2015年3月24日火曜日

怜悧で尊大な小学生による、痛烈な裁きの喝破

G+における3月12、16日メモを原文に起草。

小学生の頃、咳(くしゃみ)や鼻水、腹痛などは割と頻発したものではないか。
殊に私は鼻水がティッシュ一箱300枚(構造上2枚で1組をなしているので150枚とも言う)なら、私一人で3日~1週間以内に使い切った時期もあっただろう。
尚且つ、一枚を余すことなく鼻水塗れにさせるほど使っても・・・

それは余談だが、これらの諸症状は一見、子供の場合取るに足らないものの、大人だと些事には思えないようだ。
嘗ての私も腹痛くらいは食後に稀にあったところで、下痢に至ることはなかった。
それが今では、下痢になる腹痛とならない腹痛の区別が付きやすくなるほどに下痢や便秘に悩み続けている。
多くの大人や今の私も少しばかり、腹痛の発現には当時以上に不安を強める。
「子供の身に起きようものなら上記の諸症状は恐ろしい」と思う大人が多いことも、今時の私から違和感が消えつつある。

教師等から大仰に身を案じられた際、子供の時の感覚に現在の言語的な装飾を加えれば、「これしき物の数ではない。それに子供であれば、幼児期より病原体を自身の防衛機能で御する経験の反復により、後々の免疫力を向上させることにもなる。稀に、反復させてもそれが叶わず、ただ生まれもって病弱のままに育つこともある」と言うのではないか。
その「病弱のまま」という人間は、今の私のことでもある。
咳や鼻水こそ昔の比ではないが、皮膚(ニキビ・痔瘻)や大腸(便秘・下痢)の問題は当時の自分が到底危惧し得ない領域である。

ちなみに鼻水といえば、2月のいつより、下の弟の鼻を啜る音がやたら聞こえるが、さながら豚の啜り泣きである。
あの弟の足音も豚並みで、アレの音も豚同然であるが、何をとっても豚に酷似している。



他に、嘗て返答に窮した類似の状況を思い出したので同様に書いてみる。
小4二学期、転校したての学校で、何かの薬を飲んだ時のこと。
職員室の隣の狭い部屋か、母親と男女教師1名ずつ居合わせていたのだろう。

紙コップに汲まれた水をまず僅かに口に含ませて錠剤を口に放る。
残りの水を口に流して飲み込む。
この一連の動作に男性教師(教頭?)は「変わった飲み方だね」と言う。
母親も、予期しない息子の行動に困った顔をしていたのだろうか。
その時は私も「そうか」という感想を持って、何らかの返答をしたのではないか。
その内容も、思ったような言葉にはならなかったはず。

もし、今の私の思考が介入すれば、こう返答する。
「一口目は、口内を潤す目的だ。確かに普段はこういう飲み方をしないことが多い。母親もそういう教育などは私にしてはおらず、不意に生じた自由意志であるが、私の流儀に余人が指図する権限はない」と怜悧に答えていただろう。
児童の身で教職員らにそんな尊大な対応がなせるのかは別の話。



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