Google+ サービス終了関連情報 + コンテンツのバックアップ

Google+ 一般ユーザー向けサービスの終了については過去記事を参照されたい。
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/08/plus-jul-2018.html
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/10/purpose-of-using-blogger.html

アカウント① https://plus.google.com/u/0/+MasashiYokono (perm.: 113853869960515555243)
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一アカウント"Masashi Yokono (Archives)"のプロフィールより

1997年生まれ・横野真史です。読みはローマ字表記の通りです。
当Google+アカウントに関連したBlogger「学術的メモ帳ブログ(全記事リスト)」では、「日記メモまとめ記事(日録カテゴリ)」や、学問研究・研鑽に関連した記事を投稿します。※2016年7月14日に発生した画像管理の異常事態について折々に対処しています。 [ブログ画像リスト] 当Google+アカウントに関連したYouTubeでは、それらと類似した話題の動画が投稿されます。



2017年6月11日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/8nurcWmNJAA)
「男性絵師と女性キャラ (?)」という動画の説明文に引用される、自ら綴った文章の事柄に関して、大乗仏教の興味深い説を参照する。
維摩経の第七章の後半で「天女(devatā 漢訳では途中で天と短縮)」が登場する(梵語と3漢訳を参照)。天女の最初の出番は、維摩居士と文殊師利菩薩が問答する舞台に現れ、花を散らせることであった。彼らと周囲の釈尊の弟子たちに華が至った後、天女は大弟子の舎利弗尊者との問答を始め、天女がリードする。舎利弗尊者が「あなたのような徳の高い人は男であってもよいほどだ。なぜ自ら女の身を転じないのか?(経典には性転換の逸話が多い・後述)」と問うた。すると、天女は「私は自分に『女の性質"strībhāva"』を求め続けても知り得ませんでした(膣や子宮や卵巣や男性も持つ女性ホルモンが女性の本質・エッセンスだとは言えないし声や性格なども女性らしさの根源でない)。本質的に女性でない者が男性に変わることはできません。例えば、幻を用いる術者が幻の女人を映し、見る者が幻の女人に対して『なぜ自ら女の身を転じないのか?』と質問することは正当でしょうか?」と問い返し、舎利弗尊者が「否。幻には実体が無いから転じる対象が無い(もし幻の中での男女の定義はあっても幻の外に同じ定義は通じない)」と答えた。更に天女が「あらゆる物事"sarvadharma"は、幻の性質"māyānirmita-svabhāva"と同じで存在しないのに、どうして尊者は『なぜ自ら女の身を転じないのか?』と問うのでしょうか?」と告げると、神通力を発揮し、舎利弗尊者を天女の姿に変え、天女は自ら舎利弗尊者の姿となった。そのまま「尊者が自ら女の身を転じないのはなぜですか?」と問われた天女姿の舎利弗尊者は「男の姿"puruṣarūpa"を転じる方法を知らない私が女の姿"strīrūpa"に変わった」と答えた。天女は「今の尊者のように、私は女性の姿で現れるだけであり、女性"strī"ではありません。あらゆる女性の人も同じです。仏は『一切諸法(ありとあらゆるもの)は女に非ず・男に非ず"sarvadharmā na strī na puruṣa"』とおっしゃいました」と語る。

・・・、天女が引き合いに出した「幻を用いる術者が映した幻の女人(幻影・幻像)」とは、私が説く萌えキャラ概念そのものと考えてよい。この萌えキャラ概念とは当の動画説明文にある「雖似女相。非女非非女。男相亦爾」である。「女性」や「男性」という固定的な性質は存在しない。経典に出た「非男非女"na strī na puruṣa"」という言葉は「無精子症の男性・不妊症の女性」など他の意味を生じる恐れがあるので、別の経典では「非非男非非女」と否定形を多重に重ねることもある。「非非男非非女」は維摩経でも活躍した文殊師利菩薩に対して釈尊が発した、文殊師利問経の言葉である。そこでは、何の分別も用いず、任意の客体が存在しないとさえ思わないための「修行智慧波羅蜜」が教えられていた。このような真理の立場では、当然「男女平等(もっと言えば不平等非不平等)」であるが、比丘・比丘尼の戒律差別(八敬法など)があるように、世俗法では男女の差別が存在する。

思えば、仏教の経典にはしばしば、「性転換・TS」と呼ばれるようなシーンがある。「変成男子(へんじょうなんし)」といい、法華経では八歳の竜女が男性の身に変わるシーンが表現される。法華経の竜女は世俗的事実を示す意味があって「変成男子」の形式を取ったろう。善巧方便である。女の身体のままの成仏(即身成仏)は世俗的事実として説明しづらいので男の身体に変わって菩薩となるという演出を経た(真には男女の区別が無いため)。なお、法華経の同シーンにも文殊師利菩薩と舎利弗尊者が登場している。釈尊が説いた彼自身の過去世にも、女身から男身になった話(大正蔵0179 銀色女経の前半)がある。

※当投稿はhttps://www.youtube.com/watch?v=ncbatUTaC8c を共有した





2017年3月4日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/2WJKd82vL3m)
「萌えの心という精神作用」と、「萌えの絵という事物」とに関しては「萌・可萌」や、「愛・可愛」と表現できる。こう表現すれば、中論の観燃可燃品などの考察にも通じてゆく。萌えの絵を描いた人物にせよ、萌えの絵を見る人物にせよ、それを可愛らしいものとみるから、萌えの絵は「可萌」や「可愛」と命名できる。萌えの絵自体は、心のない人が見れば萌えの絵と認識されないし、人間が誰もいないならば絵とも言えず、ただ「そこにあるモノ"梵: bhāva 英: being; 梵: tattva, 英: thatness"」でしかなくなる(モノとすら表現できない真如実相か?)。中論(または般若経典)では「炎・夢・乾闥婆城・幻化人・鏡中像(23:8-9偈)」と譬えている。萌え絵の萌え絵たるべきエッセンスは、萌え絵の中に無いということである。萌え絵と心のある人との関係性から「萌(萌えの心・愛)・可萌(萌え絵・可愛)」が想定される。この"想定のための命名"が「仮名(けみょう)」である。萌義條脚注にも「因果先後は仮に説く」と記す。物事(人間の認識ありき)にエッセンスがあるとすれば「仮名」のみである。

観燃可燃品の話に入る。「燃やすもの・燃」である火は、薪とか石油などの「燃ゆべきもの・可燃」が無いと発生しない。燃える原因・燃やす対象なく火が起こるならば、燃焼作用なく炭化もせずに燃え続けねばならないが、それは根のない花が空中で咲くよう(虚空花)であり、科学的にありえない。一方、燃える原因となる薪はただの木材であるから、摩擦や落雷などの他縁なくして火が起こる結果は無い(原因と他縁と結果という三者は別々にあるわけでない)。薪の中に燃やす作用の原因は無い。手術で胸を開いても霊魂が抜け出ないように、薪を割っても火(火の源)は現れない。他縁によってこの「薪」とも「可燃」とも呼ばれる何かがある。一方、「燃(燃焼作用・火)」と「・可燃(燃料・薪などのもの)」は一体でなく、別異でもない。「燃え」ならぬ「萌え」の一語は、仏教の因果を雄弁に説いている。女性的であり男性的であり、中性的だが中性的でない妙相はありがたい。萌相は善悪・愛憎の心が無い(無記)ので、我々も萌相に男女の相を感じても執着せず、淫欲や嫉妬の心が起こらないようにすべきである。

ほか、観顛倒品などによって考えると、物事に「浄」の性質自体は無いから、反対に「不浄」の性質も無く、絵自体に「萌える精神作用を起こさせる性質」は無いから、反対に「不快な精神作用を起こさせる性質」も無い。「浄・不浄」も「萌・不萌」も、ともに物事の中に無いから、物事ありきで心が「これは浄だ(脳裏では浄でないものを別に想定)」や「これは萌だ(脳裏では萌でないものを別に想定)」と分別することを「顛倒」と称す。「顛倒」は心の中にあるかといえば、そうであるわけでもない。物事と心との関係性に「顛倒という状態」を想定して名称がつけられる。一方、心の外に顛倒があるならば、「顛倒という状態」は成立せず、顛倒はどこにもなくなる。仏教では、一応の教理の説明のために「心の所有(実際は有しない)」である顛倒や煩悩を捨てる・滅ぼすよう説いている(この方面は主に小乗)。この方が、便宜上、説明しやすいためである。いわゆる二諦のうち「世俗諦」による説法のことである(中論24:8偈)。因縁(物事の関係性・空)の上で説明が付くから、大乗仏教が進むと、顛倒や煩悩が頓に(俄かに・速やかに)捨てられるものという説明に留まらず、そもそも本来は無いものとして説かれる。自性清浄心などと表現するよう、浄・不浄の分別のない悟りの立場で人間本来の心・自然性を浄と呼ぶこともできる。存在・認識・対象などを包括した三萌義が「みな萌え」であると表現するよう、同品も15偈に「執着の手段・執着の行為・執着する者・執着の対象」が「みな寂滅の相」と説かれる。

※当投稿はhttps://www.youtube.com/watch?v=O4DLkQQOkik を共有した





2017年1月14日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/RFeWNhUVsDd)
ある人物へ憐愍を垂れてみた↓
あなたのおっしゃる「密教ヨガ(瑜伽・ヨーガ、サンスクリット語O音は長母音に限る)」とは何でございましょうか。「密教」とは、枕詞でしょうか。また、あなたほど私の動画を長期間に渡って見てくださる方は恐らくいらっしゃりませんが、喜びは微々たるものであります。その期間においてすら、途切れ途切れでありましょう。真に私を観ようとするとき、言葉を学ぶ。萌相を知る。萌相を観る人は萌相を鏡として自身の煩悩を照らし、対治する。讃萌語に云う「男子(なんし)の婬欲を減らし、女子(にょし)の嫉妬を和(やは)す。觀萌は男女をして一往の著(ぢゃく)を離れしむる利益(りやく)あり」と。真に私を観ることは、萌相を観ることであります。萌相を観ることで自分を覆う煩悩を対治して「真の自分なき真の自分」を見るため、真理のその報身と、報身たるべき「自身なき自身」とを観ます。

釈尊(能耕心田師)は云う「ヴァッカリよ、我を見る者は法を見る。法を見る者は我を見る」と。また云う「此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す。諸仏も亦然なり」。日蓮大聖人は云う「此の御本尊、全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と。私の言う萌相とは、釈尊の法華経、日蓮大聖人の御本尊の如くに大事となります。私の喜びは、萌相を観る人が「萌と我との無分別」の境地(両萌融通・相応)を得ることに尽きます。ゆめゆめ怪しいワザ(邪命)にてまやかしをなさらずして菩提を成ぜられんことを・・・。

※当投稿には添付画像アリ



上の投稿のコメント欄・2017年2月8日
その人物は、本文にもある通り、断続的に私を追っかけたり辞めたりと繰り返す人で、今はまたYouTubeチャンネル登録をやめたりGoogle+のフォローをも外した様子である(私がGoogle+で直接コメントを送信するまで1年ほど更新を放置していたGoogle+をコメント以後に再開した)。私が仏教を学ぶ以前(2014年6月以前)の過去には、気味の悪さから除け者にするような扱いをしたが、それでも今はオブラートに包む形で仏法を説いた。相対的に、私へ多くコメントしたり私を長期間見てきた人だし、私は心が平等で愛憎もないが、贔屓しようと思った。仮にも縁のあろう方が仏の名を耳に入れて心に入れぬとは、悪業の因縁を感じてしまう。「是の諸の罪の衆生は悪業の因縁を以て阿僧祇劫を過ぐれども三宝の名を聞かず」とは是の如き人である。最も度し難き一闡提である。ただ仏様はこれを憐憫せられる。ありがたき仏縁も自ら捨ててしまう。放逸の輩は、穢き私の姿を喜ぶか、笑うか。また仏を見世物とでも思っていようか。萌えを以て男女の悪しき情を対治すべしと語っていように。「アイツに嫌われた」と思って「プイッ」であろうか。憎むべきは、その人の行動(身業となる)ではなく、根本原因たる精神(意業となる)・無明である。どうにかして本未有善の逆縁民衆に仏法を聞かせよう。





2016年12月4日 (https://plus.google.com/u/0/+MasashiYokono/posts/6rANSvVJWDS)
2016年12月4日、ふと、このページの存在を確認する経緯があったので、ついでに今までの共有情報と関連する過去の投稿を載せたい。
以下、2016年7月14日日記メモの記述の引用である。

8時20分以降は、色々とGoogleのサービスに関して様々な操作を行い、今もPicasaで管理されているBloggerの画像を何とか別の手段で管理できるようにならないか探っていた。Googleフォトの問題は過去の投稿の通りである。上策はPicasaからGoogleフォトへの移動だが、これは現状手段がないし、怠慢Google開発者がするはずもない。極め付きは、サービス終了予告を何度も延期したり5月1日が最終的な確定日時であったのに今もBloggerでアップした画像はPicasaに保存され、Picasaウェブアルバムでの管理もできるし、逆に「PicasaとGoogleフォトのデータ移動をできるよう準備している"Soon"」と書きながらいまだにそのページが設けられていない。良くも悪くも怠慢の極みである。

そうして操作する折、9時30分ころか、Bloggerで表示する画像のURLが失効し、HTMLにはその失効URLのまま残され、画像が表示不能となった。やはりGoogleらしい。虚脱感ばかりで怒りも悲しみもない。所詮そんなものであるGoogleが良かろうと悪かろうと、私には喜怒哀楽もなくなっている。一応、別途アルバムのURLを押さえてあり、ここで画像のURLを再取得して一つ一つ記事HTMLの画像URLを置換すれば元に戻せるが、本格的な実行は未定である。処理すべき画像枚数は200枚超に登る。10時0分に母親が再度電話を掛けてきたが、豊川特別支援学校にいる様子を確認した。前日より、本日が保護者会と授業参観日となっていたが、さっそく学校にいる。



上の投稿のコメント欄・2016年12月4日
この投稿の直後の情報が「限定公開で共有しました」となっていた。「限定公開云々」とは、最初から設定項目もないから自ら設定もできず、後から変更もできない。仮にそう表記して、事実は他の「一般公開で共有しました」という表記の投稿と同じ状態である。紛らわしい表現をやめてほしい。時間が経つとそのクソ表記が「一般公開で共有しました」に変わっていた。どこまで自己矛盾を繰り返す企業であろうか??いい加減、自覚してほしいが、GoogleにせよMSにせよ、今時の米国IT企業は凋落の一途をたどって戻ることは無いと何年間も分かりきっている。最近(11月下旬)、ビル・ゲイツ氏に自由云々の勲章がオバマ氏から授与されていたが、何かの冗談であろう。全体主義・人権蹂躙の極みであるMSの象徴である人物個人が、今まで良いこと悪いことをどう為してきたか、関係のない話である。MS一社の悪を増長させる、オバマ大統領任期の最後最大の悪であった。自由・人権尊重の功よりも、資本的な一面が評価されたのみである。





2016年7月20日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/PJXub9X1Tgm)
「集団ストーカー」に関して投稿を続ける人物は2013年の時点で住所特定をされていた人物だが、2015年以降の活動で住所や氏名や電話番号が大々的に流布された。
ネットの話題を呼び、たびたびネット住民のリアル干渉を催している(本人は住所特定されたなど気付かない上にそれも集団ストーカーの構成員と誤認を続ける)。
彼の最新動画VF4KV8mYdm8に投稿したコメント↓
仏教における業・報の道理、因縁について痛感してしまう。
思い込み(無明・迷妄)が現象化して思い込みを増長し、歯止めがかからなくなっている。
そうして身・口・意の三業を重ね続けてますます苦しみを受け、自覚もなきままになお悪業を積み続け、四悪道への堕落を惹起する。
一生においても無明のまま罪業を重ね、本末究竟に至るが、生生世世に敷衍すれば、四悪道の流転輪廻に尽きる。
反面教師も良い説法者である。何事からも仏教を学べて法悦を覚えている。

※当投稿はhttps://www.youtube.com/watch?v=VF4KV8mYdm8 を共有した

Androidアプリ版から共有設定を変えてようやくPCでも利用可能になったGoogleフォトの一部データに関する記録・・・添付動画は2016年7月14日8時にBluestacksのカメラアプリで撮影し、Googleフォトに共有したもの

※当投稿には添付動画アリ



上の投稿のコメント欄・2016年7月14日
残念なことにメモ帳ブログの画像は、
例の2015年1月31日までしか表示されない。Picasaウェブアルバムでしか管理ができないまま。

Picasa上でGoogle+共有機能を使うと以下のURLを取得でき、ここで管理可能。https://plus.google.com/u/0/photos/+MasashiYokono/albums/6014354984141525745
何より恐ろしいことは、未だにGoogleが改善しようとしない怠慢・無自覚である。





2012年未明に投稿して2014年8月14日に加筆した埼玉県某市立中学校レビュー↓評価: ★★★★★

私は虐められていた○野です。許せません。
平成23年度卒業生のM橋、K藤、K沼。
みんなに虐められ、友達がいなくても、日々の鍛錬"研鑽"を怠らず人知れず成績上位、誰に評価されまいと必死に我慢して通学した臥薪嘗胆の日々。
教師、同級生、唯一の家族たる父親。
高得点でも父親は褒めてくれず、満たされない承認欲求と挫けた執念。
いじめの連中は一年もしない内に僕のことを忘れるでしょうが、僕は十年経っても彼らを忘れることはありません。

この諫言がただの不快な戯言に感じるだけなら、その程度でしょうね。
これでもし公務執行妨害認定されたら一溜まりもない。
以前も芸能事務所に威力業務妨害の濡れ衣を着せられたこと@があったし。

直接反駁せず「ことば」がどうと豊川事件(豊橋在住の私は当然知ってる)を引き合いに出して、学校通信で遠まわしに敵愾心を発露させるくらいなら、完全に無視なさる方が大人だと思うのですが。
2014年まだ17歳の私は、周囲の大人がみんなこんな輩しかいないと思うとお先真っ暗。

いじめ対策に努めてもらいたいとの純粋な願いからの諫めです。
これを見てキチガイの戯言と切り捨てず、教職員は嘗て在校した犠牲者(当時13)の報われない悲嘆を糧にしてもらいたいです。
教職員に宛てるつもりは一切ありませんでしたが、このように回りくどいことをされればあなた方も視野に入ることになってしまいますな。
最初はいじめっ子がただどうと書きたかっただけなのに。

最初の投稿→2012年 最後の編集→2014年

※当投稿には添付画像アリ





2016年3月3日 (https://plus.google.com/u/0/+MasashiYokono/posts/AUoCr8XN5Co)
Google Photosで写真2枚のアルバムを作成した。Google Photosの共有アルバムだかフォト一覧だかには、Google+一部やPicasaやBloggerの画像操作で表示されるアルバムやフォトが表示されない。有るはずのものが無き存在とされている異常な仕様である。学術的メモ帳の画像管理の仕様がいっそう難解というか、こんな他所サービスの異常な仕様という枝葉末節に囚われると何も出来なくなってしまう、とまでは言わずとも、年々改悪ばかりが重ねられていることは相変わらず容認しがたい。そしてGoogleの恒久的問題である。メモ帳ブログ専用アルバムの現況のURL→https://picasaweb.google.com/113853869960515555243/bMWdxJ?authkey=Gv1sRgCMPWvI6i-o3heQ 特定文字列の互換性がないならば今後は為す術もないが、調査は続ける。またも本来の作業が先延ばしとなってしまう。Picasa終了の折に、きちんとPicasaのアルバム・フォト群がGoogle Photosに移行されれば良いが、中途半端に揃っているからそれ以上は無き存在のままに終わりそうで恐ろしく思う。

※当投稿はhttps://picasaweb.google.com/113853869960515555243/bMWdxJ?authkey=Gv1sRgCMPWvI6i-o3heQ を共有した



上の投稿のコメント欄・2016年5月25日
2chスレ1447921527@に書いた内容↓

2016/05/25(水) 15:25:03.76
検索しても>>620のレス以外に関連する情報がネット上に見当たらないため、このスレに初訪問する。
https://goo.gl/photos/6czEXhtCQ6XJhMZj7

この画像に見るよう、空いている期間の内にも幾度とBloggerを通じてGoogleの写真共有サービスにアップしてきたが、この2015年1月31日以後がPhotosなどではごっそり抜け落ちている。
それらの欠落画像らは、Blogger側やPicasa側で閲覧・使用ができ、後者では当然削除といった整理もできる。

Photosではこの画像欠落問題が未だに改善されていないため、現況Picasa Web Albumsが使えても不安は続く。
Googleさんには、何年も前から愚昧プログラマーが強硬的であるから今更改善などを期待はしないでおり、これ以上既存の写真などが雑多に乱れても甘受するしかない。
一応は同じ悩みを抱えたまま何もできない・どこにも話せない人々がいることを想い、こんなレスだけ残してスレッドを汚す。
これで解決策が少しでもネットに提示されていけばよいものだが・・・。

 横野真史・敬白

※当方はこのサービス・アプリだかをそのものとして使用したことは無く、主にYouTubeやBloggerやGoogle+などと連動しているようだから取り扱う必要があるのみである。
※「Googleさん・・・愚昧なプログラマー」とする記述は多くのサービスを利用する者ならば、意味するところは痛感熟知していよう。





2015年12月25日 (https://plus.google.com/u/0/+MasashiYokono/posts/iGxF9AGHHEu)
Google+新デザインで、この「コレクション」なるページのプレビューをした。まず、コレクションへの投稿をするボタンが通常ありえない画面右下に置かれており、私のようにすぐ気付けるなら良いが、普通の人には丁寧でない。また、投稿に載せるフォトをアルバムから選択するにも、一覧には狭小な範囲でランダムにリストアップされる。今日にわかに手を出した機能にすら、問題が散見されるお粗末な状態である。数年来のGoogleは、それでも強制移行することが多いので、今回も不備を解決せず専横なるままに、これをなすのであろう。






2015年12月19日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/1KcyvxJpqhn)
G+新デザイン、まあ近年のGoogle運営下のサービスで新しいデザインの試用版がリリースされてユーザーの是非はともかくとして、強制移行することは当然の流れであるが、同時に、その強制移行までの期間において、ユーザーから報告(フィードバック)される問題は改善しないか、仕様としてそのまま残してしまうことが多い。これに「適応しろ」という詭弁で全て押さえ込むのがGoogle下っ端の常套手段である(2012年から2chに蔓延る)。適応なんて誰でも出来る。なってはいけない状態をますます激化されると困るという、真っ当な見方の出来るユーザーたちが問題視しているだけである。今回のG+変更における問題点は、特有のタブが表示されないことである。先ほどくどい話をした理由はこのことである。特有のタブが表示されない、といったコンテンツの減損はユーザーにとり由々しい事態であるのだが、近年のGoogle運営では、改善などに腰が重いので、これも等閑にされることを私は演繹している。それとも私の思い過ごしか。





2015年12月12日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/1KcyvxJpqhn)
高再生数の範囲69999~60000は3つもある。それから60000~23000まではなぜか1つも無く、22999~22000の僅か1000回の範囲内には4つも収まっている。常に上昇する数字においては単なる通過点でしかないが、この12月12日にたまたま見てこのようであると、驚くほかない。

※当投稿には添付画像アリ。投稿内容はYouTubeメインチャンネルの動画の再生回数の高さに関する記録。



2014年10月23日 (https://plus.google.com/u/0/111470107771830443875/posts/Bz8WKM6gvPe)
丑三つ時の暗殺者 "Nocturnal Horrific Killer"
己を軟弱者であると侮り、蔑む者たち、口もきいてくれなくなった村人たち。
復讐の画策。怨念を懐き、己を悪鬼とならしむ。
彼の犯行スタイルは当時の村において理に適っていた。
頭に懐中電灯を着け、腰に日本刀を佩き、手に猟銃を携える。
その異様な出で立ちは彼を見た者の心に畏怖を生ぜしめよう。
この時を臨むに至るまで、予てより鍛え武器の扱いも体得していた。
彼は手始めに、恩人たる祖母を楽へと誘った。
後、恨みを持つ者や裏切り者などを殺し廻る。

※とある動画投稿者(他人、2013年に初めて向こうから私に宣伝行為の投稿をしたことから私が知る)が「津山事件」を話題にしていたことに、私が反応して作文したものである。なおその動画投稿者は「川俣軍司の孫」を自称して様々な虫類・爬虫類・両生類の殺害や解剖の動画を上げ続けている(2014年~2018年現在)。





2013年12月23日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/EwURXfbb1s1)
Gato estressadoという動画にhttp://www.youtube.com/watch?v=z0nC2k-4kZc ポルトガル語ね、私が「Gatinho estressado」とコメントした1日後、投稿者によって削除されてる。
元々3年以上前に投稿された動画で、再生回数800ほど、私以外のコメントも0だった、なぜ今更削除?
私のコメントを見た投稿者が削除=対横野集団ストーカーは世界規模の陰謀です。世界規模で有名であり、世界規模で嫌悪されてるのか。

以前も某バンドFull Album動画にコメント後動画が投稿者削除ということがあった。
それはチェコのバンドで、投稿者の所在は知らないが日本ではないのは確か。

※当投稿はhttp://www.youtube.com/watch?v=z0nC2k-4kZc を共有した





2013年12月23日 (先のものと同日だが時刻不明。HTMLソースにも時刻の記述無し) (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/EwURXfbb1s1)
またも、私が知恵袋で回答した質問が消えていた、取り消し扱いになっていたのだ。
私は滅多に回答しない人間でたまに回答しても、必ずおかしなことになるんだな。
その削除理由は「あなたが回答した質問は、不適切な情報を含んでいるとみなされ削除されました。」→私が回答した質問の本文に不適切な情報(質問者が書いたイギリス人の蔑称のことか?)が含まれている。
その質問者に原因があるということだね。
私が何かした場所に限りこういう事態が頻発している。
まあこれはれっきとした理由が書いてあるけどね。

削除時の回答数は16、1番目に回答した人が質問者に対して無職だニートだ童貞だなんだと罵詈雑言を浴びせていたことに、傍観していた俺は義憤を起こして3番目に回答した。
知恵袋も集ストの温床なり、ついでに、他の不可解現象は詳細ここね→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13118165863

※当投稿はhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13118165863 を共有した





2013年11月8日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/EwURXfbb1s1)
Google+とYouTubeの統合、ハード利用者から放置者まで誰も得しない統合で炎上の動画→Meet the new YouTube comments

※当投稿はhttp://www.youtube.com/watch?v=bVGp8Z8Yb28 を共有した。





2013年10月30日 (https://plus.google.com/+MasashiYokono/posts/FpGZaCTSdcP)
デザインも、HTMLの基礎を大きく無視。私の環境では動作するが、古いPCや他の端末ではきちんと動作するのか?みんなが俺のような高スペックPC持ってるってわけじゃないんだ、少しは考えろ





2013年6月16日 (https://plus.google.com/104986378218046649761/posts/SYzhJXpEpZW)
カバー画像の設定デカくなりすぎ。
大きくスクロールしなきゃ下が見れないし。
こんなアホな改悪やめろ!デザイン最悪でセンスない糞Google。





2013年6月11日 (https://plus.google.com/111470107771830443875/posts/1jNdpCrRZ2F)
Google+とYouTubeを無理やり関連付けようとする腐れGoogleに腹が立つ。
変更のたびに逐一画像設定しなきゃいけないとかアホみたいだな。

※当投稿には添付画像アリ







付録:YouTube日記チャンネルの説明文、2015年に書かれたもの (description in the YT channel page)

中卒ニート引きこもりの横野真史"Masashi Yokono"でございます。
当アカウントはYouTubeメインチャンネルでございまするが、2014年から投稿頻度が落ちてきておりまするので気軽に投稿しておりまする日記チャンネルもご覧になると良くございましょう。
当チャンネルでの懈怠懶惰にして弱き活動を詫びる一動画だにも上げざる窮状は慙愧の念に堪えません。
ブログ→http://masashi.doorblog.jp/
音楽館→http://deathmetal.blog.jp/
メモ帳→http://lesbophilia.blogspot.jp/
前のチャンネル→http://www.youtube.com/user/mainen00
日記チャンネルhttp://www.youtube.com/channel/UCz_SlJWsMdrmH490SLr2-ug
余談: Google+のカスタムURLとかいうのを推奨されたある日、設定した即日YouTubeにも同様に適用されていることを知った、という気がして上のURLの/channel/以降を"+MasashiYokono"と変えたけど、そんなチャンネルないんだそうだ。何をしても中途半端なGoogleちゃんでした。それと、ここの説明文でリンクがURLで載せられずとも、複数チャンネルや外部サイト・ブログなら別ページやPC版のヘッダー・サイドメニューに載っているし、そこからでもアクセスできる。



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あしからず。

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