2019年7月15日月曜日

科学・文学・音楽・美術 個人主義や自由主義のためのリベラルアーツと芸術運動

私がそうであるように…、改めて、ひきこもり(引きこもり・引き籠り)・ニートの人々はインターネット利用可能の限り、家で静かに学問や芸術をすべきであることを付言する。
「ひきこもり」定義は通念上のものと、個人の自覚によるものと多義的であるが、ここでは特に前者と後者の一致を重んじる。
親(経済的な保護者・扶養者)と一緒にいる者のうち、親と不和である者は、それでも忍耐強く・実直な努力をするとよい。
独居で生活保護を受ける者は、行政から就労支援を勧められても、機械的に処理しつつ、忍耐強く・実直な努力をするとよい。
ああ、実際に私のような努力をする人とその可能性ある人は、世間一般を概観するにつけ、千人に一人いるかも疑わしい。
とはいえ、改めて説明したく思う。

学問や芸術を行うこと、その目的を何にするか?
これはまた、各々の人生経験・人生観・死生観・価値観から決めればよいと思うし、まだであるならば好奇心の向く範囲内での努力の結果に自ずと見出せるとよい。
苦しみの心を自覚するならば、その解放を目的とすべきである。
つまり"id est"、自由主義・リベラリズム"liberalism"の原義であるラテン語"libero, liberare"を志向した手段とすべきである(辞書的な語源はフランス語libéralisme<libéral<ラテン語liberalis<liber<印欧祖語*h₁lewdʰ- "people, to grow"となるので私の思想的な語源になりそう)。
リベラルアーツ"liberal arts"とリベラリズムは直接関係しなかろうが、個人の意思や精神の表現の「手段と目的」という関係性そのものに通じる。
リベラルアーツとは、古典的な定義で3つの技能"trivium: grammar, logic and rhetoric(文法・論理・修辞)" + 4つの技能"quadrivium: geometry, astronomy, arithmetic and music(幾何学・天文学・算数・音楽)" = 7つの技能 (skills, arts; artの語源はラテン語ars) を意味しており、内容は表題にあるものと重なる。

しっかりと断っておくと、個人主義や自由主義は「ジコチュー(自己中心的)」とか意味論的和製英語での「エゴイスト・ナルシスト(ナルシシスト)」という意味で捉えられるべきでない。
…、両主義者のうちに半ば重なる例もあるが、ここで客観的にそうかどうかを論うべきでなく、単に「苦しみからの解放」などについて個々人が自ら斟酌できることを望む。
端的に、個人主義"individualism"は「互いの個性・人生を尊重することで自身の個性・人生も尊重されることを志向すること」、自由主義"liberalism"は「互いの自由を侵さないことで自身の自由も侵されずにあることを志向すること」と解釈してもらおう(全体主義の共産主義やナチズムといった反例を参照。相互に意味が異なる経済学や社会学や政治学での見解も参照すべきだがここでは詳述しない。まあ日本の和・仏教の中道によればそういうリベラルvs.保守のような西洋思想の両極端および和や中道それ自体への固執を排除してこそ平和・寂静・自由自在ということかもしれない)。
こう理解すれば、感情的に孤立を求める姿勢を個人主義とも言わないし、他人へ傲慢なふるまいをする姿勢を自由主義であるとも言わない(特に後者の姿勢については犯罪を自由に行うと牢獄に入れられるという古来の人間社会の特徴によって考えると、犯罪をしたがる者が不自由な牢獄で苦を感じずにいる道理が無いことでも分かる。脱獄は稀な者しかできないし苟も脱獄したところで心が安らぐ時が無かろう。そもそもどんな状況でも苦の無い者が犯罪をしたがる精神が有り得ない。荒唐無稽な可能性として外的なマインドコントロールくらいになる。芸術については特に風刺画などでの政治的な主張が芸術を利用した芸術の外の行為=外道であるかその当事者に得させる刹那的な幸福を精神的に良くないと私は思う)。
学問や芸術は、その実行者たちのうちに精神的な苦を強めて精神障害を抱えたり、自殺する人もいたが、彼らは彼らの行為・経験の結果にそうしたものである(弟子や家族や職業に恵まれていてもそうなる)。
一応、興味があれば実例を学んでもよいと思うが、結果的に「じゃあ自分はどう努力してゆこうか?」と省察する糧にせねばならない。

「苦しみからの解放」ということは、私が仏教の学習を通じて得た人生観である。
仏教に依拠するならば、芸術・学問・リベラルアーツというもの=才芸が強く介在すべきでないことは明確であるし、自覚もある。
例えば、私の仏教学習の初期に日蓮系宗派・新興宗教を学び、日蓮大聖人や彼が尊敬した高僧の一人である伝教大師の言葉にも「仏道修行者は才芸を用いるべきでない(あるいは…才芸に長けているからといってその人を尊敬すべきでない)」という意見がある。
無論、彼らも上代日本・中世日本において十分に才能がある人たちであったろうが、その彼らこそが言う。

伝教大師最澄の願文「自未得照理心以還不才藝(意訳: 真理を観る心を得ていないうちは才芸を行わない、ということが二つめの誓願である)」

日蓮大聖人の御書…頭に浮かんだフレーズの典拠不明。他に似たものには下記。
唱法華題目抄「但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず」
阿仏房御書「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」

2018年以降、一旦、その方から外れている。
それまでに私は、単に一人の人間 (個体 of ヒト属ヒト Homo sapiens sapiens) として真理の探究を志向していたのであって自身のアイデンティティをニート・ひきこもりであると仮定していなかった。
今は、ニート・ひきこもりである社会的な現実性の観点で芸術や学問の各分野を行い続けている。

因縁によって概念・名称があるが、それは仮名と見られる。当記事注: 当該記事に示されたように中論の24:18偈 = yaḥ pratītyasamutpādaḥ śūnyatāṃ tāṃ pracakṣmahe | sā prajñaptir upādāya pratipat saiva madhyamā || ”衆因縁生法 我説即是無
亦為是仮名 亦是中道義”の要約である点に注意。
私は「中卒・無職・ニート・引きこもり」とも名乗るし、釈尊は「釈迦族の人・瞿曇・ゴータマ"Gotama, Gautama"・聖者(牟尼・ムニ"Muni")・覚者(仏陀・ブッダ"Buddha")・応供(阿羅漢・アラハント"Arahant, Arhat")」という名を用いる。
私は自ら、言語学者とも名乗り、閑居求道者(げんごぐどうしゃ)とも名乗るが、人間という存在は、それらの肩書きに収まる存在であり、なおかつ肩書きに制約された存在でもない。
「仮名(仮に名付けられたこと)」に執着があるべきでない。

私には「中卒・無職・ニート・引きこもり」という仮名があり、または「シンガーソングライター・イラストレーター・フィロソファー・サイエンティスト・オカルティスト・ロマンティシスト」という仮名もあろうが、「仮名(仮に名付けられたこと)」に執着がないと考えたい。

関連記事
2018年1月21日投稿『道心あるニート・引きこもりの修行における障壁』
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/01/neet-hikikomori-shugyo.html



表題にある「芸術運動」ということについて注記しよう。
「芸術運動 (art movement)」とは、ふつう、「芸術分野・芸術領域のうちでの (inside, within) 運動」を意味しており、「芸術行為を用いた (with) 運動(特に社会的・政治的・哲学的な傾向が強い)」ではなかろうが、ここでは両方の意味がこめられる(双方向・共依存・一体不可分)。
大衆音楽・マンガ・アニメなどの商業的な風潮・商業主義に疑問のある人々は、是非とも自己表現の手段として音楽・美術を行ってほしい。
このための簡単な考え方を示そう。

「大衆音楽の歌手・アイドルとその作品は商業的に生産されたものであり、歌手・アイドルが作詞・作曲を自発的に行う権能が無いか許されていない。シンガーソングライターは稀である。多くの場合に大衆音楽は自由な創作性から乖離した商業主義・拝金主義の姿勢である」

「某イラストレーターは『自分から企業に仕事を求めよ=自分を売れ』と発言して『インターネットで”お仕事募集中”である人』を愚弄したが、彼は給料のためのイラスト技能を自慢することになる。しかし独立的な人は他人から仕事などというものをもらわずに自給自足できる。某イラストレーターは自由な創作性から乖離した商業主義の傀儡である」

一昔前だとそうであるが、今はSNS等が個人主義・自由主義を支える結果があり、彼らの自己表現の自由度が上がっているという側面も、社会科学を行う者は考慮したほうがよい。
いずれにせよ、お金稼ぎよりも高く「自己表現の手段」が意識されたい。
常時これを意識せよ、ということでなく、単に必要な時、反省や他者への説明に顧みられよう。
そうして各種芸術行為をすることは、現代日本的な全体主義・商業主義・資本主義のもとでの芸術行為に一つのアンチテーゼを提示することになる。
「社会貢献・奉仕活動」といった旧来からある世間のしがらみと別の立場であるが、またしかし、こうした個人主義・自由主義の立場の芸術も、インターネットなどで公開される限り、同じく社会のうちでなされるものであることを忘れてはならない。

関連記事
2014年12月11日投稿『"手の届かないモノ"への空虚な夢想を断つ』
https://lesbophilia.blogspot.com/2014/12/blog-post_11.html

2016年3月16日投稿『SoundCloudの夥しきスパム"Spammers"の問題と、音楽の世界的な没個性化についての雑感』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/03/soundcloudspammers.html

2016年5月22日投稿『商業主義的アニメ・キャラクターの宗教性』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/05/idol-and-idea.html

2017年2月4日投稿『2016年末から年明け後もYouTube・外部サイトで多めに投稿』
http://deathmetal.blog.jp/arc/Jan-20-2017.html



また、インターネットでの言論に資するためには、言語的な技能 (trivium; grammar, logic, rhetoric) を用いて民間レベルの科学研究を進めてほしい。
「科学 (science, scientia)」とは、過去記事 (2019-05-16) に説明が済んでいるように、典型的な理系学問・理科や自然科学に限るものでない。
現代日本人になじみ深い「理系・文系」という二項概念は、用法が乱れて曖昧模糊であって日本でしか通用しないし、そもそも個人の意欲にならった学問の行為に無関係であるから重視されるべきでない。
どうあっても人文科学から自然科学まであらゆる科学の専門家・研究者に匹敵することは無かろうが、民間レベルで言語の自覚や科学知識の向上を資することは可能であるし、それで自身も世俗的な範疇で自信を持つことができる。

私は、この3年ほど、更新頻度を少なくしている傾向にあるが、これに色々な理由が考えられるにせよ、一つには「みだりに語らず、静かに・黙っているべきだ」という考えに従うためである。
インターネットで不必要に多くの情報を流して錯綜させるべきでないと思う(その行為が恥になるかどうかは当人の感性にもよるしここで断言しない)。
メディアリテラシーということを重んじるべきである。
学問で大事な姿勢は西洋の科学史などから縷々と示すこともできるが、ここであえて中国の古典から挙げるならば「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず(孟子・盡心下 引用: 盡信書,則不如無書)」、「学びて思わざるは則ち罔し、思いて学ばざるは則ち殆し(孔子・論語・為政 引用: 學而不思則罔,思而不學則殆)」というものであり、各種研鑽から科学研究まで、これを重んじるべきである。

論議・論争に関することも、おおよそ積極的な加担がされるべきでない。
精神において、勝敗や優劣の茨(泥沼)に入ることを欲すべきでない。
私のことを話すと、誰かを叩きのめしたくて活動をしているわけでない。
反対に、固定的な信念や目的を有しているとも断言しづらい。
自身の活動の意義などは、たびたび書いたことと思うし、ここで詳述しない。

2016年以降に私の言論行為は(曖昧な範囲の過渡期にはその傾向があるとして):
 私の意見であることの明示・事実提示などを峻別して、される。
 当面の目的が明瞭である状態で、される。
その限りで、個人主義や自由主義と、社会貢献と、精神修養との中庸の姿勢がある。

関連記事
2014年10月10日投稿『ニートの新世代「ネイティブニート」を提唱!』
http://masashi.doorblog.jp/archives/40633597.html

2016年10月21日投稿『事実認識の相違、思想や意見の対立でヘイト感情…世俗上の中観法』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/heretical-dogmas.html

2017年1月16日投稿『本来的・本質的に「優しい心・思いやり」が人間に備わっている事の理の論証 ~ 2つの真理』
https://lesbophilia.blogspot.com/2017/01/dualism-of-truth.html

2018年9月24日投稿『動画「引きこもりによる芸術・宗教活動と人権・人道」』
http://masashi.doorblog.jp/archives/52483964.html

2019年5月16日投稿『科学的なこと(物質的な客観性と学者の精神・方法論)・学術の方向性』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/05/glossaria-scientia.html





起草日: 20190602

当記事ではニート・ひきこもりが行うべき学問・芸術を示した。
過去には宗教を主要にしていたし、今であってもその話はされてもよかろう。
生い立ちなどで負の自覚のある人たちでも、結果的に今も生きていることに恩恵を感じられるための芸術・学問・宗教である。
芸術・学問は先に仏教徒・高僧の言葉が引用された通り、才芸・利根の類なので、無理だと感じる人もいるであろう。
宗教としては、そういう人であっても、現世における各々の知能・精神に相応する学習や努力の後に良い果報が得られることを説いてもいるし、私の過去記事から仏教・キリスト教で説かれたことを色々と探してみるとよい。
殺人鬼アングリマーラ、先天的障害者チューラパンタカ、その他・・・。

再び人文科学と芸術の話が混ざるが、私の"Dominus Immensus (萌えの典籍の派生作品)"というラテン語歌詞・音楽動画を上記月間に「歌える中古日本語・翻訳版 (v1.01 based)」と「改訂版 (v1.02)」の2本で投稿した。
人間関係などに関しても、研鑽に関しても、忍辱・忍耐・堪忍を行ずるためには、「不可量であること」を思う障礙尊者になりきってみたい。



上記月23日に『ニート・ひきこもり学問芸術「紀要」 (事実上のVol. 2)』と題する動画を投稿した。



link: https://www.youtube.com/watch?v=L1bhNGgV_bE



上記月28日に日系アメリカ人2世の「マコト・フジムラ"Makoto Fujimura"」という芸術家のTwitter, ツイッター・ツイートを見た。
彼の父親は「藤村靖"Osamu Fujimura" (2017年没)」、私の一研究分野である言語学・音声学で先進的だった(というが藤村靖さんを当日知ったばかりで詳しくない)。
その次男(?)にあたる彼のツイートの一つをご覧いただきたい。

海外で学ぶことを望まない日本の若者について"Hikikomori nation"という一言で反応。

既知!論外!勿論。
彼の他のツイートでありえない、当該ツイートは2019年6月28日 (JST) 時点でリツイート・いいね数が0である(画像中に説明)。
私は(公然とツイッターを行わないし単発アカウントを作っても見苦しかろう)コメントを個人的なメモとして残す。
My comment: (字数に制限あり)
Masashi Yokono, he is a hikiko-
mori. He interests international
learning. Fields he does include
your father's field (phonetics).
(Methinks)
"Hikikomori" that you say/define
is not relating him. You Artist
should not mention social topics
and "hikikomori".

(What is "Hikikomori" that you say/define? Is he a "Hikikomori" that you say/define?) ※世人の混乱した定義"confusing definition"で私はひきこもりか否か?しかしそれは関係が無い。私はニート"NEET, Not in Education, Employment, or Training"であってひきこもり"hikikomori"であると自負する。世間の人がどう階級・身分を定義しても、私は全てに該当して該当しない。

国内の日本人同士でも修羅のようなレッテル貼り・カテゴリー化"categorization"・同質化・等質化・均質化"homogenization"(これらは他動詞transitiveの行為名詞nomen actionisで私は用いる)をするわけだが、海外で生まれ育った人であっても、似たような考え方をする。
芸術家とされる彼がそのように野暮な話題・言論を行うならば、彼は芸術家としての魅力と本質"nature, essence"を自ら損なう。"He is not artist or other professional, just... (neither X nor Yは排他や双数に関する表現なのでここには使えない)"
これは私の意見である。

以前もインド在住の日本人女性「メーダーみちか"Medha Michika"」という人物のブログ(記事は2015-03-28)で、似たような一文を見ている。
他にはオーストラリア・タイで幼少期を過ごして東京都知事選挙に2度立候補(私が埼玉県内に住んでいる2011年4月までに政見放送をNHKで視聴)した「谷山雄二朗"Yujiro Taniyama"」氏も、インターネットで「ひきこもり」を現代日本人全般への侮蔑に用いていた。
「マコト・フジムラ」と「メーダーみちか」と「谷山雄二朗」はいずれも余分な一言でひきこもりに言及したことになり、現実のひきこもり(英語だと無冠詞複数形hikikomori people)に無関心であると私は拝察する。
このような言説(匿名掲示板などの投稿に似る)は無粋であり、非建設的であり、実りなく、現代日本人の一部が持つ「海外に興味が無い」という気持ち(内心の自由・職業の多様性="freedom of thought, academic freedom, economic freedom"に該当するし村には村の伝統や生活がある)を理由にひきこもり認定をされることを望まなかろう(逆に海外どころか世界ありとあらゆる事物・概念に興味を持ちながら人生の目的を確固とするひきこもり生活の私は何者か?学校ならHarvard, MIT, Oxford, Cambridgeなどに限らず広く興味がある)。

彼らは無関心・浅学である限りに黙っている方が賢明である。
雑談さえ、名前のある活動の下で公的に行うべきでない。
i.e. 「自由"freedom"」の範疇にあるべきでない。

原因と結果の短絡的な同質化・等質化・均質化"homogenization"が、社会人・シャカイジン様のみならず芸術家・宗教家にも見られるので、時折、退廃的"It is decadent"と私は思う。
芸術家・宗教家を含む大衆は、確かにニート・ひきこもりの人権"human rights"が無いものとバイアスがかかるが、それは生物学的な矛盾・社会学的な矛盾・歴史的な過失 (cf. Homo sapiens, Capital punishment, racism, such as The Holocaust and Armenian massacre) を擁している。
日系人とその子孫に限らず、海外の人々 (people live in overseas) も、そういう傾向は有ろうことを、今までにインターネットの随所で見出した。

ネット上の傍観者たちは、ニート・ひきこもりに面識ある者が僅かであり、あまつさえ実際のニート・ひきこもりが科学的に定量的研究"quantitative research"がされていない現状で、誤った一般化"faulty generalization"などをし、軽薄な言及をするように見える。
社会にニート・ひきこもりは実在するので、社会人たちはLGBTやキリスト教国におけるムスリムなどのマイノリティを尊重したがることと同じく、ニート・ひきこもりを妄りに・濫りに比喩表現で用いるべきでない。
人間社会には、問題を濁す者が多きに過ぎる(万象のうちの単なる現象に過ぎない何かを問題視する者たち自身がその問題性を曖昧にする)。
実際のニート・ひきこもりは露出せず、当事者たちにニート・ひきこもりアイデンティティが無い(有ってもネガティブな感情に変換する者が多い)。
多くのニート・ひきこもりはサイレントマジョリティに属しており、私のような研究者は現れない。
当記事で語るまでも無く、種々の社会問題の理想的な解決などありえないからこそ、あらゆる階級とも異なる立場で私が研究する。
急進的解決は不可能であり、ニート・ひきこもりの定量的研究にも近道は無いからこそ、当事者の中でも唯一私が「隗から始めよ」として身近なレベルで行う。

ニート・ひきこもり諸氏は、人間文明が概して差別・偏見に満ちていると知り、他者よりも自身の心の差別・偏見を照らし出してみるとよい。
本文で既に挙がるリンクの一つに維摩経などを引用して私はこのことを説き終えている。
仏の心・浄き心では、そのように差別・偏見がこの世に満ちていないことになる。

私には目的が有るようで皆無でもあるが、一応、世間の愚かしい対立が和(やわ)されることを願って記す。
多くの社会人たちは何かを問題視してその問題性を忘却するし、彼らは全人類への慈悲やシンパシーなどを持たないし、私はそれらが事実であってもなくても構わない。
ニート・ひきこもりの自覚ある者たちは現代文明で経済的な庇護を受けて生きる限り、芸術や学問の行為を個人主義"individualism"として行うことを、私は当記事で推奨している。



当記事であえて言及しないでいた2019年5月に発生した川崎20人殺傷事件の犯人「岩崎隆一」さんがどうひきこもりであるか、私は説明しない。
同じように私が201213年にブログで取り上げた愛知県豊川市「岩瀬高之」さん、私が2013年から存在を認知していた外出して集団ストーカー記録を行い続ける愛知県岩倉市「岩間好一」さん(派遣社員時代から逮捕歴あり。2019年6月に交通事故に遭う)についても説明しない。
彼ら個人が何であれ、ニート・ひきこもり諸氏は、人間文明が概して差別・偏見に満ちていると知り、他者よりも自身の心の差別・偏見を照らし出してみるとよい。
本文で既に挙がるリンクの一つに維摩経などを引用して私はこのことを説き終えている。
仏の心・浄き心では、そのように差別・偏見がこの世に満ちていないことになる。


2019年7月13日土曜日

2019年6月中の日記メモ

●口上
ナンダッケ書きたいことワカンネ日記メモは学問・宗教・生活のトリレンマだネ的なことを書きたかった。日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは凡そ「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。

●私感
弟による独り言・誰でもない誰かへの主張らしい言葉などは、小鳥のさえずりと同じように言語的な認識を与えてならないが、気に障るし、何の作業をしていても彼のことが頭を離れなくて精神的に疲れる。
世間でいうノイローゼ(神経症 en: neurosis, カタカナ名称の語源は de: Neurose)・神経質なこと(恐らく日本でも西洋でも神経nerve, nervesという何かが不明瞭な時期に造られて定着した名称。西洋医療・西洋医学であっても今では民間医療同然の考え方。現代的な受容の例はICD-10のF4 = F40-48を参照)というものである。
惰眠を貪りたくもなるし、実際に睡眠時間が増えたりもするが(統計的調査が取られず筆者の感覚による)、今年1・2月や去年2月などとは異なってその中でも動画や絵の練習記事の作業や学問研究に日々徹してゆく。
当月11日、日記メモに記さないものの「令和元年7月」以降に弟が新しく就労支援のための施設通所を行うことを知った。

私の憂鬱らしい感覚は、外部サイト別名義活動関連にもあり、家族の事柄に限るわけでもない。
これについては長年その活動をする上での懸念・懸案事項であり、極めて杞憂の類である。

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2019/06/01


本日6月1日は前日18時29分にPCをシャットダウンして就寝し、3時59分に起床した。右手の薬指の爪が弱化している・脆く乱れている状態を確認したので、意図的に剥くなどし、写真を撮った。その30分後にも右手の中指で同様の傾向を見出したので、同様に剥いてみたが写真は撮らない。剥き方は、いずれも最終的に爪床に接するほど(爪切り行為での深爪に近い状態)である。9時11分に右手薬指爪をいじってその爪床から血を出した。13時40分から便意のためにトイレへ入り、1個の小サイズのものと1個の中サイズのものを排出した。14時21分からも便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものと軟便を排出した。15時6分からも便意のためにトイレへ入り、軟便・下痢を排出した。17時24分からも便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。



2019/06/02


本日6月2日は前日20時9分にPCをシャットダウンして就寝し、1時3分に起床した。1時半から弟が2階で物音をたて、3時23分までに彼がトイレなどのために4度も1階に降りた。彼は4時16分にもトイレのために1階へ降りた。母親は前日10時台に1階リビングで掃除機を掛けていたが、本日14時40分台からも掃除機を掛け始めた。芸能スクール通いは無いか。14時51分に弟が帰宅した際、母親から義務付けられた「母親への『ただいま』コール」を彼が4度しても、母親は掃除機を掛けながら気づかないでいたか無視していたようであり、彼が直接母親に姿を見せた際に例の大仰な「うわ!ビックリした!」などという声をあげた。



2019/06/03

本日6月3日は前日18時14分にPCをシャットダウンして就寝し、1時14分に起床した。3時半までにPCをスリープ状態にして仮眠のために就寝し、6時8分に起床した。11時0分ころに母親が徒歩で外出した。7時11分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものを排出した。11時41分にI家に郵便物を投函した郵便配達員が我が家にも及んだ際、案の定、インターホンの呼び鈴を鳴らした。弟は家にいるが寝ているようである。母親不在の時にばかりインターホンの呼び鈴を鳴らす郵便配達員が来るが、彼らは留守を狙う泥棒とよく似ている。道徳的に「配達ご苦労さま」などとは言いたくない。12時20分台から弟が外出した。12時44分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、13時35分に自室へ帰った。20時台、母親はまだ帰宅していないので、初めて月曜日に芸能スクール通い(母親のクラスは従来だと日曜日のみ開かれていたはずだが)を行ったと考えられる。



2019/06/04

本日6月4日は前日20時31分にPCをシャットダウンして就寝し、3時41分に起床した。9時10分台、弟が彼の自室でひどく笑い声をあげていたが、その1分後に母親から1時間勉強するように彼は指示された。



2019/06/05

本日6月5日は前日22時16分にPCをシャットダウンして就寝し、3時49分に起床した。



2019/06/06

本日6月6日は前日23時49分にPCをシャットダウンして就寝し、6時13分に起床した。8時5分から燃やすごみのゴミ出しの外出をした。このとき、今は高校生であろう近所の黒人(アフリカ系人種の外見の外国人のこと、または当地の土地柄ブラジル人かペルー人の親を持つかも)女児が制服姿で自転車に乗っている様子を見た(彼女は中学時代に徒歩だった)。



2019/06/07

本日6月7日は前日19時33分にPCをシャットダウンして就寝し、4時58分に起床した(入眠時刻は前日21時30分以降であったろう)。6時11分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、8時16分に自室へ帰った。14時33分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものを排出した。



2019/06/08

本日6月8日は前日19時33分にPCをシャットダウンして就寝し、3時17分に起床した。16時32分に弟が彼の自室で「こんな家より学校にいたほうがマシだ!」と窓の外に叫んだり、一度強く踏み鳴らすなどした。狂気・キチガイの度合いが特別支援学校高等部卒業以後の彼の日ごろの言動から増していると看取されるし、豊川の某事件・川崎の某事件のようなことが彼によって引き起こされる前に、母親は母親が本来考えていた「起業」でないにせよ(それはよくある母親の一過性の空想・空理空論)弟の社会的な労働を助成すべきである。弟は5月中に彼の言葉で「何々語(8つほどあった)を覚えて社会学者になるのが夢です」などと書いていたが、これも弟の過去の言動からして辞めたほうがよいし(彼の知的障害であることを云々する気はない。知的障害など disability ディサビリティの者であっても何か向学心があるということの尊重は現代人権思想でされてもよいが彼個人を単に知的障害であるなどと一括りにしてはいけない。個性を尊重するならば彼自身の問題のみに絞り込むべきである。母親のせいで彼は学者へもスポーツ選手へも素質を失わせられた)、社会学者よりも社会での労働者になった方がよっぽど彼の勉強になる。このような話が私に帰せられることは妥当でない。彼はシャカイ好きであったり、「守るのはカッコイイ、守られるのはカワイイ」などという意味不明の二分法を用いたりする (cf. 日記メモ2018-09-09, 23, 24メール内容)。



2019/06/09

本日6月9日は前日22時45分にPCをシャットダウンして就寝し、4時53分に起床した。6時4分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものと2個の中サイズのものを排出した。7時11分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、8時3分に自室へ帰った。15時7分から母親が徒歩で外出した。本日に弟は10時台~14時50分台に外出していた後にも、まだ母親が家にいる時点で再び外出してから3度家に帰宅して彼が風呂に入り、18時17分からも彼が外出して彼は18時40分台に帰宅した。

18時59分にPCをシャットダウンして就寝し、21:50のアラームに目覚めて21時54分に起床した。22時台の弟は2階で彼の自室のドアを開けたまま気味の悪い独り言を私に聴こえるように行っている。時折、階段をウロウロとしながらそうしている。母親が留守であると、祖母に暴力をしたように不道徳というよりも犯罪者じみたことをする傾向にある彼である。豊川における某事件・川崎における某事件よりも酒鬼薔薇聖斗による事件で殺人の以前にされた現象を警戒したほうがよい。つまり、虫・爬虫類・カエル・小動物・野良猫への虐待行為の類であるが、現状、彼にそういう行為は見られないし、直ちにすることもなかろう。事態そうなる前に母親は・・・。ところで今の彼は、母親の帰りを待っていると思う。待ちきれずに眠ることも多い彼である。23時1分に母親が帰宅した。母親の独り言も声が大きめで「ヘンタイバカバカヤロウ」という意味不明の単語を連呼するものだった。23時27分から母親がヤケ酒などと言って1階リビングでテレビを付けて居座り始めた。



2019/06/19

本日6月10日は1時30分にPCをシャットダウンして就寝し、5時42分に起床した。14時40分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、3個の中サイズのものを排出した。15時34分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。15時56分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。



2019/06/11


当記事「私感」で記された「当月11日」関連写真。当日5時44分撮影。

当記事「私感」で記された「当月11日」関連写真。当日5時44分撮影。

本日6月11日は前日18時18分にPCをシャットダウンして就寝し、3時13分に起床した。5時台に冷蔵庫内の霜取りを行った。6時25分から腹痛を伴った便意のためにトイレへ入り、下痢を排出した。18時21分からPCをシャットダウンして就寝し、22時33分に夢精で目覚めた。被害パンツと体を風呂場で洗った。



2019/06/12

本日6月12日は寝ない状態で日を越して至り、1時4分からPCをシャットダウンして就寝し、5時5分に起床した。11時台、母親が起き出した際に弟が洗濯物に関して母親の指示と異なることをしたとか、弟の普段の生活態度が悪いとかの話で、母親が不機嫌でいた。本日の弟はほぼ何も食べないで過ごしていたことから彼らは外で昼食・ランチを取る予定だったと思われるが、母親は不機嫌であるために「行かない」と2度言い放った。先月30日が最後であったろう買出しについても本日にされる予定だったろうが、19時現在(彼らの夕食が済んでいる)に母親が行うと思えない。



2019/06/13

本日6月13日は19時20分にPCをシャットダウンして就寝し、4時2分に起床した。13時4分に弟を連れて母親が発車して外出した。13時22分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、14時28分に自室へ帰った。この前後において私の洗濯行為があり、対象は掛布団カバー1枚のみである。14時47分に弟が徒歩で帰宅した。21時48分に家の前に母親の車が着いた。21時半以前に1階に降りる行為をしていた弟に反応が無い。私が自室の照明を付けていない時に私が寝ているものと思い込む母親は、今、そうなので、私にも頼まない。照明を付けてから母親が頼む催促をしたので、私は対応した。22時22分、母親が弟の部屋のドアをノック(4度の2セット)して弟を起こし、洗濯物を取り込むように言ったように、未然に任されていたか日課のような義務として行われる洗濯物を取り込む行為を彼は怠り、彼は寝ていた。



2019/06/14

本日6月14日は0時31分にPCをシャットダウンして就寝し、4時46分に起床した。5時33分、早朝のジョギングか何かで外出していた弟が帰宅した際、1階にいる彼に2階の母親がドライヤーを使用しながら話しかけた際、弟が「走ってるときに、おしりから血が出て、服がみんな汚れた、3枚汚れた」とか「エリ・そで用洗剤で洗うの」とかと言った。後者について母親は制止していた(汚れたという衣類は洗濯籠の中に)。彼は風呂に入るように言われて行った。6時1分からそれまでの食事の関係で発生した大腸の違和感・腹痛のためにトイレへ入った。今年から私は便座につく前に便座の清掃をするが、今回はかなり酷い汚れ具合を確認した(弟がトイレで手を洗う際の水滴や彼の体のアカ・垢らしいもの)。私の寝ている間に弟が汚したものと思う。2分以上、これに時間を割き、それから下痢を排出した。6時21分から腹痛のためにトイレへ入り、下痢を排出した。

9時57分に尿意からトイレに入った際、便座の後部(私は浅く座るので私ではあり得ない。跳ね返りでもあり得ない)に血のようなものが付着していたが、これも彼による。15時25分からも同様。本日に3度弟が外出し、2度(8時台と15時台)弟が風呂に入ったが、5月の宇連ダム貯水率ゼロ以外にも何かと東三河地域や豊橋市域の水不足の話が聞かれている(既知→農業用水の影響が大きいとはいえ家庭用でも水道水配給の地区ごとに節水の努力が必要、そもそも社会学者になりたがる彼にとって無知は恥と思った方がよい)。彼は本当に経済的でない・騒々しい・不愉快な要素を放つ・体がデカいだけの人物(cf. 過去の冷房病、今は母親が彼の部屋のエアコンを利用不能状態にしている)である。愛知県犬山市の某敏伸さんの娘(重度知的障害を持つ)は2015年6月2日に18歳9か月でⅠ型糖尿病の症状によって逝去したが、彼は今月に19歳の誕生日を迎える(だから何・・・)。


2019/06/15

本日6月15日は前日20時35分にPCをシャットダウンして就寝し、4時8分に起床した。12時49分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、13時26分に自室へ帰った。



2019/06/16

本日6月16日は前日17時8分にPCをシャットダウンして就寝し、4時15分に起床した。8時6分にPCをシャットダウンして仮眠を取り始め、10時46分に起床した。15時7分から母親が徒歩で外出した。本日10時ころから外出していたと思われる弟が16時0分ころに帰宅して以降、彼は1階リビングに居座り続ける。なぜかキッチンで温水を用いるなど、普段と異なった様子でいる。彼は20時31分に2階へ上がった。彼はカレーを作っていたようで、床にタマネギの皮が散乱していたり、一部のゴミの分別が誤っている(i.e. 私や母親ではありえない・正誤の価値観の社会的な相対性)状態であった。



2019/06/17

本日6月17日は眠らない状態で日を越して至る。1時18分、家の前で車のエンジン音が留まるようであったので様子を見ると、白い乗用車が停まったり、中の男性1名が出入りしたと思ったら、別の男性の声がする。それはI家の年上男性であり、また、I家関係のよその中年女性も見られて車の誘導をしていた。私の個人的な生活の変遷の関係もあるとはいえ、私はI家のこのような動向をこの3年であまり見ない印象である(多く見積もって年に数度)。日曜日明け月曜日の夜中に、彼らは騒がしくしている。1時35分からPCをシャットダウンして就寝し、6時10分に起床した。



2019/06/18

本日6月18日は前日18時19分にPCをシャットダウンして就寝し、2時17分に起床した。



2019/06/19

本日6月19日は前日20時31分にPCをシャットダウンして就寝し、4時22分に起床した。4時47分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時50分に自室へ帰った。



2019/06/20

本日6月20日は1時6分にPCをシャットダウンして就寝し、5時58分に起床した。10時7分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものを排出した。10時36分に弟を連れて母親が発車して外出した。6月26日市役所云々。16時51分に弟が帰宅した。21時40分に母親の車が家の前に着いた。


当記事注: 当ブログでも取り上げた人物「吉田一郎」氏の、彼の著作「消滅した国々 (ISBN 9784784509690)」を弟が豊橋市中央図書館で借りてきた。おなじみ「大宮市章の旗」をさいたま市議会で掲げる姿の写真が著者の紹介欄に載っている。なお、弟はこれを借りてもあまり読まず(母親からも指摘されていた)、ずっと同じところにしおり代わりの定規を差し込んだまま5日・8日が過ぎている状態(撮影当日~数日前を起点として以後の日を終点とする期間)を観測した(そこの貸出期間は15日以内とある)。

当記事注: 2019年7月19日、弟名義の「豊橋市図書館」貸出券が1階キッチン=台所のプラスチック系ゴミ袋に捨てられていた。母親は出張として長期不在のさなかであり、彼の意思で捨てられたろう。これは後で取り直されている様子もあった。



2019/06/21

本日6月21日は1時17分にPCをシャットダウンして就寝し、6時54分に起床した。10時3分から便意のためにトイレへ入り、1個の小サイズのものと1個の中サイズのものを排出した。11時59分から便意のためにトイレへ入り、5個の小サイズのものを排出した。16時25分に個包装耳栓の1つ(中身は1ペア)を開封した。2018年9月27日から自室にあるこの系統の耳栓は最初の1ペアが5か月以上 (150<X)、次の1ペアが今までの4か月以内 (X<120) 使われたと思う。この系統の耳栓について日記メモで記録しないでいたが、とりあえず、個人的な目的で今は記録する。



2019/06/22

本日6月22日は前日19時26分にPCをシャットダウンして就寝し、1時53分に起床した。3時33分、私がこの1週間で頻繁に横臥する場所である「折りたたまれた敷布団」の、そういう範囲に全長1.5cm程度の虫が潰れているように見えた。最初はクモのように見えたが、実際は縦に長めの昆虫であろう。正視に堪えないし、これを移動させる際に少し動きもした。こう見直すと、生きていて形状も留まっているようである。そのままゴミ袋の中に移動しておいた。4時29分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、6時12分に自室へ帰った。



2019/06/23

本日6月23日は前日19時16分にPCをシャットダウンして就寝し、4時26分に起床した。7時54分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものと2個の小サイズのものを排出した。15時3分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものに軟便が連結したものを排出した。15時40分から母親が徒歩で外出した。

15時48分にA方面から最寄り駅方面に進む犬連れの人間の様子を感じた。犬か子供か不明の声と近所の番犬の声の混沌とした声が聴こえてきた。無意味に犬の鳴き声に呼応する近所の番犬はともかく、進む犬連れの人間は、若い女性2名と3匹以上の小型犬だと判明した。彼らは見かけない者たちであるが、実際には数年前に見ていると記憶する。近所に住まず、時折何かの用でこの近辺を通ると思われる。16時27分からも同じ集団が最寄り駅方面から家のA方面に移動してきて通過する際、9時台後半から外出中の弟が帰宅した。小型犬の犬種は1名(前回も今回も後続)が牽くカートに乗るダックスフンドと、リードで繋がれる2匹のダックスフンド・1匹のマルチーズ・1匹のトイプードルであった(前回と変わって今回はカート1匹がリード1匹であるかもしれず不明確だが少なくとも一度に4匹以上見られた)。23時19分に家の前に着いた母親が、弟の帰宅時に施錠されて家に入れないでいたので私が開けた。



2019/06/24

本日6月24日は0時24分にPCをシャットダウンして就寝し、6時54分に起床した。1階リビングで珍しく彼が朝食を取っているようであるが、7時35分から母親が干渉した際に「ごめんなさい!」などと彼は言っていて状況が不明である。この後の母親の発言内容は本日に彼に予定があることを示唆している。7時50分台に弟が外出した。彼は15時過ぎに帰宅した。当月11日、日記メモに記さないものの「令和元1年7月(原文ママ。デジタル環境の仕様上でもこれは有り得ないので知的障害者を支援する職員が通所する人たちと知的能力が近似したパターンか)」以降に弟が新しく就労支援のための施設通所を行うことを知った、その行為が今日からであろうかとも考えたので、明日以降の様子も慎重に窺いたい。17時ころから母親が弟を連れて発車して外出したと思うが、その時の様子を確認しない。19時37分に母親の車が家の前に着いた。



2019/06/25

本日6月25日は前日22時10分にPCをシャットダウンして就寝し、5時20分に起床した。7時51分から弟が外出するタイミングで母親が俄かに動き出して弟を呼ぼうとしたが、彼に聴こえない。母親は再度窓から外の弟を呼んで家の中に戻して何かを話し、弟は再度外出した。8時34分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、10時22分に自室へ帰った。9時台から母親が1階リビングにおり、10時30分から始まった通販番組の内容に吸い付けられていた。母親が栄養素の数値とか価格・値段の数値とかに声をあげながら反応しているので、私はいつものように呆れた気持ちでいる。郵便配達員が家の付近に数人往来する時間帯のうち11時40分台に母親は「洗顔with白いクリームのような何か・パックか不明の何か」をしていた。今までに彼らの食器洗いを母親はしていなかった。13時59分から便意のためにトイレへ入り、3個の中サイズのものを排出した。18時33分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものを排出した。



2019/06/26

本日6月26日は前日19時15分にPCをシャットダウンして就寝し、4時0分に起床した。16時30分台にPCをシャットダウンして就寝し、20時17分に夢精で目覚めた(1分以内に起床)。夢精の夢の内容を認知しながら私が手で抑制を試みたものの、亀頭に接近されたパンツの一部分や人体の陰毛(陰茎から上方)部分などに被害がある。寝る前の私は夢精を予見していて寝る前にティッシュペーパーでペニス周辺を覆っていて、多くはここに逃がせても、射精時間の後半の時が主立っていたので、結果的に効果が限定的である。



2019/06/27

本日6月27日は寝ない状態で日を越して至る。5時16分からPCをシャットダウンして就寝し、10時21分に起床した。12時32分から母親が発車して外出した。13時24分まで自室の清掃・整理をし、それから2階の母親の部屋で自作デジタル作品印刷・紙の絵スキャンを行った。13時39分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、14時51分に自室へ帰った。



2019/06/28

本日6月28日は前日22時12分にPCをシャットダウンして就寝し、5時45分に起床した。10時21分から便意のためにトイレへ入り、1個の中サイズのものと1個の長サイズのものを排出した。19時55分から尿意のためにトイレへ入ると壁に黒色の濃い全長1cm超の蚊がいた。羽音がはっきりと聴こえる個体を豊橋の家ではめったに見ない。彼がおとなしくするならばともかく頻繁に飛んだり止まったりする。私から逃避したり私に接近したりと繰り返す彼なので、拳に迫った際に掌握してみた(便座清掃儀式用トイレットペーパーで掌が覆われている)。それから排尿した。蚊については萌えの典籍に障礙尊者が2度譬えられている(尊者名義談の注釈とmjk-nmj-jr事)。


6月28日16時49分撮影。耳たぶは頻繁に異常を発する部位と思うが、この規模の内出血は稀。



2019/06/29

本日6月29日は前日22時15分にPCをシャットダウンして就寝し、5時35分に起床した。12時59分から便意のためにトイレへ入り、2個の中サイズのものを排出した。14時台に母親が弟に対して洗濯物の取り扱いについて教えながら弟を愚弄していた。16時台に母親は弟の散髪をした。17時14分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものを排出した。17時26分からPCをシャットダウンして仮眠を取ろうとしたが寝付けず、21時18分に起床した。母親は弟に夕食を与えていないように見え、1階リビングに19時台からずっと居座っている。22時50分台から数分間トイレを利用した後の弟を母親が叱り始め、1階リビングで争い始めた。主に弟の扇風機や照明器具のスイッチの扱いについての内容である。



2019/06/30

本日6月30日は寝ない状態で日を越して至る。母親は1階リビングに居座ることを継続する。0時50分台に私が自室の出入りを行うあたりで母親が無駄に反応して私に声を掛けたり、1階リビングのテレビを消して2階に移動しようとしたりやめたりする行為を1分続けた後にするという異常行動が見られた。1時44分に弟が1階に降りて手を洗ったり経度に飲食したりした。2時39分からPCをシャットダウンして就寝し、7時39分に起床した。9時33分から便意のためにトイレへ入り、1個の長サイズのものを排出した。12時台(不詳)に便意のためにトイレへ入り、1個の小サイズのものと1個の長サイズのものを排出した。19時23分から便意のためにトイレへ入り、2個の小サイズのものを排出した。