2015年7月30日木曜日

怜悧な小学生が他の児童を嗤う

「識」を重んじて生き抜く私の精神に振り返る回想をした。
まず、タイトルにある「他の児童を嗤う」という具体的な経験などを語る。

私の研鑽は言語を中心に据え、歴史・宗教などを範囲に収めているが、それまでは地理がメインで、現在であっても地理は言語の一端として幾らか取り込まれる。
その言語とは、2015年以降日本語(国語)の性質が強まって止まないようであるが、小学生の時も今も英語はじめ諸言語は捨てられない。
※学習が疎かと思われた英語は、3ヶ月前にSoundCloudで書く際に思い浮かばなかった文章が、本日再考した時ひらめいて、翻訳サイト無用で一気に構築された。

その中で「嗤う」という行為は中学生以降、ネットで他の誤りに向けられていた。
簡単な英単語さえスペルミスを犯す者が多いことに愕然としながらも嗤わずにはいられなかった。
2011(中3)~2014年の私は、好きな洋楽1曲の歌詞を全文ミスなく打てることを豪語していた。
それはまあ置くとして、私自身は幼稚園・不登園期間に自然とアルファベット大文字を読めるようになっていた(書けるようになったのは不明だが、間もないだろう)。

具体的に嗤った例は、小4の頃(二学期で転校した学校、当時の記憶はおばさん教師で、ケバい中年女性ではなかったから間違いなく小4と断定)には、とある女子児童が書いた絵の「レインボー」のアルファベット大文字表記を見た際、「レインボー☆」に遠い男子児童である当時の私でさえ、RとLや、AとEや、WとUの誤りに気付けたため、これは哄笑モノだった。
かっこつけて(かわいこぶって)英語書いたが運のツキ、でもおばさん教師をはじめとして誰もこの誤記には気付かないものだろうと覚った時、女子児童は表面的には幸運な方だと思えた。
何にしても、分かる私と比べて分からないような人は、自分の浅識に依存しないで大人に頼るか、あるいはかっこよさに飛躍せず、控えめにカタカナで書けばよい。
浅識の自覚に立って学ぶにも浅智ならば我慢偏執を捨てて、より智と識に優る人間に頼るべきだろうが、私は幼少より智に自立性があるので、それをしないで生きてきた。



一方の小文字の読み書き至っては、小学校卒業までに完璧に習得できていたが、当然母親別居以降などの時期的経緯からしても、指導者なきまま自ら学ぶ気持ちで進めたことである。
誰しもPCなどのqwerty入力に慣れれば一定の知識が身に付くが、小文字の一つ一つをつぶさにに見ているというはずは無いため、それだけで完璧な読み書きは出来ない。
故に、これを習得するに至った点は「自ら学ぶ」意欲が叫ばれよう。
小5・小6あたりのとある図工か何かの授業で描いた絵には、ローマ字表記で日本語文章を綴ったりして、周囲からの評価は何となく良かった。
これは、家にある両手鍋のデザインに着想を得たものだった。
逆に、描いた自分がこれに自信を持てず、文章を消したような記憶がある。

それに比べれば、中2になってもアルファベット小文字の"b d, p q"の区別が付けられないような人々、これが案外多かったため、「習っても覚えられない残念な奴ら」と嗤わずにいられなかった。
中1の初めには修まるべきアルファベット小文字は、出来ぬままなら中2までであってもテストで致命的だし、そもそも初歩的なことも修まるべき時間の内に修まらないとは、蓋し遊戯雑談の所為と断ず。
日本語であっても、毎日のように長文を書く私を見ていれば、判然としたタイプミス(誤変換や誤文法など除く)など、諸君の目にも見受けられないことと存ず。
受動的な勉強でさえ満足に身に付かない人々が友達などと戯れていて、別方向では当時の私を蔑視したり、逆に当時の私が「バカ」だとか思われていたわけだから困る。
私もそんな彼らに憐憫さえ起きたから、嘲笑の意思は何も口外、もといおくびにも出さなかったが、やはり諸々の遊戯雑談者という「ブーメランバカ」のレベルに合わせることは、それ以上に愚の極みであって、慢心こそ己の敵の頭領だと思う。
私のように「勉強できつつ友達のいない」タイプの中学生らもまた、この慢心が誰よりも身近な大敵となるのではなかろうか。
2010年12月をもって私は、その敵が現れがたいであろう世界へと離脱したが、やはり今も忽然と湧き出て闘争が続いているのだろう。



続いて、英語からも「嗤う」経験からも離れた「識」の昔話を綴る。
これは他者に向き合って公然と行われた、世間が求めるような実体験である。
小2~3の時、というと上述の小4以降の戦場とは少し遠い地の小学校(さいたま市浦和区)に通っていた時代となるが、その戦場以前であるため、友達が多かった頃だ。
ある日の昼休みのあたり、とある話題があって、「らくがき」の漢字表記について「楽書き」を推す者がいたので、「落書き」が正しいことを私は返した。
それは黒板にチョークで「落書き」の文字を落書きした後、教師の机上にある辞書を引いて示すなど、入念なものであった。
実は、この「らくがき」の漢字については、過去の国語の授業において「楽」と「落」で混同しないよう教師が教示していたくらい(教師用教科書に指導があるのか?)記憶もある。
「楽」は小2で習い、「落」は小3で習う教育漢字だが、どちらの時にこの旨を授業で教わったのかといえば、小3のときなら私は6・7月に3度目の不登校となるから期間的に考えづらい。

どちらにしても、小2~3の頃にこういった「識」問答があり、正しきを示せたのだ。
こういった双方の認識の齟齬がある時(母との会話然り、ネットで誰かの投稿見るとき然り)は、いつも自分が誤っているのではないかと思う場合も多いし、盛んに掲示板で投稿していた中2の頃は、誤解などを強く構えてこちらを曲解する集団にねじ伏せられるなどでトラウマがあったほどだ。
どんな時でも、大多数の暴力・多勢に無勢といったような苛烈な状況下に陥りやすく、リアル・ネットを問わず果敢に抗したことの多い中2頃も、惨敗の経験が多かったようだ。
この際、蛮勇にして正義顕揚も通じない虚しさは、疲弊感をみだりに増やすだけなので、少なくとも掲示板投稿は2011年から年々落ち込み、前にもどこかで書いたが、2014年以降ほぼレスを投稿しないまま掲示板閲覧にとどめることが多くなった(某したらばのスレッドは普通に閲覧するが、2ch関係は某ランキングでめぼしいスレをチラ見するほどで、ニュース系は記事本文の閲覧のみ)。
どこであっても、指摘するまでもない些細な誤り(作者が意見を募ってない以上タイプミスなどは一笑に付せばよい)から、とんでもない誤解や無明・驕慢・顛倒により詭弁や謬論(主に2ch掲示板や芸能人・世間一般の識者に多い)を書きなぐったものなど、日々目にすることとなるが、それを見てみぬフリで置いてしまうのはいかがなものか。
そう思うから自分はある程度、蛮勇のようでも中2までの正しい「識」を与える破折精神に立ち返ろうとする。



「嗤う」と「以識破折」と関係ない小学校の思い出
1. 小5の時に、オリジナルの小説を書く国語の授業があったが、期間内ではみな400字の原稿用紙3~5枚程度、多くて8枚ほどだったのが、私は9枚使った(クオリティは不明)。
2. 小6二学期~三学期に、好きなオトモダチと組んで発表するイベントがあったが、過去記事にあるとおり、私は学年で唯一「一人一組」のスタイルで臨み、苦渋の中で立派に巨大な紙面を完成させるも、発表時の様子は不評、恥辱ここに極まった。



2015年7月23日木曜日

創作・研鑽が神仏への「お勤め」

私は日々「お勤め」をしている("努め"てもいる)。
目に見えない存在か、あるいは概念か、尊きものを慕い、あるいは畏れながら創作や研鑽を続けているが、それを「お勤め」と呼ぶ。
本来「勤める("努める"との混同に注意)」という言葉は宗教的に「勤行」と言うよう、仏などに信心や功徳を捧げた修行などに当てられていたが、江戸時代・明治時代と次第に社会的な用法が台頭して一般化した(というのは私の憶測・仮説で、調べてみるとコレが字源に詳らかな史実)。
それでは、私が「お勤め」として行う作曲において、どのような存在を尊んでいるのか。
紛れもなく威徳至上のメタル神である。

そのようなメタル神という考え方も、どこか遠い世界に住んでいる一つ厳かに存在しているのか、あるいはメタルや某作曲界隈を司る力用(りきゆう)の概念であるのか、説き出した自分にも判然としていない。
さはあれ、らい○ちゃんなどの現証がある以上、どちらにしても威徳が絶大であり、らい○ちゃんのように勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し。

作曲というのは最初憧れを持つところから始まるとしても、趣味・興味・娯楽のような認識もあれば、渡世の手段とする野心家もいるだろうし、あるいは単純な憧れが昇華して、自分が感動した曲より良い曲や、誰よりも良い曲を作りたい、聴かせたいという純真な者もいる。
私も色々と気持ちの移り変わりを経てきており、2年以上前までは音楽ほか動画などで大成して富や名声を得たいという野心も多分に備えていた。
今はどうか、世の真理を知りたいがために大聖人を中心とする仏を奉じた研鑽、またそれに準じては超越者のような作用があるメタルの真実を求めて、些か懈怠気味の非力を味わいながらも作曲を続けている。
何にしても、続けてみることで答えを知りたく思っている。
また、今は懈怠気味でも続けていく内に行道の亢進があることを望んでいる。
まあ創作関係って最近どっかで「自己満足」って表現使ったのが近い面もあるけどね。
聴いてもらって満足とか。

このメタル神について再度触れたく思うが、例えばメタル神の来歴として、最初から神として誕生せられたか、この世にかつて人体として存在し、何かの経緯(死を経るか生きながら昇天・成道するか)で超越者となられて力用を操るようになったか。
仏や神道の神も、多くは人体や物体としてこの世に存在したとして、今日に伝わっている。
物体といえば、万物に霊魂が宿る、万物を神体そのものとするのは神道のほか世界各地の民間信仰にもあるばかりか、仏教ことに大乗仏教では似たように有情非情問わず全ての生命、否、生物学的な区分に入らない物体にも心や仏性が宿り、成仏できるとする。

続いて、メタル神にあたる存在は、いわゆる一神教の神のように一人絶大なるパワーを有し、メタルないし某作曲界隈を司っておられるか。
お一人の意思によりらい○ちゃんに無上の楽才を授け給いしか。
対して私が便宜的に「メタル神」と呼ぶ一連の事象の背景が、力用のみの概念であるとすれば、抽象的な摂理であるのか。
メタル神とは一人の超越者であるか否かの探求は、1月5日のメモ帳記事に後日ひっそり加筆した箇所も「追って調べたい」旨で締めくくってある。
当該記事の時点でも宗教的に達観していたが、今回はまた一味違う考察に至っており、過去の自分が託した問題が解明に向かおうと躍進している。

こうした宗教などの体系的な知識は、主に日蓮系の仏法を学ぶことで多大に備わってゆく。
日蓮大聖人は、正法を弘めるために誤った信仰を撲滅する必要があるとして、四箇の格言を代表する邪宗破折の義を立てられた。
布教・弘教におけるこの破折の精神が門下の弟子や檀徒に継がれ、今日でも諸々の邪教を打破すべく特に某宗門で堅持されている。
そのような教団の卓越した宗教観はネット上に多く見られたり、機関紙なども昔から転載されている(6月21日のメモ帳記事で取り上げた某思想のアレは大白法という某宗門機関紙の昭和37年11月20日号にも匿名投稿の論文の中に載っている)。
末端信徒の教わりたてで曖昧な認識など、全ては鵜呑みにできないが、色々と氾濫する情報を見続けて、正しい考え方を自ら導き出すのが個人の訓練にもなる。

私はそうして体系的な宗教知識を得る内に、らい○ちゃんの消息からメタル神を見出すこととなった。
普通ならば、彼女の引退・失踪はただ優れた人材の儚い興亡盛衰の範疇であるとか、あるいは「しあわせです」発言を見て自殺を想起するなどに留まるはずで、私も教学に暗ければそういった程度の思考に終わったことだと思う。
一神教の神にしても私の説くメタル神にしても「妄想」と思われるかもしれないが、やはり神の名に仮託されただけで事実には偽りが無い。
何にせよ、昔の人は物事に表面的な原因のほか、神罰だとか怨霊の祟りを感じて自戒する気持ちが肝要であった。
日々創作と研鑽で「お勤め」する心は大事だと締めくくる。

ところで今回の件を記すきっかけが、2015年1月4日から作り始めたとあるメタル系の曲で、アレ動画の3番目に流した曲だ。
これは今も制作中であるが、7月に入ってからはそれまでの数ヶ月より著しく進展した。
思えば1月4日という始まりの日には、「夭折した~」のコードを転用してイメージした内の16小節分の音階を一気に打ち込めて、当時は件の記事執筆・投稿前の段階であったから、メタル神を讃えたことの恩恵とも取れた。
今また7月以降は、去年同様に夏特有のやる気が俄かに滾ったか、はたまたらい○ちゃんのことを6月末より再び追い始めて作曲の歓喜も起きたか、これからも作曲が続けられる=PCや携帯も壊れず私も健在なら即ち周囲も全て安泰、という状況が続くと良いものだ。



※当記事の原案は7月20日のGoogle+日記メモです。メモ帳記事の投稿ペース維持が困窮しているので、記事に仕上げました。


2015年7月18日土曜日

二つのロゴの類似性を多角的に検証する記事


当方で編集した上掲画像では、二つのロゴを左右に並べている。
左右ともに二つ以上のアルファベットが斜めに重なったデザインをなしており、アルファベット一字をとっても印象的な線の伸びを見せる。
一見ただ似ているだけのようで、私が簡潔に類似点を挙げたけれど、ここからはデザインの表層のみならず、背景と深層も探りたい。



背景としては、左のロゴの来歴・年は不明だが、日本の同人作曲家(以下、S氏)のHP上に掲載され、同HPファビコンにもなっている意匠である。
右のロゴは、2009年4月頃には出来上がった意匠であり、某携帯作曲アプリユーザー(以下、R氏)の携帯HPトップやニコニコ動画でもかつて静止画素材に用いられていた。
S・R両氏に公的な交流は一切確認されておらず、相手の話題をした様子も無い。
携帯コンテンツに深く関与しているのは後者のみならず、前者も携帯ゲームアプリに楽曲提供をしていて、旧HPを含めて2013年よりMIDI・着メロデータ入りのzipや携帯実機の音をライン録音したAACファイルなどが配信されている。

その携帯ゲームアプリは色々あるが主要なものは二つ、共に某方二次創作ゲームで、一つ目が2007年より完全無料アプリで作者サイト提供のち2012年までに作者失踪・サイト消失、時期不明にミラー委託サイトの一部有料化にともないこれも有料、私が初めて知った2012年にもDLできた(最近は不明)。
二つ目が2008年にTrial版、のち2009年より随時通常版(無料)とPLUS版が用意されるも、なぜか通常版委託サイトからDLページが消え、上述のゲームアプリ作者サイト消失で通常・PLUSとも新規DL不能となった。
失踪したゲームアプリ作者と件の2015年も活動中のS氏はリアルにも付き合いがあるそうだが、詳しい消息は未だ告げられず(作者失踪と時を同じくS氏も一時的に消えたことがあり、復活が2013年であったがそれまでは同一人物説も・・・)。
二つ目のアプリはかなりハイレベルな作りのゲームで人気を博し、先のゲームからのクオリティ上昇のみならず、プレイの様子を自分で再生(内蔵メモリ・SDカード保存など仕様は不明)したりオンライン=消失サイトのサーバ上で共有する「リプレイ機能(この点は某作曲アプリのサーバ譜面共有機能などとも相似)」まで備わり、他者のリプレイも同様にダウンロード視聴可能であった。

※余談、通常版委託サイト2009年度のアプリ評価では最優秀賞ということだが、選定方式が毎年変わり、過去にはエントリー式で賞金が用意されることもあったが、その年では提供されたアプリが強制エントリーされ、人気投票+謎の審査委員会の最終選考により決まるということだ。ゲームアプリ作者もノミネート後にプレイヤーから知らされたとWeb Archiveに残るブログ記事より確認した。2010年度まで同イベントは商業的な雰囲気がほぼ無かったものの、以降は企業・法人が幅を利かしたスマホアプリが中心で凡庸且つ形骸化したイベント。思えばこの二次創作ゲーが最終選考でも勝ち抜くって、素直に良作を評価する姿勢がある。ちなみに2009年度のノミネート作品の中に、奇しくも某作曲アプリの作者の別アプリが混ざっていた。このイベント関連も現存するページは結果しか載せていないので、概要などはWeb Archiveにて調査した。

といった背景で分かるとおり、R氏はこのゲームアプリをプレイしたり、またその同人作曲家さんを見てロゴアイデアがインスパイアされたものと邪推する私だが、この情報ではそれと結論が決まらない。
背景で闡明にすべき曇りが「左(S氏)のロゴが完成し公開された時期」である。
左ロゴは辿っても(9)時代登録のニコニコ動画で最初からこのロゴをアイコン指定していたと見ており、右R氏のロゴは、先述の通り2009年4月頃とニコニコ動画の投稿動画から確認できている。
色々調べても、S氏のHPは2013年以降出来たらしく、2010年の動画にはゲーム作者のHPに誘導する文言のみ見られたため、個人的なスペースは同年中には(9)時代登録ニコニコ・3月登録Livedoorブログや2009年6月登録のTwitterなどが見られる。
何にしても、たまたま両者の活動が携帯コンテンツに絡む音楽活動といった点が似ているだけで、片方が片方のロゴを模倣したなどとは言い切れず、偶然似ただけかもしれない。



続いて、これらのロゴの類似性を、より掘り下げて検証してみたい。
そもそもアルファベットの字形がどう似ているか、線をクルクルと伸ばしたアートである。
しかも複数のそのような形状の文字を斜めに重ねているのだから、それだけで酷似ともいえ、本来の文字そのものが挿げ替えられただけとも言える。
すなわち、左は"SP"、右は"RM"と描かれ、その文字が指すところは彼らの活動名やサイト名などの頭文字である。
元の単語は個人名であったり、一般名詞を後続させたりといった具合だ。
その"SP"と"RM"という文字の特徴をつぶさに見ると、同じ人がデザイン=既製のフォントがあることが推測でき、その仮説を検証せねばならないと思った。

よって、手始めにGoogle画像検索にドロップすると、全く同じ字形を含む画像がいくらもヒットしたものの、肝心のフォントを紹介するようなページは皆無だ。
ヒットした画像で再検索し続けても見当たらない。
だが、それだけ多く同様の字形が用いられていることから、やはり既成のフォントの存在はほぼ証明できたとしておく。
実は画像検索をしてからも"SP"ロゴの"P"は判然としてなく、RやGやLやQ(瑣末順)、あるいはCとLの複合など、様々な憶測が浮かんでいた。
もちろん、同じフォント説も同時に断定できておらず、そのために"RM"でRという字が使われているわけだから、"S[?]"の[?]がRと見てSも"RM"とは違うフォントの可能性も考えていた。
要するに"SP"説は当初活動名の一般名詞箇所の頭文字として支持されたが、検索を重ねて大文字Pを含むがヒットして、ページタイトル画像内の単語が合致したから"SP"説が固まった。
まあこの話は、あまり経緯が読者にはごちゃごちゃとなりかねないため、ここで終える。

そうしてSP説が固まる7月18日以前の7月15日で"MSG"と書いてある画像がヒットしたので、加工して別個検証画像を作成した。
7月18日に大文字Pを付け足したが、設置場所は残念な扱いとなった。


この英字フォントの使用状況は多言語に渡り、英語以外では.ロシア語やbrドメインのポルトガル語などが主にヒットする傾向がある。
日本のサイトは少々出るくらいであった。
肝心の英字フォントの名称・詳細については、当記事投稿までに見当たることは無かった。
某QAサイト内をGoogle画像検索「フォント」で調べても似たようなフォントは見られず。




今回の一連の調査には、画像検索時の急迫感は去ることながら、Web Archiveで今はもう淘汰された委託サイトの旧時代アプリページや、件の消失したHPなどを見ていて哀愁が感じられた。
儚さから感傷に浸る面も多々あったし、今でもゲーム作者の最後の更新となったTwitterやブログは2011年より止まっているが、最初に私が覗いたのは2012年5月のことだった。
ブログでは2010年よりiPhoneアプリ開発の話が増え、意気込みも空しく公開できる形にならないまま2011年12月に残った最後のツイートに「疲れ」という単語が不穏な予兆を仄めかすようで、何だか寒気がする内容だった。

活況を極めても儚く消えるサイト・らい○ちゃんなどの人々、これも良いが、某アプリ関連は古い時代からのシステムをそのままに(2011年3月の一部アプリ有料化は別)今なお生きながらえていて、これも良い。
また、微々たる進化を経ながら制作を続けるS氏のような例も良い。
似たような人やサイトがあって、それぞれ魅力を感じるかはコンテンツの良し悪し次第。
この辺の美学は「インターネット考古学」記事から読者にも知ってもらいたい。

この度ゲーム作者のTwitterを覗くと、ツイート無きままプロフィールにニコニコマイリストのリンクが、なんと同氏の名で投稿されたパ○ドラのプレイ動画だけ、アカウントは(γ)時代登録。
何も言えなくなっていつの間にか変なゲーム漬けとなって、別の意味で悲しいが、こういう制作を辞めて遊びオンリー(某携帯作曲者たちの中にも、PCを持て余しながら2014年以降艦○れの画像ツイートばっかなどゲームの話題しかせず、DTMさえ放棄した本分忘失の抜け殻が多い)に転身する人はこの数年で激増しているため、「またこのパターンか」と思うしかない。
そんな中、細々と今でも作曲しているS・R両氏はなんと良い心掛けであろうか。

勝手な憶測になるが、もしかしたらS氏は意図的にこの堕落したゲーム作者さんのことを言及していないのかもしれない。
見る人の憧憬を集めて止まない素敵な歴史がブチ壊しになることを懸念して、興味を持つ各々の判断に委ねた、と。
多くの人は落胆して、私などは幻に消えたままの方が良かったのではないかと思う。
iPhoneアプリ開発の意気込みもどこへやら、という点は某携帯アプリ開発者が2011年3月の有料化以降Androidアプリに専念して2012年にはその開発も放棄し、2013年8月にサーバ維持費の愚痴をこぼし、2014年末から自前ブログの更新も止めた経緯と酷似している。
同開発者のことは某所で幾度と詳述したが、ここで少々、2003年のサイト開設以後、ある年には年間数十本もの無料アプリを開発・配布したような、才技充足にして生産性に秀で00年代においては比類なき逸材、能く利用者の声を聞いて邁進していたが、昨今の趨勢の中でも比較的初期の堕落者入りをしたのかもしれない。
長く続けてきた以上、その分に志を失いやすいのかもしれないし、サイトが現存するだけ他所より丈夫(今年の5月26~30日や6月12~16日の間はサーバ応答不能)な方だが、この落差は濁世の趨勢に気付けていない2013年に目を丸くしたものだ。

・・・・・・何か荒れた話題で文字数が増えて罪悪感が。。。




追記:7月26日

私が興味を持つ人物は2011年以降は悉くマイナーな者たちとなるが、作品にしてもそういった傾向がある。
もう一点言いたいことは、当記事で取り上げたS・R両氏が活動の形態と象徴のロゴデザインに強い類似性が見られたように、作品であってもこの傾向が見られている。
2013年7月に初プレイの某フリーゲーム(終盤参照)と、2014年11月3日に初めて読んだ某小説には、固有名詞からストーリーの一部分において、他に例の無いような類似性を持つ。
あらかじめ言うと、某小説が2004年4月に更新を始めてから、下記情報の更新分は2010年以前に全て出し切っており、某フリーゲームは2009年以降に制作が始まっている。

固有名詞には、小説中の人物に「ライズバード」という姓や、姓不詳の「イーファ("Aoife"ってアイルランド名?)」というキャラもいるが、これは某フリゲに「北ライズバート大陸(ドが清音)」や、「ルクスイーファ地方(とある大陸の極東に位置する"Far East"の略と解釈?)」といった、特に「ライズバート・ライズバード」など他作品では被りようも無い類似名がある。
某小説の一部ストーリーの描写で、「転移魔法を行使したら見知らぬ氷雪の大地に飛ばされた」とか、「酒場でミルクを頼む(一部ジャンルによくある描写なのかもしれない)」だとかがあるが、そういったシーンも某フリゲに登場している。
他にも類似点を挙げればキリがないものの、肝心の両者のジャンルというと、某小説は某人気RPGシリーズ(主人公含む多くのキャラに名前がついていない)の二次創作であり、某フリゲもまた複数のRPG要素が詰め込まれたARPGで、もしかしたら在りし日(総票数2538の第二回人気投票が盛りだった2008年頃とか)には読んでいた可能性がある。

確かに、どこどこがどう似ていると云々するのは気持ちが悪いと思われる方もおろうが、私としてはたまたま見ていた作品にネット検索で他作品への客観性を問えど無し、という稀有な共通点を見ると、一方がもう一方の影響を受けたのではないかと思わずにはいられないものだ。
よって、某フリゲ作者個人についても調べるか、あるいは人気投票公開コメント欄や小説付属掲示板などに似ている半値の人を探すなどが具体的だろう。
ともかく、私が興味を持つ人物・作品などは、何か不可解な共通点がある奇跡を知らしめたい。



8月1日、軽い追記、どうも日本時間7月30日(July 29th)に当該フリゲのファンによる英語翻訳版が出回り始めたようで、作者が日本時間で即日ツイートして告知していた。
私も早速プレイして仔細を思うに、オリジナル固有名詞の類の訳に感心する点が多々あったが、いくらか原作者と相談はあったのだろうか(元ゲームの仕様自体、他者がデータをいじるのは難しい印象が元々あり、それが事実であれば最低限データを送る等のやり取りが必要)。
その翻訳版によると、ルクスイーファは"Luxefa"と表記されている。
このゲーム関係は毎年7月に何かしらの動きがあり、公式初リリースが2012年7月、私の初プレイが先述の通り2013年7月、続編のアップデート(小規模アプデ含めても1年半ぶり)が2014年7月、そして今年は7月末になってこの英語翻訳版が登場した。
来年の7月で、前回大幅アプデより丸2年となり、また何かあるといいものだが、何も7月にこだわらず、今年中でも良い。
変に7月に出す習慣がついて、完成した作品を次の7月まで出し渋るのは良くないからだ。


2015年7月10日金曜日

歯磨き粉などに多量配合されているミント系の成分と辛みの刺激

1階キッチンの棚に、月曜日=2015年7月6日の買い物で買われたと見られる某PVの洗口液(マウスウォッシュ)が置かれていた。
1本あたり480mlと、一般的なペットボトル相当の内容量で、ボトルの形状が太めである。
この図体には目を引かれるところがあったが、少し前まで同じ場所に置かれていたのが小さい緑のモンダミンであった。
「アルコールが微量配合され、口内に残る」との注意書きを読むと、近頃母親がお酒(日本酒・ワイン・俄かに大量のウイスキー等)をあまり買わなくなったという傾向を自ずと感じさせてくる。

私は1回分の使用量を試そうと思ったが、過去にあった洗口液は、この家で私の試用の例が無い。
小2~3に初めて試したことはあったが、その頃きりであったと記憶する。
1回分の使用量は10mlということで、キャップの分量線は20mlを数えられても、その最低使用量10mlを守って口に含んだ。
飲む前のイメージとしては、科学的な甘みをイメージしていたが、口に含んでみるとそれにも増して辛みの刺激が強烈だ。
30秒間含む、という用法が書かれてあるが、実際の私は20秒余りだったのではないか。
舌に触れないよう、申し訳程度にグチュグチュしてから吐き出した。
※後でラベルを見返すと、これでも刺激が苦手の方向け、ソフトタイプらしい。



ここで思うに、その辛みとは言うまでも無くミント系であり、これは歯磨き粉と同等以上の刺激を感じられた。
私が大人向けの歯磨き粉を使い始めたのが小1頃かもしれないが、少なくとも小2の時のある日に、各児童が家の歯磨き粉を持参する歯磨きの講習授業のようなものがあって、近くの席の児童は私が持参した緑色のクリアクリーンを見て「大人の使ってるの?」と話しかけられ、周りを見ると確かに小ぶり・赤(イチゴ)などの子供用歯磨き粉が主立っていた。
「ふぅ~ん、まだみんなそんな年なんだぁ」と内心は半信半疑であった。
且つ、小学校の頃は歯磨き粉を使用で舌を磨くこともあったほど、あの辛みに恐れはあまりなかったわけだが、今では味覚が狂うのではないかという警戒が強い。

故に今なお歯磨き粉を使用して歯を磨く習慣が普通でも、あの刺激への恐怖心と、ミント味の残りで後の食事が一時まずくなる不快感から、舌にはあまり付かぬよう注意深く行っている。
前述のように、小学生の時なら気にならないばかりか、身の毛もよだつ舌磨きが行えたものだ。

余談だが、歯磨きの歴史・14~16歳途中までは半年以上歯を磨かないこともしばしばあったが、いつからか歯を磨くように戻ったのは「口唇裏と歯の神経疎通に伴う口内炎歯痛(日記メモ2015/05/13を参照)」をただ虫歯による歯痛と誤解したことによるが、歯の汚染度は小学生の時の黄ばみから大して変わっていないし、虫歯なら当然あるはずもなく、歯を汚さない食事ほか普段より自浄作用が効いている。
また歯磨きするようになってから1年近くは歯磨き粉を使わないで磨いていたため、歯磨き粉の使用再開は今年に入ってからの可能性もあり、その為に最近になって洗面所に置かれた歯磨き粉が無くなって、日記メモ6月24日注釈2のような話題もあった。



続いてネットで、歯磨き粉のミントの辛さや、舌への影響などを雑に調べてみたのだが、こういった物・感覚のような事象は例の如く無関係な検索結果ばかりヒットして、私と同様の考えの載ったページが皆無であり、徒労。
中でも目立つのが「チョコミントアイス」なるものについての、下品な見出しや文言(双方が侮蔑の意図で味覚障害・貧乏舌などという語彙を用いる)のまとめサイトなど。

この「チョコミントアイス」については、上の弟がまだ幼稚園児の年頃・・・もっと言えば埼玉県与野市の市域に住んでいた頃(2004年の頭が果て)にまで記憶を遡ることができる。
近所のドラッグエンスストアの買い物で、毎度のようにあの弟が選んで食べていた。
あの弟については、その与野期に私が苦手だったピーマンなども好んで食べるなど、幼児としては嫌わず何でも食べるようであったが、あの弟が小学校に上がって時間が経つにつれ、かえってピーマンなどを嫌い、チョコミント味のアイスも食べなくなっていった。

このような逆に進む・・・食の好き嫌いが退行する現象は、学問的に説明がつくのだろうか。
幼少には種々の執着なくして、肉体の成長に反して諸々の幼稚化が進む?
あの弟の経緯については疑問が多いが、これもその一つに数えられる。
ミント系の味については当記事のほか、過去には菓子を中心として触れたこともある。



執筆日(2015年7月8日)の軽い日記→ゴミ出し兼買い物を2時過ぎに実行した。当地・豊橋としては珍しく霧が濃く、明るい時間であってもこの密度ではおよそ100m先の姿かたちが捉えられないだろう。この真夜中にあって、遠い交差点の青信号・通り過ぎた車のランプなどは、道路の歪まぬ先まで鮮明に光を映した。雨がぱらつく近頃にあって路面の様子は、乾いた色になった箇所とそうでない箇所があるが、塗れている箇所は木の枝が真上にあるところで、そこを歩く際には自然と注意が頭上に向く。雨上がりの時は大概地面の水溜りに警戒する私。また、どこまでも様々な臭い、腐臭かはたまた煙のような焦げ臭さも。夜中は常に悪臭が遍満している気がしてならない。


2015年7月6日月曜日

6月30日夜の会話 (と7月2日午前1時半の会話)

6月30日、母親から唐突に「私が入院したとき、自分で歩いて買い物行ける?」と問いかけられた。
今月にわかに動き始めた「心理カウンセラー(6月10日の日記メモ)」の講座との関係性は定かでないが、母親が今まで自分に不利な話になると「ガン」を持ち出すことがあっても、「入院」の語が聞かれることはなかった為、寝耳に水の言葉に訝しさばかりを感じていた。

この話題は、言わば「もしも」のことであり、会話の大筋としては、私が徒歩を前提に少し歩いたところのスーパーに通って買い物できるかという内容である。
毎日学校に通う下の弟に対して、自分にこそ買い物をしてもらう必要があるとのことだ。
「もしも」を真面目に付き合うのは気恥ずかしいところもあるが、その気持ちを断続的に口にしながら真面目に取り合った。
炊事(炊飯)・洗濯など日常の他の行動を加味して、一口ではこの話を済ませられないことを問うてから、それらの疑問については消化された。

毎度徒歩で少し離れのスーパーに通う問題性については、「自転車」等の単語を互いに出さず、当然のことだが、母親から車で時間を掛けずにイオン等へ通えることについて話されたが、私としてもバイクや車の免許を取る意思は毛頭ない(自転車ばかりは半ば欲しげ)。
家に食品を配達するサービスについては尋ねると、やや方向のそれた返答があったので、正しいことを告げると、某業者を例に話された。
結局この路線はナシとして、ネットでの購入を例に取り、クレジットカードの貸与について話された。

クレジットカードについては、ネットでの買い物をしたがった中3の時に一度尋ねたが、断られた経緯があることを示すと、「当時は14・15ほどだから」として、「今なら18歳になっているし」と別に問題は無いと答えられた。
思えば16歳ほどまでは、ネットを介して商品を購入する欲望が強かったものだ。
今ではその方向の知識も廃れていって、改めて考えると知識の穴を感じる。
また、貸与に関して「横領」等の違法性について聞いたところ、母の名が記載されたカードを男性の私が利用して店頭で本人かどうかを尋ねられ、拒否されることがあるとしても、法律的な問題は無いだろうとのことだった。
まあそんなところなのだ、とすぐに受け入れられた。



話の途中で私は、「まだ50歳にもいかない年齢(実際は49)から『入院』などと弱気でいることが問題」と言うと、「ガンを持ってる人に年齢、20代でもいくつでも関係はない」とされた。
ガンのことは、毎度のように診断の概要も伝えられないし、通院・検診なども不明で、投薬・服薬などもなく、無関係の栄養補助食品だとかならいくらでもあるなど、客観的に見ればこの程度である。
ガンのことだけ強弁されても、せいぜい子供騙しだが、その私が初めて「乳ガン」と聞いた小5の時(北海道・紋別遠征時)には、レーザーでの治療の予定など、まだ詳しく聞かされた。
子供が成長するに連れて、親の方が稚拙になってしまっては、まともなやり取りなど叶いもしない。少し飛ばしたところで「私が80まで生きたらあなたも50になる」と返された。

この話になる前にも、近頃私の耳に若くして亡くなる一般人の話が及んでくることを告げていたが、ここでも再度その点について念を押した。
私とそう違わない年、もちろん肉親・親戚だとかの眷属に多く囲まれた年で逝く人たちの中には、私の茨城系の従兄とされる「かずき」さんが25・6歳かそこらで亡くなったことをここでも告げた。
そのように子が親に先立つ「老少不定」の境は近年顕然としており、厭世的にもなろうことは、この辺に聡くない母親にとって知ることもなければ、示されたところで歯牙にもかけないだろう。
具体的な現実で、「かずき」さんのことなどは母親こそ熟知しているのに。

この時にかつての「大成駅(鉄道博物館駅)」付近の診療所に寄った折、母親に聞かされた「左軸偏位」について質問したが、まず返ってきた答えが、私が左軸偏位について言葉しか知らない思い込んで、その感情よりいい加減な説明を始めたので、釘を刺した。
私は「そんな病気の概要なんて知っているから、私の体や大成駅と同関係があるか、私個人の危険性の有無などを教えてもらいたい」と話した。
「心臓にも個性があって」と、私の場合ただ左に寄り気味なだけで、問題はないとのことで、このことから私の思考も「だから幼少の頃に一度きりの言葉だったのかな」と思うようにした。

その他、「親に寄生、パラサイト」などと得意満面で言われたのだが、心外であることを然も的を射たように言われると甚だ心地が悪いものだろう。
だがここで、6月23日の日記メモにも書いた、「親≒神」の考えを元に「親は子を庇護する義務がある」と前置きをせずして、単に「出来る内はこの家に住まい、叶わない時は父親の家を訪ね、父親や上の弟への恐怖心から敷居が高い場合は、どこかの山に登って命の灯火尽きるまで過ごす」とのみ主張した。

この間には曲解からくる放言が聞かれたが、一々には憶えがたい。
私の発言から取り上げるとすれば、「先月・先々月の小遣いは無くてもいい態度でいた(8日の日記メモ)のだから、それが私の金への執着を切り離しつつある証左となるけど、来月(7月)は流石に欲しい」。
この話題で言いそびれたことは「今夏は飲み水で過ごすから、去年と比べてあなたにペットボトル飲料を頼むことも無い」という旨であろうし、他の話題でも多々後悔あり。
少し前まで私を苛んだ欲望を抑えつつあることが伝わりがたい。
故に「それが寄生だよ~」との放言が聞かれたのである。




以上の今回の会話は、全体で15分ほどであったが、終始両脚を開きながらふすまの水平方向に寄り添って引き手に左手を伸ばした姿勢を維持したが、左手・腕の血流は乱れて赤みを帯び、下肢も動き始めの数秒以内は不自由さを感じた。
母親も話の終わった直後に、体について一言漏らしていた。

2015年7月2日の真夜中、午前1時半前にヒョイと始まった一時間半に渡る会話があったが、具体的な内容をはらんだ概況を書くのも躊躇う。
姿勢や事後の身体違和については、先の一件を教訓にしてしばしば変えたりストレッチを心がけたことで、疲れ以外の問題は無かった。
藪から棒に始まった会話で予期できなかったが、元々予定されていた3時以降の外出(ゴミ出し・自販機通い)にはどうにか3時20分前より実行できた。


2015年7月3日金曜日

Google+ 2015年6月中の日記メモ等

今月の学術的メモ帳における記事数は、目を背けたくなるほど少なくなっている反面、日記メモに関しては一つのメモ当たりの文字数が増大となっている。
1,000文字超クラスも増えてきたが、これは喜ばしくない。
その情報ボリュームの同様のメモを集めれば、まともな一記事を作れるからだ。
確かに、連日似たような話題のメモが投稿されたなら、それをまとめて記事にするほうがメモ帳の記事数アップに一役買うと思われるが、あまり家族ネタ記事ばかりを増やすのもいかがなものか。
というわけで、今後も余程のネタでなければ、長文傾向が加速する日記メモを継続したい。

6月24日の日記メモは当日のメモ自体の文字数の多さはさることながら、何といっても記事上の注釈まで3つに達しているため、別途記事を作成した(当該箇所も参照)。



2015/06/01


「温水スイッチの有意義な記録」・・・6月1日11時半頃、風呂に入ることを決めたが、このとき母親は午前としては珍しく外出中であった。10時以降に家を出たと記憶するが、週2度の買出しとしては午前に出ることは滅多にないものの、車を動かす外出はほとんどこれしか考えられないからだ。

この度の私の風呂は、軽いシャワーとシャンプーのみ。風呂の概要を述べる上でいつも注意を書くことは、浴槽・湯船の類を最後に使用したのがもう2010年(2011年豊橋宅説アリ)の話である。ともあれ、平時の風呂と比べて半分ほどの時間で済むメニューとしておいたが、過去日記メモにも書いたとおりその前の風呂は5月30日早朝だ。私は3日~週に1度のペースで風呂に入るも、たった2日で風呂に入ろうとしたのも、母親外出している間に昼前のシャワーをしたかったからだ。

近頃は当地においても暑くなってきたわけで、その中でもまだあのスウェットを脱いだり着たりして、エアコン等(扇風機は私用の物がない、最近母が弟用に扇風機を買い換えて、古いものを処分した)は付けない。私の部屋は同じ1階のリビング等より暑くなりやすいようだが、向いている方角などにも関連性があるのだろうか?私の部屋のおかしい点は、2011年新築のこの家でも、11年4月に私がこちらへ移動(家出)してより現在まで、ラップ音が同程度の鳴りをしている。つくづくおかしな部屋であると、暑さとは別の意味で汗が出てくるような思いだ。

正午に至らずして母親が帰ってきたが、私はまだ風呂に入っており、この時「最近は毎回風呂に災いがある。風呂から出た後、間隔に差はあれど風呂に関係した母親の干渉が数度連続した(5月19日・5月24日・5月30日の入浴関連)」と内心で溜息を吐いた。数分以上経った後、キッチン側の水道を母は利用した。キッチンにしろ風呂にしろ、温水の使用はスイッチを入れる必要があり、これは2011年に当地へ来た際、スイッチ作動時でないとお湯が出ないことを知らされぬまま風呂を利用して、一向にシャワーからお湯が出ないことに困惑しながら髪を洗うなど1度目の風呂を終えた。

それで、このスイッチが何だというと、母親がキッチン側の水道を利用した直後、いつもの反射行動でスイッチを消してしまった。私が即座に入れ返したておいたがね。私が風呂に入っていると気付いている(読者への説明:母曰く寝ているときに小さな水音にも気付くそうだから、大きなシャワーの音もわかるし、まず洗面所の状況でも知り得る)だろうに、スイッチを消すということは、数ヶ月以上前にも早朝の風呂で母が同じ愚を犯していた。その時も母の挙動を訝っていた用心の故、消されて即座に私は気付けたが、2011年このスイッチの仕様を利用したいたずらを上の弟(2012年8月父宅追放)に仕掛けたら、温水が出ないことにブチ切れて吠えながらシャワーヘッドをぶつけたと思しき打撃音を立てていた。まあ今回にしろ前回にしろ、母親には何もこの愚行の忠告をしていない。

この反射行動だが、人が風呂に入っていることを気付きながらしてしまうのは、鈍いのであろうか、臨機応変という語が頭の辞書に無いのか。本能の制御が不能な畜生にも似ている。それでいて、消すべきときに消し忘れることもしばしばあったりする。第一にキッチン側と風呂側ではスイッチを入れた際の初期値が異なるが、双方の任意の数値である。キッチン側なら「節電35度」だし、風呂側なら「40度(私がいじって39度)」となり、明確にその差が出る。あんたが入れたスイッチじゃないことも、その数字を刮目すれば一目瞭然だろう。



2015/06/03~2015/06/04


当記事注: 両日の日記メモは詳細な解説付きで本家ブログ2015年6月5日投稿の記事に引用済みなので、つきましては当該記事への御足労を願います。
http://masashi.doorblog.jp/archives/44304753.html



2015/06/08


6月2日10時49分に母親へ送った一件のメールの中の一部を引用する。

「今月の小遣いは?4月は2000円x2だったが、同月26日にドアの穴開けで5月は後半の分ももらえなかった。また私に落ち度があって小遣いをあげる気にならないなら、別にそれでもいい。これが私の素直な気持ちであることは、5月のはじめに小遣いの件であなたが「思い知れ」などと不遜な言葉を吐いた時に、私は何の不服も唱えたかったことを以て傍証とする。」

↑のメールの返信や答えが全くないため、3日経った6月5日昼の買い物品受け取り時に、母親に直接答えを聞いた。その中で今年のお年玉「1万円」の話になったが、私は「私からそのような大金を求めておらず、半額の5000円でもよかった」という趣旨の発言したが、次の話題でこの発言を「今月の小遣いとして5000円欲しい」と、あらぬ方向に誤解していた。即座に、正しい認識に戻すよう促して、ここで正しく理解してくれた。

6月2日のメールの意を汲み取っていれば、「今月は5000円欲しい」と私が思っているなどと誤解はしない。このメールを読んでいないのか、読解力が無いのか、感受性に乏しいのか。生まれつき薄情なだけでなく、輪をかけたように痴呆化がはじまっている今では、いずれも考えられることは非常に物憂い。

また「4月半ばには小遣いを渡していないよ」とカレンダー記入を根拠にボケた主張もあったが、あなたがその記入とやらを忘れただけである。4月始めに続く4月半ばの小遣い2000円の受領を証明する封筒が部屋にある。あなた自身が現金取引を証明する目的で日付記入の封筒を毎度用いているのに、それはとんだ虚実の顛倒である。実物提示により、記憶違いの蒙を啓くこととする。

「虚実顛倒」とは、去る1月に行った会話でも「脅されるから1万円渡した」という発言があったが、人聞きの悪い表現で脚色されるのはまことに不本意だ。「脅される」ような意識でいるなら、甚だしい被害妄想だと、異常性を示唆するものである。

結局、6月5日の会話の答えは「思案中」とのことだったが、本日6月8日なおも続報なし。私は別に、はぐらかして小遣いナシでもいいが、ナシならそう断言せねば困る。かかる不誠実な対応に終えるのであれば、義憤も禁じ得ず。私が求めているのはお金よりも、母親の人生にかつてない誠実な対応だ。

当記事注: 記事内でも当該箇所にはリンクを付与したが、ここで少しだけ説明する。今年2015年の正月、お年玉を受け取ったまさにその日の1月1日にG+日記メモが定着していない頃の記録がG+上に投稿されている。背景としては「チョコっとしたことを記事にするのもどうなのか」というわけで、このような形をとることにしていた。
https://plus.google.com/+MasashiYokono/posts/jHnEUzd7YeC



2015/06/10


今月、母親が頼んだ品の中に、資格取得の通信講座の教材があるようだ。その分野は「心理学」の方向(心理カウンセラー)である。薬学にしても、人にその知識を共有して助けるということがあまりないような、職業的な知識ばかりのつまらない人間だが、心理学にしても同じようなものだろう。どういう目的で何を願ってそんな受講をするか、何ら魂胆が見えない(そう言いつつこの後に私特有の邪推を披瀝する)。

それも、薬学なら「としこおばさん」の人生的教導により、その後の生活の糧となる形を得られたのだが、今では人間関係も希薄で、勉強にしろ人生にしろ指導者が皆無。対等に近い間柄の相談者さえいないならば「根無し草」と言うべきだ。「不爲實於無根草(根のなき草に実りなし)」我また是の如し。それに気付いている私は、それを支柱と成し、根を広げんとしている。母親自身が気付かない性質を看破し、その悪しき轍を踏まじと自戒する。

過去にスペイン語(キューバ記事)なり他の外国語なり「○○(母親の名前)の挑戦!80歳までに(あれらの言語を)覚える」などと、母室内の紙に抱腹絶倒のメモをしていたことがある。それもどこへやら、という感じだが、難易度が異なる今回にしても、資格取得は遠い夢想に終わるものと悲観視を禁じ得ず。仮初めにも資格取得して職業を得るとも、自分や周囲の人間の精神に寄与貢献する知識になるとはとても思えないものと判じておく。

ところで、この講座を運営する会社は、平成27年に消費者庁から表示の問題を改善させる命令が下されていたらしい。その概要を眺めるに、いわゆる「限定商法」のやり口に「景品表示法」への違法性があるとされたのだろう。ある月末まで「1万円割引!」と謳い、その月が終わったらまた次の月末まで「1万円割引!」を繰り返し、実に2ヶ月超に渡ってそのキャンペーンをしていた。これがその時の閲覧者に「今だけ」とのお得感を煽らせる。「限定商法」という、顧客を増やす狡猾なやり口だと言える。「心理カウンセラー」が主軸の会社にあって皮肉だ。

関連して検索すると、キモイ文言のサイトばかりかかって、俺が「キモイ」と言わざるを得ないほど、キモキモアホ感染した。名利法律とかバカ心理学とか元々そう思っていた中で仕方なく検索したらコレ。「バカ」って言葉も侮蔑の意で普段使わない。「バカ」レベルに合わせる親切な俺。

なお、前の日記メモの小遣いの件で再度問い質し、「思案中だとかはどうでもいい、出すか出さないかの二者択一、お金よりあなたの答えが欲しい」と何度も似たようなことをいい続けないとまともに答えを返せなかった。その答えは「じゃあ出さないよ」であった。はっきりと最初からそう示せばよい。



2015/06/14


メモ帳の下書き記事のホールド・蓄えに欠いていることを、最近の本家記事の告知欄でも嘆いた。メモ帳では数日~1週間のペースで記事の供給を続ける目標があるが、下書き無きままに三日四日を経るのは苦しい。もちろんメモ帳の開設当初は「Bloggerの仕様の確認・日記然とした簡素でマイペースな投稿」を想定していた。最近数日間、メモ帳ほか本家ブログでも、過去記事の既述を色々と訂正し、6月13日は去年10月の「らい○ちゃん」小説における後半パートの既述を、より高等表現におきかえた。

6月14日0時半を過ぎた頃、突如として今まで感覚的にまとまりつつあった言語感を記事にする構想が浮かんだが、5月に投稿した「助動詞『る』」の記事同様、材料となる例を集めるのも苦労する上に、それらを整然と並べて分かりやすくする作業もまた手間隙をかけることとなる。当該記事は初めの下書きから投稿反映まで数週間を経ることとなった。

B H V Wの互換性、準じてF Pの互換性。日本語では「は」の濁音"ば"、半濁音"ぱ"、仮名遣い"わ"に共通される。WとVは、例えばドイツ語のWが英語のVの発音をなす。

キリル文字の"в(ヴェー)"は、英語でいうと"V"の発音になり、典型的なVの発音の例で真っ先に浮かぶのはтверь(トヴェリ)だ。вск(フスク)やмосква(モスクワ)などは、カタカナ表記でロシア口語発音に近いものとなっている。フスクの地名の例が思いの外「ハバロフスク」の他になく、フスキーなどの形なら人名などに多い(接尾辞-ийは所有格や形容詞を作るっぽい)。本題と無関係な蛇足で、「ウラジオストク」のウとオにあたる箇所もвが綴られるが、実際の発音は「ヴ」系統。なお、英語でいう"B"は、キリル文字だと"б(ベー)"がそれにあたる。

トヴェリを意識したきっかけが、日本語で転載されたロシアの事故動画を2013年未明に初めて見て、同年別の時期あるいは翌年中に日本転載以前の動画を探したところ、ロシア語で撮影場所の都市名と大通りの名前が書かれた動画(6nNfAmHrDX8)があり、その通り沿いに動画内より商業施設が接していることを確認して、都市内各地の通り沿いを航空写真で分析し、ストリートビューで確証を得た。

当記事注: 後にこのメモを元として、新たに記事を執筆できた。それが学術的メモ帳6月16日の記事となる。



2015/06/15


6月15日は15時過ぎ、それまでに学校から帰宅した弟と、母は買い物へ出て、その帰りは19時半を回った頃だ。以前弟を伴う買出しでは2時間足らずで帰ってきた。今回の買出しでは、遊んだり食事したことと思われる。

この買い物について母親から「何もメモ(メールの誤り)がないから、これだけしか買わなかった」と弁明されたが、言われた時にはまだ全容がわからなかったものの、嫌な予感だけした。品々を引き取る前に、弁当をレンジで温めはじめ、部屋で品々を確認すると、嫌な予感がその通りに現れることを知った。レンジ加熱が済んだ弁当を取りに行くとき、母にその不審を問うこととした。

6月14日6時40分にしたメール・明文では「母親によって私・上の弟の手紙を保管しているアトムファイルに先の封筒切抜きをしまった」旨を冒頭に書き、これは承諾していたようだが、例の如く余計に変なことを返してきた。同メールでは、その下にラーメン1セットを買うよう、いつもと同じ買い物の品書きを打ち、その下にも長文を書いているが、この品書きパート以降は気付かず読まなかったらしい。故に「何もメモがない」という理解しがたい答えが先ほどにあった。

何とも間抜けな人間だし、その蒙を啓く孝子の諫言を肝に銘じていれば、念入りにメールを読むよう努めたり、でなくとも魯鈍な自身に気付いていれば私が品書きメールを送っていないなどと思い過ごすこともなかった。私の慈悲心は、過去の行動に表れているが、生来頑迷固陋・度し難い人に対しては詮が無いのか。不安を感じていながらタイトルに「全文読んでね」と付け加えなかったことが私に落ち度なのか。

ともあれ、弁当の回収際には「私はちゃんとメールを送ったが、上の方(アトムファイルの件)だけしかあなたは読んでいない」という点のみを伝えた。弁当を食べている最中に、一応は母親がメールを読んだようで、これに関わる会話がはじまった。大きめの声と矢継ぎ早の弁舌ながら、この会話の最後まで誤飲せず、噛み誤ったり口内炎などを作らずに済んだ。

同メール長文には、あの母親に食品のブランドの指摘に関して、理解が全く及んでいない鈍感さを呵責した内容となっている。長文の冒頭から「今後はブランドの細かい指定はしないが、最後に説明をする」旨を断っており、決して食品ブランドへの執着を押し通す内容ではなく、愛に欠けた母親に愛の鞭でその無知を正すことが目的だ。

あの母親が私に一つ指摘されると、すぐに沸いて漏らすと予想される疑問も、未然に粉砕すべく情報の明記を徹底している。あの母親は見ている部分の文章、狭小な範囲のみ一瞬理解して、次の文節に移ると忘却する性質があることを熟知している私が努力を尽くした。「熟知している」からには、その「狭小な範囲のみ一瞬理解して、次の文節に移ると忘却」が愚鈍にも会話で現れることを予期させる。

案の定、その危惧していたことが愚鈍にも会話に現れてしまった。些細な誤解まで、愚問に尽きる。その愚問の答えなどは既にメール文章内に書いてあることを強調し、私の正当性と周到さを強調したが、まあ頑迷固陋の人には100年しこんだところで微塵も伝わらないと内心肩を落としている私。それでも意志を曲げずに母親への諫言・啓蒙は続けたい。世間の浅い「親孝行」とは異にして高尚な孝子の慈悲が行動、言葉に満ち溢れる。言葉が通じる顔をするだけの母親には未だ伝わっていない。

メールの本題とは違う会話に移されても、部屋に置かれた物について過去にも同じ事を幾度となく話したのに、何を思って言い出してくるのか。例えば室内のDHC製リップクリームを見て「私の勝手に使ってるし」などと言い出すが、あなたの使用済み若しくは未使用であっても、リップクリームをくすね取りなどしようもない。あの母親がなぜか根に持っているコレだが、DHC製リップクリームは自分用だと思い込んでいるそうだ。どちらにせよ、私はリップクリームを要求したことは今までに一度も無く、母親の方から2013年に買い与えられたコレだが、使う頻度も多くない。他にも同年中に別メーカーのリップクリームが買い与えられたが、2015年なおも未使用のままである。私が使いたくて、ましてや、くすね取ることなど考え付きもしないが、そんな何度も繰り返し言った情報を毎度言わねばならない。これほどに度し難い50歳手前の母親がおろうか。あなたが勝手に与えた者を私が勝手に盗ったと思うならば、事実無根を過ぎて、マッチポンプである。この時は以前と同様に、未使用の別クリームの存在を強く示してすぐ前言撤回する間抜けな母親であった。やはり例を鑑みずに場当たり的な感情のみ口に出す。



2015/06/20


昨日も今日もいつの日も、来る日も来る日も私は考え事を止めていない。狂えるPCの回復を待つ為に寝そべって体を休めている間も考え事が続く。そうしてあらゆる事象についての思惟の果てに、どうしてもこの濁世の実相が見えてしまう。

客観的な事実や経緯が確然と存在するも、眼中に置いていない者達。人にそれを提示されても、その場限りの我慢偏執で糊塗するか、その遁辞も漏らさず逃避する者達。客観的見地に立つ私には、この濁世が大火に包まれつつあることが見えてくる。出火した家の火が外から目立つことがあるとして、家の中にいる子供たちが気付かずに遊戯雑談(ゆげぞうだん)している。今この世の中が、そういった一たび客観性を得れば判然としている事象に、気付く由もなく得意げな顔でいられる。

この理屈は、私が唱えているのではない。二千数百余年以上もの乃往(ないおう)より、知られるところの教えであるが、末代幼稚の凡夫の多くが知るところの教えではない。私がこの教えに触れる数年以上前から、漠然とした違和感があったそれを、まさに明文化しているのであろう。その違和感を持ち始めた頃から今に至るまで、年を逐うて増すばかり。あの母親はじめ、多くの者が顛倒している濁世で、私がこのように啓蒙しても尚みな理解に及ばざるところであろうと半ば落胆しているが、仏道修行を志す者として今後も啓発して参りたい。

ところで、この文章を書いている朝6時40分前に、30前後メガネ女性が犬の散歩をしていて、バター犬が俄かに家の近くで吠え出した。私は鳴き声の甲高さと人気バター犬という先入観で「ダックスフンドか?」と思ったが、路上で女性が通行人と暫く立ち話(女性の手振りがお笑い)を続けている間、バター犬の姿はずっと隠れていた。話が終わったときに漸く姿を見せ、読みが的中し「ダックスフンド」であった。写真は日記メモ記事で載せるだろう。思えば、今年の春休み期間特有のキチガイ通行人の中にも、ダックス5匹ほど連れた若い女性がいたことを4月29日の日記メモにも書いた。

続く6時49分、その茶髪女性と茶毛バター犬がすぐまた逆方向に家の前を走りながら過ぎり、その間も狂い吠えしていた。我が家の前でのみ吠えるとは、好戦的な犬っころだと思えてならない。別の小型犬を飼っているおっさんと高速ですれ違って、おっさんは寂しげだった。そういえば羊の散歩の子どうなったの。



2015/06/21


この濁世にあって顛倒せる者達の多きことを思うに、世間の人は自らの貪欲に気付けず、ますます富を貪ろうと、心の貧しさが一層際立つ。その中にあって、いよいよ慎ましく清らかに洗練されゆく私はまさに白蓮華そのものだ。蓮の花は泥の中にあってその泥濘に塗れぬ美しさを誇る。濁世の濁乱が強盛につれて、泥濘の不浄を糧として育ち、己心の蓮華が花開かんとしてゆく。

最近の方針で一例を上げるなら、5月の下旬に暑い日が続いた折、「今年の夏は氷水でやりきりたい」という意思を掲げたことが言える。例年の夏は、ペットボトル飲料を多量に摂取し、経済苦とまで言わずとも、「これでいいのだろうか」という疑問があった。蛇足だけど、真夜中などの自販機通いに虫を恐れることも疑問であった。それらがいっぺんに緩和されることだろう。もちろん、少々ばかり買い物は続ける。人や虫を恐れる傾向が強まってしまいかねないことは、新たな問題ではなかろうか。

濁世は、自身の愚に気付けない蒙昧さを増長せしむ。気付けぬ故に輪をかけるように愚を犯す。私の行動は、自他の愚に気付いている上でなされている。また、愚に気付けていてもその愚を改善できないパターンもある。例えば「僕はバカ、頭が悪い」と口にしている場合、言い訳として用いる上辺だけの下の弟のみならず、衷心よりその慙愧を懐ける者でも直し難し。

私のことを「頭がおかしい」と思う人も昔からよくいたことで、ましてや私の知能を「我より劣れり」と見誤る顛倒者の繁きことよ。それこそ愚の骨頂であると喝破す。学校生活・ネットはおろか、母親でさえ愚息の能力を軽視し、いい加減な物言いばかり幼少より続けている。

近頃、下の弟の破壊的な行為が増えてきており、一昨日には1階で寝ている私の押入れが強めに揺れるほどの打撃を2階で繰り出したようで、その後母親は1階の物置スペースよりハンマーを取り出して何か修復したのかもしれないが、具体的にどこが損傷したとか部位が外れたとかは、後に2階を軽く確認してみたが見当たらなかった。本日6月21日の朝6時前後には母も弟も1階で時間を過ごしていたが、7時までの間に一悶着あったようで、前日まで何の損傷もなかったキッチンそばの壁に損傷が出来ていた。数時間後にはいつものように隠し繕われていた。一方の私はそれを慎む傾向が強まっている。

前にもどこか記事などで書いたことと思うが、息子などが暴力行為をするのに対し、母親は暴力しない(昔は息子の頭ボコボコ殴っていたが)なら、自分はその不満げな喋り方を自重すべきだろう。それが原因となって止むことのない破壊衝動を生じさせるのだから、母親の態度は不穏分子そのものだ。こんな人間に父親も、平静でいられずしてキレるのは致し方のないことだろう。

あの母親に考えがあって人を苛立たせつつ、破壊の事後に後悔・反省させるだとかが効果的に作用するならばまだしも、実際はその時の不快感でのみ不穏な態度を口調に見せたり、言葉を考えないから、男性側が破壊衝動を起こすに発展し、自暴自棄に陥りやすくなる。精神面でも壁を作ってしまう。私は平穏を望む人間だから、破壊の傾向さえ今では治まりつつあるが、実際に下の弟は悪化するばかりで、父親との夫婦生活ではあの新居でもエスカレートし、ついぞ和睦に至らずして別居・離婚に至っている。これも己の愚に気付けば簡単なことだが、この年になるともう期待できず、やはりこれも悪化の一途を辿るのみだと結論付けたい。



2015/06/22


母親が物の位置を変える行為について、どうにも明確な意思から行っているものでないことがわかる。先月(模様替え後)のいつ頃か、玄関クローゼット内の本棚に置かれてある噂の「楽譜読める本」が、リビングのソファの上に置かれていた。リビングにはこの他に読んでいる実体の不明な本が種々雑多置かれてあるものの、それらよりずっと大きいサイズの「楽譜読める本」が仲間入りする寸前か、と沸き立った。2日ほど静観するに、どうも同じソファの上でも、向かって右側背もたれの傍から、中央よりに位置がずらされるなど、読んでいるのか不明なものの位置のズレが明白に見られた。そこで、私はこれを食事するテーブルの上に移動した。暫し待ったところ、ついに元の玄関クローゼット内の本棚、あるべき場所に戻され、今に至っている。結局、フラっとした気持ちで手に取りつつ、元に戻そうか数日迷って、私の行動を機に最初の場所に戻すことが決まった。

これは冒頭の一文の一例であり、今回わざわざ日記メモにしようと思ったのは、本日6月22日に同様の疑問が二つ生じたからである。一つは、昨日6月21日の夜中2時起床時、リビングに貼られていたカレンダーの四隅の内の右上の一角が剥れており、その後は早朝に母・弟らが1階に降りてくるなど人の流れが多くあっても、カレンダーだけはそのままであったのだ。本日夜中、同様に起床すると、そのカレンダーが全て剥がされてソファの背もたれにかけられていた。二日連続、日付が変わるまでに何があったのやら。余談だが、本日8時前に私はシャワシャンを始めた。続く11時頃に母親が1階に降りてきたが、この時別件で余計なことをされた。同時に、あのカレンダーが今度はソファから説明しがたい位置に移されていた。ここまで来ると、捨てるつもりなのか貼り直すつもりなのか考えられない。

二つは、数日前まで黒い棚の上に置かれていたことが確認される「志望校合格」の傲岸不遜なる文言のプリントされた紙だ。こんな文言は空文そのもので、こういった郵便物がスパム的に学齢期の子女を有する家庭に届けられることは、郵便局員にとり負担を増やしかねない流通性の阻害因子である。かかる文言が「空文」たる所以は、我が家におる子供など、18歳中卒無職の私と、追放された16歳中卒無職の上の弟と、15歳目前の知的障害を持つ下の弟の存在にある。かかる文言は、誰を対象にして唱えるところか。あとは申す必要もない。これがいつからか黒い棚の上に保管されたり姿を消したりしたと思えば、本日母親が外出中の15時過ぎに、玄関に置かれていることに気付いた時、「何のためにこれを」との猜疑心ばかりが沸き起こる。「楽譜読める本」の先例からして、こいつをビリビリにでも破いて元の位置に置いたら、母親がどう出るかと思い立つも、浅薄な暴力を厭う私としては「4つに畳む程度で良いだろう」とするに留めた。続く16時過ぎに母親が一度帰宅したようで、この間にあの「志望校合格」の不浄物が玄関からも姿を消した。早急にさすればよきものを。

以上の点を踏まえて、冒頭の一文を再度参照されたく思う。これに帰結するのではないか。結局はこれら母親の行為に、大した意義など伴わないと断ずるものである。



2015/06/23


私にとって「親」とは?「神」といえば己が心に宿っているものだが、己の外に求めるならばやはり「親」が自分を生み出した「神」に最も似た存在となる。母体の核に子種の因子が注がれ、実を結ぶ。胎内より生ずる、胎生有情(たいしょう の うじょう)、我が創造主だろうか。

社会即宗教の上では、どの神だとかの子供である前に人の子であることが求められよう。その親≒神とても、生物学的な区分では子供と同じ人間で、過ちもある。孝子たる者、須らく諫むべきであるとして、私は敢然と諫言を繰り出すのである。朦霧の囚われを切り払う。

また、神は人類を守るものであるなら、親もまた子供の生存が危ぶまれるときに救う必要がある。拡げて言えば、常に子供を庇護すべき立場といえるし、そうして育てるものだ。

当記事注(15/09/03): このような「親」に関する深い考え方は、世間一般の言葉にも言える。「親の心子知らず」とは、額面通り親が偉くて子供が無知であることを言うものではなく、迷える一切衆生に対する仏の慈悲と苦悩と憐憫を、親子(仏と衆生)へ準えた比喩である。「子は親を選んで生まれる」というのも、「お前(子供)がオレを選んで生まれたんだろ、なんでオレを選んだ?」と曲解して子供を責めるための言葉ではない。

後者は特に、「あなた親様は子供に選ばれた立派な人間なのだから、選んでくれた子供を宝の如く大事に養い育てなさい」という親への教訓がその本意なのである。「少子化の世にあって親として選ばれた存在の責任と自覚を・・・」それを思えば、巷に増えつつある育児放棄・児童虐待の親などはこの教えに暗い者達であろう。あるいは、自分を選んだからと居丈高になっている。ましてや、宗教を信じない人間が「子は親を選ぶ」などという、酷く迷信じみた話を都合よく持ち出して子供を責めるのは論外だ。昔の人であっても、「子が親を選んで生まれる」という御伽噺をまともに信じることは無い。第一に「親が子を作る」ということが科学的事実であり、それに準じて逆説的・哲学的な傍らでは、子の親に向けて含蓄ある御伽噺を説く。含蓄を汲み取れずして妄りに、子供に対して責め立てる辞とするならば単なる迷妄でしかない。

16/01/22、この「子は親を選んで生まれる」を仏教的に煎じ詰める場合、人間をはじめとする一切衆生は、前世ひいては無始以来の罪業によって現世ないし未来世が決まる。特に「子は親を~」という言葉に焦点を当てれば、「般泥洹経」に罪業の報いとして「生貧賤家、生邪見家(貧乏な家や悪い人間の家に生まれる)」といったことを挙げる経文があるように、「その人間や生物の死後に『中有』の存在となって来世の生まれを決める際、その善悪の業が基準となる」という点を俗に解釈して「子は親を選んで生まれる」などといった表現が作られた、と私見ではあるが、こう結論する。要は「人間・畜生の子供となる抽象的な死後の生命がシステム上強制的に次の親を選ばされる」と言える。決して、世間の知恵を備えた生命体が「この女性のもとに生まれたい!」などと言って選んでいることは有り得ない。ネット上には「子は親を~」という語弊ある言葉をそのまま「仏教的だ」と軽口に唱える者がいるけれど、所詮は「輪廻転生」という教理だけ見てそう唱える。「輪廻転生」の思想は仏陀出現以前からあるバラモン教やヴェーダ経典の時代にも説かれている。私は仏教の経文の上から具体的に論じた。



2015/06/24


この日の日記メモは、本体でも追記事項2点によって異様な文字数となり、その上で後日の注釈事項が3点もあり、全てを当記事で載せることは辞しました。つきましてはメモ帳の当該記事への御足労を願います。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/624.html



2015/06/26 


6月27日は4時過ぎに1度目を覚まして、トイレ後に手洗い・水で顔洗い、水を一杯飲んで寝た。その時は「8時くらいまで寝よう」という心算であった。続いて6時過ぎに目が覚めると、リビングで誰かがテレビを見ているようだった。ふにゃふにゃした思考のまま誰かが玄関のドアを開け、母親の声で「ただいま!」と聞こえた。後の会話に聞こえたことは、散歩に行っていたようだ。母親がリビングにいるという弟の姿を見て驚いたようだ。6月27日に誕生日を迎える弟のために、去る24日水曜日の買い物で買い揃えられた「クレーム・デ・ラ・ショコラセット(生クリームチョコ味・スポンジケーキチョコ味・市販のシロップ漬け桃)」を使ってケーキを作っていたらしい。

25日夜の話では「今日作ってもいい」という母に対し「どよーびまでまてる」として、誕生日当日の昼を予定していた。だが、その場の欲を制御できない弟はこれを破ってしまい、25日夜の誓いも空言に帰した。「我慢できない、たえられなかったの」と言い訳し、やはり非を感じながらいつもの威勢でないが怒っていた。いつもは弟の手際が少しばかり悪いと母親が何か言って摩擦が生じて、互いに不満が衝突するようでも、今回は客観的に見て全て弟に非があることになる。まだ金曜日、今日も学校がある中で、早朝からケーキを作り始める人がどこにおろうか。散歩に行った母は「○×中のジャージ(体操着?)の人が走っているのは見たが、ケーキ作る人はいない」と責めもした。他には、桃シロップの別の用途を意図していた母に対し、要領がわからず勝手に捨てたことについても、「相談なく内緒でやるのが悪い」と叱る言葉は全容の総括とも取れる。「当日に一緒でやったら一つ一つ教えられた」とも言う。ホイッピーなクリームが弟の心を甚だ惑わしているようだ。

ところで、一段落したあたりで藪から棒に「ケーキの残りを一緒に食べない?持ってこようか?」と聞かれたが、穏便に断った。一旦去って直後に「○○は15歳になりました!」と言われるが、まだ当日じゃないのに焦って当日と混同したのか、それとも本当に26日が誕生日だと思い込んでいるのか。すぐに「まだ今日じゃなく、明日6月27日だろう」と指摘した。どうも両親とも誕生日には頓着しないのであろうか、まず思い出されるのが前の家で2009・10年頃の4月に、父親の誕生日を尋ねた経緯がある。聞くに当たっての動悸は、子供が親の誕生日を知っているのは普通なはずだが、自分は月単位で覚えていても日単位が曖昧であるため、自分から言わなそうな人であるから改めて聞くことにした。別の意味で恥ずかしい気持ちもあったが、その答えは「誕生日のプレゼントならいらないよ」と白けた見当違いのものであった。そんなつもりではなかったのだが、変に気を遣われても困る。私の当時の言語能力・語彙力では何も言い返す言葉が見当たらず、「そう」と思い込むしかなかったが、今でもこうして心残りなことはご覧になる方にも伝わろう。


2015/06/30


とある過去記事の加筆をしている折、どうしても調べなければならない情報がある。ちょっとした理系学問に向いた情報は、テレビの受け売りを漠然とした言葉で説明しているサイトなどがあれば、軽く専門用語を並べて検索するとすぐにどこどこの機関、大学などのPDF等、およそ一般向けには程遠い小難しいものばかりヒットする。前者は粗方私が既に知っていることを口語寄りの敬語で語ることが多く、後者はそれらの未知でより高度な用語について詳細を調べる内に収拾がつかなくなる。特定の単語だけ一般に流布して、然もみんなが知っていそうなことも、その深層までは及ぶことがないようだ。

私は頭が良くて真面目であること自負しているが、その為に自分が情報を書くときは漠然としたものに満足して鵜呑みにし、受け売りをするわけにもいかない。逆に、門外漢の立場にある分野であるほど、踏み込みすぎるわけにもいかない。興味がある人や専攻している人だとか、既にその学問に明るい人でも何でもない。また、難解なものを半端に理解し納得したつもりになって消化不良に終えるのも好まない。必要な情報・単語を省かずして、且つ平易・簡潔に示されると初めて満足できる。

私のような頭が良くて真面目な人には、どんなこともあまり向かない傾向がある。それでも研鑽などを怠らず、不屈の闘志で常に挑んでいる。その気質は、6月24日のメモ帳記事にも表れている。

というわけで、メモ帳の新たなカテゴリ(ラベル)複数案を検討している。過去には言語カテから国語カテを分立させたように、現在ブログ内二番手の「啓発」カテと玉石混交の「宗教」カテが対象である。肥大化したら細分化もね。

当記事注: かくして、啓発カテから「研鑽」と「論理」、宗教カテから「仏法」カテが分立されることとなり、関連記事のカテゴリ移動も同日中に完了させた。