2015年12月30日水曜日

類聚(6) ~ 「前の家での生活」篇

*横野要文類聚 第六篇・前節*
うら寂しく、物憂げに独り蹌踉ふ。
めでたきことなしと思へるは、なほ寂し。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「前の家での生活」である。
この表題に言う「前の家」とは、2006年7月に一家5人で移住し、2006年8月ころに弟2人が児童相談所一時保護(?)→児童養護施設のため離れ、2007年4月に母が北海道紋別市へ別居のため離れ、2011年4月18日に私が小旅行もとい家出のため離れた、埼玉県○川市に所在する住宅であり、そこに住まった期間の生活記録を聚める。
前の家の構造や周辺の地理などを触れているものも聚めたい。

学校生活(O小・T小・K小・K中など)については、過去に複数の記事で情報の集積を図った。
現状類聚記事にする予定はない。
※2015年6月以降の月別記事数"6"を揃える目的で、かなり低い完成度のまま投稿します、どうか追々内容の充実されんことを。






(前略) 2010年なら前の家であるが、県下最大の神社に初詣しようと家を出るも、家から最寄りの駅前に着くや終電後であてもなく沿線の自転車徘徊をしていた。この2010年大晦日23時以降の参拝未遂の件について過去の記述を探したが、見当たらず。よってここに詳細を書くが、最寄り駅前で2人の若者が狂ったように空き缶を投げつけて奇声を上げたり、別の駅から離れのコンビニには駐車場で若者が職務質問を受ける様子もあった。なお、この外出直前は某掲示板閲覧か某お笑い番組あたりの視聴をしていたのではないかと記憶する。…2015/12/15

当記事注: 同日に別の話題で思考していた。あの頃は家でやることが少なかったこと、金銭を消費してコンビニなどで食品を買いたかったことなどがあり、今と違って自転車もあったわけだから、2010年12月の不登校以後も外に出る頻度は非常に多かった。家でやることについては後掲の11月8日の要文を参照されたい。

なお、他に見た夢の一つは、前の家の付近にある神社が土地ごと抉られ、最大で10メートルほどの深い孔が広がった。底の方には薄く土が被り、地中の排水機構が露出する。更に周囲の地理関係が乱れており、例えば前の家の敷地北側に神社(とスギなどの鎮守林)があるとして、南は民家や狭い田んぼなどがあるものの、ここには街を流れるタイプの河川が横たわっている。前の家かそれに似た場所が舞台となる場合、風景は一定でない。過去メモ文章を示そうと思ったが、記述未見。…2015/12/15

当記事注: 夢に出てくる前の家に在り方を綴った文言がメモ帳の過去記事にある。当該記事の投稿は2014年6月3日だが、後年加筆された記述であろう。

海産物や魚介類といえば、過去記事でも述べるよう前の家では朝食に定番の焼き鮭をはじめとして、かなりの頻度で焼き魚が出ていた(アジ、サバ、サンマ、ホッケ、メカジキ、イワシなどなど)。…2015/12/14

当記事注: 後の12月31日メモにこう書いた。「前の家で家庭内別居となる以前は、平日も休日も朝食は必ず父親が作ったものを共に食べる習慣が当たり前であった。この家にあって乖離した私を蔑視する母であるのに、朝食など(弟に)勝手気ままにさせることはおかしいと思う。草むしり騒動ほか、多くの(弟との)問題は母の遅起きや二人の朝のありかたの別離にある。 (中略) 私の前の家では、それぞれがしっかり早起きして、7時までには父が朝食の準備を済ませる、これが当たり前であった。母の母としての怠慢は (後略)」、食生活は記事後部2014/01/28要文に詳述される。

ペットボトルへの排尿は、夏場の前の家でよくやっていた。夜は部屋の外に出ると虫(ゴキブリ)に遭遇する・部屋に侵入されるリスクがあるなどで、濫りにドアを開けたり部屋を空けたりするわけにはいかず、密室たるトイレで遭遇することは何よりの恐怖であった。そのため、自室にて用を足さざるを得ないことが多々あった。反面、夏の早朝は部屋の外、2階の階段と接続する空間(広い廊下・踊り場というのか)で階段側の窓に向き合い、バルコニー側に背いて座り、涼んでいることも多かった。これで虫に遭遇した経験は無かった。…2015/12/06

ふと前の家で自室ストーブの放熱部分にティッシュペーパーを当ててよく遊んでいたことを思い出す。 (中略) 前の家では発火を恐れ、ティッシュペーパーは「こより」の状態を作って、それを遊びに使っていた(もとい網の奥に入れづらいからこよりにしていたか)。今回の状況として、熱の強いストーブ・トイレの狭い空間(前の家子供部屋3室ともロフト付きで天井が高い)・燃えやすい材質の紙という悪条件のみならず、「こより」という予防策を取らなかったことが大きい要因であった。…2015/12/05



日曜と月曜の間の深夜ほど番組がひどい時は無いと記憶するが、その記憶が依拠するところの過去は前の家2010・11年である。そのテレビ試聴末期は、NHKにしろ民放にしろ独立UHF局にしろ、素朴な番組を好んで試聴する傾向があった。…2015/11/30

当記事注: 11月6日の日記メモに「関東の独立UHF局に興味を持った小6」とある。

あの広い家で独りきりという中で、ある時はネット依存、ある時はネットもゲームも無い(2008年夏に別居母との再開の事前に上の画面に数字キー、別にQWERTY配列キー備わり、後のスマートフォン的なブラウジングが出来たスライド式携帯電話を受け取った経緯があるが、これは2008年10月に破壊し同年12月の姫路遠征時に返還した・・・2006年7月にあの家に越した折、2003年購入のSH252iを一時自室内で紛失しつつ小6か中1の時に再発見した経緯もあるが、これは当然2004年のとある経緯でネット接続不能である)環境下で、トモダチだとかもいなかったわけだから、独りで何をして時間を潰したかと言うと、お絵かき・物色など多種あろうが、独自の遊びを開拓することもあった。独自の遊びと言うと、現在この家や私の所有物にも結局は漫画やゲーム機などが無いわけであるから、このPCにもCPUを荒らすゲームを動かす気にならないため、音楽をいじることが多い。…2015/11/08



前の家付近の貯水池も、かつてはカモやサギ(白・青)などが多く浮かんでいたが、最近のストリートビューを見たら、長いこと水を入れていないのか、高い雑草が群生している(よく分からないが、浅い水に高い雑草が生えているようにも見えて不可解)。…2015/10/30

この母は、なんと風呂掃除をしている。母が風呂掃除などする様子は滅多に無かったし、実際にしている様子は初めて見た。前の家だと、自分や父など各自の判断により浴槽を度々洗っていたものだが、この家では弟も母も洗わないし、私は当地以前より推定4~5年入浴を行っていない。弟も母も、温泉は入っても家での入浴はしていないのではないか、と思うがそれは今朝たまたま、ゴミ容器に捨てられているバブの包装を見たところで一度覆った。あるいはバブをお湯が張られた浴槽に落とす以外の使い方をしているのではないかとも思ったが、母はこのバブなどの入浴剤を使うため、重い腰を上げたと見る。そして、一度バブを使った際は、久々に張ったお湯に髪やアカが浮き、ほかの汚れも混ざる汚さに絶句したから、ようやく掃除しようと発案したものと推量する。…2015/10/21

幕の内弁当なら、ある時からまだ弁当を買う頻度が多かった時期に母がよく私向けに買っていた。前の家でも父親が二人用に買うコンビニ弁当・弁当店の弁当(通称ほか弁)にこの名称の弁当が多かった(スーパーだと惣菜の丼ものも多い)。「ある時」というのは (後略)…2015/10/07

これはシバンムシというそうだ。この家で見たことはほぼないが、前の家ではこれより細長い(全長4mmか)甲虫は度々目撃している(1Fキッチンの引き出しで何か小物が置かれているところに3匹同時に見たことがある)。…2015/10/06



(2007年のネット利用など記述アリ、前略) このようなネット依存ともいえた時間は続き、ついに夏休みに入った。PCの使用自体は夜までにする決まりが自分の中に定まっていたが、その理由は諸説ある。自制心に起因するものもあれば、夜は魔が跋扈する時間(ゴキブリに遭遇することの危惧)で自室の外で過ごすことが恐ろしかったなど。父親からネット中毒の状態に関する指導もほぼなかった(気付けなかった?)ため、夏休みはますますネット利用が盛んになる。私としても父親の前でPCをする様子を見せいたか定かではないが、父親は私の平日のPC使用状況を知っていたはずだし、知らずとも何となく訝しさから普通の親は尋ねるはずだが、それも無かった。…2015/04/27

「バリケード」とは、前の家において2010年12月に始まる不登校の時も、2日目夜に設けたものが強固で、3日目の朝父親が部屋に押し入ろうとしたことを防げた。バリケードの件は過去にブログでも書いたはずだが、膨大な記事の中からその記述が検索技能を駆使しても見当たらない(長文回避で過去記事リンクしたかった)。…2015/04/21

ローソンといえば2011年4月18日に豊橋へ来た日、前の家の最寄店で最後の買い物をしたことと思う。こちらに来たときはポイントカードの有効期限の関係で悩んだが、今より体力が残っていたのだから、遠くとも同ローソンへ足を運べばよかったと思う。…2015/04/02



そんな中、ふと父親の部屋の本棚にあったキチガイ漫画を思い出す。それは、戦前(厳密には直後)世代で過酷な時代を行き抜いたお方の漫画で、戦争を行き抜いた漫画家はしばしば戦争をモチーフに描くこともあり、かの手塚治虫や水木しげるも多く書いていた(グロばっか!)。それらも父親の本棚にて小学生の頃から目にしていたものだ。…2014/06/23

小5で両親離婚(別居)、最初は父親が料理を作ってくれず、朝はコンビニ弁当生活。それからしばらくして、父親が料理を毎朝しっかり作るようになり、朝はご飯、味噌汁、焼き魚、納豆、漬物、緑茶などまさに健康的なものを出し続けていた(この品のいずれかを取るメニューが多い)。 (中略) 2010年1月(?)までにゆっくり鍛え、それからは一日腹筋40x4セット=160回、背筋30x1=セット30回、腕立て伏せ10x4セット=40回を目標に鍛え続け、毎日記録もしていた。結果5月頃にもなると腹筋も割れていた。記憶では、50m走が10.3秒から8.7秒まで飛躍的に上昇したのだ。あの日の「デブ」から手の平を返すように「ガリガリ」と言い出す人もいたけれど。そして同年10月家庭内別居、12月不登校、2011年4月、母親の家へと家出した。 (中略) まあ、前の家で不登校になった2010年12月以降もこちらに家出する2011年4月18日まで、それなりにコンビニ通いやマクド通い(ビッグマックセット♡)していたけれど。…2014/01/28



ついでに、父親の音楽経験は、トランペット、ギターにある。与野時代、ギター(アコギ)は捨てられた。 (中略) トランペットだが、父親がよく吹いていた。2台ほど持っていた。公園で吹くことが多かった。同じ公園でも、人目の付きづらいところで演奏することが多かった。父親はジャズに憧れていて、CDはもちろん、昔集めたカセットのコレクション、そしてレコードまで持っているかなりのジャズオタだった。もちろんレコードは、ただ持ってるわけじゃなく、レコードの再生機器も持っていた。ただ、埼玉に住んで蒲田(隣は川崎)に勤務する忙しい日々のため、ライブに行く姿は見かけない。トランペットの演奏技術だが、2005年と2010年の違いを感じない。…2013/08/14

当記事注: 父親は家でトランペットを吹く際、ミュートをかけるというか、サプレッサー的な消音器のようなものを取り付けていた。こういう回想をしていると、父が部屋の窓を開けてタバコを吸っている光景(奥に杉林)が浮かぶのは何故であろうか。なお、トランペットで共通する趣味を持つ知り合いもいない様子であり、そういった人物との電話でのやり取りも聞いたことは無いし、そもそも仕事が終わると遊ばず呑まずに帰ってくる人間である。

今月で2年以上自転車に乗ってないことになりました。 (中略) 記事トップの写真を撮影した頃の使用状況は、雨などの天候の問題が無い日であれば毎日乗っていて、学校の無い日でも当時の地理感で周囲を遊覧していました。1日の時間がたくさん余った前の家で家庭内別居・不登校期の5ヶ月超の時間を、一人長く外で過ごし続けましたが、主要な行き先として大きい公園、田畑などの行き先なき行き先のほか、コンビニでの消費活動が多く、一時期はファストフード店も通いました。 (中略) 人生の中で長い間自転車に乗ってない時期がかつてもう一回あった。おおよそ2年、小学生のときそんな時期があった。やはり、久しぶりに自転車に乗った時は慣れなくて「事故に遭ったらどうしよう」という恐怖もあったが、その時は問題なく、中学進学後も自転車事故は無く済んだ。(中学はもちろん自転車通学)…2013/04/19




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2015年12月25日金曜日

類聚(5) ~ 「修辞」篇

*横野要文類聚 第五篇・前節*
言(ことば)にあや有り、以て意義量り難し。
若し人、之(これ)を聞きては、或は瞋(いかり)を為し、或は心に渡らす。


横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「修辞」である。
言辞を修飾する、ということであろうか。
修辞技法には多種多様あるが、私の要文がそれをいかに奏効しているかは実際に読んで感じられたい。
過去に「ニシテ表現」なる名称で、修辞技法の一種を提唱した記事があり、こちらも参照されたい。
※2015年6月以降の月別記事数"6"を揃える目的で、かなり低い完成度のまま投稿します、どうか追々内容の充実されんことを。






その言葉は耳朶を打ちつけ、胸中を穿つこと、さながら雷鳴のごとく、強靭な矢に射抜かれるごとくであった。…2015/10/25

寡黙朴訥にして能く指示をこなしていながら、親には何も伝わらないわけです。…2015/10/22

当記事注: 緒言にもリンクした、いわゆる「ニシテ表現」はこれである。



ともあれ、かの時代にあって、かかるアンチクライスト・アイコノクラストの暴言は、聖職者からの罵声を浴び、敬虔な信者からの瓦石を被ること免れ難き所業ではないか…2015/06/21

解説:「かの○○にあって、かかる(斯様な)××は」と似ている表現を続け、更には「○○からの××があり、△△からの□□は免れ難い」といった少し古風な冗長反復表現を使うが、先の「アンチクライスト」という思想は、非物質の「罵声」に通じ、「アイコノクラスト」という行為は、物質的な「瓦石(がしゃく)を被(こうむ)る」ことに通じ合う。「思想・非物質⇔行為・物質」すなわち、思想の因は罵声の果、行為の因は被石の果という、非物質・物質の対極構造をなしている。ところで、なぜ聖職者が罵声のみ浴びせるといえば、聖職者が末端信者のような暴行をすると顔が汚れ手を汚しかねないから自重しているのである。また、敬虔な信者が投げる石は、クラストされたアイコンの破片である。なお、アイコノクラストを語源ギリシャ(ローマ字)でいうと"Eikonoklastes"となる。



「理と事」の例を挙げると、例えば誰かの理に適った思考があるとして、その人がその内容を事細かに言葉で表せないとしても、確信を持っていれば要点だけ「私はしっかり論"理"的に考えた末、"事"実としてはこうなると断言できる」と話せるのだ。その弁が理に適った答えであるかは、実際に起きることを確認すれば明らかとなる。私が理を噛み砕いて説明をする中で、仮に思考が錯乱して言葉が詰まるような状態となったとしても、平静を取り戻して「事実確認」の旨を頼めばよい。事実に符合する理論であるなら、その正当性が事実に反映される。「事実確認」に念を押すことが実は、最も理を噛み砕いた表現になるのだ。「百聞(理)は一見(事)に如かず」という有名なことわざに、「理と事」の差がよく表れる。正しい理論の場合は如実に事実の形として出るが、稀にどんな理を尽くした計算をしても、事実の形が異なる場合があることもある。「理と事」の他の例だが、(後略)…2015/06/03


2015年12月20日日曜日

類聚(4) ~ 「譬喩」篇

*横野要文類聚 第四篇・前節*
世尊は種々の譬喩をして衆に理解を得せしむ。
仏法は難信難解のやうなれども、世事はみな知るところなれば、世事をもて譬喩を説かん。
余もまた是の如く説くことあらん。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「譬喩(ひゆ)」、何らかの物事を別の物事で例えた文章であるが、私の学ぶ分野に疎い人には難読単語である。
このつづりは仏教・漢訳仏典ではよく使われるので、「比喩」と一般的なつづりにはしない。
また、前節は「仏法」に念を押して綴ったが、一応は仏法以外の種々ある話題からも「譬喩」にあたる文章を聚めていく。
というより、類聚案は最初からそのつもりでいて、前節を書くにあたって「譬喩といえば仏典ではないか」として、世尊は~と綴ったくらいである(本来の順序)。
※2015年6月以降の月別記事数"6"を揃える目的で、かなり低い完成度のまま投稿します、どうか追々内容の充実されんことを。
ブログ内キーワード「例えば」「平易」「砕いて」「言うと」「ように・ような」






10時40分前から、トイレで健康的山盛りウンコ6本セットを出荷してきた。シリアルという肥料の恵みをありがたく思う次第だが、ウンコ収穫(排便)には結構苦労する。排便はズルズル引っこ抜かれるようだ。…2015/12/17

この夜(に母と弟の2人)は、カキとカレーを食べていたようである。私がキッチンなどにあるゴミ袋を確認して人が何を食べたか知って日記メモに記録することは、ちょうど考古学者が貝塚などの遺跡を発掘調査して古代人の生活を窺い論文で発表するようなものである…2015/12/04


この部屋着にプリントされた亀のデザインについて、「一眼の亀」との折衷を色々と試みたが、やはり原義との定義がズレかねないので断念した。いわく、長久の寿命を持ちながら片目を失い、体が常に灼熱と極寒に苛まれる亀が千年に一度、永遠の安らぎを求めて深海から浮上し、大海の水面のどこかに浮かんでいるとされる聖なる流木「赤栴檀」を探しに出る。こうして私もこの世界で流転輪廻の苦しみを経ながら、人間の生があるうちに、真実の法に値ってこれを受持し、解脱を得て安楽の処を目指すべきである。この亀はその求道心を表すほか、堅固なる道心を胸に持つことも表す、と…2015/11/28 (本家2014/11/13の追記)


今のような、ネットに重点を置いた活動をしていると、ネット上の「横野真史」という人格が本体で、リアルの人格こそが自分にあらぬ存在のように錯綜してしまいかねない。インターネットという媒体が、現象の空間を前提として成立するように、自分もまた、肉体や生命に精神を備えたところから、ネット上の仮名に託しているのである。いわば、ゲーム中毒に陥って、あたかも己は主人公に成りきったように振舞うことが類似する (中略) それはともかく、私の「横野真史」という人格は、その仮名すら実際の自分の本名を踏襲しつつ、更に多くの面で自分を昇華させたものであり、混同などはおろか目標にすべきである…2015/10/30

法師はハッとした。眼前にはただの俗人がいるだけのようだが、その言葉は耳朶を打ちつけ、胸中を穿つこと、さながら雷鳴のごとく、強靭な矢に射抜かれるごとくであった。自分は深く仏法を学んでいるはずだが、未だに人間の存在に囚われていた。作品は素晴らしい、人間は植物の種を蒔き、育てあげるとはいえ、育った植物・採れた果実は結果的に良いもので、誰が育てたと気にするであろうか(現代は少し事情が異なるも割愛)。育ちきらなかったものもまた、そういう結果に過ぎない。人が育てなくとも、立派に果物を実らせる果実もある、歌道なら読み人知らずとも言える。この歌人の作品を、この歌人のものとして尊ぶことはしても、それ以上に歌人の人間的な空間まで思い、執着する必要は無いばかりか、無益なのだ。法師は己を恥じ、俗人からの説法を身に染め、改めて仏法に向き合う心を持った…2015/10/25

当団体の理念や存在意義とは「救済」にありますが、この熟語だけではある種多義的でありますので、う一つ言葉を足すと「落穂拾い」になります。穀物は秋に収穫期を向かえ、世間では成長に伴って学校であるとか社会的な機関が置かれ、現代は誰もが普遍的な手段としてそれらの機関を通りますが、穂が切れるか毀れて落ちるように、そこから漏れてしまう者も少なからずおります。そこで、当団体は智と識を以って心の深奥より救済をすることを重大意義として、この研鑽精神を普く布衍し、漏れた者たちを掬い救わねばなりません。これは未成年~若年層が主なターゲットであり、穂も穀も腐らずある内に拾って参ります。刈穂も落穂も一個体には等しい価値がありましょうに、拾ってくれる者は普通おりません。なるか分からない田畑土壌の肥やしになるのみで終わります。「落穂」としての価値は、早い解脱の性質を内在しておりましょう。当団体の教導を受けられることは僥倖であります…2015/10/17

某スーパー系列の全国一有名な店舗(客が炎上騒動)へ到るつもりが、3階建て公共施設に当たったようだ。T字路までは、建物の規模から何だこれ、といった気持ちでいた。航路に例えれば、アメリカから太平洋を船で横断して日本を目指すも、台湾へと流された気持ちであろう。否、海上を西進してインド目指したヨーロッパ人が、後の西インド諸島や新大陸などを発見したような・・・この施設は新発見でも何でもないけれどね。過去記事・動画にもあるし。…2015/10/06


過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている…2015/09/18


例えば、食べ過ぎたという人に対し、欲張りな性格が原因だとしか思わないことと同じである。単なる結果に対する原因を推量する上で、浅薄な思考によって短絡的に決めてはならない…2015/08/17

多くの人間は、どれほどケースを集めても、判断結果を二分と一元にのみとどめる。私は常に、そういった極度な二分思考に陥らないよう、公平に近づけた判断を行う。その深い思考には言語化の必要性もある。達観した末の思考を恒常的に活用するためにも、記事などにメモすることで叶うはずだ。例えば、土の道路があるが、次第に車の交通量が増えた(思考の頻度が増える)ので綺麗に道路を塗装・整備をして(達観に至る)も、多くの車が走る(雑念が混じる)だとか、時間経過と共に荒廃・風化(失念・忘却)するなどで、必ず補修などする必要があるだろう。道路に例えることに意義を持ち、それは今の私が正しい道を進んでいるとの確信であり、また研鑽の意志とは「道を行じる」というところにある…2015/08/17

赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう (中略) 浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない…2015/08/12


例えば、3000年前に天才の人が「我々の住む土地は丸い星なんだ!球体なんだ!」といきなり悟った事実を話しても、当時の人類には到底理解できない。現代でこそ星の外から地球を見返すことはできても、当時では実質不可能である。せいぜい、「空に浮かぶ星と我々の住む土地は同じ性質なんだよ」とその事実を理屈として、演繹的に話す手段しかない。航海技術が進んだ500年以上前になってようやく「西洋から西に船を進めて東洋に至る」という仮説を実証できるようになった程度である。航空技術や軍事技術も成長した末に、星の外まで飛べるようになった現代、「この目」で住む土地の丸さを見て、球体であることは反論なく証明された。「百聞(理)は一見(事)に如かず」という有名なことわざに、「理と事」の差がよく表れる…2015/06/03 (メモ帳2015/12/10の加筆込み)


「形骸化した議会」において、議員歴の長い人が議席を多く占めていることは想像できよう。議員歴が浅い人は何らかの志を秘めている。ことに、明確な意志を持って出馬した無所属・無党派の吉田氏の猛威には、彼ら中堅以上の市議にとり安穏ならざるものがある。何せ「ダントツ」の発言回数を以て、矢継ぎ早の弁舌で議会を揺さぶる男は脅威だ。安逸の微温湯に浸っていたかったところに、不遜な冷や水を浴びせられるようなものだ…2015/05/14


「小説を読むことが勉強」とだけ書けば、いかにも滑稽じみているだろう。例えるなら藪医者の治療や民間療法を推すようにアテにならなさそうだ。もちろん漠然と小説を読むこと、文字をただ音に捉え茫洋と浮かべることを、勉強と呼べば「驕り」であると私も頷ける。無為に読むだけなら、ゲームなどの遊戯に耽溺するほうが有意義となる。
しかし、国語や英語の教科書等を思い出して頂きたい。何か文章が書いてあれば、学ぶべき要素がページの隅か、後続のページに載っていたはずである。並びに、教師の存在によって効率よくそれを学べる。私がやってることはこの平凡な授業の形態を、ただ一人、己を師と定め行う必要がある…2015/01/23 (その3週間前らしい)



「楽しみ・幸福感を与え合い、授かり合う。」例えば野良猫に餌やりをする人がいる。 (中略) 野良猫は雑菌まみれだが、彼らは大胆不敵にも撫でる。猫は見てるだけでも気持ちが満たされるが、触れられれば更に上の快楽へ昇華されるだろう。猫に餌を与えることは猫自体の空腹を満たすにとどまらず、与える側はその行為で猫助けした気分になったり、猫の姿で癒されたりと気持ちが満たされるのだ…2014/07/03

当記事注: 相互に刹那的至福を与え合い、授かり合う反面、野良猫の異常繁殖は猫の飢餓と喧嘩を招き、人間生活への衛生問題などを惹起するのだから、長期的には相互に問題を起こす。善悪不二・善悪一元・善悪互具とはこのことであろうか?皮肉で笑えてしまう。

ペットを飼うことが愛する心を育むなどの情操教育として有効とされるが、逆に弟はばあさんを利用してストレス解散の捌け口としているのだろう。ばあさんをペットのように労るなどという考えは皆無であろう。その様はまさに動物虐待と同様…2014/04/21

さあ、例を挙げてみよう。普通は家を建てるに設計図が必要→設計図通りに建てる。我が両親のような者は設計図を作らずに勢いで家を建てた!出来損ないの家が竣工するも、出来損ないを建てた後から直す→手遅れですよと。。。止まらない加齢に焦って、土壇場の高齢出産をしたことが仇となる(知的障害を持つ弟が好例・知的障害でも幸せに育てられる親とはだいぶ事情が異なる・経緯が酷いのだからその後も改善なく苦しんだままの両親)。…2014/01/01



当記事の投稿直後の要文(過去要文の回聚が困難だから仕方が無い)


そもそも、窓枠砂埃は自主的に掃除することがある(最近では10月17日など)。母親こそ、母自身の部屋の窓枠砂埃を除去し続けないでいる。いい加減に自分の非に気付いてから人の非を唱えたら良い。化粧の崩れた婦人が、子供の口についたご飯粒を「みっともない」と激怒するようなものである…2015/12/24

それから間もなく、アメリカの脅威を覚えた日本が真珠湾爆撃をしたごとくに私は、まず空の牛乳パックを地面に叩きつけて牽制し、理性的な鉄槌を加えたところ、母が理性を失った。執拗なまでに襲撃し、攻撃を加え(さながら本土大空襲や原爆投下)てくる…2015/12/22

・・2016年以降も色んな記事で比喩表現を行っているから、よく探してみてね!

―もう一度、前節―
世尊は種々の譬喩をして衆に理解を得せしむ。
仏法は難信難解のやうなれども、世事はみな知るところなれば、世事をもて譬喩を説かん。
余もまた是の如く説くことあらん。



追記: 2017年8月5日
「萌えの典籍」全般に、植物を中心とした譬喩が現れる。
それは梵語でウパマーというが、人物による譬喩・因縁、梵語でアヴァダーナやニダーナというものもある。
特に「萌え話・萌え歌・萌詩"The Moetries"」の記事に載る話には頻出する。
譬喩を中心とした話に「雑萌喩(ぞうみょうゆ・ザフミャウユ)*」がある。


2015年12月15日火曜日

私の音楽活動分野の呼称とは何であろうか? & 活動方針・展望

私自身の音楽活動を主体としたブログである「横野真史音楽ブログ(音楽館)」で、ブログ設立当初に書いた記事では「自称一人バンド」と、そのロック系ジャンル楽曲制作の名義である"Sundarkness"について表現しているが、これには大いに語弊がありそうだ。
バンドとは、楽器を弾いてこそ名乗るものであるが、巷ではチャラチャラしたあるいはイカツげな男らが歌って踊る音楽グループが「バンド」と誤解される傾向がある(○爆、エグ○イルなど)。
私自身もただ、「ロック系を作っているから"一人"でもバンド」としていたようで、楽器を弾いているならばそう名乗るに値するが、実際はDTMにおける「打ち込みの作曲」をしているに過ぎず、楽器を弾いて音を録り、ミックスする行為さえ満足に出来ない。
バンドとは、楽器を弾いてこそ名乗るものであるから、仮に作曲は出来なくても、一般のジャズバンドやマーチングバンドなどは既存の有名な楽曲を演奏し続けるのである。

というわけで、「私自身~」「バンドとは~」を2往復させての考察を4行で書いておき、「一人バンド」とはあくまで「自称」という範疇では妥当としておく。
件の記事でそのように表現した当時の心境として、バンドという存在に仮託した活動を標榜し、あわよくば演奏の協力者を抱えられたら、との淡い期待もあったのであるが、孤陋の身なれるを知らざりしが故に儚いことである。
近頃思うこととして、「自称」のスタンスであっても「バンド」と銘打つことは余りにも滑稽でならないため、今後はそう名乗る気があまりない。
深意をいえば、バンドなるものが私の精神と背くようでもあり、世俗芸能とは別とされる古典音楽においても、現代では演奏家ばかりもてはやされ、相容れないことを思っている。
それでは、私の音楽活動によりよい呼称が他にあることか。

例えば「ライター Writer」というと、ゴーストライターだとかシンガーソングライターといったように、接頭語を伴う呼称がやや存在している。
ライターということは"Write"して然るものであるが、何を"Write"するかといえば、歌詞あるいは楽譜と見られる。
しかし、私といえばDTMでの打ち込みが専らであり、歌詞は今なおも書こうと思わず、楽譜は猿真似が関の山であるから、私に付けては余る表現であろう。

ここに、歌詞を書いてボーカルを募る、楽譜を書いて奏者を募るといったことを求めず、一人耽美的な楽曲のありかたを探求するといった、私らしい姿勢を感じてしまう。
私の諸活動(記録・研鑽・創作)は、この数ヶ月に常々「自己満足」と形容してきているが、端的に言って「自己満足」という言葉に落ち着くのかもしれない。
もちろん、それは腑に落ちない一面もあるのだけれど、一般にはこう捉えられよう。



・「バンド」の単語に関する余談
Yahoo!知恵袋は2015年10月下旬からカテゴリの増設と整理を行ったが、「バンドエイド」という文字列がある既存の質問の多くが「音楽 > バンド」カテゴリに移行されてしまった。
どこぞの指定管理者制度図書館の蔵書分類のように、字面だけで機械的にカテゴリを認識するから、こうも不適切となってしまうが、大手の運営ほどその陥穽の識別ができず自覚も無い。



・どこに載せようか迷ったメモを一応ここに掲載する
「快楽も金銭も結果的に得られる程度で良い。自ら願って求むるところにあらず。芸術は、肉体的ないし即物的な満足よりも、己の心の満足にこそ至福がある。これぞ芸術に望ましい少欲知足の姿勢である。観念的なれども、この美学を奉じている。満足すれば飽きて辞めるのか否、飽くことなし、満足あってなお追究す。耽美主義的精神論、修養足らざる不肖の身にあり」



【活動方針・展望】
某サイト・某ツール作曲の人々は、当該サイト内でこそ好きなように気兼ねなく且つ他ユーザーと懇ろに交流してきたのであるが、一度サイトの外に出ると、サイト旧友との付き合いこそすれ、音楽性や活動の姿勢は見る影も無い。
Twitterほか音楽サイトで遊戯雑談の活動の域を出ず、いやしくも作曲するとて、音楽性に妥協を感じる。
妥協したる音楽性とは如何なるものぞや、既存有名楽曲アレンジほか、オリジナルでは凡庸な陳腐な無難なジャンルが多かったりしたり、ジャンル名ばかり同系列でも腕が落ちていたり、やりたいことをやっていないのではないか、と思えるような楽曲群である。
当該サイト内の熱気・情熱というものを「他所に持ち込む」ことについて、自重する道理はない。

よって、私は技量の許す限り気儘に音楽制作と楽曲投稿を続ける。
今の精神状態・・・道心がある私には、あんまり過激(卑俗)な語彙を用いたり、奇を衒うようなことはしづらくあるが、それも「やりたいこと」でないのだから無理にすることではない。
同サイト内でも、実機端末が動くうちは「身を粉にする」とまで言わずとも時間との折り合いをつけながら随時投稿を続けるが、某サイトとは先述の通り、連帯感であるとかフレンドリーな交流により、彼らの創作機運を相高めている節がある。
某サイト特有のポイントとして、譜面共有の自由度が高い点があり、他のサイトにはないアレンジやコラボレーションなどの投稿量も一考に値する。
今でこそ「街」の名は廃れて「廃村」さながらにあれ、最盛期の賑わいを垣間見る思いで、当時の彼らが互いに励まして成り立つとも私は遠く忍ばせるのみに、別の信念から活動を継続する。

つらつらインターネット上の創作界隈(同人等)を惟みるに、当該サイトの元住民らに限らず、広く創作界隈で2011~13年以降は何かためらい気味のものを感じてならない。
気兼ねなくやっていけばよいところが、どことなく妥協した創作ばかりに思える。
音楽のみならず、絵であるとか、創作界隈の全般を俯瞰した上でそう書く。
「聖人(しょうにん)或いはこの道を去り、或いは退き、已に一人(いちにん)も残らず。求道の者・誰(たれ)かこれを嘆かざらん」

以上の文章は大半が12月9日頃に書かれた。
ところが状況は一変して、12月12日から稀にあるサーバの504エラーが始まった。
これは今年に2度あり、いずれも4日ほどウェブサイトもデータスペースも接続不能に陥った。
当該サイトのサーバ上にデータを保管するところに依存する面が強い点で、実機での制作は厳しい上に、実機で行ってもサイト公開が現状できるはずもない。
また、サーバが消失する(管理者自宅サーバーの放棄か契約解除かデータ紛失かデータ消去)こととなれば、サイト利用自体誰もできなくなることも論を俟たない。
MIDIシーケンサーの制作環境でも構わないが、一つの意志は潰えよう。


2015年12月10日木曜日

思考区分による社会思想の分析 (未完)

2015年10月下旬に執筆した記事であり、当該期間中に大半の記述(8,000文字ほど)を終えた。
むしろ、案ありきで短時間のうちに書ききり、後は手詰まりともいう。
一部分を別途記事として、11月中に分離投稿した。
できれば、全て分割して逐次掲載したいものだけれど。

※当記事と似た趣旨の過去記事例では「(日本潜在・中国現行の)共産主義」を論じている。
※記事投稿後も加筆を継続している。



目次 (Wikipediaライクに、li要素とページ内移動リンク)

一. インターネット新保守思想


1.1 概説

語義の釈、「新」とは「新興」というように、「旧来」との区別を前提としており、ことに近年インターネットを中心に世論を席巻しつつあることは、2011年の高岡さん騒動を嚆矢としている。
というのも、各業界を壟断するマスメディア業界・芸能界が強権発動して、一人の芸能人(タレント・俳優)を業界から追放したのであるし、その原因となった芸能人の発言が平易にして素直な当事者による感想であるため、彼ら「マスコミの偏向報道・朝鮮資本」真実を知った人々からの強い賛同を得て已まないものである。
当時の2ch掲示板といえば、関連スレッドは怒涛の勢いでパート番号が上っていた(おそらくはニュース系で歴代最多の★522、最後は1スレ勢い約100万、当該掲示板「芸スポ速報+」のルールでパートスレに4日間までの存続制限がある)。



個人的な来歴、中2の不登校(2010年12月)に入る前後の頃からネットの保守思想を主体的に学びはじめ、中3の頃をピークとして2012年中に断ち切ったため、1年ばかり浸かっていたということになろう(これは単に今そう回想したことで言うのではなく、2012年中にアップした動画にそう書いてあることも根拠の一端)。
いわゆるネット右翼として、各種ニュースなどに目を光らせ、2chニュース系の掲示板に通っていたわけだが、次第にレスの多くを敬遠するようになったことには多々理由がある。
この思想からも遠ざかる傾向が出始め、2012年以降はこの思想における誤謬性や、人々のあり方に疑問が強まり、自分のあるべき状態ではないことから、離れ始めた。
とはいっても、左派に反転することを意味しない。
政治だとか外交だとか経済だとかといった分野への関心を減らしたに過ぎず、政治思想でいえば保守派、大戦期の歴史問題もほぼ中韓の強弁に正当性が無いものと見る。
同時に、どこかの政党が、といった枠組みにこだわらず、政治家が、といった固執もしない。

新保守いわゆるネトウヨ系に対して反抗が露骨な人々(左派・左翼系あるいは政治思想を問わず敬遠?)も、実は本質的に変わりが無く、同轍である。
双方のあり方が不穏当に異様であるから、私はニューススレのレスは2012年から見なくなり始め、今ではスレタイ・本文を見るとしても、レス内容に一瞥する気すら沸かないし、ニコニコ動画(政治動画は見ていない、動画ジャンル不問)のコメント欄も同じように比例して今では見ていないのも、人種が同じのように思われるところが理由である。
「ネトウヨ」などのような単語を常用して新保守思想のネット住民を罵倒する人らは、その彼らの「ネトウヨ像」に匹敵するかそれ以上に下品なやり口を取る(恣意的な表現や主観的なレッテル貼り・同一視をする)傾向があり、とはいえそれについては詳述すべきではない。
以下から「新保守思想」を持つ人々に関する論考を始めるため、先に断り入れた。



この「新保守思想」にも、近年では分化があり、現政権(安倍氏・麻生氏など)を全面的に支持する派閥や、現政権の構成員に特定宗教の陰謀がある・アメリカの傀儡であると見る派閥など、一様に「愛国」を自負していても、現政権に関する扱いが異なりつつある。
私は、その彼ら現体制の構成議員諸氏に依存するわけでもなければ、陰謀だとか回し者だとか等との邪推もしないし、日本共○党のように法案への恣意的な呼称を以て糾弾することもしない。
良い法案は良いだろうし、悪いと思う部分があれば精査して、賛否を持つか思考放棄してもよい、何せ参政権の無い18歳であり、今から向き合う必要があるということはない。
明治以降に起きた歴史問題についても、正しい・事実は事実であり、捏造は捏造、それ以上の執着は無用であるが、現代の外交にまで持ち込む某大陸や半島は偏執狂である、とだけ思う。

今の私の政治思想を平たく言えば「ストレート中道」であろう。
仏教を学べば、平等知見(びょうどうちけん)をもって質直分別(しちじきふんべつ)できる。
これまた平易に言うと、公平公正で素直に物事を捉える能力が身に付く、ということである。
また、必要以上の執着が無くなるから、浅い歴史や政治の問題など、部外者たる私は重きに置かなくてよいことを割り切れる。
仏様も、経典においては忌憚なく「執着の強い迷える者(我慢偏執・迷妄)」を責めておられる。



1.2 現代的合理主義

ここに論う「合理主義」とは、実に現代日本の気風によるものである。
よく、「都会の人は歩き方が速い」と言うが、これに代表されるよう、現代の日本人は無機質に効率や利益を追及しつつあるが、この合理性を突き進むと中国のような共産主義に至ってしまう。
だが、日本人は文化性などを尊重して、ほど良くニュートラル、中立の状態を保持しているから、マルクス主義的な究極の共産主義、中国でも未だ実現できていない極致へ達することはない(ただし戦前期の一国全体が思想を統制され、一致団結した時代は世界史上に類例無き究極の社会主義に見える)。

およそ「将来の夢」とは、近年世間が憂えるよう、何とも安定した職種を志す子供たちが多くおり、それはこの「現代的合理主義」の気風から、その志が生じていよう。
具体的には、サラリーマン・弁護士・公務員、少し大きいものでは政治家などである。
「広義の公務員」なら、教師や警察官など、まだ子供に適切なものがあろう。
1000年以上前の中国では、官職を志して高位・高座に就かんと憧れもとい野望を懐くことは多かったようだが、それは当時の選択肢もとい視野が狭まっていた時代背景に起因している。
為政や処世を基盤とした教えである儒教などを根本思想として、中華思想など(もちろん左記の思想の一辺倒と言いたい訳ではなく仏教など他所の思想も「自己流」で受容していった)、現代中国は「儒教道教の徳」を忘れた「共産主義の欲(貪欲・強欲)」という点で正反対のようであるが、私見では現状変わらず、思想面の色違い程度でしかなく見えてならない。

一方で、現代日本はスポーツ選手だとかパティシエだとか宇宙飛行士だとかと、「ありがち」ながら子供として「あるべき」夢を持つ選択肢はいくらでも存しているにもかかわらず、今の有様がある。
日本のスポーツは多くの競技で好成績、パティシエという菓子作りも食文化も和洋問わず評価が高く、宇宙へ飛び立った日本人は私の故郷さいたま市(旧・大宮市)輩出の若田さんなど多数おり、いずれも日本のキッズが憧れて然るべき職種であるはずだ。

職業というものは、それを望むにあたり何らかの意志が必要になるが、主にその根源は「欲望(金銭欲など生活安定・名誉・モテたい等)」か「願望(作業意欲)」のどちらかである(「望む」ことが前提であるから無理やり就労させられるケースなどは除く)。
その仕事をさせてもらえる機会が得られるなら、タダ働きさえ買って出る人もいることは、ボランティアなど慈善活動(裏事情はともかく)の人々が好例である。
繁盛しなくても、自分の料理を振舞いたい、食べる人の笑顔に触れたいから、温もりを与えたい温もりに包まれたいなどと、料理店を営み続ける人もいる。
もちろん、そういった人々がなぜ利益を得られずしてそれを続けるか、全くその感情が理解できない人も現代には増えているのではないか(少し前までの自分がそうだが、「理解」はできた今でも真似をしたいとは思わない)。

自己犠牲の姿勢を厭うにしても、身の丈に合わない金銭を得ることに狂奔する、貢献的自己犠牲を厭うのに、金銭を得るための自己犠牲、すなわち触法行為を厭わない輩が蔓延っている。
即物的な利益、給与という形を得られなくてもよい、とまで言わずとも、金欲しさから悪事に手を染める、例えば処方が制限された薬を不正に大量転売する富裕のお医者さんなどは、その職種の人間としてあってはならないであろう。
こういう風に、本来は人助けするであろう立場が必要以上の金銭に目を眩ませてしまうと、その職権を有した者にしか行えない悪事を働いてしまう。

※先述の「願望」からその職を選んだというのに、金が入るようになるとますます金を求める「欲望」が強まる人は多い。本来、収入などとは、その職を続けて得られるオマケ・副産物であるべきなのに、職の継続意欲よりも収入確保が目的意欲となって職を継続してしまえば、本末転倒となる。あるいはそもそも、「医者とか国家資格必要な職種って高収入じゃね?」という不純なる「欲望」の動機からその職業や資格が人気となるなら、もはや「道」を忘れた非道外道の民に満たされている日本という国を憂えるしかない。否、後述する「中学生の頃の自分」こそがその典型例であった。「無職即聖職」と確信す。ただし、古来人間は自分の生活の糧として「生業」を持つものであるから、生活に窮してしまわぬよう最低限の金銭などを要した「欲望」の動機は受容する。問題は、先まで上げた諸々の例のように、身の丈に合わない「欲望」か。

「利益を得るという行為」は、同時に「他へ還元する必要」が、この現代社会に存している。
税制などはそのようで、一定額を超えてから贈与税や所得税などが発生するように、誰かが一方的に莫大な利益を得て、独占することは許されない。
「富の再分配」と言い、税制などが形式的でもそうあるように、日本など先進国は貧しいアフリカやアジアなどの途上国を恒常的に援助していく必要がある。
「恩返し」という、即物的見返りを求めてはならないのであろうが、真っ当な国ならきっと日本の恩に報いてくれよう(国交正常化以来中国への多額投資、民主党の対韓通貨スワップ・・・)。
国内であっても、年金制度や生活保護制度といったものは、現代の民主主義などにおける根底の原理として、先進国的な通念(富の再分配など)がある。

昨今のEUが、中東など紛争地域の難民を積極的に受け入れていることも、嫌々行う場合もあろうが、嫌でもやらねばならない理由、集団の義務がある。
自国の事情を顧みず、難民を受け入れ続けるべき宿命が、EU諸国に付きまとう。
先進国だからと悠然として安逸に浸るのではなく、欧州の威厳を保たねばならないから、例え国内の治安が下がる(直接難民が犯罪をするか、間接要因では国民の反発で国内デモや難民襲撃など)としてもこういった人々を受け入れる先進国の自己犠牲が窺えよう。
もちろん、国際社会の通念上そうした姿勢を保つのみならず、本心から哀れみがあってそのように援助していることもあると、私は信じたく、でなければ間もなく世界が暗転しかねない。

こう語る私は、中学生の頃に「ザ・即物的功利的唯物論者」としての思想が根強くあり、中学1年生の時の開校ウン周年記念冊子で「将来の夢」について書く際、「年収1000万円」と金額を書いて悦に入っていたが、金額を書く真似は不良生徒の「年俸1億」ほどしか見当たらないほどに異端児として不気味な光を発していたことと思う。
どうせ、この年頃に正常・健全な夢を浮かべた学生諸子も、30過ぎてから現実的夢想に耽溺し、「年収800万以上の男性ガー、3高じゃないとヤダー」等とのたまいだすのであろう。
2010年12月の不登校以後も、こうした「カネ、カネ、」という性質が残り続けた。
上の「自己犠牲・富の再分配」ということを知らなければ、納得もできない中学生当時ならなお、「老人に年金出しても税金のムダだ!役立たずを(法整備の下に)殺せ!アフリカなんて未来永劫に発展しねーよ!早々に援助やめろ!」などと強く思っていた(ストレートな表現、御免)。

これは新保守・ネトウヨ時代にも変わらず根深かった。
国益や利潤を追求するのもよいが、行き過ぎると金銭や数字ばかりに囚われる。
そうであったところ、今やそういった差別思想など諸々の謬見を排除して、社会のしがらみさえも断っていることは、それなりの思惟を深めた時間の長さ・功がある。
このような中学時代の思想を忌憚なく検分・披瀝しているのも、ご覧の諸君に同様の考え方があるならば、潔く脱却され、真理の階梯を辿る道に入って頂きたいからである。



1.3 現実「語」主義

続く題名は何とも手作り感の強いもので、一見して何の話か判断しづらい。
要は「現実」という単語をあんまり念を押しすぎる人がネットの政治ファンなどに多いということであり、その「語」を悪しく弄するところで鬱陶しさを個人的に感じている。
「語」主義だから、当人が九官鳥のように唱えるだけで、当人こそ実はオウム返しならぬブーメランの法則で当人の思考状態にも、適用されている。
インターネットの中でも、2ch系や知恵袋・ツイッター等には様々な政治ファンが多いものの、みな下品な言葉が多いだけでなく、こういった語の悪用が目に付くことは甚だ多い。
※2015年11月にも地方新聞社の偉い役職の人(反自民の左翼系)が政治関係の投稿で暴走し、謝罪投稿はするも会社から役職を解任された報道がある。

斯く言う私も、2012年の投稿楽曲に"Loser of the Reality"、つまり「現実の敗北者」を意味するものがあったりと、やはりそちらの思想に染まっている場合こういった傾向が出てしまう。
自分も、「現実『語』主義」思想の影響を真に受けていたようであった。
ましてや、自虐的な意味合いでこの曲名を定めたのであろうか、己よ。

それで、どう「『語』を悪しく弄する」かといえば、キーワードは「見る・直視」である。
見るべき・直視すべき「現実」とは、社会的あるいは即物的なものか。
また、見るべき「現実」を見た上で、捉え方が主観と異なる人を、見ていない・逃げているそのものと判定される。
見るべき「現実」が多様なら捉え方も多様であるのに、当人の一元性より一様に判定することは論理上に危ういところがある。
その一元性から「コレ・アレには『未来』がある・ない」と更に広げられる。





1.4 精神面(民族の理念)での問題

初めに、"Mental"というニュアンスでの「精神」ではないことを留意されたい。
先の「現実『語』主義」と同様、そういった「精神病」云々を取り上げた論理は、インターネット特有の交流の中で毒された思考から普及し、この論理を弄すると詭弁の域を出なくなるため、私は持ち出さないようにしているし、以下の内容は精神病などとは関係が無い。
私が"Psychology"の側面から人を穿って見ることもしない。
ここでいう「精神」とは、もっともストレートに言えば「大和魂」ということになる。
また、価値観や趣味といった言い換えもある。

日本人らしからねど然(さ)ある「現代的合理主義」は、この「精神」にも適用される。
現代日本人は「神を信じない」というより、神が何であるか曖昧であるのかもしれない。
キリスト・イスラム等の絶対神を奉じた一神教の神と、日本の伝統的な神から世界の神々(ギリシャ神話からインドのものなど)といった多神教の神、現代の作品の想像上の神など、「神」といっても種類が多々あり、それらが宗教的に統率されないから異なる神々の情報が混在している現代日本では、「神」像が捉えづらい。
更に、実在した賢者にてあらせられる「仏様」を、この「神」と混同・同一視する者も非常に多いことは、キリスト教的な偶像崇拝と、多神教的に多くの仏・菩薩が崇拝されるからかもしれない。
その「神」の存在は、そういった情報や人生経験から存在の有無を個々人が弾き出し、各々の「神」像が形成されてゆき、日本人同士でそうは一致しづらい。

それでも、「この世を支配したり人を救う」性質のある絶対神的なものは、多くの日本人が懐疑的であり、否定する傾向にあることは違いなかろう。
願い事を叶えてくれず、「どうせ神なんていないよ」、誰しもそう心で思うこともあれば、口に出すこともある。
斯く言う私も、一神教の神を信じないし、一般的日本人と異なり宗教の教義上からその理由を述べられるが、ここでは煩瑣であるから省く。
2014年6月から仏教を学び始める前の自分は「神とは自分の中にいる!最も身近にいる!」等、思考を深めた上で「己心」を結論としていた。

なぜ現代日本人が、自分たちの神を知らないようになってしまったかといえば、日本の宗教史に詳らかである。
各地の集落などで実りをもたらす山の神など、各々が神を奉じていたわけだが、それぞれが似たような「神」像を掲げ、衝突や吸収などでその神という観念が食いつ食われつの様相であった。
優れた神と劣った神、色々混ざり合って、10世紀までには「天照」が最上となる(記紀のどちらかが根拠)ものの、それまでには仏教の伝来などで、既に神と仏への信仰の混在があった。
その「仏」であっても、あらゆる宗派があらゆる仏を等しく崇めるのではなく、「無量光明の阿弥陀仏(念仏・浄土系)」や「遍照金剛の大日如来(密教・真言宗)」などに宗派間で優劣の主張があったり、「仏は娑婆に実在されたお釈迦様と将来仏として下生される弥勒菩薩だけ!」などの主張もある。
平安時代の天皇なら釈尊を中心とした天台宗(比叡山)、平安末期からは加持祈祷好きのために真言宗(高野山)、鎌倉~江戸時代の武士は徳川家の菩提寺があることで有名な浄土宗をはじめとした念仏系の宗旨など、時の為政者らは中心の「仏」が相容れない宗派で定まらなかった。

西洋(欧州や中東)は国家がどう分裂しても闘争しても統合しても、ほとんどキリスト教かイスラム教であり、中国大陸もどんな王朝であれ儒教や道教の思想を根本とした政治が中心であったが、この島国の日本は万世一系の君主・皇統連綿と流れても、信仰は多様化を極めていた。
そのような日本人特有の、時代に対する柔軟な性質が悪く作用し、この現代的合理主義と、「神」という各々が懐く観念の複雑化・抽象化が発生した。
この現象を悪く言ってしまえば、軽佻浮薄で移ろいやすく、無節操ということである。

※いや、日本とは和を重んじる、その和とは、すべての存在を尊重して共存する姿勢である。神などの「宗教」という分け隔てを設けず、あらゆる思想も受け入れる。一方、何でも悪しきものを排除する思想は、西洋に端を発し、これをも受け入れた近代・戦前の日本の過ちであり、今の中国や北朝鮮など独裁的全体主義国家の体制と何ら変わらない、右翼・左翼諸氏は中道・真の「和」を知るべきである。日本宗教史の無節操は和の裏返しか。

※一部の現代日本人は、芸能などカルト的に熱狂することもあり、どこどこのチャートで上位を取りたいグループの方策に乗せられて一人でCDを何千枚も買うことは、即物的利益の信仰ともいえ、事実ライブだか握手会・サイン会だかで会う・触れられるならば有難すぎるのであろう。また、何らかの作品や作者などへのリスペクト意識が高いという人は、金銭拠出・正規購入という形でこそリスペクト意識(敬意)の印になるとの即物的観念論を垂れるが、単なる商業主義・搾取のカモか。

現在、無神論的だった人(皇室不要といった冒涜など含む)がインターネットの影響で忽然と右傾化したり、一方の人は反安保法案・反戦争法案(センソーホーアンハンターイ)といった迷妄の左傾化も甚だしい(自分の母がニワカ共産党支持者である)。
安易に、元々の考えと反転してしまう人が多いということである。
本題の、ネット経由の新保守思想であれば、日本的なセンスと遠い人(欧米化・西洋気取りなど)が突然に嫌韓・愛国宣言などを始めるということである。
私は、それらの風変わりな状態を批判して、「みな一様にこうなれ」と強いるつもりはない。
また私は、和風=愛国、愛国=和風といった、相互の等式を唱えてもいない。
私思うに、新保守思想の様子は、趣味や感性が自由な現代的保守でありながら、政治などの思想がみな似通うというところが特徴なのであろう、とだけ指摘する。

世界的なイベントや表彰において、日本人が優秀な結果を出すことは、私としても喜ばしい面はあるけれど、それ以上の関心をその分野や人物に持とうとはしない。
そのイベントや表彰の分野や人物に関して興味を強く持つこと、今仏法を学び奉る私が、新たにそれらの領域に手を伸ばすことは無い。
勉強と創作関連を続ける意志が強く、そういった人格が長い経験より形成された今、子供のように多様な夢を持つという所には既にいない(小学校中学年の頃はアレコレ夢想していたり、唯物論者の中学以降も変に憧れを広げることがあった)。
だから、その時その時で特定のスポーツ観戦などで盛り上がる大人というのは、学問上で見れば子供と本質的に変わりが無く、子供の方が伸びしろの広さで優れているくらいだと私は見ている。
子供の可能性は無限大・・・とまで言わずとも、子供の夢やその場の精神はいくらでも大目に見ようと思う反面、いい年をした大人が熱狂していると、単純に何ら知性のない人間としか見られず。

私の信念から来る感情が、そう否定的に向かせるのであるが、少し考えを変えれば、やはり業界側としても、こういった好成績による宣伝効果で、新しいファン層や、ずっと先に述べた「日本のキッズが憧れ」ることで担い手も増えることであろう。
特定のスポーツ観戦などであれば、大人は結局、個々人の娯楽としてのみならず、周囲との話題を持つ上で必要とする者もあろうし、私が濫りに批判すべき事象でないかもしれない。



1.5 善悪二分思考

まず、私の政治的な思想は善か悪かといえば、"ネットの"保守派を好きはしないが、それで私が即左派となるわけではないので、私は片方から見た「善」でも「悪」でもないこととなる。
"ネットの"という点では、左派も過激というより狭隘であるし、結局は私が"ネットの"という接頭語を冠して認識した後は、どちらの人にも好かない(特に左派はリアルであっても某党員や反アレのデモ集団など、公正に見えない)。
だがやはり、左右どちらか一方のみが正しいとすれば、正しい方を批判せずとも、そもそも信じない時点で必然的に「悪」になるのかもしれない。
だから、二分法でいえば、ただ一つの善に属さず、中道ぶるまいの私は「悪」となろう。

およそ異常な犯罪は、国内で誰が起こそうとも彼らの攻撃対象である「在日朝鮮人(チョン)・在日支那人(チャン)」といった観念的存在に挿げ替えられる。
これは、ニュース報道などの犯罪・事件のみならず、ほか異常行為や悪い性格、悪い発言などもまたそれらの観念的存在に置き換わるようである。
日本には1億を超す人々がおり、全体的な民度が他国と比較して良いといえば、統計にはそう表れているものの、画一的ということはないから、各々が異なる信条や習慣を持ち、価値観も趣味も当然、日本人がみな一緒ということもない。
それを、日本人は即「善人」とした上で、「悪人」とは総じては外国人、別しては在日朝鮮・支那人として、全くの個人レベルで大小の差異はあれ「悪人」とされる人が即「在日(略)人」とみなす。
とある悪人が生粋の日本人であるとしても、彼らの認識を介した観念的存在においては「在日(略)人」となる(ナチス・ドイツのアーリア人認定とユダヤ人認定並みに暴力的である)。

例:とある教団の老獪教祖

こう書く私の中3ネトウヨ時代はと言うと、苗字や顔立ちなどを材料に、よほどでもない限りは「在日(略)人」という断定を避けるような考えであり、いわゆる「在日認定」ということは短絡的で偏頗だからと自制をする傾向があった。
ここに感情的な要素が加わると、誰でも程度の差はあれ慎重な考えを維持する歯止めが利きづらくなってしまい、その「短絡的」と厭うたはずの状態に自ら陥りやすくなることもあった。

思想の偏向を嫌う現代性においては、日本の政権与党である自民党が「中道右派」を標榜するように、「中道・中庸」が好ましい立ち位置ではなかろうか。
「超党派」という表現も聞かれるが、政党というセクトの壁、派閥の枠を超し、イデオロギーに左右されず正しいことは正しく、また偏った思想を介在させず公平公正に分析したいときにこれを用いる。
国防にしても原発にしても社会保障にしても、右翼は右翼、左翼は左翼で相容れないことのみぶつけ合うのでは喜劇じみているから、正しいことにはそういう政党だとかのしがらみを超して、みんなで支持すべきではなかろうか(その点で某市議の姿勢は賛同できる)。
別の派閥や思想に属する者を全て、絶対的非難対象とし、あらゆる発言などを否定的に取ることは好ましくない(例えば私を憎んで私と同じ年代・出自・地位・血液型の人を憎まず、また元々私と同じ年代・出自・地位・血液型の人を嫌って私を憎むべからず、憎き坊主の袈裟を憎まず)。

続いて、あたかも「中道」であるような名前の「男女平等」が連想されるので、新保守の次は、これについて語る。





二. 中道もどき男女平等主義(フェミニズム)


2.1 概説

世間では、かまびすしく「女性が活躍する~」、「女子の~」といった華やかなフレーズが飛び交っているように見える。
これらは広義の「男女平等」に収まるようだが、実態を闡明しよう。

語義の釈、「男女平等主義」、一見すれば「平和主義」のような良い響きがありそうだが、英語の対訳を探すと、"Feminism"である。
性別区分に"M"と"F"があるが、この"F"は"Female"の略であり、ラテン語の語根でいえば"Fem"として、女性を意味する点が通じる。
要は、女性からの視点で物事を見たとき、女性の立場や地位が不満足である状況分析を前提として、現状の改善として女性の権限の拡張や待遇の向上を狙っていることになる。
その"Feminism"というフェミニン思想を「男女平等」と訳するところに第一の誤謬がある。
女性の視点から唱えた思想という、その前提を自ら打ち消すように、日本のフェミニストがこの訳語を唱えたのであれば、まず第一の問題である。

また、「女性の権限の拡張や待遇の向上」による男女平等の実現は、戦前などの昔なら女性の主権が男性に追いつこうとして平等を得るという点に一理あるも、今日ではほとんど平等か、仕方の無い性差はそれぞれあるのみで、これ以上望んではそれこそ、女性に偏重しかねない。
今の日本に望まれていることは何か。
障がい者などのバリアフリーのようなものであろうか。



所詮、人間が言うところの「平等」は、正しい理念(綺麗な理想)のもとならば実現など不可能である上、彼らフェミニストほか左翼らはそもそも誤った思考によって偽りの平等(後述)を謳っているに過ぎないから、平等の語を易々と使うべきではない。
日本語の「平等(びょうどう)」は、「平(びょう)」という呉音と、それに呼応した「等(どう)」という連濁で読む通り、その音韻が漢訳仏典・仏教(仏教建築の平等院鳳凰堂は有名)に由来する。
法華経の「平等大慧(びょうどうだいえ)」というように、仏様の力用・慈悲など、不可思議なる仏教・仏法のためにのみ用いる。

私はその上で、思想や生まれ育ちなどの隔たりを取り払った尊重主義を持っている。
私ほど酷烈な人生を歩んだ上で根性を曲げずにおり、真理を求める心が起これば、自ずとそういった理解や精神性が養われる。
今の世間上流による人権尊重の在り方は、一種の英知の結集かもしれない。
世間での差別とは、その理解や精神性のない差別者と被差別者がいて成立する。
外見が醜悪である・能力が劣る、そういった価値判断をし、醜悪で劣る者を個性として尊重できずに様々ないじめ(学校・職場)などで迫害し、またその被害者も広い心と理解を持たないため、卑屈になってしまい、悲観的になって自殺も有り得れば、そうでなくとも過激な下剋上を画策する(美容整形などもすさまじい自己否定であって愚昧・無知の所業)。
こう見れば、そういった人々が差別者や被差別者になってしまう事実は、相互の理解不足が一因として大きいし、今の生温い人権教育と、反対に差別を助長する合理的思想(1.2でいう将来の夢)の流布では子供たちの犠牲(自殺)も増え続ける。
現代人とはみな、愚かな集団にいて愚人に囲まれる愚人である。
愚かな子供のうちでは助かりようもないから、くれぐれも人間的な心を失わないで生き続け、その苦悩の中に、いつか私のような理解と精神性をどうにか得られることを願う。



2.2 日本左翼の欺瞞的平等主義

フェミニストに限らず、日本の左翼系で「差別を無くす・無差別・平等・人権」などと謳っている者達の大概が、真に平等や尊重を信念としてはおらず、「特定の層(性別・年代・出自など)が被差別の状態にある」という前提で、その層への差別を無くそうと訴えている。
だから、興味の外に対してはかえって嫌ったり卑屈になる傾向があることは、ネット上の左翼などが対立意見を言う者の論理と無関係な悪い面(事実無根で勝手な憶測のことも)を摘み上げて嘲笑するような、公平でも公正でもない詭弁を弄するところに彼らの差別意識が見え隠れする(無論この心理はネット上の右翼や政治ファンも同様である)。

被差別の原因となる要素を、特殊なものや劣ったものと思うところ(観念)に差別が生じやすいのだから、むしろ卑屈になって隠したり、逆に強く訴えるのではなく、みんなで善悪や優劣の区別(観念)を取り払い、個性として認めて尊重しあえばよい。
端的に言えば、彼らの人権屋の多くは、あらゆる存在の平等や尊重よりも、特定被差別層の擁護を目的としているから、それこそ偏屈な思想・差別意識の根源であると言わざるを得ない。
「これが好き・嫌い」という幼児思考の延長でしかなく、仏道修行者は須らく捨つべき執着でもある。
被差別者への擁護は構わないし、そういった活動も決して私は軽蔑せず、徳ある弱者救済の精神として尊重したいが、実際の彼らはみなどこかで誤りを生んでおり、それが一向に変わらない。

日本の左翼団体は押し並べて何らかの邪心を抱えているから、博愛精神のポーズだけをとって実際には、自分たちの利権を守ろうとするか、貪っているようである。
そのような陰謀の性質が強い左翼団体が、早い時期では戦前から、長年に渡って日本で暗躍してきた。

私は先1.1に「ストレート中道」と僭称した。
仏法を知らねば正しく中道に入ることは無かろう。
その私は右翼も左翼も尊重するし、正しい理念や信念があるならば共に語り合って何らかの命題に突き当たっていくべきであろうが、今のネット右翼たちの盲いる様や、日本の左翼全般のお為ごかしぶりを思えば、とても良い存在として認められ得ない。
このようだから、今のネット右翼の多くは、左翼的思想や反右翼発言が全て反日的思想もとい、全てが在日外国人(特定アジア系)・カルト教団(南北朝鮮系)そのものだと見誤ってしまう。
どちらも「社会をより良くしたい」、具体的に言えば国家や民衆が豊かに栄えるための方法を考えていく上で思想の異なりを二分に呼称した程度の概念であるのに、彼我が全く別離してしまった。

私の中道・尊重という立場の平等性について少し例を挙げる。
例えば、私が中国・韓国の文化などを褒めることがあるとすれば、それは異文化を尊重する延長線上の行為である。
これが主に右翼・極右のセクト主義やナショナリズムなどイデオロギーが強い人々には、聞くに堪えないことと思う。
また、多くの左翼系は特定の存在などを過剰に讃嘆するか擁護する一方で、それが侮蔑を受けるか何らかの侵害に遭えば過剰に反発する、というような極端且つ偏狭なもので、とても平等の語は当てられず、尊重の思想にも遠い。
そのような思想がこの例以外にも漏れなく言えてしまう。

この故に、日本の左翼系団体のいう「平等」という理念は、まったき欺瞞というほかない。
2.1の如く、平等の原意に基づけば、「平等」を人類が成し得ることは不可能である上に、一応それを理念・理想と見るにも、その理念・理想と乖離した偏狭な行為を続けている。

私の中道・尊重という立場は穏健であり、個人の心における平等の実現を支える。
完全な中道や中立性は有り得ないし、それをしようものならば人間の思想・社会的活動が大きく制限されるであろうが、それも程度を見ればよい。
何かの行動や発言の結果に、悪いことが起こるならば結果論であろうし、そうして行動の積極性と消極性とを巧みに操ることができれば、また中道というものである。
これは、結局、その個人の経験量や現在の実践に依存する。






2015年12月5日土曜日

2015年11月の「日記メモ啓発月間」後記

2015年11月中、本家ブログにおいて「日記メモ啓発月間」を敢行し、月間毎日メモの投稿という一大目標を成功裏に収めた。
メモ帳にて当月分のまとめ記事は作らないでおくことは、啓発月間を始めるに当たって悩んだわけだが、その過程で当記事「後記」との代替案が浮上し、これを採用した。



個性的なナンバー一覧

11月3日メモ・・・その日の面白い出来事を、書き下ろしイラストと共に解説している。
11月5日メモ・・・楽器(10月31日メモにある母の購入物)を試しに演奏したことと、その楽曲に関して音階なども書いている。
11月6日メモ・・・故郷埼玉のブランドに関連して、最近の全国事件に対する埼玉らしい立場や、県警の問題性など、自分の経験も開陳して詳しく語っている。
11月1718日両メモ・・・フランス語の音韻について、母への配達物から一考してある(メモ帳にこれをまとめて集成した記事がある)。
11月23日メモ・・・小さく散歩した記録が普段の日記メモのノリで綴られる。
11月30日メモ・・・最後の日、末尾にベタベタとリンクが張られている。

画像つきの日付→01 03 06 10 13 18 19 20 21 23 27 28 30



「メモ記入日の一覧」テンプレート・HTMLタグ

例月のまとめ記事では2015年7月分から「メモ記入日の一覧」を設け、更に同年9月分からは記事内の日付別のリンクを万全に付けるなど、閲覧の利便性を向上させた。
そこまで熱心にご覧の良心ある読者などいるわけはない、と思いつつこれを10月分でも続けた。

<b><span style="font-size: large;">メモ記入日の一覧</span></b><br />
<a href="#1">1</a> <a href="#2">2</a> <a href="#3">3</a> <a href="#4">4</a> <a href="#5">5</a> <a href="#6">6</a> <a href="#7">7</a> <a href="#8">8</a> <a href="#9">9</a> <a href="#10">10</a> <a href="#11">11</a> <a href="#12">12</a> <a href="#13">13</a> <a href="#14">14</a> <a href="#15">15</a> <a href="#16">16</a> <a href="#17">17</a> <a href="#18">18</a> <a href="#19">19</a> <a href="#20">20</a> <a href="#21">21</a> <a href="#22">22</a> <a href="#23">23</a> <a href="#24">24</a> <a href="#25">25</a> <a href="#26">26</a> <a href="#27">27</a> <a href="#28">28</a> <a href="#29">29</a> <a href="#30">30</a> <a href="#31">31</a> <br />

"#1"などは日付の位置に移動させるわけだが、当該記事のパーマリンク(固定URL)をその前に書かないと、Bloggerは勝手に無関係なユーザーページのURLを挿入してしまう。
「ユーザーページのURL」とは、"https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=(特定の数字列)"であるが、そんなことをするブログやHPサービスなどは、Bloggerくらいしか存在しない。
よって、当メモ帳では逐一当該記事のパーマリンク(固定URL)を"#1"などの前に挿入する手間をかけている。

ほか、この「日付の位置」を定義させるため、適切な箇所に1つずつ日付ごとのdiv idタグを貼る。
"1"とある箇所は、2、3、10、22などと日付に応じた名前を記入する。

<div id="1">
</div>



2015年11月29日日曜日

日本人の精神性と信仰心 ~ 歴史的経緯と現代のありかた (10月文章抜粋)

今回も10月中に執筆した文章中、「ネット以降の保守思想」に関する項目から抜粋して投稿する。



* 精神面(民族の理念)での問題 *

初めに、"Mental"というニュアンスでの「精神」ではないことを留意されたい。
先の「現実『語』主義」と同様、そういった「精神病」云々を取り上げた論理は、インターネット特有の交流の中で毒された思考から普及し、この論理を弄すると詭弁の域を出なくなるため、私は持ち出さないようにしているし、以下の内容は精神病などとは関係が無い。
私が"Psychology"の側面から人を穿って見ることもしない。
現代日本人がいう科学、ことに医学や人体に関する話をすると、精神病理も栄養学も個々人が勝手なイメージを重ねたり、「血液型による性格の判断」などといった現代的な迷信(造語: 現代唯物教・民間信仰の邪義)が強く罷り通っているため、この方向は好まない。

ここでいう「精神」とは、もっともストレートに言えば「大和魂」ということになる。
また、「趣味」や「感性」といった言い換えもある。
そこで、総括的ではあるが「民族の理念」という括弧の注釈を付けた。



日本人らしからねど然(さ)ある「現代的合理主義」は、この「精神」にも適用される。
現代日本人は「神を信じない」というより、神が何であるか曖昧であるのかもしれない。
キリスト・イスラム等の絶対神を奉じた一神教の神と、日本の伝統的な神から世界の神々(ギリシャ神話からインドのものなど)といった多神教の神、現代の作品の想像上の神など、「神」といっても種類が多々あり、それらが宗教的に統率されないから異なる神々の情報が混在している現代日本では、「神」像が捉えづらい。
更に、実在した賢者にてあらせられる「仏様」を、この「神」と混同・同一視する者も非常に多いことは、キリスト教的な偶像崇拝と、多神教的に多くの仏・菩薩が崇拝されるからかもしれない。
その「神」の存在は、そういった情報や人生経験から存在の有無を個々人が弾き出し、各々の「神」像が形成されてゆき、日本人同士でそうは一致しづらい。

それでも、「この世を支配したり人を救う」性質のある絶対神的なものは、多くの日本人が懐疑的であり、否定する傾向にあることは違いなかろう。
願い事を叶えてくれず、「どうせ神なんていないよ」、誰しもそう心で思うこともあれば、口に出すこともある。
斯く言う私も、一神教の神を信じないし、一般的日本人と異なり宗教の教義上からその理由を述べられるが、ここでは煩瑣であるから省く。
2014年6月から仏教を学び始める前の自分は「神とは自分の中にいる!最も身近にいる!」等、思考を深めた上で「己心」を結論としていた。

なぜ現代日本人が、自分たちの神を知らないようになってしまったかといえば、日本の宗教史に詳らかである。
各地の集落などで実りをもたらす山の神など、各々が神を奉じていたわけだが、それぞれが似たような「神」像を掲げ、衝突や吸収などでその神という観念が食いつ食われつの様相であった。
優れた神と劣った神、色々混ざり合って、10世紀までには「天照」が最上となる(記紀のどちらかが根拠)ものの、それまでには仏教の伝来などで、既に神と仏の混在があった。
その「仏」であっても、あらゆる宗派があらゆる仏を等しく崇めるのではなく、「無量光明の阿弥陀仏(念仏・浄土系)」や「遍照金剛の大日如来(密教・真言宗)」などに宗派間で優劣の主張があったり、「仏は娑婆に実在されたお釈迦様と将来下生される弥勒菩薩だけ!」などの主張もある。
平安時代の天皇なら釈迦を中心とした天台宗(比叡山)、平安末期からは加持祈祷好きのために真言宗(高野山)、鎌倉~江戸時代の武士は徳川家菩提寺があることで有名な浄土宗をはじめとした念仏系の宗派など、時の為政者らは中心の「仏」が相容れない宗派で定まらなかった。

西洋(欧州や中東)は国家がどう分裂しても闘争しても統合しても、ほとんどキリスト教かイスラム教であり、中国大陸もどんな王朝であれ儒教や道教の思想を根本とした政治が中心であったのに、この島国の日本は万世一系の君主・皇統連綿と流れても、信仰は多様化を極めていた。
そのような日本人特有の、時代に対する柔軟な性質が悪く作用し、この現代的合理主義と、「神」という各々が懐く観念の複雑化・抽象化が発生した。
この現象を悪く言ってしまえば、軽佻浮薄で移ろいやすく、無節操ということである。

※いや、日本とは和を重んじる、その和とは、すべての存在を尊重して共存する姿勢である。神などの「宗教」という分け隔てを設けず、あらゆる思想も受け入れる。何でも悪しきものを排除する思想は、近代・戦前の日本の過ちであり、今の中国や北朝鮮など独裁的全体主義国家の体制と何ら変わらない、右翼・左翼諸氏は中道・真の「和」を知るべきである。無節操は和の裏返しか。



現在、無神論的だった人(皇室不要といった冒涜など含む)がインターネットの影響で忽然と右傾化したり(小学生→中2にかけての自分がそれ)、一方の人は反安保法案・反戦争法案(センソーホーアンハンターイ)といった迷妄の左傾化も甚だしい(自分の母がニワカ共産党支持者である)。
安易に、元々の考えと反転してしまう人が多いということである。
本題の、ネット経由の新保守思想であれば、日本的なセンスと遠い人(欧米化・西洋気取りなど)が突然に嫌韓・愛国宣言などを始めるということである。
私は、それらの風変わりな状態を批判して、「みな一様にこうなれ」と強いるつもりはない。
また私は、和風=愛国、愛国=和風といった、相互の等式を唱えてもいない。
私思うに、新保守思想の様子は、趣味や感性が自由な現代的保守でありながら、政治などの思想がみな似通うというところが特徴なのであろう、とだけ指摘する。

世界的なイベントや表彰において、日本人が優秀な結果を出すことは、私としても喜ばしい面はあるけれど、それ以上の関心をその分野や人物に持とうとはしない。
そのイベントや表彰の分野や人物に関して興味を強く持つこと、今仏法を学び奉る私が、新たにそれらの領域に手を伸ばすことは無い。
勉強と創作関連を続ける意志が強く、そういった人格が長い経験より形成された今、子供のように多様な夢を持つという所には既にいない(小学校中学年の頃はアレコレ夢想していたり、唯物論者の中学以降も変に憧れを広げることがあった)。
だから、その時その時で特定のアレ観戦などで盛り上がる大人というのは、学問上で見れば子供と本質的に変わりが無いが、伸びしろの広さで子供が優れているくらいだと私は見ている。
子供の可能性は無限大・・・とまで言わずとも、子供の夢やその場の精神はいくらでも大目に見ようと思う反面、いい年をした大人が熱狂していると、単純に何も学んでいない人間としか見られず。

しかしそう否定的に、私の信念から来る感情が向かせるので、少し考えを変えれば、やはり業界側としても、こういった好成績による宣伝効果で、新しいファン層や、ずっと先に述べた「日本のキッズが憧れ」ることで担い手も増えることであろう。
特定のアレ観戦であれば、大人は結局、個々人の娯楽としてのみならず、周囲との話題を持つ上で必要とする者もあろうし、私がみだりに批判するべきではないかもしれない。



備考

2014年3月6日における自撮り写真へ、2014年3月19日に文字を付与した

上掲はオマケの字幕付き写真である。
本文参照『2014年6月から仏教を学び始める前の自分は「神とは自分の中にいる!最も身近にいる!」等、思考を深めた上で「己心」を結論としていた。』

字幕は「頼れる神こそ己の中にある。自我の神格化によって鼓舞するんだ!崇拝対象は最も身近にあると考えろ!」とする。
字幕に「己」と「自我」という類義語があるが、ここでは前者が「深層意識や無意識の精神か何か」を意味し、後者が「当人など誰でも生者の顕在意識が五感を用いて認知できる対象として実在する肉体から存在を認定する生命全般」を意味すると考えればよい。
つまり、前者が深層的に神を宿しており、後者が表層的に神格化されるべきだと、当時の私が字幕において主張をしたかったのだろう。
理由は、2014年6月以前のコンテンツに多かれ少なかれ書かれているかもしれない。
ところで、「神」と「神格化対象」という二者が両者の差異を示しているが、哲学的には定義が困難かと思う。

2015年11月26日木曜日

10月に書いた文章より「現代的合理主義」を抜粋

10月中に起草した下書き記事の一部記述を新設記事として投稿する。
以下からの文章が始まった経緯として、私が小中学生の頃に持っていた思想「インターネット新保守主義」が関連する。
よって、その「中学生の頃の私」を念頭においてご覧いただきたい。
※後日、その10月起草下書きの記事を急いで仕上げて投稿するかもしれないので、そちらも併せて高覧されたい。



*現代的合理主義*

ここに論う「合理主義」とは、実に現代日本の気風によるものである。
よく、「都会の人は歩き方が速い」と言うが、これに代表されるよう、現代の日本人は無機質に効率や利益を追及しつつあるが、この合理性を突き進むと中国のような共産主義に至ってしまう。
だが、日本人は文化性などを尊重して、ほど良くニュートラル、中立の状態を保持しているから、マルクス的な究極の共産主義、中国でも未だ実現できていない境地へ達することはない(ただし戦前期の一国全体が思想を統制され、一致団結した時代は究極の社会主義に見える)。

およそ「将来の夢」とは、近年世間が憂えるよう、何とも安定した職種を志す子供たちが多くおり、それはこの「現代的合理主義」の気風から、その志が生じていよう。
具体的には、サラリーマン・弁護士・公務員、少し大きいものでは政治家などである。
「広義の公務員」なら、教師や警察官など、まだ子供に適切なものがあろう。
1000年以上前の中国では、官職を志して高位・高座に就かんと憧れもとい野望を懐くことは多かったようだが、それは当時の選択肢もとい視野が狭まっていた時代背景に起因している。
為政や処世を基盤とした教えである儒教などを根本思想として、中華思想など(もちろん右記の思想の一辺倒と言いたい訳ではなく仏教など他所の思想も「自己流」で受容していった)、現代中国は「儒教道教の徳」を忘れた「共産主義の欲(貪欲・強欲)」という点で正反対のようであるが、私見では現状変わらず、思想面の色違い程度でしかなく見えてならない。

一方で、現代日本はスポーツ選手だとかパティシエだとか宇宙飛行士だとかと、「ありがち」ながら子供として「あるべき」夢を持つ選択肢はいくらでも存しているにもかかわらず、今の有様がある。
日本のスポーツは多くの競技で好成績、パティシエという菓子作りも食文化も和洋問わず評価が高く、宇宙へ飛び立った日本人は私の故郷さいたま市(旧・大宮市)輩出の若田さんをはじめ多数おり、いずれも日本のキッズが憧れて然るべき職種であるはずだ。

職業というものは、それを望むにあたり何らかの意志が必要になるが、主にその根源は「欲望(金銭欲など生活安定・名誉・モテたい等)」か「願望(作業意欲)」のどちらかである(「望む」ことが前提であるから当人の意に反して無理やり就労させられるケースなどは除く)。
その仕事をさせてもらえる機会が得られるなら、タダ働きさえ買って出る人もいることは、ボランティアなど慈善活動(裏事情はともかく)の人々が好例である。
繁盛しなくても、自分の料理を振舞いたい、食べる人の笑顔に触れたいから、温もりを与えたい温もりに包まれたいなどと、料理店を営み続ける人もいる。
もちろん、そういった人々がなぜ利益を得られずしてそれを続けるか、全く感情が理解できない人も現代には増えているのではないか(少し前までの自分がそうだが、「理解」はできた今でも真似をしたいとは思わない)。

自己犠牲の姿勢を厭うにしても、身の丈に合わない金銭を得ることに狂奔する、貢献的自己犠牲を厭うのに、金銭を得るための自己犠牲、すなわち触法行為を厭わない輩が蔓延っている。
即物的な利益、給与という形を得られなくてもよい、とまで言わずとも、金欲しさから悪事に手を染める、例えば処方が制限された薬を不正に大量転売する富裕のお医者さんなどは、その職種の人間としてあってはならないであろう。
こういう風に、本来は人助けするであろう立場が必要以上の金銭に目を眩ませてしまうと、その職権を有した者にしか行えない悪事を働いてしまう。

利益を得るということは、同時に他へ還元する必要が、この現代社会に存している。
税制などはそのようで、一定額を超えてから贈与税や所得税などが発生するように、誰かが一方的に莫大な利益を得て、独占することは許されない。
「富の再分配」と言い、税制などが形式的でもそうあるように、日本など先進国は貧しいアフリカやアジアなどの途上国を恒常的に援助していく必要がある。
「恩返し」という、即物的見返りを求めてはならないのであろうが、真っ当な国ならきっと日本の恩に報いてくれよう(国交正常化以来中国への多額投資、民主党の対韓通貨スワップ・・・)。
国内であっても、年金制度や生活保護制度といった社会福祉保障は、現代の民主主義などにおける根底の原理として、先進国的な通念(富の再分配など)がある。

昨今のEUが、中東など紛争地域の難民を積極的に受け入れていることも、嫌々行う場合もあろうが、嫌でもやらねばならない理由、集団の義務がある。
自国の事情を顧みず、難民を受け入れ続けるべき宿命が、EU諸国に付きまとう。
先進国だからと悠然として安逸に浸るのではなく、欧州の威厳を保たねばならないから、例え国内の治安が下がる(直接難民が犯罪をするか、間接要因では国民の反発で国内デモや難民襲撃など)としてもこういった人々を受け入れる先進国の自己犠牲が窺えよう。
もちろん、国際社会の通念上そうした姿勢を保つのみならず、本心から哀れみがあってそのように援助していることもあると、私は信じたく、でなければ間もなく世界が暗転しかねない。

こう語る私は、中学生の頃に「ザ・即物的功利的唯物論者」としての思想が根強くあり、中学1年生の時の開校ウン周年記念冊子で「将来の夢」について書く際、「年収1000万円」と金額を書いて悦に入っていたが、金額を書く真似は不良生徒の「年俸1億」ほどしか見当たらないほどに異端児として不気味な光を発していたことと思う。
どうせ、この年頃に正常・健全な夢を浮かべた学生諸子も、30過ぎてから現実的夢想に耽溺し、「年収800万以上の男性ガー、3高じゃないとヤダー」等とのたまいだすのであろう。
2010年12月の不登校以後も、こうした「カネ、カネ、」という性質が残り続けた。
上の「自己犠牲・富の再分配」ということを知らなければ、納得もできない中学生当時ならなお、「老人に年金出しても税金のムダだ!役立たずを(法整備の下に)殺せ!アフリカなんて未来永劫に発展しねーよ!早々に援助やめろ!」などと強く思っていた(ストレートな表現、御免)。

これは新保守・ネトウヨ時代にも変わらず根深かった。
国益や利潤を追求するのもよいが、行き過ぎると金銭や数字ばかりに囚われる。そうであったところ、今やそういった差別思想など諸々の謬見を排除して、社会のしがらみさえも断っていることは、それなりの思惟を深めた時間の長さ・功がある。
このような中学時代の思想を忌憚なく検分・披瀝しているのも、ご覧の諸君に同様の考え方があるならば、潔く脱却され、真理の階梯を辿る道に入って頂きたいからである。


2015年11月19日木曜日

フランス語の音韻に関するにわか仕込みをしてみた記録

初めに、私は「外国語の学習者」ではなく、僭越ながら「言語学や音韻学の研究者」と自称したほうが正しいから、英語など特定の言語をピンポイントで学びもしないし、話者になる気もあまりない。
故に、たとえ英語に偏ることがあっても、言語学総体における一カテゴリの範疇に留まる。
今回は、最近の母親の浪費の中で、ケーキや観葉植物などがあり、箱や容器などにプリントされたフランス語から少し勉強へ広げてみた記録を日記メモから集成する。
最近のにわかな勉強でも、また知ることが多くて、後学のためにもなりそうだ。

そもそも私は浅学の徒なれども、ナントカ語の文章を目にすると、どうしても脳内でカタカナ表記にしたがる知的好奇心が俄然高ぶって、口頭でそれを読もうとする。
そうして成り立ったカタカナ音を文字にして、それが実際に慣用的なカタカナ表記(カタカナイゼーション"Katakanization")にどれほど合致するか、単語をGoogleで検索するか、英語版Wiktionaryに当たって語源や発音記号を参照するか、Google翻訳の音声合成機能の発音を聴くことで正確なカタカナ表記を模索する。
このような方法でカタカナ表記を定めていくことは、フランス語に限らず、ドイツ語であるとかも同様に役立つであろうが、特にフランス語のように発音法則が掴みづらいか安定しない言語には慎重を期してじっくりと調べている。



ここで、ようやく日記メモの引用を交えた本題へと入ろうとする。
その前に、以下からの記述と併せて、過去・2014年9月28日の、当メモ帳ブログにおけるフランス語記事をお一つ参照されたい。
http://lesbophilia.blogspot.com/2014/09/blog-post_28.html

11月17日の日記メモ

12時50分にヤマト(クール車)から1箱の配達があった。
14時台後半に諸々確認すると、表の段ボール箱には"LeTAO"と書いてあり、内の箱はケーキであり、"Venezia rendez-vous"とある。
後者は、独り言で「ヴェネツィア・レンデツ・ボー」と読んだ。
ベネチアだから後もイタリア語として、"vous"をフランス語のように語末の"s"を発音せず読んでみたのだが、このフランス語の音韻理論は当たっている。
ただ、正式なカタカナでの読み方は、もう少し異なるし、語末の子音を発音しないなら"z"もそうすべきであるから答えは「ランデブー」だそうで、これは聞いたことのある単語でも意味を知っていない。
ところが、今検索するとこれはやはりフランス語のようで、ベネチアの先入観から理性的にイタリア語と思ったが、やはり文字の並びでフランス語理論を思い起こした私の言語感覚は天才的直感であったようである。
このケーキ名、イタリア語の都市名とフランス語の単語を混ぜるとは・・・。
3度のケーキより言葉遊びが好きな私であった。

20時40分前から1Fリビングにて少し作業をしたが、その折、件のLeTAO品がまだ他にあったようで、冷蔵庫に保管されているものを見た。
箱には「ドゥー・クーシェ・コンポゼー・デ・マスカルポーネ・エ・デ・フロマージュ・ア・ラ・クレーム」等とフランス語で書いてあった。
どうやらこちらが件のメーカーの看板商品のようである。
なお、今回のスイーツなフランス語に関連して、過去のスイーツ記事のフランス語についても当該記事に加筆しておいた。

当記事注: ここで、上「ランデブー"Rendez-vous"」を例にフランス語の文字対音韻を詳しくメモすると、子音を伴う"en"も「アン」と読むことは、「"ren"=ラン」の箇所や、○○マンというフランス語の単語なら「"ment"=マン」となるように見られる。上メモの通り、語末のzにしてもtにしてもsにしても、発音はしない=無音化をする。更に、"ou"は大概「ウー」であることも見られている。




11月18日の日記メモ

17時過ぎに配達物と見られる植物(今回は10月末の3点・写真と異なり、模造でない)3点について確認した。
量と大きさから、郵便からの配達のほうであろうが、クリスマス仕様の植物で、またしてもフランス語で「ボンヌ・ジュルネ」や「アン・アヴル・デ・ペ」等と書いてある。
母に色々思い浮かぶことがあるが、10月該当範囲のメモ記述に任す。

ところで、アン・アヴルだかというのは、"Un avre"と書いてある(Un harveとどちらが正しいのかは不明)。
連声のような法則で「アナヴル」と読むのもありえそうだが、具体的な呼称を探しても、先の単語の語末が"n"の例についてはエリジオンともリエゾンとも言えないようで、なぜこう稀有な例に当たって、たまたま調べる初心者以下の私を悩ませるのであろうか。
これは非常に難問であろうから、口先フランス語話者には到底解答し得ないであろうし、いわんや初心者以下の私をや、として離れる。
ちなみに直後の再調査で、恐らくはアンシェヌマンという法則らしい。
なお私は外国語の学習者ではなく、言語学や音韻学の研究者と言ったほうが正しいから、英語など特定言語ピンポイントで学びもしないし、話者になる気もあまりない。



↓11月19日17時26分の投稿時にはこの画像を用いていたが、18時台に写真を取り直して先の画像に置き換えておいた。

ボンヌ・ジョルネ bonne journee journée


2015年11月13日金曜日

同じ作者の2009年の作品と、初公開が2012年で未完の作品それぞれ

私は、2015年以降あまりPCでゲームをやることがなく、ゲーム自体は専ら某サイト関連(RPGが主要であり、自主制作している人が今も少数いる)の携帯のアプリか、同じく携帯電話のソーシャルゲームで2010年・前の家から断続的にやっていて後々フォンブラウザ版(PCでも登録可)などが出来ているもの2種をPCでもプレイするなど、コアもにわかも、ゲーマーなら誰もが身の凍るような思いをするであろう。
ヒョイヒョイ新しいものに手を出したり浪費散財をも厭わないという軽薄さが無い私の、硬派で高潔な精神が伝わり、畏怖のあまり身を凍らせよう。
そんな中で、11月4日の正午過ぎに、予てやろうと企てていたPCのフリーゲームをDLした。



そのゲームは、「2012年7月に公開され2013年7月に私が初プレイした長編のフリゲARPG(未完)」の同作者が2009年に公開したもので、共に人名や地名・魔法などの設定のほか音楽なども少なくはあるが通じ合う。
ただ、リリースの前後関係はそうでも、作品内設定の時系列などは私のプレイ順と同じく、リリースの前後関係とは逆であるそうだ。
例えば、DQは未プレイでほぼ知らないが、DQもナンバリングと逆である3→2→1の順で次の時代へと世界が進んでいるらしく同様である。
2013年7月にその某フリゲをプレイしたというのに、2015年11月の今になって同作者の前作をプレイするとは、実に遅れているようだが、これの初プレイ自体は2013~14年中であった。
その時はどういうものか少し気になった程度であったから、初めに苦手な雰囲気を覚えて間もなくプレイを放棄したという経緯がある。
今回はかなり本気で挑んだことにより、食わず嫌い的な意識から脱却できたのであろう。

私の過去記事における、2012年7月公開の某フリゲに関する記述は、本家2014年9月15日の記事終盤と、メモ帳2015年7月16日記事の21日追記などがある(加えて、2014年中の絵の練習記事のどこかに二次創作っぽい漫画を載せてあるが、大部分はモザイクがかかる)。
このように、時間と共に過去作への疑問と希望を募らせ、ゲームプレイに欠いた状態もあることから生活面への影響を調べる意も兼ねてプレイを始めることとなった。
「疑問」とは、いかに設定や名称や音楽や画像に相互性があって、どう相関するか、また作者の意思についても指している。
「希望」とは、2012年7月に公開された作品で気に入ったキャラと同名キャラの存在をたまたま2013・14年頃に知り、そのキャラはいかに登場していかなる設定を持ち、後の作品とどう相関し、また未完である後の作品のストーリーがどう紡がれるかその判断に寄与されようことを期待するものであった。



まず、その疑問の解決について話す前に、両ゲームの仕様を説明する。
2009年のものはRPGツクールで、12年7月のものはWolf RPGエディターであるが、前者は音楽以外のデータが特定の圧縮・暗号化がされているようであり、後者はほぼ全て暗号化されている。

音楽に関して言うと、前者は8~9割がMIDIで残りが全てMP3ファイル、後者は聞いてすぐにMIDIが1割ほどしかないことが分かる。
例えば、09年作でMIDIだった曲が12年作には非MIDIのオーディオになっている例が数個見られた。
12年作はあらゆる内容のボリュームが大きいとはいえ、やはり一番データサイズが大きいものは音楽系のファイルのようである。
BGMが一大要素である日本のゲームは、やはりグラフィックでCGを多用しない反面、豊富なオーディオデータが最も容量を消費する。
余談だが、前者ツクールで鳴るMIDIは各々PCに定義された音源で鳴らされる(私の場合Timidity++を設定し、導入したSoundfont、大抵のWindows環境は初期音源gm.dls)が、後者ウディターはWindowsなら初期音源gm.dlsが強制的に選ばれるようである。



私が12年作で気に入ったキャラクターの1人は、09年作でも登場しているということで、まずその相互性として、12年作では人を超えた種族の設定があり、長寿であることが伝えられる(設定の時系列では過去にあたる12年作でも最低600年以上生きていることが推定され、それから何年か何百年先とも付かない09年作の世界でも登場していると1000歳超もありえる)。
そもそも12年作は、09年作で神話的に説かれる小さな設定(「こういうおとぎ話もある」というスタンス)を主体としており、語弊はあるが「外伝」のようなものである(もっとも、12年作はクオリティの高さから圧倒的な人気の差がつく)。
その09年作での小さな設定・おとぎ話と大きな関わりがあるように描写されつつ、09年作のメインストーリーで活躍されないキャラが、現状は唯一の12年作再登場キャラ(モンスターには再登場が多くある)として、12年作でも現状はストーリーの端で登場する。
「現状は」と二度念を押す理由として、前者の「現状は」なら09年作に同姓と思われるキャラ(妹?)がおり、12年作では「生き別れの妹」の存在が示されるよう、今後のアップデートでその「妹」が09年作から再登場するかもしれないし、後者の「現状は」なら、今後のアップデートで何らかの活躍が期待されるからである。

もし09年作が12年作とストーリーが繋がり、12年作の舞台の後の世が09年作で、同キャラとその妹(?)の関係が12年作の今後のアップデートで判明すれば、同作者の作品の世界観において複雑な移り変わりが一つに結ばれるのであろうか。
それとも、そこまで考えることは行き過ぎであろうか。
このキャラを主体とすると全て結ばれそうであるが、ストーリーや各名称などには齟齬も生じており、全く一体とみなすことができない現状があり、今後どう明確になってくるか注目されよう。



最後に、ここまでの話がまとまっているのか、判断がつかないが、この文章を執筆した11月6日に、冒頭でも書いた「某サイト関連」の活動内では、このキャラクターのドット絵(キャラチップ)のデータを、某サイト関連のゲームと似た雰囲気に修正して、そこでのブログ内に掲載した。
09年作と12年作のどちらかといえば、前者の方をデータフォルダ内の.xyz圧縮データから、通常の利用が可能なpngなどに変換した。
私的利用の範疇を逸脱しているから、他者の知的財産権を侵害しているようだけれど、長年こういう自分はそこら辺の順法意識が薄くて困る。
小6・中1の時に2ch関連の書籍で、著作権を条文のみならず具体例からも学び、半可通とは違った知識を得たが、要は政治家が汚職することなどと同じである。
2014年7月の動画説明文にも「剽窃」云々と、自分について語ってある。



付録:保存楽曲識別番号
当記事も、音楽館の作曲者関連の記事のように、某サイト保存楽曲から識別番号を羅列する。
テーマは、12年作に重なる印象の曲である。
範囲を広げるとARPGやRPG系全般、広げすぎると多くのゲームジャンルに伸びてしまうため、自分でもどの程度までが適切な境界であるかは判然としない。
また、件のゲームはほとんどフリー素材系である(12年作にはオリジナルで提供されたものがあるようだが詳細不明)。

件のテーマに該当する曲(個人管理識別番号)→230 316 321 374 379 414 462 507

この中で特筆すべきは"230"であろう。
私は2013年9月4日にこの曲を初めて聴いたようであるが、この曲の某サイト投稿は2013年9月3日であり、投稿から間もなく聞いていたようである。
それに、2013年9月といえば、私が12年作を初プレイした2013年7月からまだ日が浅く、この12年作に対する想いがやや残りつつあったわけで、この曲にはかなり強く12年作を重ねた。
曲名に「永久(とこしえ)」と冠している点も、「時間」をテーマとしている12年作(主要キャラの一人がタイムスリップに相当する禁忌の魔術を持ち、第一部エンディングはそれを発動して終了)の印象と重なるものであろう。
また、同楽曲作者のメイン名義と同じひらがな3文字の投稿名で、同ゲーム公式BBSに投稿があるが、同一人物であるかは不明である。

余談となるが、ゲーム系の楽曲に関して少々説明する。
某サイトでゲーム系というと、RPGの対抗馬はSTG・・・もっと言えば東方系(私も投稿経験あり)が物凄く多い。
あらゆるゲーム・アニメ・バンドなどこの世にある中でも、もっとも「コレが多い」という固有名詞を挙げるなら、「東方(厳密には東方project)」に勝るものは某サイトに無いと思われるほど東方風の楽曲が多い。
2006年の時点で3人以上は複数回東方っぽい曲を投稿している(メタルのおじさん含む)。
一方でRPGといえば、典型的ではあるがDQかFFのような戦闘曲がかなり人気である。
広義のゲーム音楽としては、音ゲーの曲も含まれるだろうか。
某サイト作曲者にも音ゲーファンが多く、音ゲーっぽいテクノやトランスも多く見られる。
ただ、やはり作品名などの固有名詞で最多のキーワードは「東方」ではないか。

なお、メタルのおじさんが東方かSTG系、あるいはファミコン横スクロールアクション的な曲を作ったことはあっても、RPG系は見られない。
そもそも、彼の2006年以降に見られる活動名義は、とある横スクロールのSTG(ケイブ以外の何か)の作中における楽曲名の単語3つの頭文字から取られている(本人談)。
3文字である点のみを取っても、東方でいえば「ZUN」「NKZ」のようにSTG界隈の慣習(ZUN氏も言及)を感じさせる。


2015年11月8日日曜日

詮無き空想「捕らぬ狸の皮算用」も小学生の頃には良き夢想

私は日々ネットでの言論を行う。
創作関係(絵・音楽)にしても言論と同様、リアルの形に残したいと思うことは多いが、とりあえず論文を紙面に印刷する場合を考えた。
去年から、自分のネット投稿文章を紙に書写することは多かったが、今年は日記メモを取る習慣が強まるに連れ、その因果関係はともかく、書写行為はしなくなった。

紙に印刷することを考える際、第一にA4コピー用紙一面にコピーする手段がある。
各種資料・学校のプリントのような紙面となろう(それらは主に横書きだが、私は縦書きにしたい)。
こういった場合は、Microsoft OfficeのWordなどが最もポピュラーな編集方法で、この下に印刷を行うものだが、あいにく私のOffice系ソフトは某紛い物メーカーの体験版しかない。
Wordなどにこだわらない手段としては、画像にテキストを貼り付けてその画像データを印刷することか、あるいは直接ブログのHTML画面をブラウザの機能で印刷することも挙げられる。

実は私の思考では、Wordなどオフィス系ソフトは後から思いついていて、今の「画像方式」と「ブラウザ方式」が先行していた。
そういうわけだから、最初から「Word方式」ということは考えなかったが、ブログ記述では便宜上このようにする。
ほか、A4の紙では大きく読みづらい・折れやすいので、後々半分のA5サイズにすることを考慮した印刷方法を採ることもよい。
この場合は、1枚の紙に1Pと100Pついで2Pと99Pのような印刷方法を採るか、1Pと2Pついで3Pと4Pのような印刷方法を採るか、という点も考える。



以上のように真面目な思案を展開しても、空想に近いと気付いてしまう。
なぜであるか、立派に考えても実行が無ければ「捕らぬ狸の皮算用」となってしまうからであり、それは「皮算用」というほどに小中学生時代に多々経験があったからである。
2007年4月、母別居開始から広い家に独りでいる時間が急増した中で、様々な思考に耽っていたものであるが、その中には「皮算用」とも言える計算活動が多かった。
過去記事で「中1時の開校ウン周年」における「将来の夢」欄で「年収1000万円」と、理想の収入を書いた真似に見るよう、即物的思考はあったのだが、ただ現代の大人らがそうのたまうことと異なり、小学生(高学年)の当時からそれなりの計算を伴っていたのである。

想定した年収や月収(月給)を前提に、食費いくら、電気水道料金、ガス代は当時の家がオール電化であることから加算する場合と加算しない場合を考え、光熱費という概念は今でも謎だが、適当に小額加えたであろう、それにマンション・アパート住まいなら家賃だとか、想像しえる各種ケースを精査した上で、貯蓄額や遊ぶ金などをどれほど残せるか計算していた。
今では当時のメモ資料実物など、前の家に置き去りであるから、どのような内容か確認不能であるが、上記はほぼ高学年~中1の頃にそのままされていたことと覚える。



あの広い家で独りきりという中で、ある時はネット中毒、ある時はネットもゲームも無い(2008年夏に別居母との再開の事前に上の画面に数字キー、別にQWERTY配列キー備わり、後のスマートフォン的なブラウジングが出来たスライド式携帯電話を受け取った経緯があるが、これは2008年10月に破壊し同年12月の姫路遠征時に返還した・・・2006年7月にあの家に越した折、2003年購入のSH252iを一時自室内で紛失しつつ小6か中1の時に再発見した経緯もあるが、これは当然2004年のとある経緯でネット接続不能である)環境下で、トモダチだとかもいなかったわけだから、独りで何をして時間を潰したかと言うと、お絵かき・物色など多種あろうが、独自の遊びを開拓することもあった。
独自の遊びと言うと、現在この家や私の所有物にも結局は漫画やゲーム機などが無いわけであるから、このPCにもCPUを荒らすゲームを動かす気にならないため、音楽をいじることが多い。

「音楽をいじる」のであり、「楽器をいじる」行為は、物を持っていないため不可能である。
仮に持っていても、あまり触れないのであろうし。
「音楽をいじる」とは、「音楽ファイル=MIDIなどのデータをいじる」ということであるが、同時にMIDIファイルの再生もまた、視覚的に楽しみ甲斐のあるソフトを利用する。
TMIDI Playerを筆頭に、動画投稿経験ならMAM Playerもある。
MIDIファイルで簡易に音ゲーをプレイできるSynthesiaはインストール済みでも、あまり使わない。
PCゲームとは、CPU・消費メモリのほか、ノートPCのキーボードに対する負荷も考慮しており、ましてやこのような長文を打ち続ける私がこれ以上キーボードへの負担をかけることは忌避する。

その私は、視覚的にも再生される諸ソフトによって、音ゲー的な独自の遊びをしている。
再生画面を見ながら指先でドラム演奏・・・右手のみなら、人差し指がキック・バスドラム、中指・薬指などがスネアの役割、この役割分担は場面によって一律でない。
両手でやる場合は、その視覚的にそれらの再生画面を見ない状態も多い。
再生画面を見ない、ということは、PCの前にすら居ないで、押し入れないで自分の肋骨や腹部など音の異なる箇所でキック・バスドラムやスネアなど区別して叩く。
「一律でない」わけだから、別パートへの展開前などにスネアを激しく叩く場面があれば、両手法の場合今まで肋骨キック・バスドラ演奏の右手を腹部に移動させ、左手と共に打ち鳴らす。
思えば、指のドラムなどの美学は、小5・6の頃から基礎が固まっていたようである。
やはり片手法なら人差し指と中指、両手法なら左手と右手で異なる音が鳴るように気を遣っていたらしく、似たようなことをしている他の男子児童などは、その区別をしていなかった。




2015年11月3日火曜日

Google+ 2015年10月中の日記メモ等

今月は、31日間不休で日記メモを投稿した。
文字数の総計が50,000を超過し、画像もいつもより掲載量が多くなるので、当記事は分割しようかと考えたが、今回も一括掲載する。

日記メモまとめ記事が所属するブログ内カテゴリは一律「日記・記録」両カテであったが、新たに日記メモまとめ記事専用の「日録」カテに一本化する。
これには、当ブログ初の非漢字二文字名称として「日録聚月」などの名称が浮かんだが、一応は漢字二文字則を踏襲したく、「日録」とだけにした。
他の案として、「日メ・日記メモ・谷歌(中国語"Google"音写)」などを浮かべた。

メモ記入日の一覧
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
・今回は1日分のメモに2枚画像を載せている日も複数ある(17・22・31日)。



2015/10/01

本日10月1日は、昨日9月30日夜に決まった、9月29日夜と同じ方針により、快眠熟睡の算段を組んだが、9月30日と同様に叶わなかった。断続的に目覚めたが、携帯時間で5時半頃・7時前・7時半であるが、他にもあったのであろう。いずれも、付けた耳栓はをちざりしが、それは昨日もそうであった。昨日今日を除いたいつもなんか、朝方ツルツル落ちているものだ。

7時33分に起床して顔の水洗いなど早々に済ませた。7時35分、2階での動きから弟が学校に行くものと思われたがどうも違うらしい。母親が何やら2階でつぶやき始め、そのまま階段を降りてみたりした。「出掛けちゃった、絶対にやってない、言えばよかった」と、弟の通学用シューズが無いことを確認したようである。どうも中学校の冬服移行に関して、着用を勧めたかったらしい。冒頭の通り、既に10月に入った。9月は28・29・30と朝は手足が冷える寒さが続き、この10月1日もそれに連なっている。

8時前に、次の食事に向けて調整する意図で、ムーミンカップ半分ほどのシリアルを食べた。これだけで嫌に腹が膨れて辛い。次に、ラーメンを作り始める。今日は余った牛乳を多めに消費しようと思うから、まずはラーメンで試したい。200mlほどのお湯で肉野菜適量を1分ほど茹で、牛乳(シリアル成分混み)を適量・・・再度沸騰まで10秒ほど待ち、油揚げ麺3分の1サイズを投入する。牛乳が多めに混ざった状態で即席麺を茹でるのは久しくやっておらず、記憶では2012年頃に不味い茹で上がりで食べきって以来やっていない。ただ、某PVの高級系のノンフライ麺(主に味噌)を多く与えられていた時期、プロセスチーズも求めていないが与えられていて、これを茹でる際麺の上にでものせてやると、普通に茹でるよりおいしくなる・・・が、少し長く茹でたらふにゃふにゃになりやすかった記憶があるが、これも1年ほど前の頃である。それで、今回は某PVの豚骨ラーメン(油揚げ麺)であるが、悪くは無い出来となった。途中、まずいカップ麺のようになるのではないか、と思いもした。8月にほぼ使わなかった唐辛子を掛け、余り気味の牛乳を飲みながら食べた。

14時半からレトルトご飯による食事を始めた。ご飯は5日~1週間ほど食べていないために、1パック納豆も以前の買い物から賞味期限が切れている。そうなる前に、一度ラーメンと共に食べる日もあった。14時40分前から、母親が最近全く無かった野暮な干渉をしてきた。本当に、突拍子もない何十年も前のことをいきなり相手に質問しだす痴呆老人を相手にするような気持ちでいつもいる。ましてや、久々の飯を前にしながらこの様では、折角の気分を粉々に破壊する、ろくでもないお調子者であろう。

アホな質問を断続的にかましてくる(これが今回の当人の本題)が、これには終始答えず、調子で狂った質問をしてくると、冷厳に事実を告げて摧いてゆく。わざわざ部屋を見回していらないことをどんどん口に出すのであるから、困る。飯を口にしながらしゃべらなくてはならないし、飯をそっちのけで相手にする事柄でもない。おかげで噛み足らない食物を次々と飲み込むこととなった。喉に問題はないが、消化もとい健康によくない。本人は永遠に、この詮無く不毛な話題を閉ざそうとする(理性や意思で、という)ことはない。また、先月幾度と書いた「物欲食欲で不幸」というのも、こうして久々の飯という時にこんな不快な目にあわされると、いよいよ定説になろう。

アホな質問といえば、9月26日に初めてメモ帳ブログにコメントが付き、9月30日にも別の人が・・・何でこう、1年半もコメ無いところで立て続けに、と変な因縁の話をしたくなるが、とりあえずこの両者とも、場を弁えない上に文言の内容も、どう捉えたらそうなるのか理解しがたいものでしかなかった。

前者は2013年9月に旧アカウントで投稿した動画に関する質問であったが、それをメモ帳にしてくる意味も無ければ(無機質記事の日記メモまとめを選んだだけマシだが)、質問内容は攻撃的なものでなく敬語だが当人の物事の捉え方に障害があるようで、どう答えてもきっと理解を得てくれないと思いつつ、ヒントだけ示してあげた。後者は、前者のいずれの状況に悪辣さの輪をかけたもの(いたずら投稿)でしかない。冒頭から「無視したな~w」とあるが、私には何のことか見当がつかないし、投稿名に連続性を出すとか、メモ帳ブログで見慣れないGoogleアカウントから書き込まなければまだ見当が付く。と、手に負えないような二人であった。

こういった世間の人を見ると、母親も含め、思考が顛倒していて、六識も不全にあると思う。どう教えても示しても、次から次へとあれこれおかしな質問や不可解な言葉ばかり飛んでくるのでは、全く虚脱感を覚えるほか無い。どこにいても窮屈で居心地が悪いが、これは小学校生活の後半(2度目の転校・小4二学期以降)から同じことであった。

今日も9月30日に続き、15時過ぎに弟が帰宅した。平穏な口調で母と弟のやり取りが続いているようでも、明らかに弟が機嫌を悪くしている。「はいお好み焼きまずい!・あとで、ねぇ、お母さんの体をぉ」、弟の猟奇的発言に母は冗談で肯定するということは一度もない。謝罪の気もない軽口で「ごめんなさい!」という程度である。母は弟を2階に戻らせ、弟は怒気無げに階段を上がったようだったが、2階に着くや、「ふうっ!(ぐーっ!)」と唸り声を上げ、その後に巨大な物音が立った。16時前、また与太ババアの干渉があったが、ある程度想定内。時間を食いつぶすだけに過ぎない。障魔のお為ごかしに過ぎない。内面に実体は虚無である。



2015/10/02


本日10月2日は、雨戸ガタガタとやかましい真夜中に目覚め、気付けば尿意も強い。しばらく何もせずいて、携帯開くと2:48とのことであり、とりあえず起床した。この低気圧と前線による強風と大雨は、台風に匹敵するといえばそう思えなくはない。 起きてからは炊飯や風呂(シャワシャン)の準備を進めた折、洗面所ではお隣花鳥園から虫の音(ね)が聴こえるが、リビングではキィーンという金属音のような音やグォオオオという轟音が続けざまに鳴る。

風呂場を出たのは4時半頃である。それからも色々と作業を続け、5時過ぎにようやく日記メモを取り始めた。まあ、PCを起動する前から日記メモのメモを携帯であらあら打ったりはしていた。普段からそうやって日記メモの内容を紡ぎ合わせている。風呂(シャワシャン)は、前日夜の予定では本日朝の起床以後、弟の外出に合わせて始めるつもりであったが、この強風と大雨による起床で大幅に早めて行えた。焦っているだけといえば、それまでである。

午前6時の天気図は、昨日夜ルソン島の東沖に位置した熱帯低気圧が台風となって、西に進みルソン島に上陸している。ロシア付近に位置する噂の台風さながら爆弾低気圧から広がる等圧線は、さながら木の幹断面や木目調建材に見える年輪のようで多く濃密に描かれる。寒冷前線が本州を貫いている。今日は昨日ほど寒くないと感じる。東海地方と北海道が深夜という同時間帯に強風と大雨にさらされたように、広範囲で影響を与え、東海のものは元が近畿、後には関東と、移行をしている。ところで、風呂に入っているさなか、仄かに雷鳴が聞こえた気がする。子供への教育的方便とはいえ、今でもアソコが気になるものだ。

母親が降りてきたのは9時半頃となる(私のシャワシャン中に1度誰かが降りてきたが、これも流し台から母と推量)。それから母が2階に戻った10時40分以降に、シリアル(計画的に開封したヨーグルトを使う)を食べて、次にコーヒーも淹れてみた。昨日はコーヒー×蜂蜜の再戦で、蜂蜜を多めに入れたところ、ようやくこの組み合わせで美味しさの釣り合いが浮かんできた。今回はミルクなども参戦し、適当な配合で作ると、かなり美味しくなった。とりあえず、コーヒー×蜂蜜が美味しくなる場合もあると記録する。カフェインの計画的摂取について思うと、今月も夜21時以降(日曜は24時以降)寝て、朝7時頃起きるという生活になるのだろうか。ところで、この後11時13分に大変な思いをした。過去に類似の事象を日記メモで綴ったが、ここでは伏しておく。カフェインレスの癖にカフェイン作用が出やすい・・・(9月29日メモでも同様に嘆いた)

15時までに1階での母親の動きは12時台や14時台などにあったものの、いずれも今日の風呂(シャワシャン)の洗濯物を洗わず、洗濯機を回した様子もない。前日以来の弟の洗濯物(既に乾いているが、ずっと取り込んでいない)を14時50分台になってようやく取り込んだ模様だ。相変わらず、書きたくもないが、家事を怠ける傾向にある。私がやるにも母親の傲慢で面倒なことになりかねなかったり、色々問題はあるが、それは過去の日記メモに広く綴られている、だから逐一書きたくはないのである。

15時10分過ぎ、母親は家の外に出たが、入れ替わりで15時16分に郵便から何か配達が着た。母親は外で何をしているのか知らないが、それに応答しない。人を呼んでおいて奔放な母様であろう。息子の私は常に苦しまされている。一方、配達員はそのあと家の前で15時24分まで居座り、作業していた。私の動きを窺っている(私を私と認識しているのでなく家の中の人間を探るという)ように感じられ、心地の悪い時間である。親の業を背負う。否、親も局員も魔によって操られ、私を困惑・悩乱させんとしている。この世はほとんど無で、意義あるものは魔の性質ばかりなのであろうと、虚無思想や二分思想に陥ってしまう。仏道を求める者がこの思想に陥ったままではならない。仏法こそが、二つの迷いを打破する。ちなみに、配達のワゴン車が尾張小牧ナンバーであった。

15時50分前、母親が帰ってきた。ノコノコといい身分である。何をしてきたかというと、本来なら講座だかのポスト投函などが6~9月の間には見られたから、まずその点を浮かべた。だが、最近の傾向に絞れば、フラ~っとコンビニでビール缶を数本買うなど、また酒ほしさが浮上してきているようなので、この線を疑った。母親が2階へと一旦戻った16時3分にキッチンへ出て、缶チューハイ3本を確認した。予感が的中したわけで、怒りが沸く。同時に私や弟への食料も買ったりする(今回も菓子や惣菜パン等がある)から利益はあるのだが、それで果たしてよいものか。家事をそっちのけで、と全否定はできないが、ほかに局員の入れ違いなど考えると、害も同様に存している。

色々と畏れを懐きつつ、その場で忌憚無く不行状を諫めておいた。にわか嗜好(去年ウイスキー→健康食品→糖類・カフェオレ→ほのかにアルコール缶)についても指弾した。母は怒りを抑えているかのような苦笑で対応(意味わかんない等)したりして、互いの言いたいことの概要が無くなった辺りで話をそそくさと終えるよう求めてきたから、それに応じて私も部屋に戻った。主観的なものを除けば、私も母も配達員も困ることとなってしまったわけだし、実際に悪魔が人を惑わすように操ったのであろう。



2015/10/03

本日3日は4時19分に一度目覚めたらしいのだが、この日記メモを取っている12時現在、記憶が無い。もし実際にその時間帯に起きたのならば、それはもう寒さが厳しく、エアコンで冷やしすぎたのではないかと疑うものではなかろうか。それから7時29分に目覚めた。

12時前、来客があった。また業者関係かと思ったが、例のように車が見えず、徒歩での訪問なのか判断不能。12時3分に昨日の郵便配達と別の配達員・ワゴン車が来て、品物を母は受け取った。名古屋ナンバーであった。彼らの話については、どうも雄大なお隣A家の花鳥園に関して(虫害等)のことである。環境や衛生面のご近所問題・近隣トラブルという奴だ。12時8分、母と訪問者は外に出た。訪問に来た男性は作業着を着ており、肩寄りの腕に腕章、シンボルが見えたが、何の意匠かは不明(市の環境課などか?)。

15時40分、母親に干渉された。大声で返事をした後、「一緒に外行ってみる?うちにいると体に毒だよ」と言われて、答える言葉も無いから黙っていると勝手に去っていった。完全に無益の声掛けはやめてもらいたい。こうやってフラっと言い出すのは、昨日にしても一昨日にしても一緒で、魔の性質に因る。毎日魔が忙しく母を操っている。今月になってから。15時48分に弟が帰宅した。朝9~11時頃に家を出てより長時間経っている。いつもの母親の「おかえり!」という声は無い。今の母は魔のせいで、顛倒している。

それからほどなくして母親は外出し、弟は風呂に入った。16時半頃、母が家の前に着き、それより5分前に弟は風呂を出た。何を思ってか、母は玄関脇の殺虫剤(9/25メモでも同じ物について記録)を取り出して再度家の外に出て、敷地内でスプレーを放射しだした。一度、私の開放していた窓に思いきり吹き込ませてきたが、隠忍自重した。間もなく、周回でもう一度吹き込ませてきたために、怒りながら、やめてほしい旨を主張し、窓を閉ざした。すぐそばに私もいて、飲み物があり、外からの風にますます成分が室内に届く。開放している窓に対してするな、ということであるのに、スプレー行為自体やめてしまったキチガイババアである。

主張から数十秒後、家に入ってきて、10秒以内に口を開いた。話してみれば、5センチくらい蜘蛛がいるから殺したといい、無視してもらいものだが、家の中に入ってくるだとか他にも100匹くらい蟻がいるだとか、滅茶苦茶なことを言い出した。だから、顛倒していると言う。母親の奇行の潜在意識で、A家と我が家の間に大きな蜘蛛が巣を張っていることを指摘しても、Aさんは関係無いだとか、息子の言葉を無条件に否定する母親特有の頑迷固陋な返答ばかりである。いつものように相手にするのが嫌になるほど気ままで、呆れ返ってしまう。全て魔による母への人格破壊と、私への生活妨害である。実在不明の蜘蛛や100匹の蟻まで動員して、一家を分裂せしめんと謀略す。

母が外出する頃からおやつの時間として色々食べており、コーヒーなども啜っていた。この時ほのかに暑さを感じていたが、エアコンを掛けていればよかったと思う。エアコンは、リモコンの設定に無いほどの下方向へ、機構に手で触れて風向きを変えている。普段から、特にラーメンを食べる際は最高設定温度+最強風量で動かしている。最強風量でない普段の風量でも、スプレーの成分が届くことは、多少緩和される。

ところで、10月1日の魔性干渉では、たまたま閉めていた窓(本家15/07/17記事や多くの過去メモで可能な限り永く開放していることを記録)についても余計な苦言を入れてきた。今日みたく窓を開いていたら、こんなスプレーを吹き込ませてくるなんて、母親失格である。無駄なしつけ(にもなっていない)をするくせに、母親の望みどおりの状態であれば、別のことで子供の安住をぶち壊す。どうあれば母の望みを叶えさせられようか。

21時42分、私が空爆(クンドゥズ)のニュースをネットで眺めている折、2階・下の弟部屋か、元・上の弟部屋あたりから巨大な物音が2発続けて鳴った。空爆とこの音はどちらがより大きく耳に届くのか。この音を受けて、母親は動揺した声で訝るだけで特に動きは見せない。それから1分以内にもう一度大きな物音や、断続的に大きめの物音も響いたわけだが、母はやはり同様の反応に終えていた。

当記事注: この日の来客かどうかは不明だが、「クリエイト創美社」から業者が近い日に訪問していたらしい。ここは解体工事(破壊)を専らとした業務を行っているのだが、「クリエイト」にして「美を創る」とは、実にユーモラスである。破壊と創造は表裏一体の概念であろう(古代からインドでは創造のみならず維持・破壊も世界の原理だと考え、概念の神化をしてだね)。社名は、破壊を以て無の美を創出するという含蓄がある、と私的に解釈した。この会社が、隣A家を近々解体するということで、周辺住民ことに隣接する世帯に説明の訪問をしているようだ。「お隣花鳥園」も閉園、見納めである。ところで、解体工事といえば工期2012年頃、現在の向かいT家の場所で行われていた。後日10月19日の動画に詳述される。

後年の追記: 上の当記事注に「古代インドでは~」と書いたが、その詳細は典拠を求めづらい。右に2018年に投稿された記事を示す。神格に関する概論について触れつつ、後世ヒンドゥー教(プラーナ文献など)による展開を例示している。宗教学などに興味のある者は参照されたい。https://lesbophilia.blogspot.com/2018/02/god-kami-deva-deus.html#dei2



2015/10/04

本日4日は夜中に目覚めて、携帯電話を開くと1時58分であった。3日の22時過ぎは、寝る前にすべきである作業(目洗い、水汲み等)が母親の長居のために出来なかったため、目覚めたついでにこの時起き上がって起床作業の一環の内に済ませた。逆に、これが出来なかったため眠りが浅かった可能性も考えられる。私には重要な作業であり、昨日は母のスプレー攻撃による目の炎症もあって、寝る前にもなると関係なくなったようではあるが、そういう昨日にこそ必要な作業であった。それを他ならぬ母が妨害し、更に私を苦しめた。私は構わなかったが、潜在的な肉体的精神的苦しみは、3時間程度の浅い眠りとして発現した。最近の日記メモではいつも日曜24時の予定について書いている。日曜日の本日は仮眠などを取りつつ、予定に向け調整する。

空腹感を覚えつつ4時前よりスキャン作業を始めた。前回が5月19日であり、毎回深夜・早朝に行っている。こうした時間帯でないと、思い切ったスキャン作業がしづらい。出来ることなら、本家ブログで3日以内に絵の練習記事か、別に何らかの記事を1本投稿したい。スキャン作業とは、プリンタの電源を入れた4時10分以降ではなく、その前の入念な準備を含めているから4時前に始めたと言う。4時半過ぎまで続き、次いでとあるデータのプリントアウトも行った。ここまでは組んだ予定通りの作業だが、予定に無い次の印刷したいデータを選んでいると、ノートPCのバッテリーは切れてしまった。バッテリー切れの警告は、携帯電話の方がずっと利口であり、夢中になったり一度の作業に欲張ってしまえば困ったものだ。5時までにラーメンを作り始めたが、食べ終わるまでPCはずっと起動させず、机の横に立て掛けて充電・放置した。

13時半より下剤1錠を服して仮眠を取り始め15時半頃に目が覚めたのかは定かでないが、15時45分に起床し戦線復帰となる。仮眠を取り始める前から、1Fリビングに母親が居座り続けている。PCの状態に関して、ラーメン食後の起動時から、この仮眠起床以後であっても断続的に「チリチリッ・ジリジリッ」といった不快な音が立つが、これは明確な原因が考えられない時にも立つことがある音だ。酷いときはゴキブリの羽音のような時、始めてジリジリ音を聴いた時こそがそういう理解しがたい音であった。音の規模がどうであれ、不快は不快でも、無闇に不安を持つような音ではない。

19時前、母はなおも1Fリビングに居続け、断続的に2階へ行ったり玄関の外に出るも、ごく短時間である。下剤の効果は今のところ、腹部の軽度の違和感に留まる。と、このメモを書いた瞬間、思議を絶することが起きた。母はテレビを消して2階へ上がった。理解不能だ。



2015/10/05

昨日は日曜日の予定をこなし、24時38分にPCをシャットダウンした。まだPCの電源がついている24時過ぎに下剤1錠を服したが、昼の仮眠前に服した1錠は無効のままに終わった。20時過ぎにコーヒーを飲みはしたが、そのカフェインパワーへの期待も虚しいものだ。25時過ぎの押し入れ内では、下剤による腹部の張りと、23時頃からの空腹感と、22時頃からの胸焼けを一度に味わえた。贅沢だろう。本日5日のお目覚めは、6時半頃であり、携帯電話を確認した6:34以降間もなく起床となった。

寝る前から散歩について考えることがあり、起きてからはより本日の状況を考えるようになる。今日は曇りが続きそうだが、その他の条件はちょうど散歩するのに良好であるように思う。最近の散歩計画についての記事でも、風呂に入るタイミングの件を触れているが、今日が良ければ風呂には入りやすい。母親の買い物も、予定通りなら今日であろう。

11時までは少なくとも散歩はしないとして、それまでの間は音楽動画の案をメモする動画でも投稿しようと、9時40分から10時20分まで動画制作は手早くして、文章ばかり時間をかけてみると音楽の調べごとも兼ねて、11時20分を過ぎてあらあら終わった。動画自体の投稿・反映が11:13とのことである。

12時39分、母親の頑迷固陋な性質が発露されたメール返信がある。これは、本日0時39分(睡眠境界では昨日24時39分)に送信したメールの返信であり、普通の品書きメールだが、10月1日の件で書いた文章も添えている。シリアルの蓄えに「多いよ」と目くじらを立てた母親だが、5月19日メールでは逆に母が極端に買ってくる点を指弾した。この母が、正常な備蓄の範疇に目くじらを立てるというのは二枚舌であるし、それを諌めたわけだが、やはり融通が利かない。5月19日のメールの存在を示しても、自分の顛倒している無様な有様には気付く余地も無く、魔が突っぱねているようだ。荷物の重さなどどこまでも配慮している親思いも、親ならぬ親には無用らしい。12時58分、にわかにふすまから打撃音が立った。悩乱した母がやったのであろう。その前50分過ぎから何やら1階で電話を始めていたのだが、この打撃音から間もなく母は2階へと戻っていった。13時50分は唐突に野暮な内容の声掛け(与太干渉)があったが、例の如く黙っていると勝手に母親から引き上げていった。

14時半過ぎ、母親が外へ出たが、その前からレトルトご飯の加熱を始めた。実は今朝もレトルトご飯とお茶などで食事をしている。発車の気配が無いので、この期に及んでコンビニ行きかと考えた。15時過ぎに母が帰宅した。結局コンビニで買ったようで、15時10分に品物を渡された。コンビニへ行ったら、いつも「散歩」が主目的であるように強調しコンビニは「ついでに」と言うがこれも顛倒思考である。私への品物のは牛乳1本とホットスナックのチキンのみである(弟も同じ品物だが、母はこれに加えアルコール缶3つと、最近増やしすぎといえば、美容ドリンクをバカ買いしている点も似る)。普段、私のメールのメッセージには返信しないで今回は既述のように無駄なクソ返信をした。それでいて結局は普通の買い物をしないというのでは、これも顛倒である。大見得を切った無駄返信はして、普段どおりの買い物をしない。無駄返信で「ラーメンは買う」としていたが、当然ラーメンなども買ってはいない。他の言い訳は通用しない。次回は10日の予定となるそうだ。少し前に自分で書いたことさえ不実行で翻す輩だから、論理の整合性など皆無だ。更に、今日は風呂(シャワシャン)をする予定でいたが、これも潰された。

魔が出来(しゅったい)してきたことで、いよいよ覚悟を決めねばならない。或る人が死期の近きことを覚って臨終に構えたこともあり、或る聖人が出世の本懐を成就し給うこともあり。遠からず、私の生活は破壊され、最低限のライフラインも維持し得なくなりそうだ。「我が日々の 永かるべきは 黒髪が 筵を撫でて 色抜けるまで」と思いたかった。切実に。この一首は、君が代のインスパイア(類想句と呼ばないで)である。直立でも伸びた髪が筵(自室の黒い絨毯、黒筵と呼んでいる)を撫でるほどに研鑽生活を続け、果ては髪の色素が落ちて白くなってしまうほどに永らえたく思っている。研鑽生活をどれほど続けても、髪は常に保たれるとよいものである。道心が足らないと自嘲的に感じるが、長い髪は命の次に惜しい。様々な思いある一首。



2015/10/06


本日は5時台に一度目覚めて、起きるか悩みつつ再度眠り、次に目覚めてから6時46分に起床した。本日も寒い朝ではあるが、シリアルを食べ、その後コーヒーでも飲もうかと思ったが、弟の動きが不審で、7時20分台には1Fトイレで謎の水音と「いたたた(棒読み)」という声が聴こえたので、これ以上動かない方がいいように思い、部屋に身を退いた。8時までに風呂(シャワシャン)の準備を進め、入った。冷えて鳥肌が立つ。

9時20分、風呂(シャワシャン)あがりに髪を乾かす中、来客があった。私はいつも1Fリビングのフローリングの上でドライヤーを使うのだが、すぐ傍にインターホンがあり、巨大な呼び出し音が前触れなく直に届くから驚いてしまう。見ると、手ぶらで部屋着ともいえるような格好の40前後のおっさん(容姿は向かいT家の主人に似ているが彼は朝7時前後から外出中)がいた。30秒ほど家の前をフラついて家の正面左側へと消えていったという、訳の分からない来客だ。今回は風呂(シャワシャン)など難無く終わると思ったのに、とんだ珍客だ。母は未だ起きていない模様である。

ところで、10月3日の日記メモの客は、10月4日に解体業者であると知った(後日のまとめ記事で注釈を付ける)。A家宅を解体するそうだが、本日は先ほどのおっさん訪問から間もなく、工事の音が聴こえる。ドリルで何かを削るか穿つような音だ。ワゴン車などの出入りは1週間ほど前から始まっているが、やはりA宅の解体工事に関連しているのであろう。A家の住民は母いわく70~80代くらい、と先日の訪問客に対して愚痴のように話していた。その年齢層は世帯主の老夫婦で、ほかにも構成住民がいたようである(髪が長い中年の女性など)。彼らA家の人が今後どうなるかは不明で、新居でも建てて引っ越す予定なのか、マンション住まいになるかも不明だし、同じ土地に家を再建するのかも分からない。1Fリビングの黒い棚にある書類には10月8日10時に母が土地に立ち会う予定とのことだ。

15時台、帰宅途中の小学生(低学年)が大はしゃぎで道路T家寄りに設置された機器に集っていた。この機器は7月22日に初めて同じ場所に置かれた経緯があり、以降も何度か見えた。未だ解体工事との関連性は不明であるが、当初はA宅の解体工事など思いもしなかったろう。この機器は15時47分に運ばれて消えた。運んだ人物は中年男女二人組みで、男性は作業着だが女性は外見から散歩中の人間にしか見えない。

18時10分、急ではあるが散歩へと出た。帰宅は19時2分である。日記メモでやるには規模が大きくなるため、追々記事として、克明な全容を投稿する。今朝の手ぶらのおっさんとよく似た男が再登場する(顔つきばかりか、歩き方や周囲の見回しなどの挙動がよく似る、服装は不明)。



2015/10/07

朝の目覚めで携帯電話を開き、5:58を確認したが、間もなく6:00を指す時に弟が1階へ降りてきた。タイミングがおかしい。最近、二度寝しない場合に起床まで押し入れ内に留まる時間は短くなっている、というとその時間では布団遊びをしているが、今日は少々やっておいた。

6時20分までに起床し、6時半以降、朝食として、お茶漬けを作って食べた。部屋にあるレトルトご飯の残り・ふりかけの他、キッチンからはコンソメスープの素と桜えびに、茶葉と道具を用意した。はい完成。後半から、母の健康食品の青汁粉末で色付けしてみたが、市販のお茶漬けの素の澄んだ緑と異なり、青汁粉末ならではの濁りがある。食事の前からか、洗濯を始めた。9月23日10月6日の練習散歩では、同じボトムスで臨んだことに加え、洗っていない期間も長いから、沈着していそうな汚れへ重点的に洗剤を塗布しどうのこうの。それから漬け置きも兼ねて再度回し、風呂場に干し出したのが8時前であったのか。

8時過ぎ、向かいT家に他所のワゴン車(30~40代ほどの女性1人)が来たが、その車が帰る際、A家の解体工事業者の大きなトラックの通行により家の前の通りで渋滞が発生した。女性のワゴン車も、T家敷地内を移動して道を開けたが、続く混雑でしばらく発車できなければ、向かいT家の奥さんがどこかへ出かけようとするにも同じように発車できていない。この渋滞に含まれる車両には、同じ工事が目的の土砂等運搬禁止車両が1度現れ、再度8時7分に同じナンバーか不明だがこの青い車両が現れた。

13時台、炊飯できそうな様子だから準備を始めると、食器用洗剤を切らしているようで、私が勝手に補充するのも問題がありそうであるから断念した。どうしてこうも、洗剤を切らしているなどという有り得ない事態が起きるのか。少しでも食欲を出すと不条理に突き当たる。14時50分前、母親が徒歩での外出(コンビニ?鉄道利用?)を始める前にはラーメンを食べ終えている。コンビニに行った最近2度の母の外見は見ていないから、今回見てもコンビニへ行く格好であるかは不明だ。母の居ぬ間に、洗濯関連の作業を始める。朝の洗濯物は風呂場に出して1時間以内には1階に降りてきた母によって2階のバルコニーへ移動されたことと思い、取り込みに行った。再度、洗っていないバスタオルを天日干し・風晒しにかけた。その際になり、物干し竿の右の方で全長5cmほどの蜘蛛とその巣を見つけ、軽く驚いた。最近の母の懸念にはこの蜘蛛の存在があるかもしれない。

16時40分台に母は帰ってきたが、弟は16時過ぎであった。17時過ぎに母から品物を渡されたが、久々の弁当である。弁当を渡す時、店舗で温かいものでない(スーパーで買ったか、コンビニで加熱しないか)といつも母はノロノロと言い訳すよう様な口調で、不要な「後で自分で好きなときにあっためて」等と言い出す。別にそんな説明をされまいが、あなたに後から文句など言わない。意味の無いことを言い続ける習慣こそよっぽど不快である。続いて、牛乳・・・ではなく、飲むヨーグルトを運んだ際も「これ、ヨーグルトだから冷蔵庫入れてね」等とノロノロ言うけれどそんなことは5歳児でも分かる。どういう発想から、毎度こう言い出すのであろうか。子供を慮って言うのではなく、何も思考を伴わず機械的にモゴモゴ唱える。

17時10分、家の前で何か物音がした。見てみると体育着を着た小1・2ほどの女児が路上に、自転車は倒れていることから、T家敷地の溝の間をふざけて走って転倒したのであろう。もう一人、先行していたらしい私服姿の女児が迎えに来て10秒ほどでまた漕ぎ出した。入れ替わりでT家の子供二人を乗せた車が来た。T家は今日も15時台にばあさんがバイクで来ていたが、A宅を覆う飛散防止のシートに目を向けていた。何せ、昨日まで張られていなかったもので、この時に私もそのシートに気付いた。17時22分、あのバター犬と雌豚に似た1匹1人を見たが、それとして、早朝以外に見るのは初めてである。バターダックスの特徴は、しっぽがピンとして毛がススキのように後ろへと垂れている。我が家の前で俄かに泣き出す等の習性から、今回大きく手を鳴らすこと4度、何の反応も無い。イミフ。17時25分、T家息女が学校方面へと体育着ヘルメット(転倒女児と同装備)で自転車を走らす。

18時過ぎ、弟と母の会話、弟が今日の買い物品をバクバク食べたところが発端である。「俺がダイエットしたいってぇのになんでこんなに買うんだぁ!」「じゃなんにも買わな~い、○ちゃんに買えって言われたからかったけど、次からパンもシリアルもなんにも(後略)」

18時40分以降に加熱していていない生姜焼き弁当(添えたパスタ・スパは贅沢にもナポリタンで景気がよい)を少々ついばんでみた(しばらくしてから加熱しようと思っていた)ところ、間もなく母親が2階へ行き、さほど空腹ではないがすぐに弁当を加熱しようと考えた。自室ケトルのスイッチを入れてから、キッチンへ出て加熱し始める。キッチンの小ゴミ袋(容器を最近使わない母)に目が行き、弁当のラベルが見えたので調べると、母・弟はどちらがどちらか不明だが、竹の子の炊き込みご飯(サイズからこちらが母食か)と幕の内弁当を食べたようである。

幕の内弁当なら、ある時からまだ弁当を買う頻度が多かった時期に母がよく私向けに買っていた。前の家でも父親が二人用に買うコンビニ弁当・弁当店の弁当(通称ほか弁)にこの名称の弁当が多かった(スーパーだと惣菜の丼ものも多い)。「ある時」というのは、弁当を買う頻度が高かった頃(前期はほか弁系メイン、後期はスーパー・コンビニ、うち後期)、どうも揚げ物ばっかの弁当の割合が高く、ひどいものでは唐揚げ大量(味が薄くふにゃっとしている)で高価格なのだが、ご飯とスパゲッティ以外は僅かに漬物があったかも覚えない、食べることが辛くなるボリュームであった。これは子供の好みも、あるいは華奢な男子のことを全く知らない、母親としても女としても鈍感な人間ならではの選択である。「今度からもう少しバランス良い物を」と要望したら、逆に健康志向・何品目、という感じのものを買い出すなど極端であり、人間としても異常である。今回、私に生姜焼き弁当という選択は良いかもしれないが、弟に幕の内弁当というと、以前なら逆であったであろうから、疑問である。



2015/10/08


本日8日は6時53分に目覚め、間もなく起床。7日夜は22時過ぎまで起きて音楽関連のブログ(非横野真史名義)の長文追記と調査をしたのだが、押入れに移ってからも1時間半近くベラベラ色んな物思いに耽って独り言を続けていた。何度か自制したのだが、やはり「もう少し続けよう」と再開したくなる。PCを消す前後のあたりでキッチンの洗口液を使う際「アルコールよりミントの方がよっぽどこえーや!」などと放言したことが原因かもしれない。飲酒の境界とはアルコール摂取(口に含んだだけ)の有無か、現行法で規定された酒類の摂取に限るか。ともかく、仏罰と考えてからは眠りに就くのであった。7時6分には弟が登校へ。以前なら7時半頃ばかりであったが、今週は7時20分より前も多く、過去に7時10分以前の登校は、通常の授業日に有り得ない。

8時前から炊飯作業を始めた。炊く際には部屋で半端に沸かしたお湯、50度を使い、母設定いじらず「早炊き」にてスイッチオンとする。8時20分前か、炊けるより先にささっと食器に移すための作業を始め、炊けてから2・3分ほどで済まし、炊飯釜としゃもじにはには水を張り、容器(茶碗は次に食べるもの、今食べるものは鍋に)を部屋に移し、鍋の方は適量の水を入れて加熱した。今回、炊き上がりが悪く、芯が残っていた。茶碗の方も水を少し足して、次回レンジの頃には。炊飯スイッチ直後から母の動きが怪しいのでさっさと釜を洗わないと、と思ってふすまを開いた矢先に階段を降りる足音がする。子供の悩みをよそに、普段しない暢気な挨拶をしてきた。最悪の朝食でした。再加熱の飯はまずくなく、まずまずでした。

本日のA宅解体工事は、瓦が剥がされたり、外壁の破壊などが午前中から続いている。13時過ぎには屋根瓦が剥がされ、裏の木材がはっきり見えるところ、「丸裸」という印象を覚えた。家の場所によっては、日光の反射により木材の色が室内に映っていた。この加筆直後に母親が掃除機をかけはじめた。人生初の異常な耳を劈く音も聴こえた。解体工事よりやかましい。

15時前、トイレに臨んでいた。こう書く因縁として、昨日夜の下剤1錠・今日14時台の喫コーヒーを上げる。どちらもその時その時の効能は感じつつ、望める結果に繋がらない。インドシナ式・サマタ・パヴァナ(風定・和式便所理論)によって不浄物を流す実践を、押し入れ内で考えていたが、やはりこれを推進する。

このトイレの時に一度母が1階へ降りて、それからどこからともなく異様な音が鳴り始める。この音を例えれば、去る夏のセミの断末魔の叫びにも似ているし、もっと辿った感性では鳥の断末魔であろうか。それらよりもストレートに耳へと届く。最初は母が洗面所で何かしているのかと思ったが、トイレを出た以後に1階を調べても母はいなかったので、解体工事現場の可能性も考えた。発生源が2階方面と思えなくはない。部屋に戻り、また音が聴こえた折に再度調べると、やはり2階、あるいは現場ならA宅の2階か屋根あたりと思う。だが、開放した窓から流れ込んだ音でなく、どうしても我が家の2階から鳴る音としか思えない。母の足音も対応して聴こえることから、掃除機かけにしても解体工事の音に便乗して轟音のキチガイ行為をしていると見た。だから、解体工事よりやかましいという。

和式便所ヨーガを続けて16時過ぎ、弟が帰宅した。弟の様子を見て、トイレへ移動したが間もなく母の声掛けで風呂に入った弟である。洋式の便座でも大和式にて臨むと、ようやく果を結ぶ。これぞサマタ・パヴァナの奏功結実である。未だ心はサマーディを得ていない。こうしてウンコを狭隘の筒より解脱せしめ、我が身は禅定を得ること遠からず、解脱に至る。



2015/10/09


本日は意識が付いて間もなく開いた携帯電話では6:22を確認して、即座に起床した。やはり、最近は覚醒と起床の間が極度に詰まっている、というのも起床後の作業を早急に済ませて、更にPCでの作業を始めたいという衝動が理性よりも先に私を動かすから、このようである。もちろん、不本意にも外的要因で安眠妨害されて目覚めたときは、2度寝に堕ちる、堕とすことも多い。

寝る前である昨日8日22時過ぎからの押入れ内は、昨日の二の舞を演じるようで、またベラベラと独り言を続けていた。そんな折、23時過ぎから唇の痛みから深刻なヒビ割れを意識し、いわく因縁付きリップクリームを使うために起き上がった。6月15日の日記メモなどでも書いたが、2013年6月ころに勝手に母親が買い与えた事実を忘却した母が、後々(2014年中?)自室内のこれを見ると、私に盗みの嫌疑を掛けてきた。しかも同じ嫌疑を過去に一度したことまで忘却して2015年6月15日には再度狂い笑いを浮かべて問うなど、およそ人間としても母親としても失格の女であると、悩乱と魔性の馬脚を露している。不適格・不適合という烙印は、こういう定義のもとに押すべきものだ。ともあれ、これは衛生的にも背景的にもいわく付きであると分かろう。次の冬シーズン中に使いきりたい。

本日も8時前からか工事が始まったように思う。A家の庭にある植物は現状刈られていないし、庭を残して壊した建物の場所に再建する可能性も、ここ2日ほど思っているほど。ただ、この2日ひろげて一週間で、みるみる笹が枯れ始めている。どうしたことか。8時半を前にショベルカーを積んだトラックが家の前を過ぎ、次いで作業着の男性が運転する乗用車は家の前の通りを塞ぎ、別の作業着の男性と話し合っていた。すると、何やら車内でタバコを吸い始めた。ただ、これが発車するまで別の車が後方より迫ることは無かった。別の別男性はこの際に、ペコっと一礼した。解体工事も佳境に入ったであろう。

10時前にトイレへと足を運んだが、窓の外を見れば、ショベルカーはバリバリと豪快に、あの木造の屋根や柱などを崩してゆく。耳に悪い轟音が続く。この様はまさに、還御ビデオの「耳を劈く轟音とともに、その醜悪なる姿を地上より消しつつある」というナレーションを想起させる。トイレでは、昨日のサマタ・パヴァナの余力により、今日もひり出せた。

15時台、どうも母親が外出中であるため、弟の学校の前期修了に伴って配布された通知表を探すこととした。1Fリビングの黒い棚にある書類を探ると、各種プリント(H.27 9~10ばかり)類の収まるフォルダが幾重にも積まれ、9月14日メモ注釈にもある茶封筒など色々挟まる。やっとの思いで通知表を拾い上げたが、こういう月曜日からまた学校に戻す奴こそ上に積むのが尋常な判断であろう、母よ。それで、特別支援学級に所属する弟の場合、各科目別の5段階評価は無く、授業態度だとか生活態度に関する評価・コメント、出欠記録(無欠席、遅刻は1回)などを見る。ここに年度始の測定における弟の身長・体重も記録され、173.9cm、66.2kgとある。



2015/10/10

10月第2土曜日 第二土曜日

本日早朝は、目覚めていたのか意識があっただけなのか、眠りの浅瀬に浮かんでいると、まどろみを突き破る爆発音が木霊した。これは、すぐにテロ・・・祭りを知らせる花火の音だと気付き、携帯電話を開くと6:00とのことで、即座に起床した。惰眠の未練を断ち切る能力は向上しつつある。花火は、例年通り10月の第2土・日曜日、あるいは第3土日かいつかは不明だが、この6時ちょうどに鳴らされる。例年と比べて、早朝の花火などが滅多に聴かれないのも、時代の流れだろうか。よほどの日でも無いと濫りに上げてはならない、というのも各々協調性などが失われつつあるためだが、私としても参加しないイベントの開催を告げる仰々しい花火など、何のありがたみも感じない。上げるなら毎日のように朝6時を告げるべく上げ続けてくれれば、ちょうどよい目覚ましであろう。窓を閉じても直に届くこの音は、スーパーの透明な小さいビニール袋を膨らませたものを、耳元で破裂されるほどストレートに及んでくる。

9時頃、弟が外出した。その前から9時20分頃まで母親が1階にいた様子だ。その誰かが1階からいなくなったあたりでシリアルを食べ始めた。6時台に一度ラーメンを食べている。シリアルを食べ終えてコーヒーを飲もうと思うが、時間を省き美味しく淹れるための方法を発案したが、どういうわけかキッチンの水が運悪く好都合なので覆される。色々と逡巡して利用しようとした途端、運悪く不都合に変わり、裏目に出たことがまた裏目に出た。どこまで困らせて私に、コーヒーを飲むな、と言いたいのか。ヤマトの配達員がこの5分以内に来たけれど、母親は応答しない。

10時10分前、例年通り、神輿が回る際の笛と太鼓の間抜けなリズムが聞こえてきた。急いで携帯カメラを取って、外に出ようとしたが、先導にもならない取り巻きの男児4名ほどが家の前などをウロついていて断念した。ドアを開きながら様子見すると、爆竹が弾ける凄まじい音が鳴ったので、身を退いた。神輿を中心とした群れが家の前に差し掛かると、イタズラではなく、家のインターホンを鳴らす者が出てきた。母親が1階へ降りてくるも、応答せず2階へ引き返した。この母親は、ヤマトには気付かなかったのか、自分が呼んだ人間を相手できないほど勝手気ままな人間かは不明だ。一方、向かいT家は男児が軒下ドアから身を乗り出して神輿グループを眺めていたが、女子中学生2名ほどに気付かれると、サッと消えていった。入れ替わりで母親が現れ、神輿グループの中年女性とやり取りをした。本日はまた、例年に倣うと19時頃に再来するであろう。

17時50分頃、人の訪問があった。事前にそういった予定が入っていたわけでないから、母親は料理中か何か、作業をしている時に来られたので、随分と対応が遅い(配達員か事前に来る予定の人以外=勧誘や訪問販売のような人と分かれば対応したがらないためか?)。渋々応答したようである母親で、しばらくインターホンで話を続けてから、玄関に人を招きいれた。話は、A宅跡の土地に関する話らしい。既に購入者が決まっている、等であることから、新しい人が来る・・・また建設工事で、向かいT家の工事よりもモロに音が伝わろう。母親は10月8日10時に行くはずの土地立会いに行かなかったわけだが、今の訪問はそれと関係があるかもしれない。

18時28分、俄かに打ち上げ花火の音が聴こえた。せっかくだからA宅解体工事の進捗状況(母買出し中の13時台に一方からの確認をしたが、今は道路側から正面に見る確認をしたい)を確認すべく外に出ようとするが、母親が邪魔してきた。「なんだ?○ちゃんか」等言ったあとにドアの鍵を掛けただけでリビングに戻っていったという、魔の唆しでこう仕出す。気を取り直して外に出たが、朝から思ったとおり&予報どおり雨が降り出していたため、断念した。つい1時間前まで祭り帰りの親子連れなど普通に歩いていたのに、不運である。家に入ると今度は弟が邪魔してきた。人間も気象も全員魔であろう。



2015/10/11

スウェット 腰紐

まだ暗い早朝に目が覚めて、開いた携帯電話には5:22と出た。寝る前に着けた耳栓は既に外れているから、広いあげて再度眠りに就いた。次が朝7時半のことであり、弟が1階にいる。目洗い以外の朝作業を済ませた。昨日の寝る前からこの起床までも、幻聴のような、聴こえたか否かが不確かな感覚が続いた気がする。昨日の爆竹の音が近いが、夢であったのか。

9時半以降に風呂(シャワシャン)を始めた。11時に用事があり、それまでに髪を乾かして、出来ることならスウェットへの衣替えに際して、以前より薄い灰色のスウェットで壊れかけていた「紐の交差箇所」の修繕を済ませようと考えた。家庭科レベルの裁縫技術は今も健在であろうことを自負しているが、ペーパードライバーのように、自負あるいは免許証といった矜持か所持があっても、実際の技術となると長年行っていないところ不安が残る。それで、今回無事に10時半までに風呂(シャワシャン)を済ませ、ついで手際よく髪も乾かしたため、速やかにこの作業に入った。

道具箱は2011年から変わらず、1FリビングTVラックの中に収納されていた。短い針と灰色の糸、それに糸を切るのに適切か疑わしいはさみを選んだ。持ち前の、針に糸を通す技術は健在であった。まず第一にどう縫合するのかと言えば、普通にこの灰色の縫い糸で裂け開いた箇所を繋ぎ合わせるという簡単な発想である。これは思いの外、ミスが重なったために途中で縫い糸をはさみで切断してまで、振り出しに戻すこととした。次に、裂けてひも状になった箇所を一つにより合わせ、縫い糸で固定する手段だ。これには一度切断した糸を再利用した。こうして、無事に11時までに9割がた成功させ、11時の予定の後には仕上げを施し、完了した。作業後、とても疲れを覚える。立ちながら俯く姿勢は、髪の長い私にとって特有の洗い方を続けた風呂(シャワシャン)の時に留まらず、ここでもこの姿勢を取らねばならなかった。中国の紡績工場でも、みな座って作業しているはずである。

それと、こういった裁縫の技術について思うのは、「家庭科」を引き合いに出したように、不登校期間が高学年・中学校で重なる上の弟や、小中が特別支援学級という下の弟(教材の裁縫セットを所持せず)には一生涯習得できず、また当人らも習得の意思を持つことはないと考えられる。下の弟が特別支援学校高等部に進学すれば教わるのであろうか。例えば、特別支援学校は職業訓練校(知らないけど)のごとく、作業主体の時間割となっている。それでも、弟が教わることはないと私は考える。

なお、家庭科で教わる裁縫技術のうち、当時から今までよく分からないまま、記憶のみでは再現不能になったものもある。私が最後に裁縫をしたのは、感覚では2~3年前、最低でも2011・12年中の豊橋宅である。とりあえず、隠棲修行をする者は、不必要な出費などあってはならない「質素倹約」をモットーとして、知恵ある先人のように、生活レベルなら自分で出来ることの範囲を拡げる必要がある。自ら解決する意志を常に持ち、裁縫といった技能を最低限は備えておこう。もしもこのスウェットのことを母親に相談したら、返事をしないまま新しい服を勝手に買うことも有り得るので、頼り得ない人間である。過去に、自分で直すから手引きしてほしく頼みいれて、独断専行に困ったことがあるが、何の事案か思い出せない。バカ買いすれば解決するというものではないし、親の立場としてあるまじき発想であろう。

19時0分、小ハエが部屋に現れ、直ちに殺めた。ラーメンを今後作り、食べ終えるまで開放するつもりでいた窓からの闖入である。18時台に何度も閉めるか否か、あるいは部屋の照明を消灯しようかと思い煩っても、これを今まで貫き通したがため、闖入された。今時もう小ハエなんてあるまじ、と思うことにしていたし、入ったら結果論であるとも考えていたが、本当に入られるのでは居心地が悪い。



2015/10/12


本日12日は6時47分に起床した。前日は日曜日の予定をこなして24時20分頃にPCをシャットダウンした。11時過ぎに、この1ヶ月ほど滅多にしていなかった、活動時間中の押入れ行きをした。こういうことは睡眠欲と性欲のようなものから発しているとはいえ、たまには・・・というつもりでこれに甘んじた。通例の如く邪魔が入るとも思わずに。

半ば睡眠状態の時間を経て11時37分には、魔に誑かされた母親が「リビングの鍵開けて」と、玄関を通じて庭に出た母がわざわざリビングから出入りしたいが為に私へ1Fリビング窓の鍵を開けるよう指示を出す。別に普段なら無言応じているが、滅多にしないことをしている最中にこんな野暮用押し付けるのは、魔に誑かされているからに他ならない。こういう母の突飛な指示を「魔が差す」と言う。訳の分からないまま、押入れを発って指示内容に応じた。

この日この時を選ぶ、悪魔の母親である。こんな家に住まわせないため、悪魔が私を困惑させている。母親の悪魔を撲滅するために母の身を害せば、私は悪事に手を染め、魔の思惑に乗り、敗北したこととなる。現状、窮している。唯一浮かぶ策は、題目などを唱えさせるか、唱題などを聴かせるなど、信力に依るものしか無い。度し難い母親には何も通用しないとばかり無念に駆られる。素直に言って、悪魔そのものでしかない母親をブッ殺したいものだが、そんな人を殺したい、などという感情の吐露さえ無道心の故に口から出るもので、普段は憚る。怒りに支配されると、こういう感情も起きるが、本人には少しも示さずいられるのは、この1年で大きな進歩である。日記メモに書き殴るのも、いかがなものか。また、母の突飛な指示は、魔が差した故か、私の懈怠に対する仏のお諭しであろうか、少なくともあの母親自体はどうしようもない蒙昧の輩だ。

12時10分前、トイレで用を足した入れ替わりでヤマトの配達があった。配達物は中~大サイズの段ボール箱2つ分である。これをなぜかリビング窓側に送るよう、インターホンで母は指示を出した。母親に窓の件と共に理由を尋ねると、蜂の巣があったからだという(A宅解体工事に伴う花鳥園の乱れは予期していたが蜂の巣が転がることは有り得るのか)。それでは、悪魔が蜂の巣まで動員させ、軒先に忽然と蜂の巣が現れたのであろう。解体工事&将来の建設工事計画といい、どこまで大規模な謀略を続けるのであろう。向かいT家が越して来る前は、集団ストーカーの定住を恐れていた。ところで、今回の配達物は何であろうか、比較的最近だと、また清掃道具か機器を購入していたが、これを知ったのが10月10日のことであり、10月8日の「解体工事よりやかましい」という音の正体であった。

13時45分、母親がまた魔に誑かされて、詭弁を弄した上での無駄な指示を出してきた。今回は聞き入れなかった。この指示は、母親が息子にしてもらいたい内容であり、息子が元々していたことをたまたまやらなくなってから、その途端に私にやれと指示を出した。指示内容は住環境問題記事に関連する。嘘でごまかすことも可能であったが、保身のために嘘などつくことはしない。母親は、息子が元々していたことを知らない・元からやっていないと思い込んだ上でああ言っている。私は7・8月中に散々それをやっていたが、その時は母から一度もこの話題をされなかったし、やっていると知っているから母は何も言わなかった、という見識があって母がそうしていたのではなく、単にやっていることを知らないでいて、今更10月になってこんな与太指示を下してきた。要は、常に束縛されてそれを行い続けないと、隙を見て魔が殺してくるそうだ。

全ては、魔がおかしなタイミングを縫ってあの手この手で仕組んでいる。母親の横暴に対し、大声で答えた(最近の魔障のせいで言葉遣いは悪い)が、当然手も上げていないし、物に当たりもしない。したら負けであろう。先述の「敗北」と同義である。去年10月は、母親に手を上げることがあり、私は軽く紙の棒で小突く程度のつもりでも、母親が変に身構えたら母自ら腕に大痣を生ませた。それを私のせいと言い出し、買い物に行けない等の問題が発生した。母親の指示にいつも応じるようにしていることはメモの通りだが、息子への無理解による理不尽な要求には何ら実現性が無く、当人が全く気付く由も無く、何百回と省みもしないで続けるのは滑稽だが、笑って看過できることではない。

当記事注: 今回ヤマトから配達された品物は、飲み物とレトルトご飯である。冷蔵庫に綾鷹2Lボトルが6本あり、1本は開栓済み。キッチンの収納には更に6本で、6本入り×2箱の注文だ。なぜお茶ボトルをこの時期で俄かに箱買いしたか。そう言うわけだから、このことは過去に例が無い(コーラなら箱買いしていた記憶がある)。私は、季節差で頻度に違いあれど、年中緑茶・ブレンド茶いずれか1Lボトルを自販機で買い足している。ここまでの情報でさえ、住所の特定に繋がりかねないから、普段は敢えて書かない。近所に変り種の自販機が点在しており、商品の特徴を少しでも挙げると自販機の特徴、自販機の所在地といった具合に、私より賢い者が特定してしまうであろう。

ところで、綾鷹2Lボトルは、10月14~17日の間に、2人で3本以上飲んでしまった。私ですら、1Lのボトルを一週間ほどかけて飲んでいる。彼らは欲張りすぎるか、量の多さに感覚が麻痺してしまっているか、何とも呆れてしまう様子である。牛乳を普段以上に余らせる点からも、前者とも後者とも取ることができる。

なお、レトルトご飯はAmazonで高い売り上げを誇る、ウーケというメーカーのものを8月からか買い続けている。これは、最後に店頭で買われたトップバリュのレトルトご飯(特盛りも)であってもこのウーケ社製であることは、製造所固有記号に明らかである。ウーケ社は自社ブランドをAmazonで売りさばき、トプバでプライベートブランドとして提供するなど、パックご飯業界でシェアを伸ばしている様子だ。



2015/10/13

本日は目覚めて間もなく6時18分の時刻を確認して起床した。昨今の日記メモに明らかなるが如く、携帯電話での時刻確認が覚醒時の習慣として定着しており、間もなく起床する。

21時ちょうどの用を済ませて寝るつもりが19時前からあったが、21時以降に複数のサイトが狂いだしたせいで時間を取られ、PCも有り得ない挙動によって私の意思を阻害し、折角充電し始めた携帯電話をボロボロの充電器から不必要に取り出し、無駄にメモを取らねばならない。だから、物の執着を無くしないと、酷く煩悩に責められ、睡眠という一晩の涅槃さえ遠ざかる。その後も書くことが増えて何度も充電器外しを、19時台に酷く眠かったのは何であったか、この期に及んで、経験則から憂慮した事態に陥った。私が寝ようとすれば眠れるものだが、携帯メモを打つ間に母親が1階に降りてきて、巨大なドア閉め音を立てた。

9時台に予ての洗濯物を出そうとしたが、母親が風呂に入っているのでしばし待って、10時台に汚れ箇所に何か洗濯のりを塗りたくって出した。2点のシャツ類であるが、片や小6、片や中2からある。本当は自分で洗濯してバルコニーに干しだしたいが、1日中家に居る母に任せないと衝突があるので、自重して母に任せるしかない。母は2015年3月から退職したままであるし、家事も疎かなのだが、任せるしかない。今日のように晴れた日を選んで、任せるしかない。

14時前になって再度調べると、未だに洗っていない様子であったから、自分で洗濯して浴室乾燥に付すことを考えた。もちろん、バルコニーでの天日干しこそ本望であるが、選り好んではいられない。洗濯物が終わろうとするに、母親が1階へ降りてきた。それによって、この洗濯物を2階へ干しに出すことは望ましくあるが、動向が不審であり、少々洗面所へ出ようとすると、そこで母が洗面台の掃除をしていた。

ドアを開けて見えた母の姿でそのことに気付いたのだが、ドアを閉める際、大した音を立てていない私に「驚かないで(母自身も驚いている)、大きい、そ~っと閉めて」等の不要な文句をぶつけてきた。母はこういう風に喧嘩を売るのが好きな人間である。どういう音が「焦っているはずみで立つ巨大な閉扉音」であるかを再現したが、二度に渡り不要な文句を繰り返したので、もう一度再現した。私はそもそも母が無駄なことを喚かなければ無言で去るのだが、嬉しいことに向こうから話をお終いにする旨を継げてきたので、去ってみるとまた不要な一言を繰り返す。その悪しき性質を大音声にて弾劾した。洗面台の掃除をしている旨をここで母から初めて告げられたが、そんなことは最初から知っている。無価値の無駄口ばかり言う人間である。この後、再度洗面所の洗濯機を確認すると、洗濯物が無くなっており、母がバルコニーへ干しだしたと見る。

当記事注: 携帯電話の充電器は、2011年4月18日の母宅遠征もとい父宅家出の際、諸々の所持品と共に母宅へ持ち込んだ。2013年以降、充電コードの被覆が破れるという問題が続いて、セロハンテープなどでの補強を行いつつ、扱いに用心することで現在は1年ほど新たな補強を要さない。充電ホルダに関しても、ある部分が欠損したことで充電不能となったが、そのパーツはしっかり拾い上げ、接着剤を母に尋ねてアロンアルファを借り、それを以て接着した。何度も外れはしたが、同じく用心することで今は1年近く全く問題が生じていない。その用心というのは、例えば充電したまま携帯電話を操作するという、昔じゃ当たり前のことも封じ込めたり、少しホルダを持ち上げる際も注意を要するといった入念な状態で、中学生の頃の自分であれば、辛すぎて母親(父親)に強く買い替えを求めていたことであろう。それが、アロンアルファを借りるだけで終わる。



2015/10/14


本日14日、眠れないために2時半に起床した。というのも、前日13日の就寝時はPCシャットダウンの21時半から母親が2階へ上がる23時以降も、寝る前に行う目洗いなどをせず寝ようとしたからであり、修行や訓練、調査の一環でもあった。その結果は、寝付きづらさの上で私の精神統一で睡眠を得ても、久しからずしてこのような浅き睡眠と、やや不本意(別の作業が再開できる利点もある)のままの起床である。

丑の刻已に了つて、「TKGでも啖はばや!」と勇み立つ。厨房の倉にて、殻赤き卵を奉戴す。夫れ食物の恩を欠きてば、これを割るに不覚の大破して、あらあら卵黄・卵白を諸手にて受くるとも、徒らに汚しにき。あなうたてしやな!訳:3時台、卵が使えそうな事実より心躍る気持ちで手に取り、ご飯と共に食べようとしたが、レトルトご飯加熱中にお椀に開けようとすると、意に反した割れ方で、咄嗟に対応して椀に写したが、1・2割の卵白は手にべっとり付き、台や絨毯にこぼすハメとなった。卵を食べちゃいけないのか。

5時過ぎ、もう一度寝始めて、次に起きたのはアラーム設定の7時20分である。予定通り、風呂(シャワシャン)の準備を始める。7時半以降実行し、洗濯物は今日の天気を鑑みてスウェット等一式出しておいた。

12時頃、解体工事関係者の挨拶があったが、どういう用件かこの時は不明である。13時半、解体工事が激しくなっている。轟音は一昨日からの通りかもしれないが、常に微震があり、幾度と強めの振動が来る。魔が差したのでその場を発ち、洗面所方面からA宅の様子を窺うことにすると、母親もリビングから洗面所に向かい、ゆっくり開いたドアのドアノブあたりが母の体にぶつかった様子だ。驚いた母は色々言い出したが、そっと無言で去った。これも初経験で嫌になる。こういう経験が母に邪念を生ませて、後に自説の説得性をつけるように援用しだすこともあるから、困る。関連性の無い事象を同列に論うことがあるから、その時が面倒になる。誰が魔であろうか。

16時台、弟が帰ってきた。どうしても10月12日母の蜂の巣発言が気に障る。弟の昨日の帰宅時は、母がすぐ蜂の巣に関して聞いていたが、弟は何でもない様子であり、一昨日の祝日長時間外出からの帰宅も、軒先で蜂を見たという様子は無い。また、蜂の巣発言の内容が事実であるとして、解体工事のはずみでそりゃ虫も乱れようとは思うが、解体工事現場の人らは蜂の影響など見られず連日作業をしている。結局、魔に憑依された人間の誑言や妄言の類であろう。こんな悪魔の母親が(略)。昨日今日と気に障っている蜂の巣発言だが、私は今散歩をしようとも、とある自販機は9月23日・10月6日の散歩とも小銭スルーで利用不能であり、別に自販機を利用した9月27日以来、既に2週間半も買い物をしていない。今日はゴミ出し兼自販機通いをしておこうか、と考えている。明日の母買出し日を見据えて、1日と買い物を控えることもできるが、どうしても、買っておきたい。

18時に外出を実行した。蜂の巣の件は別状無い様である。やれやれ。件の自販機も小銭スルー無く購入できた。解体工事現場も帰り際に立ち止まって確認したり、事業標識なども閲覧した。始めに玄関ドアを開く前は、向かいT家の車が発った。私が帰宅して数分後(この記述を執筆中)には、車も帰ってきた。



2015/10/15


本日1度目の目覚めからしばし、確認した時刻は6:36であり、2度目には7:30を確認して起床した。昨日の購入物などの朝食を取った。起きてから右目の痛みが1時間以上続いていることについて考えたが、この日記メモを取る習慣が無い頃はよく痛んだ。例えばこういう痛みは主に覚醒以後に覚えるもので、睡眠を挟んでいる。寝る前や寝ている最中に問題があったかといえば、環境か寝相か色々原因が浮かぶけれど、すぐに答えが出るものではない。今シーズン初の濃い灰色スウェット着用で寝た(翌朝の寒さを想定して寝る前に着替えた)、という点が普段と違うのみ。季節によって起きやすさが変わる点も考えたのは、日記メモが今年の春以降習慣化したからであり、その春以降に一度だけ目の同様の痛みについて記録した覚えがあるからだ。調べると7月5日メモがそのようだが、充血などは今回無い。

本日はどうもA宅解体工事の動向を感じられないな、と9時半頃に思ったから、外に出て様子見&写真撮影を考え付いたが、真偽不明の蜂の巣より恐ろしい光景が、そこにあった。明らかに伸ばされた蜘蛛の糸、探ってみれば大きめの蜘蛛が2匹別々に巣を張っていた。昨日の外出時には無かったのであろうか、これも見当が付かない。この光景を眼前にして、一歩踏み出す気もなくなった。森林伐採などの環境破壊で森や山を追われて街に出没する野生動物は、カラス(歴史的に定着しているためこのイメージが薄い)からイノシシ(たまたま紛れ込んだ個体も)、クマ(最近のハバロフスク)まで多々いるものだが、これは解体工事の影響で伐採された植物、あるいは撒き散らされたガスから逃げるように我が家の方へと巨大な巣を張ってきたのであろう。自室窓は、この水際にあるため、開放には相当の注意が必要だ。なお、工事現場は10時台になって、トラックなどの出入りが始まった。

13時半前、母親が買い物へと出た。この間に調べごととして、解体工事現場の2階からの様子見&写真撮影と、ほか行った。「ほか」に当たる作業で特筆すべきは、弟個人の買い物品と思しきレシートを発見し、調査したことである。母親がその都度弟からこれを集めて、保管している。10月12日月曜日祝日には同じ店舗で2度買い物をしていたようで、別の日のレシートを見ても、多くはスーパーで主に菓子などを購入していることが分かる。客単価については突っ込みを入れない。菓子の内容は、テレビCMなどをした経験が多そうなブランドばかりである。本人が意識して選んでいるか、無意識に有名なものを手に取っているのかは不明だが、母親が安価かPBなどを選ぶこととは異にしている。件の10月12日は「いいもの買ってるね~」と母親がレシートを見てしゃべったようだが、このような有名ブランドの菓子を選んでいることを指していると思われ、本人も自分が安価かPBばかり選んでいることを実感してのことかもしれない。というわけで今の買出し中は弟の選択を念頭に置いて菓子を選ぶことであろうか、母の菓子への認識が改まるとは言い切れない。

ここまで書いて後に記録の必要性がある2点について記録する。一に、今朝確認した蜘蛛の巣と蜘蛛に関してだが、母発車直前に母は見覚えのある作業着の男性と話していたが、軒先で遭遇したのであろう。最初は挨拶かと思っていたが、後で元から家の周りで作業していたことが分かる。A宅境界の植物などを手入れしていたようであり、つるなどが除去されたように思う。この際に蜘蛛の巣も粗方無くなった様子だ(残りか、一本ピーッと線が見えている)。16時過ぎ、弟が風呂を上がってから再度玄関ドアを開いて確認すると、元々知らなかったか新たに出来たのか、もう少し奥(通り沿い)に同サイズの蜘蛛による巣を見た。

二には、中3・・・通販サイトに難儀しながら久々ログインしてみると、2011年10月10日購入というシャツがあり、これを洗濯し、アイロンを掛けた。アイロンはたまに都合次第でちまちまと利用しているが、今回はアイロン台などを広げて本格的に挑んだ。掛け方などのコツなどを心得ていないところ、学ぶ必要があると自覚はするが、火傷を負ったことは現状一度も無い。今回もぎこちないかは定かでないが、無事掛け終えた。この作業中の15時半頃に弟が一度帰宅してきた。

18時台、日記チャンネル最新動画にてついたコメントへのリプライを行った。『こういう動画を投稿するとなぜか、こういうタイミングを弁えない魯鈍な単発嫉妬コメントが付くという原理がある。それ以上、魯鈍に過ぎないため言うことは無い。「風、疎竹に来たるも、風過ぎて竹に声を留めず。」普段ならこの一節の通りにスルーするが、今回このようなリプライコメントを残すのも、記録活動の一環である。已上』このコメント内にリプライ動機なども説明しおえてあり、コンパクトである。

私のパーソナリティがあまり出ていない非実写動画・顔写真も無い動画などに「髪切れ・髪切ったら?」等のコメントをする者が13年12月や15年10月などに現れた。彼らは何を見て是の如き念を作し、その動画に斯様なコメントを残すならんや。いかなる縁起の故か。ここは伝言板動画じゃないんだ。また、能の無き者が露骨に能有る者を嫉む事象なども、風来疎竹云々のように典拠をすぐ浮かべ、重ねてしまう。私の文言にも動画にも魅力を感じないばかりか、露骨に低劣なコメントをして醜態を曝すという事象である。

文言の内容を論うにしても、「病んで」いるとかどうとかは、見る人が恣意的にいくらでも取るものであるから、私がそんな戯言を否定をする領域にない。「子供の頃に何かあったか」云々とは、単発ならではの調査不足を発露している。単発相手に詳述しても骨折り損であるから、こういう単発を相手に説くことはない。また、なお気になるならば、いくらでも調べて論難すればよい。そんな能力はないであろうが。ここまで書くのも、当リプライ内容に見る如く「記録活動の一環」である。



2015/10/16

本日は4時前後に一度目覚めた。寝具の関係で寝づらいことはよくあるとはいえ、更に23時ごろまでくっちゃべっていた。昨日の夜は特に、19時からPCシャットダウン21時半までの間に、ネット上で不穏な文言を複数回見て気が滅入り、眠る気が遠のいていた部分もある。およそ、2013年頃興味のあった分野で賑わいを見せていた2chや知恵袋で多々見られた応酬である。その罵声大会に加わったことも無いが、当然不穏で気が滅入るものであることは今も変わらないからこそ、暫く遠ざかっている。それで、次に目覚めて携帯電話を開くと6:47とのことであった。

朝食というわけで、7時10分頃からラーメンの準備を始めた。色々な具材の余りがあるから、ちょうどよく使おうと、昨日の夕食ラーメンも調整をして、昨日の買出し品の肉を使わなかったから、今回も使わないと考えた。それでも新しいうちに一口ほしいと手に取ったら、これまでにないラップの酷い破れ方をした。だから使いたくなかった。どうしてこういう深い考えをすると、こんな結果に陥るものか、道理を教えてほしい。今の「ほしい」だけ糞IMEが勝手に漢字変換したからひらがなに戻そうと範囲引っ張って再変換すると、より狂った変換をした。範囲指定していない部分が忽然と現れ「道理を教えて欲しいを教えて欲しい」となったが、Ctrl+Zで消して同じ操作を行うと、こんな狂った変換にはならず、普通の反応であった。今日は全てが狂っている、少なくとも今朝はそうであろう。



2015/10/17


本日はまず早朝に目覚めて確認した時刻が4:41とのことだが、記憶が薄い。次に目覚めた際の7:02を確認してから起床した。その手前、有名なアニメの音楽が聴こえた。これまた記憶が乏しく、北欧(?)の犬的なアルプス的などちらか忘れたが、そのどちらかであろう。これはゆめかうつつか覚えず、夢の中で再生されたかと思ったが、押入れ内で間もなく、弟が付けているテレビから聴こえたものと覚える。その後アメリカの某ネズミみたいな声の番組(実際に3年ほど前はこの7時台に当愛知の家でもBSか地上波のどちらか弟が見ていた・・・埼玉に住んでいる時の記憶では2009~11年頃かTOKYO MXでも土曜7時に同じCGアニメ番組を放送していたこれはテレ東平日朝にやっていたであろうものの輸入放送)に変えられたかと思ったが、そのアメリカでなく北欧の犬だかのアレに登場するおばさん的キャラがいるようで、その声か。起床してしっかり聴くと、某ネズミに少し似ているだけであった。

というわけで、ネットの番組表にて答え合わせをすると、あのラスト昇天シーンばかり有名な北欧(?)の犬であり、テレ東系列のテレビ愛知での放送だった。犬の名前の「フラン」という接頭辞的語根(語幹・形態素?)は、北欧スカンジナビア・バルト地域の言語などにはほぼ無い(?)ため、おそらくアルプス地域寄りの方が近いかもしれない。あるいはイギリスかオランダか。それは検索しない。弟が2階へ戻る7時40分まで、私は朝の作業(トイレ等)をせず、このメモを綴りながら味噌汁一杯を啜っていた。弟は8時20分頃に制服着用で、市街に会場があるイベント(知的障害児の作品展)へと出向いた、と前日などの動向から考えられる。

ガムテープ 髪の毛 髪

11時50分前、母親が恐らくは件のイベントを目的に外出していった。昨日も実は、母が外出していて、一昨日に続き洗濯をしたが、アイロンは掛けなかった。今日は少しアイロンを使おうと思うが、まずは昼食を、と12時半現在食事中である。食後は程なくして解体工事の様子見(奥が開けて、見えなかった風景を眺める新鮮な気持ち)などをして、13時より掃除を始めた。ガムテープによる絨毯の掃除は最近も別の原因で行ったが、今回は猫を飼う室内ほどに夥しく散乱した髪の毛を粘着面で多く取った(まとめ記事に画像を掲載) 。髪自体は、昨日か一昨日も5~10本ほど(長さがあるからボリュームが異様)密集した髪を拾い上げた。続いて雑巾掛けを窓枠・網戸と、木製の棚のサイドにかける。右下奥にいつからか木くずこぼれが堆積し始めたらしく、欠けている箇所をガムテープで補修しておいた。

14時以降、風呂(シャワシャン)を行い、手早く済ませた。母の帰りは15時以降と当初から予測している。市街に会場があるイベントの全容を知っているからこそ、この予測が立てられる。とはいえ、15時以降なら夕方帰宅も考えられなくはない。風呂上りは実に涼しい。風呂上りのホットな体に開放した窓から流れる涼しい空気(排ガス流入のおそれ)が流れ込んでくる。なお、15時33分コーヒーの準備から部屋に戻る折、弟が独り帰宅した。タイミングが重なって鉢合わせすることはよくある。こういう運命だからだ。アイロンを用いた作業は、もう考えていない。

16時10分過ぎから、手持ち花火のような臭いが部屋に流れ込んでくる。窓の開放を辞しておいたが、アロマでも焚きたいものだ。こう言う訳は、10月15日の買い物で母がアロマキャンドルを買っていたことにある。普段はライターが所在不明(空のものなら4年以上も玄関収納にある)だが、今はキッチン冷蔵庫マグネットにくっついている。よく見ると、新たに購入したものであろうかと思う。

16時30分台、ヤマトの配達があった。配達員は茶色やや長いポニーテールの20代後半ほど(後に否定)の女性であるが、6月5日の本家記事でも触れた女性とは違う女性であり、今まで(今月)に1度見たのみである。あの女性は今日の昼も配達ではなく、ポスト投函(メンバーズカード云々の手紙か)だけしにきた。今回の女性配達員は以前来たときに母不在であったが、今回も母不在の上に、弟が居てもトイレ長居・トイレを出ても1階に降りるだけで応対せず、何やら食い始めた。その間も、女性配達員は家の前で何か通話か、来てから5分ほど家の前に停車を続けた。

17時13分、同じ配達員が再度来た。たまたま私がケトルの水汲みをキッチンでしていたタイミングであるから、その顔を見ると、20代後半のように感じられないしわを見受けた。母は16時50分前に帰宅していたが、この時までに風呂に入ったようだ。弟はまたも応答しない。今回この配達員はすぐに帰っていった。いずれにしても、不憫である。なお、配達員の顔を確認した時から、向かいT家の敷地で見慣れない後年男性2人が解体工事を眺めながら会話しており、17時25分までのんきに続けた。A家関係者かは不明。

18時20分過ぎ、再再度に配達員が来た。同じ人だと思うが、1分以上経ってとぼとぼと弟が応じ、1分以上掛けてぎこちない対応をした。なお、この際の配達物は中・大サイズの段ボール箱が2つであり、21時過ぎに中身を母が開け、暫定的にスナック菓子を私と弟にそれぞれ1セット配った。22時台に水を汲みに行った際にキッチンに見えた注文票には、スナック菓子2種類と、輸入品のようなスパゲッティ乾麺が購入されていたようであった。今回はAmazonではなく、LOHACOという通販サイトである。次のゴミ出しでコーラでも買おうと企んだが、どうせなら夏場にこうされると丁度よかった。今夏はほぼ炭酸飲料を口にしなかった。冬場であるよりは幾分助かる方だから、コーラは買う方向で臨む。

当記事注: この日のイベントから帰宅した母は、「歩いて帰ってきた」と弟に話した。実は、母外出後に母の部屋に上がった際、机上に豊橋市街地の地図が広がっていたのだが、これは関係がありそうである。行きの場合、市街地の地図を確認しなくても、およそ近所の幹線道路を道なりに進み、国道1・23・151・247・259号線が接続する大きな要衝「西八町交差点」で東に曲がるか、北に通り過ぎても最悪大河豊川の橋を越さないで済む。帰路も、同じ幹線道路を歩き続けて近所の風景まで到達すればいつも通り家へ向かう。理論としては単純であり、覚えやすい。母は帰りのみ歩きであったか。



2015/10/18

昨日は、23時前にPCをシャットダウンして、24時過ぎまで独り言を続けた。最近の悪い癖である。それから最後のトイレと目洗いなどをして寝に入ろうと思ったが、押入れに戻った途端、22時以降一度も1階に降りてこなかった母が降りてきて、段ボール箱バラシ作業と思しき作業などを始めだし、テレビをも付けた。いつも通り、夜中22時以降にも物音を憚らない。ドアの強烈な開閉音や、こちらの押入れに直に伝わる玄関クローゼットの開閉など、日付がとうに変わった時間帯にすら、全く人の安眠を一顧だにしない母親である。前日は5キロの長途ご苦労、ババアはさっさと休め。

私は、元々日曜24時の予定の為に、長起きのみならず長寝も企図していたので、この際は耳栓をつけて寝んとする。そうして本日朝の目覚めは、朝日の光が橙色に障子を照らしており、携帯電話には6:47を確認できた。玄関には中身が移された空の段ボール箱が置いてあり、バラされていない。結局、前日の長起きに比して6時間ほどしか眠れないという短時間のものであったが、私には通例である。結果論でしかないのだろうから、とりあえず仮眠などの方針も視野に入れねばならない。10月7日メモに見るように、二度寝はしづらく、はっきりと目覚めたならば一度起床してPCも付ける。ところで、7時20分までには軽い食事を取ったが、以降は両の眼球に睫毛が付着して苦しんだ。

18時台、ゴミ出し兼自販機通いへと出た。こう書くと、自販機通いが"次点・ついで"の立場のようだが、実際は自販機での買い物のためにゴミ袋を纏め繕うような状態かもしれない。それで、蜘蛛の巣については、軒先周りのみならず、今回お目当てのとある自販機も同様に不安があったけれど、いずれも無事に済んで帰宅した。外出前に小バエにも満たない虫(ブユ・ブヨの類か)と、蚊とも蛾ともつかない虫が部屋に現れたが、当然昼には見なかったもので、今時暗くなって2匹も現れるものだろうか。前者は平手合わせ一発に潰れ、後者は二度軽く殺虫剤を噴射するも、ピンピンしていたところで幾度と見失い、無視して外出する前から行方不明である。窓の開放が安心して行えない。窓の開放と言うと、本日は目論見どおり解体工事が休みであるから、日中は常時開放できた。久々のことであろう。これから夕食のラーメンを摂るが、調理から食事中いっぱいは窓の開放を続ける。



2015/10/19

スパゲッティ 味噌汁 スパゲティ パスタ

本日は目覚めてから確認した時刻は6時32分である。就寝前の0時台・・・1時を回った時かもしれないが、押入れに入ってから最後のトイレと目洗いの後に、部屋の窓を一つ開けていた。翌朝の寒さがどうなるか調べる目的であったが、案の定寒くなった。それはそうと、本日も金色の朝日によって部屋は橙色に、我が家と向かいT家の車などは窓ガラスが結露し、車体もそう見える。

朝食として、就寝前の案にはレトルトご飯の余り案と、土曜日配達物のスパゲッティ案の二つがあった。前者にする方針だったが、本日朝に冷蔵庫を見て、豚肉の残しに気付いた。前日中にラーメンで食べるつもりがあった一昨日に対して、前日は使わなかったのも、存在を忘れていたためである(立って屈む私から見て、低い冷蔵庫の内部の隠れる位置に敢えて置いていたが、これだけで意識から遠ざかることはよくある)。結局、後者のスパゲッティ案を復活させた。これは当初「10月10日にコーンスープ・ポタージュが買われた際の残り1食がつい今朝まであったからこれで漬け麺的なものでも食べたかった」と考え、残念な思いがあった。本日は、その前日中の味噌汁案に肉を加えて調理をし、朝食を取った。豚肉+スパ茹で汁を、そのままインスタント味噌汁に使う。このスパゲッティは輸入モノであり、歯ごたえは日本の一般的な流通品と異なる。弾力が妙であるが、茹ですぎてもまた違いが出るであろう。ともあれ、このお椀一杯が何となく華やかな印象に出来て、普通に食べきった。

昨日は日曜24時の用事を済ませて25時以降に入眠し、今日の朝6時半に起きたのだから、睡眠時間が当然短い。それから9時頃に一度押入れで横になり、布団と戯れつつうとうとしたが、一応は創作作業に戻るため起き上がった。10時半もまた押入れに入ったが、解体工事の重機の動作に伴う震動、とはまた異なるような影響で、押し入れ内の空間が響いて震え、耳に悪い。飛行機の離陸時に似た重圧である。耳栓をつけるとどうなるか試そうとすると、それは急に止んだ。前にも同じ経験があった。タイミングおかしい、最初からそんなキチガイやめろ、間もなく再開した、最初から止めるなゴミ、人を振り回す最低な魔である。耳栓を試すと、緩和される程度であり、耳栓をはずして押入れを離れた方が耳への影響は大きく軽減される。

15時前後、母親がどこかへ出かけたようであることを、1Fリビングの窓に置かれた母常用スリッパから気付く。これは、外出時玄関に脱ぎ置かれるが、1Fリビング窓にある今、蜂の巣だか蜘蛛の巣の影響で玄関の出入りを拒み、窓から通ったと考えられる。弟は、蜂の巣云々と母が騒ぎ出してから(10/12メモ)も、変わらず玄関出入りであり、現在まだ帰宅していないが、変わらず玄関より入るであろう。なお、15時28分に解体工事の轟音が収録された映像を撮った。動画より、我が家を震わせる作業の様子が伝わるであろうか。

16時以降に、母→弟の順番で帰宅してきたが、弟はともかく母までもが玄関より出入りしていたように思う。それもともかく、母の目的地はどこか、先の時間に思ったことは、昨日チラ見した郵送物の文言との関連性である。母が資料請求したとして、何かの講座の案内らしく、「受講には説明会参加が必要」と記載があった。母の外出時間からして、その説明会とやらではないであろうが、一応は記録を取る。説明会とやらの日程と場所は不明である。

20時現在、音楽関連などの創作作業を行っているが、この近頃の陽気を、件の灰色スウェットにて過ごしているため、体は主に背中や額に、首や脇などが湿っぽい。某サイトの耳に悪いロック系の曲をいじっているわけだが、解体工事の長時間続いた轟音のみならずここで鼓膜が刺激されるのは、もう死体メッタ打ちである。目にしても右目が、数日前からの違和感が続き、今見れば充血をもしていて、何とも満身創痍である。ケツの痔なども不安であるからである。



2015/10/20


本日は早朝に一度目覚めて4:48の時刻を確認してからすぐ寝た。続いて7時半に起床した。寝相のためか全身が痛んでいるものの、思えば昨夜寝る前から首と腹部の筋肉痛があった。寝るにつけては仰向けになって後頭部の腫れを意識した。昨日のメモの最後にも満身創痍である旨を記したが、今日もあまり晴れない気分で作業に勤しむことと思う。否、そうでなければならない。ちなみに、寝る前の計画通り下剤1錠を起きてから服した。起床後1時間以上経つ今も特に食べていない。

8時前から、風呂(シャワシャン)を行おうと思いついたが、色々考えて普段どおり母の買出し中に行うようにした。「母の居ぬ間に作業」することは色々あれ、風呂(シャワシャン)は定番である。変わりに9・10時台あたりでスウェット上下を洗濯物として出した。

11時台になっても出した洗濯物や、昨晩から風呂場に出された弟の洗濯物に動きが無い。キッチン冷蔵庫を覗くと、コーヒーの入った食器が2つあり、不気味に思った。これは、どうもコーヒーゼリーを作っているのであろうと気付く。朝方、キッチンのとある棚にゼラチンのパックがあったが、そこは食品を置く場所でなく、薬やサプリメント、道具類などが置かれる場所である。そのため当時は違和感が覚えたが、この目的を念頭にそうしていたのであろう。コーヒーといえば、10月に入るあたりから俄か青汁と俄かカフェオレ趣味をやめた(美容ドリンクや綾鷹ペットボトルに移った)ようであり、インスタントコーヒーの消費が鈍っていたようである。ここに来て母は、また俄か消費の作戦を発案したのであろう。それで、このように見慣れないことをしている。俄かカフェオレの末期は多めにインスタントコーヒーを買ったが、その直後にやめるような人間性とは何であろうか?

15時頃、母は外へ出たようである。14時半までは1階で食事をしていたようで、この時にコーヒーゼリーを1つ食べた様子だ。この時間帯の私は、母がいつ買い物へ出るか、と気にかけていた。母が外へ出たことに気づくきっかけは、窓の外の会話する声にある。最初2つの人物として60代ほどの女性と、母に似るも前髪が薄い女性を捉えた。後者はやはり母である。この後に再度様子を見たときは、母が洗車をしていた。私は最近、母の車は洗車されないものか、と思った。ちょっとそう思っただけで、母はセルフで30分ほど続けた。私は、あくまでもガソリンスタンドなどに設置されている洗車機を想定していたのに。愚痴を唱えながら風呂(シャワシャン)の準備を進め、愚痴が過激になると、発車された。ここまでもここからも魔の陰謀であることは、この10秒後にクラクションが鳴らし交わされる点にも明らかである。解体工事の車が道を塞いでいたらしい。全員悪魔である。

洗面所に出ると、妙な光度を感じた。それもそのはず、曇りガラスの窓の向こうでは、植物の伐採が始まっているからだ。木々が無くなるだけで、この洗面所がどんな日よりも明るくなっている反面、お隣花鳥園は完全なる終幕を遂げんとしている。そも花鳥園というからには、諸々の虫の存在のみならず、フクロウであるとかの鳴き声が聴こえるところから称される。巣の有無はともかく、この解体工事以来フクロウほか多くの生命はどこへと去ったであろうか。いづくにか去りなむ。彼ら野生の本能で、鳥などは今日までに去っているはずであろう。物々しい重機・・・排気ガス、これは笹が枯れるスピードを急速に上げていたことは10月9日にも見られる。色々考えながら風呂(シャワシャン)を始めた。風呂場・浴室に設えられた窓を開けると、強烈に植物の臭いが漂った。やはり浴室の向こうでは解体工事もとい伐採もとい植物倒壊掘削が続いていて、スリルがある。この家にまで、自分の身にまで危険が及ぶという杞憂がより鮮烈となる。

今回は早めに風呂(シャワシャン)を終えた。というより、この1ヶ月ほどは事情多々あり悠長にしていられない。15時半頃の母発車から16時20分までには体を拭いてPCに向き合い、途中からここまでのメモを残し、16時20分からいつも通り1Fリビングで髪を乾かし始めると、16時24分頃に弟が帰宅したので渋々退散した。

18時過ぎに母親は帰宅した。こういう遅い行き・遅い帰りは風呂(シャワシャン)の事情のほか、母・弟の食事の関係で私への回収呼びかけも遅れ、ここ2ヶ月ほど継続している21時以降寝る生活には不利である。20時近くも回収できないと、20時以後に食べて21時遅くとも22時に寝るのは個人的に避けたい。こうした感覚は、ここでは書かない多く思考による。20時前に弟が2階へ上がったので早々に食品を回収しておいた。

20時48分に母が俄かに慌てた独り言を始めた。勘で虫(這うタイプ)との遭遇があることを思った。その通り、母は2階に居る弟を呼び出し、蜘蛛の駆除を求めた。勝手に大はしゃぎする母自身が原因を作ったことも大体予想が付く。買い物から帰って、窓を5分ほど開けっぱなしにした、と自供している。蜘蛛がいないところを見ていきなり大声をあげるなど、テンションが空回りしていて煩わしい。これも、いないところを見てそういう声をあげる性質は知っている。妄想や狂乱の性質が強い。



2015/10/21


本日は早朝に一度目覚めて5:31の時刻を確認してからすぐ寝た。続いて7時15分に起床した。この時、弟はテレビを付けず1Fリビングで朝食を摂っていた。起床時より便意があったのだが、8時20分台のトイレで、形となって現れたことは嬉しい。やや長めの一本糞とは、縁起が良い・・・不浄物であるのに。便意を覚えた時に、コップ1杯の水を飲んでいたが、それ以後は特に飲まず食わずである。

この排泄前には、トイレの窓から工事現場を眺めていた。そこに木が存在したという跡が未だ残る。これも間もなく除かれよう。笹が見えないので下方を覗くと、倒れこんだ笹がそこに見えた。風に流れて行ったり来たりする笹だから、恐らくこれはたまたま下に倒れこんだものと見ている。とりあえず、写真を撮った。7時20分から既に工事関係の車両が出入りしていたので、この時も関係者が動いていた。

11時10分台、改めて便意を伴ってトイレへと向かった。短めのモノを2回出した。今日はどういうことであろうか、先の1回にも思ったが、下剤のためではない。昨日は下剤1錠を服したことによる排便が1度あったが、効果としては強く出たものでない。それが翌日にも持続するということは、経験上考えられない。私の腸の調子が良いということであれば、それは末永く続かれたく思うのであった。ついでに、解体工事の様子だが、笹やほかの草はもう無くなり、木の根などが散乱している様子であった。

14時0分以後、トイレから解体工事を見ると、元A宅周囲のブロック塀の解体を始めた様子である。部屋に居ても聴こえた金属音の正体は、およそ機械から発せられたのではなく、刃と擦れたブロック塀から発せられている。ブルドーザーのような重機も動いている音がする。次に、1階洗面所にいると思しき母の様子を探った。この母は、なんと風呂掃除をしている。風呂掃除などする様子は滅多に無かったし、実際にしている様子は初めて見た。

前の家だと、自分や父など各自の判断により浴槽を度々洗っていたものだが、この家では弟も母も洗わないし、私は当地以前より推定4~5年入浴を行っていない。弟も母も、温泉は入っても家での入浴はしていないのではないか、と思うがそれは今朝たまたま、ゴミ容器に捨てられているバブの包装を見たところで一度覆った。あるいはバブをお湯が張られた浴槽に落とす以外の使い方をしているのではないかとも思ったが、母はこのバブなどの入浴剤を使うため、重い腰を上げたと見る。そして、一度バブを使った際は、久々に張ったお湯に髪やアカが浮き、ほかの汚れも混ざる汚さに絶句したから、ようやく掃除しようと発案したものと推量する。洗面所とリビングを分けるドアは開いているため、洗剤の臭いがリビングに広がっているため、自室ふすまを開けると流れ込む。人の部屋の臭いを過度に嫌う母だが、客観いな客感では、この臭いが自室に流れることほど不快である。母の自室=プライベート空間に人に異臭が流れて嫌悪感を示すなら許せるが、共用空間にいて誰かのが起こした臭いを過度に嫌うことは当人の人間性を疑う。



2015/10/22


本日は7時5分に起床した。7時半以降に母・弟らが1階で何かを始めたが、本来だと弟の登校が始まる時間帯である。昨夜は「弁当」などの単語が聞かれたところ、何か大きい行事でもあるのか。8時30分に弟が家を出た(反学校方向)が、同時に向かいT家も母親と男児がいつもと違い徒歩でどこか(学校方向)へと行った。調べると、今日の弟はとある行事のため、会場へ向かったようであるが、これは弟の学校の生徒の場合、各個人が徒歩で会場に向かう。会場に遠い・道が慣れない他校の場合は、学校に一度集合してバスに乗ってきそうだ。あるいは学校から集団で歩いてくるかもしれない。まさか、弟の学校一校貸切だというのか・・・?クラス数が多いため、有り得るけれど、少し自分のイメージと噛み合わない。

9時49分、母から洗濯物を干し出して欲しい旨のメールが来たので、すぐ実行した。自分のしたい洗濯が、母の放置物のせいで出来なかったところ撤去できるというのだから、喜ばしいくらいだった。その放置物は、全て弟の洗濯物である。これを洗濯ばさみが多く付いている道具(名称不明あるいは定まっていない)に付けたが、辛うじてこの一つの道具に全ての物が収まった。

10時1分までにバルコニーへ出して部屋に戻り、これを日記メモに取ろうと受信メールを再度確認すると、見慣れない9時52分のメールがある。そこには、件のイベントのため急いでいてやらなかった、等の面白くも新事実とも何でもなく、聞いてもいない言い訳のみ書いてあり、不快でしかなかった。母が魯鈍なままであることに変わりは無い。こう言うのは、10月17日の時にも、知っていることをわざわざ自発的に話してきて、聞いてもいないのに言い訳がましい様子であり、不快であった。私はその洗濯物を押し付けられて気分を害さない。こんなメールや口頭での言い訳がよっぽど不快であるから何度も諫言をしているのに、人間を知らない息子を知らない非人・愚親の母にはいつまでも理解できない様子だ。返信メールを打つ最中にも、無駄なメールを一通送ってきた。もうあなたの指示など済んでいるのに。10時4分に返信した。

11時0分頃から料理を始めた。肉を焼く作業は、前回買い物の影響で昨日今日と続けて行うが、それ以前は1年ほどやらなくなっていた。臭いの問題など、気にしなくてよいものを気にするようになってから焼かなくなっていたけれど、昨日今日と焼いてみたくなる理由は、その買い物の影響である。どういう影響かというと、生姜焼き用の豚ロースが買い与えられたからである。普段はしゃぶしゃぶ用ロースをが買われ、1年以上前ならば焼くこともあったが、今は専らラーメン用である。しゃぶしゃぶ用より肉厚で、脂が喉に来る。しゃぶしゃぶ用にしても生姜焼き用にしても、当然額面どおりの調理はしないので、昨日ならもやしと一緒に焼き、ラーメンのスープ袋で味付けをしていた。今日は、そこに卵も加わって調理した。11時10分・16分に撮影した写真の通りである。

12時2分、母親から電話がかかった。10時4分に出したメールを、昼休憩のこのときにようやく読んだという。12時10分過ぎ、風呂(シャワシャン)の準備を始めるが、色々したため実際に浴室に入ったのは12時40分頃のことである。その風呂(シャワシャン)前から、今のメモを打っている14時前現在まで、工事現場における重機の動きは無いようだ。なお、この風呂(シャワシャン)は時間的余裕から、いつもより長く過ごし、久々にトリートメント(コンディショナー)を使用した反面、このメモを打って以後は髪を乾かした直後の習慣である育毛剤塗布(散布?)を忘れた。

JC ブラジル人 中学生 在日ブラジル人 黒人 セーラー服

母親が帰ってきたのは15時以降で、弟はそれから20分ほどで帰ってきた。16時6分、女子の声が聞こえて来たので、恐らく同会場からの帰宅JCと思い、カメラを構えて進行方向をたどると、案の定こちらにJC5人組が向かおうとしている。その顔ぶれの中に、強く見覚えのあるものが混ざっていた。そう、およそ5人とも日焼けはしているが、その類ではないほどの黒さ・・・弟の小学校卒アルの全校生徒が納まる写真に写っていて、学年集合写真には写らず名簿にも記載のない女児がいる。弟が小6のときに小5で、1学年低いはずだが、その全校納まり写真=イベント体育館内では小6となぜか肩を並べ、舞台のもっとも右上にいた。

おそらくブラジル人の女児であるが、名簿に記載が無いため「ブラジル人」と本人を呼び、なぜブラジル人呼ばわりするかは、当地が「豊橋」だからである(外国人人口比参照)。こういった外国人(帰化済みか不明)などは既に豊橋にいない可能性も考えた(9月26日メモに詳述)が、この子は普通にいて、思いの外打ち解けているようであり、個人的には複雑である。この子がその写真の子であると断定するのは、この地域に住まい、某小学校卒業生である弟が住む我が家の前を通るということはこの子も某小学校卒業生であることが言え、無論その子も某小学校に通っていた。また、顔つきや髪の質感(ネグロイド的な人はこうかもしれないけど)なども一緒である。なお、あの色黒はネグロイドなどを思わせるが、それは南米・ブラジルの人種ではないし、ブラジル人はそれほど地黒ではない。一応彼女がそれら黒人だとしても、私はブラジル人と呼ぶしかない。ほかに何人種かと言える材料が無い。たまたまアメリカに多いアフリカ系が、希少なブラジルを経て日本に来た、と思うしかない。



2015/10/23

本日の目覚めた朝は6:32の時刻を確認した10分後に起床した。今日もイベントは無いが弁当が要る日らしくで、母と弟が朝から1Fリビングにいた。

Googleのよく使う某サービスが改悪されていた。マイナーチェンジではあるが、近年らしい悪辣な二次読み込みを採用し、二次読み込みフレーム内はマウスドラッグによるテキスト範囲選択が出来ないことは多くのサイトで憂えるべき問題である。同じくして、携帯電話で撮った写真複数枚やメモ文章をPCにメール送信しようとしたが、PCのYahoo!メールがいつまでも受信しない。改悪まみれである。2011年以降の巨大なアレはどこも改悪しまくる一方とはいえ、数分で何個も新しい改悪を味わうことは考えもしない。2011年以降は濁世の傾向が激甚となっているから、何の期待もかけてはならない。携帯送信メールの受信が遅いことはごくまれにあるが、たかが3~5分であり、通常なら携帯画面で「送信完了」となれば、10秒以内にはヤフメ画面にも反映される。今回は10分経っても反映されないため、受信不能であろう(そんなことも前代未聞だが)と考え、14:47に再送信した。すると14:48として受信があるので、開いて、ファイルなどをダウンロードした。その後しばらくして嫌な予感がして再度受信画面に戻ると、案の定14:53着のメールが増えていた。片や11分、片や6分の遅延である。異常事態とみる外ない。

翌日追記:この日の解体工事の様子だが、もう工事がほとんど完了したようで、車両の出入りはほぼ無かった。午後のいつであるか、見慣れた作業着男性が独りで道路側の隅っこの土を掘り返すか、何かを打ち付ける作業をしていた。午前中の記憶では、その辺りの箇所に箱型の機械のような物体が置かれていたのだが、前日であれば重機でそこを掘り返して何か物体を移動させていた。元々何が埋められていたのであろうか。電気か水道関連の装置くらいしか浮かばない。



2015/10/24

本日は早朝の目覚めで5:54を確認したが、起床はせず再度眠り、次は浅く意識がある中で巨大な花火の音に覚醒した。弟は既に1Fリビングで朝食を取っている。時刻は7:02を確認し、花火は7時0分ちょうどに最初の1発が上がったのではないかと推測した。花火と言うより、巨大な爆発音で、その規模は10月10日の比ではない。今、当日メモを読み直すと、1時間の差があるだけで状況はほとんど同じ様子である。今日は中心市街地での祭りを予告する花火であろうか。

起床から自室ドアを開けると、ビニール袋の音がした。セブンイレブンで弁当など入れる茶色の袋に菓子が2点だが、当然母親が夜にコンビニへ行ったというはずもなく、前に届けられた菓子の貯蔵が崩されたものである。10月17日に届いた即日の分配から6日目の夜から7日目の早朝までにようやく2度目の分配がされたことになる。弟はこの朝食で1点を食べきったか、自室に持ち込んだと思われ、キッチンの棚には片割れが残されていた。私や弟のペースを鑑みず、母のペースを平等に私や弟へ押し付けるからアンバランスであるものの、私は特にその点を告げないし、弟も買い物催促を少しするだけで強く主張はしない。ただ、昨晩は押入れ内でこのことを独り言したわけだから、タイミングに気味の悪さを覚えてならない。とはいえ、私の人生ではそういう気味悪いタイミングなどよくあることではある。

19時49分、俄かに家の前で犬が鳴きだした。窓は開放してあるので、イヤホンをしている自分の耳でもやたらと障る。管楽器が吹かれたような腹からの大声が、乱れて聴かれる。窓の外を見ると、何かを抱えた人と、別に中型犬を連れた人がすれ違った。この抱えられた「何か」が犬の鳴き声の発生源であり、「何か」が犬ならば、女性特有のバター小型犬(ダックスフンド)であろう。大体、家の前で鳴きだすもとい、家の前でこんな時間に犬の散歩者がすれ違うって、どんなタイミングなんだろうか。とはいえ、私の人生ではそういう気味悪いタイミングなどよくあることではある。そもそも、18時台から「花火夕方の部」が始まり、この5分前にも母弟を惑わす花火が10発近くあがり、メモを打っている19時53分からまた始まった。



2015/10/25

昨日は22時過ぎにPCをシャットダウンしたが、23時過ぎに下剤1錠服用のため起き上がったついでに軽いお絵かきをし、24時前から某サイト曲漁り計画の消化(携帯電話利用)など、遊びが過ぎてしまった。シャットダウン以前から、この間も母親は1Fリビングに居続けた。本日は7時4分の時刻確認後起床をしたが、その前は眠りの浅瀬で夢のような戯れの思考をしていた、とメモにあるのだが、夢が忘れやすいようにほとんど現在13時には記憶が消えている。

10時頃から、向かいT家が掃除か何かを始めているが、ここ3日はその様子である。金曜日の時から、夫婦で作業していた。昨日も今日も必ず主人が中心で作業しているが、特に昨日と今日は工事の作業着のような服装である。工事の作業着にも種類があるが、これは水道工事か電気工事の類である。建設工事や解体工事や道路工事のような類とはまた材質が異なるように見え、双方はやはり違いがあろう。その作業とは、初めに昨日までと違って昨日まで掃除した箇所の周囲にビニール袋のようなものを敷いてあることに疑問を持った。その後、とある塗装が剥げ気味の箇所にペンキかニスなどを塗りなおしているようであるが、この行為と結び付き、ビニール袋のようなものの謎が解けた。思えばそれは、風雨で塗装が落ちやすく風化しやすく、最初の一年から気がかりであった。それから12時前にはその作業の塗料が入っていた空き缶で作られたと思しきおもちゃ(側面に二つ穴を開けて紐を通し竹馬の要領で乗る)を使って、子らが遊んでいた。

13時以降に、母が買出し発車したので、13時半以後、風呂(シャワシャン)を行った。風呂場に入る前からメモ帳の新記事の構想が浮かび、次々と形ができたため、これを漏らさぬよう留めた。出てからザッと下書きを始めた。これは11月中に投稿されよう。15時10分台、計画的にコーヒーを飲もうということで先に胃を慮ってシリアルを摂り始めると、母が帰宅した。先に帰ってくる確率なら弟の方がずっと高かった。弟は午前10時頃からか、外出中のままである。

21時以降、どうもふすまの「コトコト、カタカタ、ガタガタ」という音が気に障る。小刻みに揺れているためか不明だが、この種の音と、「気に障る」感覚は久しい。かつては、空気の流れだとか、窓の開放が原因と考えていただろうが、この説は夏場~今日まで窓を開放する時間が1日あたり長い時期にその感覚が無かったことで否定される。事実、この部屋は窓を開放していない。ふすまの向こうにある空間、1Fリビング総じては洗面所や玄関の窓など全て確認したうえで結論を出すべきだろうが、私を苦しめる現象は魔のはたらきが根本原因であるから、それら検証で追究しても詮無いことだ。今しがた調査したところ、洗面所の窓が開いていた。この部屋は寒いものだが、あちらの空間はそうでもない。座るような低位置に寒い空気がある、等の科学的な理論のみでは多くの異常現象の解決を得られない。これからの冬場にどうなるか、追い続ける。

翌日追記:22時半以後、洗面所の窓を閉めることとしたついでに、未確認のキッチン横の窓を調べると、案の定開いていたので、こちらも閉めた。堅いレバーを引く、複雑な構造の小窓である。窓を開けて閉じる際は網戸を全開にせねばならない点も普通でない。そのレバーで固定する。



2015/10/26

昨日はゴミ出しのため、6:30と6:40のアラームを設定(久々のアラーム利用)して寝たが、実際に目覚めてから急いで携帯電話を開いて確認した時刻が6:26と、奇跡的というよりもアラームが鳴る寸前に目覚めることはよくある。急いだ理由は、部屋の明るさにあった。とりあえず、すぐにゴミ出し準備を始めて6時30分過ぎには家を出た。足のサイズが小さい母親の、ややヒールが高くなっているサンダルを履いて出た。この格好は客観的にどうであろうか、と自分でも視覚的に確認する術が無く、想像に任す。押入れ内・自室も寒いようであるのに、食事・身支度ナシで部屋着スウェットのまま寒い朝の街路を行く。帰路、解体工事で開けた風景の奥に、実り豊かな柿の木が見えた。そういうお宅の庭に気付けないものであり、普段考えもしない。一方、当の住人としては「こっそり自慢」の木を見られたいかどうか。帰宅以後になってトイレや食事準備を始めた。これを済ませてから弟が1Fリビングに降りてきた。

外出直前に電源を入れたPCの話だが、連日ファンの音が不快であり、最初の日(3・4日前)は黒いススのようなものが机上のファン周囲に広がっていた。今日は外出直前に電源を入れた時から、聞き覚えのある異様な音を立てていたが、それは速めの回転時のみに鳴ることを知っていたし、簡単な物理的衝撃で直せることも経験上知っていたから、ひとまず措いてゴミ出しへと行ったのである。この帰宅後、トイレに入りもしない内にこの問題対処を行った。まずファンの排出口がある右側端を数度叩いたり、ノートPC前部を持ち上げてファンのある箇所を裏側から叩いても違う様子であったので、後ろを持ち上げて位置をずらすか、少し落とすように手を離すと、異様な音がピタッと止まった。この手応えが正解である。このメモも暖房を付けない室内の手が凍えるような環境下で打っているから、今秋今冬初のエアコン暖房試運転を7時過ぎから行った。5分後に、思いがけない快調ぶりを発揮していた。連日のように寒い中過ごしても良いのだが、一応エアコンの試運転は行いたいと思うので、あと数時間ほど回そう。

9時過ぎ、家の前に車が2台止まっている。乗っている人らの動きがないばかりか、後ろのシルバー(TXとか書いてある)の車には、ブラジル人風の顔・髪の男性(暗く横顔なので断定はできない)がフォンいじりをしている。前の車はナンバーだけ確認できる。彼らは何をするでもなしに、家の前で休憩しているのならば、これも3年前なら珍しくはない。A宅が更地になった影響で、こうなっている。向かいT家が来る前の平屋跡が空き地の頃は頻繁にそういった停車・バイクなどが多かったことは複数動画の記録にある。

前の白い車から人が降りてきたのは9時20分前のこととなった。シルバーの車の男性は、普通の日本人であった。事前に我が家を尋ねる予定のようで、母親が1階をウロウロしたあと、2階に上がったタイミングでインターホンが鳴り、母が「待ってました」とばかりに降りてきて対応した。用件が、A宅土地関連で軽い挨拶・敷地内停車等であるか、あるいは我が家の問題に関する作業であるかは不明である。家の問題とすれば、9月17日メモに画像つきで語った案件であろう。今回来た彼らは3人であるが、うち1人は9月17日即日来られた人と一致するのであろうか。

10時前、エアコン試運転をやめた。実は7時26分頃から8時24分頃まで横になっていたわけだが、この間には大分弱まるか、風を出したがらなくなり、この10時前までほとんど出なくなっていたし、粗方知りたいことは分かったため、終えておいた。

12時半、ヤマトから配達があった。箱が2つあり、前回10月17日同様、ロハコというサイトで購入したようであるが、片方は「炭酸水」と書いてある。母親が購入する飲料などは、青汁粉末・独自ブレンドのブランドの健康食品から、最近だと緑茶2Lボトル12本など、どうも定まらない。店頭購入なら、普通のインスタントコーヒー+液糖類でカフェオレ、種類なら去年・今年の春まで大量のウイスキー、今年9・10月コンビニで缶ビール・チューハイなど、安定が見られない。緑茶や紅茶の葉っぱなどは、今年3~6月頃購入・開封以後、あまり飲まないで多く余らせている。お茶の話だと、去年のいつからか、今年の3月に賞味期限が切れる抹茶と桜茶(?)というものに加え、コーヒー豆があったものの、長く手を付けず、切れる直前か直後から急に消費を始めたりもした。このようにフラフラとした趣味、問題が起きそうになって対応することはどうであろうか。省みず、その時の興味本位でホイホイと注文する・・・毎度書かなくてもよい。なお、14時20分から配達物の整理をしたようで、私に菓子3点(うち1点は小分け)が渡された。前回のロハコ品2点はかさばる系スナック菓子だったが、今回は密度が高い種類である。



2015/10/27

昨日は寝る前(22時過ぎ)に、エアコンの予約機能による暖房の試運転のため、朝6時以降に回るようにタイマー設定をした。本日目覚め以後の時刻確認は6:46で、数分以内に起床した。エアコンのタイマーは無事作動されている。エアコンのおかげかは不明だが、昨日の朝よりは寒くないかもしれない、と思った。

本日の感覚→シリアルを多めに摂り、そのためか定かでないが、体の重みや違和感などを感じた。足腰に力を加える姿勢を取ることで長時間のPC利用に体が鈍らない(ほか尻にかける負荷の軽減で痔を予防する)よう心がける日々で、当然腰痛から、脚と股関節の筋肉痛に膝の関節痛などが起きる。



2015/10/28

昨日も一昨日のように22時までにPCをシャットダウンしなかったばかりか、23時近くまで自分の過去動画ファイルを再生してみたり、音楽(MIDIファイル)いじりなど続けた。私が押入れに入ってから母親が1Fリビングを去るのはシャクなところがあるから、この母が1Fリビングを去った23時前後にPCをシャットダウンしたことと思う。今回(昨日のこと)はいつもと異なり、母親の悪い影響(1Fリビングでテレビを漠然と見続ける人の影響)を受けてみることとしたのだろう。

変わって本日の朝は、弟が付けたテレビの音の大きさで意識が覚め、携帯電話で6:38をすぐに確認した。しかし、7時頃まで起床の意欲が沸かずにいて、起床は7時5分である。

9時46分過ぎ、外のトラックの通過しそうな音からゴミ収集車かと思いきや、我が家に止まろうとする佐川急便のトラック(近年よくあるワゴン車でなく本当にあのコンテナ付き輸送用トラック)であった。配達物があるようで、まずは荷物を持たずインターホンを鳴らした。1Fにいる母(昨日は11時過ぎに起床)が応答し、事前にどんな配達物かを知っているらしく、重く大きいから庭を介して運ぶよう指示を出した。リビング側の窓からこれを受け取るなどやり取り(押印)を行った。箱には「折りたたみ会議テーブル SANWA」と書いてあった。11時半前にヤマトクールトラック配達あり。

14時40分頃、どこからともなく聞こえる音を無意識に捉えつつトイレに向かうと、排尿中にはっきりしたので、済んでから発生源と思しきA宅跡を見ると、やはりあの見慣れた作業着の男性(10月3日から幾度と訪問したりメモ記録では10/15、10/23等)が、道路との境界で何かを小刻みに打っている。今回も10月23日の作業時と同じく、一人で行っているように見える。



2015/10/29

早朝か夜中かは部屋の明るさで判断ができない時間帯に目が覚めたようでも、すぐには時刻の確認をせず、意識を覆うまどろみの殻をより破らせた新聞配達バイクの音の後押しで、ようやく携帯電話を開いてみると、3:49らしい。よくわからないまま自分の腹・胸・肩・腕などまさぐると、妙な肌触りを覚えた。いわゆる「ゴールデンタイム(成長ホルモン多量分泌時間)」の影響であろうか。どれほど事実に即しているかは不明だが、この横文字単語を当時のテレビでよく聞くようになった小5~中1の頃には、同じく肌触りによる実感を覚えることは多かったのではないか。

現代の人は、科学的に思えそうなものを、誤った方向で解釈することがあるか、あるいは狂信的ともいえる異様な状態に陥ることがある。その現代的迷信(俗信)の最たるものが「血液による性格判断」ではないか。朝のTVにおける血液型占いなどは、子供レベルの楽しみ程度と思うにしても、この「血液型」という近代科学以後の概念がもっともらしく性格判断に拡げられ定着した2000年代以降の日本は、やはり科学を知っていそうで知らず、巧みな学者か誰かの少数による扇動に乗せられたように思う。血液型による性格判断は、不完全な一学説に過ぎなかったはずなのに、日本ではブーム・流行の一線を越えた。

現代科学信仰(ことに健康・美容関連)は各々が好き勝手に説を採って広め、あるいは反発するなど、「不完全な教え=不了義経をありがたがる教団教派無き邪教」というほかない。そこに確たる論者や精神的指導者は一人もおらず、論説の保障は無く、民心は惑うばかりである。テレビなどの媒体から情報が蔓延し、民衆に持て囃され、一方では反論が挙がる。科学の真理や絶対的法則などを追究する科学者以外の凡人は容喙しない方が、科学教の教義の向上が期待されよう。だから私は俄かに科学っぽい情報(ことに健康・美容関連)を信用しがたく思っている。科学は合理主義や実証主義の上に成り立つ学問であるから、健康という「結果」を、方法の「原因」によって証明せねばならない。仏教も成仏や往生や解脱ということに様々な手段を説くが、信仰などは個々人の決断によるので、科学はますます一つの理に適った普遍的な説を追究する必要がある。

また、科学でない方向の「現代的迷信」は、憲法九条の頑迷厳守による国防を唱えることもそうであろう。尊げな条文への信仰ばかりによって護国が叶うとは、「空論、空虚な観念論」と言われる所以である。まさかアメリカが作った仮の条文を厳守だけして国が滅んでも叶わないという本末転倒スタンスではあるまい。諸問題あるのゆえに国内法整備(改憲)や、国際的には常任理事国入りなどを目指していよう。いずれにせよ、合理的根拠があると思い込んだ末の迷信という点が現代的な要素を持たせている。

4時29分に母親1階へ降りてきた。意味不明である。それまでに経緯として、私がレトルトご飯をキッチンの電子レンジで加熱し始め、途中で母が2Fトイレ利用を始めた。母のトイレ流し直後に加熱が終わったので速やかに取りに行く。部屋に逃れた入れ替わりで母が降りてきた。気持ちが悪い。
7時半前から弟がゴミ出しへ行き、帰ってからも玄関のドアを幾度と開け閉めする様子があり、7時40分を過ぎてようやく登校へと出た。この時は奇怪に思うだけであったが、後から「出すゴミの多さ」を思い出し、おそらくは幾度か往復して出しに行ったのかもしれない。程なくして、自分は風呂(シャワシャン)を始めた。前日から、その明日である今日が晴れると踏んで計画を組んでいたので、スウェット含む洗濯をしてもらうよき機会と考えている。少し障害があったが、風呂(シャワシャン)も洗濯の準備も平気そうなので、あとは役割ある人間が楽に実行するのみであろう。9時過ぎに風呂場を出たが、胸部以下の肋骨の表皮から生える1本の毛が異様に細長く、白い。これを抜いて口に留め、体の水気を拭った後に部屋へ持ち込んだ。ほかにも身のことがあるので、一段落してから日記メモ加筆とともに検分しようとしたけれど、置いた場所から見失ってしまった。

11時過ぎ、母が起床してきた。昨日と同様であるが、数ヶ月前の不規則ぶりに戻ってしまったのであろうか。これは同時に、悲劇の再現を犯す。11時37分にヤマトの配達が来た。よく来る女性配達員だが、あの6月4日のとき以上に悪辣となってしまう。1階にいる母親は顔を洗ったばかりのよう(ふすまから覗き見た)だが、別段問題は無かろう。なのに応答しようとしない。自分勝手なAmazon注文(配達員が抱く箱を見た)をして、出られる状況でも出なかった。今回もこの女性は6月4日同様に、2分ほど家の前で立ち尽くしていた。母親は「どうせまた来るから」と思ってそうしているのであろうが、この女性は私の存在に気付いてか否か、こちらの部屋方向を窺っていた。私が悪人のようにされてしまう。母親の勝手気ままに過ぎる生き方で、いつも人が迷惑を蒙り続けることに自覚は生まれない。

12時過ぎ、人を呼びつけるくせに惰眠を貪って迷惑をかけ挙句、反省のカケラも無い人間から配達員の件で悪態をつかれた。別の話題を話そうとする際に、母親に部屋から引きずり出された(部屋の外に出て話すようしつこく催促された)。他にも注文が多かったが全て回りくどく応じてあげた。そこまで私にさせてから話してきた用件はというと、父親から私に関するメールが来たのだという。またまあ、こういう衝突が起こるとおかしなことが先に起きているという、意味不明の因果が現れる。昨日たまたま前の家の最新ストリートビューをして「スギの木が伸びてきたなぁ」と思って父・上の弟の安否を憂えていたものだが、これもおかしい。

そのメールは「○○(私)の保険証を自分(父)に返還してほしい」という趣旨だそうだ(母口頭より)。母親は簡単な話に色々クドクドと不要な小言を挟み入れたが、要は「私自身が所持している、とされる保険証を探す」ことを母から求められたので、その旨を了承した。母の論理では、この豊橋で2011・12年に複数回診療を受けられたから私が持っている、ということだが、色々こういった指示は豊橋遠征もとい移住前に母から下された記憶もあれば、そもそも所持の覚えが無い面もある。思い当たるバッグなど探したものの、記憶にある豊橋市民病院の診察券などしか無かった。こうなると、母が預かった経緯があるとしか思えない。ほか、母が2階にいる間、母の開いたまま電源の落とされた携帯電話を起動して、件のメール(本日8:49着信)を確認し、自機転送した。「2011年8月15日付で○○(私)は○川(前住所)を転出、し私(父)の扶養や健保対象者からも外れたので、保険証を健保組合に返還しようと思うから、○○の保険証を私に郵送してもらえないか(趣意)」

12時半前から話が再開され、部屋に無い旨と上の推論(保険証母所持説)を話した。すると、母は「私(母)の保険証を借りて診察した」等言い出し、母がそう確信した方向で話が進む途中、ちょうど12時30分にヤマトではなく佐川から別に配達物が来た(段ボール箱が違う)。なお、今回の佐川も昨日と同じ形式のトラックで来たが、荷物の大きさは昨日と全く異なる(今回はかなり軽量)。12時47分に母の呼びなおしに応じた件のヤマト配達員が再訪問した。タイミング悪く母親は2階に上がり始めたところであったから、中々応答しない。部屋にいる自分はどこまでも苦しい思いがある。母は12時50分に遅れてノコノコ応答した。

14時20分台、母が2階へ行ったことを皮切りに、トイレ後に色々な確認をした。まず、数日来すっきりした印象があったテレビ台への感情理由が浮かび、置かれていたプリンターが無くなっていることに気付く。今は観葉植物(人工素材)が置かれている。佐川からの配達物は、一度中身の箱が見えて記憶しているため、対応するものがすぐに判明した。一菓子メーカーの栗きんとん・ロールケーキお試しセットという。栗きんとん(おせちなどで一般的な種類でなく、岐阜流で中津川市街に集中する和菓子店の流儀・1年以上前に調べた)単体なら、過去に母のネット購入が数度あったが、2015年では初であろう。その紙などを見ている最中に母親の排泄音が2階から聞こえてくる。おかしな水音、トイレットロール(ロールケーキの名前じゃないよ)をカラカラと巻き取る音、ウォシュレットの使用など、他人なら聞きたくない音がモロに伝わる。

このトイレ中に敢えて2階の様子を見に行くこととした。トイレのドアは一応閉まっている(9月16日メモなど開けっ放し疑惑がある)。弟の部屋も母親の部屋も、昨日の配達物の影響で部分的に設えが変わっている。弟といえば最近、座椅子の羽毛みたいな部分と中綿(黄色いアレ)をほとんどもぎ取って骨組みの状態にしてしまうことがあったようで、これとの関連性はいかがであろうか。また、プリンターは母親の部屋の机・・・昨日の配達物「折りたたみテーブル」の上に置かれていた。戻り際に階段側の窓から外を見ると、あの作業着男性がA宅跡地に今日も独りいた。

15時32分、佐川のワゴン車で配達が来た。この配達員を初めて見た時はI家への配達であり、1Fリビングでその様子を見たときに目が合った。それは余談だが、何か母親は「冷凍クール」云々と話していた。配達物に不都合があったのかは不明だが、やり取り後の箱バラシ半ばに「5分なら大丈夫かな」と呟いて2階へ上がった。この隙に箱を観察すると、異様に縦長の箱に写真つきステッカーが貼られており、これまた観葉植物(人工素材)であるという。母特有の俄か趣味(5月5日本家記事)の買い物が相次いでいるようだ。



2015/10/30


昨日は22時過ぎにPCをシャットダウンした。昨日のうちは21時まで案や21時過ぎ案など分かれて、最後には22時過ぎまで作業を続ける結果となった。ほぼ入眠状態(浅い睡眠?)であった23時38分、母親から電話がかかった。この時は迷惑に思わなかったが、今振り返れば少し困る事態である。電話の用件は、やや唐突なことに「キーボード買い替え」に関する話である。過去に私から持ちかけたそうで、確かにそういう話をした可能性も考えられるが、憶測の域を過ぎない。また、記録上から母にその話を持ちかける要素といえば、2012年10月の「お茶こぼし事件」程度しかない。ともあれ、電話ではそこまで詳しく語らず、単にキーボード買い替えの必要性は現状において無いことと、買うならばマウスなどが壊れかけであり、また唐突な電話ではすぐ完璧な答えが出せないことから、「明日でも一週間後でもいいからメールで」と告げられ終わった。

日付が変わって本日は、一度早朝に目覚めたらしく、そのときの時刻確認では4:45であった。次に6時台に目が覚めたはずだが、同時に弟が1Fリビングでテレビを付けて食事を始めた(物音より)。自分は7時3分頃起床した。

9時前から、A宅跡地で重機の音が鳴り始めた。実際に見ると重機ではなくトラックと何かの装置であった。この後、ドリルか何か別の、よりやかましい音が始まり、実際に見るとそれは道路側の地面一辺に杭か何かを差し込んでいるようにも見える(片手で装置を持ち、手植えのように歩きながら一辺に施している)。9時台には、ヤマト(クール車)から配達があった。10時半にリビングへ出ると、模造観葉植物がまた1種増えていた。新たに増えたものは、エアコンから吊るされている草である。先ほどの配達物の箱のサイズから、これそのものと考えられなくはないが、断定はできない。

母親は13時頃に買い物へと出かけた。予ての散歩計画のうち、某スーパー案の再実行とするが、本日という日に散歩の決定をしたのは昨日のことである。風呂(シャワシャン)を昨日(29日)として、今日(30日)の母がいない時間を散歩に捧げる方針が決まったが、当の昨日メモにおいては、散歩する心がはっきりしていなかったので、記さずにいた。だが、やろうと思えば道心ある私は決断・実行のみならず、不屈の闘志より、とりあえず定めた小さい目標は途上にて挫けず貫くことであろう。本日の決断から、もう下がることは出来ない。というわけで、14時4分以降に散歩へと出て、15時5分頃に帰ってきた。往復で5kmほどか。後日、本家記事に詳述されよう。

15時半頃に弟が帰宅、ついで16時半頃に母が帰宅した。16時40分前から母と弟に久々の大きな衝突が始まった。「俺は怒ったら最強だぞ!」などと多々怒声が聞かれ、巨大な物音などがドンチャン聞こえ(床か壁を壊した?らしい)、「キィーラァーイッ!スィーネッ!(手拍子) ブッ殺したいほど嫌いなんだよ!腹を切り裂いて背骨を・・・ 俺の心はプラズマだぞ!俺の心の炎は・・・」いつも以上に早口で色々叫びながら、母親も「夜ご飯ナシ、お小遣いあげない、明日どこにも行かない(どこか行く予定があるのは初耳)」等と応戦している。

17時以降、破壊されたらしいものの片づけを始め、17時20分前から長く掃除機をかけるが、これ見よがしに行っているのか、ついでに別の掃除を兼ねているためなのかは不明である。17時36分、母は1Fリビングに居るが(そう書いた途端母は2階へ上がった)、何となく部屋からリビングを覗くと、壊したものは写真立て1つらしい。これこそ、最近模造観葉植物と同様これ見よがしに置いていたものである。壊された写真立ての中の写真は、ラウンドワンで母と下の弟が一緒に写った写真(上の弟が当地を追われた2012年8月以後の撮影?)であり、写真立てはキッチン淵の1番廊下側に置かれたいたので彼らがやり取りした位置が近く、これがターゲットとなったか。19時過ぎにヤマト、配達員は10月17日の女性か。



2015/10/31


昨日は全長約5kmのルートで散歩をしたから、私の体だと負担が大きいことは誰もが想像に難くなく、関節をはじめとした下肢(いわゆるふくらはぎの筋肉や骨の方)の痛みが残りながら諸々の作業を経て21時半までにPCをシャットダウンし、押入れに入った。それからも某サイトの2007~2009年頃を中心に曲漁りなどして過ごし、一度起き上がってトイレ、目・顔の水洗いなどしてから寝始めた。この間も痛みが強く残っていた。何となく耳栓を着けてみたが、付けたタイミングから「こういう時は長く眠れない」と考えていた。「こういう時」とは、体が外出などで肉体的に疲弊している時(PC作業でも好い姿勢維持で毎日疲れるが種類が異なる)、耳栓を着けた時の2点が含まれる。

結局、朝4時前後に目覚めたようで、起床時の時刻確認は4:24であった。時刻確認は、不定の意識で何度も携帯電話を開いてはしていたようで、1度見て4:XX分、忘れたのでもう一度4:XX分、時以下を確認しなかったので4:2X分、メモを取るために再度4:24と、いつも以上に手こずった。本日は24時頃まで起きる目的があるため、仮眠などを視野に入れて過ごす。

9時過ぎ、佐川がトラックで配達に来たが、私が品物を確認した時間は11時過ぎである。その品物はキーボード・・・楽器のことである。姫路期から2014年祖母豊橋移住後に処分されたYAMAHAのEZ系同様、家庭・初心者向けで玩具の延長のキーボードでCASIO製であった。最近、にわかに「ピアノ」関係の本2冊を玄関クローゼットから引き出したと思ったら、やはり購入に繋がっていたようである。先の「会議用テーブル」も、これを設置する意図から買った節がある。安易な気持ちで購入して、ふとした衝動で捨てるということは無いように願いたい。12時29分にもヤマト(クール車)配達があったが、ネット通販での浪費散財が甚だしい今月、敢えて叱りはしないが、どういう思考より続けているか、案じるばかりである。それが突然、ネット通販をしなくなることもあるかもしれない。ただ、今月はもう31日ながら、月を通している点は日記メモ上の記録に残ろう。12時35分にトイレへ行こうとドアを開けた光景は、衝撃の「段ボール箱3つ積みの上に小包っぽい段ボール箱1つと、オマケの箱1つ」であった。

16時過ぎに1階から人がいなくなったので、個人的な作業ほか、配達物の確認をできる範囲で行った。まず、あの薄くて広い段ボール箱の中身と思しき「額縁に入った絵(プリント、全長60x80cm?)」が2点、テレビ台と壁の隙間に置かれていた。2点とも持ち上げて確認したが、少し額縁の位置が変わっただけで、後々母親が問題視して笑いながら無意味のグチグチ小言を私に聴こえるよう続けた。俄かに模造観葉植物や模造絵画など、場所を取りつつ芸術として扱うにも審美眼の無い母親が衝動的に買って、愚かな子供が好奇心で触っただけでやたらと小言を連ねるなど、親としての器量に欠く人間であることは疑いない。私に落ち度があるとすれば、少し触れるだけでも後が残って目に付く不条理経験と、母の異常人格を熟知していながら、軽率にも愚を犯したことであろう。飾られた際に眺めることを思いつけばよかった。続いて、食品関係を色々見てきたが、私に14時頃渡された菓子(先日とは別のメーカーの岐阜流栗きんとん)とラーメン(子供向けキャラクター商品)のほか、シリアル(なぜか1点のみあるが、これもキャラクター商品)などを確認した。


先述の「個人的な作業」と言う中には、食事に関することも含まれるが、更に16時40分から菓子を焼いた。リッツの上にヨーグルト(プレーン)を塗って盛り、その上に同サイズのクッキー、同じく上の面にヨーグルトを塗ったものを重ねて、適当に焼く。食べた感想だが、使用したクッキーの甘さと焼かれたヨーグルトの風味で味は足りている。更に、リッツというクラッカーはもともとパイ生地の性質があるから、ややしっとりしつつこの熱を得た状態は、焼きたてのパイそのものである。これはまた、ささやかな贅沢である。