2018年8月26日日曜日

類聚 (8) ~ 「知的障害をもつ弟の豹変 & 服薬の記録」

*横野要文類聚 第八篇・前節*
末代凡夫、誰か是れ親なるべき?我が説に親子不二(おやこふに)と云ふ。
慈父・良醫・藥師の德、佛は之を顯すこと無量なり。
我が母は「藥劑師(やくざいし)」と號すれども、狂子(をうし)が如くに顛倒せり。
人の身と心とに毒藥を施して苦を與ふるなり。
悲しい哉、我が弟は如是等を服して其の苦を未だ知らず。
臨終までも其の苦及ぶべし。はかなしはかなし。
※「説」字について、繁体字の「說」を用いたく思うも、環境依存文字なので普段使用に迷う。今回は繁体字の「說」を用いなかった。「親」を「をや」とする仮名遣いが文献に見られることもあるが、それはア行・ヤ行・ワ行の字が混用された時代のものであろう。漢語の「親」が"parent"の意味で用いられるのは、上古漢語以来に中国でいつからか?



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「知的障害をもつ弟の豹変 & 服薬の記録」である。
このように長いタイトルで話題・対象時期を制約してある。
まず、「知的障害をもつ弟」は、私の2人いる弟のうち下の子である。
2人の弟に関する簡単な説明は2013年5月21日の動画(https://www.youtube.com/watch?v=EXpcOMUZ1ss)など、多くの動画説明文やブログ記事に記されている。
今回の類聚話題の中心人物はその弟=「知的障害をもつ弟」である。

「豹変」とは、2016年より母親とその弟の間に喧嘩が増えるなどして始まったその弟の狂乱時期を指す。
狂乱時期においては、特に顕著な場合に弟が彼の自室内で道徳的・健康的に悪い行為(破壊行為・ボンド無駄遣い遊び)をしたり、従来にしない独り言を多くする
「服薬」とは、その弟が抗精神病薬「リスパダール」を飲む、2016年9月2日以前に始められた行為を指す(薬剤師たる母親も向精神薬「ロゼレム」を飲むことがある)。
また、従来、その弟は、母親に叱られると、怯えるような声を上げる傾向(ほか大仰に困惑の声を発することも多い)にあったが、狂乱時期にはその傾向が減る。
服薬後に薬効がある状態では、またその傾向が現れる(その記録もある)。

この他の参照: YouTube再生リスト - 【家族】知的障害・認知症
https://www.youtube.com/playlist?list=PL63vT-XAWqzm8ZRN_d9QtYmtKf9l95bfj

知的障害児(知的障がい児・知的障碍児) 知的障害者(知的障がい者・知的障碍者) 障害者福祉(障がい者福祉・障碍者福祉) 社会福祉



無薬効「お前の飯はまずいんだよ!(母親への罵倒)」

有薬効「まずいんだよナァ(彼自身が作ったラーメンの評価)」






弟が豹変する兆候・過程 (2016年1月から9月までのみ掲載)

(2016年1月2日から続く) 昨晩は、結局大して眠れなかった (中略) その前日は、メモにもある22時台は23時前まで母と弟のやり取りが続き、母自身は0時前後まで1階に居続けた。当時のメモ「弟発言録『加工食品までまずいよ、お前の買うパンも、生鮮食品とか』 『母: 明日墨汁買う?』 『宿題を早く終わらせたい焦り屋なんだよ』 『お前の買った加工食品には悪魔の成分が含まれている』 憎き坊主の袈裟を憎むようで、餓鬼道に落ちる。23時前という夜中まで、冬休みの宿題を続けるも、お絵かきなどすらままならず、争いが絶えず、母は『指導しきれないから(弟の宿題が)出来なかったことにして辞めよう』と促した。」…2016年1月3日

13時0分ころから、前日以来のとある予定を行おうと体が動いた矢先に母親が1階へ降りてきた。元々12時台に母がご飯4合を炊いていたが今になって別の料理を始めようと降りてきたのである。弟は中学3年生の過程が間もなく終わるため、学校給食も終わり、帰りが早くなるために炊飯して弟の帰りを待っていたのであろうが、それならずっと1階で家事でもしていればよい。13時30分過ぎになって弟がようやく帰宅したが、母は稀にあるアホでかい「お~か~え~りぃ~!!」コールもないまま、トボトボと応じて不満げに何かを話した。弟も当然不機嫌に思うわけで、「お前の料理まずい!」といつも通りの反発をした上、「味と臭いがよくない!」などと玄関でずっと繰り返した。母は困ったように笑いつつ「普通の子は、心配してもらったら、ごめんねって謝るよ」などと、あの母親らしい変な「普通の子(ほかの子・他の子)」観を口にしたが、本気で言っているのでないにせよ、昔はそうして子供の頭をボコスカ殴っていたのだから、いつでも「普通」には程遠い母親視点の理想像の投影でしかない。
それから5分以上動きが見られなったために私の用を再開した途端、弟が2階から降りてきて手洗い、外に出ていた母が玄関の出入りを繰り返すなど、私は一進一退の動きをして後、ついに母が本格的に弟に食わせる運びとなって最悪なほど中途半端なまま止められた、と見せてまた2人は2階に戻るなど何がしたいのやら。私は急いで用を済ませたが結果は微妙で、彼らはまた1階で争いだすなど、母親の暴走がみなを困らせている現象が顕著である。なお、母親が弟の帰宅後まず発した話題が「先生への感謝の手紙」という課題に関して担任教諭あたりから未提出であるとかのメールが届いたというものであり、食事前・最中も爾件で彼らの口論が続いた。ちなみに、弟(と母も?)の食事が始まって消費されたご飯は3.5合分、おかずである豚ロース肉1パック(200g超か)とタマネギ2個(前日2月29日メモにいう2月15日購入のもの)による大量の肉料理も4分の3ほど食べられていた。…2016年3月1日

本日は母親が買出しへ行く上で、12時台後半は弟に洗濯物の処理を任せたようだが、彼の理解し得るところでないから手違いを起こしたようで、母親が色々告げるが、どんどん理解に及ばなくなり、2人の言い争いは長時間に渡った。母親の「普通の子は~、○さんとか○○くんとか」という比較で、ほぼ母が見もしない弟の中学校特別支援学級の同級生の名を列挙されれば、弟はたちまちに怒りを爆発させる。彼らのやり取りする空間を隔てた壁の向こうには、今日も建設工事の作業員がいる。…2016年3月15日

18時10分前に母が2階の弟を呼ぶといきなり「お前の料理はまずい!」と返答し、母は困惑の笑いを続けた。18時20分前には険悪な雰囲気から弟が俄かに荒れた。 (中略) 18時45分、母はリビングを離れて弟を呼ぶが、例の如く時間経過のため不機嫌の怒りを滾らせており、不必要に険悪な言い方をする。「○ちゃーん、いい加減にしなよーブン殴るよー、冷めちゃってるけどあっためんじゃないよー」と、自称・心理カウンセラーに見えないばかりか、母親という立場からも疑う感情を見るが、今回はいつもと違って弟は過剰反応せず、母も風呂に入りたくてそれ以上の不満をぶつけず終えた。それも結果的なもので、いつも感情に流されては今回のような終え方に留まらない。…2016年3月28日

母と弟は激しい喧嘩ではないものの、怒り気味となった弟に母が身を引いて2階に上がるような展開があった。18時10分に弟が「ま・ず・いぃ♪おいしくないよぉ♪食べれないなぁ♪」などと口ずさんでいると母が多く怒気を含めて「うるさい!いい加減にしろ!」と吠えた。今夕は、弟の16時過ぎの帰宅までに茹でていたうどんを食べさせたようであるが、結局はこれほど険悪な結果になった。食事中に弟とアイスだとか炭酸飲料だとかを、いつの機会か不明だが買う話で弟の機嫌を損ねないようにしていたが、その直後の学校関係の「みんな○○選んでるよ、○ちゃん(弟の名前)以外は3人だけしかいないよ」のように弟の選択を否定して小ばかにする発言を繰り返した母が自ら生んだ結果としか言えない。こう見れば、元々孤独な母親は悪循環してきて、これからもそうするのみで、孝子として悲しむ。…2016年4月8日

弟が「お好み焼き食べたい」と母親に言うと、母親は「お好み焼き"なんか"作れないよ」として小麦粉が僅かしかない事情を告げた。小麦粉は先月のいつだったかトップバリュの大きめの紙袋の小麦粉を買って以降、すぐに少なくなったものの、それから母親特有の使い切らずに残す性癖のために、今もわずかに残ったまま、新たな買い足しもしないでいる。空腹の弟は、母親がリビングを離れた間に色々と食事の準備を始め、母親の怒りを買い、2人は久々の喧嘩に発展して弟からはいつもの「料理まずい」発言も出た。「手を焼いてやる・切り落としてやる」等の空虚な脅しが繰り出される。
ところで、母親は人と言い争う場合、本意でないことを突発的に口にする悪癖がある。今回は弟に「学校やめたらいいじゃん」などと、むしろ母が彼の将来を思って通わせているという普段の親らしい言い草から変節している。そして、「週何度も学校に行くPTAのために仕事できない・クビになっちゃうよ」などと虚言を吐いた。母親の薬剤師生活で解雇された(クビになった)様子などなければ、弟の学校関係のために失業したことなどない。大概は祖母介護とかカフェ関連とか、弟の学校とは無関係の事情であるし、復職しない期間は怠慢に起因している。母親という人物は、その場の都合でいくらでも虚言や変節ができ、知的障害の弟(母が狂った場合は私にも池沼認定)にはもっともらしく通用させられると高を括っている。どんな女性よりも女々しい根性で、男女の誰人が信頼や感心や尊敬できようか。…2016年4月27日

当記事注: この2016年4月は弟が愛知県立豊川特別支援学校に進学した月である。母発言のうち「週何度も学校に行くPTA(一週間=平日5日間に何度も学校に行かねばならないPTA活動)」の真実性については、当月日記メモや以後の日記メモを読むことで確認できる。けだし大仰な表現である。

7時2分に私が、2階の2人の動きのない様子から風呂(シャワシャン)を始めようと思ったところ、途端に初めて2階で母親の動きがあった。部屋の弟に7時である旨を告げていたが、弟は学校を休みたい旨を母に返していた。こういう時、母親は何ら反発したり詰問せずにスンナリと了承する。誰が学校に登校しようとしまいと勝手のことであるが、母親はドア越しの会話のみで信じることは、感受性の低い人間がやれば以心伝心ではなくただの盲信である。弟は1階に降りながら「食事が入んない(喉を通らない)・ゲボが出そう」と言っていた。五月病なのかGW体調崩しなのか、不可解な現象である(5月3日の弟の外出時の服装の件との関連性はどうか)。私の風呂(シャワシャン)予定は明日の5時台に延ばし、先に4時台はコーヒー1杯を飲もうと思う。
10時41分に母親が徒歩で外出した。13時前に母親が帰宅した。弟は母親不在の間もずっと彼の部屋の中で謹慎、正しくは安静の状態でいた。帰宅後の母親は弟に「歯医者に行った」と話した。
 (記録の日付が変わる)
前日、学校を休んで食事もあまり取らなかった弟が、本日は3時台にトイレ、5時前に1階で何らかの食事か水分を補給をした後、私が朝の勤行を行っている5時10分台から風呂に入り始めた様子である。前日に延期となった私の風呂(シャワシャン)の予定が、また少しだけ先延ばしとなる。 (中略)
14時過ぎ、母親が2階で弟を1階へ誘った。弟への用件は、弟がいつの間にか食べた納豆(母親の炊いたご飯の余りがありながら納豆のみを食べたそう)の始末に関する注意である。弟は母からの注意が続くごとに怒りを蓄積させ、声を荒げるのみならず、破壊行為に出た様子であり、母親もいつも以上に狂った声を上げた。ガスのパネルだとか水道の蛇口だとかを壊された、と母親が叫んだ(後に調べるもそんな形跡はないから例の誇張・大仰な形容か)。2015年8月27日の草むしり闘争を思い起こした母は「あそこ(風呂の折れ戸の樹脂製の窓)も壊されたの、大工さんが直したんだよ!」と放言していた。関係のない弟の学校の話題を持ち出したり、いつも通り、子供は要らないだのという世迷言が始まる。
まさに親子喧嘩の本質を観ずべし。互いに相手を悪だ、と罪の擦り付けをするが、この種の争い事は表面的に子供が悪くとも、大概は親の教育や人格などに根本的な悪がある。しかし、この一体性を知らない者たちは水掛け論に終始する。常日頃、みな反省と努力を心掛ければ、仮に問題が生じても円満に収まるが、問題において対峙する片方だけにその高尚な精神性が備わっていても不足であるから、そうはなりがたい。ましてや生来悪魔のごとき性質が染みついた母親と、知的障害を抱えた弟には改善が困難である。ことに母親の異常性について類聚2所載の要文などで察しがつこうが、ここで要旨を言うと、自分がどう誤っているか考えないばかりか、そもそも誤りのない指導をする無謬の人格者などという前提が一分だに覆らない。…2016年5月7・8日

7時台、弟は10分ほどでトイレを3度流した。朝にクソでトイレが長引くことは、彼にとってよくある。いつも思うが、彼は学校でどれほど給食をおかわりしているか。母の料理を「まずい」と反射的に言い出す癖が弟についた当初も、3・4合炊かれたご飯が一晩でなくなることは多かったが、最近はそれほど多くは食べない様子である。 (中略) 17時前後に弟が帰宅したが、彼が風呂から出て母は、今朝彼がゴミ出しをせずに登校したことを非難していた(おやつなんてない、と言いながらこの後、駅ビル購入の菓子パン類を普通に食わせる)。18時台から母が弟を呼んだ食事を始めたが、19時過ぎ、俄かに弟が怒り出した。それは「楽しい会話(母説)」が一転して弟が酷く激昂し、異様な大声で威圧して物音を立て続け、不穏な威勢でまくし立てており、母親も戦意を喪失させる悲鳴じみた言葉を放っていたが、まあ母親は当然何の痛みも被ることは無い。親子の過ちは互いに備える以上、「楽しい会話」などと言う雰囲気を仮に作ろうとしても、些細な問題で瓦解する。知的障害の弟に対して健常者ぶる母は、普段から発言の仕方などに気を遣うべきであろう。…2016年5月25日

 2016年6月5・6日の母弟間喧嘩とその関連事項を記録した投稿がある。
 写真・文字情報 http://masashi.doorblog.jp/archives/47723867.html
 映像付き https://www.youtube.com/watch?v=enCDlBIKTXc

 その件については、母親の服薬関連(前述の向精神薬ではなく漢方薬・生薬だが)の文言のみ、引用する。

6月7日に入り、2階の弟の部屋は前日よりもボンド地獄が拡大し、彼の机の端にまで広がっていた。6月7日であっても、弟と母親が帰宅してから2階での喧嘩が起きたり、夕食は別々となっていた。寂しい話だが、20~21時台に1階リビングにいた母親は、一人でテレビを見ながら大声で途切れ途切れの笑い声をあげていた。2人の関係という先入観が色眼鏡となって母親の惨めさが浮き彫りとなる。「母親は浅慮で、一喜一憂しかできない残念な人である」と身近にいて痛切に思う。だからこそ、ちょうど一年前である2015年6月10日に「不爲實於無根草 我亦如是而自戒」と漢詩を作った(忠実な原意は多少異なるが本意でいえば母親を反面教師にしている点で一致)。ところで、同日6月7日と財布喧嘩以前の6月2日に母親は、「脳神経外科」と称する医療機関で受診(脳MRI撮影など)し、いずれも2種の漢方薬を多く処方されたようだが、どういう症状を自覚し、そこでどういう相談をしたかは不明である(薬の俄かな摂取は薬剤師の資格を持つ人間の哲学でないが、母親の場合にはよくある)。

 以上、引用。関連:2016年6月7日の日記メモ。以下、再開。

手紙写しの加工済み画像
13時台後半に母親が徒歩で外出した。14時台に2階で色々な確認をし、弟から母への2通の感謝(皮肉)の手紙を撮影した。主に、料理やコミュニケーションについて母へ感謝の旨を綴ってある。ほか、K邸の様子を見ると、本来停まっている車(前日にトヨタのプリウスと書いた)ではなく、別の軽自動車が停まっていた。また、屋根(ひさし?)の上に青い洗濯バサミが落ちていた。前日K夫婦らの徒歩での帰りを見た際、旦那さんが奥さんに鍵を渡しながら「洗濯バサミ」という単語を呟いていた。この光景と関連があろうか?14時50分、にわかに引きずるような足音が聞こえてきたが、すぐに母親らしさを感じた。その後、案の定車のドアの開閉音なども聴こえ、母の声で「最悪だよ、ろくでもない」と笑い気味の声が聴こえた。笑いながらそういう言葉を発し続ける人間性も母親らしい。母の全てがネガティブな印象で覆われている。15時30分過ぎ、母親が1階リビングで電話をしている声が聴こえたが、間もなく2階へ上がった。通話の内容は、弟の「料理まずい」発言を中心に、弟の行動に関して話しながら、更生の施設への入所を視野に入れていると告げて相談していたが、相談相手は若い男性の声に聴こえた。在学中の特別支援学校の教諭かどこかの機関かは不明であるが、訪問したいという意思を話していたため、在学中の特別支援学校ではなさそうである。
17時10分頃に弟が帰宅したが、その直前も電話か独り言をしていたようである。「納豆・ベーコン」という単語も聞かれた。それで弟が帰宅して母親に尋ねたことが「兵庫県でケーキ買った?」であるが、当然買っていない。本日6月27日が彼の誕生日である。母は「兵庫まで行くと腐るから買わない、近所のケーキだとまずいのだろう、前に小遣いを渡したからそれでいいでしょ」という説明をした。それから、できるかぎり穏やかに話そうとした母だが、にわかに弟が怒り出し、危険なムードとなり、ついに母へ一発殴打を加えたようである。痛みの程度は不明だが、母は当然取り乱す。弟も大袈裟なくらいに混乱しながら怒りを鎮めず、色々と暴言を吐いたり、階段で一段一段ペチペチという音を含んだ大きい足音を立てていた。
母の「警察呼ぶよ!」という本来は空虚なはずの脅しも、今回ばかりは狂乱しているため、本当に警察へ電話を掛けた。通話中、「落ち着いていますよ 早く来てください」などという言葉も聞かれた。弟がいる2階では断続的に色々な物音が立つ。色々と略するが、母と弟が別々の階で言葉を交わし、母が「お風呂入んないの?」などと問うていたが、些細な暴力で警察を呼ぶ狂人の母になど、誰も好印象を持たない。17時32分にサイレンを鳴らさない愛知県警のパトカーが家の前を通過し、そこから降車して呼び鈴を鳴らした。母と警官2名の話を聞くと、母は過去にも通報だけした様子である。母の話では、以前も2時間事情聴取を受けるハメとなったという不満を垂れていた。主な話も、警官の対応に関する不満である。やはり母らしい。17時45分ころに弟が風呂から出た。17時48分に追って1台のパトカーと2名の警官が来たが、彼らは母からすぐに追い払われていた。彼らはT家の敷地に踏み入っていた。
母が警察を呼び、ここまで取り込む事態は今まで一度も無かった。今回、母が警察を呼び、風呂を出た弟と警官が話し合う展開もあった。この事態で一連の問題が改善するとは到底思えない。かえって火に油を注ぐような悪因とすら成り得る。警官との話し合いで弟が衷心より反省するはずもない。また、母もそんな安易な手法で改善すると思うならば、実に儚い話である。こんな二人とはいえ、今後も改善しないとは断言できないが、少なくともこれだけで改善する問題とも思えない。
18時35分、にわかに母が車を動かした。来客まで事前に場所をどかしてスペースを空ける際によく行うが、どかした直後に別の車が来た。降りた人物は特別支援学校の教諭(担任教師?)らしく、見た目は50~60代・眼鏡・薄く白髪で薄く茶髪である。18時53分もまた別の車が来たが、同じく学校関係者であろう。警察沙汰に伴い、ゲリラ家庭訪問である。弟は予定通りの料理を行っているが、教師らが会話を挟んでいる。…2016年6月27日 (動画記録)

18時台、弟が料理をしたいらしい。これは前日以前に加熱していない手作りのハンバーグを作ったらしく、冷凍庫に見られ、本日は冷蔵庫で解凍している様子があった。その料理の面倒を見る展開となった母だが、先に洗濯物を済ませようとしている最中、弟が自制できずに料理を先走るため、制止しようとしたり、「しゃべってらんない」などと物理的に会話できても弟を無理に抑えつけた。 弟のために洗濯 ご機嫌斜めの弟が「あぁ料理まずいよ」と不満を垂れ始め、母も「やめて!」と声色を強めだす。ついに弟がゴン!ゴン!と鈍い音を立てた。母の言葉では、壁か床を壊したそうである。「母: 殴ろうか?ピチン!(平手)痛くないか?これで割ってやろうか?」「もうしわけありません!もうしわけありません!」珍しく母が弟に手を上げ、弟もこのような反応を見せた。弟にコーヒーをぶっかけたらしく、目に入った云々と母が声を掛けた。
しかし、刹那的な畜生・修羅の衆生である弟はすぐに巻き返そうと声を荒げたり、リビング・廊下間のドアを勢いよく閉めたりもした。しかし、またすぐに弱腰となる。2階に弟が上がってから母が追跡し、色々攻めて責めた。2階でのいざこざの後、母が1階に降りてグチグチ小言ならぬ、狂った愚痴が始まった。「いろんなところ壊された・コーヒー拭かなきゃならない・赤ちゃんの時から認知症(の祖母)より面倒」と続け、ひどく乱心していた。母は「学校行かなくていい!」と叫んだ後、再度弟を2階から呼び直して説教ではない愚痴を繰り返し続ける。「出ていけ・家にいらない」系の愚痴のほか、三兄弟に関する世迷言まで垂れ始めるなど、ヒステリーの極致である。折に触れていつもヒステリーを起こす。
過去記事の通り、親子喧嘩の本質は「親子不二・相互の責任」であるが、一方的に「子供のみがバカである」などと繰り返す。親神様無謬説を唱え、弟の「もしお母さんがバカなら?逆のこと(弁証法のアンチテーゼか)」という哲学的懐疑を聞き入れずに「意味不明」と突っぱねていた。こんな暴君のような親は、然るべき道理で「バカな子」を持ったと気づきもしない。己の不徳による自業自得・因果応報に自覚は持てない無明の悪人である。事あるごとに「面倒みてらんない」と発する母だが、それなら最初から、己に子供の面倒を見たり子供を善導する徳がないことを自覚して(夫を持つと夫婦喧嘩になることを自覚して)未婚で薬剤師の仕事を続け、憧れのキューバにでも移住すればよかったろう。 (後略)…2016年7月8日

(少し2016年8月24日「謎の大学パンフレット」ネタ関連) 家の郵便受けから持ち運ばれたものの中に、またも大学パンフレット・・・それも大量である。この愛知県内・東海地方のものを複数取っていた。前回は愛知県立大学・愛知文京大学・名古屋大学・名古屋市立大学・三重大学・静岡大学であったが、今は重なったものの上から順に中京大学・名古屋商科大学・愛知大学・東海学園大学・名城大学・愛知学院大学である。前回のものは未だに一つも開封されていない。
17時前に母親の車が家に着いたが、自ら応じた弟が何やら母親に振り回され始めた。母親の言葉が分からない・聴こえないらしい。なぜか所持している電話(家の電話の子機ではなく彼のスマートフォンか)が鳴り出し、母親が車に乗り直したまま弟に電話で会話を始めたようである。弟は電話の経験が少なく、通話しづらい様子である(この件も後に母に叱られる)。どうも、母親は一度車を降りた際に「虫(語彙不足・何の虫かはその後も伝わらないが蚊などの小さいものを指しているよう)」を見たようであり、それだけ弟に伝え続けている。弟も同じような挙動や言動が繰り返されるのみである。弟が「虫」はいないという発言を繰り返し、ようやく車のアイドリングを停止した。その後も弟が振り回されたり、母親が車を降りても、何やら弟の不手際にパニックを起こし、弟も呼応するように「え!?え!?」などと慌てる。喜怒哀楽が激しい。終始、異常な様子を見せた二人である。毎度、その異常性を指弾する気にはならない。過去メモなどに任せたい。
二人が家に入ってからも弟が激怒するなどの展開がある。「話してらんない!」と叫ぶ母だが、弟が物音を立てる度に悲鳴を上げ、その度に反応して弟が物音を立てる。舞台が2階に変わって弟の威嚇や脅迫、母親の酷い悲鳴などが絶えずに続く。弟の「電話」が壊れたらしく、弟は「もう直ったよ(外部を直した)」と言った母親の答えは、「中身が割れている」などといった母親らしい決めつけがある。弟が荒れている時に「話さないからもう暴力はやめて」と叫び続けるが、数分で母親のほとぼりが冷めると途端にグチグチ小言を行う、不徳・無慈悲の性質が年を重ねても消えない愚昧な母親である。「購入物が腐る・バカ・キチガイ・何でも壊す」と言いたい放題である上、結局、弟が物音を立てていない時に突然「○ちゃん(弟の名前)もうやめてよ!」と声を上げる。…2016年8月25日



弟の服薬開始 (推定時期: 2016年8月~、聚は2016年9月~)

18時台、母親が弟を使役するために呼び出したが、いつも通りこの時間帯の弟は応答が遅いか応答しない。母親が足音を立てて2階に上がると弟が声を上げた。洗濯物の処理に関して弟に任せた母だが、いつも通り、弟が犯した不手際を追求しだしたので、弟も「お前の飯はまずいんだよ!」と声を荒げた。その後は弟が平静の状態であったが、その中の母の言葉で、最近よく聞く「薬」について詳細が聞かれた。最近の弟が飲用を続けているらしい薬のことである(白くて少し大きい錠剤を見た)。今まで私は耳鼻咽喉に関する薬かと思っていたが、「学校で暴れちゃうから」とかどうのと聞かれるところ、どうも精神安定剤のようである。「飲まない方がいい」とかと聞く場合には、逆に精神を不安定にする副作用を持つ薬剤の可能性も考えられるが、不明瞭である。ほか「先生に飲めと言われ」、「オトモダチに変なことしちゃう」と母が言っていた詳細や背景は謎である。…2016年9月2日

 この日のメモには、後に注釈や追記がされたので、それも載せる。

後日における注: この「薬」については9月3日11時に調べると「リスペリドン (1mg)」と判明し、錠剤の大きさの認識についても、思ったより小さいものであった。リスパダールという商品名でも販売される抗精神病薬である。先月の上旬や中旬は弟が大して暴れることはなかったようでもあるが、その時からこの薬品を服用していたのであろうか?
同年12月19日における追記: NHKのニュースサイト(テレビ放映と同様)で「知的障害の子どもへの抗精神病薬」という最近の調査情報が取り上げられている様子を見た。『(調査の)対象は知的障害がある3歳から17歳までのおよそ2000人で、調査の結果、全体のおよそ13%に抗精神病薬が処方され、15歳から17歳では27%に上る(引用)』という。その未成年の知的障害者の抗精神病薬の300日以上の服用(長期化)の割合の高さを問題視している。ほかのニュースソースを調べると毎日新聞(12月4日)などを確認した(同様の統計)。精神安定剤の副作用云々はそのニュースやネットに見る通りであって私から語ることもない。人道的な問題もある。投薬治療・対症療法の長期化は、私の下剤使用にせよ、由々しい事態であろう。そのニュース記事に載るの統計結果の通りならば、一定数、知的障害児の抗精神病薬服用習慣はあるようである。悲しいことに母親は薬剤師でありながら、心の良薬を施す慈悲も徳も無い。一般的な知的障害児の愚親に留まるペーパー薬剤師・ヤクザ医師である。そのような抗精神病薬・精神安定剤の類を、よくもまあ、気安く与えられ、そもそも、そうせねばならぬほどに弟を狂わせる養育をしてきた証左である。子の鑑は親、親の鑑は子であると信じられなければ、親子ともに陥る。一方の私が施す「心の良薬」は「口に苦し」の極みであるから、母親がこれを「取って服す(如来寿量品)」ということもない。まさしく「良医・狂子(如来寿量品)」の関係は私と母である。しかしまあ、そのニュース記事の統計結果の通りならば、一定数、知的障害児の抗精神病薬服用習慣はあるようである。理性に乏しい知的障害児の多動・奇行・暴力衝動は、脳のナンタラ物質の過剰分泌が原因だとする科学の領域では、やはり科学の力に頼るしかない。私と異なり、理性で御する能力に欠ける知的障害児とその保護者は、薬に頼らねばならない。しかし、私の弟は別の話であるとも思う。なぜならば、彼が唐突にキレることはごく稀であるし、彼が母と衝突する時に怒りを自ら抑えようとする様子は多くあった。むしろ母親が荒げていることこそ多い。やはり、心の毒薬を盛っている母親から改善すべき点が多いが、このままでは取り返しがつかなくなりかねない。母親の育て方では、抗精神病薬の作用で弟の陸上部活動・運動意欲も潰えてしまう。副作用で糖尿病を併発するリスクもあるならば、今に夢や希望を見ようとも、元々実現性が低い。その元よりの問題を知らずして語る将来があろうか。幼少より今までに様々な場面で彼らの泥沼が深まり続けていることを憂えねばならない。しかし、過去の原因は取り上げても、粉砕すべきところではない。今後、ますます改善が困難となる母・弟の問題は、これまでどうしようもないでいる私に、もはや為す術はないと思っておきたいが、他人事ではないから悩ましい。「火宅に遊ぶ子供(譬喩品)」であって苦を苦と知らず、苦の原因も知らない(四諦を知らない無明)。一切皆苦の仏法のものさしでなくとも、現に俗世間で問題視される苦しみの生き方にある。精神医学なりでは「人道的な問題」とみなされよう。母ら知的障害児の保護者一部は、それすらも知らない・自覚が無いわけである。エセ薬剤師の母は世俗法にも仏法にも暗い。

 以上、それらの引用。以下、再開。

20時前に母親が帰宅したが、母親が弟に「着信があったけど何の用だった?」と尋ねて弟が「定期券を無くした」ような発言をした。あの男性との通話はこれに関連するものか。2人がトイレだとか帰宅後の整理だとかで間が開いて話題を起こし直してから、5万円が入っていたとかという言葉が聞かれたが、弟が通学に使う定期券に運賃5万円相当の利用権が含まれていたという意味か。20時10分ころに母親が突然家の外に出たが、駅かどこかにでも向かったか。弟が2階で呪いの声を上げながら物音を立て始めた。私の名前まで呼び始めて何やら破壊行為についての相談をしてきた。「お母さんのテーブル壊して悲しませたいよぉ悲しませてお母さんを死なせたいよぉ」などとドア越しに語ってきたため、適当に「テーブルは可哀想だよぉテーブルを壊してもお母さんは死なないよぉ」と返答しておいた。「小人閑居して不善を為す(小人閒居爲不善)」とか「豎子与に謀るに足らず(豎子不足與謀)」とかいう言葉が浮かんでくる私であった。…2016年9月7日

17時10分台に母が弟に配達の荷物受け取りの説明をしていた。米が配達されるとは、いつものAmazonの可能性が高い。それで、母が説明を終えて数分後に再度弟を呼びつけて補足の説明をしていたが、弟の怒りを邪推して「何度も呼びつけちゃって」という自虐をすると、弟の怒りが増長した。弟は声を荒げたり、補足の説明を聞きはしたが、2階に戻ってから物音を立て始めた。ところで、前日も靴の件で18時台に弟が暴力(1発小突いた?)していた様子があった。間もなく、母親が私に声を掛けてリビングに呼び出してきた。別にいつも呼び出しに応じているのに、この私の行動を珍しいものと思い込んで仰々しい反応をしていた。仏道の者である私が拒むわけなかろうに、やはり母親は物分かりに乏しすぎる。弟に暴力をやめるよう言えないか打診してきたが、「それで今も後も暴力が止んでも一時的姑息的であって対症療法である」と言うなどして会話した(釈迦族と毘瑠璃王の故事を参照)。私は前に垂らした髪をいじっているので、最初も最後も髪のことで揚げ足取りをする母親に誠意を感じない。ほか、弟が5万円相当の定期券を無くした9月7日に私が弟の暴力を低減させた話をした。この時に、手数料など計1,100円で紛失した定期券の利用停止・残余の分の定期券の再発行を行った話を聞いた。弟の子育てにお金が掛かろうと手が掛かろうと、そういうものという理解を深めないでいるうちは母子ともども苦しみ続けてしまう。慈悲無くして改善の指導力も無いことは私も一緒であり、この場では適当な話しかしないでおいた。 (中略)
18時過ぎにまたにわかに酷い物音が2階から鳴らされた。母親は放置している様子である。今回の一連の動きで母親は、いつもより穏健な方かもしれない。ここ1年で、弟の怒りが長引く傾向はエスカレートしている。そうは感じたが、少し思考を深めると、ただ怒りの感情だけでは、わざわざあんな物音をにわかに鳴らすなどはしない。純然と怒りの感情で行うならば母親の面前で行えばよい。あれは自分の怒りをアピールしたいという理性的な悪も抱えている。その結果があの行動である、と仏教の縁起観に影響を受けた私の思考がそう分析する。だから、母親の面前では逆に理性的に利害を考慮して行わないが、少し母親から離れれば箍が外れるというものであろう。私自身も色々と過去に実感はあるものだが、今の弟はその比でないし、弟が支援施設に入所するか、母がよほど徳を持たない限り、知的障害の弟が自ら改善など有り得ないところ、極めて危険な状態である。18時20分台に品物が届けられたが、18時46分に確認するとAmazonの細長くて高さのある箱1つとAmazonの大きめの箱1つずつであった。配達受け取り後の弟と母親の食事では、やはり母親が弟の不満をしっかり聞く姿勢がある様子は普段と異なっていた。…2016年9月12日

本日は2:40の第二アラーム以降の2時45分に起床した。こういう、3時台に起床を後回しにする気のないほど起床の機運が高い時になぜか弟が1階に居座っている様子なので、数分程度は起床に躊躇していた。前日夕に母親と弟が激しく喧嘩した経緯があり、弟が夕食を自重していた(母親は19時台後半から一人で食事)。そんな経緯があると、わかりやすい話で、やはりこうして夜中に起き続けるのであろう。このような時間帯には、決まって通販番組しか見ることができない彼である。3時57分に私は1階トイレに入っていたが、彼がこの時に2階へ上がる際、1階のリビング・洗面所間のドアやリビング・廊下間のドアを大きな物音で閉じた。そして2階のトイレに入った様子であるが、その際のドアを閉じる音も大きく、深夜にどこまでも自重しない傍若無人ぶりであった。
17時台、母親が夕食準備をしている中で弟と喧嘩を起こしたようである。 (中略) 今回の弟は1階リビングに置いている電気ストーブかファンヒーターを壊したようである。喧嘩の原因というものを問うても不毛のこと (中略) 母親は決まり文句で「自分が悪いことしたんだからごめんねでしょ・普通の子は」と発する。弟が「そんなこと記憶できねーよ」と言い返すと、「記憶とかじゃなくて"フインキ(雰囲気)"でするもんだ」と反論するが、自分が低レベルの感情の人間であり、親の徳が絶無であるから、そんな理想論しか言えない。普段からまともな教育ができていないから、困ったときにはそのように相手を卑下する。自分がまず「(母親自身の認識上の)普通」でない親だから、教育において悉く「普通」と相違するのだと、自覚する日は来るまい。母親の狭量な価値判断基準と自他・善悪の二分によって他人の苦労や思考への尊重をしないので、特に知的障害の弟とは相性が悪い。尊重精神や協調性が無い人間には知的障害児の教育に困難が生じる。いな、あの母親は健常者との人間関係が長続きしないから、障害者・健常者、また老若男女のいずれにも相性が悪い。俗説にある血液型のAとかBの問題は無い(母はA型)。また、弟の「耳に辛い(からい、慣用句の真似か)」発言の揚げ足取りを行う母親には、こういう己の管見に対する絶対視と他人への尊重を欠いた醜悪さが感じられる。8月19日・業者男性発言の「なべぶた」に対する反論を思い起こす。狭量な認識・管見の自覚が微塵もないとはクソガキババアである。

ほか、前日には、弟の方から喧嘩を売ってくるという主張もあったが、その喧嘩は母親が買ってこそ成立する。因と縁といった条件の満足で喧嘩に至るのであるが、逆に母親も弟の脅しを煽るような「しつけ(ではない愚痴の類)」を行って原因の原因を作る。故に、どっちが原因であるかなど不毛のことであろう。いつもの話だが、仏教では物事の因果が絶対的にあるとしつつも、細かい事実関係は「戯論」である。ただ人間の悪い感情・三毒が因縁となっている自覚によって解脱を目指し、平和が生まれる。…2016年11月6日

17時48分に聴こえてきた母と弟の会話に「木曜日・病院の4階・駅で待つと云々(帰宅せずに待ち合わせ?)」という言葉が聞かれた。また弟が「リスパダール」あたりを処方してもらうのか?5日ほど前に見た時は錠剤がそこそこ残っていた印象である。もし多く残っている状態に加えて処方を求めるならば、ある種の薬物依存かもしれない。体が求めるというよりは、理性的に何となく備えておく望みか?18時台に配達物の受け取りを弟がした際、いつものように母親は弟の対応に不満があったらしく、その後も弟が母親を思いやってしたとある判断に母親は何の配慮も無く悪い部分のみをつまんで責めていた。浅ましいことである。自身の醜い心が悪循環を生んでいると、当然、修羅・畜生の母が気づくべくもない。…2016年12月13日

(午前) 4時52分から風呂(シャワシャン)の準備を始めた。歯磨きの最中、気を遣っていた口内炎に傷をつけた。5時30分頃から弟が1階に降りてきた。5時40分台に私が自室へ戻ってからは母親が降りてくる異常事態であった。私の行動・跡に目くじらを立てていた。こんな時間に降りてくることなど最初から予測しつつも高を括って考えから外していた。前日の母親は11時40分ころに起き出したというのに。極端な行動・・・憑依している悪魔の性質が強いのだと思う。悪魔の誑かし・唆しであろう。5時53分にはそそくさと2人で2階に戻っていった。やはり魔の誑惑にほかならない。2階で2人が揉めている。前日の会話に関連しているのか?弟が脅迫を行ったようで、母親が一旦部屋に逃げたり、1階に降りて水を汲んで弟に薬を飲ませようとしていた。
6時20分前から母は弟に1人でラーメンを作らせる動きとなったが、弟が時折、大きな物音を立てる様子があった。いずれにせよ、魔の異常行為が重なっている様子である。悩ましい日々から、どうあっても解放されづらいことは今も変わらない。心の解脱は、この状況下だと難しい。日記メモで記録を取りたがって想念を起こす。6時36分、弟の物音が続いてから玄関の収納家具の扉を開いてハンマーを探そうとしたようだが、間もなく母親が降りて物音のことを尋ねた。弟は写真立て・掃除機を壊したと話している(母親の反応から事実には感じづらい)。母親と口論になってから、また弟は1階で一人となり、苦しそうな独り言を続けていた。「まずいんだよナァ(彼自身が作ったラーメンの評価)」、「イトーヨーカドー(来年閉店予定の豊橋店)の近く(店外?店内フードコート?不明)で食べる中華料理屋もまずい」、「偉い人は強さを見せる人・俺は勇敢」などと言っていた。母親の言葉に暗に反論している。子供の暴力に困って怒るタイプの親がよく発する「強い人はそんなことしない・心が強くて優しい」という言葉は、この弟のような子供に対して対立感情を増幅させる劇物(心の毒薬)でしかない。気付かない親が悪口を放ち、ますます泥沼・悪循環となすのであろう。この悪循環構造は自明の理であり、前日メモでも説明を省いた。…2016年12月14日

 https://www.youtube.com/watch?v=BMdL-EH6Z20
 2017年2月13日12時25分に撮影された映像を、即日YouTubeへ投稿した。

(前略) 「中里医院」は豊橋駅東口のビル4階に入居する精神科・心療内科のようであり、本日の母の体調不良とは別で、未然に入れた診察予定があろう。当院受診は、以前の「脳神経外科」(6月2日メモ6月7日写真付きメモ)と、同じ病状を原因とするかは不明である。 (中略、翌日へ) 
(母親が)16時13分から、ようやく病院(精神科・心療内科)とされる場所への外出を始めたようである。元の印象からすればルーズであるが、よいのか? (中略、翌日へ) 
(私が)まだ風呂場にいる13時10分ころに母親が帰宅した様子である。13時20分ころ、風呂場を出ようと身体や持参道具類の準備が終わったところで母親が洗面所に入ったり、様々に干渉した。換気扇を回すこと・給湯システムの停止など、専制的に行ったが、そんなに人間不信か?人との争いを起こしたいか?私の幼少期から、時と場合による過保護と過干渉のアンバランス母親は健在である。13時28分に自室へ帰った。
15時50分前に弟のデイサービスの「送る車(先と同じ)」が家に着いた。施設の人物と弟とは共に降りたろうが、施設の人物である女性(声で中年かと思ったが外見は20代後半っぽい)がインターホンを鳴らしたことについて、1階に迎えようとする母親が苛立って対応した。「事前に打ち合わせをしたことの意味が無い」、「私はいつも家にいるわけでないからわざわざ鳴らすな」等の主張である。施設の人物は謝罪する言葉を繰り返すようであったが、後々、何らかの用件を持ち込んで母親を表に引き出すこととなった。母親は先に弟を家に入れさせようとしたが、母親自身が玄関ドアの施錠をしていたので、弟が家に入れなくて激しくドアを叩く様子があった。
19時以降、1階リビングに入る母親が弟を呼んで料理する最中、弟に何らかの指示を出したが、弟の挙動に苛立ったようで、狂ったような声を発していた。弟も狂ったような慌て方をした。その後は、グチグチ小言の比ではないキチガイじみたストレス発散独り言が続いた。「○ちゃん(弟)となんていたくない!」、「ビャ~アアア!って感じだよおお」、「お母さんの話ヌワアアアンにも!」などと20分も発し続けた。先月話題になった(マスコミが喧伝した)「豊田真由子議員」とそっくりであった。テレビの害悪音声を垂れ流す母親だが、人の振りを見て己の振りを直すことはない。人に物事を伝えることが、冗長・過分であって何も伝わらない。不穏なるのみ。弟本人は怒らないでいる。「君子危うきに近寄らず」の心か?母親はすさまじい執心で、弟に不満・エゴを押し付けたがるが、正気を失っている様である。日々、母の認知症じみた言動が、自身に移りそうでならない。だから日々、身口意三業を節している出家僧侶を羨む私である。自他ともに心を守って生きる。母親は精神科などに通っても、改善は厳しかろうか?前日に取ったらしいファックス紙面を或る時に覗くと、恐らく「中里医院」から紹介されたところと思しき医療機関の名があった。...2017年7月19-21日

 2017年7月の日記メモまとめ記事に、以下の補足事項があるので引用して載せる。

【弟、シネシネ鳥と化す】

7月2日「〇〇(私の名前)死んじまえ~」と3回発した。悪ふざけ・遊び半分でこういった言葉を発していても、その口業が心に相応して(自己暗示がかかって)、実際に憎悪や嫌悪感を懐きかねない恐れがあるため、警戒が必要である。仏教では、落ち着きの無い猿を調教師が柱に掛かった縄に繋ぎ留めさせる(牛に軛を掛けるとも)たとえ話があるように、弟の放逸な独り言に関してはなんらかの制御も必要となる。好き勝手にさせることを、菩薩ならば自他ともに防ぐべきである。6月28日以来の声掛けを行おうと考えたが、この時は別の用事を兼ねていて弟に話しかけることをしなかった。6月28日の声掛けは、弟の心に響かず、言葉も通じたか不明であり、かえって彼の箍が外れる結果となったようで、相変わらず学生時代から現在までリアルもネットも有象無象まみれだと落胆せざるを得ないが、屈する私でない。しかしまあ、彼の悪しき独り言からして、私もまた日記メモで不満げに彼らの行動から受ける不快感を綴っているわけだし、彼らの心情がどうであれ、私は個人的な内省をすべきである。
7月3日、彼らの発車外出後である14時台後半、連絡帳に「(豊川特別支援学校2年生野外活動で作る)木のハガキをお兄さんに宛てたい」とする教職員の記入を確認した。
→弟が教師から「製作するハガキを誰に宛てるか?」と問われた際、母親に宛てることが恥ずかしいか、気にくわないという心情により、消極法で私を選んだと思われる。実際には、ハガキが家に届いていたら弟自らそっと受け取り、誰にも見せずに終える可能性もある。小5か小6の時、私も林間学校か修学旅行で、同じようにハガキを作って教職員に預け、教職員か施設の人間を通して郵便に送られ、各生徒の家に郵送されるシステムの活動があった。学校側の趣旨としては、保護者とか家族に見てもらいたい。無論、その際の私は、「土曜日に送ってください」などと添えて書き、目論見通り自ら受け取って父親に秘匿するありさまであった。弟の場合は不明である。その場で私を選んだように発現しつつ、最終的に母親に宛てる可能性もある。
7月5日、母と弟が、夕食を取るか料理中の17時台後半、弟が母親に対して「〇〇(私の名前)の〇(前一字)は□っていう字を書くの?」と、私の名前の書き方について尋ねていた。母親が「なぜそんなことを聞くのか」という質問を返したので、弟は豊川特別支援学校の野外活動におけるハガキ製作の事情を話した。この様子だと、割と本気なのかもしれない。
7月8日16時18分に知的障害者デイサービスから帰宅した弟が、その後2階の部屋で「〇〇(私の名前)お前なんて死んじまえ~」と2回発した。この時、当日メモにある通り、母は外出中である。「暇さえあれば小人の・・・」とでもいうべき、不穏な様相である。なお、前日7月7日の弟の帰宅までに郵便受けに、木のハガキというものが届いた様子だが、私に渡されることは無かった。玄関に飾ってある。弟の考えは不明瞭なままである。一時的に教師にああ言うにも、その後母親に私の名をわざわざ尋ねた。宛名だけ私の名にする必要性は何も無かったろう。
その後、「シネシネ鳥」の鳴き声は特にナシ。7月20日は弟の特別支援学校の終業式の日であり、彼の帰宅が早く、母は2つの用事のために家を空ける時間が多かった。弟が1階リビングで過ごすなどの時間も数度・計3時間程度に及んだろうが、「シネシネ鳥」現象は無かった。

 以上、それらの引用。以下、再開。

本日8月6日は0時台などに目覚めたろうが、起床は1時15分である。1階リビングは南西のちょうどよい高さに位置する月による、光・月光・月明かりが射していた。ところで、押入れ内でもPC起動以後(PCファンの音などが鳴ったり止んだりする状態)の自室内でも、2階の弟の「ヒュウウウウ…」という寝息が聴こえてくる。あの人たちが普段2階で暴力的な物音を立てるためか、家の内部が腐る・もろくなり、音が筒抜けとなっているように思えてならない。 (中略) 9時10分台に母・弟の外出動向があり、母親が夕方頃に帰ることを(1階リビングなどを私が掃除する要求と同時に)話してきた。9時19分に彼らが発車した。 (中略)
15時45分、携帯電話に電話が入った。0533という市外局番に違和感を持ち、初めは保健士の人の定期的な電話かと思ったが、何でもあれ受話を決めた。相手はなんと豊川警察署と名乗る。弟がいなくなったとして母親が届け出たそうであり、「今は家に弟が帰宅していないか・弟の電話(この外出時に持参しているスマートフォン)から(私へ)連絡が無かったか」を尋ねている。はてさて、母親は弟と何らかの社会福祉法人施設で喧嘩別れなどをしたか?もしくは本当に弟が迷子のように母親から離れたか?(その場合は祭り会場などでか)なお、この警察の方からの電話の2分ほど前、家の電話機に着信があり、それも警察の方であると伝わる。家の電話機の親機が2階の母の部屋にあり、1階の子機は番号が表示されない。1階が主要な生活範囲である私が普段から家の電話機を用いないにせよ、こういう状況でも受話は厳しい中、16時8分に再度着信があり、これは応答しておいた。もちろん豊川警察署の、先ほどと同じ声の人である。いくつか質問を受けた。うち1点、私から弟の番号を確認する手段が今はあり、相手に問われたので、弟の番号を返答した。電話が終わって後に、私からも弟の携帯電話に通話を試みたが、繋がった瞬間「ツー・ツー・ツー(プー・プー・プー)」という電子音が聴かれた。恐らくは、弟の携帯電話の電源がオフとなっていよう。
16時30分に母親からメールが入り、家に弟が帰ったか尋ねられたが、「家にいない・電話も電源が入っていないようで繋がらない」旨を返信した。16時40分、またも家の電話子機に着信があり、応じ、先の2回と異なるっぽい豊川警察署の人(稲荷交番のナニガシさん)が母親に豊川警察署へ連絡を入れるようメールで伝えてほしいということを話された。承って母親へのメール連絡を実行した。その件と先のメールと共に、2階空き部屋で衣類の洗濯物を干し出す作業を経た17時現在も、母親からの返信は無い→17時6分・17時10分に母親から返信アリ。後者は「○○(弟の名前)携帯の電源入れさせる良い方法ない?」という(頓珍漢な)思い付きの内容であった。普段から狂乱の母親(2016年6月27日警察音声リンク)である以上、本気で心配していることの表れとはみなし得ない。冗談・ボケ(おとぼけ)の類ならば何も面白くない。私は良心で「電源が入っていないようで」という旨を添えたが、ここまでアホ・無駄・ゴミクズ返信を行うとは思いもしなかった。バカでかい弟(身長約180cm・体重84kg・体重は作業所での記録)がウロウロするうちに誰かの関与で警察に保護されることは時間の問題だから気にしないでいようにも、こんな母親に呆れるという理由で私までも、平静でいられない。
17時59分に再び豊川警察署の人が、家の電話機に掛けてきて「母親の電話がおかしい・もう一度〇〇(私の名前)さんから母親に電話を入れるように」と連絡を入れてきた。18時1分、「未だ掛けたことのない新しい母親の050電話番号」に掛けて母親に話した。警察の話すよう、最初の段階は声が途切れるという狂った通話環境である(2017年3月25日・格安スマホ買い替えの弊害か)。母親はまだ、豊川市内などで弟を一人で探しているらしいことを話したが、母も警察も弟を発見せず、家にも金を所持しない弟の帰ってくるはずが無い。母親は「○ちゃん(弟の名前)を見捨てて帰る」という。警察の「私を介して母親の携帯電話からの通話を促す」行為に母親は不愉快な疑問を持った様子だが、とにかく警察署の人が要求することであると強調しておいた。私としても、私の携帯電話に連絡すればよいものを家の電話機に入れられるので、不必要な移動行為が求められる。18時26分に弟が一人で帰宅した。所詮、こんなものである。警察への無駄な届け出、彼らは普段からの信頼が希薄な親子関係である。弟の知能・体力への信頼が無い癖に、母親は警察への届け出をするほど行動的に心配する。母親への連絡の必要性を放棄するも、警察の方まで動いている事態だし、3分後に母親へ電話を入れたが、応答しない。18時30分に折り返し着信があり、母親に弟が帰宅した旨を告げた。話を聞いた母親は、まだ弟を探していたらしく、「え˝~~~ッ!帰ります」という。呑気な弟は普通に風呂に入っている。
19時28分、1階リビングで弟が飲み食いに耽っていた時に家の電話機に着信がある。弟がテレビを消して2度目の着信に応じた。弟の声を伺うと、やはり行き先で揉め事があったそうである。「お母さんに殴られそうになるから一緒にいられない」と。弟が私に電話を替える必要があって渡そうとしてきたので、私は応じた。再び母親に連絡を入れよということを警察が要求した。警察が通話を切ってから、母親に電話を掛けると、例の通り通話環境が狂っていて話しづらい上に、トイレの中云々と母親が長話を拒んできた。19時42分に再度家の電話機に警察・略。警察の催促により、再び母親に連絡を入れ直すと、ガソリンがエンプティ云々と忙しい(自業自得・溺れ死にそうな醜悪ババア)旨を話され、通話環境も酷いということで「時間(夜9時・10時など)が経ってから電話し直す・警察から電話を入れ直さないでほしい」という伝言を受けた。私の携帯電話から初めて警察に電話を掛けてみて、そのまま相手の人(今までの複数の人と別人?)にこの件を伝えたので、当事者警察に伝言を頼んだ。
一連の動向で、私自身にも反省点はある。今までの生活においてクズ母・クズ弟への諫言を怠った眠れる獅子たる私であり、しつこいと感じられる電話を繰り返す警察に対して少し感情を露わにするような言動があったことなどである。いくら他人への対応で活動のための作業時間を削られたとはいえ、感情が昂って行動が乱れやすい有漏・薄徳の身を嘆く。母親は己が過失「日頃から弟へ不信・弟と出掛ければ揉める・弟との軽度な争いで警察を呼びたがる卑小な心(2016年6月27日の一件など)」を省みずに、警察や弟に憎しみを懐こうか?21時26分、母親の車が家に着いた。買い物をしていた様子である。色々と略するが、後の母と弟の会話を聞いた要点は「別れる舞台は豊川稲荷の境内・神社関係者に尋ねると交番に連絡させられた・弟は携帯電話で動画再生画面を開いてとかで電話が繋がらなかった・弟からは事前に教えていた電話・メール・LINEの手段が使われない」、結局、私は無駄に勘繰りすべきでなく、心を無の如くにして善処すればよいらしい。…2017年8月6日


 https://www.youtube.com/watch?v=YKDSAC17HUQ 動画説明文より引用

題: 知的障害を持つ弟(17)が幼児退行か?前までの寡黙さはどこへ?
もしくは前までの寡黙さが赤ちゃんの段階であり、今更に3歳児ほどに成長したか?兄の慈悲(慈愛)による記録である。

最近の彼はネット(主にWikipediaやYouTube)で見た情報を独り言に繰り返す(特別支援学校の連絡帳にWikipediaなどネットを情報源としていると本人が記したことが根拠)。例えば、本日2017年9月25日、彼が朝4時半に1階に降りてリビングで食事の準備をしていた際にも17時38分の風呂上りにも、彼がアメリカ大統領とかオバマとかトランプとかイスラム国とかぶっつぶす勇気とかと呟いていた(前者の時はテレビ音声も聴こえたが彼の独り言と関係の無い話題だった)。彼は、普段から「ビル・クリントン様、ヒラリー・クリントン様、ロナルド・レーガン様、ルーズベルト様、バカだなぁ」とかと人名を連ねて悦に入っている。
また、母親から怒りや不満を蒙った際、やたらと過大に受け止めて、彼自身が引きずるようになった。彼が、そういう心情から、独り言で不満げな声を発し続ける(抗精神病薬を飲んでいないと破壊行為に及ぶ)。これは母親の悪い性質・グチグチ小言が移ってしまった結果と見られる状況である(昔から母親自身が今の彼よりも悪い性質を持つ)。寡黙な彼であるはずが、後天的に親から悪影響を受けてしまい、2016年6月以降、幼児退行が進んだ。2014年におけるグチグチ小言の記録→http://www.youtube.com/watch?v=gvJlwyT_dsU
彼の独り言の頻度が増え始めて以後、2017年6月までは「おっぱい・まんこ・ちんこ・ちんちん」といった内容ばかりであった(窓を開放して外に向けて発することも多かった)。元より、彼は特撮(古いウルトラマンと古い仮面ライダーと古いゴジラなど)や古い時代劇(平日の地上波や多くのBSによく再放送されるようなもの)を好んできたが、放送中の子供向けアニメにも興味を広げている。これも二次的な影響か?
彼の独り言には、「だよん↑、だよぉ、えぇ?」といった鬱陶しく思われるアクセントがある(=他人に伝えたくても伝えられずに鬱積している)。ほか、何か体の動作の度に「シッ(チッ?)」といった舌を鳴らす声(音韻的には口蓋系の破擦音や摩擦音の類)などがする。平常時には、「うーっ、ぐっ、んぎぇ」といった喉を鳴らすような声を発する(巨大な〇〇である彼をどうか憐れんでみせよ!夜泣きの赤ん坊よりも希望が無い!彼の醜態を見て、溺れて苦しむ子供と同じように助けたいと思えるか?)。
彼はますますスポーツの意欲を落とすだろう。家にいる母親から厄介払いをされるだけで、彼の向上心が育つ道理のあるはずがない。弟の思惟すらく「お母さんの嫌味を聞きたくないから、お母さんと過ごす時間が多いと喧嘩になるから・・・。」東京マラソン云々と話す当時(2015年)の彼の面影は無い。
そのような精神状態や、先述の幼児退行では、技能的にもスポーツに不向きである。陸上部でトラブルが起こらないうちは、陸上部の活動ができたり身体機能を維持できるが、運動をする対価として要求される食事量も多いので、太りやすくなる。弟・彼の現在の身長は約180cmで体重は84kg(社会福祉法人の施設で測定された2017年6・7月ころの数字)であり、痩せたくても痩せられないとして彼本人が悩んでいる事柄である(彼が食事の不満を母親にぶつけたりしている・母親が愚物だから弟が自分の欲望や精神を反省する思考を持たない)。実際、この録音日(2017年9月25日)は、「彼の制服の下半身・スラックスが履けない状態になった」という経緯から大サイズのスラックスを誂える話による仕立て屋の訪問があった。 (後略)

以上、引用。以下、再開。

3時30分前に弟が2階で物音を立て始め、1階に降り、例の通り(日記メモに記録しないことも多い)洗面所へ進んだ。そして、彼は恐らく冷たい水を恐れてチョボチョボ・チョロチョロと出してから、ジャーッ!と流すようにして顔洗いをし、ゲフゥといった声を多く上げてから2階へ帰った。6時43分に弟がゴミ出しから帰宅した際、彼がいつもの意味不明なアメリカ大統領の名前を唱える独り言(ただいま、ジョージWブッシュおじさま、あのさジョージだぶりう・・・)をしていると、母親が2階で「うるさい!」と吠えた。母親は基本的に弟をしつけない(よほど不愉快な時に互いの感情を荒げる怒りを発するのみ)が、珍しく、こういう時に吠えたと思う。その後、無意味に弟が1階に居座って同様の独り言を続けている。…2017年10月27日

弟は学校&施設の帰りが18時前後となるが、本日は弟が風呂を出てから5分以上、奇怪な独り言があった。普段から(本日の彼の帰宅時を含む)独り言が多いとはいえ、近場で彼の独り言を聴き続けて「(私に)悪が移る・魔が入る」ようであり、仏道の人は正念を堅固にすべきである。大乗の人は教化して済度すべきだが、小慈小悲の私には堪えない。
前日と本日と、母親は弟の夕食を放任したが、本日の場合は途中から介入してきた。母親は、他人の行動について粉砕したがる悪癖により、弟に一挙一動の節介をした。「(弟が食べる)ご飯に埃が被る・正しい順序でないとご飯が冷める・肉が腐る」とかと、人の機嫌を悪くするような表現を多々用いる。彼にとっては「関係ないだろぉ」という話である。冷淡な声色で、次々と弟に対して節介を加えている。父親にせよ2人の弟にせよ、母と一緒に住む者はみな、精神崩壊を起こして当然となる。19時16分、にわかに弟がブチ切れて母親に数発殴打を加えた。母は「手術したばかりなのに(7年以上前の乳がん手術のことか?よもや歯のことではあるまい)」などとヒステリックな言葉を発している。弟は「こんなご飯(母親の炊いたものの余り)なんてまずいから食べないよ!」と吠えてリビングのドアを強烈に閉め、2階に恐ろしい足音を立てて上がった。1階に取り残された母親は、間もなく、1階のテレビなどを消してから、後を追って弟に反撃を始めていた。
2017年10月31日

もし、私など他人のことを非難したければいくらでも言えばよろしい。神奈川県座間市のアパート在住者(先月30日に発覚した事件・9人殺害)・神奈川県相模原市の障害者福祉施設元職員のように、他人をいくら殺しても満足しないし、殺せば我が身に明らかに報いを受けるが、母親は他人の存在を幾度と心の中で抹殺し、繰り返してきている。これが取りも直さず自分で自分を虐げていることである。母親は私をブッ叩ければ満足するか?私が家を去れば母親は満足するか?それでは母親が誰とも互恵関係を得ず、母親自身も地獄で生死を繰り返すのみである。仏教における地獄の衆生は化生の存在であり、獄卒に身体を打たれて粉砕されても、大臼で擦り潰されても、すぐに生き返って苦しみを受ける。今までの延長として母親が苦しみ、以後も、弟(母親との喧嘩が重なって穏健な性格が暴力的となって抗精神病薬を服用する現状でも幼児退行の上に薬効が薄まりつつある)などと闘争が絶えなかろう…2017年11月2日

9時32分から母親と弟が、彼らの通院(中里医院)へと外出した。前日に聞こえた彼らによる会話では、母親だけが通院して弟は障害者福祉施設に通所するはずだったが、結果的に本日の弟は施設通所が無いこととなろう。本日に聞こえた彼らによる会話では、弟が病院帰りに独りで近所の薬局に立ち寄って帰宅して後に外出(近頃に弟がよく行くドンキホーテ実際はMEGAドンキ、元イトーヨーカドー)するという。12時前に弟がいったん帰宅し、ソファの上に処方薬が置かれていた。母親のものは「塗り薬ヒルドイド2種(ヘパリン類似物質云々、個体の数が多い)、錠剤ロゼレム(睡眠薬)、錠剤デパス(向精神薬)」であり、弟のものは「錠剤リスパダール(抗精神病薬、朝夕用1mgと就寝用2mgと不穏用0.5mgといった区分で)」である。彼らの服薬については今更語るに足らず(弟の例は過去記事、母は脳神経外科云々など複数の過去メモ)、実に、彼らを哀れむしかない。…2018年1月6日

当記事注: 弟による障害者福祉施設への通所は、2017年6月18日の日記メモに「作業所」という言葉で初めて記録され、2017年7月より多くの日記メモに記録されるようになる。母親が身づから作業所関連の外出をすることが、6・7月中に見られた。2018年1月中(明確な記録は2018年1月12・13日)に浅はかな経緯で、その弟による施設通所がやめられた。

11時台や12時台に、家事を大してしない母親が「キッチンでのゲロ吐き(=コップに水を汲んで口をゆすぐ)行為」のためだけに1階へ降りてリビングのテレビを付け、数分程度で2階に上がるなど、奇行を繰り返していた。水道・電気代にかこつけて弟などの他人にいちゃもんを与える本人が一番…
(中略、12時46分に母親が発車外出) 17時0分に母親の車が家の前に着いた。母の帰宅以後、何度か弟と母の間に醜い争いが起きた(弟の怒鳴り声・弟の足踏み・母親の責め立てる声などが顕著)。今回の買出しで母親はマクドナルドのテイクアウトをしていたが、弟はそういった食べ物があるとき、やたらと機嫌を損ねやすい傾向がある。18時10分台には、何も食べないままの母に対し、ふてぶてしい弟がデザート類(市販スイーツ)を食べながら「まずいんだよ!買ってくんな!」と叫ぶ。母親が買出しから帰って以後の時は、普段よりも彼らの衝突が起きやすい。 (後略)…2018年5月14日

(前略、13時47分に母・弟が発車外出、16時前に弟が徒歩帰宅) 21時2分に母親の車が家の前に着き、母親が帰宅した。直前まで弟は1階や2階を動き回っていたのに、母親の呼びかけに応じないので、私が母親の手伝いを引き受けた。その際、弟は部屋で「悪いですが私はお母さんの助けを必要としない(最近聞かれるようになった弟の定型句)」という呪文(自己暗示目的?)を繰り返し唱えていた。母親は帰宅後の着替えや冷蔵庫整理などをしないままに缶のアルコール飲料を飲んでいた。…2018年7月23日



起案日:2018年6月13日

起草日現在も、量の多寡はあろうが、弟による服薬が継続されている。
同様に、投稿日現在も、弟による服薬が継続されている。

※私は「某チャリティーTV番組」にかこつけて2018年8月26日(日曜日、同チャリティー番組は毎年8月最後の週末・土日に放送される)に当記事を投稿した。本来の投稿予定日は、8月28日であった。



特別支援教育の関係者へ
彼らに、被教育者たちの心情を鑑みてもらい、現状を反省してほしいと願う。

13時46分に弟が帰宅したが、彼は「俺は○○(兄たる筆者の下の名前)と同じで友達などいらん、学校の友達など喧嘩の原因になるだけだ、家族もいらん、母親は…」等と独り言をしていた。最近、母親の買出し日に弟が連れられており、単に昼食を取るのみだとは思えない用事を兼ねているようだが、今回は前回8月12日(日曜日)よりも帰りが早いとはいえ、何らかの用事を兼ねていたか?私は少し彼に話しかけつつ、そのことを問うた際、彼から直接の返答は無かったので、それ以上、私は問いかけない。ここに一言記すと「親と住むことで生じた瞋りによって『一人で生きてゆく(彼の発言)』という考え方が持たれるべきでない」。ところで、特別支援教育では、どうせ放課後やオフ(授業のない日)における交友関係が無い・学校で時間を共にするだけの他人=同級生などを「友達」と呼ぶが、もし「友達という名のある他人たち」と不和しかないながらに、世間の「友達」にはとても仲良しな状態ばかり見られれば、齟齬がある。特別支援教育を受ける当事者がそれを実感すれば、今の弟の発言に見られるように拗ねる・グレるようになる。特別支援教育において「名ばかりの友達概念(ともだち、トモダチ)」を設けるならば、やめた方がよい。「助け合い・共生」という理想は、虚構で実現されようか?…2018年8月19日

まやかしともだち (mayakashi tomodachi), 偽の友s (niseno-tomos) ※古代ギリシャ語-osは男性単数だがこの擬似古代ギリシャ語は英語の-sのように性不別の複数形。
ψευδοφῐλος(pseudo-philos), amicus falsus, 偽の友人...

※同日=2018年8月19日18時に調べ直すと、言語学の用語として"false friend (ラテン語で先に書かれた逆の語順にfalsus amicus)"が有ることを知った。現代ギリシャ語も私の造語とほぼ同じ"Ψευδόφιλες λέξεις (pseudophiles lexeis)"である。用語の発祥はフランス語"faux amis du traducteur"のようである。蛇足。



追記: 2019年以降

私の弟と母に関するその後の状況について興味のある者は、各自で調べればよいと思っていたが、簡潔に情報を示しておこう。

投稿動画2018年9月9日: 弟「"丁寧語会社"を作りたいから協力…」と言い出す
https://www.youtube.com/watch?v=4Bdw0-xfUuA

日記メモ2018年9月中の任意の日付 (9, 10, 17, 23, 24日)
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/10/plus-sep-2018.html


2018年8月8日水曜日

英語・ラテン語・梵語に見られる関係代名詞の構文(虚辞・相関)

表題のインド・ヨーロッパ諸語=印欧語に見られる「関係代名詞"relative pronoun"と他の代名詞系語句とを用いた構文(相関型)」や、その類型らしいもの(接続詞"conjunction"や副詞"adverb"による類似の用法)を個人的に看取した。
そのように用いられる言葉を、言語学(稀に語学)においては、総称して「関係詞」とし、文中の関係詞による構成要素を「関係節」とするそうである。
以下より、その構文を、個人的に理解度の高い梵語→ラテン語→英語の順に挙げる。



●梵語の例 Examples in classical Indic languages
当記事でいう「梵語」は、インド系の古典語全般=サンスクリット(サンスクリット語)・ヴェーダ・パーリ語(中期~古インド・アーリア語)である。その主要な文献は、本来的なサンスクリット"saṃskṛta"を定義した人物「パーニニ」さんの出現前後900年(逐一年代を示さないが文献学で概ね承認されるものを念頭に置く)になる。パーリ語の仏教経典にはサンスクリット文献と大差の無い文章表現が見られるため、参考のために用いる。サンスクリットとの著しい違いは、音韻変化の差ぐらいである。

☆"yas A, sas B" यस्, सस् (両代名詞は共に男性単数主格。他へも可変)
直訳: Aする者は、その者はBである。
音変化の原型として"yas, sas"と記したが、別の形で"yo, so"や"yaḥ, saḥ"などがある。また、単数形を複数形に変えれば"ye, te"となる。ほか、人物以外が話題であれば両代名詞を中性にするなど、適宜に語形変化(inflection)、曲用(declension)をすべし。

例文1: eṣa tu vā ativadati yaḥ satyenātivadati | (チャーンドーギヤ・ウパニシャッド7巻より)
逐語訳1: 真実によって(satyena)言い負かす者は、〔虚辞: その者は〕実に言い負かす。
例文1は後述の英語☆"that A, it B"にもあるように、これは2つの節が反転した型(倒置とも)である。また、"sas"は語頭にあって"eṣa"と変化しているが、同じく3人称・男性単数主格である。当然、yas類は関係代名詞の男性単数主格であって3人称代名詞の男性単数主格とは言わない。

例文2: Ye kho te, sāriputta, sattā aṇḍakosaṃ abhinibbhijja jāyanti. (パーリ中部12経より)
逐語訳2: 〔仏いわく〕サーリプッタよ、卵の殻を破って生まれる者たち、〔虚辞: それらの〕有情たち(衆生)がある。
例文2は語順が変則的に思われるものとなる。場合によっては英語やラテン語のように反転することもある。日本人の感性に合う語順にすれば"Sāriputta, kho ye aṇḍakosaṃ abhinibbhijja jāyanti, te sattā(後文ayamに従って省略も可能か?)."となるが、語順については非日本語の立場を日本語を母語とする学習者は了承する必要がある。

例文3: yadrūpaṃ śūnyatā, śūnyatā tadrūpam|| (般若心経小本より。大本も同様)
逐語訳3: およそ空であるもの、〔虚辞: それは〕色である。およそ色であるもの、〔虚辞: それは〕空である。
漢訳例: 色即是空、空即是色。 (鳩摩羅什玄奘らによる。この文字列だけならば他の般若経類にも見られる)
例文3は関係節(relative clause, 2 relative clauses)中に述語・動詞が無いが、サンスクリットやパーリ語などの梵語はそれらを用いなくてよい場合がある。ここでは両代名詞が包括する語句として主格の名詞のみが書かれているので、「~がある・~である」という存在動詞・コピュラ動詞の類が想定される。また、関係代名詞に対して指示代名詞の語形が異なることは、包括される語句の性(gender)が異なるためである。rūpaは中性、śūnyatāは女性であるため、両代名詞による節は、同文中でも相互に性による語形が異なる。これらは「~する者」という人物の性質を示さず、単純に名詞の性に呼応・一致する。当記事の途中で引用する他者の文に「呼応」という文字列を含むが、ここでいう文法用語としての呼応(concordance) = 一致(agreement)ではなく、相関(correlative)の他者個人による呼び方である点に注意されたい。

☆"yena A, tena B" येन, तेन (両代名詞は共に男性か中性の単数具格。他へも可変)
直訳: Aにより、それによりBである。
yasやyenaを上に代表的なものとして挙げたが、何であれ"yas-, sas-"という原型の両代名詞に由来する。つまり、文意によって処格"yeṣu A, teṣu B"など、様々にアレンジできる。

例文1: āyāmānanda, yena kusinārā ten'upasaṅkamissāmā. (パーリ大般涅槃経より)
意訳1: 〔仏いわく〕さあアーナンダよ、我々はクシナーラーへ参ろう(関係代名詞を踏襲すれば「クシナーラーという名である場所へ参ろう」)。
例文2: Atha kho āyasmā rāhulo yena bhagavā ten'upasaṅkami. (パーリ相応部18.1経より)
意訳2: ときにラーフラ尊者が世尊のもと(漢訳経典: 仏所世尊所)へ詣でた。

-enaは具格を示すが、ここでは意味が限定的である。「によってされる(クシナーラーと人々によって呼ばれるところ・仏にいらっしゃることがされるところ)」という点では漢訳経典の「~所」という本来受動的表現のための字である「所」を用いていること(仏所など)が納得できる。日本漢字音で同音字の「処」は、あくまでも処格表現のようになるので、漢訳の訳経僧は区別して用いたろうか。これらパーリ仏典の用法がサンスクリットにあるかは判断しづらく、例文1と同系の涅槃経ギルナール写本には欠損部分の補完として"yena kuśinagarī"とあるのみであった。また、例文1中のāyāma(アーヤーマ、行く→さあ・いざ、間投詞のような用法)と例文2中のāyasmā(アーヤスマー、尊者)は綴りが似ているが、ここでは全く関係の無い言葉であることを留意されたい。述語部分は共にupa-saṃ √kramであるが、「参る」とか「詣でる」とかと訳し分けた。

☆"yatra A, tatra (またはtad) B" यत्र, तत्र
直訳: Aのところでは(の時に・ならば)、そのところで(その時に・そうならば)Bである。 (英語でいうwhere, when)
例文: Yatra hi dvaitam iva bhavati tad itara itaraṃ jighrati tad itara itaraṃ paśyati tad itara itaraṃ śṛṇoti tad itara itaram abhivadati tad itara itaraṃ manute tad itara itaraṃ vijānāti | (ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド2巻より)
意訳: 実に二元対立のあるようなところでは〔虚辞: そこにおいて〕一方の事物が他方の事物を嗅ぐ・見る・語る・思う・識るといった行為が成立する(後略: しかし万物一体のところではいかなる事物がいかなる事物を嗅ぐ・見る・聞く・語る・思う・識るといった行為が成立するだろうか?)。
英訳の例: For when there is as it were duality, then one sees the other, one smells the other, one hears the other, one salutes the other, one perceives the other, one knows the other, but...

唯一の自己・我(アートマン)の有ることを語ったインド哲学の言葉である。「俗世間の我・偽の我」より離れて得られる「真の我」であり、二元対立が無くて行為・事物の概念すら存在しない我の自在"īśvara"・平等"sāma"な世界観を語る。彼らインド哲学の人は、その我(真我)が解脱の存在だと言うが、仏教だと「その唯一の我または梵(ブラフマン)といったものを否定する」と伝統的に言われる(真我が解脱だという説を取り上げつつ真我は解脱でなく無我を目指すべきだ説いた仏典の例は仏所行讃12章がある)。

☆"yathā A, tathā B" यथा, तथा (接続詞と副詞らしい)
直訳: Aのように、そのようにBである。
例文: yathā pure tathā pacchā, yathā pacchā tathā pure. (パーリ相応部51.12経より)
意訳: 前のように後を〔想う〕。後のように前を〔想う〕。
英訳の例as before, so after; as after, so before; ...

☆"yasmāt A, tasmāt B" यस्मात्, तस्मात् (両代名詞は共に男性か中性の単数奪格由来)
直訳: Aなので、そうなのでBである。
tasmāt, tasmā, tasmādは漢語仏典で「是故(この故に)」と訳されることが多い。現代日本語の「なので・だから・のゆえに・それゆえ」は順接規定条件の表現であり、前後の節を分けてから「是故(この故に)」と置き換えることもできる。

例文: "kṛṣṇo varṇaś ca me yasmāt, tasmāt kṛṣṇo 'ham arjuna" (マハーバーラタ12章330章14節より)
逐語訳: 〔クリシュナからアルジュナへの発言〕肌色が黒いために、〔そのために〕私は「クリシュナ(黒い、梵語kṛṣṇa)」〔という名前〕なのだ、アルジュナよ。
梵語の自由な語順の範疇であるから"yasmāt"の位置が後ろへずれる。特にこの例文は「詩」であるため、詩の韻律に従った語順にする必要があったろう。意味は変わらないことを留意されたい。漢語仏典では中論24:19偈が、AとBとの間に"yasmā- tasmā-"がある。
A = "apratītya samutpanno dharmaḥ kaścinna vidyate"
"yasmāt tasmād" B ="aśūnyo hi dharmaḥ kaścinna vidyate"
漢訳: A「未曾有一法 不從因縁生」 是故"yasmāt tasmād" B「一切法 無不是空者」

梵語は以上であるが、インド・イラン語派の広い観点で他に興味があれば、イラン語派のアヴェスター語文献・アヴェスターも参照されたい。例えば、梵語☆"yatra A, tatra B"の系統にアヴェスター語☆"yathra A, hathra B"がある(Yasna 10-7とされる箇所、英訳などで比較した方がよい)。



●ラテン語の例 Examples in Latin

☆"quod A, id B" (両代名詞は共に中性単数主格か対格。他へも可変)
直訳: Aは、それはBである。
梵語"yas A, sas B"の構文と同じく適宜に別の曲用(性・数・格の語形変化)を用いることができる。

例文: et quod, ferē libenter hominēs id quod volunt, crēdunt. (ガリア戦記より)
意訳: それは、おおよそ、人間たちが(彼らが)欲すること(もの・ところ)を、〔虚辞: それを〕喜んで(彼らが)信じるからである。 (他の訳はwikibooks 1, 2)
先頭の"quod"は、順接既定の肯定表現「~だから」といった意味を作る接続詞なので(上の意訳では「それは~からである」として文頭や文末に表される)、関係代名詞の"quod"と関係なかろう。語順については、前掲の例"quod A, id B"およびその直訳文の意味に相違しないので問題が無い。梵語のように、ラテン語も語順は自由である。例のような語順にすれば"et quod, ferē quod volunt, id hominēs libenter crēdunt."と。

後で「他の訳wikibooks 1」を見直し、「先行詞」という概念について考え直すと、これは一般的な英語の関係代名詞使用にも同様に見られると分かった。その点、梵語の関係代名詞に指示代名詞・人称代名詞を対応させた相関構文とは同じように扱えないこともあろう。参考までにこの例文の英訳を探すと"and [also] because in most cases men willingly believe what they wish."であり、文面には関係詞に対応する形式上の先行詞が無い(もし加えればit that they wish)。ともあれ、crēdunt = believe (3人称・複数形の動詞)以外の語順はラテン語例文とその英訳とが同じであると分かったので、先行詞概念を念頭に置きたい。

☆"quod A, illud B" (両代名詞は共に中性単数主格か対格。他へも可変)
直訳: Aは、そのBは〇〇である。
例文: Quod apud mēnsōrem erat, illud verbum omnia mētītur. (自作の仮歌詞より)
意訳: 量る人物(量る行為)によって有るもの、その言葉(という概念)もまた全てを量る。
illudもといille, illaという代名詞(および限定詞)は、後のロマンス諸語=イタリア語(il, la)やフランス語(le, la)やスペイン語(el, la)などに見られる定冠詞の原形である。ゲルマン諸語の定冠詞(英: the, 独: der, die)とは語源が異なるものの、用法はほぼ同じとなる。
上の例文は自作の・且つ音楽のためのものであって正当性に疑問が持たれようか。そうであれば、"quod, illud"構文の例は別にインターネットで検索して探すとよい。先の「先行詞・関係詞」構造の文が多いと看取されるが、そうでないものに新約聖書ローマ書の7:16"Si autem quod nolo, illud facio (もし私が欲しないこと、それを私は行っているならば…)"が出る。自作歌詞例文では主格形、ローマ書7:16文では対格形であること(なおかつ前者は限定詞"determiner"の用法かも)に注意されたい。

☆"ubi A, ibi B" (関係副詞・副詞)
直訳: Aのところでは(の時に・ならば)、そのところで(その時に・そうならば)Bである。 (先の梵語でいうyatra 英語でいうwhere, when)
例文: Ubi tyrannus est, ibi plane est nulla res publica. (英語版Wiktionary - ubiより)
逐語訳: 絶対君主のあるところは、〔虚辞: そのところは〕明らかに共和制のあることが一つとして無い。 (他の訳はWiktionary日本語版 - ubi)
英訳の例: Where there is a tyrant, there is clearly no republic. (英語版Wiktionary - ubiより)
諸訳に倣って「あるところ・あるところ」としたが、別の言い方として「絶対君主のいる〔状態の〕とき・共和制の〔状態の〕ところ」も可となる(あくまでも動詞"est"を踏襲する)。君主としての統治者がいる=君主制ならば元々共和制と対立する概念であるため、「共和制のあるところ」でなくて当然である。またはラテン語の"tyrannus (テュランヌス)"は本来的にギリシャ語"τύραννος(テュランノス、君主)"という中立的な言葉であって必ずしも暴政を振るう強権者とは限らず、日本語の「暴君」とか英語の"tyrant (タイラント)"のネガティブな意味に限定する理由が無い(ただしラテン語文献でもネガティブな用例は多い)。単に民主的なものならば近現代には日本やイギリスが近代憲法に倣った民主国である。いずれにせよ、この例文は先の例文と違って典拠(当記事投稿以後に調べ直すと原典らしきもの=キケロー著"De re publica"が見られてこれを諺らしく短縮した形式に思われる)を見出せないので、いつの発言者によるどういう文脈の言葉か不明であり、いずれの解釈も可能となる。
反転型の例文"Ibi semper est victoria, ubi concordia est."および訳は右記のサイトに見られるので、興味があれば参照されたい。http://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=1979 後掲の英語例☆"where A, there B"における例文・マタイ6:21も参照されたいが、いずれも関係節中の述語は「それがある"est" (三人称直説法能動態現在時制)」しか見当たらない。

☆"ita A, ut B"
直訳: Bのようなこと、そのようことはAだ。(他に「Bするとして、そのようにAする」など)
"ita, ut"は、辞書等によれば共に副詞"adverb"であるという。それを「関係副詞」と呼ぶか。上の例における"ut"は、辞書等によれば接続詞"conjunction"かもしれない。梵語でほぼ同義語の"yathā A, tathā B"は、接続詞・副詞の順とされる。
"ita"は、梵語にある"इति iti (という、って、直接話法の不変化詞。省略形 'ti)"と同根語であるとみなされる。ラテン語ita, 梵語itiはT発音であり、代名詞の表現に由来する派生語である。それらが究極的に印欧祖語*éy や* に由来する。前者Y発音は梵語の関係代名詞ye, yasやその派生語に見られる。英語のthat, theといった語もラテン語ita, 梵語itiのように印欧語T発音(印欧祖語では同じ歯茎音のSやDにもなる)代名詞の派生語である。後者S発音は梵語の代名詞sas, sā, tadのみならず古代ギリシャ語の代名詞かつホメーロスより後世に見られる定冠詞ὁ (ho), ἡ (hē), τό (tó)にも、SがH発音(共に摩擦音)の変化をして継承された。なお、英語のtheを"ye"と表記することがあるのは、かつて英語でルーン文字のソーン þ でth音を表した際に(the = þe) ソーン þ が y と似た字形であってソーンþに擬して古風に見せようと後世の人がした(参考画像"ye olde")ためであり、梵語関係代名詞のye, yasとは関係が無い。

例文1: ita audiō ut doctrīna est. (自作の仮歌詞より)
意訳1: (前節の歌詞を受けて)という(=そのような)教義があるものとして、〔虚辞: そのように〕私は聞いた。
先述の梵語"iti"による直接話法のようなもの・現代言語のカギ括弧や引用符のようなもの、それらを「ラテン語でどう表すべきか」と考えた時、この"ita"を知った。そして、自作歌詞では"ut"と対応した形に相関構文で表したこととなる。

例文2: Non ita loquimur, ut physicī. (英語版Wiktionary - ita中"Usage notes"より)
意訳2: 私たちはその科学者たち〔の言い方〕のような、〔虚辞: そのような〕言い方をしていない。
例文2がもし例文として作られたならば、その意図を私は掴みづらい。何らかの意図を推量するならば、英語版Wiktionaryにあるような英訳"We do not say so/thus, as the physics do."は意味が合わない気がする。そこで、本来は意味を捉えやすい原典があると私は思って探すと、それはキケロー著"De fato"であった。"De fato"英訳の一つ(by H. Rackham)には"we do not use the expression in the sense in which it is used by the natural philosophers"とあり、それに倣って訳した。



●英語の例 Examples in English

☆"that A, it B"
直訳: Aである(Aする)のは、それはBだ。 (準体助詞「の」=事物「こと・もの」人物「もの」に置換)
虚辞"it"消し: Aな(Aする)のはBだ(する)。
例文1: It is the roadway that a car passes.
意訳1:車が通るのは車道だ。 (別の解釈: 車が通るものという車道だ)
例文2: It was me who helped you.
意訳2: あなたを助けたのは私だった。(別の解釈: あなたを助けた人物という私だった)

意味の捉えようには"that"といった語句が接続詞"conjunction"として用いられ、文の前と後(前後の節)を接続する役割を果たす。関係代名詞や接続詞としての"that"のような語が果たす役割は、「複文・重文」を作ることである。なお、限定詞"determiner"「あの、かの」という意味の"that"を混同しないよう、学習途上の私は注意しておきたい。

例文2には"that"でなくて"who"を用いてある。同様に"when"や"where"なども用いられよう。

☆"what A, that B"
直訳: Aである(Aする)のは、それはBだ(Bする)。
虚辞"that"消し: Aな(Aする)のはBだ(する)。
例文: I saw that, what you did. (enwp: Correlativeより)
意訳: 私はあなたがした(既知の話題によって詳細な行為が想定される)のを見た。

口語表現"I saw what you did"としてthatを省くと、少しニュアンスが変わる。例えば、一人称代名詞さえも虚辞的な存在として薄まる。なお、言語学的には「関係詞を省く・関係詞が省かれた」とは考えずに「ゼロ化した・空に帰した・非有非無・形式上の無になった」とも言われ、その場合の「ゼロ関係詞"zero relative..."」を記号「∅ (Ø)」で示すことが多い。

例と例文とで、thatとAとの位置が変わってしまっている。英語はラテン語や梵語と違い、この語順だと例の説明が成立しない。そのため、語順を替えて文を補えば"That was seen by me, what you did.  = What you did, that is seen by me. (あなたがしたことは、〔虚辞: それは〕私によって見られた)"となる。例文通りには"What you did, that I saw. (私が見たことは、〔虚辞: それは〕あなたがしたことだ)"とできる。

当記事では梵語を初めに紹介したが、英語では上記の例や梵語のようなほどに虚辞の代名詞などを用いる必要が無い場合もある。それは、口語的省略であり、インフォーマルな言い方である。そういった現象は、口語的な場面で節ごとの主語が省かれることにも言える。それが英語のみならず、日本語にもある。enwp: Dummy pronounenwp: Null-subject languageを参照されたい。ただし、印欧語は本来、述語表現・動詞に人称を含めるので(梵語・ギリシャ語・ラテン語は典型的)「主語が省かれる」という表現が半ばに当たらない。例えば、主語として想定されるものが「わたし・一人称・話者自身」である場合、その主語による行為を動詞で示すときは一人称代名詞(梵語aham ラテン語egoなど)を用いない(有名なラテン語フレーズ"Cogito, ergo sum."や"Veni vidi vici."は話者自身の行為=一人称の動詞が書かれて一人称代名詞が無い)。印欧語における述語表現は「形としての主語を同じ節では用いない」と換言できる。

☆"where A, there B"
直訳: Aである(Aする)場所には、そこにはBがある。
虚辞"there"消し: Aである(Aする)場所にはBがある。
例文: For where your treasure is, there will your heart be also. (KJV 欽定訳聖書 マタイ6:21)
逐語訳: あなたたちの宝の有るところには、〔虚辞: そのところには〕あなたたちの心もまた有りましょうから。
例文中の"For"の意味が不明だったので、ギリシャ語原典ラテン語ウルガータを調べた。"gr: γάρ, la: enim"が対応するので、この"For"は前節6:20に対する「なぜならば」という意味(順接既定条件)の接続詞であろう。ギリシャ・ラテンの語句は「実に"truly, indeed"」の意味をも持つため、古いウィクリフ訳は"Forſoþe (= forsooth)"とする。なお、その相関構文は"wher þi treſour is, þere and þin herte is."と表れる。

例文"where, there"個所はギリシャ語で"ὅπου, ἐκεῖ (共に副詞)"、ラテン語で"ubi, ibi"、近代のサンスクリット聖書で"yasmāt yatra sthāne yuṣmāṃka dhanaṃ tatraiva khāne yuṣmākaṃ manāṃsi ||"となっていた。

ちなみに、定冠詞"the"は言語学的な語源が"there"と同じである。その説では印欧祖語*に根差すという。thereの変遷を示すと、印欧祖語* > to- > ゲルマン祖語*þar > 古英語þēr > 英語thereであり、theも同様の変遷があるという。ヨーロッパの諸語において定冠詞があり、それらは、日本語でいう「こそあど言葉」が派生した結果であり、日本語でも似たような語法が可能となる(既定のものを引き合いに出す際に「その」とか「あの・かの」とか「この」という)。梵語"tat"や漢語「彼」が英語theと似たように用いられることがある。

ほかの☆"where A, there B"例文はラテン語☆"ubi A, ibi B"において記される。そこでは虚辞としてのthereも含まれる。

☆"who A, he B" (前者は単数主格、後者は男性単数主格。他へも可変)
直訳: Aである(Aをする)者は、その者はBである。
例文: Who don't anger, he is Aryan. Who use mild words, he is Aryan. (自作の英詩より)
意訳: 瞋らざる者は、〔虚辞: 彼は〕アーリア人なり。用愛語の者は、〔虚辞: 彼は〕アーリア人なり。

関係代名詞が後続の述語の対象である場合に"whom"となる。"whom"は目的語とも呼べる。現代口語としては堅苦しい。その例文は、梵語・サンスクリット文法を語ったサイトより引用しよう(一部筆者が補う)「さて、サンスクリットの関係代名詞 yad- は、単独では用いられず、 tad- と呼応して用いられます。 つまり英語風にいえば、 The girl whom I married is a nurse. (私が結婚した少女は看護婦です)を、 Whom I married, she is a nurse. のような言い方で表現するのです。  - http://www.manduuka.net/sanskrit/ogi/index.cgi?doc=e2113」 そういった関係代名詞の用法に、いくらか学習されたい事項がある。"whom"用法は疑問代名詞としても"Whom did you ask? (英語版Wiktionary - whomより引用。意味: あなたが質問したのは誰ですか?=あなたが質問した相手は誰ですか?orあなたは誰に質問しましたか?)"となることを考慮できる。

☆"such A, as B"
直訳: Bである(Bをする)ような、そのようなA…

"such, as"の構文について検索すると、何らかのページで「擬似関係代名詞」などと呼称されていた。such, asは共に代名詞の類でないためである。その点はラテン語の"ita, ut"と似ているはずだが、そちらは印欧祖語で代名詞に当たる語が祖語であったことを、先に検証した。ちなみに、"such, as"の構文における"as"は、何らかの辞書等によれば代名詞とみなされる。"as, as a pronoun(代名詞としてのas)"とダジャレ的に表現する時の"as (2番目にある)"は、前置詞"preposition"である。
言語学においてsuch, so, as, alsoの四者は、いずれも語源関係が看取されるという。その関係としては印欧祖語*swē, *swō (英語self サンスクリット sva に相当)に端を発する英語soから、suchが派生したり、allと結合してalso (古英語: ealswā, eallswā)が成立したり、alsoから短縮されてasが成立したという。先述のT音代名詞も派生形にはS発音の語句(3人称代名詞男性単数主格 梵語sas ラテン語isなど)があり、TとSは共に歯茎"alveolar"の阻害音"obstruent"であるが、ここではあまり関連しないこととなる。もし印欧祖語のより原点を想定する場合、同根語になるかもしれない(現行の学問ではそれほどの往古を考察しない・考察できないし私も同様)。

例文: He spoke in such easy English as could be understood by everybody. (www.eibunpou.net下"28-8"より)
意味: 彼はだれにもわかるような易しい英語で話した。(元サイトの原文)

☆"so A, as B"
直訳: Bである(Bをする)ように、そのようにAである。
例文: You are not so tall as me. (Wiktionary日本語版より)
逐語訳: あなたは私のように〔虚辞: そのように〕背が高く(ある状態で)ない (意訳は同ソースに「君は僕ほど背が高くない(口語的表現)。」と載る)



既述の梵語の例において☆"as A, so B"や☆"when A, then B"を含めた「英訳の例」が挙がっているため、そちらも参照されたい。また、いずれも自作曲歌詞(2018年5月25日より作詞開始)にも"As you shall live hard, so I did."や"When a person lies, then his spirit cries."と出る。語順(関係節の位置関係)は現代英語(先行詞→関係詞)よりも、日本語や梵語(関係詞→指示詞)に寄ったものとなる。これは旧約聖書の比較的有名な英訳フレーズ"As a dog returns to his vomit, so a fool repeats his folly (Proverbs 26:11 和訳例)"にも見られた。






起草日: 20180515

ラテン語で音楽の作詞をする際、色々とラテン語のにわか仕込みをしたので、元々知っていた英語や梵語知識を思い合わせた故に気付いたことを、備忘録として書いた。
梵語・ラテン語・英語の順に比較したが、やはり梵語が最も論理的・弁別的かつヴァリエーションが豊富であると、私は思った。

英語で、ラテン語・ギリシャ語・梵語の典籍を翻訳する際は、現にそれらに見られる文法的特徴を反映するようである。
日本語でも、漢語や梵語の言い回しにならったような翻訳が、仏典の翻訳に見られることも多い。
日本語で、そのまま印欧語の真似をすると、新言語化してしまうように思うが、学術的にはそういった新言語的な表現が必要な場合もあろう。
思えば、中世日本語に由来する「文語体」が、そういった新言語・漢文の訓読の結果に精錬されたものである(その点によって訓読ピジンとも呼称される)。
言語を記号的に用いる・仮定的に用いる前提においては、なおさら柔軟に日本語を論理的・弁別的な言語に擬して用いることもできる。
とはいえ、それは、そういった理解の仕方ができる人(心を読める人、仏のような人)や、共通目的における承認がある場面にしか通用しないであろうし、私の活動では常用できない。



参考

jawp: 複文
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=55518096

jawp: 関係詞
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=67727351

enwikt: Appendix:Ancient Greek correlatives (古代ギリシャ語の相関代名詞)
https://en.wiktionary.org/w/index.php?oldid=42376143

ラテン語を独学しよう>New Latin Grammar 日本語訳 (PDFで閲覧、原文:英語リンク)
http://apostata.web.fc2.com/latin/newlatingrammar.html

Sanskrit Grammar »Nouns »Other Compounds »Relative Clauses
http://learnsanskrit.org/nouns/compounds/clauses

まんどぅーかのサンスクリット・ページ>文法概説>代名詞・補講
http://www.manduuka.net/sanskrit/ogi/index.cgi?doc=e2113

まんどぅーかのパーリ語ページ>パーリ語入門>代名詞 (具格の相関構文について軽く言及)
http://www.manduuka.net/pali/basic/index.cgi?no=12



以下は、2018年6月25日における雑考となる(2018年8月8日現在も未完成)

代名詞を用いて何らかの事物(前後の文脈に示される事物)を示すことは、日本語や中国語などをはじめとして世界中の言語に見られる(前に示される事物が対象なら前方照応"Anaphora"、後に示される事物が対象なら後方照応"Cataphora"という"Endophora")。
しかし、印欧古典語に見る相関構文は極めてシステマティックで機能的で論理的であり、メタ言語・HTMLなどに似ていると感じた。
当記事の梵語・ラテン語・英語の例たちを思い返せば、"ul, li"や"table, td, tr"が連想される。

相関構文は、そのように(そのように=「メタ言語・HTMLなど」のように)記述すると、以下のようである。
当記事で既出のラテン語"ubi, ibi"によって行おう。

既出の例文 Ubi tyrannus est, ibi plane est nulla res publica.

<ubi>tyrannus est
<ibi>plane est nulla res publica
</ibi>
</ubi>

HTML的な手法を例示したが、これではラテン語や梵語における「語順の自由度」が再現できないかもしれない。

既出の例文 Ibi semper est victoria, ubi concordia est.

<ubi>concordia est
<ibi>semper est victoria
</ibi>
</ubi>

そこで、ubiとibiとの従属関係を解いて双方向に可能な構文を思案した。
妥協案であろうか。HTMLについて普段は考えないでいる私には不相応の挑戦であろうか。

<ubi ibi="semper est victoria">concordia est
</ubi>

または

<ibi ubi="concordia est">semper est victoria
</ibi>

先のものはメタ言語であるから、それに基づいて表示・反映されるべき「結果」がある。
例えば、テキスト要素=文章としては日本語を用いることができる。

どの時?「」の時。その時はである。

また、HTML(HTML5)では、画像や動画を表現できるので、その表示・反映されるべき「結果」を、言語ではなく絵(イラスト)で表現してもよい。
どのように?…実行しないまま、記事投稿の頃合いにはその案を失うのかな。


後年の追記

関係代名詞と指示代名詞は先と同じ「要素 element」のままとして述語を「属性 property」にする方法もある。

<ubi est="concordia">
<ibi est="victoria; semper">
</ibi>
</ubi>

要素の中身は副詞や名詞など述部の形成に関するものを容れる。
否定辞がある場合はセミコロンと半角スペースの後に0を記すなどする。
そうすると、否定の不変化詞(negative article)の"non"はそれでよいが、Ubi tyrannus est, ibi plane est nulla res publica."の否定形容詞"nulla"も同じなのかと言われそうである。
これは10とすればよいかと思うが、かなり無理に思われるかもしれない。


2018年8月2日木曜日

2018年7月中の日記メモ

前月に顕著だった起床・就寝時間の不安定さも、7月5日以降には夜昼逆転・維持によって安定状態に戻った。
7月9日より、Google+のコメント欄エリアでの日記メモ更新作業をやめた。
色々な煩雑さはもともと認知していたが、最近私の取り入れた「とある編集手法」にますます適しないためである。
どうせ、他人はGoogle+ページを日記メモ目当てで見に来ることが無いと3年来の活動で観測できたし、形式的にGoogle+を用いる意味も無い。
パーマリンクには虚辞的にplus文字列を残して今後も、まとめ記事を投稿する。

追記: 2018年10月9日、NHKニュースにて『「グーグル+」50万人の情報流出のおそれ 個人向けは終了へ』という見出しを見てニュースを確認した。ネット上に同様のニュースが既出である。文字通りに「Google+は個人向けのSNSサービスの運用を終了する」ということである。Googleの運営姿勢は今も信頼しづらい。「ブログサービスのBloggerがあんまり改善が無い・更新が少ないようならば、それをも数年以内にGoogleがその運用を終了するであろう」と私は懸念する。

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2018/07/01

本日7月1日は日を跨いでPCを利用している。0時過ぎの出来事の要約「当時の状況について怒りを伴う相手側が恣意的な内容を積極的に話すならば、それについて自分の冷静な状況分析を話しても、相容れずに通じないことは容易に察し得る。だから、怒れる母親の言葉に私が黙って耳を傾け、必要なことのみを話した。私によってできる懐柔行為である」

12時45分に母親が弟を連れて発車して外出した。14時52分に彼らが一旦帰宅し、準備行為を経てから15時8分に徒歩で彼らが外出した。18時40分台、弟は荷物を手に提げて帰宅し、間もなく風呂に入り始めた。その2分後に母親が家の前に着いたが、10分ほど車内に関することをしていた。母・弟がそれぞれ単独で帰宅することは、通例の通りである。19時台、彼らの間に荷物の扱いで一悶着があった。20時台、母親がテレビ番組に対していつになく笑い声などを上げていたが、母親がコンビニ(ミニストップ)で買ったアルコール飲料を母親が飲んだ結果かと見られる。



2018/07/02

本日7月2日は3時20分ころにPCをシャットダウンして押入れの外で雑魚寝し、5時10分ころに夢精で起床した。性的な夢を見ていなかったろうが、夢精がされたことを敏感に察知した。先月末の私は、作業に疲れてその場で臥せると急に射精しそうになる現象に数度襲われていたため、夢精回避のオナニー射精をすべきであると自覚していた。6月30日の風呂(シャワシャン)以後にオナニー射精をし、本日もすべきであると思いながらもオナニー射精をせずにいた。今回の夢精による被害は、幸いにもパンツのみであった(皮膚や陰毛やズボン類に及ばなかった)。そのパンツへは、どうにもひどい付着で、しつこく水洗いしても精子のまとまり(カス・滓・糟・粕)が残りやすい。



2018/07/03

本日7月3日は5時20分までにPCをシャットダウンして就寝し、1時間ほど押入れ内で独り言や音楽の構想を練ることをしたろう。入眠は6時台であったとして、16時40分台に起床した。私は4時間程度の睡眠を願っていたため、これは予期していない。規則性を乱した寝起きを行う近頃には、アラーム*を用いる意識を欠いているため、当然、本日はアラームによる補助は無かった。仮にあっても寝過ごす(または手動でアラームを停止しても無意識に眠りに戻って記憶を失う)ことが多い。この10時間の睡眠において、好ましくない人間関係のようなネタの夢を2つ・3つと見た。



2018/07/04

本日7月4日は4時51分にPCをシャットダウンして押入れ外で就寝し、7時43分に起床した。17時23分より便意のためにトイレへ入り、中サイズのものを複数個に排出した。この間、対立状態の母と弟が言い争いを強めて、彼らが2階や1階を移動しながら騒音が立つだけの無意味な芝居・親子喧嘩をした。自室にいるよりも、トイレにいる方が鼓膜に悪い負担が強く及ぶ。台風7号の接近に関連して本日は終日降雨や強めの風が断続的に発生しており、雷注意報も出ている(愛知県東部=東三河全域なので曖昧)が雷鳴は特になく、雷鳴よりもすさまじいものが家の中で発生して呆れる。18時43分より便意のためにトイレへ入り、軟便などを多めに排出した。



2018/07/05

本日7月5日は、おそらく2:10の第一アラームに目覚め、2時20分台に起床した。4時35分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時26分に自室へ帰った。前日も本日も翌日も、天気予報によれば終日降水確率90パーセント前後となっているが、本日は風が強めであるほかに雨は少しばかりである。近所の小学校は普通に登校日だが、弟の特別支援学校*は台風(温帯低気圧)に関して無駄な邪推をして休校のようである(学区が広域であって鉄道での通学者が多いことは承知)。



2018/07/06

本日7月6日は0時台に起床した。本日はさほど中ぐらいの雨と強くない風が、夜中も朝方も続いているが、過度な懸念をする傾向にある特別支援学校が休校の措置を取っている。近所の小学校は今日もそうでない。11時24分に母親が買出しへと発車して外出した。14時50分ころより部屋の掃除・冷蔵庫の霜取り・何らかの乾燥行為などを始め、作業が完了しつつある16時9分に母親の車が家の前に着いた。



2018/07/07

本日7月7日は0時40分ころに起床した。その時より1時半に至っても母親が2階ですさまじい物音・足音を立て続けており、1時以降に弟がトイレや1階リビングの居座りを行うなど、異常であった。3時38分より便意のためにトイレへ入り、軟便などを多めに排出した。



2018/07/08


仮説を画像内で示してある。当日メモの追記欄も参照。

本日7月8日は前日の23時40分台に起床して続く。当月はエアコン冷房機能の利用を漸次ハードにしている。6時台に使用を止めて8時過ぎに冷房機能の運転を再開して8時20分ころに除湿に切り替えると、8時半ころに水が多めに飛んでいる事態を察知し、よく窺うと、すさまじく滴り落ちている部分もあった。自室のエアコンは冷房機能や除湿機能で水滴が飛んできやすいが、豊橋市の家での7年間に最悪の度合いである。かねて水が飛ぶ現象の原因を、除湿機能の仕組みに求めてきたが、今回の観測で確信し、今後は除湿機能を用いないか、除湿機能を注意深い状態で用いるかする。近頃、さまざまな行為でブログ記事の編集などが後手後手になっていたが、本日も例に漏れない(エアコンは水漏れする)。本日は2本のブログ記事()の締切としてみなしているにもかかわらず、さまざまな雑事を介した。作業に戻れそうな9時20分現在、体が痒くなってきた。風呂に入らずに作業に取り組む決定があるのに、返上して風呂に入りたくなる。自室の衛生環境に配慮する昨今、なぜか新たな問題(色々)を抱えるようになった。

本日は午前中より晴れており、12時台より母親が屋外で自室周辺などに殺虫剤を撒き、掃き掃除をするなどした。つまり、自室周辺をダラダラとウロウロ移動しながら、悪臭と騒音(世俗の感性でそう表現される)を発生させている。3日間も洗濯カゴにある衣類を洗濯しないままでいる。相変わらず、母親は家事に無責任な様子であると思われる。20時42分より腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、中サイズの軟便(微かに血を伴う)を排出した。

追記:2018年7月16日にも同様の現象が発生したが、エアコンの水滴が飛ぶ・落ちる元の部分は画像で提示した条件と異なる。当日メモに詳述される「冷房機能」の設定でも、青い領域に水が溜まり、そこから多く落ちてきた。



2018/07/09

本日7月9日は1時41分に起床した。4時2分より便意のためにトイレへ入り、中サイズのものを2本に排出した。4時21分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時28分に自室へ帰った。



2018/07/10


本日7月10日は2:20の第二アラームに目覚め、2時37分に起床した。13時35分より母親が徒歩で外出した。



2018/07/11

本日7月11日は2時14分に起床した。2時台は母親も弟も2階で物音を立てていた。母親が弟に寝るよう催促したようでもあるが、3時半より弟が1階に降りてリビングに居座り始めた。前日に母親がコンビニで買った菓子類を、彼は食い漁っているようである(後に確認すると未開封2袋で脂質45gのもの+シリアルという極端な食べぶり)。4時37分に弟が2階へ上がったが、それ以後は6時を過ぎても2階より物音一つ立たない奇妙な状態となる。13時45分、静かな通行人のふざけた・異常な悲鳴と同時にバイクのエンジン起動音がするという異常現象があった。



2018/07/12

本日7月12日は2:10の第一アラームに目覚め、他のアラーム設定をOFFにし、再び入眠して以後の3時21分に起床した。弟は本日も3時台に1階へ降りることをしたが、前日と違って何も食べずに6時半ころに登校を始めた。15時0分ころに弟が帰宅し、15時23分に母親が弟と発車して外出した。市役所に用事があるという事前に入手された情報がある。16時44分に彼らが帰宅した。



2018/07/13

本日7月13日は2:20の第二アラームに目覚め、他のアラーム設定をOFFにし、再び入眠して以後の3時25分に起床した。追記:排泄行為に関して行ったはずだが、記録を取っていない。小中サイズのものを複数個に排出したろう。



2018/07/14

本日7月14日は1時16分に起床した。今年の日記メモに未だ記録されていない「水浴び」を3時ころより始めたが、自室には3時50分に帰った。30分を長く見積もった場合の所用時間としていたが、風呂場で苦戦する事項があったのでそれをオーバーさせた。頭部周辺は、かえって汚れやすくなる恐れがあり、逆効果の「水浴び」であったろう。後、風呂(シャワシャン)を行った。10時台に母親が徒歩で外出した様子だが、直前に母親が弟へ「着替えて待っているように」と指示していた。11時30分ころに母親が家の中に入った際、母親が3度弟を呼びかけてから弟が反応したが、母親が家にいない時に弟が物音一つ立てなかった(早朝は酷い物音を立てていたのに)ことから、弟が寝ていた可能性がある。弟は着替えていなかった様子である。

結局11時39分に母親がイオンへ行くとかとして発車して外出した(土日にイオン買出しは稀。予定の書かれた紙によれば海の日を含めた3連休明けの火曜日に行く予定だったようだがさすがに長期間の買出し回避は弟からの反発を受けたかもしれない)。その後、数分間に弟の動向を感じないと思ったが、すでに彼は外出していたようである。11時58分に弟が帰宅したが、薬局の処方箋受け取りと思われる。15時台、2階の空き部屋でテレビを視聴しているらしい弟が足音・物音をしきりに立てており、15時18分には窓を開閉する音の後に物が倒れるような音・ドアの開閉音などが立て続けに鳴った。彼は静かに過ごせないか。15時24分に弟が俄かに外出し、17時ころに帰宅した。19時20分ころに母親の車が家の前に着いた。



2018/07/15

本日7月15日は2:20の第二アラームに目覚め、2時25分に起床した。2階で弟の独り言か母親への言葉か何かが発せられて間もなく、母親が風呂に入り始めた。5時40分より便意のためにトイレへ入り、小中サイズのものを複数個に排出した。8時10分からも便意のためにトイレへ入り、中サイズのものを2つに排出した。11時51分からもトイレへ入り、長い一本糞を排出した。18時53分からもトイレへ入り、小サイズのものを1つに排出した。



2018/07/16

本日7月16日は4時36分に起床した。7時55分より便意のためにトイレへ入り、小サイズのものを複数個に排出した。日中にスイカ(すいか・西瓜)を食したり掃除をしたりした関係で、19時30分より水浴びを始め、19時56分に自室へ帰った。17時30分ころにエアコンを停止してから20時20分ころに起動すると、またしても酷い水漏れ現象が発生した。前回7月8日の時のように2時間ほどの放置を経た結果であるが、前回と異なる点は「本日やここ1週間ほどは除湿を使わない」点である。今回の設定は冷房・28度・風量は弱め・風向き最上であり、除湿(26度で弱め)を使用することが多少あった前回とは、この条件が異なる。7月8日に確認した、水滴が飛ぶ・水が落ちる元の部分に関する見解も、当てはまらないようである。除湿機能のために指定された領域(元の部分)が、今回の冷房機能で起こった。



2018/07/17

本日7月17日は4時6分に起床した。前日と変わらず、エアコン・冷房機能での顕著な水漏れがある。



2018/07/18


本日7月18日は2:10の第一アラームに目覚め、2時12分に起床した。6時42分から水浴びを始め、7時7分に自室へ帰った。左肩に近く厚みのある部分の皮膚を見ると、長めの毛が見えたのでゴミの付着かと思ったが、根が張っていて抜けないので、毛穴から生えている毛だと分かった。ほかの毛は全長2mm(ミリメートル)しかないのに、これだけ5cm(センチメートル)近くに及んでいる(太さの差も一目瞭然で長めの毛が太い)。記録のために写真を撮っておいたが、立体性を確認しづらいので、他の毛との比較においてその点を留意されたい。

8時46分より便意のためにトイレへ入り、長めのものを2本に排出した。10時31分からも中サイズを3本に排出した。私が住む豊橋市のある東海地方では、本日に全国最高の気温(岐阜県多治見市などで40度超)が観測されているが、自室エアコンの異常については、特に問題が無い。今月に散発した異常は、排水の機能に問題があったのだろうが、もし本日も同様ならば前日や前々日に増して酷かったろう。



2018/07/19

本日7月19日は2:10の第一アラームに目覚め、2時13分に起床した。2時33分よりゴミ出し外出を行い、簡単に自室エアコンの室外機の様子を見た。事前にエアコンの冷房機能を起動しているが、室外機は動いていないように見えた。何らかの理由で動いたり止まったりしているか?場合によっては、カラカラ(回転に関連する音)・カタカタ(振動に関連する音)という音を立てることもある。前日の弟は深夜早朝(5時台まで?)に動きが無かったものの、本日は1時台~6時台に盛んに動いていた(その後に登校)。



2018/07/20

本日7月20日は1時14分に起床した。3時10分より腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、長めの一本糞(小さく先に切れる)を排出した。4時22分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時33分に自室へ帰った。本日の弟は3時ころから1階で食事をしたり、5時台に出歩いたりしたが、6時18分から普通に登校を始めた。ちなみに、洗面所の洗濯カゴには彼の制服などが入れられている(1学期がいつ終わるかは不明)。6時22分より便意のためにトイレへ入り、中長サイズのものを複数個に排出した。15時0分からも便意のためにトイレへ入り、小中サイズのものを複数個に排出した。



2018/07/21

本日7月21日は2時5分に起床した。7時23分より軽い掃除後の手洗いを経てトイレへ入り、排尿ついでに中サイズ排便をした。10時36分に母と弟が徒歩で最寄り駅の反対方向へと外出した。13時45分に弟が謎の独り言を伴って家の前に着き、2分ほど家の中にいてから再び彼がリュックサックを背負って最寄り駅の方向へと外出した。16時25分に母親が家の前に着き、16時28分に屋内へ入った。



2018/07/22

本日7月22日は3:20の第五アラームに目覚め、3時32分に起床した。前日の作業(既存記事関連・新規投稿記事関連)の疲労が睡眠において現れたと考えられる。7時台に母親が2階で掃除機(ハンドクリーナー?)を掛けて後の7時45分に母親が1階へ降り、テレビを付けた直後にキッチンでゲロ吐き(うがい)をし、その直後に母親がゲホゲホと咳き込んだ。



2018/07/23

本日7月23日は2:20の第二アラームに目覚め、2:50の第四アラームが鳴ってそれを止めた直後に起床した。12時57分に擬似日焼け行為(主に下腹部が対象)を試したが、期待される結果に向けての条件が不満足であろうと判断された13時15分に止めた。

13時47分に母が弟を連れて発車して外出した。間もなく風呂(シャワシャン)を始め、風呂場を出て自室に戻っても「問題の対処」のために屋内や屋外を移動し、15時30分には用事が一段落ついた。この家で、悪そうなことがあれば、普通の家よりも何倍に(関係者の精神的相対性で)悪くされるため、小さな業"Karma"でも不用意に為さないほうがよい。16時前に弟が徒歩で帰宅した。21時2分に母親の車が家の前に着き、母親が帰宅した。直前まで弟は1階や2階を動き回っていたのに、母親の呼びかけに応じないので、私が母親の手伝いを引き受けた。その際、弟は部屋で「悪いですが私はお母さんの助けを必要としない(最近聞かれるようになった弟の定型句)」という呪文(自己暗示目的?)を繰り返し唱えていた。母親は帰宅後の着替えや冷蔵庫整理などをしないままに缶のアルコール飲料を飲んでいた。

当日に書いた母親へのメール内容のひかえ

一対の布団用洗濯ばさみの片割れが壊れました。事由は私が焦った感情で布団に手を伸ばした際に、当該ばさみを手荒に扱ったことと、当該ばさみが乾燥・経年劣化でもろくなっていたためです。
私は精神が悪い=神の守護が無い"disgrace"な者であり、世俗的にも薄幸な者です。
私は布団なぞの衛生を気にしないで、大人しく自室で音楽制作やお絵かきや勉強や論文執筆をすべきでした。
お母さま、申し訳ありませんでした。
壊れた洗濯ばさみは、乾燥・経年劣化が酷くて一部が粉砕されているため、修繕不可能です。
また、本日は高気温+低湿度(乾燥注意報発令中)であり、もし弟がそれを扱っても、それが壊れます。
残骸と化したそれは、内部金属部品を鑑みて「こわすごみ」に私がまとめて(個人的に他のゴミを持つため)捨てようと思います。

以下は、呪いのような話です。
マイクロファイバー毛布は薄いので、私がこれを干し出すときは、普通の洗濯ばさみで事足りました。
※以下は未送信※
あなたが在職中は、私が家に一人で居て、もっとまともな方法で洗濯できました。
あなたが無職で家に居続けるときは、あなたの都合であなたが洗濯できないとトラブルになりかねませんのであなたに洗濯を頼るしかない現状で、本日7月23日は「最近の快晴状態・高気温状態にあれば、雨の日に出すより遥かに都合が良かろうこと・もし洗濯を倦んで私の部屋にダニ等が沸いて病気を得るならば、家宅や家庭の全体に悪影響があろうこと」を鑑みてマイクロファイバー毛布を洗濯カゴに置いておきました。
私の部屋にダニ等が今よりも多く沸く結果の方が、ずっとマシでしょう。※以上が未送信範囲※




2018/07/24

本日7月24日は2:10の第一アラームに目覚め、直後に起床した。母親は2・3時台に風呂を行っており、私は4時48分に前日のメールを始めて送信した。10時0分に母親が2階で掃除をしているらしいころ、返信され、許された。



2018/07/25

本日7月25日は2時ころから仮眠を取って4時20分に起床するつもりが、二度寝となって後の5時36分に起床した。5時45分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時54分に自室へ帰った。左足の親指の爪の根元・第一関節のあたりが、いつも以上にガサガサとしているのみならず、強めに触れることで肌荒れのような痛みを伴う。風呂に入る頻度が高くなると、私に望ましくないことを伴う。



2018/07/26

本日7月26日は2時0分ころに目覚め、2時13分に起床した。11時ころ、それまでに5時間ほど運転していたエアコンを停止したが、その数分後に水が「ジョロロロ」と絨毯に落ちる音がした。絨毯に落ちた水の位置に対応してエアコンを探ると、今までに有り得ない箇所のピンポイントで水が浸み出ていることが判明した。今までは今までに妥当な対策をしたように、今後もモグラ叩き(もぐらたたき)のような対策をせねばならない。11時42分に母親が弟を連れて発車して外出した(先4分アイドリング)。前回・前々回に母親が外出した際も、乗車であれ徒歩であれ、母親の服装は白いシャツ(ブラウス?)に茶色いスカートであった(それは尚且つ通年に見たことが無い)。15時過ぎに弟だけが帰宅した。



2018/07/27

本日7月27日は複数のアラームに目覚め、2時53分に起床した。前日に母親と弟が何故か夕食を取らなかったので弟が夜中に何かを食べることを予想したが、やはり、弟が2時台から1階リビングに居座って何かを食べている。11時27分より便意のためにトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。最近に稀な、6日ぶりの排便となる(下剤や便秘薬を用いていない)。



2018/07/28

本日7月28日は3:20の第五アラームに目覚め、3時22分に起床した。



2018/07/29

本日7月29日は複数のアラームに目覚めるも起床せず、5時10分に起床した。アラーム以外、前日の23時台に目覚めた際には(台風12号による)暴風雨による音がはっきりと聴こえていたが、同時に1階リビングに母親がテレビを付けて居座っていることも分かった。その後の目覚めにも暴風雨による音がはっきりと聴こえていたが、起床時(5時台)は風が多少にある程度である。自室の「或る方角の窓」でない方に母親が取り付けた模造観葉植物が、家の周囲に設置された他の同型のものと違って全て外れ(他の同型のものは部分的に外れたのみ)、I家の敷地に及んでいた(I家の車の発車方向の真ん前に落ちている)。母親が迷惑すぎるゴミの不法投棄をしたことになると、可哀想に思われるので、雨に濡れて汚れが浮かんでいる模造観葉植物を移動しておいた(息子である私がその尻拭いをしておいた)。

6時35分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、7時46分に自室へ帰った。髪を乾かすまでの間に自室の窓周辺の整理と掃除をした。風呂(シャワシャン)の時に晴れ間が出てきたようで、以後にもその傾向はあるが、正午までは断続的に激しい天気雨らしい現象が確認できた。そう綴って10分後の11時25分からは晴れ間が見られない状態で雨が強まった。



2018/07/30

本日7月30日は2時19分に起床した。5時25分より便意のためにトイレへ入り、中サイズのものを複数個に排出した。



2018/07/31

本日7月31日は4時32分に起床した。11時45分に母親が弟を連れて発車して外出した。15時48分に弟が徒歩で帰宅した。弟の間抜けな内容・声でされる独り言が1階にいる時に多くされる。16時台に風呂に入って以後の17時0分ころに1階へ降りた彼は、彼がなぜか好む某BS放送の番組(幼児向け)を視聴した。18時28分に母親の車が家の前に着いた。22時23分よりトイレでの排尿ついでに、違和感の多い腹部のために排便を期して坐し続けた。5分以上経ってチビ糞1つ、その2分後に小サイズのものを複数個に排出した。22時56分に母親が1階に降りてテレビを付けて以後、母親が俄かに不穏な独り言をした。