2016年8月25日木曜日

三大宗教の「慈悲」観を比較する

※敬語使用の背景は察してほしい

諸宗教にはない「空」の思想こそが平和の原理

宗教はアヘン"Die Religion ist das Opium des Volkes"・信仰の意味は無知"Glauben heisst Nicht-wissen-wollen"」という西洋哲学者などの言葉は、キリスト教を念頭に置いて発されました。
これは、キリスト教やイスラム教などの一神教についての非難としては的を得ていましょう。
ただし、私としては、西洋において宗教や信仰全般を否定した、仏教を知らない多くの西洋哲学者の思想なども、一神教の教義と同様に愚昧なものと思っています。

さて、キリスト教やイスラム教が説いている慈悲とか慈愛とか博愛など(mercy, pity, love, kindness, compassion, agape)は、単なる精神論の美徳であり、空虚・空理空論です。
後述のように「慈・悲"Ji Hi = Skt: Maitrī Karunā"」はもっと奥深い概念でしたが、明治時代以降でしょうか当時の日本人はキリスト教やイスラム教の"Mercy"や"Compassion"ほか"Love"の類に「慈悲」を訳語として当ててしまいました(「戒・律"Kai Ritsu = Skt: Śīla Vinaya"」という言葉も漢字の意味からするとイスラム教の概念に訳語として当てては不適切)。
過去に宗教戦争を起こし続けたキリスト教は、第二次大戦後に盲目的な慈悲を説き続けて過激派を生む素地を整えてしまいました。
現況のキリスト教が説く慈悲などは、悪をも悪のまま助けてしまう紛い物です。
そこに、アッラー"Allah"を飾りあげる(Al Rahmanという異名)ための軽薄な慈悲を説くイスラム教の中から、無慈悲な過激派が忽然として勃興しています。

現在の様相は、まさに近現代キリスト教の思想的支配(多文化共生・宗教多元主義・人権尊重・人道主義・合理主義・民主主義・リベラルなど)が根本原因であると知らねばなりません。
過去の巨大戦争への(極端で自己陶酔の)反省をし、(自己陶酔のために)良かれと思って行い続けた人道支援やイスラム教への寛容な姿勢が、かえって過激思想の広まりを助長した事実です。
宗教という心を重んじても、ただ現世的で世俗的な物的支援ばかりで、彼らが奉じるところの西洋的な教育(イスラム主義を奉じた過激派が蔑視する)は不十分でしたので、過激思想を抑制することはありませんでした。
イスラム教徒・ムスリムとなる選択は、西洋的な教育を受けた後、「信教の自由」に任せて選ばせればよかったのでしょうが、それも実現が難しかったことでしょうか?

これからもほくほく顔を浮かべたローマ教皇(法王)・フランシスコだとかのお偉いキリスト教徒や、その走狗の如きEUなど人権屋、更に日本・世界中の識者さまが自覚しないうちは、今後とも悪を生み出すことでしょう。
彼らは高座ですまし顔でいられ、一部キリスト教徒やイスラム教徒が協調の姿勢を見せても、争いの当事者である下層の民衆やEU域内の移民・難民やテロリストなどの間では、軋轢が強まり、争いの火種が絶えず生まれ続けます。
虚栄の慈悲はかえって他人の悪を増長させる・・・「自由」や「放任」とは、決して過保護だとか好き勝手にさせることを意味しません。



私が奉じる仏教は、色んな教理に裏打ちされた「慈悲」を説いています。
「慈・悲"Ji Hi"」の字義を簡単に言えば、「慈」は思いやり、「悲」は哀れみであり、英語で言えば、"Benevolence"と"Pity"を合わせたような言葉です。
片方の英単語の意味だけでは足りません、両方の意味を合わせた単語です(「戒律」もこれで一つの意味ではなく「戒・律」という別の意味のある漢字を2つ合わせた単語)。
「慈悲」の字義から言えば、個人的には"Loving-Kindness"という通常英訳が適切と思いません(MaitriとかMettaといったサンスクリット語・パーリ語も実は"慈"の意味しか含んでおらず漢語の"慈悲"という四無量心・四梵住のうちの2つの概念を言うには不足がある)。
漢語では「抜苦与楽(苦を抜いて楽を与える)」と言われますが、この場合は「抜苦」が「悲」で、「与楽」が「慈」です。

また、「不生不滅」だからこそ「慈悲」です。
「不生不滅」といった「空」を知ってこそ、慈悲や信仰などの精神や実践は活きていきます。
「空」とは、キリスト教にもイスラム教にも強調されることのない真理の一つです。
大阪の覺應さんや大阪の英俊さんなど、彼らは「空」を理解しつつ、慈悲が大切であるとよく訴えられています。

苦しみの性質を説いた「縁起」、その苦しみを構成する事物・苦しみを受ける生命など「縁起」にとらわれる全ての事物・生命が「空」であり、それを知って自分の苦しみを捨て、「空」が根付いた「慈悲」で他人の苦しみを除く(除こうとする意志)、という点で、自他が苦しみから離れるには「空」と「慈悲」のどちらも必要です。
その関係性は飛行機の両翼とエンジンや、建築物の基礎と柱や、建材と金具(枘鑿・ぜいさく)の関係と似たようなものです。
こうして堅実に理解を積み重ねなければ、苦しみの呪縛は永く続き、解脱は到底ありません。
よって、一つでも欠かして進ませれば、手抜き工事の建築物のようにどこかで瓦解しましょう。
※今ご覧のみなさんは今すぐに「空」に関わる教理を解せずとも、一応そういうものと認識してくだされば理解できない文章でもありません。また、深い理解を求めれば、読んでいきなり達成できるはずもないため、ひとまず全文を読んで考え直しましょう。

私の説明を聞かない限り、「空"Emptiness, not Nihilism"」と慈悲は相容れないと思われる傾向がありますが、実は多くの教義とセットなのです。
大昔、仏教徒の中にも、「空」が他の教義を否定するのではないかという議論があったくらいで、理解されづらい歴史があります。
「空」の聖典である龍樹菩薩の中論・観四諦品(24章)にも、仏教の「四諦」や「四果」や「三宝」といった教義(分からなければそういう教義があると認識するだけでよい)は「空」で否定されず、むしろ「空」ありきでそれらの教義が立つとされます。
「四諦」などに限らず、慈悲であっても「空」が根本です(そのタネは"縁起")。
※典拠は中論24-20偈「若一切不空 則無有生滅 如是則無有 四聖諦之法」など(文意が分からなければそういう教説があると認識するだけでよい)

仏教の慈悲は、自分から他人への「抜苦与楽」のみならず、自他の悪をも抑制します。
それができねば、慈悲は慈悲でなくなります。
ただ自己や崇拝するものを装ったり、取り繕うだけの概念ではございません。
俚諺に「情けは人の為ならず」とあり、この"ならず"はナリ活用否定形なので「情けは人の為ではない、自分の為である」という意味となりますが、キリスト教などの慈悲は、所詮ここでいう「情け」の程度の粗末な美辞麗句に過ぎません。
自他は不二、善悪も不二、であるならば、仏教の慈悲とは他人への抜苦与楽のみならず、自分にも抜苦与楽があります(ただし小乗仏教では自分の抜苦与楽が本意である)。
自他に善をもたらして悪を打ち消します。



とはいえ、無論、仏教にだって素敵な教義(本覚思想など)を弄んで悪行を重ねる輩もいます。
しかし、それは多くの教理を知ったつもりで、実際はまともに理解していない慢心・不信心・無道心の者であり、また極少数です。
90年代のオウム真理教のみならず、戦国時代の日本では、愚かな民衆や僧侶までもが、一部仏教宗派の名のもとに戦闘に参加しました。
本来ならば「不生不滅」という「空」の思想に基づき、我が肉体が害されて滅ぼされようと結果論ですが、そういった宗派を奉じて戦闘に参加したことは、日本仏教を独自に信奉する私(未成年・広義の無宗教ですが)としても大いに省みるべき負の歴史です。

その「不生不滅」の理解は、原始仏教の故事が参考となります。
例えば、釈尊十大弟子の一人である目連尊者は「神通第一」といわれ、「神足」という瞬間移動などが使えますが、釈尊の涅槃も近い時、仏教を憎む外道(婆羅門・梵志)に殺害されようとします。
目連尊者は絶体絶命の危難を「神足」で脱するも、重傷を負っていたために同朋の元に戻ってから同朋にその原因を問われ、不可避の業による因縁を明かし、間もなく示寂されました。
また、釈尊は、故郷の人々が襲撃されると知って相手側に3度停戦を促すも、4度目を前に故郷の人々と相手側の深い因縁を知り、ついに停戦に入りませんでした(その後は相手側によって釈尊の故郷の人々への虐殺が始まる)。
「空」による戦闘の不参加は事実に明らかです。

※イスラム教のムハンマドは自分の命のために戦争を辞しませんでしたし、そもそも戦争"Jihad"して敵を滅ぼさねば死にそうになって説教もできなくなる人間が教祖では邪教そのものでしょう。仏教の釈尊や高弟たちが、婆羅門や六師外道や提婆達多などの迫害を受けても忍従された御事跡と、比べるに及ばない卑小な根性です。磔になって殺されたキリストも教祖として不十分であり、イエスのリザレクションは夢想です。己の命が惜しい常見のムハンマドに加え、キリストへの執着が強くて常見の教義を生んだクリスチャンも、「空」の理解などは絶無でした。

自分たちが殺されるとしても「不生不滅」、そもそも生きる我が身も死する我が身も、他人の身も、すべて「不生不滅」であり、「空」ですから、深い因縁があって殺されるならば受け入れるしかありません。
人間個人の生命とは最初から「空」であって、生まれも滅びもしないようなものです。
仏教に「生老病死」の苦が説かれていても、仮に説いたに過ぎず、「生老病死」もまた「空」です。
よって、例えば先ほどの目連尊者は、空の思想を理解していたため、死を恐れず(神足によって危難を逃れようとした経緯は仏教徒として生きる使命を自負していたためや相手に悪業を生ませないためか)、死に際しては苦しみもなく無余涅槃に入られたことでしょう。
※目連尊者の話も釈尊の故郷の人々の話も、増一阿含経(前者: 巻第十八 後者: 巻第二十六)を参照します。目連尊者の話については何と最後の偈の中に「不生不復滅」と一句があり、私の話どおり、「不生不滅」の理解を釈尊が示されていました



我が身への執着(我執)に気付かないと、宗教を奉じた戦争を起こします。
「神の名のもとに殺せ!」ではありませんが、やはり自分たちの宗教・宗旨・宗派に偏重したセクト主義があり、「空」を知らないままでは、その宗教・宗旨・宗派の教義の狭隘なる一部分だけを受け止めて戦闘に走ることは必定です。
無慈悲ですね、「空」を知らないで「慈悲」など、到底説けるものではありませんと分かります。
教理を学びきらなかった極少数の日本仏教徒や、西洋でいうと過去のキリスト教、現在のイスラム教(過激派)が、実際に具現化しました。
今のキリスト教であっても、独善的な反省が盲目的な「慈悲と称する偽善」を増長していますから、イスラム過激派の生みの親であり、過激派が台頭した根本原因です。

このように、仏教の「空」を知らねば、修羅の業による戦争を起こし、起こした者は地獄の境界のまま死後には地獄に堕ちる悲劇を歩んでしまいます。
ああ、なんと胸苦しいことでしょう。
彼らは、そういった仏法の真理・真諦には微塵も関わることがありませんでした。
そういった仏法の真理・真諦を知らない者たちが「外道」であり、自他に平和をもたらすことなく、己の解脱もままなりません。



最後に、「空」と「慈悲」が、より教義として密接に関係しあう理由を書きます。
お気づきの方はお気づきになるかもしれません。
目連尊者などは「不生不滅」という「空」を知りつつも、厭世的でなく、また虚無主義的でもなく、懸命に生き抜かれようとしていました。
自分も他人も、憎い人間も、憎んでくる人間も、家族も、国の支配者も、みな「空」です。
動物も植物もあらゆる物質も、人間の文明や言語や知識なども、全てが「空」です。

更に、自分の一生は「空」ですが、また何よりも大切です。
大事な自分の一生が空ですから、他人や、憎い人間や、憎んでくる人間や、家族や、国の支配者など全人類や、果ては動植物の一生も、みな「空」ですが、それも等しく大切でしょう。(事実はともかく仏教徒はこのように考えなければならない)
そして、誰でも大乗仏教でいう「仏性」があるならば、あるいは誰でも徳を積んで解脱ができるならば、どうしてその自他の生命をみだりに蹂躙できましょうか?(修行も解脱もできないように見える人間がいるという価値判断をひとまず捨てて仏教徒はこのように考えなければならない)
目連尊者も釈尊の故郷の人々も、生き延びようと懸命に戦われましたが、同時に、相手を傷つけず、殺さず、自分の生命への執着や生存への欲望に対しても戦われたのです。

「空」、「慈悲」・・・・・・このようなものであり、こうした考え方がそれぞれの教義を相互に活かしていく、そんな深遠にして俄かには理解しがたい仏教を、これからも私は「慈悲」のために広宣して参ろうと強く願いを発しています。
私のような煩悩具足ともいえる末世の凡夫には小慈小悲(自分の心を養えても他人を直接に救済できない小さな慈悲、仏・菩薩でもない衆生は誰しもこれが限度とされる)ばかりで精一杯ではございますが、一人でも多くの人が、真に「平和」という空想じみた、人類共通の理想を実現できる唯一の道を示す仏法の妙音に預かることがあろうと願ってやまない所存です。

こういった「空」の理解がないキリスト教やイスラム教の「慈悲」では、平和の実現も無ければ、常に同じ一神教同士の争いを発生し続け、どちらかを潰す(自他や善悪を分断する二分思考)までは解決しない上に、仮に片方が勝利しても、その中の派閥が争う展開は必定です。
今の時代は、核兵器など大量破壊・殺戮の兵器もあります。
そこでは、関与するほぼ全員が苦しんで死ぬか、文明破壊・人類絶滅の天変地異を待たない限り、争いの輪廻が断たれない悲劇を、再度、知ってもらいたく念を押します。
キリスト教やイスラム教が共存する文明で「平和」があるとすれば、それらの宗教の教条主義が消え、「民主主義・宗教多元主義」を立てて「みんな仲良し」という、宗教の形骸化くらいしかありません。
そんな「みんな仲良し」も、「空」が理解されないままでは絵空事に過ぎない夢想でしょう。



起草日: 20160803
「依空慈悲抄」?
思えば、戦後の日本も、そういった偏狭な慈悲を歌うキリスト教や西洋の人道思想に触発され、ただ中国や韓国に頭をペコペコと下げ、インフラ整備や莫大な投資を続けた(陰徳絶大)。
もし中国や韓国が日本を尊敬し、彼らも彼らの中の悪や非を自覚して抑制するならばよかったものの、実際は日本の寛容さに付け入ってその悪を増長している。
実例は枚挙に遑がないため、省く。
これも、偏狭な慈悲を歌うキリスト教およびそれを奉じている欧米(アメリカ・EU)が、中東やアフリカといった国々のイスラム圏の悪を増長させ、テロリストや過激派を生み出し、9.11テロやパリのテロなど、自分たちをも苦しめている現象と同一轍である。

同じ岐路に立たされている日本と欧米は、このキリスト教的な思想が元凶であると思うほかない。
日本も欧米も、自己陶酔のような反省で、中韓やイスラム圏を好き勝手に許して悪を見放しつつ(悪化してから米英仏露などが爆撃を行う始末)、自分たちの悪だけは強く戒めている。
中韓およびロシア・北朝鮮と、日本との問題は常態化しており、領土問題は勿論、拉致被害者であるとか、種々の問題は当面、解決の糸口が見えてこないばかりか、現状のままでは解決など夢のまた夢である。

やはり、自由・平等といった理念は相互が理解してこそ成立する。
悪を自覚して反省するにも、相手の悪をも責めて正さねば、公平ではない。
こうして相互の善悪を認めることで、初めて平和が成立するであろう。
この思考は、親子喧嘩を主題にして語った過去記事を参照されたい。



追記: 2016年10月24日
某サイトでの投稿に関連し、漫然と勉強する中に「慈悲」は3種類あるということをたまたま知った。
一般に「大慈大悲」という表現があり、状況によっては意味も変わるであろうが、3種類(三種)の慈悲は教理によって小・中・大が分かれている。
3種類とは「三縁」であり、慈悲の縁とするところ(対象とするところ)が3種類あるという。

まず小の慈悲が「衆生縁」の慈悲であり、「空」を知らずに衆生に対して起こす慈悲であり、本文中にもあるキリスト教や一般道徳で言われる程度の慈悲、情けの類である(ものによって「空」を知っていてもこれに当たるか)。
身近な出来事や人間関係などによって起こりやすい(私はむしろ仏教を学んでから改めて愚かしい親・他人などにかえって憐憫を感じるようになったので下記の大の慈悲があってこそ小慈悲も成り立つ一面はある)。
凡夫に多く残る煩悩が起こす慈悲である場合、好き嫌いの感情により、刹那的である=小さい慈悲と考えてよい。
中の慈悲が「法縁」の慈悲であり、自身の執着を無くしつつも「空」を中途半端に捉えた説一切有部の法有我や五蘊の有我に基づいた「いわゆる小乗仏教」において修行者が起こす慈悲である(とされる)。
小乗とされる阿含経・パーリ語経典に、「四無量心(四梵住)」としての「慈・悲(および喜・捨)」の修行が説かれる。
大の慈悲が「無縁」の慈悲であり、「空」を知ってこそ生じる平等の慈悲であり、私などは理性によって真似ができそうでも到底できはしない、仏・菩薩の大慈大悲である。

これらが小・中・大と名付けられる理由は、慈悲の平等さや盤石さに依ろう(本文説明の通り)。
このように「空」を知ってこそ広大にして強固な慈悲となる。
私の求めた答えが当日中、別の形で知ろうとは、仏法の不可思議なる利益を改めて感じ取る。

更に調べ直すと、空の聖人であらせられる龍樹菩薩の大智度論(ここでは文献学的な疑義を差し置く)巻第四十にもこの三縁慈悲(三種慈悲)について記述があり、大慈悲の「無縁」については「諸仏は善く畢竟空を修行するが故に、名づけて無縁と為す (諸佛善修行畢竟空故名爲無縁)」とある通りである。
大智度論は巻二十において、三縁を詳細に説いている(衆生縁の慈悲が「愛楽(あいぎょう)」によるなど)。



イエス・キリストさんが、実は空(心における縁起)を悟っていて一神教の神に仮託しつつ、慈悲忍従で処刑されたという発想は・・・。
いいや!仮にイエス・キリストさんが知っていても、「実際にその宗教で人々が幸福になるか?(抜苦与楽されるか?)」という問題に直面する。
例えば、日本の鎌倉時代で、法然上人の専修念仏が、国に害悪をもたらす教義・修行であるとして天台宗・法相宗(貞慶)・禅宗(栄西・道元)・明恵上人・日蓮大聖人などに非難されたわけである。
よしんばイエス・キリストさん(または高等批評でいう後世の聖書編纂者)が法然上人や親鸞聖人のように空の道理(縁起)を悟っていても、教化の中で明示されず(せいぜいルカ18章ヨハネ1章ローマ1章くらい)、明示されたところで歴史的なキリスト教は闘争的な一面ばかりが顕著であったろう。
日本仏教では、小乗も大乗も「一乗」であり、「平等に悟りが得られる(解脱ができる)」ことを高僧の誰もが知るが、本当に悟りが得られるかどうかは別の話だから、という前提で種々の論争があったわけで、この観点でキリスト教は、日蓮大聖人の「三証」のうち、百歩譲って文証・理証が良くとも、事証では好ましくない。
鎌倉仏教系の信徒でも、当記事で語るよう、武装をして宗派の教義を奉じながら流血の闘争に躍り出た点、畢竟、どんな宗教や時代でも、個人の精神が最重要だと言われてしまう。
個人主義の真意や、ヒューマニズムかも。



追記: 2017年9月21日
慈・悲・喜・捨という「四無量心(四無量行・四等心・四梵住)"apramāṇa citta (brahma vihāra)"」に関する見解は、萌えの法門で更に開示した。
萌集記・イデオフォノトピア遊行の事・三会の擬古文や、四会の注釈にある。
http://lesbophilia.blogspot.com/2017/06/moetry.html#ideo4

後々、パーリ経蔵・長部や漢訳・長阿含経にある「三明経」などにある「慈ないし悲・喜・捨で一方~四方・上下・横・一切処を満たす」という教説を閲覧した経緯を執筆した。
それは2017年8月であり、2017年10月に以下のパーマリンクに投稿する予定である。
https://lesbophilia.blogspot.com/2017/10/brahmaloka-sukhavati.html

以下、参考程度に抜粋し、上記リンク先のページにしていない説明をする。
Dīgha Nikāya 13 - Tevijjasutta (長部13経・三明経。以下は中部40経Cūḷa assapura suttaなど経蔵の随所に同じ形で見られる)
慈で一方・四方・上下・横・一切処を満たすことの教説→So mettā­saha­gatena cetasā ekaṃ disaṃ pharitvā viharati. Tathā dutiyaṃ. Tathā tatiyaṃ. Tathā catutthaṃ. Iti uddhamadho tiriyaṃ sabbadhi sabbattatāya sabbāvantaṃ lokaṃ mettā­saha­gatena cetasā vipulena mahaggatena appamāṇena averena abyāpajjena pharitvā viharati.

悲→ karuṇā­saha­gatena cetasā …
喜→ muditā­saha­gatena cetasā …
捨→ upekkhā­saha­gatena cetasā …

そのように慈悲喜捨の心を「自分が思う・知り得る世界」に平等・普遍に満たすということ(じっくりと入念に堅実に粘り強くひろげてゆくこと)が「慈悲喜捨の心の無量である状態=四無量心"apramāṇa citta"」であり、三明経によれば、現世で梵天と共にあり、来世に梵天へ転生する業となるようである(このために梵住"brahma vihāra"とも呼ぶ)。
上記パーリ文の引用にもappamāṇenaという語があり、それは「無量」を意味するサンスクリットの同義語"apramāṇa"であり、具格である(apramāṇa-cittaという複合語は共に名詞の語幹であるが持業釈"karma-dhāraya"で語順を替えて「心の"citta"無量なる"apramāṇa"+状態」と訳せられる)。
上座部仏教でしばしば唱えられる「パリッタ中の慈経"Metta Sutta"(元はスッタニパータ1章8経)」にも、上記パーリ文の要点が含まれる(ほかMettāsuttaというほぼ同名の経が増支部11.15経)。

無執着・無瞋恚にして能動的な慈悲も備えるならば、相当の理法を弁えて智慧・般若もあるので、解脱どころか事における成仏の道でもあろう。
それとも、慈悲喜捨とかの業ですらも個人の解脱のみを目的とした際には、「道の杖」とか「河を渡るための筏」に過ぎなかろうか?
解脱したいか、成仏したり菩薩と成ったりして衆生済度をしたいか、とは、目的"artha"の置き方の違い程度であって「本来は毫釐の差も無い」事柄だろうか?

2016年8月18日木曜日

各宗の修行はみな解脱の正道である場合、日蓮大聖人のご教示をどう受け止めるか

西洋のことわざに「全ての道はローマに通ず」があり、日本でも比較的知られよう。
仏教・仏道の「解脱(成仏・往生・涅槃などを総括)」もまた然り、と考えられなくはない。

例えば、江戸時代のとある僧侶は、「正法」という宗派ごとに相容れない概念について円満にする見解を示している。
即ち、座禅にせよ念仏にせよ唱題にせよ真言にせよ、各宗の修行は名聞利養(世間の名誉・利益)などを眼中に入れず、専心に修行すれば、みな解脱の正法となる、と。
無心に専心に物事に取り組めば、目標とするところに行き着くであろう、とは、誰でも一度は思ったことがあろう(勇躍の足、自ずから長安に到る・略、自作の漢詩)。
その目標を叶える結果を強く望んでもよいが、望みすぎるままでもよくなく、真面目に直向きに質実に今を生き抜けばよい(反面に仏道で無心なのではこれもよくない)。
同じ目標のためでも、ただ私やあなたの良いと思う手段"Way"を選べばよく、私が他人の選択"Way"を批判してする権限が無ければ、他人に私の手段"Way"を嘲笑される筋合いも無い、とまでお考えのようである(背景として江戸時代などは仏教各宗の論争"宗論"が多かった)。
そのように仏道修行を広い視野・・・宗教多元主義的に見れば、「一切修行・皆是正道」とも言えようが、やはり各宗は多少の排他的主体性も無ければ宗派の尊厳も無くなる。

※この江戸時代の僧侶(慈雲尊者・飲光)も、ああ述べた本意は「戒律(特に四分律など二百五十戒)を持つ修行」へ導くためであった。超宗派的ながらに、彼のこだわりが表れている。あの当時、多くの僧侶が小乗の戒から大乗の戒まで持とうとしておらず、宗論に交わる者はそこそこいる程度で葬式仏教化が進んでいた。結局、仏道に入らねばみな六道輪廻を繰り返すか、逆として真面目に仏道を進めばみな後生善処や解脱に至るわけで、単に超宗派的では仏教不要・修行不要の邪見に陥りかねないから独自のこだわりは必要か。俗に「鰯の頭も信心から」と言っても、永遠にそれではならない。仮に敬虔なキリスト教徒がいて異性や富裕に興味を持たず信仰・修道を熱心に続けても、彼に解脱はできない。無心で滅私奉公する軍人、または労働者でも、当然解脱はできないことと同じで、須らく仏智に依るべきか。そういう時、この僧侶であれば、仏道修行の中でも戒律を重視するわけである。私の漢詩で言えば「勇躍の足」のみならず、仏法の智も満足している必要がある。セクト主義も、排除しきってはならない。



私の信奉は何であろうか?私の選択"Way"である。
私は様々な経緯によって日蓮宗的な信心を選び、日々に修行(2015年末から毎日に朝夕の勤行を上げるなど)を続け、教学の中心も法華経や御書(日蓮遺文・御妙判)としている(元々雑駁な研鑽の中でも最近は中観派きどり)。
その信心と修行が、諸道の中の「最第一」にして「成仏の直道」であると信じるところである。
祖師にあらせられる日蓮大聖人は、宗教に詳しい日本の人々・仏教諸宗の人々ならばご存知の「四箇の格言」に代表される排他性の印象を持たれている。
先の記事で私は、その一面を取り上げつつ、「中道・和」を感じさせる教学の在り方(日蓮大聖人の法門を諸宗の亜流であると言うつもりはない)も示した。

日蓮大聖人の法門には、まず「五重の相対」という教義の判断基準があるが、そのうち「大小相対」・「実権相対」の上から見れば、先ほどの僧侶のような宗教多元主義もとい超宗派的な「正法」観は、邪義に当たる。
「大小相対」という大乗教・小乗教の区別は、大聖人御在世において問題とならないが、やはり「実権相対」において権大乗の経典と教理「爾前権教」やそれに依る宗派「権宗」については当時非常に多かったので、そういった「権宗」へ、大聖人は個々に破折されたのであった。
特に他宗派色の強い経典(浄土三部経・大日経など)は、大聖人の教説の根拠とならない場合が多い(法華経以外で主要な引用経典は大乗の大般涅槃経が有力)。このように、法華経(および大乗の大般涅槃経)を「実経・実教」とし、五時教判で法華経以前(已前)とされた大乗経典を「権経・権教」として明確に分別をし、末法では「実」の教理しか有効でないとする大聖人の法門(究極は「今末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し・ただ南無妙法蓮華経なるべし」)においては「権」のものに執着すると謗法であり、罪障を積んでしまうらしい。

ここでもう一点を付け加えると、日蓮大聖人がご教示の修行法に正確に随わねばならず、一分なりとも信心を欠かせば地獄に落ちてしまうという教説である。
「正直に方便を捨て(法華経方便品の引用)」
「但大乗経典を受持することを楽うて乃至余経の一偈をも受けざれ(法華経譬喩品の引用)」
「我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し(顕立正意抄・末文)」
「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし、何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄に堕つべし(曾谷殿御返事)」

こういった言葉を、私としては、その実際に地獄に落ちるかどうか自体を云々していると思わない。
つまり、「それほどに純粋な心(信心・求道心)で用心して挑まないと、邪心が生じて道を外れたり、折角の位を退転しちゃうよ」という「教戒(教誡・教訓)」であると私は受け止めている。
無論、そう理解した時、好き勝手に心を移ろわせてもよいわけではない。
日蓮大聖人のこういったご教示も、完璧にはこなせないかもしれないし、色々な紆余曲折や邪心もあるかもしれない中に、完璧にやり遂げようという気概は第一に尊いと思う。
完璧主義のために、少しの失敗や邪心があるごとに大きな罪悪感や背徳感を起こしてしまう潔癖症みたいな思考に陥らないよう、バランスをも保てばよい。
何事にもこういった理解や姿勢は、継続の肝心となるのではないか。
ただ、こう私が語るメンタル面の話は、管見の限り、大聖人のお言葉では未見である。



私のこうした理解も、例えば日蓮正宗・創価学会・顕正会では邪道・邪義とみなされようか。
これらの大聖人のご教示が単なる理屈や観念論ではなく、文字通りの「不惜身命」や「身軽法重・死身弘法」や「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」であるとし、その実践=折伏(彼らのいう破折屈伏・摧破調伏の意)を訴えている。
先の顕立正意抄にも「四悉檀(大智度論巻第一に言う説法の形式の4種類、悉檀"siddhānta"の原意は"成就・達成")」が挙げられ、このうちの「対治悉檀(3番目・薬が病原菌を撃退する勢いで相手の非を責める説法の形式)」のように強烈な折伏が、末法の世界で有効な手段であるそう。
それらは、哀れなる邪宗・無宗教の人々を「慈悲」によって救う精神で行うとする。
彼らの主張にも一理あるが、やはりそれは彼らの手段"Way"であり、機根低くして才覚にも乏しい私には至極困難であり、彼らを遠目に応援するだけとしておこう。

仮にも彼らと接触するだけで「勧誘される」とか「強引に入信させられる」とか「集団ストーカー被害者になる」とか「殺されちゃう」と思ってしまう人もいるであろうが、私はこの際、どうでもよく思っている。
いつも、禍福を結果論と思っているが、仏罰厳然たれば強く慚愧せねばならない。
いや、何事にも苦しみを覚え続ける私は常に自覚して反省し、改善への努力を続けねばならない。
個人的には、真諦から見た全ての現象には必ず原因があると思うも、俗諦から見れば原因は特別に挙げられないいわゆる「不条理」な現象・物事の方が断然多いため、「結果論」と思っておくことが一往は最善であるが、再往は真諦(十二因縁など)から見て全て悪しき我が生・業の果報と思う。
この真諦を踏まえて常に自覚して反省し、改善への努力を続ける姿勢は大事である。
無論、俗諦での原因も、単なる「結果論」として一顧だにしないという「思考放棄」を意味しない。
真諦の面も俗隊の面のどちらとも、しっかりと見つめて考えつつ、精神衛生上は気にしないことが修行者の道心を乱さないであろう、と言いたい。

さて、日蓮大聖人の法門は、きっと忠実に実践すれば、日蓮大聖人がご教示の果報、つまり即身成仏や一生成仏が得られるという。
まさに「如説修行」によってこそ、説の如くに果報が得られるのであろう。
ここまで引用したような多くの教説を根拠とした「如説修行」を、彼ら教団の信者は絶対的信心・急進的思想より、潔い「折伏」として展開しているであろう。
その急進的思想で革命的な布教活動・折伏闘争をする中に怨嫉や大難をも恐れず、勇猛精進をされている彼ら教団の中の信心深い人々は逞しい。
一方の私は、漸進主義を標榜し、これからも様々な思惟の中で実践の道筋が正され、いつの日かその果報に向かうことを仄かに願い続ける。

最後に、佐渡御書の「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし、我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし。」というお言葉は、こんな漸進主義で「やはらかに法華経を弘」めんとする"ヤワ"な自分を戒めた言葉であることを耳に痛く思うと同時に、そういった彼ら教団の信者のような豪胆さも尊敬できる心情を表明したく思う。
進んで入会する意思は毛頭ないが・・・。
個人主義の現代文明にあって宗教・教団のしがらみを厭う、ヤワな現代人の特にヤワな人種に属する私は、もっと彼らに見習うべき一面を覚えてならない。



起草日: 20160727 「皆正法道抄」?

2016年8月11日木曜日

諸宗の教義と日蓮大聖人の法門 "八万四千法門総在"?

日蓮大聖人の法門についてはしばしば、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という四箇の格言に代表される排他的なものと見られている。
加えて後世の関連教団が行う「折伏と称する強引な布教活動」で改宗の強要なども多いため、共産主義のように革命的であって同化(画一化)を強制する危険な思想に見られる場合も多い。
しかし、大聖人の法門を他の宗旨(小乗・権大乗・密教)などと共に知ろうとすると、四箇の格言などに並べて非難された様々な法門(小乗・権大乗・密教)と通底しているように感じられてくる。
それは、ある種の「中道」や「和」である。

表題にある「八万四千法門総在」という私による表現は、端的に言い換えると「オールインワン」である。
日本天台宗・比叡山といえば、「四宗兼学(法華の円教を中心とした禅・戒律・念仏・密教)」と言われるが、それは、別物を別物としつつ雑駁に取り入れた修行法である。
大聖人の法門は、それらやそれら以外の教義や修行を広く折衷していると僭越に愚見する私だが、大聖人自身は「日蓮は何の宗の元祖にもあらず・又末葉にもあらず(妙密上人御消息)」とお述べになっているわけで、ただ根本の「南無妙法蓮華経」を末法の世に弘めただけであると報恩抄などに示されている。
決して、新しい思想や奇怪な解釈、または既存の法門の二番煎じを述べたつもりはない、と。

大聖人の法門は、ある門流の場合、久遠実成釈迦牟尼仏を本仏とし、別の門流では日蓮大聖人そのものを久遠実成(久遠元初とも)の本仏とするよう、一見すると一神教に似ているように見られそうだが、日蓮大聖人は法華経の会座にいた多宝如来を始め、様々な仏・菩薩、十大弟子という声聞や、後の世に出現した龍樹・天親などの菩薩の敬称がある論師や天台・妙楽・伝教などに「南無(帰命)」を冠しているほか、天界の神々や魔王、密教の不動・愛染、日本の大師天照・八幡などの神までも分け隔てなく「十界の衆生」として曼荼羅御本尊の相貌に列している。
卑近な表現となるが、こういった多様性や共存のありかたは、「宗教多元主義」と言わないが、先述の「和」という日本の大事な心がよく現れているように思えてならない。
一切衆生はみな仏性があるから尊敬する・・・常不軽菩薩のようである。
みな等しく尊いという平等・不二の立場・・・無論、特別な尊敬対象(本仏・妙法という人法一箇の本尊)もあり、これは而二である。
大聖人にとって排除すべき事柄は、「南無妙法蓮華経」の根本から背いた枝葉末節の邪宗邪義であるとされていよう。
せっかくの仏性を勿体なくする(一切世間の仏種を断ずる)邪宗邪義が許せないといえよう。

法華経自体が排他的である、といった邪説を垂れる輩もいるわけで、見方次第では一理あるものの、それは皮相的な見解であろう。
法華経や大聖人の本意は「中道」や「和」に通じているものである、と念を押したい。
それはそうと、ここからは具体的に他の宗旨と照らし合わせて考察に入る。
浅学菲才・未熟者の謗りを免れがたい愚生ながらに事例を並べて参ろう。



  • 「南無妙法蓮華経」の唱題と「南無阿弥陀仏」の念仏
    • お題目の信心は、自力か他力か中道か
    • お題目の修行は、易行か難行か中道か

  • 「文底秘沈」と「密教(秘密に遺した教え)」(禅宗の「教外別伝」にも似る?)
    • 曼荼羅御本尊・唱題について様式の類例(明恵上人)
    • 合掌という手印(印契)を結びながら法華経の題目という真言を唱える

  • 一部門下にある己心本尊説・凡夫本仏説と唯心論的な禅宗の成仏観
    • 己心という内証が絶対でもなく、色相としての御本尊と不二
    • 凡夫の観心は御本尊なくして成り立たないとされる

  • 御本尊や仏性とは空か絶対的存在か・大聖人の見解
    • どこからどこまでが六師外道の教義となるか・寿量品所説の常住はどうか(調査不足・常楽我浄の四顛倒も四徳となる・唯識論の阿頼耶識と比べて空ではない第九識)
    • 身延派日蓮宗の荒行は外道修行か通過儀礼かパフォーマンスか"いのちに合掌"への自語相違か

  • 大聖人の御境涯は忍難慈勝にして頭陀(「内秘菩薩行・外現是声聞(外現声聞儀)」とは?)
    • 五戒などの戒律は保たず題目を唱える修行の日々を唯一の戒とす(飲酒の是非は?)

「中道」とは、「自力か他力か」という対立や「己心(内証)か色相か」という対立いずれにも当てはまり、大聖人の法門は「中道」を貫いている。これまで見た様々な教えの特徴も含まれるとすれば、「和」にも通じる。



概説すると、まず大聖人の仏法で肝要な教義・修行が、妙法蓮華経の題目を称える「南無妙法蓮華経の唱題」である。
およそ、一般的には「南無阿弥陀仏」と似ているように扱われるが、その「南無阿弥陀仏」という念仏は主に浄土真宗で「他力本願」と称するように、ただ阿弥陀仏の力で救済されるのみの代物でしかない(法然・親鸞さん以前の日本天台宗の念仏三昧などの念仏修行は真宗サイドから自力念仏と軽蔑されるし法然専修念仏義は旧来の念仏を認める明恵さんなどに非難された)。
日蓮大聖人の唱題も、法然・親鸞さんなどの念仏(専修念仏)も、余行(他宗らしい修行)を交えず、余念をも交えずに行うことが奨励されるか、強制される。
日蓮大聖人の言葉では「或は法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経・一口は南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し(秋元御書)」と、題目を唱えつつ念仏も唱えてしまえば「飯に糞を雑(まじ)える」ようなもので、推奨されないようである。

「他力本願」の「念仏」に対して「南無妙法蓮華経の唱題」が自力か他力かといえば、大聖人の「一大聖教大意」の教説を披見すると、「四性計」に定義された自力・他力・共力・無因力の「四力」のうち、「今の法華経=大聖人の法門」のありかたとして自力も他力も否定されている。
共力・無因力については説明を略しているが、同様の理論で否定されようものと拝察できる。
大聖人の「中道」の見地では、「四力」いずれの要素も含むが、いずれも絶対的でないため、絶対的に自力であるとか他力であるとか、共力や無因力であるとは区別できないとしておられる。

私の浅智から判断しても、自力でも他力でもないという「中道」である。
つまり、南無妙法蓮華経の教主である御本仏の慈悲は深くして救済の仏力法力も高いが、衆生も自ら唱えない限りは功徳が無いわけであるため、自力であって自力でなく、他力であって他力でない。
「慈悲」の概念自体が自利利他であると同時に、慈悲を受け取る側も受け取る心構えがなければ功徳を授からず、ただ慈悲を与えようとする者だけが功徳を積むのみとなる。
「広宣流布(ここでは妙法蓮華経薬王品の語)」といって日本を始めとした全世界へと大聖人の法門・妙法が必ず普く弘められるという教義も、「仏語は実にして虚しからず」や「委細に三世を知るを聖人と云う」と言われるように、「大地を的として矢を射れば必ず当たる」ことと同じく、必ず当たるとされている(諸法実相抄)。
これも本仏や妙法の仏力法力によって、諸天善神が国に災難(大聖人在世では大蒙古・モンゴル帝国からの侵攻・元寇)を起こし、そのために凡夫が目覚めて妙法を信受するとされているが、その単なる他力のみで広宣流布するのではなく、やはり凡夫たちもまた布教活動(某宗でいう折伏など)に邁進してこそ実現するという、自力も他力も不二の立場である「中道」そのものではないか。
よって、妙法に背き、誹謗までする者は地獄にも堕ちる・・・それは真宗の親鸞上人も同様の趣旨を語っている(正像末和讃)ため、見ようには真宗の念仏も自力・他力の絶対的に片方であると言えなくなる(他力本願も所詮はスローガンみたいなものだし)。

続いて、自力VS他力(または中道)ではなく、易行VS難行(または中道)という比較で考える。
題目や念仏の理想を端的に書けば、「題目は一心に信じて唱えると無量の功徳いっぱい即身成仏」であり、「念仏は一向に信じて唱えると現世の利益いっぱい極楽往生」である。
こう概観すれば、どちらも易行であることを歌っているが、反面、法華経に「難解難入・難解之法」とあったり、阿弥陀経にも「難信之法」とあるわけで、一応、そういった面から、特に法華経の真理は「不須復説」といった態度が、方便品で取られる。
しかし、その迹門である方便品ではそうされるが、本門においては「五十展転(随喜功徳品)」といい、法華経の真理を伝えて弘めることが奨励されている。
その功徳は、分別功徳品において「法華経の真理を弘める功徳は六波羅蜜の智慧波羅蜜以外の5つ全てを修行した功徳に等しい」とされ、随喜功徳品において「『人々を物質的・経済的に豊かにするばかりか小乗の説法で阿羅漢果を与えた大施主』の功徳は法華経の真理を五十番目に伝えられて喜んだ人の功徳の百千万億分の一くらい少ない」とされるほど甚大であった。
その、分別功徳品など所説の法華経=円教の功徳は、円教より古い教えである「偏教」の中で最も易行である阿弥陀仏の念仏よりも比較にならないくらい功徳が多いと、あの浄土真宗などで高祖として崇められる恵心僧都源信さんが往生要集・巻下で語っている(守護国家論を披見)。
よって、法華経の題目・唱題とは、念仏よりも易行であって功徳も大きいが、しかし逆縁の人(唱題する側と唱題を誹謗する側の双方)も多く、今生の中では難行とも言えるため、中道としておく。



その「南無妙法蓮華経(妙法蓮華経に南無・帰依する)」とは、経典の妙法蓮華経においても「妙法蓮華経という真実の教え(諸法実相・二乗作仏・女人や悪人の成仏・久遠実成など)を弘めれば功徳が六波羅蜜(菩薩の基本的な6種の修行)よりも広大である」と説かれるのみで単語自体は載らず、また、ほかの漢訳経典のどこにも載っていない。
これでは、根拠のない教えであると人々が邪見を起こし、信じてくれない。
「南無妙法蓮華経」の教義的な根拠は、「文底秘沈(開目抄: 文の底にしづめたり)」である。
つまり、妙法蓮華経などの経典には明文化されないだけで、教えは厳然と存していると大聖人は説かれている。
真言や陀羅尼や呪文を唱えて外道たるヒンドゥー教まがいの護摩を焚く密教に関しても、在世の釈尊が説かなかった「秘密の教え」であるから、文献学的にも教義的にも一見、仏教らしからぬ修行ばかりであり、胡散臭さプンプンだが、こういった教義的な根拠は類似しているとも感じる。

文底秘沈である南無妙法蓮華経は、大聖人が出世される以前の正師である「天台大師」も法華三昧懺儀の中で「南無十方佛(中略)南無妙法蓮華經 南無文殊師利菩薩・・・」と三宝や法華経の会座の衆生の中に題目を挙げており、この記述から天台大師自身は弘められずとも唱題の修行をしていたと、大聖人門下の間に伝わる。
そもそも、こういった記述が有ろうと無かろうと、大聖人は久遠実成釈迦牟尼仏および諸仏・諸菩薩・諸師(大乗仏教の馬鳴・龍樹・天親菩薩から天台・妙楽・伝教大師まで)がみな「南無妙法蓮華経」を唱えていた、と教示されている。
彼らが具体的に「南無妙法蓮華経」について述べられなかった理由は、まさに「正像末の三時」の立場で「末法」の時に弘むべき「南無妙法蓮華経」を、彼ら歴世の仏・菩薩・師は末法以前であるから述べず説かずにおいたとされる。

いわゆる「五重相対」とは、教義の優劣の基準であるのみならず、娑婆の仏である釈尊の説法・その十大弟子などの弘教が小乗の仏教(内外相対)であり、次の時代の馬鳴・龍樹・天親などの弘教が権大乗の仏教(大小相対)であり、次の時代の天台・妙楽・伝教などが法華経の一乗を奉じて一年三千を明かした実大乗の仏教(権実相対)などの「教相」にも通じている(報恩抄など参照)。
「文底秘沈」や「末法(後五百歳)に弘める」といった教義的な根拠を示されても、合理思考が強い方々には牽強付会であるように思われよう。
その場合は、真言密教・チベット密教もまた、教義的な正当性や遺伝の正統性が完全に崩れていることを考えたほうがよい。
大聖人自身も、大日如来を出世の由来などが伝わらない有名無実の仏とみなしている。
大日如来という法身仏が金剛法界宮と言う場所で秘密の教えを説法して金剛薩埵に授けたとか、龍猛という名の龍樹菩薩とされる人物が金剛薩埵が鉄塔に隠した秘密の教えを見つけ出したとか、空海さんが唐で正当な密教「純密」を受けて日本で大日如来の姿を現したとか、額面通りに取れば奇怪な話ばかり(最澄さんを相手に法論した徳一さんも空海さんに論難している)であり、禅宗の相伝説と同種であろう。
とりあえず、ここでは「文底秘沈」の教理である一念三千や南無妙法蓮華経が、密教の相伝や禅宗の相伝などに似ている感じがするという側面を示した。



禅宗といえば、特に道元さんを源流とした日本の曹洞宗で「只管打座」といい、無念無想といい、心身脱落といい、豁然大悟といい、単なる凡夫が座禅している状態でそのまま精神が「禅定」に入っているとみなし、それが仏の境地である、というかなり飛躍した成仏観が説かれている。
実際には、自分の思考を殺す無念無想などは虚無主義的である上に、その「エセ禅定」が実現できる人もそういないものである。
そもそも大乗の大般涅槃経の「一切衆生悉有仏性」の文を拡大解釈して人々が最初から仏であるといった教説もあるようだが、それらは全て邪義か、あるいは何らかの含蓄を持つ方便とも取れようが、邪義とみなせば私の浅慮かもしれないし、含蓄があると考えても思い込みに過ぎてしまう。
こういった教説を鵜呑みにしてしまったとき、「煩悩即菩提」のように、誤解が長じて仏教不要・修行不要として堕落しかねない。
日本の曹洞宗でなくとも禅宗全般が、日蓮大聖人から数々の側面より「謂己均仏」の増上慢であると非難されている(2016年6月20日記事の脚注1)。
※「一切衆生悉有仏性」について過去記事で私は、字面通りの意味がそのまま現実を表しているのではなく、方便のようなものや大乗仏教の極致をスローガンにしたもので、実際には天台教学でいう六即のように、仏教を知り、学び、修行をせねば仏性が無いに等しいと語った

その大聖人の法門の門下においても「此の御本尊全く余所に求る事なかれ、只だ我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり(日女御前御返事)」という御文を最大の根拠として自分が既に仏であるとか、御本尊や御本仏と同格であるとか、あるいは実際の御本尊を拝まなくてもよい、といった「己心本尊説」が生まれている。
場合により、「本覚思想」とも表現されるか。
この御文については、額面通りに捉えていけないことが明確である。

まず、己心という内証が絶対でもなく、色相としての御本尊と、その己心が不二である。
凡夫(特に末法の衆生)の観心は御本尊なくして成り立たないとされ、色相・外相としての御本尊ありきで、胸中・己心の御本尊が生じるものと捉えるべきか。
あるいは十界互具の理の事実存在や、己心の本来の清浄なもの・・・つまり「アマラ識(九識)」と言われるものを、その象徴たる御本尊の拝見と観心とによって覚るといえよう。
「胸中の肉団におはしますなり」に続く「是を九識心王真如の都とは申すなり」という一文を鑑みても、こう考えるほかない。
このあたりはまだ領解が浅いので、今は何とも言えないが、少なくとも御本尊不要であるとか、無神論的で自己神格化を誘導することなどがあってはならないと考える。
凡夫も仏の境涯になれるが、それは「因分」と「果分(究竟果分)」の区別があって不二だけではなく、而二の意義も立てられ、完全に御本仏と凡夫が同格であることは意味しない。
少なくとも、凡夫は御本尊ありきの観心・成仏がある、そういった理解が望ましい。
大聖人が御本尊を顕し、門下に広く授与なさったという御事跡から推して知るべし。



大聖人御図顕の御本尊は有り難く頂戴・受持する。
己心の仏界(十界互具だから九界までも?)を色相において顕した"もの(準体助詞)"であり、単なる形だけの"モノ・物(物体の名詞)"ではない。
色相において顕すことで己心の仏界(ないし九界?)を観ぜられるわけであり、外相と己心という「物質と精神」のような対立概念も「不二」である「中道」がここにも看取できる。
端的には「色心不二」や「物心一如」であるが、やはり御本尊を単なる形だけの"モノ・物"と思ってはならない。
ただ、中道の原義に基づくと「中道=仮名=空」であるし、物(色相)にせよ心(己心)にせよ執着してはならない・・・それは中論の所説に基づきすぎた原理主義的教義であり、単純に広義の「中道」、今までの「自力・他力」や「易行・難行」といった二元対立に対する「中道」という定義でよい。
また、日蓮大聖人の法門において信心を持つならば、そういった四法印・空の「第一義諦・勝義諦・真諦」に執着しても齟齬があってだね・・・。
この信心においては、広大無辺の功徳が具わる「唯一無二」、「絶対」、「末法万年から未来の果てまで不滅の大宝」として信ずべきであろう。

この信心は、仏教の「空」に背く外道義と見られるのであろうか?
あるいは「空」の理解とは別に、功徳を積む修行として両立させてよいか?
また、大聖人の法門において重要な法華経寿量品、そこに説かれる「常住」とは、常見であろうか?方便ではあるまい。どのような含蓄があるか?
諸賢の御教示を乞うばかりである。

※2016年11月~翌1月投稿の新しい見解→http://lesbophilia.blogspot.com/2017/01/hokekyo-monteigi.html



外道といえば、日蓮大聖人と直接関係のない話に変わるが、身延派の日蓮宗には、大荒行という冬期の行事(毎年11月1日から100日間)があり、同宗の大本山・中山法華経寺にて行われる。
主に若い僧侶の通過儀礼であるが、志のある者はまた何度も挑もうとするらしい。
それで、特に若い僧侶・「初行」と呼ばれる初参加の者から、しばしば死者が発生している。
様々な意見や疑惑はあるが、この記事で取り上げるべきものがある。

歴史的に不仲である日蓮某宗は、この大荒行について「釈尊が禁止された外道・バラモンの酷烈な修行と同じであって大聖人と関係もなく、謗法呵責もしない癖にこんな修行を取る本末転倒」と非難し、「極楽寺良寛(忍性・後述)の如き尊敬を集めたがるパフォーマンス」と断じ、加えて「『いのちに合掌』という綺麗なスローガンと微塵も符合しない自語相違」とも嘲笑していた。
反論の形ではないが、日蓮宗の僧侶としては、釈尊が禁止された酷烈な修行に似る大荒行について「僧侶たる者、釈尊の6年間の苦行のようにこういった心身の苦悩を経験していかねばならない」と主張しているようである。
私自身は日蓮某宗側の主張に同感である上、娑婆で成道する前の釈尊が経験されたとしても、後の仏教徒が進んで取り入れる必要は無いように思う。
しかし、この際、取り入れたい者がどういう思惑であれ、仮にも彼ら修行者の菩提が養われるならば、自由に取り入れて構わないとも思っている。



さて、大聖人は多くの大難を耐え忍ばれ、ある時は、冬が極寒となる佐渡島に流されて現地のあばら家に3年もお過ごしになるなど、頭陀の行者でもある。
大聖人ご自身は「法華経の行者」であって頭陀に関しては触れることは無かったが、私は個人的にこの御振舞も敬うべきと思っている。
そういった頭陀の御振舞は、大聖人が自称される「法華経の行者」の所以である、大難を受けて法華経を身読・色読したという根拠にも通じている。

大聖人の法門は「末法無戒」ともよく言われ、事実、身延の山林に入られてからの大聖人は、信徒からの御供養のお酒なども口にされ、いわゆる不飲酒戒をお守りの様子ではなかった。
大聖人ご自身は御書の中で「日蓮は無戒の比丘なり」、「日蓮は(中略)持戒破戒にも闕て無戒の僧」とする記述があるが、「今日蓮は聖にも賢にも非ず持戒にも無戒にも有智にも無智も当らず」とする記述もあり、場合によって立場の示し方が変わっている。
それはそうとして、教義において考えれば、身延派の日蓮宗も、富士派の日蓮正宗も、分派した勢力や教団も、五戒から具足戒(二百五十戒)まで守ろうという教義はほぼ無い(個人レベルは別の話・具足戒なら四分律を持ったとされる深草元政さんなど)。

実際、日蓮大聖人の法門において戒律を持っても、伝教大師所説と伝承される末法燈明記には「設末法中。有持戒者。既是恠異。如市有虎。此誰可信。(御書では語句が異なる訓読文を四信五品抄で引用)」と書かれ、これが支持されている。
端的に言うと、末法の世(日本仏教では西暦1052年に当たる永承7年以降)では多くの戒律が時代遅れで、多くの僧俗にとって到底維持できず、その末法の世において戒律を保つ人がいれば、それは街の中に虎や原始人が現れることと同じくらい奇怪である、とされる。
伝教大師(とされる別人説のある筆者)の「此誰可信=誰がこれを信じられようか」という記述については当たらず、日蓮大聖人の時代にも「忍性(極楽寺良観)」という僧侶が橋の建設や難病患者救済などの慈善事業を行ったり、その「具足戒」を持って人々から崇拝されたとされ、この忍性さんを日蓮大聖人は偽善者として「律国賊」の根拠にもした。
他の御書には「正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如し」や「伝教大師の市の虎の事」と示される。

しかし、同じく伝教大師が定めた「大乗の戒=円頓戒」では、先の飲酒に関連して言うと、自分が飲むことは当然禁止の上に、他人に飲酒を勧めたり強引に飲ませても同罪とする。
大乗仏教の慈悲・自利利他の精神においては、「勧善懲悪」が表れており、この戒相を考えると、まさしくその教理が反映されていよう。
この場合は「勧善懲悪」を通り越して「悪を勧めても同様に懲罰がある」と言い換えられる。
この円頓戒の原典は梵網経であり、厳密な名称は「十重四十八軽戒」とされる。
その梵網経では、美称として「金剛宝戒」ともされる。
なお、比叡山出身であって法華経を重んじた日本曹洞宗の開祖である道元さんは、この円頓戒を「仏祖正伝菩薩戒」と称賛して教義に取り入れた様子である(今の禅戒一如とのたまう曹洞宗僧侶がいかに守っているかは不明だが)。

ところで、日蓮大聖人が説示した唯一守るべき戒も「金剛宝器戒」と名付けられ、その中身は「ただ南無妙法蓮華経の題目を唱え続ける」というものであり、「金剛宝器(ダイヤモンド製で宝飾がきらびやかな器)」とあるだけに「金剛不壊(ダイヤモンドのように堅固で壊すことはできない)」の戒体であるという(教行証御書)。
同名でありながら、戒の中身・戒相や、戒体はかなり異なっている。
ともあれ、飲酒をされた説が確定している日蓮大聖人であるが、やはりこの末法において小乗の戒律が有益でないとの教理を信ぜしめるため、身延入山以降は信徒から頂いたお酒を嫌わずにお飲みになったと考えてよい。
こういった事跡も説法の体現である。
大難を数多く耐え忍ばれた日蓮大聖人というお方が、お酒を嗜み愛するなど考えられないため、やはり慈悲の説法と見るべきである。

※「慈悲」は、戒律を持つ思想の師匠からすると逆の形で現れる。昔は何らかの病気の時に飲酒で治療することも多く、僧侶もそういった場合に飲酒することは許された。しかし、そういった思想の師匠の場合、自身が病気にかかったときに飲酒をすると、病気でもない弟子が仮病などで好き勝手に飲酒するかもしれないという懸念から病気の時でも飲酒しないでいる。弟子や後世の弟子がそうなるくらいならば、自分が飲酒せずに死ぬべきであり、己の不飲酒戒も破らないから己の後生のためになる、と。

とはいえ、私自身の修養としては、お酒を飲むことが成人後もありえないと断言しておく。
閑居求道者たる私が身を挺してお酒を買い求めることは考えられようか。
第一に虚弱体質であり、酒類は心身とも壊す毒であると"体感"している。
多くの未成年者は、多少の飲酒経験があろうという前提で、私の飲酒経験も素直に示した。





最後に、似るべくして似たが、関連性は無いか、たまたま似た程度の例も挙げる。

末法思想関連
煩悩具足にして非僧非俗の親鸞さん
末法無戒思想(五戒など小乗の戒は瓦器"ガキ")
イエス死後に久しくして現れる偽預言者・アンチクライスト
末法に蔓延る邪宗・仏法の中に外道教義(我"アートマン"に類する概念など)が混ざる(古くはインドの犢子部など・今は日本の民間信仰)

教理がキリスト教みたいだ、主張がイスラム教みたいだ("みたい"と特別に書くわけだからどの宗派よりも相対的に類似性が高いという意味)、という他の例示は省く。
そもそも、そういった一神教は、日本の宗派と無関係(学説によっては大乗経典がキリスト教の影響を受けたというものもあるが確証もないし一説に過ぎない)であるから、戯論のようなものであり、論外であろう。
キリスト教やイスラム教について類似点を並べることをここではしない。



起草日 20160725夕

2016年8月2日火曜日

Google+ 2016年7月中の日記メモ

当月は、風呂(シャワシャン)を行った日の就寝・睡眠から目覚めると射精(夢精)していたパターンが2度(7月5日の当日中23時・7月8日の翌日9日4時・実行日でいえば2連続)も発生した。
また、当月の日記メモとの関係は無いが、7月14日にはPicasaとGoogleフォトに関する操作(BluestacksでAndroid版アプリも使用)をしている折に当・学術的メモ帳の画像URLが更新されたことにより失効し、既に各記事のHTMLに記載されるURLでは画像が表示されなくなる事態が発生した。
アクセスの多い記事など、一部記事では画像を復活させておいたが、多くのメモ帳内記事、特に日記メモ記事は画像が表示されない状態にある。
当月のものは通常通りアップロードして掲載できる。



メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
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2016/07/01

本日7月1日は2時45分に起床した。それまで複数のアラームが入り乱れて鳴っていたが、記憶が混濁・錯綜している。2:40の第四アラームばかりは当然はっきりと覚えている。前日23時10分前後に一度目覚めた後のできごとについての「携帯電話半角カナ打ちメモ」を載せる。

「(6月30日23時10分前後)弟と母が2階で喧嘩 何の話題が原因か、彼らの会話の経緯は不明だが、私の聞いたあたりは『料理まずい』発言やすさまじい物音程度しかなく、特定ができない。発言の例→『男性生殖器のところにある雑菌みてえな料理だ!』『俺はあくまでもお母さんがいなくていいと分かった!』前者は、母から意味不明とされ、丁寧に『ちんちん』と言い直していた。 23時23にトイレを出た母がまた、わざわざおかしな発言をしたため、弟に大声をあげて襲われ、同じく母も大声を上げて逃げた。無論、弟が立てる物音もすさまじい。以前から思っていたが、やはりK邸に人が住んでも変わらない荒れようであるし、あまつさえ6月27日の警察沙汰よ、K家の人が聴けば、いずれ我が家を"キチガイ一家"と感じることは自然と不可避である。元より、あの母は6月18日のK夫婦の引っ越し挨拶の折に自分の印象を落としている」

16時半ころ、母親がどこかへ発車した。母は18時50分に帰宅したが、弟はまだ帰宅しない。母が持ち帰ったものは弟用の処方薬(袋に弟の名が印刷される)である。さて、母だけで耳鼻科か小児科に足を運んで弟用の薬の処方が可能なのか?恐らく、学校帰りに落ち合って一緒に耳鼻科か小児科へ通院した後、「よくある別々の帰宅」を行ったのではないか。先に、本日は豊川特別支援学校高等部1年の体験学習の影響とも考えたが、それはあまり関係がないと見ている。19時前、弟が帰宅したが、6月27日の警察沙汰の際にお越しになった教師のうち、先に来た方と同じ男性が付き添っていた。体験学習の影響の可能性も否定できない。


2016/07/02

本日は2:50の第五アラームまでに意識は付いていたようだが、これがトドメとなっているであろう。2時52分に起床した。

6月28日の排便を最後に、毎日コーヒー1・2杯飲んできたが、本日4時台のコーヒー1杯をもってしても排便に至らず、カフェインパワーは虚しかった。やはりカフェイン節制を挟む必要がある。カフェインという名の麻薬・毒は適量を用いて奏効する道理が自明であったが、敢えて恒常的な効能の維持を期待した試験期間を設けた。先月は1錠もコーラック系下剤を飲まなかったが、今月は結局飲まねばならない。本日7月2日は7時過ぎにこの1錠を服した。

8時台後半となっても、飲んで間もない時に多少の違和感が生じた程度しか「前兆の発現」がない。前兆の発現とは、飲んで30分以内に起きるものだが、それから腹痛などがずっと続いたりすることが普通であるのに、今回は少しの違和感しか生じていないのである。今回は前回の下剤飲用(5月20日)より1か月以上も経っているし、今回の下剤飲用時は割と空腹度は高い。そもそも「食後2時間以上」の完璧な空腹でなくとも下剤は作用する。この表記は、個人差を恐れて製薬会社が念入りに「食後2時間以上」を推奨する程度である。私は実際に下剤の服用経験から、こう述べてきている。同時に、やはり一つの法則で括ることはできないと、うんざりするくらい自明である道理を思うしかない。心で溜息ばかりついている。

11時40分台、それまでも幾度かあったが、シリアルや菓子類を食べた。シリアルは口を傷つけないようにしながら硬いままゴリゴリ(バリバリとは異なる)と噛み砕き、牛乳は余してある状態も加味して多めにかけてある。シリアルは特に微量の水分(牛乳など)をかけてレンジ加熱したものが排便作用のある食感となる(熱が強いほどデンプン糊化による柔軟な強度が増す)が、本日は夜中のシリアルのみそうしていた。牛乳を多めにかけても乳糖の消化に関連した下剤効果がある。シリアルの食事を終え、PCの前で姿勢を正して結跏趺坐を組んでいると、にわかに腹痛や便意が発生した。

しかし、尚もその程度の発現に留まり、PCに向き合いながら苦闘を続け、14時40分ころ、どうにか便り(便意)を得た。14時42分より排便すべくトイレへ入った。結果、最初の一発は便秘明けならではの、下腹部の皮膚組織にピリッとした刺激が走る痛みが生じるも、別段苦しみはない。10分間出す量を出してトイレを出た。無理に力を加えた影響で直腸に近い筋肉が痛む。


2016/07/03


本日はいつ目覚めたかはっきりしないが、2:40の第四アラーム・2:50の第五アラームは、鳴って止めた経緯がはっきりと記憶に残っている。2時58分に起床した。時同じくして1階にいた母が、飲み物に冷蔵庫が製氷した氷を入れて2階へ上がった様子である。ところで、前日の私は21時過ぎにPCをシャットダウンし、22時前も独り言をしていた。PCのシャットダウンが遅れてしかも、押入れ就寝をして独り言が止まないまま時間が進んでしまい、起床時間はいつものように3時ころのままだと、日に日に睡眠時間が削られていることになる。この傾向は先月下旬のメモから進行しており、当時も危惧していた。

3時台後半に下剤1錠を飲んだ。断続的に下腹部の痛みが発生し、7時半ころに排便した。中サイズの小さめのモノを数本出した。7時50分台後半から8時過ぎは悶えるような痛みとなった。8時3分ころからトイレに入り、中サイズ数本を経て軟便・下痢へと変わった。8時36分にトイレを出た。右の胸を縦に貫く(串刺し)ような痛みを感じる。11時ころも下痢を出した。

18時20分ころ、それまで愛知岐阜の県境のあたりでかなり降っているらしい情報をYahoo!天気で確認していたが、2階で色々な方角を眺めれば、やはり西や北の空は雲が多い。それでも、雲の裂け目があるらしく、西の空はオレンジ色の光が射して広がっていた。その様子を見るだけで満足した気分としておきたかったが、再度18時30分前に2階へ上がった。西の空を見晴らそうと窓を開けた矢先、K邸夫婦がベビーカーを押して南の道から現れた。千載一遇のシャッターチャンス(?)のため、彼らを撮るも、私の不手際が重なり、何となく私の動向に気付いた様子がある。それはそうと、彼らを見送ってから再度、西の空を写した。彼らに撮り、誤解無きように。この写真の時には18時20分ころの空模様と変容しているが、これも別物として良いと思っている。



2016/07/04

本日はまず1時ころに目覚め、1時4分の時刻を確認し、再度眠ってから2:10の第一アラームに目覚めたが、なおも起床しなかった。2:26の第三アラームで意識がはっきりとしてきたため、間もなく起床した。

近頃、当たり前ではあるが、暑くなってきた。体感的には暑くない時も、長い髪に触れている場所は汗ばんでくる。脇も注意しないと、いつの間にか汗に濡れてしまう。毎日寝るときも、PCの前で少し寝倒れるときも、背中や腕の汗は意識する。夏は座り続けると尻が蒸れて褥瘡にも似た痔ができやすいが、脇汗の件も含めて警戒する姿勢を取っている現状は例年ほど深刻ではないように思うが、実際に夏を越さないと分からない。このような日々にあって風呂(シャワシャン)を行う頻度は減っているから不安も一入である。

昼ころから自室やキッチンなどで小刻みな震えを幾度と感じた。14時過ぎにK邸のあたりを確認すると、どうも道路関連の工事を行っている様子である。K邸は竣工・住人の引っ越し(6月19日)以後も道路は未完成であった。水はけを考慮した石ころの道と、その上には部分的に木の板を連ねてバリアフリーを図る(ベビーカー考慮)のみであった。そのような仮設の道路が、改めて工事されている。豊橋の我が家の周辺の話は控えるが、前の埼玉県内の家は、2006年7月上旬に引っ越した当初、同じような状態であり、大雨が降った翌日は大雑草も生えていない庭が湖の状態となっていた。K邸も先月中、雨が降った際、車を停めるスペースが似たような状態となった。

19時過ぎ、本日は早めに眠れそうと感じ、早くシャットダウンしておこうと思った。ところで、I家では男性が、こちらにカッパなような禿頭を向けながら、車の点検らしき作業をしている。男性の母である高齢女性も現れて作業に口を出していた。あのキィキィ音は、当人らも気にしていよう。あの、車検のためか一時的に同じ車が無くなっていた期間(6月6~24日)は虚しい。



2016/07/05


本日は2:10の第一アラームに目覚めるも、起きずに浅い睡眠に何度も戻ったのであろうか、第二・第四アラームなども聴いて手ずから停止し、2:50の第五アラーム以後に起床する決意をし、2時56分に起床した。4時50分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時40分前に自室へ帰った。

風呂(シャワシャン)を行ってからの一日は、汗をかきやすくなるという経験則がある。いわゆる新陳代謝が高まっている状態であろうが、そのような状況下の汗は、なぜか普通の汗と比べて臭わない。それは「汗=クサイ」という誤った先入観のせいである。汗自体は臭くないが、汗を掻いて時間が経った時に腐敗するから臭う、そこに新たな汗が重なるとより臭いが伝播すると、これが私の理論である。本日の風呂(シャワシャン)に当たってこのような回想をしていた。やはり7時以降はPCをしていて正座などをしていると膝の裏がサラッとした汗を掻いていた。ちなみに、先の風呂(シャワシャン)は5日ぶりであり、風呂(シャワシャン)前の略式勤行で多少の汗を掻きもしたが、個人的には大して汗臭さは厳しくなかったと感じる。

9時過ぎ、外出する装いの母が一度、家の前に出たが、何もせずに家の中へ戻った。10時10分過ぎに洗濯に関するメールが送られ、直後に2階から物音も立ったが、母親の動向は特にないまま数分が経ったため、母がいつ家を出ようと出まいと関係がないと思い、洗濯を始めた。終わっても母が家を出ない場合はそのまま母に「あなたはいつ外出するか、洗濯は今終わったから干し出したい」と尋ねればよい。母の部屋のドアは開いたままである。

本日もK邸敷地内で道路の工事が行われているほか、家の前の通りでは、それと関連するものか別のものか不明の工事が行われている。「近藤カット工業所」と表示される軽トラックから後方へホースが伸びており、それが到達する場所では、道路を小さい重機で開いているように見える。その轟音は、窓を開放したままだとすさまじい。本日は朝8時前から交通整理の人(男女各1名)が家の前を移動していたが、いつからか、彼らの声が多く聞かれている。

11時50分過ぎに洗濯機の動作が終わり、母親を尋ねるも、母親の部屋にスリッパが置かれながらにして母親はいない。結局、母親は徒歩で外出していたようである。スリッパは、過去にも書いた通り、外出時は玄関に脱ぎ置かれる。本日は午後以降に曇りそうな懸念があるため、寝具などの洗濯は断念するが、別の衣類は洗っておくこととした。なお、11時ちょうど、I家男性がいつも通り姿を現して車に乗り込んだり、弟の部屋にはまたも異常なボンド地獄が見られた(6月6~8日メモなどにも記録)。彼は、この遊びのためにわざわざボンドを大量買いしているのであろうか。その産物(固まったボンド)は捨てられる。

しかしまあ、「本末究竟」の道理だなぁと思う。多くの一般の子供は、シャンプーの無駄遣いをする。他人よりもやや髪が長かった幼少期の私ですら、ちょこんとシャンプーヘッドを押した程度の量で足りていたというのに。弟はシャンプーを早く消費する性質があり、トイレットペーパーの使用量もやたらと多い(2014年祖母期には1階のトイレを詰まらせた・彼は普段1階のトイレを使わないというのに)まま恐らくは変化が無かろう。そして、こういった「無駄遣い」に類する悪癖は、直るも直らないもなく、ただ究めつつあるから「本末究竟」である。私は「道理だなぁ、道理だなあ!」と声を強めた。私と弟2人、兄弟で著しい差異が生じており、一般人は如かず。なぜこうも同じ兄弟で相反してしまうか。普通は影響し合う者同士、自然と似通うというのに。先天的にも後天的にも異なりを極めるが、その故にかえって相似性をも覚える。仏法の微妙なる思惟からそう感じ続ける。

15時50分過ぎ、K邸へのヤマト配達をたまたま目撃した。受け取りは奥さんである。本日は工事真っ只中の11時ころ、ベビーカーを押してK邸の敷地に進入する奥さんを見たばかりである。17時40分ころに母親が帰宅した。10時台のメールに「17時・18時ころ帰宅する、弁当を買って帰るかも」とも書かれていたが、これは「弁当=豊橋駅ビルの商業施設カルミアで寿司の弁当」と「買って帰るかも=だから今日はわざわざイオンに買い物へ行かなくてもよいだろう」という結果で現れた。18時29分、唐突に家を出た母親がどこかへ発車した。買出しならば弟への発言の通り、明日にしてほしい。20時過ぎに母が帰宅したが、やはり買出しであった。

21時過ぎにPCをシャットダウンすることとなった。非常に遅れたが、明日のゴミ出し・自販機通いという数日来の予定に問題は無かろうと思った。実際に眠ると23時前後に私は夢精した。またも夢精、前回は夢精処理作業中に少し大きいクモを目撃した6月19日である。今回も性的な夢を見ていた記憶があるが、単に気持ちよかっただけであまり内容がはっきりしない。「本当に射精しているようだ」という感覚もあったが、それより踏み込んで「いや、本当に射精したらヤバいんじゃないか?」とまでは思い至らず。

この夢精にはフラグや未然の影響などはあった。フラグというと、20時台にPCで二次元系のコンテンツを閲覧しながら「菩薩の位を退転しそう」といった呟きをしていた。最近の私が仏道の心を薄め、一方で世俗に心を蕩かしつつある状況を憂える思いでそう言った。自発的なオナニー自体は6月21日が最後である。ほか、未然の影響とは、PCをシャットダウンして押入れに移った私が布団と戯れる行為をしたためである。風呂(シャワシャン)に入って体が比較的清潔な上、新たに汗も掻きづらい涼しい夜であり、それでいて2015年以後やる頻度が激減した行為になぜかやる気が出たためである。全て魔の所業とも仏の諭しとも言えてしまい、そこまで自覚する私には「反省・努力」あるのみである。なお、20時台から今尚も母親がずっと1階でテレビを見ている。夢精の処理はしづらいが、夢精自体、テレビの音声も影響している可能性を感じる。この母親は23時20分ころに玄関ドアの開閉を伴う出入りを行った。



2016/07/06


経緯・前日メモの如し。0時過ぎ、私は予定の外出を行った。ゴミ出し・自販機通いは慣例だと朝の明るんでくる手前の時間帯に行うが、今回は特例のため、この真夜中に行う。ゴミ袋2つ(大・小1つずつ)と、財布を込めた購入物を入れる袋を携えて家を出ると、小雨がぱらついていた。家の前の通りは前日の工事の関係で、前後に長く2つ以上の線が伸びてツギハギのようである。緑・赤に切り替わるランプが工事の警告の看板の存在を示す。小雨が厄介なので、全体的に走りながらゴミ集積場・自販機2種を周り、一端家に荷物を預けてから携帯電話を取り出し、看板の撮影を行った。携帯電話に関しては、外出の事前に持ち歩こうとも思ったが、着ている服(小6から着続ける部屋着)が緩いため、走るだけでズリ下がるし、小雨の状況下では持ち歩かないで正解であったため、一端家に入るという動作も吝かではない(面倒とならない)。それにしても、あのような2時間も眠れないまま酷い寝起きを迎え、こうして走らされると体が壊れそうである、とだけ書いておく。

0時40分ころから前日保管した寿司に手を付けた。0時50分ころに醤油の小袋の扱いを誤り、テーブルクロス替わりのタオルにこぼした。外出から帰宅して私は、件の夢精パンツは次回の風呂(シャワシャン)まで洗わない・洗いに出さない判断をしていたが、ここで柔軟に翻意し、パンツとタオルは共に洗う判断へ転換した。悲しいことに、欲望や執着を離れづらい私は、その欲望や執着のための行動に更なる不手際を招き、苦境を流転輪廻し続けている。そういう惨状を憂えて努力してきても、簡単には結実しない。自分の中の自分とどう付き合っていくか、まだまだ難しい。

4時半以降、PCをシャットダウンして仮眠を取り始めた。これは3時台に決まった方針だが、4時過ぎにあった強烈な眠気が4時半までにはかなり薄れたり、4時半になって仮眠への行動を始めると携帯電話の角を頭にぶつけたり自分の髪の毛を踏んで立ち上がろうとしてやや髪の毛が引っ張られるなど、いずれも注意していたためわずかな痛みだったが、連発されるとたまったものではない。ほかの睡眠意欲を萎えさせる要因は忘れた。就寝以後も、いつもよりラップ音が気に障るし、排尿して時間が経たないのにまた尿意も感じるし、着ようと思った部屋着のトップスは未着用で、部屋の窓を開けようと思ったのに開けていない、といったように睡眠意欲を落とす要因が多かったが、眠りに集中することも大事であるので無視した。

6時に設定したアラームは聴くも、これで起床する気にならず眠り続け、7時半、母が弟を送り出す会話で目覚めた。弟が出て間もなく、母は2階に上がった様子だが、物音の聴こえ方に違和感がある。私は起床してPCの起動をなどし、トイレで排尿すると、尿道・尿管の広範囲がピリピリ痛み続けた。思えば腹部の内側にも筋肉痛に似た痛みがあるが、このように仮眠をとった際に頻発する身体の違和感や異常がある。

9時前から母親がどこかへ徒歩で外出した様子であるが、最初は家の周囲で水やりか、ここ2日連続で行っていた車への水かけをしだすかと思っていた。9時20分に水やりをしている母親の姿を見かけた。12時過ぎ、本日も工事が盛んな中、我が家にビラを投函するための郵便受けの開閉音が聴こえたが、家の前を見てもすでに遅く、投函した本人の姿が見えなかった。最近は1日に2人以上、ビラを投函する者もいる。窓の外には、見覚えのある老婆がK邸道路工事を見ながらトボトボと通過していった。色々飾りというか、着こんでいるような服装(帽子を被ってもいる)はI家の高齢女性のようであったが、この後、I家方向を確認すると、I家にもビラを配った女性が見え、子供を乗せる席を搭載したママチャリに乗って姿を消した。I家方向で再度郵便受けの開閉音がしたため、先ほどの老婆=I家高齢女性がI家に到着したのであろう。

12時50分台に母親が家の外に出て車をガサガサする際、香水の匂いが窓を介して自室に漂ってきた。この後、母親は徒歩でどこかへ行ったと思われる。14時過ぎに母が帰宅した。15時44分に母がどこかへ発車した。17時1分に母親の車が家に着いたが、なんと、先に降りた人物が弟であった。例のように耳鼻科あたりを受診したと思われるが、一緒に車で帰宅することは珍しい。



2016/07/07

本日は2:10の第一アラームに目覚め、起きようと思っても上手くいかなかった。2:26の第三アラーム以後に確然とした意識を掴み、数分後にどうにか起床した。それから、太ももの裏などに筋肉痛を感じ取ったが、これは前日0時以降の外出時、メモの記録の通り、走る時間が多かったためであろうとしか言えない。



2016/07/08

本日は2:10の第一アラームよりも前から、目覚めないまま意識があり、はっきりと思考もあった。第一アラームと同じ曲を流そうと思った瞬間に流れたから、これは一瞬、夢を見ているか、あるいはリアルで超能力によって音楽を再生したかと思ったが、実際にはたまたま同じ時刻となってアラームが作動していた。こういう調子であるから、二度寝のようにはならず、2時12分に起床した。起き上がるタイミングで誰かが1階へ降りてきたが、それはすぐに弟と分かった。彼が2階に戻った後も、2階で物音が頻繁に鳴る。4時ころ、俄かに弟が彼の部屋の窓を開け、外に向かって惚けた声で下品な単語を1つずつ計5つを発した。4時半、弟が1階に降りてドアを大きな物音で閉めたりした後、彼は朝食のシリアルを食べ始めた。

6時40分過ぎに下剤1錠を飲んだ。11時ころから多めのインスタントコーヒーで1杯のホットカフェオレを飲んだが、多少の便意しか生じず、下剤1錠も大した効果発現はない。前日、先月20日投稿の記事の動画化構想を実行しようと決心し、本日は7時台から既存記事関連の調査や加筆などを行った。12時ころから動画用の原稿もまとまり、動画撮影を始めようと思うと母親が1階に居座り始めた。13時30分ころ、本日はまだ手を付けていない絵の練習記事の下書きに関する作業を始めた矢先、母が俄かに2階へ上がった。

14時38分に母親がどこかへ発車した。14時50分ころから風呂(シャワシャン)を始め、自室には15時30分台に帰った。17時過ぎに母親の車が家に着いた。その5分以内に弟も帰宅した。18時台、弟が料理をしたいらしい。これは前日以前に加熱していない手作りのハンバーグを作ったらしく、冷凍庫に見られ、本日は冷蔵庫で解凍している様子があった。その料理の面倒を見る展開となった母だが、先に洗濯物を済ませようとしている最中、弟が自制できずに料理を先走るため、制止しようとしたり、「しゃべってらんない」などと物理的に会話できても弟を無理に抑えつけた。 弟のために洗濯 ご機嫌斜めの弟が「あぁ料理まずいよ」と不満を垂れ始め、母も「やめて!」と声色を強めだす。ついに弟がゴン!ゴン!と鈍い音を立てた。母の言葉では、壁か床を壊したそうである。「母: 殴ろうか?ピチン!(平手)痛くないか?これで割ってやろうか?」「もうしわけありません!もうしわけありません!」珍しく母が弟に手を上げ、弟もこのような反応を見せた。弟にコーヒーをぶっかけたらしく、目に入った云々と母が声を掛けた。

しかし、刹那的な畜生・修羅の衆生である弟はすぐに巻き返そうと声を荒げたり、リビング・廊下間のドアを勢いよく閉めたりもした。しかし、またすぐに弱腰となる。2階に弟が上がってから母が追跡し、色々攻めて責めた。2階でのいざこざの後、母が1階に降りてグチグチ小言ならぬ、狂った愚痴が始まった。「いろんなところ壊された・コーヒー拭かなきゃならない・赤ちゃんの時から認知症(の祖母)より面倒」と続け、ひどく乱心していた。「学校行かなくていい!」と叫んだ後、再度弟を2階から呼び直して説教ではない愚痴を繰り返し続ける。「出ていけ・家にいらない」系の愚痴のほか、三兄弟に関する世迷言まで垂れ始めるなど、ヒステリーの極致である。折に触れていつもヒステリーを起こす。

過去記事の通り、親子喧嘩の本質は「親子不二・相互の責任」であるが、一方的に「子供のみがバカである」などと繰り返す。親神様無謬説を唱え、弟の「もしお母さんがバカなら?逆のこと(弁証法のアンチテーゼか)」という哲学的懐疑を聞き入れずに「意味不明」と突っぱねていた。こんな暴君のような親は、然るべき道理で「バカな子」を持ったと気づきもしない。己の不徳による自業自得・因果応報に自覚は持てない無明の悪人である。事あるごとに「面倒みてらんない」と発する母だが、それなら最初から、己に子供の面倒を見たり子供を善導する徳がないことを自覚して(夫を持つと夫婦喧嘩になることを自覚して)未婚で薬剤師の仕事を続け、憧れのキューバにでも移住すればよかったろう。それができないから苦境の今がある。孝子として哀れむしかない。この最中の18時32分、なぜかヤマトのワゴン車と郵便配達のバイク2台が同時に家の間に現れた。



2016/07/09

本日は2:10の第一アラームに目覚めたが、起床の判断も確定しないままわざわざ残りの第二~第五アラームをOFF設定に変えた。これが不幸なことにそのまま二度寝をした私が、4時51分の起床となった。4時台の起床なんていつ以来であろうか、3時台すらそうないというのに。5時0分直前に部屋を出て顔の水洗いなどをしようとすると、汗か何か、右の亦の近くの湿り気が異様に感じられた。触ると妙なベタつきもあり、より検分すると明らかに性的な印象がある。ほとんどカウパーみたいだが、多少の精子も含んでいるとしか思えない。この液体はパンツを越して、部屋着ズボンにまで染み出しているようである。こんな自覚もできない夢精は御免蒙りたい。これまた初の経験である。前回の夢精は風呂(シャワシャン)を行った日の睡眠で発生したが、今回の夢精も、折角の風呂(シャワシャン)の日のうちの睡眠で発生している。

5時30分ころに下剤を飲んだ。6時1分、家の前に共産党関係(母が中途半端に購読していた機関紙解約以後も党員か住所登録残しのためか通信が届けられる)の配達が見えた。強めの雨の中、ご苦労と思う。前日から、強めの雨降りを懸念していたが、やはり起床後に、この雨を確認した。開放している窓はいつもよりずっと冷たい風を室内に流し込んでいる。

7時10分過ぎ、便意の高まりからトイレへ入った。折角なのでトイレットペーパーを用いて排出中の便の一部をもぎ取って検分・・・検便してみると、ネチっこい箇所は明るい茶色で、塊の大部分が黒かった。出た糞は、もぎ取った部分も含めた一本糞と見たてた場合、長めの中サイズである。思えば7月3日以来、6日ぶりとなる排便だが、これだけ出して一旦トイレより退出する。糞を出し切ってからクソ穴を拭うと、ペーパーには赤い部分が見られたが、6日の便秘のによる腸への負担が大きくて出血したか?9時13分、土砂降りの中、佐川のワゴン車(バン)の配達員が来た。母親が早く対応した。

10時40分台、腹痛と便意が強まったほか、少し別の興味を重ねて部屋を出て、1階のキッチン周りの確認をしてから、裂けそうな痛みに変わってきたため、トイレに入った。まずは適度に柔らかくて長い一本糞をツルンと放った。これは跳ね返り防止ペーパーの影響で便器の岸辺に乗り上げたため、跡が残ると困るから、速やかに流しておいた。そこからは軟便と下痢に変わった。一頻り輩出してから便器を見ると、少し高そうなビーフカレーに見えた。

12時30分ころに少量の下痢。12時41分、朝方に聴こえた彼らの会話の通りではあるが、先の下痢の最中に聞かれた「1時(13時)ころ行くよ」とは反して彼らは外出を始めた。朝方は先述の通り土砂降りであり、車に乗り、弟が先週借りたDVDをTSUTAYAに変換する話であったが、今は大体止んでいる。まあ路面が悪い点と、元々の話し合いもあるため、車で問題はなかろうが、それにしても前日の出来事は虚しい。悪い感情を引きずってもよくないが、畜生たる母の場合は顧みさえしないでいる。それでいて、怒ったときは己の不満を何度も呪文のように繰り返すから、一番中途半端で極端である。16時0分に彼らが帰宅した。



2016/07/10


本日は2:10の第一アラームで意識がついたようだが、すぐには起床しない。2:20の第二アラームは鳴った記憶も感覚もない。第四アラーム以後の2時42分に起床した。3時台から、2階の弟の部屋から度々の物音を感知した。4時台からは外が明るんできて、かなり良い朝焼けとなってくるころ(4時半以降)に2階へ色々な興味本位から階段を恐る恐る上ると、案の定、弟が部屋のドアをいきなり開けてきたのですぐに退却した。その5分以内に略式勤行を始めると、I家から住人が出て、いつも通り発車していった(無論キィキィ音や色んな音の壊れ具合が酷い)。略式勤行の直前からトイレに入っていた弟が、私の略式勤行が終わった直後にトイレを出た。おかしな出来事が多い。

8時半、母親と弟が参院選の投票所へ出発した。母親が家を出るまで外に立たされていた弟の顔つきに「習近平が少し痩せたら」の印象を覚えた。豚は豚でも、小6の時はまだ可愛い豚さんだったが・・・。参院選の投票所は、居住地域ごとに、定められた場所に限定されているように思う。私の手元の紙(6月22日に母から渡された整理券のようなもの)を見てそう思った。開票などで投票者を照会する必要があり、簡便にするためか。彼らは8時55分ころに帰宅したが、弟は数分後に再度外出した。母は最近よくやる自動車への水かけの折、突然通行車両に呼び止められていた。どうも高齢者2名に道案内を求められている。その間、母親のスカートの端には水がかかっていた。

彼らの投票所への外出から少し経った時に私は、2階へ上がって母の部屋を覗いた。プリンター(複合機)の上に「フィットネス」の予定表だかカレンダーを見かけた。7月18日・8月11・13・25日のほか、7月の第4日曜日から8月末までの日曜日にマーカーで塗られていた。母親は先月あたりから俄かにストレッチ云々と言い出すようになっていたが、また俄かに始め出すのであろうか。そのフィットネスクラブだかに実際に通う場合は、今までのカフェ関連や赤旗購読・解約や心理カウンセラー講座だとかクリニック開業だとかと比べて、他人との関係が強まる。また母が他人に迷惑を掛けないことを願う。ところで、弟の部屋はいつも通りボンドの臭いが酷かった。あれは単に化学的だから体に悪いという印象があったが、もっと突き詰めるとシンナーのようである。木工用ボンドの臭いがシンナーと同系であれば、実際に有害であろう。こんな精神衛生的にも悪い臭いが常時漂っている弟の部屋は病的である。

11時過ぎに母親が発車した。16時前に母の車が家に着いた。今回は久々にPBたるTVのインスタントラーメン1パックが買い与えられた(最近までキッチンのものを少量もらって食べていたので長期間実物を見ないでいたわけではない)。そのインスタントラーメンおよび、いつものPBたるTVの370g・230gのチョコ味シリアルがリニューアルされていた。ラーメンの方は日清・茨城のまま(スープは静岡だったが今は不明)だが、このシリアルは他のTVシリアルが日清シスコ埼玉であったように、今までのカルビー栃木から日清シスコ埼玉に切り替わっていた。いずれもパッケージ写真から、雰囲気が変わっている。

栄養成分表示は端的な比較できるので確認した。例として同じ分量中、シリアルの場合はリニューアル後にたんぱく質や食物繊維の数値が落ちて糖質の数値が上がっている。ラーメンにしてもリニューアル後に食塩相当量などの数値は上がっており、いずれも世間的な健康を気にする人には心地よくない変化である。ところで、本日は下書き記事を反映した。世間・世俗の健康に対して仏教の立場から「真の健康」を披瀝している。栄養成分の数値は、執筆当時に不正が明るみに出た自動車の燃費の数値同様、一般人・消費者にとって西洋の啓蒙思想でいう「経験論・感覚論」には合致しないと書いてある。ついでに、新シリアルの方には先ほどと同じ分量(40g)中に「乳酸菌(殺菌)が理論値で約1億個」と書かれるが、これは新しい。某菓子にも似たような表現は見られるが、ここまで明確に書いていると感心する。菌や栄養素について当該記事では「現代日本人の信仰対象」と書いた。



2016/07/11

本日は2:10の第一アラームに目覚めた。前日は20時半過ぎにPCをシャットダウンし、眠れたか眠れないまま、まだ母親が1階で選挙の報道を見ている22時半を向かえて1度時刻確認をした際、耳栓を両耳に着けた。その耳栓は珍しく、この第一アラームの折に両耳とも外れずに着いていた。両耳はふさがっているが、今の設定音量でしっかりと聴こえた。それから2時14分に起床した。

今朝(4時以降)も弟は起きているようだが、さほど騒がしくない。5時前から1階に30分ほど朝食で居座った後、一度2階に上がってから1階に降りてきて、外で靴か何かをはたいてどこかへ出て行った。ゴミ出しかと思われるも、そのまま帰ってこず、6時10分過ぎには2階トイレの出入りなどの動向があった母が彼の部屋をノックして反応がないことを確認してから1階に降りてきた。終始無言であった。弟が早朝に、それも平日であるが、外出するとは珍しく思うし、この場合は一度も類例がない。私自身、ゴミ出しに行こうと思っていて(ゴミ出しの発想は弟の動向のおかげでもあるが)今の2人の動向が煩わしく、6時20分前に自室に置いている靴を包むビニール袋に見える小石のようなものを玄関で除去する折、物音を聞いた母親が弟の名を呼んだが、まだ外出したまま帰っていない旨を伝えた。結局数分後に急ぎ足でゴミ出しを済ませてきた。いつもの部屋着に、タオルで髪をくるんでいる。2015年7月24日動画の如し。

11時台に飲んだコーヒーのカフェインパワーで13時以降は下痢のような便意を強め、13時20分台にトイレへ入った。下痢のような感覚で排出したものは、水の中で固形を維持している軟便であった。6月8・9日に1錠ずつ飲んだ下剤の効果による下痢状態が緩和されたものであろうが、随分と悪い残し方であろう。18時40分台、母親が家の前で掃き掃除のような作業をしている際、誰か別の女性に話しかけられた様子なので覗くと、ブラジル人のよう(豊橋に多数居住、母より身長が低い)であり、彼女はそのままK邸敷地内へ進んだ。なお、母の作業は、私の部屋の窓の外側に何度も取り付けようとして強風などで失敗を繰り返し、4月4日を最後に今まで放置していた模造観葉植物を動かすものであった。



2016/07/12

本日は2:10の第一アラームに目覚めたかもしれないが、第二・第三あたりで第四・第五アラームをオフにした。一応、起きようとは思っていたが、意識が浅いために起きずじまいで、気づけば4時52分の時刻を確認し、即座に起床した。魔の所業に違いない。以前も似たような経験として7月9日は4時51分と、時刻がほとんど同じである。いずれも、時刻確認より先に窓の外の明るさに気付いた。窓の外の明るさには恐ろしさを覚える。結局、いつも己の反省を促すしかないが、同時に己の心に甘えてもよいという気持ちはある。

前日から風呂(シャワシャン)の予定があったが、それは天気の確認の必要を踏まえている。今は晴れていて薄らと朝焼けの色を帯びているが、天気サイトを見るに、間もなく曇って日中は降水も有り得る。ほか、風呂場には洗濯物が出されている。天気のために洗濯は考えづらく、自分で洗濯をして風呂場で乾かすにも、条件が悪い。消極的マイナス条件が揃っているため、今朝においては風呂(シャワシャン)を行わない方がよい。

10時10分台、ヤマト男性配達員が来た。家の前をトラックが通過したとは気づかなかった。呼び鈴が鳴ってすぐに2階の母が反応した。男性の外見と声などから、NやSとは別人のようである。2つの段ボール箱を抱えており、下の大きいものの内容物は米10kg袋1つか5kg袋2つと思われる。



2016/07/13

本日は目覚めて時刻を確認すると0時59分であった。なぜこの時間に目覚めたかは、おおかた気まぐれと見ているが、強いて理由を問えば、暑苦しさか?個人的な感情では暑苦しく思っていないが、小6から着る化学繊維の長袖=今は7分袖みたいな部屋着に覆われた体表は汗ばんでいるので、暑苦しかろう。ともあれ、どうしても前日の遅すぎる起床が気に障る。今、起床してしまえば、前日の起床時刻とは偉く極端な違いがある。それは相対性の話であり、絶対性で見ても、前日の入眠は21時前後と見る。多く見積もっても4時間程度しか眠っていないのだから、やはり問題を感じる。しかし、再度眠る気もしないし、本日の料理だとか風呂(シャワシャン)の予定を思えばむしろ好都合であるため、間もなく起床した。

4時20分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時10分前に自室へ帰った。10時9分に母親がどこかへ発車した。2階の母親の部屋のバルコニーに干し出された洗濯物などを確認して自室に戻った10時17分に電話の受信があり、すぐに母親からのものと感じたし、内容も洗濯物に関連すると察した。案の定、そういうわけで母親のいる場所で雨が降り出したとのことである。前日から、本日のいつかは雨が降ると天気サイトを見ながら思っていたが、今とは考えづらい。私が見た窓の風景は明るくて雨の降りそうな気配はなかった。その後もこちらで雨の降る様子を感じない。11時38分に母親の車が家に着いたが、アイドリングをしたまま5分以上も動きが無かった。家の周辺は雨が降っている気配を感じず(怠慢のためよく調べず)、洗濯物は取り込まないでいた。家に入って声を発した母にそのことを告げると驚かれた。11時44分、家の周辺でも降り始めている様子である。

12時50分頃、本日のコーヒー2杯の影響による便意でトイレに入った。本日のコーヒー2杯とは、普通の人より少ないインスタントコーヒーで普通のブラックコーヒーよりやや薄めの2杯だが、2杯目の方は、更に一定量が飲まれた状態で何度もお湯を継ぎ足して飲んだ。それも飲み切って以後、それまで小便も我慢していたため、大便もろとも排出する。糞はスポッと出す。やや多く出たはずだが、しっかりと確認していない。19時台、トイレでの排尿時、湿って癒着していた陰茎と陰嚢の関係により、陰嚢に小便をひっかけた。トイレでの排尿時にタマに小便をひっかけるなど前代未聞である。今日もとい明日もまた、最近の風呂(シャワシャン)日の通例のごとく夢精するかどうか案じつつ、このようにオナニーをしない私のぶら下がったタマに小便をひっかけたのであった。なお、包皮は血がにじんだような赤みを広く見た。



2016/07/14

本日も未だアラームの鳴らずある時間帯に目覚めた。最初の時刻確認が0時21分であるが、再度の時刻確認をした0時33分以後に起床した。1時台、調理とともに自室冷蔵庫の霜の除去作業を始めた。冷蔵庫の電源を落とし、水が垂れ落ちそうな箇所にタオルを敷き、収納される一部(牛乳など)をキッチンの冷蔵庫に移す。冷蔵庫は一旦措き、調理と食事を挟み、ちょうどよく融けて除去しやすくなった霜(ガチガチなので氷そのもの)に手を付けた。作業が2時10分ころまで続き、オフにしていない第一アラームが鳴った。こういう日は早めにアラームをオフにしてよいのにと、私の顛倒を嘆く。作業後にタオルと上下部屋着を洗濯カゴに出した。

音楽作業に夢中でいる中、ふと自分の膝の様子が気になった。胡座を組んでいたとはいえ、膝を重ねて交差する部分はジューシーな汗を見せていた。ジューシーとは、果肉のジューシーであって獣の肉汁のような脂汗とは全く違う。この汗を舐めると、塩味と酸味が強かった。腐臭などは無い。脇汗特有の嫌なクセも無い。7月5日の日記メモで、風呂(シャワシャン)から時間が経たないうちは「普通の汗と比べて臭わない」と綴ったものの、これには汗の味の濃淡も含めていた。いや、含めていたかもはっきりしない。

4時30分台、最近の経緯を吟味して前日から薄々思い浮かべていたオナニーを行った。6月21日以来3週間半ぶりとなる。オナニーは適度に行ってよい。私はいつも綴るよう、自然と欲が減衰する状態を志向している。オナニーの頻度は稀にあると、現状では程よく思うが、大概は機を逸して過ごす。本日のように静かな時間が長く確保される日は適している。でもまあ、最近ずっとボンド中毒の弟が早朝に物音を立て続けているわけだし、元より日中は母・家の周辺の交通に限らずE2邸工事や関連工事(道路・水道など)もあって静かな時間はほぼ無いと考える。8時55分に母親が発車した。洗濯物が気になったので洗濯機や2階のバルコニーを確認した矢先の9時2分、案の定着信が入って母親の電話に応じた。無論、洗濯物に関する趣旨の電話である。

8時20分以降は、色々とGoogleのサービスに関して様々な操作を行い、今もPicasaで管理されているBloggerの画像を何とか別の手段で管理できるようにならないか探っていた。Googleフォトの問題は過去の投稿の通りである。上策はPicasaからGoogleフォトへの移動だが、これは現状手段がないし、怠慢Google開発者がするはずもない。極め付きは、サービス終了予告を何度も延期したり5月1日が最終的な確定日時であったのに今もBloggerでアップした画像はPicasaに保存され、Picasaウェブアルバムでの管理もできるし、逆に「PicasaとGoogleフォトのデータ移動をできるよう準備している"Soon"」と書きながらいまだにそのページが設けられていない。良くも悪くも怠慢の極みである。

そうして操作する折、9時30分ころか、Bloggerで表示する画像のURLが失効し、HTMLにはその失効URLのまま残され、画像が表示不能となった。やはりGoogleらしい。虚脱感ばかりで怒りも悲しみもない。所詮そんなものであるGoogleが良かろうと悪かろうと、私には喜怒哀楽もなくなっている。一応、別途アルバムのURLを押さえてあり、ここで画像のURLを再取得して一つ一つ記事HTMLの画像URLを置換すれば元に戻せるが、本格的な実行は未定である。処理すべき画像枚数は200枚超に登る。10時0分に母親が再度電話を掛けてきたが、豊川特別支援学校にいる様子を確認した。前日より、本日が保護者会と授業参観日となっていたが、さっそく学校にいる。



2016/07/15


本日は2:10の第一アラームに目覚め、そのまま臥し続けたが、2:40の第四アラーム以後の2時42分に起床した。本日のように、本来の2時台起床が望ましいものの、今回は今回で頭が痛い。ちょうどよいはずであるのに。また、睡眠時の衣服の影響で、胴体は大して汗ばんでいないが、蒸れたような感覚がある。

本日も3時台・4時台など、ずっと弟の部屋から物音が聴こえ続けていた。6時15分に弟が早朝の散歩に出て行った。このように異常な活力を見る。金曜日である本日も学校はあろう。連日、深夜早朝の荒れ具合やゴミ出し後の散歩(前日の場合も同様)に限らず、ゴミの有無にかかわらない散歩まで始める。

10時20分前に母親が発車した。本日は9時台に晴れ間を多少確認した。今後晴れる予報もあり、これに期待して寝具の洗濯の案を実行したい。まずは洗濯機と2階バルコニーの様子見をし、洗濯が可能であると判断して掛け布団のカバーを洗濯に出し、中身はバルコニーではたく。洗濯し終わった掛け布団カバーを干し出して時間が経った11時40分、家の前にヤマト配達員Nのクール車トラックが停止した。これは本日も前日も工事の作業がされているK邸への配達であり、Amazonの大きめの箱であった。その折に、日光を照り返す地面の明るさに気付き、敷布団カバーの洗濯を行う案を忘却していたと気づき、直ちにその案を実行した。12時11分に再度配達員Nが現れ、E宅に配達していた。

度々洗濯物の様子を見たりする私だが、14時28分に様子を見ると、太陽のそばに厚めの雲が固まっており、比較的薄い部分が太陽を覆っていた。ほか、2匹のトンボの追いかけっこが見られたが、これは前日にしても同じように見られた。15時30分前に母親が帰宅した。



2016/07/16

本日はまず1時台に目覚めた。目覚めて時間の経たない1時10分頃、車の音は大きめにしつこく聴こえ、部屋を照らす光も違和感があった。近隣のどこかに停車するつもりなのかもしれない。寝床から起きて窺えば、集合住宅敷地にバックで進入している大型の乗用車があった。これは数分後にこの場を去った。2時台の5種アラームは第一・第四など、全てではないが気付いた記憶がある。いつも思うが、今の私が「気付かなかった・聴こえなかった」とするアラームらは、理論上、実際に鳴っているはずであろうが、私が本当に気付かないでいたのか、それとも単に忘れただけであろうか?それはそうと、新聞配達のバイクや弟の物音から我に返った私は3時23分に起床した。3・4時台とも弟が2階で物音を立て続け、4時20分台に1階で食事をとった様子だが、外出準備もした彼は水筒を持って5時0分に家を出て行った。7時前に一度帰宅した彼は再度別の荷物を用意して外出した。いずれも去り際に母親への声掛けをしていた。

7時0分台からトイレに入った。弟の4時台の朝食後、インスタントコーヒーを熱が弱まったお湯で淹れて飲んでいたが、今まで便意が続き、ようやく排便に至った。そもそも前日にもインスタントコーヒーを私の分量で2杯分(普通の人の1.5杯ほど)を飲んでいたが、効果に乏しかった。最近、この「2日連続で飲んだ2日目に排便効果が出る」というおかしな事態が多い。6月28日メモに「本日と前回は、その前日にもコーヒーを飲んでいたのに、その日は排便しなかった」と、同様の事象を記録している。身体・栄養などに定まった法則などないという見解が私の思考の隅っこにあるため、これらの事象もこの範疇と思う。

15時台に弟が外出から帰宅した。私が思うに彼は、今月の半ばの小遣いをもらった上で遊びに出歩き、道中で食事も取っていよう。今の時期ならば市街地での祭り開催(豊橋祇園祭?)も考えられる。それはそうと、18時前から母親が、前日の買出しで買ってきたとうもろこし2本を調理する作業を始めたが、弟も付き合わされている。母親としてはとうもろこしのヒゲ取りなどの作業で弟との時間を過ごす機会としてみたり、楽しく過ごせることを信じたのであろうが、それは形式に対する過信でしかない。本当にそういった時間を過ごせるかは当事者らの精神性に依る。母親ごときではかえってリスクが強い。実際の彼らは、怒りを抑え気味に険悪なまま作業を続けていた。弟の不手際に口をとがらせる母、怒りを爆発させないように表面張力を保ったまま動揺し続ける弟であった。弟の様子が危険に感じられるたびに逃げ腰・弱腰でヒステリックな口調となる母親。



2016/07/17


本日は1時20分台に目覚めた。誰かが1階で大きな音量のテレビを見て冷蔵庫の開閉を大きくしている音声が原因である。弟の深夜料理かと思ったが、前日は一応普通に夕食を取っていたので断定はできない。2階で別人の動きも感じたので、母と弟どちらかが1階にいると思われた。私が1時32分に起床して様子を窺うと、まず1階の洗面所にある洗濯機が回されていた。自室に戻ってふすまの先を見れば、ソファに母がでっぷりと座っていて濡れていた髪にイジイジガサガサと気味の悪い動作を取っていた。間もなく、笑いだしたりTV番組に対して独り言を発し続けた。このような非常識・無恥の行為なども多く積み重ねられて私の「母親らしさ」が形成されている。

この母親は2時前に2階へ上がって弟にぼけた声掛けをしたが、私は2時10分台になってから顔の水洗いを目的に部屋を出た。私は常に虫を警戒しており、普通にリビングを経由してキッチンに行こうとするも、ふと洗面所が気になった。なんと、床に全長1.5cmほどある塊が見えた。ドアや照明の位置関係のために翳っているが、注視しても虫にしか見えない。照明をつけて写真を撮った。得体の知れない虫が転がった状態で足をもがいている。それがしばらく止まったり、いきなり暴れ出したりと落ち着きがない。殺すつもりにはならない私だが、殺虫剤を軽度にふきかけて安んじようとした。さっきまで暴れていた虫が落ち着きを得た様子で、私も落ち着く。抜苦与楽の慈悲で自利利他が叶い、うれしく思う。ところで、私が眠っていた時間に風呂に入っていたであろう母親は、過去のクモ2度と同じく、気づくこともない。先ほどまで1階リビングで安逸を貪っていたというのに。無用心・不徳は恐ろしく、私に悪果が回向されている。2時50分前に再度様子を確認し、まだ元気な様子であったため、ちりとりに掃いて運び、外へ逃がした。いつも私が対処するしかない。

4時10分ころから風呂(シャワシャン)の準備を始め、風呂場を出てもよい5時前、2階のトイレを出た弟が1階へ降りてきて朝食を始め出した。弟は不眠ではないかと、最近思い続けている。それとも21時ころから2時くらいまでの間の短時間睡眠であろうか。折角彼らの生活体型と切り離すべく続けてきた夜昼逆転維持の11か月も、今や台無しの状態である。それ以前の昼夜・夜昼自在の生活も同じ意思から続けていたが、どっちも頓挫する。期待などしていなかったが。母親も復職しないまま早起きだったり朝9時いや12時ころまで起きない時もこの11か月間いや退職後の2015年3月以降に当たり前であった。たった2人しかいないというのに、みなバラバラであるから私の気持ちを整える時間(創作ユートピア・主に音楽への集中)は少ない。一番良いことは、誰がいようとゴキブリがいようと泰然とできる精神であろう。

7時28分に母親へ、最近の1階共有スペースでの虫の出没に関して「殺さず家の外に逃がしている・今後も注意」という旨のメールを送信した。7時29分から仮眠の練習を行った。作業をしても力が抜けて「コクッ」と気を失いそうになるため、少しでも紛らわそうと考えていた。本日はあくまでもカフェイン節制を保っておきたいため、コーヒーなどは摂らない。8:00に爆音アラームを構えてあり、アラームへの疑念の事実を確認する目的もある。押入れ内では布団とイチャつく時間もややあったが、入眠するかしないかという状況が長引き、昏睡気味に8:00のアラームを迎えた。発汗・痛みの発生も問題はなく、恐らくは眠気も飛んだであろうから、半身浴のような仮眠を取って「足るを知る」思いとなる。

8時8分、仮眠の手前に送信したメールへの返信が来た。「殺して逃がしてほしい」とあったが、それは「捨てる」という表現でよかろう。今後も、殺さないでよさそうな場合は、可能な限りに生かしたまま逃がそうと思う。9時過ぎに弟が前日と同じ服装やリュックサック・水筒の格好で家を出た。それからの作業も「コクッ」となるようになってきた。



2016/07/18


本日は5種アラームを経て2時54分に起床した。3時台に弟の2階トイレ出入りを確認したが、私の朝食作業のキッチンにおける後片付けを済ませた後、再度動きだした弟が1階に降りてきて手を洗うだけで2階に戻った。その後は彼の部屋でで異様な物音を立て続けているが、いつものことである。彼は5時台に外出し、7時前に一度帰宅して再度外出した。直前に母との会話で「また外食?前と同じとこ?」という発言が聞かれたが、母と外食したという気配を最近は感知していない。

8時台に小さめの中サイズのモノを5回ほど排出した。本日5時前に淹れた濃い目のインスタントコーヒーを一度その時に6割ほど飲み、残りは8時前からお湯を追って注いで飲んだためのカフェインパワーによる。

10時45分から母親が弟に外出関連の声掛けをした。どうも、本日は7月第3月曜日であり海の日であるからかは別として、プールに行くらしい。せっかくのお出かけも、毎度のように弟の不手際と、それにネチネチ言い腐る母親のやりとりで、彼らの雰囲気は険悪である。彼らは車で家を去った。

12時前から気づいたように洗濯を想起した。案は無いため探したところ、PCを置いているテーブルの下に丸まっているタオルケットが目についた。最後に洗った日がいつかは不明だが、これを洗おうと発案したので実行した。12時40分ころに2階バルコニーへ干し出し、13時20分前に様子見に行った。海の日、関係はないがよく晴れて、少し日に当てられるだけで汗が噴き出そうである。洗濯中は日光の強さを感じた。人間の肌は環境によって多彩な色を見せる。部屋では黄ばんでいるように見えても、ここでは白く透けている。次に思ったことは、その影響の更なる強さである。有名な歌詞ではないが、オレンジ色に透けており、血の通っている色彩が浮かんだ。幼少のころ、何らかのおもちゃか電灯の強い光を手に当てて指の爪を透かしていた記憶がある。

15時11分、E2邸工事現場の方向からエンジン音のような音が聴こえており、家のポスト開閉音が聴こえたときは工事関係者か誰かが投函したかと考えたが、弟の帰宅であった。どこかに外出した場合、母親とは別々に帰宅することが頻繁にあると過去メモにも記したが、今回の目的地をプールとして、どこから弟は一人で歩いて家まで帰ってきたか?先ほどのエンジン音は母親の車ではない。母親は16時20分過ぎに帰宅した。



2016/07/19

本日は1時48分に起床した。前日の押入れ就寝は20時前であったようだが、それ以降も独り言などが続いた。前日は暑い日のようであった上に私の部屋は家で一番熱がこもりやすいながら、クーラー・エアコンの冷房を作動せずに過ごしてきたし、就寝に当たっても同様である。あまり暑くはないが、汗が出やすいことは気になった。眠りづらさはそのためか、はたまた16時台に誤ってコップに少量を注いだ烏龍茶(ペットボトル・7月6日購入?当日に7月19日開栓)を飲んだためか?多少の自制があったため、21時台にどうにか眠ったのであろう。

4時28分に外出のための準備をしているところ、4時0分ころから物音を立て始めた弟が1階に降りてきて手を洗い始めたが、2日続けて行う理由は不明である。外出については本日の早朝に自販機でお茶などを買い、明日にゴミ出しと別の自販機通いを行う予定である。4時31分ころから外出し、4時40分ころに帰宅した。目的地に近づくあたりで同じ道路の遠くに歩く人影が見えた。同じ道路の右側を歩く私だが、その人影も向かい右側(本人の立場では左側)を歩いている。構わず、道路右側に接した目的の自販機がある敷地内に入った。購入作業を終えてもこの人影は姿を現さない。道路に出て見直すと、この人影はどこにも見えなかった。向かい左(車道をまたいだ本人の右側)の道に曲がったか、向かい右に接した集合住宅か民家にでも入ったか?有象無象と思うしかない。元々気にする必要もないと思っているが、一応は常に注意する用心深さがある私としては一喜一憂ばかりである。

8時15分に母親から声掛けをされた。本日は7時前後あたりから車の出入り・炊飯などをしていた母である。その母が、これから外出するため、母の代わりに洗濯物を干し出すよう指示してきた。この際に、いつも聞きそびれる「いつごろ帰ってくるか」という旨を問うたら、「(午後)6時か7時」ということであった。前日の就寝時は酷く汗を掻き、全身どこもかしこもしょっぱいため、本日も晴れるようなので部屋着ごと洗濯しようと思う。8時半以降に風呂(シャワシャン)を始め、あまり晴れている様子がないため、終えてからしばらくは洗濯せずに過ごした。11時過ぎに日が出てきた様子であるから、部屋着類の計5点を洗濯した。



2016/07/20


本日は2:20の第二アラームに目覚め、2時23分に起床した。前日は19時半ころにPCをシャットダウンして就寝していたが、23時前に一度目覚めた経緯がある。母親がテレビを付けて大きめの音を垂れ流しながら、飲み物を飲んでいるのかガラス容器とスプーンをぶつける音を頻繁に立て、洗濯機の回転の音も聴こえる。洗濯機の回転が終わってもテレビの音声や飲み物関係の音が鳴り続けてくるため、耳栓を用意して再度眠った。本日の起床時に例の如く片耳(左)が外れていた。

3時34分から前日にも触れた外出の実行をした。南西の方角に満月が見えた。その威容にいつも目を奪われてしまう。ゴミ出しを終え、この方角のにあるターゲットの自販機のうち、最初2種ほどで購入を逡巡して何も買わずに離れ、別の2種(非飲料は最初から予定がある)で計3品を購入した。

本日は4時半以降にインスタントコーヒー1杯を淹れた。それから長らく小便もなかった。本日は起床以後に1度排尿したかも判断がつかない。7時40分前になって溜まった尿を出す。近頃は水分が欠乏の傾向にあり、常に尿の色が濃く見えるが、今回はまず排尿量が多い上に、尿道を焼くような感覚が尿の濃度やそれまで排尿していなかった感覚にさせる。実際に、便器の中の尿は暗くて濃い色であった。それはそうと、トイレから出るあたりで母親が2階に洗濯物を干し出しに行ったが、洗濯材の臭いが残っている。最近買って母が早めに多く消費してきたトップバリュのものではなく、ライオンの某製品のものに似ている臭いであったが、案の定その製品である。あのトップバリュのもの1本は、使い始めて5~10日ほどで使い切ったこととなる。

8時20分に母が発車した。前日とほぼ同じ時間であるが、昨日の動向といい、復職の線が濃厚である。前日に記録は無いが、18時・19時ころにどこかと通話していて仕事関連のようであった。以前に「薬剤」云々の書類も見た。薬剤師の職務に戻ったと見てよいが、未だ断定はできない。12時、予想をしない早さで弟が帰宅した。しかし、思い返すと今月のある日、「海の日の翌日はまだ出校日」と知ったわけで、今日は弟の学校の1学期最後の日となるため、このように帰宅が早かった。したがって明日からは彼の夏休みに入る。

20時44分に母親の車が帰った。弟は寝ているか不明だが、家も暗いため迎えた・・・弟が応じない時はいつも私が迎えているが。弟は17時台あたりに水まきの遊びをしていたが、これは初めて見た。そのため、母親が庭などを介して物を運ぶ際、母親が庭の問題に気付いたときは機嫌を悪くしていた。ほか、昼や夕に1度ずつ弟が炊飯をしていた。母親が作って残して容器に移して常温放置していたご飯を弟は食べていない。



2016/07/21

缶詰の中に盛った→缶の中に詰めた

本日は2:20の第二アラームか2:26の第三アラームに目覚めたようだが、しばらく起きず。2:40の第四アラーム付近でも意識はあったが、これが再生されて手ずから停止したという記憶がない。そのため、2:50の第五アラームを待ったところ、やはりちゃんと再生される。第四アラームは再生されたか、それを手ずから停止したか、記憶は蘇らない。

5時30分ころからインスタントコーヒーを淹れ、6時50分前から便意と腹痛が強まり、トイレに入った。やや硬くて小さめのモノを複数排出した。朝食の残りを多少ついばみ、インスタントコーヒーの残りを水増ししたものを飲み切ってから水を汲みに行こうとし、飲み切ったところ、なぜか母親が1階に降りてきた。テレビをつけると今度はすぐ2階に上がっていった。意味不明である。癪だから水を汲まない。まことに馬鹿馬鹿しい。私は私が死ねばいいと常々思う。その母親は5分経っても1階に降りてこない。8時20分台に母親が車で外出した。8時40分台に先ほどより良質のモノ複数個を排便した。12時20分前からも同様のモノ複数個を排便した。



2016/07/22

インターネットなし、セキュリティ保護あり

本日は2時30分ころに起床した。3時台は主に料理・食事をしていたが、インターネットに接続する動作をしばらくしていなく、ブラウザの操作をしていると、怪しい挙動となった。案の定、アクセスできなくなっている。よくあることで、インターネット接続作業を少しの間させないだけでこのようなことが頻発する。このPCが悪いのやらと思うが、このWin10機ではなく、Win7機の方も1か月ぶりほどの起動をしてブラウザを開いたが、あるいはネットワークに関する画面であっても、Win10機と全く同じ惨状であった5月10日など以前の例も加えて考えると、回線の無線LANルーターが、接続作業をさせないと狂うという代物ではないかとも考えられる。5月10日のように重度であれば、しばらく為す術はないが、いつか回復しよう。

4時台には弟が1階へ降りてきた。4時半以降に仮眠の練習を始めた。内心では「臥禅」とも称しているが、私の睡眠にも「禅定」は当然、ない。眠れば、顕在的な自己の認識などから離れる程度である。5時20分のアラームを設定してあるが、5時前後にはスッキリと眠気が取れていた。しかし、もう少し続けようと思っていたらば酷い睡眠状態に入り、6時半に目覚めると左腕が凄まじく痺れ、首も疲れた。惰眠の罰、違う、不条理である。悲しい。2階で弟の激しい物音が聴こえた。6時40分から母親が1階に降りて本日も8時台に外出すべく作業を始めていた。8時30分ころに母親が発車した。ところで、あの仮眠の影響か、本日は特に何ともなかった目が痛み出した。仮眠を取っていない昨日は右目を中心に痛みがあったが、今は左目が凄まじい。涙が出そうになるほか、粘り気に欠ける鼻水も少々発生しやすくなっている。仮眠の練習・訓練は、こういった身体異常がどう発生するか調べる目的もあるとはいえ、1時間半も追加で眠るとは思いもしない。

9時10分、Win10機で普通にインターネット接続を伴うアプリケーションの操作をしていたが、またアクセス不能に陥った。先ほどや5月10日などの通例と全く異なるパターンである。こうなると、相変わらずの「因無し策無し禍根無し」というほかはない。このため、9時16分に2階の母の部屋に上がってLANルーターの機器をいじった。自室のPCに戻ると、接続が回復したようだが、こういった対処をしても直らない事態となる場合も十分に考えられるので今後も安心はできない。

9時50分ころに今日行ってもよさそうな風呂(シャワシャン)について考えたが、そのタイミングで家の前に停車する音が聞こえた。黒いワゴン車であり、そばを作業着か何かをまとった高齢男性がうろついている。E2邸・水道などの工事関係者ではなく、E家に別の老人を連れた福祉施設の従業員のようである。その後、浴室を確認すると、あいにく洗濯物が干されていた。これも外で干せばよいと思うが、私から移動させる気にもならないため、本日は当面、風呂(シャワシャン)を断念することとなる。インターネットの接続も、また不具合が見られ、現状は何をするにも適さない。絵か音楽は気分が向きづらいが、それで精一杯である。

10時20分ころに弟がリュックサックを背負って外出を始めた。先ほど「当面」と書いた通り、こういった変化には柔軟に応じていくつもりでいたため、風呂(シャワシャン)を始めた。11時10分に自室へ戻った。スリープから立ち上げたPCは未だ接続が回復していないため、再度母親の部屋でLANルーターをいじり、回復させた。

18時40分台、母親の車が帰ってきたが、まだ母親本人が家に入らないタイミングでまた接続ができなくなった。また同じく母の部屋のLANルーターをいじって自室に戻るも、それでは回復しなかった。「因無し策無し禍根無し」とは、一見因果の道理の仏教からみると正反対の邪論に見られそうだが、実は仏教の究極で全ての物事が平等に因果に随っているが、世俗的に見れば殊更に論う原因が無いという裏返しで、平等・不二を表す。それはそうと、その後2分ほどで回復した。母親は家の前をうろついた後、不意にドアを開けようとしたが、昼に外出から帰宅した弟が施錠していたため、私が開錠した。せっかく開錠したというのに、それからまた家の前をうろついたり、一度ドアを開けたと思ったらすぐ閉めてまた家の前をうろつき始める異常行動が見られた。



2016/07/23


本日はまず1時10分台に目覚めた直後、母親の動きを感知し、間もなくリビングのテレビがつけられた。時刻確認の後、まだ起床には早いと考え、耳栓を付け直して再度寝ようと考えた。耳栓が外れないまま2:10の第一アラームが聴こえ、2時14分に起床した。

4時前からインスタントコーヒーを飲み始め、漸次腹痛が苦しみを強め、6時前に一度、固めのモノを少量排便した。出し切ったとは思えないままトイレを出て間もなく、便意や腹痛がぶり返した。今度は軟便や下痢気味のモノが大量に出た。同程度のカフェインパワーにも効能の著しい差があろうと思っているが、今回の場合は21・22日に摂ってきたヨーグルトの影響も些か加わっているように感じられる。敢えて理由を付けた場合の話であり、実相は不明である。

10時台、最近はあまり書かないでいる料理の話題となるが、小麦粉をメインとした菓子類を同時に焼き上げた。便宜名は「スイーツ焼き」である。過去、2016年1~4月ころのメモにもこの名を用いてそうな印象はあるが、「スイーツ」の語が1・3月のメモに数個あるのみで、この名自体は用いていない。今回は、水分がやや抜けたプレーンヨーグルトやチョコ味シリアルのほか、前日の母が帰りに買い与えた菓子パン・菓子(いずれもコンビニPB)や、メインの生地は某市販菓子のブランを含んだ生地を粉砕したもの(便宜名: ブランフラワー)で構成する。ブランフラワーは元がショートニングを用いられているのか、マクドナルド効果(腐敗しない・しづらい事実はあっても防腐剤・保存料など添加物が多い云々は俗説・後の調査で水分量などの影響が大きいと判断)のために何か月経とうと、夏が盛っていようとも腐敗の兆候が見られない。小麦粉やマヨネーズなどをつなぎに用いようかと思ったが、それらは混ぜず、ただ牛乳のみを少量加えるのみとした。牛乳を浸透させる程度で、個々のものは混ぜ合わせない。

そのように鍋に広げた具材を加熱し、適当な時間で完成させる。焼き上がりは、色々と焦がしているようでもあるが、ブラン生地は、香ばしさの増したお好み焼きのようであった。11時過ぎに便意と腹痛が酷くなり、軟便を排出してきた。



2016/07/24

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2時17分に起床した。リビング・キッチンで母親がテレビをつけたまま電子レンジを操作する音が聴こえる。さて、「自由」とは何だろう?別に母親が狂乱して大音量でテレビを流そうが構わない。他人の自由を認める私だが、しかし、本人はそれをそのまま享受してよかろうか?そこで、一定の善悪の判断基準が必要となる。それは、関係しあう人間のうちに通じる判断基準である。連日の母親いな、父親と夫婦生活を過ごしていた(とても"営む"とは表現できない)ころから何ら、うしろめたさも感じられない。今後も自ら気付く奇跡は無かろう。3時4分に母がテレビを消して2階へ上がった。

7時台からずっと母親が1階リビングで過ごしており、一度トイレに行こうと思った時からいつまで経ってもリビングのドアは開放されている。夜中はテレビをつける癖に、今朝はずっとつけていないでリビングに居座っている。その場合、リビング・廊下間のドアが開放されたままか、音では判断ができず、目で確認するしかない。それで、なおもテレビはつけていない8時40分前の時点では、やはりドアが開いていることを目で確認できた。夜中の共有スペースでのテレビを控えるべきであるという自覚が一番大事なのに、何を顛倒したかこの有様である。朝こそテレビをつけ続けて存在を示せばよいものを。そっとそのドアを閉めてトイレの出入りを行った。



2016/07/25

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2:20の第二アラームを経た2時22分に起床した。前日の就寝以降の20時20分ころに「今夏もとい、今年初の氷水を昼に作って飲んだ。先の冬の暖冬に続く形で暑い夏になる予測も報道されてきたようだが、私はエアコンの冷房も例年よりつけてずにいる。水については一度電気ケトルで沸かしたり、常温に放置した水も、腹を壊すことなく飲み続けている。」といった携帯半角カナのメモを残したが、この起床時も上下セット部屋着を着ながら、衣服の長さが足りない部分には、極めて涼しい空気が窓から吹き付けて肌寒さすらも覚えた。

9時過ぎから、母・弟(学校制服)の外出準備が続いて9時13分に発車して外出した。特別支援学校のHPに本日の予定として「施設見学(高1)」と見えるものの、保護者自ら送り出す(同伴する?)必要のある行事かどうか何も分からない。2階では、北の窓に見えた黒い蝶が、1分後には南の窓で見られる時があった。同じ個体か判断できないが、そう仮定すると私を追っているかの如くである。南の窓で見えたとき、ひらりと180度飛ぶ方向を変えていた。

11時までに、本日は風呂(シャワシャン)を行わない方針と、本日1度コーヒーを飲んだが本日中にもう1杯を飲んでなおも排便が無い場合、明日にも下剤を飲もうとする方針を決めた。12時台と15時台に1杯ずつ、ミルク・シュガー入りのコーヒーを飲んだ。15時40分前に自室の前を赤い影が横切った。制服シャツの格好で母と共に車で出て行った弟が、いつもの赤いTシャツの格好で一人帰宅したのか。しばらく彼は家の周囲に留まってホースで水撒きなどをしていた。18時20分に母親の車が家に着いた。



2016/07/26

本日は3時20分台に目覚めて3時30分過ぎに起床した。前日の就寝時に5種アラームを全てOFFにして別に3:50のアラームを設定したが、これが再生されることもなくなった。そんなアラーム設定の一時的な変更をしてから、以下のような出来事があったので、携帯半角カナのメモを直して載せる。

「母親が迷惑と感じて電話に怒った20時台から変わって21時30分ころから再度1階に降りてテレビをつけた。俗悪なナレーションのテレビ番組に続き、家の外からはイヌの鳴き声、子供のはしゃぎ声、『ママ・・・』とすすり泣く声もした。およそ老夫婦の住まいであるE家に出入りする人たちと考えた。夏休み期間はよく子・孫のあの家に宿泊する。孫から見た両親らはE家に泊まらず、というかあえてE家の老夫婦とのみ過ごすようにしたのであろうが、この子供には辛くて泣けるようである。私の母といい、どっかの犬といい、E家の孫といい、異常なひと時である。犬はともかく彼らは6分ほどで静かになり、母親はその5分以内に2階へ去った。」

夏休みの時期は子供や若者が大声で家の前を通過する。特に夏休みの始まりである7月下旬はこの傾向が最も強い。本日4時50分に若い男1名・女2名がウホウホしながら通過していったが、女性の露出や入れ墨など、およそ家の前を通過する人間として過去に見たこともない。変な人種が跋扈している。ところで、下剤は4時前に1錠を飲んでいる。

母親が8時20分に外出した。今朝は7時台などに母親が弟をネチネチと叱る場面もあったが、弟は怒りを爆発させずに済んだ。弟の学校のプール登校に関しては天気が不調であるため、ずっと1階の電話子機の前にいて学校からの連絡を待つよう、弟に支持が下されていた。8時36分以降、着信音は聴こえないが、弟の電話する声が2度聴こえた。その後の様子からも、本日はプール登校がないと見られる。

11時30分前からトイレで硬いモノ複数個を出してきた。自然に「出してきた」という表現が浮かびつつ、いつもは使わないでいる。軽い感覚で出せるものではない。例えば、今回にしても出づらい苦しみと、出て以後の痛みなど、中々に細かい変化が多い。13時15分からもトイレに入り、辛い排便をしてきた。先も今回も、拭った紙の上で黄色系の色に広がるタイプの黒いモノである。14時10分台にも大分軟らかくなったモノを出してきた。18時2分からもトイレに入り、クソ穴ヒリヒリ排便をしてきた。排便自体は、クソを引っこ抜かれるようで超絶体験である。出したくて出しているはずだが自分の意思に反してズリズリと引っこ抜かれる。



2016/07/27

前日(26日)の就寝時に5種アラームを全てONに戻したはずであり、本日は一度2時台前半に目覚めたようでもあるが、アラームが鳴った記憶などなく、起床につながる目覚めは3時0分のことであり、数分以内に起床した。

8時台、中途半端な便意に僅かな期待を掛けつつトイレで20分近く粘ったが、変な腹痛をもらうだけで効験は無かった。糞詰まりの気分は良くない。10時20分台からのトイレでは「排便の秘術(過去に何度も綴ったサマタ・パヴァナとはやや異なる)」と称して脚を少し閉じ、背筋を伸ばしながら両腕を上に伸ばして下すなどもすると、この時まで10分ほど続いた膠着状態が一変して小さめの塊を排便できた。

11時過ぎから、1階に降りた弟が冷凍庫の氷をガラガラと手に取って水筒に放り込む音が聴こえ、そのまま外出した。あまり食事をとっていない彼だからすぐ帰ってくる可能性と、水筒の準備のしようから2時間以上は外出するという可能性とが浮かんだ。いずれにせよ、風呂(シャワシャン)の予定が昨日からありつつ明日に延期しようと考えた予定を早めに実行しようと決断した。結果は、風呂(シャワシャン)の最中である11時40分ころに弟が帰宅した。そんなものである。

ところで、風呂(シャワシャン)の直前、少なくとも豊橋に来た2011年4月18日から一度もやっていない、トイレの洗浄機能(いわゆるウォシュレット)の使用を行った。細かい期間を言えば、もっと長いであろう。使用前に洗浄機能の強度を確認すると、6段階中の最強設定であったから、最弱より2番目に設定して使用した。ほかに確認すべき要素は、水の跳ね方や使用後の付着であるが、やはり皮膚の広い範囲が濡れた。風呂(シャワシャン)前に試して正解であった。風呂(シャワシャン)に入らないままでは衛生観念が苛んできそうに思う。ちなみに、普段洗浄機能を使わない私は、12月2日メモにも綴ったよう、一定の強度を持つために折りたたんだトイレットペーパーに自分の痰を載せ、クソ穴を拭っている。

18時過ぎから聞き覚えがありすぎて狂いそうな声が聴こえてきた。それは去年7月か8月のころ・・・2015年7月29日のことである。E家に泊まりこんでいる子供らがセミを捕まえていきなりあの家の前で喚いて鳴いた出来事である。セミの怨嗟は一度止んでからどういうわけか再発する。E家は年中やかましいものの、時期によってその様相も異なる。



2016/07/28

前日の就寝は20時5分ころからであるが、寝つきが悪い上に20時20分以降からかは目を閉じたまま目の渇きのような痛み(稀に発生する)に襲われ、それで21時前後までは眠りもしなかったはずであろう。そうして入眠し、本日は0時台に目覚めた。最初の時刻確認が0時40分である。母親が1階でテレビを見ている。深夜のお笑い番組のようだが、母親の笑い声も断続的に聞かれる。本当に自重しない人間である。母親が仕事に戻って連日(高頻度で)このようである。20時台などにテレビを見ている分にはよいとしても、0・1・2時台などは勘弁してほしい。テレビの音のほか、怒りも沸いてきて眠れもしないため、0時47分に起床した。4時間程度の睡眠に悪い寝起きで、内臓や膝などが痛む。

起きたものは仕方ないとはいえ、1時30分台から再度眠ることとした。「試す」目的もある。また予期しない長さで眠り続ける恐れもあったが、行う。以前設定した3:50のアラームをONにしたほか、2:40の第四アラームも3:40に変えてONにし、この2つで構えて寝過ごすことがあれば実に不条理であろう。果たして私は4時50分過ぎに目覚めた。最後のアラームから1時間以上も超過している。それらアラームが鳴る時間に微塵も意識が無かった。わけがわからないが、この際どうでもいい。「試す」目的には外れないからである。



2016/07/29

本日は第四アラームから意識がはっきりしており、2:50の第五アラーム以降の2時53分に起床した。前日は23時50分ころに一度、母親の何らかの動きに目覚めていた。色々と考えたが、それについて特筆事項は無い。3時26分から俄かにアクセス障害が起きた。同Win10機の過去の例と比べて接続を伴う作業中である点は稀である(このパターンは7月22日9時台という一番最新の事案と同種)。4時を周ろうとする頃合いにも回復しないため、手ずから修復せんと動く。母親の部屋の無線LANルーターをいつも通りの手順でいじった。当然、そばでは母が寝ているので、慎重を期した。一応回復したが、事あるごとにこう動かねばならないとは気疲れする。

8時20分台に母、8時42分に弟がそれぞれ外出した。最近の日記メモにはっきりと書いていないが、母は平日に毎日の出勤をし、夏休みの弟はプール登校を続けているが、彼は雨の日など天候不良の場合、学校から連絡が入って登校しない日もある。それは7月27日のことであった。本日は快晴であるため、7月27日に洗わず後日に託した部屋着、今着ているこの部屋着を洗う。

2階の母の部屋にレシートが複数見られた。7月9日発行の飲食店のレシートだけ怪しい2枚折りとなっており、やはり接続面にハナクソが付着していた。母親の悪癖の一つで、こういったものを1階リビングの共有スペースにおいて見せびらかすこともある。それはそうと、ほかのレシートの中に前日である7月28日19時のものもある。前日は帰りが20時台と遅かったが、この19時47分発行のレシート以前にもどこか時間を取っていたのであろうか。ほかのレシートは多く藤沢町の地名が見られ、当地豊橋市内の中でもあのあたりに職場があるのか、あるいは付近の幹線道路を通る必要があってロードサイドの店を選んでいるのかは不明である。実際の話をすると、豊橋市民病院内のレストラン利用もあり、場合による可能性があるなど、不明瞭である。ほか、昼食として13・14時台のレシートも多かったため、その時間帯が昼休みと見る。その昼に藤沢町で職場の人間と2人で飲食店に出入りしているようでもある。

12時40分ころ、料理のために部屋の卓上調理器のスイッチを入れて一部食材を整え、その後に洗濯物を取り込もうと思った矢先、弟が帰宅した。私は何も望まずに生きるか、死んだほうがよい。13時50分以降、例日の通り弟が掃除機をかけだした。これも日記メモでは未だ記録していない日常である。水やりはともかく、掃除機に関しては母親から指示されている様子はない。心なしか、私の部屋の付近ばかりで掃除機をかけられているようで不快に思っている。



2016/07/30

本日はアラームが鳴った記憶は無いものの、2時15分に起床したため、2:10の第一アラームくらいは聴いたはずである。2:20の第二アラームを待つとしっかりと鳴った。2時30分に下剤1錠を飲んだ。

10時50分に母親が家を出て10時55分に発車した。当然、曜日や時間帯が土曜の今であるから、出勤ではなく5・0が付くの日の買出しである。12時17分、にわかに母の車が家の前に着いた。着いても車の中にいるか、家の前をうろついたまま時間が流れる。どういうつもりであるかは判断不能である。12時30分、1階にいる母が始めた独り言を聞くと、忘れ物がある様子で、そう思えば「わかった!」等と言い始め、忘れ物か何かについて思い当たったようである。12時40分以降に1階リビングでテレビを見始め、9時ころから外出していた弟も帰宅した。13時20分、昼食などで飲んでいた一杯分のインスタントコーヒーにより、ようやく先の下剤1錠の効果が強く発現したため、トイレに入った。中サイズほどのモノを複数個出した。14時30分過ぎに母親が再度買出しへ発車した。17時40分台に母親が帰宅した。



2016/07/31

本日も2:10の第一アラームが鳴った記憶が薄いが、前日ほどではない。2:20の第二アラームははっきりと聴こえ、直後には起床した。2時31分に下剤1錠を飲んだ。前日と動きがそっくりで面白い。下剤に関しては、珍しく2日連続で飲んだが、効果を試す目的がある。2時台、母親が1階に降りてしばらく何かをしていた。4時40分台に弟が1階に降り、次いで5時1分に母親が1階に降りるなど、異常であった。

今朝(4時ころから)は前日に母が買い与えた鰻の蒲焼きをと保管ご飯を食べた。前日が、今年の土用の丑の日であった。日記メモで最近食事の話題をあまり書いていないため、もう一点注記すると、ご飯は一度に料理したものを一度に食べるわけではなく、今朝に加熱するなり準備した冷蔵庫保管ご飯(米0.7合分)も鰻の蒲焼きも、半分ほどは食べずに自室片手鍋の上で残し、後の料理に用いる。その料理とは、雑多にご飯と何らかの具材(肉・野菜・菓子・缶詰やキッチン所在ワカメなりゴマなり)を焼くもので、過去の日記メモにもわずかに記録がある類の料理である。なお、この鰻の蒲焼きのウナギ原産地は、当地・愛知県内(三河一色とある)であるそう。私が食べるには程よい小ささで税抜き1090円。

6時55分、下剤1錠の効果発現による腹痛を伴う便意のため、トイレに入って次第に下痢気味となる排便を行った。今後も、出るものが出ればよいが、腹痛ばかり強く残って心地よくない。8時20分ころから下痢を出してきた。