2020年2月29日土曜日

閏年–うるう年、2020年の閏日–うるう日 (leap year 2020)

閏年テスト記事

958F

ワード「閏(うるう)」

漢語(漢字の意味論、中国語)
閏…字形としては「もんがまえ+王(おう)」である。音韻としては:日本語の漢音で「ジュン jun」、呉音で「ニン nin *nyun /njun/」、現代中国語普通話の拼音 Pinyin で"rùn" /ʐwən⁵¹/である。「王」の字形はあるが、韻は「王」と異なる。簡体字の「闰」などUnicodeで符号化された異体字は数種ある (䦞 閠 𥹿 𨳝)。説文解字には「餘分之月、五歳再閏。告朔之禮、天子居宗廟、閏月居門中。从王、在門中。周禮:閏月、王居門中、終月也。如順切。」と解説される。王または天子と呼ばれる人物が門(宮殿というよりは引用された「宗廟」?何か目的がある?)から出ずに「いる(居る/居座る)」期間を指す、と読み取ることになる。しかし、:先にその期間を意味する字「閏」がある後から「うるう=任意の年に天文学的な原因から挿入された時間」の概念のために当てたのか?もしそうであればいつからか?もしそうでなければ字の構成から推定しづらい別の由来(民間語源 folk-etymology の方法で想像しづらいもの cf. 仮借、当て字)があるか? といった特定は、漢籍などから詳細な調査を要する。

なお、現代中国語で、「任意の年に天文学的な原因から時間を挿入する行為=任意の暦においてうるうを置くこと」はそのまま「置閏」と呼んでいる。…と思ったが、百度百科の「闰日」という記事には「别称 置闰」とあり(リダイレクトページ経由では「同义词 置闰一般指闰日」とも表示される)、行為ではなく行為で置かれる側の「うるう日(もちろんグレゴリオ暦–格里高利历によるもの)」を指すとしている。



和語(やまとことば、日本語)
うるう (uruu/urū)=閏…漢字の字形として似る「潤」の訓「うるお-う (uruo-u 潤う)」の転訛。漢語から借用して (loan) 訓 (kun) を当てた例であろう。いつからかは不明(文献的に平安時代か。更に可能な古い時で遣隋使や大化の改新でもありえてそれ以前という人もいるとしても有効な証拠があるかどうか)。「うるう月(閏月)」を伴う暦は、中国からもたらされた伝統的な暦(いわゆる旧暦。種類は多数だが大まかに太陰太陽暦 lunisolar calender を指す)である。現代に、グレゴリオ暦でおよそ4年ごとに加えられる1日を「うるう日(閏日)」と呼ぶ。



英語 (English)
intercalation … ラテン語由来(動詞 intercalare, intercalo; inter- + calo 直訳で:間に+呼び出す。時代用例は未調査)かそのような形態で構成される。これは任意の年に天文学的な原因から時間を挿入する行為を指す。日本人にとって「『うるう』は『うるう日』と『うるう年』に見られる2種の用法がある。多義語か?挿入の手段である時間に対しても、その時間が挿入される期間に対しても、『うるう』で複合語を作るようだ」と考えられるが、英単語"intercalation"は行為を指すと分かる。"intercalation"の訳語は「置閏法(ちじゅんほう)」と考えられる。

いわゆる「うるう日」は"leap day", 「うるう年」は"leap year"(同じく「うるう秒」は"leap second")と呼ぶ。"leaping"や"leaped"のような能動–受動の分詞に語形変化をさせていない。この用語法"leap"を見ると、日本語の「うるう」と同じに見える。日本語に「うるい日」や「うるわれ年」という語形変化が伴わないように。「うるう」については、英語に対して日本語が意味借用 (semantic loan) の一種を持つように見える。

leap … これは「最も多いうるう日=グレゴリオ暦の2月29日」の存在によって曜日の周期性が1日分リープする/飛ぶことに由来する。例えば、クリスマス(聖誕)は12月25日(主にカトリック)に決まっている場合:2014年に木曜日、2015年に金曜日、2016年に日曜日と1年ごとに1日送りであるはずの曜日がうるう日によって2日送りになる。それはOEDなどの辞書にそういう見解が載っているというもので、有効な文献の証拠があるわけでない。
Word Origin
late Middle English: probably derives from the fact that feast days after February in such a year fell two days later than in the previous year, rather than one day later as in other years, and could be said to have “leaped” a day.
— leap year (noun) - Oxford Advanced Learner's Dictionary

cf.,

汉典 (zdic.net, 説文解字注や康煕字典なども掲載) - “閏”字的基本解释.

Unicode.org - Unihan data for U+958F.

百度百科 - 『闰』142993738版『闰日』136716246版, 『置闰法』135863740版.

日本語版Wikipedia『閏』頁oldid=61477635『閏年』頁oldid=75587347.

英語版Wikipedia"Intercalation (timekeeping)"頁oldid=933049803"Leap year"頁oldid=939186126.

英語版Wiktionary - 『閏』頁oldid=54575300"intercalary"頁oldid=55359972"intercalate"頁oldid=55323787"intercalation"頁oldid=54545545"leap day"頁oldid=54446329"leap year"頁oldid=58065549.

OUPblog - What is a leap year? 2012-02-29. https://blog.oup.com/2012/02/what-is-a-leap-year/ .



注意事項がある。
「グレゴリオ暦でおよそ4年ごとに加えられる1日」などのように簡易に記した情報に関しては、用語の歴史経緯と別の話(現代的な運用や計算方法など)なので詳述しない。
上記のリンク先など外部サイトで調べてもらえばよいと思っている。



起草日: 20200205

📅閏年テスト記事である。
当記事の調査–執筆は、和語→英語→漢語の順番であるため、説明に関して全てを読むことで相互に補完されることになる。
掲載順は起草の当初から漢語→和語→英語である。

太陰暦–太陰太陽暦の「閏月」と現代の「うるう秒」についての言及を持つ過去記事が当ブログにある。
2017-07-21記事『時間 "kāla, samaya, 迦羅・三摩耶" と仏教 (仏教の時間論)』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2017/07/time-kala-samaya.html

2020年2月12日水曜日

数詞・人名… 「西洋式と東洋式の語順」について追記されてもよい例

当ブログ2019-03-05記事からの話題;これらに見る課題を詳細に研究し、まとめて誰かが偉大な論文や著作を書いてみればよかろう。



「波斯匿王(はしのくおう)=コーサラ国パセーナディ"rājā pasenadi kosalo"」に関する復注

 参考までにスペイン語 (Spanish, Español) で「イタリアのマッタレッラ大統領 or イタリア大統領セルジョ・マッタレッラ氏」を表現すると"el presidente italianoSergio Mattarella"となる。ポルトガル語 (Portuguese, Português) で「アメリカのブッシュ元大統領(子の方)」を表現すると"o ex-presidente americano George H.W. Bush"となる。同様に「アメリカのトランプ大統領」は"o presidente americanoDonald Trump"である。これらはイタリア語で表現しても同じような語順になる。コンマ (, comma) の有無が実際の使用例によって分かれることはここで論じない。



2020年1月16日の注釈(案)

 数詞「12 (十ニ)」は日本語で「ジュウニ jūni, とおあまりふたつ tō amari futatsu」と言うようなことが、東洋式と西洋式とに区分できる。日本語・中国語・朝鮮語は共通の東洋式になる。インド・ヨーロッパ言語では、サンスクリット語dvādaśa द्वादश, ラテン語duodecim, 英語twelve など、"ten-two"(ten + two) ではなく"two-ten"(two + ten) のようにされる。インド・ヨーロッパ祖語も同様ではなかろうか、として推定される。西洋式はアラビア数字の表記と合わないし、和算 (sum) に適していないと考えられる傾向にあり、国際補助語(人工言語の一種)ではエスペラント語dek du, イド語dek-e-du など東洋式にされる(ラテン語deca = 10と duo = 2に当たる語句が12のためにduo + decaではなくdeca + duoとしてラテン語と逆になっている)。面白いことに、「16, 17. 18 (十六・十七・十八)」に関してはラテン語とイタリア語とフランス語のような親子–兄弟(イタリック語派–ロマンス諸語。ただしイタロ・ダルマチア語 Italo-Dalmatian, ガロ・ロマンス語 Gallo-Romance など更に細分化もある。ラテン語も厳密には古典ラテン語が想定される)の言語間で異なる様式がある。La: sedecim, septendecim, duodeviginti (18は20引く2で表現 cf. 19 = undeviginti); It: sedici, diciassette, diciotto (16–17でdiciの位置が変わる); Fr: seize, dix-sept, dix-huit (一見seizeは疑問だがイタリア語に同じ。ハイフン有り). 三者三様かつ、一者のうちでもイレギュラー irregular な命数法が伴っていると分かる。
 cf. 英語版Wikipedia - "List of numbers in various languages" oldid=935245993. 今は例示しなかったドイツ語や朝鮮語–韓国語やアイヌ語の例に限らず、非常に色々な例が見られるが、出典は無いに等しいため、各々が個別に調べ直すとよい。
 認知心理学などの学者 (Iro Xenidou-Dervou, Ann Dowkerら) が言語の数学に対する影響の研究をし、東洋式と私が言うようなものの方が児童の算数–数学の成績に良い結果をもたらすとしている。報道例:"Why you might be counting in the wrong language", BBC Future. by Anand Jagatia (この人名を論文姓名表記にJagatia, Anandと改めるページがインターネット上に見られる)
 数詞の西洋式についても「原初–起源」を推し量るならば、地名や日付と同じく「小さいものから大きいものへ」という判断基準の適用を考えることができる。もう1つの判断基準に「一から十とされる範囲を繰り返す方が行いやすい」というものがある。ここでは、現代アラビア数字「10」とすると0表記ありきの先入観が反映されるので漢数字に「代入」してみる。彼らの手に取る範囲の事物もとい日常的な思考に関わるものとして二十以下の数は「一から十とされる範囲を繰り返す」ことが許され、単に十台 (-teen) であることが分かる形態が伴えばよい。二十以上は日常的に考えなくてよい。しかし、時には二十以上が必要である。そういう場合はどうか、現代人の私が判断材料を探る。三十二–三十三–三十七のためにサンスクリット dvātriṃśa द्वात्रिंश, trayastriṃśa त्रयस्त्रिंश, saptatriṃśa सप्तत्रिंश, という数の表現を用いている(仏教用語の三十二相–三十三天–三十七道品などを参照。同じ用語がパーリ語にもあって比較可能)が、これらを見ても低い桁の数の後に高い桁の数を言う「小さいものから大きいものへ」・「一から十とされる範囲を繰り返す方が行いやすい」という基準の方法になっている。他の例で三万ニ千人いることに「(二+三×十)×千 (two plus three times ten) times thousand」のような表現があったりする(e.g. 1999年にチベットで見つかった維摩経写本: dvātriṃśatā ca bodhisatvasahasrair... 鳩摩羅什漢訳=大正蔵17巻537頁a段:: 菩薩三萬二千)。仏教で定型的に見られる「八万四千」という数は、大乗仏教の脈絡に見る「八万四千法門」以外にあるか探すと、パーリ経蔵・長部17経 Mahāsudassana Sutta に"caturāsīti thambhasahassāni"(中阿含経=大正蔵1巻516頁a段: 八萬四千柱) が見られた。これらはいずれも千にあたる数詞 sahasra, sahassa が数量化される語句 bodhisatva, thambha を隔てて後側に伴う。



旧世界–ユーラシア的な範疇の二項対立に思われそうである。
英独仏や日中韓を一括りにすることを嫌う人がいる。
しかし、便宜的かつ人名にあやかった科学用語のようなもので、ステレオタイプなどの偏見を催すように思われても「東洋式」・「西洋式」という呼称を用いる。
一般的に理解の得られそうな(ポピュラー popular だが)東アジア言語とヨーロッパ言語が中心的に提示されている。
興味のある人がアフリカ大陸や南北アメリカ大陸(アメリカ州)の「エスニックな言語(帝国的な目線での表現)」についても、データを徹底的に調べて体系的にまとめればよいと思う。

当該記事2019-03-05と当記事で「東洋式」・「西洋式」とくくることにした語順は:
・地名 toponym, place name, placename
・人名=姓名 human name, personal name, full name; first–last, given name–surname
・日時=日付と時刻 date and time
・数詞 numeral, number ←New!

「波斯匿王(はしのくおう)=コーサラ王パセーナディ」は同格表現であって文法的な語順–統語論 (syntax) に関わってくるし、インド・ヨーロッパ系の諸語は古典語であっても同格表現の語順に相違がある。
しかし、これに関しても東洋式と西洋式とで対立的な傾向が強いことがいくらかの文献の例示で分かる。
インドが地理的にも語順に関しても中間的であることは当該記事にも示された。

名称は"eastern-western"方式と"oriental-occidental"方式のどちらがよいかは、前者が直感的であると同時にオリエンタリズム orientalism の連想を回避しやすいので、私は前者を選ぶ。
大文字と小文字 (upper-case or lower case) については、標準的に小文字を用いる。

「西洋」は地理的・文化的な範疇を通時的に括るわけでない。
西洋言語の影響下であっても、後世に国際補助語エスペラントの数詞や、ISO 8601による日付表記や、論文の姓名表記などに東洋式で反映された例は示される。

2020年2月5日水曜日

音楽における「和風」議論 ~ 短音階第六音を抜くことの多寡

和風およびエスニックの音楽の特徴に、五音 (pentatonic) という簡素な音高 (pitch) の数で構成される音階 (scale) が挙げられる。
その本源は各種楽器の調律-チューニング tuning の結果として1オクターブあたりの音数の制約があったことと考えられる。
デジタルな制作環境 (DAW, digital audio workstation) でも、その雰囲気は作曲者の感覚または理論から保持される傾向にあるが、七音音階 (heptatonic scale) によるメロディに親しんでいる側面から六音 (hexatonic) が多いか、好まれやすい。
※当記事でいう「音楽」は特筆しない限り、現代の日本の音楽シーンが位置する大衆音楽–ポピュラー音楽 (popular music) を意味する。厳密な定義は困難だが、厳格な伝統の守護の意識が無いなどの点で、そう考える。

当記事は、私がそう結論を得るような研究した経過と結果で構成される。
昔からの経緯を、まず、示す。

某サイト作曲者「らい○」について、2015年8月に私はSU名義(らい○同一人物)とSRS名義(らい○同一人物か疑問の余地)の活動を検証した。
そこ (音楽館 2015-08-30記事) で、以下の情報を書いた。
・らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲では「和風」を称していたが、和楽器を用いていないもので、アンチから「どこが和風ですか(★1評価)」と苦言されて以来、和風曲の解釈に苦しみ続けているようで、SRS名義でも「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」と予め断ったロック曲(13年6月)がある。

※「苦言」は疑問符が付いていない疑問文の形式を取り、「どこも和風でない」と言いたい婉曲的な否定の文であろう。らい○本人は「主メロが和風」、「ピアノを琴 (koto, 和楽器の一種) にしようか迷っても楽器でごまかすことはよくないと思った結果」という趣旨を含む低頭の返信をしていた。



らい○ちゃんの「和風曲の解釈についての苦悩」について、一つの説明ができる。
2019年12月15日に私が思い当たることを調べた。
問題の「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」の主旋律–メロディ (main melody) は「ニロ抜き短音階(二六 niro 抜き)」に近似していると分かった。
この曲の調(キー key)は嬰イ短調(変ロ短調ともいう。英: A#m, B♭m)であるが、これをイ短調(先の半音のみ低い調。英: Am)に移調すると、本来七音の音階(ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G)であるうちの六音(6つ)のみが使われ、使われない一音は第六音 (6th)=ロ(ファ F)である。

 i.e., A B C D E G A… = ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ・ラ… (古い音名でイ・ロ・ハ・ニ・ホ・ト・イ…とも表現できるが後述のように、ロ短調と呼ぶようなイロハ式のときのロと二六=ニロのときのロは別物である点に注意)

このような近似ニロ抜き短音階…、ここで厳密に言うと「短音階第六音を除いた音階」の楽曲は東方Projectの曲に多いとして、説明するページがある。
ニロ抜き短音階の考察 - ZUN氏作曲音楽データベースWiki
https://w.atwiki.jp/tohomusicdb/pages/505.html
そこでも例示された「明日ハレの日、ケの昨日 (th10_14)」と「旧地獄街道を行く (th11_06)」を同じようにイ短調にすると、同じく主旋律で使われない一音は第六音=ロ(ファ F)であった(ニロ抜きというがニもといシ Bはそこそこ出る)。
ここでの検証方法は有志作成MIDIファイルの利用によるが、興味のある人が各自で調べるとよい(上2曲については動画で説明する人がTwitterに見られた 1, 2)。
当方ID(私による管理楽曲識別番号。初のらい○記事2014-10-04にも載る。らい○ちゃんの2011年1月1日トランス曲は439)で、和風のトランス楽曲162-163も同じであった。
以上も以下も、注意してほしい点は「短音階=自然短音階 natural minor scale(3種の1。長音階は1種類のみ)」ということと、「あくまでも主旋律のみが対象(伴奏のベースやアルペジオやコードなどは必ずしも当てはまらない)」ということである。



さて、SRS名義での「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」(2013年6月) という発言についても思い返そう。
らい○名義・SU名義・SRS名義の全期間において、あまり音楽理論(音階理論や和声理論)は言及されなかったが、このような「和風議論」において音階の側面でも優位な一面があると私は感じた。
なお、東方Projectの曲に多いコード進行VI→VII→i (短調での話。e.g. Am = Cが調の時 F→G→Am) をも、この「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」は踏襲していた。

東方Projectのゲームや音楽の作者であるZUN氏(太田順也/博麗神主)は「和風」についてどう楽曲に反映するか?
東方文花帖(同名のゲームもあるが2005年8月出版の書籍の方。ISBN 9784758010375)における「幻想の音覚」の中で、彼の「プレインエイジア (th08_07)」という曲のコメントにこう書いている:
 これこそが日本人が見た日本だ、という意気込みで曲を書きました。純邦楽と言われる曲がありますが、アレは完全に作られた日本なのではないのかと思う。日本人は歴史の物の成長を再開させた様に見えて、その実は歴史と現代を分け始めた。本当は、現代風の手段をもってして、自然とどこかに日本が入ってくる事を目指すべきだと思っています。
 この曲は今の私が考える日本の曲。別に三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する。こういう曲を聴くと、日本に生まれて良かったという幻覚を見る。えっ幻覚?いやいや、幻覚は思い込みなどではないのです。
引用元:东方文花帖(书籍)/幻想的音觉/中日对照 - THBWiki ※リンク先のサイトのコンテンツはフェアユースの範疇でないかもしれない (It may not be fair use)。他に英語サイトなどで載るが、私に原文を検証する手段も無いので、信憑性は読者に任す。

私の記憶を出発点にしてから、「あたかも自らが作曲したかのように滔々とコラムを書き連ねる博麗神主」というような内容を見直した。
これを引用する場面なのかと悩んだが、一応した。
「三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する」という「ある物」は、彼の作曲環境と彼の感性とであろう。
ここで革新的に彼は、合理的な復古主義(近世や近代ならではの科学的なもの)を批判しつつ、彼の生まれながらの感性と自由な学習による音楽性と言語表現とを用いることを是としていよう。
それを日本の「無思想の思想」にも比較してみよう。
作曲環境において三味線や尺八は使用可能であるし(GM音源にShamisenとShakuhachiがある。彼の持つハード音源SD-90プリセット名にも当然ある)、音階についても意識的に用いることは可能である。
典型的な和楽器のインストゥルメントや、和楽器の調律に基づく日本音階(英語版Wikipedia - Japanese musical scalesに色々と載っているが信憑性は不明)を、確かに彼は使わない傾向がある。
ところで、その「プレインエイジア」という曲も、やはり主旋律は六音のみの音階であって短音階第六音が用いられない(i.e. ヘ短調 Fm であって第六音ドのシャープ C#が用いられない。調をイ短調にするとイ短調の音階の第六音ファ Fが用いられない)。

ZUN氏の、2005年8月当時と近い時期の説明も少し参照されたい。
 さてに曲。曲の方もますます独自の世界に入っていきたいと思いつつ。全体的に曲も東洋風を意識しています。東方なんだからね(笑)
かといってこてこての和風過ぎるのも好きではないので、どこか懐かしい感じを受ける程度に東洋風だといいかな?って感じにしたいところです。
- 東方妖々夢 体験版Plus おまけ.txt (web上からの孫引き)

 それにしても、いつもは西洋風の曲を創っても、何処かしら東洋風の雰囲気が混じるのですが、今回は東洋風に徹しても、何処かしら異国風になっているような気がしてならない。
 決められたものを決められた通りに創れないのは、プロフェッショナルでない証拠ですね(^^;
 和洋折衷、ということで・・・
- 東方妖々夢 おまけ.txt (web上からの孫引き)

他に気になれば"Music Room"コメントなどを「和」などのキーワードで探してみるとよい。
単語例として「和洋折衷」については「紫(筆者注:キャラ名 Yukari)の場合、和洋折衷じゃ駄目なんですよね。分離したまま一つにしないと、肝心の境界がなくなってしまいますから。(東方萃夢想 "夜が降りてくる ~ Evening Star")」、「この曲は私なりに最大限の和洋折衷を目指した曲です。(東方永夜抄"夜雀の歌声 ~ Night Bird")」といった具合に用いられる。
話がそれたので少し戻すと、らい○ちゃんの思う「和風」とは、ZUN氏の音楽性や言語表現に見る「和風」に近いと思ってよい。
これは東方界隈やボカロ界隈が詮ずる所、日本の大衆文化 (popular culture, pop culture in Japan) の中にあるという点で括れば、それで済む話になる。
実際のところ、2011年1月1日トランス曲も、SRS名義2013年6月の曲も和楽器を用いないが、らい○2011年以前には三味線や琴や尺八などがID: 861 893 894で使われる(和楽器はしばしば某サイト曲において他のエスニック系インストゥルメントや笛についてのフルートやパンフルートやオカリナやピッコロやカリオペリードで代用される)。
SRS名義2013年6月の曲「雰囲気が和風」とは、せいぜい曲名や歌詞ということになる点で、ZUN氏と異なる側面もあると結論付ける。



一般的な音楽での結論:
「和風曲」の音階理論におけるエッセンスは…
十二平均律の観点での短音階第六音=長音階第四音抜き、となる。
本来は和楽器やエスニック系の楽器の調律に依存するが、これらは別の検討方法が必要になる。
簡潔に言えば、和風曲では1オクターブ中に使う音高を6つ(できれば5つ)に制約するとよい。

早い段階で「一つの説明」と言ったように、これらはいくつか条件 (conditions: harmony-scale-tuning) が確立されている上で与えられた分析結果の説明であるため、普遍的であるとは限らない。





付録
主旋律(メロディライン)に用いられる音の音高の数により、私の管理データの楽曲の識別番号を区分してみる。
ここでは例示程度の曲数からそのような区分をしてみる。
識別番号 (数字ID) に「上n」または「下n」を付随し、イ短調またはハ長調に移調した際、上げたか下げた半音の数を表示した。
「314下5」であれば、原曲314の調がニ短調 (Dm) であるところを半音5つ下げてイ短調にしたものだ。
「平」の場合は、移調なく(イ短調・ハ長調のまま)音階の調査をしたことを示す。
加えて、先の話で「ニロ抜き短音階」といったことを長調に適用すると「ヨナ抜き長音階(四七 yona 和語の数詞ヒフミヨイムナから)」となり、短音階におけるニ・ロと長音階におけるヨ・ナは同じ音高を指す。
つまりイ短調自然短音階で第二音 (2nd)=ニ(シ B)と第六音 (6th)=ロ(ファ F)はハ長調長音階で第四音 (4th)=ヨ(ファ F)と第七音 (7th)=ナ(シ B)に相当するので、いずれもファ Fとシ Bとが除かれている。
紛らわしいことに「ニ・ロ」は漢数字の漢字発音に由来しており、イホヘト由来の音名 (A B C D E F Gに対応) でニがレ D、ロがシ Bであることと混同しないようにしよう。

私による作曲例も含まれるが、多くは他の個人活動作曲者である。
それについては色々と秘密にする(本当は私的な研究目的のため)。
括弧内に縷々とジャンル名など補足事項を書いてあるが、割と主観的(作者自身の説明や原題に基づく要素もある)なので参考程度にしていただきたい。
前置きが長くなったが、以下から一覧であり、参考のための動画 (https://youtu.be/JOBf018Wv14) も参照されたい。

五音または六音のみの音階で基本的に主旋律を構成する曲:
439下1(本文に言及されるらい○作)
162=163平(本文に言及される和風トランスといえる何か。それぞれ原曲とアレンジの関係)
2平, 629下3, 676下6(黄昏フロンティア東方原作格ゲーのあきやまうに氏・NKZ氏による曲のようなワールド–エスニック系インストゥルメンタル。一説では猫叉Master/佐藤氏の音ゲー曲のようだとも)
74下4, 75上5, 79下1, 96下4, 545上6, 546平サビで上1(東方風)
90上1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。冒頭から終盤まで頻出するフレーズは徹底的にニロ抜き五音で他は六音が基本。ピアノ伴奏・ソロは七音以上を鳴らす部分も)
349下1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。主旋律の大半は徹底的にニロ抜き五音で、Bメロのみ六音と音階の外の音1つで七音。ちなみに一部フレーズは東方原曲「童祭 ~ Innocent Treasures」上6からのオマージュで、その曲も当該フレーズのみニロ抜き五音)
407下1(アニソン風味。長調。第七音を用いない)
467下1(後述のFF等RPGのゲーム音楽に影響された云々の作品群に含まれるが、この曲のみこちら)
492下1(らい○作メロディックデスメタル色の和風V系ロック。短音階第四音レ Dと第七音ソ Gがギターソロ2回分や28-32小節のようなボーカルパート頻出フレーズで抜かれている。ヨナ抜き短音階による五音音階の希少な例)
814平(英語歌詞の洋楽風ロック。短音階第六音を用いないが僅かに七音音階の外の音ファ#とソ#を用いる)
: 以上は概ね短音階第六音・長音階第四音(イ短調・ハ長調におけるファ F)の無い六音であり、ハモりの旋律は短音階第六音・長音階第四音が現れやすくなる。五音は90や349や492で特筆するほど稀である。74, 75, 79は途中に短三度転調(短三度もとい半音3つ分の転調)が1, 2回あり、いずれも上がるものだが、東方原曲で短三度転調というと「広有射怪鳥事 ~ Till When?」37小節付近と「蠢々秋月 ~ Mooned Insect」26小節付近のように下がるものもある。

基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する曲:
282下6, 526上2, 530上1(らい○作ロック曲)
300下4, 608上4, 820下2, 821平(長調。邦楽ポップ・バラード–ピアノバラード。300, 821は長音階第七音シ Bの頻度低め)
314下5(色々なテイスト。73小節からの主旋律のみ東方風の印象があったが今回の調査でやはり短音階第六音が使われていないと判明。他は七音+ソ# G#)
315平(長調。J-pop風味)
339序奏間奏で下2サビで下5(ユーロビート色のハードコアテクノ風ポップス。BPMとリズムとシンセ音色が「ハレ晴れユカイ」や「魔理沙は大変なものを…」に近似して2000年代のニコニコ受けがよさそう)
435下1, 436上5, 465下6, 466下6(FFに代表される邦RPGの世界観に影響された雰囲気が濃いと同時にハードコアパンクやヘヴィメタルに属するロック)
469下2, 724平(フラメンコ色のワルツで前者はエレキのギターソロ付きハードコアパンク。ボーカルフレーズは両者とも七音音階の外の音が多く用いられる)
504下5(らい○作V系メタル。ボーカルフレーズは短音階第六音の頻度が少なめで七音音階の外の音が用いられやすい)
540下2, 541上5(長調。アイルランド伝統音楽風。後者は現代ミクソリディア旋法またはミクソリディアンスケールと言われる音階"modern mixolydian"に当たる)
726下6(洋楽風ロック)
734平(長調。ポップな矩形波を伴うロック。ループ音楽。最初8小節のフレーズは第二音と第七音が徹底的に抜かれる稀な五音音階)
855下1(長調。オサレ系アニソン風ポップス)
881下3(カンツォーネまたはシャンソンを想起させる・ロマンスあふれるフォークまたはカントリー)
: 基本の七音から外れた音も伴奏コードに依存して登場する。イ短調は先述の通りラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G = 白い鍵盤のみを使うので、これに加わる音は黒い鍵盤となる。典型的にイ短調はダイアトニックコードの一つBmの和音を構成するファ# F#が考えられる。曲によって何の黒い鍵盤が頻出するかが分かれる。465ではソ# G#が用いられ、466ではファ# F#が用いられ、六音が基本の467でもファ# F#が用いられている。ソ Gの代わりにソ# G#を用いる短音階は和声的短音階 harmonic minor scale、そこに加えてファ Fの代わりにファ# F#を用いる短音階は旋律的短音階 melodic minor scale と言われるが、この他の黒い鍵盤の音(ド# C#など)が用いられる場合もある。長音階でも七音の外の音がありうる。場合によっては無調性 atonality や半音階 chromatic scale, chromaticism と呼びうる。もしそう見えても主音 tonic note や終止 cadence などに注目して調を見出すことも可。

基本の七音のうち短音階第六音=長音階第四音を控えめに用いて主旋律を構成する曲:
172下4後半で平(短調。東方風だが特に秘封倶楽部を連想させる。前半部では、伴奏コードのごとく短音階第一音のフラット、イ短調でのラ♭ A♭ = G# が頻繁に見られる)
174=175平(短調。和風トランス。頻繁に繰り返すフレーズ以外は七音)
403上1(短調。洋楽風メロディックハードコア。短音階第二音の使用頻度も低い。なぜか私は噂にあるスコットランド民謡がどういうものか調べたくなった)
544平サビで上5, 705平(短調。東方風)
555下5(短調。邦楽ロックでアニソン風味)
717上4(長調。洋楽風メロディックハードコア。長音階第四音を用いる頻度が低いがそれと同じくらいハ長調でのラ# A#を用いるが伴奏コード依存)
795下1(短調とも長調とも。邦楽メロディックハードコア)

管理楽曲識別番号を用いた例示は以上である。
識別番号による合計の曲数は50 (= 18 + 23 + 9) である。



他に、私の投稿物で今からでも聴ける例を示す:
「ハピコアメロコアメロスピ同盟(仮)」 https://www.youtube.com/watch?v=ecyUbYFg1EQ (平, 短調, 題のジャンル+東方テイスト, 2014年8月–) はイントロのギターソロのみ七音で、ボーカルや残りのギターソロが二五・ニゴ抜き短音階ともいえる五音(A C D F G. 当時の音楽理論理解でミ Eとシ Bを避けていた)で構成される。
「萌通」 https://www.youtube.com/watch?v=L_aKbPZsU1c (下5, 短調, 東方風ジャズ系インスト, 2014年9月–) は六音(調査用イ短調は一度Bmコードの時に主旋律でファ#あり)で基本的に主旋律を構成する。
「大晦日の歌」 https://www.youtube.com/watch?v=Ve3krVxVeQI (上5, 長調, 文語で七五調の歌謡曲, 2015年10月–) は六音で基本的に主旋律を構成する。
「Delightful Sunrise」 https://www.youtube.com/watch?v=VSUm2KE1uDI&t=291 (上4, 長調, ハッピーハードコア, 2016年9月–) は七音で基本的に主旋律を構成する。
「Cupiditas 官能的な牡牛くんが犯した罪の詩」 https://www.youtube.com/watch?v=E3aZmnZIOXI (下1, 短調, ユーロピアンなポップス, 2018年11月–) は六音(短音階第二音なし)で基本的に主旋律を構成する。

他の楽曲(手持ちのMIDI)で少し調べた例も載せる:
Furusato (平, 短調, 日本の民謡「ふるさと」…私の耳コピ) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Cielito Lindo (下2, 長調, メキシコの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Calabrisella Mia (下2, 長調, イタリアの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Camino de Llamas (平, 短調, Uña Ramos 1982年アルバム収録?アンデス音楽) は五音で基本的に主旋律を構成する(第二音シ Bと第六音ファ Fを抜く。元の楽器ケーナ quena の調律方法に依存)。
Hatikvah (上5, 短調, Fuggi Fuggi Fuggi フレーズ借用のイスラエル国歌"הַתִּקְוָה") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Mayim Mayim (上1, 短調, イスラエル発祥の国際的フォークダンス曲目"מַיִם מַיִם") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。





備考:東方Project無関係の曲の「東方っぽさ」の理由と反面
日本の大衆音楽・歌謡曲で私が「東方っぽい」と感じる例に「夏祭り (Whiteberryの曲)」がある。
私の測定によれば、イ短調 Am と分かり、有名なサビのフレーズに第六音ファ Fが無いと判明した(BPMに関しても東方のステージ曲とボス曲の過半数が属する150–170のあたりに重なる。コード進行も東方で定番のF→G→Am派生形)。
これは『「東方っぽい」東方Projectと無関係の曲』の代表例として祭り上げてよいと思う(理論的説明をした上で)。
ただし、人々が「東方っぽい」と知覚する理由に微妙な差異もありうる(cf., 東方萃夢想 Music Room - "萃夢想", 作者U2 = あきやまうにコメント 引用: 東方ぽく最初は静かですが [...])。
ZUNさんが先の年代(2002–2010年 cf., 東方妖々夢 おまけ.txt東方永夜抄 おまけ.txt妖精大戦争 Music Room - "可愛い大戦争のリフレーン")で言うことは「ゲームミュージックは『ゲームありきのミュージック』であり、ゲームの目的に合うだけの価値を持つ」というもので、STG東方原曲に限れば、ステージやボス目的に合わないものを「東方の多くの楽曲が分類される『ザ・東方』の曲っぽい」ということは、難しい。
実際にいくらかZUNさんの「音楽スタイル」として人々に観測可能な特徴は、東方の原作STGでさえ、旧作のもの (–1999年12月) と輝針城以前のもの (–2013年8月) と紺珠伝以後のもの (2015年8月–) とで異なると見られやすい(某掲示板やTwitterユーザーなどでたまたま見た他者の意見による。後はコード進行などを抽出して統計でまとめるなどを仮想している。なおFM音源PMDやSD-90など再生環境に関することは基本的に別の話)。
特に天空璋以降 (2017年8月–)、ドラムのキック–バスドラムの音がテクノ系ドラムマシンのサウンド(いくつかの情報源はGroove Agent 4のElementicとする)に固定されたことは、ゲーム中のグレイズ graze 効果音と混同しないためのゲームの目的性による変更点でないか、と私は感じている。
なので、音楽的特徴の抽出は音楽の一面で偶然的に(強く言えば蓋然的に)合うもの、と理解すべきである。
音階理論から解明される東方っぽさは、漠然と「和楽器が無いのに『和風』の感じ」や「オリエンタルなテイスト」や「フォーク–エスニック系の香ばしさ」と日本人が知覚できるものである。





備考:七音音階は七色?
七音音階の音がきっちり使われている曲は鮮やかに虹色を映しているように、私は錯覚することがある。
虹色は光のスペクトルの赤ないし紫(科学知識によれば電磁波における可視光線の長い波長750 nmから短い波長380 nm)を示すものであり、それを文化ごとに三色とも五色とも七色とも言い、現代日本では七色(7色)で定着している。

七色を唱えた説のうち、有力な説明をした最初の人はアイザック・ニュートン Isaac Newton と思う。
過去記事に記したように、彼の時代はまだ光の粒子説と波動説とがあるうち、波動の面での解明が浅かったので「波長」とは言われずとも、目に見えるもの (visible) としてプリズム (prism) からの光を指すこともできる「スペクトル (spectrum, spectra)」は言及があった。
彼は七色を"Red, Orange, Yellow, Green, Blue, Indigo, Purple"とした。
Blue, Indigo はと直訳できるが、これら2色は代数的に呼ばれたものなので、今日のシアン Cyan(子ども向けには水色)・青 Blue と言い換えられる方がよい。
彼の七色の説は1704年に刊行された「光学 Opticks」で見られる。
そこには、七色を七つの音 (D E F G A B C, レから始まる) に配当した説明が見られる、と私は認知しているが、原著の文脈を知らないので、少し探してみた。

Fig. 11. PROP. VI. PROB. II. Opticks. …当ブログ筆者による着色を伴う

In a mixture of Primary Colours, the Quantity and Quality of each being given, to know the Colour of the Compound. 

With the Center O [in Fig. 11.] and Radius OD describe a Circle ADF, and distinguish its Circumference into seven Parts DE, EF, FG, GA, AB, BC, CD, proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol, contained in an eight, that is, proportional to the Number 1/9, 1/16, 1/10, 1/9, 1/16, 1/16, 1/9.
Let the first Part DE represent a red Colour, the second EF orange, the third FG yellow, the fourth CA green, the fifth AB blue, the sixth BC indigo, and the seventh CD violet. And conceive that these are all the Colours of uncompounded Light gradually passing into one another, as they do when made by Prisms; the Circumference DEFGABCD, representing the whole Series of Colours from one end of the Sun's colour'd Image to the other, so that from D to E be all degrees of red, at E the mean Colour between red and orange, from E to F all degrees of orange, at F the mean between orange and yellow, from F to G all degrees of yellow, and so on.
Let p be the Center of Gravity of the Arch DE, and q, r, s, t, u, x, the Centers of Gravity of the Arches EF, FG, GA, AB, BC, and CD respectively, and about those... (後略)
- PROP. VI. PROB. II. Opticks. (ここでの引用元は第4版の内容で1952年に発行された本の本文154ページ。他に初版だという本のネット上で閲覧可能なスキャン物では spread: 73 の [114] とあるページに載る。ただし分数が7つ記される部分は1/9, 1/10, 1/10, 1/9, 1/10, 1/16, 1/9とあり、異なる)

Fig. 11. とは、BOOK ONE. PART II.の中で11番目の図表 (figure) を意味する。
その図表に描かれるサークル(円形)はD E F G A B Cと名付ける線7つで時計回りで区切られ、外側にRedからPurpleまでの色の名が領域DEから領域CDまで時計回りで記されている。
7つの色を分けるD E F G A B Cの線はDを調とする音階または旋法と関係が無いものか?
便宜的なものであろうか?
そのあたりはこの内容から読み取ることができない。
"proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"を含んだ段落が、どう関係しているか?
"the eight Sounds, Sollafasollamifasol"という同格表現をどう解読すべきか分からないが、1オクターブ12音高の時に:sol, la はそのまま半音7つ(完全5度)上げて re, mi の位置にすると次の fa, sol, la に繋がり、次の mi, fa, sol はそのまま半音5つ(完全4度)下げて si, do, re の位置にすると、これらは re, mi, fa, sol, la, si, do, re という D E F G A B C D という1オクターブの"the eight Sounds"の"the seven Musical Tones or Intervals" (7つの音程) になる、としか私には理解の方法が無い。

図を見る限り、一般的な音階のE-FやB-Cは半音で隣り合うので、これをスペクトルの Orange と Indigo が視覚的に狭いことに託してDのドリア旋法 (Dorian mode, ドリアン・モード;教会旋法のほう) を採用している、という点で理論的に見える。
Orange と Indigo はそれまで五色が主流だった虹の色数の説明に、彼が七音音階に合わせて七色とするために加えて挙げたものであるとも世間で言われている。
インターネット上でもそういう説明がそこそこあろう。
この解釈には、その理解をニュートンさんが持っていたという直接的根拠があるか判然としない。



虹の色彩は、好む人も好まない人もいる。
白黒二色やモノクロームやモノトーンや任意の色の濃淡明暗の差の色彩と比べてどう好まれるか?
虹の色彩を用いる場面によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階も、五音音階より好きという人も嫌いという人もいる。
七音音階を用いる曲の雰囲気によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階は虹の色彩か、それとも任意の調の下で比較的自然に用いられる白い鍵盤の範囲か?
この話をするうちに思弁的な気がしてきた。
七音音階の好き嫌い・善悪も、認知科学などの方法論で解明したり説明したりできるかもしれないが、現状ではこれ以上の示唆ができない。

いくらかの疑問を残す。
私は、根拠の少ない状態で結論に導くようなことを言いたくないので、読者への宿題ということにしておこう。
それでも、七音音階は虹の色彩に見えるし、七音音階の外の音高は白い鍵盤に対する黒い鍵盤のように虹の色彩で形式的に示される七色それぞれに類似する色に見える、と私の今の感覚を言う。
この共感覚のようなもの (synesthetic sense, sensation like synesthesia) が、過去にどうであったか、未来に続いているかは別の話である。



音高を色で表す合理的な方法も、考えてみよう。
虹の色彩は表現される色数が3であれ5であれ7であれ:
HSVカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Value"明度100%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままVの値を下げると黒に近づき、H = 任意でV = 100%のままSの値を下げると白に近づく。
HSLカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Lightness"輝度50%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままLの値を下げると黒に近づき、Lの値を上げると白に近づく。
HSVやHSLのモデルを適用し、オクターブの高低の差を色で表現することを可能にする。
MIDIのC-1からC9でいえば、聴覚的に音色の特徴が理解されやすい音域がC4(十二平均律でピッチ基準音440 Hzの場合にC4ドは約261.63 HzでC4シは約493.88 Hz)なので、C4に虹の色彩もとい光のスペクトルを置き、C-1は白か黒、C9は黒か白に近づくように脱色の方向で扱う。

この方式が一般的に採用されているか、私は知らない。
類例として、C D E F G A Bの7つの音高を7つの異なる色にして表示することはMIDIファイルを扱うソフトウェアなどに見られる。
その一例として、Domino では色のスペクトルで(ニュートン式の名で仮定すると)Bが赤であり、Cがオレンジであるところを経由してAが紫となるような配色(視覚的または技術的にはBがオレンジ appr. #ff8000 でCが赤 appr. #ff3000 と逆に感じる;他にはD, E, F, Gは緑、藍=青、黄、青=シアンなので、スペクトルにならって正せばF, D, G, Eのようにしたくなる配色)にしている。






起草日: 20191215

記事本文中に:
短音階の第六音は第6音、第二音は第2音と記さなかった。
長音階の第四音は第4音、第七音は第7音と記さなかった。

個人的に、七色(なないろ/ななしょく/しちしょく/しちしき)の読み方は訓読み「なないろ nanairo」としたい。
ただし、私のセンスでは「三色」が「さんしょく sanshoku」、「五色」が「ごしき goshiki」となるなど、私が音読みのうちの漢音 kan-on や呉音 go-on を単語ごとに分けて用いるような読み方になる。
これも「色々 iroiro」、「色とりどり iro-toridori」ということになる。

ゲーム音楽–ゲームミュージック (video game music) を研究する学問を英語圏で"ludomusicology" (「遊び・遊ぶこと」を意味するラテン語由来の語幹 lud, ludus のギリシャ接頭辞化 ludo-または interconsonantal vowel -o- 挿入 lud-o- が付いた ludology という「ゲーム研究 game studies」を意味する用語に musicology という「音楽学」を意味する用語を合成したという)と呼んでいることは2019年12月28日に知った。
その分野には、国内外の東方ファンおよび国内のゲームファンの交流があまりなさそうである。

民族音楽とされるものを研究する学問を英語圏で"ethnomusicology"と呼んでいることは2020年1月3日に知った。
文字通りに「民族音楽学」と訳語にすることが可能であるが、西洋音楽との対比が差別的であるとか、音楽的特徴以外も研究した民族学 (ethnology) の一種だとして見るために「音楽民族学」と呼んで理解する向きもある。
先に「民族(ethnicity, ethnic group)」と定義を与えたものに属する音楽とその文化を研究対象とすることが「正統派」であろう。
「本物–ホンモノ」だという民族音楽は、「民族」の文化的全体性や社会的な目的などに従属するので、独立の音楽としての側面以外が強調される。
音楽的特徴に関しては音階理論以外にも「狩猟の際の槍・弓矢の使用は弱強の裏拍リズムで、農耕の際の鍬の使用は強弱の表拍リズムだから文化によってリズムの得意・不得意が異なる」云々の論調も含まれる(鍵括弧内については日本人と西洋人を対比して任意の問題の原因を示す際のたとえ話で日本人がよく用いる様子)。
一般的な認知で、民族音楽は民族音楽というスタイル(典型的に楽器・衣装・演奏者らのアイデンティティ)が一般人に分かりやすい範疇で言う。
当記事で「エスニック ethnic, フォーク folk」と呼ぶようなものは、ポピュラー音楽での応用を指すので、この分野に関連しない。
実際、定義の不明な「民族音楽」という呼称は一度も用いられていない。

五音音階をイ短調=ハ長調(key: Am = C)で用いること(A C D E G. ニロ抜き短音階に当たる)は初歩的であって初心者の入門に適しているという趣旨の意見がWikibooks -  "Guitar/Scales". oldid=3454107. に記されている:
A Minor Pentatonic
   A-C-D-E-G-A
Most guitarists feel comfortable beginning with the A minor pentatonic, which is the single most popular scale for solos in Western music. Most guitarists know this shape of the Am pentatonic scale by heart, mainly because it is so frequently used in solos. It can also be used for pretty much anything, especially if you want to give it a slightly melancholy sound.
Remember that this scale pattern (and any other scale pattern) can be moved up and down the fretboard therefore allowing the guitarist to play in many different keys using the one shape. (後略、diagram あり)

当ブログでは、某サイトと東方Projectを同時に言及したことが一度ある。
2015-11-13記事『同じ作者の2009年の作品と、初公開が2012年で未完の作品それぞれ』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2015/11/20092012.html

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2020年2月2日日曜日

2020年1月中の日記メモ

●口上
日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。2019年9月29日における携帯電話の画面に光が入らなくなる故障から、非パソコンでの簡易なメモと自室での時刻確認ができない状況(前者は必要性が強い場合に限り紙・ペンで行う)にある。

●私感
智歯周囲炎に関する記録は当月4, 13日メモなどにあり、口の中の患部を示した写真(閲覧注意)も見られる。

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31




2020/01/01

本日1月1日は2時21分にPCをシャットダウンして就寝し、8時21分に起床した。12時32分から便意のためにトイレへ入り、3個の小サイズのものを排出した。例の通り、肛門を拭ったトイレットペーパーに多めの血が付着していた。14時20分台から母親と弟が徒歩で外出したようであるが、15時2分に一旦彼らが帰宅した。母親がトイレを利用した後の15時5分に彼らは車に乗り、5分間のアイドリング状態の後に母親が発車して外出した。15時18分から便意のためにトイレへ入り、4個のコロッ糞を排出した。15時37分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、16時46分に自室へ帰った。私が浴室から出る準備をしている間に彼らの車が家の前に着き、浴室から出るまでに弟が帰宅した際の準備がされるように待ってから急いで浴室を出て、自室にいくらかのものを持ち帰るようにした。その直前に母親が屋内に入った。



2020/01/02

本日1月2日は2時3分にPCをシャットダウンして就寝し、10時38分に起床した。私の起床前から、私は耳栓をしたまま、1階リビングに母親がいて母親がテレビを付けて好きなディーライフ海外ドラマ吹き替え版の音声を流していることが分かる。起床にためらう時間があった。母親は14時30分現在もテレビを消したことが無い。その間に、弟の外出からの帰宅と彼の風呂の行為の終了(13時台)を含む。母親の作業に無関係なTV音声の垂れ流しで、母親は他人よりも自身の行為による電気利用料金(電気代)の加算を気にしないものか?ユニセフ (UNICEF) マンスリーサポートプログラムへの出費などを恥じないものか?私は当人に何も言わず(黙って)私の作業(無給)をするしかない。



2020/01/03

本日1月3日は5時11分にPCをシャットダウンして就寝し、10時16分に起床した。弟の作業所–就労支援の社会福祉施設–多機能事業所からの帰宅が13時40分台であるが、それまでに彼は母親と合意がありながらも半分無断で豊橋市藤沢町あたり(MEGAドンキ内部か)で食事を取ってきたことについて玄関先で母親から責められていた。例の通り、弟の食事量の異常についても触れられていた(一般的な日本のマカダミアナッツ入りチョコレート1箱全てを1月1日夕に食べたことと本日朝にバナナ3本と昼用の「お雑煮」を食べたとかという内容)。彼について「デブ」といった直言の非難は無かった。18時0分ころから母親と弟が1階リビングに入ってテレビを付けた影響で耳栓をした私は、よくあるように、18時40分ころからPCの前で横になって漸次に眠り、20時32分ころに体を起こした。



2020/01/04

「画面に光が入らなくなる故障にある携帯電話」とその内蔵カメラを使い、その場でのプレビュー参照と設定確認ができない状態にあるため、必要な情報を映しづらい。 (202001040344)

本日1月4日は3時32分にPCをシャットダウンして就寝し、10時6分に起床した。13時49分から便意のためにトイレへ入り、4個の小サイズのものを排出した。19時51分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものを排出した。



2020/01/05

本日1月5日は3時29分にPCをシャットダウンして就寝し、10時14分に起床した。



2020/01/06

本日1月6日は3時15分にPCをシャットダウンして就寝し、9時48分に起床した。同じ時に母親が発車して外出した(弟の作業所に関する弁当を作る云々と前日に言っていたことに関連)。13時9分に母親の車が家の前に着いた。16時4分に弟が帰宅した際、母親が玄関のドアを施錠していたために弟が屋内に入れないので/母親が2階の部屋で風呂上がりのドライヤーをかけているので私が開錠した。弟は屋内に入って普段通りに靴の泥を落とす行為を庭でして再び家に入ってから母親の挨拶を聞いた後、彼は「頭痛で食欲がない」という趣旨を話していた。16時現在、私には、本日の起床時から続く尺骨神経 (ulnar nerve) の末端の知覚神経(薬指–小指のアレ)の痺れがある。



2020/01/07

本日1月7日は4時43分にPCをシャットダウンして就寝し、9時38分に起床した。7時50分ころであろうか、外出前の弟が母親ともめている時に、一度目覚めた私は口の中の酷い渇きのために起床して少量の水を飲んだことがある。16時5分ころに弟が帰宅した時と18時40分ころからにわかに弟が怒った時、前日と本日の朝に母親と一緒に料理を食べたことがどうとか、弟の炊いた飯がまずいと母親が言ったとか弟が言ったとかという、話題が聞かれた。18時40分から18時47分に、1階リビングにいる母親が弟に怒鳴られながら「殴らないでよ!」「怖い!」などと言いつつ、ずっとテレビを付けたままでいることも、全て「キチガイ」である。



2020/01/08

本日1月8日は5時27分にPCをシャットダウンして就寝し、11時51分に起床した。13時34分から便意のためにトイレへ入り、5個のコロッ糞を排出した。肛門を拭ったトイレットペーパーに多めの血が付着していた…、と書くまでもなく、今までに多少ヒリヒリ感は残っていたし、排便の時にもはっきりと痛みが伴っていた。20時38分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものを排出した。23時6分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、25時26分に自室へ帰った。



2020/01/09

本日1月9日は寝ない状態で日を越して至る。9時59分から母親が屋外に出て車のドアの開閉や敷地内の徘徊などをし、5分後に屋内に戻った。外出の装いであり、10時台に往復8回も玄関ドアの開閉をしていた(自動車の中の物品を1階リビングに移動していた様子)。10時27分に母親が発車して外出した。前日の弟の帰宅時に彼が玄関で「靴の何かしらの部分が壊れた(新調したいということであろうし母親の反応は「また?1か月に1度くらいそう…」というもの)」という主張をしていたことに関連するか不明である。

10時42分にPCをシャットダウンして就寝し、16時43分に起床した。これまでに母親は帰宅しているし、弟も同様である。17時10分に家の前に何らかの配達目的の車(ワゴン車/バン)が停まってインターホンの呼び鈴が鳴らされた。弟が母親に指示されて応対して例の通り「お待ちください」と即答した。相手は女性の声であるが、彼はドアを開けて相手が2人いると分かると(それが理由か不明だが)「お引き取りください、郵便局じゃないなら帰ってください」と言い出した。ドアが閉まったから母親がもう一度出るように指示して母親も相手2人に姿を見せて「自転車」とされるものを受け取った。17時25分から2階で母親がケラケラと笑いながら弟にこの出来事の問題を話した。母親が何らかの質問をしたとき、弟は「いや押したよ」と言い、母親は「はんこ押して『帰ってください』って言ったの」とギョヒョヒョ笑いを混ぜながら話した。相手2人は、配達員–配達業者であるよりも在庫を管理する実際の自転車販売関係者と見られ、母親の先の外出については、自転車の販売店舗が目的地にあった可能性を考える。18時53分の彼ら宛の配達物があり、これは電気スタンドの一種 (TL-118GZLE) であった。

当記事注: 2021年2月4日にこのできごとを振り返ると、なぜかどこにも2019年9月22日の弟発言の件が示されていないことに気づいた。2019年9月22日16時59分に弟が「実はきょお自転車に乗ってる12歳のお姉さんを見た、だから付いていきたくて自転車に乗りたいと思った」と唐突に言い出したことが発端である、ということを私は認知していたのに、なぜか本文で示さない。その他、自転車の問題などについては翌日の日記メモとその注釈に引用されたメール文章とそれ以降の日記メモに記してあるので、を参照されたい。



2020/01/10

本日1月10日は4時40分ころにPCをスリープ状態にして仮眠を取ろうと就寝し、8時35分に夢精で目覚めた。事前にパンツ(トランクス)の中でペニス(主に亀頭)を覆うように私が施した2枚重ねティッシュペーパー(薄い2枚で1枚の観点では4枚ともいうが通念上2枚)で被害を抑えたので、パンツに被害は出なかった。10時22分から便意のためにトイレへ入り、3個の小サイズのものを排出した。肛門を拭ったトイレットペーパーに多めの血が付着していた…、と書くまでもなく、今までに多少ヒリヒリ感は残っていたし、排便の時にもはっきりと痛みが伴っていた。PCに関しては13時2分ころから一度シャットダウンし、13時30分台にPCを起動した。この間、前日に家に届けられて自室のそばに置かれたままの自転車(誰用か不明)に関する問題に対応した(13時24分に家の外に出て行う)。

当記事注: 同日のメール文章を掲載する:

日時: 2020年1月10日(金)16時1分
件名: 家の周囲にゴミ散乱&誰の何のための自転車購入?
あなたは2020年1月10日8時30分台に家の外に出ていましたが、その後に玄関ドアの鍵をかけていました。
弟の外出中にこのようなことは望ましくありません。
頻繁にあなたが犯すので、その不注意を正してください…、と言っても無理そうなので報告だけします。
そして、家の周囲にゴミを撒かないでください。
これは正確に、家の周囲にゴミを撒く原因となる自転車の買い物をしないでください、と改めます。
前日に配達された自転車の部品がガタガタと鳴っているように感じたことがありますが、自転車に関係する段ボール箱だったものの一部が家の周囲に転がっていることが原因でした。
私は13時24分に、もはや転がらないように直しました。
玄関ドアの鍵も開錠しました。

強風で、自転車のビニール包装がガサガサと音をたてます。
誰が乗る自転車でしょうか?
弟でも、あなたでも、自転車を乗りこなす能力が現時点で無いと思いますし、よしんばそれが有っても日常的な使用に役立てられるか不明です。
何の必要から買われましたか?
結局、この母親と弟は互いの精神的な成長に資する行動を持ちません。
何の目的でも、自転車はあなたたちの交通手段としての貢献的な役割よりも、予備(防犯・防災で一人だけ速く遠くへ行くなど)またはファッションです。
周辺環境悪化の説得力を持つ弁明はありません。
無論、あなたたちがどう用いるかは予断を許さない(つまり否定的にも肯定的にも断定できない。予測不能)と思います。

頻繁に無目的または不要な買い物をあなたが行うので、その危険を言います。
2015年にあなたが家の周囲を飾ったプラスチック模造ツタのことも、2018年10月1日に当地を通過した台風の後に、よそへ網状のもの2つ分が散らばりました。
1つは行方不明で1つは○○(I家)さんの敷地に落ちているものを私が敷地内に戻しましたし、あなたも脚色されていない限り覚えていましょう。
細かい葉っぱに関しては言うまでもなく、台風が来ても来なくても大量に散ります。

2015年3月ににわかにカフェを始めたがって謎の小物を買いあさったりiPad miniをdocomoショップで買った(2016年1月のiPhone 6Sと混同しない)ことは奇妙でした。
騒音発生装置である筋トレ器具について、それを使う騒音と振動は2018年11~2019年2月に私の部屋を責めます。
弾かない楽器として:初心者向けの電子ピアノを買ったり、不登校でゲーム中毒である上の弟に安価のギターを買い与えたり、そういったことをあなたに示しても意味がないのでやめます。
2017年のにわかパン作りのための家庭用製パン機購入(他にヌードルメーカー、ワッフルメーカー、クレープメーカーなど)も奇妙です。
当時のイーストフードの余りがあなたによって2019年10月ころに廃棄処分されました(8袋ほど入った未開封のものを含む)。

これらが一時的な目的さえ、満足されない気がしますが?
せいぜい物置か置物です(製パン機や楽器が意図される用途を果たさない。開き直り。私は難癖をつけたいのではない)。
何よりも他人の肉体的な被害や環境汚染に繋がっていますので、それに対する弁明が成立しません。
40~50代で(倫理観に年齢は関係ないが)、認知症でないままで、浅慮かつ放縦に見える行動が多いと、気が滅入ります。

どうして「社会通念上の無職」のままで奢侈な経済活動を捨てられないのでしょうか?
よいのです、そういう精神性の人にとって、活力や気休めになるならば、私の親ならば、養育者ならば、もう何でも。
なので、昔から、本当に好きにお見合いでも結婚でも夫婦喧嘩でも離婚でも何でもしてくれてよいと思いました。
無節操にテアトルでもユニセフでも。
無邪気な子供(3~9歳)が「階段のある家に住みたい」と言って実現させてローンを作る、などの金銭的な理由で攻撃的な水掛け論の諍いでも。
しかし、強い反省が時に必要でしょう。
この程度のメール文章では大した訴求力が無いと思いますが、冒頭にあるような「本日の事実報告」のついでに記しました。

今まで、あなたに送ろうとして送らないでいる、似た趣旨のメールが3通以上あります。
「パトカーのサイレンと架空の死と犯罪が好きな母親」といったTV音声の話は今回、しません。

「報告」メール文章の起草なども、私的な基準で作業妨害となります。
私は「幻の如く存在しない他人」に仕えるように、無収入で執筆と研究とイラスト&音楽制作を5年以上に継続して行っています。
目的意識を伴って好きな気持ちで行っています。
誇るつもりではなく、このような作業のために妨害と認知される事象が、あなたの不道徳な買い物によって発生する場合があると言いたく思います。
精神的な状態や聴覚的な環境が良くないと難しい分野が多いので、私は維持しづらくなります。
私はただ、人間もといヒト属ヒト Homo sapiens と見られる形で生まれて「文明が有ると言っている人権」と生命の平等性に基づいて生き続けており、積極的な迷惑を誰にも起こさない努力を持っています。
それが常に守られることを意味しません。
努力の姿勢さえ無く怠惰に生きる人が見苦しいのみです。
建設的な努力とそれによる才能の向上…、という人間的な非難と追及はやめます。
ただ私が私にとって個人的に不快だと思うことや家の外の他人の実害となる恐れのある事象に、あなたが容れるか分からない論理的な説明を付けて「やめよ」、または「公共の福祉と長期的な発展を見込んだ行動をせよ」と主張するのみです。




2020/01/11

本日1月11日は3時24分にPCをシャットダウンして就寝し、11時45分に起床した。14時0分ころから母親が弟に「後で風呂に入る」といった話をしたように私は聞こえ、母親が徒歩で外出したようである。2日前または前日8時台から車が家に無く、本日15時35分に母親は車で帰宅した。それから、今まで当月9日10時台から1階リビングに置かれていたものが車の中に入れられたり、弟が使う自転車について母親が弟に説明するようなことがあった。23時23分に母親が1階に降りた際、エアコンとテレビを付けたが、1分ほどでどちらをも消した。



2020/01/12

本日1月12日は5時34分にPCをシャットダウンして就寝し、10時45分に起床した。15時10分台、母親と弟が弟のポイントカードについて言い争っていた。初めて聞く情報は「弟が自分でポイントカードを各所で作りに行っている」ということである。「分散して使うと1ポイントも溜まらない」とレトリックで強調して弟を母親が非難していた。弟は「ぶっとばされてぇか!」と脅したり、恥知らずに「そっちが…」云々と無関係の苦しい反論をしていた。

当記事注: 同日のメール文章を掲載する:

日時: 2020年1月12日(日)1時12分
件名: 1月11日19時40分ころのあなたの独り言と弟との話から
今、我が家にある炊飯器のメニューについて、モードでエコ炊きが指定される現象は、それが何度も起きていて一度も他のモード(白米、おかゆなど)にならない限り、不明の原因からそうなっているものと見た方がよい。
平たく言えば「誰の手もなしに、勝手にエコ炊きが指定される」。
不明の原因でさえ、説明書を参照することで解明される可能性もある。
どうしてもあなたがこの現象を嫌悪するならば、説明書を読み、答えが見当たらない場合は「あきらめる」しかない。
今までに3回以上もあったことだから。

私が実物の説明書を見ても、説明が無かった。
1年ほど前にもその現象を検証するために、コンセントの抜き差しで試したが、短時間抜かれたままで差し直した際に「エコ炊きが指定されること」の再現は無かった。
せいぜい画面の最も左上に「エコ炊き」のカーソルが付くから、その「不明の原因」で選ばれる際にエコ炊きのみが選ばれることになると、補足的な説明しかできない。
繰り返しになるが、誰か人の手でそうなることは、弟も「やっていない」と言っているし、私もするわけがないから、「確実にありえない」と理解してほしい。
繰り返しになるが、あなたの望まない事実にまた直面しても、これは学習して「あきらめる」しかない。

以下は当日21時までに書かれており、送信をためらう内容であったが、送信する。

誰か人間の手によるものとして思い込み、他者にムチを打ちたい精神で犯人捜しをする性癖は、自覚的に直されてほしい。
「人殺し」サスペンスのドラマなどは科学的であるよりも、形だけ与えられる科学知識を芸術的に弄したものが多く (SF)、精神面では悪い趣味を備え付けるものと思う。
科学的な懐疑と、毒々しい疑心暗鬼とは全くの別物である。
被疑者が身に覚えのない追及で理不尽さを覚える。
傍観者にとっても不穏である。
とげとげしい状態は昔から悪い形で潜在的にも顕在的にも実現されてきた。
行為が広く多くあるため、説明したくない。

私にとって、起きてしまった出来事は、それだけのものであって人為的な常習性が見られない限り、犯人を追及する気にならない。
この価値観の差異も、任意の人に示したところで、与えることなど不可能であろう。




2020/01/13

「画面に光が入らなくなる故障にある携帯電話」とその内蔵カメラを使い、その場でのプレビュー参照と設定確認ができない状態にあるため、必要な情報を映しづらい。


本日1月13日は寝ない状態で日を越して至る。7時44分から便意のためにトイレへ入り、1個の小サイズのものと1個の長サイズのものを排出した。8時31分からPCをシャットダウンして就寝し、15時31分に起床した。この2日ほど顕著な腫れが左下犬歯より奥の歯茎に接する口腔粘膜にできていた。これを22時42分に皮膚側から強めに押して破裂させると、当然、血の混ざった膿が出る。ニキビの根と似た何か膿の固体–固形状態の塊が2–3でてきて、2つをティッシュペーパーに移した。それぞれは黄色っぽさを過ぎて緑色を帯びている度合いがまちまちである。23時19分にもう一度破裂させようとしてそうすると、さらに明るくて彩られている緑の固形状態のものが1つ出た。指でいじるとこすれて広がるようにあまり固くない。そのころ、先の2つは色あせて黒ずんでいる。口腔粘膜によくある通り、腫れを破裂させた後も血–血液による腫れとして維持される。これは瘤・こぶの一種であり、腫瘤(しゅりゅう)と呼ぶか?



2020/01/14

本日1月14日は寝ない状態で日を越して至る。1時33分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、3時51分に自室へ帰った。5時48分にPCをシャットダウンして就寝し、9時53分に起床した。10時57分に母親が発車して外出した。13時58分から便意のためにトイレへ入り、3個の小サイズのものを排出した。14時10分に母親の車が家の前に着いた。19時48分から便意のためにトイレへ入り、3個のコロッ糞を排出した。



2020/01/15

本日1月15日は2時44分にPCをシャットダウンして就寝し、11時4分に起床した。4時27分に夢精で目覚めて処理をしたことがある。16時3分に弟が帰宅してから彼が風呂場に入る間、少し母親にとっての不手際を彼がしたので、母親は「だめだこりゃ」と捨て台詞を聞かせ、彼は1秒後に風呂場に入った。彼が16時半までに風呂場を出てから、2階で彼らは1時間ほど言い争いをした(他の話のようなものも含めて1時間半)。



2020/01/16

本日1月16日は3時33分にPCをシャットダウンして就寝し、11時11分に起床した。15時54分、「画面故障」以来で初めて電話の着信らしい現象があった。着信音のようなものは従来の ringing のものと異なったものである。原因は、故障以後の期間に着信メロディ設定が何らかの誤操作で別のものになったことが考えられる。いずれにせよ電話の着信らしい現象に関して20秒ほど着信音のようなものが鳴ってから止まり、私は受話のための操作はしないでおいた。何度も着信が繰り返されれば出てもいいが、そうでない限りはやめたほうがよい。なお、2019年9月以前に父親の携帯電話の番号からの着信があったが、それは日記メモに記録されていない。その着信があった日、父・携帯電話番号からの着信は一度きりであった。



2020/01/17

本日1月17日は3時24分にPCをシャットダウンして就寝し、11時50分に起床した。



2020/01/18

本日1月18日は8時27分にPCをシャットダウンして就寝し、15時1分に起床した。15時3分に母親が発車して外出した。20時8分に母親の車が家の前に着いた。21時44分から便意のためにトイレへ入り、6個の小サイズのものを排出した。



2020/01/19

本日1月19日は寝ない状態で日を越して至る。4時4分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時31分に自室へ帰った。11時1分にPCをシャットダウンして就寝し、20時3分に起床した。22時43分から便意のためにトイレへ入り、5個の小サイズのものを排出した。前日や本日の排便は、「肛門を拭ったトイレットペーパーに血が付着していたと書くまでもなく、今までに多少ヒリヒリ感は残っていたし、排便の時にもはっきりと痛みが伴っていた」というものであり、14日の排便もそうであったろうから、今や定着している。



2020/01/20

本日1月20日は寝ない状態で日を越して至る。1時24分からゴミ出しのための外出をした。8時30分ころからPCの前で横になって寝落ちし、10時4分ころに目覚めた。12時20分ころから13時30分ころまでも似た状態があったようだが記憶が薄れている。15時48分にPCをシャットダウンし、16時30分ころに就寝し、21時57分に起床した。



2020/01/21

本日1月21日は寝ない状態で日を越して至る。2時10分台に弟が1階に降りていつもの「手洗い」をするよりは、リビングのTVを付けて居座りはじめた。2時31分に彼は2階へ戻った。7時0分台にPCをスリープ状態にして10分ほど坐ってから仮眠を取るために就寝し、10時48分に起床した。11時22分に母親が私を呼び、13時か14時に洗濯物を取り込むように指示してきた。11時43分に母親が発車して外出した。13時15分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、14時19分に自室へ帰った。15時36分に母親の車が家の前に着いた。19時52分にPCをシャットダウンして就寝し、23時45分に起床した。



2020/01/22

本日1月22日は寝ない状態で日を越して至る。2時14分からゴミ出しのための外出をした。17時12分から便意のためにトイレへ入り、3個の小サイズのものを排出した。



2020/01/23

本日1月23日は前日17時28分にPCをシャットダウンして就寝し、4時11分に夢精で目覚めて起床した。「2015年8月から2年以上続けた夜昼逆転維持(任意の日の24時以前に寝て翌日6時以前に起床する)」を改めて行う気も最近にあったが、本日6時50分台に不都合を感じた。新年から弟の作業所に関して母親が弁当を作らねばならない経緯が、これもいつまで続くか不明だが本日にもある。詳細に説明しないが、「不都合」のうちには私にも弟にも母にも非常に気まずいことがあり、それぞれの動きが野球での満塁状態からのアウトのようなもの(比喩として厳密でないが想像された)であった。14時台に便意のためにトイレへ入り、2個のコロッ糞を排出した。18時1分にPCをシャットダウンして就寝し、23時24分に起床した。



2020/01/24

本日1月24日は寝ない状態で日を越して至る。5時53分ころからPCの前で横になって寝落ちし、7時32分に目覚めた。9時21分から便意のためにトイレへ入り、4個の小サイズのものを排出した。10時54分に母親が発車して外出した。11時35分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものと2個の長めのものとを排出した。17時54分に母親の車が家の前に着いた。



2020/01/25

本日1月25日は前日22時23分にPCをシャットダウンして20分ほど経った後に就寝し、2時32分に起床した。6時34分ころからPCをスリープ状態にして就寝し、10時23分に起床した。



2020/01/26

本日1月26日は2時20分にPCをシャットダウンして就寝し、10時14分に起床した。私の起床前から母親と弟が2階で「洗濯物を母親の想定よりも早く取り込んでいておかしい」という話が聞かれていて私の起床直後に母親が1階に降りてキッチンから「口すすぎ吐き」の音が聴こえた。10時17分に母親が弟(母親から床掃除を任されている)を呼ぶ際に「どうしてそんなにバカなの?」と母親が言い、弟が何か言い返した後、「言っておいたのに(彼は)忘れる」と母親が言い、弟が「忘れられる方がおかしいじゃん」と道理でない反発をしている。今年に入ってから弟は、そういう悪態をつくことが多くなり、反対に行動に関する暴力的な程度が下がった。



2020/01/27

本日1月27日は寝ない状態で日を越して至る。0時50分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、3時22分に自室へ帰った。5時2分にPCをシャットダウンして就寝し、14時57分に起床した。



2020/01/28

本日1月28日は7時54分にPCをシャットダウンして就寝し、13時48分に起床した。なお、6時59分に母親が動いた際、弟に彼の作業所通いは悪天候(午前4時までは強い雨風、6時50分時点では強風のみ)によって中止であることが伝えられたが、この起床時に弟は外出中のようである。私の寝ている間に誰も使わないでいるままの「自転車(弟用)」が今も吹き続ける強風によって倒れたようである。15時5分、母親が唐突に家の外に出た。母親はその「自転車」を直したようである。16時3分にいつも通り、弟は帰宅した。



2020/01/29

本日1月29日は5時28分にPCをシャットダウンして就寝し、14時56分に起床した。15時53分に弟が帰宅することは、彼の鉄道利用の作業所通い以来では見られない早さである。前日と本日に母親は弟の弁当を作っていないことは、前日から作業所での弁当の用意が必要でなくなったことを意味するかと思う。前日18時50分台に郵便局員リクエスト再配達があった際、弟の行動–インターホンの呼び鈴が鳴って「はい」としか言わずに相手を確認せずにすぐ玄関に急いでいくことについて合計1時間以上、母親の説教があった。その時と本日の弟の帰宅時に弟の口から「毒親(どくおや)」という単語が発せられた。18時0分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものと1個の中サイズのものを排出した。



2020/01/30

本日1月30日は寝ない状態で日を越して至る。0時48分から便意のためにトイレへ入り、1個の小サイズのものと1個の長サイズのものを排出した。6時14分にPCをシャットダウンして就寝し、10時28分に起床した。その10分以上前に夢精で目覚めている。13時47分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと1個の長サイズのものを排出した。本日は母親が弟の弁当を作っていたようである。



2020/01/31

本日1月31日は2時8分にPCをシャットダウンして就寝し、9時5分に起床した。その前に夢精があったが、(一般的な意味で)性的でない夢の最中に夢精を察して、集約されるように亀頭を拡散予防ティッシュペーパーで覆いながら五本指でつまんで射精方向を制御した。7時台と思われる時間帯は母親と弟が喧嘩状態でいた。母親の「家の中での移動で弟とぶつかりそうになる」云々という主張が原因の一つであれば意味不明である。10時45分に母親が私を呼び、本人が外出するとして「1時(13時)に○ちゃん(弟の名前)の洗濯物を取り込むこと」の指示をしてきた。どこかへ行くということについて母親が自発的に話していた部分は「○ちゃん(弟の名前)の…」としか聞き取れず、私がその後に問うて聞き直すこともしなかった。11時38分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、13時9分に自室へ帰った。

14時47分に母親の車が家の前に着いた。ハンバーガーを母親は私を含む3人の2つ分を買っている。弟の帰宅時(彼の口から今朝の喧嘩に関して恨み言が聞かれる)や彼の風呂の間に母親は食べ終えたろう。16時台に風呂を出て間もない弟が、1階リビングでテレビを付けて居座って母親に無断でハンバーガーを食べ始め、10分以上が経ってから母親が2階から弟を呼んだ。それで母親が弟の無断の食事を知る。弟は最初、いつものように反射的な「ごめんなさい」を声に出していたが、後からキレて怒鳴り声で反発するようになった。更に後で、弟が無断でハンバーガーを食べ始めた理由は「母親の仕事で忙しそうな声が母親の部屋から聴こえてきたから黙って1階に降りた」と話しているが、母親は「○ちゃん(弟の名前)が勝手に忙しいと決めつけて」云々と反論していた。以前、逆に母親が「テレビを見ている時に話しかけられて不愉快だ」ということで弟に不機嫌な態度を取り、弟と母親の喧嘩になること(詳細は2019/10/20メモを参照)があった点で、まだ弟の主張が妥当であり、母親はその時その時で異なる態度をして本人自身で記憶していない。どちらにしても母親は弟の自立を促すことができずに中途半端なしつけをして「甘やかし amayakashi」をしている。通俗的–大衆的な心理学または精神分析学で「甘え concept of amae (昨今、英語圏で聞かれる;例えばインターネットBBCなどのコラム的な記事でも2019年12月に特集があったが私は見出しと原宿系ファッションまたはコスプレイヤーの謎サムネイルを見たのみで内容不明)」ということを言っているが、このような事例で判断してほしい。簡単に言うと"infantilization"である。最近の弟は、母親が植え付けた「母親を母親であるとする親子二分法 (parent/son, parent/kid, parent/child, parents/children, father/son, mother/son dichotomy?)」に基づいて悪態をつくようになっている(この日も「○○する親は最低だ」という今月から聞かれ始めた定型句を彼は数度言った。当然彼は母親本人に対して婉曲的かつ直接的に言っている。つまり幼稚な感情で法則化・一般化をしようとして彼は言っている。ここで"直接"は文字通り意味として"直截"でない)。他に、母親は「聴こえない声が聴こえる」という弟の発言の言葉のあやから、弟を「統合失調症」と無免許で診断している。弟は「トーゴーシッチョーショーって何だよ」と言っていた。他に、彼は親戚のYさんやTさん(母の妹2人。前者は特に「俺が好きな…」とされる)は「松原家の長女(母親のこと)」のようなことを言わない、などという「妄想」と蔑視されそうな反発を弟はしている。18時台、1階リビングに彼らがいる時、マスクの管理に関する動きがあった。この中で、母親が新型コロナウイルスの蔓延に関する話をしていて(罹患とその肺炎の症状がどういうものか自体の話は無い)弟に明日–明後日(土日)の外出をしないように言っていた。22時32分から便意のためにトイレへ入り、1個の小サイズのものと1個の長サイズのものを排出した。

当記事注: 当月2020年1月の弟が母親に反発する時に用いる定型句の例:「じゃあお母さんは子供のころお母さんに叱られたとき…」、「○○する方がおかしいじゃん」、「××する親は最低だ」など。29日メモの通り、「毒親(どくおや)」については28・29日にのみ聞かれ、これはインターネットで彼がそういう語彙を見て口真似しているのではないか。前の3つは彼が今までの経験から行き詰っている現状で、9歳児ほどの発想による反論であろう。彼の発言は、それだけ協調性が無い方向にあると分析するよりも、母親の方がそういう性質を持っていると思った方がよい。幼稚な反発で親を試すような口調が増えた弟だが、それ以上に「悪さ」をするわけではない。母親自身がニセ親なので親としての学習をしないこと(経験的な方法論を重んじない/虚心坦懐でないこと)に問題性が強いが、諫言しても聞きいれない云々と今更に日記メモに記すことでない。