2016年12月23日金曜日

諸言語の誕生・増加・減少に見る繁栄・衰退、多様化・画一化の法則

小規模・原始的な文明の成長には言語の誕生が付き物である。
しかし、他の文明と対峙して合流するようになれば、複数の言語は折衷するか一方が消滅する。
そのような誕生・増加・合流・減少を複雑に重ねて今の世界文明がある。
今日、多く人が国際的な言語の学習を志向する風潮は当然であるが、同時に少数のものを保護する国連やユネスコのような最上層の機関もある。
世間が多数派の言語に傾倒しようと、少数派を重んじて保護しようと構わないと思うが、間違いなく少数の者は消滅する。
あらゆる物事を時間的に観察すれば、誕生・繁栄・衰退・消滅(絶滅)は必然的な原理であると実感できるからである。

今回の記事で諸言語に寄せて称する「繁栄・衰退」とは、「多様化・画一化」である。
各文明が便宜によって産み出した言語も、より大きな文明に包括される認識があれば、そのようなものに合流・淘汰されて当然の道理となる。
小さい範囲では日本語とその方言、広げて中国語圏、そして確認できる最大規模の範囲では英語圏がその好例である。

「やまとことば」から多様な「ホーゲン」が生まれ、次世代の「ニホンゴ」に昇華するようである。
今でこそ「ホーゲン(方言)」の尊重だとか保護活動は盛んのようだが、風前の灯火である。
そのような現代、私はやまとことば(和語)、古語、漢文に親しんでいる。
私の執着は時代錯誤であろうか?否。不也。笑止千万。



英語 世界文明
日本人は個人主義的である反面、同調心理も強いから、国際社会というしがらみによって多くの一般人が英語を第一外国語として学ぼうとする。また、同言語は文化的にも極めて日本に浸透していて身近な外国語であると同時に、土着化しつつある(いわゆるGairaigoWasei-eigo)。世界各言語の地域にも同様の傾向があるのみならず、歴史においては大英帝国の影響が著しく、母国語として話す者は多い。そのため、土着の言語と一緒に公用語と認定される例は枚挙に遑がない。一般的な文字体系であるラテンアルファベット(ラテン文字)を採用していることから、同様の文字を用いる言語話者・国においては親しみやすい。様々な条件によって蓋然的に世界で比類なき一大言語と成り得る。要約すると、歴史的には大英帝国による形式的な帝国主義による影響・現代的には米国などの非君主の帝国主義(揶揄だが)による影響から、世界的に受容されている。

中国語 一国・多民族・全体主義思想
効率重視の合理主義的国家に制定された簡略化された文字(簡体字・簡化字)を使う。広東語など各種方言の存在を強権的に淘汰しようとすると、国連やユネスコや多くの諸外国より非難されるので、一応、便宜的に認めている。少数の方言を尊重すると、当該方言の話者が「一つの中国」というアイデンティティ・帰属意識から逸してしまうので、全体主義思想に基づいた本心では許したくなかろう。いつかは国内で完全なる言語支配と、共産党勢力の拡大によって世界的な普及を目論んでいる、と私は邪推している。そこまでいくと帝国主義のようになってしまい、彼らの二律背反となるので、さすがにその自覚くらいは持つと考えるが、そんな将来のことなど、私は知らない。ただし今の中共国家は、漢字の表音に第二次大戦前からある注音符号(成立経緯に日本文化の影響があり現代は台湾で主に用いられる)を利用せず、戦後に作った拼音(ピンイン)というローマ字表記を利用する点、必ずしも中華文明を純粋に押すことはなかろう。

アラビア語 一教・多国家・全体主義思想
ムハンマドの金口(こんく)より発せられたアッラーフお墨付きの聖なる言葉である。イスラーム信仰の者がアラビア語を学ばずにいられようか?愛する子供たちに学ばせずにいられようか?よって宗教多元主義・アフリカ貧困地域の恒常的人道支援のスキをついて猛烈に布教するイスラム教の信仰者(ムスリム)の間では当然、普及してゆく。全体主義的イスラーム世界の広まりと同時にアラビア語も国際的立場が強まるであろう。主要先進国や中国の人口が伸び悩むので相対的に立場を強めるのみならず、イスラーム世界の拡大と配下の民衆の増殖でネイティブスピーカーが増える。そうした場合、イスラーム世界の外の地域でも、後天的に学ぶ必要を持つ人が学んで習得するケースも増える。



多くの言語は主要な語彙からごく一部の語彙まで、サンスクリット語の影響を古くから受けている。
中国ではほとんど外来語扱いで音写や漢訳の当て字がある程度であったが、英語はもちろん、多くの西洋言語とその祖語であるギリシャ語・ラテン語も、サンスクリット語の影響を多大に受けている(日本にも仏教を介して土着して意味も変わった「塔"とう・とふ=ストゥーパ"」とか「旦那"だんな=ダーナ"」などがある)。
アラビア語は不明だが、何らかの影響はあると考えてよい。
そもそも一神教のヤハウェ、エホバと呼ばれるような「神」は、インドにおける創造神・ブラフマーの影響であると考えてもいる。
ただし、今は「ブラフマーとアブラハムって似ているじゃん?」というホラ吹き程度で精一杯である(勉強不足のため)。

サンスクリット語およびその影響を受けた諸言語は、インド・ヨーロッパ系の言語であり、「印欧語族
」と呼ぶ。
言語学者は、根本的な共通の祖語を仮想し、「印欧祖語」と呼んでいる。
諸言語においてサンスクリット語に通じる多くの語彙は、その「印欧祖語」の「印欧語根」を踏襲する。
ブラフマーであれば、「成長」を意味する√bṛh という語根を踏襲していると明かされており、この語根の祖語(印欧祖語)の語根は*bʰerǵʰ- という。
"bʰerǵʰ-"は「1.昇る 2.高い 3.山」という意味があるとされる。
上付き文字の"h"(有気音?)を除いて表記すると"berg"となり、ドイツ語の"Berg (山)"、いわゆる「何とかベルク」や「何とかバーグ(英語発音)」という地名に見る"-berg"と同じ意味となる。
もしや、「ブラフマーとベルク」もナチス・ドイツの特異なアーリア人種説の根拠の主要な一因となっているのであろうか?
アーリア人とか印欧祖語とかというものも全て近代的な学説に過ぎない概念ではあるが、全ての見解に対して慎重な立場でいる私としては「一理ある」と言うしかない。





起草日: 20161018

仏教ネタを交えない言語学的な記事(比較言語学とかいう)は久々に投稿する。
ただし、表題に「誕生・増加・減少」とある通り、言語学というよりは、社会科学である。
なおかつ、こういった見方は些か哲学的な影響もある。
全くもって世の中は、押しなべて「繁栄・衰退」という「多様化・画一化」の法則が適用される。
そう綴るだけでは情緒的であり、感傷に浸っている状態に過ぎないであろう。

一が多を生み、多が一へと戻るようである。
戻るところが単一でなくとも、少数の多数派に合流・吸収がされてしまう。
微細な部分でいくらか増減はあるかもしれないが、全体としてはこの傾向である、
あらゆる物事を観察し、確かな知識・経験として身につけてもらいたい。
数年間、この諦観を実感し続けてきた。
具体的な例は当記事における諸言語・方言の話はもちろん、「過去記事 - 音楽の没個性化の段」に述べた音楽ジャンルの事と個人の一生の話や、90年代における各省庁や地方銀行の合併や、近年の子会社化・買収行為(大手小売業・GoogleなどIT企業・中華資本に多い)や、地方都市・町村の衰退(大都市集中)など、ごくごく普遍的に見られている。
こう見返すと、社会科学的であり、哲学的な分析となる。
現象に即した見方であるため、仏教的に表現できても、仏教の「如実知見」とは異なる。
他の例としては、個人的な思索・思考にも、一つの問題提起に様々な憶測や意見を生じ、最終的に妥当であるものへと帰結するプロセスもある。



【雑考 (2016年10月19日)】
イギリスとは何であろうか。イギリス"Igirisu"はイングリッシュ"English"であり、エングリスク"Aenglisc"である。エングリスク(アエングリスク・アングリスク)はアングロ民族"Angles"の言葉である。アングロ"Angle"とエンジェル"Angel"はアナグラム"Anagram"である。アナグラムはどうでもよい。エンジェル"Angel"とアンジャー"Anger"は語尾にlとrの違いがある。アングロ民族"Angles"は、"Angel"なのか"Anger"なのか?原形をゲルマン祖語に尋ねる。

"Angel"は"angiluz"である。"angiluz"の意味は不明である。"Anger"は"anguz"である。"anguz"の意味は「狭い・細い」であり、"anger"のみならず"angry"と似た発音の"ugly"にも通じている。なぜであろうか。"Angel"に通じる"angiluz"は古代ギリシャ語"ἄγγελος (メッセンジャー・伝道者・預言者)"でガンマ"γ = g"が2回連なる。gはnに変化し、"Angel, angiluz, Anger, anguz"が生まれた"ugly"にしても祖語"uggligr (uggr ‎+‎ -ligr.)"はジー"g"が2回連なり、"n"が省かれた。日本語ですら撥音便の末に"ん"が省かれた単語「なにと→なんど→など」や「のみと→のんど→のど」という単語があるので言語学・音韻学に詳しい人は容易に実感できる("など・のど"の例は適切でない)。"ugly"の話は差し置く。

要するに、イギリス=イングリッシュ(イングランド人)=アングロ・アングル・アングレスとは、「狭い"Anguz, h₂énǵʰus"土地の民族」という意味であった。"Angles"は"l"で通じる"Angel"よりも"Anger"に通じるそうである。この説は、未完全な言語学の説を私が端的にまとめて事実を推定したものに過ぎないので、事実を的確に当てた説ではない。なお、この説を補強できる記述が日本語版Wikipedia「アングル人」の項に見られたので引用する→『アングル人の名はブリテン島に定着する前の同民族の故地であるアンゲルン半島に由来すると考えられている。アンゲルンの地名の由来については、ゲルマン諸語において「狭い(水辺)」という意味を表す語根"eng-"(或いは"angh-")が元になったとする見解や、印欧語の語根で「曲がった」という意味を表す"ang-"から派生したという見解など、複数の説がある。』なお、アングロ民族・アンゲル人がアンゲルン半島の民族と見た場合、アンゲルン半島の外見はさほど「狭い土地」という印象ではない。相対的な外見は十分、幅が広く、一般的な半島よりも半島らしい特徴が目立たない(ユトランド半島デンマーク国外の小半島である)。"Angle, Angeln"の語根に「釣り針・曲がった」という意味も含まれる説は未検証だが、この説を採った方が適切かもしれない。これ以上、検証の余地はなくなった。ついに我が疑いを滅ぼそう。

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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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