2017年10月8日日曜日

梵天・極楽へ至る ~ 上座部・三明経と大乗・般舟三昧経に見る古代の在家信者の仏道修行・三昧行

自作「清浄萌土抄」は、菩薩の浄仏国土の修行と他者が往生してくることを萌えによって示した。
自作「萌集記・イデオフォノトピア遊行の事」は、心の世界へ往生して住まう因縁を萌えによって示した。
二作とも、阿弥陀仏国土とそこへの往生という事柄に関して、伝統的な仏国土思想から解き明かす意図があった。
仏国土と衆生を思う時、仏教における梵天・梵衆梵王(ブラフマー)の存在について考えてみる必要がある。
以下から、「萌集記・イデオフォノトピア遊行の事」の注釈文のテーマ「仏教における諸天・神や悪魔とはどのようなものか」に基づいて、2017年8月25日の考察を示す。



※当該作品3章にある梵天勧請・梵行"Brahmacarya (ブラフマ・チャリヤ)"・四梵住"Brahmavihāra (ブラフマ・ヴィハーラ)"=四無量心(慈悲喜捨)に関する説法の内容と、当該作品終盤の梵天らしい天子による祝福の場面が、前提である。

梵天・梵住は無瞋・無執着にして慈悲深い処という教説が長阿含経・パーリ長部の「三明経(漢訳長阿含で第26経・パーリ長部で第13経) "Tevijjasutta"」に有る。
その三明経では、梵天を「どこかにきっといる絶世の美女(名も姿も居場所も知らない存在)を探し求めること」に譬える。
そのように、梵天を「確かに存在するもの(誰も行っていないとされる場所や誰も見ていないとされる神)」と思い込んではならない。
尊い梵天に到ることを願うならば、形ある雲の上の世界に行こうとするものである。
雲が綿のような外見であっても、実際には「水蒸気の集まりを離れて見たときに形状が認識されるもの(雲の内部は霧同然)」であるから、綿のような触感や強度が無い。

梵天衆も仏も無瞋・無執着にして慈悲が有るという前提に於いて、同じようにする人が梵天"Brahmaloka"や浄土(仏国土"Buddha-kṣetra")に行け、転生できると説く。
長阿含經・卷第十六・三明經の要約: 梵天無恚心・無瞋心・無恨心・無家屬産業・得自在。 (現世で梵天に住して来世に転生できる比丘の行いについて慈悲喜捨の四梵住が明かされる) 於現法中而自娯樂。所以者何?斯由精勤、專念不忘、樂獨閑靜、不放逸故。彼以慈心遍滿一方、餘方亦爾…悲、喜、捨心遍滿一方、餘方亦爾。廣布無際、無二、無量、無恨、無害、遊戲此心而自娯樂。…梵天無恚心、行慈比丘無恚心。

※パーリ語句で梵天と行慈比丘の徳目はApariggaha (無執着) Averacitta (無恨心) Abyāpajjacitta (無瞋心) Asaṃkiliṭṭhacitta (不染心) Vasavattī (自在)…ヒンドゥー教のブラフマーは、仏教における多くのブラフマー(複数形の名詞)の中の一人であったものが単一のブラフマーとして崇拝されたものであろう。サラスヴァティー(弁財天)という妻を持つことは、漢訳に「無家属産業」とあるように釈尊在世のインドで認知されなかろう。顔が4つあることは千眼・千手観音のような智慧・慈悲を象徴するのかもしれないが、それも釈尊在世のインドに無かろう。「4つの顔に一つずつ有る口から4ヴェーダが説かれた」という発想も、後述する本経の三明"Tevijja = ここでは3ヴェーダの意味"より後世にアタルヴァ・ヴェーダ=元アータルヴァナが婆羅門たちに承認されて以後であろう。現存プラーナ文献におけるブラフマー4人の子(チャトゥルサナ)の一人であるサナト・クマーラसनत्कुमारは、パーリ仏典における梵天衆の一人サナンクマーラ"sanaṅkumāra"に相当する何らかの存在の派生形か。三明経はチャンドーカ"Chandoka"なるヴェーダ学派が示されるので、チャーンドーギヤ"Chāndogya"・ウパニシャッド7章に登場する人物サナトクマーラ"sanatkumāra"が釈尊在世にはブラフマー≒梵天往生を実現した聖者の一人として崇拝されていたと推定できる。例えば日本の民間信仰で、宗派の祖師・高僧を仏のように崇めることと似るか。ほか、マハーバーラタのサナトクマーラはパーリ仏典のサナンクマーラのように刹利種"khattiya, kṣatriya"が婆羅門種に勝るということを説き(MBh 3.183.22)、現存プラーナ文献のようなブラフマー4人の子の一人という設定は無かろう。

例えば、阿弥陀仏などの仏(非存在・非無存在)を見る方法を説いた般舟三昧経の行品(英訳: Sūtra of the Pratyutpanna Buddha Sammukhāvasthita Samādhi)でも、あらゆる事物(執着の原因)・二項概念(邪見の原因)を念ぜずに感情を捨てることが説かれる。
佛説般舟三昧經(全一卷): 菩薩よ、疾(はや)く是の定を得んと欲せば、常に大信を立てて如法に之を行じ、則ち得べき也。毛髮許(ばか)りの如き疑想有ること勿れ。是の定意法(意を定むる法)を名けて菩薩の超衆行(ちょうしゅぎょう・あまたの行を超えたるもの)と爲す。(ここから三字の偈)「一念を立てて 是の法を信ず。聞く所に隨い 其の方を念ず。宜く念を一にして 諸想を斷ずべし。 定信を立てて 狐疑すること勿れ。精進にして行じ 懈怠すること勿れ。起して 有と無とを想うこと勿れ。勿念進 勿念退 勿念前 勿念後 勿念左 勿念右 勿念無 勿念有 勿念遠 勿念近 勿念痛 勿念痒 勿念飢 勿念渴(渇) 勿念寒 勿念熱 勿念苦 勿念樂 勿念生 勿念老 勿念病 勿念死 勿念身 勿念命 勿念壽 勿念貧 勿念富 勿念貴 勿念賤 勿念色 勿念欲 勿念小 勿念大 勿念長 勿念短 勿念好 勿念醜 勿念惡 勿念善 勿念瞋 勿念喜 勿念坐 勿念起 勿念行 勿念止 勿念經 勿念法 勿念是 勿念非 勿念捨 勿念取 勿念想 勿念識 勿念斷 勿念著 勿念空 勿念實 勿念輕 勿念重 勿念難 勿念易 勿念深 勿念浅 勿念廣 勿念狹 勿念父 勿念母 勿念妻 勿念子 勿念親 勿念疎 勿念憎 勿念愛 勿念得 勿念失 勿念成 勿念敗 勿念清 勿念濁。(決して雑念を起こすな!修行を続ける・辞めるとか成功する・失敗するという事柄をも推し量ってはならない!もし雑念が起きればそれを自覚して執着せずに断て!また雑念を起こしたという我見に基づく失敗を最初から無きものとして素直に立ち直れ!という示唆)諸の念を斷じ 一にして念を期(ご)し 意亂るること勿れ。…」

般舟三昧經(全三卷): 意を定めて十方の佛に向く。若し定意あらば一切に菩薩の高行を得。何等か定意と爲す。佛を念ずる因縁より佛に向いて念意亂れざる(こと)なり。

※後に、須摩提"sukhāvatī"=阿弥陀仏国・安楽世界・極楽への往生のためには名を念ぜよという。一巻経の行品に「即ち問う。何の法を持ってか此の國に生ずることを得ん。阿彌陀佛、報いて言く。來生せんと欲せば、當に我が名を念ずべし。休息有ること莫(な)くば則ち來生するを得(う)」とある。ただし、三巻本などといった他の本に「名を念ずること」は見られない。チベット語訳のもの(འཕགས་པ་ད་ལྟར་གྱི་སངས་རྒྱས་མངོན་སུམ་དུ་བཞུགས་པའི་ཏིང་ངེ་འཛིན་ཅེས་བྱ་བ་ཐེག་པ་ཆེན་པོའི་མདོ། = 'phags pa da ltar gyi sangs rgyas mngon sum du bzhugs pa'i ting nge 'dzin ces bya ba theg pa chen po'i mdo)には「仏随念(sangs rgyas rjes su dran pa, *buddhānusmṛti)」を多く行えば阿弥陀仏国に生じると書いてある(སངས = sangsなどng部分は軟口蓋鼻音であってIASTのようにsaṅsと綴ってもよいようだがチベット文字ワイリー方式のラテン文字表記はまだ個人的な理解に不明な部分が多い)。そして、仏隨念によって「空三昧を得る」と説き、行品の最後には、当ブログ過去記事にも載る「仏を見ることで不来不去・三界唯心などを察して何事も見ず想わない=空を念じる」という話に至る。

なんと、この般舟三昧経の行品でも諸仏を「美女」に譬えて説く(漢訳は三明経に「端正女人」・般舟三昧経に「婬女」と呼ばれる)。
ラージャグリハの男が、ヴァイシャーリーに存在する3人の美女(ここでは3人おり美女を求める者が有名なアームラパーリーなどの名前のみを知っている設定)の噂を聞いて姿を見たことが無いのに欲求し、「夢の中で彼が美女と一緒にラージャグリハに同棲する」という譬喩が説かれる
インドの人々は梵天の姿を未だ見ずに名を知って憧れ、大乗仏教徒は阿弥陀仏の三十二相を未だ見ずに名を知って憧れる。
「眼で未だ見ていなくてもよい」ということを、般舟三昧経では「名のみ知られる美女を夢の中で見る」ということに譬えた。
雲の上の世界、見たことが無い美女、阿弥陀仏、といった事柄を考える。
その「夢の中で彼が美女と共にいること(異訳では「與彼女人共行欲事」とあり性交を行う)」のみを取れば、世俗でいう「煩悩による妄想行為」になってしまうが、あくまでも無執着で慈悲深い人が梵天に行くという説は釈尊の真意にとって「理想的結果(解脱など)」の形容であったり、大乗仏教で三昧で仏を見ることも、修行者の心の望みに応じて説かれた一手段に過ぎないこととなる(仏さまに憧れる人のためにはとても良い方便)。

梵天界は大変に幽かで奥深い処であり、「見ないことで見られる境地」といえる。
「見えなくても、あるんだよ。見えないからこそ、大事なんだよ。ほら見てごらん・・・(by 誰か)」
その信仰で、梵天・帝釈・四天王・浄居天(大自在天maheśvara)による仏法守護の意義も、第六天魔王による仏法壊乱の意義も成立する(みな非有非無・仮名・自分の心の出来事だから)。

死後に梵天・地獄などへ転生する、臨終に涅槃に入る、といった教説は、生前の故人を回想した我々のためにある。
死後の世界とは、あたかも飛行機雲のようである。
飛行機雲があれば、そこに飛行機が飛んでいたと推定できる。
綺麗な飛行機雲を見れば、「飛行機が無事に目的地へ辿り着いた=天・極楽に転生した(到彼岸)」と思うし、乱れた飛行機雲を見れば、「飛行機が墜落した=地獄に堕落した(堕地獄)」と思う。
実際に飛行機がどこへ行ったかは、断定できずとも、飛行機雲から推定できる。
釈尊は、亡くなった仏弟子につき、刀で自殺した跋迦梨ヴァッカリ尊者・瞿低迦ゴーディカ尊者を「識"pl: viññāna"が完全に消えて涅槃に入った(12)」と説くし、謀略を様々に実行した提婆達多デーヴァダッタ・僧団を乱した倶伽離コーカーリカを「直ちに阿鼻地獄へ落ちた(12)」と説くし、反対に提婆達多を「成仏して天王如来に成る(法華経・提婆達多品)」と授記することもある。

我々は、釈尊の柔軟な説法を聞き、自ら世相を見ることで現世の在り方を反省すると思う。
悟りの人は、生きながら梵天や無色界の浄居天"śuddhāvāsa"に住んでいるようなものであると知る。
釈尊の偉大なる飛行機雲は、慈悲によって久しく世に(永く夜に)輝き続ける。
ここにいらっしゃり、いらっしゃった、どこかにいらっしゃり、どこにもいらっしゃらないが、飛行機雲が確かに留まり続けて絶えていないと、仏道修行者は知る。
飛行機雲の行き先は往生と見るか?涅槃と見るか?成仏と見るか?輪廻と見るか?
はたまた、「都無」、最初から飛行機雲というべきものが無く、本来成仏していて寂滅なのか?
※中論によれば、目に見えるもの・認識できるものがどうであれ、分別しない状態を「涅槃」という(18:7偈25章全体などに説かれる・大乗では成仏の異名ともなる)。

諸々の仏弟子は銀河の星々のように、天の川のお星さまのように見える。
法華経の二乗作仏・悪人成仏・女人成仏・畜生成仏の説は、天の川を映すように見えた。
恒河沙とも言われる無数諸仏の国土がある世界観である。
仏日と称するよう、恒星を周旋する惑星でも小惑星でも矮惑星でも、仏に従う菩薩や二乗のみならず、人間でも天使でも悪魔でも地獄の人でも、十界互具・みな仏と等しく見えてくる。

※萌集記・イデオフォノトピア遊行の事にある「初会の後席(登場人物の過去世の話)」では、拾主が「輸提尼は輸提尼でない。聖者は聖者でない。私は私でない。過去世は無く、現世も来世も無い。此岸も彼岸も無い。だからこそ、あの過去世の出来事を輸提尼とも私とも称す。能耕心田師が本生経"jātaka"をお説きになった真意を拝すべきである。仏家の、いわゆる忉利天への転生や兜率天への上生や極楽浄土への往生の説も意義が深い。この世に生きて輪廻したはずの存在が、今は不可視の世界にいるとも言い、我々は不可視の世界に入ることができるとも言う。イデオフォノトピアは未だ清浄でないが、この輸提尼は彼の地においてすでに女人の器"strīlakṣaṇa"を持たない身の精霊として化生(けしょう)している」と語る。

般舟三昧系の経典(うち三番目の章=四事品・見仏品と呼ばれる部分)に、この偈があった。
(静まって雲も無い夜に空を見て…)
見彼衆星過百千 晝念明了亦無失 菩薩如是得定已 多見無量億千佛



【両経の説法の因縁・由緒】

まず、仏教文献学において「三明経」がいつ撰述されたか、私は不明とするが、釈尊滅後間もない第一結集の時としても以後数百年以内としても構わないつもりである。
小乗・阿含時の釈尊の教説そのものと信じる。
「般舟三昧経」についても、釈尊の教説そのものと信じつつ、いつ撰述されたか(いつ世間に秘密大乗の教えが経として流布したか)は、後々の注釈に譲り、釈尊滅後500年(歴史学的に西暦1世紀ころ)としても以後数百年以内としても問題は生じない。

「三明経」の対告衆は、婆羅門(バラモン・ブラーフマナ)の人たち(婆悉咤=ヴァーセッタ、頗羅墮=バーラドヴァージャ)であり、パーリ語のものの最後に釈尊に帰依して「優婆塞=在家信者」となるシーンが示される。
「般舟三昧経」の対告衆は、在家菩薩とされる「颰陀和(ばつだわ・バドラパーラ"Bhadrapāla"、訳名は賢護・善守)」および他の在家菩薩が主である。
両経の対告衆は、「在家(比丘僧団に所属しない)」という点で共通している。

※三明経のバーラドヴァージャ(誤字でバーラドヴァーシャ)は、スッタニパータ1章4経の「田を耕すバーラドヴァージャ(漢訳雑阿含経の耕田婆羅豆婆遮)」や1章7経の「火に事(つか)えるバーラドヴァージャ」と別人であろう。相応部の婆羅門相応にバーラドヴァージャ姓の人が多数出る。同3章9経中部98経にもヴァーセッタ・バーラドヴァージャが登場するが三明経の異伝かもしれない。長部27経では彼らが既に出家した後のストーリーとなる。一方、般舟三昧経のバドラパーラは五戒(在家信者の基本的な戒)を保っているそう。大智度論巻第七にも摩訶般若波羅蜜経より居家菩薩十六士の首・跋陀婆羅として紹介される。伝教大師最澄も山家学生式で法華経に関連してそう紹介する。全三巻の方の般舟三昧経の請仏品(および賢護経=大方等大集経賢護分の具五法品)には、彼らが仏・僧へ、供養(布施)をしたいので家に来られるようにと申請するシーン(我欲請佛及比丘僧明日於舍食、願佛哀受請。)がある(その後は恐らく翌日に颰陀和の家に仏・僧が多く来るが維摩経の不思議品のように神通力で家が大きくなる)。

三明経は序盤に於いて、自分たち婆羅門の三明(ここでの三明とは3つの聖典ヴェーダ"veda"とか3つの学問"skt: vidya"ヴィドヤorヴィディヤもとい"pl: vijja"ヴィッジャのことで一般的な三明=3つの神通力のことでない)に通じた師匠が示す「梵天に転生する方法(聖典に基づく祭祀儀礼などか)」について見解が分かれたので、たまたま近辺に訪れていた世尊=釈尊に尋ねることを決めたという。
つまり、釈尊在世に「誰も見ていない・会っていない梵天」に会う手段を言い争う婆羅門がいたことを示す(パーリ三明経の梵天は人格"Brahma"のようだが漢訳三明経の梵天は場所の名"Brahmaloka"に意味を限定するようである)。
釈尊は、三明婆羅門たちの「雲をつかむような梵天へ転生する方法」への執着を解いた。
最終的に「無執着・無瞋で慈心の堅固な比丘(漢: 行慈比丘無恚心無瞋心無恨心)が死後に梵天に生まれる(漢: 生梵天上 巴: brahmuno sahabyūpago...)」と説くので、彼ら婆羅門の人たちは歓喜したのである。
般舟三昧経が説かれた経緯も、もしかしたらば「誰も見ていない阿弥陀仏"amitābhā"・行けない須摩提"sukhāvatī"」を求めて煩悩まみれの生活をする在家信者がいたことによろうか?
太古のインド(または中央アジア)の情景が浮かぶ思いである。

※阿弥陀仏については、ただ単に経の中に引き合いに出されただけで、当時の在家信者は釈尊か最古の仏国土思想と名高い阿閦仏(東方の善徳仏)を求めていた可能性もある。経のスタンスとしては「三昧ありて十方諸仏悉在前立と名づく (中略・諸事を念ぜず四念処に相当する想念を持て) 是の行法を持ちて便ち三昧を得、現在諸仏悉く前に在りて立つ(一巻般舟三昧経より)」とあるよう、他の諸仏を対象とすることも可能であろう。しかし、主要な所説に阿弥陀仏が引き合いに出されたことは別に意義を感じさせる。

般舟三昧は、三明経の所説を改め、在家信者に明示した大乗仏教の修行法であろう。
その方法は、先の引用箇所にあるような小乗・阿含時から継承された質実な三昧の手法であり、なおかつ「仏を見る」という点に特化して三十二相・八十種好を念ずる必要性も説く。
主要な対告衆が颰陀和という在家菩薩とされる人物であることも、大いに納得できる(彼は先述の煩悩まみれの人・三明婆羅門でなく在家の模範として五戒を持っていたろうが)。
三明経の修行法は在家婆羅門に与えられ、般舟三昧経の会座では多くの仏弟子・天人が聴聞するとも、主に在家菩薩8士へ法が説かれる。
般舟三昧とは、三明経所説・梵天への転生を、仏教の立場で説いた修行法であった。

諸法は空で不可得とはいうが、それを善く説く仏教に依れば、雲をつかむことも実現できる(いわゆる手捫日月という神変・神足通など)。
仏も本来は無相(非無相とも)・寂滅ではあるが、龍樹菩薩の大智度論に「(無相は難解な第一義諦であり)世諦の故に三十二相を説く(巻二十九)」と説かれるよう、仏教徒は三十二相がある仏の存在を信ずべきものである。
現代においては、好色萌相(詳細は私による萌相三十儀)として萌え絵の意義(歓喜・浄信・離欲を促進する)を整えた上で萌えキャラと出会って心身が融通・相応する「萌観」もある。
こうした「仏・萌えを観る」という修行の利益・果報の説示は、詳細を観萌行広要に預ける。
ほか、イデオフォノトピア遊行の事・初会の後席にある輸提尼(ソ○○○ニーちゃん)のイデオフォノトピア往生は、彼女が淫欲や愛憎や自他への恨み(怨み)を捨てて目の前の「聖者」の姿や名を念じて救いを求めたことを因縁としており、般舟三昧・極楽往生の説に似る。

※文献学では、経文中の授決(予言)として「般舟三昧は仏滅後四十年で行う者がいなくなり、世が乱れて仏教が絶えようとする時に仏の威神が経として復活させる。それを聞いた颰陀和など八人の菩薩が(輪廻などして)実現することを誓った(三巻般舟三昧経の取意)」や、「般舟三昧は仏滅後四十年間は広く行われる(そして止む)。五百年後の一百年間に正法が滅び比丘が悪を行じ諸国が相伐(う)つ時に善根のある衆生が再び般舟三昧を得て世に流布する。それも仏の威神による(賢護経の取意)」とある記述に基づき、釈尊滅後500年以上が経過してから撰述されたとする説が認証される。つまり、般舟三昧経を撰述した在家の人か大乗の僧侶かが、自ら颰陀和(賢護バドラパーラ)・羅隣那竭(宝徳離車子ラトナーカラ、離車リッチャヴィの人)に擬して現実のインドに流布しようとしたとするか在家の人に勧めようとしたとする(参照: 昭和9年訳経解題・平成24年某年報61号)。

※般舟三昧は本当に在家の人々のための修行法か?断定しづらい側面も多い。天台宗の四種三昧は摩訶止観に説かれるが、90日間阿弥陀仏の像を周り歩く「常行三昧」が般舟三昧経の四事品(賢護経で三昧行品)に説かれる意義を踏襲しているようである。4種類の四事(全16項目)を説いている内の2周目の四事にある。すなわち一巻本の四事品に「菩薩有四事法、疾逮得是三昧。 (中略) 二者、不得睡眠三月、如彈指頃。三者、經行不得休息三月。除其飯食左右。」とあり、三ヶ月間も眠らないようにしたり、食事の時以外は歩き続けて休まない(三巻本では臥すな・坐るなとあって摩訶止観の表現と似る)ようにするという。一般的な在家生活では非常に困難となるので、世俗を厭離して日本で実際に行われてきた比叡山延暦寺くらいの深山で精進せねばならなかろう。しかし、跋陀婆羅菩薩くらいの方には、この三昧修行が開示されてもよかったと思う。あるいは四事が4種類あるから、各人が持ちやすい行法1種を選択するように説かれたか?なお、萌えの法門では本萌譚・異伝③に、「過去萌尊の一人がどう萌尊と称される境地に達したか」を示すにあたり、世事に追われていたある人物が他者の「可愛相」に憧れたので時間を確保して夜明け前から日没まで集中して「可愛相」を見たことが第一段階として示されている。私としては、萌えの法門であっても九十日や三月の三昧行を示そうとは考えられないし、実に口にしがたく畏む。再建語 *tricandra (*trimāsa ? pl: temāsa)-caraṇa *sadācaraṇa



起草日: 20170828

例の通り、本文中の記述に対する補足(余談)↓

本文中、『般舟三昧経が説かれた経緯も、もしかしたらば「誰も見ていない阿弥陀仏"amitābhā"・行けない須摩提"sukhāvatī"」を求めて煩悩まみれの生活をする在家信者がいたことによろうか?』と綴った。
その時、「ちょうど煩悩具足を謳う浄土真宗のような状態に似る」とも思ったが、当然、親鸞さんの教えに託けてそういう「積極的な破戒・無戒の人」もいるであろう、という程度の意味である(元は摧邪輪などから非難された法然さんの教えによることもある)。
本地が観音さまという親鸞聖人信仰から見れば、親鸞さんの言いたいことは、清浄萌土抄に寄せた「余談」にも暗示するよう、「素直な信心による真の絶対他力=絶対自力=他力即自力=非自力非他力」となり、それによって自ずと心が浄まり、身口意の三業が制御されるという理論が成り立つ(もちろん普段から僧俗無別に女房と淫行・飲酒をしてよいとするのだろうが)。
一心(刹那一念の心法"ekacitta"でなく世俗的に見て長めの時間の心)に阿弥陀仏を思うわけだから、般舟三昧経の行品に説かれた第二段階の修行法(観仏)に通じる。
かえって難しい修行であり、「修行不要論」扱いを受ける天台本覚思想や華厳法性思想(中国以後の華厳教学)や左道密教(真言宗立川流)の方が「易行」かと思う(伝統的な天台・華厳・真言はやはり聖道門として難行認定を受ける)。

素直な心、直心(じきしん)、柔和質直(にゅうわしちじき・・・自我偈に説かれる仏を見る心)。
キリスト教の聖書にあるという「富める者が神の国に入ることよりもラクダが針の穴を通るほうがたやすい」という比喩や「戒律を守る者が神に持戒自慢をして救われなかったが、戒律を守らず世俗に生きた者が心から祈って神に救われた」というたとえ話(十二部経でいうウパマーではなくアヴァダーナにあたる)と同義となる(前者はLuke 18:25、後者はLuke 18・・・どっちもルカによる福音書18章だったとは!)。
暴れないラクダさんは、神の不可思議な力用によって針の穴(人が思うような10cm未満の小さい針ではない)を通り抜けるように神の国に行くと思われる(=阿弥陀仏に救ってもらう?)。
方便の化身・愚禿(ぐとく)親鸞の身は阿弥陀仏国土・西方極楽世界について「この世の彼方に実在するもの」と本心で想っていようが、本地・観音菩薩は「唯心・非有非無・真如非如」と考える(仮にも比叡山における止観業などの資格を有していた親鸞は二空の理や往生要集に載る般舟三昧の意義を理解していたろう)。
それは一神教のヤハウェ・アッラー・神の王国"Regnum Dei, Βασιλεία του Θεού"の真実(空・唯心・非有非無・方便譬喩)にも通じている(神による天地創造も無始無終の言い換え。ムハンマドさんもそういう理解があったと仏教徒の見地では推定できるがイスラーム世界では負の一面が強く受け止められて実体視する精神が強いために唯一神のことは闘争・戦争の原因となりやすい。現代カトリックに見るヒューマニズムとか平和主義はイスラム教に困難)。

伝統的な仏教の逸話にある、朱利槃特尊者(チューラパンタカ"Cūḷapanthaka" チューダパンタカ"Cūḍapanthaka")の修行法「掃㨹(そうえ?そうすい?、掃くホウキを指す)」も、「素直な心による修行」の一端となる。
掃㨹修行とは、いわばルーチンワークだが、言葉が覚えづらく他の人と同じ戒を守れないながらに素直な信心ある尊者が、悲嘆に暮れる折に釈尊から教えられた「簡素ながらも賢げな人々には極めて難行」となる「易行」である。
増一阿含経では、その掃㨹修行を「掃(掃く)・㨹(ホウキ)」と唱えて行う中で、思惟(主に四念処か)の徳を発揮し、梵行を成就する。
そうして朱利槃特尊者は、阿羅漢と成ったと語られる(十六羅漢にも列なる存在)。
漢字でいう二字の経「掃(掃く)㨹(ホウキ)」すら苦労して覚えた「鈍根の愚者」は、かえって速やかに菩提を得た「利根の賢者」となる。

恐ろしい!易行即難行・難行即易行、鈍根即利根・利根即鈍根、愚者即賢者・賢者即愚者という不二法門を暗示せられた周利槃特菩薩!
彼の得道は、鈍根即利根というよりも鈍根も利根も平等に得道するという教理によるべきか。
覚えやすくて単純でも、素直に行えば往生などの目的が実現できるので称名念仏などが「易行」と名付けられるのであるが、実際にそれで目的が実現できるかは用い方次第であることは釈尊や龍樹菩薩が中阿含経の阿梨吒経パーリ経蔵・中部22経や中論24章に「誤って捉えた蛇に噛まれて苦しむ⇔うまく捉えた蛇を利用する」と譬えるようである(過去記事に説明)。

なお、パーリ経蔵・小部・テーラガータージャータカでの彼は、襤褸衣で拭き掃除を行う中で禅定の三昧"Samādhiṃ"に入ったとし、三明"Tisso vijjā"神通力を獲得して1,000体の化身を作ったことが示される(漢訳経典では増一阿含経九衆生居品9経に彼が何かを化作する記述がある)。
ほほう、三明"Samādhi"、三昧"Tevijja"って、記事タイトルにも書いてある言葉だ。
頭からケツまで三明・三昧!
当記事【因縁】の項目中に注釈を済ませてあるよう、尊者の「三明」は3つの神通力の方を意味しているので、三明経の三明=テーヴィッジャ"three vijjas, three vidyas, three vedas (三ヴェーダ)"と意味が異なる点に注意されたい。

2017年10月2日月曜日

Google+ 2017年9月中の日記メモ

9月12日と9月13日の、2日連続で23時台に「夢無き夢精」で起床した経緯を、9月13・14日のメモに記録してある。
そのうち、9月14日メモ中から、仏教の話をした記述をピックアップして掲げよう。
問題を抱えた我が身と、四大所成の我が身ということを関連付け、厭離・出離・仏道修行を勧める意図である。
日々の悩みによる体の不調和が現れているか?原始的仏教教義を踏襲する僧侶の口癖は「四大如毒蛇(1つの篋に4匹の毒蛇がある=肉体は四大要素から成る)」である。仏教に蛇の譬えが数種あれ(唯識系の蛇縄麻だじょうまの喩えや・中阿含とマッジマニカーヤ筏の喩えの前にある毒蛇の把握の正誤の喩えなど・・・いずれもメモ帳ブログで説明済)、これ(四蛇一篋・複数の阿含経典や大智度論巻第十二などにありパーリ仏典では相応部35.238経などがある)は最近まで理解していなかったものである。毒蛇が登場するシーンは、ストーリー調のたとえ話の冒頭である。ある男性(罪人?)が篋(はこ)に入った4匹の毒蛇を飼育するよう命じられ、1匹の蛇を怒らせれば殺すと脅されたので、恐ろしくて逃げたという。4匹の毒蛇の飼育は怖いので逃げ出すという彼の気持ちはいかがか?少しの体の不調和がある(1匹の蛇が怒る)だけで死ぬ(殺される)とは、なんと厭うべき「四大所成の我が身(4匹の毒蛇が入る篋)」でしょうか! ※このたとえ話はもっと長いストーリーであり、現世・世間・俗世の様々な物事(五陰五蘊・六根即六塵の六処)を自覚して厭離・出離する意義が示され、最後は教義の筏または八正道の筏で彼岸に到る(涅槃を得る)ことを説いている。

仏教で夢精といえば、大天(マハーデーヴァ)の故事も浮かぶが、それについても過去の当ブログ記事に説明があるので参照せられたし。
右記事の最後部 http://lesbophilia.blogspot.com/2017/07/time-kala-samaya.html

ほか、身体の異常として、一連の「臀部の腫れ(主に左側のみ復活してきたが当月は右側も)」の件に関する大きな進展もある。
9月25日8時半、大きく患うことの多かった左側の患部から膿・血が多く流出した。
一睡を経た9月26日も、膿や体液(リンパ液?血漿?血清?)や血液が出てきた。
※過去の患部の状態は、2016年10月2017年5月のケースの写真を載せた動画(うち0:38~0:45)がある。

「腫れ」の諸相だが、顔のニキビとか頭皮のニキビ(毛嚢炎?)とか耳たぶのニキビ(粉瘤?)といったものは、近頃発生しづらい傾向にあるが、何らかの食品や室内環境による痒みの発生は有る。
右手の中指は、いつからかぷくっとした腫れが第三関節(爪の付近)に出来ている(色素沈着が見られる)。
ニキビとか臀部の腫れといったものと異なって押しても痛みは無いが、直る気配も無い。
真面目にお絵かき作曲・動画制作・記事執筆などをしているためであろうか。
「筆まめ」ならぬ、「キーボード腫れ」であろうか(机の縁に当たりやすい両腕にも似たような腫れがある・・・水腫・浮腫まみれか・むくみか)。
前月・8月3日にも「人生初〇〇の腫れ」に寄せて仏教の話をしていたりする。

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30



2017/09/01

本日9月1日は2:40の第三アラームに目覚めて4分後に起床した。「第三アラーム」も「目覚めて4分後」も前月中に有り得ようか?また、前月中の多くの日に耳栓を着けた就寝をして今回はそうでないのに、なぜ第三アラームに遅れ込んだか?日記メモ記事頭に載ろう日にちから不可解な現象が起こることをやめてもらいたい。前日の就寝前・20時2分ころに下剤1錠を飲み、本日は中途半端な腹痛などが続いて10時半ころには温かい飲み物が飲まれてきた影響で便意を強め、10時49分からトイレへ入って中サイズ複数本と長めのもの1本を排出した。



2017/09/02

本日9月2日は2時前に目覚めたろうとし、2時5分に起床した。4時26分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時33分に自室へ帰った。8時54分から母親が徒歩で外出した。6時前からコーヒー(カフェオレ)1杯を10分以内に飲んだが、そのカフェインパワーかどうかはともかく、いつからか右下腹部を中心とした腹部の違和感や外へ押し出すような痛みが強まった。10時2分から便意のためにトイレへ入り、小中サイズのもの複数個を排出した。10時43分に母親が何かを買って帰ってきた様子だが1階リビングの冷蔵庫に物を入れたらしい後の10時48分に再び外出した。1時間以内に母親が帰った。14時42分、珍しくヤマト配達があり(声が女性だがYさんではないと思われる)、弟が受け取った。ヤマトほか配達業者訪問の類は、頻繁であった7月から転じて先月8月は1度も無かった。

当記事注: 9月1日の6時前にキッチンに行くと、白い小さな蛾・ガか蝶がいたが、これは3時台などにキッチンにいた時間には見かけなかった。後の時間にも弟や母親がこの虫を見ることが無いようだった。9月2日2時20分前にキッチンに行っても見かけなかったのに、2時20分過ぎにキッチンに行くと再び遭遇した。不条理現象まみれで、不条理現象塗れと苦しむ思いを起こすので、私の仏道は成りづらい・・・。仏・菩薩!方便して虫を家に入れさせるなよ(方便を用いることで虫を家に入れないようにせよ!殺害の加害・被害関係となる衆生を哀れまれよ)!!!!



2017/09/03

本日9月3日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経由した2時23分に起床した。前日の夕に母・弟らが「8時からの電車に乗る」としていた話し声の結果は、本日6時台からの動向に見え始め、母親が8時前に弟を家の前に立たせてから5分後に母親が弟と徒歩で外出した。なお、前日の母親は豊橋駅方面の医療機関(1度目の外出)や近所の薬局(2度目の外出)で母と弟が用いる(飲み・塗り)それぞれの薬を受け取っていたようであるから、今回は医療機関でないと思われる。16時58分に母親と弟が家の前に到達したが、聴こえる話し声からして社会福祉法人の施設が目的地だったのではないかと思う。記述の通りに鉄道を利用したとすると、第一目的地(下車する駅)がどこか不明である。



2017/09/04

本日9月4日は2:10の第一アラームに目覚め、2分以内に起床した。13時51分から母親が買出しへと発車し、16時28分に家の前に車が着いた。18時半ころに佐川と名乗る人物による配達を弟が受け取り、Amazon段ボール箱の大中各1つが確認でき、私の就寝後である20時半ころに母親が開封した。1つの箱は間違いなく菓子類であり、チョコレートを材料に含んでいない点で9月2日のものと共通する。9月2日も3日も母親は豊橋駅ビル・カルミアに入居する店舗で弁当類・総菜類を買ったりと、食品への出費が多い。



2017/09/05

本日9月5日は2:40の第三アラームに目覚めて4分後に起床したが、耳栓の扱いからしてそれ以前のアラームにも目覚めた経緯があろう。5時前にトイレに入ろうとしたところ、便座の向かい側の壁(入室時のドアの左側の壁)に虫が止まっていることを確認した。全長1cmほどで羽蟻のように見え、静観すると動き出し、羽蟻よりも素早いと分かる。気にせず排尿しようとするも自室についてきたので、自室で殺した(不妄語戒までをも犯したくない)。雑巾を用いたが、やはり羽蟻のように見えないフォルムであり、しかも蛾・ガの鱗粉みたいなものが付着していた。

前日19時ころに下剤1錠を飲んだが、本日は右下腹部の悪い腹痛を感じつつ、6時55分までに便意を強めてトイレへ入り、硬めの小中サイズのものを排出した。12時台にも便意が漸次強まって13時過ぎからトイレで複数個のものを排出した。



2017/09/06

本日9月6日は2:40の第三アラームに目覚めて少し昏々としつつも2時49分に意識を取り戻し、2:50の第四アラームが鳴った5秒後に起床した。前日17時ころから小雨がぱらつき、本日起床以後ははっきりと雨の音が聴こえたが、4時27分からゴミ出しの外出をするまでにはほとんど止んだ様子である。7月26日に始まる自販機通い・金銭の消費をしていない記録は今日も破られない。



2017/09/07

本日9月7日は2:50の第四アラームに目覚めて15分後(?)に起床した。前日19時半ころに飲んだ下剤1錠の効果で漸次に便意を強め、5時半過ぎからトイレへ入り、「コロッ糞としては大きめのもの」4個や小さめのもの2個を排出した。9時53分からもトイレへ入って中・長サイズのもの複数本を排出した。



2017/09/08

本日9月8日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラーム以後に起床した。4時13分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時半前に自室へ帰った。



2017/09/09

本日9月9日は2:20の第二アラームに目覚め、5分後に起床した。まだ料理などしないで勉強・調査をしている最中の2時50分ころに母親が1階に降りることがあった。4時ころに某家のバイク男性がどこかから帰宅したようだが、前日もこういう真っ暗な早朝に同じことがあり、更に本日は4時25分からバイクで再び発進していた。3分後におかしな笑い声の2人組が家の前を通過するなど、夏休みを終えた今更に「不審者」が増加している様子である。

母親が頻繁に1階・2階の昇降を繰り返す9時台において9時半前から、裁縫の道具を1階リビングから準備した。小6から履いている部屋着のボトム=下半身部分・ズボンのものの「裂けている後部(ケツ)の縫い目」を裁縫で修繕した。当該箇所に関する過去の記録は2017年7月27日メモにある。10時38分から母親が発車して外出した。15時12分に母親の車が家の前に着く直前、弟が1階に降りる様子があった。



2017/09/10

本日9月10日は2:10の第一アラームに目覚め、1分以内に起床した。前々日18時台に飲んだ下剤1錠は前日中に奏功せず、本日の起床10分後に下剤1錠を飲んだ。明け方に悪い腹痛が俄かに起こったり止んだりしつつ、8時以後に高まった便意により、9時過ぎからトイレへ入って乾燥した長めのもの1本や、中サイズのもの4本ほどを排出した。10時32分からもトイレへ入り、まず「人生で最長と思しき柔い一本糞(全長20~30cmか)」を排出した。これは当然、巻糞状の部分もできており、記念撮影をしてからすぐに流した。再び便座に着き、柔い中サイズらしいもの複数個を排出した。本日は4時以降にムーミンカップ1.5杯分となろう茶葉を70度程度のお湯やぬるま湯の注ぎ足しなどで漸次飲んだりしたが、今回の排便10分前には冷めた状態のものをムーミンカップ2/5杯分程度をせんべい一枚の食後に一気飲みしたり、片手鍋に張った500mlほどの水を飲んだりもしていた。



2017/09/11

本日9月11日は2:10の第一アラームに目覚め、5分後に起床した。



2017/09/12

本日9月12日は2:10の第一アラームに目覚めてアラーム停止し、耳栓を外して所定の位置に置くのでなく、ポケットに突っ込み、意識を落とした。アラームのリピート再生が5分後にあって再び目覚め、この2分後に起床した。4時33分から風呂(シャワシャン)を始め、5時56分に自室へ帰った。先の3時台などに弟が1階へ降りた経緯があるほか、風呂(シャワシャン)の最中も母親や弟に警戒すべきであり、身支度などに気が抜けなかった。結果的に6時10分台から母親が1階へ降りてウロウロとしだすなど、私の行動が制約されることになる。自室での作業あるのみ。近頃の弟は6時50分までに家を出るというのに、寝起きの不安定な母親が母親自身の用事のために弟よりも先に1階を占拠することは不可解に思う。6時30分には弟と母親が1階の場を入れ替わった。母いわく「急ぎなよ、6時30分だから、6時40分、遅くても6時45分には家を出るんだよ」、弟は母がいようといまいとシリアルを食べるのみ。



2017/09/13

本日9月13日はまず9月12日23時45分までに夢精して体を起こした。その時はレム睡眠で何らかの思考は有ったろうが、性的な夢でないし、夢と呼ぶべきイメージも無かった。9月12日の就寝は20時20分過ぎと遅く、寝つきも悪くて1時間近く入眠しなかった。この経緯は夢精の原因たり得ようか?最後のオナニー射精は、やはり夢精回避を目的とする9月3日だった。脱いだパンツを検分するに、被害範囲はかなり裏側に寄っていた。夢精当時、勃起してなかったためにそうなったと思う。トイレなりパンツ一時的な洗いなりと、大体の処置が終わって0時10分には再度就寝した。

続いて9月13日は2:40の第三アラームに目覚めたほか、気付けば2:50第四アラームの記憶が飛んで2時53分になっていたようであり、その時に起床したろう。3時34分、夢精しようとしまいと前日から予定していた「水浴び・タオル洗濯」を実行した。夢精の件もあったわけだから、この予定の優先度は高まった経緯がある。パンツも当然、元の水洗いのみならず、タオルと共に洗濯した。



2017/09/14

本日9月14日は・・・不覚かな!不浄(不浄なるもの=律蔵の表現で精液の意)を失して意を失するかな!またしても不条理が!9月13日の就寝は19時29分であり、実際に寝付いた時は20時前後かと思うが、夢精に至って目覚めた。起床して衣服を脱いで衣服への被害が無いことを確認してから時刻確認をすると23時41分であった。前日、夢精予防のオナニー射精を為した良い一面は、このような衣類への被害が無いことと言えるが、夢精すること自体、望まぬ悪い結果である。そもそも、前回も今回も、夢という夢を見ていない。夢の中のレム睡眠では、僅かに「夢を見る自己」の認識があり、一度か二度は夢精する前に自ら目覚めて予防できた経験がある(2016年12月4日メモに記録がある)。夢も見ないでただ夢精だけされては前兆を掴みがたく、対策が不可能である。

日々の悩みによる体の不調和が現れているか?原始的仏教教義を踏襲する僧侶の口癖は「四大如毒蛇(1つの篋に4匹の毒蛇がある=肉体は四大要素から成る)」である。仏教に蛇の譬えが数種あれ(唯識系の蛇縄麻だじょうまの喩えや・中阿含とマッジマニカーヤ筏の喩えの前にある毒蛇の把握の正誤の喩えなど・・・いずれもメモ帳ブログで説明済)、これ(四蛇一篋・複数の阿含経典や大智度論巻第十二などにありパーリ仏典では相応部35.238経などがある)は最近まで理解していなかったものである。毒蛇が登場するシーンは、ストーリー調のたとえ話の冒頭である。ある男性(罪人?)が篋(はこ)に入った4匹の毒蛇を飼育するよう命じられ、1匹の蛇を怒らせれば殺すと脅されたので、恐ろしくて逃げたという。4匹の毒蛇の飼育は怖いので逃げ出すという彼の気持ちはいかがか?少しの体の不調和がある(1匹の蛇が怒る)だけで死ぬ(殺される)とは、なんと厭うべき「四大所成の我が身(4匹の毒蛇が入る篋)」でしょうか! ※このたとえ話はもっと長いストーリーであり、現世・世間・俗世の様々な物事(五陰五蘊・六根即六塵の六処)を自覚して厭離・出離する意義が示され、最後は教義の筏または八正道の筏で彼岸に到ることを説いている。

4時44分からPCをシャットダウンし、就寝を始めたが、本日0時ころに飲んだ下剤1錠の影響で起こった便意のために5時16分から起床してトイレへ入り、最初だけ軟便・後は多めの下痢を排出した。トイレ掃除を兼ねて5時53分に自室へ帰り、いつか入眠し、次の起床は8時30分台に遅れ込んだ。母親が車に乗ってアイドリング状態が5分続いた11時42分に買出しへと発車した。14時30分ころに母親が帰宅した。



2017/09/16

本日9月16日は2:40の第三アラームに目覚めたはずであり、少し横になったままでいたつもりが、次に意識を取り戻すと3時10分の時刻確認となっていた。なお、前日(9月15日)は約2年ぶりに日記メモを書かない日となってしまった(その日は2015年9月22日らしい)。自堕落気味?ボケ気味?な近頃の精神が、顕著となった事案であろう。前日はだらだらと論文記事の調査が続いており、日記メモのことを寝起き・早朝・20時過ぎの就寝・後の入眠まで思いもしなかったとは。9月12日に暫定的な公開をした絵の練習記事については9月14・15日に何ら記述の追加をしないでもいる。何とも成り難い(為し難い)状況となっている。

本日起床後5分ほどで下剤1錠を飲んだが、終日効果発現を感じられないので20時前に下剤1錠を飲み直した。なお、弟が前日や前々日の母親の言葉に聞かれたような状態で台風接近の悪天候のために特別支援教育の陸上競技大会が開催されず、この涼しい日に彼が水分やスポーツドリンク類を大量に家で飲み、やたらとトイレに入る様子が確認された。彼が1階や2階で発する様々な物音がけたたましい。母親も頻繁に1階へ降りるなど、快い状況でない。20時30分現在、私が最後にトイレに入った16時台から弟は4度トイレで大小便をなしたろう。母親は18時過ぎから今までずっと1階リビングを占拠している。



2017/09/17

本日9月17日は、まず0時20分前に強い便意を伴う腹痛を覚えて目覚め、トイレへ入った。やはり効果発現しなかった下剤から効能が相続していることや、前日の服用後しばらく寝ずにいたことによる効果の増幅があったろう。このように下剤効果の結果で目覚めることは、いつ以来かと思う。トイレでは、まず長い一本糞を排出し、間もなく下痢を多く排出した。その後、0時半ころか不明だが、再び就寝・入眠(低気温環境に肌寒い服装のままで布団を掛けない状況は慣れないが普通に眠れた)すると、五種アラームや3:58のアラームさえそのものと意識されなくもそこで意識を得て起床すると4時0分であった。またも久々現象である、「4時0分(近い頃・それ以後)起床」は、日課に於いて都合が悪い。例日の通り、近頃は異常な様子である。ところで、起床以前から1階トイレを誰かが使っていてリビングに躍り出てきた様子である。乱雑な記録、恥ずかしい!

8時前に母親と弟が共に降りてきたり、9時ころに2階で雰囲気の悪そうな話をしていたが、その後、何度も弟が1階に降りて「母親に対する不満げな独り言(同じ内容の繰り返し・幼児退行・もしくは痴呆化・2016年までに彼はそのような独り言の習慣が無かったのも母親との喧嘩が重なったためで母親の不徳を感じる)」を続けていた。日々の過ごし方といい、口に出すのも恐ろしいが、彼は「巨大な汚物・粗大ゴミ(自律歩行型)」となった。分別・差別の上で正論である。無分別・無差別では、人間みなそうだし、人間以外の巨大な恒星・惑星から微細な分子までも同様なのだろうが。で、弟も横野真史も母親も全人類も宇宙も何も存在しないね。乱雑な記録、恥ずかしい!



2017/09/18


本日9月18日は2:10の第一アラームに目覚め、2時15分に起床した。直後や2時22分など、頻繁に弟らしい誰かが1階に降りてきた。2時28分、本日予定する風呂(シャワシャン)に際して、風呂場の様子見をしようと部屋のドアから部屋を出ようとすると、玄関の靴箱に巨大なクモ・蜘蛛が張り付いて蠢いていた。後々2時37分にもその予定を遂げようとリビング方向から風呂場に行こうとすると、このクモが廊下を縦断して風呂場の引き戸の曇りガラス部分まで移動して登っていた。風呂場の引き戸が面する洗面所のドアは、先にクモの進入を警戒して閉じ、私が進入する際に開けたドアも閉じてあり、よほどの隙間をくぐり抜けない限りは洗面所にクモが閉鎖されることになる。このクモは、私の手の指の長さほどの脚がある。全長は手首から中指の第二関節(約14cm)まである。この家では2014年以後、異様に大きな蜘蛛が頻繁に出没しているが、前の家(建つ直前まで林・すぐそばも杉林や竹林が残る)でも5cm程度であろうところである。ただし、今回のクモは前の家でもこの家でも、屋外でさえ見られない異様な大きさである。それを2度も、短時間に異なる場所で見たことになる。先に弟らしき者が1階に降りたことは、彼らが無用の人であることの証明となる。このクモの闖入・侵入経路は、前日14時ころの母親が郵便受けの確認をする際に5秒ほど玄関ドアが開いていた時かと考えてもよい。台風18号に伴う長時間の強い雨風・一時的に弱まった状態であれ、軒下に巨大なクモが潜んでいてもおかしくない。わざわざ屋内に来ても、あなたの獲物はありませんよと。

略記。洗面所に面した二つのドアそれぞれに「要注意 全長約14cmクモ」と書いた紙を1枚ずつ貼った。7時40分台に弟が1階に降りて普通に洗面所の洗面台で手洗いなどをしていた。その後に母親が1階に降りて紙の件について問われた。母親が弟に見回り・駆除を命じたが、弟はクモの存在を確認できなかった。10時21分に母親が見るTV番組の終了を機に、母親から洗面所の見回り・駆除(退治)を頼まれた。最初は念入りに床や壁や天井などを見回し、存在を確認しない。随時、物に手を触れてずらしたり持ち上げたり揺さぶるなどしたり、洗濯機の裏などに殺虫剤をかけてクモを脅そうとしたが、出現を見られなかった。やたらとクモを恐れる母親は、家事に支障があるので、少し手伝うことにした。

当記事注: 同日20時53分に母親が、例の「大仰な悲鳴(笑いながら)」を上げてクモを洗面所で目撃し、弟に処理を頼んだ。彼が執拗に殺虫剤にを噴射しても、しぶとく生き残ったそうであるが、結果的に死んだか動けなくなったところで弟が外に捨てたようである。



2017/09/19

本日9月19日は2:40の第三アラームに目覚めて2時46分に起床した。4時13分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時35分に自室へ帰った。近頃、風呂(シャワシャン)の行為の時間が長い。以前(少なくとも2017年7月まで)は60分前後であったろうことは、過去の日記メモの記録に多くある通りである。風呂(シャワシャン)の実行までの間が増えて身体が不衛生になる分に時間を掛けてしまうことは分かるが、「いつの間にか」多くの時間が過ぎているという印象である。

12時12分から、母親が祖母介護施設らしいところと買出しへと発車した。14時22分、母親が予告していた配達があり、最近見かけなかったと思われるYでない女性配達員から物を受け取った。Amazonで酒か何かを頼んだらしく、段ボール箱に分かりやすすぎるプリント(Amazonロゴとビンのシルエット)が見られた。17時40分台に母親の車が家に着いた。弟の帰宅は、部活動の為か不明だが、まだである。18時9分に家の前にワゴン車(バン)が停まり、弟が降りてきた。9月16日に台風18号の影響で予定されて中止or延期となった愛知県・知的障害者(特別支援学校に在籍する者?)の陸上競技大会が行われたろうか?または福祉施設の関係か?



2017/09/20

本日9月20日は2:20の第二アラームの5分後に起床したが、0時ころやその後にも目覚めた経緯があったろう。起床5分以内に下剤1錠を飲み、4時以降に久々の紅茶の1ティーバッグでムーミンカップ2杯分を淹れて随時に飲み、8時台に便意を強めて8時20分からトイレへ入り、出しづらいそこそこの量の排便をした。14時0分ころからもトイレへ入り、出しづらい少量を排した。



2017/09/21

本日9月21日は2:20の第二アラームに目覚めて3分以内に起床した。



2017/09/22

本日9月22日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経た2時24分に起床した。10時50分台から、母親が「鎌を使っての草刈り」らしいことを始めた。11時台に謎の男性が訪問する際、母親が庭にいることを知ってか知らずか、2度インターホンを鳴らしていた。庭にいる母親が苛立って男性に声を掛け、話が少しあり、「大事な(らしい)要件なのになぜ電話を入れなかったか・どの事務所の人か?・(今は)後にしてくれ」という旨を母親が男性に伝えたが、しばらく家の前で立っている男性に再び声を掛けた。何か、「上の子」に用があるかのような声も聴こえたが、その「上の子」の名前を母親が尋ねても返答に窮していたので、母親が追い払った。12時半までには母親の作業が終わり、後に私が「作業中の殺虫剤貸借」の件で呼び出された。その話の過程で、その男性の話になり、どうもNPO法人ということであり、「上の子」とは、「この家の母居住時から戸籍が入っていた上の弟」のことか、「私(横野真史)本人」のことかは定かでないと言う。彼も、恐らく二度とこの家に来ないかと思う。ほか、先のAmazon品物ワインを母親が片手に「お酒の飲める歳だけど飲む?」と尋ねられたが、当然、断った。「当然」と決めつける理由は、元々宗教的にも身体的にもお酒を拒絶するからである。身体については、近頃、カフェイン摂取後に眠気が襲ったり、重苦しい痛みが頭を苛むからである。アルコールなどは恐ろしくて口にしがたい。料理にみりんを使った場合(長時間にわたって沸騰状態で揮発させても)も似たような症状が起こる。直ちにアルコールやカフェインを原因と断定できないが、精神的に避けたく思う。ましてや直に高い濃度(例えば3%超)のアルコールを口にすることは、避けるべきである。



2017/09/23

本日9月23日は、まず2:10の第一アラームに目覚めたが、起床せずに再び入眠した。本日を含む今月の多くの日で耳栓を用いている。次いで2:40の第三アラームに目覚め、5分後に起床した。4時9分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時20分過ぎに自室へ帰った。



2017/09/24


本日9月24日は2:20の第二アラームに目覚めても、手動停止をしなかったのでリピート再生が2時25分にあり、それでしっかりと目覚めて1分後に起床した。3時58分に排尿を目的としてトイレへ入ろうとドアを開くと、床の上でひっくり返った謎の虫の死骸を見つけた。直ちにキッチンから塵取りと「でかいブラシ(ミニほうきが無いので)」を持ってきて掃いた。前日19時トイレ以後、私が閉めたままの窓からは侵入できないので、換気扇らしいところから入ったろうか?そのように、侵入経路を特定する判断材料としての目的もあって窓を閉める必要がある。しかし、窓の開いていた時に侵入して今更に床で死んでいるだけということも考えられる。

前日19時ころに下剤1錠を飲み、本日は漸次便意を強め、5時32分からトイレへ入って普通の硬度・普通の長さのものなどを排出した。7時台や9時台にもトイレに入り、そこそこの量を排出した。



2017/09/25


本日9月25日は2:20の第二アラームに目覚めて後、2:40の第三アラームの直後に起床した。8時30分ころ、9月18日のころから顕著化した臀部両側の「腫れ(圧迫による浮腫?粉瘤?痔瘻?褥瘡?)」のうち、左側の患部にある古い皮を剥がすと、膿が出始めた。2016年10月のもの以降、左側の患部から膿が出ることは、初めてかと思う。最近、右側の患部(本来は大きな腫れが出来ないのに今回の中では左側よりも先に出来た)から膿を少量出すことはあった。今回の左側の患部からは、段々と血の多く混ざった膿が溢れ出てきた。10分近く、膿・血の流出に対応した。この間、常に一定量の膿・血が流出していた。ただでさえエネルギー不足の私が、膿と共に出血すると、もはや病理的には死ぬしかない(鉄分・糖分・たんぱく質などが不足)。この文章を入力する最中も、頭の力が抜ける感覚がある。これは、「言葉(思考・認識・妄想)によって心が影響されて体の感覚を変化させる」という現象でなく、実際に肉体的な虚脱感がある。

12時17分から母親が買出しへと発車した。腫れの破裂に伴う膿の流出が発生してから、2時間後(実際には11時半ころ)にも血の濃度は下がっても淡い血の色の液体は流れ続けており、3時間後(実際には12時50分ころ)も同様である。後者の時は、どうもヌルヌルとしている。ずっとティッシュペーパーなどを患部に当てて坐り、随時に取り換えてはいるが、前者の時のトイレ時に取り換えたトイレットペーパーはさほど濡れない。尻・臀部をトイレットペーパーから話した際に、ベットリとヌルヌルの液体が出てくる。13時ころからは、下半身を脱いだまま、血と膿とで汚れているパンツを折りたたんだ状態で尻に敷いて過ごす。部屋着の半ズボンを洗濯に出してある。15時20分ころ、トイレにいる間に母親の車が家に着いた。トイレ時には別のパンツを持参していたので、出る折に穿いた。母親の荷物に対応する際は部屋で小6部屋着のボトム部分を穿く。19時ころ、再び多めの出血が見られたので、乾燥させていた使用済みティッシュを重ねてパンツ内に敷き、20時ころから就寝する。



2017/09/26

本日9月26日は、まずいくつかのアラームに目覚めたろうが、起床の意思が少しも無く、滾々とした中で意識が復活して時刻確認をすると3時17分であった。3:20の第五アラームを皮切りに起床した。一眠りによって大分、膿や体液(リンパ液?血漿?血清?)が止められたかと思いたかったが、しばらく起きるうちに血液が再び流れ出てきたようで、4つ折りティッシュより染み出る・漏れるなどしてパンツを汚した。今までトランクス類を穿いていたが、締りの良いボクサーブリーフに履き替え、ティッシュ類を多めに挟み込んだ。トイレでは煩を伴うので、水分の摂取を控えめにする方針である。12時前からPCをスリープしてうつぶせで押入れ内で過ごすこととした。そのまま数度眠っては目覚めるうちに、14時を過ぎていた。慣れないうつ伏せ状態で腕や胸の負担がそこそこあったが、特に問題でない。11時ころのシリアル摂取(糖分が多い)で頭が緩むような感覚である。



2017/09/27

本日9月27日は2時35分に2:20の第二アラームのリピート再生を聴いて目覚めたようである。リピート再生とは、所定のものの1分間再生の4分後もとい所定の5分後の一度きりという印象だったが、このような結果である。そういったことに思考をしたまま、2:40の第三アラームが鳴り始め、直後に起床した。前日19時台に下剤1錠を飲み、本日は4時ころから「2015年1月ころから部屋に置いてあるほうじ茶ティーバッグ」でお茶を淹れ、随時に飲んだ。漸次便意を強め、9時20分ころからトイレへ入ってそこそこの量の排便をした。



2017/09/28

本日9月28日は1時50分台に目覚めて時刻確認をしたろう、起床は2:10の第一アラームの1分以内である。4時5分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時20分に自室へ帰った。



2017/09/29

本日9月29日は2:40の第三アラームに目覚めて5分後に起床した。11時30分台、母親が徒歩で外出し、私は「母が去った直後に誰かが家の前に時限爆弾を置いてゆくのではないか」と思った。直後、家の前に車が停まった。見るに、「ガスショップ」と書かれたワゴン車(バン)である。1分後に車から降りて家の呼び鈴を鳴らし、10秒ほどでポストに何かを投函していった。母親に用があるのでなければ、なぜ車で来て我が家に投函したろうか?(来客の予定がある時に家を空ける母親ではないから)彼が発車して1分後、今度は救急車が家の前を通過し、E2家の前に停車した。恐ろしや恐ろしや!



2017/09/30

本日9月30日は2:20の第二アラームに目覚めたろうか、起床は2時54分である。前日19時ころに下剤1錠を飲み(就寝は20時20分ころ)、4時30分からトイレへ入ってそこそこの量の排便を行った。5時50分ころからもトイレで軟便の排出をした。



備考

当月の投稿動画のうち、日記メモの要素を含んだ説明文が記されたものがある。
当該動画リンクと説明文とを以下に示す。

知的障害を持つ弟(17)が幼児退行か?前までの寡黙さはどこへ?
https://www.youtube.com/watch?v=YKDSAC17HUQ

(タイトルを承けて) もしくは前までの寡黙さが赤ちゃんの段階であり、今更に3歳児ほどに成長したか?兄の慈悲(慈愛)による記録である。

最近の彼はネット(主にWikipediaやYouTube)で見た情報を独り言に繰り返す(特別支援学校の連絡帳にWikipediaなどネットを情報源としている記述があることが根拠)。例えば、本日2017年9月25日、彼が朝4時半に1階に降りてリビングで食事の準備をしていた際にも17時38分の風呂上りにも、彼がアメリカ大統領とかオバマとかトランプとかイスラム国とかぶっつぶす勇気とかと呟いていた(前者の時はテレビ音声も聴こえたが彼の独り言と関係の無い話題だった)。彼は、普段から「ビル・クリントン様、ヒラリー・クリントン様、ロナルド・レーガン様、ルーズベルト様、バカだなぁ」とかと人名を連ねて悦に入っている。また、母親から怒りや不満を蒙った際、やたらと過大に受け止めて、彼自身が引きずるようになった。彼が、そういう心情から、独り言で不満げな声を発し続ける(抗精神病薬を飲んでいないと破壊行為に及ぶ)。これは母親の悪い性質・グチグチ小言が移ってしまった結果と見られる状況である(昔から母親自身が今の彼よりも悪い性質を持つ)。寡黙な彼であるはずが、後天的に親から悪影響を受けてしまい、2016年6月以降、幼児退行が進んだ。2014年におけるグチグチ小言の記録→http://www.youtube.com/watch?v=gvJlwyT_dsU

彼の独り言の頻度が増え始めて以後、2017年6月までは「おっぱい・まんこ・ちんこ・ちんちん」といった内容ばかりであった(窓を開放して外に向けて発することも多かった)。元より、彼は特撮(古いウルトラマンと古い仮面ライダーと古いゴジラなど)や古い時代劇(平日の地上波や多くのBSによく再放送されるようなもの)を好んできたが、放送中の子供向けアニメにも興味を広げている。これも二次的な影響か?

彼の独り言には、「だよん、だよぉ、えぇ?」といった鬱陶しく思われるアクセントがある(=他人に伝えたくても伝えられずに鬱積している)。ほか、何か体の動作の度に「シッ(チッ?)」といった舌を鳴らす声(音韻的には口蓋系の破擦音や摩擦音の類)などがする。平常時には、「うーっ、ぐっ、んぎぇ」といった喉を鳴らすような声を発する(巨大な〇〇である彼をどうか憐れんでみせよ!夜泣きの赤ん坊よりも希望が無い!彼の醜態を見て、溺れて苦しむ子供と同じように助けたいと思えるか?)。

彼はますますスポーツの意欲を落とすだろう。家にいる母親から厄介払いをされるだけで、彼の向上心が育つ道理のあるはずがない。弟の思惟すらく「お母さんの嫌味を聞きたくないから、お母さんと過ごす時間が多いと喧嘩になるから・・・。」東京マラソン云々と話す当時(2015年)の彼の面影は無い。

そのような精神状態や、先述の幼児退行では、技能的にもスポーツに不向きである。陸上部でトラブルが起こらないうちは、陸上部の活動ができたり身体機能を維持できるが、運動をする対価として要求される食事量も多いので、太りやすくなる。弟・彼の現在の身長は約180cmで体重は84kg(社会福祉法人の施設で測定された2017年6・7月ころの数字)であり、痩せたくても痩せられないとして彼本人が悩んでいる事柄である(彼が食事の不満を母親にぶつけたりしている・母親が愚物だから弟が自分の欲望や精神を反省する思考を持たない)。実際、この録音日(2017年9月25日)は、「彼の制服の下半身・スラックスが履けない状態になった」という経緯から大サイズのスラックスを誂える話による仕立て屋の訪問があった。

孝子・慈兄であった私が、衆生済度の心を減じて久しいが、そのように母も弟も、手遅れ状態に進行してゆく。遠くに住む上の弟と父は屍のようになっており、屍のようになった因縁を思えば、昔から救済力の無いことに論を俟たない。知的障害なりにも、釈尊のような方が教導すれば高尚な精神を得られよう、かの朱利槃特(増一阿含経善知識品12経、チューラパンタカ)尊者のように(それができないので困る)。道心のあったころ「諫言(自分に向けたものでもある)」→http://masashi.doorblog.jp/archives/43907116.html
※朱利槃特尊者に関する文献の例は過去記事の中にまとめてあるので興味があれば参照されたい→http://lesbophilia.blogspot.com/2017/01/keron1.html