私は日々ネットでの言論を行う。
創作関係(絵・音楽)にしても言論と同様、リアルの形に残したいと思うことは多いが、とりあえず論文を紙面に印刷する場合を考えた。
去年から、自分のネット投稿文章を紙に書写することは多かったが、今年は日記メモを取る習慣が強まるに連れ、その因果関係はともかく、書写行為はしなくなった。
紙に印刷することを考える際、第一にA4コピー用紙一面にコピーする手段がある。
各種資料・学校のプリントのような紙面となろう(それらは主に横書きだが、私は縦書きにしたい)。
こういった場合は、Microsoft OfficeのWordなどが最もポピュラーな編集方法で、この下に印刷を行うものだが、あいにく私のOffice系ソフトは某紛い物メーカーの体験版しかない。
Wordなどにこだわらない手段としては、画像にテキストを貼り付けてその画像データを印刷することか、あるいは直接ブログのHTML画面をブラウザの機能で印刷することも挙げられる。
実は私の思考では、Wordなどオフィス系ソフトは後から思いついていて、今の「画像方式」と「ブラウザ方式」が先行していた。
そういうわけだから、最初から「Word方式」ということは考えなかったが、ブログ記述では便宜上このようにする。
ほか、A4の紙では大きく読みづらい・折れやすいので、後々半分のA5サイズにすることを考慮した印刷方法を採ることもよい。
この場合は、1枚の紙に1Pと100Pついで2Pと99Pのような印刷方法を採るか、1Pと2Pついで3Pと4Pのような印刷方法を採るか、という点も考える。
以上のように真面目な思案を展開しても、空想に近いと気付いてしまう。
なぜであるか、立派に考えても実行が無ければ「捕らぬ狸の皮算用」となってしまうからであり、それは「皮算用」というほどに小中学生時代に多々経験があったからである。
2007年4月、母別居開始から広い家に独りでいる時間が急増した中で、様々な思考に耽っていたものであるが、その中には「皮算用」とも言える計算活動が多かった。
過去記事で「中1時の開校ウン周年」における「将来の夢」欄で「年収1000万円」と、理想の収入を書いた真似に見るよう、即物的思考はあったのだが、ただ現代の大人らがそうのたまうことと異なり、小学生(高学年)の当時からそれなりの計算を伴っていたのである。
想定した年収や月収(月給)を前提に、食費いくら、電気水道料金、ガス代は当時の家がオール電化であることから加算する場合と加算しない場合を考え、光熱費という概念は今でも謎だが、適当に小額加えたであろう、それにマンション・アパート住まいなら家賃だとか、想像しえる各種ケースを精査した上で、貯蓄額や遊ぶ金などをどれほど残せるか計算していた。
今では当時のメモ資料実物など、前の家に置き去りであるから、どのような内容か確認不能であるが、上記はほぼ高学年~中1の頃にそのままされていたことと覚える。
あの広い家で独りきりという中で、ある時はネット中毒、ある時はネットもゲームも無い(2008年夏に別居母との再開の事前に上の画面に数字キー、別にQWERTY配列キー備わり、後のスマートフォン的なブラウジングが出来たスライド式携帯電話を受け取った経緯があるが、これは2008年10月に破壊し同年12月の姫路遠征時に返還した・・・2006年7月にあの家に越した折、2003年購入のSH252iを一時自室内で紛失しつつ小6か中1の時に再発見した経緯もあるが、これは当然2004年のとある経緯でネット接続不能である)環境下で、トモダチだとかもいなかったわけだから、独りで何をして時間を潰したかと言うと、お絵かき・物色など多種あろうが、独自の遊びを開拓することもあった。
独自の遊びと言うと、現在この家や私の所有物にも結局は漫画やゲーム機などが無いわけであるから、このPCにもCPUを荒らすゲームを動かす気にならないため、音楽をいじることが多い。
「音楽をいじる」のであり、「楽器をいじる」行為は、物を持っていないため不可能である。
仮に持っていても、あまり触れないのであろうし。
「音楽をいじる」とは、「音楽ファイル=MIDIなどのデータをいじる」ということであるが、同時にMIDIファイルの再生もまた、視覚的に楽しみ甲斐のあるソフトを利用する。
TMIDI Playerを筆頭に、動画投稿経験ならMAM Playerもある。
MIDIファイルで簡易に音ゲーをプレイできるSynthesiaはインストール済みでも、あまり使わない。
PCゲームとは、CPU・消費メモリのほか、ノートPCのキーボードに対する負荷も考慮しており、ましてやこのような長文を打ち続ける私がこれ以上キーボードへの負担をかけることは忌避する。
その私は、視覚的にも再生される諸ソフトによって、音ゲー的な独自の遊びをしている。
再生画面を見ながら指先でドラム演奏・・・右手のみなら、人差し指がキック・バスドラム、中指・薬指などがスネアの役割、この役割分担は場面によって一律でない。
両手でやる場合は、その視覚的にそれらの再生画面を見ない状態も多い。
再生画面を見ない、ということは、PCの前にすら居ないで、押し入れないで自分の肋骨や腹部など音の異なる箇所でキック・バスドラムやスネアなど区別して叩く。
「一律でない」わけだから、別パートへの展開前などにスネアを激しく叩く場面があれば、両手法の場合今まで肋骨キック・バスドラ演奏の右手を腹部に移動させ、左手と共に打ち鳴らす。
思えば、指のドラムなどの美学は、小5・6の頃から基礎が固まっていたようである。
やはり片手法なら人差し指と中指、両手法なら左手と右手で異なる音が鳴るように気を遣っていたらしく、似たようなことをしている他の男子児童などは、その区別をしていなかった。
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