り方により、3日前などはかかとの痺れ・足首や膝関節の痛みなどが発生しやすかった。そんな左臀部を配慮して右半身の臀部や腰部に負担が強まると別に心配を感じる。その心配をよそに、寝そべったりする際に腰に負担がかかると、腫れの影響で腰の左側に腫れと同質の痛みが発生しだした。どこまで腫れが広がるものか憂えている。深刻に思ってはいない。ただ、この生活で普通に過ごしていて突然、自己より原因不明の異常が発生する不条理が嘆かわしい。

本日は2杯分のインスタントコーヒーを飲み、11時10分から便意のためトイレに入り、長めの一本糞と、恐らく中サイズのものも1つ排出した。14時7分からもトイレで中サイズのものを1つ排出した。排便において痔のような巨大な腫れの影響はほぼ無い。むしろこの痛みが便意に作用しているとさえ感じることもある。ところで、この痛みが内に外に広く影響を及ぼし続けるほど肥大化し、病院でないと改善が見込めないほど重度のものであるという危機感が強い。2015年1月23日23時に発生した口内の腫れ(2015年1月28日投稿のメモ帳記事)は破けることなく引いて行ったが、これも同様であると願いたい。象皮病・象皮症のようにはならないでほしく思う。左ももの付け根の方にも膨らみを感じられている。放置していると左脚の切断による治療が必要になりかねないほど進行してしまうかもしれない。そんな中で本日は動きの激しい映像を撮って動画投稿をした。



2016/10/30

本日も2:10の第一アラームに目覚めたと思うし、起床は2時16分である。5時54分から、それまで感じ続けていた便意のためトイレに入って長い一本糞をひり出した。6時14分から仮眠のため押入れに就いたが、仮眠としては珍しく実際の眠り始めから2時間ほど眠った8時30分になって目覚めた。以前も日記メモ(7/6, 7/22, 9/19などか)に綴った通り、仮眠では体を強く痛めやすいのだが、今回は痔の部分だけがズキズキと痛み、他はなぜか痛まないでいる不条理の結果となった。痔をいたわるつもりでもあったが、なぜであろうか。仏教的に生きねばならないし、それができない私は死ぬしかないと常に思う。

13時58分に母親からかけられた電話は今月半ばの小遣いを渡していない確認であった。私はもらえようともらえまいと構わない旨は常々日記メモに記し、母親にも機に応じて伝えるところであるが、同時に小遣いの受け取りを拒むこともない中道にある。母親が決めて母親の意思で続く方針を母親が守るかどうか、「親の心」で見守っているのみであるが、この時、次回からは月に2度に分けて1000円ずつ渡す方針を辞めて1度に2000円を渡す話をされた。14時41分には、明日10月31日14時の保健士2名の私への訪問に関して当事者から改めて電話を「この前(1週間以内のことらしい)」受けたという。そこで改めて私に明日の買出しで母が家を抜けるという話をされた。



2016/10/31

本日は1時台に一度目覚めたり、複数のアラームにも目覚めたはずであるが、起床は3時49分となってしまった。関係ないが、前日就寝時(20時以降)のメモを加筆して載せる。「自覚し得る範囲の病気に罹って日頃を顧みる。肉体の健康のことは論じるまでもない。のくしゃみや鼻すすりは不快であろうし、私の静かに蝕む痔よりも自身の苦しみが少なくして他人への害が多い。タバコの副流煙や公害のようなものと言いたい。苦しみの比較(自他であってもなくても)は小学校の高学年や中学生の時に当たり前の発想だったが、今や他人の苦しみは苦しみで同情・シンパシーを持てる(22日メモの豚云々に同じ)。苦しみの程度は問題ではない。苦しみを比較する発想もない(文章の便宜上は先に比較を行ったが発想としては文章のための思考の中に初めて生じた)。私が彼らの苦しそうな様子(実際の苦しみの自覚はともかく)を哀れむのみである。この痔により、普段の他人の病気に関連する不快感について悔恨と慚愧を覚える。また信仰心を再確認する。病によりて道心は起こり候なり、というような言葉を思う」

保健士訪問に関する思考のメモ「もし話が毎度に渡って同様であり、議論が平行線のままならば、訪問を断ってもよい。相手にまず聞く必要と尋ねる必要があると仮定した上で私の話す必要も生じているが、話す必要性が減るならば相手も聞く必要性を失ってゆく。彼らも人間であって感情を持つため、そういう時には受け入れる可能性はある。また、彼らは業務・公務として私などを対象とした無料の家宅訪問を行っているが、あくまでも業務・公務であるならば彼らの意思に適わない。人権を鑑みるべき行政であるから、人権尊重の一環で私などを対象とした訪問を行う。私としても最近の痔など不意に発生する問題、有事の際、誰かに話ができると良い一面はあろう。しかし、基本的に対価を得ない慈善団体やボランティアの活動とは異なるので、彼らの事情に符合しない。こういった観点で、今回ないし数回以内には彼らの訪問を断る可能性もある。」

前日の就寝前に下剤1錠を飲み、本日の8時以降にコーヒー1杯を淹れたが、10時前から便意のためトイレに入った。中・長サイズの複数本を出した。本日は8時台後半から水道工事の車両が出入りしたり、一部の路面のアスファルトがはがされたり、側溝のアレも外されるほど激しい作業を行っているが、12時46分から母親が発車した。その直前から風呂(シャワシャン)の準備を始めた。5日も入らずに保健士の訪問を迎えようとは、自覚した最初こそは問題でなかったが、痔を見せる可能性を思うと排便複数回の事実を鑑みて消臭すべく思い立った経緯がある。13時30分に自室へ帰り、さほど急がずに身支度などを行った。

14時の直前に保健士2名が訪問した。痔(のような何か=腫れ)の話をする経緯もあったので、見せることとなった。Sさんが患部を触ったり圧したりした。2012年7月の火傷・病院の時と同様に見せる必要に応じて拒まずに見せるし、勃起もしない。40分程度で2名が帰った。15時以降、かねて考えていた坐薬の使用を狙って母親の部屋に上がった。坐薬は見つからなかったが、痔のための塗り薬・軟膏「ボラギノールA」があったのでティッシュに押し出して患部に塗布(貼付)した。ティッシュを付けたままパンツを穿いた。16時前に母親が帰宅した。18時前、自販機通いのために外出した。明日の夜中では雨降りが懸念されるため、このような早めの行動を選んだ。

当記事注: 彼らの訪問の受け入れは、「脱・社会」の私による、「順・社会」の反面を備えた「中道」の理念を保つ目的もある。彼らの訪問においても、こういった仏教的な物事の見方に基づく側面は強い。脱・順の話は11月中旬に当メモ帳記事として投稿される。