2014年6月から本格的に仏教を学び始めた。
きっかけについては以前も幾度に渡り綴ったので割愛。
9月以降からか、何となくラテン語にも興味が出始めた。
最近制作中の楽曲もラテン語使いたくなっちゃう感じ。
仏教はインドで起こり、中国を経て日本へ。
キリスト教はギリシャ(?)かイスラエルか何か?で広くヨーロッパを経て超大国イギリスさん等の統治で世界中の植民地を英語統治してキリスト教布教して略。
まあキリスト教はイスラム教とかユダヤ教と神が一緒なので中東?
ということだが、仏教に於けるお経や、キリスト教に於けるミサというのは類似性を感じた次第であり、共に内容を意訳すると信条に関することや釈迦なりキリストなりの教えが触れてある。
文面としては、お経は漢字のみが並び、今日用いられない漢字や、「呉音」という現代不慣れの読み方もあり(更に言えば中国語やサンスクリット語)、ミサだか聖書だかも、英語の祖となる点が強いラテン語(更に言えばヘブライ語やギリシャ語)がメインである。
宗教とは、保守的なれば古来の言葉、言語、発音になるようだ。
それは仏教にしてもキリスト教にしても、今の世代で守る人間もいるようである。
特に、今から数百年以上前なら、日本であれヨーロッパであれ、それなりに裕福な国でも、その中の富裕層かややお金がある層でないと、文字が読めなかったなどの問題もある点も似る、にしたがって、宗教の伝統を護持する家系は、それなりにはっきりしてるかもね。
一貫性ってやつだよ。
俺の両親や俺自身も無宗教だが、父方の祖父母は、中1の時の葬式で泊まりに言ったとき、南無妙法蓮華経や記憶が不明のお経を唱えたため、日々勤行をしているのだろう。
当時は父方の祖父が死んだことに伴う弔いのお経だと思っていたが、南無妙法蓮華経だけでなく名前も定かでないお経(日蓮系なら題目・自我偈あたり?)もその場でスラスラ読んでた(ボロくなった経本を見ながら)ことを思えば、昔から唱えていることが分かる。
尚且つ、彼らは千葉県鴨川市に住んでるが、鴨川といえば日蓮生誕の地であり、鴨川には広く日蓮系信徒がいるとも推察される。
・・・祖父母と日蓮のことは以前もここで書いたけど。
→http://lesbophilia.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html
当然この話だけでは、私の先祖にどんな宗教の信仰があったかが掴めない。
鴨川の先祖が、いつ誰の時代から子供に弘通していったかは知る由もない。
という話も、本題から逸脱してるので戻しておこう。
無宗教の私が宗教を見る理由は、少々邪ではあるが、「宗教を学ぶことで言語や歴史の核心を得られる」、そう考えるからである。
どう邪であるかといえば、特定の宗教を本気で信じたりせず、いいところだけを取っていることや、本気で信じる人にとってずるいことだし、宗教を勉強の道具にしてるかのようなやり口はかなり不純で、バチ当たりかもしれないのである。
2014年6月までは仏教にさほど興味を持たず、神道が特に気になっていたが・・・
おっと失敬、またも逸れてらっしゃる。
先述の「呉音」についてだが、以前も記事で話題にしたことがある。
→http://lesbophilia.blogspot.com/2014/07/17.html
「英語圏にとってラテン語が対なら、日本には中国語(漢語)の方が対ではないか」と思ってしまうところだが、宗教の話なので。。。
でも、お経を見ると、「漢文が分かれば意味もわかるぞう」、ともとれる内容となっており、中1・2の頃に興味本位で般若心経の暗記を試みていたけど、意味なんて当時の自分の頭じゃ到底わからなかったはずである。
私が般若心経を知ったのは、小6か中1の頃に見たある古い漫画・・・
己の過去の回想はもういいね。。。
ようするに、ある程度中国語できれば有利だけど、中国語覚えてまで理解を試みるほど難解でもないと思う。
お経は、上記の「自我偈」など、漢字5文字で構成されるものが多いの?
勉強不足なので。。。真宗の正信偈は全て7文字である。
統一された文字数で構成されたお経は主に鎌倉時代以降に出来たものに多いの?
例えば般若心経は文字数の統一がされてないでしょう。。。
このように、日本人であの時代に漢文が読解できないと理解できないものを、しかも自分で考えて書いてみせるということは、かなり「智慧」が必要になるかもね。
あの時代のそういう層だと今の日本の学校で学ぶ時間に近い量、仏・釈迦の教え、仏典・経典、漢文(当時どう呼称していたの?)のことを学べているはずだしね。
それほど「智慧」は必要にならないかもしれないけども。
そんな言い方をすれば日蓮大聖人や親鸞聖人への大謗法だよね。。。
今回の記事は頭がかなり疲れた状態で書いてるから支離滅裂気味だよね。
自分でも語彙などに納得がいってない。。。はぁ。。。。。。
今日もバリバリ音楽制作で、疲弊気味だからね。
0 件のコメント:
コメントを投稿
当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。