その本源は各種楽器の調律-チューニング tuning の結果として1オクターブあたりの音数の制約があったことと考えられる。
デジタルな制作環境 (DAW, digital audio workstation) でも、その雰囲気は作曲者の感覚または理論から保持される傾向にあるが、七音音階 (heptatonic scale) によるメロディに親しんでいる側面から六音 (hexatonic) が多いか、好まれやすい。
※当記事でいう「音楽」は特筆しない限り、現代の日本の音楽シーンが位置する大衆音楽–ポピュラー音楽 (popular music) を意味する。厳密な定義は困難だが、厳格な伝統の守護の意識が無いなどの点で、そう考える。
当記事は、私がそう結論を得るような研究した経過と結果で構成される。
昔からの経緯を、まず、示す。
某サイト作曲者「らい○」について、2015年8月に私はSU名義(らい○同一人物)とSRS名義(らい○同一人物か疑問の余地)の活動を検証した。
そこ (音楽館 2015-08-30記事) で、以下の情報を書いた。
※「苦言」は疑問符が付いていない疑問文の形式を取り、「どこも和風でない」と言いたい婉曲的な否定の文であろう。らい○本人は「主メロが和風」、「ピアノを琴 (koto, 和楽器の一種) にしようか迷っても楽器でごまかすことはよくないと思った結果」という趣旨を含む低頭の返信をしていた。
らい○ちゃんの「和風曲の解釈についての苦悩」について、一つの説明ができる。
2019年12月15日に私が思い当たることを調べた。
問題の「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」の主旋律–メロディ (main melody) は「ニロ抜き短音階(二六 niro 抜き)」に近似していると分かった。
この曲の調(キー key)は嬰イ短調(変ロ短調ともいう。英: A#m, B♭m)であるが、これをイ短調(先の半音のみ低い調。英: Am)に移調すると、本来七音の音階(ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G)であるうちの六音(6つ)のみが使われ、使われない一音は第六音 (6th)=ロ(ファ F)である。
i.e., A B C D E G A… = ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ・ラ… (古い音名でイ・ロ・ハ・ニ・ホ・ト・イ…とも表現できるが後述のように、ロ短調と呼ぶようなイロハ式のときのロと二六=ニロのときのロは別物である点に注意)
このような近似ニロ抜き短音階…、ここで厳密に言うと「短音階第六音を除いた音階」の楽曲は東方Projectの曲に多いとして、説明するページがある。
そこでも例示された「明日ハレの日、ケの昨日 (th10_14)」と「旧地獄街道を行く (th11_06)」を同じようにイ短調にすると、同じく主旋律で使われない一音は第六音=ロ(ファ F)であった(ニロ抜きというがニもといシ Bはそこそこ出る)。
ここでの検証方法は有志作成MIDIファイルの利用によるが、興味のある人が各自で調べるとよい(上2曲については動画で説明する人がTwitterに見られた 1, 2)。
当方ID(私による管理楽曲識別番号。初のらい○記事2014-10-04にも載る。らい○ちゃんの2011年1月1日トランス曲は439)で、和風のトランス楽曲162-163も同じであった。
以上も以下も、注意してほしい点は「短音階=自然短音階 natural minor scale(3種の1。長音階は1種類のみ)」ということと、「あくまでも主旋律のみが対象(伴奏のベースやアルペジオやコードなどは必ずしも当てはまらない)」ということである。
さて、SRS名義での「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」(2013年6月) という発言についても思い返そう。
らい○名義・SU名義・SRS名義の全期間において、あまり音楽理論(音階理論や和声理論)は言及されなかったが、このような「和風議論」において音階の側面でも優位な一面があると私は感じた。
なお、東方Projectの曲に多いコード進行VI→VII→i (短調での話。e.g. Am = Cが調の時 F→G→Am) をも、この「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」は踏襲していた。
東方Projectのゲームや音楽の作者であるZUN氏(太田順也/博麗神主)は「和風」についてどう楽曲に反映するか?
東方文花帖(同名のゲームもあるが2005年8月出版の書籍の方。ISBN 9784758010375)における「幻想の音覚」の中で、彼の「プレインエイジア (th08_07)」という曲のコメントにこう書いている:
私の記憶を出発点にしてから、「
これを引用する場面なのかと悩んだが、一応した。
「三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する」という「ある物」は、彼の作曲環境と彼の感性とであろう。
ここで革新的に彼は、合理的な復古主義(近世や近代ならではの科学的なもの)を批判しつつ、彼の生まれながらの感性と自由な学習による音楽性と言語表現とを用いることを是としていよう。
それを日本の「無思想の思想」にも比較してみよう。
作曲環境において三味線や尺八は使用可能であるし(GM音源にShamisenとShakuhachiがある。彼の持つハード音源SD-90プリセット名にも当然ある)、音階についても意識的に用いることは可能である。
典型的な和楽器のインストゥルメントや、和楽器の調律に基づく日本音階(英語版Wikipedia - Japanese musical scalesに色々と載っているが信憑性は不明)を、確かに彼は使わない傾向がある。
ところで、その「プレインエイジア」という曲も、やはり主旋律は六音のみの音階であって短音階第六音が用いられない(i.e. ヘ短調 Fm であって第六音ドのシャープ C#が用いられない。調をイ短調にするとイ短調の音階の第六音ファ Fが用いられない)。
ZUN氏の、2005年8月当時と近い時期の説明も少し参照されたい。
他に気になれば"Music Room"コメントなどを「和」などのキーワードで探してみるとよい。
単語例として「和洋折衷」については「
話がそれたので少し戻すと、らい○ちゃんの思う「和風」とは、ZUN氏の音楽性や言語表現に見る「和風」に近いと思ってよい。
これは東方界隈やボカロ界隈が詮ずる所、日本の大衆文化 (popular culture, pop culture in Japan) の中にあるという点で括れば、それで済む話になる。
実際のところ、2011年1月1日トランス曲も、SRS名義2013年6月の曲も和楽器を用いないが、らい○2011年以前には三味線や琴や尺八などがID: 861 893 894で使われる(和楽器はしばしば某サイト曲において他のエスニック系インストゥルメントや笛についてのフルートやパンフルートやオカリナやピッコロやカリオペリードで代用される)。
SRS名義2013年6月の曲「雰囲気が和風」とは、せいぜい曲名や歌詞ということになる点で、ZUN氏と異なる側面もあると結論付ける。
一般的な音楽での結論:
「和風曲」の音階理論におけるエッセンスは…
十二平均律の観点での短音階第六音=長音階第四音抜き、となる。
本来は和楽器やエスニック系の楽器の調律に依存するが、これらは別の検討方法が必要になる。
簡潔に言えば、和風曲では1オクターブ中に使う音高を6つ(できれば5つ)に制約するとよい。
早い段階で「一つの説明」と言ったように、これらはいくつか条件 (conditions: harmony-scale-tuning) が確立されている上で与えられた分析結果の説明であるため、普遍的であるとは限らない。
付録
主旋律(メロディライン)に用いられる音の音高の数により、私の管理データの楽曲の識別番号を区分してみる。
ここでは例示程度の曲数からそのような区分をしてみる。
識別番号 (数字ID) に「上n」または「下n」を付随し、イ短調またはハ長調に移調した際、上げたか下げた半音の数を表示した。
「314下5」であれば、原曲314の調がニ短調 (Dm) であるところを半音5つ下げてイ短調にしたものだ。
「平」の場合は、移調なく(イ短調・ハ長調のまま)音階の調査をしたことを示す。
加えて、先の話で「ニロ抜き短音階」といったことを長調に適用すると「ヨナ抜き長音階(四七 yona 和語の数詞ヒフミヨイムナから)」となり、短音階におけるニ・ロと長音階におけるヨ・ナは同じ音高を指す。
つまりイ短調自然短音階で第二音 (2nd)=ニ(シ B)と第六音 (6th)=ロ(ファ F)はハ長調長音階で第四音 (4th)=ヨ(ファ F)と第七音 (7th)=ナ(シ B)に相当するので、いずれもファ Fとシ Bとが除かれている。
紛らわしいことに「ニ・ロ」は漢数字の漢字発音に由来しており、イロハニホヘト由来の音名 (A B C D E F Gに対応) でニがレ D、ロがシ Bであることと混同しないようにしよう。
私による作曲例も含まれるが、多くは他の個人活動作曲者である。
それについては色々と秘密にする(本当は私的な研究目的のため)。
括弧内に縷々とジャンル名など補足事項を書いてあるが、割と主観的(作者自身の説明や原題に基づく要素もある)なので参考程度にしていただきたい。
前置きが長くなったが、以下から一覧であり、参考のための動画 (https://youtu.be/JOBf018Wv14) も参照されたい。
五音または六音のみの音階で基本的に主旋律を構成する曲:
439下1(本文に言及されるらい○作)
昔からの経緯を、まず、示す。
某サイト作曲者「らい○」について、2015年8月に私はSU名義(らい○同一人物)とSRS名義(らい○同一人物か疑問の余地)の活動を検証した。
そこ (音楽館 2015-08-30記事) で、以下の情報を書いた。
・らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲では「和風」を称していたが、和楽器を用いていないもので、アンチから「どこが和風ですか(★1評価)」と苦言されて以来、和風曲の解釈に苦しみ続けているようで、SRS名義でも「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」と予め断ったロック曲(13年6月)がある。
※「苦言」は疑問符が付いていない疑問文の形式を取り、「どこも和風でない」と言いたい婉曲的な否定の文であろう。らい○本人は「主メロが和風」、「ピアノを琴 (koto, 和楽器の一種) にしようか迷っても楽器でごまかすことはよくないと思った結果」という趣旨を含む低頭の返信をしていた。
らい○ちゃんの「和風曲の解釈についての苦悩」について、一つの説明ができる。
2019年12月15日に私が思い当たることを調べた。
問題の「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」の主旋律–メロディ (main melody) は「ニロ抜き短音階(二六 niro 抜き)」に近似していると分かった。
この曲の調(キー key)は嬰イ短調(変ロ短調ともいう。英: A#m, B♭m)であるが、これをイ短調(先の半音のみ低い調。英: Am)に移調すると、本来七音の音階(ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G)であるうちの六音(6つ)のみが使われ、使われない一音は第六音 (6th)=ロ(ファ F)である。
i.e., A B C D E G A… = ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ・ラ… (古い音名でイ・ロ・ハ・ニ・ホ・ト・イ…とも表現できるが後述のように、ロ短調と呼ぶようなイロハ式のときのロと二六=ニロのときのロは別物である点に注意)
このような近似ニロ抜き短音階…、ここで厳密に言うと「短音階第六音を除いた音階」の楽曲は東方Projectの曲に多いとして、説明するページがある。
ニロ抜き短音階の考察 - ZUN氏作曲音楽データベースWiki
https://w.atwiki.jp/tohomusicdb/pages/505.htmlそこでも例示された「明日ハレの日、ケの昨日 (th10_14)」と「旧地獄街道を行く (th11_06)」を同じようにイ短調にすると、同じく主旋律で使われない一音は第六音=ロ(ファ F)であった(ニロ抜きというがニもといシ Bはそこそこ出る)。
ここでの検証方法は有志作成MIDIファイルの利用によるが、興味のある人が各自で調べるとよい(上2曲については動画で説明する人がTwitterに見られた 1, 2)。
当方ID(私による管理楽曲識別番号。初のらい○記事2014-10-04にも載る。らい○ちゃんの2011年1月1日トランス曲は439)で、和風のトランス楽曲162-163も同じであった。
以上も以下も、注意してほしい点は「短音階=自然短音階 natural minor scale(3種の1。長音階は1種類のみ)」ということと、「あくまでも主旋律のみが対象(伴奏のベースやアルペジオやコードなどは必ずしも当てはまらない)」ということである。
さて、SRS名義での「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」(2013年6月) という発言についても思い返そう。
らい○名義・SU名義・SRS名義の全期間において、あまり音楽理論(音階理論や和声理論)は言及されなかったが、このような「和風議論」において音階の側面でも優位な一面があると私は感じた。
なお、東方Projectの曲に多いコード進行VI→VII→i (短調での話。e.g. Am = Cが調の時 F→G→Am) をも、この「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」は踏襲していた。
東方Projectのゲームや音楽の作者であるZUN氏(太田順也/博麗神主)は「和風」についてどう楽曲に反映するか?
東方文花帖(同名のゲームもあるが2005年8月出版の書籍の方。ISBN 9784758010375)における「幻想の音覚」の中で、彼の「プレインエイジア (th08_07)」という曲のコメントにこう書いている:
これこそが日本人が見た日本だ、という意気込みで曲を書きました。純邦楽と言われる曲がありますが、アレは完全に作られた日本なのではないのかと思う。日本人は歴史の物の成長を再開させた様に見えて、その実は歴史と現代を分け始めた。本当は、現代風の手段をもってして、自然とどこかに日本が入ってくる事を目指すべきだと思っています。この曲は今の私が考える日本の曲。別に三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する。こういう曲を聴くと、日本に生まれて良かったという幻覚を見る。えっ幻覚?いやいや、幻覚は思い込みなどではないのです。引用元:东方文花帖(书籍)/幻想的音觉/中日对照 - THBWiki ※リンク先のサイトのコンテンツはフェアユースの範疇でないかもしれない (It may not be fair use)。他に英語サイトなどで載るが、私に原文を検証する手段も無いので、信憑性は読者に任す。
私の記憶を出発点にしてから、「
あたかも自らが作曲したかのように滔々とコラムを書き連ねる博麗神主」というような内容を見直した。
これを引用する場面なのかと悩んだが、一応した。
「三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する」という「ある物」は、彼の作曲環境と彼の感性とであろう。
ここで革新的に彼は、合理的な復古主義(近世や近代ならではの科学的なもの)を批判しつつ、彼の生まれながらの感性と自由な学習による音楽性と言語表現とを用いることを是としていよう。
それを日本の「無思想の思想」にも比較してみよう。
作曲環境において三味線や尺八は使用可能であるし(GM音源にShamisenとShakuhachiがある。彼の持つハード音源SD-90プリセット名にも当然ある)、音階についても意識的に用いることは可能である。
典型的な和楽器のインストゥルメントや、和楽器の調律に基づく日本音階(英語版Wikipedia - Japanese musical scalesに色々と載っているが信憑性は不明)を、確かに彼は使わない傾向がある。
ところで、その「プレインエイジア」という曲も、やはり主旋律は六音のみの音階であって短音階第六音が用いられない(i.e. ヘ短調 Fm であって第六音ドのシャープ C#が用いられない。調をイ短調にするとイ短調の音階の第六音ファ Fが用いられない)。
ZUN氏の、2005年8月当時と近い時期の説明も少し参照されたい。
さてに曲。曲の方もますます独自の世界に入っていきたいと思いつつ。全体的に曲も東洋風を意識しています。東方なんだからね(笑)
かといってこてこての和風過ぎるのも好きではないので、どこか懐かしい感じを受ける程度に東洋風だといいかな?って感じにしたいところです。- 東方妖々夢 体験版Plus おまけ.txt (web上からの孫引き)
それにしても、いつもは西洋風の曲を創っても、何処かしら東洋風の雰囲気が混じるのですが、今回は東洋風に徹しても、何処かしら異国風になっているような気がしてならない。決められたものを決められた通りに創れないのは、プロフェッショナルでない証拠ですね(^^;和洋折衷、ということで・・・- 東方妖々夢 おまけ.txt (web上からの孫引き)
他に気になれば"Music Room"コメントなどを「和」などのキーワードで探してみるとよい。
単語例として「和洋折衷」については「
紫(筆者注:キャラ名 Yukari)の場合、和洋折衷じゃ駄目なんですよね。分離したまま一つにしないと、肝心の境界がなくなってしまいますから。(東方萃夢想 "夜が降りてくる ~ Evening Star")」、「
この曲は私なりに最大限の和洋折衷を目指した曲です。(東方永夜抄"夜雀の歌声 ~ Night Bird")」といった具合に用いられる。
話がそれたので少し戻すと、らい○ちゃんの思う「和風」とは、ZUN氏の音楽性や言語表現に見る「和風」に近いと思ってよい。
これは東方界隈やボカロ界隈が詮ずる所、日本の大衆文化 (popular culture, pop culture in Japan) の中にあるという点で括れば、それで済む話になる。
実際のところ、2011年1月1日トランス曲も、SRS名義2013年6月の曲も和楽器を用いないが、らい○2011年以前には三味線や琴や尺八などがID: 861 893 894で使われる(和楽器はしばしば某サイト曲において他のエスニック系インストゥルメントや笛についてのフルートやパンフルートやオカリナやピッコロやカリオペリードで代用される)。
SRS名義2013年6月の曲「雰囲気が和風」とは、せいぜい曲名や歌詞ということになる点で、ZUN氏と異なる側面もあると結論付ける。
一般的な音楽での結論:
「和風曲」の音階理論におけるエッセンスは…
十二平均律の観点での短音階第六音=長音階第四音抜き、となる。
本来は和楽器やエスニック系の楽器の調律に依存するが、これらは別の検討方法が必要になる。
簡潔に言えば、和風曲では1オクターブ中に使う音高を6つ(できれば5つ)に制約するとよい。
早い段階で「一つの説明」と言ったように、これらはいくつか条件 (conditions: harmony-scale-tuning) が確立されている上で与えられた分析結果の説明であるため、普遍的であるとは限らない。
付録
主旋律(メロディライン)に用いられる音の音高の数により、私の管理データの楽曲の識別番号を区分してみる。
ここでは例示程度の曲数からそのような区分をしてみる。
識別番号 (数字ID) に「上n」または「下n」を付随し、イ短調またはハ長調に移調した際、上げたか下げた半音の数を表示した。
「314下5」であれば、原曲314の調がニ短調 (Dm) であるところを半音5つ下げてイ短調にしたものだ。
「平」の場合は、移調なく(イ短調・ハ長調のまま)音階の調査をしたことを示す。
加えて、先の話で「ニロ抜き短音階」といったことを長調に適用すると「ヨナ抜き長音階(四七 yona 和語の数詞ヒフミヨイムナから)」となり、短音階におけるニ・ロと長音階におけるヨ・ナは同じ音高を指す。
つまりイ短調自然短音階で第二音 (2nd)=ニ(シ B)と第六音 (6th)=ロ(ファ F)はハ長調長音階で第四音 (4th)=ヨ(ファ F)と第七音 (7th)=ナ(シ B)に相当するので、いずれもファ Fとシ Bとが除かれている。
紛らわしいことに「ニ・ロ」は漢数字の漢字発音に由来しており、イロハニホヘト由来の音名 (A B C D E F Gに対応) でニがレ D、ロがシ Bであることと混同しないようにしよう。
私による作曲例も含まれるが、多くは他の個人活動作曲者である。
それについては色々と秘密にする(本当は私的な研究目的のため)。
括弧内に縷々とジャンル名など補足事項を書いてあるが、割と主観的(作者自身の説明や原題に基づく要素もある)なので参考程度にしていただきたい。
前置きが長くなったが、以下から一覧であり、参考のための動画 (https://youtu.be/JOBf018Wv14) も参照されたい。
五音または六音のみの音階で基本的に主旋律を構成する曲:
439下1(本文に言及されるらい○作)
162=163平(本文に言及される和風トランスといえる何か。それぞれ原曲とアレンジの関係)
2平, 629下3, 676下6(黄昏フロンティア東方原作格ゲーのあきやまうに氏・NKZ氏による曲のようなワールド–エスニック系インストゥルメンタル。一説では猫叉Master/佐藤氏の音ゲー曲のようだとも)
74下4, 75上5, 79下1, 96下4, 545上6, 546平サビで上1(東方風)
90上1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。冒頭から終盤まで頻出するフレーズは徹底的にニロ抜き五音で他は六音が基本。ピアノ伴奏・ソロは七音以上を鳴らす部分も)
349下1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。主旋律の大半は徹底的にニロ抜き五音で、Bメロのみ六音と音階の外の音1つで七音。ちなみに一部フレーズは東方原曲「童祭 ~ Innocent Treasures」上6からのオマージュで、その曲も当該フレーズのみニロ抜き五音)
407下1(アニソン風味。長調。第七音を用いない)
467下1(後述のFF等RPGのゲーム音楽に影響された云々の作品群に含まれるが、この曲のみこちら)
492下1(らい○作メロディックデスメタル色の和風V系ロック。短音階第四音レ Dと第七音ソ Gがギターソロ2回分や28-32小節のようなボーカルパート頻出フレーズで抜かれている。ヨナ抜き短音階による五音音階の希少な例)
基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する曲:
282下6, 526上2, 530上1(らい○作ロック曲)
300下4, 608上4, 820下2, 821平(長調。邦楽ポップ・バラード–ピアノバラード。300, 821は長音階第七音シ Bの頻度低め)
314下5(色々なテイスト。73小節からの主旋律のみ東方風の印象があったが今回の調査でやはり短音階第六音が使われていないと判明。他は七音+ソ# G#)
315平(長調。J-pop風味)
339序奏間奏で下2サビで下5(ユーロビート色のハードコアテクノ風ポップス。BPMとリズムとシンセ音色が「ハレ晴れユカイ」や「魔理沙は大変なものを…」に近似して2000年代のニコニコ受けがよさそう)
435下1, 436上5, 465下6, 466下6(FFに代表される邦RPGの世界観に影響された雰囲気が濃いと同時にハードコアパンクやヘヴィメタルに属するロック)
469下2, 724平(フラメンコ色のワルツで前者はエレキのギターソロ付きハードコアパンク。ボーカルフレーズは両者とも七音音階の外の音が多く用いられる)
504下5(らい○作V系メタル。ボーカルフレーズは短音階第六音の頻度が少なめで七音音階の外の音が用いられやすい)
540下2, 541上5(長調。アイルランド伝統音楽風。後者は現代ミクソリディア旋法またはミクソリディアンスケールと言われる音階"modern mixolydian"に当たる)
726下6(洋楽風ロック)
881下3(カンツォーネまたはシャンソンを想起させる・ロマンスあふれるフォークまたはカントリー)
注: 基本の七音から外れた音も伴奏コードに依存して登場する。イ短調は先述の通りラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G = 白い鍵盤のみを使うので、これに加わる音は黒い鍵盤となる。典型的にイ短調はダイアトニックコードの一つBmの和音を構成するファ# F#が考えられる。曲によって何の黒い鍵盤が頻出するかが分かれる。465ではソ# G#が用いられ、466ではファ# F#が用いられ、六音が基本の467でもファ# F#が用いられている。ソ Gの代わりにソ# G#を用いる短音階は和声的短音階 harmonic minor scale、そこに加えてファ Fの代わりにファ# F#を用いる短音階は旋律的短音階 melodic minor scale と言われるが、この他の黒い鍵盤の音(ド# C#など)が用いられる場合もある。長音階でも七音の外の音がありうる。場合によっては無調性 atonality や半音階 chromatic scale, chromaticism と呼びうる。もしそう見えても主音 tonic note や終止 cadence などに注目して調を見出すことも可。
基本の七音のうち短音階第六音=長音階第四音を控えめに用いて主旋律を構成する曲:
172下4後半で平(短調。東方風だが特に秘封倶楽部を連想させる。前半部では、伴奏コードのごとく短音階第一音のフラット、イ短調でのラ♭ A♭ = G# が頻繁に見られる)
管理楽曲識別番号を用いた例示は以上である。
識別番号による合計の曲数は50 (= 18 + 23 + 9) である。
他に、私の投稿物で今からでも聴ける例を示す:
「ハピコアメロコアメロスピ同盟(仮)」 https://www.youtube.com/watch?v=ecyUbYFg1EQ (平, 短調, 題のジャンル+東方テイスト, 2014年8月–) はイントロのギターソロのみ七音で、ボーカルや残りのギターソロが二五・ニゴ抜き短音階ともいえる五音(A C D F G. 当時の音楽理論理解でミ Eとシ Bを避けていた)で構成される。
他の楽曲(手持ちのMIDI)で少し調べた例も載せる:
Furusato (平, 短調, 日本の民謡「ふるさと」…私の耳コピ) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Cielito Lindo (下2, 長調, メキシコの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
虹色は光のスペクトルの赤ないし紫(科学知識によれば電磁波における可視光線の長い波長750 nmから短い波長380 nm)を示すものであり、それを文化ごとに三色とも五色とも七色とも言い、現代日本では七色(7色)で定着している。
七色を唱えた説のうち、有力な説明をした最初の人はアイザック・ニュートン Isaac Newton と思う。
過去記事に記したように、彼の時代はまだ光の粒子説と波動説とがあるうち、波動の面での解明が浅かったので「波長」とは言われずとも、目に見えるもの (visible) としてプリズム (prism) からの光を指すこともできる「スペクトル (spectrum, spectra)」は言及があった。
彼は七色を"Red, Orange, Yellow, Green, Blue, Indigo, Purple"とした。
Blue, Indigo は青・藍と直訳できるが、これら2色は代数的に呼ばれたものなので、今日のシアン Cyan(子ども向けには水色)・青 Blue と言い換えられる方がよい。
彼の七色の説は1704年に刊行された「光学 Opticks」で見られる。
そこには、七色を七つの音 (D E F G A B C, レから始まる) に配当した説明が見られる、と私は認知しているが、原著の文脈を知らないので、少し探してみた。
Fig. 11. とは、BOOK ONE. PART II.の中で11番目の図表 (figure) を意味する。
その図表に描かれるサークル(円形)はD E F G A B Cと名付ける線7つで時計回りで区切られ、外側にRedからPurpleまでの色の名が領域DEから領域CDまで時計回りで記されている。
7つの色を分けるD E F G A B Cの線はDを調とする音階または旋法と関係が無いものか?
便宜的なものであろうか?
そのあたりはこの内容から読み取ることができない。
"proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"を含んだ段落が、どう関係しているか?
"the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"という同格表現をどう解読すべきか分からないが、1オクターブ12音高の時に:sol, la はそのまま半音7つ(完全5度)上げて re, mi の位置にすると次の fa, sol, la に繋がり、次の mi, fa, sol はそのまま半音5つ(完全4度)下げて si, do, re の位置にすると、これらは re, mi, fa, sol, la, si, do, re という D E F G A B C D という1オクターブの"the eight Sounds"の"the seven Musical Tones or Intervals" (7つの音程) になる、としか私には理解の方法が無い。
図を見る限り、一般的な音階のE-FやB-Cは半音で隣り合うので、これをスペクトルの Orange と Indigo が視覚的に狭いことに託してDのドリア旋法 (Dorian mode, ドリアン・モード;教会旋法のほう) を採用している、という点で理論的に見える。
Orange と Indigo はそれまで五色が主流だった虹の色数の説明に、彼が七音音階に合わせて七色とするために加えて挙げたものであるとも世間で言われている。
インターネット上でもそういう説明がそこそこあろう。
この解釈には、その理解をニュートンさんが持っていたという直接的根拠があるか判然としない。
虹の色彩は、好む人も好まない人もいる。
白黒二色やモノクロームやモノトーンや任意の色の濃淡明暗の差の色彩と比べてどう好まれるか?
虹の色彩を用いる場面によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階も、五音音階より好きという人も嫌いという人もいる。
七音音階を用いる曲の雰囲気によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階は虹の色彩か、それとも任意の調の下で比較的自然に用いられる白い鍵盤の範囲か?
この話をするうちに思弁的な気がしてきた。
七音音階の好き嫌い・善悪も、認知科学などの方法論で解明したり説明したりできるかもしれないが、現状ではこれ以上の示唆ができない。
いくらかの疑問を残す。
私は、根拠の少ない状態で結論に導くようなことを言いたくないので、読者への宿題ということにしておこう。
それでも、七音音階は虹の色彩に見えるし、七音音階の外の音高は白い鍵盤に対する黒い鍵盤のように虹の色彩で形式的に示される七色それぞれに類似する色に見える、と私の今の感覚を言う。
この共感覚のようなもの (synesthetic sense, sensation like synesthesia) が、過去にどうであったか、未来に続いているかは別の話である。
音高を色で表す合理的な方法も、考えてみよう。
虹の色彩は表現される色数が3であれ5であれ7であれ:
HSVカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Value"明度100%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままVの値を下げると黒に近づき、H = 任意でV = 100%のままSの値を下げると白に近づく。
HSLカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Lightness"輝度50%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままLの値を下げると黒に近づき、Lの値を上げると白に近づく。
HSVやHSLのモデルを適用し、オクターブの高低の差を色で表現することを可能にする。
MIDIのC-1からC9でいえば、聴覚的に音色の特徴が理解されやすい音域がC4(十二平均律でピッチ基準音440 Hzの場合にC4ドは約261.63 HzでC4シは約493.88 Hz)なので、C4に虹の色彩もとい光のスペクトルを置き、C-1は白か黒、C9は黒か白に近づくように脱色の方向で扱う。
この方式が一般的に採用されているか、私は知らない。
類例として、C D E F G A Bの7つの音高を7つの異なる色にして表示することはMIDIファイルを扱うソフトウェアなどに見られる。
その一例として、Domino では色のスペクトルで(ニュートン式の名で仮定すると)Bが赤であり、Cがオレンジであるところを経由してAが紫となるような配色(視覚的または技術的にはBがオレンジ appr. #ff8000 でCが赤 appr. #ff3000 と逆に感じる;他にはD, E, F, Gは緑、藍=青、黄、青=シアンなので、スペクトルにならって正せばF, D, G, Eのようにしたくなる配色)にしている。
起草日: 20191215
記事本文中に:
短音階の第六音は第6音、第二音は第2音と記さなかった。
長音階の第四音は第4音、第七音は第7音と記さなかった。
個人的に、七色(なないろ/ななしょく/しちしょく/しちしき)の読み方は訓読み「なないろ nanairo」としたい。
ただし、私のセンスでは「三色」が「さんしょく sanshoku」、「五色」が「ごしき goshiki」となるなど、私が音読みのうちの漢音 kan-on や呉音 go-on を単語ごとに分けて用いるような読み方になる。
これも「色々 iroiro」、「色とりどり iro-toridori」ということになる。
ゲーム音楽–ゲームミュージック (video game music) を研究する学問を英語圏で"ludomusicology" (「遊び・遊ぶこと」を意味するラテン語由来の語幹 lud, ludus のギリシャ接頭辞化 ludo-または interconsonantal vowel -o- 挿入 lud-o- が付いた ludology という「ゲーム研究 game studies」を意味する用語に musicology という「音楽学」を意味する用語を合成したという)と呼んでいることは2019年12月28日に知った。
その分野には、国内外の東方ファンおよび国内のゲームファンの交流があまりなさそうである。
民族音楽とされるものを研究する学問を英語圏で"ethnomusicology"と呼んでいることは2020年1月3日に知った。
文字通りに「民族音楽学」と訳語にすることが可能であるが、西洋音楽との対比が差別的であるとか、音楽的特徴以外も研究した民族学 (ethnology) の一種だとして見るために「音楽民族学」と呼んで理解する向きもある。
先に「民族(ethnicity, ethnic group)」と定義を与えたものに属する音楽とその文化を研究対象とすることが「正統派」であろう。
「本物–ホンモノ」だという民族音楽は、「民族」の文化的全体性や社会的な目的などに従属するので、独立の音楽としての側面以外が強調される。
音楽的特徴に関しては音階理論以外にも「狩猟の際の槍・弓矢の使用は弱強の裏拍リズムで、農耕の際の鍬の使用は強弱の表拍リズムだから文化によってリズムの得意・不得意が異なる」云々の論調も含まれる(鍵括弧内については日本人と西洋人を対比して任意の問題の原因を示す際のたとえ話で日本人がよく用いる様子)。
一般的な認知で、民族音楽は民族音楽というスタイル(典型的に楽器・衣装・演奏者らのアイデンティティ)が一般人に分かりやすい範疇で言う。
当記事で「エスニック ethnic, フォーク folk」と呼ぶようなものは、ポピュラー音楽での応用を指すので、この分野に関連しない。
実際、定義の不明な「民族音楽」という呼称は一度も用いられていない。
五音音階をイ短調=ハ長調(key: Am = C)で用いること(A C D E G. ニロ抜き短音階に当たる)は初歩的であって初心者の入門に適しているという趣旨の意見がWikibooks - "Guitar/Scales". oldid=3454107. に記されている:
当ブログでは、某サイトと東方Projectを同時に言及したことが一度ある。
2015-11-13記事『同じ作者の2009年の作品と、初公開が2012年で未完の作品それぞれ』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2015/11/20092012.html
2平, 629下3, 676下6(黄昏フロンティア東方原作格ゲーのあきやまうに氏・NKZ氏による曲のようなワールド–エスニック系インストゥルメンタル。一説では猫叉Master/佐藤氏の音ゲー曲のようだとも)
74下4, 75上5, 79下1, 96下4, 545上6, 546平サビで上1(東方風)
90上1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。冒頭から終盤まで頻出するフレーズは徹底的にニロ抜き五音で他は六音が基本。ピアノ伴奏・ソロは七音以上を鳴らす部分も)
349下1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。主旋律の大半は徹底的にニロ抜き五音で、Bメロのみ六音と音階の外の音1つで七音。ちなみに一部フレーズは東方原曲「童祭 ~ Innocent Treasures」上6からのオマージュで、その曲も当該フレーズのみニロ抜き五音)
407下1(アニソン風味。長調。第七音を用いない)
467下1(後述のFF等RPGのゲーム音楽に影響された云々の作品群に含まれるが、この曲のみこちら)
492下1(らい○作メロディックデスメタル色の和風V系ロック。短音階第四音レ Dと第七音ソ Gがギターソロ2回分や28-32小節のようなボーカルパート頻出フレーズで抜かれている。ヨナ抜き短音階による五音音階の希少な例)
814平(英語歌詞の洋楽風ロック。短音階第六音を用いないが僅かに七音音階の外の音ファ#とソ#を用いる)
注: 以上は概ね短音階第六音・長音階第四音(イ短調・ハ長調におけるファ F)の無い六音であり、ハモりの旋律は短音階第六音・長音階第四音が現れやすくなる。五音は90や349や492で特筆するほど稀である。74, 75, 79は途中に短三度転調(短三度もとい半音3つ分の転調)が1, 2回あり、いずれも上がるものだが、東方原曲で短三度転調というと「広有射怪鳥事 ~ Till When?」37小節付近と「蠢々秋月 ~ Mooned Insect」26小節付近のように下がるものもある。基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する曲:
282下6, 526上2, 530上1(らい○作ロック曲)
300下4, 608上4, 820下2, 821平(長調。邦楽ポップ・バラード–ピアノバラード。300, 821は長音階第七音シ Bの頻度低め)
314下5(色々なテイスト。73小節からの主旋律のみ東方風の印象があったが今回の調査でやはり短音階第六音が使われていないと判明。他は七音+ソ# G#)
315平(長調。J-pop風味)
339序奏間奏で下2サビで下5(ユーロビート色のハードコアテクノ風ポップス。BPMとリズムとシンセ音色が「ハレ晴れユカイ」や「魔理沙は大変なものを…」に近似して2000年代のニコニコ受けがよさそう)
435下1, 436上5, 465下6, 466下6(FFに代表される邦RPGの世界観に影響された雰囲気が濃いと同時にハードコアパンクやヘヴィメタルに属するロック)
469下2, 724平(フラメンコ色のワルツで前者はエレキのギターソロ付きハードコアパンク。ボーカルフレーズは両者とも七音音階の外の音が多く用いられる)
504下5(らい○作V系メタル。ボーカルフレーズは短音階第六音の頻度が少なめで七音音階の外の音が用いられやすい)
540下2, 541上5(長調。アイルランド伝統音楽風。後者は現代ミクソリディア旋法またはミクソリディアンスケールと言われる音階"modern mixolydian"に当たる)
726下6(洋楽風ロック)
734平(長調。ポップな矩形波を伴うロック。ループ音楽。最初8小節のフレーズは第二音と第七音が徹底的に抜かれる稀な五音音階)
855下1(長調。オサレ系アニソン風ポップス)881下3(カンツォーネまたはシャンソンを想起させる・ロマンスあふれるフォークまたはカントリー)
注: 基本の七音から外れた音も伴奏コードに依存して登場する。イ短調は先述の通りラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G = 白い鍵盤のみを使うので、これに加わる音は黒い鍵盤となる。典型的にイ短調はダイアトニックコードの一つBmの和音を構成するファ# F#が考えられる。曲によって何の黒い鍵盤が頻出するかが分かれる。465ではソ# G#が用いられ、466ではファ# F#が用いられ、六音が基本の467でもファ# F#が用いられている。ソ Gの代わりにソ# G#を用いる短音階は和声的短音階 harmonic minor scale、そこに加えてファ Fの代わりにファ# F#を用いる短音階は旋律的短音階 melodic minor scale と言われるが、この他の黒い鍵盤の音(ド# C#など)が用いられる場合もある。長音階でも七音の外の音がありうる。場合によっては無調性 atonality や半音階 chromatic scale, chromaticism と呼びうる。もしそう見えても主音 tonic note や終止 cadence などに注目して調を見出すことも可。
基本の七音のうち短音階第六音=長音階第四音を控えめに用いて主旋律を構成する曲:
172下4後半で平(短調。東方風だが特に秘封倶楽部を連想させる。前半部では、伴奏コードのごとく短音階第一音のフラット、イ短調でのラ♭ A♭ = G# が頻繁に見られる)
174=175平(短調。和風トランス。頻繁に繰り返すフレーズ以外は七音)
403上1(短調。洋楽風メロディックハードコア。短音階第二音の使用頻度も低い。なぜか私は噂にあるスコットランド民謡がどういうものか調べたくなった)
544平サビで上5, 705平(短調。東方風)
555下5(短調。邦楽ロックでアニソン風味)
717上4(長調。洋楽風メロディックハードコア。長音階第四音を用いる頻度が低いがそれと同じくらいハ長調でのラ# A#を用いるが伴奏コード依存)
544平サビで上5, 705平(短調。東方風)
555下5(短調。邦楽ロックでアニソン風味)
717上4(長調。洋楽風メロディックハードコア。長音階第四音を用いる頻度が低いがそれと同じくらいハ長調でのラ# A#を用いるが伴奏コード依存)
795下1(短調とも長調とも。邦楽メロディックハードコア)
管理楽曲識別番号を用いた例示は以上である。
識別番号による合計の曲数は50 (= 18 + 23 + 9) である。
他に、私の投稿物で今からでも聴ける例を示す:
「ハピコアメロコアメロスピ同盟(仮)」 https://www.youtube.com/watch?v=ecyUbYFg1EQ (平, 短調, 題のジャンル+東方テイスト, 2014年8月–) はイントロのギターソロのみ七音で、ボーカルや残りのギターソロが二五・ニゴ抜き短音階ともいえる五音(A C D F G. 当時の音楽理論理解でミ Eとシ Bを避けていた)で構成される。
「萌通」 https://www.youtube.com/watch?v=L_aKbPZsU1c (下5, 短調, 東方風ジャズ系インスト, 2014年9月–) は六音(調査用イ短調は一度Bmコードの時に主旋律でファ#あり)で基本的に主旋律を構成する。
「大晦日の歌」 https://www.youtube.com/watch?v=Ve3krVxVeQI (上5, 長調, 文語で七五調の歌謡曲, 2015年10月–) は六音で基本的に主旋律を構成する。
「Delightful Sunrise」 https://www.youtube.com/watch?v=VSUm2KE1uDI&t=291 (上4, 長調, ハッピーハードコア, 2016年9月–) は七音で基本的に主旋律を構成する。
「Cupiditas 官能的な牡牛くんが犯した罪の詩」 https://www.youtube.com/watch?v=E3aZmnZIOXI (下1, 短調, ユーロピアンなポップス, 2018年11月–) は六音(短音階第二音なし)で基本的に主旋律を構成する。
「大晦日の歌」 https://www.youtube.com/watch?v=Ve3krVxVeQI (上5, 長調, 文語で七五調の歌謡曲, 2015年10月–) は六音で基本的に主旋律を構成する。
「Delightful Sunrise」 https://www.youtube.com/watch?v=VSUm2KE1uDI&t=291 (上4, 長調, ハッピーハードコア, 2016年9月–) は七音で基本的に主旋律を構成する。
「Cupiditas 官能的な牡牛くんが犯した罪の詩」 https://www.youtube.com/watch?v=E3aZmnZIOXI (下1, 短調, ユーロピアンなポップス, 2018年11月–) は六音(短音階第二音なし)で基本的に主旋律を構成する。
他の楽曲(手持ちのMIDI)で少し調べた例も載せる:
Cielito Lindo (下2, 長調, メキシコの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Calabrisella Mia (下2, 長調, イタリアの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Camino de Llamas (平, 短調, Uña Ramos 1982年アルバム収録?アンデス音楽) は五音で基本的に主旋律を構成する(第二音シ Bと第六音ファ Fを抜く。元の楽器ケーナ quena の調律方法に依存)。
Camino de Llamas (平, 短調, Uña Ramos 1982年アルバム収録?アンデス音楽) は五音で基本的に主旋律を構成する(第二音シ Bと第六音ファ Fを抜く。元の楽器ケーナ quena の調律方法に依存)。
Hatikvah (上5, 短調, Fuggi Fuggi Fuggi フレーズ借用のイスラエル国歌"הַתִּקְוָה") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Mayim Mayim (上1, 短調, イスラエル発祥の国際的フォークダンス曲目"מַיִם מַיִם") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
備考:東方Project無関係の曲の「東方っぽさ」の理由と反面
備考:七音音階は七色?
七音音階の音がきっちり使われている曲は鮮やかに虹色を映しているように、私は錯覚することがある。Mayim Mayim (上1, 短調, イスラエル発祥の国際的フォークダンス曲目"מַיִם מַיִם") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
備考:東方Project無関係の曲の「東方っぽさ」の理由と反面
日本の大衆音楽・歌謡曲で私が「東方っぽい」と感じる例に「夏祭り (Whiteberryの曲)」がある。
私の測定によれば、イ短調 Am と分かり、有名なサビのフレーズに第六音ファ Fが無いと判明した(BPMに関しても東方のステージ曲とボス曲の過半数が属する150–170のあたりに重なる。コード進行も東方で定番のF→G→Am派生形)。
これは『「東方っぽい」東方Projectと無関係の曲』の代表例として祭り上げてよいと思う(理論的説明をした上で)。
ただし、人々が「東方っぽい」と知覚する理由に微妙な差異もありうる(cf., 東方萃夢想 Music Room - "萃夢想", 作者U2 = あきやまうにコメント 引用: 東方ぽく最初は静かですが [...])。
ZUNさんが先の年代(2002–2010年 cf., 東方妖々夢 おまけ.txt, 東方永夜抄 おまけ.txt, 妖精大戦争 Music Room - "可愛い大戦争のリフレーン")で言うことは「ゲームミュージックは『ゲームありきのミュージック』であり、ゲームの目的に合うだけの価値を持つ」というもので、STG東方原曲に限れば、ステージやボス目的に合わないものを「東方の多くの楽曲が分類される『ザ・東方』の曲っぽい」ということは、難しい。
実際にいくらかZUNさんの「音楽スタイル」として人々に観測可能な特徴は、東方の原作STGでさえ、旧作のもの (–1999年12月) と輝針城以前のもの (–2013年8月) と紺珠伝以後のもの (2015年8月–) とで異なると見られやすい(某掲示板やTwitterユーザーなどでたまたま見た他者の意見による。後はコード進行などを抽出して統計でまとめるなどを仮想している。なおFM音源PMDやSD-90など再生環境に関することは基本的に別の話)。
特に天空璋以降 (2017年8月–)、ドラムのキック–バスドラムの音がテクノ系ドラムマシンのサウンド(いくつかの情報源はGroove Agent 4のElementicとする)に固定されたことは、ゲーム中のグレイズ graze 効果音と混同しないためのゲームの目的性による変更点でないか、と私は感じている。
なので、音楽的特徴の抽出は音楽の一面で偶然的に(強く言えば蓋然的に)合うもの、と理解すべきである。
音階理論から解明される東方っぽさは、漠然と「和楽器が無いのに『和風』の感じ」や「オリエンタルなテイスト」や「フォーク–エスニック系の香ばしさ」と日本人が知覚できるものである。
これは『「東方っぽい」東方Projectと無関係の曲』の代表例として祭り上げてよいと思う(理論的説明をした上で)。
ただし、人々が「東方っぽい」と知覚する理由に微妙な差異もありうる(cf., 東方萃夢想 Music Room - "萃夢想", 作者U2 = あきやまうにコメント 引用: 東方ぽく最初は静かですが [...])。
ZUNさんが先の年代(2002–2010年 cf., 東方妖々夢 おまけ.txt, 東方永夜抄 おまけ.txt, 妖精大戦争 Music Room - "可愛い大戦争のリフレーン")で言うことは「ゲームミュージックは『ゲームありきのミュージック』であり、ゲームの目的に合うだけの価値を持つ」というもので、STG東方原曲に限れば、ステージやボス目的に合わないものを「東方の多くの楽曲が分類される『ザ・東方』の曲っぽい」ということは、難しい。
実際にいくらかZUNさんの「音楽スタイル」として人々に観測可能な特徴は、東方の原作STGでさえ、旧作のもの (–1999年12月) と輝針城以前のもの (–2013年8月) と紺珠伝以後のもの (2015年8月–) とで異なると見られやすい(某掲示板やTwitterユーザーなどでたまたま見た他者の意見による。後はコード進行などを抽出して統計でまとめるなどを仮想している。なおFM音源PMDやSD-90など再生環境に関することは基本的に別の話)。
特に天空璋以降 (2017年8月–)、ドラムのキック–バスドラムの音がテクノ系ドラムマシンのサウンド(いくつかの情報源はGroove Agent 4のElementicとする)に固定されたことは、ゲーム中のグレイズ graze 効果音と混同しないためのゲームの目的性による変更点でないか、と私は感じている。
なので、音楽的特徴の抽出は音楽の一面で偶然的に(強く言えば蓋然的に)合うもの、と理解すべきである。
音階理論から解明される東方っぽさは、漠然と「和楽器が無いのに『和風』の感じ」や「オリエンタルなテイスト」や「フォーク–エスニック系の香ばしさ」と日本人が知覚できるものである。
備考:七音音階は七色?
虹色は光のスペクトルの赤ないし紫(科学知識によれば電磁波における可視光線の長い波長750 nmから短い波長380 nm)を示すものであり、それを文化ごとに三色とも五色とも七色とも言い、現代日本では七色(7色)で定着している。
七色を唱えた説のうち、有力な説明をした最初の人はアイザック・ニュートン Isaac Newton と思う。
過去記事に記したように、彼の時代はまだ光の粒子説と波動説とがあるうち、波動の面での解明が浅かったので「波長」とは言われずとも、目に見えるもの (visible) としてプリズム (prism) からの光を指すこともできる「スペクトル (spectrum, spectra)」は言及があった。
彼は七色を"Red, Orange, Yellow, Green, Blue, Indigo, Purple"とした。
Blue, Indigo は青・藍と直訳できるが、これら2色は代数的に呼ばれたものなので、今日のシアン Cyan(子ども向けには水色)・青 Blue と言い換えられる方がよい。
彼の七色の説は1704年に刊行された「光学 Opticks」で見られる。
そこには、七色を七つの音 (D E F G A B C, レから始まる) に配当した説明が見られる、と私は認知しているが、原著の文脈を知らないので、少し探してみた。
Fig. 11. PROP. VI. PROB. II. Opticks. …当ブログ筆者による着色を伴う |
In a mixture of Primary Colours, the Quantity and Quality of each being given, to know the Colour of the Compound.
With the Center O [in Fig. 11.] and Radius OD describe a Circle ADF, and distinguish its Circumference into seven Parts DE, EF, FG, GA, AB, BC, CD, proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol, contained in an eight, that is, proportional to the Number 1/9, 1/16, 1/10, 1/9, 1/16, 1/16, 1/9.- PROP. VI. PROB. II. Opticks. (ここでの引用元は第4版の内容で1952年に発行された本の本文154ページ。他に初版だという本のネット上で閲覧可能なスキャン物では spread: 73 の [114] とあるページに載る。ただし分数が7つ記される部分は1/9, 1/10, 1/10, 1/9, 1/10, 1/16, 1/9とあり、異なる)
Let the first Part DE represent a red Colour, the second EF orange, the third FG yellow, the fourth CA green, the fifth AB blue, the sixth BC indigo, and the seventh CD violet. And conceive that these are all the Colours of uncompounded Light gradually passing into one another, as they do when made by Prisms; the Circumference DEFGABCD, representing the whole Series of Colours from one end of the Sun's colour'd Image to the other, so that from D to E be all degrees of red, at E the mean Colour between red and orange, from E to F all degrees of orange, at F the mean between orange and yellow, from F to G all degrees of yellow, and so on.
Let p be the Center of Gravity of the Arch DE, and q, r, s, t, u, x, the Centers of Gravity of the Arches EF, FG, GA, AB, BC, and CD respectively, and about those... (後略)
Fig. 11. とは、BOOK ONE. PART II.の中で11番目の図表 (figure) を意味する。
その図表に描かれるサークル(円形)はD E F G A B Cと名付ける線7つで時計回りで区切られ、外側にRedからPurpleまでの色の名が領域DEから領域CDまで時計回りで記されている。
7つの色を分けるD E F G A B Cの線はDを調とする音階または旋法と関係が無いものか?
便宜的なものであろうか?
そのあたりはこの内容から読み取ることができない。
"proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"を含んだ段落が、どう関係しているか?
"the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"という同格表現をどう解読すべきか分からないが、1オクターブ12音高の時に:sol, la はそのまま半音7つ(完全5度)上げて re, mi の位置にすると次の fa, sol, la に繋がり、次の mi, fa, sol はそのまま半音5つ(完全4度)下げて si, do, re の位置にすると、これらは re, mi, fa, sol, la, si, do, re という D E F G A B C D という1オクターブの"the eight Sounds"の"the seven Musical Tones or Intervals" (7つの音程) になる、としか私には理解の方法が無い。
図を見る限り、一般的な音階のE-FやB-Cは半音で隣り合うので、これをスペクトルの Orange と Indigo が視覚的に狭いことに託してDのドリア旋法 (Dorian mode, ドリアン・モード;教会旋法のほう) を採用している、という点で理論的に見える。
Orange と Indigo はそれまで五色が主流だった虹の色数の説明に、彼が七音音階に合わせて七色とするために加えて挙げたものであるとも世間で言われている。
インターネット上でもそういう説明がそこそこあろう。
この解釈には、その理解をニュートンさんが持っていたという直接的根拠があるか判然としない。
虹の色彩は、好む人も好まない人もいる。
白黒二色やモノクロームやモノトーンや任意の色の濃淡明暗の差の色彩と比べてどう好まれるか?
虹の色彩を用いる場面によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階も、五音音階より好きという人も嫌いという人もいる。
七音音階を用いる曲の雰囲気によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階は虹の色彩か、それとも任意の調の下で比較的自然に用いられる白い鍵盤の範囲か?
この話をするうちに思弁的な気がしてきた。
七音音階の好き嫌い・善悪も、認知科学などの方法論で解明したり説明したりできるかもしれないが、現状ではこれ以上の示唆ができない。
いくらかの疑問を残す。
私は、根拠の少ない状態で結論に導くようなことを言いたくないので、読者への宿題ということにしておこう。
それでも、七音音階は虹の色彩に見えるし、七音音階の外の音高は白い鍵盤に対する黒い鍵盤のように虹の色彩で形式的に示される七色それぞれに類似する色に見える、と私の今の感覚を言う。
この共感覚のようなもの (synesthetic sense, sensation like synesthesia) が、過去にどうであったか、未来に続いているかは別の話である。
音高を色で表す合理的な方法も、考えてみよう。
虹の色彩は表現される色数が3であれ5であれ7であれ:
HSVカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Value"明度100%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままVの値を下げると黒に近づき、H = 任意でV = 100%のままSの値を下げると白に近づく。
HSLカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Lightness"輝度50%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままLの値を下げると黒に近づき、Lの値を上げると白に近づく。
HSVやHSLのモデルを適用し、オクターブの高低の差を色で表現することを可能にする。
MIDIのC-1からC9でいえば、聴覚的に音色の特徴が理解されやすい音域がC4(十二平均律でピッチ基準音440 Hzの場合にC4ドは約261.63 HzでC4シは約493.88 Hz)なので、C4に虹の色彩もとい光のスペクトルを置き、C-1は白か黒、C9は黒か白に近づくように脱色の方向で扱う。
この方式が一般的に採用されているか、私は知らない。
類例として、C D E F G A Bの7つの音高を7つの異なる色にして表示することはMIDIファイルを扱うソフトウェアなどに見られる。
その一例として、Domino では色のスペクトルで(ニュートン式の名で仮定すると)Bが赤であり、Cがオレンジであるところを経由してAが紫となるような配色(視覚的または技術的にはBがオレンジ appr. #ff8000 でCが赤 appr. #ff3000 と逆に感じる;他にはD, E, F, Gは緑、藍=青、黄、青=シアンなので、スペクトルにならって正せばF, D, G, Eのようにしたくなる配色)にしている。
起草日: 20191215
記事本文中に:
短音階の第六音は第6音、第二音は第2音と記さなかった。
長音階の第四音は第4音、第七音は第7音と記さなかった。
個人的に、七色(なないろ/ななしょく/しちしょく/しちしき)の読み方は訓読み「なないろ nanairo」としたい。
ただし、私のセンスでは「三色」が「さんしょく sanshoku」、「五色」が「ごしき goshiki」となるなど、私が音読みのうちの漢音 kan-on や呉音 go-on を単語ごとに分けて用いるような読み方になる。
これも「色々 iroiro」、「色とりどり iro-toridori」ということになる。
ゲーム音楽–ゲームミュージック (video game music) を研究する学問を英語圏で"ludomusicology" (「遊び・遊ぶこと」を意味するラテン語由来の語幹 lud, ludus のギリシャ接頭辞化 ludo-または interconsonantal vowel -o- 挿入 lud-o- が付いた ludology という「ゲーム研究 game studies」を意味する用語に musicology という「音楽学」を意味する用語を合成したという)と呼んでいることは2019年12月28日に知った。
その分野には、国内外の東方ファンおよび国内のゲームファンの交流があまりなさそうである。
民族音楽とされるものを研究する学問を英語圏で"ethnomusicology"と呼んでいることは2020年1月3日に知った。
文字通りに「民族音楽学」と訳語にすることが可能であるが、西洋音楽との対比が差別的であるとか、音楽的特徴以外も研究した民族学 (ethnology) の一種だとして見るために「音楽民族学」と呼んで理解する向きもある。
先に「民族(ethnicity, ethnic group)」と定義を与えたものに属する音楽とその文化を研究対象とすることが「正統派」であろう。
「本物–ホンモノ」だという民族音楽は、「民族」の文化的全体性や社会的な目的などに従属するので、独立の音楽としての側面以外が強調される。
一般的な認知で、民族音楽は民族音楽というスタイル(典型的に楽器・衣装・演奏者らのアイデンティティ)が一般人に分かりやすい範疇で言う。
当記事で「エスニック ethnic, フォーク folk」と呼ぶようなものは、ポピュラー音楽での応用を指すので、この分野に関連しない。
実際、定義の不明な「民族音楽」という呼称は一度も用いられていない。
五音音階をイ短調=ハ長調(key: Am = C)で用いること(A C D E G. ニロ抜き短音階に当たる)は初歩的であって初心者の入門に適しているという趣旨の意見がWikibooks - "Guitar/Scales". oldid=3454107. に記されている:
A Minor Pentatonic
A-C-D-E-G-A
Most guitarists feel comfortable beginning with the A minor pentatonic, which is the single most popular scale for solos in Western music. Most guitarists know this shape of the Am pentatonic scale by heart, mainly because it is so frequently used in solos. It can also be used for pretty much anything, especially if you want to give it a slightly melancholy sound.
Remember that this scale pattern (and any other scale pattern) can be moved up and down the fretboard therefore allowing the guitarist to play in many different keys using the one shape. (後略、diagram あり)
当ブログでは、某サイトと東方Projectを同時に言及したことが一度ある。
2015-11-13記事『同じ作者の2009年の作品と、初公開が2012年で未完の作品それぞれ』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2015/11/20092012.html
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