昨日の記事に打って変わり、今日は一日中家族のことで悲しみに明け暮れる。
本家ブログの記事の件にとどまらず、遠方の父・弟のこともだ。
事の発端がその母親の件であることに違いはないがね。
肉親を憎んでるのは家族思いだからこそなんだ。
その思いが歪んで強い憎しみに変化するけど、根源は思いやりなんだ。
家族のことで憂いて、今日はずっと「悲しい」とこの部屋にて呟き続ける。
私事ではあるが、左手の小指と薬指の間が痛い。
まあ体の痛みは日々付きまとう問題だけれども。
例えば肘や膝に股関節、足の裏、乃至は肩こりや首の痛みなど。
食後や特定の飲み物を飲んで数時間内に起こる腹痛。
絶えぬ日はないであろう。毎日の闘い。(こんなこと書いてると肩こりが・・・)
台風も過ぎて今、10月も半ばとなった。
明日の豊橋は晴れるはずだが、思えば今こそ散歩に適しているはずだ。
かねての散歩計画を実行するには遅くないし、この期を逃せば寒さも厳しくなる。
絶好の散歩日和になりえる今からの1ヶ月間に成し遂げたい。
このような痛みに苛まれつつ、体力不足なため散歩により更なる痛みを伴うかもしれない。
口を衝いて出る言葉はやはり「悲しい」。
こんな苦悩から解放されること(何かで気を紛らわせた後すぐ嫌なこと思い出すなら躁鬱の輪廻だよね。浮き沈み。)といえば、薄れかけたときに絵を描くとかその最中は割と悩みそっちのけで浸るよねっていう。
食事中も、食事は1日何回もやることだから例外もあるが、大概はこれにあたる。
なんといってもハマれるゲームがあることが一番だが、ゲームの類いは惰性でやってる某ソーシャルゲーム1作品除いて、この頃ちっともやっていない。
やりたい気にならないのだ。
俺の生活の中でそんな時期もあるが、今がそれに当たるのだ。
楽しくアニメ見ていた2009年・中1とかの気持ちはもう知らない。。。
昨日のエントリーにおける「何かをせねば」とは何であったのだろうか。
このごろの悩みたるものが今日は割と薄かったかも、な一日。。。
でもまあ何だかんだで責任感から生じる焦りは、今もほんのり渦巻いてるけど。。。
昨日と今日、こんな内容だから学術的とか名を冠すのって不当っぽい。。。
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