2015年8月29日土曜日

閑居求道者が隠棲覚者となる日まで

私が、閑居して人身究竟の道を求める意(こころ)とは何か。
十余年の苦楽を経て識った答えがある。
己の名も分からぬ歳で頭頂がハゲてしまった件を濫觴とし、その後の境遇は明らかに苦難の連続、刹那的な快楽ばかりで、次第に誰もが己に平伏する完璧な富貴の人にならんとする野心をも生んだが、それは泡沫・陽炎に過ぎなかった。
世俗・社会の道を外れた先の住まいでも、「衣服不足(えぶくふそく)・飲食麁粗(おんじきそそ)」と、ありふれた安逸にありつけることも無い自分は「求財不利(ぐざいふり)」の人生を進んできて、余生もまた然るべきものと、答えを識るに至った。

二十歳に満たない者が、自ずとこの世間の実相の一端を識るに至ったことは、偏に仏説に値えたが為であって、稀有にして僥倖であり、それは多くの濁世の大衆は終生識り難くもある。
この上は、孤陋のようでも研鑽の日々を送って、最上の真実を識らねばならない。
私の文章の全てがたとえ「有所言説人不信受(うしょごんせつにんぷしんじゅ)」とされても、詳らかに顕示する。
「止暇断眠」の研鑽による「蛍雪の功」は未だ遠い・・・。



私はよく「子供のまま・15歳から人生が止まっている」ことを実感する。
意義は多々存するのだが、例えば全ては豊橋の母宅に小旅行もとい家出したところに収まる。
2011年4月18日その日より、豊橋の外に一歩も出なくなってしまった。
前の家では、2010年8月から髪を短く切ることはなくなってしまったりと、計り知れない。
小6から着ている部屋着を中3の時に来た写真と現在を見比べても、身長の伸びを感じないし、具体的な身長は中2はじめの発育測定から一度も測っていない。

「子供のまま」といって、ただ知能や精神が発達せず大人になった状態に当てるのとは、方向が大きく異なる。
子供は子供なりに、子供としての期間で大きな成長を遂げる。
中3までの私でも、十分人並みを外れた否、凡庸な大人共にさえ勝ると自負していた。
そういった見地においては、今も優れた子供という点に変わりが無い。
そしてその子供が、子供らしく「おべんきょう」を続ける。



連日文章を書き続けることに自ら疑念を懐いて、やや億劫になることもある。
否、文章を書き続けることが私の本分だと自覚せねばならない。
利益も無いのに身を粉にするが如く勤しむ必要は無い、余事に捧げたい時間が惜しい、PCのキーボードが壊れそうだ、PCの寿命が縮みそうだ、など弱腰になってしまうが、その疑念を断じて尽かすべきである。
こうして修練を重ねることで、現世における無上の智慧・識を得られるようになる。

PCに度々問題が起きようとも、小5期とは異なって2011年6月末から今日まで、正常とも言いがたい正常の状態で動作している。
だから、可能な内はネットに多く自分の言葉を綴った文章を残す修練を続けねばならない。
その目的は、多くの人の目に入れることよりも、まず自分の思考や生活の記録のためであり、後日にはそれを見返して確認することで再度役に立つ。



8月はほぼ毎日1,000~3000文字の日記メモを書き、本家のブログ記事もそれなりに投稿した。
例えば本家の記事投稿回数だけならば、2013年9月下旬~12月下旬まで、3日に1回以上投稿していたことと比べれば、今は1~2週間以内という何とも疎らなペースで粗末に見えてしまうが、1記事あたりの文字数が尋常ではない。
学術的メモ帳も月に19回投稿した2014年10・11月と比べれば、当記事を含めてたった3分の1以下の6回しか投稿できていないし、月初の日記メモまとめ記事を除けば約4分の1とも言えるが、これも文字数という質の差が大きい。
いわば、現在で言う日記メモクラスの内容を記事にしていたような例が、学術的メモ帳も本家記事も多かった。
本家では毎記事トップに画像を付けるしきたりが開設より間もなく始まっていて(初期は例外もある)、3日に1回以上投稿していた時期も一貫しているのだが、このあたりは今でも見習いたいとは思う。
日記メモ投稿日数の多さも、例えば「昨日は22時寝た。今日は朝7時起きた。」を1ヶ月通して書けばそれで最大31日を埋め尽くせるが、それでは有って無きようで空虚なものだから、この点でも今月の投稿日数に文字数の多さを考慮すれば濃密な実体が分かる。

今月の話に戻すと、音楽館の記事でも一つ調査のレポートを長々と書いて、音楽関連の活動もこの一年で最も多く作曲・某サイト投稿を成し遂げた。
その「音楽館の記事」の投稿予定リンク→http://deathmetal.blog.jp/arc/Aug-21-2015.html
今年の8月は勉強にしても創作にしても、並行して大いなる功績を挙げたのであった。



一方で食事量はますます落ちていき、気付けばお湯などを片手に作業を続けている。
こういうわけだから、今月ついに最低体重が45キロを割るに至った(後述)。
8月の日記メモで幾度と話題にしている「買出しのペース半減」に一因があると言えるが、何と言ってもそれで一度も母親に不満を漏らさない私の精神力である。
この食糧難こそ即ち修行の絶好機であるとして、水ばかり摂るような生活を続けられる。
この話題で母親に何か訊いたかといえば、せいぜい「今後の買出し方針を決めてもらわないと、品書きメールが書きづらい」ということくらいである。

ぬるいといえば未だぬるい苦行かもしれないが、こうした自戒の精神は長い時間漸次強まっており、それが数値として表れもする。
もともと私の身長が、正確に測れていないため不明だが推定約170cmとして、体重はピーク時(1年半以上前)の55キロから、今では10キロも下る44~46キロ台に落ち込んでいる。
自分の外見にも幾許か痩せた違いが見受けられるが、それでも10キロの差は考えづらい。
ともあれ、同じ体重計(体組成計)がこう表示した数値を素直に受け止めると、清く慎ましきこの生活の精神が、数値の推移にも比例して反映されることが分かる。

関連記事
「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html



「不知世間・能識世間」

我を過ぎて世情を知れる者は、あたかも海中の沙の如くに多し。
我を措きて世間を識れる者は、さながら爪上の土ばかりに少なし。
世の人の云ふところの世間を知らねども、世間の濁りたる様は識れり。
妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。
増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。
我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。
人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。
設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。
唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。
されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一にして眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。



※阿含経の偈について訓読文のワードを断片的に完全一致検索(歓楽・愉悦など表記揺れを回避する策)すると、日本では変な解説ページや、浄土真宗の人だか禅ファンか唯識勢か不明だが浄土真宗の教義に折衷し、ましてやとある教えでは「智者・愚者」の位置をどういうわけか逆に換えて換骨奪胎していた(文脈が不明なので評価も出来ない)。何かの状態を指すにも、この偈の文言の主語のみ入れ換えたものを書く必要があったのだろうか、誤解が起きよう。例えば自分で「智者常安楽・猶如雀歓躍」とでも表現を大きく変えて創作したらよいのに。
それと、「三界家宅」と「智者・愚者」の偈をどちらも引用した日本のページは、「宝物集」という書の全文を載せたdocファイル(読書よりも異本の研究ページっぽい)のみがヒットして、それ以外は中国のサイトにすら無い。引用元を「正法念経」とするところは、往生要集と一緒であり、念仏交じりの平安天台宗らしいとは思う。



2015年8月24日月曜日

横野要文類聚(1) ~ 「擬古文」篇

*横野要文類聚「擬古文」篇・前節*
夫(そ)れ古語(いにしへのことば)を修(しゅ)するは、德(とく)高ゝる教へに触れんが爲(ため)なり。
抑(そ)も、德高ゝる教へとは、我が身在(いま)す現在に罷り通る語(ことば)で解するに及ばず。
故(ゆへ)に、自ら學(まな)ぶことに於いて第一の術(すべ)ならん。
遠洋異朝に、その土(すな)の古語あり、また然るところなり。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

とあるテーマを基に、Google+日記メモ、当メモ帳ないし本家ブログ等の記事、YouTube動画説明文などに渡る膨大な情報の中から、有用な記述を聚めて一記事にまとめることが趣旨である。
必要に応じて、記事投稿以後にも記述の追加を行う場合がある。
また、Bloggerの「ページ」枠を利用してもよいような気がするが、これは現在保留の案。

今回の類聚テーマは「擬古文」、これは部分的にそういう文法を用いたような表現("ましてや私の知能を「我より劣れり」と見誤る顛倒者の繁きことよ"等)であれば、いくらでもあるかもしれない。
やはり膨大な記事の中から選ぶことは玉石混交であろうが、意図して書かれたものを探す。
また、漢文なども聚めたいが、どうも別に典拠があって引用した文章の割合が高い。
そういうものは、2015年6月の記事のような場合を省く必要があるため、この他も状況に応じて載せるか載せないかを決める。
探しづらいが、和歌についても聚めた方が良いのだろうか。ほとんど散文だし。

今後も投稿する全類聚記事に凡そ一貫するであろうが、新しいものから順に掲載する。
擬古文については、旧仮名であるとか旧字体であるとか、気まぐれで異なっている。



『不知世間・能識世間』・・・我より世情を知れる者の轉多きこと、あたかも海中の沙の如し。我を措きて世間を識れる者の甚だ少なきこと、さながら爪上の土ばかり有り。世の人の云ふところの世間は知らねども、世間の濁りたる様は識れり。妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。…2015/08/29

抑も「求財不利(ぐざいふり)」と云ひしもの、余は歳を二つと数ふる頃に、頭頂俄然としてハゲにしことを濫觴(さきがけ)とす。その後は推して知るべし、世俗の名利を求むるに一文として利無きなり…2015/08/27
※リンク先では200文字制限から「文字数ガー」として終えているが、あと数十文字書きたかった。その翌日になりYT運営が500文字に上限を解放とは実に数百文字も増えた。なぜこのタイミング?

星の一巡ありし方に、TはK・Y・Eの三部を作されたり。我が好くところも偶(たまたま)この順を歴たり。即ちKは出発地、Yは中間地、Eは是れ終着点なり。Eの最勝ならんこと定めし自り来(このかた)、猶お転ばで今日に至れり。Eより二巡已後のF等に入らんずること、水より火が出でんとも無かるべし…2015/08/14

武士道と申すはもののふの道なり。もののふと申すは食べるものを選ばず。これ天地神仏の恩を知る故なり。然るところ汝(なれ)は去(ゐぬ)る八月六日に水を捨てにき。剰(あまッさ)へ嘲笑しぬるはこの道を外れたり。汝(な)が實(げ)にも申しつるやう、今修羅の道と餓鬼の道を迷走せりと見ゆ。恐々。…2015/08/13

「畏みて問い申す。主の御稜威は普からずや、如何。然ればただ我らに無上の楽才を授け給え、恐恐。デウス・メタラム、ドミナス・トレメンデ。」…2015/08/11

拙劣なる誹毀讒謗、一々に論うも口惜しき次第なり…2015/08/08


勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し…2015/07/23

赤いキャップを外して白い蓋の上面を眺むるに、美國辣椒醤(タバスコ)にも似たり。(繁体字:醬)…2015/07/20


「確と読まざるを読みたりと謂ふ」…2015/06/24

洛中の人が島猿を嗤いき…2015/06/21

「不爲實於無根草(根のなき草に実りなし)」我また是の如し。…2015/06/10

(前略)其の土を栄えんと欲し、やうやく粕にて壁をこしらへたり。故に粕壁と名づくるなり(後略)…2015/06/10

種々の事実を連ねて強く呵責せど、例えそれを辞して甘き懐柔せども、頑迷固陋の母が矯正さるは全くなし、いかで改悔せしむべきか…2015/05/30の注釈内

御本仏の在世にも邪法充満せり。何に況や現代に仏の名を終生知らざる事をや。諸の衆生、摧尊入卑にして遍く濁世に満つ。正法を持つと雖も懈怠の人、猶多し…2015/05/26

御書に曰く「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」…2015/05/15

御書に曰く「師子を吠る犬は腸(はらわた)腐る」…上の注釈内

是あに信行に非ずや。まさに「義の戒壇」とは云ふなり(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月三日十六時十三分(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月七日十三時四三分…2015/05/13

早期熟脱にして先見の明あり」「當(まさ)に此(こ)の男子(なんし)、眉目秀麗(みもくしうらい)にして精悍(しやうかん)なる相貌(さうめう)を有(いう)す」「博覧強記にして聡明の聞こえあり」…2015/05/11



衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事…2015/04/30

諍い高じて剰え、孔を穿ちぬ・いと辛し。…2015/04/27

自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」…2015/04/20

愚蒙の輩、これを見るに本気で私を「馬鹿」だと思いき。驕慢の輩、遍く天下に満ち、邪鬼の跋扈せるやうなり。ネットの事は即学校生活ぞかし、いづくに留まらんとも業が末に究まりぬるなり。…2015/04/04

散歩の砌に至る時、努々歩めや弛まじと…2015/04/01


「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」…2015/03/27

めおとの乖きたるは、家の柱の倒さるるに等しかりなん、豈愁えざらんや豈苦しまざらんや…2015/03/21

我、固き褥に臥して思いぬる時…2015/03/12(1月11日深夜に詠んだ歌が元ネタ)


「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しやうもん)とは云ふなり…2015/2/26

「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」…2015/02/22

地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく(中略)されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ…2015/02/21

誰人の謗りも嗤いも意に介さず没頭する意志こそ薄弱なれども、次第にか強まらん。侍りて教う師に欠きたるは一抹の憂き哉…2015/02/21

八百年(やおとせ)の時を経て、今に至れり。「五濁悪世」…2015/02/11

「況やそれら存在の恩恵に肖れる者をや、それらを軽んずべからざれ」(中略)往々にして翳眼を以て謬見と為す。謗りもさることながら、愚人に褒められたるは第一の辱なり…2015/02/05


鎮魂詠唱「願わくは夭折した殉教の聖女に安息のあらんことを」-Requiem Aeternam- …2014/12/31(今様讃歌「汝鋼道本懐たれ」も参照)

召喚詠唱「五濁悪世より離れ、寂光の園を築き給うた主の御稜威ぞ、此處に普く輝きぬ!」"Veni Creator Spiritus!!" …2014/11/30

「是、我に能はざる也」…2014/11/18


是即ち、一度目の慈愛一発にとどむる能わず、以降は瞋恚の襲撃なり…2014/10/16



7月の日記メモまとめ記事を見てこう思った→「熟(つらつ)ら惟(おもんみ)るに、一月過ぐるはいと早かるべき事を辨(わきま)ふ。已に渥美の風は肌に寒くなりにき。」
通解: 2015年8月25日、朝から台風の影響で酷い寒さであった。

あ~結局、和歌をほとんど載せていないから、ここで一つ→「四方の島々より無辜なる民の呻吟がすめらぎのとよと耳に届き参らせ、その騒がしきを嘆かせ給う。『四方は安からず!』慈悲深き天皇陛下は恒久平和をご祈念せらるるが故に、もろびと彼を輕毀すべからず。謗るのよし何処にかあらん。 "ひのもとの 民にありなば すめらぎを 敬ひてこそ あらまほしけれ"(ひのもとに 生く人ならば・・・と、どっちが良い?)」



☆2015年12月からの方針☆

当記事は以下より随時追記スペースとする。
追記スペースへの追記要件は、2015年9月以降の「擬古文」要文となる。
要文をたまたま見た時に追加する程度のペースであるから、回聚率は低くなろう。
ここまで日付の降順であったが、以下からは昇順として載せる。

正見智目を開かしめ、同じく道心ある者を導かんと遍照す…2015/10/21

「須らく善友(ぜんぬ)を求むべし、(孤独の戦いが)人目にはわろきやうなれども、道心を安定(あんぢやう)せしめんがためなれば、なほ親近(しんごん)すべきにあらず」 「余・孤陋の身にて候へども、末代に正師(しやうし)の稀なるを思ひ候へば、苦しけれども苦しきは候はず」…2015/12/12 (所載の2016年2月2日記事にそう記録されるほか12月13日に用語の検索履歴がある)

智者は其の空閑を修養に過ごす。愚者は其の安寧を遊戯に費やす。只だ徳を喪う、愚かなるかな…2015/12/15

私は孝子として、父母の魯鈍なるを速やかに度さんがために思惟し、記録し、諫言を繰る。非人貧道の身で、民衆と国家と世界に最高の忠言をなさんがために、種々の情報を布衍す。悪業深きの故に、寿命久しからずと雖も、久しからぬ故に、一生を捨つる勇猛心あらんか。願わくは速やかに本懐を成就せんことを…2015/12/20 (敢えて部分的に現代語を用いる)

平成27年12月22日、御勘気を蒙りて明日に家を追わる。岩の音に向かいて、そこにてか死なん。隠るる地を得てついのすみかも定まらん。「筵を撫でて 色抜くるまで」と歌いしは虚妄なりや如何…2015/12/22


長髪居士、断髪せられて曰く 髪切られなば已に死せり、何の恨みかある、一毛だに惜しまず、菩提の心を発して唯だ世を遁れんと願うばかりなり…2016/04/11

「つらつらインターネットを眺むるに、議場、数あり。一に羝羊雑談(たいようぞうだん)の席(むしろ)、二に修羅諍論(しゅらじょうろん)の席、三に禽獣罵詈(きんじゅうめり)の席、これなり。彼らの中に於いて長短をば分けず。いづくなりとも恐るべし、離れんと思すべし」…2016/05/17

2015年8月17日月曜日

「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について

8月8日深夜、1Fリビングのソファの上に転がっている、カバーの外れた本を手にとってみた。
それは統合失調症の治療だとかを銘打った解説書であったが、これは私の母親自身の精神病の克服のために読んでいるものかと思ったが、どうも患者家族のサポート、といった趣旨だ。
私の母親という読者を差し置いて、他にその精神病の患者がいたであろうか、と自嘲する。
2015年中に第1版が発刊されたらしく、新刊の方であり、1冊の価格が千数百円台。

この本を一瞥する程度に読んでみたわけだが、いわゆる陽性患者の幻覚や発作といった症状、陰性患者の乏しい感情表現や引きこもり状態などを挙げている。
このように見ると私は陰性か陽性かといえば、中学2年生の頃は分厚い医学書を読み解いて「俺は精神分裂病(統合失調症)の陰性だな!」と自負していたわけだが、今となってはどちらとも言い切れないわけだし、このような陰・陽の分類を明白にするための列挙は無用だと思っている。
自分で少し考えても、統合失調症に該当しないものと思っている。

統失のみならず典型的なうつ病の症状も私にはほとんど無いようであり、寧ろ中3の頃は、もっと精神病や鬱が進行した方がいっそ潔いとまで思えていた。
故に中1の三学期あたりで、前の家において甘えづらい父親に精神科を探してもらうように頼む決心をした経緯もあり、これらは当時なりに勉強していたからその行動があった(今の私からすれば精神科の通院はほぼ推奨できないし、殊に当時の私であれば通院・投薬は不要)。
母親は息子のことや病理を知っているような顔をしていて無知だから、今の私を何かの精神病だと思っているかもしれないが、こういった本などはほぼ当たらないものと断ず。

母親が所持する本については、何かの分野の入門書っぽいもの、昔買った英語の参考書っぽいものなど無味乾燥・陳腐なものばかりで、後は母が薬剤師の関係のため医療書がほとんどだが、小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイなど書き手の人間性が出やすいものは一切無い。
その割に本業熱心というわけでもなく、テレビ番組を見続けてゲラゲラ笑うとは低俗の極みである。
小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイであっても、近年は押し並べて卑俗なもので、こういうわけだから、自著(予定)の諸事相対抄の原案に「衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事。」という一節がある。



引きこもりについて、世間ではどうも一元的な見方しか無いように思う。
引きこもりという状態が異常なのではなく、その状態にある人々の心理状態を個別に見て異常と見られる場合もある(その傾向が強い)だけのことで、社会通念上で人との交流が疎遠な引きこもり生活は現代的に問題かもしれないが、結局は現代社会や民主主義に向いた既成概念の見地でしかない。
その見地に立てば、交友や労働が健全であるとされる。

私は確かに前の家で父親と家庭内別居を経て人生最後の不登校となって、その頃は家で物を漁るのも飽きていたから、庭弄り(焚き火アリ)とかお気に入りの自転車でよく一人きりの外出をしていたが・・・このあたりのことは過去記事に詳述されているので割愛しておく。
その後2011年4月18日の家出から、家出先の豊橋母宅でも疎外感から家庭内別居をはじめ、ここでも2011年ころはよくコンビニ通い・・・詳述済みの金銭の話が入りそうなので割愛する。
今では自他共に認める引きこもりとなってはおり、過去には一般的な見解の原因(鬱など)に似たような経過もあっただろうが、現在の状態としては、社会への未練が断てない多くの若年層引きこもりと違い、諦観の思想を持つ私は決然として理性的な引きこもりを続ける要因となっている。

ここで「一元的な見方」が一般世間に多いと看做した根拠を述べるが、上述のように私は「理性的」であって、多くの若年層は「感情的」なところから引きこもり状態が長引いている。
世間は「引きこもり」状態がおよそ精神病に起因しているものと思っているだろうが、それは一元的な見方であり、そこから導かれた「治療」の方法というものは私のような理性的引きこもりに、まるで的外れとなる。
例えば、食べ過ぎたという人に対し、欲張りな性格が原因だとしか思わないことと同じである。
単なる結果に対する原因を推量する上で、浅薄な思考によって短絡的に決めてはならない。

引きこもりという状態の原因が精神病=感情的なものであるという「一緒くた一括り=一元的」な見方に終始した解説書で、私のような特異なケースの引きこもりを直せるなどど私の母は思っているならば、非常に了見が狭く、学んでいるはずの「心理学」に暗いことではないか。
自分の息子のことを凡庸な一般人と同一視する母親の蒙は、啓いても啓ききれないだろう。
過去に私が色々と苦慮して、今なお変わっていないのだから。

また、母親が息子のことをまるで理解していないことは当記事でも既述のことだが、同時に子供への放任的な部分も言うことができ、そのお陰なのか私は自主性・自立性が養われたのだろう。
父親もまた同じように、子供の心や精神状態など無関心で人生相談などできそうになかったり、話しても反応が鈍かったりアテの外れた返答しかしなかった。
こういった両親の姿勢が、精神面において大いに私を自立させてくれた。
私の両親とは逆に何か恐ろしい呪縛の信念を持った親御さんの元で育った子供は、全て仕込まれ受動的な成長を続け、無知と蒙昧のまま育ち、確かな意志や自己さえ持てなくても学歴・社会的には普通の立場であるからそのまままた不幸な子供を増やしてしまうが、これは戦後以降に始まった事態で、呪縛偏狭偏執世代の魯鈍な子のまた子がどう育つのかは未だ究明しがたい。
また、呪縛二偏世代の魯鈍な子が目覚めて、社会的な見識を持つ場合もある(呪縛二偏世代の子は、生い立ちも目覚めてからも全て私と逆の思想であるけれど)。

一方でどんな時も大した干渉をしなかった両親は、本当に甲斐性なしで親としての器量に欠いた人間だが、幸か不幸か真理を求める道を進まんとする私の根本を育んだのだ。
幼少期の「一人暮らししたい」という口癖は、単に両親の夫婦喧嘩を厭うところから発したものだし、今は微塵もそんな夢想を持ってはいないが、根底では今でも幾分通じている。
経済面・社会面という点で子供のままの私は、同じくその点での自立は望まない。
養ってもらえる間そうであり続けるし、それ以上の贅沢も求めない。
戸籍上唯一の親である父の家から離れる=出家のような気持ちで豊橋の家に住んでいるから、住まわす在家の人も僧侶を供養する気持ちでいてもらいたい。
豊橋に来たその日から、今後も豊橋の街の外へ出ず、隠棲修行を続けられるだけ継続したい。
他所で遊ぶ必要なんか何も無いんだ、仏教に憧れても大寺院の物見遊山までする必要なんか無いんだ(信仰上の重大意義から一度はお参りしたくも)、徹底した隠棲修行の大前提はこの覚悟。



ここで、「理性的な引きこもり(理念に基づく引きこもり)」が何たるかを、日本史の上からも解き明かそう。
「引きこもり」の概念自体が他国には希薄であるから、ローマ字表記の"Hikikomori"の語としてWikipedia英語版記事があることは、少しネットで調べた人ならご存知のことと思う。
ある時は浮世の無常を知って少欲知足・閑居・蟄居を始めた者もおり、ある時は世間の迫害か圧力か、出るに出られない状況から都や市などから離れた山里や寺などに篭る者もいる。
前者の隠棲・隠遁者は透徹卓見にして、とても見識に富んでいる者であって、理性的引きこもり=閑居求道者の私が鑑とすべき隠棲覚者である。

彼らの多くは、人から清らかな食物の提供による生活を送っていたわけだが、そうして尊敬を集める人もいたわけで、私は他人に対して「俺を尊敬しろ!」とは言わないし、「俺も尊敬されたいなー」と思わない。
彼ら尊敬されたであろう人々を、また現代の私も、その「在り方(清貧としての姿)」を尊敬し、彼らによる尊敬すべき在り方を自己に反映してゆこうと望むのみである。
現代では世俗的なしがらみ、もとい、人道の観点で生活困窮者も「生きる権利・基本的人権」が否定されないから不運でもない限り食物を得られるし、なお困難ならば現世の未練を断って死を受け入れる覚悟で生きればよい。

「自殺」に文化的な捉え方があるが、日本人の諦観は本来これくらい安らかで慎ましい程度であって、それが武士の戦乱で過激化して戦国時代までに「自殺」を選ぶ危険思想が増長し、江戸時代では本来の諦観だとかが忘却された、武士のケジメであるとかへ方向性が著しくズレてしまった。
現代でも、若い頃に普通の社会生活を送っていた老人などが、仏教などへの憧れで閑居=ひっそり過ごす(程度により即身仏もあり)場合もいくらかあるかもしれない(必ずしも私みたいに他人との交流がないわけではないかもしれないし、逆に交流の無い高齢者が孤立、鬱だと問題視される)。
私としては、過去記事で何遍でも書いたように、散々人の世に交わって疲れる思いをした上に、何度も不登校から立ち直って、世俗的な野心を支えとして努力しても、全て虚しく終わってしまって5度目の不登校→小旅行もとい家出→引きこもりから、その点(経済・社会)では非常に非才なのだとヒキ生活を送る上で自覚するようになったわけで。
こういった経緯から、年齢差はあっても「若い頃に普通の社会生活を送っていた老人」とある程度通じ合い、私は10代で既に隠退すべき境遇にあるのだ。

結局、若年層の引きこもりは確かに感情面によるところから鬱傾向のままで引きこもりを継続していることも多いだろう。
だが、それらの普遍的な例と大きく異なった今を生きる私への「治療」とやらが、ありきたりな解説書如きで叶うものだと思ってはならないし、近頃の金儲け目当て(売文屋・拝金主義)の本など陳腐で、新刊に千ウン百円だしても最新鋭の研究成果や新鮮味を期待してはならない。
そもそも、今日の精神医療の学界などに進展は起こり得ない。

これらの道理を知らず、事実をも覚れない母親はとことん迷妄の人であると悲哀に思う。
「一元的な見方」の蒙を一番根強く抱えているのは私の母その人であろう。
私の引きこもり状態という一果に、普遍的な一因のみを求めて、その見誤った因に乗っ取った「治療」を施そうにも、当然その手段をもっては、私のありもしない「精神病」の「治療」など叶いもしないし、それでは母が直したがる「引きこもり」状態を「直す」ことなど当然叶わない。



幾度にも及ぶ啓蒙・諫言の軌跡を思うに、近頃はあまりしなくなりつつあるが、それでも態度だとかに私の超然とした雰囲気を漂わせるよう心がけている・・・これも感じてくれなそうだが。
私の論理というのは、世間の人が一元的にしか見ないことも、二元的あるいは多元に渡って思考を広げ、様々な観点から分析・精査し、適正な判断を見解を見出せる。
例えば、当メモ帳2015年6月3日の記事では「理と事」という類似且つ対極にもある概念を例にとって、整然とした思考・体系的な論理の姿を説いている。
同記事の追記事項にて、更に二元・多元の思考を構成する概念を示している。
思考や論理においては、実に狭まった一元的な見方に終えず、最低でも二元化し、必要あらば中庸の概念や特異な概念も混ぜ込んで、分別をしなければならない。
当該記事で幾つも示した概念というものの使い時は、日々思考を深めれば諸君でも自ずと見つかることだと思う。

判断基準を一元にとどめず、二元・多元と拡大することが適正の判断を得るポイントであるが、判断結果が「二分」というのもならない。
判断結果は、善悪や是非など、最低二つ分かたれるものだが、「二分」では絶対的に足りない。
例えば、人の賢愚を判定する際、「迷いがない人」というのは一見良いようであるが、単にこれだけだと無知・短絡によって迷わずいる人も"賢"の人となりかねない。
だからといって、小生の如く枝葉末節に囚われ、不必要に思い煩って、迷い続ける状態も問題である。
「迷わず潔く正しい決断を下せる者」を最上(1)とし、次に「迷って正しい(2)」 > 「迷わず誤る・迷って誤る(共に3)」と次第すれば、単なる「迷いの有無で賢愚二分」よりも、的確である。
この最上(1)にも、論理的な判断と直感的な判断に基づく者など、二元・多元に細分化できる。
多くの人間は、どれほどケースを集めても、判断結果を二分と一元にのみとどめる。
私は常に、そういった極度な二分思考に陥らないよう、公平に近づけた判断を行う。

その深い思考には言語化の必要性もある。
達観した末の思考を恒常的に活用するためにも、記事などにメモすることで叶うはずだ。
例えば、土の道路があるが、次第に車の交通量が増えた(思考の頻度が増える)ので綺麗に道路を塗装・整備をして(達観に至る)も、多くの車が走る(雑念が混じる)だとか、時間経過と共に荒廃・風化(失念・忘却)するなどで、必ず補修などする必要があるだろう。
道路に例えることに意義を持ち、それは今の私が正しい道を進んでいるとの確信であり、また研鑽の意志とは「道を行じる」というところにある。

この「道(どう)」の概念は、東洋の思想の根幹をなしている内の一つで、まさしく人生の指針を「道(みち)」になぞらえている。
それは神道あり仏道あり道教あり、儒教忠孝の道あり、何かの道理あり、外れた道あり・・・
今の私は専ら仏道を是とし、邁進せんとしている。
西洋には、「道(みち)」を用いた語句も無ければ、そうした発想にも欠いている(後日何となく"way"という単語を思い出した。手段としての道を指す点で同義)。



関連記事
2013年11月3日・・・「『社会復帰できた元引きこもり』を謳う人間の胡散臭さ
2015年2月11日・・・「社会のしがらみ『妄執』から深奥より解脱、涅槃。

↓書き場所に困った文言(幼稚じみているので見るのは推奨しない)
引きこもりの語を妄りに用いたりするのは、ネット上のみならず、リアルで出版されている書籍においても、よこしまな用例を見受ける。
「○○な考え方に引きこもって」という表現を母親が受けた某講座の冊子(6/10日記メモ)から見取ったのだが、こういったネガティブな表現にいちいち「引きこもり」の語を持ち出す理由が不可解だ。
悪しく用いたりするが、心理云々の講座の割に、配慮が何も感じられない。
どのような者が執筆し、誰の校正を受け、誰の許しを通してこんな低劣な講座の冊子が印刷され、流布してゆくのか非常に疑わしいものがあるが、当の母親も、その冊子に落書きで苦言を綴っていたりするなど、不適切な記述・謬見まみれの紛い物講座だと思えてならない。

冒頭にいう本などは、現代のマニュアル主義的で型にはめる陳腐な内容であり、少しの時間経過で内容が古くなる流行り廃りが激しく、没個性にして類書が多く、売文産業とも言える。



追記: 2015年10月末

今月は母親から突飛な干渉が一度あったり、別の話題からこういう話題に移されたことも一度あったが、いずれも「部屋の外に出られるのに顔を合わせないの何で?宅配の人(貪欲な母のエゴで頼まれた)も無理なの何で?対人恐怖なの?嫌悪なの?」と、迷妄の二分法を押し付けてきた。
このような語を弄すれば、体系的であるなどと思っているようだ。
時によって一定でないものを一緒くたに「恐怖か嫌悪か」と詰問することは、思考の浅さの故であろうが、一度その詭弁を質した前者の一度に対し、後者の一度で同じ問いをされた際には、その精神病理の本で学んだことをいちいちボロ出ししてきた。
そのような本は、あくまでも典型的な症例から演繹しているに過ぎないというのに、特異な存在である私にその型ではめようとするところ、母親は微塵も論理性が無く、息子への理解も無い。

なお、この問いに関する私の答えは「どちらか何てわからない」→「母: わかるでしょ?自分のことじゃん」→「どっちかなんて決まったものではない(これを言うだけではしつこく聞き返してくるだけ)」」→「母: どっちかなんて言えるでしょ!(のような??)」→「(敢えて言うなら)今のあなたには嫌悪であろうが、ずっと接触すれば恐怖になるかもしれないし、他所の人に嫌悪感は無いが、同じく接触が続けば恐怖に変わるかもしれない」と、まとまらない考えでこう伝えるしかない。
この後者の1度では納得した素振りもあったが、迷妄の質問をする母が心底満足する答えなど無かろう。


追記: 2016年10月2日

太っている人云々として原因と結果に関する考察の文章が確認されない。
太っている人、と反対の認識には「美女」が挙げられると思う。
「美女は3日で飽きる」という言葉を、額面通りに使う人はどのくらいいようか。
ここで、少し表面的な意味を取り上げて言葉の真実性考察しよう。

まず、一般的な意味としては「美女と付き合っても3日で飽きる」、換言して「容姿が悪いくらいが交際が長続きする」と解釈される。
しかし、原因とは一元でなく、一つの原因と別の原因、それらが何らかの形で組み合わさってようやく結果があり、この場合、単一の因子が「美女」、その結果が「3日で飽きる」とされる。
しかし、やはり、単一の因子である「美女」というだけで「3日付き合うと飽きてしまう」結果に至るはずもないことは、世間のカップルだとかアベックだとかを統計学的に分析すれば反証できる。
そして、先ほど言った通り、その単一の因子、一元的な原因のみが蓋然的・必然的に同一の結果に至るはずもないことは、世の道理であろう。
その美女がどのような性格を兼ね備え、あるいは欠如しているか?
また、その美女とどのような男性(付き合ったきっかけ・男性のスペックなど)が付き合い、どのような3日間(デートや性交渉など)を過ごしているか?
それらの複合的要因を排除して結果を語ることは詭弁であるが、世間は専ら、こういった見解ばかりを続けて論理的誤謬の自覚を持たない。
仏教徒は、そういった「原因」と「結果」のプロセスの過程に「縁」を見て物事の見解を示す。
面倒くさいことはない、これこそ進歩した人間の思考である。



2015年8月12日水曜日

食品や液体の熱と口内感覚の鈍磨

昔の記憶の中に、「お風呂の温度は39度」という歌詞を含んだ歌がある。
ポケモンの2003~04年頃のエンディングで流れていたもので、これを今も覚えているのは、そのシーンの映像と歌詞から受けた印象の強さにある。
小1~2ほどの当時でさえ、もう39度は適温~ぬるいように思えていたわけだから、映像中でキャラクターが顔を真っ赤にして飛び跳ねるシーンを見てしまうと「そんな熱くはないでしょ~」と、気に障りつつ突っ込んでいた。
※原曲名で検索する気持ちは起きない、またそのキャラが歌詞中の「39度の風呂」の熱さにその演出をしたかどうかは不明で、YouTubeなどに映像が上がっているとしても確認しない。

それから現在に至っても、その楽曲の曲名が含まれるサビのパートと、問題の歌詞のシーンばかりは記憶に残されており、時々思い出すことがある。
私自身、「なぜか覚えている」ものの代表格といえば、ドラえもんの漫画における「だんへいた らたっかつみ(記憶漏れ:うおゃちめう、アニメで同じ道具の回があったらどう再現されるのか?)」が挙げられるが、それはともかく、日々の食事で気を払う点が増えた。

手で10秒も触れられない温度の食べ物・飲み物(スープ類・お湯やお茶など)は、たとえ少量でも口にする前にしっかり冷ます必要性を強く意識する。
それは、私の3月24日日記メモにおける貼付写真をご覧になると、下の色が局所的に周囲と異なる箇所が2つ目立っていることでそう思えてくる。
これはそのメモ内に書かれるとおり、アツアツの麺をまともに冷まさずして急ぎ口に運んだため、このような火傷を負っている。
慣れると痛みも鈍くなるのだが、それは「感覚の鈍磨」そのものだ。



赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。
イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。
ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。
毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう。

風呂の設定温度と一口で言うにも、各家庭に備わった給湯器パネルであるとかの設定温度でまちまちかも(私的な憶測の域を過ぎないが)しれないし、築年数のある家によっては、風呂のための給湯器さえあってもパネルなどなく、普通の蛇口などでお湯を張ることもあるだろう(より古くは給湯器の構造から沸騰させたお湯が流れる場合もあり、それが悲惨な事故に)。
また、我が家の事情としては、給湯器パネル(Rinnaiの120Vシリーズを参照)が二つあって、一つが浴室に備わり、もう一つが台所に備わる2台体制であることは日記メモ6月1日に記録した通りだ。
パネルのスイッチを入れることで初めて温水を出せるようになる。
それぞれのパネルにそれぞれの設定(浴室の高温設定と台所のエコ設定)が付いて、スイッチの入れようでは、相互に異なる設定で影響し合ってしまうが、その問題は特に関係ない個人的な記録だし、記事の内容が紛らわしくなるので忘れて欲しい。
浴室に備わった方のパネルには、更に細かく浴室のシャワーやキッチンにまで通じる設定項目と、浴槽本体に排出するお湯の設定項目の2種類が設けられている。

浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない。
このパネルが指すシャワー設定39度でも、異様に熱い水(同パネルなら42度以上の設定に相当)が出てくることがあり、最近はシャワー排出量が控えめの時に多く感じる。
逆に少し前だと、控えめの排出量でお湯を沸かしたがらないようだったから、給湯器のシステムに強く疑問を持たざるを得ない。
また、季節によっ水の熱さが異なることを踏まえて、私が普段シャワーで使用する設定を記録すると、我が家設定で冬は39~40度、夏は38~39度。
別に温度を調節する「サーモスタット混合水栓」は常に最高位置に止めているが、パネルボタンをいじりたくない(操作音を立てたくないなど)場合は適宜ここで調節している。
上述の、39度設定における異様に熱い水が出やすくなった昨今は、こうして調節することが増えたわけだが、熱い水って私の感覚の問題なのか給湯器のシステムによるものか分からない。
このサーモ水栓という代物は、私の小1~2期あるいは物心付いたあたりにも住んでいた与野・浦和期のマンションやアパート(築20年ほどと30年超?)の風呂場にも設えられていたのだが、日本ではどれほど以前より普及していたのか、その疑問は置いておく。

今では4年以上風呂や温泉に入っていないとしても、前の家ではある程度入っていたわけで、記憶の中には柑橘系の炭酸ガス入浴剤の存在が大きい。
前の家における入浴状況もついでにここで記録したいが、入浴剤は父親がほとんどこれのみ選んでいたので特に書くことはもう無い。
当時の風呂でお湯を張る際の設定温度は・・・あまり記憶に無いのだが、40・41度を好み、まれに42度を選んだこともあっただろう。
ぬるめの温度について関心を持ったこともあるが、それは2009年以降テレビでぬるま湯の半身浴が取り上げられていた辺りだと考えられる。
小5のころは夏休みに広義の風呂さえ一週間入らなかったこともあって、学校で自慢したら(略)、中1以降は中2二学期末の不登校となるまで、毎日潔癖症のような気概で入っていた。
平日はほぼ一人きりなわけだから、綺麗な風呂に入りたい時は自分でよく掃除をしていた。
こっちの家はずいぶんと浴槽のアカか赤いアレとかが離れでも視認できるわけだが、母も弟も家で風呂に入らないのだろうか。



お湯というと、2013年以降味のついていないお湯(白湯とも言う)を飲む頻度が増えつつあるわけだが、これについても近頃、アツアツを無理に飲む必要が無いことを感じている。
部屋の電気ケトルでゴボゴボ沸騰するまで待つのは煮沸消毒のつもりだが、余程不安があるときでもなければ、白湯の為にその儀式を挙げる必要は無い。
よって近頃は60~80度ほどと見られるあたりで加熱を止める。
いつものムーミンカップはいくらか保温性を有するわけだが、沸騰したお湯をそのカップの5分目以上に注いだ場合、今の時期なら冷めるのは時間がかかる。
しっかり待たぬ内にスプーンに取ったお湯を半端に冷まして、やはり冷ましたりなくて、熱さに悶えるとまで言わずとも焦ることは多くある。
敢えて上記でカップから時期までの細かい状況設定を設けたが、季節を問わず量を問わず、お湯の熱さに困惑することは多いのだ。

どうも、その温度のお湯をたかが少量飲んだくらいでは平気に思うかもしれないが、近頃の私だからこそ以前より不安視を強めている。
ただ一時の感覚として口内で熱い、歯にしみそう、喉が焼けそう、この程度に落ち着かせて何度でも繰り返す、それではやはり「慣れ」という名の「感覚の鈍磨」が進んでしまうのだ。
乳児~幼児期の食道系における温度感覚は、人体の他の部位の皮膚に通る神経と大きな齟齬は無いようであったことは既述の文章から知られよう。
今であっても、口に含んでは温かみの感じるカップのお湯を指先で触れてみると、10秒触れるのは辛いようで、口の感覚と指先の感覚では著しく隔たりが感じられる。
そんなお湯は「煮え湯」であり、それを受けた喉や胃にとっては、口で感じた温かみ・ぬるさと比べてより熱く感じるし、実際に熱の害も起きていることだろう。
深く探れば、胸焼けにも似た不快感を捉えられるし、熱いものは、家庭医学の噂に聞くところでは、食道がんや胃がんの原因にも繋がりやすい。

生物学的にも、他の動物は、肉にしても植物にしても熱して食べる習慣は当然無く、熱いものは刺激物であるから、進化論の上で刺激物に慣れつつある人間であっても、過度な領域に寄ったものは摂食の継続を避ける必要がある。
ましてや刺激物に適応する必要は無いだろう、結局人類が超人に進むとしても人体の多くを構成する「水」の沸点以上の温度環境で身が保つことは、クマムシでないのだから有り得ない。
私には疎遠な学問分野の話をしすぎると、浅識が露見しそうなので、ここで休めておく。
熱いお湯が胃と喉に与える影響については、口内でお湯の熱を取ってから飲めばいくらか緩和され・・・これは多くの人が実際に意識してもしなくてもやっていることと思うが、口内というものは体の中で一番、触れた熱に適応できるよう作られているかもしれない。



なお、冷たい飲み物を勢いよく飲むと、喉から胃にかけて鮮烈に液体の通りを感じることと思う。
消化器系がコーティングされたような感覚がある。
これに気付いたのが14~16歳ころのことだが、近頃は冷たい飲み物を流し込むという行為自体なかったので、意識する機会は無かった。
水道水はお湯で飲むか冷やさず飲む場合が多く、氷水で飲むにも、ヒエヒエとした水は歯にしみそうなので、流し込む真似は行っていない。
この行為がどのような影響をもたらすかは定かでないが、誰でも何かのイラストで、顔の付いた胃が目を閉じて腕を組んででバツを示したり手を伸ばして拒否を示すなどを見たことがあるはずだ。
バツや拒否を示されたものは、酒・タバコなどもあろうが、アイスや冷たい飲み物に向けられることもある。
悪い影響が幾らかあることは確かである。
私自身、朝起きて水道水を流し込むこともあり、冷えている水ほど好ましいとも思っているが、結局出したてのぬるいもの(6月以降始まった習慣だから冬の場合は存じない)を飲んでいる。
また、アイスは長いこと口にしていなく、関係ない話となるがアイス食べたい。



追記:2015年9月3日
私はこの夏いよいよお湯を飲む頻度が増えたようだ。
ノートPCや自室調理換気の為にエアコンを掛ける中で、自分としては自室エアコンの最もぬるい設定温度(30度)でも寒く感じる場合があり、温かい飲み物も悪くは無いばかりか、多く別方向で効果を期待して飲んでいる。
あるいは、当記事に語られる要因と汗かきを厭う点があいまって、ぬるめで一気飲みもよくある。
一気飲みすることは、狭窄傾向の喉を拡げる訓練でもあるが、気道と食道を弁(喉頭蓋)が弁ぜずして肺に流れ込み肺に水が溜まること、でなくともその誤嚥を防ぐべく悶絶することは恐れる。

ところで「肺に水が溜まる」と俗に言われるこれは、いかなるプロセスでその状態に至るのかといえば、上述の如く物理的に気道を経て肺に流れ込み、患者のケース次第ではその自覚無きままに進行して重症に陥るのか。
これは一端として例に挙げるのみで、他にも考えられることはある。
※"肺水腫 - Wikipedia"参照、血管に関する原因(ほぼ高齢者)が主要であり、後はよほどの外的ダメージ(薬物・感電等)に起因し、私が水の多飲にあっても憂えなくてよいが、一点残る疑問は、その治療に水を排出すべく利尿剤等というと、私の排尿が鈍れば起き得なくはない。

以上の如く、私は夏にあってもお湯を多めに取り、例えば牛乳を弟・母と同じ量を与えられるとしても、計画的にシリアルで消費していき、余る分はお楽しみ。
同じ量のシリアルが与えられる弟は牛乳を飲み水の代わりに多く飲み、母はどうも健康食品のみならず、今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。
元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない。
質素倹約の私と異なり、貪りを感じてならない。



オマケ、「なぜか覚えていて検索候補(サジェスト)が出るフレーズ」集→「お風呂の温度は39度」、「うおゃちめう だんへいた らたっかつみ」、「弁護士さんは金持ちだ~命が惜しくて逃げ出した~」


2015年8月7日金曜日

7月31・8月1・2日の母弟らの福井旅行と様々な思索

2015年7月31日から月をまたいで8月1・2日の間に、2泊3日の福井旅行へ赴いた母弟だが、その予定を知った7月中旬当時からの旅路(交通手段)の仮説と、2012~2014年に国内地理に興味を持っていた時代の知識などを、ここで披瀝したく思う。
※当記事の原案は7月31~8月1日昼までにはほとんど完成していた。旅行2日目の8月1日20時16分に「緊急帰宅」の凶報メールが届いて、3日目は無しに終わった。ところどころの状況が異なる加筆で紛らわしくなる。

まず旅路の仮説、福井への交通手段とは何であろうか?
予定の概要を知った7月中旬当時からの仮説としては、当地の最寄り駅・所定の駅(豊橋駅など)より観光バスで移動するツアーや、当地から東海道新幹線で東京駅に移動して流行の北陸新幹線に乗り換えて金沢駅の北陸本線を乗り継いで福井駅に到着し(あるいは最短ルートで豊橋→名古屋→米原→福井?)、現地からツアーが組まれている、などだろうか。
少なくとも、家から車を飛ばして目的地数箇所に回り、それで帰宅もするということは無い。

何せカレンダーには「7/31福井駅・8/1恐竜博物館・8/2永平時(ママ)」の記載しかなく、私からも深いことを聞く気概も無いため、このような仮説に終始するし、答えは彼らが帰ってきてからのお土産や切符などの確認で分かることだろう。
その記載を元に推測すると、1日目は福井市内に留まると見ている。
2日目に恐竜博物館の勝山市内・・・その日はどこに泊まるか、先に永平寺町内に着いて旅館に宿泊する可能性もあるが、まさか母親が宿を予約するような人だろうか。
福井市から勝山市、永平寺町という流れは方向上自然に見える(今回の旅で利用した可能性のある現地鉄道路線の福井駅 - 勝山駅間の途中で永平寺口駅がある)。

このような仮説が立てられたが、記事冒頭に加筆した「旅行2日目の8月1日20時16分に緊急『帰宅』の凶報メールが届い」たという一件でかなり実相が浮き彫りとなった。
母・弟の福井旅行がツアー制という線はほぼ無くなり、緩急自在な個人スケジュールである姿も表出した。
その故に、掲げたプランを自ら撤回して、急な帰宅の判断も下る。
凶報メールに貼付された同日17時10分48秒撮影の写真にも、画面左端にエナメルバッグが見え、旅の荷物は常に博物館内などで提げながら移動していたことがわかる。
どういう事情かは聞かないが、予約など取らずに現地に出向いて泊まれるホテルが無かったのか、現地で二人が喧嘩して感情的に帰宅判断を下して終電ギリギリに帰ってきたか、と推量。
1日目の宿泊先を示す品も見当たらないため、更に探してみたいし、他の事情も聞ける時があれば聞いておきたく思う。



福井駅 ストリートビュー 恐竜
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続いて、弟が一人写っている福井駅前での写真(上画像の中央上)を見てもらうと、福井の西口駅前が噂に聞く「ジュラシックパーク」仕様となっていることが物凄く分かりやすい。
少し前まで、かなり広々とした様子の駅前だった。
個人的に福井駅西口といえば、あの有名な自称・集団ストーカー被害者の山下さんが福井のお巡りさんに喧嘩を売っている動画が印象的ではある。

それはそうと、2013年にストリートビューで初めて見た(ディスクにその日付の記録されたキャプチャ写真保管)印象は、撮影日にもよるだろうが人通りがほぼ見られずガラーンとしており、駅付近の立派な片側三車線以上で中央分離帯付きの大通りも交通量は疎らで、各種統計上からも福井は良かれ悪かれ地方都市の王道を進んでいる印象を受けたのであった。
2013年当時の駅前の人通りの頭数と、今の恐竜オブジェクトやアートの恐竜達の頭数であれば、実は後者の方が多いかもしれないのではないか・・・実に幼稚なネタを詫びたい。
でもまあ、その少し前までの印象を覆し、同じ北陸にある「世界で最も美しい駅の一つ・金沢駅」に対抗できるようなインパクトが生まれたのではないか。
※ストリートビューで福井駅付近もとい福井県内広域が見られるようになったのは、2013年2月の大幅拡大の時(リンク先Google日本公式)で、撮影時期の範囲は2012年4~8月頃が主要だ。

一方の東口の方はどういった様子かというと、記憶によれば比較的近年にカタカナ四文字で地上10階建てくらいの商業施設・・・アオッサ(AOSSA)というそうだ。
これがあるかなぁ、という記憶がある点、私はまだ詳しいほうではなかろうか。
西口であっても、高層棟にホテルが入居する高層ビルを建設している、といった記憶が2014年頃より残っており、これも将来の北陸新幹線開通を視野に入れた動きかもしれない。
上記は、「興味を持っていた時代の知識」を語ったものだが、今し方調べ直したので、アオッサ西口複合高層ビル再開発(地上21階90m、福井最高層)のリンクを文字に付加する。
その西口再開発の高層棟について、正しくはホテルでなくマンションの分譲だった。



2日目には恐竜博物館に寄ったが、下の弟としては一番期待していたスポットであろう。
私自身、「福井+恐竜」といえば小学生の頃に、ほんの数度か福井から発掘された化石に新種を見出して、発掘地である福井の名を冠した学名になっている、といった情報を見ただろう。
その情報の通り、フクイサウルス・フクイラプトル・フクイティタンといった名前が付けられている。
ところで、同じく小学生の頃から福井県の境域(県の形)自体が、頭でっかちの恐竜に見えなくはないと思っていたが、今の言語感覚で学名を定めるなら「トポモーフォシス」とする。



次に、3日目に寄った「永平寺」(2日目夜の「緊急帰宅」が告げられる以前の原案だから許して~)についても、知っていることから色々書いてみる。
これは正直に言うと、地理関係を学んでいた頃には名前さえはっきり覚えていなかった寺院で、しっかりと覚えられたのが仏法を学び始めた2014年6月以降に、日蓮系の人が「禅の道場から観光寺院に成り下がった」と評していたところによる。
この永平寺は、日本禅宗の中枢とも言える寺院であり、事実、曹洞宗開祖の道元禅師が開山して、同宗の大本山でもある。
また、あまり関係は無いが、曹洞宗の某寺院に茨城母方の祖父か誰か親戚の墓があり、私も1~2度墓参りに同行したことがある。

実は一度だけ、地理関係を学んでいた頃に福井市郊外の山間部に面白い場所はないかとGoogle地図を見回していて、たまたまここをストリートビューしたが、地方の観光地にしては妙に人が集まり、若い人や親子連れも多く、大概の山間部観光地が中高年層ばかりのイメージと逆で驚いた。
要するに、偶然この永平寺をストリートビューしたことがあり、そういった印象を受けたわけだが、宗教関係を学ぶに連れて別方向のイメージも強まっていく。
仏法の勉強の初めの頃に日蓮系の人の発言を聞いた時、「永平寺って何だったかな?」と思って検索し、ストリートビューしたら、一度見たばかりの場所だと分かり驚いたものだ。

私自身、禅の教えなどはあまり好いておらず、例えば釈尊の教えよりも、誰々禅師の語録、問答などが尊ばれている点は仏教=仏の教えという根本に背反しないだろうか。
確かに禅にとっての釈尊最高の教えは、大梵天王問佛決疑經における「不立文字・教外別伝」であるから、敢えてその他の経文を好まないようにしつつ、便宜的に勤行で読誦はするのかもしれないが、まだ勉強不足。
他にも、禅に関わる僧俗らの人格、これは邪推じみた意見となるが、どうも社会派エリート気取りばかりだし、説法(サイトやブログ含む)の語彙は俗悪・粗暴な印象がある(下品さなら真宗系が・・・)。
専ら世俗的な大成だとかの為の処世訓として尊んだり、何か「貴い」人が座禅修行で身を修めているのではないだろうか。
仏への尊敬も、成仏への願望すら抜けているため、現代日本の禅は儒教に修行の形が加わった、「座禅教」と私は見ている。

「只管打坐」の精神というと、近代でもベトナムの僧侶が仏教徒としての主張のために座禅(結跏趺坐)したまま焼身自殺した殉教行為が想起される。
まさしく「不惜身命・我不愛身命・身軽法重」などの経文の身読だ。後生善処は疑いなし。
あれくらいの気概が「心頭滅却すれば火もまた涼し」の体現であり、上座部仏教にも似た禅宗の究極体だと言っても過言ではないが、過激・・・
日本でもせいぜい、アウトローに高層ビルの柵を乗り越えた上昇気流が擾乱する場所で人を騒がせるくらいの只管打坐があれば、実に愉快なものだと思わずにはいられない。

まあ、永平寺そのものとは関係の無い仏法の話となったが、これは以前から「禅」について思っていたことを、この際ここで書いてしまおうということで、そうした。
過去記事でも、禅宗系について論じたような記述はあるので参照されたし。
終盤 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/blog-post_17.html
唯心論云々の箇所 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/18.html
蓮盛抄の箇所で少々 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/blog-post_24.html

ところで、日蓮系を中心に学ぶ私が永平寺について調べなおして驚いた一点は、道元さんが京都を追われて、有力士族「波多野」氏の誘いから越前に逃れ、後に永平寺を開いた、これは日蓮大聖人が鎌倉に居続けて法難に遭うのがいたたまれず、甲斐の有力檀徒・士族の「波木井」氏が自分の領土(身延)に招いて、その地に大聖人在世の内に後の久遠寺が出来た経緯と似ている。
京都・鎌倉の都から、近場の福井・山梨の山間部に「波」がつく漢字三文字の氏が後に宗祖となる高僧を招き、その入滅・遷化に至るまでに同宗派の本山格寺院がその地に開かれる。
妙だが意味の無い共通点を好む私としては、非常に興味深く思っている。
また、日蓮大聖人の複数の御書には、法華経を受持する真の天台法華宗が「釈迦世尊所立の宗(伝教大師の法華秀句より)=仏の立てる宗=仏立宗」であるとしており、道元さんが自分の教義にあえて宗名を付けるなら「仏心宗」とした名称と似てはいないだろうか。
これも私の好きな言葉遊びである。



・・・両派閥の方々にはよろしく当記事の乱文を諒とせられ、禅定の心を以てお許しおきくださらんことをと願い申し上げる。
なお、母・弟の福井旅行で永平寺に寄るという3日目が無く終わったことは既述の通りだけれど、彼らは永平寺で何をするつもりだったかといえば、蓋し物見遊山であろう。
僧侶の話を聞くとか、仏法などへの関心は恐らく無い。

日本共産党の機関紙を反安倍思想から購読しても、共産主義などに無知だからすぐ解約するような母だしね。
ちなみに言うけれど、私は反安倍でも無ければ、有権者でもなく政治にさしたる関心も無いただの18歳である。
一番云々したいのは、無知だったりするが刹那的な関心で衝動的に行動するも、信念が無いからまともな継続の無い上に、そこに気付かない母親の人間性。


2015年8月3日月曜日

Google+ 2015年7月中の日記メモ等

日記メモのまとめ記事では文言に関連するリンクを挿入しているが、日記メモを投稿するフォームの単純なテキスト編集上ではもちろんリンク挿入は不可能であるし、関連する文言の脇にURLなど載せては文字数が膨れ上がってしまう。
そのため、今までは特に注釈も付けず、記事にまとめる過程で鋭く該当する文言に関連リンクを付てゆく、挑戦的な手法を執っていた。
だが、やはりこれでは書いている最中の構想などを、当日ないし数日ないし一週間ないし数週間という後先のまとめでは記事注釈もリンク付加も半ば叶わなくなるし、まとめ記事にあってはならない不十分さを残しかねない。
その為、7月23日から日記メモ上で半角アスタリスク"*"を当該文言の右脇に添えることとした。
記事エディタ上にまとめた後、リンク付加漏れがあっても[F3]や[Ctrl+F]によるページ内検索で半角アスタリスクを探せば全て拾い上げられる。

メモ記入日(画像付きの日は斜め太字)

1 2 3 5 6 7 10 12 15 17 19 20 22 23 24 26 28 29 31
・・・本当は、各メモにdiv id属性とか付けて、対応するリンクを上の数字に付けたいんだけれど、どうも疲れそうな作業になるから、思案中・保留中かな。



2015/07/01


未だ異性など特定の「色(しき)」について、その欲望、とまで言わずとも羨望が残り続けているのだろう。昨日にしても今日にしても画面越しであれ窓越しであれ、その姿を目に焼き付け、内心でハラハラしている。何か形として人物を捉えるにも三段階があり、次元の隔たりが分明のことと思う。

一つ目の段階が、頭・脳内に想像されるのみの状態で、「想」と名付ける。二つ目は視覚的に捉えられたその人を更に思う状態で、「受想」と名付ける。三つ目はその人もまた自分を視覚的に捉えながら意識し、言わば相互で「受想」している状態で、「受想被受想」と名付け、この時にその相手が自分の憧れる人などであれば、刹那的でも多幸感が起こる。この第三次において、長い時間経験がない私、それは須臾のことか、はたまた阿僧祇劫なるか。思えばそれは、世の時にして未だ5年以内のことであった。

それはそうと、第一・二次であれば、リアルの人間にあらずとも、想のキャラクターの受想が叶うように絵として表している。やはりまあ高次の「想」を得たいものだろう。ましてや自身の死後に他へ残せる者も多くいる。だが、それでさえ世間の浅いことで、一切は皆「空」である。私以上に学問を究めた者達であろうと、その言葉で十二分に踏まえた真理も心肝に染めがたい。なので私にも、証得が甚だ困難な境地だと言える。



2015/07/02



最近起床した時間は、6月29日月曜日が朝9時で、30日は7時半、7月1日は11時頃、本日7月2日は10時直前である。29日朝に風呂へ入ることを半ば諦めつつ母親が買出し帰宅&弟の学校帰宅までの時間に済まそうと思ったが、母親が買出しに出た時間が16時半であったためその日を断念し、翌日朝に託した。結果30日は7時半に起きてささっと済ませた。7月1日はノーコメント。

本日7月2日は、後日投稿予定記事にも載るように夜中3時過ぎにゴミ出しと自販機通いを済ませた。4時頃には寝ついて10時起きたら下剤1錠を服する計画があったため時間通り目を覚ました。携帯アラームが指針であったけれど、その僅か数十秒以内に意識が夢の感覚から理性に向き始めて、夢見の中で「もう起きよう」と思った矢先にアラームが鳴り始めた。そうして目覚めてからもう一度10時20分に鳴る予定のアラームを止めて、起き上がると予定通り下剤1錠を服し、また横になって12時過ぎに再度起きた。

15時24分、お隣さん花鳥園・中庭がなんとも麗しく(皮肉を含む・後述)、七夕も近いので、我が家のトイレ窓の一番手前に位置する笹の葉の写真を撮った(上掲画像)。6月28日に撮った前の写真は、レースの布地が主役で窓の外がぼやけても気にしない写りにした。

今回は網戸さえ開けて思い切り笹を撮ったが、当然虫への注意も払った。取り終えた直後には、案の定ふわふわと蚊が近寄ってきたため即座に網戸を閉じると、どうしても入ってきたいらしく、網にごつごつ当たってくる。閉める際に押しつぶされなかったことを私に感謝して、他人の血を味わいながら生きてもらいたい。ちなみに本日木曜日としての買い出しに出た時間は17時半のことである。



2015/07/03


昨日7月2日の日記メモの最後では、蚊について一言触れた。数日ほど前にもこの部屋で一度蚊が現れたが、スプレー攻撃後どこかに撃沈した様子が見られた。

本日7月3日は18時半に一度蚊が私の左手小指に止まっていたようで、謎のそわそわ感の後にその箇所から離れるものを感じたときには「やられた!」という気を起こし、上昇しゆく影を目で追うだけだった。しばらく、料理をしながら蚊の止まっていた箇所を気にしつつ、「目だった変化は感じない、気にしすぎると本当に腫れるかもしれないが」と思いながら、あの蚊は私を刺していない可能性が強まっていった。

再度その蚊を目にしたのが既にラーメンを食べ始めている19時前のことで、調理器側の壁にくっついており、私が座っている場所から目一杯姿勢を崩して手を伸ばせば届く距離であった。左手に殺虫スプレー、右手にティッシュを携え、そ~っと接近して右手を伸ばすと、先ほどの「ふわふわ」とは速度を異にして飛翔した。スプレーは適当な場所に置いてすぐ行方を追うと、立ち上がった私の胸の高さほどを腕の伸びる範囲内の位置で飛んでいたため、ティッシュを左手に移し(右手から放り捨てた?)右腕を伸ばして拳を握って念入りに指で擦ると、薬指のあたりで軽く潰れていたが、少しも血の色が見られず、やはり吸わない刺さない蚊であった。私にくっついたが運のツキであろうと思うほどに、運命が憎らしく、蚊を哀れむ。

なお、近頃インスタントラーメンは、麺を半分に分けてから調理し、それが一度に食べる量となっており、スープも適宜減らしたり、あるいは一度目にスープを3分の2~4分の3使ったら次回がその残りとインスタント味噌汁でスープを作るなど、色々一口で言えるものでない。このような工夫は、私の食が細くなったことに加え、肉・野菜の消費量は従来どおりを維持するためにも行われている。誰しも健康的と思わないインスタントラーメンだが、具くらいは以前より減らさずに食べたいという私がこのような工夫を始めている。

もちろん、腐らせたとか腐る前にとか調理しても多いとかで食べずに捨てるなど行うことはない。他人を思うとき、中学生になっても食いたい物はいくらでもおかわりして、嫌なら手を付けず残すという都合が良くて甘ったれた不逞の輩は多くいる。スポーツが出来ようが、みな一様に精魂の曲がった愚か者である。私はそれを目の当たりにして一言たりとも責めることもできず、彼らに友好関係のある者達も無視、否そもそも気にかけもしないのだろう。食事中に「それはいつ食うのだろうか」と私をハラハラさせながら、次々と肉類などは食べていき、ついぞ野菜などは食べきってもらえないようだ。どのような情操教育をもって改心させられようか。

この文章をここまで書き終わる頃に、目の前を小バエが過ぎった。私はよほどの強い風雨・天気の怪しさ・外の悪臭を感じない限り終日窓を開けて空気を取り込んでいる。料理の臭いだとかを逃がす考えもある。虫は苦手でも虫の侵入のリスクを鑑みずに行うほど、空気には神経質になっている。だが、小バエなどが料理の臭いに釣られて誘われるとも思わない。

当記事注: 何となく「中学生の食い物残し」に関連した記憶を引っ張り出してきた。中1はじめのイベントで話しかけてきた某女子生徒とは2年生になっても同じクラスであったが、ある時の席替えで同じ班となった。この人はやたら給食にケチをつける人で、その内容は聞くに堪えないものだ。ご飯を「ガスっぽい」とか、仮に同じこと思うにしても誰もが口に出さないようにしていることを周囲に漏らしている。関係ないことを持ち出すが、この人の外見は仲の良い男子生徒にいみじくも「髪が焼きそばじゃん」、「中国人みたいな顔」と言われるようなものだった。女子15人超クラスの背の順なら、前より数えて4人目くらい。



2015/07/05


近頃、目の充血が顕著に感じている。起床時に起こる・感じるタイプではなく、半日ほど起き続けて発現するタイプが多いが、別にPCの長時間使用が大きい原因だとは思わない。長年同じような生活を続けてきて、最近に妙な傾向が出たからであり、また長年続けた祟りが今に表出したとも考え難い。

本日7月5日に日付の変わった頃より、充血に伴う痛みが発生してきた。私の充血といえば、右目の外側が主要であるものの、本日は左目の内側が炎症を起こしているようであった。断続的に処置を行ってみたが、さしたる改善は見られず。私の充血は先述の通り、半日以上起きたあたりでその状態がはっきりしてくるが、同日2時頃の場合は10時間経つくらいの時間であった。長時間の起き続けている状態と充血の関連性について少々調べてみたが、「長時間」のキーワードはPC使用に関連付けられていて、単純な覚醒時間に当てられたものでない。6月30日の日記メモや2月18日の某所投稿に代表される、身近な医学について私の疑問解決に適ったサイトには、得てして巡りがたい。

4時半より料理を始め、食べ終わったのが5時20分頃である。気付いた時には充血の違和感も弱まって、5時半を回ってから鏡を見ると、件の箇所は見た目的にも和らいでいた。実はこの食事があるまで水分補給はしていても、6時間以上食べていなかった。6時間程度でどれほど飢えるかは個体差があり、同じ個人であっても最後の食事による満腹度などの状況次第で左右されるが、ここでは実際に飢え気味であるとする。

「飢えと充血」の関連性も定かでないが、表現が変わるとイメージしやすくなる。「飢えで血眼」、これはその様子を思い描きやすい。「飢えと充血」ではその様子をイメージしづらくとも、イメージできてしまえば「血眼」という単語が連想される。こうした誰かの苦慮により、後の多くの人が正しいイメージに近づくことができる。

なお、和らいだ充血については、必ずしもこの後すぐにぶり返さないとみなせるものではない為、目をいたわりたい。原因についても心残りで、先の所見のみをもって未だ断定できるものではなく、最近の生活の中に別に潜んでいるのかもしれない。

当記事注: 「身近な医学について私の疑問解決に適ったサイトには、得てして巡りがたい」とした箇所で、本メモ以前の投稿にその心情の根底となった事象が触れられているものは、日記メモだと2015/05/132015/06/30などがある。



2015/07/06



7月5日23時44分、母親からの屋内電話に応答した。先に書くが、今回話題にする一件の影響で、7月6日~7日の投稿予定の下書き記事を0時過ぎに投稿することになった。その話題に戻るが、通話の用件は、週2度の買い物に先がけて毎度送っている、私の品書きメール(7月5日5時1分・同日15時18分)についての質問である。私が「最低限の情報で理解できよう」といつも母親を量っているのだが、要領を得た対応があったためしがないし、今回もそんな感じの野暮な通話の用件である。

ほとほと嫌気が差して、呆れた口調ながら鋭く指摘すると母親は、いつもの感情的で譲らない口調に色めき立ってきた。道理を立てられるほどに「減らず口だ(理解不能の本人語:ヘッタクレてんじゃないよ)」と反感を生ませてしまうらしい。私が理性で優る人間であれば、もっと愚かな母を譲歩するしかないのかもしれない。色々と双方の喋り方も自然と早口になり、最後は悩乱した母親が一方的に電話を切ってしまった。その場に居合わせて行う会話とは違い、一定距離おかれた通話は切られれば本当に終了してしまうが、まともな人間=私であれば、それが禍根を残しかねない不穏当なやり口だと気付けている。ただし、同じ家の中でされた通話であるから、義憤をして即座に通話を切断した無責任を問いにゆく。

1階廊下で2階に向かい非を責め立てる言葉を一声。続いて右の平手で自室外の壁を3回叩く。ついに母親がいう「暴力」を解禁した。思えば、先のメモ帳記事などその他2ヶ月超に渡り、諸々の会話でふすまを叩く等の「暴力」の一切を自重していた。この一声に母親の返事などはあるけれど、会話の形もなきがまま左手拳で階段付近の壁を一撃し、軽くへこませた。続く利き腕たる右側を思い切り拳を作って繰り出すと、それより強めにへこんだ。両手とも指の付け根の皮下で血が滲んで、出血までは至らない。

久々に衝動が抑えられなかったが、この電話が入る前の約40分に渡ってイライラしながら行う作業をしていたことも原因だ。創作的作業にはやや遠いアレは、数年来の私が徐々に遠ざかっているジャンルであるのに、未だこういった低俗なアレに囚われると、封印せし暴力性だに増長せしむるやうだ。

ともあれ、母親の理不尽な言動にも非が強い。私はまた罪悪感が生まれた。やってしまってからでは遅い。そして、こういった母親に期待を掛けた深謀遠慮がなんとも悉く裏切られているため、私ももう少し言葉をストレートにして伝える努力をする。自己の非もしっかり分析できるところは偉いとは思えないだろうか。愚かな人のレベルにこちらが親切に合わせる。



2015/07/07



7月の日記メモは7日の現時点で、4日以外毎日投稿していることになるが、日付上6日に投稿したものの話題の一件は5日23時で、まだ6日に日が変わる前のことだ。

本日7日付けの日記メモもまた、既に過ぎた前日のネタで恐縮であるが、6日20時頃にちょっとした菓子を焼いた。月曜日分の買い物は予めヨーグルトを頼んだが、今回買われた菓子の中に市販の某クッキーがある。これにそのヨーグルトを乗せて焼いたらおいしそうだと思いついた。よって、一枚のクッキー(小さく厚みがある)の上にヨーグルトを適量乗せて塗り広げる。

ヨーグルトもこんがりすることを期待しつつ、ヨーグルトの水分が多いと焼き加減に悪影響が出そうだ、と思った。焼く過程だが、受け皿(鉄板?)に件のクッキーを乗せ、当方のオーブントースターの上面のみ使用で加熱し、熱気が充満したら一旦止めて余熱をすること1分、再度2分ほど上面のみを加熱してまた余熱を見張ったが、取り出そうとするとき、裏面まで多少ヨーグルトの水分が浸透したらしく、崩れないよう工夫しながら取り出した(待てる場合は今回以上に余熱待ちをする)。

完成品は当初見込んだ「ヨーグルトさえこんがり」しているものとは当然異なり、やや落胆しながら一口すると、クッキーの縁(周囲)はややサクっとした食感があり、裏面も余熱で固まっていた。更に中腹までかじったとき、チーズケーキに似ていることに気付いた。ヨーグルトもベチョベチョでなく、生地と共にしっとり感を演出している。「プチレアチーズケーキ」とも言えよう。

この一枚のクッキーは、今までの思いつきクッキングの中では高く評価できる結果となった。上述の名称に合う形としては、例えば冷やして食べるのも面白そうだ。

今月分のまとめ記事には写真を載せる予定である。(写真の真っ白ヨーグルトに対比して黒い部分があるけれど、これは母所有の製品パッケージを見るに「製品中の黒い粒は~」と注意書きがされるよう、原料の外皮である)

当記事注: ヨーグルト部分をこんがりさせたい場合は、上に小麦粉か片栗粉等の澱粉質のものをかける・のせるをしてから焼くとよいかもしれない、という仮説がまとめ作業中に浮かんだ。



2015/07/10



本日7月10日は早朝より、長らく着ていない衣類の内2点を洗濯した。まず、中2の時に前の家で母遺留品を漁った際に着始めた、レディースのスキニージーンズだが、当時はややキツめに思った程度で、自転車を乗るなどに支障なく着られた。この母遺留品は、前の家の1階に母の部屋が二つあった内の物置っぽくなっている部屋に、本などが大量置かれているわけだが、クローゼットでこのジーンズを見つけた。中3以後に豊橋の家への小旅行に最大1週間を見据えて持ち運んだ衣類の内に含めてあるため、こちらで外出する際にも着たりはしたが、やはり身長の増加のためか自堕落な食生活のためか、窮屈さが増してきた。ボタンを留めるのも苦痛が強まって、ここ2年ほど滅多に着ることがなくなったが、最近の痩せ様を鑑みて久々に着てみたところ、案の定か仰天か、中2時代の装着感に還っていた。洗濯も1年ほどしていなかったので、今後のために洗うこととした。

続いて、中3の5~7月頃に豊橋宅の近所のイオン(なんじゃす)で購入した衣類数点の内の一つに白黒が細かく縦にストライプを描いた模様のジャケットがあるが、遠目には明るい灰色に見える。これの購入動機は、本来真っ白なスーツのようなものを求めていたところが当時あった。よって、同じ時に買ったズボンに、白で裾が短めの何とかパンツがある。理想としたヤクザ紛いのアレ等は売っているはずもなく、近いコレ等を選んだが、今でもお気に入りのタイトな黒いシャツもこの時に買われた。ヤクザ紛いファッションへの憧れは中2期に薄々あったけれど、この豊橋の家で上の弟の選んだ洋ゲー1作品(およびインターネットで見た同シリーズの別作品)から直接大いに触発された。

この2点を本日洗濯した、ということだが、その作業過程は詳述しないけれど、色々と複雑に行われたものであるとだけ言おう。粗方乾かした際にジーンズ下端のボロボロ感が気になったため、切っておいた。数年前からこんなものではあったが、今更行った。自然にほつれて切れるくらいがちょうどよいのかもしれないし、何だか自分の髪の毛切る行為と重なって、事後に何ともいえない心境。いわゆるダメージ系をこのジーンズに求めてはいない私であるが、こういったボロ加減の評価はいかがなものだろうか。

小4の時、そういった「膝とかが破けたズボン」という認識の下、はさみで自ら破いてみたことがあったが、「何か違う」と思って落胆した記憶がある。それから、はさみで破くやり方は不自然かつ誤りだと知って、そういったダメージ系への憧れを失せさせていたが、小6の時に合唱コンクール衣装統一(○川市内小5~6が参加で自分のクラスだけが衣装統一)のため拵えた白ポロシャツ・黒ズボンの後者は、中1の頃にスケートボードを乗った際に名誉の傷(着用厚手の手袋も犠牲に)を負ったが、見た目は似非ダメージ加工のようで恥ずかしかった。自ら縫合しても裁縫の技術が拙くて、穿いているうちにアララ、ということが何度も。でもまあ、ダメージファンは一度でもいいから、スケボーの転倒等による名誉の傷を負ってもらいたく思うね。

中1スケボー転倒の件は過去にも書いたはずだが、その記述は検索しても例の如く徒労に終わってヒットしない。念のためここに書くが、手袋やズボンに包まれた手も膝も皮をすりむいたし、あまつさえ陰嚢まで、という惨事であった。車がたまに通る坂道(一方通行)でやっており、転倒した10秒以内にも、坂を下ろうと車が接近する状況であった。2013年の踏切転倒事故は、一枚上を行く二次的事故の発生しやすさ(5秒以内に電車到達)である。そちらでも手袋が破けたが、他の服は目立った損傷や汚損が無かった。



2015/07/12


本日7月12日は、去る5月下旬の季節外れな酷暑のレベルと比肩する暑さとなった。6月の頭、梅雨に入る前から、3月並みの寒さのため、部屋でスウェットを着ても朝夜がやや寒いことはしばしばあった。今日は絶望感ある5月下旬の頃に長きを経てようやく並び立ったわけで、昼11時~17時半まで寝るにもかなり汗ばむ時間となった。午前中起きていてPCをやるにも、少しの間に額が汗で潤ってくる。一度起きた夕方にコンパクト体組成計で測るとスウェット着用時としては最低の "46.30kg"が表示され、エアコン付けぬがままの生活に脱水症状も顕著であると見てよい。

休日では洗濯・天日干しなどがしづらい当方の事情があり、また明日からしばらくこの陽気にも恵まれないものだと思うと、来たる時のベランダには巨大な虫等を恐れて憂慮ばかり。寝具の洗濯はまた遠まわしとなり、今日・明日は衣替えを中心に吟味することとなる。押し入れ下段にはタンス(チェスト)があり、その最上段には小5(小6?)の時から所持している部屋着・寝巻き用の上下セットが収納される。購入時の身長・体重には長袖として適正なサイズであり、"150cm"と思いきや、"M"と書いてあるのみ。バスト79~87cmという表示があるが、何にせよ今でもさほど窮屈な感じはなく着られ、これを着て撮った写真は中3・当地の自室にて全身を写したものと、2012年6月28日に撮った2枚の計3点しかない。

これを着るに問題あらば、時期的な経緯も含めて母親に次回木曜日の買い物で新しい夏物の部屋着を買うように頼む必要が出てくる。高学年から20歳まで同じ服を着続ける人は、なかなか見つからないと思う。それはともかく、他にも買う際に数点添える事項があるだろう。

一に長袖であること。既に「私の相談なく母親の独断で買われた」半袖の衣類がいくつもあり、タンスの肥やしとなっていて、仮に母親や下の弟に渡そうとも、各々が別々の意味で着られる代物ではないが、前者ならせめて「私(母)が着たくないものは○○(息子の私)も着ないだろう」という気持ちから、独断で買うにもしっかり品定めをしてもらいたい。

二に繊維は化学繊維、中でもポリエステルが好ましいこと。部屋で着る際に着やすさ・着心地だとか機動性であるとかは肝要であり、前がボタンで開閉されない服は綿の場合、新品は腕を通しづらいことが多く、このスウェットも最初そうだった。ポリエステルは他にも丈夫・万能であって、件の部屋着もポリエステルが主体で織られる。綿などはファッション、だけど7月10日の日記メモに触れたお気に入りの黒いシャツも、綿とポリエステルが半々なんだよね。三にカラーであるとか、その他の指定。

結局、私が小5から今まで捨てずに留めているこの部屋着自体が長袖であり、長袖を求める気持ちは今でも変わらない。中3となった下の弟が今でも上半身裸で過ごすこととは気持ちが異質なのに、その心を知り難い母親には、言葉で言うしかないが、それでも伝わらないことが多い。メールでの要望は、もちろん当メモのような長文でなく、要点のみの簡潔なものとするが、寧ろこの方が平易で要旨のみは堅実に伝わろう。

最後に、今着ているスウェットと合わせて一点書くが、やはり夏場には件のポリエステル的なものが合うだろう。通気性は言うまでもない。冬物のスウェットを常時着続けて、綿の生地を汗や湿気でくたくたにして、いざ再び冬を迎えるとき、衣が薄くては過ごし難いではないか。よって、夏には夏に合わせた衣類を調える必要性がある。

前回7月10日の日記メモと合わせて衣類の話が続いたが、この二つで語った知識は、中3末期の知識となんら進歩がないもので、まあ忘れてしまうより助かった方かもしれない。近頃の進歩といえば、2014年の洗濯開始くらいであろう。

当記事注: このメモの投稿前日・11日23時には、下の弟は暑さから眠りづらく、「(エアコンの)リモコン出せよ!」と吠え続けながら、対する母親は出し渋っていた。僅かな電気代・光熱費もケチケチする吝嗇家で、家族とのトラブルも不可避だ。今回の結末は知らない。追記事項もう1点は、エコアンの冷房を今年は6月~このメモまでの間に、一度だけテスト作動したことがある。更にもう1点、脱水症状から12日夕も13日5時半も共に起床時の頭痛が鈍重であった。



2015/07/15


勿於此生疑・当断令永尽、常日頃活動をする中で、それに掛けた時間は否が応でも顧みることになると、「これでいいのか」と思ってしまう。私が何かに時間を捧げる、同じ部屋で同じPCに向き合うとも、2012年などはネットで下らない動画や掲示板スレッドなどを閲覧しまくって一日を過ごしていた。当時における活動といえば、YouTube旧アカや、ニコニコの当時使っていたアカウントで動画投稿をするなど(他複数サイト入り浸り)で精一杯。

当時で勉強という勉強は、だらだら洋楽の歌詞に英語学習などを思ったり、気付いた時にGoogleで検索しまくるなど、今からすれば効率性に欠いている。現在であっても、何かの文字だらけのページを長時間見続け、その間こまめに別ページや検索等して、終わった頃に気付けば3時間ほど過ぎているようなことも多い。だからこそ、その際に「これでいいのか」と思ってしまうのだが、否、これが自分の道筋だと信ずべし。

そこで、冒頭に引いた「勿於此生疑・当断令永尽」という二句に戻ることとなるが、読み下すと「此に於て疑を生ずること勿れ 当に断じて永く尽きしむべし」となる。疑念を起こさず、またその迷いを断って永遠に起こさぬよう戒めた一節だが、まあ仏法上の意義に逸れる方向で濫りに用いちゃいけないよね。ここ半年の勉強では、仏法を重きに置いている。仏法とは、人によって数十年研鑽しても足りていないことを語るわけだから、私であっても数年でやめることのないような研鑽を続けたく思う。移ろいやすいからね。

2011・12年と対比すれば今がいかに有意義かは自明の理であるが、前述のようにそれでも疑いがあるわけだから、より満足できる高みを目指す、これは最も望ましい姿だ。確かに今の感覚における満足できる境地に仮に至ったとして、そこで足を止めるのも良くないだろうが、それはともかく、今の私が自己不信の時もあるのは思い込みだと、自身で弁明する。

実際に2012年はおろか2010年から自分の肌に合わない、否、誤ったものは切り離してきている。閲覧の趣向として、2010年よりテレビアニメ変な動画・変なスレッドなどを次第に切り離したことは、過去記事でもいくらか書いてある。掲示板の閲覧は今でも決まったスレッドを毎日覗きはするが、たくさんのスレを探して書き込みまくる等は2014年にもなるとしなくなった。

そんな中で本日は、必要な洗濯の一部を遂行した。その過程で母親に相談する事項もあったが、自ら積極的に行って何とか済ませた。創作関係も、楽曲を投稿した某サイトでリスナーと軽い交流をした(普段はコメントを見ないなどで逃げている)。下書き記事も朝から一つ出来上がった。これは本家かメモ帳かどちらで投稿するか思案中。

こうして時間が過ぎる中で、髪を伸ばすという生き甲斐も達成できる。刹那的に死にたいと思うことがあっても、髪が短くされない限りは力強く生きていける境涯でいられるよう、何かに祈り続ける。



2015/07/17


2015年7月17日、多くの小中学校では1学期最後の日となっていることだろうが、弟も今週は木曜日以外4時間授業であり、今日もそうであった。そんな中で学校に水筒を置き忘れたらしく、17時前に特別支援学級の担任教師が届けにきた。直後に2階で掃除機をかけていた母親と話し合いになったが、突然弟が母の言葉で言う「暴力」を振るったらしい。

弟による「暴力」の直前まであった、普段の高慢な威勢が殺がれて、オドオドと混乱した後その場を離れ1階に降りた。1階での用を済ませた(手を冷やしていた?)直後に階段を上りながら弟に憤りを浴びせた。夕食抜き発言はともかく、特別支援学校の面談というものが7月21日にあるそうだが、これを辞退するという旨は、その場の感情から衝動的に言った程度か、それとも本人の決然とした意志なのかは不明。大概は前者の衝動性に起因するが、今回のような事態では後への肉体的影響を残しやすいため、現実味はある。

スキンシップレベルの打撲としては、過去に2014年10月に大痣を作ってしばらく買い物が不自由となったりもしたが、今回にしても「手が真っ赤になった」という。母親は内面の人間性のみならず、体質においても大仰な反応が起きるとよくわかった。大仰な反応のある人間性を有する件については5月24日の日記メモに触れられるところ。そのメモなりに言うと、潜在する悪心が態度どころか体表にまで大仰に顕現されるということで、私の母はその性質を強く内在する極稀な人間だと言える。

7月14日動画の説明文にて過去のアトピー性皮膚炎の症状について言及し、これは少し爪を立てると出来るミミズ腫れを例に出しているが、これより悪質ではないかとさえ思えてならない。また、同動画内に語られる「そ~っと動かした膝をぶつけて激痛に受身を兼ねて倒れ悶絶した後には小さい痣が出来た」それと比べ、今回の弟による「暴力」はどれほど痛いものか問いたい。

結局、このメモを書いている間に掃除機がけを再開して、手の腫れとやらは何のその。投稿直後(17時52分)に私がリビングに繰り出たタイミングで俄かにその音が止んで、それを察知した私は、当人が即座に1階へ降りてくることを予知し、早々と退く。弟との一件で当人は頭のネジが外れてこの後18時11・12・13・14分の着信履歴が残るよう、当人から寝言尽くしの通話が持ちかけられた。宅配業者が来てからの停戦を経て18時38分と48分の着信履歴が残るよう、暫く不快な話が続いた。あることを未だ妄信して止まない母親の無粋な詰問。一連の威勢を見ると、今回の弟暴力の結論は、案外大仰な負傷の顕現ではなく、逆に小さな負傷を大仰に誇張したパターンであった。



2015/07/19



今日は朝7時10分過ぎに近所の自販機通いを行ったが、額は130*2=260円、前回は7月8日のことで額は130円だったと記憶する。この130円は増税後もともと120円だった小さい缶とかが130円になったという類のものではないが、具体的に何の商品かもここには書かない。

台風11号四国上陸以前に同じ購入プランを立てて午前3時頃に行ったら、ある自販機の上方には例年通り足を縮めたサイズが1cm超のクモが巣を食い、別の自販機には不可解なことに、大量の羽蟻が数箇所の多極集中を見せているという光景を眼前にして、為す術もなく立ち退いた経緯がある。今回としてはあえて明るい時間でも人通りの問題は片目をつぶって実行し、クモの巣問題は恐る恐るに突破し、集る夜行性の虫などはありもしないから無事に済んだ。

今日起きたのが朝6時55分、その前に目覚めだけは4時台などがあった。今日もその起床から外出の間に「シネシネシネシネ」と鳴く蝉の声が「お隣花鳥園」より聞こえてきた。今日も、というと最近連日聞こえているわけだが、始まりは7月16日木曜日の午前中に入浴(シャワシャン)している時のことで、金曜日も土曜日もお隣花鳥園から聞こえてきていた。

明日もまた鳴いているのだろうか、と聞く度に思うわけだが、成虫となったセミの寿命が長くないことはご存知の通り(夏の終わり頃には大量の死骸が道端に・・・)で、今日から数え種族の差を鑑みても数日~一週間ほどでそのシネシネゼミは花鳥園の土に落ちると思われる。それまでにシネシネゼミのシネ鳴きに込められた願いが叶うのだろうか。(セミの寿命に対する認識については、後で調べたところ俗説らしい)

追記:18時半、また虫の話。PC中、左手の痒みにはっきりと感じないまま無意識に掻いていたが、気付いた時には暗い部屋に蚊が飛んでいた。即座に部屋の明かりを付けて両手で叩き潰して放すと、本体がフッと落下し、手の平を見ると案の定潰れた後のみならず濃い鮮血。手を拭った後に落ちた本体を探すと、脱いだ上半身スウェットの首周りの箇所に見つかり、そ~っと取るにも変に広がってしまい、その箇所に血が少量付着した。速やかに汚染箇所を洗浄した。腫れた手の三箇所と左肘のそば一箇所にしても、怨念の残滓としか思えない。このように禍根を残さしむる置き土産現象は御免蒙りたい。

ところで予て生物学的に一つ仮説あり、この蚊に他人の血、狭義では他人の赤血球が含まれるか?吸った血は養分に使われ、他人の赤血球と鉄の酸化変色はどうのこうので今回潰れた蚊に他人の赤血球は含まれないし、多くの蚊はあなたを刺した時点で、殆ど他人の赤血球はどこかへ消している。他人を刺して間もない蚊を潰したその血が他人のものということは当然あるけど、今回の個体はまず自分の血液かな。

当記事注: 刺された数日後(上掲画像がその時の写真)にはかなり赤みを増して、肉眼では痣のように映えることもある。本メモ上部掲載の画像も、本メモより2日後に撮影した写真だ。7月末にはようやく、炎症を起こした左手の三箇所は、外見上ひいてきた。刺された日よりの変遷としては、ピンクや紫などの色を幾度と繰り返して、茶色になってくると同時にその色もひいていった。幼い頃と比べて、外見上の治癒能力が劣っていないだろうか?痒みの残り方については、何とも捉えがたいためノーコメント。



2015/07/20


後日、別個でメモ帳に記事として投稿しましたが、大幅な加筆訂正が加わっています。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/07/blog-post_23.html



2015/07/22


本日7月22日は朝5時台に目が覚め再度寝て、次は6時20分頃となった。起き上がる前から家の前を通り過ぎる子供の声がいくつも聞こえていたので、妙な感覚ではあったが、その既視感ある正体をはっきり引き出すには彼らが帰路につく頃合、即ち6時40分以降のことだった。起床より私はPCをつけ、毎日起きてすぐ責任感から行っている作業を済ませる過程でその頃合となり、続々と家の前を逆方向に通り過ぎる親子などが見受けられた。

ここで、今からちょうど1年前の自身のメモ帳投稿のことが思い起こされ、目の前の出来事と完全に重なることとなり、符合した。向かいの子らも手に「あのカード」を携えていた(思考に夢中なためにこの時まで、子供らをカメラに収めようって発想が浮かばなかった)。全ての作業が済んだ6時50分以降、メモ帳の過去記事の中から当該記事を探し出して読んでみた。やはり子供らが行き来する時間帯など、状況は去年も今年も一緒であった。読みながらとある持論については書いていないものかと記述を探すも、当該記事内には見られず、ほか本家ブログや動画説明文にも見当たらず、例の如く徒労捜索となった。とりあえず、簡潔ながら記録はちゃんと取られている点、メモ帳の機能が発揮されていよう。

別件、本日の自販機通いの計画は数日来のものだが、7月22日に実行が固まったのは前日のことであり、具体的な時刻も7時20分以降と定めていた。そして本日その予定を繰り上げて7時7分に外出した。A家隣の姓不詳(O家?)の主人だろうか、中年太りの男が家の前でタバコを吸っているのか、立ち尽くしていた。町内お偉い家管理のゴミ置場にはかなりゴミが集まっていた。目的の自販機で難なく済ませた。メインの通りの人通りや車の通りは、気にしなければ自分の感覚として問題は無い程度であった。

帰り道、あの姓不詳家の中年太りがまだ何かして、通りに背を向けてメガネを着けてみたり、その後も「俯いて何を見ているのやら」という様子だが、「人通りを気にしないのか」と思って私が通り過ぎる間際に私が歩いた跡に顔を向けてキョロキョロした後、ソロソロと家の中に入っていった。入るなら私がここに戻る数分以内にそれやれよ、って思う。集スト臭い。

こういう何を考えているのやら知れない輩(某Iメガネ男性・老婆宅やE壮年夫婦宅などに出入りする人種も含む)が近所に多すぎることは2012年から薄々感じていたが、苗字など具体性を含んで記録を始めたのは、実に今から1年以内のことである。

当記事注: 「とある持論」についてだが、まず「あのカード」や今回の状況の「正体」から書いておく。当該記事リンクが付いているからここを読んでも分かる通り、子供らは近所の公園で行われる早朝のラジオ体操に出ていて、保護者同伴の児童もいたことになる。「あのカード」は参加記録のようなものだ。「とある持論」とは、そのラジオ体操が夏休みいっぱい、少なくとも20日などあると良いのに、実際には去年の開催期間は最初の数日~一週間程度だったことに驚愕した。早起きだとか運動だとかの習慣づけにさせるのではなく、形だけ執り行ってお終い、という単発イベントのようなものではあまり意味が無い、とする持論である。その記述がどこにも無く、徒労捜索となったのだ。また、去年のある日のラジオ体操終了後(子供らの帰宅状況より推測)に公園へ足を運ぶと、終了後も引き続き公園で遊ぶなどという子供が全く見受けられなかったことも衝撃だった。

ちなみに外出時の服装は7月12日メモにある部屋着で、7月19日外出時のように髪をタオルでまとめた、頭から靴まで青白ファッションである。自販機通いくらい気軽に、ね??ちなみに8時40分過ぎに強めのにわか雨が振り出して9時過ぎにはほぼ止んだ。惰眠なら計画頓挫だね。ちなみに9時十何分にお茶の準備をキッチンでしていたところ今まで親も弟も1階に降りてこなかったのが俄かに2階母部屋のカーテンが聞こえてきたので、止んだ雨より怪しい雲行きに準備を早々に終え急いで部屋に戻ると分かりやすく母親が1階に降りてきたが、常のこと。ところでキッチンにまた新しい糖類、開封済みオリゴ糖・蜂蜜各1の後に蜂蜜3個も買ったこともあれば、今は開封済み蜂蜜2つに未開栓蜂蜜・オリゴ糖・希少糖各1を差し置いてエリスリトール1購入直後開栓という状況。去年~今年未明の俄かウイスキーと変わらない。



2015/07/23


本日7月23日は朝6時頃起床、昨日とほぼ変わらない。8時頃に弟が家庭のゴミを捨てに行ったが、近頃私にゴミ出しの意識が欠けつつあるのも、私一人で大容量のゴミ袋を使いきり自分で捨てるわけだから週1~2という頻度で焼却ゴミを出しに行くことはない。私が出す焼却ゴミというのはその大容量のゴミ袋を一人で満杯にする頃となるわけで、2週に1度ほど。結局収集車が雨特有の早さである9時過ぎに近所へ来てしまい、「あ~、まいっか」と次に託す考えに至った。

昼前に2階からいつもの怒声と銭をいじる音が聞こえてくるので、弟の外出を予感したが、実際に数分以内で家を出ていった。メモを書き始めている18時00分時点でもまだ帰ってきていない。事情は未知であるものの、あえて推測を言えば、祭りかどこかで長時間居留まっていることと思う。もちろん、ただの平日に祭りなどのイベントがあることは考えづらいし、中心市街地域で開催される大きなイベントなら、知的障害児一人で公共交通手段を利用するか、無理なら徒歩という状況となってしまう。今のところ杳として知れず。

次に、最近の個人的な発見ではあるが、家の前を若い女性(10代~20代前半)が2人組み以上で通っていることが多いと思う。今日の正午過ぎだけでも、JK3人組が品もなく爆笑しながら駅方面に歩いていたが、こちらが笑いをもらってしまう。その後も、閉じている傘を叩きつけるかのような音が聞こえて外を見やると、私服姿の若い女性2人組み(髪は黒と茶で共に長め)が大きめの声で笑いながら同じ方向へと過ぎ去った。17時頃にも別物と思しきJK3人組みが同じ方向に大き目の会話で過ぎ去り、既述のメモ執筆開始時以降にもその内の2人が逆方向へ帰っていった。

複数人の若い女性というと、5月23日に近所・・・というより少し離れの住宅街を歩いていたときにも私服+化粧しているJKっぽい2人組みにすれ違う間際で「きゃあ!」と謎の悲鳴の後に地面を見て「喉から舌が出るかと思ったw("喉から下"と解釈すれば胃や食道などか?)」という耳慣れない言い回しが聞かれたわけだが、家庭菜園に面した道端の雑草が、彼女の露出した足首に触れてびっくりしたのだろうと後で思うことにした。群れているのって、若さを問わず60代以上のばあさんらがよちよち歩き(自転車アリ)ながら2~4人の集団でよく歩いている(家の前で立ち話もアリ)わけだし、中年くらいが一番この傾向薄まるのと、JK~JDがかまびすしい・かしましいというだけのことか。

それと「組」をなしてはおらず関係ない話となるが、2014年秋冬期に散歩している私が帰路についている(歩く道は直進で我が家に通じる)折、ベージュの色のコート姿でポケットに手を入れたまま走っている若い女性とすれ違った。身長はヒール込みで私ほど、髪は茶のセミロングで、下半身は肌色のタイツでも着けていたのではないか。何となく面白さを感じていながらも記憶が美化されて、顔は割と白くて美人だったと思い込んでいる。

追記:19時10分頃に弟が帰ってきた、玄関における独り言では「中央図書館に2・3時間」などと聞かれた。弟はカードなどを持っていないため、図書館ではいつも借りずに館内で読み続けて本棚に戻しているようだ。ところでコレ記入している20時半前から子供の声が聞こえてならなかったが、向かいのT家の子らが手持ち花火で遊んでいるようだ。去年「闇に戯れる幼子」なんて動画あげたな~。

当記事注: 7月26日は20時以降雷・・・は有り得ず、風による轟音とも取れた音が断続的になり続けていたが、20時半頃には打ち上げられた花火ではないかと気付く。その音によって、母などが騒がしくなったのが21時前のことだが、その辺りからまたも向かいT家で手持ち花火を初め、21時半なおも続いた。



2015/07/24


※途中まで7月23日22時・寝る前の半角カタカナ打ちメモ※

何をしても裏目に出る。何も言わないで聞かないで見ないで動かないで生きて、そうして悪い因子を生まないようにしても、また起きるであろう果報の全ては防ぎきれない。人間に生まれたこと自体が、良かれ悪かれ過去世に積まれた因子の果報であると同時にこの件も、過去に間接的な不善の要因があって悪果を報いた。故に現世の悪しき業因より生じる果報から逃れるには、死するほか無しと見る。その来世にまた悪果を報いても困るし、自ら命を断つことは断じてしないため、一応は信仰による滅罪を勧めたい。

案件の対処としては、実に不穏当で近頃は殆ど行わなくなった手法を執った。案件の直接的な原因は私になく、原因は誰も知り得ない。あえて言えば魔の障りだろう。だが謂われなきことで私への疑いが強められるのは、学校生活の人間関係と何ら変わりがなく、息苦しい思いだ。だからこそその不善の要因を積まぬよう、極論としては生まれてから死を望むほか何もせず死ねばよい、だがそれを私はせじ。

私がただ一人に疑われようと構わないが、介入しない傍聴者の前で一方的に嫌疑を掛けられると、彼らにまで悪心・疑心暗鬼が生じて私に敵意を持ちかねないし、私としても心の溝が深まり広がりやすい。私からそれらの者へかけられる言葉などない不利さや歯がゆさも学校生活で経験済み。多くの人は正しい判断能力が必要量に対して欠如しているため、そのレベルを超えた扇動には、いくらか乗せられやすいことだろう。悪辣な人間だ。

こんなメモを寝る間も惜しんで携帯半角カタカナ打ちしているから、明日24日の予定が砕けていまいかねない。この件は誰彼の疑念と関係の無い形で禍根を残していたようで、7月24日8時40分頃になりようやく私が気付くこととなってより、本日はその禍根を絶つための行動を、新たな予定が増えた。彼らの悪心を生じるばかりか、別方向に物の姿として悪果が生じてしまったとは、絶望的である。

追記16時の日記メモ:二種の感覚が両極に狂っている。前の買い物は火曜日だったが、月曜日の予定を1日飛ばしたのも特別支援学校面談と同時に済ませようとするためである。木曜日の買い物の変更後の予定は不明。明日7月25日に行くという仮説を立てるとして、母いわく土日の混雑イヤ、5の付く日もイオンのセールで混雑でイヤ、と過去に述べていたため、5の付く25日はまた土曜日であり、本日24日(金)に行かなければ言行不一致となろう。本日母は起きてからすぐ朝9時半に風呂に入っていた 起きてすぐ風呂という成り行きは買い物の日に多いが、この法則も顛倒か?13時以降の某トーク番組や某ドラマなど平日は毎日のように見ているらしいそれを今日は見ていない中で、母親に買い物の可能性を大いに感じていた。あらゆる面で不合理の様子で、一たび予定狂えば感覚も狂うと分かる。

だがその感覚とは理性面の話で、直感においては別となるようだ。15時40分前、洗濯機の動作が終了する手前に降りてきて、終了を告げる音が鳴っている間に音を止めることができた。そんな直感鋭敏の母が今日を嫌い、明日に行くとして、混雑を厭わないセールへの憧れでも生まれたのだろうか?出来心というものなら、やはり理性が殺されている。

その他、本日弟は9時頃に1階へ降りてくるも、朝食のシリアルが無いために9時半以降ラーメンを作り始めて食べたが、そのおかげでスープをこぼしてしまい、自ら掃除機をかけたものの不手際から母にしかられるハメとなっていた。弟のシリアルが足らないから、弟がなれない作業に手を焼くこととなってしまった。まともな母親なら「自分のせいで」という自責の念により、いち早く買い物へ急がねば我が子が苦しむと嘆くはずだ。一連の狂った感覚を、本人自身が気付けずにいるのは言うまでもなきことだ。

その母・弟が1階に降りてくる時間よりずっと前、本日も朝6時20分頃に起きて料理をしつつ6時50分までに家の前の児童の通りを携帯カメラに収めた。弟が降りる直前より洗濯を始めた。今日はとある昨日の一件の禍根が残っていることに既述の8時40分頃に気付いてからはずっと焦りながら過ごしているし、私の行動範囲も絞られるが、それでも洗濯などを果敢にこなしたわけだ。一日縛られっぱなしは御免であり、明日もまた何か自由が利かないということも十分に考えられる。

買い物についての不満は、何も食い物の不満ではない。私への行動制限・母の理性崩壊に次いで3番目に位置し、重きを置いていない。食い物の不満について冷静に考えるとほぼ無いということは、私の過去投稿における思想と痩身を以て明証としたい。食い物云々は、即物的な人間でない私にとり未だ問題にならないし、やはり母の崩壊しゆく「識」と「心」が憎まれる。

追記2:16時50分、かの案件の最悪な禍根を絶ったが、その枝葉までは取り払いきったかというと、あえて消していないものもあれば、確認できていなくて消すか否か下せないものもある。

当記事注: この日の日記メモでいう「禍根」は、後日の本家記事(日記メモライク文言の中にあり)にも触れられている。



2015/07/26


今月は暫定的ひいては月末まで予測しても日記メモの更新日数が過去最高クラスに盛っていることと思うが、対してメモ帳や本家の記事投稿は芳しくない。それは置くとして、本日はメモ帳の複数の過去記事に追記や修正を行った。追記などは、普段から過去記事を探す折に度々行っているが、本日あえてここに記録したく思う。

長めの追記は2015年6月3日の記事と、7月18日の記事である。また、昨日7月25日であっても、7月24日投稿の動画の説明文に追記するなど、加筆修正・日時明記の追記は、メモ帳記事に限らず行っている。もし私を熱心に観る者あらば、上述のそれもよろしく参照されたく思う。

本日は22時より上機嫌で饒舌に独り言を続けていたのだが、それも「識」を重んじる私の実践の姿だと思う。「識」とは、「文・心・理・事」の四法互具であって、最勝の概念である。こちらの私の思想は空論ではなく、体系化が日々進行していて、実践もこういったブログや創作などの活動で日々邁進しており、それは「識」の概念の言語化以前より続けられるものだ。私が提唱するところの「識」の実践は、"Philosophia"に通じている。饒舌の独り言をする中で私の機嫌を損なわせるような文言がいくら視界に入ろうと、意に介さず思考を止めずに「識」を高めていくべきだ。

「四法互具」の語源について少々語ると、「四法」とは同じ仏教でも教義次第でこの語が作られるが、もちろん意味が先で、後から形としての語がある。"法"自体が多義的な中で、"一切有爲法"という有名なフレーズの一句にしても"所謂諸法"として説かれる十如是のような"法"などは万象のことであり、仏法教法以外も指される。そして「文・心・理・事」を一括する為に仏教ならではの"漢数字+漢字一文字"の形式を踏襲した便宜名としてこれを定めた。「互具」とは兼備とほぼ同義であり、"互いに具う"と読み下し、これを用いるのは「十界互具」からの類推である。したがって、一界に九界を具えるから"互具"なのに、四つを一方的に束ねた「識」が"四法互具"というのは少しニュアンスが異なるため、「四法総在」というこれまた類推名の案がある。

こういった私の造語は幼少より数えて幾百あることだろうが、やはり重要な語は反復して唱える必要があろう。最勝の「識」を覚知する前に四法を語ったことといえば、「文・心」ならば「諸事相対抄」の「文心勝劣義」の主題、「理・事」ならば「整然とした思考」云々の主題であり、こうして日々「識」を手繰り寄せてきたことが誰の目にも鮮明に映ることだろう。



2015/07/28


この日はG+に日記メモを投稿していませんが、かわりに本家29日の記事に「日記メモライク」の文言として記述したものを掲載しています。
http://masashi.doorblog.jp/archives/44918264.html



2015/07/29

弟はクーラーをガンガンに掛けているのではないかと思う。室外機から漏れる液体の量が多いほど、この念が起きる。本日7月29日のみならず、一週間ほど前から仄かに思い始めていた。その懸念が事実に現れたと取られる状態が7月27日にあり、1Fリビングにいる際の弟が、季節はずれのくしゃみを連発し、鼻を啜ったりもしていた。この時に「こりゃ冷房病の夏風邪だ」と確信できた。7月28日の彼らが遠出した時に弟の部屋に上がったところ、ゴミ袋のたまったゴミの上、すなわち飲んだ後と見られるパブロンゴールドのような粉薬の1包が捨てられていたことで本人も風邪を自覚していたことは確定的である。

知的障害を持つ弟は食欲旺盛で、1食にご飯数杯食べる様子が見られ、休日の外出も多く、知的障害児としては体が強い方かも知れないが、風邪にはどうも弱いらしく、冬場も錠剤の風邪薬を常用していた。その弟ならば、クーラーガンガンによる夏風邪も考えられなくはない、どころかストレートだろう。

一方の華奢な体型で体が弱い私が夏風邪になるかといえば、こじらせた記憶はほぼ無い(全く無いとは言わない)し、普段から自己管理を保って用心しているわけだから、仮に夏風邪を引くとしても、身体脆弱の故であって、弟のような要因では有り得ないものだと判ず。また、母親はおかしなタイミングで弟にエアコン消すよう注意することも多いが、まるで功をなしていないようだ。先の名古屋方面の遠出が叶っただけ幸運だと嗤う。

ところで、自分こそクーラーをガンガンに回した方が良いのではないかと思う。PCの健康上、内部ファンの回転のみならず、外部の温度もいくらか適当になければならない。だが、私みたいな細くて、代謝も激しいわけでない人間であれば、それこそ冷房病になりかねないので御免蒙りたいし、何より母親が支払う電気代の負担を考えると、やろうにやり難いだろう。故に夏場はPCを一時的にスリープして携帯いじりに移るといった過ごし方も取っている。現況、エアコンは最高設定温度で微風でも個人的には充分涼める状態だ。

追記:18時過ぎ、鳥による断末魔の叫びと思しき喚声が聞こえ続ける。近頃どうも多いように思っていたそれだが、今回の鳴き声を意識するあたりで子供の往来が気になっていた。数分経っても断続的に聞こえたり、部屋の窓からはE家の主人が見え、見えない場所からは子供の戯れが聞かれるので、リビングに移動して外を見ると、案の定そこでは家の前を通り過ぎたはずの子供らがいて、何やらE家の主人も絡んでいた。主人が路上の何かを拾い上げたと同時に一際大きく喚声が上がる。その何かは、E家敷地内の木の中に潜らされた。どうも、セミの怨嗟だったらしい。「近頃どうも多」いという鳴き声は、ほとんどセミが正体なのだろう。鳥とほぼ同質の「ビギー、ギエー」という断末魔からはセミのイメージがあまり無く、せいぜい時期の上からセミという想像もできなくはないといった論理性しかセミに繋がらない。この後子供らはE宅に上がり、主人はその門を施錠したところ、まさかE家に住む子供だというのか。他所から一時的に遊びに来た子ではないことを、E宅の停車状況から感じ取るが、結局真相は謎だ。

当記事注: 母・弟が「福井旅行」で家に不在の間に弟の部屋で必要な作業をする間、弟部屋のエアコンの試運転も行った。リモコンを付けた表示された情報は、23度・静風。一瞬暖房に付け間違えたかと思ったが、このような設定温度で掛け続けると「冷蔵庫」の印象を受けたし、後日母親が弟の部屋について「冷蔵庫みたいに涼しいから~」と言っていたことも一致する。

E家における子供の出入りについては、8月1日にも2度確認できた。一つは朝6時40分頃にE家の主人と男児2人が公園方面へ向かい、午後14時半までには男児・女児最低各1人がE宅内の外車に乗り込み、それまでの言葉に「ばあちゃん」というのが聞かれた。結局、夏休みということで他所から遊びに来た、E家壮年夫婦の孫に当たる子らであろう。心当たりは今年の正月にも。



2015/07/31


本日は7月も暮となって31日だが、私は早朝6時に目が覚め、2度寝後が朝8時過ぎとなった。母・弟は朝9時頃より福井へ2泊3日の旅行へ出掛けた。この福井旅行の予定を知ったのは、7月の半ばにカレンダーに記入された旅行先の名前(福井駅・恐竜博物館・永平寺など)を見た時であったが、実は既に6月中の時点で私は、母のKindle機においてその旅行先の名が検索された5月中の履歴を目にしているため、先んじてはこの時とも言える。いつも通り話をややこしくするが、初め記入されたカレンダー1では予定が30日以降となっており、これは後日カレンダー2に31日以降の予定が書き直され、どちらが正しいかと悩んでいたが29日になってカレンダー1の誤記がカレンダー2に準拠して訂正され、31日予定が正しいこととなる。母の誤記について。

そうして迎えた本日は、彼らの外出と同時に風呂(シャワシャン)に入り始め・・・7月28日の時のような詳しさを今日は流石に嫌っているため、あらあら書く程度に留める。風呂に留まる時間は、普段ひいては前回7月28日以上に長かったが、例の如く湯を張って浸かる行為はしていない。当然、それを行ったら負けだと思っている。風呂に入る前・中で洗濯や炊飯などもろもろの作業も並行している。

食事はやはり12時頃で、この3日間に食べるものは計画が組まれており、1日目の今日は30日買い物の肉・野菜を使い切って、2日目は30日買い物前に頼んだ納豆2パックをその日の内にできるだけ多く食べる。というわけだから、この昼食では肉・野菜を多めに使える「味噌味の肉・ニラ・もやし炒め」を1階キッチンにて作ったが、肉質にしても調理時にしても脂肪分はとても少ない。味付けは味噌ベースに色々。まずまずの出来栄えで、ご飯にも合い、味噌汁を作る気持ちが起こらなかった。3日間の食事計画では、炊飯のリズムも算段が組まれており、1日目は1合炊いたが、2日目も3日目も1合ずつ炊く。1日目の夜はラーメンで肉・野菜を消費し、2日目の朝はこの昼の残りのご飯1杯を納豆+味噌汁で食べる(便秘に伴う下剤使用なども考慮してある)。

引き続き洗濯関連の作業を繰り返している間は、弟Win8.1機でも当方のバックアップ作業など行った。Windows 10に興味があるが、また勝手なグレードアップを行うのは避けておきたいし、元に戻す手段があるとしても不審な線があって慎重である。ともあれ、弟機には必要なソフトが一通り揃っているところ、去年7・8月を中心に環境を整えてきた私自身に感謝の念が尽きないものだ。作業も、クーラー扇風機を回さない状況下で行ってやや暑苦しさがあった点意外は滞りなく進められた。

冒頭で書きたかった話題となるが、旅行予定を知った時からの疑問だが、福井への交通手段とは何であろうか?その当時からの仮説としては、当地の最寄り駅・所定の駅(豊橋駅など)より観光バスで移動するツアーや、当地から東海道新幹線で東京駅に移動して流行の北陸新幹線に乗り換えて金沢駅の北陸本線を乗り継いで福井駅に到着し(あるいは豊橋→名古屋→米原→福井?)、そこからツアーが組まれている、などだろうか。

何せカレンダーには「7/31福井駅・8/1恐竜博物館・8/2永平時(ママ)」の記載しかなく、私からも深いことを聞く気概も無いため、このような仮説に終始するし、答えは彼らが帰ってきてからのお土産や切符などの確認で分かることだろう。その記載を元に推測すると、1日目は福井市内に留まると見ている。2日目に恐竜博物館の勝山市内・・・その日はどこに泊まるか、先に永平寺町内に着いて旅館に宿泊する可能性もあるが、まさか母親が宿を予約するような人だろうか。

ところで彼らの旅行中に色々していて、悪行でもないのに罪悪感と背徳感を感じてしまうのナンデ。あと、7月28日に続く今回の3日間の風呂と家事の自由なやり方が習慣化しやすくなり、そうなると3日間の終わりからその後は、再度適応することに困りそうだ。

当記事注: 福井への交通手段の考察や、福井に関連した話題の記事は、近日投稿予定だ。