2015年3月27日金曜日

3月22日に「白癩」について色々と調べたこと

2015年3月8日、呵責謗法滅罪抄を拝読する中、「白癩病」という言葉が書いてあったので、何を指す言葉か調べたが、「ハンセン病」の古い名称とだけ、その時は知った。
同時に「霍乱」という言葉も同書から調べたが、奇しくも同日中に「病草紙」という絵巻も調べていて「霍乱の女」なる絵があることも知った。

過去にこの「病草紙」は、1月中あたりに「尻に穴多き男(痔瘻)」という絵を見て、衝撃を通り越し「非現実的」と印象を持ったのだが、この3月8日に気になってついに検索した。
というのも、慢性的な痔瘻に呆れていた私が、2月16日に痔瘻の構造「肛門小窩から管を通して体表へ繋がっている」ことを知って以降、どうにもこの絵が気になりだしていたからである。
要するに、痔瘻は直腸と繋がった管を通って尻の毛穴より膿が排出される仕組みだが、この「尻に穴多き男」は膿ではなく糞が漏れているのだ。
鎌倉時代初期でも、案外、医学的な根拠はあるのかもしれない。

※私の尻・臀部にある症状を、私は痔瘻だと思っているが、実際のところ、ニキビ的な腫れであり、正しくは「粉瘤」と呼ぶのかもしれない。未詳。



「病草紙」はさておくとして、今回はこの「白癩」と「ハンセン病」について2015年3月22日に調べたことをまとめたい。
3月半ば、とある創価学会員の有志(50代以上の男女数名)によるサイトの付属ブログを閲覧していたが、ハンセン病云々の記述があった。
その記事は、仏法と割と遠い芸能の話メインである。
この時私は「日蓮大聖人の御書で、ハンセン病=白癩がどう扱われているか、彼らはご存知か?」と思う反面、彼らはおろかまず自分自身があまり詳しくない。
この時に起こったこの疑問が、3月22日までずっと引っかかり続けていた。
※当該ブログでは密教由来の「臨兵・・・」について謗法の見地に立たず語っていたり、3.11を「忘れまじ」と言っていたが、動詞の連用形に助動詞"まじ"は文法的に付かないことなどを知らないのにかっこつけて使う。18歳無宗教の私より教学の浅い学会員だという印象を持った(私が浅学なのか?)。例えば密教由来の話を書くことが例え宗教面を含めたものでないとしても、公式に学会員という体裁なのだから、実に不適切な場面であるかを気づいたほうがいい。

3月22日1時過ぎに「國體護持塾」という組織のサイトにいつ以来だかアクセスをし、手始めに、最新のコラムを覗くことにした。
思わぬ人名「忍性」、「日蓮」を見て、体に電流が走るが如く瞠目した。
まさか神道よりの組織で、仏教の、それも鎌倉仏教の話があるとは予想し得ない。

しっかり読み進めると、この忍性さんが当時差別の強かったハンセン病の患者に対して嫌忌せず、数々の救済・奉仕を行ったと書いている。
同時に思い出したことは、「忍性=極楽寺良観が名利のために偽善活動をしていた」という日蓮御書の何かを参考にして書かれた某ページ。
同コラムでは浄土教の聖典「法事讃(中国・善導さんの書)」についても触れていたが、これも真宗大谷派が過去にハンセン病に関する謝罪声明を出していたこと(3月8日Wikipedia「無癩県運動」を見た時に頭の片隅に止めていた)と関係があるか、改めて調べたく思った。



このように私は、色々な前知識を残しながら、様々な因果の絡み合いを一つにまとめた。
軽い冗談で「ハンセン病とは、最近のトレンドなのか?」とも呟きながら。

私を含む若い世代の大半は、こういった古めかしい難病の類に興味を持たない。
教育現場で被差別部落問題などが示されても、あまり現実味がなく、子供の関心は皆無。
上学会員ブログの段でも書いたが、彼らが壮年・婦人部あたりの者であるなど加味して、少なくとも40歳以上の世代から関心が強まるのであろうか。

私は、現代の社会事情を鑑みるに、今時は先天的な知的障害こそ重要視すべきと唱える。
下の弟が当事者で、私が近縁の者だから興味が強いという点もあるが、事実ハンセン病患者の療養所云々は東本願寺の広報(?)にも「加速度的に閉鎖続く」とある(後年これを再確認したが記述がどこか不明なのでリンク先『真宗2014年8月号』を見る必要は無い。真宗という名のハンセン病広報誌か何かはリンク先がインターネットで最後の更新のようで以降の月号は見られない)
一方の特別支援学校は、人口漸減地域や過疎地でも開校は相次いでる。
詳細は多くの過去記事で触れている。
少子化のご時世、世間の不安を尻目に、逆説的な増加を厳然と見せているではないか。
古めかしい難病よりも、晩産化に伴う広義の知的障害児の相対的・絶対的増加などは普遍的且つ深刻な問題だと、古い世代に一喝しておきたい。



余談も早々に切り上げ、調査した経緯について入る。
國體~さんのコラムに法華経の典拠で「普賢菩薩勧発品」がカッコ内に引かれていた。
まず、試しにその経文の有無や、日蓮さんの御書における記述を探した。
確かに普賢菩薩勧発品において「此人現世・得白癩病(此の人は現世に白癩の病を得ん)」という経文を見つけ出すことができた。
御書においても、複数の書に同文が引用されていることを確認。

色々と調べて、仏典や文献などから詳らかであるページはこれ。
   →http://www.geocities.jp/libell8/8byakurai.html
御書での用例も、他の書物の記述も、ページ下段に年表でまとまっている。
後に他に見たページで「題目が白癩病の薬」とあったような?の文証は、「撰時抄」にあった。
大聖人サマ~は、大慈大悲の主師親であるし、例え謗法の果報として発症するとされる病気にも、お題目の力で治さんとされるお心遣いをお持ちになっている。
もう一点留意されたいのは、同ページで「白癩」の多義性に関して重ね重ね綴られている点で、別の症状をハンセン病と混同した例や、何か重病などを単に「白癩」と呼称した例など、細かく分析されている。

続いて、浄土真宗の近年までの確執に関する調査。
このページを軽く目に通した。
   →http://www.mognet.org/hansen/japan/shinshu01.html
2ページ目まで速読していると、「親鸞聖人」や「証如上人」という表現が目に付く。
日蓮も忍性も叡尊も敬称略なのになぜだろうかと、本文の外を確認すると、この文章自体が浄土真宗本願寺派の人による著述だと知る。
また、同ページの記述は、2003年の冊子から引用したものであることも窺い知る。
筆者を別途検索すると、筆者自身のHPの他、「脱カルト協会」という、見覚えのある名前が。
これもつい今月知った機関であるが、学会員ブログを見た日と近い時期のこと。
その時に理事メンバーのページを眺めていて、「日蓮宗(代表者の所属する立正大学も身延派日蓮系の大学)・浄土真宗・キリスト教の人が多く、あるいは教団に入らない各界の専門家も起用しているのだろう」と感想を持った。
再度同ページを見ての通り、本願寺派筆者さんも理事メンバーに名を列ねている。



どうしてか、最近の勉強が一つに繋がってしまう。
俺が知る世界は狭いが、広くもある。
広い世界の真理を悟って、狭さを覚る。
いや俺、勉強のしすぎだよね、それはどうでもいいけど。
勉強して、こういう経験が慢心生んで増上慢たらしめちゃうよ~。

※大聖人サマが忍性(良観上人)を偽善であると非難した所以は、「生ける草をも切るな」と弟子に唆す割に、法華経の正法を弘めた日蓮によって生活が危ぶまれんとすれば他宗と共謀して権力者に讒訴するなどして流罪・死罪に陥れんとした為、と複数の御書から見られる。

他に日蓮系の話で、大石寺9世法主日有上人の癩検証の記事12ある。
真偽の判断は私にはしかねるが、これも最新2015年3月の記事のようなので一応リンクする。
日有上人の下部温泉湯治に関する他の情報はこれくらい。
またも初耳情報で「温泉宿でたくさんの子供を見た上人が一人弟子を取りたく願い入れると、宿主は嘘をつき、自分の子供はこの中の一人で残りは他所の子であると断ったら、その宿主の家系は子供が一人しかできなくなる。子孫の代が困った末に上人の墓参りをして先祖の嘘を懺悔したら、子沢山になった」という昔話が書いてあるが、どの文献が出所か気になる。
この時に申し出を受け入れ、子供を差し出そうとしても子供がみな連行されることを嫌がるか、偽らず正直に断っても堕地獄の業因となるのか。

それと3月26日23時、たまたまイタリア語に御書を翻訳してるブログサイト(SGI系?)を見つけたが、イタリア語をはじめ、英語などの外国語では「白癩」は如何に訳されるか。
そのまま「ハンセン病」と書けば、差別だとの誤解が生まれかねないため、別の言葉に置き換えてることは容易に想像がつくが・・・
調べてみると、英語版御書を掲載してるサイトには、呵責謗法滅罪抄と思しきページの対応する箇所に"White leprosy"とあった。





追記: 2015年5月25日
某学会員ブログの「忘れまじ(〇忘るまじ、現代語で忘れまい)」という文法的におかしな件について触れたが、この「忘れまじ」の起源はどうにもセンセー作詞の会歌か和歌らしいことを学会系怪文書見ているときに気付いた。
センセーは、3代会長就任時も「執り行わさせて頂きます」という言葉を発したが、これも「執り行わせて」でよく、「さ」は不要であったりするが、こっち系では「させて頂く」フレーズが定着しすぎて昭和30年代にも「さ入れ言葉」があったと見受けられる。



0 件のコメント:

コメントを投稿

当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。