2018年5月9日水曜日

成節子音Rおよびヴィサルガに関する音声・動画レポート

2018年4月中にサンスクリット音韻考証の動画レポート2点を投稿した(筆者の音楽&歌声入り)。
以下に、動画2点の説明文と共に動画を掲載する。
動画2点の説明文には、いずれも共通の元ネタ記事に誘導する文言があり、元ネタ記事にも関連事項が説明されている。
http://lesbophilia.blogspot.com/2018/03/fricativization.html#vedic



①原稿の起草日: 2018年3月下旬 投稿日: 4月23日



 サンスクリットの ṛ (r̥ ऋ  kṛ = कृ)  成節子音(音節主音的な子音、音節輔音)について
Syllabic consonant "R" in Sanskrit

"kṛtaḥ (およびṣkṛtam)"と"tṛtīyaṃ"で、発音の例を挙げている。
リグ・ヴェーダ第1マンダラ14章5節c句 haviṣmanto araṅkṛtaḥ ||
およびリグ・ヴェーダ第1マンダラ13章3節c句 madhujihvaṃ haviṣkṛtam ||
サンカタナーシャナ・ガネーシャ・ストートラ2節a句 tṛtīyaṃ kṛṣṇapiṅgākṣaṃ

前者"kṛta-"は現代のインドでヴェーダを暗誦する人たちの発音であり、後者"tṛtīyaṃ"はインド在住でヒンドゥー教の学問をする日本人の発音である。
現代のインドに継承された発音を異なる人物たちが発しても、みな同様の音である。
その音は「歯茎ふるえ音(alveolar trill)の母音を伴わない状態」である。
ただし、口語・ヒンディー語では「歯茎はじき音(alveolar flap)+イ= /ɾɪ/(日本語のリとほぼ同じ)」となるようである。
कृत "kṛtá" in Vedic Sanskrit /kr̩.t̪ɐ́/
कृति "kŕti" in Hindi /ˈkɽɪ.t̪iː/
तृतीय "tṛtīya" in Vedic Sanskrit /t̪r̩.t̪iːjɐ/
तृतीय "tŕtīy" in Hindi /t̪ɾɪ.t̪iːj/
※現代ヒンディー語は単語末のア音(=アブギダ文字の性質上特記されず子音の字に含まれたア発音の母音)が脱落する。なお、ヒンディー語のア音は、普通のa アではなく[ə] (ドイツ語名称経由のシュワー Schwa、中舌中央母音)となるらしいが、その発音がサンスクリットも現代・古代で同様だとする説がある(enwp: Schwa deletion in Indo-Aryan languages hi: संस्कृत भाषा )。私はそう思わない。ア音を[ə]で発する口語話者が多いだけであろう。古代インド以来の唵 ॐ aum, 連声oṃ  (パーリ語と似た言語が用いられるジャイナ教の典籍で婆羅門を批判して「omを唱えることが婆羅門なのではない」と説かれるように2000年以上前から唱えられていた)や密教で阿字 अ を尊ぶ法門からすれば、開口の音たるア音が[ə]=中舌中央母音のような中途半端な音となると思えない。ただ、もし中途半端な音であっても中道を比喩的に象徴した音として尊ばれる可能性もあったろう。しかしそれではaiueoの母音順が成立しづらくなる。参考までに学術論文を探すと、「/a/が/ā/より狭い音でも[ə]や[ʌ]は有り得ない」とする意見の例が見られた(小林明美,1981年,注14)※

ほか、kṛṣṇa (いわゆるクリシュナ Krishna)のような場合、後続の音が反舌・そり舌の摩擦音 ṣ によって成節子音 ṛ も釣られて「ふるえ音+イ」のような発音[rʲ]になる場合がある。
これは硬口蓋化現象"palatalization"との関連が考えられる。
その延長で、後世にヒンディー語の「はじき音+イ= /ɾɪ/(日本語のリとほぼ同じ)」となることも有り得る。
ただし、そういった発音は、正統的な成節子音 ṛに異なると私が考える。
※何らかの文献ではṛiという綴りがされることもあるが、それは ṛ が「そり舌ふるえ音+ i イ [ɽ͡ri]」で発せられた音を聴いて音写した可能性もあると私が判断できても、他者への説明が紛らわしくなる表記もある。一応、シクシャーにおいてはR音自体がそり舌"mūrdhan, jihvāgra"系に分類される( रेफे जिह्वाग्रमध्येन प्रत्यग्दन्तमूलेभ्यः ||2-41|| fromタイッティリーヤ・プラーティシャーキヤ)ので、ラテン文字の文献のいくつかは最初からそり舌音を表す意図で普通のr字ではなく下点付きのṛ字を用いることもあったろう。

リグ・ヴェーダ第1マンダラ2章8節は、語頭ṛの単語で始まり、語中にもṛが頻発される。
tena mitrāvaruṇāv ṛvṛdhāv ṛtaspṛśā |
kratum bṛhantam āśāthe || (5+1回)
その音声も、動画中に流される。

続いて(0:37)、私がこの歯茎ふるえ音の母音を伴わない状態で発した実写動画が再生される。
子音が前に来る語彙を選び、kṛ(行う・為す) tṛ(渡る) pṛ(満たす) mṛ(死ぬ) dhṛ(支える)を発した。
これで ṛ が母音的に用いられることが想像しやすくなろう。
※モーラ構造の言語に馴染んだ現代日本人からすると「クルル!ガルル!なんて人間的でない発音だ」と思われそうだが、古代語や部族の言語はおおよそそういった傾向があるのでサンスクリットも同様であると推して知られたい。梵語(Brāhmī)が「梵天の作った言語(brahmakṛta)」ならば、劫初(kalpāgra)などで当時の衆生のために梵天が方便(upāyakauśalya)をなさったと考えればよい。

ところで、以下のページでは、成節子音 ṛ (syllabic r)を英語で近似の例として「アメリカ英語のbetterのer」を挙げている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Help:IPA/Sanskrit
これはあまりにも大それた説明でなかろうか?
「アメリカ英語のbetterのer」とは、IPAで[ˈbɛɾɚ]となり、シュワー派生文字 ɚ (R音性母音、アメリカ英語R=そり舌接近音retroflex approximantが混ざったシュワー)が用いられているが、当然、この発音は動画音声と似るものでない。
ɚ とは、日本人にとってなじみのある中国の数詞「イーアルサン(一二三)」のアル(er 二)=中国語普通話・官話における二・兒・爾・尔などの発音であり、とても母音的な発音である。
しかし、「アメリカ英語のbetterのer /ɚ/」という解釈は英語話者がインド・ヨーロッパ言語の古層のもの(サンスクリット、ギリシャ語、ラテン語)について理解が無い状態での便宜的理解に留まる。
もっとも、R系の音は標準的な印欧諸語のふるえ音"trill"であれ、英語Rの接近音"approximant"であれ、流音の一種である。
インドの音声学・シクシャーではラ音/l, r/のみならず、ヤ音/j/・ワ音/ʋ, w/・ヴァ音/v/がみな半母音"अन्तःस्थ  antaḥstha"であるとする(日本語・日本外来語の母音ウ+母音アがワやヴァ、母音イ+母音アがヤのようになる音韻変化が傍証)。
私は成節子音 ṛを「ふるえ音"trill"」であると重ねて主張する。
※なお、パーリ語で"kṛta, tṛtīya"は"kata, tatiya"となる(例: avyākṛta→abyākata)。他のṛ転訛例で"gṛdhra"は"gijjha"となる。パーリ語・プラークリット類の場合、前後の音の相対性によって転訛の仕方が変わると観察できる。他の例は文末のリンク先記事にも複数挙げられる。

私は私の知識と見解とで説明を終えるが、歴史的に3000年前から1000年前までの長きに渡って成節子音 ṛがどういう音で発せられてきたか(前後の音の相対性や話者のクセなどは考慮せず)は、インドの音声学・音韻論・シクシャー類にどう言及されているかを別途知る必要があろう。
※例としてはシクシャー文献のタイッティリーヤ・プラーティシャーキヤにउपसमंहृततरे च जिह्वाग्रमृकारर्कारल्कारेषु बर्स्वेषूपस ऋ हरति ||2-18|| とある。
最後に、どの学問や議論にも言えることを一つ書くと、どこにどういう事実があると見出せば論者たちは一喜一憂したり、その事実認識を証拠として論議が繰り返されるのであろうが、私は確かに掴んだ手掛かりを世俗中の頼りとし、精神的な迷いを捨てることで、世俗中の目的(現世的な願望・学問や芸術)が達成されてゆくことを期す。

当動画には、元ネタ記事があり、そちらにも別の説明がある。
http://lesbophilia.blogspot.com/2018/03/fricativization.html#vedic
※現代学問・芸術の向上を期して宗教学や言語学を研究している。こういった研究の末に文学や音楽(歌曲)に活かす目的がある。各宗教に表現された真理を考えるきっかけとなってほしくも思う。

備考1: サンスクリット成節子音には長音の"ṝ"や、L系の"ḷ"と長音の"ḹ"があるが、ほとんど理論上の存在であって記述上に用いられないために説明しない(ḷ はkḷptaなどの用例アリ)。もし音韻論として気にする人がいるならば、"ṝ" "ḷ" "ḹ"はいずれも"ṛ"と同じ半母音"अन्तःस्थ  antaḥstha"の系統である以上、母音的に用いやすいので、学習者各自の想像に任せておく。

備考2: チェコ語とスロヴァキア語に共通するフレーズに"Strč prst skrz krk (指を喉に突っ込め・二人称単数命令法) IPA: [str̩tʃ pr̩st skr̩s kr̩k]"というものがあり、母音の字を含まない。このフレーズを構成する4つの単語にはいずれも成節子音のR音 [r̩]が含まれる。4つの単語はいずれも1音節を成す。このフレーズの発音についてはenwp: Strč prst skrz krkを参照されたい(1, 2)。

両言語は成節子音がRのほかにLもあり(有名な川の名前Vltavaなど)、スラヴ語派全体ではMやNもあるという(R L=流音"liquid" M N=鼻音"nasal"はみな響音または共鳴音"sonorant"と呼ばれて母音のように響きやすい性質が看取される)。言語学では、印欧祖語に[r̩] [m̩] [n̩] [l̩]の4つの成節子音があったと想定されている。※ただし、印欧祖語の後継のスラヴ祖語における成節子音について、一部の学者は何らかの理由で否定的である(神山2000年12月24日3.5章やシェンカー2002など)。古代教会スラヴ語の文献における文字には「イェル"yers" ь"front yer" ъ"back yer" (グラゴル文字ではⰠとⰟ)」があって流音の字に連ねて(lь, lъ, rь, rъとする)成節子音を表示する文字だという見解に、スラヴ語学者たちが否定的であり、そのスラヴ語学者たちによればイ音/i/(=何らかの前舌狭め系の母音)やウ音/u/(=何らかの後舌狭め系の母音)の最短母音(超短母音・弱母音)[ĭ, ŭ]を表示するものであるという。私が最近投稿した動画では、ヘブライ文字のニクード(ニクダー)記号の一つである「シュヴァー」を説明したが、これは最短母音にも無母音にもエ音/e/にもア音/a/にも成り得るというものであり、何となく似ている気がした※

思えば、当動画の音声も詠唱とはいえm音が1音節的に伸ばされて発音されており(0:18)、m単体を1音節とみなせばヴェーダ詩の韻律が乱れるのでm単体を1音節と数えられないにせよ、音声学理論としては成節子音の事実相が窺えよう。現代日本語・日本語の歌でも「ン音=撥音 [ɴ, ɲ, n, m]」が1音節的に伸ばされて発せられる事実がある(日本語学問ではモーラの概念が音節よりも主要なので"moraic N"とも呼ばれる)。英語の"doesn't"の歯茎鼻音nも成節子音で[ˈdʌzˌn̩t]と発音する。広東語の「呉(吳)・」も軟口蓋鼻音ŋの成節子音(日本語のゴ発音と違って母音が無い)とされる。



②原稿の起草日: 2018年4月6日 投稿日: 4月10日



 ヴィサルガの古風な発音(インド音声学~日本悉曇)と現代的な発音(現代インド・ヒンドゥー教)の相違点
Visarga with phonology

ヴィサルガ(visarga, IAST: ḥ)は、ブラーフミー系文字で2000年ほど前から(クシャトラパの遺跡の柱・碑文など)、文字の右横に縦二つの点( ः )で表現されてきた(デーヴァナーガリーでの例はkaḥ→कः)。
"vi-sarga"という名称の語源説は、vi 動詞語根√sṛj (放つ)で、「開放すること・放出すること(≒されるもの)」となる。
※ヴィサルジャニーヤ(visarjanīya)という名称もあり、nīyaという語尾が未来分詞を作るとすれば、後述の「可変性」と関連するはずである。語源説は、vi 動詞語根√sṛj (創造する) nīyaで、「分けて作ること(or放出すること)ができるもの」となる。

その音価について、西洋のインド学・音声学としては声門摩擦音/h/の母音を伴わない状態であるという見解であろうし、それを受けた日本人もみな「息もれ声」といった表現で説明する。
インドの伝統的な音声学・音韻論・シクシャーの説としては、タイッティリーヤ・プラーティシャーキヤ(Taittirīya-Prātiśākhya)においてヴィサルジャニーヤという名称で同じように説明されていた(कण्ठस्थानौ हकारविसर्जनीयौ ||2-46||)。
語中や詩の句中にある場合、दुःख "duḥkha (悪い感覚=苦)"のヴィサルガは軟口蓋摩擦音[x]の音となり、कः पुनर्वादो "kaḥ punarvādo... (いかにいわんや)"のヴィサルガは両唇摩擦音[ɸ]になる(ヴィサルガ相当の音が後続の子音と同じ調音位置で発せられること)。
そういった音の変化・連声・連音・サンディ(sandhi, saṃdhi)も、調音位置に基づく名称を以てシクシャーにおいて説明がされる(パーニニーヤ・シクシャー अनुस्वारो विसर्गश्च ꣳक-पौ चापि पराश्रितौ | दुःस्पृष्टो चापि विज्ञेयो ॡकारो प्लुत एव सः ||5||)。
※ブラーフミー系文字表記でそれら連声は、ḥの「縦二つの点( ः )」のままである。しかし、-c(硬口蓋寄り無声破擦音/t͡ɕ, t͡ʃ/)の前ではś(硬口蓋寄り無声摩擦音/ɕ, ʃ/)の文字で表記されるような例もある(aḥ ca→aś ca)。主に男性名詞主格の語尾が-sであり、この-sが-ḥの音にも-śの音にも他の音にも、多様な変化をする。"duḥkha"の接頭辞は元々の語尾がヴィサルガでなくて男性名詞主格などと同じように-sが語末の形"dus"であったろう(ギリシャ語のdus- δυσ-と意味が一緒)。dus-はヴィサルガ形"duḥ-"のほかに"dur-gṛhīta"や"duṣprayukta"のような連声がある。それはその音に対応する文字がある時の文献において明確に書き分けられる。

日本に伝えられた悉曇文字(siddhaṃ script, siddhamātṛkā)でも、同じように縦二つの点で表現される。
日本の悉曇学・密教関係ではヴィサルガ=密教でいう涅槃点が अः (aḥ)であれば「アク・アフ・アツ・痾・噁」などと表記されてきたようである。
「アク」については、例えば密教において阿弥陀仏・観音菩薩の種子 ह्रीः "hrīḥ"を「キリク(キリーク)」と書くなど、カ行の文字(古い日本では現代のカ行=軟口蓋破裂音のみならず中国的なh音=軟口蓋摩擦音/x/および声門摩擦音/h/をカ行文字で示した)で便宜的カナ表記をした(後世に梵語発音が伝承されないためにカナ文字通りの読み方が定着している)。
ただし、信範さんの悉曇秘伝記(13世紀?)という書では、アク/*ax/が「口内」、アツ/*at, *as/が「歯内」、アフ/*aɸ/が「脣内」として、調音位置に関連付けた表記分けが示される(三内の差別といい後述アヌスヴァーラ=密教でいう空点にも適用される)。

kana nehanten visarga
日本の悉曇学・密教関係の説を参照した江戸時代の国学者・本居宣長さんは、ヴィサルガ=涅槃点が「アッ也("ッ"の文字は後述のように"ッ"そのものでない)」とし、「中国漢字音における入声音と似たもの」として説明する。
原文・漢字三音考「漢國の入聲の如く韻の急促(つま)るを涅槃の音と云て、字の傍に二圓點を加ふ(明治時代の写本より)」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992657/11
彼は日本のカナでヴィサルガ=涅槃点を表記する際、カタカナの「ツorッ」を崩した書き方をした。
それは元々、古い中国語の入声音(k t p といった破裂音・閉鎖音"explosive; stop"または k̚ t̚ p̚ といった内破音・無開放閉鎖音"unreleased stop")を表記する目的で「日本のカナ文字に入声音を示す字が無いので、著者=本居宣長が仮に用いる」としている。
「仮に用いる」というスタンスなので、彼が実際にどういう音を想定したかは、読者も柔軟に想像する必要がある。
実際のヴィサルガは、先述の例にしても後述の例にしても、摩擦音の類に限ることについて留意されたい。

現代日本においてヴィサルガの音は、便宜的カタカナで「ハ(小書きㇵ)」と表記し得よう。
基本はハとするが、微々たる母音か最短母音が伴うと考えられる(पूर्वान्तसस्थानो विसर्जनीयः ||2-48||)。
前の母音によって「ヒ・フ・ヘ・ホ(小書きㇶ ㇷ ㇸ ㇹ)」とするなど、相対性によって表記を変化させる。
※現代日本語の「ヒ(多くは硬口蓋摩擦音)」と「フ(多くは両唇摩擦音)」が声門摩擦音(喉の音)でないことに注意されたい。いずれにしても、後続の子音が無い場合は声門摩擦音/h/+微々たる母音とし、後続の子音があれば調音位置を考慮して発音したほうがよい。

一方、現在のインドでヴィサルガは、「ハ or ハー」などと明確に発音されており、「声門摩擦音/h/の母音を伴わない状態(および微々たる母音か最短母音を伴う状態)」や「息もれ声」という類ではない。
ガーヤトリー・マントラ(通称ガヤトリーマントラ、Rigveda 3.62.10 サーヴィトリー讃歌)の स्वः "svaḥ"(注意!スヴァハ=sva+ḥであってスヴァーハーsvāhāもとい蘇婆訶・薩婆訶・ソワカとは異なる言葉)がそのように発音される。
(動画1:22~) サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba)さんがガーヤトリー・マントラを108回唱える音声においては、「スヴァハー Svahaaa」と長音のようにさえ発せられている。
他の音声2種(インド在住でヒンドゥー教の学問をする日本人の発音と現代のインドでヴェーダを暗誦する人たちの発音)も、句の終わりのヴィサルガが長音のように発せられていると聴こえよう。
ただし、そういった発音は句の終わりにされており、句中では「声門摩擦音/h/が母音を伴わない状態」や、「微々たる母音か最短母音を伴うような状態」が多い。

さて、そういった事項を全て知っている上で、私はヴィサルガを「声門摩擦音/h/の母音を伴わない状態」で発し、前の母音"svara"と後の子音"vyañjana"の相対性を鑑みて適宜に変えもする(他に知らないことを新たに知っても影響を受けない)。
ヴィサルガについてはインド音声学の正統な解釈に依拠しても、可変性のある音であると分かる。
ヴィサルガが文字表記において縦二つの点で表現されることは、その特殊な性質を示すものと考えられる。
例えばアヌスヴァーラ(ṃ ṁ 意味はanu √svṛ = 続いて鳴るもの)と呼ばれる音も概して鼻音(ンの類)だが調音位置は可変性があり(kの前は軟口蓋鼻音[ŋ]となる・pの前は両唇鼻音[m]となるなど)、その文字は、古くから(紀元前3・4世紀ころのアショーカ王碑文など)文字の上などに縦一つの点で表現され、後の悉曇やデーヴァナーガリーでも同様となる。
※ただしパーリ語の経典にはアヌスヴァーラ=パーリ文法でいうニッガヒータ"niggahīta (復元サンスクリット*nirgṛhīta)"が別字で表記される。saṃskṛtaと同義語のパーリ語がsaṃkhataでなくsaṅkhataという翻字がされるよう、恐らくシンハラ文字・モン文字・クメール文字・タイ文字などの原典ではアヌスヴァーラ=ニッガヒータが発音に影響された別字で表記されたろう。サンスクリットでは、可変性の立場によって統一されている。日本語の「ン・ん」もアヌスヴァーラ的に可変性があるはずで、語尾のンや伸ばす音のンは口蓋垂鼻音[ɴ]などともされるが、大概の日本人は自覚しない。
ヴィサルガとアヌスヴァーラとの可変性は、元の音が先にあって概念として想定され、言葉に説明され、文字に表れてもいるので、実際は可変性があるというと顛倒(逆転状態)であろう。

以上は、私の方で必要とした考察の概要であり、各自が疑問に思うことは検索などを以て知られたい(識者による学問情報の提示があれば乞う)。
ヴィサルガについての感想をひとこと述べると、「自然な音変化を認めて過剰修正をせず、しかし奔放に訛って失われることなく維持し続けたヴェーダ語・サンスクリット学問の素晴らしさを確認できた」。
最後に、どの学問や議論にも言えることを一つ書くと、どこにどういう事実があると見出せば論者たちは一喜一憂したり、その事実認識を証拠として論議が繰り返されるのであろうが、私は確かに掴んだ手掛かりを世俗中の頼りとし、精神的な迷いを捨てることで、世俗中の目的(現世的な願望・学問や芸術)が達成されてゆくことを期す。

当動画に関連する事項は、以下の記事などにおいて確認できる。
http://lesbophilia.blogspot.com/2018/03/fricativization.html#vedic
※現代学問・芸術の向上を期して宗教学や言語学を研究している。こういった研究の末に文学や音楽(歌曲)に活かす目的がある。各宗教に表現された真理を考えるきっかけとなってほしくも思う。





動画原稿の起草日: 2018年3月下旬(成節子音R論)~2018年4月6日(ヴィサルガ論)

2つの動画の説明文において、シュヴァーとかシュワーとかといった言葉を用いてあるが、これらはヘブライ文字のニクード記号の一つに対する名称「シュヴァー(ヘブライ語)」と、現代音声学の何らかの音声学的概念の名称「シュワー(ヘブライ語→転写ドイツ語Schwa→その英語発音=国際化)」とを分けているので、注意されたい。
ヘブライ文字のニクードの「シュヴァー  ְ 」については、ほぼ同時期に動画レポートとして投稿しているので、興味があれば参照すべきである。

https://www.youtube.com/watch?v=oB2Vfnux4is





2018年5月2日水曜日

Google+ 2018年4月中の日記メモ

当月および前月(2018年3月)は、私が一度もコーラック系下剤を服用しないでいる。
当月の起床時刻は、過度に崩れた2月3月よりも安定している。
当月の平日には、前月の母親の動向に関連する形で母親が勤務らしい動向を見せていた。

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2018/04/01

本日4月1日は2:10の第一アラームに目覚め、2時22分に起床した。ということはエイプリルフールにあやかった嘘であり、実際は前日3月31日の2時48分起床以来、その2時22分ころまで24時間ほど不眠で起き続けていた。・・・その方が嘘っぽい話だと思われようか。実際に本日は、7時32分に起床した。エイプリルフールとは、くだらないように思われる人物もいらっしゃろうが、反省の機会によいものであろう。「普段の自分の言動が感情や場当たり的な理由などによって、事実認識に相違したような表現や誇張表現に変わっているのではないか?」とか、「(反対に)他人の言動に必ずしも信頼が寄せられようか?」といった反省である。無論、普段から用心深い人は、改まってエイプリルフールに乗じて反省思考をする必要も無いと思われる。または、疑い深くなる必要も無い。

前日の15時台に爆音クラクションが家の真ん前で鳴らされたが、本日は午前中にスタッカート的に短いクラクションが家の真ん前で一度鳴らされた。13時台には家の前を通過するタワけた声の集団が「あぶない!」などと声を張る様子があった。その5分後、家の付近で爆音クラクションが3度も鳴らされていた。春(特に年度末・年度始の3月末~4月始)はキチガイの往来が多いことを認知していたが、ここまで酷くなるとは、空恐ろしい。桜が散るよりも先に、キチガイが散るべきでなかろうか。・・・この記録もエイプリルフールによるものと思われてもよい。



2018/04/02

本日4月2日は2:10の第一アラームから3:20の第5アラームまで何度と目覚めても、起床が3時28分となった。14時6分に母親が買出しへと発車した。14時38分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時40分に自室へ帰った。



2018/04/03

本日4月3日は2:10の第一アラームに目覚め、2時18分に起床した。4時台にムーミンカップ満杯相当の緑茶を淹れて八分目ほど飲んで以後、6時22分に便意のためにトイレへ入った。硬めで直腸が表面的に傷むようなコロッ糞4個を排出し、しっかりと拭うために用いられたトイレットペーパーに僅かな血の付着が確認できた。自室に戻って以後は、大腸の反対側(盲腸や小腸接続部付近)が痛む。11時40分台にコロッ糞2つを排出した。16時52分に母親が駅と反対側へ徒歩で外出した。



2018/04/04

本日4月4日は2:50の第四アラームの後の2時56分に起床した。



2018/04/05

本日4月5日は、まず0時40分台にリアルな夢(起床に関連する動作そのもの・・・自ら認知機能の問題を疑うような)を経て目覚めることがあり、起床せずに2:10の第一アラームを待って眠り、2:10の第一アラーム以後の2時31分に起床した。4時30分台までにムーミンカップ8分目程度の緑茶を飲み、カフェインパワーによる便意のためにトイレへ入ってコロッ糞を5個ほど排出した。前日の15時台(および17時台)も本日の15時台も、2階の住人らが争ったり、母親が大仰な負傷被害訴え(人に悲しげな声を聴かせる狂乱行為・精神を攪乱させる行為)をするなど、不穏だった。



2018/04/06

本日4月6日は2:10の第一アラームに目覚め、2時16分に起床した。7時19分より便意のためにトイレへ入り、小さいコロッ糞4つを排出した。12時40分過ぎに「予報通りの雨」を認識し、雨脚が強まった数分後には2階で掃除機を掛けている住人婆が「突然雨が降り出した」とバタバタと動きだした。毎朝、無意味にテレビで韓国ドラマの再放送などを見ずに、インターネットで天気予報を見る習慣を付けたらばよかろうに。自宅警備であっても、大変な職業である。



2018/04/07

本日4月7日は、2:10の第一アラームに目覚め、2時19分に起床した。3時54分より、便意のためにトイレへ入り、長いサイズの糞を排出する要領でコロッ糞を多く排出した。5時台にも排便をした。弟が7時までに2度外出し、7時半からは母親と弟が1階であわただしい様子もあった。8時過ぎに弟が外出し、10時15分には母親が徒歩で外出したが、母親が10時30分までに帰宅した。12時32分に母親が発車して外出した。弟は2分後以内に帰宅して、しかも珍しすぎることにずっと2階で大人しくする。色々と作業を挟んでより14時13分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、14時41分に早々と自室へ帰った。私に詮索させて悩ませるゴミ他人!!私はゴミではない!私は勝手に詮索する人間でない!私は勝手に悩む人間でない!他人を量る菩薩の智慧だ!他人を思う菩薩の慈悲だ!



2018/04/09

本日4月8日は、2:10の第一アラームに目覚め、2時15分に起床した。

本日4月9日は7時半ころに起床した。本日が弟にとって平成30年度最初の登校日である。12時台、小学生下校の列が家を通過した数分以内に弟が家に着いた。16時10分から母親が買出しへと発車し、18時52分に家の前に母親の車が着いた。20時7分に小耳に挟んだこと「明日13時以後に母親が出勤するとかで夕方ごろ帰宅する」という。



2018/04/10

本日4月10日は3時25分に起床した。5時0分より便意のためにトイレへ入り、長い一本糞を排出した。前日母の言葉通り、13時29分に母親が発車して外出した。14時38分よりタオル2点の洗濯をした。去年以来、弟の破壊行為によって洗濯道具の不調があり、今年は洗濯機の水漏れといった異常事態が発生していて我が家の洗濯事情は多難である。洗濯物を干すためにバルコニーに出る場合も、前年に引き続きスズメバチ(アシナガバチ)の出没を警戒せねばならない。

本日15時23分に私が洗濯物を手にした状態で2階バルコニーに出ると、唐突にクマバチのようなものが真向かいに出現した。ビィィィィイイイン!という不吉な羽音を立てながら8の字的な飛行で上方へ飛び上がって行った。もはやシャレにならない。私をこれ以上、客観的事実によって苦しめることはよしてほしい。せめて外に出るきっかけを、客観的事実の上でやさしく生ませ、やさしく守らせよ!神よ!科学的観察の一面では、クマバチこそ人間にビビるかもしれないという見方もできるが、それは関係が無い。クマバチは無意味な飛行をしたが、こちらは感情によって目的を有している。人間の欲望やエゴに基づく目的によって、このような「害虫(じゃまもの)」と認定され得るものは、絶やされることがある。私はそれらと共存できず、かつ攻撃できず、自主的に避けるしかない。虫といえば、前日15時台に1階リビングの窓に蚊のような羽虫とテントウムシとが1匹ずつ張り付いており、一晩を越した本日7時台にも確認できた。本日15時台には2匹とも、姿が消えていたので、ネクロファジア"NECROPHAGIA"があったと思われる。



2018/04/11

本日4月11日は前日23時40分台に起床してより続く。4時30分台より便意のためにトイレへ入り、小中サイズのもの複数本を排出した。14時28分に母親が発車し、間もなく私が風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時33分に自室へ帰った。



2018/04/12

本日4月12日は1時ころに起床した。5時40分より便意のためにトイレへ入り、小中サイズのものを1本ずつに排出した。



2018/04/14

本日4月14日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラーム1分以内に起床した。15時13分50秒台に地震(震度2ほどの揺れ)を感じた。思えば、4月8日の就寝時に「明日もし巨大地震が当地・豊橋を襲ったら」というような独り言を、一言発しており、翌日に島根県で震度5強の地震が起き、本日早朝にも北海道で震度5弱の地震が起きたので警戒していた。当地・豊橋で有感地震は2年ぶりか?http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/entriesページを確認すると、本日は愛知県西部が震源で2度も有感地震があったようであり、当地・豊橋はごく一部の地域が震度1の揺れを感じる程度の影響があったようである。



2018/04/15

本日4月15日は2時9分に起床した。緑茶と少しの菓子のみを取りつつ、絵とブログ記事(学問のものと絵の練習記事の2種)の作業をして過ごすと、漸次便意が強まり、4時48分よりトイレへ入り、小・中サイズのものを1本ずつに排出した。6時4分からも同様に排便した。



2018/04/16

本日4月16日は2時11分に起床した。3時台に緑茶を少し喫して漸次便意が強まり、4時0分よりトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。13時54分に母親が買出しへと発車して外出した。間もなく、自分の掛け布団カバーのために洗濯機を作動させた。本日11時台に母親から、本日のいつかに(という口ぶり)・今後も配達員が来るからそれに応答することを頼まれて承諾したが、15時台・16時台に郵便配達のバイクが4度通過したのみで16時17分に弟が帰宅した。16時34分に家の付近で子供のはしゃぐ声が聴こえた後に「ビッ!、ビッ・ビッ!」とクラクションの鳴らされる音がし、間もなく母親の車が家の前に着いた(クラクションは母親が鳴らした)。



2018/04/17

本日4月17日は2時8分に起床した。ムーミンカップ満杯の緑茶を9割飲み終えて以後、4時50分から便意のためにトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。13時58分に母親が発車して外出し、間もなく私は風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時8分に自室へ帰った。



2018/04/18

本日4月18日は1時52分に目覚め、2時9分に起床した。起床の直前に弟が1階リビングにテレビを付けて居座り始めた。自室で、午前中にコバエより小さい羽虫とコバエより大きい(広い)羽虫とを1匹ずつ見た。13時14分にはコバエ1匹を見た。3週間に1匹も見られないものが、1日に3匹も出没するとは、すさまじい。14時56分に母親が発車して外出した。薬剤師の勤務・仕事関係であるとすれば、先月以来で最も遅い発車時刻となる。16時20分ころに帰宅した弟が不自然な動向をした後、彼が風呂を出て17時3分に階段のあたりで俄かに「へんたいぃいい」などとふざけた奇声を発していた。



2018/04/19

本日4月19日は0時50分台に目覚め、2時9分に起床した。16時半以後に母親が徒歩で外出した様子である。前日も本日も快晴ではあるが、洗濯はできずじまいとなる。



2018/04/20

本日4月20日は2:10の第一アラームに目覚め、2時24分に起床した。4時23分に排尿目的でトイレに入ると、K家の人間が玄関を出てきて、発車した。これまで、午前3~4時に発車する行為は、I家にもE2家にも頻繁に観測されたが、K家は初めてであろうか。いずれにもしても、この3家の男性らがスーツ姿であることが一度も見られなかったし、どういう生業を持っているか、疑問である(詮索ではない)。 「そこんちは ひるまにくるま でるまじで よわにもおおし あるまじきこと」

6時15分より便意のためにトイレへ入り、小中サイズのものを1本ずつに排出した。9時台にもトイレで、長めの一本糞や小中サイズのもの複数個を排出した。14時56分に母親が発車して外出した。



2018/04/21

本日4月21日は0時30分台に夢精で目覚めた。夢の内容は、今の私の悪い側面を暗示的でもよく示しているようなものであった。そのことを認識・判断できても、改善への努力はされないであろうが。前日より予定の風呂(シャワシャン)について3時18分より準備を始め、4時18分に自室へ帰った。



2018/04/22


本日4月22日は1時30分台に起床した。8時41分より便意のためにトイレへ入り、小中サイズのものを複数個に排出した。12時台よりテレビを付けないで母親が1階リビングに居座る。14時30分ころ、私は窓枠に全長5mmほどの羽虫(種類不明)がいたので逃がすor殺すために様子を窺うと、窓枠の暗い溝の穴に入った。綿棒で探っても、埃の類しか出ず、虫の存在の感触が得られない(過去に虫の死骸が生じることも無かったろう)。その最中、弟が2階の空き部屋のあたりの窓で悪さを始め、しまいには「おっぱーい!おまんこー!」などとマヌケな声で発し始めたので、母親がようやく動き出して弟の奇行を止める目的で弟に家事をさせる要求をした。ほかに弟へ母が「液体や菓子を外に捨てないで:オオスズメバチとかアシナガバチとかが溜まってきちゃう」と話していた。14時41分より母親がテレビを付け始めた。

私は虫の件に並行して窓枠の掃除を行うと、窓枠の外に赤いものが動いて見えた。塵のような大きさで、赤い糸くずのように鮮やかな発色であった。埼玉県〇川市の中学時代、清掃の時間に校舎の外でよく見られた赤いダニと同種であろう。これを掃除がてらに拭いてみると、コチニール色素のようにティッシュが染まった。数分ほどでオレンジ色のように変化した気がした。インターネットで、赤いものの正体が「赤いダニ」という前提で調査すると、「カベアナタカラダニ Balaustium murorum(jawp: アカダニはアカダニという呼称をハダニ科 Tetranychidae とタカラダニ科 Erythraeidae の赤いものに対する俗称とした上で似た情報が記されるがハダニ科の種とタカラダニ科の種との峻別をして読む必要がある)」という情報を確認できた。4月下旬以後に成虫が大量発生するという情報は、現在の状況に一致する。コンクリートの表面を好むという特徴は、中学時代に見た記憶によく一致する。校舎の外の階段のあたりがコンクリート製であり、そこに多く確認されていた。現在の状況の場合はその窓枠などが鉄製(ブリキなどメッキ素材か)であるが、いずれにせよ日中の日光が当たりやすい場所にカベアナタカラダニの発生は多いと思われる(大野 2016論文では天候の状態によるカベアナタカラダニの活動傾向を示す実験などが示される)。赤いダニは、私が当地・豊橋に移住してより初確認となろう。



2018/04/23

本日4月23日は2:10の第一アラームに目覚め、2時21分に起床した。13時ころより母親が買出しへと発車して外出し、15時9分に家の前に車が着いた。



2018/04/24

本日4月24日は9時20分に起床した。前日の就寝時刻は22時半ころのことである。本日13時50分台に母親が発車して外出した。14時24分より私は便意のためにトイレへ入り、コロッ糞を十数個に排出した。17時台に母親の車が家の前に着き、薬剤師関連の動向とすればとても早い帰りであってコンビニにも立ち寄っていたようであった。



2018/04/25

"moyasu-gomi" with lexical commentary (現代語における省略的な動詞連体形の用法について)

本日4月25日は2時39分に起床した。6時7分より便意のためにトイレへ入り、小中サイズのものを複数個に排出した。8時30分より、珍しい日中ゴミ出しを行った。前日の夜遅くには雨が降り出し、今までに強めの雨が降る時もあったが、今は霧レベルの雨が稀に感じられるほど、止んでいる。人通りは少ないが、ゴミ集積所にゴミを出して様子を写真撮影している時に通り沿いの家より女性1名がゴミ袋を携えて現れた。帰り道には対面方向より黒い服装の人物が大きいゴミ袋を携えて歩いてきた。8時40分より、便意のためにトイレへ入り、長い一本糞と中サイズ複数個などを排出した。13時10分台にも長めの一本糞を排出した。13時58分に母親が発車した。14時28分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時16分に自室へ帰った。



2018/04/26

本日4月26日は7時20分ころに起床した。16時10分より便意のためにトイレへ入り、小サイズのもの3つを排出した。16時34分に弟の学校の教師が家庭訪問として来訪したが、インターホンの呼び鈴を鳴らされても母親の動きが無い。学校の教師は2度目を鳴らさないが、2分ほど経ってから母親が応答した。母親は本日に破壊的騒音の掃除をするなどして家庭訪問を受け入れる準備をしていた経緯がある。17時10分ころ、まだ学校教師が家にいる中で、別の教師か誰かが来訪した。家の2階で2人の来客が母と話し続けている17時半前より、弟が1階へ唐突に降りて食事を始めた。弟は(恐らく変な記憶を回想しながら)「それっていじわるじゃん!?いじわるじゃん!?」とか「それしかいえんのか!しょーがないじゃんそれしか考えらんない」などと意味不明な独り言や独り芝居をし続けた。



2018/04/27

本日4月27日は1時31分に起床した。その直前から母親が1階リビングにテレビを付けながら居座っている。14時54分に母親が発車して外出した。本日は金曜日であり、今月の記録上、木曜日は出勤が無いように見える。



2018/04/28

本日4月28日は4時57分に起床した。前日は睡眠中に2度目覚めたが、21時ころに母親の帰宅があって本日2時台にも母親が1階リビングにいた様子であった。



2018/04/29

本日4月29日は2:10の第一アラームに目覚め、2時11分に起床した。



2018/04/30

本日4月30日は2:20の第二アラームに目覚め、2:50の第四アラームの直後に起床した。12時台より母親が2階の母親の部屋で眠って19時台に起き出す。以後、母親は2度ほど1階に降りてテレビを付けてリビングに居座る。

追記: 翌日=翌月1日=2018年5月1日も、午前2時10分台に母親が同様に、1階に降りてテレビを付けてリビングに居座る様子が確認された。