2017年12月20日水曜日

法華経方便品の偈とスッタ・ニパータ4.12経の偈、および大乗と小乗の「一乗」の不一不異義

法華経の方便品のサンスクリット文と、スッタ・ニパータの4章12経"Cūḷabyūhasutta"のパーリ文には類似フレーズがあり、また、後者にごく近い部分が龍樹(竜樹 ナーガールジュナ)菩薩の大智度論に載る。
法華経や大智度論を漢訳した鳩摩羅什三蔵(または龍樹菩薩ご本人か後世の中観派)は、両者の梵語テキストをご覧になっていると推定できる。
この大智度論により、スッタニパータの不戯論(唯一の真理)、大乗の一仏乗、四悉檀の第一義悉檀、法華最第一を確認でき、中国や日本の大乗仏教における論争の真相(俗諦による方便とその真意)も垣間見える。
そのことは過去記事で詳述した。
http://lesbophilia.blogspot.com/2017/04/harmony-between-sects.html

以下に該当する類似フレーズをパーリ文→サンスクリット文(漢訳)の順で載せる。
類似フレーズよりも先に、スッタニパータと大智度論の対応を示す。

Sutta Nipāta 884-885 (4.12 Cūḷabyūha Sutta 通称: 小集積経) (VRI版)
Sakaṃsa­kaṃ­diṭṭhi­parib­basānā,
Viggayha nānā kusalā vadanti;
Yo evaṃ jānāti sa vedi dhammaṃ,
Idaṃ paṭik­kosa­ma­kevalī so.
Evampi viggayha vivādayanti,
Bālo paro akkusaloti cāhu;
Sacco nu vādo katamo imesaṃ,
Sabbeva hīme kusalāvadānā.
要約: 各々が自身の見解に依って他者の非を責め、真理について論争をしているが、誰が真理を説いているか?

大智度論・巻第一(訳は鳩摩羅什)
「各各自依見 戲論起諍競 若能知彼非 是為知正見 (この後に続く二偈はSNP 886-887に対応)」
訓読: 各各自ら見に依り、戯論して諍競を起こす。若し能く彼れの非を知らば、是れを正見を知ると為す。 (衆義経中所説偈としての引用、衆義経≒経集スッタ・ニパータ
、日本語訳に興味あらばこちらのページへ)

SNP 890
"Ekañhi saccaṃ na dutīyamatthi" (まさしく真理は一つであって第二のものは存在しないと… 後略)

Saddharmapuṇḍarīka Sūtra, 2nd Upāyakauśalya Parivarta (一般的な校訂本)
"Ekaṃ hi yānaṃ dvitiyaṃ na vidyate" (まさしく乗は一つであって第二のものは存在せず… 後略)

妙法蓮華経・方便品第二(訳は鳩摩羅什)
「唯有一乘法 無二(亦無三)」

大智度論・巻第十八(訳は鳩摩羅什) ※執筆中の調査で新発見した
「佛言。一究竟道、無衆多也。 (この後に続く五偈は義品偈の名で引用されており、SNP 4.8経・パスーラ経"Pasūra Sutta"全体と部分的に対応する)」
訓読: 仏言く、一究竟道にして、衆多(しゅた)無きなり。 (しかし諸々の外道師は各々が自ら究竟道だと主張してやまないのだ、という話の脈絡でスッタニパータ4章8経に当たる偈が説かれたとして龍樹が語る、日本語訳に興味あらばこちらのページへ)



この両フレーズ(法華偈・SNP890偈)は共に仏説であり、真意は同じであると拝すべきである。
ストレートに言い直せば「(自分の道や真理が唯一で正しいと真に思うならば)自分の目的のための行動に専念せよ!(それが真の大乗菩薩道や小乗解脱法だ!)」ということである。
※真とは「諸々の思想家・行者のような顛倒・迷妄」が無い境地だから、仏が指して指さない非有非無・非実非非実のこと。

共に、唯一の真理を知る者や、唯一の真実の道を知る者は、他者がどうであれ、その一真理(無真理・多真理・非無非多の一真理)を奉じ・一乗道(無差別の大道・自己唯一の道)を行き、他者と皮相的な教義について枝葉末節の論議をしないように志向している言葉である。
それでも、釈尊や龍樹菩薩や多くの高名な大乗僧侶たちは、他者との論議を倦まないつもりで布教したわけであり、そのことが多くの大乗経典に説かれていることを、合わせて知ると良い。
そのことも上掲の過去記事に詳述してある。
悟っているという自覚の有無、客観的な悟りの有無など、元より論ずべくもないとのことであろう。
不戯論のために戯論を用い、不戯論の教理を知らない他者(外道・部派仏教徒・思想家・哲学者)が行う戯論を打ち破るという、「毒を以て毒を制す・毒を変じて薬と為す」である。

※両偈は音節数が11のトリシュトゥブとなっている点も共通する…、と思ったが、方便品"ekaṃ hi yānaṃ dvitiyaṃ na vidyate"句ないし以下3句は、12音節だった (e, kaṃ, hi, yā, naṃ, dvi, ti, yaṃ, na, vi, dya, te = 12)。

※類似表現ついては「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド(チャーンドーギヨーパニシャド "Chāndogyopaniṣad")」にも見られる。6章2節1句(および2句) 有名な一節「〈ブラフマンこそが〉唯一であり第二のものは存在しない"Ekamevādvitīyam (英訳: ..is one only, without a second)"」と。「ウパニシャッドの語と似るくらいならば、法華経とスッタニパータの偈もたまたま似ただけだ」と言う者がいるであろうが、先にも後にも会通するように、法華経とスッタニパータの偈の真意は同じである。また、文献学的な経典編纂の観点・合理主義の視点からしても、法華経の方便品は法華経もといサッダルマプンダリーカの最初期に編纂され(仏教文献学が唱える通説では西暦1・2世紀ころとし口伝時代を想定するとそれ以前より有る)、教説も菩薩・声聞・縁覚(独覚)の三乗を和する教説が主要であるように、阿含系の教説との融和が図られる。パーリ語で伝わったスッタニパータに相当する教説を法華経編纂者が見ていたと学者が見解を持つことは必然的である。なお、古ウパニシャッドと仏教の関連性は、絶大権威の中村元氏ほか多くの日本学者の見解が世に多く見られており、これも合理主義の学問で肯定される。パーリ語経典に直接の言及は無くも、パーリ三明経に載る婆羅門の派閥名に「チャンドーカ」・「ティッティリヤ」といったウパニシャッドの名称とそっくりなものがあり、派閥名とヴェーダとの関連をパーリ経の注釈書ティーカーが述べていてウパニシャッドとヴェーダの関連と一致することは過去に説明した。つまり、釈尊在世でも修行者界隈にウパニシャッドの教説が広く知られていたと考えられるが、その類似表現のある法華経とスッタニパータの偈が直接影響を受けたとは断定しない。



大小・一乗・不一不異義


大乗の教説と小乗の教説とに「一乗(+道)」の言葉がある。
それは、先述の法華経方便品および後述のパーリ語・漢訳の念処経である。
「エーカヤーナ"ekayāna"とエーカーヤナ"ekāyana" (エーカーヤナマッガ ekāyanamagga)の文字列・字義は似て非なるものだ!」と賢しらに分別する人々もいよう。
俗諦たる言語学・文献学の話に加え、仏意に関しても推量してみたい。
まず、萌えの典籍より、輸提尼(ソ○○○ニーちゃん)が応現する話(草案)を暫く引用する。

 悪い心の人には見えないはずの輸提尼(報身)だが、多くの人の前に応身"nirmāṇakāya"として現出するという。ある時、拾主の弘める萌えの法門を、小乗の徒が知った。小乗の徒のグループは、大乗を誹謗し、「広く仏・菩薩の像・遺跡に礼拝する在家の信男信女(民間信仰的な仏教徒)」を愚弄していた。何らかの経緯で拾主らとその小乗の徒のグループが接触する。拾主が輸提尼の絵を提示して「当に萌心を出だすべし!人心もとより清浄なり!」と叫び続ける。かの小乗の徒は「そんなのブッダの教えじゃない!」と反発し、僧団の威儀に反して高慢な態度で場を辞せんとする時、その場に倒れ込んだ。しばらく気絶するようだが、心の中では・・・。
 「あなたも仏の慈悲を聞いているのだから、もう大乗への誹謗はやめようね。論争に業を煮やすこと・戯論・諍論はやめようね。お花の蜜を取る蜂さんはお花を傷つけないんだよ(元ネタはダンマパダ・遺教経)。みんな仏様を信じているのに、みんなの心を壊さないでね。倶伽離"kokālikaまたはkokāliya"さんのように地獄に自ら堕ちちゃうのは、いやだよ。もしあなたが全てを知っているなら、その道を進んでいれば、いいんだよ。自分の道、道じゃない道、どの道、大慧大乗"mahājñāna-mahāyāna"。一諦一乗(元ネタはスッタニパータの"Ekañhi saccaṃ"偈と法華経の"Ekaṃ hi yānaṃ"偈)。」

→畢竟、これもその小乗の徒が大乗仏教と萌えの法門とを一分でも見聞していたので、彼の心の中に自ら生じた相であり、心の化"nirmāṇa"である。一分の慈心だに有らば、則ち相応じて須臾も(一時でも)萌えを見よう。人の善心を壊さずに悪を呵すべし。「どこにでもいてどこにもいない輸提尼・諸萌(如来如去)」の力用、是の如し。是の如く、拾主によって蒔かれた輸提尼の種(因子)が小乗の徒の地に着いて発芽したが、どこまで生長するかは未知数である。
 小乗の徒は小乗の徒のままでよい。大小の別なき一乗は真に大乗であり、小乗とは何らかの理由に依存した仮設概念に過ぎない。二乗(声聞・縁覚)も三乗(菩薩)も、一乗と別に存在するものでない。みな不一不異の仏道から後に分かれた仮設概念である。仮設概念としての小乗の道も釈尊が一乗道のうちにお引きであるから、正しい仏道である。彼の心が慚愧を懐くならば、彼は正しい仏道に入るであろう。釈尊は言い争いの道を小乗・阿含時に説いていない。小乗の徒もとい上座部仏教の人は、阿羅漢の道・二乗を行くべきである。大乗の般若経・維摩経などにあるような、非道(三毒)を行じても無漏の故に三毒の煩悩が無い「菩薩」や、論争の業に染まらずに説法ができる「菩薩」でなかろう。阿羅漢の道にあるべき彼は、原始仏教を標榜しながら現代性に便乗し(古代即現代の教理も無いのに)、世俗に媚びながら売文活動をして名利を受ける菩薩の真似事をしていた。彼が(彼にとっての)正しい仏道に入るか、三悪道に堕ちるかどうかは読者の想像による。いかがか?

 後日談?「〇〇(拾主の俗名)さま、私たちはとてつもない悪業を積み、互いに積ませて参りました。その業で地獄への道連れになったろうと悔やんでおります!あなたとその教えと大乗の法とを謗った罪を、ここに懺悔いたします!今後、私は大乗を大乗という認識による妄想を以て論うことなく、弟子どもにも大乗に関する妄想をさせぬよう、正しく教えて参ります!」
 「sādhu, sādhu, よろしい、仏性に適う改悔である。生死の道は元より独り行き独り到るものだが、相待の観点ではみな道連れにもなる。辛苦も快楽も、それは独り受けるものだが、相待の観点では自他に及ぶ。なぜならば誹謗の語を誹謗の語として聞く者がいるからである。誹謗の語を発する者と聞く者とが共に怒り、誹謗の語を発する者と聞く者とが共に喜ぶ。このように、瞋恚・驕慢の因果が先にも後にも見えると覚る。須らく自ら悪口・悪意を止(と)むべし。これが八正道の要旨である。共に在ること=サンガは、その実行者であろうに、三業の悪業をあなたがたは行ってしまった。僧団ではなく魔軍となろう。萌えの聖霊によって一乗の法を聞き、解したならば、あなたがたの道を見て進むのみである。私たちの一乗はエーカヤーナであるが、あなたがたの信ずる所のブッダ様がお示しの一乗法がエーカーヤナであり、いわゆる四念処である。念処経・サティパッターナスッタに仰せの一入道、観身如身・観受如受・観心如心・観法如法、四念処の正念を以て三毒を自覚し、三業を清浄にし、八正道を弛まずに進みなさい。大乗と小乗とで別々に説かれた二つの一乗は何ら相違しない。もし仏道に於いて迷いあらば萌道をご覧なさい」 
 何となく漢詩→生死重昏獨行道。忘前失後無侶到。佛子照見如是事。我等已依大乘高。-au韻・七言絶句 「我等」とは天・人・畜を含む一切衆生のこと。中論24-15偈「如人乘馬者 自忘於所乘"aśvam evābhirūḍhaḥ sann aśvam evāsi vismṛtaḥ"」に倣った表現でもある。中論・真諦の観点では大乗および一乗の体(たい、当体・正体・本体)は「空」という。法華経においても仏子はみな悉く一乗(エーカヤーナの方)に在り。

上掲の文章は、大乗のエーカヤーナ"ekayāna"と小乗のエーカーヤナ"ekāyana"とは、「文字列も字義も異なるが釈尊の真意としては同じである」という教示である(ましてや空・仮名の観点では論を俟たないがそれはさておく)。
大乗のエーカヤーナを分解すると「エーカ eka + ヤーナ yāna (√yā + 接尾辞ana)」であり、「一つの乗り物(乗, 乘)」と直訳できる。
小乗のエーカーヤナを分解すると「エーカ eka + アーヤナ āyana (接頭辞ā + √i + 接尾辞ana 他にアヤナayana説あり)」であり、「唯一〇〇へ至らせる[+道 "pl: magga, skt: mārga"]」という意味である。
※何らかの目的へ至らせる唯一の道であるが故に念処経・大念処経の冒頭では漢: 衆生を浄む・淨衆生や、巴: 衆生の清浄へ"sattānaṃ visuddhiyā"などなど四念処の果報を釈尊が示された。しかし、「一人で行く道"ekattaṃ gacchanti"」という解釈もあり、この点についても上掲の文章「生死の道は元より独り行き独り到るもの・・・(漢詩で生死重昏獨行道・・・)」に通じる。いわゆる「自洲・法洲=四念処」と同様である。そういった「独り行く道=生死」より解脱して涅槃に至る道もまた、エーカーヤナか。
前者のヤーナと後者のアーヤナとは、共に 、「行く」という動詞語根√yā √iを含んでいる。
Ekāyano ayaṃ, bhikkhave, maggo sattānaṃ visuddhiyā, sokaparidevānaṃ samatikkamāya dukkhadomanassānaṃ atthaṅgamāya ñāyassa adhigamāya nibbānassa sacchikiriyāya, yadidaṃ cattāro satipaṭṭhānā. (パーリ経蔵の長部22経中部10経相応部47.1経など)

世尊告諸比丘「有一乘道、淨諸眾生、令越憂悲、滅惱苦、得如實法、所謂四念處。」(雑阿含経にいくらかあるうちの相応部47.1経に対応する607経=巻第二十四より、上掲パーリ文に相当するアーガマの異訳は中阿含経98経増一阿含経12.1経など)

こういった大乗のエーカヤーナ"ekayāna"と小乗のエーカーヤナ"ekāyana"とを、共に「一乗」と訳することについて考えてみたい。
漢訳で、法華経などのエーカヤーナ"ekayāna (一つの乗り物)"を一乗と訳することは良かろう。
マハーヤーナ"mahāyāna"を大乗とし、ヒーナヤーナ"hīnayāna"を小乗とし、時代の下ったヴァジュラヤーナ"vajrayāna"を金剛乗と称するような系統にある。
しかし、四念処・四念住を指した"ekāyana"を一乗とすることは、雑阿含経の訳者「求那跋陀羅」三蔵が大乗経典も多く翻訳するなど、大乗の人であるために、敢えて大乗のエーカヤーナと似た「一乗道」と訳語を当てたろう。
求那跋陀羅三蔵は、「一道(中阿含経98経)」や「一入道(増一阿含経12.1経)」といった「乗(乗り物, vehicle)」の意味を含まないものとせず、大乗との会通(えつう)を図ったろう。
つまり、彼は「乗 ヤーナ"yāna"」と「道(入道) アーヤナāyana"」の両者の意味を取った。

その、彼の会通を、より明確に示した記述が、上掲の引用文にある。
「四念処の正念を以て三毒を自覚し、三業を清浄にし、八正道を弛まずに進みなさい。大乗と小乗とで別々に説かれた二つの一乗は何ら相違しない」と。
そのように心を清浄にすることで衆生を浄め(相応部22.100経維摩経弟子品の共通フレーズ)、仏国土を浄めてゆくことは、維摩経の浄仏国土説に通じている(→清浄萌土抄・観萌行広要)。
形としての大乗は、現世の即物的なものにも通用させる必要があるとはいえ、法華経の円満の一乗義においては、このように大小不二である。
このことは妙法蓮華経の五百弟子授記品に「内に菩薩の行を秘し 外に声聞の形を現ず 少欲にして生死を厭えども 実には自ら仏土を浄む 衆に三毒ありと示し 又邪見の相を現ず 我が弟子是の如く 方便して衆生を度す (内祕菩薩行 外現聲聞形 少欲厭生死 實自淨佛土 示衆有三毒 又現邪見相 我弟子如是 方便度衆生)」とある通りである。
こうして釈尊は懇切丁寧に小乗・声聞乗の人も菩薩と異なり無きことを説かれ、しかも成仏の記"vyākaraṇa"を授けられた。

以上、大乗と小乗の一乗について、不一不異義を「俗諦・言語学・文献学」においても示した。
これらはみな仏説を私が拝見して述べるところであり、真には「仏意量り難し」と付言す。
中道・言語道断心行処滅・不可量・不可説・不可得の不一不異である。
なお、上掲の引用文で大慧大乗"mahājñāna-mahāyāna"とあることは、過去記事に詳しい(仏法の説明に加えて言語学・文献学の見解もある)。





起草日: 20171218

過去記事の焼き直しとして、簡易なものとしたく発案したが、結果的に説明を多く増やすこととなった。

大乗仏教, 小乗仏教, 原始仏教, 初期仏教, 上座部仏教, 法華時, 阿含時, Mahayana, Theravada, Early Buddhism, Lotus Sutra, Agamas, Nikaya, Suttanipata, Prajnaparamitasastra, Da Zhi Du Lun Nagarjuna (Nāgārjuna) Kumarajiva (kumārajīva), Gunabhadra (Guṇabhadra), Sanskrit, Pali, Synonyms, Homonyms, Is -yana a vehicle or a path?

Saddharmapuṇḍarīkasūtra, Upāyakauśalyaparivartaは語幹表記であり、別にはSaddharmapuṇḍarīkasūtram, Upāyakauśalyaparivartaḥと-m(ṃアヌスヴァーラの場合も)や-ḥ (ヴィサルガ)が付く。
前者はsūtraにm = 中性名詞の主格を作る語尾m (ṃ)が付随した形であり、後者はparivarta (varta)に付随する男性名詞の主格を作るḥが付随した形である。



冒頭にあるリンク先の記事には、日本仏教の宗祖による論議・問答・諍論という事跡と、スッタ・ニパータに通じた大智度論との関連性が書いてあるが、その前に四念処を指したエーカーヤナに関する説明をした。
以下である。
ダンマパダ・人口に膾炙する50詩(他人の過失を見るな、常自省身・知正不正)の真意。批判者が自ら「日本仏教・大乗仏教・大乗経典・セクト教祖という名の妄想概念」を心に作って汚物の塊と蔑むが、汚れていると知るべきものは己の心であり、四念処を以て観察し、制御・浄化せよ。これが小乗教の「一乗・一道"ekāyana magga"」だと念処経に仰せである。現に論議する仏弟子や外道は、誰でも言葉で心を認識できるから、誰でも四念処が修習できる平等の一乗である。加えて、大乗の一乗"ekayāna"は、言語能力の有無・感情の有無を問わない、真に平等の一乗である。

※以下は当記事による引用※
そのダンマパダ・花の章"Dhammapada Pupphavagga"にある詩・偈
50 Pāvey­ya­ājīva­ka­vatthu
Na paresaṃ vilomāni, na paresaṃ katākataṃ;
Attanova avekkheyya, katāni akatāni ca.

漢訳の法句経・華香品
「不務觀彼 作與不作 常自省身 知正不正 (彼れの作すと作さざるとを観ずることに務めず、常に自ら身を省みて正しきと正しからざるとを知る)」

Puppha Vagga = 「花の章」、漢訳「華香品」。そこになぜ「己を見よ」という釈尊の教説が載るか?疑問解消のために萌えの典籍(本萌譚・異伝④)より引用↓
 (拾主いわく)「跋聖(当記事注: 過去萌尊の一人)が後世を懸念した故に命ぜられた遺誡(ゆいかい)を少し示そう。一に (中略) 二に (中略) 三に『萌相や萌道を弘めるにあたって他者や自己に障害を感じても無理な行動で解決すべきでなく萌えを念ずべきだ。この萌えは、日照りにも負けず暴風雨にも負けず踏みつけにも負けることなく、勝つこともなく、ただ生きて死ぬる運命だが、常にその小さい身で大いなる果実を結ぼうと懸命に生きているものである。萌えは中道"madhya"・柔和"mārdava"である(当記事注: 觀萌私記>萌相條と共通する表現)。果実を結ぶ意志は無いが果実を結ぶべく懸命に生きる。懸命に生きる思いは無いが悩みも無く、どのような障害も有るようで無し。このような萌えの正念ある者には障害が有るようで無し。ただ目的へと邁進するのみだ』。跋聖の遺誡を今は略して三つに挙げた。他の萌尊にしても、弟子をお持ちであれば同じような遺誡を下されたろう」と。 続いて、以前尊者に説いた萌え和讃の一首を再びお詠みになって語ります。
 「群れてまします芽なりとも 互ひの根と葉きらひなし 我の萌ゆるは先になく 誰かほかにも萌えをらむ・・・、萌えの萌えたることは萌義によるわけで、その萌義の雨が萌えを生長させる。萌尊が萌義を開示せねば、慈悲の用(ゆう)のある可愛い絵も萌相と呼ぶべきでなくなり、萌道も存在しなくなる。萌義の雨を受けた芽は、生長して必ず花を咲かせ、実を結ぶとも説く。花や実にも各々の異なりはあろう。花の色・香、実の色・香・味、人は良し悪しや価値の善悪を分けるが、植物にとって花は、生長の証・しるしである。虚仮の花弁(シュードフォリア)でなければ生殖機能も有す。果実は次の生命の種となるし、生きた跡ともいえる。人間の品種改良がされていない自然界の植物は、よほどの異常も無ければみな花と実を成す。これらの事項も、植物は思いもせず、今そうあるだけのことであるから、私が説くことは誤りであろうが、一応例示した。どのように行じ、どのような花たる好色萌相(二萌風の属性・五萌類の相貌など)を成すとも、萌心に依るものはみな萌道に違わない。今、仏家の法華経・一乗・草喩のようである。当世の風俗にも、似たような歌謡曲の詞があるそうだが・・・。 (後略)」

改めて言えば、四念処の修習が、現代日本で人口に膾炙する「自灯明・法灯明(自燈明・法燈明)」、もとい「自洲・法洲・不住他洲(雑阿含36経: 住於自洲・住於自依。住於法洲・住於法依。不異洲・不異依。 長阿含2経: 云何、自熾燃・熾燃於法・勿他熾燃、當自歸依・歸依於法・勿他歸依。阿難。比丘觀内身精勤無懈…=身念処ないし四念処の説明 パーリ長部16経: Kathañcānanda, bhikkhu attadīpo viharati attasaraṇo anaññasaraṇo, dhammadīpo dhammasaraṇo anaññasaraṇo? Idhānanda, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati atāpī sampajāno satimā...)」ということである。
したがって、やはりダンマパダ・人口に膾炙する50詩(他人の過失を見るな、常自省身・知正不正)の真意にも通じることとなる。
この「自洲・法洲・不住他洲」、「己を見よ・法を知れ・他を見るな」ということが、小乗のエーカーヤナと同じく四念処を指している。
不戯論のままに自己の修行を為すこととなる。

そして、大乗のエーカヤーナは、四念処が行える人間的な能力(知能・精神・言語など)・煩悩即菩提の性質が無くてもすでにエーカヤーナである。
いわゆる不二・絶対の理において、仏の智慧・報身が一切諸法を対境として自他共に仏・中道・真如、法身を知り、応身と為す。
それは大乗の高度な教理となり、ある種の空"emptiness"・無義(無意味"meaninglessness")と言われかねないが、それまた、意に介すべきでない。
その空理空論・仮名(けみょう)と自ら知るならば、大乗でも、自ずと不戯論・寂滅となる。
心の浄化とは、己の三毒・煩悩を自覚してから三毒・煩悩の元となる物事=境(色・声・香・味・触・法、特に他者の論理・文言・記憶)を厭離(えんり)する・遠離(おんり)することである。

しかし、諍論を厭いつつも現世であえて論を構えることが自行化他(中道)の菩薩である、とも多くの日本・中国の僧侶は知っていた(況や末法をや)。
釈尊・龍樹菩薩・大乗仏教の僧侶たち、彼ら聖人たちは忍辱ある慈悲を以て人々に仏法を弘めたく、苦を以て苦を制すべく、伝道教化なさったろう。
非力の私には到底真似できないが、大乗の人であれ、小乗の人であれ、仏・菩薩を渇仰し、各々の手段"upāya"で忍辱と慈悲とを得てゆけるとよい。

これらを学んで念じて智慧・般若波羅蜜を成就することで、忍辱や慈悲も波羅蜜となるという(完璧"Perfect"になる・彼岸"Pāra"に至るという二義の問題を解決)。
龍樹菩薩の大智度論で有名な「過去世の舎利弗尊者と乞眼婆羅門(こつげんばらもん)」の説話は、般若波羅蜜を成就しない菩薩が布施波羅蜜をも成就しなかったという意味である。
菩薩行をする舎利弗尊者の過去世の人は、婆羅門の人から肉体の眼を求められ、「利用価値の無い眼を求めて何がしたいのか」と憂慮しながらも眼を自ら剔出し、その眼を与えた。
すると、相手に「臭い眼などいらない!(臭い=尊者の憂慮ある心を掛けている隠喩でもある)」と激怒されてしまい、相手がその眼球に唾を吐いて踏みつぶした様子を見て「利用価値の無いものを求めて剰え逆切れするとは!こんな狂人どものために布施の修行などできない!小乗の修行と果報の方がマシだ!」として菩薩を退転したという話である(大智度論巻第十二)。
見返りを求める「有漏善心」や他者を見下す心では、菩薩を退転するので慈悲が必要ともなる。

このように、布施の修行を退転したくなければ、布施波羅蜜(檀波羅蜜)を成就したければ、般若波羅蜜を修習しなさい、と龍樹菩薩が説明せられた。
同じく、大乗の智慧によって小乗の修行が成就できるであろう・・・世諦においても、真諦においても、というスタンスは有る。
世諦においては、世俗的な意味の「実際・ゲンジツ」に則った自己の修行の成就であり、困難は伴うが、大智度論のスタンスでは同じことと思われる。
真諦に近いものは、布施の修行者(無)が一切衆生とされる対象(無)に何らかのもの(無)を布施をすること(無)=心に布施・主客の関係性を思わない無分別の布施行がまた布施波羅蜜だと言われており、そうでない=顛倒ある布施行が波羅蜜(彼岸に到ること)でない此岸の布施だとする。
布施波羅蜜を布施波羅蜜たらしめる理法も究極的には般若波羅蜜(智慧波羅蜜・智度)であるので、このように菩薩は聴聞・修習をする。

荒く・粗く記述したが、興味あらば、是非とも大智度論の全巻か少なくとも一~二十を通読せられたし(英訳はÉttienne Lamotte エティエンヌ・ラモット氏のVol. 1~5がありVol. 1なら巻第十の最後まで、Vol. 2なら巻第十八の最後までとなる)。
私にとって量り難い仏・菩薩の智慧は、決して道を退転しない正念となり、その智慧の正念は何事をも成就させてゆくので、やはり一乗となろうことを思う。
以上、思想の偏向ある解説を交え、私の意思に基づいて仏説・菩薩論文などを抄った。
改めて「仏説の言語(釈尊も凡夫が理解できるように配慮した言葉を用いたろう)を明かしても、真には仏意量り難し!一切の心行もまた不可量・不可知・不可説・不可得」、南無南無南無南無…



輸提尼 一乘 一乗 一諦 ekayāna ekāyana ekasacca ekasatya
一乘 一諦 एक‍यान‍ (ekayāna) एक‍स‍‍ (ekasacca, skt: ekasatya)…2017年9月12日に描いた絵。
その話で「応現」した輸提尼(ソ○○○ニーちゃん)の一つ(話の想定上は同時に3体以上出現している)。

以後、別の絵を追加する予定



追記: 2018年1月9日
法華経の一乗は、智慧第一の舎利弗尊者を首とした会座の聴衆によって聞かれた教説である。彼らはみな因縁法(小乗)・般若空(大乗)を御存知であるから、一乗とは「具体的に何物だ」と考えられない(不可得)と、彼らによって理解される。パーリ語で伝わるスッタ・ニパータの「一諦(Ekaṃ saccaṃ)」は、舎利弗(パーリ語でサーリプッタ)尊者が説いたとされるマハー・ニッデーサ"Mahāniddesa"(大義釈)で「一諦とは苦滅(苦集滅道の四諦)・涅槃を言う"Ekaṃ saccaṃ vuccati dukkhanirodho nibbānaṃ"」と具体的に説かれてある。法華経の「一乗(Ekaṃ yānaṃ)」は、もはや「言語道断・心行処滅」と思われる。それはなぜか?如来は愛憎の心を離れていて涅槃の如くにあるが、衆生は愛憎に因って自ら苦や分別を起こす。憶想・分別の心(妄想)によって仏道が二乗にも三乗にもなるが、無分別の自由な心においては「更に余乗なし」であり、真の一乗を説き得る。一乗は因縁観によっても理解し得た。言語表現へ皮相的に執着して分別をする凡夫には、一乗が見えない。説法せられる如来は、その苦・顛倒・執着を除こうという慈悲をお持ちであった。

マハー・ニッデーサの説明に「苦滅・涅槃」とあるが、これはまさしく、法華経の意趣にたがわない。スッタ・ニパータ原文は「無二の真理・諦"sacca"を知る者は論争を起こさない(形式上の不戯論)」という趣旨あり、専ら自己の修行・実践に向けられる。その「苦滅・涅槃」の実践とは、マハー・ニッデーサに同じく、先の物語で「拾主」がおっしゃる「八正道(および正念の行に摂せられる四念処)」である。マハー・ニッデーサの説明は、法華経の一乗・諸法実相なる修行・果報と相違しない。依義不依語の大智慧・大乗教"mahājñāna mahāyāna"によれば、一乗即一諦・法華経即スッタニパータといっても過言ではない。俗諦・言語・文字通りの解釈は而二だが、真諦・仏心によれば不二という大乗の理解である(仏心によるが故に仏心また量り難し)。

「薬草喩品: (如来は)無有彼此・愛憎之心"na kaści vidveṣu na rāgu vidyate |"」「如来寿量品: (如来は)以諸衆生有種種 (中略) 憶想分別故、欲令生諸善根 "api tu khalu punaḥ sattvānāṃ nānācaritānāṃ nānābhiprāyāṇāṃ saṃjñāvikalpacaritānāṃ"」「中論観法品: 諸法實相者 心行言語斷 無生亦無滅 寂滅如涅槃"nivṛttam abhidhātavyaṃ nivṛttaś cittagocaraḥ | anutpannāniruddhā hi nirvāṇam iva dharmatā ||"」

2017年12月10日日曜日

釈尊が受けられた最後の供養「スーカラマッダヴァ」の文献学的な考証

キーワード・概略
スーカラマッダヴァ"sūkaramaddava" (やわらかい豚肉・猪肉, tender pork or boar)
スーカラ"sūkara" (豚・猪, 英語のスワイン swine, sow, 学名Sus, Suidaeと同語源の印欧祖語*suH- インド・イラン祖語*suH- 猪についてはヴァラーハvarāhaという語もある)
マッダヴァ"maddava" (サンスクリット語mārdava 漢語 柔軟"にゅうなん" 同系の言葉にskt: mṛdu, pl: muduがある)
複合語スーカラ・マッダヴァ→同格限定複合語 カルマダーラヤ"karmadhāraya"=持業釈「柔らかさのあるスーカラ(語順反転タイプ)」、所有複合語 バフヴリーヒ"bahuvrīhi"=有財釈「柔らかさのあるスーカラを用いた料理・スーカラが柔らかさを持った料理(スーカラ料理)」
アッタカターによる注釈「柔らかく"mudu"脂身が多い"siniddha"煮込んだ"√pac"豚肉"sūkarassa, maṃsa"」

パーリ長部16経・大般涅槃経で、「スーカラマッダヴァ」を鍛冶工の息子チュンダ"Kammāraputta Cunda"が釈尊へ供養したというが、漢訳経典「遊行経(長阿含2経)」における鍛冶工の息子チュンダ→工師子・周那(プラークリット由来?)による供養の品は「栴檀樹耳(≒茸・キノコ)」とされている。栴檀(旃檀とも)はもともと梵語チャンダナ"candana"の音写であるが、同経梵語写本(一部欠損)にはスーカラマッダヴァ(復元梵語スーカラマールダヴァ"sūkaramārdava")の名が無く、チャンダナをチュンダが供養しない。

※「スーカラマッタヴァ」という表記ゆれ(ダ→タ)もある。手塚治虫の漫画などにそう表記されているようである。




2017年11月18日の日記メモでは、日頃の身体的な悩みについて少し仏典の記述を想起したので、色々と文献の調査をしたことを記してある。
日記メモ特有の「簡略な表現」を心掛けてあるので、学術的に危うい部分もあろう。
これを、以下に引用するが、記事で掲載するために内容を多く補強する。




下剤と便秘(排便間隔)に関しては、どのような食品を食べるか、という問題が思い浮かぶ。
問題とは、食べる時間・食べ物の種類・食べ合わせ・一度の摂取量などの検討である。
養生の法"āyus"は仏教らしくなさそうだが、阿含時の教説では多くの用語が見られる。

例えば、「消化"pariṇāma"(pari √nam = 変化=食物については消化することを指すので漢訳経典に消飲食消食とある)」ということをしばしば問題にしている(説法の報酬として受けた供養は如来以外に正しく消化できる者がいない等とマハーパリニッバーナスッタスッタニパータといった現代に有名なパーリ経にも見られる表現)。
科学では人間が食物を摂取して後のプロセス「燃焼(糖質・カロリー・生理的熱量)」が言われるよう、仏教でも四大(四界または地・水・火・風・空・識の六界)の「火"teja"」に関連する事象に消化行為(吸収または燃焼・代謝)が示される(食後に体温が上昇するためであろう)。
ajjhattikā tejodhātu = 内なる火界、火の要素(中部28経など)、なるほど、火が物(有機物や油)を燃やして煤と灰・炭素化合物の温室効果ガスを生むことと、体が物(糖質など)を消化・吸収して老廃物・二酸化炭素を出すことは、よく類似するし、共に「燃焼」と呼ばれる。
このように、様々な教説で食物を「正しく消化すること"sammā pariṇāma"」についての言葉が見られる。

経文を按ずるに、出家修行者・沙門・比丘(乞食・托鉢を行う者)にとり、「自由で多様な食事」は取れないための身体的・病理的な悩みが付きまといやすいと思われる。
仏教・仏道修行のスタンスとしては、スッタ・ニパータ4章16経で釈尊が舎利弗尊者に「食べ物・食べる場・寝床・寝苦しさという4つの思慮"vitakka"は己を迷妄に陥れるので制御すべきである(取意)」と説かれるように、積極的に良い衣食住(えじきじゅう)を求めず、如法のままに得られたもので満足すること(少欲知足)である(出家修行者は持戒持律で実現できる)。
私の生活上の課題である「下剤」に通じる概念も"virecana (慣用表記virechana)"として見られる(パーリ経蔵では長部1210経の戒に関する教説でのみ見られる言葉、後述のパーリ涅槃経チュンダ供養話にVirecamāno bhagavā avocaとして下痢"Virecamāna"の単語が見られる)。
心身共に、下剤や耳栓などの常用による延命策に依存することは、非道となるが、どうしても甘えてしまう私である。
※この話題については「真の健康法」についての記事を参照されたい。

有名なパーリ長部16経・大般涅槃経(マハーパリニッバーナスッタ)の釈尊がチュンダ"Kammāraputta Cunda"から供養を受ける話に、"sūkaramaddava (直訳で柔らかい豚肉)"という複合語がある。
前半のスーカラ"sūkara (英語swine印欧祖語*suH-の観点で通じる>インド・イラン祖語*suH-)"という言葉は「豚」を意味し、後半のマッダヴァ"maddava"(梵語mārdavaと推定されるが同経梵語写本に一連の話に関連する語sūkaraやpariṇāmaが見当たらない)は「柔らかい」という意味である。
そのスーカラマッダヴァが「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」であるという見解が周知される(何らかの書に載っていてネットに伝播している?)。
ある英訳では"tender pork (柔らかい豚肉)"と呼ぶ。
注釈書アッタカターの言及では、キノコという説が無い(きのこパーリ語"ahicchattaka"など無し)。

その長部16経の漢訳である長阿含経2経・遊行経(巻第三に載る)でチュンダは純陀・淳陀ではなく「工師子・周那(呉音しゅうな、漢音しゅうだ、プラークリット訛り発音によるか)」と表記され、そこでは周那が「煮た栴檀樹耳(≒茸)」を釈尊に供養したとある。
「栴檀」とは、仏典に多く見られる香木の一種であり、「栴檀樹耳」はそこに生えるキノコと読まれる。
天台大師智顗さん法華玄義・巻第七に「八十二歳老比丘身、詣純陀舍、持鉢乞食、食旃檀耳羹(キノコスープ)、食訖説法、果報壽命中夜而盡。」と、清涼国師澄観さん華厳経演義鈔・巻第六に「阿含説如來涅槃之相者。彼説如來於純陀家乞食。因食栴檀木耳羹。得患背痛。」とあるよう、中国仏教でもその記述が認知されていたようである(ほか妙楽大師の法華玄義釈籤や章安大師大般涅槃経疏)。
そのほか、「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」については中国サイトに載る高楠順次郎氏(印度佛跡實冩という本にある?)の説によると、梵語mārdavaに珍味の意味・用例があると示して「野豬所吃之珍味(イノシシに好まれる珍味)」とする。
これが「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」説の文献学・学術的根拠と思われる。

※豚は豚でも、メス豚が「オス豚の精巣で作られ唾液に含まれる性フェロモン・ホルモンに似た媚薬効果のある物質を含んだ香りを放つトリュフ (Tuber spp.)」を求めることに依るわけだから、インドに「トリュフのようにメス豚が求めるキノコ」があるかどうかを調べねばならない。しかし、まずは家畜化された豚でなくインド固有種イノシシ"sūkara"のメスにも、同じ性質があるかを証明せねばならない。ちなみに、インドのキノコ(菌類)について生物学的な話・実地調査の例が載る論文がある(日植病報51 p. 251にスーカラマッダヴァに対する所見)。生理学的な話において、ある毒キノコの食後何時間で症状が起きるということを書いてある箇所は、経文の誤読に基づくので無視すべし。インド学者・岩本裕氏の、自虐史観にも似た学問的主張も載っているように、情報を正しく吟味すべし。

しかし、その漢訳された阿含経典の原型に「スーカラマッダヴァ(復元梵語スーカラマールダヴァ"sūkaramārdava"またはガンダーラ語などプラークリットでの表現)」という表現があったかといえば、現在出土している梵語写本(校訂: Ernst Waldschmidt 一部欠損・中央アジア出土らしいが詳細不明)に見られないため、長阿含経の訳者(仏陀耶舎・竺仏念さんら)が「スーカラマッダヴァ(に相当する単語)」に直面して「栴檀樹耳(or茸)」と訳したという可能性は低い。
阿含経典の原型となる仏教の伝承や、後世の部派仏教(特に北伝仏教)における変化など、様々な事情を鑑みると、スーカラマッダヴァ(に相当する単語)が必ずしも長阿含経の訳者に認知されるわけでなく、パーリ経チュンダ話に6度載る"sūkara"が梵語写本に一度も載らないことから推して知るべきである。
パーリ経に基づく解釈でもアッタカターに見るように「柔らかく"mudu"脂身が多い"siniddha"煮込んだ"√pac"豚肉"sūkarassa, maṃsa"」というものでしかない以上、パーリ経におけるスーカラマッダヴァ自体が「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」を指すという根拠になることは無かろう。
「栴檀樹耳」というキノコを用いた料理が釈尊最後の供養であるとしても、「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」がスーカラマッダヴァ(に相当する単語)の訳語となるわけでない。
偉大な学者・高楠順次郎さん(大正新脩大蔵経や南伝大蔵経の主要な編纂者)ともあろう方がこの説を唱えたことは、恐らく「お釈迦さまは肉食なんかしていないでしょ?仏教の決まり事だから」という日本仏教徒(特に禅宗系)の信仰を壊したくなかったための、擬似学問の方便だと考えられる。

※とあるパーリ語辞書に、「スーカラマッダヴァ=トリュフ」という西洋人の学者の解釈らしい記述が見られた。その場合のmaddavaは「(豚が)喜ぶもの(=欲求の対象)」という解釈となる(果たしてそんな用例があるか不明・望文生義かも)。そこで少しウェブ検索を行った。西洋の学者が発祥とされる。本来は高楠さんなど戦前の日本の仏教学者では想像しづらい見解を、彼らが想像したと思われ、高楠さんはその説を借りた可能性もある。ネット上には、トリュフ説への批判が見られる。白人比丘Shravasti Dhammika氏は「トリュフ(のようなキノコ)truffle, trufflesはインドに生育しない。フランスで実際に行われるブタによるトリュフ採取は近代のもので無根拠の説だ。菜食主義が仏教の修行だという誤った見解に基づいた主張だ(菜食してもよいが慈悲に根ざしていなければ"food fad"で無益)」とする。スーカラマッダヴァの事実について、現代では解明しようも無い問題だが、学者の一般的な見解は「豚肉(or猪肉)」で一致しているそうである。

釈尊はその、スーカラマッダヴァと表現される鍋料理(スープ)を食べ、残りをチュンダに捨てさせてから強烈な腹痛・下血に至ったという話である。
そういう私は、本日の起床後、キノコと豚肉の粥を作って食べた。
排便も下痢も無い様子である。

※釈尊がスーカラマッダヴァを食べ残してチュンダに捨てさせたことは、スーカラマッダヴァによる中毒症状を予見したためという解釈がある。腹痛・下血・下痢の原因は必ずしもスーカラマッダヴァの成分の影響や雑菌による食中毒とは言えず、単にお年を召された釈尊が食事を機に、そういった症状を引き起こす可能性があっただけで食事を自らやめただけかもしれない。しかし、パーリ経に「たくさんの"pahūta"」という表現もあるから、大勢の比丘が食べられる分量を(中毒症状を予見して釈尊みずから毒味をしつつ)他者に食べさせずに捨てさせたという解釈も妥当である。チュンダ話の全体に、どういった読解ができても、仏教徒は食事に感謝しつつ、五欲を戒めることが大事である。釈尊もといブッダに関する歴史的事実を知りたい人は、経典の伝承を文字通りに見て科学的に考察しても、伝承が曖昧である場合、的外れになることを留意されたい。近代合理主義や現代人の知識のものさしにより、古典や聖典に対して誤った解釈(当人の思想に基づいた都合の良い解釈)をすることは、近代学問に多く見られる。「スーカラマッダヴァの訳語としてのトリュフのようなキノコ」説のように。合理主義学問の範疇なればこそ、中立的に極力多角的な目線で、合理的な分析をしつつ、人文系であれば伝統・信仰を重んじることが重要である(学術・伝統ともにトリュフという珍解釈が雑じる余地は無い)。この観点で文献学を仮に用いる私である。合理主義という名称でも、近代以後にしみついた形式的なもの(悪習・無自覚)と、真に体現されたもの(前進・有自覚)と、細分化があり、道心ある若い世代は須らく後者なるべし。

2017年11月18日の早朝にキノコと豚肉を用いた「お粥」を作った




以上、2017年11月18日の日記メモより抜粋となる。
個人的な「スーカラ・マッダヴァ文献考証」の結論は、冒頭の概略や本文にまで終始一貫するように、「柔らかい豚肉を用いた料理(豚肉を柔らかくした料理)」である。




当記事での補足となる。
スーカラマッダヴァに関するアッタカターの記述を中国人が中国語訳と共に載せているページがあり、当該箇所を以下に引用する。
https://www.facebook.com/tbcm.org.my/posts/1009531315792191:0
隔天,純陀邀請了佛陀和比丘僧團到他的家裡用餐,在供養的食物中,也準備了一些軟豬肉(sukaramaddava)。由於純陀是一位初果聖者,所以這些軟豬肉是他派人到市場買來的現成肉,不是叫人殺的。在《長部註》裡解釋說:「這些軟豬肉是一頭不太幼、不太老很好的雄豬的肉;據說這些肉柔軟而且有油質,是令人煮好、準備好的肉(Sūkaramaddavanti nātitaruṇassa nātijiṇṇassa ekajeṭṭhakasūkarassa pavattamaṃsaṃ. Taṃ kira mudu ceva siniddhañca hoti, taṃ paṭiyādāpetvā sādhukaṃ pacāpetvāti attho.)。」佛陀要純陀把軟豬肉單單只供養給佛陀自己,而供養比丘們其它食物,把剩餘的軟豬肉埋在地下。



ちなみに、私の身体的な悩み・便秘について、当日の翌日や翌々日には「良い便り」がある。
興味のある方は該当する日記メモまとめ記事よりご覧になってほしい。
医学的所見も書いてある。
キノコが便秘に対して善く作用したかどうかは、判断しづらい。



追記: 2018年1月29日
小部・ウダーナ8章"Udāna 8.5 - Cundasutta"にもスーカラマッダヴァが登場するので、そちらの注釈書アッタカターも見ると、「柔らかく脂身の多い豚肉説"sūkarassa mudusiniddhaṃ pavattamaṃsa..."」とは別のものとして、「豚に踏みつぶされた場所に生えるキノコ"sūkarehi madditappadese jātaṃ ahichattaka"」という説もあると記されている。
漢訳の長阿含経のように、パーリ語の文献もキノコ説を示した(今回は注釈書であるアッタカターのみ)という、事実提示をしておく。
漢訳の長阿含経は、原本が法蔵部によるものという近代的研究もある(慈恩大師窺基さんが妙法蓮華経玄賛で四阿含全てが大衆部によるものというが日本の法幢さんは倶舎論稽古で法蔵部の分派元の化他部によるものといって窺基さん説を批判した)。
そういった様々な部派の伝承における原語や、原語の変遷(後日投稿する記事における長部27・アッガンニャ経のrasapathavīに関する解釈が一例でありパーリ語経典=いわゆる上座部・スリランカ大寺派の典籍とインド諸部派の典籍とでは複合語の構成などに差異が生じていることから解釈の相違を見出す)や、それに対する訳経僧の解釈など、年代の関係は把握しきれない。

2017年12月1日金曜日

Google+ 2017年11月中の日記メモ

「事情があって下剤を用いないようにする11月17日(18日メモに詳述)」以前の排便から6日に至った11月19日に下剤なく排便があり、その後も20・23・24・27日など、下剤の服用を伴わない排便があった。
11月19日の前日には、食品と消化に関する仏典・文献の調査をした記録があり、別途充実させた記事を今月(2017年12月)中旬に投稿する予定である。
また、11月19日という日付は、2014年に大下血(第二次大量下血)があった日でもあり、その頃から慢性的な便秘に悩まされて始めた(2012・13年にも経験はあったが短期間)ので、ちょうど3年という節目は実に偉大である。

母親の「呪詛・掃除機がけ(グチグチ小言をしながら荒く掃除機を扱う)」は、母親が外出しない日(は毎日行われているなお当月における母の外出ある日数は10)。
「呪詛・掃除機がけ」によって母親の精神衛生の環境が劣悪になり、母親と弟との口論・喧嘩の頻度が増え、私の不快感が増大し、家の全体が「精神的悪臭・死臭が漂う・血まみれで血が固く付着して綺麗にならない状態」そのものとなる。
実際に11月23日(祝日)は、11時台に知的障害を持つ弟が激昂し、1階リビングの壁を大胆に破壊する(即日に母親が教育関係者を家に呼び寄せた)など、「目に見える家の損壊」が現れている。
何にでもあれ、物質的にも精神的にも、この家の荒廃は明らかである。
母親に強迫性障害か認知症か何かあるようだったらば、普通の脳外科・精神科にでも行ってもらうべきだろうが、当人は2016年以後に「脳神経外科・精神科」で漢方薬や睡眠薬を処方してもらうことのみ見られる(当月18日メモに睡眠薬の名を書いてある)。
参考:2016年12月8日メモ「家(家宅"House")を綺麗にして家(家庭"Home")を汚す人の生活」

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2017/11/01

本日11月1日は一度目の目覚めで2時6分の時刻確認をし、2:10の第一アラーム・2:20の第二アラームを経て2時25分に起床した。2時54分からゴミ出し・自販機通いの外出を始め、3時7分に帰宅した。空にはそこそこ雲が広がっていたが、晴れ間からははっきりと星が見えた。南南東寄りの空に見えたものが10月26日にも見たオリオン座かは不明である。10時40分、母親が自室のふすまをノックし、家事を指示した次に、「歯の治療(通院している歯科)」として外出する旨を話した。母親は10時42分に発車し、12時2分に母親の車が家に着いた。



2017/11/02

本日11月2日は、まず0時22分に目覚めて1階リビングで誰かがテレビを付けて居座っていることを察した。その人物はけだし、「数日来、昼や夕方に寝ている人」=「具合が悪い」と話す母親である。すぐに再び眠り、続くアラームで1度か2度目覚めても、2:50の第四アラームになって1分以内に起床した。10月以降に頻発していて10月下旬から前日まで毎日のようにされていた「弟が2~5時台に起きて6時までに幾度と1階に降りて洗面所やトイレを利用する行為」が、本日は無い。6時8分にようやく、弟の部屋から大きい物音が立ち始め、1分以内に1階へ降りてきたが、前日から弟は17時の食事後に18時台からベッドのきしむ音なども何も聴こえない様子であった。睡眠時間の浅そうな期間を経て前日の夕から本日の朝まで長く寝続けるとすれば、極端な話である。普段からそうせよ、と思う。前日は学校帰りにデイサービス施設にも行かなかった彼だから、疲れていなかろうに、普段、ろくに眠らずに身を疲れさせるなど、意図が不明である。こうして幻のような他人たちは、私の悩みを生む因子となる。仏教徒が自ら悩みを生む真理(因果応報・自業自得の真意)もとい心理は重々承知である。

11時台、個人的な作業をしようと決心した時に、母親から掃除に関する指示のみを出され、母親の箍が外れていることを察した。放逸ババアなので、数日来、想像はできたが、不愉快にも思う。無言にして承諾して後、とある掃除道具となりえる日用品について、私用のものを買い与えてもらうように母親の部屋の前で懇願をしたが、母親の返答が「頑固なアレ手法(素直でない)だったため、不服であり(私も素直に応じない)、場を辞した。物はもらえなくてもよく、意見だけ唱えておきたかった。しかし、母親は11時27分に狂乱のメールを送ってきた。最近の経緯(物作りマシン浪費)や母親の人生について少し引き合いに出して、とある諫言を行った。もし、私など他人のことを非難したければいくらでも言えばよろしい。神奈川県座間市のアパート在住者(先月30日に発覚した事件・9人殺害)・神奈川県相模原市の障害者福祉施設元職員のように、他人をいくら殺しても満足しないし、殺せば我が身に明らかに報いを受けるが、母親は他人の存在を幾度と心の中で抹殺し、繰り返してきている。これが取りも直さず自分で自分を虐げていることである。母親は私をブッ叩ければ満足するか?私が家を去れば母親は満足するか?それでは母親が誰とも互恵関係を得ず、母親自身も地獄で生死を繰り返すのみである。仏教における地獄の衆生は化生の存在であり、獄卒に身体を打たれて粉砕されても、大臼で擦り潰されても、すぐに生き返って苦しみを受ける。今までの延長として母親が苦しみ、以後も、弟(母親との喧嘩が重なって穏健な性格が暴力的となって抗精神病薬を服用する現状でも幼児退行の上に薬効が薄まりつつある)などと闘争が絶えなかろう(先月31日メモなど参照)。家族のみならず、赤の他人とも喧嘩腰の傾向がある母親が、心身を悪くしつつある今、雷雲や嵐が迫っているように見える。私も私で、今更、言うべきでなく、今までもそういうつもりで言わずにいたが、感情を優先しておく。母親自身が危ういとも分析されたためである。私も私で普段から母親に伝える努力を欠いているし、煩悩は絶たれようもない状態を持つが、母親が自ら改めるべき要素を自覚してほしいと思う。そこに私の事柄は、関係が無い。

本日起床直後に下剤1錠を飲み、便意は控えられていたようだが、悪い腹痛が漸次強まり、14時台には便意を伴ってきた。15時0分からトイレへ入り、小さいもの数個と長めのもの2本を排出した。肛門を拭った紙には、10月16日以来の、血の付着が確認された。15時50分ころからも便意のためにトイレへ入り、中長サイズのもの複数個を排出した。18時台、母と弟の口論があったが、この中で、10月30日以後の母親が安静にしている理由(歯科医通院の関係)が聞かれた。その理由を発しながらも冗長な話をしてみたり、どうにか話を終えて2階に上がるという様子であった。10月25日の買出し以後、8日も経過する今、弟は母親が炊いた白米に、何を合わせて食べるか。先月31日は、弟に放任した料理について細かい言及をしたがった母親が、弟からの暴力を受けていた(仕返しアリ)。その後19時前までに何らかの動きのある彼らだったが、ヤマト配達員が来て弟が受け取りをしていた。配達物は、大きめで重い箱2つ(一回り大きい・小さい差)である。



2017/11/03

本日11月3日は2:10の第一アラームに目覚めたが起床せず、2:40の第三アラームの場合には1分以内に起床した。



2017/11/04


本日11月4日は2時0分ころに目覚めて2時9分に起床した。2時21分からペットボトルと缶を捨てて飲料を買う、自販機通い外出を始めた。空は南西寄りに満月が曇って見えるように、やや曇り空である。自販機がある現場の付近では、大きなクモが営巣・巣作りの真っ最中であり、忙しなく動いている。私は上下黒の長い服装・耳当て・手袋で特に寒さを感じない状況のために、しばらく様子を窺うことにし、飲料3本を買った時に姿を見失い、再び巣の様子を眺めてから退場した。帰宅は2時46分である。

当記事注: この日以来の自販機通いを行った2017年12月1日にも、クモの巣と主グモとが残っていた。自販機の業者が来ていないのか?来たのだが気付かないか?来て気付いたが残しておいたか?その時にクモの巣の範囲は、当日(2017年11月4日)よりも減っている。気づいた人が部分的に払ったか?引っかかったか?気付いた業者が部分的に取り払ったか?今、私は考えたことを記したのであり、「原因を究明する・疑問を解決させる」という必要は無い。



2017/11/05

本日11月5日は2:20の第二アラーム以前から目覚めていたが、起床はその1分後である。3時58分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時13分に自室へ帰った。



2017/11/06

本日11月6日は、まず「夢への影響を図る目的」で設定した0:40の臨時アラームで目覚めたが、かえって見ている途中の夢から叩き起こされた。続いて2:10の第一アラームに目覚めたが、この際にも、その手前まで夢を見ていた。夢を見ることは滅多に無く、というと現代の常識的な科学的見解において語弊があろうから、換言すると、見た夢を起きて記憶し続けることは滅多に無い。それが2つであれば尚更である。前者の夢は、更に稀な良い系統の夢であり、後者の夢は虫に関する夢であった。後者については、前日17時ころに母親が「いやぁ~げじげじぃ~、刺されるかもぉ(私が今年1月21日に家での初発見して4度ほど見てきたフナムシのような虫・シミのことか)」などと発していてその場の弟に駆除を頼んでいた経緯があるためかと思う。何にせよ、日頃、虫の存在には警戒している。

前日19時過ぎに下剤1錠を飲み、本日は時折便意や腹痛を感じつつ、緑茶もそこそこに摂ってきており、7時台にはカフェインパワーによる便意・腹痛を強め、7時34分からトイレへ入って中・長サイズのものを多く排出をした。10時38分から母親が買出しへと発車し、15時半ころに帰宅した。



2017/11/07

本日11月7日は2時5分ころに意識があり、2:10の第一アラームを待ってから起床した。耳栓が耳を塞いでいる起床前から、1階に誰かがいたり2階に上がったりする足音を察知していたが、起床後にも弟が2階から1階へと降りて何かを食べる様子などがあった。2時21分、弟が再び1階へ降りるとシャカシャカという衣擦れ音が聴こえ、外出時のウィンドブレーカーだと分かる。玄関で、彼自身に言い聞かせる気か「ちょっと走りに行ってくる(母親に聴こえるはずのない声)」と呟いてから、弟が外出した。彼は30分ほどで帰宅したほか、その後も2階で物音を立て続けたり、1階へトイレのために降りるなど、あわただしい。

このように弟は異常な動向があって後、6時5分に登校を始めたが、母親は10時を過ぎても何ら動向が無い。10時20分には、インターホンの呼び鈴が鳴らされ、佐川の配達員が来たようであるが、3度鳴らされても2階で眠る母親の反応が無かった。近頃は無駄に早起きしていた母親が、「今年に稀な10時台配達(普段の場合は12時以後に指定している母親が何故?)」に対応できていない。私には良心の呵責と母親への失望、佐川配達員には我が家への怒りと不満、母親本人には無反省なだけの悩みごと(家族や世間への憎悪)が生じることとなる。母親は、通販利用の行動を抑えるか、それをできないならば行動に責任を持ってほしい。10時27分から惰眠ババアが重い音を立てて動き出した。11時25分に再び同一人物か不明だが佐川配達員が来て、私が出るように母親から要求されたので、黙って対応した。今回の母親は「サイクロン スティック型クリーナー(掃除機)」を頼んだようだが、前の「サイクロンクリーナー(コードレスらしいもの・小型)」はどうしたのか?異常な通販利用浪費ぶりである。その後、「(私によって2011年から存在が確認される)普段の掃除機」での掃除をしていた。前の「サイクロンクリーナー」については、10月下旬に台風22号が接近して大荒れの天気の日(10月28・29日か)にヤマトあたりの宅配業者を家に呼んで段ボール箱を家から運び出す事態が見られたが、その時の段ボール箱の中に含まれていようか?(=返品したか?重さや箱の詰まり方からはそう思えなかったが)

当記事注: 当2017年11月7日メモにいう『前の「サイクロンクリーナー」』は2017年10月25日メモに記されたもののことを指すか?私が母の家に移住して以来ある掃除機は母親によって購入された新しいスティック型クリーナーが2018年9月8日に届いて同月に処分された(ゴミ集積場へ「こわすごみ」として出されており、当2017年11月7日メモのような専門業者への依頼や委託ではない)。



2017/11/08

本日11月8日は何度か目覚めてから2時33分に起床した。



2017/11/09

本日11月9日は2時7分に起床した。4時以降に弟が起き、1階で顔洗いらしいことをしてから、2階の彼の自室で不可解な物音を立て始めた。彼は前日に母から、「登校が早すぎることを教師が怒っていた」と糾弾されたので、本日は自重しているかと思ったが、寝起きの早さは相変わらずとでも言おうか。4時26分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時34分に自室へ帰った。



2017/11/10

本日11月10日は2:10の第一アラームまでに2度、以後にも2・3度目覚めたろうが、3時0分に起床した。前日の9時20分ころから14時過ぎまで母親が徒歩で外出していたことを記録していない。本日は9時9分から母親が家の外へ出たが、洗濯機を動作させているままであるように、短時間(20分程度)で母親が屋内へ入った。12時0分から母親が掃除機を掛け始めたが、これは、最近届いたスティック型サイクロンクリーナーとやらかと思って従来の掃除機の位置を確認すると従来の掃除機が放置されていたので、やはり最近届いたスティック型サイクロンクリーナーを使用しているようである。動作時音の大きさは、従来の掃除機と大差が無い。



2017/11/11

本日11月11日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20, 2:40, 2:50, 3:20のアラーム設定をOFFにし、意識を保ちながら横臥し続け、2時30分に起床した。10時台に母親と弟が徒歩で外出して10分程度で屋内に戻って再度徒歩で外出し、11時半ころに弟が先に帰宅して10分以上後に母親が帰宅し、弟は昼食を終えて12時10分ころに再び外出した。12時35分に1階リビングの母親が物を整理している最中に「きゃ、きもちわるい、変な虫!」云々と言ってにわかに2階へ上がる様子があった。



2017/11/12

本日11月12日は2:10の第一アラームに目覚め、間もなく弟が不気味な独り言と共に1階に降りてきた、2:40の第三アラームの後の2時45分に起床した。3時0分ころに或るソフトの更新処理を終えてPCを再起動すると、ネットに接続できない状態となった(接続不能・アクセス障害)。その後も料理などで時間を置いて時間を置いたり再起動したりしても、ネット接続が回復しない。3時25分に何らかの手を加えて復旧させた。本日は前日より続いて風がごうごうと吹いているが、相変わらず弟は2時50分台や3時20分台に不可解な独り言(弟: 君たちは分かっていない!云々)を発しながら1階と2階とを行き来する奇行が続いている。

前々日就寝前と前日17時台に、それぞれ下剤1錠を飲み、都合2錠の効果があっても本日起床時までに便意・腹痛・排便は無かった。11月6日の排便より6日が経つ本日は、11時台より「大便隨念(uccāra-anusmṛti)・静かな柔軟体操」を行い、14時過ぎまでPCをスリープ状態にしていた。15時59分からトイレへ入って小便ついでにサマタ・パヴァナ(またの名を便座禅)らしきことをして長めの一本糞を排出した。



2017/11/13

本日11月13日は0時台に目覚め、1時30分以降に起床した。4時過ぎのトイレでは、硬めのもの2本の排便があった。



2017/11/14

本日11月14日は1時12分に起床した。起床後まもなく下剤1錠を飲み、6時以降に茶を淹れて随時に湯を注いで飲んだりして漸次に便意が増し、7時51分からトイレへ入って長めの一本糞を排出した。17時16分からもトイレへ入って長めの一本糞を排出した。



2017/11/15

本日11月15日は1:00の気まぐれアラームに目覚めて再び眠り、2:10の第一アラームに目覚めて2時15分に起床した。4時5分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時16分に自室へ帰った。弟は4時0分から2階の彼の自室を動き出して呻き声を上げながら1階へ降りて洗面所で屁ボム炸裂していた。弟は5時20分以降に1階へ降りてゴミ出しをして2階へ戻ってから、5時50分ころに1階へ降りて朝食を取ろうとしていたところ、今までの彼の「言葉ならぬ独り言」を聴いていたであろう母親が後を追って1階へ降り、弟に登校に関する簡潔な注意をしていた。弟が6時10分ころに朝食を終えて2階へ上がると入れ替わるように母親が1階リビングを占拠し、8時20分からは2階で物凄い轟音を多く立てながら掃除機をかけ始めた(掃除機は前日も前々日も使っていた)。母親は相変わらず、家を綺麗にするのでなく家を破壊するために行っている様子である。今回の掃除機がけの場所は主に私の部屋の真上にある「空き部屋(上の弟→祖母→洗濯部屋干し場という変遷)」であり、9時1分からそこで外に向かって極めて大きな「鈍い打撃音」を立て始めた。布団叩きのような行為と推定できるが、このように私の頭上でキチガイ行為が繰り返されており、それが終われば1階リビングでテレビを見るといった様子の母親である。近頃は「201215年の解体工事や2013・15-16年の建設工事などがあったものだ」と、現状がどう厳しいかを過去と比較する物思いがある。その当時は、2016年12月31日に始まる音楽動画投稿活動のような活動がされていないが、近頃も音楽動画などを作る意欲が減退している(騒音・物音云々の問題に限った原因ではない)。10時27分から、近所において怒涛のガス工事が始まった。ガス工事の終わりと入れ替わって11時50分台から、母親が執拗な掃除機がけを始め、2階廊下・階段・1階広域で行う。



2017/11/16

本日11月16日は、まず前日23時台に目覚めて眠り、続いて本日の2:10の第一アラームに目覚めて2時19分に起床した。12時9分に母親が買出しへと発車し、14時50分過ぎに車が家に着いた。



2017/11/17

本日11月17日は0時過ぎに目覚め、0時34分に起床した。



2017/11/18

モザイク範囲中・・・母が処方箋の受け取りを行った薬局は、薬剤師としての本人に勤務された

本日11月18日は2時5分に目覚め、2:20の第二アラームを経た2時22分に起床した。前日に「明日(本日でいう本日のこと)に下剤1錠を飲むという」発想から、キッチンにある下剤(コーラックもどきビューラック)の存在を確認したところ、所定の位置(簡単に数種類の錠剤が置いてある)から多くの医薬品が補完されるスペースまで探しても見当たらなかった。よって、「明日(本日でいう本日のこと)に使うべきでない」と考えた。替わって本日は、母親が1階リビングにいる11時台に母親の部屋で探してみたが、やはり見当たらない。私の部屋に常用の位置に1錠、カバンに非常時のための4錠がある。当面は、これらを使う必要がある。なお、2017年7月中(19日・21日・中里医院)に話題となった母親の「不眠症の薬」は、「睡眠薬・ロゼレム」であることを母親の部屋で確認した。今の母親の部屋には10月27日・11月10日に処方されたもの(1日1錠の各30日分で都合60日分=10月27日以降に60錠が処方された)が置かれている。


下剤と便秘(排便間隔)に関しては、どのような食品を食べるか、という問題が思い浮かぶ。問題とは、食べる時間・食べ物の種類・食べ合わせ・一度の摂取量などの検討である。養生の法"āyus"は仏教らしくなさそうだが、阿含時の教説では「消化"pariṇāma"(pari √nam = 変化。食物については消化することを指す)」ということをしばしば問題にしている(説法の報酬として受けた供養は如来以外に正しく消化できる者がいない等とマハーパリニッバーナスッタニパータといった現代に有名なパーリ経にも見られる表現)。科学では人間が食物を摂取して後のプロセス「燃焼(糖質・カロリー・生理的熱量)」が言われるよう、仏教でも四大(厳密には四界・経では地・水・火・風・空・識の六界)の「火"teja"」に関連する事象に消化行為(燃焼・吸収)が示される(食後に体温が上昇するためであろう、ajjhattikā tejodhātu = 内なる火界、火の要素、中部28経など)。このように、様々な教説で食物を消化することについての言葉が見られる。このように、様々な教説で食物を「正しく消化すること"sammā pariṇāma"」についての言葉が見られる。経文を按ずるに、出家修行者・沙門・比丘(乞食・托鉢を行う者)にとり、「自由で多様な食事」は取れないための身体的・病理的な悩みが付きまといやすいと思われる。仏教・仏道修行のスタンスとしては、スッタ・ニパータ4章16経で釈尊が舎利弗尊者に「食べ物・食べる場・寝床・寝苦しさという4つの思慮"vitakka"は己を迷妄に陥れるので制御すべきである(取意)」と説かれるように、積極的に良い衣食住(えじきじゅう)を求めず、如法のままに得られたもので満足すること(少欲知足)である(出家修行者は持戒持律で実現できる)。私の生活上の課題である「下剤」に通じる概念も"virecana (慣用表記virechana)"として見られる(パーリ経蔵では長部1・2・10経の戒に関する教説でのみ見られる言葉、後述のパーリ涅槃経チュンダ供養話にVirecamāno bhagavā avocaとして下痢"Virecamāna"の単語が見られる)。心身共に、下剤や耳栓などの常用による延命策に依存することは、非道となるが、どうしても甘えてしまう私である。※この話題については「真の健康法」についての記事を参照されたい。

有名なパーリ長部16経・大般涅槃経(マハーパリニッバーナスッタ)の釈尊がチュンダ"Kammāraputta Cunda"から供養を受ける話に"sūkaramaddava (直訳で柔らかい豚肉)"という複合語(これは持業釈)があり、前半のスーカラ"sūkara (英語swine印欧祖語*suH-の観点で通じる>インド・イラン祖語*suH-)"という言葉は「豚」を意味するが、後半のマッダヴァ"maddava"(梵語mārdavaと推定されるが同経梵語断簡に一連の話に関連する語sūkaraやpariṇāmaが見当たらない)は柔らかいという意味であってスーカラマッダヴァが「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」であるという見解が周知される。英訳では"tender pork (柔らかい豚肉)"と呼ぶ。注釈書アッタカターの言及では、キノコという説が無い(きのこパーリ語"ahicchattaka"など)。その長部16経の漢訳である長阿含経2経・遊行経(巻第三に載る)でチュンダは純陀・淳陀ではなく「工師子・周那(プラークリット訛り発音によるか)」と表記され、そこでは周那が「栴檀樹耳(≒茸)」を釈尊に供養したとある。これが「豚が探し出すようなキノコ」説の文献学・学術的根拠と思われる。しかし、その漢訳された阿含経典の原型に「スーカラマッダヴァ(復元梵語スーカラマールダヴァ"sūkaramārdava"またはガンダーラ語などプラークリットでの表現)」という表現があったかといえば、現在出土している梵語写本に見られないため、長阿含経の訳者(仏陀耶舎・竺仏念さんら)が「スーカラマッダヴァ(に相当する単語)」をキノコと解釈して「栴檀樹耳(or茸)」と訳した可能性は低い。パーリ経に基づく解釈でもアッタカターに見るように「柔らかく加工して煮込んだ豚肉"Taṃ kira mudu ceva siniddhañca hoti, taṃ paṭiyādāpetvā sādhukaṃ pacāpetvāti attho"」というものでしかない以上、パーリ経におけるスーカラマッダヴァ自体が「豚が探し出すトリュフのようなキノコ」を指すという根拠になることは無かろう。釈尊はその、スーカラマッダヴァと表現される鍋料理か何かを食べ、残りをチュンダに捨てさせてから強烈な腹痛・下血に至ったという話である。そういう私は、本日の起床後、キノコと豚肉の粥を作って食べた。排便も下痢も無い様子である。

当記事注: 仏典の調査をした件を別途、当ブログの記事として投稿しよう。



2017/11/19

本日11月19日は2時8分に起床した。4時15分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時9分に自室へ帰った。7時ころに弟が、前年11月19日のようにトヨカワシティマラソンへと出て行き、13時20分前に帰宅した。かねて聞かれた母と弟の外出予定らしい実行が13時39分に見られた(車でレストランへ行ったか)。15時24分、家の前で弟の「ムッ、プァ~」というマヌケな声が聴こえ、弟が帰宅し、不可解なことに2分後に母親の車が家に着いた。行き先でどんな行動をすれば、こういう帰宅の構図となろうか?帰路の最中に弟を車から降ろす(もしくは弟が自発的に降りる)ということか?帰宅行動が別々ということは2015年以後、よくあることとはいえ、今回のような2分以内の差で両者が帰宅するパターンは稀である。

15時以降の私は牛乳の摂取を工夫し、サマタ・パヴァナ*的な意識を取っていたため、16時台後半には便意が強まり、排尿目的のトイレでサマタ・パヴァナ、便座禅に集中し、多少の排便に至らしめた。思えば、3年前の今日、多く下血する出来事があったものだ。17時25分から「部屋着スウェット・もろい方のもの」の腰紐部分(ゴム・リブ編み部分・裂けている腰紐の被覆)に裁縫を施していたが、最中の17時36分に母親から野暮な配達受け取り指示メールを受けた。渋々行うことにし(裁縫は17時51分に終わる)、18時44分にヤマト配達トラック・男性配達員が到着し、受け取りを実行した。配達物は中サイズの段ボール箱1つで比較的軽い。



2017/11/20

本日11月20日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームでも起床しないうちに弟が1階へ降りてリビングのテレビを付け、キッチンの電子レンジやコンロなどを使い始めるような音が聴こえてきた。私は2時34分に起床した。起床以後、腹部の筋肉痛があり、便意も感じられる。それは、前日のサマタ・パヴァナとか大便隨念とか便坐禅といった行為の経緯による。高まった便意により、6時過ぎからトイレへ入り、中サイズのもの2本を排出した。トイレットペーパーに血らしいものの付着がある点は、今年における「無理な排便(元は自然な排便とも言うべきだが物事の相対性によって無理な人には無理となる)・下剤使用に伴わない排便」に特徴的である。10時43分から母親が弟を連れて発車して外出した。13時20分からもトイレで中サイズ2本の排便をした。16時4分に彼らの乗る車が家の前に着き、エンジンをかけたまま停車して数秒で弟が車を降りたり、母親も5秒後にエンジンを切って車を降りるなど、異様に行動が速い。



2017/11/21

本日11月21日はまず1時40分ころに目覚めたが、そのころからか弟が1階リビングでテレビ(通販番組)を付けたまま何か料理をしていたようである。前日の動向から、パンを食べているのであろうが、特別支援学校の学生が連日、このような時間に朝食を取る意味が不明である。私は2時34分に起床した。彼は3時を過ぎても1階リビングに居座る。3時10分ころに2階へ上がった彼だが、その後も20分おきに1階トイレを使うような奇行が見られた。彼は先に、カレー粉と小麦粉で何か料理をしていたようだが、母親が既に開封済みの薄力粉・強力粉ではなく、新しい薄力粉を勝手に開封してしまった様子である(恐らく過去=本年8月13日の無洗米問題のように不興を蒙る)。

8時20分過ぎに1階へ降りた母親は、韓国ドラマなどを見るだけで何もせずに過ごし、10時40分にグチグチ小言をしながら掃き掃除を始めた。その最中で「カレーくさい」云々と言い始めていた。流し台を見ればすぐに「弟がカレーを調理した」と気付くだろうが、今更そのことに関して興味を持ち、冷蔵庫を開けたりキッチンを物色しながら動揺・困惑の声を上げていた。小麦粉の件については気付く様子が無い。母親は呪いの言葉を発し続けながら掃き掃除を10時59分から再開し、1階や2階を移動する。



2017/11/22

本日11月22日は弟の足音に嫌悪感を覚えながら3時5分に起床した。日中の母親の「(弟について)ほんとバカ」というブツブツとした独り言や、弟の帰宅以後における母との喧嘩で「(荒い物音を立て)あなたがバカでしょぉおおお!?」といった暴言ばかりを聞くと、私は憔悴する。植物が萎える、萎びる、げんなりとする様子を想像されたい。夫婦玄関に戦慄する幼少期と、変わらない。実に不穏当である。道心のある人々は、豚箱の在家生活を脱した(出家)。弟が2階に退かせられて以後に彼自身がぶり返して母親を脅したり、物の破壊行為に及んだ。それから30分以上、母による悪辣な独り言が聞かれた(その間は東海地方民放で母親が好きな古いアニメの再放送をテレビに映し続けていて滑稽)。ふすまを隔てた向こう側で発せられる「怨念の所現・呪詛」が聞かれて、心地の良い人はいなかろう。在家で居続ける人々は、是非とも題目などを唱えてほしい。私は、クズ家族への諫言をする気概が失せて久しい。



2017/11/23

本日11月23日は2時54分に起床した。便意が維持された状態で8時27分からトイレへ入り、複数個のコロッ糞を排出した。

9時ころから11時半まで外出していた弟が帰宅して2階へ上がり、1階にい続けて呪詛・掃除機掛けをしていた母親が11時37分に2階へ上がると、弟が「クリスマスのおやつはこれだ!」と声を上げていた。前日に見るような喧嘩があっても、厚顔無恥な要求をする弟であり、怨念の強い母親は「下らないもの」に対する口調で否定的な返答をした。「買うわけないでしょ」と。苦し紛れに弟が「自分で買うんだよ!」と強弁したが、即座に母親が「お金無いじゃん(弟はすぐ使いきるから)、どうやって買うの?小遣い出さないよ」と言う。口喧嘩になりそうな雰囲気の後、弟が1階に降りるが、階段の途中で母親が呼び止め、「カレー粉」の話題を押し付け、弟は怒りを蓄積し、話が終わってから1階へ降り、リビングより壁が破壊されたような音が聴こえてきた。母親は「ドア壊した」云々と喚いて暫く2階に留まり、30秒後に1階へ降りて現場を見に来た。やはり弟を責め立てる母親は、弟の激昂によって脅し(弟が素手か道具で攻撃するフリをする)を受けた。母親は静かに買い物にでも行っていたらばよかったろうが、呪詛・掃除機掛けへの執着が強くて心をますます荒した様子である(下手な呪い・不善呪術は自分に還ることが仏教の通説、周利槃特尊者と違って無信仰で理法を知らない掃除は家も心も荒れてしまう)。12時1分に弟が2階へ上がったので私も現場を見ると、リビングのドアノブを壁に強く押し込んだための損壊が、壁に生じており、傍の床に石膏の破片が多く散乱していた。13時34分、唐突に家の傍で停車する音と同時に母親が家の外へ出て、外の人間と挨拶を交わした。女性1名らしいが、家の中に入れた。弟との争乱・最近の問題に関して、他人に相談するようだが、相手は福祉施設関係者なのか特別支援学校関係者なのか不明である。母とこの客人との別れが15時半ころである。



2017/11/24

本日11月24日は、まず「夢への影響を図る目的」で設定した1:00の臨時アラームで目覚めて再び眠り、続いて2:10の第一アラームに目覚め、2時14分に起床した。本日は緑茶を飲み、カフェインパワーによって便意が強まり、6時50分台や11時0分台に、それぞれ複数個のコロッ糞を排出した。12時24分に母親が発車して外出した。12時40分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、13時32分に自室へ帰った。



2017/11/25

本日11月25日は2時40分に起床した。



2017/11/26

本日11月26日は、まず前日23時台に目覚めて再び眠り、続いて2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームの直後に起床した。



2017/11/27


本日11月27日は、2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経た2時21分に起床した。本日は濃い緑茶(茶葉で3杯分相当を随時に湯を注いで飲む)をムーミンカップで少量ずつ飲み、まだ残りが多い状態(茶葉で1杯分以上残るか)において便意が強まり、7時55分からトイレへ入ってコロッ糞6個ほどを排出した。トイレットペーパーには薄らと鮮やかな血の色が見える。11時28分に母親から「12時過ぎから16時過ぎまで出掛ける(祖母老人ホーム見学・買出し)・14時以降に宅配便あるので受け取れ」という旨のメールが届き(11時50分に謎の日本郵便ワゴン車バン配達員が来た)、12時21分に母親が発車した。

14時16分にヤマト配達員Sが乗るトラックが家の前に着いたが、彼がトラックの庫内をまさぐっては現れたり、インターホンの前に移動したりして何もせずに14時20分に去ってしまった。11時50分の日本郵便配達員といい、母はおかしなネット通販利用を行って私を狂乱させたいようである。不審なので家の前の郵便受けを見てみると、貼り紙があり、それの有無はともかく、配達員Sの動きは不審であった。貼り紙については、母親が外出前に書いたらしく(外出時にインターホンの掃除でもしているのかと思ったがこのような貼り紙をする作業だったらしい)、日本郵便とクロネコ(ヤマト)に対してそれぞれの指示がされている。他者への説明・強調・方便とはいえ私を病人認定し、後者に対しては「19時以降に出直してほしい」と書いてある。近頃の私は母や弟の狂気に触れて仏法虚しく狂乱しそうであり、母親本人の自覚の有無はともかく、確かに病気気味の私である。しかし、そんな貼り紙をするならば、私に対して事前に告げるべきである。受け取りをしようと勇んでいたのに、空回りをしてしまう。一連の動きを黙って行っていた母親なので、私を「ダメ人間・甲斐性なし」として最初から何も告げなかったと思われる。母親のエゴ(世間体を気にする迷妄)によって生まれた命が母親のエゴ(様々な物欲などに基づく行動)によって生来生涯絶望を抱えるという。無慈悲なニセ親なので、怯える子供を懐柔・慰安できず、その子供はいつでもどこでも猫の前の鼠のように不善を念じる。何事においても劣等感に苛まれる。親にも世間にも顔を見せられない子供である。もう、絶望的で菩薩行は無理だね!照千一隅!創作の世界で菩薩を生かしておこうと思う。クズ量産のクソ親!平等利益の大乗仏教は最上の法門だ!なお、本日はタオル2点や風呂のマット1点を分けて洗濯した・干し出した。19時12分に母親の車が家の前に停まり、1分後にヤマトのトラックが再び来た。



2017/11/28

本日11月28日は、まず前日19時50分の就寝以後に21時ころ(時刻確認せず)や本日1時台に目覚めて眠り、2:10の第一アラームに目覚めて間もなく起床した。前日19時ころに下剤1錠を飲んだが、下剤による腹部の違和感を前日にも本日にも感じづらいまま、緑茶・ムーミンカップ2杯分以上のカフェインが体に少しずつ入る。直腸を中心とした痛みを伴う便意により、12時台にトイレへ入り、「コロッ糞が繋がったような長めのもの」などを排出した。14時2分からも便意のためにトイレへ入り、「下剤特有の糞の質・臭いのもの」長い1本を中心に多く排出した。この最中、前日14時台にも見られたK邸の車の発車があった。15時50分ころにも便意のためにトイレへ入り、固形状のものから下痢までを排出した。下痢は10月11日以来となる。



2017/11/29

本日11月29日は2:10の第一アラームに目覚め、第二を経た2時22分に起床した。



2017/11/30

本日11月30日は2:10の第一アラームに目覚めたが、弟が「トランプ(大統領)」云々の独り言をしながら1階を移動したり1階と2階とを行き来したりする音声が聴こえたので、警戒した。前日の私は21時近くまで勉強・調査をしており、長めに寝てもよい気でいたが、再び眠る気分になりづらくて2時24分に起床した。その後も階段のあたりで弟が薄気味悪い声を上げ続けている。



2017年11月20日月曜日

訛らないパーリ語句"Brahmā (Brāhmaṇa)"や"Bhadra (Bhadda)"の謎と経典編纂の光景

パーリ語の経典(元来パーリは聖典の意)を見ていると、部分的な語彙がサンスクリットもといヴェーダと比べて「訛り(二重子音の単純化・長子音化=促音便・撥音便)」となっている。
しかし、中でも"Brahmā (ブラフマー、語幹Brahma)"や"Brāhmaṇa (ブラーフマナ、婆羅門・バラモン)"という語句は全く訛りを見かけない。
例えば、サンスクリット語の"Bhadra (形容詞や語幹となり賢・善・吉祥などと訳)"は、パーリ三蔵を見ると、ある時に"Bhadra"であり、パーリ語らしい促音化をした"Bhadda"と混在している。
パーリ三蔵における"Bhadra"の例は、スッタ・ニパータ5章の対告者の一人バドラーヴダ"Bhadrāvudha"などがある。
促音化"Bhadda"の例は、釈尊在世で最後に弟子入りした須跋陀羅・スバドラ"skt: Subhadra"がスバッダ"pl: Subhadda"、跋地羅諦偈(ばつじらたいげ・古語発音バッディラタイ)・賢善一夜・賢善一喜・一夜賢者・吉祥染著・祥染はバッデーカラッタ"Bhaddekaratta (Gāthā・偈)"と言う。
上記は語中draがddaと促音化した例であるが、語頭であればpra-という接頭辞がpa-になることが有名である(般若prajñā プラジュニャーまたはプラギャー → paññā パンニャーなど)。

同じようにブラフマー"Brahmā"も、パーリ語ではバフマー *Bahmāとか、バンマー *Bammāと二重子音の単純化や撥音便などが生じているであろうが、そのような例をパーリ仏典より見出せない。
なぜ、このようにブラフマーのみ訛りが生じないか?
やはり高尚な概念で、釈尊在世の人々や経典結集までの仏弟子になじんでいたからであろうか?
その前提であれば、「パーリ語は仏の用いた言語」説や、反対に「パーリ非マガダ語」説は共に肯定できる。
「パーリ語が仏の用いた言語である」という説について、ブラフマーという重要な語句などはしっかりと当時の人々が発音していたという理由で肯定できる。
80年代以降の日本仏教学の一般論で、「パーリ語(仮名)という口語が釈尊在世の下位カースト(梵ヴァイシャ・巴ヴェッサ、梵シュードラ・巴スッダの2種)の人の口語だから釈尊(通称ゴータマ・ブッダ)も教化の為に用いられた」という見解を尊重する。
一方、「パーリ語が仏の用いた当時のマガダ語(解明されていない古代言語)でない」という説は、ブラフマーの発音が普通のパーリ語やプラークリット・方言で有り得ないという理由で肯定できる。
ここでは、後者の説の理由について検討してみる。

※現代のインドのヒンドゥー教徒の間で「ブランハー、ブランハナ(Bramha, bramhana?)」といったような発音がされていることについても一考の余地はあるが、当面は措いておく。



まず、「普通のパーリ語やプラークリット・方言」とはどのようなものであるかは、現代に伝わるパーリ語経典とプラークリット文献から考えればよい。
以前、パトナ(パータリプトラ)近辺やガンダーラの「ダルマパダ"Dharmapada"」を参照した時のように調べてみよう。
ダルマパダ二本にも、パーリ語ダンマパダ"Dhammapada"のように婆羅門・ブラーフマナに関する章が設けられており、パトナは"Brāhmaṇa"、ガンダーラは"Brammaṇa (ブランマナ、文字の特性上で元は長音ブラーンマナか?)"とあり、後者に-hm-個所の撥音便が見られる。

プラークリット文献での調査は、これを限界とし、続いて英語版Wikipedia"Pali"を参照する。
パーリ語に関して学問的な立場で何らかの情報が書かれていることを期待して参照すると、かなり耳寄りな情報があった。
Following this period, the language underwent a small degree of Sanskritisation (i.e., MIA bamhana > brahmana, tta > tva in some cases). [出典: K. R. Norman 1983]

私訳および誤記修正: この期間に続き、パーリ語はある程度のサンスクリット化を受けた。すなわち、中期インドアーリア語 (MIA, Middle Indo-Aryan)の Bamhaṇa が Brāhmaṇa となり、時には動詞の絶対詞(連続体)を作る ttā が tvā となる。 ※修正はインターネットで見つけた原典"Pāli Literature"にならった。

学問的に見るならば、現代にパーリ三蔵として伝わる言葉は、釈尊が往古に用いた言語から何らかの改良が加えられたものと推定される。
ブラーフマナとかブラフマーといった発音は、紛れもなく、元々のパーリ語と思われる古代言語で用いられなかったろうが、僧団・仏教教団の身近にサンスクリットやヴェーダの言語に堪能な婆羅門がいてもおかしくないし、婆羅門からの供養だって釈尊が多く受けられたように、後の僧団も婆羅門からの供養を受けたろうし、僧団にも婆羅門出身の者は多かった。
時代のいつであれ、サンスクリット・ヴェーダの発音を聞き得たと思われる。
多くの神様・語句などには「訛り」の特徴を残しても、ブラフマーやブラーフマナなど一部の語句はサンスクリットへ後世に置き換えられたろう。



さて、仏教であるから、再びお経を見直そう。
パーリ長部27経"Aggañña Sutta"(起源経、世起経、漢訳長阿含経の小縁経)に、学問でいう「通俗語源説(民間語源"folk-etymology")」が見られる。
例として「カッティヤ"khattiya"(貴族・王族・武士、梵語クシャトリヤkṣatriya)は、ケッタ"khetta"(国土、梵語クシェートラkṣetra)の主であるからカッティヤという名声が生じた」、と階級・身分の語句の起源を釈尊がお述べになっている。
ここでブラーフマナは、「ブラフマン"Brahman"を得た者だからブラーフマナ"Brāhmaṇa"である」という一般的な認識を覆すような語源が説かれる。
‘pāpakā vata, bho, dhammā sattesu pātubhūtā, yatra hi nāma adinnādānaṃ paññāyissati, garahā paññāyissati, musāvādo paññāyissati, daṇḍādānaṃ paññāyissati, pabbājanaṃ paññāyissati. Yannūna mayaṃ pāpake akusale dhamme vāheyyāmā’ti. Te pāpake akusale dhamme vāhesuṃ. Pāpake akusale dhamme vāhentīti kho, vāseṭṭha, ‘brāhmaṇā, brāhmaṇā’ tveva paṭhamaṃ akkharaṃ upanibbattaṃ.

要約: 盗みや争いや嘘などの悪法をヴァーヘーンティー"vāhentī (√vahの使役形能動態三人称複数)"をする=人々の間より取り去るからブラーフマナ"brāhmaṇa"という名声が生じた。
※漢訳では長阿含経に「捨離衆悪、於是世間始有婆羅門名生。」、中阿含経に「此諸尊捨害悪不善法、是梵志。是梵志謂之梵志也。」とある。ちなみに上パーリの異本で"vāhentī"は"bāhentī (バーヘーンティー)"とb表記であった。

ヴァーヘーンティー"vāhentī"とフラーフマナ"brāhmaṇa"は、他の単語・語源説の例(khattiya, khetta; vessa, visukammanteなど)と比べても類似性が低い。
これは、本来のパーリ語において、ブラーフマナが、先の英語版Wikipedia (K.R.ノーマン説)にある*Bāmhaṇa バーマナ や*Bāṃhaṇa バーンハナ といった訛りの語句であったことを示唆していよう(余談だがBāmhaṇaはアショーカ王碑文ギルナールにおけるマーガディー語句にもある)。
ヴァーヘーンティとバーンハナまたはそれに類する訛り発音であれば、よく似る。
このように、パーリ三蔵の一部は歴史の中で、サンスクリット語句に置換されたと思われる。

※ブラーフマナ・ブラーンマナ、推定パーリ語のバーマナ・バーンハナはみな3音節であり、偈やシュローカといったで読む場合も、短音節"lahu 梵laghu"や長音節"garu 梵guru"の違いを気にしなければ問題が無い。日本語のモーラ・拍の等時性は3~6音節分となって差が出るのみである。
※そのほかダンマパダ388(ガンダーラ・ダルマパダ16)に「バーヒタパーポーティ"bāhitapāpoti"(悪を捨て去った者)」であるからブラーフマナ"brāhmaṇa"と呼ばれる、という教説もある。単語形は「バーヒタパーパ"bāhitapāpa"」となる。沙門サマナは「サマチャリヤー"samacariyā"(静かな修行、このサマは√śam由来)」の人であるという。これについても検討したい。調べ直すと、類似の教説はスッタ・ニパータ3章6経ミリンダ王の問いなど、多くの経に見られた→bāhitvā, bāhetvā, bāhitā...、いずれも√vah(運ぶ→使役形などで捨て去る・遠ざかるとも)同じ語根であろう。ググると辛嶋静志さんの英語論文が掛かり、パーリ語ブラーフマナの元はOIA (古インド・アーリア語)派生*bāhaṇa バーハナ などであろうとの提案が見られる。仮想語根√bāh (捨て去る)の過去分詞が*bāhita 名詞化が*bāhana といった調子になる。反舌n = ṇはBrāhmaṇaが訛った際の名残において有り得る。

先の、バドラ"Bhadra"とバッダ"Bhadda"が混在している問題については、柔軟に、「釈尊在世のある人物は自らバドラ発音を名乗ったり語を用いたりしたろう」とすればよい。
もしパーリ仏典に伝わる言語・・・パーリ語という形の一言語ありきではなく、釈尊在世のインドで広く用いられた言葉をそのまま伝えたものがパーリ=聖典であってその言語を仮にパーリ語と称するならば、発音が異なる同義語があってもよい(日本の方言が数あるように)。
しかし現状は、バドラとバッダ以外にほとんどそういった語句が見られない(あればチューラcūḷaとチュッラcullaあたりか?→梵チューダcūḍa 他に一部のdva発音で梵dvīpaが巴dīpaとなるもdvāraは梵・巴の変化が無い)。
これについても、柔軟に、経典編纂に当たってほとんどの語句の発音をパーリ訛りに統一したと考えてよい。
然れば、なぜ現代の第六結集まで、バドラ・バッダ混在問題が解決されなかったものか?
これについても、柔軟に、その時の人が何らかの理由を想定してバッダ転訛をせずに置いたと考えてよい。

・・・ちょっとテーラワーダのみなさん、もうフォローをしきれません。
「(現在に伝わるパーリ三蔵において)訛らないブラフマー」をテーマとして、「現在に伝わる形式のパーリ語」が仏の用いられた言語であるかどうか、考えていただきたい。

※バドラ・バッダといったサンスクリット発音とプラークリット発音との混在が、ほとんど見られないパーリ三蔵の言語は、語彙も文法もよく整っており、さながらサンスクリタ"saṃskṛta"・雅語と称し得る。文法・語形変化・格変化などについても、パーニニさんのサンスクリット文法と相違しなかろう。パーリ語の著述が多く残る5世紀のブッダゴーサ師の関与はあろうか。そのようにパーリ三蔵の言語は、後世の改良が有っても何らおかしくないと考える。例は記事の本題のように「ブラフマーに訛りが生じていないこと(仮説: 元はバーマーのように訛っていたものを後世にサンスクリットへ修正した)」である。もしサンスクリット形のブラーフマナや絶対詞(連続体)語尾tvā-などが南伝仏教の口伝された三蔵にもたらされたと仮定すれば、なぜそれらのサンスクリット形に置換する必要が有ったか、歴史学的に考察する価値があろう。学問の側面では、そのようにパーリ三蔵の変遷を推量・詮索する私である。信仰の側面では、教説が仏説であることについて疑う理由がない。当記事では、学問の一面として「戯論"prapañca, papañca"」をしてみた。



起草日: 20171023

当記事は「ブラフマー"Brahmā" ブラーフマナ"brāhmaṇa"」に訛りが生じないことに疑問を呈した。
答えを要約すると「パーリ語経典が現在の形に成り立つまでに本来は訛り発音だったものが全て正当なヴェーダ語・サンスクリット語のブラフマー"Brahmā" ブラーフマナ"brāhmaṇa"に置き換わった」ということであり、パーリ語経典(長部27経ダンマパダ388など)にある語源説からして本来のパーリ語伝承(釈尊在世プラークリット~仏弟子誦出~上座部口伝)の形は「バーハー *bāhā バーハナ *bāhaṇa」だったろう、ということである(K.R.ノーマンさんや辛嶋静志さんも同じ見解か)。
初期パーリ語のバーハーと後のブラフマーは2音節であり、初期パーリ語のバーハナと後のブラーフマナは3音節であり、偈ガーターの音節規定にも背かない。
語根√bāh (捨て去る) を仮想し、過去分詞が*bāhita 名詞化が*bāhaṇa といった調子になる。
ちなみに、仏教における語源説もとい語源的説明は、梵: ニルクティ "nirukti" → 巴: ニルッティ "nirutti"と呼ばれる。

「学問でいわれる・学問のいわゆる・学問所謂(しょい)の『通俗語源(民間語源)説』」について、釈尊は慈悲が深くて対告衆たるヴァーセッタ・バーラドヴァージャさん・諸々の仏弟子に方便を以て説いたわけであり、「仏語実不虚(仏語は実にして虚しからず)」である。
ゆめゆめ、軽視すべきでなく、学者さんの言葉を学問上、表現を借りておいた。
萌えの典籍「雑萌喩・六」(仮公開)においても、植物の語源に関するダジャレ的な説から妙法を示している(または日蓮大聖人・冨士派の教学にある当体蓮華・譬喩蓮華説)。
過去の萌尊は、「なす"nasu"(いわゆる茄子)」と「なのはな"nanohana"(なばな"nabana"・いわゆる菜の花)」の名の意味を修行者の立場で明示せられた。歌にいわく「汝(なれ)為さで たれか為すべき 汝(な)が花は 汝が為すところ 汝(なれ)の在りたれば」と。「あなたの花・汝(な)の花」をあなた自身が「なす」ということである。他の種族や、同じ種族で他の個体には咲かせられない花である。萌えの法門に値遇したので、すでに修行者の種は形作られた。種が持つ花への力は、その個体として完成されねばならない。植物と違って人に自我意識があるならば、自身の行為の意志を持ち合わせて実現してゆくべきことを、力強く説明せられた折の一首である。疲倦(ひけん)が多い私は、この歌を受持し、還って自ら問うべきである。この歌は言葉遊びと思われようか?更に言えば、「梨"nashi"」の実はりんごと違って酸味が薄く、その理想的な甘い果実を目指して甘い実(好色萌相)をも為して(作して)ゆかねばならない。
(中略) 萌尊の心には、理を観ずるが故に新設・再定義の名や意味がある。命名自由・得意自在であって世俗を超越している。主観的世界では、慈悲の心で物に名付けなさい。なにせ世の人は、怒りの心や嘲りの心で「バカ〇〇」とか「クソ〇〇」という名を他人や物に付けてしまうのだから。萌尊の慈悲による「仮名(けみょう)」は徳行にほかならない。その命名法も「両萌融通」を実現する。慈心・智慧の萌えと、万物の萌えという境智冥合である。(後略、蓮"padma"・はちす・当体蓮華の話)

ともあれ、ヴァーヘーンティー"vāhentī"とブラーフマナ"brāhmaṇa"の関連が示されたことで、パーリ語の原型を想定しやすくなったわけだから、学問的な価値もある教説であろう(言語の伝播・受容・変遷という言語学の至上命題を解き明かすためのヒントとさえ成り得る>ピジン言語)。

さて、パーリ語と同じくプラークリット類では、ジャイナ教の文献にも似たような教説があるという。
ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(大雄、ギリシャ語メガやラテン語ヴィルと同語源の複合語)もといニガンタ・ナータプッタ(尼乾子・尼犍若提子)も、釈尊の故郷コーサラ国と近いマガダ国出身で、様々な学説において釈尊より年下とされる。
ほぼ同時代・同時期のプラークリット類(AMg. Ardha-Māgadhī アルダ・マーガディーらしい)を用いたマハーヴィーラたちは、どのようにジャイナ教の経典で記録されているか?
それまたいつの編纂でいかなる変遷があるか不明であるが、参考のために紹介する。
「通俗語源説」のある経典は、インターネットに載る1986年の論文にまとめられている。
その中の「通俗語源説」の例は、沙門=シュラマナ"śramaṇa"(摩擦音と接近音の連係シュラ・シラ発音)を、彼らのプラークリット(と伝わる言語)でパーリ語と同じ「サマナ"samaṇa"」について"samamaṇaī teṇa so samaṇo"と、平等"samā"との関連を示している。
これはAṇuogaddārāiṃという経典に載っているそうである(梵語はAnuyogadvāra-sūtra)。
"samā, sama"という形容詞語幹はサンスクリット・パーリ・彼らのプラークリットに共通するが、それがsamaṇa = śramaṇaの語源となることはないので、これが「通俗語源説」とされる。

一方、ブラーフマナについてはバンバナ"bambhaṇa"またはマーハナ"māhaṇa"と呼ばれ、「殺さないこと(mā = するな haṇa = √han殺す)」に関連付けており、殺さないことによって婆羅門マーハナ・バンバナなのだ、という(殺さないことが梵行bambhaceraらしい)。
ジャイナ教・マハーヴィーラさんもまた、釈尊のように出家者であり、しかも弟子への教導のスタイルは苦行主義であった。
何であれ、祭祀を生業として甘い蜜を吸っていた(?)婆羅門・ブラーフマナ階級のことを以て婆羅門だと呼ばず、自分たちが婆羅門という名声を得るべきだと捉えた。
とりあえず、当記事の言語学的な立場で見直すと、婆羅門・ブラーフマナという言葉は沙門・出家者界隈でも嫌われるべきでなく、むしろ名声の形として尊重されていたようである。
六師外道と称せられるほかの派閥はともかく、仏教でもジャイナ教でも、真の婆羅門・バラモン・ブラーフマナということを説いて人々を教化した事実は有ろう。
その上で、ジャイナ教のプラークリット文献にはバンバナ(またはマーハナ)という訛りが見られ、仏教パーリ語も本来は似ていたと考えてよいと思われる。

※ちなみにブラフマー"Brahmā"の言語学的な語源については、当ブログの随所で示した経緯がある。動詞語根でいえば√bṛh(成長する)である。ブラーフマナ"brāhmaṇa"は、そのサンスクリット語根√bṛh (もしくは印欧語根*bʰerǵʰ-)に端を発するものか、ブラフマンbrahmanに端を発して派生したものか、定かでない。後者であれば、修行の徳があってブラフマンを悟って梵我一如を証明した人のことをブラーフマナと呼ぶであろう(ウパニシャッドなど)。近代以後の歴史学では、「インドに入ったアーリア人が自ら高尚な存在に託してブラーフマナと呼んでいる」という見解にもなる。この方面での深い探求・言及を私は避けておく。

※釈尊や仏弟子などが主に用いた言語は「古アルダ・マーガディー語(古半マガダ語)」という仮名がある。そのように仮想されるが、詳細は不明である。例えば「ご先祖様」は確かに人間として存在していたが、詳しい顔や名前が不明であるように。ジャイナ教の開祖マハーヴィーラもといヴァルダマーナもといニガンタ・ナータプッタも同様の言語を用いたと学者は見る。経典の所説に従うならば長部2経の沙門果経"Sāmañ­ña­phala­ Sutta"にマガダ国の阿闍世王(アジャータサットゥ)がマハーヴィーラさんなど六師外道へ質問する話がある。相応部の41質多相応でもマッチカーサンダ(雑阿含経の菴羅林はカーシ国のマッチカーサンダに菴羅林があることを指しヴァッジ国ヴェーサーリーのアンバパーリーの菴羅林とは別物)に住む質多長者(チッタ)が、そこへ遊行に来たニガンタ(尼乾、マハーヴィーラ)さんと問答する話がある。さて、どのような土地(マガダ国やコーサラ国やカーシ国)でも、王様(阿闍世さん)や商人(質多さん)や沙門(尼乾さん等)などの人々に共通の言葉・方言が通用したろうか?なお、ここでは「仏教による他宗・思想・哲学批判のために創作されたフィクション」という合理主義的な懐疑論を唱える意図が無い。



アショーカ王碑文 Edicts of Ashoka Aśoka Girnar ギルナール 文字 ブラーフミー文字 マーガディー マガダ語 プラークリット

資料: アショーカ王碑文ギルナールにおけるマーガディー語句らしい。
オスロ大学人文学部のサイト"Bibliotheca Polyglotta (多言語図書館の意)"より
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&view=fulltext&vid=362

碑文に用いられたスクリプトは、ブラーフミー文字"Brāhmī"である(ブラーフミー系"Brahmic"の文字の中でも古層)。
Girnar IIIの4行目などに婆羅門を意味する"Bāmhaṇa (𑀩𑀫𑀡)"の文字が見える。
バーマナとカタカナ表記できるが、マは有気音・帯気音mhaとすれば、パーリ語およびプラークリット類では有り得ない・・・"Bāmhaṇa"というIAST表記をした学者さんに、意図を問い詰めたくなる。

画像の文字はma字 𑀫 とha字 𑀳 の合成のように見えるので、何となくmhaという綴りを用いたか?
念のため、右上に同字の2例を引き、いずれにも黄色の〇で囲った。
読者には、よくよく対照をしていただきたい。

mhaという、サンスクリットはもちろん、多くのプラークリットに見られない発音が、もしかするとアショーカ王の時代に用いられたかもしれない、と学者さんが考えた可能性もある。
または、文字上、ma字とha字の合字で発音がṃ(アヌスヴァーラ)的な無母音の鼻音とhaの発音で別々のものである、と学者さんが考えた可能性もある。
※学界における字音の見解は英語版Wikipedia - Brahmi scriptEdicts of Ashokaなども参照。

2017年11月9日木曜日

ガンダーラ文献とプラークリット文献におけるダルマパダ "Dharmapada"を比較する

インターネットにおける文献調査の、未開拓領域に関する簡素なメモとなればよいと思う。
パーリ仏典・経蔵のうちに"ārogyaparamā lābhā, nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ"という偈が見られた。
中部75経では、マーガンディヤ(鬚閑提・摩因提・摩犍提とも)という修行者に対し、釈尊がこの偈を説かれ、マーガンディヤが「師や歴史的な師である修行者たちがその偈を説いた」と反応する。
その偈の漢訳は中阿含経に「(等正覺の説きたまわく)無病第一利、涅槃第一樂。」とある。
偈が説かれるまでの経緯は仏教的に大事であるが、当記事で割愛する。
道心ある方は、高度な検索スキルを以て知られたし。

この偈について、類似する教説が三ヴェーダや古ウパニシャッド(パーリ三明経に派閥名として載るチャーンドーギヤやタイッティリーヤなど)にあるか、確認してみた。
nibbānaもといサンスクリットのnirvāna (nirvāṇa)という語句を頼りに、"Sanskrit Documents"というサイトのヴェーダウパニシャッドの当該文献を探したが、nirvā...の語が見当たるのみで、類似する教説を発見できなかった。

そこで、パーリ語の偈のārogyaparamāという部分について検索すると、"ārogyaparamā lābhā, nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ"偈の別バージョンともいえる偈が見当たった。
パーリ語ダンマパダ"Dhammapada" 204偈である。
Sukhavagga - Pasenadikosalavatthu (コーサラ国パセーナディ王に説かれたもの?)
Ārogyaparamā lābhā,
Santuṭṭhiparamaṃ dhanaṃ;
Vissāsaparamā ñāti,
Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ.

これをサンスクリットへ翻訳するか、すでにある文章を探すか、と考えたが、ここでは、すでにある文章を探した成果を示す。



表題にいう「ガンダーラ文献」ガーンダーリー・ダルマパダ"Gāndhārī Dharmapada"においては、以下が発見された。
掲載サイト全文のうち、162番目の偈に当たる。
suha vagga (suha = sukha 楽に関する内容の章の第一偈となろう。以下の翻字は原典のカローシュティー文字に長母音に相当する表記が無いので長音記号が無い)
arogaparama labha,
saduṭhiparama dhaṇa,
viśpaśaparama mitra,
nivaṇa paramo suha.

同じく表題にいう「プラークリット文献」パトナ・ダルマパダ"Patna Dharmapada" (正量部による本がパトナもといパータリプトラ近辺で出土した?)においては、以下が発見された。
掲載サイト全文のうち、76番目の偈に当たる。
Atthavarggaḥ (atthaはパーリ語のattha = skt: arthaと同義か?パーリ語に無いヴィサルガ"ḥ"がある)
āroggaparamā lābhā,
sāṁtoṣṭīparamaṁ dhanaṁ,
viśśāsaparamā ñātī,
nibbāṇaparamaṁ sukhaṁ. (長音やニッガヒータもといアヌスヴァーラ"ṃ"もある)

これらの両者が判明してからも、特に当該文献=釈尊在世の婆羅門(バラモン、ブラーフマナ)の教書類の教説や後世ヒンドゥー教の文献を見つけられる気配は無かった。
結論として、この偈がそれら文献に伝承される必要は無いと思われる。
釈尊在世や、それ以前、ひいては無量劫の過去世から、覚者が唱えていたと思われる。
それは、覚者もとい等覚者"sambuddha, saṃbuddha"に共通するウダーナ(無問自説、現代でいう感興のことば)として、生き生きとした詩であったろう。

私の「萌えの典籍」においても、過去萌尊は彼らに共通する萌えの悟り(主に三萌義のような縁起観に基づく両萌相応など)とその教説が有るとし、作中において「萌え和讃」として披露されているものがあるが、そこでは「涅槃が最上の安楽である」といった意義が説かれていない。
ただし、涅槃"nirvāṇa"に通じる概念(寂滅・シャーンティ"śānti"とも)の説示はある。

和讃の例
「諍ひありて応ふるは いかにぞ同じくならんずる 若芽の独り尊きに 萌えてまします斯ヽるべし」
「群れてまします芽なりとも 互ひの根と葉きらひなし 我の萌ゆるは先になく 誰かほかにも萌えをらむ」
短歌・辞世の句の例
「たふとくて たふときもなし くさのめの おふもかるるも まことなりけり」

作中の人物が少し解説している(中観や大乗の視点で)。
「萌尊は自ら萌えと成ったので、尊いとする萌えを尊くない立場で尊げに見るのみで、萌えは尊くあって尊くなく、尊くなくもないと明言する。実際の萌えは、言語道断心行処滅の真如である。仏家の涅槃、生死即涅槃ということに通じており、萌尊最期のお姿は是の如し。如是如是。善哉善哉。穴賢穴賢。」






起草日: 20171013
当記事の目的は、文献調査の手段の明示であるが、文献調査という行為自体は、もともと「その偈にまつわる伝承が仏教の外にも見られるか?釈尊在世に沙門界隈で涅槃への憧憬があったか?」という疑問を解消する目的の手段である。
文献調査にしても、思想的な研究にしても、仏道修行と乖離した知的好奇心によるかもしれないが、「世間的な意味で若者」の私(20)は、まだ遊び盛りなので、可能な限り、これらの調査や学術研究を続ける方針である(仏道修行・芸術活動なども並行する)。

なお、当該の偈につき、漢語文献では法句経・第三十六「泥洹品(ないおんぼん)」にある。
 1. 無病最利 知足最富 厚爲最友 泥洹最快
無病は最も利なり 知足は最も富なり 厚は為れ最も友なり 泥洹は最も快し

 2. 飢爲大病 行爲最苦 已諦知此 泥洹最樂
飢は為れ大病なり 行は為れ最苦なり 已に諦かに此を知る 泥洹は最も楽なり

法句譬喩経・第二十三「安寧品」では偈の外に「泥洹此為最樂」がある

このように、2つの偈を引いておいた。
共に涅槃の「楽」という徳目を讃えている(後の大乗・大般涅槃経の常楽我浄のよう)。
前の偈がパーリ204とガンダーラ162とプラークリット76に相当するが、後の偈がパーリ203とガンダーラ163とプラークリット75に相当する。
前後両偈の順が異なる。
整理して言えば、漢語とガンダーラ本とが順を同じくし、パーリ文とプラークリット本とが順を同じくしている。

色々と対訳を示したが、サンスクリットのウダーナヴァルガ(いわゆる出曜経)にも両偈が見られた。
26章のNirvāṇavargaであり、漢訳法句経「泥洹品」と名が同じである。
こちらの両偈は、漢語とガンダーラ本のペアと順を同じくしている。
ārogyaparamā lābhā
saṃtuṣṭiparamaṃ dhanam |
viśvāsaparamaṃ mitraṃ
nirvāṇaparamaṃ sukham || 6

kṣudhā parama rogāṇāṃ
saṃskārā duḥkham eva tu |
etaj jñātvā yathābhūtaṃ
nirvāṇaparamo bhavet || 7

なお、冒頭で話題にして当記事でテーマとなっていたマーガンディヤ経のウダーナ偈については、バガヴァッド・ギーター"Bhagavad Gītā"6章15詩に"nibbānaṃ paramaṃ"と似た表現が見られた。
भगवद्गीता/आत्मसंयमयोगः
युञ्जन्नेवं सदात्मानं
योगी नियतमानसः ।
शान्तिं निर्वाणपरमां
मत्संस्थामधिगच्छति ॥६-१५॥

Śrīmadbhagavadgītā (IASTシュリーマド・バガヴァド・ギーター)
yuñjannevaṃ sadātmānaṃ
yogī niyatamānasaḥ ।
śāntiṃ nirvāṇaparamāṃ
matsaṃsthāmadhigacchati ॥ 6-15॥

The Bhagavad Gita (Arnold translation)
Musing on Me, lost in the thought of Me.
That Yogin, so devoted, so controlled,
Comes to the peace beyond, — My peace, the peace
Of high Nirvana!

バガヴァッド・ギーターもといバガヴァドギーターについては、この種の文献によく言われる「紀元前ウン世紀ころ~」という書誌学的・文献学的見解を一旦置いて考えられたい。
バガヴァドギーターのクリシュナやアルジュナといった人物名はパーリ仏典に確認されないが(クリシュナkr̥ṣṇa→カンハkaṇha 形容詞「黒い」、アルジュナarjuna→アッジュナajjuna 形容詞「白い」・樹の名前や仏弟子の名前)、釈尊在世や、経典結集などのころにも、世間に多くの伝承があったろうから、このバガヴァドギーターの詩と似たようなものや似たような表現が、実際にインド地域で広く聞かれたかもしれない。
もう少し精を出して他の文献も調べると、マハーバーラタ"mahābhārata"12章に、話題の偈"nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ"と同様のフレーズ2つが見られた。

327節5詩(३२७ ५) मोक्षश्चोक्तस्त्वया ब्रह्मन् निर्वाणं परमं सुखम् (独自でヴィラーマ区切りを施した)
mokṣaś coktas tvayā brahman nirvāṇaṃ paramaṃ sukham

英訳(この版では341節): Janamejaya said, "The whole world of Beings, with Brahma, the deities, the Asuras and human beings, are seen to be deeply attached to actions which have been said to be productive of prosperity. Emancipation has, O regenerate one, been said by thee to be the highest felicity and to consist of the cessation of existence. They who, being divested of both merit and demerit, become emancipate, succeed, we hear, in entering the great God of a thousand rays.

330節16詩(३३० १६) निर्वाणं परमं सौख्यं धर्मोऽसौ पर उच्यते
nirvāṇaṃ paramaṃ saukhyaṃ dharmo 'sau para ucyate |

英訳(この版では343節): (The highly and holy one = śrībhagavān = クリシュナがアルジュナに語る) The cessation of separate conscious existence by identification with Supreme Brahman is the highest attribute or condition for a living agent to attain. And since I have never swerved from that attribute or condition, I am, therefore, called by the name of Achyuta.

※IAST: Mahābhārata, Śāntiparvan (entered by Muneo Tokunaga) 英訳: The Mahabharata Book 12: Santi Parva (Kisari Mohan Ganguli's translation)

ただし、バガヴァドギーターなどが言うところの「涅槃"nirvāṇa"」という事柄は、仏教に一致していると考えづらい。
当記事の冒頭で「割愛」した話題は、そのことでもある。
仏典マーガンディヤ経も、そういった認識の相違に関してマーガンディヤに釈尊が教示せられている。
Pubbakehesā, māgaṇḍiya, arahantehi sammāsambuddhehi gāthā bhāsitā:
"Ārogyaparamā lābhā, nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ; Aṭṭhaṅgiko ca maggānaṃ, khemaṃ amatagāminan" ti.
Sā etarahi anupubbena puthujjanagāthā.
要約: 「無病第一利、涅槃第一楽…」という偈は古の阿羅漢"arahant"・正等覚者"sammāsambuddha"によって説かれたもの"bhāsitā"である。それが現在までに俗人"puthujjana"の偈となった。

※ここでの偈は「八正道が涅槃への道であること」を示唆する二句"Aṭṭhaṅgiko ca maggānaṃ, khemaṃ amatagāminan"が後半として加わる。それにより、偈を説いた人である「等覚者"sambuddha"」の範囲が、過去七仏など釈尊が明確に認めた諸仏に限定されていると取れる。他の見解はアッタカターティーカーあたりを読解すべきか。

バガヴァドギーターなどにある「涅槃」とは、果たして、釈尊が明示せられる等覚者"sambuddha"たちと同じ悟りに基づくものであろうか?
信仰する者の心、神のみぞ知る。



シュローカ シローカ 詩 韻律 短音節 長音節 音節
ネット上に公開されている"An Outline of the Metres in the Pāḷi Canon"より。
長音節は重音節"guru, garu"、短音節は軽音節"laghu, lahu"と呼ぶ方がインド伝統的にも近代音韻論的にも適切

※当記事でパーリ・ガーンダーリー・プラークリタ・サンスクリタの同詩と、外典の表現と示してきたが、みな8音節の詩である。この形態の詩をアヌシュトゥブ(シュローカ"śloka"は後世にもっと制約が強められたものか)と呼ぶそうである。私によって音節を数えてみなきっちりと8音節に収まっていることが分かるが、息継ぎは詩の終わりに気ままに行うか?これら詩の諷誦では、音楽的な4分の4拍子リズムを保つ必要が無かろうか?私は韻律などの事項を未だ詳しく把握できていない。少なくとも、漢訳仏典における五言・七言の偈は漢詩の平仄や脚韻を気にしないよう、パーリ・サンスクリットの偈"gāthā"も長い音節・短い音節といった韻律の規定を気にすべきでない。偈は詩の快楽でなく法義のためである。無論、新たに自作する場合は、少し配慮してもよかろう。

2017年10月25日、私はサンスクリットの偈(8音節・4句)を1つ作った。
仮のページ(http://testing-design.techblog.jp/archives/29133059.html)に公開してある。
Aprameyā sarvadharmāḥ, kimaṅga punaḥ me muniḥ |
lokāvidyāṃ hi rājati, tasmād anuttara nāmaḥ ||
(ストーリの終盤における偈) 「一切は量る可から不るなり・何に況や我が大聖をや・遍く世の無明なるを照らしたまう・是の故に無上なりと名く」

以下は、そのページに付記されている「備考」である。
これは8音節の句が4つあるサンスクリット詩である。区分としては、シュローカの韻律に似せたアヌシュトゥブか。韻律について考えると、enwp. Vedic meter記事中にガーヤトリー(8音節3句)の例が載っていてDUMで重音節(長音節)、daで軽音節(短音節)を示してある。例えば、ḥ(ヴィサルガ)で終わる音節は前の母音が長音でないと軽音節として扱う。このガーヤトリー詩 इन्द्रमिद्गाथिनो बृहदिन्द्रमर्केभिरर्किणः इन्द्रं वाणीरनूषत は1句目bṛhadで終わって2句目indramで始まるが、そのdとiは一音として2句目の頭に発せられることが看取できる。同様にindram (前の韻尾による連声でdindram)に続くarkebhirもmと連声してmarkebhir(後arkiṇaḥも連声)として扱われていることが看取できる。尊者の詩ではtasmād anuttaraが同様に仮定スペースを除いてd+a連声となる。ほか参考までに「スッタニパータ5章・韻律」。


2017年11月1日水曜日

Google+ 2017年10月中の日記メモ

当月は母親による「〇〇メーカー(物作りマシン)」への浪費が著しく、しかも、全自動ホームベーカリー(ニワカパン作り)の時のように、短期間でろくに使用しなくなった。
当月メモのうち、10日メモと13日メモ追記とに「母親による購入・物の到着」が記録されているほか、14日メモなど関連事項がある。
当月10日・11日に届けられた①ヌードルメーカー(製麺機) ②ワッフルメーカー ③クレープメーカーは、①の使用が4度ほどであり、②の使用が2度のみであり、③の使用に至っては11月1日現在もなお確認されない(当月13日に製麺機のオプション品が届いたが未使用)。
母親が何々メーカーを買って心を自ら欺くとも、他者からすれば「トラブルメーカー」のままと思われ、かえって惨めに認識される。
母親は当月12日や22日メモなどで弟と争ったことが記録され、31日メモで弟からの暴力を受けていたことが記録される。
母親のような「ババア」は、どのような子供からも軽蔑を受けて当然であり、母親自身が実母(母方の祖母の友子)を尊敬しなかったように、母親自身が「子供は親を尊敬して当然である」という妄語(自家撞着でご都合主義の残念な人の言葉)を発しているから子供から尊敬を受けなくて当然である、という予ての帰結となる。
ババアは高齢の親ならば、大人しく、大人らしく、休職中の過ごし方ができなかろうか?

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2017/10/01

本日10月1日は2時0分ころに目覚め、2:10の第一アラームが鳴って1分後に起床した。前日の午前~14時ころまで母親と弟はどこかへ徒歩で外出していたが、本日も11時前から彼らが徒歩で外出した。前日の会話内容からして前日の外出と同じ行先と思われる(前日に確認しなかったが本日は家の前の通りを南方向へ行った)。14時40分ころに彼らが帰宅した。



2017/10/02

キイロスズメバチ スズメバチ 網戸
網戸に付いていたスズメバチらしき個体。
元の巣は当月下旬の2度の台風接近によって瓦解したかもしれないと11月1日に思ったが、
結果的に11月1日、同種の個体2匹が2階バルコニーにいると母親が話し、1匹を私が見た。

本日10月2日は2:20の第二アラームに目覚め、2:40の第三アラームを経た2時44分に起床した。14時20分に母親が発車し、その後の私は1階リビングのテーブルに母から弟への書置きを見た。内容としては「ママは毎日歯医者に行く」、「(彼らの)夕食は19時ころ」といったものである(抜粋)。15時11分に家の前に母親の車が家に着いたが、3分ほど動きが見られず、それから弟が家の中に入った。母親は弟を学校(もしくは何らかの施設?)に迎えたようだが、少なくとも歯医者の件は母親個人の明日以後の話題のようである。母親の書置きは、今、重要な意味が無いこととなった。



2017/10/03

本日10月3日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があり、それが鳴って3分後に起床した。4時32分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時41分に自室へ帰った。14時16分から母親が発車したが、前日に続いて本日も買出しを行わない雰囲気である。噂の「歯医者(歯科医)」だろうか?その後、2階に上がって弟の部屋を見に行き、最近の彼の動向に関する疑問を解決した。特別支援学校の行事として、「実習(職業訓練)」のために現場へ通っている様子である。今月2日(月)から6日(金)までの日程である。事業所名がNPO法人ナニガシといい、いかにも福祉系専門らしい。検索すると、とある県道沿いに所在すると認知される店舗は、このNPO法人(障害者の就労継続支援)の本部と兼ねていると知った(レストランと認知していたがレストランと弁当作りを兼ねている様子)。15時26分に母親の車が家に着き、15時30分に弟が帰宅した。



2017/10/04

本日10月4日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があり、それが鳴って1分後に起床した。9時7分、どこからともなく、お経じみた声が聴こえ、2階の空き部屋で母親が見るテレビから発せられたかと思うと、家の外から錫杖の鈴が鳴るような音がしたので、まさかと思うと、物陰の上に藁の笠が見えた。家の前を通過した人物が杖を持っており、黒いベストの背後に金色で「南無阿彌陀佛(旧字体)」と書いてある。通行人は彼1人のみである。彼は修験道コスプレ行者であろうか?この近辺は臨済宗・曹洞宗など禅宗系寺院が多いが、関連は不明である。本日の5時10分に下剤1錠を飲んだことにより、漸次便意を強め、11時7分からトイレで長いものなどの排便を行った。

13時20分から母親が外出した。14時50分からも軟便などの排出をした。16時40分、9月29日と10月中に1度ずつ家に訪れた「ガスショップ某」のワゴン車(バン)が向かいT家に停まったが、その1分後に母親の車が家に着いた。買出しの際に牛乳パックをイオン店舗の回収BOXに捨てる習慣のある母親だが、今回は家に置き去りにしたまま、イオンに買出しへ行ったらしい。なお、弟は15時台に帰宅済みである。



2017/10/05

本日10月5日は1時台に目覚め、1時47分に起床した。前日の下剤1錠の効果の余波か、料理・食事などに便意を伴い、3時9分からトイレへ入って軟便などを排出した。4時43分からもトイレで軟便などを排出した。18時40分前からもトイレで軟いものを排出した。



2017/10/06

本日10月6日は、まず1時台に夢を見た後に目覚めた。割と良い印象の夢を見て記憶していることは、滅多にない(1年に数度か?)。1時50分ころに3度、誰かが1階と2階との昇り降りをしていた。後、2度ほど目覚めと眠りとを経たが、その際も謎の夢を見て記憶している。2:40の第三アラームと2:50の第四アラームは前日起床時からOFF設定のままである。2時53分の時刻確認の数分以内に起床した。13時1分まで母親が数分アイドリングしてから発車し、15時過ぎに弟を連れて帰宅した。



2017/10/07

本日10月7日は、まず0時台後半に目覚めたろうとし、時刻確認は1時10分台であった。起床は2時0分である。6時0分ちょうどに、毎年恒例の「近所の祭り」関連の花火だか号砲だかの音が聴こえた。その後、度々笛や爆竹の音が10時~13時までに聴こえたが、子供の神輿の隊列は見えない。15時10分過ぎから爆竹がさく裂し続け、15時23分から母親が1階に降りてインターホンの電源を切った。トリックオアトリート的に家の呼び鈴を鳴らされることがイヤらしい。弟に「寝るから起こさないで」とわざわざ話しかけていた。祭り関係に巻き込まれたくないバアサマである。臭いものに蓋をする行為である。



2017/10/08

本日10月8日は2:10の第一アラームに目覚め、3分後に起床した。15時台と16時台に母親が、1階リビング窓の大きめのクモの巣の話題をしていた。後者の時、1度目に「すげぇ!まだいる!」などと呟いてから、2階に上がって殺虫剤を手にし、再び1階に降りる際に「殺してやるぜ!ざまぁみろ(まだ殺していない)」と意気込んでいた。母親がクモ(全長7cmほど)・クモの巣に強力な殺虫剤の噴射をした。無慈悲・瞋恚、空回りの独り言が多くて気味の悪いばあさんである。

追記:翌日15時台、何となく1階リビングの窓を確認すると、普通にクモが巣の上で佇んでいる。母親の意気込みは、気味の悪い綺語でしかなかった。



2017/10/09

本日10月9日は前日23時に一度目覚めて(1階を弟が移動していた様子)再度眠り、続いて2:40の第三アラームに目覚め、2:50の第四アラームの直後に起床した。前日18時59分に下剤1錠を飲み、本日は漸次便意を強め、5時2分からトイレへ入り、出だしが「栓を抜いて多く流出する」ようで、後に軟便を排出した。



2017/10/10

動画とその説明文の参照を推奨する→http://www.youtube.com/watch?v=fj6htvINwH0

本日10月10日は2:20の第二アラームに目覚めたと思われ、その時に耳より手ずから外したろう耳栓は所定の位置でなくポケットの中に入っている。2時37分に起床した。4時11分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時32分に自室へ帰った。17時台に佐川の配達員が来て母・弟が応じたが、届いた品物について私が確認した時は21時前である。PHILIPSの製麺機であり、また「母親の身に余る物を母親の身に余る物で消費しようとする」という無謀な策を取ったろう。泥沼であり、今更あげつらう気にもならない。無自覚で自己反省の無いクソババア、誰の尊敬も得られない似非親。俺はいつ出家するのか?家庭生活での修道は天才居士以外、不可能。

バブル 浪費
誤文法: 尊敬さる → 尊敬せらる

当記事注: 10月11日18時ころにも佐川の配達員が来て母・弟が応じた。翌日の起床時に品物を確認すると、クレープメーカーとワッフルメーカーである。前日の製麺機(ヌードルメーカー)といい、母親による「小麦粉浪費(日記メモ7月6日注釈)」に対する恥知らずの「物作りマシン浪費」という、湯水の如き金銭消費の自己応酬となっている。知恵や努力よりも「道具に頼ればとりあえずよくなる」という愚物思考のままである。母は、遊蕩淫乱奢侈放埓の物質文明の産廃である。全自動のホームベーカリーすらなお「面倒」と愚痴をこぼすババアが、卵などのクレープ・ワッフルの材料を買いそろえて混ぜる作業はますます「面倒」であろう。何を買いあさろうが、クソババア・似非親に変わりないどころか、クズ性が悪化する原因を作る。もちろん、諫言もできない似非孝子の私である。



2017/10/11

本日10月11日は、何度か目覚めて眠った経緯がある後の2時58分に起床した。前日の就寝時に腹部の硬く張る違和感を確認し、本日は3時以降に下痢を漏らしそうな便意が始まり、4時0分からトイレへ入って腹痛を伴う下痢を排出した。



2017/10/12

本日10月12日は、何度か目覚めたろうが、起床は2:40の第三アラームの再生に臨んだ直後である。前日は11時台の食事から、水分摂取(僅かな食べ残しを含んだもの)のみであり、仏教徒を自負する私が珍しく斎戒とか不非時食戒を達成したかのようである。また、前日の入眠の経緯も荒れていた。20時までにPCをシャットダウンしたとはいえ、1時間ほど押入れで横になってから21時前に絵を描こうと体を起こしたり、21時半ころに再び押入れに戻っても23時過ぎまで眠ろうとしないで意識を保ったりしていた。この間、母親がどのような動向を取るか確認する考えがあり、母親については20時台や22時台など、幾度と1階に降りてリビングのTVの電源を入れたりしていた。そのように1階で時間を過ごしても、大した家事もしない人である。挙句、23時ころに眠っている弟に不器用な干渉をしていた。「ネテタ!?ゴメーン!」

前日18時50分ころに下剤1錠を飲み、本日は薄らと便意のある時があって5時過ぎからトイレへ入り、軟便を排出した。14時3分から母親が発車した。数分後に風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時5分に自室へ帰った。16時36分、買出しから帰った母親の車が家に着いた。

17時30分、母と弟が俄かに争った。弟が、母購入の菓子を食べている最中に不手際をして母親の不興を蒙り、逆上しだした。暴力的に振る舞う弟へ「やめて!ダメだ!」とかという包容力の無い母親の不愉快な言葉が連ねられる。弟は「お前は俺に何も買い与えるな!こんなまずい菓子を買うな!」と太々しく言い放つ。両者に、とげとげしい応酬がある。母親が弟を2階に厄介払いをした後も、彼が「きらいだ!だまれ!しね!」等の独り言を窓の外へと発し続けた。無反省ババアが彼に「反省してから下に降りてきなさい」と無駄な一言を発し(自身はTV享楽)、その10分後に「反省しなくてもいいから私が2階に上がってあんたは1階で(残りのもの・件の菓子?を)食べなさい」と翻意した。1階リビングに居座り始めた弟は、再びナルシシズムか呪いか、不愉快な独り言を多く発し続けた。だから、一部の仏教徒は世俗を厭離し、出家して僧侶となって善知識たちと共に修行すべきである。この家は最悪の家である、道心ある有漏の私にとっては。



2017/10/13


本日10月13日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームの1分以内に起床した。13時36分に母親が発車し、2時間以内にそれが帰宅した。18時半ころ、ヤマト配達員(男性)が来て弟が応じたが、受け取りの際は両者が無言であり、用を終えて2階に戻った弟が俄かにブチ切れた。その後、母との夕食でも不機嫌な様子があり、食事を半ばに母親が2階へ戻した。異常な親子であり、煩わしい。

追記:この品物・配達物を、製麺機のオプション品と確認した。何が母の目的であろうか?無反省・無慚無愧に端を発することは言うまでもない。形式的な大卒にはなっても、人間として大事な事柄を何一つ教えられなかった昭和ばあさんである「としこおばさん」もまた愚昧な人間だと思うほかない。母親の周囲の人間は無慈悲であり、私もまた小慈小悲であった。ババアの人生50年、老廃物のみを溜め込み、老廃物の蓄積に自覚なく、反省の能力を持たない。子供を3人持っても、親としての学びが無い。子供は仏教でいう「天使"devadūta"」であって鏡のごとくに母親の悪を反映したが、本人はその鏡を省察しなかった"na pratyavekṣate ādarśam (普通の動詞の反射態の否定形と名詞対格を用いたつもりだがSVOのような文法はどの程度ありえるか?)"。



2017/10/14

ワッフルメーカー

本日10月14日は、半袖半ズボンの格好において部屋が冷え込んだことで体の危機を覚えて目覚め、2時0分の時刻確認をしてから起床した。私は、最近よく行う「押入れ籠り修行(隨念・入出息など)」を本日も10時半までの2時間以上、行っていたが、押入れを出て耳栓を外すと、母親が1階リビングで大きい音量で「子供向けアニメ番組(BSにおける再放送?)」を流していた。自室のふすまを隔てたすぐ傍から鳴る音声である。11時過ぎ後、母親が4日連続となる1階リビングでの「掃除機がけ」を行った。ここまで母親による異常行動が重なると、「音声・他人の存在・空観(縁起還滅)」も厳しい。私は有漏の身・心だからである。瞋恚を嫌って三業を調伏するが、音を上げたくなる。

当記事注: メモのトップ画像について補足するが、これを母は弟に、アイスを乗せて食べるようアドバイスしていた。母親の10月12日の買出しまでの1週間ほどは比較的暑い日が続いたが、以後は今日まで寒い日が続いている中で、彼は多いアイス(ファミリーサイズ1000mlの8割)を食べた。この書置き行為は、過干渉と過保護の両極端を行う母親のうち、過干渉のパターンである。結局、母親は「無駄な書置き」をしたことになる。17時50分過ぎに弟が1階に降りて残りのワッフルを食べる際も、彼の後を追った母親が口出ししてみたり、「私は邪魔になりそう」とかと言って2階に戻った。その直後に再度1階に降りた母親が、また弟に口出しし、「余計なことをした」と無駄な一言をこぼして、再びそそくさと2階へ上がった。なお、彼は、この時に残り分のアイスを平らげた。ワッフルの小麦粉由来の炭水化物やアイスの100g当たり26g超の炭水化物・糖質や10g超の脂質・脂肪分が彼の体に一日で取り込まれてしまった。母親は、痩せたがる弟に対し、更なる逆境を作る。笑いごとじゃないぞ!彼は肥満児の枠をブチ壊し、恐らくⅡ型糖尿病患者となる。



2017/10/15

本日10月15日は2:40の第三アラームに目覚め、数分以内に起床した。



2017/10/16

本日10月16日は、2:10の第一アラームに目覚めたので余のアラームをOFFにしたが、しばらく起きずに過ごして夢を見たりもして2時47分に起床した。前日19時半に下剤1錠を飲んだが、起床以後に腹部の違和感が長期化したり、右下腹部の痛みを伴う尿意があるのみ時間が過ぎる。13時40分からは腹痛を伴う便意によってトイレへ入り、血の付着が確認される排泄をした。下剤1錠分の効果を補う意図で、14時前から茶葉を入れたお湯でラーメンを少量茹でて食べて茶のカフェインを体に取り込み、それが奏功したかはともかく、16時10分からトイレへ入ってそこそこの量の軟便を排出した。



2017/10/17

本日10月17日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経た2時27分に起床した。13時ころ、母親が徒歩で外出した。ついでに言うと、母親はコート着用である。外は部屋よりも寒かろうが、10月12日の風呂(シャワシャン)以降も衣替えをせずに半袖半ズボンのままに過ごしている。就寝時も、羽毛布団を被らないか、マイクロファイバー毛布を被る程度に済ます。色々と、皮膚や血流などに違和感も生じるが、致命的な痛みや支障などの症状が無い。些細なレベルでは、動作において血管や筋肉の弱みによる痛みが感じられることである。たとえば雪の積もった林の朽ち木のようである。こういった、私の生活の状況に関しては書く機会を生まないので、今、託けて書いておいた。



2017/10/18

本日10月18日は2:10の第一アラーム以前から目覚めていたが、そこで意識をはっきりとさせて2時11分に起床した。10時3分、10月4日の「修験道コスプレ行者」さんが、以前のような声と錫杖らしい鈴のような音を発して家の前を通過した。14時51分に母親が買出しへと発車して外出した。15時10分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、16時20分に自室へ帰った。17時42分に母親の車が家に着いた。



2017/10/19

10月19日は2:40の第三アラームが鳴る前から意識があり、それが鳴って直後に起床した。連日・毎日のように母親が掃除機を掛けている。本日は私の部屋の周囲を集中的に、ノズルだかブラシだかで行っている時間が長い(あてつけ?ひやかし?)。前日の場合は、1階はもちろん、2階に舞台を移してすさまじい物音や足音を立てながら行っていた。破壊的で、母親が自ら家を荒し、心はますます荒廃すると思われる。弟に対して手作業の掃除を強いる母親だから、良心も常識も無いようで精神崩壊寸前である。この私も精神崩壊寸前である。12時32分から「押入れ籠り修行」を始め、心身が定まらないために13時10分から獅子臥(師子臥・右わきを下に向けた腕枕で膝を重ねた姿勢)を始めて入眠し、15時30分ころに押入れを出た。押入れに入る・出るころ、いずれも2階の母親が掃除機を掛けていた。16時過ぎからも「押入れ籠り修行」などをした。PCに手を付けた時が18時10分前である。静慮は成ったろうか?



2017/10/20

本日10月20日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームなども意識がありながら起きようとしない時間を続け、2時27分に起床した。



2017/10/21

本日10月21日は2:40の第三アラームの1分以内に起床した。前々日の就寝前と、前日の7時ころに下剤を1錠ずつに飲んだが、前日中は腹部の違和感が就寝までに弱く感じられる程度の効果発現であった。本日は漸次便意を強め、5時39分からトイレへ入って多めに排便した。



2017/10/22

本日10月22日は2:10の第一アラームに目覚め、2時18分に起床した。前日の就寝は20時55分であり、30分以内に眠ったろうが、それ以後のある時に弟の「まずいめし」云々という怒鳴り声が聞こえて目覚めたことがある。

本日の弟は2時台でも悪い足音を鳴らしていた。弟の母に対する怒りは10時以降に発現し、2階から俄かに降りた弟が「お前のまずいめしなど食べん!」と発した。母親は無言でBS放送の再放送アニメ(90年ころのもの)を見続けていた。10時26分に再び弟が母へ接触して言い争いになっていた。弟が母親に対して色々と論難するが、母親は全て無理に抑え込む主張をした。こういった、母親の抑圧的な態度は昔から大した変化が無い。自己反省などしないままである。弟=我が子・愛子の怒りへの、同情とか憐憫といった慈悲の徳を持たないニセ親である。10時44分から、母親が怒りの掃除機掛けを始めた。作業の際に掃除機をぶつける音が荒くて大きい。11時8分にも俄かに弟が1階へ降りて「目と鼻を切り落とす、お前は俺の気持ちを分かっていない」云々と物を持参しながら発言していた。ここでも彼を突っぱねるような対応ばかりをして、「(弟のために)ご飯を作らない・小遣いもあげない」と毎度の口癖のみを発する。10時台から、今であっても2階で物音を荒く発する弟である。その後も1階に降りて再び母親を脅したり、2階ですさまじい破壊活動(ほか2階の弟の自室から地面へ水を撒いていたり)が続いた。聴覚過敏・PTSDにでもなりそうである。惚けた声でテレビを見る、無慈悲・現実逃避のババアである。



2017/10/23

本日10月23日は2:40の第三アラーム以後に起床した。



2017/10/24

本日10月24日はいくつかのアラームに目覚めたろうが、起床は2:50の第四アラーム直後である。3時ころ、リビング側のふすまの境界の木の材質の箇所に、全長1cm未満のシミ(フナムシのような虫)がいた。今までのシミの中では一番小さい個体となろう。4時15分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時29分に自室へ帰った。13時台、母親が気狂い・怒りの独り言をしながら1階の掃除をし、14時以降に玄関や家の周囲で何かの作業をしている最中、ケガをしたらしく、悲鳴のような独り言を続けた。何であれ、3兄弟の出生後、母親と住んでも住まなくても、それによる悪影響が3兄弟に現れてしまう。16時ころ、母親がわざわざ玄関のドアの鍵をかけ、18時前に開錠していた。間もなく帰宅した弟が18時27分に風呂を出た際、母親が製麺機で作った麺について「悪いんだがぐちゃぐちゃでまずすぎるんだヨォ、この麺は」などと愚痴を連発していた。母親は長い子育て史においてモノに頼っても、よいことが無かった。心の接し方では尚更であるから、モノを買う金があるうちは、まだマシかもしれない。私は雨安居の如き引きこもり生活を送って3か月近くも金銭を消費しない。



2017/10/25

本日10月25日は2時27分に起床した。前日の10時49分受診のメールのごとく、10時14分に母親が歯科の受診・郵便局・銀行・買出しへと発車した。本日は当該メールと本日9時24分のメールに記される「配達2種」があるそうなので、私がそれに応対するよう指示を受けている。前日17時58分に下剤1錠を飲み、本日は漸次便意が強まって13時42分からトイレへ入って色の悪い長い一本糞を排出した。14時53分にヤマト配達のクール車トラックが来て即座に対応し、呼び鈴を鳴らされてより応対した。配達員はSやNや今年5月30日・6月7日などのカレではない男性配達員である。ダンボール箱は大きめであるも割合として軽く、開封して見ると「サイクロンクリーナー」の文字が見える。充電式のバッテリーで動くそうで、コードレスクリーナーの類か。普段の掃除機での行為に母親は不満があろうか。14時58分に母親の車が家に着いた。15時11分、1階リビングで母親が、キチガイじみた独り言をした。「配達2種」のうち、未だ来ない郵便局からの配達について、利用元のAmazonか何かのショッピングサイトに対して「サイアク云々、サイアクダー!」などと発していた。ここまで狂気が強まると、知的障害・痴呆の住まいを厭離せねばならない。私自身も取り返しがつかなくなる。その後にヤマト配達物の箱の様子を見てみると、上にAmazonからの小包(折れ曲がっている)が載っており、12時台に来た郵便配達員が郵便受けに投函した物と思われる。



2017/10/26

本日10月26日は夢の中に意識があり、夢精が起きそうになったので心を叩き起こし、半ば夢精した段階で目覚めた。1時36分に起床した。1時47分に弟が1階に降りてテレビを付け始め、1時52分と4分に2階で母親が弟の名を間抜けな声で発していた。都合の悪い弟にとって母親には応じるわけがないし、母親も用があるならばもっと動けばよかろうに。みな非合理的なことを能動的にしていて気味が悪い。3時24分から便意のためにトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。

3時56分からゴミ出し・自販機通いの外出を始めた。2日前からの予定であって晴れの天気を確信してきたが、寒さは起床時から強い(某予報で最低気温9度と今月最低)。今回の所持ゴミは燃やすゴミ2~3か月分と、自販機ゴミ箱への約500mlサイズ ペットボトル3本である。空は晴れていて南寄りの真上にオリオン座がはっきりと見え、広い範囲に星が見られた。4時9分に家に着いた。4時台と5時台は弟が4度1階に降り、先の1度とこの1度に食事をし、後の3度はトイレや洗面所でゾンビのような喉の呻き声(または豚の鳴き声・ピッグスクイールの一種)をあげていた。5時30分に弟が2階の彼の部屋で窓から外へ、意味不明のマヌケな言葉を小さく叫んだ。私にしか聴こえなかろう、私がマヌケ相応をするだけで無益多害だから止してほしい。11時5分から母親が徒歩で外出した。間もなく洗濯(枕カバー・掛け布団カバー各1点で敷布団カバー1点は中止・・・敷き布団という単語は日記メモ史上未出で謎、前回洗濯の2017年8月6日メモは単に布団カバーとしか書いておらず謎、2点ならカケシキどっちもだが2点とも1点ともなくそれでは敷布団ならばシーツという単語で当時区別したかと用例を探せばシーツも日記メモ史上未出であった;無関係1点を除外)を行った。



2017/10/27

本日10月27日は、まず0時台に目覚めて再び眠り、続いて1時40分ころに目覚めて1時44分に起床した。本日は特に弟の動きが無さそうに思えても、3時30分前に弟が2階で物音を立て始め、1階に降り、例の通り(日記メモに記録しないことも多い)洗面所へ進んだ。そして、彼は恐らく冷たい水を恐れてチョボチョボ・チョロチョロと出してから、ジャーッ!と流すようにして顔洗いをし、ゲフゥといった声を多く上げてから2階へ帰った。6時43分に弟がゴミ出しから帰宅した際、彼がいつもの意味不明なアメリカ大統領の名前を唱える独り言(ただいま、ジョージWブッシュおじさま、あのさジョージだぶりう・・・)をしていると、母親が2階で「うるさい!」と吠えた。母親は基本的に弟をしつけない(よほど不愉快な時に互いの感情を荒げる怒りを発するのみ)が、珍しく、こういう時に吠えたと思う。その後、無意味に弟が1階に居座って同様の独り言を続けている。



2017/10/28

本日10月28日は2:20の第二アラームに目覚めたようであり、起床は2時45分である。3時ころから、どこからともなく鳴る物音を感じていたが、家の外からか内からか、発生源さえ不明であった。キッチンで調理している際は聴こえないが、自室にいる時は聴こえた。5時過ぎに自室を出た時、これが玄関のあたりと分かり、しっかりと聴くと、玄関のドアの外で鳴っていることが分かる。起床時から今まで雨は降っているが、雨との関連性は不明である。音の原因は、虫が行うことか?猫などの動物が行うことか?誰か人が行うことか?玄関ドアに他の硬いものが衝突してよく響く音(文字通り響く反響するのではなく人の皮膚などによる緩衝がないこと・振子の先のものを糸の遠心力で他の者にぶつけるなど)であり、不規則な鳴り方である。



2017/10/29

本日10月29日は2:10の第一アラームなど随時アラームに目覚めて2:50の第四アラーム以後に起床した。



2017/10/30

本日10月30日は3:20の第五アラーム以前にも目覚めたろうが記憶は薄く、そこでの目覚めでも起床をせず、3時48分に起床した。本日起床直後に下剤1錠を飲み、漸次便意を強めて8時17分からトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。10時19分からも尿意の為にトイレへ入り、排便が可能なようだから冷たい風の通りが多くて手足・太ももが冷えるままに5分以上静止し、随時に物を排出した。11時14分から母親が発車して外出した。12時40分台、トイレで排便の構えを為している時に母親の車が家に着いた(その頃に物を排出した)。13時以降に悪質な腹痛が起こり、15時40分台にトイレへ入って長めの一本糞を排出した。



2017/10/31

本日10月31日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームの1分以内に起床した。4時10分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時16分に自室へ帰った。前日と本日と、母親は午後の6時間・3時間、眠っていたかのように動きが無かった。弟は学校&施設の帰りが18時前後となるが、本日は弟が風呂を出てから5分以上、奇怪な独り言があった。普段から(本日の彼の帰宅時を含む)独り言が多いとはいえ、近場で彼の独り言を聴き続けて「(私に)悪が移る・魔が入る」ようであり、仏道の人は正念を堅固にすべきである。大乗の人は教化して済度すべきだが、小慈小悲の私には堪えない。

前日と本日と、母親は弟の夕食を放任したが、本日の場合は途中から介入してきた。母親は、他人の行動について粉砕したがる悪癖により、弟に一挙一動の節介をした。「(弟が食べる)ご飯に埃が被る・正しい順序でないとご飯が冷める・肉が腐る」とかと、人の機嫌を悪くするような表現を多々用いる。彼にとっては「関係ないだろぉ」という話である。冷淡な声色で、次々と弟に対して節介を加えている。父親にせよ2人の弟にせよ、母と一緒に住む者はみな、精神崩壊を起こして当然となる。19時16分、にわかに弟がブチ切れて母親に数発殴打を加えた。母は「手術したばかりなのに(7年以上前の乳がん手術のことか?よもや歯のことではあるまい)」などとヒステリックな言葉を発している。弟は「こんなご飯(母親の炊いたものの余り)なんてまずいから食べないよ!」と吠えてリビングのドアを強烈に閉め、2階に恐ろしい足音を立てて上がった。1階に取り残された母親は、間もなく、1階のテレビなどを消してから、後を追って弟に反撃を始めていた。