2014年7月30日水曜日

目に熱いラーメンのスープが跳ねて眼球がやけど。

毎日努力を怠らない私にまたしても人に起こり得ない支障が立ちはだかる。
4時半過ぎ、ラーメンの食べ始め、かなり熱いスープが右目に向かって跳ねた。
今は30分と経たないが、これから直ちに炎症などが起きるだろう。

ちょうど2年前にラーメンのスープさえ作ってない約90度のゆで汁を太ももやお股にこぼして数度の通院を要する大ヤケドが起きたというのに。
ラーメン食うときこぼさないように注意するのもいいが、次からはラーメンは目を開かずに食べなければならないことになる。

音楽や語学など大変な努力をしている私に、理不尽な邪魔をする陰謀のせいで、俺はいつまでもこのままだよ。
目については、毎日酷い痒み等に襲われる私はひときわ苦労しているし、眼科に通うなども難しいが、これから悪化したら通院を余儀なくされるだろう。
暗い部屋でPCしても視力が下がらないことが取り柄ではあったが。

今回ヤケドを負った右目は、小1の時に住んでいたマンション併設の公園で弟が振り回した棒で大打撃、弱視の原因となっている事故が起きた悲劇を受けている。
悲劇を繰り返してしまったが、痛みを被る程度で済めばいいもんだね。
幸い、白目に跳ねたっぽいし。
スープは、醤油ラーメンで油より塩分が怖い状態、食べ始めのアツアツ。


ついでに、髪が長いこともいかに目に悪影響を及ぼすか書いておく。
2011年など今より短い頃でも、前髪がまつげなどに触れてフサフサ不快感はあったものだが、今はその比でなく、髪を激しく動かすことがあれば、毛先の鋭い箇所が鋭利な刃物のごとく眼球に突き刺さってくるということも稀に起こる。


鋭利な刃物をマンコに突き刺すとどうなりますか?→COLPORRHAGIA
と、このように私は難解で非実用的な英語を学ぶのが好き。
近々、全て英語でしゃべる動画でも投稿しようかなと思ってる。
以前、私はこのように述べた。視覚、聴覚に強く訴えるものは魅力に栄えやすい。
なので、動画という形で「がくしゅうはっぴょう」する。
音楽や絵の練習こそ、その一環にあるわけでして。

HYSTERORRHEXIS



追記: 2015年11月29日
過去記事に「(上の)弟の持つ棒が目に入った小1の記憶」に関する記述が無いか探して、この記事のみがヒットしたが、詳細性に欠けるため、少々詳述しておく。
小学1年生の時の私が、当時住んでいたさいたま市中央区のマンション(与野市時代にも住んだことがある・途中上尾市に母1・子3が移住したこともあるが)横のオマケ公園で私と上の弟と母、それによその子やその保護者など複数人が一所に居た夕暮れ時のことである。
上の弟が手に持って振り回す棒が、振り向いた私の右目にヒットしてしまった。
そうなる前から薄々危険性を感じていたのに、「危うきに近寄らず」を知らぬまま愚を犯した(危険を冒した)ということになる。
それで、翌日は眼科(与野駅から西に広がる商業地域内のどこか)で診断した記憶がある。

私の右目の視力が著しく劣っている(0.3ほど)点について、この昔話が通説となっている。
でなければ、どうしてPCを毎日長時間しても眼鏡をかけずに済み、母親自称「両目1.5(小3頃の記憶)」でいられようか。
私は生まれつき目が強い方であるから、右目だけ偏って低いということは、この小1の時の出来事が禍根を残しているとしか思えない。
同時に、この昔話について何らかの手がかりもほしいので、母親に聞いてみるとか、診断書を探す(蓋し前の家にあろうことと思うが)などもしたい。


2014年7月28日月曜日

月なき夜の、天体観測

↑本日5時前の朝焼け「鳳翼天翔」

今日2時40分以降、星を見たくて近所の公園に足を運んだ。

蝉の不気味な呻き声が四方から鳴り続ける・・・。
今にも儚き命の灯火が消えようとする、断末魔の叫びにしか私には聞こえないね。


月が出てないよう*1で、広い場所に出れば数え切れない星々*2が淡くも光っていた。
南の方を望めば、白く太い筋が一瞬駆けていった。
調べると、この日は肉眼で見える流星群*3が現れる日らしい。
今日ここに来て正解だと思う俺であった。

しかしベンチに座ってから(それまでは広い場所でずっと立ち続けていた)ほどなくして、遠くに大きな白い影*4が数メートルほどの高さの場所で舞う様を複数の方向で見られたため、恐怖心を覚え足早と公園を退出した俺でもあった。

最初に期待したことは、「かわいい女の子が一人で星を見に来てたりするかな」と思ったが、天体観測や昆虫採集の親子連れさえ見られず、園内を行く者は広い場所=芝生で立っていた時に別の道を歩く人間一人であった。


*1・・・月齢でいえば、新月、いわゆる朔月、咲く時・・・くらい。
*2・・・数十個。50前後と見られた。
*3・・・みずがめ座δ流星群で、たまたま今日か前後あたりがピークらしい。
*4・・・広い場所から、通り脇のベンチに座った際、広い場所と比べ照明が近くにあり、白い影の近くにも照明があり、それに照らされた虫だろうか。仮に鳥なら雀サイズ。夜に雀か。

2014年7月27日日曜日

17歳・言語学者(自称)の語り

アレの作品のキャラクターは、下の名前のローマナイズド表記でRとMが付く名前が散見される(某RIM MRS RMA RMLA以下略)。
私が見出した法則の適用が、アレっぽい名前の一要素たり得るやもしれぬと考えた。
そこで、日本男性人名に限りRとMを含んだ下の名前はないか思索を巡らせた(西洋人にはマリオMarioがいてこれを麻利夫などと日本人名に転用できなくもない)。
例えば、モロ女性名を苦し紛れに中性的と見て、男性に付けるのはナシの方向。

真史という私の名は女性に付け難いでしょ、これが好例だけど、マサシから考えてマサタロウなんてどうか、RとMはMasatarouのように付く。
しかし、しっくりこない名のため、再考。

そして浮かんだものが妙太郎=ミョウタロウMyoutarou。
どうしても太郎に縛られたけど、"妙"ならどことなく幻想的?いや、仏教的。
それがアレの世界観にややマッチしてる。
妙もいいが、仏教だと所謂呉音といったものが、メイの発音をミョウと変化させる場合も多いので命や明や冥や名などを用いるもよし。

呉音は、eiの発音がyouの発音に変化するなどの法則が強いとの私見。
セイの発音も同様にショウと変化させるが、日本仏教では呉音にさせる必要あるの?みたいなものも呉音にさせる例も多い。
呉音のもう一つの音韻変化は、ツがチに変化するもの。
血はケツ、罰はバツと一般的に読まれる(漢音)が、呉音ではケチ、バチ、と読む。
バチなら、バチが当たるという表現が世間一般に浸透している。
ケチという読み方は、血脈と書いてケチミャクと仏教徒は読むのだ。
血脈相承などが著名な例・・・といっても当然諸君の知る言葉でないよね。

日本仏教に少しばかり詳しい自信があるけど、本場インドもまた然り。
以前サンスクリット?梵字か何かを用いたアートを載せたよね。
当然詳しい人ならこの字の意味が理解できるよね。
今、自分でもどういう意味か失念したので、調べなおしたら割と著名な・・・

アジュナ アージュナー アージュニャー

こっちの言語も興味があるけど、実用的な日本語英語学び続けてからね・・・



このように些細な疑問から羽を伸ばしたかのごとく展開してゆく言語学論議。
これはこの分野に精通した私の成せる業だと思わないか。
17歳でPC一つにしてこの知識量と学習能力は神の申し子そのものなのに、日の目を見ない。


2014年7月25日金曜日

夏休みになると、子供は朝6時から外に出る→ラジオ体操?

↑向かいの家の女の子を撮影。窓越しに撮影したので下部は窓枠。

7月23・24・25日と続けて気付いたけど、夏休み前なら普段この子達の登校時間は早くて7時代前半、多くは7時半からで、夏休みに入ると主に幼稚園児・小学校低学年・中学年が6時半になる前から盛んに外出してる。
なお、その殆どが公園の方向だ。
去年10月に越してきた向かいの家の子供もまた、ご多分に漏れず。

まあ6時半より前からということに驚くなかれ、私の場合、本日25日は夜中3時半に外出した。
帰宅後すぐに風呂へ入ったりもした。

※この文章書いてる間際、6時45分以降公園方面からもう既に続々逆方向=帰宅か、即ちラジオ体操みたいなイベントでもあって、すぐ帰ってるのかね。早いって。みんな首から謎の紙を下げてて、もしかしたらラジオ体操の参加記録か?与野に住んでた頃、ラジオ体操が近所の公園であったもんで、その記憶が・・・ただし俺は一度も参加しなかったが。当時中央公園か、通りすがりに「集団で群れててきめぇ」って小1ながらに思ってたね。先天的な自閉症?この時代から俺は。


子供が外で長時間遊ぶのは喜ばしいことだと思うよ。(ラジオ体操なら長時間じゃないし、実際に30分足らずで帰宅したっぽいけど)
ゲーム・ネット等で堕落させまくるのも悲しい話だと思う。
全くそれらを断ち切れと言うのでなく、病的に、中毒的にやり込むのはどうかなあという。

弟も、夏休み入る前から公園で遊ぶ時間が増えて、健康的でいいことだと感心。
外で遊ぶ友達も出来たに違いないよね。うらやまんこ。
家に招いてもいいのよ、って気だけど、母親が許さないから招かないのかな。
排外的な面もあるかもしれないから、執拗に家を汚されたくない、トラブルのリスクを被ることを避けたい、干渉されるのを拒んで。

ついでに、夜中に外へ出て可愛い女の子が出歩いていないかな、って思ってる。
某アレも夜中外で戯れるような子とか多いよねって話だけど、やっぱり現実に都合よくめぐり合えないものかね、まあそんな子たちを作中じゃ主人公は厄介払いしてるけども。
俺だって夜中に虫が飛んでるのは怖いけど、今日は酷いこともなかったね。
夏場は昼間とかその公園は近距離でセミが鳴いてたり、木々の間には人の背で及ぶ低さにクモのデカいのが巣食う。
本日のその外出では結局若い男性一人、新聞配達のべ二人(同じ人なのか判らない人を2回見た)なために、仮に女性がいてもおばさんかもね。
そんな女の子は日本全国にどれほど、ましてやこの豊橋の近所でいるのかね。
近所なら俺しかいないんだよぉ。

2014年7月23日水曜日

謎の文集 "Redeemer is extending his arms like the Crucified on the cross."

"Redeemer is extending his arms like the Crucified on the cross."
主はあたかも十字架に磔にされたかの如く、その腕を広げていた。

思ったけど、「磔る」っていう動詞はほぼ造語状態で、辞書サイトに載ってないね。
「張り付け」と違い、磔は送り仮名のない単一の名詞で・・・
ようするに、磔られた→磔にされたが正確になるということか。

この自作英文と当記事の関連性は、記事最下層まで見ると理解できるよ。
ちなみに「磔られ」はもちろん、この頃挙げまくりの某作品セリフね。
つい触発されて改変翻訳文を書いて、用いたくなったんだよ。

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御前オンマエ 御年オントシ 御身オンミ
御名ミナ 御心ミココロ

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眠いよぉ・・・
首に手をかける

気持ちいい これならぐっすり眠れるわ
そう あなたはぐっすりと眠れる 二度と目が覚めることがないくらい
(彼女の首を強く絞める)

ああっ 苦しいよぉ・・・
ふふふ

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夢の中の話です。(ということにしておいて・・・)

凶悪犯の男にレイプされ、殺害されたと思われる女性の生存を確認した。
女性は妊娠しており、出産すると決めた。
しかし、出産と共に女性は亡くなった・・・

そして、凶悪犯の男と、凶悪犯に怨みを持つ女性の血が流れる乳児を危険児と見なし、頑丈な地下金庫に息を引き取るまで閉じ込めたが、その後3年間安楽死された胎児の存在が忘れられたまま、不意に閉じ込めることを決めた人が思い出し、別の人に死体の片付けを頼ませた。
その金庫で見たものは・・・

を曲にしました。

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http://masashi.doorblog.jp/archives/28667456.html
1年前、血液型と人間性を結びつける人にお怒りの俺がレミパチェを利用して書いた謎のSS。



パチェ「こんな眉唾な本に自費を投じて手を出すだなんて、愚の骨頂ね。」
レミィ「え?小説もフィクションだからくだらないんじゃない?」
パチェ「そんなことないわよ。現実と幻想を区別した前提で読む小説などと違って、虚構をあたかも現実のもののように記して騙してる本にお金を出すこととは違うわ。」
「これがもし虚構である場合、それが完璧に実証されて誰かが即消費者庁に届け出れば、一斉に排除されるね(フフ 著者の存在も抹消」
レミィ「誰あんた!キモッ!」

結構昔、そんな本が流行ったよね。
これで暴利を得ている強者に抗う術は、俺に存在しないのさ。
悪辣にも狡猾で、また人々を魅了させる・・・

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14132267924

同じ境遇の者の間にも、私は自己研鑽を怠らない姿勢で奔走し続けていて輝かしく立派ですよね?概して私と同様、10代中卒無職引きこもりだと毎日、長時間のゲームなどで自堕落に余生を過ごしますし、私の2012年8月に父宅へ追放された弟の一人は、今年3月に追放前の家での中学校卒業証書が発行されるも本人の手に渡っておらず、おおよそ現在は高校進学意欲もないでしょうし、まず住民票移ってないので高校進学不能で父宅にて毎日ゲーム三昧でしょう。
一方私は同じ10代中卒無職引きこもりでも、知識欲旺盛で毎日ネットで複数の外国語を学び、高度な日本語も学び、尚且つネットでブログ投稿等で勉学に励みつつも、音楽等の芸術も嗜む文化人です。
中学生までは、親や周囲の人間は私の天賦の学力に気付かないし、私も学習欲に乏しいながら好成績のみ収めていました。
勉強は、幼い頃から親がもっと縛り付けるように強制することで高校までに頭角を現すものですし、小学生でも教育一家っぽいお家の子は、コンクールか何かでいつも表彰されてますが、私は人生で一度もありません。
習字にしても絵にしても、読書感想文にしても変な啓発の作文にしてもほぼ全員にチャンスが与えられるこの分野で、意外な人も受賞しますが私は一度も。
習い事は親が強制してやめさせないことで、空手なり柔道なり続けさせれば成人あたりには誰でも段位を取得しているものですが、この面も善悪の区別も付かない幼き日の私がアレやりたいと言えば通わせて、やめたいと弱音を吐くとやめさせるという一貫性のなさ。習い事とは、小1~小3における算盤・囲碁・合気道を指す、ほかに学習塾などもあった。個人的な関連情報に一つも検索ヒットが無いので改めて追記する
教育に関して何の信念もない親たち。
だから子供も友達作れなかったり、いじめられたりするんだよ。

それでも、自分を変えたくて日々敢然と驀進する私の形容しがたきその勇姿は、誰に認められずとも勇壮たる優美なものであり続けている。
語彙の豊富さが、その顕れと考えても差し支えない。
暗黒の密室の中で苦悩と苦悶に喘ぎつづける毎日の中で、人知れず親に知られず勉学を怠らないこの姿勢が明るみに出る日はいつか。
母親は当然私の姿勢に気付いてないでしょうし、私が少し衒学的になって仄めかしても気付く由なし。
鈍感な上に、高校進学等無駄な画一的教育路線をいつまでも進める、お前のせいでまともなコミュ力失って高校なんか仮に進学できても続かねーよ。
ネットの人へ仰々しいまでに伝えようとも伝わらなくて、常に不運な僕はいつまでも日の目を見る時は来ないのだろうか。
死後、評価を受ける。生きてるうちは永遠の磔刑を受ける聖者。



2014年7月19日土曜日

デイサービスを受けてからの認知症祖母の体調の変化

祖母は、デイサービスを受け始めた今週火曜日から、見るからに調子が戻ってる。
当然ながら、一方で認知症もボケも治るわけはない。

言いたい事はわかるだろうか。
ボケたまま元気になるということが恐ろしいという意味だ。

あのばあさんはこっちに来た3月22日から3ヶ月もしない内に声も小さくなり、私からほとんど聞こえないようなほど減衰した。
以前も書いたけどね。こっちに来て明らかに鬱が進行したかのような状態になったって。
最初の頃はもっと声が大きかった。

デイサービスからの帰宅は毎日17時頃だが、3日目が終わり家に戻って、母親は「疲れたでしょ、だから2階で休憩しててね」といつものように祖母を部屋に籠もるよう促すわけだが、当然ばあさんは従わないor覚えられない状態は相変わらず。
祖母は3日目と4日目終わり以降の家での様子は、以前より水を求める行動が強く、疲れもみせずひっきりなしに2階から降りるが、当然母は2階へ戻るよう、再三再四再百繰り返す。
降りる頻度が増えてるのみならず、派手にノックをしてしつこく水を求めだす。
またしつこさが復活したわけだ。

デイサービスが祖母の体調に好影響をもたらしたのだが、必ずしも家族に恩恵があるわけでない。
逆に恐るべき事態が到来したように見える。
デイサービスは、顧客や家族に好も悪も、何かしらの影響が及ぶものであるとわかったね。

追記:2014年7月19日18時頃
祖母の止まらない暴走に、ついに母が手を出した。
どうしてわからないの!」という声に続いて、何かを叩くピシッという音がした。
祖母はいつものように汲んだ水を一滴も飲まずに捨てたらしく、まあいつものことだけど今回は我慢の限界だったのか。
毎回怒りを抑えてなだめる(?)ように「だめだよ」「そこは開かないよ(祖母出入り封じのドアのこと)」とやり過ごしてたけどね。
この際飲まずに捨てる祖母に「顔を押さえつけて無理やり飲ませろよ」っていつも思う。
もちろん虐待云々でやらないだろうけど。

2014年7月18日金曜日

雨上がりも換気していると部屋に謎の臭いが流れ込む

認知症婆に係る特殊事情で、母親に限定的入室の許可をしているが、退室の間際に母親のいつもの口癖「臭い」と言われて後に送ったメールの内容


"今日の俺の部屋は確かに臭かった。
前の家の草刈り後の庭の臭い(以前住んでた家=現父・失踪弟宅での経験)や、長時間水を取り替えてない水槽の臭いだよ。
雨上がりは特にこんな臭いが強い。
これは外気を取り込んでるからで、発生源は俺の部屋ではない。
良かれと思ってしてるのに、かえって臭くなるなら俺は換気なんてやめたくなるよ。

外を歩いていて、すれ違った歩きタバコのおっさんに感謝したよ。
こんな臭いならタバコの副流煙の方が心地よい。"

そう。外は悪臭が漂っていて嫌気が差していた。
部屋の中でも外の悪臭が流れ込む上、外に出てみればその臭いが一層強まる。
部屋で料理してる俺が換気するために窓を開けて空気を換えてるのに、それが悪く作用して外の悪臭が流れ込む。

この日の外出は午前2時台、前記事に引き続き、やはり向かいの家に野良猫発見。
猫の話は、悪臭と無関係。

2014年7月16日水曜日

豊橋に移住してから3年間で、可愛いと思った女の子。美女。

2011年4月に埼玉県内から愛知県豊橋市に移住し、豊橋市内ではほぼ自宅近辺のみの移動に限られていて、最初の頃せいぜい市内各所に親に連れて行ってもらったほどでしかない。
他には、2012年7月、自動車(母親の車・バス)利用も、大火傷を理由に豊橋駅前や豊橋市民病院などへ数度と訪れたのみである。

自宅近辺への外出頻度さえ乏しい状態だが、通行人の中に可愛い女の子がどれほどいたか。
私自体、人目を避けたいので深夜早朝・平日昼間に外出してばかりだが、2012年まではそうでもなかった様子。
そう、私は2011~2012年の間に今でも記憶に残り、尚且つ唯一可愛いと思えた子に邂逅した瞬間があったのだ。

後ろ姿など、顔が見えない状態で私の興味を惹く条件は体型・髪型・服装になるし、こと服装と体型は密接に関わってる。
その女の子も無論、私の前に歩いていてわざわざ回り込んで顔を覗き見るとか追い越して振り返って顔を確認するとかそんな高度な技術は持ち合わせていないので、後ろ姿のみの判断になるが、だからこそ顔が気になるんだよねきっと。

ここまで回りくどくどんな子か書いてない俺。
やっと書くことにする。髪型→黒で長いすごく綺麗 体型→痩せてる(これが大前提なんだけどね)身長は普通 服装→赤いジャージ(DQNっぽいけど)

これが私が豊橋に来て今尚気になり続けてる子。
もう2年くらい経っていて好ましくない変化もあるかな。
当然髪が長い子は大抵若い子だからここを離れて遠くに住んでる可能性もあるし、まあ依然としてやっぱり二度目は見てないね。

私も後ろ姿で綺麗な人、とか思われてるかもしれないけど、男だよ・・・


あと、この頃昼夜問わず猫が盛んに泣いてる。
この一か月か、本日19時15分にも鳴き声がして化けの皮を剥いでやる(色んな意味で)気で外に出ると家から南に3匹集団発見、家から北にも1匹で鳴いていた。
俺の存在に気づくと別建物敷地に逃げる。人様の土地に傍若無人に逃げ込むか。
すると19時21分、家のすぐそばに鳥のような鳴き声。
駆けつけると猫が庭で何かを食らっていた。

証拠動画http://www.youtube.com/watch?v=6Yb2c91dXN4


http://www.youtube.com/watch?v=x6r5aQjziTY


あーかわいい、かわいいね、猫ちゃん。
煩わしい害獣より可愛い女の子が増えれば(ry



追記: 2017年某月

ふと、この記事を思い出したので、この記事の話題に合いそうな近頃の投稿物を紹介する。
2016年7月30日に「可愛い女の子(想像)」の絵を描く際、豊橋市市街地(広小路あたり)の風景に基づいて背景の街並みとした。
以下リンク先にて、少々スクロールを要す。
http://masashi.doorblog.jp/archives/48474794.html#s1


これを静止画の素材として用いた「音楽動画」もある。
http://www.youtube.com/watch?v=A_93d_RwunQ

2017年2月25日には西八町交差点(豊橋市役所付近)の歩道橋の上のような場所を描いた。
前の絵もその絵も、建物の様子を実際と違うようにした(個人的な美化というもの)。
以下リンク先にて、紙面2とする項目あるが、長い文章と多くの画像が記事全体に渡っている点を注意したい。
http://masashi.doorblog.jp/archives/49621541.html#s2

こちらも、音楽動画に用いる予定がある。
なお、私は現在も、当記事執筆時(2014年7月)と状況が変わらない。
ちなみに、自宅近辺の猫は、2014年だけ異様に多かった状況であって以後は姿も声もほぼ無い。


2014年7月12日土曜日

引きこもり生活を科学的に分析する学問

今までなかった学問だと思う。
近い身分の人たちは同じような生活をする、これがある学問の通説でこれに準拠した研究などをするわけだが、引きこもりに焦点をあてて研究してる人は嘗ていただろうか?
例えば引きこもり生活で一定期間風呂に入らないことは体にどう作用するか(肌荒れや抜け毛になりやすいか、なりづらいか)、どういう食生活や就寝時間・睡眠時間に外出頻度で、これもどう影響があるか(精神衛生面や疫病に対する抗力などが増えるか減るか)など様々な主題が提起される。

ヒキにも自称するだけで実質を伴わないタイプもあるから、混交としてしまいがちになるため、予め明瞭に定義付ければ捉えやすくなる。
その定義に当てはまるヒキを100人ほど集めて(応じる時点でヒキなのか?)健康診断を行って平均的な体調の傾向を見出して・・・
例えば体脂肪率や血糖値とか??

仮説を立てると、ガチヒキでも体脂肪率は二極化するに違いない。
私のような食欲不振の痩身型か、運動しないくせに普通に食欲旺盛の肥満型。

血糖値については、痩せてても菓子を多めに食ってる人が多そうだから(偏見)、こればかりは痩せてる一般人より多い傾向になりそうだろう。

こういう仮説が証明されるか、覆されるかが、健康診断などの分析を通して結果に示されるとよい。

2014年7月10日木曜日

知的障害の弟から認知症の祖母へ宛てた支離滅裂な紙文書


※紙である毎に逐一スキャンするのも躊躇われる。


弟が口頭で交わす言葉こそ、特有の抜けた雰囲気あれど誤解しやすいものではない。
また、文章も同様なものと思ってはいたが、半年ほど前の文章と今回の文章では能力の劣化が露見する。
「これで認知症の祖母は理解できるのか」と思ったが、いいや誰が正常な文章書いても痴呆さんには理解&記憶してもらえないね、そもそも。

弟の文章は言葉遣いもあるが、何より目立つのは、途中から助詞の使用が欠如していること。
ものには、助詞を書かなくても意味が伝わるといえば伝わるんだけどね。
ただ通常の感性ではここまでの乱文も稀であろう。
本人はその点に気づいているが直さないか、気づかず誤りはないと思い込んでるか。


昔の同級生で外見も性格も、知能も残念な普通学級所属の女子生徒がいたが、なぜ養護学級でないのかと悩まされたものの、やはりまだその人は辛うじて健常者にあたるのだと思わされた。
弟よりはほんの少しばかり正常だったのかもしれない。
でもその健常者という判断が冷酷か、普通学級でいじめなどに遭った人。
その人には多くの家族の励みがあったから不登校にもならず、逞しく(図太いゴキブリ)通学を続け、それでも苦痛故に中2で転校してしまったわけだ。
私などいじめ系不登校児は片親世帯や一人っ子にあるもので、私が中2埼玉在住時父親と2人暮らしだったから当然でしょ、親や教師に気軽に相談できるほど厚かましい人間でもない俺。
気軽にペラペラできれば不登校にもならないし、そも、いじめにさえ遭わぬ。


2014年7月5日土曜日

認知症・痴呆老人の介護で母は失業する恐れがある

この頃、痴呆老人のために時間を捧げる頻度が増えてる母。
痴呆老人のため=風呂に入れてやる、病院などへ連れるなど。
時間を捧げる=仕事を休む、職場から早めに抜けるなど。

仕事というのは一定の献身性も求められるが、母はその最低限のラインを下ってしまったと職場の上司等に取られれば、クビの恐れも出る。
あの痴呆老人は大人しいだけなら人畜無害なはずだが、文字通り百害あって一利なしであるし、これのみならず一家の生活に支障きたす動作や、経済を圧迫させる原因にもなってるし、決まりを百度千度と言えど守れぬボケだから迷惑極まりないのだ。

水曜日は早退してばあさんを風呂に入れてやった。
木曜日は休日だから病院へ連れたが、金曜日も休みを取って病院へ連れた。
病院へ連れて点滴を打つなどしてるそうだ。
異常な痴呆に与える薬はないようなものだが。

これほどまでに母の手を焼かせる上、職場に見切られて失業してしまえば、家庭崩壊に至らしめるもはや疫病神そのものになる。
再就職は成功しやすい母だが、今度ばかりは難しくなるか?母も鬱になるのか?
母は昔からばあさんが嫌いだったなど私に言ったり、本人に直接過去の不満をぶつけたりもしていたが、できる限り暴力を振るわずに今までやり過ごしている。
俺も人殺しなどできない。そこで社会に害を及ぼす痴呆老人抹殺を画策する正義の者が通り魔的に殺めてくれることがあればいいと願うが、ああ、こんなこと考えてると私まで悪人ではないかといつも苦しまされる。
こういうところでも害を振りまく痴呆老人・・・

逆にあの痴呆老人は水を飲みたいのに飲ませてくれない母、ひいては一家に対して強い怨恨感情を抱えていれば、それが犯罪という形で現れるかもね。
それもまた問題な話なんだけど、これも家庭崩壊の一つのストーリーか。

あの痴呆老人は母親の精神を冒すほどに水を飲もうとして2階の部屋からなんども1階に来ようとするが、母親が家にいれば大抵すぐ食い止められ、何も主張しないですぐ2階に引き返すけどね、行動はウザい程なのに無言で従うのが気味が悪い。
何か訴えればいいのに本当に痴呆だよ。
母親の気を悪くさせるだけで自分にも水という利益はもたらされなくて無価値そのもの。
毎日こんなやり取り聞かされて、面白いこともあるが俺だって嫌な気持ちになるよ。
痴呆老人も鬱っぽさ激烈進行中だし、死んでも痴呆のままならいいが、このままじゃ祟りとかありそうだね、余計な不安をもたせるのも害悪要素の一つ。


追記:7月6日10時50分
親のメール、7月4日付けのものを今見たら、本当に辞職したらしい。
まあ解雇という受動的なものでなく、辞職という自ら志願、能動的なものではあるが。
痴呆老人の屋内徘徊の為に職を捨てざるを得ないとは!
5日付けメールにはTさんが「愛知からみんなで茨城へ来ませんか?互いに困ったことを・・・」のような提案をしていたが、昨日その時間は母が弟に「メールの内容がきちがい」と喋っていたのでこのメールに対して笑っていたのだろう。

2014年7月1日火曜日

きっと私はお茶中毒なのね。歴史を交えて。

私はお茶中毒っぽいと改めて自覚。
いつ頃からかな~と思索を巡らせたところ、中3の時よくコーラ以外にペットボトルの緑茶も買ってたな~と思ったけどもっと前のようで、小学校の頃から素質を持ってたようだ。
それは、小5の時両親離婚別居に伴い、父親の料理(最初の数ヶ月はコンビニ弁当ばかりだったけど)を食べ始めることになり、母親の高カロリー高脂肪食から解放されたと同時に、飲み物もほぼ毎食熱いお茶になったためであろう。

父親のお茶へのひたむきな思いは、暑い運動会の日にも、やはり水筒の中に熱いお茶を入れていたほど。
こればかりは驚いて「なんで熱いお茶なんて!」と問いただしたりもした。
このとき間違えなくみんなは冷たい飲み物だっただろう。
熱いお茶にした理由を弁明していたが、私は今忘れている。

その他健康的な食生活によって小5~中1はゆっくり痩せていき、更に加速させるように中1~中2には自発的に鍛錬を続けたことで身長はこの間しっかり伸びるも、体重は1kg以上落とせた。
ゆっくり痩せる=微弱な増減の推移

以前もどこかで父親の料理について書いたけど、ここにも記しておこう。
朝食はご飯・味噌汁・お茶(熱い緑茶か冷たい麦茶等か時期により分かれる)は確定。漬物・納豆・佃煮・焼き魚などいずれかが出る。魚へのこだわりも父の故郷・鴨川を思い馳せてのことか。
昼は・・・色々。もちろん平日なら俺学校、父仕事だったろうし。
夜は・・・平日の場合覚えてないね。自分で作るしかなかったはず。休日などならカレーが出ることも割とあったかね。その他少し多めに。

上記の通りほぼ毎食お茶が出ただろうね。
もちろん甘い飲み物や牛乳なども多かっただろう。
同じ食事中に飲んだのだろうか?
やはり私はこの時代の影響で今がお茶中毒であるといえるね。

そういえば、小3くらいの時にウーロン茶中毒だった気が・・・
そういえば、中1・鴨川葬式の時、父実家においてあった大量のペットボトル茶(350mlほど?)を3日間のうちに一人で10本くらい飲んでた気がする・・・
あのお茶ってもしかして弔問客(参列者)のためにあったのかね・・・いかんな。