2015年8月3日月曜日

Google+ 2015年7月中の日記メモ等

日記メモのまとめ記事では文言に関連するリンクを挿入しているが、日記メモを投稿するフォームの単純なテキスト編集上ではもちろんリンク挿入は不可能であるし、関連する文言の脇にURLなど載せては文字数が膨れ上がってしまう。
そのため、今までは特に注釈も付けず、記事にまとめる過程で鋭く該当する文言に関連リンクを付てゆく、挑戦的な手法を執っていた。
だが、やはりこれでは書いている最中の構想などを、当日ないし数日ないし一週間ないし数週間という後先のまとめでは記事注釈もリンク付加も半ば叶わなくなるし、まとめ記事にあってはならない不十分さを残しかねない。
その為、7月23日から日記メモ上で半角アスタリスク"*"を当該文言の右脇に添えることとした。
記事エディタ上にまとめた後、リンク付加漏れがあっても[F3]や[Ctrl+F]によるページ内検索で半角アスタリスクを探せば全て拾い上げられる。

メモ記入日(画像付きの日は斜め太字)

1 2 3 5 6 7 10 12 15 17 19 20 22 23 24 26 28 29 31
・・・本当は、各メモにdiv id属性とか付けて、対応するリンクを上の数字に付けたいんだけれど、どうも疲れそうな作業になるから、思案中・保留中かな。



2015/07/01


未だ異性など特定の「色(しき)」について、その欲望、とまで言わずとも羨望が残り続けているのだろう。昨日にしても今日にしても画面越しであれ窓越しであれ、その姿を目に焼き付け、内心でハラハラしている。何か形として人物を捉えるにも三段階があり、次元の隔たりが分明のことと思う。

一つ目の段階が、頭・脳内に想像されるのみの状態で、「想」と名付ける。二つ目は視覚的に捉えられたその人を更に思う状態で、「受想」と名付ける。三つ目はその人もまた自分を視覚的に捉えながら意識し、言わば相互で「受想」している状態で、「受想被受想」と名付け、この時にその相手が自分の憧れる人などであれば、刹那的でも多幸感が起こる。この第三次において、長い時間経験がない私、それは須臾のことか、はたまた阿僧祇劫なるか。思えばそれは、世の時にして未だ5年以内のことであった。

それはそうと、第一・二次であれば、リアルの人間にあらずとも、想のキャラクターの受想が叶うように絵として表している。やはりまあ高次の「想」を得たいものだろう。ましてや自身の死後に他へ残せる者も多くいる。だが、それでさえ世間の浅いことで、一切は皆「空」である。私以上に学問を究めた者達であろうと、その言葉で十二分に踏まえた真理も心肝に染めがたい。なので私にも、証得が甚だ困難な境地だと言える。



2015/07/02



最近起床した時間は、6月29日月曜日が朝9時で、30日は7時半、7月1日は11時頃、本日7月2日は10時直前である。29日朝に風呂へ入ることを半ば諦めつつ母親が買出し帰宅&弟の学校帰宅までの時間に済まそうと思ったが、母親が買出しに出た時間が16時半であったためその日を断念し、翌日朝に託した。結果30日は7時半に起きてささっと済ませた。7月1日はノーコメント。

本日7月2日は、後日投稿予定記事にも載るように夜中3時過ぎにゴミ出しと自販機通いを済ませた。4時頃には寝ついて10時起きたら下剤1錠を服する計画があったため時間通り目を覚ました。携帯アラームが指針であったけれど、その僅か数十秒以内に意識が夢の感覚から理性に向き始めて、夢見の中で「もう起きよう」と思った矢先にアラームが鳴り始めた。そうして目覚めてからもう一度10時20分に鳴る予定のアラームを止めて、起き上がると予定通り下剤1錠を服し、また横になって12時過ぎに再度起きた。

15時24分、お隣さん花鳥園・中庭がなんとも麗しく(皮肉を含む・後述)、七夕も近いので、我が家のトイレ窓の一番手前に位置する笹の葉の写真を撮った(上掲画像)。6月28日に撮った前の写真は、レースの布地が主役で窓の外がぼやけても気にしない写りにした。

今回は網戸さえ開けて思い切り笹を撮ったが、当然虫への注意も払った。取り終えた直後には、案の定ふわふわと蚊が近寄ってきたため即座に網戸を閉じると、どうしても入ってきたいらしく、網にごつごつ当たってくる。閉める際に押しつぶされなかったことを私に感謝して、他人の血を味わいながら生きてもらいたい。ちなみに本日木曜日としての買い出しに出た時間は17時半のことである。



2015/07/03


昨日7月2日の日記メモの最後では、蚊について一言触れた。数日ほど前にもこの部屋で一度蚊が現れたが、スプレー攻撃後どこかに撃沈した様子が見られた。

本日7月3日は18時半に一度蚊が私の左手小指に止まっていたようで、謎のそわそわ感の後にその箇所から離れるものを感じたときには「やられた!」という気を起こし、上昇しゆく影を目で追うだけだった。しばらく、料理をしながら蚊の止まっていた箇所を気にしつつ、「目だった変化は感じない、気にしすぎると本当に腫れるかもしれないが」と思いながら、あの蚊は私を刺していない可能性が強まっていった。

再度その蚊を目にしたのが既にラーメンを食べ始めている19時前のことで、調理器側の壁にくっついており、私が座っている場所から目一杯姿勢を崩して手を伸ばせば届く距離であった。左手に殺虫スプレー、右手にティッシュを携え、そ~っと接近して右手を伸ばすと、先ほどの「ふわふわ」とは速度を異にして飛翔した。スプレーは適当な場所に置いてすぐ行方を追うと、立ち上がった私の胸の高さほどを腕の伸びる範囲内の位置で飛んでいたため、ティッシュを左手に移し(右手から放り捨てた?)右腕を伸ばして拳を握って念入りに指で擦ると、薬指のあたりで軽く潰れていたが、少しも血の色が見られず、やはり吸わない刺さない蚊であった。私にくっついたが運のツキであろうと思うほどに、運命が憎らしく、蚊を哀れむ。

なお、近頃インスタントラーメンは、麺を半分に分けてから調理し、それが一度に食べる量となっており、スープも適宜減らしたり、あるいは一度目にスープを3分の2~4分の3使ったら次回がその残りとインスタント味噌汁でスープを作るなど、色々一口で言えるものでない。このような工夫は、私の食が細くなったことに加え、肉・野菜の消費量は従来どおりを維持するためにも行われている。誰しも健康的と思わないインスタントラーメンだが、具くらいは以前より減らさずに食べたいという私がこのような工夫を始めている。

もちろん、腐らせたとか腐る前にとか調理しても多いとかで食べずに捨てるなど行うことはない。他人を思うとき、中学生になっても食いたい物はいくらでもおかわりして、嫌なら手を付けず残すという都合が良くて甘ったれた不逞の輩は多くいる。スポーツが出来ようが、みな一様に精魂の曲がった愚か者である。私はそれを目の当たりにして一言たりとも責めることもできず、彼らに友好関係のある者達も無視、否そもそも気にかけもしないのだろう。食事中に「それはいつ食うのだろうか」と私をハラハラさせながら、次々と肉類などは食べていき、ついぞ野菜などは食べきってもらえないようだ。どのような情操教育をもって改心させられようか。

この文章をここまで書き終わる頃に、目の前を小バエが過ぎった。私はよほどの強い風雨・天気の怪しさ・外の悪臭を感じない限り終日窓を開けて空気を取り込んでいる。料理の臭いだとかを逃がす考えもある。虫は苦手でも虫の侵入のリスクを鑑みずに行うほど、空気には神経質になっている。だが、小バエなどが料理の臭いに釣られて誘われるとも思わない。

当記事注: 何となく「中学生の食い物残し」に関連した記憶を引っ張り出してきた。中1はじめのイベントで話しかけてきた某女子生徒とは2年生になっても同じクラスであったが、ある時の席替えで同じ班となった。この人はやたら給食にケチをつける人で、その内容は聞くに堪えないものだ。ご飯を「ガスっぽい」とか、仮に同じこと思うにしても誰もが口に出さないようにしていることを周囲に漏らしている。関係ないことを持ち出すが、この人の外見は仲の良い男子生徒にいみじくも「髪が焼きそばじゃん」、「中国人みたいな顔」と言われるようなものだった。女子15人超クラスの背の順なら、前より数えて4人目くらい。



2015/07/05


近頃、目の充血が顕著に感じている。起床時に起こる・感じるタイプではなく、半日ほど起き続けて発現するタイプが多いが、別にPCの長時間使用が大きい原因だとは思わない。長年同じような生活を続けてきて、最近に妙な傾向が出たからであり、また長年続けた祟りが今に表出したとも考え難い。

本日7月5日に日付の変わった頃より、充血に伴う痛みが発生してきた。私の充血といえば、右目の外側が主要であるものの、本日は左目の内側が炎症を起こしているようであった。断続的に処置を行ってみたが、さしたる改善は見られず。私の充血は先述の通り、半日以上起きたあたりでその状態がはっきりしてくるが、同日2時頃の場合は10時間経つくらいの時間であった。長時間の起き続けている状態と充血の関連性について少々調べてみたが、「長時間」のキーワードはPC使用に関連付けられていて、単純な覚醒時間に当てられたものでない。6月30日の日記メモや2月18日の某所投稿に代表される、身近な医学について私の疑問解決に適ったサイトには、得てして巡りがたい。

4時半より料理を始め、食べ終わったのが5時20分頃である。気付いた時には充血の違和感も弱まって、5時半を回ってから鏡を見ると、件の箇所は見た目的にも和らいでいた。実はこの食事があるまで水分補給はしていても、6時間以上食べていなかった。6時間程度でどれほど飢えるかは個体差があり、同じ個人であっても最後の食事による満腹度などの状況次第で左右されるが、ここでは実際に飢え気味であるとする。

「飢えと充血」の関連性も定かでないが、表現が変わるとイメージしやすくなる。「飢えで血眼」、これはその様子を思い描きやすい。「飢えと充血」ではその様子をイメージしづらくとも、イメージできてしまえば「血眼」という単語が連想される。こうした誰かの苦慮により、後の多くの人が正しいイメージに近づくことができる。

なお、和らいだ充血については、必ずしもこの後すぐにぶり返さないとみなせるものではない為、目をいたわりたい。原因についても心残りで、先の所見のみをもって未だ断定できるものではなく、最近の生活の中に別に潜んでいるのかもしれない。

当記事注: 「身近な医学について私の疑問解決に適ったサイトには、得てして巡りがたい」とした箇所で、本メモ以前の投稿にその心情の根底となった事象が触れられているものは、日記メモだと2015/05/132015/06/30などがある。



2015/07/06



7月5日23時44分、母親からの屋内電話に応答した。先に書くが、今回話題にする一件の影響で、7月6日~7日の投稿予定の下書き記事を0時過ぎに投稿することになった。その話題に戻るが、通話の用件は、週2度の買い物に先がけて毎度送っている、私の品書きメール(7月5日5時1分・同日15時18分)についての質問である。私が「最低限の情報で理解できよう」といつも母親を量っているのだが、要領を得た対応があったためしがないし、今回もそんな感じの野暮な通話の用件である。

ほとほと嫌気が差して、呆れた口調ながら鋭く指摘すると母親は、いつもの感情的で譲らない口調に色めき立ってきた。道理を立てられるほどに「減らず口だ(理解不能の本人語:ヘッタクレてんじゃないよ)」と反感を生ませてしまうらしい。私が理性で優る人間であれば、もっと愚かな母を譲歩するしかないのかもしれない。色々と双方の喋り方も自然と早口になり、最後は悩乱した母親が一方的に電話を切ってしまった。その場に居合わせて行う会話とは違い、一定距離おかれた通話は切られれば本当に終了してしまうが、まともな人間=私であれば、それが禍根を残しかねない不穏当なやり口だと気付けている。ただし、同じ家の中でされた通話であるから、義憤をして即座に通話を切断した無責任を問いにゆく。

1階廊下で2階に向かい非を責め立てる言葉を一声。続いて右の平手で自室外の壁を3回叩く。ついに母親がいう「暴力」を解禁した。思えば、先のメモ帳記事などその他2ヶ月超に渡り、諸々の会話でふすまを叩く等の「暴力」の一切を自重していた。この一声に母親の返事などはあるけれど、会話の形もなきがまま左手拳で階段付近の壁を一撃し、軽くへこませた。続く利き腕たる右側を思い切り拳を作って繰り出すと、それより強めにへこんだ。両手とも指の付け根の皮下で血が滲んで、出血までは至らない。

久々に衝動が抑えられなかったが、この電話が入る前の約40分に渡ってイライラしながら行う作業をしていたことも原因だ。創作的作業にはやや遠いアレは、数年来の私が徐々に遠ざかっているジャンルであるのに、未だこういった低俗なアレに囚われると、封印せし暴力性だに増長せしむるやうだ。

ともあれ、母親の理不尽な言動にも非が強い。私はまた罪悪感が生まれた。やってしまってからでは遅い。そして、こういった母親に期待を掛けた深謀遠慮がなんとも悉く裏切られているため、私ももう少し言葉をストレートにして伝える努力をする。自己の非もしっかり分析できるところは偉いとは思えないだろうか。愚かな人のレベルにこちらが親切に合わせる。



2015/07/07



7月の日記メモは7日の現時点で、4日以外毎日投稿していることになるが、日付上6日に投稿したものの話題の一件は5日23時で、まだ6日に日が変わる前のことだ。

本日7日付けの日記メモもまた、既に過ぎた前日のネタで恐縮であるが、6日20時頃にちょっとした菓子を焼いた。月曜日分の買い物は予めヨーグルトを頼んだが、今回買われた菓子の中に市販の某クッキーがある。これにそのヨーグルトを乗せて焼いたらおいしそうだと思いついた。よって、一枚のクッキー(小さく厚みがある)の上にヨーグルトを適量乗せて塗り広げる。

ヨーグルトもこんがりすることを期待しつつ、ヨーグルトの水分が多いと焼き加減に悪影響が出そうだ、と思った。焼く過程だが、受け皿(鉄板?)に件のクッキーを乗せ、当方のオーブントースターの上面のみ使用で加熱し、熱気が充満したら一旦止めて余熱をすること1分、再度2分ほど上面のみを加熱してまた余熱を見張ったが、取り出そうとするとき、裏面まで多少ヨーグルトの水分が浸透したらしく、崩れないよう工夫しながら取り出した(待てる場合は今回以上に余熱待ちをする)。

完成品は当初見込んだ「ヨーグルトさえこんがり」しているものとは当然異なり、やや落胆しながら一口すると、クッキーの縁(周囲)はややサクっとした食感があり、裏面も余熱で固まっていた。更に中腹までかじったとき、チーズケーキに似ていることに気付いた。ヨーグルトもベチョベチョでなく、生地と共にしっとり感を演出している。「プチレアチーズケーキ」とも言えよう。

この一枚のクッキーは、今までの思いつきクッキングの中では高く評価できる結果となった。上述の名称に合う形としては、例えば冷やして食べるのも面白そうだ。

今月分のまとめ記事には写真を載せる予定である。(写真の真っ白ヨーグルトに対比して黒い部分があるけれど、これは母所有の製品パッケージを見るに「製品中の黒い粒は~」と注意書きがされるよう、原料の外皮である)

当記事注: ヨーグルト部分をこんがりさせたい場合は、上に小麦粉か片栗粉等の澱粉質のものをかける・のせるをしてから焼くとよいかもしれない、という仮説がまとめ作業中に浮かんだ。



2015/07/10



本日7月10日は早朝より、長らく着ていない衣類の内2点を洗濯した。まず、中2の時に前の家で母遺留品を漁った際に着始めた、レディースのスキニージーンズだが、当時はややキツめに思った程度で、自転車を乗るなどに支障なく着られた。この母遺留品は、前の家の1階に母の部屋が二つあった内の物置っぽくなっている部屋に、本などが大量置かれているわけだが、クローゼットでこのジーンズを見つけた。中3以後に豊橋の家への小旅行に最大1週間を見据えて持ち運んだ衣類の内に含めてあるため、こちらで外出する際にも着たりはしたが、やはり身長の増加のためか自堕落な食生活のためか、窮屈さが増してきた。ボタンを留めるのも苦痛が強まって、ここ2年ほど滅多に着ることがなくなったが、最近の痩せ様を鑑みて久々に着てみたところ、案の定か仰天か、中2時代の装着感に還っていた。洗濯も1年ほどしていなかったので、今後のために洗うこととした。

続いて、中3の5~7月頃に豊橋宅の近所のイオン(なんじゃす)で購入した衣類数点の内の一つに白黒が細かく縦にストライプを描いた模様のジャケットがあるが、遠目には明るい灰色に見える。これの購入動機は、本来真っ白なスーツのようなものを求めていたところが当時あった。よって、同じ時に買ったズボンに、白で裾が短めの何とかパンツがある。理想としたヤクザ紛いのアレ等は売っているはずもなく、近いコレ等を選んだが、今でもお気に入りのタイトな黒いシャツもこの時に買われた。ヤクザ紛いファッションへの憧れは中2期に薄々あったけれど、この豊橋の家で上の弟の選んだ洋ゲー1作品(およびインターネットで見た同シリーズの別作品)から直接大いに触発された。

この2点を本日洗濯した、ということだが、その作業過程は詳述しないけれど、色々と複雑に行われたものであるとだけ言おう。粗方乾かした際にジーンズ下端のボロボロ感が気になったため、切っておいた。数年前からこんなものではあったが、今更行った。自然にほつれて切れるくらいがちょうどよいのかもしれないし、何だか自分の髪の毛切る行為と重なって、事後に何ともいえない心境。いわゆるダメージ系をこのジーンズに求めてはいない私であるが、こういったボロ加減の評価はいかがなものだろうか。

小4の時、そういった「膝とかが破けたズボン」という認識の下、はさみで自ら破いてみたことがあったが、「何か違う」と思って落胆した記憶がある。それから、はさみで破くやり方は不自然かつ誤りだと知って、そういったダメージ系への憧れを失せさせていたが、小6の時に合唱コンクール衣装統一(○川市内小5~6が参加で自分のクラスだけが衣装統一)のため拵えた白ポロシャツ・黒ズボンの後者は、中1の頃にスケートボードを乗った際に名誉の傷(着用厚手の手袋も犠牲に)を負ったが、見た目は似非ダメージ加工のようで恥ずかしかった。自ら縫合しても裁縫の技術が拙くて、穿いているうちにアララ、ということが何度も。でもまあ、ダメージファンは一度でもいいから、スケボーの転倒等による名誉の傷を負ってもらいたく思うね。

中1スケボー転倒の件は過去にも書いたはずだが、その記述は検索しても例の如く徒労に終わってヒットしない。念のためここに書くが、手袋やズボンに包まれた手も膝も皮をすりむいたし、あまつさえ陰嚢まで、という惨事であった。車がたまに通る坂道(一方通行)でやっており、転倒した10秒以内にも、坂を下ろうと車が接近する状況であった。2013年の踏切転倒事故は、一枚上を行く二次的事故の発生しやすさ(5秒以内に電車到達)である。そちらでも手袋が破けたが、他の服は目立った損傷や汚損が無かった。



2015/07/12


本日7月12日は、去る5月下旬の季節外れな酷暑のレベルと比肩する暑さとなった。6月の頭、梅雨に入る前から、3月並みの寒さのため、部屋でスウェットを着ても朝夜がやや寒いことはしばしばあった。今日は絶望感ある5月下旬の頃に長きを経てようやく並び立ったわけで、昼11時~17時半まで寝るにもかなり汗ばむ時間となった。午前中起きていてPCをやるにも、少しの間に額が汗で潤ってくる。一度起きた夕方にコンパクト体組成計で測るとスウェット着用時としては最低の "46.30kg"が表示され、エアコン付けぬがままの生活に脱水症状も顕著であると見てよい。

休日では洗濯・天日干しなどがしづらい当方の事情があり、また明日からしばらくこの陽気にも恵まれないものだと思うと、来たる時のベランダには巨大な虫等を恐れて憂慮ばかり。寝具の洗濯はまた遠まわしとなり、今日・明日は衣替えを中心に吟味することとなる。押し入れ下段にはタンス(チェスト)があり、その最上段には小5(小6?)の時から所持している部屋着・寝巻き用の上下セットが収納される。購入時の身長・体重には長袖として適正なサイズであり、"150cm"と思いきや、"M"と書いてあるのみ。バスト79~87cmという表示があるが、何にせよ今でもさほど窮屈な感じはなく着られ、これを着て撮った写真は中3・当地の自室にて全身を写したものと、2012年6月28日に撮った2枚の計3点しかない。

これを着るに問題あらば、時期的な経緯も含めて母親に次回木曜日の買い物で新しい夏物の部屋着を買うように頼む必要が出てくる。高学年から20歳まで同じ服を着続ける人は、なかなか見つからないと思う。それはともかく、他にも買う際に数点添える事項があるだろう。

一に長袖であること。既に「私の相談なく母親の独断で買われた」半袖の衣類がいくつもあり、タンスの肥やしとなっていて、仮に母親や下の弟に渡そうとも、各々が別々の意味で着られる代物ではないが、前者ならせめて「私(母)が着たくないものは○○(息子の私)も着ないだろう」という気持ちから、独断で買うにもしっかり品定めをしてもらいたい。

二に繊維は化学繊維、中でもポリエステルが好ましいこと。部屋で着る際に着やすさ・着心地だとか機動性であるとかは肝要であり、前がボタンで開閉されない服は綿の場合、新品は腕を通しづらいことが多く、このスウェットも最初そうだった。ポリエステルは他にも丈夫・万能であって、件の部屋着もポリエステルが主体で織られる。綿などはファッション、だけど7月10日の日記メモに触れたお気に入りの黒いシャツも、綿とポリエステルが半々なんだよね。三にカラーであるとか、その他の指定。

結局、私が小5から今まで捨てずに留めているこの部屋着自体が長袖であり、長袖を求める気持ちは今でも変わらない。中3となった下の弟が今でも上半身裸で過ごすこととは気持ちが異質なのに、その心を知り難い母親には、言葉で言うしかないが、それでも伝わらないことが多い。メールでの要望は、もちろん当メモのような長文でなく、要点のみの簡潔なものとするが、寧ろこの方が平易で要旨のみは堅実に伝わろう。

最後に、今着ているスウェットと合わせて一点書くが、やはり夏場には件のポリエステル的なものが合うだろう。通気性は言うまでもない。冬物のスウェットを常時着続けて、綿の生地を汗や湿気でくたくたにして、いざ再び冬を迎えるとき、衣が薄くては過ごし難いではないか。よって、夏には夏に合わせた衣類を調える必要性がある。

前回7月10日の日記メモと合わせて衣類の話が続いたが、この二つで語った知識は、中3末期の知識となんら進歩がないもので、まあ忘れてしまうより助かった方かもしれない。近頃の進歩といえば、2014年の洗濯開始くらいであろう。

当記事注: このメモの投稿前日・11日23時には、下の弟は暑さから眠りづらく、「(エアコンの)リモコン出せよ!」と吠え続けながら、対する母親は出し渋っていた。僅かな電気代・光熱費もケチケチする吝嗇家で、家族とのトラブルも不可避だ。今回の結末は知らない。追記事項もう1点は、エコアンの冷房を今年は6月~このメモまでの間に、一度だけテスト作動したことがある。更にもう1点、脱水症状から12日夕も13日5時半も共に起床時の頭痛が鈍重であった。



2015/07/15


勿於此生疑・当断令永尽、常日頃活動をする中で、それに掛けた時間は否が応でも顧みることになると、「これでいいのか」と思ってしまう。私が何かに時間を捧げる、同じ部屋で同じPCに向き合うとも、2012年などはネットで下らない動画や掲示板スレッドなどを閲覧しまくって一日を過ごしていた。当時における活動といえば、YouTube旧アカや、ニコニコの当時使っていたアカウントで動画投稿をするなど(他複数サイト入り浸り)で精一杯。

当時で勉強という勉強は、だらだら洋楽の歌詞に英語学習などを思ったり、気付いた時にGoogleで検索しまくるなど、今からすれば効率性に欠いている。現在であっても、何かの文字だらけのページを長時間見続け、その間こまめに別ページや検索等して、終わった頃に気付けば3時間ほど過ぎているようなことも多い。だからこそ、その際に「これでいいのか」と思ってしまうのだが、否、これが自分の道筋だと信ずべし。

そこで、冒頭に引いた「勿於此生疑・当断令永尽」という二句に戻ることとなるが、読み下すと「此に於て疑を生ずること勿れ 当に断じて永く尽きしむべし」となる。疑念を起こさず、またその迷いを断って永遠に起こさぬよう戒めた一節だが、まあ仏法上の意義に逸れる方向で濫りに用いちゃいけないよね。ここ半年の勉強では、仏法を重きに置いている。仏法とは、人によって数十年研鑽しても足りていないことを語るわけだから、私であっても数年でやめることのないような研鑽を続けたく思う。移ろいやすいからね。

2011・12年と対比すれば今がいかに有意義かは自明の理であるが、前述のようにそれでも疑いがあるわけだから、より満足できる高みを目指す、これは最も望ましい姿だ。確かに今の感覚における満足できる境地に仮に至ったとして、そこで足を止めるのも良くないだろうが、それはともかく、今の私が自己不信の時もあるのは思い込みだと、自身で弁明する。

実際に2012年はおろか2010年から自分の肌に合わない、否、誤ったものは切り離してきている。閲覧の趣向として、2010年よりテレビアニメ変な動画・変なスレッドなどを次第に切り離したことは、過去記事でもいくらか書いてある。掲示板の閲覧は今でも決まったスレッドを毎日覗きはするが、たくさんのスレを探して書き込みまくる等は2014年にもなるとしなくなった。

そんな中で本日は、必要な洗濯の一部を遂行した。その過程で母親に相談する事項もあったが、自ら積極的に行って何とか済ませた。創作関係も、楽曲を投稿した某サイトでリスナーと軽い交流をした(普段はコメントを見ないなどで逃げている)。下書き記事も朝から一つ出来上がった。これは本家かメモ帳かどちらで投稿するか思案中。

こうして時間が過ぎる中で、髪を伸ばすという生き甲斐も達成できる。刹那的に死にたいと思うことがあっても、髪が短くされない限りは力強く生きていける境涯でいられるよう、何かに祈り続ける。



2015/07/17


2015年7月17日、多くの小中学校では1学期最後の日となっていることだろうが、弟も今週は木曜日以外4時間授業であり、今日もそうであった。そんな中で学校に水筒を置き忘れたらしく、17時前に特別支援学級の担任教師が届けにきた。直後に2階で掃除機をかけていた母親と話し合いになったが、突然弟が母の言葉で言う「暴力」を振るったらしい。

弟による「暴力」の直前まであった、普段の高慢な威勢が殺がれて、オドオドと混乱した後その場を離れ1階に降りた。1階での用を済ませた(手を冷やしていた?)直後に階段を上りながら弟に憤りを浴びせた。夕食抜き発言はともかく、特別支援学校の面談というものが7月21日にあるそうだが、これを辞退するという旨は、その場の感情から衝動的に言った程度か、それとも本人の決然とした意志なのかは不明。大概は前者の衝動性に起因するが、今回のような事態では後への肉体的影響を残しやすいため、現実味はある。

スキンシップレベルの打撲としては、過去に2014年10月に大痣を作ってしばらく買い物が不自由となったりもしたが、今回にしても「手が真っ赤になった」という。母親は内面の人間性のみならず、体質においても大仰な反応が起きるとよくわかった。大仰な反応のある人間性を有する件については5月24日の日記メモに触れられるところ。そのメモなりに言うと、潜在する悪心が態度どころか体表にまで大仰に顕現されるということで、私の母はその性質を強く内在する極稀な人間だと言える。

7月14日動画の説明文にて過去のアトピー性皮膚炎の症状について言及し、これは少し爪を立てると出来るミミズ腫れを例に出しているが、これより悪質ではないかとさえ思えてならない。また、同動画内に語られる「そ~っと動かした膝をぶつけて激痛に受身を兼ねて倒れ悶絶した後には小さい痣が出来た」それと比べ、今回の弟による「暴力」はどれほど痛いものか問いたい。

結局、このメモを書いている間に掃除機がけを再開して、手の腫れとやらは何のその。投稿直後(17時52分)に私がリビングに繰り出たタイミングで俄かにその音が止んで、それを察知した私は、当人が即座に1階へ降りてくることを予知し、早々と退く。弟との一件で当人は頭のネジが外れてこの後18時11・12・13・14分の着信履歴が残るよう、当人から寝言尽くしの通話が持ちかけられた。宅配業者が来てからの停戦を経て18時38分と48分の着信履歴が残るよう、暫く不快な話が続いた。あることを未だ妄信して止まない母親の無粋な詰問。一連の威勢を見ると、今回の弟暴力の結論は、案外大仰な負傷の顕現ではなく、逆に小さな負傷を大仰に誇張したパターンであった。



2015/07/19



今日は朝7時10分過ぎに近所の自販機通いを行ったが、額は130*2=260円、前回は7月8日のことで額は130円だったと記憶する。この130円は増税後もともと120円だった小さい缶とかが130円になったという類のものではないが、具体的に何の商品かもここには書かない。

台風11号四国上陸以前に同じ購入プランを立てて午前3時頃に行ったら、ある自販機の上方には例年通り足を縮めたサイズが1cm超のクモが巣を食い、別の自販機には不可解なことに、大量の羽蟻が数箇所の多極集中を見せているという光景を眼前にして、為す術もなく立ち退いた経緯がある。今回としてはあえて明るい時間でも人通りの問題は片目をつぶって実行し、クモの巣問題は恐る恐るに突破し、集る夜行性の虫などはありもしないから無事に済んだ。

今日起きたのが朝6時55分、その前に目覚めだけは4時台などがあった。今日もその起床から外出の間に「シネシネシネシネ」と鳴く蝉の声が「お隣花鳥園」より聞こえてきた。今日も、というと最近連日聞こえているわけだが、始まりは7月16日木曜日の午前中に入浴(シャワシャン)している時のことで、金曜日も土曜日もお隣花鳥園から聞こえてきていた。

明日もまた鳴いているのだろうか、と聞く度に思うわけだが、成虫となったセミの寿命が長くないことはご存知の通り(夏の終わり頃には大量の死骸が道端に・・・)で、今日から数え種族の差を鑑みても数日~一週間ほどでそのシネシネゼミは花鳥園の土に落ちると思われる。それまでにシネシネゼミのシネ鳴きに込められた願いが叶うのだろうか。(セミの寿命に対する認識については、後で調べたところ俗説らしい)

追記:18時半、また虫の話。PC中、左手の痒みにはっきりと感じないまま無意識に掻いていたが、気付いた時には暗い部屋に蚊が飛んでいた。即座に部屋の明かりを付けて両手で叩き潰して放すと、本体がフッと落下し、手の平を見ると案の定潰れた後のみならず濃い鮮血。手を拭った後に落ちた本体を探すと、脱いだ上半身スウェットの首周りの箇所に見つかり、そ~っと取るにも変に広がってしまい、その箇所に血が少量付着した。速やかに汚染箇所を洗浄した。腫れた手の三箇所と左肘のそば一箇所にしても、怨念の残滓としか思えない。このように禍根を残さしむる置き土産現象は御免蒙りたい。

ところで予て生物学的に一つ仮説あり、この蚊に他人の血、狭義では他人の赤血球が含まれるか?吸った血は養分に使われ、他人の赤血球と鉄の酸化変色はどうのこうので今回潰れた蚊に他人の赤血球は含まれないし、多くの蚊はあなたを刺した時点で、殆ど他人の赤血球はどこかへ消している。他人を刺して間もない蚊を潰したその血が他人のものということは当然あるけど、今回の個体はまず自分の血液かな。

当記事注: 刺された数日後(上掲画像がその時の写真)にはかなり赤みを増して、肉眼では痣のように映えることもある。本メモ上部掲載の画像も、本メモより2日後に撮影した写真だ。7月末にはようやく、炎症を起こした左手の三箇所は、外見上ひいてきた。刺された日よりの変遷としては、ピンクや紫などの色を幾度と繰り返して、茶色になってくると同時にその色もひいていった。幼い頃と比べて、外見上の治癒能力が劣っていないだろうか?痒みの残り方については、何とも捉えがたいためノーコメント。



2015/07/20


後日、別個でメモ帳に記事として投稿しましたが、大幅な加筆訂正が加わっています。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/07/blog-post_23.html



2015/07/22


本日7月22日は朝5時台に目が覚め再度寝て、次は6時20分頃となった。起き上がる前から家の前を通り過ぎる子供の声がいくつも聞こえていたので、妙な感覚ではあったが、その既視感ある正体をはっきり引き出すには彼らが帰路につく頃合、即ち6時40分以降のことだった。起床より私はPCをつけ、毎日起きてすぐ責任感から行っている作業を済ませる過程でその頃合となり、続々と家の前を逆方向に通り過ぎる親子などが見受けられた。

ここで、今からちょうど1年前の自身のメモ帳投稿のことが思い起こされ、目の前の出来事と完全に重なることとなり、符合した。向かいの子らも手に「あのカード」を携えていた(思考に夢中なためにこの時まで、子供らをカメラに収めようって発想が浮かばなかった)。全ての作業が済んだ6時50分以降、メモ帳の過去記事の中から当該記事を探し出して読んでみた。やはり子供らが行き来する時間帯など、状況は去年も今年も一緒であった。読みながらとある持論については書いていないものかと記述を探すも、当該記事内には見られず、ほか本家ブログや動画説明文にも見当たらず、例の如く徒労捜索となった。とりあえず、簡潔ながら記録はちゃんと取られている点、メモ帳の機能が発揮されていよう。

別件、本日の自販機通いの計画は数日来のものだが、7月22日に実行が固まったのは前日のことであり、具体的な時刻も7時20分以降と定めていた。そして本日その予定を繰り上げて7時7分に外出した。A家隣の姓不詳(O家?)の主人だろうか、中年太りの男が家の前でタバコを吸っているのか、立ち尽くしていた。町内お偉い家管理のゴミ置場にはかなりゴミが集まっていた。目的の自販機で難なく済ませた。メインの通りの人通りや車の通りは、気にしなければ自分の感覚として問題は無い程度であった。

帰り道、あの姓不詳家の中年太りがまだ何かして、通りに背を向けてメガネを着けてみたり、その後も「俯いて何を見ているのやら」という様子だが、「人通りを気にしないのか」と思って私が通り過ぎる間際に私が歩いた跡に顔を向けてキョロキョロした後、ソロソロと家の中に入っていった。入るなら私がここに戻る数分以内にそれやれよ、って思う。集スト臭い。

こういう何を考えているのやら知れない輩(某Iメガネ男性・老婆宅やE壮年夫婦宅などに出入りする人種も含む)が近所に多すぎることは2012年から薄々感じていたが、苗字など具体性を含んで記録を始めたのは、実に今から1年以内のことである。

当記事注: 「とある持論」についてだが、まず「あのカード」や今回の状況の「正体」から書いておく。当該記事リンクが付いているからここを読んでも分かる通り、子供らは近所の公園で行われる早朝のラジオ体操に出ていて、保護者同伴の児童もいたことになる。「あのカード」は参加記録のようなものだ。「とある持論」とは、そのラジオ体操が夏休みいっぱい、少なくとも20日などあると良いのに、実際には去年の開催期間は最初の数日~一週間程度だったことに驚愕した。早起きだとか運動だとかの習慣づけにさせるのではなく、形だけ執り行ってお終い、という単発イベントのようなものではあまり意味が無い、とする持論である。その記述がどこにも無く、徒労捜索となったのだ。また、去年のある日のラジオ体操終了後(子供らの帰宅状況より推測)に公園へ足を運ぶと、終了後も引き続き公園で遊ぶなどという子供が全く見受けられなかったことも衝撃だった。

ちなみに外出時の服装は7月12日メモにある部屋着で、7月19日外出時のように髪をタオルでまとめた、頭から靴まで青白ファッションである。自販機通いくらい気軽に、ね??ちなみに8時40分過ぎに強めのにわか雨が振り出して9時過ぎにはほぼ止んだ。惰眠なら計画頓挫だね。ちなみに9時十何分にお茶の準備をキッチンでしていたところ今まで親も弟も1階に降りてこなかったのが俄かに2階母部屋のカーテンが聞こえてきたので、止んだ雨より怪しい雲行きに準備を早々に終え急いで部屋に戻ると分かりやすく母親が1階に降りてきたが、常のこと。ところでキッチンにまた新しい糖類、開封済みオリゴ糖・蜂蜜各1の後に蜂蜜3個も買ったこともあれば、今は開封済み蜂蜜2つに未開栓蜂蜜・オリゴ糖・希少糖各1を差し置いてエリスリトール1購入直後開栓という状況。去年~今年未明の俄かウイスキーと変わらない。



2015/07/23


本日7月23日は朝6時頃起床、昨日とほぼ変わらない。8時頃に弟が家庭のゴミを捨てに行ったが、近頃私にゴミ出しの意識が欠けつつあるのも、私一人で大容量のゴミ袋を使いきり自分で捨てるわけだから週1~2という頻度で焼却ゴミを出しに行くことはない。私が出す焼却ゴミというのはその大容量のゴミ袋を一人で満杯にする頃となるわけで、2週に1度ほど。結局収集車が雨特有の早さである9時過ぎに近所へ来てしまい、「あ~、まいっか」と次に託す考えに至った。

昼前に2階からいつもの怒声と銭をいじる音が聞こえてくるので、弟の外出を予感したが、実際に数分以内で家を出ていった。メモを書き始めている18時00分時点でもまだ帰ってきていない。事情は未知であるものの、あえて推測を言えば、祭りかどこかで長時間居留まっていることと思う。もちろん、ただの平日に祭りなどのイベントがあることは考えづらいし、中心市街地域で開催される大きなイベントなら、知的障害児一人で公共交通手段を利用するか、無理なら徒歩という状況となってしまう。今のところ杳として知れず。

次に、最近の個人的な発見ではあるが、家の前を若い女性(10代~20代前半)が2人組み以上で通っていることが多いと思う。今日の正午過ぎだけでも、JK3人組が品もなく爆笑しながら駅方面に歩いていたが、こちらが笑いをもらってしまう。その後も、閉じている傘を叩きつけるかのような音が聞こえて外を見やると、私服姿の若い女性2人組み(髪は黒と茶で共に長め)が大きめの声で笑いながら同じ方向へと過ぎ去った。17時頃にも別物と思しきJK3人組みが同じ方向に大き目の会話で過ぎ去り、既述のメモ執筆開始時以降にもその内の2人が逆方向へ帰っていった。

複数人の若い女性というと、5月23日に近所・・・というより少し離れの住宅街を歩いていたときにも私服+化粧しているJKっぽい2人組みにすれ違う間際で「きゃあ!」と謎の悲鳴の後に地面を見て「喉から舌が出るかと思ったw("喉から下"と解釈すれば胃や食道などか?)」という耳慣れない言い回しが聞かれたわけだが、家庭菜園に面した道端の雑草が、彼女の露出した足首に触れてびっくりしたのだろうと後で思うことにした。群れているのって、若さを問わず60代以上のばあさんらがよちよち歩き(自転車アリ)ながら2~4人の集団でよく歩いている(家の前で立ち話もアリ)わけだし、中年くらいが一番この傾向薄まるのと、JK~JDがかまびすしい・かしましいというだけのことか。

それと「組」をなしてはおらず関係ない話となるが、2014年秋冬期に散歩している私が帰路についている(歩く道は直進で我が家に通じる)折、ベージュの色のコート姿でポケットに手を入れたまま走っている若い女性とすれ違った。身長はヒール込みで私ほど、髪は茶のセミロングで、下半身は肌色のタイツでも着けていたのではないか。何となく面白さを感じていながらも記憶が美化されて、顔は割と白くて美人だったと思い込んでいる。

追記:19時10分頃に弟が帰ってきた、玄関における独り言では「中央図書館に2・3時間」などと聞かれた。弟はカードなどを持っていないため、図書館ではいつも借りずに館内で読み続けて本棚に戻しているようだ。ところでコレ記入している20時半前から子供の声が聞こえてならなかったが、向かいのT家の子らが手持ち花火で遊んでいるようだ。去年「闇に戯れる幼子」なんて動画あげたな~。

当記事注: 7月26日は20時以降雷・・・は有り得ず、風による轟音とも取れた音が断続的になり続けていたが、20時半頃には打ち上げられた花火ではないかと気付く。その音によって、母などが騒がしくなったのが21時前のことだが、その辺りからまたも向かいT家で手持ち花火を初め、21時半なおも続いた。



2015/07/24


※途中まで7月23日22時・寝る前の半角カタカナ打ちメモ※

何をしても裏目に出る。何も言わないで聞かないで見ないで動かないで生きて、そうして悪い因子を生まないようにしても、また起きるであろう果報の全ては防ぎきれない。人間に生まれたこと自体が、良かれ悪かれ過去世に積まれた因子の果報であると同時にこの件も、過去に間接的な不善の要因があって悪果を報いた。故に現世の悪しき業因より生じる果報から逃れるには、死するほか無しと見る。その来世にまた悪果を報いても困るし、自ら命を断つことは断じてしないため、一応は信仰による滅罪を勧めたい。

案件の対処としては、実に不穏当で近頃は殆ど行わなくなった手法を執った。案件の直接的な原因は私になく、原因は誰も知り得ない。あえて言えば魔の障りだろう。だが謂われなきことで私への疑いが強められるのは、学校生活の人間関係と何ら変わりがなく、息苦しい思いだ。だからこそその不善の要因を積まぬよう、極論としては生まれてから死を望むほか何もせず死ねばよい、だがそれを私はせじ。

私がただ一人に疑われようと構わないが、介入しない傍聴者の前で一方的に嫌疑を掛けられると、彼らにまで悪心・疑心暗鬼が生じて私に敵意を持ちかねないし、私としても心の溝が深まり広がりやすい。私からそれらの者へかけられる言葉などない不利さや歯がゆさも学校生活で経験済み。多くの人は正しい判断能力が必要量に対して欠如しているため、そのレベルを超えた扇動には、いくらか乗せられやすいことだろう。悪辣な人間だ。

こんなメモを寝る間も惜しんで携帯半角カタカナ打ちしているから、明日24日の予定が砕けていまいかねない。この件は誰彼の疑念と関係の無い形で禍根を残していたようで、7月24日8時40分頃になりようやく私が気付くこととなってより、本日はその禍根を絶つための行動を、新たな予定が増えた。彼らの悪心を生じるばかりか、別方向に物の姿として悪果が生じてしまったとは、絶望的である。

追記16時の日記メモ:二種の感覚が両極に狂っている。前の買い物は火曜日だったが、月曜日の予定を1日飛ばしたのも特別支援学校面談と同時に済ませようとするためである。木曜日の買い物の変更後の予定は不明。明日7月25日に行くという仮説を立てるとして、母いわく土日の混雑イヤ、5の付く日もイオンのセールで混雑でイヤ、と過去に述べていたため、5の付く25日はまた土曜日であり、本日24日(金)に行かなければ言行不一致となろう。本日母は起きてからすぐ朝9時半に風呂に入っていた 起きてすぐ風呂という成り行きは買い物の日に多いが、この法則も顛倒か?13時以降の某トーク番組や某ドラマなど平日は毎日のように見ているらしいそれを今日は見ていない中で、母親に買い物の可能性を大いに感じていた。あらゆる面で不合理の様子で、一たび予定狂えば感覚も狂うと分かる。

だがその感覚とは理性面の話で、直感においては別となるようだ。15時40分前、洗濯機の動作が終了する手前に降りてきて、終了を告げる音が鳴っている間に音を止めることができた。そんな直感鋭敏の母が今日を嫌い、明日に行くとして、混雑を厭わないセールへの憧れでも生まれたのだろうか?出来心というものなら、やはり理性が殺されている。

その他、本日弟は9時頃に1階へ降りてくるも、朝食のシリアルが無いために9時半以降ラーメンを作り始めて食べたが、そのおかげでスープをこぼしてしまい、自ら掃除機をかけたものの不手際から母にしかられるハメとなっていた。弟のシリアルが足らないから、弟がなれない作業に手を焼くこととなってしまった。まともな母親なら「自分のせいで」という自責の念により、いち早く買い物へ急がねば我が子が苦しむと嘆くはずだ。一連の狂った感覚を、本人自身が気付けずにいるのは言うまでもなきことだ。

その母・弟が1階に降りてくる時間よりずっと前、本日も朝6時20分頃に起きて料理をしつつ6時50分までに家の前の児童の通りを携帯カメラに収めた。弟が降りる直前より洗濯を始めた。今日はとある昨日の一件の禍根が残っていることに既述の8時40分頃に気付いてからはずっと焦りながら過ごしているし、私の行動範囲も絞られるが、それでも洗濯などを果敢にこなしたわけだ。一日縛られっぱなしは御免であり、明日もまた何か自由が利かないということも十分に考えられる。

買い物についての不満は、何も食い物の不満ではない。私への行動制限・母の理性崩壊に次いで3番目に位置し、重きを置いていない。食い物の不満について冷静に考えるとほぼ無いということは、私の過去投稿における思想と痩身を以て明証としたい。食い物云々は、即物的な人間でない私にとり未だ問題にならないし、やはり母の崩壊しゆく「識」と「心」が憎まれる。

追記2:16時50分、かの案件の最悪な禍根を絶ったが、その枝葉までは取り払いきったかというと、あえて消していないものもあれば、確認できていなくて消すか否か下せないものもある。

当記事注: この日の日記メモでいう「禍根」は、後日の本家記事(日記メモライク文言の中にあり)にも触れられている。



2015/07/26


今月は暫定的ひいては月末まで予測しても日記メモの更新日数が過去最高クラスに盛っていることと思うが、対してメモ帳や本家の記事投稿は芳しくない。それは置くとして、本日はメモ帳の複数の過去記事に追記や修正を行った。追記などは、普段から過去記事を探す折に度々行っているが、本日あえてここに記録したく思う。

長めの追記は2015年6月3日の記事と、7月18日の記事である。また、昨日7月25日であっても、7月24日投稿の動画の説明文に追記するなど、加筆修正・日時明記の追記は、メモ帳記事に限らず行っている。もし私を熱心に観る者あらば、上述のそれもよろしく参照されたく思う。

本日は22時より上機嫌で饒舌に独り言を続けていたのだが、それも「識」を重んじる私の実践の姿だと思う。「識」とは、「文・心・理・事」の四法互具であって、最勝の概念である。こちらの私の思想は空論ではなく、体系化が日々進行していて、実践もこういったブログや創作などの活動で日々邁進しており、それは「識」の概念の言語化以前より続けられるものだ。私が提唱するところの「識」の実践は、"Philosophia"に通じている。饒舌の独り言をする中で私の機嫌を損なわせるような文言がいくら視界に入ろうと、意に介さず思考を止めずに「識」を高めていくべきだ。

「四法互具」の語源について少々語ると、「四法」とは同じ仏教でも教義次第でこの語が作られるが、もちろん意味が先で、後から形としての語がある。"法"自体が多義的な中で、"一切有爲法"という有名なフレーズの一句にしても"所謂諸法"として説かれる十如是のような"法"などは万象のことであり、仏法教法以外も指される。そして「文・心・理・事」を一括する為に仏教ならではの"漢数字+漢字一文字"の形式を踏襲した便宜名としてこれを定めた。「互具」とは兼備とほぼ同義であり、"互いに具う"と読み下し、これを用いるのは「十界互具」からの類推である。したがって、一界に九界を具えるから"互具"なのに、四つを一方的に束ねた「識」が"四法互具"というのは少しニュアンスが異なるため、「四法総在」というこれまた類推名の案がある。

こういった私の造語は幼少より数えて幾百あることだろうが、やはり重要な語は反復して唱える必要があろう。最勝の「識」を覚知する前に四法を語ったことといえば、「文・心」ならば「諸事相対抄」の「文心勝劣義」の主題、「理・事」ならば「整然とした思考」云々の主題であり、こうして日々「識」を手繰り寄せてきたことが誰の目にも鮮明に映ることだろう。



2015/07/28


この日はG+に日記メモを投稿していませんが、かわりに本家29日の記事に「日記メモライク」の文言として記述したものを掲載しています。
http://masashi.doorblog.jp/archives/44918264.html



2015/07/29

弟はクーラーをガンガンに掛けているのではないかと思う。室外機から漏れる液体の量が多いほど、この念が起きる。本日7月29日のみならず、一週間ほど前から仄かに思い始めていた。その懸念が事実に現れたと取られる状態が7月27日にあり、1Fリビングにいる際の弟が、季節はずれのくしゃみを連発し、鼻を啜ったりもしていた。この時に「こりゃ冷房病の夏風邪だ」と確信できた。7月28日の彼らが遠出した時に弟の部屋に上がったところ、ゴミ袋のたまったゴミの上、すなわち飲んだ後と見られるパブロンゴールドのような粉薬の1包が捨てられていたことで本人も風邪を自覚していたことは確定的である。

知的障害を持つ弟は食欲旺盛で、1食にご飯数杯食べる様子が見られ、休日の外出も多く、知的障害児としては体が強い方かも知れないが、風邪にはどうも弱いらしく、冬場も錠剤の風邪薬を常用していた。その弟ならば、クーラーガンガンによる夏風邪も考えられなくはない、どころかストレートだろう。

一方の華奢な体型で体が弱い私が夏風邪になるかといえば、こじらせた記憶はほぼ無い(全く無いとは言わない)し、普段から自己管理を保って用心しているわけだから、仮に夏風邪を引くとしても、身体脆弱の故であって、弟のような要因では有り得ないものだと判ず。また、母親はおかしなタイミングで弟にエアコン消すよう注意することも多いが、まるで功をなしていないようだ。先の名古屋方面の遠出が叶っただけ幸運だと嗤う。

ところで、自分こそクーラーをガンガンに回した方が良いのではないかと思う。PCの健康上、内部ファンの回転のみならず、外部の温度もいくらか適当になければならない。だが、私みたいな細くて、代謝も激しいわけでない人間であれば、それこそ冷房病になりかねないので御免蒙りたいし、何より母親が支払う電気代の負担を考えると、やろうにやり難いだろう。故に夏場はPCを一時的にスリープして携帯いじりに移るといった過ごし方も取っている。現況、エアコンは最高設定温度で微風でも個人的には充分涼める状態だ。

追記:18時過ぎ、鳥による断末魔の叫びと思しき喚声が聞こえ続ける。近頃どうも多いように思っていたそれだが、今回の鳴き声を意識するあたりで子供の往来が気になっていた。数分経っても断続的に聞こえたり、部屋の窓からはE家の主人が見え、見えない場所からは子供の戯れが聞かれるので、リビングに移動して外を見ると、案の定そこでは家の前を通り過ぎたはずの子供らがいて、何やらE家の主人も絡んでいた。主人が路上の何かを拾い上げたと同時に一際大きく喚声が上がる。その何かは、E家敷地内の木の中に潜らされた。どうも、セミの怨嗟だったらしい。「近頃どうも多」いという鳴き声は、ほとんどセミが正体なのだろう。鳥とほぼ同質の「ビギー、ギエー」という断末魔からはセミのイメージがあまり無く、せいぜい時期の上からセミという想像もできなくはないといった論理性しかセミに繋がらない。この後子供らはE宅に上がり、主人はその門を施錠したところ、まさかE家に住む子供だというのか。他所から一時的に遊びに来た子ではないことを、E宅の停車状況から感じ取るが、結局真相は謎だ。

当記事注: 母・弟が「福井旅行」で家に不在の間に弟の部屋で必要な作業をする間、弟部屋のエアコンの試運転も行った。リモコンを付けた表示された情報は、23度・静風。一瞬暖房に付け間違えたかと思ったが、このような設定温度で掛け続けると「冷蔵庫」の印象を受けたし、後日母親が弟の部屋について「冷蔵庫みたいに涼しいから~」と言っていたことも一致する。

E家における子供の出入りについては、8月1日にも2度確認できた。一つは朝6時40分頃にE家の主人と男児2人が公園方面へ向かい、午後14時半までには男児・女児最低各1人がE宅内の外車に乗り込み、それまでの言葉に「ばあちゃん」というのが聞かれた。結局、夏休みということで他所から遊びに来た、E家壮年夫婦の孫に当たる子らであろう。心当たりは今年の正月にも。



2015/07/31


本日は7月も暮となって31日だが、私は早朝6時に目が覚め、2度寝後が朝8時過ぎとなった。母・弟は朝9時頃より福井へ2泊3日の旅行へ出掛けた。この福井旅行の予定を知ったのは、7月の半ばにカレンダーに記入された旅行先の名前(福井駅・恐竜博物館・永平寺など)を見た時であったが、実は既に6月中の時点で私は、母のKindle機においてその旅行先の名が検索された5月中の履歴を目にしているため、先んじてはこの時とも言える。いつも通り話をややこしくするが、初め記入されたカレンダー1では予定が30日以降となっており、これは後日カレンダー2に31日以降の予定が書き直され、どちらが正しいかと悩んでいたが29日になってカレンダー1の誤記がカレンダー2に準拠して訂正され、31日予定が正しいこととなる。母の誤記について。

そうして迎えた本日は、彼らの外出と同時に風呂(シャワシャン)に入り始め・・・7月28日の時のような詳しさを今日は流石に嫌っているため、あらあら書く程度に留める。風呂に留まる時間は、普段ひいては前回7月28日以上に長かったが、例の如く湯を張って浸かる行為はしていない。当然、それを行ったら負けだと思っている。風呂に入る前・中で洗濯や炊飯などもろもろの作業も並行している。

食事はやはり12時頃で、この3日間に食べるものは計画が組まれており、1日目の今日は30日買い物の肉・野菜を使い切って、2日目は30日買い物前に頼んだ納豆2パックをその日の内にできるだけ多く食べる。というわけだから、この昼食では肉・野菜を多めに使える「味噌味の肉・ニラ・もやし炒め」を1階キッチンにて作ったが、肉質にしても調理時にしても脂肪分はとても少ない。味付けは味噌ベースに色々。まずまずの出来栄えで、ご飯にも合い、味噌汁を作る気持ちが起こらなかった。3日間の食事計画では、炊飯のリズムも算段が組まれており、1日目は1合炊いたが、2日目も3日目も1合ずつ炊く。1日目の夜はラーメンで肉・野菜を消費し、2日目の朝はこの昼の残りのご飯1杯を納豆+味噌汁で食べる(便秘に伴う下剤使用なども考慮してある)。

引き続き洗濯関連の作業を繰り返している間は、弟Win8.1機でも当方のバックアップ作業など行った。Windows 10に興味があるが、また勝手なグレードアップを行うのは避けておきたいし、元に戻す手段があるとしても不審な線があって慎重である。ともあれ、弟機には必要なソフトが一通り揃っているところ、去年7・8月を中心に環境を整えてきた私自身に感謝の念が尽きないものだ。作業も、クーラー扇風機を回さない状況下で行ってやや暑苦しさがあった点意外は滞りなく進められた。

冒頭で書きたかった話題となるが、旅行予定を知った時からの疑問だが、福井への交通手段とは何であろうか?その当時からの仮説としては、当地の最寄り駅・所定の駅(豊橋駅など)より観光バスで移動するツアーや、当地から東海道新幹線で東京駅に移動して流行の北陸新幹線に乗り換えて金沢駅の北陸本線を乗り継いで福井駅に到着し(あるいは豊橋→名古屋→米原→福井?)、そこからツアーが組まれている、などだろうか。

何せカレンダーには「7/31福井駅・8/1恐竜博物館・8/2永平時(ママ)」の記載しかなく、私からも深いことを聞く気概も無いため、このような仮説に終始するし、答えは彼らが帰ってきてからのお土産や切符などの確認で分かることだろう。その記載を元に推測すると、1日目は福井市内に留まると見ている。2日目に恐竜博物館の勝山市内・・・その日はどこに泊まるか、先に永平寺町内に着いて旅館に宿泊する可能性もあるが、まさか母親が宿を予約するような人だろうか。

ところで彼らの旅行中に色々していて、悪行でもないのに罪悪感と背徳感を感じてしまうのナンデ。あと、7月28日に続く今回の3日間の風呂と家事の自由なやり方が習慣化しやすくなり、そうなると3日間の終わりからその後は、再度適応することに困りそうだ。

当記事注: 福井への交通手段の考察や、福井に関連した話題の記事は、近日投稿予定だ。



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