2015年4月21日火曜日

下剤使用をとことん忌避する計画の顛末~便秘の良薬

4月18日7時18分に投稿したメモ
「『薬は飲まんぞぉ!』と叫べば頑固な高齢者っぽいが、下剤(便秘薬)の服用についてはやはり慎重な姿勢でいたい。是好良薬・汝可取服の反対に『汝余生の健康を願わば須らく其の害毒を断つべし』となる。」

そこで書いたとおり、下剤の常用が続くほどに腸の機能が鈍化するため、下剤を「毒」として扱っているが、この知識は2012(2013?)年に初めて母親用のコーラックの使用に際して、ネットで検索して知った情報が今日に生きている。
便秘について悩むとしても、数日おきに1錠か2錠のみを飲む程度に自制する。
使っておいて「毒」と呼ぶことに虫の良さを感じつつも、「毒」と思わずにはいられない。
書き出しの「高齢者」云々については、不適切な気配もあるが、実際に私が「今日は薬を飲まない」と決めた際に、どうも薬を飲みたがらない軽度の認知症患者の影が重なったのだ。

このメモを書く前より、一つの計画が浮かんでいた。
それは4月19日0時過ぎのメモ(未投稿)に記される。

「4日ほど出てないことは死活問題だ。強ち余命数日と言えなくもなく、切迫している。もちろん極論を言えば、誰しも1ヶ月出ない体では身が持たないだろう。18日深夜に新たな延命措置を講じた。下剤を使う前にカフェインパワー=コーヒー助勢の排便を試みた。土曜日の買い物で切れていたインスタントコーヒーを買い足すとの予測もあったが、土曜日の買い物を夕方になり翌日へ延期したため、こちらの予ての計画も破綻した。告げられる前から弟と険悪な雰囲気で、『今日は買い物行かなそうだ』と推量していて、実際に告げられたときは無問題の承服であった。だが夜半に至ってこの計画を思い出すと、母親の買い物中止は実に悪辣だと感じた。念入りに完璧な計画をすると、このような寝耳に水の障害が生まれる。」

下剤使用は是が非でも避けんとする意志が伝わろう。
この4日間はカフェインの摂取も少なく、4月17日深夜に一人で急須一杯のお茶を淹れて飲み干したなどに止まっている。
この記事を執筆している4月19日1時現在、これから同様にお茶を飲むか、母親が昨日今日と渋々行っている「コーヒー豆を挽いてドリップ(?)するコーヒー」を自分も作って飲む計画はある。

今までも下剤使用を忌避する上で、ヨーグルトを一日で多めに(自分が思う範囲)摂取する作戦を試行して、当時としては久々に非下剤による多めの排出が叶った。
それも束の間のことだった。
一日多量摂取作戦はそれ以前にシリアル等も試し、いずれも効果的だったが、いずれも長く続けられない事情がある。



そのことの他に補足すべきことは、やはり「完璧な計画に対する想像だにしない落とし穴」が不意に起こる点であろう。

真面目に向き合うほど、虚を衝くが如き報せで裏目に出る。
不条理に陥れられることは変えがたい宿業の果報であろうか。
これも、私の人生で付き物だと諦めるしかない、そう慰めるのみ。



排便なく4日経つことは稀にあるが、5日ともなれば2014年の大下血のような末路さえ想起される。
ところで、2012年の大下血はコーヒーを飲んだことに起因する見解を今までに示したが、その時何日便秘が続いていたか記録がない。
これを知ることが出来れば後学のためにもなり、対策の参考に組み込めるのだが。
当時は記録する習慣も薄い上に、記録手段も定まってなかったのだから、今知る術はないだろうが、一応当時も便秘あるいは下痢に悩んでいたはずだ。
今とは事情が異なる点もきっと多いとは思う。

例えば、2010年・・・前の家では牛乳でお腹を壊す頻度が今以上に多かった。
寧ろ現在では牛乳がこの悪影響を及ぼすこともなくなったほどである。
それは2013~14年の快便期から今までがそうである。



ここまでの全文は19日1時20分までに書き上げたが、投稿予定はいつになることか。
前回は17日なので、今月の方針は4日に1度だから21日となりそうだ。

上記時刻よりお茶を飲み始め、2時過ぎにもなると、かなり腸内が荒ぶってきた。
経験的に言えることだが、頑固な便秘は大概この状態に終始する。
結局、下剤に頼らねば期待する結果は得られない、と帰結することが多い。

今更感じたが、物を少なく食べて腸に物を溜める量を減らすことで、下剤の服用する頻度をも減らす作戦は、3日4日と腸に腐敗物を溜めてしまう点ではかなり危険ではないか。
多く食べて下剤も1日おきに服用し、清浄にした方がまだ健康的ではないか。
下剤使用頻度を減らすために腐敗物を残して腸を腐らせてしまう(?)ことと、機能鈍化のリスクを被りながら下剤使用で浄化することはどちらが悪い手段か、二律背反である。

便秘の解消は、食生活の他に生活リズムにも重点をおいた方がいいのかと思うが、これも以前どこかで書いたように、快便期も便秘期も生活リズムに何ら違いがない。
一番の良薬が何であるか、未だ見つけること能わず。

三毒というように、心が体に毒をもたらしているのだろうか・・・?
個人差が出やすい「ストレスを感じる」状態などを指す。



思えば、4月17日の起床時に腹ごしらえで食べた少しばかりのシリアルから22時までの約7時間を、敢えて飲まず食わずで過ごしたものだ。
これも下剤不使用期間を延長せんが為の措置であった。
4月19日4時現在まで、やはり普段より摂取量を多く減らしている。
身長約170cmで体重が約50kgとする私が、50kg台に戻らなくなる日もいつか来るだろうか。

この4月17日就寝前に、1日断食の計画もあった。
これも偏に、水曜日買い物時の肉・野菜をそれまでに食べきったから企画したものである。
こういった消費期限の浅い生物は、食べずに時間を置くわけにいかない。
私の計画一つ一つが綿密に練られたものであることが、よくお分かり頂けよう。



そして、続く4月19日朝7時台に下剤を飲んで、入眠が9時ごろと思われる。
今までも節度を持っての服用を継続してきたが、近頃ビューラックでいうと1度に2錠飲むようになった。
「少し前まで使っていたコーラックだったら1錠で済むか」というと、これもまさに最後の1錠の効き目が酷く鈍っていた。

目が覚めたのは、本家記事でも話題にした17日・18日同様14時頃に母親の視るテレビの音によるものであった。
腸に溜めた量の影響か、あるいはビュー2錠でもコー1錠の効能に値しなくなったためかは知れずとも、相変わらず激しい発現はなかった。
少し苦しんで出したが、まあ激しい下痢の痛みに悶える苦しみには如かず。
この程度の効果が永く続いてくれることを願いたい。

次の服用はまだ残っているものを鑑みて2日後に実行したい。
トイレでそんなことを考えていると、鎖から解かれない薬物中毒患者の姿と重なりかけて、憂鬱な心情を呼び起こした。
暗澹たるピンクの小粒だとしみじみ感じる。
これがないと生きていけない、冒頭の既述の如く「余命数日」の可能性は潜伏している。



上段「そして~」以降が19日18時頃に書いた部分だと思う。
21時をまわって下痢が出始めた。
いつもの流れだと思いたいが、上述のように効能が近頃は鈍っていたため、漸次下痢へと移行することが記憶に遠かった。
いや、しかし最終下痢日の記録が4月15日で、排便日と同じであるから、4月15日もまた同様の進展だったはずである。
もう記憶が絶え絶えでわからない。
腸の疼くを覚える、痛みか悶えかもわからない。


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