2015年10月3日土曜日

Google+ 2015年9月中の日記メモ等

2015年9月も、積極的に日記メモを投稿しつつ、計画的に間を置くような時もあった。
その点の是非は、9月23日のメモに記述している。
また、1メモあたり文字数は多めの前月から今月も維持し、相変わらず1まとめ記事あたり文字数の多さのため、トップページの表示が重めになろう。
Bloggerの仕様だから仕方がないとはいえ、日本の諸ブログサービス同様、「続きを書く」機能(livedoor)であるとか「追記の編集」機能(fc2)であるとか、この二つは名称が異なるだけで、機能の構造としては基本的に一緒であり、こういった機能は横野真史名義以前から重宝している。
これに準じたものがBloggerにもあると良いものだ。
その辺のニーズは海外のユーザーにおいて無に近いようだし、Googleサマに期待は出来ない。

メモ記入日の一覧
1 3 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 20 23 24 25 26 27 28 29 30
・斜め太字は画像付きの日。
・リンククリックで当該日付のメモへジャンプ。この方法は当該日付の手前に<div id="日付">要素を付加し、上の一覧の数字に"まとめ記事パーマリンク#日付"をリンクすることで実現。



2015/09/01

本日9月1日0時以降に寝始めて、最初に目が覚めたのは未明のことだったが、まだ外は真っ暗であろう。少し経ってから猫の声が聞こえ始めたが、怯える夜鳴きではなく、敵にまみえたときの威嚇っぽい声であるが、私には猫が1匹だけでそれを奏でているように思えた。夜中に猫の声を聴くのも、2014年と比べ大分少ない方なのだが、たまにこういうこともある。今年は日記メモなどで少々、2014年だとかはあの当時で野良猫について記事や動画で扱うことが多かった。

再度寝てから目が覚めたのは5時頃のこととなり、意識が付いた時は雨の音を感じたが、俄かに外が光った時、嫌な予感がして「な」と一言呟いてみた。すると大きくて長く続く雷鳴があり、相当の近場に落ちたのかもしれない。結局、8月29・30日(後者はメモ無し詳細は31日メモ)のように5時台起床を、今日も記録することとなる。つまり、こんなことで向こう16時間以上起き続ける「一日」が始まる。二度寝でも都合5時間弱とは、いかがなものか。また、私の体に合わないが訓練・修行だと思って耐え忍びたい。



2015/09/03

9月2日は21時台に寝始めるつもりでいたが、実際にPCシャットダウンなど寝る準備が終わったのは22時半過ぎである。アラームは朝5時30・40分に設定され、実際に5時半頃、アラームにより目覚めて起き上がった。予定通り、炊飯作業を始め、8月26日の買出し品の一つであるレトルトカレーを調理し、出来上がりは置いて取りあえず食べ終えた後記事の編集などして過ごし、弟が遅れて朝7時47分に小走りで登校を始めた折、風呂(シャワシャン)の準備を始めた。

風呂を出たのは8時50分ころであり、母親は1Fリビングで何かの作業をしていたが、今日は私が起きた5時台に2Fトイレの出入りがあった。風呂に入っている間、8:30ちょうどにメールが着ていて、買い物方針について綴られていた。母親がイオンの混雑を厭う5の付く日と、普通の0の付く日であり、10月も同様の予定だという。風呂を出てからというもの、髪を乾かさず記事の下書きほか既存記事の追記などに没頭していた。

11時過ぎから母親の動きが出たり、郵便配達車が我が家側に停車して向かいT家を訪ねた際も、車に戻ってきた配達者に話しかけるなど見られ、11時半以降外に出たっきりである。13時過ぎに私が籠に出した洗濯物を見ても、母親は洗わなかったようであるから自分で洗うにも、風呂干しのための道具が1Fに無い。2階の母部屋に上がると、案の定弟の洗濯物がついたまま道具はバルコニーに干し出されていた。しかも外は雨が降っている。なぜかバルコニー用のサンダルが転げている。

実は元々、この雨に晒されている洗濯物は私がシャワシャン前の風呂場にかけられていたもので、風呂に入りたいときの通例にならい乾いていることを確認して1Fリビングに移動したのだが、それを母親はそのままバルコニーに移動したのだ。不必要に天気が悪そうな日にバルコニーに移動させ、しかも謎の外出に出向いたまま放置させようとは、やはり家事に慣れていない人間だ。

緊急事態とはいえ、メールでの指示も何も無い今、私が取り込むと文句を言われそうだが、取り込まなくても帰ってきてから文句を言われかねない。何より気の毒なのは、洗濯物の被害者である弟であろう。私の良心を苛む害悪親である。私が風呂場から取り込んだ後、あの母親がいちいち晴れてもいない日に外気に晒そうとバルコニーに移動したことが一番の元凶である。13時33分帰ってきたが、独り言の第一声はやはり洗濯物。



2015/09/05


9月5日は7:30のアラームで目覚めたが、その前から約5分の覚醒状態があった。明晰夢の類だろうか。見る分には面白いのだからアラームで分断されるのは残念である。内容は向かいT家息女使用の縄跳びを私が持っていて、盗みがバレるとかバレないとか冷や冷やする内容だが、それ以前の夢では歯をいじくった後に前歯が大量に抜け落ちて少量の血が流れ、その夢の中で寝たら、元々より綺麗な歯が復活しているものだった。

夢の話は何とも幼稚なものだが、一応記憶に近づけてメモに記録した。前者の明晰夢を見ているあたりから、既に1Fリビングには人が居て、テレビが付いていたようである。起き上がって後にサンダルの足音で母親だと確定した。今日は買い物予定日の5日であるとはいえ、今週の平日というと月・火の朝は母と弟が一緒(月は車で弟を学校へ送った?)で、残る水・木・金は弟一人の朝であり、金曜日の場合、9時頃などは母が風呂に入っていた。今日7時50分以降は車の位置を移動したり掃き掃除を始めている。

そもそも、起き上がる前から私は腸の激しい乱れようを感じていた。起き上がってからはケトルに溜めた水を一杯(40mlほど)口にして、トイレに行く。座せば、私の流儀として常に反射的に印契のようなものを両ももの上で組む。起きたばかりでだらしなく腰を曲げることも、すぐに姿勢を正す。糞は糞でも出てすぐ確認はしていない。最後にその形状を確認し、固形と軟便といったところだが、腸内のガスが尋常ではなく、排出回数や1回辺りの規模は、前日に下剤使用なくヨーグルトも取っていないで迎える朝としては、今年にあって極稀である。ガス排出のみならず、排便行為ですらそうあるものではない。

10時半過ぎ、たまにある母親の「何で話しないの?」という野暮な声掛けがあった。「○ちゃん(下の弟)と話しないのは嫌いだから?」など勝手に「嫌い・嫌い」という単語を発せられても困る。疑問であっても「話さない=嫌い」のような思考回路は止してもらいたい。それでは弟から私に話しかけないのも、私のことが「嫌い」だからだろうか?蓋し私を恐れる故だ。私にも「○ちゃんのこと怖いから?」と聞けばよいのである。あるいは弟にも「お兄ちゃんのこと嫌いだから話しかけないの?」と聞く。

こんな母親の声掛けは唐突な経緯で始まるのが常であり、無責任で移ろいやすい。だから、人に持ち掛けた話を自ら中断して、断続的に自分の作業をに手を付ける。それを問い詰めると「返答が無いからやんなきゃいけないことやっただけ」という。何かの準備で忙しいのなら、こんな野暮な声掛けする出来心も暇もあるはずはない。こちらとしても音楽制作をしている中で付き合っていて、数ヶ月滞っていた楽曲が昨日から水を得てきている最中である。自分の作業の都合でその場を離れるとは無責任の極みである。こちらが音楽制作しているという事情を告げると、「ふすまの向こうで何しているか知るわけない」といった反応であった。8月23日メモにもあるとおり「知らなそうだからこそ示している」だけである。

11時44分、母親の買い物行き契機に、風呂(シャワシャン)に入ろうと考えた。一昨日はいったばかりでも、昨日などはフケが気になった。とはいえまず、長年放置している炊飯器の試用を先に行うこととした。これは2006年製で、浦和時代末期か○川引越し後の購入と思われ、同時期には別の小さい緑色の炊飯器などが買われている。2007年母別居の際、本体だけ紋別に運んだようなのだが、コンセントを添え忘れていた。同年8月の紋別遠征(初の飛行機利用だが翼で風景見えず)の事前に母から「私の部屋に炊飯器のコンセントあるから探して、こっち来る時は持参して欲しい」との旨を承って、これを手土産に持ち寄った。という所縁がある。なお、コンセントが無い間に、○川の家に残された小さい緑色の炊飯器と同じ型のものを別途買いなおし、それで飯をくっていたそうだ。

以上のメモを書き終え、風呂の準備も終え、先に歯磨きでもしようとしたところで弟が帰ってきた。買い物後の母親に従う必要があるから、こういう時は早く帰ってくることが想定されていたが、案の定であった。速やかに撤退し、炊飯器はキッチンで炊飯を継続させる。弟とてずっと1Fに居座ることはないと推測するから、何とか母帰宅までに済むと仮定した。

12時台炊き上がりを確認して自室に持ち込み、食事・後片付け・食器洗いなど、機を見て順次済ませた。炊き上がりは、例えば底の方の米(デンプン質?)が汚れのような変色をし、浦和時代にこれを聞いたら「おこげができるおいしい炊飯器だからそうなる」と説明され、納得しづらいがそう思うこととした。子供相手とはいえ、いい加減であるけれど、今はこの色合いに多少の不快感を覚えつつ、気にしないようにした。近頃は沸かして長時間たってぬるくなった・冷めたお湯も多く口にするが、この際、経口の物に衛生面で潔癖にならない方がよいと思うため、そう実践している。

先ほど「おこげ」ということを書いたとおり、釜の底で米が張り付きやすい。弟の出入りが著しい状況下で、しゃもじの状態を整えがたいことも相俟って、悪条件でご飯を扱うこととなり、苦戦のようであった。これは食事前にご飯をよそう際や1合炊いた残りを保管する際のみならず、食器洗いの時もご飯のデンプン質や米粒などが張り付きやすく、2011年製キッチン常用の炊飯器の釜とは比べられない。釜の重量や材質も大幅に異なるが、当機は薄くて軽いアルミっぽい材質、彼機は重厚で良質そう、といった印象の差が大きいし、彼機は重さがネックでも洗い安さは加工の差で優れる。

しゃもじについては、当機保管場所から久々に出して「露払い」という名の掃除(本体に被った埃など粗方拭い去ったり蓋や釜やコンセント・ケーブルを洗うなど)をする前もしたあとも、不衛生な色の沈着がある。そもそも、私がこの部屋での保管をすることとなった2012~13年あたりで借りたこのしゃもじは象印のロゴが入っているが、恐らくはあの小さい緑色の炊飯器付属のものと思う。放置機の付属しゃもじは元々表面の凹凸加工が無いものであり、今もキッチンに置いてある。

いろいろな面でチープな作りと思うかもしれない。ブランド名に見覚えがあったが、扇風機などである。いつだか、こういう形状の炊飯器が中国では普及していることに気付いた。このブランドでなくても、中国では馴染みがあるタイプかもしれない。それを単機能・低価格という。このブランドのメーカーは、本社が中国で、日本には日本法人で展開されているとのことだった。



2015/09/06

5日は22時過ぎにPCをシャットダウンし、実際に寝たのが24時前であろう。本日9月6日は朝4時過ぎから誰かが1階で何かを始めだして、その物音で意識が付いた。当初は母親と弟のどちらなのかすぐには分からなかった。これは後々足音で弟とわかった(もちろんキッチンの食器だとか"誰か"が2階へ戻った後の笑い声だとかも弟でしかない)。この弟は最近8月29日も5時台にテレビ爆音で私の再び寝る意欲まで阻害したが、今回にしても母親より大きめの音量でテレビを流していた。最初は弟の好きでない音楽(耳に障る日本語ラップ)のためすぐチャンネルを替え通販や天気予報など時間差で移り変わる。

4時32分に2階へと上がったが、その前に近所の家の車が発進したようである。最初はI家だと思ったし、実際I家の車はどこかへ消えていたが、向かいT家までも・・・ご主人特有の夜遊びだろうか?いくらなんでもこの時間帯に他所へ出たままということは初めて見る。弟については今(5時過ぎ)も2回で笑ったり「おっwwwおっwww」などとどんな場面か想像がしがたい。5時20分を過ぎても騒がしく、母親は同じ2階いてどういう状態なのか。

こういうわけだから、これから(4時50分頃)昨日の買い物の中の和菓子を、元々ある緑茶で頂くこととし、5時半頃風呂にでも入っておく。本来月曜に風呂(シャワシャン)のつもりでいたが、「緩急自在」とのことだし、いくらか運命に承服する。

風呂に入る前たまにある撮影欲が出たので、とりあえず手短に撮影を済ませ、風呂に入ったのが5時40分頃、出たのは6時40分過ぎか。風呂(シャワシャン)中は弟が断続的に昇り降りして、1階には2・3度来ていた。キッチンで水を流し続けるなど、奇怪であった。そう思ってリビングやキッチンを確認すると、パンの匂いが広がり、流し台には新たな食器など増えていたことから、トーストを食べていたと思われる。朝4時台の件は、大体シリアルである(ブルーな樹脂製の広いカップ)。

風呂を出た後の準備が済んだ頃、洗濯機を回し始め、入る前に脱いだ衣類を全て洗うこととした。8時過ぎから料理をして食事を取ったが、主食は昨日炊いたご飯の残りである。ご飯はいつも1合炊いたら半分はその炊き上がりで食べて、残りは食後に同じ茶碗に保管するか、食後の時間が切迫しているなら食べる際片手なべによそって、茶碗は最初から保管用として使う。食事の際、ご飯のデンプン質混じりの液体か、今回の場合底になぜかご飯粒・・・レンジで温めた際は当然付着しておらず、碗上のご飯と外見や食感など変わらないから、部屋に持ち運んで机上タオル(テーブルクロスではない)に落ち、そこに茶碗が乗って潰れたと見る。こういうわけだから、机上タオルに粘着し続けないよう、保存用だったラップを茶碗の下に敷いて食べた方がよいが、そんなことは私以外誰もしない。なぜいつも他人と違うことをしなければならないのか思えば小学生の(以下略)

ご飯の茶碗をぬるめの水(30℃ほど)に漬けて10分ばかり放置してみると、やや固まったデンプン質や粒のカケラは解された。これを見ると、昨日の炊飯釜についても、使用後すぐ洗うから洗いづらく、水やぬるま湯(~45℃)に少しでも漬ければ、荒く疲れるような洗い方をしないで済む、そんな当たり前のことに気付いた。実際、私みたく他人に気を遣って速やかに作業する必要が無い大多数の人間は、使用後に流し台で放置するものだ。水をプカプカ張らないとはいえ、いくらか水を張る人から、母のような「別の作業で水を流すと自然に食器にかかるから意図して水を張る必要は無い」という論理の人もいるけれど、私のような人はあまりいない。

茶碗を洗っていると、やはりキッチンの窓が開きっ放しの中でザーザー降る雨が続く。これはその5分以内にはっきりと降り始めたにわか雨であるから、その直後にサッと雨脚が弱まった。フクロウ(ミミズク?)の声が聞こえてくる。部屋に帰って洗った茶碗を置く時の姿勢で、部屋のドアの周囲の凸部にケツの凸部(とても薄い痔が尾骨を覆っている)を強打した。それから時間経つ今(9時8分)はまた雨の強さが戻ってきた。勉強と創作などだらだら続けていながら、14時台はますます酷くなり、14時45分過ぎからどしゃぶりと恐怖で雨戸を殴りつけ、風の切る音が頻りに聴こえてくる。空は強雨のわりに明るい方だ。16時前に母が去ったリビングは、1時間分いつもより暗い。

17時過ぎから仮眠を取ることとした。19時以降の用事を見据えて18時50分のアラームを設定した。押入れに入って布団と戯れるほか、落ち着いてみると揺り籠に揺られるような感覚があった。半日ばかり起きていて疲れるものなのかよくわからないが、こういう感覚は稀に起こったりする。これを阻害されない、安眠妨害されないことだけ祈った。そうして眼が覚めた頃は18時40分過ぎで、アラームの作動の手前である。1Fリビングには母親がテレビを付けながら作業しているようだったため、これの音で意識が付いたことと思う。



2015/09/07

6日は24時まで日曜日特有の用を済ませたが、それまでに新しい記事下書きも作り始めた。それから日付が変わる9月7日1時に寝て、9月7日の予定に備えての7時半までのアラームを2つ(7:26, 7:28)設定していたので7時半までに眼を覚まして7時半前後に体を起こした。弟は7時26分頃家を出て、向かいT家息女は7時37分に通学班に遅れ駆けていった。

8時前から外出の決断をして準備を進めた。昨日から買い物の計画はあったのだが、当日8~9時という予定時刻に始められるか、文字通り雲行きが怪しいところはあった。そして今日の起床より8時台であっても、雨の降る様子は無い。靴の裏への影響ばかりが唯一不安を残した。

8時前後に家を出て、いつも通り私は左手などで、髪をまとめたタオルを押さえながら歩く。家の前の通りは前も後ろも人影が無い。その反面、はるか前方に黒い影を見る。ごく小さいそれは、猫くらいしかないと考えた。速度をやや上げて接近を試みた。ゴミを収集する場所に迫る猫はゴミ側に寄って消えた。そばの建物の敷地内に入ったのだろう。そのあたりまで至ってようやく猫を目の前にした。以前の首輪つき黒猫と同一かは知らないが、この黒猫は首輪が無く、目は黄色であった。目を合わせて数秒後にそそくさと消えていった。

続いて、防犯パトロールだか緑の人だかが、自転車で私を追い抜いた。この老年男性とは間もなく次の通り沿いの家の敷地で顔を合わせた。通行量が多く歩道も備わった通りに出ると、駅方面へ歩く人が増える。学生などが多いが、片手で何やらいじくっている人を見ると、「自分も片手で頭を押さえながら歩いている」ことを意識する。買い物については、一つの自販機で済ませたが、もう一つは歩くだけ歩いてやめた。硬貨不足という、つまらない杞憂で辞したのである。一つ目の自販機で確認が粗雑、二つ目の方でも確認できたが、路上で立ち止まることを恐れた。一応は帰宅後に調べると、杞憂だったから充分足りている。「靴の裏への影響」をいやに残すだけであろう。

今回以前の自販機通いが8月24日と生活記録にあり、実に2週間ぶりであったが、130円程度に終え、とある目的のものは今後の天気も加味すると、欲しいというのなら母の次回買出し予定10日以降にしようと思う。そもそも秋雨だとかの訝しさから、隙間である曇り空の日を好機として動いたわけでもある。機をつぶさに見て決断する能力。9月に入ってからは、6月の荒れようと涼しさ(当時は寒くもあった)の再来を思わす。



2015/09/08

最近は物欲というか、単純な食欲を出すだけで無関係に嫌な思いを起こされる(8/31メモ等)。今日は母・弟が予定通り耳鼻科に行き、帰ってきていつも通りもめたが、母親は18時台に食事が終わってから何も作業せず、ずっとテレビを見て笑ったりして過ごす。私はその18時台から食事の予定を見送り、食事と異なる作業(いつものゴミ接続ネットを伴わない創作作業)を続けていた。寝る予定など見据え、いい加減夕食を始めようと、ラーメン調理のための水を仕方なく洗面所(2年以上前から忌んでいる理由として、顔を洗うと目が炎症を起こすが、母親に相談したときは予想通りあの洗面所で顔を洗わない人間らしい見当違いの回答があった、当時母の根源的な蒙昧を知らなかったが何となく察していた)で汲むこととした。

洗面所の水でラーメンを作るのは、この9月中にもう一度あったのだが、それを含めても人生で2度目であろう。調理用の水が洗面台のものであっても、今や抵抗は無くなっているが、この時の問題はそれではない。リビングのテレビから聴こえたセリフが与太放言・愚昧の極みであったからだ。慎ましく汚染水ラーメンを食い始めよう、という時に私をまた不快にさせた。漫然と陳腐なテレビ番組を見て笑ってばかりの母親が悪である。愚昧の極みは母だ。ラーメンを食べながらこの文章を書き終えた。

なお、昨日は22時半にPCをシャットダウンし、押入れに入るも、寝ように眠れないまま下剤1錠の服用を忘れたので23時40分頃起き上がってちょっと動いたが、思うように力が入らない。空腹の故かと思うかもしれないが、寝る前の空腹は起床後に弱まる道理があり、実際に9月8日は7時半のアラームで覚醒後に二度寝に入り、9時過ぎにおきたが、この時はその時ほどの弱まりが無くなっていた。

メモ時までも下剤の効果は得られていない。少しの食欲で行動(悪因)して不幸になる(悪果)道理があるというのなら、レストランに行こうとする人はみんな交通事故で死ぬか、食中毒で苦しむはずである。そんな道理があるというのなら、このように美味いモン食いまくる奴こそが苦しまねばならない。



2015/09/09

午前10時半、食事を始めようと、昨日朝に食べたレトルトご飯(2015年7月に特盛り300gの量を弁えず母がネットで選んで買ったもの、店頭で買えば200gのものを選ぶのだからそう言える)1パックの残りをキッチンで温めようと思ったときに、母が弟に「PC繋がんない」などとして、弟はどうであるか尋ねていた。母だけ繋がらないそうだが、それは私のPCであればよくあることは過去記事の通り。今は台風18号の影響で回線が切れたのではないか、など色々杞憂を巡らせていた。

台風18号は今日未明から朝8時まで暴風雨により中学校の休校(どうせすぐ過ぎるのだから午前再開にすればいいのに)、9時までに当地で晴れをもたらしたが、その時は未だ強風が吹き続いていた。10時を回ると風の音もほとんど問題でなくなる。それはそうと、母と弟の会話が終わり、母が1階に降りてくる予感がしつつ食事の為に再度冷蔵庫に手を掛け、扉を開けた瞬間母が降りてきた。やはり昨日のメモなどの通り「物欲(食欲)を出すと些細な望みも叶わない」現象が起きる。その時に私も話しかけられ、いつものグチグチ系もあった。その後、また母は居座り始めた。

今日、私が目覚めたのは5:30のアラームで、6時頃になって起床したが、この間に弟が何やら行っていた。母も7時台から朝9時頃まで家事か何かしていたが、またこの様子である。日々、テレビで笑う母には、読書の趣味を持つだとか、本が読みづらいなら使っていない電子書籍端末Kindleをもっと活用するだとか、PCで勉強するだとか、せめて下らない心理カウンセラーの講座だとかやってもらいたいと思っているのだが、PCやりだすとこのようなら、私は何を望んでも私をあざけるような結果が起こるのだと思う。

13時16分、そろそろラーメンを調理するための準備を、としたところ、案の定母親が弟への声掛けの後1階に降りてきた。私の修行を促す仏の思し召しだと思えばそれまでだが、近頃こうも同じことが続くと虚脱する。この際、もっと不幸が私の身に起こってくれたほうが判然としように、これでは往生際が悪い。「はぁ、やっぱり」と呟いて5秒ほどして声掛けがあった、何でもないよと言われたがその類の声掛けであることは言われずとも分かる。

下剤について昨日は終日前兆も効果も無かったため、「明日に託す」として眠り、今日は起きて間もなく1錠服した。それから普通に出ること1・2度、次は下血でもしそうな痛みを堪えて制御できた頃にまた排出、そして16時半頃にもまた苦しい便意で出すと、軟便が下痢に変わる出方となった。こんなことなら昨日のメモ出さえ私が困ったように、昨日出てくれたら昨日も今日も別の理由で困ることはなかった。

18時40分から買い物に出た。西や北の空には黒い雲が固まっている。買い物は別条無かったが、それで何も起きないと思ってはいけない。帰ってきてからちっこい蛾を自室で見かけ、「ぐぁ!」に近い声を上げた後、軽く殺虫剤を噴射、そのまま色々飛び回って押入れ上段で行方をくらませた。押入れ上段=寝床でくたばってもらっても困る。殺虫剤を中途半端に使用して望んで結果を得ずして空気を汚すだけ、どこかでくたばった蛾が人知れずそこを汚す。私がまた物欲を出して不幸になった。何もしてはいけないのか。

20時2分、その自室に出没した蛾かは定かでないが、羽虫の死骸を窓側の絨毯で見つけた。とりあえずこれが正体だと願いたい。



2015/09/10

昨日は22時までにPCをシャットダウンし、23時半ころまでは意識があったと思うが、今日起きたのは3時半のことである。またも、弟がこういう早朝か、とも付かない時間に1階で何やら作業をして、見もしないテレビ(通販番組)を不必要な音量で垂れ流していた。通販番組も終わった4時前になって2階に上がったので、入れ替わりでキッチンを覗きに行くと、流し台に置かれていたのはミートソース塗れの皿やパスタ用のザルなども。炊飯器に残るご飯には手が付いていないので、朝食べるつもりなのだろうか。

弟が毎朝食べるシリアル、最近ではパンだが、これが無いと登校準備の時間帯に先んじてこういった奇行に出てしまう。今日10日は、9月3日メモ等にあるとおりであれば、買い物予定日となるのだが、今日がどんな日であれ弟の食糧不足からこの結果を生む。これを受けて、母親にこのことを即座に報告しておいた。弟は2階に上がってからも物音を騒々しく立てていた。

次に私が起きたのは7:20, 7:26のアラームを経て7時半である。それから、8時半現在も母親が1Fリビングに居る。9時過ぎに2階へ。

11時40分頃、母親が買い物へと出た。風呂(シャワシャン)の準備など進め、13時に風呂場を出た。とある禁止手段を用いているので、これの後片付けを優先すべく、急いで水気を払い、全裸で物を持ちリビングに出た。今は別件でカーテンをほぼ全開にしていて、タイミングの悪いことにぽっちゃり高年女性が視線の先を歩いていた。その時の私は、ちょうど何かアニメで、風呂上りにバッタリ男性と出くわした少女的な心境だ。庭に干された母の傘に目を向けた女性は、私に気付くことなくトボトボ去った。

なぜこのタイミングでT家ババアが、と思ったのだが厳密にはT家に用のあったよその女性だと思う。T家の老婆はここまで太っていないはずであるし、その点からしてもT家に来たことのある人物としてぽっちゃり高年女性の記憶がある。


2015/09/11

近頃(今月)は肉体(痩身)か環境(他人)の為か、まともな睡眠が得られないようだ。昨日もいつも通り21時台の用を済ませて22時までにPCをシャットダウンした。「今日は時間を気にせず寝よう」と、アラームの設定などしないでおいたのだが、やはりどういうわけか11日4時半頃に目が覚めた。すぐエアコンが回り続けていることに気付いて、押入れから立ち上がって遠くのリモコンに駆け寄り、電源を落としておいたのだが、10日22時頃の就寝前にいつも通りエアコンの自動「切」タイマーを設定していたはずだが、電波が届かなかったら音が鳴らないことでいつもだと気付くはずであろうに。

その後も眠れず、未明に弟が1階に降りて何やらしだした。私はその4時半から不快な口内を漱がず、色々迷いながら(途中意識が落ちたこともあったか?)ではあったが、ようやく6時10分頃に起きることとして、そのあたりで弟も2階へ帰っていった。

リビングやキッチンについて今日の昼以降に思ったことは、例えば13時頃だかに母親が、見ないテレビを付けっぱなしで、グラスに入ったアイスカフェオレっぽいものを弄んでいた。14時以降と15時20分頃にはリビングのテーブルに皿が置かれっぱなしなのだが、近頃はこのように食後は流し台に遣らず、机上に放置する傾向がある。3・4日前にも、ラーメンどんぶり代わりに使う陶器のボウルでカレーを食べ終わった後も放置していたが、共に弟が家にいない時の昼間である。少し前までそのようなことは一度も無かった。

また、同じく15時20分頃キッチンに出ると、2つのビール缶(アサヒ社・キリン社のもの、共に350ml?)の存在に気付いた。昨日は随分とテレビを見ながら陽気で、大きめの笑い声なども聞こえてきたが、それで一緒にいる弟が機嫌を悪くしてきて、手を挙げる一幕もあった。母親は笑いながら、オドオドした声で何やらしゃべっていたと記憶するが、内容は記憶しない、もといほぼ聞こえない。こういった様子で、その時やその前から「酒が回っているのではないか?」と思ったりしたが、この時(15時20分頃)になってほぼその疑問は肯定的な確信となった。

18時28分からラーメンを作り始めて、(鍋に水を注ぎ卓上電磁調理器での加熱を始め鍋に肉を入れてトイレに行った)18時58分には肉野菜の具材を残して麺が無くなった。それでPCのマウスに手を掛けた瞬間画面が真っ暗になった。これは、30分操作をしなかったため自動でディスプレイの電源が切られたのである。そもそもマウスに手を掛けたのは「25分経ちそうだな~」と体内時計が私を操ったためであったが、それで手を掛けると画面が消灯されるとは理解不能だ。

一昨日のメモでは台風18号関連の話題をした。昨日昼過ぎと未明では、茨城・宮城で河川の堤防決壊による氾濫が起こった。今日は、「比較的近場にある二級河川・梅田川の方に9月9日の風が大分弱まった10時以降に歩いていって川の様子でも見たらよかったな~」など、色々と考えていたが、私がその川その時に散歩したら氾濫もありえそうだ。これは杞憂だろうが、「25分経ちそう」と思ってマウスに手を掛けてみたら僅か1秒以内に「30分ちょうど」と判明して目くらましを受けることは、川の様子を見にいって不運にも想定外の大氾濫が起こることと同じである。



2015/09/12

昨日は21時半までにPCをシャットダウンし、寝付いたのは22時半であろうか。本日は5時13分にまず目覚めた。その直後、数分ほどでエアコンの自動「切」タイマーによる停止機能が作動した。私には体内時計の「入」タイマーがかかっていたのだろうか。そしてまた眠りにつくと6時50分ころ目覚めた。7時10分過ぎに「いい加減起きよう」と思って起床した。

今日は弟が某イベントに出向くため、朝早くから弁当作りなどで母親が動いていた。肝心の弁当というものが後々面倒を招いたそうな。私が起き上がる辺りで弟は荷物確認をされた後に家を出た。続く8時50分前にも母親が家を出て、イベント先に向かった。この時「まさか弁当渡し忘れたのではないか?」との憶測が浮かんだが、荷物確認で弁当所持も確認したはずであろう。

母親が家を出て直後、前日の下剤1錠の効果発現により、私はトイレに入る。通常の便・軟便の後トイレを出た8時53分に着信があって、即座出たのだが、内容は水遣りと(洗濯機が止まってから)洗濯物を干すことである。「急いで目的地に行かないといけなくて自分がやる余裕が無かった」と、聞いてもいない理由を話す。些か不承でも口では快諾して、これを9時20分までにこなした。ついでに発案した自分の洗濯物も終えてから、10時50分頃PCをスリープ状態にし、自分も11時過ぎから用事まで小一時間眠ろうとした。よって、次に11:00のアラーム設定で起きた。

母親が帰ってきたのは12時過ぎだが、その直前に「弟と現地でメシを共にするのか」と俄かに思い始めて、この際は風呂(シャワシャン)にでも入ってしまおうと、風呂場の様子見のために部屋のドアを開けると、自室窓をコンコンと叩かれる音がした。母の帰宅である。母親が玄関に入ってきた時はこれまた聞き返さないうちに色々としゃべっていたのだが、その中で「弁当渡し忘れちゃって・・・」と、件の憶測の答えが聞かれた。母親らしいといえば、それまでだ。

13時頃、母親がもう一度イベント先へ行くこととなったが、これは未然にその旨が「色々としゃべっていた」時に聞かれた。「また行ってくるからね」という、普段しない声掛けをされたので、ついでに11時29分送信の手伝い完了メールに聞いた「帰ってくる予定」をここで聞いておいた。どこかへ行くとか、そんなことはドアの開閉音でいくらでもわかる。私にとっては、一度これを聞いたほどに重要なのだから、それは物分りの良い人間ならいくらでも留意しよう。奔放寡聞母親の返答は「○○を見たいから」と言う。これはイベントの冊子に時刻も併記されていて、それを自主的に見て既に覚えている多聞な私は「15時頃だろう?」と具体的な時刻を上げて聞き返したが、余計な言葉の反論ばかりで煩雑となる。そもそもイベント内容の一つを挙げられても、私みたく多聞の者でなければ何も知りえない。物見しか頭にない母親は、イベントの仔細を心得ず、一度問われた問いの答えが用意できない。けれども、世の中はこういう「好きなくせに詳しくない、くせに話したがる出張りたがる人間」が蔓延っていることを、私は小学生の時から識っている。

また、私がもっと細かくイベントの名称など挙げながら話しても、そういう枝葉末節の揚げ足取りなどしてくる。2日間に渡るイベントは、1日目と2日目それぞれ部門が異なっているのだが、その2日目である本日の名称を、不適切な一般名詞に置き換えて揚げ足取りをしてきたのであったが、ややこしくなるし、自己の矮小で誤った捉え方を人に押し付け、それも本質的な話から逸らしているところ、全く要領を得ない人間である。ややこしい話だから、このメモを第三者が見ても理解しがたいであろう。

母親が家を出た後、私は食事と風呂(とそれに伴う洗濯)の準備を始めた。全て迅速に済ませて14時20分頃部屋に戻ってきて、こうしてまたメモを追記している。厳密に言えば「13時頃~」の箇所が昼メシ準備・食事の合間であって洗濯物を干して風呂に入る。「また、私が」の箇所からが風呂を出て以降に書かれた。洗濯物を取り込むのは、15時過ぎに行う。

当記事注: この日5時13分頃に一度目覚めたという話であるが、それから30分以上経つ5時49分、東京湾を震源として調布市が最大深度5弱を観測する地震を観測したそうだ。ネット某所では「たまたまその直前に目覚めたら揺れがきたので、それほど怖くは無かったが、不思議だ」という私と類似する体験談が書かれている。変わった人の話なので下らないと思うところだが、こういうことが起きなくは無いのかもしれない。例えば今月1日は、雷が鳴る直前に目覚めた(それまでに一度でも鳴ってそれが覚醒に影響したということは考えづらい)とメモに記録し、先月や今月6日においても二度アラームが鳴る直前に目覚めた、優れた体内時計、などとも綴っている。



2015/09/13


昨日は21時15分頃にPCをシャットダウンして就寝となり、続いて5時15分頃目が覚めた。昨日のメモ、例の如くエアコンの自動「切」タイマー作動に伴うものか、偶然の一致か判じがたいが、この時は夢なのか錯覚なのか、テレビの音声が聴こえる感覚があった。エアコンの音が鳴り止んでから意識が明確になったとき、テレビの音声も感じられず、やはり夢か錯覚のどちらかとしか思えない。一分後にカラスの鳴き声が聴こえてきた。それからまた眠りについて目覚めた時に携帯電話を開くと7時29分であり、間もなく体を起こした。

起床後すぐに水で顔を洗い口を漱ぐなどいつも通りしてから部屋に戻ると、入れ替わりで弟が1階に降りてきた。この後8時半近くまで居座った。それから、前日より考案していた食事を取る。適当にコーヒーを淹れ、この間に熱を飛ばす意図も兼ねてチョコレートが上部にコーティングされたビスケット系の菓子(先の10日の買出しでは菓子がこれだけでシリアルは買い忘れと寂しげ)の、より上にヨーグルトを塗りつけてオーブントースターで焼く。まあ味の評価はともかく、順調に作り、食べ終えた。食後にムーミンカップをお湯で弄び掃除をしていると、右手の人差し指を水作業特有のおかしな痛め方(爪がズレて皮膚をえぐるような)をしたが、これしきは稀にあるし、一時間ばかりで引く。食事の話などをきっちり書けばキリがないが、10時以降に別でご飯などを食べておいた。

11時前、昨日のメモにもあるよう、11時の用事を今日も消化したかったが、よくある自機PCのアクセス不良に遭遇する。その前から別の調査を始めもしていたところ、とんでもない作業妨害である。あんまり時間を潰されても困るから、荒療治としてシャットダウンもとい再起動もとい、ログオフをしておいた。PCを一定時間以上つけていると、反射的にシャットダウンを洗濯してしまいがちだが、実行される前にキャンセルして、ログオフを選び直す。でまあ、再び立ち上げたらアホみたく通常通りの接続に戻るが、アホみたく数分以内に元の不良状態に陥る。今更、新事実でもなんでもないが、永きに渡る異常な挙動について記録をしていなかったからこそ、こういう日記メモの場で記録を取っておくこととしている。

12時半、私がトイレに行こうと部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、今更起きだした母親がノコノコもといサンダルの足音パタパタと立てて1階に降りてきた。物欲食欲どころか尿意の解放欲も叶わない、生理現象も妨害される、生きた心地がしない。私以外の他人は畜生の如き精神だが、私の課せられた境遇は畜生の如く悲惨である。

16時前、母親と弟がどこかへ出掛けていったが、コンビニA方面に行こうとした弟を一旦呼び止めてコンビニB方面に向いたと思ったら、結局A方面へ向かっていった。必ずしもコンビニに行ったとは思わないが、前回買い物から3日が経つことや、弟の食パンなどが切れていることから買い足しに行ったと強く考えている(後々知ったが、パンは元の場所から消えて冷蔵庫内に移動しただけで、切らしたわけではないようだ)。

16時29分に母親から電話がかかってきたのだが、まず「○ちゃんはもう帰ってきた?」という不可解な用件だが、一応帰ってきていないから簡潔に「まだ」と即答した。母親(49)はまともに言葉を理解する能力が無くなっているので、「え?×△※○△」と返してきた。私は幾度と繰り返し「ま・だ!」と復唱していったが、「何?"また"って」と、あらぬ取り方をした。"また"とは、こちらが何なのか聞き返したいほどだ。「狂った聴覚+抑揚を無視して音を文字列で捉える」といった母親は認識がポンコツの機械と変わらない。はたまたボケ・痴呆症の類であろうか。そんな母に「帰ってきたか?と問われたから、"まだ"帰ってきていないと言っている」と、詳細な言葉を紡いでようやく理解された。それで私からも、「どういう経緯で弟と別れたのか」を聞き返したのだが、まともに聴こえていないままで切断された。自分から勝手な質問を気安くしてくる割に、相手の発言が聴き取れず、相手の質問を無視するとは独善的な女だ。弟については16時40分に帰宅した。

続く17時を回る頃に、再度母親から電話があり、同じ用件を話されたので「16時40分に帰ってきた」旨を伝えた。時刻を伝える前にただ「帰っている」とだけ言った瞬間、いつものように訳の分からない大仰な反応、振りだけだろうか。その後、また一方的に切られないよう制止し、「あなたが前に電話を切る前に聞いた質問は聴こえていたか?」と問い、「車の音で・・・」と返された。次に再度「こんな質問の意味は?弟と道中別れた理由は?」を問い直すと、例の如く弟とギクシャクして喧嘩になり、暴れだしたから逃げたのだそうである。

目的地は、家からずっと東の幹線道路沿いに立地するファミレスであるが、一人でメシを食うこととなろうか・・・。元々弟が美味いメシを食いにいきたいとしたことが発端らしいが、その場限りの美味いメシのみ食べようとして、向こう数日の蓄えは頭に無いようだ。また、滅多にしないことをこの期に及んで発案して実行、それも喧嘩別れとは、全てが歪んでいよう。なお、母親が一人でそのファミレス系に入店したことは一度ある。レシートには確か1000円未満の食事が記載されていた。

17時18分、また母親から電話がかかったが、着信音ワンフレーズですぐ切れた。数十秒後にこちらから掛けなおすと「○~ちゃん。今べつのことし始めたから切るね」と、奔放そのものだ。独善の極みであろう。17時20分に再度かかったのだが、「まだ(もう)食事中だから、弟を呼び直してもらいたい」との旨である。ずっと優しく対応した私であり、ここでも穏便にして断る。終始ヘラヘラした母親にはただ辟易する思いであった。

17時27分、一息つこうとトイレに入り、お隣花鳥園の夕日に照らされた笹の葉などを眺めつつ腰を下ろすと、また母親から電話が来た。弟の空腹状態の心配・弟が何か食べだしていないかといった与太・野暮な内容だが、私の「ほかに」という言葉がまたも「おまえ」というあらぬ取られ方で「"おまえ"って何よ~」と母特有の「お前」アレルギーが出た。この時に「言葉を記号だとかとしか思っていない」と話した。狂ったように「そうだよ。そうなんだ。」と繰り返してここで「じゃあ○ちゃん(私)が来たら?」と何の繋がりも無い返答があった。もう独善的で鬱陶しい電話をしないで欲しいと、丁重に告げておいた。

17時37分、電話でなくメールでまた野暮な頼み(母部屋の電話親機の電源を入れろ=弟と直接電話したい)を送りつけてきた。心が通じないようである。自分の母親はただ欲に流されて感情も無い畜生非人であるのか。これを容れれば親孝行で徳を積める、ということにはならない。悪い頼みを容れて犯罪行為をしても悪行でしかないからだ。17時40分に確認メールがまた着たが、そんなことを聞かなくても自分で電話親機にかければ電源オンか否かは分かる。これ以上メモ記録で時間と体力を奪われるのは御免蒙りたい。

18時48分から19時00分までゴミ出し兼自販機通いに出た。私の外出中に母が帰宅したり、道中で出くわす恐れもあったのだが、そういう懸念を生ますことも本来ありえない。弟の食欲に端を発した母のファミレス行きは、弟の欲求不満が解消されないどころか喧嘩別れして、無辜の私の邪魔をし続ける悪辣なものでしかない。それはそうと、いずれも問題なく済んだ。涼しい夜空の下で早歩き・小走りなどペースを替えて進み、帰宅後の自室では、体の熱を強く感じた。とある十字路に差し掛かって、例の家の室内飼い小型犬がやかましく鳴き始めた。また、目的地(やや離れの自販機)では近くに停車してフォンいじりをする者もいたが、車の後ろに回って頭に巻いたタオルを整えてから自販機での購入作業に望み、その場を離れて間もなく、私の進行方向へと発車し、私を追い抜いた。ところで私が外出する前にT家の方で水を撒くような音が聴こえたが、今日15時台に土をいじっていた女性と関係があるのだろうか、帰路でT家に目をやると、敷地内が濡れていたため実際に水を撒かれていたのだろう。ともあれ、予定を破壊されず、別状も無く遂行できて感無量といったところだ。若い年齢層の自転車の往来が多い。

21時21分、母親が帰ってきた。「ただいま!」は普段欠かさないのだが、今回は無言のままだ。当てもなく夜道を彷徨っていて、意気消沈のようである。ここで、20時台から温めていた文章を載せる。どうでもいいことで何度も携帯を鳴らす母だが、何時間も帰ってこない時こそ安否を伝えるためのメールなど一方を送るべきである。本末転倒であろう。子供の頃なら、遅い親の帰りを心配して有ること無いこと犯罪に巻き込まれたなどと本気で心配したろうし、今でもそこは子供のままの私は同じように親を憂えている。子供の不安をよそに、奔放なまままっしぐらといった様子だ。

当記事注: 最近よく書く「自分は物欲食欲で不幸」というネタのうち、9月8日メモの「レストランに行こうとする人はみんな交通事故で死ぬか、食中毒で苦しむはずである。そんな道理があるというのなら、このように美味いモン食いまくる奴こそが苦しまねばならない。」という発言をあざ笑う出来事ではないのか、と思う。「お前だけにふりかかった不幸ではない」と誰かが罵倒するように。また、これは11日メモの「マウスに手を掛けてディスプレイ消灯」の件とも関連する。私の文章は比類なく現実的で意味深長だから、よく読んでもらいたい。



2015/09/14

本日9月14日の1時20分まで色々作業して2時以降に寝付いた。一度目が覚めたのは日が昇っている時で、携帯電話を確認すると6:00そのものを指していた。また寝付いて起きたときは7時半前であり、弟が登校する前のことである。

13時40分前に客人が来た。中高年の男性1名で、外見と通例上から市の行政職員かと思ったが、この点は更に通例上、車のところを徒歩で来たために疑問を残す。2階の母部屋に案内され、部屋のドアは閉められた。出来る限り接近して話に聞き耳を立てると、子供の話である。最初は「埼玉」の単語から何となく上の弟のことかと思ったが、次第にその子供の成長する過程が出てくると、自分自身の可能性も浮かんだ。結局、その答えは現在に近づくに連れ、下の弟のことと判明した。要するに下の弟の養護学校(特別支援学校)進学に際して教育関係者が訪問に来ているか、母自身が相談に招いたかのどちらかだ。キーワードは「埼玉県立小児医療センター・集中治療室(ICU・NICU)、新生児の体重は充分、広汎性発達障害」、事実かはともかく、初めて聞いた。

14時33分、この男性は帰ったのだが、14時前からはこの時まで彼らのやり取りを全く意識しなかった。だから、この時「あ、そういえばいたね」と思い出した。

当記事注: 後日、母宛てで特別支援学級男性教師からの茶封筒の中から9月15日のものとされるA4サイズ再生紙の手紙を見つけた。その内容は、「校長から厳しい指導を受けた・○○さん(弟の名前)は広汎性発達障害と思い込んでいた」等と、謝罪文らしい内容であり、「今後ともご指導ご鞭撻を」と締めくくってある。メモで「事実かはともかく」と複数の事象に当てて綴ったが、この手紙でますます何やら分かりづらくなる。障害の種類や程度により、特別支援学校での区分(クラス割り?)にも影響されるとの文言も見られたことから、そう解釈すれば何か問題があるのであろう。とりあえず、9月14日に家へ訪問した人物は、その校長本人の可能性も浮上するが、憶測の域を出ない。



2015/09/15

本日も弟か誰かがテレビを付けながら1階に居座る早朝に目が覚め、携帯電話を確認すると5:45とのことなので、耳栓を付け再度眠りにつく。その後は7時半頃に起床となった。9時半にヤマトの配達員(6月4日メモにもある女性と同一人物)が着たが、母親は寝ているためか応答できなかった。半時間以内にノコノコと1階に降りてきた。それから不在の票を受け取らない時間は長かった。
14時40分頃、母親は買出しへと行った。15時40分まで速めに風呂(シャワシャン)を行い、16時までに弟が帰宅。10分ほどで今度は弟が風呂に入って、その間に自分の食事(特盛レトルトご飯の残り半分・ふりかけ・味噌汁)を取った。

17時過ぎ、自転車に乗った女児の往来が多く、左方向に小1ほどの2人と、右方向に小2ほどの2人がすれ違っていた。みな体育着の格好であった。昨日にも体育着の小1女児が放課後の時間帯に数名が窓の左方向に過ぎたが、一人は虫あみを二つ持ちながら走っていた。

今日の女児らは互いに挨拶か何か交わしていたが、いずれも自転車のスピードを飛ばしている。私などは、小2以降初めて補助輪なしの自転車に乗れるようになった身である。なお、この近場にある小中学校は全学年で自転車通学が不可能である。小学校の自転車通学は、自転車普及率日本一の我が故郷・埼玉時代において、特にさいたま市で通った浦和区の学校は3年生以降自転車通学が可能であった。自転車利用の促進という行政の顔が窺えるのではないか。あの過密地域で自転車通学奨励は、何かと不都合が多いはずであるのに。そして、ヘルメット着用義務も無かったと記憶する。○川市時代は中学校が自転車通学可能だが、学校に近い生徒は自主的に歩いて通学するものだ。

19時前後あたりに小バエ、とも言わないかもしれない小さな虫が視界にチラついた。これはメモしていないが昨日にも見失った虫がおり、同じ個体かもしれないし、今日初めて闖入した個体かもしれないが、それはさておく。20時55分、再度私の向き合うPCの情報に飛来を確認したため、手を勢いよく否、途中で止めた。すると、勢いの余波か小バエは止まっていた障子の外枠から、例の如く障子の張り紙などに移動したが、そ~っと体を起こしながら手を伸ばすと、右手人差し指に圧され、絶命した。例に倣い潰れやすさと色の残りやすさを加味した手段だが、少量ばかりは紙に残ってしまう。1ミリほどの体に怨念が詰まっている。それから数分後に部屋の窓を閉めたのだが、振り返った先にまた小バエ・・・1.5倍ほど大きいものであろう。先ほど殺された小バエが現れるまで、2時間近く私の視界にチラつかなかったくせに、立て続けに2匹現れるのは不条理である。8月18日メモの蚊3匹の件をフラッシュバックした。



2015/09/16

本日は就寝前に設定した5:30と5:40の二段階アラームにより起床した。計画通り炊飯など順調にこなす。この他、中長期的な計画ありきで、一つ一つの予定を消化している。まあ、こういうのも私にとりいつものことでしかないが。

10時台、昨日の買い物品の唯一の菓子であった饅頭を食べるに当たり、ようやくお茶を準備できる運びとなった。母親が長時間1階に居座っていたのだが、いなくなってからもこちらの作業で食事の余裕が無かったので、好機と思った。卓上電磁調理器の電源を入れ、鍋蓋の上に載せた袋ラーメン余りオイル小袋を逆面に反そうとすると、さっきまでキッチリ載っていたくせに、何度載せ直そうとも落ちる。これに囚われている間に母親が下りてきて茶が用意できないのは本末転倒なので、速やかに差し置いた。明晰な判断のはずだが、本当は最初からオイル小袋など構うべきでない。

私がキッチンへ繰り出る(完全一致検索してもゴミしかヒットない。"出す"asu使役を、出るeru受動に類推・逆成した言語能力)て、茶を漉す片手網(?)を濡らした(前回・前々回の茶では細かい茶葉が網目から抜けてしまったから水の表面張力で防ぐ意図)ところで、やはり母親が1階に降りてきた。網を無駄に濡らして、後を残しかねない。折角の茶における前回までの反省が全く別の形で裏目に出た。不条理だ。終始無言のまま部屋に戻ろうにも、洗面所・廊下間ドアでバッタリ。また「求食無詮(食を求むるに詮無し)」の私。母親にはその後不快感が生じたようで、何も伝わらないグチグチ小言か何かの声が聴かれた。

それから数分後に、落ち着いたようなので再度部屋を出るためにドアを開けて聴こえたのは、2回からの水音。もはや、ほんのご褒美もドブに落とした気にしかならない。私は何も望まずに食わずに生きた方がよいのか。けだし母親のトイレ中であろうに、最近母の変容しつつある衛生観念に疑問を呈してきたのだが(例:9月11日メモ等)、この一週間、このようにトイレの音が酷いから、ドアを開けたまま行っているようだ。実際に、数日ほど前は私が水音を聴いて直後にドアの閉まる音がし、それから聴こえなくなることもあったが、ドアが閉まって音が漏れづらくなろう。第一、今までありえない・やっていないことを最近始めすぎである。締りの無い人間性が加速していよう。私の思考で、類聚2にも載せた8月27日の弟草むしり闘争が結びついたのが何故かは不明。

15時33分、弟が帰宅した。この時まで母親は断続的に2階へ上がるとも、多く1階に長居しており、私が昼飯を準備する余裕などはほとんどない。13時頃にシリアルを食べるとか、水を汲むとかにとどまった。この時刻までに「母親は弟の帰りを待つ意図を持ってそうだ」と思いもした。中3になると、この時期は比較的帰りが早くなるが、実際に45分授業とのことであるから些か早まっていよう。

16時20分台、母親と弟の話し声に耳を傾けたのだが、「あほなす」について話し合っていた。「お母さんの声が気に入らない」という弟の発言の後、「喧嘩になっちゃうから」と、母親はしていたらしい清掃作業に戻り、私も体を部屋の中に戻してドアを閉じてPCに戻ろうとしたのだが、その直後には鈍くて巨大な音が2階から聞こえた。当然、何らかの理由で弟が意図的にこれについて、再度2階へ耳を傾けると、いちいち母親が私のことを引き合いに出して「壁に穴が~」と放言しだした。



2015/09/17


9月17日、早朝から目が覚めたが酷く冷えるものだ。それから眠ったりするなど実際に起床したのはアラーム設定7:20以降である。7時40分以降、朝食の準備を始めたが、その手前から母親の2回での動きを感じ取ったのでいつものように何か障害がありそうだと考えた。それは、やはり新たな手口であったりする。朝食を取ることすらも罪となるらしく、やはり食わずに生き抜くことを真面目に考え始めた方がよい。食いたいなら、昼夜逆転に戻す外なかろう。

電子レンジに昨日の炊飯の残りが盛られた茶碗を入れて加熱し始め、トイレに入ると2階から、母親が私を呼び出した。アホのゴミだ。昨日は弟から「最近あほだね」と言われていて一理あるが、この辺については元々であろう。トイレにいる旨を告げるなどやり取りの中で1階に降りたり2階に戻ったり、不愉快である。ただ「電子レンジのところに行って」と数度念を押され、訳の分からないまま、とりあえず自分にとっても必要な移動だからこれをすることとした。トイレを出てから1Fリビングのドアで2階に大声で話しても何の返答も無く、不可解さが増すだけだ。とりあえず電子レンジが回り終わるまでその前に佇むこととし、次第に後方をキョロキョロするようになると、音も無く母親がドアから現れた。ようやく、とウンザリである。

母親が私に聞きたいことというのは、「キッチン窓枠の汚れ」だそうだが、その語彙だけだとすぐに、黒い斑点があって、8月31日メモにもある私が自主的に軽い掃除をした底辺の箇所かと思い、それを尋ねたが、返しに母が示したのは右側の上方であった。謎の茶色い液体か何かが付着し、別の面ではべったりと広がっている。窓の外(屋外)から何らかの理由でその箇所に液体が跳ねることは、構造上ありえないし、仮にもその場合は窓枠と壁のみならず床や棚にも少量飛んでくるはずだから、まず屋外からの原因は無いと言える。

正体について、普通の考え方で追究しても、ソースが跳ねて掛かった、或いは母としてはコーヒー説もあるが、この程度に終わる。茶色い液体の正体が食品由来であるとすることは、液体を拭うなどして嘗めるか、何もせず乾くまで待つ等だ。後者の場合、乾きづらい様子なら一般的な水+栄養成分のような構成とは大分異なることとなる。話しながら私の体にぶつけてきたり、直接触れる真似を繰り返されたから、斜め後ろに母がいた際は膝を蹴っておいた。スキンシップレベルの蹴りだが、私は罪悪感が生まれた。罪業メーカーでしかない、最低の親だ。

このメモを書きながらご飯・味噌汁・納豆・海苔の朝食を取っているが、冷めることを厭わずこの記録を行っている。口で「暴力よりも食事を取る方が重い罪なんだ、食事を取ろうとするだけで暴力まで仕出かすように仕向けている」と運命を呪ったところ、母親に絡まれ、私の独り言を復唱して「誰に言ってるの」と聞いてきた。「誰でもない運命に言っている、いちいちつっかかってくんな」と告げたが、噛み合わない否定口癖「違うよ」と返すが、否定口癖はどんな息子の発言内容を問わず用いられる。母親としての感覚を疑う。続く言葉は「最近はSkypeとかあるから誰かとしゃべっているのかな」などとも言い出すが、同じ問いは2011年などにも既にされている。あの母親は使いもしないSkypeをPCにインストールしている。私は11年同様Skypeなど使っていない、といった旨を一気に伝えて話しを終えた。自身のボケに一向に気付かない。母親は8時半近くまでテレビを見るだけで2階に戻っていった。母親が早起きモドキをしても、家事や労働があるわけではないので無意味だが、その癖に9~12時に宅配があっても惰眠のせいで応答できない日がある(最近だと9月15日)ようでは、中途半端の極みだ。家族にも赤の他人にも迷惑を掛け続けており、自覚もできない。

9時半過ぎ、母親がどこかに電話をかけているが、あの液体について業者に問い合わせている模様だ。液体の正体は、互いに不明であるからと、わざわざ業者に相談する旨を件の会話で話されたが、これがそうである。あの液体など、普通に拭って洗い去ればよいものを。拭っても暫時挟んで忽然と現れるほどに怪しいものを業者に相談するというならば常識的であろう。母親は性急にして並みの判断能力も失われている。

13時過ぎ、業者が来たようであるが、今回も車の姿が自室窓より確認できない。同時に、今回も母親の車はよその車が敷地内に止められるよう引いた位置に停車してあるのに、こういう時に限り昨日の宅配業者も3日前の教育関係者も以前の建材関係業者もみな車を離れに停車したか、徒歩で来たこととなるが、同時に私は確然とした判断もできていない。理解不能なまでに「同時に」が重なる。ところで母親は、この訪問した業者と雨の中か雨上がりか、屋外でも相談をしていた。結果的なことは知らない。

というのも、14時過ぎにこの雨の中セールスマン的な人間が来て、いつも通り冷めたような母の反応で追い返されていたのだが、まるで対応が違うとも業者の姿と重なったので、ついでにこの件を思い出し、キッチン窓枠を見に行ったからである。件の窓枠に付着した汚れは、取られることなく残されている。母といたときは電気のつかない朝の暗い空間で概観しただけだったが、今度は検分することとした。僅かに触れて、指先を舐めると刺激的なものはなく、やや甘くしょっぱく感じる程度であった。だが、つぶさに最上部を見ると、あたかも窓枠の接合部分から染み出たような様子である。ふと反対側(向かい左)の最上部も見ると、ここもやや液体が見られた。やや想像を超えていたものであり、とりあえず概観を見取れる写真三点を収めた。最後に、母親が朝に居合わせた際の母親の説明不足さ(言語的なものに限らない)を実感した。

ところで、今日は頭が痛む。頭が痛むというのは語弊があり、元々左頬骨付近に内在する皮膚の炎症(腫れが表出していないものが腫れの痛み)が出来ていて、通じ合った神経の先で脳が痛みとして応じているものと考える。他にも唇の左下に口内炎があり、これは2日前から作っていたもので、左上の歯が対応して痛む。このように顔の左半分のみ各所で患い痛め合っているようだ。よって、一般的な頭痛とは原因が異なろう。頭痛的なものは、日記メモで書くことが滅多に無いか一度も無い。数年ほど前は日常的に頭痛がしていたが、今は慣れているのやら改善したのやら、頭痛を意識するのは久しく思っている。

一般的な頭痛の原因を探すと、風邪による面も考えられなくはない。当メモ冒頭の通り、朝方は丸めた布団を広げて体に被せないと、薄めの部屋着には些か寒かった。その程度だと罹患は平気とも思えた。風邪と仮定して、他の症状はせいぜい喉などに気持ち悪さがあるくらいである。



2015/09/18

本日は朝7時台に目が覚め、間もなく2階から母(トイレ中)と弟の話し声が聴こえた。携帯電話を開くと7:18となっていた。彼らが喋っている間に起きてから必要な作業のトイレ以外を済ませてまた押入れに戻ったが、5分以内にまた起き上がり、PCを起動させた。不健全なアレが目的とはいえ、体を起こすきっかけとして大いに利いているのだからやめられない。

前日から考えていた朝食の予定は、いつも通りご飯中心のものと楽しい食事を企図した激辛ラーメンの2種類だったが、後者を取ることとなった。弟の登校も束の間に母親が1階に居座り始めたからである。部屋のケトル内の水でささっと調理をした。マイ冷蔵庫には以外にも豚肉の残りがあるので、少々使う。茹で上がり、粉末スープ・調味オイルも入れて、オイル上に唐辛子を集中砲火する。ラーメンに唐辛子は、今夏ほとんど掛けなかった為、以前よりは減りが遅いから、こういう寒い朝に胃腸のことも慮りつつドバドバ掛けておいた。飲み物は余り気味の牛乳にしたかったが、辛いものを問わずペット緑茶を取っておいた。

ところで前日より、朝から調べたいことがあった。某ペルー人関係と某チリ地震関係である。まったく、近頃は国内の災害や国民の事件にとどまらず、外国人も凶行に走って、地球儀上緯経対向の地の間接的影響まで受ける懸念があるとは、とある教団の老獪教祖も饒舌さに輪をかけよう。
前日の押し入れ内では、雷光が部屋を照らし、雷鳴が鼓膜を打ちつけ、落雷が押入れ上段を揺らすほどに響くこともあったから、スヤスヤ眠り込んだら家が焼け始めるのではないかと冗談まじりに考えたりもした。雷自体は当地・豊橋において昨日の19時以降始まり、未だ眠れない23時過ぎにも鳴り続けていた。その中で私にはあまり関係の無いことを物思いにしていた。

当地にあって、太平洋沿岸部の都市である以上、市域の南端で彼の地震による津波は当地にどのような規模で到来するか計り知れないが、どちらにしても当地の津波に対する防御性を確認するには丁度良い予行演習になることを踏んでいた。全国でほぼ無害の場合もあれば、当地(あるいは近接都市)でもやや高い波を観測することは有り得る。当地あるいはその付近がいかに耐え得るものか、まさに知れよう。今日までの災害や事件も、予見する余地が存分にあったが、今回の津波は事前に公的に周知されているところは異なり、それを知った者がわざわざ海に出てビッグウェーブに乗ろうとするか。結局、全国的に人身の被害は無さそうだし、こうして朝を迎えるのは幸いである。

15時40分頃、弟が帰宅したことで、今週の弟の帰りは全て15時台となった。今日も母親は変なテンションで弟とやり取りした。昨日は「お帰りなさい」の「さ」を伸ばしたり2度言ったりするなどであったが、これは稀にある。今日にしても元から食品に関する談合があったから、弟が母にパンについて尋ねて間もなく手を洗わずにリビングへ急いだから母が2階から降りてきて何か・・・「お見通しだ!お前のやってることは(倒置法)」と連呼するなど、弟には鬱陶しく感じられて、次第にギクシャクしてきた。いつも通り険悪な雰囲気に陥って2階に弟が連れられた後、母は深刻なしゃべり方に変わった。再度1階に降りる際も弟を恐れて、自分が先に降り終わってから弟に降りてくるよう注意した。「楽しくしようと(母語)」という意図でも「暴力(母語)」的になるそうである。よくある流れとはいえ、母親は過去の例を忘却して胸に留めない人間性であることが嫌になるほど伝わって已まない。それに、当人が陽気な振るまいをすればみんなが楽しくなるわけでもない。

一応発言録、「声が汚い・古い命」等と弟が母を酷評し、「なんなんだよ・お前なんか嫌いなんだよ」等と弟が叫ぶと、暴行を杞憂した母が「ダメだよ!」と慌てる。「うちから出て行って・出て行きな」「やだっ」等とありがちな展開ではある。聴いている私はいつも不謹慎に思いながら笑ってしまう(声を殺しての抱腹絶倒もある)が、やたら全身ではしゃいだり(哄笑躍動)することはない。

当記事注: この9月は、当メモ以後もおかしな事件が耐えなかった。特に、「18歳の男子高校生」が立て続けに凶悪犯罪を起こしたことは不思議であろう。9月下旬、片や山梨で80代の祖父母を殺害し、片や三重で同学年(?)の18歳JKを殺害したという。ほか、春日井市のラーメン店強盗殺人も、チョビっと奪う為にラーメン店で二人殺そうとした(一人は未遂に終わる)ことはおぞましく思えた。当初は情報不足であったが、次第に奪取額など判明するごとに、その計画性や背景・犯人像が鮮明になり、考察は楽しめる方であった。ここでは詳細に書かない。みな、9月中に犯人が逮捕されるお粗末な結果ではある。



2015/09/20

日記メモを毎日書きたがる今月にあって、昨日は書かない日とした。日記メモを意欲的に投稿することは望ましいが、書きたければ書く、といった流れを敢えて抑える日を設けたかったからであり、怠ける意図は無い。故に昨日は、日記メモを書かない分、二つの記事下書きが進んだ。二つともメモ帳での投稿を予定しているが、本家ブログの供給の観点で片方が本家で投稿されるかもしれない。

それはともかく、昨日の計画では毎週日曜日の予定に向け長めの睡眠を取りたく、某サイト曲漁りなど押し入れ内でやりつつ23時過ぎに眠った。今日は朝6時頃に一度目が覚めたが、弟が色々動き回っていたために目が覚めたものである。耳栓もいつも通り外れているから、防音にならない。散乱した片方の耳栓を見つけ、再度眠って起きたのは8時過ぎであった。

12時50分前、母親が買出しへと向かった。これも計画通り、部屋の雨戸解放の後に洗濯・風呂といった作業を順調に終え、14時過ぎに風呂を出た。それから最低限の身支度が済んで、洗濯物を干しに2階バルコニーへ出ると、体長1cm余りで地面を這うもとい跳びまわる虫を見た。バッタの仲間かもしれないが、触覚の短いゴキブリのようなものだ。この時は足で払うもとい気休めのまじないを掛けつつ、作業を終えたが、これは奇しくも1年前の9月その晦日に部屋に出没した虫と同種のものではないかと気付いた。今回のものは飛ぶ高さが最大で5cmほどと見られたが、その虫も最大跳躍高はそれほどであった。

19時50分頃、ゴミ出し兼自販機通いへと出た。頭にタオルを巻き忘れた。やはり家を出ると向かいT家の子らのはしゃぎ声を意識する。「花火」という単語が聞こえるが、子らと異質な大人の声も混ざっており、そうと言ってもT家夫妻が子供と騒ぐことも記憶に無い。これはシルバーウィークに際して泊りがけで来訪した他所の女性の声と思い、見慣れない自転車も止まっていることからそう確信した。若い女性と仮定して記憶から2名探り、片や10代のようで片や30代とも見えなくはない二人だ。それから一時間経つ今も、猛烈に煙を拡げながら花火に興じ続けている。さぞや愉しきことよ、火の手な尽かせそ灯せや灯せや。



2015/09/23

9月23日は朝6時10分過ぎに起きた。日記メモを21・22日と続けて休んだわけだが、素直に言えば、ネタが無い状態ではあった。起床・就寝の時刻の記録だけでも成り立つとはいえ、無味乾燥な記録ならここでこういう体裁を取る必要も無いし、毎日日記メモを書けばよいとは思わない。

17時台、散歩計画案の練習散歩の敢行を決定した。軽食を終えてより準備を始め、ゴミをまとめ、軽装に着替えて買い物の金銭を揃える。普通の自販機通い同様タオルで髪をまとめ(これは帰宅まで幾度と整えたり頭を抑えながら歩くなどして終盤に近づくにつれ解除した)てから18時20分過ぎに家を出た。ゴミを出し、とある自販機の前に臨むと、この自販機特有の仕様で今回は買い物が不可能であったから、近場の自販機で間に合わせ、予定金額も想定の半額ほどに落ち着いた。今回はそのまま市道沿いを2個先の交差点まで行き、折り返すというルートである。SW最終日というのは色々と不安があるものだ。

件の自販機の作業の前の話、対向の歩道より女性がこちらへ曲がり、集合住宅の敷地へと入っていったが、その先にも女性らしき影。二人は向き合うや、「久しぶり~」と口を開いた。いきなりこんな場面に遭遇する私である。私の自販機での作業はいつも支障があり、順番を言えば自販機作業自体、彼女らの存在で1分近く出来ずたゆたっていた。それで、作業に入るや、購入不可能という異常事態を見せられるのでは、呆れる。

とあるコンビニ前に差し掛かった。この場所の記憶はM店であるが、実際にはS店であり、M店はもう少し先の場所にあることを、後で知る。このS店脇の、市道に接続する道路から、市道に抜け出そうとする車がある。後続車もある。市道を過ぎる車を待っている様子だから、この間に私も走り過ぎようとダッシュした途端、この車は発車しだして、無駄足。体に悪い。直後に身を翻す。結局、後続車の方が市道に抜けるのも待つために背後に回ろうとしたら、明らかにS店に停車している車で最も私に位置が近い車の中に人影がある。だから何と言うこともないが、全てが煩わしく思う。そちらこそ、私にどこへも出てくるなと言いたいのだろうか。こうして市道で歩く、歩道についてもどちら側が良いかある程度決まっていきながら目的地の交差点に着き、紛らわしい分岐点の確認も取った。

折り返してからのとある交差点では、青信号がずっと見えていたが、ノンストップで渡りきろうとした途端、残り僅かな距離で黄色が出た。後ろから私に追いついたトラックがこちら方向に曲がるランプを点しながら停止した。そのまま前かがみになってダッシュした。渡りきってからも歩き続けながら振り返ると、赤信号になっていても、トラックは普通に○折した。前かがみといえば、私が歩く姿勢は常に背を伸ばした姿勢であるが、この件以後に市道で歩く道を反対側(行きの時歩いた側の反対の反対ということで行きの時と同じ側)に移ってしばらく歩き、もと歩いていた側(ということは行きの時歩いた側の反対)には男女の組が歩いており、女性の方がだいぶ前かがみの様子であった。こういった人を見て、元々からではあるが、なお自分の姿勢を意識する。

その他、今回気付いたことは、とある施設の市道挟んだ対面の金持ち風住居の住民らしき女性はとある施設の2階層の駐車場の下層で住居そばに停車すること、と、集合住宅(複・世帯とか)兼店舗の建物が点在していてとある料理店はそれなりに客(年齢層は40~70代)が入っている様子を見受けられた、等である。楽しくも心地よくも無いであろうが、良い勉強になり、練習として有意義であった。



2015/09/24

今日は6時49分に目覚めるも、もう少し眠っていたいから寝続けようと思って、間もなく弟が1階に降りてきた。7時30分前にも目覚めたが、弟の登校前であろうが、母親が1階に降りてきた。起床は7時40分頃となった。

私の都合に適わない夜就寝・朝起床の生活も、日記メモをたどってわかる通り、1ヶ月以上前から続いている。「緩急自在(8/17)」、「夜昼逆転(8/19)」などの文に明るい。風呂も洗濯も様々な作業が不自由であるし、炊飯も先月と比べて頻度が落ちた。それでも、大きな難は無く1ヶ月これを続けられた達成感があり、可能な限り継続したく思う。ただ、合理性では昼夜逆転の方が良い。ともあれ、このことで私は、自律的に普通の起床・就寝時間の維持が可能であることに身をもって証明できたこととなろう(ある程度は物の力による)。

弟の帰宅が15時40分頃だが、それからずっと1階にいる気がする。もちろん帰ってから最低1度は2階に上がるとはいえ、それをしたとして間もなくずっと、ということである。あまり関心が無いながら、イヤホンしている耳でも彼らの会話が聞こえ、17時30分あたりから「お母さんの声がきらい」と弟が言い始めるなど、静かなようでも険悪そうだ。17時35分頃、俄かに「あっあぶない!ほんとやめて、悪かったから」等、母親が騒ぎ出した。母が大声をあげて弟を制止しようとするのはよくあることだが、今回は怯えたような声色であり、「悪かったから」という聞きなれない表現にも表れる。その後も、物音さえ立たないが、不穏当な雰囲気を会話内容から感じる。もちろん、母は何の負傷も痛みも無い。



2015/09/25

昨日は22時過ぎにPCをシャットダウンして、押入れに入ったのだが、いくらか試したいことがあった。すると、21時台から1階に居座り始めた母親の立てる物音一つ一つ(足音、ドアやクローゼットの開閉音)がストレートに届いて悪影響が酷い。こういう母親に酷く憎い感情を持ってしまうが、自分の体もあえて残した尿意によって寝付きづらくなっている。全て修行・・・実験のつもりとなって堪え抜こうとした。日々、過酷な環境などでの睡眠を意識している。

次に目覚めた(それまでも何度か短い目覚めがあったか?)時もまた母親が2Fトイレの出入りで大きい物音をいくつも鳴らした時である。5時過ぎのことであるが、携帯電話で5:20の時間を確認するまでは眠りが浅くて0時、深くても3時頃だろうと思っていた。その時はもっと眠っておきたかったが、実際にあまり眠気もなかったし、時間を確認したところである程度眠ったものだと感じ、起床するに至った。今日の予定が阻害されそうであるが、色々と慎重に進めていきたい。21時半あたりに飲んだ下剤の、寝る前(22~23時頃)には左下腹部の大腸の硬化等、下剤特有の効果発現も感じられたが、この起床から全てやわいで違和感が僅かに残っている程度である。

13時40分頃、母親が買い物へと出掛けたので、私は風呂(シャワシャン)の準備を始めた。昼食は、13時過ぎから始めて、ちょうど食べ終わったところであった。風呂を出て粗方水気を払い終わったところで、家のポストの開閉音が鳴る。あれは大きな音が鳴りやすい仕組みである。最近の弟の早い帰りから、15時にならないこの時でも弟の線が考えられたので、洗濯物の移動作業(詳細は長くなるから知らなくてよい)を急ごうとしたが、何度も鳴らされ続けて違和感があった。洗濯物を手にとって洗面所に戻したところでバイクの走り去る音が聴こえた。郵便局員がこんな時間に配達は考えにくい。頼んでいない新聞の広告でも、新聞配達員が投函してきたのであろうか。ともかく、毎日不条理ばかりでは、困る。

配達物を見ようと思ってドアを開けたら、ごく低位置より蚊が入ってきた。外の光を求めているようなので、再度ドアを開けなおして誘導させた。出て行ったようだが、念のため、玄関においてある準殺虫剤に手を伸ばし、ドア側低位置へ噴射した。ドアを開けただけで虫が入る不条理も、困る。

15時20分過ぎ、髪を乾かしている間に母親が帰ってきた。これも私情ネタ作業、母親はいつもやらないで出掛けることを知って、母から指示されたことは一度も無いが私はいつも黙って母の代わりを行う。私が髪を乾かし始めたあたりに携帯電話へ掛けてきたようだが、私は気付かなかったし、私はいつも寡黙の中で母がペラペラしゃべる習性で電話の用件が聞かれたが、それは先述の通り未然に行われている。ほか、本日の買い物品受け取り召集は15時40分過ぎだが、品書きメールでいつもより多い「ラーメン・海苔・ふりかけ」など書いて、なお多く買うようである。例えば、前回はシリアルも菓子も買わなかったが、今回はどちらも買ってきたし、ヨーグルトまであって、とても少ない前回との差が著しい。

一つも菓子類を買わなかったことについてその時の召集の際に「今回は買わなかッタ」と声掛けされたが、それは聞いてもいないことだし、鬱陶しいだけ。買わなかった、そんな結果論は別に興味が無い。後から弁明がましく言われても、鬱陶しいだけ。そういうことを「責められたくないから」と、買い物後に言うくらいなら、普通に菓子を買ってくればよい。売り場行きが面倒か倹約のためであるなら、買わない状態を貫いてそれで一々私に告げなくてよい。私を誰だと思っているのか。召集さなかに告げられる母の無駄口には滅多に返答しないし、今回も色々言われても、指示の類なら不言実行する。私は菓子の有無に不満が無いのは、羸痩体型に明白である。いつもそうだが、私の母に対する不満は、金銭だとか物質的な不満ではなく、迷妄の精神状態の改善が無いところである。母親も、自分の無駄口に私がなぜ常に無言でいるか、推して知るべきであろう(が、母には不可能)。15時48分、弟が帰宅。



2015/09/26

昨日は18時から不思議と眠気が無くなり、いつも寝ようとする時間を迎えて初めてそのことを自覚した。21時50分台にPCをシャットダウンし、寝付けそうになった22時56分に携帯電話の時間を確認した。いつからかこの時まで、母親はずっとテレビを見続け、バカ笑いなど散々続けていた。水の蓄えなど出来ぬまま寝ても、今や不安など自分には無くなった。それは良いことか否か、自分ではもう判断がつかない。2011・12年であれば、リビングに人が長時間居座る状態に、まだまだ憤然としていて、床(絨毯+畳)やふすまを強めに鳴らすことも多かった。

そこから寝付いて起きた本日の朝に携帯電話で時間を確認すると、6:31と出る。それから3分後に弟が1階に降りて、食事を始めた。かつては休日だと朝が遅いということも、今や法則として弱くなった。無駄に早い覚醒があって、それで起床後の自由が保障されているならばよいが、こうやって私が起きたら誰かが降りるというのは困る。誰かが元々動いているからそれを機縁に目覚めるとか、そういうことも多いが、今回のようなものは今回のようなものである。

12時20分過ぎ、「弟の焼きそば作りwith 母」が始まった。前日の夜では「マックスバリュウでぇ、焼きそヴァ、買ってきてくれたよねぇ?」と母に問うていたが、弟のお目当てはカップの焼きそばである。本日キッチンの収納や冷蔵庫を調べると、ペヤングの焼きそばが弟のスペースにあって、冷蔵庫ではカップではない生の焼きそばもある。この時カップ焼きそばに関しては、単に独りで食事を取る為に欲しいだけかと思ったが、弟のカップ焼きそば調理経験が無い以上、調理は困難で、有り得ない。

話を焼きそば作りに戻すが、母と一緒に始めるところ、元々経験の無いカップ焼きそばの調理することに興味があって母に購入を指示した模様である。やはり弟の不手際で声を荒らげる一幕もあった。母の反射的に出る「けーさつ呼ばないといけないからぁ」等の声も聞かれる。円満に進むはずも無い。弟としては期待と好奇心でいっぱいだったが、母の冷めた咎め(犯罪云々)に興ざめし、知的障害ながら比較的繊細であるマインドでは、不手際に負い目を感じるばかりであろう。

ところで、私は小学生の時からカップ焼きそばに不味い印象を持ち続けていた。主にUFOばかりで、ペヤングはほぼ食べた記憶が無い。ラーメン・うどん・そば等のカップ麺は時折食べたいと思うが、今年は5食も食べていない。食べたいとしても、少し物思いに終えるだけで母に要望を出さない。

14時8分、向かいT家の御息女が御学友と思しき女の子を連れられた。個人的には始めてみる顔(前髪を上げている)で、特筆すべきはその顔立ちである。かなり外国人のようである。外国人といえば、昨日は雨の中、金髪+少し日焼け+長めのポニーテールという外国人風の顔立ちの女性が、日本人の女性(髪はやや長い)を連れて(に連れられ?)何かの訪問周りをしていて、我が家に周ってきたのだが、母は9月17日のセールスマン的な男性(キツく門前払い)と異なり「申し訳ないっ」という言い方で門前払いした。事後、母は困惑したように何かグチグチ言っていた。雨の中に御訪(おんとぶら)ひありけり。何ぞ皆こぞりて雨の中来らんや。

彼女らは、何者であったか。もしかして、弟と同じ中学校を平成23年度卒業のイタリア人(ペレグリニ某)と関係があるのだろうか。過去にペレグリニ某に関して思ったことは、今なお豊橋に住み続けているかという疑問である。豊橋ブラジル論ほか7-11プリンターボーイについてここでは説明をしないが、このペレグリニ某などイタリア人が豊橋ひいては日本に定住することは考えづらい(ファーストネームが日本人名風カタカナ)。外見からの年齢等も踏まえペレグリニ某の母や姉にも見えず、それ以外の親戚が日本に住んでいることも考えづらいから、たまたまプリンターボーイのように白人風の者が近所か市内かどこかに住んでいるだけだと判断する。

それから母親が外に出て14時12分、家の問題について業者か誰かが訪問にきて、母親が庭について1Fリビングで話していた。女児のことと業者のことは、まとめ記事で画像を載せる予定。

17時11分、「プウィッ!プウィッ!」とおかしなクラクションを鳴らす車が家の前を通過した。近頃は無意味クラクションが多い。我が家の前に限って行う点は、女が連れたバター犬と変わらない。このような車は9月19日ほか、それ以後にも一度現れるほど高頻度である。

当記事注: 9月30日17時13分、単なる通行人と思しき声を聴いて反射的に窓の外を見ると、自転車での通過が1つ、2つ・・・後ろの人間があの外国人女性としか考えられない。髪形は後ろでグルグル巻いていた。自転車の後尾に子供を乗せる作りが設えられていた。先を行ったのも女性で、恐らく以前と同じ日本人女性ではなかろうか。近所に住んでいるのであろうか。こうやって、たまたま短期間で頻繁に同じ人を見ようとも、以後全く見かけないこともある。単発よりマシであろうが、やはりあの春における羊の散歩(04/29メモ)であるとかがこの類である。単発や短期間は、狂ったバター犬と雌豚コンビくらいでよい。羊の散歩については、6月20日メモでも消息について一言で案じたのだが、それから3ヶ月経つ今でも見かけたことは無い。



2015/09/27

コスモクラスト cosmoclast cosmoclastos Κόσμοκλαστόϛ Κοσμοκλαστοσ
ギリシャ文字 Κόσμοκλαστόϛ または Κοσμοκλαστοσ

本日は目覚めた朝に時間を確認すると、7:24であり、人の動きが無いようなので早々に起床し、朝食など済ませた。

14時半前、キッチンを少々物色し、冷凍食品などの野菜を確認したほか、コーヒーについても調べると、カフェインレス(97%オフ)というインスタントコーヒーを25日の買出しで買っていたようである。カフェインレスという存在は初めて知った。私は愛飲者でなく、たまに摂る程度の人間であるから寡聞にして知らず。母親が節度無く液糖類を買い始め(類聚2などに載せている)て後に始まるカフェオレ作りで、やはりカフェインの過剰摂取に不安も起きようが、ただいまこの時に初購入である。個人的に飲みたくも今回は踏みとどまり、計画通りにカフェイン摂取目的(日曜日24時前の予定のため)で元から余っている方を取っておく。

次に青汁を3包を取っておいた。そもそもコーヒーなどの前に、冷蔵庫の卵残り2個のうち一つを取るか否か考えていた。これは5日前だと4個あって、それから一つ減り、昨日あたりにも一つ減って2個になったものだから、日を置いて一つずつ減るところ、よく作るお好み焼きなどの料理で使ったわけではないと見る。後にも卵使用の料理の予定は無いと思う。過去には、賞味期限を1~2週間切らした末に「ゆで卵」という苦肉の策で消費することがあり、最近もゆで卵に3~4個使うことがあったようだ。私の場合、キッチン冷蔵庫内の卵はこの1年ほどあまり取らないでいる。もっとも、最近一度取ってラーメンに使っていた。今回も取ろうかと考えた結果、これを辞して、新規開封・箱から別の容器に移され綿棒のように広がる青汁の包装を3つ取っておいたのである。

この青汁とコーヒーが合うのか試した。お供はソフトなせんべい。私の感覚でやや多めのインスタントコーヒー、そこに100ml用青汁1包をドバッと投入する。これは失敗かと思いつつ、お湯を適量注いだ。そしてスプーン(愛飲者には怒られる)にすくって冷ましたものを一口・・・、意外とまずくはない。この直前、先にせんべいをかじった影響は不明である。その後も飲み続けて、あまり問題を感じない。外見について言えば、スプーンにすくわれたものは、底に粉のようなものが沈んでいる量の多さが分かる。薄暗い部屋で私用ムーミンカップを見ては、仄かに緑色を感じるようでも、基本的にコーヒーの色である。全部飲みきるとやはり、青汁の粉のようなものは多く沈んでおり、さながら堆積した泥である。次回同じように作りたければ、お湯の量を減らしつつ、牛乳を加えてもよい。

記述の注釈をしてみる。「失敗か」と思った点については、不味くなりそうという点の他に、1包のうちの少量ばかりを残して別途使う意図があり、これが叶わなくなる点にもある。味わった感想についても、お湯やコーヒーの配分や、使用する青汁の配合の差などに影響される。この青汁は、そのままでの口当たりがやや甘味のあるよう配合をされている。また、ここで用いたものが「コーヒー・青汁・お湯」だけであるように、牛乳や糖類は加えていないから、ブラックが苦手な人には最初からお勧めできないものの、コーヒーらしさも減殺されるこれならブラックより飲みやすいかもしれない。個人的にもブラックは慣れるのに時間が掛かったが、慣れる前からたまに飲みたくなることも時々あった。それと、この青汁コーヒーを飲んでしばらく経つと、青汁の癖が口と鼻を行き来しはじめた。15時40分にもう上記の件から1時間経ったものかと思った。体感的には30分程度にしか思っていない。沸騰から1時間超を自室環境で経過したお湯は今、体感的には50~60度と感じる。

ところで、今日は当地で、良い・佳い月が見られるだろうか。先述の通り24時まで起きる都合があり、ほか、外に出る理由もゴミ出しにあるから、何かとツイている。最後に月を見たのは、昼間に半月ほどのものが南の空に浮かんでいた。一週間もすれば位置も満ち欠けも違いがある。よって、9月20日の昼に母が買い出しに行った際、洗濯物を干し出す折のことであろう。昨日は夜ににわか雨、今日は朝から曇ってはいたが、予報どおり16時台には晴れてきた。先ほどのお湯の話題からまたも1時間経つ16時35分、ただいま30~40度と感じる。月については、先日25日の買出しの中に月(月見だから満月)を模した和菓子2点があった。一つは昨日のうちに食べてある。もう一つは残してある(これは月ではなく兎を模したもの)。9月の満月といえば、去年なら9月10日であったが、これはメモ帳9月9日10日の記事や、二つをまとめあげた本家記事などがある。

18時10分、既に空は夜の暗さとなった。自室の雨戸を狭く開いた窓からは、月明かりに照らされた雲が見える。気持ち、雲が多く感じるが、当地の予報は午前の「曇のち晴」に変わって「晴のち曇」とのことで、本当に雲行きが怪しい。18時20分に再度つぶさに眺めたところ、異様に明るい雲が見えた。見守ったところ、この裏に月が隠れていたようで、始めは左側の三日月に見えた。雲の流れにより徐々に右側の三日月に見えてくる。「須臾にして~」の句を浮かべた。皆既月食を須臾とするなら、これはもはや刹那にも過ぎる速さだ。ゴミ出しまでの滑り止めとなる写真を一応は撮っておいた。

19時48分、ゴミ出しと自販機通いのために外出した。怪しい雲行きは一転して晴れ渡った天蓋に孤高の月。星の類もあまり見えない。月の明るさは、月並みならぬ並み満月といった具合であった。進路上の最初の十字路では、運悪く車がこちらに来る。私がノンストップで渡ろうとするまでにノロ~っと近寄り、そこでやっと左折ランプ=私が歩く側に曲がるランプを点した。最初からそのつもりなら、横着なまねをせず点ければよいのだ。絡まれそうな思いもしたが事無きを得た。満月の下にトチ狂ったか寝ぼけたのであろう。目的地に近づくにつれ、どの方向に歩いているのか見当が付かない人影を捉え、ようやくそれは子供がバットで素振りしている姿と分かった。一度はボールを打つ音が聞こえた気もした。買い物を済ませた折に満月とその子供がギリギリ収まりきるように写真を撮った。そのあたりから、こちらに向かう一つの影・・・白いポロシャツか何か着ている男性であり、早々に離れた。この男性は自販機で買い物をしたようだ。

帰路では、S姓の住宅から大きめの音量でジャズ系が流れる。最初の十字路を反対側から来た親子(父・娘)とすれ違う際、彼らは俯き気味でやや速く歩いていたが、私はやはり背を伸ばして左手を帯刀ならぬ帯・携帯電話のためズリ下がる服(件の青白部屋着ズボン)を抑えながら武士の構えで顔を正面に向けていた。家の前までに向かいT家の子らの声が聞こえてくる。帰宅から5分経つの自室では、流入経路不明の羽蟻が右の袖に止まっていた。これを素早く的確にティッシュで押さえた。逃がすつもりでいたが、やや強めにやった後であったから、これ以上苦しませまいと、殺めた。帰宅したばかりに、全部メモすると疲れる。外出中に窓から入ってこないように、外出前は窓を閉めた。外出中に虫がまとわりついても部屋まで来ないように、帰宅後も工夫をしている。なのに、念を入れた対策が奏功しないのでは、物事に気力を持てなくなるであろう。

当記事注: 月の写真および夜景については、専用設定で撮影していて、これでも肉眼のものに遠いのはいつも惜しく思う。去年9月の満月においては、母の携帯電話でも撮影し、それを比較した記事がある。その月の美しさはそちらの記事で、伝わるかは分からないが堪能されたい。ところで、「"須臾" "月"」や、「"須臾に" "月"」等を検索して、全身の血が吹き出る否、逆流しそうな思いとなった。その後、少々頭がよろめき、腕も痛んだ。



2015/09/28


昨日は日曜24時までの予定を遂行したが、一日単位では記事下書き(当メモのコメント欄スペースの記事がそれ)や外部の投稿追記に、3,000文字の日記メモ等、これもよく進んだ。創作関連も、赤誠のギターソロパートが大いに進み、展開も豊かとなっており、期待が掛かる。PCをシャットダウンしたのは0時40分前である。1時以降、弟が1階で何やら始めた。

それから目覚めた朝に携帯電話を開くと6:38と表示されたので、黙々と起床して、朝の作業(身支度系、過去メモで一応詳細を記したもの、こういう注釈は今月も一度使用と思ったが敢えてしなかった)を始める。それが一通り済んで、起床後にネットで行う作業をIEでやると、私の要求に耐えられず応じられずグズりだして、意味も無く再起した途端(6時48分)、外で「あのバター犬」としか思えない狂った犬の鳴き声が乱れる。案の定、家の前に差し掛かると狂い始めて鳴きだすダックスフンド(バター犬)と雌豚の2匹がいた。雌豚は重いケツを軸に、暴れる茶バターを制御しようとする。茶バターの身軽に跳ね回る様は、カエルの動きをするトカゲではないかと思う。そして雌豚がいきなり走り出した。早朝に窓から見えるお笑いショーは、移動漫才師のバアさん3人組などに限って欲しい。

8時45分からPCをスリープ状態にし、風呂(シャワシャン)へ。風呂に入る都合としては、昨日の14時頃が好ましくあった。それについて記すとより詳細且つ致命的な経緯を書かねばならないので省く。今日のこの時間帯も、その時と何ら条件が変わっていないように思えたので、とりあえず風呂に入ることを決断した。今日の朝は、7時台に母が風呂に入っていたことは特に何でもないが、私が入って以後、10分ほどで母が洗濯機を回し始めた。私が浴室を出たのは9時20分過ぎのことである。部屋に戻ろうとする廊下の階段前で、2階から嫌な水音が聴こえてくる。二種類交互といった具合だが、どちらも生理的嫌悪感を覚える人が多いであろう。

変なメモ→シャンプーのボトルがおかしなタイミング以降転げる。味噌汁のお椀現象かと思ったが、科学的根拠の無い怪奇現象かと思うようになった。観察してみると、洗濯機の回転による振動で漸次ズレゆき最後は転げる、ということであった。過去にこの経験は無いのに、今日に限り2度も発生する。

今回の髪の抜け方といったら尋常ではない。最後のシャンプー流しでは指で挟むように髪を梳くと毎度1・2本抜けるようであった。一度に太めのものが3~6本まとまって抜けたこともある。また、9時50分から髪を乾かし始めると、最初こそ何でもなかったが、後半からまたしても抜け毛がいつも以上に多い。なお、この時ほか風呂(シャワシャン)の途中でも母の干渉があったが、いずれも穏便に朴訥にあって、指示には返答ほどの言葉で従うなどをした。普段から私は、母に対しこうでいる。

18時台から、月の様子を見始めた。昨日(18:10)と比べ、同じ窓からでも18時半になりようやく月が見えた。向かいのお山(隠語)から少しだけお顔を覗かせている。それが10分もすれば、全体が見える位置に移動してくれる。今日は更に雲が無い空であるから、実に面白く感じる。



2015/09/29

本日29日は朝6時半頃に目覚めたようである。既に母・弟らが1階で騒がしい。毎日そうでいるなら健やかなものだが、結局はバラバラで当人らの気まぐれである。父と住んだ前の家・小5途中~中2家庭内別居までは、毎朝そういう時間帯から父親が調理をして、7時前後には私と共に朝食を取る、これが当たり前であった。今日は、朝起きたらすることはトイレほどしか出来ぬまま、お湯を飲むなどして過ごした。

13時頃より件のカフェインレス(97%オフ)を口にした。新しく開栓されていたボトルの蜂蜜を少量入れておいたが、やはりミスマッチである。それはそうと、13時半以降に便意が強まった。本日は既に午前中、前日服した下剤1錠による排便があった。この度は日頃より心がける脱力脱糞法によって、長い一本糞をひり出せた。続いてサイドに中サイズ2個かまし。それはそうと、あのコーヒーって、並みほどにカフェインが含まれているようにしか思えない。明らかにアナルのひくひく感とかがカフェインパワーのものと同等だと感じている。腸ベコベコで疲労の痛みとかね。その辺の有無が気になるから、カフェインレスを試しに喫んでおいたのだが、疑惑の線が濃くなる。

15時頃、母親が外出した。それまでは何か慌しかったり、独り言が多かった。今日の母のことを言えば、「○○の部屋」を見ながら狂ったように笑ったり、壊れているような気もした。母の帰りは、15時40分頃であったか。ビニール袋の音で、コンビニ説が浮上する。私への品が届いたが、S店で買ったようだ。ホットスナックとパン類である。母からの品を手に取るたびに「送り給ひ(給び)畢んぬ」という御返事系御書のフレーズが浮かぶ。なんだかんだで、食物の恩恵は有難く思う。

それはともかく、16時頃に弟が帰宅した。それはともかく、16時40分頃にキッチンを物色すると、弟への品は見受けられない。直接渡したか、もう弟の腹の中か?冷凍庫には案の定アイス・・・に加え、ビール2缶を見つけた。ほか、見覚えない空のビール缶も流しの方に置いてある。いずれも異なる銘柄だ。ビールもとい飲み物の缶を冷凍庫に・・・時間にもよるが、普通は破裂などの危険性を忌避して、することはなかろう。この場合は、物色した者をはめる罠ではないか、と邪推しておく。そこまで悪戯を考える人間でも無いとは思うが。



2015/09/30

本日30日は、まず目覚めに電話時間6:34を確認した。それから起き上がって、早々に手洗い・顔の水洗い・口ゆすぎ・軽い水飲み・トイレ通い・ケトルの給水を済ませて部屋に戻る手前で弟が2階から降りてきた。起きて作業したことは正解だったが、前日の方針では8時くらいまで連続的な熟睡を望んでいたから、これは叶わなかった。昨日の夜は並みの暖かさであったが、今日の朝はあの布団をかけないと寒い。

エロエロ気分で過ごして再度眠り、目覚めたのが電話時間8:43となっていた。近所の作業所から鉄を切断する機械が出しそうな轟音が届いている。実際に、鉄が切れたような音もした。こういった音は稀に聴かれるようだが、音の大きさとしてこれに如くことは滅多にない。

13時頃、人の訪問があった。母は1Fリビングで何か作業をしていながら、これを無視した。母が1Fリビングにいる場合はインターホンの画面に映った様子から、重要性が低い場合に応答しないことがある。午前中は、セールスか何かの女性二人の訪問があったが、そのとき母は2階にいて、降りてから応答しても、相手を嫌って追い返していた。今回の訪問者は、作業着を着た中高年の男性であったが、インターホンを二度鳴らし、その後も2分ほど居続けて、家の前を去った。それほど時間をかけてまで待ち、話したいことがあったのであろう。後々、この人は付近の工事について説明に来たのではないか、と推測した。

本日は、母がするであろう買出し中に風呂(シャワシャン)を行いたく思っていたが、母が外出しない間に弟が15時6分頃帰宅と、遅い母・早い弟という二つの要素が重なるのみならず、「お風呂入っちゃって」という弟への言葉によって、今回のところは断念した。別に、今日行えないことで困りはしないのだが、こういう要因が重なってしまうのはどうであろうか、と悩ましいばかりである。表現訂正してみた「母のあるであろう→母がするであろう、悩ましくあるのみである→悩ましいばかりである、あるであろう・あるのみであるあるあろうあるある」



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