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2021年12月12日日曜日

手相もとい、手のひらのシワ、しわ (palmar crease) について

私の手相が気になるという人がいるか分からないが、とりあえず、それを示そう。
説明欄の □ をクリックして拡大。

下記6時45分 撮影

下記6時40分 撮影

下記6時46分 撮影

これらは2021年10月25日に撮影された。
これらは全て同じ左手である。
左手のみが撮られたことは、右手でカメラを使うことが最初の原因だが、参考として残る右手も撮ろうとは思わない。



掌のシワについて、簡単な分析を示そう。
最も目立つ3つの線:手相占いの用語でいう生命線、知能線、感情線のいずれも、普通の人と比べると乱れたものである。
これは8歳のころから自覚されている。
両手とも、最も目立つ3つの線はそうなっている。

側面の方について、小指の第一関節 (MCP) 周辺にある切れ込みは、左右の手で非対称であり、数は数えようによって変わるものの2つは左右で似たような大きさ、位置、間隔を持っている。
これは8~11歳のころから自覚されている。



占うレベルにまで踏み込んだことをここで示さないが、医学や生命科学の上で何か意義があるかだけでも、考察したい。
まず、指紋 (fingerprint) と同じように、いくらか個性を示すことは直感的に分かる。
医学や生理学の側で説明されうるものには、指比 (digit ratio)、特に2D:4D比がある。

手相において、割合、医学との相関性がある例で言われるものに、"single transverse palmar crease"とダウン症 (down syndrome) がある。
日本語で「猿線」や「枡かけ線(ますかけ線)」などと呼ばれる。
中国語版Wikipediaでは「断掌」や「通贯手(通貫手)」などと英語と同じように見たままの名称を載せている。
中国とそれに影響された大衆文化では、前者の名称を用いた作品『斷掌的女人 (Destiny in Her Hands)』(マレーシアとシンガポールの作品、中華系)もあるなど、「不運や困難に直面する相」としてよく知られたものと思われる。
医学の話とずれるが、ダウン症など先天性の疾患との相関性は、割合、歴史的にも見られるのではなかろうか?
無論、私はその手相を持っていないことが写真から分かると思う。

他に何かこの話題ができるかというと、結局、手相占いがどうあっても疑似科学だとみなされる場合、人文学としても「コーパス手相学」みたいに発展させるには無理である可能性を思わせる。

Analysis of palmar creases is not very objective on the contrary to fingerprint analysis. Palmar creases are sometimes used as a preoperative landmark for identification of deep anatomical structures. This method was shown to be unuseful.
—英語版Wikipedia Palmar crease. oldid=982789601.





備考:2D:4D比の誤差に見る、指比の恣意性

指比には、測定学的必然性よりも、謎の恣意性があることについて、以下の2枚の写真で私は示したい。
こちらは2D:4D比であり、人差し指 2D と薬指 4D の比に微妙な差が出ることを人体測定学的に正す方法が無いならば、恣意的な変更ができる場合がある。

下記6時45分 撮影

これは左手での例示になる。
両手の場合、私の左手と右手の間で明らかな差が出ていることを示したい。


『指比、2D:4D比が恣意的である可能性の一例』

片手に限る場合も、手の甲側と手のひら側、それぞれを私の目線で直截に見えるような方法で指比を捉えると、それぞれの間で明らかな差が出てしまう。

この誤差のようなものの自覚が無いと、測定方法の統一や異なる測定方法の誤差修正も無いはずである。
測定学的に妥当な説明があるのであろうか?

ノギス (vernier caliper) を用いた手の甲側の測定方法など。







起草日:2021年10月25日

私がいくら多分野でも、手相占い (palmistry) を含む占い(卜占)を始めるつもりはない。
スマホで鮮明な手相写真を手軽に撮って送信、「デジタル手相占い」☆, digital と言っても、 digit は"digit ratio"に見られた通り、「指」である。


2020年12月13日日曜日

2020年下半期の、私に関係しそうだった国際情勢トピック

・米大統領選挙におけるジム・ワトキンス氏 (Jim Watkins, Q and QAnon)
・アルメニアとアゼルバイジャンの係争地に関する戦闘
・中国で大きな話題になったさいたま市議



◆米大統領選挙におけるジム・ワトキンス氏 (Jim Watkins, Q and QAnon)
2014年にSoundCloudで私から彼にコメントしたことがあり(2014年5月5日12時47分UTC+00:00投稿の"Kenmo")、無機的とはいえ彼 (表示名はXerxes Watkins) からフォローされている。
"Aozora"に彼がコメントを投稿したことがあるとも記憶していたが、これについては事実確認できない。
He/his account follows me/my account on SoundCloud (サンクラで彼のアカウントは私のアカウントをフォローしている)


彼はフィリピンに長く住んだ過去があり、配偶者が韓国系の女性とされ、息子のうち1人はロン (Ron Watkins) と名乗っている。
かつて2ちゃんねる (2ch, 2channel)と知られた現在の5ちゃんねる (5ch.net) というインターネット掲示板サイトの管理人であり、2ちゃんねる設立者の西村博之–ひろゆき氏との対立はよく知られるが、2016年以降には 8chan というふたば (2chan)–4chan系の一画像掲示板サイトの運営を行うことで、その創設者フレドリック・ブレナン氏 (Fredrick Brennan) とも対立したこと(本人ツイート例https://twitter.com/fr_brennan/status/1320796812383416321)が知られる。
西村氏に関しては4chan設立者のmoot氏から4chanの運営を引き継いでもおり、非日本語ふたば系画像掲示板サイトでも両氏の運営に競合があろう。
8chanはロンが運営し(5chでよく知られるCode Monkeyは彼のTwitterアカウント名@CodeMonkeyz に類似)、2019年8月に無くなって2019年11月から8kunの名で再開された。
2020年のアメリカ大統領選挙の情勢が進むにつれ、世間で"QAnon"(Qアノン、キューアノン) というワードが頻繁に見られるようになったが、"Q"という投稿者を信奉する"Anonymous"の人々を指す。
"Q"の一次資料は初めに4chanであったが、その後は8chan (8kun) にのみあり、現在の管理を行うジム・ワトキンス氏およびロンの親子(ロンは大統領選挙当日の11月3日に辞めたともされる)にしか真偽の検証はできないと言われる。
そのため、彼らと"Q"(正体が複数人による共同であるとも)の親密さや同一性は取り沙汰される。
これについて私は詳述しないでおくが、大統領選挙の期間にはワトキンス親子に多少の注目がされてきた。
YouTubeのWatkins Xerxesというワトキンス氏の個人チャンネル(聖書の話題が多く共和党支持者らしさはある)は、彼がカルト的人気を得たかというと、そうでもない。 ブレナン氏はロンのParler (アメリカでの保守系の人が好むとされるSNS, 「パーラー like "parlor"」またはフランス語不定詞 French infinitive verb で「パルレ」に似せて「パーレイ」と発音) での投稿(実際には認証済みの他者 Aubrey Cottle が認証後に名前やアイコンなどを変えてロンになりすましをしたそう、この件で12月12日JSTないしPT現在もロンはParlerの問題点をあげつらっている 1, 2)について、Twitterでさらしツイートをすること (1, 2) があった。
色々と怪しい対立が見られる。
ちなみに、ジムのツイッターは@RQueenincである(2020年12月現在)。




◆アルメニアとアゼルバイジャンの係争地に関する戦闘 (2020 Nagorno-Karabakh war)
萌えの典籍「萌集記・街の女人篇・説法十箇の事・九」(仮設地で公開)で南コーカサスについて言及したが、この経緯は2018年1月に私がアルメニアに強い興味をいだいたことにある。
精神においては言葉が国の領域*1を示す。
例えば、インターネットという代物はワンクリックで世界中のサイトに行かせるのに、ある利用者がその人の解せない言語であると思うと、その言語のサイトを利用したくないであろう*2
国境なき国境であり、潜在的国境の顕在化である。
そのように、言葉が国の領域を示し、現代はなおさらであると観てほしい。
そのほか、例えば、一神教の旧約聖書にも、戦闘で勝利した民族が、敗北した民族のうちの逃げようとする者を境界の川で監視し、川を渡る者に特殊な発音を試させ、敗北した民族の発音の者を殺したという話がある*3
そのほか、現代、カスピ海と黒海とに挟まれた「コーカサス」という地域には小さい国が3つから6つ存在する*4が、みな1990年代までは旧ソ連の領土であった。
コーカサスの国のうち、アルメニアは印欧語族・アルメニア文字、アゼルバイジャンはテュルク語族・ラテン文字かペルシャ文字、グルジア(ジョージア)は南コーカサス語族・グルジア文字の言語を用い、みな民族・言語・文字・信仰の意識に乖離が大きい。
アルメニア系の人(ハイ)であれ、アゼルバイジャン系の人(アゼリ)であれ、グルジア系の人(カルトヴェリ)であれ、みな直近2000年以内に幾度と民族の集合と離散とを経験しているが、彼らには異なる言語や信仰があったから、今も民族のアイデンティティを保って住み分けをする。
アゼルバイジャン領だったナゴルノ・カラバフはアルメニア人=アルメニア語話者が多かったので、アゼルバイジャン人=言語の異なるであろう民族を追い出して「アルツァフ」としての独立性を得ている*5
このように、言語は国を実際の意味で分けることもできた。

(以下は対応する注釈の引用)
*1…一般的な「国(國)」という言葉は、英語でいう"country" (地理的 land) と"nation" (複合的) と"state" (政治的) で表示される様々な概念を含んでいる。先に人々が国土を決め、国土ごとに文明が発達した後の政治が国土を決めることもあるなど、大概は双方向であるので、ここで問題外である。仮に政治的国土や国家に国の概念を託しても、当人の日常生活や思考において常に支持されてはいない。現代人はその自覚が低くて「いつも政治や科学という合理的な基準に依拠している」という錯覚を持つ傾向にあるが、決してそうでない。所詮、国とは当人の知能・精神(心)に決められる。拾主は、ここでスキーマ的"schematic"な国=知能・精神における国・ふるさとを闡明している。そこから、自国(という名の当人が取った一面)を好く・嫌う、他国(という名の当人が取った一面)を好く・嫌うといった好き嫌いの問題を説明できるようになる。
*2…「よほどの理由や目的や解決策を持たない限り」、その人はその言語のサイトを利用したくないであろう。解決策としてはブラウザの翻訳機能を用いるか、サイト全体翻訳サイトを用いるか、となろう。この解決策は暫定的である。いわば「言語の差という名の国境」を暫定的に通り抜けられるパスポートか、一時的な滞在のための手続きをするようなものである。
*3…いわゆる「シボレス"Shibboleth" (原語・ヘブライ語の学問的な翻字は šib·bō·leṯ)」。その語は士師記(Book of Judges) 12:6に出る。敗戦民族側の発音は「スィボレス"Sibboleth" (sib·bō·leṯ)」として、後部歯茎摩擦音[ʃ]と歯茎摩擦音[s]との異なりがある。シとスィという二者は、ヘブライ文字で「ש (Shin)」と「ס (Samekh)」である。前者は現代に、点を右上に付して שׁ ‬シ発音、左上に付して שׂ スィ発音に分けることもできる。この種の伝承に懐疑的な人に告ぐ。伝承が直接に事実を書かなかったとしても、同様のことが往古より行われてきた事実は存在することが推量できる。あるいは、何らかの歴史的事実に比較できる。
*4…2018年現在のコーカサス(カフカース、カフカス)地域で、広く承認された独立国としてアルメニア"Armenia"、アゼルバイジャン"Azerbaijan"、ジョージア"Georgia"が挙げられる。日本政府に承認されないものとしてアルツァフ"Artsakh"とアブハジア"Abkhazia"と南オセチア"South Osettia"が挙げられる。これらはコーカサス山脈の南に位置し、南コーカサス(ロシア語"Закавказье" ザカフカジエ、カフカスの山のあなた)とも総称される。みな単一の国家として見れば、共和制である。6つの国の領域を総合しても、カスピ海対岸のトルクメニスタンの国土にスッポリと収まりそうなほど、狭い土地に密集している(面積にして約186,100平方キロメートルと数字上は本州・朝鮮半島・グレートブリテン島よりも小さい)。それら国々の簡単な特徴について、直後に拾主が説いた。説明すると煩瑣になることは、すぐ傍にあるトルコ語地域・クルド語地域・ペルシャ語地域・現在ロシア連邦に属する北コーカサス地域にも様々な特色を見出せることである。それらのうちのクルディスタンやチェチェンに関する現代史で、推して知るべきである。なお、過去のコーカサスにはイベリア"Iberia Ἰβηρία"やアルバニア"Albania Ἀλβανία"というラテン語・ギリシャ語名(外名 exonym)を持つ王国もあったが、当然、現代のイベリア半島やアルバニア共和国とは不干渉で発生した名である。
*5…類例がある。現在でも独立性が低いアゼルバイジャン領のナヒチェヴァン自治共和国は、アゼルバイジャン本土に面しない・アルメニアとトルコとイランとによって囲まれた飛び地であるが、ソ連崩壊のころのアルメニア - アゼルバイジャン間の闘争においてアルメニア人=言語の異なるであろう民族が追い出された。闘争以前にナヒチェヴァンのアルメニア人が2,000人ほどいたとして、2009年の統計によればナヒチェヴァンに住んでいるアルメニア人は6人にまで減っている(主題を理解しやすく例示することが目的なので例示された統計に関する細かい検証までをしない)。


2018年1月当時、私は「普段、日本での報道の無いような国だが、実際は大変そう」と思う程度でいた。
同年4月以降に民主革命運動があって大統領から首相に就任して間もないセルジ・サルキシャン氏が辞任することで、世界の一部の民主派の人々が注目したと思う。
同年9月上旬に日本国の当時の河野外務大臣–外相が南コーカサス歴訪をして各国の首相(ニコル・パシニャン氏を含む)などと会談していたこと (1, 2, 3) を私はよく覚えている。
今回の戦闘のさなか、2020年10月29日UTC+00にアルメニアの日本文化愛好家コミュニティが日本語でのビデオメッセージ (https://www.youtube.com/watch?v=J62Mc5GOyEQ) を作成している。
動画タイトルの半角スペースが異様なので、普通の日本人はこれを知るには難しい。
動画内容は、彼らの見解や主張を確認するものである(同情できるかは別問題)。


アゼルバイジャンに関しては、2019年(令和元年)即位礼正殿の儀のNHK中継放送(私はNHK NEWS WEBの配信で視聴)におけるアゼルバイジャンのメディアの女性がインタビューを受け、可愛らしく日本語で「(前略)いい人たちだから、アゼルバイジャンは日本人と日本は好きです、ね」とメロメロ攻撃をしていたことを私は強く記憶に残した(ジェンダー論として私の表現はあまりよくないが正直に近い印象)。


この即位礼正殿の儀では各国から迎賓が参列したが、アルメニアからは大統領のアルメン・サルキシャン氏であり、彼は安倍総理大臣と会談したり(他の多くの国の人もそうしたように)、東京のアルメニア人コミュニティに会ったり、増上寺に参ったりとしたようである。


日本には、南京事件(南京大虐殺)をめぐる議論など、アルメニアに譲歩すれば「何様だ」と思われそうな課題が山積している。
通常、そういう近代史の負の側面を抜きにしてハスミック・ムラジャン (Hasmik Muradyan, 綴りは本人の弁論大会出演動画の題名より) 氏や知識人などアルメニアの人の一部は、ディアナ・アブガル女史(Diana Abgar or Apcar, ダイアナ・アプカーとも、イギリス統治下のビルマ=ミャンマー生まれアルメニア系のアルメニア第一共和国在日アルメニア名誉領事、神戸に住んで横浜外国人墓地に眠る人)の件で日本に恩があると思っている。
女史は、オスマン・トルコ(オスマン帝国)末期におけるアルメニア人虐殺の時に対象地域のアルメニア人たち(伝統的アルメニアの西部にあたるヴァン湖、ティグリス川などを含む範囲)を、難民としてアメリカ合衆国などへ逃がそうと、日本を経由地とするために日本に住みながら政府に要望するなどの行動をし、実現させたことで知られる。


国際的には、旧日本軍による南京事件についていわゆる20万人以上(特に30万人)の現地の住民が殺されたという推計値さえ否定的であると、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人虐殺)やオスマン・トルコのアルメニア人虐殺の否定 (Holocaust denial, なぜか"The Holocaust"のようには定冠詞を付けない、enwiki: Armenian Genocide denial, Nanjing Massacre denial) と同一視されるらしい。
中国におけるウイグル人と朝鮮人(ウイグル族、朝鮮族)に代表される言語と文化の問題(2020年は中国のウイグル人に関する世界的な報道や抗議が多くあった)は、日本におけるアイヌ人と帰化および在日朝鮮人の文化保護や朝鮮学校に関する問題に比較される。
カリフォルニア州グレンデール市 (Glendale, California) アルメニア系アメリカ人市長 Ara Najarian または Laura Friedman と Statue of Peace (従軍慰安婦少女像)のことは、日本のネット右翼の間で有名である。
アメリカ合衆国にアルメニア系の人は、女史の行動以前から移民が続けてきたようで、各個人の祖先がどうかはかりづらいが、「民族主義の強いアルメニア人たちが旧日本軍に関する悪い噂を知れば彼らは確実に中国や朝鮮国家に同情する」と2018年当時から私は思う。
アルメニア国家の親ロシアという立場についてはここで問題にしない。

南コーカサスの一般に承認された3か国(旧ソビエト連邦の社会主義共和国でもある):アルメニアとアゼルバイジャンとジョージアは、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の感染者数に関してアルメニアが5月以降、圧倒的に多数であったが、11月以降はジョージアアゼルバイジャンが劇的に感染者数を増やして12月以降は順にアルメニアより多くなった。
人口100万人あたり感染者数(割合)では、12月12日現在もアルメニアが最も高い(それぞれ総人口は:290万、1010万、390万)。
6月中などは防疫に関してアルメニアが劣ってジョージアが優れているなどという日本の一般人の意見も聞かれていたが、人口比でもジョージアがアルメニアに肉薄している現状からは、意味の無い話と理解できる。
防疫の優劣は一時的に有効な側面もあるが、政治的工作:隠蔽や偽装などを疑う方がよく、国内感染0で人口最上位国の北朝鮮とトルクメニスタンが、彼の国内人のみを集めた集会でも国家元首(大統領、労働党委員長)がマスク着用でいるか社会的距離を取るなどした写真が出回っている (後者の例 1, 2) わけで、この2か国の現状を疑う方が有効である;疑ってその疑念に対する確かな証拠が出るということも無いが。
参照源:https://www.worldometers.info/coronavirus/





◆中国で大きな話題になったさいたま市議
私は2015年5月14日投稿『日本を変革する大潮流がさいたま市・大宮地域より沸々と沸き起こる!(地方政治編)』で北区選出のさいたま市議会議員である吉田一郎氏を特集した。
他にも、Ld1. 2019-08-19など、吉田氏を紹介するような記事や日記メモや追記欄はある。
吉田氏の2010年6月3日の市議会における中国語普通話(北京語)や広東語や福建語や韓国語/朝鮮語を用いた外国人参政権に反対する登壇(議案についての討論、動画v=WZI1RvIzOu4)は、知る人ぞ知る「名演説」である。
2020年11月24日(14時55分UTC +00:00)に彼がそれをツイートで自ら改めて取り上げた後、weibo(微博、中国時間25日https://weibo.com/3497843592/Jvvbreivw), bilibili動画(中国時間27日、https://www.bilibili.com/video/BV1Lz4y1k736)など多数の中国のウェブサイトに転載され、多くの中国人と中国に興味のある人々が初めて視聴したようである。
10年以上前の登壇の動画ではあるが、初めて見る人にはとても大きい衝撃がある(日本語以外の何かを日本の政治の舞台で発音していると分かる場合)。
その件で、彼は2020年11月30日のさいたま市議会でも「中国で動画が1000万回以上再生された、バズってる」とTwitterでの11月28日ツイート(https://twitter.com/no_saitama/status/1332674413007761408)と同じ趣旨を発言していた (v=f4MNqlmSlRg動画の1:45からの質問内容に含まれる)。

「中国人(都市部の漢民族や現代中華系移民を指すと思われる)はセンスあって時代サキドリだよね」と言いたげな人たちを見てきた私にとって、こういったことはかなり意外でもある。
フェイクニュースとしての虚偽を含んだ伝播が見られない点(環球時報、その他、中国メディアにあるていど報道されたわけだが一部分の誇張は見られた)で問題なかろう。
中国人らの反響には、リベラルなアメリカ人がよくいう「文化盗用 cultural appropriation」についての非難は無いと思われる。







起草日:2020年12月12日

3つのトピックはいずれも直ちに新型コロナウイルス感染症の世界的流行、危機に関わらないことも、面白い。
「間接的に、構造的に」関わるという話はしない。

米国を中心として世界の都市部で巻き起こったBLM運動と無関係そうな我が故郷・埼玉での「ボビー・オロゴンさん逮捕」や在日クルド人の話が、2020年7月1日の記事『無疲倦に至らんとする絵の練習記事 (2019年5月~2019年9月分)』に記される。
絵の練習記事でなぜその話題かというと、後書きで「当該記事執筆の間に視聴していた渋谷スクランブル交差点のライブ配信が保守政党の街宣とBLMデモ行進が合流した数時間以内に終了した」云々と記すところから始まり、BLMにしても埼玉に多く住むクルド人にしても、今年5~6月の渋谷に因縁があったからである。
https://masashi.doorblog.jp/archives/53999235.html

2016年11月21日月曜日

2016年8月5日以後の訪問者ら(保健士2名)との対話


http://www.youtube.com/watch?v=vuoh_7FKh3Q

2016年8月5日の対話を発端とした保健士2名の訪問について、「類聚(とくに外伝)」記事の形式でまとめようと発案したが、普通に文章をまとめる記事としての位置づけに変更した。
この保健士2名はいずれも女性であり、名はS(画像奥の左)とU(画像奥の右)である。
Sは最初の訪問で私の話番号のメモを取って私にオフィスの電話番号を告げてきた人物であり、実際にSから掛かる電話の電話番号は異なる。
Uは最初の訪問で私に多く質問してきた人物である(以後2度の訪問はいずれもUが多く質問してきたと言い切れない程度になっている)。



まず、当記事の起草に際して記した11月9日の文章を載せる。
こちらは当日の日記メモに掲載していない。
11月11日反映(起草は10月1日)の記事と思想が共通する(意義の補完がされている)。


保健士が家に来ることを拒まない理由は10月31日メモ(後掲)の記述の通りだが、来てもらいたい理由もある。漠然と来てもらえば「良いことがある」とは思わず、来てもらうことで何らかの手引きをしてもらおうと願いもしない。 寧ろ、他人に手を引いてもらおうなどと思ってはならない。社会復帰云々なども願わない。ただ彼らとの交流によって普段の日常生活・研鑽・修行の日々とは異なる視座より、己の発想・判断・言動を顧みる機会とする。私は今、こうして思い巡らしている通りに、分析して反省して決意に繋げる。

彼らの訪問について、次からは率先してゆくべきである。判断と言動を明瞭にし、積極的に振る舞うべきである。例えば、彼らを家に上げる際、立ち話を長引かせたり終始立ち話となる経過に良心の呵責を覚えるならば、彼らを率先してリビングの席に案内すべきである。相手から奇怪に思われそうであっても、逡巡するくらいであれば、思った通りに、自分の意思に随った行動を自由に行えると良い。その行動によって顧みるべき過失が起きても、行動をしなかったこと自体の後悔があるよりは清々しい。顧みるべき過失が起きたならば、これも改心の種となろう。善良な意思に随った行動が自由にできる徳が無い私ではあるが、こうして反省できるならば、すでに彼らを家に呼ぶ利益を上げられたこととなる。今後、実際の行動に反映することで盤石となろう。であるから、私を成長させる因とは、積極的に求めこそしないが、有るならば拒まずに活用すべきである。無いならばそれまでのことであり、日頃の生活での中で微々たる成長を願うのみである。





以下から日記メモにおける関連する文章を載せてゆくが、記事投稿日以後に情報が増え次第、末尾(クリックでジャンプ)に追加してゆく。



10月31日の日記メモより引用
保健士訪問に関する思考のメモ「もし話が毎度に渡って同様であり、議論が平行線のままならば、訪問を断ってもよい。まず相手に、私の話を聞く必要があると仮定した上で、私から話す必要も生じているが、私から話す必要性が減るならば相手も聞く必要性を失ってゆく。彼らも人間であって感情を持つため、そういう時には受け入れる可能性はある。また、彼らは業務・公務として私などを対象とした無料の家宅訪問を行っているが、あくまでも業務・公務であるならば彼らの意思に適わない。人権を鑑みるべき行政であるから、人権尊重の一環で私などを対象とした訪問を行う。私としても最近の痔など不意に発生する問題、有事の際、誰かに話ができると良い一面はあろう。しかし、基本的に報酬を得ない慈善団体やボランティアの活動とは異なるので、生業として行う彼らの事情に符合しなかろう。こういった観点で、今回ないし数回以内には彼らの訪問を断る可能性もある。」



10月31日
14時の直前に保健士2名が訪問した。痔(のような何か=腫れ)の話をする経緯もあったので、見せることとなった。2012年7月の火傷・病院の時と同様に見せる必要に応じて拒まずに見せるし、勃起もしない。Sさんが患部を触ったり圧したりした。訪問は全体40分程度で終わり、2名が帰った。



10月19日
14時47分、保健所・○○××課のS(いつもの女性)から電話が入り、10月31日14時に例の通りSとUの2名が訪問する予定を聞いた。簡潔に終了する通話であった。



9月26日 関連動画 - http://www.youtube.com/watch?v=xIicDXdGoDc
13時29分に豊橋市保健所の前回と同じ女性2名が訪問した。話を行う場所は自室のつもりでいたが、自室に案内できる雰囲気でもないし、部屋を見る目的は無い確認を取ったため、1階リビングになった。立ち話を5分以上続けていくうちにSがしゃがんでノートにメモを取り、数分後にはUもしゃがんでノートを覗き込み、私も立って見下すわけにはいかないからしゃがんだ。結局、正座するようにもなった。話としては、彼らが知らず、母親にとって知ってもらいたくない昔話が長引いた。今の生活のおさらいもさせられた。最後に次回訪問の都合に関して意見交換を行った。この時間は、45分続いた。細かい内容に関して一つ記すべきことは、彼女らの「お母さんの考え・○○くんの考え」という表現である。要は、両者の考えを尊重すべきであると思っている反面、私の考えに同意するつもりが無いという心境であろう。彼女らは、私が拒否しないか事態が進展しない限りは同じように訪問し、毎度同じような結果に陥ると考えてよい。



9月25日
その前日の就寝時には母親にメールを送信していた(19時47分)。先の9月21日の保健所からの電話に関して疑問を書いてある。本題は「保健所の人が9月26日に私を訪ねる話は聞いたか?」であり、続いてついでに書いた「どうにもあなたは何度も電話を掛けられて一度も出ていないと聞かされた・別の業者(後述のフレッツ光・コミュファ光)からもあなたは電話に出ていないということで確認の書類が送られたようにあなたはどういう状態のために電話を出ないか?」という些末な説明的質問にのみ答えたようで22時33分と22時34分の2度にわたって返信された。1度目に、電話が出られないことについて「電話の調子が悪い・(着信音が)出ていれば出る」というどうでもいい話、2度目に「コミュファ光です。」とのみ私が「フレッツ光」と書き間違えた部分の正誤を示してきた。このような揚げ足取りしかできず、文章をその時その時の取り方(前半部分を無視している)でしか読めない人間には、いつも長文のメールを書く気にならないが、やはり今回もそのようである。これでは、保健所の件を承知したか確認が取れない。一応、肯定的に見るならば、私を訪ねる話は知っても知らなくても気にならないということであろう。全てにおいて信頼もできず、尊敬などできない母親には失意落胆・絶望しか残らない。

: 母親と保健士の電話でのやり取りの状況は、その後の確認がある。10月1日のメモにおいては「17時0分ころ、母親から月頭の小遣いを渡されるにあたって保健所職員の来訪について相談された。色々と母親の理解不足を感じたが、それはよいとして、ここに記録すべきことは、母親が今も保健所職員と連絡しあっていないことである。あの9月26日の来訪以降も母親は通話などしていないのであろう。家の電話と携帯電話と、どちらに着信があるのか不明だが、母親から電話を返すこともなかろうか。ほか、次の来訪までに母親が手紙か何かを書いて私から手渡しをする必要がある考えを話された。」と記録している。その後はというと、10月30日のメモの中で「14時41分には、明日10月31日14時の保健士2名の私への訪問に関して当事者から改めて電話を『この前(1週間以内のことらしい)』受けたという。そこで改めて私に明日の買出しで母が家を抜けるという話をされた。」と記録している。



9月21日
16時37分、俄かに電話の着信があった。外出中の母親かと思いきや、0532の市外局番であった。その番号を見て警戒はしたが、数秒ほどで8月5日の訪問者に記憶が繋がった。名刺を取って番号を照らし合わせると、電話番号の下2桁のみが異なっていた。しかし、無視するわけにもいかず、一か八か、その訪問者である推測に掛けて通話を始めた。結果は、あの訪問者の1人であるSさんである。要約する。次の月曜日(9月26日)の午後1時半に来訪するつもりである。私の母親へ今までに何度か電話を掛けたが出てこない(8月5日以降のどの時期なのか本日より近い内なのか不明、私にはこの電話が初めての着信)。私からは、前回訪問時8月5日の10日以内とは母親の生活状況が異なるため、前回訪問時の理解で来ると問題があるかもしれない懸念を伝えた上で、彼女らの予定を受け入れておいた。ほか、Sさんは「プライバシー」を理由に動画撮影の拒否を願い出ていたが、法的根拠を問わずにこれも快諾した。私が記録をしたければ録音でも構わない。インターネットには「公務員に肖像権はない」云々といって相手の願い出を拒絶する動画撮影者も多く、彼らの反権力姿勢のために必要な革命的行為であろうが、およそ民主主義シャカイの常識人の振る舞いには見えない。



8月5日 (日記メモ引用のもの)
15時40分ころ、客の訪問があった。2階にいる母親はだらだらと応答していた。どうも、相手が家に来るという予定のある訪問らしいが、前日の家庭教師とやらとは別人である。玄関前で母と訪問者2名(?)の話が始まった。まず十数分は母親から相手の対応・今までの電話ややり取りに関して細かく詰問していた。何の話が本題か、全く見えないように自分の不満を話したがる人間である。その中から、かすかに私と関連がある線を感じ取った。母親の詰問が終わってから、ようやく本題が見えてきた。2015年12月22日の出来事に関して警察に通報したとか、その警察が保健所に相談したとかと聞かれる(この件も警察の対応を母親の対応として誤解されたという詰問をして母親の不満が滲み出ていたが)。12月22日の出来事に関しては、私が錯乱してすぐには通報できなかったという母親らしい誤認識が発されていた(途中の場面では黙って母親の愚痴を耐え忍んで聞き続けたほどであるのに)。

今までも2013年12月・翌1月の蒲郡支援者2016年5月11日の山本さんだとか、母親の人格が狂っていて私や弟らが生まれてより何ら母親のエゴに沿わせることもできない教育の無力・無資格の者が、そんな相談をいくら続けたところで母親のエゴイズムの実現など有り得る道理などない。いくら失敗を重ねても学ばないという救いがたい人間である。相手の女性いわく「引きこもりのお子さんについて早急な解決はむずかしい」と、母親は急進主義で愚昧な者だからいつまでも理解できなかろう。母親は認識能力も自覚も全て下劣であるから、いくら自分の肝胆を砕いたところでエゴイズムの満足に達しない。母親の利己的結果に誘導すべく、実子たる私について「病院に行かせようとすると暴れる」といった讒言を重ねて印象操作をするが、相手の女性はずっと穏便で慎重な言い方を続けていた(当たり障りのないような表現や「確かに病院に連れていかれて暴れる方もいらっしゃいますから、もちろんお子さんのことを言っているのではありませんよ」など)。


16時37分、今までの相談相手の人間と異なり、私と実際に話したいとのことであった(2013年ころは一例のみ扉越しの話はあったが)。私としてはまたとない説法の機会となるため、彼らに母親の本性を示すこと、また利益の深い仏法の妙音を、僅か僅かにでも聞かせ入れたく、心で快諾し、口には丁重に迎え入れた。彼らが部屋に上がって最初の5秒ほどは対面しなかったが、それはいけないためしっかりと向き合った。女性2名であるので、以下から彼女らと呼ぶ。彼女らは豊橋市保健所(通称: ほいっぷ)の人間(保健師)であるが、私はその場所の周辺へ2014年10月19日に散歩した経験がある。礼を失するが、話の途中からWebカメラを回して映像記録を取り始めた。ある程度、忌憚なくとは言えないが、伝えたいことを矢継ぎ早に告げた。扉やふすまを隔てた向こうをさまよう母に聞かれ、彼女らが去ってから、雨が降ろうと槍が降ろうと何ら怖じずに話を続けた。この対話は17時2分に終わった。撮った映像の21分15秒や22分39秒など、彼女らが去る様子を見せた時に私は合掌した。母親はこの後「一応はなしができるようにも見えましたが」といったややへそ曲がりな評価をしていた。私は今や、話を聞こうとする相手にはできるだけ話してよい立場であるのに、人々が最初から聞こうとしないだけである。話の最後の方でも「相手から私に聞きたいならば誰でも聞く」という旨を訴えた。今の私は「来る者を拒まず、去る者を追わず」という気質である。彼女らは17時7分に家を去った。



8月5日 (動画説明文のもの)
2016年8月5日15時40分、家に女性2名の訪問があり、16時36分から私への挨拶として訪問客の入室を許して16時39分から記録の動画を撮り始めた。
当日の詳細な経緯は、心ある視聴者の日記メモ閲覧に任す(後日投稿記事に載る→http://masashi.doorblog.jp/archives/48177612.html)。
※当動画の音声はエンコードで音質が劣化した

カメラに背いていたとはいえ、私の声は相手の女性よりも小さく聴こえる場合が多い。
どんな原因であれ、常に自分の声量や滑舌などを意識すべきであろう(無論、大きくしすぎてもいけない)。
話した内容に関しては、あまり難しい方向に引き入れないように配慮しつつ、必要を感じるごとにある程度は伝えるというバランスを重視した。
時折、「難しい」と感じられそうな言葉も引き合いに出す必要がある(言葉の権威に頼るようであるがそうせねばならない時もある)。
そういった考え方がある分野を、ぎこちないながらにも伝えてゆく使命がある。
本当にぎこちなくなっている部分は反省し、今後、誰かと話す機会があろうとなかろうと改善に努めたい。

話の随所で、私の知識であるとか私の生活であるとかは、他人の恩恵であり、感謝しているという旨を伝えている(7:30, 10:50, 18:48)。
1年以上前の自分では、恥ずかしいどころか、その考え方そのものが苦手で到底発言しなかったろう。
そして、そういった智慧や今の道は、愚昧な両親や悪辣な同級生などの存在なくして、得られはしなかったので、そういった憎むべき人々の存在も大いに感謝し得るものと重ねて告げている。
相互依存・共依存とは、「空」である一切の事物に例外なく適用され、私などは「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ」という大聖人のお言葉に見るよう、悪親・誹謗者などさえも師匠であり、また一切の事物ですら師匠のように思えてならない。
無論、中道・平等の見地(真諦)からそう思うのであって、真に師匠や善知識とすべきは日蓮大聖人や釈尊などに限る。
11:50以降に「酷い父親・母親もいましたが」という表現に関して父親からもいじめられたか、と質問された。
動画内では否定しつつ、母親の暴力性に関しての話で終わっているから、改めて過去記事より詳細を示す。
母の非→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju2.html
父の非→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju3.html
母親の偏狭な価値判断と画一性→http://masashi.doorblog.jp/archives/35270784.html

今は「来る者拒まず、去る者追わず」という精神を保つが、むしろ話を聞きたい心のある人は歓迎する私である。
物事の平和的解決を願うならば、邪推を交えない対話あるのみではないか。
母親と言えば、認識能力に重大な欠陥があり、改善も見られない。
母親のように、いくら話したところで微塵の理解も譲歩も無い人間に対しては「三度諫むるに用いずば山林に交われ」となり、一方でそれ以外の人にはまだ話すことは重要である(日蓮大聖人の身延入山以前の折伏と入山以後の摂受という変化に見るが弟子には折伏を訴えていた)。
母親は時折、私に関して電話相談をしたり、相談員を招いては誇張や脚色で私の印象を根も葉もない凶悪なものとしており、人々が母の主張を判断基準とすれば、直ちに私と話せば拒絶されて行き詰るものと思い込む。
幸いにも彼女らは、先にした会話の中で、母親のヒステリー具合(揚げ足取りが多いなど)を感じ取り、その本性を薄々と察していたようで、母親の誇張じみた私の印象を鵜呑みにせず、常に慎重な言葉遣いを続けていた。

母が話す私の印象に「病院に連れて行こうとする(話だけ)と暴れる」とか、「何か話すとすごい錯乱して手が付けられない」といった被害妄想か、入院させる願望を正当化するための卑劣な魂胆か、過度な誇張が多々発露されていた。
2014年10月12日の出来事の場合、私は紙製の棒で小突こうとして逃げられたり、2015年12月22日の出来事の場合、私は母を目覚めさせるべく一発の拳を腕に浴びせただけであるのに、それらは悉く裏目に出て、母こそが怒り狂って物を手に取ったり部屋に押し入ってきたりと、物凄い剣幕で気勢を上げての過剰防衛を行ってきたくらいであり、母の怒りが収まるまで止めようもなかった。
私がやり返せば泥沼となるだけであると認識しているが、そうであれば、やはり私も最初から手を出そうとしてはならない。
だから、当時は大いに己の怒りを戒める決意をした。

しかし、私が自覚したところで、母の慢性的な妄想傾向や誤認識・攻撃的認識などは直されるはずもない。
争いの解決は、相互の自覚と反省に依る努力あるのみと、再三インターネットで訴える。
母親は生来、無慚無愧にして善悪を分断する蒙昧の輩である。
対峙する片方のみが絶対悪であるという善悪二分法・善悪二元論の思考では、解決も平和も有り得ない。
彼女らにも、こういった対立や平和の性質に関して説示しておいた。
一般人には世界悉檀である。
母・弟の喧嘩に触れて詳述した記事→http://masashi.doorblog.jp/archives/47723867.html

電話番号を伝えるくだりについては、少し回りくどかったようだが、一応相手も連絡先を取るという社交辞令のような立場もあるから、こちらも受け答える必要があろうため、私もその立場として電話番号を伝えた。
よく喋ってくる方の女性の名刺は与えられなかった。
その女性は常にハンドタオルを右手に持ち、度々顔に当てていた。
先に母親の相談を受ける折にも鼻をすする音が幾度と聞かれたが、この女性が発した音であろう。
世の中には、一見泣かないようで、実はとても心に思いやりと悲しみを抱えた、人情深いとされる人もいる。
「日蓮は泣かねども涙ひまなし」、私もただ仏法の流布を願って常に歓喜や憂慮を繰り返している。



記事投稿日(2016年11月21日)以後の追加情報

※ここまで日付の降順で載せたが、ここでは昇順で載せる。

11月28日
13時21分、唐突に電話がかかったが、当然、今、1階リビングにいる母親(本日出勤せず?今月は月曜日の出勤らしい動向も見られたし先週水曜日が祝日であったこととは違うにもかかわらず本日は出勤せず?)ではない。けだし保健士Sであろうし実際にそうである。電話ではリビングの母親を気にしたために、ただ小声でハイ、ハイと続けて「11月31日・水曜日・1時半か2時ころ」というはっきりとしない予定が決まった。11月31日・・・そんな日は無い。仮に有っても水曜日にはならない。通話中、わずかに違和感を覚えていたが、ハイ、ハイくらいしか声に出そうとしなかった。ボケ極まりつつある過失が多い。「11月31日」が私の聞き間違えでも、ボケであり、死にたくなる。絶望的である。先の記事(※当記事)で、後悔を恐れない姿勢を綴ってある通り、掛け直すという行為もたまにはすべきであろう。

13時43分、せっかくの機会で決心がついているので掛け直しを行った。Sとは別人のSである同課サイトウさんが応じたが、やはり、不在のようである。私の「やはり」とは、Sが私に電話した経緯は、保健所のオフィスを離れる手前の空き時間であったと推測していたためである。いつごろお戻りになるか、と尋ねれば、夕方ごろという。明日に掛け直す旨を伝えたが、やはり向こうからも私の名を問われて電話の件をS本人に伝えるということであった。私のしゃべり方については、やはりぎこちないながらに悪い勢いも出るようで、上手くいってはいない。



11月29日
本日は8時以降、前日の電話かけ直し予定について考えることもあったが、10時前から決心し、少し案をまとめてイメージトレーニング(リハーサルのようなもの)を行った。前日斎藤さんと通話した後はSさんが電話を掛けた13時ちょうどが望ましいと考えもしたが、就寝前には11時を定めたが、結局、間もなく実行を行う。10時12分から電話を掛けた。まず、同課を名乗る男性が出た。一応、私は苗字「○野」を名乗った(前回の反省)。それからSさんの存在を尋ねたので、男性がSさんを呼び出す保留状態にした。Sさんが出て前日の斎藤さんに関する確認と、その後、要件(11月31日説の実否)を確認した。11月30日・水曜日を改めて聞き出した。通話時間は保留を含めて1分57秒らしい。これにて私の「訓練」は成功裏に終わった。

「訓練」とは何か?大概の人や、私の中の合理主義は「Sさんは水曜日を本意としていたろうし、何月何日でも関係ないからわざわざ再び電話を掛け直す必要は無い」と価値判断をしてしまうであろう。しかし、その他人を犠牲にするという価値判断を前提とすれば、私は極悪人であり、一般人もみな罪人となる。ここで、何らかの犠牲を厭うべきでない。相互依存・苦楽の煩わしい世・娑婆は一定(いちじょう)である。特に私は自己本位の修行・訓練を自覚する。電話を掛ける・・・社会科か?職業訓練か?何でもよいが、私が必要性を自覚するならば意思のままに行えばよい。その言動が否定されるべきではない。その言動のうちに他人を尊重する心があるならば、何をしても大体、問題にならないので、可能な限り「自分磨き」をすべきである。件の記事(※当記事)においても、積極性を重視する考えが綴られる。後悔や反省も大事だが、「行わないことによる後悔」よりも「行ったことですべき後悔・反省」が良い。したことで様々に反省すべき点が増えてくる。今回の場合は大いに行動しておく必要を考えた。ただし、成功した行動であるから、その中に反省のポイントは少ないほどのみある。

(日常的記述・中略) 19時16分、母から電話がかかり、既に明日30日の保健士訪問予定を承知していて明日も10時ころには外出する話をされた。本日の外出でSさんに会って話をしたという。他に母から、「明日Sさんに『ありがとうございましたご迷惑をおかけしました、弟の受診先(心療内科?)見つかりました、お医者さん見つかりました』と伝えてほしい」と指示された(実際の母の切り出し方が唐突で曖昧であったから少し具体的に話してもらうように誘導した)。言葉にする機会の有無次第だが、そういうスタンスで非を言わずに了承した。この通話の時間も1分57秒であった。



11月30日
13時21分、Sさんから電話が入り、どうも今から保健所を出て我が家に赴くそうである。よって14時(午後2時)ころに到着するという。28日の電話で「(午後)1時半か2時ころ」と曖昧に話していた理由は、大体決まっていた予定だが当日の詳しい動向が不明であるためであろうか。29日には「1時半」と話していたが、結果は今の電話の通りである。

13時35分にSさんが来た。Uさんがおらず、どうも事情は、UさんかUさんの子供が風邪だとかとSは話していた。今回は1階リビングに予定通り案内した。主導すればあっという間である。座っての話は20分ほどで終わったが、立ち上がって以後も写真立てがいっぱい並んでいるラックを見て反応したSさん(9月26日訪問時もSやUが反応しており当時は彼女らの調子に合わせた)に、弟がしばしば写真立てを破壊する話をした。この10月か11月にも、一度、金色塗装で大きいオブジェ付の重い鉄製の額縁のもの(浦和区常盤在住時からある)を破壊していた事実を話した。弟と母親の精神的な問題について、家での内実(破壊行為など種々の不和)や外での事象(周囲との不調和)を話し、母と弟の両者に争いが起こる原理を簡単に話した。14時2分にSさんは我が家を後にした。

(日常的記述・中略) 話の内容を少し顧みると、Sさんは自ら「忘れっぽい」と語ることも多く、それは本人が自覚する範囲のものはそうとして、私が気になった点はどうであろうか。私が気になった点とは、以前された質問の繰り返しという点である。毎度、「食事や睡眠は取れているか・体の調子はどうか」と聞かれることに関して聞かれて当然であるとは思うが、「どう料理しているか」という質問については、以前と同じように答えて以前と同じように反応する。ただ気になるのみであり、私は何か鬱陶しいとは思わない。質問は基本的に質問通りに答える精神であるから、回答は怠くないし、吝かでない。人に話す必要があって彼女らを受け入れている、と常に綴る通りである。彼女らも人権擁護の行政の立場で私を訪問する必要があると自身で認識している。


12月26日
9時53分、保健所のSさんから電話が入り、明日に訪問したいという話であった。私はいつ来られても構わない気でいるが、母親のことを思考に介すると、とても翌日に受け入れられる気にはならない。このような迷いや倦怠感によってくぐもったような口ぶりで感情を伝え、翌年の業務再開以降に再度電話がかかる話となった。次回には、「母が恐らく家を空ける曜日」について伝えておく必要がある。今まではたまたま母親が家を空けた月曜日や水曜日が多かったが、この数ヶ月間はほぼ水曜日と金曜日に母が仕事に出ており、月曜日も母親の外出が度々見られる。本日は母が家を空けそうだから本日の予定ならばよかったろう、と思ったが、弟の冬休みもあるわけだから、やはり年明け以後に予定が組み直されるれることは都合がよい。ところで、私のここ数ヶ月の傾向といえば、疲れが重なっているのか、体が衰えているのか、精神的に調子が良いとは言えない。作業にはひたすら向き合っている(前日も音楽作業などを行って未投稿音楽動画の編集も進ませた)、といった姿勢が心身の不調を招いているのかもしれない。更に思う、次回は好調子で臨むであろうと。



○2017年

1月11日
13時9分に保健所のSさんから電話が入り、いつも通り訪問予定の話を受け、かねて告げようと思っていた「水曜日か金曜日」の指定をした。Sさんはもともと1月25日・水曜日のつもりでいたようであり、私は普通に承諾しておいた。水曜日・金曜日は母親や弟が家にいない日であり、気兼ねなく来てもらえる。まあ、急すぎなければ何曜日でも母親に事前の相談が出来て困らないわけで、前回12月の時はそこに問題を大きく感じて断った経緯がある。また、仮に水曜日や金曜日に母・弟が家にいても、そのように予定が急でなければ、十分に準備ができて問題が無い。



1月25日
13時前に1階リビングのエアコンの暖房をつけて保健士訪問までに温め始め、13時半ころに保健士2名が訪問したので1階リビングのエアコンの動作を止めた。14時3分に保健士2名との話が終わって見送った。次回も周期的なもので2月下旬となる予定である。毎度、彼女らとしゃべることで、私の進歩の道のりを顧みている。「観萌行大要」と名付けた文章の中に説明した、「愛憎の妄念」に関する試験でもある。相手は人間であって尊重すべき者であると同時に、自身の思考のある領域には介在させないことで人間でないと思うべき一面も兼ねることで、対等・平等の会話ができる理論を立てている。私の経験と思惟の所産であると同時に仏教的な裏付けがある。ひとまずはこのスタンスで「話すべきこと・行うべきこと」が最も滞りなくでき、それら行為による過ちが発生しても対処が適うと考える。細かいケースまで想定すると物事は滞るので、現状はこれが最善である。保健所職員に関する過去記事(当記事のこと)に載る11月9日の文章でも既に語った。



2月7日
17時17分に保健所のSさんから電話が入り、2月20日・月曜日はどうか、と聞かれ、前回訪問時に伝えた「水曜日か金曜日のどちらかが望ましい」という旨を伝え直した。Sさんは再度予定を調整すると言って電話を終えた。17時27分に再度電話が入り、3月3日・金曜日・(午後)1時半という話になった。ささやくような声で話し続けたため、体調が悪いどうか聞かれて肯定したが、風邪か・熱があるかどうか聞かれた際は否定した。風邪の自覚症状は現在も感じない。これまでの食欲も、2016年5月7日から2日間あったような不振状態ではない。



3月2日
「怪しい人」に対する監視目的もあろうか?私が訪問を受け入れる理由の一つは、身の潔白を証明するというか、怪しい行動や策謀などをしていない事実を誰か他人の目に晒すこともある。ところで、彼らが手帳に何らかのメモを取るような行為も、9月26日の訪問が最後であったように思う。彼らのメモ行為を鑑みてわざわざテーブルの前に設えたソファに誘導する必要もなかろうが、今後も、自然にソファへと案内することは継続する。彼らも形式的な訪問となっているであろう。私はただ正直に生きようとしているだけなのだから、たとえ過誤があろうとも偽りはない。



3月3日
私は本日の13時半に保健士の訪問を受ける予定であるにもかかわらず、悪い睡眠となった。 (中略) 3時19分に保健士2名が来て13時51分に帰っていった。前日のメモ中にある、メモを取る行為が久々に見られた。手帳ではなく、A4サイズで紙を切り離せるノート(ルーズリーフ?)に書いていた。製作中の動画の一定の段階が終わって一度目のエンコードの折、2階の母親の部屋に上がった。既にバルコニーに干し出してある洗濯物の確認をしたついでに、母親の机の上にある書類なを物色し、シフト表(?)の入ったクリアファイルを見つけた。母親の出勤の部分にマーカーが引いてあり、母親が長時間外にいた前日は、引かれていない。



3月28日
本日3月28日は、2:10の第一アラームに目覚めた記憶は無いが、最初の時刻確認が2時10分台となって2:20の第二アラーム直後に起床したので、そこで目覚めたろう。11時1分、保健所のSさんから電話が入り、4月12日の13時半に訪問する予定が決まり、その時は新年度であるからUさんがこの地域の担当を外れるということで、別の人を連れるそうである。※12時10分に再度着信があり、予定時刻を14時半に変更した旨を告げられた。



4月7日
(前略・母親との会話) 今月12日・水曜日・13時半に保健所の人が訪問する旨を告げた。この話題の延長で、母親に仕事関係の質問をし、「今月は行かない」というように返答されたが、当然、詳細な事情や背景は不明のままである。少なくとも、今月12日は出勤の日程が無いと考えられる。



4月12日


12時6分から母親の外出の動向を察知し、それまで話そうと考えていた用件を決断した。母親が一旦外に出て忘れ物に気付いた様子で、家の中に戻って2階に上がり、1階に降りてくるタイミングで「こんにちは」と声を掛け、足止めをさせた。いくつか話そうと考えていた用件があるが、母親に長く足止めさせるべきでないから、一用件に限定する。保健所の人が本日13時半に来ることは先に伝えてあり、母親がどちらに外出していつ頃戻るかを尋ね、13時ころか15時ころで予測不能と答えられた。もし早く済んで家に帰る場合は2階に控えてもらうことを頼んだが、母親はよそで暇をつぶすと告げてきた。12時12分に母親が発車した。

前回3月3日は、予定よりも早い13時19分に保健士2名が着いたものの、今回は13時半を周っても、14時を過ぎても姿を見せない。14時0分、何となく外の様子を見ているとステッカーが貼られた白い乗用車が家の前を通過し、近所の集合住宅の駐車場に停車したが、3分後には発車して場内を去った。彼らは普段、少し離れた某所の駐車場に停車してから歩いて家に来るそうなので、今回に限って気まぐれで集合住宅の駐車場を借りるはずはない。母親が帰宅することが先になりそうに思う。遅れて尋ねるとき、事前に電話でその旨を告げること(11月30日メモ)もあったが、今までにそれもない。13時半を過ぎる前から、実は私が予定を聞き間違えたのではないかなどと考えたりもした。14時24分に保健士2名が到着し、今回はSさんのほか、Uさんから代わってKさんである。いつも通りに1階リビングへ案内したが、数分後に母親の車が家に着いた。彼女らが私の部屋に入ることとなったが、母親に一応の挨拶をしたいそうなので許可した。自室と玄関の間で彼女らは待機し、挨拶を受けた母親はしばらく1階リビングにおり、数分後に2階へ上がった。14時50分に話が終わるまでに母親が再び1階リビングに居始めた。再び母親への挨拶を行った彼女らだが、母親に捕まえられ、母親の話を聞く展開となった。この話は7分、玄関で続いた。母親が彼らを屋外への退出を促し、2階に移動して何かをし、間もなく、母親が屋外に出て彼女らと話を再開した。連日の雨天・強風が明けてなお、風が強く吹く中での話は15時6分に終わった様子である。



13時20分、母親から保健所の人がいつ来るか尋ねられた。今月日記メモに保健士に関する記録が無いよう、前回の訪問以来、未だ連絡は無い。音信不通・音沙汰なし。前日・前々日に、「アレで最後のつもりなら別にいいか」と考えることもあった。



10時17分に保健所の人からの着信があり、相手は前回初めて会ったKさんだった。Sさんの時のようにり「体調はどうか?」と聞いてくるので、特に変わりがないと意思表示をして終えたかったが、本心を優先して痔のような臀部左端の腫れについて話した。過去Sさん・Uさんの訪問時(10月31日)に同様の腫れを見せたことがあり、それが同じ場所で再発したという経緯を説明した。次回の訪問についてKさんは5月31日11時ころ・Hという人物と共にする予定だと話す。



16時12分、母親が自室のふすまをノックし、いきなり「携帯電話を貸せ」と頼んだ。少しずつ、目的などを聞き出しながら携帯電話を渡す準備をした。保健所の人、Sさんであってもなくても保健所の人に「保険」に関して聞きたいとしていた。保険のことは保健所でなく保険の事務所に問えばよいと思うが、4月12日訪問時と連続性のある用件のためにSさん・保健所の人を求めているか?ある時、一旦2階から1階へ降りて口を漱いだ母親であり、再度発信しようとする時に携帯電話の扱いを教えた。2階に戻って電話を再開した母親は16時30分ころに終えて1階に降り、私に携帯電話を返すが、母親に通話内容に関して質問を行った。母親は体力が持続しづらいか立ち話が面倒のようであり、リビングに出て話すことを求めたので、応じた。過去の件(2011年8月以前)など、複雑な経緯について日記メモに記録しないでおく。話す最中の母親はソファの背もたれに体重を預け、片腕を手すりに乗せていた。顔つきは豊橋に来た2014年3・4月当時の牛久祖母(桜写真)にそっくりであり、首まわりの肉などがはっきりと感じられた。この姿勢でも腹部が張っているという様子が分かりやすかった。



8時過ぎに母親から前日の話の続きをされた。とある件に関してしばらくは行わない方針となった。また、保健所の人の訪問について「母親が保健所の人に頼る目的と異なる・現状維持は望んでいない」という話を聞き出し、保健所の人の訪問を当面停止することとなった。私が保健所の人の訪問を受け入れる「いくつかの理由」は過去記事・日記メモに記録する※主に当記事にまとまる※通りである。母親が保健所の人の訪問を拒否する意思を確認し、私から反対する事由が無いので許した。保健所の人の業務が始まると想定される9時から、母親に携帯電話を貸した。母親は明日11時に予定されているK・H 2名の訪問と、今後の訪問を停止する旨を、受話の人に話した。母親が目当てのKさんは会議か何かで出られないそうである。母親は本日10時~15時に家を空ける(買出し)から、保健所の人が折り返し電話をする時は「息子(私)」が応じるという話である。

当記事注: その後、家の電話に何らかの電話が入っても、「とある病院(弟関連)」からである。翌日も1週間後も、電話が折り返し入ることは無かった。



15時47分、保健所のKさんから電話が入った。母親による保健所への直接の通告から、20日が経過した今日のことである。体調はどうか、生活はどうか、といういつも通りの質問(仏教でいえば「少病少悩ですか」)のほか、母親の様子について質問を受けた。母親の心情(母親の目的・理想と相違する事実)、私の保健士訪問に関する姿勢などについて、私が理路整然と説明した。やはり訪問を当面しないでおく替わりに、私への定期的な電話による「生存確認」をするという。


2016年10月21日金曜日

事実認識の相違、思想や意見の対立でヘイト感情…世俗上の中観法

インターネットで二元対立・二項対立の構造を見て、智者はみな、「どちらにも与したくない」と飽き飽き(倦厭)するに違いない。
中3の時(2011・12年)の私が、まさしくそういったイデオロギーの対立、ネット右翼とネット左翼と彼らを煽動する第三者などの醜い議論の場を見て「みな一理あるがみな狂っていてみな哀れ」と感じられた。
理論面と感情面とを上手く分別できないと、主張の正誤・人の善悪を判断する基準が乱れることになり、この当時はその点が不明瞭であったため、俄かには確信できなかった。
2011年、すでに私は他人との積極的雑談や議論をしなくなりつつあり、2012年以降からネットの政治議論やその他の雑談全般を嫌うようになった(アニメを見なくなった経緯とも関連する)。
私の政治的な思想遍歴については「思考区分による社会思想の分析」という記事の1.1に詳しい。
以降、2chのスレッドではROM専か、書き込んでも単発で連投をする程度しかしないでいた。
俗悪な言い方では「チキン」となってしまうが・・・。

「ヘイト感情」という表現は、ヘイトクライムとかヘイトスピーチという昨今巷でも聞かれるようになった語彙に関連付けている(私の過去曲の名前に"Hatred (ヘイトリッド)"という単語が含まれる)。
ヘイトクライムについては、身近な人間関係から起こる感情(憎悪など)を発端とした傷害・殺人事件もそうだが、今年の国内で大規模なものに相模原の障害者施設の入所者殺傷事件(私見を述べた既存記事追記欄)があり、広げれば政治・宗教などの思想に基づく確信犯(テロリズム)もある。
また、政府が行うヘイトスピーチの規制は、国際連合(国連・UN)等の指摘に因るものと見るが、その実際に起きている物事の対症的な処置・封殺行為では、ヘイト感情に起因する行動を起こす者の悪い感情(憤怒・瞋恚・驕慢・憍慢)を増長しかねない恐れがある。
対症的な処置であっても、目先の問題(騒音被害や特定外国人への人権侵害)の解決がされるか国連に恭順な姿勢を伝えられるならば、それでよいという魂胆であろうが・・・。



「中道」による自他の平和の確立(龍樹菩薩・釈尊)


中道を示した龍樹(竜樹)菩薩による「大智度論」の巻第一では「私が信じる仏法は真実で、他の仏法は虚構だ、という頑固な主張が言い争いの本源である(我法眞實餘法妄語。我法第一餘法不實。是爲鬪諍本。)」と説かれる。
悪い論争が発生する原理を端的に説いてある。
まず、自分が信じるものを揺らぎなく信じる精神は大切であり、仏法においても重要な精神である。
不信ばかりで疑いを起こし続ける懐疑論者の姿勢のままだと、修行がままならない。
しかし、同時に、信じているものに関して思考を偏狭にして排他的な主張を行ってもならない中道を知る。
※ここでは大智度論が龍樹さんに仮託して他人が撰述した論書であるという学説を差し置く。

自分の考え方があり、また、異なる考え方というものもある。
異なる考え方を論争で対立する派閥と仮に想定し、これを相対させる。
そして、自分がその相対させた仮想の敵に勝たせて自分の考え方の正当性を誇示する(他人に言わず自分の中で認定するのみでも同じ)。
仮想の敵に勝てない場合でも、何とか自分の考え方の正当性を別の方向で作り上げようとするが、その中で仮にその考え方が正当であると立証されても、論者自身の心の問題が膨れる副作用があろう。
また、そのような場合、相手の非に論点をすり替えたり、非難をし続けて相手の論理のレベルを自分と同格かそれ以下に落とす試み(後述のレッテル貼りなどを含む)もされているが、もはや「泥んこ遊び」である(冒頭の智者が厭うこと=身口意の三業が愚人と同じく泥にまみれること)。

こういった人同士の言い争い(泥んこ遊び)では、悪い感情(憤怒・瞋恚・驕慢・憍慢)を増長させ、最終的に心からの理解がないまま、離散となるか、一方的な強制服従などがされる。
個人的な思索に、自分の心の中で自分と仮想の敵の論争があって自分を勝たせても、自分が負けそうで別の考えによって正当化しても、「心が歪む」結果になりかねず、異なる考え方をアレルゲン・病原体として排除するような思考回路を強めてしまう。
その悪い感情を後にも引きずるならば、仏教においては成仏や解脱が叶わない。
三悪道・四悪道に堕ちてしまう原因ともなるから、やはり中道の精神は自他の抜苦与楽や三業の抑制に重要なものとなる。
世間の哲学として見れば、世界平和の原理もここに立脚している。
外典(外道の典籍)にも「小人の過つや必ず文る(論語: 小人之過也必文)」や「君子は豹変し、小人は面を革む(易経: 君子豹変・小人革面)」といった言葉もあるが、やはり仏教徒は心からの自覚・反省が大事であり、そうして自尊と尊他(他への尊重)が真に自他の安寧を生み、仏道を進ませてゆくのであろう。

釈尊もまた、テーラワーダ信者にはおなじみの「スッタニパータ(パーリ経蔵の小部にある"経集")」の第4章で、大智度論の所説と同じ意義を述べ、論争を超えた存在を讃えた。
中村元氏の訳では「796: 世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を『最上のものである』と考えて、それよりも他の見解はすべて『つまらないものである』と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。」とある。
論争の派閥を作ったり、派閥に与したりしてはならない教示もある(同訳の800や912)。
この中村元氏の訳における796乃至803や、824乃至914が、こういった意義を述べた範囲となる(パーリ語のソースはSnp 4.5 Paramaṭ­ṭha­kasutta以降)。
思えば、同じく「大智度論」の巻第一に何らかの経典の偈3つを引用して漢訳者の鳩摩羅什三蔵が「衆義経("Sutta nipāta"経集とほぼ同義の名称)」としているが、この偈3つもスッタニパータ(Snp 4.12 Cūḷabyūhasutta)と同様の内容であった(大智度論: おのおの自ら見に依り、戯論して諍競を起こし… 中村Snp 878-881: めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い…)。



世に「どっちもどっち」「お互いさま」「喧嘩両成敗」「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」という言葉がしばしば見られるが、これは個々の事例に対して気休めレベルに言わず、常にそういう性質があると理解して自身の肝に銘じた方が良いものと考える。
仏様のお立場に比べれば、我々人類は単なる凡夫であり、有情の生命は欲望から悪い感情まで全てを具えているため、みな平等に低レベルの存在である。
しかし、我々が仏教を知って学ぶならば、この捨てがたい欲望と悪い感情とを徐々に除いてゆけ、解脱を成し遂げる可能性もある。
そういった生来の、善悪とも自覚して努力せねばならない。

先のような仏教徒が理解する「中道」の心を持っても、その中道を押し付けたために中道ではない人々と争うようならば、それは中道と言えなくなってしまう。
いわば「中道VS非中道・反中道」であり、この中道は「有名無実・名ばかりの中道」に過ぎない。
宗教に関連付けると、既成の宗教は何らかの対立の歴史があり、現在進行中のものもあろう。
それらも互いの憤怒と慢心が原因であり、対立感情を強めて協調性にも欠け、和の心が無いようなものであり、中道ではない。
しかし、それらを「愚劣な抗争である」と無宗教の人が感じて「宗教なんかいらない・宗教は時代錯誤・宗教は・・・」と言ってしまえば、当然彼らの心に憤怒と慢心を起こしているから、彼らもまた中道ではない(既成宗教VS反宗教という二極の対立構造)。

賢者は宗教に同化せず、しかし宗教を蔑視せず、「脱宗教しかし順宗教」くらいの中立が良い。
特に現代の世俗に生きるうちの賢者は、そうであらねばならない(政治記事でも綴った通り多くいても日本の人口の2割程度でよい)。
既に宗教に所属している者でも、いわゆる「宗教多元主義」の人は、外において他の宗教を尊重し、内において己の宗教を正しく進行して実践している(外で争いを生まず内で自尊を保つ)。
我々が持っている選択肢は、教団に入信するとか、宗教排除を訴えるとかという二極の選択肢のみではない。
そういった両極端な考え(辺見・偏見とも)にとらわれる者がカルト教団(とされる本人が苦しむ場所)を遍歴し、そう思えば反旗を翻して目を真っ赤にして牙をむき出しにして宗教批判に転じてしまうから、当事者の精神的な境界も極端の状態にある。
このような愚昧の者たちを見れば見るほど、中道の尊さが理解できよう。

※中道とは「空」と同じで、中論24-18偈所説の如く「仮名(けみょう)」である。状態や性質に対して「仮に名付けた概念」に過ぎないから、中道を尊ぶにしても、中道という「仮に名付けた概念」自体を尊んで「中道の派閥意識」を作ったり、中道を標榜する派閥を作っては元も子もない。中道とは相対的な変化が当たり前で、常に柔軟なものである。仏教教団が夥しく分派した結果は、既成の党派を嫌う過度な中道意識が原因である。先述の通り、中道とされるものが「中道でないもの」との対立を起こすならば、既にそれは「有名無実の中道」であり、中道と名付け直すに値しない。

論争の派閥(党派)にせよ、宗教の団体(宗派)にせよ、たまたま所属したり分類される必要がある場合はそれでよいが、自ら所属したり作り出そうとする必要は無ければ、かえって所属することを極度に嫌う必要も無い。
必要性を理解していないからこそ、そういった、どこに所属している・どこにも所属していない、という「形式」にとらわれ、極論に陥り、脱却も超越も叶わない。
私が話す通り、中道の境地は柔軟であり、中道の思考は柔軟であると分かる(それほど繊細な判断力や精神性がある人間でないと「面倒くさい」ものだが)。

※「排中律」という考え方がある。文字通り、中間の発想や立場を排除する考え方である。対立事項のどちらかが正しいと論証されれば矛盾が無くなるという論理だが、これは仏教と大いに相違する近世の西洋哲学らしい概念である。物事、特に人間が絡む場合は矛盾が発生しやすい。それを受容せずにどちらか一方が正しいと思い込む発想が論争や衝突や戦争の原因であろうに。そういった世界的な矛盾を受容し、折衷か二重否定か超越のいずれかによって中道を立てることで多くの物事は穏便に収まるか、より自然な進歩を遂げる。ごく世界的な学問である科学や数学は、二元論および唯物論の立場で研究しても構わない。後述する「レッテル貼り問題」は、現代日本人の排中律じみた思考に根本原因があると説いている。現代日本人は中道に遠い。



我(アートマン)について ~ 「有り・無し」の両辺を超える


※一般に理解が困難であって難しく感じる人は読み飛ばしてよいが中道の理解には重要

仏教にある、概念としての「我」は、サンスクリット語やパーリ語"ātmán, atta (アートマン、アッタ)"の漢訳語であり、日本で一般的に認識される霊魂や、霊魂のように前世や来世を一貫する精神体(霊的実在・本質ともいう)などを指す(英語では単にSelfやSoulと訳するほかIdentityやEssenceとも訳す)。
仏教以前からのヴェーダの教え、バラモン教(ブラーフマナ)などはこの「我」を肯定した教義が根幹にある。
諸行無常と言われる「万物の変化」の中で、普遍の実体や変化自体を生じている主体があるのではないか、という見解を「我見」ともいう。
この「我(真我)」が、生命の輪廻転生(人間に生まれるとか動物に生まれるといった)を行うかどうかについて、一般的に仏教では否定されると認知される。
我が身の生死も、輪廻も、日常の様々な出来事も、科学における宇宙も、その発生は説明しきれないほど多くの原因の相関性(因縁)で結果がある。
そういった結果から「こういう原因があるのではないか?本源的な我(または創造神など知り得ない外界の存在)があるのではないか?」と誤って推量することを、仏教が排斥している。
原因も結果も、「既にある・あったと認識された物事」と「過去にあった・将来にあろうと推定する物事」を基にして自己の思考から割り出すのみである(仮想に過ぎないということ・例として燃料から火が出て火から煙が出る様子を見れば分かる・燃料だけで火が維持されることはないが燃料が無くても火が出ることはない・火から出る煙があっても煙がみな火から出るわけでないし火がいつも煙を生じるとは限らない)。
物事は「ただの物事」であって原因と結果などを問えないし、無理やり結びつける愚癡の思考は貪欲・瞋恚の肯定ができ、自分の主張を正当化したり悪行を進めることになる。

特に、仏教を「内道」たらしめる要素が、「我」の否定にあり、「我」を肯定する教えはみな外道である、といった認識も根強い(反対に物質だけで人体や世界が構成されていて死んだら終わるという見解の思想家が釈尊在世にいて彼らも六師外道と称されたように外道の一種である。我を肯定する"常見"の宗教も唯物論的な"断見"の思想も両極端な外道であるという)。
四法印の一つ「諸法無我」という言葉の「我」も、その"ātman"・霊魂としての「我」であり、これを否定する教義である。
しかし、実際、「我」自体を完璧に否定することが完全に良いかといえば、中道の意義においては慎重になる。

上座部仏教(小乗仏教と呼ばれた教団の後身)の経典(何の経典かは忘れた)での釈尊は、或る時は「我あり」と説き、或る時は「我なし」と説く。
対告衆(説法の聴聞者)の心にある迷いの見解や偏った見解を矯正する慈悲のために「言辞柔軟」の説法を行っている。
釈尊のそういった、一見して「二枚舌」と思われそうな「我」に関する説法について、弟子が疑問を投じ、釈尊がそのように理解を求めたという経典もある(何の経典かは忘れた)。
また、龍樹菩薩はこの事実を中論の第18章の6, 8の偈に説かれた(諸佛或説我 或説於無我 諸法實相中 無我無非我 乃至 一切實非實 亦實亦非實 非實非非實 是名諸佛法)。
「日和見」という言葉はその時の多数派に従う中立性を意味するが、釈尊はその逆の立場を取り、偏りを無くそうと中道に導いたわけである(立場なき立場を立場と私が呼ぶ)。

ほかに上座部仏教の経典の相応部「無記説相応・阿難経"Abyākatasaṃyuttaṃ - 10"」には、釈尊が中道・無記の立場により、とある修行者に「我」の有無を質問された際に沈黙したという話がある(経典の名に"無記, Abyākata, Avyākata"とある"無記"とはこの沈黙を指す言葉)。
その修行者に「有る」と「無い」のどちらかを答えても、彼がその答えに執着して迷妄に陥るであろうと推測して沈黙したという御判断を、釈尊は阿難尊者に話した。
そもそも「我」が有るとか無いとかは、娑婆に生きる我々凡夫が実感できる事柄でないし、それを釈尊など大徳は慮っておられるから、有り・無しを大衆に断言することもなかったろう。
一応の教義で「諸法無我」を第一としつつ、逆のことも言えるが、真実がどちらと断定できないしどちらでもよいから大衆に断言できない(説法の相手によって我の有と無と沈黙とを選ぶのみ)。

いわゆる「輪廻転生」説には2つの見解があり、1つは現世の「我が身(肉体と精神の結合=五蘊仮和合=地水火風が空によってたまたま肉体となって識を得ている状態)」の心が地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界のような境地に変化をする状態を説く見解と、もう1つは世間で一般認知される前世や現世や来世の「我が身」の生きる状態を指す見解とがある。
後者の見解は、「我」とか「霊魂」のようなものを想定しないと理解しづらいし、一般世間ではそういった霊魂を想定して輪廻する・転生する・生まれ変わる、と捉えるので、多くの仏教学者(修行者ではない)が否定している教義である。
一応、そういった見方の教義によって「来世の修行では遅いんだ!」と修行者に現世での一所懸命・一生懸命の修行を決意させるための方便としては良いのであろうし、ある種の仏教における「我」の肯定ともいえる。
私がこう理解する上では、この際「我」が有るという見解や「我」が無いという見解は、問題でなくなっているので、この教義での悩みも起きなくなったであろう。
中道を極めると「非我、非無我、非非無我・・・」と言うしかないし、実際に思惟を繰り返してこう至るし、仏弟子の歴史にも無我に関する紆余曲折があったので有我・無我の見解の双方を認めることで争いも苦しみも無くなるし、それらを全て踏まえたこの見解が悟りの境地に近く、「戯論寂滅」なのであろう。
釈尊も龍樹菩薩も、これが真意と私は拝察する*脚注
執着や怒りや苦しみを離れ、執着や怒りや苦しみを生まなくするための慈悲が根源であるから。



実際の議論に際して ~ 傍観者であっても


さて、中道という思想や、「和」の心を以て自尊を第一ながらに相手をも尊重する心が、自分の心に苦しみの因子(悪い感情)を起こさず(最初は苦しい忍従かもしれないが漸次改善される)、他人との間に争いや諍いを起こさないと分かったろう。
ただし、正常な範囲での議論は必要となる。
人間だれしも誤りはあるから、互いにある程度は疑問を投げかける必要はある。
それに固執して強調すると互いの心が波立って対立になったり、悪い結末も考えられるから、疑問を投げかけたり意見する側には多少の制御が必要である。
相手にも何らかの執着というか、信念がある場合は、それを掻き乱さない心遣いを持って接する。

また、疑問や意見を受ける側は、せっかく意見を受けたのだから、どのような人によるどのような内容の疑問や意見であっても、多少は考慮すべきである。
そのような原理が民主主義の現代文明に生きている。
国連(国際連盟・UN)やEU(欧州連合)やホワイトハウスの方針は好例であり、日本の一般的な企業でも、内実はともかくとして「お客様の意見を大事にします」とか「どのような御意見もお受けします」と言ったり、「お客様の声」といったコーナーを設けるWebサイトや店舗なども多くあろう。
徳の高い者は、上下の隔たりを自己の価値判断から最大限に排除している(完全な排除ではない)。

そして、そのような自他の平等を持つ者が、多くの意見を見聞きしており、例えば聖徳太子の別名である「豊聡耳(とよとみみ)」とか、複数人の言葉がはっきりと聞き取れるという逸話などは、その徳を顕した「たとえ話」として好例である。
だから、慈悲や徳を意識する者は、一応、どのような人によるどのような内容の疑問や意見であっても、聞き入れるくらいの器量が必要である。
もちろん、全ての意見に同意して己の主体性を無くする意味は無い。
和の真髄を得た聖徳太子は、恐らく、論語の「君子は和して同ぜず」という言葉と同じ境地に居られたことと拝察する。
人の意見に完全に同意せずとも、和の心を以て聴き、理解や尊重はしておいてほしい(知能と精神を持つ同じ人間なのだから、という発想が人権・人道思想の原理でもある)。



さて、リアルでもネットでも、冒頭のように人との雑談も議論も有り得ない私が言うには白々しい話であったが、それは度外視してよい。
なぜならば、インターネットで傍観者として見ていても、意見の対立と、それに伴う感情的・差別的発言(憤怒や嘲笑による誹謗中傷・罵詈雑言・レッテル貼りなど)は、行う本人の気分を一時的に紛らわせても、言われた本人や、それ以上に、そういった情景を目の当たりにする私には不穏当である。
ここで、中道を理解する者は、自分たちが議論の席にいない時であっても、そういった煽動的・煽情的な発言について心で対処すべきことを示したい。

レッテル貼りが詭弁であり、性急な感情より生じている現象は、仏教の縁起観を知ることで鮮明となる。
レッテル貼りとは、主に相手のコンプレックスとなりそうな要素(傾向だけをみて一括的に称した浅はかなものも多い 例:左翼は低学歴、右翼は無職、黙れハゲなど)を持ち出して議論の本題を逸する詭弁の中の詭弁であり、智者が用いてはならない論法の第一位である。
一般論でいっても、レッテル貼りとは「自分を誤魔化し議論をはぐらかす欺瞞」であって「思考停止の所業」と非難される稚拙な言動である。
文系だと何で理系だと何、といった区分の概念を持ち出して賢愚を区別する人は、既に賢明でなく、さながら当たらない占い師のようである。
ちなみに中道の私はハゲ有り超ロン毛ゆとり世代B型中卒ニート引きこもりであり、既に清々しいほどに対立概念を離れている。

世間での肩書きは、確かに一つの結果であり、その結果は「因果不二」の観点で言えば、原因にもつながる。
しかし、その原因あるのみで、次の結果に至るものではない。
結果に至ることは、別の要素との相関性である「縁」に依る。
仏教の縁起観や因果論とは、単にある一つの要素のみで語られはしない。
ここでいう次の結果とは、その肩書きにある者の論理の正誤などである。
今の議論にあっては、その肩書きなどの要素のみで、その論者の論理の正誤が決まるはずもないし、あるいはその論者の論理への判断に、そういった負の感情を介在させるべきではない。
論理の正誤を明確にした後ならば、もう三毒に任せて好き勝手に面罵すればよいと思う。
※そもそも正誤が決まるとか白黒が付くというようなことが彼らの中にあるはずもない。なぜならば和の心が無いから自分の怒りに立脚した論理と見解のみが正当であるため、対立する論理や見解などを受け入れられない。中・朝・韓の如し。

つまり、その肩書きだけで「(実際に現実に)バカだ!」というように演繹されることは、あまりにも早計であり、論理学に長けている人間は最初から用いもしない論法である。
それら詭弁は度外視できるくらいの、世間でいう「スルースキル」が必要ではないか。
「スルースキル」とは、掲示板でのレスポンス(レス)やTwitterでのリプライ(リプ)をしない、という行動に限らず、「身・口・意の三業」に渡って行うべきだから、心にもスルーし、口にも出さない方が、己の中道観を養い、三毒を抑制できる。
これこそ仏道修行に通じているではないか。

中3の頃から、こういった異常性に気付き、ネット掲示板やSNSすらも自分の居場所でないと気付いた「真の旅人」ともいえる私は、この回想で法悦を覚えた。
多くのネットユーザーは、それらの交流サイトに入り浸って他の居場所を見出さない傾向があり、執着を強めて苦楽を流転輪廻している。
その執着を早々に薄めて可能な限り放擲した当時の私の徳は、やや高いはずである。

まあ、多くの人間はどう生きても感情に動かされるわけであり、そう理解はしていても彼らと似たような言動を取る時もあろう。
それは揺るぎない事実であるからこそ、どうにかして漸進的でも努力の継続(忍辱・精進)が必要である道理を銘記すべし。
また、どのような思想・意見・論理を持っても、心の状態は「中道・和」であらねばならない。
「中道・和」の心を自分一人が持つことによって世間で自分の意見が通らないとしても、その迷いと苦しみが起こらないならば、解脱に近づくことは間違いないため、第一に喜ぼう。
無論、自身の意見を封殺するわけではなく、相手の状態を見極めて言うべきことを積極的に言った上で適切な進退の判断をする、これまた進退・攻防の中道であり、良い姿勢である。



一応、日蓮大聖人の法門を信奉している自分だから、最後に大聖人の言葉を借りたい。
崇峻天皇御書に「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。(学会御書では1174p)」とある。
我々が仏法の正義を宣揚して訴え続けるにも、決して相手を罵るような感情(憤怒・瞋恚・驕慢・憍慢)を起こしてはならない。
その鑑は、まさしくこの「不軽菩薩(常不軽菩薩)」の振る舞い・礼拝行であった。
「不軽」とは「軽んじず(軽蔑しない)」という意味であり、広く自分の主張を説いても相手を軽んじなかった。
逆に、主張を聞いた相手こそが不軽菩薩に対して軽蔑(軽賎)・侮辱(毀辱)・罵倒(罵詈)・打擲などをしてきても、忍従(忍辱)に徹するくらいに「不軽」の振る舞いで礼拝の修行を続けた。

仏法は尊いものであり、それに値遇した自分もまた、凡夫の中ではきっと尊い存在であり、有り難い境地なのであろう。
しかし、先述の通り、真の自尊とは、他との相対のみならず、自身のみでも尊くある「唯我独尊」である。
他との相対のみで自尊を立てようとすれば、概して他の思想や主張を軽蔑してゆき、結果として慢心を宿してしまう(裏返ると憤怒に変わる)。
せっかく尊い思想や、正論を持っても、その人が低劣な言動を行って相手を侮辱するようならば「玉に瑕」である(他人から反発を受けて信じてもらえづらい)。
それが次第に、正論も言えなくなるほど堕落する悲惨な結末を、仏教徒は憂えねばならない(自分自身を悪道に落とす)。
そこで、2種類の自尊と同時に他人を尊重する他尊も用いて中和すれば、仏教徒として慢心が抑制される(単なる算数理論とはならないので自虐の卑下慢になったり"他尊できる俺カッケー"と自惚れる逆効果を起こす恐れもある)。

日蓮大聖人・釈尊・龍樹菩薩の言葉を再度お読みになられたい。
一応、全てを心得た者が、意見を述べたり、論争に交わる場合には、不軽菩薩のように相手を尊重しながら必要な主張を十分に行い、どう反発されても悪い感情を起こさない「忍従・忍辱」の精神で挑まねばならない。



起草日: 20160925

インターネットを見る日々に思うことであり、その草案だけをサラッとまとめる段階から始めた。
この2016年9月中は、テーマに沿った長めの文章を書かない傾向があったので、まずはこのような段階からでもよいので、と考えて最初の一歩を踏み出した。
その一歩で満足してしまう一面もあり、それを自覚する自分には、それを予見(悲観的予測?)して最初から記事の作成を倦んでしまう状態も多い。
この起草日の2週間前から「新しい記事の案はどうすべきか」と仄かに憂えていた中、当日の風呂(シャワシャン)の最中に、この際だからこういった思考に関して記事にする決意をした。

なお、インターネットにおいて、一応、私の当記事で縷々と示した「認識・思想・意見の相違による感情的対立に関する道理」を弁える人もおり、自分の意見を強く主張して他の意見に批判的であったりもする中で、多少はオブラートに包むような言い方をしている傾向がある。
文面だけでも、そのように配慮を行うことは好ましいが、三業の中でも意業を重んじる仏教徒であれば、人に見せる文面のみに留まらず、心から相手を軽んじない努力が必要となる。
ことに仏教徒は、そういった世俗的に取り繕う姿勢のみに終始すると、かえって解脱に遠のくという危機感を持つ必要がある。

ところで、9月19日の日記メモを部分的に引用しておく。

18時台に考えた。私は毎朝2・3時台に起床する通り、時間の確保に努めている。風呂(シャワシャン)の頻度が5日に1度程度となりつつある近頃も、より多くの時間の確保を求める状態である。しかし、確保された時間に対する作業量は少なく、効率が悪いようである。それは、元々効率が悪いから時間を確保しようとするのか、あるいは時間を確保しようとして実現されたから作業の手と心構えが弛んでしまったのか、どちらが原因であってどちらが結果であろうかと疑問に思う。

しかし、仏教徒は、物事の因果と縁起を知っているからこそ、このような些事に因果関係を明確にしようとはしない。どちらでも構わないわけであり、どちらでもあってどちらでもない。原因と結果は表裏一体であるし、相互に影響しあう。私の疑問については実際にそういった部分があり、それらの要因は互いに原因となって結果となりあう連鎖すら感じる。中身が何であれ、あらゆる疑問には「どちらでもあってどちらでもない、したがってどちらでも構わない(どうでもいい)」と結論すべきであろう。特に死生観について直接の原因の追及に執着した議論が「戯論」と言われ、仏教の結論が「無始無終」である。「無始無終」など中道の思考で迷いも苦しみも制御される。また、世俗的方面での因果論も、俗諦の場合に直接原因を問うことができても、仏教の真諦では対峙するどちらがどう直接原因であるかを問うと二元対立に陥るため、そう原因を考える人間の「無明」こそが全ての原因と考える発想で簡単に一蹴でき、迷いを生まずに済む。原因は、有るには有るが、有って無いようなもの、という概念として捉えられる。さて、何が言いたかったかと言えば、そういった疑問が生じても、「どっちでもいいだろ」と唾棄し、今できることに挑んでゆくことが実質的に大事な姿勢であろう、と帰結した。

このように、自他の二元対立のみならず、自身の思考・思索の中でも、中道の思想によって迷いが消え、努力の障礙も除くことができる。
中道観を完璧に修している者は既に悟りの境地に相当しているかもしれないから、結局、元々知能と哲学的経験が優れた人でないと簡単にはできないようであるが、だからこそこうして中道を示してゆかねばならない。
自身に銘記し、他人に宣布してゆく。

度し難い人間は、自他を善悪優劣として分断し、論理に和の心もなく、反発と揚げ足取りの多い私の母親である。
何かあれば自分の不満を延々と漏らし続ける(気休めで自尊心を満たす自己暗示)ため、こういう場合はどんな言葉も悪く受け取られ、反論も慰撫もみな裏目に出る。
そういう人間に対して小慈小悲の私は、必要最低限の主張を行った後は放っておくしか、順当な手段が無いと考える。



*記事投稿以後の学習・・・天台教学の円融三諦も我=仮、無我=空、中=非無我という三諦を「円かに融かして(包括して)」こそ真の中道であって但中(ただ中道を説く)と異なることを意味する。中道は「中道」でも、単に左右を消した虚無的な中道でなく、真ん中で縮まる中道でもなく、有無も非有無も全て一体であると知る平等の意義がある。真の中道も、仮に「中道」と名付けている。私が政治について提言した記事でも、この真の中道の立場にある。すなわち、右翼・左翼の「二辺(二邊・二項・二元)」でなく、単なる中道・中立・無党派やイデオロギーの喪失でもなく、全てを包括して柔軟に判断する仏教徒として相応しい立場に気付いた。また、政治(社会)と宗教といういずれも嫌わず、執着せず、という中道にもある。少なくとも、自称・閑居求道者である在家居士においては最善であると信ず。出家修行者においては、中道を包括した中道にも執着しない立場で、先の記述の通りの「戯論寂滅」が大事である。


当記事の次回分としての記事→http://lesbophilia.blogspot.com/2016/11/blog-post.html

2015年12月30日水曜日

類聚(6) ~ 「前の家での生活」篇

*横野要文類聚 第六篇・前節*
うら寂しく、物憂げに独り蹌踉ふ。
めでたきことなしと思へるは、なほ寂し。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「前の家での生活」である。
この表題に言う「前の家」とは、2006年7月に一家5人で移住し、2006年8月ころに弟2人が児童相談所一時保護(?)→児童養護施設のため離れ、2007年4月に母が北海道紋別市へ別居のため離れ、2011年4月18日に私が小旅行もとい家出のため離れた、埼玉県○川市に所在する住宅であり、そこに住まった期間の生活記録を聚める。
前の家の構造や周辺の地理などを触れているものも聚めたい。

学校生活(O小・T小・K小・K中など)については、過去に複数の記事で情報の集積を図った。
現状類聚記事にする予定はない。
※2015年6月以降の月別記事数"6"を揃える目的で、かなり低い完成度のまま投稿します、どうか追々内容の充実されんことを。






(前略) 2010年なら前の家であるが、県下最大の神社に初詣しようと家を出るも、家から最寄りの駅前に着くや終電後であてもなく沿線の自転車徘徊をしていた。この2010年大晦日23時以降の参拝未遂の件について過去の記述を探したが、見当たらず。よってここに詳細を書くが、最寄り駅前で2人の若者が狂ったように空き缶を投げつけて奇声を上げたり、別の駅から離れのコンビニには駐車場で若者が職務質問を受ける様子もあった。なお、この外出直前は某掲示板閲覧か某お笑い番組あたりの視聴をしていたのではないかと記憶する。…2015/12/15

当記事注: 同日に別の話題で思考していた。あの頃は家でやることが少なかったこと、金銭を消費してコンビニなどで食品を買いたかったことなどがあり、今と違って自転車もあったわけだから、2010年12月の不登校以後も外に出る頻度は非常に多かった。家でやることについては後掲の11月8日の要文を参照されたい。

なお、他に見た夢の一つは、前の家の付近にある神社が土地ごと抉られ、最大で10メートルほどの深い孔が広がった。底の方には薄く土が被り、地中の排水機構が露出する。更に周囲の地理関係が乱れており、例えば前の家の敷地北側に神社(とスギなどの鎮守林)があるとして、南は民家や狭い田んぼなどがあるものの、ここには街を流れるタイプの河川が横たわっている。前の家かそれに似た場所が舞台となる場合、風景は一定でない。過去メモ文章を示そうと思ったが、記述未見。…2015/12/15

当記事注: 夢に出てくる前の家に在り方を綴った文言がメモ帳の過去記事にある。当該記事の投稿は2014年6月3日だが、後年加筆された記述であろう。

海産物や魚介類といえば、過去記事でも述べるよう前の家では朝食に定番の焼き鮭をはじめとして、かなりの頻度で焼き魚が出ていた(アジ、サバ、サンマ、ホッケ、メカジキ、イワシなどなど)。…2015/12/14

当記事注: 後の12月31日メモにこう書いた。「前の家で家庭内別居となる以前は、平日も休日も朝食は必ず父親が作ったものを共に食べる習慣が当たり前であった。この家にあって乖離した私を蔑視する母であるのに、朝食など(弟に)勝手気ままにさせることはおかしいと思う。草むしり騒動ほか、多くの(弟との)問題は母の遅起きや二人の朝のありかたの別離にある。 (中略) 私の前の家では、それぞれがしっかり早起きして、7時までには父が朝食の準備を済ませる、これが当たり前であった。母の母としての怠慢は (後略)」、食生活は記事後部2014/01/28要文に詳述される。

ペットボトルへの排尿は、夏場の前の家でよくやっていた。夜は部屋の外に出ると虫(ゴキブリ)に遭遇する・部屋に侵入されるリスクがあるなどで、濫りにドアを開けたり部屋を空けたりするわけにはいかず、密室たるトイレで遭遇することは何よりの恐怖であった。そのため、自室にて用を足さざるを得ないことが多々あった。反面、夏の早朝は部屋の外、2階の階段と接続する空間(広い廊下・踊り場というのか)で階段側の窓に向き合い、バルコニー側に背いて座り、涼んでいることも多かった。これで虫に遭遇した経験は無かった。…2015/12/06

ふと前の家で自室ストーブの放熱部分にティッシュペーパーを当ててよく遊んでいたことを思い出す。 (中略) 前の家では発火を恐れ、ティッシュペーパーは「こより」の状態を作って、それを遊びに使っていた(もとい網の奥に入れづらいからこよりにしていたか)。今回の状況として、熱の強いストーブ・トイレの狭い空間(前の家子供部屋3室ともロフト付きで天井が高い)・燃えやすい材質の紙という悪条件のみならず、「こより」という予防策を取らなかったことが大きい要因であった。…2015/12/05



日曜と月曜の間の深夜ほど番組がひどい時は無いと記憶するが、その記憶が依拠するところの過去は前の家2010・11年である。そのテレビ試聴末期は、NHKにしろ民放にしろ独立UHF局にしろ、素朴な番組を好んで試聴する傾向があった。…2015/11/30

当記事注: 11月6日の日記メモに「関東の独立UHF局に興味を持った小6」とある。

あの広い家で独りきりという中で、ある時はネット依存、ある時はネットもゲームも無い(2008年夏に別居母との再開の事前に上の画面に数字キー、別にQWERTY配列キー備わり、後のスマートフォン的なブラウジングが出来たスライド式携帯電話を受け取った経緯があるが、これは2008年10月に破壊し同年12月の姫路遠征時に返還した・・・2006年7月にあの家に越した折、2003年購入のSH252iを一時自室内で紛失しつつ小6か中1の時に再発見した経緯もあるが、これは当然2004年のとある経緯でネット接続不能である)環境下で、トモダチだとかもいなかったわけだから、独りで何をして時間を潰したかと言うと、お絵かき・物色など多種あろうが、独自の遊びを開拓することもあった。独自の遊びと言うと、現在この家や私の所有物にも結局は漫画やゲーム機などが無いわけであるから、このPCにもCPUを荒らすゲームを動かす気にならないため、音楽をいじることが多い。…2015/11/08



前の家付近の貯水池も、かつてはカモやサギ(白・青)などが多く浮かんでいたが、最近のストリートビューを見たら、長いこと水を入れていないのか、高い雑草が群生している(よく分からないが、浅い水に高い雑草が生えているようにも見えて不可解)。…2015/10/30

この母は、なんと風呂掃除をしている。母が風呂掃除などする様子は滅多に無かったし、実際にしている様子は初めて見た。前の家だと、自分や父など各自の判断により浴槽を度々洗っていたものだが、この家では弟も母も洗わないし、私は当地以前より推定4~5年入浴を行っていない。弟も母も、温泉は入っても家での入浴はしていないのではないか、と思うがそれは今朝たまたま、ゴミ容器に捨てられているバブの包装を見たところで一度覆った。あるいはバブをお湯が張られた浴槽に落とす以外の使い方をしているのではないかとも思ったが、母はこのバブなどの入浴剤を使うため、重い腰を上げたと見る。そして、一度バブを使った際は、久々に張ったお湯に髪やアカが浮き、ほかの汚れも混ざる汚さに絶句したから、ようやく掃除しようと発案したものと推量する。…2015/10/21

幕の内弁当なら、ある時からまだ弁当を買う頻度が多かった時期に母がよく私向けに買っていた。前の家でも父親が二人用に買うコンビニ弁当・弁当店の弁当(通称ほか弁)にこの名称の弁当が多かった(スーパーだと惣菜の丼ものも多い)。「ある時」というのは (後略)…2015/10/07

これはシバンムシというそうだ。この家で見たことはほぼないが、前の家ではこれより細長い(全長4mmか)甲虫は度々目撃している(1Fキッチンの引き出しで何か小物が置かれているところに3匹同時に見たことがある)。…2015/10/06



(2007年のネット利用など記述アリ、前略) このようなネット依存ともいえた時間は続き、ついに夏休みに入った。PCの使用自体は夜までにする決まりが自分の中に定まっていたが、その理由は諸説ある。自制心に起因するものもあれば、夜は魔が跋扈する時間(ゴキブリに遭遇することの危惧)で自室の外で過ごすことが恐ろしかったなど。父親からネット中毒の状態に関する指導もほぼなかった(気付けなかった?)ため、夏休みはますますネット利用が盛んになる。私としても父親の前でPCをする様子を見せいたか定かではないが、父親は私の平日のPC使用状況を知っていたはずだし、知らずとも何となく訝しさから普通の親は尋ねるはずだが、それも無かった。…2015/04/27

「バリケード」とは、前の家において2010年12月に始まる不登校の時も、2日目夜に設けたものが強固で、3日目の朝父親が部屋に押し入ろうとしたことを防げた。バリケードの件は過去にブログでも書いたはずだが、膨大な記事の中からその記述が検索技能を駆使しても見当たらない(長文回避で過去記事リンクしたかった)。…2015/04/21

ローソンといえば2011年4月18日に豊橋へ来た日、前の家の最寄店で最後の買い物をしたことと思う。こちらに来たときはポイントカードの有効期限の関係で悩んだが、今より体力が残っていたのだから、遠くとも同ローソンへ足を運べばよかったと思う。…2015/04/02



そんな中、ふと父親の部屋の本棚にあったキチガイ漫画を思い出す。それは、戦前(厳密には直後)世代で過酷な時代を行き抜いたお方の漫画で、戦争を行き抜いた漫画家はしばしば戦争をモチーフに描くこともあり、かの手塚治虫や水木しげるも多く書いていた(グロばっか!)。それらも父親の本棚にて小学生の頃から目にしていたものだ。…2014/06/23

小5で両親離婚(別居)、最初は父親が料理を作ってくれず、朝はコンビニ弁当生活。それからしばらくして、父親が料理を毎朝しっかり作るようになり、朝はご飯、味噌汁、焼き魚、納豆、漬物、緑茶などまさに健康的なものを出し続けていた(この品のいずれかを取るメニューが多い)。 (中略) 2010年1月(?)までにゆっくり鍛え、それからは一日腹筋40x4セット=160回、背筋30x1=セット30回、腕立て伏せ10x4セット=40回を目標に鍛え続け、毎日記録もしていた。結果5月頃にもなると腹筋も割れていた。記憶では、50m走が10.3秒から8.7秒まで飛躍的に上昇したのだ。あの日の「デブ」から手の平を返すように「ガリガリ」と言い出す人もいたけれど。そして同年10月家庭内別居、12月不登校、2011年4月、母親の家へと家出した。 (中略) まあ、前の家で不登校になった2010年12月以降もこちらに家出する2011年4月18日まで、それなりにコンビニ通いやマクド通い(ビッグマックセット♡)していたけれど。…2014/01/28



ついでに、父親の音楽経験は、トランペット、ギターにある。与野時代、ギター(アコギ)は捨てられた。 (中略) トランペットだが、父親がよく吹いていた。2台ほど持っていた。公園で吹くことが多かった。同じ公園でも、人目の付きづらいところで演奏することが多かった。父親はジャズに憧れていて、CDはもちろん、昔集めたカセットのコレクション、そしてレコードまで持っているかなりのジャズオタだった。もちろんレコードは、ただ持ってるわけじゃなく、レコードの再生機器も持っていた。ただ、埼玉に住んで蒲田(隣は川崎)に勤務する忙しい日々のため、ライブに行く姿は見かけない。トランペットの演奏技術だが、2005年と2010年の違いを感じない。…2013/08/14

当記事注: 父親は家でトランペットを吹く際、ミュートをかけるというか、サプレッサー的な消音器のようなものを取り付けていた。こういう回想をしていると、父が部屋の窓を開けてタバコを吸っている光景(奥に杉林)が浮かぶのは何故であろうか。なお、トランペットで共通する趣味を持つ知り合いもいない様子であり、そういった人物との電話でのやり取りも聞いたことは無いし、そもそも仕事が終わると遊ばず呑まずに帰ってくる人間である。

今月で2年以上自転車に乗ってないことになりました。 (中略) 記事トップの写真を撮影した頃の使用状況は、雨などの天候の問題が無い日であれば毎日乗っていて、学校の無い日でも当時の地理感で周囲を遊覧していました。1日の時間がたくさん余った前の家で家庭内別居・不登校期の5ヶ月超の時間を、一人長く外で過ごし続けましたが、主要な行き先として大きい公園、田畑などの行き先なき行き先のほか、コンビニでの消費活動が多く、一時期はファストフード店も通いました。 (中略) 人生の中で長い間自転車に乗ってない時期がかつてもう一回あった。おおよそ2年、小学生のときそんな時期があった。やはり、久しぶりに自転車に乗った時は慣れなくて「事故に遭ったらどうしよう」という恐怖もあったが、その時は問題なく、中学進学後も自転車事故は無く済んだ。(中学はもちろん自転車通学)…2013/04/19




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2015年11月8日日曜日

詮無き空想「捕らぬ狸の皮算用」も小学生の頃には良き夢想

私は日々ネットでの言論を行う。
創作関係(絵・音楽)にしても言論と同様、リアルの形に残したいと思うことは多いが、とりあえず論文を紙面に印刷する場合を考えた。
去年から、自分のネット投稿文章を紙に書写することは多かったが、今年は日記メモを取る習慣が強まるに連れ、その因果関係はともかく、書写行為はしなくなった。

紙に印刷することを考える際、第一にA4コピー用紙一面にコピーする手段がある。
各種資料・学校のプリントのような紙面となろう(それらは主に横書きだが、私は縦書きにしたい)。
こういった場合は、Microsoft OfficeのWordなどが最もポピュラーな編集方法で、この下に印刷を行うものだが、あいにく私のOffice系ソフトは某紛い物メーカーの体験版しかない。
Wordなどにこだわらない手段としては、画像にテキストを貼り付けてその画像データを印刷することか、あるいは直接ブログのHTML画面をブラウザの機能で印刷することも挙げられる。

実は私の思考では、Wordなどオフィス系ソフトは後から思いついていて、今の「画像方式」と「ブラウザ方式」が先行していた。
そういうわけだから、最初から「Word方式」ということは考えなかったが、ブログ記述では便宜上このようにする。
ほか、A4の紙では大きく読みづらい・折れやすいので、後々半分のA5サイズにすることを考慮した印刷方法を採ることもよい。
この場合は、1枚の紙に1Pと100Pついで2Pと99Pのような印刷方法を採るか、1Pと2Pついで3Pと4Pのような印刷方法を採るか、という点も考える。



以上のように真面目な思案を展開しても、空想に近いと気付いてしまう。
なぜであるか、立派に考えても実行が無ければ「捕らぬ狸の皮算用」となってしまうからであり、それは「皮算用」というほどに小中学生時代に多々経験があったからである。
2007年4月、母別居開始から広い家に独りでいる時間が急増した中で、様々な思考に耽っていたものであるが、その中には「皮算用」とも言える計算活動が多かった。
過去記事で「中1時の開校ウン周年」における「将来の夢」欄で「年収1000万円」と、理想の収入を書いた真似に見るよう、即物的思考はあったのだが、ただ現代の大人らがそうのたまうことと異なり、小学生(高学年)の当時からそれなりの計算を伴っていたのである。

想定した年収や月収(月給)を前提に、食費いくら、電気水道料金、ガス代は当時の家がオール電化であることから加算する場合と加算しない場合を考え、光熱費という概念は今でも謎だが、適当に小額加えたであろう、それにマンション・アパート住まいなら家賃だとか、想像しえる各種ケースを精査した上で、貯蓄額や遊ぶ金などをどれほど残せるか計算していた。
今では当時のメモ資料実物など、前の家に置き去りであるから、どのような内容か確認不能であるが、上記はほぼ高学年~中1の頃にそのままされていたことと覚える。



あの広い家で独りきりという中で、ある時はネット中毒、ある時はネットもゲームも無い(2008年夏に別居母との再開の事前に上の画面に数字キー、別にQWERTY配列キー備わり、後のスマートフォン的なブラウジングが出来たスライド式携帯電話を受け取った経緯があるが、これは2008年10月に破壊し同年12月の姫路遠征時に返還した・・・2006年7月にあの家に越した折、2003年購入のSH252iを一時自室内で紛失しつつ小6か中1の時に再発見した経緯もあるが、これは当然2004年のとある経緯でネット接続不能である)環境下で、トモダチだとかもいなかったわけだから、独りで何をして時間を潰したかと言うと、お絵かき・物色など多種あろうが、独自の遊びを開拓することもあった。
独自の遊びと言うと、現在この家や私の所有物にも結局は漫画やゲーム機などが無いわけであるから、このPCにもCPUを荒らすゲームを動かす気にならないため、音楽をいじることが多い。

「音楽をいじる」のであり、「楽器をいじる」行為は、物を持っていないため不可能である。
仮に持っていても、あまり触れないのであろうし。
「音楽をいじる」とは、「音楽ファイル=MIDIなどのデータをいじる」ということであるが、同時にMIDIファイルの再生もまた、視覚的に楽しみ甲斐のあるソフトを利用する。
TMIDI Playerを筆頭に、動画投稿経験ならMAM Playerもある。
MIDIファイルで簡易に音ゲーをプレイできるSynthesiaはインストール済みでも、あまり使わない。
PCゲームとは、CPU・消費メモリのほか、ノートPCのキーボードに対する負荷も考慮しており、ましてやこのような長文を打ち続ける私がこれ以上キーボードへの負担をかけることは忌避する。

その私は、視覚的にも再生される諸ソフトによって、音ゲー的な独自の遊びをしている。
再生画面を見ながら指先でドラム演奏・・・右手のみなら、人差し指がキック・バスドラム、中指・薬指などがスネアの役割、この役割分担は場面によって一律でない。
両手でやる場合は、その視覚的にそれらの再生画面を見ない状態も多い。
再生画面を見ない、ということは、PCの前にすら居ないで、押し入れないで自分の肋骨や腹部など音の異なる箇所でキック・バスドラムやスネアなど区別して叩く。
「一律でない」わけだから、別パートへの展開前などにスネアを激しく叩く場面があれば、両手法の場合今まで肋骨キック・バスドラ演奏の右手を腹部に移動させ、左手と共に打ち鳴らす。
思えば、指のドラムなどの美学は、小5・6の頃から基礎が固まっていたようである。
やはり片手法なら人差し指と中指、両手法なら左手と右手で異なる音が鳴るように気を遣っていたらしく、似たようなことをしている他の男子児童などは、その区別をしていなかった。




2015年10月25日日曜日

横野的な思想文集(雑多に)

いつだか「硬き褥に臥せて思いぬ~」といった形で文章を載せた(1/14, 3/12両メモ帳記事)。
今回も同じく、硬き褥に臥せながら思い、メモ(携帯電話による半角カタカナ入力)に残したことをここで校正し、掲載する。
その形式でメモしたこと以外の情報もあるが、とりあえず一括で載せる。



道心生活 (2015年10月21日の硬き褥メモ)


いわゆるアレの人々に対して、世間では昼夜逆転の先入観を持つだろうし、私自身も昼夜逆転状態の方が生活上で合理的であり、自由度が高く思えるから過去には昼夜・夜昼逆転を自在に繰り返して過ごしていたが、現在は自律的に普通の起床・就寝時間を定着させており、それは道心の故である。
このことは、8月下旬の日記メモに表れはじめ、9月中は1ヶ月間に貫き通し、今月10月であっても、絶えず続いていることは、道心なくして持続不可能である。

たまたま睡眠時間の短い日が続いた20日は満身創痍であった。
前日(19日)夜においては、この近頃の陽気を、件の灰色スウェットにて過ごし、体は主に背中や額に、首や脇などが湿っぽくなり、某サイトの耳に悪いロック系の曲をいじっている上に解体工事の長時間続いた轟音のみならずここで鼓膜が刺激されるのは、もう死体メッタ打ちである。
目にしても右目が、数日前からの違和感が続き、今見れば充血をもしていて、ケツの痔などが不安になるような作業を続けた。
就寝時には後頭部の腫れを仰向けに寝て圧迫されることで意識し、翌20日の朝は4時台に一度目覚めてから二度寝後の7時半の起床では、寝相のためか全身が痛んでいて、その後も首と腹部の筋肉痛が続いた。
後述する安眠妨害などの難・万障はあれ、道心の故に持続しえていることは、合理性から昼夜逆転を続けられるという点もまた、私の実行力が窺えよう。
必要があるから隠棲を続け、必要がないから外出もしない反面、必要があれば外出はできる。

日々生活記録を取り、ネットで披瀝し布衍する。
綿密に計画を練り、自ら律する。
愚物の親が、良き指針を示すということの無きようは自明のことであるばかりか、道心を乱し、志を知らず、安眠妨害をするほどである。
この念を持って日々高揚感が沸き起こり、ますます希望が充ち満ちる。
披瀝布衍の慈悲は俗に言うところの売名や自己主張にあらず。
正見智目を開かしめ、同じく道心ある者を導かんと遍照す。



↓別の時のメモ文章(校正済み)だけれど、少し話が↑と繋がる(意図していないけれど)。
真っ当な考えのある人が減りつつある今(顛倒濁世)、それで諦めず、私のようにいよいよ正しい考えを持つ人を探している。
そんな人と巡り会い、共に真理を追い求め、実証していきたい。
そういう目的で活動しているのに、よく忘れ、見失いやすく、徒労と虚無の懐疑がある。



この章に関する注釈・追記 (2015年10月29日)

道心があれば、その各々が「不善」と思い悩むことは自然と改まる。
というよりは、あるべき「善」に還るのであろう。
「善悪」といえばおよそ観念的で、個々人の主観に基づく面は多いが、とりあえず各々が「酒・タバコの使用(飲酒・喫煙)は悪いな~」等と嫌う悪は、道心を持つことで自然と直るものである。
道心を持てば、私のような肩書きの人が誇る「昼夜逆転」状態の生活が、健全な生活に矯正されよう、強く望んで血眼になる苦労などは必要が無い。

なぜならば、個々人には本源的に各々の「善」が備わっているからであり、その善は、正しい徳を得ることで遺憾なく発揮されるし、寧ろ「善」であることが当然の姿である。
正しい徳と道心によって、あるべき「善」に還るという思想は、いわゆる「性善説」である。
儒教の思想かもしれないが、中国以後の大乗仏教はこの影響を受け、日本でも「信仰の功徳により自然と宿命転換して、生活も豊かになる」と現世利益まで説く教団が多い。
この思想が極まると、「徳が無いから、悪因の果報で弱者・貧乏・負け犬」という極端な主張がされる場合もある(儒教はこれが旺盛であり、中華倫理最大の誤謬である)。

そこまで言うつもりはないが、今の私は困窮のようでも、大聖人のように日々悦びを感じ続け、仏法を学ばせてもらっている立場でいられるから、生きる希望を大きく懐いている。
道心より、自然と希望も生まれるし、私は成人以後も飲酒・喫煙はしない方向でいよう。
されば、禁酒・禁煙が難しくて悩んでいる大人は、アレコレ策を練る前に、清浄の法を学んで改悔し、道心を持つところから始めるべきことを推奨する。




如是我聞。


意訳: このような出来事があったかもしれない
注釈: 正統な使い方(仏典)と異なる

昔、仏法を学びつつ、歌道の執着が強い法師がいた。
或る時、その法師が憧れた高名な歌人が亡くなり、法師は悼んでいた。
法師は、歌道を嗜む人々の集いにしばしば足を運んでいたが、そこでその歌人の死について語らうことにした。


すると話し相手の俗人(僧侶でない人)は、饒舌にこう話し始めた。

「なぜ汝はその歌人の死について傷心し、惜しんでいるのか。彼の詠む歌がもう増えないことは惜しむべきだが、今の歌が消えるわけではない。また、いやしくも彼が生き続けたとして、歌を詠むことができないままとなれば、それは彼であって彼でない。彼に歌を詠むことのほかに何を求めようか、悔やむべきことは無い」


法師はハッとした。
眼前にはただの俗人がいるだけのようだが、その言葉は耳朶を打ちつけ、胸中を穿つこと、さながら雷鳴のごとく、強靭な矢に射抜かれるごとくであった。
自分は深く仏法を学んでいるはずだが、未だに人間の存在に囚われていた。

作品は素晴らしい、人間は植物の種を蒔き、育てあげるとはいえ、育った植物・採れた果実は結果的に良いもので、誰が育てたと気にするであろうか(現代は少し事情が異なるも割愛)。
育ちきらなかったものもまた、そういう結果に過ぎない。
人が育てなくとも、立派に果物を実らせる果実もある、歌道なら読み人知らずとも言える。
この歌人の作品を、この歌人のものとして尊ぶことはしても、それ以上に歌人の人間的な空間まで思い、執着する必要は無いばかりか、無益なのだ。
法師は己を恥じ、俗人からの説法を身に染め、改めて仏法に向き合う心を持った。
「人はみな つね無き身にて 死なむとも 成仏ばかり 尊きはなし 三宝に帰命し奉る」

解説
某サイト多くのゲーム作者や作曲者らの失踪(=歌人の死)・腐敗(=詠めずとも生きる)は甚だしいといえども、彼らが遺してきた多くの作品は良いものだ。
それでも自分は、彼ら「中の人」が気にかかって已むことは無い。
一方でサイト住民の中には、淡々と作品を利用して作者らと交流するのに、失踪などを気にかけない人もいるようであり、何とも言えない心境である。
ある人は「2015年9月6日から失踪中の作者M」らのゲームプレイが主要だが、どこかが抜けているのか、あるいは表に出さないものの作者Mの失踪を憂えているのか。
作者Mと共同で製作した経緯のあるゲーム作者諸氏も、作者Mの失踪に関して口に出さないか、最近1ヶ月はサイト関連の掲示板にも書き込みが乏しくなっている(冷え切っている)。
無論、憂えている私も作者Mに対し、某サイトで楽曲提供をした身であるとはいえ、某サイト内で彼のことは特に触れずにいるが、某住民や作者らは私の比でない親密な交流をしていたはずであるから、もっと悲しみを文字としてもよかろうに。



何でもない昔話 (改行ナシで縮める)


小4二学期で4・5・6年か4・5年か4・6年の時に私と同じクラスに所属し、私と下の名前が同音異字の男児がいた。その男児は私並みに勉強が出来る、と言うよりも、知識の豊富さであれば当時の私を超していたかもしれない。小4三学期に漢字検定5級(出題範囲が小6で習う漢字だから推奨は中1以上)を受けに行く(一度○川市を離れ、故郷・浦和に降りて会場に赴く)ことを彼に話したときは、3級を受けると意気込んでいた(彼の合否は不明だが、私は抜き打ちテストのノリで挑んだから合格点の80~90%ほどで受からず、ちなみにクラスのある女児が7級を受けに行くという自慢を小耳に挟んだ)。同じく小4の時に、エベレストの山頂の所在地を、私が中国・インドと思っていたとき、彼は中国・ネパールと答えた。反面、彼には忘れ物が多く、時の担任教師・ケバい中年女性からよく怒られ、時には授業遅延の犯人としてクラス全児童の前で涙ながらに謝罪をさせられることもあった。これには胸が痛みつつも、私という成績優秀かつ問題児という存在としては、案外、身近にいる彼に敵わないのではないか、と思った。それはそれで、校内にあって気が楽になれる考え方である。彼とは、あの学校生活にあって比較的仲良く会話ができた方であったが、頭突きを売りにしているから、その辺りは冷や冷やしていた。


この彼については、過去にどこかで書いたはずだが、例の如く投稿が見当たらなかった。



相対値の中の絶対数と相対数(絶対と相対の誤謬)


普通の人の1日あたり消費エネルギーを100として、頭での消費を20とする
私の消費エネルギーを80として、頭での消費は相対数で2倍なら32、絶対数で2倍なら40となる。
100の中の20はパーセンテージ20%、これの2倍が40%でも、100の40%は40、80の40%は32。
絶対数で2倍の40という時、私の80という中の相対でいえば50%であるから普通の2.5倍。

次の例として、某ゲームにおけるアイテムドロップ率を挙げる。
とあるモンスターを倒してレアアイテムAがドロップする(拾える)確率を2%として、これに「ドロップ率5%アップ」という効果を備えて臨むとする。
この"5%"が、相対値の絶対数を上げるならばレアアイテムAのドロップ率は7%に上昇するが、相対値の相対数を上げる場合、「ドロップ率"2%"」を絶対と立てるわけだから、2の内の5%、即ち2に0.1を加算した2.1%にしか上昇せず、その効果は有って無きが如し、と言える。
このことは、「○パーセント増加」と「○ポイント増加」という表現の相違にも似ている。

「ドロップ率が5%上がる」という説明だけでは曖昧であるのだが、実際にその効果を備えて臨み、プレイしてみると、レアアイテムAはドロップする気配を見せず、後者の「相対値の相対数」として作用していることが分かれば、有名無実の説明だと思わずにいられない。
簡単な説明はいくらでも解釈でき、それをインチキに用いる側はいくらでも正当化できてしまうため、これで起こるトラブルを回避するのが賢者であり、即ち明瞭な説明を以て明らかにすることで、未然に相手の誤解も不快感を生まない。


2015年10月13日火曜日

虚無思想と二分思考を克服する仏教

【分けた末が二極収斂】

知能は、"分ける"ことと"分かつ"ことにより"分かる"状態を得る。
第一に己の肉体の連続性から自他を分かち、自分の存在を確認する。
それを元に、他人から「あなた」と示されることで、相対的な自分の立場を知る。
他にもまた多くの分類が存在する。
生物か物体か無形の事象か、生物なら動物か植物か、どちらであっても多くの種族が存在する。
ここにまた、自他とは何かという話題が戻り、それでは便宜上"他"とされた分類のどこかに自分は属するものか。

ここで、限りなく存在し複雑に絡み合う自他、他と他の境界を、一色に塗りつぶす概念が現れる。
それは、人間的な思考・観念の中で生み出された分類も、境界も概念も全て、その中の存在でしかなく、それが本源的な存在ではないとする、"無"の概念である。
そういった、万物万象が無意味であるとした見解が中心的な思想を「虚無思想」と言う。

あるいは、神と称される何らかの「超越的な存在」に支配され、個々の自立的な存在などが無ければ、操られさえしていて、その超越的な存在の意思で全てが動いているであるとか、と考える思考もある。
これを宗教的には、「善悪の行動も人の禍福も、全て神の思し召し、みはたらきである」といった信仰上からの主張もあるのだが、上記の思考の限りではない。
更に、上記の思考における"神のような何か"があまりにも超越的であるから、それ自体の実否、というと「"神のような何か"も、"無"ではないのか?」、という点を問わない。
また、その"神"も"無"も人間の観念の中にのみ有って、砕いて言えば「神も無も"無"である」、といった結論も出さない。

ここでは、時折そういった「虚無」、もしくは"無"と神のような何かのみが有り得る「二分」の思考などが如何にして発生するか、という過程の説明をした。
この段落は、読みづらくなったために理解不十分のままの人もいるであろうが、以下を読み続けると幾分は解けてくるはずである。



【虚無と魔障の二分】

続いて、その"自"も"他"も無く、全ては"無"と"神"、そこに怒りのテイストが加わり、"無為の存在"と"魔の性質"といった更なる思想について、自分が時折思うことを話したい。
状況によるが、悲しみと怒りに駆られる時には「この世はほとんど"無"で、無にあらざるものは"魔"である」と考えたくなってしまう。
半ば投げやりであるし、本気でそのように信じ込みはしないものだが、普段から「魔」による障りが必ずあろうことは信じている。

本来の意味は後述するが、ここでの"魔"とは、ある時は人の心を蕩かし、ある時は道理でない状態を作って人を惑わし、あるいは苦しめるが、その手段は主に人の心を操って行動させるなどがある。
魔が、当人を苦しめる目的で操る場合はあるが、私は魔に操られるのではなく、常に同じ家に居る母親などを操って、私に危害を加える。
また、母親などでなくとも、母別居中で永く一緒には住んでいなかった小5から中2不登校までの学生時代においては、同級生であるとかが私の発言の揚げ足取り・曲解などによって公然と私を貶めるなどは非常に多くあり、当時は"魔"と思わずとも、有象無象のようには思っていた。



【エゴセントリズム小学生】


一方、そのことは措いても、小学生の時は自分だけ神でも無でもどちらでもない特別な存在だと考えることがあった。
不老不死も自分に限っては有り得るのではないか、とさえ感じた。
なぜ自分だけ自分の感覚を持ち、また周りに動く人間は機械であるとか、彼らは本当の感情を持っていないのではないか、といったところから、公然と人を殺し、警察に捕まって、あるいはリンチとしての暴行や惨い拷問を受けるとも、決して死には至らない気がした。

今の私は、それを「哲学上のエゴセントリズム」と呼ぶ。
自分を前提として、世界が誕生・維持・滅亡へ至るといった思想となり、現状、誰もが否定しえる余地は無い、珍理論である。
自分の誕生によって、親も自分以外の生命も宇宙も歴史も全て既成事実であるかの如く作られ、自分が死ぬと全ても滅ぶという思想があったし、誰かしらそう考え付くこともあるのではないか。
あるいはそれが転じて、どこかの誰かさんこそが、この段落における「自分」のような特別な存在であるかもしれない、とも考えた。
この発想では、その「誰かさん」を基準とすると「1秒前に世界が誕生した」と考えても否定できなくなるし、世界の誕生を0.1秒、0.0001秒など刹那の時まで求めてもキリが無くなる。

それでは逆に、自分を特別な存在と仮定したまま、死後があるとすれば・・・ここまで死を恐れるあまりの思考であり、ここからも同様である。
自分は苦しまず安楽にして息絶えるか、魂が俄かに離脱するか肉体が転移するかの後に、自分は間違いなく天国へ行けるか、別世界に帰還して神の一員として祝福を受ける・・・どうしても、苦しんで死ぬという微少ながら厳然としている事実は恐ろしかった。
努力が報われずに死ぬような悲観的現実を私が見て、そう死ぬ人々が自我意識を有するならばそのままに救われるための道を開きたかったかもしれない。

小学生の当時でさえ苦しい思いを続けていたり、過去にも書いたが、あの小5母別居以降に広い家で一人ぼっちの時間は、「誰かに監視されているつもり」で独り言を続けていた。
その誰か分からない者は、霊界や冥界のような場所と、この自分の近くに覗き穴か何かを開いて、常に監視をしているのではないか、と日々思いつつ、畏れながら不善を為すこともあった。
だが、自分の苦しみは監視者に評価され、死後祝福を受けよう、と。

今の私は、こういった「エゴセントリズム」的な思想から、流石に脱却して滅却した。
私の現在学んでいる分野に、そういった思想が無ければ、そのようなことを本気で信じてしまうのは、その分野の義に大きく反してしまうであろうから。
よって、ここからその分野の思想に並行して、「虚無思想(虚無主義、ニヒリズム)」と「虚無魔障の二分思考」というものを突破したい。



【諸々の謬見を仏法により破る】

仏法は、迷妄の苦悩を智慧に変える。
あらゆる濁りの多い世間で最も高徳にして清浄なる教えこそが仏法である。
仏法こそが、虚無思想も二分思考も、木端微塵に摧くであろう。

二分思考の例として、常見・断見に代表される極端な思想を嫌い、何事も中庸の立場で説く。
「常見」というのは、一般的に「霊魂・精神体の不滅」などを指すほか、先述の小学生の頃などに見られた「エゴセントリズム」も含まれ、死を恐れるあまりの邪見を指す。
「断見」というのも、誰もが時折「どうせみんな死ぬんだ!」と自暴自棄になってしまう・・・そう極端でもないだろうが、「人や生物は必ず死ぬ」という認識を悪しく弄して、この世の価値を濫りに喪失し、厭世的・頽廃的(ペシミズム・デカダンス)になったりする見解などが当たる。
また、「エゴセントリズム」の基準を他人に置き換えた際の思考はキリがない通り、自己を基準としても他人を基準としても、またはどの人間でもない基準を設けても答えが得られるはずもない「戯論」と一蹴される(空間は無量無辺・時間は無始無終という言葉が端的な理解である)。

こういった極端な思想や、様々な分野での二分的な思考は、仏法を学ぶ修行によって改善する。
現世における正しい思考能力と高潔な精神が備わり、後生も報われることとなろう。



仏法では"空"の原理を説く。
これはインドから古い中国に伝える際、まず理解されがたいため、格義仏教での理解は、道教の老荘思想における「無」、すなわち前述の「虚無」に置き換えた方便が伝わり、弘まったことがある(時期としては中論などが漢語に翻訳される5世紀までか)。
サンスクリット語では「シューニヤ(形容詞)・シューニヤター(名詞)」と言って数字の"0"の呼び名でもあったし、虚無主義の英語ニヒリズムの「ニヒル」もラテン語で数字の"0"の呼び名であったから、単語そのものは空も虚無も同義であったかもしれない。
だが、仏教の"空"が示す意味は"虚無"の理解と異なる。

金剛般若波羅蜜経の偈には「一切有爲法 如夢幻泡影 如露亦如電 應作如是觀」と説かれ、また涅槃経の偈では有名な「諸行無常」の一句が見える。
これは、単なる儚さと虚しさを説くものではなく、「全ての物事が泡や影、露や雷のように消えやすく短い時間の存在である」と、その姿形を長く留められない現世の有様を説いている。
仮の象形でしかないから、この世の事物に執着してはならず、未練を残してはならない、と。
だからこそ仏教では、永遠に崩れない幸福の生命を得るための修行をして、この現世、輪廻を続ける三界や六道から解脱を得んとするのである。
三界の中の六道に生まれて、仮の宿りに執着して未練を残すと、それが解脱の障礙(妨げ)となる。
よって、仮の象形として"空"を説いても、全くの無、ということを真理としては説いていない。
金剛経の偈と、有名な般若心経の「色即是空」を会通すると「色=一切の有爲法 即是(すなわちこれ) 空=夢幻や泡や影や、(朝日の前の)露、雷のごとし」と言え、互いに同義である。

隠棲修行者は、常に記録と観想とを続け、皮相的な仮相を詳らかに把握して、仏法を学ぶことによる研鑽で先達の智慧を知悉し、諸仏に連なる解脱を目指す。
その"空"と表され、夢と幻と泡と影と露と雷のような仮初めで短い一生のうちにも、諸々の欲望と執着を離れ、多くの功徳を積み、解脱せんと願いながら、修行を続ける。



次に、"魔"という性質についてだが、仏教においては修行者を困惑させる存在として説かれる。
単に、当人の煩悩や慢心に付け入って誑かすパターンがあるほか、当人の心と力が強く(堅固)て直接干渉できない場合は、魔が他人の身に入って操り、当人を惑わすものもある。
ただ、その魔の試練を忍従することによって積まれる徳もある。
仏教の説話において、そういった魔が誰かの姿を以って修行者の前に現れて、当人の根性を試すものがある。
何事も「魔である」と割り切って、動揺せず翻弄されぬ定力を備えれば、程度の差はあれ耐え抜くことができるものの、本当にその精神を持続させるのは困難である。
ましてや死ぬまで仏法の精神を貫くことは容易いことではない。
ここに、仏道修行者が現世において道を修める上での肝心がある。




当記事の原案は、10月2日の某所投稿である。
迷える私、仏法より解いて導く私、二人の私が対話しているようなものである。
より背景を言うと、10月2日の日記メモであり、これは来月投稿予定のまとめ記事に載る。

また、当記事は後日投稿予定の「研鑽連盟問答要項」の内容と幾分疎通する点がある。
当該記事の下書きは、大筋が9月末に出来ている。

一方、この記事は10月11日から執筆を始めた。
近頃の学術的メモ帳記事の中では、急ごしらえの方である。


2015年9月18日金曜日

類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇

*横野要文類聚 第三篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史が実父は慈父にてやあるらん、慈父にてやあらざるらん。
覺えざりしかば、暫く物を思ひて要文を示さん、云々。
斯くて此處(こゝ)に明文(みやうもん)聚まりぬ。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」と、書きたい放題の題である。
例えば2007年4月の頭に母との別居が始まった頃から暫く経って、父親は毎朝早くから料理して朝食を用意するなど、この辺りはどういった決心からか、真面目であった。
毎日しっかりとした朝食を取って学校に行けることは一つの喜びでもあり、何でもないように思うかもしれないが、同じ朝を迎えるという点では、不登校の予防の一助になっていたかもしれない。
※母親の頃は不登校期間含め小4までシリアル、小5別居まではスープやトーストが多かった。

今回聚められる要文の中には、私の物心が付く前の父親の態度について母親が語ったことも含まれ、その口述内容が仮に事実とすれば、その時から大きく子育ての意識を変えようとしたことは見て取れるが、やはり次第に疑心暗鬼など、修復・橋渡しをする弟2人も2008年末の姫路訪問以降埼玉への帰還を拒んでいるため、およそ私にとって人生相談の相手にならない父親、父親にとっても教育相談の相手(打ち解けた同僚や知り合いやご近所さん、友人や親戚など)が誰もいないという、互いに孤立無援の状況に陥ってしまった。
疑心暗鬼の要因としても、私が寡黙で朴訥だから、何かの必要性の訴えや相談などを、仕事も家事こなす父親に話しづらい面が強かったからであり、それが互いの不満を増長させたようで、初めていじめの相談をした2010年春休み頃は、ほぼ無関心のようであったから、その後も全く相談をする機会など無かった。
互いに寡黙であるばかりか、大事な局面でも言葉が足らず、摩擦を生むだけ。

それからも不和が進み、同年10月の家庭内別居、同年12月から始まる人生最後の不登校など、社会的には悲劇が続くこととなり、私にとって唯一の頼みであった戸籍上家族でない母・弟2人(姫路訪問以来顔を合わせず)を求め、2011年4月18日の豊橋母宅への小旅行もとい家出に畢った。
父が単身で住まうはずの住居には、2012年8月に豊橋追放となった弟が住み始める。





(前略) 母親からこういう情報が告げられた。私が物心のつかない小さな頃のこと、鴨川(父方)の祖父母宅へ父親が独断で私を連れていき、一週間ほど置いていったそうだ。私が鴨川より返送された折、父親は母にこう話したらしい「自分(父)は幼い頃いい子で利口だったらしいが、この孫(私)は悪い子で育てられないと母さんたち(父方の祖父母)が言っていた」。確証のない話で、当然両親の名前すら知らないような幼少の昔話など、俄かには信じ難い。
この他、あの父親がとんでもなく子供(私)を除け者にしていた、父親として失格であったなどの例を母親から多く挙げられたが、全ての例が生まれる前・物心のつかない時のことである。私が産まれる時の産婦人科において、間もなく何かが済むという時に待ちきれず、一人そばのコンビニに移動して飲み物を買ったりタバコを吸っていたりしたそうだ。私が社会的な判断能力を備えた年頃(小5別居以降)に父親を見ても、そのような様子は一度も無かったのだが、それぞれの時期では状況がどう違うのだろうか…2015/06/26記事における07/03追記

Mくんのお父さんは毎年の4月に誕生日を向かえます。ある年のこと、その4月になりましたが、Mくんの記憶では肝心の日付が曖昧で、「4日だったかなぁ?5日かも、6日?」と自分では答えが掴めませんでした。自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました。思いもよらない返答に、Mくんは困ってしまい、「そっか」とだけ言い淀んで、それ以上聞き返す気力も失ってしまいました。Mくんとしては、世間の浅い即物的な親孝行なんて考えていませんので、見当違いな返答が心残りのまま誕生日の解答も心得ずして、その1年後の4月に家を出てしまい、今日まで二度とお父さんの家に帰ることはありませんでした。…2015/06/26

某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。そのカウンセリングも、私が小3の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれ (中略) 父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、数度のみ(多く見積もって4度)の受診となった。最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21"年度"末のようなものだ。その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど…2015/06/10

父親と二人暮らしになって、父親という者は私に放任の度が過ぎていた。こと、PCという高価なおもちゃに際しての指導が皆無な点は驚きである。日本生命勤務で、IT関連だかの役職ではないのか?部屋には立派にOracleだかの資格認定証らしきものが飾られていたはずである。本棚にも、Windows云々とある大判の本が並んでいたと記憶する。斯様な人間が私のPC利用にまで無関心とは、父親としての意識どころか、その職に携わる人間としての気質さえ欠いてないか?母親もそうだが、職業というものは金儲けの道具に過ぎないようである。遣り甲斐だとか、本心には仕事の楽しみなど微塵も持ちえてないと見える。小5の時に父親に (諸例記述等中略) 何にせよ、両親とも放任が過ぎて放棄とさえ言える状態で、当時の私も父親に関わられたくない気持ちの反面、何か拍子抜けした面もあった。プライバシーには触れず、趣味には全面的に協力する(やらせすぎて堕落させるのは別問題)か、自分が詳しいならば助言をするなどの采配が親として肝要だ。両親、まして悪妻娶りし父親は別居に伴う父子生活をも想定して、もっと子育ての信念を婚前、否、求婚期より持っておくべきだった。 (後略)…2015/04/27



(父に)捨てられても(父を)妄信した私


自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました…2015/06/26

冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める…2014/08/07



(弟に)捨てられても(弟を)偏愛した父


注釈: 例えば家の玄関先の壁や、キッチン空間(リビングじゃない、ダイニング?)対面の壁に、弟2人の児童養護施設・通学先における思い出だか作品(絵や書など)をベタベタ貼っていた。まあ当時の私としても自分の創作物だとか貼られても困るのだろうが、時折、何となしに疎外感さえ覚えていた。姫路遠征時に自分を捨てた人間を愛し続け、姫路遠征でも傍に居続けると誓った人間を等閑にすることは、本末の顛倒と言わずして何と言う。父の顛倒ぶりは、傍に居れば随所に感じられよう。果たしてその偏愛は虚妄に終わらず、2012年8月に上の弟との再会が叶った。その末路が、以下のメールなどである。

父親もあの弟への偏愛故に金銭感覚が崩壊してるに違いありません。2012年8月の弟の追放以来、父親はあの弟にPC一台買い与えたが弟は壊し、スマホ一台買い与えればすぐに無くしたとも同メール内に書いてありました。そして「どうしたものだろうか」と当惑の色を表しています。一方の私は成績優秀でもあまり愛されなかった上に、いじめの相談は忙しい父親相手に我慢し続け、ある日思い切って話しても関心を示さなかったり、差がありすぎます。故に、偏愛と呼んでいるのです。PCは2011年7月買った物を、携帯は2010年7月に買った物を今でも大事に使い続ける私とあの弟では歴然とした違いがあります。全然進歩しないあの弟じゃ無駄金注いでも何もいいことはないはずですが。父親も為すすべなく求められるがまま従うという典型的クズ親でしょう。逆に母親もあの弟の悪行を私に問われれば毎回感情論で言い逃れしてばかりで、なぜ両親共にあんな弟を庇うのか、気が知れません…2014/10/02



付録 - 父親の放言メールと私の諫言メール
引用元・一言一句への感想は右記リンク先http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html

題:転入届 - 母宛 - 2014年10月1日22時28分

今日出しました

○○(上の弟の名前)には聞いてないけど、豊橋に戻りたいとは言ってないので、このままでいいんじゃないかなぁ

そちらはお母さんの面倒も見ないといけないし

そもそも、一方的に転出届を出したり、国保脱退させたりしたのはそちらだし

ニキビのことは、こっちに来た当初は気にしてて、薬を買って欲しいと言ったので、何回か買ってあげたんだ

顔をしげしげと見たわけじゃないから良くなったかどうか分からないけど、ここ一年くらいは何も言わなくなったので気にしてないんじゃないかなぁ

そのかわり、金が欲しいからバイトしたいとか、もう一度パソコン買ってくれとは言ってるけどね

バイト先はコンビニか本屋がいいと言ってる

金は週に三千円渡してるけどね

学校にも行ってなかったので、勤まるもんだろうか?

パソコンは過去二台壊したし、スマホ一台買ってあげたけど、すぐ無くしたんだ

だから、これもどうしたもんだろうか?




題:諫言 - 母携帯機より送信 - 2014年10月2日3時 (15年6月編)

バイトなんて今まで甘ったれて性根の腐った自堕落な彼に勤まるはずもなきこと、赫々明々だ。
そして彼自身、そんな過去の例と今の自分を鑑みてないからこそ、そんな無責任な欲望からくる「バイトしたい」発言などが口を衝いて出てくるのである。
母親も甘やかして、父親も週に三千円を渡すような麻痺状態そのものの感覚なら、自分にも非があることを自覚し、改心せねばならないが、もはや彼には手遅れだ。
今まで適切な教育を怠ったことを両親は猛省し、子供に甘やかしの限りを尽くさせる方がいいほど。
金銭的に理不尽な要求をされても快諾し続けてしまおう。

次いで、前言撤回のようだが彼にPCは不要だろう。テレビや他の娯楽でも足りよう。
スマホにしても、彼は2011年中にXperiaを大破させる凶行に至っている。
PCにしてもスマホにしてもただゲームやネット閲覧などの用途に終始するので、高価な玩具に過ぎない。
高度な使い方は一切体得していない。
いわんや短時間で破壊することをや。然もありなん。

何より自分の子供の非常事態だし、案ずる前に然るべき対応もあった。
両親による過去の愚策は枚挙に遑なきもので、一つでも挙げるに躊躇う。
十数年分の過ちは、未来永劫に取り戻せない。
私からアドバイスできることは今のところこれで限界だ。



その他 (母親に関しても含む)

・父親は私を「あの人(母)と似ているよ」と言ったり、母親も私に「パパとおんなじこと言うね」と稀に放言する。親として、互いの嫌いな人間に子供を重ねるというのはどうなのであろうか、ましてや私から見れば二人とも肉親であり、両親同士はただの他人同士ではない。困ったら、嫌いな人の存在により子供へレッテルを貼る。各々の発言をプラスに取ろうと思えば取れなくもないが、やはり両親ともそんな意図は微塵も無く言っているのだから、プラス思考は歪曲・逃避思考であり、取り違えになる。親としての見識や言葉の含蓄など絶無である両親に千子何人が尊敬しよう。私は諫言を続ける。

・母親にしても、当記事に見る父親にしても、当人らが社会的にどうであっても、子供は3人悉く社会的な能力が欠如してしまった。これは広く世間を見て、そんな親子の絶対的対象など起こり得ない。特に、上記2014年10月メールで話題の上の弟を思えば、見るに堪えない惨状である。その中で私は、戸籍上の他人である実母の家に居候しながら、子供を蕩かすダメ親("ダメ"という言葉は使わないようにしているがここでは伝わりやすく使う)の影響を受けないように求道と修行に生きている。上の弟は今もゲームライフに生きているのか。親は子に不満を持ち、子は親に不満を持ち、夫婦もまた互いに反発することを見れば、親子も夫婦も而二不二とはこのことである。

・私は中2の一学期の中間テストで著しく順位が落ち、31位だったと記憶する。それ以前は学年に110~130人いる内の20位前後であったところ、30位以下は一度もなかった。ショックだったので、何となく父親に「中2に上がってから勉強量を増やしたのに落ちた」という旨を強調しつつ尋ねてみると、当ての外れた答えが返ってきた。「みんなもっと勉強してるから」などと、無知をひけらかしてきた。「勉強量を増やした」の一言を、絶対と相対の二義を弁えない父は逆で取ったのである。現代の理屈が強い子供にそんな言葉は通用しないし、仮に子供に対する教育的方便でそう言うにも、子供の機・根を知らない無知の不徳(子供への慈悲なきが為の精神的指導力の欠如)をかえって証明している。第一に、父の言う「みんな」も、何を見て「みんな」という偶像が生まれるか。教育現場か、テレビ画面か、創作文学か、脳内の形成か。それに、勉強しろと遠回しに促すだけで、実質性に欠く。私は「相対的に多く勉強」した結果を述べたというのに。もちろん勉強量が成績上昇の絶対条件ではないからこそ、懐疑せざるを得ない。なぐさめてもらうか良い形で励ましてもらうことを内心で期待したろう当時の私は、ただ幻滅し、どこにも心の頼りや助けが無いと絶望したろう。



不徹底を徹底するから、父親に人生相談だとかということは、何ら期待ができなかったと今までの要文などに書かれる。完璧な答えでなくとも、子供を知らないために子供の心に通じない言葉しか発せられぬ父親に親の徳も資格もない。いじめ・人間関係のほか、勉強・塾に関連するあらゆる子供の思考など、父親は興味もなければ、話しても碌な答えを返さず。仕事一辺倒で、休日は友人なき楽器趣味に耽っているボ○親父もまた、母親と等しく親として失格であろうし、私ほど賢い子供また、彼らの子に相応しくない。こんな両親にお似合いな子供は、煎じ詰めてもあの上の弟くらいであるが、彼であっても母との争いは絶えなかった。

過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている。


2015年8月12日水曜日

食品や液体の熱と口内感覚の鈍磨

昔の記憶の中に、「お風呂の温度は39度」という歌詞を含んだ歌がある。
ポケモンの2003~04年頃のエンディングで流れていたもので、これを今も覚えているのは、そのシーンの映像と歌詞から受けた印象の強さにある。
小1~2ほどの当時でさえ、もう39度は適温~ぬるいように思えていたわけだから、映像中でキャラクターが顔を真っ赤にして飛び跳ねるシーンを見てしまうと「そんな熱くはないでしょ~」と、気に障りつつ突っ込んでいた。
※原曲名で検索する気持ちは起きない、またそのキャラが歌詞中の「39度の風呂」の熱さにその演出をしたかどうかは不明で、YouTubeなどに映像が上がっているとしても確認しない。

それから現在に至っても、その楽曲の曲名が含まれるサビのパートと、問題の歌詞のシーンばかりは記憶に残されており、時々思い出すことがある。
私自身、「なぜか覚えている」ものの代表格といえば、ドラえもんの漫画における「だんへいた らたっかつみ(記憶漏れ:うおゃちめう、アニメで同じ道具の回があったらどう再現されるのか?)」が挙げられるが、それはともかく、日々の食事で気を払う点が増えた。

手で10秒も触れられない温度の食べ物・飲み物(スープ類・お湯やお茶など)は、たとえ少量でも口にする前にしっかり冷ます必要性を強く意識する。
それは、私の3月24日日記メモにおける貼付写真をご覧になると、下の色が局所的に周囲と異なる箇所が2つ目立っていることでそう思えてくる。
これはそのメモ内に書かれるとおり、アツアツの麺をまともに冷まさずして急ぎ口に運んだため、このような火傷を負っている。
慣れると痛みも鈍くなるのだが、それは「感覚の鈍磨」そのものだ。



赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。
イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。
ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。
毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう。

風呂の設定温度と一口で言うにも、各家庭に備わった給湯器パネルであるとかの設定温度でまちまちかも(私的な憶測の域を過ぎないが)しれないし、築年数のある家によっては、風呂のための給湯器さえあってもパネルなどなく、普通の蛇口などでお湯を張ることもあるだろう(より古くは給湯器の構造から沸騰させたお湯が流れる場合もあり、それが悲惨な事故に)。
また、我が家の事情としては、給湯器パネル(Rinnaiの120Vシリーズを参照)が二つあって、一つが浴室に備わり、もう一つが台所に備わる2台体制であることは日記メモ6月1日に記録した通りだ。
パネルのスイッチを入れることで初めて温水を出せるようになる。
それぞれのパネルにそれぞれの設定(浴室の高温設定と台所のエコ設定)が付いて、スイッチの入れようでは、相互に異なる設定で影響し合ってしまうが、その問題は特に関係ない個人的な記録だし、記事の内容が紛らわしくなるので忘れて欲しい。
浴室に備わった方のパネルには、更に細かく浴室のシャワーやキッチンにまで通じる設定項目と、浴槽本体に排出するお湯の設定項目の2種類が設けられている。

浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない。
このパネルが指すシャワー設定39度でも、異様に熱い水(同パネルなら42度以上の設定に相当)が出てくることがあり、最近はシャワー排出量が控えめの時に多く感じる。
逆に少し前だと、控えめの排出量でお湯を沸かしたがらないようだったから、給湯器のシステムに強く疑問を持たざるを得ない。
また、季節によっ水の熱さが異なることを踏まえて、私が普段シャワーで使用する設定を記録すると、我が家設定で冬は39~40度、夏は38~39度。
別に温度を調節する「サーモスタット混合水栓」は常に最高位置に止めているが、パネルボタンをいじりたくない(操作音を立てたくないなど)場合は適宜ここで調節している。
上述の、39度設定における異様に熱い水が出やすくなった昨今は、こうして調節することが増えたわけだが、熱い水って私の感覚の問題なのか給湯器のシステムによるものか分からない。
このサーモ水栓という代物は、私の小1~2期あるいは物心付いたあたりにも住んでいた与野・浦和期のマンションやアパート(築20年ほどと30年超?)の風呂場にも設えられていたのだが、日本ではどれほど以前より普及していたのか、その疑問は置いておく。

今では4年以上風呂や温泉に入っていないとしても、前の家ではある程度入っていたわけで、記憶の中には柑橘系の炭酸ガス入浴剤の存在が大きい。
前の家における入浴状況もついでにここで記録したいが、入浴剤は父親がほとんどこれのみ選んでいたので特に書くことはもう無い。
当時の風呂でお湯を張る際の設定温度は・・・あまり記憶に無いのだが、40・41度を好み、まれに42度を選んだこともあっただろう。
ぬるめの温度について関心を持ったこともあるが、それは2009年以降テレビでぬるま湯の半身浴が取り上げられていた辺りだと考えられる。
小5のころは夏休みに広義の風呂さえ一週間入らなかったこともあって、学校で自慢したら(略)、中1以降は中2二学期末の不登校となるまで、毎日潔癖症のような気概で入っていた。
平日はほぼ一人きりなわけだから、綺麗な風呂に入りたい時は自分でよく掃除をしていた。
こっちの家はずいぶんと浴槽のアカか赤いアレとかが離れでも視認できるわけだが、母も弟も家で風呂に入らないのだろうか。



お湯というと、2013年以降味のついていないお湯(白湯とも言う)を飲む頻度が増えつつあるわけだが、これについても近頃、アツアツを無理に飲む必要が無いことを感じている。
部屋の電気ケトルでゴボゴボ沸騰するまで待つのは煮沸消毒のつもりだが、余程不安があるときでもなければ、白湯の為にその儀式を挙げる必要は無い。
よって近頃は60~80度ほどと見られるあたりで加熱を止める。
いつものムーミンカップはいくらか保温性を有するわけだが、沸騰したお湯をそのカップの5分目以上に注いだ場合、今の時期なら冷めるのは時間がかかる。
しっかり待たぬ内にスプーンに取ったお湯を半端に冷まして、やはり冷ましたりなくて、熱さに悶えるとまで言わずとも焦ることは多くある。
敢えて上記でカップから時期までの細かい状況設定を設けたが、季節を問わず量を問わず、お湯の熱さに困惑することは多いのだ。

どうも、その温度のお湯をたかが少量飲んだくらいでは平気に思うかもしれないが、近頃の私だからこそ以前より不安視を強めている。
ただ一時の感覚として口内で熱い、歯にしみそう、喉が焼けそう、この程度に落ち着かせて何度でも繰り返す、それではやはり「慣れ」という名の「感覚の鈍磨」が進んでしまうのだ。
乳児~幼児期の食道系における温度感覚は、人体の他の部位の皮膚に通る神経と大きな齟齬は無いようであったことは既述の文章から知られよう。
今であっても、口に含んでは温かみの感じるカップのお湯を指先で触れてみると、10秒触れるのは辛いようで、口の感覚と指先の感覚では著しく隔たりが感じられる。
そんなお湯は「煮え湯」であり、それを受けた喉や胃にとっては、口で感じた温かみ・ぬるさと比べてより熱く感じるし、実際に熱の害も起きていることだろう。
深く探れば、胸焼けにも似た不快感を捉えられるし、熱いものは、家庭医学の噂に聞くところでは、食道がんや胃がんの原因にも繋がりやすい。

生物学的にも、他の動物は、肉にしても植物にしても熱して食べる習慣は当然無く、熱いものは刺激物であるから、進化論の上で刺激物に慣れつつある人間であっても、過度な領域に寄ったものは摂食の継続を避ける必要がある。
ましてや刺激物に適応する必要は無いだろう、結局人類が超人に進むとしても人体の多くを構成する「水」の沸点以上の温度環境で身が保つことは、クマムシでないのだから有り得ない。
私には疎遠な学問分野の話をしすぎると、浅識が露見しそうなので、ここで休めておく。
熱いお湯が胃と喉に与える影響については、口内でお湯の熱を取ってから飲めばいくらか緩和され・・・これは多くの人が実際に意識してもしなくてもやっていることと思うが、口内というものは体の中で一番、触れた熱に適応できるよう作られているかもしれない。



なお、冷たい飲み物を勢いよく飲むと、喉から胃にかけて鮮烈に液体の通りを感じることと思う。
消化器系がコーティングされたような感覚がある。
これに気付いたのが14~16歳ころのことだが、近頃は冷たい飲み物を流し込むという行為自体なかったので、意識する機会は無かった。
水道水はお湯で飲むか冷やさず飲む場合が多く、氷水で飲むにも、ヒエヒエとした水は歯にしみそうなので、流し込む真似は行っていない。
この行為がどのような影響をもたらすかは定かでないが、誰でも何かのイラストで、顔の付いた胃が目を閉じて腕を組んででバツを示したり手を伸ばして拒否を示すなどを見たことがあるはずだ。
バツや拒否を示されたものは、酒・タバコなどもあろうが、アイスや冷たい飲み物に向けられることもある。
悪い影響が幾らかあることは確かである。
私自身、朝起きて水道水を流し込むこともあり、冷えている水ほど好ましいとも思っているが、結局出したてのぬるいもの(6月以降始まった習慣だから冬の場合は存じない)を飲んでいる。
また、アイスは長いこと口にしていなく、関係ない話となるがアイス食べたい。



追記:2015年9月3日
私はこの夏いよいよお湯を飲む頻度が増えたようだ。
ノートPCや自室調理換気の為にエアコンを掛ける中で、自分としては自室エアコンの最もぬるい設定温度(30度)でも寒く感じる場合があり、温かい飲み物も悪くは無いばかりか、多く別方向で効果を期待して飲んでいる。
あるいは、当記事に語られる要因と汗かきを厭う点があいまって、ぬるめで一気飲みもよくある。
一気飲みすることは、狭窄傾向の喉を拡げる訓練でもあるが、気道と食道を弁(喉頭蓋)が弁ぜずして肺に流れ込み肺に水が溜まること、でなくともその誤嚥を防ぐべく悶絶することは恐れる。

ところで「肺に水が溜まる」と俗に言われるこれは、いかなるプロセスでその状態に至るのかといえば、上述の如く物理的に気道を経て肺に流れ込み、患者のケース次第ではその自覚無きままに進行して重症に陥るのか。
これは一端として例に挙げるのみで、他にも考えられることはある。
※"肺水腫 - Wikipedia"参照、血管に関する原因(ほぼ高齢者)が主要であり、後はよほどの外的ダメージ(薬物・感電等)に起因し、私が水の多飲にあっても憂えなくてよいが、一点残る疑問は、その治療に水を排出すべく利尿剤等というと、私の排尿が鈍れば起き得なくはない。

以上の如く、私は夏にあってもお湯を多めに取り、例えば牛乳を弟・母と同じ量を与えられるとしても、計画的にシリアルで消費していき、余る分はお楽しみ。
同じ量のシリアルが与えられる弟は牛乳を飲み水の代わりに多く飲み、母はどうも健康食品のみならず、今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。
元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない。
質素倹約の私と異なり、貪りを感じてならない。



オマケ、「なぜか覚えていて検索候補(サジェスト)が出るフレーズ」集→「お風呂の温度は39度」、「うおゃちめう だんへいた らたっかつみ」、「弁護士さんは金持ちだ~命が惜しくて逃げ出した~」