2014年10月30日木曜日

女子小学生は髪型でも家や親の像が少し把握できる

向かいの家の娘(小1か2)の髪型はおよそセミロングだが、陰で見守る私としては、私ほどにまで伸ばして頂きたいと思っている。
向かいの家の娘の話はほどほどにし、題について触れる。
女子小学生はそれくらいの長さほどかそれ以上の場合は大概、育ちがよかったりする、というか、割と親の教育がよかったりする。
顔つきなどもそれなりによかったりする。
もちろん髪が短くても優等生っぽい子は優等生ではあるが、長いほうがこの傾向にある。
参考動画→http://www.youtube.com/watch?v=qo1HdBHfYE8

なぜなのか、私が髪の長い子を好いてるだとかではなく、やはり幼い子供の美貌に親が割と干渉しているというのは、「教育の信念」があるということになるからだ。
だから髪が長い場合はその傾向が強いとし、短くても綺麗な子なら当然これまた同じことが言えるのだが、やはり小学生を見ると案外短い子が多いので、長いほうが少数派で見分けやすいために、私はこう鳴らしているのだ。

もちろん長い子みんな、一概に優秀とは言わないよ。言わないよ。
DQN系やギャル系の親が茶髪にして伸ばしてる場合とかもあるし。
でもまあそれもまたそれで、親の信念が見られていいかもね。俺は苦手だけど。


それでは向かいの家の娘は、果たして優等生タイプか?
現時点では判断不能だが、家は新築で大きめなので親がやや高所得である。
また、親戚だか友達だかの出入りも散見されたり、彼女自身変にテンションが高いように思う(あのまま育ったら変な子になっちゃうけどね)。

我が家もいえば、私がそんな年のころは父親が都内勤務の会社員だったり母親は主婦の時もあれば、小5別居以降は北海道に遠征して薬剤師を再開していた。
・・・今は介護のせいで依願退職して(8月に祖母入所させても)無職なんだけどね。
祖母のことが8月入所以降は一段落してもまだ仕事を探す気はないっぽいし。
十分高所得だが、別居の原因は普段から喧嘩が絶えず、母親の浪費が発端で。
教育がド下手な母親のことはいつかまた別に書く(過去にも書いたけどね)。

私自身の頭髪は1歳の手術でハゲ、小5の時はネット中毒で男子随一の長髪だったかも。
それから中2まで普通の髪型でいたが、中2夏から切らなくなり、今じゃ日本の17歳男子、ひいては10代男子の中でも最上位を争う長さに至ってるはずだ。
私は生まれつき頭がよくて小3一学期から小4二学期までの不登校の間、勉強なんてほとんどしなかったのに、転校した学校ですぐ授業が追いつき、バカ真面目に学校通って優等生ぶってる奴らの点数なんて嘲笑えたほどだったけどね。
私の髪が長いのは、逆に私の自由意志か、あるいは私が切る気がないor切りたくないの影響で小5の時も今も長いだけだった、ということだ。


この記事に限らずだけど、一人称がその一文の文脈で「俺」と「私」が混交する。
今回は「私」で統一したけどね。
ページ内検索で「俺」と打ち、この記事内の「俺」を淘汰・ホロコーストだぜ~
ちなみに、今の俺がいくら頭よかったとしても、やれ高校だのの勉強が同年代に追いつくなんて自惚れていることもないよ、興味ある学問の研鑽に邁進すればよろしい。

「髪 指導」で検索すると、今年8月のニュースが検索に多くかかった。
福岡市の小学校で、茶髪の指導に子供が精神的損害を被ったのでその親と仲間が学校側に恐喝で現金を脅し取ったそうだ。
福岡らしいよね、みんな苗字が違うのは結婚もせずヤリまくってガキ孕んだからで、しかもワルの友達が同調して仲良く凶行に共謀してるんだから。
他地域じゃ、仮に一人ワル女がいてもこんなワル友達作ってのっかけないよ。
一人キチガイだと心許ないし、学校側も仮に一人に脅されても、シタテに出はしない。
これまた狡猾な学校側は、言われるがまま金を差し出し、奴らの加害行為を成立せしめ、己を被害者ならしめ、奴らを加害者たらしめたのも全て福岡だからあり得ることで、加害者も被害者も福岡ならでは、他地域で起きようものなら奇跡。
かえって、殺人沙汰にならないのも福岡らしいんだけどね。
一時の快楽の代償であります、はした金と引き換えに、奴らは実名を晒されて、その他諸々、長引く苦しみを受けることになりました。チ~ン。

2014年10月29日水曜日

宗教と言語 - 日本語から見た仏教と英語から見たキリスト教

2014年6月から本格的に仏教を学び始めた。
きっかけについては以前も幾度に渡り綴ったので割愛。
9月以降からか、何となくラテン語にも興味が出始めた。
最近制作中の楽曲もラテン語使いたくなっちゃう感じ。

仏教はインドで起こり、中国を経て日本へ。
キリスト教はギリシャ(?)かイスラエルか何か?で広くヨーロッパを経て超大国イギリスさん等の統治で世界中の植民地を英語統治してキリスト教布教して略。
まあキリスト教はイスラム教とかユダヤ教と神が一緒なので中東?

ということだが、仏教に於けるお経や、キリスト教に於けるミサというのは類似性を感じた次第であり、共に内容を意訳すると信条に関することや釈迦なりキリストなりの教えが触れてある。
文面としては、お経は漢字のみが並び、今日用いられない漢字や、「呉音」という現代不慣れの読み方もあり(更に言えば中国語やサンスクリット語)、ミサだか聖書だかも、英語の祖となる点が強いラテン語(更に言えばヘブライ語やギリシャ語)がメインである。
宗教とは、保守的なれば古来の言葉、言語、発音になるようだ。
それは仏教にしてもキリスト教にしても、今の世代で守る人間もいるようである。
特に、今から数百年以上前なら、日本であれヨーロッパであれ、それなりに裕福な国でも、その中の富裕層かややお金がある層でないと、文字が読めなかったなどの問題もある点も似る、にしたがって、宗教の伝統を護持する家系は、それなりにはっきりしてるかもね。
一貫性ってやつだよ。

俺の両親や俺自身も無宗教だが、父方の祖父母は、中1の時の葬式で泊まりに言ったとき、南無妙法蓮華経や記憶が不明のお経を唱えたため、日々勤行をしているのだろう。
当時は父方の祖父が死んだことに伴う弔いのお経だと思っていたが、南無妙法蓮華経だけでなく名前も定かでないお経(日蓮系なら題目・自我偈あたり?)もその場でスラスラ読んでた(ボロくなった経本を見ながら)ことを思えば、昔から唱えていることが分かる。
尚且つ、彼らは千葉県鴨川市に住んでるが、鴨川といえば日蓮生誕の地であり、鴨川には広く日蓮系信徒がいるとも推察される。
・・・祖父母と日蓮のことは以前もここで書いたけど。
http://lesbophilia.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html

当然この話だけでは、私の先祖にどんな宗教の信仰があったかが掴めない。
鴨川の先祖が、いつ誰の時代から子供に弘通していったかは知る由もない。
という話も、本題から逸脱してるので戻しておこう。

無宗教の私が宗教を見る理由は、少々邪ではあるが、「宗教を学ぶことで言語や歴史の核心を得られる」、そう考えるからである。
どう邪であるかといえば、特定の宗教を本気で信じたりせず、いいところだけを取っていることや、本気で信じる人にとってずるいことだし、宗教を勉強の道具にしてるかのようなやり口はかなり不純で、バチ当たりかもしれないのである。
2014年6月までは仏教にさほど興味を持たず、神道が特に気になっていたが・・・
おっと失敬、またも逸れてらっしゃる。

先述の「呉音」についてだが、以前も記事で話題にしたことがある。
http://lesbophilia.blogspot.com/2014/07/17.html
「英語圏にとってラテン語が対なら、日本には中国語(漢語)の方が対ではないか」と思ってしまうところだが、宗教の話なので。。。
でも、お経を見ると、「漢文が分かれば意味もわかるぞう」、ともとれる内容となっており、中1・2の頃に興味本位で般若心経の暗記を試みていたけど、意味なんて当時の自分の頭じゃ到底わからなかったはずである。
私が般若心経を知ったのは、小6か中1の頃に見たある古い漫画・・・
己の過去の回想はもういいね。。。
ようするに、ある程度中国語できれば有利だけど、中国語覚えてまで理解を試みるほど難解でもないと思う。

お経は、上記の「自我偈」など、漢字5文字で構成されるものが多いの?
勉強不足なので。。。真宗の正信偈は全て7文字である。
統一された文字数で構成されたお経は主に鎌倉時代以降に出来たものに多いの?
例えば般若心経は文字数の統一がされてないでしょう。。。

このように、日本人であの時代に漢文が読解できないと理解できないものを、しかも自分で考えて書いてみせるということは、かなり「智慧」が必要になるかもね。
あの時代のそういう層だと今の日本の学校で学ぶ時間に近い量、仏・釈迦の教え、仏典・経典、漢文(当時どう呼称していたの?)のことを学べているはずだしね。
それほど「智慧」は必要にならないかもしれないけども。
そんな言い方をすれば日蓮大聖人や親鸞聖人への大謗法だよね。。。


今回の記事は頭がかなり疲れた状態で書いてるから支離滅裂気味だよね。
自分でも語彙などに納得がいってない。。。はぁ。。。。。。
今日もバリバリ音楽制作で、疲弊気味だからね。

2014年10月26日日曜日

計画性のある散歩とは。俺に気まぐれで行く力は・・・

10月25日、本家ブログにおけるプロフィール文章を更新した。
「外に出るのも危険~」以降の文を散歩に関する情報に置き換えたが、この際に「気まぐれで散歩に行きます」としようとしたが、表現が気に食わずやめた。
俺はよくよく考えてみれば、気まぐれで散歩に行けるほど体力があるわけでもなく、実際に事前の計画を練ってからその通りに実行しているのである。
故に「外に出るのも危険な状況な折、涼しい時期に予ての計画を基に散歩に出ることもある。」と書き換えたのである。

散歩の計画性について私的な手法も記す。
まず、目的地を定める。片道2km圏内にも見所はあるよ。
次に、体力のない私は最短ルートをGoogle地図にて求め、ストリートビューで探る。
ことに豊橋は国道沿いなどしかストリートビューできなかった2013年と比べ、今では畑だらけの地域もストリートビュー可能となっているので、便利なものだと感心。
更にいえば住宅街などは目印っぽいものや建物の名前など地図上にない、いわゆる民家ばかりのことが多いために迷いやすいので入念に叩き込まねばならない。
斯くして未踏の地の地理さえ把握した俺は、現地で迷わず進み、目的地に到達できるのだが、帰りに、10月19日のごとく想定しえないルートへ外れる場合もある。

仮に把握してない場所に迷いこんだとしても、目的地が近場の幹線道路より西なら、東へ無我夢中に突き進めば知ってる道路へ出るし、逆もまた然り。
ただ当然迷ってしまうと無駄に体力を奪われるので、先述のように私は迷いたくない。
迷うことで気付かなかった面白い場所を知る機会にもなるかもしれないが、そんな度量を持てるわけじゃないしね。

結果、体力がないなら知力で勝負、そんな俺は須く万全を期して挑むべきなのだ。
大雑把な性格でもある私は、この面で用意周到かもしれないが、ボロが出ることもある。
それにこのこと以外にはもっと粗雑で杜撰かもね。

2014年10月25日土曜日

そこはやっぱり俺でしてね。(またしょうもない記事)



俺は独り言の中で、この頃毎日のように食い物がないことの不満を漏らしている。
もちろん、独り言に終始していて、強い口調で母親に直接言えばただのワルガキ。
しかし、母親に不満を言わずただ大人しくするだなんてことはやっぱり俺なのでできず、10月21日に食い物を求めるメールをした。

その内容は、無題で「マヨネーズかけご飯おいしいです」とだけ。
これもやっぱり俺なので、ストレートな内容にはせず、遠まわしにその意思を示してる。
メールの真意は、マヨネーズかけご飯がおいしいと、あたかも気が狂ったかのように装い、「食い物を買えということか」と察知してもらいたいのである。
ただしあの母親は諸君もご存知の通り、鈍くて母親不適格な人間だからそんなことに気付くか、仮にも気付けたとして従順に足を動かすかということである。
10月24日の夜もマヨネーズかけご飯を食べたので、胸焼けに悶えながら眠りに就いた。

思えば、俺様はピチピチの17歳で、学び盛り、育ち盛りにも関わらず、2年半前にも俺を苛んだ悪夢の「一日全食ラーメン(その時は今にも苦しみを増して、まずい銘柄の具なしで食わされてたがね)」という日の割合が強まってる。
つい1ヶ月前まで普通に食えていたことが信じがたい。
今では数日に1食しかご飯にありつけないと思うと、「あの母親が不要な会話を持ち掛けさえしなければ、互いに苦しむことはなかったな」とばかりである。

お菓子を食べたい。近所の自販機に赴けばいいが、小遣いだって月に2000円しかもらってないので工面してるが、父親と住む弟は週に3000円もらってるのだから如何に俺が苦しまされてるかよ~く分かるはずである。
週に3000円ということは月に10000円を軽く超してるのだから。
月によりけりだが、12000円~15000円だなんて非常識極まる額である、父よ、とまた長く書いてしまいそうなのでこの記事見なさい。
http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html
そこであの言葉、偏愛故に盲目なので麻痺した感覚もってすればこんな額安いのだろう。
感覚麻痺の露呈は、上の記事にあるとおり、小遣い問題にとどまらず!!

母親も片腕が云々というなら、一度に重い買い物をせずに小分けで小まめに行けばよい。
前にも書いたが「ハンドルが握れない」とかは通用しない。
俺だって片手ハンドルを強要する気はないし、両腕使う家事がまともにできて運転できないこともないし、週に数度車でどっか行ってるなら何も困ることはないのだ。


最後に、この記事のほぼ全文を書き終えてからリビングへ向かうと、どうも買い物のメモを見つけたが、瑞相は記事を書く前から出ていて、12時頃、母親が自分の髪を洗面所にて整えていたらしく、「今日は外へ出るのか?」と思っていたところやはり予想が当たった様子だ。
買い物のメモを見た俺は気分が随分と変わったものだ。
やはり、近いうちに起きるかどうかの把握ができれば、いつ起きるのか分からない状態と比べ、それだけで心持ちが変わるのだろう。うむ。

でもまあ、こんな記事を書いた後に母親が買い物へ行くっていうのも気が引けるね。
俺が怨んだことの因果でないのか、とか思えてくるし。それは考えすぎだろうか?

2014年10月24日金曜日

少し遠くを見渡せば多少の賢い人が、しかし俺の読者は全員・・・

私はブログで長文の記事投稿のみならず音楽制作やお絵かきもしている。
だが多くのファン(?)や読者などはそんなこと微塵もできない。
興味もないので、クリエイティビティは皆無だ。
俺はそういう読者を求めていないのだが、そんなのしか集ってこない。
俺と共通の趣味を持つ賢い人間や芸術家志向の者を求めてやってるのに。
そんな者と話題を共有し、時に互いに競い、また励まし、健やかな芸術や研鑽の邁進を思い描くというのは幻想で、俺には起きるなんてことはないのか。

長文の記事とは、個人的な生活の日記や過去の回想のほか、学習してる分野についての学習発表っぽいもの、日々研鑽の中で気付いたことが多い。
音楽制作は、以前も書いた通り某ツールで手軽に作った後、PCにデータ転送して音源化。
お絵かきは、紙とペンとスキャナーのアナログから、マウス・フリーソフトという至ってさえない環境下でマイペースにやっている。
俺というパーソナリティが17歳の青二才だから?俺の活動は興味ないか?
退廃の胚胎たる2010年代以降はみんな芸術分野に興味を喪失したか?

他の例の不満についても述べる。
俺がブログ記事で動画へのリンク、その逆も然りだが、そういった俺の活動サイトの相互にリンク付けして親切にガイドしてるのに、それに素直に従わずリンクを踏まない読者や視聴者は、頭が悪いのか捻くれ者なのか判断に迷う。
俺の活動が気になるから俺を見てるのに、活動範囲をほとんど探らず軽く見てお終い?
例えば俺がある話題の動画を投稿した、動画内の原稿ともなる記事へのリンクを動画ディスクリプションに記載したのに、その記事は見ず漠然と動画だけ見て(内容を理解して見ているかも怪しい)お終いなのである。
キチガイがキチガイな主張してるとか、そんな程度にしか見られてないようである。


昔の言葉だか何か、「善友は求めて悪は蹴れ」というのか、まあしかしネットで見る人間ってのは蹴るとか突き放すのはほぼ不可能なわけで。
俺の付き合いとかじゃなくて、あくまで互いの干渉はない世界だもの。
突き放すなら、読者が嫌に思うであろう言葉を書き連ねればいいが、そんなことしたら賢い人間は一層寄り付かなくなるのではないか。
つまり、選ぶ行為そのものは不可能に近いのだが、受動的にファン・読者がつくようならせめて賢い人を願う。


俺は豊橋の外へ一歩も出ず、遊びを禁じて、修行の地・豊橋に籠もって3年半だが、もっと欲を出してもいいんじゃないかって思ってる。
上の弟みたく、自分のことだけは楽天家で、道楽な自堕落生活もいいと思うんだ。
それが出来るほど無知じゃないから、己を戒めて研鑽を怠らない時間を過ごしている。
だけど楽しめる若い内に遊び呆ける方が賢明なのかもね。
まあ先述のように、楽しめないから楽しまないんだけど。

弟の埼玉帰省生活で父からの甘やかしと、躊躇わず求め続ける根性は羨ましい。
俺も臆せず必要以上の金の要求とかできる性格ならいいが、良心の呵責ってもんが。
母親の時もある程の甘やかしがあったが、父親と住み始めてからは拍車がかかったのだね。
詳細は上のリンクの記事とこれね。
通学記録http://lesbophilia.blogspot.jp/2014/08/blog-post_7.html


思えばね、なんで俺って今月は本家もメモ帳も盛んに記事書いて、9月~10月初めまで滞り気味の音楽制作も復活して、お絵かきも今月は謎の使命感が沸き立って手が動いて、これらの活動は勢いを増していることが一目瞭然な上、今月半ば以降は散歩にもよく行くのに、父メールの件に於ける母との口論母の余計な会話に発端する襲撃、それに伴い買い物の懈怠など、家庭不和が連発するのか。
・・・多くの例を羅列したが、要するに俺が頑張るって気でいるのに、運はそれに味方しないで、周囲は逆行するんだ。
俺の活動に関する良いことも、母との軋轢に関する悪いことも、枚挙に遑なきものであるほど顕著に多く、それ故に極めて相反することもよく分かる。
折角俺が頑張ろうとすれば、その妨げとなることを俺に向けてくるんだ。
そんな過酷且つ無慈悲な試練を与えられる俺は、物語最強の主人公だともいえる。

2014年10月22日水曜日

特定の層を卑下して驕る者 "驕慢の沙汰"

ネットの人物で、昔よりつまらなくなったか、活動量が乏しくなった者あるいは凋落寸前の人間に、この記事の題名に見られる症状が起きる。
特定の層というと、"17歳"の私が属す「ニート・引きこもり」層のことだ。
そういった当人からすると「弱者」にあたる層をとことん蔑むのだ。
2chや知恵袋に多いとばかり思っていたが、みるみる侵食は進む・・・

最近、違うきっかけで同じことを提唱した→http://masashi.doorblog.jp/archives/40633597.html
一文の引用「亡国に傾くほど、社会的弱者などを見下して歪んだ優越感を持つ輩が蔓延るのであるが、これぞ正に"Pride goes before a fall(悪い優越感が先走るのは凋落寸前である)"の理である。」

あまり同一視するのは、思考の単純化の発露にしかならないのでほどほどに。
最近話題の橋下VS某の会談で、片方の思想の肩を持つ気はないし、私は橋下さんをあまり好いてないが、「一括りに評価するな」という客観的な言葉には強く同感した。
在日云々のことは、まあ置いてね。
"17歳"の私や、橋の言葉を心肝に染め、今一度考えを改めるのが賢明なのだ。

あまり晒す真似は控えておきたいね、氷山の一角。
http://d.hatena.ne.jp/licheng/20140820/p1

この種のネットの人ってのは、何かニートの人に嫌な思いをされたのだろうか?
"17歳"の私は良識を弁えている所存ゆえ、一方的に不快な真似をしようとはしない。
したがって、この種の人を見ると先述の、一貫した法則を垣間見るのである。
「昔よりつまらなくなったか、活動量が乏しくなった者あるいは凋落寸前の人間に、この記事の題名に見られる症状が起きる」
根拠が"Pride goes before a fall(悪い優越感が先走るのは凋落寸前である)"なのだ。

ニートを謗るために、社畜という反例も引き合いに出して道連れにしている稀有な例。
誤魔化しは効かないよ、本意にはそっちの誹謗が主目的なのだからね。
この人は長らく社会や宗教や言語に関する記事を書いてなくて、技術など理系の記事を書いていたのに8月になって突如、何かあったのだろうか?
くぁしく話きいたげるよ、ぼくちんがね。
仏法を口実に、不快なニートという存在を否定したかったことが主目的なのだ。
第六天の魔王がその魔の手を、一翳が眼に在る(大好きな禅語♡)凡夫共に伸ばし、彼らは知らず知らずの内に犯され、気付かない内に仏法を騙った低劣な発言をしてしまうのだ。

もっと公平的知見を持っていて知的な人かと思っていたのが運の尽きだよ、無念。
切迫したら無関係な弱者への攻撃に逃げ道を見出す邪師こそ、遍く救いなし。
正しい弘通ではなく、変に驕り高ぶる様はただの迷妄に過ぎない。
まあ斯く言う俺は仏教的な救いを未だ信じられなかったりするけど。公平だから。
最後に、何が言いたかったか、その批判の中身を云々しているのでなく、批判する行為自体が悪とみなしており、剰え魂胆を隠し立てしながら批判に徹しているのは邪の極みと言いたいのだ。
是を糺すはソレガシの責務なり。過去記事で「糺す」はなんたるかの神髄を。


日記:今日もやらねばならぬことを済ませた、ゴミ出しと自販機通いを昨日のように朝早く5:50に起きて豊橋で雨が止んでる内に完遂した。→追記12時前、散歩へ行った。

2014年10月21日火曜日

悪を責め、糺すのみである。母への諫めは伏す可き也

決して「クソババア」などの蔑称を用いることはない。
俺は、本質的な悪を糺す気持ちだけだからだ。
それも、今のところ本人へ告げるのでなく、独り言にとどめている。


相変わらず「月・木の買い物」の取り決めを反故にしている母親。
今週も月曜日の買い物を母親は飛ばしてしまった。
たまりかねて本日は自販機に赴いた。
もしかしたら明日も自販機通いかもしれないのだ。

あの母親からすれば買い物サボっても、米が大量にあるからあながち食っていけないというわけでもないと思うことだろう。
だが現に子供2人の健やかな発育を、食の観点から妨げている。
悪影響を身近なものに及ぼしているのだ。
それゆえ、糺すのである。それも未だ独り言にとどめている。

しかし、今後いつまでも(未定)堕落を継続させるなら、この意思を直接訴えねばならない。
一刻も早く、できることなら今日にでも買い物へ行き、改心してもらいたい。


でまあ、以前の買い物は、日曜日に「寿司(マグロなし)とデザート」計800円相当(俺の分だけでこれ、弟の分も含めると2倍?)を買ってきたが、一食分である。その場しのぎ。
そしてその前の木曜日(1週間ぶりの買い物)に、メイン買い物相当でなく、この期に及びサブ買い物相当で、牛乳に関しては俺にナシ、弟に1本となんとも貧しい内容だ。

今週月曜日分の買い物はもはやすっぽかす気で、木曜日にまたサブ買い物相当しか買わずに今週の買い物を終えるのか?
やはり以前書いたごとくの異常感覚が絶えないのか。
俺も我が儘を言いたくないから抑えてるが、弟には是非とも蜂起していただきたい。

2014年10月18日土曜日

歴史で興味を持っていた分野の変遷

今となっては、日本史の平安時代~鎌倉時代や、宗教的なものにもハマってる(入信する気は毛頭なし)のだが、思えば最近までは日本国内の都市間のネタを好んでいた。
今回は、細かい時系列で変遷を表す。


小6の時から少しばかり尖閣諸島、北朝鮮などに興味があったが、ことに北朝鮮は何も他の小学生でも、面白いと好奇の目で見ていたのではないか。
隣国で、近いのに異色というか、奇怪というか、そんな魅力はあったのではないか。
次の時間までには「歴史好き」を自称する輩が好む江戸時代幕末などが割と好きだった。
中2不登校以降は所謂ネトウヨ化したので、明治時代~戦前という大日本帝国近代化から軍事的台頭・隆盛の快進撃を楽しんでいた。
そして、特定アジアを嫌い、尚且つ現代の世界情勢・地理も好きであった。
中学卒業までにこれが治まり、しばらくして故郷たる埼玉の偉大さが日本の偉大さと重なり、埼玉県内ひいては日本全体の地理・歴史に興味を持つ。
対外的なものへの興味はかなり失せていった(鎖国?)。


かつて興味あった分野にほんのりと関心を寄せつつ、2014年の今は6月以降、仏教や新興宗教の歴史、教義などについて調べている。
同時に、もともと某ゲームの影響で気になっていた上記「日本史の平安時代~鎌倉時代」あたりも、関心を寄せている。

日本に於ける仏教とは、所謂「鎌倉新仏教」などを抜きにできない。
興味を持ったきっかけも、とある日蓮系の新興宗教だから・・・
そう、その新興宗教も、最初は都内に本部があったが、やはり埼玉県内に現存することに起因して興味を持ったのである。
今ではさいたまスーパーアリーナを貸しきって大会を開く教団に育った。
最初こそ「あの誇らしい大会場を、宗教のイベントに使うだなんて!」と悲しみもあったが、思えば数万人規模の参加があるし、あながち収益性は無くもないのだ。
そう考えれば合理的ではないかね、地元で大会開く姿勢も評価できるし、ましてや当初、埼玉に本部移してからも、しばらく横浜アリーナとかでやってたし・・・
それに人生で一回、SSAの中に入ったことがあるけど、新小学生向けのランドセル等道具の即売会みたいなので入ったことを思えば、別に宗教のイベントも悪くないよねって。

この教団の会歌は3曲あり2曲は軍歌の替え歌だけど、替え歌でない「両眼滝のその日まで」も軍歌調で、歌詞は全て7文字5文字を基本に構成されている。
どうも、実在の軍歌に同じく7文字5文字で構成されるものがあり、1番2番等の区切りに間奏を挟まない点も共通するが、それが「歩兵の本領」という曲だ。
「歌詞が7文字5文字で構成」のみを照らせば、調べたところ赤とんぼ、荒城の月、いざ征けのパートを除けば出征兵士を送る歌などにも見られ、昔の日本の歌には割と多いのだろうか?
「和歌の影響」はいうまでもないが、作曲できる俺的には、そのフレーズで固めると覚えやすい、演奏しやすいなどの利点もあると見ている(音楽の親しみがまだ薄い時代だし)。
そんなことにも気付く楽才もある俺。

ついでに、こんな感じのばかり調べてるものだから、小難しい古い言葉や、更に昔の言葉も資料等に散見されたりするが、切って放せないのが中国史である。
だが、中国系は何か苦手なので、あまり興味を持てないのが現実。
と思ったきっかけが、某教団の大先生が「危急存亡」という語を用いたことに端を発し、「危急存亡の秋」と書けば秋が「とき」と読め、語源は中国のアレで、更に上記「出征兵士(ry」の歌詞にも「誓致さん秋(とき)到る」とあり、謎の結びつきが生まれてしまい・・・

2014年10月16日木曜日

研究対象の諸言語の発音を覚え続けて・・・

今しがたフランス語の記事を読み直して、諸言語の発音について再考していた。
多くの言語の発音を理解すると脳の容量超過に喘ぐのではないか。
手っ取り早いスペイン語を探りいれた。

去年、Gato(猫)から学び、各種名詞の派生を理解した。
gato=ガトー gata=ガター gatito=ガティート gatita=ガティータ
で、4番目のガティータだが、日本に伝わるスペイン語に「セニョリータ」や「チキータ」があるが、itaの文字列が一致するのは、いずれも「女の子、年の低い女性・メス」を表すためだ。
即ち、語幹に「女の子、年の低い女性・メス」の意味合いを付加したい時はitaを付けるべし。
であるからして、猫Gatoに接尾辞itaを付加する際にはメスの子猫になる。
おっと、何が言いたかったかといえば、熟考前は「スペイン語は比較的簡単ではないか、英語が出来れば多少は」と思ったが、上記例だけで英語との根本的な違いを見て取れる。

フランス語に戻してみると、eの上にオマケがついた文字"ê"はフランス語において「エー」と発音することが多いが、例は"d'être"などだ。
母音の文字上にオマケがつき、「エー」と発音する文字で著名な例は、ドイツ語における"ö(Oのウムラウト)"で、例としては"königs(ケーニヒス)"などである。
öに例外はなさそうだが、êは似ている字と混同(サーカムフレックスとアキュートなどの判別)されるか、されなくとも例外を持つ?
冒頭リンク先記事でも書いたとおりフランス語は専門外なもので・・・
まあ多くの言語が少し齧った程度の知識に過ぎないかもしれないけどね。
ついでにロシア語キリル文字でウムラウトにも似た字形"ё"があるが、これは「エ」等の母音ではなく、「ヨ」と発音するのだ(ヨも母音みたいなものだが)。
一般的にドイツ語系の言語以外では「トレマ」と総称される。


思ったけど日本人でもウィキペディアンとかはみんな知ってそうだね、これ全部。
ウィキペディアンとは素性が謎だが、やや知識層にあるネット普及に伴う新型だ。
まあ俺の優位性は17歳という年齢、その若さだろうね。
オイドンもまたイキペヂアンですし。。。
早くラテン語歌詞の曲作らないとな~(口だけ)
PCとインターネットがなかったらヒキにならなかったかもしれないけど、逆にここまで専門家並みの知識を得ることもできなかったね、才気・才覚溢れ、前途有望(運が良ければ)な若き17歳の獅子の今後に乞うご期待。
いつも着眼点は優れてるけど、俺が実行すると上手くいかない面あるし、中2の時のアフィ等ネットビジネス構想が好例。


追記: 2018年
念願の「ラテン語歌詞」ができました。
http://masashi.doorblog.jp/archives/52087869.html

2014年10月15日水曜日

家族、悲嘆に悶える一日。昨日に続いてまた煩悶。

昨日の記事に打って変わり、今日は一日中家族のことで悲しみに明け暮れる。
本家ブログの記事の件にとどまらず、遠方の父・弟のこともだ。
事の発端がその母親の件であることに違いはないがね。

肉親を憎んでるのは家族思いだからこそなんだ。
その思いが歪んで強い憎しみに変化するけど、根源は思いやりなんだ。
家族のことで憂いて、今日はずっと「悲しい」とこの部屋にて呟き続ける。

私事ではあるが、左手の小指と薬指の間が痛い。
まあ体の痛みは日々付きまとう問題だけれども。
例えば肘や膝に股関節、足の裏、乃至は肩こりや首の痛みなど。
食後や特定の飲み物を飲んで数時間内に起こる腹痛。
絶えぬ日はないであろう。毎日の闘い。(こんなこと書いてると肩こりが・・・)

台風も過ぎて今、10月も半ばとなった。
明日の豊橋は晴れるはずだが、思えば今こそ散歩に適しているはずだ。
かねての散歩計画を実行するには遅くないし、この期を逃せば寒さも厳しくなる。
絶好の散歩日和になりえる今からの1ヶ月間に成し遂げたい。
このような痛みに苛まれつつ、体力不足なため散歩により更なる痛みを伴うかもしれない。

口を衝いて出る言葉はやはり「悲しい」。
こんな苦悩から解放されること(何かで気を紛らわせた後すぐ嫌なこと思い出すなら躁鬱の輪廻だよね。浮き沈み。)といえば、薄れかけたときに絵を描くとかその最中は割と悩みそっちのけで浸るよねっていう。
食事中も、食事は1日何回もやることだから例外もあるが、大概はこれにあたる。
なんといってもハマれるゲームがあることが一番だが、ゲームの類いは惰性でやってる某ソーシャルゲーム1作品除いて、この頃ちっともやっていない。
やりたい気にならないのだ。
俺の生活の中でそんな時期もあるが、今がそれに当たるのだ。
楽しくアニメ見ていた2009年・中1とかの気持ちはもう知らない。。。

昨日のエントリーにおける「何かをせねば」とは何であったのだろうか。
このごろの悩みたるものが今日は割と薄かったかも、な一日。。。
でもまあ何だかんだで責任感から生じる焦りは、今もほんのり渦巻いてるけど。。。
昨日と今日、こんな内容だから学術的とか名を冠すのって不当っぽい。。。

2014年10月14日火曜日

常に「何かしなければ」という悩みが頭を擡げる

酷いときは、ひたすらこの悩みだけが頭を廻り、懊悩に終始している。
先ほどそんな状態だったからこそ、今この記事を執筆しているのだ。
そんな時のその意識は、漠然と「何かをやらないといけない」ということだけが付きまとって、大した進展もないのである。

このところ1ヶ月以上はこんな風に「何かをしなければ」とばかりが浮かぶ。
案ずるならば、些細でも行動した方がいいんだけど、結局無駄に時間が流れるだけで。

私がしたい「何か」とは、概ね「活動三本柱」あたりだ。
音楽はこのところ自信喪失気味だったりする、作曲に向き合ったところで進ませると「俺にはもうできない」となって少し続いたほどで投げ出してしまう。
絵に関しては最近も頑張ってる方だが、毎日頑張りたいと思うことが裏腹に、どうにも描こうということもなければ己を強く責めてしまうのである。
なので頑張ってると言ったところで、毎日打ち込めるかといえば不可なのである。
動画は、気が向いた程度にマイペースでもいいと割り切ってるから無問題。
それどころか数ヶ月以上前より幾分ペースも良好だ。

何といってもブログ記事や作文の類いは、このブログで云えば4日連続で記事を投稿してるし、本家でも2ヶ月以上前よりやや速めのペースで投稿できている。
そんなこんなで今日も頑張ってこんな記事を書いているのだ。


本題の悩みに関してだが、それが強く付きまとうなら非生産的かもしれない。
あんまり責任感が強い今の私だが、教え導く恩師というものに乏しい。
己の知る手法を実践するだけでは心許ない上に、よりよいやり方であろう手法を知ってても己の判断で渋るならば、それこそ恩師に頼って恩師に教えを仰ぎ、それに基づき実践することがよい。

更に言えば、やはり研鑽には鼓舞してくれる励ましとなる側面も持ち合わせる必要があるのだが、私は俄かに沸いてきた自信が研鑽・活動の士気を高揚させているのである。
なので、直近1ヶ月は数ヶ月以上前より溌剌としているはずだが、死期の近い人間が最後の余力を振り絞っている醜い状況、そんな取り方もできなくもない。

事実、私の食や免疫に関するものは80歳前後の人間に近いものがある。
40を越えた人間がひえひえの牛乳をなみなみ注いで、がぶがぶと2杯も飲み干したり、ましてや70前後の人間で500mlの炭酸飲料を一日に数本飲んでる猛者をも見て驚きだ。
私にはそれらの3分の1程度でないと気が進まない(短時間でそれだけの牛乳は胃が冷えるし、炭酸も普通に飲めば1本でも胸焼けが酷い)。
体調面では当然だが、まあそんなに多量を短時間で摂るのは経済面にも・・・

経済面ね。私はこの活動を常々「慈善活動・非営利・無収益」と称している。
無賃労働!タダ働き。酷い苦しみをも伴うが、何ら金は舞い込んで来ず。
そうだね、狡猾に生きる者からすれば私の活動なんて虚勢そのもので滑稽さ。
お金もらえないのにこんなこと、真に愚であろう。

お金が全て、わかってるはずなのに、やっても無意味に近いと嘲笑されるであろうこの活動を継続する一つの根源が、やはり初志貫徹である。
結局俺が金の為に働いたところで学校と同じく続かないだろう。
種々の要因はあるが、今では人間関係よりも体力面の方が不安なほどだ。
まあこっちの話なんて今更しても仕方がないと思うし。
俺様はどうせそんなことならば、ネット活動を否が応でも貫きたい。
ただ、その一心なのである。

そこで、また最初の命題に回帰させてみるが、斯くで然りなために懊悩するのだ。
上を目指したい、ならば一時の怠慢も許したくない。
本格的に練習してる人ってもっと強く打ち込んでるよね、わかってるのに・・・
そんな人は恩師を持ってるはず、私は一人。
何もかも不利な俺はやらない方がいいのか、死ねばいいのかって思わされる・・・


2014年10月12日日曜日

目の描き方に関する路線変更 「まぶたの形状」

今年の8月に軽い研究(PCで何度も描いて試行錯誤。ネットの講座の類は見てない)を行った末に、元より憧れていた絵柄の再現に至った。
2010年以降の萌え系では比較的多く描かれるようになった系統のものだ。
従来、私の萌え絵の目の描き方は、端にかけて水平方向あるいはやや釣りあがるほどに描いた後、内側にはねるような順序であったのだが、今年の8月以降は、先述の憧れていた描き方を理解し、体得できたので用い始める。
そのまぶたの形状とは、ゆるいアーチ状であり、これでゆるい雰囲気となる。


↓マウス・ペイントで模式図を簡素に描画

「従来」って呼べば、なんだかこれから先はずっと用いない描画法にされたかのごとしだけど、状況やキャラの関係では今後も適宜使い分けすると思うよ。

ついでに、この新描画法に関しては目の形状以外にも色々特徴があるね、例えば輪郭はその点が強かったりする。
それも意識して描いてたりするよ。

「今年8月に体得した」とする根拠は本家ブログの絵の練習記事などに現れてる。
最新の9月・10月の記事はわかりやすい。
http://masashi.doorblog.jp/archives/40332368.html

でもって、併せて半年以上前の「お絵かき」カテゴリ記事を見てもらえれば特にね。
体得する前の画風と比較できるよ、っていう。



追記:2014年11月14日
今更ながら思い出した点のメモ。
この8月の変更と時を同じく、瞳の光沢の描き方も変更する腹を決めたはずだ。
独自の道が個性となるか、それともただの無知なのかは俺は知らない。。。

2014年10月11日土曜日

日々の生活に詠む歌。

10月8日の皆既月食を憂う「須臾にして 欠けたる月を こひねがふ」
10月9日の数ヶ月ぶりに食ったスーパー弁当の油に愕然「摘むほど 滴り落ちる 油かな」

このように毎日1句・・・・・・ そんなハイペースで読めたらいいね。

9月にリアルの方で詠み、10月に載せた他作品「謗るまじ 譬へメタルに 飽きたとて 汝メタルに 背かば死なむ」http://deathmetal.blog.jp/arc/Oct-04-2014.html

いずれも700年~1000年前の有名な歌の影響あり。
欠けたる→藤原道長 摘むほど(ry→作者も時代も不詳 謗るまじ→親鸞 死なむ→西行
あれ!藤原と西行といえば、あの妖と永に関係があるぞ!!!

というわけで、この時代は、日本史の中で一番好きだね。
平安時代中期~鎌倉時代初期という貴族全盛期と名残の時代。

普通の人は多分江戸時代とか戦国時代だろうけど。
武士はそれほど好きでなかったりする。

その時代を好く理由が、最初こそ東○の影響でもあったが、ある時から某日蓮系教団の関係で日蓮ひいては仏教に今まで以上に興味を持ち、流れで更にこの時代を求めるようになったし、今の俺の言語能力向上にも強く寄与してくれてて素晴らしいことだよ。
前にも東○と某教団のことを一緒に書いた記事があったよね。
と思ったけど非公開にしている記事だった。

皆既月食といえば、東○の永で、紅さんのAクリア後のエンディングで月が赤くなるのはなぜかっていう会話あるよね。
赤い月を見て特別な気持ちに浸りたいよ~。紅く染まりし月に耽る人。


日本時間11日正午、月がテーマのこんな音楽動画を投稿。

2014年10月9日木曜日

☆食卓を彩るトップバリュ製品☆ PBの侵攻

私に買い与えられる食品もトップバリュの波が押し寄せてきている。
台所を物色すれば、あんな物やこんな物もトップバリュである。
言わずもがな今年4月の増税の影響であろう。
今年の8月から母親はイオン(当地においては豊橋南店)での買い物頻度が増え、まとまった買い物なら9月以降はイオンでのみにすることを宣言してる。

安価でそれなりの品質があるプライベートブランドの隆盛は目に見えている。
日本中のどれほどの家庭にトップバリュが広まっているのか。
そしてこんな特性があるプライベートブランド、とりわけトップバリュを備えたイオンは、これから衰退する日本経済の中でも一際目立って店舗拡大をするのか。
イオンモールなどのイオン社における大型店が未だない福井県にも初出店はあるのか。

営業規模も売上高もモンスターと化したイオンは、日本小売業トップたるセブン&アイの高き牙城を切り崩すことになる日が来るのだろうか?
今までにも規模の劣る会社を忽ち吸収してきたが、とどまることを知らないブラックホールと化すのだろうか?
2社の寡占化が進む日本の小売業(第三勢力があるとすればAmazon等か)だが、多くの日本人は気付かぬまま流されるのだろうか?

2011~2012年の私は、トップバリュというと中国韓国製が多いイメージであったが、この頃は毒されて「トップバリュは安全な日本製、おいしいね」などと思い始めてきた。
製品そのものに工場所在地や下請けの会社など書かれてはいないが、日本製には製造所固有記号が書いてあるので、検索すれば工場所在地など手に取るようにわかる。
検索フォーム→http://topvalu.net/seizosyo-kensaku/


「食卓」に続く言葉は・・・に蔓延る、を支配する、を侵略するなど。
このままじゃ俺の体がイオンで出来ちゃう(汗

2014年10月5日日曜日

MIDIにおいて再生時間を算出する数式・公式のメモ

MIDI関連のソフトやプレーヤーが如何にして再生時間を算出しているか考えたが、きっかけは1分30秒などに制約された音楽を作る際に己の頭で数字を割り出したいという探究心だ。

結果、見出した数式(何分何秒ではなく秒数を割り出す式)
小節数×拍子数÷(テンポ÷60)=秒数である。
最後に余った拍を計算に加えると、もう少し正確な数字(1~数秒単位補正される)になるが、まあそこまでこだわる必要もないとは思う。

例えばここにテンポ222、小節数125、4分の4拍子の曲があるとする。
125 * 4 = 500、 222 / 60 = 3.7、 500 / 3.7 = 約135秒が算出された。
その曲のMIDIファイルは、DominoやTMIDI Playerには2分14秒と表示されるが秒数換算で134秒になる為、この計算式は極近い数字を堅実に算出できるわけだ。


次に、特定の再生時間にしたくて、テンポを調整してその再生時間に変えるための数式も書く。
もしここに1分41秒でテンポ106、45小節4拍子の曲があって、1分30秒(1分半)にしたい場合は?

それぞれの時間を秒数にして101 / 90 = 約1.12ということはパーセンテージ112%。
テンポの106 * 1.12 = 約119でテンポ119を指定すれば約1分30秒になろう。
この計算で用いたのは、曲テンポと秒数と変えたい秒数のみであるが、最初の公式と同じ要領で証明すると、119 / 60 = 1.98、 45 * 4 = 180 / 1.98 = 約91 (1分31秒)となる。
1秒余りが不満ならばテンポを上げるなど適宜調整。

逆の例で、1分30秒より短い曲を1分30秒に変えるにはどうすればいいか?
1分16秒(76秒)でテンポ94、30小節4拍子の曲があるとする。
先ほどの例と同じように計算「76 / 90 = 約0.84、 94 * 0.84 = 約79(ここで当該テンポ確定)、 79 / 60 = 約1.32、 小節30 * 拍子4 =120、 120 / 1.32 = 約91」。
こうしてまたも約91秒(1分31秒)が算出されたがこれも不満な場合テンポを上げるなど適宜調整。

いずれも公式は「曲テンポ×(曲の秒数÷変えたい秒数)=変える為のテンポ」である。
その証明が最初の公式「小節数×拍子数÷(変えたテンポ÷60)=秒数」だ。


↓記事書きながら電卓打った様子(誤入力も含まれてるので参考にしちゃいけない)


実用数学講座「實數講 MIDI音楽での証明」

計算に用いた良サイト様「電卓ノート」→http://calculator.keydam.com/


※注釈※
公式に唯一固定された数字として「60」が書かれてるわけだが、無論この60は再生時間(秒数)基準の六十進法であるため必ず60でなければならない。
ただ、体感のテンポ200だが、定義が100とされる曲の場合には60ではなく倍の120などの倍数か約数を用いる必要があるので適宜、臨機応変に変える。
「適宜、臨機応変」というと、4拍子以外の曲で同じように計算したい人も各自におまかせ。
MIDIファイルの無い楽曲で試したい場合、最低限テンポと再生時間だけは知る必要があるが、これは各自でその好きな曲を調べるか、テンポBPM計測のツールで計ってもらいたい。


2014年10月4日土曜日

10月4日は沢山仕事して充実させてもまだ2時間半余ってる

「日本時間」における10月4日0時到達を皮切りに複数動画をはじめその他もろもろ。


投稿した動画
1. http://www.youtube.com/watch?v=ro9KfEwCfB8 (簡単に撮影)
2. http://www.youtube.com/watch?v=DHHewYqwstc (過去動画を再編してBGMを付けた)

投稿した記事
1. http://deathmetal.blog.jp/arc/Oct-04-2014.html (長文&記事用画像制作)
2. ご覧の記事っ!!(今日の残り2時間半で出来ることを考えた末、こんな記事を・・・)

その他の活動
1. 10月3日より描き始めた全2ページの短い漫画を描ききった。目がぁ~
2. 漫画が一段落してすぐ音楽館における長文記事執筆開始し書き終えてすぐ記事画像を作り始めた。漫画と長文書いた後なため目も頭も疲弊・混乱・錯乱気味な中で透過PNG素材まで新調して、少々荒削りな感じが。
3.某サイトの曲漁りで久々の収穫多


この作業量、はっきりいって一週間の暇をもらってもいいレベルだよね。
全部無収益・非営利・慈善活動だし。
お金巻き上げない良心が強いよね~、全然金に結びつかない。哀れ。
おい、金の為には穢れも厭わないクソ女共!!!
この作業量や技術性を給料で例えるなら日に手取り20000円相当でしょうな。
ついでの話だけど、今日は朝8時過ぎに寝て14時過ぎに起きたよ。


10月5日の予定も既に決まっている。
まず深夜未明、描いた絵や漫画等スキャン(見積もり回数5回)して、自販機でお茶を買った後、風呂に入るなどする。
風呂・・・よく書くけど、実際の風呂(浴槽)はもう4年も入ってないがね。



追記10月5日5時27分
予定通りスキャンは遂行した(並行して絵の記事下書き執筆も)のだが、当地豊橋はどうにも雨が降ったが為に外出は断念して風呂に入った。
後に爪を切り髪を乾かし、炊飯器を久々に使ってご飯を炊きたいから炊飯釜を洗って、1合分の米を研いで、先ほどスイッチを入れたところだ。
「炊飯器を久々に使おう」というのは、時間的都合の良さに加え、最近母親がサトウのごはん買わない旨を下した為に炊飯器使う機会が今ちょうどいいからやることにした。
本日も日付が変わって以降、色々忙しい・・・

2014年10月1日水曜日

9月以降、俺の部屋や母親の部屋に謎の様態の虫が湧いてくる




10月1日、得体の知れない虫が俺の部屋にて出没した。
発見時は白い箱の中に佇んでいたが、固唾を呑んで見守ったところ、突然動き出したため悲鳴と共に殺虫剤を噴射した。
するとすぐに反応が現れた、というわけでなく、執拗に噴射を繰り返してからやっと箱から跳ね上がって黒い絨毯に飛び落ち、ひっくり返ってもがき続けた。

私見だと、こいつはゴキブリの類、幼体でない。
黒い絨毯だとわかりづらいが、白い箱の時に凝視して(怖いので少し近づいての観察にとどまった)羽の無きことを確認した。
この家でゴキブリが出たこともない。

この家に済み続けて3年半ほどだが、先月にも実は2回種別を見分けられないいずれも体長1cm前後の虫を見たのだ。
7月とか8月には小バエと蚊ほどしか現れなかったのにね。おかしい。
全て私がPC中で、私が座る位置より右側に現れている。
こいつらはずっと前からこの部屋に潜んでたというようなものでもなく、新入りに見える。

そのため一番考えられる侵入経路、部屋の右側の窓を閉めた。
やるからにはと、関係のない窓も閉めてみた。
他に、9月中に2匹目の虫が湧いたときも6月に蹴破った壁をテープで塞ぐ(こいつは多分犯人じゃないだろう)こともしていた。
窓の閉鎖と壁テープを維持してこのまま経過を見守る。

9月中は以前投稿した動画にもあるが、母親の家で日本在来種にありえないモンスター蜘蛛が出現していた。

クモの動画→https://www.youtube.com/watch?v=lEdqUPMhzqA
トップ動画の続き→https://www.youtube.com/watch?v=N4aDZuKAs5E
蹴破った直後の喋り→https://www.youtube.com/watch?v=Rpa5EE1bD2o


続いて、なぜ今年の8月まで蚊や小バエしか出なかったこの部屋に(実は2011年7月に黒い蝶が侵入したことがある)9月以降体長1cm前後の虫(いずれも羽があるが倒れている奴や、既に死んでた奴、そして今回の羽のない奴まで)が湧くようになったのか。
原因と成り得る事柄は、やはり俺か誰かの生活の変化、或いは行動にかかってるだろう。

例えば今までもメモ帳や本家で書いてきたとおり、母親が介護から解放されつつも、再就職しない生活が始まったことが挙げられる。
母親の生活の大きな変化が一番考えられやすい。
母は今まで以上に自由な時間が増えたに違いない。

続いて俺なのだが、俺は今までとさして変わらないと思ってる。
強いて挙げるなら、コーヒーを飲む頻度が増えた、これほどしか自覚はない。
コーヒーと虫って関係あるのかね。だから全く掴めない手がかり。

あまり残念だが、これからはもう虫が出ないことを祈る、それしか俺には出来ないよ。
前の家みたく毎夏大きいゴキブリが湧いたら大問題だね。

前の家での話を交えた記事→http://masashi.doorblog.jp/archives/39762078.html



後年の追記
トップに載る動画に映る虫に関しては、「フナムシのような虫」、「シミ」として記録されるようになる。


いつも完璧な理論を思いつくが、いつも不条理に覆される

私が真面目に、計算尽くして編み出した理論は、一見完璧なのだが、どうにも悪運に脆い性質を孕んでおり、不条理が起きて容易く覆されるのだ。
上辺だけは何も誤りがないに違いないが、いざ実行したらどうにも成功率が低い。

今日もかなり精巧で完璧な論理を見出し実行することがあったが、例の如く、悉くのように、通常起き得ない不条理に妨げられ後味の悪い終え方となる事象が発生した。
やる前からある程度、複数の悪い懸念へ対策は講じていたものの、防ぎきれなかった。
悪運を防げなかったので、悪運に妨げられた。
防げぬゆえ妨げられた。

毎度のことだから、といえども未だ慣れず。
複数の悪いパターン予測をしても、予防はしきれず。

俺はもう、何か真面目に考えるのはやめた方がいいのか。
何にもやる気を見出さず、ダラダラ生きた方が身の為なのか。
別に、分かりきってたさ。
小学生の時から自分だけ他人と違うことばかり起きて不憫だと。