2016年2月25日木曜日

「千弁蓮華 "Sahasrāra"」と「千葉蓮華」

2016年2月6日、鳩摩羅什三蔵翻訳の「妙法蓮華経」に本来は無かった「提婆達多品第十二」を読んでいた(日蓮大聖人も女人成仏抄で二十七品が二十八品に増えた経緯を説明している)。
この品なくば「法華経二十八品」という表現が成立しなくなる、といった一定の存在感がある。

※添品妙法蓮華経という後世の法華経において提婆品にあたる記述が「見宝塔品第十一」に追加され、更に後年、羅什訳の妙法蓮華経にもその記述が独立して提婆品が生まれた、という学説がある。また、羅什さんが参照した梵語法華経には提婆品にあたる記述なく、闍那崛多さんが参照した梵語法華経にはある記述が、後年梵語圏で付加された記述であろうとされる。これも以前話した「観世音菩薩普門品の『偈』」と同じような経緯となる。

とある調べごとのために、この提婆品を読んでいたが、その中で無関係ながら「千葉蓮華(せんようれんげ・せんしょうれんげ)」という表現に惹かれた(爾時文殊師利。坐千葉蓮華。大如車輪。倶来菩薩...)。
これは真っ先に「千枚の花弁を持つ蓮"Sahasrāra (マクロン抜き正当: Sahasraara、サハスラーラ)"」という、私が初めてサンスクリット語として覚えた単語を思い起こす。
サンスクリット語といえば、古今東西・英語にも日本語にも影響を与えた世界的言語ではあるから、誰しも語源的に通じる単語を自然と知っている(記事末尾参照)ものであるが、単にアルファベットやデーヴァナーガリーから覚えたものとしては"Sahasrāra"が初めてである。
"Sahasrāra"を知った2013年中に「千弁蓮華」と、独自の漢訳をして記事に載せた(厳密に言えば、直に漢訳する知識は無かったから英語や日本語での意訳を四字熟語に置き換えたのみ)。

この思い出深き"Sahasrāra"との類似性を覚える「千葉蓮華」にあたる単語が梵本・サンスクリット語のバージョンには載っているか、"Sahasrāra"に巡りあえるか興味が沸いたため、調査を行った。
ヒンドゥー教(印度教)関連から知ったものであるから、仏教とは関係ないことは当然分かるが、そのために梵語・梵本の法華経にも見られる単語であるか、突き止めたく思う。

※実はこの2月6日より前に、別の方法で"Sahasrāra"に関する調査をしていた。サンスクリット語で「蓮」とは何だろう・・・私の先入観で"Sahasrāra"が「(千の花弁を持つ)蓮」という認識によって、「Sahasra(千)+ara(蓮)」と仮定していたが、実際には"Thousand-petaled"という英訳の通り、「蓮」の意味を含んでいない。この時、妙法蓮華経の題でも有名な「白蓮 "Puṇḍarīka (プンダリーカ)"」も浮かべていたので、当時はこれを結論とせざるを得ず。



まず、英語版Wikisourceで対訳箇所を探すべく"Chapter 11"を披いた。
先述の通り、この「提婆達多品第十二」は鳩摩羅什三蔵翻訳の「妙法蓮華経」のみ設けられたものであり、別の本ではみな「見宝塔品第十一」に当たるパートに載っているから、"Chapter 11"を参照する必要がある。
また、サンスクリット語版としてDSBCの"11 STŪPASAṂDARŚANAPARIVARTAḤ"も披く。

妙法蓮華経でその記述の前後にある固有名詞などの、ローマ字(ラテン文字)表記を想像して、ページ内検索をかけ続けておおよその位置を特定する。
「文殊師利」は好例にあたるため「英語ではマンジュシュリー"Manjusri ??"だったか」と想像しながら英・梵両ページを探すと、それらしい記述の位置が当たった。
他にも知っている単語である「ボーディ・サットヴァ"Bodhisattva"」のような単語も付近にあることを確認していく。
ほか、自分の脳内で通じた単語は"prajñākūṭa (prajñākūṭo bodhisattva)"の「プラジュニャー」という語根は音写・漢訳で「般若=智」、それで菩薩の名前とすれば「智積菩薩」に通じ、WS所載の英訳本に"six perfect virtues (Pâramitâs)"とあるも箇所も「六波羅蜜」を指すと見た。

以下に対応する記述のハイライト

atha khalu tasyāṃ velāyāmadhastāddiśaḥ prabhūtaratnasya tathāgatasya buddhakṣetrādāgataḥ prajñākūṭo nāma bodhisattvaḥ| sa taṃ prabhūtaratnaṃ tathāgatametadavocat-gacchāmo bhagavan svakaṃ buddhakṣetram| atha khalu bhagavān śākyamunistathāgataḥ prajñākūṭaṃ bodhisattvametadavocat-muhūrtaṃ tāvat kulaputra āgamayasva yāvanmadīyena bodhisattvena mañjuśriyā kumārabhūtena sārdhaṃ kaṃcideva dharmaviniścayaṃ kṛtvā paścāt svakaṃ buddhakṣetraṃ gamiṣyasi| atha khalu tasyāṃ velāyāṃ mañjuśrīḥ kumārabhūtaḥ sahasrapatre padme śakaṭacakrapramāṇamātre niṣaṇṇo'nekabodhisattvaparivṛtaḥ puraskṛtaḥ samudramadhyāt sāgaranāgarājabhavanādabhyudgamya upari vaihāyasaṃ khagapathena gṛdhrakūṭe parvate bhagavato'ntikamupasaṃkrāntaḥ| atha mañjuśrīḥ kumārabhūtaḥ padmādavatīrya bhagavataḥ śākyamuneḥ prabhūtaratnasya ca tathāgatasya pādau śirasābhivanditvā yena prajñākūṭo bodhisattva  stenopasaṃkrāntaḥ| upasaṃkramya prajñākūṭena bodhisattvena sārdhaṃ saṃmukhaṃ saṃmodanīṃ saṃrañjanīṃ vividhāṃ kathāmupasaṃgṛhya ekānte nyaṣīdat| atha khalu prajñākūṭo bodhisattvo mañjuśriyaṃ kumārabhūtametadavocat-samudramadhyagatena tvayā mañjuśrīḥ kiyān sattvadhāturvinītaḥ? mañjuśrīrāha-anekānyaprameyāṇyasaṃkhyeyāni sattvāni vinītāni| tāvadaprameyāṇyasaṃkhyeyāni yāvadvācā na śakyaṃ vijñāpayituṃ cittena vā cintayitum



同日19時台、ついに「千葉蓮華」の核心に迫った。

"Sahasrapatre"という単語は「千葉」を表していよう。
"Sahasra"は「千」であり、"patre"は「葉」、でなかろうか。
英語版Wiktionary "सहस्र"の記事で"Sahasra = Thousand"であると書かれ、英語版Wiktionary "Leaf"の記事でインド系の諸語の対訳がパーリ語なら"Paṇṇa (Panna)"、ベンガル語なら"Pata"、より追跡してヒンディー語やネパール語にマラーティー語、ついにはサンスクリット語でも"Patra"とあることから、まさしく"Patre = Patra (主格) = Leaf"(葉) であると繋がる。

その直後に続く"Padme"という単語も、Wiktionaryでの調査に限界があるため、槍投げにGoogle検索をかけたところ、何とか期待する検索結果を得られた。
格変化の処格(所格・於格とも)の違いで"Padma"が"Lotus"つまり「蓮」に当たる単語である。
要は、「千葉蓮華」をサンスクリット語に戻すと"Sahasrapatra padma (サハスラパトラ・パドマ)"ということになろう。

※蓮は蓮でも、"Padma"と"Puṇḍarīka"の違いは色にあるようだが、紅蓮・白蓮となろう。単に「ハス」という分類学上の植物の名を指す場合は前者にすべきか、といった点は不明である。そこで別途調査すると、分類学上のニュートラルな名称は「パドマ」でなく「カマラ "Kamala, कमल"」のようである。

※"Sahasrapatre padme"手前の"kumārabhūtaḥ"という単語は「クマーラブータハ(?)」と読むが、クマーラといえばあの妙法蓮華経訳者、鳩摩羅什三蔵も「クマーラジーヴァ」といい、父上も「クマーラヤナ」と称するなど、"kumārabhūtaḥ"の意味が気になるところであるが、これ以上は止みなん、また知るべからず(もう止めよう、知ることはできない)。

2013(12?)年に単語"Sahasrāra"を知ってより、2013年末に"Thousand Leaves (まさに千葉)"の楽曲を聴き、2014年6月に日本仏教への関心を強く持ち、この2016年1月以降はサンスクリット語・パーリ語といった言語に向き合う心の準備が整ってから、ようやく類語などを特定するに至った。
短時間でこれだけ調査したから、実に疲れてしまう。
しかもそれを、「漏らさないうちに知識を移しきろう」としてこの記事を即日まとめたわけだから、作業量が濃密となる。
無論、即日まとめるとしても速記のようなものだから、即日や翌日に投稿するとは意味しない。
現状、メモ帳には4記事のストックがあるので、これらを順次投稿していき、当記事は当月末に投稿・反映する予定を立てよう。



なお、他の英語の意訳として、"Sacred Texts"所載の訳文における「千葉蓮華」の箇所は"centifolious lotus"とあるが、これは「百の葉の蓮」を意味しているようである。
ラテン語接頭辞"centi-"は、センチメートルなどと日本でも言うが、"100, Hundred"にあたる意味を持つ。
ちなみに100は、ラテン語 ケントゥム"centum"であり、サンスクリット語 シャタ"śata शत"である。
"fol"という語幹なら、先のサンスクリット語"Patra"と同様"leaf"を意味している。

ところでラテン語で"Pater"といえば「父親」を意味する単語で、今や全世界に流布する「パパ・ママ "Papa, Mama"」の語源は無論ラテン語であり、ラテン語の前にも(?)古代ギリシャ語"παπάς"など、相当する単語がある。
ラテン語で父・母といえば"Pater, Mater"であるが、これらのより祖先を辿ると印欧祖語というものになるらしい。
同じ印欧祖語が祖先である「印欧語族」にあるサンスクリット語では"पितृ, मातृ"であり、ローマ字表記をすれば"pitṛ, mātṛ"となる。
両親について、父母の順序を「母父"Mātā-pitarau"」という並列の言葉で称しているそう。

2016年2月18日木曜日

日本・大陸漢字発音概論 [音韻学]

今回は、漢音と呉音の復習に加え、漢字文化圏の諸語や外部の言語の例も交えて解説する。

「自然(しぜん)」と「男女(だんじょ)」に、別の読み方があることはご存知であろうか。
そう、「自然薯(じねんじょ)」や「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」に見られる差である。
その差は単なる訛りであろうか?
これは端的にいえば「漢音」と「呉音」の差である。
"しぜん・だんじょ"組は漢音であり、"じねん・なんにょ"組は呉音である。

「自」は一般的にこの呉音かつ濁音の"じ"と読まれる。
「自」を漢音かつ清音の"し"と読むのは、いわゆる中国の書で仏教でない道教や儒教での読み方の影響で"しぜん"と読む。
一方、"じねん"の場合、「然」を呉音である"ねん"と読む熟語は、「天然」くらいしか一般的な例がなく、一応IMEで変換できるものとして「忽然」などがある程度だ。
だが、音符となれば「燃焼」の燃えるという字が一般的に"ねん"と読む。

ともかく、要は漢音"ぜん"と呉音"ねん"の差は、「特定の単語のみに現れる訛り」ではなく「普遍的法則」である。
これは"ぜ"と"ね"の互換である。
"だんじょ"の"だ"に対する"なんにょ"の"な"、また"じ"と"に"も同じ普遍的法則が合う。

余談だが、「境内(けいだい)」という読み方は、「境」も「内」もそのような読み方の単語例はほかにあまり無いので、初めて見たとき・普段見ない中で久々に見る時には大概「境内(きょうない)」と読む人も多かろう。
これも前者が漢音であり、後者が呉音である。
「境(さかい・けい・きょう)」はいわゆるeiとyouの互換であるが、これは音韻学入門の2014年7月の記事で当時なりの解説がされている
「内(うち・だい・ない)」は先ほどと同じ法則によるが、"だい"読みの単語例は「お内裏」か。

"だDA"と"なNA"は歯茎音で共通し、"じょJO"と"にょNYO"は硬口蓋音で共通し、"ぜZE"と"ねNE"は歯茎音で共通する。
例えば"ぜ"は有声歯茎破擦音であり、"ね"は有声歯茎摩擦音であるといった、"だ・じ・ぜ"等の互換法則漢音は大概「部位名称+破擦or破裂音」に該当する。
とりあえず、ここで漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"に発音法則の一貫性があることを理解されたい。
なお、"ぬ"や"の"が呉音なのか漢音なのか、また片方に当てはまる場合もう片方がどういう音になるか、少し説明する。
「奴・怒」は「奴隷(どれい)・憤怒(ふんど)」という漢音、「奴婢(ぬひ)・憤怒(ふんぬ)」という呉音の違いがあり、"の"という発音に至っては、音読みでの例が未見であるので説明不能か。



次に例題を挙げよう。
「美女(びじょ)」を呉音読みするとどうであろうか。
すなわち、"みにょ"となる。
前述の法則上、女"じょ"が"にょ"となるのみならず、"び"までもが"み"と変化した。
これは過去記事「BM互換」の中で多くの例より解説しているので参照されたい。

「BM互換」は、呉音がMの時、漢音がBとなる法則であるから、呉音と漢音どちらかのみ判明している漢字の音がBの音だとしても、必ず漢音に可能性は限られない(後述)。
後々、中国本土では多くの漢音B音がM音に発せられている(日本の呉音B音は後述「毘"び"」が"Pi"、「平"びょう"」が"Ping"になるよう、P音が多い。これは有声音と無声音の違いであって現代中国の口語では個々の字と条件によってB音にもなる場合がある)。
今の中国本土の普通話において、B音の漢字はほぼ無くなってしまった(後述する「本」は別)。

サンスクリット語には漢字の音写で「菩・仏・毘」などが当てられるB音の単語が多い。
今の中国本土では過去記事にも書いたが、「仏陀(ぶっだ"Buddha")」が"Fo Tuo"となり、「菩提(ぼだい"Bodhi")」が"Pu Ti"となるなど、しかもD音のT音化までセットに見られ、頭子音のB音の消失をはっきりと見ることができる。
これでは、サンスクリット語「音写」に対する、音韻上の再現性に欠いてしまう。
なお、日本仏教に「仏陀(ぶっだ)」という発音は伝統的にされないほか、"っ"という促音の後に"だ"というD音がつく熟語はほぼ存在しない(この発音自体が外来語に対して用いられるようになるなど、日本語には近現代まで無かった)。
"ば"の音の漢字なら、サンスクリット音写の場合「婆・跋」などが用いられる。
これにしてもP音に変わっているから、「婆羅門(ばらもん"Brahmana")」も"Po Luo Men"となってしまう(跋は・・・)。
"べ"に関しては該当する音が漢字にもサンスクリット語にも見づらい。
"ヴェ"は本質的に異なるし、ヴェーダ(韋駄・吠陀)は仏教と関係がなくなってしまう。

続いて、諸語における漢字B音読みの存在を確認しよう。
ベトナム語は不明であるが、「ベトナム"Vietnam"」はご存知の通り「越南(えつなん)」と漢字で書く。
これは日本の古い字音でいえば"ゑつなむWetsu Namu"となるが、それを更にWとVの互換性、入声音の考慮などをすれば"Vet Namu"となり、"Vietnam"と瓜二つのスペルに変わる。
このようであるから、普通の人もとい2年前までの私は「越南」で「越」と"Viet"に似ている点を感じられないであろうが、実は日本語と疎通するものがある。
ベトナム語を始めとして、韓国語や中国方言(広東語・閩南語など)は伝来当初の音を多少の範囲で残しているから、参考となる部分が多い。

韓国語にもまだB音は残っているようであるが、ローマ字表記の基準が変わるとPに綴られる場合も多い。
私が中3あたりの頃は「釜山(プサン)」の表記が"Pusan"と"Busan"に分かれる理由が気になっていたものの、これは"Pusan"がマッキューン=ライシャワー式で、"Busan"が文化観光部2000年式という違いである。
前者M-R式は日本統治時代から不変であるが、後者2000式は韓国政府による改良が度々加えられる中で2000年に確定した表記法であり、現行のローマ字・ラテン文字表記の基準となる。
※後の加筆となる。このB, Pの別は有声・無声の両唇破裂音であり、この有声音や無声音はG, Kなどのいわゆる濁音と清音に相当するが、日本の連濁のように、前後の音など脈絡に応じて有声音と無声音が入れ替わったりする。M-R式や2000式といったローマ字表記法ごとの違いは、ここで決定される。

なお、中国のピンイン方式の表記と、ウェード式という表記法にも、BとPのつづりの差がある。
例えば、「本」のピンインは"ben"、ウェード式では"pen"であるが、韓国のM-R式"pon"、2000式"bon"とも「本」にB・Pの違いがあるが、どちらも実際にBの発音をしている。
今日の日本でそれら言語のカタカナ表記をするにも、大概は両言語の現行表記法(ピンインと2000式)に基づいているから「日本」は中: リーベン"Ri Ben"、韓: イルボン"Il Bon"と綴られる。

※「語中に連濁もとい有声音化が現れただけ」と言われれば、それまでかもしれない。ピンインとかウェード式とかというのはラテン文字翻字システムの名であり、これらは中国語や韓国語などを対象とする際に有気音(韓国語学で激音とも)を区別した表記に、例えば有気音はPで無気音はBを用いるというようなことをしているに過ぎないかもしれない。語頭の濁音もとい有声音を区別しない言語たちだから。私は勉強不足なので考証を保留し、要点だけ読み取っていただきたい。





ここで、日本の漢字の音読み「呉音・漢音」の話に戻す(唐音に関しても僅かに後述する)。
必ずしも「"ぜ"や"び"から始まれば漢音」というわけではない。
連濁によって世が"ぜ"となる場合(観世音、現世)もあれば、毘のようにサンスクリット語の音写(荼毘、毘沙門)でも定番の文字の場合など、その音であっても漢音と推定しきれない字の音がある。
「毘(び)」の文字は、漢音が"ひ"である(一部辞書所載に依拠か)。

呉音における"B"の音についてしばらく説明する。
「凡」という字の読みは、誰もが真っ先に"ぼん"と答えるであろう。
だが、「凡例(はんれい)」のような読みもある。
「凡」の"ぼん"と"はん"の違いもまた、呉音か漢音か、という違いに尽きる。
「犯(はん)」には「女犯(にょぼん)」という読みがあり、「煩(はん)」にも「煩悩(ぼんのう)」という読みがあり、「飯(はん)」でさえ「浄飯王(じょうぼんのう)」と読む。
これだけ挙げれば、"han→bon"もとい時系列的には"bon→han"という音の変化が知られる。
呉音における"B"の音はほかにも「平(へい)」が「平等(びょうどう)」であるとか、「病(やまい)」は一般的に"びょう"と読むであろうに「疾病(しっぺい)」という単語もあることから、「疾(しつ)」の促音便に伴う「病(音符: 丙、漢音: へい)」が半濁音となって"しっぺい"と読むのである。
"hei→byou"は、先述の"ei→you"互換の法則に呉音の濁音化が加わっている。
なお、「平」を"ひょう"と読むことがあれば、これは「類推による慣用音」となる。
したがって、「評判」の「評(ひょう)」も慣用音である(もちろん呉音と漢音は「平」に同じ)。



漢音が"ei"のとき呉音が"you"となる例を本文中に2度は述べた(境と平)が、漢音が"ei"のとき呉音は必ず"you"となるわけではない。
例えば「西」は"せい→さい"であり、「麗・礼」も"れい→らい"と呉音では"ei→ai"の変化がある。
なお、現代中国語、普通話において「西」は"xi"であり、「麗・礼」は"li"である。

"ei→you"互換のものは日本でも一般的な「清(せい・しょう)」「明(めい・みょう)」などが中国語では"qing", "ming"であるなど、いわゆる唐音の"しん"や"みん"に類する。
ただし、"ng"という軟口蓋鼻音は古い仮名遣いだと"う"とされた一方で、現代では誰もが"ん"と、"n"という鼻音と同じようにしている。

なお、既述の「境」と「平」の現代中国語の発音、ピンインの表記とは何か。
「境」は"jing"で、「平」は"ping"である。
これらもまた呉音ei漢音you中華ing(日本の唐音in)の法則に準じている。
現代中国語に少ない発音が、頭子音としての"K"である。
よって、「境」がケイとかキョウとかの頭子音"K"として日本で読まれても、現代中国では頭子音がJかXかQかFかHに変わる(K→Hという頭子音の変化は、後述の「好」という字などが当たる)。

※逆に、現代中韓で頭子音"H"の漢字(好・海・韓など)が、古代日本は"H"の発音が無い(仮名の"は行"に相当する音の発音は古代P→中世F→近世~現代H)という前提で頭子音"K"として受容したという学説が大正頃からある。言い換えると、今日の日本に"は行"で音読みする漢字は今の中国や韓国で"P"や"B"や"F"の音の字が多い。字音仮名遣いで2モーラが"ふ"という漢字も、上古の日本では、入声音"P"に通じた"ぷ"で発音されたのではないか(法なら"ぴゃぷ・ぴょぷ"、合なら"がぷ"という発音が当時の音に近そう)。なお、元々が頭子音"H"でなかった可能性のある漢字が「含 (ごん・ゴム、かん・カム、がん)」であり、今の中韓では"han, ham"という発音ではあるが、仏典の漢訳では"āgama"に対して「阿含」とある通り、本来の中国か古い中国の一部地域では頭子音"h"ではなく"g"だったろうから日本はその音のまま受け入れたと見る。上古音研究では「含」を/*Cə-m-kˁəm/("カム"とか濁り気味の"カム"?)や/*ɡɯːm/と表記している。



最後に、日本の漢字の音読みにおける尾音(後ろの音、尾子音・韻尾)"う, u"の源流について示す。
既述の軟口蓋鼻音"ng (ŋ)"は多くの尾音"う"の音を生み出してきた。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」のような清音である場合、連濁する性質がある。

次に、普通中国語には唐や宋あたりから失われた入声音"p"も、歴史的仮名遣いの"フ"を経て、現代に"う"と綴られる。
合"ガフ"や法"ハフ"などがこれに当たる。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」である場合、"う"が促音となる性質いわゆる「促音便」があり、中でも「は行」は「ぱ行」に変わる。
この原理から、「合併"がっぺい"・合体"がったい"」などの発音が生まれる(「合法」に限っては"がっぽう"ならぬ"ごうほう"のまま)。
また、法"ハフ"は「法被(はっぴ)・法度(はっと)」という単語がこれに則るも、「法華(ほっけ)・法身(ほっしん)・法主(ほっす)」という読み方は、"ハフ"則ではなく"ほう"の"う"が促音便であるが、これについては中古音"pjop: ピョプ"に似た音・呉音"ホフ"に則している。

次に、その中古音・上古音で"w"、現代中国語で"ao"の発音の"o"にあたる箇所を日本の音読みで対応して"う"となる例もある。
代表例はご存知の方もいようが、「小"xiao"」や「好"hao"」や「道"tao"」などである。
この三例はみな、漢音も呉音も日本では"ou (ō)"の発音に終わる。
ほか漢音のみ母音が2つ続いて、呉音は"u"のみとなるものに「・留(漢音: りゅう、呉音: る)」や「・工(漢音: こう、呉音: く)」などがあるが、これらも中古・上古のスペルに"w"で結ばれる。
これらについては、続く漢字の音を濁音化させるなどの効能は基本的に無いが、もしあるならばおそらく、それら前述の"ng"や"p"の効能に対する類推であろう(例: 仏教の三身のうち報身="ほうしん"を"ほうじん"と読むなど・・・""は尾子音ngの漢字でないから日本伝来当初に連濁で伝わるはずもない)。

ほかは、日本で人工的(ある意味で人口的)に発生した「慣用音」としての例がある。
好例が「数(すう)」の"う"である。
なぜ数珠は"じゅず"と読むかといえば、この「数」が本来"しゅ"と読むことが正しいからである。
仏典を見ると、「算数」は"さんじゅ"と、「算(さん)+数(しゅ鼻音連濁)」で登場する。
要は数珠の"じゅ"もなぜこの発音かは自分に分からないのであるが、とりあえず「数"すう"」は本来"しゅ"あるいは"す"と読み、後に"う"が付いてきて成立したものと覚えられたい。
ほか、"すう"に当たる漢字である「枢・崇・趨」なども慣用音とされるが、個人的な検証は不足しているのでこれについては断定できない。
一方「修"しゅう"」は、仏教で「修行」という単語があるよう呉音で"しゅ"と読むが、これは時代が中国で時代が経つにつれ"う"が後からついてきて成立した、ある種「中国の慣用音・訛り」でもあり、日本にその状態で伝来したから漢音に当たる。
同様の字には「就(漢音: しゅう、呉音は"成就"のじゅ)」があるが、なんとこの字の発音は元々入声音の"k"がつかわれ、音の起源がチベット語らしい(これも検証不足)。



原版20151227 ←最初の3日くらいで大半の記述がされた。というか、発案した最初の1日で草案をまとめないと、これだけの情報は整理できなくなる。



2016年2月11日、ついでにもう1点、本文中に挿入すると話がややこしくなる漢字発音の互換例を挙げる。
日本では「肉(にく)・日(にち)」と発音される単語は、中学生までにその中国語発音を知った。
小学生の時に「回鍋肉(ホイ・コー・ロー)」で「肉(ロー)」を知り、中3ネット右翼時代に「日本(リー・ベン)」を知ったことで「日(リー)」と、共に日本とかけ離れた読み方に疑問を覚えた。
これについても答えは簡単である。
「肉(niku = ròu)」にしろ「日(nichi, niti = rì)」にしろ、入声音"k"や"t"が使われ、その音が落ちたり、頭子音"n"が"r"に変わってこのようになったといえる。

中古音から現代までの変遷を示そう。
」は"nyuwk→nyuw→ryuw→rou"」となり、「」は"nyit, nit→ni→ri"と変化した(n音がr音に変化するタイミングは不明なので必ずしもこうとは言い切れない)。
このように先述の「入声音"k"や"t"が落ち」、「頭子音"n"が"r"に変わった」といえる。

ここで、当記事序盤にある「漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"」の互換については、中国ピンインと日本音読みで噛み合わないようではあるが、これが広東語や閩南語の場合、「肉(niku)」は"juk, jik"であり、「日(nichi, niti)」も"jit, jat"というところ、"ni"の音が"j*"に変化している「普遍的法則」は符合した。
また、ラテン語・ドイツ語的な"j"と"y"の繋がりが、韓国語・朝鮮語の発音「肉"yuk"」に見られる。
「肉」の音読みは実に興味深く奥深いことが分かった。
韓国・朝鮮語の「日"il"」にせよ、"nit→jit→yit→it→il"と、彼の言語には入声音"t"が全て"l"となる法則があるため、これも通じる(古来の朝鮮人が漢字の入声音"t"を"l"のように聴き取った)。
頭子音"n"を源流として"n→j", "n→r"ほか、"n→j→y"もあるといった枝分かれ・末葉・末流はあれ、日本の「肉"niku"」と「日"nichi, niti"」だけは中古音・上古音の往古を今に残している。

ほか、同様の例に「二」や「爾(簡化: 尔)」という字が挙げられる。
これらは日本で呉音が"に"、漢音が"じ"と読むが、中国では「一二三"イー・アル・サン"」が日本の小学生でも知っている漢数字の発音や、「首爾」は韓国の首都であるソウル"서울"を音写するなど、"er (ěr)"という発音に変わっていることが分かる(まあ"er"は耳で聞くと"アル"よりも"オー"と言っているように聞こえるが)。
これも日本呉音の頭子音"n"と中国普通の頭子音"r"の互換を裏付ける。
※「安息=アルサケス」という古い中国での音写は、「安」の読みになかなか先ほどのNR互換を感じさせるが、現代中国での「阿爾沙克」という音写も、"爾(尔)"の字に同じくNR互換が見られて面白い、余談だが「息」は日本で"そく"と読むが、あの音写でも入声音"k"が残っていた。

ほか「辱(漢音: じょく)」は、仏教用語・呉音で"にく"と発音(忍辱"にんにく"・罵辱"めにく"・毀辱"きにく"など)され、ピンインでは"ru (rù)"と綴り、別記や他言語に"ju, yuk, yok"などもあるが、先述された頭子音N→RやN→J・Yと同じことである。
「辱」を音符としている「耨」は、仏教用語に「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・・・、サンスクリット音写)」とあるよう、"のく"と発音するけれど、辞書によっては"呉音: ぬ、漢音: どう"とあり、ピンインや他言語でも"nou,  nòu, nau, nu, nậu"など、珍しく上古音以来の頭子音"n"を、日本呉音と同様に維持している("のく"にあたる発音は日本仏教読みのみ)。



最後になるが注意事項を断っておく。
当記事で「中古音・上古音」として度々述べてはいるが、もちろん絶対的に、どこかの辞書などに載っている中古音や上古音とされる音韻が、正確に時期や地域はともかくかつての中国大陸内で使用されていたということを信用しているものではない。
あくまでも、自説の客観性向上のため援用したり、真実(?)の中古・上古音韻を想像する上での参考とすべく、英・中Wiktionaryを確認する。




2016年2月15日月曜日

二次元・三次元の相貌の相対的な互換性に関する理論の体得

二次元の人物と三次元の人物の相貌を対比する上で、踏襲すべき理論がある(英語2 dimensionsや3 dimensionsという原義が無くなって俗語化した「二次元・三次元」の意味で当記事を執筆)。
表題にある「相対的な互換性」とは、難しく思うかもしれないが、直感的なことである。
三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていることは反対の例・「絶対的な相似」であり、二次元側に比較するならば違和感ばかりを覚えてしまう。
2011年頃に話題になった中国人女性の巨大な目を、「相対的」に二次元イラストで再現すれば、ブラックホール的な巨大さとなり、見る側は「目を奪われる」気持ちとなろう。
輪郭にしても、萌えな美少女イラストの丸い輪郭を、三次元でマネしてエラを張らせるようだと、これまた同様のことである。
ここに「絶対的な相似」と「相対的な相似」を踏まえないことによる、異常な顔面整形をする者(ジョセリン・ウィルデンシュタイン)がこの世界に稀に存在するものだが、そこまでしない一般人にしても、この相対的互換性理論を知らないか覚れないままでは、二次イラストへの偏見と違和感が拭えないでいることとなる。

既に挙げた例のとおり、二次さながらの輪郭や目つきを、三次元の人物がそのままそのパーツだけ似せるようでは、かえって違和感と奇怪さが強まってしまう。
二次元の萌え系はそのパーツ同士の調和による美しさがあり、三次元の美人の顔もまたそのパーツ同士の調和による美しさがあり、異なりを認める必要があるから、一方がもう一方の一部分を真似れば「不調和」に陥る。
三次元の人物にも、萌えの印象を持つ顔の人もいよう(特に幼女)。
それはなぜか?言い換えれば「萌え系二次絵がそれら三次元の良い顔に則して成立した」ことにほかならないからである。

ただし、萌え系イラストの源流をいえば、ディズニーの動物キャラやムーミンなどの海外人外アニメーションなどがそれに当たるようにも見える(詳しくないが80年代頃からか?)ので、一概には言い切れない。
思えば、小学生の時に「某甲さんの顔(男子同級生や男性俳優など)」は「ライオンっぽい。リアル動物のライオンとはあまり似ないのに」と疑問を持ったが、「~っぽい」というと、リアル動物とは別に偶像化・抽象化された特徴の表象かもしれない(某漫画・某球団ロゴなど)。
当記事ではあくまでも「二次元の人物・三次元の人物」の顔のパーツなどが相対的に相似していることが中心である。
以下より、三次元人物との相対的な相似の性質を詳述する。
不十分の謗りを免れないことを覚悟しつつ、恐縮ながら私の写真とイラストで例を挙げる。





これは、私が2015年6月上旬に描いた絵(中央)と似ていそうな自分の写真(左から2016年1枚・2010年下半期2枚)を並べただけの画像である。
あるいは顔つき(左・中右)、あるいは服装(右)が似ているようであろう(イラストの服装=緩めたナロータイなどの元ネタは別の写真となる)。
まあ、このオリキャラ絵は可愛く描こうとしたらたまたま私の顔に似た程度の結果と思われるが、それこそ「内証の理」が顕現したということで、私が体得している理論ありきで描かれたと言える。
これだけでは説得力に欠いてしまうが、深くマインドで捉えてくれれば私の内なる論理に通じていくのではなかろうか。

ところで仏教には、曼荼羅(絵の掛け軸など)を見て観想(かんぞう)する修行法がある。
「何をどんな曼荼羅で観想するか」といえば、美女が死んで肉体が朽ちる様子(九相図)や、仏界や浄土や悟りの世界観を表現した曼荼羅を、目で見ながら観想すること(視覚的に概念を認識し観想の際は見ない場合もある)によってこの世への執着を無くそうとしたり、禅定を得ようとする。
そこでもし論理未得の人が、私の画像や同じような趣旨の「顕・理論画像」を見て思索を巡らせるならば、何かマインドに訴えて高次の論理に至る可能性はある。

ここで一偈「若有未得人 見如是画像 顕理論画像 速到高次理 (若し未だ得ざる人有って是の如き画像・理論を顕せる画像を見るに、速やかに高次の理に到らん)」

2月1日 かたきしとねメモ アオムケジ、ムネニテヲアテテカンソウスルトキモチガヨイ ココデオモウコトハ、ミジメナルオサナキジブンヘノレンビン、ドコマデモイトオシキショウネン アノジョジニテイルトシタオリキャラエモ、チュウ2ノジブンニニル




こちらは2013年9月に描いた絵("今の私がいう萌え"とはやや異なる)と2013年8月4日撮影の自分の顔写真を並べて比較した2013年9月作成の画像であり、2013年9月25日投稿の本家ブログ記事に掲載している。
2013年という事実に念を押すよう、内なる論理はまだ熟しきっておらず、技法も定まっていないころであるから、参考の度合いとしてはやや欠けている。




ほか、萌えとは異なる男性キャラの場合も、過去記事に自分の顔写真を加工して再現をした。
広く相対的な互換性を感じる上で、これもまた一つ参考となろう。
同じく、絵に「内証の理」が顕現していることに、当該記事では写真との対比を以て説明してある。
この2つの男性キャラの絵は、私の顎を含む輪郭・鼻・口を扁平にし(縦幅を狭めること)、目・眉だけそのままの形状で残せば位置が相対的に低く感じられ、類似した特徴を実現すると思う。
言うまでもなく、美化された特徴に関しては、絵を描く方法のうちなので、別の話である。

ところで、リアル人物の顔を見たとき、何らかのアニメキャラや漫画のキャラに顔が似ているように思ったり、印象が重なる、逆もまた然りという経験は誰しもあるのではないか(アニメに親しみある若い世代に限るが)。
このような現象(類似性疑問)は、音楽に対しても言える。
アニメ・漫画などにおいては当記事にいう二次・三次相対互換の理論(および"内証の理")が適用されようが、音楽の場合は、例えば「楽器やジャンルが異なるあの曲とこの曲が似ている・私の作った曲がとある曲に似ている」といった感覚も、いわゆる「音楽理論」、つまりコード進行やテンポなど、言語や数字に表せる理論を曖昧ながら体得しているからそういった感覚が発生するのである。
具体的な音楽理論を学び知るか、作曲する過程で比較・知覚した時、どうして「この曲似てる!似ている!」という感覚が発生するか、深く納得することとなろう。



よく美幼女の三次写真と萌え系の二次イラストを眺めてほしい
他の自分の写真・イラストの例で2015111013210002など
↑まで記述未整理、煩雑の謗りを免れたい。

私の思う「萌え・美少女」と少し離れる話ではあるが、2012年中、とある1枚の画像と出会った際の衝撃は大きかった。
元々アジア人だとか白人だとか、モンゴロイドだとかコーカソイドだとか、日本人だとか朝鮮人だとかという「疑似科学にも似た人種論争を気にかけることがあった中3ネット右翼期」を経ていたので、顔のどういった特徴が美と醜を分かつ要素たり得るものか考えることが多い中で、「可愛いとされる絵は白人の特徴を持つ」という画像は一つの決定的判断材料となった。
二次の顔貌を観想する上で、この画像に目を通すことは大きなインスピレーションとなろう。
よって、二次・三次相対互換の理論を体得するには良い教材となるので、各自参照されたい。
ただし、現在の私の二次・三次相対互換の目線から見直すと、引き合いに出された「アニメ化けいおん!唯ちゃん」は西洋・東洋の中性的な顔つきであり、あのアニメの画風の相対性の範疇でより写真人物のような西洋人の顔にできると思われる(単なる例示について難癖をつけるつもりはない)。



相対性という概念は、数値化すれば分かりやすい。
目を例に取ると、三次元における誰か普通の人というか標準顔の「デカ目度」を100とし、冒頭にいう「2011年頃に話題になった中国人女性の巨大な目」の「デカ目度」を200とする。
同じく二次元・萌え美少女版の「デカ目度」を設けて考えるが、まず「萌え系の美少女」を何でもいいから思い浮かべるか、浮かばないなら私の先のオリジナル少女キャラ絵でもよいので、その1.2~1.5倍(縦横比はご自由に)の大きさの目を想像する。
粗略な定義ではあるが、その「ブラックホール」的な目がデカ目度200に当たる(私の先の絵なら100~120ほどか)、そう思っておこう。
この各デカ目度を厳密に定義することがあれば、二次でも三次でも150以上が違和感の強い大きさとなろうか、美少女漫画ではなく少女漫画のような目は150前後に当たりそうである。

ただ、どう極めても、世間で言う"IQ"だとか知能指数だとか偏差値だとかと同様、絶対完全という正確性は持ち得ないので、あくまでも参考の範疇に留意したい。
萌え絵を編み出した諸々の絵師らは、私のような言語化をすることあるいは言語化された理論を見ることは無かったろうが、実に相対的互換性を体得していたのであろう。
これも一種の「理と事(理論と事実)」の差である。
私の披瀝する理論や理論的数値(e.g. デカ目度)が的確に言語化できてそれを大衆が見るとしても、体得者らが事実に表す内なる理論(経験)には敵わない。



上掲画像は2016年5月30日以降の作で、当記事に後から追加される。
瞳に白目領域は上下左右にできていても、萌え絵の相対性においては四白眼というべきでない。
目を見開いた表情は、もっと極端に表情筋といわれるものに力が込められていよう。
私が同じ表情をした際、絶対性の観点では四白眼といえるほど白目が上部に作られないだけであり、
萌え絵は萌え絵で白目が上部にできて構わない。
二次元・萌え絵における鼻の特徴は、多くの場合に簡略的であり、一つの点で描かれる場合は三次元における鼻尖の下・鼻腔のある領域全体の影の位置に当たる。
鼻尖の位置やそれよりも上と考えられそうな高い位置の場合もある(最初のオリキャラ絵など)。
古くは鼻梁の特徴も、線・拡げて影で多く表されていた。
また、極端に思われるかもしれないが、点すら描かずとも相対的相似は保たれる。
鼻に関して言えば、80年代頃のアニメ動物キャラは然るところであるが、人間キャラであっても鼻の特徴を抑えて髪も複雑には描かない、可愛らしい少年キャラがいる。
既述に海外としたが、国内アニメとその漫画原作にも充分ある。
例えば、80・90年代の漫画・アニメである「ドラゴンボール」の主人公「孫悟空」がそれであるとみなされ(超サイヤ人1~3の容姿はどうなのかと言われそうだがギャップとして魅力がある・・・というかここでは少年期ないし通常時に限るべきか)、作品単位では日本ないし欧米など世界中の人気を獲得した。
これは人物であれ人外であれ、DBよりも古いもので手塚治虫作品、DBよりも新しいものでポケモンのゲームやアニメシリーズにも共通すると思ってよい(それらもまた人物・人外キャラは各々個性的な鼻の形状を持っているか鼻の無いキャラもいるのでそれも参考にすべき)。
時代ごとの相対な範疇でキャラクタリスティックな特徴が世間にヒットして生存適性があるまま、世代ごとに継承され、強まってゆくならば「一種の進化論の応用」でもある。

鼻の点や線というものは、あくまでも顔全体に対するバランス保持の基準点(囲碁で序盤に打たれる四つの星のようなもの)に過ぎないので、「有って無いような存在」となる。
したがって、先述のように「点すら描かずとも相対的相似は保たれる」。
鼻の特徴や輪郭の特徴を違えると、少女漫画チックに様変わりする。
無理に三次元の人間の鼻の特徴を二次元で誇張すると、典型的な萌え系イラストの印象とはかけ離れてしまうか、どうしても描きたい場合は私の異流儀系を真似ればよい。
一方、横顔を描く際には鼻の形状があらわとなるが、これはフィギュアにしても同様となる(ただし私はフィギュア未所持である)。

ちなみに、二次元キャラは往々にして首が長くされるが、これは顎の形状変化が一因の絶対的要素として作用する面もあれば、わざと首が長めに描かれている場合もあり、何とも言えない。

「二次元の萌え系はそのパーツ同士の調和による美しさ」があるということを冒頭に書いたように、ここまで、個別のパーツの外見を形質人類学的に示した。
パーツごとの距離・間隔なども相対的にどうあるべきか、考えてもらいたい。



髪型についても相対的に相似する

二次元における髪のボリュームは、爆発したような少年キャラの髪はもちろん、例えシンプルなロングヘアであっても、よく考えると非現実的に思うかもしれない。
どの程度かは、描かれよう次第であるけれど、ここでは私がよく描く種類のイラストを基準として考証したく思う。
この濃密なボリュームを私の髪で「絶対的」に再現した(風呂上りの濡れた髪)。
一定の長さの髪がほぼ全部、一つに集まっても、二次元少女の髪の一部分までしか再現できない。

漫画キャラの髪のボリュームに関して疑問を取り上げた本を、小学生の時に読んだ。
それは漫画・アニメ・特撮などフィクション作品の描写を科学的に検証した本であり、2000年代から学校図書で定番となっているから、私の世代では多くの人が知っていると思う(同趣旨のものに法律検証あり)。
内容は1・2巻などがおっさん世代に向いた作品のネタばかりであったものの、以降のナンバーでは私らの世代の少年に向いたものを取り上げる傾向があることを記憶している。
それで、恐らく1・2巻あたりで、漫画「あしたのジョー」の主人公(男性)の髪型を例にとって検証していたが、そこでは、剛毛の人の髪の毛を更に太さ3倍にしないとそのキャラの髪型を再現できない、とした見解を示していた(私の記憶に基づく)。

私は、より人体の構造から言えば、1つの毛穴から複数本生えるか、1つの毛が都合のいい場所で枝分かれしながら途中で太さを帯びるなどした上で、いずれも適切な長さを保持していることで再現性が高まる、と卑見を述べよう。
私が描かないであろう某女児アニメほか、何かのゲームにある超特大モコモコもふもふヘアーの類(塊みたいな)は、アフロヘアーで再現してもよいが、必要な長さの問題(普通の髪質で2m以上)に加え、完成させてもそのビジュアルは乱反射により悲惨であろう。

私の髪質をいえば、毛によって太さのバラつきがあるが、髪が抜けるまでの時間の長さも決まってしまっており、ここら辺のどうしても生じる差別なども一定埋まらねばならないのであろう。
それを思えば、やはり三次の人物で充分に二次美少女らしく見えてしまう現象には、絶対性よりも相対性を重視する必要があると言えよう。
髪型にしても同じように、相対的な相似があることは、更に諸君の研究や思索などで自ずと覚るところがあればよいと思う。



「相対的な相似」とは関係ない話となるが、顔の輪郭にしても目のパーツにしても、90年代後半~00年代前半などの深夜アニメには古臭さが残る(当時のアニメは子供向けの方が可愛らしく、深夜アニメは見苦しくて趣味が悪いものがほとんど)。
目の場合、睫毛や瞼の特徴・瞳の輝きなどがあんまり複雑なために、その印象を持つ。
昨今では、よほどそういう画風の原作や原案でもない限り、ほとんどそれらの特徴が淘汰された。
前髪の特徴についても、目と同様に「簡略化」は重要である。
随分と複雑に繊細に毛先を描くことは、90年代後半~00年代前半らしさがあるばかりか、エロゲ系などは今なおもこの流儀が強く残されていると思う。
それらエロゲ系は萌えと少し異なるジャンルであると私はしみじみと感じる次第である。
なお、「簡略化」とすら関係ない余談だが、古いアニメ系画風だと前髪は中央部をそり上げて額露出したり、左右とかが兜みたいな派手さに・・・

思えば、萌え系イラストが明白に完成されたのは、私の知識に依ると2000年代前半となる。
2001年ころに著作権的な方向でネット上の論争が起こった某同人ソフトあたりは顕著である(イラスト絵師はのちに商業誌で4コマ漫画を連載しだす)。
2005年までに、同じく「深夜アニメ」ではなく、「同人」界隈あるいはアニメ無き商業においても色々と進歩があった(否、深夜アニメでも2002年ころに有名なアレがあってだね・・・)。
2005年以降は、萌え系の細分化が際立ち、その当時の深夜アニメを2つ(原作の漫画については説明を省く)2011年に鑑賞したのだが、あの当時の萌え系ではこれらが優れているものと見た。
その2つのアニメは広く萌え系に当たるとしても、それぞれはかなり流儀というか画風が異なっている、これをその当時の細分化という(多様化ともいうか)。

それで、何が言いたいかといえば、このうちの2001年頃の某同人ソフトのイラストなどは、当時のオタク系に稀な「前髪の簡略化」が著しくされており、先進的な印象を覚えた。先駆者である。
他の情報についても実際の画像を貼っておきたいが、当ブログでは遠慮する。
当該ソフトの後継(2002年に出た、絵を描いた人物は開発者本人)では、やはり前髪にせよ輪郭にせよ目・鼻のパーツにせよ、前身ソフト期の先進的な萌えよりも一つ前の時代の印象を受ける。
寧ろ、2002年当時であればそれが時期相応にして、当時の人々には親しみやすいくらいか?



ほか、2008・9年ころか私は、とある著作権に関する書籍(2006年)で、親しみある食品などの同人界隈(?)における擬人化だったかを取り上げている項目を見た。
これがいつの萌え系となるか不明だが、このように私が雑多な昔話をしたがる感情は、ネット環境に乏しくネットコンテンツを渇望していた2008・9年(小6・中1)当時の個人的な記録のためである。
当ブログ初見の方には不親切となろうが、煩を厭わずこんな記事を残しておいた。

あ~誰か、「萌え文化と著作権」っていうテーマで論文かいてくんないかね?
2000年代後半から萌えが市民権を得てきて市場に台頭していったわけだけど、本当はアングラ気味な文化であるばかりか、こうもいわく因縁つきな側面が強いんだよね。。。
何度もばかばかしい思いが沸きながら、必死でこんな文章を捻り出し続けた。
すでに本題と逸れているが、「前髪の簡略化」を始め、それら二次萌えの特徴は様々な例から一見簡素なデフォルメだったり大胆な誇張ようでも、明文化し得る相対的な互換性が備わることを重ねて述べてきたので留意されたい。






起草20151228
根幹となる約3,000文字の記述は最初の3日ほどに書かれた(むしろ発想が強く芽生えた即日でないと言語化にあたる意識は保てない)。
途中途中は、少しずつ加筆される。
投稿予定日たる2月15日においても加筆事項はところどころにあるほか、画像も急ごしらえに。



後年の追記①
二次元・三次元における「可愛い・可愛くない」などの美醜の価値観についても、この世に生を受けて以来、漸次に得てきた物事の認識によって決まると思われる。
「可愛い・可愛くない」などの美醜の価値観が、因縁によって生じたもの(原因の結果)であり、無始無終の輪廻を繋ぐ一要因でもあろう。
最終的に、仏教の真理に繋がりゆくことも考えられる。
※美醜の価値観は人文科学の観点で後天性が強いが、自然科学の観点で遺伝に基づく先天性も言える。しかし、ここでは現世の認識・経験といった因縁=現世における後天性の側面を強調する。美醜もとい外見情報に関する先天的知識・経験が遺伝性であっても、結局は数千年~数百年単位で人間文明に生きた者たちの経験が、遺伝情報として遺伝子にインプットされたに過ぎないと思われる。色々な例を挙げてみたいが、煩瑣なので記さず。

ひとまず、私の絵によって、現代日本の二次元における美的センスは、三次元という名の実在人物の外見に基づく場合が有ることを感じ取ってほしい。
無論、一般の美的センスとかけ離れている人に、どれほど同じ理論が適用できるかは、未知数である。
その他にも、さまざまな可愛いことと可愛くないこと・美醜を決める要素(冒頭にいう人外アニメなど)はあろうが、それもみな各人の現世の経験(視覚的情報に対する臭いの有無や快感と不快感など様々な情報の結びつけ)のうちである。各々が過去の記憶・経験といった因縁や、それに対比して現在の想念を観察できると、自ずと答えが出るはずなので、是非とも当記事の所説を理解されたい。
 二次三次相対互換理論(絶対的な相似と相対的な相似を区別しつつ相似性を考察する)および内証の理(現世生来の因縁を観る)



後年の追記②
絵画のような美術も、小説のような文芸も、これらは主観性が表された分野であるが、そこに視覚的客観性や言語的客観性を設けて分析するものが、人文科学である。
例えば、中世であれ上代であれ和歌に何らかの細かい文章表現=品詞(完了形の助動詞だとか過去形の助動詞だとか現代日本人には直ちに理解しづらい区別)がある・枕詞がある・修辞法があるといって共通の意味を見出すことがあるが、それらの和歌の細かい文章表現も、その時代のその個人の言語知識や読んだ時の感情などが表された結果であろう。
※人文科学では、様々な考察対象の事物(人間が作った文物)における主観性と客観性がはっきりと区別されないまま、考察を行うこともあるように思われる。学者自身がそれにとらわれたままであると問題だが、単純に人々の「主観性」とされるものにまた客観的な性質があることを解明する作業は、現代だと認知科学の系統がそれを担っている。当記事の論調は認知科学に近かった。

当記事の話題にある二次元の絵・イラストということについては、その主観性と客観性とが相互に関与する・相関性のあるものとして分析できる。
それが二次三次相対互換理論の提唱であるが、現状はその証明が十分に行われていない。
当記事では、証明のための私の考え方の例示として、「相対性という概念は、数値化すれば分かりやすい。」と記して「三次元(=そう認識された実在人物・写真・イラスト類)におけるデカ目度・二次元(=そう認識された絵・CG類)におけるデカ目度」を説明した。

これは、まだ直感的な・簡潔な説明がされたに過ぎず、実際にはより詳細な分析による証明方法が想定できる。
例えば、一般的に「顔が美しいor醜い」と価値判断される「三次元人物の写真・二次元人物の絵」を任意の枚数で用意し、それら客体の数値・理論値をX軸・Y軸の二次元(2D; 2 dimensions)で示す。
これは、主に正面向きのもの同士である必要がある。
それら客体を数値・理論値で比較すればよい。
更には、BlenderとかMMDとかの3D系コンピューターグラフィックス(3 dimensions, 3D Computer graphics)のソフトウェアで「その美しいか醜いかと価値判断される同一人物」のモデルを用意し(modeling)、正面向き・斜め・横顔などの多角的な分析を行い、それら客体を数値・理論値で比較すればよい。

これらには、数学や理工分野だとかの知見が必要になるので、私自身(および後世の読者ら)に対する「課題・宿題」ということになる。
二次三次相対互換理論についても、世間の学問における様々な理論・仮説と同様に、多くの証明や反証ができることになる。
それらは基本的に客観性・即物的な立場での解明であり、その後に一般的な五感を有する人間が、これらを認識・認知するプロセス(何かを遠くから見た時・近くで見た時の視覚的な差異や印象の変化など)という主観性に接近してゆく。
この場合は、臨床的な手法や心理学的な知識も関与する場合がある。
二次三次相対互換理論が、より明確なものとして示されると思われる。

↑の内容を書いた数日後に「人体比率」ということに関して西洋美術史の中でも数値・理論値云々と似たような過程があったことについて知った。有名な「レオナルドダヴィンチの全裸男性の図」とかも関係する(先行研究の確認ということでここにそれを記す)。

2016年2月11日木曜日

類聚・外伝 ~ PC諸問題と2015年12月・翌1月の看病

*横野要文類聚・外伝・前節*
PC狂へるも、未だ壊るゝには至らず。
PCを用ゐる間にては、且つは苦しみ且つは憐れむなり。
「PC即是應身故、願無障礙於我道。(PCは即ち是れ應身の故に、願はくは我が道に於いて障礙無からんことを)」



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回は「外伝」とするが、あえてナンバリングを持たせず(数字を振らず)、今後仮にまた外伝を設ける場合も同様にナンバリングは控える。
そのテーマは「PC諸問題と2015年12月以降の看病」である。
私が使用するPCは2011年6月末購入(到着)の約7万円のノートパソコンであり、簡単にスペックを書けばWindows 7 64 bit, Core i7 M 620, メモリ4GB, ディスプレイのサイズは・・・3サイズが女のヒミツなら、このサイズはこのPCのヒミツとしておく。
過去2013年6月2日の音楽館記事においても同様の情報を記した。
今回は「PC諸問題」の概説をした後、日付の昇順で「看病」の要文を聚めて掲載していく。






PC諸問題・概説


2011年10月ころから始まる恒久的な一過性アクセス障害
→1日中アクセスしづらいままの日も当時から今まで幾度とあったが、一過性アクセス障害が発生しない日が長期間続くこともある。

2012年10月13日ペットボトル緑茶こぼし事件
→最初の30分は電源を入れっぱなしのまま、1時間以内より24時間をおくと大体のキー操作が復活するも、1週間PC自粛期間を同月中に設けたこともある。

2014年7月の1週間PC使用自粛後の重度な不具合
→当月中に2度弟のPCを母から預かる期間があり、2度目の預かり期間では、1週間自機を療養させるべく、起動させずに過ごした(最初の1度で必要なソフトウェアは弟PCで導入し作業データなどは移行している)。過去記事要文に『先述の「一週間PCを一度も起動しない」という時に狂ったキーボード等が大幅に改善されたのに対し、この時の場合はまったく逆で、いざ使用を再開すると、どういうわけかPCの挙動が鈍重となったり、熱をやたらと抱えたり、ややもすれば強制終了(フッと落ちる)などとても使えたものでなかった。』とある。

※この件を元とした末節となるが、よく使うソフトのアップグレードによる問題が同月に発生している(本家ブログ2016年2月2日記事の中盤に詳述)。

2015年10月以降のファン轟音ないし12月以降顕著化したファン回転不能(高熱化)問題
→当月下旬(最初の記録である10月26日の3・4日前)に始まるが、当初は一日の最初の起動時や一定時間スリープしてから起動の時にのみファンの音が異様となり、それも簡単な処置でピタッと止まる程度のものであった。それから11月中はほぼ毎日この処置で済む日が続くも、12月からはその簡単な処置どころか、激しい物理的衝撃を加えても改善無ければ強制終了もない異様な頑強さが現れ、音もますます悪化したり、あるいはファンがほぼ無回転状態になるなど、多々問題が顕著となった時間が1月20日まで続いた。その日を境に異常は続くとも、悪化も改善もないまま今日に至る。



以下から当問題の要文を載せる。



当問題発生ないし12月・翌1月の看病の要文


外出直前に電源を入れたPCの話だが、連日ファンの音が不快であり、最初の日(3・4日前)は黒いススのようなものが机上のファン周囲に広がっていた。今日は外出直前に電源を入れた時から、聞き覚えのある異様な音を立てていたが、それは速めの回転時のみに鳴ることを知っていたし、簡単な物理的衝撃で直せることも経験上知っていたから、ひとまず措いてゴミ出しへと行ったのである。この帰宅後、トイレに入りもしない内にこの問題対処を行った。まずファンの排出口がある右側端を数度叩いたり、ノートPC前部を持ち上げてファンのある箇所を裏側から叩いても違う様子であったので、後ろを持ち上げて位置をずらすか、少し落とすように手を離すと、異様な音がピタッと止まった。この手応えが正解である。…2015/10/26



シャットダウンして寝て起きるか、風呂(シャワシャン)などのために一定時間PCをスリープさせるかして、再度PCを起動させると、10月のいつからか毎度のようにファンの音が異常な立ち方となってしまうが、毎度応急処置ですぐ直せる。それは10月26日メモに「簡単な物理的衝撃で直せることも経験上知っていた、後ろを持ち上げて位置をずらすか、少し落とすように手を離すと、異様な音がピタッと止まった、この手応えが正解」などとも詳述される。ところが、最近11月以降はあまり簡単にいかない様子であるから、来る日も「シャットダウン後にノートPCを立て掛ける」などの方法で、不具合の改善をさせようとも思ったが、寝る前になると忘れて一度もしなかった。寝る前に備えてメモを残せばよいのに、そうきっちりとしてまでやる気にはならないからやらなかったが、今回はこの際、改めてまじない程度に掃除をすることとした。PCの後部を支点として裏を向け、適当な箇所につまようじ(これでも太いのでスッポリ入りはしない)を抜き差しするなど、本当にまじない半分の処理をして、再度スリープを解くと、あの不快な音はせず電源が付いた。…2015/11/13

3時半以降のPC利用で、毎日のように起動時などに鳴るファンの轟音(10月26日メモ・11月13日メモなどに詳述される)は今日もあるわけだが、これは少し「泳がせる」時間をおいてから、物理的衝撃を加えるとよい。いつも、最初の起動時に試験的に高速回転される状態で鳴ってもまずは堪えて、続く起動から少し時間が経った頃に、あるかどうかも不明のファンの熱を追い出すためにファンが再度回り始めてあの轟音がまともに継続される状態に入る。ここで1分ほど忍びつつ、ノートPC当機の右上角をチョコンと上げて落とすか叩きつける(本当にチョコンと)ことによってピタッと止まる。
だが、今回はそのいつものやり方よりもずっと強めにやってみて、轟音は止んだが、おかしなことにUSBに接続された機器の反応が無くなってしまった。最初は元々指しているマウスが利かなくなっても、備え付けのタッチパッドが使えるところから始まり、次はUSBメモリを指しても同様に反応が無いのだから驚きだ。これも人生初の事態であるが、どうせ再起動とかすると直るものと思い、まずはスリープさせると、何分待ってもスリープ状態に入らない(ディスプレイの電源だけ消えてファンの回る音だけはずっと続く)。
電源スイッチ長押しで強制終了しておき、再度スイッチを入れて普通に進ませ、USB接続はどうかといえば、起動後にマウスを再挿入すると普通に動いた。相変わらず、何の意味もない異常であった。ひねくれているとしか思えない。…2015/11/30




本日(12月1日)および昨日は、何度「チョコン」と右上角を上げ落として音を止めて­も、少し時間が経つとまた鳴ることが多い。今までは1起動あたりに1度なる状態があれば、1度「上げ落とし」で止めれば次回シャ­ットダウン睡眠からの起動時まで鳴ることはなくなる。昨日今日と、事態が悪化しているように思う。この映像は、その「悪化した事態」の一例を収めた。
映像における音の鳴りは録音能力のみならず実際の聞こえも芳しくなく、毎日の最初の起­動時に鳴る音は、今回撮影時よりも強い。今回撮影時の音を表すと「ヴェウェウェウェ」といった感じではあるが、ファンの音の異­常が顕著化した当初(10月下旬)の頃は狂ったように「ングァアァアァァ!」といった­轟音を上げていた。その異様な音を聞いて平然としていられるはずはないものの、PCにどういった原因があ­ってこのような音が鳴るか、またこれが原因となって新たな異常が発生するのではないか­という懸念も生まれることが必至でも、このPCもとい私の道具にそういった普遍性を思­ってはならない。このPCが異常であることは、購入した2011年(月単位では購入6月末の数ヵ月後)か­ら変わりないながら今日まで利用できている。 (後略、その「思ってはならない普遍性」の例を過去記事より引用している)…2015/12/01

PCのファンの音問題は昨日今日と悪化して、10月解体工事とどちらが酷いものか、 (中略) 昨日今日と、PCの特定部位を叩いたり「チョコンと右上角を落とす」行為を強めてガンガン落とすなどしてもファンの異常は悪化する。もはやただ音がひどいのではなく、PCを載せるガラスのテーブルも震動が煩わしく、腕に影響がある。PCに繋がる諸々のコードを外して、ガラステーブル以外の場所でガンガン落としや、ひっくり返して裏面をドカドカ殴っても、ファンの異常は収まらないし、この問題以来なぜかPCは物理衝撃に対して強くなっている。以前では考えられない。以前なら少し持ち上げることにも気を遣い、やったらやったでフッと画面が落ちたというのに。PCをスリープさせると耳への重苦しい負担が一気に無くなり、一瞬だけ聴覚を失ったような錯覚を覚えるも、むしろ澄み渡った気持ちに反転する。解体工事のときよりよっぽど酷い。
16時半過ぎから18時50分前までの2時間超、PCを一時的に終了していた。その間は食事もあれば、押入れ携帯作曲・曲漁りもアリという具合に過ごした。PCを起動してみると、やはり起動の瞬間から、最初のファン試運転が自動でされる際の音で酷い音が鳴る。この一時終了の前にボコボコやった際、付属タッチパッドの指圧クリックや左クリックなどは利かなくなっていたものの、この起動でやはり11月30日のように、何事もなく復活している。局部だけ一時的に利かなくなり、何事も無く、というお決まりの流れは、人を少し困らせるのみで、無益ながら害も僅かばかりである。
(中略、同日19時以降)
そうこうしていると、PCはウオォォォンブルォォォンと猫の怒り声さながらの状態を経て、ブブブブブブブブと奇怪な音を立てたり止んだり(19時5分撮影動画アリ参照)と、耐え難いので、19時半からまたPCをスリープさせて、携帯電話のファイル整理作業をしていたが、やかましいテレビの音に熱狂する母の声が聴こえてくる。クイズ番組のようだが (後略)…2015/12/07

毎夜、寝る前にPCファン問題の解決のため、PCをひっくり返したり立てかけたりなど、接続したマウス・イヤホン・充電などの端子を抜き差しするのは吝かでない。非常事態であるから、耳穴も接続の穴もどうなってしまおうが、この際物の数ではない。今回のやり方は「画面とキーボードは直角のまま前後方向に180度反転しダンボールに立てかけ」であり初となる。果たしてこれは奏功した(要因として奏功してるとは必ずしも言えない)。本日の起動時、あのやかましいファンの音は聴かれなかったが、問題の激化以前から・・・10月中に始まった、起動時の轟音というものが無い以上、久々の静音となる。一旦は安堵するも、どんな問題が露見するか、また完治と言い切るつもりは無いため、注意が続く。…2015/12/09

それから10時半頃にPCを一旦シャットダウンした。ファンの問題改善ほか、午前1時から動作し続けたため、このまま21時まで付けっぱなしになることは観念的でも負の影響がありそうだから、こうしておく。次にPCをつけるときは約2時間後と定め、それまで某サイト作曲やラーメン調理などをする。ところが某サイトのサーバが応答しない。作曲はできなくないのだが、一部データのやり取りが不可能である。今年は2度に渡り4日ほど接続不能の時があった某サイトであるが、今回は一体いつまで続くであろうか。 (中略、15時前からの出来事に寄せて) 私自身は、最近のPC難に喘ぐ折、建設工事も始まれば、耳の疲弊も著しくなろう。…2015/12/11

17時50分前から、PCをスリープさせ、その間コーヒー片手に絵を描くなどして過ごした。今日は1度すでに午前中1・2時間ほどのシャットダウン期間を設けている(これは本日0時台から付けっぱなしで21時頃まで動かすことに問題性を感じたため)。意味の無いようなPC優遇である。…2015/12/20

14時57分にPCをスリープさせた直後、金属製の板を裂くような自転車のブレーキ音が外で響き渡った。PCファン異常轟音から解放されんとした直後にこれでは困る。家の外を窓から探ろうとする前から、どうせ姿無き工作員であろうと思ったが、 (中略) 一日一日を大事にしたいが、PC問題も付きまとっては精神への負担が増えて能率が下がり、PC問題にかまっては貴重な時間がつぶれる。多難の中でいかにして良い結果を収められるか。…2015/12/21

PCを8時前にスリープさせてからは作曲などしつつ、 (中略) 8時50分過ぎにPCをスリープから起こした途端に、ピピピピッピーーーピッピッピッピッなどと続く音が聴こえてきた。まさかPCから鳴った音ではあるまい。これは(A宅跡地の新築建設)工事の作業で使っている機器から鳴ったようであるが、どのような代物かは不明である。 (中略) また12時20分頃より20分前後PCをスリープさせた。10分ほど経って、本来すべきことを思い出したので実行し、こう独り言をした。PCを単に休ませることのみが目的でスリープするのではなく、施しも加える。重病患者を治すのに、集中治療室に移すことと同じである。重度の問題を抱えているPCにはこれが最良か。集中治療室で体の問題を治療できても、環境が起因して精神病を起こす場合もある。いわば諸刃の剣であるが、これをなすべき事態に陥っているのだ。
(中略)
13時50分頃まで、Google地図で某所のストリートビューをしていた。遠くの街を漫然と眺めることは2012~14年にはよくやっていたものだ、と思っていたところ、終わりがフッと訪れた。ディスプレイは俄かに落ちて、コンピューターの動作も全て停止した。即座に再起動した。何ら影響は無いが、このようにフッと電源が切れる原因は不明である。ファンの音もとい異常な挙動にしても、何時間狂ったままであろうがこうならないし、内部の熱が90度でもなしに少し70度台が続いてこうなることは有り得ない。ましてや90度台が一定時間続いても動作の停止など、本来はほぼ起きない。全て環境的に乏しい。フッと電源が切れることは2014年7月の問題に多かった。今では当時の余波など残すところもないけれど、当時並みに由々しい事態に手を焼いている。
(中略)
20時21分にPCが強制終了した。それまでの主要部位の温度は高くて60度もない。どんな原因やら、と思って再起動させても即座に電源が切れる。本格的にイッたか、と僅かに思いもしたが、すぐにバッテリー切れの可能性を考えた。携帯電話と違ってPCは残りごく少ない残量でようやくちっこい表示、それも気付かぬままクリックなどすればすぐ表示を消す程度の警告しかしない。ともあれ、充電のプラグを挿したら、無事に起動できた(挙動は遅かったが)。この強制終了の前まで充電のプラグを外しきりであったのは、ノートPCの90度たて使用による治療をしていたからである。以前も書いたが、今回の異常が起きて以降、PCは物理衝撃に頑丈となっているから、どうしようが大きな改善も悪化もない。無策の上では気休めにこれを続けるしかない。気休めどころか、こんな見込みのない作業やただPCするだけでも精神を磨耗するような状態は、いよいよ狂わせかねない。…2015/12/26

前日(26日)にPCを終了して以後に行った作業の記録があるので載せる。「21時以降、分解作業を始めた。元々明日早くに起きる理由が無いことを考えたため、寝る時間を可能な範囲でこの作業に当てることとした。ドライバーはリビングの棚から用意する。ネジを外す作業を進めたが、少し内部の物になると、錆付いているためか十字の溝が潰れたためか、これ1本が外せない。同じ型のもう1本は普通に外せた。最初はドライバーをお湯など何らかの手段で熱し、ネジにもじわじわと伝える策が浮かんだが破棄した。ネットでの情報収集も虚しく、工具の立体的なネジを専門道具で回すなど、精密機械のものにはおよそ関係が無い。キリみたいなドライバーでミゾや周囲に圧力を加えても効かない。結局手を焼いた(ドライバーの接合部分が指先に悪く、赤くなったほか、足も熱を持った)末に、少しゴミを掃除できた程度に過ぎなかった。仮にこの関門を突破しても、必ず内部を開けきれることは別問題であるので辞退することとし、全てのネジは無事にハメなおした。俗に、果報は寝て待てというので、ひとまず寝に入る」、それから今朝に起動しても特に改善なく新たな問題も無いままであった。
8時59分、YouTubeで動画を見ているとまたも強制終了した。今回はすぐにバッテリー切れと推定したが、充電プラグを抜いてたかだか20分である(より細かく言えば18分)。その間は常にYouTube視聴であるから、YouTube動画閲覧に伴う通信やCPU動作があるとしても20分は短すぎる。PC購入時からバッテリーの能力が落ちているのであろうか。このような経験から学ぶことや認識する現状がある。また、すぐ充電を始めて再起動したが、バッテリー残量を見ると20%である。過去にバッテリー切れした直前は10%ほどが多かった。これは何を意味するか。その10%ほどで前日メモにいう「ちっこい表示」が出る。今回はそれも出ずに終了した。これもどういうわけか。バッテリー切れ以外に原因があるのか。このPCに法則性など無いから、必ずこういう原因でこういう結果、ということは無いにしても、困る。
12時20分、またもGoogle地図使用中(12時16分開始、1度もストビューせず)に強制終了があった。前回のGoogle地図使用中の強制終了同様「通常起動~」等の項目が出る画面ではあるが、「セットアップ~」との項目がいくつか並ことはなかったので、多少違う画面である。こういう状態が続くので、いつ何が起こるやらと気が気でいられないが、ひとまずGoogle地図にはますます慎重な利用が必要となりそうだ。事後調査において、今回の熱は90度前後のようであったから、新Google地図の高負荷による熱暴走とも言える。
2015/12/27


本日はいよいよファンの回りが悪化して全く回らないことも多くなっており、19時45分に高熱を鑑みてまたもスリープした。鉄の窓枠やガラスの窓は、外の冷気を受けてその分冷える、それらの部位が内の空気も寒からしむ。更に少しだけ窓を開けた。一番寒くなろうところがPCのファンおよび高熱部にヒットするようこの窓に立て掛けて冷却す。私が外出する直前、向かい家の車が無くなったことを見て、どこかへ出かけた様子であるが、彼らは冷却作業中の19時50分に帰宅した。ほか、20時50分頃には起動中に立て掛けることもしたが、それなりの冷却効果はあった。それ以上に、室内の寒冷化が著しい。本日は外出を鑑みた暖房オンを夕方前からしていたが、この暖房の力が乏しい問題もあって、特に冷えやすい手がますます冷える。その中でこうして毎日日記メモを取り続ける私の思いを感じてもらう。
以上、この原始的な冷却の効果は、翌28日朝の検証において、高熱部でも40度台に全て低下したという絶大な結果をもたらした。ファンの問題が無かった従来の冬では60度前後であり、この問題でファンが回らない時は80度前後、微動(後述の音)では70度超となっている(HDDのようなものは高熱部より隔離されているので、大概起動から1時間以上で38度ほどだが、この冷却では36度、冷却終了後になぜか34・5度で安定、ファン不回時の持続では43度ほどを確認)。ちなみに、ファンの問題は今回に限らず、過去にも10分ほどで異様な高熱となる問題が1度あったが、実に短期間のことであったから正確な時期は判然としない。論理的には2012年10月緑茶こぼし事件か、2014年7月の問題のあたりであるが、感覚的には2013年中のこととも思う。
最近2日間のファンの音「ガガギギガガギギ (150 BPMで4拍子)」、「ぐががジリッぐががギリリッ (自家用プリンターがプリント中の音のようである)」、無音も増える=回っていない 無音時に80度以上となったら、焦げ臭さが感じられ、そうでない70度維持もプラスチックの溶けたような臭いがある…2015/12/28


多面を削って細めると便利かもしれないが、耐久性は落ちるので、可能な限り一面とその対面のみ削りつつけて薄い板状にすると、それなりに保つ。この映像(2015年12月18日)ではカッター切削された爪楊枝の第一号を使用している。上述の耐久性に欠ける削り方を施したから、あまり長持ちしなかった。また、内部のファンの回転を止めようとするならすぐに折れるであろう。映像の差し込み方では先端がキリキリキリッと当たるに過ぎず、日が経つごとにノートPCの正面右側を持ち上げた裏面にある通気口から差し込むようになるころには、切削の修練が進み、耐久性も向上してファン回転に負けない作りを得た。それが、作成より3日が経つ現在も使用中の名器である。爪楊枝の溝の構造があるところに程近い短さとなっているから、根幹の図太さを発揮する。
(中略)
もっとも、今では問題性がファンの音に限っていない。PC利用の死活問題ではあるが、今日までPC性能に悪影響は無い。私の創作作業ではPCの自主的な使用停止などで少々影響がある。…2015/12/30



(前略) おやつタイム前からか、マウス操作に支障があった。16時過ぎになり、PC高熱部が80後半~90度ということに気付き、この熱にやられつつあることが原因であると察した。思えばファンの音問題の新しい策を試した12月下旬以降、よくイヤホンほかUSB接続の必要な周辺機器などは、接続解除を繰り返して、その間ノートPCを起動しながらでもスリープ状態でも縦に立てることは多かったが、ここ2日ほどはほとんどそれをしないでいた。ここで初めて、高熱の弊害を感じることとなった。過去に、接続済みマウスの操作が同様の不自由状態となることは1年以内にもあったように思う。それは、12月7日に付属タッチパッドがその起動時のみ利かなくなったような衝撃に伴う一時的故障のようなものではなく、やはり何か高熱に伴う不具合であった。そういうわけで、マウスもイヤホンも端子より外しておいた。12月9日メモにいわく「接続したマウス・イヤホン・充電などの端子を抜き差しするのは吝かでない。非常事態であるから」と云々。…2016/01/04


「裏の孔から切削楊枝を差す応急処置」・・・自機ノートPCにファン通気の穴が横3 x 縦5に並んでいるが、このうち真ん中の最奥あたりが一番改善効果があって、楊枝も折れずに保持する。動画では、楊枝を持つ右手が同時にPCを裏から支えている。右手親指の第二関節のあたりが高熱部に触れるため、長く続ければ低温やけどとなる。実際に、このあと当該箇所を赤くした。普通の場合、PCを裏から支えることや持ち上げることは左手でやるものだが、動画の撮影停止をするために携帯電話に添えねばならない。
ほか、このファンは「グッ、グッ、」と微動してみたり止めてみたりということを交互に繰り返す場合がある。この場合であっても、適切に楊枝を裏から差し込んで、軽く当てたりするとファンが「息を吹き返すように」回転する。ただし、その回転は毎度程度に差が出てくる。1~5秒ほどで同じような「グッ、グッ、」という状態に戻ったり、1分ほどで戻ることもある。結局は恒久的な改善など、この策では叶わない上に、長時間持続させることも困難であるし、どうなるかはその「グッ、グッ、」の状態によって一定しないから、悩ましく思う。
もう1点言いたいことは、このような「グッ、グッ、」あるいは無回転が一定時間続くと、当然低くて70度から高くて90度を超してしまう。それから「息を吹き返すように」回転が戻ると、プラスチックの溶けたような臭いの空気が発され、稀に焦げ臭さをも含める。…2016/01/07

PCを起動して、今日はマウスのUSBを接続しておこうとしたのだが、なぜかPCがデバイスを認識できない、だとかとエラーメッセージを吐いたり、何度も何度も接続したことを示す音や解除されたことを示す音を繰り返し鳴らす。だが、マウスは裏の光を放っていることや、今ささっているUSBがマウスであることをPCも認識していることから、マウス自体の接続はできており、その次の段階でPCが操作を読まないようである。最近、食事をするごとに、外されたイヤホンやマウスの先に液がなどが跳ねることを恐れてはいたが、これが原因では困る。また、今回も「因無き起こり」とも考えられる。様子見するに尽きる。6時までに炊事と食事を終え、USB接続端子も掃除をしてみたり、コードの硬化を柔軟にするなどして、どうにかマウスの反応が戻った。相変わらずの人騒がせである。…2016/01/07

(前略) ほか大いに時間をとられる問題は、PCへの対処である。幾度とスリープ・立ち上げを繰り返した(近頃のメモではわざわざスリープ時間など記録しなくなった)。つまようじによる同じ処置でも一時ばかりやや改善したり何の変化も無かったり、問題箇所を表面的ながら平手打ちや拳で殴っても当然電源が落ちたり壊れたりすることなど無い(元々ふと物理衝撃とで電源が落ちるPCが、この問題以後異様に丈夫となったと語ることは過去メモの通り)。一喜一憂を続けるのみであるが、何よりも「ギッ!ギッ!」など種類様々な音に精神を磨耗するし、そういう音はファン回転送風という役目が没している。これなら、音が荒くてもファンが回転して送風される時がよっぽど健全である。
強力な打撃を受けても別段変化が無いPCとはどういうことか、なまじ10・11月中は過去メモの通り「右上角をチョコンと落とす」程度でピタッと轟音が鳴り止むというほど、ごく小さい衝撃が通用したから、同じPCでどうしてこうも変容するかと疑う。それと、本日も例日並みの寒さであろうに、この部屋は妙な暖かさが続いている(ファンの帯熱・滞熱・排熱によるものか)。PCに対処する手は特に暑く感じる。17時過ぎのPC一時スリープで、ようやく相応の寒さとなった。…2016/01/09

(前略) 調べようとした矢先(13時3分)に、PCが強制終了した。12月中のメモで幾度と取り上げた。充電の解除が30分くらいでバッテリー切れだとか、の原因ではなく、本当に熱暴走によって終了した。これはさすがに初めての事態であった。絵の作業をPCでしていて、バックアップは取っていたが、別にバックアップを取らずにいた中途の作業がオジャンである。…2016/01/14

真面目に創作関連作業をしている9時43分に突如PCが強制終了した。熱暴走といえばそうかもしれないが、相変わらず一つの原因には特定できない。強制終了した直前の動作がMIDIファイルの保存処理である。強制終了から3分以内に2度の起動をしていずれもすぐ強制終了した。一旦、トイレで用を足すなどそれまでせずいたことを済ませて再度立ち上げると、まあ別状は無い。スタートアップ修復(小5Vista時代に役立たずと思った機能、物理的原因には当然効能なし)だか、通常起動後も特有の鈍さがある程度であった。…2016/01/19

明日に散歩をしようと予ての構想をより詰めようと、展望のため市内を漫然とストリートビューしていたが、たまたま心霊スポットに当たった19時前、Google地図利用特有のPC異常の前例をフラッシュバックし、PC内部温度を怪しむと、やはり97だとか101度(いい加減に誇張する場合もあるが)などといった異常な高温を確認した。即座にスリープして1分後に起こし、とある操作をするや、今度は強制終了という不本意な結果を迎えた。少し待って起動すると、ファンの音が不気味なものと化していた。心霊スポットとの関連性はともかく、嫌な話であろう。中途の作業も、バックアップがあるとはいえ、連日こういった事態に出くわすことは御免蒙りたい。…2016/01/20

11時40分からファンを安静にすべく、昨日発生した不気味な音というものはノートPCを開いた状態でもキーボード側のボディが手前100~180度回転によって静音となることに気付いているため、開いたままひっくり返した状態とした。次に、片手鍋にたっぷりの牛乳を張る (中略、料理中) 12時前にPCを元通りにすると、高熱部はGPUが46度とされる以外は40度を下った。だが、それから利用を続けて温度が上昇してファンが回転が強まって不気味音の轟音が続いて、同様に高熱部が40度を下ることもあったりと、件の静音化措置の効果と変わらない面もあった。…2016/01/21





1月20日以降の記述が激減した理由 (2月の現況)

その日の出来事以来、特筆するファンの異常は無くなったからであるが、ファンの音が耳に悪い大きさ・質を伴っていることには変わりがない。
カラカラというかガラガラというかガリガリというか、チリチリジリジリともいうような類でずっと鳴り続けており、イヤホンで聴く音楽を例に取ると、ファン問題以前の音量で鳴らす場合は少し聴こえようが悪くなる。
とはいえ、そのまま急に回転が止まったりするなどの、12月7日から1月20日までに毎日頻発した極端な音の変化ということは無くなった(先に言う"特筆するファンの異常は無くなった")ので、「ややうるさいファンの音のまま安定」されて、多少はPC利用に臨む自分の精神も安定した方である。

ほか、副次的・二次的な被害として、マウスの接続不良・接触不良ということが1月7日メモなどに触れられているが、これも当記事投稿予定となる2016年2月現在においても続いている。
ファン問題に端を発した今回の一連の問題は、今までの種々あった問題以上に禍根を残しているようであり、主題であるファン異常な音自体は種類・程度の違いこそあれ、未だに直らないわけだから、そもそも「禍根を残す」という言い方には語弊がある。
問題解決を前提とした表現だから、問題が継続している今に使う表現ではない。

2016年2月8日月曜日

人が思う「現実」も妄想の一種であることについて ~ "仮想現実"?

現実と妄想を分かつ基準が何かといえば「人の思考」が第一ではなかろうか。
例え目に映り、体に苦楽(苦痛や快楽)を伴うような事象であっても、全て人間の意思や認識を介した「妄想」に等しくあり、「現実」ということは何もない。
私がこう語ることも、妄想の一種であるかもしれない。
人と思うところに人があり、自分と思うところに自分がいることは、存在の本質である(いわゆる"Cogito, ergo sum")。
確かに、ただ脳内に浮かべた象形と比して、実体あるものを「現実」と呼ぶ意味では正しいことかもしれないが、やはり程度の差でしかなく、絶対ということはないので、それも「妄想」である。

ところで、どのようなことが「幸せの状態にある(幸福)」といえるか?
例えば、世間での出世をして金持ちとなり、家族に恵まれる一生が人間至上の幸福であろうか?

ある田舎出身の若者は、そのような「夢」を懐き、都会に出て勉強と労働を行い続けたが、望むような結果にはいつまでも追いつかない。
そのような中で、突然チャンスを掴み、望むような状態へと上向いて、ついには高官として成り上がり、豊かな家庭を持つ。
彼は最期において、愛人に看取られながら永遠の眠りにつこうとする。
ようであったが、なぜか目覚めると、視界には見慣れた部屋が広がり、昼寝中だったことに若者は気付く。
何とも惨めな自分のありかたに気付いて、田舎に帰ることを決めるのであった(「惨めな~」という接頭語も「妄想」が決めつける表現の一種)。
このように、いわゆる「夢オチ」のたとえ話がある(胡蝶の夢・邯鄲の夢、邯鄲の枕)。

私は、他人の持つ幸福の理想像について、容喙する意図はない。
人間誰しも妄想をする生き物であるのだから、夢いっぱい妄想をすればよい。
だからこそ、他人の良しとする生活に、己の妄想を介入させ、一つに括ろうとすることはあまり好感しない。

人間よりも思考能力の優れた「生物」はいない。
その人間の智慧をはるかに超越する存在、仏が示した真の人生は、真の幸福に導く真道ならんことを信じて已まない。
仏の金言は唯一妄想ではない。
「仏語は実にして虚しからず」と法華経に説かれる。

仏の説く生物の区分を言えば、有情と非情に分かれ、有情のうちは人間と畜生に大別される。
人間と畜生でもその性質が大きく異なるものというのに、その人間という「凡夫」の智慧を超越された仏がこのように示されている。
凡夫などは足元にも及ばない大智慧を具えた仏様がお示しになるところの真道までもが、「夢(夢想)・妄想」であるということは絶対にない。
※私がそう信じていることとしては「我が妄想(汝が妄想)」となってしまうが物事の真実としての在り方は妄想と言い切れない。



ここで、やや話を変えるが、「もし明日人類が絶滅する(地球消滅・世界終了)ならそれまでに何をする?」という荒唐無稽ながらも食いつきやすい質問について、仏教の上から答えようと思う。
世間の人、もとい小中学生の頃の自分なら、散財して遊び呆けるといった享楽的な発想もあれば、嫌な奴らをドサクサ紛れに殺しまくるという何とも大胆不敵にして蛮勇猛々しいことも言う。
遊び呆ければ徳を失い絶やせ、恣の殺人や強姦などの犯罪は大いに悪業を積んでしまう。
他にも、「恋人(家族・大事な人)と一緒に過ごす」といった愛人への執着を見せる者や、「自分だけは必ず生き残るに違いない」といった常見・我見のエゴセントリズムを唱える者も多かろう。
仏教を第一義とすれば、ここは唯一の正答が「執着を離れ、菩提を願い、ひたすら修行に打ち込む」ということではなかろうか。
ここでの「修行」とは、唱題や念仏などの信仰的な実践や、座禅による瞑想などの実践、あるいはヨーガや滝行といった、各宗や個々の信奉などの広い「修行」として全て包括している。

仏教は「涅槃」といい、そもそも「誕生」も「消滅」も人間が捉えた「現実的妄想」であり、真にはどちらも無いのだから、「最後には自分だけ生き残る」という欲望も無く、「自分も必ず死ぬ」という絶望も無い(言い換えると生き残り続ける存在でもあり如来の常住ともいえる)。
あるいは「臨終までに執着を断つ」といい、生命が終わると分かればこそ、このように生死の一大事のみを案じるのである。
そんな時に、私利私欲・安逸ばかりを求めては虚しく命終し、後生あらば三悪道に堕ちてしまう。
全て「妄想(現実通り捉えない状態を現実と思い込む)」だと思う私であれば、そのとき=死期に臨んでいることを覚った時、菩提を願うように心機一転せねばならない。

もちろん、生前の健在であるときから何らかの修養は必要であろう。
何事もいきなり本番に当たって成功するということは有り得ない、と言わずとも、やはり「備えあれば憂いなし」と世間でも言われる。
よって、日々生活記録を取り続け、勉強を進め続け、完璧には守れずとも「戒」を意識して自律の精進をせねばならない。



原版・起草日・・・2015年12月の半ば
だったと思う。12月29日に加筆してからは、1ヶ月以上に渡って何も手を加えずいた。何ということか。
なお、当記事のように「物事・事物(境・色)は客観的実体などなく、それをそうと認識する(取・心行)人間など知的生命体(有情)の、想像上の空間(識)内にのみある」とする思想は仏教でいうと唯識系に当たり、この教義基礎自体は仏教において普遍的である。
人間が行う物事の分別というものは妄念であって、他の人間が同じ思考を持つことを「客観性」と世間では言うけれど、それも妄念が通じた範疇に過ぎず、妄念に変わりないとする。

いわゆる「常識」ということも、この世の中、「今この場所」の時空の共同体を構成する生命=現代社会の人間さまに通用する観念ということであろう。
人間の心がなさしむる業"ワザ"なんだね。

当記事と関連しそうな記事
「ネト本リア末」 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/10/blog-post_30.html

2016年2月3日水曜日

Google+ 2016年1月中の日記メモ等

当月は、前月22日(2015年12月22日)の衝突に端を発した兵糧攻め(?)に伴う、外出や工面や料理に関する記述が多く、料理写真もやや見受ける。
料理に関して特筆すべき点は、片栗粉を利用した調理(初使用は12日だが日記メモ上の記録はこの日が最初で最後)において、化学的な理論の理解ではなく「体感」によって、新たなスキルを習得したところにある。
また、12月に引き続き、PC諸問題も多く記録されているため、後日「類聚外伝」としてまとめ記事を投稿する予定が12月末か1月始に設けられた。

メモ記入日の一覧
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2016/01/01
2016年 初日の出 7時37分

当記事解: 上は某家の屋根よりお出ましの初日の出(撮影は7時37分)、下は「元・上の弟、前・祖母の部屋」のフローリング床の東側隅に広がる黒いシミの一部分(撮影は7時19分)

5:50, 5:56のアラームを聴いて止め、5時57分に起床した。下剤1錠を飲んでから、6時半より、2階の元・上の弟、前・祖母の部屋に上がって初日の出に臨んだ。東側隅に黒いシミが広がるが、原因は上の弟の生活によるか祖母の性癖によるか住宅の欠陥によるかは不明である。いづくよりかいづるぞ、月は真上の南東に浮かんでいた。下剤吸収の待ち時間として、或いは寒さに堪える行いや、母・弟寝起きへの度胸試しになるとは思ったが、太陽との根競べに変わりつつある。7時5分、ようやく遠くの電柱を始め、建物の壁も暖色を帯びてきた 間もなく雷光を拝まんとしている兆しである。それまで小鳥の鳴き声ばかりであった(若い男ら4人の奇声も混ざる)が、いきなりカラスがガアガア、クァークァーと鳴き始めた。

7時33分、かれこれ一時間経ち続けて、ようやくE家から顔を出した太陽を目にするや、ここで携帯電話の電池残量がEMPTY表示となってしまい、初めて自室に一時離脱し、体制を整えて再度あの部屋に上がり、日を撮影した時刻が0737である。再度部屋に帰って、手の冷え(冬の屋外で手袋着けない状態に近い)はもちろん、氷のようなフローリングに耐えられないので途中からスリッパを着用したとはいえ、足裏が寒さにやられたような感覚であった。風邪なども心配ではあるが、ひとまず食事の準備を始めた。寝る前に冷蔵庫から受け取ったおせちなどを食べ始めた。このおせちは12月2930日メモなどに触れられているもので、作った業者は去年母が頼んだおせちの製造業者と同じようである。中身も去年とほぼ同様か、去年より良くも見える。

便意が次第に強まって、9時10分ころからトイレに入った。崩れた軟便が主立っていた。10時10分に年賀状の配達が我が家にあった。母には普通の企業からの挨拶みたいなものと、弟には学校教師からのものしかなく、私に至っては当然1枚も無い(前日メモでもいうよう前の家以来のことである)。もう1度補填で配達されることがあっても、私に増えるものは無かろう。

16時40分台、おやつの時間(焼き餅に餡子を押し込んで食べた)も済んで、12月分の日記メモのまとめ記事の下書きの準備を始めるや、母親が唐突に私の名を呼び出す。母親といえば、本日11時からずっと1Fリビングを占拠していた。どんな風の吹き回しか。どんな用件とも気にしてはならない母親の悪癖の一種に過ぎない。「散歩に行きなよ」と空虚な言葉を何度も繰り返した。黙って話を聞いても野暮なことしか言わない。母が言おうが言わまいが、今日は外出予定がある(ペットボトル1本捨てる、自販機通い)。しかもこの母は私が全然外出していない見地を前提としているからこんな話をしだすのであろう。

「サンポイケーサンポイケーガイシュツシロー」と母が言うことは、インコのそれと何ら変わらない空虚さであり、息子の外出状況・意思や目的地を親身に聞く気のなく、援助も雀の涙ほどの資金提供しか頭の無いことが誰にでも分かる。ましてや、散歩など「しろ」と言われてすることではないし、2013年から自ら希望を胸に、微々たる努力でも散歩をしているが、2014年にそのことを話した際、散歩目的地(市の保健所、後に実行)について「見に行くような場所でもない」と小ばかにしてきたり、良い場所を口にすると「弟でもよく歩いて行ってるから」とかと息子の夢を蹂躙するなど、やはり心無い反論ばかりする母親であった。普通の親はまず「最近いつどんなとこに散歩行った?」くらいに聞いて、話してもらえたら親身に聞くであろう。「サンポイケー・ガッコ・シューショク」などと言うだけを続けるのがここ3年以上の習いである。母親としての知恵は絶無と分かろう。

今ふすま越しに蒙昧な口パクを続ける母に反論しても言葉が通じない。「外出しないなら増額した小遣いも打ち切るよ」とまで言うが、これも息子の心など微塵も知らない、血縁しかない母親の空言である。小遣いの増額など、誰がいつ求めたことか。勝手に始められて勝手に終えられようが、痛痒にもならない。こんなことを得意げに言える母親に怒りを感じたので、「1月2日に渡す手紙に本心を書いてあることは既に送ったメールの通りだ」と示したが、メールにそう書かれていることを知らない、などと言い出した。字面も読めず、覚えず、あるいは子供の言葉には本能的に無関心であろうか、なお親としての慈愛と徳に欠いている。12月29日11時48分・同18時29分のメール2件で、その25日に渡された手紙の返信の文書を後日渡そう、1月2日にしよう、ということを重ねて示してきたのに、この反応ではこちらが驚いてしまう。母は、息子の肉筆による返信を何ら楽しみに待つことは無かったのである。これが親のあり方か、一片ばかりの慈愛もない。

どこまでも言葉が通じない母親が、その場の思いつきでいい加減な放言をすることはいつものことであるが、こんな母には渡す手紙も渡すことは出来ないことを主張した。それで、私が怒っていることを理由に「はい話はおしまい」と切り出す。常々、最初から不要な綺語でしかない。それから2分ほど経ってまたグチグチ言い始めるなど、マイペースの極みで呆れてしまう。寝ぼけ父に輪をかけた異常精神である。

17時52分に、母から「最近受け取ったメールを何通読んでも、1月2日に手紙に書いて寄越すと言う文面は確認が取れませんでした」。と無駄なメールが来た。先述の通り、時刻ごと引用文を示そうと返信メールを半ばまで書くや、17時54分に「文面が見つかりました。ごめんね(絵文字2つ)」という返信が来た。どこまで無駄な人間なのか。また、無駄なことに気付けず無駄に時間を過ごし、孝子の諫言を受け流しているのか。

18時40分ころからペットボトル捨て・自販機通いをしてきた。無論ペットボトルは自販機脇のゴミ箱に捨てる気でいたが、ゴミ集積所を見るや、大晦日・三が日は収集業務が無いというのにひどい溜まりようであった。こういう時は各家庭が日程を守るべきなのだが、ゴミカレンダーを見ていないのであろうか。本日メモの通り、カラスは時期を問わず朝から元気であるから、現場はどうであれとりあえず日程通り出すべきであろう。



2016/01/02

本日は6時42分に目覚めたが、何かを打つような音が聴こえた。もちろん除夜の鐘ではない。E家は年末から高齢夫婦の息子親子が前年同様宿泊している。E家前で騒いでいるのだろう、と思ったが、やはり車のドアを彼らがバタバタさせているのであった。6時48分に起床した。

14時50分過ぎ、母が2階へ上がった。それまでは昼前からずっと1Fリビングに居座り、2階へ上がる直前はトイレにいたようだが、トイレのドアを開けるや「うわっ!すごい髪の毛」などと叫んでいた。14時55分にキチガイ級のくしゃみをかまして、またなぜか1階に降りてきた。私は11時ころから編集作業や勉強などに打ち込んでいる。

本日は専ら、前日に購入した菓子類や、餅などを焼いて食べてきた。18時現在、勉強はある程度満足してきたので、作業でもし続けてから19時以降に寝ようか、と考えている。食料はラーメン4食分があるけれど、5日ほど新たな開封をせずに過ごしている。それで、本日はもう食べず、寝る前には下剤1錠を飲もうか、としているが、本日は既にコーヒー2杯を飲んだ。カフェインパワーも結局は例の如くガスを無闇に発生させるに終わる。下剤を飲むほか術なし、と失意落胆ばかりである。

19時20分以降にPCをシャットダウンしたのだが、21時になっても眠れず結局早く寝ようとする道は悲惨な末路ばかりであると思った。22時過ぎに一度起きて、PCでやる作業に少し向かうこととしたが、この際に下剤を飲み忘れていることに気付いた。大体、寝る前でなく翌朝あるいは風呂(シャワシャン)以後などでもよいものだが、下剤排便リズム論にとらわれている私は、「寝る前に飲んで翌朝に排便という理想的リズムを目指そう」といった半ば胡散臭い理想論を実現したく、寝る前に飲むようにする場合が多い。22時20分ころ、リビングから聞こえる母・弟の会話に「イ○ト、バカ○様」という単語が聞かれ、母は「女だから、○ちゃん(弟)は男だから」と話したり、弟は「最近あまり見てなぁい、ゲームばかりやってるから見てなぁい」と返す。20時ころに「明日楽しみ」という話をしていたこととどう関連があるかは、しっかり聞いていないので不明である。



2016/01/03

昨晩は、結局大して眠れなかった。ざっと概要を書けば、前日メモの通り19時から寝始めるも眠れず、22時過ぎにPCを起動した。22時半以降にPCをシャットダウンし、下剤1錠を服用した。それからも色々、毒を食らわば皿までという気持ちで押入れ内に横臥しながら眠りをあまり求めずに独り言を続けて、深夜2時台に起床し、料理などもしたが、3時40分ころから仮眠を取ると5時50分ころに目覚めた。実はこの仮眠前にアラーム予定を5:50以降に変更していた。その5:50のアラームが目覚めて体を起こした体感1分以内に鳴ったので、5時49分ころと推定する。それからどれほど起きてからか、また仮眠を取ったような気もするが、その場合は8時以降に起きたと思う。

その前日は、メモにもある22時台は23時前まで母と弟のやり取りが続き、母自身は0時前後まで1階に居続けた。当時のメモ「弟発言録『加工食品までまずいよ、お前の買うパンも、生鮮食品とか』 『母: 明日墨汁買う?』 『宿題を早く終わらせたい焦り屋なんだよ』 『お前の買った加工食品には悪魔の成分が含まれている』 憎き坊主の袈裟を憎むようで、餓鬼道に落ちる。23時前という夜中まで、冬休みの宿題を続けるも、お絵かきなどすらままならず、争いが絶えず、母は『指導しきれないから(弟の宿題が)出来なかったことにして辞めよう』と促した。」前日の彼らの勉強関係で、本日9時以降に弟はイトーヨーカドーに5,000円を持って出かけた、らしい(冬休み書初めの墨汁)。

12月22日から幾度と火花が散っていた、自室窓枠の水による洗浄に関して、本日10時56分になり唐突にこれをやる旨に関して母からメールが届いた。12月29日の母ほうき掃除で済んでいた案件ではないようである。

13時半ころ、母が外出の格好で車の行き来をしてから、徒歩でどこかへ消えた。最初は片手にハガキのようなものを持っているように見えた。キッチンの食料を思うに、12月18日着の野菜は未だに食べられないものがある。小サイズのかぼちゃ半分切りのもの(そういう製品)は、乾燥のためか変質のためか、白い粉か塊か、断面のあたりに多々見られる。冷凍庫には、届いて2週間ほど経つであろうカニ2種が今も残る。これはよいとしても、それら野菜や卵などはあまりいつまでも食わずにおくのはどうであろうか。過去に、賞味期限を2週間以上切らした卵5・6個ほど(10個1パック中の、買って実に1ヶ月近く)を、急に1日で全てゆで卵として消費することくらいあったわけだから、母親としても時間が経ってから問題視するのである。ほか、生鮮食品以外では、やはり買って2週間ほど経つ冷やし中華の即席麺が、手付かず状態に近いまま今まで時間が経っている。母親が食べるために蓄えてあるスペースにも、2週間ほど前から未開封のせんべいが2袋もある。

これら過剰な蓄えをするクセに、私に対しては2015年10月5日など、正常な備蓄の範疇に目くじらを立てている。むしろ私は5月19日など、極端な買い与えようをすることのある母に適度な購入をすることを忠言をもしたのである。私は自己管理能力が高いから、賞味期限を見計らって適度な消費が出来る。母は賞味期限などを気にすることがある割に、管理などまともに出来ていない。そんな母は人に対してのみやたらと厳しく管理するよう言ってくるが、こんな感覚の人間の指示に従うことこそ誤った管理に陥ってしまう。これら厳然たる事実を懇切丁寧に道理を尽くして糺そうとも、母親は大概自己正当化に終始する。人に強いる本末転倒のセツヤク節約ということも全く同様である。

母の帰宅は15時前、弟の帰宅は16時40分ころであった。弟が帰宅する10分ほど前から、下剤効果による排便に望んでいた。既述の前日22時台に飲んだ1錠に大きな発現が見られないとして、追加のもう1錠を飲んだのが13時ころであったか。こうして臨んだ排便は、最初が例の如く良好な形状質感でありながら、軟便・下痢に進み行く。私の食生活においてシリアルとラーメンが欠けることは痛手であるが、ことに前者は整腸にもいくばくか寄与していたのではないか。そんな中、本日は外出予定を見据え、ラーメンの調理を始める。

17時台のうちに、ラーメンの5分の2サイズ麺と水量の割に少ない粉末スープによって調理したものを麺だけ食べてスープを残し、17時45分以降に外出した。380円を消費して帰宅し、残りのスープはほどなくしてから、半端に焼いた餅を入れて煮込み、食べていった。今回の購入物の一つにショッキングな事実がある。母衝突以後初めて購入し、以後幾度とリピートした商品が、なぜか内容量を8%も減らし、脂質は10%も増やしていた。私が買い始めた途端こうなる理不尽さに悲しみが覆った。




2016/01/04

本日は7時22分に起床した。その数分前の目覚めにおいて、アラームが鳴っていない疑惑を持ったが、携帯電話は開いて伏している状態であった。これを見るに、アラームが鳴ったところ、無意識に止めていたか、止めていたことをすっかり忘れたかということも考えられる。今回はなぜか5:20と5:30の二つしか構えられていない。次回以降はしっかり4つ構えていることを確認する必要があるが、それにしてもたまにこのような、予定時間を超過して目覚め、アラームさえ鳴っていなかったかのような日があるのでは困る。起きて間もなくリビング・キッチンでは炊飯器が利用できそうなことから、迷いつつも炊飯を始め、無事に後片付けを済ましてから食事を始められた。

10時ころ母親はどこかへ出て行った。13時20分ころに帰宅した。14時14分、弟は前掛けをつけて洗面所で何らかの作業をし、母は広い椀に盛ったスパゲティを箸で食べている。私は今、最近の食事の関係で舌のやけどが多いことについて悩んでいる。2015年8月の記事にあるよう、大して熱くない状態でも構わず食べられるものの、どうしても熱いうちに口へ運んでしまうことが多いので、もう少し律していかねばならない。

15時40分以降、母帰宅以後に部屋に用意してあるコーヒーに熱湯を注いだ。菓子などを少々摂るが、そのおやつタイム前からか、マウス操作に支障があった。16時過ぎになり、PC高熱部が80後半~90度ということに気付き、この熱にやられつつあることが原因であると察した。思えばファンの音問題の新しい策を試した12月下旬以降、よくイヤホンほかUSB接続の必要な周辺機器などは、接続解除を繰り返して、その間ノートPCを起動しながらでもスリープ状態でも縦に立てることは多かったが、ここ2日ほどはほとんどそれをしないでいた。ここで初めて、高熱の弊害を感じることとなった。過去に、接続済みマウスの操作が同様の不自由状態となることは1年以内にもあったように思う。それは、12月7日に付属タッチパッドがその起動時のみ利かなくなったような衝撃に伴う一時的故障のようなものではなく、やはり何か高熱に伴う不具合であった。そういうわけで、マウスもイヤホンも端子より外しておいた。12月9日メモにいわく「接続したマウス・イヤホン・充電などの端子を抜き差しするのは吝かでない。非常事態であるから」と云々。



2016/01/05

本日は起床予定より1時間早い、4時30分に起床した。2・3時台あたりにも1度目覚めた(入予約暖房が動いていたためそう推測できる)。前日を含め異様な手先の冷えには貧血の可能性を思った。5時以降、前日1合の炊飯をした残り半分を電子レンジで加熱する前から本日の炊飯作業を始めた。今回も1合となる。例によって、おかずは粉と液体しかない、と言いたいが、菓子のイワシを前日から乗せたり挿したりしていたので、僅かに無くはない。6時過ぎから風呂(シャワシャン)を行って7時20分ころに自室へ戻ってきた。効果は無に近く薄まるであろう下剤1錠を試飲した。7時40分までには母親が1階に降りてきて、私の行動(脱衣所の窓の扱い)にケチを付けてきたので、不承ながら了承の旨を伝えた。

10時過ぎから有意義な睡眠訓練を始めた。遊びではない 少し窮屈な姿勢など色々試すわけだが、 眠りに入ったときはいつのことか。10時40分前後と推定される時間に夢で母・弟が現れ・・・蓋しリビングにおける彼らの会話の影響である。母親が寝ている私に大胆なイタズラを加えながらも、私は表情を崩さない状態であったが、股間から太ももの内側が痺れを覚え、目覚めようとした。夢は理性的な想像と比べて臨場感があるばかりか、触覚的に刺激もある。ただ起きて時間も経てば、あっけなく夢の出来事は忘れ去られる。 なお、リアル彼らの会話に耳を傾けると、明日か明後日か弟が電車で出かける可能性を窺った。いずれにしても、朝に出かけるかもしれない。

それから再度眠ることもあったり11時56分のアラームに気付いて止めてまた寝るなどして、12時12分に母が外出を始めてから私は起床した。左ケツ肉からモモ裏にかけて痺れる。母は14時半ころに帰宅したが、15時20分にトイレへ行こうとする際の玄関には母のスリッパが置かれ、弟の靴も無いところ、二人でどこかへ行っている様子が分かる。

15時50分台、久々にエロ動画(中国)鑑賞をしてみて、まあかなり勃ったのだけれど、一度も陰茎に触れずして萎ませた。前回のオナニーが2015年12月20日であり、2週間以上抜いていないこととなるが、このまま可能ならば今月ある誕生日まで継続させたく思う。一度くらいはそのように禁欲禁性欲の期間を1ヶ月ほど持たせてもよいのではないか。まあ、固いオナ禁の類ではなく、普通に生活するうえで一定の性欲を抑える結果に、たまたま1ヶ月オナニーしなかった、という程度の「オマケ」を求めているのであるが。要は、芸術の才能が極まった「ついでに」有名になるのが良いのであって、名誉の為に芸術を追究することが誤りである、といった美学に通ず。

16時半ころからプリント・スキャン作業を行った。というのも、16時9分に外出中の母から「冷蔵庫から牛乳2本取ってね・帰りは遅くなります」というメールが届いたことを受けて、予てプリント・スキャン予定のあったものが1月15日実行と定めたところ、先行することと決めたからである。その分、不十分なところもあるが、急いで16時40分ころには作業を済ませて、現場の2階母部屋から帰ってきた。母部屋に、見せるべきものを1つ残してある。

16時50分前から、向かいT家の息女が弟を伴って冬休みの課題である縄跳びを始めた。弟が「まゆ!まゆ!」と叫んでいたが、もし息女の名前なら初耳となる。向かいT家の動向は、この正月どうにも薄いものがあったので、ここで初めて活気を覚えた。なお、前年度では12月末からよく知り合いの女性や御学友の女児などを家に連れていたが、今年度は未だ見られない。今回は、バター犬・雌豚コンビやマルチーズ2匹連れおじさんの往来があったほか、風で記録の紙が飛ばされてT家所有の車の底に滑り込んだタイミングで車が通りかかって、一応通行車両に注意して駆け寄った息女であるが、クラクションをピッと鳴らされていた。

18時前後にゴミ出し・自販機通いに出て帰宅した。二人は18時半ころに帰宅した。19時前、弟は風呂に入る準備を進めている折に、私は母からの着信があり、2階へと呼び出された。彼らの外出中に母の部屋に1月1日の小遣い金額とその内訳に関して尋ねた文言を添えた実物を提示をしたことに伴う。スクッと階段をのぼったところ、母がエプロンを結ぶ作業に時間をかけていて、本当にマイペースな人間だと思う(この私にその後「階段のぼるの大変だったでしょ?」と実力軽視・侮った言い方をするが、あなたの手間取ったエプロン作業と私の階段のぼりを同一視しないでほしい、人のことを気遣わない人間が気遣うそぶりを見せるときに限って要らないことに気を遣ってくるとはまさに顛倒だ)。その件について説明がされた。ちょっとした話にもなったので、これは19時10分ほどまで続いた。母には未だ私の本意を伝えていないので、色々思っていないことも言われたが、反論を立てずに措いた。母に腕を掴まれたり、肩に手をかけられる回数が多かったが、あの睡眠訓練の出来事は正夢ではないか、と思ってしまう。なお、もう一つの用件「今日はどちらへ行かれたか」について聞いたが、答えを聞き流してしまい、不明である。



2016/01/06

昨晩は22時過ぎからか、母と弟が2階で騒いだり、40分過ぎには1階へ降りてきて、これも険悪でうるさいやり取りとなった。宿題に関して争っているようである。母「だから黙ってっつってるでしょ50回も言わせないで」弟「5回だって」。本日は最初のアラーム設定4:30による目覚めがあったが、その後幾度と鳴っては止めて、を繰り返して、5:30のアラームをもって起床を決心し、5時31分に起床した。6時前から炊飯作業を始め、ついで蓄えのご飯をレンジ加熱などしていった。ゴマ混ぜしょうゆかけご飯おいしいよ~

7時前から下痢に臨んだ。前日はメモにもある風呂(シャワシャン)後の下剤1錠に足らないことから20時台に追加の1錠を飲んだ。思うけれど、こうしても1日に1度しか出す機会がなかったりする。何度も便意が来るということは、この頃なくなってきていて困る。時間をおいて2錠飲んでこれだけに終わるのでは不安がある。

9時台、母親が弟に「宅急便やさんがきたら~」ということで、何らかの指示をしていた。今日はどこかに出かけるそうである。9時40分以降、バタバタと動き始めて玄関や車などへの出入りを続けるが、10時10分なおも外出はしない。10時13分に母が車を出した直後、訪問者がいた。メガネ作業着中年男性だが、弟が2階からトコトコ降りてきて応じそうなところ、フラフラどこか。弟は応答したのかも不明で、一人玄関にブツブツ。通行人がこっちの家をジロジロ見る。意味不明の極みだが、10時17分にようやく進展があった。終始理解できない。これを読む人(皆無であろうが)も、この文章を理解できなくてよい。

10時20分台トイレ通行の折に玄関を見ると、隅に普通の脚立が置かれ、その上にビニール袋のかかったはしご(ステップラダー4段)が乗っている。母は何の用途に用いるか不明だが、これがあれば2階バルコニーを通じて家の屋根に上れるであろうか。実は、昨日に1月1日撮影の日の出写真などを再び眺めて、屋根の上で撮られたらよいものだ、と思うことがあった。まあ、頭に思ったら家に物体としてくることはたまにある。何か食品を食べたいあるいは昔食べた、ということを思うだけで次回買出し時に母が買っていることは今までに10度以上あった。

11時3分に母が帰宅したが、私は驚いた。車の音がしなかったからである。母は徒歩で帰宅したのであろう。思い当たることは、車検の件であろうか。過去(12月20日)にメーカー(SUZUKI・スズキ)の技術士か誰か来ていたように、元々何らかの動向がある。一時的に車を預ける際、車の貸し出しはされるはずだが、用事の無い母としては貸し出しは無くても構わないのであろう。後日、車は預けた場所から直接帰ってくる可能性がある。11時12分、母がにわかに声を張った。笑いを含めて困ったようなもので、心地の良いものではない。先述の、弟に対する指示に、弟が何か反した操作をしていたようである。母・弟とも声色が喜劇じみているが、私も困った笑いを浮かべるほかない。こうなると段々と険悪となるのは常のことである。2階で弟が荒々しく怒鳴って打ち鳴らす。

11時半以降、再度弟が呼び出された。はしごの置き場所について、母が望まない場所に望まない置き方を弟がしたようであるが、あなたが発車した直後入れ替わりで業者の配達があったのだから実に不運なことである。だが、話を始めるや、母の携帯電話に着信があり、一時中断された。「点検」に関する通話のようで、早めに終えようと母は急かした。弟の話を再開させると、「ちゃんとやってくれたらこんなことにならないのにね、部屋にずっといられたね」という母の発言で、随分クドクドと応酬が続く。ちょっとした言葉のあやで揉めることはよくあるとはいえ、どこまでも漫談的で鬱陶しさすら感じる。12時頃から、母は件のはしごを使って自室雨戸の掃除などを始めた。12時半、母親が11月18日に届いた模造ツルを私の雨戸の前に掛けようとした。日記メモにあえて綴らなかったが、これは家のリビング側の窓に1度かけるも、強風に煽られて外れて以来、庭にコンクリートかレンガだかのブロックの下敷きにされていた。それを血迷った母が自室雨戸のあたりに付けようとヨロヨロした末、断念した様子である。

16時台、夕食準備のためキッチンに出入りする際、1枚の紙がソファにあるので手に取ると、「お詫び」とある。どうも、何らかの食品に「不具合」があるということで、母が苦情を入れたようであり、詫びの品は既に届いている様子だ。思い当たるのはタマゴである。買出し時に増えたとは思いがたい卵が4個冷蔵庫に増えている(未記録だが本日は別にヤマト女性配達員の配達が1つあったのでその時に届いたか)。それで、ゴミ袋の中に、卵の空パックを見たが、あの12月18日に野菜と共に届いた卵と同じ業者の卵であると分かった。あの卵は全部で10個入りだが、最初の2個だけが消費されて以来、私が卵かけご飯などに12月中に2・3個消費したほか、全く使われていない様子で、訝しさの極みであったが、とりあえずこの「お詫び」となったことと関連性があることがわかる。母親は聞いても話さない人間で、昨日19時ころの会話で食品の話が会った際、母に卵の消費ペース・余し方について尋ねても、このことを話さなかった。不親切である。母は、業者に文句を付けるくせに、人には話そうともしない人間である。

18時前後から、ある程度数日来ひいては先月からあったカップそばのスープと、ラーメンの麺で料理する、ということを行った。ほか、焼いた餅に青汁粉末を少量の水で溶いた液体(以前母が市役所に寄った際の手土産のインゲン豆か抹茶の大福だかの餡と似ている)を入れて食べることもした。食後、嫌な腹痛が始まって、だらだらと動画音声を流して聞きながら過ごす時間が続いている。



2016/01/07

昨晩は腹痛などの体調不良に伴い、19時25分にPCをシャットダウンして就寝した。別に理由を加えるなら、早起きしつつ仮眠を取らない6日にあって、早寝をしやすいことや、早く寝る訓練などがある。ともかく、病状の変化を調べよう。確かに、小学生の頃は腹痛など慣れっこで、物の数ではなかった。19時50分、面白く相眠りに入ると、5日と同じような夢の現象があった。科学に言う、記憶整理や睡眠時の聴覚などによって夢の内容が決まるという理論を、見事に体得したようである。なお、その内容はうろ覚えだが、「プレゼント」に喜んだ弟が私の肩を繰り返し叩くものである。

本日は4時37分に起床した。4種のアラームは4:50~であり、アラームの予定より早く起きている。PCを起動して、今日はマウスのUSBを接続しておこうとしたのだが、なぜかPCがデバイスを認識できない、だとかとエラーメッセージを吐いたり、何度も何度も接続したことを示す音や解除されたことを示す音を繰り返し鳴らす。だが、マウスは裏の光を放っていることや、今ささっているUSBがマウスであることをPCも認識していることから、マウス自体の接続はできており、その次の段階でPCが操作を読まないようである。最近、食事をするごとに、外されたイヤホンやマウスの先に液がなどが跳ねることを恐れてはいたが、これが原因では困る。また、今回も「因無き起こり」とも考えられる。様子見するに尽きる。6時までに炊事と食事を終え、USB接続端子も掃除をしてみたり、コードの硬化を柔軟にするなどして、どうにかマウスの反応が戻った。相変わらずの人騒がせである。

マウスについてはそうとして、4時台から本日も炊飯をした。現状4日連続である。本日は目分量で1.5合を炊いた。良い炊き上がりであり、またしてもゴマ混ぜ醤油ご飯として食べた。毎日炊飯できるとも限らないが、毎日ありつけるならこの際、毎日ゴマ混ぜ醤油ご飯でよい。人と比べて「食べ飽きる」ということはほとんど無い。食べ飽きる感覚はすなわち飽食の人となる。道心ある私は、食べ物の良し悪しに執着しないが、味わいは噛み締めて日々堪能している。

6時20分台から、また腹痛を憂えて押入れに潜って横になった。携帯作曲もたまには良いので向き合うも、蓋然的に睡魔に襲われるから、20分ほどで仮眠もとい惰眠に入った。7時半以降、母・弟らが新学期最初の登校ということで慌しくなると同時に目覚めて、腹痛は大分引いた様子であり、更に作曲に向き合った。8時11分に起き上がり、ほどなくして腹痛を感じる。9時前から嫌な轟音が始まる。様子を窺ってから、A宅跡新築工事現場が音の発生源と分かる。人が作曲に気合を入れ始めて、なぜ急に?年末年始だったとはいえ、フツー1月4日からすんだろ、って話。今更やんなよクズって思う。あの母親はだれかれ構わず配達業・小売業・製造業者文句をつけるが、私は心にそう思い、呟くのみである。こうメモを書いた途端に音が止む。人の邪魔をすることしか考えないクソ業者である。

本日は断続的に作曲などを手がけたが、16時前後から、今までに絵のアイデアをメモしてきたことを消化する作業に入った。2つのメモ絵と2つの中サイズ絵を描いたが、中サイズ絵はそれぞれ期待と異なる絵や、無難な出来などになった。18時を前にして、大分疲れを感じている。なお、本日2度ずつ母が洗濯物を部屋の前に置いたが、その際に食料が渡された。彼らが蓄えても消費しないシリアル、などが私に分配された。1月3日メモでいう未開封せんべいも2個包装が与えられた。



2016/01/08

本日も4種のアラームより早く目覚め、4時4分に起床した。風呂(シャワシャン)を見据えたり、別の様々な作業に向けて、早く寝た分何らかの利益を求める。風呂(シャワシャン)を手早く済ませる前提で、5時50分以降に始めた。6時40分以降に風呂場を出て体を拭う最中に、2階から色々と物音が聞こえだした。嫌な予感しかせず、それは当たって、弟が1階へ降りてきた。彼があと5分くらい待たれれば一番ちょうどよかったものだが。この後、私の作業に支障が出るも、無事に部屋へ帰還できた。

11時過ぎ、訪問者あり。最初は配達員かと思ったが、ここ2ヶ月ほどの傾向として12時以降に来ることがほとんどであるから、あまり考えられなかった。母の応答を待ってから外を見ると、彼らは作業着を着ていた。建設工事の土木系の人らとは明らかに違う服装(いわゆるブルーカラー的な作業着)であるから、最初は謎に思ったが、11時20分ころに外の様子を窺うと、電気工事の車が家の前に停まっている。やはり、新築建設工事の人ではない。ただ、この工事自体は新築と関連がある作業となる可能性は排除できない。

13時10分台から、PC問題対処ほか疲れも考慮し、PCをスリープさせて横になった。携帯作曲にも軽く向き合った。14時10分ころから目覚めるが、その約1時間のうちに1月6日に車検だか修理だかに出された車が帰ってきている。母が何か作業を続ける14時32分、様子がおかしいと思って窺うと、佐川が配達が来ていた。配達員と押し問答をしていた。品物を受け取ったようだが「高反発マットレス」とある。マットレスという単語は、ここ1週間以内の母と弟の争いの中で母から発せられた記憶があるが、もしこの購入と関係ある場合、いくつか入っているとしても1つは弟用となろうか。

16時が近づいても、下剤やコーヒーの効果による断続的な腹痛があるばかりであり、排便を期して飲んできたのだから何らかのしるしが欲しかった。そこで16時0分、自力の方法として、サマタ・パヴァナを実践すると、間もなく便意を伴った激しい腹痛が起き、16時3分にはトイレへダッシュとなった。上手く実践すればこの即効性である。このメモはトイレで打っているが、これもまた記録精神の一端である。

なお、今回の排便果実は、最初が例の如く普通の硬度のものでありながら、次第にスルスルと垂れる黒い軟便へと変化していった。このドス黒さは何を意味するのか。最近の黒ゴマを混ぜた醤油ご飯の食事が、ウンコを構成する物質の多い割合を占めているためであろうか。下剤使用のクソは色が悪いことも多いとはいえ、今回は通例の比でない。概観が黒い便を出したアナルを拭うと、その紙は黄色い広がりを見せる。色素の密集が結実して「概観が黒く」なるのであろうけれど、なぜどうしても茶色より黄色の色が平時より強いか。とりあえず、二つ以上の理由から普通の色でないことは伝わる。

17時過ぎから外出に備えて即席ラーメン3分の1・焼餅食べかけなどを食べ、17時40分までに身支度などをして、予算約400円の外出に出た。色々な懸念があった中、目的地に到着したが、その懸念のうちの一つが当たる。目的の非飲料自販機では売り切れの品が続出しており、迷った末に110円の未購入品を1点選んで購入し、帰宅した。

今回の外出では、1年に1度ほどのペースでしか着なくなったコートを着て行った。2013-14冬に1度、2014-15冬に1度、そして今冬初の着用である。また、13-14冬の1度においては、あの踏み切り転倒事件が起きてしまった。なお、14-15の冬は2014年11月夕方にお茶(緑茶かブレンド茶か不明)ペットボトルを買いに行った際に着ている。今回は帰宅後に、コート着用の私を撮影する時間が長く続いた。やはり部屋で着続けると暑くなる。光調を考えて辛い姿勢を維持しながら顔色を変えない状態も疲労を増幅させる。このコート着用写真は1枚もPCに保管されておらず、ただ2011年12月の映像があるばかりである。

近頃の栄養不足もあってか、19時18分、日々続いている唇の乾燥を気にしていると、表面が割れて出血した。血が出ても構わないつもりではあったが、記録は取る。以前のメモ(12月24日)で「手の肌は荒れない」としたのも、唇の痛みを念頭において対比させるつもりで書いた。あまり使わないリップクリームであったが、今こそ使い時であろう。



2016/01/09

本日は3時台にまず目覚めたが、昨晩は23時くらいまで独り言を続けていた。早朝に炊飯予定があるとはいえ、アラームの鳴る予定にはまだ時間があるから、とりあえずもう一眠りに入った。それから目覚めた時に5:20のアラームが鳴らないような気がして携帯電話を開くと5:23であり、訝しいばかりであった。無意識にアラームを止めていたのであろうか?5時28分に起床して5:30のアラームを待つと、これは最初の音が鼓膜を破る音量でしっかりと鳴ってきた。人を困らせる携帯電話である。

6時までには炊飯器のスイッチを入れるまで進み、今回炊いた1合はその後まずご飯1杯をよそい、新たに母が開けた味噌で味噌汁も作った(ダシ使用・具材はあら挽き胡椒)。ご飯は半分ほど食べて、おかずである菓子(種類を言わず)もあってか腹がある程度満たされたので、残りを味噌汁が飲み干された鍋に移し、菓子も少し散らせ、キッチンの味噌を投入し、お湯をかけて次の食事の準備とした。だがまあ、ちょこちょこつまみ食いをする。日々私が思うことは、食べ物に惑わされず、しかし食べる時はしっかりと食べられるとよいことである。昨晩の独り言でも「今の私は餓鬼だ、満足に食えずして、食べても舌は焼け、胸は苦しみ(少量で満腹感・ちょっとした食品で胸焼け)、それでいて常に空腹感から食べ物に手が伸びてしまう。ただ当然人より食えていないことは私の外見通り」としゃべっていた。

12時半ころ、にわかに母と弟が騒ぎ出したが、それから12時50分前には何か弟に母が物を運ばせると、何か不手際が生じたようで、母は狂ったように笑いを含ませた「アァーッ!!!」という悲鳴を上げた。どうせ「大仰な反応」の類である。どうしてこうも感情的で喜怒哀楽が激しいものか。弟は母からの不興を蒙ってオドオドしたり、転じて激怒して怒号を発したり、物音を荒く立てるなど、相応の反応をした。運んでいる物とは、昨日のメモでもある高反発マットレスであるが、中身のみ運んでいるか箱ごと運んでいるかは不明である。

本日は午前中から16時までに、絵を描いたり下書き記事の情報追加など、必死に挑んできたが、ほか大いに時間をとられる問題は、PCへの対処である。幾度とスリープ・立ち上げを繰り返した(近頃のメモではわざわざスリープ時間など記録しなくなった)。つまようじによる同じ処置でも一時ばかりやや改善したり何の変化も無かったり、問題箇所を表面的ながら平手打ちや拳で殴っても当然電源が落ちたり壊れたりすることなど無い(元々ふと物理衝撃とで電源が落ちるPCが、この問題以後異様に丈夫となったと語ることは過去メモの通り)。一喜一憂を続けるのみであるが、何よりも「ギッ!ギッ!」など種類様々な音に精神を磨耗するし、そういう音はファン回転送風という役目が没している。これなら、音が荒くてもファンが回転して送風される時がよっぽど健全である。

強力な打撃を受けても別段変化が無いPCとはどういうことか、なまじ10・11月中は過去メモの通り「右上角をチョコンと落とす」程度でピタッと轟音が鳴り止むというほど、ごく小さい衝撃が通用したから、同じPCでどうしてこうも変容するかと疑う。それと、本日も例日並みの寒さであろうに、この部屋は妙な暖かさが続いている。PCに対処する手は特に暑く感じる。17時過ぎのPC一時スリープで、ようやく相応の寒さとなった。



2016/01/10

本日は4:50, 4:56, 5:20のアラーム3つを順次鳴っては止め、5時26分に起床した。前日は20時前にはPCをシャットダウンしており実際に寝付いた時間から数えても、普段よりは長く寝たのではないか。朝食として、前日の炊飯の残りご飯を温めたり具なし味噌汁を作ったりして食べ、後片付けも済んでしばし、6時20分台から押入れで横になり、7時26分に起き上がった。本日はダラダラと過ごすつもりでいるが、メモ帳の投稿予定についても今月はかなりペースを落とすつもりが12月中からある。当時にしても緊急時は大量投稿するとしていた。9時40分台からも横になり11時前まで仮眠も混ぜて過ごした。

12時10分頃、母は買出しに発車した。それから風呂(シャワシャン)あるいは洗濯の実行を考えたが、休日の弟がたまにやる(やらされている?)階段掃き掃除により、10分ほど足止めを食らった。彼は、母の発車あたりからこれをしていた様子である。14時台に弟はどこかへフラッと出て行った。15時18分に母の車が帰ってきて、少し逡巡したのち、風呂上りに2階バルコニーに干し出した物を取り込みにいった。

16時半から、外出の腹ごしらえとしての夕食のプランを立てた。17時以降にダシ醤油お湯溶き牛乳のツケ麺的なものを作って食べる。牛乳が多く余っていることを見込んで行うものである。茹で汁もスープを作るが、二重の味のためであり、これは帰宅以後徐々に飲む。粗方決まって準備も済んだところで窓の外を見れば、姉妹らしき女児2名が前の女児(姉か)の腰に付いた犬のリードらしきヒモを後ろの女児が引っ張っていたり、前の女児も後ろにスタスタ下がる。再び女児らが姿を現すと、ゴールデンレトリバーみたいな犬と女性も付いて出てきた。女児2名のリードらしきヒモは犬に繋がっていない。その進行方向に別の小型犬・女性があり、小型犬が激しく喚き出すと、犬は背を向けたり身を引いたりするや、急に小型犬に突っ込んだ。よく小型犬・女性を見ると、あのバター犬ダックスに雌豚ではないか!雌豚はペコペコあしらった後、そそくさと退却した。今回はあのバターダックスが鳴き出して場を去るまでの一部始終を確認することとなった。

18時10分ころから自販機通いへ出た。今回は前回1月8日から土日の日中を挟んでいるため、商品の納入も見込めたわけだが、狙い通り売れきれた品は無い様子である。100x1, 10x6円を投入して1つ商品を買った。再度、同じ商品を500円玉1枚で買い足すと、「100釣り切れ」マークが点灯し、ギョッとしたが、手元の釣銭はしっかり340円分があるのでホッとした。商品納入したてであるのに釣り切れマークを出さねばならぬほど不足している事態は憂慮に値する。私の深慮で命拾いは叶っても、1000円札を崩しに使ったら悲鳴を上げていたことであろう。この自販機から500円玉が排出された記憶がないためである。



2016/01/11


本日は特にアラームを構えてはいなかったが、4時55分に起床した。弟がこの4時台後半から1階で食事などをし始めていたためである。思えば、前日は21時20分以降にPCをシャットダウンしていた。23時10分ころから、ようやく眠れそうなところで、それまでの3時間は1階にいなかった母が1階に降りてきて、テレビまで付けた。人を苦しめる魔心が母をにわかに唆したのであろう。俗悪バラエティ番組しか見ようとしない否、こういう時は見もせず、静かな部屋が嫌だから音だけ流そうという害悪ババアらしい。

この早朝、弟は最初食パンをトーストで食べた後に残り物のカレーとご飯を食べた様子で、5時40分ころまで1Fリビングにいたが、おかげで昨日までご飯が残されていたであろう炊飯釜が私の炊飯で使えるようになる。在りし日(2013年中など)は母は残り物ご飯を別の容器に移して冷蔵庫に保管したり、大量にご飯を炊いて作り置きしたものを同じく別の容器に移していたから、当時しなかったけれど私が炊飯しやすい環境ではあった。炊飯せねばならない事情を母自ら作り出した2014年10月以降に自ら炊飯する必要性が出た頃には、母のこの習慣が無くなっていた。無論、部屋に預けられた古い炊飯器を私に使ってもらいたかったのであろうが、それは色々拒絶する理由があったわけでね。

本日18時までに食べたものは、朝食として焼いた餅と母が使わない健康食品粉末(きな粉味)に緑茶1杯、後から興味本位で板ゼラチン1枚を載せたご飯1合の半分の量を追って(10時ころ)食べたが、冷めたものをかつおダシ粉末の味付けのみで食べた(1合の残り半分は翌日に取っておく)。午後からはハッキリしないが、14時前に用意したコーヒーを15時以降にお湯を注いで飲む傍らに、栄養ある菓子(36g)を摂る。17時までに、健康食品粉末(きな粉味)の残り3分の2ほどと、最後1食の半分ほどのみ残った1月7日分配のシリアルを一緒に牛乳で溶いて食べた。なお、常に水やお湯を飲んでいるが、18時ころの場合はかつおダシ粉末を適量溶かして飲んだ。体に染み渡る味わいには表情も綻ぶ。

ざっとまとめれば「かつおダシ粉末5gの1袋分、健康食品粉末15gの1包分、緑茶1杯、コーヒー1杯、シリアル半食、焼餅1つ、板ゼラチン1枚、ご飯半合、水分多量」となり、粉末の価値が雄弁に感じる。非常時に粉末だけ多く備えれば現場供給の水とで食事が足ろう。翌日はキッチン品各種、冷凍食品の野菜を使おうか、残り僅かな黒ゴマを使いつつ新しい黒ゴマや乾燥ワカメを開封しようか、下剤を起床直後に飲もう、などここにメモを残す。衝突以前の食事量からすれば衝突以後現在の食事はとても寂しく少量であるものの、これを足らないからもっと食いたいとは思わないよう、これが身の丈に合った量だと思っておきたい。ところで、本日は日中多くが勉強に費やされた。まだまだ学ぶことが多い。



2016/01/12

本日1度目の目覚めに確認した時刻が4時17分であったが、少し横になっていたい気持ちのまま眠りにつくと、次に目覚めて暫し経って6時35分に弟が1階へ降りてきた。どうjにもできない気持ちのまま横になり続けていると、6時48分に下剤を飲む予定を思い出して即座に起床に至った。

7時過ぎから炊飯作業と前日ご飯の加熱を始めた。今回は味噌汁を作る際、冷水に片栗粉を溶くこととした。片栗粉に関しては、前の家で麻婆豆腐の素の片栗粉がダマとなる経験があった。今回はその遠い記憶を教訓として、的確ながらあまり監視をせずいろいろな作業と同時進行させて、その待ちわびる結果としては、驚きのものとなった。ダマの問題は突破するも、やはり味噌汁に片栗粉を溶かしてとろみを付ける行為は誰もが不気味に思うであろうし、私もその出来栄えには引いてしまった。味わいは、牛乳の無いクリームシチューのようなものである。クリームシチューの素を1週間前までは料理に多く使っていた。とろみ味噌汁の利点は、味噌が沈みづらいところか。大豆の細かい破片なども沈まないでいる。

11時20分、ヤマトのワゴン車(バン)でAmazon箱2つの配達を確認した。もう冬休みも3連休も終わっているから、母が受け取ることが当然となっている。つまり、最近までの約3週間は弟が受け取ることも多かったので、日記メモではどちらが受け取ったかを逐一記録を取っていた。何が言いたいか、何でもないことだが思うことがあるということである。この時間から14時を過ぎても母は1Fリビングから離れようとしない。本日はその時間からオカシの昼食かオカユの昼食か少し考えて、菓子は15時までに、粥は17時以降(夕食)としたものの、このままでは菓子・コーヒー飲食は難しく、かゆの準備もかなわない。テレビCMなどを凝視している母の様子には正気が見えない。15時前から、母は風呂場をスチーム洗浄の機械で掃除している様子であるから、その間に私にすべきことを済ませた。

16時台前半と後半それぞれで1回ずつ下剤うんこを出した。2回目の前に、お粥の準備(簡単な調理含む)をした。17時台前半にも下痢を出してきた。クソに混ざった黒ゴマは、今朝のご飯にかけた黒ゴマ群の1個か。最近1週間近く、黒ゴマ混ぜご飯を食べていなかったが、七味唐辛子には黒ゴマが混ざってもいるため、今日までに摂ったソレか。

19時前から寝る準備を始めた。排尿と水汲みなどをしてから、つらつらキッチン・リビングなどを探ると、今夕の母・弟は長く冷凍庫に漬けられた大きめのカツオ5切れ(昼過ぎから室温解凍が始まっていた)を2人で計3切れ食べたようであり、ほかにも冷蔵庫に3・4の計7個あったタマゴのうち、母が苦情を入れることとなった卵の3個を消費した様子であるが、あの魚料理から思うに鶏卵の使い道は不明である。12月18日から長くこの家にある以上、生でご飯にかけるとは到底思えないので、例の如くゆで卵にしたのではないか。魚料理には片栗粉も使用したのであろうか、チャックの袋だというのに丸めて輪ゴムでまとめてあった。ほか、リビングにはアマゾン納品書もあったので確認すると、よく買う9個入り和菓子(駄菓子?)に、よく買う10kgのコメと、謎の健康食品の3点であった。

雑感→明日はこの限りある食材をどう頂こうか、それを考えるとあら楽しやと思う。普通の人は豊かな魚肉菜果ほか、多種多様な食材や素材・道具で楽しむ。私は同じようなものを食べ続けても食べ飽きない、それでいて必要量のみ摂る。現代人の誰の目にも粗食のようだが、嬉しい日々ではないか。



2016/01/13

19時半前からシャットダウンし、押入れにいてから、下剤効果の余波で腹がゴボゴボする感覚が続く。独り言は20時半まで多く、黙ってから22時過ぎても眠れず、母は1階でバタバタしだし、その揺れが押入れに伝わる。23時ころには寝付いた。1:10のアラームで一度目覚めた。それから異様に長くリアルな内容の夢に苦しまされもしたが、3:50のアラームに打ち破られ、2分後には起床した。予定があるから早起きする必要を持っている。

5時0分に外出した途上で、出すゴミを持っていないことに気付いたが、道は引き返さずに目的地へ足を運んだ。今回も事前に出す小銭を構えて来たが、まず初手が100x1, 10x6で、2手目100x2で、3手目100x1, 10x2(+釣銭の4)で、4手目は財布から1000円札を出す、という手順となる。3まで順当に終えた(用意した小銭の枚数が合わないので少し財布をまさぐりもした)が、最後1000円札で買う際、過去にもメモで書いたと思うが(11月3日メモ末など)この自販機は売り切れの品を全部売った瞬間に「売切」マークを表示せず、次に再度その品が選ばれてから品の切れに気付き、初めて「売切」マークを表示する。したがって、先に840円の釣銭が出てから、「売切」マーク表示後に購入商品の分の160円が返還された。こういう非常事態に備えて、先述のような小銭使用をしたから、幸い釣り切れとなることもなかったし、今回は前回1月10日に「500円玉が釣りとして出た記憶がない」と書いた時に一転し、普通に500円玉は出た。なお、本日の空模様は、北と東の北半分に雲が広がるも、あとはなかなか星が映えていた。特に、南東の低い空には金星らしき明るく大きい星が見えた。5時半以降にもう1度ゴミ捨てに赴いた折に金星を確認すると、やはりおぼろげにチカチカとしていた。

本日15時前に気づくことがある。思えば、午前10時頃からか、昨今まれな大食いも挟んだが、あとは勉強のために色々とサイトを読み耽っていた。某所投稿に関するものでもあるから、単に読むのみではなく、3,000文字ほど書くこともあった。とはいえ、この時間までに多く水分を摂ろうとカフェインが入ろうと、あまりトイレに行くこともなかった。それでこの15時前には少し部屋の外に出れば、母が外出中であることがわかる。2015年10月以降は買出し以外の外出の傾向として、どこかへ徒歩に行くことが多い。その中でも中学校・学校行事関係の目的地が多い(10月上旬などは当時のメモにも見るようコンビニ通いをしていた)。体の熱さも覚えたが、今日この日中は比較的暖かい方でもあるとはいえ、また食事の影響(昼に食べた簡単なおかゆにはスパイス類も入れていた)もあるとはいえ、勉強に打ち込むと暖かいことも寒いこともその最中は気にならないであろうことを肌身に覚えた。

16時20分ころ、夕食を見据えた水汲みをしていると、途端に母親が1階へ降りてきた(母・弟とも15時台に帰宅)。いつも通り母がリビングに躍り出ることを構えて、母の視線が向くほうへ背を向ける。毎度、自分は後から人の存在に気付くので、最初は驚いた声を上げ、二言目には「ちゃんと外出たの?」と聴いてくる。毎度陳腐な聞き方にウンザリしながら「出たよ」と答える。一喜一憂喜怒哀楽の強い母らしく「偉いじゃん!どこ行ったの?」などと返してくるが、「・・・だから自販機だよ」と呟く。自販機通いのみならずゴミ出しもしたというのに、過去にも同じような簡素極まる返答しかしないことがあった。何を食べているか、など質問されたが、黙ったままスルーして、「黙ったままじゃ」と言われてもそのまま場を去っておいた。

私が仮に母の望むようなコンビニ・スーパーへの入店ができる状態だとしても、例えば2011・12年に家庭内別居ながらコンビニ通いしていた時期ですら、自室窓での出入りも多かった(玄関からでは目に付くため)わけだし、今の母などは昼夜動きが不穏な中で早朝か夕に私は外出をしている。母は口先しか行動が伴わないし、私が外出しづらい原因の一端には母らの生活もあることはかつて伝えてきたというのに、やはり自覚など全くないのである。別に外出が不自由でも私は構わないが、一番口うるさい人が一番妨害していることくらい自覚して自ら恥じてほしい。現世の因縁話をすれば、3兄弟の不幸はことごとく両親の悪より生じていると過去記事にも綴っているし、この件はまだ瑣末な程度に過ぎない。それはそうと、ついでにこの時に母は今日どちらへ出ていたか聞いておくべきであった。

18時前から、キッチン保管鏡餅1個を焼いて少し茹でたものに、最後のカップそば粉末スープを使用した雑煮を食べた。具材はその粉末スープの中のネギなど薬味しかない。この食事までにはかなり空腹感が強まっていた。本日は既述の通り、自分の体には大食いと思える量に、カフェインパワーの影響もあって、下腹部ことに大腸の始まりと思われる右下のあたりがブツとガスでパンパンか、ねじれるような気持ちでもいた。もちろん排便という結果には至らない。よほどの激痛あるいは下血もないなら、排便は推奨されるというのに、やはり厳しい。



2016/01/14


本日は4種のアラーム(5:50 ~ 4:30以降)を受け流して5時10分に起床した。実は1:10にも遊び半分で鳴らしていたが、これには気付きもしなかった(記憶にないだけであろうか?)。5時40分までに風呂場を確認したが、都合が悪いので風呂(シャワシャン)の予定を保留とした。朝食はご飯も炊けないのでしばらくお預けとして、下剤1錠を飲んだ。本日は、昨日の大食いでもない大食いを反省すべく、あまり食事を摂らない日としておこう。

5時48分に共産党関係のポスト投函を確認したが、共産党関係は当然車で来る。過去の記事かメモにあるよう、一見して普通の車だが、同じ人が運転していても違う車種の場合がある。業務用の車両であるも外見は統一させていないが、この地域以外の事務所はどのようなものか。なお、日記メモではわざわざ共産党関係のポスト投函を記録しない(私が共産党員と誤解されかねない)が、一つ付記するなら、やはり母のしんぶん赤旗ニワカ購読期の新聞配達にしても、その後の不定期ポスト投函にしても、早朝される。

7時ころに今日の食事方針が決まった。16時ほどまではアメ・ガム以外の固形物をほとんど食べずにいく。1日くらいはこういう日もあるとよい。だから、まだ部屋に蓄えのある餅・モチであるとか、あるいはキッチン貯蔵の煎餅・シリアルなどを少量もらう、ということもしない。8時台には「部屋に既に置いてある粉末健康食品(きな粉味)1包の半分をもち米によるダマが出来ないよう考慮しつつ少量の牛乳で溶き更にインスタントコーヒー適量を加えて常温放置した原液」に適量の熱湯を注いで飲んだ。10時を過ぎても下剤などの効果発現には乏しい。10時台には最後のガム1枚を噛んだ。12/19等の過去メモにも書く通り、2015年5月12日以前から部屋にある。

13時2分に弟が帰宅したが、その帰宅早き理由を調べようとした矢先(13時3分)に、PCが強制終了した。12月中のメモで幾度と取り上げた。充電の解除が30分くらいでバッテリー切れだとか、の原因ではなく、本当に熱暴走によって終了した。これはさすがに初めての事態であった。絵の作業をPCでしていて、バックアップは取っていたが、別にバックアップを取らずにいた中途の作業がオジャンである。なお、母は11時前からずっと1Fリビングに居座っている。

14時前に母は2階へ上がったが、14時半、佐川のトラック配達、箱は小さめである。1分間も母親が全然応答しないまま弟が対応したが、母はトイレにでもいたのか。14時40分前に確認した箱・伝票には、「いわて短角和牛 生ハンバーグ」とある。14時52分になってウンコババアが抜けたように弟へ「誰が来た?」と問うて、「何が届いた?」「ハンバーグ!」「ん?」「ゴニョゴニョ」「冷蔵庫いれちゃダメだよ」「だから入れてないって!」「どこ?」「玄関って言ってるでしょ!」と、実に間抜けな発言が続く。アクビこきながら箱の処理をしたり、携帯電話に着信があるや「たいへんだ」と抜かす。

本日はコーヒーをインスタント状の分量で言えば2杯分飲んで現在16時に至ろうとするものの、これといった下剤の効果発現は無い。午前中には断続的に腹痛が起きたりするなどの軽度且つ早期なものでしかないから、今日中に期待することは難しい。もし排便あろうとも、これ以上に遅くなれば、自販機通いの予定が足止めを食らう。

17時20分前から冷やし中華1食を試しに調理した。ただし冷やして食うつもりは毛頭ない。茹で時間だとか水分量だとかの指定も重んじない。自室オーブントースターの鉄板を軽く熱し、鍋敷きとする本も準備する。スープの味は一応、酢の風味を予想して身構えてはいた。よってスープ1袋の3~4分の1ほどのみムーミンカップに注いだが、麺に絡ませて啜ると想像以上に強烈で、喉を焼く酸味に軽く咳き込んだ。予定通り牛乳や熱湯で割った。17時53分には小銭などの準備を済ませ、自販機通いへと出、今回の予算490円を順当に費やした。三日月のような月が流れる雲に霞んだり浮かんだりする空模様であった。

19時前、ようやくというか俄かに下剤効果による腹痛が起き、トイレに向かうべく部屋を出ると、肉の匂いを感じて件の和牛ハンバーグを思わす。何に似ている匂いかといえば、その性質上マクドナルドのミートパティである。19時10分過ぎに、ある程度は出切ってケツ拭きおわるところで母が2階へ上がっていった。ついでに調べてみると冷凍ハンバーグ5食は1食減っていた。弟が食べたがったので1食分だけ焼いたのであろう、ためにさほど強くは匂わなかったか。



2016/01/15


本日はアラーム4:20, 4:30を止めてから4時33分に起床した。ほかにネタアラーム1:10も鳴らして止めたような、気付かず眠っていたか判然としない。昨晩についての携帯入力メモと加筆「20時20分ころにPCをシャットダウンした。暗い部屋でとある本を読むが、携帯電話のディスプレイの光を頼りとする。蛍雪の功のような利益はあるだろうか、と独り言をするほか、本を閉じても別の話題で色々と独り言を続けた。一旦止めようと『早く寝て早く起きる義務があるんだ、いいや使命か?』と言い出して、義務と使命は同一事象にあてる対極概念であるとか、義務は理性的・消極的動機で、使命は感覚・感情的・積極的動機であるなどと、あれこれ続けたがる。」

起きてまず風呂(シャワシャン)の予定のため浴室の状況を見ると、先んじて前日夕に出したスウェットがなぜか干しだされている。明日は晴れるが、向こう1週間は天気予報に依れば怪しく思えたので、晴れている間を狙って、ほかの洗濯物よりも先に予約を入れるつもりで出したのに、夜のうちに洗って家で干すなどという酔狂な真似をされるとは思わなかった。母親は家事がまともにできないが、更に言えば仕事もしないから私の自由家事の時間も無くなるので母に任せるしかないのに(過去にも何度も日記メモで言う)、任せればこういう心得ていない仕方をされてしまう。

スウェットはもう不本意であるが、結果として看過できる。代わって本日昼は別の洗濯物を出す。部屋で使っているタオル系の布団を出そうか。何せ、全然ほかの洗濯物は溜まっていない。普段、翌朝や午後くらいまであの程度の量の洗濯物はスルーするくせに、何故昨日は夜のうちに洗濯なんかしているのか。それも母が煩わしく思っている厚手のスウェットを処理する必要など無かろう。

5時0分ころからフライパン炊飯作業(コメ1合分)を始めた。ただ、普通の炊き上がりは期待できなくなるや、段々と色々な調味料などを加えていきたくなり、米料理となる。塩を途中で加えた時は、少し多めに思った。スパイス香辛料はかなり匂いが続く。かれこれ1時間ほどキッチンで格闘して6時0分ころにはほぼ米の芯が無くなってきたため、自分用の片手鍋に移し、部屋で第2ラウンドへ入る。全体の半分ほどを食べて残りをお預けとして、6時10分台から風呂(シャワシャン)の準備を始めた。

7時半過ぎに部屋へ戻った。8時0分前後に再度この料理に手を加えたが、特筆すべきは多めの青海苔であろう。ちょこちょこつまんで食べたり擱いたりしてから、熱が通る程度に加熱するも、おこげを増やしたくなったのでかなり焼き飯状態に仕上げた。風呂(シャワシャン)以前に食べた時ですら水分多くともピラフのような味わい(油や冷凍グリーンピースも入れていた)であったが、今度はより焼き飯として、更にその香りは青海苔味のポテトチップスを髣髴させた。この外見なら昨日メモに言うハンバーグのような肉料理にデミグラスソースなどが合いそうではあるが、それはあの強い塩味が無い場合の話である。時間が経ってから再度食べておこう。

弟は7時24分に登校していき、母は9時までには1階へ降りていた。この際、建設工事現場の車両が発するガス・重機による砂塵などを厭ってか、2年ほど季節問わず母に口うるさく「開けてね開けろ」と言われる洗面所・風呂場の窓を私が浴後に開けておいたのに、母は鍵まで掛けて閉めきった。都合がいいと思う。

本日は予ての散歩計画の一つ、とある県道沿いの店舗の内部とボロ小屋の様子を見物に行こうと心の準備を整えた(即日実行するとは限らない)。弟の帰宅は昨日同様に早まる可能性も考えられるが、一応は母の対策だけ取れば問題は実行に支障は出ないと見る。店舗内部で、陳列された商品とその価格を実際に確認して、特に何も買わずに退出しようと思う。迷惑と思われるかもしれないが、これも何かと後学のために必要な実地調査であるから、1度はしておきたい。もしすれば、2012年9月のコンビニあるいはSCの入店以来、実に3年ぶりの入店行為となる。最近、食品などの商品価格で気になるニュースを小耳に挟んだものだから、非道なる入店行為を経てでも学びたく思っている。あわよくば購入も視野に入れている。ボロ小屋については、成果があったときに報告されるのではないか。あのあたりの立体的な風景も壮麗で見物である。

11時6分、作業着の男性がインターホンを鳴らした。彼は工事関係者と見られる。母は2階にいるが、全然応答しない。ゴトゴト物音を無駄に立てるのみである。11時9分に4回目を鳴らし、11時10分に「こんにちはー!!」と叫んで5回目を鳴らす。急に母が2階で駆け出したが、なぜか出ようとしない。彼は家の周囲を移動してもう一度叫び、ドアもノックしてまた叫んだが、なぜか母は応答しない。部屋の電気を明るくしたまま何も出来ない私が一番辛い思いをする。12分にようやく1階に降りてきた母だが、応答が遅い。ようやくインターホンで答えても、男性は気付かない。呆れたことに、母はそのまま2階へ戻った。うっかり障子を10センチほど開けた私に、彼は反応して1歩ステップで寄ってまた叫んだ。再度インターホンが鳴らされて30秒ほどで母が降りてきて、もう1度インターホンから答えた際に彼との通話が始まった。


無論、今日から盛んになる工事の説明(本人いわく案内)に来た人である。マイペースな母は、ドアを叩かれたことに一番腹を立て、かなり怒りっぽく応答した。普通自分が謝る立場であろう。「こないだもそうされて私は怒って出なかった」と、とことん驚かせる。「30分後にドア開けますので」と話して母は男性を追い払ってしまった。それからも男性(別人のようにも見える)は、家の前でウロウロしながら母を待つ。11時37分には母が外出のために家の外へ出たが、もちろん家の前で男性は待ち構えていた。母はあしらおうと軽口を叩くも、やはり言いたい不満を垂れ続けた。折角なので、予て洗濯の計画があったものを洗濯し始めておいた。散歩といい予定づくめなところではあったが、これは好機か否か。あまりそういうことは考えたくないものである。11時50分までに母は発車したが、5分ほどで一旦帰宅した。

身支度に難儀するも準備が整った12時56分に靴紐を結んでいるところ、弟が帰宅してきたので即座に玄関から退却した。身支度に次いでここでも咄嗟の事態に足を痛めるなど、無駄に肉体も精神もダメージを食らった。出鼻を挫かれて散歩を辞めようかとも考えたが、逡巡しつつ気を取り直してブーツを履いて家を出た。靴紐は軒下で結び直す。

道の程は住宅街に木の実か何かが散乱して潰れたのか歩きたくなく広がる道もある。我が家の隣以外にも基礎工事段階の新築建設現場が見られた。とある県道に出て道なりに行くと、住宅街の方に電気工事を見る。某所はストリートビューでの確認と同様に賑わっており、某所駐車場は意外と住宅地側に広がっていたが、面白い設置物をも発見したので機会があれば人目の付かない時間帯に再度見物に行こうか。開けたところでは、東の県境にある山が見える。よく澄んで晴れた日なのであろう。目的地では車の通行を気にして時間をかけながら写真を撮ったため、4分ほど滞在していたらしい。ボロ小屋は意外と高さがあり、目当ての張り紙は私の頭より高く掲げられていたので、何か手を合わせてしまいたくなる気持ちに駆られたが、当然それはしない。折り返し以後は携帯電話をコートのポケット内にずっと入れたままにしていたが、帰宅後は携帯電話のボディが極ひんやりとした状態となった。

ついでに道中、左のブーツ靴紐が外れていることに気付き、帰り道に変わった所在の公園に寄ってそこで結びなおそうとするも、実は行きでその正面の道路がちょうど携帯電話にメモを残す・写真撮影の準備をするには適した空間だったため、そこに立ち止まって携帯をいじっていたが、公園脇の民家で中高年男性が何か作業をしていた。この帰路ではもう男性がいなかったものの、その民家脇を抜けてまで公園に進入したくないから別の道から入ろうとしたが、道は回転寿司の如く歩みを止めない私には見当たらず、最後まで靴紐は結べずじまいであった。帰宅後にストリートビューで確認しなおすと、極細い道が高い植え込みに挟まれており、その先も急な坂道で、よく見なければ個人の敷地内に進みそうな外見であった。よって回転寿司歩きの私には見つけられなかった。なお、出発も帰宅も、A家跡建設現場では独りあの男性が作業をしていた。男性といえばメガネ中年中肉男性と、行きも帰りもすれ違うことがあった。

14時前に母が帰宅した。弟の出迎えに対し、今日も帰りが早い理由を尋ねて「今日も○○だったんだ!」と放言するが、それが最低2日は続くものだと、普通ならば想像がつく。それを見越した上で午前中に車を出そうとしたのかと思ったが、やはり母はそこまで思慮深くないのであろう。これからも、思いがけない反応をするであろう母には、こちらが逆に慎重を期さねばならないと自覚を新たにする。



2016/01/16

本日は6時22分に起床したが、時に1Fリビングでは弟が食事している。6時40分台に弟はどこかへ出て行った。なお、PCを付けていない間の出来事のメモを載せる。「20時10分までにシャットダウンした。20時過ぎに母は異様な笑い声を上げだしたと思いきや、テレビの電源を切って2階へ上がっていった。それまでバカ笑いはなかったというのに、笑ったらテレビ視聴をやめるというこの母に正気があろうか、と疑わざるを得ない。21時過ぎには眠り始めたが23時前後に意識が付く。原因は母が1階で洗濯したりテレビを付けたりと、寝ている私にも聴こえる音を立てたからであるが、テレビは妙にアニメくさい音声が鳴る。聞き覚えのあるセリフ・・・ム○カ大佐であろうか。ところで、股から膝にかけて筋肉痛がするが、無論散歩の影響であろう。20時台に布団の扱いで腕を痛めたばかりだというのに。1時10分にはネタアラームを聴いていたが、終わるや洗濯機の音が聴こえてきた。今日は何を洗っているのやら。」

7時過ぎから9時前まで横になっていた。2つの利益を望んでいたが、さほどでもない。12時12分に母は弟と共に車でどこかへ向かった。13時過ぎからキッチンおかゆ調理のリベンジを行った。前回はフライパン・1合のコメであるが、今回は片手鍋・0.6合ほど、約1時間調理と食器洗いに時間がかかった。2人は14時40分ころに帰宅した(15時前後に弟がまたどこかへ出て行った)。

16時47分に何ともおかしなメールが母から届いた。今日は既に2人が外出中の12時59分着のメールがあった。「おはよう、買い物行きましたか・何を食べていますか云々、3時頃に帰ります」といったものだが、今回は「ちゃんと、買い物に行って、ちゃんと、豚肉など食べてますか?テーブルの所か階段の5段目位に置いといて下さい。(原文)」とあり、いきなり「得体の知れない何か」をどこかのテーブルか階段に置け、と指示された。「何を置け、と?買った食品か??」と返信したら、「保険証」だという。また突飛な話だが、母が私に必要だと思って渡したものであるものの私自身は不要であるので、渡すこと自体は構わなかったが、それと別に、渡したくなくなるほど母の態度は気に食わない。突飛な話であることや、渡す必要性を示した明文がないからである。ただ、とりあえず渡しておいた。ちなみに今日の彼らがどこへブラブラしていったかということを聞こうと思ったが、私に言うのは嫌なのであろうから聞かないでおいた。

17時20分台に部屋の暖房を付け、おかゆの再加熱を始めて2分以内に母が別の話を持ちかけてきた。母親はわざわざフスマを開けて室内をジロジロ見回すことも多いから、できればその室内の様子(暖房・調理)が母の目に留まらぬよう立ち塞ぐ。調理中に部屋の窓も開けようというのに、どうして間が悪いことばかりしてくるか。間が悪いといえば、保険証にしてもつい2日以内に面倒な位置へ封印したばかりであったところ、あんな話は煩わしい。

18時半以降、画像編集作業に没頭した。ちょっとした作品とするノリであって、実際に長時間かかるものでないにせよ、画像編集に計1時間半集中することはそうない。まずはPixiaでイメージを手抜きでも良いので素早く描画し、MS Paintで手軽に位置調整などをしてみたり細かく描写したり、次の発想としてGIMPで既存の素材(今回の画像がとある楽曲のイメージであり1年以上前から浮かべていたため少し前から事前に用意していた素材)を加工して合成し、PhotoScapeで色調をいじったりその他もろもろ・・・。



2016/01/17

本日は3時40分台に起床した。最近、記録意識が少々欠けているように思うので、気を引き締めなおさないといけない。まあ、色々な能力や精神も似たように劣ってきたように思ってはいるから、なかなか自分の「感覚」がマイナス思考のようになっているだけであろうか。ともあれ、客観的に自分の活動を精査しても、イマイチという印象は拭えない。

10時ころからダラダラと勉強関係を覗いていたが14時前に1時間ほど取っていた姿勢を変えようとして足に力を加えると、どうにも右足が動きづらい。無理に動かそうとしたら、バランスが崩れてきたのでゆっくり倒れておいた。私は近頃痔についてはあまり悩んでいないが、それは蹲踞の姿勢を取ってPCをすることが多いからである。蹲踞・体育座りという姿勢をする理由に、サマタ・パヴァナをも兼ねているが、これに効験がないのは残念である。かかとや足首に負担がかかる姿勢だとは思っていたし、実際にかかとが痺れる(想像が付きづらいであろうが本当に痺れる)ことも多かったが、今回のような状態は初体験である。




2016/01/18

本日は6時21分に起床したが、思えば深夜早朝に幾度か目が覚めることはあったであろう。無論、この寒波による強風のためである。それも、7時過ぎには弱まっており、やや雨音が強い程度である。一方の雨といえば、前日21時前までに当地で降り始めていたが、当時の風は気になるものでなかった。7時半前の小学生登校班を見れば、児童らは傘を差していない。気持ちの悪い天気だと思う。雨が強まって風が弱まったり、風が強まって雨が弱まったりといことを繰り返している。

弟が7時半過ぎに投稿を始めてから、母親はだらだらと前日夜のカレーを食べたりコーヒーを啜ったり、2階へ上がったと思ったらすぐに降りてきて歯磨きを始めるなど10時まで続いた。前日から、できそうならという程度には風呂(シャワシャン)を行うことを視野に入れていたものの、今は想像以上に遅れているし、今日も前週の木・金のような弟の早い帰りは考えられなくない。

11時23分に母はどこかへ発車した。11時半過ぎから、早めに終えるつもりで風呂(シャワシャン)を始めた。12時半ころには自室に帰ったり問題なく髪も乾かすなど諸々の作業が済み、弟は木・金とほぼ変わらず13時5分に帰宅した。13時33分に母が家に着いたが、どうも自室付近をウロウロして様子がおかしい。一旦自室南側に花の鉢を置いたりしたのはなんであったか。母が玄関のドアを開けたのは13時45分となる。

本日は朝の起床後に風呂場の確認後、下剤1錠を飲んでいた。風呂(シャワシャン)時にも腹痛などはあったが、最初の具体的な発現は14時台後半の料理中である。非常に排出しづらく、その時は軟便を僅かにひり出して終えた。続いて15時台後半にも危険な雰囲気を察知してトイレに入ったが、やはり排出しづらい。とはいえ、先の1回よりは出た。このようにもどかしいパターンもあるが、クソの質の問題か、アナルの問題か、もっと奥の筋肉の問題かさっぱり不明である。

16時ころ、ちょっとしたルートを組んで金銭消費の可能性も含んだ外出を本日中に実行する案が固まった。15日の外出で初めて存在を確認したアレを再度見に行こうと、到着の時間としては19~20時半を選ぶ。まず17時0分ころからか17時50分過ぎまでPC前にて仮眠を取った。18時前には元々用意してあったインスタントコーヒーを淹れて飲んだ。18時57分、尿意と便意に一抹の不安を抱えながらも「1500m走は走り続けているうちに最初はすぐ胸が臓腑が痛もうとも何とか完走できる」という、昔時に経験的に構築された理論を胸に、勇みだした(服装は部屋着スウェットの上に余裕のあるパーカーとパンツを重ねて着てマスク・ニット帽を装着した)。外は雲もがほどよく浮かびながら、東の空にオリオン座も半月も確認された。目的地では5分以上あたりを行き来しながらも、3つの設置物を何とか確認して帰路に着いた。

19時20分の帰宅後に、いつも通り靴をビニール袋に入れて部屋に移す前、今回は雨上がりということもあって念入りにスニーカーの靴裏を確認すると、左足のかかと箇所に何やら黒くて複雑なものが見える。普通なら、ゴム素材などが削れたものとも見られるが、これは少し湿り気が感じられるし、何となく触れてしまった。触れたこととは関係が無いが、即座にこれは潰れたクモなのだと分かった。当該箇所を玄関のタイルにしつこく擦り付ければ、その肉がポロポロと付着することからも、その線が濃厚となる。やはり雨上がりの外出は、因果関係はともかく控えたほうが良いと思う。ましてや私が外の世界に関わりすぎないほうがいいのは生来充分経験則ありきの事理であるというのに、こうやってわざわざ外出の頻度を増やすことは自己の理念を否定しかねない。とはいえ、これからも外出・散歩の訓練を積んでおきたい一面もある。果たしてどちらが私の菩提のためとなるのか。外出して物を買う訓練よりも、家で物を食いつぶさない修行をした方が効果的だと、閑居求道者なら知らねばならないか。

不思議なことに猛烈な尿意なく過ごしているが、20時45分には雑事を済ませて後、寝ることを視野に入れた小便でもしようと思ったところ、母親が先にトイレへ入った?ような挙に出た。ちなみに大の便意は便りがない。



2016/01/19

本日は1度、5時20分に目覚めたが、昨晩就寝した21時台(入眠は23時前)はとても風が強く、18日の起床時と同じほどか。今朝も強風ながら、普通よりやや強い程度の風であり、雨なども伴っていない。8時過ぎ、それまであえてしなかった朝食の準備を始めようと、何をどう用意するか考えが固まって部屋のお椀と片手鍋を携えて部屋のドアを開けた瞬間、人を困らせることしかできないババアが1階へ降りてきた。これだけでも糞タイミングで迷惑であり、別に私はそれまで食べるつもりが無かったから後先も食えずによいが、人が動き出したら妨げに来る精神が気に食わない。しかも、無駄に朝の挨拶をしてきた。毎日するのなら勝手にすればよいが、今日に限って人を小ばかにするように挨拶をしてくるのは不条理の極みである。

あまり食べることを考えないよう、真面目に創作関連作業をしている9時43分に突如PCが強制終了した。熱暴走といえばそうかもしれないが、相変わらず一つの原因には特定できない。強制終了した直前の動作がMIDIファイルの保存処理である。強制終了から3分以内に2度の起動をしていずれもすぐ強制終了した。一旦、トイレで用を足すなどそれまでせずいたことを済ませて再度立ち上げると、まあ別状は無い。スタートアップ修復(小5Vista時代に役立たずと思った機能、物理的原因には当然効能なし)だか、通常起動後も特有の鈍さがある程度であった。

11時前、トイレに再度入る折に1階でキッチン棚をいじっていた母が2階に上がりだした。母もトイレなのであろうが、その間に水を汲み、料理の材料を一部調達してきた。それからしばし後、ほかの必要な材料も取ってきて調理を始めた。材料は普通のスパゲティ8等分に折ったもの、小麦粉、ワカメ、塩、水、牛乳を各種適量で「パスタがゆ」でも作ろうと前日から考えていた。手順を省略するが、完成品はクリームシチューのような味わいであり、長時間茹でたわけではないので、スパ食感もおかゆとは異なる。途中から粉末ダシなど部屋の調味料を適宜加えた。このようなら、冷凍食品のブロッコリーなどを使っても合うように思う。

15時台、本日の外出予定(ゴミ出し&自販機通い)に先駆けて、コーヒーと僅かの菓子、それに外出の腹ごしらえのための即席ラーメンを未調理でかじるなどしたが、即席ラーメンはうっかりというか何と言うか、半分近くの量をかじってしまった。今日はあまり食べずに過ごした反動が出たとはいえ、自分でも後々の食事に臨みづらい量を口にしたことは少々後悔している。今回はラーメンを外出の腹ごしらえとはせず、帰宅後のご褒美のようなものとして調理しようと考える。比較的よい食品を「外出の腹ごしらえ」とする習慣を、たまには打ち破ってみるのもよいと思う。

17時30分台に外出した。空模様は、中央東の月が雲に霞みつつ割と晴れているようでもあるが、南の空は暗く重たい雲が圧し掛かっているように見えた。ゴミ出し・自販機通いとも無事に済んだが、袖が緩んだ部屋着スウェットには寒さが峻烈に過ぎ、自販機での作業は通例として少なくとも片手の手袋を外す必要があるから、右手はかなり冷えた。



2016/01/20


本日は4時28分に起床した。雪は降っていないが、ここ5日ほど21日に雪が降ることを期待しているし、積もることも僅かに予想される。4時台のうちに1.5合の炊飯を行い、0.5合ほど食べ、0.5合ほど茶碗で保管し、0.5合ほど茶粥として仕込みつつ鍋に保管する。6時20分台に外を見ると、それなりに雪が積もっていた。ものの1時間半で降った量が積もったのか。私が住む豊橋市の近辺では2015年1月2日以来の積雪となる。今日ばかりは前回と違い、寝正月の小中学生らも積雪に気づくこととなろう。

7時前、空の光が地上をピンク・オレンジに照らしてきたころ、向かいの子らが雪に興味を持って外に出てきた。7時過ぎにもなると、ところによって雪は解けてきているが、降る量はいや増しているように思う。降る多さと積もりやすさは反することもあるとこの様子からよく分かる。7時半ころに雪は止んだが、子らは遊んでいた。弟も1度1階に降りたりはして母の声も聞かれたが、学校に行く様子は無いまま7時50分過ぎに私は軟便・下痢を出してきた。下剤1錠を前日の寝る前(20時20分ころ)に飲んでいたが、今回のものは18日に飲んで1錠の影響の余波も含んでいよう。8時過ぎなおも子らのはしゃぎ声が聴こえ、弟も登校しない。まさか、この程度の積雪で休校か授業開始遅れでもあるというのか?暴風雪警報が出ているとはいえ、豊橋で関東のごとき大雪などあるべくもないことは、5年も住んでいない私ですら容易に予想が付く。前の家での通学路は、冬場にアスファルトの積雪や、雪が止んで翌日は路面凍結など当たり前であったが、豊橋ではいずれもよほど山沿いでもなければ起こりえないであろう。

ここで、某サイトの「雪(冬の季節感)」がテーマの楽曲の個人管理識別番号をまとめて載せる。26, 150, 196, 238, 250, 352, 398, 406, 411, 473, 512, 513, 514, 543, 594, 601タイトルに「雪」を含むが印象の異なる曲39, 40 合うようで合わないような曲28, 109, 333, 355, 380, 389, 429, 464, 470, 522, 534, 579

12時前から仕込まれた茶粥の加熱を始めた。そのあたりで、自分のクラクラとした感覚を覚えてくる。関係ないが、午前中は記録にもある排便のほか2度排便した。連日の外出による感染症の発現ではなかろうことを祈る。

13時前、母が家を出たが車に乗ったまま発車しないで、地図を広げたりしている。普通の買出し日であるはずだが、ほかにどこかへ寄るのであろうか。13時13分、すでに母は発車したが、ヤマト女性配達員Y(いわゆる6月3日の人)が来た。弟は結局、今日の学校が無いようであるから、当然彼が受け取りをした。ヤマト発車後に、工事現場関連のコンクリ車1台がやってきたが、すでに同じ現場にもう1台いる。そのもう1台が現場を発とうとすることで、やってきた1台が家の前に5分ほど停まり続けた。今回到着した、見慣れない白くて広い箱を確認すると、「衣類」との名目である。2015年10月以降のネットショッピング利用で「衣類」は一度も無かった。食品・植物・絵や模造植物などの置物がメインであるからである。

15時10分過ぎに母が帰宅したが、私は直前に音楽動画の投稿をした。母が車を出たら、私の部屋の窓がノックされ、リビングに呼び出された。弁当を選んでほしいとのことであったのであるが、私らしく少し悩んだ。ほかにもう1つ弁当があるとも知らされず、量の多い方を選んだ。今回の食料は、いつもの牛乳2本のほか、その弁当2点とデザート1品である。このように豪華である理由は、当月中の誕生日のためである。なお、それから母と弟に口論が起きた。どうも、弟から新品の靴を頼まれていた母であるが、買った靴のサイズは28cmで、弟は29cmか30cmが欲しかったそうである。そのことと関係があるかは不明だが、短時間ながら口論や弟の怒りが見られた。それにしても、なぜ弟は異様に大きなサイズの靴を求めるのであろう、彼の中学進学時の新調スニーカーは28cmであった経緯を思い起こしてしまう(中2になって26.5cmにサイズダウンしたというのに、詳細は6月24日メモ追記2)。ところで、時間が経って再度耳を傾けると、弟が受け取った段ボール箱を玄関ではなくリビングの絨毯の上に置いたことが母を怒らせ、これが原因らしい。母は、よく段ボール箱を「汚いもの」として扱う。

明日に散歩をしようと予ての構想をより詰めようと、展望のため市内を漫然とストリートビューしていたが、たまたま心霊スポットに当たった19時前、Google地図利用特有のPC異常の前例をフラッシュバックし、PC内部温度を怪しむと、やはり97だとか101度(いい加減に誇張する場合もあるが)などといった異常な高温を確認した。即座にスリープして1分後に起こし、とある操作をするや、今度は強制終了という不本意な結果を迎えた。少し待って起動すると、ファンの音が不気味なものと化していた。心霊スポットとの関連性はともかく、嫌な話であろう。中途の作業も、バックアップがあるとはいえ、連日こういった事態に出くわすことは御免蒙りたい。



2016/01/21


本日は6時38分に起床した。前日の弁当2点のうち、1点(海鮮丼)は前日中に食べ切り、もう1点(チキンカツ・鶏照焼の弁当)の残り半分ほどを朝食とし、前日半分ほど突っついたデザート1品もこの朝に残りを食べた。部屋に置いている菓子を前日からプリン箇所などに差して仕込んである。いずれも熱い緑茶とともに食べた。8時40分、風呂(シャワシャン)をすべく風呂場や洗面所の確認をして、条件は良くないため本日の風呂(シャワシャン)は控えておく。風呂(シャワシャン)を今日した方が良いという内にやっておくのが吉ではあるが、できずとも構わない。ただ、明日の朝6時ころから入るべき案が生まれるほか、今日中にすべきことにも何らかの差異は生じるであろう。

10時台から急ごしらえで音楽館記事を起草し、11時10分ころに投稿した。その間、CSSだかHTML調整ほか、過去の音楽館既存記事2本の追記、音楽動画説明文いじりなどもした。本日には散歩予定があったが、今日実行する必要は無いとして却下した経緯がある反面、これで活動怠慢罪の罪滅ぼしとなればよい。一方、本日はバカ食いと1ヶ月ぶりのオナニーをする日とも定まってはいるが、音楽関連の作業時は食事のことなど微塵も思わず没頭していた。やはり集中する時は余事を考えないから、徒食に夢中ならば作業の機運が落ちるのであろう。ところで散歩案のメモ「○○自販機見物はたまたま途上にある面白い設置物への寄り道であって目的ではない、よって仮に見られずとも悔しく思ってはならない」。

11時40分からファンを安静にすべく、昨日発生した不気味な音というものはノートPCを開いた状態でもキーボード側のボディが手前100~180度回転によって静音となることに気付いているため、開いたままひっくり返した状態とした。次に、片手鍋にたっぷりの牛乳を張る(1パックの6分の1程度のようだが)。独り言で常々「試す日々」と唱えているとはいえ、これしき料理の範疇、としか思えない人もいるであろうし、奇行というほどでもない。牛乳は、加熱してはコーヒーに入れたり、新たに張りなおしてを湯葉や焼きプリンの膜のようなものを作るなど、色々試した。12時前にPCを元通りにすると、高熱部はGPUが46度とされる以外は40度を下った。だが、それから利用を続けて温度が上昇してファンが回転が強まって不気味音の轟音が続いて、同様に高熱部が40度を下ることもあったりと、件の静音化措置の効果と変わらない面もあった。

14時前、トイレのため部屋を出ると母がどこかに電話していた。どうせ苦情か何かであろう、と思ってすぐトイレに入った。トイレを出たときには話が止んでいたようでいたが、、母の携帯電話がまた着信アラームを鳴らした。数分後に水を汲むため電気ケトルを持ちながら部屋を出ると、やはり通話中である。水を汲んでから耳を傾けると「2年間3年間○○(下の弟の名前)の担任をしていて何を見ていたんですか?わからないなら何も見てないってことになりますよね?情緒障害って、あなた精神科医でもなく、誰が決めるものなんですか?保護者が・・・」等と、母らしく不満たらたらの詰問をしていた。フラッシュバックするのは、2015年9月か10月ころの通話・・・当時のメモを見ると、9月14日に弟の中学校の校長が来たという記録において似た趣旨の記述が見られた。ところで、今回の通話相手は、母の話からするに特別支援学級の男性教師Oであろうか。女性教諭らはこの3年で変遷があるが、彼は不変であって一番母の攻撃を受けている。

15時過ぎまで、某サイト活動関連で腐心の作業をしたのち、冷蔵庫に保管していた「煮沸により凝固たんぱく質も水分もかなり抜けた牛乳」に、購入後常温放置のエナジードリンクを注いだりするなど、15時のおやつらしき時間を楽しんだ。そのおやつ前から、牛乳の多量摂取のためか下腹部の違和感があり、先ほどの変質牛乳と、このエナジードリンク1缶(355ml)の7割ほど飲んでからはそれがいっそう強まった。元々炭酸系エナジードリンクの多量カフェインを恐れた時期が2013年末などにもあったとはいえ、やはり久々に飲むと不健康な印象を再起させる。なお、16時前後も母はどこかに電話していたが、それ以上気に留めなかった。

18時過ぎまで、やはり某サイト関連の作業に没頭していた。それまでにトイレに小便として何度も通ったが、毎度量は多めに排出される。それはともかく、今度は牛乳を少々鍋に張って、チョコを小麦粉生地で包んだ菓子を強く煮込んでみた。強く煮込む、高温で茹でることには大いに意義がある。即席の油揚げラーメンだって、低い温度のお湯、極端に言えば水に浸けているとふやけてしまうし、沸騰して茹だるような温度が最適であろうとの仮説でこれを行う。昼も別の菓子で試したが、やはり煮崩れはしなかった。今回の物は少量を冷蔵庫で冷やし、翌日に確認してみる。

某サイト活動の意気込み「これからすることに何ら後悔は無かろう。元々成功などの種は断たれている。玉砕必至・決死の覚悟を決め、後は実行あるのみである」19時ころ、部屋に生姜焼きの臭いが漂ったのでトイレついでに廊下で嗅いでみると、やはり生姜焼きの臭いである。生姜チューブなどがどこにあったのであろうか。21時前、弟の怒号が聞こえてくる。水を汲みに部屋を出たついでに、冷蔵庫を探っても生姜チューブや摩り下ろされた生姜などは見られない。冷蔵庫には食べかけの生姜焼き丼があるのみであった。



2016/01/22


本日は4:50のアラームに目覚めて4時56分に起床した。ただ、アラームの鳴る前から薄らと意識があったという感覚が残る。なお昨晩の睡眠状況メモ「作業に没頭したこともあってか腰痛が著しい。カフェインの影響か眠りづらく、23時過ぎなおも考え事が続く。その間、カフェインの影響で下腹部の違和感は絶えない。ガス発生はあっても便意は無く空虚に思う」起床後は、風呂(シャワシャン)の予定のため風呂場に問題の無いことを確認してから、前日の予定通りの朝食を取った。1月20日の朝に炊いて茶碗に保管したご飯である。電子レンジで加熱する前に下ごしらえをしてキッチンの金ごま・桜えびを飾ってごま油をかけた。部屋に戻ってからも持ち寄ったごま油や醤油、部屋にある唐辛子などを加えたりもした。ご飯加熱前からワカメの味噌汁も調理を始めた。

6時16分、色々とすべきことに一段落がついたので風呂(シャワシャン)の準備を始めようとすると、2階で俄かに弟の動きがあった。タイミングが最悪で、水を差された思いである。とはいえ、元々7時以降から風呂(シャワシャン)を行う案もあったため、予定上は無問題だが、こういうタイミングは気分を盛り下げられる。6時40分ころから風呂(シャワシャン)を始めた。8時過ぎに部屋へ戻ってきたが、色々作業をして8時20分過ぎに髪のドライヤーがけを始めようと心で決まりかかったところで母親が1階に降りてきた。誰も彼も障害を差し込み、実に間が悪い。

本日は起床から9時台までに2つのメモ帳記事に計1,000文字超を加筆した。1,000文字ということは最近の日記メモ1日分と特段変わりがないかもしれないが、追記や加筆という上ではまた価値があるほか、その内容にも富んでいる。更新記事は2015年2月6日と同年7月3日である。前者については既存の追記項目への加筆である。10時以降、外部サイトでこの加筆2点に関連した内容の文章(HTMLベース、画像など)を2本起草して、13時までにはいずれも投稿した。途中には別の作業も挟んでいた。昨日といい今日といい、横野真史名義の傍系における活動に注力することとなり、気分が重々しい。傍系に労力を費やしてメインの活動が遠のくことはもちろん、痔の悪化が懸念される。13時台から、更に別の既存メモ帳下書き記事(今月中に投稿予定)の加筆やそれに伴う調査に没頭して1時間以上が過ぎてしまった。それから、自分の鍋に用意してある小麦粉・クリームシチューの素などに牛乳を加えて混ぜ、焼いたものを食べた。シチューのようでグラタンのようでホットケーキのような食感・味わいである。

15時10分ころ、似たような材料の調達にキッチン鍋を片手に赴いたが、今まで2時間以上1階に居なかった母がタイミング悪く1階へ降りてきた。私が材料を持っていることが気付かれれば無用な争いに発展しかねない。母はニタニタと「ナニシテンノー???」と近寄ってくるので、「すぐ(俺は)消えるから一旦ドアの向こうへ行け」と叫んだ。再度材料を用意すると、小麦粉の様子が何か違うと思った。先ほどのときや1月19日の小麦粉を溶かした「パスタがゆ」のときは、とあるプラ容器の小麦粉を使ったが、今回は紙の袋の小麦粉である。元々プラ容器小麦粉を最初に使ったときから、細かいパン粉のような印象・違和感を覚えていて、当時「小麦粉ってこんなだっけ?」と思った。やはり、何か違う性質らしい。今目の前の「これが小麦粉」と言える小麦粉=粉がサラサラで細かいものを見て不安に思い、プラ容器小麦粉も追加で入れた。窮地にあるのでそれ以上、製品の容器を見比べたり情報の検分もできないため、ペットボトル緑茶などを注いでそそくさと退却する。夕食にするとはいえ、さあどうなろうか。

せっかくなので同じメーカー日清製粉の製品を調べると、プラ容器は「フラワー クッキング=顆粒タイプ」、紙の袋は「(単に)フラワー=粉末タイプ」といった違いである。薄力粉・強力粉の違いではない(どちらも薄力粉)から原料は違わないし、大きな問題はないと思う。2種類あるからと、母が特性の差を知って使い分けているとしても、焼き上がりなどに大きな違いが生じるというわけではない、というか母はどういうつもりで2種類とも買い続けているかは不明である。

16時10分ころ、ケトルに水を汲んだり、コップに塩水でも入れようとキッチンに出るが、まずコップ(いつものムーミンカップ)が手から滑っていったため落とさぬよう膝で受け止めたが、降りかかった手が脅威で、右膝サイド・左手人差し指付け根を痛めた。塩水を飲もうとしてはいけないのか、と思った。キッチンで塩を準備しはじめると、本日3度目の母の邪魔が入った。邪魔だとか書きたくないが、書かせる魔がいるのだし仕方がない。「すぐ去るから」と言っても「親子のコミュニケーション~」などと無駄口を返してくる。それでいて自分からスタスタ2階に戻ってゆく。魔そのものではないか。塩水を飲み始めてから全身が悪寒というか冷えに襲われた。また、PCのネット接続も、よくあることとはいえ狂いだした。塩は何か冷やす効果がある(何かというくらいだから自分でも認識不足)とはいえこの冷えとは無関係であろう。検索しても、科学だか人体だかの俗向け情報(健康など)は、まともに関係のあるものがヒットしないいつもの帰結に終わる。

17時過ぎから緑茶・小麦粉2種・生地を焼き始めた。色々牛乳や水など加えたり部屋の粉末味噌スープを散らしたり焼いたり、と繰り返して「餃子の羽根らしいもののついたお好み焼きのような外見となったもの」を、ちぎり分けて海苔をはさみながら重ねてオーブントースターで焼き直す。今度は何に似るかといえば、チヂミのようである。


18時半前、本日は散歩計画がない日であるが、現状から自販機通いと缶飲料のゴミ出しでもしようか、と考え付いた。ほか、唇がやや割れそうなので寝る前にリップクリームを塗ったり、翌朝に下剤1錠飲もう、といったことも決まった矢先、尿意を感じつつ屁を一発かまそうとした。小便が漏れそうな気もしたが、そんな経験は無い、そう思うと下痢がズルッと漏れた。色々真面目に考えていたというのに、なぜこういった予期せぬ問題が発生するか。特に、風呂(シャワシャン)をした日に漏らすことが多い(2015年8月1日など)。次いつ風呂(シャワシャン)があるか分からないというのに、困る。今回もやや慣れた手つきで処理し、パンツは先に水洗いをして洗濯カゴに出した。いつもそのように、概ねの汚物は先に始末をする。

19時10分に件の外出を行い、買うべき品は順当に買ったが、帰路でE家の車とすれ違い、別の角からはI家の老婆がヒョコヒョコ現れるなど、おかしかった。



2016/01/23


本日は6時58分に起床した。前日からの朝食予定として、小麦粉を使った生地でブロッコリーを巻くか挟んで食べる料理を始めた。材料である小麦粉とブロッコリー、それに糖類・・・元はエリスリトールのほうを取ろうと考えていたが、冷蔵庫内にある練乳を見て、これを使うこととした。部屋に戻り、鍋で小麦粉と牛乳を混ぜ合わせ、隠し味としてタラ~っと練乳をかけてゆき、焼き始める。今回使うブロッコリーは当然ながら冷凍食品で、今回の袋の中には小さめのものが多かった。小さいほうがこの場合使いやすいし、何か大きく熟れても困るし、問題はない。お椀に入った4つのブロッコリーに沸騰したお湯を満遍なくかけ、お湯はすぐにコップへ移し、ブロ椀は開放した窓のあたりに移動して冷ます。生地は焼け具合により適宜裏返すなどして、出来上がったらブロッコリーを載せ、練乳をかけ、巻くか挟むなどで食べる。今回の味わいは、クレープにもワッフルにも似る。クレープにしては厚く、ワッフルにしては薄くて気泡もない(ふわふわ感がない)ので、どう呼ぶべきか。

12時46分、母がどこかへ発車した。弟も同行しているかもしれないが、不明である。それから間もなく、前日のお漏らしでやや汚れた箇所を念入りに洗いなおした。前日の洗い方は応急処置に過ぎず、不満足の汚れ落ちであった。よって、今回は温水で徹底的に濯ぎ落とした。13時前からまた小麦粉生地焼きをした。今回は牛乳の比率をグッと高め、エリスリトール液糖も多めに使った。加熱面だけ焦げ気味の焼き上がりで、あとはまともに固まらなかった。次回夕食のときにリベンジするが、牛乳・加藤練乳適量の2回分を用意した。明日以降も小麦粉焼きをする場合は、部屋の粉末ダシや粉末スープなどを使うのもよいし、しょうゆ・ごまなどを混ぜた生地を作るのもよい。糖類・インスタントコーヒーを混ぜたスイーツでもよい。あとは、母が常飲しているブルーベリーカプセルの中身を取り出して使うのもよい。13時40分台、細かい雪が降っているようであるが、みぞれかもしれない。16時10分ころに2人は帰宅した。

17時半ころから、夕食として小麦粉生地を焼いたものを食べたが、前半と後半の2つがある。前半の1つは割愛する。後半の1つは市販菓子を挟み、再度オーブントースターで加熱したものを作った。その市販菓子のフルーティーなクリームと生地の香ばしさが加わって、上出来であった。

今日1日、創作意欲などに乏しかった。朝目覚めの頃には何らかの発想があったが、それが曖昧になったまま時間が過ぎ続け、倦怠感も強かったのであろう(理性的にそう思うだけで、口から「だるいな~」などと呟くほど顕在的ではない)。ただし、2つほど既存の顔イラストをいじって別の表情にする加工をしたものの出来栄えは悪くない。目覚めの頃のイメージが逸れて、ふと手を伸ばしたというきっかけであった。19時10分前に寝始めようと思った矢先、2階から誰かが降りてきた。今日の母・弟は、母がコーヒーと菓子をつまんだり、弟が朝食のパンを食べた以外は家で何も食べないばかりか、前日夕から茶碗1杯分の僅かなご飯を炊飯器に残したまま(今の母は容器を移さない人だからこのまま釜に残し続けているせいで私は炊飯の機が稀)で夕食の料理もしないでいたというのに、こんな時間になって何であろうか。1階に降りもしなかったくせに、今更動き出されて煩わしいことこの上ない。安らかな気持ちのままに眠らせてほしい。



2016/01/24

本日はまず、止めた1:10ネタアラームの手前でイライラする夢を見ており、次に3時台から意識があったりなかったりし続け、そこで4:50のアラームがあってようやく起床に至った。朝食(例の如く小麦粉焼き)や作業など挟み、6時30分ころからまた横になった。ここでの独り言の概略を書く。「不可」は訓読すると「(○○す)べからず」というようになるが、これは複数の否定的推量形を含む。「推量」の配下に「してはならない=否定的命令」、「断じて・絶対にすることはないであろう=否定的推断」、「できない=否定的可能」などの意味が分化する。命令・推断・可能いずれも本質的にニュアンスは異なるとしても、本源的には同じようなものである、と。

11時過ぎからまた小麦粉焼きを作って食べた。今回は、とある米菓を粗く潰したものや塩少量・粉末スープ(しょうゆ)・七味唐辛子を混ぜたミックス粉を、いつも通り牛乳で溶いて焼いた。やはりムニッとした生地になるので、今回は折ったり重ねて海苔を敷いたものを、追ってオーブントースターで何度かチョコチョコ焼いてみたり余熱に置いたりなどで堅めにした。味はイカやエビのようであり、食感はせんべいのようであり、唐辛子が効いてスナック菓子らしさがあるが、私が作ったことによる独特の風味が残っていて違和感もある。

17時50分過ぎから自販機通いを行った。Yahoo!天気の当地・豊橋(愛知県東部)では、今朝から今夕までずっと最高気温3度と表示されるほどで、自室もいつも以上に寒くあり(それでも午前9時ころから15時くらいまでは暖房を止めていたが)、外ならなお寒し、と想像に難くない。正午以降雲ひとつ自室窓からは見えない日中が過ぎ、今も同様である。寒中の訓練というつもりで、4品を買うこととし、いつも通り使う小銭はセットして挑んだ。家を出ると西のほうには雲が僅かに見える。市道に当たる角のK宅で若い女性が「イッてるし~頭が」などと車のそばではしゃいでいた。今日はほかにも通行が多く見られたが、自販機に着いてからは少し収まる。やはり目的の品はデジャヴュなこと(1月13日メモ)に、4品目を買おうとするとあの遅れ表示「売切」となるが、最後1000円札で釣り切れにならなくてよかった(当該品は160円、先に840円の釣銭が出て、次に購入分160円が出されることは)。この作業で、常に手袋を外された右手は手の甲で疎らに霜焼けができた。今回の外出は清清しくも感じられたが、霜焼けは惜しく思う。

帰路につき、家の前に着くと、2階で弟が降りてこようとする動きがあったのですぐドアを空気抵抗無音、素早く閉じた。やむなく軒下で1分ほど待ってみれば、弟が1階トイレを出て1Fリビングへ抜けた。それから家に入ると、今度は外出前に1Fリビングで料理か何かしていたはずの母が2階から「○ちゃんお帰り」などと呼びかけてきた。母の悪癖で、2階にわざわざ糞しにいくせいで今回のグチャグチャ問題が発生した。




2016/01/25


本日は4:20, 4:30のアラームを止めていき、4時31分に起床した。やはり、楽や惰眠を貪りたい気持ちはあっても、すべき予定を前日より託され、予定時刻に早く行わねばならないから、その義務感だか使命感で怠慢を断つべきであろう。ちなみに、本日も夜中のうちには何度か目が覚めていたように思う。ここ数日以上前から天気サイトで当地は24日夜~翌朝の間に降雪の可能性もあったが、早起きして確認する外も、6時半ころに向かいT家主人が車を出した時も、積雪は全然感じられず、後者の時は自宅の車体や自宅前の路面が些か濡れているように感じるだけであった。前の1月20日よりもずっと寒い昨日と今日であるが、雪については前日メモの通り快晴であったり、今朝はやや雲が広がり気味の晴れであるなど、全く積雪の起こりえない気配しか無い。

10時20分過ぎから、就寝前・起床後の各1錠ずつの下剤攻め効果発現のためトイレへ向かった。当然その前から長く断続的な痛みはあった。トイレにいる間、母親は幾度とバタバタと1階2階を昇降した。11時前に母は車を出した様子であるが、そのあたりでついに少量の下痢へ至った。それを機になぜか大きく脱力してしまった。11時4分にようやく部屋へ戻った。

11時40分前まで料理の作業など色々時間をかけて風呂(シャワシャン)の準備を始めた。早めに出て12時50分頃には部屋に戻らねばならない2つの理由があるから、ある程度急いだが、その努力は虚しかった。12時46分ころに母親は帰宅してしまい、脱衣所で体を拭いているところ、怪しかったのでドアノブを押さえた。やはり母は脱衣所の洗濯機に用があるだとかのことで、風呂場に退却した。その後、「前からの不満」とすることを複数グチグチされ、簡単に用件を話せばいいのに尻込みしだしたり、無駄口を叩いたり、そんな母親を正しながら聞けば「暴れたり反発しそうだから何年も我慢していた」のようないつもの戯れ言をこぼすなど、鬱陶しいことこの上も無かった。毎度、母の理不尽加減に呆れながら、住まわせてもらっている身である私は甘受している。というのにあんな思い込みが過ぎる心ない人間であるから、母の要求を飲んだ旨を再三伝えても、ぶりかえしてくる。よほど不満に思うことを当人へ執拗に押し付けたがるクソゴミクズババアというほかない。

13時20分にも、髪を乾かし始めた途端に部屋のドアをノックされ、返事すると「今すぐOOXXって洗剤触ってごらん!一度でもいいからアレ使って洗濯してごらん!ビッチョビチョだよ毎回!暴力はやめてね!何年も前から・・・」といい加減な無駄ごとを連発し続けていってその場を去った。私は返事以外何も言葉を発さなかった。その洗剤は今日、風呂(シャワシャン)の直前に触ったばかりである。何だというのか。普段自分で洗濯する際、その洗剤を使っているが、母は私が使っている前提でそう言うのか、使っていない前提でそう言うのか不明である。何が伝えたかったのか。やはり不満に思うことを当人へ執拗に押し付けたがるクソゴミクズババアというほかない。

13時40分前から料理を始めた。風呂(シャワシャン)前に準備・下ごしらえをした材料で作る。ムーミンカップには練乳(適量)とブルーベリーカプセル(1錠の半分)中身を混ぜたもの、お椀には小麦粉(適量)とある程度潰したオールブラン(適量)に、牛乳(適量)とブルーベリーカプセル(1錠の半分)中身を加えて混ぜたものがある。お椀のほうの物体を順当に部屋の片手鍋で焼いてゆく。出来上がった生地を箸で切り分け、パンケーキ・ホットケーキの要領でムーミンカップ内の液体をかけるか、液体に付けて浸けて食べる。ふにゃふにゃな生地は別途オーブントースターで焼く準備をしておく。2・3枚ほど液体を挟んで重ねる。後の時間まで徐々に加熱して、硬化を待つ。

17時台、小麦粉・クリームシチューの素・砕いた某じゃがいもスナック菓子を牛乳で混ぜたものを焼いた。そのスナック菓子の色あいも相俟って、去る12月~年始の頃に9食を食べたカップそばの天ぷらを想起させる。そのスナック菓子の含む脂肪分により、焼いた生地を直に触れると油が手に付く。今までの小麦粉焼きの脂肪分は牛乳などに僅かに含まれる程度である。それから、今回のスナック焼きとあのブルーベリー生地のものとを一緒にオーブントースターで加熱した。前者は味わいも食感もピザ生地のようになった(ふっくらさが無いところは最も似ない)。後者は周りがかなり硬く、中はブニッとしている。



2016/01/26

ここ数日の倦怠感というか、それを打開すべく、早寝早起きを前日19時台に期待し、2:10, 3:50, 3:56, 4:20, 4:30のアラームを構えた。3時台に設定されることは久々であったが、どうなるものか。独り言を20時過ぎまで続け、早々に寝付いたことはよいが、母親の1階乱入とテレビ音声により目覚めた。それは21時50分のことであり、番組は文字通り月9というやつか。それから日付が回った以後にも1度や2度目覚めはした(ここ数日のメモもそうだが、エアコン暖房タイマー予約起動が作動しているかいなかで概ね時間が掴める)が、結局昨日より遅い5時10分に起床した。夜中2~4時ころに起床して少し遊びで気分転換を企図していたというのに、残念である。

5時24分から考えがまとまって朝食準備を始めた。茶碗1杯少量のご飯と1人前強の味噌汁(具はワカメ)、ご飯にはキッチンの塩昆布を載せて食べたが、これだけでも腹いっぱいで吐きそうな気持ちになった。満腹感が続くならそれでよいのだが、そうもいかないのであろう。近頃の生命力の乏しさには我ながら悲観視を禁じ得ない。

6時40分台から30分以上、止観というか、私の信奉である法華を念じる三昧を行じてみた。これは、2015年5月のとある一件以後「観念勤行」という方法を浮かべたことの実践にも似る。惰眠や徒食を克服すべく、このように「やや静かな環境を作って結跏趺坐っぽく座り、経文・題目を念じる」というものである。今では十如是・自我偈を諳んじることができても、口に出さない点においてまた難しさを感じた。途中で弟が朝食のために1階へ降りてくる・テレビの音がならされることもあったが、ほとんど気にならなかった。

8時台になって今までずっと感じていた右足の違和感の原因を探るべく、靴下を脱いで触診など試す。明らかに指の爪の付け根のあたりの皮膚が腫れている。色に変化は無けれども、触れても見回しても腫れていることが確認できる。痔を患わないために最近続けた姿勢が、足に悪影響を及ぼすのでは困る。何をしてもいいことが無いようである。いつから足の違和感があったかといえば、寝る前かもしれない。腫れの発生原因は、その姿勢(1月17日メモにもあるよう蹲踞の類)のほか、前日の風呂(シャワシャン)時に異様にあった足や手の霜焼けも関与しているかもしれないが定かではない(足は足裏が焼けるのだから腫れた箇所との関係は薄いとの所見)。

9時までは部屋にまだ残る飴を舐めたいなど思っていたが、9時台から10時直前まで少しも思わず過ごすこととなった。10時過ぎにトイレへ立ち上がった。トイレに入るや、母親が1階に降りてきた。どこか外出する格好である。ここ2・3週間ほどの母は同じポリエステル素材のコート(フードの付いた外套であり厳しいコートではない)を着続けているように思う。それからしばし後、昼食準備を始めた。予定にあった牛乳・小麦粉焼きの案として、おかゆっぽいものに小麦粉などを混ぜて焼くか、小麦粉にケチャップを混ぜて焼くか、といったものがあったけれど、今回は朝の味噌汁残り・小麦粉・牛乳を混ぜてからケチャップを加え、加熱に際してご飯を投入することとした。ほか、牛乳にケチャップを混ぜて加熱した飲み物、スープとも言うか、これを作ったり、炊飯ができそうなので以前の1.5合の余りを考慮して1合炊いておいた。今回はそれら調理した完成品にご飯0.3合を11時過ぎまで食べた。

13時前、「踞跪合掌(胡跪合掌)」と書いてあるページを見ていたところ、目の前に小バエが飛んできた。ゆっくりこれを捉えて恐れ多くも殺めた。それはまさに、「右足(右膝)を地に着け手を合わす」という、踞跪合掌そのものの姿勢であった。それにしても、一応最近でも虫について考えることはある。特に暖かい時期、今のような自販機通いが行いづらくなろうことは嫌でも考えさせられる。13時40分過ぎ、母が帰宅した。「ドコモ行った、景品」といって、窓から室内に直接、箱菓子と缶飲料を渡そうとしてきた。間もなくもう一度外から私が呼ばれ、ドアの鍵を外してほしいという。13時半前に帰宅した弟が掛けてしまったようである。

17時過ぎから、仕込み済みの生地を焼いた。今回はご飯と味噌とゴマと塩昆布(各適量)を少量の水煮て、かなり水分が抜け気味となれば加熱をやめて牛乳と小麦粉を加えて混ぜ、放置する。いつも調理手順は概略であるから、日記メモの文言通りだけの行為をサッとやっているわけではない。この仕込まれた生地をいつも通りに焼くが、最初に仕込んだ12時頃から時間が経つにつれ、生トマトに似た風味を感じる。先のケチャップ焼きとは関係なかろう。味噌の風味の変質であろうか。焼きあがったものをいつも通り、私ならではのクセある風味に呆れる。小麦粉の元が多少残っている生焼け状態であろうか。今回はご飯も入ってその割合は多く占めているというのに。これを切って重ねたものを、改めてオーブントースターにて加熱する。



2016/01/27

本日は3時56分に起床したので、先の3:50のアラームで目覚めたと想像される。相変わらず2:10のアラームで目覚めた覚えが無い。この頃の起床後に、「また後続のアラームが鳴るであろう」とは考えなくなってしまった。4:20が鳴ったときは1Fリビングでご飯の加熱に際しての処理か加熱をしているときであり、4:30は食事中であった。いずれも未然に予期することはなかった。やはり感覚および思考の鈍磨は問題化してきている。ちなみに昨晩20時台の押入れにおける独り言概略「グロウルにあえて音韻分類名称を付けるなら有声声門振るえ音か。"hu"という無声声門摩擦音は、日本語で通常使われない発音だが、入れ歯が抜けたか呂律の回らない人には重宝されるであろう。普通の ふ"fu"は無声唇歯摩擦音であるから歯を意識する点でどうのこうの。"ph"はより舌を意識しているであろう理由も述べた。入れ歯が抜けた、とは最適な形容であるとわかる。"fu"なら、よく蝋燭の火を吹き消す口、と形容されるが、これもそのようである」

5時までには朝食の後片付けも済んだが、眠気が非常に強くなった。前日の三昧的なことも少ししてから5時半頃より30分ほど座りながら昏々とした時間を過ごした。6時過ぎからまた思考を取り戻したが、ここで前日与えられたチョコレート菓子を摘んで微量のカフェインを摂ろうとしたところ、家の前が明るんだ。近隣のどこかキチガイ宅の人間の乗り降りであろうか、勝手な停車が1分ほど続いた。私はチョコ菓子を食べずにいこうと思った。それから5分ほど経って、再度眠気が強烈となったので1個チョコ菓子をつまみ、普段日記メモには書いていないが、略式で勤行を申し上げている。菓子をかじって間もなく勤行を始めた。

12時過ぎから「コーヒーシリアル糖類混ぜ生地焼き」を調理して食べた。16時過ぎ、私の体で夕方の寒さにはこたえる距離の散歩案の算段が立ってきて軌道に乗ったところで、急な下剤による便意を催した。半日前に飲んだ下剤がなぜ、今更に効果発現をしてくるのか。トイレに急ぎ、普通・軟便気味のものを出してきた。こうなるとしばらく腹の調子を窺わねばならないからノンキに散歩どころではなくなる。折角、人が真面目に取り組もうと、完璧にも思える戦略や理論を組んだところで、予期し得ぬあるいは考慮に値しないはずの無関係な邪魔が入ってきてしまう。幼少からのテーマである「なぜ何をしても上手くいかないのか」、ということを多角的に精査した時間も、1年前に答えを出し、今はその解決法を実践しつつあるというのに、いつまでも足踏みばかりでは、やはり死ぬしかないのであろう。自殺する気など毛頭ないが、どうしても理性がそうすべきであるとの帰結に至らしめるから困る。

16時台に食事を済ませた。いつ行こうかということで後にも引きずりかねないから、案がまとまったその日にすることが最良ではあれ、17時台は種々の懸案があり、本日は中止としておいた。去る1月20日の市内一斉臨時休校というものは実に杞憂の極みであるが、私もこの際杞憂でもよいので、万一を案じてこう決定する。



2016/01/28

まず、昨晩23時40分台に目覚めがあった。「やっていないことをやったと思い込んで罪悪感に苛まれる夢」が解けてくると、右後頭部・臀部、右手や左足など全身各部に痺れや痛みを覚え、口や目も酷く渇きを覚えた。本日は3時57分に起床した。目覚めは3:50アラームより前のようにも思うが定かでない。4時過ぎから、前日か前々日からある大根・味噌のおかゆを調理し始めた。キッチンの片手鍋を用意(母の洗い残しがあるので念入りに洗いなおす)し、0.7合のご飯を多めの水と微量の塩で加熱する(4時10分頃から)間、大根を切っておく(おでんサイズの大根よりやや薄めの量を今回は使った)。第一次の大根投入をして、第二次はかなり後となったが、それから少し煮込んでちょうどよいと思えたのは4時44分頃である。部屋の片手鍋に味噌を入れ、上からできたおかゆをかけて移す。その場で味噌と粥を混ぜ混ぜして完成である。あとは適宜味付けをする(私は特に粉末ダシを使用)。

11時30分、母がいつものコートで家を出て発車した。間もなく、本日朝中止と考えた風呂(シャワシャン)の実行を決定した。25日の母からの要求を試しに実践しておきたかったから、早い段階でこれができることはよい。食事準備は浴後で問題ないとする。早く切り上げようと思う。

風呂(シャワシャン)準備の合間に2階へ寄り道をした。母の部屋へ上がるに、会議用テーブル(10/28着)には見慣れない物体が載せられていた。充電中のスマートフォンである。まず手に取り、起動する前に機種の銘を探したが"docomo Xi"としか見当たらなかった。起動すれば、初期設定すらされていない代物と分かる。次に、けだし先の26日にドコモ店頭で契約したものと思い、ドコモの紙袋を見ると、購入明細(クレジット利用票)に"SH-03F らくらくスマートフォンキッズ"などと書いてあったので、機種名がボディに記載されていない理由が分かった。これは、特別支援学校高等部進学に際して弟へ与える褒賞の品であろうか。ほかに、なんと先日シリーズ初・売り上げ伸びが減少したとか何とか(時勢ネタなのでうろ覚えでも書くfが検索はしない)と報道されたばかりの"iPhone 6S Plus (16GB)"まで買ったという。母親の浅ましい買い方には呆れる。ついては、去年3月のカフェ問題で購入された"iPad mini"を好例として、過去記事・日記メモの記述を隈なく参照されたい。以前持っていたF端末は解約・処分したのであろうか?

風呂(シャワシャン)は1時間かけず早々に終え、上メモなども加筆して髪を乾かすなど身支度も進め、13時前から昼食の準備をした。今回は塩・あら挽き胡椒・醤油・炒りゴマをミックスした小麦粉牛乳生地を、多めのゴマなたねミックス油で焼く。焼く途中は、油が多いように思われたが、生地がこんがり焼けてくる頃には生地になじんでしまった。味わいは、かなり濃い味付けで、やはり単体で食うものではない。味について細かく言えば、ケンタッキーフライドチキンの衣にも似る。

14時20分台、改めて母の部屋での情報収集に赴いた。最近も幾度と気になっていたレシート集の所在は会議用テーブルの裏にある竿上収納であり、紙箱より見つかった。外食のものは1月5日焼肉店(料金未確認)、1月16日モスバーガー二川湖西店で2020円(同日メモに見るよう弟と一緒の日)、1月23日ファミレス(ハンバーグ専門?)豊川インター店があるが、26日外出で外食したかコンビニで昼食をとったか、と見られるレシートは見当たらず。なお、iPhoneの明細も見たが、内訳は本体価格のみで92,400円なれども、課税・割引など足し引きすると8万円台となっていた。ほか、弟向けSH端末に関しては、公式サイトを見ても「らくらく」系ではなく、単に「ジュニア・キッズ」扱いで載っている。これ以上、票を見直して細かい確認をする必要は無いのでこれでよい。彼らは15時ころ、一緒に帰宅してきた(26・27の弟の帰りの早さもとある学校行事に起因するもので今日も同様であり、特に今日は母が出席する必要があったことと予想するが、この後16時台に学校以外にもやはりファミマに寄っていたことを確認したが弟同伴でファミマかどうかは不明)。

当記事注: 母親は2012・13年ころにも"iPod"(音楽プレーヤー、一番安いモデルだったか)を購入したことがあった。思えば、ここ1年見かけない気がする。どこかへ封印したのであろうか?そうとしても、元々まともに使っていたとは思えない。ところで、このように母がApple製品にこだわる傾向は、これといった信念なく、ただ世間の風評あるいは好奇心のみで手を伸ばしているように思う。だがそれを気にしても、オトモダチのいる女子高生など(JK, JD)ほかと間逆の人間である母には何の利益も無い。相変わらずの迷妄に、孝子は憂う。ちなみに音楽プレーヤーというと、前の家で父親はウォークマンでカセットテープを再生するような人であった。



2016/01/29

本日は2時12分に起床したが、その前から目覚めてはいた。経緯は人が聞くにはややこしい。まず前日23時40分に目覚めることもあった(偶然前々日も前日メモに23時40分台目覚めがあったと書かれる)が、次は2時0分ころであり、便意と咽喉の渇きと肉体の痛みや痺れを感じていた。2:10ネタ設定アラームを聞き止めつつ、2時12分の起床でトイレへと向かい、硬めのモノとスープカレー状のモノを出してきた。なぜ今回は効果発現が早いか。今回は前日17時30分台に1錠を飲んで睡眠を挟んでいたというのに、ものの7時間、もちろん半年ほど前はそういう効き目の早さは有り得たが、だからこそ昨今では異常である。事実、1月27日のメモではずっと起床していながら「半日」経って発現してきた、それも散歩機運が高まっていたところ、水を差してくるように。効き目が早いならそれで結構、元はそうであった、ならばいつも同水準(睡眠挟み9時間ならば起床続けでは3~5時間)でないと困る。

それから間もなく料理の準備を始めた。まず食器や調理器具を複数個洗う。ご飯1.3合ほどをとぎ、炊飯スイッチを入れてから、小麦粉を前日の材料のうちゴマだけ加えず生地を作った。ご飯が炊ける直前に大根を切りおえ、フライパンに油を掛けて火をかけた。今回は薄切り大根ステーキ・大根の唐揚げ風味焼き・焼き飯プレートをキッチンのフライパンで同時に作った。作っている最中の写真を1枚でも撮って置けばよかったか。

7時前から押入れで横になり、7時10分ころから9時20分過ぎまで仮眠を取った。最近の私として仮眠は久々である。1月26日メモに見るよう、早起きも実践してきたことからも、惰眠を断とうとした態度が見えよう。12時前から早朝炊いたご飯一部によるおかゆ、今まで断続的に仕込んではいたが、調理を始めた。その折にトイレのため部屋を出ると、母の通話声が聴こえる。さてあのiPhoneを利用しているのだろうか、ということはともかく、耳を傾けるに、工事の作業を朝早くからするな、学生の往来もあるのに大型車両が出入りすることは悪辣だ、と言うが本心では、工事に伴うホコリがすごい、音がうるさい、と自分勝手な母らしいクレーム電話である。最近もどこへやら度々クレーム電話を入れていた。iPhoneごときを買っても導入するアプリなく、電話・メール等の相手なく、どこまでも高価なおもちゃに過ぎないであろう。

私がとあることに集中しようとしてうるさいPCファン音を静めて3分も経たないであろう13時21分、訪問者あり、建設現場関係者か。母は2階から降りてインターホン応答「少し待て」と告げ、2階へ戻った。また電話していたようである。3分ほどしてようやく玄関から母は応対したが、話の内容は想像通り野暮なものであるから、取るに足らない。



2016/01/30


本日は3:50, 3:56のアラームを聞いて止め、4時2分に起床した。前日は21時過ぎにPCをシャットダウンしたが、最近は19時前後が多いのでいつもより遅い方である。「21時過ぎ」にこだわる必要のある作業に起因する。起床前からやはり、料理、料理と、食べ物のことばかり考えていたが、近頃の起きる原動力は食べ物のことばかりに思えて情けない。そんなきっかけでも、これからは別の意思いな意志によって早起きもとい惰眠を断つという能力が体得されれば良い。今回は厚さ1cm切りの大根ステーキと、衣をつけたブロッコリー2つに途中から、衣をつけたご飯を加え、フライパンで同時に調理していった。その最中や、調理後に自分の片手鍋に移した状態を写真に撮っておいた。

11時までに「茶碗残しご飯仕込んだおかゆ大根ブロッコリー入り」も食べ、某所での投稿に関連する執筆作業をしていたが一段落ついて間もない11時12分に母は買出しへと発車した。直前に弟と一悶着あったが、突発的であったので何を発端としているのか全くもって不明である。12時40分台、インスタントコーヒーを入れようとしたが、お湯を沸かす最中に2階母部屋へ寄り道した。帰ってくればやはり既に電気ケトルは沸かし終えているようで、何か訝しく思いつつ注ぎ、少し味見すると、異様にすっぱい。何が悪いのであろうか?12時51分、久々のヤマト配達であり、配達員は女性Yである。弟は即座に反応して1階に降り、玄関ドアを開けて応答した。今回は中小2箱・小紙袋1つである。

母は13時50分過ぎに帰宅した。14時前に受け取れとのことなので受け取った品は、いつも通りの牛乳2本に加え、幕の内弁当1つと370gシリアル(2015年12月まで長い期間食べ続けて飽きずにいたトップバリュのチョコ味)が入っている。そろそろ母も、私に買い与える量を戻しつつあるならば、それでもよい。この1ヶ月超はあたかも求聞持法のような時間であった。これを求聞持法と呼ぶにはぬるゲー極まりなく僭越に思うが、実際に当月は仏教関係でまだ学ぶことが多いと実感した。ところでシリアルについてだが、弟は何度も同シリアルに飽きた経緯があり、先月や今月は食パンに切り替えていたが、前回1月25日の母買出しで同370gシリアルを再び買われており、早くも今朝食べきってしまっている。

17時40分過ぎ、弁当の梅干を食べていると、種が柔らかく、噛む力を強めてみると中身が出てきた。梅の種は毒性がある、という記憶が微かにあるので、すぐ口から出しておいたが、ついでに俗説かどうか検索をすると「毒=青酸、種にはアミグダリンが多い、これが消化器の酵素により青酸を生むが、漬けられたものはアミグダリンがほぼ消失し人体への影響もほぼ無くなる」とのことであり、毒性はともかく4分の1サイズのみ食べてみた。噛んで砕けてみれば頭がクラッとし、飲み込めば少し腹痛が起こり、不思議に思ってしまった。科学にしろ伝承にしろ、あまり信じない自分であるからこのように半信半疑で口に運ぶのみである。

何となく勉強メモ「サンスクリット語などに関わる上で、"Arya (高貴な人)"=アーリア人の名を見ることがある。アーリア人と聞くと連想することが、中3ネット右翼期の勉強以来、頭に残っていた『ナチス・ドイツによる日本人が名誉アーリア人とするどうのこうの』という情報である。今よく分かった。管見ながら複数のWikipedia記事の文言のみで了解した。まず、インド・イラン系をアーリア人と定義した言語学的見解がある。古代インドのヴェーダや古代イランのアヴェスターに"ārya, airya"といった類音同義語があり、ギリシャでもイラン近辺を指してアリアナ"Ariana"と呼ぶことがあったためである。これを仏教学でもお馴染みのマックス・.ミュラーさんらが敷衍して『ヨーロッパ言語の語彙がインド系言語と同じルーツを持つであろうから、ヨーロッパ民族もアーリア人だ』と定義を広めた。19世紀にはドイツ言語圏を中心に広く認知される(例:白人でもフィランドやハンガリーがインド・ヨーロッパ言語じゃないのでアーリア人と扱われないHerrmann Julius Meyer地図)。これを更に『インド・ヨーロッパ言語の共通祖先がアーリア人である』とした一部の主張を、ナチスがドイツ民族の権威付けに利用し、『自分たちドイツ民族がその高尚なるアーリア人の正統なる末裔たり』と新義を強弁したところに因る。ナチスは政策上、友好関係ある民族にも『名誉アーリア人』との称号をもって接する必要があったから、日本を介した三国同盟を結ぶや、日本を名誉アーリア人としておいた。不完全な学説を我田引水したナチスだが、それは無節操の極みである。科学的には正当性に、宗教や神秘においては正統性に欠くし、論難すれば、仲良し国民がみなアーリア人ならナチスの統治が拡がれば人類みなアーリア人となってしまう。本来の『ドイツ民族(ゲルマン人)は正統アーリア人たり』という矜持は速やかに消える(いや多くの異民族は奴隷と化するのか?)私がこう噛み砕いて説明すれば、ナチスが幼稚に過ぎ、暴力的で異常であることは誰でも理解できる。また、キリスト教の信仰に欠いたナチスがユダヤ人を迫害する動機は、自国民の団結を図るべく何でもよいので国民(アーリア人種)共通の敵・攻撃対象を設ける必要があり、迫害の歴史濃きユダヤがそのカモとなった。ナチスによるユダヤ人の迫害も、『アーリア人種とされる血統であってもユダヤ教徒ならユダヤ人であり差別対象である』と恣意的な定義を前提に行われたものである。『血統で区分するか信仰で区分する』という無関係な2つの概念を同じ土俵に立たせる奇行である。私自身、件の学説とは別に、印・欧両言語の類似性については大いに肯定するし興味深いが、言語の類似性を敷衍して人種も通ずるという当該学説や日ユ同祖論までは興味を持たない」




2016/01/31

本日は4時32分に起床した。起床後トイレを終えてリビング、キッチンへ出るに、前日母買出しの弟用シリアルは既に開封されている。流し台を見るに、昨晩無かったカップが出ている。私の寝ている間の深夜に彼はシリアルを食べていたのであろう。深夜早朝とはいえ、私も当然自由に料理ができるとは限らないと再認識する。

ところで4時50分前から炊飯を始めるべく、流し台に水に浸け置かれている炊飯釜を洗おうとしたところ、様子がおかしい。昨晩見たときにも、異様に大きいオブラートか何かが浮いていて今も浮いているが、実際に触れたり、釜のそこにこびりついたものなど軽く爪を立てても、普通の炊飯で生じるものとは全く性質が異なる。私の小麦粉焼きだか牛乳使用の料理で鍋によく生じるものにも似るが、何とも判じ難い。前日18時ころだか、たまたまこれを作っているであろう使用中の炊飯器の前を通ることがあったが、そのときに炊飯器の中を確認すればよかった。そもそも、母の炊いたご飯が一晩で食べきって流し台に置かれるといった日すらそう無い。これも昨晩からの疑問であったが、やはり普通の炊飯以外の用途であったと結論するほか無い。

5時台に前日与えられたチョコ味シリアルを開封してムーミンカップ半分x2を牛乳で食べた後、ムーミンカップ半分の量のシリアルでチョコ味を牛乳に広げ、シリアルをそのままに小麦粉を加えて混ぜ、これを焼いた。チョコレート味のパンケーキとも言える。これを半分ほど食べたら、切り分けて次の食事分の仕込みとしてオーブントースターで少し加熱し、放置する。

12時前後、母親に呼ばれて1,000円札と手紙を手渡しされた。手紙の本文はシャープペンシル、裏には赤いペンで書かれる。小遣いが1,000円のみである理由は、忘れていたが、本文に次回2月15日に月半ば分を渡す旨が書かれていて思い出した。回りくどいシステムとは思う。それはそうと、本文メインは食事に関する内容であり、序文には何を食べているか、とある。個人的には日記メモ文言を送信して示してもよいが、答える必要性を訴えた文ではなく挨拶代わりなので答える気にならない。続いて私がコンビニやスーパーで買い物していないことを前提に今後渡す金銭や食品の方針が書かれる。栄養失調などで必要があれば病院などに車で連れて行ってあげる・自分で通院が必要であれば手紙で知らせるよう、とも書かれるが、極度の栄養失調になることは恐らくないし、あるなら自分の意思からそうするであろうから、通院などは考えない。ところで、裏面の用件だが、2月3日の節分と2月14日のバレンタインデーにおける食品分配予定が書かれる。後者は、ワケのわからないアニメキャラ菓子などが買われていることを既に確認している。母も弟も見ないか、グッズなど買うことの無いアニメのキャラクター食品だけ買う性癖は何とかならないものか。

14時過ぎ、母親が1階に降りて14時6分に発車した。13時台半ばに2階で弟へ外云々と言っていたことに関連性があるか不明であるが、母の発車直前に弟が1階に降りてきたときは弟も同行するものかと思った。なお、弟は本日午前中から13時ころまでどこかに出かけていた。

16時過ぎまで色々と勉強に追われたが、整理がついたので予定のコーヒーを作った。供とする食べ物は、この時間までと、コーヒー以後にも仕込んだ、今朝の小麦粉焼きである。その仕込とは、オーブントースターで焼いたり余熱にさらすなどして乾燥させる調理法である。今回のものは鉄板にこびりついたものがカロリーメイトのチョコ味にも似たパサパサ感もあったが、できあがったものは非常に硬く、歯に挟まりやすくもある。今回は1月最後の小麦粉焼きとなるので、記念の動画を撮り、後ほどアップロードして説明文も充実させようと計る。16時42分に母が帰宅した。

本日は18時台にあの370gシリアルが9割ほど腹に入ってしまった。かつては1週間かけても余りある370gの袋というものだが、これを今朝のパンケーキほか色々な食べ方(調理らしい調理はパンケーキのみ)で食べ続け、もう空となる寸前である。もっとも、本日は1日シリアル食、更に極めて1日で370gシリアルを食べきることも面白いと思って食べてきたわけであるから、これくらいが程よかろう。衝突以後、毎日のように「試す日々」などと口ずさむ私(日記メモでは1月21日の一度きり)であるから、このような生活の何でもないことを娯楽とするような過ごし方はまた一興であると綴っておく。ただ、仏道修行を志すものが、慎ましくとも俗な趣味に浸っていくことは非道行為にも似るであろうし、実際に私はこんな楽しみを得てしまいつつあるから、衝突時の菩提心が今は薄れており、危機感ヌケヌケである。

21時40分ころにトイレで排尿したが、色が日中など薄まっていたものと比べ、割と濃く澄んだ黄色を帯びている。尿の量も然ることながら濃度もこのようである。ちなみに、19・20時台と勉強に暮れ、21時台にはずっと残していた水分約300mlをお湯として飲んだのみで、食欲は沸かなかった。無論、最近のメモを見るよう、19時以降の食事は好ましくなく思うから、仮に食欲があるとも食べないであろう。トイレに入った直後まで母は1Fキッチンで顔を洗っていたようだが、私もそのキッチンに出て手を洗った。冷蔵庫チェックの折、弟の空間(右チルド室)にサツマイモ2切れが見られた。元々野菜室にあったサツマイモ4本は短時間のうちにこれだけ減ったというのである。炊飯器は、と調べれば、やたら甘い臭いと、ベッタリとした釜の様子から察するに、サツマイモを炊飯器で調理したのであろう。炊飯器で炊飯以外の調理を行うこと自体母はしないのに、何か味を占めて2日連続で犯している。