2016年12月23日金曜日

諸言語の誕生・増加・減少に見る繁栄・衰退、多様化・画一化の法則

小規模・原始的な文明の成長には言語の誕生が付き物である。
しかし、他の文明と対峙して合流するようになれば、複数の言語は折衷するか一方が消滅する。
そのような誕生・増加・合流・減少を複雑に重ねて今の世界文明がある。
今日、多く人が国際的な言語の学習を志向する風潮は当然であるが、同時に少数のものを保護する国連やユネスコのような最上層の機関もある。
世間が多数派の言語に傾倒しようと、少数派を重んじて保護しようと構わないと思うが、間違いなく少数の者は消滅する。
あらゆる物事を時間的に観察すれば、誕生・繁栄・衰退・消滅(絶滅)は必然的な原理であると実感できるからである。

今回の記事で諸言語に寄せて称する「繁栄・衰退」とは、「多様化・画一化」である。
各文明が便宜によって産み出した言語も、より大きな文明に包括される認識があれば、そのようなものに合流・淘汰されて当然の道理となる。
小さい範囲では日本語とその方言、広げて中国語圏、そして確認できる最大規模の範囲では英語圏がその好例である。

「やまとことば」から多様な「ホーゲン」が生まれ、次世代の「ニホンゴ」に昇華するようである。
今でこそ「ホーゲン(方言)」の尊重だとか保護活動は盛んのようだが、風前の灯火である。
そのような現代、私はやまとことば(和語)、古語、漢文に親しんでいる。
私の執着は時代錯誤であろうか?否。不也。笑止千万。



英語 世界文明
日本人は個人主義的である反面、同調心理も強いから、国際社会というしがらみによって多くの一般人が英語を第一外国語として学ぼうとする。また、同言語は文化的にも極めて日本に浸透していて身近な外国語であると同時に、土着化しつつある(いわゆるGairaigoWasei-eigo)。世界各言語の地域にも同様の傾向があるのみならず、歴史においては大英帝国の影響が著しく、母国語として話す者は多い。そのため、土着の言語と一緒に公用語と認定される例は枚挙に遑がない。一般的な文字体系であるラテンアルファベット(ラテン文字)を採用していることから、同様の文字を用いる言語話者・国においては親しみやすい。様々な条件によって蓋然的に世界で比類なき一大言語と成り得る。要約すると、歴史的には大英帝国による形式的な帝国主義による影響・現代的には米国などの非君主の帝国主義(揶揄だが)による影響から、世界的に受容されている。

中国語 一国・多民族・全体主義思想
効率重視の合理主義的国家に制定された簡略化された文字(簡体字・簡化字)を使う。広東語など各種方言の存在を強権的に淘汰しようとすると、国連やユネスコや多くの諸外国より非難されるので、一応、便宜的に認めている。少数の方言を尊重すると、当該方言の話者が「一つの中国」というアイデンティティ・帰属意識から逸してしまうので、全体主義思想に基づいた本心では許したくなかろう。いつかは国内で完全なる言語支配と、共産党勢力の拡大によって世界的な普及を目論んでいる、と私は邪推している。そこまでいくと帝国主義のようになってしまい、彼らの二律背反となるので、さすがにその自覚くらいは持つと考えるが、そんな将来のことなど、私は知らない。ただし今の中共国家は、漢字の表音に第二次大戦前からある注音符号(成立経緯に日本文化の影響があり現代は台湾で主に用いられる)を利用せず、戦後に作った拼音(ピンイン)というローマ字表記を利用する点、必ずしも中華文明を純粋に押すことはなかろう。

アラビア語 一教・多国家・全体主義思想
ムハンマドの金口(こんく)より発せられたアッラーフお墨付きの聖なる言葉である。イスラーム信仰の者がアラビア語を学ばずにいられようか?愛する子供たちに学ばせずにいられようか?よって宗教多元主義・アフリカ貧困地域の恒常的人道支援のスキをついて猛烈に布教するイスラム教の信仰者(ムスリム)の間では当然、普及してゆく。全体主義的イスラーム世界の広まりと同時にアラビア語も国際的立場が強まるであろう。主要先進国や中国の人口が伸び悩むので相対的に立場を強めるのみならず、イスラーム世界の拡大と配下の民衆の増殖でネイティブスピーカーが増える。そうした場合、イスラーム世界の外の地域でも、後天的に学ぶ必要を持つ人が学んで習得するケースも増える。



多くの言語は主要な語彙からごく一部の語彙まで、サンスクリット語の影響を古くから受けている。
中国ではほとんど外来語扱いで音写や漢訳の当て字がある程度であったが、英語はもちろん、多くの西洋言語とその祖語であるギリシャ語・ラテン語も、サンスクリット語の影響を多大に受けている(日本にも仏教を介して土着して意味も変わった「塔"とう・とふ=ストゥーパ"」とか「旦那"だんな=ダーナ"」などがある)。
アラビア語は不明だが、何らかの影響はあると考えてよい。
そもそも一神教のヤハウェ、エホバと呼ばれるような「神」は、インドにおける創造神・ブラフマーの影響であると考えてもいる。
ただし、今は「ブラフマーとアブラハムって似ているじゃん?」というホラ吹き程度で精一杯である(勉強不足のため)。

サンスクリット語およびその影響を受けた諸言語は、インド・ヨーロッパ系の言語であり、「印欧語族
」と呼ぶ。
言語学者は、根本的な共通の祖語を仮想し、「印欧祖語」と呼んでいる。
諸言語においてサンスクリット語に通じる多くの語彙は、その「印欧祖語」の「印欧語根」を踏襲する。
ブラフマーであれば、「成長」を意味する√bṛh という語根を踏襲していると明かされており、この語根の祖語(印欧祖語)の語根は*bʰerǵʰ- という。
"bʰerǵʰ-"は「1.昇る 2.高い 3.山」という意味があるとされる。
上付き文字の"h"(有気音?)を除いて表記すると"berg"となり、ドイツ語の"Berg (山)"、いわゆる「何とかベルク」や「何とかバーグ(英語発音)」という地名に見る"-berg"と同じ意味となる。
もしや、「ブラフマーとベルク」もナチス・ドイツの特異なアーリア人種説の根拠の主要な一因となっているのであろうか?
アーリア人とか印欧祖語とかというものも全て近代的な学説に過ぎない概念ではあるが、全ての見解に対して慎重な立場でいる私としては「一理ある」と言うしかない。





起草日: 20161018

仏教ネタを交えない言語学的な記事(比較言語学とかいう)は久々に投稿する。
ただし、表題に「誕生・増加・減少」とある通り、言語学というよりは、社会科学である。
なおかつ、こういった見方は些か哲学的な影響もある。
全くもって世の中は、押しなべて「繁栄・衰退」という「多様化・画一化」の法則が適用される。
そう綴るだけでは情緒的であり、感傷に浸っている状態に過ぎないであろう。

一が多を生み、多が一へと戻るようである。
戻るところが単一でなくとも、少数の多数派に合流・吸収がされてしまう。
微細な部分でいくらか増減はあるかもしれないが、全体としてはこの傾向である、
あらゆる物事を観察し、確かな知識・経験として身につけてもらいたい。
数年間、この諦観を実感し続けてきた。
具体的な例は当記事における諸言語・方言の話はもちろん、「過去記事 - 音楽の没個性化の段」に述べた音楽ジャンルの事と個人の一生の話や、90年代における各省庁や地方銀行の合併や、近年の子会社化・買収行為(大手小売業・GoogleなどIT企業・中華資本に多い)や、地方都市・町村の衰退(大都市集中)など、ごくごく普遍的に見られている。
こう見返すと、社会科学的であり、哲学的な分析となる。
現象に即した見方であるため、仏教的に表現できても、仏教の「如実知見」とは異なる。
他の例としては、個人的な思索・思考にも、一つの問題提起に様々な憶測や意見を生じ、最終的に妥当であるものへと帰結するプロセスもある。



【雑考 (2016年10月19日)】
イギリスとは何であろうか。イギリス"Igirisu"はイングリッシュ"English"であり、エングリスク"Aenglisc"である。エングリスク(アエングリスク・アングリスク)はアングロ民族"Angles"の言葉である。アングロ"Angle"とエンジェル"Angel"はアナグラム"Anagram"である。アナグラムはどうでもよい。エンジェル"Angel"とアンジャー"Anger"は語尾にlとrの違いがある。アングロ民族"Angles"は、"Angel"なのか"Anger"なのか?原形をゲルマン祖語に尋ねる。

"Angel"は"angiluz"である。"angiluz"の意味は不明である。"Anger"は"anguz"である。"anguz"の意味は「狭い・細い」であり、"anger"のみならず"angry"と似た発音の"ugly"にも通じている。なぜであろうか。"Angel"に通じる"angiluz"は古代ギリシャ語"ἄγγελος (メッセンジャー・伝道者・預言者)"でガンマ"γ = g"が2回連なる。gはnに変化し、"Angel, angiluz, Anger, anguz"が生まれた"ugly"にしても祖語"uggligr (uggr ‎+‎ -ligr.)"はジー"g"が2回連なり、"n"が省かれた。日本語ですら撥音便の末に"ん"が省かれた単語「なにと→なんど→など」や「のみと→のんど→のど」という単語があるので言語学・音韻学に詳しい人は容易に実感できる("など・のど"の例は適切でない)。"ugly"の話は差し置く。

要するに、イギリス=イングリッシュ(イングランド人)=アングロ・アングル・アングレスとは、「狭い"Anguz, h₂énǵʰus"土地の民族」という意味であった。"Angles"は"l"で通じる"Angel"よりも"Anger"に通じるそうである。この説は、未完全な言語学の説を私が端的にまとめて事実を推定したものに過ぎないので、事実を的確に当てた説ではない。なお、この説を補強できる記述が日本語版Wikipedia「アングル人」の項に見られたので引用する→『アングル人の名はブリテン島に定着する前の同民族の故地であるアンゲルン半島に由来すると考えられている。アンゲルンの地名の由来については、ゲルマン諸語において「狭い(水辺)」という意味を表す語根"eng-"(或いは"angh-")が元になったとする見解や、印欧語の語根で「曲がった」という意味を表す"ang-"から派生したという見解など、複数の説がある。』なお、アングロ民族・アンゲル人がアンゲルン半島の民族と見た場合、アンゲルン半島の外見はさほど「狭い土地」という印象ではない。相対的な外見は十分、幅が広く、一般的な半島よりも半島らしい特徴が目立たない(ユトランド半島デンマーク国外の小半島である)。"Angle, Angeln"の語根に「釣り針・曲がった」という意味も含まれる説は未検証だが、この説を採った方が適切かもしれない。これ以上、検証の余地はなくなった。ついに我が疑いを滅ぼそう。

2016年12月12日月曜日

「法"Dharma"」は「達摩」か「達磨」か?音写から見る字音・音韻学

達摩 達摩 Dharma 音写 音訳 法 曇無 悉曇 梵字 Siddham Sanskrit Devanagari Kanji Hanzi Daruma Damo
"Dharma"の悉曇梵字 - 独自で研究した成果・正誤は未検証

サンスクリット語"Dharma"は、漢語・漢訳において一般的に"法"と訳される(多義性の説明は省く・デーヴァナーガリー表記: धर्म)。
"Dharma"の発音を漢字で当てると、古来は「達摩(だつま, datsu-ma)」である。
「達摩」の文字列は古来の中国大陸において"Dat-ma"と発音されたであろう。
現代中国のピンインでは"Da-mo, dámó"=ターモーと読むような、有声音の不分や入声音の欠落や母音の変化などが生じている。
近代の西洋人も熱心に研究した「中古音・上古音」の学説では"dat, dad, tad, lat"といった発音があったと示される(Dhar-の有声音+有気音の反映はカールグレン /dʱɑt̚/ くらいか)。

この「達"Dat"」の尾子音(語尾の子音、韻尾)である入声音"t"は、サンスクリット語における母音のない"r"の発音を擬似的に再現できるので、古来の訳経僧(サンスクリット語の経典を漢訳する僧侶)は入声音"t"を借りた。
これによって「達摩(だつま)」の漢字音写が"Dharma"というサンスクリット語に当てられた。
「跋扈する」の「跋(ばつ"batsu, 中古音でbuat")」もまた、音写においては入声音"t"が"r"の代わりとなっているので、この字は"ヴァル"の音に用いることができる(すぐに浮かんだ単語が固有名詞・人名の訶梨跋摩"karibatsuma"=ハリヴァルマン"Harivarman"、成實論の著者)。
なお、朝鮮語・韓国語での漢字の発音も、古来の朝鮮半島の人が入声音"t"が"l"に聴かれたためか、後世の訛りかは不明だが、「達」が"dal"と発音される(たるタル・だるダル!)。
日本人であっても、幕末・明治期にジョン万次郎が"What time is it now?"の発音を「ホッタイモイジナ"イジナウ→イジナ"」と綴ったとされる話が有名である(英語になじんでもらう意図で空耳っぽい音・語呂合わせにされた可能性も否定できないが参考までに例示する)。

アビダルマ(サンスクリット語・梵語"Abhidharma")・アビダンマ(パーリ語・巴語"Abhidhamma")という語句については「阿毘達磨」と音写しているが、どうも「達摩」の「摩(ま)」という音写で一般的に使われる文字ではなく、「研磨する」の「磨(みがく)」という字になっている。
ちなみに阿毘達磨は、日本仏教で世親菩薩(天親)の阿毘達磨倶舎論が有名である。

それでは、禅宗系の祖師として名高い「達磨(ダルマ・菩提達磨・達磨大師)」はなぜ日本で「だつま」ではなく「だるま」と呼びならわしているか?
この「達磨」も「磨(みがく)」の字を用いる。
私は当記事を起草した11月8日まで「磨(みがく)」の字の「達磨」は、経典新訳時代(7世紀以降)や密教の中国伝播(8世紀以降)から使われ始めた比較的新しい音写かと思っていたが、先述の「アビダルマ=阿毘達磨」を再確認してから少し認識が変わった。
「摩」も「磨」も、共に使われていた音写であるらしい(これも時系列が不明だが例えば妙法蓮華経の「妙法」の梵語が「薩達磨」と「薩達摩」の2通りが見られる)。

それはそうとして、禅宗系といえば、日本では平安末期や鎌倉時代の栄西や道元が宋朝の中国に入国して(入宋)臨済宗・曹洞宗を日本に伝えたことが有名であり、江戸時代の黄檗宗関係もある通り、日本における南都六宗や天台宗や真言宗とは時代の隔たりが大きい。
だから、臨済宗も曹洞宗も密教の呪文(真言・陀羅尼・咒)を唱えたり、黄檗宗は般若心経を現代の中国語と似た「唐音」で読む(日本の読経は一般的に呉音)。
このような時代だと、日本に定着した呉音や漢音といった音読みの理論を超えて柔軟であることは真言の漢訳やカナ発音(オン・なんちゃらかんちゃら・ソワカの類)なども同様である。
故に、彼ら禅宗系の僧侶・禅僧などは、インド出身の座禅祖師である「菩提達磨(ボーディダルマ"Bodhidharma")」の霊験あらたかなる梵語・神聖なるサンスクリット語における音を再現してみせてもおかしくない。
中国でそういった梵語・サンスクリット語における音を聴き、便宜的に「だるま"daruma"」の音を日本に伝えたものと考えてよい。



表題に『Dharmaは「達摩」か「達磨」か?』とあるが、音写に用いる漢字についてはどちらでもよい。
単語ごとにどちらかがたまたま採用された事実があるため、採用された漢字を単語ごとに尊重すればよいと思う。
ただし、個人的には音写において「磨」の字は馴染まない印象であった。

なお、「アビダルマ=阿毘達磨」は「阿毘曇(あびどん・あびたん)」とも音写されている。
この「曇(漢音:たん 呉音:どん)」は本来、字音仮名遣い(→たむ・どむ)にもある通り、尾子音が"ん"ではなく"む"の類であり、実際に朝鮮語や広東語は"tam, dam, taam"というようなローマ字表記がされている。
「曇」の字は「悉曇(Shit-tan, Sit-tam, Siddham)」にもある通り、尾子音"m"の単語の音写に多く使われる。
そういった撥音便の遡上・"m"の復元や、無声音・有声音(清音・濁音の類)の置換からすれば、「阿毘曇」は古来中国で"a-bi-dam"と発音していたとみてよい(これはパーリ語・プラークリットのアビダンマ"Abhidhamma"に近いともいえる)。
"Dharmakṣema (ダルマクシェーマ、ダㇽマㇰシェーマ)"を「曇無讖(曇摩讖・古: dam-ma-siem)」と音写した例も、同様に捉えてよい。

「曇無讖」の「讖(セム・tsiem)」のように、サンスクリット語の母音を省いた音写というものも多い。
漢字音の尾子音に"a"を付けて元のサンスクリット語の発音に通じる単語がある。
「曇」の字を例にとれば、「瞿曇(くどん)」がある。
「瞿曇」とは、サンスクリット語における釈尊の本名「ゴータマ・シッダールタ」の音写「瞿曇悉達多」の「ゴータマ」に対する部分である(訂正を後に注釈する)。
"Gotama"と表記するが、「ゴタマ」ではなく、サンスクリット語の"o"が長音である法則から「ゴータマ」と発音する。
「瞿曇」をそれぞれ、今までに示したような古来中国での発音に擬して表記すれば"go-tam(ゴタム、小文字のム、母音を発しない両唇鼻音)"と書ける(瞿"ku"はk/g子音互換性やu/o母音互換性にならう)。
そこに尾子音への"a"添加や1モーラ発音漢字の2モーラ長音化も加味する(過去記事にある便宜上u相当"w"を添加した音)と、"gow-tama (ゴゥタマ)"と読むこともできる。
訳経僧らも、満足できる音写となったろう。
これは私の日々の思考の産物であり、無理やり説明をすることとなったが、参考にしてもらいたい。
「瞿曇→ゴータマ」複製プロセスは"kudon, kudom, gudom, godom, godam, gotam, gowtam, gowtama = Gotama, Go'otama"である(大体の音を漢字にするサンスクリット語の音写についてこういった細密な理論的分析は本末転倒だが音韻理論の思考法として示す)。

※この時に限ってとてつもない取り違えをしていた。「ゴータマ」はパーリ語であり、「瞿曇」のサンスクリット語は「ガウタマ」である。いずれにせよ、音韻理論の深い思考法は以上のようである。「ガウタマ」の場合を取っても、「瞿」の文字の上古音(バクスター・サガール式や鄭張式どちらも)は"ガ ga"のような表音であった。"ガ"を先ほどのように長音化(二重母音化)して後は同じような経過で"gadam, gatam, gawtam, gawtama = Gautama"になる。実際の中国大陸で当時の訳経僧が、どうサンスクリット語を捉えていてどう捉えた発音の漢字に転写したか、という点が最も重要であろうが、現代では推定しかできない。とはいえ仮説上古音の蓋然性はある。これも、私という凡人が仮に信頼するところである。

ちなみに「涅槃→ニルヴァーナ"nirvāṇa"」の同じプロセスは"nehan, netsuhan, netpan, netban, nerban, nirban, nirvan, nirvana, nirva'ana"となる(ねはん・ねっぱん・ねるばん・ニルヴァン)。
既に「般涅槃"parinirvāṇa"」の「般」がなぜ"はん"ではなく"はつ"と読まれるかも想像が付こう。
ここまでの子音t/r置換や尾母音"a"復元の法則が分かれば、「ガーター"gāthā"→偈(げ・中古推定: ガツ)」や「クシナガラ"Kuśinagara"→拘(or鳩or倶)尸那竭(くしながつ)」もなぜそのような音写がされたか得心がつく(逆に涅やの日本発音は入声音"t"に当たる音が欠落した理由が不明)。
「パーラミター→波羅蜜」の場合、時代が下って玄奘さんが「多」という字を付けた「波羅蜜多」に変化している場合も、「密」の入声音"t"が弱まって尾母音"a"復元がしづらくなったためであろう。

なお、日本人の名字(苗字)に「瞿曇」さんがいるようである。
読み方は"くずみ kuzumi"であるが、実際は"くづみ kudumi, kudzumi"が正しいと思われる。
この名は、「日本語・やまとことば」の音写であると考えてよい。
元の「言葉・ことのは」がいかなるものか不明だが、長野県安曇野市を思い出す。
"安曇(あづみ azumi, adzumi, adumi または、あづし)"(古事類苑)は同県中信地方の「麻績(おみ、麻をつむぐ?)村」と同語源の説があるよう(他の説はこちら・当地豊橋が属する渥美半島も子孫)だが、まあそれはよいとして、"瞿曇"も何らかの日本語の発音が由来と考えてよい。
その音写であるが、「瞿(呉音:ク、おそれること)」と「曇(呉音:ドン・ドム、くもること)」という二字を用いている。
「曇」を"ズミ zumi"と読ませている点は、本来だと、お察しの通り"ヅミ dumi"であり、これが"ドム domu, dom"という呉音・字音の原型と母音の違いがあるのみと分かる。
尾子音・韻尾の"m"もまた、日本語においては入声音"k, t"と同様に"i"の音が付けられるようである(音写の場合はむしろ元の日本語にあった"i"の発音を無視した漢字を借りて再度"i"の発音が付く読み方にしたのであろうが)。
入声音"k, t"に"i"を付ける例は、「"シチ shichi, shitsi, siti, tsit"七・質屋」、「"セチ sechi"お節」、「"バチ bachi"罰」が代表的である(血脈"ケチミャク"・結集"ケチジュウ"飢渇"ケカチ"・・・)。
なお、"久住 kuzumi"とか"安住 azumi"という人名もあるが、重箱読み・ハイブリッド音写であり、説明しない(久住"kuzumi"は久須美"kuzumi"という系統らしく瞿曇"kudumi"とは別者であるが、安住"azumi"は安曇"adumi"の系統らしくて重箱読み音写なので久住と安住とは成立時期の隔たりがありそう。なお瞿曇は名字由来netによると釈迦もといガウタマ由来というが"kudom"読みと"kudumi"とで由来が異なる可能性もある)。





起草日: 20161108

2015年11月27日に某所で投稿したネタに関する現在の見解を、簡潔かつ総合的にまとめた。
言語学・音韻学とは、やはり自然言語に関わるものであれば、歴史的経緯や時代背景や宗教的信条や思想といったものの影響も加味する必要がある。
漢字であれば、則天文字などの創作文字が顕著であろう。
漢字の発音であれば、現代のピンインにおいても重病の「癌"yan"」が、炎症の「炎"yan"」同じ発音のために「肺炎」と「肺癌」で誤診の種になるという理由で、「癌」の部首「嵒」の由来で同じ発音の「岩・巌・巖"yan"」と意味が似た「崖"ai"」の発音を借りて用いるというケースもある(英Wiktionary: 癌にも記述あり)。
なお、「炎」以外はG・Yの母音の置き換えがある漢字である「癌"gan"・岩"gan"・崖"gai"(崖のみはyの頭子音やスペリングを欠落してyaiではなくaiと発音表記される)」のいずれも日本で音読みが浸透している(癌は癌、岩は岩石、崖は断崖絶壁など)。
※GY互換・置換の法則は、詳しく話すと、仮説上古音・広東語の綴りでは頭子音"ng"の漢字=上記「岩」関係以外にも「我・原・彦(顏)」などの文字がもれなく該当している。古い日本で頭子音"ng"は"g"として取られた・・・いわゆる軟口蓋鼻音・鼻濁音は共通しているかともかく、現代ローマ字表記では"ng"と"gの違いがあるのみである。"

「則天文字」や「癌」ピンインについては、時代背景や宗教的信条や思想というものによって「自然と発生したか変化したもの」ではなく、個人的思想による創作や合理的変更などである。
しかし、一応、こういった「例外」などを広く知ることは、物事の広い見解を養うと思う。
今、学術的かつ柔軟な見識を持つこの私が、広く知り得た情報から"Dharma"を例に、こういった見解をまとめることに大いなる意義を感じている。
学問の理性と柔軟な感性の調和が、最善の英知を育もう。

アレコレと私の音韻思考回路についてサンスクリット語の音写語句から顕著な例を引いたつもりであるが、縷々としている。
実際の中国大陸の仏教界隈における音写語句の文字列は、一種の記号であろうか。
実際に音写がされた当時にそういった語句が私の仮説に近い発音をされたかは知りようもないが、一つ言いたいことは、「達摩・達磨」の段落の結論の通りである。
日本に禅宗系が正統(?)に伝えられた頃合いには中国で"Da-mo"とか"Dat-ma"ではなく梵語での"Dharma"に似た発音がされていたから僧侶が日本で"Daruma"を広めたと推測できるように、他の音写語句も、似た発音の漢字を「仮に」当てることで、梵語での発音は訳経僧らが「口」によって伝え、漢字の文字列で梵語にもっと近い発音を思い出させる意図もあったろうと推測する。
「画期的・革新的」らしい禅宗系や密教系(空海・円仁など中国大陸に入った僧侶がいる)のようなものは、それ以前に伝来した音写語句と違って梵語寄りを重視したわけである。



音韻に関しては、世界中の言語と漢字の発音に共通項であるとか、アルファベットに付された発音(IPA一部準拠)を関連付ける思考がある。
その音韻論的な世界観の一端を図に表すと以下のようである。
頭子音としての「B, P, F, W, Mサークル(オマケはVでありHを隠す)」を示す。
一部は過去記事(2015年6月)のネタである。

両唇音 唇歯音 兩唇 唇齒

漢字や単語や、それぞれの関連性についての説明は省く。
私ほどに興味を持ちながらに便利なWiktionaryや漢字のサイトを見て学び、より思考を深めてゆけば、いずれは全ての関連性を繋げられよう。一部資料は画像内にURLを掲載しているが、ここにもリンクを掲載する。
http://en.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%94%87%E9%9F%B3

一例のヒントのみを記す。
「無・勿(否定の意味で共通)」
無"wu, mu, bu" ・・・ 勿"wu, motsu, butsu"(中国で入声音・韻尾"-t"欠落)
BM互換 (b/m置換、m/b置換)=日本の漢音・閩南語(ビン南語)に対する中古音・朝鮮語
MW互換 (w/m置換、m/w置換)=日本の呉音に対する一部現代中国普通話

日本の漢字音韻においても「は行の非は行説」があり、これを取り入れてある。
漢字音韻ではなく単なる訓読みも混ぜてあるが、これは自然言語の世界共通性を示すためである。
とはいえ、漢字音韻が時代と地域によって変化する点では、一つの音韻の原点を求め、それに基づいて世界共通性を問わねばならない。
漢字音韻には"Proto-Sino-Tibetan"説(印欧祖語のような言語学的に再構築された祖語)の語根の影響も考える必要が出てくる。
そこに原点を求めると、必ずしも自然言語らしい発音の成立を見出した私の見解とは一致しない可能性もある。

とりあえず、この図によって体型的な音韻理論を自ら導き出す訓練ができるとよい。
仏教でいえば曼荼羅を見て観想・瞑想するようなものであろう。
こうして知識を得て思惟に入ることで、中国漢字の発音と日本の音読みとサンスクリット語とギリシャ・ラテン系の西洋言語とで、意味と発音(子音)が共通する単語が多く見つかろう。

過去にも取り上げたものを含むが、羅列すると

 (フ・プ・ブ・bu, fu=pu, pitṛ, pater, father バブー赤ちゃん用)
 (ボ・モ・をもwomo・mo, ma, mātṛ, mater, mother バブー赤ちゃん用)
 (バ・マ・むまmuma・ma, mare・梵語アシュヴァで該当せず・関連は「《漢ngu梵go英cow》」)
 (トウ・タフ・トフtō=top, stūpa, tower・ガンダーラ語はthuva)
 (P・F・Wの両唇音多し、上掲画像参照・ほか梵語पवन pavana パヴァナも両唇音、拉ventus英windに通じる梵vāyu, vāta)
 (訓・音とも、上掲画像参照・ほか3人称中動態・受動態動詞で梵語पर्दते pardate、古希語πέρδεται pérdetai)
 (キュウ・キフkyū=kip・すふsū, shupu, シュヴァスश्वस्√śvas, スピーローspīrō)
 (キュウ・キフ・ギフgip・上古音*ɡrɯb・およぶoyobu・人 + 又 = つかむtukamu・グラブgrab, ग्रह √grabh √grah・にぎるnigiru・グリップgrip)
 (ホウ・ハウhou=pau, pao・あぶくabuku・ブクブクbukubuku・バブルbubble・बुद्बुद budbuda)
 (ミョウ・メイ・ミン・myō, mei, ming・なna《なまえnamae, なまへnamape》・ナーマनाम nāma・ネームname・オノマὄνομα onoma《アノニマスの一語根》で子音が全て両唇音・鼻音系)
 (ブ・ム・bu, mu・ないnai・NoNot, None・ナनnaマッमतmatメーμή mēで頭子音が全て鼻音・・・特に日本語・西洋諸語・インド系諸語はみな頭子音が"N"であり"L"の類も歯茎音カテゴリで同系か。頭子音"B"の類も"M"と同系である場合が考えられる。また英語の否定接頭辞in- un-なども同系か。否定接頭辞についてギリシャ由来のan- ἀν-は母音が連なる場合にnが介したものであり原型はa-。そのn介音はサンスクリットにも共通する。例は希Anonymous・梵Anātmanなど)

などが、それである。
ある程度の範囲で印欧語根(proto-indo-european印歐語根)・漢蔵語根(proto-sino-tibetan漢藏語根)で定説ともなっているが、こういった点は英語版Wiktionaryなどを参照してほしい。
私にとって未開拓サイトのhttp://starling.rinet.ru/cgi-bin/main.cgiも利用されたい。
学説・仮説・語根が通じ合わずとも、子音・発音が通じているものはおおよそ人間の感性が通じているものと見てよいので、どちらにせよ、言語の結びつきを知ることになり、私の本意とする。

共通点ということは、無論、「たまたま似たんだろ」と言って一蹴できる問題でもあるが、むしろ、「たまたま」一致するくらいに通底する原因があると考察してもよいではないか?
「似た者同士が結びつく」ことは偶然であって必然でもあろう、と考えてもらいたい、特に人類・人間界のことであれば、根本的な心が通ったものと感じてほしい。
偶然であって必然でもあることとは、不思議であって不思議ではないことである。
大いに考究すべきテーマではなかろうか?
※人類史的には偶然であって国際交流の結果ではなかろうが、だからこそ似た発音には発生経緯が似る理由がある。ある面で偶然・ある面で必然。自然言語なら自然な性質・ダジャレ・オノマトペ・擬音語・擬態語が関わる。あわパオ"pao"、ブクブクあぶく、バブル・ブッブダ"bubble, budbuda"というように(わ・ば・ば=唇の音 labial consonants)。

この道理は、私が小中学生の時、端的に説かれた科学的見解を知った影響によるが、現在までに様々な思惟の中で確かな感触を得ている。
決して「妄想の産物」ではないし、あくまでもその思惟のみによって物事を断定することはないほどに慎重な思考法をも、私は兼ね備えている(今までの私の文章で実感できよう)。



ああ、また長くなってしまうが、2016年12月2日に「觀萌私記」関係の調査で「もえ=毛延・毛要」を検索していると、「日本語千夜一話」という興味深いサイトを知った。
現在70代ほどの方が運営しており、過去にNHK放送文化研究所(言語・文化関係)所長を経験してから、どこそこの客員教授という肩書を持っているようである。
私の考察の仕方と非常に似たような方法(国語学と中国音韻学と西洋言語学の隔たりを無くした幅広い見地)で、日本語の語源を体系的に説明しており、例えば、上古音の学説を肯定的に採用している。
私は中・英Wiktionary所載のバクスター・サガール式や鄭張式の仮説上古音を参照しているが、彼はそれより前の時代のカールグレン式の再建上古音を書籍から参照しているようである(参考文献の一覧に示される)。

私は、何度も綴っている通り、たまたま似ている・共通している点を羅列して自然言語の成り立ちに思いを馳せ、ついでに人類史・語根説に通じた語源の同一性も確認したい気持ちでこういった記事を書き続けるが、彼の場合は、仮説・再建の上古音を正規の説と信頼し、しかも彼の思考の結果「日本語○○と中国語(時に朝鮮語)××は同源だ」とそのまま事実であると断定されるに至っている。
彼の見解には蓋然性があるかもしれないが、断定は早計にも思うし、異なる言語を無理やり共通させようとする「融和」の意図も感じられる(思想や感情ありきで理論を決定か)。
私は如何なる見解に対しても、安らいだ大海のように寛容かつ慎重な姿勢を取っておきたい。
私は未だ、20年以上前の出来事すら、五感で経験していない青二才である。



追記: 2017年8月16日
後の記事に追記した事項をこちらにも載せる(独自で更に加筆)。
 「法"dharma"」でさえも語根√dhṛより名詞化したものとなることが推定し得、実際にそのようである。語根√dhṛは「支える・維持する」という意味を持つ。古代インド人は世界の根底原理を見ようとし、「法"dharma"」と名付けた。「縁の下の力持ち」とは何であろうか?「(世界を)持つもの"DHARMA"(保持・維持・持続)」。マヌが作ったか?ブラフマーが作ったか?ヴィシュヌが実体か?現代に法律とは、世界や集団を維持するもの、秩序を守るもの。人の概念による構築物・人類の英知・宝玉が「法律」であり、「法の支配」とまで讃えられる。言語分析から、歴史や宗教や社会が理解できる一面もある。
 仏教徒が"dharma"と言うときは当然、ヒンドゥー教らしい世界の根底原理を意味しない。諸法"sarvadharma"というように「ありとあらゆる物事」が、何であれ"dharma"である。一方、「支える・保持する」という原義を鑑みると、仏教徒の信仰や修行の支えとして存在する「教え"doctrine"」が該当する。更に、個人の主観性を客観すれば、須臾刹那の心こそが認識能力・思考能力・行動意欲などを司っているようであり、仏の教えにも説かれるから、仏教には仮定の根底原理としての"dharma"もある。ただし、心の理法を、仮定の根底原理として"dharma, dhamma"と表現した経典があることは未確認である。

他、後日・・・「漢字三音考」や「奈萬之奈(なましな、生品・男信なむしん)」といった江戸時代の国学・国語学の書物には中国語や梵語(梵字)に関する言及もある。それらには、「一連の記事関連の考察(当ブログ・国語カテゴリ)」と多くの共通点を持つ見解が載っている。


2016年12月8日木曜日

各言語・音韻の瞑想 両唇音・唇歯音「B, P, F, W, M (V, H等)サークル」

当記事は後日投稿予定の下書き記事の一部を分割して独立した形で投稿する(12月4日に発案)。

原案の記事はこちら→http://lesbophilia.blogspot.com/2016/12/dharma-sanskrit.html



 音韻に関しては、世界中の言語と漢字の発音に共通項であるとか、アルファベットに付された発音(IPA一部準拠)を関連付ける思考がある。
その音韻論的な世界観の一端を図に表すと以下のようである。
頭子音としての「B, P, F, W, Mサークル(オマケはVでありHを隠す)」を示す。
一部は過去記事(2015年6月)のネタである。

両唇音 唇歯音 兩唇 唇齒

漢字や単語や、それぞれの関連性についての説明は省く。
私ほどに興味を持ちながらに便利なWiktionaryや漢字のサイトを見て学び、より思考を深めてゆけば、いずれは全ての関連性を繋げられよう。一部資料は画像内にURLを掲載しているが、ここにもリンクを掲載する。
http://en.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%94%87%E9%9F%B3

一例のヒントのみを記す。
「無・勿(否定の意味で共通)」
無"wu, mu, bu" ・・・ 勿"wu, motsu, butsu"(中国で入声音・韻尾"-t"欠落)
BM互換 (b/m置換、m/b置換)=日本の漢音・閩南語(ビン南語)に対する中古音・朝鮮語
MW互換 (w/m置換、m/w置換)=日本の呉音に対する一部現代中国普通話

日本の漢字音韻においても「は行の非は行説」があり、これを取り入れてある。
漢字音韻ではなく単なる訓読みも混ぜてあるが、これは自然言語の世界共通性を示すためである。
とはいえ、漢字音韻が時代と地域によって変化する点では、一つの音韻の原点を求め、それに基づいて世界共通性を問わねばならない。
漢字音韻には"Proto-Sino-Tibetan"説(印欧祖語のような言語学的に再構築された祖語)の語根の影響も考える必要が出てくる。
そこに原点を求めると、必ずしも自然言語らしい発音の成立を見出した私の見解とは一致しない可能性もある。

とりあえず、この図によって体型的な音韻理論を自ら導き出す訓練ができるとよい。
仏教でいえば曼荼羅を見て観想・瞑想するようなものであろう。
こうして知識を得て思惟に入ることで、中国漢字の発音と日本の音読みとサンスクリット語とギリシャ・ラテン系の西洋言語とで、意味と発音(子音)が共通する単語が多く見つかろう。

過去にも取り上げたものを含むが、羅列すると

 (フ・プ・ブ・bu, fu=pu, pitṛ, pater, father バブー赤ちゃん用)
 (ボ・モ・をもwomo・mo, ma, mātṛ, mater, mother バブー赤ちゃん用)
 (バ・マ・むまmuma・ma, mare・梵語アシュヴァで該当せず・関連は「《漢ngu梵go英cow》」)
 (トウ・タフ・トフtō=top, stūpa, tower・ガンダーラ語はthuva)
 (P・F・Wの両唇音多し、上掲画像参照・ほか梵語पवन pavana パヴァナも両唇音、拉ventus英windに通じる梵vāyu, vāta)
 (訓・音とも、上掲画像参照・ほか3人称中動態・受動態動詞で梵語पर्दते pardate、古希語πέρδεται pérdetai)
 (キュウ・キフkyū=kip・すふsū, shupu, シュヴァスश्वस्√śvas, スピーローspīrō)
 (キュウ・キフ・ギフgip・上古音*ɡrɯb・およぶoyobu・人 + 又 = つかむtukamu・グラブgrab, ग्रह √grabh √grah・にぎるnigiru・グリップgrip)
 (ホウ・ハウhou=pau, pao・あぶくabuku・ブクブクbukubuku・バブルbubble・बुद्बुद budbuda)
 (ミョウ・メイ・ミン・myō, mei, ming・なna《なまえnamae, なまへnamape》・ナーマनाम nāma・ネームname・オノマὄνομα onoma《アノニマスの一語根》で子音が全て両唇音・鼻音系)
 (ブ・ム・bu, mu・ないnai・NoNot, None・ナनnaマッमतmatメーμή mēで頭子音が全て鼻音・・・特に日本語・西洋諸語・インド系諸語はみな頭子音が"N"であり"L"の類も歯茎音カテゴリで同系か。頭子音"B"の類も"M"と同系である場合が考えられる。また英語の否定接頭辞in- un-なども同系か。否定接頭辞についてギリシャ由来のan- ἀν-は母音が連なる場合にnが介したものであり原型はa-。そのn介音はサンスクリットにも共通する。例は希Anonymous・梵Anātmanなど)

などが、それである。
ある程度の範囲で印欧語根(proto-indo-european印歐語根)・漢蔵語根(proto-sino-tibetan漢藏語根)で定説ともなっているが、こういった点は英語版Wiktionaryなどを参照してほしい。
私にとって未開拓サイトのhttp://starling.rinet.ru/cgi-bin/main.cgi?flags=eygtnnlも利用されたい。
学説・仮説・語根が通じ合わずとも、子音・発音が通じているものはおおよそ人間の感性が通じているものと見てよいので、どちらにせよ、言語の結びつきを知ることになり、私の本意とする。

共通点ということは、無論、「たまたま似たんだろ」と言って一蹴できる問題でもあるが、むしろ、「たまたま」一致するくらいに通底する原因があると考察してもよいではないか?
「似た者同士が結びつく」ことは偶然であって必然でもあろう、と考えてもらいたい、特に人類・人間界のことであれば、根本的な心が通ったものと感じてほしい。
偶然であって必然でもあることとは、不思議であって不思議ではないことである。
大いに考究すべきテーマではなかろうか?
※人類史的には偶然であって国際交流の結果ではなかろうが、だからこそ似た発音には発生経緯が似る理由がある。ある面で偶然・ある面で必然。自然言語なら自然な性質・ダジャレ・オノマトペ・擬音語・擬態語が関わる。あわパオ"pao"、ブクブクあぶく、バブル・ブッブダ"bubble, budbuda"というように(わ・ば・ば=唇の音 labial consonants, 梵語でoṣṭhyaという)。

この道理は、私が小中学生の時、端的に説かれた科学的見解を知った影響によるが、現在までに様々な思惟の中で確かな感触を得ている。
決して妄想の産物ではないし、あくまでもその思惟のみによって物事を断定することはないほどに慎重な思考法をも、私は兼ね備えている(今までの私の文章で実感できよう)。



ああ、また長くなってしまうが、2016年12月2日に「觀萌私記」関係の調査で「もえ=毛延・毛要」を検索していると、「日本語千夜一話」という興味深いサイトを知った。
現在70代ほどの方が運営しており、過去にNHK放送文化研究所(言語・文化関係)所長を経験してから、どこそこの客員教授という肩書を持っているようである。
私の考察の仕方と非常に似たような方法(国語学と中国音韻学と西洋言語学の隔たりを無くした幅広い見地)で、日本語の語源を体系的に説明しており、例えば、上古音の学説を肯定的に採用している。
私は中・英Wiktionary所載のバクスター・サガール式や鄭張式の仮説上古音を参照しているが、彼はそれより前の時代のカールグレン式の再建上古音を書籍から参照しているようである(参考文献の一覧に示される)。

私は、何度も綴っている通り、たまたま似ている・共通している点を羅列して自然言語の成り立ちに思いを馳せ、ついでに人類史・語根説に通じた語源の同一性も確認したい気持ちでこういった記事を書き続けるが、彼の場合は、仮説・再建の上古音を正規の説と信頼し、しかも彼の思考の結果「日本語○○と中国語(時に朝鮮語)××は同源だ」とそのまま事実であると断定されるに至っている。
彼の見解には蓋然性があるかもしれないが、断定は早計にも思うし、異なる言語を無理やり共通させようとする「融和」の意図も感じられる(思想や感情ありきで理論を決定か)。
私は如何なる見解に対しても、安らいだ大海のように寛容かつ慎重な姿勢を取っておきたい。
私は未だ、20年以上前の出来事すら、五感で経験していない青二才である。


2016年12月2日金曜日

Google+ 2016年11月中の日記メモ

当月は、記事で掲載する写真枚数が非常に少ない(実際としてもあまり撮影しなかった)。
さて、何枚であろうか?
メモ文章中に、痔(真偽不明、臀部・尻肉・ケツの腫れ)に関する記録も多く、患部の写真は掲載しないが、多く撮影した。
大きな痔を患った患部・臀部の写真は、10月中のものを合わせて16枚ある(うち当月は11枚)。

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31



2016/11/01

本日も前日のように4種アラームのうちの複数を聴いたはずだが、3時30分に起床した。11時30分から押入れに就いて横になった。仮眠のつもりはないが、気を抜くと5分程度で浅い睡眠状態となる。夢のような思考というか夢のようなビジョン(8月9日メモでの表現)が映り、私が他人に「早く歩け!("速く"ではなくて"早く"・実際に立ち止まっている人物に対して"早期に"歩き出すよう指示)」と指示し続けると、そのまま私が他人の背中を押し始め、次第にその人物と視界が一体化し、リアルの目を開けると押入れの中が見えた。これは眠りそうな私に対して「早く起きろ!」という暗示(眠りを拒む潜在意識)であると思い、早期に起床しようと思った。

12時台前半、前日にも言葉でほのめかされた衣類に関して直接母親に話された。面倒な経緯の説明は省略するが、母親が不穏な言葉を発したりして論理に困った末に私の手を握ったり掴んだりする奇行に及んだ。母親が1か月ほど物を渡したくて渡さず、今に持ちかけた話であるのに、今の感情のせいで渡したがらない様子である。私が素直に受け取ってやろうと手を差し伸べると、あの醜態である。心が素直でない人間にはどう話しても通じづらいが、適当にやり過ごした。保健所の人(前日10月31日訪問)もしてくるような趣旨の話を聞かされた際も、最初から私の意思は決まっている。母親の、それに関する話への転換は、何ら脅しとはならないし、煩わしいだけで、誰の得にもならない上に母親の品性を他人の目から落とし、母親自身がますます悪く落としている。そうして自分が悪道の境界に堕ちつつあると気付きもしない。右手が主に被害を受けたので、母親のハンドクリームか何かの臭いが残った。その後も1階リビングに居続ける母親は、最近よくあるゲホゲホと咳き込む行為が見られ、テレビから流れる「小2の時に手編みのマフラーをパパにプレゼントしたら3か月後にゴミ箱で見た」という発言の際にも、笑いながら咳き込んでいた。



2016/11/02

本日も前日のように4種アラームのうちの複数を聴いたはずだが、起床は3時41分となった。このように連日3時台に起床してしまう理由は、偏にあの痔のような巨大な腫れをかばう姿勢でPCなどを続けて心身ともに疲れているからであろう。7時30分台になって2階の弟に動向があり、それから母親が弟に干渉しつつ7時42分に遅刻の登校を始めた。9時46分に母親が発車した。

軽い思考メモ「本日は菓子類・甘く味の付いた牛乳を飲み食いすることが多かった。そういった食べ物や飲み物を取っていると自分の体に贅肉が増える気分となる。実際にどれほど増えるかはともかく、そういった気分は、私の潜在的な美形への執着心を原因としていよう。甘い味・油・脂の触感、特に温かくないものを飲み食いしてそう思う。食べている時の自分が、自分らしくないようにも思う。豚のようではないか、と。実際に仏教では、目先の欲望に囚われる状態が『畜生』に譬えられ、物を貪る状態が『餓鬼』に譬えられる通りである。仏教の修行者で、瞑想が上手い人というかイメージトレーニングが上手い人などは、私と同様ではないかと思う。人間として生きる自分や仏・菩薩を志して修行する自分とは異なる、飲み食いに快楽を覚えている時の自分には、畜生(禽獣)・餓鬼を重ねるに違いない。拒食症の人が食べている自分を嫌う心理構造とは似て非なるものであり、私としても仏教徒の心でいる。」

母親は19時10分ころに帰宅した。本日は10時前・14時10分台にボラギノールA(10月31日初使用)を患部に塗布した。1日3回の文字通りに19時50分台、母親が風呂に入っている間に3回目の仕様を行った。



2016/11/03

前日の就寝時に4種アラームのうちの2:24のものを1時間遅らせて滑り止めとしたが、本日は3時18分に起床したので、これが滑り止めの役目を果たすことはなかった。失敗が多い時にわざわざ失敗に対して備えた用意をすると、それに頼らないで済む結果はよくある。

5時50分、PCの前で携帯作曲をしていてPCは数分程度操作していない状態であり、私はPCのイヤホンを装着したままでいる。その時にUSB端子に接続した際に発生するシステム音と同時に画面が暗くなってマウスカーソルだけが残る異常が発生した。10秒ほどで画面が点々と戻ったあたりでタスクバーに"iwd audio device"云々の読み込みをしているらしい表示が見えた。全て意味不明である。IWDなどというものも知らない。本当に異常なPCであるというしかない。意味不明でも何でも記録を取るしかない。



2016/11/04

本日は2時52分に起床し、直後に下剤1錠を飲んだ。6時過ぎ、それまでに腹痛も発生していたが、便意が増し、元々起きてから排尿もしていなかったため、トイレに入った。左臀部の腫れが座りづらくさせるので、最初の5分ほどは小便もない。20分ほど苦しむ中に大きなあくびが複数回あり、鼻づまりも発生し、首から上・腕・手・脚・足などが痺れた。ようやく小サイズのもの1つを排出したが、そこからまた苦しむ時間が続き、先ほどの部位の痺れ以外にも冷えが襲う。貧血・立ちくらみのような意識朦朧状態も発生した。このごろは既に朝方の冷え込みが酷く、フローリングは薄手の靴下には冷たい。6時40分過ぎに1度トイレを出ようと尻拭い・立ってパンツを穿くも、すぐに便意がよみがえったので再び便座に着いた。6時50分まで苦闘が続いて下痢のような液体に塗れた固形(軟便とも異なる)を出し続け、部屋に戻れた。5分程度でまたトイレに入り、下痢のような状態のものを多少出した。普段の軟便・下痢とは異なってドロッとしたカレー状態である。

7時10分台から40分以上、横になった。眠ったという認識も、起きて思考する意識もない不思議な時間が過ぎていたようである。その間は1階にいた弟や、登校を始めたであろう弟の動向も感じられず、母親の干渉があったかも不明である。本日は金曜日であり、最近の例(10月142128日)に倣えば母親が「仕事」に出るため、弟が家を出て以後の7時30分台から1階に居座るはずだが、私の7時57分の起床時に母親は1階にいない。その後、トイレに入って少量の下痢を排出したが、このメモの文章をここまで打っている8時20分にも動向を感じない。10時44分に母親が発車した。先月中旬に始まる通勤(?)の動向は水曜日・金曜日とも一貫して発車への時間が遅れており、今回は前の金曜日よりも3・4分遅れた。

11時前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、11時47分に自室へ戻った。左臀部の腫れについては、風呂(シャワシャン)の度に膨張を実感するが、一時的な吸水によるものか。とはいえ10月23日の小さい印象が10月24日の風呂(シャワシャン)によって顕著な膨張と痛みを帯びたので、実質的で主要な原因としても作用している。垢のようなものを断続的に取れた。もろくなっているところを破裂させようとも考えたが、思った以上に手ごたえがあるのでやめた。



2016/11/05

本日は4種アラームの2:10の第一アラームと2:40の第二アラーム(一昨日メモ2:24→3:24のものがそれまでの第二アラーム)には気付いたろうが、その後は感じないまま3時32分に起床した。



2016/11/06

本日は2:40の第二アラーム以降の2時45分に起床した。こういう、3時台に起床を後回しにする気のないほど起床の機運が高い時になぜか弟が1階に居座っている様子なので、数分程度は起床に躊躇していた。前日夕に母親と弟が激しく喧嘩した経緯があり、弟が夕食を自重していた(母親は19時台後半から一人で食事)。そんな経緯があると、わかりやすい話で、やはりこうして夜中に起き続けるのであろう。このような時間帯には、決まって通販番組しか見ることができない彼である。3時57分に私は1階トイレに入っていたが、彼がこの時に2階へ上がる際、1階のリビング・洗面所間のドアやリビング・廊下間のドアを大きな物音で閉じた。そして2階のトイレに入った様子であるが、その際のドアを閉じる音も大きく、深夜にどこまでも自重しない傍若無人ぶりであった。

17時台、母親が夕食準備をしている中で弟と喧嘩を起こしたようである。喧嘩の度に逐一記録を取らない、というよりは寧ろ記録を取るべきでもないと考える昨今だが、少しばかり記録する。彼らの喧嘩の話題はともかく、今回の弟は1階リビングに置いている電気ストーブかファンヒーターを壊したようである。喧嘩の原因というものを問うても不毛のことである。親子喧嘩(親子不二)記事にある通りである。おおよそ、弟が不手際を起こして母親が細かく責めてグチグチ小言を起こしたり、弟が耐えられなくなって脅し・奇声を上げるなどとなれば、母親がこれに反発するわけだから泥沼である。双方の感情が、喧嘩に発展させるほど低レベルの状態で等しいために、毎度、彼らは二の足を踏む(母親は知能がまともで高年齢な分、相対的に感情のレベルが低いと言える)。

それはそうと、母親は決まり文句で「自分が悪いことしたんだからごめんねでしょ・普通の子は」と発する。弟が「そんなこと記憶できねーよ」と言い返すと、「記憶とかじゃなくて"フインキ(雰囲気)"でするもんだ」と反論するが、自分が低レベルの感情の人間であり、親の徳が絶無であるから、そんな理想論しか言えない。普段からまともな教育ができていないから、困ったときにはそのように相手を卑下する。自分がまず「(母親自身の認識上の)普通」でない親だから、教育において悉く「普通」と相違するのだと、自覚する日は来るまい。母親の狭量な価値判断基準と自他・善悪の二分によって他人の苦労や思考への尊重をしないので、特に知的障害の弟とは相性が悪い。尊重精神や協調性が無い人間には知的障害児の教育に困難が生じる。いな、あの母親は健常者との人間関係が長続きしないから、障害者・健常者、また老若男女のいずれにも相性が悪い。俗説にある血液型のAとかBの問題は無い(母はA型)。また、弟の「耳に辛い(からい、慣用句の真似か)」発言の揚げ足取りを行う母親には、こういう己の管見に対する絶対視と他人への尊重を欠いた醜悪さが感じられる。8月19日・業者男性発言の「なべぶた」に対する反論を思い起こす。狭量な認識・管見の自覚が微塵もないとはクソガキババアである。

ほか、前日には、弟の方から喧嘩を売ってくるという主張もあったが、その喧嘩は母親が買ってこそ成立する。因と縁といった条件の満足で喧嘩に至るのであるが、逆に母親も弟の脅しを煽るような「しつけ(ではない愚痴の類)」を行って原因の原因を作る。故に、どっちが原因であるかなど不毛のことであろう。いつもの話だが、仏教では物事の因果が絶対的にあるとしつつも、細かい事実関係は「戯論」である。ただ人間の悪い感情・三毒が因縁となっている自覚によって解脱を目指し、平和が生まれる。

当記事注: 「仏教では物事の因果が絶対的にある」とは、いわゆる「法有」の見(けん"dṛṣṭi")ではない。「物事(法"dharma")が有る」という見地では「絶対的に因果"hetu, phala"が有る」という一応の道理を骨組みだけ説いており、それは通仏教的に肯定できる。問題なのは、「物事が有る」ということを修行者が無反省に肯定し続けることであり、龍樹菩薩は、そういう「物事」と、その見地に想定し得る「絶対的な因果」についての拘泥を中論において否定している。『細かい事実関係は「戯論」である』。また、「仏教では…ただ人間の悪い感情・三毒が因縁となっている自覚によって解脱を目指し、平和が生まれる。」という理想は、私自身の努力のもとに発せられた言葉であるが、残念ながら身近な他人が正反対なので、この道心が折れ欠けている。ネット上の仏教徒も、おそらく私に協力しない。



2016/11/07

前日の就寝時に2:10の第一アラームをOFFにした、本日は2:40が第一アラームとなったが、記憶は薄く、2:50の第二アラーム以降の2時54分に起床した。2:10のアラームをOFFにした理由は、早すぎるタイミングでのアラームは、その後にいくら鳴らしても覚醒意識の蓄積にもならなくて逆効果のままではないかと考え、実際に試そうという意欲が生まれたためである。起床直前から2階で、掃除機のような音を立てる機械の動作音を聴いていた。3時20分前から前日の予定である外出を行った。今回も前の月曜日(10月31日、あれはもう夕方の外出だが)のようにゴミが溜まっていないため、買出し程度である。空は少し雲が見え、星が見えるところにはオリオン座を中心として20個程度の目視ができた。4時台、外出前に淹れた1杯のコーヒーを帰宅後に飲んだ影響による排便をした。

6時40分台に弟が朝食を抜きにして登校を始めたが、母親に「ダイエット」を理由として話していた。7時台前半から母親がこれといった飲食はなく家の外に出て車を1m程度前進してズラし、掃き掃除や雑草刈り(一般に流通する家庭用の柄が長い鍬・クワを使う)を始めていた。8時過ぎまで続いた。西の日が橙色を帯びてきた15時過ぎ、母親がバタバタと2階の上り下りを繰り返しながら独り言を発し続け、15時29分から何度も車の出入りを行ったり、車のエンジンをかけようとすると間抜けな動作音が発されたり、また家の中に戻って2階に上がるなど異常な状態が続いた。15時33分に発車した。

前日に組んだ予定は「買出しの外出(済)」以外にも「主要な食事としてアレ類を食べる(済)・出来れば昼に炊飯(母親が大量に夕食を余すと予想されたためだが今も余したままで炊飯不能)・スウェットの洗濯(今は時間が遅くて不可能)・冷蔵庫の霜取り(母親の外出直前から辛うじて実行を始めた)」がある。これらは母親の行動に楽観的・悲観的予測と期待の両方を鑑みたものである。炊飯・スウェットの洗濯は後日に延期してもよいことを想定していたが、ここまで母親が狂っているとは思わなかった。自分で「弟の休日に家を空けると弟が物を破壊する」という無茶苦茶な発想をしていながら、月曜日のこの時間ではすでに遅く、弟は間もなく帰ってくる。そもそも被害妄想が無茶苦茶であって弟の休日=土日を避ける意味もない。母親と弟が夕・夜に喧嘩をしていた前日・前々日も、日中の5時間以上は弟が外出していていくらでも隙はあったし、母が事前に知っていた様子もある。母親の都合で母親の気休めにすることは勝手だが、その気休めも一貫できない自己矛盾となれば、人間のクズと言うほかはない。

外出の前に母親は、弟との前日・前々日の喧嘩について「ごめんよ」との謝罪の意を表した置手紙をしていた。これについて肯定的・否定的に意見しても邪推の域を出ないが、一つ確証のある見解を書く。先ほどの被害妄想による母親の行動について、一貫性があるものとすれば、この手紙に表れていよう。私が夕の勤行をちょうど終えた17時10分に弟が帰宅したが、事実、弟が家に居ながら母親は家を空けている。前日・前々日の経緯に怯えて自己保身の置手紙をしたという見解が妥当である。6月の如き「小人革面」であろうか否であろうか如何に。それ以外の肯定的・否定的な見解はいずれも邪推・詮索の甚だしいものとなってしまう。良心が強い私は、今までにこういう文章を書いて良心の呵責があるが、仕方がない。事実の記録と思考の記録である。母親の言動に、もっと温かみのある見解をしてもよいが、この場合に対しては邪推・詮索の域を出ない。



2016/11/08

本日は2時54分に起床した。前日の就寝前に飲んだ下剤1錠の効果が4時以降からじわじわと腹痛で苦しめてきたが、7時10分からトイレに入って下痢のようなものを含めた大きめのもの複数個を出した。8時40分からもトイレで軟便を出した。



2016/11/09

本日の起床について書く前に前日中に目覚めた記録を載せる。「23時0分、意識がはっきりするにつれて口の中の酷い渇きに気付いた。口を開けると舌などが傷つきそうであった。梅干をイメージして直ちに唾を生んだ。口の中が渇くことがあっても、ダムの水が完全に干上がったような渇き方は、そうない。この現象の原因というか、普段より悪い条件はある。布団の掛け方である。男性器のあたりを悪く刺激し、胴体の方では左半身に寄っていた。これをもって原因とは断定できないが、普段はない状態なので影響はありそうに思っている。」

本日はまず2:10の第一アラームに目覚めたが、次のはっきりとした記憶が3時17分の時刻確認をした。目覚めである。しかし、この間のいくつかのアラームで、何らかの目覚めと行動の跡が確認できた。2:10の第一アラームを聴いて再度寝るまでに携帯電話は折りたたんで閉じている。しかし、3時17分の時は開いたまま(5分間操作をしないとディスプレイを消灯する設定)であったから、何らかのアラームを聴いた際には折りたたんで閉じなかったようである。それはそうと、3:20設定のアラームを聴いた3分後に起床した。

ところで、一つ、痔のような腫れに関してメモを取るが、寝起きの時は1日で最も症状の悪化を感じる。それまで寝ていたため、寝相の変化によっては患部がを傷めてしまいやすいからである。本日であっても、寝起きの後に服の上から触診すると、痣を圧したような性質の痛みを感じた。症状全体の傾向としては快方に向かいつつある。ほか、前日に脱いで患部の写真を撮ったが、これを前日の就寝時に携帯電話からPCメールアドレス宛に送信する際、このような触覚的特徴の記録を書いた。「表面の外側(左臀部の左や上の外まわり)は、硬化している。触る場所を尻の中心にずらすと、フワフワからブニブニに変わり、膨らみのある窪みに繋がる」

前の水曜日よりも1時間近く遅い10時37分に発車した。やはり水曜日ごとに母親が家を出る時刻の遅滞が見られているが、そんなにもルーズな職場なのであろうか?毎度、疑問に思えてならない。炊飯とスウェット洗濯を開始してから風呂(シャワシャン)準備を始め、11時42分に自室へ帰った。本日は12時台と19時台に塗り薬・軟膏・ボラギノールAを使用した。



2016/11/10

本日は0時40分ころに一度目覚めたが、2階でひどい物音や足音が鳴らされ続けていた。すぐに眠りに戻ってからは2:10の第一アラームに目覚め、2時39分に起床した。



2016/11/11

本日は2:10の第一アラームに目覚めたが、色々と挟んで3時8分起床である。2時台も3時台も雨の音ははっきりと聴こえるように降っていたが、母親が10時39分に発車するまでには快晴となっている。Yahoo!天気所載の当地の天気情報も、3時台が雨→晴れ、5時台が晴れ時々雨、今は曇りのち晴れとなっている。

母親の外出直後から洗濯物を始めた。1度目に黒いシャツ・スキニージーンズ・とある因縁を持つパンツを洗い、2度目に色落ちを懸念するシャツ1点を洗った。13時26分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、14時14分に自室へ帰った。本日は10時台と15時台に塗り薬・軟膏・ボラギノールAを使用した。



2016/11/12

本日も2:10の第一アラームに一度目覚めたが、そこで起床することは無く3時19分である。いつも思うが2:40, 2:50などアラームらはどう作用しているか。あるいは2:10の第一アラームが全然記憶されない・効用が無い時期もあった。それはそうと、この起床直後には3:20設定のアラームが鳴ることとなった。3時27分、便意が悪い形で発現した。クソをチビりかけた。2016年の今、一度として経験したであろうか。しかし、これはセーフラインであった。2016年5月7日のケースと似る。トイレに入ってパンツの被害の無きことを確認しつつ、ブリブリかましておいた。軟便から普通の硬さのものを複数個出してきた。ところで、今月は8・9・10と立て続けにメモ帳ブログの新記事の下書きを起草している。目安では、来年1月までメモ帳ブログの投稿を確保できていることとなる。



2016/11/13

本日は1時57分に起床した。この睡眠において最初の目覚めは別にある。時刻上は前日かもしれなく、1階リビングでニュース番組(土曜日20~24時の間だと番組が特定しやすいか)の音声が聴こえた。それはそうと、この目覚めでは随分、スースーするタイプの鼻づまりがあった。こういう鼻水は「青い」タイプであろう。本日の起床時に至ってはだいぶ和らいでいた。



2016/11/14

本日は2:10の第一アラームに一度目覚めてからしばらく意識が無く、再度目覚めて数分後の2時38分に起床した。5時26分、前日就寝時(21時以降)に飲んだ下剤1錠の効果による便意・腹痛を鑑みてトイレに入り、長めのものなどを排便した。6時40分からも軟らかめのものを多めに出した。

10時43分から母親が発車した。月曜日だと買出しの可能性が高いものの、この時間帯に買出しのみを目的にする発車は考えづらい。金曜日に軽度の買い物を済ませてある点を踏まえてもそう思う。水曜・金曜10時台の「仕事とされる外出」のある日と服装が同じようであったため、「仕事とされる外出」の線が強い。11時前、腫れの患部に軟膏・塗り薬・ボラギノールAを使用した。14時14分からも便意のためにトイレへ行き、長めのものなどを多めに排出した。



2016/11/15

本日は2:10の第一アラームのみならず、2:50の第三アラームや3:20の第四アラームなどもはっきりと聴いて停止しながらに惰眠を貪った。3:59のアレ告知アラームでようやく危機感を強く覚えて即座に起床した。



2016/11/16

本日は2時48分に起床した。4時50分、本日最初のトイレから自室へ帰って薄い灰色スウェットの腰紐を結ぼうとしたとき、元々こすれていた部分が力に耐え切れず、ちぎれた。長い腰紐であるから、また切れた先を整えて着用を継続できるが、こうもモロい性質が悪く発現され続けては失望してしまう(前年10月11日メモに別の部分の裁縫による修繕を記録する)。同じメーカーの濃い灰色スウェットもボロが出始めているとはいえ、差異が顕著である。

10時43分に母親が発車した。11時前から風呂(シャワシャン)を始め、12時過ぎに自室へ帰った。12時10分以降から母親の部屋のバルコニーに洗濯物を干し出す、と同時に塗り薬・軟膏・ボラギノールAを使用した。18時台、なんと風呂(シャワシャン)以来となる小便を行った。13時台にコーヒーを飲み、16時過ぎからラーメンを調理(一日記事2016記述の通り麺は3分の2程度であってスープや具材などは少量残してある)が、ここまで尿意なく過ごすことは驚きである。尿の色はやや濃い程度である。



2016/11/17

本日はまず2:10の第一アラームに目覚め、手で2:40第二・2:50第三アラームを止めていたようである。再度目覚めた3時11分に起床した。なお、前日は母親が21時以降に帰宅したのであろうが、母親のテレビ音によって23時台などに目覚めたこともある。起床後1分以内に部屋を出て何らかの作業を行った帰り道の廊下を見ると、何やら床の上におぞましい形が見えた。もろいスウェットの糸くずだと思いたかったが、十中八九、虫であろう。正体は蛾であった。私は踏みつぶしていない。なぜか床のど真ん中で死んでいる。箒で掃いて片付けることにしたが、一定の重量や翅の硬さがわかる。蛾はもっと軽くて翅がもろい印象であったが。キッチンの収納スペース内にゴミ箱があり、そこにいれようとした際、ゴミ箱でないところに落下した。その際の音もはっきりと聴こえているから、一定の重量と翅の硬度が再確認できる。なお、落下したところは箒で掃けるところではなく厄介である。「母親が非常識な場所にゴミ箱を設置した報いである」として彼女に気付いてもらうきっかけにしようと思うので、蛾も我も使命を相互に果たしたり。

4時30分過ぎから自販機通いの外出を行ったが、自販機が設置されている通りに近づくにつれ、おかしな声が聴こえてきた。通行人の会話かと思ったが、どうも路上に一時停止をしている車が見え、奥にはなんとパトカーがあった。私は危ういと認識された時に、その場へ近寄らないでおこう。一応は間もなく去ってゆくことを期待して様子を窺ったが、2分程度で断念して帰路に就いた。外出直前に淹れて帰宅後に飲み始めたカルピス(2か月前開栓?の原液)混ぜコーヒーのカフェインパワーで催した便意により、6時40分ころからトイレに入った。中・長サイズの糞を複数本出した。16時40分台、母と弟が夕食(寿司?)を食べに発車して出かけた。17時50分過ぎに彼らが帰宅した。



2016/11/18

本日は3時3分に起床した。9時7分から弟が外出を始めた。豊川特別支援学校では「穂の原祭り」という学園祭の一種のイベントが本日・明日に行われるようである。こちらで控えてある予定表では月曜日が振り替え休日のようである。10時42分に弟が帰宅した。外を走ってきたとかどうとか、と母親と話していて母親が「明日は1日休んでいいよ」という意味不明な返答をしていた。いつからそんな約束が有ったろうか。また、金曜日であるが母親は通勤(?)しておらず、1階リビングでテレビを見続ける。そう記すと、母親がにわかにテレビを消して2階に駆け上がってトイレに入り出した。2人の行動は私の理解を超えている。豊川特別支援学校も同罪の悩乱者である。ここまで狂いだすとは・・・。

12時4分から母親が家の外に出たが、発車は遅れて12時9分となった。先に弟へ話した言葉から、帰りが遅くなる可能性を考えるが、通常の通勤(?)どちらにせよ今回の不明な外出となるにせよ、本日は風呂(シャワシャン)を行う予定でいた。しかし、一昨日・水曜日に入ったばかりであったから、本日に行う必要性を感じづらくなったので、明日以降とする。本日に排便が無い場合、明日は下剤1錠を飲むつもりでいるので明後日が妥当である。。13時台、1階トイレで用を足す最中、前日から託された塗り薬・軟膏・ボラギノールAの使用を思い出したので、実行した。15時24分に母親が帰宅した。母親と弟が外出前にしていた会話内容に、昼食は12時30分から作れ、という部分もあった。弟本人は風呂にも入らず食事も作らず、トイレなどの動向もなく、私が塗り薬・軟膏・ボラギノールを使用する際に母親の部屋に居て家電親機が鳴っても微動だにしなかったため、ずっと寝ていた。



2016/11/19

本日は2:10の第一アラームに一度目覚め、2:50の第三アラーム以後の2時58分に起床した。3時10分台に下剤1錠を飲んだが、午後まで断続的に腹痛が発生するのみで、大した便意も腹の張りなどもない。

明日20日の風呂(シャワシャン)予定は、排便の問題を鑑みて21日に延期する。延期の理由はまだある。本日19時40分台、それまで2時間半以上は1階にいた母親が2階に上がったのでキッチンの様子見をすると、おにぎりだとかの作り置きが見えた。これは、何となく明日に弟がイベントに出る前兆かと思われた。昼間に聞こえた母の言葉にも、それを窺えた。明日はどうも「トヨカワシティマラソン」の5キロ部門に弟が出場すると見られる。トヨカワシティマラソンの話自体は1週間ほど前にも聞こえていた。明日の朝に私が動くわけにはいかないため、同じ朝の風呂(シャワシャン)ならば明後日21日が妥当であると考えざるを得ない。明日に母・弟が家を空ける場合、適当な時間を確保して風呂(シャワシャン)を行う。明日はまた腸の調子に付き合おうと思う。例えば、本日飲んでいないコーヒーを飲もうか。

当記事注: 2017年11月19日、2017年度のトヨカワシティマラソンがあったので、ついでに後のメモと併せて再確認した。リンク切れを起こしているページを入れ替えた。当該ページに「豊川市ホームページは、2013年1月4日に全面的にリニューアルし」云々と無秩序的なメッセージが表示されている。ページ管理が不届きで無関係な・見当違いのメッセージを表示することはよくある。行政の人は無理なページアドレス変更をしまくらないでほしい。無理なページアドレス(ディレクトリ名・ファイル名)変更を行う意図が不明である。したければリダイレクトのようなものを設けるべきである。



2016/11/20

本日は2時48分に起床した。7時前後に弟がトヨカワシティマラソンに向かい、13時40分ころに帰宅した。13時58分から母と弟がどこかへ発車したが、これは元々の予定であろうか、直前に弟が「もらったタオルを会場に置き去りにした」という旨の発言をしたことに因る行動かは不明である。なお、トヨカワシティマラソン完走の認定証が弟の部屋にあり、5km走の記録が32分?であった。

本日は濃さやムーミンカップ中の量に差があるコーヒー3杯、10時ころに効果を薄めて下剤1錠を飲んだ効果として、腹痛なども今までに発生したが、14時40分台からはトイレに入った。50分以上はトイレにいて苦しんできたが、チョビ糞2つで精一杯であった。その間の15時20分ころには2人が帰宅した。16時40分ころからトイレに入り、長めの一本糞を始めとして多めに排便した。これで明日以降は風呂(シャワシャン)なり節食の試行なりが行えよう。コーヒーの麻薬効果(カフェインパワー)は、そろそろ御免に思う。あの分量の約3杯でも、吐き気が発生するし、カフェインの覚醒作用がかえって疲労・眠気を発生する。元はと言えば大量下血を恐れて半年以上飲まない時期もあったろうに。コーヒーの嗜好飲料としての価値まで否定したくはない。一切の事物を尊重する仏教徒(在家信者)の立場において。コーヒーの飲用は週1~月2程度でよいようになりたい。

当記事注: 2017年11月19日、2017年度のトヨカワシティマラソンがあったので、ついでに先のメモと併せて再確認した。リンク切れを起こしているページを入れ替えた。当該ページに「豊川市ホームページは、2013年1月4日に全面的にリニューアルし」云々と無秩序的なメッセージが表示されている。ページ管理が不届きで無関係な・見当違いのメッセージを表示することはよくある。行政の人は無理なページアドレス変更をしまくらないでほしい。無理なページアドレス(ディレクトリ名・ファイル名)変更を行う意図が不明である。したければリダイレクトのようなものを設けるべきである。



2016/11/21

本日は3:20の第四アラーム直後に起床した。それ以前にも目覚めていたのであろうが、記憶が薄い。前日の下剤の効果はまだ残っていて腹痛や便意があり、3時36分からトイレに入り、中サイズの複数本を排出した。4時40分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時16分に自室へ帰った。5時26分からもトイレに10分いて下痢を排出した。10時20分台に母親が発車して通勤(?)に出た。



2016/11/22

本日は1時20分の時刻確認の数分以内に起床した。前日の母親の外出は帰りに買い物を兼ねていたようであるから、品物の受け取りを行った。なお、その間、母親は風呂に入っていた。ところで、前日の夕は、使用中のポリウレタン製の耳1組がもろく汚くなっていることで捨てると同時に、まだ5組余している耳栓を使わないで寝る考えを決めた。去年8月までの昼夜・夜昼逆転が自由なころは耳栓を使わずとも入眠しやすく安眠妨害されない時間に眠ることが出来たが、以来今日まではそういうわけにもいかない。なかなか厳しい先行きを予想するが、色々な処置を自ら期待する。



2016/11/23

本日は2:10の第一アラームに目覚めたが、すぐに意識を落とした(?)。2時26分に2階で誰かがトイレを利用したり大きな足音やら何か色々な音が聴こえてきた。3時34分に起床した。本日は祝日につき、母・弟は仕事や学校が無いが、弟は9時ころから外出(母に"ちゅーおーとしょかん・こーえん"と話す)して15時40分ころに帰宅した。<



2016/11/24

本日は2:10, 2:40の第一、第二アラームなどを聴いて2時41分に起床した。夢について起床後の私が薄らとした記憶を振り返って顧みると、私の潜在的な怒りと恨みの感情が発露されたようであった。なかなかに改善できない「本悪・性悪」の部分であろうと思う。有情の衆生は、これを内蔵萌心のような本善・性善と兼備している。4時54分から弟が1階に降りて1時間程度リビングを占拠して2階に戻り、6時10分台には母親の部屋をノックして(登校する際の決まりごと)学校に早く登校したい理由を「電車で座席の確保をしたい」と話していた。

本日は前日からの見込み通り、ここ2週間ほどの温かさと異にする寒さであり、東京都心では予報通り、6時以降に雪が降り始めた様子である(NHKのニュースサイトで中継LIVE映像が災害や出来事に応じて度々特別に配信されておりそこで確認した)。都心の雪は15時現在も続いているくらいである。無論、当地では雪が降らない。深夜から雨が降って12時ころには止み、その時はカラスや小鳥の鳴き声があたりに聴こえていたが、これまた天気予報の通り、15時までに晴れ上がっている。



2016/11/25

本日はまず0時10分に目覚めた。原因は、1階リビングから聴こえるテレビの音以外に、家の外から聴こえる異様な音がある。私が臥せる押入れ空間を震えさせて響かせる、詰まった低音で、重機が発するようであったが、音に気付いて3分ほどして音が離れた。バイクの改造マフラーであったか。私は一旦、起き上がって下剤1錠を飲んだ。0時20分台にも夜中とは思えない、ピーピー・グニョグニョとトラックが立てるような音が遠くから1分ほど聴こえた。その数分以内に1階リビングでテレビを付けて居座っていた人物=母が2階へ上がった。

10時42分から母親が発車した。10時50分から風呂(シャワシャン)の準備と着ていた衣類の洗濯を始め、11時47分に部屋へ戻った。先の洗濯物を2階バルコニーに干し出し、1階で髪を乾かしてからタオル2点の洗濯を始めた。もちろん、この文章通りに余事なくそれらの作業のみを進めているわけはない。また、書く必要は無い話だが、洗濯する=洗濯機を作動して洗濯する、ということであり、過去にはこのように厳密な表現を用いた場合が多い。今時は、それを再現する必要が無いと思いつつ、まさに今この時はわざわざ注記したいと思ったので注記した。



2016/11/26

特別支援学校 連絡帳
11月26日5時52分に撮影した、弟の特別支援学校連絡帳の記述内容「××グリ」

本日は2:40の第二アラーム直後の2時41分に起床した。なお、前日は睡眠中である22時8分に母親の帰宅を確認した。母の車が家に着いた時刻は知らないが、母が家の中に入った時刻は22時8分と推定している。

起床直後に飲んだ下剤1錠は数時間以上が経って徐々に発現し、8時20分前からはトイレに入って鈍い痛みに苦しみながら小さめの中サイズの複数本を排便した。痛みは残っているが一頻り出したろう。9時40分にクソケ交じりの水をチビった(今までの類例よりクソ成分が希薄)のでトイレに入り、軟らかめの固形物を多めに出した。前日分と本日分の下剤効果が、通常の排便能力を超過させていて大腸が破裂しそうである。最後の排便から5日も経っているためか、拭った紙に付着したモノの色が悪い。久々に見る。過去における下剤効果の強さが原因であるという見解と衝突する。気付いて便器を見れば、多く出された糞の色も、はっきりと、よからぬ状態で溜まっていた。11時58分からも強い便意のためにトイレに入り、ある程度のモノを排出してきた。



2016/11/27

本日はいくつかのアラームで目覚めたであろうが、3:20の第四アラームの1分後に起床した。10時0分、ヤマト配達員(男性だがSかNか不明)が来て弟が受け取った。いつも通り、配達員が去ってから母親が1階に降りてきて段ボール箱の開封をするなか、母親と弟の口論が起き、弟が時々物音を大きく立てた。11時59分、先ほどの両者の会話の中に聞かれた別の配達を確認した。母親が弟に呼び掛けつつ先に1階へ降り、弟に受け取らせている。



2016/11/28

本日は2:40の第二アラームで目覚め、2:50の第三アラームで起床した。13時21分、唐突に電話がかかったが、当然、今、1階リビングにいる母親(本日出勤せず?今月は月曜日の出勤らしい動向も見られたし先週水曜日が祝日であったこととは違うにもかかわらず本日は出勤せず?)ではない。けだし保健士Sであろうし実際にそうである。電話ではリビングの母親を気にしたために、ただ小声でハイ、ハイと続けて「11月31日・水曜日・1時半か2時ころ」というはっきりとしない予定が決まった。11月31日・・・そんな日は無い。仮に有っても水曜日にはならない。通話中、わずかに違和感を覚えていたが、ハイ、ハイくらいしか声に出そうとしなかった。ボケ極まりつつある過失が多い。「11月31日」が私の聞き間違えでも、ボケであり、死にたくなる。絶望的である。先の記事で、後悔を恐れない姿勢を綴ってある通り、掛け直すという行為もたまにはすべきであろう。

13時43分、せっかくの機会で決心がついているので掛け直しを行った。Sとは別人のSである同課サイトウさんが応じたが、やはり、不在のようである。私の「やはり」とは、Sが私に電話した経緯は、保健所のオフィスを離れる手前の空き時間であったと推測していたためである。いつごろお戻りになるか、と尋ねれば、夕方ごろという。明日に掛け直す旨を伝えたが、やはり向こうからも私の名を問われて電話の件をS本人に伝えるということであった。私のしゃべり方については、やはりぎこちないながらに悪い勢いも出るようで、上手くいってはいない。

14時30分過ぎ、母親が徒歩で外出したが、直前に1階リビング窓を開錠していた。散歩に出て家の前に着いてから車に乗って買出し、という流れが最近(10月24日メモ)一度あったため、今回も同様かと考えられなくはない。14時50分に帰ってきてリビング窓を開けた。その窓の前と車を何度か移動してようやく謎の衣類が置かれた。目的不明である。



2016/11/29

本日は1時台に目覚めて時刻確認をした記憶があるがやはり去年にあったような記録精神と比べて薄い現状、携帯電話に時刻のメモを取っていない。以後の睡眠でも、4種アラームは3つほど気付かなかったか?3:20の第四アラームははっきりと気づいて3時22分に起床した。起床直前まで、1階に誰かがいてテレビを消して2階に上がった様子であった。

4時2分、本日起床以後に唐突に決断した自販機通い予定を実行した。「11月29日に実行する自販機通い予定」は本日構想して決断されたが、自販機通いを行う意思は数日来であった。雨が降る日、風の強い日などが続いていたが、本日は極度に冷えず、雨風は問題なく、路面も濡れていないため、都合が良かった。条件が合うならば即日決断して実行もできる私である(浅慮なだけか?)。400円分を購入したが、目的地手前で唐突に新聞配達の原付バイクのエンジン音が鳴り始め、帰路はトボトボバイクと道のりが100m程度重なった。集スト風味である。なお、空は南東に金星のような星が見え、南西にオリオン座が見えるなどとなり、雲は見えなかった。行きも帰りも小走りや大股のような移動をしていた。外出の際の服装は前日投稿動画の際に着ていたような薄手の上下服ではなく、例の濃い灰色のスウェットに着替えて髪隠しニット帽や手袋を着けてもいたが、マスクの発想は無いなかでそのように移動したため、涙が出そうになった。例年の冬よりも体が弱っている状態ではウイルス感染・筋肉痛などに不安が残る。

4時40分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時23分に自室へ戻った。9時40分、母親がどこかへ発車した。洗濯の準備としてバルコニーや洗濯道具の様子見で2階に上がって2分以内に母親が帰ってきたため、空き部屋に潜り込んだ。2階に上がってきた母親が母親の部屋で独り言を言いながら何かを漁っている1階に降りた母親が私を呼ぶが、まだ2階にいるので手を鳴らして応え、事情を話した。その後、私に掃除の指示を出した母親は再度家の外に出てから9時51分に発車した。

本日は8時以降、前日の電話かけ直し予定について考えることもあったが、10時前から決心し、少し案をまとめてイメージトレーニング(リハーサルのようなもの)を行った。前日斎藤さんと通話した後はSさんが電話を掛けた13時ちょうどが望ましいと考えもしたが、就寝前には11時を定めたが、結局、間もなく実行を行う。10時12分から電話を掛けた。まず、同課を名乗る男性が出た。一応、私は苗字「○野」を名乗った(前回の反省)。それからSさんの存在を尋ねたので、男性がSさんを呼び出す保留状態にした。Sさんが出て前日の斎藤さんに関する確認と、その後、要件(11月31日説の実否)を確認した。11月30日・水曜日を改めて聞き出した。通話時間は保留を含めて1分57秒らしい。これにて私の「訓練」は成功裏に終わった。

「訓練」とは何か?大概の人や、私の中の合理主義は「Sさんは水曜日を本意としていたろうし、何月何日でも関係ないからわざわざ再び電話を掛け直す必要は無い」と価値判断をしてしまうであろう。しかし、その他人を犠牲にするという価値判断を前提とすれば、私は極悪人であり、一般人もみな罪人となる。ここで、何らかの犠牲を厭うべきでない。相互依存・苦楽の煩わしい世・娑婆は一定(いちじょう)である。特に私は自己本位の修行・訓練を自覚する。電話を掛ける・・・社会科か?職業訓練か?何でもよいが、私が必要性を自覚するならば意思のままに行えばよい。その言動が否定されるべきではない。その言動のうちに他人を尊重する心があるならば、何をしても大体、問題にならないので、可能な限り「自分磨き」をすべきである。件の記事においても、積極性を重視する考えが綴られる。後悔や反省も大事だが、「行わないことによる後悔」よりも「行ったことですべき後悔・反省」が良い。したことで様々に反省すべき点が増えてくる。今回の場合は大いに行動しておく必要を考えた。ただし、成功した行動であるから、その中に反省のポイントは少ないほどのみある。

17時27分、母親が車で帰ってきたが、停車場所が珍しく所定の場所でなく(9時台に一度帰宅した時もそうだったが)、降りた母親は私の部屋の側に移動して雨戸を少し引き上げ、網戸が張っていない方の窓ガラスをノックした。その時に玄関側から弟が家に入ってきたようだが、母は弟とどこかに出ていたのであろうか。網戸が張っている方の窓を開けてやり、網戸も開けるように指示されたのでさらに開けると袋が置かれた。マクドナルドで購入した食品のようである。いつものような普通のハンバーガー・チーズバーガーではなく、"KALBI MAC"と箱に書いてあるハンバーガーであった。コーラがある。また、2年ぶりか、ポテトも入っていた(MかLサイズのようである)。これは明日に食べる。部屋の冷蔵庫に納めるにあたって難儀した。

19時16分、母から電話がかかり、既に明日30日の保健士訪問予定を承知していて明日も10時ころには外出する話をされた。本日の外出でSさんに会って話をしたという。他に母から、「明日Sさんに『ありがとうございましたご迷惑をおかけしました、弟の受診先(心療内科?)見つかりました、お医者さん見つかりました』と伝えてほしい」と指示された(実際の母の切り出し方が唐突で曖昧であったから少し具体的に話してもらうように誘導した)。言葉にする機会の有無次第だが、そういうスタンスで非を言わずに了承した。この通話の時間も1分57秒であった。



2016/11/30

本日は1時台や2時台などに2度ほど目覚めつつ、3:20のアラームまで待ってから起床した。前日は20時10分以降にPCをシャットダウンして4種アラームのうち2:10, 2:40, 2:50の設定をOFFにした経緯がある。少しでも多めに睡眠時間を確保したかったわけだが、実際は就寝以後もしゃべる時間が長かったり、21時20分ころには絵のイメージが鮮烈となってついつい起き上がってメモ絵2点を5~10分ほど描いたりもしていた。前日は色々な行動があったわけだが、この就寝時は蓄膿症のような膿の感覚(左鼻腔からアレを口内に吸い出すこともできた)があり、今の起床時にはおさまったようだが、前日懸念した筋肉痛については下肢ではなく腹筋の方に現れた。

9時35分に母親が発車した。13時21分、Sさんから電話が入り、どうも今から保健所を出て我が家に赴くそうである。よって14時(午後2時)ころに到着するという。28日の電話で「(午後)1時半か2時ころ」と曖昧に話していた理由は、大体決まっていた予定だが当日の詳しい動向が不明であるためであろうか。29日には「1時半」と話していたが、結果は今の電話の通りである。

13時35分にSさんが来た。Uさんがおらず、どうも事情は、UさんかUさんの子供が風邪だとかとSは話していた。今回は1階リビングに予定通り案内した。主導すればあっという間である。座っての話は20分ほどで終わったが、立ち上がって以後も写真立てがいっぱい並んでいるラックを見て反応したSさん(9月26日訪問時もSやUが反応しており当時は彼女らの調子に合わせた)に、弟がしばしば写真立てを破壊する話をした。この10月か11月にも、一度、金色塗装で大きいオブジェ付の重い鉄製の額縁のもの(浦和区常盤在住時からある)を破壊していた事実を話した。弟と母親の精神的な問題について、家での内実(破壊行為など種々の不和)や外での事象(周囲との不調和)を話し、母と弟の両者に争いが起こる原理を簡単に話した。14時2分にSさんは我が家を後にした。

本日は10時ころか、一度コーヒーを飲み、少量残した状態で少量のココアパウダーを溶かした液体が保健士Sさんを帰して以後もある。前日の予定で保健士との対談が終わって以後に下剤1錠を飲む、というふざけたものがあり、これに随い、14時24分に下剤1錠を飲む形で実行した。

話の内容を少し顧みると、Sさんは自ら「忘れっぽい」と語ることも多く、それは本人が自覚する範囲のものはそうとして、私が気になった点はどうであろうか。私が気になった点とは、以前された質問の繰り返しという点である。毎度、「食事や睡眠は取れているか・体の調子はどうか」と聞かれることに関して聞かれて当然であるとは思うが、「どう料理しているか」という質問については、以前と同じように答えて以前と同じように反応する。ただ気になるのみであり、私は何か鬱陶しいとは思わない。質問は基本的に質問通りに答える精神であるから、回答は怠くないし、吝かでない。人に話す必要があって彼女らを受け入れている、と常に綴る通りである。彼女らも人権擁護の行政の立場で私を訪問する必要があると自身で認識している。



2016年11月21日月曜日

2016年8月5日以後の訪問者ら(保健士2名)との対話


http://www.youtube.com/watch?v=vuoh_7FKh3Q

2016年8月5日の対話を発端とした保健士2名の訪問について、「類聚(とくに外伝)」記事の形式でまとめようと発案したが、普通に文章をまとめる記事としての位置づけに変更した。
この保健士2名はいずれも女性であり、名はS(画像奥の左)とU(画像奥の右)である。
Sは最初の訪問で私の話番号のメモを取って私にオフィスの電話番号を告げてきた人物であり、実際にSから掛かる電話の電話番号は異なる。
Uは最初の訪問で私に多く質問してきた人物である(以後2度の訪問はいずれもUが多く質問してきたと言い切れない程度になっている)。



まず、当記事の起草に際して記した11月9日の文章を載せる。
こちらは当日の日記メモに掲載していない。
11月11日反映(起草は10月1日)の記事と思想が共通する(意義の補完がされている)。


保健士が家に来ることを拒まない理由は10月31日メモ(後掲)の記述の通りだが、来てもらいたい理由もある。漠然と来てもらえば「良いことがある」とは思わず、来てもらうことで何らかの手引きをしてもらおうと願いもしない。 寧ろ、他人に手を引いてもらおうなどと思ってはならない。社会復帰云々なども願わない。ただ彼らとの交流によって普段の日常生活・研鑽・修行の日々とは異なる視座より、己の発想・判断・言動を顧みる機会とする。私は今、こうして思い巡らしている通りに、分析して反省して決意に繋げる。

彼らの訪問について、次からは率先してゆくべきである。判断と言動を明瞭にし、積極的に振る舞うべきである。例えば、彼らを家に上げる際、立ち話を長引かせたり終始立ち話となる経過に良心の呵責を覚えるならば、彼らを率先してリビングの席に案内すべきである。相手から奇怪に思われそうであっても、逡巡するくらいであれば、思った通りに、自分の意思に随った行動を自由に行えると良い。その行動によって顧みるべき過失が起きても、行動をしなかったこと自体の後悔があるよりは清々しい。顧みるべき過失が起きたならば、これも改心の種となろう。善良な意思に随った行動が自由にできる徳が無い私ではあるが、こうして反省できるならば、すでに彼らを家に呼ぶ利益を上げられたこととなる。今後、実際の行動に反映することで盤石となろう。であるから、私を成長させる因とは、積極的に求めこそしないが、有るならば拒まずに活用すべきである。無いならばそれまでのことであり、日頃の生活での中で微々たる成長を願うのみである。





以下から日記メモにおける関連する文章を載せてゆくが、記事投稿日以後に情報が増え次第、末尾(クリックでジャンプ)に追加してゆく。



10月31日の日記メモより引用
保健士訪問に関する思考のメモ「もし話が毎度に渡って同様であり、議論が平行線のままならば、訪問を断ってもよい。まず相手に、私の話を聞く必要があると仮定した上で、私から話す必要も生じているが、私から話す必要性が減るならば相手も聞く必要性を失ってゆく。彼らも人間であって感情を持つため、そういう時には受け入れる可能性はある。また、彼らは業務・公務として私などを対象とした無料の家宅訪問を行っているが、あくまでも業務・公務であるならば彼らの意思に適わない。人権を鑑みるべき行政であるから、人権尊重の一環で私などを対象とした訪問を行う。私としても最近の痔など不意に発生する問題、有事の際、誰かに話ができると良い一面はあろう。しかし、基本的に報酬を得ない慈善団体やボランティアの活動とは異なるので、生業として行う彼らの事情に符合しなかろう。こういった観点で、今回ないし数回以内には彼らの訪問を断る可能性もある。」



10月31日
14時の直前に保健士2名が訪問した。痔(のような何か=腫れ)の話をする経緯もあったので、見せることとなった。2012年7月の火傷・病院の時と同様に見せる必要に応じて拒まずに見せるし、勃起もしない。Sさんが患部を触ったり圧したりした。訪問は全体40分程度で終わり、2名が帰った。



10月19日
14時47分、保健所・○○××課のS(いつもの女性)から電話が入り、10月31日14時に例の通りSとUの2名が訪問する予定を聞いた。簡潔に終了する通話であった。



9月26日 関連動画 - http://www.youtube.com/watch?v=xIicDXdGoDc
13時29分に豊橋市保健所の前回と同じ女性2名が訪問した。話を行う場所は自室のつもりでいたが、自室に案内できる雰囲気でもないし、部屋を見る目的は無い確認を取ったため、1階リビングになった。立ち話を5分以上続けていくうちにSがしゃがんでノートにメモを取り、数分後にはUもしゃがんでノートを覗き込み、私も立って見下すわけにはいかないからしゃがんだ。結局、正座するようにもなった。話としては、彼らが知らず、母親にとって知ってもらいたくない昔話が長引いた。今の生活のおさらいもさせられた。最後に次回訪問の都合に関して意見交換を行った。この時間は、45分続いた。細かい内容に関して一つ記すべきことは、彼女らの「お母さんの考え・○○くんの考え」という表現である。要は、両者の考えを尊重すべきであると思っている反面、私の考えに同意するつもりが無いという心境であろう。彼女らは、私が拒否しないか事態が進展しない限りは同じように訪問し、毎度同じような結果に陥ると考えてよい。



9月25日
その前日の就寝時には母親にメールを送信していた(19時47分)。先の9月21日の保健所からの電話に関して疑問を書いてある。本題は「保健所の人が9月26日に私を訪ねる話は聞いたか?」であり、続いてついでに書いた「どうにもあなたは何度も電話を掛けられて一度も出ていないと聞かされた・別の業者(後述のフレッツ光・コミュファ光)からもあなたは電話に出ていないということで確認の書類が送られたようにあなたはどういう状態のために電話を出ないか?」という些末な説明的質問にのみ答えたようで22時33分と22時34分の2度にわたって返信された。1度目に、電話が出られないことについて「電話の調子が悪い・(着信音が)出ていれば出る」というどうでもいい話、2度目に「コミュファ光です。」とのみ私が「フレッツ光」と書き間違えた部分の正誤を示してきた。このような揚げ足取りしかできず、文章をその時その時の取り方(前半部分を無視している)でしか読めない人間には、いつも長文のメールを書く気にならないが、やはり今回もそのようである。これでは、保健所の件を承知したか確認が取れない。一応、肯定的に見るならば、私を訪ねる話は知っても知らなくても気にならないということであろう。全てにおいて信頼もできず、尊敬などできない母親には失意落胆・絶望しか残らない。

: 母親と保健士の電話でのやり取りの状況は、その後の確認がある。10月1日のメモにおいては「17時0分ころ、母親から月頭の小遣いを渡されるにあたって保健所職員の来訪について相談された。色々と母親の理解不足を感じたが、それはよいとして、ここに記録すべきことは、母親が今も保健所職員と連絡しあっていないことである。あの9月26日の来訪以降も母親は通話などしていないのであろう。家の電話と携帯電話と、どちらに着信があるのか不明だが、母親から電話を返すこともなかろうか。ほか、次の来訪までに母親が手紙か何かを書いて私から手渡しをする必要がある考えを話された。」と記録している。その後はというと、10月30日のメモの中で「14時41分には、明日10月31日14時の保健士2名の私への訪問に関して当事者から改めて電話を『この前(1週間以内のことらしい)』受けたという。そこで改めて私に明日の買出しで母が家を抜けるという話をされた。」と記録している。



9月21日
16時37分、俄かに電話の着信があった。外出中の母親かと思いきや、0532の市外局番であった。その番号を見て警戒はしたが、数秒ほどで8月5日の訪問者に記憶が繋がった。名刺を取って番号を照らし合わせると、電話番号の下2桁のみが異なっていた。しかし、無視するわけにもいかず、一か八か、その訪問者である推測に掛けて通話を始めた。結果は、あの訪問者の1人であるSさんである。要約する。次の月曜日(9月26日)の午後1時半に来訪するつもりである。私の母親へ今までに何度か電話を掛けたが出てこない(8月5日以降のどの時期なのか本日より近い内なのか不明、私にはこの電話が初めての着信)。私からは、前回訪問時8月5日の10日以内とは母親の生活状況が異なるため、前回訪問時の理解で来ると問題があるかもしれない懸念を伝えた上で、彼女らの予定を受け入れておいた。ほか、Sさんは「プライバシー」を理由に動画撮影の拒否を願い出ていたが、法的根拠を問わずにこれも快諾した。私が記録をしたければ録音でも構わない。インターネットには「公務員に肖像権はない」云々といって相手の願い出を拒絶する動画撮影者も多く、彼らの反権力姿勢のために必要な革命的行為であろうが、およそ民主主義シャカイの常識人の振る舞いには見えない。



8月5日 (日記メモ引用のもの)
15時40分ころ、客の訪問があった。2階にいる母親はだらだらと応答していた。どうも、相手が家に来るという予定のある訪問らしいが、前日の家庭教師とやらとは別人である。玄関前で母と訪問者2名(?)の話が始まった。まず十数分は母親から相手の対応・今までの電話ややり取りに関して細かく詰問していた。何の話が本題か、全く見えないように自分の不満を話したがる人間である。その中から、かすかに私と関連がある線を感じ取った。母親の詰問が終わってから、ようやく本題が見えてきた。2015年12月22日の出来事に関して警察に通報したとか、その警察が保健所に相談したとかと聞かれる(この件も警察の対応を母親の対応として誤解されたという詰問をして母親の不満が滲み出ていたが)。12月22日の出来事に関しては、私が錯乱してすぐには通報できなかったという母親らしい誤認識が発されていた(途中の場面では黙って母親の愚痴を耐え忍んで聞き続けたほどであるのに)。

今までも2013年12月・翌1月の蒲郡支援者2016年5月11日の山本さんだとか、母親の人格が狂っていて私や弟らが生まれてより何ら母親のエゴに沿わせることもできない教育の無力・無資格の者が、そんな相談をいくら続けたところで母親のエゴイズムの実現など有り得る道理などない。いくら失敗を重ねても学ばないという救いがたい人間である。相手の女性いわく「引きこもりのお子さんについて早急な解決はむずかしい」と、母親は急進主義で愚昧な者だからいつまでも理解できなかろう。母親は認識能力も自覚も全て下劣であるから、いくら自分の肝胆を砕いたところでエゴイズムの満足に達しない。母親の利己的結果に誘導すべく、実子たる私について「病院に行かせようとすると暴れる」といった讒言を重ねて印象操作をするが、相手の女性はずっと穏便で慎重な言い方を続けていた(当たり障りのないような表現や「確かに病院に連れていかれて暴れる方もいらっしゃいますから、もちろんお子さんのことを言っているのではありませんよ」など)。


16時37分、今までの相談相手の人間と異なり、私と実際に話したいとのことであった(2013年ころは一例のみ扉越しの話はあったが)。私としてはまたとない説法の機会となるため、彼らに母親の本性を示すこと、また利益の深い仏法の妙音を、僅か僅かにでも聞かせ入れたく、心で快諾し、口には丁重に迎え入れた。彼らが部屋に上がって最初の5秒ほどは対面しなかったが、それはいけないためしっかりと向き合った。女性2名であるので、以下から彼女らと呼ぶ。彼女らは豊橋市保健所(通称: ほいっぷ)の人間(保健師)であるが、私はその場所の周辺へ2014年10月19日に散歩した経験がある。礼を失するが、話の途中からWebカメラを回して映像記録を取り始めた。ある程度、忌憚なくとは言えないが、伝えたいことを矢継ぎ早に告げた。扉やふすまを隔てた向こうをさまよう母に聞かれ、彼女らが去ってから、雨が降ろうと槍が降ろうと何ら怖じずに話を続けた。この対話は17時2分に終わった。撮った映像の21分15秒や22分39秒など、彼女らが去る様子を見せた時に私は合掌した。母親はこの後「一応はなしができるようにも見えましたが」といったややへそ曲がりな評価をしていた。私は今や、話を聞こうとする相手にはできるだけ話してよい立場であるのに、人々が最初から聞こうとしないだけである。話の最後の方でも「相手から私に聞きたいならば誰でも聞く」という旨を訴えた。今の私は「来る者を拒まず、去る者を追わず」という気質である。彼女らは17時7分に家を去った。



8月5日 (動画説明文のもの)
2016年8月5日15時40分、家に女性2名の訪問があり、16時36分から私への挨拶として訪問客の入室を許して16時39分から記録の動画を撮り始めた。
当日の詳細な経緯は、心ある視聴者の日記メモ閲覧に任す(後日投稿記事に載る→http://masashi.doorblog.jp/archives/48177612.html)。
※当動画の音声はエンコードで音質が劣化した

カメラに背いていたとはいえ、私の声は相手の女性よりも小さく聴こえる場合が多い。
どんな原因であれ、常に自分の声量や滑舌などを意識すべきであろう(無論、大きくしすぎてもいけない)。
話した内容に関しては、あまり難しい方向に引き入れないように配慮しつつ、必要を感じるごとにある程度は伝えるというバランスを重視した。
時折、「難しい」と感じられそうな言葉も引き合いに出す必要がある(言葉の権威に頼るようであるがそうせねばならない時もある)。
そういった考え方がある分野を、ぎこちないながらにも伝えてゆく使命がある。
本当にぎこちなくなっている部分は反省し、今後、誰かと話す機会があろうとなかろうと改善に努めたい。

話の随所で、私の知識であるとか私の生活であるとかは、他人の恩恵であり、感謝しているという旨を伝えている(7:30, 10:50, 18:48)。
1年以上前の自分では、恥ずかしいどころか、その考え方そのものが苦手で到底発言しなかったろう。
そして、そういった智慧や今の道は、愚昧な両親や悪辣な同級生などの存在なくして、得られはしなかったので、そういった憎むべき人々の存在も大いに感謝し得るものと重ねて告げている。
相互依存・共依存とは、「空」である一切の事物に例外なく適用され、私などは「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ」という大聖人のお言葉に見るよう、悪親・誹謗者などさえも師匠であり、また一切の事物ですら師匠のように思えてならない。
無論、中道・平等の見地(真諦)からそう思うのであって、真に師匠や善知識とすべきは日蓮大聖人や釈尊などに限る。
11:50以降に「酷い父親・母親もいましたが」という表現に関して父親からもいじめられたか、と質問された。
動画内では否定しつつ、母親の暴力性に関しての話で終わっているから、改めて過去記事より詳細を示す。
母の非→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju2.html
父の非→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju3.html
母親の偏狭な価値判断と画一性→http://masashi.doorblog.jp/archives/35270784.html

今は「来る者拒まず、去る者追わず」という精神を保つが、むしろ話を聞きたい心のある人は歓迎する私である。
物事の平和的解決を願うならば、邪推を交えない対話あるのみではないか。
母親と言えば、認識能力に重大な欠陥があり、改善も見られない。
母親のように、いくら話したところで微塵の理解も譲歩も無い人間に対しては「三度諫むるに用いずば山林に交われ」となり、一方でそれ以外の人にはまだ話すことは重要である(日蓮大聖人の身延入山以前の折伏と入山以後の摂受という変化に見るが弟子には折伏を訴えていた)。
母親は時折、私に関して電話相談をしたり、相談員を招いては誇張や脚色で私の印象を根も葉もない凶悪なものとしており、人々が母の主張を判断基準とすれば、直ちに私と話せば拒絶されて行き詰るものと思い込む。
幸いにも彼女らは、先にした会話の中で、母親のヒステリー具合(揚げ足取りが多いなど)を感じ取り、その本性を薄々と察していたようで、母親の誇張じみた私の印象を鵜呑みにせず、常に慎重な言葉遣いを続けていた。

母が話す私の印象に「病院に連れて行こうとする(話だけ)と暴れる」とか、「何か話すとすごい錯乱して手が付けられない」といった被害妄想か、入院させる願望を正当化するための卑劣な魂胆か、過度な誇張が多々発露されていた。
2014年10月12日の出来事の場合、私は紙製の棒で小突こうとして逃げられたり、2015年12月22日の出来事の場合、私は母を目覚めさせるべく一発の拳を腕に浴びせただけであるのに、それらは悉く裏目に出て、母こそが怒り狂って物を手に取ったり部屋に押し入ってきたりと、物凄い剣幕で気勢を上げての過剰防衛を行ってきたくらいであり、母の怒りが収まるまで止めようもなかった。
私がやり返せば泥沼となるだけであると認識しているが、そうであれば、やはり私も最初から手を出そうとしてはならない。
だから、当時は大いに己の怒りを戒める決意をした。

しかし、私が自覚したところで、母の慢性的な妄想傾向や誤認識・攻撃的認識などは直されるはずもない。
争いの解決は、相互の自覚と反省に依る努力あるのみと、再三インターネットで訴える。
母親は生来、無慚無愧にして善悪を分断する蒙昧の輩である。
対峙する片方のみが絶対悪であるという善悪二分法・善悪二元論の思考では、解決も平和も有り得ない。
彼女らにも、こういった対立や平和の性質に関して説示しておいた。
一般人には世界悉檀である。
母・弟の喧嘩に触れて詳述した記事→http://masashi.doorblog.jp/archives/47723867.html

電話番号を伝えるくだりについては、少し回りくどかったようだが、一応相手も連絡先を取るという社交辞令のような立場もあるから、こちらも受け答える必要があろうため、私もその立場として電話番号を伝えた。
よく喋ってくる方の女性の名刺は与えられなかった。
その女性は常にハンドタオルを右手に持ち、度々顔に当てていた。
先に母親の相談を受ける折にも鼻をすする音が幾度と聞かれたが、この女性が発した音であろう。
世の中には、一見泣かないようで、実はとても心に思いやりと悲しみを抱えた、人情深いとされる人もいる。
「日蓮は泣かねども涙ひまなし」、私もただ仏法の流布を願って常に歓喜や憂慮を繰り返している。



記事投稿日(2016年11月21日)以後の追加情報

※ここまで日付の降順で載せたが、ここでは昇順で載せる。

11月28日
13時21分、唐突に電話がかかったが、当然、今、1階リビングにいる母親(本日出勤せず?今月は月曜日の出勤らしい動向も見られたし先週水曜日が祝日であったこととは違うにもかかわらず本日は出勤せず?)ではない。けだし保健士Sであろうし実際にそうである。電話ではリビングの母親を気にしたために、ただ小声でハイ、ハイと続けて「11月31日・水曜日・1時半か2時ころ」というはっきりとしない予定が決まった。11月31日・・・そんな日は無い。仮に有っても水曜日にはならない。通話中、わずかに違和感を覚えていたが、ハイ、ハイくらいしか声に出そうとしなかった。ボケ極まりつつある過失が多い。「11月31日」が私の聞き間違えでも、ボケであり、死にたくなる。絶望的である。先の記事(※当記事)で、後悔を恐れない姿勢を綴ってある通り、掛け直すという行為もたまにはすべきであろう。

13時43分、せっかくの機会で決心がついているので掛け直しを行った。Sとは別人のSである同課サイトウさんが応じたが、やはり、不在のようである。私の「やはり」とは、Sが私に電話した経緯は、保健所のオフィスを離れる手前の空き時間であったと推測していたためである。いつごろお戻りになるか、と尋ねれば、夕方ごろという。明日に掛け直す旨を伝えたが、やはり向こうからも私の名を問われて電話の件をS本人に伝えるということであった。私のしゃべり方については、やはりぎこちないながらに悪い勢いも出るようで、上手くいってはいない。



11月29日
本日は8時以降、前日の電話かけ直し予定について考えることもあったが、10時前から決心し、少し案をまとめてイメージトレーニング(リハーサルのようなもの)を行った。前日斎藤さんと通話した後はSさんが電話を掛けた13時ちょうどが望ましいと考えもしたが、就寝前には11時を定めたが、結局、間もなく実行を行う。10時12分から電話を掛けた。まず、同課を名乗る男性が出た。一応、私は苗字「○野」を名乗った(前回の反省)。それからSさんの存在を尋ねたので、男性がSさんを呼び出す保留状態にした。Sさんが出て前日の斎藤さんに関する確認と、その後、要件(11月31日説の実否)を確認した。11月30日・水曜日を改めて聞き出した。通話時間は保留を含めて1分57秒らしい。これにて私の「訓練」は成功裏に終わった。

「訓練」とは何か?大概の人や、私の中の合理主義は「Sさんは水曜日を本意としていたろうし、何月何日でも関係ないからわざわざ再び電話を掛け直す必要は無い」と価値判断をしてしまうであろう。しかし、その他人を犠牲にするという価値判断を前提とすれば、私は極悪人であり、一般人もみな罪人となる。ここで、何らかの犠牲を厭うべきでない。相互依存・苦楽の煩わしい世・娑婆は一定(いちじょう)である。特に私は自己本位の修行・訓練を自覚する。電話を掛ける・・・社会科か?職業訓練か?何でもよいが、私が必要性を自覚するならば意思のままに行えばよい。その言動が否定されるべきではない。その言動のうちに他人を尊重する心があるならば、何をしても大体、問題にならないので、可能な限り「自分磨き」をすべきである。件の記事(※当記事)においても、積極性を重視する考えが綴られる。後悔や反省も大事だが、「行わないことによる後悔」よりも「行ったことですべき後悔・反省」が良い。したことで様々に反省すべき点が増えてくる。今回の場合は大いに行動しておく必要を考えた。ただし、成功した行動であるから、その中に反省のポイントは少ないほどのみある。

(日常的記述・中略) 19時16分、母から電話がかかり、既に明日30日の保健士訪問予定を承知していて明日も10時ころには外出する話をされた。本日の外出でSさんに会って話をしたという。他に母から、「明日Sさんに『ありがとうございましたご迷惑をおかけしました、弟の受診先(心療内科?)見つかりました、お医者さん見つかりました』と伝えてほしい」と指示された(実際の母の切り出し方が唐突で曖昧であったから少し具体的に話してもらうように誘導した)。言葉にする機会の有無次第だが、そういうスタンスで非を言わずに了承した。この通話の時間も1分57秒であった。



11月30日
13時21分、Sさんから電話が入り、どうも今から保健所を出て我が家に赴くそうである。よって14時(午後2時)ころに到着するという。28日の電話で「(午後)1時半か2時ころ」と曖昧に話していた理由は、大体決まっていた予定だが当日の詳しい動向が不明であるためであろうか。29日には「1時半」と話していたが、結果は今の電話の通りである。

13時35分にSさんが来た。Uさんがおらず、どうも事情は、UさんかUさんの子供が風邪だとかとSは話していた。今回は1階リビングに予定通り案内した。主導すればあっという間である。座っての話は20分ほどで終わったが、立ち上がって以後も写真立てがいっぱい並んでいるラックを見て反応したSさん(9月26日訪問時もSやUが反応しており当時は彼女らの調子に合わせた)に、弟がしばしば写真立てを破壊する話をした。この10月か11月にも、一度、金色塗装で大きいオブジェ付の重い鉄製の額縁のもの(浦和区常盤在住時からある)を破壊していた事実を話した。弟と母親の精神的な問題について、家での内実(破壊行為など種々の不和)や外での事象(周囲との不調和)を話し、母と弟の両者に争いが起こる原理を簡単に話した。14時2分にSさんは我が家を後にした。

(日常的記述・中略) 話の内容を少し顧みると、Sさんは自ら「忘れっぽい」と語ることも多く、それは本人が自覚する範囲のものはそうとして、私が気になった点はどうであろうか。私が気になった点とは、以前された質問の繰り返しという点である。毎度、「食事や睡眠は取れているか・体の調子はどうか」と聞かれることに関して聞かれて当然であるとは思うが、「どう料理しているか」という質問については、以前と同じように答えて以前と同じように反応する。ただ気になるのみであり、私は何か鬱陶しいとは思わない。質問は基本的に質問通りに答える精神であるから、回答は怠くないし、吝かでない。人に話す必要があって彼女らを受け入れている、と常に綴る通りである。彼女らも人権擁護の行政の立場で私を訪問する必要があると自身で認識している。


12月26日
9時53分、保健所のSさんから電話が入り、明日に訪問したいという話であった。私はいつ来られても構わない気でいるが、母親のことを思考に介すると、とても翌日に受け入れられる気にはならない。このような迷いや倦怠感によってくぐもったような口ぶりで感情を伝え、翌年の業務再開以降に再度電話がかかる話となった。次回には、「母が恐らく家を空ける曜日」について伝えておく必要がある。今まではたまたま母親が家を空けた月曜日や水曜日が多かったが、この数ヶ月間はほぼ水曜日と金曜日に母が仕事に出ており、月曜日も母親の外出が度々見られる。本日は母が家を空けそうだから本日の予定ならばよかったろう、と思ったが、弟の冬休みもあるわけだから、やはり年明け以後に予定が組み直されるれることは都合がよい。ところで、私のここ数ヶ月の傾向といえば、疲れが重なっているのか、体が衰えているのか、精神的に調子が良いとは言えない。作業にはひたすら向き合っている(前日も音楽作業などを行って未投稿音楽動画の編集も進ませた)、といった姿勢が心身の不調を招いているのかもしれない。更に思う、次回は好調子で臨むであろうと。



○2017年

1月11日
13時9分に保健所のSさんから電話が入り、いつも通り訪問予定の話を受け、かねて告げようと思っていた「水曜日か金曜日」の指定をした。Sさんはもともと1月25日・水曜日のつもりでいたようであり、私は普通に承諾しておいた。水曜日・金曜日は母親や弟が家にいない日であり、気兼ねなく来てもらえる。まあ、急すぎなければ何曜日でも母親に事前の相談が出来て困らないわけで、前回12月の時はそこに問題を大きく感じて断った経緯がある。また、仮に水曜日や金曜日に母・弟が家にいても、そのように予定が急でなければ、十分に準備ができて問題が無い。



1月25日
13時前に1階リビングのエアコンの暖房をつけて保健士訪問までに温め始め、13時半ころに保健士2名が訪問したので1階リビングのエアコンの動作を止めた。14時3分に保健士2名との話が終わって見送った。次回も周期的なもので2月下旬となる予定である。毎度、彼女らとしゃべることで、私の進歩の道のりを顧みている。「観萌行大要」と名付けた文章の中に説明した、「愛憎の妄念」に関する試験でもある。相手は人間であって尊重すべき者であると同時に、自身の思考のある領域には介在させないことで人間でないと思うべき一面も兼ねることで、対等・平等の会話ができる理論を立てている。私の経験と思惟の所産であると同時に仏教的な裏付けがある。ひとまずはこのスタンスで「話すべきこと・行うべきこと」が最も滞りなくでき、それら行為による過ちが発生しても対処が適うと考える。細かいケースまで想定すると物事は滞るので、現状はこれが最善である。保健所職員に関する過去記事(当記事のこと)に載る11月9日の文章でも既に語った。



2月7日
17時17分に保健所のSさんから電話が入り、2月20日・月曜日はどうか、と聞かれ、前回訪問時に伝えた「水曜日か金曜日のどちらかが望ましい」という旨を伝え直した。Sさんは再度予定を調整すると言って電話を終えた。17時27分に再度電話が入り、3月3日・金曜日・(午後)1時半という話になった。ささやくような声で話し続けたため、体調が悪いどうか聞かれて肯定したが、風邪か・熱があるかどうか聞かれた際は否定した。風邪の自覚症状は現在も感じない。これまでの食欲も、2016年5月7日から2日間あったような不振状態ではない。



3月2日
「怪しい人」に対する監視目的もあろうか?私が訪問を受け入れる理由の一つは、身の潔白を証明するというか、怪しい行動や策謀などをしていない事実を誰か他人の目に晒すこともある。ところで、彼らが手帳に何らかのメモを取るような行為も、9月26日の訪問が最後であったように思う。彼らのメモ行為を鑑みてわざわざテーブルの前に設えたソファに誘導する必要もなかろうが、今後も、自然にソファへと案内することは継続する。彼らも形式的な訪問となっているであろう。私はただ正直に生きようとしているだけなのだから、たとえ過誤があろうとも偽りはない。



3月3日
私は本日の13時半に保健士の訪問を受ける予定であるにもかかわらず、悪い睡眠となった。 (中略) 3時19分に保健士2名が来て13時51分に帰っていった。前日のメモ中にある、メモを取る行為が久々に見られた。手帳ではなく、A4サイズで紙を切り離せるノート(ルーズリーフ?)に書いていた。製作中の動画の一定の段階が終わって一度目のエンコードの折、2階の母親の部屋に上がった。既にバルコニーに干し出してある洗濯物の確認をしたついでに、母親の机の上にある書類なを物色し、シフト表(?)の入ったクリアファイルを見つけた。母親の出勤の部分にマーカーが引いてあり、母親が長時間外にいた前日は、引かれていない。



3月28日
本日3月28日は、2:10の第一アラームに目覚めた記憶は無いが、最初の時刻確認が2時10分台となって2:20の第二アラーム直後に起床したので、そこで目覚めたろう。11時1分、保健所のSさんから電話が入り、4月12日の13時半に訪問する予定が決まり、その時は新年度であるからUさんがこの地域の担当を外れるということで、別の人を連れるそうである。※12時10分に再度着信があり、予定時刻を14時半に変更した旨を告げられた。



4月7日
(前略・母親との会話) 今月12日・水曜日・13時半に保健所の人が訪問する旨を告げた。この話題の延長で、母親に仕事関係の質問をし、「今月は行かない」というように返答されたが、当然、詳細な事情や背景は不明のままである。少なくとも、今月12日は出勤の日程が無いと考えられる。



4月12日


12時6分から母親の外出の動向を察知し、それまで話そうと考えていた用件を決断した。母親が一旦外に出て忘れ物に気付いた様子で、家の中に戻って2階に上がり、1階に降りてくるタイミングで「こんにちは」と声を掛け、足止めをさせた。いくつか話そうと考えていた用件があるが、母親に長く足止めさせるべきでないから、一用件に限定する。保健所の人が本日13時半に来ることは先に伝えてあり、母親がどちらに外出していつ頃戻るかを尋ね、13時ころか15時ころで予測不能と答えられた。もし早く済んで家に帰る場合は2階に控えてもらうことを頼んだが、母親はよそで暇をつぶすと告げてきた。12時12分に母親が発車した。

前回3月3日は、予定よりも早い13時19分に保健士2名が着いたものの、今回は13時半を周っても、14時を過ぎても姿を見せない。14時0分、何となく外の様子を見ているとステッカーが貼られた白い乗用車が家の前を通過し、近所の集合住宅の駐車場に停車したが、3分後には発車して場内を去った。彼らは普段、少し離れた某所の駐車場に停車してから歩いて家に来るそうなので、今回に限って気まぐれで集合住宅の駐車場を借りるはずはない。母親が帰宅することが先になりそうに思う。遅れて尋ねるとき、事前に電話でその旨を告げること(11月30日メモ)もあったが、今までにそれもない。13時半を過ぎる前から、実は私が予定を聞き間違えたのではないかなどと考えたりもした。14時24分に保健士2名が到着し、今回はSさんのほか、Uさんから代わってKさんである。いつも通りに1階リビングへ案内したが、数分後に母親の車が家に着いた。彼女らが私の部屋に入ることとなったが、母親に一応の挨拶をしたいそうなので許可した。自室と玄関の間で彼女らは待機し、挨拶を受けた母親はしばらく1階リビングにおり、数分後に2階へ上がった。14時50分に話が終わるまでに母親が再び1階リビングに居始めた。再び母親への挨拶を行った彼女らだが、母親に捕まえられ、母親の話を聞く展開となった。この話は7分、玄関で続いた。母親が彼らを屋外への退出を促し、2階に移動して何かをし、間もなく、母親が屋外に出て彼女らと話を再開した。連日の雨天・強風が明けてなお、風が強く吹く中での話は15時6分に終わった様子である。



13時20分、母親から保健所の人がいつ来るか尋ねられた。今月日記メモに保健士に関する記録が無いよう、前回の訪問以来、未だ連絡は無い。音信不通・音沙汰なし。前日・前々日に、「アレで最後のつもりなら別にいいか」と考えることもあった。



10時17分に保健所の人からの着信があり、相手は前回初めて会ったKさんだった。Sさんの時のようにり「体調はどうか?」と聞いてくるので、特に変わりがないと意思表示をして終えたかったが、本心を優先して痔のような臀部左端の腫れについて話した。過去Sさん・Uさんの訪問時(10月31日)に同様の腫れを見せたことがあり、それが同じ場所で再発したという経緯を説明した。次回の訪問についてKさんは5月31日11時ころ・Hという人物と共にする予定だと話す。



16時12分、母親が自室のふすまをノックし、いきなり「携帯電話を貸せ」と頼んだ。少しずつ、目的などを聞き出しながら携帯電話を渡す準備をした。保健所の人、Sさんであってもなくても保健所の人に「保険」に関して聞きたいとしていた。保険のことは保健所でなく保険の事務所に問えばよいと思うが、4月12日訪問時と連続性のある用件のためにSさん・保健所の人を求めているか?ある時、一旦2階から1階へ降りて口を漱いだ母親であり、再度発信しようとする時に携帯電話の扱いを教えた。2階に戻って電話を再開した母親は16時30分ころに終えて1階に降り、私に携帯電話を返すが、母親に通話内容に関して質問を行った。母親は体力が持続しづらいか立ち話が面倒のようであり、リビングに出て話すことを求めたので、応じた。過去の件(2011年8月以前)など、複雑な経緯について日記メモに記録しないでおく。話す最中の母親はソファの背もたれに体重を預け、片腕を手すりに乗せていた。顔つきは豊橋に来た2014年3・4月当時の牛久祖母(桜写真)にそっくりであり、首まわりの肉などがはっきりと感じられた。この姿勢でも腹部が張っているという様子が分かりやすかった。



8時過ぎに母親から前日の話の続きをされた。とある件に関してしばらくは行わない方針となった。また、保健所の人の訪問について「母親が保健所の人に頼る目的と異なる・現状維持は望んでいない」という話を聞き出し、保健所の人の訪問を当面停止することとなった。私が保健所の人の訪問を受け入れる「いくつかの理由」は過去記事・日記メモに記録する※主に当記事にまとまる※通りである。母親が保健所の人の訪問を拒否する意思を確認し、私から反対する事由が無いので許した。保健所の人の業務が始まると想定される9時から、母親に携帯電話を貸した。母親は明日11時に予定されているK・H 2名の訪問と、今後の訪問を停止する旨を、受話の人に話した。母親が目当てのKさんは会議か何かで出られないそうである。母親は本日10時~15時に家を空ける(買出し)から、保健所の人が折り返し電話をする時は「息子(私)」が応じるという話である。

当記事注: その後、家の電話に何らかの電話が入っても、「とある病院(弟関連)」からである。翌日も1週間後も、電話が折り返し入ることは無かった。



15時47分、保健所のKさんから電話が入った。母親による保健所への直接の通告から、20日が経過した今日のことである。体調はどうか、生活はどうか、といういつも通りの質問(仏教でいえば「少病少悩ですか」)のほか、母親の様子について質問を受けた。母親の心情(母親の目的・理想と相違する事実)、私の保健士訪問に関する姿勢などについて、私が理路整然と説明した。やはり訪問を当面しないでおく替わりに、私への定期的な電話による「生存確認」をするという。


2016年11月11日金曜日

中道修行者・信仰者の在るべき姿勢

脱社会にして順社会
脱宗教にして順宗教
これぞ中道の修行・信仰の在り方

社会に同じて名聞利養を求める姿勢ではなく、社会に反して種々の害を生む姿勢でもない。
宗教に同じてしがらみに囚われる姿勢ではなく、宗教に反して論争に業を煮やす姿勢でもない。
ただいま、このように中道の境地で「二重否定」の論証を行った。
社会にも宗教にも、同ぜず反せずして脱して順じる(脱ぎつつ順う)。

「脱社會而順社會 脱宗敎而順宗敎 此業即中道修行 此念即中道信仰」
「非同社會求名利 非反社會生多害 非同宗敎著團眾 非反宗敎交諍論」

このような姿勢こそ、己の苦しみを除き、他人との争いも生まず、他人に新たな苦しみを与えずして自分に苦しみの因を作らず、真に自他の平和と解脱を生む功徳となる「中道」の姿勢である。
私は仏教を学ぶ以前より「中卒ニート引きこもり」を名乗る脱社会・無宗教の身であるが、それのみを美徳とせず、社会を別物として尊重・協調しながら宗教の価値を肯定する「順社会・順宗教」という立場も得た。
閑居求道者として重要な方針の一端に組み込まれた。
続いて詳説したい。



・「反社会的」とは、一般的にヤクザ・指定暴力団や特定カルト教団などを指す言葉であり、比丘や私などは「脱社会的」な立場として中立・無害である。なまじ社会に関与するから社会に利益をもたらす反面、社会悪を犯す者も当然多い。資産家による脱税だとか租税回避地での架空運営など、経済面では顕著である。そんな慳貪な資産家が、国家の法に対して秘密裏に背いているならば、それこそ反社会的である(一部大企業による業界の独占や脱税も多く、これも反社会的)。また、社会に直接関与せずとも、観念的な部分で執着して苦悩する者がいる。そのように生活は社会から離れていても、心は執着・苦悩して俄かに殺人事件を起こすケースもある。それはともかく、私ほどに理解ある脱社会人だからこそ逆説的に順社会的でもあり、むしろ積極的に社会に順うべき立場が、托鉢・乞食によって生きる比丘"Bhikṣu, Bhikkhu (直訳すると「乞う者・乞食beggar」)"である。これこそ健全なる中道の人々の在り方ではないか。

・中道の在り方により、シャカイジン様ならではの犯罪行為も逸脱社会者ならではの犯罪行為も、共に防げる。また、それら"Crimes"に対して宗教・道徳的な"Sins"も、ある程度は起こさずに済むが、信じる人の信じる立場で自ら認める罪(三毒や七つの大罪と言われるような精神作用)は、残念ながら、我々は日々作って止まらない(それを止めて解脱することが仏道修行の目的)。比丘になる・出家するにあたっても、家族と分断するオウム真理教のような手法は、釈尊在世より実父・浄飯王(音写で輸頭檀那王)の懇願によって禁じられ、出家希望者の親が存命の場合は親の許可が必要となっている(十遮十三難の「父母聴」。由緒は律蔵に見ゆ。四分律では巻三十四を参照)。

・社会や経済というものは、どうしても現代文明に生きているならば関わる必要がある。いや、それは釈尊御在世においても変わらない。故に、社会という煩悩の大海からの出離を願って出家しても、仏教僧としての出家生活は在家の人々から僅かばかりの恵みをもらって(托鉢・乞食して)生きる。相互依存(共依存)や、少なくとも自身が他の存在に現象的・物質的に依存してこそ自尊も自虐もあり、生命維持もできるものと、虚心坦懐に認められなければ、それこそ解脱のための土壌が育まれない。一方、現代人は親元を離れて経済的に自立すれば、それが尊い自立的人生だと思いがちだが、それは資本主義と個人主義による妄執である。他人への物質的依存を排除した自立的な人生など誰にも有り得ないが、そう言うと親元(離婚母なので法律上他人だが)に住み続ける私の屁理屈に思われかねない。この際、完全な白黒もないが、相手がそう認定するならば何でもよいと思う。一応は弁論の余地があるので、私の説明をした。また、他人の世俗的な生き方は、過度でない限り否定する気もない(仏教を学ぶ者はより節度を持つべき)。

・こういった比丘の生き方は、一見利己的で「寄生虫」などと俗世間に思われそうだが、いや、その自覚があってこそ、他人へ敬うように振る舞えるであろう(自己肯定がかえって尊大に振る舞う精神的余裕を生む場合もあるが)。比丘が托鉢・乞食する際は無駄口を叩かないようにするが、私が母から食料を恵んでもらう生活においても、食品の種類や銘柄などの注文は行わないでいる(2016年現在、去年までは注文が多いところから漸次ラーメンの味と購入数のみの注文となった経緯がある)。彼ら比丘の、無駄口を挟まないで表情を変えない、という態度が日本では傲岸不遜に感じられる面もあろうが、上座部仏教圏の民間では逆に尊敬されるそうである(一部、観光客などには気さくに振る舞う者もいるそう)。それはともかく、そういった在家信者などに食料や寺院の寄進といった施しを受けるとともに、釈尊や諸々の比丘は法の施しを行う。しかし、食料や寺院の寄進の対価として法を施すものではない。法施とは、ただ人々に慈悲の教化を行う目的にあり、そうして結果的・副次的に在家信者からの物質的恩恵がある。私もまた可能な限り如法に生きて説法・教化を続けて参り、万象の恩恵に対する感謝を絶やさないことで貪欲さを減衰して精進する。

・社会を厭うにしても、宗教に転がり込んでかえって信者を餌にする俗物にコキを使われてはならないし、そんな俗物になってもならない。事情や魂胆はともかく、宗教の教団もまた金銭に執着している。現今の宗教団体は悉く文明の支配下に生きねばならない上に、新興宗教も伝統宗派も様々な理由で経済苦に喘ぐ教団もあれば、富を貪って利益を追求する教団もある。多くの信者は寄付・布施・供養といって何らかの金銭を恵む。それらは純粋に教団の興隆を願ったり信仰・研鑽ができる生活の感謝したり、といった心からされる寄付もあれば、空想の御利益を求めたり教団幹部を恐れたりするなどの不純な寄付もある。こういったしがらみ(不自由)を厭ってこその仏教であろう。特に出家者はみなそうあらねばならない。無論、前者の寄付を行える立場の在家信者は、そのままそうして教団に従うままでいる方が良い場合もあるし、これは強制するものでもない。元々そうである者に対してそのままで良いと言えるが、元々そうでない私のような教団未所属の者(講義の無宗教者)は、よほど気を許せる理解を得ない限り、教団や宗派や宗教施設に転がり込む必要はない。

・なまじカルト教団に入ったり、なまじ宗教を学んだために、宗教を排除する思想や、宗教を極度に嫌う潔癖思想を持つ人間を見て、私は「脱宗教・順宗教」と説く。感情は人の考えを振子のように動かす。意業は重いからこそ、清浄な仏教の思考によって制御する。現代的で極端な二分思考の弊害が、こういった宗教嫌いor教団所属者(カルト構成員)という二択以外の選択肢を排除する視野狭窄を生んでしまう。観るほどに私は、どこまでも、須らく中道なるべしと思う。近代的合理主義系の思想は左派であり、共産主義は極左と言われ、いずれも宗教に否定的であるが、この際、宗教を嫌う者は中道ならざる極左思考によって宗教廃絶を使命に掲げて生きてほしい(極右・ナショナリズムも既成宗教を邪魔ものとして敬遠する場合があるが民心の統制に利用できる場合は大いに利用する)。中国共産党やマルクス思想入門の手引きとなる私の記事をご覧になりたい(宗教廃絶など空理空論の共産主義革命には不可能だが)。上流気取りの中立思想(国連・EU・西側の民主主義国家などの意向)を重んじたい者は、せめて文化の多様性の観点によって旧来の宗教を尊重する心がけは必要である。

・二分思考の典型例は「我々の宗教を信じれば天国・我々以外の宗教を信じたり我々の宗教を信じなければ地獄」という教義である。社会面も同じことである。「成功・失敗」、「(仏教用語ではない意味の)成功して出世したい・失敗したら自殺する」、といったような二極の選択肢しか許されないならば、人類総ロボット化して超効率化社会を実現するか、いっそのこと絶滅する、二極の選択肢こそが正しい。そのどちらもが現代的な合理主義(かつは資本主義、かつは共産主義、かつは虚無主義)においては幸福の社会であろう。しかし、それは9割方の人間が肯定しない。なぜならば、ごく一部の例外を除き、人間には心がある。故に私は「脱社会・順社会」と説く。こう理解して実践する者は、社会を超越した「超社会(および超宗教)」の境地とも言える。釈尊はまさにそのようなお方である。私のような生い立ちで正気を保っている者こそ、まず社会と宗教を脱しつつ、尊重も行える「超社会・超宗教」の立場となってほしいと考える。そして愚昧なる民衆(自ら迷い苦しんで他人と諍い争う人々)に、二分思考を克服させる説法・教化に生きてもらいたい。

・「社会主義」とは、社会が人々に対して社会の理想を認めさせる立場にあり、これは現代日本に生きている小中学生ならば思い浮かべる「エリートを多く育てて無駄な政党とか政治家を省いたまともな奴が政治家になって支配すればよい」という、少し無理のある思想である。それは全体主義ともいうが、宗教の教団にも、そういった一宗教団体の理想を配下の信者に強制してその通り動かすものがある。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は社会主義(金日成主体思想)の国であるが、彼らは金一族の偶像やマスゲームなどで民衆を鼓舞して統制するように、こういった宗教団体も、何らかの信仰対象を旗印とし、集会で軍歌っぽい教団の歌を流して躍らせたり、大規模な集会でどこか無機質な印象を覚えるショーを行う。この話は仏教の思想とあまり関係のない社会学や社会科学などの学問的な考察となってしまうが、このように社会性を強めるとカルト教団同然となり、宗教を教団の枠組みで鼓舞すると社会主義のような全体主義体制に変わるという、少し考えればすぐ分かるような話を垂れた。「社会即宗教論」では中華人民共和国の共産主義・マルクス主義(正しくは毛沢東思想)を例にとって詳述している。今の日本は、社会主義と逆の立場にある「民主主義」の体制であるが、ともすると今の日本人は社会の妄執を強くして、人権尊重に欠けた思考を大人になるまでに強くしてしまう。それが当たり前の共通認識となっている現代の日本社会は、民主主義や自由主義が転がった、民主型の社会主義となっている。従来の社会主義は、為政者・政府の理想を下層の民衆に認めさせていたのに、今の日本は民主的なために民衆が民衆に社会的理想を強制し、それから逸脱するだけで「異物・異端者」とみなす風潮がある。日本から「和」の思想が死んで同化強制・同調圧力という「同」の悪に生まれ変わろうとしている。そうして日本も世界も滅ぶ。



起草日: 20161001
この記事における「賢者」の立場を補足する目的
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/heretical-dogmas.html

日本の伝統宗派(出家)と日本の新興宗教(在家)の二元対立によって醜い罵り合いや粉飾を行う現象に関して2015年5月10日5時に少々述べた追記欄が過去記事にある。

出家して山に入る行為について、ことに別の宗派を批判する側が「叡山(など)に篭って修行しても侘しい・空しいだけ」、「社会から隔絶された山寺(各宗の本山寺院など)」と嘲ったり、「社会から逃避して修行」とまで蔑んだりもする。一方の出家・寺院・宗派としては、ホームページなどで「社会貢献」を強調することもある。片や出家の反社会性や脱社会性をあげつらい、片や非難された劣等感を糊塗している。

対して、その前者としての立場が強い某在家教団も、一般世間から反社会的カルトと非難される。宗教同士で「アレは邪教だ」と烙印を押しあうことは順当だが、社会性を持ち出す論は詭弁的。意見や立場が異なって対立すると結果的には低劣な争いで同化しちゃう真理だろう。宗教家が「感情」の中の「三毒」や「大罪」に振り回されるとは、色々と失望する。

結局、宗教に社会性を云々するのもアレであるし、真面目に修行をすればよいと思う。れっきとした犯罪行為ともなれば、法治国家のもとにおいて問題視されようとも、その範疇でなければ問うべきでなかろう。ことに「出家」であれば、否、「出家」だからこそ社会の趨勢に敢えて迎合する道理はない。2000年以上前のネパール寄りのインドでは、街を去り山に篭ることが美徳だったはずだ。

仏教とは、社会貢献だとかを強調するわけでなく、反社会的行為をするものでもなければ、利益に執着する俗物宗教などでもなく、先に示したような中道の立場にある。
多少、態度が人々に対して不遜になる面はあっても、先に示した通り、関与する人や全ての事物に感謝をしている(理論上は)。
二元対立の迷妄に喘ぐ彼らは、「いわゆるコンプレックス」と呼ばれる妄執に囚われて解脱に遠い上に、中道の境地からも極めて遠い外道の狂人のように思えてならないが、私がそう非難して良いはずもない。
出家も在家も、本来はそういった「相互依存」とか「お互い様」を理解して共存するものであろうに、今更そんな議論など、それこそ仏教に反していると自覚してほしい。

なまじ社会から逸脱しているという妄執を自分に重ねた宗教者が、そのようにかえって「自分は社会になじんでいて逸脱していない!」という感情を潜ませて社会性を強調する。
それは自尊でも矜持でもなんでもない欺瞞・粉飾・糊塗であり、多くの宗教団体はこの迷妄・苦境に陥っている。
社会からの逸脱であるかどうかなど、宗教(教義)にとって本来は関係が無い上に、それを糊塗するために煩うなどは、それこそ宗教の道を逸脱している。
だから「脱社会しかし順社会」として、共存共生の立場を取りつつも、同化する必要は無いと私は言う(優越感も劣等感も未練も執着も卑しい感情に因り、自他を悩ませる悪業となるから超越・超克せよ、と言う)。

※今は超克した立場によってこのような記事が書ける。今まではくだらない論争に意義を挟むと自分も同化しかねないからこのような話題の記事を避けたり、少し言及する程度に留めていた。今ではさほど気にせず、忌憚なく、こういった記事を書く必要を感じる。

およそ、宗教の教義はあらゆる人々を受け入れて救いの道を示しており、仏教はその最たるものだが、現今の宗教団体はかえって偽善を強調して人々を形だけ集めようとしつつ、大事なところでは門扉を狭めているのではなかろうか。
それで世人や在家教団から、疎ましく思われ、時代錯誤とか封建的とか社会逸脱とか社会隔絶とかとレッテルを貼られ、変な自覚を持つため、そのような欺瞞・粉飾・糊塗に徹している。
現今の宗教団体がどんな体制で社会への迎合を誓おうとも、どう続けられようとも、組織や組織的対立に無縁(広義の無宗教)の私には構わないが、そういった両極の主張「社会貢献 or 社会逸脱」のどちらかが宗教の教義そのものに見られてしまう事態は憂慮せざるを得ない(やはり中道・中立・中庸であってそもそも社会云々を重視することが本末転倒であり、あえていえば脱社会・順社会とするしかない)。
私としては、最も門が開かれた仏教を、特にそういった「コンプレックスなるもの」が強い人々に弘め、是非とも妄執からの解脱を期している。

宗教がらみの論争だと、「在日○○宗教」とか、争い合う相手側の首脳を「在日○○人」だとかとレッテル貼りを行ったり、著名な宗教家に医師免許も無く精神病(精神分裂云々)の診断を行う者も多いが、もはや宗教でも何でもなく、特にネットのものだと最初から宗教当事者を交えないで無宗教の者が好き勝手に言っている場合の方が多い。
そこまで来ると、仏教にも哲学にも暗く、人権思想という世俗の方面にすらも無知な者が、モラル無く悪罵しているような、禽獣か修羅の議場である。

もう一点言いたいことは、その「コンプレックスなるもの」が強い宗教団体が「理想のシャカイ」などと喧伝して挙句、終末思想を自ら具現化する例がある。
宗教団体でない個人的な仏教独学者も、にわかに「(経済的な)理想社会」云々とのたまう
そんなものは「順社会」の姿勢ではなく、その「コンプレックスなるもの」の所業である。
「健やかな布教活動に勤しむ中で社会が清浄になる」という副次的結果を望むならばまだしも、なぜ自ら変革を起こそうと画策するか?
共産主義・独裁主義・全体主義の者の革命思想そのものであり、穏健な仏教徒の発想ではない。
私は、私の説法・教化で「落穂拾い」が一つでも多く叶う結果を、仄かに願うのみである。


2016年11月2日水曜日

Google+ 2016年10月中の日記メモ

当月23日(最初の記録は29日)から発生を確認した臀部・尻肉・ケツの腫れ(痔の一種かは詳しくない)が月末になっても止む気配はなく、この記事を投稿する11月2日においても同様である。
31日のメモには、予定で来訪した保健士2名に見せたり、自分で塗り薬(軟膏)を塗布(貼付)した記録もある。
保健士2名との話では、皮膚科を勧められたり、私も病院での受診を解決策の一つとして考えてはいるが、記事投稿日11月2日現在も診察を受ける意向はない。
慢性的な便秘以外は健康体でいられ、ある意味で平穏な生活を送れると思いたかったが、常に何らかの異常事態に突き当たるようであり、原因不明な不条理ばかりである。
単に座っているだけならば、膿ビュルビュル・ブチュブチュの痔だかなんだかは当然に発生してきたが、今回のような一度も膿を出せずに腫れ続けて大きくなるものは未曽有である。
この種の不条理には、具体的な原因を特定しようとしても無意味である「戯論」と知らねばならない。
適切な処置は、時宜に随って行うので、11月中も日記メモに記録できれば良いと思う。
今後、「痔のような腫れ」の記録写真を集めてスライドショーの動画を投稿しようか。

追記: 2017年5月27日に投稿した動画(うち0:38~0:45)に写真が数点載る→http://www.youtube.com/watch?v=ncbatUTaC8c

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
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2016/10/01

前日9月30日は19時50分ころから就寝したが、母親と弟の争いが一時中断したか再開したあたりであった。彼らは何らかの話題に些細な原因で喧嘩を始めていた起こりであろう。その時、私は耳栓を着けて寝た。この喧嘩との連続性は不明だが、私が寝ている本日1時台にも、母親と弟の争う声や、母親が1階と2階を行き来している音が聴こえてきた。それから2度寝となり、2時台は4種アラームの2:20や2:40などを聴いて経過し、2時44分になって起床した。

2時55分から、前日19時台に飲んだ下剤1錠の効果でトイレに入り、少し時間をかけて中・小サイズのものを1本ずつ出した。4時55分からもトイレに入って軟便・下痢を出した。7時48分からもトイレに入って軟便・下痢を出した。

13時0分、母親から「今日は買い物に行かない」というメールが送られ、続く13時32分に「土日(本日と明日)は○○(弟)がいるから買い物に行けない、パソコンを破壊される恐れがある(倒置法だった)、月曜日に行く予定」と補足された。9月20日の買い物1日遅延から、前日9月30日にも買い物に行かず、本日になってからメールをするのではなく、前日中にメールを送ってほしかったが、今回の10月1日にあったであろう買い物予定がさらに延期された原因は、前日の夕の2人の争いであろうし、この延期自体は前日に予告できない。なので、いや、そうでなくてもどうでもよい(私の言う"どうでもよい"の意味は、あくまでも思考の結論として言うのであって思考していない時点で考える価値を覚えるためわざわざ記録は取っている)。

17時0分ころ、母親から月頭の小遣いを渡されるにあたって保健所職員の来訪について相談された。色々と母親の理解不足を感じたが、それはよいとして、ここに記録すべきことは、母親が今も保健所職員と連絡しあっていないことである。あの9月26日の来訪以降も母親は通話などしていないのであろう。家の電話と携帯電話と、どちらに着信があるのか不明だが、母親から電話を返すこともなかろうか。ほか、次の来訪までに母親が手紙か何かを書いて私から手渡しをする必要がある考えを話された。



2016/10/02

本日は2:24の第二アラーム以後の2時26分に起床した。4時台から料理(小麦粉焼きのみ)に合わせて淹れた2杯分の紅茶を1杯は4分の3を1時間以内にのみ、残りは随時、色々な飲み方をして8時までには無くなったが、8時30分台にトイレで紅茶のカフェインパワーによる軟便を出した。

本日も前日も、先月下旬(最初の記録が9月28日、推定9月25日以降?)から続く母親による掃除機がけがされている。本日は12時27分からであるが、連日、母親の精神崩壊を実感する。自覚もなければ、直接言うと反発する人間には手も足も言葉も向けられない。部屋のふすまをドコドコと掃除機のヘッドで突いてくる今回、夏休み期間中の弟が2週間程度早朝に掃除機をかける習慣があったとき(最初の記録が7月29日・回想が8月23日)に比べてタチが悪い。周期的に異常行動が発生しては止むわけだから、それが1年に渡ろうとも私か母のどちらかが死ぬまで続こうとも、大人しくその場に居て忍従するのみでよい。これが仏教に倣う処世術の一つである。



2016/10/03

海苔巻き のり巻き 紫玉ねぎ 紫タマネギ
3時34分撮影

本日はまず1時0分頃に目覚めたが、母親が1階リビングでテレビを見ていた。前日就寝時(19時50分ころ)は酷く全身が疲れていたため、爆睡か、逆に浅い睡眠が予想されたものの、結果は後者となった。就寝時に着けた耳栓が両耳とも外れていた。再度眠りについて2:10の第一アラームに目覚めたが、母はもういなくなっており、私は2:24の第二アラームから起床に至った。

4時15分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時過ぎに自室へ帰った。12時30分から母親が発車した。キッチンを見ると、私が1度の小麦粉焼きに使う分量(目安)の8倍ほど(目測)の小麦粉が無くなっており、紅茶5杯分くらいの茶葉が生ゴミと化していた。母親の極端な消費には呆れたり、言葉を無くす。元々非難する気などないわけだが、本人はどう自覚しているのか。それも今更、毎度のように繰り返して愚問である。前日にインスタントコーヒーを空にしたと思われる母親が、紅茶に手を伸ばすと、この異様な結末となる。15時40分台に母親が帰宅した。

本日は午前中ににわか雨もあったが、17時前はシトシトとした雨が降る中に小学生の放課後の往来を感じた。小2~4ほどの同学年らしい女児2名が「お風呂でほっぺたスリスリして・・・」、「一緒にお風呂入ると異臭が取れなくなるよ、手袋つけて注意してね」といった会話ではしゃぎながら学校方面に傘を差しながら歩いていた。そのセリフを発し続けた女児も、反応して笑い声をあげる女児も、声のトーンが低い。



2016/10/04

本日は2:24の第二アラームで目覚めていた気もするが、とりあえず2:40の第三アラーム以降はしっかりと意識があり、2時49分に起床した事実には疑いが無い。前日も窓を開放して寝て起床後に窓を閉めたが、涼しい・寒い状態であり、常に服装は半袖の肌着である。3時30分台は爪が紫色に変わりつつある。冬のような感覚だが、こうして最近は寒さをこらえるようにしている。

4時50分台に淹れた少量のインスタントコーヒーを少量飲んだカフェインパワーで漸次便意を強め、6時20分からトイレで長めのU字形のものを排出した。母親の異常行動については逐一記録していないが、一つ、新しいものを挙げれば、16時過ぎに私が自室を出た際、ドアのそばに弟の洗濯物が折りたたまれて置かれていた。洗濯物を渡し間違えるにも、このような間違え方はかつて一度もなかった。そもそも、普段は間違えないでいる。また、最近の私は母親に私の衣類を提出していない。前日の風呂(シャワシャン)で脱いだ衣類・・・むしろ風呂(シャワシャン)に先んじて自ら洗濯した。その日の起床直後に洗濯した衣類である。母親には何も私の衣類を提出していないため、混同するはずもないのに、このような誤りが発生した異常事態である。文字通り、通常と異なっている事態だから異常事態といって過言ではない。そして異常行動が続いている。
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2016/10/05

本日は2時51分に起床した。前日は4種アラームを全てオフにして就寝した。本日に日付が変わって以降の0時50分台に一度目が覚めた際、母親がブツブツとつぶやきながら1階を動き回り、1時0分にテレビを付け始めていた。なお、前日母親が狂乱して私の部屋の前に置き去りにした洗濯物は、弟が16時台に帰宅しても、母親が弟を呼んで17時台に焼き芋を食べた前後にもどかされなかった。2人が夕食を始めて以後に私が最後の排尿に及んだ19時台にもどかされておらず、この2時51分の起床時にようやく無くなっている確認をした。

前日にPC(Windows 10機)を終了する際に更新プログラムのインストールがあった。本日のPC起動では1時間5分ほどかけてインストール内容の処理がされた。その間は料理なり携帯作曲なりを行った私である。ようやく起動されたものは、色々とおかしい点も見えた。スタート画面(ログイン画面)の変化は単発か?ログインしてみれば、まずデスクトップの壁紙がデフォルトに戻っていた。そんな大胆な更新など未曽有であろう。スタートメニューの左側のデザインが色々と変化し、全てのアプリはクリックの手間を省いて常時表示されている。その中に、アンインストールした「アプリ」が再インストールされていたり、インストールしたことのないアプリもインストール済みである(アンインストール可能)。タスクバーが初期状態(除外したMicrosoft Edgeアイコンがある・エクスプローラーのアイコンの位置がその隣)+後の追加(Google ChromeやIE)というアイコンの配列になっている。更に、wavなどのデータをWMPで開く設定が、初期状態のGrooveミュージックに戻されていた。ほか、問題はないがソフト関連付けアイコンのデザインが変わっているメカニズムが全く不明である。タスクバーの拡張メニュー(便宜上の呼称)にWindows Defenderが追加されており、消せるものではない。タスクバー右端のデスクトップ表示スイッチのすぐそばに通知アイコンが常駐しだしたが、本来は拡張メニューの一アイコンに過ぎなかったものであり、機能の位置づけが強化された。

11時過ぎにふすまを介して部屋の外へ出た際、あの洗濯物がふすまの前に置かれている様子に気付いた。言葉もなく、位置だけそこに変えて置いて何となろうか。私の就寝以降にされたものと思われる。11時14分から母親が荒く掃除機を掛け始めた。ちなみに、この母親は10時台、ただの情報番組のタレントの演出に「マジで!?」という声を上げて反応していた。様々な異常ぶり(かつは沈黙して行動、かつは荒れ狂って行動、かつは酷い反応)が続けざまに起こると、もう耐えがたい。

当記事注: この日、とある新しくインストールされたと見られるアプリ(フィードバックHub)がどういうものか確認する際にMicrosoftアカウントの認証にPCのサインイン(ログイン)に使うローカルアカウントのパヅワードの入力を求められた。翌日10月6日のPC起動時、今度はMicrosoftアカウントのパスワードでWindowsのサインインを求められた。マイクロソフトの暴走は、本当に止まることを知らない。10月7日にもいろいろな弊害を新たに確認していったが、どうも一時ファイルの行き先フォルダに色々な変更が見られた。LocalとかVirtualStoreとかTempとかと色々なフォルダ名が別に変化している。元々のものが"Windows.old"フォルダにバックアップされている。詳述しないが、少々面倒になってくるし、こういった既成事実変更は一般論からして真っ当でない。ただのWindows 10という元あるOSのよくあるアップデート如きにこういった大規模な変更が重なるとは異常である。



2016/10/06

本日はなぜか4種アラームがOFFのまま2時25分起床である。前日ONに戻したであろうに、と思うと2:40のアラームが鳴った。2:24や2:10のものが鳴った記憶はない。対して前日23時は、耳栓を着けて寝ていながらに母親がテレビに反応する声がはっきりと聴こえたため、一時的に目覚めていた。

起床20分以内に飲んだ下剤1錠の効果と、8時台から淹れて少しずつ飲んだ少量のコーヒーの効果により、10時50分台にトイレで軟便を出した。12時20分台にも便意が高まって普通の軟らかさのものを出した。下剤効果が出ている時、軟便→下痢といったように軟らかさが増す変遷が普通のことだが、今回のように軟らかさが正常に戻るパターンは稀である。



2016/10/07

本日は1時58分に起床した。ここ4・5・6日と炊飯できていない状況だが、本日も炊飯ができない様子を確認した。夜中にもかかわらず2階の母親が絶えず物音を立てている中、2時20分から風呂(シャワシャン)の準備を始めた。風呂(シャワシャン)は基本、4時以降に行う自己制約があり、これを破った。3時10分過ぎに自室へ帰った。その20分以内に下腹部の痛みを感じた。便意もあったがこの時は出そうになく、シリアルを食べた20分後の4時20分からトイレで中・長サイズの複数本を排便した。

13時27分から母親が発車した。家を出る前に私に「出かけてくる」という言葉を発していたが、その直前から1階リビングの窓の鍵を開けていたため、おおよそ買い物の外出という予想が立てられた。18時42分に母親の車が着いた。



2016/10/08

本日は1時38分に起床した。朝6時から花火の音が聴こえ、後も断続的に打ち上げられている様子である。10時台から弟の外出に関連する動向が始まり、11時過ぎに外出したようで、11時10分台から毎年10月第二土曜日(去年は10月10日)特有のポコポコとした「手持ち鼓」の音が聴こえてきた。弟の外出は、この地元の祭りに関係していようか。爆竹の音も、鼓の鳴る辺りから聴こえてくる。鼓の音の鳴りが徐々に聴こえるものではなく、最初から一定の音量であったり、随時爆竹やホイッスルの音も鳴らされ出している点から、近所の公園かどこかを起点として神輿の隊列が動いていよう。11時32分、家の呼び鈴が鳴らされたが、去年から2度目のことである。どうも子供らが「募金」を呼び掛けているようであり、母親は1階リビングでペットだかの情報を流している番組を見ているが、動く気配がない。母親の無視は、去年も同様であった。

弟は15時前に帰宅した。16時前に母親と弟の軽い争いがあった。16時20分前から母親が弟を呼びつけたが、落ち着いているであろう弟に対して開口一番に「暴力反対(ぼーりょくはんたい!)」などと発し、これは見当違いであって弟の平静を荒げる一言であろう。その後、私は作業に集中していて何の話題か感心が無かったが、弟が母親に手を出すようになった。どうも、母親が「弟にとって楽しいことは何か」を尋ねていたようだが、話題に反して不穏な流れとなり、母親も実際に痛みを受けているようである。その元の話題は「ほしい本」の話らしい。こんな無理やりな話題で関係修復など、結局は不可能である。「くたびれもうけ」どころではなかろう。弟の言葉を聞くふりをしていた母親も、感情を押し殺すことはできず、弟の暴力や破壊行為をいちいちに追及する。弟には母の処方薬が副作用しか得られないようである。ペーパー薬剤師の母は一生、他人の心に毒薬しか処方できない。※「楽しいこと」について途中から聞いたものが「巨大生物をつかまえる」とかで母親が詳細を聞くうちに無駄な反論を行ったり、「お母さんに暴力する」に変化した様子がある。

時間が経って弟がにわかに「なぜ物を増やすんだ!」と怒声を発した。「クソママ、クソかーさん」云々と罵声を発した後に反応しだした母は、「○ちゃん(弟の名前)が"制服買って"とか"靴買って"っていうんでしょ!」といった水掛け論を浴びせた。「ママの下着を破って○ちゃんが壊すんでしょ」とも言っている。人の非を直接あげつらってばかりで、人格の低劣さ・卑小さが嫌なほど伝わってくる。私はただ記録精神にしたがって記録を取るのみである。作業の気分が減退した。こんな不穏な争いをそばに、誰の作業の意欲が亢進しようか。



2016/10/09

本日は2:10の第一アラームに目覚め、珍しく私は二度寝でも即座の起床でもない押入れでの時間を過ごしてから2時29分に起床した。



2016/10/10

本日は1時10分ころに目覚め、1時28分に起床した。1時20分過ぎは1階で母親が何かをしていたようであるが、それまでのいつから1階にいたか不明である。1時47分から、前日の予定であるゴミ出しと自販機通いを始めた。今も青い部屋着のトップスを着ない生活をしてあり、この外出に当たっても青い部屋着のトップスを着るのみで、スウェットなど暖かい恰好にはしない。一応、防寒のため、手袋は着けておいた。やはり外は、冬の昼間くらいの寒さではある。星と雲が疎らに浮かんでいた。東北東にオリオン座が見えた。

ゴミを出してから目的の自販機に向かうと、近くの集合住宅の前の道路わきにライトを点灯したままの車が止まっており、私が15mほどに接近したところで発車した。後にはしゃがんだ男女1組がいた。彼らの前をスルーして公園の敷地に潜り込んだ。2分以内で再度同じ車が現れてから彼らはどこへ消えたか不明だが、いなくなった様子を確認した。この間、改造マフラーのバイク2台も通るなど、3連休とはいえ夜中なのだから自重してほしい。自販機は売り切れこそ無けれども、硬貨が認識され鵜に釣銭受けのところに流れてしまうので、この自販機を諦めて別の自販機で280円の買い物をして帰路に就く。2時4分に帰宅した。

前日就寝時に飲んだ下剤1錠や、本日10時以降に淹れて飲んだコーヒー1杯(右時刻にも少量残してある)の効果により、11時29分からトイレに入って長めの一本糞を出した。最中、こんな時間になってから起き出した母が、荒い足音を立てて1階や2階を上り下りした。トイレなどの軽い用事で部屋を開けた際に私は自室のドアを半開きにするが、これをわざわざ閉める癖が久々に確認された。取り乱しているならばそのままでいればよいものを、母は人に不快感しか与えられない。そして、洗濯や顔洗いや食器洗いを始めた様子である。



2016/10/11

本日は2:10の第一アラームが鳴る数分前から意識があり、2:24の第二アラーム直後に起床した。2時39分から、前日に不良状態を確認した自販機の調査に出た。前日という当日は、月曜日でも祝日であるから誰かしら自販機に触れていよう。それでも変化が無い様子であれば、次に商品を納入する業者が「一つも売れていない」と気づかない限り、異常の改善は見込めない。自販機の現状は、やはり前日と変わっていなかった。釣銭受けに小銭が流される(過去そういった現象も無く金を認識せずに飲み込んだままの異常もあったが)。この自販機は次に商品を納入する業者が来て異常に気付いてもらえない限り、一つも商品が買われないでいよう。なお、オリオン座に関しては前日に東北東に浮かんでいると記したものの、本日は中央寄りの南西であると正確に見取った。前日の時刻とは1時間程度の差があるが、当時でも東北東は有り得ないと感じる。

4時30分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時20分ころに自室へ帰った。10時半ころから母親が買い出しのため発車した。10分後、掛け布団のカバーの洗濯と、中身の干し出しを始めた。既に先の風呂(シャワシャン)の洗濯物(弟のパンツ・靴下含む)を母が干し出している。15時過ぎに母親の車が帰ってきたので布団カバーのみを取り込んだ。15時14分にラーメンに使う肉・野菜を茹でている最中、母親から洗濯物の取り込みを頼まれ、前回(9月27日?)のおさらい宜しく説明を受けた。速やかにその通り実行してきた。ラーメンを食べている最中の15時35分に母親から呼び出されて菓子類なり総菜類なりを分配された。総菜類は常温放置で明日に食べる。ラーメンは、たまに具材の身を残すことがある通り、残して明日の料理に使うかと思う。15時42分にまたも肉まん類の分配に呼び出された。今回の買い物の品は既にシウマイ・ワンタンという、初めて私に買い与えられたものがあるが、肉まん類は恐らく1年9か月ほど食べていなかったと思われる。

本日はPCの異常が重なったが、18時台からはIMEの変換の候補が出なくなったが、Chromeでの操作の確認のみの判断なのでメモ帳など他のソフトを使用した際にどうであるかは不明である。18時18分にen.wikt: 末の記事で右クリック翻訳を行っているとChromeのブラウザが強制終了した。再度Chromeを立ち上げると、IMEの挙動が元に戻った。まさに「無因無作無殘禍」現象である。



2016/10/12

謎の翅

本日はまず0時20分台に目覚めた。母親が1階リビングでテレビを見ている。私は耳栓を部屋着のポケットに入れておらず、しかも起き上がって取りに行かない。そのまま自重して耐えると、0時40分に母親が2階へ上がった。直前の母はテレビに笑いだしたり、荒くドアの開閉をするなど、夜中に自重しない暴れぶりだった。再度眠ってからは、2:40の第3アラームが2度目に鳴らされた2時45分に起床した。5時58分から、前々日下剤飲用の効果の残余と本日のインスタントコーヒー1杯分のカフェインパワーでトイレに入り、小・中・大のサイズのものを順次排便した。この間にWindows 10のプログラムが「アクティブ時間外に行う」と予告している更新をさせてあげた。

9時44分に母親が発車した。昨日に引き続き、寝具の洗濯を行うべく、まず2階バルコニーの様子見をして案を深めた後、弟の部屋に入ると畳まれたノートPCの上に母の書置きがあった。そこに「20時ころ帰宅する」として、弟に食事や洗濯物に関する指示が記されている。中には、「14時ころに○○(私の名前)が取り込むかも」という根拠の不明な予言が見えた。今のバルコニーの状態はあまり好ましくないので、私が可能な範囲で処置して問題がないと考えた。順次、タオル類や布団カバーの洗濯を行う。

9時54分、部屋の未開封の食品を保管している場所を4か月ぶりにいじってシリアルの袋(16年4月27日製造)を取り出すと、置き直した場所に虫の翅が1つ落ちていた。不気味な印象だが、これを手に取って観察してみた(写真撮影もした)。まず、この翅の横幅は0.7mm程度である。吐息などで吹き飛ばされやすいほどに軽量であるが、荒いつまみ方でも変形せず、羽の骨(?)は折れないほど丈夫である。指先で変によじったりするとテントの骨がはずれたような状態に変化して直らない。

12時45分からトイレで多めに適度な硬さのもの(中サイズ?)を複数本出した。キッチンの床で数時間も足をピクピクさせている1匹の蚊を始末した。13時22分に書置きの「予言」に関連するメールが届いた。弟の洗濯物を代わりに取り込むよう指示された。最初から私に任せるつもりでありながら今まで話さず、しかも私が実行しない場合を考慮して弟に先にあの書置きで17時に取り込むよう記したのであろう。醜さが極まっている。14時前に布団カバーを裏返すついでに弟の洗濯物を取り込んだ。


15時40分から、よくある片手鍋をフライパン替わりにして焼く料理を行った。材料の詳細と追加した経緯を省くが、うち、あんまんの皮にケチャップをかけて焼いたものは牛肉と共に食べるとマクドナルドのハンバーガーそのものの味わいとなった。



2016/10/13

本日はまず1時10分台に目覚め、再度浅い眠りの状態で2:10の第一アラームを聴き、2時11分に起床した。なお、前日は、就寝以後の20時21分に母親の車が帰った。母親は同25分に洗濯物の処置について私に尋ねた後、弟にも洗濯物に関する質問をしていた。

18時前から弟と母の夕食が始まった。色々と会話内容は耳に障った。母から険悪な方向に誘い入れる面もあるからである。彼らの夕食の終わるころ、配達物が本日夜に家へ届けられる話を弟にし、到着次第、受け取るように頼んでいた。前日、母親が外出して直後にヤマトの配達があったものの、後回しとなった経緯がある。19時28分にヤマトの男性配達員が来て弟が応答した。この男性配達員はNかSか他の誰かも不明である。配達員を前に弟は「おいしさを考えられてるかな」という独り言を続け、配達員も色々と返答していた。その後、色々と経過があったが、段ボール箱を開けた母親が19時35分に2階へ上がったため、少し確認すると、定期的に届くレトルトカレーと米10kg袋であった。母が開封時に発した「マジィ!?」とかいう意味不明な感嘆の原因は看取し得ない。



2016/10/14

本日は2:24の第二アラームが鳴る前に目覚め、2:40, 2:50のアラームを経て3時1分に起床した。3時40分からchromeでのドラッグ操作が行えない異常に気付いた。IEなどでは当然できる。chromで行えなくなっているドラッグ操作とは、範囲選択をした文字、単なる画像や、文字や画像のリンクといったページ内に表示している情報のみならず、ブックマークバーのリンクなども操作できない(タブの操作は未確認)。最初は画像リンクで気付いたことから、稀に発生する、そのページを表示したタブ1つのみの異常かと思ったので、タブを消して開き直しても異常が改善されなかった。ブラウザを再起動したり、chromeの最新版があるそうだからこれを更新しても改善されなかった。そこで、4時19分からPCを再起動をした。こうして改善・・・元通りとなったが、時折こんな不条理が起きては何もできない。

7時0分過ぎ、とあるファイル群のバックアップを発案して圧縮作業などを行った。7時5分に某アップローダーサイトへのアップロードを始めたところ、98%までアップロードされてから数字が止まり、chromeブラウザも停止した。この間、IEでのネット接続を行って「アクセスできない」画面が表示された。chromeが停止から立ち上がるとアップロード進捗の100%の表示の直後に12%へ落ち、28%で再度chromeブラウザが停止し、また立ち上がったところで「失敗」に切り替わった。何だこれは、と思う。あのWindows 7機と全く同じ挙動である。2011年6月末に購入され、2011年10月の動画投稿活動の最中にこういった異常が頻発した経緯がある(当時が胚胎でありWin7機は常に頻繁に同じ状態に陥った)。気を取り直してアップロードの手順を取り直して再開すると、低い進捗率のまま同じように停止・フリーズし、特定の操作を行うと、案の定、chromeブラウザが強制終了した。何という体たらくであろうか。たかが二十数メガバイトのファイルである。あのWin7機は1MB未満のファイルもアップロードが中断されることはよくあったが、よく似た以上に呆れてしまう。私に付きまとう不条理は、いつもこんなものであろう。

2011年から始まったWin7機の異常との共通点は、アップロードのための接続でのみ狂いだすという点や、アップロード失敗状態からまもなく別の接続は容易に行える反転という点がある。ただし、Win7機の以上に対して輪をかけて悪い点はブラウザのフリーズを兼ねるところであろう。そればかりはWin7機の2011年には一度もなかった。同機で後年にそういう事態はあったと考えられる。

Win7機と同じく、再起動してもろくに変わるはずはないと思った。2011年当時は色々と身を砕く思いで試行錯誤していたが、どれも役に立つはずはなく、勝手に改善しているか、また勝手に挙動や接続が狂うか、という状態に一喜一憂するしかなかった。このWin10機も蓋然的に推測される。この私には自明の理である。PCを再起動してIEでのアップロードを行っても1%止まりで「失敗」としかならない。最初のchromeの"98%"とは何なのであろうか?一連のアップロード関係の作業や記録には40分以上があっという間に経過した。当然、アップロードできる・できないということは問題でない。緊急性もないから問題ないし焦りもしていない。逐一こんな不条理が発生することを憂えて記録を行う所存である。

先のアップロード問題の対処の途中である7時37分に母親が1階へ降りてきたり、前日の経緯も含めて「仕事」とされる目的で外出すると思われるところが、10時を過ぎても外出の気配が薄い。1階に何度か降りてきたり、謎の水筒とおにぎりがキッチンのテーブルに置かれる程度である。本日実際に外出をするとしてとも、一昨日の「仕事」の時よりはずっと出発が遅い。いつものことである。不安定・不明瞭であり、不愉快にも思うが、無問題である。この事態も、ただ記録精神に則って記録を行う所存である。こう綴った5分後の10時41分に母親が初めて家を出て1分以内に発車した。

3日ほど炊飯ができない状態であった(種々の問題=炊飯器の残り物の有無や自室冷蔵庫の容量など)ため、炊飯準備を行ってから風呂(シャワシャン)の準備を始めた。炊飯準備の折に靴下が濡れるはずのないところで濡れる異常があり、11時6分から始めた風呂(シャワシャン)の準備の折には原因を特定した。自室と部屋の間のドアのあたりが濡れていて数時間前に水を汲んだケトルを運んだ際にこぼしたものと考えてもよいが、実感はない(そんな多量にこぼした経験もないし少量のこぼし方でも気付くものだから)。黒い絨毯をも濡らしているようで厄介だった。畳にどんな影響が残るか恐ろしい。ついでに冷蔵庫の下の部分も異様な濡れ方をしていたため、絨毯をめくり・・・。説明は省略するが、一連の絨毯問題に関連して10分ほど時間を費やした。風呂(シャワシャン)は早く終えて11時43分に自室へ帰った。普段も、1年以上前と比べて早めに終える私だが、今回の所要時間は30分未満であるから際立っている。ところで、本日は酷く不条理続きである。PCの件でも、初めてのWin7機に如く異常事態に憂慮するのに、剰え実生活の方にも異常事態を確認できた。「気付けて幸運」などとは楽観視できない。午前のうちにこういった問題に連続して直面する私だが、ここ数日は日に日にひどい思いをしてきただけに、痛手となる。

風呂(シャワシャン)の間は雑巾を浸け置きしたり、衣類の洗濯も行い、風呂(シャワシャン)を出て以後に2階バルコニーへ干し出したりした。15時50分にこれらを取り込んだ。干している時間の日光はあまり強くない状態が続いた。



2016/10/15

前日いつ母が帰宅したか不明だが、寝ていた23時台に一度目覚めた際、母親の声が聴こえた。弟と何か喋っていた様子だが、それ以前にも一度聴こえた記憶もある。本日は2:50の第四アラームで目覚めたようだが、それ以前もあるのではないか?1分以内に起床したためにそれ以前から意識があったと考えてしまう。もしそうならばその時その時でしっかりと記録を取るか記憶に残すよう心掛けたいが、それはやはり今年の4月頃までは実現していたのではないか。なお、母親はテレビを見ながら独り言をしたり、「イタタタタ・・・」と漏らすなど見苦しい様子を見せた。「ババアさっさと寝とけ」3時28分に母親が2階へ上がった。キッチンには大量の緑茶の茶葉が捨てられ、350mlのビール缶が2本見えた。「疲れている」はずの日にこそこんなカフェイン・アルコールを取りたがる異常者である。にわか酒飲みの母は突然こういう飲み方を行うから気色が悪い。

前日の掃除・・・絨毯の処理に関連してか、本日は起床から2分ほどして目の痛み・充血・涙・鼻づまり(鼻詰まり)を自覚した。あの作業は11時台のみならず、幾度かトイレットペーパーを絨毯と畳の間に挟み込んで吸水・取り換えなどを色々としていた。11時台の絨毯の処理では、後でどうなろうと構わずにドライヤーをふかしたりしていたが、厄介な分子が嗅覚で感じられるのみならず、身体に害が生じているようである。厄介な分子が目に直接的な影響をしているのか、鼻を介して鼻炎の副次的症状で目に間接的な影響をしているのか、不明であるが、この際どうでもよい。

前日、23.3MBのzipファイルアップロードできなかった経緯を思い出したので8時43分に再度同じアップローダーサイトでアップロードを試みた。普通にアップロードされた。言うまでもないが「無因無作無禍根(無殘禍)」の醜態であるが、これが時間をおいて何度も頻発するものがWin7機であった。このWin10機もわけのわからない異常が数えきれないほど発生しては逐一記録を取っていないものの、顕著なものは昨日の日記メモと同様に記録を取っている。

前日19時台に下剤1錠を飲み、本日6時以降にもコーヒー1杯を淹れて2時間ほどで飲み切ったが、9時50分台になってようやく便意が強まってトイレに入った。小サイズ複数と長めの一本糞を出した。

12時台から1階にいる弟に母親が干渉して料理に関する話が始まったものの、険悪な方向に進んでいった。母親は、6月の警察・特別支援学校教員らが訪問した日に男性教師2名が「男性だから料理の仕方がおかしい」とか、「あの人たちは社会でお金がもらえない人」といった発言をしていたが、細かいことを指摘するのも億劫である。ほか、弟が「お前は昭和の人間で時代が違う・今は民主主義で自由・お前は共産主義者だ」という発言をしていた。彼がその意味を理解しているかはともかく、実際に母親が古い常識に囚われている点や、母親はニワカ共産党員であったり、しかも強権的な人間であることは事実である。過去記事・メモに仔細を任す。特別支援学校教員の男性2名への罵倒以外にも、自分以外の医療従事者が間違った人間だとかという趣旨の発言もしていた。自他といった対立概念を善悪で完全に分離してしまう母親は恐ろしい。母親の一言一句が誇張にしても、弟の「母親は戦争の原因だ」という指摘もまた正当である。弟のキレっぽいところは大概にすべきだが。弟の暴力(母への脅迫・絵レプリカ額縁への攻撃)が始まって少し落ち着いたときに母親が「先生や友達を蹴るのはいい・学校の絵を蹴っ飛ばすのはいい・うちでいい子で外で悪い子にしなさい」という、三毒所産の極論中の極論を弄していた。都合に合わせて凄まじい戯言を垂れる発想は天魔というほかない。自他・内外・善悪・利害が分断しまくっている。二分思考・二項対立論は、やはり三毒が産み出すものと仏教徒は俗人の振る舞いから学び取る必要がある。いつまでも変わりない母親の畜生・修羅・地獄の生きざまは須らく反面教師とすべきである。醜悪なる母親の言動に、世間での「人格者・勝利者」などと誰も感じるはずはない。

13時10分台からも中サイズ1・2本程度と長いものを出した。14時40分台からも主に中サイズのものを多く出した。今回は「軟らかくも排便しづらいタイプ」のものである。17時前からも中サイズ複数本を出した。



2016/10/16

本日はまず0時20分台に目覚めた。母親が1階でテレビを見ている。前日は21時前に就寝したため、睡眠時間を短くなろうに、母親が私の睡眠の質を下げてくるし、二度寝に分けると寝過ごしかねない。耳栓を着けて再度眠りについてから実際には2:50の第四アラームで意識がはっきりしたため、2時53分にはすくっと起床できた。

本日は10時台に弟が外出し、母親もいつからか外出をした様子である。15時30分台に弟が帰宅して風呂に入り始め、母親は15時50分前に帰宅したが、どうにも弟の施錠を解いたようである。長年存在が不明だった玄関ドアの鍵を、いつの間にか発見したか、新調したか、といったように考える。18時55分、自室のPCに向き合う側の窓に母親がアレを施した5月以来、久々にその窓から月が見えた。それも満月である。本日10月16日の夜は綺麗な満月である。先月などは不安定な天候であったし、満月であっても無くても見えはしないはずである。なお、この窓から見えた月を写した写真は2015年の9月2728日両メモを参照されたい。



2016/10/17

本日は2:10の第一アラームが鳴る前から漸次意識がついた、という認識であり、そのアラームが鳴る直前につぶやいた一言を覚えるようにしていたが、この日記メモを書いている時点では失念した。2:40の第三アラーム以後の2時42分に起床した。

14時57分に母が発車したが、その手前に家のそばでアイドリングを続けている母親から電話がかかった。弟がいついつに帰ってくるからそれまでにリビング・階段などの掃き掃除を行えという指示であった。ほか、16時過ぎに雨降りがあって母親から弟の洗濯物を取り込むよう電話が入った。18時前に母親が帰宅した。またも私を呼んでリビングの窓が開いているか確認する指示があった。これは事前に確認済みである私が、今すぐ開ける旨を伝えた。いずれも素直に実行した。母親はその後、私の行動におけるいくつかの点について不満をを漏らしていた。

他人のために動くなど無意味である。他人の言うことは聞いてその通りに行動する。しかし、他人の利益のためではなく、自身の心を清らかにする修行として素直に行っている。もし他人も自分と同じくらいに高尚な人間であれば、その人のために動く、という意思を伴ってもよい。なぜならば、相手も同じような意思で行動して相互利益となるからである。そうでない他人などのために利他の意思を持てば、かえって相手の逆撫でするような言動に失望して憎悪を起こす。一方的な愛情で金銭を貢ぐ人間の悲劇は御存知であろう。他人の言うことは聞いても、他人のためと思わない方が素直な行動に終えられる。要するに、他人に使われた姿勢ではなく、自ら仏法の利益を求めた動機である。これが仏教である。仏教だ!!!こういった経験を通して母親は人間のクズであると何度も実感する。相手がクズでも相手への思いやりで行動できるという菩薩には成りづらい。母親の注文以上の行動も行わないが、仮にも私は、リビングの窓の鍵の件など言われる前から確認済みであったように、母親を思いやっている。小乗仏教の修行者にも成れない。

18時30分過ぎにヤマト男性配達員(Nか?)が来た際、いつも通り(逐一記録しない)母親は弟を呼び出して応答させた。届いた品物について母親は、頼んだ覚えがないと言いつつ、箱を開けてから「猫のウンチが多いから猫を殺す・・・、殺すんじゃないや追い払う、自分で頼んだことを思い出せなかった」といった独り言をごちゃごちゃと始めた。弟も無言である。品物は、いつもの猫忌避剤・消臭剤(3月17日メモ)である。あの忌々しいイラストの商品であろう。いちいち独り言を始めてみたり、数分後にも「忘れていた、思い出せるわけないよ」といった独り言を復活する様子であった。18時43分に別の食品を手渡しで受け取る際、母親に不手際があったので一言を挟んでみると、同じような内容をオウム返ししてきた。爪を立てられた。それ以上に論駁すると私が仏教的に負けであるから忍従に徹した。直後の母親は気を紛らわそうとテレビを付け始めた。



2016/10/18

本日は2:10の第一アラームに目覚め、布団と戯れてから2時37分に起床した。5時台、本日は風呂(シャワシャン)を行わないつもりでいるため、下剤1錠を飲んだ。軽はずみかもしれない。飲んで1時間以内に軽度の腹痛が発生した。11時前からコーヒーを飲み、下剤との相乗効果で11時20分以降に30分程度は強めの腹痛に襲われた。それだけで止んだ。13時台に一本糞を出した。14時40分台に軟便を出した。



2016/10/19


本日は4種アラームのうち3つほどは聴いて止めた記憶があるが、いずれもすぐに起床せず、気づけば3時9分の時刻を確認したため、ここで即座に起床した。3時20分台、数日来の予定であるゴミ出しを行うついでに少額の自販機通いも行おうと外出した。自販機では目的の160円の品物は釣銭の都合が悪そうに見え、時間を掛けずに110円の品物1つを買うに留めた。別の料理の途中であるから、終始急いだ。なお、空には真上の南寄りにオリオン座、西南西寄りに欠けつつある月が見えた。4時10分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時前に自室へ帰った。この風呂(シャワシャン)の折、右膝に大きめの痣を確認した。この生活では稀のことであり、恐らく前日にぶつけた経緯に原因があろう。

9時30分前、母親から外出の話を聞き、洗濯物の処理について指示があった。以前の2度(12日・14日)と同じく20時ころに帰るという。9時40分に母が発車した。9時台前半から家の周囲で何らかの工事が始まっていたが、11時にE2邸敷地内に重機などを確認した。14時台は家の前の通りでトラックなり重機なりが物凄い騒音で動作し続けた。E2邸とK邸の敷地の境界に広く溝が掘られた様子である。その場所に、フェンス・柵・塀の類を築くであろう。

14時47分、保健所・○○××課のS(いつもの女性)から電話が入り、10月31日14時に例の通りSとUの2名が訪問する予定を聞いた。簡潔に終了する通話であった。



2016/10/20

本日2:10の第一アラームに目覚め、2:24の第二アラームを経て2時31分に起床した。11時44分に母親から電話が入り、1階の一定の範囲の髪の毛の掃除を支持された。本日、母はまだ1階に降りていないはずであるからこの電話に奇怪な印象を覚えたが、弟の外出前に弟の質問に応じて1階で歯磨き粉を取り出す様子があったため、この際に確認した可能性は考えられる(合理的な擁護をしてあげる場合の話)。電話の途中で母親が頻繁に掃除機をかける(周期的な気まぐれで全然行わない時期もある)行為の理由を尋ねた。絨毯のホコリが主な要因であるという。ともかく、別の作業を済ませた2分後に掃除を行った。仏教徒を自負する私は、頼まれたらば相手の心情を推量しつつ、肯定的に受け取り、掃除であれば綺麗にして喜ばせるとまで言わずとも、可能な限り綺麗にする心掛けが必要であろう。私にとり、本心から相手を思いやるとか同調するということは難しい。しかし、この発想を持つことができるので、徳が養われている証である。知的なボクちゃんが、本心からそう行動できるとき、己の不満を起こさず、掃除の結果もおよそ満足できるものと、自然になろう。これですら観念的理想論かもしれないが。あの母親が相手である場合は特に・・・。



2016/10/21

本日は3時3分に起床した。3時12分に下剤1錠を飲んだ。下剤の効果を感じられないまま、前日からの予定である仮眠の実行のため、8時10分ころから押入れに就き、9時14分に起き上がった。先週の金曜日と同じように弟の登校直後である7時30分台には1階リビングに居始め、この時は7時50分まで続いた。その母親は10時40分に家を出て間もなく発車した。先週金曜日と同じような動向となっている。今週水曜日と先週水曜日の両者の間も発車した時刻が近い。

12時台からインスタントコーヒー1杯分のカフェインが私の体に取り込まれた。先の下剤1錠と合わせて漸次腹の違和感が強まり、痛みを伴って動きづらくなる。15時17分から、下剤1錠とインスタントコーヒー1杯分の効果の便意で、トイレに入り、主に長めのモノを複数本出した。



2016/10/22

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2:50の第四アラームの直後に起床した。前日の私は20時前にPCを終了したが、その後は音楽を聴きながら独り言をしたり、21時前から起き上がって絵を描くこともあった。そのような中、21時20分に母親が帰宅した。何らかの買い物をしていたが、弟や私の動きが気に障ったらしく、かなりの動揺と怒りを伴って弟に愚痴を続けた。弟が2階に戻ってからもグチグチ小言を続けるなど、疲れがかえって気を乱しているようで、有り余った力を最大限に業を煮やす母であった。私の憐憫の言葉も怒りの声と歪曲して受け取られた。元々認識が歪んでいる者とはいえ、今回は自他の精神を破壊しようとする悪魔の性質が強すぎる。母親がしばらく2階にいる間、弟が巨大な物音を立てることもあった。また22時ころ、母親が再度1階に降りるとテレビを付け始め、音量を大きくしていた。母の心は自他を苦しめるものと、気づきもしていない。私は耳栓を着ければ何ともない。私はいつも他人への思いやり、同情の精神でもってこう書いている。ああいう人間は、そういった心の理解さえもできはしない。自他に苦しみを作りたがる四悪道の人生である。

排便に関する記録の記述を消失した。4時台だったか、前日の下剤の残余と本日のヨーグルトの効果による軟便がそこそこ出た。ヨーグルトは時間経過の乳酸菌の作用よりも、その知識による条件反射的な短時間での作用の方にこそ便意の期待がかかるという話もある。本年5月12日メモにも似たような話が綴られている。

午後以降は、弟が2時間ほど漫然と1階リビングでテレビを見ていたり、16時台に母親と弟の争いがあったり、18時ころから変な声で母親を恨む独り言を続けながら弟が一人で取る夕食の準備を行う様子があった。元々慢性鼻炎のような弟が、常に酷い鼻声と酷い鼻すすりなどを続けていた。前日の弟は朝4時台からスパゲティの調理をしていた中で鼻炎を理由に学校を休もうとしていたこともあった。過去記事には『過去記事に「(2015年)2月のいつより (中略) さながら豚の啜り泣き」とあるほか、7月29日メモには夏風邪と生活習慣についても記録している。」』と書いた。なんだそれ。すすりなき。すする。すすって。豚みたいに。へぇそう。啜るって。

19時38分に私を狂わせる悪魔が私を狂わせた直後に2階へ上がった。やはり悪魔でしかない。私に色々と言わせて卑しい人間に仕立て上げる邪魔邪鬼がそこら中を跋扈している。私に悪の三業を生ませるだけ生ませている。それを生まないよう禅定・精進しているというのに。そうさ所詮は独り言だが背徳感や罪悪感を誰よりも感じる。真摯な修行者だから当然である。もちろん適当な理解によって水に流すスキルもある。私の徳はかなり高い。また、仏教徒なので当然、今までに弟のそういった豚声・豚音を聴いて今の病気と今までの人生への憐憫・同情という慈悲は持てるが、豚声・豚音を長時間、私のいる部屋のふすまを隔てたそばの空間で垂れ流すことは別問題である。



2016/10/23

本日はまず1時50分台に目覚めたが、1階に誰かがいてテレビをつけたまま電子レンジを操作していた。4種アラームを全てOFFにしてから眠りにつくと3:59の別件のアラームが鳴った際に目覚めた。これは急いだほうがよいため、即座に起床した。この間も1階か2階で足音が聴こえ、数分後には2階トイレの流される音が聴こえた。一連の動きは、前日の夕食を一人で取った弟の経緯から、深夜の時間を1階で好き勝手に過ごす母親ではないかと考えてよい。逆に、母親が夕食を過ごすと弟が深夜の時間に1階を占めることが多く、そのために想像が付きやすい。ところで、前日の就寝時は尿意を多少残した状態であったが、この尿意によってもしもの事態でも眠りすぎずに済む可能性を期したが、結局はこうして二度寝が2時間に渡った。本日最初の排尿も6時30分過ぎであり、残した尿意がなんであろうかと思う。



2016/10/24


本日は2時44分に起床した。前日の就寝時にも尿意を残しておいたが、これは前々日の就寝時より強めのものである。4時半前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時14分に自室へ帰った。5日前の風呂(シャワシャン)以来に右膝の痣を見る。少し引いた程度であり、黄色系への変色も見られた。

13時30分、母親が私に15時ころの洗濯物の取り込みを指示してから「散歩」と称する外出を始め、14時20分ころに一旦家に戻ってからは水撒きをしてから買出しに発車した。本日の風呂(シャワシャン)に当たっては午後以降に晴れる可能性を期していたが、母親の発車までには日光が感じられてきた。17時過ぎに母親が帰宅した。



2016/10/25


本日は2:10の第一アラームに目覚め、2時37分に起床した。9時台、PCのアダプターのコードなどが集まった空間にクモの巣を確認した。全長5mm程度の子グモが作ったようである。今月上旬から確認されている、自室の窓の外に張られた立体的で複雑な巣(綺麗な網目ではない)を営む中サイズのクモの子が、その窓の網戸を介して部屋に闖入し、ここに巣を作ったものと思われる。倶巣の特徴がそっくりで、糸も細い印象があり、同種のクモの子グモと見て問題ない。思わず、一定範囲をティッシュに取り上げて観察した。脱皮した後の皮も確認できた。営巣は前日か本日のどちらかと見るが、その間に脱皮もあったというのか。このクモは私に指を近付けられても避けてティッシュの上を逃げ回る。子グモやコバエなどは、指先の熱気など目に見えないモノに敏感だと思われる。部屋の中に放してもどうせ獲物は無かろうし、網戸から逃がしてもまた闖入が起こりそうなため、6月19日のクモと同じよう、玄関から外に逃がしてやろうとも思ったが、色々と悪い考えを起こすため、やむなく殺めておいた。

9時51分に母が何らかの用事で発車した。12時23分に車が家に着いて10分程度は母が車内から出なかった。18時13分、俄かにPCのネットアクセス障害・接続不良が発生した。5分以内に母親が1階に降りてきたので、母親の部屋に上がって無線LANルーターだかモデムだかをいじり、部屋のPCを確認するとすぐに復活していた。



2016/10/26

ガムテープ 髪の毛 髪
1年前の10月17日にも化学繊維のガムテープによる髪の毛掃除の写真を撮った

本日は3時0分、開いたままの携帯電話で時刻確認をした直後に起床した。それまでに4種アラームの一つでも聴いた記憶がない。しかし、携帯電話が開いたままということは、4種アラームの一つでも聴いたはずである。ただ、この3時0分までは意識があったという記憶がある。

9時34分、外出前の母親に話しかけられ、(午後)2時か3時に洗濯物を取り込むよう、前回26日と同じ指示が出た。母親の発車から数分以内に洗濯や掃除を行う発想をしたので行動を始めた。2階バルコニーの様子見や洗濯するものの確認などを行った。1度目の洗濯として長年畳んだままの布団を覆っている茶色の毛布を選んだ。畳んだままの布団に掛けた敷布団カバーも洗おうか考えるが、毛布を洗濯に出す前に、この毛布と敷布団カバーに付着した髪の毛を部屋で落とし、別の場所で毛布をはたいた。部屋に落ちている髪の毛は1階リビングにある紙製ガムテープ(度々場所が変わる)でまとめる。最初の1切れでもすさまじい量(延長メートル換算)の髪の毛が取れた。ガムテープ4切れを使った時点の写真を撮った。敷布団カバーの上に置いている。2回目の洗濯として敷布団カバーと夏場のセット部屋着(衣替えを想定)を洗った。

前日の就寝時に下剤1錠、本日の7時以降に分量の異なるコーヒー2杯を飲んだが、便意は微妙なままである。コーヒー2杯のうち1杯は掃除をしている中に飲み干した。11時過ぎには強い立ちくらみが発生し、手の先は一瞬の間、血の気が引く感覚も発生した。12時20分から風呂(シャワシャン)を始め、13時0分に自室へ戻った。その後もコーヒー1杯分を飲んだ。14時30分台、多少の便意がようやく形となったのでトイレに入り、長い一本糞をひり出した。これまでに幾度と2階バルコニーの出入りを行い、適宜、洗濯物の出し入れをしたが、15時10分台に残る敷布団カバーとセット部屋着を取り込んだ。今まで私の頭髪を焼き付けるような日照りはすでに隠れてしまい、晴れ間が点々と見える程度の空模様に変わっていた。なお、本日1度目の干し出し作業が10時台であり、この時に見られた大きめのクモの死骸と周りの水分は枯渇した。ハエや大きい虫や鳥がこのクモの死骸に気付いて食べたことは無いが、いずれは食べられる運命ではないかと思う。



2016/10/27

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経た2時23分に起床した。前日は21時台後半になっても寝付けていなかったが、なぜ本日はまともな目覚め方であろうか、結局はそういった簡単な要因・反発の要因を並べても足し算・引き算のように単純な結果に事実がなるわけではないと、常々実感する。また、普通の努力をした日に努力通りの報いなどは、そう得られるものでないともわかる。努力とは、不条理の報いばかり起きるならば、不条理を無視できるほど強い精神で挑まないと努力による望ましい報いはそう得られないことになるので、その傾向自体が不条理である。



2016/10/28

本日も2:10の第一アラームなどに目覚めたはずであるが、実際の起床は、おそらく3:59のアラームに影響されたであろう4時3分である。前日は色々と目などを労する作業を続けたため、この悪影響かと思われる。多少、悪影響を想像できていた前日だが、4時を過ぎて起床することは稀であるから驚くしかない。

10時38分、先週の金曜日と同じような時刻に母親が発車した。毎朝4時に行う作業と3:59のアラームの関連性を調査していて過去の日記メモに少なくとも1度は記録したはずの記述が見当たらない。つくづく記録の日々を無駄・無意味・無意義に思う。当たり前である。「その記述を探す目的」という視点からすれば日記メモなど、無意味な存在であり、悪い執着の産物でしかない。人間の心である。物事の基準に色々あって当たり前である。私の感情を誰にも否定はできない。日記メモの存在は全否定しない。なぜならばその目的の視点・基準からそういうのみであるからである。



2016/10/29

本日も2:10の第一アラームに目覚め、2時18分に起きた。1階リビングにいる母親が付けているテレビの音がやたらと聴こえてくる。母親の独り言や物音は全く聴こえない。ふすまを僅かに開けることで、ただ絨毯の端にスリッパが置かれる様子を確認するのみで母親がいると判断できた。さしづめ帰宅後にアルコールを摂ったところか?前日の押入れ就寝(19時30分台)・半角カナ打ちメモを校正して載せる。「(10月28日)20時40分過ぎに母が帰宅したところで私は眠りから一度目覚めた。母親に呼び出された弟の言葉に対して『日本語がおかしい』と言い出した。同時に弟の怒りを嫌うように煩わしい言い方をもしたため、かえって弟が怒り出し、何らかの物体を投げつけて壊すような物音を立てた。その後の喧嘩の声から取るにハンドクリームの容器らしい」

2時47分、母親の独り言も物音も何もなく、疲労+アルコールによる睡眠の仮説を立てたので、改めて様子見をすると、ソファの上で毛布を掛けて寝ていた。1階リビングを豆電球の明るさにしてからリモコンでテレビを消した。1分後に「あれぇ?」などと言い出して起きたようである。軽い睡眠のつもりならば最初からどうにかできなかったものか。しばらく母親から物音が鳴り続け、3時3分に2回苦しくせき込み、3時5分に2階へ上がっていった。

10月23日にから気になり始めた左臀部・尻肉・ケツの痔は10月24日の風呂(シャワシャン)を機に膨張を始めた。本日においては手の平サイズに大きくなっている。痔瘻だか粉瘤だか名称は知らないが、この腫れは、今までの腫れと違って膿を出さないでいる。まるで圧し潰しても割れない風船のようである。今までの腫れの中でも大きかったものと共通する点は、一部分が窪んでいる点である。私の、痔を生まない座り方(擬似円座・蹲踞など踵への負担が強いもの)を行う日々にあってこのような異常事態は未曽有である。そういった座り方により、3日前などはかかとの痺れ・足首や膝関節の痛みなどが発生しやすかった。そんな左臀部を配慮して右半身の臀部や腰部に負担が強まると別に心配を感じる。その心配をよそに、寝そべったりする際に腰に負担がかかると、腫れの影響で腰の左側に腫れと同質の痛みが発生しだした。どこまで腫れが広がるものか憂えている。深刻に思ってはいない。ただ、この生活で普通に過ごしていて突然、自己より原因不明の異常が発生する不条理が嘆かわしい。

本日は2杯分のインスタントコーヒーを飲み、11時10分から便意のためトイレに入り、長めの一本糞と、恐らく中サイズのものも1つ排出した。14時7分からもトイレで中サイズのものを1つ排出した。排便において痔のような巨大な腫れの影響はほぼ無い。むしろこの痛みが便意に作用しているとさえ感じることもある。ところで、この痛みが内に外に広く影響を及ぼし続けるほど肥大化し、病院でないと改善が見込めないほど重度のものであるという危機感が強い。2015年1月23日23時に発生した口内の腫れ(2015年1月28日投稿のメモ帳記事)は破けることなく引いて行ったが、これも同様であると願いたい。象皮病・象皮症のようにはならないでほしく思う。左ももの付け根の方にも膨らみを感じられている。放置していると左脚の切断による治療が必要になりかねないほど進行してしまうかもしれない。そんな中で本日は動きの激しい映像を撮って動画投稿をした。



2016/10/30

本日も2:10の第一アラームに目覚めたと思うし、起床は2時16分である。5時54分から、それまで感じ続けていた便意のためトイレに入って長い一本糞をひり出した。6時14分から仮眠のため押入れに就いたが、仮眠としては珍しく実際の眠り始めから2時間ほど眠った8時30分になって目覚めた。以前も日記メモ(7/6, 7/22, 9/19などか)に綴った通り、仮眠では体を強く痛めやすいのだが、今回は痔の部分だけがズキズキと痛み、他はなぜか痛まないでいる不条理の結果となった。痔をいたわるつもりでもあったが、なぜであろうか。仏教的に生きねばならないし、それができない私は死ぬしかないと常に思う。

13時58分に母親からかけられた電話は今月半ばの小遣いを渡していない確認であった。私はもらえようともらえまいと構わない旨は常々日記メモに記し、母親にも機に応じて伝えるところであるが、同時に小遣いの受け取りを拒むこともない中道にある。母親が決めて母親の意思で続く方針を母親が守るかどうか、「親の心」で見守っているのみであるが、この時、次回からは月に2度に分けて1000円ずつ渡す方針を辞めて1度に2000円を渡す話をされた。14時41分には、明日10月31日14時の保健士2名の私への訪問に関して当事者から改めて電話を「この前(1週間以内のことらしい)」受けたという。そこで改めて私に明日の買出しで母が家を抜けるという話をされた。



2016/10/31

本日は1時台に一度目覚めたり、複数のアラームにも目覚めたはずであるが、起床は3時49分となってしまった。関係ないが、前日就寝時(20時以降)のメモを加筆して載せる。「自覚し得る範囲の病気に罹って日頃を顧みる。肉体の健康のことは論じるまでもない。のくしゃみや鼻すすりは不快であろうし、私の静かに蝕む痔よりも自身の苦しみが少なくして他人への害が多い。タバコの副流煙や公害のようなものと言いたい。苦しみの比較(自他であってもなくても)は小学校の高学年や中学生の時に当たり前の発想だったが、今や他人の苦しみは苦しみで同情・シンパシーを持てる(22日メモの豚云々に同じ)。苦しみの程度は問題ではない。苦しみを比較する発想もない(文章の便宜上は先に比較を行ったが発想としては文章のための思考の中に初めて生じた)。私が彼らの苦しそうな様子(実際の苦しみの自覚はともかく)を哀れむのみである。この痔により、普段の他人の病気に関連する不快感について悔恨と慚愧を覚える。また信仰心を再確認する。病によりて道心は起こり候なり、というような言葉を思う」

保健士訪問に関する思考のメモ「もし話が毎度に渡って同様であり、議論が平行線のままならば、訪問を断ってもよい。相手にまず聞く必要と尋ねる必要があると仮定した上で私の話す必要も生じているが、話す必要性が減るならば相手も聞く必要性を失ってゆく。彼らも人間であって感情を持つため、そういう時には受け入れる可能性はある。また、彼らは業務・公務として私などを対象とした無料の家宅訪問を行っているが、あくまでも業務・公務であるならば彼らの意思に適わない。人権を鑑みるべき行政であるから、人権尊重の一環で私などを対象とした訪問を行う。私としても最近の痔など不意に発生する問題、有事の際、誰かに話ができると良い一面はあろう。しかし、基本的に対価を得ない慈善団体やボランティアの活動とは異なるので、彼らの事情に符合しない。こういった観点で、今回ないし数回以内には彼らの訪問を断る可能性もある。」

前日の就寝前に下剤1錠を飲み、本日の8時以降にコーヒー1杯を淹れたが、10時前から便意のためトイレに入った。中・長サイズの複数本を出した。本日は8時台後半から水道工事の車両が出入りしたり、一部の路面のアスファルトがはがされたり、側溝のアレも外されるほど激しい作業を行っているが、12時46分から母親が発車した。その直前から風呂(シャワシャン)の準備を始めた。5日も入らずに保健士の訪問を迎えようとは、自覚した最初こそは問題でなかったが、痔を見せる可能性を思うと排便複数回の事実を鑑みて消臭すべく思い立った経緯がある。13時30分に自室へ帰り、さほど急がずに身支度などを行った。

14時の直前に保健士2名が訪問した。痔(のような何か=腫れ)の話をする経緯もあったので、見せることとなった。Sさんが患部を触ったり圧したりした。2012年7月の火傷・病院の時と同様に見せる必要に応じて拒まずに見せるし、勃起もしない。40分程度で2名が帰った。15時以降、かねて考えていた坐薬の使用を狙って母親の部屋に上がった。坐薬は見つからなかったが、痔のための塗り薬・軟膏「ボラギノールA」があったのでティッシュに押し出して患部に塗布(貼付)した。ティッシュを付けたままパンツを穿いた。16時前に母親が帰宅した。18時前、自販機通いのために外出した。明日の夜中では雨降りが懸念されるため、このような早めの行動を選んだ。

当記事注: 彼らの訪問の受け入れは、「脱・社会」の私による、「順・社会」の反面を備えた「中道」の理念を保つ目的もある。彼らの訪問においても、こういった仏教的な物事の見方に基づく側面は強い。脱・順の話は11月中旬に当メモ帳記事として投稿される。