2016年9月21日水曜日

生活と仏道 ~ 禅定と智慧が生きる精進の日々

日常生活と仏道修行は「不二」と考えてよいが、「而二」の見解もある。
我々の生活における所作・一挙一動も、正しく行う努力を心掛ければ、仏道の修行にも通じることを「不二」と呼ぶ。
PCに向き合う時にも姿勢を意識して背筋を伸ばし、PCで作業中の不具合や不手際や失敗にも怒らず焦らず、冷静に対処するよう自律すればよい。

しかし、そうと言っても、それが出来るだけでは解脱(成仏や往生や涅槃など)は叶わない。
それが出来ることを、四威儀に渡る「念」が保たれた「禅定」の境地として喜ぶことはできるが、解脱のためには、解脱への志と同時に仏教の法の理解も兼ね備えている必要がある(むしろ先に教法を知る前提によって念が保たれるようになると言うべきか)。
それを生活と仏道とにおける「而二」と呼び、「世法即仏法(および仏法即世法)」の「而二不二」である(2016年6月20日記事の注釈1で詳述)。
仏教の理解に裏打ちされて「四種三昧」の「非行非坐三昧」というものの実現となろう。
もし、生活における所作が端正な人がいて仏法に値い、学び、慢心を起こさないならば、彼の解脱は近いと考えてよい。



例えば、一心不乱に勉強(学業)や労働(仕事)をすれば徳が積めるであろうか?
実際には、何ら思考や精神を伴わない作業は機械に任せても変わらない。
私は時折、社会を高度に機械化し、最後には機械が人間に取って代わって速やかに文明が滅んでしまってよいとすら思うことがあるが、これは私の慈悲が却って暗転した極論である。
本心ではいつも、人々が仏教に関心を持ってほしく思っている。

無心に勉強や労働を続ける意義は何であろうか?
世俗の欲望に塗れて勉強や労働に向き合っても、世俗の中の成功が有り得る程度に過ぎない。
もしくは世俗の欲望さえも欠け、楽しみも感じずに無機質な勉強や労働を行うならば、人間として大いに欠陥があろう(私の両親がその典型例・しかも今や父は抜け殻同然で母は勉強も労働もままならなく趣味も無い)。
一心不乱な勉強(詰め込み)は、知性に向いても、理性を排除するという知性への貪欲さに陥る。
このような状態では解脱に至るよりも、ただ無明の闇に堕ちてしまう。
※ただし、そういった機械的に勤めて(勤勉・勤労して)世間の欲望や野心などを持たない剛毅木訥・少欲知足の人がいるならば、仏法とは別の観点で尊敬できなくはないと思う。

さあ、仏法の道理を心得ずして世事や俗事に取り組んで、仏教の解脱が叶うと言えようか?
故に日本の大乗仏教から仏教全般が、仏道の基本的な修行(戒律を持つ・瞑想する)のみならず、信仰(尊敬・帰依・祈願)したり、広く学んで智慧を得たりと、精神性を重んじる一面も強い。
こういった諸々の仏事の調和によって修行に精進し、功徳を積み、悟りを得て仏道を完遂する道理を知らねばならない。
何事も一辺倒のままでは錯乱する結末を推して知るべし。
人間は人間であるからであり、機械のようにはゆかないからである。
世俗の望みにも欠け、その時の苦楽に翻弄されて物事を深く考えない反面、心身や他人との煩いが多いまま年を取る人は畜生に似て認知症となりやすかろうが、ご僧侶(宗教家全般)は正気・正念が据わっていて寿命が延び、臨終までの生涯に渡って破られがたい仏道が進められている(たとえ葬式仏教・形骸化仏教でも一般人よりこの傾向が強い)。

繰り返すが、もし世事・俗事に打ち込める人がいるとし、仏法に値って学ぶ身となるならば、彼の解脱は近いものと考えてよい。
仏道修行を抜きに労働・農務を真面目に行ってよいと見誤った中世の禅僧(鈴木正三)および禅宗全般について「而二不二を知らない」・「謂己均仏」という批判を過去に加えてある(額面通りには増上慢そのものの教説だが、もしかしたら達観した方便の教説と言えなくもない。その禅僧は在家信者を相手に説いたろうが、一応そうして世俗の労働を無心に続けていずれは仏道修行に関心を持つと見込んだ前提であろうか。これ以上に詮索の余地はない)。



生活に活きる(?)仏教の心


私は食事の際に「いただきます」と声に出して手を合わせる習慣がなく、言葉も浮かばない。
しかし、食物への「畏れ」は感じている。
これは美味しい・不味い(食べやすい・食べづらい・健康的・不健康という価値判断など)とは思っても、それ以上の執着を起こさず、心の中で嫌い続けたり食べずに捨てるなど、食物としての価値を蔑ろにすることはしない(スッタニパータ1.4章≒雑阿含経98経に釈尊が説法直後に施された食物を受け取らず施主に捨てさせた逸話もあるが方便の振る舞いである)。
食物への執着は、「私の中の仏様・マイブッダ」がお叱りになる。
食欲に随って食べ続ける自己の姿は、心の中の鏡が明らかに映し続ける。
仏様・如来はまさしく常住しているというのに、食物を貪ってなどいられようか。
仏教では「口が臭い」という表現を経典に見る(例は法華経譬喩品"口氣常臭")ことができるが、そのように五欲を貪っている我が身の口は臭く、貪るほどに臭くなることを感じてしまう。

仏教徒は、食事に喜びも悲しみも感じている。
自分がもったいなくも食事にありつける喜びと、自分が欲望のために食事に手を出す悲しみとが、心の中でせめぎ合う(苦楽一如・悲喜こもごも)。
世間の人が食事に感じる喜びとは、専らウマイ飯や大食いの欲求満足にあり、悲しみがあるならば、その欲求満足の対価として生じる経済苦や不摂生の弊害にある(凡夫の苦の縁起を現す)。

仏教徒は、現世で得られる最低限の食事に感謝して満足しつつ、臨終まで慚愧・反省の念を精進し、もう食事によって生命を繋ぐような境界に生を受けなくなる(解脱する・成仏する)ように願う。
こういった精神性も真の健康の在り方であり、実際に少欲知足によって経済苦や不摂生の弊害も発生しづらくあろう。
形式的に「いただきます・ごちそうさまでした」と声に出して手を合わせる美しい習慣や文化性も大事であろうが、その後からでもよいのでこういった精神性も踏まえてほしいと思う。
「思い」と「行い」の一致によって道が進むものである。



食事について話をしたが、私が通常の意味の健康を確立しているかと言えば、全く自信は無い。
私にも、体の悩みというものがある。
単に、小食であることと、食中や食後に起きる諸々の肉体的苦痛がどう関係してどちらが先であるかは、もはや顧みる余地もない。
とりあえず、食虫や食後の肉体的苦痛について列挙すると、デンプン系・糖類(ご飯・大概のシリアル・大概の菓子類・糖類が基本の甘い飲み物)などの糖質を口に含むと口内に酸が増えて気持ち悪く、こういうプロセスの酸は胸やけなどの原因となるから私は胸焼けが多く発生する(口内に残る酸は歯にも悪いから飲み水で流す・歯磨きは頻繁にやらない・これらは過去記事の通り)。

体の悩みについて最も大きい問題は、便秘であるが、その変遷は以下の通りである。
2010年末(埼玉県内居住末期)あたりから下痢になりやすくなったり(牛乳を原因とする乳糖不耐症らしい時期でもあったが2014年までに解決)、そう思えば2011年末(家出先の豊橋以降)には母親のインスタントコーヒーを多めに飲む習慣を始めて大量下血が発生したり(その後3年以上はコーヒーをあまり飲まないで過ごす)、2012年からは便秘が始まって母親のコーラック(とビューラックという同じ系統の下剤)を飲んでみるなど、大腸の問題に関しては変遷が著しい。
2013年以降にも便秘と下痢を繰り返すような変化があったが、記録は過去記事に見る通りである。
2014年以降においては下剤を伴わない下痢が滅多に起きなくなっており、下痢は外す。

無論、2012年からコーラックの初使用の手前に懐疑し、その系統の下剤の依存性や中毒性は十分に心得ているため、当時から節度を保って使用を続けているため、今でも一度の服用は1錠のみで十分に効果が得られている。
「効果・作用の老化現象(鈍化・減衰・減退・適応とも言える)」は仏教的な思考で理解が深まる。
2015年5月13日の日記メモなどでも常々書くが、こういった身体・肉体・人体の法則・現象に関して名前が無く、類似した情報のページが無いかネットで検索しても関係ある検索結果が一つもヒットしないことを「徒労検索」と称している。誰も自分の体について自覚がないのであろう。

大量下血で飲むことを恐れるようになったインスタントコーヒーについては2015年以降に「カフェインパワー」を期待しつつ、これも節度を保って飲用し続けている。
コーヒー及び同様の力が期待される紅茶・緑茶などのカフェイン飲料にしても「効果・作用の老化現象」があるから、カフェイン節制は重要である。
更に、その日に1杯のコーヒーを飲んで排便がされたとしても、同じようにもっと排便したくて2杯・3杯と飲めばまた排便ができることはあまりない。
こうした事実も仏教的な思考で受け入れられ、緩やかにでも便秘の改善が期待される。
物事は、綺麗に足し算や掛け算の答えとなるような結果ばかりでないという事実を。
算数の理論・数学的な思考ばかりの現代に生きてそこから脱することは稀有である。
また、便秘の改善が期待外れの結果となろうとも、後悔はあまりなかろうし、未だその状態でない時は憂える必要もない。

ここまでに2度も「あまりない」とか「あまりなかろう」と書いた点も、仏教的な思考に依る。
「全然ない」、「全くない」とは書かない(それも少し考え方を変えると使用が許される表現だが)。
私は物事の予測や判断についてよほど客観的に立証されないものに「絶対」とは考えない。
俗諦の上ですらもそう考え、真諦においては「空」の意義から「絶対・永遠・完璧」などもないと考えているが、真諦については現世に生きていて一旦、差し置いてもよい。
話が難しくなっているようだが、この部分に限っては用語に深い理解がある人が読んだ状態を想定して書いている。
これでどうにか書きたい趣旨を書けたこととなる。

※最後になるが、どこに書くべきか判断が付かなかった「排便法」に関して載せておく。「サマタ・パヴァナ」と2015年10月8日から呼び、時には「無為自然」のやり方(日記メモ2016年5月24日)とも表現している。





起草日: 2016年7月10~18日のいずれか
起草した日から1か月以内は大した加筆が無かった。
それ以後には漸次内容を増やし、9月以降は記事として投稿できるように執筆を進めた。



追記: 2016年12月20日

この記事に語った私の心境・・・例えば食事の時に湧き出る「感謝の念」と「背徳感」などは、およそ仏教徒を自負する立場に依る。
仏教徒を自負する立場に依った結果としてそういった想念が起こるわけだが、想念の種類や中身そのものは仏教徒ごとに異なったり、強さの程度も異なる。
私の場合は、既述の通りである。

仏教徒を自負する立場とは、仏道の義務と使命を自覚する立場である。
八万四千の法門と言うならば、無数億(むしゅおく)の仏教徒が各々の自覚に立っており、みな同じようであって同じようでもない部分が多かろう。
とはいえ、同じようである部分とは、現世で「仏道を行く我」を根本としていることである。

つまり、仏道の志には、「仮に設けた仏のエッセンス」がある(漢字4文字で假立佛我と名付ける。菩提心や天台六即でいう名字即の仏性や天台十界でいう仏界とも似る)。
仮の我が身に於いて仮に設けたので、仮の範疇では常に仏の顔や言葉(主観的に選別・解釈されたもの)などが常に付きまとう。
「エッセンス」や「常に」という表現は、アートマン・我見・常見などを連想させる語弊があろうが、仮の範疇なので咎を恐れずに用いた。
このエッセンスは思考や判断に作用するから、その思考や判断に基づいた行動があるので、生活に活きると言える。
本文中「生活に活きる(?)仏教の心」という見出しが設けられているが、非常にこの理解と通じたものである。

仮の範疇に於いて我を立て(仮設エッセンス)、生活の中に念じることがある。
念じる事柄とは、小乗仏教以来、4つに総括して四念処(四念住)と呼び、中身は「身・受・心・法」の4つの事柄と、それに対応する「不浄・苦・無常・無我」である。
つまり、「①自他の身は不浄である、②心身に受けることは苦ばかりである、③心は思いを生んで消すことを繰り返して無常である、(①~③まで仮の自我意識に依る)④諸法(全ての存在)は実体がない無我である(よって他の物事を自分が所有する・されるという関係も成立せず我が苦も我が苦でないし我が心も我が心と言えない)」と念じる。
この4つの念は、言葉で律儀に念ぜずとも、仏教の教理が何となく頭に入っている人が日々の生活に注意深く振る舞う中で意識される。
つまり、生活の中の現象・物事について、五感を通して心に受けるという「縁」によって念が作用する(縁起の法理)。
毒を食らって毒を知らねば「苦集滅道の四諦」も言葉だけの概念となるから、一応は様々な行為を通して縁起を感じ、四念処を成就すべきである。

そうして、食事に対する憶念は善悪に及ぶ。
その中身は、「自覚・反省」であり、努力の道となる。
仏教で自覚すべきことは善悪に及ぶ、という趣旨は過去記事の通りである。
また、性善説・性悪説とも取れる教説が多岐に渡っていることも仏教の特徴であり、まさしく善・悪および無記の三者を包括した真の中道である。
こうして私は何度も同じ趣旨を説いてゆく。

このような自覚・反省の日々は、決して「流転・輪廻」の境地ではなく、「還滅」の境地であり、「解脱」の道である。
流転と還滅、輪廻と解脱。
言葉を仏教用語に置き換えてみると、人によって通じやすくなろう。
十二因縁・十二支縁起という教理は難しそうであるが、輪廻は流転門、解脱は還滅門であり、仏教徒の生活は還滅の如く「苦しみの原因・縁起」を破る。
その方法が「自覚・反省」の思考に支えられている。

日々に自覚と反省を繰り返し、しらみつぶし(モグラ叩き・たまねぎの皮を剥く・堅実に)でも悪い境地を知って無くす努力をするならば、一歩一歩と地に足が付いており、足取りも定まり、手探りでも確かな手ごたえを得た仏道となる。
悪い境地を知らず=自覚が無く、故に反省もせず、努力ができず、その場その時の感情に任せて一喜一憂する人生が「流転」の境地・「輪廻」の道である。
自覚が無いならば、何を反省するか?
自覚と反省が無いならば、どう努力ができようか?
そうして努力が無いならば、いかに進歩して解脱が叶おうか?
還滅・解脱の道は「自覚・反省・努力の生活」であり、後述する「波羅提木叉の異名」でもある。



全ての閑居求道者(無戒在俗)のための戒律信仰

「仮に設けた仏のエッセンス説」にしたがえば、戒律における懺悔の行為も説明がつく。
戒律における懺悔の行為は、比丘の集団(僧団・僧伽)でされ、持律比丘は衷心より懺悔する。
自身が仏道の精神に背く行為・背徳行為を日々に重ねているという自覚が常に付きまとい、その度に反省・懺悔の念を免れない。
この現世での「常」・・・程度の差はあるが、これこそ「仮に設けた仏のエッセンス」である。

涅槃に臨む仏の言葉の一つには「我(仏)の滅後に汝等比丘は波羅提木叉を我(仏)と恭敬せよ」とある。
仏所行讃(佛所行讚)仏遺教経(佛遺教經)に見られるが、共に同じ教説である。
この仏所行讃と仏遺教経から言葉を借りると、波羅提木叉(梵: プラーティモークシャ "Prātimokṣa"、解脱へ向かうの意)が「巨夜の明燈(巨夜之明燈)」であり、「闇において明かりに遇うようなもの(如闇遇明)」であるということは、空・諸行無常・諸法無我の現世に我・アートマンを得たようなものと言い換えられなくはない。
闇に対して明かり有り、無我(闇)に対して我(明)を説く、このことである。
※ここで私が唱えるエッセンス・我・アートマンとは、仮設・自覚的なものをいうのであり、真理・実体論・形而上学的なものとして唱えられた小乗部派や外道のプドガラ・法有我・アートマンではない。

波羅提木叉というと「戒本」であるが、いわゆる五戒・十善戒・二百五十戒などの戒律でなくとも、一般人・在家信者の場合は仏の言葉・誡めであるとか、仏に繋がるものでよい。
自分がイメージする仏の御尊顔とか仏像の相貌でもよい。
私のような自責の念もまた、戒律そのものでなくとも「持戒に類する自覚」である。
そのように「波羅提木叉=(主観的・信仰的な)仏」を思い続けることが、「仮に設けた仏のエッセンス」の一例でもある。
こうして、仏道の自覚に基づいた背徳行為があるならば、仏法に基づいて反省できるようになる。
仏教徒は、このような「仮に設けた仏のエッセンス」によって自覚と反省の日々を送っている。
僧伽において戒律を持つ比丘が軽い罪を犯した時、大衆の面前で懺悔するように。

仮に設けた仏のエッセンス、または道心・道念とは、あたかも航海にはコンパス(方位磁石・方位磁針・羅針盤)が必要であり、コンパスがどうあっても、その針は常に北を指しているようなものである(仏道の意志にもコンパスの針にも例外はあるが例外も包括した上でコンパスに譬えた。全ての物事に例外は有り得るから)。
「仮に設けた仏のエッセンス」により、何をしても仏=応身における仏=御尊顔・御金言などが潜在意識に現れる境地となろう。
ああ、それであっても背徳行為を認めたがる放縦・放逸な私である。
私の日々の想念は徒労・本末転倒とならぬよう・・・。

私などは反省すべき背徳行為がありすぎるため、とても反省しきれない。
解脱した人の生涯に対して「波羅提木叉"towards liberation"の人生」とも「自覚・反省のできた人の足跡」とも名付けられるが、程度が低い自覚・反省の人生では、解脱に遠いようである。
こういう具体的な「遠い」という表現で断定する論理は仏教的でないが、あえてこう述べる。



仏教における「反省」に関して私が実感することは、教義・教理・法理・法義の方面も同様である。
私の信奉は日蓮大聖人の仏法と御本尊・御題目であるが、まだ理解が浅い時にそのまま決定する=頓悟・速疾頓成の人(日蓮正宗・創価学会信者など)もよかろうが、私はそうでないので、迷いも多かった。
なまじ、日本の大乗仏教・中国の大乗仏教の諸宗派の教義や、古典的な大乗仏教や上座部仏教や、大乗非仏説論なども摘まんだ程度に知っていたから「決定無有疑」が難しかった。

自分の理解の浅さを反省し、上座部・小乗仏教の方面も2016年1月から学びだした。
その間も、実大乗・文底の信奉はそのままである。
小乗仏教・パーリ語経典とか、そちらの方面に多少の理解がつき、小乗の法を反省し、続いて権大乗・・・竜樹菩薩の中論を基本的に学んだ。
これらの経典や論文は過去記事でも多く引用している。
権大乗も反省してから再度、法華経の理解に戻ると、霧のかかった景色が晴れたように様々な語句の真意が見えてきた。
天台三大部の所説も、真意に通じる補助となった。
この大乗仏教について完全に理解・把握したとは言わないし、今も不明瞭に感じる部分は多い。
ただ、法華経の実大乗たる所以はおよそ理解したと思う。
その理解により、「文底義」にも通じてゆく(日蓮正宗・創価学会の信仰と少し合わないが)。
こういった反省に基づく研鑽の成果が、2016年11月23日起草の「法華教学の再確認(諸法実相・第一義・文底義の視座で)」にまとまっている。


2016年9月11日日曜日

上座部仏教圏の信仰・神々と、日本のテーラワーダ信者による幻想・誤解

まず、釈尊が「信仰」や「神」を否定されたかどうか、話しておきたいが、その前に仏教徒として物事に必要な理解の仕方を説明する。
「信仰"Saddhā"」という言葉がパーリ仏典やその日本語訳にあったとしても、一義的ではない。
パーリ語・サンスクリット語などに詳しい人はご存知の通り、一つの言葉に多くの意味が混ざっている語彙(Dharma, Dhammaが好例)が多く、日本語で「信仰」と翻訳された場合も、所説ごとに異なる意味を持っている(漢字の"信"とか"法"という文字も仏教での意味と世間での意味とで違いがあるばかりか字の原義は一見全然違いそこから意味が枝分かれするように同音同字意義は生じやすい)。
言葉の上面のみではなく、こういった背景を理解して吟味し、検分しないと、とんだ誤読を犯して誤解に繋がってしまう。
特にパーリ語・サンスクリット語および、その漢訳や日本語訳の経典では、そういった姿勢が最も重要である。
日本人ならば、表面や表層や形式ばかりを眺めるのではなく、心を見極めねばならない(大乗仏教では"依法不依人"や"依義不依語"という)。

さて、日本のテーラワーダ信者(主に個人ブログやウィキペディアや知恵袋などに一部見られる)はオカルト否定をしたがる合理主義(理性主義)から「ゴータマ・ブッダ(釈尊)は信仰を否定された!」、「大乗仏教ばかりが雑に神を取り入れて外道となった」と、信仰の否定を叫んでいる様子が度々見られる。
実に、彼らは「論語読みの論語知らず」という愚を犯している。
また、高尚にして清浄なるテーラワーダ・テーラヴァーダを宣揚したいがために、事実を確認しきれておらず、ご都合主義的な視野狭窄を露呈させている。
上座部仏教の「信仰」と、上座部仏教圏で信仰される神々について説明しよう。



テーラワーダで第一の聖典、「スッタニパータ (日本語訳は中村元センセー訳を参照)」では1.4章(田を耕すバーラドヴァージャ)に「信仰が種である(Snp 77)」といった言葉が見受けられる。
この信仰とは、パーリ語で"Saddhā" (サッダー)とあり、この一節は"Saddhā bījaṃ tapo vuṭṭhi,"とある(ちなみにサッダーは梵語でシュラッダー"śraddhā"という)。
漢訳だと雑阿含経(98経・耕田婆羅豆婆遮)で「信心爲種子(信心を種子と為し…)」とある。
同じく「スッタニパータ(3.2章)」に「私には信念があり(Snp 432)」とあり、原文ではその"Saddhā"を用いて"Atthi saddhā tathā viriyaṃ,"と書かれる。
思うに、先ほどの「信仰が種である」とは、正しくは「信念」の方の"Saddhā"であって自分が解脱している・出来るという信念の確信なのか、あるいは釈尊御自身に対する信仰なのか、あるいは過去の"Buddha (覚者)"への信仰なのか、といえば、少し判断しがたい。
「『自分が解脱出来るという信念』が種である」で取れば、大乗仏教の「発菩提心」にも通じている。
※スッタニパータと並ぶ聖典「ダンマパダ」にも"saddham, saddhaya"といった"信"が、"sīlam, sīlena"といった"戒"と一緒に説かれ(144, 333など)ているが、細かい意味の判断は諸君に任す。中村訳と原文提示で満足がいかない方は英訳版も参照されたし。"Faith, Conviction, Confidence"等。

無論、同じ「スッタニパータ」では「そのように汝もまた信仰を捨て去れ(Snp 11461151)」、 "Evamevaṃ tvampi pamuñcassu saddhaṃ,"とあるが、しっかりと前後の文脈や5.19章全体を読み直すと、どのような意義であるかは自ずと読み解けよう。
この"saddhaṃ"の前にある"pamuñcassu (梵語漢訳で)"という単語は、少し理解に難があるようで、単純に「解き放て」という意味に直訳する(中村センセーは「捨て去れ」と解釈した)。
伝統的解釈などでは「信を寄せよ」という注釈(ブッダゴーサAṭṭhakathāやサーリプッタCūḷa niddesaなどにおけるadhimuccanto, adhimuñcassuの和訳?典拠不明)もあるそうで、また現代の中国(古い文・文言文に擬したもの)では文字通りに「賓祇耶信解(もし信を解き放ての意味ならば解信と綴るが一般的な信解"しんげ"と同義か不明瞭)」と訳している(漢譯南傳大藏經・經集5.18、舎利弗尊者のチューラニッデーサ・小義釈に注釈がある)。
この後のバラモンのピンギヤさんは"pasīdāmi"の方の信仰心が増えた、という旨を述懐する。
※「信」に関連する用語を羅列する→サンスクリット語śraddhā, prasāda, adhimukti, bhakti (シュラッダー・・・現代に英語クリードcreedの語源ラテン語クレードーcredoと同語源。 プラサーダ アディムクティ バクティ・・・ギリシャ語根phagパグ・古代ギリシャ語ἔφαγονエパゴン、世間でいうマクロファージのファージと同語源で原意は「分割する or 食べる」だがいつの間にか献身・神への服従などを意味するようになる) パーリ語 saddhā, pasāda, adhimutta (サッダー パサーダ・・・sdという文字列は似るが動詞語根は前者が√dhā=置く 後者が√sad=坐る で異なる。本文中Pasīdāmiパシーダミーに同じ。 次アディムッタ)

一部の日本のテーラワーダ信者は、そういった理解も無く、言葉の上面だけを見て利己的な判断をし、「信仰しない己が尊い信仰」にとらわれ、邪義を生じ、他者に伝える。
信仰とは、正しい基準に基づいて取捨選択されるものと理解すべし。
私の信奉である日蓮大聖人の法門では、その基準を「文証・理証・現証」の「三証」として説いており、その結果、釈尊の経典では「法華経(および法華三部経と涅槃経?)」を信ずべきで、それ以外の小乗・而前権経といった類の経典を信じてはならないと決まっている。
その「法華経」を色読・体読して事実に現された「法華経の行者」であらせられる日蓮大聖人もまた大いに尊敬すべきである。
※ここでは日蓮大聖人の法門でいう「大小相対」として小乗仏教を非難しない。なぜならば、日本のテーラワーダ信者の思考が、そもそも仏教に適わないから、まず「内外相対(内道・外道の論点)」として糺す。外道の思想でいえば、順世派アジタ・ケーサカンバリンに対するようである。

こう言えば、「法華経など大乗経典は後世の偽作だ」と反発を招くため、私から一つ言えば、キリスト教の新約聖書にせよ、パーリ仏典・三蔵にせよ、またヴェーダやウパニシャッドといったものも、みな先進的な文献学者から「後世に何らかの加筆・創作が混ぜられている」と看做される。
彼ら文献学者や書誌学者は、セクト主義を排し、ドグマを滅した、学問研究家の鑑である(合理主義を極めると虚無主義者や懐疑論者になって宗教・仏教・修行が不要という外道に落ちぶれるが自分の欲求ばかりは肯定して貪欲になるか学者なら知的探求を進める)。
程度の差はあれ、そもそもそういった経典・聖典・教説は、より原理主義的に言ってみな「方便・空」であって一つを極度に重視してはならない、といった立場を取りたいならば、パーリ語の経典が真説であろうとなかろうと、これも偏重する対象ではない(修行の原理主義であれば)。

結局、「あなた方、修行者が、そういった経典・聖典などの教説を、どう受け止め、どう己の修行に反映するか」が大事である。
そう思うならば、修行の原理主義者としては最も健全であろう。
例えば、輪廻転生が事実だとか事実でないとか、ブッダが説いていないとか、そういった議論(教義論争)は修行とほぼ関係がなく、大事なことは輪廻転生の思想を通して「善業を積んで悪業を止める意識」が生まれる勧善懲悪であろう(子供に"良いことをすれば天国に行けて悪いことをすると地獄に堕ちる"といった教育を方便として用いることと同列のようではあるが)。
つまり、釈尊の多くの説法が人の機根に対応したものであり、大概の人は一応の理解・信頼をせねばならない(文献学的にも証明されている原始仏典や基本教義にいくらでも輪廻思想は見える)。
無論、輪廻転生を信じなくとも修行が維持できる機根の高い人には関係ない話だが、そもそも輪廻転生が非仏説であるという見解に執着して議論をする人が、機根の高い人とは言えず、実践的な修行すらろくに行っていなかろう(彼らの実態について断定はしない)。

こういった議論に執着して迷ったり怒れば本末転倒であり、それらが「戯論」と言われ、原始仏教ではむしろ、それが正しい・正しくない、真理だ妄語だと主張する精神が否定される(無論Snp 907-などの話は大体の修行が成っている賢者の境地を説いていて私ら愚者が及ばない話)。
そこで修行が止まるならば、やはり教説への執着は捨てねばならない(そうでなければ一つの教説でもいいから胸に刻んでそれを指針として真面目に修行する・江戸時代某僧侶の正法観)。
だから、どこかの誰かが、信仰自体をやみくもに否定したり、輪廻説を弁駁して否定しても、それは修行者でない外道の所業であるから私の関知しない問題だが、一応、私の見解は書きたい。
信仰が要らない・輪廻転生を信じない、それで修行が成るならばそれでもよいが、私はそう思わない、というだけのことであろう。
信仰にせよ、輪廻説の信受にせよ、私のような未成年教団無所属・無師の者の中途半端な捉え方は、一斑全豹ほどでもないが「群盲象を撫づ」のたとえにも似ていて語るには畏れ多い。



釈尊自身を、一神教のゴッドや浄土教の阿弥陀仏のレベルで崇めることは、確かにこういった原始仏典だとか原始仏教の立場では否定されるに違いないが、健やかな信仰は、むしろ修行者に寄与する面が多いと考えてよい。
何か、信仰や信心自体を、イスラム過激派や、近現代のオカルト的新興宗教や、カルト教団の類を目にして悪いイメージに覆われた者たちが毛嫌いしているのではないか。
そういった偏見に執着しては、それこそ仏教徒としてあるまじき無明・迷妄・愚癡の姿である。
すべからく、そういった偏見の類を払拭されたい。
これについて「不条理だ!」と思うならば、それこそ既に修行の妨げである。
様々な教説に対する広い理解ができず、迷ったままでは、解脱は到底かなわない。
「中道」あるのみであろう。

私は、パーリ語の経典や上座部仏教圏で当然唱えられる「三帰依」に見られるよう、まず「仏"Buddha"・法"Dharma, Dhamma"・僧"Samgha"の三宝への帰依」仏教の三宝に対する帰依・信仰を促しておく。
大乗仏教諸宗では、その仏法僧の定義が変わりもするが、ひとまずテーラワーダにはテーラワーダにおける三宝の定義がある。
これを私から明示する必要はない。
三宝を尊敬・信仰する意義は、仏ましまし、その仏が法を説き、その法を伝え弘める僧(サンガ・僧侶の集団)がいる、そういった教法の時空に渡る布教と維持への祈念にある。

私は、「三宝一体」と呼んでいる。
三宝のうちの一つが欠けては、私やあなた方を救済するもの(解脱への道しるべ)が今は何もない・・・という悲惨な状況となっていたであろう。
こういった慈悲心・信心を起こさなければ、あなたの救い(修行・解脱)もなく、あなたと同じ時代やその後の時代にも救い(修行・解脱)がなくなってしまう。
悲しいことであろう、故に、仏教徒、とりわけ在家信者・在家修行者は三宝を敬うべきである(現代人がそう思えなくてもこういった理解は伝統的に受け止められた経緯がある)。

あなたは解脱するために仏教を学んで修行をしている。
その解脱の法を説いて自ら解脱している「仏」とその「法」を信じ、その仏法をあなたの時代・国家にまで伝えてきた「僧」を信じる。
「仏」は解脱し、仏の所説の「法」は解脱への道を示し、それらを「僧」は現代までに伝えてきたので、あなたが解脱を目指すならば、三宝の一つでも疑ってはならない(あなたが定義した三宝、テーラワーダならシャーキャムニブッダとパーリ仏典と上座部の僧伽・出家僧侶とを信ず)。
こう理解すれば、様式や程度の違いはともかく、修行する仏教徒に「信仰」があって当然である。
また、自分が解脱できるとの確信を持ってようやく信仰は盤石となる。
その意味での信仰すら無く、一様に「捨てよ」というならば、まさしく仏教が無意味となってしまうし、人々が仏教を学ぶ意味も無い(反宗教ならば合理主義・啓蒙主義などの西洋哲学で十分)。



上座部仏教圏でも、イスラム教で禁止される偶像崇拝が普通に行われている。
イスラム教では、神という創造主が人間と同じくして生み出した単なる「被造物」に対する礼拝など、無益であるばかりか、勝手な偶像で神を印象付ければ神の高尚さを損なうからといって禁止され、キリスト教でも神=ヤハウェ(エホバ)を描いた絵画などはほとんどない。
イスラム教の聖典であるコーラン(クルアーン)には、そのように偶像崇拝を禁じ(7章191以降)、そもそも神=アッラーには姿や形などがないと明記されている(要出典)。

一方の上座部仏教圏では、寺院に仏像や置き、絵画を掲げる。(オウム真理教のラオス巡礼動画・34分以降などに紹介されるほか儀式の映像もあり参考までに・ほかインターネットで)
これらを見てブッダと阿羅漢の弟子などへの尊敬を生じ、自分で教えを守り、時空に渡って残そうという道心や慈悲が起こるものである。
一神教における、神を極度に畏れて崇拝する信仰とは異なるのだから、ブッダ・弟子の姿などは、よほどおかしくない限り、個々人が尊いと感じられれば自由なイメージで良い(ただし多くの場合に三十二相といった外見の定義が求められるし特に上座部圏の仏像は金ピカが好まれる)。
ちなみに、ミャンマーには日本でされる仏像の開眼供養と似た、仏像を安置する際の儀式があるそうである(持戒清浄の比丘が5人以上集まって読経するなど)。

私自身は、偶像を好んで入手したり参ったり眺める必要は感じていないが、実際に偶像崇拝は多くの人に支持されている。
「ブッダは『自分の像を作ってを拝め』なんて言ってないぞ!」と鼻息を荒くする教条主義者には理解しがたいであろうが、修行は凡夫の機根に合って多種多様あって然る。
偶像崇拝が万人に必ず有益と言わないが、全否定されるべきでもないと思う。
事実、伝統的にこのような信仰が上座部仏教圏で連綿と続けられている。
伝統的な信仰は、その三宝に帰依する言葉やパリッタを日常的に唱えるとか、托鉢の比丘に恭しく布施するといった行動も含む。
パリッタを唱えることについては、例えば題目や念仏がよく現代人の中で一種の洗脳・催眠・自己暗示と言われているが、こういったことは自分に教えを刻み込む行為として有益であろう。
※後述するが、スリランカではピリット("パリッタ"の転訛)を儀式で唱えて護身を祈願している。



また、「神」自体の存在についても、釈尊はあながちに否定されてはいない。
むしろ、実在を感じられない神についてやみくもに否定することを、釈尊がされようか?
人々の間では、「捨て去れ」と求道者へ命ぜられたような信仰が横行していたから、「摂受」の立場で教説にしっかりと梵天(ブラフマー)や帝釈(インドラ、シャクラ、カウシカ、パーリ経でサッカ、コーシヤ)を取り入れられた。
これは大乗仏教で撰述されたとする経典に限らず、パーリ語の経典にも多く見られ、釈尊が法輪を転じられたきっかけである「梵天勧請」くらいは、日本のテーラワーダ信者もみな知るところである(相応部サンユッタ・ニカーヤ梵天相応1や長部ディーガ・ニカーヤ大本経・毘婆尸仏の話など)。
釈尊の弟子の御一人である難陀尊者が釈尊に弟子入りした経緯の逸話にも、帝釈天の忉利天が登場しているなど、これも広く知られるところである(パーリ経蔵・小部・自説経Nandasuttaṃ)。
原文などは、もはや逐一出そうと思わないし、もし読者の学びが広ければ、十分に思い当たる教説が見つかる事と思う。
そもそも、適当に眺めていても、頭に残るものであろう(その人の心があれば)。

無論、釈尊は、そういった神々そのものを信仰しろとはお説きでない。
しかし現実に、テーラワーダ・上座部仏教圏の寺院にはインド思想の神・・・ブラフマーやインドラが祀られる時もある(タイのワット・アルンが有名)。
神話上の生物(神鳥ガルーダ・蛇ナーガなど)を模したオブジェを随所に配置する、道教建築っぽい装飾も多い。
合祀というか、こういった神や土着信仰などの習合がないと教団も維持しづらかったであろう(そう書くと仏教学者・歴史学者・文献学者のような合理的思考のようで気が引ける)。
日本の大乗仏教・密教が行う邪命養身・邪命自活(護摩焚きなど祈祷・呪術・祭祀・儀礼)などほどでないにせよ、上座部仏教も教団の中に多少、"異物"の受容はあった。

特にタイの首都バンコクの街中では、ブラフマーやインドラをはじめ、ヒンドゥー教・バラモン的なシヴァやガネーシャやヴィシュヌなどが祀られた宗教施設も多い。
仏教寺院ではなく、ヒンドゥー教寺院や華僑系のものも多いであろうし、バンコクのみを語っては偏っていて仏教とは関係がないように思われそうだが、一つ、再確認していただきたい。
カンボジアもよく知らないが、統計上は国民の9割がたが上座部仏教の信者とされ、まあポル・ポト時代に僧侶の凄惨なる大量虐殺や僧団破壊などもあったが、今では上座部仏教が憲法で国教として定められ、実際に人々の生活と仏教が密接に関わっているであろうに、一番有名な観光地は由緒正しきヒンドゥー教寺院「アンコールワット」である(仏教徒の出入りも多い)。
カンボジアでも、民間の仏教信仰にヒンドゥー教の神や生物などが含まれていると考えてよい。
国ごとにヒンドゥー教との習合のレベルに差はありそうだが、いずれにせよ、日本のテーラワーダ信者が声高に唱える「ブッダの教えをそのまま守って継承した純粋仏教」といった趣旨は、一知半解に基づく。

仏教徒ならば「諸行無常」を知っているから、多くの人間の手で長い時間にわたって守られてきたものが、全くの変化もなく続くとは思わない。
北伝仏教・日本の教団や信仰が日本なりの変容を遂げたよう、南伝仏教・彼ら東南アジアやスリランカなどの僧伽・僧団・部派にも彼らなりの変容がある。
そこには、教義的な矛盾・誤謬や、修行・儀式の追加・変更も含まれて当然である。
この事実は、自称・ミャンマーに遊学して分別説部で得度したという真言宗お比丘さま(2000年代まで在家)がインターネットで色々と書いたところに学び取る要素は多い。

その真言宗お比丘さまは、スリランカの教団を酷評していた。
スリランカの仏教については、伝統的に法灯が断たれた経緯があり、今はシャム派という部派(名前の通りタイ・旧シャムから再度伝来した分別説部系の部派)が勢力として最大であるが、スリランカの仏教が一番古来の伝統を残していて正真正銘の仏舎利・仏歯があると謳いつつ、シンハラ人の伝統的カースト制度における高い階級"Govigama (ゴイガマ、内にラダラなど氏族がある)"の者しか出家できず、しかも多くの比丘が托鉢をしない、などが見られるという。
寺院での行事にしても、儀礼などでは密教のようにヒンドゥー教の影響を受けた作法を厳守し、先に言うパリッタならぬピリット(守護利益あり)を唱えて厄除けや魔除け、病気平癒などを願う(最近では交通安全祈願も始めた様子)。
これはこれで尊重したいが、仮にも日本のテーラワーダ信者は、そういった南伝仏教が伝統的で非オカルトの純粋な仏教であると頑なに主張しているため、その点では愚昧な話である。
いくら譲歩しても、彼らが原始仏教・純粋仏教などを標榜している教団の在り方には見えないし、少なくとも日本のテーラワーダ信者が抱える幻想(高尚で非オカルト)とはかけ離れている。
※お比丘さまとは別に、スリランカの寺院には必ずヒンドゥー教の神を祀っているといった情報もあり、著名な寺院も同様であるが、仏の歯が奉納される寺院の場合は不明である。

こういった情報は私が実際に見たというわけではないし、私も完全な鵜呑みにしてはいないが、それは幻想を抱えた日本のテーラワーダ信者であっても私と同じように上座部仏教圏の信仰の実情を実際には見ていない点で等しい(単なる観光で確認したという程度も同様)。
故に合理主義なら合理主義らしく、教理や歴史的経緯など、世間の情報を吟味して正しい理解に目覚めるべきではないか。
反宗教・反オカルト・反外道という名のセクト主義が実に強情である、その迷妄を自ら破れ。

"Apārutā tesaṃ amatassa dvārā, Ye sotavanto pamuñcantu saddhaṃ!!"





ここまで、教説の「理」と古代から現代までに至る教団の「事」という、「理・事」両面より説明した。
合理主義に基づき、学問的な見方を是とする日本のテーラワーダ信者が、実は随分と偏狭であり、彼らの合理主義に適った一説ばかりを見て正しい教えと思っている。
その一方で、日蓮系や浄土系などについてを「一つの経典や一つの修行に偏った邪教」であると主張する姿も見られる。
実際は、中村センセーを中興の祖として仰いだ新興宗教の狂信者が、日本のテーラワーダ信者である。
中村センセーですら、ずっと公平公正な視野があるが、彼の狂信者らがご都合主義の愚人であるとは、見るに堪えない悲劇である。
釈尊のみならず、教祖・中村センセーのお眼鏡にも適わないであろう(開祖・スマナサーラ長老については言及しない)。

既成宗教のオカルト性などを嫌った反骨精神で、「合理的・理知的・科学的で思弁哲学的(なように見える)仏教」をたまたま見つけ、あるいは仏教(特にテーラワーダ)を見つけずとも、何らかの思想に傾倒してその思想が正しいとみなし、宗教を非難する。
これまた、「反宗教VS宗教」の対立であり、実に愚かしい構図である。
そういった二元対立・二項対立を離れてこその仏教ではないか。
それは「中道」であり、「右」でも「左」でもないが、右も左もなくした「無」でもない。
また、仏教の教義は、確かに科学にも適う面は多くあるが、それのみを唱えては「画竜点睛を欠く」というものであり、仏教として十分ではない。

彼らが嫌う日本大乗仏教の一部宗派に限らず、彼らも偏狭であって十分にセクト主義が強い。
だから、自分たちの信念である合理主義に適った(ように見える)教説ばかりを金科玉条のように振り回しており、それこそ不平等で狂信的である。
日蓮正宗系の教団では、そういった釈尊や日蓮大聖人の教説の一部分を、文脈も考慮せずみだりに用いる愚行を「切り文」と呼んでいる。
正しい信仰を持てなかった者たちが、「自燈明・法燈明」を誤解して自分の偏狭な思想こそが法に適ったものと思い込み、これを妄信して已まない。

「中道」の立場から言えば、ただ信仰の良し悪しを吟味し、あなたの徳に資する信仰を取り入れて心の土壌を耕し、かといって狂信的になってしまうといった本末転倒を起こさないように用心すれば、それこそが仏教徒ととして好ましい姿勢であろう。
合理主義に毒された日本のテーラワーダ信者にとり、俄かには理解できないことと思う。
私は、そういった現代的な合理思想を一時は強く主張していたが、まさに毒が回らない10代のうちに仏法に値えて研鑽を進められ、そのために「中道」といった偏りのない広い視野が持てた。

テーラワーダ信者は、テーラワーダとしての正しい信仰、いや、個々人にとって心の土壌を耕してくれる信仰や精神の持ち方を、どうにか「自燈明・法燈明」の立場で探ってもらいたい。
「純粋な仏教・本来の仏教」を標榜するにも、それで他宗・他派を攻撃するのではなく、自分たちの矜持として清楚な修行と伝統の守護を日々に心掛けるための合言葉として念じてほしい。
そのようなテーラワーダ信者がいるならば、大いに尊敬したいと心から感じている私である。





起草日: 20160815

数日以内はだらだらと絵や音楽に手を付ける時間が続いていながら、この日は俄かに当記事を起草し、同日中に7,000文字近くを書いた。
元々から思っていたことや知っていた情報などを、吐き出してまとめた内容である。
改めて、短期間中の極端な変化に自ら恐れるばかりである、そう翌日8月16日に思った。
修行・研鑽も、絵や音楽という世俗の趣味も、順調に形を成せる取り組みが大事である。



日本のテーラワーダ信者の愚昧さについて、過去記事でも少々書いてある。
私はあくまでも、テーラワーダの教義自体は尊重していて一部信者の愚昧さを責めている。
http://lesbophilia.blogspot.com/2016/05/idol-and-idea.html#theravada

インターネット上に仏教を語る様々な人がいる中、原始仏典にどこまでも忠実な立場を持ちつつ、様々な思想を論じている人物がいた(当記事関連調査中の8月19日に知る)。
知識量はかなり膨大で、並みの日本のテーラワーダ信者よりも見識が広いようであるが、「原始仏典にどこまでも忠実な立場」であるから、例えばスッタニパータの4章・5章が釈尊真説としつつ、「信仰が種である(中村元センセー訳、Snp 77)」とある部分を含む1章は全体的に後世の仏教徒による創作・追加である、と見ている(ただし1-3犀の角の章のみ1章の中で真説とする学説も強い)。
信仰を頑として否定する魂胆には、この人物の主な批判ターゲットである新興宗教・信仰宗教のオウム真理教・幸福の科学、キリスト教の聖書などの影響があろう(彼はキリスト棄教者)。
本文中に私が綴るよう、信仰をどう論駁して否定しても構わないが、そこまで純粋な釈尊真説にこだわって"信仰"自体を否定する者も、その執着・信仰を持っている(信仰しない己が尊い信仰)。

しかし、仏教の信仰(三宝帰依・自信)を否定するならば、解脱を願った修行も無い。
何となれば、信仰を否定する者は往々にして「発菩提心」を欠かしている。
専ら理知的に学んでいれば悟りがある、などとでも思っていようか?
私は「行動だ!実践だ!」とかまびすしく言うつもりもないし、本当に「智目行足到清涼池」というよう、行動には知識が伴う必要(不二)もあるが、結局は実践を欠いていながらに実践を嫌って「日本人の好きな説教」と屁理屈を垂れるところ、実にものぐさの学者に過ぎない。
現代日本で原始仏教の復古をするにも、仏教の心構えが欠けてしまったところ、信仰一辺倒・修行懈怠・形骸化の既成宗教にせよ、どちらに転んでも日本の仏教は致命的な欠陥を残したまま(両極端)であると思う。

インターネット上にこういった、高説に高説を極めた「仏教学者」サマがいても、大概は現代的合理主義・物質文明のシャカイを謳歌した者であり、この者も様々な食品なり芸能なり世俗の執着が強く、自ら実践など何もないわけであるから、こういった者は「仏教学者・思想研究家」として尊重できても、熱心な「仏教徒」としての尊敬をしてはならない。
「科学的で合理的な教説のみをされたブッダ」という観念偶像を成立させても、結局、彼らは最後まで修行することは無い。
あの大阪のお比丘さまも、そういった学問一辺倒の在り方を示して「仏教学者と仏教徒は違う」、「学説の信者・仏教学信者」という批判を加えている。
また「観念遊戯」といい、これを譬えて「地図を眺めて空想に耽って現地へ実際に足を運ばない机上の人(あくまでも譬えであるから旅行など道楽・物見遊山を推奨する言葉ではない)」と表した。
無論、私も大阪のお比丘さまも、未だ悟っていない、未熟な凡夫であるから、多少は自説を持って言論を行うし、その姿勢が絶対に善いと言わないが、今の段階では修行の糧となろう。



以下は一部本文に対する脚注みたいなものとなる。
起草日の提示の段落から、ここまでの文章よりも、先に書いた。

本文中で少々触れたが、私の信奉である法華経ほか、日本の仏教教団で重用される経典の多くは大乗経典であるが、それらの所説のほとんどが偽作・創作(偽撰)である、といった主張が、よく日本のテーラワーダ信者の中で主張される。
「大乗非仏説論」といい、日本では早く江戸時代の国学者の富永仲基や平田篤胤が唱えた、外道による既成の仏教教団への非難である。
背景には、日本の既成の仏教教団・僧侶の堕落といった状態があった。
どの宗派も重用しない「阿含経(小乗の教えとして多少用いられる程度)」こそが仏説を残している経典とみなした。
後に西洋人が仏教全般を研究するにあたっても、パーリ仏典・経蔵(漢訳では阿含経と対応する)は最も釈尊の言葉を残していて大乗・漢訳経典は偽作・創作が多いとみなされたように、やはり歴史的に外道による非難である。
私としては、そういった学説も、仏教の修行とは別に一理あると思っているが、やはり修行者がこれを鵜呑みにする姿勢であってはならない。
大事なことは、その教理や教説が「三証」・・・特に現証に適い、自身の修行を助け、徳に資する教えであるか、といった判断である。
現代までに仏説として伝えられており、仏教の基本的教理である「縁起(因縁で生じる)」に適っていれば、それ以上に非難する余地が修行者にはあるべくもない。

※パーリ経蔵は増支部にある「カーラーマ経(Kesamutti sutta, Kālāma sutta)」というものを参照して正しく理解されたい。ブッダ様の説であってもあなた自身の仏教的な目的性(自身の苦を除くこと・その意味で如法であること)を通して正邪を確かめてほしいが、エセ学者の立場を抜け出せない日本のテーラワーダ信者の場合はいつまでも困難なままか。なお、カーラーマ経の当該箇所は、漢訳版である中阿含経・業相応品・伽藍経に載っていない。

仏説「筏のたとえ」である(またの名を"月を指す指"、"鰯の頭も信心から")。
たとえ釈尊・仏陀の真説であったとしても自身の修行に反映されないならば荘厳ながらに無用の筏(無用の長物)となってしまうが、ちゃんと因縁に適った教説でありながらに人々から「非仏説」とされるボロボロの筏でも、生死の大河を渡るに問題などなく、筏として機能する。
ここで、大乗仏教の一部宗派だと、「死後もずっと付き添うものとしての信仰」が見られるため、大乗の信者である私が言うには空々しいが、信仰についても「生死の大河を渡る」筏であり、一応はどんな仏・三宝でも、信じることで修行の助けとなれば、みな有益である。
私の場合「如渡得船(渡りに船を得たるが如し)」の法華経・日蓮大聖人の法門を信奉している。
法華経という大きな乗り物・大乗は、私と私の説を聞く人々を倶に彼岸へと渡らせるであろう。



文中の「依法不依人...」や、「切り文」といった語句については、曇無讖による漢訳・大乗の大般涅槃経(パーリ語のマハーパリニッバーナスッタではない)に詳しい。
「依法不依人...」は経文通りとして、「切り文」の意義を含めた経文は、日蓮大聖人の御書にも引かれる「是の如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し無義の語を飾り前を抄て後に著け後を抄て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん」という部分である。
端的に言えば、ある人が素晴らしい経典を読むとしても、いい加減な解釈をしていい加減に文章を取り出して用いる、といった具合に、経文を乱すと説かれる。

そのような態度で自分の都合のために前後の文脈などを無視して「経文を切り取る」ように用いると、これは日蓮正宗系の教団では「切り文」といって非難される。
私のような原典主義者は、特に、こういった「切り文」の非難を蒙らない努力が重要である。
このような大般涅槃経は、大乗仏教の論理性がよく現れた教説が多く、これを受け止めて折伏を行う。
折伏には、勧持品(忍従)といい常不軽菩薩(尊重)といった精神面の教説と、大般涅槃経に見る論理面の教説とがあり、いずれも折伏の基礎となる。
これら全てが、日蓮大聖人の折伏や一代の布教に現れているものと拝察する。



追記: 2018年3月9日

本記事中に"SuttaCentral"へのリンクが複数あるが、同サイトが日本時間2018年3月8日にリニューアルされたことに伴い、一部のページURLが変わったため、新しくリンクした。
リニューアル概要の動画→https://vimeo.com/257038431

ついでに、ここで一つ、読者に何か宿題を書いておく。
以下の言葉(パーリ原文・日本語訳)は、主題の一つである「信"saddhā"」の原形の動詞"sad √dhā"二人称・複数形・命令法で用いられており、関連する「信解"adhimukti"」の原形の動詞"adhi √muc"も同じように用いられている。
これは、どういう趣旨の教説であろうか?
検索などの手段を用いて原文の経典を探し、自ら問うて答えられたい。

Saddahatha me taṃ, bhikkhave, adhimuccatha, nikkaṅkhā ettha hotha nibbicikicchā. Esevanto dukkhassā
訳: 比丘たちよ、あなたがたは「私のそれを"me taṃ"」信じ・信解しなさい。("me taṃ"について)疑惑なく・疑いなき者たちとなりなさい。「これ"esa"」こそが苦の終焉である。


2016年9月3日土曜日

Google+ 2016年8月中の日記メモ

今月は比較的、母と弟の争いも落ち着いている状態が続いたが、8月23日はやや長文のメモとなっている理由が母と弟の争いに関連している(争い自体ではないが私も関与がある)。
その後はまた度々争ったり、弟は常時「母親の食事がまずい」趣旨の独り言や母親の不満を漏らし、それらを母親に聴こえるように発することも多い(8月28日16時台など)。

先月に続いて弟の掃除機掛けという強迫観念による行為、弟のプール登校か部活動か通常登校かも判断しづらい不安定な外出傾向、先月の夏休み以前からされていた早朝散歩をめっきりしなくなったりと、弟の動向に不安定が多重に重なる。
母親も復職したかのように見え、8月5日金曜日に女性2名が訪問した際「お母さん仕事してるみたいだから」という発言があって私も「最近・・・(そういった動きが見える)」と答えはしたが、結局、母親のそれらしい動向は、先月末の平日に早めの時間の外出(家の中に薬剤師関連の書類を散見)と、今月の場合、その週の月・水・木が女性2名が訪問した金曜日にバラつきある時間の外出をするのみであった。
母親も弟も空虚の極みであり、煩わしいことこの上もない。
精神も生活も不安定な者たちである。



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2016/08/01

本日8月1日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームも聴いて覚えているが、7月30・31日と違ってすぐには起床できず、2:26の第三アラームでようやく起床した。

3時42分、某ニュースサイトの映像を再生中、にわかに映像が止まった。またインターネットの接続が乱れたか。しばらく、タスクバー上の接続状況を示すアイコンには何の変化もなく、映像のFlash Playerが使用しているタブとは別のタブで何らかのサイトのアクセスを試みるも、特に応答も無いまま10秒ほどが経った。そこでサイトに接続できないメッセージと同時に、タスクバー上のアイコンにも注意マークが表示されて詳細には「インターネットなし、セキュリティ保護あり」と更新された。3時57分、一度そう出たことで、このWin10機の過去の例では数時間待つか母親の部屋の無線LANルーターをいじるか、どちらかをしない限り直らない印象でいたため、放置していたが、何となくアクセスを再試行したところ、普通に接続できるようになっていた。それまで、タスクバー上のアイコンは何の変化もなく、20秒ほど経ってからあの煩わしい注意マークが消えるという役立たずぶりであった。

7時18分、弟が制服で家を出た。それまで本日はまだ1階に降りてこなかった母が見送っていた。8時40分、ずっと1階でテレビを見ていた母が2階に上がり、外出する前兆のような現象は多々見られたが、不発に終わるもの多かった。9時50分までに2階と1階リビングの出入りを4・5回ほど行ってから初めて家の外に出て車にエンジンを掛けるも、発車せずにエンジンを止めて家の中に戻った。玄関で何やら独り言と作業をしてから10時1分に発車した。数分後から風呂(シャワシャン)の準備と肌着類・靴下の洗濯を始め、10時53分に自室へ帰った。12時ころに弟が帰宅した。13時過ぎ、弟が夏休み以降行い続けている掃除機がけ(7月29日メモにも記録)を始めた。彼の動機はなんであれ、私から先に、彼が掃除機をかける範囲の清掃をした方がよいとは考えても、し忘れたりする。13時20分前から13時40分過ぎまで寝落ちした。

14時前に洗濯物を取り込み、本日はYahoo!天気の当地「愛知県東部」の予報が夜明け前より「曇り時々雨」でずっと変わらないものの、今までずっと晴れている。ただ、降雨状況の地図は全国局所的な雨(三河・天竜・南信地域や道東や房総などバラバラ)が多いようで、「愛知県東部」とされる地域でも実際に雨は有り得る。晴れている今でも、全体的に霞んでいるし、雲は午前中よりも少々増えてきた。14時46分に母親の車が家の前に着いたが、降りた母親は家の前をウロウロとしなが「うわっ!○※△◎×」というような独り言を4分ほど続けた。15時過ぎ、雷鳴のような音が数度聴こえた。15時12分には明らかに雷鳴とわかる音が立った。その後も断続的に雷鳴が聴こえ、それも止んできた16時ころから雨が降り始めた。強い雨とはならない。17時30分ころから母と弟が傘を差してコンビニへと出て行った。



2016/08/02

本日も2:10の第一アラームに目覚めたが、前日と違って2時13分という早い段階で起床できた。前日と同様(母の声・弟の格好など)、7時18分に弟が登校を始めた。どうも、記憶から思い当たるところでは、部活動関連の登校ではないかと思う。制服・カバンという格好は似つかないが、情報としてはこれ以外に考えづらい。ちなみに、特別支援学校の休暇中の出校日は8月19日である。

さて、今月の下剤使用はどの程度となろうものか。2012年以降、夏場は下痢をしやすいとか、逆に下痢の頻度が低かったりして8月末~11月1日の60日以上は下痢なくして快便で過ごした2014年など、季節や環境による気候の変化は、私にとって何の影響もないことが分かる。今年も8月に入ったからとて、必ず下痢しやすい・食中毒に陥りやすいとか、快便になってくれるとは断言できない。2014年以降、下痢と言うと下剤の効果で副次的に発生するのみとなっている。今年、快便であった月は4~6月である。特に6月中は1度のみの服用で済んだ。

本日は4時台に朝の略式勤行を上げた後、7月30日の母の買出し品のうちのコーヒー豆をコーヒーミルで挽いて薄味の一杯を飲んだ。コーヒー豆を挽いて淹れたコーヒーは去年中から久々のこととなった。それから本日昼頃に再度、もう少し濃い1杯を飲もうと考えてきて12時40分台、母が2階で電話をしている最中に豆の準備をした。終える直前に母親が1階に降りてきたが、直後に2階へ上がっていき、私が部屋に戻る間際には弟が帰宅するなど、不可解現象が続いた。早朝の1杯ではドリップに用いる道具を使ったが、13時から淹れる際にはそれを使わず、直接コーヒーフィルターでムーミンカップに淹れる。



2016/08/03


本日はアラームを聴いたという確固たる記憶はないが、わずかに感覚があるように思う。2時28分に折り畳みの携帯電話を手に取って時刻確認した際、既に開かれている状態であったからである。間もなく起床した。本日こそは排便に至りたく思い、4時前からコーヒーを淹れた。昨日飲んだ2杯と別の製品のドリップコーヒーだが、豆は最初から挽かれている。今回は適量のシュガーのみを混ぜた。7時50分台からそれまでの便意を強めて明確な効果が発現し、トイレで中サイズ2本などを排出した。

10時32分、それまで5分ほど車のアイドリングをし続けた母親が発車した。11時5分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、11時44分に自室へ戻った。風呂(シャワシャン)すらも近頃は急いで終えなばならないほど、時間の流れが速く感じられる。今や、朝の個人的な時間に風呂(シャワシャン)を行う余裕は無い。まあ、先月や先々月などは朝の個人的な時間も無くなりつつある状況について日記メモに嘆いている(5月22日メモ7月14日メモなど)。母・弟らと、私との住み分けという。世間の個人主義的風潮の高まりに警鐘を鳴らしながら、私や僧侶(特に遁世型)などは、むしろ伝統的に個人主義の恩恵を享受してもいる。個人主義の性質を理解するからこそ、自分はそうしつつ、他人の在り方には注意を促す。そんな自分も過度に自分勝手となりすぎないよう自制できるわけであるし、私などはそれでよかろうと思っている。今回の風呂(シャワシャン)最中の手際に関してはいつもよりも早くすることは前回8月1日の時と同様だが、前回は5日ぶりの行動であり、今回は2日ぶりの行動であるから、体の垢を落とす作業は早く終わったため自室を出て戻るまでの間隔も短かった。

15時30分ころ、足のみの爪切りを行った。足のみの爪切りの動機を説明する。先の風呂(シャワシャン)よりずっと前、PC中に私の姿勢のために左足の薬指を軽くくじいたような状態となってヒヤッとした経緯がある。その時に、「じゃあ次回の風呂(シャワシャン)の時にでも切ろう」と考えたが、先の風呂(シャワシャン)を行うに当たっては既に忘れかけていた。今になってそれを思い出したため、行った。足の爪をよく見れば、右足の親指・薬指・小指と左足の人差し指・中指のものに浅い亀裂のようなものと、浅いしわ寄ったような凹凸が見られる。先の、軽くくじいたような状態を再現してみた写真を撮った。先述のような姿勢によって足の爪に負担がかかったためか、あるいは栄養不足であるか、または複合要因であるか、といった原因は不明である。

17時20分台、洗面所の鏡で、肥大化しつつある左の尻の痔を確認していると、K邸のドアが唐突に開いた。赤子を抱いたK家の奥さんである。後ろの髪をまとめ、白いロングスカートを穿いていた。自宅の前を横切る方向へと出て行った。18時5分、たまたま洗面所に再びいたところ、K家の奥さんが前に赤子をキープして後ろにリュックサックを背負った姿で帰宅する様子が見られた。



2016/08/04


本日は0時30分台に気付けば意識がある状態であった。その時、部屋の外に母親の動きを感じた。間もなく母親はテレビをつけた。ここで初めて携帯電話で時刻確認をして、0時35分と確認した。しばらく横になって音楽を聴いたり、昨日起草した記事の話題に関連する独り言を続け、1時50分ころに起床した。このとき、母親が狂ったように母親の部屋で歌っていた。2時過ぎから弟が1階に降りてテレビをつけ始めた。

4時50分台、部屋から見える空の様子がよさそうに感じられたため、2階に上がった。空き部屋から空の写真を撮り、反対に窓の外に手を伸ばしてカメラを室内に向けた自撮りも行った。自撮りというと、7月中は1枚も自撮り写真が無い。前日などにもこのことに気付いていたが、今日になってこういった進展となる。三十数日ぶりの自撮りであった。ちなみにこの時、T家の主人が縁側(庭先?)でタバコを吸う様子や、K家の旦那さんがゴミ出しをする様子が確認された。

いつも通り7時18分に家を出た弟が12時30分ころに帰宅した。母親が1階に降りてくる際、髪の毛の散乱に関して愚痴をこぼしているようであったが、そんなことよりもキッチンのフローリングのコーヒーこぼしやその汚れの後と漂うコーヒーの残り香について自覚してほしく思う。母親が弟に、風呂に入るよう促した。14時から家庭教師が来る旨が聞かれた。弟は風呂に入るつもりがなかったものの、こういった経緯で入り始めた。果たして14時過ぎに男性の訪問があり、母・弟らと2階へ移動した。後々に2階から聴こえる彼らの声に耳を傾けると、内容はやはり学校の教職員という感じではない。かといって、家庭教師とも感じられず、相談員か何かであろうか。なお、男性は車で来訪していない。16時37分に男性が家から去ったが、話は最初の30分が経たないうちに弟が1階に降りて、今もずっと1階にいる。15時台に連日通りの掃除機がけもしていた。前日の風呂(シャワシャン)以後、1階の共有スペースの床や絨毯のゴミや髪の毛などを掃いてみたわけだが、習慣化しているらしいか小遣い目的かは、不明ながらにその日も弟は掃除機をかけていた。



2016/08/05

本家ブログ記事→http://masashi.doorblog.jp/archives/48177612.html
動画→http://www.youtube.com/watch?v=vuoh_7FKh3Q

本日は0時台に目覚め、最初の時刻確認が0時15分である。前日の就寝時は「修行者を自負する私は適うならば前のように4時間程度の睡眠でもよいが、少し科学的な知識を混ぜると6時間ほどは眠りたく思っている・俗にいう8時間睡眠などは修行者にとって惰眠」と思っていた耳栓を着けたが、耳栓はすぐに外れたし、それでいてこの0時台の目覚めは前日よりも早い。よって再度眠りたかったので臥したままでいると、今度は2時台の5種アラームをスルーして3時20分ころに目覚めた。アラームを聴き流したかはともかく、それに意識が無かったという事実を憎み、いい気分と言えないが、今度は速やかに起床した。

4時台からコーヒーを淹れて1杯に時間をかけて飲んだ。前日は多少、腸の活動が活発に感じられ、今日はコーヒーのカフェインパワーで排便が期待された。すると、5時50分前には便意が排便必至の状態にまで高まったため、中サイズ一本糞を輩出してきた。コーヒーを昨日は飲まなかったが、一昨日は飲んでいたことが記録の通りであり、やはり、カフェイン節制も、2日~5日を経たところで腸の活動が芳しくない限りは排便も起こりづらいようである。ただし、カフェイン節制をしなければ、排便のためのコーヒーも効果を発揮しなくなる。仏教でいう、火と薪の関係である。

9時台、母親が家の出入りや行き来を断続的に行っていた。10時30分過ぎに母が発車した。14時4分、弟が掃除機をかけ始めようとする矢先に母親が帰宅した。掃除機の音のため、母が玄関から荷物を運ぶ呼びかけは、数度されても気付かないという有様である。掃除機を停めたところの4度目の呼びかけで、ようやく気付く弟であった。

15時40分ころ、客の訪問があった。2階にいる母親はだらだらと応答していた。どうも、相手が家に来るという予定のある訪問らしいが、前日の家庭教師とやらとは別人である。玄関前で母と訪問者2名(?)の話が始まった。まず十数分は母親から相手の対応・今までの電話ややり取りに関して細かく詰問していた。何の話が本題か、全く見えないように自分の不満を話したがる人間である。その中から、かすかに私と関連がある線を感じ取った。母親の詰問が終わってから、ようやく本題が見えてきた。2015年12月22日の出来事に関して警察に通報したとか、その警察が保健所に相談したとかと聞かれる(この件も警察の対応を母親の対応として誤解されたという詰問をして母親の不満が滲み出ていたが)。12月22日の出来事に関しては、私が錯乱してすぐには通報できなかったという母親らしい誤認識が発されていた(途中の場面では黙って母親の愚痴を耐え忍んで聞き続けたほどであるのに)。

今までも2013年12月・翌1月の蒲郡支援者2016年5月11日の山本さんだとか、母親の人格が狂っていて私や弟らが生まれてより何ら母親のエゴに沿わせることもできない教育の無力・無資格の者が、そんな相談をいくら続けたところで母親のエゴイズムの実現など有り得る道理などない。いくら失敗を重ねても学ばないという救いがたい人間である。相手の女性いわく「引きこもりのお子さんについて早急な解決はむずかしい」と、母親は急進主義で愚昧な者だからいつまでも理解できなかろう。母親は認識能力も自覚も全て下劣であるから、いくら自分の肝胆を砕いたところでエゴイズムの満足に達しない。母親の利己的結果に誘導すべく、実子たる私について「病院に行かせようとすると暴れる」といった讒言を重ねて印象操作をするが、相手の女性はずっと穏便で慎重な言い方を続けていた(当たり障りのないような表現や「確かに病院に連れていかれて暴れる方もいらっしゃいますから、もちろんお子さんのことを言っているのではありませんよ」など)。


16時37分、今までの相談相手の人間と異なり、私と実際に話したいとのことであった(2013年ころは一例のみ扉越しの話はあったが)。私としてはまたとない説法の機会となるため、彼らに母親の本性を示すこと、また利益の深い仏法の妙音を、僅か僅かにでも聞かせ入れたく、心で快諾し、口には丁重に迎え入れた。彼らが部屋に上がって最初の5秒ほどは対面しなかったが、それはいけないためしっかりと向き合った。女性2名であるので、以下から彼女らと呼ぶ。彼女らは豊橋市保健所(通称: ほいっぷ)の人間(保健師)であるが、私はその場所の周辺へ2014年10月19日に散歩した経験がある。礼を失するが、話の途中からWebカメラを回して映像記録を取り始めた。ある程度、忌憚なくとは言えないが、伝えたいことを矢継ぎ早に告げた。扉やふすまを隔てた向こうをさまよう母に聞かれ、彼女らが去ってから、雨が降ろうと槍が降ろうと何ら怖じずに話を続けた。この対話は17時2分に終わった。撮った映像の21分15秒や22分39秒など、彼女らが去る様子を見せた時に私は合掌した。母親はこの後「いちおう話ができるようにも見えましたが」といったややへそ曲がりな評価をしていた。私は今や、話を聞こうとする相手にはできるだけ話してよい立場であるのに、人々が最初から聞こうとしないだけである。話の最後の方でも「相手から私に聞きたいならば誰でも聞く」という旨を訴えた。今の私は「来る者を拒まず、去る者を追わず」という気質である。彼女らは17時7分に家を去った。

当記事注: 翌日である8月6日14時、ある程度の編集を加えた記録動画を投稿した。「撮った映像の21分15秒や22分39秒など、彼女らが去る様子を見せた時に私は合掌した。」という一文に関しては、その記録動画の場合、表記される時間よりもずっと早まる。



2016/08/06

本日も0時台に目覚めて時刻確認をしていた。それからまた眠りについたのであろうが、2時以降のアラームを2:40の第四アラームまで聴いて止めた。2時43分に考えがまとまって起床した。9時42分、それまで5分ほどアイドリングをつづけた母親が発車した。いつの間にか家を出ていた弟と共に、母は14時過ぎに帰宅した。弟は9時42分の発射時、すでに母の車に乗っていたか?



2016/08/07

本日は2:10の第一アラームが鳴る直前より意識があったようだが、このアラームが鳴って止めて間もない2時13分に起床した。3時台後半から5時までに緑茶をムーミンカップ2杯分入れて飲んだが、なかなか便意が強くなる。2杯目が半分ほど飲まれたあたりで便意が排便レベルに達したため、トイレで排便した。主に中サイズ1本・・・前回8月5日であっても似たようなもので、毎度、もう少し出ないものかと物足りなく思う。下剤を引用する日も近いか。12時20分前から中・小の1本ずつを排便した。

15時ころ、母親が物を廊下に置くから受け取れと呼びかけた。それは8月5日の買出しで買われてキッチンの冷凍庫に保管されていた市販ウィンナーと生の鮭である。今になってそれらを渡した理由を問うと、あの8月5日は帰宅後しばらく弟と高論をしていたか、すぐに購入物を片付けなかったといった経緯で、市販ウィンナーまでわざわざ冷凍庫に入れたまま忘れていたと話す。だが、母親らしく血迷ったような口調で同じようなことを繰り返し唱える悪癖に陥っていた。私のために今になって分配してくれた、として母親に感謝しろと天の声が囁いている・・・。ところで、本日昼頃の母親が、先月20日に買ったナス4本のうち、1本だけ今までずっと冷蔵庫に保管していたものを使ったようだが、下垂部分を大きく使わずに捨てていた。あのナスこそ、今度から冷凍庫に保管すればどうであろうか。人を悩ませる発想と行動ばかりであるが、その非に気付かないで、責められるとよりグチグチ小言を強めてしまうわけだから、度し難く思う。



2016/08/08

本日は2:10の第一アラームで目覚め、第二アラームを経た2時22分に起床した。前日は23時過ぎに一度目覚めた経緯がある。母テレビが原因でもあまり不快に感じず、すぐに再度の睡眠に戻ろうともしなかったが、こういった状態は単に思考の鈍麻によるか。時間経過で色々と気づき、そのうちに危険を覚えて耳栓を着けた。なぜか普段より、耳栓を着けた状態でもテレビの音が耳に入ってきたように思うが、間もなく何ら問題なく眠るのであった。

4時7分、それまでインターネットを伴う作業で使用ソフトの動作があまりに鈍い(過去あまりない酷さが今このタイミング)不条理で手間取ったが、どうにか外出した。出すゴミがなく自販機通いだけを行う外出は珍しい。道中、新聞配達のバイクやポスト投函の狂った音が東西南北に聴こえ続け、別の曲がり角からバイクが表れた進行方向を同じくしたり、それで3棟のみ投函したら路上でUターンしだす不条理もあった。そう思えば、目当ての自販機そばの角から黒い影が現れた。クマかと思ったが、黒い大型犬であり、無論、飼い主が連れているものであったが、こんな時間にこの住宅街で犬の散歩など見たことがない。人生初経験の不条理まみれであった。4時30分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、自室には5時10分台に戻った。

本日も夜中の3時台から弟の頻尿のトイレ出入りが2度以上あったり、彼が6時ころから1階に降りると、朝食も早々に終えて掃除機をかけ、それで20分ほど経ったらまた掃除機をかけるといった異常行動が見られた。彼の心身が病んでいるが、母親にこれを導く徳は無い。指導力以前に、自身の異常性と子供の異常性といったものを判別する基準が粗末であるから、母親などは何もできない。ちなみに、私は起きて2~4時間も排尿しないことが多い。弟は部屋に氷水を溜めた水筒を持ち込んでいるから、夜・夜中などに多く小便があろうと思う。これまた、母親は何も指導できない。

8時30分過ぎ、E家の前をゴミ収集車が通る際、クラクションが鳴らされた。E家の前には軽トラックが止まり、E家の人間としゃべっている。E家(高齢夫婦のみが住んで長期休暇は子・孫らも泊まる)はいつも来客が多いので、こういった悪弊は多い。それはそうと、本日はまだ母親の動きが無く、弟も外出や登校をしていない。普通の月曜日であるが、弟は特に夏休み第一週あたりがプール登校週間、続いて部活登校週間、今週はお休み週間か?こう書いた直後の8時37分に母親が1階に降りた。

10時20分ころ、2階に上がった母であるが、洗濯を浸け置きにしたまま11時10分台に入り、花の水やりを始めた。洗濯物をそっちのけにして「トランプ・カルタ」を弟とする予定があったようであるが、弟が別に不手際などを起こしたなどの問題が重なって母親が機嫌を損ねていた。11時25分、ようやく洗濯を再開していた。2014年ころの常識であれば、私が自分で洗濯をするものだが、という話を、こういう経緯で逐一書く気にならない。彼らがカルタのプレイを始めても、母親が細かいことを弟に、不満げのくどい口調で指摘したりと、プレイ気分を感じられない。そもそも、あの母と弟の2人きりのカルタなど、様々な理由からお笑い種でしかない。この場の怒りを抑えた弟は、どうにか普通にプレイできていた(文字をスラスラと読めない弟に札を読ませる役をさせた母がほとんど絵札を取っていた様子だが)。

13時ころ、2人が1階で食事をしていると思われるタイミングで人の訪問があった。後でわかったことは8月4日以来の家庭教師訪問であるが、前回の若い男性ではなく、中年くらいの声調で声量が大きい(関西弁まじり)。応答した母親が先に2階へ案内し、それから5分ほどで弟が2階に上がった。更に5~10分ほど経ってから母親も2階に上がったが、どうも様子がおかしい。母親と家庭教師の男性が議論をしていた。母親がこうしろああしろといった不満・難癖の類を言葉にしていた。それはそうと、話の中で、弟から家庭教師を取ることを母に望んだという経緯が開陳されていた。その後は断続的に母が2階を離れては戻るといった経過があり、家庭教師が2階で母と話している14時10分ころに弟が1階に降りてきたが、その少し経ったところでトイレのため廊下に出ると、異様にタバコ臭い。これはE2邸建設現場から漂っているものではない。



2016/08/09

本日も2:10の第一アラームで目覚め、第二アラームを経て2:26の第三アラームに関しては、これが鳴る前に起床したはずだが、そうである場合、起きて間もなく鳴るべきである。もしかしたら、まだ押入れにいる段階で鳴っていたのかもしれないが、記憶が薄くて判断できない。ところで、前日は19時50分からシャットダウンし、20時過ぎから誰かが外出をしたようだが、私は耳栓をしていた。最近、夢を見ないなと思いながらth07の音楽が脳内に再生されていた。するといきなり、頭に「信じたくない!」という言葉が浮かび、直後に金縛りと恐怖が発生した。金縛りのメカニズムを啓蒙主義的に知ってはいるから、金縛りはすぐに理性を以て解けたが、やはり怪奇さ現象として怖いとは思う。しばらく、夢と言えなくはないビジョンが脳内に再生されていた。当日、インターネットで見ていたようなグロいものもあった。20時26分に彼らが帰宅した。先月からアイス購入頻度が上がっている彼らであり、度々コンビニにも足を運んでいるようで、今回もアイスを買ったろうが、私は今夏、アイスを一度も口にしていない。ここ数年がそんなところだろうけども。

明るい時間からは部屋の窓のクモの巣に長い時間ずっと脚を広げて止まっていた細身で全長5cmほどのクモが、脚を丸めて巣の上で揺れていた。およそ死んだものと見てよい。今まで、逆にあの不動のクモが、餌不足の状況下で生きていたようにも感じづらいが。12時50分ころ、網戸に全長3cmほどの黒い虫が付いていた。実は先月の早朝に似たような虫の闖入を確認していたが、この虫は私が近寄ると飛び去って行った。もしやと思ってクモがいたところを見ると、既にクモの亡骸は無くなっていた。あの虫が食べたのであろうが、随分とドラマチックに思う。大きい虫とはいえ、まだ残存するクモの巣は平気であったろうか。

当記事注: あのクモの死因はおよそ餓死であろうが、9月14日にこのことを回想していて餓死した原因=獲物がかからなかったというその原因も解明できた。あのクモは本文中に「不動のクモ」と称したように、ずっとクモの巣で足を広げて張り付いていた。そのよう、クモの巣がそこにあると示すように居続けたため、獲物となる虫などがそこを避けたのであろう。未然に巣の存在や張られた糸の存在を自ら示す愚を犯した。普通、窓に巣を張ったクモは窓枠など日陰に隠れていて獲物を食べる時のみ巣の上に出る様子が見られる。それは、単に日陰を好むのみならず、自分の存在を隠して張られた巣を気付かれないようにする意図もあろうとすれば、あのクモはやはり死ぬべくして短期間に死ぬクモであった。その最期は、本文の通りである。



2016/08/10

道端の百合 ユリ
この後日とは8月17日のことである、当日のメモに記録

本日は2:10の第一アラームが鳴る手前から意識があった、ということを覚えておくように、とその時の自分が記憶に打ち込んでいたが、その事由の方は失念した。前日に2:20と2:26のアラームらはOFFにした。2時39分に意識が戻ってきたため、起床した。

2時42分に部屋を出ると、2階から母親の声が聴こえた。母と弟が、こんな時間に会話しているが、ここで小耳に挟んだセリフは「○ちゃん(下の弟)は5年間で1冊も漢字練習帳を使っていない、私は昔300冊くらい使った、1日に5~10ページを消費していれば云々」と。私も今まで、弟の部屋に上がった折に漢字練習帳や算数ノートなどを手に取り、全然使われておらず落書きすらないながらに机上の位置だけ変わるなど、疑問視することは多かった。母の発言にせよ、およそ、受動的詰込み教育を受けて自分では物事を考えず、いい年になると他人に教える力がない愚物の世迷言である。後で聞き返し、その内容は下の弟の勉強に関連すると分かる。話のきっかけが必ずしもそうとは言い切れないが、ずっと後で弟が母親に「勉強できるようになりたい」と頼んだという経緯が母の口からしゃべられた。この5分後には私が部屋にいても、弟の「死ね」という声や、次第に怒った声、大きい物音など、そして母の「ダメ!」という声など、およそ夜中に発せられるべきでない音声が続けざまに鳴らされる。彼らの争いは久々であった。

4時32分、本日は緑茶を飲む考えがあったが、これまでに淹れず、この時に却下して替わりにあと少しでなくなりそうなブレンド茶ペットボトルのお湯割りを発案した。本日は今すぐ、そのペットボトルと別のペットボトルのゴミ出しをし、ずっとせずにいた非飲料自販機での買い物を行おうとにわかに計画を組んだ。8月8日の買い物でブレンド茶は既に保管がある。4時35分から4時43分まで外出し、順当にゴミ出しと計420円の買い物を行った。

9時20分台、まだ彼らが1階に降りてこないが、自室PC側の窓に虫の闖入を確認した。内側の窓枠に見られた。ティッシュで抑えつけようと試みるも、逃がし、網戸側に逃げて行ったので、直ちに窓を閉じた。この虫が窓から闖入した要領で窓の外へ出ていくことを願う。虫の外見は、最初の印象が全長数ミリの小さいクモに見え、その後は大きいノミのように思えたが、著しい跳ね方をしていないため、正体不明である。こう記録して間もない9時32分、にわかに1階へ人が降りてきた。12時17分に母が発車し、14時40分過ぎに帰宅した。



2016/08/11

本日はいつ目覚めたか不明だが、2時台は永く意識があり続けたようであり、2:50の第五アラームを聴いて停止した直後に起床できた。前日は一度23時台に母親の1階リビングでのテレビ視聴のせいで目覚めたことがある。前日20時10分に飲んだ下剤1錠の効果は、本日4時以降、腹痛を強めていった。5時26分には便意も高まったため、トイレに入って長い一本糞を出した後は細い糞、多めの軟便を出すに至った。

9時過ぎに母が発車して外出した。9時25分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、10時10分ころに自室へ帰った。14時台に中サイズ一本糞を出した。この昼下がりに前日の虫の一件以来、閉め切っていた窓を恐る恐る開けると、ピンピンした姿であのノミのような虫が狂った動きで窓の付近を往復した。ただちに障子を閉め、殺虫剤を別の方から軽く噴射しておいたが、この虫は障子の外側に既に逃げ終わっているか、障子の裏でくたばるかは、その後の様子見でも判断ができていない。

16時14分に母親の車が家の前に着いた。車を出た母はしばらく水まきをする様子なので、2階に干してあるタオル1枚を取り込んだ。本日は先の風呂(シャワシャン)の折にパンツ・肌着・靴下を洗濯して13時まで干していた。連日、特に前日洗濯をした際は、日差しが物凄く照り付けて肌が焼けそうに感じられた。本日、風呂(シャワシャン)前の天気確認時は、雲が多めであったが、その後の晴れは想像が付いていた。ただ今の場合は晴れてもいるが、かすみ気味であり、モコッとした雲もところどころに見られた。雲の質感は私の環境のデジタルで描く雲と似ていた。



2016/08/12

本日もいつ目覚めたか不明だが、2:20の第二アラームころの記憶が薄らとある。2:40の第四アラーム以降の2時43分に起床した。10時46分から2人が車に乗って発車した。ところで、最近・・・8月5日の女性2名訪問の日か、その翌日に母親は髪を切った。小池百合子とかヒラリー・クリントンなどのようなおばさまに憧れた髪型であろうか。年齢相応だが、今までに母親がそんな髪型にしたことは一度もない。伸ばすなら伸ばすでもなしに、気分次第で変えるのみである。私も、以前から母親にはおばさまスタイルの髪型になってもらいたいとは思っていたが、今の髪型は男性的でもあり、または、あごのたるみなど老けも重なり、もともとの髪型を知る先入観とのギャップもあって、違和感が凄まじい。

本日は3時台・10時台12時台にそれぞれムーミンカップ1杯分のインスタントコーヒーを淹れ、3杯目は5分の2程度を残して適量のシュガーを入れたまま常温放置し、14時ころには牛乳を多めに加えてカフェオレとして飲んだ。便意が蓄積されて効果発現も目前となった14時28分に車が家に着き、直後に弟が家の中に入って洗面所で手を洗い、その後2階に上がった。私は排便のため、トイレに入り、長めの一本糞を出した。母親は数分ほど家の前でうろついた後に玄関へ上がった。母が2階に上がってから弟が掃除機をかけ始めた。弟が階段で掃除機をかけている間に私はトイレを出て自室に戻った。

本日は、彼らが外出した直後である11時ころにヤマト女性配達員Yが1度配達に来ていたが、当然2人がいないため、帰った。15時ころにこのYが再度配達に来て弟が受け取った。15時50分台、荷物を開封していた母が一度2階に上がったので、様子を見ると、注文票には、数週間前や6月12日の配達物と同じレトルトカレー・カルピス3本・白米10kg袋のみが見られた。その時の配達物と同じチョイスをしてAmazonで注文したと見てよい。



2016/08/13

0時10分台、1階リビングで母がテレビをつけたまま、呼びつけた弟に勉強を教えていた。時間帯と場所を弁えてほしい。まともな生活はできないか。股関節と内臓が痛む。1時過ぎに起床した。この母親はリオ五輪の中継を見ているようだが、今の時間は当地の地上波だとテレビ愛知で柔道(男女各1種目?)、BSだとNHK BS1で女子10000mだかと見られる。おそらく前者であろうが、やはり日本とブラジルのタイムゾーンが12時間の違い(ブラジルが12時間遅れの時差)であり、夜中に偏りやすいのであろうが、それにしても母親には自制心がないものか、と思う。そもそも寝るべきであろう。リオ五輪が開会して以後には、弟も朝方や午前中に1階でテレビを長めに見ることが多くなった。あんたらの部屋にテレビあんじゃんよ。私の話だが、私が仮に見るとしてもネット中継で十分に足りる。スマートでない人々。奢侈な人々。



2016/08/14

本日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があったように思うが、起床は2:40の第四アラーム以降の2時44分である。前日13日は17時台に40分ほど寝落ちしたが、普通に眠れた。就寝時に耳栓を着けていたためであるが、両耳を耳栓が塞いでいながらにアラーム音楽が聴こえたことは、やはり鳴る前から意識があったためと考えてよい。



2016/08/15

本日も2:10の第一アラームが鳴る前から意識があり、両耳が耳栓で塞がっていながら、しっかりと音を聴きとれた。また、本日もすぐには起床せず、2時55分となった。

9時16分、母親から本日の買出しを行わないメールが届いたが、8時台に弟に「これから買い物に行くから・・・」という発言が聞かれていた。どういうわけかといえば、10時ころに弟が家を出た様子を確認し、13時前に弟が帰宅して2分ほどで母親も帰宅した。母親が弟と外出した気配を感じていなかったが、確かに弟の外出中は母親の動きも感じなかったため、なるほどと思う。それで、行き先は不明だが、さすがにイオン買出しほどでなくとも買い物自体はした様子である。期待していなかったが、やはり私への分け前は無い。

18時30分台、稀に発生するアクセス不具合が発生した。母親は18時過ぎまで風呂に入っていた様子であり、この時はまだ本人の部屋にいた。私が自室を出て玄関で「香水のにおいがする」と言った途端、なぜか母親が本にの部屋のドアを開け、1階に降りてくることがあった。母親が1階に長く留まりそうな様子を確認した18時42分に母親の部屋でいつもの行動を起こした。今回は、ルーターの隠れた場所に記載されるPINだとか暗号だとかという数字列(8桁・13桁)をメモに控えた。自室に戻ってアクセス回復に少し時間がかかったが、いつも通り直った。



2016/08/16

本日は5種アラームが鳴らないうちに目覚め、時刻確認などもせずに体を起こしていた。起床時刻は1時9分のようである。起床して5分と経たない時、2階で誰かが動いて大きな音でドアを閉めてトイレに入り込んだり、外では話し声の後に車のドアの開閉時の電子的な音が鳴るなど、異常が続いたが、その後は2階の人間がずっとトイレに入ったままであったり(1時21分にようやく出た)、車の方はエンジンがかかって発車されるたという様子もない。1時台は全く雨降りを感じていなかったし、降っていたとしても感じられないほど弱かったであろうが、2時40分台からシトシトと聴こえ、2時50分前から加速度的に雨降りが強まって恐ろしく感じた。1分ほどでボトボトと音を立てて滝のような土砂降りとなっている。

4時10分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時前に自室へ帰った。5時20分ころに下剤1錠を飲んだが、14時台になっても多少の腹痛以外、効果を感じていない。14時19分にヤマト男性配達員Sが配達に来て1階リビングにいる母が対応を遅くして受け取った。17時台後半、ようやく便意が強まってトイレで小さめのものを2つ排便した。



2016/08/17


本日は2:10の第一アラームに目覚めたが、かなり脚の感覚が不自由な状態となっていた。痺れではないが、痛みという痛みでもない。2:20, 2:26, 2:40などのアラームを聴いて止め、2時41分に起床した。脚などは問題ないとして、腹部の筋肉痛らしきものが感じられる。5時20分台、本日が水曜日であると気付き、とあるゴミ袋を確認すると1か月分ほど溜まっていたため、これのゴミ出しと、食料不足傾向を鑑みて自販機通いの決断を下し、服を着替えて財布と空ペットボトル2本の入ったビニール袋とまとめたゴミ袋を携えて家を出た。ゴミ袋をゴミ集積場に捨て、自販機に至って空ペットボトル2本を捨て、560円の購入をし、帰宅した。道中の大きなユリ(8月10日に写真を撮った)には二つのクモの巣が見られた。

6時台にトイレで長めのもの1本などを排便した。12時30分台にもそれまで啜っていたコーヒーのカフェインパワーにより、腹痛と便意が強まって長めの一本糞を出した。先の1本は頭が寸断された形状であったが、この一本糞も頭が取れかかった形状である。10時ころからか外出していた母と弟が14時20分に帰宅した。最近は弟の陸上部関連のイベントの行き来を行っていると考えられるが、私が気配を察しづらいため、彼らが帰宅した瞬間に損をした気分となる。洗濯をしておけばよかった、など。明日はどうであろうか?母親はこういった事情の話などせず、自ら家族関係を離す。まだ8月15日にメールをよこしただけマシであったが、実に冷淡に思う。しかし冷静でも無ければ、喜怒哀楽は強く、刹那的であり、親しみを感じなければ逆に高嶺の花とも感じず、何の魅力も感じない。



2016/08/18

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2時13分に起床した。脂を含んだ汗が額にねっとりと乗っていた。7時32分、弟が制服で投稿を始めたが、どうせならば連日のように体育のイベントだかであればよかったのに、と思う。しかも、私が撮った特別支援学校高等部年間行事予定を見ても、全校出校日は明日19日(金)である。なぜ本日、普通の登校と同じ時間帯に普通の登校と同じ制服で家を出たか、全くの不可解である。

14時過ぎ、母親が弟に花の水やりをするように言って外に出て間もなく屋内に戻ったが、14時10分に再度外に出て徒歩で外出した。できれば午前中にそういった動きがあると、洗濯物なりがしやすかった。15時8分に母が帰宅するまで、2階の弟に動きは無かった。母親は玄関ドアを開ける前から声を発していたが、玄関ドアを開けて開口一番に弟が花の水やりをしていなかった事実を糾弾していた。結果論である物事に「やるように言われて返事もしたんだからすぐにやってほしかった!」という感情で同じような趣旨の詰問を続ける母親は、やはり母親の徳を欠いている。最近はしばらく、それ以上の争いにならないよう互いに自制しているとはいえ、刹那的である。基本的に母の改善は無いと考えてよい。争いが嫌だという感情くらいしか、争いを抑制する機能が無いとなると、簡単に瓦解するものである。人間関係には、哲学性や宗教性、その理解も必要である。私はただ仏法に憑むのみである。



2016/08/19

本日は2:10の第一アラームを感じなかったが、2時12分に目覚めの時刻確認をして2時15分に起床した。前日は23時台に一度意識が付き、リビングから流れるテレビの音を感じて携帯電話で確認した時刻が23時11分だった。朝の略式勤行を終えた4時50分より風呂(シャワシャン)の準備を始め、自室には5時40分頃に帰った。

10時20分台、母親が通話している声を聞いたため、耳を傾けた。車に関する話のようだが、聞き取った情報を要約すると、東京海上日動?の保険に関する窓口に事故の相談をしているようで、誰かにぶつけられたらしい。その誰かがぶつけてきた証拠も無く、相手のナンバープレートもわからないという話であった。最近、リビングの棚の上に見られた東京海上日動の書類は、よく母親が無意味に雑然と置くことと同じ状態かと思ったが、一応、この通話と関連がある場合、事故は数日以上前の出来事と見る。8月15日に買出しへ行かなかった理由はこれであろうか。母親は相変わらず不親切である、そのことくらい話せばよいものを。まだ電話中である段階で早々とお尋ねメール文章を打った。通話が終わるまで送信を待つ。私の今の「買出しへ行かなかった理由」という結びつけも邪推であって外れている可能性があるから、何らかの返答はほしく思う。末文で「去年6月(6月2日メール・6月8日会話)にも言ったよう、買い物や小遣いの要求が本意ではなく、あなたの清らかな答えを待つのみである」と釘を刺した。

メールを認めて以後にも続いた会話に少し耳を傾けると、先ほど110番で届け出した(再度別の相手と通話)・事故は1週間以上前といった情報が聞かれた。再度耳を傾けると、8月12日・この一週間は怖くて車でどこにも行けなかった・車を使うのが怖い、というように聞かれたため、もはや事故が買出しに行かなかった原因そのものである。ほか、「"なべぶた"って~wそんなの手元の国語辞典にも漢字辞典にもありませんよ」という狭い知識・視野の発露、無知の無恥・無自覚、相手を敬う心の無い醜さ・浅ましさが見られた。今の電話相手は最初の女性→110番?→別の女性→男性であるが、その男性は母親相手に柔軟な切り返しで"なべぶた"という漢字の部首の説明をした。母親みたいな小物(魔物)も稀にいるのであろう。時間が経ってから再度耳を傾けると、話が終わりそうであった。実際に間もなく11時27分に通話が終わり、時期は不明だが相手が訪問するとか、という様子であった。11時29分にメールを送信した。

12時10分過ぎに弟の帰宅があったが、弟が風呂から出た12時40分以降は断続的に争いが起こった。ここ1か月以上は大して争っていなかったため、久々の物音連発には弟の食欲の不満が滲み出ている感じがした。私が送ったメールの返信が15時34分にあったが、母親の文章は揚げ足取りの内容に終始していた。何にせよ、不親切であり、親子関係を乖離し、何の慈悲も徳も無いことは再確認された。話したくないのであろうし、まともな返答は期待しないながらに、私もあのようなメールを送って反省をしていると記しつつ、今後の予定を再度問う内容で送信した。16時7分に「多分、修理の予定はない」と返信された。修理の必要性が無い、という判断であれば、最初から「乗るのが怖い」と案じる必要もなかったろう。そもそも、少し車体の表面が傷ついて己は無傷、車体の外見が気になるわけでもないのに、乗ることを拒んでなんであろうか。迷いに迷いを続けた哀れむべき母である。16時11分に再度メールが届いたが、返信が遅い上に一度にまとめないところ、まあ元々とはいえだらしがない上に未練が強くて呆れる。



2016/08/20

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2時11分に起床した。10時ころに弟が私服を着てリュックを背負って外出し、12時過ぎから母親が外出の動向を見せて12時30分過ぎに発車した。14時過ぎに弟が帰宅し、15時50分前に母が帰宅した。

本日は15時までにコーヒー3杯を糖質の多い食事と共に飲んできたが、夕方になっても自覚する効果は、せいぜい無理やりの姿勢で力を込めたり、下腹部を強く手で圧してピクピクとした反応を感じるのみである。やはり連日(今は2日目だが)コーヒー飲用は、自明のことであるが、いくら試しても便意に効果のない判断となる。カフェイン節制を心がけて適度に摂るしかないか。とはいえ、明日もコーヒーを飲んでみようと思う。18時台、本日は14時ころの食事を最後に水分くらいしか摂っていなかったが、胸やけが感じられる。これまでに母買出し品の菓子を開封して口にしようかとも思っていたが、止めることとした。19時12分には下剤1錠の寝る前飲用を久々にした。明日にコーヒーを飲む予定は却下となろう。



2016/08/21

本日は0時台後半に目覚めていたが、当然それでは起床しない判断をして眠り直した。続いて2:10の第一アラームに目覚め、2時25分に起床した。4時半、前日の下剤1錠の効果の腹痛に便意が加わったため、トイレで排便した。最初は固くて長めの一本糞、後には軟らかく長いものや、少し短く細くなったものなどを排出した。7時10分からも便意の高まりのためにトイレに入り、大中小の計5本ほどを出した。



2016/08/22

本日は2時以降に2・3度は目覚めたり意識もあったが、起床することなく、最後の2時40分台から空けて3時16分に時刻確認をしてから間もなく起床した。



2016/08/23

本日は1時53分に起床した。目覚めが早く、しかも二度寝する気にならなかった理由は偏に暑さの為であろう。さほど熱いわけでもないが、無論、単に暑い・寒いという条件のみで二度寝ができる・できない、睡眠時間が長くなる・短くなるが決まるものではない。人間は気分など様々な要因で結果も変わってくるが、それらの条件を可能な限り多く集めて鑑みても、それで確実な答えというものが決まることもない。このような寝起きで便意のような手ごたえを腹部に感じていたため、2時20分ころからインスタントコーヒーを淹れて飲むと、3時20分過ぎには便意が確実となり、トイレに入った。中・長サイズ1本ずつを排便した。

4時30分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、自室には5時20分に帰った。7時過ぎに弟が1階に降りて朝食を取るも、彼は数十分で2階に戻った。もはや以前のような早朝4~6時台の長居や、強迫行為のごとき掃除機がけもしなくなっている。所詮は不安定な他人の精神から生じた戒禁取の行為に過ぎない。その不安定な他人が多い世の中で自分ばかりは心身の安定を得んとすべく、日々の心がけを絶やさない生き方が「精進」というのだよ。弟の掃除機掛け期間は、幾度と掃除機に細工を施そうとか、隠してしまおうと思いもしたが、ついぞせずにいた。これは忍従である。そのような忍辱の精進に徹していた。修行者はこの徳を自讃し、他人の徳も讃えよう。

本日が多少は晴れることを期して前日から風呂(シャワシャン)の予定を設けていた。9時24分、母親から洗濯物について話された。18分後くらいに洗濯機の運転が終了するからその時に自分で2階バルコニーに干し出すように言われた。私は、その時に母親がどこにいるか問い返した。今いる1階リビングであるか、バルコニーがある母親自身の部屋か、どこでもよかったが念のために聞いた。まだ洗濯機の運転が終わっていない9時38分に再度話しかけられ、洗濯する際にこうしろああしろという話があった。元々そうするつもりでいたが、母親の話がだらだらとしていたため、途中で私の意見を告げて話を切り上げた。その後、母は家の周囲で水撒きなどを始めた。洗濯機の運転の終了を知らせる音が聴こえると同時に母親が家の中に戻ってきたが、すぐにリビングの中へと進入した。私は道具を準備して洗濯物をまとめ、干し出した。なお、洗濯物を処理する作業を風呂場で行っている間はE2邸工事現場の騒音が耳に障ったが、鉄骨(正確にはカバー・覆いを支える鉄製のポール)を外す作業をしていたようである。

10時40分に母親と弟が車で外出した。13時台に2人が帰ってきたが、購入したアイスを急いで冷凍庫に入れてもらいたがった母親に反してアイスの荷物を抱えたまま別の行動をとった弟に母親が苛立ち、口論になっていた。14時過ぎに争いが再燃して間もなく終わり、続いて母親から先の洗濯物に関して私に指示があった。私は常に簡潔な返事をするが、母親はグダグダと言いながらバタバタとあっちこっちと移動して落ち着きがない。ようやく私の出番になると、私に下された指示を弟がやり始めた。その光景を見た私が母親のその様子を告げると、不穏な怒りを弟にぶつけだした。そういう中を作業せねばならない。母親は別の洗濯物の処理をしたくて異様に焦っていた。そんな焦りから怒り、他人の怒りや不安を増長させるとは、徳が無さすぎる。洗濯物を取り込んだが、あの洗濯物には弟のパンツとノースリーブが1点ずつ付いていたため、これの処理を母親にたずねた。またくどい説明だが、一応その通りに対処した。

母親が一段落すると、わざわざ再び弟に不満をぶつけ直していた。まず弟の部屋のドアを打ち鳴らし、「エアコン消しなさい!」と無関係な指摘をして弟の怒りを煽ってから「何であんたに言ってないのに勝手に洗濯物を取り込もうとしたの!?&取り込んだならわざわざ戻さないで(1階にいる)私に持ってきてよ」といった趣旨の追及を続けた。修羅・畜生ここに極まれり、と思うが、結局、一時的に姑息的に鎮静させるだけで、心底から反省はしないものである。もう少しは忍従の徳を知ってほしい、というか忍従も何も、世間的に見てそんな怒りを何度もぶつけて己の不満を晴らそうとする不穏当な人間がどこにいようか、と思う。畢竟、己の苦しみを増すのみであるのに、当然気づきはしない。弟は激怒して私の部屋の床をも揺らす巨大な物音を立て続けたり、「ぶちころすぞ」といった発言も繰り返された。それ以上の行動は無かったが。

14時35分、1階で食器を洗う母親が私に思い付きを話してきた。私から直接弟に行動を止めるよう指摘できないか、という。母親は自分の苦しみを生む瞋恚の悪業を抑制する術を知らず、私に頼ろうとしている。他人に対して「自分で何とかできない?」とは問うのに、自分に対して「自分で何とかできない?」とは微塵も思わず、また他人からそう示唆されても反発しかしないであろうし、そういった自覚・反省・努力を促しても反発しかしない母親には、問いに淡々と返答するか、茶を濁す程度に留めておく。三毒・四悪道が強盛の母親に、私からできる最適な対応である。よほどの聖人でもないと、現世での救済は適わない。こうして母親に呼び出されて話を聞いている間にも、弟が2階で物音を立て続けていた。

14時47分、私に何の関係もない話題を、またも、そういった感情や思い付きのために聞いてきた。およそ「不満の捌け口にする突飛な行動」と言えよう。窓を開けて空気を入れ替えろ・雨戸(シャッター、母親自身の言葉の認識があやふや状態)を大きく開けて日光を入れろ、ということを冗長な言い回しで続けた。理解に困る言葉・曖昧な言葉が多いため、質問しても揚げ足取りのようなややこしい返答ばかりであったが、私は円満に収めようと受け流す。最後に、そういった唐突な指摘が、私を思って言っているのか部屋の環境を思って言っているのか尋ねた。これにも冗長な返答が続いたものの、「あんたのため」と言っていた。盛大なおためごかしだが、それ以上は私から反論すべきでない。母親にしても「私の意見だから(飲まなくてもよい)」と言っていた。この会話でもその後の独り言にも「ややこしい」と漏らす母だが、簡潔な質問に冗長な返答をしたがる自分こそややこしい人間だと気づいてもらいたい。物事を不必要に苦しませ、ややこしくしている人間は自分である、問題を問題と思うならばそれは自分に原因がある、そう考えられる精神性も無い母親は、人とかかわる限り、不必要な問題を作る一方である。

16時10分、本日の寝起きのような大腸の敏感具合が悪い結果となって15時台のラーメン調理以降腹痛が始まり、この時にトイレに入って下痢を出したが、食中毒かは不明である。この下痢の排泄でも、残留物の感覚がある。19時台に痛みがぶり返した。20時10分台に仕方がなくトイレに入って少量の下痢を排出した。



2016/08/24

本日は2:10の第一アラームで目覚めたが、まだ横臥している2時17分に弟が2階に降りてきた。前日の争いは夕方になっても再燃していたようだったが、母親と弟が一緒に夕食を取らなかった場合、やはりこういった夜中の弟の動きは増えてもおかしくない。事実はともかく、最近では珍しい。前日「忍辱の精進」だとかと書いたが、そう書いてなぜ今更こんな展開が起きるのであろうか。それはそうと、私も起きねばならないため、間もなく起床した。本日も左下腹部・直腸付近の違和感を起床直後に感じた。2時19分、2階で母親がトイレを出たか?弟は30分ほどで2階に戻ったが、こんな時間でも少し滞在するリビングのエアコンを運転させていたようである。5時台の弟は炊飯の作業などをしていた。

10時台に母親が徒歩で外出し、16時過ぎに帰宅した。手土産に豊橋駅構内か駅ビル商業施設のテナントのシュークリーム店で購入したものを提げていた。ほか、謎の大学パンフレットだか資料だかが見られた。母親は過去にも京都○○大学という、一見、薬剤師(ペーパー薬剤師)の母親と何の関係もない資料を取り寄せていることがあった。今回のものは母親の行き先で得たものではなく、従来と同じように家の住所に資料請求をして得たものと見てよい。いずれにせよ、愛知県岩倉市の岩間さんではないのだから、興味本位なのか不明だが、くれぐれも自分の空想や自分の暇つぶしか何かの目的でそんなものを取り寄せないでほしい。相手に迷惑であろうし、相手の経費や地球の資源がもったいなかろう(本気でそう思って言うつもりはない)。16時40分台になってこれが分配された。4つ入っていたが、うち1種類が2つであった。その片方と別の1つを真っ先にビニール袋にくるんで冷蔵庫に入れ、残りの2つずつは試食した。渡されて2分以内に、母親が「1個多く渡した」とゲラゲラ笑いながら伝えてきた。趣旨をすぐに理解できた私だが、いつも通り冗長に煩雑に話してきた。おかしな行動に出ようとしたため大声で制して一旦ふすまを閉めるように促した。本当に狂人である。その5秒以内に母親が望んだ行動を取った。ビニール袋でくるんだ実物を手渡しした。息子不信で自分勝手の母親には毎度、気疲れする。十分にアレの兆候が出ている、などと今更記すまでもない。



2016/08/25

http://www.youtube.com/watch?v=97garI2716g

本日は2:10の第一アラームで目覚めたが、すぐには起きなかった。2時35分に起床したが、その途中の2:20, 2:26のアラームは止めた覚えもなければ聴いた感じもない。つくづく不可解に思う。

14時過ぎから母親が家の前の出入りを始めた。本日は4時前・11時台などにインスタントコーヒーを淹れて飲んでも、今までに大した下剤効果も発生せず、ただ気持ち悪さが少し発生したのみである。14時24分に母親が発車した。10時台から豊橋中央図書館に行くと告げて家を出た弟が帰宅した。家の郵便受けから持ち運ばれたものの中に、またも大学パンフレット・・・それも大量である。この愛知県内・東海地方のものを複数取っていた。前回は愛知県立大学・愛知文京大学・名古屋大学・名古屋市立大学・三重大学・静岡大学であったが、今は重なったものの上から順に中京大学・名古屋商科大学・愛知大学・東海学園大学・名城大学・愛知学院大学である。前回のものは未だに一つも開封されていない。

17時前に母親の車が家に着いたが、自ら応じた弟が何やら母親に振り回され始めた。母親の言葉が分からない・聴こえないらしい。なぜか所持している電話(家の電話の子機ではなく彼のスマートフォンか)が鳴り出し、母親が車に乗り直したまま弟に電話で会話を始めたようである。弟は電話の経験が少なく、通話しづらい様子である(この件も後に母に叱られる)。どうも、母親は一度車を降りた際に「虫(語彙不足・何の虫かはその後も伝わらないが蚊などの小さいものを指しているよう)」を見たようであり、それだけ弟に伝え続けている。弟も同じような挙動や言動が繰り返されるのみである。弟が「虫」はいないという発言を繰り返し、ようやく車のアイドリングを停止した。その後も弟が振り回されたり、母親が車を降りても、何やら弟の不手際にパニックを起こし、弟も呼応するように「え!?え!?」などと慌てる。喜怒哀楽が激しい。終始、異常な様子を見せた二人である。毎度、その異常性を指弾する気にはならない。過去メモなどに任せたい。

二人が家に入ってからも弟が激怒するなどの展開がある。「話してらんない!」と叫ぶ母だが、弟が物音を立てる度に悲鳴を上げ、その度に反応して弟が物音を立てる。舞台が2階に変わって弟の威嚇や脅迫、母親の酷い悲鳴などが絶えずに続く。弟の「電話」が壊れたらしく、弟は「もう直ったよ(外部を直した)」と言った母親の答えは、「中身が割れている」などといった母親らしい決めつけがある。弟が荒れている時に「話さないからもう暴力はやめて」と叫び続けるが、数分で母親のほとぼりが冷めると途端にグチグチ小言を行う、不徳・無慈悲の性質が年を重ねても消えない愚昧な母親である。「購入物が腐る・バカ・キチガイ・何でも壊す」と言いたい放題である上、結局、弟が物音を立てていない時に突然「○ちゃん(弟の名前)もうやめてよ!」と声を上げる。

当記事注: 大学パンフレットについては8月29日メモにも記録を取った。その日の後も、8月30日・9月1日にも大学パンフレットの配達を確認している。9月1日のもので初めて宛名(受け取り主の名義)が下の弟となっていた。それまでは母親である。パンフレット自体は8月30日に初めて開封された様子であり、その日の後に届いたパンフレットも随時開封していた。

資料請求 いたずら aiueo700 大学 パンフレット

2016年9月10日に母親の部屋のテーブル上に置かれた書類を見た。リクナビ進学が「第三者によるなりすまし・いたずら請求が発生する事態が起こっているので大量に資料請求をしている本人か確認したい」といったプリントを8月30日付で発行している様子を確認した。「ご迷惑をおかけ」した人物とはおよそaiueo700さん(前日メモ:愛知県岩倉市の岩間さん)でなかろうか。いつから発生している事態であるかという認識は書かれないし、他にもいるとは考えられるが、aiueo700さん動画の影響は大きいと思う。aiueo700さんの被害が組織的な集団ストーカーではなく、彼の住所を知って悪用したネットの人間によるいたずらであれば、真っ当な企業が取って然るべき対応であろうからそう思ってよい。



2016/08/26

2016年8月25日の彼による彼自身の部屋での破壊行為を確認

前日は20時前にシャットダウンして就寝し、21時までには寝付いたが、23時40分台に一度目覚めた。その時は風呂に母親が入っていた。本日は2:10の第一アラームを感じられず、2:20の第二アラームも同様である。たまたま前日、2:26の第三アラームを外していて当然これは鳴らない。2時30分過ぎに意識が付いて間もなく起床した。

本日も8時台から弟の「こわすゴミ」に関する動向などで母親が険悪な口調で弟を責めたりと、波立つ様子が強い。9時台後半に弟の外出が始まったが、母親はボソボソと独り言をしながら食事をしている。10時10分台に私は2階に上がって前日の出来事の実情を確認しに参った。そこで、今までにない惨禍を目にした。噂のスマートフォンの電源を入れると、見るからに画面のひび割れを起こしていた。前日の母・弟の会話の細かい部分は、事実に全く符合していない。これは私の経験則だと、Docomo特定の契約で5,000円+消費税で修理可能である(折り畳み携帯電話の話)。前の家に住んでいた2010・11年に計3度に渡って画面を破壊した際、いずれもそのように自らドコモショップに通って修理に出していた。2011年2月に起こった3度目の悲劇についての説明は過去記事に書いたはずだが当該記事が見当たらない。ほか、弟の部屋のドアの部品が外されていた。前の家では簡単に取り外せる部品であるが、これは強く接着されていただけに、よほどの圧力がない限りは外れなかろうに外れてしまったようである。

16時ころ、本日2杯分のインスタントコーヒーは大した効果発現もない中、わずかに便意やガス発生などもあり、排尿ついでに強制的な排便を求めた。サマタ・パヴァナみたいな実践(便座のまま腹を抑えつけた後に腕と背筋を真上に伸ばす)を行うと、一応は肉団子みたいなモノを2個出せた。サマパバはもっと自然な排便を標榜しているはずなのに、今はこういった強制的な手段に及んでいる。



2016/08/27

本日は0時半ころに目覚め、0時40分前に起床した。4時32分から風呂(シャワシャン)の準備を初め、5時20分台に自室へ帰った。10時過ぎ、母親が家の外に出て車にエンジンを掛けたと思ったら何もせず家に戻った。11時23分、母親に話しかけられた。「1時から、たぶん、パソコン使わないで」と支離滅裂に話された。母親はパソコン=インターネットするだけの道具と思い込んでいる節があるため、もしかしたら何らかの理由でインターネットが使用不能となる旨を話したかったのであろうと思った。そう聞き直すと、ようやくまともな説明に入った。回線に関する業者が1時から工事に来ると話す。「使わないで」ではなく、「使えなくなるよ」と言ったほうが適切であろうに、もはや真っ当な意思疎通が困難に近づきつつある。私などが穿って見て機微を察して意を汲まないと、母親の言葉は伝わらない。

12時58分に当該業者らしい車が家の前に停まった。定刻通り13時0分の訪問となる。13時10分台にはPCでのインターネットが使用不能となるも、5分ほどで終わった。13時30分には2階の母親の部屋で作業なり会話なりをしていた作業員と母親が1階に降り、間もなく家を去った。



2016/08/28


本日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があったように思う。実際に鳴った時は両耳が耳栓で塞がっていたが、はっきりと聴こえた。耳栓を着けた経緯は、前日23時台に一度、1階リビングから流れるテレビの音声と母親の笑い声の影響で目覚め、睡眠に戻るために耳栓を着けた。本日8月28日は2時50分までにせねばならない予定があったため、2時10分などの時間に起きられるとちょうどよかったわけだが、母親による安眠妨害に負けず、本日は第一アラームの後の2時15分に起床した。

4時50分過ぎから前日に決めた予定の外出を行った。本日が月曜日ならばゴミ出しもできたであろうから、惜しく思う。この外出では、自販機通いと目的の商品2点の購入を行い、帰宅は5時4分となった。私は、外出する際に携帯電話を持っていくか少し考える。今回は持って行った。今回の服装はいつもの小6部屋着であり、ズボン(ボトムス)のポケットが浅く、携帯電話を入れると何らかの弾みがある場合は飛び出て地面に落とすことがある。2014年ころにトイレで経験した時は非常にヒヤッとした。しかし、最悪の結末は考えられないし、あっても恐れない気持ちでいる私は、携帯電話をこのポケットに入れて外出した。道中で携帯電話内蔵カメラで写真撮影のテストをしてからポケットに戻し、歩みを再開すると、ポケットから弾んで地面に落ちてしまった。結果、折りたたんだ状態で見て左が上の角が欠け、右の側面が広く擦れた。これも、問題視せずに置ける。もし路面が濡れていたら、私はこの携帯電話を持参していない。今回は路面が濡れていないから、地面に落ちても問題がないと考えた。鳥のフンに触れるなど、より悪いパターンも考えられるが、それは最初から「起こらない」と確信して覚悟があるから問題にならない。なので、今回は携帯電話を落としても、多少の損傷で済んだ。それにしても気味が悪い、先日(8月25日)弟が自身のスマートフォンを破壊したばかりであるのに。

前日に届けられた弟のスマートフォンの代替品の箱を母が本日9時台に開けて弟に見せながら話をしていた。これは何とか会員の保証期間内ならば税抜き5,000円で行えるサービスによる。弟が画面を破損した端末のSimカードを差し替えれば、すぐに通話もメールもインターネット通信も行えると考えられる。12時50分に母と弟がドコモショップに赴いた。故障している方の端末の処分などが目的と思われる。12時54分、母親がにわかに帰宅してきたが、運転免許証を持参し忘れて取りに来た様子である。2階に上がる際の足音が異様に大きいが、そんなに荒い音を立てて足首を痛めるような歩き方などせずとも速く移動できように。

14時10分台、にわかに雨が降り出し、一時的に強まった。今までは雨が降る天気と思えなかったし、2時間前までは比較的晴れていた。前日も本日も天気サイトは「曇」の予報のままであった。急遽、洗濯物を取り込みに2階へ急ぎ、全て屋内に引き上げた。この雨は間もなく弱まって止んだ。実ににわか雨である。14時40分台にまた晴れてきて強い太陽光が射している様子をも確認できた。14時50分前、虹が出ているか気になり、2階で多方面を確認していると家の前の道路を一台の大きい乗用車がノロノロと通っていく様子を確認できた。本日は日曜日であり、何らかの珍客を思わせた。これは集合住宅の駐車場に停車し、男性一人が現れたが、彼は見覚えがありすぎる髪型と容姿であった。フォンを片手にE2邸の前に歩み、そこで止まった。やはりE2夫婦の旦那さんである。仮設の門を業者から借りたと思われる鍵で開けて車に戻り、車をE2邸の敷地内に進入させ、旦那さんが再度降り、続いてかなり鈍い動きで赤ちゃんを抱えた奥さんが降りた。無事に出産したと見る。15時0分ころにはまたも厚めの雲が空を覆ってきた。あの夫婦が天気雨などを起こしているのではなかろうか。

16時10分ころに母親だけ帰宅した、現地で用を済ませた後に弟は別行動を始めたかと思われる。そうかと思ったところ、10分後には弟が帰宅し、どうも不満げな様子であるが、やはり現地で別行動、というよりは道中から機嫌を悪くして別れて一人で歩いて帰ってきたと思われる。彼の帰宅から30分して初めて母親が弟に「おかえり」と言って風呂に入るよう勧めていたが、それから風呂を上がった弟は「お母さんの料理まずい」系の言葉を陽気に放っていた。17時台・18時台に小規模の争いがあったり、彼自身の部屋でひどく物音を立て続ける様子があった。その最中でも呑気に24時間テレビを見ながら声を大きくして笑う母親には今更言うことも無い。



2016/08/29


本日は2:20の第二アラームで目覚め、1分ほどで起床した。朝4時ころから飲み始めた紅茶(アールグレイ)のカフェインパワーで便意が発生して継続し、9時30分台から入ったトイレでは少し苦労して中サイズのものを1本?排泄した。

12時15分ころ、7時10分台に登校した弟が帰宅した。特別支援学校高等部は普通に9月1日が始業式の開始であり、本日月曜日はなぜ先週などに無かった登校が必要なのかは不明である。弟の帰宅から2分ほどで客の訪問がある。何らかの配達のようだが、2階にいる弟が「何しに来た!」と意味の分からない不穏な言葉を発して応じた。訪問者は郵便の配達員である。

ところで、前日28日や26・27日は、24・25日と同様に大学パンフレットが届けられていた。本日は仕事云々というパンフレットが届けられていた様子であるが、これは先ほどの配達員が送ってきたか不明である。大概、大学パンフレットはクロネコヤマトのDM便(メール便)で届けられるが、今回の仕事云々というパンフレットはDM便を示すシールも一見して見えないため、この配達員が直に受け取らせたのであろう。再確認すると「ゆうメール」で送られた、愛知デザイン専門学校とか赤堀製菓専門学校とか服部栄養専門学校とか東京バイオテクノロジー専門学校いうところのパンフレット・入学案内であった(ほかに資金運用云々という学校系パンフレットよりも薄い資料がある)。ここまで来ると何を望んでいるか不明瞭を極める。これほど頼んでどんな魂胆であるか、未だに母親の言葉が聞かれないし、そもそも母親にまともな思考があると思う方がまともでないか。今後もどれだけ送られるか、また送られても全く開封せずに玄関に置きっぱなしの母親がどのような動向を見せるか、注意を要する。



2016/08/30


本日は2:10の第一アラームで目覚め、2時13分に起床した。前日19時ころに飲んだ下剤1錠の効果は、本日の午前中、ずっと仄かに感じるのみであった。10時台から徐々に便意や腹痛が強まった。11時20分ころ、ようやく排便のためトイレに入ることとなり、一度に長くモノを出した。これは過去最長かもしれないが、中間の7割以外は端が共に切れていて一本糞の形とならなかった。

11時40分ころに母親が発車した。数分以内に2階のバルコニーの様子見をして上下の部屋着・タオル類2点の4つの洗濯を始めた。12時30分前に洗濯機の運転が終わり、2階に干し出しに行った。排水口みたいな場所には水や泥が溜まっているものだが、そこから二つの芽が出ていた。直後には不気味な羽音が聴こえて辺りを見回すと、地上から4mほどの高さで水色の光を放つ虫の動きを確認した。見た目はシオ何とかトンボのようだが、巨大なハエでも有り得そうである。しかし飛ぶ速さも体の大きさもハエではありえないし、やはりトンボか、水色の光という点は考えづらいがハチであろう。あるいはその水色の光を放つ虫が発した羽音ではないのか。15時2分に母親の車が着いた。



2016/08/31

前日20時前から就寝するにあたって起床アラームを全てOFFにし、本日は3時18分に目覚めの時刻確認をし、5分後に起床した。4時40分台からアレのゴミ出しを始めた。ゴミを出すだけの外出は最近だと8月29日・弟が外出した直後の7時20分台であったが、自室保管の靴を使っている。今回は、母親のサンダルを借りたが、当然気軽に使える代物ではなく、女性のファッションとしてのサンダルであるから、私が履くと縦にも横にも足の骨がはみ出す。2011年4月18日に私がこの家に来てから、私や弟2人などのためのサンダルが1足でも買われたことはない。元々ポリウレタン製のような幅広いサンダルが3足あったが、今は色々な理由で使えない。この母親のサンダルで100mほどを歩くにも、焦りは禁物である。常に足の内側の骨・・・親指の付け根の大きな関節部分であろうが、こういったところを痛め続ける。早歩きは全くせず、普通の歩調でゴミ出しを終えて帰宅した。

6時0分以降、本日のゴミ出し以後に感じていた便意が強まったため、トイレに入り、一度に多めの糞を出した。やはり29日夜に飲んだ下剤の影響で糞の色は不気味である。詰まり続けのモノ、下剤を飲むまでは直腸に最も近いモノ、つまり昨日出したようなモノは下剤効果での色の変異は生じづらいが、少し直腸から離れたモノはこうして下剤飲用時ならではの不気味な色の変異が生じている。

9時47分に母親が発車して外出した。母親の動向としては唐突な感じがあり、玄関に香水の臭いもしていないため、すぐに帰ってくるような用事と考えられる。これを記録するためにGoogle+にアクセスすると、新デザイン強制移行を確認した。と思ったが「以前のGoogle+に戻す」のリンクがまだ残っているから、Google+が気まぐれでこうしているだけであって強制移行の完了ではないと分かる。どうせやるならば、そんないたずらではなく本格的な強制移行の完了をすればよいものを。Googleにまともな考え方や発想は今更求めていない。11時12分に母親の車が家に着いた。