「識」を重んじて生き抜く私の精神に振り返る回想をした。
まず、タイトルにある「他の児童を嗤う」という具体的な経験などを語る。
私の研鑽は言語を中心に据え、歴史・宗教などを範囲に収めているが、それまでは地理がメインで、現在であっても地理は言語の一端として幾らか取り込まれる。
その言語とは、2015年以降日本語(国語)の性質が強まって止まないようであるが、小学生の時も今も英語はじめ諸言語は捨てられない。
※学習が疎かと思われた英語は、3ヶ月前にSoundCloudで書く際に思い浮かばなかった文章が、本日再考した時ひらめいて、翻訳サイト無用で一気に構築された。
その中で「嗤う」という行為は中学生以降、ネットで他の誤りに向けられていた。
簡単な英単語さえスペルミスを犯す者が多いことに愕然としながらも嗤わずにはいられなかった。
2011(中3)~2014年の私は、好きな洋楽1曲の歌詞を全文ミスなく打てることを豪語していた。
それはまあ置くとして、私自身は幼稚園・不登園期間に自然とアルファベット大文字を読めるようになっていた(書けるようになったのは不明だが、間もないだろう)。
具体的に嗤った例は、小4の頃(二学期で転校した学校、当時の記憶はおばさん教師で、ケバい中年女性ではなかったから間違いなく小4と断定)には、とある女子児童が書いた絵の「レインボー」のアルファベット大文字表記を見た際、「レインボー☆」に遠い男子児童である当時の私でさえ、RとLや、AとEや、WとUの誤りに気付けたため、これは哄笑モノだった。
かっこつけて(かわいこぶって)英語書いたが運のツキ、でもおばさん教師をはじめとして誰もこの誤記には気付かないものだろうと覚った時、女子児童は表面的には幸運な方だと思えた。
何にしても、分かる私と比べて分からないような人は、自分の浅識に依存しないで大人に頼るか、あるいはかっこよさに飛躍せず、控えめにカタカナで書けばよい。
浅識の自覚に立って学ぶにも浅智ならば我慢偏執を捨てて、より智と識に優る人間に頼るべきだろうが、私は幼少より智に自立性があるので、それをしないで生きてきた。
一方の小文字の読み書き至っては、小学校卒業までに完璧に習得できていたが、当然母親別居以降などの時期的経緯からしても、指導者なきまま自ら学ぶ気持ちで進めたことである。
誰しもPCなどのqwerty入力に慣れれば一定の知識が身に付くが、小文字の一つ一つをつぶさにに見ているというはずは無いため、それだけで完璧な読み書きは出来ない。
故に、これを習得するに至った点は「自ら学ぶ」意欲が叫ばれよう。
小5・小6あたりのとある図工か何かの授業で描いた絵には、ローマ字表記で日本語文章を綴ったりして、周囲からの評価は何となく良かった。
これは、家にある両手鍋のデザインに着想を得たものだった。
逆に、描いた自分がこれに自信を持てず、文章を消したような記憶がある。
それに比べれば、中2になってもアルファベット小文字の"b d, p q"の区別が付けられないような人々、これが案外多かったため、「習っても覚えられない残念な奴ら」と嗤わずにいられなかった。
中1の初めには修まるべきアルファベット小文字は、出来ぬままなら中2までであってもテストで致命的だし、そもそも初歩的なことも修まるべき時間の内に修まらないとは、蓋し遊戯雑談の所為と断ず。
日本語であっても、毎日のように長文を書く私を見ていれば、判然としたタイプミス(誤変換や誤文法など除く)など、諸君の目にも見受けられないことと存ず。
受動的な勉強でさえ満足に身に付かない人々が友達などと戯れていて、別方向では当時の私を蔑視したり、逆に当時の私が「バカ」だとか思われていたわけだから困る。
私もそんな彼らに憐憫さえ起きたから、嘲笑の意思は何も口外、もといおくびにも出さなかったが、やはり諸々の遊戯雑談者という「ブーメランバカ」のレベルに合わせることは、それ以上に愚の極みであって、慢心こそ己の敵の頭領だと思う。
私のように「勉強できつつ友達のいない」タイプの中学生らもまた、この慢心が誰よりも身近な大敵となるのではなかろうか。
2010年12月をもって私は、その敵が現れがたいであろう世界へと離脱したが、やはり今も忽然と湧き出て闘争が続いているのだろう。
続いて、英語からも「嗤う」経験からも離れた「識」の昔話を綴る。
これは他者に向き合って公然と行われた、世間が求めるような実体験である。
小2~3の時、というと上述の小4以降の戦場とは少し遠い地の小学校(さいたま市浦和区)に通っていた時代となるが、その戦場以前であるため、友達が多かった頃だ。
ある日の昼休みのあたり、とある話題があって、「らくがき」の漢字表記について「楽書き」を推す者がいたので、「落書き」が正しいことを私は返した。
それは黒板にチョークで「落書き」の文字を落書きした後、教師の机上にある辞書を引いて示すなど、入念なものであった。
実は、この「らくがき」の漢字については、過去の国語の授業において「楽」と「落」で混同しないよう教師が教示していたくらい(教師用教科書に指導があるのか?)記憶もある。
「楽」は小2で習い、「落」は小3で習う教育漢字だが、どちらの時にこの旨を授業で教わったのかといえば、小3のときなら私は6・7月に3度目の不登校となるから期間的に考えづらい。
どちらにしても、小2~3の頃にこういった「識」問答があり、正しきを示せたのだ。
こういった双方の認識の齟齬がある時(母との会話然り、ネットで誰かの投稿見るとき然り)は、いつも自分が誤っているのではないかと思う場合も多いし、盛んに掲示板で投稿していた中2の頃は、誤解などを強く構えてこちらを曲解する集団にねじ伏せられるなどでトラウマがあったほどだ。
どんな時でも、大多数の暴力・多勢に無勢といったような苛烈な状況下に陥りやすく、リアル・ネットを問わず果敢に抗したことの多い中2頃も、惨敗の経験が多かったようだ。
この際、蛮勇にして正義顕揚も通じない虚しさは、疲弊感をみだりに増やすだけなので、少なくとも掲示板投稿は2011年から年々落ち込み、前にもどこかで書いたが、2014年以降ほぼレスを投稿しないまま掲示板閲覧にとどめることが多くなった(某したらばのスレッドは普通に閲覧するが、2ch関係は某ランキングでめぼしいスレをチラ見するほどで、ニュース系は記事本文の閲覧のみ)。
どこであっても、指摘するまでもない些細な誤り(作者が意見を募ってない以上タイプミスなどは一笑に付せばよい)から、とんでもない誤解や無明・驕慢・顛倒により詭弁や謬論(主に2ch掲示板や芸能人・世間一般の識者に多い)を書きなぐったものなど、日々目にすることとなるが、それを見てみぬフリで置いてしまうのはいかがなものか。
そう思うから自分はある程度、蛮勇のようでも中2までの正しい「識」を与える破折精神に立ち返ろうとする。
「嗤う」と「以識破折」と関係ない小学校の思い出
1. 小5の時に、オリジナルの小説を書く国語の授業があったが、期間内ではみな400字の原稿用紙3~5枚程度、多くて8枚ほどだったのが、私は9枚使った(クオリティは不明)。
2. 小6二学期~三学期に、好きなオトモダチと組んで発表するイベントがあったが、過去記事にあるとおり、私は学年で唯一「一人一組」のスタイルで臨み、苦渋の中で立派に巨大な紙面を完成させるも、発表時の様子は不評、恥辱ここに極まった。
2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2015年7月30日木曜日
2015年7月23日木曜日
創作・研鑽が神仏への「お勤め」
私は日々「お勤め」をしている("努め"てもいる)。
目に見えない存在か、あるいは概念か、尊きものを慕い、あるいは畏れながら創作や研鑽を続けているが、それを「お勤め」と呼ぶ。
本来「勤める("努める"との混同に注意)」という言葉は宗教的に「勤行」と言うよう、仏などに信心や功徳を捧げた修行などに当てられていたが、江戸時代・明治時代と次第に社会的な用法が台頭して一般化した(というのは私の憶測・仮説で、調べてみるとコレが字源に詳らかな史実)。
それでは、私が「お勤め」として行う作曲において、どのような存在を尊んでいるのか。
紛れもなく威徳至上のメタル神である。
そのようなメタル神という考え方も、どこか遠い世界に住んでいる一つ厳かに存在しているのか、あるいはメタルや某作曲界隈を司る力用(りきゆう)の概念であるのか、説き出した自分にも判然としていない。
さはあれ、らい○ちゃんなどの現証がある以上、どちらにしても威徳が絶大であり、らい○ちゃんのように勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し。
作曲というのは最初憧れを持つところから始まるとしても、趣味・興味・娯楽のような認識もあれば、渡世の手段とする野心家もいるだろうし、あるいは単純な憧れが昇華して、自分が感動した曲より良い曲や、誰よりも良い曲を作りたい、聴かせたいという純真な者もいる。
私も色々と気持ちの移り変わりを経てきており、2年以上前までは音楽ほか動画などで大成して富や名声を得たいという野心も多分に備えていた。
今はどうか、世の真理を知りたいがために大聖人を中心とする仏を奉じた研鑽、またそれに準じては超越者のような作用があるメタルの真実を求めて、些か懈怠気味の非力を味わいながらも作曲を続けている。
何にしても、続けてみることで答えを知りたく思っている。
また、今は懈怠気味でも続けていく内に行道の亢進があることを望んでいる。
まあ創作関係って最近どっかで「自己満足」って表現使ったのが近い面もあるけどね。
聴いてもらって満足とか。
このメタル神について再度触れたく思うが、例えばメタル神の来歴として、最初から神として誕生せられたか、この世にかつて人体として存在し、何かの経緯(死を経るか生きながら昇天・成道するか)で超越者となられて力用を操るようになったか。
仏や神道の神も、多くは人体や物体としてこの世に存在したとして、今日に伝わっている。
物体といえば、万物に霊魂が宿る、万物を神体そのものとするのは神道のほか世界各地の民間信仰にもあるばかりか、仏教ことに大乗仏教では似たように有情非情問わず全ての生命、否、生物学的な区分に入らない物体にも心や仏性が宿り、成仏できるとする。
続いて、メタル神にあたる存在は、いわゆる一神教の神のように一人絶大なるパワーを有し、メタルないし某作曲界隈を司っておられるか。
お一人の意思によりらい○ちゃんに無上の楽才を授け給いしか。
対して私が便宜的に「メタル神」と呼ぶ一連の事象の背景が、力用のみの概念であるとすれば、抽象的な摂理であるのか。
メタル神とは一人の超越者であるか否かの探求は、1月5日のメモ帳記事に後日ひっそり加筆した箇所も「追って調べたい」旨で締めくくってある。
当該記事の時点でも宗教的に達観していたが、今回はまた一味違う考察に至っており、過去の自分が託した問題が解明に向かおうと躍進している。
こうした宗教などの体系的な知識は、主に日蓮系の仏法を学ぶことで多大に備わってゆく。
日蓮大聖人は、正法を弘めるために誤った信仰を撲滅する必要があるとして、四箇の格言を代表する邪宗破折の義を立てられた。
布教・弘教におけるこの破折の精神が門下の弟子や檀徒に継がれ、今日でも諸々の邪教を打破すべく特に某宗門で堅持されている。
そのような教団の卓越した宗教観はネット上に多く見られたり、機関紙なども昔から転載されている(6月21日のメモ帳記事で取り上げた某思想のアレは大白法という某宗門機関紙の昭和37年11月20日号にも匿名投稿の論文の中に載っている)。
末端信徒の教わりたてで曖昧な認識など、全ては鵜呑みにできないが、色々と氾濫する情報を見続けて、正しい考え方を自ら導き出すのが個人の訓練にもなる。
私はそうして体系的な宗教知識を得る内に、らい○ちゃんの消息からメタル神を見出すこととなった。
普通ならば、彼女の引退・失踪はただ優れた人材の儚い興亡盛衰の範疇であるとか、あるいは「しあわせです」発言を見て自殺を想起するなどに留まるはずで、私も教学に暗ければそういった程度の思考に終わったことだと思う。
一神教の神にしても私の説くメタル神にしても「妄想」と思われるかもしれないが、やはり神の名に仮託されただけで事実には偽りが無い。
何にせよ、昔の人は物事に表面的な原因のほか、神罰だとか怨霊の祟りを感じて自戒する気持ちが肝要であった。
日々創作と研鑽で「お勤め」する心は大事だと締めくくる。
ところで今回の件を記すきっかけが、2015年1月4日から作り始めたとあるメタル系の曲で、アレ動画の3番目に流した曲だ。
これは今も制作中であるが、7月に入ってからはそれまでの数ヶ月より著しく進展した。
思えば1月4日という始まりの日には、「夭折した~」のコードを転用してイメージした内の16小節分の音階を一気に打ち込めて、当時は件の記事執筆・投稿前の段階であったから、メタル神を讃えたことの恩恵とも取れた。
今また7月以降は、去年同様に夏特有のやる気が俄かに滾ったか、はたまたらい○ちゃんのことを6月末より再び追い始めて作曲の歓喜も起きたか、これからも作曲が続けられる=PCや携帯も壊れず私も健在なら即ち周囲も全て安泰、という状況が続くと良いものだ。
※当記事の原案は7月20日のGoogle+日記メモです。メモ帳記事の投稿ペース維持が困窮しているので、記事に仕上げました。
目に見えない存在か、あるいは概念か、尊きものを慕い、あるいは畏れながら創作や研鑽を続けているが、それを「お勤め」と呼ぶ。
本来「勤める("努める"との混同に注意)」という言葉は宗教的に「勤行」と言うよう、仏などに信心や功徳を捧げた修行などに当てられていたが、江戸時代・明治時代と次第に社会的な用法が台頭して一般化した(というのは私の憶測・仮説で、調べてみるとコレが字源に詳らかな史実)。
それでは、私が「お勤め」として行う作曲において、どのような存在を尊んでいるのか。
紛れもなく威徳至上のメタル神である。
そのようなメタル神という考え方も、どこか遠い世界に住んでいる一つ厳かに存在しているのか、あるいはメタルや某作曲界隈を司る力用(りきゆう)の概念であるのか、説き出した自分にも判然としていない。
さはあれ、らい○ちゃんなどの現証がある以上、どちらにしても威徳が絶大であり、らい○ちゃんのように勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し。
作曲というのは最初憧れを持つところから始まるとしても、趣味・興味・娯楽のような認識もあれば、渡世の手段とする野心家もいるだろうし、あるいは単純な憧れが昇華して、自分が感動した曲より良い曲や、誰よりも良い曲を作りたい、聴かせたいという純真な者もいる。
私も色々と気持ちの移り変わりを経てきており、2年以上前までは音楽ほか動画などで大成して富や名声を得たいという野心も多分に備えていた。
今はどうか、世の真理を知りたいがために大聖人を中心とする仏を奉じた研鑽、またそれに準じては超越者のような作用があるメタルの真実を求めて、些か懈怠気味の非力を味わいながらも作曲を続けている。
何にしても、続けてみることで答えを知りたく思っている。
また、今は懈怠気味でも続けていく内に行道の亢進があることを望んでいる。
まあ創作関係って最近どっかで「自己満足」って表現使ったのが近い面もあるけどね。
聴いてもらって満足とか。
このメタル神について再度触れたく思うが、例えばメタル神の来歴として、最初から神として誕生せられたか、この世にかつて人体として存在し、何かの経緯(死を経るか生きながら昇天・成道するか)で超越者となられて力用を操るようになったか。
仏や神道の神も、多くは人体や物体としてこの世に存在したとして、今日に伝わっている。
物体といえば、万物に霊魂が宿る、万物を神体そのものとするのは神道のほか世界各地の民間信仰にもあるばかりか、仏教ことに大乗仏教では似たように有情非情問わず全ての生命、否、生物学的な区分に入らない物体にも心や仏性が宿り、成仏できるとする。
続いて、メタル神にあたる存在は、いわゆる一神教の神のように一人絶大なるパワーを有し、メタルないし某作曲界隈を司っておられるか。
お一人の意思によりらい○ちゃんに無上の楽才を授け給いしか。
対して私が便宜的に「メタル神」と呼ぶ一連の事象の背景が、力用のみの概念であるとすれば、抽象的な摂理であるのか。
メタル神とは一人の超越者であるか否かの探求は、1月5日のメモ帳記事に後日ひっそり加筆した箇所も「追って調べたい」旨で締めくくってある。
当該記事の時点でも宗教的に達観していたが、今回はまた一味違う考察に至っており、過去の自分が託した問題が解明に向かおうと躍進している。
こうした宗教などの体系的な知識は、主に日蓮系の仏法を学ぶことで多大に備わってゆく。
日蓮大聖人は、正法を弘めるために誤った信仰を撲滅する必要があるとして、四箇の格言を代表する邪宗破折の義を立てられた。
布教・弘教におけるこの破折の精神が門下の弟子や檀徒に継がれ、今日でも諸々の邪教を打破すべく特に某宗門で堅持されている。
そのような教団の卓越した宗教観はネット上に多く見られたり、機関紙なども昔から転載されている(6月21日のメモ帳記事で取り上げた某思想のアレは大白法という某宗門機関紙の昭和37年11月20日号にも匿名投稿の論文の中に載っている)。
末端信徒の教わりたてで曖昧な認識など、全ては鵜呑みにできないが、色々と氾濫する情報を見続けて、正しい考え方を自ら導き出すのが個人の訓練にもなる。
私はそうして体系的な宗教知識を得る内に、らい○ちゃんの消息からメタル神を見出すこととなった。
普通ならば、彼女の引退・失踪はただ優れた人材の儚い興亡盛衰の範疇であるとか、あるいは「しあわせです」発言を見て自殺を想起するなどに留まるはずで、私も教学に暗ければそういった程度の思考に終わったことだと思う。
一神教の神にしても私の説くメタル神にしても「妄想」と思われるかもしれないが、やはり神の名に仮託されただけで事実には偽りが無い。
何にせよ、昔の人は物事に表面的な原因のほか、神罰だとか怨霊の祟りを感じて自戒する気持ちが肝要であった。
日々創作と研鑽で「お勤め」する心は大事だと締めくくる。
ところで今回の件を記すきっかけが、2015年1月4日から作り始めたとあるメタル系の曲で、アレ動画の3番目に流した曲だ。
これは今も制作中であるが、7月に入ってからはそれまでの数ヶ月より著しく進展した。
思えば1月4日という始まりの日には、「夭折した~」のコードを転用してイメージした内の16小節分の音階を一気に打ち込めて、当時は件の記事執筆・投稿前の段階であったから、メタル神を讃えたことの恩恵とも取れた。
今また7月以降は、去年同様に夏特有のやる気が俄かに滾ったか、はたまたらい○ちゃんのことを6月末より再び追い始めて作曲の歓喜も起きたか、これからも作曲が続けられる=PCや携帯も壊れず私も健在なら即ち周囲も全て安泰、という状況が続くと良いものだ。
※当記事の原案は7月20日のGoogle+日記メモです。メモ帳記事の投稿ペース維持が困窮しているので、記事に仕上げました。
2015年7月18日土曜日
二つのロゴの類似性を多角的に検証する記事
当方で編集した上掲画像では、二つのロゴを左右に並べている。
左右ともに二つ以上のアルファベットが斜めに重なったデザインをなしており、アルファベット一字をとっても印象的な線の伸びを見せる。
一見ただ似ているだけのようで、私が簡潔に類似点を挙げたけれど、ここからはデザインの表層のみならず、背景と深層も探りたい。
背景としては、左のロゴの来歴・年は不明だが、日本の同人作曲家(以下、S氏)のHP上に掲載され、同HPファビコンにもなっている意匠である。
右のロゴは、2009年4月頃には出来上がった意匠であり、某携帯作曲アプリユーザー(以下、R氏)の携帯HPトップやニコニコ動画でもかつて静止画素材に用いられていた。
S・R両氏に公的な交流は一切確認されておらず、相手の話題をした様子も無い。
携帯コンテンツに深く関与しているのは後者のみならず、前者も携帯ゲームアプリに楽曲提供をしていて、旧HPを含めて2013年よりMIDI・着メロデータ入りのzipや携帯実機の音をライン録音したAACファイルなどが配信されている。
その携帯ゲームアプリは色々あるが主要なものは二つ、共に某方二次創作ゲームで、一つ目が2007年より完全無料アプリで作者サイト提供のち2012年までに作者失踪・サイト消失、時期不明にミラー委託サイトの一部有料化にともないこれも有料、私が初めて知った2012年にもDLできた(最近は不明)。
二つ目が2008年にTrial版、のち2009年より随時通常版(無料)とPLUS版が用意されるも、なぜか通常版委託サイトからDLページが消え、上述のゲームアプリ作者サイト消失で通常・PLUSとも新規DL不能となった。
失踪したゲームアプリ作者と件の2015年も活動中のS氏はリアルにも付き合いがあるそうだが、詳しい消息は未だ告げられず(作者失踪と時を同じくS氏も一時的に消えたことがあり、復活が2013年であったがそれまでは同一人物説も・・・)。
二つ目のアプリはかなりハイレベルな作りのゲームで人気を博し、先のゲームからのクオリティ上昇のみならず、プレイの様子を自分で再生(内蔵メモリ・SDカード保存など仕様は不明)したりオンライン=消失サイトのサーバ上で共有する「リプレイ機能(この点は某作曲アプリのサーバ譜面共有機能などとも相似)」まで備わり、他者のリプレイも同様にダウンロード視聴可能であった。
※余談、通常版委託サイト2009年度のアプリ評価では最優秀賞ということだが、選定方式が毎年変わり、過去にはエントリー式で賞金が用意されることもあったが、その年では提供されたアプリが強制エントリーされ、人気投票+謎の審査委員会の最終選考により決まるということだ。ゲームアプリ作者もノミネート後にプレイヤーから知らされたとWeb Archiveに残るブログ記事より確認した。2010年度まで同イベントは商業的な雰囲気がほぼ無かったものの、以降は企業・法人が幅を利かしたスマホアプリが中心で凡庸且つ形骸化したイベント。思えばこの二次創作ゲーが最終選考でも勝ち抜くって、素直に良作を評価する姿勢がある。ちなみに2009年度のノミネート作品の中に、奇しくも某作曲アプリの作者の別アプリが混ざっていた。このイベント関連も現存するページは結果しか載せていないので、概要などはWeb Archiveにて調査した。
といった背景で分かるとおり、R氏はこのゲームアプリをプレイしたり、またその同人作曲家さんを見てロゴアイデアがインスパイアされたものと邪推する私だが、この情報ではそれと結論が決まらない。
背景で闡明にすべき曇りが「左(S氏)のロゴが完成し公開された時期」である。
左ロゴは辿っても(9)時代登録のニコニコ動画で最初からこのロゴをアイコン指定していたと見ており、右R氏のロゴは、先述の通り2009年4月頃とニコニコ動画の投稿動画から確認できている。
色々調べても、S氏のHPは2013年以降出来たらしく、2010年の動画にはゲーム作者のHPに誘導する文言のみ見られたため、個人的なスペースは同年中には(9)時代登録ニコニコ・3月登録Livedoorブログや2009年6月登録のTwitterなどが見られる。
何にしても、たまたま両者の活動が携帯コンテンツに絡む音楽活動といった点が似ているだけで、片方が片方のロゴを模倣したなどとは言い切れず、偶然似ただけかもしれない。
続いて、これらのロゴの類似性を、より掘り下げて検証してみたい。
そもそもアルファベットの字形がどう似ているか、線をクルクルと伸ばしたアートである。
しかも複数のそのような形状の文字を斜めに重ねているのだから、それだけで酷似ともいえ、本来の文字そのものが挿げ替えられただけとも言える。
すなわち、左は"SP"、右は"RM"と描かれ、その文字が指すところは彼らの活動名やサイト名などの頭文字である。
元の単語は個人名であったり、一般名詞を後続させたりといった具合だ。
その"SP"と"RM"という文字の特徴をつぶさに見ると、同じ人がデザイン=既製のフォントがあることが推測でき、その仮説を検証せねばならないと思った。
よって、手始めにGoogle画像検索にドロップすると、全く同じ字形を含む画像がいくらもヒットしたものの、肝心のフォントを紹介するようなページは皆無だ。
ヒットした画像で再検索し続けても見当たらない。
だが、それだけ多く同様の字形が用いられていることから、やはり既成のフォントの存在はほぼ証明できたとしておく。
実は画像検索をしてからも"SP"ロゴの"P"は判然としてなく、RやGやLやQ(瑣末順)、あるいはCとLの複合など、様々な憶測が浮かんでいた。
もちろん、同じフォント説も同時に断定できておらず、そのために"RM"でRという字が使われているわけだから、"S[?]"の[?]がRと見てSも"RM"とは違うフォントの可能性も考えていた。
要するに"SP"説は当初活動名の一般名詞箇所の頭文字として支持されたが、検索を重ねて大文字Pを含むがヒットして、ページタイトル画像内の単語が合致したから"SP"説が固まった。
まあこの話は、あまり経緯が読者にはごちゃごちゃとなりかねないため、ここで終える。
そうしてSP説が固まる7月18日以前の7月15日で"MSG"と書いてある画像がヒットしたので、加工して別個検証画像を作成した。
7月18日に大文字Pを付け足したが、設置場所は残念な扱いとなった。
この英字フォントの使用状況は多言語に渡り、英語以外では.ロシア語やbrドメインのポルトガル語などが主にヒットする傾向がある。
日本のサイトは少々出るくらいであった。
肝心の英字フォントの名称・詳細については、当記事投稿までに見当たることは無かった。
某QAサイト内をGoogle画像検索「フォント」で調べても似たようなフォントは見られず。
今回の一連の調査には、画像検索時の急迫感は去ることながら、Web Archiveで今はもう淘汰された委託サイトの旧時代アプリページや、件の消失したHPなどを見ていて哀愁が感じられた。
儚さから感傷に浸る面も多々あったし、今でもゲーム作者の最後の更新となったTwitterやブログは2011年より止まっているが、最初に私が覗いたのは2012年5月のことだった。
ブログでは2010年よりiPhoneアプリ開発の話が増え、意気込みも空しく公開できる形にならないまま2011年12月に残った最後のツイートに「疲れ」という単語が不穏な予兆を仄めかすようで、何だか寒気がする内容だった。
活況を極めても儚く消えるサイト・らい○ちゃんなどの人々、これも良いが、某アプリ関連は古い時代からのシステムをそのままに(2011年3月の一部アプリ有料化は別)今なお生きながらえていて、これも良い。
また、微々たる進化を経ながら制作を続けるS氏のような例も良い。
似たような人やサイトがあって、それぞれ魅力を感じるかはコンテンツの良し悪し次第。
この辺の美学は「インターネット考古学」記事から読者にも知ってもらいたい。
この度ゲーム作者のTwitterを覗くと、ツイート無きままプロフィールにニコニコマイリストのリンクが、なんと同氏の名で投稿されたパ○ドラのプレイ動画だけ、アカウントは(γ)時代登録。
何も言えなくなっていつの間にか変なゲーム漬けとなって、別の意味で悲しいが、こういう制作を辞めて遊びオンリー(某携帯作曲者たちの中にも、PCを持て余しながら2014年以降艦○れの画像ツイートばっかなどゲームの話題しかせず、DTMさえ放棄した本分忘失の抜け殻が多い)に転身する人はこの数年で激増しているため、「またこのパターンか」と思うしかない。
そんな中、細々と今でも作曲しているS・R両氏はなんと良い心掛けであろうか。
勝手な憶測になるが、もしかしたらS氏は意図的にこの堕落したゲーム作者さんのことを言及していないのかもしれない。
見る人の憧憬を集めて止まない素敵な歴史がブチ壊しになることを懸念して、興味を持つ各々の判断に委ねた、と。
多くの人は落胆して、私などは幻に消えたままの方が良かったのではないかと思う。
iPhoneアプリ開発の意気込みもどこへやら、という点は某携帯アプリ開発者が2011年3月の有料化以降Androidアプリに専念して2012年にはその開発も放棄し、2013年8月にサーバ維持費の愚痴をこぼし、2014年末から自前ブログの更新も止めた経緯と酷似している。
同開発者のことは某所で幾度と詳述したが、ここで少々、2003年のサイト開設以後、ある年には年間数十本もの無料アプリを開発・配布したような、才技充足にして生産性に秀で00年代においては比類なき逸材、能く利用者の声を聞いて邁進していたが、昨今の趨勢の中でも比較的初期の堕落者入りをしたのかもしれない。
長く続けてきた以上、その分に志を失いやすいのかもしれないし、サイトが現存するだけ他所より丈夫(今年の5月26~30日や6月12~16日の間はサーバ応答不能)な方だが、この落差は濁世の趨勢に気付けていない2013年に目を丸くしたものだ。
・・・・・・何か荒れた話題で文字数が増えて罪悪感が。。。
私が興味を持つ人物は2011年以降は悉くマイナーな者たちとなるが、作品にしてもそういった傾向がある。
もう一点言いたいことは、当記事で取り上げたS・R両氏が活動の形態と象徴のロゴデザインに強い類似性が見られたように、作品であってもこの傾向が見られている。
2013年7月に初プレイの某フリーゲーム(終盤参照)と、2014年11月3日に初めて読んだ某小説には、固有名詞からストーリーの一部分において、他に例の無いような類似性を持つ。
あらかじめ言うと、某小説が2004年4月に更新を始めてから、下記情報の更新分は2010年以前に全て出し切っており、某フリーゲームは2009年以降に制作が始まっている。
固有名詞には、小説中の人物に「ライズバード」という姓や、姓不詳の「イーファ("Aoife"ってアイルランド名?)」というキャラもいるが、これは某フリゲに「北ライズバート大陸(ドが清音)」や、「ルクスイーファ地方(とある大陸の極東に位置する"Far East"の略と解釈?)」といった、特に「ライズバート・ライズバード」など他作品では被りようも無い類似名がある。
某小説の一部ストーリーの描写で、「転移魔法を行使したら見知らぬ氷雪の大地に飛ばされた」とか、「酒場でミルクを頼む(一部ジャンルによくある描写なのかもしれない)」だとかがあるが、そういったシーンも某フリゲに登場している。
他にも類似点を挙げればキリがないものの、肝心の両者のジャンルというと、某小説は某人気RPGシリーズ(主人公含む多くのキャラに名前がついていない)の二次創作であり、某フリゲもまた複数のRPG要素が詰め込まれたARPGで、もしかしたら在りし日(総票数2538の第二回人気投票が盛りだった2008年頃とか)には読んでいた可能性がある。
確かに、どこどこがどう似ていると云々するのは気持ちが悪いと思われる方もおろうが、私としてはたまたま見ていた作品にネット検索で他作品への客観性を問えど無し、という稀有な共通点を見ると、一方がもう一方の影響を受けたのではないかと思わずにはいられないものだ。
よって、某フリゲ作者個人についても調べるか、あるいは人気投票公開コメント欄や小説付属掲示板などに似ている半値の人を探すなどが具体的だろう。
ともかく、私が興味を持つ人物・作品などは、何か不可解な共通点がある奇跡を知らしめたい。
8月1日、軽い追記、どうも日本時間7月30日(July 29th)に当該フリゲのファンによる英語翻訳版が出回り始めたようで、作者が日本時間で即日ツイートして告知していた。
私も早速プレイして仔細を思うに、オリジナル固有名詞の類の訳に感心する点が多々あったが、いくらか原作者と相談はあったのだろうか(元ゲームの仕様自体、他者がデータをいじるのは難しい印象が元々あり、それが事実であれば最低限データを送る等のやり取りが必要)。
その翻訳版によると、ルクスイーファは"Luxefa"と表記されている。
このゲーム関係は毎年7月に何かしらの動きがあり、公式初リリースが2012年7月、私の初プレイが先述の通り2013年7月、続編のアップデート(小規模アプデ含めても1年半ぶり)が2014年7月、そして今年は7月末になってこの英語翻訳版が登場した。
来年の7月で、前回大幅アプデより丸2年となり、また何かあるといいものだが、何も7月にこだわらず、今年中でも良い。
変に7月に出す習慣がついて、完成した作品を次の7月まで出し渋るのは良くないからだ。
2015年7月10日金曜日
歯磨き粉などに多量配合されているミント系の成分と辛みの刺激
1階キッチンの棚に、月曜日=2015年7月6日の買い物で買われたと見られる某PVの洗口液(マウスウォッシュ)が置かれていた。
1本あたり480mlと、一般的なペットボトル相当の内容量で、ボトルの形状が太めである。
この図体には目を引かれるところがあったが、少し前まで同じ場所に置かれていたのが小さい緑のモンダミンであった。
「アルコールが微量配合され、口内に残る」との注意書きを読むと、近頃母親がお酒(日本酒・ワイン・俄かに大量のウイスキー等)をあまり買わなくなったという傾向を自ずと感じさせてくる。
私は1回分の使用量を試そうと思ったが、過去にあった洗口液は、この家で私の試用の例が無い。
小2~3に初めて試したことはあったが、その頃きりであったと記憶する。
1回分の使用量は10mlということで、キャップの分量線は20mlを数えられても、その最低使用量10mlを守って口に含んだ。
飲む前のイメージとしては、科学的な甘みをイメージしていたが、口に含んでみるとそれにも増して辛みの刺激が強烈だ。
30秒間含む、という用法が書かれてあるが、実際の私は20秒余りだったのではないか。
舌に触れないよう、申し訳程度にグチュグチュしてから吐き出した。
※後でラベルを見返すと、これでも刺激が苦手の方向け、ソフトタイプらしい。
ここで思うに、その辛みとは言うまでも無くミント系であり、これは歯磨き粉と同等以上の刺激を感じられた。
私が大人向けの歯磨き粉を使い始めたのが小1頃かもしれないが、少なくとも小2の時のある日に、各児童が家の歯磨き粉を持参する歯磨きの講習授業のようなものがあって、近くの席の児童は私が持参した緑色のクリアクリーンを見て「大人の使ってるの?」と話しかけられ、周りを見ると確かに小ぶり・赤(イチゴ)などの子供用歯磨き粉が主立っていた。
「ふぅ~ん、まだみんなそんな年なんだぁ」と内心は半信半疑であった。
且つ、小学校の頃は歯磨き粉を使用で舌を磨くこともあったほど、あの辛みに恐れはあまりなかったわけだが、今では味覚が狂うのではないかという警戒が強い。
故に今なお歯磨き粉を使用して歯を磨く習慣が普通でも、あの刺激への恐怖心と、ミント味の残りで後の食事が一時まずくなる不快感から、舌にはあまり付かぬよう注意深く行っている。
前述のように、小学生の時なら気にならないばかりか、身の毛もよだつ舌磨きが行えたものだ。
余談だが、歯磨きの歴史・14~16歳途中までは半年以上歯を磨かないこともしばしばあったが、いつからか歯を磨くように戻ったのは「口唇裏と歯の神経疎通に伴う口内炎歯痛(日記メモ2015/05/13を参照)」をただ虫歯による歯痛と誤解したことによるが、歯の汚染度は小学生の時の黄ばみから大して変わっていないし、虫歯なら当然あるはずもなく、歯を汚さない食事ほか普段より自浄作用が効いている。
また歯磨きするようになってから1年近くは歯磨き粉を使わないで磨いていたため、歯磨き粉の使用再開は今年に入ってからの可能性もあり、その為に最近になって洗面所に置かれた歯磨き粉が無くなって、日記メモ6月24日注釈2のような話題もあった。
続いてネットで、歯磨き粉のミントの辛さや、舌への影響などを雑に調べてみたのだが、こういった物・感覚のような事象は例の如く無関係な検索結果ばかりヒットして、私と同様の考えの載ったページが皆無であり、徒労。
中でも目立つのが「チョコミントアイス」なるものについての、下品な見出しや文言(双方が侮蔑の意図で味覚障害・貧乏舌などという語彙を用いる)のまとめサイトなど。
この「チョコミントアイス」については、上の弟がまだ幼稚園児の年頃・・・もっと言えば埼玉県与野市の市域に住んでいた頃(2004年の頭が果て)にまで記憶を遡ることができる。
近所のドラッグエンスストアの買い物で、毎度のようにあの弟が選んで食べていた。
あの弟については、その与野期に私が苦手だったピーマンなども好んで食べるなど、幼児としては嫌わず何でも食べるようであったが、あの弟が小学校に上がって時間が経つにつれ、かえってピーマンなどを嫌い、チョコミント味のアイスも食べなくなっていった。
このような逆に進む・・・食の好き嫌いが退行する現象は、学問的に説明がつくのだろうか。
幼少には種々の執着なくして、肉体の成長に反して諸々の幼稚化が進む?
あの弟の経緯については疑問が多いが、これもその一つに数えられる。
ミント系の味については当記事のほか、過去には菓子を中心として触れたこともある。
執筆日(2015年7月8日)の軽い日記→ゴミ出し兼買い物を2時過ぎに実行した。当地・豊橋としては珍しく霧が濃く、明るい時間であってもこの密度ではおよそ100m先の姿かたちが捉えられないだろう。この真夜中にあって、遠い交差点の青信号・通り過ぎた車のランプなどは、道路の歪まぬ先まで鮮明に光を映した。雨がぱらつく近頃にあって路面の様子は、乾いた色になった箇所とそうでない箇所があるが、塗れている箇所は木の枝が真上にあるところで、そこを歩く際には自然と注意が頭上に向く。雨上がりの時は大概地面の水溜りに警戒する私。また、どこまでも様々な臭い、腐臭かはたまた煙のような焦げ臭さも。夜中は常に悪臭が遍満している気がしてならない。
1本あたり480mlと、一般的なペットボトル相当の内容量で、ボトルの形状が太めである。
この図体には目を引かれるところがあったが、少し前まで同じ場所に置かれていたのが小さい緑のモンダミンであった。
「アルコールが微量配合され、口内に残る」との注意書きを読むと、近頃母親がお酒(日本酒・ワイン・俄かに大量のウイスキー等)をあまり買わなくなったという傾向を自ずと感じさせてくる。
私は1回分の使用量を試そうと思ったが、過去にあった洗口液は、この家で私の試用の例が無い。
小2~3に初めて試したことはあったが、その頃きりであったと記憶する。
1回分の使用量は10mlということで、キャップの分量線は20mlを数えられても、その最低使用量10mlを守って口に含んだ。
飲む前のイメージとしては、科学的な甘みをイメージしていたが、口に含んでみるとそれにも増して辛みの刺激が強烈だ。
30秒間含む、という用法が書かれてあるが、実際の私は20秒余りだったのではないか。
舌に触れないよう、申し訳程度にグチュグチュしてから吐き出した。
※後でラベルを見返すと、これでも刺激が苦手の方向け、ソフトタイプらしい。
ここで思うに、その辛みとは言うまでも無くミント系であり、これは歯磨き粉と同等以上の刺激を感じられた。
私が大人向けの歯磨き粉を使い始めたのが小1頃かもしれないが、少なくとも小2の時のある日に、各児童が家の歯磨き粉を持参する歯磨きの講習授業のようなものがあって、近くの席の児童は私が持参した緑色のクリアクリーンを見て「大人の使ってるの?」と話しかけられ、周りを見ると確かに小ぶり・赤(イチゴ)などの子供用歯磨き粉が主立っていた。
「ふぅ~ん、まだみんなそんな年なんだぁ」と内心は半信半疑であった。
且つ、小学校の頃は歯磨き粉を使用で舌を磨くこともあったほど、あの辛みに恐れはあまりなかったわけだが、今では味覚が狂うのではないかという警戒が強い。
故に今なお歯磨き粉を使用して歯を磨く習慣が普通でも、あの刺激への恐怖心と、ミント味の残りで後の食事が一時まずくなる不快感から、舌にはあまり付かぬよう注意深く行っている。
前述のように、小学生の時なら気にならないばかりか、身の毛もよだつ舌磨きが行えたものだ。
余談だが、歯磨きの歴史・14~16歳途中までは半年以上歯を磨かないこともしばしばあったが、いつからか歯を磨くように戻ったのは「口唇裏と歯の神経疎通に伴う口内炎歯痛(日記メモ2015/05/13を参照)」をただ虫歯による歯痛と誤解したことによるが、歯の汚染度は小学生の時の黄ばみから大して変わっていないし、虫歯なら当然あるはずもなく、歯を汚さない食事ほか普段より自浄作用が効いている。
また歯磨きするようになってから1年近くは歯磨き粉を使わないで磨いていたため、歯磨き粉の使用再開は今年に入ってからの可能性もあり、その為に最近になって洗面所に置かれた歯磨き粉が無くなって、日記メモ6月24日注釈2のような話題もあった。
続いてネットで、歯磨き粉のミントの辛さや、舌への影響などを雑に調べてみたのだが、こういった物・感覚のような事象は例の如く無関係な検索結果ばかりヒットして、私と同様の考えの載ったページが皆無であり、徒労。
中でも目立つのが「チョコミントアイス」なるものについての、下品な見出しや文言(双方が侮蔑の意図で味覚障害・貧乏舌などという語彙を用いる)のまとめサイトなど。
この「チョコミントアイス」については、上の弟がまだ幼稚園児の年頃・・・もっと言えば埼玉県与野市の市域に住んでいた頃(2004年の頭が果て)にまで記憶を遡ることができる。
近所のドラッグエンスストアの買い物で、毎度のようにあの弟が選んで食べていた。
あの弟については、その与野期に私が苦手だったピーマンなども好んで食べるなど、幼児としては嫌わず何でも食べるようであったが、あの弟が小学校に上がって時間が経つにつれ、かえってピーマンなどを嫌い、チョコミント味のアイスも食べなくなっていった。
このような逆に進む・・・食の好き嫌いが退行する現象は、学問的に説明がつくのだろうか。
幼少には種々の執着なくして、肉体の成長に反して諸々の幼稚化が進む?
あの弟の経緯については疑問が多いが、これもその一つに数えられる。
ミント系の味については当記事のほか、過去には菓子を中心として触れたこともある。
執筆日(2015年7月8日)の軽い日記→ゴミ出し兼買い物を2時過ぎに実行した。当地・豊橋としては珍しく霧が濃く、明るい時間であってもこの密度ではおよそ100m先の姿かたちが捉えられないだろう。この真夜中にあって、遠い交差点の青信号・通り過ぎた車のランプなどは、道路の歪まぬ先まで鮮明に光を映した。雨がぱらつく近頃にあって路面の様子は、乾いた色になった箇所とそうでない箇所があるが、塗れている箇所は木の枝が真上にあるところで、そこを歩く際には自然と注意が頭上に向く。雨上がりの時は大概地面の水溜りに警戒する私。また、どこまでも様々な臭い、腐臭かはたまた煙のような焦げ臭さも。夜中は常に悪臭が遍満している気がしてならない。
2015年7月6日月曜日
6月30日夜の会話 (と7月2日午前1時半の会話)
6月30日、母親から唐突に「私が入院したとき、自分で歩いて買い物行ける?」と問いかけられた。
今月にわかに動き始めた「心理カウンセラー(6月10日の日記メモ)」の講座との関係性は定かでないが、母親が今まで自分に不利な話になると「ガン」を持ち出すことがあっても、「入院」の語が聞かれることはなかった為、寝耳に水の言葉に訝しさばかりを感じていた。
この話題は、言わば「もしも」のことであり、会話の大筋としては、私が徒歩を前提に少し歩いたところのスーパーに通って買い物できるかという内容である。
毎日学校に通う下の弟に対して、自分にこそ買い物をしてもらう必要があるとのことだ。
「もしも」を真面目に付き合うのは気恥ずかしいところもあるが、その気持ちを断続的に口にしながら真面目に取り合った。
炊事(炊飯)・洗濯など日常の他の行動を加味して、一口ではこの話を済ませられないことを問うてから、それらの疑問については消化された。
毎度徒歩で少し離れのスーパーに通う問題性については、「自転車」等の単語を互いに出さず、当然のことだが、母親から車で時間を掛けずにイオン等へ通えることについて話されたが、私としてもバイクや車の免許を取る意思は毛頭ない(自転車ばかりは半ば欲しげ)。
家に食品を配達するサービスについては尋ねると、やや方向のそれた返答があったので、正しいことを告げると、某業者を例に話された。
結局この路線はナシとして、ネットでの購入を例に取り、クレジットカードの貸与について話された。
クレジットカードについては、ネットでの買い物をしたがった中3の時に一度尋ねたが、断られた経緯があることを示すと、「当時は14・15ほどだから」として、「今なら18歳になっているし」と別に問題は無いと答えられた。
思えば16歳ほどまでは、ネットを介して商品を購入する欲望が強かったものだ。
今ではその方向の知識も廃れていって、改めて考えると知識の穴を感じる。
また、貸与に関して「横領」等の違法性について聞いたところ、母の名が記載されたカードを男性の私が利用して店頭で本人かどうかを尋ねられ、拒否されることがあるとしても、法律的な問題は無いだろうとのことだった。
まあそんなところなのだ、とすぐに受け入れられた。
話の途中で私は、「まだ50歳にもいかない年齢(実際は49)から『入院』などと弱気でいることが問題」と言うと、「ガンを持ってる人に年齢、20代でもいくつでも関係はない」とされた。
ガンのことは、毎度のように診断の概要も伝えられないし、通院・検診なども不明で、投薬・服薬などもなく、無関係の栄養補助食品だとかならいくらでもあるなど、客観的に見ればこの程度である。
ガンのことだけ強弁されても、せいぜい子供騙しだが、その私が初めて「乳ガン」と聞いた小5の時(北海道・紋別遠征時)には、レーザーでの治療の予定など、まだ詳しく聞かされた。
子供が成長するに連れて、親の方が稚拙になってしまっては、まともなやり取りなど叶いもしない。少し飛ばしたところで「私が80まで生きたらあなたも50になる」と返された。
この話になる前にも、近頃私の耳に若くして亡くなる一般人の話が及んでくることを告げていたが、ここでも再度その点について念を押した。
私とそう違わない年、もちろん肉親・親戚だとかの眷属に多く囲まれた年で逝く人たちの中には、私の茨城系の従兄とされる「かずき」さんが25・6歳かそこらで亡くなったことをここでも告げた。
そのように子が親に先立つ「老少不定」の境は近年顕然としており、厭世的にもなろうことは、この辺に聡くない母親にとって知ることもなければ、示されたところで歯牙にもかけないだろう。
具体的な現実で、「かずき」さんのことなどは母親こそ熟知しているのに。
この時にかつての「大成駅(鉄道博物館駅)」付近の診療所に寄った折、母親に聞かされた「左軸偏位」について質問したが、まず返ってきた答えが、私が左軸偏位について言葉しか知らない思い込んで、その感情よりいい加減な説明を始めたので、釘を刺した。
私は「そんな病気の概要なんて知っているから、私の体や大成駅と同関係があるか、私個人の危険性の有無などを教えてもらいたい」と話した。
「心臓にも個性があって」と、私の場合ただ左に寄り気味なだけで、問題はないとのことで、このことから私の思考も「だから幼少の頃に一度きりの言葉だったのかな」と思うようにした。
その他、「親に寄生、パラサイト」などと得意満面で言われたのだが、心外であることを然も的を射たように言われると甚だ心地が悪いものだろう。
だがここで、6月23日の日記メモにも書いた、「親≒神」の考えを元に「親は子を庇護する義務がある」と前置きをせずして、単に「出来る内はこの家に住まい、叶わない時は父親の家を訪ね、父親や上の弟への恐怖心から敷居が高い場合は、どこかの山に登って命の灯火尽きるまで過ごす」とのみ主張した。
この間には曲解からくる放言が聞かれたが、一々には憶えがたい。
私の発言から取り上げるとすれば、「先月・先々月の小遣いは無くてもいい態度でいた(8日の日記メモ)のだから、それが私の金への執着を切り離しつつある証左となるけど、来月(7月)は流石に欲しい」。
この話題で言いそびれたことは「今夏は飲み水で過ごすから、去年と比べてあなたにペットボトル飲料を頼むことも無い」という旨であろうし、他の話題でも多々後悔あり。
少し前まで私を苛んだ欲望を抑えつつあることが伝わりがたい。
故に「それが寄生だよ~」との放言が聞かれたのである。
以上の今回の会話は、全体で15分ほどであったが、終始両脚を開きながらふすまの水平方向に寄り添って引き手に左手を伸ばした姿勢を維持したが、左手・腕の血流は乱れて赤みを帯び、下肢も動き始めの数秒以内は不自由さを感じた。
母親も話の終わった直後に、体について一言漏らしていた。
2015年7月2日の真夜中、午前1時半前にヒョイと始まった一時間半に渡る会話があったが、具体的な内容をはらんだ概況を書くのも躊躇う。
姿勢や事後の身体違和については、先の一件を教訓にしてしばしば変えたりストレッチを心がけたことで、疲れ以外の問題は無かった。
藪から棒に始まった会話で予期できなかったが、元々予定されていた3時以降の外出(ゴミ出し・自販機通い)にはどうにか3時20分前より実行できた。
今月にわかに動き始めた「心理カウンセラー(6月10日の日記メモ)」の講座との関係性は定かでないが、母親が今まで自分に不利な話になると「ガン」を持ち出すことがあっても、「入院」の語が聞かれることはなかった為、寝耳に水の言葉に訝しさばかりを感じていた。
この話題は、言わば「もしも」のことであり、会話の大筋としては、私が徒歩を前提に少し歩いたところのスーパーに通って買い物できるかという内容である。
毎日学校に通う下の弟に対して、自分にこそ買い物をしてもらう必要があるとのことだ。
「もしも」を真面目に付き合うのは気恥ずかしいところもあるが、その気持ちを断続的に口にしながら真面目に取り合った。
炊事(炊飯)・洗濯など日常の他の行動を加味して、一口ではこの話を済ませられないことを問うてから、それらの疑問については消化された。
毎度徒歩で少し離れのスーパーに通う問題性については、「自転車」等の単語を互いに出さず、当然のことだが、母親から車で時間を掛けずにイオン等へ通えることについて話されたが、私としてもバイクや車の免許を取る意思は毛頭ない(自転車ばかりは半ば欲しげ)。
家に食品を配達するサービスについては尋ねると、やや方向のそれた返答があったので、正しいことを告げると、某業者を例に話された。
結局この路線はナシとして、ネットでの購入を例に取り、クレジットカードの貸与について話された。
クレジットカードについては、ネットでの買い物をしたがった中3の時に一度尋ねたが、断られた経緯があることを示すと、「当時は14・15ほどだから」として、「今なら18歳になっているし」と別に問題は無いと答えられた。
思えば16歳ほどまでは、ネットを介して商品を購入する欲望が強かったものだ。
今ではその方向の知識も廃れていって、改めて考えると知識の穴を感じる。
また、貸与に関して「横領」等の違法性について聞いたところ、母の名が記載されたカードを男性の私が利用して店頭で本人かどうかを尋ねられ、拒否されることがあるとしても、法律的な問題は無いだろうとのことだった。
まあそんなところなのだ、とすぐに受け入れられた。
話の途中で私は、「まだ50歳にもいかない年齢(実際は49)から『入院』などと弱気でいることが問題」と言うと、「ガンを持ってる人に年齢、20代でもいくつでも関係はない」とされた。
ガンのことは、毎度のように診断の概要も伝えられないし、通院・検診なども不明で、投薬・服薬などもなく、無関係の栄養補助食品だとかならいくらでもあるなど、客観的に見ればこの程度である。
ガンのことだけ強弁されても、せいぜい子供騙しだが、その私が初めて「乳ガン」と聞いた小5の時(北海道・紋別遠征時)には、レーザーでの治療の予定など、まだ詳しく聞かされた。
子供が成長するに連れて、親の方が稚拙になってしまっては、まともなやり取りなど叶いもしない。少し飛ばしたところで「私が80まで生きたらあなたも50になる」と返された。
この話になる前にも、近頃私の耳に若くして亡くなる一般人の話が及んでくることを告げていたが、ここでも再度その点について念を押した。
私とそう違わない年、もちろん肉親・親戚だとかの眷属に多く囲まれた年で逝く人たちの中には、私の茨城系の従兄とされる「かずき」さんが25・6歳かそこらで亡くなったことをここでも告げた。
そのように子が親に先立つ「老少不定」の境は近年顕然としており、厭世的にもなろうことは、この辺に聡くない母親にとって知ることもなければ、示されたところで歯牙にもかけないだろう。
具体的な現実で、「かずき」さんのことなどは母親こそ熟知しているのに。
この時にかつての「大成駅(鉄道博物館駅)」付近の診療所に寄った折、母親に聞かされた「左軸偏位」について質問したが、まず返ってきた答えが、私が左軸偏位について言葉しか知らない思い込んで、その感情よりいい加減な説明を始めたので、釘を刺した。
私は「そんな病気の概要なんて知っているから、私の体や大成駅と同関係があるか、私個人の危険性の有無などを教えてもらいたい」と話した。
「心臓にも個性があって」と、私の場合ただ左に寄り気味なだけで、問題はないとのことで、このことから私の思考も「だから幼少の頃に一度きりの言葉だったのかな」と思うようにした。
その他、「親に寄生、パラサイト」などと得意満面で言われたのだが、心外であることを然も的を射たように言われると甚だ心地が悪いものだろう。
だがここで、6月23日の日記メモにも書いた、「親≒神」の考えを元に「親は子を庇護する義務がある」と前置きをせずして、単に「出来る内はこの家に住まい、叶わない時は父親の家を訪ね、父親や上の弟への恐怖心から敷居が高い場合は、どこかの山に登って命の灯火尽きるまで過ごす」とのみ主張した。
この間には曲解からくる放言が聞かれたが、一々には憶えがたい。
私の発言から取り上げるとすれば、「先月・先々月の小遣いは無くてもいい態度でいた(8日の日記メモ)のだから、それが私の金への執着を切り離しつつある証左となるけど、来月(7月)は流石に欲しい」。
この話題で言いそびれたことは「今夏は飲み水で過ごすから、去年と比べてあなたにペットボトル飲料を頼むことも無い」という旨であろうし、他の話題でも多々後悔あり。
少し前まで私を苛んだ欲望を抑えつつあることが伝わりがたい。
故に「それが寄生だよ~」との放言が聞かれたのである。
以上の今回の会話は、全体で15分ほどであったが、終始両脚を開きながらふすまの水平方向に寄り添って引き手に左手を伸ばした姿勢を維持したが、左手・腕の血流は乱れて赤みを帯び、下肢も動き始めの数秒以内は不自由さを感じた。
母親も話の終わった直後に、体について一言漏らしていた。
2015年7月2日の真夜中、午前1時半前にヒョイと始まった一時間半に渡る会話があったが、具体的な内容をはらんだ概況を書くのも躊躇う。
姿勢や事後の身体違和については、先の一件を教訓にしてしばしば変えたりストレッチを心がけたことで、疲れ以外の問題は無かった。
藪から棒に始まった会話で予期できなかったが、元々予定されていた3時以降の外出(ゴミ出し・自販機通い)にはどうにか3時20分前より実行できた。

