2017年11月20日月曜日

訛らないパーリ語句"Brahmā (Brāhmaṇa)"や"Bhadra (Bhadda)"の謎と経典編纂の光景

パーリ語の経典(元来パーリは聖典の意)を見ていると、部分的な語彙がサンスクリットもといヴェーダと比べて「訛り(二重子音の単純化・長子音化=促音便・撥音便)」となっている。
しかし、中でも"Brahmā (ブラフマー、語幹Brahma)"や"Brāhmaṇa (ブラーフマナ、婆羅門・バラモン)"という語句は全く訛りを見かけない。
例えば、サンスクリット語の"Bhadra (形容詞や語幹となり賢・善・吉祥などと訳)"は、パーリ三蔵を見ると、ある時に"Bhadra"であり、パーリ語らしい促音化をした"Bhadda"と混在している。
パーリ三蔵における"Bhadra"の例は、スッタ・ニパータ5章の対告者の一人バドラーヴダ"Bhadrāvudha"などがある。
促音化"Bhadda"の例は、釈尊在世で最後に弟子入りした須跋陀羅・スバドラ"skt: Subhadra"がスバッダ"pl: Subhadda"、跋地羅諦偈(ばつじらたいげ・古語発音バッディラタイ)・賢善一夜・賢善一喜・一夜賢者・吉祥染著・祥染はバッデーカラッタ"Bhaddekaratta (Gāthā・偈)"と言う。
上記は語中draがddaと促音化した例であるが、語頭であればpra-という接頭辞がpa-になることが有名である(般若prajñā プラジュニャーまたはプラギャー → paññā パンニャーなど)。

同じようにブラフマー"Brahmā"も、パーリ語ではバフマー *Bahmāとか、バンマー *Bammāと二重子音の単純化や撥音便などが生じているであろうが、そのような例をパーリ仏典より見出せない。
なぜ、このようにブラフマーのみ訛りが生じないか?
やはり高尚な概念で、釈尊在世の人々や経典結集までの仏弟子になじんでいたからであろうか?
その前提であれば、「パーリ語は仏の用いた言語」説や、反対に「パーリ非マガダ語」説は共に肯定できる。
「パーリ語が仏の用いた言語である」という説について、ブラフマーという重要な語句などはしっかりと当時の人々が発音していたという理由で肯定できる。
80年代以降の日本仏教学の一般論で、「パーリ語(仮名)という口語が釈尊在世の下位カースト(梵ヴァイシャ・巴ヴェッサ、梵シュードラ・巴スッダの2種)の人の口語だから釈尊(通称ゴータマ・ブッダ)も教化の為に用いられた」という見解を尊重する。
一方、「パーリ語が仏の用いた当時のマガダ語(解明されていない古代言語)でない」という説は、ブラフマーの発音が普通のパーリ語やプラークリット・方言で有り得ないという理由で肯定できる。
ここでは、後者の説の理由について検討してみる。

※現代のインドのヒンドゥー教徒の間で「ブランハー、ブランハナ(Bramha, bramhana?)」といったような発音がされていることについても一考の余地はあるが、当面は措いておく。



まず、「普通のパーリ語やプラークリット・方言」とはどのようなものであるかは、現代に伝わるパーリ語経典とプラークリット文献から考えればよい。
以前、パトナ(パータリプトラ)近辺やガンダーラの「ダルマパダ"Dharmapada"」を参照した時のように調べてみよう。
ダルマパダ二本にも、パーリ語ダンマパダ"Dhammapada"のように婆羅門・ブラーフマナに関する章が設けられており、パトナは"Brāhmaṇa"、ガンダーラは"Brammaṇa (ブランマナ、文字の特性上で元は長音ブラーンマナか?)"とあり、後者に-hm-個所の撥音便が見られる。

プラークリット文献での調査は、これを限界とし、続いて英語版Wikipedia"Pali"を参照する。
パーリ語に関して学問的な立場で何らかの情報が書かれていることを期待して参照すると、かなり耳寄りな情報があった。
Following this period, the language underwent a small degree of Sanskritisation (i.e., MIA bamhana > brahmana, tta > tva in some cases). [出典: K. R. Norman 1983]

私訳および誤記修正: この期間に続き、パーリ語はある程度のサンスクリット化を受けた。すなわち、中期インドアーリア語 (MIA, Middle Indo-Aryan)の Bamhaṇa が Brāhmaṇa となり、時には動詞の絶対詞(連続体)を作る ttā が tvā となる。 ※修正はインターネットで見つけた原典"Pāli Literature"にならった。

学問的に見るならば、現代にパーリ三蔵として伝わる言葉は、釈尊が往古に用いた言語から何らかの改良が加えられたものと推定される。
ブラーフマナとかブラフマーといった発音は、紛れもなく、元々のパーリ語と思われる古代言語で用いられなかったろうが、僧団・仏教教団の身近にサンスクリットやヴェーダの言語に堪能な婆羅門がいてもおかしくないし、婆羅門からの供養だって釈尊が多く受けられたように、後の僧団も婆羅門からの供養を受けたろうし、僧団にも婆羅門出身の者は多かった。
時代のいつであれ、サンスクリット・ヴェーダの発音を聞き得たと思われる。
多くの神様・語句などには「訛り」の特徴を残しても、ブラフマーやブラーフマナなど一部の語句はサンスクリットへ後世に置き換えられたろう。



さて、仏教であるから、再びお経を見直そう。
パーリ長部27経"Aggañña Sutta"(起源経、世起経、漢訳長阿含経の小縁経)に、学問でいう「通俗語源説(民間語源"folk-etymology")」が見られる。
例として「カッティヤ"khattiya"(貴族・王族・武士、梵語クシャトリヤkṣatriya)は、ケッタ"khetta"(国土、梵語クシェートラkṣetra)の主であるからカッティヤという名声が生じた」、と階級・身分の語句の起源を釈尊がお述べになっている。
ここでブラーフマナは、「ブラフマン"Brahman"を得た者だからブラーフマナ"Brāhmaṇa"である」という一般的な認識を覆すような語源が説かれる。
‘pāpakā vata, bho, dhammā sattesu pātubhūtā, yatra hi nāma adinnādānaṃ paññāyissati, garahā paññāyissati, musāvādo paññāyissati, daṇḍādānaṃ paññāyissati, pabbājanaṃ paññāyissati. Yannūna mayaṃ pāpake akusale dhamme vāheyyāmā’ti. Te pāpake akusale dhamme vāhesuṃ. Pāpake akusale dhamme vāhentīti kho, vāseṭṭha, ‘brāhmaṇā, brāhmaṇā’ tveva paṭhamaṃ akkharaṃ upanibbattaṃ.

要約: 盗みや争いや嘘などの悪法をヴァーヘーンティー"vāhentī (√vahの使役形能動態三人称複数)"をする=人々の間より取り去るからブラーフマナ"brāhmaṇa"という名声が生じた。
※漢訳では長阿含経に「捨離衆悪、於是世間始有婆羅門名生。」、中阿含経に「此諸尊捨害悪不善法、是梵志。是梵志謂之梵志也。」とある。ちなみに上パーリの異本で"vāhentī"は"bāhentī (バーヘーンティー)"とb表記であった。

ヴァーヘーンティー"vāhentī"とフラーフマナ"brāhmaṇa"は、他の単語・語源説の例(khattiya, khetta; vessa, visukammanteなど)と比べても類似性が低い。
これは、本来のパーリ語において、ブラーフマナが、先の英語版Wikipedia (K.R.ノーマン説)にある*Bāmhaṇa バーマナ や*Bāṃhaṇa バーンハナ といった訛りの語句であったことを示唆していよう(余談だがBāmhaṇaはアショーカ王碑文ギルナールにおけるマーガディー語句にもある)。
ヴァーヘーンティとバーンハナまたはそれに類する訛り発音であれば、よく似る。
このように、パーリ三蔵の一部は歴史の中で、サンスクリット語句に置換されたと思われる。

※ブラーフマナ・ブラーンマナ、推定パーリ語のバーマナ・バーンハナはみな3音節であり、偈やシュローカといったで読む場合も、短音節"lahu 梵laghu"や長音節"garu 梵guru"の違いを気にしなければ問題が無い。日本語のモーラ・拍の等時性は3~6音節分となって差が出るのみである。
※そのほかダンマパダ388(ガンダーラ・ダルマパダ16)に「バーヒタパーポーティ"bāhitapāpoti"(悪を捨て去った者)」であるからブラーフマナ"brāhmaṇa"と呼ばれる、という教説もある。単語形は「バーヒタパーパ"bāhitapāpa"」となる。沙門サマナは「サマチャリヤー"samacariyā"(静かな修行、このサマは√śam由来)」の人であるという。これについても検討したい。調べ直すと、類似の教説はスッタ・ニパータ3章6経ミリンダ王の問いなど、多くの経に見られた→bāhitvā, bāhetvā, bāhitā...、いずれも√vah(運ぶ→使役形などで捨て去る・遠ざかるとも)同じ語根であろう。ググると辛嶋静志さんの英語論文が掛かり、パーリ語ブラーフマナの元はOIA (古インド・アーリア語)派生*bāhaṇa バーハナ などであろうとの提案が見られる。仮想語根√bāh (捨て去る)の過去分詞が*bāhita 名詞化が*bāhana といった調子になる。反舌n = ṇはBrāhmaṇaが訛った際の名残において有り得る。

先の、バドラ"Bhadra"とバッダ"Bhadda"が混在している問題については、柔軟に、「釈尊在世のある人物は自らバドラ発音を名乗ったり語を用いたりしたろう」とすればよい。
もしパーリ仏典に伝わる言語・・・パーリ語という形の一言語ありきではなく、釈尊在世のインドで広く用いられた言葉をそのまま伝えたものがパーリ=聖典であってその言語を仮にパーリ語と称するならば、発音が異なる同義語があってもよい(日本の方言が数あるように)。
しかし現状は、バドラとバッダ以外にほとんどそういった語句が見られない(あればチューラcūḷaとチュッラcullaあたりか?→梵チューダcūḍa 他に一部のdva発音で梵dvīpaが巴dīpaとなるもdvāraは梵・巴の変化が無い)。
これについても、柔軟に、経典編纂に当たってほとんどの語句の発音をパーリ訛りに統一したと考えてよい。
然れば、なぜ現代の第六結集まで、バドラ・バッダ混在問題が解決されなかったものか?
これについても、柔軟に、その時の人が何らかの理由を想定してバッダ転訛をせずに置いたと考えてよい。

・・・ちょっとテーラワーダのみなさん、もうフォローをしきれません。
「(現在に伝わるパーリ三蔵において)訛らないブラフマー」をテーマとして、「現在に伝わる形式のパーリ語」が仏の用いられた言語であるかどうか、考えていただきたい。

※バドラ・バッダといったサンスクリット発音とプラークリット発音との混在が、ほとんど見られないパーリ三蔵の言語は、語彙も文法もよく整っており、さながらサンスクリタ"saṃskṛta"・雅語と称し得る。文法・語形変化・格変化などについても、パーニニさんのサンスクリット文法と相違しなかろう。パーリ語の著述が多く残る5世紀のブッダゴーサ師の関与はあろうか。そのようにパーリ三蔵の言語は、後世の改良が有っても何らおかしくないと考える。例は記事の本題のように「ブラフマーに訛りが生じていないこと(仮説: 元はバーマーのように訛っていたものを後世にサンスクリットへ修正した)」である。もしサンスクリット形のブラーフマナや絶対詞(連続体)語尾tvā-などが南伝仏教の口伝された三蔵にもたらされたと仮定すれば、なぜそれらのサンスクリット形に置換する必要が有ったか、歴史学的に考察する価値があろう。学問の側面では、そのようにパーリ三蔵の変遷を推量・詮索する私である。信仰の側面では、教説が仏説であることについて疑う理由がない。当記事では、学問の一面として「戯論"prapañca, papañca"」をしてみた。



起草日: 20171023

当記事は「ブラフマー"Brahmā" ブラーフマナ"brāhmaṇa"」に訛りが生じないことに疑問を呈した。
答えを要約すると「パーリ語経典が現在の形に成り立つまでに本来は訛り発音だったものが全て正当なヴェーダ語・サンスクリット語のブラフマー"Brahmā" ブラーフマナ"brāhmaṇa"に置き換わった」ということであり、パーリ語経典(長部27経ダンマパダ388など)にある語源説からして本来のパーリ語伝承(釈尊在世プラークリット~仏弟子誦出~上座部口伝)の形は「バーハー *bāhā バーハナ *bāhaṇa」だったろう、ということである(K.R.ノーマンさんや辛嶋静志さんも同じ見解か)。
初期パーリ語のバーハーと後のブラフマーは2音節であり、初期パーリ語のバーハナと後のブラーフマナは3音節であり、偈ガーターの音節規定にも背かない。
語根√bāh (捨て去る) を仮想し、過去分詞が*bāhita 名詞化が*bāhaṇa といった調子になる。
ちなみに、仏教における語源説もとい語源的説明は、梵: ニルクティ "nirukti" → 巴: ニルッティ "nirutti"と呼ばれる。

「学問でいわれる・学問のいわゆる・学問所謂(しょい)の『通俗語源(民間語源)説』」について、釈尊は慈悲が深くて対告衆たるヴァーセッタ・バーラドヴァージャさん・諸々の仏弟子に方便を以て説いたわけであり、「仏語実不虚(仏語は実にして虚しからず)」である。
ゆめゆめ、軽視すべきでなく、学者さんの言葉を学問上、表現を借りておいた。
萌えの典籍「雑萌喩・六」(仮公開)においても、植物の語源に関するダジャレ的な説から妙法を示している(または日蓮大聖人・冨士派の教学にある当体蓮華・譬喩蓮華説)。
過去の萌尊は、「なす"nasu"(いわゆる茄子)」と「なのはな"nanohana"(なばな"nabana"・いわゆる菜の花)」の名の意味を修行者の立場で明示せられた。歌にいわく「汝(なれ)為さで たれか為すべき 汝(な)が花は 汝が為すところ 汝(なれ)の在りたれば」と。「あなたの花・汝(な)の花」をあなた自身が「なす」ということである。他の種族や、同じ種族で他の個体には咲かせられない花である。萌えの法門に値遇したので、すでに修行者の種は形作られた。種が持つ花への力は、その個体として完成されねばならない。植物と違って人に自我意識があるならば、自身の行為の意志を持ち合わせて実現してゆくべきことを、力強く説明せられた折の一首である。疲倦(ひけん)が多い私は、この歌を受持し、還って自ら問うべきである。この歌は言葉遊びと思われようか?更に言えば、「梨"nashi"」の実はりんごと違って酸味が薄く、その理想的な甘い果実を目指して甘い実(好色萌相)をも為して(作して)ゆかねばならない。
(中略) 萌尊の心には、理を観ずるが故に新設・再定義の名や意味がある。命名自由・得意自在であって世俗を超越している。主観的世界では、慈悲の心で物に名付けなさい。なにせ世の人は、怒りの心や嘲りの心で「バカ〇〇」とか「クソ〇〇」という名を他人や物に付けてしまうのだから。萌尊の慈悲による「仮名(けみょう)」は徳行にほかならない。その命名法も「両萌融通」を実現する。慈心・智慧の萌えと、万物の萌えという境智冥合である。(後略、蓮"padma"・はちす・当体蓮華の話)

ともあれ、ヴァーヘーンティー"vāhentī"とブラーフマナ"brāhmaṇa"の関連が示されたことで、パーリ語の原型を想定しやすくなったわけだから、学問的な価値もある教説であろう(言語の伝播・受容・変遷という言語学の至上命題を解き明かすためのヒントとさえ成り得る>ピジン言語)。

さて、パーリ語と同じくプラークリット類では、ジャイナ教の文献にも似たような教説があるという。
ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(大雄、ギリシャ語メガやラテン語ヴィルと同語源の複合語)もといニガンタ・ナータプッタ(尼乾子・尼犍若提子)も、釈尊の故郷コーサラ国と近いマガダ国出身で、様々な学説において釈尊より年下とされる。
ほぼ同時代・同時期のプラークリット類(AMg. Ardha-Māgadhī アルダ・マーガディーらしい)を用いたマハーヴィーラたちは、どのようにジャイナ教の経典で記録されているか?
それまたいつの編纂でいかなる変遷があるか不明であるが、参考のために紹介する。
「通俗語源説」のある経典は、インターネットに載る1986年の論文にまとめられている。
その中の「通俗語源説」の例は、沙門=シュラマナ"śramaṇa"(摩擦音と接近音の連係シュラ・シラ発音)を、彼らのプラークリット(と伝わる言語)でパーリ語と同じ「サマナ"samaṇa"」について"samamaṇaī teṇa so samaṇo"と、平等"samā"との関連を示している。
これはAṇuogaddārāiṃという経典に載っているそうである(梵語はAnuyogadvāra-sūtra)。
"samā, sama"という形容詞語幹はサンスクリット・パーリ・彼らのプラークリットに共通するが、それがsamaṇa = śramaṇaの語源となることはないので、これが「通俗語源説」とされる。

一方、ブラーフマナについてはバンバナ"bambhaṇa"またはマーハナ"māhaṇa"と呼ばれ、「殺さないこと(mā = するな haṇa = √han殺す)」に関連付けており、殺さないことによって婆羅門マーハナ・バンバナなのだ、という(殺さないことが梵行bambhaceraらしい)。
ジャイナ教・マハーヴィーラさんもまた、釈尊のように出家者であり、しかも弟子への教導のスタイルは苦行主義であった。
何であれ、祭祀を生業として甘い蜜を吸っていた(?)婆羅門・ブラーフマナ階級のことを以て婆羅門だと呼ばず、自分たちが婆羅門という名声を得るべきだと捉えた。
とりあえず、当記事の言語学的な立場で見直すと、婆羅門・ブラーフマナという言葉は沙門・出家者界隈でも嫌われるべきでなく、むしろ名声の形として尊重されていたようである。
六師外道と称せられるほかの派閥はともかく、仏教でもジャイナ教でも、真の婆羅門・バラモン・ブラーフマナということを説いて人々を教化した事実は有ろう。
その上で、ジャイナ教のプラークリット文献にはバンバナ(またはマーハナ)という訛りが見られ、仏教パーリ語も本来は似ていたと考えてよいと思われる。

※ちなみにブラフマー"Brahmā"の言語学的な語源については、当ブログの随所で示した経緯がある。動詞語根でいえば√bṛh(成長する)である。ブラーフマナ"brāhmaṇa"は、そのサンスクリット語根√bṛh (もしくは印欧語根*bʰerǵʰ-)に端を発するものか、ブラフマンbrahmanに端を発して派生したものか、定かでない。後者であれば、修行の徳があってブラフマンを悟って梵我一如を証明した人のことをブラーフマナと呼ぶであろう(ウパニシャッドなど)。近代以後の歴史学では、「インドに入ったアーリア人が自ら高尚な存在に託してブラーフマナと呼んでいる」という見解にもなる。この方面での深い探求・言及を私は避けておく。

※釈尊や仏弟子などが主に用いた言語は「古アルダ・マーガディー語(古半マガダ語)」という仮名がある。そのように仮想されるが、詳細は不明である。例えば「ご先祖様」は確かに人間として存在していたが、詳しい顔や名前が不明であるように。ジャイナ教の開祖マハーヴィーラもといヴァルダマーナもといニガンタ・ナータプッタも同様の言語を用いたと学者は見る。経典の所説に従うならば長部2経の沙門果経"Sāmañ­ña­phala­ Sutta"にマガダ国の阿闍世王(アジャータサットゥ)がマハーヴィーラさんなど六師外道へ質問する話がある。相応部の41質多相応でもマッチカーサンダ(雑阿含経の菴羅林はカーシ国のマッチカーサンダに菴羅林があることを指しヴァッジ国ヴェーサーリーのアンバパーリーの菴羅林とは別物)に住む質多長者(チッタ)が、そこへ遊行に来たニガンタ(尼乾、マハーヴィーラ)さんと問答する話がある。さて、どのような土地(マガダ国やコーサラ国やカーシ国)でも、王様(阿闍世さん)や商人(質多さん)や沙門(尼乾さん等)などの人々に共通の言葉・方言が通用したろうか?なお、ここでは「仏教による他宗・思想・哲学批判のために創作されたフィクション」という合理主義的な懐疑論を唱える意図が無い。



アショーカ王碑文 Edicts of Ashoka Aśoka Girnar ギルナール 文字 ブラーフミー文字 マーガディー マガダ語 プラークリット

資料: アショーカ王碑文ギルナールにおけるマーガディー語句らしい。
オスロ大学人文学部のサイト"Bibliotheca Polyglotta (多言語図書館の意)"より
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&view=fulltext&vid=362

碑文に用いられたスクリプトは、ブラーフミー文字"Brāhmī"である(ブラーフミー系"Brahmic"の文字の中でも古層)。
Girnar IIIの4行目などに婆羅門を意味する"Bāmhaṇa (𑀩𑀫𑀡)"の文字が見える。
バーマナとカタカナ表記できるが、マは有気音・帯気音mhaとすれば、パーリ語およびプラークリット類では有り得ない・・・"Bāmhaṇa"というIAST表記をした学者さんに、意図を問い詰めたくなる。

画像の文字はma字 𑀫 とha字 𑀳 の合成のように見えるので、何となくmhaという綴りを用いたか?
念のため、右上に同字の2例を引き、いずれにも黄色の〇で囲った。
読者には、よくよく対照をしていただきたい。

mhaという、サンスクリットはもちろん、多くのプラークリットに見られない発音が、もしかするとアショーカ王の時代に用いられたかもしれない、と学者さんが考えた可能性もある。
または、文字上、ma字とha字の合字で発音がṃ(アヌスヴァーラ)的な無母音の鼻音とhaの発音で別々のものである、と学者さんが考えた可能性もある。
※学界における字音の見解は英語版Wikipedia - Brahmi scriptEdicts of Ashokaなども参照。

2017年11月9日木曜日

ガンダーラ文献とプラークリット文献におけるダルマパダ "Dharmapada"を比較する

インターネットにおける文献調査の、未開拓領域に関する簡素なメモとなればよいと思う。
パーリ仏典・経蔵のうちに"ārogyaparamā lābhā, nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ"という偈が見られた。
中部75経では、マーガンディヤ(鬚閑提・摩因提・摩犍提とも)という修行者に対し、釈尊がこの偈を説かれ、マーガンディヤが「師や歴史的な師である修行者たちがその偈を説いた」と反応する。
その偈の漢訳は中阿含経に「(等正覺の説きたまわく)無病第一利、涅槃第一樂。」とある。
偈が説かれるまでの経緯は仏教的に大事であるが、当記事で割愛する。
道心ある方は、高度な検索スキルを以て知られたし。

この偈について、類似する教説が三ヴェーダや古ウパニシャッド(パーリ三明経に派閥名として載るチャーンドーギヤやタイッティリーヤなど)にあるか、確認してみた。
nibbānaもといサンスクリットのnirvāna (nirvāṇa)という語句を頼りに、"Sanskrit Documents"というサイトのヴェーダウパニシャッドの当該文献を探したが、nirvā...の語が見当たるのみで、類似する教説を発見できなかった。

そこで、パーリ語の偈のārogyaparamāという部分について検索すると、"ārogyaparamā lābhā, nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ"偈の別バージョンともいえる偈が見当たった。
パーリ語ダンマパダ"Dhammapada" 204偈である。
Sukhavagga - Pasenadikosalavatthu (コーサラ国パセーナディ王に説かれたもの?)
Ārogyaparamā lābhā,
Santuṭṭhiparamaṃ dhanaṃ;
Vissāsaparamā ñāti,
Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ.

これをサンスクリットへ翻訳するか、すでにある文章を探すか、と考えたが、ここでは、すでにある文章を探した成果を示す。



表題にいう「ガンダーラ文献」ガーンダーリー・ダルマパダ"Gāndhārī Dharmapada"においては、以下が発見された。
掲載サイト全文のうち、162番目の偈に当たる。
suha vagga (suha = sukha 楽に関する内容の章の第一偈となろう。以下の翻字は原典のカローシュティー文字に長母音に相当する表記が無いので長音記号が無い)
arogaparama labha,
saduṭhiparama dhaṇa,
viśpaśaparama mitra,
nivaṇa paramo suha.

同じく表題にいう「プラークリット文献」パトナ・ダルマパダ"Patna Dharmapada" (正量部による本がパトナもといパータリプトラ近辺で出土した?)においては、以下が発見された。
掲載サイト全文のうち、76番目の偈に当たる。
Atthavarggaḥ (atthaはパーリ語のattha = skt: arthaと同義か?パーリ語に無いヴィサルガ"ḥ"がある)
āroggaparamā lābhā,
sāṁtoṣṭīparamaṁ dhanaṁ,
viśśāsaparamā ñātī,
nibbāṇaparamaṁ sukhaṁ. (長音やニッガヒータもといアヌスヴァーラ"ṃ"もある)

これらの両者が判明してからも、特に当該文献=釈尊在世の婆羅門(バラモン、ブラーフマナ)の教書類の教説や後世ヒンドゥー教の文献を見つけられる気配は無かった。
結論として、この偈がそれら文献に伝承される必要は無いと思われる。
釈尊在世や、それ以前、ひいては無量劫の過去世から、覚者が唱えていたと思われる。
それは、覚者もとい等覚者"sambuddha, saṃbuddha"に共通するウダーナ(無問自説、現代でいう感興のことば)として、生き生きとした詩であったろう。

私の「萌えの典籍」においても、過去萌尊は彼らに共通する萌えの悟り(主に三萌義のような縁起観に基づく両萌相応など)とその教説が有るとし、作中において「萌え和讃」として披露されているものがあるが、そこでは「涅槃が最上の安楽である」といった意義が説かれていない。
ただし、涅槃"nirvāṇa"に通じる概念(寂滅・シャーンティ"śānti"とも)の説示はある。

和讃の例
「諍ひありて応ふるは いかにぞ同じくならんずる 若芽の独り尊きに 萌えてまします斯ヽるべし」
「群れてまします芽なりとも 互ひの根と葉きらひなし 我の萌ゆるは先になく 誰かほかにも萌えをらむ」
短歌・辞世の句の例
「たふとくて たふときもなし くさのめの おふもかるるも まことなりけり」

作中の人物が少し解説している(中観や大乗の視点で)。
「萌尊は自ら萌えと成ったので、尊いとする萌えを尊くない立場で尊げに見るのみで、萌えは尊くあって尊くなく、尊くなくもないと明言する。実際の萌えは、言語道断心行処滅の真如である。仏家の涅槃、生死即涅槃ということに通じており、萌尊最期のお姿は是の如し。如是如是。善哉善哉。穴賢穴賢。」






起草日: 20171013
当記事の目的は、文献調査の手段の明示であるが、文献調査という行為自体は、もともと「その偈にまつわる伝承が仏教の外にも見られるか?釈尊在世に沙門界隈で涅槃への憧憬があったか?」という疑問を解消する目的の手段である。
文献調査にしても、思想的な研究にしても、仏道修行と乖離した知的好奇心によるかもしれないが、「世間的な意味で若者」の私(20)は、まだ遊び盛りなので、可能な限り、これらの調査や学術研究を続ける方針である(仏道修行・芸術活動なども並行する)。

なお、当該の偈につき、漢語文献では法句経・第三十六「泥洹品(ないおんぼん)」にある。
 1. 無病最利 知足最富 厚爲最友 泥洹最快
無病は最も利なり 知足は最も富なり 厚は為れ最も友なり 泥洹は最も快し

 2. 飢爲大病 行爲最苦 已諦知此 泥洹最樂
飢は為れ大病なり 行は為れ最苦なり 已に諦かに此を知る 泥洹は最も楽なり

法句譬喩経・第二十三「安寧品」では偈の外に「泥洹此為最樂」がある

このように、2つの偈を引いておいた。
共に涅槃の「楽」という徳目を讃えている(後の大乗・大般涅槃経の常楽我浄のよう)。
前の偈がパーリ204とガンダーラ162とプラークリット76に相当するが、後の偈がパーリ203とガンダーラ163とプラークリット75に相当する。
前後両偈の順が異なる。
整理して言えば、漢語とガンダーラ本とが順を同じくし、パーリ文とプラークリット本とが順を同じくしている。

色々と対訳を示したが、サンスクリットのウダーナヴァルガ(いわゆる出曜経)にも両偈が見られた。
26章のNirvāṇavargaであり、漢訳法句経「泥洹品」と名が同じである。
こちらの両偈は、漢語とガンダーラ本のペアと順を同じくしている。
ārogyaparamā lābhā
saṃtuṣṭiparamaṃ dhanam |
viśvāsaparamaṃ mitraṃ
nirvāṇaparamaṃ sukham || 6

kṣudhā parama rogāṇāṃ
saṃskārā duḥkham eva tu |
etaj jñātvā yathābhūtaṃ
nirvāṇaparamo bhavet || 7

なお、冒頭で話題にして当記事でテーマとなっていたマーガンディヤ経のウダーナ偈については、バガヴァッド・ギーター"Bhagavad Gītā"6章15詩に"nibbānaṃ paramaṃ"と似た表現が見られた。
भगवद्गीता/आत्मसंयमयोगः
युञ्जन्नेवं सदात्मानं
योगी नियतमानसः ।
शान्तिं निर्वाणपरमां
मत्संस्थामधिगच्छति ॥६-१५॥

Śrīmadbhagavadgītā (IASTシュリーマド・バガヴァド・ギーター)
yuñjannevaṃ sadātmānaṃ
yogī niyatamānasaḥ ।
śāntiṃ nirvāṇaparamāṃ
matsaṃsthāmadhigacchati ॥ 6-15॥

The Bhagavad Gita (Arnold translation)
Musing on Me, lost in the thought of Me.
That Yogin, so devoted, so controlled,
Comes to the peace beyond, — My peace, the peace
Of high Nirvana!

バガヴァッド・ギーターもといバガヴァドギーターについては、この種の文献によく言われる「紀元前ウン世紀ころ~」という書誌学的・文献学的見解を一旦置いて考えられたい。
バガヴァドギーターのクリシュナやアルジュナといった人物名はパーリ仏典に確認されないが(クリシュナkr̥ṣṇa→カンハkaṇha 形容詞「黒い」、アルジュナarjuna→アッジュナajjuna 形容詞「白い」・樹の名前や仏弟子の名前)、釈尊在世や、経典結集などのころにも、世間に多くの伝承があったろうから、このバガヴァドギーターの詩と似たようなものや似たような表現が、実際にインド地域で広く聞かれたかもしれない。
もう少し精を出して他の文献も調べると、マハーバーラタ"mahābhārata"12章に、話題の偈"nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ"と同様のフレーズ2つが見られた。

327節5詩(३२७ ५) मोक्षश्चोक्तस्त्वया ब्रह्मन् निर्वाणं परमं सुखम् (独自でヴィラーマ区切りを施した)
mokṣaś coktas tvayā brahman nirvāṇaṃ paramaṃ sukham

英訳(この版では341節): Janamejaya said, "The whole world of Beings, with Brahma, the deities, the Asuras and human beings, are seen to be deeply attached to actions which have been said to be productive of prosperity. Emancipation has, O regenerate one, been said by thee to be the highest felicity and to consist of the cessation of existence. They who, being divested of both merit and demerit, become emancipate, succeed, we hear, in entering the great God of a thousand rays.

330節16詩(३३० १६) निर्वाणं परमं सौख्यं धर्मोऽसौ पर उच्यते
nirvāṇaṃ paramaṃ saukhyaṃ dharmo 'sau para ucyate |

英訳(この版では343節): (The highly and holy one = śrībhagavān = クリシュナがアルジュナに語る) The cessation of separate conscious existence by identification with Supreme Brahman is the highest attribute or condition for a living agent to attain. And since I have never swerved from that attribute or condition, I am, therefore, called by the name of Achyuta.

※IAST: Mahābhārata, Śāntiparvan (entered by Muneo Tokunaga) 英訳: The Mahabharata Book 12: Santi Parva (Kisari Mohan Ganguli's translation)

ただし、バガヴァドギーターなどが言うところの「涅槃"nirvāṇa"」という事柄は、仏教に一致していると考えづらい。
当記事の冒頭で「割愛」した話題は、そのことでもある。
仏典マーガンディヤ経も、そういった認識の相違に関してマーガンディヤに釈尊が教示せられている。
Pubbakehesā, māgaṇḍiya, arahantehi sammāsambuddhehi gāthā bhāsitā:
"Ārogyaparamā lābhā, nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ; Aṭṭhaṅgiko ca maggānaṃ, khemaṃ amatagāminan" ti.
Sā etarahi anupubbena puthujjanagāthā.
要約: 「無病第一利、涅槃第一楽…」という偈は古の阿羅漢"arahant"・正等覚者"sammāsambuddha"によって説かれたもの"bhāsitā"である。それが現在までに俗人"puthujjana"の偈となった。

※ここでの偈は「八正道が涅槃への道であること」を示唆する二句"Aṭṭhaṅgiko ca maggānaṃ, khemaṃ amatagāminan"が後半として加わる。それにより、偈を説いた人である「等覚者"sambuddha"」の範囲が、過去七仏など釈尊が明確に認めた諸仏に限定されていると取れる。他の見解はアッタカターティーカーあたりを読解すべきか。

バガヴァドギーターなどにある「涅槃」とは、果たして、釈尊が明示せられる等覚者"sambuddha"たちと同じ悟りに基づくものであろうか?
信仰する者の心、神のみぞ知る。



シュローカ シローカ 詩 韻律 短音節 長音節 音節
ネット上に公開されている"An Outline of the Metres in the Pāḷi Canon"より。
長音節は重音節"guru, garu"、短音節は軽音節"laghu, lahu"と呼ぶ方がインド伝統的にも近代音韻論的にも適切

※当記事でパーリ・ガーンダーリー・プラークリタ・サンスクリタの同詩と、外典の表現と示してきたが、みな8音節の詩である。この形態の詩をアヌシュトゥブ(シュローカ"śloka"は後世にもっと制約が強められたものか)と呼ぶそうである。私によって音節を数えてみなきっちりと8音節に収まっていることが分かるが、息継ぎは詩の終わりに気ままに行うか?これら詩の諷誦では、音楽的な4分の4拍子リズムを保つ必要が無かろうか?私は韻律などの事項を未だ詳しく把握できていない。少なくとも、漢訳仏典における五言・七言の偈は漢詩の平仄や脚韻を気にしないよう、パーリ・サンスクリットの偈"gāthā"も長い音節・短い音節といった韻律の規定を気にすべきでない。偈は詩の快楽でなく法義のためである。無論、新たに自作する場合は、少し配慮してもよかろう。

2017年10月25日、私はサンスクリットの偈(8音節・4句)を1つ作った。
仮のページ(http://testing-design.techblog.jp/archives/29133059.html)に公開してある。
Aprameyā sarvadharmāḥ, kimaṅga punaḥ me muniḥ |
lokāvidyāṃ hi rājati, tasmād anuttara nāmaḥ ||
(ストーリの終盤における偈) 「一切は量る可から不るなり・何に況や我が大聖をや・遍く世の無明なるを照らしたまう・是の故に無上なりと名く」

以下は、そのページに付記されている「備考」である。
これは8音節の句が4つあるサンスクリット詩である。区分としては、シュローカの韻律に似せたアヌシュトゥブか。韻律について考えると、enwp. Vedic meter記事中にガーヤトリー(8音節3句)の例が載っていてDUMで重音節(長音節)、daで軽音節(短音節)を示してある。例えば、ḥ(ヴィサルガ)で終わる音節は前の母音が長音でないと軽音節として扱う。このガーヤトリー詩 इन्द्रमिद्गाथिनो बृहदिन्द्रमर्केभिरर्किणः इन्द्रं वाणीरनूषत は1句目bṛhadで終わって2句目indramで始まるが、そのdとiは一音として2句目の頭に発せられることが看取できる。同様にindram (前の韻尾による連声でdindram)に続くarkebhirもmと連声してmarkebhir(後arkiṇaḥも連声)として扱われていることが看取できる。尊者の詩ではtasmād anuttaraが同様に仮定スペースを除いてd+a連声となる。ほか参考までに「スッタニパータ5章・韻律」。


2017年11月1日水曜日

Google+ 2017年10月中の日記メモ

当月は母親による「〇〇メーカー(物作りマシン)」への浪費が著しく、しかも、全自動ホームベーカリー(ニワカパン作り)の時のように、短期間でろくに使用しなくなった。
当月メモのうち、10日メモと13日メモ追記とに「母親による購入・物の到着」が記録されているほか、14日メモなど関連事項がある。
当月10日・11日に届けられた①ヌードルメーカー(製麺機) ②ワッフルメーカー ③クレープメーカーは、①の使用が4度ほどであり、②の使用が2度のみであり、③の使用に至っては11月1日現在もなお確認されない(当月13日に製麺機のオプション品が届いたが未使用)。
母親が何々メーカーを買って心を自ら欺くとも、他者からすれば「トラブルメーカー」のままと思われ、かえって惨めに認識される。
母親は当月12日や22日メモなどで弟と争ったことが記録され、31日メモで弟からの暴力を受けていたことが記録される。
母親のような「ババア」は、どのような子供からも軽蔑を受けて当然であり、母親自身が実母(母方の祖母の友子)を尊敬しなかったように、母親自身が「子供は親を尊敬して当然である」という妄語(自家撞着でご都合主義の残念な人の言葉)を発しているから子供から尊敬を受けなくて当然である、という予ての帰結となる。
ババアは高齢の親ならば、大人しく、大人らしく、休職中の過ごし方ができなかろうか?

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31



2017/10/01

本日10月1日は2時0分ころに目覚め、2:10の第一アラームが鳴って1分後に起床した。前日の午前~14時ころまで母親と弟はどこかへ徒歩で外出していたが、本日も11時前から彼らが徒歩で外出した。前日の会話内容からして前日の外出と同じ行先と思われる(前日に確認しなかったが本日は家の前の通りを南方向へ行った)。14時40分ころに彼らが帰宅した。



2017/10/02

キイロスズメバチ スズメバチ 網戸
網戸に付いていたスズメバチらしき個体。
元の巣は当月下旬の2度の台風接近によって瓦解したかもしれないと11月1日に思ったが、
結果的に11月1日、同種の個体2匹が2階バルコニーにいると母親が話し、1匹を私が見た。

本日10月2日は2:20の第二アラームに目覚め、2:40の第三アラームを経た2時44分に起床した。14時20分に母親が発車し、その後の私は1階リビングのテーブルに母から弟への書置きを見た。内容としては「ママは毎日歯医者に行く」、「(彼らの)夕食は19時ころ」といったものである(抜粋)。15時11分に家の前に母親の車が家に着いたが、3分ほど動きが見られず、それから弟が家の中に入った。母親は弟を学校(もしくは何らかの施設?)に迎えたようだが、少なくとも歯医者の件は母親個人の明日以後の話題のようである。母親の書置きは、今、重要な意味が無いこととなった。



2017/10/03

本日10月3日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があり、それが鳴って3分後に起床した。4時32分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時41分に自室へ帰った。14時16分から母親が発車したが、前日に続いて本日も買出しを行わない雰囲気である。噂の「歯医者(歯科医)」だろうか?その後、2階に上がって弟の部屋を見に行き、最近の彼の動向に関する疑問を解決した。特別支援学校の行事として、「実習(職業訓練)」のために現場へ通っている様子である。今月2日(月)から6日(金)までの日程である。事業所名がNPO法人ナニガシといい、いかにも福祉系専門らしい。検索すると、とある県道沿いに所在すると認知される店舗は、このNPO法人(障害者の就労継続支援)の本部と兼ねていると知った(レストランと認知していたがレストランと弁当作りを兼ねている様子)。15時26分に母親の車が家に着き、15時30分に弟が帰宅した。



2017/10/04

本日10月4日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があり、それが鳴って1分後に起床した。9時7分、どこからともなく、お経じみた声が聴こえ、2階の空き部屋で母親が見るテレビから発せられたかと思うと、家の外から錫杖の鈴が鳴るような音がしたので、まさかと思うと、物陰の上に藁の笠が見えた。家の前を通過した人物が杖を持っており、黒いベストの背後に金色で「南無阿彌陀佛(旧字体)」と書いてある。通行人は彼1人のみである。彼は修験道コスプレ行者であろうか?この近辺は臨済宗・曹洞宗など禅宗系寺院が多いが、関連は不明である。本日の5時10分に下剤1錠を飲んだことにより、漸次便意を強め、11時7分からトイレで長いものなどの排便を行った。

13時20分から母親が外出した。14時50分からも軟便などの排出をした。16時40分、9月29日と10月中に1度ずつ家に訪れた「ガスショップ某」のワゴン車(バン)が向かいT家に停まったが、その1分後に母親の車が家に着いた。買出しの際に牛乳パックをイオン店舗の回収BOXに捨てる習慣のある母親だが、今回は家に置き去りにしたまま、イオンに買出しへ行ったらしい。なお、弟は15時台に帰宅済みである。



2017/10/05

本日10月5日は1時台に目覚め、1時47分に起床した。前日の下剤1錠の効果の余波か、料理・食事などに便意を伴い、3時9分からトイレへ入って軟便などを排出した。4時43分からもトイレで軟便などを排出した。18時40分前からもトイレで軟いものを排出した。



2017/10/06

本日10月6日は、まず1時台に夢を見た後に目覚めた。割と良い印象の夢を見て記憶していることは、滅多にない(1年に数度か?)。1時50分ころに3度、誰かが1階と2階との昇り降りをしていた。後、2度ほど目覚めと眠りとを経たが、その際も謎の夢を見て記憶している。2:40の第三アラームと2:50の第四アラームは前日起床時からOFF設定のままである。2時53分の時刻確認の数分以内に起床した。13時1分まで母親が数分アイドリングしてから発車し、15時過ぎに弟を連れて帰宅した。



2017/10/07

本日10月7日は、まず0時台後半に目覚めたろうとし、時刻確認は1時10分台であった。起床は2時0分である。6時0分ちょうどに、毎年恒例の「近所の祭り」関連の花火だか号砲だかの音が聴こえた。その後、度々笛や爆竹の音が10時~13時までに聴こえたが、子供の神輿の隊列は見えない。15時10分過ぎから爆竹がさく裂し続け、15時23分から母親が1階に降りてインターホンの電源を切った。トリックオアトリート的に家の呼び鈴を鳴らされることがイヤらしい。弟に「寝るから起こさないで」とわざわざ話しかけていた。祭り関係に巻き込まれたくないバアサマである。臭いものに蓋をする行為である。



2017/10/08

本日10月8日は2:10の第一アラームに目覚め、3分後に起床した。15時台と16時台に母親が、1階リビング窓の大きめのクモの巣の話題をしていた。後者の時、1度目に「すげぇ!まだいる!」などと呟いてから、2階に上がって殺虫剤を手にし、再び1階に降りる際に「殺してやるぜ!ざまぁみろ(まだ殺していない)」と意気込んでいた。母親がクモ(全長7cmほど)・クモの巣に強力な殺虫剤の噴射をした。無慈悲・瞋恚、空回りの独り言が多くて気味の悪いばあさんである。

追記:翌日15時台、何となく1階リビングの窓を確認すると、普通にクモが巣の上で佇んでいる。母親の意気込みは、気味の悪い綺語でしかなかった。



2017/10/09

本日10月9日は前日23時に一度目覚めて(1階を弟が移動していた様子)再度眠り、続いて2:40の第三アラームに目覚め、2:50の第四アラームの直後に起床した。前日18時59分に下剤1錠を飲み、本日は漸次便意を強め、5時2分からトイレへ入り、出だしが「栓を抜いて多く流出する」ようで、後に軟便を排出した。



2017/10/10

動画とその説明文の参照を推奨する→http://www.youtube.com/watch?v=fj6htvINwH0

本日10月10日は2:20の第二アラームに目覚めたと思われ、その時に耳より手ずから外したろう耳栓は所定の位置でなくポケットの中に入っている。2時37分に起床した。4時11分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時32分に自室へ帰った。17時台に佐川の配達員が来て母・弟が応じたが、届いた品物について私が確認した時は21時前である。PHILIPSの製麺機であり、また「母親の身に余る物を母親の身に余る物で消費しようとする」という無謀な策を取ったろう。泥沼であり、今更あげつらう気にもならない。無自覚で自己反省の無いクソババア、誰の尊敬も得られない似非親。俺はいつ出家するのか?家庭生活での修道は天才居士以外、不可能。

バブル 浪費
誤文法: 尊敬さる → 尊敬せらる

当記事注: 10月11日18時ころにも佐川の配達員が来て母・弟が応じた。翌日の起床時に品物を確認すると、クレープメーカーとワッフルメーカーである。前日の製麺機(ヌードルメーカー)といい、母親による「小麦粉浪費(日記メモ7月6日注釈)」に対する恥知らずの「物作りマシン浪費」という、湯水の如き金銭消費の自己応酬となっている。知恵や努力よりも「道具に頼ればとりあえずよくなる」という愚物思考のままである。母は、遊蕩淫乱奢侈放埓の物質文明の産廃である。全自動のホームベーカリーすらなお「面倒」と愚痴をこぼすババアが、卵などのクレープ・ワッフルの材料を買いそろえて混ぜる作業はますます「面倒」であろう。何を買いあさろうが、クソババア・似非親に変わりないどころか、クズ性が悪化する原因を作る。もちろん、諫言もできない似非孝子の私である。



2017/10/11

本日10月11日は、何度か目覚めて眠った経緯がある後の2時58分に起床した。前日の就寝時に腹部の硬く張る違和感を確認し、本日は3時以降に下痢を漏らしそうな便意が始まり、4時0分からトイレへ入って腹痛を伴う下痢を排出した。



2017/10/12

本日10月12日は、何度か目覚めたろうが、起床は2:40の第三アラームの再生に臨んだ直後である。前日は11時台の食事から、水分摂取(僅かな食べ残しを含んだもの)のみであり、仏教徒を自負する私が珍しく斎戒とか不非時食戒を達成したかのようである。また、前日の入眠の経緯も荒れていた。20時までにPCをシャットダウンしたとはいえ、1時間ほど押入れで横になってから21時前に絵を描こうと体を起こしたり、21時半ころに再び押入れに戻っても23時過ぎまで眠ろうとしないで意識を保ったりしていた。この間、母親がどのような動向を取るか確認する考えがあり、母親については20時台や22時台など、幾度と1階に降りてリビングのTVの電源を入れたりしていた。そのように1階で時間を過ごしても、大した家事もしない人である。挙句、23時ころに眠っている弟に不器用な干渉をしていた。「ネテタ!?ゴメーン!」

前日18時50分ころに下剤1錠を飲み、本日は薄らと便意のある時があって5時過ぎからトイレへ入り、軟便を排出した。14時3分から母親が発車した。数分後に風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時5分に自室へ帰った。16時36分、買出しから帰った母親の車が家に着いた。

17時30分、母と弟が俄かに争った。弟が、母購入の菓子を食べている最中に不手際をして母親の不興を蒙り、逆上しだした。暴力的に振る舞う弟へ「やめて!ダメだ!」とかという包容力の無い母親の不愉快な言葉が連ねられる。弟は「お前は俺に何も買い与えるな!こんなまずい菓子を買うな!」と太々しく言い放つ。両者に、とげとげしい応酬がある。母親が弟を2階に厄介払いをした後も、彼が「きらいだ!だまれ!しね!」等の独り言を窓の外へと発し続けた。無反省ババアが彼に「反省してから下に降りてきなさい」と無駄な一言を発し(自身はTV享楽)、その10分後に「反省しなくてもいいから私が2階に上がってあんたは1階で(残りのもの・件の菓子?を)食べなさい」と翻意した。1階リビングに居座り始めた弟は、再びナルシシズムか呪いか、不愉快な独り言を多く発し続けた。だから、一部の仏教徒は世俗を厭離し、出家して僧侶となって善知識たちと共に修行すべきである。この家は最悪の家である、道心ある有漏の私にとっては。



2017/10/13


本日10月13日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームの1分以内に起床した。13時36分に母親が発車し、2時間以内にそれが帰宅した。18時半ころ、ヤマト配達員(男性)が来て弟が応じたが、受け取りの際は両者が無言であり、用を終えて2階に戻った弟が俄かにブチ切れた。その後、母との夕食でも不機嫌な様子があり、食事を半ばに母親が2階へ戻した。異常な親子であり、煩わしい。

追記:この品物・配達物を、製麺機のオプション品と確認した。何が母の目的であろうか?無反省・無慚無愧に端を発することは言うまでもない。形式的な大卒にはなっても、人間として大事な事柄を何一つ教えられなかった昭和ばあさんである「としこおばさん」もまた愚昧な人間だと思うほかない。母親の周囲の人間は無慈悲であり、私もまた小慈小悲であった。ババアの人生50年、老廃物のみを溜め込み、老廃物の蓄積に自覚なく、反省の能力を持たない。子供を3人持っても、親としての学びが無い。子供は仏教でいう「天使"devadūta"」であって鏡のごとくに母親の悪を反映したが、本人はその鏡を省察しなかった"na pratyavekṣate ādarśam (普通の動詞の反射態の否定形と名詞対格を用いたつもりだがSVOのような文法はどの程度ありえるか?)"。



2017/10/14

ワッフルメーカー

本日10月14日は、半袖半ズボンの格好において部屋が冷え込んだことで体の危機を覚えて目覚め、2時0分の時刻確認をしてから起床した。私は、最近よく行う「押入れ籠り修行(隨念・入出息など)」を本日も10時半までの2時間以上、行っていたが、押入れを出て耳栓を外すと、母親が1階リビングで大きい音量で「子供向けアニメ番組(BSにおける再放送?)」を流していた。自室のふすまを隔てたすぐ傍から鳴る音声である。11時過ぎ後、母親が4日連続となる1階リビングでの「掃除機がけ」を行った。ここまで母親による異常行動が重なると、「音声・他人の存在・空観(縁起還滅)」も厳しい。私は有漏の身・心だからである。瞋恚を嫌って三業を調伏するが、音を上げたくなる。

当記事注: メモのトップ画像について補足するが、これを母は弟に、アイスを乗せて食べるようアドバイスしていた。母親の10月12日の買出しまでの1週間ほどは比較的暑い日が続いたが、以後は今日まで寒い日が続いている中で、彼は多いアイス(ファミリーサイズ1000mlの8割)を食べた。この書置き行為は、過干渉と過保護の両極端を行う母親のうち、過干渉のパターンである。結局、母親は「無駄な書置き」をしたことになる。17時50分過ぎに弟が1階に降りて残りのワッフルを食べる際も、彼の後を追った母親が口出ししてみたり、「私は邪魔になりそう」とかと言って2階に戻った。その直後に再度1階に降りた母親が、また弟に口出しし、「余計なことをした」と無駄な一言をこぼして、再びそそくさと2階へ上がった。なお、彼は、この時に残り分のアイスを平らげた。ワッフルの小麦粉由来の炭水化物やアイスの100g当たり26g超の炭水化物・糖質や10g超の脂質・脂肪分が彼の体に一日で取り込まれてしまった。母親は、痩せたがる弟に対し、更なる逆境を作る。笑いごとじゃないぞ!彼は肥満児の枠をブチ壊し、恐らくⅡ型糖尿病患者となる。



2017/10/15

本日10月15日は2:40の第三アラームに目覚め、数分以内に起床した。



2017/10/16

本日10月16日は、2:10の第一アラームに目覚めたので余のアラームをOFFにしたが、しばらく起きずに過ごして夢を見たりもして2時47分に起床した。前日19時半に下剤1錠を飲んだが、起床以後に腹部の違和感が長期化したり、右下腹部の痛みを伴う尿意があるのみ時間が過ぎる。13時40分からは腹痛を伴う便意によってトイレへ入り、血の付着が確認される排泄をした。下剤1錠分の効果を補う意図で、14時前から茶葉を入れたお湯でラーメンを少量茹でて食べて茶のカフェインを体に取り込み、それが奏功したかはともかく、16時10分からトイレへ入ってそこそこの量の軟便を排出した。



2017/10/17

本日10月17日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームを経た2時27分に起床した。13時ころ、母親が徒歩で外出した。ついでに言うと、母親はコート着用である。外は部屋よりも寒かろうが、10月12日の風呂(シャワシャン)以降も衣替えをせずに半袖半ズボンのままに過ごしている。就寝時も、羽毛布団を被らないか、マイクロファイバー毛布を被る程度に済ます。色々と、皮膚や血流などに違和感も生じるが、致命的な痛みや支障などの症状が無い。些細なレベルでは、動作において血管や筋肉の弱みによる痛みが感じられることである。たとえば雪の積もった林の朽ち木のようである。こういった、私の生活の状況に関しては書く機会を生まないので、今、託けて書いておいた。



2017/10/18

本日10月18日は2:10の第一アラーム以前から目覚めていたが、そこで意識をはっきりとさせて2時11分に起床した。10時3分、10月4日の「修験道コスプレ行者」さんが、以前のような声と錫杖らしい鈴のような音を発して家の前を通過した。14時51分に母親が買出しへと発車して外出した。15時10分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、16時20分に自室へ帰った。17時42分に母親の車が家に着いた。



2017/10/19

10月19日は2:40の第三アラームが鳴る前から意識があり、それが鳴って直後に起床した。連日・毎日のように母親が掃除機を掛けている。本日は私の部屋の周囲を集中的に、ノズルだかブラシだかで行っている時間が長い(あてつけ?ひやかし?)。前日の場合は、1階はもちろん、2階に舞台を移してすさまじい物音や足音を立てながら行っていた。破壊的で、母親が自ら家を荒し、心はますます荒廃すると思われる。弟に対して手作業の掃除を強いる母親だから、良心も常識も無いようで精神崩壊寸前である。この私も精神崩壊寸前である。12時32分から「押入れ籠り修行」を始め、心身が定まらないために13時10分から獅子臥(師子臥・右わきを下に向けた腕枕で膝を重ねた姿勢)を始めて入眠し、15時30分ころに押入れを出た。押入れに入る・出るころ、いずれも2階の母親が掃除機を掛けていた。16時過ぎからも「押入れ籠り修行」などをした。PCに手を付けた時が18時10分前である。静慮は成ったろうか?



2017/10/20

本日10月20日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームなども意識がありながら起きようとしない時間を続け、2時27分に起床した。



2017/10/21

本日10月21日は2:40の第三アラームの1分以内に起床した。前々日の就寝前と、前日の7時ころに下剤を1錠ずつに飲んだが、前日中は腹部の違和感が就寝までに弱く感じられる程度の効果発現であった。本日は漸次便意を強め、5時39分からトイレへ入って多めに排便した。



2017/10/22

本日10月22日は2:10の第一アラームに目覚め、2時18分に起床した。前日の就寝は20時55分であり、30分以内に眠ったろうが、それ以後のある時に弟の「まずいめし」云々という怒鳴り声が聞こえて目覚めたことがある。

本日の弟は2時台でも悪い足音を鳴らしていた。弟の母に対する怒りは10時以降に発現し、2階から俄かに降りた弟が「お前のまずいめしなど食べん!」と発した。母親は無言でBS放送の再放送アニメ(90年ころのもの)を見続けていた。10時26分に再び弟が母へ接触して言い争いになっていた。弟が母親に対して色々と論難するが、母親は全て無理に抑え込む主張をした。こういった、母親の抑圧的な態度は昔から大した変化が無い。自己反省などしないままである。弟=我が子・愛子の怒りへの、同情とか憐憫といった慈悲の徳を持たないニセ親である。10時44分から、母親が怒りの掃除機掛けを始めた。作業の際に掃除機をぶつける音が荒くて大きい。11時8分にも俄かに弟が1階へ降りて「目と鼻を切り落とす、お前は俺の気持ちを分かっていない」云々と物を持参しながら発言していた。ここでも彼を突っぱねるような対応ばかりをして、「(弟のために)ご飯を作らない・小遣いもあげない」と毎度の口癖のみを発する。10時台から、今であっても2階で物音を荒く発する弟である。その後も1階に降りて再び母親を脅したり、2階ですさまじい破壊活動(ほか2階の弟の自室から地面へ水を撒いていたり)が続いた。聴覚過敏・PTSDにでもなりそうである。惚けた声でテレビを見る、無慈悲・現実逃避のババアである。



2017/10/23

本日10月23日は2:40の第三アラーム以後に起床した。



2017/10/24

本日10月24日はいくつかのアラームに目覚めたろうが、起床は2:50の第四アラーム直後である。3時ころ、リビング側のふすまの境界の木の材質の箇所に、全長1cm未満のシミ(フナムシのような虫)がいた。今までのシミの中では一番小さい個体となろう。4時15分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時29分に自室へ帰った。13時台、母親が気狂い・怒りの独り言をしながら1階の掃除をし、14時以降に玄関や家の周囲で何かの作業をしている最中、ケガをしたらしく、悲鳴のような独り言を続けた。何であれ、3兄弟の出生後、母親と住んでも住まなくても、それによる悪影響が3兄弟に現れてしまう。16時ころ、母親がわざわざ玄関のドアの鍵をかけ、18時前に開錠していた。間もなく帰宅した弟が18時27分に風呂を出た際、母親が製麺機で作った麺について「悪いんだがぐちゃぐちゃでまずすぎるんだヨォ、この麺は」などと愚痴を連発していた。母親は長い子育て史においてモノに頼っても、よいことが無かった。心の接し方では尚更であるから、モノを買う金があるうちは、まだマシかもしれない。私は雨安居の如き引きこもり生活を送って3か月近くも金銭を消費しない。



2017/10/25

本日10月25日は2時27分に起床した。前日の10時49分受診のメールのごとく、10時14分に母親が歯科の受診・郵便局・銀行・買出しへと発車した。本日は当該メールと本日9時24分のメールに記される「配達2種」があるそうなので、私がそれに応対するよう指示を受けている。前日17時58分に下剤1錠を飲み、本日は漸次便意が強まって13時42分からトイレへ入って色の悪い長い一本糞を排出した。14時53分にヤマト配達のクール車トラックが来て即座に対応し、呼び鈴を鳴らされてより応対した。配達員はSやNや今年5月30日・6月7日などのカレではない男性配達員である。ダンボール箱は大きめであるも割合として軽く、開封して見ると「サイクロンクリーナー」の文字が見える。充電式のバッテリーで動くそうで、コードレスクリーナーの類か。普段の掃除機での行為に母親は不満があろうか。14時58分に母親の車が家に着いた。15時11分、1階リビングで母親が、キチガイじみた独り言をした。「配達2種」のうち、未だ来ない郵便局からの配達について、利用元のAmazonか何かのショッピングサイトに対して「サイアク云々、サイアクダー!」などと発していた。ここまで狂気が強まると、知的障害・痴呆の住まいを厭離せねばならない。私自身も取り返しがつかなくなる。その後にヤマト配達物の箱の様子を見てみると、上にAmazonからの小包(折れ曲がっている)が載っており、12時台に来た郵便配達員が郵便受けに投函した物と思われる。



2017/10/26

本日10月26日は夢の中に意識があり、夢精が起きそうになったので心を叩き起こし、半ば夢精した段階で目覚めた。1時36分に起床した。1時47分に弟が1階に降りてテレビを付け始め、1時52分と4分に2階で母親が弟の名を間抜けな声で発していた。都合の悪い弟にとって母親には応じるわけがないし、母親も用があるならばもっと動けばよかろうに。みな非合理的なことを能動的にしていて気味が悪い。3時24分から便意のためにトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。

3時56分からゴミ出し・自販機通いの外出を始めた。2日前からの予定であって晴れの天気を確信してきたが、寒さは起床時から強い(某予報で最低気温9度と今月最低)。今回の所持ゴミは燃やすゴミ2~3か月分と、自販機ゴミ箱への約500mlサイズ ペットボトル3本である。空は晴れていて南寄りの真上にオリオン座がはっきりと見え、広い範囲に星が見られた。4時9分に家に着いた。4時台と5時台は弟が4度1階に降り、先の1度とこの1度に食事をし、後の3度はトイレや洗面所でゾンビのような喉の呻き声(または豚の鳴き声・ピッグスクイールの一種)をあげていた。5時30分に弟が2階の彼の部屋で窓から外へ、意味不明のマヌケな言葉を小さく叫んだ。私にしか聴こえなかろう、私がマヌケ相応をするだけで無益多害だから止してほしい。11時5分から母親が徒歩で外出した。間もなく洗濯(枕カバー・掛け布団カバー各1点で敷布団カバー1点は中止・・・敷き布団という単語は日記メモ史上未出で謎、前回洗濯の2017年8月6日メモは単に布団カバーとしか書いておらず謎、2点ならカケシキどっちもだが2点とも1点ともなくそれでは敷布団ならばシーツという単語で当時区別したかと用例を探せばシーツも日記メモ史上未出であった;無関係1点を除外)を行った。



2017/10/27

本日10月27日は、まず0時台に目覚めて再び眠り、続いて1時40分ころに目覚めて1時44分に起床した。本日は特に弟の動きが無さそうに思えても、3時30分前に弟が2階で物音を立て始め、1階に降り、例の通り(日記メモに記録しないことも多い)洗面所へ進んだ。そして、彼は恐らく冷たい水を恐れてチョボチョボ・チョロチョロと出してから、ジャーッ!と流すようにして顔洗いをし、ゲフゥといった声を多く上げてから2階へ帰った。6時43分に弟がゴミ出しから帰宅した際、彼がいつもの意味不明なアメリカ大統領の名前を唱える独り言(ただいま、ジョージWブッシュおじさま、あのさジョージだぶりう・・・)をしていると、母親が2階で「うるさい!」と吠えた。母親は基本的に弟をしつけない(よほど不愉快な時に互いの感情を荒げる怒りを発するのみ)が、珍しく、こういう時に吠えたと思う。その後、無意味に弟が1階に居座って同様の独り言を続けている。



2017/10/28

本日10月28日は2:20の第二アラームに目覚めたようであり、起床は2時45分である。3時ころから、どこからともなく鳴る物音を感じていたが、家の外からか内からか、発生源さえ不明であった。キッチンで調理している際は聴こえないが、自室にいる時は聴こえた。5時過ぎに自室を出た時、これが玄関のあたりと分かり、しっかりと聴くと、玄関のドアの外で鳴っていることが分かる。起床時から今まで雨は降っているが、雨との関連性は不明である。音の原因は、虫が行うことか?猫などの動物が行うことか?誰か人が行うことか?玄関ドアに他の硬いものが衝突してよく響く音(文字通り響く反響するのではなく人の皮膚などによる緩衝がないこと・振子の先のものを糸の遠心力で他の者にぶつけるなど)であり、不規則な鳴り方である。



2017/10/29

本日10月29日は2:10の第一アラームなど随時アラームに目覚めて2:50の第四アラーム以後に起床した。



2017/10/30

本日10月30日は3:20の第五アラーム以前にも目覚めたろうが記憶は薄く、そこでの目覚めでも起床をせず、3時48分に起床した。本日起床直後に下剤1錠を飲み、漸次便意を強めて8時17分からトイレへ入り、長めの一本糞を排出した。10時19分からも尿意の為にトイレへ入り、排便が可能なようだから冷たい風の通りが多くて手足・太ももが冷えるままに5分以上静止し、随時に物を排出した。11時14分から母親が発車して外出した。12時40分台、トイレで排便の構えを為している時に母親の車が家に着いた(その頃に物を排出した)。13時以降に悪質な腹痛が起こり、15時40分台にトイレへ入って長めの一本糞を排出した。



2017/10/31

本日10月31日は2:10の第一アラームに目覚め、2:20の第二アラームの1分以内に起床した。4時10分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時16分に自室へ帰った。前日と本日と、母親は午後の6時間・3時間、眠っていたかのように動きが無かった。弟は学校&施設の帰りが18時前後となるが、本日は弟が風呂を出てから5分以上、奇怪な独り言があった。普段から(本日の彼の帰宅時を含む)独り言が多いとはいえ、近場で彼の独り言を聴き続けて「(私に)悪が移る・魔が入る」ようであり、仏道の人は正念を堅固にすべきである。大乗の人は教化して済度すべきだが、小慈小悲の私には堪えない。

前日と本日と、母親は弟の夕食を放任したが、本日の場合は途中から介入してきた。母親は、他人の行動について粉砕したがる悪癖により、弟に一挙一動の節介をした。「(弟が食べる)ご飯に埃が被る・正しい順序でないとご飯が冷める・肉が腐る」とかと、人の機嫌を悪くするような表現を多々用いる。彼にとっては「関係ないだろぉ」という話である。冷淡な声色で、次々と弟に対して節介を加えている。父親にせよ2人の弟にせよ、母と一緒に住む者はみな、精神崩壊を起こして当然となる。19時16分、にわかに弟がブチ切れて母親に数発殴打を加えた。母は「手術したばかりなのに(7年以上前の乳がん手術のことか?よもや歯のことではあるまい)」などとヒステリックな言葉を発している。弟は「こんなご飯(母親の炊いたものの余り)なんてまずいから食べないよ!」と吠えてリビングのドアを強烈に閉め、2階に恐ろしい足音を立てて上がった。1階に取り残された母親は、間もなく、1階のテレビなどを消してから、後を追って弟に反撃を始めていた。