2015年8月29日土曜日

閑居求道者が隠棲覚者となる日まで

私が、閑居して人身究竟の道を求める意(こころ)とは何か。
十余年の苦楽を経て識った答えがある。
己の名も分からぬ歳で頭頂がハゲてしまった件を濫觴とし、その後の境遇は明らかに苦難の連続、刹那的な快楽ばかりで、次第に誰もが己に平伏する完璧な富貴の人にならんとする野心をも生んだが、それは泡沫・陽炎に過ぎなかった。
世俗・社会の道を外れた先の住まいでも、「衣服不足(えぶくふそく)・飲食麁粗(おんじきそそ)」と、ありふれた安逸にありつけることも無い自分は「求財不利(ぐざいふり)」の人生を進んできて、余生もまた然るべきものと、答えを識るに至った。

二十歳に満たない者が、自ずとこの世間の実相の一端を識るに至ったことは、偏に仏説に値えたが為であって、稀有にして僥倖であり、それは多くの濁世の大衆は終生識り難くもある。
この上は、孤陋のようでも研鑽の日々を送って、最上の真実を識らねばならない。
私の文章の全てがたとえ「有所言説人不信受(うしょごんせつにんぷしんじゅ)」とされても、詳らかに顕示する。
「止暇断眠」の研鑽による「蛍雪の功」は未だ遠い・・・。



私はよく「子供のまま・15歳から人生が止まっている」ことを実感する。
意義は多々存するのだが、例えば全ては豊橋の母宅に小旅行もとい家出したところに収まる。
2011年4月18日その日より、豊橋の外に一歩も出なくなってしまった。
前の家では、2010年8月から髪を短く切ることはなくなってしまったりと、計り知れない。
小6から着ている部屋着を中3の時に来た写真と現在を見比べても、身長の伸びを感じないし、具体的な身長は中2はじめの発育測定から一度も測っていない。

「子供のまま」といって、ただ知能や精神が発達せず大人になった状態に当てるのとは、方向が大きく異なる。
子供は子供なりに、子供としての期間で大きな成長を遂げる。
中3までの私でも、十分人並みを外れた否、凡庸な大人共にさえ勝ると自負していた。
そういった見地においては、今も優れた子供という点に変わりが無い。
そしてその子供が、子供らしく「おべんきょう」を続ける。



連日文章を書き続けることに自ら疑念を懐いて、やや億劫になることもある。
否、文章を書き続けることが私の本分だと自覚せねばならない。
利益も無いのに身を粉にするが如く勤しむ必要は無い、余事に捧げたい時間が惜しい、PCのキーボードが壊れそうだ、PCの寿命が縮みそうだ、など弱腰になってしまうが、その疑念を断じて尽かすべきである。
こうして修練を重ねることで、現世における無上の智慧・識を得られるようになる。

PCに度々問題が起きようとも、小5期とは異なって2011年6月末から今日まで、正常とも言いがたい正常の状態で動作している。
だから、可能な内はネットに多く自分の言葉を綴った文章を残す修練を続けねばならない。
その目的は、多くの人の目に入れることよりも、まず自分の思考や生活の記録のためであり、後日にはそれを見返して確認することで再度役に立つ。



8月はほぼ毎日1,000~3000文字の日記メモを書き、本家のブログ記事もそれなりに投稿した。
例えば本家の記事投稿回数だけならば、2013年9月下旬~12月下旬まで、3日に1回以上投稿していたことと比べれば、今は1~2週間以内という何とも疎らなペースで粗末に見えてしまうが、1記事あたりの文字数が尋常ではない。
学術的メモ帳も月に19回投稿した2014年10・11月と比べれば、当記事を含めてたった3分の1以下の6回しか投稿できていないし、月初の日記メモまとめ記事を除けば約4分の1とも言えるが、これも文字数という質の差が大きい。
いわば、現在で言う日記メモクラスの内容を記事にしていたような例が、学術的メモ帳も本家記事も多かった。
本家では毎記事トップに画像を付けるしきたりが開設より間もなく始まっていて(初期は例外もある)、3日に1回以上投稿していた時期も一貫しているのだが、このあたりは今でも見習いたいとは思う。
日記メモ投稿日数の多さも、例えば「昨日は22時寝た。今日は朝7時起きた。」を1ヶ月通して書けばそれで最大31日を埋め尽くせるが、それでは有って無きようで空虚なものだから、この点でも今月の投稿日数に文字数の多さを考慮すれば濃密な実体が分かる。

今月の話に戻すと、音楽館の記事でも一つ調査のレポートを長々と書いて、音楽関連の活動もこの一年で最も多く作曲・某サイト投稿を成し遂げた。
その「音楽館の記事」の投稿予定リンク→http://deathmetal.blog.jp/arc/Aug-21-2015.html
今年の8月は勉強にしても創作にしても、並行して大いなる功績を挙げたのであった。



一方で食事量はますます落ちていき、気付けばお湯などを片手に作業を続けている。
こういうわけだから、今月ついに最低体重が45キロを割るに至った(後述)。
8月の日記メモで幾度と話題にしている「買出しのペース半減」に一因があると言えるが、何と言ってもそれで一度も母親に不満を漏らさない私の精神力である。
この食糧難こそ即ち修行の絶好機であるとして、水ばかり摂るような生活を続けられる。
この話題で母親に何か訊いたかといえば、せいぜい「今後の買出し方針を決めてもらわないと、品書きメールが書きづらい」ということくらいである。

ぬるいといえば未だぬるい苦行かもしれないが、こうした自戒の精神は長い時間漸次強まっており、それが数値として表れもする。
もともと私の身長が、正確に測れていないため不明だが推定約170cmとして、体重はピーク時(1年半以上前)の55キロから、今では10キロも下る44~46キロ台に落ち込んでいる。
自分の外見にも幾許か痩せた違いが見受けられるが、それでも10キロの差は考えづらい。
ともあれ、同じ体重計(体組成計)がこう表示した数値を素直に受け止めると、清く慎ましきこの生活の精神が、数値の推移にも比例して反映されることが分かる。

関連記事
「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html



「不知世間・能識世間」

我を過ぎて世情を知れる者は、あたかも海中の沙の如くに多し。
我を措きて世間を識れる者は、さながら爪上の土ばかりに少なし。
世の人の云ふところの世間を知らねども、世間の濁りたる様は識れり。
妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。
増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。
我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。
人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。
設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。
唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。
されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一にして眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。



※阿含経の偈について訓読文のワードを断片的に完全一致検索(歓楽・愉悦など表記揺れを回避する策)すると、日本では変な解説ページや、浄土真宗の人だか禅ファンか唯識勢か不明だが浄土真宗の教義に折衷し、ましてやとある教えでは「智者・愚者」の位置をどういうわけか逆に換えて換骨奪胎していた(文脈が不明なので評価も出来ない)。何かの状態を指すにも、この偈の文言の主語のみ入れ換えたものを書く必要があったのだろうか、誤解が起きよう。例えば自分で「智者常安楽・猶如雀歓躍」とでも表現を大きく変えて創作したらよいのに。
それと、「三界家宅」と「智者・愚者」の偈をどちらも引用した日本のページは、「宝物集」という書の全文を載せたdocファイル(読書よりも異本の研究ページっぽい)のみがヒットして、それ以外は中国のサイトにすら無い。引用元を「正法念経」とするところは、往生要集と一緒であり、念仏交じりの平安天台宗らしいとは思う。



2015年8月24日月曜日

横野要文類聚(1) ~ 「擬古文」篇

*横野要文類聚「擬古文」篇・前節*
夫(そ)れ古語(いにしへのことば)を修(しゅ)するは、德(とく)高ゝる教へに触れんが爲(ため)なり。
抑(そ)も、德高ゝる教へとは、我が身在(いま)す現在に罷り通る語(ことば)で解するに及ばず。
故(ゆへ)に、自ら學(まな)ぶことに於いて第一の術(すべ)ならん。
遠洋異朝に、その土(すな)の古語あり、また然るところなり。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

とあるテーマを基に、Google+日記メモ、当メモ帳ないし本家ブログ等の記事、YouTube動画説明文などに渡る膨大な情報の中から、有用な記述を聚めて一記事にまとめることが趣旨である。
必要に応じて、記事投稿以後にも記述の追加を行う場合がある。
また、Bloggerの「ページ」枠を利用してもよいような気がするが、これは現在保留の案。

今回の類聚テーマは「擬古文」、これは部分的にそういう文法を用いたような表現("ましてや私の知能を「我より劣れり」と見誤る顛倒者の繁きことよ"等)であれば、いくらでもあるかもしれない。
やはり膨大な記事の中から選ぶことは玉石混交であろうが、意図して書かれたものを探す。
また、漢文なども聚めたいが、どうも別に典拠があって引用した文章の割合が高い。
そういうものは、2015年6月の記事のような場合を省く必要があるため、この他も状況に応じて載せるか載せないかを決める。
探しづらいが、和歌についても聚めた方が良いのだろうか。ほとんど散文だし。

今後も投稿する全類聚記事に凡そ一貫するであろうが、新しいものから順に掲載する。
擬古文については、旧仮名であるとか旧字体であるとか、気まぐれで異なっている。



『不知世間・能識世間』・・・我より世情を知れる者の轉多きこと、あたかも海中の沙の如し。我を措きて世間を識れる者の甚だ少なきこと、さながら爪上の土ばかり有り。世の人の云ふところの世間は知らねども、世間の濁りたる様は識れり。妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。…2015/08/29

抑も「求財不利(ぐざいふり)」と云ひしもの、余は歳を二つと数ふる頃に、頭頂俄然としてハゲにしことを濫觴(さきがけ)とす。その後は推して知るべし、世俗の名利を求むるに一文として利無きなり…2015/08/27
※リンク先では200文字制限から「文字数ガー」として終えているが、あと数十文字書きたかった。その翌日になりYT運営が500文字に上限を解放とは実に数百文字も増えた。なぜこのタイミング?

星の一巡ありし方に、TはK・Y・Eの三部を作されたり。我が好くところも偶(たまたま)この順を歴たり。即ちKは出発地、Yは中間地、Eは是れ終着点なり。Eの最勝ならんこと定めし自り来(このかた)、猶お転ばで今日に至れり。Eより二巡已後のF等に入らんずること、水より火が出でんとも無かるべし…2015/08/14

武士道と申すはもののふの道なり。もののふと申すは食べるものを選ばず。これ天地神仏の恩を知る故なり。然るところ汝(なれ)は去(ゐぬ)る八月六日に水を捨てにき。剰(あまッさ)へ嘲笑しぬるはこの道を外れたり。汝(な)が實(げ)にも申しつるやう、今修羅の道と餓鬼の道を迷走せりと見ゆ。恐々。…2015/08/13

「畏みて問い申す。主の御稜威は普からずや、如何。然ればただ我らに無上の楽才を授け給え、恐恐。デウス・メタラム、ドミナス・トレメンデ。」…2015/08/11

拙劣なる誹毀讒謗、一々に論うも口惜しき次第なり…2015/08/08


勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し…2015/07/23

赤いキャップを外して白い蓋の上面を眺むるに、美國辣椒醤(タバスコ)にも似たり。(繁体字:醬)…2015/07/20


「確と読まざるを読みたりと謂ふ」…2015/06/24

洛中の人が島猿を嗤いき…2015/06/21

「不爲實於無根草(根のなき草に実りなし)」我また是の如し。…2015/06/10

(前略)其の土を栄えんと欲し、やうやく粕にて壁をこしらへたり。故に粕壁と名づくるなり(後略)…2015/06/10

種々の事実を連ねて強く呵責せど、例えそれを辞して甘き懐柔せども、頑迷固陋の母が矯正さるは全くなし、いかで改悔せしむべきか…2015/05/30の注釈内

御本仏の在世にも邪法充満せり。何に況や現代に仏の名を終生知らざる事をや。諸の衆生、摧尊入卑にして遍く濁世に満つ。正法を持つと雖も懈怠の人、猶多し…2015/05/26

御書に曰く「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」…2015/05/15

御書に曰く「師子を吠る犬は腸(はらわた)腐る」…上の注釈内

是あに信行に非ずや。まさに「義の戒壇」とは云ふなり(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月三日十六時十三分(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月七日十三時四三分…2015/05/13

早期熟脱にして先見の明あり」「當(まさ)に此(こ)の男子(なんし)、眉目秀麗(みもくしうらい)にして精悍(しやうかん)なる相貌(さうめう)を有(いう)す」「博覧強記にして聡明の聞こえあり」…2015/05/11



衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事…2015/04/30

諍い高じて剰え、孔を穿ちぬ・いと辛し。…2015/04/27

自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」…2015/04/20

愚蒙の輩、これを見るに本気で私を「馬鹿」だと思いき。驕慢の輩、遍く天下に満ち、邪鬼の跋扈せるやうなり。ネットの事は即学校生活ぞかし、いづくに留まらんとも業が末に究まりぬるなり。…2015/04/04

散歩の砌に至る時、努々歩めや弛まじと…2015/04/01


「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」…2015/03/27

めおとの乖きたるは、家の柱の倒さるるに等しかりなん、豈愁えざらんや豈苦しまざらんや…2015/03/21

我、固き褥に臥して思いぬる時…2015/03/12(1月11日深夜に詠んだ歌が元ネタ)


「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しやうもん)とは云ふなり…2015/2/26

「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」…2015/02/22

地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく(中略)されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ…2015/02/21

誰人の謗りも嗤いも意に介さず没頭する意志こそ薄弱なれども、次第にか強まらん。侍りて教う師に欠きたるは一抹の憂き哉…2015/02/21

八百年(やおとせ)の時を経て、今に至れり。「五濁悪世」…2015/02/11

「況やそれら存在の恩恵に肖れる者をや、それらを軽んずべからざれ」(中略)往々にして翳眼を以て謬見と為す。謗りもさることながら、愚人に褒められたるは第一の辱なり…2015/02/05


鎮魂詠唱「願わくは夭折した殉教の聖女に安息のあらんことを」-Requiem Aeternam- …2014/12/31(今様讃歌「汝鋼道本懐たれ」も参照)

召喚詠唱「五濁悪世より離れ、寂光の園を築き給うた主の御稜威ぞ、此處に普く輝きぬ!」"Veni Creator Spiritus!!" …2014/11/30

「是、我に能はざる也」…2014/11/18


是即ち、一度目の慈愛一発にとどむる能わず、以降は瞋恚の襲撃なり…2014/10/16



7月の日記メモまとめ記事を見てこう思った→「熟(つらつ)ら惟(おもんみ)るに、一月過ぐるはいと早かるべき事を辨(わきま)ふ。已に渥美の風は肌に寒くなりにき。」
通解: 2015年8月25日、朝から台風の影響で酷い寒さであった。

あ~結局、和歌をほとんど載せていないから、ここで一つ→「四方の島々より無辜なる民の呻吟がすめらぎのとよと耳に届き参らせ、その騒がしきを嘆かせ給う。『四方は安からず!』慈悲深き天皇陛下は恒久平和をご祈念せらるるが故に、もろびと彼を輕毀すべからず。謗るのよし何処にかあらん。 "ひのもとの 民にありなば すめらぎを 敬ひてこそ あらまほしけれ"(ひのもとに 生く人ならば・・・と、どっちが良い?)」



☆2015年12月からの方針☆

当記事は以下より随時追記スペースとする。
追記スペースへの追記要件は、2015年9月以降の「擬古文」要文となる。
要文をたまたま見た時に追加する程度のペースであるから、回聚率は低くなろう。
ここまで日付の降順であったが、以下からは昇順として載せる。

正見智目を開かしめ、同じく道心ある者を導かんと遍照す…2015/10/21

「須らく善友(ぜんぬ)を求むべし、(孤独の戦いが)人目にはわろきやうなれども、道心を安定(あんぢやう)せしめんがためなれば、なほ親近(しんごん)すべきにあらず」 「余・孤陋の身にて候へども、末代に正師(しやうし)の稀なるを思ひ候へば、苦しけれども苦しきは候はず」…2015/12/12 (所載の2016年2月2日記事にそう記録されるほか12月13日に用語の検索履歴がある)

智者は其の空閑を修養に過ごす。愚者は其の安寧を遊戯に費やす。只だ徳を喪う、愚かなるかな…2015/12/15

私は孝子として、父母の魯鈍なるを速やかに度さんがために思惟し、記録し、諫言を繰る。非人貧道の身で、民衆と国家と世界に最高の忠言をなさんがために、種々の情報を布衍す。悪業深きの故に、寿命久しからずと雖も、久しからぬ故に、一生を捨つる勇猛心あらんか。願わくは速やかに本懐を成就せんことを…2015/12/20 (敢えて部分的に現代語を用いる)

平成27年12月22日、御勘気を蒙りて明日に家を追わる。岩の音に向かいて、そこにてか死なん。隠るる地を得てついのすみかも定まらん。「筵を撫でて 色抜くるまで」と歌いしは虚妄なりや如何…2015/12/22


長髪居士、断髪せられて曰く 髪切られなば已に死せり、何の恨みかある、一毛だに惜しまず、菩提の心を発して唯だ世を遁れんと願うばかりなり…2016/04/11

「つらつらインターネットを眺むるに、議場、数あり。一に羝羊雑談(たいようぞうだん)の席(むしろ)、二に修羅諍論(しゅらじょうろん)の席、三に禽獣罵詈(きんじゅうめり)の席、これなり。彼らの中に於いて長短をば分けず。いづくなりとも恐るべし、離れんと思すべし」…2016/05/17

2015年8月17日月曜日

「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について

8月8日深夜、1Fリビングのソファの上に転がっている、カバーの外れた本を手にとってみた。
それは統合失調症の治療だとかを銘打った解説書であったが、これは私の母親自身の精神病の克服のために読んでいるものかと思ったが、どうも患者家族のサポート、といった趣旨だ。
私の母親という読者を差し置いて、他にその精神病の患者がいたであろうか、と自嘲する。
2015年中に第1版が発刊されたらしく、新刊の方であり、1冊の価格が千数百円台。

この本を一瞥する程度に読んでみたわけだが、いわゆる陽性患者の幻覚や発作といった症状、陰性患者の乏しい感情表現や引きこもり状態などを挙げている。
このように見ると私は陰性か陽性かといえば、中学2年生の頃は分厚い医学書を読み解いて「俺は精神分裂病(統合失調症)の陰性だな!」と自負していたわけだが、今となってはどちらとも言い切れないわけだし、このような陰・陽の分類を明白にするための列挙は無用だと思っている。
自分で少し考えても、統合失調症に該当しないものと思っている。

統失のみならず典型的なうつ病の症状も私にはほとんど無いようであり、寧ろ中3の頃は、もっと精神病や鬱が進行した方がいっそ潔いとまで思えていた。
故に中1の三学期あたりで、前の家において甘えづらい父親に精神科を探してもらうように頼む決心をした経緯もあり、これらは当時なりに勉強していたからその行動があった(今の私からすれば精神科の通院はほぼ推奨できないし、殊に当時の私であれば通院・投薬は不要)。
母親は息子のことや病理を知っているような顔をしていて無知だから、今の私を何かの精神病だと思っているかもしれないが、こういった本などはほぼ当たらないものと断ず。

母親が所持する本については、何かの分野の入門書っぽいもの、昔買った英語の参考書っぽいものなど無味乾燥・陳腐なものばかりで、後は母が薬剤師の関係のため医療書がほとんどだが、小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイなど書き手の人間性が出やすいものは一切無い。
その割に本業熱心というわけでもなく、テレビ番組を見続けてゲラゲラ笑うとは低俗の極みである。
小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイであっても、近年は押し並べて卑俗なもので、こういうわけだから、自著(予定)の諸事相対抄の原案に「衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事。」という一節がある。



引きこもりについて、世間ではどうも一元的な見方しか無いように思う。
引きこもりという状態が異常なのではなく、その状態にある人々の心理状態を個別に見て異常と見られる場合もある(その傾向が強い)だけのことで、社会通念上で人との交流が疎遠な引きこもり生活は現代的に問題かもしれないが、結局は現代社会や民主主義に向いた既成概念の見地でしかない。
その見地に立てば、交友や労働が健全であるとされる。

私は確かに前の家で父親と家庭内別居を経て人生最後の不登校となって、その頃は家で物を漁るのも飽きていたから、庭弄り(焚き火アリ)とかお気に入りの自転車でよく一人きりの外出をしていたが・・・このあたりのことは過去記事に詳述されているので割愛しておく。
その後2011年4月18日の家出から、家出先の豊橋母宅でも疎外感から家庭内別居をはじめ、ここでも2011年ころはよくコンビニ通い・・・詳述済みの金銭の話が入りそうなので割愛する。
今では自他共に認める引きこもりとなってはおり、過去には一般的な見解の原因(鬱など)に似たような経過もあっただろうが、現在の状態としては、社会への未練が断てない多くの若年層引きこもりと違い、諦観の思想を持つ私は決然として理性的な引きこもりを続ける要因となっている。

ここで「一元的な見方」が一般世間に多いと看做した根拠を述べるが、上述のように私は「理性的」であって、多くの若年層は「感情的」なところから引きこもり状態が長引いている。
世間は「引きこもり」状態がおよそ精神病に起因しているものと思っているだろうが、それは一元的な見方であり、そこから導かれた「治療」の方法というものは私のような理性的引きこもりに、まるで的外れとなる。
例えば、食べ過ぎたという人に対し、欲張りな性格が原因だとしか思わないことと同じである。
単なる結果に対する原因を推量する上で、浅薄な思考によって短絡的に決めてはならない。

引きこもりという状態の原因が精神病=感情的なものであるという「一緒くた一括り=一元的」な見方に終始した解説書で、私のような特異なケースの引きこもりを直せるなどど私の母は思っているならば、非常に了見が狭く、学んでいるはずの「心理学」に暗いことではないか。
自分の息子のことを凡庸な一般人と同一視する母親の蒙は、啓いても啓ききれないだろう。
過去に私が色々と苦慮して、今なお変わっていないのだから。

また、母親が息子のことをまるで理解していないことは当記事でも既述のことだが、同時に子供への放任的な部分も言うことができ、そのお陰なのか私は自主性・自立性が養われたのだろう。
父親もまた同じように、子供の心や精神状態など無関心で人生相談などできそうになかったり、話しても反応が鈍かったりアテの外れた返答しかしなかった。
こういった両親の姿勢が、精神面において大いに私を自立させてくれた。
私の両親とは逆に何か恐ろしい呪縛の信念を持った親御さんの元で育った子供は、全て仕込まれ受動的な成長を続け、無知と蒙昧のまま育ち、確かな意志や自己さえ持てなくても学歴・社会的には普通の立場であるからそのまままた不幸な子供を増やしてしまうが、これは戦後以降に始まった事態で、呪縛偏狭偏執世代の魯鈍な子のまた子がどう育つのかは未だ究明しがたい。
また、呪縛二偏世代の魯鈍な子が目覚めて、社会的な見識を持つ場合もある(呪縛二偏世代の子は、生い立ちも目覚めてからも全て私と逆の思想であるけれど)。

一方でどんな時も大した干渉をしなかった両親は、本当に甲斐性なしで親としての器量に欠いた人間だが、幸か不幸か真理を求める道を進まんとする私の根本を育んだのだ。
幼少期の「一人暮らししたい」という口癖は、単に両親の夫婦喧嘩を厭うところから発したものだし、今は微塵もそんな夢想を持ってはいないが、根底では今でも幾分通じている。
経済面・社会面という点で子供のままの私は、同じくその点での自立は望まない。
養ってもらえる間そうであり続けるし、それ以上の贅沢も求めない。
戸籍上唯一の親である父の家から離れる=出家のような気持ちで豊橋の家に住んでいるから、住まわす在家の人も僧侶を供養する気持ちでいてもらいたい。
豊橋に来たその日から、今後も豊橋の街の外へ出ず、隠棲修行を続けられるだけ継続したい。
他所で遊ぶ必要なんか何も無いんだ、仏教に憧れても大寺院の物見遊山までする必要なんか無いんだ(信仰上の重大意義から一度はお参りしたくも)、徹底した隠棲修行の大前提はこの覚悟。



ここで、「理性的な引きこもり(理念に基づく引きこもり)」が何たるかを、日本史の上からも解き明かそう。
「引きこもり」の概念自体が他国には希薄であるから、ローマ字表記の"Hikikomori"の語としてWikipedia英語版記事があることは、少しネットで調べた人ならご存知のことと思う。
ある時は浮世の無常を知って少欲知足・閑居・蟄居を始めた者もおり、ある時は世間の迫害か圧力か、出るに出られない状況から都や市などから離れた山里や寺などに篭る者もいる。
前者の隠棲・隠遁者は透徹卓見にして、とても見識に富んでいる者であって、理性的引きこもり=閑居求道者の私が鑑とすべき隠棲覚者である。

彼らの多くは、人から清らかな食物の提供による生活を送っていたわけだが、そうして尊敬を集める人もいたわけで、私は他人に対して「俺を尊敬しろ!」とは言わないし、「俺も尊敬されたいなー」と思わない。
彼ら尊敬されたであろう人々を、また現代の私も、その「在り方(清貧としての姿)」を尊敬し、彼らによる尊敬すべき在り方を自己に反映してゆこうと望むのみである。
現代では世俗的なしがらみ、もとい、人道の観点で生活困窮者も「生きる権利・基本的人権」が否定されないから不運でもない限り食物を得られるし、なお困難ならば現世の未練を断って死を受け入れる覚悟で生きればよい。

「自殺」に文化的な捉え方があるが、日本人の諦観は本来これくらい安らかで慎ましい程度であって、それが武士の戦乱で過激化して戦国時代までに「自殺」を選ぶ危険思想が増長し、江戸時代では本来の諦観だとかが忘却された、武士のケジメであるとかへ方向性が著しくズレてしまった。
現代でも、若い頃に普通の社会生活を送っていた老人などが、仏教などへの憧れで閑居=ひっそり過ごす(程度により即身仏もあり)場合もいくらかあるかもしれない(必ずしも私みたいに他人との交流がないわけではないかもしれないし、逆に交流の無い高齢者が孤立、鬱だと問題視される)。
私としては、過去記事で何遍でも書いたように、散々人の世に交わって疲れる思いをした上に、何度も不登校から立ち直って、世俗的な野心を支えとして努力しても、全て虚しく終わってしまって5度目の不登校→小旅行もとい家出→引きこもりから、その点(経済・社会)では非常に非才なのだとヒキ生活を送る上で自覚するようになったわけで。
こういった経緯から、年齢差はあっても「若い頃に普通の社会生活を送っていた老人」とある程度通じ合い、私は10代で既に隠退すべき境遇にあるのだ。

結局、若年層の引きこもりは確かに感情面によるところから鬱傾向のままで引きこもりを継続していることも多いだろう。
だが、それらの普遍的な例と大きく異なった今を生きる私への「治療」とやらが、ありきたりな解説書如きで叶うものだと思ってはならないし、近頃の金儲け目当て(売文屋・拝金主義)の本など陳腐で、新刊に千ウン百円だしても最新鋭の研究成果や新鮮味を期待してはならない。
そもそも、今日の精神医療の学界などに進展は起こり得ない。

これらの道理を知らず、事実をも覚れない母親はとことん迷妄の人であると悲哀に思う。
「一元的な見方」の蒙を一番根強く抱えているのは私の母その人であろう。
私の引きこもり状態という一果に、普遍的な一因のみを求めて、その見誤った因に乗っ取った「治療」を施そうにも、当然その手段をもっては、私のありもしない「精神病」の「治療」など叶いもしないし、それでは母が直したがる「引きこもり」状態を「直す」ことなど当然叶わない。



幾度にも及ぶ啓蒙・諫言の軌跡を思うに、近頃はあまりしなくなりつつあるが、それでも態度だとかに私の超然とした雰囲気を漂わせるよう心がけている・・・これも感じてくれなそうだが。
私の論理というのは、世間の人が一元的にしか見ないことも、二元的あるいは多元に渡って思考を広げ、様々な観点から分析・精査し、適正な判断を見解を見出せる。
例えば、当メモ帳2015年6月3日の記事では「理と事」という類似且つ対極にもある概念を例にとって、整然とした思考・体系的な論理の姿を説いている。
同記事の追記事項にて、更に二元・多元の思考を構成する概念を示している。
思考や論理においては、実に狭まった一元的な見方に終えず、最低でも二元化し、必要あらば中庸の概念や特異な概念も混ぜ込んで、分別をしなければならない。
当該記事で幾つも示した概念というものの使い時は、日々思考を深めれば諸君でも自ずと見つかることだと思う。

判断基準を一元にとどめず、二元・多元と拡大することが適正の判断を得るポイントであるが、判断結果が「二分」というのもならない。
判断結果は、善悪や是非など、最低二つ分かたれるものだが、「二分」では絶対的に足りない。
例えば、人の賢愚を判定する際、「迷いがない人」というのは一見良いようであるが、単にこれだけだと無知・短絡によって迷わずいる人も"賢"の人となりかねない。
だからといって、小生の如く枝葉末節に囚われ、不必要に思い煩って、迷い続ける状態も問題である。
「迷わず潔く正しい決断を下せる者」を最上(1)とし、次に「迷って正しい(2)」 > 「迷わず誤る・迷って誤る(共に3)」と次第すれば、単なる「迷いの有無で賢愚二分」よりも、的確である。
この最上(1)にも、論理的な判断と直感的な判断に基づく者など、二元・多元に細分化できる。
多くの人間は、どれほどケースを集めても、判断結果を二分と一元にのみとどめる。
私は常に、そういった極度な二分思考に陥らないよう、公平に近づけた判断を行う。

その深い思考には言語化の必要性もある。
達観した末の思考を恒常的に活用するためにも、記事などにメモすることで叶うはずだ。
例えば、土の道路があるが、次第に車の交通量が増えた(思考の頻度が増える)ので綺麗に道路を塗装・整備をして(達観に至る)も、多くの車が走る(雑念が混じる)だとか、時間経過と共に荒廃・風化(失念・忘却)するなどで、必ず補修などする必要があるだろう。
道路に例えることに意義を持ち、それは今の私が正しい道を進んでいるとの確信であり、また研鑽の意志とは「道を行じる」というところにある。

この「道(どう)」の概念は、東洋の思想の根幹をなしている内の一つで、まさしく人生の指針を「道(みち)」になぞらえている。
それは神道あり仏道あり道教あり、儒教忠孝の道あり、何かの道理あり、外れた道あり・・・
今の私は専ら仏道を是とし、邁進せんとしている。
西洋には、「道(みち)」を用いた語句も無ければ、そうした発想にも欠いている(後日何となく"way"という単語を思い出した。手段としての道を指す点で同義)。



関連記事
2013年11月3日・・・「『社会復帰できた元引きこもり』を謳う人間の胡散臭さ
2015年2月11日・・・「社会のしがらみ『妄執』から深奥より解脱、涅槃。

↓書き場所に困った文言(幼稚じみているので見るのは推奨しない)
引きこもりの語を妄りに用いたりするのは、ネット上のみならず、リアルで出版されている書籍においても、よこしまな用例を見受ける。
「○○な考え方に引きこもって」という表現を母親が受けた某講座の冊子(6/10日記メモ)から見取ったのだが、こういったネガティブな表現にいちいち「引きこもり」の語を持ち出す理由が不可解だ。
悪しく用いたりするが、心理云々の講座の割に、配慮が何も感じられない。
どのような者が執筆し、誰の校正を受け、誰の許しを通してこんな低劣な講座の冊子が印刷され、流布してゆくのか非常に疑わしいものがあるが、当の母親も、その冊子に落書きで苦言を綴っていたりするなど、不適切な記述・謬見まみれの紛い物講座だと思えてならない。

冒頭にいう本などは、現代のマニュアル主義的で型にはめる陳腐な内容であり、少しの時間経過で内容が古くなる流行り廃りが激しく、没個性にして類書が多く、売文産業とも言える。



追記: 2015年10月末

今月は母親から突飛な干渉が一度あったり、別の話題からこういう話題に移されたことも一度あったが、いずれも「部屋の外に出られるのに顔を合わせないの何で?宅配の人(貪欲な母のエゴで頼まれた)も無理なの何で?対人恐怖なの?嫌悪なの?」と、迷妄の二分法を押し付けてきた。
このような語を弄すれば、体系的であるなどと思っているようだ。
時によって一定でないものを一緒くたに「恐怖か嫌悪か」と詰問することは、思考の浅さの故であろうが、一度その詭弁を質した前者の一度に対し、後者の一度で同じ問いをされた際には、その精神病理の本で学んだことをいちいちボロ出ししてきた。
そのような本は、あくまでも典型的な症例から演繹しているに過ぎないというのに、特異な存在である私にその型ではめようとするところ、母親は微塵も論理性が無く、息子への理解も無い。

なお、この問いに関する私の答えは「どちらか何てわからない」→「母: わかるでしょ?自分のことじゃん」→「どっちかなんて決まったものではない(これを言うだけではしつこく聞き返してくるだけ)」」→「母: どっちかなんて言えるでしょ!(のような??)」→「(敢えて言うなら)今のあなたには嫌悪であろうが、ずっと接触すれば恐怖になるかもしれないし、他所の人に嫌悪感は無いが、同じく接触が続けば恐怖に変わるかもしれない」と、まとまらない考えでこう伝えるしかない。
この後者の1度では納得した素振りもあったが、迷妄の質問をする母が心底満足する答えなど無かろう。


追記: 2016年10月2日

太っている人云々として原因と結果に関する考察の文章が確認されない。
太っている人、と反対の認識には「美女」が挙げられると思う。
「美女は3日で飽きる」という言葉を、額面通りに使う人はどのくらいいようか。
ここで、少し表面的な意味を取り上げて言葉の真実性考察しよう。

まず、一般的な意味としては「美女と付き合っても3日で飽きる」、換言して「容姿が悪いくらいが交際が長続きする」と解釈される。
しかし、原因とは一元でなく、一つの原因と別の原因、それらが何らかの形で組み合わさってようやく結果があり、この場合、単一の因子が「美女」、その結果が「3日で飽きる」とされる。
しかし、やはり、単一の因子である「美女」というだけで「3日付き合うと飽きてしまう」結果に至るはずもないことは、世間のカップルだとかアベックだとかを統計学的に分析すれば反証できる。
そして、先ほど言った通り、その単一の因子、一元的な原因のみが蓋然的・必然的に同一の結果に至るはずもないことは、世の道理であろう。
その美女がどのような性格を兼ね備え、あるいは欠如しているか?
また、その美女とどのような男性(付き合ったきっかけ・男性のスペックなど)が付き合い、どのような3日間(デートや性交渉など)を過ごしているか?
それらの複合的要因を排除して結果を語ることは詭弁であるが、世間は専ら、こういった見解ばかりを続けて論理的誤謬の自覚を持たない。
仏教徒は、そういった「原因」と「結果」のプロセスの過程に「縁」を見て物事の見解を示す。
面倒くさいことはない、これこそ進歩した人間の思考である。



2015年8月12日水曜日

食品や液体の熱と口内感覚の鈍磨

昔の記憶の中に、「お風呂の温度は39度」という歌詞を含んだ歌がある。
ポケモンの2003~04年頃のエンディングで流れていたもので、これを今も覚えているのは、そのシーンの映像と歌詞から受けた印象の強さにある。
小1~2ほどの当時でさえ、もう39度は適温~ぬるいように思えていたわけだから、映像中でキャラクターが顔を真っ赤にして飛び跳ねるシーンを見てしまうと「そんな熱くはないでしょ~」と、気に障りつつ突っ込んでいた。
※原曲名で検索する気持ちは起きない、またそのキャラが歌詞中の「39度の風呂」の熱さにその演出をしたかどうかは不明で、YouTubeなどに映像が上がっているとしても確認しない。

それから現在に至っても、その楽曲の曲名が含まれるサビのパートと、問題の歌詞のシーンばかりは記憶に残されており、時々思い出すことがある。
私自身、「なぜか覚えている」ものの代表格といえば、ドラえもんの漫画における「だんへいた らたっかつみ(記憶漏れ:うおゃちめう、アニメで同じ道具の回があったらどう再現されるのか?)」が挙げられるが、それはともかく、日々の食事で気を払う点が増えた。

手で10秒も触れられない温度の食べ物・飲み物(スープ類・お湯やお茶など)は、たとえ少量でも口にする前にしっかり冷ます必要性を強く意識する。
それは、私の3月24日日記メモにおける貼付写真をご覧になると、下の色が局所的に周囲と異なる箇所が2つ目立っていることでそう思えてくる。
これはそのメモ内に書かれるとおり、アツアツの麺をまともに冷まさずして急ぎ口に運んだため、このような火傷を負っている。
慣れると痛みも鈍くなるのだが、それは「感覚の鈍磨」そのものだ。



赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。
イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。
ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。
毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう。

風呂の設定温度と一口で言うにも、各家庭に備わった給湯器パネルであるとかの設定温度でまちまちかも(私的な憶測の域を過ぎないが)しれないし、築年数のある家によっては、風呂のための給湯器さえあってもパネルなどなく、普通の蛇口などでお湯を張ることもあるだろう(より古くは給湯器の構造から沸騰させたお湯が流れる場合もあり、それが悲惨な事故に)。
また、我が家の事情としては、給湯器パネル(Rinnaiの120Vシリーズを参照)が二つあって、一つが浴室に備わり、もう一つが台所に備わる2台体制であることは日記メモ6月1日に記録した通りだ。
パネルのスイッチを入れることで初めて温水を出せるようになる。
それぞれのパネルにそれぞれの設定(浴室の高温設定と台所のエコ設定)が付いて、スイッチの入れようでは、相互に異なる設定で影響し合ってしまうが、その問題は特に関係ない個人的な記録だし、記事の内容が紛らわしくなるので忘れて欲しい。
浴室に備わった方のパネルには、更に細かく浴室のシャワーやキッチンにまで通じる設定項目と、浴槽本体に排出するお湯の設定項目の2種類が設けられている。

浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない。
このパネルが指すシャワー設定39度でも、異様に熱い水(同パネルなら42度以上の設定に相当)が出てくることがあり、最近はシャワー排出量が控えめの時に多く感じる。
逆に少し前だと、控えめの排出量でお湯を沸かしたがらないようだったから、給湯器のシステムに強く疑問を持たざるを得ない。
また、季節によっ水の熱さが異なることを踏まえて、私が普段シャワーで使用する設定を記録すると、我が家設定で冬は39~40度、夏は38~39度。
別に温度を調節する「サーモスタット混合水栓」は常に最高位置に止めているが、パネルボタンをいじりたくない(操作音を立てたくないなど)場合は適宜ここで調節している。
上述の、39度設定における異様に熱い水が出やすくなった昨今は、こうして調節することが増えたわけだが、熱い水って私の感覚の問題なのか給湯器のシステムによるものか分からない。
このサーモ水栓という代物は、私の小1~2期あるいは物心付いたあたりにも住んでいた与野・浦和期のマンションやアパート(築20年ほどと30年超?)の風呂場にも設えられていたのだが、日本ではどれほど以前より普及していたのか、その疑問は置いておく。

今では4年以上風呂や温泉に入っていないとしても、前の家ではある程度入っていたわけで、記憶の中には柑橘系の炭酸ガス入浴剤の存在が大きい。
前の家における入浴状況もついでにここで記録したいが、入浴剤は父親がほとんどこれのみ選んでいたので特に書くことはもう無い。
当時の風呂でお湯を張る際の設定温度は・・・あまり記憶に無いのだが、40・41度を好み、まれに42度を選んだこともあっただろう。
ぬるめの温度について関心を持ったこともあるが、それは2009年以降テレビでぬるま湯の半身浴が取り上げられていた辺りだと考えられる。
小5のころは夏休みに広義の風呂さえ一週間入らなかったこともあって、学校で自慢したら(略)、中1以降は中2二学期末の不登校となるまで、毎日潔癖症のような気概で入っていた。
平日はほぼ一人きりなわけだから、綺麗な風呂に入りたい時は自分でよく掃除をしていた。
こっちの家はずいぶんと浴槽のアカか赤いアレとかが離れでも視認できるわけだが、母も弟も家で風呂に入らないのだろうか。



お湯というと、2013年以降味のついていないお湯(白湯とも言う)を飲む頻度が増えつつあるわけだが、これについても近頃、アツアツを無理に飲む必要が無いことを感じている。
部屋の電気ケトルでゴボゴボ沸騰するまで待つのは煮沸消毒のつもりだが、余程不安があるときでもなければ、白湯の為にその儀式を挙げる必要は無い。
よって近頃は60~80度ほどと見られるあたりで加熱を止める。
いつものムーミンカップはいくらか保温性を有するわけだが、沸騰したお湯をそのカップの5分目以上に注いだ場合、今の時期なら冷めるのは時間がかかる。
しっかり待たぬ内にスプーンに取ったお湯を半端に冷まして、やはり冷ましたりなくて、熱さに悶えるとまで言わずとも焦ることは多くある。
敢えて上記でカップから時期までの細かい状況設定を設けたが、季節を問わず量を問わず、お湯の熱さに困惑することは多いのだ。

どうも、その温度のお湯をたかが少量飲んだくらいでは平気に思うかもしれないが、近頃の私だからこそ以前より不安視を強めている。
ただ一時の感覚として口内で熱い、歯にしみそう、喉が焼けそう、この程度に落ち着かせて何度でも繰り返す、それではやはり「慣れ」という名の「感覚の鈍磨」が進んでしまうのだ。
乳児~幼児期の食道系における温度感覚は、人体の他の部位の皮膚に通る神経と大きな齟齬は無いようであったことは既述の文章から知られよう。
今であっても、口に含んでは温かみの感じるカップのお湯を指先で触れてみると、10秒触れるのは辛いようで、口の感覚と指先の感覚では著しく隔たりが感じられる。
そんなお湯は「煮え湯」であり、それを受けた喉や胃にとっては、口で感じた温かみ・ぬるさと比べてより熱く感じるし、実際に熱の害も起きていることだろう。
深く探れば、胸焼けにも似た不快感を捉えられるし、熱いものは、家庭医学の噂に聞くところでは、食道がんや胃がんの原因にも繋がりやすい。

生物学的にも、他の動物は、肉にしても植物にしても熱して食べる習慣は当然無く、熱いものは刺激物であるから、進化論の上で刺激物に慣れつつある人間であっても、過度な領域に寄ったものは摂食の継続を避ける必要がある。
ましてや刺激物に適応する必要は無いだろう、結局人類が超人に進むとしても人体の多くを構成する「水」の沸点以上の温度環境で身が保つことは、クマムシでないのだから有り得ない。
私には疎遠な学問分野の話をしすぎると、浅識が露見しそうなので、ここで休めておく。
熱いお湯が胃と喉に与える影響については、口内でお湯の熱を取ってから飲めばいくらか緩和され・・・これは多くの人が実際に意識してもしなくてもやっていることと思うが、口内というものは体の中で一番、触れた熱に適応できるよう作られているかもしれない。



なお、冷たい飲み物を勢いよく飲むと、喉から胃にかけて鮮烈に液体の通りを感じることと思う。
消化器系がコーティングされたような感覚がある。
これに気付いたのが14~16歳ころのことだが、近頃は冷たい飲み物を流し込むという行為自体なかったので、意識する機会は無かった。
水道水はお湯で飲むか冷やさず飲む場合が多く、氷水で飲むにも、ヒエヒエとした水は歯にしみそうなので、流し込む真似は行っていない。
この行為がどのような影響をもたらすかは定かでないが、誰でも何かのイラストで、顔の付いた胃が目を閉じて腕を組んででバツを示したり手を伸ばして拒否を示すなどを見たことがあるはずだ。
バツや拒否を示されたものは、酒・タバコなどもあろうが、アイスや冷たい飲み物に向けられることもある。
悪い影響が幾らかあることは確かである。
私自身、朝起きて水道水を流し込むこともあり、冷えている水ほど好ましいとも思っているが、結局出したてのぬるいもの(6月以降始まった習慣だから冬の場合は存じない)を飲んでいる。
また、アイスは長いこと口にしていなく、関係ない話となるがアイス食べたい。



追記:2015年9月3日
私はこの夏いよいよお湯を飲む頻度が増えたようだ。
ノートPCや自室調理換気の為にエアコンを掛ける中で、自分としては自室エアコンの最もぬるい設定温度(30度)でも寒く感じる場合があり、温かい飲み物も悪くは無いばかりか、多く別方向で効果を期待して飲んでいる。
あるいは、当記事に語られる要因と汗かきを厭う点があいまって、ぬるめで一気飲みもよくある。
一気飲みすることは、狭窄傾向の喉を拡げる訓練でもあるが、気道と食道を弁(喉頭蓋)が弁ぜずして肺に流れ込み肺に水が溜まること、でなくともその誤嚥を防ぐべく悶絶することは恐れる。

ところで「肺に水が溜まる」と俗に言われるこれは、いかなるプロセスでその状態に至るのかといえば、上述の如く物理的に気道を経て肺に流れ込み、患者のケース次第ではその自覚無きままに進行して重症に陥るのか。
これは一端として例に挙げるのみで、他にも考えられることはある。
※"肺水腫 - Wikipedia"参照、血管に関する原因(ほぼ高齢者)が主要であり、後はよほどの外的ダメージ(薬物・感電等)に起因し、私が水の多飲にあっても憂えなくてよいが、一点残る疑問は、その治療に水を排出すべく利尿剤等というと、私の排尿が鈍れば起き得なくはない。

以上の如く、私は夏にあってもお湯を多めに取り、例えば牛乳を弟・母と同じ量を与えられるとしても、計画的にシリアルで消費していき、余る分はお楽しみ。
同じ量のシリアルが与えられる弟は牛乳を飲み水の代わりに多く飲み、母はどうも健康食品のみならず、今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。
元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない。
質素倹約の私と異なり、貪りを感じてならない。



オマケ、「なぜか覚えていて検索候補(サジェスト)が出るフレーズ」集→「お風呂の温度は39度」、「うおゃちめう だんへいた らたっかつみ」、「弁護士さんは金持ちだ~命が惜しくて逃げ出した~」


2015年8月7日金曜日

7月31・8月1・2日の母弟らの福井旅行と様々な思索

2015年7月31日から月をまたいで8月1・2日の間に、2泊3日の福井旅行へ赴いた母弟だが、その予定を知った7月中旬当時からの旅路(交通手段)の仮説と、2012~2014年に国内地理に興味を持っていた時代の知識などを、ここで披瀝したく思う。
※当記事の原案は7月31~8月1日昼までにはほとんど完成していた。旅行2日目の8月1日20時16分に「緊急帰宅」の凶報メールが届いて、3日目は無しに終わった。ところどころの状況が異なる加筆で紛らわしくなる。

まず旅路の仮説、福井への交通手段とは何であろうか?
予定の概要を知った7月中旬当時からの仮説としては、当地の最寄り駅・所定の駅(豊橋駅など)より観光バスで移動するツアーや、当地から東海道新幹線で東京駅に移動して流行の北陸新幹線に乗り換えて金沢駅の北陸本線を乗り継いで福井駅に到着し(あるいは最短ルートで豊橋→名古屋→米原→福井?)、現地からツアーが組まれている、などだろうか。
少なくとも、家から車を飛ばして目的地数箇所に回り、それで帰宅もするということは無い。

何せカレンダーには「7/31福井駅・8/1恐竜博物館・8/2永平時(ママ)」の記載しかなく、私からも深いことを聞く気概も無いため、このような仮説に終始するし、答えは彼らが帰ってきてからのお土産や切符などの確認で分かることだろう。
その記載を元に推測すると、1日目は福井市内に留まると見ている。
2日目に恐竜博物館の勝山市内・・・その日はどこに泊まるか、先に永平寺町内に着いて旅館に宿泊する可能性もあるが、まさか母親が宿を予約するような人だろうか。
福井市から勝山市、永平寺町という流れは方向上自然に見える(今回の旅で利用した可能性のある現地鉄道路線の福井駅 - 勝山駅間の途中で永平寺口駅がある)。

このような仮説が立てられたが、記事冒頭に加筆した「旅行2日目の8月1日20時16分に緊急『帰宅』の凶報メールが届い」たという一件でかなり実相が浮き彫りとなった。
母・弟の福井旅行がツアー制という線はほぼ無くなり、緩急自在な個人スケジュールである姿も表出した。
その故に、掲げたプランを自ら撤回して、急な帰宅の判断も下る。
凶報メールに貼付された同日17時10分48秒撮影の写真にも、画面左端にエナメルバッグが見え、旅の荷物は常に博物館内などで提げながら移動していたことがわかる。
どういう事情かは聞かないが、予約など取らずに現地に出向いて泊まれるホテルが無かったのか、現地で二人が喧嘩して感情的に帰宅判断を下して終電ギリギリに帰ってきたか、と推量。
1日目の宿泊先を示す品も見当たらないため、更に探してみたいし、他の事情も聞ける時があれば聞いておきたく思う。



福井駅 ストリートビュー 恐竜
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続いて、弟が一人写っている福井駅前での写真(上画像の中央上)を見てもらうと、福井の西口駅前が噂に聞く「ジュラシックパーク」仕様となっていることが物凄く分かりやすい。
少し前まで、かなり広々とした様子の駅前だった。
個人的に福井駅西口といえば、あの有名な自称・集団ストーカー被害者の山下さんが福井のお巡りさんに喧嘩を売っている動画が印象的ではある。

それはそうと、2013年にストリートビューで初めて見た(ディスクにその日付の記録されたキャプチャ写真保管)印象は、撮影日にもよるだろうが人通りがほぼ見られずガラーンとしており、駅付近の立派な片側三車線以上で中央分離帯付きの大通りも交通量は疎らで、各種統計上からも福井は良かれ悪かれ地方都市の王道を進んでいる印象を受けたのであった。
2013年当時の駅前の人通りの頭数と、今の恐竜オブジェクトやアートの恐竜達の頭数であれば、実は後者の方が多いかもしれないのではないか・・・実に幼稚なネタを詫びたい。
でもまあ、その少し前までの印象を覆し、同じ北陸にある「世界で最も美しい駅の一つ・金沢駅」に対抗できるようなインパクトが生まれたのではないか。
※ストリートビューで福井駅付近もとい福井県内広域が見られるようになったのは、2013年2月の大幅拡大の時(リンク先Google日本公式)で、撮影時期の範囲は2012年4~8月頃が主要だ。

一方の東口の方はどういった様子かというと、記憶によれば比較的近年にカタカナ四文字で地上10階建てくらいの商業施設・・・アオッサ(AOSSA)というそうだ。
これがあるかなぁ、という記憶がある点、私はまだ詳しいほうではなかろうか。
西口であっても、高層棟にホテルが入居する高層ビルを建設している、といった記憶が2014年頃より残っており、これも将来の北陸新幹線開通を視野に入れた動きかもしれない。
上記は、「興味を持っていた時代の知識」を語ったものだが、今し方調べ直したので、アオッサ西口複合高層ビル再開発(地上21階90m、福井最高層)のリンクを文字に付加する。
その西口再開発の高層棟について、正しくはホテルでなくマンションの分譲だった。



2日目には恐竜博物館に寄ったが、下の弟としては一番期待していたスポットであろう。
私自身、「福井+恐竜」といえば小学生の頃に、ほんの数度か福井から発掘された化石に新種を見出して、発掘地である福井の名を冠した学名になっている、といった情報を見ただろう。
その情報の通り、フクイサウルス・フクイラプトル・フクイティタンといった名前が付けられている。
ところで、同じく小学生の頃から福井県の境域(県の形)自体が、頭でっかちの恐竜に見えなくはないと思っていたが、今の言語感覚で学名を定めるなら「トポモーフォシス」とする。



次に、3日目に寄った「永平寺」(2日目夜の「緊急帰宅」が告げられる以前の原案だから許して~)についても、知っていることから色々書いてみる。
これは正直に言うと、地理関係を学んでいた頃には名前さえはっきり覚えていなかった寺院で、しっかりと覚えられたのが仏法を学び始めた2014年6月以降に、日蓮系の人が「禅の道場から観光寺院に成り下がった」と評していたところによる。
この永平寺は、日本禅宗の中枢とも言える寺院であり、事実、曹洞宗開祖の道元禅師が開山して、同宗の大本山でもある。
また、あまり関係は無いが、曹洞宗の某寺院に茨城母方の祖父か誰か親戚の墓があり、私も1~2度墓参りに同行したことがある。

実は一度だけ、地理関係を学んでいた頃に福井市郊外の山間部に面白い場所はないかとGoogle地図を見回していて、たまたまここをストリートビューしたが、地方の観光地にしては妙に人が集まり、若い人や親子連れも多く、大概の山間部観光地が中高年層ばかりのイメージと逆で驚いた。
要するに、偶然この永平寺をストリートビューしたことがあり、そういった印象を受けたわけだが、宗教関係を学ぶに連れて別方向のイメージも強まっていく。
仏法の勉強の初めの頃に日蓮系の人の発言を聞いた時、「永平寺って何だったかな?」と思って検索し、ストリートビューしたら、一度見たばかりの場所だと分かり驚いたものだ。

私自身、禅の教えなどはあまり好いておらず、例えば釈尊の教えよりも、誰々禅師の語録、問答などが尊ばれている点は仏教=仏の教えという根本に背反しないだろうか。
確かに禅にとっての釈尊最高の教えは、大梵天王問佛決疑經における「不立文字・教外別伝」であるから、敢えてその他の経文を好まないようにしつつ、便宜的に勤行で読誦はするのかもしれないが、まだ勉強不足。
他にも、禅に関わる僧俗らの人格、これは邪推じみた意見となるが、どうも社会派エリート気取りばかりだし、説法(サイトやブログ含む)の語彙は俗悪・粗暴な印象がある(下品さなら真宗系が・・・)。
専ら世俗的な大成だとかの為の処世訓として尊んだり、何か「貴い」人が座禅修行で身を修めているのではないだろうか。
仏への尊敬も、成仏への願望すら抜けているため、現代日本の禅は儒教に修行の形が加わった、「座禅教」と私は見ている。

「只管打坐」の精神というと、近代でもベトナムの僧侶が仏教徒としての主張のために座禅(結跏趺坐)したまま焼身自殺した殉教行為が想起される。
まさしく「不惜身命・我不愛身命・身軽法重」などの経文の身読だ。後生善処は疑いなし。
あれくらいの気概が「心頭滅却すれば火もまた涼し」の体現であり、上座部仏教にも似た禅宗の究極体だと言っても過言ではないが、過激・・・
日本でもせいぜい、アウトローに高層ビルの柵を乗り越えた上昇気流が擾乱する場所で人を騒がせるくらいの只管打坐があれば、実に愉快なものだと思わずにはいられない。

まあ、永平寺そのものとは関係の無い仏法の話となったが、これは以前から「禅」について思っていたことを、この際ここで書いてしまおうということで、そうした。
過去記事でも、禅宗系について論じたような記述はあるので参照されたし。
終盤 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/blog-post_17.html
唯心論云々の箇所 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/18.html
蓮盛抄の箇所で少々 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/blog-post_24.html

ところで、日蓮系を中心に学ぶ私が永平寺について調べなおして驚いた一点は、道元さんが京都を追われて、有力士族「波多野」氏の誘いから越前に逃れ、後に永平寺を開いた、これは日蓮大聖人が鎌倉に居続けて法難に遭うのがいたたまれず、甲斐の有力檀徒・士族の「波木井」氏が自分の領土(身延)に招いて、その地に大聖人在世の内に後の久遠寺が出来た経緯と似ている。
京都・鎌倉の都から、近場の福井・山梨の山間部に「波」がつく漢字三文字の氏が後に宗祖となる高僧を招き、その入滅・遷化に至るまでに同宗派の本山格寺院がその地に開かれる。
妙だが意味の無い共通点を好む私としては、非常に興味深く思っている。
また、日蓮大聖人の複数の御書には、法華経を受持する真の天台法華宗が「釈迦世尊所立の宗(伝教大師の法華秀句より)=仏の立てる宗=仏立宗」であるとしており、道元さんが自分の教義にあえて宗名を付けるなら「仏心宗」とした名称と似てはいないだろうか。
これも私の好きな言葉遊びである。



・・・両派閥の方々にはよろしく当記事の乱文を諒とせられ、禅定の心を以てお許しおきくださらんことをと願い申し上げる。
なお、母・弟の福井旅行で永平寺に寄るという3日目が無く終わったことは既述の通りだけれど、彼らは永平寺で何をするつもりだったかといえば、蓋し物見遊山であろう。
僧侶の話を聞くとか、仏法などへの関心は恐らく無い。

日本共産党の機関紙を反安倍思想から購読しても、共産主義などに無知だからすぐ解約するような母だしね。
ちなみに言うけれど、私は反安倍でも無ければ、有権者でもなく政治にさしたる関心も無いただの18歳である。
一番云々したいのは、無知だったりするが刹那的な関心で衝動的に行動するも、信念が無いからまともな継続の無い上に、そこに気付かない母親の人間性。