属性(分野、業界など)と名前のダブった地名、人名など固有名詞の多さと、その地理的特性について考察したい。
以下に紹介する3つは、紹介された具体的な事物以外でも名前が共通する場合は有ろうが、特に有名でありながら属性も共通した「紛らわしい」ものについて示されている。
A「有明 (Ariake)」と海苔
・のり産地だった浅草の近くにある「有明」(自治体:東京都江東区)
・のり産地として知られる「有明海」(九州周辺の一部の海域)
:おそらく無関係。浅草はこじつけになるが、浅草やアサクサノリ (Neopyropia tenera or Pyropia tenera) 語頭ア発音も印象付けで紛らわしさの元になる。
O「大森 (Omori, Ōmori, Oomori, Ohmori)」と海苔
・江戸の海苔商業地「大森」(自治体:東京都大田区、旧・大森区)
・大阪の海苔商社「大森屋」
;おそらく無関係。
;前者は、かつて、海苔の養殖などで産地でもあった。種は、有明海のと同じく、アサクサノリとされる(根拠不明、「大森海苔のふるさと館」の人に聞いてみては?)。
;今の大田区大森に「株式会社ナガイのり」があるが、2022年4月現在、私が住む愛知県豊橋市の「永井海苔株式会社」と協力して商品を出しているのはどういうことか?どちらの会社も、発音が同じ「ながいのり」。共通キャッチフレーズ(モットーでもある?)は「ナガ~イお付き合い」。もともと無関係の会社らしい。異なる年(豊橋で1947年、大森で1951年)の10月に「永井海苔店」創業、という謎の共通点がある。更に、グループ企業で豊橋のは1959年に「株式会社ナガイ」、大森のは1960年に「株式会社 東京ナガイ」を設立していたというので、常に豊橋が先んじていたようである。海苔関連は、謎の共通固有名詞が多い。
K「川崎 (Kawasaki)」と病気または工業
・工業地の「川崎」(自治体:神奈川県川崎市)における「川崎公害」
・医者の名前「川崎富作」に由来する「川崎病」
・オートバイ(バイク)、電車の車両の製造で有名な、兵庫県に縁の深い「川崎重工業」
;3者とも全くの無関係。
;前2者は時期が近い。さらに、実際の公害(病気、症候群、障害;四大公害病、日本四大汚染病 four big pollution diseases of Japan)の名前もある。工業地つながりの「四日市ぜんそく」が有名な分、混同しかねない。
;川崎病 (Kawasaki disease, KD) は1967年に論文で発表された原因不明の小児病であるが、一時、新型コロナウイルス感染症との相関性が取りざたされた。そちらについては同じであると断定されておらず、「小児多系統炎症性症候群 (multisystem inflammatory syndrome in children, MIS-C)」と呼ばれる。
以上A, O, Kの中には、少なくとも行政区画や大まかな地理的範囲として、東京都と神奈川県の沿岸部=東京湾に面している例がある。
起草日:2022年4月28日
ポリコレ的な名前の変更(political correctnes, 自己検閲 self-censorship)というのも世の中に増えているので、柔軟に、名前の付け方の問題点と、変更の動機を発見する一助になればよい、と思う。
ただし、みだりに変える必要性を意味しない。
5月25日にこの記事を編集したきり、8月5日を迎えた。
つまり、その2か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
近況じみたもの:
東京都地下鉄、東京メトロの新設区間で有力なものに「有楽町線(都市高速鉄道第8号線)豊洲駅からの支線」が挙げられている。
住吉駅まで伸ばすことから、「豊住線」とも呼ばれる。
それには、なんと、文京区の千石駅(東京都交通局、都営地下鉄三田線)とは「千石」違いの江東区の千石駅(新・千石駅、メトロ千石駅;千石二丁目、千石2丁目に作られる予定)が含まれる。
「メトロ千石駅」?「小松橋駅」?「新千石駅」?「江東千石駅」?「千石アイル駅(千石アイランド駅、千田や千石エリアが川や堀に囲まれている)」!?「千石テレポート駅」!!?「千石ゲートウェイ駅」!!??
それよか都営三田線を埼玉県の和光市駅に延伸してはいかがか?
「東洋大学は、三田線が和光市駅などの東武東上線と交わることを期して埼玉県に2つのキャンパスを作っても、それが実現されなかったので憂き目を見た」、という歴史がある。
どうも、西高島平駅と埼玉県内で有力だった案は、戸田市経由・武蔵浦和駅接続と、「東武高島平線」のようなものの2つらしい。
「西高島平駅と西馬込駅=西西ニシニシ、ニニンガシで止めずにだね、池ノ上駅ならぬ池上駅にも延伸して」→「あさくっさ!西馬込駅は浅草線やんけ!じゃあそれ、池上駅に伸ばしてよということにして帰るから。三田線は目黒駅かいな、俺の目が黒いうちに…」。
都営大江戸線の東所沢駅への延伸計画や、埼玉県境寸止めの舎人ライナーの延伸計画よりは実現性がありそうでも、される気配が全くない。
誰よりも地元愛があったり、科学的に検証して反省もした「蔑ろにされた人」である私が、今の時局で期待するようなことでもない。
コロナ第一波2020年2月において浦和レッズ(サッカーJ1 浦和レッドダイヤモンズ)が空気を読まないで「埼玉スタジアム2002に埼玉高速鉄道=地下鉄7号線を暫定延伸しろや」と会見したこと(裏話:2019年の署名の成果で、その会見をしたもの)も思い返される。
2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2022年8月28日日曜日
2021年9月7日火曜日
音楽ジャンルの和声的「方言、訛りまたはジャーゴン」について
ポピュラー和声解析の学術的なモデル:
和声の医学、疫学:
任意の症候群のようなもの
とその疫学
疫学的音楽学の仮想
和声の言語学:
方言、訛りまたはジャーゴンのようなもの
とその分布
コーパス言語学に類する、コーパス音楽学または文献学的音楽学の確立
ロックのうちで、ギターは楽音として音響的に強いものであり、またコードを鳴らすことが基本である。
そして、第二次世界大戦以降の飽和的にギタリストがいる原因である物質的な豊かさが、ギタリストの全体的な低質化や世俗化と高い相関性を持っている。
この状況で、ギタリストの専門的な技術の高さを求めないならば、相応の「やさしさ」が演奏の譜面(楽譜:五線譜、TAB譜または無形)に求められる。
実際、それがためであるのか、エレキギターによるパワーコードのサウンドは汎用的に、また結果としてロック系諸ジャンルの音響的特徴として真っ先に挙げられる。
これを重要視するならば、それが「やさしい」演奏の内容に当たる。
もし、そのパワーコード依存を「ある」と問題視して「脱却」を望むならば、何ができるか?
ギタリストの作曲したロック音楽の例で、一見して「半音的だ」といえるメジャーコードづくしの譜面も、実際に演奏すると、開放弦を多用して「やさしい」ものになっている可能性がある。
具体的にそう仮定できる曲の特徴は:
・EADGBEの標準チューニング=調律
;およびその半音上げチューニング、または半音下げチューニングといった標準に対するシフト系 (shifted: raised and lowered)
・それで弾きやすいキー=調;つまり:CメジャーとGメジャーとDメジャーとそれらの並行調AマイナーとEマイナーとBマイナー、加えてそれらの五度圏で隣り合うFメジャーとAメジャーとそれらの並行調DマイナーとF♯マイナー
;およびそのシフト系チューニングで対応するもの
上記の示された調のうちで、強調型転調のような転調を除いた場合、最もロック音楽に適している調は「Dメジャー」であろう。
これは12または24のダイアトニックな調で唯一、それ自身とその同主調「Dマイナー」が標準チューニングの開放弦EADGBを持っている。
管理楽曲識別番号の曲例468と988はともにDメジャー、平行調Bマイナーの曲に当たるが、これはDマイナーの和音=コードを借りている部分がある。
該当するパート、楽節から、度数表記で示す:
468bar21 in /D/ [I, V, ♭VII, IV, I, V, vi, IV]
988bar1 in /D/ [I5, VI5, ♭VII5, V5]
任意のメジャーの調における [♭VII] は、同主調(パラレル)マイナーの調で [V] に相当する。
前者はギター演奏を行う人(作曲者M)の作品であるが、後者は演奏経験について不明であるもののロック系を中心に作る人の作品である。
後者988に関しては、他にも同主調からの借用をしたり、楽節が進むと同主調へ転調したり、という部分がある。
988bar5 in /D/ [I5, V5, ♭VI5, ♭III5 IV5] (1つの和音が2小節分を占める;表記については、例の通り、コードの1つの区切りを半分にしている部分はスペースでのみ分けている)
988bar21 in /Dm/ [IV5, III5, IV5, III5] (1つの和音が4小節分を占める)
また、楽節によっては任意音メジャー調なのか同主音マイナー調なのか分からない曲もある。
曲例717、DメジャーとDマイナー調の半音上げ=E♭メジャーとE♭マイナー調と思われる楽曲は、イントロがE♭マイナーの構成音によるパワーコードづくしであるのに、ボーカルパート(歌メロ)に入るとE♭メジャーの構成音によるパワーコードを3つ鳴らしてE♭マイナーの構成音によるパワーコードを2つ鳴らすコード進行を持つ。
717bar1 in /E♭m/ [I5, VI5, III5, VII5] (メジャー調で度数表記すれば [VI5, IV5, I5, V5])
717bar13 in /E♭/ [I5, V5, IV5, ♭VI5 ♭VII5]
;717は作曲者Mの作品である。
私はこれらに関して「借用コード、借用和音 (borrowed chord; 旋法混合 modal/mode mixture とも)」や、「同主調の和声型転調」といったことで理解し、717を含む一部の例をそうであると説明した。
2021年5月21日公開『IV-VトリプルシャープIV-V進行、同主調の和声型転調、三全音転調』https://lesbophilia.blogspot.com/2021/04/harmony-variable.html
しかし、こうみなすには、あまりにもロックギターに特徴づけられる和声的特徴である、という疑問が後々から付いてきた。
標準チューニングは第6弦から第3弦 E, A, D, Gが完全4度の音程であり、この範囲内で「同じ指の関係の位置に単純化できる」としてパワーコードやメジャーコードやマイナーコードに一本化することが譜面から証明されれば、それはそのギタリストが弾きやすいからそうしている、と確定できる。
その場合は、他の曲例も同様であるかを調査することで、それがロックギター譜面における和声的特徴の一つとして立証することになる。
和声的に「やさしい」演奏の考え方では、開放弦の使用頻度という観点で、標準チューニングにおける第6, 5, 4弦によるDsus2 = Asus4という特定のコード(およびそのシフト系)や、含まれるパワーコードが利用可能である和声も想定される。
そういう風に範囲を広げると、それ以外のジャンルでアコースティックギターやピアノなどを用いる楽曲に「ライン・クリシェ」などと呼ばれる技法の和声までも想定されるが、今回の記事では扱わないこととする。
曲例:
421bar1 in /C/ [Iadd9, iii7, iiiφ, VI7, ii, ♭II+, Vsus4, V]
1016bar9 in /D/ [Isus2=Vsus4, V7, v7, IV V]
;こちらは作曲者Mの作品である。
「疑問」に関して、私は「ロックのギタリストの演奏におけるジャーゴン的な演奏方法がある」と考えるに至った。
それは、ロックのギタリストがやりやすい演奏方法の結果の和声的特徴であり、言いやすい言葉や語彙と、その定着とが、ロックの音楽の曲という「文 (sentence)」の中に込められている、という理解である。
ロックのギタリストどうしでは、たぶん、分かり合える和声の一つであろう。
ただし、一般的な意味における「ジャーゴン (jargon)」は専門用語 (technical term) とも理解できるので、「スラング (slang) では?」とも考えなおした。
結局、音楽を言語にモデリングする方法は、「音韻と音声実現(調律方法、ピッチ基準音、楽器メンテナンス、エレクトロニック音響楽器ではアンプやスピーカーの調整、情報技術では更にサンプリング音源のサンプル=標本データやプロパティでの調整)とその聴覚的効果および心理的効果」vs.「譜面と演奏とその聴覚的効果および心理的効果」や、「文法学」vs.「和声学」や、「記号学、記号論」vs.「調の性格論」など、枚挙にいとまなきものの、音楽ジャンルのジャーゴン的な演奏とそれに直結する和声があるという発想が加わることになる。
楽器の形状、その標準チューニングをはじめとしたチューニングといった「音楽の外的文脈 (context, 辞書的に、言語学での定義というよりは一般的な「状況」についての定義)」があり、その結果の演奏のしやすさといった演奏者の好みで、ジャーゴン的なコードとその和声の「文」が成立しているように私は感じる。
何らかの時代にそういう歴史の部分があり、後々はロックの和声で自然と成り立って言語習慣のように継続しているとも私は感じる。
考え方を変えると、これは個人または地域社会における方言の発生と定着に相当するものとも、モデリングができる。
それは、その演奏者(同時に作曲者であるか編曲者であるかそれに準ずる機能のある者)個人と他者から見てその人が属するジャンルの「和声的な方言 (harmonic dialect of the genre)」や「和声的な訛り (harmonic accent of the genre; the word "accent" is with a definition in sociolinguistics)」というモデルである。
言語の形式科学の特徴に加えて社会科学の特徴を音楽の中にも見出すことになる。
他の音楽学者からすれば、「言語モデルなどを用いずとも、音楽学はそういう形式性と非形式性(e.g., 物理的不確定性、認知的不確実性、即興音楽や実験音楽など)、更には社会性を対象とするものだ」と反発しうるものである。
あえて私が言語学に比較することは、私が多くの種類の言語学を重んじていた経緯に加え、任意の和声的特徴の分布を示したいからである。
分布とは、つまり、先述の楽器演奏の側面が強いか弱いジャンルの次元が基準であり、更には、地理や時代などの次元も加わっている、2次元や3次元の分布である。
「そもそも、音楽ジャンル区分が定性的である以上(ファンと音楽グループのみならず創始者の存在自体も議論がある)、そこから定量的研究をすることは愚かしい」と思われるかもしれないが、いつものように私は、そういう定量的研究が加わることこそ定性的研究の分野につきものである(言語学はその典型例)と思っているし、問題外である。
それは医学における「〇〇症候群 (*** syndrome)」などの病気や症状や疾患とその疫学 (epidemiology) に私は比較できる。
「食の欧米化」とその生活習慣病を考える時、民主主義政治、資本主義経済といった社会的要因や文化的要因に相関関係が問えるし、部分的には原因でもありうる。
「食の欧米化」というのは種々の要因の世俗的な総称であり、物質的な豊かさとの結びつきや、上掲の政治や経済に代表される文物の輸入や普及を具体的な経緯として想定する。
任意の生活習慣病の個人が「食の欧米化」を持つ場合、患者個人たちの属する時代や地理(ここでは社会的に国家の立場が強い)に学者たちはその要素を見出す。
他に、任意の病気の発生数が年齢の差、性別の差や、DNAのハプログループなど分子人類学的な、遺伝学的な属性の差(ソフトに言えば人種の差)でどれほど多いか、という観点も疫学にはある。
音楽で私は、先述の通り、エレキギターの普及とエレキギターで演奏される音楽の和声的特徴に一定の因果関係を見出す。
「エレキギターで演奏される音楽の和声的特徴」が「ロック・ギター症候群」などと仮名で呼ぶ想定もある。
開放弦が多いと限らない435bar84のような例について「長和音症候群」、「短和音症候群」という傾向を呼ぶ。
435bar84 in /D♭/ [I, V, ♭VII, IV, ♭VI, ♭III, II7, III7]
「傾向」に関しては、病理としてみなすよりは、病理にも別の意味にも用いられる -ism 系の接尾辞による造語でもよかろう。
医学とか疫学とかのモデルは、本題でないので、参考程度に記すに留める。
言語学のモデルでは、第一にジャンル、第二に地理、第三に時代の、最大で3次元で私は「和声的な方言、訛りまたはジャーゴン」の分布を示したい。
私が調査すると、客体が、例の管理楽曲識別番号の範疇と、雀の涙ほどの世間の曲例と、私が作曲した曲例に限られてくる。
それの範囲内で、統計学的に分布を示すならば、ジャンルはいくらかの広さにいくらかのサンプルがあったところで、地理は日本国内が多数となり、時代も21世紀が多数となることは事前に想定できる。
それで世界地図とか、独自の3D立体図形(平面に投影する方法 a projection を伴う)とかに記すならば、分かりやすい偏りが想像できる。
世界地図でやる場合は、ジャンル別に用意するしかない。
分量は、一次元に対しては棒グラフとかで示せばよいが、世界地図など二次元以上では光のスペクトルと似た色で成分の強さを示すことになる。
私がなぜ「ジャンル」を重要視するか?
確かに歴史経緯からして、ロックの直接の誕生と発展はアメリカ合衆国を含む英語圏に求められるので地理や時代が重要であると思われる。
しかし、任意のジャンルは下位の区分であるほど、異なる地理において異なる名称の指示対象や、任意の音楽グループへの独特のジャンル名称を持つと私は思っている。
日本で「メロコア(merokoa, メロディックハードコア, melodic hardcore punk in Japanese language)」や「メロスピ (merosupi, メロディックスピードメタル, melodic speed metal in Japanese language)」と呼んでいるものは、それぞれの典型例であると私は思っている。
どちらもロック系のジャンルなので、グループはバンドと呼ばれる。
バンドの例では、「メロコア」が日本のバンド群に対してあまり似ないバンド Bad Religion などが挙げられ、「メロスピ」が英語圏で"power metal"と呼ばれるバンド DragonForce が挙げられる。
「メロコア」へは2018年に私がそういう判断をし、「メロスピ」へは2012年に私がそういう判断をした。
他には、同じ地理的領域において特定の下位ジャンルの音楽グループが多かったり少なかったりすることも、きっと理解していただけるであろう。
白人メンバーが多いジャンルである「デスコア (deathcore)」は、人種の多様性が好まれる民主党支持基盤のカリフォルニア州 CA、ひろげて支持基盤を問わないアメリカ合衆国 US 全土に2013年以前の人気バンドが多くあった(2013年以後はジャンルそのものが衰退していて論じづらい)が、他の国には0に近いほど、見られづらい。
Bring Me The Horizon, BMTH は英国 UK であるが、これはデスコアのような音楽性が2008年以前のアルバムに見られたものであり、個人的には最初から今までずっとデスコアのバンドではないと思う。
仕方が無いので、ヘヴィメタルとかハードコアパンクとかも、結局は和声に関してギターのチューニングに深い依存性を持つものと私は思い、「ロック」で一括りにした結果のジャンルを最重要視し、細かいジャンル区分を適用しないことにした。
その点、もはや既存の社会的な音楽ジャンル区分というものではなく、特定のチューニングや楽器使用の依存性の差に対して私が既成事実の音楽ジャンルのラベルをつけていることになる。
勝手な定義ではあろうが、これで検討している。
バンドなど音楽グループに関しても、この調査では重要でなく、楽曲とその作曲者(および作曲に協力的な演奏者)に焦点を当てることにし、楽曲の方をジャンルの基準とし、私は考察している。
主にエレキギターが実演されるかその想定で作られている曲を指し、当面、それはロック系といえるが、ポピュラー音楽で「なんちゃってロック」があると必ずしも当てはまらない特徴 (e.g., ライブをはじめとする自然な演奏では無理な複数回にわたる強調型転調) を有するので、曲例とする対象には精査が必要である。
任意の楽曲には、音がミックスされて(デジタル環境でのマスタリングとは限らない)種々の媒体で提供された「ディスコグラフィ音源」としては直ちに演奏不可能部分があっても、少しの省略で演奏可能性が出れば、それは普通にロック系の楽曲として妥当な要件の一つを満たす。
メタルやパンクの境界が不明瞭なエクストリームメタル系、グラインドコア系の音楽では「標準チューニングとそのシフト系」と異なるものを多く用いている、とも私は知っている。
しかし、それでさえも、一例で7弦ギターの場合がどういうチューニングであるかを見れば分かる。
第7弦とかがB1かA1であるとしても、基本が標準チューニングとあまり変わらないか、E2, A2, D3, G3 に相当する部分を伴っていることがほとんどであろう。
結局は、それだけの演奏の可能性の制約があるし、実際に隣り合う弦の間で短3度(半音3つ)以下の音程しかないような調律を最も愛用する奇特な演奏者は、現実で存在しないことを私以外も認めるであろう。
そのような調律で、程度が弱めなものに関しては稀な例として実際に使われるので、以下を参考にしてもらいたい。
全ての弦が短3度以下の音程しかないディミニッシュな調律も載っているが、演奏家の具体例に関しては一般的な調律よりも挙げられづらい。
英語版Wikipedia - "List of guitar tunings". oldid=1033123767.
@他に示したい曲例(要変更)
401bar9 in /C♯m/ [I5 III5, IV5 V5] (215 BPMで1小節の半分の長さのパワーコード;メジャー調で度数表記すれば [VI5 I5, II5 III5])
私は参考までに、同主調どうしのDマイナーとDメジャー(一部Bマイナー)が混じったり転じられたりするようなロック系の楽曲を作っている。
2021年5月11日から6月中旬までの期間は38小節が作られ、6月29日までの期間は236小節が作られた。
202105112222bar37 in /Dm/ [I5, VII5, ♯III5, V5 ♯vi, I5, VII5, IV5 Isus2, iiφ V] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI5, V5, ♯I5, III5 ♯v, VI5, V5, II5 VIsus2, viiφ III])
;マイナー主音のDパワーコード演奏時、メロディはF♯ = 長III、F = 短IIIのどちらも鳴らすので、(同主調に限定された意味の)混合旋法になっている。3番めの和音=F♯パワーコードもメロディにあるA音符と合わせてマイナーコードと見る場合、(同主調からの)借用コードと理解できる。こう傍観者視点で記すが、作曲者およびコード進行の発案者は私なので、実際に私はそれを意図して作っている。
202105112222bar89 in /Dm/ [I, IVΔ7, VI VII, III IIIΔ7] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI, IIΔ7, IV V, I IΔ7])
202105112222bar113 in /Dm/ [I, IV, VI VII, Isus2, ♯III] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI, II, IV V, VIsus2, ♯I])
;言うまでもなく、マイナーキーのパートにして全てメジャーコードである;表記の誤りでなく。
これらのうち bar 89, 113 からの楽節に関しては、Dメジャーのコードが開始であることを理由にDメジャーの調で解釈できる。
そうすると: [I, IVΔ7, ♭VI ♭VII, ♭III ♭IIIΔ7] のような表記になる。
先の988からの3つの進行のうちbar 1, 5 からの楽節に関して、♭III, ♭VI, ♭VII度のパワーコードを見ることもできた。
こういう表記を好む場合、任意の「自然短音階」であるとか、「エオリアン・モード(エオリア旋法 Aeolian mode; これはどちらかというと現代ギリシャ語や教会ラテン語よりであり、古典ラテン語よりでアエオリアン、古代ギリシャ語よりでアイオリアン、英語に偏りたいならばイオリアン・モードとカナ表記する方が正しい)」であるように理解することもできるので、特に英語圏ではビートルズやメタルなどを分析する常套手段だ、と私は観測する。
さらに「エオリアン進行 (Aeolian progression)」と呼ぶ人もいる、と私は観測する。
私は何度も、「借用コード」「旋法混合」の方で解釈していることを表明している。
201小節からは第5, 4弦が開放弦で鳴らされて第6弦のみが運指の対象になるような(第3, 2, 1弦はミュート)コード進行というか演奏技法になっている。
これを見れば、ロックギターの楽曲のコード進行が演奏技法に強く依存している場合を感じるに違いない。
202105112222bar201 in /D/ [Isus4, I, Isus2, I] (sus4, sus2類を互いの転回として曖昧にせず、はっきりと分けることができる;転回形としての特徴は既に記されている)
;ここはDメジャーのパートであり、メロディ構成音がそのようにDメジャーのスケール、音階である。ちなみに、ペンタトニック、五音音階ではないので、判別しやすい。
2021年9月、このような同じ主音のコードのみで占められたコード進行の例を求めると、マイケル・ジャクソン Michael Jackson の"Black or White"イントロにあることが判明した。
それはEメジャーの調なので、実際に打ち込んだ:
The song in /E/ [Isus4, I, Isus2, I]
これは特定のピッチを指すならば、リフの一部が第2弦の開放弦Bもしくは開放弦でないEを弾き、第1弦がAとG♯とF♯を鳴らしていることでsus4部分や普通のIII度部分やsus2部分を鳴らしているようである。
標準チューニングで弾くことに問題ないという仮説に乗った見解として、私はそう解析した。
結果を再生して聴きながら、私の管理楽曲にも同じようにEメジャーの調でサスペンデッド・コード suspended chord を多めに用いるイントロの曲があることを思いだした。
以下である:
59bar1 in /E/ [I5, Isus2, Isus4] (最後の和音は2小節分)
;ロック系の作曲が多いベーシストによる作品。これは標準チューニングであるとみなすことのできるイントロだが、後々は半音2個=全音1個上げチューニング (F♯/G♭ tuning) と解釈したほうが合うように見える。
640bar1 in /E/ [Isus4, V7sus4, IVΔ7, IVadd9, vi7, vi7sus4, iiiadd4=11, vi7] (分数コード slash chord で度数表記すれば [Isus4/1, Isus4/2, IV/3, IV/5, vi5+7/1, vi5+7/2, vi5+7/7, vi5+7/1])
;多ジャンル作曲者による作品。ラテン系の雰囲気でギターソロも同じコード進行に乗せる盛大なイントロであり、これは標準チューニング、半音2個=全音1個上げチューニングのどちらでも開放弦で弾きやすいのかというと、否であった。Dメジャーに移調して標準チューニングであると考えても同じである。Cメジャーに移調して標準チューニングであるとは考えやすいので、このEメジャーでは半音4個=全音2個上げチューニング (G♯/A♭ tuning) が開放弦で弾きやすいという印象である。
サスペンデッドコードの話が、それまでの話題とどう関わるか、説明は難しいかもしれない。
単に技法として面白いから挙げる、ということ以上に、やはり、和声的な意味があると私は思う。
「借用コード」以外での「旋法混合」が、同主調間の転調におけるピボットコードであろう。
D sus2 である D–E–A, D sus4 である D–G–A は、もちろん、その構成音がいずれもDメジャー調とDマイナー調に含まれているので、その間の転調があるならば、「ピボットコード(ピヴォット・コード pivot chord)」と呼ぶことができる。
既に私の曲例1つ、世間での曲例3つが挙げられたように、標準チューニングなどのされたギターを使用した楽曲で使うには、都合がよい。
特に同主調転調や、旋法混合を狙う場合は、合う。
「ロック(および高い技術を要求しない雰囲気)のギタリストの演奏におけるジャーゴン的な演奏方法がある」ことを再現したい場合も、同様である。
総括して言えば、ギター主体の楽曲の和声的特徴の確立には、他のポピュラー音楽や古典音楽からの発想や他の楽器に関する要素よりも、ギターのチューニングが先にある可能性が高く、特にロック系のいくらかは確実にその例である。
そこに、既存の短調や長調の区分が適用できない楽節も含まれる、と私は考えている。
それに関して「ピカルディの三度を含む拡張短音階(8つの音があるが一般的な八音音階 octatonic scale の類型に無い)を伴う調」とか、「任意の主音がある短音階と長音階の構成音が混ざった独特な調」と私は考えていたが、新たに「任意の主音があるチューニングありきの独特な調」として単純化することになる。
音楽の分析に「文脈」の概念を導入した。
これは和声に限って言えば、任意の楽節の前がどうであるか、という意味で理解できるが、今回は楽曲の和声の外の要素を文脈として考え、そこから和声の意味(言語学からの比喩表現)を理解するものである。
・任意の曲がどのような人による作曲か?
;およびどのような協力者、助言者がいるか?
・その作曲者らはどのような音楽的キャリアや役割を持っているか?
・当該の曲が演奏可能性を考慮して作曲されたか?
・その作曲者らが思う当該の曲のテーマは何か?
;2021-06-04投稿など調の性格論についての私による一連の記事群も参照。
当記事の発想のための特定の和声的特徴の説明で、ギタリストでもある作曲者M(2021年現在、Sと名乗る彼はギターを弾いているように思えない)の楽曲群が大いに参考になった。
とはいえ、実際に演奏の腕のある人が曲例を演奏して誠実な意見をくださらない限り、確定的でない。
意見とは、「どの部分が演奏しやすいか、演奏しづらいか」。
私が多くの分野を学ぶことで、音楽でも、和声は単純に和声である以上に、歴史や具体例によって「実用上の和声がある」と感じ取ることになった。
これで私がロック系の作曲をする際も「Nメジャー調」や「Nマイナー調」である以上に、「Nギタリスト調」がある場合を理解して実際に活用することになる。
ロック系の楽曲では、ベースやドラムがリズムの側面を多く持ち、ベースが部分的に和声、ハーモニーの要素を兼ねたとしても、「面倒なコード」「パワーコードにしたくなる」ような要素を強く持つ楽器は、どうしてもギターになるし、ギタリスト個人の人格や性格に照らし合わせても、複雑な構成音のコードは9割がたの個人の大半の状況において敬遠されるに違いない、という心理面の詮索さえ、私はしていた。
その前提で、フレットの数は対数構造で実際は高音部が短いとはいえ、整数的でもあり、整数的に同じ距離感で運指することができるよう、同一の種類のコードに制約することで簡略化される。
これでギタリストの精神的負担は減るし、ライブなどで演奏する場合は更に簡略化することもありうる。
こなれた作曲の結論として私は考えるが、学問的には仮説の域に留まるであろうし、もう一度、その「誠実な意見」を望む。
個々の作曲で、ギターやベースのために私は任意のチューニングにおける第6, 5の開放弦の頻度を増やすなどしている。
起草日:2021年7月14日
この記事は、またしても私が「ポストモダン」とかと誤解されうるモデルを用いている。
この記事の目的は、私の和声分析や音楽構造解析の過程で学問の比較行為を導入し、音楽学の突破口を設けることにある。
また、ロックに関する話はその和声分析が主軸であり、応用として、演奏の初心者、初学者のために「やさしい」練習曲と、同時に必要な「やさしい」説明ができることを私は期待している。
私の記事は、多くの場合、実用的なものを志向している。
仏教学や言語学そのものに関しては、専門的な傾向であったが、他の分野では、当記事のように総合的である場合が多い。
専門的であっても、信仰であるとか語学であるとかに役立つものとして私は記してもいた。
何でもそれらの思考と知識とが、私自身においては、芸術と学問と日常生活とに活かされている。
私自身は、こういうわけでロック系の楽曲を作ることにも役立てられたり、良い作品が理論的に設計され、適切な時間で完成すると思っている。
当記事の目的により、ロックといっても楽器としてのギター、特にリズムギターのチューニングに基づく役割を重要視しているが、以下の2013年に投稿された記事の時と全く同じ考えであるはずはないことを確認されたい。
2013年7月11日公開『YouTube・ニコニコ動画にありがちな自作曲・オリジナル曲』
https://masashi.doorblog.jp/archives/29400474.html
2021年7月24日0時の文章:
当記事では一般通念にある「方言」を私が例示したが、それ以上に方言の言語学的な側面を記していないし、「標準語」という単語は出されてさえいない。
世の中には、この2つの概念の名称 dialect, dialects and standard language や区分を蛇蝎の如く嫌う人もいるので、少し説明しよう。
私はラテン語でもイタリア語でも漢文でも学んでは詩を作るなり歌詞にするなり、してきた。
イタリア語はイタリア国家の公用語であっても、多くの階級と他地方出身者が用いるようになる以前がダンテの『神曲』(Divina Commedia) でも知られる「トスカーナ方言」である。
中国語(普通話、官話)は中華人民共和国の公用語であっても、多くの階級と他地方出身者が用いるようになる以前が「北京方言、北京語」である。
i.e., Tuscan dialect, Beijing dialect.
過去に公文書を含む文語としての側面も強かったろうが、結果的に口語の側面も兼ねて非母語話者への教育にも望ましいものとして「標準語」が普及している。
ラベルとして"standard", "common", "general" (e.g., General American) など、異なるものが適用されても、言語の機能としては同じである。
なお、『神曲』で知られるダンテ・アリギエーリ (Dante Alighieri) は『俗語論』De vulgari eloquentia 著しており、1巻に彼の知る同じ時代のトスカーナの言葉にも副方言のようなものがあることを示していた。
彼は彼の生まれの言葉と、当時におけるもっともフォーマルなラテン語とを用いながら、できる限り分かりやすい言葉を目指してこの著作をしたためたのであろうし、同じことは12世紀や13世紀の日本の仏教僧侶にも言える(真言、念仏、禅、日蓮といった諸派にある、仏教学で私が示したこと)。
後世のナショナリズムでは、本居宣長からフィンランドのリョンロートまで、異なる立場も見える。
イタリック語派というよりはイタリアのロマンス語でいうナポリ語、シチリア語、シナ語派でいう広東語、閩南語など、私は、もちろん、同系言語群の別の現代言語の存在も十分に理解したつもりである。
また、英語ではイングランド領域にあるロンドン (London) の、そのまた経済階級の差で言葉遣いも異なったような歴史経緯があるが、現代英語のアイデンティティを示す文献でよく好まれるものは、KJV聖書とシェイクスピア作品と『失楽園』 Paradise Lost などではなかろうか?
所詮、そういうものであると歴史、地理、比較言語学の観点で私は熟知しており、何も標準語と方言の差を嫌う意味は無い。
互いの通じやすい言葉遣いを心掛けることはもちろん、自分の血肉にも等しい生まれの言葉を、「ありのままで」自ら重んじるだけの理由も付随する。
無論、非標準的なものはGoogle翻訳などの機械翻訳で不利になるなどある、といったことから、人間の差別感情に触れずとも「劣等感」を抱える人が少なからず現れる。
私が理解するように、方言と標準語という分別は、何も優劣や善悪を示すものでないことが、科学的もしくは社会的、哲学的、文化的な構造を解明することで理解できる。
日本語での「地方 (chihō)」という言葉の特定なニュアンス (province, locality) も、「首都、首都圏 (shuto, shutoken; capital region/area)」への対比で用いられるに過ぎず、「地方」ということはそれ自体、田舎 (country, countryside) であるとか、劣悪な鄙びた土地を指すということはないが、日本でこそ「地方都市」"provincial city"の行政区画なけれ、英訳の言葉としてはベトナム「城庯」や台湾「省轄市」を指し(英語説明が曖昧で単に"city"ともする)、中国でも「地级市 (regional-/prefecture-level city, prefectural-level municipality)」がある(東アジアに根強いとされる中央集権や全体主義の感覚は関係するか否か?)。
以前にも同じような話をしたと思うが、沖縄(琉球)や奄美の言葉も日本系の言語 (Japonic languages) のうちの方言ではなく独立の言語として、UNESCOなり学術機関なりが見立てている。
それにはそれだけの言語的特質があるということになるが、独立の言語として見られるかどうかはこの話に重要でない。
日本での標準語は、「東京方言」であるとか「江戸っ子ことば」であるとかと見るにも、難しいし、加えて、インフォーマル (informal) なものや口語や俗語といったことは、多様に定着しており、それはいわゆる地理的次元から言われる方言と別次元ながらほぼ同様に言語の特質の違いを持ってはいない(文法構造は変わらず、形態的 morphological な違いが中心であるため)。
2017年2月に私は、以下のような話題をブログ活動以外で記していた。
平安時代の国風文化以前に字音や訓読を考える記述は書物に見られるか?
伝教大師最澄 (778-822年) が法相宗の徳一 (8-9世紀、同時代の日本僧侶) の訓読を論う記述が、「守護国界章」に見られる。
守護國界章・卷中之中・彈謗法者僞譯如是章第十二 (弾謗法者偽訳如是章)
「如是我聞」の訓読もとい「日本方言」について、まず初めに「許禮阿何伎伎之何其都之 (許礼阿何伎伎之何其都之)」という例を挙げてある。(後略)
オサレ作曲に古今東西の言語知識が必要かと言えば、絶対条件でないにせよ、私は突破口を見出すための手段として必要になるものと思っている。
後で「Nギタリスト調」に相当する世間の曲例を探そうと思ったが、以前にも探したように、Google検索では発見が難しい。
代替表記 (e.g., "biii", "bvi", "bvii") やコンマ区切り (e.g., "d a c g"ではなく"d,a,c,g") といった検索スキルを駆使する必要がある。
1個でも掘り当てれば、同サイト内に多く見当たる場合がある。
例えば、やはりと言うべきか、英語圏ではRedditに多く見つかった。
ここで一例を示す:
"Songwriter looking for a chord progression list with borrowed chords"
https://www.reddit.com/r/musictheory/comments/c2jw7n/songwriter_looking_for_a_chord_progression_list/
和声の医学、疫学:
任意の症候群のようなもの
とその疫学
疫学的音楽学の仮想
和声の言語学:
方言、訛りまたはジャーゴンのようなもの
とその分布
コーパス言語学に類する、コーパス音楽学または文献学的音楽学の確立
ロックのうちで、ギターは楽音として音響的に強いものであり、またコードを鳴らすことが基本である。
そして、第二次世界大戦以降の飽和的にギタリストがいる原因である物質的な豊かさが、ギタリストの全体的な低質化や世俗化と高い相関性を持っている。
この状況で、ギタリストの専門的な技術の高さを求めないならば、相応の「やさしさ」が演奏の譜面(楽譜:五線譜、TAB譜または無形)に求められる。
実際、それがためであるのか、エレキギターによるパワーコードのサウンドは汎用的に、また結果としてロック系諸ジャンルの音響的特徴として真っ先に挙げられる。
これを重要視するならば、それが「やさしい」演奏の内容に当たる。
もし、そのパワーコード依存を「ある」と問題視して「脱却」を望むならば、何ができるか?
ギタリストの作曲したロック音楽の例で、一見して「半音的だ」といえるメジャーコードづくしの譜面も、実際に演奏すると、開放弦を多用して「やさしい」ものになっている可能性がある。
具体的にそう仮定できる曲の特徴は:
・EADGBEの標準チューニング=調律
;およびその半音上げチューニング、または半音下げチューニングといった標準に対するシフト系 (shifted: raised and lowered)
・それで弾きやすいキー=調;つまり:CメジャーとGメジャーとDメジャーとそれらの並行調AマイナーとEマイナーとBマイナー、加えてそれらの五度圏で隣り合うFメジャーとAメジャーとそれらの並行調DマイナーとF♯マイナー
;およびそのシフト系チューニングで対応するもの
上記の示された調のうちで、強調型転調のような転調を除いた場合、最もロック音楽に適している調は「Dメジャー」であろう。
これは12または24のダイアトニックな調で唯一、それ自身とその同主調「Dマイナー」が標準チューニングの開放弦EADGBを持っている。
管理楽曲識別番号の曲例468と988はともにDメジャー、平行調Bマイナーの曲に当たるが、これはDマイナーの和音=コードを借りている部分がある。
該当するパート、楽節から、度数表記で示す:
468bar21 in /D/ [I, V, ♭VII, IV, I, V, vi, IV]
988bar1 in /D/ [I5, VI5, ♭VII5, V5]
任意のメジャーの調における [♭VII] は、同主調(パラレル)マイナーの調で [V] に相当する。
前者はギター演奏を行う人(作曲者M)の作品であるが、後者は演奏経験について不明であるもののロック系を中心に作る人の作品である。
後者988に関しては、他にも同主調からの借用をしたり、楽節が進むと同主調へ転調したり、という部分がある。
988bar5 in /D/ [I5, V5, ♭VI5, ♭III5 IV5] (1つの和音が2小節分を占める;表記については、例の通り、コードの1つの区切りを半分にしている部分はスペースでのみ分けている)
988bar21 in /Dm/ [IV5, III5, IV5, III5] (1つの和音が4小節分を占める)
また、楽節によっては任意音メジャー調なのか同主音マイナー調なのか分からない曲もある。
曲例717、DメジャーとDマイナー調の半音上げ=E♭メジャーとE♭マイナー調と思われる楽曲は、イントロがE♭マイナーの構成音によるパワーコードづくしであるのに、ボーカルパート(歌メロ)に入るとE♭メジャーの構成音によるパワーコードを3つ鳴らしてE♭マイナーの構成音によるパワーコードを2つ鳴らすコード進行を持つ。
717bar1 in /E♭m/ [I5, VI5, III5, VII5] (メジャー調で度数表記すれば [VI5, IV5, I5, V5])
717bar13 in /E♭/ [I5, V5, IV5, ♭VI5 ♭VII5]
;717は作曲者Mの作品である。
私はこれらに関して「借用コード、借用和音 (borrowed chord; 旋法混合 modal/mode mixture とも)」や、「同主調の和声型転調」といったことで理解し、717を含む一部の例をそうであると説明した。
2021年5月21日公開『IV-VトリプルシャープIV-V進行、同主調の和声型転調、三全音転調』https://lesbophilia.blogspot.com/2021/04/harmony-variable.html
しかし、こうみなすには、あまりにもロックギターに特徴づけられる和声的特徴である、という疑問が後々から付いてきた。
標準チューニングは第6弦から第3弦 E, A, D, Gが完全4度の音程であり、この範囲内で「同じ指の関係の位置に単純化できる」としてパワーコードやメジャーコードやマイナーコードに一本化することが譜面から証明されれば、それはそのギタリストが弾きやすいからそうしている、と確定できる。
その場合は、他の曲例も同様であるかを調査することで、それがロックギター譜面における和声的特徴の一つとして立証することになる。
和声的に「やさしい」演奏の考え方では、開放弦の使用頻度という観点で、標準チューニングにおける第6, 5, 4弦によるDsus2 = Asus4という特定のコード(およびそのシフト系)や、含まれるパワーコードが利用可能である和声も想定される。
そういう風に範囲を広げると、それ以外のジャンルでアコースティックギターやピアノなどを用いる楽曲に「ライン・クリシェ」などと呼ばれる技法の和声までも想定されるが、今回の記事では扱わないこととする。
曲例:
421bar1 in /C/ [Iadd9, iii7, iiiφ, VI7, ii, ♭II+, Vsus4, V]
1016bar9 in /D/ [Isus2=Vsus4, V7, v7, IV V]
;こちらは作曲者Mの作品である。
「疑問」に関して、私は「ロックのギタリストの演奏におけるジャーゴン的な演奏方法がある」と考えるに至った。
それは、ロックのギタリストがやりやすい演奏方法の結果の和声的特徴であり、言いやすい言葉や語彙と、その定着とが、ロックの音楽の曲という「文 (sentence)」の中に込められている、という理解である。
ロックのギタリストどうしでは、たぶん、分かり合える和声の一つであろう。
ただし、一般的な意味における「ジャーゴン (jargon)」は専門用語 (technical term) とも理解できるので、「スラング (slang) では?」とも考えなおした。
結局、音楽を言語にモデリングする方法は、「音韻と音声実現(調律方法、ピッチ基準音、楽器メンテナンス、エレクトロニック音響楽器ではアンプやスピーカーの調整、情報技術では更にサンプリング音源のサンプル=標本データやプロパティでの調整)とその聴覚的効果および心理的効果」vs.「譜面と演奏とその聴覚的効果および心理的効果」や、「文法学」vs.「和声学」や、「記号学、記号論」vs.「調の性格論」など、枚挙にいとまなきものの、音楽ジャンルのジャーゴン的な演奏とそれに直結する和声があるという発想が加わることになる。
楽器の形状、その標準チューニングをはじめとしたチューニングといった「音楽の外的文脈 (context, 辞書的に、言語学での定義というよりは一般的な「状況」についての定義)」があり、その結果の演奏のしやすさといった演奏者の好みで、ジャーゴン的なコードとその和声の「文」が成立しているように私は感じる。
何らかの時代にそういう歴史の部分があり、後々はロックの和声で自然と成り立って言語習慣のように継続しているとも私は感じる。
考え方を変えると、これは個人または地域社会における方言の発生と定着に相当するものとも、モデリングができる。
それは、その演奏者(同時に作曲者であるか編曲者であるかそれに準ずる機能のある者)個人と他者から見てその人が属するジャンルの「和声的な方言 (harmonic dialect of the genre)」や「和声的な訛り (harmonic accent of the genre; the word "accent" is with a definition in sociolinguistics)」というモデルである。
言語の形式科学の特徴に加えて社会科学の特徴を音楽の中にも見出すことになる。
他の音楽学者からすれば、「言語モデルなどを用いずとも、音楽学はそういう形式性と非形式性(e.g., 物理的不確定性、認知的不確実性、即興音楽や実験音楽など)、更には社会性を対象とするものだ」と反発しうるものである。
あえて私が言語学に比較することは、私が多くの種類の言語学を重んじていた経緯に加え、任意の和声的特徴の分布を示したいからである。
分布とは、つまり、先述の楽器演奏の側面が強いか弱いジャンルの次元が基準であり、更には、地理や時代などの次元も加わっている、2次元や3次元の分布である。
「そもそも、音楽ジャンル区分が定性的である以上(ファンと音楽グループのみならず創始者の存在自体も議論がある)、そこから定量的研究をすることは愚かしい」と思われるかもしれないが、いつものように私は、そういう定量的研究が加わることこそ定性的研究の分野につきものである(言語学はその典型例)と思っているし、問題外である。
それは医学における「〇〇症候群 (*** syndrome)」などの病気や症状や疾患とその疫学 (epidemiology) に私は比較できる。
「食の欧米化」とその生活習慣病を考える時、民主主義政治、資本主義経済といった社会的要因や文化的要因に相関関係が問えるし、部分的には原因でもありうる。
「食の欧米化」というのは種々の要因の世俗的な総称であり、物質的な豊かさとの結びつきや、上掲の政治や経済に代表される文物の輸入や普及を具体的な経緯として想定する。
任意の生活習慣病の個人が「食の欧米化」を持つ場合、患者個人たちの属する時代や地理(ここでは社会的に国家の立場が強い)に学者たちはその要素を見出す。
他に、任意の病気の発生数が年齢の差、性別の差や、DNAのハプログループなど分子人類学的な、遺伝学的な属性の差(ソフトに言えば人種の差)でどれほど多いか、という観点も疫学にはある。
音楽で私は、先述の通り、エレキギターの普及とエレキギターで演奏される音楽の和声的特徴に一定の因果関係を見出す。
「エレキギターで演奏される音楽の和声的特徴」が「ロック・ギター症候群」などと仮名で呼ぶ想定もある。
開放弦が多いと限らない435bar84のような例について「長和音症候群」、「短和音症候群」という傾向を呼ぶ。
435bar84 in /D♭/ [I, V, ♭VII, IV, ♭VI, ♭III, II7, III7]
「傾向」に関しては、病理としてみなすよりは、病理にも別の意味にも用いられる -ism 系の接尾辞による造語でもよかろう。
医学とか疫学とかのモデルは、本題でないので、参考程度に記すに留める。
言語学のモデルでは、第一にジャンル、第二に地理、第三に時代の、最大で3次元で私は「和声的な方言、訛りまたはジャーゴン」の分布を示したい。
私が調査すると、客体が、例の管理楽曲識別番号の範疇と、雀の涙ほどの世間の曲例と、私が作曲した曲例に限られてくる。
それの範囲内で、統計学的に分布を示すならば、ジャンルはいくらかの広さにいくらかのサンプルがあったところで、地理は日本国内が多数となり、時代も21世紀が多数となることは事前に想定できる。
それで世界地図とか、独自の3D立体図形(平面に投影する方法 a projection を伴う)とかに記すならば、分かりやすい偏りが想像できる。
世界地図でやる場合は、ジャンル別に用意するしかない。
分量は、一次元に対しては棒グラフとかで示せばよいが、世界地図など二次元以上では光のスペクトルと似た色で成分の強さを示すことになる。
私がなぜ「ジャンル」を重要視するか?
確かに歴史経緯からして、ロックの直接の誕生と発展はアメリカ合衆国を含む英語圏に求められるので地理や時代が重要であると思われる。
しかし、任意のジャンルは下位の区分であるほど、異なる地理において異なる名称の指示対象や、任意の音楽グループへの独特のジャンル名称を持つと私は思っている。
日本で「メロコア(merokoa, メロディックハードコア, melodic hardcore punk in Japanese language)」や「メロスピ (merosupi, メロディックスピードメタル, melodic speed metal in Japanese language)」と呼んでいるものは、それぞれの典型例であると私は思っている。
どちらもロック系のジャンルなので、グループはバンドと呼ばれる。
バンドの例では、「メロコア」が日本のバンド群に対してあまり似ないバンド Bad Religion などが挙げられ、「メロスピ」が英語圏で"power metal"と呼ばれるバンド DragonForce が挙げられる。
「メロコア」へは2018年に私がそういう判断をし、「メロスピ」へは2012年に私がそういう判断をした。
他には、同じ地理的領域において特定の下位ジャンルの音楽グループが多かったり少なかったりすることも、きっと理解していただけるであろう。
白人メンバーが多いジャンルである「デスコア (deathcore)」は、人種の多様性が好まれる民主党支持基盤のカリフォルニア州 CA、ひろげて支持基盤を問わないアメリカ合衆国 US 全土に2013年以前の人気バンドが多くあった(2013年以後はジャンルそのものが衰退していて論じづらい)が、他の国には0に近いほど、見られづらい。
Bring Me The Horizon, BMTH は英国 UK であるが、これはデスコアのような音楽性が2008年以前のアルバムに見られたものであり、個人的には最初から今までずっとデスコアのバンドではないと思う。
仕方が無いので、ヘヴィメタルとかハードコアパンクとかも、結局は和声に関してギターのチューニングに深い依存性を持つものと私は思い、「ロック」で一括りにした結果のジャンルを最重要視し、細かいジャンル区分を適用しないことにした。
その点、もはや既存の社会的な音楽ジャンル区分というものではなく、特定のチューニングや楽器使用の依存性の差に対して私が既成事実の音楽ジャンルのラベルをつけていることになる。
勝手な定義ではあろうが、これで検討している。
バンドなど音楽グループに関しても、この調査では重要でなく、楽曲とその作曲者(および作曲に協力的な演奏者)に焦点を当てることにし、楽曲の方をジャンルの基準とし、私は考察している。
主にエレキギターが実演されるかその想定で作られている曲を指し、当面、それはロック系といえるが、ポピュラー音楽で「なんちゃってロック」があると必ずしも当てはまらない特徴 (e.g., ライブをはじめとする自然な演奏では無理な複数回にわたる強調型転調) を有するので、曲例とする対象には精査が必要である。
任意の楽曲には、音がミックスされて(デジタル環境でのマスタリングとは限らない)種々の媒体で提供された「ディスコグラフィ音源」としては直ちに演奏不可能部分があっても、少しの省略で演奏可能性が出れば、それは普通にロック系の楽曲として妥当な要件の一つを満たす。
メタルやパンクの境界が不明瞭なエクストリームメタル系、グラインドコア系の音楽では「標準チューニングとそのシフト系」と異なるものを多く用いている、とも私は知っている。
しかし、それでさえも、一例で7弦ギターの場合がどういうチューニングであるかを見れば分かる。
第7弦とかがB1かA1であるとしても、基本が標準チューニングとあまり変わらないか、E2, A2, D3, G3 に相当する部分を伴っていることがほとんどであろう。
結局は、それだけの演奏の可能性の制約があるし、実際に隣り合う弦の間で短3度(半音3つ)以下の音程しかないような調律を最も愛用する奇特な演奏者は、現実で存在しないことを私以外も認めるであろう。
そのような調律で、程度が弱めなものに関しては稀な例として実際に使われるので、以下を参考にしてもらいたい。
全ての弦が短3度以下の音程しかないディミニッシュな調律も載っているが、演奏家の具体例に関しては一般的な調律よりも挙げられづらい。
英語版Wikipedia - "List of guitar tunings". oldid=1033123767.
@他に示したい曲例(要変更)
401bar9 in /C♯m/ [I5 III5, IV5 V5] (215 BPMで1小節の半分の長さのパワーコード;メジャー調で度数表記すれば [VI5 I5, II5 III5])
![]() |
| 202105112222bar37 □ |
私は参考までに、同主調どうしのDマイナーとDメジャー(一部Bマイナー)が混じったり転じられたりするようなロック系の楽曲を作っている。
2021年5月11日から6月中旬までの期間は38小節が作られ、6月29日までの期間は236小節が作られた。
202105112222bar37 in /Dm/ [I5, VII5, ♯III5, V5 ♯vi, I5, VII5, IV5 Isus2, iiφ V] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI5, V5, ♯I5, III5 ♯v, VI5, V5, II5 VIsus2, viiφ III])
;マイナー主音のDパワーコード演奏時、メロディはF♯ = 長III、F = 短IIIのどちらも鳴らすので、(同主調に限定された意味の)混合旋法になっている。3番めの和音=F♯パワーコードもメロディにあるA音符と合わせてマイナーコードと見る場合、(同主調からの)借用コードと理解できる。こう傍観者視点で記すが、作曲者およびコード進行の発案者は私なので、実際に私はそれを意図して作っている。
202105112222bar89 in /Dm/ [I, IVΔ7, VI VII, III IIIΔ7] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI, IIΔ7, IV V, I IΔ7])
202105112222bar113 in /Dm/ [I, IV, VI VII, Isus2, ♯III] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI, II, IV V, VIsus2, ♯I])
;言うまでもなく、マイナーキーのパートにして全てメジャーコードである;表記の誤りでなく。
これらのうち bar 89, 113 からの楽節に関しては、Dメジャーのコードが開始であることを理由にDメジャーの調で解釈できる。
そうすると: [I, IVΔ7, ♭VI ♭VII, ♭III ♭IIIΔ7] のような表記になる。
先の988からの3つの進行のうちbar 1, 5 からの楽節に関して、♭III, ♭VI, ♭VII度のパワーコードを見ることもできた。
こういう表記を好む場合、任意の「自然短音階」であるとか、「エオリアン・モード(エオリア旋法 Aeolian mode; これはどちらかというと現代ギリシャ語や教会ラテン語よりであり、古典ラテン語よりでアエオリアン、古代ギリシャ語よりでアイオリアン、英語に偏りたいならばイオリアン・モードとカナ表記する方が正しい)」であるように理解することもできるので、特に英語圏ではビートルズやメタルなどを分析する常套手段だ、と私は観測する。
さらに「エオリアン進行 (Aeolian progression)」と呼ぶ人もいる、と私は観測する。
私は何度も、「借用コード」「旋法混合」の方で解釈していることを表明している。
201小節からは第5, 4弦が開放弦で鳴らされて第6弦のみが運指の対象になるような(第3, 2, 1弦はミュート)コード進行というか演奏技法になっている。
これを見れば、ロックギターの楽曲のコード進行が演奏技法に強く依存している場合を感じるに違いない。
202105112222bar201 in /D/ [Isus4, I, Isus2, I] (sus4, sus2類を互いの転回として曖昧にせず、はっきりと分けることができる;転回形としての特徴は既に記されている)
;ここはDメジャーのパートであり、メロディ構成音がそのようにDメジャーのスケール、音階である。ちなみに、ペンタトニック、五音音階ではないので、判別しやすい。
2021年9月、このような同じ主音のコードのみで占められたコード進行の例を求めると、マイケル・ジャクソン Michael Jackson の"Black or White"イントロにあることが判明した。
それはEメジャーの調なので、実際に打ち込んだ:
The song in /E/ [Isus4, I, Isus2, I]
これは特定のピッチを指すならば、リフの一部が第2弦の開放弦Bもしくは開放弦でないEを弾き、第1弦がAとG♯とF♯を鳴らしていることでsus4部分や普通のIII度部分やsus2部分を鳴らしているようである。
標準チューニングで弾くことに問題ないという仮説に乗った見解として、私はそう解析した。
結果を再生して聴きながら、私の管理楽曲にも同じようにEメジャーの調でサスペンデッド・コード suspended chord を多めに用いるイントロの曲があることを思いだした。
以下である:
59bar1 in /E/ [I5, Isus2, Isus4] (最後の和音は2小節分)
;ロック系の作曲が多いベーシストによる作品。これは標準チューニングであるとみなすことのできるイントロだが、後々は半音2個=全音1個上げチューニング (F♯/G♭ tuning) と解釈したほうが合うように見える。
640bar1 in /E/ [Isus4, V7sus4, IVΔ7, IVadd9, vi7, vi7sus4, iiiadd4=11, vi7] (分数コード slash chord で度数表記すれば [Isus4/1, Isus4/2, IV/3, IV/5, vi5+7/1, vi5+7/2, vi5+7/7, vi5+7/1])
;多ジャンル作曲者による作品。ラテン系の雰囲気でギターソロも同じコード進行に乗せる盛大なイントロであり、これは標準チューニング、半音2個=全音1個上げチューニングのどちらでも開放弦で弾きやすいのかというと、否であった。Dメジャーに移調して標準チューニングであると考えても同じである。Cメジャーに移調して標準チューニングであるとは考えやすいので、このEメジャーでは半音4個=全音2個上げチューニング (G♯/A♭ tuning) が開放弦で弾きやすいという印象である。
サスペンデッドコードの話が、それまでの話題とどう関わるか、説明は難しいかもしれない。
単に技法として面白いから挙げる、ということ以上に、やはり、和声的な意味があると私は思う。
「借用コード」以外での「旋法混合」が、同主調間の転調におけるピボットコードであろう。
D sus2 である D–E–A, D sus4 である D–G–A は、もちろん、その構成音がいずれもDメジャー調とDマイナー調に含まれているので、その間の転調があるならば、「ピボットコード(ピヴォット・コード pivot chord)」と呼ぶことができる。
既に私の曲例1つ、世間での曲例3つが挙げられたように、標準チューニングなどのされたギターを使用した楽曲で使うには、都合がよい。
特に同主調転調や、旋法混合を狙う場合は、合う。
「ロック(および高い技術を要求しない雰囲気)のギタリストの演奏におけるジャーゴン的な演奏方法がある」ことを再現したい場合も、同様である。
総括して言えば、ギター主体の楽曲の和声的特徴の確立には、他のポピュラー音楽や古典音楽からの発想や他の楽器に関する要素よりも、ギターのチューニングが先にある可能性が高く、特にロック系のいくらかは確実にその例である。
そこに、既存の短調や長調の区分が適用できない楽節も含まれる、と私は考えている。
それに関して「ピカルディの三度を含む拡張短音階(8つの音があるが一般的な八音音階 octatonic scale の類型に無い)を伴う調」とか、「任意の主音がある短音階と長音階の構成音が混ざった独特な調」と私は考えていたが、新たに「任意の主音があるチューニングありきの独特な調」として単純化することになる。
音楽の分析に「文脈」の概念を導入した。
これは和声に限って言えば、任意の楽節の前がどうであるか、という意味で理解できるが、今回は楽曲の和声の外の要素を文脈として考え、そこから和声の意味(言語学からの比喩表現)を理解するものである。
・任意の曲がどのような人による作曲か?
;およびどのような協力者、助言者がいるか?
・その作曲者らはどのような音楽的キャリアや役割を持っているか?
・当該の曲が演奏可能性を考慮して作曲されたか?
・その作曲者らが思う当該の曲のテーマは何か?
;2021-06-04投稿など調の性格論についての私による一連の記事群も参照。
当記事の発想のための特定の和声的特徴の説明で、ギタリストでもある作曲者M(2021年現在、Sと名乗る彼はギターを弾いているように思えない)の楽曲群が大いに参考になった。
とはいえ、実際に演奏の腕のある人が曲例を演奏して誠実な意見をくださらない限り、確定的でない。
意見とは、「どの部分が演奏しやすいか、演奏しづらいか」。
私が多くの分野を学ぶことで、音楽でも、和声は単純に和声である以上に、歴史や具体例によって「実用上の和声がある」と感じ取ることになった。
これで私がロック系の作曲をする際も「Nメジャー調」や「Nマイナー調」である以上に、「Nギタリスト調」がある場合を理解して実際に活用することになる。
ロック系の楽曲では、ベースやドラムがリズムの側面を多く持ち、ベースが部分的に和声、ハーモニーの要素を兼ねたとしても、「面倒なコード」「パワーコードにしたくなる」ような要素を強く持つ楽器は、どうしてもギターになるし、ギタリスト個人の人格や性格に照らし合わせても、複雑な構成音のコードは9割がたの個人の大半の状況において敬遠されるに違いない、という心理面の詮索さえ、私はしていた。
その前提で、フレットの数は対数構造で実際は高音部が短いとはいえ、整数的でもあり、整数的に同じ距離感で運指することができるよう、同一の種類のコードに制約することで簡略化される。
これでギタリストの精神的負担は減るし、ライブなどで演奏する場合は更に簡略化することもありうる。
こなれた作曲の結論として私は考えるが、学問的には仮説の域に留まるであろうし、もう一度、その「誠実な意見」を望む。
個々の作曲で、ギターやベースのために私は任意のチューニングにおける第6, 5の開放弦の頻度を増やすなどしている。
起草日:2021年7月14日
この記事は、またしても私が「ポストモダン」とかと誤解されうるモデルを用いている。
この記事の目的は、私の和声分析や音楽構造解析の過程で学問の比較行為を導入し、音楽学の突破口を設けることにある。
また、ロックに関する話はその和声分析が主軸であり、応用として、演奏の初心者、初学者のために「やさしい」練習曲と、同時に必要な「やさしい」説明ができることを私は期待している。
私の記事は、多くの場合、実用的なものを志向している。
仏教学や言語学そのものに関しては、専門的な傾向であったが、他の分野では、当記事のように総合的である場合が多い。
専門的であっても、信仰であるとか語学であるとかに役立つものとして私は記してもいた。
何でもそれらの思考と知識とが、私自身においては、芸術と学問と日常生活とに活かされている。
私自身は、こういうわけでロック系の楽曲を作ることにも役立てられたり、良い作品が理論的に設計され、適切な時間で完成すると思っている。
当記事の目的により、ロックといっても楽器としてのギター、特にリズムギターのチューニングに基づく役割を重要視しているが、以下の2013年に投稿された記事の時と全く同じ考えであるはずはないことを確認されたい。
2013年7月11日公開『YouTube・ニコニコ動画にありがちな自作曲・オリジナル曲』
https://masashi.doorblog.jp/archives/29400474.html
2021年7月24日0時の文章:
任意の時代での主流または正当な和声の文の形態または文法が、使用楽器の需要拡大や流通量増加と高い相関性で簡単なものに改良され、その普及がある。
この現象が、大衆化、俗化として見られ、俗語や口語に相当する。
同時に、方言の派生のように和声的特徴の亜種ができているものと私は見ている。
長く演奏技術を追求して修練を絶やさない人は、面倒なコードの連続として作曲することにもやぶさかでない。
そうでない人は、例えば半音下降進行も三和音でなく下降部分と半音5つ以上の位置の構成音だけによる擬似コードを弾くような譜面に改良して困難さを減らし、面倒を回避する。
後者こそ、ある種のロック和声症候群とも見られる、ジャーゴンまたは方言のような定着であり、ロックの主流となっていると私は思う。
差別や優劣の決めつけを私は意図せず、個性や多様性を尊重している。
だからこそ私はどちらの特徴でも作曲しているし、それがロックのギタリストなどと理解し合う道筋の上にあると私は感じている。
当記事では一般通念にある「方言」を私が例示したが、それ以上に方言の言語学的な側面を記していないし、「標準語」という単語は出されてさえいない。
世の中には、この2つの概念の名称 dialect, dialects and standard language や区分を蛇蝎の如く嫌う人もいるので、少し説明しよう。
私はラテン語でもイタリア語でも漢文でも学んでは詩を作るなり歌詞にするなり、してきた。
イタリア語はイタリア国家の公用語であっても、多くの階級と他地方出身者が用いるようになる以前がダンテの『神曲』(Divina Commedia) でも知られる「トスカーナ方言」である。
中国語(普通話、官話)は中華人民共和国の公用語であっても、多くの階級と他地方出身者が用いるようになる以前が「北京方言、北京語」である。
i.e., Tuscan dialect, Beijing dialect.
過去に公文書を含む文語としての側面も強かったろうが、結果的に口語の側面も兼ねて非母語話者への教育にも望ましいものとして「標準語」が普及している。
ラベルとして"standard", "common", "general" (e.g., General American) など、異なるものが適用されても、言語の機能としては同じである。
なお、『神曲』で知られるダンテ・アリギエーリ (Dante Alighieri) は『俗語論』De vulgari eloquentia 著しており、1巻に彼の知る同じ時代のトスカーナの言葉にも副方言のようなものがあることを示していた。
彼は彼の生まれの言葉と、当時におけるもっともフォーマルなラテン語とを用いながら、できる限り分かりやすい言葉を目指してこの著作をしたためたのであろうし、同じことは12世紀や13世紀の日本の仏教僧侶にも言える(真言、念仏、禅、日蓮といった諸派にある、仏教学で私が示したこと)。
後世のナショナリズムでは、本居宣長からフィンランドのリョンロートまで、異なる立場も見える。
イタリック語派というよりはイタリアのロマンス語でいうナポリ語、シチリア語、シナ語派でいう広東語、閩南語など、私は、もちろん、同系言語群の別の現代言語の存在も十分に理解したつもりである。
また、英語ではイングランド領域にあるロンドン (London) の、そのまた経済階級の差で言葉遣いも異なったような歴史経緯があるが、現代英語のアイデンティティを示す文献でよく好まれるものは、KJV聖書とシェイクスピア作品と『失楽園』 Paradise Lost などではなかろうか?
所詮、そういうものであると歴史、地理、比較言語学の観点で私は熟知しており、何も標準語と方言の差を嫌う意味は無い。
互いの通じやすい言葉遣いを心掛けることはもちろん、自分の血肉にも等しい生まれの言葉を、「ありのままで」自ら重んじるだけの理由も付随する。
無論、非標準的なものはGoogle翻訳などの機械翻訳で不利になるなどある、といったことから、人間の差別感情に触れずとも「劣等感」を抱える人が少なからず現れる。
私が理解するように、方言と標準語という分別は、何も優劣や善悪を示すものでないことが、科学的もしくは社会的、哲学的、文化的な構造を解明することで理解できる。
日本語での「地方 (chihō)」という言葉の特定なニュアンス (province, locality) も、「首都、首都圏 (shuto, shutoken; capital region/area)」への対比で用いられるに過ぎず、「地方」ということはそれ自体、田舎 (country, countryside) であるとか、劣悪な鄙びた土地を指すということはないが、日本でこそ「地方都市」"provincial city"の行政区画なけれ、英訳の言葉としてはベトナム「城庯」や台湾「省轄市」を指し(英語説明が曖昧で単に"city"ともする)、中国でも「地级市 (regional-/prefecture-level city, prefectural-level municipality)」がある(東アジアに根強いとされる中央集権や全体主義の感覚は関係するか否か?)。
以前にも同じような話をしたと思うが、沖縄(琉球)や奄美の言葉も日本系の言語 (Japonic languages) のうちの方言ではなく独立の言語として、UNESCOなり学術機関なりが見立てている。
それにはそれだけの言語的特質があるということになるが、独立の言語として見られるかどうかはこの話に重要でない。
日本での標準語は、「東京方言」であるとか「江戸っ子ことば」であるとかと見るにも、難しいし、加えて、インフォーマル (informal) なものや口語や俗語といったことは、多様に定着しており、それはいわゆる地理的次元から言われる方言と別次元ながらほぼ同様に言語の特質の違いを持ってはいない(文法構造は変わらず、形態的 morphological な違いが中心であるため)。
2017年2月に私は、以下のような話題をブログ活動以外で記していた。
平安時代の国風文化以前に字音や訓読を考える記述は書物に見られるか?
伝教大師最澄 (778-822年) が法相宗の徳一 (8-9世紀、同時代の日本僧侶) の訓読を論う記述が、「守護国界章」に見られる。
守護國界章・卷中之中・彈謗法者僞譯如是章第十二 (弾謗法者偽訳如是章)
「如是我聞」の訓読もとい「日本方言」について、まず初めに「許禮阿何伎伎之何其都之 (許礼阿何伎伎之何其都之)」という例を挙げてある。(後略)
オサレ作曲に古今東西の言語知識が必要かと言えば、絶対条件でないにせよ、私は突破口を見出すための手段として必要になるものと思っている。
後で「Nギタリスト調」に相当する世間の曲例を探そうと思ったが、以前にも探したように、Google検索では発見が難しい。
代替表記 (e.g., "biii", "bvi", "bvii") やコンマ区切り (e.g., "d a c g"ではなく"d,a,c,g") といった検索スキルを駆使する必要がある。
1個でも掘り当てれば、同サイト内に多く見当たる場合がある。
例えば、やはりと言うべきか、英語圏ではRedditに多く見つかった。
ここで一例を示す:
"Songwriter looking for a chord progression list with borrowed chords"
https://www.reddit.com/r/musictheory/comments/c2jw7n/songwriter_looking_for_a_chord_progression_list/
2021年8月31日火曜日
豊橋野夜行 with 私の夢記(地理学と臨床的な神経科学の資料)
私が仏教学を行った間、明恵上人についても私は学んでいたので、その著作『夢記』を知っている。
今回は、秘封倶楽部のメリー気分で2021年4月以降に私が過ごしてから、6月10日の真夜中に霊的キャラクターを連れながら外出したことを記す。
『夢記』と言葉の意味が通じる『ゆめにっき』や、東方Project 17.5『秘封ナイトメアダイアリー(中国語圏で悪夢日記, trad. 秘封恶梦日記, simp. 秘封噩梦日记 と呼ばれる)』などのゲーム作品の要素は無いと思う。
そういうわけで、外出当初から意識したのでないにせよ、結果が部分的に「東方二次創作」に相当するので、部分的な原作者が「上海アリス幻樂団」である(理由は末尾で記す)、と明記する。
全体は、明らかに、ノンフィクションベースである。
霊的キャラクター紹介
1. 宇佐美蓮子(秘封倶楽部の一員。視覚化の役者:盆歌ちゃん)
2. マエリベリー・ハーン(通称:メリー、秘封倶楽部の一員。視覚化の役者:エウジェニアちゃん)
3. Aのんちゃん(原作「レトロスペクティブ京都」と二次創作「レトロスペクティブ札幌」とを結ぶ実在個人、関西で半人半霊、今や故人の可能性)
Aのんちゃん流、数学の秘儀
盆歌 Bonka とエウジェニア Eugenia とで、イニシャルBとEとによるEパワーコード。
(1 + 2) / 2 = 1.5, 周波数比 2/1 という完全五度組BとE (perfect fifth pair of B and E)! Q.E.D.
蓮メリという霊マリ、または境界組も、きっとそういう完全V度や協和音のような相性だよね。
「この蓮メリ、髪が伸びている」との感覚…、現時点で最後の作品『旧約酒場』のストーリーにある「髪の毛教、髪の毛の信仰」との関係を否定する。
2021年7月31日に「豊橋野夜行」の先行配信がされた。
https://www.youtube.com/watch?v=xaEwBWPb6wQ
2021年8月31日に「豊橋野夜行」の前編 (1-2, "Toyohashi-no Yakō") が配信された。
https://www.youtube.com/watch?v=od9Lq0v6Rmk
2021年9月9日に「豊橋野夜行」の後編 (2-2, "Toyohashi-no Yakō") が配信された。
https://www.youtube.com/watch?v=URSJ4jhnUsg
Q. 蓮子って地理座標を言うの?
A. 秘封倶楽部の音楽CDストーリーにおいては、現場の座標の数字を言っているように思われない;動画で私は度分秒で座標を言ったが、普段は十進数、十進法 decimal で座標を見る。
ささゆりの里=街女人の辻さゆりさん!
Aのんちゃんと蓮メリでおなじみ、京都市には鴨川と桂川があるが、豊橋市には豊川と梅田川があり、今回、私は愛知県道407号線を南下して梅田川を超え、京都市にも札幌市にも長野県白馬村にも埼玉県鳩山町にも海老名市にも無い海へ行く。
「豊橋野夜行」は、秘封音楽CD作品『蓮台野夜行』からもじって名付けたものである。
公共に資する目的での情報開示: 東方元ネタwiki 2nd, THBWiki (中文)
仏教学で「蓮台野」とは?
日蓮大聖人の著作(御書)「種種御振舞御書」という複数の著作を構成の人がまとめた文献に、「洛陽の蓮台野」とある部分を私は連想する。
秘封音楽CDのように「豊橋野夜行」の曲目を挙げると:
1. "黄昏ストーキンガール" (秘封風自作曲+ボーカル),
2. "Alicine East Metal" (東方アレンジ),
3. "うつせみのたゆたえるもの" (秘封風自作曲),
4. "Labyrinthus Chrysanthus" (自作曲、オリジナル曲;ZUNのいうアリスミュージックかも),
5. "望月のプロムナード" (東方風自作曲、ピアノソロ),
6. "Umineko no Naku like You" (インターネットフォークピアノソロ),
7. "Kimi to Ita Natsu" (インターネットフォークソング+ボーカル;夕日と日没を喚起する設定),
8. "Tache-tombo" (インターネットフォークソング+ボーカル),
9. "D Major Medley" (インターネットフォークソング複数からのカバーメドレー),
10. "Hypnotic Reminiscence" (秘封風インターネットフォークソング)
これらは、このストーリーから創作されたものでなく、既存のものを寄せ集めしたものである。
5曲め「望月」とは、実際に、新月、朔の前日に当たる月齢かつ、見上げた空に月が見えた感じのしない(日中には見える?)外出であった。
6曲めは夕日と日没を喚起する設定であり、この早朝と日の出は、厳密に整合しない。
アルバム用の楽曲をこしらえていない点、そこは秘封アルバムと全く似ていない。
かわりに、"黄昏ストーキンガール"などはシングルとして機能する想定である。
無論、アルバムを作るためにこの欄を設けているのではなく、参考程度にするつもりである。
京都市下京区の特定の建物に住む、互いに交流の無い二人は、2021年までに亡くなった。うち一人のAのんちゃんは北海道出身者であり、京都市に移住してからは精神体の自己や猫や神々を伴って外出していたが、仇となって彼が神隠しに遭ったと見られる。かわりに私は、京都市内と目される地域に精神体として生きている「秘封倶楽部」の二人組を呼び出して伴わせながら、疑問解決の外出をした。曲名「最も澄んだ空と海」のようでなくとも、2011年4月18日に入ってから一度も出ていない愛知県豊橋市で海を間近に見たい。
夜の街の車、虫、鳥は何がどのくらい?砂浜で歩くと短靴、特にスニーカーにどのくらい砂が入る?計12 km以上の道のりを私が歩くと実際に疲れや時間経過はどのくらい?これだけならばこの都市以外でも調べられる。2つほど特別な調査をしたい。1つは、この都市の市街地が太平洋遠州灘の海岸にかけて畑の広がる平野と40 m以上の高い土地で阻まれていることの調査である。もう1つは、特定の集落の雰囲気の実地調査である。「ささゆりの里」のささゆりが今の時期に開花しているということにも関心があった。夜明けが迫る中、蛇でも狸でも出そうな「ささゆりの里」の調査を放棄した。砂浜の疲れもあり、帰路に寄るつもりでいた特定の集落に行かないで帰ったことは悔やまれる。他は調査が済んだと私はみなしている。短靴や靴下は、少量の砂粒を持ち帰った。切り立った崖の見た目、岩肌と、そこに生えている植物の様子が分かった。
夜道は実に、他人の見守りの無い努力そのものを意味した。私が絵と音楽と疑問解決の人文科学、自然科学など科学分野の実践を行うことを暗示している。方向性が社会的には無いが、私の心の羅針盤ははっきりとそれを示す。この場合、暗い道を行き続けて大海原を目指す。いわば、この夜道を行くことは単なる暗闇を何の頼りも無く行くことでなく、「ズル」に相当する道具がある。スマートフォン!そもそも半分以上は県道407号をその南端まで行くのみであり、道程に限れば難しくはない。とはいえ、道筋は分かっていても、また、想定しうる困難さがあっても、実際にどのような危難が待ち受けるかは、その計画の実践にのみある。私の人生の努力の精神性に関して、他人は尊敬して他人自身に得ないばかりか、理解さえしない。
「秘封倶楽部」の二人組は時々、会話イベントを彼らの間で発生させていた。主に蓮子の「星から時間や月から居場所が分かる」という能力や、メリーの「夢」に関する話題であった。私の見上げる空では、月が、見えない!この2人は同じ土地の同じ時間でパラレルワールドにでもいるか?メリーが蓮子に対してしきりに「地理座標」を尋ねて蓮子が答える。2人の間の話で「リグル・ナイトバグ」「蛍」について話があったので、「内山川のホタル」(6月上旬が見ごろ)というのもいつか見られればよい、と私は思った。メリーが過去に「霊能者サークルだけど、普通みたいに除霊や降霊とかは好きじゃないの」と言っていたが、私はその嫌なことをしていないか、考え直している。「秘封倶楽部」の二人組は4時過ぎの夜明けとともに「時間外の活動はしない」と言って私と別れた。ちょうど「ささゆりの里」看板前にいたので、「結界」の穴からどこかへ帰ったろう。目的地は「蓮台野の入り口」であろう。4時6分に私は砂浜を踏みしめた。私が「山」と例えている海食崖の岩肌は、歴史的な水墨画にありそうで無い光景を作り出している。砂浜は、ほぼ砂丘や砂漠の状態であり、傾斜があるところは足をさらわれそうになる。浜と帰路とで、私は京都市の亡霊Aのんちゃん魂トランス状態になっており、この間に、「書道の極意」「八咫烏の眷属」などと言う。Aのんちゃんは市街地や山間部や港で撮影をしたことがあっても、砂浜では一度もない。Aのんちゃんは幼少期と36歳の時に猫を飼っていたが、幼少期のネコ個体の霊を彼の外出で使役していた。「月の妖鳥、化猫の幻」という曲名は蓮子とメリーを指すそうだが、謎の野鳥「ぴーちゃん」と彼の猫霊「フェスマーくん」を私に連想させてしまう。
この海岸には海難事故の救助任務で命を落とした人の追悼の詩が書かれた石碑がある。『蓮台野夜行』ストーリーの後半では、秘封倶楽部の2人が西行法師と思われる誰かの墓に手をかけたが、私はそれをしない。旅の情緒は普通、日本だと和歌を詠むということになるが、そういう発想が私の中で2015年ころから薄れているので、私は特にしなかった。「激さや 崖にしみ入 波の音」とでも詠めば満足いただけるか?2015年の私の思い「類想句は駄句だなんて誰が言うか?」、パロディの狂歌や辞世の句はたくさんあるのだし、許していただきたい。出羽国の立石寺(今の山形県内)に来た松尾芭蕉は、まさに、そこで遺体の一部が眠る慈覚大師の弔いを『奥の細道』の歌として詠んだのであった。日蓮大聖人の御書「慈覚大師事」で「世間に云ふ、御頭は出羽の国立石寺に有り云云」とあるが、現在では比叡山の「慈覚大師円仁廟」に頭蓋骨があり、立石寺で残りの骨と木造頭部が見つかったとの事実認識がされる。私も弔ってあげよう、前澤光昭さんを。また、Aのんちゃんを。北海道釧路市、厚岸町などの海に、この海岸から瓶詰めの手紙、ボトルメールを流れに乗せて届けられるのか、試さない。彼が「伊勢神宮の歴史と格式」と憧れる伊勢市周辺に漂着するか?田心さんによる彼の辞世の句「ありがとう荒木の望むあした夢、あの世に逝ってあゝ左様なら」、2021年6月作。「西行法師の桜」ならば?"Un Apricocco Sulla Collina"歌詞をよろしく。
思えば、私は埼玉生まれ、豊橋住み。Aのんちゃんと、「秘封倶楽部」を語る太田順也(ZUN 長野県生まれ)、彼らは20歳前後のころ、施設入所や大学通学のために埼玉県に住んでいたが(それぞれ所沢市、東松山市)、後々、ほぼ埼玉の話をしない。また、「東海道本線」「卯酉東海道」という形で東海道に関する事象から静岡県に関わっていた。Aのんちゃんは関西への移動前に都内から乗った「東海道本線」で静岡県の沼津駅前で野宿し、ZUNの『卯酉東海道』ストーリーは関西から出た電車の静岡県内らしい富士山の見える土地から始まる。そう東海道に関する事象から静岡県に彼らは関わっても、二川宿や吉田宿を有する隣接自治体の愛知県豊橋市は「豊橋とばし」となる。生きていれば両者とも2021年時点で40代…、こういった共通点を持っている。埼玉生まれ、豊橋住みの私がこのような外出行為をしたことは、彼らへの皮肉である。Aのんちゃんは霊的存在たちに抹消されてしまった。「秘封倶楽部」の二人組は無関係の「秘封倶楽部」初代会長・宇佐美菫子(関東在住=関西に対比)に抹殺されてしまった。後者に関しては私の憶測であるが、『旧約酒場』と『秘封ナイトメアダイアリー』のアートに共通する血しぶきは、こういう凶事を容易に連想させてしまう。皮肉である以上に、私は弔意を示し、この弔意がそれらの精神体を誘引していた。Aのんちゃんが沼津駅で下車する日=2017年8月30日、東京都目黒区の大鳥神社で「神社の封印を解除した」と言っていたが、私はそこまでする意図を持ちあわせない。
行きと帰りとの大部分は、「愛知県道407号伊古部南栄線」を通った。別名、「野依街道」。野依良治さんを連想させるが、梅田川以南に「野依町(のよりチョウ)」があることによる。豊橋市民にとってのノーベル賞受賞者は、野依良治よりも小柴昌俊である。のより、のんほいパーク、Aのんちゃんで『のんのんびより』…、もはや何も関連性が無い。このように旅の記録をエンタメ、カルチャー、サイエンスで飾りたがる感性は謎である。この県道は、北端が国道259号線、南端が国道42号線に接続しており、両者は「地獄(ジゴク)、死にゴー」などと語呂合わせされている。なんともおぞましい。こういうナンセンスな話もしたくなる。
植物相 (flora) と動物相 (fauna) に関しても記録がある。田んぼでカエル(蛙、かえる)の合唱が盛大であった。コウモリのような飛行する影の目撃は、2時30分ころの豊橋市野依町字細田10、ポップリベット・ファスナー株式会社の施設(イオン豊橋南店の南隣)を見ながら傍を通過するように県道407号を歩いているときである。全体の多くの場面で、虫の飛び出しに遭遇した。暗い時間帯で頻繁に、草や低木や樹木の茂みでガサゴソ、バチッ、ドサッという音を聴いており、ヘビ(蛇、へび)など爬虫類なのかカエルなど両生類なのかネコ(猫、ねこ)など哺乳類なのか鳥類なのか、見当がつかない。埼玉県内の「前の家」で子ヘビの死骸を見ることは多くとも、こちらでは一度もないと私は思った後、ヘビの死骸を見た際に動画記録(5時3分38秒ころ)を取った。しかし、前の家では成体ヘビの死骸を見たことが無い。これは車道の端で轢死の状態であり、ハエ(蠅、蝿、はえ)がたかっている。幻想郷で早苗ちゃんに「神奈子さま、ミシャグジさま」と同類の動物個体の悲惨な姿を伝えない。「諏訪子さま」のヒキガエルは、北浦和公園でたくさん見られた。先の「合唱」も?その死骸の後は「あやや」が私の前をすごい羽音で通過した。事前に警戒されたムカデ(百足、むかで)に関しては、問題なかった。『東方虹龍洞』のように鉱山の洞窟に入ってね。海岸で見られる動物は、蚊などの羽虫がよいところで、カニ(蟹、かに)、貝、魚、ウミガメ、サメなどは見られなかった。帰路である5時37分にキジ(雉、きじ)の鳴き声を聴いた。豊橋市に来て初めてである。私が数百メートル離れまで歩いても別の個体であろう鳴き声を聴いた。そのように海岸でも行き帰りの道中でも、鳥類は前の家に多かった種類のみ鳴き声や姿がある。ウグイス Horornis diphone はともかく、今も名前の分からない種が多い。特に、最初のテンポが速くて後が何分の1ほど、ピッチ(音高)が80%ほどになる「ぴちょぴちょ […] ぴーちょーぶりー […] ぴー、ぶりっぴー(ぶり=ぐり、人間音声 phone でいうと口蓋垂ふるえ音 uvular trill [ʀ] の重複)」と啼く野鳥が、埼玉でも今回の外出中でも気になる。071512動画、ツバメ Hirundo rustica gutturalis の鳴き声と巣の様子。2021061006540000DSC_1017.jpg に見るように、梅田川の橋から、カモ科ハクチョウ属種 Cygnus spp. はありえないにしても、サギ類のような大型の水鳥(アオサギ属のダイサギ Ardea alba の亜種?)や、それより小さいカモ類またはシギ類を含むチドリ類のような鳥(嘴の細さからして後者か)を見た。豊橋市内では三河湾に面した豊橋総合スポーツ公園内に「かもめ広場」があるが、愛知県にカモメ類が飛来したり繁殖することがありうるのか疑問。迷鳥、冬鳥?豊橋西高校の校歌に「三河港の ゆりかもめ」とあるが、ユリカモメという種 Larus ridibundus は、近畿、四国、九州を含む日本各地で見られるそうである。次点で、ミツユビカモメ Rissa tridactyla がありうる。記事 Bg. 2015-02-27に示されたように、ウサギ、ニワトリ系の鳥の放し飼いまたは飼育放棄が前の家の周辺であったが、そういう稀なことはもちろん見られない。海辺で靴の砂を払うなどして休む間、敷物(端材、綿100%)を置き去りにしたことを海から遠くない蛇の死骸を見たあたり(5時4分ころ)で思い出した。車の往来など道路事情がよくないために引き返さなかった。鳥の巣の材料にでもなれば…。行きも帰りも私は、基本的に車道を歩いた。私は車道を歩かないと、ブヨ(ブイ、ブユ)の群れに潜り込みやすいし、茂みからの虫の飛び出しに気づきづらい。帰宅後の家では、ブユの死骸のようなもの1つと生きている小さいアリ1匹を、私が履いていたDickies 874 パンツに接している状態を見た。ヒト以外の哺乳類は、飼われているイヌ(犬、いぬ)やネコさえも、この外出で見られることは無かった。
前の段落は動物相の話になった。植物相に関しては、道中には道中で、色々と花が見られたので、写真を撮ってある。主な被写体にされたものは園芸品種、栽培品種 (cultivar) や移入種 (invasive species) と見られる花が多いと思った。2021061005080000DSC_0988.jpg ギザギザ部分が長めの、ワラビのようなシダ植物かヨモギに見える草の個体が多くある…、と思ったが、文献で調べ直すと、それらとは異なる種の植物であろう。2021061005090000DSC_0989.jpg 畑の作物はサツマイモの苗のように見える。210610_053954_sh.mp4 潰されたキャベツ(玉、結球した生育状態)にはコバエがたかっている。ここで私は『だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!』の話題をした。あれは「冬キャベツ」の話とされる。見られた樹木に関しては何とも言えないが、表浜街道よりも南の住宅地や農地のあるエリアで林の木に変わった形が見られたことが気になる。 2021061003500000DSC_0955.jpg ヤドリギ (Viscum album subsp. coloratum) ?鳥の巣?ナンジャモンジャ、なんじゃもんじゃ?あんにゃもんにゃ?海岸には海岸ならではの低めの丈で花を咲かせる植物が数種見られ、印象的であった。海岸で、その低い丈の花を映した写真は唯一 2021061004490000DSC_0982.jpg である。2つは異なる種の花が写っているので、種の同定をしたい。主に愛知県内を指して「周伊勢湾要素植物群」(地名にもかかわらず三重県の話はあまり見られない)「東海丘陵要素植物群」という用語が聞かれるが、これで目先の疑問の解決にはなっていない。サイト「三河の植物観察 Flora of Mikawa」で「ハマ-」「イソ-」「シオ-」で始まる和名の植物を全て確認したが、それらしい種が見受けられなかった。「"表浜海岸" "花"」で画像検索してヒットしたPDFファイル http://www.omotehama.org/pdf/costvegetation2.pdf に、うち1つ、類似する植物が見られた。黄色い花と、特徴的な草の葉の形であり、マツヨイグサ属のコマツヨイグサ Oenothera laciniata であり、サイト「三河の植物観察」にも載っている。改めて、赤い花弁や萼、萼片などが形態的に一致していると私は判断する。外来種、外来生物、移入種、帰化植物ということで、これを「海岸のナガミヒナゲシ」とでも私は呼びたい。海岸にある漂流物は海藻、ヤシの実じみた木の実、流木などである。塩害の影響なのか塩性湿地植物の種なのか不明だが、海岸の沢の地形の場所で赤い色の茎や葉の種として茎が丈夫そうな植物 (210610_041855_sh.mp4 14sなどに映る) が見られた。「歩き回ってセイタカアワダチソウ、コセンダングサの種をばらまくな!」という環境保護勢力の声が聴こえたか?声主は新しい精神体であろう。北海道美瑛町のポプラ「哲学の木」伐採の原因になった、私有地や農地への立ち入りによるSNS映え狙いの撮影行為に、なたがたは、くれぐれも注意しよう。
多くの詳細や経緯は、私の日記メモ=ライトダイアリーに載っている。
備考
今回の外出は「ジモ東方」活動の一環とも位置づけられている。
この名称は「地元、ジモト jimoto」+「東方 touhou, tōhō」という portmanteau の一種であり、今回の外出はそれだけを目的としていないが、内容として「ジモ東方」活動の要素を含んでいる。
2021年5月15日にこの呼称を発案した時点で、私はそのようなことを行ってきたり、新たに行うことを望んだりしていると自覚した。
2013年、埼玉に対してしたように、豊橋でもできることであり、多くの日本国内の土地でも、しやすいと私は思っている。
AのんちゃんとZUNの2名について、埼玉に住んでいた過去と「豊橋とばし」の現状について、「豊橋野夜行ストーリー」で記したことも参照されたい。
2013年5月6日投稿『埼玉浦野宮 (さきたまうらのみや)』
https://masashi.doorblog.jp/archives/26561197.html
2014年6月4日投稿『5月~6月4日の豊橋散歩 ヒキ散歩記事②』
https://masashi.doorblog.jp/archives/38471100.html
動画の途中で、「Aのんちゃん野宿の地、静岡県沼津市」とは限らない「愛鷹山」付近に住む人が「夏の終わりの浜辺、夕暮れ」をイメージして作ったとされる2008年9月3日公開の音楽を再生した。
曲目では、6番目にあたる。
この作者は東方の中でも紅魔郷のような東方風自作曲を公開したこともそれ以前にあった。
この音楽は海を舞台にしたと仮想する『ひぐらしのなく頃に』 "You" 似のピアノソロ・オリジナル曲と私は解釈しているので、セーラー服のJC or JK辻さゆり、カモメの一種ウミネコ(うみねこ, Larus crassirostris)を伴った音楽イメージを2021年7月13日から描き始めた。
2009年の夏、中学1年生の夏休み期間に色々と深夜アニメをTVで見た中に『うみねこのなく頃に』もあったが、ひぐらしのスピンオフと言えないくらいに違いすぎてワロタ、07th expansionによる原作ゲーム群もよろしく。
東方Windows第1作『東方紅魔郷』の正式版とひぐらし原作1話、どちらもコミックマーケット62(2002年8月)頒布で同期、という意外な共通点あり。
Aのんちゃん沼津野宿、彼がラブライバーだからかの疑問には、取り合わない。
私は沼津を抜きに『ラブライブ!』系作品への嫌悪感が強いという経緯を持っている。
2012年以前に一インターネットユーザーが沼津市と比較して豊橋市を愚弄していたことは関係ないが、それにも、取り合わない。
この件、特定アイドルアニメ舞台になる以前の仙台市 vs. さいたま市くらいだよね、という感想。
仙台はA=荒木のんちゃんと無関係の荒木飛呂彦作品の舞台ですって?
さいたまはニンジャスレイヤーのネオサイタマ (Neo-Saitama in Ninja Slayer)? 豊橋はハリー・ポッターのトヨハシテング (Toyohashi Tengu in Harry Potter)? 知らない。
さいたま市大宮駅周辺のロフト LOFT 跡地がラクーン RAKUUNになり、沼津駅前の西武百貨店跡地もRAKUUNになったが、運営の浜友観光が豊橋市に隣接する静岡県浜松市に本社がある以上、旧・丸栄、ほの国百貨店跡地が低い可能性でRAKUUNになる可能性もあるか?
ただし、大宮と沼津の「よしもと劇場」はありえないし、立地が大宮や沼津の例と比べて駅前から遠すぎるし、今の建物は解体されてから文字通り「市街地、商業の空洞化」の一部分になる可能性もあるし(一市議会議員ブログ2021-01-02も参照)、そもそも私が真面目に取り合う話でない。
前の文章を記した後、別の機会『外出撮影の例 2021年2月19日10時19分』動画説明文で真面目に取り合う結果になった。
大宮RAKUUN よしもと劇場で意外なことは、M-1グランプリ2020優勝のお笑いコンビ「マヂカルラブリー」を育てており、片割れ「野田クリスタル」さんが2020年以降、東方Project原作者ZUNさんと頻繁にイベント参加している(下記リンク先ツイートで彼らの一緒に写った画像が載る)ことである。
その2作品以前には「浦和」を冠する芳文社きらら系作品『うらバン!浦和泉高等学校吹奏楽部』もあったことを埼玉在住当時でも知っている。
別に、今は経済効果といったことを何も望んでいないし、『らき☆すた』を含む少数の作品のみを歴史化しておしまいでよい。
2012年からはアニメを代表とするコンテンツ産業への精神的離反が強まり(1, 2)、2019年以降、全体的に社会での害毒を産んでいる始末(京アニ放火、『鬼滅の刃』アニメ制作会社脱税、『呪術廻戦』アニメOP関係アーティスト バンド メンバー犯罪)なので、主にアニメの「限定的な良い部分」に偏って評価しようなど、私は思っていないし、殊更に悪い部分を責めるつもりもない。
豊橋でオタク系のイベントといえば、国際的には"Japan Meeting of Furries" (JMoF) というものがあり、ケモナー、ファーリーの人たちが国内外から集まる。
のんほいパークと『けものフレンズ』の話は、特にしない。
「豊橋、浦和、仙台」といえば、現在の検事総長、林眞琴さんの出身地や経歴に出てくる都市名でしょう。
色々とこういう話題をしても、結局、私はかねて言う:
背景にあった心理面
210610_040935_sh.mp4 60s でいう「秘封倶楽部の小説」とは、二次創作の作品である『夢現』 2008-08-16. 四面楚歌. を指すが、その作中で別れたメリーを追い求めるような蓮子の心境が、どうも2度めの転校先の小学校から中学校不登校までずっと同じクラスであった上に一時期は私に親密であった、異国風の同級生Sを求める私の心境が重なってならない。
後継の「小類聚・秘封横野夢記」で私は夢を見るメリーの気分でいたものの、同時にそちらの蓮子の気分でいつづけている。
蓮子こそが夢を見る者であり、その中でメリーを追い求めていたということが終盤の話である。
私が文学を含む芸術全般、人文科学を含む科学全般を多く学んだり実践したりすることは、興味という原因や疑問解決という願望のみならず、「私が一生孤独であってよいのか、否!」という強い現実否定にも基づいている(これは侮蔑的な歴史学用語、政治学用語、心理学用語、精神分析学用語の否認主義 denialism とやらではない;対立的な事実の証拠の否定とかをしているのではなく悪い現在の状態や将来の可能性を克服するという意思、願望なので)。
これは『夢現』のエピローグ部分における蓮子の心境を指すものであり、私は時にメリー、長期的には蓮子の気分で生きている。
今までは五里霧中であるし、これからも誰が私を望ましい形で承認するか、何も明瞭でない。
しかし、平和主義、自由主義を基本とした、理性と感性の現実的な行使という中立性の屋根の下で努力を絶やさないならば、それはそれで成長が望まれる。
成長して現実の効用が無いならば、屋根を取り去り、飛び上がり、殺傷事件または化学兵器テロ事件を起こすような堕天使または破壊神(死生観や精神比喩の目線を外すなど真面目な宗教研究の立場には申し訳ない、ブロリーかも)になりうるので、くれぐれも世の中には私を「理想という名の柱」から解放された状態の猛犬にしないでいただきたい。
心理の数理モデル
私の思い出:
良いものは幻軸で座標の正の数
g = (n + n' + n"…) * 0 = 0
悪いものは現軸で座標の負の数
b = (n + n' + n"…) * −1
虚数単位 i が何ですって?
今度は「のんちゃん数学、幾何学」ではなく、「ポストモダン心理数学」ですか?
2020年1月18日投稿の記事には、ジャック・ラカン Jacque Lacan の「人生は0が無理数であるような微積分学…、私が無理数と言う時、正確に虚数と呼ばれるものを指す」という発言や、バーバラ・フレドリクソンらによる"positivity ratio"「ロサダの法則」に関して紹介しており、参照されたい。
メリーちゃんは『伊弉諾物質』(2012年8月11日)のストーリーの冒頭、「信州のサナトリウム」で隔離治療をされていたとのことだが、Aのんちゃんは2012年3月27日より後のしばらく、北海道内の「長野病院」に措置入院をされていた。
信州と長野(長野県はかつての信州、信濃国;実際は人名や無関係の地名の長野なのだろうけど)、謎の共通点、どうしよう。
さゆりさんならぬ山下小百合さん=サユリーちゃんは、2019年、フランスで精神病院に入れられたので、「日本に身寄りがいない」メリーちゃんの逆を演じており、UMIたちはどうも重なっている。
記事の題名にある「神経科学」とは?日記メモ言及例:
2020年11月1日投稿動画『起床前や夢の時間に脳内で流れた音楽を自作曲にした6作、歌詞も含まれる』の説明文にも何かしら、ある:
https://www.youtube.com/watch?v=DyvJCNcSR0U
記事の起草日は2021年8月6日である。
(部分的でも)原作者が「上海アリス幻樂団」というサークル(人物は博麗神主 ZUN 太田順也)であると明記することは、東方Project作品の二次創作の慣行にしたがうつもりであるが、その原作者が公式にそれを言及しているか、私は疑問である。
「二次創作・使用のFAQ」が、過去、外部のユーザーによって公開されていたこと(同じユーザーの新しいサイトにも公開される)が、原作者の公式サイトからのリンクで分かるので、それについても参照されたい。
これは、中国bilibili動画での使用規定(原作者本人が監修もしくは許可したという根拠は見づらい)の原案にも相当する。
原作者が言及していた経緯を確認したので、その疑問は解決された。
内容を過度に気にすると、矛盾や二重基準も出るわけで、それに関してはここで詳述しないし、多くの二次創作界隈で許容されていることになるが、キャラクター性格や外見に焦点を当ててみると、東方旧作キャラクターに「竹本泉」作品そのままのものが多いことが最大の疑問である。
今回、「蓮メリ」視覚化の役者として「盆歌」「エウジェニア」が動員されたが、この2名は2021年4月30日、純然と私の想像から生まれたわけであり、東方原作と関連していないことについては、将来の絵の練習記事で説明されるとともに、ここでも明言する。
「豊橋野夜行ストーリー from 転石博物誌」文案は2021年6月下旬から書かれたと思われる。
記事の起草以後、「秘封横野夢記」(『秘封ナイトメアダイアリー』と『夢記』より)、「転石博物誌」(『燕石博物誌』より)などと私は、見出しごとにエニグマティック (enigmatic, ZUNカナ: エニグマティク) な名前を与えた。
「転石」は、由来の「燕石」と音読みで /-VC/ 発音の同じ字を選んだことが理由であるが、同時に、役者の盆歌とエウジェニアがパンクまたはメタルのサブカルチャーを示唆するので、ロックンロールのバンド名「ローリングストーンズ」の直訳の名前でもある。
なんと執筆中にそのバンドのドラマー (80) が亡くなった。
…人物としては知らないのだけれども、精神体とか霊体のキャラクターが増えるのではないか?
今更、言うのも難だが、"Touhou" (rather than "Tōhō") 英語圏ファンダム (English-speaking fandom) で愛称「メリー Merī」がなぜかメリークリスマスの"Merry"で綴られている。
日本人は普通に童謡「メリーさんのひつじ Merī-san no Hitsuji」の英語名称「メアリー Mearī (Mary, as in "Mary Had a Little Lamb", the name is equivalent to マリー Marī "Marie" in German and French)」に比較する(過去記事2021-06-04でも東方と無関係の曲名にある「メリー」ついて同じ説明をした;正確な言語音声はIPA表記を参照、日本でのカナ慣習の話)であろう。
夢見、夢現に関連するキャラである点からも、Mary であれば、悪夢 nightmare の -mare という部分(それ自身の意味は「夢」でない)と文字列が重なるし、そういうつながりも感じられる。
※日本国内で、眠り、睡眠のために羊(ひつじ、ヒツジ)を数える習慣があることを引き合いに出そうと思ったが、"sleep". "sheep"という英語ありきらしく、"lamb"に結びつける気にならないでやめる。印象としては関わる。
"Touhou"英語圏ファンダムは「マエリベリー」部分を"Maribel"と推定してラテン文字をあてている (unofficial) 点からも、"Merry"よりは"Mary"が近いであろうと思うが、結局、"Marguerite, Margaret"系の名を"Peggy"とペットネーム pet name で呼ぶ伝統がある言語に、この話をしても意味が無いか?
自称オリンピックアニメの『夢想夏郷』関係者は、いかがお過ごしであろうか、と暑中/残暑お見舞いを申し上げる。
一足先に海辺で独り無観客オリンピック、空手の演武を私はしたのであった。
現場に、「空手」と同じく2020 (2021) 東京オリンピックの新競技「サーフィン」の豊橋版プレーヤーもいるなど、立派な会場であったと本文に記されている。
「4人ほど乗っているようなボート」について「カヌー」と呼ぶには難しい。
帰りに「車椅子の未来宇宙」ともパラリンピック車いす競技ともつかない、「空席の車椅子を押す高齢男性」を見たことは、動画に写真が載せられている。
私はスポーツの業界と組織とファン・サブカルチャーといったものを好んでいないが、大会の開催に反対することはしていないし、コロナ禍でも同じである。
2016年のリオ大会までは、『夢想夏郷』と秘封音楽CDのどちらも、2012年や2016年の夏コミに新作が発行されていた。
ZUNもとい博麗神主が「今年はオリンピック」と呟いていた2020年の正月(私が最初にツイートを見た日は同年4月以降か)、原作ファンでも二次創作ファンでも色々な期待を持っていたに違いなかったろうが、1月下旬には日本国内の「新型肺炎」と当時呼ばれた感染症の最初の症例が報告されるなど、翳りが見え始めていた。
2020年の東京大会それ自体も、コミックマーケットのような大きい同人誌即売会の日程に影響あるものであったが、新型コロナウイルス感染症 COVID-19 のコロナ禍では、東京大会の延期も重なり、日本同人界隈のリアル・アクティビティが大きく打撃を受けた形になる。
17.5作目『東方剛欲異聞』、リリースされないで来つづけたことは、東方以外の無関係の作品にもたとえたくなるが、特に示さない。
黄昏フロンティアの海原さんが肉体的に何か懸念を持たれても、2021年8月、YouTube動画で制作の近況が報告されていたので調査すると、Steamで8月中(延期で9月以降)にリリース予定である。
愛知原人さん(黄昏フロンティア『東方心綺楼』で関わっており、私が『妖々剣戟夢想』から知っている)はその作品でも関わっているか、あんかけスパ活動において彼はどういう現況であるか定かでない。
その作品は石油がテーマのストーリーであるとして、2019年の最初の発表の時から記憶されている。
石油産業は、その原油の蒸留(分留)精製品と副産物(または残留物、残油)が色々な用途になっているが、有機溶剤とアスファルト(アスファルトコンクリートの材料であり、他の材料である小石は石油と無関係)とエアゾール缶ガス(液化石油ガス LPG, ジメチルエーテル DME; 化石燃料のうち液化天然ガスもある?)以外は昨今の環境意識の高まりおよび持続可能性の追及から、敬遠されてきている。
例えば、高分子素材(プラスチック類 plastic)はバイオマス由来、バイオプラスチック (bioplastic) としてのポリ乳酸素材、菌類、キノコ由来の素材など、色々と実用化されており、生分解性であるかどうか (being biodegradable plastic? having biodegradability?) ここで問題にしない。
燃料であれば、バイオエタノールとかアンモニアとか、任意のクリーンな方法による発電からの電気など、代替の手段が多く用意されている。
採掘しても尽きない原油であり、採られた分は使うにしても、減産することが主要な動きとして見られる。
原油とかナフサとかと呼ばれる先物価格の銘柄から、有機溶剤の価格が下がればよいものの、無理なのであろう。
それはそうとして、東方Projectの幻想郷は、社会的に「忘れられた」事物が流入するというわけで、実際に世間の風説から石油がそういう扱いになりつつあると看取される。
ひどいよね、石油王が死んだとか、自家用車での燃料使用なんて私も反対の立場なだけで、石油化学産業は十分、歴史的に優れているし将来的にも社会に貢献するに違いない。
サステイナブルのじゅもん「サステナブルブル (某CMのフレーズ)」で犠牲になる/殺されるというものではない。
無論、石油合成でなくても炭素数の少ない炭化水素を生成する酵素とか微生物とか藻類 (ボツリオコッカス・ブラウニー Botryococcus braunii) とか哺乳類(牛のゲップによるメタンが有名)というものは私も過去記事『日本語由来の物質名(化学、生化学、有機化学、その他)』で示しているため、錬金術じみた生化学もしくは化学全般の方法で開発ができる側面も理解している。
実用化が容易でなくて研究作業や投資額が多くないと成立しないことも分かる。
石油産業の採掘現場=第一次産業が重労働であるか、労働者の人権が守られているどうかは、そもそも聞こえてこない。
こういう話題こそ秘封倶楽部の蓮メリ「文科好きの理科系大学生」に似合うのではないか?ということで、お一つ、休日にバイクで暴走する蓮メリの音楽CDをいただこう。
彼ら(彼女ら)は、こちらよりも未来の時間か近未来SFパラレルワールドにいるらしいので、難しいと思う。
『蓮台野夜行』以降の秘封ZUN音楽CDはすでに最後の作品『旧約酒場』(2016年8月13日) から5年が過ぎたが、これはストーリーの無い『未知の花 魅知の旅』(2011年5月8日)を数えた場合、空白時間として過去最長である。
本文に「Aのんちゃんは霊的存在たちに抹消されてしまった。『秘封倶楽部』の二人組は無関係の『秘封倶楽部』初代会長・宇佐美菫子に抹殺されてしまった」とある部分は、この現実世界の状況を指している。
今回は、秘封倶楽部のメリー気分で2021年4月以降に私が過ごしてから、6月10日の真夜中に霊的キャラクターを連れながら外出したことを記す。
『夢記』と言葉の意味が通じる『ゆめにっき』や、東方Project 17.5『秘封ナイトメアダイアリー(中国語圏で悪夢日記, trad. 秘封恶梦日記, simp. 秘封噩梦日记 と呼ばれる)』などのゲーム作品の要素は無いと思う。
そういうわけで、外出当初から意識したのでないにせよ、結果が部分的に「東方二次創作」に相当するので、部分的な原作者が「上海アリス幻樂団」である(理由は末尾で記す)、と明記する。
全体は、明らかに、ノンフィクションベースである。
| 「豊橋野夜行」動画サムネイル (前編) □ |
霊的キャラクター紹介
1. 宇佐美蓮子(秘封倶楽部の一員。視覚化の役者:盆歌ちゃん)
2. マエリベリー・ハーン(通称:メリー、秘封倶楽部の一員。視覚化の役者:エウジェニアちゃん)
3. Aのんちゃん(原作「レトロスペクティブ京都」と二次創作「レトロスペクティブ札幌」とを結ぶ実在個人、関西で半人半霊、今や故人の可能性)
Aのんちゃん流、数学の秘儀
盆歌 Bonka とエウジェニア Eugenia とで、イニシャルBとEとによるEパワーコード。
(1 + 2) / 2 = 1.5, 周波数比 2/1 という完全五度組BとE (perfect fifth pair of B and E)! Q.E.D.
蓮メリという霊マリ、または境界組も、きっとそういう完全V度や協和音のような相性だよね。
「この蓮メリ、髪が伸びている」との感覚…、現時点で最後の作品『旧約酒場』のストーリーにある「髪の毛教、髪の毛の信仰」との関係を否定する。
2021年7月31日に「豊橋野夜行」の先行配信がされた。
https://www.youtube.com/watch?v=xaEwBWPb6wQ
2021年8月31日に「豊橋野夜行」の前編 (1-2, "Toyohashi-no Yakō") が配信された。
https://www.youtube.com/watch?v=od9Lq0v6Rmk
2021年9月9日に「豊橋野夜行」の後編 (2-2, "Toyohashi-no Yakō") が配信された。
https://www.youtube.com/watch?v=URSJ4jhnUsg
Q. 蓮子って地理座標を言うの?
A. 秘封倶楽部の音楽CDストーリーにおいては、現場の座標の数字を言っているように思われない;動画で私は度分秒で座標を言ったが、普段は十進数、十進法 decimal で座標を見る。
ささゆりの里=街女人の辻さゆりさん!
Aのんちゃんと蓮メリでおなじみ、京都市には鴨川と桂川があるが、豊橋市には豊川と梅田川があり、今回、私は愛知県道407号線を南下して梅田川を超え、京都市にも札幌市にも長野県白馬村にも埼玉県鳩山町にも海老名市にも無い海へ行く。
「豊橋野夜行」は、秘封音楽CD作品『蓮台野夜行』からもじって名付けたものである。
公共に資する目的での情報開示: 東方元ネタwiki 2nd, THBWiki (中文)
仏教学で「蓮台野」とは?
日蓮大聖人の著作(御書)「種種御振舞御書」という複数の著作を構成の人がまとめた文献に、「洛陽の蓮台野」とある部分を私は連想する。
同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり
—創価学会. 日蓮大聖人御書全集. p. 916; 他に日蓮聖人遺文 昭和定本からのデジタル化も参照
秘封音楽CDのように「豊橋野夜行」の曲目を挙げると:
1. "黄昏ストーキンガール" (秘封風自作曲+ボーカル),
2. "Alicine East Metal" (東方アレンジ),
3. "うつせみのたゆたえるもの" (秘封風自作曲),
4. "Labyrinthus Chrysanthus" (自作曲、オリジナル曲;ZUNのいうアリスミュージックかも),
5. "望月のプロムナード" (東方風自作曲、ピアノソロ),
6. "Umineko no Naku like You" (インターネットフォークピアノソロ),
7. "Kimi to Ita Natsu" (インターネットフォークソング+ボーカル;夕日と日没を喚起する設定),
8. "Tache-tombo" (インターネットフォークソング+ボーカル),
9. "D Major Medley" (インターネットフォークソング複数からのカバーメドレー),
10. "Hypnotic Reminiscence" (秘封風インターネットフォークソング)
これらは、このストーリーから創作されたものでなく、既存のものを寄せ集めしたものである。
5曲め「望月」とは、実際に、新月、朔の前日に当たる月齢かつ、見上げた空に月が見えた感じのしない(日中には見える?)外出であった。
6曲めは夕日と日没を喚起する設定であり、この早朝と日の出は、厳密に整合しない。
アルバム用の楽曲をこしらえていない点、そこは秘封アルバムと全く似ていない。
かわりに、"黄昏ストーキンガール"などはシングルとして機能する想定である。
無論、アルバムを作るためにこの欄を設けているのではなく、参考程度にするつもりである。
聴いていると変な霊が集まってくる様なCDを目指しました。
[…]
ちなみに、除霊は自費でお願いします。
— ZUN. 『蓮台野夜行』. 2003年.
『豊橋野夜行、県道407号線から山道を経て海へ』
見ていると京都の亡霊たちが憑いてくるような動画作品です。
正しくは、外出動画の集まりが飾られた内容です。
私自身の除霊はどうしましょうか?
「豊橋野夜行ストーリー from 転石博物誌」
京都市下京区の特定の建物に住む、互いに交流の無い二人は、2021年までに亡くなった。うち一人のAのんちゃんは北海道出身者であり、京都市に移住してからは精神体の自己や猫や神々を伴って外出していたが、仇となって彼が神隠しに遭ったと見られる。かわりに私は、京都市内と目される地域に精神体として生きている「秘封倶楽部」の二人組を呼び出して伴わせながら、疑問解決の外出をした。曲名「最も澄んだ空と海」のようでなくとも、2011年4月18日に入ってから一度も出ていない愛知県豊橋市で海を間近に見たい。
夜の街の車、虫、鳥は何がどのくらい?砂浜で歩くと短靴、特にスニーカーにどのくらい砂が入る?計12 km以上の道のりを私が歩くと実際に疲れや時間経過はどのくらい?これだけならばこの都市以外でも調べられる。2つほど特別な調査をしたい。1つは、この都市の市街地が太平洋遠州灘の海岸にかけて畑の広がる平野と40 m以上の高い土地で阻まれていることの調査である。もう1つは、特定の集落の雰囲気の実地調査である。「ささゆりの里」のささゆりが今の時期に開花しているということにも関心があった。夜明けが迫る中、蛇でも狸でも出そうな「ささゆりの里」の調査を放棄した。砂浜の疲れもあり、帰路に寄るつもりでいた特定の集落に行かないで帰ったことは悔やまれる。他は調査が済んだと私はみなしている。短靴や靴下は、少量の砂粒を持ち帰った。切り立った崖の見た目、岩肌と、そこに生えている植物の様子が分かった。
夜道は実に、他人の見守りの無い努力そのものを意味した。私が絵と音楽と疑問解決の人文科学、自然科学など科学分野の実践を行うことを暗示している。方向性が社会的には無いが、私の心の羅針盤ははっきりとそれを示す。この場合、暗い道を行き続けて大海原を目指す。いわば、この夜道を行くことは単なる暗闇を何の頼りも無く行くことでなく、「ズル」に相当する道具がある。スマートフォン!そもそも半分以上は県道407号をその南端まで行くのみであり、道程に限れば難しくはない。とはいえ、道筋は分かっていても、また、想定しうる困難さがあっても、実際にどのような危難が待ち受けるかは、その計画の実践にのみある。私の人生の努力の精神性に関して、他人は尊敬して他人自身に得ないばかりか、理解さえしない。
「秘封倶楽部」の二人組は時々、会話イベントを彼らの間で発生させていた。主に蓮子の「星から時間や月から居場所が分かる」という能力や、メリーの「夢」に関する話題であった。私の見上げる空では、月が、見えない!この2人は同じ土地の同じ時間でパラレルワールドにでもいるか?メリーが蓮子に対してしきりに「地理座標」を尋ねて蓮子が答える。2人の間の話で「リグル・ナイトバグ」「蛍」について話があったので、「内山川のホタル」(6月上旬が見ごろ)というのもいつか見られればよい、と私は思った。メリーが過去に「霊能者サークルだけど、普通みたいに除霊や降霊とかは好きじゃないの」と言っていたが、私はその嫌なことをしていないか、考え直している。「秘封倶楽部」の二人組は4時過ぎの夜明けとともに「時間外の活動はしない」と言って私と別れた。ちょうど「ささゆりの里」看板前にいたので、「結界」の穴からどこかへ帰ったろう。目的地は「蓮台野の入り口」であろう。4時6分に私は砂浜を踏みしめた。私が「山」と例えている海食崖の岩肌は、歴史的な水墨画にありそうで無い光景を作り出している。砂浜は、ほぼ砂丘や砂漠の状態であり、傾斜があるところは足をさらわれそうになる。浜と帰路とで、私は京都市の亡霊Aのんちゃん魂トランス状態になっており、この間に、「書道の極意」「八咫烏の眷属」などと言う。Aのんちゃんは市街地や山間部や港で撮影をしたことがあっても、砂浜では一度もない。Aのんちゃんは幼少期と36歳の時に猫を飼っていたが、幼少期のネコ個体の霊を彼の外出で使役していた。「月の妖鳥、化猫の幻」という曲名は蓮子とメリーを指すそうだが、謎の野鳥「ぴーちゃん」と彼の猫霊「フェスマーくん」を私に連想させてしまう。
この海岸には海難事故の救助任務で命を落とした人の追悼の詩が書かれた石碑がある。『蓮台野夜行』ストーリーの後半では、秘封倶楽部の2人が西行法師と思われる誰かの墓に手をかけたが、私はそれをしない。旅の情緒は普通、日本だと和歌を詠むということになるが、そういう発想が私の中で2015年ころから薄れているので、私は特にしなかった。「激さや 崖にしみ入 波の音」とでも詠めば満足いただけるか?2015年の私の思い「類想句は駄句だなんて誰が言うか?」、パロディの狂歌や辞世の句はたくさんあるのだし、許していただきたい。出羽国の立石寺(今の山形県内)に来た松尾芭蕉は、まさに、そこで遺体の一部が眠る慈覚大師の弔いを『奥の細道』の歌として詠んだのであった。日蓮大聖人の御書「慈覚大師事」で「世間に云ふ、御頭は出羽の国立石寺に有り云云」とあるが、現在では比叡山の「慈覚大師円仁廟」に頭蓋骨があり、立石寺で残りの骨と木造頭部が見つかったとの事実認識がされる。私も弔ってあげよう、前澤光昭さんを。また、Aのんちゃんを。北海道釧路市、厚岸町などの海に、この海岸から瓶詰めの手紙、ボトルメールを流れに乗せて届けられるのか、試さない。彼が「伊勢神宮の歴史と格式」と憧れる伊勢市周辺に漂着するか?田心さんによる彼の辞世の句「ありがとう荒木の望むあした夢、あの世に逝ってあゝ左様なら」、2021年6月作。「西行法師の桜」ならば?"Un Apricocco Sulla Collina"歌詞をよろしく。
思えば、私は埼玉生まれ、豊橋住み。Aのんちゃんと、「秘封倶楽部」を語る太田順也(ZUN 長野県生まれ)、彼らは20歳前後のころ、施設入所や大学通学のために埼玉県に住んでいたが(それぞれ所沢市、東松山市)、後々、ほぼ埼玉の話をしない。また、「東海道本線」「卯酉東海道」という形で東海道に関する事象から静岡県に関わっていた。Aのんちゃんは関西への移動前に都内から乗った「東海道本線」で静岡県の沼津駅前で野宿し、ZUNの『卯酉東海道』ストーリーは関西から出た電車の静岡県内らしい富士山の見える土地から始まる。そう東海道に関する事象から静岡県に彼らは関わっても、二川宿や吉田宿を有する隣接自治体の愛知県豊橋市は「豊橋とばし」となる。生きていれば両者とも2021年時点で40代…、こういった共通点を持っている。埼玉生まれ、豊橋住みの私がこのような外出行為をしたことは、彼らへの皮肉である。Aのんちゃんは霊的存在たちに抹消されてしまった。「秘封倶楽部」の二人組は無関係の「秘封倶楽部」初代会長・宇佐美菫子(関東在住=関西に対比)に抹殺されてしまった。後者に関しては私の憶測であるが、『旧約酒場』と『秘封ナイトメアダイアリー』のアートに共通する血しぶきは、こういう凶事を容易に連想させてしまう。皮肉である以上に、私は弔意を示し、この弔意がそれらの精神体を誘引していた。Aのんちゃんが沼津駅で下車する日=2017年8月30日、東京都目黒区の大鳥神社で「神社の封印を解除した」と言っていたが、私はそこまでする意図を持ちあわせない。
行きと帰りとの大部分は、「愛知県道407号伊古部南栄線」を通った。別名、「野依街道」。野依良治さんを連想させるが、梅田川以南に「野依町(のよりチョウ)」があることによる。豊橋市民にとってのノーベル賞受賞者は、野依良治よりも小柴昌俊である。のより、のんほいパーク、Aのんちゃんで『のんのんびより』…、もはや何も関連性が無い。このように旅の記録をエンタメ、カルチャー、サイエンスで飾りたがる感性は謎である。この県道は、北端が国道259号線、南端が国道42号線に接続しており、両者は「地獄(ジゴク)、死にゴー」などと語呂合わせされている。なんともおぞましい。こういうナンセンスな話もしたくなる。
植物相 (flora) と動物相 (fauna) に関しても記録がある。田んぼでカエル(蛙、かえる)の合唱が盛大であった。コウモリのような飛行する影の目撃は、2時30分ころの豊橋市野依町字細田10、ポップリベット・ファスナー株式会社の施設(イオン豊橋南店の南隣)を見ながら傍を通過するように県道407号を歩いているときである。全体の多くの場面で、虫の飛び出しに遭遇した。暗い時間帯で頻繁に、草や低木や樹木の茂みでガサゴソ、バチッ、ドサッという音を聴いており、ヘビ(蛇、へび)など爬虫類なのかカエルなど両生類なのかネコ(猫、ねこ)など哺乳類なのか鳥類なのか、見当がつかない。埼玉県内の「前の家」で子ヘビの死骸を見ることは多くとも、こちらでは一度もないと私は思った後、ヘビの死骸を見た際に動画記録(5時3分38秒ころ)を取った。しかし、前の家では成体ヘビの死骸を見たことが無い。これは車道の端で轢死の状態であり、ハエ(蠅、蝿、はえ)がたかっている。幻想郷で早苗ちゃんに「神奈子さま、ミシャグジさま」と同類の動物個体の悲惨な姿を伝えない。「諏訪子さま」のヒキガエルは、北浦和公園でたくさん見られた。先の「合唱」も?その死骸の後は「あやや」が私の前をすごい羽音で通過した。事前に警戒されたムカデ(百足、むかで)に関しては、問題なかった。『東方虹龍洞』のように鉱山の洞窟に入ってね。海岸で見られる動物は、蚊などの羽虫がよいところで、カニ(蟹、かに)、貝、魚、ウミガメ、サメなどは見られなかった。帰路である5時37分にキジ(雉、きじ)の鳴き声を聴いた。豊橋市に来て初めてである。私が数百メートル離れまで歩いても別の個体であろう鳴き声を聴いた。そのように海岸でも行き帰りの道中でも、鳥類は前の家に多かった種類のみ鳴き声や姿がある。ウグイス Horornis diphone はともかく、今も名前の分からない種が多い。特に、最初のテンポが速くて後が何分の1ほど、ピッチ(音高)が80%ほどになる「ぴちょぴちょ […] ぴーちょーぶりー […] ぴー、ぶりっぴー(ぶり=ぐり、人間音声 phone でいうと口蓋垂ふるえ音 uvular trill [ʀ] の重複)」と啼く野鳥が、埼玉でも今回の外出中でも気になる。071512動画、ツバメ Hirundo rustica gutturalis の鳴き声と巣の様子。2021061006540000DSC_1017.jpg に見るように、梅田川の橋から、カモ科ハクチョウ属種 Cygnus spp. はありえないにしても、サギ類のような大型の水鳥(アオサギ属のダイサギ Ardea alba の亜種?)や、それより小さいカモ類またはシギ類を含むチドリ類のような鳥(嘴の細さからして後者か)を見た。豊橋市内では三河湾に面した豊橋総合スポーツ公園内に「かもめ広場」があるが、愛知県にカモメ類が飛来したり繁殖することがありうるのか疑問。迷鳥、冬鳥?豊橋西高校の校歌に「三河港の ゆりかもめ」とあるが、ユリカモメという種 Larus ridibundus は、近畿、四国、九州を含む日本各地で見られるそうである。次点で、ミツユビカモメ Rissa tridactyla がありうる。記事 Bg. 2015-02-27に示されたように、ウサギ、ニワトリ系の鳥の放し飼いまたは飼育放棄が前の家の周辺であったが、そういう稀なことはもちろん見られない。海辺で靴の砂を払うなどして休む間、敷物(端材、綿100%)を置き去りにしたことを海から遠くない蛇の死骸を見たあたり(5時4分ころ)で思い出した。車の往来など道路事情がよくないために引き返さなかった。鳥の巣の材料にでもなれば…。行きも帰りも私は、基本的に車道を歩いた。私は車道を歩かないと、ブヨ(ブイ、ブユ)の群れに潜り込みやすいし、茂みからの虫の飛び出しに気づきづらい。帰宅後の家では、ブユの死骸のようなもの1つと生きている小さいアリ1匹を、私が履いていたDickies 874 パンツに接している状態を見た。ヒト以外の哺乳類は、飼われているイヌ(犬、いぬ)やネコさえも、この外出で見られることは無かった。
前の段落は動物相の話になった。植物相に関しては、道中には道中で、色々と花が見られたので、写真を撮ってある。主な被写体にされたものは園芸品種、栽培品種 (cultivar) や移入種 (invasive species) と見られる花が多いと思った。2021061005080000DSC_0988.jpg ギザギザ部分が長めの、ワラビのようなシダ植物かヨモギに見える草の個体が多くある…、と思ったが、文献で調べ直すと、それらとは異なる種の植物であろう。2021061005090000DSC_0989.jpg 畑の作物はサツマイモの苗のように見える。210610_053954_sh.mp4 潰されたキャベツ(玉、結球した生育状態)にはコバエがたかっている。ここで私は『だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!』の話題をした。あれは「冬キャベツ」の話とされる。見られた樹木に関しては何とも言えないが、表浜街道よりも南の住宅地や農地のあるエリアで林の木に変わった形が見られたことが気になる。 2021061003500000DSC_0955.jpg ヤドリギ (Viscum album subsp. coloratum) ?鳥の巣?ナンジャモンジャ、なんじゃもんじゃ?あんにゃもんにゃ?海岸には海岸ならではの低めの丈で花を咲かせる植物が数種見られ、印象的であった。海岸で、その低い丈の花を映した写真は唯一 2021061004490000DSC_0982.jpg である。2つは異なる種の花が写っているので、種の同定をしたい。主に愛知県内を指して「周伊勢湾要素植物群」(地名にもかかわらず三重県の話はあまり見られない)「東海丘陵要素植物群」という用語が聞かれるが、これで目先の疑問の解決にはなっていない。サイト「三河の植物観察 Flora of Mikawa」で「ハマ-」「イソ-」「シオ-」で始まる和名の植物を全て確認したが、それらしい種が見受けられなかった。「"表浜海岸" "花"」で画像検索してヒットしたPDFファイル http://www.omotehama.org/pdf/costvegetation2.pdf に、うち1つ、類似する植物が見られた。黄色い花と、特徴的な草の葉の形であり、マツヨイグサ属のコマツヨイグサ Oenothera laciniata であり、サイト「三河の植物観察」にも載っている。改めて、赤い花弁や萼、萼片などが形態的に一致していると私は判断する。外来種、外来生物、移入種、帰化植物ということで、これを「海岸のナガミヒナゲシ」とでも私は呼びたい。海岸にある漂流物は海藻、ヤシの実じみた木の実、流木などである。塩害の影響なのか塩性湿地植物の種なのか不明だが、海岸の沢の地形の場所で赤い色の茎や葉の種として茎が丈夫そうな植物 (210610_041855_sh.mp4 14sなどに映る) が見られた。「歩き回ってセイタカアワダチソウ、コセンダングサの種をばらまくな!」という環境保護勢力の声が聴こえたか?声主は新しい精神体であろう。北海道美瑛町のポプラ「哲学の木」伐採の原因になった、私有地や農地への立ち入りによるSNS映え狙いの撮影行為に、なたがたは、くれぐれも注意しよう。
多くの詳細や経緯は、私の日記メモ=ライトダイアリーに載っている。
備考
![]() |
| 「ジモ東方」外出案の記録(2021年5月15日作成画像) □ |
今回の外出は「ジモ東方」活動の一環とも位置づけられている。
この名称は「地元、ジモト jimoto」+「東方 touhou, tōhō」という portmanteau の一種であり、今回の外出はそれだけを目的としていないが、内容として「ジモ東方」活動の要素を含んでいる。
2021年5月15日にこの呼称を発案した時点で、私はそのようなことを行ってきたり、新たに行うことを望んだりしていると自覚した。
2013年、埼玉に対してしたように、豊橋でもできることであり、多くの日本国内の土地でも、しやすいと私は思っている。
AのんちゃんとZUNの2名について、埼玉に住んでいた過去と「豊橋とばし」の現状について、「豊橋野夜行ストーリー」で記したことも参照されたい。
![]() |
| 空想地理学、地誌学、地史(2013年作成画像) □ |
2013年5月6日投稿『埼玉浦野宮 (さきたまうらのみや)』
https://masashi.doorblog.jp/archives/26561197.html
2014年6月4日投稿『5月~6月4日の豊橋散歩 ヒキ散歩記事②』
https://masashi.doorblog.jp/archives/38471100.html
動画の途中で、「Aのんちゃん野宿の地、静岡県沼津市」とは限らない「愛鷹山」付近に住む人が「夏の終わりの浜辺、夕暮れ」をイメージして作ったとされる2008年9月3日公開の音楽を再生した。
曲目では、6番目にあたる。
この作者は東方の中でも紅魔郷のような東方風自作曲を公開したこともそれ以前にあった。
この音楽は海を舞台にしたと仮想する『ひぐらしのなく頃に』 "You" 似のピアノソロ・オリジナル曲と私は解釈しているので、セーラー服のJC or JK辻さゆり、カモメの一種ウミネコ(うみねこ, Larus crassirostris)を伴った音楽イメージを2021年7月13日から描き始めた。
2009年の夏、中学1年生の夏休み期間に色々と深夜アニメをTVで見た中に『うみねこのなく頃に』もあったが、ひぐらしのスピンオフと言えないくらいに違いすぎてワロタ、07th expansionによる原作ゲーム群もよろしく。
東方Windows第1作『東方紅魔郷』の正式版とひぐらし原作1話、どちらもコミックマーケット62(2002年8月)頒布で同期、という意外な共通点あり。
Aのんちゃん沼津野宿、彼がラブライバーだからかの疑問には、取り合わない。
私は沼津を抜きに『ラブライブ!』系作品への嫌悪感が強いという経緯を持っている。
2012年以前に一インターネットユーザーが沼津市と比較して豊橋市を愚弄していたことは関係ないが、それにも、取り合わない。
この件、特定アイドルアニメ舞台になる以前の仙台市 vs. さいたま市くらいだよね、という感想。
仙台はA=荒木のんちゃんと無関係の荒木飛呂彦作品の舞台ですって?
さいたまはニンジャスレイヤーのネオサイタマ (Neo-Saitama in Ninja Slayer)? 豊橋はハリー・ポッターのトヨハシテング (Toyohashi Tengu in Harry Potter)? 知らない。
さいたま市大宮駅周辺のロフト LOFT 跡地がラクーン RAKUUNになり、沼津駅前の西武百貨店跡地もRAKUUNになったが、運営の浜友観光が豊橋市に隣接する静岡県浜松市に本社がある以上、旧・丸栄、ほの国百貨店跡地が低い可能性でRAKUUNになる可能性もあるか?
ただし、大宮と沼津の「よしもと劇場」はありえないし、立地が大宮や沼津の例と比べて駅前から遠すぎるし、今の建物は解体されてから文字通り「市街地、商業の空洞化」の一部分になる可能性もあるし(一市議会議員ブログ2021-01-02も参照)、そもそも私が真面目に取り合う話でない。
前の文章を記した後、別の機会『外出撮影の例 2021年2月19日10時19分』動画説明文で真面目に取り合う結果になった。
大宮RAKUUN よしもと劇場で意外なことは、M-1グランプリ2020優勝のお笑いコンビ「マヂカルラブリー」を育てており、片割れ「野田クリスタル」さんが2020年以降、東方Project原作者ZUNさんと頻繁にイベント参加している(下記リンク先ツイートで彼らの一緒に写った画像が載る)ことである。
2011年、私は『らき☆すた』社会現象とやらに憧れて埼玉でも豊橋でも街中の萌えというものを望んだ後、結果が、『浦和の調ちゃん』とか『だもんで 豊橋が好きって言っとるじゃん!』(作者の漫画家はNHK朝ドラ『エール』ヒロインにも絡む)とかの冠タイトル作品だからね。唖然。神回#東方鬼形獣#zunさんプレイしてるよ
— マヂカルラブリー 野田クリスタル (@nodacry) December 15, 2020
https://t.co/M6FmglZYJC pic.twitter.com/ts2asKqHas
その2作品以前には「浦和」を冠する芳文社きらら系作品『うらバン!浦和泉高等学校吹奏楽部』もあったことを埼玉在住当時でも知っている。
別に、今は経済効果といったことを何も望んでいないし、『らき☆すた』を含む少数の作品のみを歴史化しておしまいでよい。
2012年からはアニメを代表とするコンテンツ産業への精神的離反が強まり(1, 2)、2019年以降、全体的に社会での害毒を産んでいる始末(京アニ放火、『鬼滅の刃』アニメ制作会社脱税、『呪術廻戦』アニメOP関係アーティスト バンド メンバー犯罪)なので、主にアニメの「限定的な良い部分」に偏って評価しようなど、私は思っていないし、殊更に悪い部分を責めるつもりもない。
豊橋でオタク系のイベントといえば、国際的には"Japan Meeting of Furries" (JMoF) というものがあり、ケモナー、ファーリーの人たちが国内外から集まる。
のんほいパークと『けものフレンズ』の話は、特にしない。
「豊橋、浦和、仙台」といえば、現在の検事総長、林眞琴さんの出身地や経歴に出てくる都市名でしょう。
色々とこういう話題をしても、結局、私はかねて言う:
大衆音楽・マンガ・アニメなどの商業的な風潮・商業主義に疑問のある人々は、是非とも自己表現の手段として音楽・美術を行ってほしい。
—2019年7月15日記事
絵と音楽の実践を私が中学生のころから重ねながらも (cf. 2014-08-18)、日本のアニメ系コンテンツや音楽産業に資するものは何もない (cf. 公式2014-09-04)。
私による任意の活動について、分野に関連する他人の誰もが、私の存在を望んでいないであろう。
—2020年1月7日記事
背景にあった心理面
210610_040935_sh.mp4 60s でいう「秘封倶楽部の小説」とは、二次創作の作品である『夢現』 2008-08-16. 四面楚歌. を指すが、その作中で別れたメリーを追い求めるような蓮子の心境が、どうも2度めの転校先の小学校から中学校不登校までずっと同じクラスであった上に一時期は私に親密であった、異国風の同級生Sを求める私の心境が重なってならない。
後継の「小類聚・秘封横野夢記」で私は夢を見るメリーの気分でいたものの、同時にそちらの蓮子の気分でいつづけている。
蓮子こそが夢を見る者であり、その中でメリーを追い求めていたということが終盤の話である。
私が文学を含む芸術全般、人文科学を含む科学全般を多く学んだり実践したりすることは、興味という原因や疑問解決という願望のみならず、「私が一生孤独であってよいのか、否!」という強い現実否定にも基づいている(これは侮蔑的な歴史学用語、政治学用語、心理学用語、精神分析学用語の否認主義 denialism とやらではない;対立的な事実の証拠の否定とかをしているのではなく悪い現在の状態や将来の可能性を克服するという意思、願望なので)。
これは『夢現』のエピローグ部分における蓮子の心境を指すものであり、私は時にメリー、長期的には蓮子の気分で生きている。
今までは五里霧中であるし、これからも誰が私を望ましい形で承認するか、何も明瞭でない。
しかし、平和主義、自由主義を基本とした、理性と感性の現実的な行使という中立性の屋根の下で努力を絶やさないならば、それはそれで成長が望まれる。
成長して現実の効用が無いならば、屋根を取り去り、飛び上がり、殺傷事件または化学兵器テロ事件を起こすような堕天使または破壊神(死生観や精神比喩の目線を外すなど真面目な宗教研究の立場には申し訳ない、ブロリーかも)になりうるので、くれぐれも世の中には私を「理想という名の柱」から解放された状態の猛犬にしないでいただきたい。
心理の数理モデル
私の思い出:
良いものは幻軸で座標の正の数
g = (n + n' + n"…) * 0 = 0
悪いものは現軸で座標の負の数
b = (n + n' + n"…) * −1
虚数単位 i が何ですって?
今度は「のんちゃん数学、幾何学」ではなく、「ポストモダン心理数学」ですか?
2020年1月18日投稿の記事には、ジャック・ラカン Jacque Lacan の「人生は0が無理数であるような微積分学…、私が無理数と言う時、正確に虚数と呼ばれるものを指す」という発言や、バーバラ・フレドリクソンらによる"positivity ratio"「ロサダの法則」に関して紹介しており、参照されたい。
メリーちゃんは『伊弉諾物質』(2012年8月11日)のストーリーの冒頭、「信州のサナトリウム」で隔離治療をされていたとのことだが、Aのんちゃんは2012年3月27日より後のしばらく、北海道内の「長野病院」に措置入院をされていた。
信州と長野(長野県はかつての信州、信濃国;実際は人名や無関係の地名の長野なのだろうけど)、謎の共通点、どうしよう。
さゆりさんならぬ山下小百合さん=サユリーちゃんは、2019年、フランスで精神病院に入れられたので、「日本に身寄りがいない」メリーちゃんの逆を演じており、UMIたちはどうも重なっている。
![]() |
| 「豊橋野夜行」動画サムネイル (後編) □ |
「小類聚・秘封横野夢記 from 転石博物誌」
本日4月15日は前日21時18分にPCをシャットダウンして就寝し、3時30分に起床した。6時33分ころからPCをスリープ状態にして仮眠を始め、9時9分に起床した。入眠の前や9:00のアラームの後などで、耳栓をしている状態で感じる家の中からの振動と音に強めの恐怖を覚えた。そういうときに、夢とほぼ同様の感覚もあった。自室の杭(ロープ止め)の穴に鍵がわりのワイヤーロックが装着されていないと2度も思っていたことは、起床以後、実際にそのワイヤーロックが装着されていた。「よく見る現実的な夢」でなく、眠っている状態に近い脳波(計測の実験ナシで仮定)で視覚の情報も届いている脳が想像するビジョンとしては、過去(2020年12月22日メモにいう「半目の悪夢」)に見た「幻覚の重なったビジョン」(足し算型)と反対に、「一部分の欠けたビジョン」(引き算型)になるかもしれない。これとは別に前日、保管菓子1個を見た経験から、「よく見る現実的な夢」で同じ種類の保管菓子が3個も自室にある様子を見たが、こういう事実に近すぎるものの一部分で大きく異なる夢ばかり見てしまうと、あたかも光と闇が反転するような、あたかも内なる何かが胴体を食い破って出てくるような結果になりかねない。明恵上人の著作に『夢記』があるが、数日前、その明恵上人を模した座像の内側から巻物が発見されたというニュースが見られた。関係ないとはいえ、これは実際のニュースの話である。もし私が歩きながら、PCを使いながら眠っている脳波でいることになれば、実に恐ろしい。もし交通事故の生還者で怪奇現象を原因として挙げる者がもしいれば、こういう脳の活動や構造に関して普段から自身を省みないために、いわゆる「居眠り運転」の境界(半目の視覚情報や運転している意識がある)で恐怖の心理状態になる/怖い幻覚を見ることを、「怪奇現象」と当時でも事後でも捉えている可能性がある。私は小学生のころから金縛りの原因を脳に求める説を信じ、2011年豊橋移住以降に初めて金縛りに遭っても、恐怖を強めすぎずに自覚的でいられた。理性でラベリングなどをして対処する術を言うものであり、私が実際に霊的なものとその他に対する恐怖を克服しているとは限らない。
—2021年4月15日
本日4月16日は0時52分にPCをシャットダウンして就寝し、6時台や10時台に目覚めたり、7時台後半に目覚めて8時過ぎに一旦起床してトイレを利用したり、9時台に夢精したことがあり、13時6分に起床した。14時2分、雨の中で謎の声がしたので外を見ると、黒髪ロングの暗い緑色の制服姿(ジャケットもしくはブレザーとスカート同色)の1人の女性がイヤホンを装着してスマートフォンを持ちながら笑っており、徒歩で最寄駅から反対方向に家の前を通過した。その際にたまたま私がいる方を彼女は見ていて目が合ったか不明だが、すぐ、その様子が直っていた。なお、顎マスクで傘を持っていなかった。バックパック–リュックサックにDickies ディッキーズみたいなロゴが見えた。10秒ほどの間隔で中高年っぽい男性1名が後から通過した。本日の夢精の原因を言うと、私は性的な夢の記憶を指す。今回の内容は尾行と撮影(盗撮じみたもの)であるが、相手にバレても構わない的なノリの愉快犯じみたものである。別の夢でDickiesのパンツを履いて外出するかどうかの考え事もしていた。起きてから「愛知県犬山市の市立中学校の男女自由制服の件はどうなった?ガッコでスカート男子は男子生徒からスカートめくりを…」などとも考えていた。14時2分のできごとは、こういうのの正夢とか具現化に思えなくもない(NHK NEWS WEBにまた「僕がスカートをはく理由」などという記事が投稿されていて具現化しすぎ)。
ああ、前日メモに言う「あたかも光と闇が反転するような、あたかも内なる何かが胴体を食い破って出てくるような結果」は今ではないし、これら記録が虚言でもないので、心配なさらないでくれ。統合失調症じみた無関係なものの結び付けや幻覚でもないので、安心なされ。眼や耳で捉えられた「事実」と直感的なラベリングを、わざわざ神経学的もしくは心理学的もしくは哲学的に疑ってみることを繰り返したくは、ないね。来週の平日は雨の確率が低いという天気予報を信じて、少し、そういう方向で考えたい。今更だけど新曲「黄昏ストーキンガール(仮名、歌詞と音楽は完成ずみ)」に乞うご期待。自らストーカーと思いながらも犯罪にならないグレーゾーンでいたいために、「外の事物に興味が深すぎるだけだから」とも思っている。
—2021年4月16日
本日5月12日は前日20時49分にPCをシャットダウンして就寝し、4時16分に起床した。起床時のアラームを4:05, 4:10, 4:15と三段階にすることで、起床以前の意識が一時的にでも起床に向かいやすいようにしたので、最近の中では覚醒から起床の間の時間が短くなった(前日は2:05, 2:10に鳴らした結果が再び入眠するものでひどかった)。なお、4:05の第一アラームが鳴る前に私は、時間を読み上げる夢を見ていた。詳細には、前の家の私の最初の部屋のようなところにいて停電するほど強い「頻度の高い雷」と風と雨とがあって部屋の内外に強く注意していて、しだいに晴れてくることを察した。満月が私の体の向いている方角(東より)の空の上の方に目立って見え、雨もひきつつあることが分かり、スマートフォンのようなもので写真を1枚撮影してすかさずビデオモードで録画を開始し、そこで時刻の数字を読み上げようと「1:15」という夢の中で早朝だと思っているのにそうでない数字を見た。「時差でもあるか」、と思いながら読み上げようとした途端、現実世界で私のスマートフォンからアラームが鳴って強制終了した。デジャヴュですか?東方二次創作『夢現』 2008-08-16. p. 17付近のそれを思い出す。以前(2021年4月15日メモ)のこういう話も、結局、そういう作品を念頭に置いていた。起床から1時間以上、左膝ふくらはぎと足首前側の筋肉痛が気になっていたが、その後は右肩甲骨の範囲の筋肉痛(肩甲下筋 subscapularis muscle など)および関節痛が強くなった。
—2021年5月12日
本日6月6日は前日20時14分にPCをシャットダウンして就寝し、4時21分に起床した。この就寝時にスマートフォンで記したメモがある:「最近5日以内で何度か金縛りとそれに近い現象があった。最近のそれらの発生のとき、私は眠りの意識から遠いような近いような状態でいた。特にこの文章を打つ5日21時がそれ。その間の思いは、往年にも増して悲しみが含まれ、荒木や水口に生々しい想像をしていた経緯からの心霊現象である。理性もあるので1分以内にその力で金縛りを解くが、もう闇に飲まれつつあるのでは?メリーちゃんよ。『私は誰よりも人情にかからず、色々な精神作用の対象に触れられず、ここで朽ちるだけだろう』、と光の無い部屋の隅にいる人間が声をこだまさせるビジョンを伴う。金縛りの状態で私は、外の弱い光で映る自室を視覚的に見ている。女児Sという主観的に偶像化された、遠い記憶の実在人物は、しぱしば私のそばに寄っては、途方もなく遠くへ去るようだ。この10分前にも、そういえば一度、金縛りがあった。私の精神は神経を通して肉体へ必死に指令を送り、腕を浅く持ち上げ、声を家の他人に聴こえない程度にしぼりだしていた。同じような翳りの強い自分の右手を見た。日付上の前日のいつごろかにも、PCの前で横臥している間の金縛りでも視覚的な情報または記憶が伴い、『或る方角の窓』の障子に助けを求めるムンクじみた複数の顔を見いだしていた。その同じ日で他にも、似た要領で段ボール箱に顔を見る現象があった(おそらくパレイドリアに相当するものでない)」。「メリーちゃん」の件は、最近の日記メモにおける睡眠夢に関するメモを参照している。
—2021年6月6日
記事の題名にある「神経科学」とは?日記メモ言及例:
6時10分台、作業の案について悩みながら横になっていると、意識が遠のいてゆき、視界に意識を移すと障子の桟の交差する模様・規則的な模様が揺らいで見えたり、黒いコートを左目で青・右目で黄色(それら色調の状態で高い彩度S = 255/255 に原色に近い限りのやや暗い明度L = 200~230/255)捉えて境界が元の色であるような見え方(そのような映像の異変の原因は視細胞・視神経・脳神経のいずれに求められるかと言えば色々と考えることは可能;立証は神経科学や認知科学の専門家でも困難か)があった。このような疲労困憊の現象または寿命で死ぬ直前の知覚のような(仮死体験に近いかも)経験は過去にもあったろう。
—2019年10月4日
2020年11月1日投稿動画『起床前や夢の時間に脳内で流れた音楽を自作曲にした6作、歌詞も含まれる』の説明文にも何かしら、ある:
https://www.youtube.com/watch?v=DyvJCNcSR0U
表題にいう「起床前」や「夢」の時間がどういうものかを、動画中での曲の例とともに説明しよう。
「起床前」は「覚醒直後」に近似し、いわゆる「まどろみ」の感覚に支配されている状況が多くある。
"Song20180313"と"Song20200821"と"Song20200925"の原点は、「起床前」に脳内で流れた音楽に該当する。
"Song20180313"のメロディに後で歌詞を付けたが、当動画では歌詞の歌唱でないオリジナルバージョンで紹介する。
「夢、夢見」は、私の日記メモに「起床直前にレム睡眠とも呼ばれるような状態(脳波計測なし)…2020-06-19」、「その音楽の最中は睡眠時に夢を見るときと同じ感覚(いわゆるレム睡眠時で私が覚醒時と同じ意識を共有することもある)であったに違いない(神経科学などで脳波などを計っているわけでない)…2020-05-27」、「押入れ就寝時の考え事をしていて、その意識が20時台・21時台であった。無論、夢の一種(レム睡眠下の意識)として考えられなくはない。その時の考え事の内容は、あっという間に忘れている…2017-05-15」などと記されるような状態を指す。
"Song20181121"と"Song20200501"と"Song20200608"の原点は、「夢見」に脳内で流れた音楽に該当する。
この3つはいずれも歌詞が夢の中で再生されており、起床以後に復元したり、公開するまでにオリジナルと少し異なる修正を加えるなどがされている。
例えば、"Song20200608"「パリヤノーン… (pariyanōn…)」という夢の中で再生された歌詞は、フランス語歌詞 "Paris est non, Paris est non, Paris est non la sexuée" [pa.ʁi.ɛ.nɔ̃. … pa.ʁi.ɛ.nɔn.la.sɛk.sɥe] と復元および修正された。
[…]
この他、眠い時に仰向けでいて意識が沈みつつも起きたいと精神的に抵抗している状態で、音楽が脳内で流れたりすることもある。
これは当動画の案が生じた後の2020年9月10日にあり、"Dirt or Girl"という名の自作曲"Song20200910"になっている。
オマケとして当動画でも紹介する。
みなさんお待ちかね、デスメタルですぞ!
ちなみに、当動画で用いた絵は、2020年8月31日に紙に描かれ、2020年10月31日にPCでの加工を開始した経緯がある。
絵の人物は言語学ネタ「お姉ちゃん、お菓子」ストーリーの「話し手だった人物 (年下女性、少女、オリキャラ)」である。
[…]
私は自分自身をこの人物の姿で想像することが、今年から多くなっている。
"Dirt or Girl"という名の意味はこのこと(i.e., 野獣と美女)でない。
それでは、私が:睡魔に誘われて地獄に趣くことを甘受するか、美しい少女に満ちた天界を追い求めるかという意味で理解していただこう。
「小類聚・豊橋野夜行 from 転石博物誌」
本日6月8日は […] 3時3分に起床した。7時5分にPCをシャットダウンして就寝し、11時42分に起床した。 […] 海に私が徒歩で行くことに関する物思い「現代日本人は3.11津波被害の記憶に代表される、防災意識が強くあると思う。津波の映像と犠牲者数と被災者の経験談などで、経験していない者のうちにさえ、海辺に恐怖を感じる者がいよう。過敏でない者も、不必要に近寄らないようにする者がいよう。要は、情報機器で津波情報が得やすい、避難しやすい高台がある、津波の進行速度よりも速く移動する手段がある、というのでない私には、自身がどう対処すべきかの不安がある。表浜海岸と呼ばれる一群の海岸は豊橋平野とを隔てる標高最高約90 mの地形によって隔てられ、平野側から全く見えない。高台に相当する崖の多い海岸線で、もし(NZあたりでマグニチュード9クラスの地震が起きるなどで)高さ5 m超の津波が迫っても危機を免れるために、最低限の注意が大事である。それよりも、風が強くなくて月明かりがあるなどの天気はもちろん、人(パトロール警察および狂人)、虫、自動車などのことを念入りに注意しておきたい」。
—2021年6月8日
本日6月9日は前日23時14分にPCをシャットダウンして就寝し、4時11分に起床した。 […] 18時29分にPCをシャットダウンして就寝し、最初の1時間以内に約1時間眠ったが、それからは覚醒状態だったり1度押入れから出るなどもし、最終的には23時1分に起床した。
—2021年6月9日
本日6月10日は寝ない状態で日を越して至る。1時50分から外出を始めた。事前に、経路が示される:まず県道407号線に行き、ひたすら南下し、伊古部東交差点から計2車線ある場合の多い道路を南に進み、伊古部海岸(表浜海岸の一部)に出るような外出。「豊橋市 少年自然の家」「豊橋市 野外教育センター」に進まないように。夜明けが遠ければ、ささゆりの里を見るのもよし。帰路は、東の高塚海岸へ回って北に進み、高塚交差点から西に進み、伊古部東交差点から県道407号線を北上することで帰宅する。
この外出の風景などに関して記そうと思うが、写真や動画の記録がある限りの情報は、ここで記さない(e.g. コウモリ目撃)。多くの場面で虫の飛び出しに遭遇した。暗い時間帯で頻繁に、草や低木や樹木の茂みでガサゴソ、バチッ、ドサッという音を聴いており、蛇(ヘビ、へび)など爬虫類なのか蛙(カエル、かえる)など両生類なのか猫(ネコ、ねこ)など哺乳類なのか鳥類なのか見当がつかない。前の家で子ヘビの死骸を見ることは多くとも、こちらでは一度もないと私は思った後、ヘビの死骸を見た際に動画記録(5時3分38秒ころ)を取った。しかし、前の家では成体ヘビの死骸を見たことが無い。これは車道の端で轢死の状態であり、蠅(ハエ、蝿)がたかっている。海岸にある漂流物は海藻、ヤシの実じみた木の実、流木などである。見た目としてカニ(蟹、かに)、貝、魚、ウミガメ、サメなどは見られなかった。海岸で最初に見た人は釣り人であり、後で人の多いあたりからサーファー、遠めに4人ほど乗っているようなボートが見えた。伊古部海岸にある物体のうち1つは「エールオブジェ」(NHK朝ドラ『エール』より)と言い、2020年8月2日ころに設置されたようである。帰路である5時37分にキジ、雉の鳴き声を聴いた。豊橋市に来て初めてである。私が数百メートル離れまで歩いても別の個体であろう鳴き声を聴いた。海辺で靴の泥を払うなどして休む間、敷物(端材、綿100%)を置き去りにしたことを海から遠くない蛇の死骸を見たあたり(5時4分ころ)で思い出した。車の往来など道路事情がよくないために引き返さなかった。鳥の巣の材料にでもなれば…。行きよりも帰りは交通量が多く、海岸目当てと思われる自家用車がまばらに見られ、スポーツカーや、同じ見た目のトヨタ・クラウン2台が前後に連なって走行する様子(不鮮明だが2021061005450000DSC_1006.jpgに写る)も見られた。行きも帰りも私は、できれば車道を歩きたかったので、覚悟をしていたが、6時30分台あたりで短くクラクションを鳴らされた。運転手はサングラスの兄ちゃん。親切心であるよりも。「煽り、あおり運転」と同じような心理からの行動か、車道歩きに対する牽制かもしれない。「コリジョン、ノイズキャンペーン」という集団ストーカー陰謀論を言うつもりは無い。私は車道を歩かないと、ブヨ(ブイ、ブユ)の群れに潜り込みやすいし、茂みからの虫の飛び出しに気づきづらい。4時50分ころの海辺は涼しさの極みだが、帰路でしだいに強まる朝日の日照りは歩く私の体力を奪う。結果的に、7時31分に帰宅した。家ではブユの死骸のようなもの1つと生きている小さいアリ1匹を、私が履いていたDickies 874 パンツに接している状態を見た。靴下の中に砂が入り込むなどもあるが、タオルケットを広げた状態で私は数十分程度、横になり、乱さない程度に砂もその上に落とした。7時50分ころ、食事をしていなさそうな弟が外出したが、作業所ではないかもしれない(徘徊行為であるかもしれない)ので先述の通り、横になっている。体が休まった8時10分台からぼちぼち、色々と整理をしたり、砂が入るなどして汚れた靴を掃除したり、洗濯機作動をした。靴 (Mobus, Hannover) に関しては「砂丘のような砂浜を700 mほど歩いた」という経緯とともに、靴にどんな影響があったかをレビュー文案に追記した。砂浜はブーツやハイカットスニーカーか、人によっては洗えるサンダルが適している。9時台に自身の顔にニキビが増えている状態を確認した。毎日気にしている以上、ここで中規模1つと小規模2つ(膿が出る)が起きていることで、外出に関連したマスクにきび(マスクネ、マスクニ maskne, mask akne)ではないかと感じた。外出の間は頻繁にマスクを外していたとはいえ、累計の着用時間が長いことに違いない。
10時10分にPCをシャットダウンして就寝し、12時台や17時台に目覚め、18時41分に起床した。多少の筋肉痛は下肢などにあるが、深刻なものではない。喉には渇いた痰のようなものが絡んでいたりなど、今の体調には風邪にも似た独特な雰囲気がある。22時22分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、24時2分に自室へ帰った。
—2021年6月10日
記事の起草日は2021年8月6日である。
(部分的でも)原作者が「上海アリス幻樂団」というサークル(人物は博麗神主 ZUN 太田順也)であると明記することは、東方Project作品の二次創作の慣行にしたがうつもりであるが、その原作者が公式にそれを言及しているか、私は疑問である。
「二次創作・使用のFAQ」が、過去、外部のユーザーによって公開されていたこと(同じユーザーの新しいサイトにも公開される)が、原作者の公式サイトからのリンクで分かるので、それについても参照されたい。
これは、中国bilibili動画での使用規定(原作者本人が監修もしくは許可したという根拠は見づらい)の原案にも相当する。
原作者が言及していた経緯を確認したので、その疑問は解決された。
内容を過度に気にすると、矛盾や二重基準も出るわけで、それに関してはここで詳述しないし、多くの二次創作界隈で許容されていることになるが、キャラクター性格や外見に焦点を当ててみると、東方旧作キャラクターに「竹本泉」作品そのままのものが多いことが最大の疑問である。
今回、「蓮メリ」視覚化の役者として「盆歌」「エウジェニア」が動員されたが、この2名は2021年4月30日、純然と私の想像から生まれたわけであり、東方原作と関連していないことについては、将来の絵の練習記事で説明されるとともに、ここでも明言する。
「豊橋野夜行ストーリー from 転石博物誌」文案は2021年6月下旬から書かれたと思われる。
記事の起草以後、「秘封横野夢記」(『秘封ナイトメアダイアリー』と『夢記』より)、「転石博物誌」(『燕石博物誌』より)などと私は、見出しごとにエニグマティック (enigmatic, ZUNカナ: エニグマティク) な名前を与えた。
「転石」は、由来の「燕石」と音読みで /-VC/ 発音の同じ字を選んだことが理由であるが、同時に、役者の盆歌とエウジェニアがパンクまたはメタルのサブカルチャーを示唆するので、ロックンロールのバンド名「ローリングストーンズ」の直訳の名前でもある。
なんと執筆中にそのバンドのドラマー (80) が亡くなった。
…人物としては知らないのだけれども、精神体とか霊体のキャラクターが増えるのではないか?
今更、言うのも難だが、"Touhou" (rather than "Tōhō") 英語圏ファンダム (English-speaking fandom) で愛称「メリー Merī」がなぜかメリークリスマスの"Merry"で綴られている。
日本人は普通に童謡「メリーさんのひつじ Merī-san no Hitsuji」の英語名称「メアリー Mearī (Mary, as in "Mary Had a Little Lamb", the name is equivalent to マリー Marī "Marie" in German and French)」に比較する(過去記事2021-06-04でも東方と無関係の曲名にある「メリー」ついて同じ説明をした;正確な言語音声はIPA表記を参照、日本でのカナ慣習の話)であろう。
夢見、夢現に関連するキャラである点からも、Mary であれば、悪夢 nightmare の -mare という部分(それ自身の意味は「夢」でない)と文字列が重なるし、そういうつながりも感じられる。
※日本国内で、眠り、睡眠のために羊(ひつじ、ヒツジ)を数える習慣があることを引き合いに出そうと思ったが、"sleep". "sheep"という英語ありきらしく、"lamb"に結びつける気にならないでやめる。印象としては関わる。
"Touhou"英語圏ファンダムは「マエリベリー」部分を"Maribel"と推定してラテン文字をあてている (unofficial) 点からも、"Merry"よりは"Mary"が近いであろうと思うが、結局、"Marguerite, Margaret"系の名を"Peggy"とペットネーム pet name で呼ぶ伝統がある言語に、この話をしても意味が無いか?
自称オリンピックアニメの『夢想夏郷』関係者は、いかがお過ごしであろうか、と暑中/残暑お見舞いを申し上げる。
一足先に海辺で独り無観客オリンピック、空手の演武を私はしたのであった。
現場に、「空手」と同じく2020 (2021) 東京オリンピックの新競技「サーフィン」の豊橋版プレーヤーもいるなど、立派な会場であったと本文に記されている。
「4人ほど乗っているようなボート」について「カヌー」と呼ぶには難しい。
帰りに「車椅子の未来宇宙」ともパラリンピック車いす競技ともつかない、「空席の車椅子を押す高齢男性」を見たことは、動画に写真が載せられている。
私はスポーツの業界と組織とファン・サブカルチャーといったものを好んでいないが、大会の開催に反対することはしていないし、コロナ禍でも同じである。
2016年のリオ大会までは、『夢想夏郷』と秘封音楽CDのどちらも、2012年や2016年の夏コミに新作が発行されていた。
ZUNもとい博麗神主が「今年はオリンピック」と呟いていた2020年の正月(私が最初にツイートを見た日は同年4月以降か)、原作ファンでも二次創作ファンでも色々な期待を持っていたに違いなかったろうが、1月下旬には日本国内の「新型肺炎」と当時呼ばれた感染症の最初の症例が報告されるなど、翳りが見え始めていた。
2020年の東京大会それ自体も、コミックマーケットのような大きい同人誌即売会の日程に影響あるものであったが、新型コロナウイルス感染症 COVID-19 のコロナ禍では、東京大会の延期も重なり、日本同人界隈のリアル・アクティビティが大きく打撃を受けた形になる。
明けましておめでとうございます。今年はオリンピックです。メダル目指して頑張ります!
— 博麗神主 (@korindo) December 31, 2019 (時差あり、おそらくGMT = UTC±00:00)
17.5作目『東方剛欲異聞』、リリースされないで来つづけたことは、東方以外の無関係の作品にもたとえたくなるが、特に示さない。
黄昏フロンティアの海原さんが肉体的に何か懸念を持たれても、2021年8月、YouTube動画で制作の近況が報告されていたので調査すると、Steamで8月中(延期で9月以降)にリリース予定である。
愛知原人さん(黄昏フロンティア『東方心綺楼』で関わっており、私が『妖々剣戟夢想』から知っている)はその作品でも関わっているか、あんかけスパ活動において彼はどういう現況であるか定かでない。
その作品は石油がテーマのストーリーであるとして、2019年の最初の発表の時から記憶されている。
石油産業は、その原油の蒸留(分留)精製品と副産物(または残留物、残油)が色々な用途になっているが、有機溶剤とアスファルト(アスファルトコンクリートの材料であり、他の材料である小石は石油と無関係)とエアゾール缶ガス(液化石油ガス LPG, ジメチルエーテル DME; 化石燃料のうち液化天然ガスもある?)以外は昨今の環境意識の高まりおよび持続可能性の追及から、敬遠されてきている。
例えば、高分子素材(プラスチック類 plastic)はバイオマス由来、バイオプラスチック (bioplastic) としてのポリ乳酸素材、菌類、キノコ由来の素材など、色々と実用化されており、生分解性であるかどうか (being biodegradable plastic? having biodegradability?) ここで問題にしない。
燃料であれば、バイオエタノールとかアンモニアとか、任意のクリーンな方法による発電からの電気など、代替の手段が多く用意されている。
採掘しても尽きない原油であり、採られた分は使うにしても、減産することが主要な動きとして見られる。
原油とかナフサとかと呼ばれる先物価格の銘柄から、有機溶剤の価格が下がればよいものの、無理なのであろう。
それはそうとして、東方Projectの幻想郷は、社会的に「忘れられた」事物が流入するというわけで、実際に世間の風説から石油がそういう扱いになりつつあると看取される。
ひどいよね、石油王が死んだとか、自家用車での燃料使用なんて私も反対の立場なだけで、石油化学産業は十分、歴史的に優れているし将来的にも社会に貢献するに違いない。
サステイナブルのじゅもん「サステナブルブル (某CMのフレーズ)」で犠牲になる/殺されるというものではない。
無論、石油合成でなくても炭素数の少ない炭化水素を生成する酵素とか微生物とか藻類 (ボツリオコッカス・ブラウニー Botryococcus braunii) とか哺乳類(牛のゲップによるメタンが有名)というものは私も過去記事『日本語由来の物質名(化学、生化学、有機化学、その他)』で示しているため、錬金術じみた生化学もしくは化学全般の方法で開発ができる側面も理解している。
実用化が容易でなくて研究作業や投資額が多くないと成立しないことも分かる。
石油産業の採掘現場=第一次産業が重労働であるか、労働者の人権が守られているどうかは、そもそも聞こえてこない。
こういう話題こそ秘封倶楽部の蓮メリ「文科好きの理科系大学生」に似合うのではないか?ということで、お一つ、休日にバイクで暴走する蓮メリの音楽CDをいただこう。
彼ら(彼女ら)は、こちらよりも未来の時間か近未来SFパラレルワールドにいるらしいので、難しいと思う。
『蓮台野夜行』以降の秘封ZUN音楽CDはすでに最後の作品『旧約酒場』(2016年8月13日) から5年が過ぎたが、これはストーリーの無い『未知の花 魅知の旅』(2011年5月8日)を数えた場合、空白時間として過去最長である。
本文に「Aのんちゃんは霊的存在たちに抹消されてしまった。『秘封倶楽部』の二人組は無関係の『秘封倶楽部』初代会長・宇佐美菫子に抹殺されてしまった」とある部分は、この現実世界の状況を指している。
2021年6月4日金曜日
調と性格: A440調性格、現代ポピュラー音楽キーの印象
![]() |
| Dメジャー (D major, ニ長調) は「癒し、青春、青空、青い海」!?Cメジャー、Fメジャー、Gメジャーは「安心」!? □ |
以前の記事では、マッテゾンら著者による古典的な「調の性格論」が任意の時代の任意の調律に基づいて作曲された特定の曲例に基づく、「曲の目録」を暗示したものと理解が示された。
そこでも今でも、当該の性格論を具体的な曲例に対照させる作業を私はしていないが、そこでは、現代であれば現代なりに調の性格論を構築できるという僅かな可能性が示された。
私は改めて、私の管理楽曲と僅かな有名楽曲とで、基準のピッチA = 440 Hz (ヘルツ) と十二平均律=最も現代に普及している調律に依拠した調の性格論を披瀝したい。
以前の記事、同シリーズ:
2020年5月5日投稿『調と性格: 導入編 (2019年10月8日起草、2020年5月3日移植)』https://lesbophilia.blogspot.com/2020/05/key-and-character.html
2020年7月12日投稿『調と性格: シャルパンティエ&マッテゾン&シューバルト本文翻訳編』https://lesbophilia.blogspot.com/2020/07/key-and-character-translation.html
シリーズのうち、本文翻訳編で当記事のテーマに近い話題が示されている。:
基準のピッチ 440 Hzの現代的なポピュラー音楽で、一例としてニ長調 (D major) は静かな状態の水のある場所(昼~夕暮れ)に合うような情緒があった。
本文にも趣旨が記される通り、結局は私の認知する曲例 (管理楽曲識別番号: 926, 954) に依拠した感覚である。
他に、ニ長調 (D major) はポピュラー路線のロック系の青春のような雰囲気に合う、この情緒もギターで一般的なEADGBEスタンダード・チューニング(またはドロップDチューニング)が関係する曲例 (管理楽曲識別番号: 11, 49, 341, 651, 807, 820)に依拠した感覚である。
その後、サンプリング音源とピッチ調整の仕組みを持ったデジタル作曲環境 DAW における問題性を示したが、これに関しては調の性格に著しい影響を与える可能性を考える必要が無いし、有れば後々の話になろう。
サンプリング音源が苦手な方は、ご自分でグランドピアノやアコースティックギターやエレキギターなど、実際の楽器の音(エレキギターは物理的な音を電気の増幅器–アンプやエフェクターなどで変えるに過ぎず、源–ソースはアコースティックなものなので問題なし;ローズ・ピアノ Rhodes のエレピも同様だがモーグ Moog などシンセサイザーは電気回路で最初から音を出力していてエレキギターと異なる)でメロディのフレーズを鳴らせばよい。
キー、調に関してはここで詳述しないが、楽器を演奏する人にとってはある程度、その人の弾きやすさなどで好みが出るかもしれない。
デジタルピアノとしての電子ピアノ(PCM音源などのサンプリング音源またはシンセサイザーやFM音源を用いる)を用いて移動ド作曲/演奏をする人は、トランスポーズで「キー n個分」上げるか下げるかで捉えてよい。
C = Am が±0になるが、E = C♯m が+4であり、B♭ = Gm が-2であると簡単に決まっている。
当記事での調の表記とトランスポーズ対照の表
あらかじめ、E♭ と Eb のような表記ゆれや混交を示すために、この表を載せる。
後者の方が文字コード対応の多さと入力のしやすさで優っているが、正統的でない上に、小文字bはその大文字Bが調の名でもあり(音楽記号♭と♯が歴史上は音高Bの扱いから来るという話はここで割愛)、できれば♭と♯の専用の領域の文字を扱いたい。
C と Am が0であるように、トランスポーズ時の数値が同じであるものが、全音階で同じ構成音である平行調 (並行調 relative key) である。
ピアノの白鍵と黒鍵とが全音階–ダイアトニックスケールを示す場合、その数値でトランスポーズするとその調の音階の構成音に等しくなる。
当記事では、平行調どうしの調を、等号–イコールの記号で繋いで表記することが多くなる。
| Keys (調) | alt. | 和名 | トランスポーズ時の数値 |
| C | - | ハ長調 | 0 |
| Cm | - | ハ短調 | 3 |
| D♭ | Db | 変ニ長調 | 1 |
| C♯m | C#m | 嬰ハ短調 | 4 |
| D | - | ニ長調 | 2 |
| Dm | - | ニ短調 | 5 |
| E♭ | Eb | 変ホ長調 | 3 |
| D♯m/E♭m | D#m/Ebm | 嬰ニ短調/変ホ短調 | 6, -6 |
| E | - | ホ長調 | 4 |
| Em | - | ホ短調 | -5 |
| F | - | ヘ長調 | 5 |
| Fm | - | ヘ短調 | -4 |
| F♯/G♭ | F#/Gb | 嬰ヘ長調/変ト長調 | 6, -6 |
| F♯m | F#m | 嬰ヘ短調 | -3 |
| G | - | ト長調 | -5 |
| Gm | - | ト短調 | -2 |
| A♭ | Ab | 変イ長調 | -4 |
| G♯m | G#m | 嬰ト短調 | -1 |
| A | - | イ長調 | -3 |
| Am | - | イ短調 | 0 |
| B♭ | Bb | 変ロ長調 | -2 |
| B♭m | Bbm | 変ロ短調 | 1 |
| B | - | ロ長調 | -1 |
| Bm | - | ロ短調 | 2 |
A440調の性格論
以下から、A440調の性格論に関して私の見解を例示する。
これに際し、掲載内容の見方について簡単に説明する。
調とその性格を表示する見出しの後に、数字が書かれるが、これは私の保存楽曲識別番号である。
その番号のある曲(ただしその番号と同時に私が曲を公開していることは極めて稀)は、その調であるか大半の部分がその調である曲例である。
その下の ex, で始められる行は、見出しに言う性格の「例外」(ラテン語前置詞 ex に由来、英語 except でも可能;個人的な発想)の同じ調の曲例である。
ex, 曲例は、その中で異なる性格であればコンマ (,) で区切っているが、説明の言葉がついてある限りであり、ついていないどうしではコンマで区切らない。
過去記事および今後の記事でも、同様の表記がされるか、せいぜい保存楽曲識別番号が示されているので、このように読んでいただきたい。
その番号のある楽曲群には:商業的な大衆音楽としてリリースされておらず、20年以内に、日本国内で作られたものである、という共通点がある。
空不問の都会や癒しや青空 D♭=B♭m (短調の場合は少し変わる)
104 107 109 126 151 170 230 241 435 439 467 524 599 630 635 732 735 753 759bar49 765 768 791 795 807 855 926 953;
ex, ClDeLuneを含む月系161bar59 506 587 Lunari-bar40, 350 385 499 619 662 946;
cf., 89(Bm, 都会) 99(Bm, 月) 135(Bm, 都会) 392(Bm, 月) gdo14 gdo32 gdo35;
癒しや青春や青空や青い海 D=Bm (短調の場合は少し変わる)
1 11 63bar29(元ネタではth07_12, th07_13bar34も同じ調) 122 158 249 288 336 339 341 353 383 464 468 523 606 651 656 661=692 691 693 702 707 715 759bar88 760 766 807 808 819 820=1002 857bar21 879 890 913 928 954 984 986 988 1005 1016;
ex, エロティックな印象86 117 263 437 469, 7 89 99 135 392 450 597 644 761bar43 801 949;
cf., 264(Am, 工口)
※池から霧まで水に関する事物でも、清涼感あるものに特徴づけられる。
青空や青い海や若い女 E♭=Cm (短調の場合は少し変わる)
10 19 24 57 76 82 94 116 118 217 304 318 320 329bar22 414=829 422 542 543 560 616 627 629 657 665 697 708 717 720 764 852 859 881 919 929 931 940 1011 gdo21;
ex, 管弦楽でハ管トランペット対応、「英雄の調」など35 118=141 295 399 551 573 636 853 gdo37, 61 419 537 560 697 858 877 941 948;
青空や青い海 E=C♯m (短調の場合は少し変わる)
5 59 258 203 242 270 300 368 556 581 598 640 655 658 689 695 767 797 800;
ex, めでたいハチャメチャ系270 741 742, 333 585 588 611 634 802 876 903;
F=Dm, G=Em は C=Am に五度圏で隣り合い(C=Am にダイアトニック構成音の7つ中6つが同じ)、長調やIV-V-vi進行 (王道進行系) などは安心感のカテゴリに属する。
F=Dmで青い海系は494など稀である。
F=Dm は Dm の調の主音Dがコードとメロディの軸で強調されると、Dメジャーの亜種のような響きになると思うので、割合、安心感+青い海という傾向を帯びたりもする。
特にDm の調である曲例244は、ギターがDパワーコードを鳴らしてボーカルがDピカルディの三度で音符が置かれて全体の声部がDメジャー相当になる、15小節めからの楽節に、そのイメージが整合するので、典型例である。
C=Am, F=Dm, G=Em はピアノ白鍵およびギター標準チューニングの関係で普遍的な響きがあり、特に上記の「青空」に関する漠然としたイメージの一部分には当てはまる。
一部分とは、前述の通り、「安心感のカテゴリ」である。
青空は、他にも人によって異なるイメージを持つ:
・任意の気候の土地の任意の季節におけるみずみずしさとともなる、しばしば風と雲とを伴う青空
;上で特集された4つの平行調 D♭=B♭m, D=Bm, E♭=Cm, E=C♯m が典型例である。そこで言われた「青い海」の要素は、別の話とする。
・高原や高山のようなところで見る空気の薄いことによる光を反射または屈折する気体が少なくなった青空
;Dメジャーと五度圏で隣接するAメジャーは、このような青空を表現しやすい。後述ではAメジャーとA♭メジャーが近いものとしつつ、不気味さのある青空であると言及している。
・砂漠の乾燥しすぎた結果の青空
;調よりもパワーコードやsus4/sus2コード(できればこちら)などでカラッとした印象になる。そこから、青空以外に、大気中に水蒸気の少ない火星のイメージや火山灰におおわれた噴火中の火山なども表現できる。特にsus4コードは、人間が住むに適さない土地のカテゴリに相当する。cf., 音楽館2015-04-13記事での1-7(カラッとした印象とは逆に激しい嵐も例示される). Eメジャーの曲例640は、4分の3拍子の曲であることに加え、sus4コードの多い冒頭のアコギ演奏が、乾燥した地中海沿岸(特にケッペンの気候区分でいうスペインやイタリアの地中海性気候 Csa 相当)の夏を演出している。
・普遍的で安心感をもたらす青空
;既述の通り、安心感の3つの平行調 C=Am, F=Dm, G=Em。
上で特集された4つの平行調D♭=B♭m, D=Bm, E♭=Cm, E=C♯m はキラキラ帯域であると私はみなす。
青空などの例に当てはまらないとしたBm, Cm の曲例99 560 801 949なども仄暗い中でのキラキラ感がある。
反対に陰湿かドロドロだと人々の感じそうな曲が多い帯域を決めたい場合、まず骨組みとしてはEm, Gm があるように今回の調査で感じた。
ギターの標準チューニングE-A-D-G-B-Eの開放弦の音はダイアトニックな構成音にEmが5つを、Gmが3つを含んでもいるので、多少は弾きやすいために私の探した範囲で曲例が多かった(今回は掲載しない)。
これらの平行調の長調では、聴いた印象が少し変わる。
Em, Gm が骨組みである上で、チューニングの差などでDm, D♯m, Em, Fm, F♯m, Gm までは含めることもでき、陰湿な帯域と仮定する。
中庸であり汎用性の高いAm の半音下であるG#m はAm の亜種に分類したいが、ぎりぎり、この帯域に含む見方もできる。
逆にGm はAm の亜種またはG#m を含めた独立の存在、という見方もできる。
なお、Fm と平行調A♭ およびF♯m と平行調A は、D♭=B♭m, D=Bm と五度圏で隣り合うために、青空を想起させる曲例218 305 609=620 622 764が見られる。
雲がほぼ見えない快晴の青空でありながら、すぐに夕立ちになるか夕暮れに変わりそうな不気味さを私は感じる。
2020年7月8日にDメジャーメドレーを作り始めた当時の私は、「Cメジャーは童謡を含む多くの音楽で現代文明の誰もが聴きなれているための安心感、Dメジャーはそこから半音2個高いことの明るさや爽快な海っぽさ。それらの並行調であるマイナーの調は同じか少し変わる」として捉えていた。
そうした時、CメジャーとDメジャーとの間に位置するD♭メジャーはどうであるか、サンプルの少なさもあって納得がつかなかった。
「安心のCよりは半音高いので、少し明るいかも」、「Cより半音低いものも含めて都会的かミステリアスだと感じるかも」という程度である。
以後、積極的に楽曲ごとの調性や音階やコード進行など和声分析を行ってきたことで、機運が高まり、2021年1月28日からこの調査が開始され、多少のサンプルを把握することで定性的に判断しやすくなった。
トランスなど電子音楽–エレクトロニカ系は、Am = Cのピアノ同様のキーボードが用意されて作られるジャンルであり、リアル管楽器やリアルギターなどを主体とするジャンルと比べてそのキーボードを弾くからキー +1とか-1といった考え方で調が決められており、調の名前以上にAm = C依存の特徴を思わせる。
これらのことは、MIDI規格のピアノロールのシーケンサーを用いるDAWから本格的に作曲を始めた世代にとって隔世の感がある。
楽器の特徴や歴史経緯を知らないと、これらのことを理解できない。
始めはクラシック–古典音楽から、ロックやジャズなどのバンド系の音楽まで、多くの楽器とジャンル別にあるジャーゴン的な音楽用語の音楽理論に苦手意識を、その世代は感じるはずである。
その世代に属する私は、歴史経緯など多くを学んで克服し、このような記事を書いたが、他の人がこれを読んで理解できるかは、当人の意欲に基づく。
私は宗教セクトを広く学んだ者であるため、宗教のジャーゴンを包摂して理解できた後、時代差や楽器差を持つ音楽のジャーゴンにも包摂主義で理解して繋ぎ合わせて説明している。
古典的な調の性格論についての結論は、以前の記事に記されたように、それが記述された当時の楽曲例ごとの作曲者が与えたテーマと、作曲者や理論家を含む誰かが演奏した楽器の調律–チューニングとに依存しているものと分かった。
そこにはそこで言える調ごとのピッチ間の音響的な相違(調律に依存するものは周波数の十二平均律に対する差異をセント値で表現できる)があり、現代で再現するには困難である。
正しく調律された楽器またはサンプル音源が用意されない限り。
また、当時の人の聴覚的性質、認知的性質などは推し量りづらい。
現代では現代の調の性格論が言えそうであると思って現代的に調査した私は、改めて当時では当時の人なりに感じられるものがあると思う。
当記事は、A440の音楽が現代に多いという既成事実と、A440の音楽に現代人がなじんでいるという仮定を前提にした。
そこから、私の言説があるものの、古典音楽での「英雄の調」に言及すると、避けられないことが、415 Hzやそれ以下を調律のピッチ基準にしていた過去の例である。
415 Hzが440 Hzの役割を担って調律のピッチ基準にした音楽が多い時代では、A440におけるDメジャー=ニ長調こそが、当時の「英雄の調」であるE♭メジャー=変ホ長調に極めて近似する音響であることになる。
楽譜の演奏の結果であればE♭メジャーはE♭メジャーでよいが、異なる時代の音響的特徴を解釈すると、このように半音異なる調が整合する。
この発想は以前の記事にも記されたので、おさらい程度に今は記す。
現代の楽団や演奏家でA = 466 (or 466.16 or 466.2) Hz の調弦をしたり、調律のある管楽器を用いる傾向がある、などという話も世間に聞かれる。
それに反して、具体的のどこの楽団やどんな演奏家であるか例が全く聞かれない。
バロック期がA = 415 Hzであるとか、A = 392 Hzであるとかも私はそういう話を一応、信じれば、「こうであろう」としか言えないし、軽く触れる程度で終える。
415, 440, 466, 390 Hz はそれぞれ十二平均律での半音や全音の関係に極めて近似するので、これら基準ピッチのシミュレーションはMIDI規格のサンプリング音源再生におけるトランスポーズなどで行えば可能である。
432 Hz, 435 Hzなどの440 Hzにとって微分音に当たる基準ピッチのシミュレーションは、サンプリング音源に含まれたサンプルのオーディオデータがそういうものであるか、以下の記事にあるようなピッチベンド調整で可能である。
2018年12月5日投稿『MIDIピッチベンドで音楽の周波数を調整するための数式 (440 → 432 Hzでの例)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/12/MIDI-pitch-bend-frequency-calculation.html
A440の音楽再生での音楽イメージ絵(他人にとって意味や価値が有るかは別の話、私の中で正直に浮かんだという意思表示)
![]() |
| A440音楽イメージ絵 画像中に簡易説明、掲載ページは下記 □ |
D♭メジャー=B♭マイナーの曲例735を聴いて浮かべるイメージの絵、2017年7月16日
Dメジャー=Bマイナーの曲例661を聴いて浮かべるイメージの絵、2016年8月15日
E♭メジャー=Cマイナーの曲例890を聴いて浮かべるイメージの絵、2019年4月9日(E♭の記号に見えてくる?)、または2018年11月17日
Eメジャー=C♯マイナーの曲例767を聴いて浮かべるイメージの絵、2020年4月28日(未公開)
DメジャーとAメジャーが混ざる曲249を聴いて浮かべるイメージの絵、2017年7月10日(雲の形にDとAがあるかも)
こういった絵を私は、多数、描いた。
「キラキラ帯域」が特に好まれた傾向にある。
他には、調と別の目線で半音階や変拍子の傾向が強い楽曲2つのために音楽イメージ絵(2017年9月23日から開始)を描いたこともある。
E♭メジャー=Cマイナーの曲例57 82 422 657 881 890からは、なぜか特定の髪型の人物(肩甲骨ほどまで伸びた髪型、ウェーブの程度は無~中、フェミニンな容姿)が想起される。
そのような想起は、300 421 524 549 656 658 882などでもされる。
「交差点」の絵も音楽イメージ絵であり、楽曲の調はE♭メジャー、サビからはCメジャーに転調する。
髪形を問わない類似のイメージが、E♭メジャーの曲例で見られる。
その曲例717は「○○ガール」と、明確に若い女性を指す言葉を曲名に含めている。
その曲例320は「メリー」という、「メアリー (Mary, as in "Mary Had a Little Lamb" メリーさんのひつじ)」という名の少女のように理解される人名なのか不明の名前を曲名に冠しており、曲調は少女らしい雰囲気である。
その曲例931は「ヨーロッパの煉瓦のお家、女の子」が焼き菓子を作っているような曲調であることが、作者によって説明される。
この3曲は、M氏、O氏、A氏という異なる作者たちによって作られた。
「キラキラ帯域」と典型例の曲の話が長い、というか、この記事ではそれらの調について語ることでA440調性格の説明の可能性を示したかった。
そういうわけで他について当記事では、説明しつくすつもりが無い。
とはいえ、私は他の調でも同様に曲例を示したいとも思う。
F♯=D♯m の音階には、C=Am にとっての半音(ピアノの黒鍵)の音高が5つあり、D♭=B♭m と B=G♯m に並ぶ最多である。
F♯=D♯m の曲例は、先述の「陰湿かドロドロ」というより、不思議や神秘(D♭=B♭m 曲例107 109も同様の傾向)に類するものではないかと感じる。
202 283 285 327 380 420 465 522 545 550 553 598bar41 676 694 851 898 905, 950
ex, 都会14 466 720bar16 723 726 728, 292(イントロ、Aメロ、Bメロ) 347 637 642 906 1019
※転調の結果で一時的にこの調が現れる曲 (720bar17 822bar25など。後者はYouTube, vxN190ujvV0動画で音と映像とが C=Am に移調されているものの字幕で E♭ から同主調 D♯m に転調している例を確認できる) も多いが、上掲で私は意味を感じやすい長さのパートを含んだ曲例のみを示す。
※上掲の中では、ロック系の曲でギターに用いる標準チューニングで弾きやすいG=Emを半音下げチューニングで弾いた結果のようなものとして466 726 637 642 728 906が考えられる。
手前味噌のようではあるが、以下のように私の自作曲–オリジナル曲から示す。
2014年作の一曲「ピアノとベースとドラムとトランペットの自作曲」
https://www.youtube.com/watch?v=Vx524ldrlXw
2016年作の一曲「At the End, a Star Falls」(以下の動画の1曲め)
https://www.youtube.com/watch?v=VSUm2KE1uDI
備考:Dマイナーの らい○ちゃん楽曲
らい○ちゃん楽曲は以下のように保存楽曲の識別番号の記録がある。
131 139, 262 263 264 265 283 284 285 286 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 412 418 419 420 437 438 439 451 492 495 526 527 528 529 530 531 532 578 579 580 646 667 694 702 703 800 861 862 863 864 865 866 867 868 869 893 894 895 896 897 898;
名義隠し→382 383 384 449 450 504 505 506 507 524;
これらのうち16つが Dm (ここでは平行調 F を除く) の調を持っていて冒頭(一般的には弱起の部分を除く)にDマイナーコード(およびその構成音に通じるメロディやアルペジオや低音部)が用いられている。
曲例:131 262 265 284 325 326 328 330 504 528 531 667 862 863 866 867 893;
cf., Fの曲例 451, F♯ = D♯mの曲例283 285 327 420 694 898, E = C♯mの曲例331 333 800;
これら Dm の曲例には、らい○ちゃんの典型的なロック系(エレキギター中心)とバロック系(チェンバロ中心)の楽曲が多く含まれ、ジャンルや楽器の使用と合わせて Dm の調がらい○ちゃんらしさを演出していると考えられる。
改めて考え直すと、現代ポピュラー音楽A440調性格に関しては、そういうチューニング基準音にC=Amなどの調や和音の名前を付したというラベリング行為に関する印象であり、この限りで量的に言える部分があると私は感じた。
それは個々人がそのような調や和音の集まりである楽曲をどれほど聴いて認知行為を行っているかにも依存するが、外的要素としては定量化しやすいと思った。
当記事では、私の方で証明可能なものとしてDメジャー(および「キラキラ帯域」)が「癒し、青春、青空、青い海」であるとか、Dマイナーが「らい○ちゃんらしさ」であるとかと調性格の一面を詳細に記録した。
Dマイナーの平行調であるFメジャーについては、先に述べたようなものでもある上に、らい○ちゃんの曲例で稀有かつ印象が違いすぎるので、ここではDマイナーと同一視しない。
一般的な音楽でもいくらかの分量で曲例を調べ、個々に印象を捉えてみれば、更に色々な調性格の側面が見えると思う。
備考:Cメジャーでのカノン進行の謎
Cメジャーとその平行調Aマイナーといえば、「普遍的な何か、安心感、童謡」および「真面目、無機質さ、つまらなさ」など素朴さと形式性のカテゴリに印象づけられる、と私は感じる。
Cメジャー=Aマイナーはピアノで白鍵のみに相当する構成音を持ち、初級の音楽教育で定番であり、耳にする機会が最も多いと推定され、それらのことから私にこの印象がある。
カノン進行(パッヘルベル Pachelbel's Canon 由来のそれ、構成の和音について少しのバリエーションが許容される)といえば、Dメジャーをサンプルにする傾向がある。
Cメジャーの調でカノン進行を鳴らす曲は、こちらのMIDIファイルで:57(Fメジャーからの転調、2012年5月作) 422(E♭メジャーからの転調、2006年7月作) 549(2015年10月作) 739(2006年12月以前の作)がある。
他に連想された、某サイト以外の作者1998年作の歌モノ1曲に関してはDメジャーであった。
日本のポピュラー音楽では、1990年代前半の「作詞:S 作曲:O 編曲:H」2曲などがどうしても連想され(ただしGメジャーなど強めの関係調かもしれない)、それ以外にも多くあると思う。
1985年リリースの「通称:金の何アレ」1曲に関してはD♭メジャーであり、同じ調の曲例765の間奏カノン進行が4番目にA♭マイナーコード(Fドミナントセブンスに含まれる和音)を使うようなバリエーション型とはいえ、曲全体は似ないにしても、そのパートのみかなり重なってしまう。
D♭メジャー(半音上)やGメジャー(属調)やDメジャー(属調の属調、または全音上)など、Cメジャーと強めの関係調である調の場合を含めると例が増えすぎてしまうが、それらも含めてそういう歌ものの曲を聴くと、80年代から90年代のにおいが感じられてならない。
私自身、固着の定義をすることは望んでいないので、こういう多少のブレがありうる「認知 (cognition)」に関しても多様なアイデアとして素直に披瀝する。
何せ、音楽は物理特性に限れば和声理論からサンプリングまでの数理に還元できても、基本は人間の感性(個人の内面から社会の共同に関する全般を含む)を第一にしている。
物理学や音響学そのものではないので、それだけはしっかりと反省しておきたい。
この節で私が挙げるような特定の調(および関係調)と特定のコード進行の組み合わせは、ただちにそれだけで特定の雰囲気に繋がる原因となるはずは無いが、やはりこうしてスキーマ的に何か偏向のある認知的特徴が形成されるのではなかろうか?
これこそ、「Cメジャーでのカノン進行の謎」である。
「Cメジャーの調でカノン進行を鳴らす曲」が2000年代以降に作られた場合、意図的に古さを演出しようとその調でそのコード進行にして(なおかつメロディも半音的にしすぎないように)作ったのか、自然にそういう発想がされたものを素直に打ち込んだのか、練習の意図で典型的な歌ものを作ろうとしてそうなったのか、興味深い。
平行調Aマイナーで類例を挙げるとすれば、スペインとかスパニッシュとかと言われるような全音下降進行 [i, VII VI](Am, G, F; 他の人の表記で [VIm, V, IV]) をピアノなどの弦楽器全般で刻みで演奏するものが考えられる。
ただし、半音階的になるアンダルシア終止 [V7](E7; 過去記事の例の通りドミナントセブンス–属七和音を指す) にしないようにする。
[VI](F) に繋げずに [i, VII] だけで繰り返すこともよい。
このAマイナー全音下降進行には、真面目な(やや頑固で熱心な)努力家のような雰囲気が、よく与えられている。
そういう演出には非常にコミカルで有用である、と私は思う。
低すぎず高すぎないオクターブであることも、この印象のための条件かもしれない。
特定のコード進行をA440下の調に結びつけて何になるかというと、改めて性格論を言う場合はコード進行など細かい和声の部分と曲想が、本来は原因として強く関連していることを考えなおす。
いつもの話になるが、私は多面的に考察したいので、A440調性格においても「反対の仮想(反証?)」のようなことが必要になる。
意見:「調号は和声における言語記号」だろうか?
ここまでの調査から、小さな結論または次の研究に繋がる仮説を出したい。
私はDメジャーの曲例から、その調が縁起のよい事物や明るい雰囲気や健やかな環境に最も望ましいものであると思う。
これがなぜなのか、近現代の調性がはっきりとしている音楽の例も年代から加味して考えた。 古典的な「調の性格論」を示す「同シリーズ」(先行研究)記事を踏まえると、私が24歳である2021年現在、イメージが近似するか共通する可能性は、300年以上前であれば低いが、150年以内であればかなり可能性が高いと思う。
1960年代までは、やはり古典音楽に多少の理解がある後に、各々の作曲ということも多かったろうし(その後に音大卒でもそれ以外でも結局、古典音楽を学んでいるのかもしれないが、重んじる程度は当時が強いか)、リスナーも2020年代より強い理解があったと推定できるので、それ相応のヒット作(当記事の話題からいえば、曲想に対して一般的な古典音楽の調とは過度に外れていない調の選択がされている曲のヒットなど;これも私の推定だが)が考えられる。
調律の方法(中全音律から十二平均律まで)や基準音(同時代同地域でさえ異なる調律が多い状況からA440が普及した時代まで)が異なっていても、Dメジャーという和声的「言語記号」は継承および微細な変化によって受容されてきたと思う。
「継承」は文字通りの意味になり、程度の高低については正確な検証がされない限り仮定しない。
「微細な変化」とは、既存の調の印象の曲例に囚われない型破りな曲例の登場による継承と、調律方法や基準音が変わった後に既存の調号に対する調の印象をその差に相応の調の印象を移した(e.g., 基準音が上がった後にCメジャーの印象を半音低いBメジャーに移すか軽微に重複するなど)誤認または無視とが考えられる。
生物学や進化論での突然変異 (mutation, genetic variation) に比較したくなるし、生態学的ニッチ (niche) にも比較したくなるし、言語学の形態論や意味論でも、この種の形態素や単語の置換が見られたり社会に応じた変化などが多く観測される。
言語学で言われるようなことは、フェルディナン・ド・ソシュール Ferdinand de Saussure の説とされる「記号学 (フランス語: sémiologie, 英語: semiology)」の論理でも説明できるが、一般的にそうはされず、他の記号論や記号研究の領域で援用される傾向になる。
混雑した比較方法にはなるが、調号や調の性格–印象に関することも、私にとっては、ソシュールでいう「記号の恣意性 (En: arbitrariness of the sign; Fr: arbitraire du signe)」の強い事象であると思う。
人間のコミュニケーションの中で作られて発展して多くの人間の認知対象になっている言語と音楽は、記号の恣意性を言うことができる。
端的に、十二平均律やA440といった要素の複合の結果でもそれ以外でも長調または短調ごとの音響的特性は、必然性を生じないので、個人の一生から音楽の歴史というミクロやマクロのスケールで認知的に印象が決められる傾向が強い、ということが記号の恣意性である。
任意の長調に対する平行調か同主調かを問わない短調といった両者の間では、調の主音のコードと頻繁に用いられるコードが数理的に整数比の意味で少しの必然性=蓋然性を生じても(いわゆる「明るい」「暗い」という一般的な説明、神経や生理や心理の面で認知的なエラーが強いか弱いかとも言える;協和音と不協和音に代表される音響の数理に関して脳の神経が認知できるという構造が人間とそれ以外の動物にどれくらいあるか別途調査が必要になる)、Cメジャー–ハ長調とDメジャー–ニ長調といった長調どうしの両者の間では、任意の基準音に制御されたラベルの差で蓋然性を生じない。
※無論、古典的な調律の場合は実際にセント値 (cent, a logarithmic unit) のような対数由来の自然数による比較で異なる差が、調のラベルの下の構成音に生じるので、蓋然性を生じる。
※「シニフィアン (能記、記号者 signifiant) とシニフィエ (所記、記号対象 signifié) とを混同していないか?」と言われそうであるが、記号の話をしなくとも十二平均律による調律による音響特性が、中全音律など古典的な調律と違って同じ調(主音が異なるだけの同じ長調または短調、何らかの音階)ごとの差が無くなるという議論が古典音楽研究者によって先にさんざん言われている経緯を私は示している。「cat. 調性格 - やわらかなバッハの会」ページにおける「キルンベルガー」の「平均律は作曲家に長調にするか短調にするかの選択肢しか残さない」という言及(訳者不明、原典不明)、云々と紹介した。古典的な調の性格論についても、同じく、曲想に依拠した結果のものであって曲想を抜きに調の音階だけを聴いて印象を言ってもそれは古典的な調の性格論と異なる、という話である。確かに、シニフィアン側である調のラベルの問題は、音楽学の和声学と別領域に当たる。
音声言語や音楽は、その物理特性のみを言えば、周波数の異なる音波の同時または連続的変化の集まり(cf., 信号処理におけるフーリエ変換 Fourier transform in signal processing)ではあるが、聴覚の器官を通して人間が認知することで多彩に異なる結果を得る。
そこには、進化の結果の先天性(心理学的のみならず生理学的性質を含む)もあれば、所属する社会に由来する後天性もある。
※以前に音声学で「YとWの子音は日本語といくらかの言語で柔らかい」などといった自然物への比較による言語音声の認知的特性を私は示した。ただし、生まれつきの聾者にとってはいかなる音も認知対象でない。
有効利用すれば、キャッチーな音楽の制作はもちろん、ピアノ演奏の「音」のみで意思表示や感情伝達という高度な非言語コミュニケーションにまで利用できる(単に数字を含む文字素を音声信号にするような電話のDTMFなどは別、簡単な情報処理にも利用できる音波周波数であって認知や感情とは別領域)。
調の性格の変遷なども同シリーズの記事で他者によるページの紹介もしながら説明しているが、いくらかのことは改めて研究を深めないと、明らかにならない部分が多いと感じた。
当記事では、Dメジャー=Bマイナーとその前後の特定の帯域を「キラキラ帯域」と呼ぶなどして私が確認しやすい情報をまとめることで、その成果とした。
"D"の記号を解体すべく手に取ると、ドリア旋法 (Dorian mode) への結びつきや、それを意味したアイザック・ニュートン「光学」の例の図のことがどうしても私にとって回避できないし、音楽の歴史に詳しい人も同様であろう。
その辺がDメジャーやDマイナーの印象にどう関わるか、関わらないか、慎重に検討される必要もある。
※J.S. バッハによる、Dマイナー (d-Moll) のBWV 538 (有名でないほうの「トッカータとフーガ ニ短調」) は通称「ドリア調(ドリアン, En: Dorian, De: dorisch, dorische)」であるが、これは後世の人がそう呼ぶにすぎず、全くドリアン・モードでない。有名なほうの「トッカータとフーガ ニ短調」との混同を避ける記号として使われる分にはいいが、どうあっても頭文字Dの名前にこだわる?
ドリア旋法(ポピュラー音楽でいうドリアン・モード)とDの関連性では、Dのドリア旋法を検討すべきか、Dメジャーに構成音が同じのEのドリア旋法を検討すべきか?
Gマイナーの構成音に相当するパートを25小節まで持っている、曲例322は、そのパートがCのドリアン・モードであると分かる。
Gマイナー・スケールと同じ構成音でCメロディ主音を持ち、その六度の音がドリアの六度として確立されることで、五度圏で隣どうしであるGマイナーとCマイナーとにおける中間的な存在としてCのドリアン・モードを設定したい、と私は思った。
当該楽曲の当該パートは、実に私がGマイナーの性格とCマイナーの性格とをどちらも感じうるものであり、しかし、後のパートがE♭メジャーでもある転調がされているので、E♭メジャー=Cマイナーの印象を最後までに強める。
現代ポピュラー音楽での結論と移調議論
現代ポピュラー音楽では、こうした曲例から、A440調性格を多少、読み取ることができ、既成事実化しているようにさえ感じられる部分もあった。
中全音律に代表される古典的な調律などに根差す「いくらかの古典音楽」に、この話が通用するかは、今も何とも言えないが、その当時の「調の性格論」から一部、ポピュラー音楽に継承されて定番化している例(e.g., CマイナーでRPG戦闘曲のようなものや管弦楽などに類似したポップスとロック、「♭♭♭=三位一体の調」「英雄の調」と言ってもE♭メジャーはそういう方向に使われづらい)も少なからずある。
本文での曲例の提示とその解説では、調の印象やイメージに関して「半音」や「五度圏」の隣接による相関性が挙げられていた。
認知的な原理が何であるかまでは説明していない。
あえて言えば、半音の隣接は、運指や音響で近いことが誤認を含む印象の類似–近似を与えたり、五度圏の隣接は、構成音と和音とに共通点が多い。
前者については、私自身、耳コピなどをした場合に、ノートごとに「その音そのものでも、前後の音との比較でも」、半音の差を正しく把握することが完璧にできるわけでないことを自覚しているので、「絶対音感の特徴が強すぎる人以外は、そうして調の認知が伴う」と私は推定する。
A440の基準ピッチで音響面から、認知的な原理が何であるかを私は解明しえない。
2020年9月14日投稿『転調が多い曲にピアノ演奏教育のための移調がどう適用されるべきか』(原案は2020年7月29日)を改めてご覧になってほしい。
「全てをハ長調=イ短調 (Cメジャー=Aマイナー) に移調して楽譜を記してピアノ演奏を教える音楽教授法」は、一般的なグランドピアノなどで、各々の基準ピッチでそのまま、そのハ長調=イ短調の楽譜を演奏するのであろうが、音響的にもそれで問題ないとするならば、やはりA440調性格に相当する音響認知が既成事実化している音楽を聴いて育った多くの人には、ポピュラー音楽で不向きに思われる。
無論、その提唱者が念頭に置いていた「平均律クラヴィーア曲集 (WTC, J.S. バッハによる)」の48曲(前奏曲24 + フーガ24、24の可能な調に対応する)を知らない状態で初めて聴くか学ぶなどする人には、音響的に無問題かもしれない。
私としては、それがされるならば、電子ピアノなどの電子楽器で移調(トランスポーズ、トランスポジション)がされている状態で弾かれることがもっとよいと思う。
相対音感を優先しているタイプの教育者にとっても、これはこれで問題ないと思うであろうが、微妙な絶対音感を持つ多くの人にとっては音楽的成長のさまたげになるとも思うであろう。
ここら辺も、現状、仮定的に私は想像して言うので、実際にどこまで事実性があるかは、科学的な(認知音楽学の)研究が重要になる。
付録
音高–ピッチもしくは音程–インターバルに関する図を作った。
当記事の調の話と、関連させようと思えばできるが、ここで特にその説明をしない。
画像情報やモデリングは、何らかの光のスペクトル・モデルまたはカラーサークル・モデルを採用してもいる(ニュートン Isaac Newton の七色ドリア旋法でDが赤であるような表現に合わせて長調でのIIが赤)。
半音隣型(光のスペクトル)と五度圏型(補色)を示す。
半音で隣り合う位置どうし (appr. 1 : 1.059463)、三全音=対称的な位置どうし (appr. 1 : 1.414214) の音程の関係も、数理的に幾何学的に確認できる。
![]() |
| 音楽対数の視覚化、対数螺旋 logarithmic spiral □ |
他の話題:
和声理論で重要な五度圏に関しても参照されたい。
Wikimedia Commonsまたは私の教科書画像から五度圏@
興味があればこちらのページ?
楽譜に表れた「調性感」で表現したいものが違う、と演奏家が説明するページ。その演奏家は古典音楽–クラシックの立場なので、参考までにクラシック系でどういう考えの人がいるか例示する。
竹内太郎のページ - "バロック時代のピッチについて". http://tarolute.crane.gr.jp/sitenpitch.htm
ジャズ系の音楽の和声を調査すると、調に関しては調性格の型にはめづらい気がした。歴史経緯から、無調音楽がある程度作られた時期の後に大きく発展したジャズは、少しそちらの傾向を私は感じる。また、西洋音楽の中でも「クレオール言語」のようなクレオール音楽として理解したくなる。下記は関連するか不明だがリンクを載せる。
山本, 理人. 小野, 貴史. - "ヨーロッパ近代音楽とジャズ和声における相互関係の研究". 信州大学教育学部研究論集. 第3号. 平成22年7月.https://soar-ir.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2362&item_no=1&attribute_id=65&file_no=1
一般的なポピュラー音楽のディスコグラフィからのデータベースがリスナーたちによって編集されているサイトで大規模な例。曲ごとのページでは、それがそう編集されている限り、調 (key) も記されている。
MusicBrainz. https://musicbrainz.org/
起草日:2021年2月上旬
私をはじめとしたリスナーの直感的な感性で、曲の印象を多くの数のサンプルで収集して原因となる音楽的特徴を調べたい。
私が作曲を行う立場にしても、これは役立てられる。
私自身が可能な範囲でそれに近いことを、今までにしてきたし、当記事は調に焦点を当ててその方法論を示した。
認知科学として妥当な方法は別途、されるとよくてここでは最小限に行った。
また「ファッション(fashion, 任意の英英辞書やソーカルら著で形容詞 fashionable が「非実用的な」という意味であることは別)」のような話を、当記事でもしてみよう。
既製品を企画するのであれ、買い求めるのであれ、オーダーメイドやビスポークの方法であれ、やはり衣服のデザインとか寸法とか生地とかもデザイナーや消費者が役割と名前とではっきり把握していることが望ましい。
または、デザイナーでも職人でも販売者でも、そのように把握することが直感的な良さに繋がる。
天然素材でもセルロース系合成素材でも石油系合成素材でも、物的な特徴などが名前とともに把握されて目的に活かされれば、その限りで良いものである。
音楽でも、作曲者やその他の関係者が音楽的特徴の理解を持つことで、これが生きるが、そちらの有形の物体と違い、音の領域に限れば「物体の振動の副産物を知覚して感想を懐くに過ぎない」と言われる。
ファッションやアパレルのように認知対象が有形の物体である分野に寄せて言えば、確かに譬喩–比喩に過ぎないかもしれない。
私としては実利的な面を上手く創出したいので、こういった音楽を含む芸術分野の認知的価値を多く検分したいと思う。
「実利的な面」の音楽における発揮について、この記事の研究の後、改めて私は発想した。
任意のオクターブの任意の音高(A440)の音を物理的または神経的に鳴らすことで、その後のメロディが紡がれるという作曲法である。
2021年3月24日に「風呂(シャワシャン)」を行っている時に私はこれを発想した。
これは私が多くの音楽を聴いてパターン学習をした結果およびその場の状況に相応する出来栄えになろう。
なぜこの発想があったかといえば、私が任意の作曲コミュニティにおけるテーマの定まったコンテストに楽曲を応募しようと思っているからである。
すでに既存の案があったものの、更に好ましいものを作りたいと私は思っていたので、そのテーマに整合する風景写真のようなものを浮かべた上で特定のオクターブの特定の音高を脳内で鳴らした。
その時の場合、C5のEではEメジャー3拍子のメロディになったり、C4のEではEマイナーの3拍子のメロディになった。
その他に、それらメロディを伴う音楽の細かい特徴については詳述しないが、私はその時にクオリティとしては月並みのものが浮かんだと思った。
何度も試して更に好ましいものが作ることができないかを模索する。
私は着実に作曲法に多くの研究の知見を活かそうとしている。
それらメロディを伴う音楽も、私が知る限りの調の性格に近似しよう。
すでに作ったものはDメジャーで鳴らした時とE♭メジャーで鳴らした時とで印象がだいぶ変わるが、どちらでもそのテーマに問題ないとも思うし、なかなか判断が容易でなかったりする。
「A440調性格」については、記事の全体で、科学的に私の管理楽曲や音楽の歴史などから、反例や反対の仮想(自己反証?)を示しているつもりなので、他の音楽学の専門家が臨床実験なりすればよいと思う。
2018年11月4日日曜日
半母音、響音(鳴音・共鳴音) YとWに関する考察 (やわらかさ)
表題のYとWとは、その音がなぜ日本語に"YaWarakai (やわらかい 柔らかい・軟らかい soft), YoWai (よわい 弱い weak)"という語の音として表れるかといえば、自然言語の道理によるものと考えられる。
Y (他言語異字: J I)
ラテン文字Y字は、ギリシャ文字「ウプシロン Υ (小文字 υ)」に由来し、古典ラテン語では円唇前舌狭母音 [y] (イのように舌が前に来るウ音であって古代ギリシャ語のΥ字の発音。古代ギリシャ語からの借用語に限られる)のために用いられた。
古英語(文献は"Beowulf"など)でも、当の母音 [y] とその長音 [yː] の音価となるが、現代英語のY用法=ヤ行音・硬口蓋接近音 [j] のためにはG字(ġとも)または Ȝ "yogh"を用いていた(同時に当時は他の音のためにもG, Ȝ字が混じって使われた)。
後の中英語や近代英語初期には、イの音 [i] のために用いられた(母音 [y] の音変化 [i] や子音 [j] の表記に用いるなどした経緯もあって相変わらず混じりが多い)。
現代の英語における文字の名称は「ワイ /waɪ/」であり、日本語でもそう呼ぶ(同じ半母音のW音が現れて置き換わった名前であり混ぜこぜ cf. 英語vowel フランス語voyelle)。
当記事では、あくまでも現代英語や日本語ヘボン式ローマ字などでヤ行音・硬口蓋接近音 [j]のために既成事実化して用いられる子音・半母音としてのYとして説明する。
紛らわしさを回避する場合は [y] のような表記(何度も示す通りIPAの音価表記であってこれは円唇前舌狭母音を示す)によって区別している。
※「硬口蓋」の音"palatal"と硬口蓋化した音が、「やわらかい音」の代表であると私は当記事で語りたい。後述のスラヴ語学の用語「軟音」も参照されたい。「やわらかい音・軟音」は「硬口蓋"hard palate"」で発せられる。その「硬」という字が「口蓋」に掛かっている通り、「口蓋"palate; roof"」という調音部位が物理的に硬い部分・軟らかい部分に分かれていることを示す。反対に、「軟口蓋"soft palate"」という名称の調音部位もあるが、これが一般的なK音・カ行音(硬・かたい"Katai")の無声軟口蓋破裂音 [k] "voiceless velar stop; plosive"などを有している。
日本語の学問で「拗音」と呼ばれる音のうち、「開拗音」は「きゃ・にゃ」など「小文字や行(ゃ・ゅ・ぇ・ょ。ぇは母音としてのぇと区別する)」を用いて示された硬口蓋化の音(IPAでは [ʲ] の字が付される)を指す。
ヘボン式ローマ字など、一般的なラテン文字表記では子音字と母音字とに"y"を介して"kya, nya, rya"と綴られるが、「じゃ」という有声歯茎硬口蓋破擦音は"ja"と綴られる(もっと翻字的な"jya"とする者も稀にいる)。
日本漢字音のうち比較的古層のものは呉音であるが、それらのうち語頭が硬口蓋化歯茎鼻音 [nʲ] の発音の字は、中古音ともSino-Japaneseとも呼ばれる音で硬口蓋鼻音 [ɲ] (中古音の学者たちは歯茎硬口蓋鼻音 [ȵ] とする)が想定される。
その字は「に・にゃく・にゅう・にょ・ねん(例は二・若・柔・如・然)」などが当たる。
それが漢音では「じ・じゃく・じゅう・じょ・ぜん」といった、音素「ざ」行/z/となる(歯茎鼻音のナン・ナム発音の字は男=ダン・ダムとなるなど類例があるがそれは鼻音・破裂音の互換であるため別の現象と考えた方がよい)。
現代日本語で「柔軟=じゅうなん"jūnan" (仏教読経: にゅうなん"nyūnan"」と発音する言葉も、修正主義・合理主義的に呉音でいえば「にゅうねん"nyū'nen" (i.e. にゅうにぇん"nyū'nyen" 中古音やSino-Japaneseとしては/ɲiu.ɲen/となろう)」と読まれるべきものである。
現代中国語普通話でも、同じ子音系統の発音で"róuruǎn (拼音 Pinyin による)"と読まれる。
つまり、「柔軟(にゅうにぇん"nyū'nyen")」は、軟らかそうな印象の子音が頭に付く音節を2つ重ねた熟語である。
※当記事のR字の項目でも、この系統の漢字音について再び記す。なお、この日本語学問で開拗音といわれる発音のうちSino-Japaneseで硬口蓋鼻音 [ɲ] のような発音だった漢字は、二人称の代名詞「汝・你」や状態の代名詞・指示代名詞「爾(尔・尓)・若・然」などに見られる。その仔細はシナ・チベット語族の学問に任せよう。そこではシナ・チベット祖語の再構語(二人称代名詞・単数形 *na-ŋ)が提案されている。当記事冒頭に「よわい"YoWai"」という和語の字を挙げたが、これも漢字の「弱い・弱」は漢音「じゃく"jaku"」に対して呉音「にゃく"nyaku"」がある(中古音の例→ 鄭張 /ȵɨɐk̚/ 王力 /ȵʑĭak̚/ cf. 蒟蒻の"蒻 ニャク nyaku")。「柔軟・軟弱」の3字の同一性は、ベトナム語の国語"Quốc ngữ"表記だとみな語頭nh- (硬口蓋鼻音 /ɲ/)であること nhu, nhuyễn, nhược が直接根拠になる。
そのように、発音が状態そのものを指す言葉を「自己言及"self-reference"・自己整合語"autologisch, autonym"」ともいう(後者は日本語インターネットだと英語"Autological word"から翻訳されたWikipedia記事が発祥であり、活字の日本語文献で説明されたことは無い)。
これぞ「ふにゃふにゃ"funyafunya"」、「やわらか"yawaraka"」発音である。
冒頭にも「やわらか」ということに関して同じように説明していたが、「にゃ」と「な」のどちらの方が柔らかい・軟らかい・柔軟だと感じるかは、人の言語感覚で多少の差異があろう。
「柔軟」も、その極端な発音に変えるならば、「にゅうにぇん(じゅうじぇん)」か「ぬーなん(なお軟の"なん"発音は辞書的に慣用音とされる)」となるが、どちらの方が柔らかいと感じるは、人の言語感覚で多少の差異があろう。
ここでは古代からの言語感覚の実例を示すことができたらば、それでよいと思う。
※擬態語「ふにゃふにゃ」の音は母音の連なりによって動的な印象が付与される。"u-a-u-a"という母音の連なりは"口を意識しながら発音してみると実感できるように、狭い母音・広い母音の移動である。もし「ふにゃふにゃ」という擬態語の実物があるならば、それが「ふにゃふにゃ性」を失っている時、多少の音変化を伴って「ぼなぼな"bonabona"」とでも表現できる。現代日本語の慣用句(オノマトペ系)「有耶無耶(うやむや"uyamuya")」と「もやもや・ぼんやり"moyamoya, bon'yari"」を比較されたい。
ヤ行音・硬口蓋接近音の音素 /j/ を有する言語のうち、オランダ語など一部の言語ではY字でなくJ字を用いる。
オランダ語では、条件異音・強調発音として有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] が現れる。
有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] は、標準の音素として同じゲルマン語派のドイツ語 j や、イタリック語派ロマンス諸語のスペイン語 y に用いられている。
音韻学的に少し説明したいことは、「接近音」というものが有声音のうちで最も閉鎖性(インド音声学・梵語でいう接触"sparśā, spṛṣṭa")が弱い=子音性が少ない(半母音"antaḥstha"または"duḥspṛṣṭa")が、その発音の閉鎖性を少しだけ強めると、そのような有声摩擦音になる。
この点で、それらの言語は、「強めの発音」を行った際にヤ行音・硬口蓋接近音の音素 /j/ が異音として有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] になるものか、新たな音素として有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] に変化して既成事実化したものか、ということになる。
Y系の音はロシア語などで「軟らかい"soft ru: мягкий... [ˈmʲæxʲkʲɪj]"」とされる (on Slavic languages)
一方、外国語では印欧語族(インド・ヨーロッパ語族)のスラヴ語派(スラブ語派)の多くの言語に、日本の拗音>開拗音と同じような「軟音"soft consonants"」がある。
キリル文字を用いる場合は、「Ь (軟音符または軟音記号"soft sign") IPA: [ʲ]」に表される。
日本の開拗音といえば、音声学で硬口蓋化"palatalization"による発音"palatalized"を指すが、スラブ語学ではそれらを"softening (柔らかくすること)", "sofetened (柔らかくなった音)"と称するようである(典拠不詳)。
キリル文字において、軟音の発音は「Ь」以外に、平仮名の「や・ゆ・よ(ゃ・ゅ・ょ)」に相当する「軟音系の母音」とみなされた「Я Ю Ё (ya, yu, yoまたはia, yu, yo)」も用いられる。
※「軟音」という語を「硬口蓋化した発音」として用いることは、スラヴ語学に限定される。音声学で「軟音(対義語: 硬音)」というと、これは別の概念を指す点に留意されたい。また、「Ь」字は古代教会スラヴ語で"front yer"として前舌・狭母音の弱母音 [ĭ] を示していた字だとされ、初めから軟音・硬口蓋化を示す字だったわけでないことを留意されたい。似た字形に「Ъ (硬音符または硬音記号"hard sign")」があり、これは軟音・硬口蓋化でないことを示す字だが、先と同様に古代教会スラヴ語で"back yer"として後舌・狭母音の弱母音 [ŭ] を示していた字だとされる。
日本語の「や・ゆ・よ」とロシア語など東スラヴ語群の「Я Ю Ё (ya, yu, yoまたはia, yu, yo)」とは、文字単体の場合に音声学では硬口蓋接近音 /ja, ju, jo/ として扱われるであろう。
日本語と東スラヴ語とにおける硬口蓋接近音が、なぜ母音「あ・う・お (a, u, o)」しか無いかといえば、「い・え(i, e)」は前舌母音(front vowels)として発せられる音であって硬口蓋接近音の硬口蓋化の音と発音の仕組みが似ているためである。
そのため、現代日本語で通常は「いぃ(ゆぃ yi)・いぇ(ye)」を発しない(イェス"yes"とかイェール"Yale"のような外来語か再建された古代日本語ヤ行音くらい)し、キリル文字にも「Я Ю Ё」を主に用いて"yi, ye"系の音の字を用いない。
yi発音 /ji/ はウクライナ語 Ї が有り、ye発音 /je/ はロシア語・ベラルーシ語(2語は異音としてのみ)・ルシン語 Е が有るが、使用(および異音出現頻度)が限定的である。
南スラヴ語群のうちのブルガリア語に関しても、英語版Wikipedia記事に「イェ /jɛ/ から エ /ɛ/に変わること」が示される。
スラヴ語派は、キリル文字を使わない言語も多くあり、それらにおける「軟音」の有無や多寡も別途検証されたい
例としては「鹿"deer"」を意味する言葉に、チェコ語jelen スロヴァキア語jeleň ポーランド語jeleń セルボ・クロアチア語jèlen/јелен (セルボ・クロアチア語のみ南スラヴ語群で他は西スラヴ語群)などがあり、語頭が硬口蓋接近音 [j] のイェレン発音であるが、スラヴ祖語(*(j)elenь リンク先に東スラヴ語群のロシア語оленьなど諸々の例あり)ないし印欧祖語(*h₁el-)ではその音が無かったと推定されている。
「Y発音・ヤ行音(音声学的に特定すれば硬口蓋接近音)」が「やわらかい(軟らかい・柔らかい)」ということは、外国語・西洋言語の中でも言われることが確認できた。
記事の本題・仮説のための一つの根拠としよう。
備考: 中世~近世日本語「あ・い・う・え・お」は"a, i, u, ye, wo"?
先のスラヴ語のうち、一部は印欧祖語・スラヴ祖語でエ系統だったものが現代までにイェ系統になっている言語(チェコ語・ポーランド語など)が確認された。
また、その一方でイェの発音が消失したか条件的に現れる・方言に残っているらしい言語(ロシア語・ウクライナ語・ブルガリア語など)も確認された。
日本語はというと、国語学者・言語学者の一部は中世(ここでは平安後期~戦国時代)や近世(江戸時代)に「あ行=あ・い・う・え・お」が"a, i, u, e, o"ではなく、"a, i, u, ye, wo"のようなものだったと考えている。
そのような雰囲気を私は感じていた(誰々の説かは不確か)ので、当記事の執筆に際して江戸時代の国学の書を見直した。
本居宣長さんの「字音假字用格(もじごゑのかなづかひ)」に「アヤワ三行の差別を明らかにすべきだ」、「オの字はア行であってヲの字はワ行だ(i.e. ア行の"オ o"が"ヲ wo"の音で発せられることは誤り)」、「(梵語への漢字音写について)梵語の長ウ(ū ऊ)と短オ(o ओ この悉曇学でいう短オはグナであって長オはヴリッディau औ)とを混同して空海はどちらにも『汙(新字体: 汚 簡体字: 污 ネット複製には汗と誤植される)』という同じ字を当てる。(中略) ウとオの区別もできない者にオとヲの区別など不可能だ。インド人の宝月(Ratnacandra)から梵語を学んだ慈覚(円仁さんのこと)は『於(平仮名お・片仮名オの原形)・奥』などの字でア行オを正しく表現した。当時の日本人が正しく学べば正しくオとヲの区別をできたはずだ」という見解が示されていた。
※なお、彼は中国・日本におけるア行オの誤った漢字音写の例として「汙」の他に「烏・于」などを挙げてもいるが、現代中国語ピンインでwuとかyuとか中古音・反切の頭音で羽とか雲とか汪とかのようにy系もw系も有るし、於や奥などもそれぞれy系やw系と相互に表現し合う傾向にある。母音についてもo系とu系は「都・図・頭(呉音がu系 漢音がo系)」に代表される相似性がある。時代ごとに異なる反切などが示された韻書・字書の見方を誤って論ずると、循環論法になりかねない。これは本題と逸れる。彼がどう漢字音を認識していたかは、興味のある方が別途考察すればよい。
これら記述が示唆することは、18世紀のころに「ア行オ /o/=音声的にヲ [wo] でワ行オ /wo/と同じ」だったことである。
また、ア行エ"e"とヤ行エ"ye [je]"との混同を示す書に大矢透さんの「古言衣延辨證補(明治40年作という)」があり、そこに「万葉集など上古には阿也(ア・ヤ)二行のエ音を分別して仮名(漢字音写)で記していた」とし、ア行エが「衣(音を借る) 得(訓を借る)」・ヤ行エが「延・要(音を借る) 江(訓を借る)」などであるとしてその詳細が示されていた(その元の話題は奧村榮實・奥村栄実さんの「古言衣延辨」でそちらにも同様の説がある)。
こちらの方は、古典における万葉仮名・など和語漢字音写の区別に関する話題が主立っていて中世や近世の日本語の音価の比定には向かないが、参考までに例示した(なお、後者・大矢透さんの書に「空海さんの時代にも別の音であることが常識的に認識されていて『いろは歌』に"越えて ko-ye-te"のみあってア行エが載らないことから彼は『いろは歌』作者でない」という話も書かれる。彼はア行エとヤ行エが区別されない時代のエ音素の音価を [e] ではなく [je] の方に定めていたと分かる)。
他に、室町時代・安土桃山時代・戦国時代のあたりの新ラテン語(c. 1500-)の日本地図や、日葡辞書などを参照するとよい。
地図のうち"IAPONIAE (JAPONIAE) INSVLAE (INSULAE) DESCRIPTIO."には、令制国の名前など主要な地名が記されており、伊豆"Hizu", 和泉"Hizumi"といった語頭H字が現代フランス語"h aspiré, h muet"と同じような彼らのラテン語発音によって無音のままに付けられていたような表記があるので、この語頭H字を有字無音(黙字)として読んでもらいたい。
その上で「越後"Hiechigo"」は、発音を示すと「いぇちご"Iechigo Yechigo *jechigo"」だったと読み取れる(越前"Hiechigen"・越中"Hietchu"も同様)。
ヤ行の音の比較のためには「大和"Hiamato"」、「伊予"Iyo"」がある。
ただし"Fechi Iouoxima"のIoはジョであって八丈島(現代ローマナイゼーション"Hachijō-jima")を指し、その南の"Iasima"は八つの島=八島(やしま Yashima)で伊豆大島と八丈島の間にある島々(伊豆諸島の一部)を指すと思われる(この地図に描かれた状態としては現代のそれらと大分異なるようだが当時の西洋人が少ない伝聞などから製図したためであり当記事の話題に関しない cf. 1720s J.C. Scheuchzer日本地図"Fatsisio. I")。
「越」の字は、字音仮名遣いで「ゑつ"wetu"(そもそも字音仮名遣いは初めに江戸時代の国学者が宋以前の韻書・反切などを参照して既存の仮名遣いを修正して整備したもの)」であった(cf. 説文解字・広韻: 王伐切・わうばつ→わつ"watu" 越南"Vietnam" QC: Việt Nam)。
このワ行エ"we"のヱ(ゑ)の語頭w-が、中世にはア行エ"e"・ヤ行エ"ye"との区別を失い、すべて"ye [je]"に変化(合流)したということになる。
現代に語頭がオ音である単語に「奥州・近江・尾張・隠岐(字音かな→あうしう・あふみ・をはり・おき)」があるが、それぞれ"Villoxu, Vlloumy, Vlloari, Vuoqui"と、語頭の音の同一・別異を問わずに綴りが不揃いである(しかも後述のW = V, Uの項目やLの項目に示されたラテン語・ロマンス諸語の道理を知らねば綴りの意図が想定しづらかろう)。
それであっても、当時のオ音素は、その音価が語頭V字(U, Wに相当)であることからワ行オ"wo [β̞o, wo]"であったと示唆する(気になる例は大"ō historical: ofo"長母音が反映されていない大隅"Osumi"と大五島?"Ogoto" 豊後"BVNGO = Bungo"と書かれた九州島とその周辺にある)。
これらの情報や、私が未だ示していない情報など(e.g. 日蓮大聖人御書・真蹟遺文 ほかカナ文字の写本類 近世の外国語文献 cf. enwiki: Japanese yen#Pronunciation and etymology)から、確かに中世~近世の日本語に"a, i, u, je , wo (極端な場合はa, yi, wu, ye, wo)"がア行の音であったという説を肯定できる。
中世や近世の日本語で、ある程度の地域・期間にア行のエが"ye"で、オが"wo"ということも、単なる母音よりも強めに発して接近音にした方が良いように感じられたか。
これらの時代の特殊な状況下には現代のハ行音価=喉音系・声門摩擦音 [h] (近似するものに軟口蓋摩擦音 [x])によってア行を発すること(ha, hi, hu, he, ho)もできたろう(先のフランス語など中世ヨーロッパ言語の有字無音hを比較。中古音などにおける一部漢字音はh語頭らしいものが呉音でア行の仮名にされることもある)。
以上のように、中世~近世の日本語のア行エ・オの音価が [je] , [wo] だったとして、江戸時代の後期や明治時代には"e, o"のような母音に推移(移行・変化)しきる。
ただし、[wo] だけは助詞「を"o, wo"」で限定的に(i.e. 条件異音として)現れる。
後に外来語を受けてイェ・ウォとして、「五十音から失われた音(音素phoneme, 単音phoneどちらも)」を発する機会が多少増える([ji, wu] も、ごく稀にイィ(ユィ)・ウゥ(ヲゥ)と表記される)。
ラテン文字W, V, U字および先述のY字はみな、究極的にギリシャ文字「ウプシロン Υ (小文字 υ)」に由来し、それはまたセム語派の文字「ワウ(waw またはワーウ wāw, フェニキア文字ではY字形)」に由来するという。
備考: YとWの発音は古代ギリシャ語(紀元前5世紀アッティカ方言など)に有ったか?
不思議なことに、半母音YとWが、古典ラテン語(文字上は古層のラテン文字に無し)とサンスクリットには有っても、古代ギリシャ語(古代ギリシア語)にはその発音がされない。
古代ギリシャ語の「イデアー(イデア)"idea ἰδέα"(動詞εἶδονに関連。見た目、転じて哲学概念にも・女性名詞)」の同根語(印欧語根*weyd-)に、サンスクリットの「ウィディヤー(ヴィディヤー)"vidyā विद्या"(語根√vidより。目に見える事柄についての知性・知識のこと、ヒンドゥー教ではより神聖な概念に、大乗仏教では五明などの学問の名に、仏教全体では無明"avidyā, pi: avijjhā"のように否定接頭辞を付けても用いる・女性名詞)」やラテン語の「ウィデオー(ヴィデオ)"video" (見る・動詞・能動態・直説法・一人称・単数)」がある(英語の「ワイズ"wise"」も関連する)。
この「イデアー(イデア)」は、ヘレニック祖語で*widéhā (ウィデハー)と再建される。
※ただし、イオニア様は4音節で、ヨニア様は3音節でヨニャ様は2音節であり、サンスクリットのヤワナは3音節でパーリ語のヨーナは2音節であるなど、音節の韻律の詩を擁する文化において同じ語が方言間・話者間で音節数が合わないと、問題が生じる。韻律の便宜上に連音(サンディ)の有無を決めることや単語の音節数を意図的に減らす・増やすことは古代インドでも古代ギリシャでも観測されるが、方言間・話者間で固定的に異なる音節の同義語があることは違う。例えばサンスクリットのhṛdayaに相当する語はどう訛っても3音節のまま(e.g. パーリhadaya アパブランシャhiaa हिअअ 後者は実際のMIA口語に有り得るか不明 cf. ヒンディー語 hiyā हिया アッサム語 hia হিয়া)であり、背景にその「音節の韻律の詩を擁する文化」を私は感じる(ただし2音節サンスクリットārya, 3音節パーリariyaのような例外も多い そのまた例外2音節パーリayyaもある)。
備考: "Y, W"系統に見る接近音と摩擦音の仮名表記問題
当記事で既に出された話題を、改めておさらいしよう。
一言いえば、接近音は多くの場合に(標準的に)有声音(声帯の振動を伴う)であるから、その接触・接近・閉鎖性が強まると有声摩擦音になる。
インド言語のIASTで"v"となる字・音素の発音は、主に有声唇歯摩擦音 [v] と唇歯接近音 [ʋ] に聴こえ、そのためにカタカナ表記ではヴァ行とワ行に分かれるという問題がある。
既述の通り、"v"となる字・音素の音価は、古代インド音声学・シクシャーに"dantoṣṭha (歯-唇のこと), antaḥstha"であり、そのために西洋音声学などで唇歯接近音 [ʋ] に音価を定める。
通念上、接近音として「ワ」に近い音である唇歯接近音 [ʋ] も、話者によっては「ヴァ」のように発せられるか、聴く者によってはますますそのように聴き取られるかもしれない。
また、理論的に「狭母音イは広母音アよりも接触・接近・閉鎖性が強まるので有声摩擦音になりやすい(dvaはドゥワのように発するがdviはドゥヴィのように発する者もいる)」ともいえる。
母音を発する際の関係部位の広さ・狭さは、例えば「舌の前後位置によって歯擦音化・硬口蓋化を起こしやすくなる現象(e.g. 古代日本語ti→現代日本語chi 古典ラテン語ti→教会ラテン語tsi・ロマンス諸語shi ただし二重子音stiは歯擦音化しない)」と同じように、子音の音価をも変える現象を起こす性質(自然言語を用いる民族が各々の発しやすい子音発音に変える)があると考えてもよい。
判断を困難にする例が「古代日本語tu→現代日本語tsu」という無声歯茎破裂音 [t] が狭母音たるuを受けて破擦音化 [t͡s] することである(du, tsuも同様)。
これについては「わ行う(ワ行ウ) /wu/ が日本語から無くなったことは接近音たるウ音の性質が話者にも聴く者にも紛らわしさを生じるし、古代よりこの音を持つ語彙(植える・植う uwuなど)が少なかったからだ」という説明から演繹して「た行う(タ行ウ)=つ /tu/ も同様だ」と単純に結論付けることが可能である(要するに相対性の観点で何か別の条件を示して中性化する)。
インド言語の /v/ 音素の聴こえ方の同様の例は、ヤ系統Y音にもある。
ドイツ語の"j"が「ヤーパン"Japan"」としてヤ行に表記されるも、日本語のヤ行が硬口蓋接近音 [j] であることに対してドイツ語の"j"が有声硬口蓋摩擦音 [ʝ]であるとするならば、これはジャ行にも表記できる。
スペイン語 -lla も、スペイン本土に対するメキシコ・アメリカ大陸などと発音の差を生じていて「有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] ジャとヤの中間の音」のように説明されることが日本語版Wikipediaの記事「トルティーヤ(同じ綴りのスペイン語トルティージャも参照)」、「ジェイスモ(より日本語のジャ=有声歯茎硬口蓋破擦音 [ɖ͡ʐ]に似た音である有声歯茎硬口蓋摩擦音 [ʑ] の話題もある)」などに見られる。
一般世間(日本語領域)で外国語を表記する際、現状ではその言語に既存の「慣習的・慣用的・慣行的なカタカナ(カナ)表記」を参照して援用する(複数候補が有ればよりポピュラーなもの)しかないが、ここに示されたような音声学の音価を認知している者は、その人にとっての類音のカナを妥協レベル(筆者が稀に行うようなアイヌ文字用の小書きカナなどを用いない一般的な綴り)で用いることとなる。
言語学と、一般言語使用における慣用性・寛容さについて、過去記事(2017年5月10日)でも言及した(衒学的なことは相手によってとても歓迎されるがとても憎まれることもある。後者を厭う場合は学問知識は無窮・無上で真実は不可得・空と他者への自慢は空虚という真の自己満足=悟りの慈悲にすることができるので一般人に教える時は慣用的・寛容的なカナ表記ができる)。
どうしても何らかの特殊な発音や発音体系の言語をカナ文字で表記したいときは、Unicodeの何らかの領域(Katakana Phonetic ExtensionsやKana Supplement)を探すなど適宜にする。言語学・音声学方面の話題においては、特定言語のために整備されたラテン文字転写"transcription"か翻字"transliteration"か国際音声記号=IPAを用いて過度に説明せずにおけば、それも一つの処置となる(説明を求められたらば当記事のような長い説明を用いる)。
Lには母音や先述のY, Wにも似たソノリティ"sonority"があるので、響音"sonorant"であり、半母音のようでもある。
サンスクリットとインド・アーリア語派の最古のヴェーダ語にある成節子音R = IAST: ṛ (Dev. ऋ)は、パーリ語だとa, i, uのいずれかに変化する。
以下、その例をサンスクリット(ヴェーダ)→パーリの順に挙げるが、併記されたカタカナは慣用的な表現であり、音声学的な正確さに基づくものでない。
サンスクリタ"saṃskṛta"→サンカタ"saṅkhata"
フリダヤ"hṛdaya"→ハダヤ"hadaya" (後世のプラークリット・アパブランシャ: ヒアア"hiaa" हिअअ )
※フリダヤ・ハダヤという「心・心臓"heart; cardia καρδιά"」を意味する言葉はラテン語corやヒッタイト語kerなどによって印欧祖語で*ḱḗrと再建されており、斜格系で*ḱr̥d-という成節子音Rが現れるとみなされている。ヴェーダと同じインド・イラン語派の古典「アヴェスター」のアヴェスター語ではzərəd, zarəδaiia ザラザヤのような発音で介音がある。ヴェーダ系以外に成節子音が見られないことと現代スラヴ系言語の成節子音が後世の転訛によるものという前提から「印欧祖語に成節子音(l, r, n, m)は無い」とみなす学者もいる。なお、動詞語根や過去分詞にある成節子音Rはそれを原形とみなした際にグナ音"a"やヴリッディ音"ā"に子音 r が続く形にもなる(e.g. 「死ぬ √mṛ」 ムリタmṛta →マラナmaraṇa →マーラヤティmārayati cf. 漢梵兼語: 断末魔"danmatsuma" 英語murder, ラテン語由来英語mortal)。
プリティヴィー"pṛthivī" (プリトゥヴィー"pṛthvī"とも)→パタヴィー"pathavī"
リシ"ṛṣi"→イシ"isi"(パーリ語からの漢訳文献・善見律毘婆沙: 伊私 いし)
それら語句の発生から現代まで同質の"y"(弁別される音素)が保たれているという条件下であれば、それが証明し得る。
※「やわらかい"YaWarakai"」は語幹形・古代日本語に直すと「やはらか"YaParaka"」となるように見られれば、既に異質の音に変化していると思われようか。英語"SoFt"は無声摩擦音のSとFが使われる点でこれも柔らかそうな印象である。印欧祖語としてはF音がP音になるように考えられがちであるが、ドイツ語などのゲルマン語派以外に同根語は無いので、印欧祖語の"soft"を求めるための比較・証明はし得ない。なお、「やわらかい」の対義語は「かたい"KaTai" 硬い(漢字音はKō, Gō, QN: ngạnh, MC:/ŋˠɛŋH/) 堅い(漢字音はKen, QN: kiên, MC: /ken/) 固い(漢字音はKo, Ku, QN: cố, MC: /kuoH/)」である。「かたい"KaTai"」のK・Tの音は、英語"hard"という単語と同じゲルマン語のH音=軟口蓋摩擦音 [x] から印欧祖語のK音が推定される言語学で推定された印欧祖語 *kert- にも使われる(この印欧祖語の類義語に *kret- があるが意味は「強い・賢い」関連である cf. 梵語kratu)。なお、日本語「かたい」と英語"HarD"には、「難い=難しい・しづらい"DiffiCult"」の意味も共通する。「かたい"KaTai, HarD, KerT"」という単語から、自然な言語感覚で、たしかに「ゴツゴツ・コツコツ"GoTuGoTu, KoTuKoTu"」とした「かたさ"KaTasa, HarDness"」が想定できる。無論、K・Tの音が有ればその単語は単純論理によってみな「かたい"KaTai, HarD"」という意味になるというわけでない(cf. 高い"TaKai")。
一つの傍証として、当記事ではYとWが「半母音、響音(鳴音・共鳴音)」であるという点について示す。
これに際して、YとWのみならず、五十音「あかさたなはまやらわ」の「やらわ」として最後部に列せられる「ら」音=LとRについても「半母音、響音(鳴音・共鳴音)」であるという点について示す。
Y, W, L, Rの音声学的な位置づけ
[ ] カッコで国際音声記号=IPA単音・音価表記をする(当記事で多用することに注意)。
※「やわらかい"YaWarakai"」は語幹形・古代日本語に直すと「やはらか"YaParaka"」となるように見られれば、既に異質の音に変化していると思われようか。英語"SoFt"は無声摩擦音のSとFが使われる点でこれも柔らかそうな印象である。印欧祖語としてはF音がP音になるように考えられがちであるが、ドイツ語などのゲルマン語派以外に同根語は無いので、印欧祖語の"soft"を求めるための比較・証明はし得ない。なお、「やわらかい」の対義語は「かたい"KaTai" 硬い(漢字音はKō, Gō, QN: ngạnh, MC:/ŋˠɛŋH/) 堅い(漢字音はKen, QN: kiên, MC: /ken/) 固い(漢字音はKo, Ku, QN: cố, MC: /kuoH/)」である。「かたい"KaTai"」のK・Tの音は、英語"hard"という単語と同じゲルマン語のH音=軟口蓋摩擦音 [x] から印欧祖語のK音が推定される言語学で推定された印欧祖語 *kert- にも使われる(この印欧祖語の類義語に *kret- があるが意味は「強い・賢い」関連である cf. 梵語kratu)。なお、日本語「かたい」と英語"HarD"には、「難い=難しい・しづらい"DiffiCult"」の意味も共通する。「かたい"KaTai, HarD, KerT"」という単語から、自然な言語感覚で、たしかに「ゴツゴツ・コツコツ"GoTuGoTu, KoTuKoTu"」とした「かたさ"KaTasa, HarDness"」が想定できる。無論、K・Tの音が有ればその単語は単純論理によってみな「かたい"KaTai, HarD"」という意味になるというわけでない(cf. 高い"TaKai")。
一つの傍証として、当記事ではYとWが「半母音、響音(鳴音・共鳴音)」であるという点について示す。
これに際して、YとWのみならず、五十音「あかさたなはまやらわ」の「やらわ」として最後部に列せられる「ら」音=LとRについても「半母音、響音(鳴音・共鳴音)」であるという点について示す。
Y, W, L, Rの音声学的な位置づけ
[ ] カッコで国際音声記号=IPA単音・音価表記をする(当記事で多用することに注意)。
Y (他言語異字: J I): 硬口蓋接近音 [j] (ドイツ語・スペイン語では有声硬口蓋摩擦音 [ʝ])
W (他言語異字: V U): 両唇軟口蓋接近音 [w] 両唇接近音 [β̞] 唇歯接近音 [ʋ] (多くの現代ヨーロッパ言語では有声唇歯摩擦音 [v] ただし歴史的に有声両唇破裂音 [b] の音変化の場合がある)
L: 歯茎側面接近音[l] 歯側面接近音 [l̪] ("lateral" 他に多く異音あり)
R: 反舌接近音 [ɻ] 歯茎ふるえ音 [r] 歯茎はじき音 [ɾ] ("rhotic" 他に多く異音あり)
これらを当記事で「半母音、響音(鳴音・共鳴音)」と扱うが、簡潔に語義の注釈をする。
「半母音」の根拠を、私は古代インド音声学・シクシャー(शिक्षा śikṣā)の典籍の記述に求めた。
そこに半母音は"antaḥstha (またはantastha, īṣat-spṛṣṭa, duḥspṛṣṭa)"と呼ばれ、その該当する音として日本語「や・ら・わ」行に当たる"IAST: ya, ra, la, va (Dev. य र ल व)"が挙げられている(タイッティリーヤ・プラーティシャーキヤ1.8節および対応する2.40-43節、パーニニーヤ・シクシャー38詩"īṣan..."など)。
これらを当記事で「半母音、響音(鳴音・共鳴音)」と扱うが、簡潔に語義の注釈をする。
![]() |
| シクシャーに基づいた音韻表 by Manomohan Ghosh (1938) |
そこに半母音は"antaḥstha (またはantastha, īṣat-spṛṣṭa, duḥspṛṣṭa)"と呼ばれ、その該当する音として日本語「や・ら・わ」行に当たる"IAST: ya, ra, la, va (Dev. य र ल व)"が挙げられている(タイッティリーヤ・プラーティシャーキヤ1.8節および対応する2.40-43節、パーニニーヤ・シクシャー38詩"īṣan..."など)。
※シクシャーは古代インドで「6つのヴェーダーンガ(六論・ヴェーダ関連学問)」の1つであり、音声学的な考察や分類の明確さが近代の西洋における言語学に影響を与えた。日本には平安時代以前から「式叉論」の漢語名称で伝わっているが、その名称は古代インド音声学を指すものとして認知されなかった。5世紀ころの中国人・嘉祥大師吉蔵さんの百論疏など、中国・日本の文献に「式叉論、直訳の意味は学論(英語圏でも"learning"などと訳す)、詳細には六十四能法がある」と注釈されているが、「六十四能」の詳細を誰も語らない。2018年10月13日に私がその「不明事項」を文献学的に検証して出した「インドに原点・原典があり言語発音の種類を指す」という結論を、過去記事に追記した。式叉論に興味のある方は、参照されたい。
なお、英語で「半母音」は"semivowel"であり、音声学用語としてはY系の硬口蓋接近音 [j] やW系の両唇軟口蓋接近音 [w] 両唇硬口蓋接近音 [ɥ] 軟口蓋接近音 [ɰ] に限られる。
これらは接近音"approximant"の内でも、狭母音 [i], [y], [ɰ], [u] と他の母音を連ねて発音するなどしたイ+ア=ヤ [ja]、ウ+イ=ヰ・ウィ [wi] のようであるため、その音声学用語・狭義の半母音"semivowel"と定められる(イ+ア=ヤ [ja] という見解は平安時代の悉曇の「悉曇要訣: 乃至 य ya 字はイア (i + a) なること亦た勘文有り」や江戸時代の国学の「字音仮名用格」にも見られる)。
「響音(響き音・ひびきおん・きょうおん)」とは、英語"sonorant (sonorants)"の訳語である。
この概念については、日本語版Wikipediaの記事名で「共鳴音」とされ、日本の音声学の論文でも「共鳴音」・「共鳴性("sonority"からの訳語)」といった訳語が用いられるが、「共」という字は"consonant"のcon-という接頭辞を想起させるために紛らわしく余分である。
中国語版Wikipediaの記事名「響音」や、別の日本語論文らの「鳴音」という、それを用いた方がよいと考えるため、私は「共鳴音」という語を主に用いず、併記のみした。
響音としての性質"sonority"がある音を音声学では響音と呼ぶ(その英語での名称は既に記された"sonorant"以外に"resonant"、古くはソナント"sonant"とも)ならば、当記事で説明されるY, W, L, R系のみならず、M, N=鼻音の系統も挙げられる(過去記事にも記したがそれらは実際に話される言語の内でも「成節子音」という子音と合わせる母音的に用いられる・音節主音として用いられる特徴を持つ e.g. チェコ語・スロバキア語・スロベニア語などスラブ語)。
当記事で、私は外国語の日本語カタカナ(カナ)表記を、以下のようにする。
W(V U)字は慣習的にワやヴァと私は綴るが、上記の音価の違いは言語ごとに意識されたい。
ドイツ語のJa-やスペイン語の-lla (同一言語内の方言差あり)などは、一般的な日本語のヤ・ジャと異なるが、私は既成事実化した綴りでヤ・ジャなどを適宜に用いる(実際の発音・音価としては異なっても音素としては同一言語内で割と区別可能・排他的で類似するので気にする必要も無いが)。
その他の字とその発音に関することも、慣習的・慣用的・慣行的なカタカナ表記にするが、常に何の音価(IPA 音声学の記号を用いることのできるもの)であるか、意識されたい。
なお、当記事の随所で、カタカナ表記自体の話題も行われる。
なお、英語で「半母音」は"semivowel"であり、音声学用語としてはY系の硬口蓋接近音 [j] やW系の両唇軟口蓋接近音 [w] 両唇硬口蓋接近音 [ɥ] 軟口蓋接近音 [ɰ] に限られる。
これらは接近音"approximant"の内でも、狭母音 [i], [y], [ɰ], [u] と他の母音を連ねて発音するなどしたイ+ア=ヤ [ja]、ウ+イ=ヰ・ウィ [wi] のようであるため、その音声学用語・狭義の半母音"semivowel"と定められる(イ+ア=ヤ [ja] という見解は平安時代の悉曇の「悉曇要訣: 乃至 य ya 字はイア (i + a) なること亦た勘文有り」や江戸時代の国学の「字音仮名用格」にも見られる)。
「響音(響き音・ひびきおん・きょうおん)」とは、英語"sonorant (sonorants)"の訳語である。
この概念については、日本語版Wikipediaの記事名で「共鳴音」とされ、日本の音声学の論文でも「共鳴音」・「共鳴性("sonority"からの訳語)」といった訳語が用いられるが、「共」という字は"consonant"のcon-という接頭辞を想起させるために紛らわしく余分である。
中国語版Wikipediaの記事名「響音」や、別の日本語論文らの「鳴音」という、それを用いた方がよいと考えるため、私は「共鳴音」という語を主に用いず、併記のみした。
響音としての性質"sonority"がある音を音声学では響音と呼ぶ(その英語での名称は既に記された"sonorant"以外に"resonant"、古くはソナント"sonant"とも)ならば、当記事で説明されるY, W, L, R系のみならず、M, N=鼻音の系統も挙げられる(過去記事にも記したがそれらは実際に話される言語の内でも「成節子音」という子音と合わせる母音的に用いられる・音節主音として用いられる特徴を持つ e.g. チェコ語・スロバキア語・スロベニア語などスラブ語)。
当記事で、私は外国語の日本語カタカナ(カナ)表記を、以下のようにする。
W(V U)字は慣習的にワやヴァと私は綴るが、上記の音価の違いは言語ごとに意識されたい。
ドイツ語のJa-やスペイン語の-lla (同一言語内の方言差あり)などは、一般的な日本語のヤ・ジャと異なるが、私は既成事実化した綴りでヤ・ジャなどを適宜に用いる(実際の発音・音価としては異なっても音素としては同一言語内で割と区別可能・排他的で類似するので気にする必要も無いが)。
その他の字とその発音に関することも、慣習的・慣用的・慣行的なカタカナ表記にするが、常に何の音価(IPA 音声学の記号を用いることのできるもの)であるか、意識されたい。
なお、当記事の随所で、カタカナ表記自体の話題も行われる。
ラテン文字Y字は、ギリシャ文字「ウプシロン Υ (小文字 υ)」に由来し、古典ラテン語では円唇前舌狭母音 [y] (イのように舌が前に来るウ音であって古代ギリシャ語のΥ字の発音。古代ギリシャ語からの借用語に限られる)のために用いられた。
古英語(文献は"Beowulf"など)でも、当の母音 [y] とその長音 [yː] の音価となるが、現代英語のY用法=ヤ行音・硬口蓋接近音 [j] のためにはG字(ġとも)または Ȝ "yogh"を用いていた(同時に当時は他の音のためにもG, Ȝ字が混じって使われた)。
後の中英語や近代英語初期には、イの音 [i] のために用いられた(母音 [y] の音変化 [i] や子音 [j] の表記に用いるなどした経緯もあって相変わらず混じりが多い)。
現代の英語における文字の名称は「ワイ /waɪ/」であり、日本語でもそう呼ぶ(同じ半母音のW音が現れて置き換わった名前であり混ぜこぜ cf. 英語vowel フランス語voyelle)。
当記事では、あくまでも現代英語や日本語ヘボン式ローマ字などでヤ行音・硬口蓋接近音 [j]のために既成事実化して用いられる子音・半母音としてのYとして説明する。
紛らわしさを回避する場合は [y] のような表記(何度も示す通りIPAの音価表記であってこれは円唇前舌狭母音を示す)によって区別している。
※「硬口蓋」の音"palatal"と硬口蓋化した音が、「やわらかい音」の代表であると私は当記事で語りたい。後述のスラヴ語学の用語「軟音」も参照されたい。「やわらかい音・軟音」は「硬口蓋"hard palate"」で発せられる。その「硬」という字が「口蓋」に掛かっている通り、「口蓋"palate; roof"」という調音部位が物理的に硬い部分・軟らかい部分に分かれていることを示す。反対に、「軟口蓋"soft palate"」という名称の調音部位もあるが、これが一般的なK音・カ行音(硬・かたい"Katai")の無声軟口蓋破裂音 [k] "voiceless velar stop; plosive"などを有している。
日本語の学問で「拗音」と呼ばれる音のうち、「開拗音」は「きゃ・にゃ」など「小文字や行(ゃ・ゅ・ぇ・ょ。ぇは母音としてのぇと区別する)」を用いて示された硬口蓋化の音(IPAでは [ʲ] の字が付される)を指す。
ヘボン式ローマ字など、一般的なラテン文字表記では子音字と母音字とに"y"を介して"kya, nya, rya"と綴られるが、「じゃ」という有声歯茎硬口蓋破擦音は"ja"と綴られる(もっと翻字的な"jya"とする者も稀にいる)。
日本漢字音のうち比較的古層のものは呉音であるが、それらのうち語頭が硬口蓋化歯茎鼻音 [nʲ] の発音の字は、中古音ともSino-Japaneseとも呼ばれる音で硬口蓋鼻音 [ɲ] (中古音の学者たちは歯茎硬口蓋鼻音 [ȵ] とする)が想定される。
その字は「に・にゃく・にゅう・にょ・ねん(例は二・若・柔・如・然)」などが当たる。
それが漢音では「じ・じゃく・じゅう・じょ・ぜん」といった、音素「ざ」行/z/となる(歯茎鼻音のナン・ナム発音の字は男=ダン・ダムとなるなど類例があるがそれは鼻音・破裂音の互換であるため別の現象と考えた方がよい)。
現代日本語で「柔軟=じゅうなん"jūnan" (仏教読経: にゅうなん"nyūnan"」と発音する言葉も、修正主義・合理主義的に呉音でいえば「にゅうねん"nyū'nen" (i.e. にゅうにぇん"nyū'nyen" 中古音やSino-Japaneseとしては/ɲiu.ɲen/となろう)」と読まれるべきものである。
現代中国語普通話でも、同じ子音系統の発音で"róuruǎn (拼音 Pinyin による)"と読まれる。
つまり、「柔軟(にゅうにぇん"nyū'nyen")」は、軟らかそうな印象の子音が頭に付く音節を2つ重ねた熟語である。
※当記事のR字の項目でも、この系統の漢字音について再び記す。なお、この日本語学問で開拗音といわれる発音のうちSino-Japaneseで硬口蓋鼻音 [ɲ] のような発音だった漢字は、二人称の代名詞「汝・你」や状態の代名詞・指示代名詞「爾(尔・尓)・若・然」などに見られる。その仔細はシナ・チベット語族の学問に任せよう。そこではシナ・チベット祖語の再構語(二人称代名詞・単数形 *na-ŋ)が提案されている。当記事冒頭に「よわい"YoWai"」という和語の字を挙げたが、これも漢字の「弱い・弱」は漢音「じゃく"jaku"」に対して呉音「にゃく"nyaku"」がある(中古音の例→ 鄭張 /ȵɨɐk̚/ 王力 /ȵʑĭak̚/ cf. 蒟蒻の"蒻 ニャク nyaku")。「柔軟・軟弱」の3字の同一性は、ベトナム語の国語"Quốc ngữ"表記だとみな語頭nh- (硬口蓋鼻音 /ɲ/)であること nhu, nhuyễn, nhược が直接根拠になる。
そのように、発音が状態そのものを指す言葉を「自己言及"self-reference"・自己整合語"autologisch, autonym"」ともいう(後者は日本語インターネットだと英語"Autological word"から翻訳されたWikipedia記事が発祥であり、活字の日本語文献で説明されたことは無い)。
これぞ「ふにゃふにゃ"funyafunya"」、「やわらか"yawaraka"」発音である。
冒頭にも「やわらか」ということに関して同じように説明していたが、「にゃ」と「な」のどちらの方が柔らかい・軟らかい・柔軟だと感じるかは、人の言語感覚で多少の差異があろう。
「柔軟」も、その極端な発音に変えるならば、「にゅうにぇん(じゅうじぇん)」か「ぬーなん(なお軟の"なん"発音は辞書的に慣用音とされる)」となるが、どちらの方が柔らかいと感じるは、人の言語感覚で多少の差異があろう。
ここでは古代からの言語感覚の実例を示すことができたらば、それでよいと思う。
※擬態語「ふにゃふにゃ」の音は母音の連なりによって動的な印象が付与される。"u-a-u-a"という母音の連なりは"口を意識しながら発音してみると実感できるように、狭い母音・広い母音の移動である。もし「ふにゃふにゃ」という擬態語の実物があるならば、それが「ふにゃふにゃ性」を失っている時、多少の音変化を伴って「ぼなぼな"bonabona"」とでも表現できる。現代日本語の慣用句(オノマトペ系)「有耶無耶(うやむや"uyamuya")」と「もやもや・ぼんやり"moyamoya, bon'yari"」を比較されたい。
ヤ行音・硬口蓋接近音の音素 /j/ を有する言語のうち、オランダ語など一部の言語ではY字でなくJ字を用いる。
オランダ語では、条件異音・強調発音として有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] が現れる。
有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] は、標準の音素として同じゲルマン語派のドイツ語 j や、イタリック語派ロマンス諸語のスペイン語 y に用いられている。
音韻学的に少し説明したいことは、「接近音」というものが有声音のうちで最も閉鎖性(インド音声学・梵語でいう接触"sparśā, spṛṣṭa")が弱い=子音性が少ない(半母音"antaḥstha"または"duḥspṛṣṭa")が、その発音の閉鎖性を少しだけ強めると、そのような有声摩擦音になる。
この点で、それらの言語は、「強めの発音」を行った際にヤ行音・硬口蓋接近音の音素 /j/ が異音として有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] になるものか、新たな音素として有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] に変化して既成事実化したものか、ということになる。
Y系の音はロシア語などで「軟らかい"soft ru: мягкий... [ˈmʲæxʲkʲɪj]"」とされる (on Slavic languages)
一方、外国語では印欧語族(インド・ヨーロッパ語族)のスラヴ語派(スラブ語派)の多くの言語に、日本の拗音>開拗音と同じような「軟音"soft consonants"」がある。
キリル文字を用いる場合は、「Ь (軟音符または軟音記号"soft sign") IPA: [ʲ]」に表される。
日本の開拗音といえば、音声学で硬口蓋化"palatalization"による発音"palatalized"を指すが、スラブ語学ではそれらを"softening (柔らかくすること)", "sofetened (柔らかくなった音)"と称するようである(典拠不詳)。
キリル文字において、軟音の発音は「Ь」以外に、平仮名の「や・ゆ・よ(ゃ・ゅ・ょ)」に相当する「軟音系の母音」とみなされた「Я Ю Ё (ya, yu, yoまたはia, yu, yo)」も用いられる。
※「軟音」という語を「硬口蓋化した発音」として用いることは、スラヴ語学に限定される。音声学で「軟音(対義語: 硬音)」というと、これは別の概念を指す点に留意されたい。また、「Ь」字は古代教会スラヴ語で"front yer"として前舌・狭母音の弱母音 [ĭ] を示していた字だとされ、初めから軟音・硬口蓋化を示す字だったわけでないことを留意されたい。似た字形に「Ъ (硬音符または硬音記号"hard sign")」があり、これは軟音・硬口蓋化でないことを示す字だが、先と同様に古代教会スラヴ語で"back yer"として後舌・狭母音の弱母音 [ŭ] を示していた字だとされる。
日本語の「や・ゆ・よ」とロシア語など東スラヴ語群の「Я Ю Ё (ya, yu, yoまたはia, yu, yo)」とは、文字単体の場合に音声学では硬口蓋接近音 /ja, ju, jo/ として扱われるであろう。
日本語と東スラヴ語とにおける硬口蓋接近音が、なぜ母音「あ・う・お (a, u, o)」しか無いかといえば、「い・え(i, e)」は前舌母音(front vowels)として発せられる音であって硬口蓋接近音の硬口蓋化の音と発音の仕組みが似ているためである。
そのため、現代日本語で通常は「いぃ(ゆぃ yi)・いぇ(ye)」を発しない(イェス"yes"とかイェール"Yale"のような外来語か再建された古代日本語ヤ行音くらい)し、キリル文字にも「Я Ю Ё」を主に用いて"yi, ye"系の音の字を用いない。
yi発音 /ji/ はウクライナ語 Ї が有り、ye発音 /je/ はロシア語・ベラルーシ語(2語は異音としてのみ)・ルシン語 Е が有るが、使用(および異音出現頻度)が限定的である。
南スラヴ語群のうちのブルガリア語に関しても、英語版Wikipedia記事に「イェ /jɛ/ から エ /ɛ/に変わること」が示される。
スラヴ語派は、キリル文字を使わない言語も多くあり、それらにおける「軟音」の有無や多寡も別途検証されたい
例としては「鹿"deer"」を意味する言葉に、チェコ語jelen スロヴァキア語jeleň ポーランド語jeleń セルボ・クロアチア語jèlen/јелен (セルボ・クロアチア語のみ南スラヴ語群で他は西スラヴ語群)などがあり、語頭が硬口蓋接近音 [j] のイェレン発音であるが、スラヴ祖語(*(j)elenь リンク先に東スラヴ語群のロシア語оленьなど諸々の例あり)ないし印欧祖語(*h₁el-)ではその音が無かったと推定されている。
「Y発音・ヤ行音(音声学的に特定すれば硬口蓋接近音)」が「やわらかい(軟らかい・柔らかい)」ということは、外国語・西洋言語の中でも言われることが確認できた。
記事の本題・仮説のための一つの根拠としよう。
備考: 中世~近世日本語「あ・い・う・え・お」は"a, i, u, ye, wo"?
先のスラヴ語のうち、一部は印欧祖語・スラヴ祖語でエ系統だったものが現代までにイェ系統になっている言語(チェコ語・ポーランド語など)が確認された。
また、その一方でイェの発音が消失したか条件的に現れる・方言に残っているらしい言語(ロシア語・ウクライナ語・ブルガリア語など)も確認された。
日本語はというと、国語学者・言語学者の一部は中世(ここでは平安後期~戦国時代)や近世(江戸時代)に「あ行=あ・い・う・え・お」が"a, i, u, e, o"ではなく、"a, i, u, ye, wo"のようなものだったと考えている。
そのような雰囲気を私は感じていた(誰々の説かは不確か)ので、当記事の執筆に際して江戸時代の国学の書を見直した。
本居宣長さんの「字音假字用格(もじごゑのかなづかひ)」に「アヤワ三行の差別を明らかにすべきだ」、「オの字はア行であってヲの字はワ行だ(i.e. ア行の"オ o"が"ヲ wo"の音で発せられることは誤り)」、「(梵語への漢字音写について)梵語の長ウ(ū ऊ)と短オ(o ओ この悉曇学でいう短オはグナであって長オはヴリッディau औ)とを混同して空海はどちらにも『汙(新字体: 汚 簡体字: 污 ネット複製には汗と誤植される)』という同じ字を当てる。(中略) ウとオの区別もできない者にオとヲの区別など不可能だ。インド人の宝月(Ratnacandra)から梵語を学んだ慈覚(円仁さんのこと)は『於(平仮名お・片仮名オの原形)・奥』などの字でア行オを正しく表現した。当時の日本人が正しく学べば正しくオとヲの区別をできたはずだ」という見解が示されていた。
※なお、彼は中国・日本におけるア行オの誤った漢字音写の例として「汙」の他に「烏・于」などを挙げてもいるが、現代中国語ピンインでwuとかyuとか中古音・反切の頭音で羽とか雲とか汪とかのようにy系もw系も有るし、於や奥などもそれぞれy系やw系と相互に表現し合う傾向にある。母音についてもo系とu系は「都・図・頭(呉音がu系 漢音がo系)」に代表される相似性がある。時代ごとに異なる反切などが示された韻書・字書の見方を誤って論ずると、循環論法になりかねない。これは本題と逸れる。彼がどう漢字音を認識していたかは、興味のある方が別途考察すればよい。
これら記述が示唆することは、18世紀のころに「ア行オ /o/=音声的にヲ [wo] でワ行オ /wo/と同じ」だったことである。
また、ア行エ"e"とヤ行エ"ye [je]"との混同を示す書に大矢透さんの「古言衣延辨證補(明治40年作という)」があり、そこに「万葉集など上古には阿也(ア・ヤ)二行のエ音を分別して仮名(漢字音写)で記していた」とし、ア行エが「衣(音を借る) 得(訓を借る)」・ヤ行エが「延・要(音を借る) 江(訓を借る)」などであるとしてその詳細が示されていた(その元の話題は奧村榮實・奥村栄実さんの「古言衣延辨」でそちらにも同様の説がある)。
こちらの方は、古典における万葉仮名・など和語漢字音写の区別に関する話題が主立っていて中世や近世の日本語の音価の比定には向かないが、参考までに例示した(なお、後者・大矢透さんの書に「空海さんの時代にも別の音であることが常識的に認識されていて『いろは歌』に"越えて ko-ye-te"のみあってア行エが載らないことから彼は『いろは歌』作者でない」という話も書かれる。彼はア行エとヤ行エが区別されない時代のエ音素の音価を [e] ではなく [je] の方に定めていたと分かる)。
| JAPONIAE INSULAE DESCRIPTIO. (Flickr and Wikimedia commons) |
地図のうち"IAPONIAE (JAPONIAE) INSVLAE (INSULAE) DESCRIPTIO."には、令制国の名前など主要な地名が記されており、伊豆"Hizu", 和泉"Hizumi"といった語頭H字が現代フランス語"h aspiré, h muet"と同じような彼らのラテン語発音によって無音のままに付けられていたような表記があるので、この語頭H字を有字無音(黙字)として読んでもらいたい。
その上で「越後"Hiechigo"」は、発音を示すと「いぇちご"Iechigo Yechigo *jechigo"」だったと読み取れる(越前"Hiechigen"・越中"Hietchu"も同様)。
ヤ行の音の比較のためには「大和"Hiamato"」、「伊予"Iyo"」がある。
ただし"Fechi Iouoxima"のIoはジョであって八丈島(現代ローマナイゼーション"Hachijō-jima")を指し、その南の"Iasima"は八つの島=八島(やしま Yashima)で伊豆大島と八丈島の間にある島々(伊豆諸島の一部)を指すと思われる(この地図に描かれた状態としては現代のそれらと大分異なるようだが当時の西洋人が少ない伝聞などから製図したためであり当記事の話題に関しない cf. 1720s J.C. Scheuchzer日本地図"Fatsisio. I")。
「越」の字は、字音仮名遣いで「ゑつ"wetu"(そもそも字音仮名遣いは初めに江戸時代の国学者が宋以前の韻書・反切などを参照して既存の仮名遣いを修正して整備したもの)」であった(cf. 説文解字・広韻: 王伐切・わうばつ→わつ"watu" 越南"Vietnam" QC: Việt Nam)。
このワ行エ"we"のヱ(ゑ)の語頭w-が、中世にはア行エ"e"・ヤ行エ"ye"との区別を失い、すべて"ye [je]"に変化(合流)したということになる。
現代に語頭がオ音である単語に「奥州・近江・尾張・隠岐(字音かな→あうしう・あふみ・をはり・おき)」があるが、それぞれ"Villoxu, Vlloumy, Vlloari, Vuoqui"と、語頭の音の同一・別異を問わずに綴りが不揃いである(しかも後述のW = V, Uの項目やLの項目に示されたラテン語・ロマンス諸語の道理を知らねば綴りの意図が想定しづらかろう)。
それであっても、当時のオ音素は、その音価が語頭V字(U, Wに相当)であることからワ行オ"wo [β̞o, wo]"であったと示唆する(気になる例は大"ō historical: ofo"長母音が反映されていない大隅"Osumi"と大五島?"Ogoto" 豊後"BVNGO = Bungo"と書かれた九州島とその周辺にある)。
これらの情報や、私が未だ示していない情報など(e.g. 日蓮大聖人御書・真蹟遺文 ほかカナ文字の写本類 近世の外国語文献 cf. enwiki: Japanese yen#Pronunciation and etymology)から、確かに中世~近世の日本語に"a, i, u, je , wo (極端な場合はa, yi, wu, ye, wo)"がア行の音であったという説を肯定できる。
中世や近世の日本語で、ある程度の地域・期間にア行のエが"ye"で、オが"wo"ということも、単なる母音よりも強めに発して接近音にした方が良いように感じられたか。
これらの時代の特殊な状況下には現代のハ行音価=喉音系・声門摩擦音 [h] (近似するものに軟口蓋摩擦音 [x])によってア行を発すること(ha, hi, hu, he, ho)もできたろう(先のフランス語など中世ヨーロッパ言語の有字無音hを比較。中古音などにおける一部漢字音はh語頭らしいものが呉音でア行の仮名にされることもある)。
以上のように、中世~近世の日本語のア行エ・オの音価が [je] , [wo] だったとして、江戸時代の後期や明治時代には"e, o"のような母音に推移(移行・変化)しきる。
ただし、[wo] だけは助詞「を"o, wo"」で限定的に(i.e. 条件異音として)現れる。
後に外来語を受けてイェ・ウォとして、「五十音から失われた音(音素phoneme, 単音phoneどちらも)」を発する機会が多少増える([ji, wu] も、ごく稀にイィ(ユィ)・ウゥ(ヲゥ)と表記される)。
W (他言語異字: V U)
ラテン文字W, V, U字および先述のY字はみな、究極的にギリシャ文字「ウプシロン Υ (小文字 υ)」に由来し、それはまたセム語派の文字「ワウ(waw またはワーウ wāw, フェニキア文字ではY字形)」に由来するという。
500年以上前までのヨーロッパでは、多くの場合にV字形のラテン文字大文字が、母音U (ウ)と子音V (ヴ、ワ)のいずれにも用いられた事実がある。
ヨーロッパ言語の地域で広く用いられてきたラテン文字の始祖ともいえる言語のラテン語のV字は、古典ラテン語(近現代に再建された発音)が母音Uに加え、子音カタカナ「ワ」で表される音=接近音である。
それよりも後世の教会ラテン語のV字子音は、カタカナ「ヴァ」で表される音=有声摩擦音である。
それよりも後世の教会ラテン語のV字子音は、カタカナ「ヴァ」で表される音=有声摩擦音である。
厳密には、前者が両唇軟口蓋接近音 [w] で、後者が唇歯有声摩擦音 [v] である。
つまり、歴史的にはより古い前者が「ワ [wa]」系統で、より後世の後者が「ヴァ [va]」系統である。
単語例は現代ラテン文字で"Vulgata, Vulgāta (古くはVVLGATA)"と綴られる単語を前者で「ウルガータ(wuルガータ)・ウルガタ」ということ、後者で「ヴルガタ」というようなものである。
なお、教会ラテン語で完全にV字ワ系の発音 [w] が絶たれたのでなく、qu-の語句"qui, equus (i.e. 古い表記でQVI, EQVVS)"などに [kw] として残っている(古典ラテン語発音は唇音化 [kʷ] か接近音付与 [kᶣ] で微妙に違う)。
なお、Q字の名称は日本語で「キュー kyū [kʲɨᵝː]」、英語で /kjuː/ と発音されるが、この用法からすれば「クウー /kwuː/ [kʷuː]」と発音されるべきものである(cf. オランダ語・フランス語 ク /ky/ スペイン語 /ku/)。
なお、Q字の名称は日本語で「キュー kyū [kʲɨᵝː]」、英語で /kjuː/ と発音されるが、この用法からすれば「クウー /kwuː/ [kʷuː]」と発音されるべきものである(cf. オランダ語・フランス語 ク /ky/ スペイン語 /ku/)。
※教会ラテン語発音は、インターネットで探せば多く聴いて確認できる。YouTubeでは"Pater noster qui es in..." https://www.youtube.com/watch?v=PyWBaIEkZ7w (教会ラテン語の統制機関と関連するカトリック教会・ローマ法王による発音)などがある。古典ラテン語発音は、世間の研究者によるものが確認できる。私も自作歌詞の歌唱をしている。
インド系言語において、V字= व は、ヴァとワのどちらも歴史的に発音されたと私は見ている。
一般的に、サンスクリットであれパーリであれ他のプラークリットであれ、V字単語が漢語(中古中国語・主に1世紀~唐とそれ以前)ではB系の音の漢字に音写される。
例えば「毘(呉音: び"bi")」は、毘沙門"sa: Vaiśravaṇa pi: Vessavana"・毘瑠璃(吠瑠璃・流離)"sa: vaiḍūrya pi: veḷuriya 元素ベリリウムや鉱物berylはL/R音位転換"・毘盧遮那"sa: Vairocana pi: Verocana (パーリ経蔵・相応部11.8経によると阿修羅の名=鞞盧闍那だが中部49経には virocana 単に輝く・光を放つという意味の形容詞も載る)"と音写に使われる。
例えば「毘(呉音: び"bi")」は、毘沙門"sa: Vaiśravaṇa pi: Vessavana"・毘瑠璃(吠瑠璃・流離)"sa: vaiḍūrya pi: veḷuriya 元素ベリリウムや鉱物berylはL/R音位転換"・毘盧遮那"sa: Vairocana pi: Verocana (パーリ経蔵・相応部11.8経によると阿修羅の名=鞞盧闍那だが中部49経には virocana 単に輝く・光を放つという意味の形容詞も載る)"と音写に使われる。
この「毘」は、B字・BH字 ब भ 単語の音写にも使われる。
同様に阿濕婆"sa: aśva"(馬を意味する語だがわざわざ音写している場合は人名中に用いられるもの)の「婆(呉音: ば"ba")」といった字も、V字・B字・BH字単語の音写に使われる。
※一部漢訳仏典で「婆」はP音梵語の音写に使われることもある(e.g. 後述ヴィパッサナーもといヴィパシヤナーの音写例である毘婆舎那 Trad. 毗婆舍那)が、元の梵語発音者や口語発音の系統に依存するものである。また、現代中国語で「毘(毗) Pinyin: pí」・「婆 Pinyin: pó」はP音外来語の音写にも使われるが、現代中国語は無声音・有声音の区別が薄いためであり、ここでは関係ない。当記事では以後にも「口語発音」のような同語異音現象や、古代と現代の同型言語の差異について、筆者が注意点を示したり、筆者が意識しても注意点を示さなかったりするので、いずれのことも読者が注意すべきである。音声学や歴史言語学自体が言語発音の客観性と主観性について、適宜にすべきものである。
※一部漢訳仏典で「婆」はP音梵語の音写に使われることもある(e.g. 後述ヴィパッサナーもといヴィパシヤナーの音写例である毘婆舎那 Trad. 毗婆舍那)が、元の梵語発音者や口語発音の系統に依存するものである。また、現代中国語で「毘(毗) Pinyin: pí」・「婆 Pinyin: pó」はP音外来語の音写にも使われるが、現代中国語は無声音・有声音の区別が薄いためであり、ここでは関係ない。当記事では以後にも「口語発音」のような同語異音現象や、古代と現代の同型言語の差異について、筆者が注意点を示したり、筆者が意識しても注意点を示さなかったりするので、いずれのことも読者が注意すべきである。音声学や歴史言語学自体が言語発音の客観性と主観性について、適宜にすべきものである。
これらは西暦1世紀~10世紀のインド・中央アジアの人物が、インド系言語のV字発音をワ系統でなくヴァ系統で発していたことを示唆する(一部でバ系統に合流することも考えられる)。
漢語の仏典で以上のV字インド系言語・梵語が「毘」や「婆」というヴィ・ヴァやビ・バを思わせる字が使われてきたことに対し、現代のインド・東南アジアでインド系言語(典礼言語としてのサンスクリット語やパーリ語)のV字は、ワ発音である。
イーシュヴァラ(īśvara 神、シヴァ、漢訳・漢語仏教圏でいう自在天)を「イーシュワラ(英語圏でもIshwaraなどとラテン文字表記される)」と、IASTでのV字をワ発音のカナ表記にする。
イーシュヴァラ(īśvara 神、シヴァ、漢訳・漢語仏教圏でいう自在天)を「イーシュワラ(英語圏でもIshwaraなどとラテン文字表記される)」と、IASTでのV字をワ発音のカナ表記にする。
マハーヴァンサ"mahāvaṃsa"をマハーワンサ、テーラヴァーダ"theravāda"をテーラワーダと通称することを始め、東南アジア人が主体となっている上座部仏教(特にミャンマー・スリランカの流れ)の語は、IASTでのV字をワ発音のカナ表記にする。
ただし、ヴィパッサナー瞑想の「ヴィパッサナー"vipassanā"」などは北米で普及した流れを受けてIAST翻字上Vである字をヴァ発音にする英語発音で日本に伝わった経緯があるか、英語風の発音にしたい人がV字(シンハラ文字 ව デーヴァナーガリー व など唇歯接近音 [ʋ] とみなされるワのような音)をヴァ発音にした経緯があろう(現代東南アジアに合わせるならばVヴィパッサナーはWウィパッサナーになる。一方でオウム真理教ラオス遠征動画 on Youtube - 29:46 ヴィパッサナー発音や29:26 バーヴァナー"bhāvanā"発音はヴィパッサナ、パヴァナと聴こえる)。
先述の単語のうち、"aśva (男性主格単数aśvas, aśvaḥ)"は「馬」を意味するサンスクリットであり、その発音をカタカナに示せば「アシュヴァ、アシヴァ」または「アシュワ、アシワ」となるが、同じく先述のラテン語"equus"も「馬」を意味し、その発音をカタカナに示せば「エクス、エクゥス、エクウス(エkwuス)」となる。
二語"aśva, equus"は印欧祖語における同根語であり、サンスクリットのś字の音はシャタ (śata) がラテン語ケントゥム (centum) となるようにK (C), Q字の音と置き換わることが多い(cf. ケントゥム・サテム説)。
これら"śva, quu"は、ともにW発音の方がしやすく、V発音の方がしづらいことは、今、この文を読む者が発音すれば確実に分かるであろう(後述の「モスクワ・マスクヴァ」に関する注釈も参照)。
音声学的に定式化した理論としては、二重子音のうちの先の音が無声音ならば後の音も無声音であると発音しやすいということである(日本語・漢語の鼻音による連濁は先の音が鼻音=有声音ならば後の音も有声音であると発音しやすいという現象を示す)。
「後の音による無声音化現象」は、あくまでも例示だが、英語describe ラテン語describoが接尾辞-tion, -tioが後ろに接することによってb→pとなる事実(en: description, la: descriptio)に現れる。
ただし、接近音も標準的に有声音(声帯の振動を伴うもの)である。
つまり、[swa, kwa] 発音と [sva, kva] 発音のどちらが発音しやすいかとは、その発音者の能力・感覚(主観性)に依存するということであろう(cf. イスラエルの国歌"Hatikvah"ハティクヴァ)。
つまり、[swa, kwa] 発音と [sva, kva] 発音のどちらが発音しやすいかとは、その発音者の能力・感覚(主観性)に依存するということであろう(cf. イスラエルの国歌"Hatikvah"ハティクヴァ)。
なお、過去の日本でクワもといクヮ音=拗音のうちの合拗音(唇音化"labialization"の音"labialized" [ʷ] または [w] 付き二重子音)は、漢字音として発音されていたことが認められる(字音仮名遣いクワ・クヰ・クヱ・グヱなど。字の例は花・華・歸・外など)。
二重子音の無い日本語のうちにも、クヮとかキャといった音であれば二重子音とも取れるような音が有り得ることとなる(唇音化・硬口蓋化した音 [kʷa] [kʲa] に定めれば二重子音でない)。
何であれ、ヤ・ワ音、Y W音の半母音たる性質を、私は感じる。
インド言語の話をしていたので、それに関する「半母音たる性質」について一つ補足しよう。
サンスクリットなどに見られるサンディ(連音・連声)の例として、母音イで終わる単語の次に母音で始まる単語が来れば、そこはヤ行の音となり、母音ウで終わる単語の次に母音で始まる単語が来れば、そこはワ行の音となる現象が挙げられる。
この現象も、古代インドの音声学において半母音"antaḥstha"のうちにY W音が含まれる根拠ではなかろうか(それでは同じくその半母音のうちに含まれるL, R音がどのように半母音の性質を持っているかといえば、当記事で後に考察される通りである)。
続いて、日本語のワ行音・わ字(ワ・和)の話をする。
古代日本語の音素(および歴史的仮名遣い)は万葉仮名などによって推定・再建される。
冒頭に※注釈で示されたよう、「歴史的なハ行音素の変化である古代日本語*pa (パ 音価を理論上想定すると無声両唇破裂音 [pa])→上古日本語*fa (ファ 音価を理論上想定すると無声両唇摩擦音 [ɸa])→中世日本語*wa (ワ 音価を理論上想定すると両唇接近音 [β̞a])というハ行転呼」によるものは、古来からのワ行音と区別されるべきである。
ハ行転呼は、語中のものが主要である。
参考までに、名詞の例には「岩(いは"ipa, iɸa, ifa iwa")」・「家(いへ"ipe, iɸe, ife, iwe, 中世後期: iye? 現代: ie")」などがあり、動詞の例には「言ふ・言ひ・言へ・言はば(いふ・いひ・いへ・いはば ip-, iɸ-, if-, i∅-)」=四段活用ハ行などがある。
原則的に、語頭ワ行音はハ行転呼に由来するものでないと思われる(i.e. 語頭ハ行音はハ行転呼の対象でない)。
語頭ワ行音の例として、「分(わく・わかる・わける)、割る、悪(わるい・わるし・わろし)、井(ゐ)、酔(ゑふ)、尾(を)・居り」が挙げられる。
万葉仮名などから推定された古代日本語に、ワ行音が語中に現れづらいとすれば、ワ行音は半母音の性質があると観測できる。
そのことは、和歌において句中の母音が字余りで許容されるという道理(cf. 国学者見解)・エリジオンを比較されたい。
ただし、ワ行の音が語中に現れる例も少しあり、名詞の例には「声(こゑ"kowe" 現: こえ"koe" 結合辞: こわ"kowa")」・「故(ゆゑ"yuwe" 現代: ゆえ"yue")」・「青(あを"awo" 現代: あお"ao")」があり、形容詞の例には「弱し(よわ-"yowa-", 記事冒頭にも記される)」がある。
中でも、動詞「うえる(植える・飢える・餓える"ueru")」の文語体終止形「うう *uwu (連用形: うゑ) (実際にこの終止形がそういう万葉仮名で文献に載っているかどうかは未検証)」=下二段活用ワ行について(据えるも同系。用ゐる・率ゐるは上二段活用ゐる複合動詞なので除く)、かなりイレギュラーだという印象を私は覚える。
※語頭わ行の動詞であっても、文語体終止形「ゑふ *wepu (いろは歌に連用形・名詞化"ゑひもせす"とある)」が現代に「よう(酔う"you, yō")」となっており、かなりイレギュラーだという印象を私は覚える。ただし、後でそれを少し考え直し、その歴史的な音変化を推定すると /wepu/ → /wefu/ → /jefu/ → /jewu/ → /jou/ (よう you)として理に適うようでもある(その後に英語版Wiktionaryの「酔う」項目を見て同じような推定が載っていることを確認した)。
半母音・母音の性質について、このことに重要な示唆が含まれようか。
つまり、断定できないほど古代=原初からその日本語の語句の語中にワ行音があったか(世間の言語学者か在野研究者が各々ウラル語とかアルタイ語とかオーストロネシア語とかオーストロアジア語とかドラヴィダ語とかシナ・チベット語とか扶余語とかと日本語の起源・祖語を探る対象にあるような当時の外来語・借用語ということも有り得て若しそうならばそのまま受容されたか)、断定できないほど古代=原初には異なる音価だったかということであり、当記事では音韻論の上からの判断材料だけを示しておく。
何であれ、ヤ・ワ音、Y W音の半母音たる性質を、私は感じる。
インド言語の話をしていたので、それに関する「半母音たる性質」について一つ補足しよう。
サンスクリットなどに見られるサンディ(連音・連声)の例として、母音イで終わる単語の次に母音で始まる単語が来れば、そこはヤ行の音となり、母音ウで終わる単語の次に母音で始まる単語が来れば、そこはワ行の音となる現象が挙げられる。
この現象も、古代インドの音声学において半母音"antaḥstha"のうちにY W音が含まれる根拠ではなかろうか(それでは同じくその半母音のうちに含まれるL, R音がどのように半母音の性質を持っているかといえば、当記事で後に考察される通りである)。
続いて、日本語のワ行音・わ字(ワ・和)の話をする。
古代日本語の音素(および歴史的仮名遣い)は万葉仮名などによって推定・再建される。
冒頭に※注釈で示されたよう、「歴史的なハ行音素の変化である古代日本語*pa (パ 音価を理論上想定すると無声両唇破裂音 [pa])→上古日本語*fa (ファ 音価を理論上想定すると無声両唇摩擦音 [ɸa])→中世日本語*wa (ワ 音価を理論上想定すると両唇接近音 [β̞a])というハ行転呼」によるものは、古来からのワ行音と区別されるべきである。
ハ行転呼は、語中のものが主要である。
参考までに、名詞の例には「岩(いは"ipa, iɸa, ifa iwa")」・「家(いへ"ipe, iɸe, ife, iwe, 中世後期: iye? 現代: ie")」などがあり、動詞の例には「言ふ・言ひ・言へ・言はば(いふ・いひ・いへ・いはば ip-, iɸ-, if-, i∅-)」=四段活用ハ行などがある。
原則的に、語頭ワ行音はハ行転呼に由来するものでないと思われる(i.e. 語頭ハ行音はハ行転呼の対象でない)。
語頭ワ行音の例として、「分(わく・わかる・わける)、割る、悪(わるい・わるし・わろし)、井(ゐ)、酔(ゑふ)、尾(を)・居り」が挙げられる。
万葉仮名などから推定された古代日本語に、ワ行音が語中に現れづらいとすれば、ワ行音は半母音の性質があると観測できる。
そのことは、和歌において句中の母音が字余りで許容されるという道理(cf. 国学者見解)・エリジオンを比較されたい。
ただし、ワ行の音が語中に現れる例も少しあり、名詞の例には「声(こゑ"kowe" 現: こえ"koe" 結合辞: こわ"kowa")」・「故(ゆゑ"yuwe" 現代: ゆえ"yue")」・「青(あを"awo" 現代: あお"ao")」があり、形容詞の例には「弱し(よわ-"yowa-", 記事冒頭にも記される)」がある。
中でも、動詞「うえる(植える・飢える・餓える"ueru")」の文語体終止形「うう *uwu (連用形: うゑ) (実際にこの終止形がそういう万葉仮名で文献に載っているかどうかは未検証)」=下二段活用ワ行について(据えるも同系。用ゐる・率ゐるは上二段活用ゐる複合動詞なので除く)、かなりイレギュラーだという印象を私は覚える。
※語頭わ行の動詞であっても、文語体終止形「ゑふ *wepu (いろは歌に連用形・名詞化"ゑひもせす"とある)」が現代に「よう(酔う"you, yō")」となっており、かなりイレギュラーだという印象を私は覚える。ただし、後でそれを少し考え直し、その歴史的な音変化を推定すると /wepu/ → /wefu/ → /jefu/ → /jewu/ → /jou/ (よう you)として理に適うようでもある(その後に英語版Wiktionaryの「酔う」項目を見て同じような推定が載っていることを確認した)。
半母音・母音の性質について、このことに重要な示唆が含まれようか。
つまり、断定できないほど古代=原初からその日本語の語句の語中にワ行音があったか(世間の言語学者か在野研究者が各々ウラル語とかアルタイ語とかオーストロネシア語とかオーストロアジア語とかドラヴィダ語とかシナ・チベット語とか扶余語とかと日本語の起源・祖語を探る対象にあるような当時の外来語・借用語ということも有り得て若しそうならばそのまま受容されたか)、断定できないほど古代=原初には異なる音価だったかということであり、当記事では音韻論の上からの判断材料だけを示しておく。
続いて、ドイツ語ラテン文字におけるV・W字の話をする。
V(ファウ)字はファ系統=Fの音(無声唇歯摩擦音 [f])のみを発する(e.g. 前置詞von)。
ただし、"Verb, Vakuum"のようなラテン語由来の語句はヴァ系統=Vの音無声唇歯摩擦音 [v] だという。
ただし、"Verb, Vakuum"のようなラテン語由来の語句はヴァ系統=Vの音無声唇歯摩擦音 [v] だという。
W(ヴェー)字はヴァ系統発音だが、フォルクスワーゲン (Volkswagen)のようにsという無声音が直前にある時はワ発音となるような異音が有ろう。
そうなると、ハーケンクロイツ異称の元ネタであるインドのスヴァスティカをスワスティカ (Swastika; Svastika स्वस्तिक) と、ヘブライ文字の記号であるシュヴァー (Schwa; š’vā שווא / שְׁוָא) をシュワーと発音すべきであろう。
続いてロシア語キリル文字におけるV・W字の話をする。
в(ヴェー)字はヴァ系統・ファ系統がある。
ヴォルゴグラード・トヴェリ"Волгоград, Тверь"というヴァ系統の地名や、スラヴ系言語の人名なんとかフスキー、都市名なんとかフスクなどに用いられる(過去記事)。
ほか、酒の名であるウォッカ"водка"はヴァ系統(ヴォトカ→[ˈvotkə] Wiktionaryで発音ファイル付き)だが、日本語では慣習的にワ(ウァ)行のカナ表記を用いる。
ロシアの首都は通称「モスクワ」だが、キリル文字Москва́をロシア語読みすると、マスクヴァ [mɐˈskva] に近い。
モは強勢アクセントが置かれてマとして口の開きが広めの母音を伴う(Росси́яをロシアでなくラスィーヤといいрусскийをルースキーでなくてロースケイ≒露助というが如し)。
ワは実際の発音がヴァ系統となるが、音声学的理由が見当たらない。
理由とは、前後の音の相対性が挙げられ、それは必ずしも同じ道理が存したり同じ原因から同じ結果が起こるわけでない=「各言語ごとのクセがある」ということである。
先述ドイツ語は無声音Kとの調和によるスヴァ→スワという変化が観測されたが、ロシア語は無声音S (с)との調和によるクヴァ→クワ法則が適用されないのかもしれない。
しかし、それは先のインド言語に見るように、時代や地域が変われば別の話でもあろう。
すなわち、Москва́を現代ロシア語「マスクヴァ」のように発音せず、日本語カナ「モスクワ」に近い発音をするロシア語話者が別地域・別時代にいることも有り得る。
ただし、日本語カナ「モスクワ」はМосква́を翻字的に表記しただけで、実際の「モスクワ」に近い発音をするロシア語話者に由来した表記でないともいえる。
所詮、学問の仮説とは、ある一面に基づく真っ当な思考でいくつも理由(既に認知する事実とその推定)の挙げられる空虚なものである。
また、それを検証して合意が得られれば、当面、真実のように扱われて次の推定や仮説がいくつもされる。
言語学では、事実の例が少ない事柄・インフォーマント情報の不明瞭な事柄でさえ、学者が断定的に論ずることが多い(cf. 過去記事に載る神山2000における成節流音など)ので、過去の発音情報の整理と実在話者の発音例のデータベース化とがされて必要に応じて閲覧できればよい。
モは強勢アクセントが置かれてマとして口の開きが広めの母音を伴う(Росси́яをロシアでなくラスィーヤといいрусскийをルースキーでなくてロースケイ≒露助というが如し)。
ワは実際の発音がヴァ系統となるが、音声学的理由が見当たらない。
理由とは、前後の音の相対性が挙げられ、それは必ずしも同じ道理が存したり同じ原因から同じ結果が起こるわけでない=「各言語ごとのクセがある」ということである。
先述ドイツ語は無声音Kとの調和によるスヴァ→スワという変化が観測されたが、ロシア語は無声音S (с)との調和によるクヴァ→クワ法則が適用されないのかもしれない。
しかし、それは先のインド言語に見るように、時代や地域が変われば別の話でもあろう。
すなわち、Москва́を現代ロシア語「マスクヴァ」のように発音せず、日本語カナ「モスクワ」に近い発音をするロシア語話者が別地域・別時代にいることも有り得る。
ただし、日本語カナ「モスクワ」はМосква́を翻字的に表記しただけで、実際の「モスクワ」に近い発音をするロシア語話者に由来した表記でないともいえる。
所詮、学問の仮説とは、ある一面に基づく真っ当な思考でいくつも理由(既に認知する事実とその推定)の挙げられる空虚なものである。
また、それを検証して合意が得られれば、当面、真実のように扱われて次の推定や仮説がいくつもされる。
言語学では、事実の例が少ない事柄・インフォーマント情報の不明瞭な事柄でさえ、学者が断定的に論ずることが多い(cf. 過去記事に載る神山2000における成節流音など)ので、過去の発音情報の整理と実在話者の発音例のデータベース化とがされて必要に応じて閲覧できればよい。
備考: YとWの発音は古代ギリシャ語(紀元前5世紀アッティカ方言など)に有ったか?
不思議なことに、半母音YとWが、古典ラテン語(文字上は古層のラテン文字に無し)とサンスクリットには有っても、古代ギリシャ語(古代ギリシア語)にはその発音がされない。
古代ギリシャ語の「イデアー(イデア)"idea ἰδέα"(動詞εἶδονに関連。見た目、転じて哲学概念にも・女性名詞)」の同根語(印欧語根*weyd-)に、サンスクリットの「ウィディヤー(ヴィディヤー)"vidyā विद्या"(語根√vidより。目に見える事柄についての知性・知識のこと、ヒンドゥー教ではより神聖な概念に、大乗仏教では五明などの学問の名に、仏教全体では無明"avidyā, pi: avijjhā"のように否定接頭辞を付けても用いる・女性名詞)」やラテン語の「ウィデオー(ヴィデオ)"video" (見る・動詞・能動態・直説法・一人称・単数)」がある(英語の「ワイズ"wise"」も関連する)。
この「イデアー(イデア)」は、ヘレニック祖語で*widéhā (ウィデハー)と再建される。
現代ギリシャ語ではβ(ベータ)字が本来のB発音 [b] からV発音 [v] に変化して一般的に発音されるし、また外来語借用(cf. サヨナレス Σαγιονάρες)で有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] がある。
しかし、英語のY W [j, w] 日本語のヤ・ワに近似する音は今も無いか、条件異音として有り得る程度と思われる。
よしんば、これらが現代ギリシャ語に有るとても、古代ギリシャ語に有ったと考えづらいが、ここでは有ったという可能性も考察しよう。
しかし、英語のY W [j, w] 日本語のヤ・ワに近似する音は今も無いか、条件異音として有り得る程度と思われる。
よしんば、これらが現代ギリシャ語に有るとても、古代ギリシャ語に有ったと考えづらいが、ここでは有ったという可能性も考察しよう。
例えば、古代ギリシャ・小アジアの地名イオニア Ἰωνία (紀元前1300年代のヒエログリフにエジプト学再建音 /iːuːni ɑːʔɑ/ となる語が有ってイオニアを指すという・かつ"a hapax legomenon")は、古代ペルシャ語(古代ペルシア語)でヤウナ"Yauna 𐎹𐎢𐎴"、中期インド・アーリア語 MIA のパーリ語でヨーナ"Yona" (中部93経など。サンスクリットのヤヴァナorヤワナ"Yavana"はヨーナ=ヤウナからのBack-formation)、ペルシャ語・アラビア語・ヒンディー語でユーナーン"Yūnān یونان यूनान"というので、逆に考えると、古代ギリシャの一部地域・時代においてもイオニアをヨニャとかヨニア(長母音を考慮すればヨーニャー)とかと読んでいたことを推定できる(ちなみに1世紀ごろのユダヤ系ローマ人フラヴィウス・ヨセフスはイオニア人の祖先を聖書の人物「ヤーワーン יָוָן Yāwān, Yavan, Javan」に託したという)。
しかし、その直接の肯定的根拠や否定的根拠は何も無い。
イオニア Ἰωνία の古代ギリシャ語アッティカ方言の再建音は/i.ɔː.ní.aː/ イオーニアーである。
古典ラテン語ではI字がY発音(日本でいうキリスト教祖イエス・イエズスは古典ラテン語でイェースス"Iēsus, Yesus"とでもいえ再建された古代ギリシャ語ではイエースースないしイエスス Ἰησοῦς /i.ɛː.sôːs/ 聖書ヘブライ語ではイェーシューア יֵשׁוּעַ yēšū́aʿ だとかと云々)のためにも用いられたので、その古代エジプトに端を発するというイオニア様の発音が正しく伝わらなければ、ヨニャ様の発音がされることも有り得る。※ただし、イオニア様は4音節で、ヨニア様は3音節でヨニャ様は2音節であり、サンスクリットのヤワナは3音節でパーリ語のヨーナは2音節であるなど、音節の韻律の詩を擁する文化において同じ語が方言間・話者間で音節数が合わないと、問題が生じる。韻律の便宜上に連音(サンディ)の有無を決めることや単語の音節数を意図的に減らす・増やすことは古代インドでも古代ギリシャでも観測されるが、方言間・話者間で固定的に異なる音節の同義語があることは違う。例えばサンスクリットのhṛdayaに相当する語はどう訛っても3音節のまま(e.g. パーリhadaya アパブランシャhiaa हिअअ 後者は実際のMIA口語に有り得るか不明 cf. ヒンディー語 hiyā हिया アッサム語 hia হিয়া)であり、背景にその「音節の韻律の詩を擁する文化」を私は感じる(ただし2音節サンスクリットārya, 3音節パーリariyaのような例外も多い そのまた例外2音節パーリayyaもある)。
所詮は音素として定式的な発音をみなし得ても、過去の話者のどの程度の人々がそのような発音をしたとか、別の発音をしたとかということの一端を示すに過ぎない。
一応、ここで、I字=イ音が、ヤ行音・Y音・硬口蓋接近音、もしくは開拗音・上付きj音・硬口蓋化音と成り得ることを示した。
ラテン語・サンスクリット・古英語はYとWが有るので、印欧祖語もYとWが有る(e.g. *yū́ *weǵʰ-)と言語学において推定されている。
古代ギリシャ語に、YとWが基本的に無いとしても、非常時には有り得るか話者個人レベルでは有り得るか、より古いミュケーナイやヘレニック祖語では有り得る可能性も付記する。
※2018年10月27日、「ドイツ語ラテン文字におけるV・W字の話」に書こうとしたことを示す。ラテン文字Fはギリシャ文字「ディガンマ Ϝ (δίγαμμα またはワウ Ϝαῦ ウアウοὐαῦ)」に由来するがそれも先述のセム語派の文字ワウ"waw"に由来するという)。このディガンマは音素 /w/ だったというが、後述の「備考: YとWの発音は古代ギリシャ語(紀元前5世紀アッティカ方言など)に有ったか?」で語られるように、古代ギリシャ語の語彙には基本的に無いので、何らかの外来語・借用語のために用いられたろうか?なお、その(アッティカ方言)古代ギリシャ語よりも古いミュケーナイ・ギリシャ語に用いられた線文字B"Linear B"においては wa, wi, we, wo の4つの音節文字があり、その音韻論にも音素 /w/ が承認されていることを留意されたい。
※サンスクリット"Yavana"がパーリ"Yona"のような口語からのBack-formationであるという例示については反例もある。サンスクリットの接頭辞"ava- (下へ・下の)"はヴェーダにもあるとして、その複合語アヴァターラorアワターラ"avatāra"は後世のパーリでオーターラ"otāra (相応部20.8経など)"となる(反例かどうか未決だが文献学者らが議論しているものとして比較されたいもの→観音菩薩の「観」・アヴァローキタorアワローキタ"avalokita"が西暦5世紀以前に作られた像の碑文カローシュティー文字・ガンダーラ語と思われる語句"oloiśpara"、サンスクリットのアヴァダーナ"avadāna"がパーリのアパダーナ"apadāna")。種々の例について、一応参考にされたい。
ラテン語・サンスクリット・古英語はYとWが有るので、印欧祖語もYとWが有る(e.g. *yū́ *weǵʰ-)と言語学において推定されている。
古代ギリシャ語に、YとWが基本的に無いとしても、非常時には有り得るか話者個人レベルでは有り得るか、より古いミュケーナイやヘレニック祖語では有り得る可能性も付記する。
※2018年10月27日、「ドイツ語ラテン文字におけるV・W字の話」に書こうとしたことを示す。ラテン文字Fはギリシャ文字「ディガンマ Ϝ (δίγαμμα またはワウ Ϝαῦ ウアウοὐαῦ)」に由来するがそれも先述のセム語派の文字ワウ"waw"に由来するという)。このディガンマは音素 /w/ だったというが、後述の「備考: YとWの発音は古代ギリシャ語(紀元前5世紀アッティカ方言など)に有ったか?」で語られるように、古代ギリシャ語の語彙には基本的に無いので、何らかの外来語・借用語のために用いられたろうか?なお、その(アッティカ方言)古代ギリシャ語よりも古いミュケーナイ・ギリシャ語に用いられた線文字B"Linear B"においては wa, wi, we, wo の4つの音節文字があり、その音韻論にも音素 /w/ が承認されていることを留意されたい。
※サンスクリット"Yavana"がパーリ"Yona"のような口語からのBack-formationであるという例示については反例もある。サンスクリットの接頭辞"ava- (下へ・下の)"はヴェーダにもあるとして、その複合語アヴァターラorアワターラ"avatāra"は後世のパーリでオーターラ"otāra (相応部20.8経など)"となる(反例かどうか未決だが文献学者らが議論しているものとして比較されたいもの→観音菩薩の「観」・アヴァローキタorアワローキタ"avalokita"が西暦5世紀以前に作られた像の碑文カローシュティー文字・ガンダーラ語と思われる語句"oloiśpara"、サンスクリットのアヴァダーナ"avadāna"がパーリのアパダーナ"apadāna")。種々の例について、一応参考にされたい。
備考: "Y, W"系統に見る接近音と摩擦音の仮名表記問題
当記事で既に出された話題を、改めておさらいしよう。
一言いえば、接近音は多くの場合に(標準的に)有声音(声帯の振動を伴う)であるから、その接触・接近・閉鎖性が強まると有声摩擦音になる。
インド言語のIASTで"v"となる字・音素の発音は、主に有声唇歯摩擦音 [v] と唇歯接近音 [ʋ] に聴こえ、そのためにカタカナ表記ではヴァ行とワ行に分かれるという問題がある。
既述の通り、"v"となる字・音素の音価は、古代インド音声学・シクシャーに"dantoṣṭha (歯-唇のこと), antaḥstha"であり、そのために西洋音声学などで唇歯接近音 [ʋ] に音価を定める。
通念上、接近音として「ワ」に近い音である唇歯接近音 [ʋ] も、話者によっては「ヴァ」のように発せられるか、聴く者によってはますますそのように聴き取られるかもしれない。
また、理論的に「狭母音イは広母音アよりも接触・接近・閉鎖性が強まるので有声摩擦音になりやすい(dvaはドゥワのように発するがdviはドゥヴィのように発する者もいる)」ともいえる。
母音を発する際の関係部位の広さ・狭さは、例えば「舌の前後位置によって歯擦音化・硬口蓋化を起こしやすくなる現象(e.g. 古代日本語ti→現代日本語chi 古典ラテン語ti→教会ラテン語tsi・ロマンス諸語shi ただし二重子音stiは歯擦音化しない)」と同じように、子音の音価をも変える現象を起こす性質(自然言語を用いる民族が各々の発しやすい子音発音に変える)があると考えてもよい。
判断を困難にする例が「古代日本語tu→現代日本語tsu」という無声歯茎破裂音 [t] が狭母音たるuを受けて破擦音化 [t͡s] することである(du, tsuも同様)。
これについては「わ行う(ワ行ウ) /wu/ が日本語から無くなったことは接近音たるウ音の性質が話者にも聴く者にも紛らわしさを生じるし、古代よりこの音を持つ語彙(植える・植う uwuなど)が少なかったからだ」という説明から演繹して「た行う(タ行ウ)=つ /tu/ も同様だ」と単純に結論付けることが可能である(要するに相対性の観点で何か別の条件を示して中性化する)。
インド言語の /v/ 音素の聴こえ方の同様の例は、ヤ系統Y音にもある。
ドイツ語の"j"が「ヤーパン"Japan"」としてヤ行に表記されるも、日本語のヤ行が硬口蓋接近音 [j] であることに対してドイツ語の"j"が有声硬口蓋摩擦音 [ʝ]であるとするならば、これはジャ行にも表記できる。
スペイン語 -lla も、スペイン本土に対するメキシコ・アメリカ大陸などと発音の差を生じていて「有声硬口蓋摩擦音 [ʝ] ジャとヤの中間の音」のように説明されることが日本語版Wikipediaの記事「トルティーヤ(同じ綴りのスペイン語トルティージャも参照)」、「ジェイスモ(より日本語のジャ=有声歯茎硬口蓋破擦音 [ɖ͡ʐ]に似た音である有声歯茎硬口蓋摩擦音 [ʑ] の話題もある)」などに見られる。
一般世間(日本語領域)で外国語を表記する際、現状ではその言語に既存の「慣習的・慣用的・慣行的なカタカナ(カナ)表記」を参照して援用する(複数候補が有ればよりポピュラーなもの)しかないが、ここに示されたような音声学の音価を認知している者は、その人にとっての類音のカナを妥協レベル(筆者が稀に行うようなアイヌ文字用の小書きカナなどを用いない一般的な綴り)で用いることとなる。
言語学と、一般言語使用における慣用性・寛容さについて、過去記事(2017年5月10日)でも言及した(衒学的なことは相手によってとても歓迎されるがとても憎まれることもある。後者を厭う場合は学問知識は無窮・無上で真実は不可得・空と他者への自慢は空虚という真の自己満足=悟りの慈悲にすることができるので一般人に教える時は慣用的・寛容的なカナ表記ができる)。
どうしても何らかの特殊な発音や発音体系の言語をカナ文字で表記したいときは、Unicodeの何らかの領域(Katakana Phonetic ExtensionsやKana Supplement)を探すなど適宜にする。言語学・音声学方面の話題においては、特定言語のために整備されたラテン文字転写"transcription"か翻字"transliteration"か国際音声記号=IPAを用いて過度に説明せずにおけば、それも一つの処置となる(説明を求められたらば当記事のような長い説明を用いる)。
L
Lには母音や先述のY, Wにも似たソノリティ"sonority"があるので、響音"sonorant"であり、半母音のようでもある。
そのため、サンスクリット(事実上一語kḷpta कॢप्तのみ)やスラヴ系言語には、成節子音L /l̩/ がある(IAST; ḷ またはl̥)。
このことは、読者がLの音=歯茎側面接近音 [l] の調音部位・調音方法で母音を伴わずに「ウーー(ルーー lll)」とでも発してみれば、肉体的に実証できよう(なおサンスクリットの la ल はシクシャーで歯音"danta"と言われることから歯側面接近音 [l̪] だとする見解もある)。
このことは、読者がLの音=歯茎側面接近音 [l] の調音部位・調音方法で母音を伴わずに「ウーー(ルーー lll)」とでも発してみれば、肉体的に実証できよう(なおサンスクリットの la ल はシクシャーで歯音"danta"と言われることから歯側面接近音 [l̪] だとする見解もある)。
一般的な英語学では、"able, -able -ible"の語(フランス語経由・後期ラテン語由来)にある l が成節子音Lである(音素表記としては /bl̩/ など)とされるが、Lの側面接近を維持した音というよりも、母音とほとんど変わらない音である。
英語のL字は前後の音の相対性によって変わりやすい。
世間に見られる慣用カタカナ表記では、先に挙げた"able, -able -ible"がエイブル・-アブル・-イブルとされがちだが、母音の音にされたものに「アンビリーバボー "unbelievable"」がある。
この-アボーと同系の慣用カナは「アップル⇔アポー"apple", ピープル⇔ピーポー"people"」などがあり、みな語尾の-leが「オー(より似せてオゥ)」の音にカナ表記がされる。
これらのほか、"milk, feel, animal, vowel, bold, world"にある l は、"Dark L"と呼ばれるもので、音声学では軟口蓋歯茎側面接近音 [ɫ] に定められ、英語(および多くの主要言語)でこれが語頭の発音となることは無い。
ついでに、"milk, feel"を2種類のカナ表記にすれば「ミルク⇔ミゥク(ミォク)、フィール⇔フィーョ(フィーォ)」となる。
世間に見られる慣用カタカナ表記では、先に挙げた"able, -able -ible"がエイブル・-アブル・-イブルとされがちだが、母音の音にされたものに「アンビリーバボー "unbelievable"」がある。
この-アボーと同系の慣用カナは「アップル⇔アポー"apple", ピープル⇔ピーポー"people"」などがあり、みな語尾の-leが「オー(より似せてオゥ)」の音にカナ表記がされる。
これらのほか、"milk, feel, animal, vowel, bold, world"にある l は、"Dark L"と呼ばれるもので、音声学では軟口蓋歯茎側面接近音 [ɫ] に定められ、英語(および多くの主要言語)でこれが語頭の発音となることは無い。
ついでに、"milk, feel"を2種類のカナ表記にすれば「ミルク⇔ミゥク(ミォク)、フィール⇔フィーョ(フィーォ)」となる。
ロマンス語の一部においては、"ll"の綴りがラテン語・イタリア語のような長子音 [lː] でなくなっている。
例えば、古典ラテン語で"mille"と綴られてイタリア語"mille" ミッレと発せられるような音は、フランス語"mille" ミル、スペイン語・ポルトガル語"mil" ミルのように変化している。
更には、スペイン語の-illa, フランス語-ille がトルティーヤ"tortilla [toɾˈtiʎa] 墨・米 [t̪orˈt̪iʝa]"(スペイン料理)・ミルフィーユ"mille-feuille [mil fœj]"(フランス菓子)・マルセイユ"Marseille [maʁsɛj]"(フランス都市)・ヴェルサイユ"Versailles [vɛʁsaːj]"(フランス都市)などとカタカナ表記をされるように、「laのようなLっぽさ」が無い発音となっている。
具体的にスペイン語の-illaの-ヤは-iʎa (子音ʎは硬口蓋側面接近音)またはメキシコ系-iʝa (子音ʝは有声硬口蓋摩擦音)となり、フランス語の-illeの-ユは-**j (子音jは硬口蓋接近音)となっている。
フランス語の-illeは、日本語のヤ行の子音・Y音素と同じ音価(硬口蓋接近音)に変わっているので、LとYの類似性を窺うことができる。
例えば、古典ラテン語で"mille"と綴られてイタリア語"mille" ミッレと発せられるような音は、フランス語"mille" ミル、スペイン語・ポルトガル語"mil" ミルのように変化している。
更には、スペイン語の-illa, フランス語-ille がトルティーヤ"tortilla [toɾˈtiʎa] 墨・米 [t̪orˈt̪iʝa]"(スペイン料理)・ミルフィーユ"mille-feuille [mil fœj]"(フランス菓子)・マルセイユ"Marseille [maʁsɛj]"(フランス都市)・ヴェルサイユ"Versailles [vɛʁsaːj]"(フランス都市)などとカタカナ表記をされるように、「laのようなLっぽさ」が無い発音となっている。
具体的にスペイン語の-illaの-ヤは-iʎa (子音ʎは硬口蓋側面接近音)またはメキシコ系-iʝa (子音ʝは有声硬口蓋摩擦音)となり、フランス語の-illeの-ユは-**j (子音jは硬口蓋接近音)となっている。
フランス語の-illeは、日本語のヤ行の子音・Y音素と同じ音価(硬口蓋接近音)に変わっているので、LとYの類似性を窺うことができる。
英単語"palm"と"salmon"は、それぞれカナで「パーム」、「サーモン」となるし、IPA表記や一般的な発音例で見ても /pɑːm/(UK) /pɑm/(US), /ˈsæmən/ となるなどエル発音を思わせない。
前者の単語は、語源のラテン語で"palma"とあり、「手のひら (palm of the hand)」と「アブラヤシの木 (palm tree)」を意味することは共通語源のものとして辞書に定義される。
この単語の語形は、それと別の語源である意味も与えられており、それは"parma"(パルマ、盾の一種)からの派生である (一辞書の説明に collateral とあるが傍系形容詞 collateral adjective のことではない、この段落に紹介される単語は全て名詞) とされ、なぜか l と r とが置き換わる現象が発生しているようである(過去に実際にパルマ盾を指して"palma"と綴る文献が、いつどれほど多かったかについては未調査)。
前者の単語は、語源のラテン語で"palma"とあり、「手のひら (palm of the hand)」と「アブラヤシの木 (palm tree)」を意味することは共通語源のものとして辞書に定義される。
この単語の語形は、それと別の語源である意味も与えられており、それは"parma"(パルマ、盾の一種)からの派生である (一辞書の説明に collateral とあるが傍系形容詞 collateral adjective のことではない、この段落に紹介される単語は全て名詞) とされ、なぜか l と r とが置き換わる現象が発生しているようである(過去に実際にパルマ盾を指して"palma"と綴る文献が、いつどれほど多かったかについては未調査)。
こういった点を挙げれば多岐にわたるが、これだけでもLが「半母音、響音」の性質を備えた=事実の例に見えるような発音例があると理解できる。
過去記事および動画説明文に私は「どの学問や議論にも言えることを一つ書くと、どこにどういう事実があると見出せば論者たちは一喜一憂したり、その事実認識を証拠として論議が繰り返されるのであろうが、私は確かに掴んだ手掛かりを世俗中の頼りとし、精神的な迷いを捨てることで、世俗中の目的(現世的な願望・学問や芸術)が達成されてゆくことを期す」と書いた。
Lという字とその発音の事実相を挙げて分析するほど、空"emptiness"の真理が現れる。
すなわち、Lという概念と名称が無く、当然、本質"essense"・客観的存在"objective existence"も無いということである。
※なおトルティーヤ・ミルフィーユ(-lla, -lle)云々の話題や、「本質」ということは当ブログ2015年9月7日の記事にも書いてある。当記事で「(何の音と字であれ)本質"essense"は無い」と書いたことは色々な理由が言えるし、既に記されてもいる。当時は「"J"の字が本質的に"I, Y"などイ・硬口蓋接近音だ」と捉えていたが、要するに、それであっても学問的に考察すれば、ラテン文字・ギリシャ文字・セム語派の文字・エジプトのヒエログリフというようなものの各々の発生経緯を分析すれば、学問的にも「最古の本質」ということは相対的なもの(価値判断のできる人類"Homo sapiens"が必要に応じた用いたもの)であって絶対的なものとみなすことはできず、「本質"essense"」がナンセンスとなるという「空の真理が現れる」という話である。
※なおトルティーヤ・ミルフィーユ(-lla, -lle)云々の話題や、「本質」ということは当ブログ2015年9月7日の記事にも書いてある。当記事で「(何の音と字であれ)本質"essense"は無い」と書いたことは色々な理由が言えるし、既に記されてもいる。当時は「"J"の字が本質的に"I, Y"などイ・硬口蓋接近音だ」と捉えていたが、要するに、それであっても学問的に考察すれば、ラテン文字・ギリシャ文字・セム語派の文字・エジプトのヒエログリフというようなものの各々の発生経緯を分析すれば、学問的にも「最古の本質」ということは相対的なもの(価値判断のできる人類"Homo sapiens"が必要に応じた用いたもの)であって絶対的なものとみなすことはできず、「本質"essense"」がナンセンスとなるという「空の真理が現れる」という話である。
ただし、これは哲学の話題の記事でなく、言語学的な考察をすべき記事なので、その点を1つ言い直そう。
印欧祖語=インド・ヨーロッパ祖語とその末裔の言語の関係性に興味のある人は、おおよそ、このLの原初の発音(想定上の最初の印欧語話者グループの標準的な音価)を歯茎側面接近音 [l] と信じるであろう。
これについて直接の肯定も否定もできないが、仮説や信仰の範疇で私も歯茎側面接近音 [l] とみなし、信じている。
以下、R字とその発音に関しても先に結論を出すと、その原初の発音を私は歯茎ふるえ音 [r] とみなし、信じている(ただし近頃はインド音声学の考察を深めながら複数のヨーロッパ言語を鑑みて反舌接近音[ɻ] か 歯茎はじき音[ɾ]だとも考えることも多い)。
R
Rには母音や先述のY, Wにも似たソノリティ"sonority"があるので、響音"sonorant"であり、半母音のようでもある。
そのため、スラヴ系言語やサンスクリットには、成節子音R /r̩/ がある(IAST: ṛ またはr̥)。
スラヴ系言語にある成節子音Rは、チェコ語・スロバキア語の早口言葉"Strč prst skrz krk IPA: [str̩t͡ʃ pr̩st skr̩s kr̩k]"が分かりやすい。
興味のある方は、当該Wikipediaほか、YouTubeなど多くのサイトで発音を聴けばよい。
現代のインド人らによるサンスクリット・ヴェーダ系の成節子音Rの口頭での発音の例を聴きたい方は、筆者が2018年4月23日に投稿した動画を参照されたい(それら音声転用の他に筆者による実践の音声がある)。
https://www.youtube.com/watch?v=rs7Mvis6-TA
ソノリティのことは、読者がRの音=歯茎ふるえ音 [r] の調音部位・調音方法で母音を伴わずに「ルルル rrr」とでも発してみれば、肉体的に実証できよう。
興味のある方は、当該Wikipediaほか、YouTubeなど多くのサイトで発音を聴けばよい。
現代のインド人らによるサンスクリット・ヴェーダ系の成節子音Rの口頭での発音の例を聴きたい方は、筆者が2018年4月23日に投稿した動画を参照されたい(それら音声転用の他に筆者による実践の音声がある)。
https://www.youtube.com/watch?v=rs7Mvis6-TA
ソノリティのことは、読者がRの音=歯茎ふるえ音 [r] の調音部位・調音方法で母音を伴わずに「ルルル rrr」とでも発してみれば、肉体的に実証できよう。
Rの音価は各言語・個人レベルで様々に異なる部分もあるが、英語の接近音R=反舌接近音 [ɻ] (他に歯茎接近音 [ɹ] 後部歯茎接近音 [ɹ̠] など)の調音部位・調音方法で母音を伴わずに「ウーー rrr」とでも発してみれば、肉体的に実証できよう。
ふるえ音Rや接近音Rは、みなソノリティがある。
※フランス語・ドイツ語に見られる有声口蓋垂摩擦音 [ʁ] やふるえ音 [ʀ] も同様。後者を持続させるならば、いびきのように口蓋垂(のどちんこ)を鳴らす状態を持続した発音となる(その音を顕著にして練習し続けるとグロウル・デスボイスのように喉を傷める恐れがある)。ただし、はじき音"flap consonants"の類はソノリティが破裂音と変わらない印象である。
サンスクリットとインド・アーリア語派の最古のヴェーダ語にある成節子音R = IAST: ṛ (Dev. ऋ)は、パーリ語だとa, i, uのいずれかに変化する。
以下、その例をサンスクリット(ヴェーダ)→パーリの順に挙げるが、併記されたカタカナは慣用的な表現であり、音声学的な正確さに基づくものでない。
サンスクリタ"saṃskṛta"→サンカタ"saṅkhata"
フリダヤ"hṛdaya"→ハダヤ"hadaya" (後世のプラークリット・アパブランシャ: ヒアア"hiaa" हिअअ )
※フリダヤ・ハダヤという「心・心臓"heart; cardia καρδιά"」を意味する言葉はラテン語corやヒッタイト語kerなどによって印欧祖語で*ḱḗrと再建されており、斜格系で*ḱr̥d-という成節子音Rが現れるとみなされている。ヴェーダと同じインド・イラン語派の古典「アヴェスター」のアヴェスター語ではzərəd, zarəδaiia ザラザヤのような発音で介音がある。ヴェーダ系以外に成節子音が見られないことと現代スラヴ系言語の成節子音が後世の転訛によるものという前提から「印欧祖語に成節子音(l, r, n, m)は無い」とみなす学者もいる。なお、動詞語根や過去分詞にある成節子音Rはそれを原形とみなした際にグナ音"a"やヴリッディ音"ā"に子音 r が続く形にもなる(e.g. 「死ぬ √mṛ」 ムリタmṛta →マラナmaraṇa →マーラヤティmārayati cf. 漢梵兼語: 断末魔"danmatsuma" 英語murder, ラテン語由来英語mortal)。
プリティヴィー"pṛthivī" (プリトゥヴィー"pṛthvī"とも)→パタヴィー"pathavī"
リシ"ṛṣi"→イシ"isi"(パーリ語からの漢訳文献・善見律毘婆沙: 伊私 いし)
グリドラ"gṛdhra"→ギッジャ"gijjha"
プリタグジャナ"pṛthagjana"→プトゥッジャナ"puthujjana" (サンスクリット仏典とパーリ仏典にそれぞれの語形で載っているが前の語幹の単語のヴェーダ語源は少し異なるかも i.e. पृथक् pṛthak系 पृथु pṛthu系)
このようにパーリ語では、サンスクリットやヴェーダ語の成節子音Rが次の音節の母音と同じものに変化する傾向が強いため、「母音調和"vowel harmony" (フィンランド語とかトルコ語とか韓国語とかの接辞が顕著な膠着語系統ための用語なので普通はこう用いない cf. 母音交替"apophony")」が強いと考えられる。
※その母音調和が有り得るか不明瞭となる音変化に リグ・ヴェーダ"ṛg-veda"→イルッベーダ"irubbeda" があるが、それはパーリ三蔵(律蔵・経蔵・論蔵)のうちに無くて5世紀以降のブッダゴーサ"Buddhaghosa"よりも後のパーリ復注ティーカー"ṭīkā"に初めて現れる単語なので、紀元前(BCE)からインド・アーリア語派の古い口語として存在するパーリ語に本来は有り得ない語形と考えてよい。そうなると先例グリドラ"gṛdhra"→ギッジャ"gijjha"はなぜ成節子音が単独で"i"に変化したかといえば同様の話がされる過去記事に反舌Rと硬口蓋音との関連を示唆して説明した。しかし、他にも類例があるであろうし、それが押し並べて同じ説明で通用するものと限らない(cf. トリティーヤ"tṛtīya"→タティヤ"tatiya")。要はイレギュラーな音変化も方言学的に許容される必要があるし、もし客観的な理由を求めるならば特殊な経緯が考えられる。
プリタグジャナ"pṛthagjana"→プトゥッジャナ"puthujjana" (サンスクリット仏典とパーリ仏典にそれぞれの語形で載っているが前の語幹の単語のヴェーダ語源は少し異なるかも i.e. पृथक् pṛthak系 पृथु pṛthu系)
このようにパーリ語では、サンスクリットやヴェーダ語の成節子音Rが次の音節の母音と同じものに変化する傾向が強いため、「母音調和"vowel harmony" (フィンランド語とかトルコ語とか韓国語とかの接辞が顕著な膠着語系統ための用語なので普通はこう用いない cf. 母音交替"apophony")」が強いと考えられる。
※その母音調和が有り得るか不明瞭となる音変化に リグ・ヴェーダ"ṛg-veda"→イルッベーダ"irubbeda" があるが、それはパーリ三蔵(律蔵・経蔵・論蔵)のうちに無くて5世紀以降のブッダゴーサ"Buddhaghosa"よりも後のパーリ復注ティーカー"ṭīkā"に初めて現れる単語なので、紀元前(BCE)からインド・アーリア語派の古い口語として存在するパーリ語に本来は有り得ない語形と考えてよい。そうなると先例グリドラ"gṛdhra"→ギッジャ"gijjha"はなぜ成節子音が単独で"i"に変化したかといえば同様の話がされる過去記事に反舌Rと硬口蓋音との関連を示唆して説明した。しかし、他にも類例があるであろうし、それが押し並べて同じ説明で通用するものと限らない(cf. トリティーヤ"tṛtīya"→タティヤ"tatiya")。要はイレギュラーな音変化も方言学的に許容される必要があるし、もし客観的な理由を求めるならば特殊な経緯が考えられる。
サンスクリットやヴェーダ語の成節子音Rは音素 /r̩/ と表現できても、近代(主に19世紀)にインド各地のバラモンたち(西部や南部やベンガル地域など)はそれぞれどう発しているかという報告が不足しているし、パーリ語以外のインド・アーリア語の口語における音変化も詳らかでないため、その音価が2000年以上前はいかなるものであったか、判断が困難である。
ただ、パーリ語における音変化を見て、私はRの接近音・響音たる性質"sonority"を感じている。
英語学における一見解として、"better"の語にある r が成節子音Rの音素 /r̩/ であるというが、実際の発音・音価はR音性の母音([ɚ, ɑ˞] など)である。
その音価は英語のR発音自体が反舌接近音 [ɻ] (他に歯茎接近音 [ɹ] など)であることに関連しているので、スラヴ系言語やサンスクリットの成節子音Rとは音韻構造も聴こえも全く異なる。
英語のR発音は、同様に日本語のラ行(主に歯茎はじき音 [ɾ])や西洋言語古典風の発音に多いR音(歯茎ふるえ音 [r] ルラァ的なもの・いわゆる巻き舌)とかなり異なる。
先述のサンスクリットの成節子音Rは「ルルル(無母音で続けて発する)」というような歯茎ふるえ音 [r] か反舌ふるえ音のようなもの(サンスクリットのR字・R音素自体は反舌はじき音 [ɽ] などでもよいがはじき音"flaps"にはソノリティが乏しくて現代ヒンディー語のような ऋ /ɾi/リ発音(子音に付く場合はクリ कृ)でないと母音的に用いることが困難)だと私は考えてきたが、最近は英語的な接近音に近い音ではないかとも考えている。
なぜならば、今までも説明されたように、インド音声学シクシャー・日本悉曇学などで多くの書に半母音系統"antaḥstha"として"ya, ra, la, va य र ल व"が挙げられ(ただし安然「悉曇蔵 (大正蔵2702 V. 84)」はva音素を唇系の摩擦音系統"ūṣman"として分類する)、そこに र R字 (repha रेफ)・R音素が含まれるためである。
かつ、そのR字について、調音部位が反舌"mūrdhan (JBud. 舌頭 en: cerebral)"であるとしている。
シクシャー・悉曇学に定義されたサンスクリットR字の調音部位が"mūrdhan"で音の種類が"antaḥstha"であるということは、そのまま理解すると「反舌・半母音"semivowel"(接近音"approximant")」となる。
これらの説は、古くからの伝承であって当時から音素を整然と区分していても、その音価は必ずしも詳細に読み取ることができない(ただし1000年以上前の地球上の文明にこれほど詳細に言語発音が説明されたことは無い点で有り難くもある)。
色々な推測・憶測ができてしまうため、サンスクリットR音素の音価の判断が困難である(後の「なお①」も参照)。
したがって、サンスクリット=ヴェーダの成節子音Rの音も、英語的な接近音かスラヴ系と同じふるえ音か、判断が困難である。
備考: 反舌接近音(そり舌接近音) [ɻ] の特殊性
アメリカ英語などでは、R字が語頭にあるか・母音を伴っている時、反舌接近音 [ɻ] で発せられる。
このR音に似た音を日本語で探すならば、「ら行」音よりも、「わ行」音に近い。
ほとんどの日本語話者は「わ行」音を両唇接近音 [β̞] か両唇軟口蓋接近音 [w] で発しているが、極一部の日本語話者が常に・特定の日本語話者が稀に、わ行音を軟口蓋接近音 [ɰ]で発すれば、それがR反舌接近音 [ɻ] に近いと言える。
現代中国語で語頭がピンイン r 字の発音 [ɻ] [ʐ] は、歴史的にみな語頭が硬口蓋鼻音 [ɲ] だった(それはただ音素だともいえて音価としては複数の異音 [nʲ] [ȵ] も有り得る)と考えられる(日本"nit-pon, ri-ben"=ニッポン、ジーペンかリーベンのようなもの)。
そのことは過去記事でも示されているが、ここにIPA音価で歴史的な音変化を示すと [ɲ] (ニャ系) → [ȵʑ] (ジャ系、prenasalized?) → [ʐ] (ズャ系統だが一部話者は反舌接近音 [ɻ]) となる(日本の呉音⇔漢音や広東語音⇔閩南語音の比較をすれば明解であるし、自ら発音して音ごとの類似性を触覚で感じても理解しやすい)。
更に、二・児(兒)・爾(尓)といった字は er化 (R音性母音 [ɚ])となる(爾・尓字 ěr は現代で外来語のɚ・無母音L・R音写に用いられる→アイルランド"Ireland 爱尔兰" アルバニア"Albania 阿尔巴尼亚" しかしアルメニア"Armenia"は亚美尼亚で用いられず。他に語尾-l, -r音 ソウル"Seoul 首尔" 語尾-rは英語・ドイツ語・オランダ語・フランス語などで参照。他の使用例1, 2 これらは色々な例外も見られた)。
朝鮮語では近代まで [ɲ] 系統だったものが現代朝鮮語・韓国語 [j] (ヤ系統Y音だがyi音はヤ行イが現代日本語に無いように [∅] 無子音、いわゆるイルボン 일본 ilbon)となる(cf. タイ語 ญี่ปุ่น yîi-bpùn 広東語Jyutpin粵拼 jat6 bun2 [jɐt˨ pun˧˥])。
これらは「広義の硬口蓋音(反舌音もこのうちでイ音のみ無子音のようにも成り得る)」を移動してきた、正常な音変化と考えてよい。
※「正常な」とは、「自然な・標準的な・規則的な・推定しやすい」という言い換えもできる。それは、この東アジア広域(気候の差が多少あっても構わない)の言語だと蓋然的に言えるのであって少し場所や文明が変わると、そういった蓋然性による推定が通用しないこともある。
反舌接近音 [ɻ] の特殊性により、現代言語におけるR字の作用から歴史的な音変化を窺う。
ノルウェー語とスウェーデン語はRの字がSの前にあるとき、Sが無声歯茎摩擦音 [s] でなく無声反舌摩擦音 [ʂ] となる。
ノルウェー人の自称は「ノシュク"norsk"」であり、この「シュ"rs"」が無声反舌摩擦音 [ʂ] となっている(口語の名称もニーノシュク"nynorsk"という…発音例は現地語の何らかの動画音声を参照すればよい)。
このノルウェー語・スウェーデン語(ゲルマン語派)のほかには、ポーランド語(スラヴ語派)の"sz"に加え、その有声音 [ʐ] たる"rz"もある(英語版Wikipedia - Polish phonologyには破擦音も示される)。
※余談だが、二重字"digraph"のうちrで始まるものは非ラテン文字の言語(アボリジニ系など)の反舌音の子音に用いられる傾向があることは、アメリカ英語の反舌Rやノルウェー語・スウェーデン語・ポーランド語の"rs, rz"表記から影響を受けて近現代に出来たと考えてよい。要するに、ノルウェー語・スウェーデン語"norsk"はノルド"nord"的な同根語からして本来は二字一音でなく子音の連結であってゲルマン祖語*nurþrazに繋がるものであり、後世に非ラテン文字の言語で二重字"rs, rz, rt, rd, rn"などで反舌音が示されても伝統的にラテン文字系統を用いてきたかノル・スウェと成立経緯が全く異なるということである。ポーランド語の"sz, rz"は"rzeka"がロシア語"река"などに比較的できるようにノル・スウェと成立経緯が異なる。
※その更なる余談だが、先例のうち、ノルウェー語"rs"とポーランド語"rz"とが一部の方言において、反舌音でない「変わったR音」で発せられる。ともに、「上より無声歯茎ふるえ音 [r̝̊] (voiceless alveolar raised non-sonorant trill)」になる例がある(前者の方言はオスロ以北の各地、後者の方言はワルシャワ以北の各地)という。また、後者の方言には「上より有声歯茎ふるえ摩擦音 [r̝] (voiced alveolar fricative trill)」になる例があるともいう。
去年まで、筆者は「無声反舌摩擦音 [ʂ] が中国語普通話(Pinyin: sh)やインド・アーリア語派やドラヴィダ語族(主にタミル語以外)などのインド地域の言語に有ってヨーロッパには無い」と思っていた。
※参考までに、中国語漢字音の反舌音(捲舌音 ㄓ ㄔ ㄕ ㄖ)のうちの無声反舌摩擦音 [ʂ] は「數・数 shǔ (ㄕㄨˇ cf. 呉音: シュ 漢音: ス 慣用音: すう 他にサクのような同字異音異義もshuòで反舌音)」が例になる。その中古音・上古音は‹ srjuX › , /*s-roʔ/ (バクスター・サガール式。Xは上声トーン記号)となる。前者の時の r は前の s と合わせて無声反舌摩擦音を表す(cf. カールグレン式 /ʂi̯uX/)が、後者の時の r は二重子音・響音・流音としての r であるという。簡単にカナ表記すると、前者はシュ(反舌音)で後者はスロ(二重子音)、ということになる。つまり、現代の漢語学問・音韻学の人は、推定された上古音の時代に r が二重子音として発音され。それらが「數」のような反舌音の漢字となった(ただし逆に反舌音の漢字"書, 占"など全てが上古音で二重子音 r を有していたわけでない)と考えている。上古音再建案の事実性はともかく、学者の思考にさまざまな条件要素が伴っていることは確認できた。反舌音の発生経緯に後世の条件依存があるという意味で、英語の反舌接近音やノルウェー語などの反舌摩擦音の考察の一助にされたい。
なお①、サンスクリットもといヴェーダ語以来のインド言語ではR音 IASTで"r, ṛ (普通の子音と成節子音)"が何らかの位置にあるとき、次の子音"t, th, d, dh, s, n"は反舌音"ṭ, ṭh, ḍ, ḍh, ṣ, ṇ"になる。
これは反舌音の連声・連音・サンディの現象である(同器官的子音"homorganic consonant"があるので同器官化"homorganization"とも記したいがそのような用語は使われていないそう→同化"assimilation"という)。
この現象は、母音と唇系の音がある場合も有効であり、その例は"karaṇa (√kṛ + na)"や"pariṇāma (pari + √nam)"や"brāhmaṇa (√brah + na)"である。
このR音を、私にとって従来に考えられた歯茎ふるえ音 [r] や反舌ふるえ音 [ɽ͡r] や反舌はじき音 [ɽ] ではなく、反舌接近音 [ɻ] の方が自然ではないかと近頃の私は考えている。
サンスクリット「ドリシュティ"dṛṣṭi"」やパーリ語「ディッティ"diṭṭhi"」(ともに単語の意味は「見解」でパーリ語の単語からはヴェーダ・サンスクリットの成節子音R "ṛ"が消えて"i"となるが化石的に反舌T "ṭ"が長子音・有気音で現れる)あたりを発音して検証すればよい。
なお②、スウェーデン語・ノルウェー語の通常の r は、音価が歯茎ふるえ音 [r] 歯茎はじき音 [ɾ] 反舌はじき音 [ɽ]など多種あり、ポーランド語では歯茎ふるえ音 [r] のみとされる(中国語ピンイン r は先述の通りに反舌接近音 [ɻ] と 有声反舌摩擦音 [ʐ])。
この「備考」は、Rが半母音たる立場を兼ねているという「本題」を外れているものだが記される。
一つ言い直せば、サンスクリット=ヴェーダの成節子音Rが「ふるえ音」としてソノリティを有するよりも、英語R発音や他の半母音Y・Wのような「接近音」としてソノリティを有している可能性が、往古(パーリ語などBCE中期インド・アーリア語の口語発生のころ、ヴェーダ伝承への考察次第ではもっと早い古インド・アーリア語のころ)にあったことを示唆しておくが、なお①を書いて以後に考え直して「kとs二重母音はkṣでないとならない法則(e.g. vakṣyati)」や「語末-sの語幹が後続の音によって-ṣや-rや-ḥなどで現れる法則の内にṣがあること(e.g. nis→niṣprapañca, dyaus→dyauṣpitā 某書47によると語末-sの前の子音や母音の条件が主要という)」などを私は顧みた。
その音価は英語のR発音自体が反舌接近音 [ɻ] (他に歯茎接近音 [ɹ] など)であることに関連しているので、スラヴ系言語やサンスクリットの成節子音Rとは音韻構造も聴こえも全く異なる。
英語のR発音は、同様に日本語のラ行(主に歯茎はじき音 [ɾ])や西洋言語古典風の発音に多いR音(歯茎ふるえ音 [r] ルラァ的なもの・いわゆる巻き舌)とかなり異なる。
なぜならば、今までも説明されたように、インド音声学シクシャー・日本悉曇学などで多くの書に半母音系統"antaḥstha"として"ya, ra, la, va य र ल व"が挙げられ(ただし安然「悉曇蔵 (大正蔵2702 V. 84)」はva音素を唇系の摩擦音系統"ūṣman"として分類する)、そこに र R字 (repha रेफ)・R音素が含まれるためである。
かつ、そのR字について、調音部位が反舌"mūrdhan (JBud. 舌頭 en: cerebral)"であるとしている。
シクシャー・悉曇学に定義されたサンスクリットR字の調音部位が"mūrdhan"で音の種類が"antaḥstha"であるということは、そのまま理解すると「反舌・半母音"semivowel"(接近音"approximant")」となる。
これらの説は、古くからの伝承であって当時から音素を整然と区分していても、その音価は必ずしも詳細に読み取ることができない(ただし1000年以上前の地球上の文明にこれほど詳細に言語発音が説明されたことは無い点で有り難くもある)。
色々な推測・憶測ができてしまうため、サンスクリットR音素の音価の判断が困難である(後の「なお①」も参照)。
したがって、サンスクリット=ヴェーダの成節子音Rの音も、英語的な接近音かスラヴ系と同じふるえ音か、判断が困難である。
備考: 反舌接近音(そり舌接近音) [ɻ] の特殊性
アメリカ英語などでは、R字が語頭にあるか・母音を伴っている時、反舌接近音 [ɻ] で発せられる。
このR音に似た音を日本語で探すならば、「ら行」音よりも、「わ行」音に近い。
ほとんどの日本語話者は「わ行」音を両唇接近音 [β̞] か両唇軟口蓋接近音 [w] で発しているが、極一部の日本語話者が常に・特定の日本語話者が稀に、わ行音を軟口蓋接近音 [ɰ]で発すれば、それがR反舌接近音 [ɻ] に近いと言える。
現代中国語で語頭がピンイン r 字の発音 [ɻ] [ʐ] は、歴史的にみな語頭が硬口蓋鼻音 [ɲ] だった(それはただ音素だともいえて音価としては複数の異音 [nʲ] [ȵ] も有り得る)と考えられる(日本"nit-pon, ri-ben"=ニッポン、ジーペンかリーベンのようなもの)。
そのことは過去記事でも示されているが、ここにIPA音価で歴史的な音変化を示すと [ɲ] (ニャ系) → [ȵʑ] (ジャ系、prenasalized?) → [ʐ] (ズャ系統だが一部話者は反舌接近音 [ɻ]) となる(日本の呉音⇔漢音や広東語音⇔閩南語音の比較をすれば明解であるし、自ら発音して音ごとの類似性を触覚で感じても理解しやすい)。
更に、二・児(兒)・爾(尓)といった字は er化 (R音性母音 [ɚ])となる(爾・尓字 ěr は現代で外来語のɚ・無母音L・R音写に用いられる→アイルランド"Ireland 爱尔兰" アルバニア"Albania 阿尔巴尼亚" しかしアルメニア"Armenia"は亚美尼亚で用いられず。他に語尾-l, -r音 ソウル"Seoul 首尔" 語尾-rは英語・ドイツ語・オランダ語・フランス語などで参照。他の使用例1, 2 これらは色々な例外も見られた)。
朝鮮語では近代まで [ɲ] 系統だったものが現代朝鮮語・韓国語 [j] (ヤ系統Y音だがyi音はヤ行イが現代日本語に無いように [∅] 無子音、いわゆるイルボン 일본 ilbon)となる(cf. タイ語 ญี่ปุ่น yîi-bpùn 広東語Jyutpin粵拼 jat6 bun2 [jɐt˨ pun˧˥])。
これらは「広義の硬口蓋音(反舌音もこのうちでイ音のみ無子音のようにも成り得る)」を移動してきた、正常な音変化と考えてよい。
※「正常な」とは、「自然な・標準的な・規則的な・推定しやすい」という言い換えもできる。それは、この東アジア広域(気候の差が多少あっても構わない)の言語だと蓋然的に言えるのであって少し場所や文明が変わると、そういった蓋然性による推定が通用しないこともある。
反舌接近音 [ɻ] の特殊性により、現代言語におけるR字の作用から歴史的な音変化を窺う。
ノルウェー語とスウェーデン語はRの字がSの前にあるとき、Sが無声歯茎摩擦音 [s] でなく無声反舌摩擦音 [ʂ] となる。
ノルウェー人の自称は「ノシュク"norsk"」であり、この「シュ"rs"」が無声反舌摩擦音 [ʂ] となっている(口語の名称もニーノシュク"nynorsk"という…発音例は現地語の何らかの動画音声を参照すればよい)。
このノルウェー語・スウェーデン語(ゲルマン語派)のほかには、ポーランド語(スラヴ語派)の"sz"に加え、その有声音 [ʐ] たる"rz"もある(英語版Wikipedia - Polish phonologyには破擦音も示される)。
※余談だが、二重字"digraph"のうちrで始まるものは非ラテン文字の言語(アボリジニ系など)の反舌音の子音に用いられる傾向があることは、アメリカ英語の反舌Rやノルウェー語・スウェーデン語・ポーランド語の"rs, rz"表記から影響を受けて近現代に出来たと考えてよい。要するに、ノルウェー語・スウェーデン語"norsk"はノルド"nord"的な同根語からして本来は二字一音でなく子音の連結であってゲルマン祖語*nurþrazに繋がるものであり、後世に非ラテン文字の言語で二重字"rs, rz, rt, rd, rn"などで反舌音が示されても伝統的にラテン文字系統を用いてきたかノル・スウェと成立経緯が全く異なるということである。ポーランド語の"sz, rz"は"rzeka"がロシア語"река"などに比較的できるようにノル・スウェと成立経緯が異なる。
※その更なる余談だが、先例のうち、ノルウェー語"rs"とポーランド語"rz"とが一部の方言において、反舌音でない「変わったR音」で発せられる。ともに、「上より無声歯茎ふるえ音 [r̝̊] (voiceless alveolar raised non-sonorant trill)」になる例がある(前者の方言はオスロ以北の各地、後者の方言はワルシャワ以北の各地)という。また、後者の方言には「上より有声歯茎ふるえ摩擦音 [r̝] (voiced alveolar fricative trill)」になる例があるともいう。
去年まで、筆者は「無声反舌摩擦音 [ʂ] が中国語普通話(Pinyin: sh)やインド・アーリア語派やドラヴィダ語族(主にタミル語以外)などのインド地域の言語に有ってヨーロッパには無い」と思っていた。
※参考までに、中国語漢字音の反舌音(捲舌音 ㄓ ㄔ ㄕ ㄖ)のうちの無声反舌摩擦音 [ʂ] は「數・数 shǔ (ㄕㄨˇ cf. 呉音: シュ 漢音: ス 慣用音: すう 他にサクのような同字異音異義もshuòで反舌音)」が例になる。その中古音・上古音は‹ srjuX › , /*s-roʔ/ (バクスター・サガール式。Xは上声トーン記号)となる。前者の時の r は前の s と合わせて無声反舌摩擦音を表す(cf. カールグレン式 /ʂi̯uX/)が、後者の時の r は二重子音・響音・流音としての r であるという。簡単にカナ表記すると、前者はシュ(反舌音)で後者はスロ(二重子音)、ということになる。つまり、現代の漢語学問・音韻学の人は、推定された上古音の時代に r が二重子音として発音され。それらが「數」のような反舌音の漢字となった(ただし逆に反舌音の漢字"書, 占"など全てが上古音で二重子音 r を有していたわけでない)と考えている。上古音再建案の事実性はともかく、学者の思考にさまざまな条件要素が伴っていることは確認できた。反舌音の発生経緯に後世の条件依存があるという意味で、英語の反舌接近音やノルウェー語などの反舌摩擦音の考察の一助にされたい。
なお①、サンスクリットもといヴェーダ語以来のインド言語ではR音 IASTで"r, ṛ (普通の子音と成節子音)"が何らかの位置にあるとき、次の子音"t, th, d, dh, s, n"は反舌音"ṭ, ṭh, ḍ, ḍh, ṣ, ṇ"になる。
これは反舌音の連声・連音・サンディの現象である(同器官的子音"homorganic consonant"があるので同器官化"homorganization"とも記したいがそのような用語は使われていないそう→同化"assimilation"という)。
この現象は、母音と唇系の音がある場合も有効であり、その例は"karaṇa (√kṛ + na)"や"pariṇāma (pari + √nam)"や"brāhmaṇa (√brah + na)"である。
このR音を、私にとって従来に考えられた歯茎ふるえ音 [r] や反舌ふるえ音 [ɽ͡r] や反舌はじき音 [ɽ] ではなく、反舌接近音 [ɻ] の方が自然ではないかと近頃の私は考えている。
サンスクリット「ドリシュティ"dṛṣṭi"」やパーリ語「ディッティ"diṭṭhi"」(ともに単語の意味は「見解」でパーリ語の単語からはヴェーダ・サンスクリットの成節子音R "ṛ"が消えて"i"となるが化石的に反舌T "ṭ"が長子音・有気音で現れる)あたりを発音して検証すればよい。
なお②、スウェーデン語・ノルウェー語の通常の r は、音価が歯茎ふるえ音 [r] 歯茎はじき音 [ɾ] 反舌はじき音 [ɽ]など多種あり、ポーランド語では歯茎ふるえ音 [r] のみとされる(中国語ピンイン r は先述の通りに反舌接近音 [ɻ] と 有声反舌摩擦音 [ʐ])。
この「備考」は、Rが半母音たる立場を兼ねているという「本題」を外れているものだが記される。
一つ言い直せば、サンスクリット=ヴェーダの成節子音Rが「ふるえ音」としてソノリティを有するよりも、英語R発音や他の半母音Y・Wのような「接近音」としてソノリティを有している可能性が、往古(パーリ語などBCE中期インド・アーリア語の口語発生のころ、ヴェーダ伝承への考察次第ではもっと早い古インド・アーリア語のころ)にあったことを示唆しておくが、なお①を書いて以後に考え直して「kとs二重母音はkṣでないとならない法則(e.g. vakṣyati)」や「語末-sの語幹が後続の音によって-ṣや-rや-ḥなどで現れる法則の内にṣがあること(e.g. nis→niṣprapañca, dyaus→dyauṣpitā 某書47によると語末-sの前の子音や母音の条件が主要という)」などを私は顧みた。
起草日: 2018年10月5日
当記事では、半角カッコ内に限定して"c. (circa 頃・~年ごろ)"とか"cf. (confer 比較せよ・参照せよ)"とか"e.g. (exampli gratia 例のために・例えば)"とか"i.e. (id est それは~である・すなわち・つまり)"といった略語表現(abbr., abbreviation)を用いている。
一方で"etc. (et cetera ~と他plural・その他)"を用いていない(これに相当する日本語の「など」および視認性の上で漢字の「等」を適宜に用いる)。
これらの略語の元であるラテン語を理解した上でこれらを便利だと思って多用したが、日本語の代替表現が用いられるべき場面では適宜にそれを用いた。
その略語表現以外の略号の類としては言語名en, ja, pi (パーリ語"Pali"のことでインド系学問ではplとされやすいし私も過去記事でそうする。当記事は世界的な範囲のためポーランド語"Polish"と混同を避ける意図でISO 639-1に準じた)や文字名Dev.や伝統宗教JBud.などがある。
当ブログで未曽有のようであるから、ここに上の如く断っておく。
また、当記事では、音韻論的に不明瞭・不確実な事柄を示す際、筆者の見解や感覚を客観的事実のように扱うべきでないため、「筆者・私」という言葉を主語にして表現した部分がある。
何らかの学者論文や活字出版物などでは、その主観性を自覚しない論者が客観的事実のように記すこともある(古代言語に関する見解を記した活字出版物の内容がネット上に引用されつつ読者側から指摘されている例→1, 2)。
読者に相応のメディアリテラシーが有れば「あくまでも論者の理由や前提によって求められた見解・視点・主観にすぎない」と判断できる(大概の学者もそれで暗黙の了解は有るから断定的に記す者もいよう)が、多くの一般人はそうでないので、私は一般人向けにその措置を取った。
↑の注意事項を記す以前に、↓の後書きを書いた。
日本の自称の名である「やまと"Yamato"」と、漢字で当てられた「大和(8世紀の好字二字令)」・「邪馬台国(台は臺とも壹とも)」・「倭(委、和)"Wa"」ということも、現代にヤ行・ワ行の音素で認知されている。
ヤ行・ワ行、Y W音、半母音に関する研究をすることで、これらの名が文献上に現れるようになった時代の発音や、想定上の最初の時の発音などを想定する一助になるかもしれない。
今の私からは、特にこれらの名に関する言語学的な言及をしないでおく。
それらは音声学・言語学のみならず、文献学的な考察や地理学的な前提も必要であるからである。
いわば、当記事も文献的には直接に原本・写本・碑文などを当たった検証がされずに論考を載せているし、大概この学問分野は一般的な校訂本などに信頼が置かれて研究がされている。
先進的・先鋭的な研究においては、複数分野の垣根を超えている・複数分野の手法を兼用している・相互依存にあるということについて留意されたい。
関連記事: 2015年に私が示したY, W, L, Rへの類似見解
2015年6月16日投稿「B H V W、準じてF Pの互換性 & Vから派生したU W」
2015年9月7日投稿「呉音では濁音となる漢字・鼻音の後でも連濁しない漢字(天など)」 (脚注5と脚注終了以後)
当記事では、半角カッコ内に限定して"c. (circa 頃・~年ごろ)"とか"cf. (confer 比較せよ・参照せよ)"とか"e.g. (exampli gratia 例のために・例えば)"とか"i.e. (id est それは~である・すなわち・つまり)"といった略語表現(abbr., abbreviation)を用いている。
一方で"etc. (et cetera ~と他plural・その他)"を用いていない(これに相当する日本語の「など」および視認性の上で漢字の「等」を適宜に用いる)。
これらの略語の元であるラテン語を理解した上でこれらを便利だと思って多用したが、日本語の代替表現が用いられるべき場面では適宜にそれを用いた。
その略語表現以外の略号の類としては言語名en, ja, pi (パーリ語"Pali"のことでインド系学問ではplとされやすいし私も過去記事でそうする。当記事は世界的な範囲のためポーランド語"Polish"と混同を避ける意図でISO 639-1に準じた)や文字名Dev.や伝統宗教JBud.などがある。
当ブログで未曽有のようであるから、ここに上の如く断っておく。
また、当記事では、音韻論的に不明瞭・不確実な事柄を示す際、筆者の見解や感覚を客観的事実のように扱うべきでないため、「筆者・私」という言葉を主語にして表現した部分がある。
何らかの学者論文や活字出版物などでは、その主観性を自覚しない論者が客観的事実のように記すこともある(古代言語に関する見解を記した活字出版物の内容がネット上に引用されつつ読者側から指摘されている例→1, 2)。
読者に相応のメディアリテラシーが有れば「あくまでも論者の理由や前提によって求められた見解・視点・主観にすぎない」と判断できる(大概の学者もそれで暗黙の了解は有るから断定的に記す者もいよう)が、多くの一般人はそうでないので、私は一般人向けにその措置を取った。
↑の注意事項を記す以前に、↓の後書きを書いた。
日本の自称の名である「やまと"Yamato"」と、漢字で当てられた「大和(8世紀の好字二字令)」・「邪馬台国(台は臺とも壹とも)」・「倭(委、和)"Wa"」ということも、現代にヤ行・ワ行の音素で認知されている。
ヤ行・ワ行、Y W音、半母音に関する研究をすることで、これらの名が文献上に現れるようになった時代の発音や、想定上の最初の時の発音などを想定する一助になるかもしれない。
今の私からは、特にこれらの名に関する言語学的な言及をしないでおく。
それらは音声学・言語学のみならず、文献学的な考察や地理学的な前提も必要であるからである。
いわば、当記事も文献的には直接に原本・写本・碑文などを当たった検証がされずに論考を載せているし、大概この学問分野は一般的な校訂本などに信頼が置かれて研究がされている。
先進的・先鋭的な研究においては、複数分野の垣根を超えている・複数分野の手法を兼用している・相互依存にあるということについて留意されたい。
関連記事: 2015年に私が示したY, W, L, Rへの類似見解
2015年6月16日投稿「B H V W、準じてF Pの互換性 & Vから派生したU W」
2015年9月7日投稿「呉音では濁音となる漢字・鼻音の後でも連濁しない漢字(天など)」 (脚注5と脚注終了以後)
備考: 実験音声学との関連
(この備考を書くまで私は分野名を「実証音声学(実証的な音声学)」と記憶していた)
2018年11月11日5時に、私は [a, ja, wa, la, ɾa, ka, sa, ta, pa, kɾa, sɾa, tɾa, pɾa, kɻa, sɻa, tɻa, pɻa] の発声とその録音を行った。
発声の録音データ(発音データ)は、当方の録音環境(特に使用機器の品質)の関係で、音量を上げると声ミュート時における環境音・ノイズが聴こえる。
それを音声波形・スペクトログラムとして(Praatという専用ソフトウェアを用いた)視覚化・表示し、簡単な説明画像を作った。
※作業の途中で、変更事項がある。当該音声をステレオからモノラルに変換し、スペクトログラム表示の案を捨てて音声波形表示だけにした。それらの変更事項を付記する。
母音"vowel" [a] (以後の子音類はこの母音とのCV~CCV音節で発音される)
響音"sonorant" [ja, wa, la, ɾa]
阻害音"obstruent" [ka, sa, ta, pa]
二重子音"double consonant"(阻害音と歯茎はじき音"alveolar flap") [kɾa, sɾa, tɾa, pɾa]
二重子音(阻害音と反舌接近音"retroflex approximant") [kɻa, sɻa, tɻa, pɻa]
ちなみに、私が日本人として母音/a/音素を発しているため、厳密な音価・単音としては中央母音の [ä] となっているかもしれないが、この発声・録音・視覚化の行為の目的に反することでないので、気にせずによい。
ちなみに、当記事の話題・本題と離れるが、「破裂音の特徴についてPraat画面の図と音声データとを示しながらこの項目よりも詳細に説明した記事」がインターネットに見られたので、参考までにURLを載せる→https://sites.google.com/site/utsakr/Home/praat/vot
備考: 音楽制作との関連
MIDIシーケンサーのピアノロール方式の「打ち込み(sequence 作曲手段)」をしている時、伴奏楽器パートでもボーカル代用楽器パートでも「ゴーストノート」の打ち込みを、私は適宜に用いている。
ゴーストノートは二重子音"double consonant (doubled consonant)"の発音を思わせる。
その時の考えは、このようである。
「ゴーストノートの内に普通の一音の導入として用いられるものがある。それは1小節の先頭に置かれるべきか、または、その前の小節の末尾に置かれるべきか (小節でなくとも1小節を192等分したMIDI目盛りにおける4分の4拍子は3, 6, 12, 48が1つの区分として同様に考えられる)」
「二重子音の内に"kr"が有る。これは1音節の先頭に"kr"同時に発せられるべきか、または、その前の音節の末尾に"k"が発せられるべきか (同じ二重子音でも破裂音の連なり-ktなどは…、三重子音scr, -ncrなどは…)」
ラテン語歌詞を書いて自ら歌った"Dominus Immensus"の、その歌詞のシミュレーションのためにボーカルパートを打ち込む際には、かなりこのことを思った。
私が何を思って創作や研究をするということは、言語学や音楽の主題と関連しないが、これらを行う人が参考までに見ると良かろうと思い、少し記した。
(この備考を書くまで私は分野名を「実証音声学(実証的な音声学)」と記憶していた)
2018年11月11日5時に、私は [a, ja, wa, la, ɾa, ka, sa, ta, pa, kɾa, sɾa, tɾa, pɾa, kɻa, sɻa, tɻa, pɻa] の発声とその録音を行った。
発声の録音データ(発音データ)は、当方の録音環境(特に使用機器の品質)の関係で、音量を上げると声ミュート時における環境音・ノイズが聴こえる。
それを音声波形・スペクトログラムとして(Praatという専用ソフトウェアを用いた)視覚化・表示し、簡単な説明画像を作った。
※作業の途中で、変更事項がある。当該音声をステレオからモノラルに変換し、スペクトログラム表示の案を捨てて音声波形表示だけにした。それらの変更事項を付記する。
![]() |
| 音声付きの動画→https://youtu.be/qhrGuEFp8ok |
響音"sonorant" [ja, wa, la, ɾa]
阻害音"obstruent" [ka, sa, ta, pa]
二重子音"double consonant"(阻害音と歯茎はじき音"alveolar flap") [kɾa, sɾa, tɾa, pɾa]
二重子音(阻害音と反舌接近音"retroflex approximant") [kɻa, sɻa, tɻa, pɻa]
ちなみに、私が日本人として母音/a/音素を発しているため、厳密な音価・単音としては中央母音の [ä] となっているかもしれないが、この発声・録音・視覚化の行為の目的に反することでないので、気にせずによい。
ちなみに、当記事の話題・本題と離れるが、「破裂音の特徴についてPraat画面の図と音声データとを示しながらこの項目よりも詳細に説明した記事」がインターネットに見られたので、参考までにURLを載せる→https://sites.google.com/site/utsakr/Home/praat/vot
MIDIシーケンサーのピアノロール方式の「打ち込み(sequence 作曲手段)」をしている時、伴奏楽器パートでもボーカル代用楽器パートでも「ゴーストノート」の打ち込みを、私は適宜に用いている。
ゴーストノートは二重子音"double consonant (doubled consonant)"の発音を思わせる。
その時の考えは、このようである。
「ゴーストノートの内に普通の一音の導入として用いられるものがある。それは1小節の先頭に置かれるべきか、または、その前の小節の末尾に置かれるべきか (小節でなくとも1小節を192等分したMIDI目盛りにおける4分の4拍子は3, 6, 12, 48が1つの区分として同様に考えられる)」
「二重子音の内に"kr"が有る。これは1音節の先頭に"kr"同時に発せられるべきか、または、その前の音節の末尾に"k"が発せられるべきか (同じ二重子音でも破裂音の連なり-ktなどは…、三重子音scr, -ncrなどは…)」
![]() |
| "doctrina"はdoc-tri-naとなる (vs. do-ctri-na, doct-ri-na) |
私が何を思って創作や研究をするということは、言語学や音楽の主題と関連しないが、これらを行う人が参考までに見ると良かろうと思い、少し記した。










