2016年2月18日木曜日

日本・大陸漢字発音概論 [音韻学]

今回は、漢音と呉音の復習に加え、漢字文化圏の諸語や外部の言語の例も交えて解説する。

「自然(しぜん)」と「男女(だんじょ)」に、別の読み方があることはご存知であろうか。
そう、「自然薯(じねんじょ)」や「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」に見られる差である。
その差は単なる訛りであろうか?
これは端的にいえば「漢音」と「呉音」の差である。
"しぜん・だんじょ"組は漢音であり、"じねん・なんにょ"組は呉音である。

「自」は一般的にこの呉音かつ濁音の"じ"と読まれる。
「自」を漢音かつ清音の"し"と読むのは、いわゆる中国の書で仏教でない道教や儒教での読み方の影響で"しぜん"と読む。
一方、"じねん"の場合、「然」を呉音である"ねん"と読む熟語は、「天然」くらいしか一般的な例がなく、一応IMEで変換できるものとして「忽然」などがある程度だ。
だが、音符となれば「燃焼」の燃えるという字が一般的に"ねん"と読む。

ともかく、要は漢音"ぜん"と呉音"ねん"の差は、「特定の単語のみに現れる訛り」ではなく「普遍的法則」である。
これは"ぜ"と"ね"の互換である。
"だんじょ"の"だ"に対する"なんにょ"の"な"、また"じ"と"に"も同じ普遍的法則が合う。

余談だが、「境内(けいだい)」という読み方は、「境」も「内」もそのような読み方の単語例はほかにあまり無いので、初めて見たとき・普段見ない中で久々に見る時には大概「境内(きょうない)」と読む人も多かろう。
これも前者が漢音であり、後者が呉音である。
「境(さかい・けい・きょう)」はいわゆるeiとyouの互換であるが、これは音韻学入門の2014年7月の記事で当時なりの解説がされている
「内(うち・だい・ない)」は先ほどと同じ法則によるが、"だい"読みの単語例は「お内裏」か。

"だDA"と"なNA"は歯茎音で共通し、"じょJO"と"にょNYO"は硬口蓋音で共通し、"ぜZE"と"ねNE"は歯茎音で共通する。
例えば"ぜ"は有声歯茎破擦音であり、"ね"は有声歯茎摩擦音であるといった、"だ・じ・ぜ"等の互換法則漢音は大概「部位名称+破擦or破裂音」に該当する。
とりあえず、ここで漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"に発音法則の一貫性があることを理解されたい。
なお、"ぬ"や"の"が呉音なのか漢音なのか、また片方に当てはまる場合もう片方がどういう音になるか、少し説明する。
「奴・怒」は「奴隷(どれい)・憤怒(ふんど)」という漢音、「奴婢(ぬひ)・憤怒(ふんぬ)」という呉音の違いがあり、"の"という発音に至っては、音読みでの例が未見であるので説明不能か。



次に例題を挙げよう。
「美女(びじょ)」を呉音読みするとどうであろうか。
すなわち、"みにょ"となる。
前述の法則上、女"じょ"が"にょ"となるのみならず、"び"までもが"み"と変化した。
これは過去記事「BM互換」の中で多くの例より解説しているので参照されたい。

「BM互換」は、呉音がMの時、漢音がBとなる法則であるから、呉音と漢音どちらかのみ判明している漢字の音がBの音だとしても、必ず漢音に可能性は限られない(後述)。
後々、中国本土では多くの漢音B音がM音に発せられている(日本の呉音B音は後述「毘"び"」が"Pi"、「平"びょう"」が"Ping"になるよう、P音が多い。これは有声音と無声音の違いであって現代中国の口語では個々の字と条件によってB音にもなる場合がある)。
今の中国本土の普通話において、B音の漢字はほぼ無くなってしまった(後述する「本」は別)。

サンスクリット語には漢字の音写で「菩・仏・毘」などが当てられるB音の単語が多い。
今の中国本土では過去記事にも書いたが、「仏陀(ぶっだ"Buddha")」が"Fo Tuo"となり、「菩提(ぼだい"Bodhi")」が"Pu Ti"となるなど、しかもD音のT音化までセットに見られ、頭子音のB音の消失をはっきりと見ることができる。
これでは、サンスクリット語「音写」に対する、音韻上の再現性に欠いてしまう。
なお、日本仏教に「仏陀(ぶっだ)」という発音は伝統的にされないほか、"っ"という促音の後に"だ"というD音がつく熟語はほぼ存在しない(この発音自体が外来語に対して用いられるようになるなど、日本語には近現代まで無かった)。
"ば"の音の漢字なら、サンスクリット音写の場合「婆・跋」などが用いられる。
これにしてもP音に変わっているから、「婆羅門(ばらもん"Brahmana")」も"Po Luo Men"となってしまう(跋は・・・)。
"べ"に関しては該当する音が漢字にもサンスクリット語にも見づらい。
"ヴェ"は本質的に異なるし、ヴェーダ(韋駄・吠陀)は仏教と関係がなくなってしまう。

続いて、諸語における漢字B音読みの存在を確認しよう。
ベトナム語は不明であるが、「ベトナム"Vietnam"」はご存知の通り「越南(えつなん)」と漢字で書く。
これは日本の古い字音でいえば"ゑつなむWetsu Namu"となるが、それを更にWとVの互換性、入声音の考慮などをすれば"Vet Namu"となり、"Vietnam"と瓜二つのスペルに変わる。
このようであるから、普通の人もとい2年前までの私は「越南」で「越」と"Viet"に似ている点を感じられないであろうが、実は日本語と疎通するものがある。
ベトナム語を始めとして、韓国語や中国方言(広東語・閩南語など)は伝来当初の音を多少の範囲で残しているから、参考となる部分が多い。

韓国語にもまだB音は残っているようであるが、ローマ字表記の基準が変わるとPに綴られる場合も多い。
私が中3あたりの頃は「釜山(プサン)」の表記が"Pusan"と"Busan"に分かれる理由が気になっていたものの、これは"Pusan"がマッキューン=ライシャワー式で、"Busan"が文化観光部2000年式という違いである。
前者M-R式は日本統治時代から不変であるが、後者2000式は韓国政府による改良が度々加えられる中で2000年に確定した表記法であり、現行のローマ字・ラテン文字表記の基準となる。
※後の加筆となる。このB, Pの別は有声・無声の両唇破裂音であり、この有声音や無声音はG, Kなどのいわゆる濁音と清音に相当するが、日本の連濁のように、前後の音など脈絡に応じて有声音と無声音が入れ替わったりする。M-R式や2000式といったローマ字表記法ごとの違いは、ここで決定される。

なお、中国のピンイン方式の表記と、ウェード式という表記法にも、BとPのつづりの差がある。
例えば、「本」のピンインは"ben"、ウェード式では"pen"であるが、韓国のM-R式"pon"、2000式"bon"とも「本」にB・Pの違いがあるが、どちらも実際にBの発音をしている。
今日の日本でそれら言語のカタカナ表記をするにも、大概は両言語の現行表記法(ピンインと2000式)に基づいているから「日本」は中: リーベン"Ri Ben"、韓: イルボン"Il Bon"と綴られる。

※「語中に連濁もとい有声音化が現れただけ」と言われれば、それまでかもしれない。ピンインとかウェード式とかというのはラテン文字翻字システムの名であり、これらは中国語や韓国語などを対象とする際に有気音(韓国語学で激音とも)を区別した表記に、例えば有気音はPで無気音はBを用いるというようなことをしているに過ぎないかもしれない。語頭の濁音もとい有声音を区別しない言語たちだから。私は勉強不足なので考証を保留し、要点だけ読み取っていただきたい。





ここで、日本の漢字の音読み「呉音・漢音」の話に戻す(唐音に関しても僅かに後述する)。
必ずしも「"ぜ"や"び"から始まれば漢音」というわけではない。
連濁によって世が"ぜ"となる場合(観世音、現世)もあれば、毘のようにサンスクリット語の音写(荼毘、毘沙門)でも定番の文字の場合など、その音であっても漢音と推定しきれない字の音がある。
「毘(び)」の文字は、漢音が"ひ"である(一部辞書所載に依拠か)。

呉音における"B"の音についてしばらく説明する。
「凡」という字の読みは、誰もが真っ先に"ぼん"と答えるであろう。
だが、「凡例(はんれい)」のような読みもある。
「凡」の"ぼん"と"はん"の違いもまた、呉音か漢音か、という違いに尽きる。
「犯(はん)」には「女犯(にょぼん)」という読みがあり、「煩(はん)」にも「煩悩(ぼんのう)」という読みがあり、「飯(はん)」でさえ「浄飯王(じょうぼんのう)」と読む。
これだけ挙げれば、"han→bon"もとい時系列的には"bon→han"という音の変化が知られる。
呉音における"B"の音はほかにも「平(へい)」が「平等(びょうどう)」であるとか、「病(やまい)」は一般的に"びょう"と読むであろうに「疾病(しっぺい)」という単語もあることから、「疾(しつ)」の促音便に伴う「病(音符: 丙、漢音: へい)」が半濁音となって"しっぺい"と読むのである。
"hei→byou"は、先述の"ei→you"互換の法則に呉音の濁音化が加わっている。
なお、「平」を"ひょう"と読むことがあれば、これは「類推による慣用音」となる。
したがって、「評判」の「評(ひょう)」も慣用音である(もちろん呉音と漢音は「平」に同じ)。



漢音が"ei"のとき呉音が"you"となる例を本文中に2度は述べた(境と平)が、漢音が"ei"のとき呉音は必ず"you"となるわけではない。
例えば「西」は"せい→さい"であり、「麗・礼」も"れい→らい"と呉音では"ei→ai"の変化がある。
なお、現代中国語、普通話において「西」は"xi"であり、「麗・礼」は"li"である。

"ei→you"互換のものは日本でも一般的な「清(せい・しょう)」「明(めい・みょう)」などが中国語では"qing", "ming"であるなど、いわゆる唐音の"しん"や"みん"に類する。
ただし、"ng"という軟口蓋鼻音は古い仮名遣いだと"う"とされた一方で、現代では誰もが"ん"と、"n"という鼻音と同じようにしている。

なお、既述の「境」と「平」の現代中国語の発音、ピンインの表記とは何か。
「境」は"jing"で、「平」は"ping"である。
これらもまた呉音ei漢音you中華ing(日本の唐音in)の法則に準じている。
現代中国語に少ない発音が、頭子音としての"K"である。
よって、「境」がケイとかキョウとかの頭子音"K"として日本で読まれても、現代中国では頭子音がJかXかQかFかHに変わる(K→Hという頭子音の変化は、後述の「好」という字などが当たる)。

※逆に、現代中韓で頭子音"H"の漢字(好・海・韓など)が、古代日本は"H"の発音が無い(仮名の"は行"に相当する音の発音は古代P→中世F→近世~現代H)という前提で頭子音"K"として受容したという学説が大正頃からある。言い換えると、今日の日本に"は行"で音読みする漢字は今の中国や韓国で"P"や"B"や"F"の音の字が多い。字音仮名遣いで2モーラが"ふ"という漢字も、上古の日本では、入声音"P"に通じた"ぷ"で発音されたのではないか(法なら"ぴゃぷ・ぴょぷ"、合なら"がぷ"という発音が当時の音に近そう)。なお、元々が頭子音"H"でなかった可能性のある漢字が「含 (ごん・ゴム、かん・カム、がん)」であり、今の中韓では"han, ham"という発音ではあるが、仏典の漢訳では"āgama"に対して「阿含」とある通り、本来の中国か古い中国の一部地域では頭子音"h"ではなく"g"だったろうから日本はその音のまま受け入れたと見る。上古音研究では「含」を/*Cə-m-kˁəm/("カム"とか濁り気味の"カム"?)や/*ɡɯːm/と表記している。



最後に、日本の漢字の音読みにおける尾音(後ろの音、尾子音・韻尾)"う, u"の源流について示す。
既述の軟口蓋鼻音"ng (ŋ)"は多くの尾音"う"の音を生み出してきた。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」のような清音である場合、連濁する性質がある。

次に、普通中国語には唐や宋あたりから失われた入声音"p"も、歴史的仮名遣いの"フ"を経て、現代に"う"と綴られる。
合"ガフ"や法"ハフ"などがこれに当たる。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」である場合、"う"が促音となる性質いわゆる「促音便」があり、中でも「は行」は「ぱ行」に変わる。
この原理から、「合併"がっぺい"・合体"がったい"」などの発音が生まれる(「合法」に限っては"がっぽう"ならぬ"ごうほう"のまま)。
また、法"ハフ"は「法被(はっぴ)・法度(はっと)」という単語がこれに則るも、「法華(ほっけ)・法身(ほっしん)・法主(ほっす)」という読み方は、"ハフ"則ではなく"ほう"の"う"が促音便であるが、これについては中古音"pjop: ピョプ"に似た音・呉音"ホフ"に則している。

次に、その中古音・上古音で"w"、現代中国語で"ao"の発音の"o"にあたる箇所を日本の音読みで対応して"う"となる例もある。
代表例はご存知の方もいようが、「小"xiao"」や「好"hao"」や「道"tao"」などである。
この三例はみな、漢音も呉音も日本では"ou (ō)"の発音に終わる。
ほか漢音のみ母音が2つ続いて、呉音は"u"のみとなるものに「・留(漢音: りゅう、呉音: る)」や「・工(漢音: こう、呉音: く)」などがあるが、これらも中古・上古のスペルに"w"で結ばれる。
これらについては、続く漢字の音を濁音化させるなどの効能は基本的に無いが、もしあるならばおそらく、それら前述の"ng"や"p"の効能に対する類推であろう(例: 仏教の三身のうち報身="ほうしん"を"ほうじん"と読むなど・・・""は尾子音ngの漢字でないから日本伝来当初に連濁で伝わるはずもない)。

ほかは、日本で人工的(ある意味で人口的)に発生した「慣用音」としての例がある。
好例が「数(すう)」の"う"である。
なぜ数珠は"じゅず"と読むかといえば、この「数」が本来"しゅ"と読むことが正しいからである。
仏典を見ると、「算数」は"さんじゅ"と、「算(さん)+数(しゅ鼻音連濁)」で登場する。
要は数珠の"じゅ"もなぜこの発音かは自分に分からないのであるが、とりあえず「数"すう"」は本来"しゅ"あるいは"す"と読み、後に"う"が付いてきて成立したものと覚えられたい。
ほか、"すう"に当たる漢字である「枢・崇・趨」なども慣用音とされるが、個人的な検証は不足しているのでこれについては断定できない。
一方「修"しゅう"」は、仏教で「修行」という単語があるよう呉音で"しゅ"と読むが、これは時代が中国で時代が経つにつれ"う"が後からついてきて成立した、ある種「中国の慣用音・訛り」でもあり、日本にその状態で伝来したから漢音に当たる。
同様の字には「就(漢音: しゅう、呉音は"成就"のじゅ)」があるが、なんとこの字の発音は元々入声音の"k"がつかわれ、音の起源がチベット語らしい(これも検証不足)。



原版20151227 ←最初の3日くらいで大半の記述がされた。というか、発案した最初の1日で草案をまとめないと、これだけの情報は整理できなくなる。



2016年2月11日、ついでにもう1点、本文中に挿入すると話がややこしくなる漢字発音の互換例を挙げる。
日本では「肉(にく)・日(にち)」と発音される単語は、中学生までにその中国語発音を知った。
小学生の時に「回鍋肉(ホイ・コー・ロー)」で「肉(ロー)」を知り、中3ネット右翼時代に「日本(リー・ベン)」を知ったことで「日(リー)」と、共に日本とかけ離れた読み方に疑問を覚えた。
これについても答えは簡単である。
「肉(niku = ròu)」にしろ「日(nichi, niti = rì)」にしろ、入声音"k"や"t"が使われ、その音が落ちたり、頭子音"n"が"r"に変わってこのようになったといえる。

中古音から現代までの変遷を示そう。
」は"nyuwk→nyuw→ryuw→rou"」となり、「」は"nyit, nit→ni→ri"と変化した(n音がr音に変化するタイミングは不明なので必ずしもこうとは言い切れない)。
このように先述の「入声音"k"や"t"が落ち」、「頭子音"n"が"r"に変わった」といえる。

ここで、当記事序盤にある「漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"」の互換については、中国ピンインと日本音読みで噛み合わないようではあるが、これが広東語や閩南語の場合、「肉(niku)」は"juk, jik"であり、「日(nichi, niti)」も"jit, jat"というところ、"ni"の音が"j*"に変化している「普遍的法則」は符合した。
また、ラテン語・ドイツ語的な"j"と"y"の繋がりが、韓国語・朝鮮語の発音「肉"yuk"」に見られる。
「肉」の音読みは実に興味深く奥深いことが分かった。
韓国・朝鮮語の「日"il"」にせよ、"nit→jit→yit→it→il"と、彼の言語には入声音"t"が全て"l"となる法則があるため、これも通じる(古来の朝鮮人が漢字の入声音"t"を"l"のように聴き取った)。
頭子音"n"を源流として"n→j", "n→r"ほか、"n→j→y"もあるといった枝分かれ・末葉・末流はあれ、日本の「肉"niku"」と「日"nichi, niti"」だけは中古音・上古音の往古を今に残している。

ほか、同様の例に「二」や「爾(簡化: 尔)」という字が挙げられる。
これらは日本で呉音が"に"、漢音が"じ"と読むが、中国では「一二三"イー・アル・サン"」が日本の小学生でも知っている漢数字の発音や、「首爾」は韓国の首都であるソウル"서울"を音写するなど、"er (ěr)"という発音に変わっていることが分かる(まあ"er"は耳で聞くと"アル"よりも"オー"と言っているように聞こえるが)。
これも日本呉音の頭子音"n"と中国普通の頭子音"r"の互換を裏付ける。
※「安息=アルサケス」という古い中国での音写は、「安」の読みになかなか先ほどのNR互換を感じさせるが、現代中国での「阿爾沙克」という音写も、"爾(尔)"の字に同じくNR互換が見られて面白い、余談だが「息」は日本で"そく"と読むが、あの音写でも入声音"k"が残っていた。

ほか「辱(漢音: じょく)」は、仏教用語・呉音で"にく"と発音(忍辱"にんにく"・罵辱"めにく"・毀辱"きにく"など)され、ピンインでは"ru (rù)"と綴り、別記や他言語に"ju, yuk, yok"などもあるが、先述された頭子音N→RやN→J・Yと同じことである。
「辱」を音符としている「耨」は、仏教用語に「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・・・、サンスクリット音写)」とあるよう、"のく"と発音するけれど、辞書によっては"呉音: ぬ、漢音: どう"とあり、ピンインや他言語でも"nou,  nòu, nau, nu, nậu"など、珍しく上古音以来の頭子音"n"を、日本呉音と同様に維持している("のく"にあたる発音は日本仏教読みのみ)。



最後になるが注意事項を断っておく。
当記事で「中古音・上古音」として度々述べてはいるが、もちろん絶対的に、どこかの辞書などに載っている中古音や上古音とされる音韻が、正確に時期や地域はともかくかつての中国大陸内で使用されていたということを信用しているものではない。
あくまでも、自説の客観性向上のため援用したり、真実(?)の中古・上古音韻を想像する上での参考とすべく、英・中Wiktionaryを確認する。




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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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